【ケツマツ】
「――まぁ、いいか。お前に殺されるなら……悪くない」
指の一本さえも動かせぬ完敗。英雄と呼ばれし彼がそんなものを喫したというのに、表情は穏やかだ。
「ふふっ、私じゃない私でごめんなさいね?」
周囲に動く人影は、一人の女を除き、存在しない。
残るのは、動きもしないおびただしい数の亡骸。それと、息はあるが、到底身体を動かせる状態ではない者が数名。
「本当は、私じゃなくて『彼』に権利はあげたかったんだけど」
「…勘弁してくれ。アイツが俺を楽に死なせてくれるとは思えない。君の方が気が楽だ」
「私だって、人の苦しむ顔が見たくなる時だってあるわ」
「……それでも、アイツよりは君がいい。少なからず好意を抱いていた女に殺されるほうが」
「それはそれは。あとで伝えておいてあげるわ」
女は男の首筋に剣を向ける。それは先刻の言葉とは裏腹に、苦しまぬよう、一撃で命を絶つと伝えるも同義。
それは女の優しさか、哀れみか。男には知る由もないが、それでも微笑み、目を閉じた。
剣を振るう。
首が舞う。
女はそれを見届け、剣を投げ捨てる。転がった首を見やることなく、胸に手を当て、空を仰ぐ。
「……一応、教えといてあげるわ。このコもね、貴方の事は好きだったのよ?」
返事など、あるはずもなく。
女が気づいた真実は、森の中から空を仰いだところで太陽はロクに見えない、ということだけ。
溜息を一つつき、死体ではなく、まだ息のあるほうの『彼』に向かう。
『彼』にも意識はない。そっと頬に手を沿え、一言「ゴメンね」と呟く。
……返事など、あるはずもなく。しかし、そこにはまだ命はあった。未来があった。
『彼』の鼓動を確かめ、安堵した女は、周囲の『ゴミ』の山を見渡し、再び溜息。
「やることは山積みね……これからどうしようかしら?」
【潜入者】
――薄暗い建物の中、ドアをノックする音が響く。
「…入れ」
ドアの向こうから響く落ち着いた声。それを聞き届け、ドアを開く。
「書類には目を通したな?」
入るなり、自分を呼びつけた男から確認の言葉。
「…はい」
「…そう固くなるな。お前の実力は、皆認めるところだ」
椅子に座った男は、視線で着席を促す。上司からの指示だ、従わない理由はない。
「初の任務とはいえ、戸惑う事はない。いつも通りにやればいい」
「わかっています。ご期待に沿えるよう…頑張ります」
「ふむ……」
それから小一時間ほど、『任務』についての最終確認をし、席を立つ。
「それでは失礼し――」
「――妙なプレッシャーに潰されるなよ」
「……は?」
「確実に、生きて帰ることだ。そうすれば、もう他の奴等もお前を劣化品だとか、頭数合わせなどとは呼ばなくなる」
「………」
『低レベルな能力者』『前任者の劣化品』『四天王の頭数合わせ』。今まで向けられた蔑みの言葉は数多い。
眼前の上司は口にこそしなかったが、同じ思いを抱いていると思っていた。
だが、今は気遣う言葉を向けてくれている。少なからず、緊張は和らぐ。
「無理はするな。それだけだ」
「…心得ています、ノーリ様…」
【追跡者】
――男は、仇を追っていた。
「チッ…降りかかる火の粉を払い続けるのが…これほど面倒とはよ…」
歩きながら呟く男。その身体には多数の傷。
頭上からは、たった今その身に付いた血の香を洗い流すかのように降り注ぐ雨。その姿と、降り注ぐ雨はあまりにも似合っていた。
しかし当然ながら、冷え切った雨は満身創痍の男の身体から容赦なく体力を奪う。
それでも、男は歩みを止めなかった。
「この先か……」
眼前に果てなく広がる森を見上げても、男の歩みは鈍る事はない。
この森が何と呼ばれているか、男は知らない。仮に知っていたとしても足を踏み入れる事に変わりはなかっただろうが。
「待ってろよ…殺してやるからな……」
【元・英雄】
「――うっわ、すげぇ雨だな…」
木製の扉を開け、響く雨音に驚きながら階下への階段を下りる青年。足元からも木の軋む音。
途中、青年は頭上を見上げて思う。――この建物は本当に樹そのものなのだと。
おそらくは、この森一番の大樹だったのだろう。高く高く続く吹き抜けは、樹を外側から見る感覚とはまた違う感慨を与える。
朽ち果てようとしていた大樹を、森の皆で貸家、そして集い場として再利用するために手を加えた。そう聞いている。
最も広い一階部分を集い場、というより酒場のような様相にし、それより上の階層は円を描くように個室を作り、貸家に。上の方は耐久性は大丈夫なのかと不安になるほど、高く多く部屋が設けられている。
もっとも、使われる事の方が稀だが。
今降りてきた、円を描いた階段などを見ると――なるほど樹だと実感はするが、普通に暮らす上では何の不都合もない。
――こんな、人もまず訪れないような森の奥深くであるにもかかわらず。
『森の民』。この深い森に住む彼らは、己らを単純にそう称する。
青年が初めてここを訪れた数ヶ月前の頃には、こんな森の奥深くで人が生活を営んでいるなど、考えもしなかったものだ。
