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[26011] 【習作】 血に濡れた腕で君を抱いて 【オリジナル・ファンタジー物】
Name: 副団長そのいち◆5f934587 ID:d071f723
Date: 2011/02/14 08:02
黒歴史を発掘してしまいました
しかも未完結でした

タイトルはいつものように団(以下略)さんが(以下略
腕は「かいな」と読むらしいです

よろしくお願いいたします。



[26011] 一章 エイユウ
Name: 副団長そのいち◆5f934587 ID:d071f723
Date: 2011/02/14 08:13




【ケツマツ】



「――まぁ、いいか。お前に殺されるなら……悪くない」

指の一本さえも動かせぬ完敗。英雄と呼ばれし彼がそんなものを喫したというのに、表情は穏やかだ。

「ふふっ、私じゃない私でごめんなさいね?」

周囲に動く人影は、一人の女を除き、存在しない。
残るのは、動きもしないおびただしい数の亡骸。それと、息はあるが、到底身体を動かせる状態ではない者が数名。

「本当は、私じゃなくて『彼』に権利はあげたかったんだけど」
「…勘弁してくれ。アイツが俺を楽に死なせてくれるとは思えない。君の方が気が楽だ」
「私だって、人の苦しむ顔が見たくなる時だってあるわ」
「……それでも、アイツよりは君がいい。少なからず好意を抱いていた女に殺されるほうが」
「それはそれは。あとで伝えておいてあげるわ」

女は男の首筋に剣を向ける。それは先刻の言葉とは裏腹に、苦しまぬよう、一撃で命を絶つと伝えるも同義。
それは女の優しさか、哀れみか。男には知る由もないが、それでも微笑み、目を閉じた。

剣を振るう。

首が舞う。

女はそれを見届け、剣を投げ捨てる。転がった首を見やることなく、胸に手を当て、空を仰ぐ。

「……一応、教えといてあげるわ。このコもね、貴方の事は好きだったのよ?」

返事など、あるはずもなく。
女が気づいた真実は、森の中から空を仰いだところで太陽はロクに見えない、ということだけ。
溜息を一つつき、死体ではなく、まだ息のあるほうの『彼』に向かう。
『彼』にも意識はない。そっと頬に手を沿え、一言「ゴメンね」と呟く。

……返事など、あるはずもなく。しかし、そこにはまだ命はあった。未来があった。
『彼』の鼓動を確かめ、安堵した女は、周囲の『ゴミ』の山を見渡し、再び溜息。

「やることは山積みね……これからどうしようかしら?」








【潜入者】


――薄暗い建物の中、ドアをノックする音が響く。

「…入れ」

ドアの向こうから響く落ち着いた声。それを聞き届け、ドアを開く。




「書類には目を通したな?」

入るなり、自分を呼びつけた男から確認の言葉。

「…はい」
「…そう固くなるな。お前の実力は、皆認めるところだ」

椅子に座った男は、視線で着席を促す。上司からの指示だ、従わない理由はない。

「初の任務とはいえ、戸惑う事はない。いつも通りにやればいい」
「わかっています。ご期待に沿えるよう…頑張ります」
「ふむ……」

それから小一時間ほど、『任務』についての最終確認をし、席を立つ。

「それでは失礼し――」
「――妙なプレッシャーに潰されるなよ」
「……は?」
「確実に、生きて帰ることだ。そうすれば、もう他の奴等もお前を劣化品だとか、頭数合わせなどとは呼ばなくなる」
「………」

『低レベルな能力者』『前任者の劣化品』『四天王の頭数合わせ』。今まで向けられた蔑みの言葉は数多い。
眼前の上司は口にこそしなかったが、同じ思いを抱いていると思っていた。
だが、今は気遣う言葉を向けてくれている。少なからず、緊張は和らぐ。

「無理はするな。それだけだ」
「…心得ています、ノーリ様…」











【追跡者】


――男は、仇を追っていた。

「チッ…降りかかる火の粉を払い続けるのが…これほど面倒とはよ…」

歩きながら呟く男。その身体には多数の傷。
頭上からは、たった今その身に付いた血の香を洗い流すかのように降り注ぐ雨。その姿と、降り注ぐ雨はあまりにも似合っていた。
しかし当然ながら、冷え切った雨は満身創痍の男の身体から容赦なく体力を奪う。
それでも、男は歩みを止めなかった。

「この先か……」

眼前に果てなく広がる森を見上げても、男の歩みは鈍る事はない。
この森が何と呼ばれているか、男は知らない。仮に知っていたとしても足を踏み入れる事に変わりはなかっただろうが。

「待ってろよ…殺してやるからな……」
















【元・英雄】


「――うっわ、すげぇ雨だな…」

木製の扉を開け、響く雨音に驚きながら階下への階段を下りる青年。足元からも木の軋む音。
途中、青年は頭上を見上げて思う。――この建物は本当に樹そのものなのだと。
おそらくは、この森一番の大樹だったのだろう。高く高く続く吹き抜けは、樹を外側から見る感覚とはまた違う感慨を与える。

朽ち果てようとしていた大樹を、森の皆で貸家、そして集い場として再利用するために手を加えた。そう聞いている。
最も広い一階部分を集い場、というより酒場のような様相にし、それより上の階層は円を描くように個室を作り、貸家に。上の方は耐久性は大丈夫なのかと不安になるほど、高く多く部屋が設けられている。
もっとも、使われる事の方が稀だが。

今降りてきた、円を描いた階段などを見ると――なるほど樹だと実感はするが、普通に暮らす上では何の不都合もない。
――こんな、人もまず訪れないような森の奥深くであるにもかかわらず。

『森の民』。この深い森に住む彼らは、己らを単純にそう称する。
青年が初めてここを訪れた数ヶ月前の頃には、こんな森の奥深くで人が生活を営んでいるなど、考えもしなかったものだ。


「おはよう、マスター」

階下、一階の集い場。カウンターの向こうでエプロン姿でグラスを磨く壮年の男性に挨拶をする。
集い場とはいえ、周囲に人影はまだまばらだ。朝も早いし当然ではあるが。

「ああ、おはようケイロン君。どうだい、数ヶ月ぶりに森で一夜を明かした感想は?」
「最ッ高だね。空気からして癒される。まったくもってあの時に拾ってもらえた奇跡に感謝してるよ」
「全く、うちの姫様は外出好きで困るよ。でもまさか世界的に有名な英雄を拾ってくるとは思わなかったけど」
「ははっ、『元』英雄だよ俺は」

男性はグラス磨きを止め、カウンターに座った青年、ケイロンに飲み物を出そうと裏に姿を消す。

「…その若さで難儀してるね、君も。それより、今回はどのくらいここに?」
「さあねぇ…命の恩人と話して決めるよ」
「姫様のことだ、ずっとここにいて欲しいんじゃないかな?」
「ははっ、さすがマスターはよくご存知で」

姿を現したマスターと呼ばれる男性の手には、湯気の立つミルク。
受け取り、それに一言礼を言い、金を払おうとポケットを探る。

「お代はいいよ。もとよりそんなものは取ってないしね。森の皆に無料提供だから」
「いや…でも俺は、この森の住人じゃないし」
「いいんだよ」

そう言ったマスターの顔は、少し寂しげで。


ケイロンは、自分が再びこの森を訪れた目的を思い、マスターを見る。

「…この森の人は、いい人ばっかりだな」
「…どうしたんだい? 急に」
「シリス――あぁ、姫が起きてくるのはいつ頃になるかな?」
「姫様も結構な早寝早起きだからね。もうすぐだとは思うけど」
「そうか…昨日は夜も遅かったから、ロクに挨拶も出来なかったけど」

ミルクを飲み終え、グラスを返す。お代も払いたいところだが、とりあえずは好意に甘えておく。

「ところで、マスター」
「うん?」
「…もし俺が、この森に住み着きたいと言ったら?」

マスターの一瞬の表情の翳り。ケイロンも気づくが、しかしそれを気に留めることはない。

「…もちろん、歓迎するよ? 姫様も喜ぶし」
「いや…本当は、マスターも姫も、俺には居てほしくないはずだ」
「まさか。君を追う人達も、こんな森の奥深くには入って来れない。ここは安全だ」
「そうじゃないさ。さっきも言ったけど、この森の人達は――」


不意にケイロンの背後、この建物の正面入り口の扉が軋む音を立てながら開く。

「おはようございます、マスター」
「あぁ、姫様。おはようございます」

そこにいたのは、そう、他ならぬこの森の姫と呼ばれる少女、シリス。
森の姫らしい、緑を基調とした簡素なドレスのような服に、薄黄緑の髪。森の中に溶け込むような配色でありながら、一際目立つ存在感は彼女自身の持つものだろうか。

「そしてケイロンさんも、おはよう」
「お早う御座います、姫」
「ぷっ…どうしたの? かしこまっちゃって」
「…いつも通りでいいのならそうさせてもらうけどな、シリス」
「そうですね…私もこう、何と言うか…ケイロンさんに姫と呼ばれると、落ち着かないですし」

そして笑い合う二人。出会って間もない二人だが、その間には確かな信頼…絆がある。


しかし、二人はほとんど互いの事は知らないのだ。
なぜ、シリスが姫と呼ばれているか。
なぜ、ケイロンは追われているのか。

そのどちらも、彼と彼女を知るものならば容易く答えられる疑問ではある。
例えば、マスターは両方の答えを知っている。前者は『森の民』として当然、後者は多少なりとも外界事情に詳しくないといけない立場柄。
しかし、当人達はその事について何も興味を持たぬ様子で、故にその疑問を持ちかけられることもない周囲の人達は、黙って見ているしかないわけで。


「――ところでケイロン君、さっきの話は…」

多少、雑談が落ち着いたあたりを見計らい、マスターが声をかける。

(…本来なら、姫様にもケイロン君にもゆっくりと語り合う時をあげるべき。…しかし今は…)

先程の会話が気になって仕方がない、そんな様子だ。――しかしその内にはどこか覚悟じみた冷静さもあるようだが。

「あぁ、そうだった…姫――シリスも同席して欲しい」
「私も?」
「そう。俺の命の恩人である君だからこそだ」







三人は、集い場の一番隅のテーブルを囲って座る。

「シリスにもマスターにも、まだ話してなかったよな。俺がここにまた来た理由」

無言で頷く二人。昨夜遅くにふらっと現れた彼に問う時間など、そもそも無かった。

「…もし俺が、ここにしばらく、無期限で留まりたいと言ったら?」

二人は少し顔を見合わせ、問い返す。

「…なぜです? そんなに長い時を必要とする用事なの?」
「ああ、少なくとも半年」

再び二人は顔を見合わせる。その視線の中にあるのは、無言の意思疎通。暗黙の了解と責任。

「…私達も手伝いましょうか?」
「ほらな、マスター。やっぱり長く居られると困るんじゃないか」

マスターが肩をすくめ、溜息一つ。

「その通りだ。本当に申し訳ないが、今すぐにでもここを去ってもらいたい」
「ちょっ…マスター!?」
「事実でしょう? 姫様」
「そ、それは……」

「………俺を巻き込まないためか?」

驚いた顔でケイロンを見る二人。驚いた理由はもちろん、彼の言う事が的を射ていたから。

「そんな顔するなよ…軍の動きくらいは俺の耳にも入るさ」

一時期とはいえ、『英雄』として大国に祭り上げられた存在である。それなりにコネもあるのだ。
そして、そこから情報を得たからこそ彼はここへ来た。

「…軍が、この森に攻め入ろうとしている。ごく一部の人しか存在を知らないはずの、この森に」
「…そうです」

――ちなみに、今や『国』といえば大陸のほぼ全土を支配する『世界統治国家』が一つ存在するだけである。
それ以外の『国』と呼ばれていた物は少し前の大戦で吸収された形となり、残っているのは国とも呼べぬ自治地域規模のものだけ。
よって、『軍』と呼べるのもその『国』の正規軍隊のものを自然と指し示すことになる。

もちろん、英雄と呼ばれたような存在ならばその辺の事情にも詳しい。
故にケイロンは確信を持っている。その事を知った今、シリスも覚悟を決め、正直に答える。

「そして、シリスやマスター…いや、森のみんなは戦うつもりなんだろ?」
「そうです」
「…俺には…戦わせてくれないのか?」
「当然です。ケイロンさん、貴方はこの森の住人ではない。部外者を戦いに巻き込むのは立場上許されません。それに――」

その後に続く言葉は、誰にでもわかる。今まで述べられたのはこの森の姫としての意見。
これから述べられるのは、一人のシリスという少女としての意見。

「わかった。シリスの言い分はわかったから」

だから、ケイロンは彼女の言葉を断ち切った。
後に続く言葉はわかっていた。でも、それを彼女に言わせると、彼女の決意が固くなりそうだったから。

「でも、俺だって命の恩人を見捨てて逃げるのは嫌なんだ。嫌というか、絶対一生後悔する」

わかるだろ? と言わんばかりの視線を逸らす事も、シリスには出来なかった。
出来なかったから、助け舟を求めた。

「マスター…」
「やれやれ…二人とも言い出したら聞かないからな」

溜息と共に首をすくめ、呆れたように言い放つ。

「幸い、敵は降伏を勧告してきてる。返答期限まではまだ時間があるから、二人で話し合うといい」
「おいおい、マスター殿は放任ですか」
「この森の全ての決定権は姫様にある。忘れてたわけじゃないだろう? ケイロン君」
「う…いや、まさか忘れてたわけじゃあ…」
「姫様も、何か変な覚悟をしておられるようですが…戦う以上、我々は負けるつもりはありません。お忘れなく」
「あ…うん、ゴメンなさい…」

意地だけの言い合いを続けそうな二人の頭を冷やさせ、マスターは席を立った。
そろそろ人も増え始める時間だ。いろいろ準備があるのだろう。




数刻と経たぬ後、再び入り口が開かれる。再び響く、木の軋む音。

「…おはようございます」

入ってきたのは幼き少女。長い銀髪を頭の両脇で纏め、軍服を簡素にしたような服に身を包んでいる。
入ってすぐ周囲を見渡し、ポツリと呟く。

「閑古鳥……」
「おはよう、ルーちゃん。今日も早いね」
「おはようございます、姫様。貴方ほどではありませんけど――」

ルーと呼ばれた少女は、そのままケイロンをじっと見つめる。

(…………?)
「あ、こちらは…えーと、昨日来られたお客様の…」

シリスに腕を引っ張られる。自己紹介しろという事らしい。

「ああ…ケイロンだ。よろしく。えーと、ルー?」
「…はい、よろしく」

それだけ言うと、彼自身には興味なさそうにカウンターの方に歩いていく。


「おはよう、ルー。何にするかい?」
「熱いお茶で」
「好きだねぇ…ここのお茶は渋いのに」
「この渋さが私の好みなんですよ、丁度いい位に」

お茶が運ばれてくると、微かな笑みを浮かべながら飲む。それを見てケイロンは呟く。

「…変わった女の子だな」
「いい子ですよ? しっかりしてますし。それより…本名言っちゃって良かったんですか?」

ケイロンは追われている身。それを知っているからこそ、シリスは彼の紹介に悩んだというのに。

「ああ、あの子、外の子だろ?」
「え、どうしてわかったんですか?」
「…まあ、俺を見る目かな」

本当は服装、雰囲気、いろいろ他の森の皆とは違うからでもあったんだが、決め手は自分を見る目だった。
少なくとも、知らない人を見る目ではなかった。興味はなさそうだったが。

(それ以上に、なんか深く翳った目だったけどな…)

しかし、見た目は幼いなれど歳不相応にしっかりしていそうだというのはケイロンも感じた所だ。

「確かにあの子は外の子です。割と最近になるんですけど、ふらっと迷い込んだらしくて…」
「ふらっと、って…」
「帰るところがないらしいから泊めてたんですが…あんな幼い子、絶対に戦いには巻き込めない…」
「…武器は持ってるみたいだけどな」

カウンターでお茶を飲む、その傍らに小太刀が置かれている。それに加えて上着の内ポケットにも銃を隠し持っているようだ。
銃は確かにわかりづらいとはいえ、小太刀ぐらいはシリスも気付いているはずだが…

「護身用だと思いますよ?」
「…俺にはそうは思えないけどなあ」
「もし仮にルーちゃんがケイロンさんくらい強かったとして、この森の住人だったとしても、それでもあんな幼い子が戦うのは…」
「…ま、確かに間違ってるか」

正義だとか、信念だとか、そのような胡散臭いとも取れないものとは関係なく。
少なくとも、自分達より幼い者は実力など関係なく戦わせたくない。ごく普通の意見だ。


「――シリス…俺は…」
「ん?」
「…俺がこの森の話を聞いて戻ってきた訳は、戦うためじゃない。守るためだ」
「…………」

誰を、とは聞かない。何故、とも聞かない。わかりきったことだから。
彼は、それほどまでに真っ直ぐな考え方をしているから。
シリスが戦う道を当然の如く選んだように、ケイロンがここに来たのも当然。
ならば、拒んではならないのだろう。拒みたくとも。

「…………」

「…………」

暫くの沈黙。

彼ら二人だけではない。周囲も、否、森さえもが不思議な静寂に満ちていた。

しかし…それは偶然だったのだろう。


森が沈黙したことではない。それにも理由があったのだから。
故に偶然と呼べるのは…今、このタイミングで、沈黙の原因となる男二人が邂逅した事。


『…ここか』
「ッ!?」

殺気。ケイロンがそれを感じ取り、扉を振り返ると同時に、それは荒々しく蹴り開けられた。



『な……!?』
「…ふん」

室内に居た全員の目線を軽く受け流し、男は捜す。ただ一つの見知った顔だけを。
そしてその『顔』は、幸運な事に自ら飛び出てきた。


「ディー!」

己の座していた椅子を蹴り飛ばしたのも気付かず、男の元へと走り寄る。

「……わざわざ片隅で女と何してたんだ、あァ?」
「…お前こそ、こんな森の奥までわざわざご苦労な事だよなぁ」

睨み合う二人。ディーと呼ばれた男は、誰にでも感じ取れる程の危険な殺気を纏いながら。
片やケイロンは、殺気こそないものの、彼と同等の覚悟じみた空気を発しながら。

周囲の誰も、言葉を発しない。口を挟めない。
二人の関係はわからずとも、今の二人の間にあるものは因縁以外の何物にも見えなかったからだ。

「そろそろ走り回るのも疲れただろ? いいかげんリタイアしちまいな」

太股のホルダーから銃を抜き、ケイロンのこめかみに突きつける。
だがケイロンはそれには動じず、それどころか不適に笑い飛ばしてみせる。

「お断りだね。自分で決めた事だ、どんなに不様でもゴールまで走ってやるさ」
「チッ……」

ディーの舌打ちと共に、周囲の空気が変わる。彼が周囲に纏っていた――あるいは撒き散らしていた――殺気が、一点に集中されていく。
その一点がどこかは、言うまでもない。

「死ね」


トリガーにかかる指に力が込められる。その僅かな動きをケイロンは察知し、銃弾が己の頭部を貫く寸前に身体ごと頭を下げる。
発射された銃弾は、誰にも当たることなく木製の壁にめり込む。ケイロンは内心安堵しながら、ディーが手にする銃目掛けて拳を振り上げる。

「そらっ!!!」

拳は見事、標的を打ち上げる。だがディーは顔色一つ変えない。
――逆の手が、もう一丁の銃を掴んでいた。

「く…っ!」

連続する銃声。転がるように距離を取るケイロンを尻目に、大雑把な発砲を繰り返しながらもう一丁の銃を回収するディー。

「どうした…ビビってんのかァ? 英雄サンよォ」
「この野郎……」

早朝ゆえに人が少ないため、今のところ死傷者はいないようだが…

「…………ッ!」

森の人間に危害が及ぶような行為を、許す筈の無い人間がここには一人居た。

「やめなさい、二人とも!!!」
「………あァ?」

面倒そうに睨みつける視線にも怯まない、強固な意志を持つ姫がそこにいた。

「シリス……」
「……邪魔すんじゃねぇ、女」
「…貴方こそ、私達の生活を邪魔しないで貰えますか」

周囲がどよめく。マスターもシリスに歩み寄り、なだめようとする。
しかし、シリスは意に介さず、ディーと相対し続ける。

そしてディーは――ただ、笑った。

「ククッ――聞いたか、英雄サンよ? ちょろちょろ逃げ回って被害を出すより、大人しく殺されろってよ」
「お前……」

酷い曲解ではあるが、ケイロンの立場からすればある意味、的を射ている。
自分が逃げ回れば逃げ回るほど、被害が拡散するのは事実なのだから。
しかし。

「何を言っているのですか。彼もまた私達の、共に戦う仲間。この森の住人と同等の扱いです」

奇しくもこの状況で、彼女は彼の意思を汲む言葉を口にする。先刻ならばケイロンを喜ばせる言葉だが、今は油を注ぐ言葉に他ならない。

「チッ……なるほどな」
「ディー…?」
「……要するにテメェがこの森のルールなんだな?」
「!? シリス!!」

銃口がシリスに向けられる。ケイロンが立ち上がるも、遠い。銃撃から距離を取らざるを得なかった彼は今や、周囲の誰よりも遠い。

(間に合わない…!? 誰か…ッ!)

