2011年2月19日 2時22分 更新:2月19日 11時52分
「大量に、瞬時に、全世界に」というインターネット世界。そこに高度な情報元秘匿技術を持ち込んだ、内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者、ジュリアン・アサンジ容疑者(39)=英警察が性犯罪容疑で逮捕・保釈中=の方法論は、社会を変えてゆくのか。過激にも映る思想の源泉を求めて訪ねた出身地オーストラリアでは、彼の評価を巡って論争が起きていた。【マグネティック島(豪クイーンズランド州)で佐藤賢二郎】
「本土ではベトナム戦争の反戦運動に対する州政府の圧力が強まっていた。それを嫌った人たちが自由を求めて島に集まってきた」。70年代初めの島の雰囲気を、地元ネット新聞「マグネティック・タイムズ」のジョージ・ハースト編集長(52)はそう振り返った。
アサンジ容疑者は71年、オーストラリア北東部の港町タウンズビルで生まれた。そこからさらに高速船で約30分、サンゴ礁に囲まれ緑に覆われているのがマグネティック島だ。
母子家庭で、14歳になるまでに37回の引っ越しを体験したという。母子は70年代初めから10年間に3度この島に住んだ。「島は昔から権力に対して疑問を持つ風潮がある。それがジュリアンのような『フリーシンカー(自由な発想をする人)』を生む土壌になった」(65歳のデビット・ヘロンさん)
島民と昔話をするうち、彼にまつわる論争の話を聞いた。ハースト氏が昨年12月、「島出身で最も有名な息子」である彼の銅像建立を記事で呼びかけたからだ。
「彼にふさわしく、創造的で新技術を駆使した銅像にしたい」とハースト氏。欧米メディアが生い立ちを描く中で島が注目され、観光資源になるとの皮算用がある。副市長らも乗り気という。だが、島在住の歴史学者、ザニタ・デイビスさん(60)はあきれ顔だ。「ここには美しい夕日や海岸、住民たちの自由なライフスタイルがある。彼と島を結びつけることは、逆にウィキリークスの業績を矮小(わいしょう)化してしまう」。