時計を手に入れて二日目の学校が始まった。 桐咲の人生は、怠惰なものから一変し華やいでいた。 まるで砂時計を使ったかのように。 リミットは今日まで、ならば思う存分使わなければ。 本日のターゲットはもう決めてある。 というより、彼女しかいない。 このクラスでターゲットにするといったら佐伯かおりと彼女くらいしかいないのだ。 桐咲はまだ人もまばらな始業前の教室で、その時を待ちわびていた。 一限目、桐咲は保健室にいた。 周りにはたくさんの半裸の男子たち──健康診断だ。 新学期が始まると必ず行うものであり、このタイミングで砂時計を手にできたことを彼は幸運に思っていた。 その理由となるものを首を巡らせ見据える。 体重計に向かって一列に並んだその列の中にそれはあった。 彼から七人後ろ、筋肉質な男子と小太りの男子の間に挟まれている人物。 男子の体からするとありえないものが最初に目に付く。 二つの膨らみ。 城ヶ崎ラン──彼女がそこにいた。 頬を真赤に染め上げながら必死で胸を隠そうとしている。 その表情は悔しさと恥ずかしさが入り混じり、目の端に涙をうっすらと浮かべていた。 周りの男子は彼女に珍しい動物でも見るかのような視線を浴びせていた。 だが彼らはランの裸を見たいわけではない。 その仕草を不思議がっているだけなのだ、どうして同性に裸を見られて恥ずかしがっているのかと。 何故彼女がここにいるのか、それはもちろん…。 砂時計で「ランの性別に対する周りの認識」を逆転しておいたのだ。 周りの認識のみの逆転で彼女自身には何ら変化がない。 周りはランを「男」だと思い込み男子側の健康診断を受けさせようとする。 だが、本人は自分を「女」だと思っているので意見の食い違いが発生するのだ。 傍から見れば女子の健康診断に紛れ込みたいだけの男子に見えることだろう。 周りに促され泣く泣くこの場にやってきた彼女を、舐めるように男子たちは見つめるのであった。 自分自身の性別を変えて女子の健康診断に紛れ込もうかとも思ったが最終的に彼はこっちを選んだ。 ランの恥ずかしがる姿が見れるから──理由はそれだった。 桐咲もその視線の一つに加わろうと彼女を見つめたが、彼の視線に視線に気づきキッと睨み返してくる。 相変わらず嫌われているようだ。 「なんでそんな恥ずかしがってるんだよ、城ヶ崎。ホラ手どけてみろよ」 「や、やめろっ…!」 後ろの男子がおもしろがってランの手をどける。 彼女は更に顔を真赤にして抵抗を試みるがあえなく何人もの男子の前に胸をさらされてしまった。 「ひっ。おいっ、やめろって…!?」 ランが素っ頓狂な声を上げる。 お調子者の男子が後ろから彼女を胸を揉みしだいたのだ。 もちろん彼に下心など一切無い。 他の男子に悪戯するのと同じようにしているだけだ。 ランの乳房にお調子者の指が食い込み変形する。 この膨らみを触っても彼は何も思わないのだろうか? 胸はいやらしく形を変えながら桐咲を楽しませた。 彼から見ればただのセクハラ、周りから見ればただのイタズラ。 「なんだよお前。女子みたいな反応だな」 お調子者が笑いながら彼女の方をポンと叩く。 ランはうつむきながら必死で胸を隠していた。 何が起きているのかわからない、そう言いたげに何かブツブツ言っている。 いいものが見れた…この光景を脳裏に焼き付けておこう。 人気のない西校舎の四回でまぐわう二つの影。 「桐咲、もっと奥までいれなさいよ、ホント情け無いんだから」 目の前には全裸のラン。 そしてその秘部に肉棒を突き入れる桐咲。 全てがうまくいった…。 ──放課後、桐咲はロッカーの前に立っていた。 一番やりたかったこと、それを今から実行する。 教室にはラン、そして彼女と会話する男…彼氏がいた。 彼氏はとなりのクラスの石渡だか西渡だか言う奴。 この状況でうまくいってくれればいいのだが…。 思案を巡らせているとふと彼の脳内に疑問がわきあがった。 そういえば持続時間や効果範囲はどれくらいなのだろうか。 今更な疑問だが気になった。 今までいくつか試してきたがどれもうまくいったし、途中で効力が切れるということもなかった。 ──いや、もう引き下がれない、リミットも残り僅かなわけだ。 桐咲はかぶりを振り疑問を振り払った。 そしてある言葉をいいながら砂時計をひっくり返した。 