新しい概念と職業とテクノロジーを生み出しつづけてきた街。
一先進国の首都であり一時は贅と繁栄を尽くした街。
東京。
ここに今ひとつの都市が死に絶えようとしている。
光に満ち不夜城と呼ばれた繁華街ですら見る影もない。
瓦礫のような家々の狭間に人々の息遣いが潜んでいる。
この地に限った事ではない。
世界はBADANの大首領・JUDOのもたらす滅びのなかにあった。
BADANにより世界各地に出現した謎の黒いピラミッド、そして終末の竜の投影。
絶望は通常の生活を塗り替え、夢想でありながら心に取り付いて離れない終末の景色は人から生きる気力と正気を奪った。
今も広がりを見せる被虐妄想症候群、バダンシンドロームである。
混迷に陥った人々の錯乱により生活はすぐさま荒廃した。
少年たちは立ち上がらず、少女たちは声も上げない。
座り込んだまま絶望している。
無理もなかった。若く希望に満ち溢れていたその眼で彼らは逃げ場のない悪夢を見たのだ。
JUDO。
またの名をスサノオ。
すべての生命の長を自称するなにか──
手始めに日本を狙ったのは、憎しみか、戯れか、あるいはこじれた因縁か。
古くは八百万の神を信仰したこの国では今も無造作に多神論が息づいている。
けれど手をすり合わせ拝んだところで救いの神の名など知らない。
すすり泣き、怒号。どこからか怨嗟の声が響く。
「祈るな!救いはない。救われるわけがない。誰だって自分が可愛いんだ…自分だけが!!」
「ちがうよ」
明後日を向く女の隣、妹とビニール製の人形を遊ばせていた年端も行かない少年が、ぽつりと呟いた。
焦点の合わない母親の目が上下に揺れて振り返る。
「誰が助けてくれるっていうの…誰が!雄介!」
我が子へ向けられた声はヒステリックにとがっている。
3つ4つの妹がおびえて兄へ寄り添い、彼は妹を守るように抱きしめた。
少年とて学童児期に達したばかりであろう。しかしその表情に後ろ向きな翳りはない。
母親を見詰め返す目はどこまでも透徹に澄んでいる。
『仮面ライダーはきてくれる』
言葉に出来なかったもどかしい思いを掬い上げるかのように、ちいさな手の中で人形が擦れてキュルと音を立てる。
バッタと人間をあわせたような黒緑色のメカニカルなデザインの人形は父親からの贈り物だ。
少年はひざを折って座りなおすと、塩化ビニルの代用品をぎゅっとにぎりしめた。
興味を無くした母親の視線が外れても、ずっとそうしていた。
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暗く乾いた月の牢獄の中でJUDOはその目を外界へ向けていた。
広さも上下も釈然としない牢獄は彼の故郷を髣髴とさせる。
金属に覆われた口角を持ち上げてJUDOは薄く笑む。
青い星にか弱き命がひしめいていたあの時代に彼らはたった三人で地球へやってきた。
水の世界──命の神秘あふれるこの星へ降り立ち、最初の土を踏んだあの日の事をどうして忘れられよう。
大地を、森を、海を、全ての命を、JUDOは愛し、慈しみ、守ろうと誓った。
郷愁に浸っても想いは逸れることがない。
今も薄れずその鋼鉄の胸の奥にある。
だからこそ許せぬ。人間。人間!人間!!
争いと破壊のためだけに生まれた生き物どもが!!
