川を超える後ろすがた 工藤 遥さん  2011/04/05(TUE)
剥き出しの きよらかな魂。オトムギ三銃士 並木 秀介  2011/04/04(MON)
なんでも知っていそうな なんにも知らなそうな 美しい瞳。大河 元気さん  2011/04/03(SUN)
「芝居なんかやってる場合じゃねーな」と言った男。池田 稔  2011/04/02(SAT)
エイプリルフールと 三億円少女 六人の依子  2011/04/01(FRI)
記念すべきデビュー 岩田 陽葵さん  2011/03/31(THU)
おろおろさせない負けず嫌い 竹内 朱莉さん  2011/03/29(TUE)
先を明るく視るオトコ。オトムギ三銃士 中神 一保  2011/03/28(MON)
気っ風と気合いと気遣いの甘噛み姐さん。今藤 洋子さん  2011/03/27(SUN)
三億円少女システムと 朴訥な天の邪鬼。磯和 武明さん  2011/03/26(SAT)


川を超える後ろすがた 工藤 遥さん

「子どもって 後ろすがたが 可愛いよなー」

というセリフを、『1974』の宮原将護のセリフにどーうしても書きたくて、
だけど、どうしてもハマるシーンがなくて、泣く泣くあきらめたシオダです。
そんな言ってもしゃーないこといきなり告白してすみませんが、この場合の
「子ども」とは『1974』にて、ハロプロエッグの工藤遥さんが演じてくれる
「フジコ」のことを指した台詞でした。だけど、念のため(念のためですよ)
ことわっておくと、工藤遥さんが可愛いのは、もちろん 後ろすがただけでは
ありません

「どぅー」こと工藤遥ちゃんは、いちど逢ったら忘れられない子。女優さん。

屈託のない明るい笑顔。ベビーフェイスからパンチの効いたハスキーボイス。
しっかり「自分」を持ってるまっすぐな瞳。大人よりも肝がすわってる根性。
どきどきするとぱぁっ、とほっぺが赤くなっちゃう子供らしい可愛い素直さ。
すぱーんと竹を割ったようなさばさば感。なんかもーぜんぶ天晴(あっぱれ)
で演出しているはずの時間にふと「この子には今この瞬間、この世界はどう
見えてるんだろう?」とか「どうしてこんな子ができたのだろう?」なんて、
演出と全然関係ない(すみません)夢想に耽ってしまったこともありました

そんな「どぅー」はなんのためらいもなく、自然に『境界線』を越えてゆく

境界線とは、ぼくが、いやぼくら演劇人が、常に意識している深い川のこと。
「板(舞台)の上」とそれ以外。「表方(おもてかた=役者)」と「裏方」。
映像で言えば、カメラの裏側(ぼくの居場所)とカメラ前(役者の居場所)。
カメラに映っちゃいけないタルキ(木材)やカポック(発泡スチロール)は
全てカメラ前を彩るために存在し、劇場の照明も音響も「板の上」の世界を
実現するために存在する。優秀な舞台監督は、舞台袖(そで)と舞台上とで
同時にハプニングが生じた時は、当然のように「板の上」の処置を優先する。

板の上は、特別な場所。

だから、表現の直接の担い手である役者(特別さを理解している誠実な役者)
は、そこへ上る時には少なからずどこか厳粛で神聖なきもち、まぁすなわち
「さぁ、演るぞ」というきもちになって、その、現実とは異なる虚構の世界
への境界線に臨むのだろうし、うちら裏方はその息を呑む境界(つまり結界)
をつくりだすことに使命感と至福を感じるのだとおもう。

だけど、ごく稀に「あちら側」と「こちら側」を地続きのように行き来する
特別な人間が現れる。『どぅー』の「板の上」へ向かう軽やかなうしろ姿を
視て、そうおもった

「あちら側」の世界は、他人(塩)が書いたセリフも細かい立ち位置もあり、
どぅーは、それをしっかりと(自主稽古してきて)守って、等身大の工藤遥
とはちがう人間に変身しているにもかかわらず、同時に、まさしく「どぅー」
そのものであるという、うまく言い表せない信じられない姿を魅せてくれた

稽古中、塩田が突発的にシーンを追加したくなって、いわゆる口立ての演出
をつけた時、言われたセリフを繰り返しながら、それを「藤子(フジコ)=
どぅーの役」として感じ、ドキドキして「うくくくっ」と笑ってしまいつつ、
きっちり演じ続ける姿は「どぅー」であり同時にまったく「フジコ」だった

『演技の新鮮さは生まれ持った星』

ナミチョウが『1974』特設ブログに、そうロックンロール替え歌を書いた。
オレは完ぺきに同感だった。こんな子が座組にいる。あたりまえのように
前向きにまっすぐいる。その「有り 難さ」に感謝せずにはいられなかった

そんなわけで、稽古はじめに序盤しか(恥)脚本がなかった『1974』にて、
この子がいなければ交わるはずのない二つの世界 「光」と「影」の世界を
自由に行き来して、物語の架け橋となる、特別な「はみでてる」女の子を、
どぅー本人の魅力から「もらって」「もらって」幸せに宛書き(あてがき)
させていただきました

大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の工藤 遥

ボーダー(境界線)を超えて迫る姿、早くお披露目(おひろめ)したいっす
どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!

『1974』稽古の日日は、ほぼ毎日の勢いでフレッシュに更新をしてくれる
「どぅー」や「のうち」の期間限定ブログ日記がたのしみでならなかった。

『なんだか、時間が過ぎていくのが早く感じます☆☆
こんなこと考えるから寂しくなっちゃうんですけど・・・・
マイナスに考えず、プラスに考えながら、
稽古していきたいと思います!!!!!!!!!!!!!!!!』

押忍!不肖塩だも 工藤 - フジコ - 遥 にならって

マイナスに考えず、プラスに考えながら、
来る『1974』公演を待ちたいとおもいます!

