官邸からの再三の要請を受けて、東電では福島第1原発で現地の作業員らが冷却機能を失った原子炉の圧力を下げるため、炉内から水蒸気を外部に出すベントの準備に取りかかっていた。当初は2号機のベントが想定されたが、途中から1号機の原子炉格納容器の圧力が上昇していることが分かり、こちらを優先することになった。
東電の原発事故時のマニュアルには手順も書かれているが、放射性物質を含んだ水蒸気を原発の外部に出すという初の事態に「福島の現場も東京の東電本店も緊張した」(保安院幹部)。しかも、停電で原子炉から水蒸気を放出するための圧力弁は自動では作動せず、放射線量が高い格納容器周辺に作業員が行き、手で弁を開く必要があった。停電で真っ暗な中での準備作業は難航。首相の視察後もなお現場は「ベントを開始できるまで、どれだけ時間がかかるか分からない」という状況だった。
1号機の格納容器内の圧力は午前4時半には、通常の2倍超の8・4気圧に達し、核燃料が溶ける「炉心溶融」がいつ起きてもおかしくなかったが、ようやくベントが開始できたのは午前10時17分だった。
2011年4月4日