共に受賞する益川さんからの電話に笑顔を見せる高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠さん=7日午後8時23分、東京都千代田区一番町、小林正明撮影
ノーベル物理学賞の受賞が決まり、笑顔で会見する京都産業大の益川敏英教授=7日午後7時22分、京都市北区、上田潤撮影
京都大学理学部助手時代の小林誠さん(後列左端)と益川敏英さん(前列左)=高エネルギー加速器研究機構提供
益川敏英さんと小林誠さんが学生時代に署名した色紙を前に、ノーベル物理学賞決定を喜ぶ、名古屋大で物理を学ぶ後輩たち=7日午後7時57分、名古屋市千種区の名古屋大学、岩下毅撮影
高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠さん(64)は午後7時半すぎ、東京都内の記者会見場に少し緊張した様子で現れた。この席で、共同研究者の京都大名誉教授で京都産業大教授の益川敏英さん(68)と電話がつながると「あ、益川さん、どうもおめでとうございます」とあいさつし、笑い合った。小林さんが「記者さんに囲まれてます」と話すと、益川さんは「こっちもいっぱいです。年貢を納めなきゃいけない」と応じた。
小林さんへの受賞の連絡は午後6時半すぎ、ノーベル財団から携帯電話に直接あったという。「自分の仕事が賞に値するとは思っていなかった」と話し、過去に益川さんと「受賞ということになったら大変だね」と話したエピソードなどを紹介した。
小林さんは、海部俊樹元首相といとこ同士。子どものころ父親を亡くした小林さんは母親と一緒に、海部元首相の名古屋市内の自宅に暮らしていた時期があった。「年下だったので、マー坊と呼んで可愛がった。男の子にしてはおとなしく、いつも部屋で難しげな本を読んでいた。思えばあのころから、天才に『突然変異』する芽があった」と海部さんは振り返る。
益川さんも、午後8時から、京都市北区の京都産業大で会見に臨んだ。受賞を喜びながらも「自分たちの仕事は35年も前の過去の仕事」と繰り返し、「(受賞は)ひとごとみたいだ。益川という人がやったというような……」。
益川さんは大の英語嫌い。海外に渡ったこともなく、パスポートも持っていない。海外から招かれた講演や授賞式には、いつも小林さんが出席してきた。
12月にストックホルムであるノーベル賞授賞式が初の海外になる。報道陣から、授賞式への出席を問われると「まあ、しゃあないでしょうな」と苦笑いした。
益川さんは小学校時代から理科と算数が得意だった。高校時代、近くの名古屋大の、素粒子物理学の分野で活躍する故坂田昌一教授の存在を知り、「自分がいる名古屋で科学がつくられているなんて」と興奮、将来の道を決めた。