あまりにも小さい希望にすがりながら、ケイロンは走ろうとする。だが間に合わないのは明白だ。
周囲の人間にも――ただの一般人に期待するのも酷だろうが――ケイロンほどのとっさの判断が出来るものは居ないだろう。

構えられた銃から放たれる凶弾。それは無情にもシリスの心の臓を貫く――はずだった。

「…何だと?」

それは、少女の髪を僅かに掠める程度の結果となった。
しかも少女と言うのは狙われたシリス本人ではなく。

「ルーちゃん!?」

寸前でシリスに飛びかかった、先程まで事の顛末をただ静観していた少女の髪を、だ。

「…っ!」

飛び掛った勢いをそのままに転がり、姿勢を崩したまま、ルーは手ごろなテーブルを足で引き寄せ遮蔽物にする。
先刻、放たれた銃弾は木の壁にめり込むだけで終わった。この森の木材は思ったより強度がある。テーブルも同じだ。
これでルーとシリスの安全は多少なりとも確保された。ディーとケイロンがあっけに取られるほどの素早い判断。

(なんかよくわかんねーけど、エライぜ、ルー!)

心の中で誉めながら身体を捻り、勢いそのままにディーに突進する。

「喰らえッ!」

殴りかかるその寸前、ケイロンは己の拳に炎を纏わせる。
ケイロンの能力『破邪の焔』。数多の悪、未知なる敵を打ち破ってきた一撃が、ディーに襲い掛かる。

「ぐっ…!」

直前で防御。ディーも反応の速さはなかなかのものだ。

――『能力』というものは対人戦では僅かな差にしかならない。人間にはあまり効果を発揮しないのだ。
それもそのはず、人類が『能力』に目覚めた切っ掛けが、少し前の大戦――未知なる外敵との戦争時と伝えられているから。その外敵にこそ効果を発揮するモノだったから。
それでもケイロンは強い。彼が『英雄』たる所以は、あくまで身体能力の高さと数多くの戦闘経験。
たとえ仮に『能力』のない人間であったとしても、彼は明らかに強者であろう。

そのまま二撃、三撃と打ち込みながら、ケイロンはディーに言う。

「なぁ、今日の所は退いてくれねーかな?」
「…ッ、ざけんじゃねー…テメェを殺すためだけに俺はここにいんだよ!!」

防御を解き、あえて一撃を喰らいながら弾丸を放つ。照準など定まらなくとも、たとえ当たらなくとも、威嚇になれば充分だった。
そして…ディーの狙い通り、ケイロンは距離を取る。銃弾を受けてはいないようだが。

「危ねーな…お前も能力を持つなら能力で勝負しろよ」
「黙れ…お前と同じ炎の能力なんて、俺の中にあると思うだけで吐き気がするぜ」

能力は遺伝する場合が多い。もちろん例外もあるが。
だが、遺伝とはいえ強さまでは遺伝しない。ケイロンの炎の能力は本人の努力もあり練度は高いが、ディーの炎は発現した時点から将来性など期待できないほどのモノだった。

「同じ炎で俺に勝てないからって銃に逃げるのかよ…情けないヤツだ」
「ケッ。お前も確実に勝てる炎勝負がしたいだけだろうが、チキン野郎」

会話は平行線。ならばやはり、力で雌雄を決するしかないのだろう。

「…行くぜ!」
「…死ね!」


「っ…貴方達、止めなさ――」
「シリスさん!」

再び戦い始めようとする二人を見かねて飛び出そうとしたシリスをルーが制する。

「ルーちゃん…止めないで」
「……とはいえ、一人では危険です。私達も加勢しますから、皆で止めましょう」

上着の内ポケットから銃を取り出す。やはり気付いていなかったのか、シリスは多少驚いていた。
そんなシリスを尻目に、ルーは目を閉じ、意識を集中させる。
…否、耳を澄ましている。シリスも静かに息を飲む。と同時に、些細な疑問を抱いた。

(……私『達』?)


戦いを再開し、殴り合う二人。
ケイロンはその象徴とも取れる炎を宿した拳で。
ディーは対照的に、炎を封じ、時には手にした銃をも使い暴力的に。
打撃の応酬の中、次第に眼前の相手しか見えなくなるのは致し方無い事。
そう、静かにこの建物に近づく者に気付けずともそれは当然。


ルーが目を開き、テーブルの影から戦闘中の二人の様子を伺う。

「オラァッ!」

ディーの一撃を受け止め、ケイロンが反撃する。

「くっ…らぁッ!」
「ぐ……ッ」

大きく二人の距離が開く。ルーはそれを見逃さず、ディーの足元に銃弾を放つ。
咄嗟に後方に跳び、怒りを込めた瞳でルーを睨みつけるディー。

「テメェ――」

だが…彼が睨みつける以降の行動に移ることは出来なかった。


「…朝から何ですか、騒々しいですね」

長身の青年が、後ろからディーの両腕の動きを封じていた。

「ッ…ンだよ、テメェは……!」
「ソーラク…さん」

急な展開に戸惑うシリスの袖をルーが引っ張る。そしてシリスは思い出す、自分の仕事を。

「…二人とも。こんな時にこんな場での私闘…私は許可しませんよ。即刻停止しなさい」





「――ありがとうございます、ソーラクさん…助かりました」

シリスがディーを羽交い絞めにした長身の青年に礼を言う。
長身の青年――ソーラクは、ずれた眼鏡の位置を整えながら返す。

「いいえ。貴方は命の恩人です。礼には及びませんよ。それより、一体何が?」
「それは…これから彼らに問い質してみます」

ディーと、その動きを封じているケイロン、二人に向き合う。

「――二人の関係…聞いてもよろしいですか?」
「……………」
「…大したモンじゃないさ。ただの兄弟だ」

無言でシリスとソーラクを睨み続けるディーに代わってケイロンが答える。

「…どういうことですか?」
「どうって…そのままの意味だけどな…」
「そんじょそこらの兄弟ゲンカで店をここまで荒らされても困るんだけどね」

動揺を隠せないシリスの言いたい事を、それとなくマスターがほのめかす。

「………」

その隣で髪を少し気にしている幼い少女はまたも興味なさげに静観を決め込んでいるようだが。

「ああ…全部俺に非があるんだ。コイツは俺の事を兄貴だなんて思っちゃいないさ」
「…ふむ」
「というと、やはり君がここにいることに関係すると?」

事情を把握したような顔をするマスターとソーラク。マスターはともかく、ソーラクが察したという事は、こいつは外の人間だ、とケイロンは仮定する。

(ならば…俺を追っている奴らの仲間の可能性も否定は出来ない。が…)

彼は場を収めた人間。戦闘を止めてくれた恩人であり、シリスも多少なりとも信頼しているようだ。ケイロンにとってはまだ得体が知れない存在ではあるが、厄介払いは出来ない。
仕方なく、このまま話を進める。

「……俺は軍を脱走したんだ。でも、力のみを誇りとする皇帝、国家の意向や世間の風潮などはそれを許さなかった」

英雄として祭り上げられていた人間が、戦う事を放棄し、逃げ出す。それがいかに民衆の信仰や軍の規律を乱すか、想像に難くない。

「俺自身は共に戦ってくれた皆の命を懸けた助けもあって逃げ出せた…しかし皇帝は、逃げ遅れた仲間や…家族を、反逆の罪で斬り捨てたんだ」
「そんな…殺したっていうの!?」
「ああ……」
「見せしめ、でしょうね。自分が死ぬだけなら自分の責任。しかし周囲に危害が加わるとなれば…普通の人間なら滅多な事は出来なくなる」

ソーラクは冷静に分析する。マスターも隣で頷いている。シリスだけならず、彼からも信頼されているようだ。
いつから森にいるのか尋ねてみよう、とケイロンは頭の片隅で思った。

「酷い………」
「ああ、まぁ、お偉いさんなんてそんなモンさ。軍を脱走したのも、そのへんが関係してる。…わかってた事とはいえ、受け入れるのはキツいもんだけどな」

シリスは想像する事で、ケイロンは回想する事で表情を曇らせる。
この二人は優しい人間だ。他人の心の痛みに涙を流せる姫と、自分の行った行為を忘れず、己の責任として胸に刻み忘れない英雄。
そんな二人を見て、ソーラクとマスターは顔を見合わせる。年齢の差といえばそれまでだが…それでもそんな二人を自分達は上から哀れんでいるような気がしてならず、少し物悲しさを感じた。
そんな二人には気付かず、ケイロンは話を続ける。

「でも、殺されたはずの家族の…コイツだけは生きていた」
「………………」
「俺のせいでコイツ以外の家族は殺されたんだ。俺が憎まれるのは当然だ」

当然だと口にするケイロンの顔には一点の翳りも無い。

「成程。貴方はその憎しみを受け、罪を背負ってもなお目指すものがある、と。顔を合わせればケンカになるのは当然ですね」
「ケンカなんて生易しいもんじゃないけどな…そういうことだ」
「そういうことって…兄弟で憎み憎まれなんて…そんなの――!」

憎むディーとそれを受けるケイロン、譲れない意地というものを理解したソーラクとマスター。そんな中にあってシリスだけは納得いかないといった表情だ。

「シリス。コイツは俺を殺す気だろうけど…俺は殺す気はない。しかし負ける気も無い。死にたくないんじゃない。譲れないものがあるから」
「…でも、そんなの――」
「姫様。納得はできないでしょうが…理解してください。あなたにだって、何を犠牲にしても護りたいものはあるでしょう?」
「マスター…」
「次は我々の番です」
「え?」
「ケイロン君と一緒に…戦うのでしょう? 状況を説明しないと」

先刻――ディーとの戦闘中、確かにシリスはケイロンを『共に戦う仲間だ』と認めた。
あれはその場の勢いだったとも言えるが、シリスも気付いてはいたのだ。ケイロンは、一度決めた事は曲げない人間なんだと。
そして、その弟である彼も。
……だからこうして戦う事になるのか、と、少しだけシリスは理解した。






「――事の発端は一ヶ月ほど前になります。こんなものが森の奥深くで見つかりました」

シリスが喋る横で、マスターがビニール袋を掲げる。
中身は金属の小さな板と鎖…うっすらと血が付いている。
変わらずディーの動きを押さえつけたまま、ケイロンはそれに目をやり、言う。

「…犯罪者管理用のタグ、だよな……?」
「…ちょうどコレが発見された頃、国の方から森の入り口に使者がやって来ました。この場所を教えるわけにはいきませんから、私とマスターが出向いたのですが…」
「二人でか? 危険すぎるだろ…」
「森で迷うという意味なら、少なくとも私はこの森で迷う事はないですよ。聞こえる気がするから、森の声…」
「ふーん………」
「…信じてませんね? まあ、自分でも別に自信持って言えるわけじゃないから仕方ないけど…」
「いや…その声とやらに、俺を含めたみんなが命を救われたんだとしたら信じるさ」
「あ………」

そう、『聞こえる』わけじゃなく、『気がする』だけ。ただなんとなく歩くだけで目的地には行けるし、倒れている人を見つけられる。
確信のない、ただの直感。そういう意味で言ったのをすぐに理解してくれるケイロンは、やっぱり……

「森の声ですか…いいですね。我々は、森にもお礼を言わなければならなかったようですね」

ケイロンとルーを見るソーラク。少なくとも聞かされている限り、この三人がシリスに――森に、命を救われたのだから。

「…今度言いに行くか? ルー」
「そうですね…それもいいかもしれません」

返事など期待せず話題を振ったが、意外にも少女は応えてくれた。

「話は逸れたけど…シリス、それで…大丈夫だったのか? 森じゃなくて、出向いた相手は…」
「ええ。一人と聞いていましたから。ただ、私は知らなかったんですけど…結構な大物だったようなんです、その人」
「…というと?」
「――国家としての支配下の君らの正規軍とは違う、皇帝直属の独立強襲部隊『ダイモン』。聞いたことは?」

マスターが割って入る。シリスは世間知らずだからマスターからの説明は正直有難い。

「あるな。顔は誰一人知らないけど…かなりの腕の能力者ばかり集めているとか…」
「そう。その日来たのは、そこのトップだったんだ」

それを聞いて、ここにいる人間のほとんどが眉を動かす。すでに知っているマスターとシリス、そして仇以外は目に入らないディーを除いて。

「ダイモンのヘッド…だって? えーと、名前…なんだったっけな……」
「ノーリ・ユリシーズ。聖剣を持つと言われ、表舞台に出てこない能力者の中では名実共に頂点に君臨する青年…でしたか」

ソーラクが語り、マスターが頷く。ソーラクの軍事情の精通ぶりにケイロンは少々不信感を抱くが、それを言うならマスターも同じであり、むしろ自分が知らないだけなのかと思ってもしまう。

「………そんなお偉いさんが、なんでわざわざ…しかも一人で?」
「それが、これなんです」

先刻持ち出したタグを再び見せる。

「実はこれ、犯罪者の管理タグではなく…被験者の管理タグだそうです。彼は言いました。『手首にタグを巻いた男を捜している。こっちに逃げ込んだという報告があった』と…」
「手首? んなこと言われてもコレがどこに巻かれてたかなんてわからないだろ…」
「いえ…わかるんですよ……」
「? なんでだ?」
「実はそれはね、タグだけ落ちてたわけじゃないんだ。確かに手首に巻かれてたよ。肘までしかなかったけどね」

シリスに気を遣い、マスターが代わりに答える。

「…なる、ほど……ね。それで、それを見せたのか?」
「はい。そしたら彼は『死体でも構わない。彼の肉体を解析する』と…」
「なるほど。それで軍が動いてるのか。回収に来るんだな」

と納得しかけたが…シリスは頷かない。顔を伏せている。
その様子に、ケイロンももう少し思案して、気づく。

「……ん? 戦う理由がないな」
「…はい。だって、この森には…そんな人の死体なんてないんです。私も皆も一生懸命探したんですけど…」
「…そんなの、見えない所に転がってるだけじゃ……」
「……………」
「…と思ったけど、声を聞けるシリスが見つけられないってのもおかしいな」
「そう。だから私達二人は、再び訪れた彼に断りに行ったんだ。『探しましたけど見つかりません。きっと生きて外に出たんじゃないか』ってね」
「…そしたら?」
「『――我々が探す。軍の介入の許可を頂きたい』だそうだ」
「んで、まさかそれをシリスが…断った?」

シリスは俯いたまま微かに首を縦に振る。
まぁ……そりゃ、断ったら強行手段に出るよなぁ、と軍と上層部をよく知るケイロンは思う。

「ケイロン君、姫様を責めないでくれ。森を護る姫として――いや、皆も護りたい姫だから、当然のことなんだ」
「いや、責めはしないけどさ……」

もとよりケイロンにそんなつもりはない。もう少し安全な方法は無かったのかと、判断ではなく手段についてなら……多少問いたくはなるが。

「それより、森を護るって…家系か何かか?」
「そう。この森は不思議な力に満ちていて、姫様以外はマトモに歩けない…君も知っているだろう?」
「『迷いの森』か…確かにみんな迷うもんな」

もっとも、何か先導するモノ、あるいは知識として道を知っていれば別である。
だが逆に、初見では間違いなく迷う。

「実の理由はわからないが、何か不可思議な力によって方向感覚を失うんだと思われているわけだ…それを利用しようとする人も後を絶たない」

要するに、この森は天然の障壁となる。何も知らず入れば命を失う、無限の自然迷宮。
その中で迷わず歩ける一族がシリスの家系であり、故に森を護る責任と義務を持つ、ということ。

「だからって…戦う必要は無いだろ? 火でも放たれれば一発だ。逃げた方が賢いって、絶対」
「それはそうですけど、私は責任から逃れるつもりはありません……母との…約束ですから…」
「…そうか。ま、俺もお供するぜ、姫」

シリスの覚悟も、その理由も追求せず、軽く同意するケイロン。もとより戦うつもりで来たのだ、今更何を聞いても動じはしないだろうが。

しかし、そこで忌々しそうに言い捨てる男が一人。

「…チッ。つくづくバカな野郎だ……」
「…うるせーな、俺が決めたんだからいいだろ」

そして更に否定の追い討ちが思わぬ方向から来る。

「違います。この場合は…逃げてよかった。弟さんの言う通り、戦うのは愚かな選択です」
「やはり…貴方もそう思われますか。私もその場に居れば止めたのですが」

部外者――ケイロンを除く森の外の人間、ルーとソーラクも言う。
そして…マスターも感づく。

「まさか……そういうことか」
「…?」

察していないケイロンとシリス。そして…普段なら説明に出てきそうなマスターとソーラクも神妙な顔で黙りこくっている。ディーに語りを求めるわけにもいかず、仕方なくルーが語り始める。

「…始めから、この森に迷い込んだのは『腕だけ』だった、という事です」
「おい…じゃあ、シリス達は……」
「見つかるはずのないものを探させ、責任を追及し、強引に自分達による捜索という名目まで持っていく…あとは隙を見て何でも出来る、ということでしょうね」

全員が沈黙する。単純な手口だが、軍という強大な力を持つ者が実行すれば…何の障害もなく、表面上は住人の同意も得られる。
シリスに断られたのは予定外だっただろうが、やる事は変わらないという事だ。

「しかし…皇帝直属とまで言われるダイモンが、こんな汚い手口を使うとは…私には信じられません」

ケイロンの過去話を聞いた後ではやや言いにくい台詞ではあるが、それでも一般的な意見を口にするソーラク。
その気持ちもわかる、と言わんばかりに冷静にルーは反論する。

「確かに人の行けない場所や人目につきにくい場所に隠れている可能性は否定出来ません。――生死はわかりませんが」
「でも、そうだとしても約一ヶ月、シリスが何も耳にしないのはおかしい…ということか?」
「はい。森が意図的に姫様に伝えまいとしている場合のみ、話は変わってきますが…」

それは考えにくい話だ。森に意思が無いならばもとより、意思が在るとしても代々森を護り、森に護られてきた関係だ。
たかだか男一人の姿をひた隠しにしていたずらにトラブルを呼び込む理由がない。

「……要するに、敵はそんな手段を使ってまで森が欲しいんだから、焼かれる心配なんてないと?」
「そうなります。…まあ、もう遅いようですが」
「いや、遅いことなんてないだろ? なあシリス、戦わずに済むならそれが一番――」
「――だからもう遅ぇってんだよ、ボケが」
「なんだと……」

再びディーが口を挟む。ケイロンが睨みつけ、シリスが戸惑い、ルーが溜息。

「…これも弟さんの言う通りです。一ヶ月何もせずに椅子に座っているだけの軍など有り得ませんよ」
「…既に、俺達を逃がさないような策が出来ていると?」
「ええ。例えば…スパイを送り込む、とか――」
「――まさか、ディー…お前が…?」

全員の視線が集中する。当のディーは沈黙を守ったままだが、口を開いて否定したのは例を出したルーだった。

「例えば、の話です。単に誰も逃がさないだけなら森を包囲すればいいだけですし」

一月もあれば森の包囲くらい出来るだろう。誰の目にも明らかだ。

「つまりそれは、それが一番有り得る可能性って事か…」
「はい。あるいは、もっと確実に森を手に入れる策が――いや、森だけとは限りませんね」
「どういうことだ?」
「森をより有効に利用するためには…不可欠です」
「一体、何が不可欠だって―――」

否、聞くまでも無い事。この森を我が物とするならば、自分達は森を自由に使える必要がある。
迷いの森で迷うことなく、更に言うならば侵入者も探知できるような――そんな風に。

「へっ…戦うしかねーよな、こりゃ……」



一段落したところで、シリスがソーラクとルーに向き直る。

「今更ですが…お二人はこの森とは関係ありません。逃げられるかどうかはわかりませんが…森の外まで案内します」

ケイロンの時と同じ、部外者を巻き込みたくないというシリスの考え。ケイロンに許可してしまった以上、これ以上は巻き込みたくはないようだが…

「お断りします」
「…同じく。お断りします」

やはりと言うか、何と言うか……

「――でしたら、せめて安全な場所に案内しますからっ!」
「そのお気持ちだけで充分です、姫。私にも恩返しをさせて頂きたい」
「しかし…っ」

部外者を自分の為に戦わせる事に罪の意識を感じる。それは当然の事。
しかし、そう割り切って命を預かれるほど、シリスは強くはないのだろう。

「…姫様、その安全な場所は私が聞いておきます。私達二人は危なくなったらそこに逃げると言う事でどうでしょう?」
「ルーちゃん……」
「恩返しはしたいですけど、死にたくもないですから。薄情者でごめんなさい」

そう言って微笑む。妥協案としか取れないといえばそれまでで、しかもそれをこの二人が実行するかは…正直、かなり疑わしいが。
それでも、これで幾分かは気が楽になるだろう。

「……うん。それじゃあ後で案内するね、ルーちゃん」
「いいや、今行って来るといいさ、シリス。もう話は終わりだろ?」
「え…でも……」
「いいですよ姫様。後はお任せを」

マスターとケイロンが頷く。確かに説明する事は…

(…ない。もう無い。大丈夫……)
「姫様?」
「はい。それじゃあ後はお任せします。行こ? ルーちゃん」
「……はい」

頷き、二人は皆の元を後にする。
正面口ではなく裏口から出て行く背中を見送る三人は、それぞれ三者三様の表情をしていて。


――いつの間にか、降り注いでいた雨は止んでいた。



[26011] 二章 ナヤミのタネ
Name: 副団長そのいち◆5f934587 ID:d071f723
Date: 2011/02/18 10:19



――シリスとルーが出て行ったあとの店内。そこには今までに増して重苦しい空気が渦巻いていた。

「――さて…ケイロン君、君の弟の処分だが。どうしたい?」
「どう、って……」

血縁の者とはいえ、店を破壊し、暴れまわった。自分に対して敵意しか持たぬ者はやはり敵なのだ、お咎め無しというわけにはいかない。
それどころかマスターとソーラク、二人の視線は暗に『殺すか否か』と問いかけている。そして二人がどちらを望んでいるかなど言うまでもない。

