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[25792] 【習作】 Fall from Heaven - Lyrical - 【魔法少女リリカルなのは】 (転生オリ主・狂人注意 欝)
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/12 21:01
はじめまして、虚弱な雄牛と申します。

※注意

このSSに登場するオリ主はゲスです。娯楽のために他人を不幸にします。
原作キャラも不幸になります。陵辱あり。

オリ設定が含まれます。
転生者や憑依者が多数登場します。

本格的にFfH2が絡んでくるのは7話からです。

補足:このSSはオリ主(狂)の利己的な行動を真面目ぶった書き方で描くものです。過度な期待はしないでください。


それでもよろしければ、お付き合い下さい。



[25792] 序章
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/03 01:36
『カルネアデスの舟板』という問題がある。
 簡単に説明すると、極限の状況下で生き延びるために他人を押しのけ――結果として殺すことが罪になるのかという問題だ。
 現代日本の法律では罪に問われることはないとされており、今の状況も罪に問われることはないだろうと自分は思う。
「………………」
 遭難した状況下、野犬の群れに襲われたのなら負傷者を見捨てて逃げても仕方がない。
 へし折れて添え木がされた左腕と左足。止血のために頭に巻かれたタオルは、じわりと血が染み出しているのだろう。痛みよりも寒さが不快だった。気候と地面と、血の抜ける寒さだ。
「…………」
 見捨てられたという絶望感はあったが、当然の事かと理解もできる。
 満身創痍で地面に横たわるお荷物よりもわが身や食料などが詰まったリュックの方がよっぽど重要だ。
 お荷物が、たとえ実の家族でもだ。
「…………かはは」
 掠れた声が思わず口から漏れる。
 別に仲が悪かったわけではない。でなければ兄と二人で登山になど出かけはしない。そんな仲でも、危険となれば自身の安全を取るのは人として間違っていない。合理的には正しい。
「は……は…………」
 うっそうとした木々と重い雲が空を覆っていて、星や月も見えない。仮に見えたとしても、既に焦点の定まらなくなっている視界には無意味だ。恐怖からの現実逃避もろくにできやしない。
 晩秋の冷ややかな空気にのせられて鼻に届く草木のにおい。そこに捕食者の生臭い息の臭いが加わった。
「…………!」
 喉元に食い込む犬歯の激痛に、朦朧とした視界と意識が忌々しくも鮮明となり、やがて出血多量によって曖昧にぼやけていく。
 身動きはおろか、声を出すこともできない。だから、心の中で遺言を告げようと思う。
 この感情が誰かしらに届くように思いを込めて。
 ――どいつもこいつも死んじまえ! 他人のせいで遭難して、自分が負傷し、自分が犠牲になるなど納得できるか!




 ミッドチルダ 首都クラナガン。
 ミッドチルダ式魔法の発祥の地にして、管理世界最大の巨大都市。
 この地に隔意をもつベルカ出身者たちはかく嘲る。
 時空管理局の発足と本局の完成により『かつての』四文字が加わった次元世界の中心都市。新暦の時代より、ゆるやかに衰退する過去の存在。
 しかし、現在――新暦0059年にクラナガンを越える人口の都市は存在しない。
 いくつもの区画が廃棄されることが決定した現状で、である。全盛期がいかに繁栄していたかは言うまでもない。
 そのクラナガン中央地区には、空高く聳える複数の超高層建築物が存在する。
 時空管理局地上本部。魔法技術の粋による威容は、時空管理局という組織をミッドチルダの民に無言の存在感をもって示している。中央タワーは周囲を囲う複数のタワーよりも一際高く、最上階の展望室からはクラナガンだけでなく遥か地平線の彼方までが一望できる。それは壮観の一言だろう。
 ゆえに、展望室で遥か眼下に広がる光景を眺めた幼い少年が、思わず息を呑んだのは当然であった。
「………………」
 豆粒のようなビル群。無節操に伸びるハイウェイは細糸のよう。
 先人が長きに渡り築き上げてきた巨大都市。しかし、それは地平線まで広がる景色の中ではほんの一部に過ぎない。比べるべきものではないが、世界の壮大さは人間の存在のちっぽけさを思わせずにはいられない。
 少年――リカリア・ヴァノンはこれまでの自身に対して思いを馳せていた。
 およそ四年。生誕からの数年は、成年時の数年よりも重要だ。記憶は思い出せぬほどのひどく曖昧なものだろうが、生活環境は人格形成に大きく影響を及ぼす。
 本来ならば、この幼子もそうだったはずだ。
 だが、彼には前世と呼ぶ記憶があった。
 リカリアにとっての四年は、自身の現状認識と文字の習得にあったといって過言ではない。二十年近い年月によって形成されていた個は、自身の活動範囲が狭いことを歯噛みしつつも知識を求めたのだ。
 転生に驚きがあった。魔法という未知の技術に驚きがあった。そして何より、彼の最大の驚きは、ここが物語の世界――架空とされた世界であるという事実だろう。
 何故自分がこの世界に転生したのか? リカリアが抱いた疑問だ。幾度となく自問し、解なき疑問である。
 自分なりの答えすら出ないでいたが、彼には一つの決意が生まれていた。
 今度の人生は己の欲求を満たすためだけに使おう、と。
 この世界は巨大な劇場で、そこに住む者は単なる登場人物。あるゲームの狂人の考えだ。
 それは極論だが、今のリカリアはあながち間違ったことではないと考えている。半ばで終わった前世だったからこそわかるものもある。
 ――楽しんで生きなければ損だろう?
 リカリアはほんの一瞬、薄暗く歪んだ笑みを眼下の街に向けた。



