ハートキャッチプリキュア! 〜漆黒の花〜feat.花咲つぼみ





「な……何なの? これって一体……?」

目の前に差し出された“それ”は、サソリーナにとっては見慣れたもののはずだったが、サソリーナが見てきたどんなものとも異なっていた。
その隣では、サソリーナ同様この広間に呼び出されていたダークプリキュアが、冷淡な表情で“それ”を見ていた。

「サバーク博士、これは」

ダークプリキュアは大広間の吹き抜け上から見下ろすサバーク博士を見やる。

「見ての通りだ。それが何かはお前達には良く分かっているだろう。それを使うべき相手もな」

「え〜っとォ……話が見えないんですけれど……」
「……これを、あのプリキュア達に?」

サバーク博士の言葉を聞いても良く分からない様子のサソリーナだったが、サバーク博士の側近であるダークプリキュアは言わんとする事をすぐに理解したようだった。

「あのプリキュア達にって……いつもとは逆ってコト!?……で、でもでもォ、あいつらは心の大樹の加護を受けてるんですのよォ!? そんな簡単には行きませんわァん!」
「だからこそ……だ。心の大樹と深く繋がっている者にこれを使う事で、心の大樹を大いに弱らせる事が出来る」
「しかしサバーク博士。サソリーナの言っている事ももっともかと。これを使う事の出来る状況はそう簡単に生まれないのでは」

相変わらず冷淡な口調で話を続けるダークプリキュアとサバーク博士。
一人で勝手に騒ぎ立てているサソリーナだけがこの大広間の静寂を乱している。

サバーク博士は、サソリーナがそんなの無理、どうすれば、と騒ぎ立てるのをやめて、場が静かになった所で語り出した。

「……人間の心などというものは本来非常に脆いものだ。それはプリキュアに選ばれた者とて変わらん」

サソリーナとダークプリキュアは固唾を呑んでその後の言葉を見守る。

「だと言うのに、あの新しいプリキュア達は、他の者達の心の花を必死で守ろうとしている。そこに隙が生まれるのだ。他者の心の花を守ろうとその身を盾にすれば、自らの心の花が剥き出しの無防備な状態になる」
「そこを狙えと?」

そうだ、とサバーク博士が頷く。

結局、サバーク博士と意思疎通しているのはダークプリキュアだけだった。
呼ばれたにも関わらず自分が蚊帳の外である事に気付き、サソリーナは口を曲げた。

「サソリーナ、お前にも十分に働いてもらうぞ」
「……はァ〜い。分かってますわァん。いくらダークプリキュアが強くたって、この作戦はわたしがいなければ成立しないものねェ?」
「……別に私はクモジャキーであろうとコブラージャであろうと構わんがな」

サバーク博士のフォローなのか釘刺しなのか分からない言葉に不満そうに答え、ダークプリキュアに対しても悪態を付いたが、当のダークプリキュアはどこ吹く風と言った調子で歩き出した。
自分の嫌味をあっさり切り返された事に怒る暇も無く、サソリーナはダークプリキュアを慌てて追いかけた。

二人が広間を後にしようとしたその時。

「守ろうとすれば隙が生まれる、か。……キュアムーンライトはそんな隙を見せなかったな」
「……サバーク博士、何か?」

ダークプリキュアにとっては名を聞くだけで不快に感じさせる相手。
その相手の名をサバーク博士の口から聞かされ、言葉の意図も測りかねたダークプリキュアはサバーク博士に問う。

「……何でもない。ただの独り言だ。……早く行け」
「……………………」

不快な相手の名を聞かされた挙句、自らの問いもはぐらかされたダークプリキュアは、一瞬だけその表情をしかめさせるが、すぐにいつもの冷淡な表情に戻ると、踵を返すと同時に、闇の中へ消えるように一瞬にしてその姿を消した。
相変わらず二人のペースに付いていけないままのサソリーナも、それを見て慌てて自らも姿を消す。

一人その場に残ったサバーク博士は、二人が姿を消した大広間の闇の中を見つめている。
いや、それとは別の何かが彼の瞳には映っているのか……




「う〜…………………………………………暇」

来海えりかは――だらけていた。
今日はつぼみが用事があるという事で、学校が終わった後部活も無いまま解散。
他に用事もないえりかは帰宅して、自室で服のデザインでもしようと考えたのだが、良いアイディアが浮かばず、「スランプ」という逃げ口上を用意して今はベッドの上でごろごろと転がっている。

「えりか、だらけすぎです。お姉さんはいつももっとビシーッとしてるですよ」
「んもー、もも姉の事は言わないでよ〜! スランプなんだってば!」

ごろごろごろごろ。
頭上で浮遊し苦言を漏らす妖精コフレの言葉が耳に届かなくなるよう、えりかは更にベッドの上で転がった。

「ぶえっ」

そして、勢いあまってベッドの上から転がり落ちた。
やれやれです、といった風に見下ろすコフレの姿が目に映ったが、えりかは見てみぬふりをしてムクリと起き上がる。

「そーいやつぼみってば、先週もその前も用事があるって帰ってなかったっけ? 何やってんだろ。家にいるのかな」

えりかは話題逸らしと新しい興味対象になるものを思いつき、転がり落ちたベッドを這い上がって窓を開いた。
窓を開けば目の前につぼみの部屋の窓が見える。
カーテンも閉じて電気も付けていない……部屋にいるわけではないようだ。
そのまま目線をつぼみの家――フラワーショップ花咲の店先に降ろしていくと、そこにつぼみの姿があった。
他に二人の人影があり、つぼみがその双方に対して会話しているように見える。

「なーんだ、お店の手伝いか…………」

ならしょうがないね。と納得しそうになった時、えりかは何か引っかかるものがある事に気が付いた。

「あれ? でもお店が特別忙しいなんて聞いた事ないけどなぁ? それにお店の手伝いするんだったら教えてくれればいいわけだし……」

そしてつぼみの様子を伺っているうち、えりかは更に妙な違和感がある事に気付いた。
接客対応にしてはやけに親しげに、それも長時間話し込んではいないだろうか。
つぼみの話相手は男と女の二人で、どちらもつぼみと同い年くらいに見えた…………



「ええと、じゃ、じゃあこっちの花にしようかな?」
「はい、じゃあカズヤさんはこちらの花ですね」
「あ、いや、ええと……どうしようかな……」

しどろもどろな調子で花を選んでいる男子はカズヤと言うらしい。
えりかの見立て通り、つぼみと同学年の男子だった。
ああでもない、こうでもないと購入する花を決められずにいるようだが、つぼみははやし立てるでもなくにこやかに見守っている。

その一方で、もう一人の客……同じく同学年の女子もまた、どの花を買うべきか決められず黙考しているのか、一言も発せず視線も動かさずにいる。
……いや、“花を選んでいる”にしてはその目線の先にあるものがおかしい。
その瞳には、つぼみの隣であれこれと花を指差しているカズヤの姿が映っていた。

「マイさんはもう決まりました?」
「へっ!? あぁあ、ぃ、いやええと、な、何の話だっけ???」
「もう、マイさん、花を育ててみたいって言ってたじゃないですか、それでどんな花にしようか選ぼうって」
「あ、うん、そうだったよね。ご、ごめんね、つぼみちゃん」

マイと言う名の少女は、自分の名が呼ばれた途端に大慌てになった。
黙っていたから落ち着いた風に見えていたものの、彼女もカズヤに負けず劣らのずのしどろもどろっぷりだ。
花を選んでしどろもどろのカズヤ。つぼみに声をかけられて大慌てのマイ。
傍から見るとこの二人は非常に良く似ていた。
そんな二人を、間に立っているつぼみは微笑ましく思いながら見守っていた。

「それじゃあ、せっかく同じように花を育てようとしているんですし、記念に二人とも同じ花を購入してして、一緒に育ててみたらどうでしょう! 種類は私が選びますから」

つぼみのこの提案に、二人は相変わらずはっきりしない返答だったが、特に拒否するわけでもないようだった。

「……えっと、じゃあ、うん」
「つぼみちゃんが、そう言うのなら……」

二人は店内でつぼみに言われるまま会計を済ませ、再び外へと出て来る。

「きょ、今日は花を選んでくれてありがとうつぼみちゃん。そ、それじゃ……!」
「はい、お買い上げありがとうございます。その花、大切にしてくださいね」

男の方のカズヤは、うん、分かった、と答えると、足早にその場を去って行った。
つぼみはマイと一緒にその姿を見送る。
そして、カズヤの姿が見えなくなった所で、マイがつぼみの方にバッと振り返り、つぼみの両肩を掴んで前後に激しく揺さぶりながら泣きそうな顔をして言った。

「つ、つ、つぼみちゃん! あたし何かおかしな事言ってなかった!? なんかずっとボーっとしちゃって……それに同じ花を一緒に育てるなんて! 恥ずかし……い、いやいやそうじゃなくて! つぼみちゃんありがとう! ……でもやっぱり恥ずかしい……! じゃなくて……」

頭をガクガクと揺さぶられるつぼみに早口でまくし立てるマイ。
その様は、つぼみにいきなり声をかけられた先ほどの様子など可愛く見えるほどに大慌てで混乱していた。

「ま、マイさん落ち着いて! 大丈夫、大丈夫です、おかしな所なんてありませんでしたから!」
「で、でもでも! こんな調子じゃ明日、上手く出来る自身無いよ……本当に大丈夫なのかな……」

つぼみはようやくマイの両手から解放される。
両手を引っ込めて黙り込むマイだったが、その様子は落ち着いたと言うよりも意気消沈しているといった感じだった。

「大丈夫です。きっとカズヤさんもマイさんと同じ気持ちですよ。私も応援しますから、勇気を出して下さい!」
「本当に? 信じていいの?」
「はい!」

つぼみの力強い返事に、マイもようやく元気を取り戻したようだった。
そして、ありがとう、また明日ね、とつぼみに告げ、マイもまたその場を後にする。
つぼみはその姿を手を小さく振りながら見送った。