本日の添付。
二枚めの写真は斉藤佑介さんとのツーショット。「どぅー」いわく
『休憩中はいつも、私の相手をしてくれる、優しい存在の方です☆☆☆
今回、ユースケさんがどんな役をやるか、よーチェックです!!!!!』


長いインターバルを超えて再開するであろうブログも楽しみに精進します!
Date: 2011/04/05(TUE)


剥き出しの きよらかな魂。オトムギ三銃士 並木 秀介

ナミチョウは ひととまぶだちになる天才だ。

CM現場大道具の渋い職人じいさまから、町のさまざまな国籍のお兄さんお姐さん、
元気でやんちゃで正直なちびっこたち(どぅー、のうち、かりんちゃん、ななみん、
ロビンちゃん、ゆうかちゃん etc.etc.)すてきな思春期の正直なおじょうさんたち
(きゃぷ、まあちゃん、りさこちゃん、みやびちゃん、くまいちゃん、ちぃちゃん、
ちっさー、なっきぃ、りっちゃん、はるなちゃん、メロン記念日の四人 etc.etc.)
若き俳優陣(宗兵、ショーゴ、ユースケ、 ゲンキ、ショータ、ヒゴちゃん etc.etc.)
一筋縄ではいかぬベテラン俳優(深寅さん、純ちゃん、あいざわ元気兄 etc.etc.)
職人気質のスタッフさん(音響 ユリヤマさん、照明 コンノさん、舞監 八着さん、
映像 ミズノさん 『渋谷・デ・ナイト』の若頭 ボビーetc.etc.)劇団 散歩道楽 の
絶対愛想笑いしない侍みたいな野郎ども。本気できりがない。ETCが幾らあっても
足りない高速まぶだち道路なのだ。ふだん連絡をとりあってない昔の仲間のことも
亡くなった仲間のこともいつまでも大事におもっていて、どうしてこんなこころで
いられるんだろうといつもおもう

「ある時期に、同じ舟に乗った」という関係を超えて、魂の絆を結んでしまうのだ

一度オトムギに参加してくれた方が「また一緒にやりたい」って言ってくれるのは、
並木秀介の太陽のごとき明るさ、あげあげのオーラによるところがすごくおおきく、
それはすなわち、劇団 大人の麦茶の宝だ

一方、怒るとちょうおっかない。たいがい仲間のことが原因なんだけど、「おれぁ
あいつにそんなことを言う野郎は許さねえ。おう!聴けよ、今オレが話してんだよ」
ぼぅんっと胸をはたかれると(もちろん手加減してるんだろうけど)巨体と言って
もいいオレが半メートルくらいフッ飛んでしまう。火の玉みたいなでっかい黒目に
射抜かれて、鼓動がロックされてしまう。目をそらせなくなる。

ナミチョウは、剥き出しの魂なのだ。

宮原将護が、オフィシャルブログ『叩けば誇りの出る身体』に、
『今日の大人の麦茶チャチャ入れデイズに、なみちょうさん(並木秀介先輩)が
家族や仲間の絆や大切さ、人間同士の気持ち、郷土愛、たくさんの気持ちがある
から突き動かされてた自分がいたんだって書いてます。
なみちょうさんは仲間に対してあらがいようのない誇りを持っているから魅力的。
そう思う。』
と書いていて、オレはまったく同感だった

映画『たそがれ清兵衛』でいちばん好きなシーン(おもいっきりネタバレします)

清兵衛のお母さん(もうろくしちゃってる)に
「あんたはんは、どちらのおじょうさまで がんしたかのう?」
と問われた朋江(宮沢りえ)の 振り絞るような答え、
「はい。わたしは、清兵衛さまの幼馴染みの朋江でがんす」

自分は誰かと問われた時の答えは、口にした瞬間、思ったより強大な効力を持つ。
「私は大人の麦茶の脚本・演出家です」でも「私は太っためがねのくせっ毛です」
でもいいけど、なにか生活の最中に、仕事の最中に「負けてたまるか」と思う時、
『オレは、並木秀介に誇りに思われている仲間です』と自分に向って口に出すと、
格好わるいことはしたくねえなぁ、って(当人比)なけなしの勇気がわいてくる

剥き出しの清らかな魂とともにいられるという、めったにない幸せをもらってる
人間ならば、それが清らかなままであって欲しいと願うきもちがわいてくるのだ
(本人はこんなこと言ったら「オレ汚れてるよ、汚れだよ、やめてくれよ」って、
また、ぼぅんっ!と胸をはたかれちゃうんだけど・・)

『1974』宛書きをする幸せシリーズ、続けてみます

そんな並木は、新しい脚本を書くたび「オレ、この役が今まででいちばん好きだ」
と言ってくれる。・・そんなはずないのだ。長く一緒に組んでいれば、いわゆる
おいしい役もあれば、いわゆる後方支援に回る役もあるはずなのに、いつも必ず
そう言う。ナミチョウが言うんなら本当なのだろう、と素直にうれしい作家です。

そしてナミチョウは、前述したように剥き出しの魂そのものなので、役に器用に
適応する芸達者ではなく「なんで、こんな簡単っぽいことが出来ないのかなぁ?」
と思うこともあり「なんで、こんな特になんでもないセリフでどうしようもなく
感動させられるのだろう?」と刮目することもある。稽古期間に無意識に魂ごと
役の方へと吸い寄せられてゆくのだろう、「穏やかな人格者役」を宛書きすれば、
穏やかで優しい大人なナミチョウに逢えるし、例えば「荒くれのろくでなし」を
宛書きしちゃったら・・天性のあげあげオーラはキープしながらも、やんちゃな
火の玉が登場することになる。・・果たして『1974』では??

震災の夜、友(宮原将護)のことで、猛り狂う野獣になってるナミチョウを視て
大河元気がぽつっと言った。「オレ、このヒト、さっき通し稽古で視ましたが?」

大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の並木 秀介

どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!