[25792] 一話 狂人の愉悦
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/06 22:36
 ヴァノン家の当主であるガレス・ヴァノンは、公的には時空管理局の提督の地位を持つ権力者であり、私的にはリカリアの父である。
 だが、リカリアはガレスを父親とは認識していない。
 事の発端は、リカリア――ヴァノン家三男の誕生によって、リカリアの母親が死亡したときに遡る。
 母の葬儀が終わったその夜。幼児用の寝台でこれからのことに思いを馳せていた彼の所へと姿を見せたガレスは、生まれたばかりの息子を一瞥すると笑った。
「まあ、死ぬ前に新たな娯楽を提供してくれて助かったな」
 悪意はおろか何の気負いもない、単に感想を述べるような独り言であった。
 母親と言われても面識のない女性である。リカリアにとっては他人事であった。しかしこの男にとっては妻ではなかったのか? 後に彼は知ることになるが、およそ十年も連れ添った仲であり関係も良好であったとのこと。そんな相手との死別ですら先の言葉だった。
 だからこそ、数ヶ月ぶりに父と顔を合わすリカリアに子としての感慨はなかった。
 四十代半ばであるにも関わらず、覇気溢れ、未だ全盛期と見まがう筋肉質の体躯。表情をいかめしく引き締めサングラスでもかけたのなら、マフィアのボスと見紛う貫禄を見せるだろう。ガレス・ヴァノンの風貌は、それだけで人に威圧を与える。
「…………」
 しかし、リカリアに恐怖はない。存在したのは、たとえ父と子という世間体があるとはいえ、そんな相手によくもまあ平然としていられるものだという自身への呆れであった。
 無知とは恐ろしいものである。彼はこの当時、父の権力の巨大さがどれほどのものであるか漠然としか理解していない。
「さて、久しぶりに帰ってきたというのに、話とは何だ?」
 にんやりと口元を歪めながら、応接室のソファーにふんぞり返ったガレスは問う。
 何を言い出すのか待ちわびる子供のような表情であるが、目は商品を品定めする鑑定家のように冷淡である。
 短慮な者はガレスの態度に苛立ちを覚え、老獪な者は警戒を抱く。
 艶のない黒色の机を挟んでソファーに座るリカリアは、自身に対する観察眼に気付いてはいたが、苛立ちも警戒もしなかった。
「しばらく――何年か、俺は家を出たい」
 現在、リカリアはわずか五歳の子供である。ガレスは何秒か唖然とし、
「おお息子よ。なんてことだ。ここの暮らしにどんな不満があるというのかね!?」
 わざとらしい驚きの表情を浮かべて、演技じみた大仰なしぐさで手を広げた。
 どれほどの驚きがあったのか、些細な驚きもなく冷静なのか、リカリアには判断ができかねた。ただ、続く言葉が待たれていることは理解できた。
「このちっぽけな箱庭が心地良いのは認めるよ。けど、俺が多くの世界を目にして見聞を広めたいんだ」
 これは彼の本音であった。広大な邸宅、多数のメイド、贅沢な食事、望むものは何もせずとも手に入る現状。多くの者は彼の何不自由ない生活を羨み望むだろう。
 ――このままでは、俺は満たされない。全て、この男に与えられたものに過ぎない。ここでは何も得られない。俺は、俺自身の力で、他人を踏み躙りたい。でなければ嗤えない。
「旅行ではだめなのか?」とガレスは顎髭を撫ぜる。
「俺は観光に行きたいわけじゃない。世界を学びたいんだ。だから、どこか預け先になる場所に心当たりはないだろうか?」
「家を出たいのに、親の力を借りるのか?」
「別に家出したいわけじゃない。家名を捨てるつもりもない。くやしいけど、一人で生きていけるなんて甘い考えもないよ」
 ふうっ、と溜息を漏らすとリカリアは続ける。
「家のことは兄貴がいるから大丈夫だろ? ああ、ハイ兄の方ね」
 ガレスは角笛の轟きのような低く篭った声で嗤う。
「長男は無視か?」
「ロジェ兄の方は、あれだ。この家を嫌ってるだろ。それとも、あれは周囲を欺くための演技なのか? あの言動は本気で嫌ってるようにしか見えないけど」
 ロジェ・ヴァノン。現在はロジェ・コートランと母方の姓を名乗っている。リカリアの異母兄で、溢れんばかりの才を有する管理局のエースである。
「まあ、ロジェ兄にするか、ハイ兄を選ぶかは知らないけど、少なくとも俺には家督に興味がない」
「ならお前は何に興味がある?」
「……たぶん父さんの、権力欲のほうがハイ兄に、それ以外の部分が俺に受け継がれたんだろうよ」
 あえて明確な言葉は避けたが、リカリアは発言が間違っていたとは思っていない。
 この男と自分は似ている。そう彼は感じていた。遺伝子上のつながりによる容姿ではなく、嗜好を中心とする人格面がである。
 自己中心的で享楽的な狂人。それがリカリアの自己評価。その評価に一つまみの権力欲が加われば、父と呼ぶべき相手となる。
 ゆえに、ガレスに対しては父というよりも同類の友人という感覚が先にあった。あちらも大差ない考えを抱いているとリカリアは推測している。もしも、それら全てが誤りであるならば、彼はそれ以上父を理解しようとしないだけだ。狂人の考えを理解しようとするのは困難で、不毛である。
「ほう…………なら、しばらく社会勉強に出してやろう」
 「そのほうが面白いことになりそうだ」という考えが、リカリアには透けて見えた。
 ――くそ、忌々しい。
 自身がガレスの娯楽の一つに過ぎないという事実。不快感はあったが、自身の願いが受け入れられたため、彼は感情を内に潜めた。発言を撤回されても困るのだ。
 しかし、リカリアは忘れていた。
 対面する男が、ありきたりな場所――面白みのないことをするはずがないことを。



「……どこが社会勉強だ」
 目覚めたリカリアが周囲を見回した第一声である。
 陽の日当たらぬ地下。暗く冷ややかな通路。そして、荷物のように運ばれるリカリア。
「調子はどうだ?」
 芯の強さを感じさせる力強いハスキーボイス。声の主は、現在リカリアを軽々と小脇に抱えて無機質な通路を進んでいる。
「……気分悪い。あの親父、睡眠薬でも盛りやがった」
 気だるげな声でリカリアは呟く。彼の記憶は、朝食後に歯を磨いている最中で途切れていた。朝食に何かしらが仕込まれていたのは明白だった。でなければ、この状況に至るまで目覚めぬはずがない。
「それは災難だったな」
 未だに睡魔で頭が朦朧とする中、リカリアはゆっくりと声の主を見上げ、絶句した。
 男とは異なる声質と、リカリアを落とさぬように彼の腰を掴む柔らかな手、服越しに感じられる肌の感覚より、相手が若い女であると彼は判断していた。
 その判断は正しかった。相手は二十歳ほどの女であった。紫の髪に、声にそぐう精悍な顔立ち。長袖シャツにジーンズというラフな恰好は、着飾らぬ凛々しさを醸し出している。
 しかし、リカリアが第一に目にしたのは、照明を受けて光を反射させる、女の首に掛けられたドットタグ状のプレート。プレートに大きく刻まれたローマ数字の『Ⅲ』。
 リカリアは思考した。
 地下に建設された怪しげな施設。女の容姿と番号。ほどなく一つの予想が頭を過ぎる。
「ええ……と、お姉さん。よければ、お名前を聞かせていただけませんか?」
 思わず知らず、丁寧な口調でリカリアは問いかける。
「トーレだ」
 返答は彼の想像が事実であると告げていた。
 ――やっぱりかぁああ!
 呆然とした表情の下に、叫び出したい衝動はかろうじて押さえ込まれた。だがしかし、当然ながらリカリアは混乱を来たした。
 ――落ち着け、冷静に。落ち着け。
 自らを言い聞かせる言葉を反駁し、リカリアは動揺を内に抑えつつ現状把握に努める。
 稀代の天才科学者ジェイル・スカリエッティによって造られた戦闘機人たちを総称してナンバーズと呼ぶ。トーレはナンバーズの一員であり、三番目に開発された戦闘機人。その事実を前世の記憶からリカリアは知っていた。
 ならばこの場がジェイル一味の秘密研究所であろうと、推測するのは当然の話である。
 そこでふと、彼の脳裏に不安極まる疑惑が持ち上がる。自身が違法研究者に売られた可能性である。
「あの、俺なんでこんな所にいるんでしょう?」
 リカリアの表情に困惑と不安が浮かぶ。未だに朦朧とした頭では演技をする余裕はなく、虚勢を張る理由もないためだ。彼は成熟した内面とは裏腹に、未だ五歳の幼児である。
「詳しいことが知りたいならこの先にいるドクターに聞け。私はしばらくお前を預かるとしか聞いていない」
 そっけない返答だが、リカリアにとって重要な情報が含まれている。
 第一に、この研究所の主が想像通りであろうこと。
 第二に、しばらく預かる、ということは実験材料として捨てられた可能性は低いこと。親子の情などと無縁の関係であるが、血縁関係は事実である。体面上、無駄にガレスが子供を処分する理由はない。それに、単に捨てるだけでは娯楽にはならないだろう。少なくともリカリアはそう思いたかった。
「ドクターって?」
「私の生みの親だ。……いろいろと変わっていて、自分の欲求に素直で、生活破綻者だが、まあ…………悪い人ではない。だから、あまり心配はするな」
 不安を煽るような単語が多々見受けられたが、一応はリカリアを気遣っている様子をトーレは見せた。未来での彼女は姉御肌で、良くも悪くも大雑把な性格であった。ゆえに投げ掛けられた言葉に他意はないだろう、とリカリアは判断した。
「その説明じゃあんまり安心できないね。……けど、気遣いありがとう」
 苦笑しながら、リカリアは今後に対して腹を据えた。混乱している暇などない。この後、対面する相手との応対方針を考えなければならないのだ。
 この件で彼は一つ学んだ。自分の身に関することで、父親を頼ることは愚かだと。