「つ〜ぼ〜み〜…………なぁ〜んか随分と楽しいそうじゃな〜い?」
「はうっ!?」

そんなつぼみの背後から聞こえる恨めしげな声。
つぼみが驚いて振り返ると、そこには自宅から出てつぼみ達の様子を伺っていたえりかの姿があった。

「わ、わわわ、えりか!? い、いつの間にっ」
「さっきからず〜っといたわよー。つぼみったら全然気付かないで夢中になっちゃってさ。あたしに内緒で何やってんの〜?」
「えっと、それは……その」

今度は二人に続いてつぼみが大慌てする番だった。
どう言うべきか分からず困惑している様子のつぼみを見て、えりかは何だか自分が悪い事をしているような気がして、話題の切り口を少し変えてみた。

「さっきの二人は?」
「え? ……ああ、カズヤさんとマイさんですね。二人ともうちの常連なんです。……常連と言っても、いつも花を選ぶだけで時間を潰して、実際に買って行ったのは今日が始めてなんですけどね」
「なにそれー、冷やかし?」

つぼみはえりかの言葉に、ふふっ、とちょっと困ったような笑いを漏らした。

「花屋の立場としてはそうなるのかもしれません。でも、あの二人がお店に来るもう一方の理由は、冷やかしどころか、いつもアツアツなんです」
「もう一方の理由?」
「あの二人、いつも同じ時間帯に来て、いつもお店で顔を合わせるんですよ」

その言葉と、先ほどまでのつぼみとマイの様子を思い返して、えりかは合点がいった。
そして、ニヤニヤと笑みで歪んだ自分の口元を手のひらで隠すようにしながらつぼみに言う。

「とすると、あの二人は……?」
「はい、間違いないと思います。二人とも、お店に来るといつも恥ずかしそうに赤面して、お花を選ぶフリをしながらお店に居座っているんですから」
「な〜るほどー! じゃあ、つぼみはあの二人の恋のキューピットってワケだ! ニクいね〜、このこのー!」

えりかが楽しげに肘でつぼみの小脇を突っつくと、つぼみは恥ずかしそうに肩を縮こめて赤面する。

「人のため、恋のキューピットを買って出るのもプリキュアの立派な仕事です!」
「あたしもパートナーとして鼻が高いです!」

いつの間にやら二人揃っている妖精のシプレとコフレが、二人並んでうんうん、と頷き合っている。

「そ、そんなつもりじゃ……ただ、マイさんから話を聞いて、力になりたかったんです。えりかに黙っていたのは謝ります。でも……」
「うん、いいよ。気にしてない」

えりかは先ほどの恨めしげな雰囲気からは一転して、あっけらかんとした様子でつぼみに言った。

「えりか……?」
「秘めたる恋心……! なんてさ、人に軽々しく言うもんじゃないもんね。そういえば、さっきの話だと、明日また何かあるの?」
「はい、実はマイさん、明日ついに告白すると決めたんです。本当は二人っきりの時に……と私は思ったんですけど、マイさんの頼みで、私も立ち会う事になりました」
「そうなんだ! ……つぼみ、頑張ってね! 後であたしにも話聞かせてよね」

その言葉に、つぼみは少し意外な顔をした。
えりかだったら、自分も一緒に行く! と言い出してもおかしくなさそうなのに。
しかし、さすがにえりかもそこまでお調子者では無いのだ。
こんな事を考えてはえりかに失礼だと、つぼみは素直な気持ちでえりかにありがとうと告げた。

…………実を言うと。
えりかも初めはつぼみ達の様子を見て首を突っ込む気満々だった。
それにつぼみが今回の事情を黙っていた事にもちょっと不満があった。
しかし話を聞いていくうち、つぼみが自分の力で誰かの事を応援しようと頑張っているのだと気付いて、逆に嬉しい気持ちが浮かんで来たのだ。
つぼみは今も変わろうとしている。今回の件は自分がちょっかいを出してはいけない。
最後までつぼみが一人でやり遂げてこそ意味がある事なのだ。
それを何となく理解して、えりかは今回の事を全部つぼみに任せようと、そう考えた。

「私、頑張ります! マイさんの恋、成就させてみせます!」
「高慢だな」
「……え?」

突然聞こえた声に驚き、つぼみは周囲を見渡す。
その様子にえりか達も気付いて、どうしたの? とつぼみに問いかける。

「えりか、何か言いました?」
「……うぇ? 後であたしにも話を……」
「あぁいや、そこじゃなくて……」

結局、つぼみの聞いた声の主はえりかでは無かった。
シプレとコフレに聞いても良く分からない様子。
というより、最初からここにいる3人が何か言ったのでは無い事は、つぼみには分かっていた。
先ほどの声は、まるで耳元で囁くかのように聞こえており、その内容も、えりか以下3名が口にするとは思えないものだったからだ。
しかし、周囲には他に人の気配は無い。

「…………………………」

困惑するつぼみ達の姿を、おおよそ肉眼では確認出来ないであろう距離から、確かに“視て”いる者がいた。
それは、方翼に漆黒のドレスを纏った……ダークプリキュアの姿だった。

「キーッ! お子ちゃまの分際で色恋沙汰なんて語っちゃってェ〜!」

その隣には、双眼鏡で同じようにつぼみ達の様子を見ているサソリーナの姿。
大広間に居た時同様、一人で勝手に大騒ぎしている。

「その上恋のキューピットですってェ……? あーもう、今すぐにぶっ飛ばしに行ってやりたいわァん!」
「捨て置け、人間達の下らん恋路など。今は私達の出るべき時ではない」
「そ、そうは言うけどねェ……!」
「……聞こえなかったのか?」

……冷たい一言。
目線こそつぼみ達から離してはいないが、その鋭い殺気はサソリーナへと向けられている。
サソリーナは喉元に刃物を突きつけられているかのような息苦しさを感じ、それ以上無駄口を叩くのをやめ、双眼鏡を目元に戻しつぼみ達の監視を続けた。

先ほどの声はただの気のせいだと結論付けたのか、つぼみは達がその場で別れ、お互いに自宅へと帰って行く様子が見えた。

「自分の心、他人の心……お前は、自分自身の心ですら守れていない……」



――翌日。
フラワーショップ花咲の前にはつぼみと、そわそわして落ち着かない様子のマイの姿があった。

「カズヤさんはお店の裏手の方で待って貰っています。マイさん、大丈夫ですか?」
「う、うん。だ、だ、だいじょうぶ。せっかくつぼみちゃんが応援してくれてるんだもん。頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ……」

しっかりと答えているように見えてどこか上の空なマイの姿は、つぼみの目にはとても大丈夫には見えなかった。
このままカズヤの所まで連れて行って良いものか。
つぼみは顎に人差し指の先を当て、う〜んとしばらく唸った後、あっ、と何かを閃いた様子で、「ココロパフューム」を取り出した。
ココロパフュームはつぼみとえりかがプリキュアに変身するために使うアイテムだが、シプレとコフレが生み出す「心の種」をセットする事により、不思議な効力を持った香水を作り出す事も出来る。
つぼみはピンク色をした心の種をココロパフュームにセットし、その香水をマイに噴きかける。

「ピンクの光の聖なるパフューム! シュシュッと気分で想いよ、届け!」
「うわぁ……いい香り……つぼみちゃん、これって?」
「ふふっ、ちょっとしたおまじないみたいなものです。気分は落ち着きました?」
「あっ……うん。なんだかさっきまで頭の中がパニック状態だったのに、今は凄く気持ちがすっきりした感じ……」

ピンクの心の種は噴きかけた者の想いを誰かに伝える力を持つ。
その効力がマイの心を後押ししたのか、はたまた香水の香りがマイの気持ちを落ち着かせたのか、それは分からないが、とにかく準備は整ったと、つぼみはそう感じ、マイをカズヤの待つお店の裏手まで連れて行く……


「つぼみちゃんに、マイちゃん……? お、オレに話って、何?」

お店の裏手にはカズヤ、その前に立つマイ、そしてそんな二人を見守るつぼみの姿があった。

「ほら、マイさん」
「う、うん……わわっ」

つぼみがマイの後押しをする。
手のひらで軽く背中に触れただけだったが、マイは転んでしまいそうな大げさな動きで大きく一歩踏み出した。

「か、カズヤくん……あたし達よくこの花屋さんで会ってるよね、でも本当は、それより前から学校でもよくカズヤくんの事よく見かけてたの、それであたし、少しづつカズヤくんに惹かれるようになって……」
「…………………………」

上手く言葉を繋ぐ事が出来ないでいるマイ。
そんなマイの姿を、カズヤは緊張した面持ちで見守っている。

「だ、だからっ! その……あたし、ずっと前からカズヤの事が好きだったの。……付き合って下さい!」

――言った。
ついにマイはその気持ちをカズヤに“届けた”。
つぼみは思わず顔を綻ばせそうになるが、まだ終わりでは無い。
静かにカズヤの返答を待つ。

「お、オレは…………マイちゃん、……………………が好きだ」

その言葉に、マイもつぼみも、パッとその顔が明るくなる。
しかし、一瞬間を空けて喋ったかに見えたその言葉が、実ははっきりと口に出来ていなかったために聞き取れなかった部分があり、その部分を改めて、今度ははっきりとした声でカズヤが言った事により、二人の表情は一瞬にして固まった。

「マイちゃん、ごめん。オレは、つぼみちゃんの事が、好きだ。だから君の気持ちには答えられない」

マイはわけが分からないといった様子で呆然としている。
しかし、マイ以上に事態に困惑しているのはつぼみの方だった。

――私の事が……好き?
だって、カズヤさんはマイさんの事が……

『……ああ、カズヤさんとマイさんですね。二人ともうちの常連なんです』

男の子であるカズヤがどうして花屋に足しげく通っていた?
マイが常連だったのは、カズヤに会うためだった。
しかし、記憶を遡ってみれば、カズヤはマイが常連になるよりもかなり前からうちのお店に来ていたはず。
カズヤは、つぼみに会いに、お店に足を運んでいたのだ……

『あの二人、いつも同じ時間帯に来て、いつもお店で顔を合わせるんですよ』

カズヤがうちのお店に頻繁に来ていたから、それを知ったマイがそれに合わせて店に通うようになった。
だから示し合わせたように同じ時間に二人はやって来る。

『二人とも、お店に来るといつも恥ずかしそうに赤面して、お花を選ぶフリをしながらお店に居座っているんですから』

カズヤもマイも、いつも赤面して視線を泳がせながら花選びという名目でお店に居座っていた。
だから、二人とも想い合っているのに、恥じらいからなかなか一歩を踏み出せないのだと、そう思っていた。
でも、それはつぼみの視界の中での話。
つぼみがお店の奥に引っ込んでいる間も、カズヤは恥ずかしそうに赤面していたのだろうか……?