「おはよう、マスター」
階下、一階の集い場。カウンターの向こうでエプロン姿でグラスを磨く壮年の男性に挨拶をする。
集い場とはいえ、周囲に人影はまだまばらだ。朝も早いし当然ではあるが。
「ああ、おはようケイロン君。どうだい、数ヶ月ぶりに森で一夜を明かした感想は?」
「最ッ高だね。空気からして癒される。まったくもってあの時に拾ってもらえた奇跡に感謝してるよ」
「全く、うちの姫様は外出好きで困るよ。でもまさか世界的に有名な英雄を拾ってくるとは思わなかったけど」
「ははっ、『元』英雄だよ俺は」
男性はグラス磨きを止め、カウンターに座った青年、ケイロンに飲み物を出そうと裏に姿を消す。
「…その若さで難儀してるね、君も。それより、今回はどのくらいここに?」
「さあねぇ…命の恩人と話して決めるよ」
「姫様のことだ、ずっとここにいて欲しいんじゃないかな?」
「ははっ、さすがマスターはよくご存知で」
姿を現したマスターと呼ばれる男性の手には、湯気の立つミルク。
受け取り、それに一言礼を言い、金を払おうとポケットを探る。
「お代はいいよ。もとよりそんなものは取ってないしね。森の皆に無料提供だから」
「いや…でも俺は、この森の住人じゃないし」
「いいんだよ」
そう言ったマスターの顔は、少し寂しげで。
ケイロンは、自分が再びこの森を訪れた目的を思い、マスターを見る。
「…この森の人は、いい人ばっかりだな」
「…どうしたんだい? 急に」
「シリス――あぁ、姫が起きてくるのはいつ頃になるかな?」
「姫様も結構な早寝早起きだからね。もうすぐだとは思うけど」
「そうか…昨日は夜も遅かったから、ロクに挨拶も出来なかったけど」
ミルクを飲み終え、グラスを返す。お代も払いたいところだが、とりあえずは好意に甘えておく。
「ところで、マスター」
「うん?」
「…もし俺が、この森に住み着きたいと言ったら?」
マスターの一瞬の表情の翳り。ケイロンも気づくが、しかしそれを気に留めることはない。
「…もちろん、歓迎するよ? 姫様も喜ぶし」
「いや…本当は、マスターも姫も、俺には居てほしくないはずだ」
「まさか。君を追う人達も、こんな森の奥深くには入って来れない。ここは安全だ」
「そうじゃないさ。さっきも言ったけど、この森の人達は――」
不意にケイロンの背後、この建物の正面入り口の扉が軋む音を立てながら開く。
「おはようございます、マスター」
「あぁ、姫様。おはようございます」
そこにいたのは、そう、他ならぬこの森の姫と呼ばれる少女、シリス。
森の姫らしい、緑を基調とした簡素なドレスのような服に、薄黄緑の髪。森の中に溶け込むような配色でありながら、一際目立つ存在感は彼女自身の持つものだろうか。
「そしてケイロンさんも、おはよう」
「お早う御座います、姫」
「ぷっ…どうしたの? かしこまっちゃって」
「…いつも通りでいいのならそうさせてもらうけどな、シリス」
「そうですね…私もこう、何と言うか…ケイロンさんに姫と呼ばれると、落ち着かないですし」
そして笑い合う二人。出会って間もない二人だが、その間には確かな信頼…絆がある。
しかし、二人はほとんど互いの事は知らないのだ。
なぜ、シリスが姫と呼ばれているか。
なぜ、ケイロンは追われているのか。
そのどちらも、彼と彼女を知るものならば容易く答えられる疑問ではある。
例えば、マスターは両方の答えを知っている。前者は『森の民』として当然、後者は多少なりとも外界事情に詳しくないといけない立場柄。
しかし、当人達はその事について何も興味を持たぬ様子で、故にその疑問を持ちかけられることもない周囲の人達は、黙って見ているしかないわけで。
「――ところでケイロン君、さっきの話は…」
多少、雑談が落ち着いたあたりを見計らい、マスターが声をかける。
(…本来なら、姫様にもケイロン君にもゆっくりと語り合う時をあげるべき。…しかし今は…)
先程の会話が気になって仕方がない、そんな様子だ。――しかしその内にはどこか覚悟じみた冷静さもあるようだが。
「あぁ、そうだった…姫――シリスも同席して欲しい」
「私も?」
「そう。俺の命の恩人である君だからこそだ」
三人は、集い場の一番隅のテーブルを囲って座る。
「シリスにもマスターにも、まだ話してなかったよな。俺がここにまた来た理由」
無言で頷く二人。昨夜遅くにふらっと現れた彼に問う時間など、そもそも無かった。
「…もし俺が、ここにしばらく、無期限で留まりたいと言ったら?」
二人は少し顔を見合わせ、問い返す。
「…なぜです? そんなに長い時を必要とする用事なの?」
「ああ、少なくとも半年」
再び二人は顔を見合わせる。その視線の中にあるのは、無言の意思疎通。暗黙の了解と責任。
「…私達も手伝いましょうか?」
「ほらな、マスター。やっぱり長く居られると困るんじゃないか」
マスターが肩をすくめ、溜息一つ。
「その通りだ。本当に申し訳ないが、今すぐにでもここを去ってもらいたい」