写真1。中野あくとれの楽屋。Rock してますねー。へいへいへいへーい!
写真2。何年か前の花見。花見の魅力っていっぱいあるけど、期間超限定だから
毎年できるわけじゃないとこが いとおしいですねー
写真3。自分が出演しない時の 仲間の舞台の仕込み バラシには ほぼフル出場!
写真4。あーこの店のコンビーフうまかったなー。またさし呑みしてーなー

ムギムギでかなりの長期連載となりました『1974』宛書きをする幸せシリーズ、
ゆるゆるとお付き合い、ありがとうでがんす。次回でいったん、最終回でっす!
Date: 2011/04/04(MON)


なんでも知っていそうな なんにも知らなそうな 美しい瞳。大河 元気さん

大河元気について書こうとすると。。

きらきらに明るいのに なぜかさみしそう。めっちゃひとなつこいのに ミステリアス。
いつも人気者なのに どこか居心地悪そう。奔放で無邪気なのに 仙人みたいに知性的。
我が道を行く感じなのに やさしい気遣い。無敵のヒーローが似合うのに こわれそう。
・・
あの魅力を言葉であらわそうとすると、多角的に相反するイメージが浮かんでは消え、
書くほどに「ちがうっ。こんなことじゃないんだー」ってなりそうでひるんでしまう。
あんな人間あったことない。元気は誰とも似ていない。元気の魅力は元気を直に視て
感じるしかない。言葉であらわすのは無理だってギブアップしそうになっちゃうけど

だけど、そんな元気は、オトムギのホームページにチャチャ入れ投稿をしてくれた時、
『塩田さんの書くものなら、誰が何と言おうと大河的には当たりなんです。 』
っていう、もったいなさすぎる言葉をくれた

3月11日の夜、一晩中一緒に居た時に(超貴重な時間)話してくれたことはすべて
忘れられないけど(その中で、ここに今、書くことはいっこだけにさせてもらうけど)
『オトムギさんの舞台は、全てのセリフを一言一句残さず聴かせたい。そう思います』
っていう、もったいなさすぎる言葉をくれた

ので、塩田、あんなすてきな人間に「言葉」を信頼してもらった者として、もう少し
がんばってねばります

はじめて会ったのは大人の麦茶初本多劇場『サバンナチャンス』の時。ミュージカル
『テニスの王子様』で全国を回ってる真っ只中なのに無理言って面会させてもらった。
(もしお互い気が合えば)写真の端正なルックスに惹かれ『ネムレナイト2008』の
若い刑事「ボンタロー役」をお願いするこころづもりでいたんだけど、眼を視た瞬間、
「『うさ吉役』をやってもらいたいんです。」と用意してなかった言葉が出た。

吸いこまれそうな瞳。なんでも知っていそうな。なんにも知らなそうな。美しかった。

『1974』宛書きをする幸せシリーズ、続けてみます

『ネムレナイト』は(脚本が既存の)再演公演なので、元気さんにはじめて宛書きを
させてもらったのは、ここにたびたび書く『いちころソング』。『1974』は二回め。

チラシを一枚だけ抜き取って「さーせん」ってひとり言で詫びながら、切り貼りして
カレンダーの裏紙に俳優さんカードを並べて「あーでもない、こーでもない」と役の
当てどころやキャラクターを悩みまくるのが、脚本準備段階の恒例となってるシオダ
だけど、元気の役どころは悩んだことがない。『いちころソング』でも『1974』でも
いっとう最初に一瞬で決った。「観に行った芝居でこんな役をうまく演じていたから」
とか「こういうことを休憩中にやってたのが印象的だったから」という具体的な理由
は一切なく、元気のあの眼を思い出すと、あらかじめ書いてあったことのように役が
浮かぶのだ

そんな『いちころソング』での、劇中でいちばん弱い少年が劇中でいちばん強い漢へ、
ほんの一瞬で、瞬きもせず変貌を遂げる瞬間は全身の毛穴が開きそうに格好良かった。

そして、最弱の少年も、最強の漢も、このうえなく美しい瞳をしていた。
眼が美しいってことは、こころが美しいってことだ。
深遠な、相反するイメージをいっぱい持ってる元気だけど、このことだけはたしかだ。

そんな、年下とか関係なく 演出家に畏敬の念と 憧れを抱かせる「高い漢」大河元気。
だけど、本人はどこにも安住せずに、もっと高いところを目指している「高い俳優」。
今回の『1974』では主演の岡井千聖さんの運命を・・やっぱ書きたいけど書きません。

大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の大河 元気

どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!


P.S.
(POST SCRIPT の短縮形。
 だけど『大変恐れいりますが、大河元気のラジオです。』によれば
 Play Station の短縮形。笑)
 
大河元気のこと書いていたら 無性に観たくなって深夜に自転車で最寄りのツタヤまで
『喧嘩番長 全国制覇』を借りに行ったが、レンタル中。二番目に最寄りのツタヤまで
ペダルを踏んだけど、またもレンタル中。元気不足の人あちこちいっぱいいるみたい。

だけど4月6日(明後日)からは『コントンクラブ〜image4〜』がはじまりますねー。
元気に爆笑しに 元気に観に行きたい

http://www.kdash.jp/butai/info/contonclub_image4.html

P.S.2
大河元気の超格好良い『1974』写真あるんですけど、「衣裳」ありのばっかしなので
替わりに稽古場スナップ添付します。四枚めの似顔絵は、オトムギの絵師 並木秀介画
Date: 2011/04/03(SUN)


「芝居なんかやってる場合じゃねーな」と言った男。池田 稔

今日の文章は東日本大震災についての記述を多くふくみます。
あの地震のことについて毎日考えない方はほとんどいないだろうし、
今、おまえがなにを考えてるかなんて知りたくないよと思われる方、
(そのきもち、とてもよくわかります)どうぞ素通りしてください

ぼくは、演劇の本番直前はほぼ頭の中が芝居のことで一杯になって、
その他の情報を全てシャットアウトしてしまいます。過去の例だと
オリンピックのことも選挙のこともその間の情報をまったく知らず、
広告代理店の知人から「あなた、そんなことで大丈夫なんですか?」
と呆れられたことも一度じゃなく、その時は別に、それがオレです、
大丈夫です、と思っていたのですが、今は、ちがいます

あの地震が起きた時に、この言葉に出来ないほどの未曾有の事態を
殆ど知らなかったこと、その後も迅速に知ろうとしなかったことに
ついて、自分をものすごく恥ずかしい、大事なものが欠落している
人間だと情けなくなりました

池田稔は、最初の大揺れがあった直後「こりゃ芝居なんかやってる
場合じゃねーな」と言いました。あれは、完全に本気で言っていた
言葉だったことをしばらく時間が経ってまざまざと思い知りました

そして(決して得意ではない)ノートパソコンを駆使して、年若い
女優さんたちの親御さんがクルマでこちらに向かっているルートの
渋滞情報を調べ、その他、区役所や小学校、避難させてくれそうな
場所をチェックしながら逐一ニュースを視ていました。子供たちが
帰った後、舞台監督の小野八着さんが協賛ということで取り寄せて
下さった日本酒の一升瓶を、稽古場真ん中のちゃぶ台に置いたのは、
「もう明日は今日の続きではないだろう。最後の酒を酌み交わそう」
という意味だったのだと今、思います。その翌々日、最後の稽古が
予定されていた早朝に簡潔なメールが来ました。「電車が動いてる
動いてない来れる来れない関係なく中止して全員自宅待機にしよう」