「つぼみちゃん、どうして……?」

つぼみはマイの悲しそうな問いかけで我に返った。
振り返ってつぼみを見るマイの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた……

「つぼみちゃん、いつも、カズヤくんも気持ちは一緒だって、そう言ってくれたじゃない……」
「そ、それは……」

今更、「勘違いでした」なんて言えるわけもない。
恋に臆病だったマイを、告白する段階まで後押しして来たのは他でも無い自分なのだから…………
マイの後ろでは、カズヤが複雑そうな表情でそれを見ている。

「つぼみちゃん、カズヤくんの気持ち知ってたの? ……知っててこんな……」
「そ、そんな事ありません!」

つい強い口調で言ってしまった。
マイははっとした表情になって、うつむき加減で言った。

「そうだよね……つぼみちゃんがそんな事する筈なんて無い事、良く知ってるはずなのに……ごめんなさいつぼみちゃん、本当に、ごめんなさいっ……」
「あっ! マイさん!」

マイがつぼみを押しのけてその場から駆け出す。
つぼみは一瞬追いかけようか迷ったが、先ほどのカズヤの“告白”の件もある。
カズヤを置いてその場を後にするわけにもいかない。

「マイちゃんには……悪い事をした。つぼみちゃんが彼女のオレに対する恋を応援してただなんて。……でもつぼみちゃん、さっき言った事は嘘じゃないんだ。俺は本当に君の事を……!」
「そ、そんな……そんな事急に言われても……私、分かりませんっ!」

つぼみもその場を駆け出した。
マイを追いかけるため? その場から逃げるため?
マイを傷つけてしまった事、告白を受けた事……色んな感情が混ぜこぜになって訳が分からなかった。

つぼみが自分の家を横切り、えりかの家――洋服店フェアリードロップの前に差し掛かった時。
えりかが自宅……つまりはフェアリードロップから出て来る所だった。
えりかはつぼみの姿を見るなり、興味津々と言った表情で声をかけた。

「つぼみ〜! もうあの子の告白は済んだの? どうだった? やっぱり両想いで二人ともラブラブになっちゃったりして!?」

えりかははしゃいだ様につぼみに問いかけるが、つぼみがとんでもなく暗い顔をしており、喜んではしゃいだりするような雰囲気では無い事に気が付く。

「つ、つぼみ……どうしたの? もしかして……」
「両想いだなんて……私の勝手な思い込みでした」

えりかが先を言う前に、つぼみ方が口を開いた。
あまりも悲しみに満ちたその言葉。
それでえりかは大体の察しがつく。……いや、察しがついた気がした。

「そ、そうなんだ……応援してた立場のつぼみとしては辛いよね……いや! もちろんマイって子もだけど……」
「カズヤさん、マイさんじゃなくて、私の事が好きだったんだって言うんです……」
「えっ、ええっ!? カズヤって人、マイって子が好きだったんじゃ……ああいやそれは勘違いだったんだから……で、でもつぼみの事が好きって、どういうこと!?」
「それがっ! 私の勝手な思い込みだったって言うんです!」

つぼみから聞かされる思いもかけない言葉と、いつにない激しい口調にえりかはたじろぎ、何も言えなくなってしまう。

「私、何も知らないで……勝手な思い込みでマイさんをその気にさせて……! 何が恋のキューピットですか! あんな風にマイさんを傷つけて!」
「つ、つぼみ……それはつぼみのせいじゃないよ。そんな風に言わないでさ……」

えりかは震えるつぼみの肩に恐る恐る手を乗せる。
しかし、つぼみはそんなえりかの手を振り払う。

「えっ、えりかは……! 今回の事は何も知らないじゃないですか! 勝手な事を言わないで下さい!」
「つ、つぼみ……」

えりかはそれ以上声をかけられなかった。
そんなえりかの哀れんだような表情が、今のつぼみには自分を責めているかのように見えて……いたたまれない気持ちになって、つぼみは再び駆け出した。

えりかも、その場からすぐに駆け出し、つぼみを追いかけたかった。
でも、出来ない。
そうだ、以前にもこんな事があった。

『――友達でも無いのに、勝手な事しないで下さい!』

「変わりたい」と言うつぼみに対して、自分の勝手な思い込みであれこれ押し付けて……結果、拒絶された。
その時の苦い経験が、えりかをその場に縛り付けていた。
マイのためを思って行動したのに、結局それが裏目に出てしまったつぼみは、もしかしてあの時の自分と同じような気持ちなのだろうか。
しかし、その心の傷は、自分の時よりも遥かに深いものに違いなかった…………



「私って、最低です……」

いつの間にかつぼみは、人気の無い川原で一人、泣いていた。
……変わりたいと、ずっと思っていた。
プリキュアになって、えりかと出会って、色んな人の心の悩みを触れていくうちに、自分のような人間の一言でも、勇気付けられる人がいるのだと思うようになっていた。
そして、今回も最終的にはきっと上手くに違いないと、根拠も無くそう思っていた。
いや、根拠ならあった。
二人が両想いなのだという、確信。
しかしそれも結局、ただの思い込みだったのだ。
そんな自分の思い込みで、結局はマイとカズヤの両方を傷つけてしまった。
その上、励まそうと声をかけてくれたえりかにもあんな酷い事を……

自分はあの時から、こっちに引っ越して来て、変わろうと決意したあの日から何も成長していないのか。
自分は……変わる事など出来ないのだろうか。
そもそも……変わろうと考える事自体が間違っているのか?

思えば、今回の件でマイの応援をしようと考えたのも、マイの引っ込み思案な性格が、自分とよく似ているように見えたからだ。
そんなマイが、カズヤへの告白を成功させたのなら、同じように自分も変われるのだと、そんな確信が持てるような気がしていたのではないか。
つまり、マイを、自分が成長するための実験台のように見ていた……?

「つぼみ……」

つぼみを追いかけて来ていたのか、いつの間にかシプレの姿がそこにあった。
今はどんな励ましの言葉をかけてもつぼみを傷つけてしまう。
ならばせめて、苦しむつぼみの傍に居てあげよう。
そんなシプレのパートナーとしての思いやりだった。

口には出さないものの、そんなシプレの優しさを嬉しく思い、つぼみはシプレの頭を優しく撫でてあげる……

「無様な姿だな」
「……!?」

聞き覚えのある声。
そしてそれが、とても歓迎できるような相手のものでは無い事に気づき、つぼみは身構えながら振り返った。
そこには……つぼみとえりかに苦々しい敗北の記憶を植えつけたダークプリキュアと、サソリーナの姿があった。

「んふふふふ……プリキュアのお嬢ちゃ〜ん、随分と心の花が弱っちゃってるわねェ?」

サソリーナのその言葉に、つぼみはドキッと硬直する。
心の花が……弱る。
サソリーナのその言葉の意味を、つぼみは今まで嫌と言うほど見せ付けられて来たからだ。

「心の花よ、出て来てェ〜〜〜〜ん!」
「…………ッ!」

つぼみは両手で体をかばうかのような姿勢で固まるが、しばらく待っても、何も起きる様子が無い。

「ちぇっ、や〜っぱりダメじゃない」
「つぼみは心の大樹の加護を受けているから心の花を奪われたりはしません! 早く変身するです!」
「わ、分かりました!」

サソリーナは残念そうな声を出すが、どうやらその結果は予想出来たもののようで、焦ったような様子は無い。
シプレの声に急かされ、つぼみはココロパフュームを取り出す。

「プリキュアの種、行くです!」
「プリキュア・オープンマイハート!」

シプレの出したプリキュアの種をココロパフュームにセットし、つぼみは自らに香水を吹きかける。
不思議な光に包まれ、つぼみはその姿を、伝説の戦士・プリキュアへと変えていく。

「大地に咲く、一輪の花! キュアブロッサム!」

そこにはつぼみにとってもう一人の自分である、キュアブロッサムの姿があった。
それを見たダークプリキュアは、どこか満足そうな表情をする。

「フ……サソリーナ、やれ」
「はいはい、分〜かってますよ〜だ! デザトリア〜ン!」

サソリーナの呼び声に答え、砂漠の使途のしもべ、デザトリアンがその姿を現す。
その姿は、鉢植えから顔を出した花そのもの。
それを見て、ブロッサムの顔がサッと青ざめる。
あの鉢植えの花は、自分が記念にと、カズヤとマイのために選んだものではなかったか……
そして、今何かに思い悩み、心の花を枯らしている人間と言えば……

『うぉぉんお〜ん!大好きなカズヤくんにふられちゃったよぉぉ〜〜〜〜〜!』
「ま、マイさん!」

デザトリアンが叫び声と共に、両手にあたる、刃物のように鋭くなった葉をブロッサムに向けて振り下ろす。
ブロッサムは両手をクロスさせてそれをガードしようとするが、一瞬勢いを止めただけで、すぐにガードは崩され後方に大きく吹き飛ばされてしまう。

「う、うう……どうして? 何時もなら止められたはずなのに……思うように力が出ない……」
「……つぼみの心の花が弱っているからです。プリキュアの力は想いの力。強い想いがなければ、その力を最大限に発揮する事が出来ないのです!」

シプレが倒れるブロッサムの元に飛来し、困惑するブロッサムに状況を説明する。
そんな事をしている間にも、足を持たない鉢植えのデザトリアンが、ドッシン、ドッシン、と器用に跳ねながらブロッサムに近づいて来る。
そして再び自らに向けて手を振り下ろそうとしているのを見て、ブロッサムはシプレを押しのけ、立ち塞がるようにデザトリアンの前に立った。