「ちょっ…マスター!?」
「事実でしょう? 姫様」
「そ、それは……」
「………俺を巻き込まないためか?」
驚いた顔でケイロンを見る二人。驚いた理由はもちろん、彼の言う事が的を射ていたから。
「そんな顔するなよ…軍の動きくらいは俺の耳にも入るさ」
一時期とはいえ、『英雄』として大国に祭り上げられた存在である。それなりにコネもあるのだ。
そして、そこから情報を得たからこそ彼はここへ来た。
「…軍が、この森に攻め入ろうとしている。ごく一部の人しか存在を知らないはずの、この森に」
「…そうです」
――ちなみに、今や『国』といえば大陸のほぼ全土を支配する『世界統治国家』が一つ存在するだけである。
それ以外の『国』と呼ばれていた物は少し前の大戦で吸収された形となり、残っているのは国とも呼べぬ自治地域規模のものだけ。
よって、『軍』と呼べるのもその『国』の正規軍隊のものを自然と指し示すことになる。
もちろん、英雄と呼ばれたような存在ならばその辺の事情にも詳しい。
故にケイロンは確信を持っている。その事を知った今、シリスも覚悟を決め、正直に答える。
「そして、シリスやマスター…いや、森のみんなは戦うつもりなんだろ?」
「そうです」
「…俺には…戦わせてくれないのか?」
「当然です。ケイロンさん、貴方はこの森の住人ではない。部外者を戦いに巻き込むのは立場上許されません。それに――」
その後に続く言葉は、誰にでもわかる。今まで述べられたのはこの森の姫としての意見。
これから述べられるのは、一人のシリスという少女としての意見。
「わかった。シリスの言い分はわかったから」
だから、ケイロンは彼女の言葉を断ち切った。
後に続く言葉はわかっていた。でも、それを彼女に言わせると、彼女の決意が固くなりそうだったから。
「でも、俺だって命の恩人を見捨てて逃げるのは嫌なんだ。嫌というか、絶対一生後悔する」
わかるだろ? と言わんばかりの視線を逸らす事も、シリスには出来なかった。
出来なかったから、助け舟を求めた。
「マスター…」
「やれやれ…二人とも言い出したら聞かないからな」
溜息と共に首をすくめ、呆れたように言い放つ。
「幸い、敵は降伏を勧告してきてる。返答期限まではまだ時間があるから、二人で話し合うといい」
「おいおい、マスター殿は放任ですか」
「この森の全ての決定権は姫様にある。忘れてたわけじゃないだろう? ケイロン君」
「う…いや、まさか忘れてたわけじゃあ…」
「姫様も、何か変な覚悟をしておられるようですが…戦う以上、我々は負けるつもりはありません。お忘れなく」
「あ…うん、ゴメンなさい…」
意地だけの言い合いを続けそうな二人の頭を冷やさせ、マスターは席を立った。
そろそろ人も増え始める時間だ。いろいろ準備があるのだろう。
数刻と経たぬ後、再び入り口が開かれる。再び響く、木の軋む音。
「…おはようございます」
入ってきたのは幼き少女。長い銀髪を頭の両脇で纏め、軍服を簡素にしたような服に身を包んでいる。
入ってすぐ周囲を見渡し、ポツリと呟く。
「閑古鳥……」
「おはよう、ルーちゃん。今日も早いね」
「おはようございます、姫様。貴方ほどではありませんけど――」
ルーと呼ばれた少女は、そのままケイロンをじっと見つめる。
(…………?)
「あ、こちらは…えーと、昨日来られたお客様の…」
シリスに腕を引っ張られる。自己紹介しろという事らしい。
「ああ…ケイロンだ。よろしく。えーと、ルー?」
「…はい、よろしく」
それだけ言うと、彼自身には興味なさそうにカウンターの方に歩いていく。
「おはよう、ルー。何にするかい?」
「熱いお茶で」
「好きだねぇ…ここのお茶は渋いのに」
「この渋さが私の好みなんですよ、丁度いい位に」
お茶が運ばれてくると、微かな笑みを浮かべながら飲む。それを見てケイロンは呟く。
「…変わった女の子だな」
「いい子ですよ? しっかりしてますし。それより…本名言っちゃって良かったんですか?」
ケイロンは追われている身。それを知っているからこそ、シリスは彼の紹介に悩んだというのに。
「ああ、あの子、外の子だろ?」
「え、どうしてわかったんですか?」
「…まあ、俺を見る目かな」
本当は服装、雰囲気、いろいろ他の森の皆とは違うからでもあったんだが、決め手は自分を見る目だった。
少なくとも、知らない人を見る目ではなかった。興味はなさそうだったが。
(それ以上に、なんか深く翳った目だったけどな…)
しかし、見た目は幼いなれど歳不相応にしっかりしていそうだというのはケイロンも感じた所だ。
「確かにあの子は外の子です。割と最近になるんですけど、ふらっと迷い込んだらしくて…」
「ふらっと、って…」
「帰るところがないらしいから泊めてたんですが…あんな幼い子、絶対に戦いには巻き込めない…」
「…武器は持ってるみたいだけどな」
カウンターでお茶を飲む、その傍らに小太刀が置かれている。それに加えて上着の内ポケットにも銃を隠し持っているようだ。
