2011年4月10日9時0分
鈴木弁護士が担当したのは1977〜82年に第一原発で配管工などとして勤務した男性。退職後に多発性骨髄腫と診断され、2007年に死亡した。被曝によるものと労災認定されたが、損害賠償を求めた訴訟では東電が責任を認めず、請求は棄却された。
「被曝と、事後に発症した病気との因果関係を科学的に立証するのは極めて困難。いま、現場で作業する人たちは自ら予防する余裕すらないだろう。国や東電は十分な予防措置と、万が一の時の補償をしっかり検討していく必要がある」と話す。(佐々木学、板橋洋佳)
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「そっちは何人出すんだ。覚悟を見せろ」
地震発生直後、原子炉メーカー「日立製作所」のグループ企業の会議室。福島第一原発で作業にあたる部門の担当者が、技術管理をする社員に詰め寄った。離れた場所から指示を出すのではなく、現場で危機感を共有し、難局を乗り越えようと訴えた。激しい応酬の末、多くの技術系社員が現場に入った。
社員の生命に関わる任務だけに、同社の中堅幹部は「重い決断だった」と振り返る。
東電の協力会社から作業に参加した40代の男性は、「行きたくなかったが、断れば今後の仕事がなくなる」と打ち明ける。日当は1万数千円。「時給数万円で雇われた建設関係の作業員もいるらしいが、日頃から東電と協力関係にある我々は通常の日当で働いている」
一方で、「自分たちしかいない」と責任感を持って志願した同僚も多く、「現場には団結感があった」と話す。
ある下請けの工事会社では、高齢の専務や社長たちが作業に名乗り出た。「俺たちだって簡単なケーブルの敷設作業ぐらいはできる」。若い作業員の将来を思い、盾になると決意した。比較的安定している第二原発では、地元の高校を出て採用された若い女性も泊まり込みで勤務しているという。(小島寛明、小松隆次郎)