「貴方が殺せないというのなら私がやりますよ。丁度いい具合にスパイ疑惑もかかっている事ですし」
「……やってみろよ」

睨み合うソーラクとディー。こうして動きを封じられているにもかかわらず抵抗の意思を持った瞳が、ソーラクにはなおさら危険に見えた。
そんな考えは知らず、ケイロンは割って入る。

「ソーラク、待ってくれ……やっぱり命だけは、どうにか助けてくれないか?」
「……この男は我々と、そして彼女にとって害しか及ぼさないのですよ?」
「わかってる。わかってるけど……それでも――」
「――ケッ、相変わらずお情けをかけるのが上手いな、英雄サマよォ」

命だけは助かるかもしれない、そんな状況においてなお、忌々しげに、憎憎しげに言い放つ。
だが、それでもケイロンは非情にはなりきれなかった。

「…俺の家族はもうお前しかいないんだ…死なせたくないんだよ」
「テメェ…どの口がホザいてんだ!? 俺だけにしたのは誰だよ!?」
「それは………」

そう、問われるまでも無い、彼自身。
他の家族を死なせておいて『お前だけは死なせたくない』とのうのうと偽善を垂れ流す…仇のそんな態度に腹が立たない人間がどこにいようか。

「テメェは何も知らねえよなァ!? 皆の苦しみも痛みも、俺らがどんだけお前を憎んでるかも!」
「ディー…」
「何もわからず穴だらけにされたお袋が何を考えていたかわかるか? 血まみれの手で俺と妹の背を押した親父の表情がわかるか? そのままの表情で首がずれていく親父を見た俺達の気持ちがわかるか!?」
「…………」
「真っ先に頼った爺さん婆さんは首から上を無くして眠っていた! 幼かった妹はこれだけの家族の死を見て血を吐き倒れた! テメェに妹の血の色がわかるのか!?」
「…俺は……」
「みんなテメェを憎んで呪って死んでいったんだ…俺一人の感情じゃねェんだよ…!」

……感情の奔流に、誰一人、言葉を挟む事はできなかった。



「――とりあえず君らがどうあっても相容れないということは良くわかった。ソーラク君、彼を拘束するんだ」

どこからか多数のベルトやバンドを取り出し、ソーラクに渡すマスター。

「ディー君。君を地下の酒蔵に監禁する。死なせはしないが戦いが終わるまで出すつもりもないよ」

無言で睨みつけるディー。だがマスターは動じず続ける。ソーラクが彼を縛るのを確認しながら。

「彼が森を出たら開放しよう。好きに追っていけばいい。君ら二人と我々にとって最善の案だと思うがね」

ここで死ぬよりマシだろう? と付け加える。
ディーとしてもここで殺せないのは惜しいが、永遠に殺せなくなるよりは流石にどちらが得かはわかる。
渋々といった感じで、彼は視線を落とした。

「…好きにしやがれ」
「よし。ソーラク君。先に行っててくれ」

二つ返事で了承し、ディーを連行するソーラク。一方のマスターは一旦カウンターの奥に戻り、何かを持って出てくる。

「…どうぞ、ケイロン君。お母さんのミルクだ」
「ッ!? マスター!!」
「……いいから涙を拭きなさい。もうすぐ姫様も帰ってくる…君が護るんだろう?」

泣いてなんかいない、と言おうとしたが…言葉にはならなかった。

「君の覚悟がどれほどか僕達は知らない。反面、姫様の覚悟は恐ろしく固い。けれどその地盤は非常に脆い」
「…シリスは…たぶん、俺より強いですよ」
「どうだろう? 内面の強さなんて外からは一部しか見えないからね」

ミルクを一口すすり、思わずケイロンはマスターに問う。

「マスター……俺は…本当に取り返しの付かない事をしたんですね」
「……まあ、確かに人の命は一つだ。取り返しなんて付くはずもないさ」

だけど、と続ける。その声は、瞳は、どこまでも優しく。

「本当に取り返しの付かない事がはたしてあるのか…あるいは逆に人生には取り返しなんて何一つ付かないのかもしれない」
「…どっちですか」
「さあ? 死ぬまで戦ってみればわかるかもしれないけどね。どうせ人間は皆、事が過ぎた後に気付く生き物さ」
「死ぬまで、って…」
「人生の答えは死ぬ時にしか出ない。そういうことさ」

それじゃ、とソーラクの後を追うマスター。一人残されたケイロンはミルクを一気に飲み干す。

「…やれやれ。バカは考えるだけ無駄ってか……」







「――それで、あとはこの枯れた樹を目印にしてまっすぐ行けば見えてくるから」

同時刻。道なき道を歩く二人の少女の前に目的の洞窟が見えてくる。
周囲は樹で深く翳っていて、入り口も言われないと気付かないくらいのものだった。見つけにくさという観点からは確かに安全だ。

「ホラ。わかった? ルーちゃん」
「…はい。大丈夫です、姫様」
「ちょっと入ってみよっか?」

せっかくだし、と洞窟に足を踏み入れる。しかし入ってすぐ、ルーは違和感を感じる。

「…ここ、誰か手を加えたんですか?」
「…え…っ?」
「……あの、そんなに驚かなくても…」

驚愕、というよりは困惑を含んだ驚きだったが、そこには気付かないふりをする。

「あ、うん…ごめんね。ところで、どうして?」
「…入り口の見つけ辛さに反して、歩きやすいな、と思っただけです」
「…そっか。鋭いね、ルーちゃんは」

呼吸を落ち着け、言葉を選んでシリスは語る。
言葉を選ぶ理由は勿論、外の人間に全てを伝えるわけにはいかないからだ。

「ここはね、悪い事をした人を閉じ込める場所なの。ここのどこかに隠し通路があって、その奥に牢屋があるってウワサ」
「……あの、そんな怖い場所に隠れろと?」
「あ、やだなールーちゃん、隠し通路の奥は怖いかもしれないけどそれ見つけなければ大丈夫だから」
「………」

あっはっは、と軽く笑い飛ばそうと頑張るシリスに、ルーの視線は突き刺さり続ける。
実のところ、ルーは言うほど恐れてはいなかった。ただ、何の迷いもなくそんな場所を紹介する精神を少し疑っただけで。
仮にも女の子が女の子に紹介する避難場所がそんなのでいいのか、と。そんな思いを込めた視線を送り続けていると、

「…だって、私でさえ隠し通路の場所知らないんだし、森の人も一部しかここを知らないんだから安全性で言えば一番だと思ったんだもん…」

だんだん目に見えて覇気が無くなってくる。ルーにもさすがに可哀想に見えてきたらしく助け舟を出す。

「まぁ…牢屋ってくらいですからこちらから開けないと開かないんですよね? だったら大丈夫ですよ。きっと」
「うん…中からは何があっても開かないようになってるから。それは大丈夫……」

しかし、シリスの覇気は戻らない。さすがに申し訳なく思うルーが慰めの言葉を捜していると、

「私も…いつかはここに入るのかな」

ほとんど無意識に、といった感じでシリスは呟いた。

「何で…ですか?」
「え? あ、それは…その、こんな戦いにいろんな人を巻き込んでるし…」
「でも、これはこの森を護るための戦いなんですよ? なのに森の牢屋に入る必要はないでしょう」
「うん…そう、かな?」

うわの空の返事。もう、ルーにも理由はわかっている。

――先程の言葉は嘘だから。
もっと他に悩んでいる理由があるから。

そして、その理由まではルーにはわからない。何も教えてもらえていないのだから当然だ。
しかし悩む理由がどうあれ、ルーにも一つだけ言えることがある。

「姫様」
「ん…何?」
「姫様は…自分を強いと思っていますか?」
「え? そんなの…思うわけないじゃない」

当然だ。女であるが故に肉体は非力で、それ以外の面でも何も知らず、ただ姫と祭り上げられてきただけの自分が強いはずがない。むしろ弱いだろう。

「でしたら、一人で戦わない事です。弱いならなおさら仲間に助けを求めないといけませんよ?」

一瞬、ドキッとする。
この子――ルーちゃんは、自分の悩みを…心の中を見透かしているような言動を取る。
もしかしたら本当に何もかも知っているのかもしれない。年齢の割に大人びているこの子を見ているとそう思えてくる。

「私の最近の強敵はこの森でしたね。負けそうだったところを姫様が助けてくれました」
「それは…声が聞こえたからで…」
「……私だって、声が聞こえたら助けに行きますよ」

じっとシリスの瞳を見つめるルー。身長の差がある筈なのに、シリスの方が母親の瞳に呑まれる様な、包まれるような…そんな感じを受けていた。

「『助けて』って…ただその一言だけでいいんです。それだけで…私も、ケイロンさんも、森の皆も一緒に戦えるんですから」
「ルーちゃん………」
「……いつでもいいですよ。できれば戦いが始まる前に、力になりたいですけど」

その『戦い』がダイモンとの戦争を意味するものなのか、それともシリス個人の心の中の戦いを意味するのか。それはわからなかった。
それでも、シリスは礼を言う。助けられた事には違いないから。

「ありがとう、ルーちゃん。今日だけで二回も助けられちゃったね」
「最初に助けられたのは私です…あの時はありがとうございます、姫様」

これでおあいこ、と二人の視線は語っている。だが、シリスの方には別件でまだ言いたい事があった。

「あと、ね…その『姫様』って言うの、止めて欲しいんだけど。さっき助けてくれた時、名前で呼んでくれたじゃない」
「あれは…! あの時は必死で、つい…」
「ううん、実は私、姫様って呼ばれるの、あまり好きじゃないんだ…あの時だって名前で呼ばれなかったら聞いてなかったかも」
「それは…困りますね」
「でしょ?」

そう言い、笑い合う二人。

初めて会った頃、シリスはルーのことをどこか近づきがたいと感じていた。
きっとシリスだけじゃないだろう。年不相応な落ち着いた眼つきと態度。誰もが異質な感じを抱くに違いない。
しかし、今のシリスにとっては違う。彼女は自分を助けてくれて、自分は彼女と笑い合って、そしていずれは共に戦う……友であり、仲間だ。

「じゃあ、失礼ながら…シリスさん…で、いいですか?」
「…もう、一言多いよ? わかりきったこと聞いちゃ駄目」
「…むー」
「はい、もう一回」
「じゃあ…帰りましょうか、シリスさん」
「うん、そうしよっか」

二人は笑顔で洞窟を後にする。
が、最後に…一瞬だけ、シリスは洞窟を振り返る。

(お母さん………)

それは一瞬。本当に一瞬だけ。
ルーが行動を疑問には思っても、問う暇はないほどの一瞬。

「じゃあ、行こう!」
「…はい!」













――ソーラクとマスターはディーの軟禁を終え、シリスはルーの案内を終え、ケイロンはミルクを飲み干して。
その後、森の皆を集めて事情説明。改めて交戦の意思を明らかにし、個人で出来る備えをしておくようにと指示を出す。
その間、説明中のマスターとシリスを除く三人でディーが破壊した店内を片付け、補修する。

――そうして夕刻、人が座れる程度には片付けられた集い場に、五人は再び集まっていた。

「――残り一週間、だ」
「マジで? そんだけ?」
「はい。マジです。もう今日は遅いですから一週間切りましたが」

マスターとシリスの話では敵――ダイモンからの降伏勧告の返答期限まで一週間。
その内の一日、要するに今日はディーの襲撃により、修復作業等に一日の残りを費やしてしまったため、残りは六日。

「もっとも、彼らが約束を守るという前提でだけどね」
「こんな姑息な手を使って森を奪いに来る奴らだ…律儀さは期待できないよな」

森さえ手に入ればいいのだ、期限を律儀に守ってやる理由はあちらにはない。たとえ森とシリスの両方が目的だとしても、こちらが体勢を整えるのを待ってやる理由など何一つとして存在しない。
要するに、皆が疲弊している今夜にでも攻め来る可能性はあるわけだ。安心して眠れる日があと何日続くかさえわからない。

「のんびりは出来ない。戦う者は皆、それぞれの方法で戦いに備えてもらうよ」
「…えーと、マスター。具体的には?」

さすがにこういう事をシリスに問うのははばかられるし、マスターが半ば仕切っているのだからマスターに問うのが筋というものだろう。

「ふーむ…そうだね。とりあえずこの森には戦える人はそう多くはないはずだ。ケイロン君には彼らの鍛錬をして欲しい」
「俺が教官かぁ……加減はしないぜ?」
「無論さ。全力で鍛えた所で所詮は付け焼き刃、一太刀浴びせれるかさえわからない。でもせめて自分の身くらいは護れるくらい強くなってもらわないと」

そもそも鍛える時間がどれだけ取れるかさえわからないのだ。加減などしている暇は文字通り存在しない。

「そうだな…じゃ、明日から始めるぜ」
「頼んだよ。姫様に頼んで集めておくから」
「わ、私ですか?」

唐突に話題を振られ、シリスが戸惑う。だが勿論、それにもマスターなりの意図がある。

「誰よりも皆を見ている姫様が一番適任です。姫様には、個人の意思を何より尊重した上で戦える人、戦わせるわけにはいかない人、戦えそうだけど力のない人と分けていただきます」
「は、はぁ。あの、戦えそうだけど力のない人っていうのは?」
「まぁ、姫様から見て戦う意思はあるけどどこか不安な人をとりあえず私の所に集めてください。私の方で役割分担をしますので」

つまりそれは完全にシリスの独断と偏見。シリスは気落ちする。
勿論、自分の独断で振り分けるということの責任の重さに、ではなく。

「なんか皆を評価するみたいで気が重いですね…」
「そう言わずに。力がないのに戦場に出ても死ぬだけです…それも心苦しいでしょう?」
「……そうですね。しっかりやります」
「お願いします」

死、という言葉を突きつけられ、今度こそシリスは責任の重みを自覚する。
だからといって再び気落ちすることがないのは、やはり彼女の強さと優しさだ。

「そしてソーラク君。あなたにも役割分担を手伝ってもらいたい」
「仰せのままに」
「あぁ、あとルー。君も当分は姫様と一緒に行動して欲しい。『また』姫様を護ってあげてくれ」
「はい、お任せください」

この二人には余計な言葉は不要だ。どちらも冷静で頼りになることは先程の一件で証明されている。
とはいえ、ルーに振り分けられた仕事は護衛。ただ人を振り分けるだけの仕事に護衛が必要なのかと問われると否であり、それは護衛される側からしても子供に見られたようで甚だ不本意なものであったようで。

「もう、マスター! ルーちゃんも、今度はさすがに何も起こらないって!」
「ははは、まぁ確かにそうかもしれないけどなあ」

笑いながらもケイロンは気づいていた。マスターの意図に。
それは凄く単純な意図。単にシリスを一人にしたくなかった。「一人で背負い込み過ぎないように」と言いたかっただけのこと。

「ははっ。それじゃあ今日は以上。明日は姫様とルーには早めに行動してもらうけど、ケイロン君は分担が終わるまでする事ないからゆっくり寝てていいよ」
「そうか…それじゃあお言葉に甘えてちょっと夜更かしさせてもらうかな……」
「姫様はどうなさいますか? ご自宅と此処を往復するのも面倒では?」

この貸家兼集い場は森の生活圏の中央あたりに位置するのに対し、シリスの家は森の奥まったところにある。
面倒というほど離れているわけでもないが、移動している時間さえ惜しい事態でもある。
そして何より、ケイロンもマスターも、ソーラクもいるこの建物に一緒にいてくれたほうが何かと安全である。
森の姫と言われているとはいえ、家には召使いなどは存在しない。この森にそんな人手はない。ルーを保護するまで、彼女はずっと家に一人だったのだ。
周囲の状況と自分の状況、そして立場。考えるまでもなく、答えは決まっていた。

「そうね…今日から泊めてもらってもいい?」
「ええ。こんな所でよければ」



そしてマスターの合図で解散となり、皆は各々に振り当てられた部屋に戻る。当然、明日に備えて早く休むためだ。
だがそんな中、ケイロンはシリスを探し、呼び止めた。

「シリス、ちょっといいか?」
「はい…どうしたんですか?」
「…姫には似合わないかもしれないけど、戦う事になるんだ。これくらい持っといた方がいい」

そう言い、一丁の銃を渡す。

「これは…あの人の」
「ああ。あんな奴ので悪いけど…いざという時の為に、な」

銃を手に取るシリス。鉄の重さが手に響く。

(これが…命を奪う武器の重さ……)

「これでも小さい方を選んだんだぜ? 女の子にはゴツい銃は似合わないしな」
「そういえば…もう一丁は?」
「……本来、アイツの持ち物だ。アイツが出てきたらすぐわかるように、後でわかりやすいトコに置いとくさ」
「……全てが終わったら、返しますね」
「ああ…そうしてやってくれ。じゃあまた明日」

明日が早いシリスをあまり引き止めても悪い。話もほどほどにケイロンは部屋へ戻った。





――その後、皆がもう寝静まったであろう時刻に一人、部屋の扉を開く者がいた。

(……なんか悪い事してるみたいだな…アイツに会いに行くだけなのに)

静かに、音を立てないように階段を下りる。
音を立てぬよう慎重に、かつ気配を殺して移動する。そうして一階まで辿り着いた時、何かが視界に入った。

(…? 誰かまだいるのか?)

一階の奥――カウンターのまた奥から、光が漏れている…ように見える。
それを覗き込もうとして、背後の気配に気付き、咄嗟に振り向く。

「!?」
「どうしたんだい…ケイロン君」
「…マスターか…ビビった…。何してるんですか?」
「それはこっちの台詞さ…僕は見ての通りだけど」

マスターの手には食材が山のように積まれている。
ケイロンには食材の名前などはわからなかったが、要は明日の仕込みの準備でもしているのだろう。

「俺は…アイツと少し話がしたくて。そろそろケリを着ける時かも、とは思ってたし」
「彼と、か…あるいは過去と、か。どちらにしろ、今は姫様の方を優先してほしいんだけどね」
「わかってるさ。だから言いに行くんだ。もう逃げも隠れもしないから、大人しく待ってろって」
「吹っ切れたのかい?」
「いや、全然さ。でもこうでもしてカッコつけとかないと明日から皆に示しが付かない」
「そうか。まあ…好きにやってくるといいさ」

全然、と言ったが…ケイロンの表情は明るい。マスターも、それを見たからこそ好きにやれと言ったのだ。

「じゃあ、行って言ってくる」
「ああ。勿論、鍵は開けないようにね」
「わかってるって」




そして、地下の酒蔵の前まで辿り着く。大きく一つ深呼吸をし、声をかける。

「…ディー」

だが、返事はない。しかしケイロンにはわかっている。こいつはこういう奴だ。

「ディー。聞こえてるんだろ?」
「…………うるせぇな」

一回で返事をしてくれればどれほど楽か。素直じゃないな、と思いつつ、口には出さず本題に入る。

「…ディー。ゴメンな。お前やみんなを苦しめた事については言い訳できない」
「うるせェよ。何が言いてェんだ?」
「言い訳は出来ない。けど、今は俺も護りたいものがあるから…譲れもしない」
「…またそれかよ」

初っ端からディーは理解を示そうとはしないが、ケイロンは挫けない。
そもそも理解してもらうために来たのではなく、自分の覚悟をぶつける為に来たのだから。

「でも全て終わったらお前とも決着をつける。つけてやる」
「……………」
「俺はもう逃げない。あいつを護りきれればそれで本望だ…たとえお前に殺されたとしても、な」

死を受け入れる覚悟か、あるいは罪を死で償う覚悟か――否、あるいはどちらでもなく――

「…俺が死ぬことで長年苦しめてきたお前が楽になれるなら、みんなも解放されるなら…俺は――」

――単なる、弟に対する優しさか。

「――俺は、この命を差し出そう」



「……覚悟を決めたって事かよ」
「そういうこった」
「チッ…うぜぇ。長々とガキの作文聞かせやがって。耳が腐るぜ」
「…酷い言い草だな。殺されてやるってんだから喜べよ」

もっとも、喜ばれたところで扉の向こうの表情は見えない。
故に、感情を感じさせるのは言葉しかないのだが、やはりディーの言葉に喜びの色など見えず。

「わかんねぇのか? そんなお前を殺した所で、お前の苦しみなんてカス程度だ」
「死ぬ時は痛えと思うけどな」
「…今のお前を殺す位なら、俺はあの女を殺してやるぜ?」
「なんだと…?」

さすがのケイロンも気楽に語り合ってる雰囲気ではないと察する。

「俺が欲しいのはテメェの命じゃねぇ。テメェの苦しみ、痛み、悲しみ、憎しみだ」
「…本気で言ってるのか」

ケイロンが先に言葉に感情を乗せた。動揺という感情を。
それを受け、今度こそディーの言葉に僅かながら愉悦が混じる。

「あぁ本気だ。テメェがアイツらに刻んだモンをお前も味わえ……!」
「その為なら…あいつも殺すと言うのか…」
「文句あんのかよ? 別にいいだろ? 今更自分のワガママで周囲の人間が何人死んでもよォ…!」
「そこまで道を踏み外したワケじゃねぇはずだろ、お前は…!」
「テメェこそ…綺麗事だけで固めたその道に、何人の死体を置き去りにすれば気が済むんだよ!?」