池田もオレと同じ、本番直前は芝居のことだけで頭いっぱいの人種
だけど、大変な事があった時は緊急発動する別の回路を持っている。
有事に問われる人として大事なものを。

池上彰さんは、今回の震災に際し、テレビが果たした役割について
『行政を動かす』『人命を救う』『救援を広げる』の三つをあげて
いました。一つ一つ解説されるたびテレビに感謝の念がわきました

和泉宗兵さんは、数日前のブログに「テレビのニュースを毎日見て
いたら、SPITZの草野さんほどではありませんが気力がなくなって
しまいました。明るいことをブログに書こうと思ってもどうしても
書けない、そんな感じで下書きしては消し下書きしては消しの連続」
と書いていました。それは気の毒なことだけど、ぼくは同時にそれ
は宗兵や草野さんが(無意識だとしても)人間として大切なものを
持っていることのあらわれであるとも感じました。遅ればせながら、
本当に本当に遅ればせながらで申しわけなさ過ぎなのですがぼくも
(自分比ですが)じっと考えました

人間として大切なもの。それは、

人の身に起きた事を、我が事に感ずる。

ということだと思い至りました。

それが無かったら人類の未来はありえないし、それさえあるならば
とてつもない事態に襲われた時も、人は希望を持てるのではないか

テレビは「少しでも、ほんの少しでも、このものすごい大変なめに
遭われている方のことを、我が事に感じるきっかけをあたえている」
ように感じました。オレのように鈍感な人間に、「たのむ、感じろ」
って訴えているような

被害に遭われなかった(被害が少なかった)地域の人たちが節電に
つとめたことで被災地に電気が復旧するのが早まった場所があった
と現地に行かれた方の記述を発見して、うれしい、とおもいました

http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

ぼくは、この医療スタッフをなさってるJKTSさんを存じませんが、
身を持って示されてることに、そして被災地の方々の行動の記録に、
我が事のように感じるなんて到底かなわない、言葉ではあらわせぬ
かなしみ、痛みを、想像しかできないけれど 想像するとともに・・

ちからづよくて 尊い あたたかいものが、身体の中をこみあげるのを
かんじました
なんて、人の身に起きた事を我が事に感じて行動しているんだろう。


過去のムギムギデイズに、演劇を夢中でやってる真最中に、何度か
「生きててよかった」とか「これをするために生きている気がする」
的なことを書いたおぼえがあります

それは、その時、完ぺきに自分目線の感想でしかなかったのですが、
考えたら、演劇は、観劇する方の、この人間の持っている尊い感情
を基にして成り立っている表現だと気がつきました。劇中の人物の
身になって、笑ったり、泣いたり、ひと時だけでも現実を忘れたり、
そういった観劇の歓びの根本にあるものは、「人の身に起きた事を、
我が事に感ずる」こころの動きに他ならないんじゃないかって。

・・長くなりました。

ホームページトップに『1974』チケット払い戻しに関するお知らせ
アップいたしました。
公演を楽しみに前売チケットをお求めくださったお客さま、本当に
申しわけありません。
お手数をおかけして済みませんが、なにとぞ宜しくお願い致します。

公演延期決定後、池田は、チケット払い戻しに関する業務を粛々と
すすめ、それ以外は、メールは一行のみ。ひたすら、黙っています。
バラエティ番組やCMが流れはじめても、池田の中で有事は続いて
いるのだとおもいます

今日はもう、全く『宛書きする幸せ』とかけ離れてしまいましたが
今まで、池田稔のような男とともに芝居づくりをできてきたことを、
誇りにおもいます

そして、自分は「これをするために生きている気がする」と思うの
であれば、それを自分目線でなく(今まだそこまでしかまとまらず
言葉にできないのですが)自分目線ではなくあらわしていくことに、
これからの機会があるのなら、つとめたいとおもう今日です。
Date: 2011/04/02(SAT)


エイプリルフールと 三億円少女 六人の依子

誰だったか、友だちの誰かだったと思うんだけど
4月1日。エイプリルフールの忘れられない話で

「結婚してください」

ってメールしたら

「喜んで」

って即レスメールが来て

「思わずどきどきしちゃったこっちの負けだった」
いい話だなぁと思いました。でも友だちの誰だか
どうしても思い出せないのだ


昨日。OT澤さんとアップフロントワークスの方が
送ってくださったんです!
『三億円少女 六人の依子バージョンDVD』
・・まさかっ!もらえるとは思ってませんでした
超うれしいエイプリルフールの正夢みたいでした

塩田嬉しくて宿題終えて早速見て激泣きしました
ものすごく、どきどきしました
朝が来て夜が来てまた朝が来るまで観てたかった。
まぶしかったです
Date: 2011/04/01(FRI)


記念すべきデビュー 岩田 陽葵さん

岩田 陽葵さんはこの春、中学校を卒業して高校に進学をする女の子。
稽古大詰めのある日「一日だけ三十分だけ遅刻してもいいですか?」
と丁寧に言われた。その日は学校の合唱コンクールがあるとのこと。
はるちゃん(岩田さんの座組でのあだ名)のクラスは合唱大会優勝、
ピアノの伴奏を担当した陽葵さん自身も「伴奏賞」をもらったって、
急いで稽古場に走って来て、嬉しそうに息を弾ませて語っていた

陽葵さんにとって、今回の『1974』は、舞台デビューとなる作品。
期間限定特設ブログの初投稿では「ブログを書くのが初めてなので、
使い方がまだいまいちよく分かりません」と書いてあって、そんな
知り合いがいない孤軍奮闘状態から参加した現場で、仲間が出来て、
ともに芝居づくりに打ちこんでゆく中で、絆が深まってゆく様子が
みずみずしくつづられている。いったい何回「楽しい」って書いて
あったろう。「楽しい」って読むたびに「よかったー」って嬉しい
きもちになった