『ずっと想い続けていたのに、受け止めてもらえなかったこの気持ちはどうすればいいのぉぉ〜〜〜!』
「うっ……くっ……!」

デザトリアンの攻撃が、ガツン、ガツン、とブロッサムの体を揺さぶる。
先ほどと違い、何とか両手で持ち堪えているが、一撃受けるたびにブロッサムの膝は少しずつ沈み込んでいき、今にも膝を地に付いてしまいそうだ。
そして、それ以上に……デザトリアンが口にする“マイの心の叫び”が、ブロッサムの心を深くえぐっていた。

『カズヤくんが私の事を好きだなんてぇ……つぼみちゃんはずっと嘘をついていたんだわぁぁ〜〜〜!』
「ま、マイさん! 違います、違うんです! ……うぁっ」

ブロッサムはついに耐え切れなくなり、方膝を地面に付く。
両腕のガードが下がったその瞬間に、デザトリアンの巨大な手が、ブロッサムの頭上から振り下ろされる。

「……っっっ!!!………………ぁ……く……」

ブロッサムは頭部から背中にかけてを強く殴打され、うつぶせの状態で地面に叩きつけられた。

「あらあら、いつもの勢いはどうしたのやら。だ〜らしないわねェん」
「……………………」

サソリーナがいやらしい笑みを浮かべながらその光景を見つめる。
同じようにその戦いを見るダークプリキュアには笑みもなく、相変わらずの冷淡な表情を見せている。

「こんなに効果的なら、もう一人のガキンチョの方の心の花も奪っちゃおうかしら。あの子の心の花もいい感じにしょんぼりしてるわよねェ、きっと」
「ぅ……う…皆の心を弄ぶのは……やめて下さい……」

サソリーナの挑発的な言葉に、地面に顔をうずめていたブロッサムがその顔をやっとの思いで上げ、サソリーナを睨み付けながら言う。
しかしその言葉も表情も、酷く弱々しかった……

「ちょっとォ、勘違いしないでよねェ? この二人の気持ちを弄んだのはワタシじゃなくてア・ン・タ。こいつらが恋をしているのを知って、面白そうだ、と思ってちょっかいを出したんでしょ〜う?」
「そ、そんな……そんな、事は……」

ブロッサムはそれを強く否定出来なかった。
先ほど自分自身で考えていた事だ。
二人のためを思ってやった事のはずが、本当は自分のためにやっていた事なのではないかと。
そして、他人の恋が実るか否かをワクワクしながら見ていた自分が居た事も、ブロッサムは決して否定出来なかった。

「フン、まぁいいわァん。どっちにせよアンタはこれで最後よ。デザトリア〜ン! やっちゃいなさァ〜い!」

――ブォン。
デザトリアンがその手を大きく振り上げ……そして、無防備なブロッサムへ向けて振り下ろした。
ズドン、とデザトリアンの手が地面にめり込む音が辺りに響き、それを聞いて、勝利を確信した…………サソリーナだけは。
土煙が晴れると、そこには地面にめり込んだブロッサムの体の跡だけが残っており……そこにデザトリアンの手が振り下ろされていた。
ブロッサムの姿は…………無い。

「えっえぇぇぇ!? どこ? どこ? 一体どこに行ったのよォ〜ん!」
「……………………」

土煙が晴れる前から、ダークプリキュアの視線はデザトリアンの手元を大きく外れていた。
それに気が付いたサソリーナは、その視線の先を見る。
デザトリアンの後方数メートル。
そこに、“赤い光を纏った”ブロッサムの姿があった。

「あっ、あれは心の種の……またあれにしてやられたってわけ!?」

ココロパフュームによって引き出される心の種の力。
サソリーナも一度苦渋を味わった赤い光のパフューム。
プリキュアの行動速度を極限まで高める効果を持つ心の種だ。

「でっ、でも、アイツは怪しい素振りなんて少しも……」

確かめるかのように視線を元の場所へと戻すと、ブロッサムの体の型が残る地面の後方に、ココロパフュームを持ったシプレの姿があった。

「あっ……あのチビ妖精……!」

ブロッサムの傍にずっといたシプレは、地に埋もれるブロッサムの体のキャリケースからココロパフュームを取り出し、赤い心の種をセットしてその香水をブロッサムに吹きかけたのだ。
デザトリアンは自分の狙ったターゲットが消えている事に気が付くと、手を地面から引っこ抜き、植木鉢の下半身を大きく跳ね上げてブロッサムに向き直った。
それを見たブロッサムは苦い表情をし、再びデザトリアンの後方に回り込む。
その素早さは驚異的で、常人には赤い光が緒を残して一瞬で移動したようにしか見えないだろう。
しかし……ブロッサムの動きは素早いのと同時に、非常に“緩慢”だった。
いくら速度が上がった所で、ボロボロになって立っているのもやっとなのは変わらない。
動きそのものが取れなくては速さも無意味なのだ。
それに心の種の効果も長くは続かない。
先ほどのシプレの協力を得た作戦も二度は出来ないかもしれない。
この状況で効果が切れたら……ブロッサムに許された手数はあまりにも少ない。

「一瞬で決めなくては……! あのデザトリアンの弱点、それは……」

ブロッサムは朦朧とする意識で瞬時に状況を整理し、その次の行動に出た。
方膝を突き、両手を前方の地面に沿え……その体制の後、一瞬尻を上げた。
そして次の瞬間、ブロッサムの体は元居た場所から弾き出されていた。
クラウチングスタートの要領で飛び出したブロッサムの体は、赤い心の種の効果で加速し、その様はまるで赤い弾丸のよう。
その弾丸が狙うのは……デザトリアンの体を支える植木鉢の下半身!

ズゴン! と鈍い音がし、デザトリアンの巨体が宙を舞う。
ブロッサムの体当たりによって体勢を崩したデザトリアンはそのまま横倒しになり、身動きの取れなくなった状態からなんとかして起き上がろうと両手をバタつかせている。
一方のブロッサムも、高速で投げ出された体をボロボロの状態ではコントロールする事が出来ず、勢いあまって地面を転がってしまう。
その体が勢いを失って止まる頃には、ブロッサムの体から赤い光は消え失せ、赤い心の種の効果は完全に失われていた。

「ブロッサム! 今がチャンスです!」
「は……はい…………!」

ブロッサムはフラフラの状態で何とか起き上がると、胸のブローチに手を当てる。

「集まれ……花の、パワー! ブロッサムタクト!」

ブロッサムの手のひらから小さなハートが飛び出し、タクト型必殺武器ブロッサムタクトへとその形を変えた。
ブロッサムが右手でタクトをしっかりと握り、左手で中央のドラム部を大きく回転させると、タクトの先端にピンク色の光が集中していく。

「花よ輝け! プリキュア、ピンクフォルテウェーーーーーーブ!」

そして、ブロッサムがタクトをデザトリアンへ向けて突き出すと、その先端から大輪の光の花が開花…………しなかった。
先端に集中した光は、くすぶった火のように弱々しく明滅し……そのうち宙に霧散する。

「な……なァ〜によ驚かせちゃってェ。全然ダメダメじゃなァ〜い」

一連の流れを見て、今まで大げさなポーズで驚いていたサソリーナが、技を不発に終わらせたブロッサムを見て、今度はケラケラと馬鹿にするように笑いだす。

「そ、そんな……どうして」
「ブ、ブロッサムの心の花が弱り過ぎているせいで、花のパワーを集める事が、出来なくなっているんです……」

シプレが震える声で絶望的な事実を告げる。
シプレ自身、まさかブロッサムの心の花がこれほどまでに弱っているとは予想出来なかったのだ。
ブロッサムは青ざめた表情のまま周囲を見る。

ゲラゲラと下品な笑いを上げながら戦いの成り行きを見ているサソリーナに、その隣で失望とも予想通りとも取れない淡白な表情で戦いを見ているダークプリキュア。
たとえデザトリアンを倒す事が出来たとしても、サソリーナとダークプリキュアの二大幹部を相手にして今のボロボロの自分に勝ち目があるとは思えない。
サソリーナもダークプリキュアも、それが分かっているからこそ、ブロッサムとデザトリアンの戦いに対して何もせず観戦しているに違いないのだ……
ブロッサムは再び目の前のデザトリアンに視点を移す。

『カズヤくんにこの気持ちを届けたかったのに……届いても結局無駄だったんだ……』

マイの心の叫びを周囲に発しながら、デザトリアンは起き上がろうとその場でもがく。
その様は、もはやその場から進む事も引く事も出来ないでもがいているマイの心を表しているかのようだった。
もたもたしていればデザトリアンは起き上がり、自分は成す術も無いまま倒されてしまうだろう。
そうなれば、これから先も、マイの心はずっと傷つけられてしまうのだ。
…………ブロッサムは覚悟を決めた。
例え自分がどうなろうと、マイの心だけは救い出そうと。
ブロッサムは再びタクトを握る手に力を込める。

「花よ、輝け! プリキュア……ピンクフォルテウェーーーーーーーブ!」
「オ〜ホホホ、何度やったって無駄む…………ぅぇえぇぇっ!?」

……今度こそ、ブロッサムタクトの先端に光り輝く花が開花した。
そして、タクト先端から発射された花の光弾は、デザトリアンの体を見事に捕らえる。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

ブロッサムがタクトのドラム部を連続回転させると、それに合わせてデザトリアンの体が宙に浮かんで行き、その体が光に包まれる。
周囲に広がる光が収まると、そこにはマイの“心の花”と一輪の花が植えられた鉢が残っていた。

「な、なァ〜〜〜んでよゥ! さっきまでボロボロのバテバテでグゥの音も出ないほどだったのにぃ!」
「……………………」

先ほどの状況からは全く想定していなかった、デザトリアンが倒されるという事態にサソリーナが金切り声を上げる。
一方で、マイの心の花の解放に成功したブロッサムはフッと笑みを漏らし、次の瞬間、その膝がガクリと崩れ落ちて……“キュアブロッサム”は姿を消した。
両膝を落とし、両手を地面に突き、荒い呼吸をするのは……プリキュアの服の形を維持出来ず、薄い光のヴェールとなった衣服一枚のみに身を守られる、あまりにも弱々しい“花咲つぼみ”の姿だった。