ばたん……ロッカーを閉じた。 教室に赴く。 あくまでも平静を装って、ランのことは意識しないように。 自分の席につき自然に振る舞いながら彼女を一瞥する。 隣の席に彼氏が座りなにやら話し込んでいるようだ。 教室には他に数人の生徒がいたが意識は二人にしか向かなかった。 怪しまれないよう忘れ物を探すふりをしながら時間を潰していると、彼氏の方が席から立ち上がったようだ。 ランの方も立ち上がる…あとはうまくいってくれれば。 祈るような気持ちで身構える。 ランが近寄ってくる。 「ねえ、アンタ──」 うまくいった…。 西校舎の四階、普段使われることのない教室。 そこにある桐咲とランの姿。 「早く脱ぎなさいよ」 彼女が急かしてきた。 「え、なんで…?」 理由は分かっていたがあえて聞いてみる。 「は?アンタとやるためでしょ?なんのために連れてきたのよ」 やっぱりうまくいった。 ここに来る前に砂時計で逆転しておいた物。 ──セックスに伴う恋愛感情。 それを逆転させることでこの状況まで持ち込んだのだ。 普通なら最愛の人とやるべき事、逆転させることで最も嫌っている人と…。 まさかここまで思い通りに事が進むとは思っていなかった。 「だから早く脱げって言ってるんでしょ、私だって用があるんだから」 用…なんだろうか、彼氏とでもどこかへ行くのか。 「わかったよ」 渋々脱いでみせるが内心は真逆だった。 「下だけでいいわよ、どうせやるだけなんだから」 制服のボタンに手を掛けた桐咲の動きが止まる。 そうか、目的はセックスをすることだけ。 それ以外は求めていない。 体の関係だけでそれ以上は必要ない。 桐咲は気になることを一つ聞いてみた。 「彼氏とはやらないの?」 その言葉を聞いたとたんランの眉がみるみるうちに吊り上がる。 「はぁ?なんで私が彼氏とやらなきゃならないの?変態の考えていることはわからないわ。それより何ぼーっとしてんの?」 ──この反応。この世界では子作りするときはどうするのだろうか。 そう考えると沸々と疑問が沸き上がってくる。 「トロトロしてんじゃないわよ、ほら」 「うわっ」 ズボンを下ろされた。 ──もうやるしかない。 肉棒にねっとりと絡みつくランの唾液。 我慢汁と唾液が彼女の口の中で混ざり合っていく。 「んっ………じゅる……ちゅぱっ………」 今の状況──普段と真逆だった。 普段の彼女は桐咲を見下すばかり、そして恋愛感情などまるでない。 それが今は……桐咲の下で肉棒をくわえ込みただただ奉仕する雌。 「フェラはしてくれるんだ?」 「……んっ…当たり前でしょ?準備が必要じゃないの」 やっぱりか、あくまでも性行為のみが目的で心の充足は求めていない。 このフェラもただの準備…別にいいや、充分に気持ちいいし。 「あっ、……いくっ」 ランの舌が尿道口をくすぐったとき我慢の限界が来た。 ──口の中にぶちまけた。 彼女は不味そうにザーメンを吐き出した。 一回目の射精…まだまだいけそうだった。 「じゃあ、いくよ」 「早くしなさい」 ランが教室の廊下側に手を付いた状態でこちらにおしりを向ける。 佐伯さんの時と同じ体勢だ。 ただ違うのはスカートとパンツを脱いで下半身をさらけ出している状態だということ。 桐咲も同じだった。 完全に勃起した状態のペニスを秘部へと近づけていく。 ゴクリとつばを飲み込む。 セックスは初体験ではない、二回目なのに何故これほどまでに興奮しているのか。 彼はその答えを知っていた。 ──ランは俺のことを嫌っている。なのに自らペニスをねだってくる。 そのギャップがたまらなかった。 尻肉を掴むように手を添える、ゆっくりと挿入した。 「うっ…あぁ…っ!」 事前のフェラにより充分に濡れそぼったペニスがずぶずぶと割れ目に沈み込む。 佐伯さんとは違う感覚、あまりきつくなくどちらかといったら緩かった。 「入ったよ、どう気持ちいい?」 「…気持ちいいわけないでしょ、あんたみたいなチンポで感じるわけないじゃない…」 ランが顔をこちら側に向けながら言った。 桐咲はその言葉が嘘だということがわかった。 彼女は眉を下げ頬を紅潮させていたのだ。 しかし、相変わらず引っかかる。 何故自分から体の関係を強請ってきながら感じていることを否定するのか。 