ケイロンはただ、護るために正しくあろうとしただけだった。迷いこそすれど、その想いは戦う決意をした時から変わっていない。
だが、理由、決意、覚悟がどうあろうと、戦うだけで屍を積み重ねている事実は変わらない。どうあろうと所詮は人殺しだと、ディーはそう言うのだ。
――やはり変わらぬ、平行線の会話。ケイロンもうすうす感づいていた。もうコイツは、昔のかわいい弟ではないのだと。
ただ憎しみだけに身を任せた…復讐鬼なのだと。

「――わかった。そこまで堕ちたお前に黙って殺されてはやれないな。抵抗してやるよ、最後まで」
「上等だ、偽善者らしく最期まで無駄な説教垂れながら無様に死んでいけ」
「…その代わり…シリスには手を出すなよ」
「テメェがここにいるうちは手を出さねぇよ…逃げたらどうなっても知らねーぜ?」
「…ああ。心配すんな。ケリはつけるぜ」

それだけ言い、背を向ける。完全に道は分かたれた。もう話す事はない。
やはり、お互いが譲れぬモノを抱えている以上、こうなるのは至極当然だったのだ。
だが、ケイロンが背負うモノは甘さ。
その甘さは、たとえ意見を違えようとも、殺意を向けられようとも、脅されようとも、弟というものの命までは奪えないことを示しているし、ケイロンも自覚していた。
自覚していたから、あえて宣言した。

「…ケリはつける。でも俺はお前を殺しはしない。何度でも叩きのめす。今まで通りのやり方で生きていく…!」
「ならその腕から引き千切ってやるよ…覚悟しとけ、甘チャン」




完全に弟と決別した。その事実と悔しさ、悲しさを噛みしめながら部屋に戻るケイロンは気付かなかった。

『――第一段階は成功です。引き続き、任務を続行します――』

――暗闇に紛れ、皆を騙している者が居る事に。










「――やれやれ。我ながら繊細な神経持ってるなぁ」

起きるのは遅くていいと言われたにも関わらず、昨日と同じ時間に目が覚めた自分を皮肉る。
それとも毎日同じ時間に起きる体質だったのだろうか、自分は――などと考えつつ、扉を開けて階段を下りる。

今日はもう、雨の音はしない。


「――お早う、マスター」
「本当に早いね、ケイロン君。何にする? お代はいらないよ」
「それじゃあ…なんか目が覚めるやつで。お代は皆の為に働いて返すよ」
「ははっ。じゃあ妥当な所でコーヒーでいってみようか」

今回は裏に戻らず、ケイロンの目の前で淹れ始める。暇なのか、話がしたいのか…
後者だとアテをつけ、とりあえず話を振ってみる。

「シリス達は、もう?」
「だいぶ前からがんばってるよ。ルーもよく働いてるねぇ」
「あの二人、仲いいよなぁ。妬けるぜ」

意外とマスターも「その気持ちはわかるよ」と返す。ケイロンももちろん冗談だったのだがこの人のことだ、お互い様だろう。

「でも姫様は、やはり悩んではいると思う」
「…ルーを戦わせる事に?」

マスターは頷き、この戦いにおける『矛盾』を語る。

「仲がいい。だから死んで欲しくない。ならば絶対的な安全、保身の為に勝つしかない」
「…ならば戦力は少しでも多くないといけない…」

生きる為に、死地へ送り込む。虎穴にいらずんば虎児を得ず、とは言うが…

「そもそも勝てる見込みの低い戦いなのに、それに皆を巻き込む。姫様が心苦しくないわけがない」
「でも、そこは割り切らないといけない。戦争っていうのはそういうものだ。絶対に誰かは死ぬんだ」

半ば自分に言い聞かせるように言う。
当然のようにその言葉が出てくる自分は、やはり戦争に慣れているのか。人の死に慣れているのか。
それとも、言い聞かせようとしているだけマシなのか。慣れてこそいれど、受け入れてはいない証なのか。

「相手にも信念があって、相手にも愛する人がいて、相手にも夢があって…それでも、考えを違えたら殺し合うことになるんだ」

語りながらケイロンは思いを馳せる。
――軍に入ってから、一体どれだけの人の命を奪っただろう?
昔はずっと、自分の信じる平和の為に戦ってきた。しかし軍に入ってからは、誰の信じる平和の為に戦ったのだろう?
薄々は気付いていたんだ。国は軍を、俺達を使って、厄介な反国家団体を処理したかっただけだと。
国の都合のいい平和の為に、他人の命を奪っていたんだと。

「…君が言うと言葉が重いね」

コーヒーと、いつものミルクもセットで差し出してくれる。礼を言い、コーヒーから手を伸ばす。

「優しいシリスは、きっと俺よりもっと悩むんじゃないかな――おおぅ、ブラックだ」
「甘くするかい?」
「いや、これでいいよ。気合が入る」
「僕は甘くするかな。今日は頭を使う一日になりそうだし」

と、いつの間に淹れていたのか自分の分のコーヒーを持ち、カウンターから出てケイロンの隣に座る。

「――昨夜は、どうなったんだい?」
「…フラれた。全て終わったら、一回ブン殴ってやる」
「バイオレンスな兄弟だね」
「これも一種の兄弟愛…なんてね」

少なくとも昨日のように落ち込んでいる様子はケイロンに無い。それだけで、マスターを安心させるには充分だった。
と、そこで丁度よく入り口の扉が開く。

「ただいま戻りました――あれ、ケイロンさん?」
「おう、お疲れ様」
「お疲れ様です姫様。どうでした?」
「言われた通りにできました、森の全員。…あ、ソーラクさん」

これまた丁度、ソーラクが一階の自分の部屋から出てきた所だ。

「おや…もしかして多少、遅刻でしたか?」
「いやいや、グッドタイミングさ。じゃあ始めようか」

そうして、戦うための――生き残るための作戦会議が始まる。



――まずは、シリスが集めてきた人材…というか森の皆をそれぞれ分ける。

「姫様に言われたとおり、戦えない、戦いたくない人は姫様の所へ。問題なく戦える人はケイロン君の所に!」

マスターが声を張り上げ、指示をする。意外と様になっていてケイロンだけでなく皆が驚く。

「そして戦う意思はあるという人は僕とソーラク君の前に!」

予想通りというか何と言うか、このグループに分類される人が一番多かった。シリスの所に男はいないし、ここのグループに女までいる。
当人達以外は知らないが、本来はもっと多かった。しかし子供や主婦はシリスが拒否したのだ。

「さて、ソーラク君。彼らを分けよう」
「よろしいですが…幾ほどの組に、どのように?」
「まず、これは無いだろうけど姫様の所に戻らせる人」

少しでも戦力は欲しい。故にこの選択肢は使わない方が良い。
もっとも、万一この組に分けられた者もそれはそれで屈辱だろう。

「次、ケイロン君の所でスパルタを受ける人。これが一番多いのがいいね」
「ふむ…確かに」
「あと、僕と一緒に頭脳労働をする人も少し欲しい。といってもこの戦いには参謀なんていてもいなくても大差ないけど」
「…戦闘が始まれば指示を出していただきたい。冷静な判断と観察眼が必要です。貴方以外に適任はいませんし、そんな貴方が言うなら少しはそちらに割り振りますよ」

ソーラクのその言葉に皆が頷く。
森の皆はもとより、外の人間のソーラクにもマスターが軍師として認められた形になる。

「信頼されちゃったねぇ…それじゃあ脚の速い人には僕らとの連絡係を。教育も僕と君とでやろう」
「了解しました。後は?」
「後は…このどれにも当てはまらない、力も弱く、頭も並、脚も速くない人」
「…少々、酷い言い様ですが」

早い話、凡人以下である。意思だけはある、無能な働き者といったところか。一番厄介なタイプだが。

「まあ、そういう人達には出来れば飛び道具を持たせたいわけだ。ルーのところに割り振ろう」
「彼女に…ですか? しかし…」

どうやらソーラクはルーのことをいまいち信用していないようだ。彼らしくもなく表情にまで出している。
マスターもそれは知っているようで、諭すように言う。

「…あくまで主観だけど、彼女は使えるよ。きっとね」

ともあれこれで、一応全員を分ける事が出来るはずだ。

「じゃあ分けたいけど、その前に姫様達――それぞれのグループのリーダーに話しておきたいから、そっちから集めよう」

そうして、ケイロンには訓練メニューを考えておけと、非戦闘員を率いるシリスとまだ特にする事の無いルーにはバリケード、トラップの類の案を出しておけとマスターは指示を出す。
分けた後はケイロンはそのメニューに従い訓練を開始、シリスは案に従い、マスターと話し合いながらバリケード、トラップの作成、設置。
ルーは武器として使えそうなものを探し出し、見つからなければ作り、しかる後に訓練。ソーラクは頭脳労働組の教育、と伝える。

見事な手際の良さで各員に指示を出し、そして組分けの作業に入った。

「マスターは意外と指揮官タイプだな…」
「案外、やる気が感じられますよね」

シリスは単に、普段見せないマスターの一面に素直に感心しただけだったのだが。
ケイロンも感心していないと言えば嘘になるが、それでもマスターがやる気を出している理由くらいはわかる。

「それは…その、な。すべては君に負担をかけたくないからだ、シリス」
「あ………」
「いい人だよな。俺達も出来る事を全力でやろうぜ」
「そう、ですね…これ以上、マスターにばかり負担をかけたくもありませんし」
「自分のやるべき事がわかってるってのは、それだけですげーありがたい事なんだ…迷わなくて済む」

もちろん、指示が間違っていない前提である。もっともその面で言えばマスターは間違っていないため、ケイロンに迷いは無い。
国軍に属していた頃と今の違いに、ケイロンはどこか感慨深いものを感じる。

「ケイロンさん……」
「行こうか。やるべき事をやろう」


組分け作業は昼までには終了し、昼からは各々のグループに分かれての作業となった。
作戦参謀のマスターはときおり他のグループの様子を見に来る。そしてその度に質問を受けている。

「マスター」
「なんだい、ケイロン君」
「武器はどれくらいのモンがあるんだ? 俺みたいに素手でも戦える奴なんてごく一部だぜ?」

ケイロンの後ろの皆は腕立て伏せをしている。
今更の基礎体力づくりではなく、あくまで現在の体力の程度の確認だ。
その確認の結果と、現存する武器次第で上手く振り分ける、とケイロンは言う。

「ああ、あとでルーと姫様に聞いてみるよ。ルーは今日一日は武器を探す事に費やすって言ってたし」
「シリスはそういうのに詳しいとは思えないけど」
「一応全員の家を回ってる姫様なんだ。どの家にどんな物があるかは少しは知ってるさ」
「なるほど…じゃあ今日一日は予定通り基本だけやっとくよ」
「ああ、頼んだよ」


――このような調子で質問を受けるが、マスターは全てに的確に答えていく。
そうして予定通りに一日は終了し、解散となった。

「一日見て回ったけど…うまくやれてるみたいだね。このまま時間の許す限りやっていこうと思う。今日はこれまで」



「あー…疲れたなぁ」
「お疲れ様、ケイロン君」
「マスターこそ…っていうか俺の身体もちっとばかりなまってるみたいだ…」

半日程度、皆と一緒にトレーニングをしただけで疲れが来ている。
軍にいたころはもっと厳しかったというのに。

「明日からは皆と一緒に特訓だね」
「そうなるな…あー。もう寝よう…」
「ああ、ゆっくり休むといい」

二階の部屋に戻るケイロンを見送る。すると入れ違いで残りのメンバーが戻ってきた。

「あれ、ケイロンさんは?」
「部屋に戻られましたよ。お話なら急がれた方がよろしいかと」
「わかった。ありがとう、マスター」

ケイロンを追い、走り出すシリス。こちらは案外体力は残っているようだ。

「では、私も休ませていただきますか…皆様、お疲れ様でした」
「ソーラク君もお疲れ。明日も頭を使うだろうからよろしく」
「…そういえばマスター、私も貴方の指示に従う立場なのですし、よろしくではなく命令で構わないのですが」
「そう露骨に態度は変えないよ。じゃあソーラク君。明日もよろしくね」
「ふっ…ええ。マスターも」

拒否されたことが嬉しかったのか、軽く笑顔で部屋に戻るソーラク。
そうして、この場に残されたのは二人。

「で、ルー。君は寝ないのかい?」
「まあ…もう少し」
「そう。じゃあ何か出すよ。お茶がいいかい?」
「はい、お願いします」

手早くお茶を準備し、差し出すマスター。相変わらず微かな笑顔でそれをすするルー。
マスターにとっても微笑ましい時間である。ルーが一息つくまで、話を切り出すのは待った。
ルーがコップを置く音に合わせ、マスターは口を開く。

「…ルー、あまり無茶はしないでくれ。君にもしもの事があったら姫様が悲しむ」
「…なんですか、唐突に…。言われなくても、私だって命は惜しいです」

まだ半分以上中身の残っていたコップを、もう一度傾ける。

「そうか。すまなかった。変な事を言ったね」
「いえ。それにシリスさんなら、誰が死んでも涙を流しますよ」
「そうだね…君はよく姫様を理解しているよ。姫様が君を理解しているかはわからないけど」
「…どういう意味ですか」

コップを置き、笑顔を消す。意地悪な言い方だったか、とマスターは反省する。

「いや、悪い意味で言ったんじゃないんだ。ただ姫様は、ケイロン君に対してもだったけど何も聞かないからね」
「…………」
「過去の話をし合うのが嫌なんだろうね…それでも、絆は信じている。現在の絆を」
「…私もシリスさんの過去は知りません。特に知りたいとは思いませんけど、知ったところで見る目を変えるつもりもありませんから」
「姫様の過去は知らずとも…家系にまつわる逸話なら知っているんじゃないのかい?」
「…………」

唐突な、腹の探り合い。とはいえ、マスターはルーを疑ってるようには見えず、ただ真意を聞きたいだけにも見える。
一方のルーは…決めかねているといった所か。確かにマスターは信用には足る人物だが…

「貴方は…シリスさんの何を知っていると?」
「全てとは言わない。でも父親代わりくらいの立場にはなってると思う」
「代わり、ということは…」
「姫様の父親は、己の責に耐えきれず逃げ出した。向かい合ってもいないのにね」
「その父親は…今どこに?」
「さあ…子供を作ってなければいいけどね」

ルーは確信した。少なくとも、自分が知っている程度の事はこの人は全て知っていると。
そして、この人は自分がそれを知っている事を知っていて話をしている。
つまり本当にただ単に、何をしに来たか知りたいだけなのだ。そうとわかれば拒む必要はない。

「一から話しませんか? お互い、知らない事がきっとあるはずです」
「手を組もう、というわけかい?」
「いいえ。手伝えとは言いませんし、巻き込むつもりもありません。ただ手札は多い方がいい…それだけです」
「手札交換か…よし、乗った」










「――ケイロンさん? まだ起きてます?」
「シリス? ああ、まだなんとか」
「入りますよー」

部屋の扉を開け、おじゃまします、とだけ言って入り込んでくる。

「割と横暴だな…」
「疲れてるんですっ。……でも、聞きたい事があって」
「さっさと済ませたい、と…はいはい。何?」

二人して床に座る。丁寧に正座しているシリスは、部屋に入ってきた時の勢いはそのままに…それでも言葉を選んで、尋ねる。

「ケイロンさんは…軍で何を見たんですか?」
「………は?」

ケイロンには質問の真意が掴めなかった。というかシリスが急ぎすぎである。いくら問いづらい事とはいえ。

「ですから、その……どうして、軍を抜けたんですか?」
「ああ…そういう意味か」

軍で何を見てきて嫌になったのか、ということか、とようやく納得する。
だが納得したらしたで、新たな疑問も浮かんでくる。

「…なんで急に?」
「……私達は、今から戦争をするんですよ? ケイロンさんは戦うのが嫌になって逃げたんじゃないかと…私は思うんですが」
「あぁ…今更俺に気を遣ってくれてるわけか」
「…ごめんなさい。ホントに今更だけど…」

へラっと笑うケイロンと、その言葉を受けて落ち込むシリス。見事に食い違っている。

「いやゴメン、責めてるわけじゃないんだ。俺は俺の意思で戦いに来たんだから気を遣う必要なんて無いって事」
「でも、戦うのが嫌になったのでもなければ軍を辞めたりは…」
「嫌になった、のとはちょっと違う。…わからなくなったんだ…」
「…わからなく?」
「ああ。前々から思ってはいたんだ。上からの命令で敵を倒す…そこに俺の意思なんて無い。上の奴らは正義のためと言うけれど…な」
「正義…ですか」
「ああ。お偉いさんの言う正義ほど信じられないものはないだろ? それでも俺達は平和の為に活動してる…そう信じたかったんだ」

信じたかった。過去形の言葉。言うまでもなく、軍を脱走するくらいには信じられなくなったのだ。

「…いつから、信じられなくなったんですか?」
「そうだな……聞かない方がいいと思うぞ。これから戦うんなら。決意が鈍るかもしれない」
「そうかもしれませんけど…ケイロンさんはそれでも戦うんですよね? それほどの出来事があっても」
「まあ、そうなるな…」
「なら…私も戦えます。それに戦う以上…それに関することは知っておかないと」
「へえ……強いなぁ、シリスは」

シリスは強い。だが、間違いなく甘い人種だ。戦いも知らぬ、箱入り娘だ。
ケイロンもそれは知っている。だが彼は同時に、甘い=弱い、ではないことも充分知っていた。
その証拠に……シリスの笑顔は、優しくも強い。

「なんて、半分くらいただの建前ですよ…私は、ケイロンさんの話だから聞きたいんです」
「よくわかんねーけど…光栄です、姫様。じゃあ――」

そんないつものやり取りの後、ケイロンは語り始める。


「――意外と世界に不思議って転がってるモンでさ。誰もが迷う森もあれば地図にない島だってあるんだ」
「…はぁ」
「一年前、その地図にない島の住人が大陸に攻めてきたんだ。自分達の権利を主張してね」
「それって…」
「ああ。地図にないんじゃない。歴史から抹消された同じ人間さ。戦争に使うだけ使われて、都合が悪くなったからポイされた人達だった」
「酷い……」

酷い話ではある。だが、こういう人間は今の時代には非常に多い。
ただ…この件は一族という大きな規模であったことと、表立って国家に歯向かった初の集団ということで、割と有名な話なのだ。
森に篭るシリスが単に無知なだけで。

「で、国は大陸に攻めてきている奴らの本拠地――その島を襲撃させた。俺達に。他の軍は大陸の本隊を足止めしておいて、俺らが総大将を討つ作戦だった。けど…後で知ったんだ」
「…………」
「敵は俺らが本拠地に攻め来たのを察知したんだろうな…その時大陸には敵の姿が全く無かったんだ」
「…本拠地を守るために戻ったんですか?」

そう思うのが当然だし、戦術としても正しい。

「いや…逃げたんだ。俺達や国軍に顔を知られ、覚えられる前に、総大将の命令で散り散りに逃げた」
「……優しい人だったんですね。その大将さんは」
「ああ。そして本拠地を守っていたのはその大将と側近の女の子二人だけだった……」

ケイロンはきっと忘れないだろう。あれほどまでに自分の心を悩ませた敵というものを。
自分がその立場だったらと思うと…きっと自分も同じような事をするだろうから。

「大将の方はただ、その側近の女の子の願いを叶えてやりたいが為だけに戦った。そんな想いを知っている女の子も、ただ彼の身を護りたい一心で戦った…」
「…………」

シリスにも、ケイロンの心境がわかる気がした。
私利私欲の為に戦う相手なら、多少強引にでも悪と呼べただろう。だが。

「俺と同じくらいの年齢の二人が…俺にもわかるいかにも人間らしい感情から、国家を敵に回して死んでいったんだ…」

その二人の間にあったのは…紛れもない、相手のことを何よりも大切に想う、もっとも尊くて綺麗な感情…そうシリスは思う。

「大将の方を殺したのは他ならぬ俺だ。もう、さ……泣いたよ、その時は。ただ一人の女の子を好きだった。他の全てを捨ててでもその感情を貫いた。それだけだったんだよ、アイツには」

ただ人を好きだという感情だけに生き、そして死んでいった。彼らの人生に何が残ったのだろうか?
答えのわからぬ問い。そして彼らの人生を終わらせたのが、他ならぬ自分だったと言う事実。
……戦争とはそういうものなんだ。敵として出会ったなら、相手が何を背負っていようと殺さなければ終わらない。そんな現実だけが、虚しく残った。

「その作戦の死者は…こっちは結構やられちまったんだけど、敵はその二人だけでさ。お偉いさんはその二人が死んだだけで『反乱は鎮圧した』とか言ってるんだぜ? バカみたいだろ?」
「それは……」
「でも、そんなバカみたいな奴らに従って人殺しをするのが軍なんだと思うと嫌になって…そんな事実にやっと気付いた自分も同じバカだって気付いて…がむしゃらに逃げ出して…じゃあ何の為に俺は戦うんだって思ってたトコにシリスの森の話を聞いたわけだ」

それは、つまり。

「今回の俺の戦いは…あいつらと似てる。この戦いに勝てれば何かわかるかもしれない。そんな気がする…」

やっぱり、とシリスは思う。この人の考える事はよくわかる。
わかりやすいんじゃなく、自分と似ているから。

「だから、戦わせて欲しいんだ、シリス」
「戦ってほしいと…あの時に言いました。それにしても…」

今から告げることは、シリスにとっては言うまでもない事実。
でも、それでもケイロンに伝えておかないといけないこと。伝えておきたい事。

「ケイロンさんはやっぱり優しいんですね…戦う敵の事なんて、何も知らなければそんなに悩まないで済むのに。少なくとも私は…」
「それはきっと、あの時は俺が攻める側だったから…相手の命を率先して奪いにいく側だったからだと思う」
「ううん、優しいからですよ。どうすればみんな生き残れるかを考えるだけで私は精一杯だけど…ケイロンさんは相手を説得しそうです」

