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■震度6弱 恐怖再び
2011.04.09
津波警報 市民ら避難
停電で暗闇、不安増す/
 7日午後11時32分ごろ、宮城県北部と中部で震度6強の地震があった。東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻地方では東松島市矢本で震度6弱など。気象庁は県沿岸部に最大1b程度の津波の恐れがあるとして津波警報を発令した。地震直後から石巻市では全戸が停電、断水。沿岸部の住民は暗闇を懐中電灯で照らしながら避難所に急ぎ、市災害対策本部は被害状況の把握に努めた。石巻赤十字病院によると、余震後に2人の男性高齢者が運ばれ、死亡が確認された。状況から地震の影響とみられるという。

 気象庁によると、震源は宮城県沖で、震源の深さは約40キロ。地震の規模はマグニチュード(M)7・4と推定される。東日本大震災では本震発生の3月Z日以降、M7・4〜7・7の余震が頻発しており、気象庁は今回も余震とみている。

 石巻地方では地震発生直後、ほぼ全戸が停電、断水に陥った。東北電力石巻営業所管内で約[万6000戸が停電し、石巻地方広域水道企業団管内で約7万5000戸が断水した。固定、一部携帯電話も不通となり、3月11日のようなライフライン状況となった。

 津波警報の発令とともに、津波の被害を受けた地域などでは高台などの避難所に駆け込む住民も多かった。開北橋から石巻霊園にかけて、大街道方面から石巻中にかけて車が一時的に渋滞。歩いて避難する人の中から「また津波が来るの」とおびえる声もあった。

 河南地区では本震で損壊していた家屋が倒壊し、1人が軽いけが。同市広渕の避難所では、停電などによる不安で体調に不安を訴える人もいた。

 本震や余震で地盤が緩んでいたこともあって、道路では陥没箇所が増加。同市中瀬では岡田劇場前が陥没し内海橋が通行止めになった。ガス漏れ、倒木、ブロック塀の倒壊なども数多くあった。

 津波警報は8日午前0時55分に解除された。津波による被害は確認されていない。電気と水道は、復旧作業と被害調査が同時進行で続いている。

 深夜に突然の大きな揺れの後、石巻署には停電の暗闇の中、周辺の住民が徒歩や車で続々と避難してきた。携帯ラジオに耳を澄ましながら、「また不便な生活になるのか」といった不安げな会話が聞こえた。

 石巻市西山町、無職渡辺盛雄さん(72)は「妻と家を飛び出して来た。先月Z日の大津波はここまで来なかったので避難場所に選んだ。安心して眠れない」と話す。

 同市住吉中では、防寒具を着込み、毛布などを持った中高年の女性らが多く、体育館や正門で待機した。同市開北2丁目の70代女性は「本当に怖かった。また津波が来るのかと思い、貴重品を入れていたリュックサックを背負い、息子夫婦と逃げてきた」と語る。

 周辺の道路は避難する車で大混雑。前に進めず、イライラするドライバーの姿があちこちで見られた。

 石巻市荻浜中は、住民ら約80人が避難していたが、津波警報発令とともに全員が同中より高い北側高台に移った。70代の主婦は「震災で浜は壊滅したのに、またかと脱力感に襲われた。余震が続いており、神経が休まることがない」と疲れた表情を見せた。

 牡鹿半島を走る県道沿いは、新たにがけ崩れや地割れが発生した所もある。住民からは「ライフラインの復旧がさらに遅れのではないか」と不安の声が出ている。

 東松島市赤井、パート従業員千葉麻美さん(25)は、津波警報と同時に、両親と車で石巻市須江まで避難した。「大津波の恐怖がよぎった。途中、タイヤがパンクしてあわてた。知人に連絡して修理に来てもらったが、生きた心地がしなかった」と語った。

 女川一小で夫と娘夫婦、孫2人と避難生活をする木村龍子さん(68)=同町出島=は「今回は就寝してからだったので不安が増した。こうも余震が続くとノイローゼになってしまう」と話す。余震後、校舎から出て段ボールや毛布で暖を取りながら1時間以上も外で過ごし、津波警報解除後は校舎の廊下で眠りに就いた。
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