かつてスサノオと呼ばれた頃、JUDOは人間に滅びを与えようとし、結果肉体を失った。
仲間と信じたツクヨミが人間に組しJUDOを虚空の牢獄へと封じたのだ。
ツクヨミは人を愚かで幼い命と呼び哀れんでいた。
正しくあろうとする人間の心を信じ見守ろうと。
狂ったものとせせら笑いはしたが、かつての仲間への情ゆえにJUDOも一度は退いた。
千年が過ぎ、二千年が過ぎた。
人よりはるかに長い命を持つ彼は牢獄からじっと観察を続けた。
戦争、殺戮、テロ、快楽殺人、環境破壊。
人の世から血の臭いは消えず、あげく幾百もの種を滅ぼし星の命を縮めていく。
やがてJUDOは結論を出す。
確かに人は幼く愚かな生き物だ。
そして見守るに値しない。
JUDOは精神世界の外側へ干渉し、ひとつの組織を作り上げ、これに名を与えた。
ショッカー計画。
人間の肉体を作り直せ。改造だ。世界を支配せよ。従属せぬ人間は殺してしまえ。
計画はうまく運んだ。99%の成功を疑うものはいなかった。
残る1%、たった1人の裏切りさえなければ。
ショッカー、ゲルショッカー、デストロン、GOD機関、ゲドン、ガランダー帝国、
ブラックサタン、デルザー軍団、ネオショッカー、ドグマ王国、ジンドグマ。
組織を破綻へ導くのはいつも身の内から出た裏切り者だった。
そして──ZX。かつての肉体に似せて作った新しい器。
歴代ライダーのデータを元に改良を重ねた最高傑作。
意思など持たぬよう99%の改造と洗脳を施したあれを、1%のノイズが裏切りへ導いた。
運命的だとJUDOは自嘲する。
なんでもない。復活が少々先に伸びただけ。
しかし…吾に盾突く裏切り者たちか。
少々目障りだ。
仮面が冷たい笑みにゆがむ。複眼の奥で憎しみの炎が暗く踊る。
薄闇に浮かぶJUDOの姿は10人目の仮面ライダーに鏡写しであった。
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首都東京からほど近く、いま灯りのとぼしい夜道を一台のバイクが駆る。
男はかつて科学者であり、天才と呼ばれたオートレーサーだった。
科学を信じて明るい未来を望む一人の人間であった。
男の心は今も変わらない。
けれど体は──体は既に人間のそれではない。
幸か不幸か人間であった時の肉体と引き換えに男は力を手に入れた。
たとえば超高温で全身を炙られても無傷で永らえてしまうほど。
軽くひねったつもりの蛇口の取っ手をもぎ取ってしまうほどの。
脳改造をまぬがれて研究施設から逃げ出した時、人間としての男はすでに死んでいた。
組織による改造を受けながら組織の敵となった最初の男。
仮面ライダー1号、本郷猛。
愛機サイクロンにまたがって本郷は月夜を駆ける。ほとばしる熱い魂がアクセルを握る。
レーサー志望の学生だった時分から本郷の走りには秘めた心が燃えていた。
二十歳で母を亡くし一人になった時にも途方に暮れた本郷はバイクに夢を預けた。
IQ600、成績優秀、スポーツ万能の人格者。
大学の同期には嫉妬交じりに人間じゃないと揶揄された事もある。
それを笑い飛ばすことができた普通の日々が男には確かに存在した。
天才だの神童だのと持てはやされて、脚光を望まなかったと言えば嘘だ。
本当にどこにでもいる、ごく普通の青年だった。
危険な世界に身を置いて、そこで名を上げることを夢見ていた。
奇しくもその願いは考えうる限り最悪の形で叶うことになる。
戦いの頂点はかつて本郷が願ったように光ある場所ではなかった。
敵も同じ境遇にある改造人間、脳改造を受け自我を永久に失った怪人と呼ばれる者たち。
我が身を砕くような気持ちで倒しても、人間たちにとっては自分も化け物でしかない。
何が正しく、何が間違っていたのだろう。
己の境遇を恨んでも、憎んでも、それでも本郷は戦うしかなかった。
負けるわけにはいかない。
突如行く手に闇が出現した。
見通しのない空間が放電に似た音を立てて広がり、そこに直径2m程の魔法陣が展開される。
本郷はそれに見覚えがあった。JUDOの得体の知れない力の一つだ。
科学的な構造こそ知れないものの、この魔法陣の機能は統一されていた。
一種のワープ装置である。次元をねじ曲げ、吸い込んだ物をどこか別の場所の物量と置換する。
「罠…だろうな」
本郷は口元を厳しく引き結ぶと、ブレーキをかけるどころか、かえって強くエンジンをふかした。
吹き込む風を腹部に受けてベルト中央の風車が力強く回転する。
生身に見えた体が硬い甲殻に覆われていく。
バイクは更に速度を上げ、路上の小石を踏み切り台代わりに魔法陣へ向けて跳んだ。
サドルの上に男の姿はない。そこには赤い複眼を不気味に光らせた黒緑色の異形が乗っていた。
魔法陣が一層強く発光し、闇は黒い海のように本郷を飲み込む。
どこかで火花がバチリと散った。