だけど実際のところは、もちろん「楽しい」だけじゃすまない時間
だったろうとも想像する。じまんっぽくなっちゃう本音なんだけど、
座組のメンバーは、サイッコーに人柄の暖かい親しみ深い溶けこみ
やすい俳優さんばっかしで、「あー俺は俺の仕事をしに来てるだけ
なんで気安くすんなぁ」的な壁をつくってスゴい役者ぶって斜めに
かまえるような人間は一人もいない・・そんな親しみやすく人柄が
すてきなヒトというのは、ホッと安心できる反面、最初はあんまり
スゴくないヒトに見える(ぶっちゃけなめられキャラにもなりうる。
例。例えば和泉宗兵ちゃんとか)ので、立ち稽古が加熱する頃から、
ものすごい集中力で才能のオーラを放出し、とんでもないスピード
でよくなり続けてゆく座組の全員を至近距離で視て、はるちゃんは
「やべー!なにこれ?あたし、うかうかするとおいていかれるかも」
とも感じたのではないだろうか(注。これまったくの想像ですけど)

だけど

もしもそう感じたとしても、それは当然なのだ。みんな超人だから。
中島早貴さん、岡井千聖さんはもちろんのこと、ハロプロエッグに
合格して密度濃く生きてる竹内朱莉さんも工藤遥さんも、塩田厳選
熱烈リクエストで集まってくれた「芝居をするためにこの場に居る」
大人客演俳優のみんなも、オトムギ三銃士もはんぱじゃないやつら
ばっかなのだ(じまん、すみません。ただの100%の本音なんです)

稽古終盤の休憩時間に「あたし、どうでしたか?もっとどうしたら
いいってありますか?」と問われた時の真剣な眼は印象に残ってる。
演出はそんな質問を受けると、さらに良くなって欲しいっておもい
が炸裂して、色んなことをいっぱいいっぱい言ってしまったけども
・・
しかし、その時は言わなかったけど、思っていたことは
はるちゃんだって、はんぱじゃないのだ、っていうこと

今回のオトムギは、うちとしては超珍しく、一部オーディションで
(なまいきさぁーせん)出演者のキャスティングをさせてもらった。
それはびっくりするくらいレベルの高いオーディションで、アップ
フロントチームのほうで工藤遥さんや竹内朱莉さんにめぐり会えた
塩田はもう大満足だったのだが、ミライアクターズプロモーション
選抜チームとして登場した岩田陽葵さんは、この出会いを逃すには
惜し過ぎる異彩を放った。佐々木プロデューサーも、池田も中神も
(稔は別として何故かずさんが同席してくれたか思い出せないけど)
まったく異口同音に「いわたさん、すげえ!」って同じ意見だった

その日のメモに「イワタハルキ。ナチュラル。勘よし。ドライブ感。
校歌の伴奏」とある。(ムギムギに校歌伴奏のこと書いた記憶あり)

塩田はその縁でお知り合った、ミライアクターズプロモーションの
マネージャーさんでプロデューサーでもあるU野さんに事務所内の
演技審査会に呼んでいただいたことがあり(先生と紹介されるのが
異常に恥ずかしくて穴があったら入りたかった)そこでア然とした。
「事務所内の」って聞いてたから小規模でアットホーム的なものを
想像してたんだけど、一時間に何十人もの生徒さんが登場して一人
一分だけガチのプレゼンタイムをもらって何か演技をして歌を歌う。
次の一時間はまた別の何十人が登場。それが一日中、そしてそれが
十日続くのだ。う、オレのこの採点ってやつが、この真剣そのもの、
狼みたいな眼をした、礼儀正しい彼らの今後のクラスを決めるのに
多大な影響を与えるのかと思ったら緊張してペンを持つ手が震えた。
そして、同時におもった

はるは、こんな荒波を超えて、あの日、オーディションに来たのだ

って。

どんな俳優さんにも例外なくデビューがあり、どんな俳優さんにも
それは一回限りのこと。ならば、この岩田陽葵のその一回、絶対に
「なんだか、あってもなくてもおんなじみたいな、どうでもいい役」
にはしたくねえなぁーって思った。先生と呼ばれた場での採点では
手が震えちゃって、総評ではしどろもどろになっちゃう塩田だけど、
脚本を書く手は震わせない。演出席でだけはしっかり意見を言おう。

町場には、メインの俳優さんのタレント力と人気力にたよりきった
脚本と演出と座組力がすかすかの芝居が溢れてるかもしれないけど、
オトムギは、おれたちは、そんな芝居はなにがなんでもつくらない。
って矜持に燃えて、幸せに宛書きさせてもらいました

等身大の女の子の感受性と荒波を乗り超えてきたみずみずしい輝き。

大人の麦茶 十八杯め公演『1974』でデビューを飾る女優 岩田陽葵
是非見届けてください!


Date: 2011/03/31(THU)


おろおろさせない負けず嫌い 竹内 朱莉さん

「のうち」または「竹ちゃん」こと竹内朱莉さんはとても良い声の持ち主。
あの声できもちよく「はいっ」って返事をされると非常にイイ気分になる。
あまりにイイ気分になりすぎて、何を言おうとしたか忘れたこともあった

そんなきもちいい「のうち」や「どぅー(工藤遥さん)」と接していると、
学校の先生っていいかもなぁーなんて思ったりするけど、もちろん世の中、
あんなイイ子らばっかじゃない。そのくらい世間知らずのオレも知ってる。
この季節に この関係でお会いできたことを うれしくありがたくおもいます

「のうち」は、すごい負けず嫌いなのだそうだ。オーディションでもそう
言ってたし『1974』期間限定ブログでも語っていたので本当なのだろう。

・・しかし、オレは、負けず嫌いというのは・・

話は変わるが、オトムギがいつも舞台美術をお願いしてる田中敏恵さんは、
塩田も仲間たちも敬愛してるとっても素敵なヒト。お渡しした脚本が敏恵
さんの脳でどんな魔法を経てあんなセットに生まれかわるのか、意外性に
満ちてて、それでいて演出の要請にも俳優の生理にもばっちりかなってて、
めくるめくようにファンタスティックだ。敏恵さんご本人も、懐が深くて
いたずら笑いが可愛らしい、とってもファンタスティックな女性なのだが
・・
それは今現在の話で、敏恵さんいわく「デビューした当時はもんのすごい
負けず嫌いでしたねえ」。舞台監督や照明技師とセットの色をめぐる意見
が分かれ、言い負かされた悔しさで、翌朝は集合時間よりも早くに一人で
裏口から劇場入りして、薄暗い中、ペンキを塗りはじめ、スタッフさんに
「おいおいー困るよトシエーまだ作業はじめていい時間じゃねえんだよぉ」
と怒られ「うぅ、ずみません、でもここの色がどうしてもぉ許せなくてぇ」
と号泣して おろおろさせたエピソードもあったという

