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友達と再会、悲しみ胸に 石巻・大川小が登校式

保護者に付き添われ、登校する大川小の児童たち=29日午前9時50分ごろ、石巻市の飯野川一小

】多くの児童が犠牲になった大川小。2階まで壁が抜け、がれきに埋もれた校舎が津波の威力を物語る=29日午後1時15分ごろ、石巻市釜谷

大川小では連日、懸命の捜索が続き、校舎内や周辺のがれきからランドセルなどが拾い集められた=29日午後3時15分ごろ、石巻市釜谷

 東日本大震災で児童・教職員84人が死亡、行方不明になった石巻市大川小の登校式が29日、同市飯野川一小であった。捜索活動が続く中で卒業式と修了式は中止となり、亡くなった児童たちの冥福を祈った。

 大川小は震災時、児童数108人だった。無事だった34人のうち28人が登校。全員で黙とうし、死亡が確認された児童56人を悼み、不明の18人を案じた。教職員も休暇だった柏葉照幸校長らを除く10人が不明となり、うち7人の死亡が確認された。あいさつで柏葉校長は「力を合わせみんなで頑張っていこう」と呼び掛けたという。
 登校時は少し表情が硬かった児童たちも、久しぶりの仲間との再会を抱き合って喜び、一緒に遊具で遊ぶ姿も見られた。
 この日は、学校から保護者へ事故時の様子が説明された。学校によると、地震時は下校準備中で児童全員が校庭に避難。裏山は倒木で危険と判断し、校舎内への避難も検討した後、新北上大橋方面への避難を始めた途中で津波に襲われたという。
 新年度の授業は、飯野川一小など他校の教室を借りて行う方向。「被災した児童に役立ててほしい」と、住民からは中古のランドセルや文房具などの善意が届いている。

◎「なぜ多くの犠牲」/保護者ら膨らむ疑問

 津波で多数の児童が犠牲になった石巻市大川小。最愛のわが子を奪われた親は、がれきに埋もれた校舎や避難所で29日を迎えた。頭をよぎるのは「学校はなぜ、子どもの命を守れなかったのか」との思い。日ごとに膨らむ疑問と説明不足への不満は、学校に対する不信感に変わりつつある。
 大川小周辺では29日も、消防団や自衛隊、警察など数十人態勢での捜索活動が続いた。子どもが行方不明になっている親たちも連日、捜索に加わっている。
 3姉妹の末娘の6年生愛さん(12)が行方不明になっている会社員狩野孝雄さん(42)も、毎日のように現場を歩く。「学校にいれば大丈夫、校舎の2階にでも避難していると思っていた」という。なぜこれほどの犠牲が出たのか、裏山に避難できなかったのか―。足を運ぶたびに、次々と疑問が浮かぶ。
 捜索活動は校舎周辺がほぼ終わり、29日は校舎東側の沼で行われた。「見つからないかもしれない」と狩野さん。「下校中、一人で被害に遭わなかっただけよかった。友達と一緒だったから」
 3年生の息子が行方不明になっている40代の父親は、市内の避難所から、各地の遺体安置所に通う日々が続く。学校からは、当時の状況について説明がない。「津波から逃げる時間は十分にあったはず。学校は子どもが犠牲になった親一人一人に説明すべきだ」と憤る。
 「今頃は卒業しているはずだったのに」と話すのは、6年生の息子を失った30代の母親。自宅は津波に流され、避難所に身を寄せる。「卒業証書でも、卒業アルバムでも、息子の思い出が欲しいが、子どもを失った親に学校からの連絡はない」と涙を浮かべた。
 6年生の息子を亡くした男性は、時間が過ぎ、冷静さを取り戻すにつれて悔しさが増す。「誰が悪いではなく、徹底的に検証してほしい。今後のために子どもたちの死を無駄にしてほしくない」と語気を強めた。
(佐藤崇、須藤宣毅)

◎「門出」の決意/大切な命かみしめ/名取・閖上小

 津波による被災で延期されていた名取市閖上小(児童297人)の卒業式・修了式と、閖上中(生徒156人)の修了式が29日、市内の那智が丘小で行われた。「どんな苦難をも乗り越えて生きていきます」。自らも被災し、仲間を失った児童生徒らは「節目の時」に命の大切さをかみしめた。
 閖上小卒業式には卒業生43人中42人が出席。平山和紀校長が卒業証書を手渡し「生かされた命をさらに輝かせるため、希望を持って立ち向かってください」と励ました。
 卒業生は、保護者、在校生らを前に「たくさんの人たちに支えられ、助かった命を大切にします」と決意を語り、小学校生活に別れを告げた。
 閖上中の修了式には在校生約100人が出席、高橋澄夫校長から修了証書が手渡された。
 閖上小では欠席して自宅にいた5年の女子児童1人が死亡。閖上中では11日午前に卒業式があり、授業がなく、自宅などにいた生徒10人が死亡、4人が不明となっている。

◎震災には負けない/宮城・七ヶ浜3小学校

 宮城県七ケ浜町の小学校全3校で29日、震災のため延期されていた卒業式が一斉に行われた。津波で壊滅的被害を受けた菖蒲田浜地区の子どもたちが通う松ケ浜小(児童363人)でも、55人が学びやを巣立った。
 同小体育館には約190人が避難しているため、式は多目的室で6年生と保護者だけが出席して開かれた。
 杉山昭夫校長は一人一人に卒業証書を手渡し、「冬は必ず春になる。お父さん、お母さんは厳しい冬のような現実に直面している。春を呼ぶのは皆さんだと信じている」と、はなむけの言葉を贈った。
 卒業生は「大震災に負けず、松ケ浜小から旅立ちます」と決意を語った。「悲しみは拭い捨て さよなら さよなら 明るくさようなら」と別れの歌も披露した。
 七ケ浜町で小学校を卒業したのは230人。肉親を失ったり、自宅が全壊したりして避難所生活を続けている児童も多い。


2011年03月30日水曜日


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