銃は確かにわかりづらいとはいえ、小太刀ぐらいはシリスも気付いているはずだが…
「護身用だと思いますよ?」
「…俺にはそうは思えないけどなあ」
「もし仮にルーちゃんがケイロンさんくらい強かったとして、この森の住人だったとしても、それでもあんな幼い子が戦うのは…」
「…ま、確かに間違ってるか」
正義だとか、信念だとか、そのような胡散臭いとも取れないものとは関係なく。
少なくとも、自分達より幼い者は実力など関係なく戦わせたくない。ごく普通の意見だ。
「――シリス…俺は…」
「ん?」
「…俺がこの森の話を聞いて戻ってきた訳は、戦うためじゃない。守るためだ」
「…………」
誰を、とは聞かない。何故、とも聞かない。わかりきったことだから。
彼は、それほどまでに真っ直ぐな考え方をしているから。
シリスが戦う道を当然の如く選んだように、ケイロンがここに来たのも当然。
ならば、拒んではならないのだろう。拒みたくとも。
「…………」
「…………」
暫くの沈黙。
彼ら二人だけではない。周囲も、否、森さえもが不思議な静寂に満ちていた。
しかし…それは偶然だったのだろう。
森が沈黙したことではない。それにも理由があったのだから。
故に偶然と呼べるのは…今、このタイミングで、沈黙の原因となる男二人が邂逅した事。
『…ここか』
「ッ!?」
殺気。ケイロンがそれを感じ取り、扉を振り返ると同時に、それは荒々しく蹴り開けられた。
『な……!?』
「…ふん」
室内に居た全員の目線を軽く受け流し、男は捜す。ただ一つの見知った顔だけを。
そしてその『顔』は、幸運な事に自ら飛び出てきた。
「ディー!」
己の座していた椅子を蹴り飛ばしたのも気付かず、男の元へと走り寄る。
「……わざわざ片隅で女と何してたんだ、あァ?」
「…お前こそ、こんな森の奥までわざわざご苦労な事だよなぁ」
睨み合う二人。ディーと呼ばれた男は、誰にでも感じ取れる程の危険な殺気を纏いながら。
片やケイロンは、殺気こそないものの、彼と同等の覚悟じみた空気を発しながら。
周囲の誰も、言葉を発しない。口を挟めない。
二人の関係はわからずとも、今の二人の間にあるものは因縁以外の何物にも見えなかったからだ。
「そろそろ走り回るのも疲れただろ? いいかげんリタイアしちまいな」
太股のホルダーから銃を抜き、ケイロンのこめかみに突きつける。
だがケイロンはそれには動じず、それどころか不適に笑い飛ばしてみせる。
「お断りだね。自分で決めた事だ、どんなに不様でもゴールまで走ってやるさ」
「チッ……」
ディーの舌打ちと共に、周囲の空気が変わる。彼が周囲に纏っていた――あるいは撒き散らしていた――殺気が、一点に集中されていく。
その一点がどこかは、言うまでもない。
「死ね」
トリガーにかかる指に力が込められる。その僅かな動きをケイロンは察知し、銃弾が己の頭部を貫く寸前に身体ごと頭を下げる。
発射された銃弾は、誰にも当たることなく木製の壁にめり込む。ケイロンは内心安堵しながら、ディーが手にする銃目掛けて拳を振り上げる。
「そらっ!!!」
拳は見事、標的を打ち上げる。だがディーは顔色一つ変えない。
――逆の手が、もう一丁の銃を掴んでいた。
「く…っ!」
連続する銃声。転がるように距離を取るケイロンを尻目に、大雑把な発砲を繰り返しながらもう一丁の銃を回収するディー。
「どうした…ビビってんのかァ? 英雄サンよォ」
「この野郎……」
早朝ゆえに人が少ないため、今のところ死傷者はいないようだが…
「…………ッ!」
森の人間に危害が及ぶような行為を、許す筈の無い人間がここには一人居た。
「やめなさい、二人とも!!!」
「………あァ?」
面倒そうに睨みつける視線にも怯まない、強固な意志を持つ姫がそこにいた。
「シリス……」
「……邪魔すんじゃねぇ、女」
「…貴方こそ、私達の生活を邪魔しないで貰えますか」
周囲がどよめく。マスターもシリスに歩み寄り、なだめようとする。
しかし、シリスは意に介さず、ディーと相対し続ける。
そしてディーは――ただ、笑った。
「ククッ――聞いたか、英雄サンよ? ちょろちょろ逃げ回って被害を出すより、大人しく殺されろってよ」
「お前……」
酷い曲解ではあるが、ケイロンの立場からすればある意味、的を射ている。
自分が逃げ回れば逃げ回るほど、被害が拡散するのは事実なのだから。
しかし。
「何を言っているのですか。彼もまた私達の、共に戦う仲間。この森の住人と同等の扱いです」
奇しくもこの状況で、彼女は彼の意思を汲む言葉を口にする。先刻ならばケイロンを喜ばせる言葉だが、今は油を注ぐ言葉に他ならない。
「チッ……なるほどな」
「ディー…?」
「……要するにテメェがこの森のルールなんだな?」
「!? シリス!!」
銃口がシリスに向けられる。ケイロンが立ち上がるも、遠い。銃撃から距離を取らざるを得なかった彼は今や、周囲の誰よりも遠い。
(間に合わない…!? 誰か…ッ!)