シリスとて、戦わずに済めばそれでいいとは思っている。だが、『自分は弱い』という先入観と、森の皆の命の重みから、生き残ることこそが真に大切と思ってしまっている。
立場と経験上、それは仕方の無い事であり、誰にも責めることは出来ないのだが、それ故に立場も無く、経験も勝る男が眼前にいると、弱音を吐いてしまう。
だが今回は幸運にも、その弱音は眼前の男を肯定するものとなった。

「そりゃ…戦わずに解決するならそれが一番だし、間違ってるとは思わない」
「…だったらケイロンさんは戦いを止めるために戦えばいいんですよ。戦いが無くなれば平和になる。それは間違いないんですし」
「理屈はわかるけど…矛盾してないか? それって」

この場にディーがいたら『偽善だ』とか言うんだろうな…と。
そんなケイロンの逡巡に気づいたのか、はたまた何も知らない自分の軽率な発現を悔いたのか、シリスは軽く詫びる

「まあ…ちょっとそんな気はします。しかもどこかで聞いたような台詞でゴメンなさい…」
「いや…謝る事じゃないさ。むしろありがとう。嫌な話聞かせて悪かったな」
「私は…ケイロンさんの過去話が聞けて嬉しかったです。またいろいろ教えてくださいね」
「ああ。俺でよければ」
「はい。じゃあ、私はそろそろ…」
「ん、おやすみ。また明日」
「はい。おやすみなさい」





――シリスはケイロンの部屋を出、自分の部屋に戻ろうとする。
どちらの部屋も二階だ。シリスは階下の二人に気づき、軽く手を振ってから自室に戻った。
それを見届け、マスターとルーは話を再開する。

「さて、始めようか…いきなりだけど、君は何をしにここへ来たんだい…?」
「思いっきり本題から突いてきますか…知ったところで貴方に得はないのに」
「君は僕達の味方だ。少なくとも今は。でも理由がない。いや、あるにはあるけども薄いんだ」

森で迷っていたところを助けてもらった。理由は一応、そうなってはいるが。

「そうですね…普通なら、道に迷った所を助けられたからといって命までは賭けませんね」
「まあ、同じような境遇の人が他にも数名いるんだけどね…まずは君から、ってことで」

残っていたお茶を一息に全て飲み干し、語り出す。

「…別に単なる気まぐれなんですけどね。特にすることもなく生きていた。そこに自分より不幸な境遇の女の子を見つけた。同情し、助けてあげて満足しようと思った。それだけです」
「自分より、ね………」

それは『自分もまた不幸な境遇である』と同義だ、とマスターは解釈した。
そのマスターの視線は、ルーにとって多少居心地の悪いものであり。早々に次の話題を切り出してくれたのはありがたかった。

「――姫様の境遇を知っている、ということかい?」
「いずれ堕ちゆく運命にある…堕ちて花開く『種』を内包している。違いますか?」
「違わない。よく知っているね」
「堕ちた男と戦いましたから」
「ほう……姫様の父親か…」
「若くはありませんでしたね。恐らく間違いないかと。しかし…脅威は感じない相手でしたよ」
「当然さ。『種』は男だけでは意味を成さない。彼のそれは不完全だ」
「…というと?」
「つまり、だ――」

――『種』。便宜上そう呼ぶが、実際にそれが何なのかは明らかになっていない。
それは、女性の身体の中に根を張り成長し、いずれ芽を出す。そして芽を出した状態になれば、その女性が伴侶と定めた男性の身体にその身を分裂させ、移す。
男性の身体に根を張った分裂体は長い年月をかけて成長し、それに共鳴して女性の持つ本体も上書きされ、次の代――子供へと受け継がれる。
ただし宿主となり得るのは女性のみ。男性なくして完成もありえないが、男性は器にはなれない。
女性の中の『種』があくまでオリジナルであり、男性の中のものはコピーでしかないのだ。
しかし先にも述べたとおり、男性なくして『種』の完成はない。分裂体は男性の感情を受けて自己成長していくが、『種』の本体は分裂体の情報を得る事でしか成長できないから。

「――ただ、分裂体のほうも不安定なものでね。本体が分裂体がないと成長できない代わりに、分裂体は本体が近くにいないと制御できない」

あくまで本体にとって分裂体は成長のためのモノであり、成長のためだけに不安定な分裂体を制御してやっている、という関係だ。
共依存にも見えるが、分裂体は命の手綱を握られているのに対し、本体はまた別の分裂体を作れば問題ないだけなのだ。

「…姫様の父親は、発芽した『種』を移されてすぐに逃げ出している。いくら『堕ちた』とはいえ、最弱の状態で暴走されたところで大した脅威にはならなかった」
「…しかし、女性の方はそうはいかない…」
「そう。産まれてからずっとその身に『種』を宿し、共生している女性ならば…発芽したてであろうと関係なく、その力を充分引き出せる。姫様の母親も危険だった…」

『だった』というその言葉。そして今まで、シリスの母親など見たこともなく、話にも聞かない。それはつまり。

「………すでにいない人の話はまた今度にしませんか? 問題は…シリスさんが、今どのような状態なのかと言う事です」
「……わからないよ、それは。本人の自覚症状が基本的に全てだから」
「なら、まだ大丈夫ということでは? シリスさんは何も言っていないのでしょう?」
「隠しているだけかもしれないよ。君が何より危惧しているようにね」

この人は実に的確に人の本心を見抜く。食えない男だ、とルーは思う。
この際だ、こちらも聞きたいことは聞いておこう、と思い至り、逆に問いを返す。

「…貴方は、姫様の運命にどう関わる役なんですか? それほどまでに詳しい理由は?」
「僕は…堕ちた者を封じる役だ。姫様のお母様を封じたのも僕だ」
「…それほどの力があるのなら、戦ってあげればいいじゃないですか」
「力があるわけじゃない。代々受け継がれている『秘宝』が堕ちたる者の自由を奪う。その『秘宝』を僕の家系が扱えると言うだけさ」
「また家系ですか…嫌な話ですね――」

そこまで話した所で、遠くからの物音に二人揃って反応する。
誰かの部屋の扉が開いたようだ。さすがにこの内容は他人に聞かれてはまずい。

「――今日はここまでにしましょう。情報は充分とは言えませんが、今までよりはマシです」
「続きはまた明日かな。……ああそうだ、あと一つだけ」
「何ですか?」
「堕ちたる者は殺戮を繰り返す。『種』とは、『堕ちる』とはそういうものだから。そして…その兆候は、発芽するまでは見られない」
「…人を殺し始めたら危険で、少なくともそれまでは何の害もないと?」
「と伝えられている。あくまで参考程度にね」

あまりにもアテにならない。人を殺している時点で危険だ。だが、一応前向きに捉える事は出来る。

「わかりました。シリスさんはまだ大丈夫と…そう参考にさせてもらいますよ」

そう言い、席を立つ。部屋に戻ろうと数歩歩くと、向こうから来た人影とすれ違う。

「おや…子供が夜更かしはいけませんよ?」
「ソーラクさん…」
「ソーラク君、どうしたんだい?」

先に部屋に戻ったはずのソーラクが「眠れないもので」と言いながら立ち止まり、マスターを見やる。

「マスター…貴方も大人なんですから、早く寝るように言ってあげないでどうするんですか」
「はは…ゴメンゴメン」
「今夜は暑いですよ、ルーさん。はしたない格好で寝ないように」
「…そこまで子供じゃありませんから」

多少腹を立てた様子で部屋に戻るルー。まだまだ子供ですね、とマスターと笑い合う。

「それで、本当に何をしに?」
「暑い夜は外の空気が吸いたくなるものです…が、マスターがまだ起きていたのは運がいい。何かもらえませんか?」
「君はなかなか遠慮がないね」
「まあ、大人ですからね。多少は図太くないと生きていけませんよ。払えと言うなら払いますけどね」
「まさか。君からだけ貰うわけにもいかないさ」

相変わらずの手際で冷たいお茶を淹れるマスター。

「はい。お茶が一番手ごろだったんでこれで我慢してくれないか」
「いいえ、充分ですよ」
「飲み終わったらそのままにしておいていいよ。僕はもう寝るから」
「ありがとうございます。ではまた明日」

簡単な挨拶を済ませ、マスターは部屋に戻る。ソーラクも静かに一人でお茶を飲み干し、言われた通りにそのまま残して部屋へ戻った。





――そして…皆が寝静まった後。

『第二段階へ移行するにはまだ早いと思われます。観察を続行――』

今夜も、潜入者は報告を欠かさない。



[26011] 三章 ソーラク
Name: 副団長そのいち◆5f934587 ID:d071f723
Date: 2011/03/07 09:53


【学者】




「―――やべ、寝すぎた…」

自身の鈍りっぷりに少々驚きつつ、ケイロンは身支度を始める。
陽の高さからして昨日よりだいぶ遅い。遅刻ギリギリだ。

「――ギリギリだね、ケイロン君。もう皆集まっているよ」
「誰か俺みたいな奴がいないかと思ったけど…皆しっかりしてるなぁ」
「ははっ。甘く見られちゃ困るよ。さて…今日もそれぞれ始めようか」

『それぞれ』と言われ、ケイロンは周囲を見渡す。昨日分けたグループがそれぞれ昨日とは違う行動をしている。
シリス組は昨日作った鳴子を設置に行くようだ。原始的なうえに殺傷能力もないが、即日で作れるものといったらこれくらいだろう。
マスターとソーラク組は完全に外部と遮断された所で会議。まああの二人なら大丈夫だろう、と彼は気にもかけない。
そしてルー組。リーダーのルーが机の上で何か紙を広げている。

「ルー、何だそれ?」
「設計図です。私達の武器が足りないので、作ってみようかと」
「ああ…そういえば、俺達の武器はどうなったのかな」
「そちらは人数分以上あるはずですよ。前にもこういう事があったのか、剣とかが備え付けられていました」
「そうか、そりゃ助かる。で、何を作ろうとしてるんだ?」

軽く覗いてみてケイロンは辟易した。そこそこ細かい設計図に様々なわかりやすい注釈も添えられてはいるものの、少なくとも彼の頭は理解する事を放棄していた。
むしろ彼が気にしたのはこの設計図の出所である。

「どっから持ってきたのか知らねーけど、すげぇな…ルーはこれをちゃんと理解してんだな」
「わかってないと描けませんよ」
「…え? おまえが描いたの? 注意書きだけじゃなくて?」
「まあ、記憶を頼りに描いたので正確ではないかもしれませんが…構造は間違ってないはずです」
「…マジですげーな。――あ、これもしかしてボウガンの設計図か?」
「ええ。さすがに銃は作れそうもないですからね…妥当な所は弓と弩だろうと」

彼はフレームだけを見て口にしたのだが正解だったらしい。

「どうせなら二、三本同時に撃てるやつがいいねぇ。完成したら俺の所で撃ってみせてくれないか?」
「まあ、いいですけど…。それより同時に数本撃てるというアイデアはいいですね。その方向でいきましょう」

余計な一言で設計図に手を加える必要が出てしまったわけだが、その手間をルーはさほど問題視している様子はなく、ゆえに改良型の完成をケイロンも素直に楽しみに出来た。
一方の弓については、既に外で作成に入っている。

「ところで、弓の方がテクニック要りそうっぽいから女の人が弓か?」
「逆ですよ。弓をひくのに力が必要ですから男性を弓に割り振ります」
「マジか…わりと女のスポーツって感じなんだけどな、弓って」
「弦の固さを調節できそうもないですからね、ここでは」
「なんか理想が崩れた感じだ…」

勝手に落胆するケイロン。彼のいた軍隊では確かに女性の弓手も多かったのだが。

「あと無駄な怪我を避けるためにも、女性は弓には割り振りません」
「怪我? 女の子限定で怪我すんのか?」
「私を見てても答えは出ないと思いますよ……シリスさんでも見たらどうです?」
「あー……なんとなくわかった。でも別にシリスって並じゃ…?」
「ケイロンさんが一番見てるのはシリスさんでしょう?」
「…からかいやがって。――ん、じゃあ俺はもう行くわ」
「はい。また後で」

去り際にもう一度、ケイロンはルーを振り返る。
胸元に隠された銃。腰に差された短刀。そしてあれだけの知識。得体は知れないが、仲間であるなら頼もしい。
信じる事を信条とする彼は、彼女が敵だった時の事など、もちろん考えない。




――ケイロンは外で皆を集め、訓練の開始を宣言する……が、その前に。

「さて、俺らにも武器が来ました。が…」

運んできた多数の剣、槍、短刀。その他には農耕用の道具。見た目はともかく、使いやすそうではある。

「自分に合った武器を見つけるのがやはり一番だと思う。だから今日はいろいろ触れてみて、これだ! と思う武器をまず決めないといけない」

もちろん本来は本人の適正なども考えるべきだが、ケイロンの頭脳は生憎そこまでの器ではない。
その分戦闘訓練になれば力を発揮するのだが、今はそれ以前の段階だ。こと戦術論などにおいて、彼は『誰でもわかること』程度の知識しかない。
とはいえ、森の皆の知識はそれ以下であるから教官には違いないのだが。

「適正とか言ったけど、武器選びの基本としてリーチは最大の強みだというのは誰でもわかると思う。よって槍を多めにしたいというのが本音だけど…」

残念ながら見つかった武器の中で一番数が少ないのも槍だった。
ここは森の中である。開けた場所ならともかく、障害物の多い地形であるが故、槍が荷物になることも過去に多々あったのだ。

「…剣は多すぎるくらいにあるな。とりあえずは全員剣で基本訓練といくか」

口には出さなかったが、あまりにも剣で戦えない奴を槍に回そうという魂胆だ。
短刀は護身用に持たせるとして、残る農耕用具などは些か分け振りが難しい。今は放置しておこう、と彼は結論を出した。



「――だから、基本は眼前の敵に集中すること。後ろから斬られるのが怖いなら尚更、眼前の敵に集中して素早く斬り伏せないとダメだ。とはいえ、周囲の状況を見るなというわけではなく――」

――気がついたら基本訓練どころか戦闘の心構え講座になっていた。
そもそもいきなり戦えと言われて戦えるほど戦闘慣れしている人はこの森の住人には居ないのだから、確かに本来は心構えあたりから語るのが正しいのだが……

(だって、なぁ。いかんせんみんなへっぴり腰すぎるし)

戦えないわけではない。肉体的にも充分なスペックはある。戦う意思もある。
ただ一つ。剣を使った訓練と言われて『刃を向ける相手』が問題となってしまった。
仲間を守りたい。だから敵を倒す。その覚悟はある。あるからこそ、訓練といえど仲間に刃を向けるのが躊躇われた。
もちろん、仲間に刃を向ける模擬戦形式を提案したのはケイロンだ。戦闘経験が豊富な彼は、同時に自分の強さが戦闘経験によって裏打ちされていることも理解していた。
だからこその模擬戦だったのだが、森の皆は仲間を傷つける事を何よりも恐れていた。

とはいえ、彼自身このままでいいと思っているわけがない。
このままだといざという時、敵を斬ることを躊躇う可能性が無いとは言い切れない。
身体が脊髄反射で動くレベルでないと、命を落としてしまうのが戦場というもの。
どうしたものか……と彼が頭を抱えていると、背後から声がかかる。

「おや、外で講習会ですか? 室内に入ればいいものを」
「ん? なんだ、ソーラクか。どうしたんだ?」
「特に何かあったわけではないんですがね。休憩ですよ休憩」

腕を引っ張り、伸びをしながら詰まれた武器の山に近寄り、剣を一本引き抜く。

「……古い剣ばかりですねぇ。手入れの一つくらいはしてやらないと」
「んじゃやっといてくれよ。俺は『講習会』で忙しいんだ」
「手入れも出来ない事もありませんが、剣は振るう方が性に合ってますので」
「なんだ、剣の心得でもあるのか?」
「ええ。こんなご時勢ですからね。自分の身を守れる程度には」
「それなら丁度いいや。軽く打ち込んできてくれ」

ケイロンも同じように武器の山から抜き身の剣を一つ抜き取る。
皆の前で軽く模擬戦のやり方を見せるつもりのようだ。それを理解したソーラクも同じく抜き身の剣を片手で構える。

「……とはいえ、英雄ケイロンは格闘技が専門ではなかったのですか?」
「ああ。だから降参したらそこで止めてくれよ?」
「フフ、了解しました。では、先手は私で――!」



――そうして繰り広げられるとても模擬戦とは思えないような激しい剣戟に、周囲の皆が息を飲み、呼吸も忘れていかほどの時間が過ぎただろうか。

「……おっと…これは、降参ですね」

唐突に訪れた終幕。ソーラクの持つ剣が折れてしまったのだ。

「……いや、すげーな。こんだけやり合えるとは、お前何者だ?」
「いやはや、英雄殿には敵いませんがね。寂しい一人旅の学者ですよ、私は」

学者、というその言葉を問い返そうとしたが、周囲から湧き上がる拍手に遮られる。

「……拍手されても困るんだがなぁ。みんなにもこうやって訓練してもらわないと」
「大丈夫だよ、ケイロン君。みんなもそれなりに感じるところはあったはずだ」
「……マスター、いつから居たんだ」
「少し前さ。ソーラク君を迎えに来たら、ね」
「そういえば私はただの休憩で来ていたんでしたね……やれやれ、戻りますか」
「疲れただろう、中で少し休憩してから戻ってきてくれればいいよ。ケイロン君はそのまま続行ね」
「ぐっ」

返す言葉も無いケイロンを尻目に二人は建物の中へ戻っていく。
無理矢理誘ったケイロンが悪いのだから仕方ないのだが、それでも効果はあったようで、周囲の皆も自主的に剣を打ち合わせ始めていた。
いい傾向だ、と彼は頷き、まだ腰の引けてる奴に喝を入れてやろうと見回り始めた。





それからしばらく後のこと。

(――スパイ、ねぇ……ありえない話じゃない。嫌な話だけど)

マスターは自室で一人、思案していた。
もうすぐ陽も傾き始めるであろう時刻。各員それぞれ、自分の為すべき事をしてくれている。そして頭を使うのは彼の役目である。
教育はソーラクに任せ、彼はまだまだ思案を続ける。

(…ここ一ヶ月はいろいろありすぎた。
 まず一ヶ月少し前、ソーラク君が迷い込んで。
 一ヶ月前、ダイモンが現れ。その僅か後、ルーが迷い込んで。
 そしてケイロン君が再び訪れ、後を追って彼の弟が現れ、今に至る。
 ……人が訪れすぎだ。スパイ説は何よりも警戒しないといけない)

それ以前は人の出入りなどなかった。スパイがいるとしても森の皆を疑う理由は全くない。

(……森の皆、か。上手く戦えるのだろうか?)

