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「震災の復興誓ったのに」八戸の漁船不明、気をもむ仲間

2011年4月6日

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八戸海上保安部の巡視船に引き上げられた救命いかだ。中田勇さんが意識不明で乗っていた=同保安部提供

 震災を乗り越えた船が、八戸沖で消息を絶った。八戸市の八戸みなと漁協に所属する「第18漁栄丸」。3月11日の東日本大震災の後も燃料などをやり繰りし、漁に精を出していたが、今月3日に漁に出たまま、帰港予定の4日になっても港には戻らなかった。5日には乗組員6人のうち、機関長の中田勇さん(64)の死亡が確認され、残る5人の安否も気遣われる。

 漁協では、5日午後1時過ぎから職員約10人が対応に追われ、八戸沖で操業中だった僚船2隻も捜索に向かった。漁協から無線で漁栄丸を呼び出しても応答がなく、船長らの携帯電話にも何度もかけたが、呼び出し音が鳴らない状況が続いたという。

 漁協によると、漁栄丸は3月11日の震災時、同じ6人が乗り組んで八戸沖で操業中。おかげで難を免れ、燃料が確保できた同24日から漁を再開した。

 震災後5度目の出漁だった今回は3日午後11時に僚船4隻と八戸漁港を出港。4日明け方に「これから漁を開始する」と僚船に無線連絡してきたのを最後に、戻る予定の4日夕にも帰ってこなかったという。

 同漁協の河村喜久雄専務理事は「漁協の1階事務所や所属する漁船10隻以上が被災した。残った船で復興のために頑張ろうと船長らと話したばかりだったのに」とうなだれた。

 八戸漁港内はまだ多くの漁船や車が沈み、港を出入りする時に船底を傷つける可能性があるが、河村専務理事は「港の航行には十分注意するよう言っていた。船底を傷つけたという話は聞いていない」と話した。

 僚船によると、現場海域は3日から4日にかけて時折風が強く吹くことがあったという。青森地方気象台の予想値では海上の風は強くても10メートル、波は1メートル前後だったといい、「注意報や警報を出すレベルではなかった」という。

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