あまりにも小さい希望にすがりながら、ケイロンは走ろうとする。だが間に合わないのは明白だ。
周囲の人間にも――ただの一般人に期待するのも酷だろうが――ケイロンほどのとっさの判断が出来るものは居ないだろう。
構えられた銃から放たれる凶弾。それは無情にもシリスの心の臓を貫く――はずだった。
「…何だと?」
それは、少女の髪を僅かに掠める程度の結果となった。
しかも少女と言うのは狙われたシリス本人ではなく。
「ルーちゃん!?」
寸前でシリスに飛びかかった、先程まで事の顛末をただ静観していた少女の髪を、だ。
「…っ!」
飛び掛った勢いをそのままに転がり、姿勢を崩したまま、ルーは手ごろなテーブルを足で引き寄せ遮蔽物にする。
先刻、放たれた銃弾は木の壁にめり込むだけで終わった。この森の木材は思ったより強度がある。テーブルも同じだ。
これでルーとシリスの安全は多少なりとも確保された。ディーとケイロンがあっけに取られるほどの素早い判断。
(なんかよくわかんねーけど、エライぜ、ルー!)
心の中で誉めながら身体を捻り、勢いそのままにディーに突進する。
「喰らえッ!」
殴りかかるその寸前、ケイロンは己の拳に炎を纏わせる。
ケイロンの能力『破邪の焔』。数多の悪、未知なる敵を打ち破ってきた一撃が、ディーに襲い掛かる。
「ぐっ…!」
直前で防御。ディーも反応の速さはなかなかのものだ。
――『能力』というものは対人戦では僅かな差にしかならない。人間にはあまり効果を発揮しないのだ。
それもそのはず、人類が『能力』に目覚めた切っ掛けが、少し前の大戦――未知なる外敵との戦争時と伝えられているから。その外敵にこそ効果を発揮するモノだったから。
それでもケイロンは強い。彼が『英雄』たる所以は、あくまで身体能力の高さと数多くの戦闘経験。
たとえ仮に『能力』のない人間であったとしても、彼は明らかに強者であろう。
そのまま二撃、三撃と打ち込みながら、ケイロンはディーに言う。
「なぁ、今日の所は退いてくれねーかな?」
「…ッ、ざけんじゃねー…テメェを殺すためだけに俺はここにいんだよ!!」
防御を解き、あえて一撃を喰らいながら弾丸を放つ。照準など定まらなくとも、たとえ当たらなくとも、威嚇になれば充分だった。
そして…ディーの狙い通り、ケイロンは距離を取る。銃弾を受けてはいないようだが。
「危ねーな…お前も能力を持つなら能力で勝負しろよ」
「黙れ…お前と同じ炎の能力なんて、俺の中にあると思うだけで吐き気がするぜ」
能力は遺伝する場合が多い。もちろん例外もあるが。
だが、遺伝とはいえ強さまでは遺伝しない。ケイロンの炎の能力は本人の努力もあり練度は高いが、ディーの炎は発現した時点から将来性など期待できないほどのモノだった。
「同じ炎で俺に勝てないからって銃に逃げるのかよ…情けないヤツだ」
「ケッ。お前も確実に勝てる炎勝負がしたいだけだろうが、チキン野郎」
会話は平行線。ならばやはり、力で雌雄を決するしかないのだろう。
「…行くぜ!」
「…死ね!」
「っ…貴方達、止めなさ――」
「シリスさん!」
再び戦い始めようとする二人を見かねて飛び出そうとしたシリスをルーが制する。
「ルーちゃん…止めないで」
「……とはいえ、一人では危険です。私達も加勢しますから、皆で止めましょう」
上着の内ポケットから銃を取り出す。やはり気付いていなかったのか、シリスは多少驚いていた。
そんなシリスを尻目に、ルーは目を閉じ、意識を集中させる。
…否、耳を澄ましている。シリスも静かに息を飲む。と同時に、些細な疑問を抱いた。
(……私『達』?)
戦いを再開し、殴り合う二人。
ケイロンはその象徴とも取れる炎を宿した拳で。
ディーは対照的に、炎を封じ、時には手にした銃をも使い暴力的に。
打撃の応酬の中、次第に眼前の相手しか見えなくなるのは致し方無い事。
そう、静かにこの建物に近づく者に気付けずともそれは当然。
ルーが目を開き、テーブルの影から戦闘中の二人の様子を伺う。
「オラァッ!」
ディーの一撃を受け止め、ケイロンが反撃する。
「くっ…らぁッ!」
「ぐ……ッ」
大きく二人の距離が開く。ルーはそれを見逃さず、ディーの足元に銃弾を放つ。
咄嗟に後方に跳び、怒りを込めた瞳でルーを睨みつけるディー。
「テメェ――」
だが…彼が睨みつける以降の行動に移ることは出来なかった。
「…朝から何ですか、騒々しいですね」
長身の青年が、後ろからディーの両腕の動きを封じていた。
「ッ…ンだよ、テメェは……!」
「ソーラク…さん」
急な展開に戸惑うシリスの袖をルーが引っ張る。そしてシリスは思い出す、自分の仕事を。
「…二人とも。こんな時にこんな場での私闘…私は許可しませんよ。即刻停止しなさい」
「――ありがとうございます、ソーラクさん…助かりました」
シリスがディーを羽交い絞めにした長身の青年に礼を言う。
長身の青年――ソーラクは、ずれた眼鏡の位置を整えながら返す。
「いいえ。貴方は命の恩人です。礼には及びませんよ。それより、一体何が?」
「それは…これから彼らに問い質してみます」
ディーと、その動きを封じているケイロン、二人に向き合う。
「――二人の関係…聞いてもよろしいですか?」
「……………」
