2011年4月10日9時0分
いったい終わりは来るのだろうか――。東京電力福島第一原発で続く過酷な作業は、収束の道筋すら見えないまま1カ月を迎える。「フクシマ50」と海外メディアから称賛された作業員たち。不安と苦悩を背負い、見えない敵と戦い続ける。
「再登板もあるかもしれない」。首都圏に住む東京電力社員の妻は4月、夫からこう打ち明けられた。震災の数日後から福島第一原発に詰め、最近ようやく東京に戻ったばかり。現場を離れても勤務は連日早朝から深夜まで続き、家族と話す時間はほとんどない。
「いまは平気でも、この先、健康は大丈夫?」。妻は心配する。
現場では当初、放射線量を管理する線量計が足りず、180人が線量計を持たずに作業したこともあった。食事は朝が乾パンと野菜ジュース、夜が缶詰と非常食のご飯。作業の合間に床で雑魚寝という劣悪さだった。
現在、食事は3回に増え、一部は数十キロ離れた宿に泊まれるようになった。東電関係者によると、線量計も全員に行き渡るようになったが、「これまでにどれだけ放射線を浴びたのかわからない」と不安を訴える作業員は少なくない。
3月下旬に作業拠点となっている「免震重要棟」の放射線量が高くなり、作業員に動揺が走った。
免震棟は外気を取り込まない空調があり、壁も厚い構造になっているが、東電は対策として換気フィルターを交換。窓などから透過力の強いガンマ線が入らないよう、77枚の鉛の板を窓枠に合わせて設置した。
社員を派遣している企業の関係者は「鉛のスーツを着せたいぐらいだ」と話す。第一原発には内部被曝(ひばく)量を計測する「ホールボディーカウンター」と呼ばれる機器もあったが被災して使えず、検査車両で代替している状態だ。
「何年かたって症状が出る作業者が現れるのではないか」。過去に原発作業員の労災問題を担当した鈴木篤弁護士は心配する。