2011年4月2日15時3分
宮城県石巻市雄勝(おがつ)町の名産で、600年の歴史を誇る「雄勝硯(すずり)」。津波は容赦なく町内の工房や職人の自宅をのみこんだ。絶望の中で、伝統の技を継承しようとする動きが出始めた。
町内には3人の伝統工芸士がいる。1人は津波に流されて行方がわからず、2人が残った。その1人、杉山澄夫さん(81)は引退を決めた。「年だからね」と本人は言葉少なだが、妻ゑみ子さん(76)が言葉を継いだ。「(津波の前は)まだまだ大丈夫だって言ってたのよ。でも全部流されては続けられないっちゃ」
澄夫さんが修業を始めたのは14歳のとき。敗戦の廃虚から立ち上がろうとした時代だった。のみをあてる角度まで職人の作業をつぶさに観察し、自宅でまねを繰り返した。結婚すると、背景の模様つけや磨きなどの仕上げはゑみ子さんの仕事となった。
やがて各地の書道家から注文が入るようになり、伝統工芸士や現代の名工に認定されるまでになった。
だが、津波はすずりを作る大切な道具や作品まで流し去った。「伝統的工芸品レベルの技術の継承はもう難しいかもしれない」。すずり販売店経営の沢村文雄さんは語る。1970年代まで300人近くいた職人は20人を切っていた。職人も行方がわからない人がおり、高齢化が進む町に津波が追い打ちをかけた。
「しかし」と生産販売協同組合の千葉隆志事務局長(49)は言う。「屋根材や食器の生産を軌道に乗せれば、すずりの技術も伝承していける」。地元でとれる「雄勝硯」の原石の黒々と重厚感のある特質を生かし、国の支援を仰いで一般家庭で使える製品から生産を再開すれば、希望を見いだせる、という考えだ。