 暗い通路を抜けた先、閑散としたエントランスホールでリカリアは下ろされた。
 彼の目の前には、若い男女の二人組。年齢は共に二十代半ばで、どちらの瞳も金色の猫目。
 男は、まさに研究に没頭し生活を蔑ろにする科学者の典型であった。全体的に薄汚れ髪はボサボサである。しかし顔には疲労は伺えない。身なりに頓着しないが、食事や睡眠などの健康面には重きを置く性質なのだろう。
 一方、男の隣に立つ女は小奇麗だ。醸し出す雰囲気は、一言で表すのなら社長秘書。背筋を正してタイトなスーツを着こなす様は、優れた知性と教養を感じさせる。ナンバーズの第一の戦闘機人、名前をウーノ。
 二人はリカリアに視線を向けた。どちらも相手を見定めようとする鑑定眼。無言であったウーノとは異なり、男は楽しげに口を開く。
「やあ始めましてリカリア君。私はジェイル・スカリエッティ。皆からはドクターと呼ばれている。君も出来ればそう呼んでくれ」
 よく言えば親しげに、悪く言えば馴れ馴れしくドクターは言った。
 リカリアは言葉に礼節を込めるか否か一瞬思案し、丁寧な口上は無意味と結論に至った。小さく咳払いして表情を引き締め、臆した様子もなく研究所の主を見上げる。
「あー、それじゃドクター。回りくどい言い方もアレだから単刀直入に聞くが、俺は客人もしくは居候として預けられたのか? それとも、モルモットとかの類として預けられたのか? 如何?」
 第一声による状況確認の問いかけ。平然とした態度。子供らしからぬ思考と挙動は、リカリアが意図して見せた聡明さだ。
 ウーノは瞳に警戒を含ませて、わずかに眉を動かす。ドクターは瞳に興味深げな色を加えて、問いに答えた。
「半々、といった所だね。君のお父上からはしばらくの世話を任されたし、君の希少技能について好きなだけ調べても良いともいわれているよ」
「……あの親父。気づいてやがったか」
 リカリアは忌々しげに舌打ちする。彼が自身の希少技能を自覚したのは半年ほど前であるが、その事実は誰にも告げられていなかった。おそらくは防犯用の監視カメラに行使する際の様子が映っていたために、情報がガレスに伝わったのだろう、と彼は推測した。
「どんな能力か聞いているか?」
「便利な能力だとは聞いているが、具体的には」
 首を横に振るドクターに、リカリアは考える。もしかしたらガレスは、リカリア・ヴァノンの希少技能に注目し、それに何かしらの技術的利用価値があるかどうかを調べるために、ジェイル一味の所へと送ったのかもしれない。
 ――何にせよ、隠すことは出来ないか。
「なら答えようドクター。これだ」
 一呼吸して、リカリアは口元に不敵な笑みを形作った。
「……ほう」
 計六つの金の瞳で捉えられていた彼の小さな身体が徐々に透けてゆき、3秒と経たずに掻き消えた。
 『空白の迷彩』そうリカリアが名づけた希少技能。
 高度な光学迷彩であり、体温すらも周囲に溶け込ませて見せる隠密系の能力。
 わずか五歳児がこの能力を制御できていたのは、前世の二十年近い間に形成された人格があっての事だ。それでも、初めて能力が発現した時は大事になりかけた。トイレのために深夜目覚めると、鏡に自分の姿が映っていないともなれば、奇声を上げるのは仕方ないことだろう。
「…………」
 三者三様の驚きを満足げに眺めると、リカリアはゆっくりと歩き出す。五歩進んだ所で振り返り、誰かに指摘される前に自虐げに欠点を告げる。
「まあ、立てる音は消せないがな」
 視界や体温までも擬態できるとはいえ『空白の迷彩』では呼吸や物音は誤魔化せない。聴力の優れた戦闘機人が相手ならば、なおさらだ。
 できるかぎりの忍び足で歩いたリカリアであったが、女二人は言葉を告げる前からリカリアの移動を視線で追っていた。
「音という欠点はあるが、逆に言えば距離さえ離れていれば気付かれる心配がない。なかなか使えそうな能力だろう?」
「確かに便利そうな能力だが…………面白みがないね」
 率直なるドクターの酷評に、リカリアは周囲に伝わるように落胆の溜息をついた。
「……質実剛健といってくれよ。奇を衒うことが優れているわけでもないだろ」
 拗ねたような声からは、わずかに子供らしさが垣間見える。しかし不可視の中で浮かぶ表情は悪童の笑みだ。
 実は、リカリアの特殊技能はもう一つ存在する。戦闘用の技能ではないが、この『空白の迷彩』と同時使用すると凶悪極まる効果を発揮する技能である。しかし、少なくとも彼はこの場で明らかにする気はない。それは万一の保険だっだ。
 リカリアは表情を平静に戻す。そして『空白の迷彩』を解きながらドクターの下に歩むと、すっと右手を差し出した。社交辞令の握手が交わされる。
「何はともあれしばらく世話になる。よろしくドクター」
「こちらこそ。君が見た目とは裏腹に、随分と聡明そうで助かったよ」
 歳相応の子供を演じることも考えられた。しかし、多少の警戒を抱かれることを考慮しても、子供だからと今後の行動が制限されることはリカリアにとって歯痒い話である。
「社会勉強と言って息子をこんな所に預けるようなのが親だ。早熟にもなるさ」
 本心の苦笑いで父親を非難するリカリアであったが、置かれた状況に不満はなかった。むしろ、面白いことになりそうだという好奇が彼の胸を占めていた。
 稀代の科学者が造る技術の一端に触れられるのは、大きな収穫である。
 ウーノは難色を示すかもしれないが、自己顕示力の強いジェイル・スカリエッティが技術を秘匿するとは考え難い。関心を抱いた相手ならば尚更だろう。加えて違法研究のバックボーンは管理局上層部の最高評議会である。ガレスが息子をこの場を預けられることから察するに、秘匿の意味などない。