争い事なんて『彼女』の一件を除いて、もう1世紀くらい無縁だったのだ。世代も交代しており、上手く戦えるはずもない。ケイロンの教育に全てが懸かっているといっても過言ではない。
……思案すべき事は山盛りだ。途方にくれていると、背後から声がかかった。

「マスター? そろそろ休憩にしてよろしいですか?」
「ああ、ソーラク君か。いいんじゃないかな。君とも話がしたい」
「私ですか?」
「ああ。皆に伝えてきてくれ。何か淹れて待っているよ」

そう言って席を立ち、集い場へ向かう。やはりカウンターの中が彼の定位置なのだ。


「――さて、ソーラク君。さっさと言うけど、僕はルーの言ったスパイ説、これを何よりも警戒している」
「ふむ。まぁそれは当然でしょうね。それで? 私に言うという事は、私を疑っていると?」
「僕は誰をも均等に疑っているよ。そうしないと何かを見逃しかねないからね」
「……ええ。そんな貴方ですから、我々の指揮官に相応しいのです」

事実、マスターのスタイルは平等主義だ。
ただ、少々語弊はある。誰をも均等に疑う以上に、誰をも均等に信じている。客観的に見てこそいるものの、根本にあるのは信じたいという想いだ。
そういう意味では、ケイロンと同じ『甘い』人種でもある。

「ルーには昨日少し話を聞いたんだ。だから次は君の番。何でもいい、君のことを教えてくれないか」
「ふむ、そうですね……私が学者である、ということは話しましたかね?」
「初耳だね」
「そこからでしたか……ええ、私は自然科学者です。この森を調査に来たところで迷い、拾われまして」
「あまり住人としては素直に受け入れがたい理由だね」

『迷いの森』などと呼ばれ、敬遠され。外界と隔絶された世界で生きてきた側としては、外から『調査』という明確な目的を持って来た者など、好奇心や興味本位で足を踏み入れる者と何ら変わらない。
もちろん、ソーラク側もそれくらいは理解できる。

「確かに、言い出すタイミングを見計らっていた、というのはありますね。ですが、私も私なりに自分の研究に誇りを持っていますよ?」
「ふむ、この森の何がそんなに君の心の琴線に触れたんだい?」
「全て、とも言えます。森の成り立ち、迷う原理、現住する生物まで全て。今の世界で、ここほど生命力に満ちた森を私は知らない」

ソーラクによれば、今や外の世界の森、というか自然は減少の一途らしい。
流石のマスターも外の世界の森林の状態までは耳に入らない。故に信憑性などはわからない。
だが『外敵』との争いによって死に絶えてしまった大地も少なくないとは聞く。

「そんな中、この『迷いの森』は逞しいものでしてね。むしろ面積が広がりつつあるのですよ」
「そうなのか……なんか逆に申し訳ないね」
「ふっ…ですから私としては、この森の生命力は何かに活かせないものか、と思ったわけです」
「植樹でもするのかい?」
「はい。解明できれば、ですがね」
「いたずらに迷いの森を増やすわけにもいかない、か」
「本音を言うと、迷いだろうと何だろうと樹木が増えるなら私はいいことだと思うんですがね」

そう言って二人は笑い合う。
だが、ソーラクがここまで腹の内を話すのはマスターだからこそ。そして、それ故にソーラクにもまだ不安は残る。

「……やはり、森の皆には黙っておくべきでしょうか?」
「うーん、そうだね……こんな時だしね。皆も君の事は認めている。今になってわざわざヒビを入れる必要もない」
「ヒビ、ですか……こう言っては台無しですが、私とヒビのある人は既に居ますし」
「ルーのことかい?」

日頃からソーラクは何故かルーを異様に警戒している。ルー側はそんな素振りは見せない…というか、シリス以外の事にはひどく無関心だ。
マスターとしても、その理由は気になるところだったので不躾に問い返す。

「……第一印象が悪かったからですかね。マスターは覚えていませんか? 彼女の値踏みするような視線を」
「………覚えてないね、すまない」
「そうですか。私は覚えていますよ。仇を探すような眼で、この森の全員を舐め回すように見ていました。……今にして思えば、男性ばかりを見ていた気もしますが」
「ふむ…僕も詳しくは聞いていないが、彼女もいろいろあったんだろう、過去に」

過去に何かがあったことは確かだろう。それが今も彼女を縛っているのかは、さすがにまだ判断しきれないが。
できればそのあたりも彼女の口から聞ければいいんだが、とマスターは思う。が、到底叶わない願いだろう。



「――おや?」
「――ん?」

偶然にも二人同時に、外からの声――喧騒に気づく。
敵襲などではないようだが、笑い声などでもない。どこか緊迫した空気が伝わってくる。
ソーラクは気づけなかったが、マスターから見ればそれは先刻のソーラクとケイロンの模擬戦の時の様な喧騒だ。

「…何だろうね?」
「やれやれ、もういい時間だというのに…見てきますよ」
「適当に静めて、今日は終了にしようと伝えてくれないか。軽い食べ物なら用意して待っとくから、と」
「了解です」

陽の沈み始めた外へと、ソーラクは一歩踏み出す。

……実のところ、彼には外の出来事の大体の予想はついていた。いや、おそらくマスターにも。
だからこそソーラクを向かわせたとも言えるし、だからこそ自分は引っ込んで諸々の準備に回ったとも言える。

食えない人だ、と思いつつ、眼前にて展開する予想通りの光景に、ソーラクは溜息を一つ吐いた。







[26011] 四章 ルー
Name: 副団長そのいち◆5f934587 ID:d071f723
Date: 2011/03/10 21:38

【矢と拳と刃】



――時間は少し遡る。



「――まだヘバるには早いだろ…ホラ立て! もう一回だ!」

ケイロンは模擬戦の様子を見て、中でも筋のいい者は自分との試合をさせていた。
だが当然というか、相手が誰だろうとケイロンが圧勝している。敗者側からすれば得る物があるかすら怪しい。
筋のいい、選ばれた者であるにもかかわらず、ケイロンの再戦要求に応えれる者は皆無だった。

「…不安だな、こりゃ。…とりあえず休憩か」

と、剣を捨てたところで集い場の扉が開き、人が出てくる。

「…戦場ですね、ここだけは」
「よう、ルー。完成したのか?」
「はい。時間はありますか? それとも…休憩が欲しいですか?」
「へっ、バカにするなよ…まだまだいけるぜ」
「では遠慮なくいきますよ――矢を取ってください」

後ろに控えていた女性に指示を出し、矢を三本セットする。どうやら木を削っただけの雑な矢のようだ。
とはいえ…当たると痛いじゃ済まないだろうが。

「マジで三本撃てるのか…」
「おかげさまで。感謝してますよ」
「やれやれ…叩き落せばいいか?」
「避けても構いませんよ。こちらは照準のテストをしたいだけなので。どこを狙えばいいですか?」
「顔だ。ドンと来い」
「わかりました。それでは――」

やや大型のボウガンを両手で構え、正確に顔を狙って放つ。三本の矢が扇状に射出され、ケイロンはそのうち真ん中の一本――正確に顔に直進してきた一本を拳で払う。
速度も精度もかなりのものだった。周囲の者達からはケイロンの反応速度とルーの製作技術、両方に感嘆の声が上がる。

「へへっ。ルー。評判はなかなかだな!」
「…まさか避けないとは。限界まで速く放てるようにしたつもりなんですけど…」
「悔しいのか?」
「………いいえ。もう一回いきますよ」

口では否定しているが、今の間はどんな言葉よりも饒舌だった。
そして再び放たれる矢。ケイロンは今度は真ん中の一本を手で掴む。周囲の観客はさらに沸く。

「へっ! どうだ!」
「…ふむ、速度に難アリですか…」
「いやいや、きっと俺以外じゃ無理だから」
「とはいえ、こうも容易く対処されてしまうと面白くないんです、こちらとしても」
「つってもなぁ、実戦じゃ充分通用すると思うぞ。……何なら試してみるか?」

そろそろ皆も気づいているかもしれないが、この男、好戦的である。
……とはいえ、不自然に大人びた少女の強さを純粋に見てみたい、見ておくべきだという気持ちが彼の中にあったのも事実だ。

「…お断りします。救国の英雄に私如きが勝てるはずがないでしょう」
「ははっ、負けっ放しでいいのか? なんならハンデやるぞ?」
「子供じゃないんですからそんな挑発には乗りませんよ」
「じゃああれだ、何でもいい、俺に一発入れたらお前の勝ちでいいから」
「なんでそこまで戦いたがるんですか」

呆れた様に問うルーに近づき、真剣な顔で小声で囁く。

「…もっともらしい事を言うと、実戦というものを皆に見せておきたい。さっきはソーラクと剣でやりあったから、次は飛び道具とやりたい」
「……まぁ、一見もっともらしいですね」
「お前にも悪い話じゃないはずだ。お前の強さを見せておけば、幼いお前に仕切られることに不満げな顔をする奴もいなくなる」
「いや、そんな人いませんが」

本来ならいるはずだが、そこはマスターとシリスによって先日のディーとの乱戦時の活躍を誇張されて伝えられているため杞憂だ。
だが逆に、二人の吹聴によりルーの強さに対する期待が大きくなってしまっている事に、今の今まで気づく者はいなかった。
ケイロンの話に、ほんの僅かに不安になって周囲を見渡したルーが、たった今気づいた以外には。

「……お? みんなも期待してるみたいじゃないか」

そして不運なことに、この男も気づいてしまった。こうなってはルーも逃げ辛い。

「……わかりましたよ。でも貴方は武器の使用は禁止。私が何か一発入れたら私の勝ち。それでいいですか?」
「そう来なくちゃな。そもそも俺は格闘家だから武器いらないし、条件は俺が提示したものだから文句なんてないさ」
「……まぁ、私にも意地はあります。いい機会かもしれません」

ルーは背後に控えていた女性に矢を持ってきてもらい、引き換えに自分の銃と短刀を渡す。
今度は矢の先端は丸められているが、それでも先ほどの速度だと当たればかなり痛いことになるだろう。
先程まで短刀を差していた辺りに矢筒を装着。矢の数はさほど多くはないが、ケイロンはその矢筒に簡素な蓋がしてあることに興味を持った。

「取り出しにくくないか?」
「戦闘中に動いて落としたらどうするんですか」
「背中に背負っとけばいいんじゃないか?」
「それでも落とす時は落とすと思いますよ。宙返りでもしたら」

普通の弓術家は宙返りなんてしないだろう、と心の中で突っ込んでおいた。
そして適度に距離を取り、構えを取る。

「――そら、撃ってこいよ。始めていいんだぞ?」
「ああ、撃ってよかったんですか? いつまでも動かないから何か待ってるのかと思いましたよ」
「何をだよ」
「神風とかですか?」
「あったらいいなぁ、そんなもん」

……一向に戦闘が開始されない様子に、周囲の者は緊張を解きかけていた。
だが、当事者二人はそんなくだらない言い合いの中でも当然集中を切らしたりはしない。

ケイロンは、ルーの射撃を回避してリロードの隙に接近しようと考えている。
ルーはケイロンの反応が間に合わないくらいの距離で射撃し、勝負を決しようとしている。
そして、それを互いにわかっている。

お互いの考えが読めているからこそ、お互いに動けない。
そんな状況が続くかに思われたが、こういう時に痺れを切らすのは、この状況をより好まない側。つまり…

「ま、近づかないと始まらないしな…行くぜ!」

近づかない事には攻撃手段のない、ケイロン側。
鋭い踏み込みで数メートルを一気に縮め、振りかぶった瞬間、やはり矢が飛んで来る。
それこそ飛んでくるのを見てから反応していては間に合わない距離だが、事前に考えが読めていれば話は別だ。空いている方の拳で払い落とし、身体の勢いを殺すことなく拳の射程内へ。
勿論、ルー側とて読まれている事を読んでいる。再装填している暇はないが、一撃入れれば勝ちなのだ。ケイロンの拳をしゃがんで避け、ボウガンを持った右手を突き上げる。
顎あたりにカウンター気味にボウガンが入れば良し。入らなくても距離を取る隙くらいは生まれる。そうルーは読んだのだが、右手を伸ばしきる事すら敵わなかった。
ケイロンが空いた手でボウガンを押さえ込みつつ、しゃがんだルーの足元を脚で払った。読んでいたわけではなく、まさにただの咄嗟の反応。

「くっ……」

姿勢を崩され、地面に伏せてしまったルーだが、次のケイロンの動きすら見ずに転がりつつ距離を取って跳ね起きる。
寸前まで自分が伏せていた所に追撃の拳が振り下ろされるのを見ながら矢を装填。手元を見ている暇も隙もなかったが、正確に作業を済ませる。
だが、一度距離を取られた事で、ケイロンも再び様子見に入ったようだ。

(よく動くなぁ……そりゃ矢筒に蓋もいるわけだ)

小柄な体躯を生かしたヒット&アウェイスタイルだろうか、とケイロンは予測する。それこそ必要に迫られれば宙返りでもしそうな。
だとすれば『遠距離型の敵との模擬戦』という名目からは外れてしまっているが、既にケイロンの頭からはそんなことは消え失せていた。
あるのはただ一つ。眼前の少女の、予想以上の動きに対する驚き。
そしてそれは、やはり彼女は戦い慣れているということを意味する。

「…やっぱり、出来るな」
「…お褒めに預かり光栄です」

決して厭味などではない。姿勢を崩されはしたものの、ケイロンの拳を避け、連携に反応し、再度距離を取る事に成功した。それだけで充分賞賛に値する。
事実、ディーなどはケイロンの拳を防御こそしたものの避けきれず、距離を取る手段も銃撃による威嚇に頼った。己の肉体一つで同じような状況を生み出したルーのほうが、周囲からもケイロンからも評価されるだろう。
もっとも、百戦錬磨のケイロンの拳の直撃を受けなかっただけでもディーも充分善戦したと言えるし、現状だとルーはディーと違ってケイロンにダメージを与えられていないのだが。


「――はぁ。何やら盛り上がってますねぇ。ほどほどにして欲しいのですが」

ここで周囲の歓声に導かれ、ソーラクが様子を見に来る。

「いや、いい機会だ、ソーラクも見とけ。強いぞ、ルーは」
「あまり強いと、ますます貴女を嫌いになりそうですよ、ルーさん」
「……ん? なんだ、仲悪いのか? ディーの時とか協力してたじゃないか」
「喧嘩するほど仲がいいんですよ。そうでしょう?」

あくまで大人の余裕といった体でルーを見る。彼女はそんなソーラクに実に興味なさそうに一瞥をくれてやり、眼前で相対する対戦相手に向き直る。
勝負の最中だ、口を出すな、とその背中は語っていた。

だが、そんな背中が通用しない相手も、この森には存在する。

「……私闘なんて、許可した覚えはありませんよ、ケイロンさん、ルーちゃん」
「シリスか……訓練の一環だよ、これも」
「危ないですから下がっててください、シリスさん」
「…なんで二人とも乗り気なの? 危ない事はやめなさい」
「訓練だって」
「訓練なら他の人とやってください。ルーちゃんとやる意味は?」
「……強いから」
「それだけですか? なら許しませんよ」

ルーを心配するシリス。もはや過保護の域にも見えるが。
そんな光景がルーとしては恥ずかしい一方、僅かながらケイロンに対する申し訳なさもあり。
ゆえに、彼女はある方法を採った。

「……やめますか、ケイロンさん」
「…まぁ、やる気が削がれたのはあるな」

ルーはボウガンを下ろし、ケイロンは構えを解き、休戦の意思を見せて歩み寄る。
丁度二人の中間に割り込んできたシリスのところに集まる形になった。ソーラク含む周囲の皆も白けた感じで緊張を解く。

……当事者二人を除いて。

「――あ、シリスさん、後ろに…」
「え、何?」

ルーに言われ、シリスが後ろを向いたのを合図に、ルーがボウガンを零距離でケイロンに突きつける。

否、突きつけようとした。
現実には、突きつけるより早く、腹部に拳を受けて身体ごと吹き飛んでいた。

誰も、誰一人としてその光景を見ていなかった。
皆の興味が失せていたというのもあるし、まさに一瞬のやりとりだった、というのもある。
見ていなかったし、見れなかった。ルーが吹き飛ぶ音で気づいたと言っていい。
勿論、背を向けていたシリスなどはその最たる例だ。

「えっ――」
「…やべ、いいところに入った」
「っ…!? ルーちゃん!!!」

状況を掴めなかったシリスだが、何よりも案じているルーにまず駆け寄った。
抱き起こしてみると、口からは血を一筋垂らし、苦しそうに息をしているが意識はあるようだ。

「…ケイロンさん…あなたは……ッ!!」

いろいろと言いたい事はあった。シリスは人一倍多いだろうが、周囲の皆から見ても、ケイロンのほうが悪く見えかねない状況だ。

「……言い訳はしないさ。でも――」

それでも英雄は、シリスと、そして周囲を――自分を責める視線を送る全ての者を一瞥し、言う。

「――これが戦いだ。皆が気を緩めたその一瞬で、命のやりとりが起こる。それが戦場だ。誰も見ていなかっただろ? つまり、ルーと敵対したら誰も生き残れないということだ」

敵が誰であろうと――たとえ幼き少女であろうと、生き延びて勝ちたければ躊躇うな、と。勝つまで気を抜くな、と。

「戦うと言ったくせにそのザマか、皆。本当に覚悟はできてるのか?」

皆が静まりかえる。ここが最後の選択の時だとわかっているのだ。
ここで背を向ければ誰かの為に戦う事は出来ない。だが戦うならば…情けや哀れみという人間らしい感情を捨てなければいけないのだ。
たとえ、それが少しの間だけだったとしても。
だが――

「…出来てるんだな?」

ケイロンの言葉に、改めて皆が頷いた。
ケイロンの言う事は、戦う上で至極当然の事。故に、当然の事を出来ない者には資格が無い。
当然の事を当然のように出来る者こそが生き残れる。――今、この場にケイロンが生きているように。
ケイロン以外の者達とて、その事実を今知ったわけではない。
――再確認したのだ。今。


「みんな………」

一緒に森で生きてきた皆が、いつも笑顔で接してくれた皆が――人を殺す覚悟をした。
その事実は、いつも以上にシリスの胸を締め付ける。

「……シリスさん…」
「ルーちゃん……まだ、無理しないで」
「…知ってますか? 人の上に立つ者が、下の者に何かを教える時のやり方を…」

シリスの気遣いを無視し、やや苦しそうに語り続ける。
それでも先程と比べれば多少回復してきたように見えるが。

「…自分の事は、棚に上げて…ただ強く、意思と目的を示すんです。それだけで、皆は流される…」
「棚に上げて、って…?」

意図してなのか、負ったダメージの大きさからなのか…ルーの小さな声はシリス以外には届かない。
もっとも、シリスにしか向けていないのだから、他の人に届ける必要はない。…ケイロンには特に。

「…ケイロンさんは手加減してますよ。でないと、私が喋れるはずもありません…」
「そう…なの…?」
「実は私も手を抜いてました…って言ったら、信じます?」

珍しいルーの冗談。だがそれは、シリスには届いていない。
ルーのほうを向いてこそいるその瞳は、それでもルーを捉えていない。
考え事をしているとこれほどわかりやすく顔に出る人もそういないだろう…とルーは思う。

「…ねえ、ルーちゃん」
「…何ですか?」
「ルーちゃんも…いつか、敵と戦うとしたら、その時は――」
「…手は抜きませんよ。私は自分の命が一番大切なんです。生き延びる為なら何だってします」
「…ケイロンさんも、皆にそうあれと…教えるつもりなの?」
「そうでしょうね…。手を抜いた人は、良くて今の私みたいになりますから。…今の私、カッコ悪いでしょう?」
「そんな…そんなことない! ルーちゃんは頑張ったよ…!」

思わずルーを抱きしめ、涙を流すシリス。
血は出てこそいるが、そもそも喋れるのだ、泣くほど酷い怪我ではない、とルーは思い、苦笑する。
その涙こそ、彼女が彼女たる所以なのもわかってはいるのだが。

「……シリスさん、私はまだ生きてますよ…」
「でも…痛そうで…きっと痛くてっ…!」
「…私が死んだら、あなたはこの何倍の涙を流すでしょうか。そう考えると…何をしてでも生き延びたくなるんですよ」
「ルーちゃん…」
「…皆も同じですよ。あなたの為に戦って、あなたの為に生き延びたいから。でも…」

まだ泣きつくシリスをそっと引き離し、ふらつきながら立ち上がる。

「やっぱり…人の命を奪ったことを後悔する人は出てくると思います。だからその時は…」
「その時は…?」
「…一緒に、いてあげてください」

落としたボウガンを拾い、ケイロンの方へと歩いてゆく。これ以上は何も言えないと言わんばかりに。

「ルー…」
「…負けましたよ。まあ、次があれば負ける気はしませんが」
「ルー…あのさ――」

さすがに謝罪の言葉を口にしようとした――が。

「………」
「――痛ッ!?」

その瞬間、無言で足を蹴られた。突然の出来事に思わずうずくまる。

「…な、何を――」
「――ほら、ね」

そのうずくまって下を向いた頭に突きつけられる矢の感触。顔を上げて見てみても間違いなく矢だ。

「…はい、一発です」
「……おいコラ」
「では、二回戦は私の勝ちという事で。それでは」

そのまま背を向けて立ち去る。謝る事は許さないと…そういう事だ。

「…ちっ。次は勝つからな!」









「――みんなお疲れ様。どうだい、それぞれの調子は」
「まあまあかな」
「まあまあですね」
「まあまあでしょうか」
「……やれやれ。お疲れのようで」

マスターがそれぞれに飲み物を出す。
結局、あの騒ぎの後はほとんどそれぞれの作業をする時間も無く、良好な結果を残せるはずもなかったのだ。

「マスター…ルーは?」
「軽く手当てはしておいた。今は部屋で休んでるよ。君達も早く休むといい」
「そうだな…謝りたかったけど」

ルーには拒まれたし、シリス含む皆も納得してくれた。でも、やはり彼の中にやりすぎた感はあった。

「明日にした方がいいね。別に負けず嫌いな性格じゃないようだし、一人の時なら許してくれるだろう」
「誰かさんと違って物分かりのいい子ですからねー」
「なんだよ……誰の話だよ。もう寝るぞ」
「はいはい。おやすみなさい、ケイロンさん」

真っ先に飲み物を飲み干して部屋に戻るケイロン。それを見てシリスは飲み物を手に立ち上がる。

「どちらへ?」
「…ちょっと、下に」
「……ディー君の所ですか? 何ゆえに?」
「…ちょっとね。いろいろ言われて…いろいろ考えたいから。今日は」
「そうですか…くれぐれも鍵は開けないようにお願いしますよ。姫様が戻るまで、私はここにいますから」
「大丈夫、すぐに済むと思うから」




倉庫の前に立ち、飲み物を一口啜って気を落ち着け…声をかける。

「…ディーさん?」
「……これはこれはお姫様。珍しい奴が来たもんだ…」

予想はしていたが、やはりその言葉には多少なりとも敵意が含まれている。
とはいえ、話が通じないほどではない。敵意こそあれど憎しみは見えなかった。

「…で、何の用だよ?」
「……人の命を奪う気持ちというものを、聞きたいと思いまして」
「ククッ、監禁してる奴にケンカ売るか。随分と立派な教育を受けてきたんだな」
「真面目に聞いているんですけどね。この森でただ一人、私だけがきっと理解できていないから」

森の皆は悩んでいた。ケイロンもルーも、はるか昔にきっと苦しんだ。でも少なくとも覚悟はみんな決めた。シリスを除いて。

「あなたは兄であるケイロンさんをも、躊躇わずに殺せるのですよね」
「当たり前だ。その為に生きてきた」
「……戦争をする私達と、憎しみに生きるあなたは、命を奪う事に対する価値観が根本的に違うと思うのです」
「違いなんてねェよ。誰もが自分の為に相手を殺す。生きる為に必要だからな」