「…大したモンじゃないさ。ただの兄弟だ」
無言でシリスとソーラクを睨み続けるディーに代わってケイロンが答える。
「…どういうことですか?」
「どうって…そのままの意味だけどな…」
「そんじょそこらの兄弟ゲンカで店をここまで荒らされても困るんだけどね」
動揺を隠せないシリスの言いたい事を、それとなくマスターがほのめかす。
「………」
その隣で髪を少し気にしている幼い少女はまたも興味なさげに静観を決め込んでいるようだが。
「ああ…全部俺に非があるんだ。コイツは俺の事を兄貴だなんて思っちゃいないさ」
「…ふむ」
「というと、やはり君がここにいることに関係すると?」
事情を把握したような顔をするマスターとソーラク。マスターはともかく、ソーラクが察したという事は、こいつは外の人間だ、とケイロンは仮定する。
(ならば…俺を追っている奴らの仲間の可能性も否定は出来ない。が…)
彼は場を収めた人間。戦闘を止めてくれた恩人であり、シリスも多少なりとも信頼しているようだ。ケイロンにとってはまだ得体が知れない存在ではあるが、厄介払いは出来ない。
仕方なく、このまま話を進める。
「……俺は軍を脱走したんだ。でも、力のみを誇りとする皇帝、国家の意向や世間の風潮などはそれを許さなかった」
英雄として祭り上げられていた人間が、戦う事を放棄し、逃げ出す。それがいかに民衆の信仰や軍の規律を乱すか、想像に難くない。
「俺自身は共に戦ってくれた皆の命を懸けた助けもあって逃げ出せた…しかし皇帝は、逃げ遅れた仲間や…家族を、反逆の罪で斬り捨てたんだ」
「そんな…殺したっていうの!?」
「ああ……」
「見せしめ、でしょうね。自分が死ぬだけなら自分の責任。しかし周囲に危害が加わるとなれば…普通の人間なら滅多な事は出来なくなる」
ソーラクは冷静に分析する。マスターも隣で頷いている。シリスだけならず、彼からも信頼されているようだ。
いつから森にいるのか尋ねてみよう、とケイロンは頭の片隅で思った。
「酷い………」
「ああ、まぁ、お偉いさんなんてそんなモンさ。軍を脱走したのも、そのへんが関係してる。…わかってた事とはいえ、受け入れるのはキツいもんだけどな」
シリスは想像する事で、ケイロンは回想する事で表情を曇らせる。
この二人は優しい人間だ。他人の心の痛みに涙を流せる姫と、自分の行った行為を忘れず、己の責任として胸に刻み忘れない英雄。
そんな二人を見て、ソーラクとマスターは顔を見合わせる。年齢の差といえばそれまでだが…それでもそんな二人を自分達は上から哀れんでいるような気がしてならず、少し物悲しさを感じた。
そんな二人には気付かず、ケイロンは話を続ける。
「でも、殺されたはずの家族の…コイツだけは生きていた」
「………………」
「俺のせいでコイツ以外の家族は殺されたんだ。俺が憎まれるのは当然だ」
当然だと口にするケイロンの顔には一点の翳りも無い。
「成程。貴方はその憎しみを受け、罪を背負ってもなお目指すものがある、と。顔を合わせればケンカになるのは当然ですね」
「ケンカなんて生易しいもんじゃないけどな…そういうことだ」
「そういうことって…兄弟で憎み憎まれなんて…そんなの――!」
憎むディーとそれを受けるケイロン、譲れない意地というものを理解したソーラクとマスター。そんな中にあってシリスだけは納得いかないといった表情だ。
「シリス。コイツは俺を殺す気だろうけど…俺は殺す気はない。しかし負ける気も無い。死にたくないんじゃない。譲れないものがあるから」
「…でも、そんなの――」
「姫様。納得はできないでしょうが…理解してください。あなたにだって、何を犠牲にしても護りたいものはあるでしょう?」
「マスター…」
「次は我々の番です」
「え?」
「ケイロン君と一緒に…戦うのでしょう? 状況を説明しないと」
先刻――ディーとの戦闘中、確かにシリスはケイロンを『共に戦う仲間だ』と認めた。
あれはその場の勢いだったとも言えるが、シリスも気付いてはいたのだ。ケイロンは、一度決めた事は曲げない人間なんだと。
そして、その弟である彼も。
……だからこうして戦う事になるのか、と、少しだけシリスは理解した。
「――事の発端は一ヶ月ほど前になります。こんなものが森の奥深くで見つかりました」
シリスが喋る横で、マスターがビニール袋を掲げる。
中身は金属の小さな板と鎖…うっすらと血が付いている。
変わらずディーの動きを押さえつけたまま、ケイロンはそれに目をやり、言う。
「…犯罪者管理用のタグ、だよな……?」
「…ちょうどコレが発見された頃、国の方から森の入り口に使者がやって来ました。この場所を教えるわけにはいきませんから、私とマスターが出向いたのですが…」
「二人でか? 危険すぎるだろ…」
「森で迷うという意味なら、少なくとも私はこの森で迷う事はないですよ。聞こえる気がするから、森の声…」
「ふーん………」
「…信じてませんね? まあ、自分でも別に自信持って言えるわけじゃないから仕方ないけど…」
「いや…その声とやらに、俺を含めたみんなが命を救われたんだとしたら信じるさ」
「あ………」
そう、『聞こえる』わけじゃなく、『気がする』だけ。ただなんとなく歩くだけで目的地には行けるし、倒れている人を見つけられる。