[25792] 二話 暗黙
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/03/08 17:50
 声を殺し、息を潜める。
 リカリアは沈黙を心掛け、ゆっくりとした深呼吸にて酸素を求める肺の要求に応えた。
 汗ばむ手で滑らぬよう、得物である対のブレードを握る手に力を込める。
 対象との距離は約八メートル。単なる人間であるならいざ知らず、これ以上距離を詰めれば気付かれるだろう相手である。
 相手――戦闘機人チンクは警戒を保ったままナイフを構え、微動だにしない。
 此度の訓練は、魔力探知が阻害された状況下を想定している。ゆえに、不可視の下にいるリカリアに対し、チンクは守勢に回る他に対応策はないのだ。
 触れた金属を爆発物に変貌させることの出来る、彼女のIS『ランブルデトネイター』であれば無差別爆発による炙り出しが可能であろう。だが未だ使いこなせず、現状では発動が不安定なISの行使は隙以外の何者でもない。もしかしたら、両手に構えるスティンガー(ナイフ)を片方でも手放せば、不可視の奇襲を防ぎきることは不可能と考えているのかもしれない。
「………………」
 さりとて、攻撃側が完全に優位に立っているわけではなく、リカリアは仕掛けた数度の攻撃による消耗と、心もとない魔力残量から早期の決着を強いられていた。
 静まり返った陸戦シムの訓練室は、張り詰められた緊張で満たされている。
「…………」
 攻勢側のリカリアが、膠着した現状に一石を投じた。
 消耗を覚悟で『空白の迷彩』の効果範囲を拡大させる。無言で左腕を前方高くに伸ばし、ブレードを手放す。間を置かずに左手は懐へ、人差し指でピンを絡め、取り出したスタングレネードを手首のスナップを用いてアンダースローで投擲。投擲の流れのまま落下するブレードを軽々とキャッチする。
 放物線を描きながら飛ぶスタングレネードが『空白の迷彩』の範囲から外れたとき、リカリアは効果範囲を縮小、距離を取るように駆け出した。しかし鋭い視線はチンクを捕らえたままだ。
 数秒後に引き起こされる爆発と閃光を鑑みれば、視界と聴覚を極力閉ざすべきである。しかしリカリアは、起爆時間を頭でカウントした上で、直前までチンクの対応を見定めることを優先した。推測される対応は、スタングレネードより距離を取るか、リカリアに向けての攻撃。
 相手の足音を捉えると同時に、チンクは音源へ向けて二本のスティンガーを投擲する。
 結果は後者。そうリカリアは判断し――油断した。
 訓練用に刃を潰したナイフはリカリアに命中せず、少し離れた床に当たり、突き刺さることなく弾かれる。
 そして、宙を舞う二本のナイフに対してISが発動される。
「ランブルデトネイター」
 スタングレネードの轟音と閃光に、ISの爆発が重なった。
 眩い閃光と黒い爆風が踊る中、二つの武器が甲高い音色を伴って床に転がった。ブレードとナイフ。リカリアのデバイスと、チンクのスティンガーであった。
「……く、そ」
 不意の衝撃はリカリアの体勢を崩させはしたが、スタングレネードへの気構えもあり、転倒には至らせなかった。彼の傍へと舞ったスティンガーが不発に終わったことも理由の一つだ。
 数歩のよろめきののちリカリアは床を踏み締めて立ち止まり、痛む頭を押さえた。危うい平衡感覚の中、目はチンクの姿を探す。ほどなく黒煙を切り裂く小さな影を発見し、彼の表情が凍る。目にしたのは、自身に迫る対戦相手の姿。
「……っ!」
 至近で被ったスタングレネードによってチンクの表情は苦悶に歪んでいたが、両目はしっかりとリカリアを見据えていた。
 ――爆風か!
 時ここに至り、不慣れながらもチンクがISを発動した真意をリカリアは理解した。
 『空白の迷彩』によって姿を隠したとはいえ、身体が消えたわけではない。周囲を立ち込める爆風は、空気抵抗によってリカリアの位置を露見させていた。
 この発覚は不可視の効果範囲が自身のみに限定されている場合の弊害である。擬態のための空間が十分に確保されていれば、欺くことは易い。しかし、リカリアに範囲拡大の余裕はなかった。
 ――引いたら負ける、か。
 残るブレードを正眼に定め、迎え撃つ体勢を整える。それが彼の導き出した判断だった。
 チンクほどではないにせよ、リカリアもまたスタングレネードによる被害を受けている。再び不可視が得られるまで、戦闘機人の攻勢を防ぎきるのは困難だ。ならば相手の機能回復より先に決着をつける。
 その判断は、少なくとも悪手ではない。惜しむらくは、戦闘機人のポテンシャルを見誤ったことだ。
 必中を期して振るわれた横薙ぎの斬撃は、目的となる首を捉えること叶わず、腰を落としたチンクの頭上をかすめるに終わる。
 体勢を崩したリカリアの腹部に正拳が打ち込まれ、勝敗は決した。