負けず嫌いの女の子というのは、例えばこの昔の敏恵さんのようなことを
指すって思ってた。燃えあがるきもちと自分への歯がゆさゆえの頑張りが、
まわりをおろおろさせてしまうような。オレなんかもうふっにゃふにゃの
「まわり」代表、すぐにおろおろしちゃうタイプなので、そのオーラには
敏感なはずだが、「のうち」にはおろおろとさせられたことがない

待ちのあいだは、じーっと他の俳優の芝居を視ていて、面白ければ爆笑し、
休み時間には、きゃっきゃきゃっきゃと元気にTシャツ短パンで走り回り、
自分の出演シーンになると、前の稽古の演出をよく考えて一人でいっぱい
練習してきたことが伝わって来る演技をきもちよくやってみせる。新たに
いわゆる「ダメ出し」をすると、きもちよく「はいっ」っと返事をくれる。
役の上で、共演者(誰だと思いますか?乞うご期待)にきっついセリフを
当てるシーンもバシッ、と全力でやりきって、でも終わった後、ぽつっと
「かわいそう」なんて相手の身になったりする感受性豊かな一面もあって

おっとぉ!こんな、健やかで伸びやかな、まわりを誰もおろおろさせない
「負けず嫌い」があったのか?!

人類が日日、進化しているのか、それとも「のうち」が特別にすごいのか

稽古はじめには序盤しか存在しなかった脚本『1974』(ぎゃー。恥)
中盤は、そんな「のうち」のきもちのいいまっすぐな声からもらって、
終盤は、そんな「のうち」の、まわりのことをよく見ながら己と向き合う
健やかで かしこい 負けず嫌いっぷりからもらって、
当初イメージしてた役ではない少女を、幸せに宛書きさせてもらいました

高原で森林浴しているみたいな気分にさせてくれる負けず嫌いの女優さん

大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の竹内 朱莉

どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!

『1974』稽古の日日は、ほぼ毎日の勢いでフレッシュに更新をしてくれる
「のうち」や「どぅー」の期間限定ブログ日記がたのしみでならなかった。
地下鉄が圏内になるたんびに、一日に三回くらい覗いたこともあったほど。

長いインターバルを超えて再開するであろうブログも楽しみに精進します!
Date: 2011/03/29(TUE)


先を明るく視るオトコ。オトムギ三銃士 中神 一保

さて、木蓮が色づきソメイヨシノも芽吹いて季節はめぐっていきますが、
ここムギムギでは 『1974』出演俳優さんの予告編的ご紹介コーナーが
今も続いております。だって十二月はまだ遥か彼方。脱線したりしつつ
ゆるゆるまいりますので、ゆるゆるお付き合いいただけたら幸わいです

劇団 大人の麦茶。旗揚げが2002年春なのでもう足掛け十年になります。

十年の間に色んなことがありました。その中で劇団を離れる決意をする
人があれば、引き止めたいではなく、共に過ごした時間に感謝して袂を
分つ未来によき事が待っていますようにと前向きに見送ったつもりです。
ですが、そんな自分が(池田とかにめちゃイヤがられたにもかかわらず)
池田・並木・中神、三人の劇団員に『オトムギ三銃士』なんて呼び名を
つけたのは、こいつらにはできればやめて欲しくねえなぁ、「三」って
つけたらやめづらいんじゃねーかなー、というきもちのあらわれだった
かも知れません。なにやら暗めの話で申しわけありませんが、こんなん
書くにもそれなりに理由があって、つい先日(詳しくは書きませんが)
中神さんの身にものすごくたいへんなことがありました。
塩田は誰にも相談しないまま「これを機に、私、中神、劇団を・・」と
言われるんじゃないかなー、とひそかに予感して 憂いていたのでした。

が、そんな大変も大変の真っ只中、ナミチョウに耳を寄せたカズさんは、
「『1974』組の女子にホワイトデーのお返しプレゼントってどうする?」
・・えぇーっ?!(Part 1)
稔に「12月まで延期になっちったから、夏ぐらいに芝居やりたくね?」
・・えぇーっ?!(Part 2)

まいった。塩田まいりました。

この、しぶとくスマートに先を明るく視る大らかさが、中神一保さんの
もっとも良いところの一つであり、すなわち、劇団 大人の麦茶の宝です。

『1974』宛書きをする幸せシリーズ、続けてみます

こないだ岡井千聖さんのこと書かせてもらった項で、そんなカズさんの
稽古序盤のスロースターターっぷりについて触れましたが、中神一保の
追い込み馬(役者)としてのインパクトは、本気で強烈にディープです。
いつのまにかもうどうしてもその役にしか見えないヒトになってしまい、
昨日も明日もある芝居で、演出を心酔させる。『コトブキ珈琲』イクラ、
『外は白い春の雲』のウシさん、『サバンナチャンス』のナイキちゃん、
めろめろに惚れ惚れしながら、ああ、今度こそもっと早く脚本を書こう。
もっと早くこのカズさんに逢おうっておもう「追い込み馬系」作家です

先々週の深夜未明。前述の誰にも言えない憂いを抱えつつ、大人の麦茶
『いちころソング』のシオダ撮影版DVD(画質&カメラマンの腕最悪系。
記録映像の域に達してない)を視て、あろうことか、号泣してしまった。

元気のカケルに、ハッシーのしのぶに、ざね芬芬を見詰める将護タオに、
長澤 やすこに全方位的な波状攻撃をくらって、並木トリガイのまさかの
「そりゃあコロされるわけだよォ」漢泣きに背後からバックドロップを
キメられ、最期は主役の二人、オトコ池田カルキと中神アソブちゃんに、
いちころにコロされてしまったのだった

自画自賛ですみませんが、やっぱオトムギの役者、めちゃくちゃいいわ!
思わずにはいられなかったです

(『いちころソング』ご観劇でない方、なんのこっちゃですみません。
もはや今からDVDで観ていただくわけにもいかぬ過ぎ去った作品です)