確信のない、ただの直感。そういう意味で言ったのをすぐに理解してくれるケイロンは、やっぱり……
「森の声ですか…いいですね。我々は、森にもお礼を言わなければならなかったようですね」
ケイロンとルーを見るソーラク。少なくとも聞かされている限り、この三人がシリスに――森に、命を救われたのだから。
「…今度言いに行くか? ルー」
「そうですね…それもいいかもしれません」
返事など期待せず話題を振ったが、意外にも少女は応えてくれた。
「話は逸れたけど…シリス、それで…大丈夫だったのか? 森じゃなくて、出向いた相手は…」
「ええ。一人と聞いていましたから。ただ、私は知らなかったんですけど…結構な大物だったようなんです、その人」
「…というと?」
「――国家としての支配下の君らの正規軍とは違う、皇帝直属の独立強襲部隊『ダイモン』。聞いたことは?」
マスターが割って入る。シリスは世間知らずだからマスターからの説明は正直有難い。
「あるな。顔は誰一人知らないけど…かなりの腕の能力者ばかり集めているとか…」
「そう。その日来たのは、そこのトップだったんだ」
それを聞いて、ここにいる人間のほとんどが眉を動かす。すでに知っているマスターとシリス、そして仇以外は目に入らないディーを除いて。
「ダイモンのヘッド…だって? えーと、名前…なんだったっけな……」
「ノーリ・ユリシーズ。聖剣を持つと言われ、表舞台に出てこない能力者の中では名実共に頂点に君臨する青年…でしたか」
ソーラクが語り、マスターが頷く。ソーラクの軍事情の精通ぶりにケイロンは少々不信感を抱くが、それを言うならマスターも同じであり、むしろ自分が知らないだけなのかと思ってもしまう。
「………そんなお偉いさんが、なんでわざわざ…しかも一人で?」
「それが、これなんです」
先刻持ち出したタグを再び見せる。
「実はこれ、犯罪者の管理タグではなく…被験者の管理タグだそうです。彼は言いました。『手首にタグを巻いた男を捜している。こっちに逃げ込んだという報告があった』と…」
「手首? んなこと言われてもコレがどこに巻かれてたかなんてわからないだろ…」
「いえ…わかるんですよ……」
「? なんでだ?」
「実はそれはね、タグだけ落ちてたわけじゃないんだ。確かに手首に巻かれてたよ。肘までしかなかったけどね」
シリスに気を遣い、マスターが代わりに答える。
「…なる、ほど……ね。それで、それを見せたのか?」
「はい。そしたら彼は『死体でも構わない。彼の肉体を解析する』と…」
「なるほど。それで軍が動いてるのか。回収に来るんだな」
と納得しかけたが…シリスは頷かない。顔を伏せている。
その様子に、ケイロンももう少し思案して、気づく。
「……ん? 戦う理由がないな」
「…はい。だって、この森には…そんな人の死体なんてないんです。私も皆も一生懸命探したんですけど…」
「…そんなの、見えない所に転がってるだけじゃ……」
「……………」
「…と思ったけど、声を聞けるシリスが見つけられないってのもおかしいな」
「そう。だから私達二人は、再び訪れた彼に断りに行ったんだ。『探しましたけど見つかりません。きっと生きて外に出たんじゃないか』ってね」
「…そしたら?」
「『――我々が探す。軍の介入の許可を頂きたい』だそうだ」
「んで、まさかそれをシリスが…断った?」
シリスは俯いたまま微かに首を縦に振る。
まぁ……そりゃ、断ったら強行手段に出るよなぁ、と軍と上層部をよく知るケイロンは思う。
「ケイロン君、姫様を責めないでくれ。森を護る姫として――いや、皆も護りたい姫だから、当然のことなんだ」
「いや、責めはしないけどさ……」
もとよりケイロンにそんなつもりはない。もう少し安全な方法は無かったのかと、判断ではなく手段についてなら……多少問いたくはなるが。
「それより、森を護るって…家系か何かか?」
「そう。この森は不思議な力に満ちていて、姫様以外はマトモに歩けない…君も知っているだろう?」
「『迷いの森』か…確かにみんな迷うもんな」
もっとも、何か先導するモノ、あるいは知識として道を知っていれば別である。
だが逆に、初見では間違いなく迷う。
「実の理由はわからないが、何か不可思議な力によって方向感覚を失うんだと思われているわけだ…それを利用しようとする人も後を絶たない」
要するに、この森は天然の障壁となる。何も知らず入れば命を失う、無限の自然迷宮。
その中で迷わず歩ける一族がシリスの家系であり、故に森を護る責任と義務を持つ、ということ。
「だからって…戦う必要は無いだろ? 火でも放たれれば一発だ。逃げた方が賢いって、絶対」
「それはそうですけど、私は責任から逃れるつもりはありません……母との…約束ですから…」
「…そうか。ま、俺もお供するぜ、姫」
シリスの覚悟も、その理由も追求せず、軽く同意するケイロン。もとより戦うつもりで来たのだ、今更何を聞いても動じはしないだろうが。
しかし、そこで忌々しそうに言い捨てる男が一人。
「…チッ。つくづくバカな野郎だ……」
「…うるせーな、俺が決めたんだからいいだろ」
そして更に否定の追い討ちが思わぬ方向から来る。