「桐咲、もっと奥までいれなさいよ、ホント情け無いんだから」 …矛盾している。 矛盾しているがランに挿入できたということには変わりがないので難しいことはこの際考えないことにした。 言われたとおり奥まで突き入れる。 瞬間「あぁっ…!」と嬌声が漏れる。 腰を動かすと「んっ、んっ」とピストンに合わせてくぐもった声が聞こえた。 やはり感じている、彼女の息は荒くなっていた。 奥まで突き入れるたび尻の肉がプルプルと震える。 「…んっ、あぁあっ……はぁ…はぁ…!」 誰もこないことをいいことにかなりの大音声で喘ぎ続けている。 「…はぁ…はぁ…桐咲…ちょっと体勢変えなさい…床に寝転んで…」 言うとおり床に寝転んだ。 「よし…いれるわよ…」 そそり立ったペニスの真上にあるランの陰部。 仰向けにねそべった桐咲にまたがり腰を落とし、彼女は自らペニスを受け入れた。 ペニスは桐咲の我慢汁とランの愛液により一層ヌメリを増し、いやらしい音を立てながら割れ目に入っていく。 「あぁ…入ってきた………!」 彼女が上げる喘ぎ声、それは桐咲の気分を昂らせるためではないはず。 「喘ぎ声上げるくらい感じてるんだから、やっぱ気持ちいい?」 「そんな……わけない…けど………あぁ…………!!」 矛盾に苦笑いをしながら体の上で腰を振り続ける彼女を見つめる。 教室内に響くのは男と女の喘ぎ声、そこに一つの音楽が混じった。 ──携帯だ。 音楽からして自分のものではないと桐咲は判断した。 「……あぁっ……あ…電話……」 着信があってもなお腰を振り続けるのをやめないラン。 制服のポケットから携帯を取り出し、耳に当てた。 まさかこの状態で出るとは、それに相手は一体誰なんだろう。 「あ………もしもし…シュウ君……?うん……もうすぐいく……」 シュウ君……?もしかして──彼氏か? まずい、彼にばれたら何と言われるか。 さっきまで明るかった彼の顔があっという間に蒼白になっていく。 「…今桐咲とやってるから………うん……あっ…中に出したらいくね…」 名前を出すな、…言えなかった。 しかも行為を赤裸に告げなくても…。 「うん………じゃあちょっと代わるね……あぁぁ…んっ…ほら……桐咲…シュウ君が言いたいことあるって…」 相変わらず腰を振り続けたまま携帯を彼の耳元に近づけてきた。 桐咲は覚悟した。 激昂し、乗り込んでくるかも知れない。 しかし耳元から聞こえた言葉には驚愕せざるを得なかった。 「ああ、お前桐咲だっけか?ランの相手よろしくな。中におもいっきり出してくれよ」 ──そうだった。欲望に溺れていたせいですっかり抜け落ちていた。 思考を逆転させたのだからこの反応は当たり前だ。 「うん………あぁあぁっ!…………じゃあね………」 ランは携帯を折りたたむと再びポケットに仕舞った。 そして更に腰のふりを早める。 彼女の髪が揺れ、体と体がぶつかるたびぱんぱんと音を鳴らす。 体をくねらせながら身悶える。 「いきそうになったら………うっぁ………いいなさいよッ……!」 もうすぐいきそうだった。 それを告げようと顔を上げ彼女の顔をしっかりと見据えた──その時ランの眼の色が変わった。 それはまるでこの状況を受け入れられないとでも言うような表情。 口をあんぐりと開け、腰の動きもピタリと止まった。 教室に流れる空気が一瞬にして変わるのを感じた。 「えっ…………なんで…なにこれ………ちょっとアンタ……ふざけないでよっ!!」 桐咲もランと全く同じ表情をしていた。 何が起きたのかわからない、一瞬で世界が逆転してしまったかのようだ。 「えっ、………」 言葉が出ない。 だが思考は停止しても射精感は止めることが出来なかった。 「あっ……でるっ!」 ──出してしまった。 「ちょっと…!!…………何だしてるのよ!?……ふざけんなっ!!」 「いや、だっていきそうになったら言えって……」 わめき散らす彼女は急いでペニスから腰をあげる。 股間からはツーッと糸が垂れていた。 ランの顔から表情が消える。 「なんで……砂時計は……?」 もしかして……時間切れ? 砂時計という形状からしてやはり時間制限がある? 「………あっ!逃げるな!!桐咲!!」 唖然として声を失っているランを横目に桐咲は駆け出した。 逃げた、というより確認したかった。 