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県内の災害派遣医療3チーム帰還 | ||
東日本大震災の被災地・宮城県仙台市で活動した佐賀県内の三つの災害派遣医療チーム(DMAT)が14日、帰還した。発生から48時間以内に現地に飛び、初期の救命治療を担うDMAT。未曽有の災害規模で、現地入りするまでに時間がかかり、待機状態も続いて十分な支援ができないまま撤収を余儀なくされるケースもあった。
帰還したのは佐賀大医学部付属病院と唐津赤十字病院、県立病院好生館の3チーム15人。11日午後の地震発生直後から待機し、翌朝から九州各県のチームと自衛隊機で被災地に飛んだ。13日午前、撤収命令が出されるまで、仙台市の霞目(かすみのめ)駐屯地で活動した。
佐賀大チームの阪本雄一郎救命救急センター長(43)はヘリポート横で、患者の容体に応じて手当ての優先度を決めるトリアージを担当。津波で漂流した多発外傷の若い男性ら50人を診療し、13人の病院搬送を指示した。
現地では自衛隊機に加え、各県から集まった消防防災ヘリやドクターヘリが飛び交い、「音が鳴りやむことはなかった」。ヘリコプター救急の有効性を痛感する一方、全国で唯一、公的な自前の消防防災ヘリとドクターヘリの両方を持たない佐賀県の態勢を嘆いた。
派遣時、県立病院チームは茨城県の自衛隊百里基地で足止めを食った。仙台入りできた赤十字病院も待機状態が続き、事務担当の大森崇生さん(42)は「なすすべもなく48時間が過ぎた。無念でならない」と唇をかんだ。
赤十字病院は、重症者を他県の高度医療機関に中継する広域搬送を担当。しかし、情報が入り乱れ、ほぼ5分おきにヘリで搬送されてくる被災者の多くは、骨折などはあるものの比較的軽傷だった。目の当たりにしたのは「津波から逃げることができた被災者に命の別条はなく、逃げられなかった人は既に亡くなっている」という明暗だった。
気仙沼市に別の救護班が派遣されていたため、災害対策本部に合流を申し出たが、移動手段がなく断念せざるを得なかった。「DMATは大事故時のピンポイントの救援には効果を発揮できるが、広範囲の災害では全体像が見えないだけに、もどかしい。もっと機動的に動ければ、救える命もあったかもしれない」と語った。 |
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2011年03月15日更新 |