あの芝居のあと、必ずや中神か池田に(あるいは両方に)なんかデカい
仕事が舞い込むことを信じていた塩田は、そういったこともない日常に
負けかけて、一度『友だちではないオトコ』和泉宗兵ちゃんとさし呑み
した時に、弱気が口から負け出て「俺たちは乗ることができなかったの
かなぁ、俺たちは乗せてもらえはしなかったのかなぁ、オトムギの終電
はもう出ちゃったのかなぁ」などと(われながらダセー)タレたところ
宗兵ちゃんは超めずらしく怒り「オレ、泰造さんソンケーしてんだから、
くだらねぇこと言わないでくださいよ!終電なんか出たって、正月には
一晩中電車は動いてんですよっ!深夜バスだってあるじゃないすかぁ!」
ってちからづよく叱り飛ばした

オレは、宗兵のその、こころある檄入れにあっさり「あ、そうだよなー」
と思い直して、現在に至る。

最年長中神一保を先頭に、終電なけりゃあ始発まで線路を歩いてやるぜ!

本日のムギムギは『宛書きする幸せ』から趣旨がずれてしまいましたが、
中神一保さんの『1974』には、カズさんの「家族をおもうまなざし」を
いただいて書かせてもらいました

が・・カズさん自身は呑みの席でスタッフの美女さんを相手に「なぜか、
ぼくの隣りはいつも女性がいるんです。必ずそういう役がくるんですね」
などと明るくほざいておった

先を明るく視てしぶとくスマートに大らかにいきたい我らオトムギです

大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の中神 一保

どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!


四枚めのイラストは
塩田が描いてみた『いちころソング』のインナミ アソブ=中神さんです
Date: 2011/03/28(MON)


気っ風と気合いと気遣いの甘噛み姐さん。今藤 洋子さん

半年くらいまえのこと、斉藤佑介さん出演の「一の会」を観に行った夜、
その芝居が面白過ぎて浮き浮きになったオレは、ナミチョウやショーゴ、
脚本・演出の太田さん、初対面の佐藤二朗さんたちと痛飲し、上機嫌の
千鳥足で真夜中の高円寺を漂いながら、ショーゴにこそこそ質問をした

「ショーゴ、さっき、あのいかれたかっちょいい酔っぱらいの姐さんに
何度もアゴを『おらぁっ』て引っつかまれてたけど、アゴ痛くねえの?」
ショーゴこたえていわく、
「それがまるっきり痛くないんですよ、こう、なんてゆーんですかねー、
ネコでいう甘噛み(あまがみ)?みたいな、絶妙のいたぶられかたで」

うーむ。やはりか・・。そんな気はしたんだ・・。

その、「いかれたかっちょいい酔っぱらいの姐さん」の名は 今藤 洋子。
オレは、度し難い楽観的なお調子者だけど(そんな自分に震災を通じて、
激しい自己嫌悪に落ちましたがそのことは後日改めてちゃんと書きます)
こと芝居のキャスティングに関してだけは異常に慎重に長考するタイプ。
だって芝居の命は座組力。俳優さんに心を預けきらなければ作品として
成り立たないいつくりかたをしているし、一人でも残念な役者がいたら
もう最高にはならないってシビアにおもうから

そんなオレが、一度も芝居を観たことがない、呑みの席で会っただけの
今藤姐さんをオトムギにお呼びしたくなっていた。なんだろう?きっと
このヒトは絶妙にイイ芝居を魅せる予感。なおかつオトムギ座組に風を
呼び化学変化をもたらす予感、がデジャブー現象のように浮かんだのだ。
「もしも今藤さんに出演依頼をしたくなったらどうすればいいですか?」
と聴いたら、「そんなもん、ここにメールくれりゃいいんすよぉーっ!」
と手帳に書き殴ってくれたアドレスはぐじぐじで翌朝判読できなかった。
その後、夏に太田善也さん作・演の大衆演劇を観に浅草の木馬亭に行き、
粋で鯔背なコンドウ版「森の石松」を目撃し、もう絶対誘うって決めた。

『1974』宛書きをする幸せシリーズ、続けてみます

果たして塩だの予感はずばり的中し(それを本当に決めるのはお客さん
ですが)オトムギのコンちゃん(今藤洋子さんのあだ名)は思った通り、
思ったよりも素晴らしくて、座組に飛び切りの新風を運んできてくれた。
「立て板に水」の気っ風のいい、それでいて「甘噛み」の緩急を心得た
粋な風を

待ちの間は他の俳優さんの芝居を視ていて、「いい」って思う感受性が
新鮮で的確で、年若い女優さんの芝居に対してもはっきり「いい」って
素直に口にするのが素敵だった。稽古後の呑み屋で感想を語り、突発的
に和泉宗兵を嬉しさにむせぶ男泣きさせたりしていた

以前、nicogoriさんという方に、愛にあふれたとっても深い劇評を頂き、
その際、塩田演劇には「母親が登場しない。どの家族にも母は影も形も
ありません。『母なるもの』などという贅沢は先にこの世界から消えて
しまったかのよう」という、示唆深い感想を拝読した時から、いつかは
母性を描けたらな、って思っておりました。その片鱗を(片鱗ですけど)
『1974』のコンちゃんに託します。

そして、昨日のムギムギに書いた『三億円少女システム』。座組唯一の
十代ではない女優さんコンちゃんには(初参加にもかかわらず)塩田の
突然「ちょっとやってみて」お願い指令が連発され、そのたびに、潔く
やり切ってくれるコンちゃんはいつしか年若の女優さんから母のように
慕われるようになりました。

が、本人は母的存在にはおさまりきらず「あたしは代役をやる人が代役
と思ってやったら、見る人にまったく意味がないって思っているんです」
と気合いのはいったコメントをもう何杯めか数えられないハイボールを
片手にしてくれたのが格好よかった

ちなみに、しらふのときのコンちゃんは 誰よりも気遣いの人です
実は酔っぱらった時も「甘噛み」なので 誰よりも気遣いの人です

役について詳しく書けなくて申しわけないですが、紹介篇ということで

大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の今藤 洋子

どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!