本来、世界中から花のパワーを集める事によって発動するピンクフォルテウェーブ。
しかし、花のパワーを集める事が出来ないと知ったブロッサムは、自らをキュアブロッサムたらしめる“プリキュアの力そのもの”をブロッサムタクトに込めて放ったのだ。
自らの体をプリキュアへと変えている力を全て放出したブロッサムは、その姿を維持出来なくなり、キュアブロッサムから花咲つぼみへと戻ってしまった。
ブロッサムは……いや、つぼみは、無防備な姿をサソリーナやダークプリキュアに晒す事を承知の上で、マイの心の花を救うべく捨て身の攻撃を放ったのだ……
そんなつぼみの所へ、ダークプリキュアがつかつかとゆっくり歩み寄る。

「自己犠牲精神……自分の身を犠牲にする事で、奴の心を救ったつもりか……?」
「はぁっ…………はぁっ…………」

捨て身で放ったピンクフォルテウェーブは、プリキュアの力だけでなく、つぼみ自身の体力と精神力も大きく削り取っていた。
つぼみは荒い呼吸を整えようとするのに必死で、ダークプリキュアの言葉に答えようにも声が出ない。
ダークプリキュアは足でつぼみの脇腹を蹴り飛ばす。
大きく跳ね飛ばされたつぼみはごろごろと転がり、今度は仰向けの状態で地面に倒れた。
つぼみが首を少し横にひねると、眼前にはマイの心の花があった。

「見ての通り、奴の心の花はここに置かれたままだ。お前が捨て身の攻撃でデザトリアンを倒した所で、奴が救われたわけではない」
「そうそう、この心の花を使えば、またデザトリアンを誕生させる事が出来ちゃうのよォん!」

ダークプリキュアに続き、サソリーナまでもつぼみの捨て身の行動を嘲笑う言葉を放つ。
つぼみの行動に驚愕し慌てふためいていた先ほどまでと違い、余裕の笑みを見せている。

「つぼみ、こんなヤツらの話を聞いちゃダメです!」

身動き取れないつぼみを追い詰めるように近づいていくダークプリキュアの目の前に、立ち塞がるようにしてシプレが姿を現す。

「ダークプリキュア達はつぼみの心の花を弱らせようと……ぁぅっ」
「邪魔だ」

そんなシプレをダーププリキュアは片手で払いのける。
その腕の動きは軽いものだったが、それでもダークプリキュアの力は凄まじく、シプレは勢い良く地面に叩きつけられた。
自分を庇おうとしたシプレが虫をはらうかのように扱われ、つぼみは怒りの表情を見せるが、砂漠の使途に恨み言を言う体力すら残ってはいない。

「自己犠牲……都合のいい言葉だ。結果がどうであろうと、誰かのために自分が傷ついたという結果さえ残ればそれで満足出来るのだからな」

ダークプリキュアは倒れるつぼみのすぐ傍まで近寄り、その姿を見下ろす。
……いや、見下す。

「奴の恋を応援しようなどという考えも、今の自己犠牲も、全てお前が満足するための行動に過ぎん。……お前には、何も救えない」
「っ……………………!」

歯を食いしばるつぼみ。
それはダークプリキュアへの怒りか、至らぬ自分への悔しさか、それとも友を救えなかった悲しみか……
つぼみが言葉を発する事が出来ないでいるため、その本心は分からない。

「サソリーナ。後は任せる。もはやこいつの心の花は枯れ落ちる寸前。心の大樹の加護があろうと関係は無い」
「へーへー、いちいち指図されなくても分かってるわよォん」

ダークプリキュアが背を向けつぼみから離れて行き、入れ替わりにサソリーナがつぼみへと歩み寄る。
そして、一瞬その両目を怪しく輝かせると、彼女はいつもやってきたように、その言葉を発する。

「心の花よ、出て来てェ〜〜〜〜ん!」
「………………ッ!!!」

つぼみの意識はそこで途絶えた。



……目を開くと、目の前にえりかの姿があった。

「良かったぁ、気がついたよ。んもぅ、あんまり心配させないでよね!」
「えりか……私、どうして…………?」
「つぼみのピンチにあたしが颯爽と駆けつけて……なんて言えたらカッコイイんだけどさ。ホントはあのイケメンさんが助けてくれたんだよ」

そうか。あの人が助けてくれたんだ。
自分が絶体絶命のピンチのなると、必ず助けに来てくれるあの男の人。
いつかちゃんとした形でお礼を言いたいな、などという事を考えながら……つぼみは自分の上半身を抱き抱えるえりかの腕からゆっくりと離れた。
ザッ、と草が踏みしめられる音が背後から聞こえ、つぼみが背後を振り返ると、そこにはマイの姿があった。

「マイさん! ……えっと、その…………体の具合は大丈夫ですか?」
「えっ? う、うん、大丈夫。でもそれを言ったらつぼみちゃんだって。私たち二人とも川原の近くで倒れていたんでしょう?」

つぼみがかけたその言葉を予想していなかったのか、マイは一瞬驚いて答える。
逆に自分の体の心配をされたつぼみは、大丈夫です。と少し曖昧な笑顔で答えた。
その後、お互いに目を合わせようとしては、慌てて視線を外す、という行為を繰り返し、気まずい沈黙が続いた。
えりかはと言えば、まるで二人に無関心であるかのように二人とは全然別の方向を見ている。
そのうちに、視線を外しながらではあるものの、ゆっくりとマイが口を開いた。

「つぼみちゃん、あたしなんかの恋を応援してくれて……ありがとう。本当に感謝してる。でも……」

マイは一呼吸すると、意を決したように言い放った。

「あたし、つぼみちゃんには絶対負けないから!」
「えっ……」
「「えええええぇぇ!?」」

最初はぽつりぽつりとつぶやくような弱々しい声だったのに、最後のその一言はとても力強い決意に溢れた声だった。
そのマイの言葉に、つぼみだけでなく、無関心を装っていたえりかも驚いて勢い良くマイの方に振り向き、その後、しまった、というような顔をしてまたそっぽを向く。

「あの……マイさん、カズヤさんはああ言ってましたけど、私にはそんなつもりは……」
「……うん、分かってる。つぼみちゃんにその気は無いって。あたしが言いたいのは……カズヤくんが好きだと思っているつぼみちゃんの姿に負けたくないな、ってこと」

マイはつぼみに微笑みかける。
清々しさを覚える笑顔だった。

「マイさん、そういう事だったら私はこれからも応援を……」
「ううん、いいの。ここからは自分の力で何とかしなくちゃ。それに、つぼみちゃんに協力してもらったら、“つぼみちゃんに勝つ”事が出来なくなっちゃうしね」

一度潰れかけた花は、強く成長していた。
……もう自分の力は必要無いんだ。
つぼみの心には、安堵と寂しさ、二つの感情が入り混じっている。
マイは想い人を振り向かせようと、これまで以上の苦悩を背負っていく事になるだろう。
誰の応援も無く。
それは辛い道のりだ。その先に明るい未来があるかどうかも分からない。
結局、想い届かず苦しみ続ける事になるかもしれない。

…………本当に、それで、いいんですか?

次の瞬間、つぼみの視界に白い亀裂が入り、目の前の景色がガラス窓のように砕け散った。
つぼみは、デザトリアンと激戦を繰り広げた川原に立っていた。
サソリーナもダークプリキュアも見当たらない。
そこに存在していたのは、“花咲つぼみ”という一人の人間と、“心の花”。



「う〜…………………………………………サイアク」

来海えりかは――最悪の気分だった。
せっかくの祝日だというのに、全く気分が晴れない。
えりかの周囲に広がる、木漏れ日が差す静かな並木通りの景観も、えりかの心を癒してはくれなかった。

「えりかー! シプレの姿が見えないんです!」
「つぼみの姿だって見えないよ…………シプレはつぼみの傍にいるんでしょ」

慌てた調子でえりかの元にやって来たコフレの言葉も、右から左といった感じで適当に流す。

「ボクたち妖精は互いの気配を感じる事が出来るんです! それなのにシプレの存在を感じられなくて……やっぱり昨日の砂漠の使途の反応と関係があるんですよ!」
「そんな事あたしに言われたって分からないってばー! 昨日あんだけ走り回ったのに何も無かったじゃん!」

そう、この日の前日、つぼみと別れたしばらく後に、コフレが砂漠の使途が現れたと大騒ぎを始めた。
あんな事が起こった後だ。
マイやつぼみが砂漠の使途に狙われてもおかしくはないと、えりかは街中を駆けずり回って砂漠の使途やデザトリアンの存在を探した。
しかし、砂漠の使途の存在はおろか痕跡すら発見出来ず、平和そのものの街の姿がそこにあるだけで、えりかの行動は完全に徒労に終わった。
帰路に着いたのは日も沈み真っ暗になった頃で、帰宅する前につぼみの家に寄ってみたところ、つぼみは随分前に家に帰って来ており、疲れているのですぐ休むと言って部屋に篭ってしまっていたらしい。
仕方が無いので、次の日……つまり今日の朝一番につぼみに会いに行ったのだが、今度はつぼみが既に外出中だったために、今の今まで結局つぼみには会えずじまい。
きっと部屋で塞ぎ込んでいるに違いない、と思っていたのに当てが外れ、悶々とした気持ちを晴らす事も出来ず、えりかは何をするでもなく街をふらついている。
あるいは、こうしているうちに街の異常が発見出来るのではないかと、そうどこかでは思っているのかもしれない。

その時、えりかの進路上の先にある十字路右の角から、男女の二人組みが歩いて来るのが見えた。
手を繋いで仲良さそうに歩くその二人は、まわりの人間からはカップルに見えた事だろう。
そうでなければ、年の近い兄妹か。
しかし、それを遠くから見つめるえりかには……いや、えりかだからこそ、その二人はカップルとは思えなかったし、ましてや兄妹であるわけがないと分かっている。
その二人は十字路で別れ、男の方はえりかの進行方向向こう側の路地へと去っていった。
えりかは一人その場に残っていた女の方に駆け寄る。

