東日本大震災は国内未曽有の原発事故を引き起こした。首相官邸や東電、防衛省・自衛隊はどう対処したのか。米国の動きは。発生直後からの2日間を追った。【震災検証取材班】
その時、東電の下請け会社に勤めるベテラン従業員は福島第1原発4号機タービン建屋の地下1階で鉄材の切断作業をしていた。11日午後2時46分、激しい揺れに必死で配管にしがみつく。
「足場が倒れたら危ない」。3人の同僚と声をかけ合っていると突然、照明が消えた。暗闇の中、危険箇所を示す電池式の警告灯だけが赤く点滅している。
頭が混乱して方向感覚がない。「はぐれたら大変だぞ。手をつないで行こう」。警告灯を懐中電灯代わりに、4人は一列になって1階に向かった。外に出られたのは30分後だった。
1号機の「廃棄物処理建屋」で下請け会社の社員、菅波秀夫さん(60)は足場材の搬出作業をしていた。作業場の監督が中央制御室に連絡して急いで扉のロックを解除させ、仲間6人で出口に通じる隣の建屋に入った。だが、ほこりが立ちこめ視界がきかない。仕方なく作業場に戻ると照明が切れ、鉄骨が揺れる音だけが響く。どこからか声がした。「おれらについて来い」。それを頼りに出口をめざした。
下請け会社を経営する小川喜弘さん(53)は放射性廃棄物を処理する「集中環境施設」の建屋4階で非常用バッテリーの点検をしていた。揺れが収まって階段を下りると、すぐに大津波警報が出た。4号機で定期点検中の作業員100人以上と高台に向かって逃げた。1号機の建屋の壁が崩れているのが見えた。
避難所から自宅のある浪江町に戻った時、その光景にがくぜんとした。「人っ子一人いない。これは死の町だ」
築50年を超す福島県庁舎が強い揺れに襲われた時、佐藤雄平知事は2階会議室で地元新聞社のインタビューを受けていた。5階建ての本庁舎は倒壊のおそれがあり、県は隣の県自治会館に災害対策本部を設置する。救助を求める声が対策本部を飛び交う。原発は後回しだ。3時10分すぎ、本庁舎で受けた第1、第2原発からのファクスには「全原子炉が自動停止」とあった。
2011年4月4日