四枚めの似顔絵は オトムギの絵師 並木秀介画
他の方のも追ってご紹介しますけど、絶妙に切り取ってますよねー
12月の『1974』イラストレーターとして物販デビューかもです!
Date: 2011/03/27(SUN)


三億円少女システムと 朴訥な天の邪鬼。磯和 武明さん

磯和武明について知ってる幾つかの事柄。

上京してきた週にオトムギ『いちころソング』を手伝ってくれた。
昨春に期間限定で結成された『ガンガントクスルズ』のメンバー。
働き者で、演じることが好きな気のイイ自転車野郎。太陽礼拝男。
なんか風呂のない倉庫?で快適に居住してるらしい。我慢強そう。
頑丈で俊敏そうな細い体躯。特徴的な太い声。笑うと少し可愛い。
「欲しがらないマイペースな低い声」(大人の麦茶 並木秀介談)。
『三億円少女』で依子の秘密の声(紙芝居のウミガメ・犯行当日)
をやってくれた頃からいつか一緒に組みたいなーと願ってました

そして、いったん話は変わりますが

昨年秋の舞台『三億円少女』は大人の麦茶公演ではないけど我ら
ほぼ総力戦で臨んだ作品。そこで生まれた方法論は大人の麦茶の
演劇を劇的に変貌させました。公演毎に入れ替わってゆく七人の
主演女優全員に是非とも悔いなく主演をやりきってもらいたくて、
時間が無い中で必然的に生まれた方法論は、通常稽古の七分の一
しか返し稽古が出来ない主演女優に一つでも効果的な演出が行き
渡るよう、可能なかぎり(他の役で出ていないシーンは)全ての
返し稽古を視ててもらって「今の依子、ここが良かった。参考に
して下さい」と「誰かが演じた依子の良かったところを、全員で
共有財産にしていくやり方」でした。これは演じる方も視る方も、
座組の信頼が築けてないと大惨事になりうる危険な賭けでしたが、
とても理性的に受け入れてもらえ、さらには客演の大人俳優一同
もベリーズ工房の七人の女優さんも、全員が全員の役を演じられ、
いつでも寸暇を惜しんで反復稽古が可能というありえないほどの
チームワークが形づくられていきました。本当に類い稀な協調の
力と献身する心、それにずばぬけた才能の結集で成し遂げられた
今かんがえても 奇跡の舞台であったと、有り難くおもいます。

その過程で演出(塩田)は「このセリフ、このシーン、ちょっと
やってみて」と本役ではない方にお願いすることがたびかさなり、
本役の方も「え?なんで他の人が演じるのを見るの?」ではなく
「参考になるいいこと、やってくれるんだ」と抵抗なく積極的に
臨んでくれ直後の稽古からどんぴしゃに絶大な効果がありました。

これは言い出す演出は気楽でも、場を仕切る演出補佐(稔)には
繊細なデリケートさが必要とされ、演じて見せる本役でない俳優
の方には「演技の精度の高さ、理解力、瞬発力」が、視てくれる
本役の方には「柔軟さ、理解力、強靭な心、信頼」が要求される
難度Dの稽古法だと思います。でも、ぼくは、これは座組の力を
信じきれるなら、大人の麦茶公演でも相応の効果があるはずだと、
今回の『1974』の稽古でも 部分的に踏襲することに決めました

これに面食らってしまったのが、タケ坊だったかも知れません。

『1974』宛書きをする幸せシリーズ、続けてみます

磯和武明さんは当年24歳の青年。今回の舞台となる1974年には
まだ生まれていません。(といっても 塩田とて物心がついてる
程度で 大部分わかったつもりの空気感頼りで書いてるんですが)
そんなこともあってか、稽古序盤には、演出の言葉が空回りして
役へのアプローチに苦労しているようでした
そこでオレは「じゃ、ちょっと稔、やってみて」と言いました
・・
「ハァッ?」声に出さぬまま、タケ坊はおもったのではないか?
・・
自分の役を誰かが演じるのを視る。しかも、それは不在が理由の
代役ではなく「ぶっちゃけ」現時点でそのシーンをより効果的に
演じられるからという見本みたいな理由です。果たして、スッと
やってみせた池田稔は役の勘所を瞬時に掴んだ、抜群に素晴しい
芝居をしました。タケ坊は、「はい。とても参考になりました。」
としっかりした声で言い、直後の本役の稽古で、まったく参考に
していない芝居をしました。

オレは、ま、そりゃそうだよな。この演出法って塩田がよく言う
『宛書き=あなたが演じてる姿を見たくて書きました理論』とも
真っ向から矛盾しちゃってるずいぶん暴力的な進め方だもんなー、
耐えられなくてもあたりまえかもしれん、と思ったりしました。
だけど、磯和武明が演じてる姿を思い浮べてこの役を書いたのは
紛れもない本当なんだ、と思ったりもしました。

んで翌々日の稽古。

そのシーンの立ち稽古で、ぶわあーーッと風の音が聴こえました。
磯和武明の身体から吹いてくる風圧のぶっとい強風が見えました。

タケ坊は、塩田脚本を骨の髄まで理解しきってる池田稔の芝居を、
しっかりと解釈した上で、もうまったく池田の演技にかぶらない、
ほとんど参考にしていない、磯和武明の演技を魅せました

見事で、圧巻でした

オレが思わず「タケ坊が良くって、うれしい!!」って叫んだら、
なっきぃやちっさー、どぅー、座組の皆から割れんばかりの拍手
が飛びました。みんな、そう、同じことを同時におもったんです!

そうしたら、磯和タケ坊は(真っ赤に紅潮した)すました表情で
「かんべんしてください。褒められて伸びるタイプじゃないんで」
と言いました。

磯和 武明について知ってる事柄。追加。

飾らない朴訥(ぼくとつ)とした、落ち着きのある仮面の下では、
意地っ張りでふてぶてしい不屈な天の邪鬼の血が燃え滾ってます。

「若者はこうでなくちゃ!」なんてことは思いません。
「若者は、こうだよなっ!」って思います。

大人の麦茶 十八杯め公演『1974』の磯和 武明

どうぞ、おもいっきりたのしみに待っていてください!!

そして、絶対読んでないと思うが、もし万が一、磯和本人がこれ、
読んでたら、わかってるよな、タケ坊。世界放浪の旅、ぜんぜん
オッケー。だけど、必ず 11月には帰って来てくれよな!

よなっ!
Date: 2011/03/26(SAT)


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