 爆風が晴れるのと同じく『空白の迷彩』が解除され、仰向けに横たわるリカリアの姿が浮かび上がった。しかし、今の容姿は彼本来のものではない。
 外見は二十代前半。髪は栗色で、瞳は黒の三白眼。長身で肉付きは悪くはないが、肌の色素が乏しく虚弱に見える容姿であった。
 チンクはそんな青年の下に立ち寄ると、手を差し伸べた。
「……あー、負けた」
 リカリアは数度咳き込み、呻き混じりの苦い表情で敗北を認めた。そして変身魔法を解除。銀色の光が身体を覆い、ほどなく彼本来の姿が露になる。
 変身魔法とバリアジャケットが解け、銀髪で蒼眼の七歳児相応の姿に戻ると、リカリアは不安げな表情を見せる少女の手を取った。
「すまん、加減が出来なかった」
 戦闘機人とは異なり、リカリアは生身の人間だ。当たり所が悪ければ死んでいる。
「いてぇが、まあ大丈夫だ。……骨が折れてないといいんだがな」
 変身魔法は『強化』の分類に入る。バリアジャケットと身体強化のおかげで目立った怪我はない。
「まっ、念のために後で医療室に向かうさ」
 そう言って、にっと笑う余裕を見せるが、リカリアは内心では痛みに唸っていた。怪我がないのは外見だけだ。臓器がどうなっているかは定かではない。
 最も治療に関してリカリアに不安はない。この一味の中核はスカリエッティであり、常人の治療設備も当然ながら整っている。彼が気がかりなのは、痛みが長引くかどうかだ。
 ――そろそろ、治癒魔法も覚えんといかんなぁ。
 リカリアがジェイル一味の所に転がり込んで、おおよそ二年の歳月が流れている。
 新たに二名のナンバーズも加わった。
 好転した事柄もあれば、悪化した事柄もあった。
 良い点は、自由に用いられる時間が大きく増加したことだ。リカリアは自由な外出こそ出来ずとも、さして拘束されはしなかった。ある程度は資料室等の使用許可が下りていたため、暇を持て余すことはない。戦闘機人に関してもいくらか触れることができ、彼の知的好奇心は満足を得た。
「そろそろ、こいつらの調整もしないとな」
 立ち上がったリカリアは、運よく傍に転がっていた、先の衝撃で手放してしまったブレードを拾い上げる。
 刃渡りは三十センチ程度の、装飾のない無骨なデバイス。主の手に戻ったブレードは、片方と同様に銀色の魔力光を刀身に纏った。二本のブレードはわずか八歳児が握るには大型だ。彼が変身魔法の会得を優先した理由がこれである。
 ストレージデバイス『ザ・リッパー』。リカリアの自由時間の産物である。
 構造そのものは基本に忠実で真新しいものはないが、製造には研究室より持ち出された最高級の素材が用いられており、処理速度は同時代のストレージデバイスとは群を抜いている。
 リカリアが刀身同士を軽く触れさせると、チャリチャリと粉状の魔力片が宙を舞う。魔力片は、魔法同士の干渉による短絡現象だ。刀身にある種の魔力が触れることによって、自動的に多重のバリアブレイクが発動している。通常のデバイスであれば発動までに数秒のタイムラグが必要となるが、処理速度の優れた『ザ・リッパー』は一秒以下。つまり触れると同時に対象を紙の様に切り裂くことが可能である。
「……負担を段階的にしたとはいえ、魔力消費が重い。このままじゃあなぁ」
 リカリアは舌打ちし、デバイスを待機状態へ。
 デバイスのみを使用するのならば、何も問題はない。しかし、実際にはバリアジャケットの展開、他の魔法の行使、リカリアの場合は特殊技能をも同時使用する状況も起こりうる。彼の魔力資質はAA相当。優れてはいるが、驚嘆するほどではない。
「ドクターに頼んだらどうだ?」
「今はやめとく。ドクターに頼んだら、とんでもない魔改造がされそうだ。変形とか自立化とか」
 言いながらリカリアはカード状態のデバイスを胸ポケットにしまう。発した言葉は本音であるが、最も重要な言葉を彼は語っていない。
 ――それに、お前らをそれほど信用しとらんよ。
 変態科学者はいざ知らず、ナンバーズはリカリアを個人としてではなく、時空管理局の関係者として認識している、と彼は推測している。居候より日の浅いころは、彼には施設内の監視カメラを通してウーノの監視があった。『空白の迷彩』の一件で用心深くなったからこそ、リカリアは勘付いたのだった。引かれた一線に、彼は不満を抱いたが苛立ちはなかった。ジェイル一味はやがては管理局に牙を剥くのだ、正常な危機管理意識だと納得しただけだ。
 だからこそ、命を預けるデバイスを彼らに頼らない。魔改造はともかくドクターが何か小細工をするとは考えにくいが、ウーノ辺りが何か仕組むかもしれない危険がある。
「まあ、確かにドクターに任せたら、どんでもないことになりそうだな」
「そうだろ」
 リカリアとチンク。この二人はよく会話を交わす。ドクターは研究室に篭りがちであり、ウーノはそんなドクターを中心として日々を過ごしている。二番目の戦闘機人であるドゥーエは、新たに加わったクアットロの教育中。トーレは任務に出ることが多く、苛烈な性格も相まってリカリアとは会話の話題がない。任務について気軽に話すわけにはいかない事情もあり、話は専ら訓練に関してのことに限られる。
 一方で、リカリアとチンクは接点が多い。戦闘スタイルが共にナイフによる近接戦闘であり、訓練を行う回数も多い。外見も、幼いという点で共通している。チンクの完成がリカリアの居候からそう日程が離れていないことも理由の一つだろう。
「俺はこれから医務室に行くが、チンクは?」
「食堂で少し身体を休めた後、機体洗浄に向かうつもりだ」
 甘味でも食べに行くのだろう、とリカリアは思った。
「あ、そうだ。チンク、食堂に行くのなら葡萄を冷凍庫のほうに入れておいてくれないか? 凍るギリギリの状態のが旨いからな」
 彼の居候生活のメリットは先に述べたが、デメリットは単純だが深刻なことだ。食糧事情が著しく悪化したことである。具体的には、これまではお抱えの料理人が作ってきた出来立てで美味な料理が、わびしいレトルト食品に変わった。だが、リカリアは食事問題に座して手をこまねいているわけではなかった。
 ドクターに、食事における作業効率の向上をそれとなく囁き、作りたての料理の導入を促したのだ。曰く「甘味の摂取は脳を活性化させる」曰く「味覚への刺激は単調な生活の中のよい気分転換」
 残念ながらこれは失敗に終わった。リカリアが前世で調理に自信があったリゾットとロールキャベツによって、納得を勝ち得た所までは成功した。
 だが、彼は一つ失念していた。ドクターとは製作者を異にする戦闘機人。いずれ地上本部に保護されるであろう二人の戦闘機人の少女達が、どれほどの食事を取っていたかを。
 提案時、アジトには長期活動に出ているドゥーエを除いて合計五人。しかし必要十分な量を用意しようとするなら、およそ四十人前が必要という唖然とする結果が出た。それまでナンバーズは、味気なくも高カロリー食を摂取していたため、それほど食事をとっているように見えなかっただけだった。
 自身とドクターだけならば、ウーノに囁きかければ解決しそうな話であるが、不公平は不満と軋轢の種である。結局のところ食事に娯楽を求めるならば、果物やら菓子を取り寄せることで十分という結論となった。
「葡萄? あれなら、ドクターが全部研究室に持っていったぞ」
「……全部? 本当かよ。じゃあオレンジ」
「それもドクターが――」
「…………そんなだから、歯の治療が必要になるんだろうなぁ」
 二人は苦笑する。一見すれば仲のよい姉弟にでも見える二人。しかしリカリアはチンクを信用しておらず、彼女の存在は最も身近な監視者として認識している。
 容姿は好みで、性格も嫌いではない。完成から今日までの二年間で、チンクが自身に不審や害意を抱いていないと確信もしている。だが、個人はともかくジェイル一味として見るならば別であった。彼女の存在はリカリアを縛る負の紐帯になりかねない。
 リカリアは親や管理局を捨てられるが、チンクはナンバーズを捨てられないであろう。そんな相手が信用に足るはずが無い。
「持って行かれたくないのなら、自室用の冷蔵庫でも仕入れてきてもらうか?」
 冗談とも本音とも知れぬ軽口でチンクは微笑む。
「そうだな。ドクターよりナンバーズのほうが食ってる量の方が凄いしなぁ」
「……む、失礼な」
 本心はともあれ、利用価値がある以上、彼はジェイル一味と友好的に接するのだった。
 ――用済みになるまでは、一生ついて行くからな。ひゃ、ひゃ、ひゃ。
 リカリアはチンクに笑いかける。少女の未発達な身体を嬲るように味わいたい欲求を決して表に出さず、親しげに。



[25792] 三話 ジャック・ザ・リッパー
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/03 01:38
 第32管理世界ジオレイ。
 第1管理世界のミッドチルダが衰退しつつある先進世界であるのなら、ジオレイは停滞した先進世界の一つといえる。
 先進世界だが、新たな魔導技術を発表できるほどの人員や予算はない。レアメタルが採掘されるものの少量。目立った人口の流出はないが、人を呼び込むほどの特色もない。
 管理局の発足、第32管理世界として登録されてからの今日。ジオレイは一度たりとも歴史の表舞台に立ったことがない。しかしそれは、次元世界の存亡に関わる大規模な事件や災害に巻き込まれず、平和を享受している裏返しでもあった。
 ある時、とある次元犯罪者によってこの管理世界にも二人の犠牲が生まれ、わずかな混乱がジオレイ内に広がったが、それはほんのささやかな事だ。
 余談であるが、既に広域次元犯罪者として手配されていたジェイル・スカリエッティの現在――新暦63年時のアジトもこの世界にあった。

 ジオレイ。ある地方都市の昼下がり。
 やわらかな日差しの下、雑然とした街中を若い親子が歩いていた。三十ほどの冴えない父親と十を越えたかどうかの少女の二人。
 愛らしい少女であった。腰ほどまで伸びる細くしなやかな髪。顔立ちは歳相応ながら、整った目鼻立ちは将来を期待させる。若葉のような薄緑の髪は母親から継いで、瞳は父親から継いだのだろう。容姿は全く似つかないのに、親子の瞳はどちらも澄んだサファイアブルーだ。
 二人は片手に買い物袋を、もう片方で互いの手を握っている。
「別にそこまでしなくても迷子になんてならないよ」
 そんな内心を少女は語らない。彼女の父は次元航行部隊に所属する管理局員だ。幾多の次元世界を巡回し、彼らは一つの場所に留まることはない。主な生活の場は、あえて言うならば本局だろう。本局内に家族と共に住まう局員が多い理由である。この父親のように次元世界に家族が住まう局員は、稀にしか子供と会うことが叶わない。
 だからこそ、少女は父親の愛情表現を素直に受け入れていた。あまり顔を見せてくれないけれど、自分を大切に想ってくれる相手。大好きなお父さんに対する感謝と安堵を胸に、大きな手を握り返す。
「あー、今日の晩御飯は何だろな」
「確かハンバーグだって言ってたよ。あと、母さんが父さんの好きなミートパイを焼いてくれるはずだよ」
「あ……言われてみればそうだっけ。なら、土産にこれは止めといたらよかったか」
 買い物袋のケーキを一瞥する父親に対し「デザートは別腹!」と少女は元気よく言った。
「まあ帰ってすぐに食べればいいか。おやつの時間には帰れるだろうしな」
「そうそう」
 彼らにとって宝石よりも大切な一時。
 何気ない会話を交えながら二人は歩道を進む。