「つ、つぼみ……? だよね……?」
「あら、えりかじゃないですか。こんな所で会うなんて、偶然ですね」

えりかが恐る恐る声をかけると、それに気付いたつぼみが屈託のない笑顔で答えた。
それがあまりにも自然な受け答えだったために、えりかは逆に強い違和感を覚える。
昨日の別れの時の気まずさなどまるで無かったかのように、平然と挨拶をして来るつぼみ。
よもや昨日の気まずい別れが白昼夢の中での出来事だったとでも言うのだろうか。
一瞬えりか自身もそれを疑ってしまうが、先ほどつぼみと一緒にいた人物の事を思えば、それは無いと断言出来る。
だからこそ、えりかは事実を確かめるためにつぼみに言った。

「あのさ……さっき一緒に居た人ってカズヤ……さん、だよね?」
「ええ、そうです。今日お食事に誘われたもので」
「ええっ!? それって、デートのお誘いを受けたって事!?」
「デート? ふふ……確かにそうなるのかもしれませんね」

驚くべき事を話すつぼみ。
先日のつぼみの涙を浮かべる顔が目に焼きついているえりかは、その言葉に耳を疑う。
しかしそれはまた、二人が仲良さそうに歩く姿を見て、えりかの頭に浮かんだ最悪の想像と同じものでもあった。

「そんな……マイさんの気持ちはどうなるのさ! つぼみも昨日はあんなに辛そうにしてたのに!」
「仕方がありません。元々カズヤさんの気持ちはマイさんへは向いていなかったのですから。実るはずの無い恋だったんです。……だからもう諦めるようにと、そう言いました。マイさん、カズヤさんの気持ちを聞いたあの時以上に泣きじゃくっていましたね……」
「確かに、元々無理な恋だったのかもしれないけど、さ……」

えりかは先ほど感じた違和感をずっと引きずっている。
一見するとつぼみとえりかはちゃんと会話しているように見えるのだが、えりかには、自分だけ気持ちが空回りしていて会話が噛み合っていないように思えてならないのだ。
そして、遠くを見るような表情でマイについて語るつぼみの口元が、一瞬緩んだように見えたのは眼の錯覚だろうか。
嘲笑……? いや、マイの力になる事が出来なかった自分に対して自虐的な笑みを浮かべただけに違いない。
えりかはつぼみと自分との間に漂う嫌な空気を振り払おうとするのに必死だった。
そんな空気に呑まれてしまわないよう、えりかは平静を保ちながら、なるべく自然な話の流れを作った。

「じゃ、じゃあさ、つぼみはカズヤさんと付き合う事に決めたの?」
「いいえ? そんなつもりはありません。カズヤさんの方は、告白に成功したものと思っているみたいですけど。うふふ……」
「な、何言ってんのさ、つぼみ……」

えりかには、つぼみが何を言っているのか分からない。
今度は隠そうともせずカズヤと……マイの事を嘲り笑っているつぼみが、何を言っているのか分からない。
そもそも、目の前にいる人物が本当につぼみなのかどうかさえ、えりかにはもう分からなくなっていた。

「お食事の誘いに一回成功したからといって、自分に気があると思うなんて哀れな事です」
「つぼみはカズヤさんの気持ちを知ってて、そんな騙すような事をしてるの!? なんでそんな酷い事するのさ!」
「……カズヤさん、今回が初恋なんだそうです。……最初の傷は、どこまでも深く、鋭い方がいいんですよ」

えりかの言葉を無視するかのように、つぼみはまた分からない事を言う。
それはもしかしたら、つぼみからえりかに対しての設問なのかもしれない。
えりかが答えに詰まっていると、自分の用意した設問にえりかが答えられないのが嬉しいのか、つぼみは歪んだ笑みを浮かべながら言った。

「カズヤさんも真実を知ったら、ショックを受けるでしょう。マイさんのように悲しみが一杯になって涙を流すかもしれません。……でもね? 涙はいつか枯れるものなんです。そして、最初に苦しい想いを味わっておけば、夢や願望を持って傷つくような事も無くなります。それが、人の心が砂漠化するという事なんです」

――“砂漠”。
つぼみの口から出たその一言に、えりかは背筋に冷たいものが走るのを感じる。
マイの恋を応援したいとはりきっていたつぼみ。
うっすらと涙を浮かべ、走り去って行ったつぼみ。
それを引き止める事も追いかける事も出来なかった自分。
砂漠の使途が現れたと騒ぎ出したコフレ。
様々な光景がえりかの頭の中を駆け巡る。
そこにはもうある種の答えが出来上がっていたのかもしれないが、それに気付かぬフリをしながら、えりかは乾いた声を出す。

「あ、あはは……つぼみってば、何サソリーナ達みたいな事言ってんのさ……人の心が砂漠化、する、なんて」
「サソリーナ達みたいな事? それは当然ですよ。だって、私は“砂漠の使途”なんですから」

相も変わらず歪んだ笑みを浮かべるつぼみと、呆然としてそれを見るえりか。

「えりか! このつぼみはおかしいです! 離れて……」
「う……うるさいうるさい! つぼみもコフレも何言ってんのか全然分かんないよ! ヘンな冗談はやめてよ……やめてってば!」

コフレの言葉も最後まで聞こうとせず、えりかは頭を抱えながら、目の前の現実を拒絶するかのように頭を大きく振る。
それを見たつぼみは、くくっ、と押し殺したような笑いをした後、右手の手のひらを空に向ける。
そこから淡い光を放つ“何か”が出て来て……コフレが驚愕の声を上げた。
頭を抱えてつぼみから目を逸らしていたえりかも、その光に気付き、自らの目でその正体を確かめる事となった。

「こ……心の花…………!?」
「丁度良かった。これからえりかに会いに行くつもりだったのですが、その手間が省けました」

つぼみの手のひらに上に浮かんでいるのは……砂漠の使途が人々から奪い、デザトリアンの材料とする“心の花”。
つぼみは左手で自分の眼鏡をゆっくりと外すと、その眼鏡と心の花を近づけ、一つに合わせる。

「デザトリアンの……お出ましです!」

つぼみの持つ心の花を中心に突風が巻き起こり、それが止む頃には、眼鏡から頭と手足の生えたような姿のデザトリアンが姿を現していた。

「何……? どうなってんのよこれ……わけわかんないよ…………」
「えりか! 変身するです! とにかくデザトリアンにされた人の心の花を救い出すです!」

つぼみの事で頭が一杯になっているえりかに対し、コフレは目の前の問題に集中するよう促す。
えりかは躊躇するが、迫り来るデザトリアンは待ってはくれない。
コフレから渡されたプリキュアの種をココロパフュームにセットし、えりかはキュアマリンへと変身する。

「海風に揺れる一輪の花! キュアマリン!」

叫び声を上げながら両手を振り回し襲い来るデザトリアンの攻撃を、マリンは次々とさばいていく。
その動きにマリンが慣れてくると、敵の動きに集中していたがために聞き逃していたデザトリアンの叫びが、はっきりと耳に届き始め、その内容にマリンの表情が凍りつく。
デザトリアンが口にしたその叫びは、マリンの知るある人物を示すものだったからだ。
マリンは敵の攻撃を受け流しながら、デザトリアンの後方で観戦しているつぼみを見る。
自分の想像が正しいとすれば、あそこにいる“つぼみ”は、一体“誰”なの……?

『マイさんとカズヤさんの恋を応援したかったのにぃ〜! 結局二人を傷つけてしまいました〜! 私は最低です〜!』
「つ……ぼみ……」

一瞬その叫びに気を取られ、マリンはデザトリアンの拳をまともに食らい、後方へ吹っ飛ばされる。
背後にあった木に激突する寸前に地に手をつき素早く体勢を立て直すが、目の前にある異常な光景に困惑し、次の行動を起こす事が出来ない。
“花咲つぼみ”と“花咲つぼみの心の花を持ったデザトリアン”が同時に存在する。
この異様な光景に驚いていたのはマリンだけではない。
キュアムーンライトと共に戦って来た頃から幾度となくデザトリアンと相対して来たコフレもまた、目の前の状況を理解する事が出来ていない。
コフレは体を一回転させて宙に円を描くと、そこにハート型の窓のようなものが現れ、コフレはそれを通してつぼみの姿を見る。
つぼみの姿がシルエットのように暗くなり、その中心に心の花が浮かび上がる。
コフレはつぼみの心の花を実際に見た事は一度もなかったが、浮かび上がった“それ”は、つぼみが本来持っている心の花では無い事がすぐに分かった。
“それ”はそもそも花としての形を持ったものでは無かったからだ。
鋭く尖った赤い鉱物のようなものが放射状に広がっており、その底部からイバラのような物が伸び、そのイバラがつぼみの心の中に張り巡らされている。
まるでつぼみの心をイバラで縛り付けるかのように。

「マリン! あれは……あれは心の大樹と繋がった心の花じゃないです! つぼみはきっと、心の花を奪われた上で、あの歪んだ心の花……悪い心を植え付けられたんです!」
「そ、そんな……つぼみ……!」

呆然とするマリンの姿は隙だらけだったが、デザトリアンはそこを突いて攻撃はして来なかった。
両手で自分の体を抱くようにして、その場で小刻みに震えている。

『マイさんやカズヤさんだけでなく、えりかにまであんな酷い事を言ってしまって……私は……私は……』
「ふふ……下らない。人と人は近づけば傷つけ合うものなんです。傷つけるのが怖いなら最初から近づかなければいいものを、後から愚痴愚痴と情けない。そんな事で悩むのなんて馬鹿馬鹿しいですね」

奇妙な光景だった。
“つぼみ”を“つぼみ”が罵倒しているのだ。
それは人間の心の中での葛藤とは全く違う。
“花咲つぼみ”が“デザトリアン”の上に立って見下し、完全に支配しようとしている。

「そんな事…………無いよ……」
「……? マリン、何か言いました?」

マリンが、ふらふらとした足取りでゆっくりと前に歩を進めながら、「否定」の言葉をかける。
しかし、それは“花咲つぼみ”に向けられたものではなかった。
その足取りも、その目も、その言葉も、全て“デザトリアン”へと向けられている。
その表情は、敵に対して向けられるそれではなく、友を哀れむものだった。