生きる為に、敵を殺す。その理屈は不本意にもシリスにも理解できてしまった。状況が状況だから。
だが、そうなると逆にディー側の理屈がわからない。

「…あなたは別にケイロンさんを殺さなくても生きていけるじゃないですか」
「……俺の生きる目的がそれなんだ。目的を果たそうとしない生なんて、生きてるとは言わねェよ」
「別の目的でも見つけたらどうです?」
「そう簡単に移り気になれるなら、こんな目的掲げねェ。俺だけの願いじゃねェんだ。苦しんで死んでいった皆の願いなんだよ」

自分が問いに来たはずなのに、随分と素直に饒舌なディーの言葉にいつしかシリスは耳を傾けていた。

「皆が皆、ケイロンさんが憎いと、そう言ったのですか?」
「死にたくないっつって死んでいったよ。なら原因を憎まないワケがねェ」
「原因は…ケイロンさんかもしれませんが、手を下したのはあの人じゃないです」
「そうだなァ。アイツを殺した後は国にでもケンカ売るか」

何を言おうとディーはブレない。何があっても命を奪う覚悟がある。決意がある。
それはシリスからすれば非常に後ろ向きなモノで。故に問いかける言葉も厳しくなってしまう。

「……貴方は…他人の人生を奪うことを、なんとも思わないんですか!?」
「オイオイ、マジになるんじゃねぇよ…俺だって最初の一人は心苦しかったんだぜ」
「え…?」
「…いきなり躊躇い無く殺せるような奴は狂ってるだろうよ。殺したくない奴が相手なら尚更な…」

一瞬だけ、本音を聞いたような気になる。もっともそれが事実だったのかどうかなど確認のしようが無いのだが、いやにリアルで本音にしか聞こえなかった。

「だが、そうしなければいけない状況なら迷うわけにはいかねェ。そして、一人殺っちまえばあとはなし崩しだ」
「……そんなものですか」
「箱入りのお姫様にはわからねェ話だろうがな」


……シリスは、誰よりも命を奪う事を嫌っている。
もはや本能といってもいい。彼女自身、自覚している。認めてはいけない。認めれば自分が崩れる、そんな強迫観念のような使命感のような、何かに刻まれた感情。

「……いえ、夢を見るんですよ」
「夢だァ?」
「ええ。誰か大事な人を殺す夢を」

……だが、彼女自身はこう考えている。
自分が命を奪う事を嫌うのは、どこか誰よりもその立場に近いからではないか、と。
『命を奪う事』を嫌悪するのがアイデンティティなのではなく、命を奪う『自分』を嫌悪しているうちにそれが確立されていったに過ぎないのでは、と。

――マスターの知る事情や宿命。シリスはそれらからは極力遠ざけられて育ってきた。
シリスの母親は逆だった。幼い頃から教えられ、叩き込まれ、そして負けた。シリスは遠ざけられて育ったおかげか、夢に見る程度で済んでいる。
だが、シリスとて愚かではない。皆が隠し事をしているのは勘付いているし、皆を疑った結果として母親だった者の居場所は知ってしまっている。
隠し通した結果、どこかですれ違いが生じている事に、誰も気づいていないのだ。


「誰かはわからないのですが、夢の中だというのに感触はリアルで……気持ち悪い。でもだからこそ、私は命を奪う事を嫌悪し続けられると…そう思ってます」
「なのに、命を奪ってきたアイツのことは嫌悪しないんだな。自分勝手な奴だ」
「ケイロンさんは正義を信じた…それだけだと思ってます。あなたも、誰かの想いを背負って戦っている…そう考えれば、そこまで嫌悪する気持ちにもなりません」
「ずいぶんと都合のいい信念だな。歪んでやがるぜ」

ディーの言葉は、常にシリスの心に突き刺さる。
立場は間違っているはずなのに、言う事は常に正論で、真実だ。痛いところだけを常に突いてくる。

「……やはり、私は間違ってるんでしょうか。ただの偽善者なんでしょうか」
「俺から見れば、な。最低のクソ野郎だ」
「ふふっ、やっぱりそうですよね。貴重なお話をありがとうございました。失礼します」
「…? 笑った…?」

自分は何か、彼女を励ます事を言ったのだろうか?
いくらディーが思案しても、答えは見つからなかった。




「では、今日はお先に失礼します」
「ああ。また明日」

シリスを待つマスターを残し、お茶を飲み干したソーラクも部屋に戻る。
マスターはその場をあまり動かない範囲で翌日の仕込みをしながら待つ。

「――そろそろ、どっちか来てもいい頃だけどね」

仕込みをほとんど終えた後、そのような事を呟く。
するとその直後、その言葉に触発されたのかはわからないが、夜らしく静かに扉の開く音と床の軋む音が耳に入る。

「…もう、身体は大丈夫なのかい?」
「――まだ起きてましたか。そんな気がしたから来たんですけどね」

現れたのはルーの方だった。
シリスが地下より戻る前に、ルーが目を覚ました。これだとシリスが部屋に戻るまで先日の続きは出来ないため多少都合が悪い、とマスターは結論を出す。
その旨をルーに伝え、再度体調を問う。

「で、体調は?」
「ゆっくり休みましたからね。明日は普通どおりにやれるかと」
「へえ。だいぶ派手にボロ負けしてきてたみたいだけど?」
「…そんなに酷く負けましたかね私は。自分では英雄相手に奮戦したつもりでしたけど」
「血を吐きながら帰ってきたくせによく言うよ」
「気遣いの言葉一つかけてくれなかったくせによく言いますよ」

ちなみに負けたルーを一目見た時のマスターの一声は『ずいぶん酷くやられたみたいだね』だけだった。
今のほうが誇張されているような気がするのはマスターなりの茶目っ気だろう。おそらく。

「――それにしても、ずいぶん治りが早いんだね」
「……そうですか?」
「血を吐いていたということは内臓が傷ついていた可能性だってある。数時間で治るはずはない」
「…口の中を切っていただけですよ、あれは」
「…まあ、どっちだっていいさ。治りの早い人が負けた方が戦いに支障をきたさずに済む」
「………言っておきますけど全力でしたよ私は」
「まあ、それもどっちでも構わないさ。それよりルー、少し待っててくれるかい?」
「どちらへ?」
「地下だよ。少々遅すぎる」

シリスが地下に行き、ディーと会話してくると言ったことを再度、詳しく話す。
今度はもう既に結構な時間が経っているという事を強調して。

「でしたら私が行きますよ。マスターは待っていてください」
「いや、病み上がりの君に無理をさせるわけにもいかないよ。念のため、銃を貸してくれないかい?」
「…まあ、そこまで言うのなら」

マガジンに弾が入っているのを確認し、マスターに渡そうとした、その時。

「あ……」

丁度シリスが地下から戻ってくる。こちらと目を合わせると軽く微笑む…のだが、どこか力無い。

「姫様! 遅かったじゃないですか」
「…そう? ゴメンなさい。もう寝るから心配しないで。ルーちゃんも早く寝た方がいいよ」
「えっ…? あ、はい…」

言葉も少なく、早々に部屋に戻ってしまうシリス。
ルーに対しても認識はしていたようだが、病み上がりの人間に対してあの程度の反応しかしないシリスではない。相手がルーなら尚更だ。

「…何かあったんでしょうか」
「疲れていただけ…と済ませることも出来るけど、それじゃあマズい」
「はい。事が起こってからでは遅いんです」
「じゃあ、どうしようか…姫様が寝る前に聞きに行くかい? それとも…」
「どちらも、ですかね。二手に別れましょう」
「わかった。姫様には僕が行こう。君は地下を頼む。決して扉は開けないように」
「わかりました。よろしくお願いします」

手早く別れ、マスターは一階のシリスの部屋に向かい、ノックして返事を待つ。

……シリスに気を取られすぎていて、刃を携えて近寄る人影に気づけなかったのは、仕方のないことだ。




一方、ルーが地下へと通じる扉を開き、明かりを点けようとした矢先。

「ん?」

何か軽い物を蹴飛ばしたような音がした。明かりを点け、確認する。

「…バッテリー?」

外から来たルーは知っているが、バッテリーのメーカーは今は一つと言って過言ではない。
今やシェアの99%がこのメーカーである。が、この型は非常に多くの物と互換性を持つ。故に何に使うバッテリーかまでは特定できない。
しかし、大型のものではなさそうだ。

(小型バッテリー…用途は不明ですが、そもそもこんなものが何故ここに?)

ルーはこの集い場と地下を繋ぐ通路まで把握しているわけではない。というか足を踏み入れる事もない。
だが昨日今日とほとんど集い場で作業をしていたのだ、ここに誰かが足を踏み入れれば目に入る。
思い当たる節はない。さっきまでいたらしきシリスと、ディーに軽い食事を運ぶマスターだけだろう、と結論を出す。
自分のいない時間帯のことであるならば、カウンターから見えるだろうから後でマスターに聞いてみればいい。

(シリスさんが持っている筈も無いし――私の物でもない。私の『目的』にはこんなものは使わない)

となると、皆が眠った後に誰かがここに忍び込んだとしか思えない。隠し持っている誰かが。
そう結論付けたルーはバッテリーをポケットにねじ込み、地下へ続くこの道の電気を消した。おびき出すつもりで。


第一の目的であるディーは、意外にもすんなりと問いに答えてくれた。今日は聞き分けが良いようだ。

(笑った…か。よくわかりませんが、いい兆候じゃないですよね、当然…)


地下から再び暗い道を戻る。
……地下と集い場までは扉一枚でしか仕切られていない上に大した距離はないが、意外と深度の差があり、実は静かに開閉される扉の音などは聞こえない。
故にこの状況だと、戦い慣れているルーやケイロンでもそこに息を潜ませている者の存在には気づきにくい。

(……弾は入ってますね。せっかく電気を消しておいたのに…まったく、誰でしょうか)

よほど殺意や敵意を剥き出しでない限りは。



「――ハァッ!」
「……!」

やや開けた場所に出た途端、振り下ろされる刃。
もちろん予見していたルーはそれを回避。駆け抜けるように距離を取りつつ、銃を向ける。

「…やはり、只者ではない」
「こちらの台詞ですよ、ソーラクさん」

村にあった剣を携えたソーラクが、暗闇から姿を現す。
彼は暗闇からの、なおかつ視界外からの一撃を容易く避けたルーに賞賛を送ったのだが、ルーから見ればあれだけダダ漏れの殺気では居場所を教えているようなものと同義だった。

「いきなり剣を振り下ろされるような事をした覚えはないんですけどね」
「貴女がここに来た……それだけで充分です」
「どういう意味ですか」
「誰かを殺すために来た者を捨て置くどころかましてや仲間に加えるなど、許されないという事ですよ」

僅かに…本当に僅かに、ルーが反応する。ソーラクが気付いたかどうかはわからないが、どちらにしろ話を止めるつもりはないのだろうし関係無いだろう。
ただの推論ですが、と前置きして、彼は語り始める。

「姫様達の話にあった、殺されたと思しき脱走者。貴女は、彼を探しに――探し出し、殺しに来たのではないのですか?」
「……………」
「ある筋からの情報と、それからの推理になりますが…貴女が目的通りあの男を殺して証拠を隠滅したとか、あるいは腕の無い男を匿っているか…まあ所詮は証拠の無い絵空事――」
「――『ある筋』というのは…? 貴方は、まさか――」

銃を突きつけるように詰め寄るルー。彼女も肯定こそしていないものの、今のソーラクの言い分の中のどれかは的を射ていたらしい。


「あまり怖い顔をしないでください。…見られていますよ」
「な…っ!?」

ソーラクの視線の先、扉の向こう。僅かに見えるのは、マスターとシリスがこちらを覗き込んでいる姿。
……謀られた。ルーがそう気づいた時にはすべて遅かった。

「まぁ、せっかくですし皆の前で弁解してもらい――」
「くッ!!!」

すべて手遅れだと判断したルーの行動は早かった。
この場に留まっても自分が不利になるだけだ、と。自分が正しいか否かなどではなく、状況として自分が疑われると判断し、素早くソーラクの脇をすり抜け、扉を開ける。

「待つんだ、ルー。逃げちゃ余計に君の立場が――」

そんなことを言うマスターの姿より、隣で怯えているシリスの姿のほうが、ルーの心を締め付ける。
だが、そもそも彼らに目をやったのも一瞬。大人しくソーラクの罠にハマってやるくらいなら自分で疑いを晴らせばいい。そうルーは考え、動いたのだ。立ち止まるわけにはいかない。

「……私は、何と言われようと姫様を護りますから」

そう呟いて建物から飛び出したルーの姿は、一瞬で漆黒の森の中へと消えていった。


「……いやはや、あそこまで一目散に逃げ出すとは予想外でした」
「弁解は言いすぎだ。君の言う通りだったとしても、ルーが敵だという事にはならない」
「彼女が今も探しているのなら、ですがね。しかし、彼女が殺害したことにより全てが起こったのだとすれば諸悪の根源となる」

嗜めるマスターに対し、ソーラクはあくまでも冷静だ。自分が間違っているとは露ほども思っていない。
何か確証でも持っているのだろうか。ともあれ信じるものがある人間を論破するのは骨が折れる。故にマスターは諦めた。だが。

「……そもそも、貴方の言う事を全面的に信じるとは言ってません」
「…彼女は逃げ出した。それが真実ですよ」
「…私は確かにあの時、ルーちゃんを少し怖いと思った。それを見たルーちゃんは、悲しそうな顔をしてた」

あれだけ仲の良かった相手を、一瞬と言えど恐れた自分に対する後悔。
その後悔の念が、彼女の諦めない強さになった。過ちが、信じる強さになった。

「悲しそうな顔をさせたのは私。謝らないと、償わないと、私は私を許せない」
「もし、私の言う事が全て真実だったとしても、ですか?」
「そうだとしても、ルーちゃんが森に――私達に悪意を持っているとは限らない」
「……ふむ」

ソーラクの話は、所詮は第三者、あるいは被害者側の視点。当人であるルーのことには何も触れられていない。そこがこの説の穴。彼にとっては口惜しいが反論の余地はない。

厳密には無い事もない。『隠し事をしていたという事実』を突けばいいのだ。
だが、つい先程まで自身の立場を隠していたソーラクに突ける余地ではなかった。

「……まぁ二人とも、今日は寝ようか。ルーを信じるにしろ疑うにしろ、夜の間は彼女も僕らも行動は起こせない」
「…そうですね。姫様、熱くなりすぎました、申し訳ありません」
「私はルーちゃんを信じてるから。私が無実を証明したら、その時謝ってくれればいいよ」
「…いやはや、芯の強さは頼もしいですが、敵に回したようで嫌ですね」

事実、シリスの内ではルーを追い詰めたソーラクと、ルーを疑った自分に対する敵意、嫌悪感が渦巻いていた。
だが、どちらかといえば自分に対する方が強い。姫という立場といえど、相手の立場を考えられないほどには子供ではない。
だから、あくまで表面上は普通に接する。

「ルーちゃんのことは三人だけで何とかしましょう。だから少なくともその間は、ソーラクさんも仲間です」
「真実を突き止める仲間、ですか。わかりました。マスターは仲裁役ですね」
「気苦労が多い立場だよ。まずは早々に寝てくれると助かるんだけど」
「確かに、もういい時間ですしね」
「わかりました、ではまた朝に。できれば早く集まってくれると嬉しいです」
「了解です、姫様」

そうして、各々は各々の思惑を抱えたまま、部屋に戻る。


――潜入者からの報告は、今日は無く。



[26011] 五章 ウソ
Name: 副団長そのいち◆5f934587 ID:d071f723
Date: 2011/04/02 23:46




「…あれ、遅かったか?」

朝、ケイロンが部屋を出て階下に下り、まず見たのはシリス、マスターとソーラクが一つの机を囲んで座っている姿。
随分と真剣な顔をして向かい合っている。故に彼は何やら不安になったのだが…

「おはよう、ケイロン君。別に普通だよ」
「普通だよ…な。いや、真剣な顔して三人集まってるからさ、つい」
「大丈夫、僕らだけだよ」
「むしろ皆さん遅いですよね。ケイロンさん、何か知りません?」
「……昨日しごき過ぎたか?」
「……皆、疲れているのかもしれません。今日は余裕を持って終わった方がいいかもしれませんね」

確かに時間はまだあるとはいえ、人の少なさはいつもに比べてやや異常ではある。
ケイロンの特訓を受けた者達もだがシリス組やルー組も人影はまばらだ。全体的に体力が無いのだろうか。

「ところでケイロン君、どうだい、みんなの完成度は?」
「どうって…全然。今のまま戦っても無駄死にするだけだな。もっと時間が必要だ…」
「そう、か……」

重苦しい雰囲気がケイロンを除く三人を包む。
同じ席に着こうとした彼だが、さすがに違和感を覚えて萎縮する。

「…どうしたんだ?」
「もう四日目だからね。そろそろ焦らないといけないのかもしれない…」
「あぁ…なるほど、確かに」

確かに、一理ある話だ。だがもちろん、彼が違和感を覚えたのはそんな話の事ではない。
自分の思い過ごしなのか、それとも隠し事をされているのか。どちらとも言えない故に、切り出すことは出来ず、普通に話を続けざるを得ない。

「でも、今日の状況を見てもわかるけど、皆の体力はついてきていないようにも思える。どうしたものかな…」
「まぁ、体力もだけど精神力にも期待しとかないといけないし。案外いざとなったら頑張ってくれるかもしれないぜ?」
「そうだね。少なくとも、僕らは皆一致団結しなくちゃいけない。だよね? ソーラク君」
「…まぁ、そうですね」
「………?」

皆の態度に再度違和感を覚えるケイロン。やはり、どうも自分だけ蚊帳の外な気がしてならない。
とはいえ…むやみに追求して良いものなのだろうか。戦闘に支障が出ないのならば追求したい所なのだが。

「…ルーでも起こしてこようか?」
「ああ、いや、ルーは今いないんだ」
「え? どうしてだ?」
「昨夜外に出て行ってから戻ってこないんだ」
「……なるほど、それでここはそんなに重苦しいのか」

詳しい事情、状況を聞いてもいいのか思案するケイロンを尻目に、三人は小声で会話する。

(マスター、三人でなんとかするって――)
(なんとかはします。ですがだんまりではあまりに不自然ですよ)
(まぁ、嘘は言っていませんしね)
(……とにかく、ケイロンさんは巻き込まないでくださいよ)
(ははっ、彼は細かく考えるのは苦手だろうしねぇ。了解ですよ)

元よりシリスの意向を無視する気などマスターにはない。ケイロンに着席を促し、切り出す。

「まぁルーのことは心配しないでいい。姫様なら探し出せるからね」
「…ああ、そうか、森の声か」
「とはいえ、一晩外にいるんだ、早く見つけてやりたい。僕ら三人で取り掛かりたいんだが、いいかな」
「ん? 俺も手伝うぞ?」
「いや、君には他に頼みたいことがあるんだ。僕らが出て行ったら、この素材を集めてきて欲しい。一日使って構わないから」

ポケットから紙を取り出し、ケイロンに手渡す。しっかり畳まれており文字は見えない。
なんとなく、というか、直感というか。ケイロンはその紙を今開く事はしなかった。

「そういうことなら仕方ない。でも一日って事は今日は…」
「うん、まぁみんな集まってこないし、休みにしようか」

結局、あれから森の人達はほとんど増えていない。僅かながら増えた人達もだいたいルー組かシリス組である。
ケイロンのやり方が問題だったとは誰も言っていないのだが、ケイロン自身どこか居心地が悪いのも事実だった。

「じゃあ僕らは皆に喝を入れながらルーを探すから、後はよろしく」
「はいよ。了解でさぁ」




――目を閉じ、耳に手を当て、神経を研ぎ澄ます。
シリスが森の声を聞く時のやり方だ。別にやり方が決まっているわけではなく、自分が集中できるというだけでそれっぽいやり方を選んでいるに過ぎない。
だが…

「………あれ?」
「姫様?」

シリスの表情が暗い。まさか、とマスターは思い、問いかける。

「…もしや、聴こえませんか?」
「………うん」
「気を落とす事はありませんよ。体調、精神状態に左右されるとは聞いています」
「…そう。ごめんなさい」

謝られるも、彼に責めるつもりなど毛頭無い。シリスが優しい人だからこその今の精神状態であるのだし、先代――シリスの母親などはもっと多かったと聞いている。
むしろシリスに負担をかけないことを信条とする彼からすれば、これは自分達も素直に手伝える好機でもある。

「じゃあ、どうしようか。手分けして探すか…」

それが本来なら妥当である。だが些か不安の面が大きすぎる。ソーラクも危惧し、意見する。

「それは少々問題ありかと。私と出遭ったら彼女はまた逃げ出しますよ」

ソーラクとルーが出遭うのは誰にとっても何よりも避けたい事態だ。
かといってシリス一人でも危険が伴う。ルーを信じている彼女はそうは思わないだろうが、客観的に見て、だ。
都合よくマスターが出会えればいいが、そうもいかないだろう。
そして何より。

「それに、ここは『迷いの森』だ」

そう、この森をシリスの案内無しで森の中をうろつくのは自殺行為だ。厳密にはシリス本人である必要はないが、何か迷わないための備えというのは必須だ。

「――そういえば、この近辺でよければ自作の地図はありますよ」
「ほう、案外抜かりないねソーラク君」
「自然調査に来て遭難して再度姫様に救出されるなんて笑えませんからね。独り身の学者の備えですよ」