「…………楽しそうだねぇ」
 親子の姿を少し離れたビルの屋上から双眼鏡で眺め、一人の男が嗤う。
 立ち入り禁止のビルの屋上で双眼鏡を持つ男。不審者以外の何者でもないが、それを怪訝に感じる者も、通報する者もいない。男の姿は誰の目にも映っていないのだから。
 男は双眼鏡をしまい、半起動状態であったデバイスを本格的に機能させる。左手に携えていたブレードに男の右手が触れると、いつの間にか瓜二つのブレードが彼の右手に握られている。二本一組がこのデバイスの本来の姿だ。
 男は感覚を確かめるように数度ハンドルを握ると、軽やかなステップでビルの縁から空中へ身を乗り出した。
 地面に向けて落下する男は、激突の直前、飛行魔法で速度を殺す。市街地での飛行魔法は、原則として禁止されている。非常時の管理局員や高所よりの転落など万一以外では用いてはならず、破ればすぐさま管理局の陸士が駆けつける。
 法を知りつつもそ知らぬ顔で、男は人々の頭上を微風のようにゆっくりと過ぎてゆく。やがて、親子の前で速度を緩め、薄ら寒い笑みを浮かべながら飛行魔法を解除。二本のブレードは上方へと振りかぶられている。そこに迷いは一切見られない。
 寸前まで、親子は今日という日も平穏に過ぎるものと信じて疑っていなかった。

 突如として間近で響いた、ドンッ! という音は、親子の足を反射的に止めさせるに十分なものであった。僅かな振動を伴った地面への着地音。驚きで身と表情を強張らせる二人だが、奇妙にも音源は見当たらない。
 怪訝な表情できょろきょろと首を左右に動かす少女。
 一方で、父親の顔は恐怖と驚愕に変わっていた。
「……え…………」
 一瞬後、少女の左手が奇妙な感覚に囚われた。それは、体重を預けていた物が不意に動いたときに抱く刹那の浮遊感。
 少女は不安を拭うように、すがるように、隣の父を見上げて――呆然とした。
 力を失った手から、小さな買い物袋が地面に落ちる。
 少女の左手が突然重くなった。肩より切り離された父親の右腕の重みだ。
「…………あ」
 少女の思考停止した頭は、隣の首なし男が父親と理解できない。それどころか、父親の顔すら思い浮かばなかった。
 生命を失った死体の胴に、幾重にも走った銀に輝く線が消えたとき、崩れ落ちるのみとなった死体は、血潮ばらまく大小の肉片と成り果てた。
「……ッ!」
 少女は惨劇に悲痛な悲鳴を上げることも、浴びた血飛沫で吐き気に襲われることもなかった。突如、胸部に受けた衝撃によって意識を刈り取られたからだ。
 非殺傷設定に切り替えたのだろう。少女の小さな胸元には銀色の刺突痕があったが、傷はない。血化粧がされた外見からは、その事実を第三者が判断するのは困難であっただろうが。
 力を失った少女の体は、抱き止められるように空中で静止し、霧のように消え去った。
 主演の消えた現場に残されたのは、悲鳴のコーラスである。
 これが、新暦63年時にジオレイを少しばかり混乱に陥れた事件。
 多数の次元世界を震撼させた、連続猟奇殺人者『ジャック・ザ・リッパー』の事件の一つであった。



