ライブドアブログのテーマ記事「 奇跡をみたことはありますか?」より。
心肺停止に陥ったことは以前のテーマ記事で話してますし相当以前の日記でも経緯を書いてますけど、改めてその時のお話をしましょうか。
1・足と左顔面の骨折で事故入院後に収容先の病院で脂肪塞栓というものを起こして肺が脂肪で塞がり低酸素症になって異常行動を起こす。
それに対して両親が診察を頼み込んでなんとか診てくれた医者は「明日担当医が治療するから大丈夫」と治療拒否していたところを放射線技師の方が「ウチではもう救う術がない」と主張して下さって転院処置に。(両親の頼み込むのが遅かったり放射線技師の方の助言がなければその日に死んでました。)
2・搬送中路上で暴走族が進路妨害&トロトロ走行で、あと少しで手遅れって状態に陥る。
3・なんとか転院先に辿り着くも心肺停止
4・なんとか蘇生して首と大腿部に人工肺を着けて血液の濾過処理。腎臓と肝臓が破裂しかかっていたため人工透析し、右肺に穴が開いて気胸になっていたため空気抜きの作業とチューブ接続(この時点でも死ぬ確率半分、上手く処置できても脳に深刻なダメージを持たず普通の日常生活を送れるようになる確率半分とのことでした。)
5・意識を取り戻すも数日後に謎の脂肪塞栓再発でブラックアウト。(最初の病院のベッドで眠りについてからココまでの記憶は全く無くなってます。)
6・なんとか病状も安定して、肺の状態が安定するまで着けていた酸素吸入器も外れた直後に咳が止まらなくなって呼吸が出来ずチアノーゼが出る。
ここまでの過程を経て、集中治療室からなんとかかんとか一般病棟に移ることが出来(さらに肺の経過が良くなるまで骨折治療はお預け)、ようやっと骨折した足と顔面の治療に移れたんですが、集中治療室に1月居た上、左足はパンパンに腫れ上がるコンパートメント症候群だったため両側面が切り開かれっぱなし&低酸素症だったため筋肉を含む一部組織が腐敗して無くなっており、この左足の骨折治療はかなり後回しになった上元通りにはならず、今になっても残る障害を持つに至っています。
あと左眼球の眼底部の骨も抜けて無くなってしまっており(骨盤から骨の移植手術をするも効果無し)、ちょっと左目が沈んでます。
てことで、自分が今普通に日常生活を送れていることそのものがキセキのキセキてなもんで。
でも、正直助かって間無しの頃自分がそれまで培ってきた技術も知識も失って何も出来なくなっている現実に「助からない方が良かった。死なせてくれた方が良かった。」とは何度も思いましたけどね。。。
そんな経験してるからこそ、今の自分があるって言える部分も大きいですけど。
大抵のことはあの頃に比べりゃ大したことじゃないですもの。
とはいえ今も左足や左目なんて老後どうなるか分かりませんし、この辺も含めたら理解してくれるパートナー探しは大変でしょうし、何より俺以外の選択肢があるなら健常な人と付き合う方がその人にとっても幸せでしょうから、それも仲の良い異性を作ることには前向きでもパートナー作りにさほど前向きにならない理由なのかもです。
(もう終わった話ですけど、実際に横で他の男を引き合いに出しながら俺を動かそうとしてた子達の会話は。おそらく半分程度しか聞こえてなかったでしょうけど、それでも「誰でも良いなら他の奴を選んだ方がいいじゃん」と毎回のように思ってましたからね。それで惚れちゃってんですから世話無いんですけど、動きが遅くなった一番の原因でもあります(´・ω・`))
ひょっとしたら本心では誰にも選ばれず誰も選ばず、近寄る人を遠ざけることをこそ望んでたりするのかなって気もしますね。
※でも本心がどうかは自分では分かりませんけど、少なくとも後ろ向きな気持ちで書いてるわけじゃないですよ、念のため。
重い話ですし、なんだ、GReeeeNのキセキでも