何分かはわからないがやはり時間制限はある。 急いで階段を駆け下り反対側の校舎へ。 自分のクラスの前にあるロッカーを目指す。 廊下に飛び出すと女子生徒とぶつかりそうになった。 構わず走り抜ける。 ロッカー……あった。 彼の視界の中にロッカーが入る…が、なにかがおかしいことに彼は気づいた。 ──砂時計が外に出ている…? それだけではない。彼の教科書も同じくロッカーの上に積み上げられていた。 息も絶え絶えになりながら砂時計に駆け寄る。 ──ひっくり返されている。 片方の底には模様が描かれているのでどちらが上なのかは容易に判別できる。 ロッカーにしまったときは模様が下向き、今は上向き。 一体誰が……?何故…? 「何だ桐咲、お前そんなモノ学校に持ってきてるのか?…まあ個人の自由だが。それより今日は清掃が入るって言ってただろ?」 突如として後ろから掛けられた声に驚く。 慌てて振り返ると副担任の安藤先生が腕組みをしながら彼を見下ろしていた。 「全く…なんで俺がお前の代わりに荷物を出してやらなきゃならないんだ。これからは気を付けろよ」 呆れた様子で肩をすくめるとそのまま先生は廊下の向こう側へと消えていってしまった。 だからか…だから効力が途中で切れたんだ。 だが理由がわかったからと言ってどうということはない。 さっきの失敗を打ち消す方法を考えなければ。 とりあえずランの所に戻ろう。 ──彼女の姿はもうなかった。 渋々家路に着く。 どうにか打開できなければ明日から学校に行けなくなる。 ランの家は知らない、電話番号は…しっているがそこからどうするのか。 頭を抱えながら歩く。 自分の情け無さを恨む。 あの男が来るのは今日…。 ──まてよ、お試し期間とか言ってたな。 つまり気に入れば買うことだってできるはずだ。 …いや、どうせ目玉が飛び出るほどの値段に違いない。 一体どうすれば。 結局何も思い浮かばなかった。 思いついたことといえば、苦肉の策として泣き落としで一日伸ばしてもらうことぐらいだ。 時計の針が時間を削っていく…無情にも12時になってしまった。 玄関で男を待つ。 親には余り見られたくないので来たら外で話をつけよう。 車で来るのだろうか…耳を済ましてエンジン音を探す。 一分、二分…まだ来ない。 三分、四分…おかしい。 五分……十分。 十五分、三十分。 ──あれ…? 確か二日後の二十四時に来ると言ってた…つまり今日。 今この瞬間男と話していないとおかしいのだ。 もしかして、忘れた? それなら好都合だ、このまま貰ってしまおう。 砂時計を握り締めながら自室へと戻った桐咲は、わっ!と大きな声を上げた。 「やあやあ遅かったですね〜待ちくたびれました」 「な、どっから入った…!?」 桐咲を待ち構えるように男はベッドに腰をおろし彼を見つめていた。 そういえばこの男…不思議な力を持ってたんだ。 思えば二日前もあっという間に姿を消したっけ。 とりあえず桐咲は自分を落ち着かせ勉強机の椅子に腰かける。 「いやあそんな細かいことはどうでもいいんです。それよりですね、桐咲さん。砂時計はどうでした?」 …細かくはない。むしろそれが一番気になることだ。 「…いや、かなり凄いもんですねこれは。まさか本当にこんな砂時計が実在するなんて」 でも今はこれを一日でも長く使わせてもらえるよう男のご機嫌を取ることだけに集中しよう。 「そうでしょう。私の商品の中で一番のお気に入りですからね」 男は自慢気に言う。 眼鏡の奥の瞳が輝いて見えた。 「で、どうしますか桐咲さん。お買いになられますか?」 きた…一応買うつもりでいるが値段による。 「…欲しいんですけどねえ、その…値段の方は……?」 男は電卓のようなものをカバンから取り出す。 細い指で器用にボタンを弾く。 液晶に数字が表示されると桐咲に見せる為に眼前に突きつける。 その数字を見て彼は一瞬声が出なかった。 「……ご、五億……!?」 あまりにも現実離れした数字。 そんなもの一学生である彼には支払えるはずがない。 目をぱちくりさせながら現実を受け入れられないでいる彼に男が声をかける。 「おや?驚いてらっしゃるようだ。でもねえ桐咲さん、この砂時計さえあれば何でも意のままなんですよ。ほら、最初に言った…お金もね」 ──なるほど、これで逆転させて支払えってことか。