小学校のころ、学校の授業で、曇りの寒空の日に、井戸水のプールに入り、水泳が嫌いになる。
契約社員時代(大学留年時代)に、プログラムを組むことでストレスが増し、体調を崩す。このころからずっと敬遠していたスポーツに興味を持ち始める。プログラム言語と詩作と言語(哲)学をやっていた私は、「言語から肉体へ」人生の方向性を定める。
帰郷後、汗っかきだった私は「水泳」にターゲットを絞り、市民プールで自主練習を開始。この年になっても、身体的発達があることに驚愕する。「水泳」関係の職を探す。
市民プールの監視員となるが、物足りなさを感じ辞職。
スタディ・スイミング・スクール掛川コーチとなり、コーチ職の喜びを覚える。泳者が、どんなものよりも尊い宝物にみえた。ヘッドコーチと対立し、辞職。浜名湾遊泳協会の野賀先生のはからいで、高松スイミングセンター藤枝のコーチになる。やがて、高松は社名変更で、ビクトリー・スイミング藤枝に変わる。ここで、新社長と対立し、辞職。
貯金を使い、1年間、水泳と英語を勉強し、毎日、コーチとしてプールで練習する。
1年後、スイミング・マガジンで見たSNADのコーディネートで、インディアナ大学のコーチ研修に出発。この経験が人生を大きく変えた。
帰国後、コーチ職を探すが見つからず、自ら団体を作る決意をし、Water Mind を設立する。
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