【コラム】仙台に帰った日本人少年一家

 千葉拓人くん(7)一家が2年間のソウル暮らしを終え、故郷の仙台に帰った先週末、娘は「お別れのあいさつをしなくちゃ」と朝からそわそわしていた。拓人くんと一緒に幼稚園やテコンドー教室に通った娘は「お友達に渡す手紙を書く」と一生懸命だった。くねくねした字で何を書いているのか気になったが、見せようとしない。後で聞いたところ「大好きな拓人くんへ。もう二度と怖い地震が起きなければいいね」と書いたという。大勢の人々が仙台から脱出しているというが、被災した家に戻る拓人くん一家のことを考えると重い気持ちになった。しかし、同市の公務員である拓人くんの父親は「早く帰らなければ」と急いで帰国の途に就いた。

 大震災の1週間前、拓人くんの母親が「ぜひご家族の皆さんで遊びに来てください」と渡してくれた「仙台ガイドブック」。机の上に置いていたが、最近やっと手に取ってみた。ガイドブックを開くと、市や町の名前が目に入った。気仙沼・南三陸・岩沼…。気仙沼はフカヒレが有名で、松林に囲まれた海辺の市だと説明されているが、今は跡形もない。この一帯は全て津波に飲み込まれ、炎に包まれ、今では放射線の恐怖に襲われている。キムチが好きな拓人くんがソウルを離れ、帰る場所。「美しい日本の東北地方」という言葉がかすみ、そのままガイドブックを閉じてしまった。

 大震災以降、日本の人々と痛みを分かち合おうと、幼い子どもから旧日本軍の従軍慰安婦だった高齢の女性たちまでが立ち上がる姿を見て「ついこの間まで崩れる気配すらなかった壁に、ひびが入ることもあるんだな」と思った。ところが、そうした矢先、「独島(日本名:竹島)は日本固有の領土」と明記した教科書が検定に合格した。拓人くんも学校に入れば、「竹島は韓国が不法占拠している島」と学ぶだろう。「頑張りましょう。共に困難を乗り越えましょう」と日本にいち早く支援の手を差しのべた数十万人のうち、日本政府が独島や歴史に対する方針を急に変えると思った人は一人もいなかっただろう。「真心が通じ、心を開くきっかけになれば」と望んでいたはずだ。だが、日本政府は「子供たちに対し、竹島が日本の領土であることをさらに明確に教える」と主張し、手を差しのべた韓国人に複雑な思いを抱かせることとなった。マニュアルに固執し、避難民に2度も苦痛を与えた人々が、今度は韓日近代史100年で初めて訪れた局面にも水を差したのだ。

 今回改定された教科書で歴史を学ぶ拓人くんに再会した際「韓国はどうして竹島を不法占拠するの?」と聞かれたら、後ろを向いてため息をつくことになるかもしれない。日本政府が教科書を改訂し、どんなに大騒ぎしたとしても、独島は2000年、3000年後も韓国の領土だ。進むべき道でなければ今すぐ引き返さなければならない。しかし、100年前に他国の主権を強奪した人々、それにも飽きたらず、無謀な戦争を起こし韓国国民を死に追いやった勢力は、今やっと世の中に目覚め始めた子供たちまでも国際社会で孤立させようとしている。

 「人道支援と独島問題は別と考えよう」と言うのは簡単だが、実際には難しい。ある人物が原因で韓日関係が失敗した時はその人のせいにし、いい成果が出れば自分の実力のおかげと自慢するようになる。だから、ある哲学者は「自分のために行動することが重要だ」と言った。韓国が日本の地震被害への支援に素早く立ち上がったのは「両国の次世代を担う若者だけは歴史に縛られることなく、固く結ばれた友人かつライバルとして付き合おう」との気持ちがあるからだろう。しかし、日本政府は両国の将来の世代に確執の種となる負債をまたもや残そうとしている。

鄭佑相(チョン・ウサン)論説委員

【ニュース特集】東日本巨大地震

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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