 薄明かりに照らされた一室で、一人の男が電子キーボードを叩いていた。
 五メートル四方の窓一つ無いかび臭い部屋は、大型の机と、男の座る椅子のほかは目立った物はない。簡素なパイプ椅子が数個、壁に立て掛けられているのみだ。
 部屋の主たる男は、頬に疣のある小太りの醜男。男はこの界隈にマロニエの名前で通っていたが、それは偽名であった。しかし重要なのは、彼が非合法品の売買を請け負っている鑑定士という事実だ。彼の経歴や生まれは、来訪者にとってはゴミに等しい。
 鑑定士は黙々と商品目録を作り上げてゆく。彼の元には様々な商品が持ち込まれる。盗品、麻薬、子供、人体に付いたままの健康な臓器。道徳心を著しく磨耗させる商品の数々。彼の背後の壁面に存在するエレベーターの先には、世界の暗い現実が垣間見えることだろう。
 不意に、扉の蝶番が軋み音を上げて、来訪者の存在を告げた。
 本日の予定はないはずだと怪訝に思いつつ、鑑定士は顔を上げる。そもそも外の警備から何の連絡も入っていなかった。
 開け放たれた扉には誰の姿もない。寒々しいコンクリートの壁面と地上へ通じる階段があるだけだ。
 風か、と鑑定士は煩わしげな感情を溜息に乗せる。扉を閉めるべく立ち上がろうとしたとき、彼に陽気な声が投げ掛けられた。
「よう。ま~た、来ぃ~たぜ~」
 鑑定士の表情は、一瞬引き攣り――すぐに商売人らしい上辺だけの笑みに変わった。商品目録の表示された空間モニターを閉じ、扉付近に向けて呼びかける。
「久しぶりなのねー、ジャックさん」
「おーう」
 無人の空間が返事を返し、まもなく声の主がゆっくりと姿を現す。
 黒髪の若い男。ポロシャツにジャケットを羽織った軽装だが、彼の傍らには大型のスーツケースが鎮座している。ジャックと呼ばれた男はスーツケースを手に、鑑定士の傍まで歩み寄る。足取りは軽く、仕草も軽い。だが、ジャックの右手はジャケットのポケットから出ることはない。即時、展開が可能な状態のデバイスが握られているであろうことは明白であった。
 若い鑑定士は警備の者を呼ぶべきと思考したが、薄汚れた机を挟んだ先に立つ望まぬ来訪者の存在は、恐怖で行動を縛るに十分なものであった。不可視の暗殺者ジャック・ザ・リッパー。その犠牲者の一人に列を並べる気は、鑑定士にはなかった。
 ジャックは魔法で左手を強化し、乱暴にスーツケースを机へ載せた。衝撃で机が嫌な軋み音を立てるも意を介さず、開錠する。
「ほれ、今回の獲物だ」とジャックは言った。
 中には、緩衝材と小型の酸素供給機に埋もれるように横たわる少女。狂人に嬲られ、食いものにされた残り物――鑑定士にとっての商品があった。
 スーツケースから放り出され、強かに机に頭を打ちつけた少女を気遣う素振りもなく、ジャックは少女に付けられた酸素供給機と猿轡を外した。
 少女はまぶしげに目をしばたきながら、くぐもった呻き声を上げる。気力に欠く身体の動きは緩慢で、後ろ手で縛られた現状でなくとも逃げる心配は薄いだろう。
 よくもまあここまで乱暴に扱ったものだと、鑑定士は持ち込まれた商品に呆れた。
 少女の口元は切れ、晒した裸体のあちこちに擦り傷や赤黒い内出血が出来ている。恐らくはこちらに持ち込む前に、消臭のため強引に浴槽に沈められたのだろう。未だ湿り気を残す薄緑の髪は乱れ、引き千切られた痕も残っている。
 扱いを物語るように、少女の虚ろな瞳には子供らしい生気はなく、砕けたガラス細工のような悲壮があるだけだ。
「しまりは良いぜ。電気流してヤルとなぁ、イイ声で鳴くのよ。あの、くるちいくるちい言ってる叫びでビンビンだぜっ」
 ジャックは少女の二の腕に手を触れ、若々しい肌にゆっくりと指を這わせてゆく。嬉々した悪魔の眼差しであったが、興奮の類は見られない。行動は、最後に玩具の反応を楽しもうとする遊び心の類であろう。
「けどスウィートなのは、擦れ声しか漏らさなくなってからだなぁ。突っ込むと、チビマムのヒダが痙攣で俺のペーニスをイイ感じに擦ってくれるんだ。動かなくていいし、いやぁ電気は便利だにぇ~」
 手は肩を伝い、首元の火傷跡を爪先でひっかき、鎖骨を撫ぜ、やがて未発達の乳房へと触れる。少女は敏感な箇所へと触れられるごとに身体を強張らせた。快楽ではなく、くすぐったさでもなく、暴力への恐怖心の表れだ。少女の意識は虚ろでも、未だ痛みを脅える感覚は残されていた。
 少女は己の尊厳を守るために必死に抵抗したであろう。そしてその都度、多種多様な暴力が体に刻まれたのであろう。現状に至るまでどれほどの暴力が振るわれたかは、全身の生傷が物語っている。
「…………んっ」
 無遠慮な指の腹が、少女の小高い起伏の頂上部を弄ぶ。だが、返す反応は変わらない。
「ちっ、もうちっと色気ある声出せよな!」
 撫ぜる行為は、近距離の掌底打ちに取って変わられた。華奢な胸に加わった衝撃は、少女の精神ではなく肉体を反応させた。
「げほっ! げほっ……がっ……」
「ひゃ、ひゃ、ひゃ」とジャックは嗤った。
 鑑定士は彼の嗜虐心を理解に苦しんだ。何故わざわざ商品価値を減らすのだろうと。
 ジャックはひとしきり嗤い「で、いくら出す?」と鑑定士に言った。
「ちょっとまってねー」
 机に立てかけられていた杖――待機機能のない安価なストレージデバイスを鑑定士は手に取る。同時に、ジャックの右手が僅かに動く。ブレードの一閃を恐怖しつつ、鑑定士はデバイスで少女に簡単な健康チェック行っていく。外見はもとより、性病の有無で商品価値が大きく変わるのだ。
「………………」
「………………」
 沈黙の帳が下りる。ジャックは左手を小刻みに震わせ、目をせわしなく動かしながら、低い吐息を漏らす。その仕草は不気味で、鑑定士の恐怖を煽った。
 沈黙の狂人に耐えかねて鑑定士は口を開く。
「そういえば、前に買った女の子が、最後のビデオに出たのねー。買わないかなー?」
「殺人ビデオはシュミじゃない」とジャックはいい「俺、そんな可哀想なの見れないよ」
「笑顔で言っても説得力ないねー。それにリッパーが言うセリフじゃないねー」
「そうかい。ばれたらしょうがないな。あひゃひゃひゃははは」
「……最近はぐんぐん懸賞金が上がってるよ。ジャックの殺した子の親族が管理局の高官だったからだねー。無謀なことするねー」
 少女の適正な代金を頭で導きつつ、鑑定士はデバイスを壁に立て直した。外見こそ平静を装っていたが、彼は内心で歯軋りした。ジャックのあおりを受けて摘発されてはたまらないのだ。
「ならどうする? 前に俺がここに来た時のように殺そうとするのかにゃあ?」
 ジャックは正規の方法でこの場所に訪れたわけではない。どこで聞きつけたか、唐突にこの場に現れたのだ。
 当然ながら、店内は騒然となった。事態は表沙汰とならなかったが、当時の警備員は惨殺され、鑑定士は喉元にブレードを突きつけられての交渉で、満身創痍の少女を買い取ることとなった。
「三下相手なら躊躇わずにするよー。けど高ランク魔導士で、悪名高く、素性もろくにわからない相手に手を出すほど無謀じゃないねー」
 鑑定士の元締めである組織は、顔に泥を塗りつけられる行為に激怒したが、管理局すら突き止められぬ相手である。買い取った商品からも正体が辿れぬことが判明すると、組織はそれ以上の労力を割こうとはしなかった。鑑定士にしても、わざわざ虎の尾を踏む気はない。
 トレーの上に幾枚かの紙幣を乗せて、差し出す鑑定士。紙幣を引っ掴んでズボンのポケットに仕舞うジャック。
「なら、この俺の情報を流すのかな?」
 鑑定士はわずかに言葉に詰まったが、冗談めかして言った。
「……上の者がどうするかは知らないのねー。でもどうせ変身魔法と偽名なんだよねー?」
「ひゃはははは。そっのとーり。でもやめて、俺、シャイなの! ゲラゲラゲラ」
 ジャックは空のトランクを閉じ、机より下ろす。
「そんなわけだから、子供の引き取りは今回が最後だよー」
「しゃあねえなぁ。まあ俺ももう少し楽しんだら、ジャックさんの・オ・シ・ゴ・ト・は閉店するぜぇ」
 さして不満を抱かれず同意が得られたことに、鑑定士は内心安堵する。調子良く会話を合わせてはいたが、何がジャックの逆鱗に触れる話題かわかったものではないのだ。
「最後のシメはだれにしようかなー。悩むんだねー、なんてな。くふほふふひゃひゃへ」
 正気を疑う甲高い奇声をあげて、ジャックの姿は掻き消えた。
「…………」
 十秒、二十秒、三十秒、と沈黙が流れる。鑑定士の耳に届くのは、上階からわずかに届く喧騒と、商品の小さな呻き声だ。
「………………はぁ」
 一分が経過し、ようやくジャックが消え去ったと確信して、鑑定士は深々と息を吐いた。緊張の糸が途切れた身体が力なく肩を落とし、頬には汗が伝う。彼の心臓は未だ早鐘のように脈打っていた。
 今ではケチな鑑定士を職とする彼であるが、かつては補助系魔法を得意とした魔導士であった。ジャックは転移魔法で飛んだ。しかし、その反応は彼には一切感知できかった。
「……あいつは恐ろしいんだねー」
 抜け殻同然の少女と自身のデバイスを順に一瞥して、鑑定士は小さく呟いた。
 広域次元犯罪者ジャックには多額の懸賞金が掛けられている。
 懸賞金は鑑定士にとって魅了だったが、彼の場合は欲望よりも恐怖が勝った。もし仕留め損なえば、永遠に報復に怯えることとなるのだ。
 五感もサーチャーも信用できない。ある日突然に両腕両足が切断され、見上げればにやにやと嗤うジャックの姿。そんな未来は笑えない話であった。


 同日。足が付かぬように紙幣を破り捨て、不用品を処分したジャックは、ジオレイの地へと降り立った。人身売買は彼にとって娯楽であり、金銭を得る目的ではないのだ。
 夕暮れの街を軽やかな足取りで進むジャック。
 街は平和であった。彼による先の事件は、十日と経たず日常の中に埋没していった。
 外で遊ぶ子供の姿が減り、子を持つ親は未だ不安に苛まれていたものの、大多数の者にとっては明日の天気の方が重要だ。民衆の関心が移ろいやすいのは、どこも同じである。
「さぁて、夕飯食って帰るとするか。何か旨いものはないかねぇ」
 切り裂き魔ジャック――リカリア・ヴァノンはひとりごちる。
 アジトに帰還すれば何かしらの食べ物はあるが、レトルト品よりも出来立てで美味な食事がほしくなるのは当然だ。
 リカリアの懐は温かい。法を遵守するつもりがなければ、金銭を得るのは不可視を得意とする彼ならば容易い。
 この後、高級店でディナーを味わう余裕は十分にある。
 もっとも、今の子供の姿のままでは行けないのだが。



[25792] 四話 虚偽なる者の暴食
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/03 01:51
エロなのでXXX板にあります。



