"悪堕ち"についての考え

どうも、当HPの管理人でありますG.U.です。
当初は「悪堕ちネタのサイト」として立ち上げたこのHPですが、現在のところ、私は「悪堕ち」という単語を基本的に使っていません。

と言うのも、「悪堕ち」という単語を使う人間が増えた一方で、「悪堕ち」という単語が内包する要素があまりにも広義になりすぎて、一つの単語としての意味を失ってしまったためです。

「悪堕ち」という単語を使う人それぞれが一人一人違う悪堕ち像というものを持っており、私が仮に「悪堕ち」という単語を口にしたとしても、私の考えている内容は相手には伝わらないでしょう。
いや、伝わる相手も居るには居るでしょうが、相手が意味を理解してくれるかどうかも良く分からない曖昧な単語を積極的に使いたいとは思いませんし、それを「自分が扱っているジャンル」として公言するなんてもってのほかです。

このHPを立ち上げたあたりからこの単語を使う事に疑問を持ってはいたのですが、ある事をきっかけに「もう、いいかな」と、pixivやHPから「悪堕ち」という単語を取り除きました。


まぁ実はここまでの話は割とどうでも良くて、このサイトを見ている方に知っておいて頂きたいのは、私が「悪堕ち(ここではあえてこの単語を使います)」というものに対してどういった認識を持っているのか、という事です。

私自身も最近ようやく分かってきた事なのですが、私にとっての「悪堕ち」とは、「作品における強烈なスパイスの一種」といったもののようです。

例えば世界の平和を乱す悪に立ち向かう正義の味方達がいて、そのうちの仲間の一人が敵に操られ、主人公達はかつての仲間と戦わざるを得なくなる……

そういった「悲壮感」や「悲劇性」といったものを生むための「手段」のひとつが「悪堕ち」というものだと、私はそう考えるわけです。
(「手段のひとつ」と言うと何だか悪い扱いのように見えますが、自分にとって「悪堕ち」というものが唯一無二の要素である事は確かです)

逆に、洗脳やら何やらで悪堕ちしたヒロインが出てくる作品であっても、その「悪堕ちする」という展開そのものに意味を見出せない内容であったのなら、私はそれに魅力を感じる事は出来ないでしょう(商業作品であっても、同人作品であっても)。

このHPで扱っている漫画やSSが、「悪堕ちを描く」というのをスタート地点にしているのは確かなんですけど、必ず悪堕ち展開自体にストーリー的な意味合いを含ませて描いています。
こういう風に言うとまるで義務感でやってるみたいですが、自分の考える「悪堕ち」を描こうとすると必然的にそういう描き方になってしまうのです。

これは、ハートキャッチプリキュアSSのあとがきで書いた「幸せな結末が存在しないのならば、悪堕ちヒロインというものに意味は無い」という言葉とも繋がる内容です。
「悪堕ち」が「悲劇性」でストーリーの味付けをする一要素であるという考え方をするなら、「悲劇性」という要素は、それを乗り越えようとする主人公達の姿を描くための布石であるという考えに行き着きます。


「ストーリー」という要素の存在しないイラストとかは、また違った考えの元に描かれていますし、今後作るもののコンセプト次第では、この考えと噛み合わない内容のものが出来上がるかもしれません。

しかし、とにかく分かって頂きたいのは、私が「悪堕ち」というものに対してこういう認識を持って作品を描いている、という事です。

私は「悪堕ち」の事を「スパイス」だと言いましたが、「悪堕ち」という要素そのものが「メインディッシュ」である、という人も当然居るでしょうし、メインディッシュとしての「悪堕ち」を求めてこのサイトに来ている人もおそらく居ると思います。

ですが、私はあくまで自分なりの認識による「悪堕ち」というものを追い求めており、その認識に則った「悪堕ち」作品を描いています。

だから、この文章を見ていて「何か違うなぁ」と思った人は、おそらく期待するようなものをこのサイトで得る事は出来ないかと思います。


「悪堕ち」というジャンルを掲げていたせいで、逆に自分の目指す方向性というのが良く分からなくなっていた所もあり、「悪堕ち」という言葉で客を釣っていた部分も確かにあって、そのせいで見ている人に変な期待を持たせてしまった所もあったと思うので、ここで一度はっきりとしておくべきなのではないかと考えました。

これだけ文章を並べても、言いたい事の半分も伝わっているかどうか怪しいのですが……まぁとにかく書くべき事は書いたつもりです。


もしよろしかったらこれから先もお付き合い下さい。




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