中央が凹んだ「サカサマの屋根」。常識破りの形が目を引くSさん(33)宅は、那覇市首里にあって、住宅と墓地に囲まれている。「サカサマ」は、街中で、限られた自然(雨水)を取り込むために導き出された形だ。一家は、晴れた日には開口からの景色を楽しみ、雨降りには雨桶を通る雨水の音に耳を傾ける。自然は身近にある。 |
|
|
|
|
|
1階の子ども室。玄関からリビングを通らず直行できるので、完全な個室とならないよう、仕切りを障子にした。違う部屋に居ても、自然に子どもたちの様子が分かる。将来的には、分割して使える |
|
|
眺めいい2階が居間
|
Sさんと建築家は、学生時代からの友人だ。家造りでは、「面白い家にしたいね」と意見が一致。「サカサマ屋根」を提案された時も、快諾した。
敷地は、東側が道路、南北は住宅、西側斜面は墓地に囲まれた住宅街。どうしても開口は限られしまう。
建築家は、特に開口の制限される1階に寝室や子ども部屋を配置しプライベートゾーンに。あえて暗さを残し、落ち着いた雰囲気にした。
眺めのいい2階は、みんなで使うスペース。一続きの居間や台所、食卓に、大きな開口から光が差し込む。家具も内装もほとんど木で、室内は温かみのある雰囲気だ。家中に、吹き抜けを通して風が抜ける。 |
|
集まりやすい畳間に
|
建築家もSさんも県外出身。たまたま2人とも県内に移住し、空港でばったり再会した。「ちょうど妻の実家近くに土地が見つかり、家造りを考え始めていたところ。タイミングがぴったりだった」と、振り返るSさん。家造りは、スムーズに進んだ。
夫婦がイメージしたのは、夫人の実家。「和室があって、行事時には10人くらい集まることはざら。せっかくなら、大勢入るほうがいいから、居間は畳間にしたかった。子どももいるから、何かと便利だし」と、みんなが集うスペースを畳間に。そのほかに、「天井は木組みでカッコよく」「書斎が欲しい」「キッチンはオーダーで」などをリクエスト。1年半ほど話し合った。
完成して約1年がたった。
丸い吹き抜けの周りを、子どもたちがぐるぐると追いかけっこ。畳間は、遊んだり寝転がったりと重宝している。子どもの誕生日には、10人以上の親戚が集まり、畳間で大宴会になった。壁には、その時に飾った子どもの写真がぺたぺた貼られている。
「以前よりも、子どもたちが伸び伸び遊んでいます。キッチンは、いずれ子どもが成長した時に一緒に立てるように、アイランド型にしたんですよ」と夫人。オープンな雰囲気からか、保育園の友だちもよく遊びに来るという。
「引っ越しして、初めて雨が降った時はうれしかった。今までトイレや散水は、全部雨水でまかなえているんです。雨が降るのが楽しみになりました」と、Sさん。
人、自然とつながる空間で、日々を楽しんでいる。(栄野川里奈子) |
|
|
|
|
|
▲道路から見た住宅外観。道路側には、窓はほとんどない。紅型の波のモチーフ(写真左)は書斎の窓に接していて、道路からの視線を遮る役割も |
▲家の中心にある大黒柱は、屋根を支える。周囲にある円形の吹き抜けが、家族の気配を柔らかく伝える |
▲実は、寝室の壁の一部が、隠し扉に。回転させると、机も本棚も造りつけのSさんの書斎がある。からくり屋敷のようで楽しい |
|
|
|
下の視線気にせずゆったり
|
眺めのいい屋上。中央が凹んでいる屋上は、持ち上がっている屋根の外側が目隠しとなり、下からの視線が気にならない。愛煙家のSさんの、休憩場所でもある(編集部撮影) |
|
|
|
|
建築意思に聞く設計のポイント |
自然を受け入れる造り
|
|
|
|
|
2階。食卓のダイニングテーブルやイス、台所のキッチン、収納棚などは職人の手作りで、購入した家具は無い。内装と家具が調和している |
|
|
S邸は「都市生活者が風景の中で暮らすこと」をテーマにした家です。
敷地は北側斜面に位置する新興住宅地で、周囲を住宅や墓地で囲まれていました。きれいな眺めも、十分な風通しも望めません。どこに風景を探せばいいのでしょう?
そこでわたしは「雨と暮らし」という人間にとって根源的な関係の中に風景を見出すことはできないか、またその関係を直接形にすることはできないかと考えました。
その答えが、サカサマ屋根です。大黒柱、吹き抜けの手摺、屋上バルコニーなど、各要素はサカサマ屋根に集約されます。それは雨(自然)を受け入れることの意思表示です。雨水利用という設備的な機能としてだけでなく、雨という自然の現象を家そのもので受けとめること。都市に住みながらも、風景を五感で感じながら、暮せるような家づくりを目指しました。
近代主義の建築が、この100年めざしたのは、結果的に、どんな自然条件からも影響を受けない独立した建物でした。アルミサッシやエアコンなど工法や設備技術の発展によって、私たちはどこにいても、一定の快適さを保つことができるようになりました。
しかし一方で、その快適さに慣れてしまって、鈍くなっている「こころ」はないでしょうか?
帰宅途中、夕焼けの美しさに思わず車を寄せてしまうこと。カエルの鳴き声に何をおしゃべりしているのかと耳をすますこと。エアコンの効いた部屋で野球中継を観ながらビールを飲むのもおいしいけれど、月明かりを肴に晩酌する夜も、たまにはいいものです。
ささやかだけれども、いとおしい時間の粒たち。もし建築がそんな時間を、やんわりと導くことができたら素敵なことだなぁと思うのです。そして、そこで暮らす人々が、もう一つの豊かさにふと気がつき、大らかに、お互いの関係を築いてくれたらと願うのです。
雲の動き、影があること、雨の音。わたしたちが慌しく過ごす生活をよそに、淡々と営まれていく風景の根があります。つい忘れてしまうそんな物語たちを、そっと語りかけてくれるような住まい、そんな家を設計したいものです。 |