「違います。この場合は…逃げてよかった。弟さんの言う通り、戦うのは愚かな選択です」
「やはり…貴方もそう思われますか。私もその場に居れば止めたのですが」
部外者――ケイロンを除く森の外の人間、ルーとソーラクも言う。
そして…マスターも感づく。
「まさか……そういうことか」
「…?」
察していないケイロンとシリス。そして…普段なら説明に出てきそうなマスターとソーラクも神妙な顔で黙りこくっている。ディーに語りを求めるわけにもいかず、仕方なくルーが語り始める。
「…始めから、この森に迷い込んだのは『腕だけ』だった、という事です」
「おい…じゃあ、シリス達は……」
「見つかるはずのないものを探させ、責任を追及し、強引に自分達による捜索という名目まで持っていく…あとは隙を見て何でも出来る、ということでしょうね」
全員が沈黙する。単純な手口だが、軍という強大な力を持つ者が実行すれば…何の障害もなく、表面上は住人の同意も得られる。
シリスに断られたのは予定外だっただろうが、やる事は変わらないという事だ。
「しかし…皇帝直属とまで言われるダイモンが、こんな汚い手口を使うとは…私には信じられません」
ケイロンの過去話を聞いた後ではやや言いにくい台詞ではあるが、それでも一般的な意見を口にするソーラク。
その気持ちもわかる、と言わんばかりに冷静にルーは反論する。
「確かに人の行けない場所や人目につきにくい場所に隠れている可能性は否定出来ません。――生死はわかりませんが」
「でも、そうだとしても約一ヶ月、シリスが何も耳にしないのはおかしい…ということか?」
「はい。森が意図的に姫様に伝えまいとしている場合のみ、話は変わってきますが…」
それは考えにくい話だ。森に意思が無いならばもとより、意思が在るとしても代々森を護り、森に護られてきた関係だ。
たかだか男一人の姿をひた隠しにしていたずらにトラブルを呼び込む理由がない。
「……要するに、敵はそんな手段を使ってまで森が欲しいんだから、焼かれる心配なんてないと?」
「そうなります。…まあ、もう遅いようですが」
「いや、遅いことなんてないだろ? なあシリス、戦わずに済むならそれが一番――」
「――だからもう遅ぇってんだよ、ボケが」
「なんだと……」
再びディーが口を挟む。ケイロンが睨みつけ、シリスが戸惑い、ルーが溜息。
「…これも弟さんの言う通りです。一ヶ月何もせずに椅子に座っているだけの軍など有り得ませんよ」
「…既に、俺達を逃がさないような策が出来ていると?」
「ええ。例えば…スパイを送り込む、とか――」
「――まさか、ディー…お前が…?」
全員の視線が集中する。当のディーは沈黙を守ったままだが、口を開いて否定したのは例を出したルーだった。
「例えば、の話です。単に誰も逃がさないだけなら森を包囲すればいいだけですし」
一月もあれば森の包囲くらい出来るだろう。誰の目にも明らかだ。
「つまりそれは、それが一番有り得る可能性って事か…」
「はい。あるいは、もっと確実に森を手に入れる策が――いや、森だけとは限りませんね」
「どういうことだ?」
「森をより有効に利用するためには…不可欠です」
「一体、何が不可欠だって―――」
否、聞くまでも無い事。この森を我が物とするならば、自分達は森を自由に使える必要がある。
迷いの森で迷うことなく、更に言うならば侵入者も探知できるような――そんな風に。
「へっ…戦うしかねーよな、こりゃ……」
一段落したところで、シリスがソーラクとルーに向き直る。
「今更ですが…お二人はこの森とは関係ありません。逃げられるかどうかはわかりませんが…森の外まで案内します」
ケイロンの時と同じ、部外者を巻き込みたくないというシリスの考え。ケイロンに許可してしまった以上、これ以上は巻き込みたくはないようだが…
「お断りします」
「…同じく。お断りします」
やはりと言うか、何と言うか……
「――でしたら、せめて安全な場所に案内しますからっ!」
「そのお気持ちだけで充分です、姫。私にも恩返しをさせて頂きたい」
「しかし…っ」
部外者を自分の為に戦わせる事に罪の意識を感じる。それは当然の事。
しかし、そう割り切って命を預かれるほど、シリスは強くはないのだろう。
「…姫様、その安全な場所は私が聞いておきます。私達二人は危なくなったらそこに逃げると言う事でどうでしょう?」
「ルーちゃん……」
「恩返しはしたいですけど、死にたくもないですから。薄情者でごめんなさい」
そう言って微笑む。妥協案としか取れないといえばそれまでで、しかもそれをこの二人が実行するかは…正直、かなり疑わしいが。
それでも、これで幾分かは気が楽になるだろう。
「……うん。それじゃあ後で案内するね、ルーちゃん」
「いいや、今行って来るといいさ、シリス。もう話は終わりだろ?」
「え…でも……」
「いいですよ姫様。後はお任せを」
マスターとケイロンが頷く。確かに説明する事は…
(…ない。もう無い。大丈夫……)
「姫様?」
「はい。それじゃあ後はお任せします。行こ? ルーちゃん」
「……はい」
頷き、二人は皆の元を後にする。
正面口ではなく裏口から出て行く背中を見送る三人は、それぞれ三者三様の表情をしていて。
――いつの間にか、降り注いでいた雨は止んでいた。