日本人は、善意で動いていると思いたい。しかし善意があるからこそ、バカげたチェーンメールが回る。
私のところにも、「早く700km以西に避難しなさい」という、ありがたい善意に基づくアドバイスがたくさんきた。
だいたい、そうしたデマは同じようなフレーズで始まる。
「政治家は、すでに家族を避難させ始めた」
「政府は箝口令を敷いている」
「原発関係者が言っている」
みんなパニックボタンを押す寸前だ。これが一番怖い事態であり、それを防ぐことができるのは、オピニオンリーダー、もしくはネット上のインフルエンサーたちしかいない。
いったいソースは、どこなのか? 政治家とは、誰か? 原発関係者って、誰だ。責任あるトップか。それとも元職員か?
こういった事実に基づく判断ができるか、どうか?
つまり、情報を発信できるようになったインフラを持ったということは、情報を発信するひと一人ひとりが、成熟した大人じゃないとダメだということだ。アバターが多かったツイッターに比べて、フェイスブックは本名でリアルだ。
フェイスブックで出会った人同士は、遅かれ早かれ、実際に物理的に対面することになろう。そうなると、未熟なものは未熟なもの同士で集うし、成熟したものは成熟したもの同士で集うことになる。どんな世界観を持って、どんな言葉を使っているかで、インフラのなかでの住む場所が変わってくる。
これから急速にフェイスブック人口が増えるだろうが、その際に気をつけなければならないことは、卑劣な人格を言葉にすれば、卑劣な世界に固定化されていくということ。
――今回のように状況が読めない混沌としたなかで、ソーシャルメディアでリテラシーを持って発言できる人、できない人の違いとはどこにあるのでしょう?
歴史に学んでいるかどうか。それが決め手だ。