2011年3月10日5時13分
森鴎外
エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトの洗礼記録(左から父の名・職業、母の名、エリーゼの洗礼名、出生日時)=講談社提供(C)Evangelisches Zentralarchiv in Berlin/ O 4154
エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトの洗礼記録(円内左から父の名・職業、母の名、エリーゼの洗礼名、出生日時)=講談社提供、
(C)Evangelisches Zentralarchiv in Berlin/ O 4154
文豪・森鴎外の代表作「舞姫」のヒロイン・エリスの実像に迫る資料を、ベルリン在住のライター六草(ろくそう)いちかさん(48)がドイツの教会公文書館で発見した。鴎外を追って来日したエリーゼ・ヴィーゲルトと思われる女性の洗礼や堅信礼の記録などで、名前以外にも「舞姫」の記述と一致する点が多い。エリスのモデル研究を次の段階に進める資料だ。
これまでのエリスをめぐる研究では、当時の英字紙に載った乗船名簿から、来日した女性の名前がエリーゼ・ヴィーゲルトであったことが分かっていた。研究者がドイツなどでエリーゼ・ヴィーゲルト捜しを続けてきたが、現地の記録で存在を確認できず、年上のユダヤ人「エリーゼ・ワイゲルト」説や、来日時15歳の「アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト」説などが出されていた。
六草さんが発見した洗礼記録は、シュチェチン(現・ポーランド)の聖マリア教会の教会簿として保存されていた「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」という女性のもの。名前が乗船名簿と一致するほか、1866年9月15日に母の故郷であるシュチェチンで生まれたとあり、鴎外を追って来日した時は21歳だったことになる。
「舞姫」には、主人公の帰国を前に、エリスの母が「ステッチン(=シュチェチン)わたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せん」と言ったという記述がある。
また、住所帳からは1898年から1904年まで、エリーゼ・ヴィーゲルトが帽子製作者としてベルリンに住んでいたことも確認された。鴎外の妹・小金井喜美子は鴎外から聞いたとして、エリーゼが「帰って帽子会社の意匠部に勤める約束をして来たといって居た」と記している。