でもそれじゃあ…。 「でもそれじゃあ意味ないんじゃないですか?お金の価値を逆転させた状態で五億なんて受け取っても端金でしょうに」 「それがね、私たちは未来からきているんですよ。だから砂時計の効力は適用外。関係ないの。ここで貰って未来で帰るだけですよ」 ──?意味のわからないことを言い出した。未来?なんだか急に信用できなくなってきたぞ。元々そんなに信用もしてないけど。 「何言ってるんですか?そもそもあなた何処の会社の方なんですか?全然説明がないですよね」 猜疑心がますます強くなる。砂時計は信用できてもこの男はまるで信用できない。 「あなたにいってもわからないでしょう。それより私は簡潔に聞きたいんです。買いますか?買いませんか?」 男の声が少し怒気を含みだした。桐咲もそれに釣られるように少し強めの口調になる。 「買いたいのはやまやまなんですけど値段が高すぎるんですよ。もうすこし学生の財布事情を鑑みて決めてくれませんか?」 「…わかりました。負けましょう………これでどうです?」 男はまた電卓を弾き桐咲に見せる。 ──四億五千万、話にならない。 「無理ですね、そんな額は出せません」 「だから言ったでしょう。買ってからお金の価値を逆転させればいいと」 どうしても売りたいらしい。その必死さは表情にまで表れていた。 いっそここでお金の価値を逆転させてやろうか…そうすれば男は四億五千万あらため五円くらいを提示してくるはずだ。 砂時計を握る手に力がこもる。 男はベッドから今にも立ち上がりそうなくらい前のめりの姿勢になっていた。 「…桐咲さん、あなたは砂時計の価値を分かっていない。いいですか?それは今の地球の技術力では不可能な商品なんですよ。それを私たちが貴方達に届けてあげているんです」 今の地球…また胡散臭いことを。 …でも確かにこの砂時計は人智を超えた力を持っている。 それにこの男…いきなり消えたり現れたり。 怪しさ満点だがすこしだけ説得力がある。 「その砂時計の価値、本来なら値段が付けられないものなんです。それを今回売り物にしちゃうんですよ?買うしかないいでしょ」 男は大げさなジェスチャーでこの砂時計がどれほど偉大かを説明している。 「何者にも変えられませんよ。一生に一度のチャンスです。全財産つぎ込んだって惜しくない、それくらいあるんですよ砂時計の価値は」 まだいうか。 「価値がわかるお客様にと思って提供したのに…ああ、私の見当違いでした」 男は手の甲で目を覆い隠すようにし嘆くような仕草をしだした。 どうも腹ただしい。 「人類の未来を左右すると言っても過言ではないのになあ。それぐらいの価値がありますよ本当に。ああ惜しい」 嫌味っぽく言う男についに桐咲は激高した。 「何度も何度も言わなくても分かってますよ。……砂時計の価値、砂時計の価値って!!」 右手を振り上げ怒りを露にする。 その拍子に砂時計はポロッと彼の手から滑り落ちた。 それは一瞬のことだった。 直立する砂時計。 途端、二人の間に流れていた険悪なムードは消え去った。 彼らの表情からすーっと毒気が抜けていくようだ。 「…あれ、なんでこんなくだらないことで怒ってたんだろう」 「何でですかねえ。こんなただの砂時計で」 二人の間に佇む砂時計、桐咲には何の魅力も感じない、よくあるものにしか見えなかった。 「あ、これいらないです、もって帰ってください」 「え?いいですよこんなもの。ゴミになるだけですから」 「いや、あなたが持ってきたんでしょう。それぐらい処分してくださいよ」 「えぇ?……いらないなあ」 一体何を今まで悩んでいたのだろう。 こんな物のために、下らない。 「わかりました。じゃあもって帰ります。ではでは、失礼いたします」 男は渋々と砂時計をしまい込むとペコリと一礼をし、この前と同じようにまばゆい光を発しながら消えていった。 やれやれ、変な人だった、やっと居なくなってくれたか。 あんな価値のない砂時計なんてただでもいらないな。 そんな事よりもランをどうするか…明日は地獄になりそうだ。 桐咲は椅子から立ち上がりベッドへと寝転んだ。 大きなため息を一つ吐いた。 < 終 >
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