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【なごや特走隊】

名古屋にも「国技館」 大正期に建設ブーム

2008年8月11日

 名古屋にもなんと「国技館」があったらしい−。横綱白鵬が全勝優勝した大相撲名古屋場所。愛知県体育館の熱気をテレビで見ていて、以前耳にした話をふと思い出した。もし実在したのなら、なぜ消えちゃったの?

 「そうそう、確か大正時代にあったはずですよ」。名古屋市市政資料館に問い合わせるとすぐに反応。市史に「名古屋国技館」が1914(大正3)年2月開館とあるのを見つけてくれた。

名古屋国技館があった名城小周辺=中区丸の内で、本社ヘリ「おおづる」から

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 場所は南外堀町で定員は「8800人」! 現在の中区丸の内3、名城小学校のあたりとみられ、当時としてはとんでもない大きさだろう。お堅い官庁街に近い地域だが…。

 そんな施設なら、当時の記者たちもほっとくわけがない。本社資料室でひたすら大正時代の名古屋新聞(中日新聞の前身)を調べると、やっぱり。国技館ネタが、連日のように紙面を飾っている。

 まずは、開館を控えた1914年1月11日付の館内紹介。鉄骨4階建てのハイカラな外観で、記者は「すさまじく大きい」と腰を抜かしている。4階席の高さは土俵から15メートル余もあり、「酔客の利用は禁止すべきだ」と指摘。売店や食堂用の部屋もあった。

 2月3日付は「15万円の工費を投じ、日本一」と絶賛。7日付は、約800人の来賓を集めた前日の開館式のにぎにぎしい様子を伝えた。式守伊之助の「ややこしい儀式」の後、幕内力士のそろい踏みがあったようだ。

 さて開館翌日から始まった東京大相撲の興行だが、初日の入りは意外にも四千数百人で記者は拍子抜け。3日目には「気の毒なほどの不入り」で、「休場力士が多いためか」と首をひねっている。

開館日に撮影されたとみられる国技館内の様子(名古屋城振興協会所蔵)

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 そもそも、どうして名古屋に国技館なのか。日本相撲協会の相撲博物館に疑問をぶつけたところ、「実は全国で、国技館ブームが起きていた」とか。

 東京・両国に初の屋内型の興行施設として“本家”国技館が完成したのは1909年。その後、横浜や浅草、名古屋などで「国技館」を名乗る施設が次々と建ったという。

 「協会と関係ない施設で映画上映など多目的に使われたらしい」と担当者。現在の民間ホールやドームのような存在だったのか。

 名古屋も民間企業の経営だったようだ。ところが、わずか10年余で姿を消していたことが分かった。24年10月15日の名古屋新聞が「2日ほど前から本館の取り払いに着手」と短く報じている。

 「相撲はスター不足で人気が下り坂。サーカスや講談、演説会などにも使われたが、採算は取れなかったようだ」と話すのは相撲史研究家の杉浦弘さん(66)=静岡県磐田市。

 名古屋の近代建築に詳しい名古屋市立大大学院の瀬口哲夫教授(都市計画)は語る。「城下町北側の振興策として財界が仕掛けたのかもしれない。“失われた盛り場”では」

 繁栄していれば、名古屋の街並みや人の流れは、今とは随分と違っていたのかも…。

 (社会部・今村実)

 

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