一見すると踏切の遮断機信号がついていない以外は特段異常がないように見えます。
この街は原発30q圏内の福島県広野町。ほとんどの住民が避難しゴーストタウン化したため街は静まりかえっています。津波や地震の被害がさほどなく建物がそのまま。
人の気配がまったくしない街というのは初めての経験です。
福島県のいわき市を中心に民主党本部の福島県対策室の担当議員の随行として現地視察してまいりました。
原発周辺の街の状況が報道され始めている中で、どうしても現地をこの目で見ておきたいと思ったからです。
まず訪れたいわき市役所では、庁内の天井が一部崩れるなどしているため、入口付近にすべての課の窓口を集約して対応に追われていました。小さいお子さんを連れたお母さんたちに安定ヨウ素剤の配布などもしていました。
入口の掲示板には、給水所の場所、給油可能なガソリンスタンド、診療所一覧、開店している店の情報らがところ狭しと貼られていました。
いわき市内のお店はほとんど閉まっており、開いているガソリンスタンドでも最後尾が見えないくらいの長蛇の列。
いわき市の副市長さんに避難所の状況などのお話しを伺ったあと四倉町へ。
途中道路が激しく破損しており迂回しつつ移動。
テレビなどでは見ていましたが、実際の津波被害の状況を目の当たりにするとやはりその凄惨さを痛感します。窓ガラスは割れ道路のあちこちには流されてきた物が散乱していました。
この地区は2mから3m程度の津波被害だそうですが、それでこれだけの被害がでてしまうことを考えると、逗子でもこの街と同じ状況になりうるのかと改めて津波対策の必要性を再認識します。
さらに車を進めて入口ゲートの警察官の許可を得て原発30q圏内の広野町へと入りました。それが冒頭の写真です。人口約5000人の街ですがほとんどの住民が避難しており現状50人程度が残っているとのこと。
飼い主が避難所に連れていけなかったのでしょうか、飼い犬と思われる犬を数匹見かけました。私たちの車を見て寄ってきたゴールデンレトリバーの悲しそうな目を見て、飼い主さんもどんな思いでるのかと胸が締めつけられました。(後日確認したところ町役場の職員の方が餌やりには戻ってくださっているとのこと)。
広野町からいわき市に再び戻った後は、好間町の避難所へ水や食料などの救援物資を届けました。
かろうじて開いているお店すら野菜やお酒、ビールなど物資の流通状況には偏りがあります。
私達が届けた避難所も「本日の食糧配布は終了しました」の張り紙があり、次々と訪れる市民の方が「ここも終わっている・・次どこに行こうか」と困惑している状況でした。
ガソリンがないので遠くに買い出しも行けないのです。そして放射能の影響を恐れて救援物資を運ぶドライバーが町の中までなかなか入ってくれないということでした。
四倉地区の取り残された高齢者や障害者の方を見回る消防団員や、好間地区の避難所で働く職員の方(4s痩せたと話されていました)あちこちで見かける自衛隊員(東電の人が命がけで働いているので自分達も命がけで働くと話していました)、の方など色々な方にお話しを伺いましたが、本当にたくさんの方が現場で身を粉にして日本の復興のために働いていました。
私が肌で感じたのは、福島の人たちは体力的にも精神的にも追い込まれているということです。見えない敵と戦う恐怖。いまだ危険な原発の状況に神経をすり減らす日々、そして全国に広まる風評。
私たちは帰りがけ被爆チェックのスクーリングも受けましたがまったく問題ありませんでした。むやみに放射能を恐れるのではなく、多くの方に福島に救いの手を差し伸べて欲しいと強く思います。
今回の現地視察で改善すべき課題は民主党本部を通じ提言しましたが、今後も継続して被災地支援に向けて活動していきたいと思います。
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