『私は、変わる事なんて出来ないんです……!』
「そんな、そんな事無いよ……つぼみは、困ってる人を見たらさ、その人のために勇気振り絞って……それで、助けようと一生懸命になって頑張って! ……あの時、クラスに入って来るだけで緊張して縮こまってた時のつぼみと今のつぼみは全然違うよ……つぼみは変わってるんだよ! ずっと傍にいたあたしだから分かる!」

マリンのその言葉に、デザトリアンの奮えが止まる。
つぼみはデザトリアンに対して言葉を向けているマリンが不愉快なのか、その顔を歪ませ、デザトリアンに見下したような視線を向けながら言った。

「ええ、マリン。私は変わりました。私はもうあんな下らない事で悩んだりはしない……ここに居るデザトリアンは、私が生まれ変わった後に残った残りカスです」

つぼみがうずくまるデザトリアンの背部を蹴り飛ばすと、デザトリアンは前のめりになって無様に倒れる。
その様子を見て、マリンは今度は“花咲つぼみ”へと向き直り、その姿をきつく睨み付ける。

「確かにつぼみは思い悩んだりする事も多かったかもしれないけど、あたしなんかよりずっと……色んな人の気持ちを分かってあげられる優しい心を持ってた! 忘れちゃったの……つぼみ!」
「いいえ、覚えていますよ。関係ない他人に同情し、思い悩み、自分の心を苦しめる……下らない! かつての自分……今思い出しても腹立たしい……!」

つぼみは情けなく倒れるデザトリアンを睨み付けながら、そう吐き捨てるように言う。
今のつぼみは、自分の言葉など何も届かないのか。
あのつぼみは、心持たぬただの怪物と変わらないのか――――いや。
今デザトリアンに対して吐き捨てるように言ったあの言葉。
あれはもしかしたら、カズヤとマイの一件で思い悩んだつぼみの心のどこかで生まれた黒い感情なのかもしれない。
それは黒い感情の発露でしか無いのかもしれないが、そのつぼみの言葉は、デザトリアンとはまた別の、「つぼみの心の叫び」に違いないのだ……

だが、それだけでは無いはずだ。
黒い感情をどこかに抱えながらも、それを乗り越える強さもつぼみは持っているはずだ。
だから、取り戻そう。
つぼみの勇気を。
優しさを。
その全ての心を。
事態に振り回されて呆然としていた先ほどとは違い、今のマリンは強い決意を込めた表情を見せている。

「つぼみの優しい心を奪って、弄ぶ砂漠の使途……海より広いあたしの心も、ここらが我慢の限界よ!」

そう言い放つマリンの姿を睨み付けながらつぼみが後ろに下がると、デザトリアンがゆっくりと立ち上がる。
だが、マリンはデザトリアンが新たに攻撃をするための時間は与えなかった。
素早くマリンタクトを取り出すと、デザトリアンに技の狙いを定める。

「花よ煌け! プリキュア…………ブルーフォルテウェーーーーーブ!」

マリンタクトから放たれた大輪の花がデザトリアンの体を捉え、その体と心を浄化していく。
放射する光が収まった頃には、デザトリアンの姿の代わりにつぼみの眼鏡が地面に転がり、つぼみの心の花はマリンがしっかりとキャッチしていた。
その様子を見届けたつぼみが、パチ、パチ、パチ……と感情のこもらない拍手をマリンに送る。

「そんな雑魚デザトリアンのためによく頑張りました……お疲れ様です」
「ほら、つぼみ! これがあなたの本当の心だよ! ちゃんと、受け止めてあげて!」
「お断りです。言ったでしょう? そんなものはただの残りカスです。本当は捨ててしまっても良かったのですが、まぁデザトリアンとして使う事は出来るかと思って持って来たのに……やはりこの程度ですか。がっかりです」

つぼみは冷め切った目でマリンの持つ心の花を見ている。
そして、今度は腰に下げたキャリーケースからココロパフュームを取り出した。

「……シプレ、いますね?」
「いっしっし、はいです……」

いつからそこに潜んでいたのか、つぼみの背後からぬっと現れたその姿を見た瞬間、マリンとコフレは何度目かの強い衝撃を受ける。
そこに居たのは、体を漆黒に染め、赤い瞳を持つシプレの姿。

「シプレ、一体どうしちゃったんです!?」
「こんなのって……つぼみだけじゃなく、シプレまで……!」

慌てふためく二人をよそに、黒い姿のシプレとつぼみはその準備を進めていく。
シプレから放たれた赤黒い“プリキュアの種”をつぼみがココロパフュームにセットし、その香水を自らの吹きかける。
いや、それは香水などと呼べるものでは無かった。
ココロパフュームより噴き出した形持つ妖艶な香はたちまちのうちにつぼみの体を包み、その姿を変えていく。
そこに現れたのは、“キュアブロッサム”に良く似た何者か。
頭頂部で纏められた髪がポニーテールのように後方に伸びている所は同じだが、その衣装は黒を基調としており、水を与えられずに枯れ果てた花を思わせるボロボロの布が所々に見え隠れしている。
右手に巻かれた花を模した部位のみが、かつてのブロッサムの衣装と共通するものだった。
その者の体を包む香が周囲に霧散し、キュアブロッサムに良く似た何者かはその全身を現す。
その首筋にシプレが止まると、シプレはその変貌させた漆黒の体と変わらぬほどに深い黒を持つマントへと姿を変えた。

「大地を喰らう、漆黒の花……ダークブロッサム。…………ふふふ、私の逆鱗に、触れる勇気がありますか?」

“ダークブロッサム”が姿を現した一瞬、吹き抜けた風がマントを大きくはためかせる。
片側に広がるそのマントがまるで方翼の翼のように見え……ダークブロッサムの姿がマリンの記憶の中のある存在と重なる。

「ダーク……プリキュア……!」



「ふん、俺らのおらん間に、こんな事になってるとはな」
「僕がせっかくプリキュアを倒すための素晴らしい作戦を考えていたというのに、全く酷いねぇ、サソリーナ」
「う、うっさいわねェ! あたしだって今回の事は不本意だったのよ!」

今言葉を並べたのは順にクモジャキー、コブラージャ、サソリーナの三幹部。
大広間の吹き抜け上には、サソリーナ達に作戦を伝えた時と同じようにサバーク博士がいる。
そして、その隣に佇むのはダークプリキュアの姿。
砂漠の使途の本拠地にある、薄暗い大広間。
今ここに、砂漠の使途の幹部が勢ぞろいしていた。……いや、“新たに加わった幹部”一名だけはそこにはいなかった。
その新たな幹部の活躍を、宙に浮かぶ映像を通して砂漠の使途達は見ているのだ。

「しかし、まさかあそこまで効果があるなんてねェ、あの“心の模造花”」

“心の模造花”。
心の花を奪われた者に、本来の心の花の代わりに与える事で、その者の心を縛りつけ邪悪に変える、サバーク博士の作り出した偽りの心の花。
それを実際につぼみに使ったサソリーナでさえ、今まで何度となく自分達を退け、そして皆の心を守るだの何だのと甘い事を言っていたあのプリキュアの一人がここまで変貌してしまうという事に、軽い恐怖心すら覚えていた。

「たとえ味方になろうと、軟弱な奴だったら追い出してやるだけぜよ」
「ま、ライバルが一人二人増えようと僕には知った事じゃ無いねぇ」

口々に思う事を述べる三幹部をよそに、サバーク博士の隣に佇むダークプリキュアだけは、宙に浮かぶ映像を見ながら黙りこくっている。

「……不満か。ダークプリキュア」
「いいえ。全てはサバーク博士の望むままに」

無表情にしか見えないダークプリキュアの、微妙な心境の変化に気付いたのか、サバーク博士がダークプリキュアに問うが、ダークプリキュアは相変わらずの無表情のままそれを否定した。

「ダークブロッサムは力ではお前には及ばないが、心の大樹の加護を受けていたものだからこそ、出来る事もある」
「……………………」

今度の言葉にはダークプリキュアは答えなかった。
その言葉に対し、何を思ったのかは表情からは読み取れない。
いや、サバーク博士だけにはその表情の変化が見えていたのかもしれない。
サバーク博士は、映像に浮かぶ世界の、更に向こう側にある何かに訴えかけるかのように、言葉を放つ。

「心の大樹に選ばれた者が心の大樹を汚す。……キュアムーンライト、今のお前には、どうする事も出来まい……?」



「ふふ……やはりダークプリキュアの姿が重なりますか? 私に屈辱を与えた相手……その名を聞くのは腹立たしいですが、感謝もしていますよ。砂漠の心を教えてくれた事に関しては」

ダークブロッサムのその言葉を聞き、マリンは全てを理解する。
昨日、ダークプリキュアはつぼみを襲い、心の花を奪ったのだ。
そして、それだけではなく、つぼみに悪の心を植え付けて、いいように操っている……
マリンの心に怒りが湧き上がり、その表情に再び強い決意を込めさせる。

「ダークブロッサム……! あたしは負けないよ! 絶対に勝って、つぼみの心を取り戻してみせる!」
「マリンの言う「私の心」は、もう持っているじゃないですか。そんな物を持ったまま、私と戦えるつもりですか? ……闇の力よ集え、ダークタクト!」

ダークブロッサムが漆黒のタクトを装備し、マリンの元へと向かって来る。
マリンは即座に反応するつもりだったが、ダークブロッサムの指摘する「つぼみの心の花」をまだ左手に持ったまま。
それに気付き一瞬迷いが生じるものの、マリンはそれを脇に抱えた状態で後方にステップし、それと同時にマリンタクトから光弾を散らす。
でたらめに撃った弾はほとんど狙いを外れ、ダークブロッサムに向かった弾も、ダークタクトの一振りでかき消されてしまう。
左の脇に心の花を抱え、右手でマリンタクトを振りぬいたマリンの体は一瞬無防備となり、その瞬間を捉えたダークブロッサムがマリンの腹部に蹴りの一撃を見舞う。
ダークブロッサムは降ろした足で地面を蹴ると、後方へ飛ばされるマリンを凄まじいスピードで追い抜き、その体を受け止め羽交い絞めにする。
更にその状態でダークタクトを逆手に持ち直すと、淡い光を浮かべるタクトの先端をマリンの喉に突き付ける。
ダークタクトの先端に集まるのは闇の力。
その“光”が、熱を帯びてマリンの喉をちりちりと焦がし、マリンは苦痛に顔を歪める。