もっとも、地図を持っていたところで絶対に安全とは言い切れない。ここはそういう森なのだ。
とはいえ、生活圏の近くならばまだ安全度も高いというもの。

「そうですね…どれくらいまで回れるかわかりませんけど、それを貸してもらえますか?」
「はい。自室から取ってくるので少々待っていてもらえますか」

そう言ったソーラクが戻っていくのを尻目に、シリスは再び『声』を聞こうと耳を澄ませる。

「姫様、無理なさらずとも――」
「ううん、聞こえそうな気がするの、もうすぐで」
「……そうですか」

シリスの集中はソーラクが戻るまで切れることは無かった。

「――すみません、お待たせしました」
「お帰り、ソーラク君。姫様、どうします?」
「……地下室に向かいます」
「…はい?」

つい素っ頓狂な声をあげてしまったマスターだが、もしや、と思い至る。

「聞こえたんですか?」
「はい」
「おや、それなら私の往復は無駄足でしたか」
「いえ、そうでもないですよ。私が聞こえたのはルーちゃんの居場所じゃありませんから」
「…それは、どういう…?」

イマイチ要領を得ない会話に釈然としない二人だが、急かすシリスに促され、地下室へと再び戻った。


「――なるほど、こういうことか」
「はい」
「…姫様もマスターも、どうしてそう冷静なんですか」
「あまり冷静じゃないよ。結構焦ってる」

三人が地下室で見たものは――いや、正確には『何も見ていない』とも言える。
そこに居るはずの人影が無かったから。

「私は聴こえましたからね」
「ディー君が抜け出した事が、か…」
「…ですから、もう少し焦りましょうよ。誰が何のために、彼をここから出したのか、とか」

入り口の扉は力づくで壊され、ディーの拘束具も切断されている。
もっとも、拘束具は一定距離以上動けないようにする程度の簡素なもので、その気になればディー自身でも引きちぎれたかもしれない。
故に、監禁という体を成していたのは扉の鍵のほうが大きい。鍵を持っているのはマスターのみであるし、鍵を使わずに開錠できるようなものでもない。だからこそ壊されているのだろうが。

「誰が、という手がかりはあまり無いね。破壊するのは結構な手間だろうが、目撃者が居ればもっと騒ぎになっているはず」
「結構な音もする筈ですしね」
「つまり、周囲に僕らも含め、誰もいなかった時にやったことになる。つい先程かな」

ルーを探すために、いつもはそこにいるマスターまでもが建物を出た。そこを突かれた形になる。
かといって悔いるつもりも暇もない。必要な事だったのだ、その結果起きてしまったのなら仕方ない、とマスターは考えていた。
そして、常に頑張っているマスターを責める者などいるはずもなく。勿論、シリスも例外であるはずもなく。

「追うなら『聴き』ますよ?」

一応お願いします、とマスターは頷き、ソーラクと二人で室内に犯人の痕跡が残っていないか捜索を始める。
しかし、証拠らしきものは何一つ見つからず。

「……彼は完全に森の中ですね。動き回るでしょうし、きっと私しか追えません」
「こっちもお手上げだ。何一つ見つかりません」
「となると、状況からの犯人の推測ですが…」

この場を見る限りだと、扉を破壊できて拘束具を切断できる者。
どちらも誰にでも可能だ。戦の為に武器が多数集められている現状なら。
ならばもっと広い視野で、とシリスとソーラクは思案しようとした。だが、マスターはそれを止めた。

「……犯人の特定は後回しだ。ディー君のことも。本来の目的、ルーを探す事に集中しよう」
「なぜです?」
「…いろいろな人が個人行動している合間の出来事です。疑い始めたらキリがない」

なるほど、とシリスも頷く。
彼女とマスターは一緒に居たから除外。だが他はそれぞれ個人行動だ。ソーラクも、ケイロンも、ルーも。確かにキリがない。
――それはもちろん見方を変えれば同じことが言える。例えばソーラクから見ればケイロンやルーは勿論、シリスとマスターがグルになっている、と考える可能性もあり。
ケイロンから見れば完全に別行動だったのだから誰の言う事を信じればいいのかさえわからないだろう。

「しかし、捨て置いていい事例でもないでしょう?」
「…彼の狙いはケイロン君だけだ。彼の安全さえ確保できれば当分は大丈夫だと思う」
「じゃあ、マスターとソーラクさんでケイロンさんを迎えに行ってあげてください。二人居れば万一遭遇してもなんとかなるかと」
「姫様はどうされます?」
「うーん……じゃあ、とりあえず自室で待ってます」

特に理由も無く、本当に『とりあえず』といった感じで決める。

「一人にさせるのは気乗りしませんが……部屋には鍵をかけて、私達が戻るまで出ないでくださいよ?」
「もちろん。二人こそ気をつけてくださいね?」

やはりマスターはシリスの身を案じるのだが、シリスは少なくともディーの居場所は把握できるのだから危険は無い。
むしろシリスが案じるように、危険なのは二人の方だ。
初日は三人に取り押さえられたとはいえ、ケイロンと真っ向から殴り合うディーの実力は誰もがそれなりに認めている。認めているからこそ三人がかりだった、とも言える。
よってマスターとソーラクの二人では勝てるとは限らない。シリスの言う通り、勝とうとするのではなく『なんとかする』のが最善の策だろう。

シリスの胸中をわかっているのかいないのか、二人は暢気に背を向けて歩き出した。
彼女は余計な言葉をかけるのは止め、二人を見届けてから身を翻した。





――時間は少々遡る。

「姫様? いや、見てないなぁ」
「そうか…ありがとう」

ケイロンは聞き込みをしていた。理由はもちろん、マスターに渡された紙切れ。やはりと言うか何と言うか、素材など書いておらず。

『シリスが夜中に出歩いている可能性がある。聞き込みをして欲しい。
 理由は後で話す。
 聞き込みやすいように皆には前もって休みと伝えておいた。騙してすまない』

……要約するとこんな感じの事が書いてあった。
ケイロンほどのお人好しでも、騙されたと考えると腹が立たない事もないわけだが…それでも、騙されたのが自分一人ではない可能性に思い至れば怒りも収まる。
紙切れでこういう指示をしてきたという事は、これは全てマスターの独断だろう。そこまで辿り着けば、お人好しにできることは信じる事だけだった。

「しっかし、夜中ねぇ……普通に考えりゃ寝てるに決まってるんだけどな…」

なんでも子供達がそんな話をしていたらしい、との事。
子供の言う事は綺麗に二つに分ける事が出来る。一点の曇りも無い真実か、少し考えればわかる明らかな間違いか、だ。
子供の発言を追い、噂の発生源の少年から話を聞く事には既に成功した。彼は確証を持っていたので、ケイロンとしても一応信じるに値すると判断した。
だが逆に大人からは目撃情報を得られていない。地道に森の全員を回るしかないようだ。

「ってーか、ヘタすりゃ普通に一日かかるよな…これ」




「――ああ、姫様? やっぱあれ姫様だったのか」
「……詳しく聞かせてくれ」

地道に聞き込みを続けてようやく、二人目の目撃者に辿り着く。

「いや、今の姫様の部屋って二階だろ? あそこに人影を見たんだよ」
「夜中にか?」
「…いや、夜中ってよりは早朝かな? だいぶ早いけど」

まぁ、多少は誤差の範囲だろう。子供が見た時間が活動開始時刻で、彼が見たのが活動終了時刻の可能性もある。

「ふむ…他に何か気づいた事は?」
「そうだなぁ、窓が開いてたな」

ケイロンはまず、窓から飛び降りた可能性を考える。彼も二階の部屋だから知っているが、不可能な高さではない。少女ということを考慮しても、だ。
だが同時に、夜中に窓が開いているくらいでそう決め付けるのも早計だ。換気していたと言われればそれだけで追及できないし、そもそも窓から出たのならどこから帰ったのかという話にもなる。
……他には何もなさそうだったので、ケイロンは彼に礼を告げ、背を向ける。

「…いや、待てよ? 確か俺の部屋の窓の先には…」

自室の窓から見た光景を思い出す。確か意外と近い距離にもう森が広がっていたはずだ。
つまり、危険ではあるが木々を伝って帰る事も不可能ではない。少女にそれが出来るかは少々怪しいところではあるが、青年男性の肉体ならばとりあえず可能だ。
どの程度の難易度か、身をもって実践してみよう、と戻ろうとすると、遠くから駆けてくるマスターとソーラクが目に入る。

「…どうしたんだ、二人とも」
「あー、その、すまないケイロン君。ディー君が脱走した」
「………へぇ。そうか」

随分と反応の薄いケイロンを、二人は訝しむ。

「いや、別に大丈夫だろ。アイツは俺以外眼中にないはずだし、他の人には手を出さないと約束した」
「まぁ、確かに復讐者とはそんなものですが。己のルールに従っているというか」
「…アイツは、命が理不尽に奪われる事の悲惨さを知ってるからな。だから特に理由もない限り、無関係な人は傷つけないと思う」

それは事実ではあるのだが、ケイロンには確証があったわけではない。
それは彼の願望。復讐鬼と化してしまった弟への、最後の希望。一握りでも優しさが残っていてくれれば、という淡い望み。
自分のせいとはいえ、豹変してしまった弟にも、変わらないトコロがあるのだと信じたかった。それだけのこと。

「……ま、そうだとしても、君も僕達には必要なんだ。仲間だろう?」
「…大丈夫、殺されるつもりもないさ」



――そうして、マスター達と合流したケイロンはシリスの待つ集い場まで戻る。
途中、聞き込みの結果を話そうかとも思ったが隣にソーラクがいたので止めておいた。


「――えーと、姫様は自室にいるはずだ。迎えに行こう」

マスターを先頭にシリスの部屋まで行き、ノックをする。やや間があって扉が開く。

「…お待たせしました。みなさん大丈夫でしたか?」
「ディーのことか?」
「はい。とはいえ、私も『聴いて』いたんですけど。社交辞令のようなものですよ」
「…つーかシリスのそれがある限り、奇襲とかは心配しなくていいんじゃないか」
「ははっ、まぁそう思うかもしれないが、そうそう万能でもないんだよ。現にルーは見つけられなかった」
「ふーん……」

ソーラクはこぼれ聞く形で知っていたが、その場に居なかったケイロンはシリスがルーを追えなかったことも、その理由も知らない。
尋ねていいものか、と悩んでいる間に、シリスが話を進めてしまう。

「……ルーちゃんのことなんですけど、今夜戻るそうですよ」
「…どういうことですか?」
「うん、さっき部屋に戻ってきたらね、手紙が挟まってて」

シリスが紙を広げる。そこには確かに『今夜戻るのでシリスに迎えに来て欲しい』という旨の文章が。
……その文章を見た反応はそれぞれだったが、一番楽観的な反応をしたのは、もちろん事情を知らない彼。

「…こんな時に何やってんのか知らないけど、暢気なもんだなぁ」
「ええ、まぁそのあたりも含めて、迎えに行くついでに少しお説教をしようかと」
「ふーん。ま、夜に出歩くのはオススメしないけど、ルー相手なら安心か」

昨夜の事情を知らなければこんな反応である。そしてそれに同じように笑みを返すのは、ルーを信じているシリス。
とても笑う気になれないのは残り二人だ。
『シリスに迎えに来て欲しい』というのは『一人で来い』と言っているのとほぼ同義だ。案じる事案はそれぞれだが、どちらにしろ面倒だ、と二人は思っていた。



「――ところでケイロン君。頼んでいたものは?」

シリスを自室に残して解散し、マスターがケイロンだけを呼び出す。
ようやくか、とケイロンは聞き込みの成果を聞き出したまま話す。

「――なるほどね。疑わしい状況、か」
「何が疑わしいのかも話してくれると報酬としては満足なんだけどな」
「すなまいね。君が姫様のこと、僕達の事を大事に思ってくれているのはわかる。だからこそ、話すかは慎重に決めないといけない。そういうものなんだ」
「へいへい、そーですか」

全てを話すという事は、全てに巻き込む事。マスターはそう思っているし、事実である。
マスターが隠している事。シリスが隠している事。この森が世界に隠している事。語ってしまえば、ケイロンももう森から出ることは許されないだろう。
……だが、きっと彼はそれでもいいと言う。そういう人だ、とマスターもわかっている。そして、そういう人がきっと誰よりもシリスの心の支えになるのだ、ということも。
そして、きっとシリスの心にはもう時間がない。だからマスターも覚悟を決めた。

「……明日の朝でよければ、君が聞きたいこと、全てに答えよう」
「…わかった。どこまで話してくれるのかわからないけど覚悟はしとくよ」
「全部さ。聞いたらもうこの森からは出られない」
「……へへっ。これでホームレス生活ともオサラバだな」
「…君でよかったよ。姫様を…助けてくれ」
「俺に任せとけって。俺は強いからな」
「…明日。よろしく頼む」

ああ、と軽く返事をし、部屋に戻るケイロン。やはりその背中は、なんとも頼もしい。

「本当に…彼でよかった。彼なら何とかしてくれる。そんな気がする」



少し時間が経ち夕食時、マスターは皆に軽く食事を出す。
……皆と言っても、今この建物で生活をしているマスター、シリス、ケイロンとソーラク。いつもの面子だが。
食事後、「今日休んだ分、明日は早くから始めよう」と殊勝な事を言ったのはケイロン。それには全員が同意するが、彼はその上にマスターとの約束もある。かなり早起きする事になる。
自身もそれは心得ており、結論が出るや否や早々に部屋に戻って寝ようと立ち上がる。

勿論、ルーとソーラクの諍いを知らないからこそ彼は早々に寝ようとしているのであり。
事情を知るマスターは、万一に備えてケイロンには起きていて欲しいと思っていた。
だが、

「ケイロンさん、戸締まりはちゃんとして寝てくださいね?」
「ん? あぁ、ディーのことか。気をつけとくよ。じゃあお休み」
「はい、おやすみなさい。また明日」

マスターが口を挟む間もなく、シリスが言葉でケイロンの背中を押す。
……シリスの言葉のおかげで、これからケイロンの部屋は朝まで完全な密室だろう。外で小さな争い事が起こっても気づいてもらえる可能性は低い。
結局はいつも通り、マスターがシリスの尻拭いをしなくてはいけないのだ。


「――では私も早めに休ませて貰いますか。マスター、明日の予定は?」
「…集めてから決めるよ。一日休日を挟んだことによる皆の変化を見て、ね」
「了解しました。では、また明日」

会話もそこそこにソーラクが席を立つ。彼も事情を知る側――というか当人だ、どこか口数が少なく、深刻な雰囲気である。

「マスター、おかわり下さい」

そして、これから一番危険に晒されるであろうシリスが一番暢気だ。危険に晒されると決まったわけではないのだが、マスターの一番の心配の種であることには違いない。
シリスも理解していないわけではない。それでもなお普通に振舞う彼女を強い子、と言っていいものか。マスターは複雑な胸中だった。

「…姫様、人を――ルーを信じるのが悪い事だとは言いませんが、もう少しは緊張感を持った方が――」
「違うよ、マスター。私は貴方も信じてる。ちゃんとこの場で抑えててくれる、って」

おかわりのお茶を飲み干しながら、シリスは淡々と言う。

「……誰をでしょう?」
「言わなくても判ってるでしょ?」

二人して、ソーラクの部屋の方を見る。うっすらと光が漏れている。まだ起きているのだろう。

「……姫様には、何か確証が?」
「まぁ、少しは」
「我々大人は、狐は尻尾を出すまで泳がせておくのが基本なんですよ。少し、では網を張れない」
「うん、だから捕えろ、とは言わない。抑えておいて、って言ったの」
「睨み合いをしておけ、と。わかりましたよ」

コップをマスターに渡し、シリスは席を立つ。マスターももう引き止める事もない。自分に与えられた役目を果たすだけだから。
外へ向かうシリスを尻目に、コップを流し台に置き、ソーラクの部屋へ向かった。




――数分後、剣を持って外に飛び出したソーラクを迎えたのは、二つの銃口。

「……いやはや、これはまた熱烈な歓迎ですね。ここまで好かれる心当たりはないのですが」
「もう演技はいいですよ。それより、マスターをどうしました?」

右側、少し離れた地点から銃を向けるシリスが問う。
対して、左から近距離で銃を押し付けているルーは無言だ。

「……命は奪っていませんよ。そこまで私は非情ではないし、あの方も悪人ではない」
「目的のためには手段は選ばない…というほどでもない、と。話し合う余地はあるということですか?」
「いえ、無いですよ。私の目的は姫様、貴女だ。そして、貴女を引き渡す事を認める人など、ここには誰一人としていない」
「ずいぶん素直に話すのですね」
「いろいろ荒らされてましたからね」

二人してルーを見やる。一つの溜息と共に、ルーはポケットからいろいろ取り出す。
通信機、バッテリー、盗聴器、発信機。風景・映像保存用ガジェットにストレージ。実に多様だ。

「…ルーちゃん、やっぱ持ち出しすぎだったみたいだね」
「……シリスさんを信用させるためです、仕方ないでしょう」
「私はずっとルーちゃんを信じてたよ?」

……夕食時、ソーラクの様子が深刻だったのは、所有物がなくなっていることに気づいたからである。
だが、彼はずっと疑問だった。誰が、いつの間に持ち出したのか。しかしこれで片方の疑問は氷解した。
ならば後は、残る片方の疑問。

「…しかし、いつの間に?」
「少し前、ですよ。貴方達がケイロンさんを迎えに行ってる間、です」


――あの時、マスターとソーラクを見送ったシリスは、そのままルーが空き巣を行っているソーラクの部屋へ向かい事情を聞いた。
そして空き巣も早々にシリスの部屋へ移動。先程見せた大量のソーラクの所有物は、この時にシリスに信用してもらう材料だったというわけだ。
シリスの部屋に移動したのはもちろん、シリスがそこにいないと皆が戻ってきたときに説明がつかないから。そしてそこで今晩の打ち合わせを行い、偽装の手紙も書いた。
打ち合わせとは言うが、元々ルーは一人でソーラクを捕まえて汚名を晴らすつもりであり、そこにシリスが強引に介入した形になる。


事情を知ったソーラクは、さすがに驚愕の色を隠せない。
一番騙し易そうな少女に疑われていた事、ではない。いや、もちろんそれもあるのだが。
それより何より、今回のこの罠が仕組める、大前提の条件。

「く、くくっ……姫様、なるほど貴女も中々の嘘吐きだ!」
「…ええ、まぁ、なかなか緊張しましたよ」
「私だけでなく、マスターさえも欺くとは! お見事ですよ!」

そう、大前提として『ルーと出合う事』がある。マスターもソーラクも、そのために今日という一日を割いたと言っても過言ではないのに、この少女は一人でそれをやってのけた。
否、やってのけたのではなく、最初からそれが出来たのだ。

「知っていたのか、読んでいたのか、あるいは他の何かはわかりませんが…貴女は最初からルーの居場所を掴んでいたわけですね」
「最初から聞こえていただけですよ。ルーちゃんの居場所は」
「…あの表情は演技には見えませんでしたが。ともあれ、一本取られましたよ」
「そう思うなら、大人しく捕らわれてください」
「それは出来ない相談なんですよ。捕らわれるくらいなら大人しく死ねと、そういう任務ですからね」

シリスはロープを取り出そうとしたが、その言葉に再度緊張を走らせる。

「…妙な動きをすれば撃ちますよ。私はシリスさんとは違います」
「それも仕方ありません。そういう任務ですからね」

ルーが銃を押し付けながら威圧するように言い放つも、特に効果は無い。
これが軍人の覚悟なのか、とシリスはどこか遠い出来事のような感想を持った。


「――ですがまぁ、折角なので何一つ動かさずに抵抗してみましょうか」


ソーラクがそう呟いた瞬間、彼の周囲に炎が巻き上がる。

「くっ!?」

至近距離にいたルーだが、辛うじて反応し、飛び退く。
もっとも、それでもまったく炎に巻き込まれず、というわけにはいかなかった。
いかなかったのだが。

(………?)

素早く自分の受けたダメージを確認。だが火傷などの外傷は無く、銃や服も熱を持ってこそいるものの、燃えたり溶けたりはしていない。

(これは…能力!?)

対人戦において効果的といえるほどの効き目は持たない、能力特有の症状。
だがそれでも、ソーラクの放った炎の大きさは規格外だった。ケイロンでさえも拳、場合においては脚くらいには炎を纏わせたりするだろうが、全身から吹き出るような炎というのは異常だった。


「――『能力』というものは、抗うために神より与えられし力。つまり、能力者は選ばれし者。そのような定義なのですが…」

『力を与えし神に感謝を。立ち上がり戦う人間に敬意を』
……『外』ではそういう教義が一般的だ。統一宗教国家というわけでもないのだが、その教えは全国に浸透している。それだけ外敵との戦争の爪痕は深く、大きい。
そして、それに立ち向かう、立ち向かった能力者に敬意を払え、という教義は本来なら良いもののはずなのだが。

「…ですが、我々ダイモンはそのような甘えた教義を良しとはしない。人間には知恵がある。戦うだけが能ではない」

ゆらりと剣を構えながら。

「己の無力を嘆き、苦悩し、それでもなお他人に縋るしかしない弱者など、我々は認めない」

静かに、ただ静かに。

「力が無ければ手に入れる。力があるならばさらに鍛える。そして、力に気づいていなければ気づかせる」

剣の切っ先を、シリスに向けて。

「貴女のことですよ」



――気づいていなかったといえば嘘になる。
皆が隠し事をしているのも知っている。
でも、それでも。


「…耳を貸しちゃいけませんよ」

「……うん、わかってる」


信じるべきものは、間違えない。




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