「そんなものを庇おうとしなければ防御出来ていたのに……愚かですね、マリン」
「こ……このつぼみの心の花は……もう誰にも、踏みにじらせたりしない……! あたしが、守る……!」
「そんなものを守って何になるって言うんですか? マリン……いや、えりか? あなたにもあるじゃないですか。お姉さんを越えたくて仕方ないのに、それが出来ずに苦しむ心が。そんなものは、捨ててしまえばいいんです」
「そんな事……う、ぐぐ…………」

言葉を出そうとするも、喉元に突きつけられるダークタクトには少しづつ力が込められており、だんだんと息をするのも苦しくなっていく。
マリンは言葉にならぬ声を上げ、ダークブロッサムの腕の中でもがく。
その間にも、心の花を手放す事は無かった。

「マリン……! ブロッサム、やめるです!」
「……うるさい」

その様子を見かねたコフレが何とかしようと二人の元に勢い良く飛んでくるが、ダークブロッサムが一睨み利かせると、ダークタクトから鋭い光が一瞬周囲に広がり、その力によってコフレは弾き飛ばされてしまう。
そして、ダークタクトが強い光を放ったという事は、その切っ先が触れるマリンの喉にはコフレが受けた以上の衝撃が伝わっているという事……

「……〜〜〜〜っ!!!」
「コフレ、邪魔しないでもらえますか?」

地面に倒れこんだ状態からコフレは何とか起き上がると、ダークブロッサムと、かつての自分の片割れの姿を見る。
ダークブロッサムのマントへと変化し、もの言わぬ装備品と化しているシプレ。
それを見て悲しみ感情が浮かんでくるのと同時に、自分がすべき次なる行動がコフレの頭の中に浮かんでいた。

「そっちがマントなら、こっちもマントですー!」

再びマリンとダークブロッサムの眼前に飛び込んでくるコフレを見て、ダークブロッサムは先ほどと同じ方法で迎撃すればいいはずだった。
しかし、コフレの体が淡い光に包まれているのを見て、ダークブロッサムに一瞬だけ思考の時間が生まれた。
その隙にコフレはマリンの首に飛びつく。
コフレの姿はすでに全身が青い光に包まれており、その光が輪を描いてマリンの首に巻きつき、後方から光のマントが伸び上がる。
マリンの首筋から上空に伸び上がったマントは、マリンを羽交い絞めにするダークブロッサムの顔に覆い被さり、マントがマリンの首筋を囲ったために、喉元に突きつけられたダークタクトが一瞬浮き上がる。
その瞬間をマリンは見逃さなかった。
マリンはマリンタクトを離すと、右手を無理矢理背中へとねじ込ませる。
そこにあるのは……ダークブロッサムの腹部。
マリンは手のひらをそこに押し付けると、力強く叫ぶ。

「マリン……インパクトォ!」
「ッッッ!!!」

ダークブロッサムがその行動に気付いた時にはもう手遅れ。
マリンを羽交い絞めにしていたがために逆に逃げ場を失い、マリンの手の平から放たれる衝撃をもろに受けてしまう。
ダークブロッサムの体が脱力するのを感じ、マリンはその場から飛び退いた。

「はぁっ……はぁっ……コフレにもこんな事出来たんだ、すごいじゃん!」
「マリン、油断しちゃだめです! また来ますよ!」

マントの姿のまま声を発するコフレに違和感は拭えなかったものの、今はそんな事を気にしている場合ではない。
マリンは飛び退く瞬間に回収していたマリンタクトを構え、方膝を付いているダークブロッサムの動向を用心しながら見つめる。
ダークブロッサムはゆっくりとした動作で立ち上がるが、先ほどの攻撃が堪えたような気配は無く、マリンを見て不敵に笑っている。

「驚きました、マリン。あの状態から反撃して来るなんて。……やっぱり、マリンはたった一人になったとしても、私たち砂漠の使途と戦うんでしょうね」
「当たり前じゃない! みんなの心を傷つけて、つぼみの心を弄んで……そんな奴ら、絶対許せない!」
「……マリンは砂漠の使途の計画を誤解しているんです」

ダークブロッサムは道の傍らに花が咲いているのを見つけると、それにゆっくりと近づきながら先を続ける。

「マリン? 確かに砂漠の使途の理想の世界……人々の心が砂漠化した世界では、こんな風に可憐な花は咲かないかもしれない」

花が足元に来る所まで近づき、ダークブロッサムは歩みを止める。

「…………でも」

――ぐしゃっ。

…………それは、大地に咲く一輪の花が、踏みにじられた音。
つぼみが、花を、踏みにじった。
それは、ある意味で今までのつぼみのどんな言動よりも衝撃的で、かつてのつぼみの姿を知る者に深い悲しみを引き起こすものだったかもしれない。

「花が散る悲しみを味わう事は二度と無くなるんです。……それが、世界が砂漠化するという事」

ダークブロッサムは言い終わると、マリンに向き直り、ダークタクトを頭上に掲げる。
その先端に光が集中していくのを見て、マリンは確信する。

「さぁ、終わりにしましょうか、マリン?」

……ダークブロッサムはこの一撃で勝負を決めるつもりだ。
当然、ダークブロッサムは持ちうる最大の技で襲い掛かって来るだろう。
だがそれはまた、自分の渾身の力を込めた一撃を食らわせる最大にして最後のチャンスでもあるのだ。
マリンは左手の手の平に心の花を乗せ、祈るように目を瞑った。

(つぼみ、ほんのちょっとだけ、力を貸してよ……)

すると、タクトのドラム部を回転させてもいないのに、マリンタクトの先端に光が集っていく。
それを、「つぼみからの答え」だと感じたマリンは、目を見開き、マリンタクトを突き出しながら大きな声で叫んだ。

「プリキュア……ブルーフォルテウェーーーーーブ!」

しかし、その技を放つ瞬間に見えた光景は、マリンの心に絶望を与えるものだった。

「プリキュア……ダークパワー・フォルテッシモ!」

ダークタクトが描く軌跡が、宙に二つのf(フォルテ)の文字を浮かび上がらせ、赤黒い光を放つ文字がダークブロッサムの体に吸収されると、その体に邪悪な波動が宿る。
……フローラルパワー・フォルテッシモ。
かつてつぼみと仲違いしそうになった時、気持ちを分かち合って仲直りし、その時完成させた、二人だけの必殺技。
それと同じ……いや、邪悪に染まった思い出の技を、ダークブロッサムは一人で易々と使いこなしている。
マリンには、その光景が、つぼみに『お前なんてもう必要ない』と見せ付けられたように感じて……

マリンの放った青き花の光は、邪悪な力を宿して突き進むダークブロッサムの体によってかき消され、次の瞬間、ダークブロッサムの姿はマリンの後方に現れていた。

……それはまるで、鏡写しのように。
マリンタクトを構え、反対の手で心の花を持つキュアマリン。
ダークタクトを構え、反対の手で“心の花”を持つダークブロッサム。

「ハート……キャッチ」

ダークブロッサムのその言葉で、振り返ろうとしていたマリンは糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
そして、マリンは自分の心そのものが、地面に溶け出していくような感覚に襲われる。
そう、あの日、つぼみと出会ったあの日に、心の花を奪われた時と同じ……
キュアマリンの体から光が弾けると、その姿は来海えりかのものへと変わっており、次の瞬間には、えりかの体は光に包まれ、丸い水晶体へと変化していた。
同時に、マントの姿をしていたコフレも、元の姿へと戻って宙へと投げ出され、そのまま地面に転がった。
起き上がる様子は無い。
ダークブロッサムはその光景を満足そうに見届けると、先ほどまでえりかという人間の形をしていた水晶球を掴み上げ、その内部に映るえりかの姿を恍惚とした表情で見つめる。

「……まさか。必要ないわけが無いじゃないですか。あなたの力が必要ですよ、えりか。…………世界の砂漠化のために」







END……?





〜あとがき〜


……はい、勢い任せで書いてしまったハートキャッチプリキュア!のSS、いかがだったでしょうか。
元々文章系はあんま得意じゃ無いし、SSなんて書くのは4、5年ぶりくらいなので、色々お見苦しい点があったかとは思いますが……

ハートキャッチプリキュア! ネタのストーリーは何かしらで形にしたいとは思っていたのですが、漫画の方があんな感じだし、って事で今回はSSという形を取りました。

あ、ちなみに、「つぼみ達は心の大樹の加護を受けている」だとか、「ピンクの心の種の効果」だとかは、このSSの中で勝手に決めたものなので信じないように。

この話の中で砂漠の使途達が使う「心の模造花」は、ある人との議論の中で出たもので、元々の発想は私のものではありません。
それってつまりパクリじゃん!
……ん〜、まあそうなんだけど、その人に対する敬意も込めて今回の文章は書きました。

前半のカズヤとマイの一件については、つぼみが戦闘意欲を失ってしまうほど心を弱らせる事態って一体何だろう、と考えた末に思いついたものです。

実際に説得力のあるものになっているかどうかの判断は読んでいる皆さんに委ねるとして……
まあちょっと、この二人に関してはちょっと心残りがあるんですよねぇ。

あ、ちょっと次の行でとんでもない事言いますけど、
私は、「幸せな結末が存在しないのならば、悪堕ちヒロインというものに意味は無い」というように思っています。
この言葉を正しく理解出来る人は、おそらく私と同じ視点でダーク化ヒロインというものを見ている人だと思います。

ハートキャッチプリキュア! の「幸せな結末」については、本編の結末でいいとは思うんですけれど、このカズヤとマイの二人はどうなるんだろうな、とか書いてて思ってしまいまして。
一回読みきりのSSの使い捨てキャラとはいえ、なんかやっぱこのままにして終わらせていいのか、というしこりのようなものが残ってしまった感があります。

これに関しては、「幸せな未来の可能性」がこの話の中に内包しているものと考え、とりあえず納得しておきましょう。

こんなSS書くだけでもかなりの労力を費やしたので、次があるかどうかは分かりませんが……とりあえず今回はこの辺で。


戻る