[25792] 五話 滞在期間
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/03/05 17:57
 数日ぶりにアジトへと帰還したリカリアを迎えたのは、煩雑な光景だった。
 物資集積場にはコンテナに纏められた機器や資材が山と置かれ、運び出される時を待っている。このアジトからの撤収が進められているのだ。
「…………ん?」
 土産の袋を片手に、リカリアが積み上げられたコンテナの横目に眺めながら進んでいると、傍の空間に一つのモニターが展開された。
 画面に写ったウーノは微笑んだ。
「おかえりなさい。リカリアさん」
 社交辞令の微笑と抑揚の無い口調からは、帰還を歓迎しているかどうか伺えない。だがリカリアは、少なくとも好意的な感情が向けられていないであろうと確信している。
「ただいま、ウーノさん」
 内心はともかく、彼は気さくに声を返して土産に視線が向けられるように右手を少し上げた。ちなみに、さん付けなのは彼女だけであり、ドクターや他の戦闘機人はみな呼び捨てである。リカリア曰く「知的なお姉さまって感じだから」という理由であった。
「転居の進捗状況はどう?」
「今のところは順調よ。このまま滞りなく進めば、予定通り十日後にアジトの移転が完了するわ」
 時間がかかっているようにも感じるが、急ぎ逃走するわけではないのだ。実験体を保管するポッドのように慎重な運搬を必要とする装置や資材も存在するだろうし、移転先の受け入れ態勢も考える必要もある。
「それは、何よりだね。……ドクターはまだあのドラム缶にお熱中?」
「ええ。相変わらず。少しは休息をとっていただきたいのだけど」
「ドクターから好奇心を取ったら、何も残らないと思う」
 苦笑を交わし、リカリアは言葉を続ける。
「ウーノさん。ドクターに後で話したいことがあるって伝えてくれない?」
「ドクターに?」
「ああ、一時間ほど後に。内容は俺の今後について」
 次なるアジトの場所をリカリアは告げられていない。なぜなら彼は、そろそろ実家に戻らなければならない年齢なのだ。どこかの学校に通うか、管理局へと勤め出すか。何にせよ、いつまでも社会不適合者のような生活を送るわけにいかないのだった。
 本来ならば、もっと早くに話し合うべき問題であるが、主が常識人でない以上、この場で世間の常識は通用しない。
「……ええ、わかったわ。その旨を伝えておくわ」
 申し出にほんの少しばかり訝しげな表情を見せながらも、ウーノは承諾した。
「あんがと」とリカリアは謝辞を述べた。
 モニターが消えると、リカリアは腕時計で時刻を確認する。監視カメラの存在を鑑みて、顔には外出で疲れた仮面を貼り付け、すまし顔の戦闘機人に対する不敵な笑みを彼は隠す。
 ――このままでは滞在の延長は不可能だろうな。だが、そうはいかんさ。
 傍にある防火扉を開き、小さなトンネルのような薄暗い通路をリカリアは歩き出す。
 ――しかし、最終的なアジトにはいつごろ移るのかね。
 彼の言うアジトとは、巨大なるロストロギア――聖王のゆりかごに隣接して作られた大規模なアジトのことである。誰かに語られたわけではないが、ここ最近、聖王のゆりかごは発見されたことをリカリアは理解している。
 ドクターは最近、外部より持ち込まれた多脚の兵器を相手にして研究室にこもりきりであった。ガジェットドローンIV型。魔力探知すらも誤魔化す光学迷彩を持つ、ゆりかごの防衛兵器。
 何度かリカリアは訓練で戦い、ジャック・ザ・リッパーを他者が恐れることに納得した。光学迷彩の展開は大きくエネルギーを食い、長時間の戦闘が不可能な拠点防衛用兵器であること。どれだけ強化しようとも思考ルーチンが所詮機械であること等の欠点を補って余りあるほど、見えざる敵というのは脅威である。
 だが、彼は気付いていない。彼の演じた連続切り裂き魔が恐れられる第一の所以は、規則性なき行動論理である。
 ――と、それよりもこれからの交渉について考えないとな。
 いつくかの戦闘機人の素体が置かれている保管庫を通り過ぎ、居住区にさしかかり、
「あっ、リカリーおかえりー」
 悩みとは無縁な声に、彼は呼び止められた。リカリアは立ち止まり、声の方へと視線を向ける。駆け寄ってくる淡い空色の髪をした十六ほどの少女――セインにリカリアはため息をついた。
「……だから、リカリーはやめろって」
「ならリカちゃま?」
 過去にリカリアは、クアットロに冗談交じりでそう呼ばれたことがあった。しかし、猫撫ぜ声でクーちゃんと呼び返したことから、互いにその呼び方はタブーとなった経緯がある。クアット曰く「何故か鳥肌が立った」とのこと。
「どこぞの女王様みたいな言われ方も御免だね」
 肩をすくめ、軽い不満を露にしつつリカリアは土産の入った紙袋を手渡す。中身はミッドのシュークリームだ。
「ありがとー。じゃ遠慮なくもらうね」
 無邪気な笑みを見せられるのは、ダイエットとは無縁の戦闘機人ゆえだろう。
 紙袋に手をつっこみながら、セインは食堂の方へと向かってゆく。
「現金な奴め」と呟き、リカリアは苦笑する。
「一人につき二つだ。前みたいに一人で全部食べるなよ! あと向こうのアジトにいる姉妹の分も忘れるな!」
 過去そのことが原因で、翌日に再び買いに走らされたリカリアにとっては、他人事ではない。ちなみに、現在、このアジトにいるナンバーズは四名。新アジトでは三名が作業を行っている。
「もうしないって!」
 遠ざかる後姿を見送りながらリカリアは思う。
 陽気で能天気な性格。戦闘機人に適しているとは思えないが、その人間味をリカリアは嫌いではない。人形のような存在は、彼にとって善悪のどちらの意味でも、面白みに欠くものだ。
「案外アニキというのはこんな感じ……いや、仕事帰りのパパって感じかね」
 リカリアは前方へと視線を戻し「お二人さんはどう思う?」と、こちらへと歩み来るトーレとチンクに言った。二人は立ち止まる。
 トーレは「私には理解できんな」といい「先に行く」とチンクに告げてその場を後にする。リカリアへと向ける瞳には、隠すことない警戒が存在した。
 先発組と呼ばれる、Ⅰ~Ⅴまでのナンバーズは、世間を恐怖に陥れているジャック・ザ・リッパーの正体を薄々感づいている。
 銀色の魔力光。不可視のレアスキル。ブレード使い。そして出没日に不在のリカリア。第一に気付いたのは情報の統括をしているウーノだろう。そこからドゥーエ、トーレ、クアットロ、チンクと伝わったと考えるのが自然である。情報処理や諜報の三人は元より、一通りの訓練を終え、外での任務に向かうことの増えた前線メンバー二人の耳にも自然と噂は伝わっているはずだ。
 狂気の切り裂き魔。理性も計画性もない残虐なる愉快犯。いつ自身らに牙を剥くかもしれない狂人。数年来の付き合いとはいえリカリアを警戒するのは当然であろう。
 最近ではリカリアが模擬戦を頼んでもトーレは受けてくれず、もっぱらチンクや中期組のセインと行っている。警戒を抱いているのなら、むしろ相手の戦闘スタイルを熟知しておくべきとリカリアは思うのだが、わざわざ語る気は彼にはなかった。
「よっ、ただいま」と言い、片手を上げて気さくに挨拶をするリカリア。
「今回はずいぶんと遅かったな」
 対して、チンクの言葉は素っ気無い。
「ん、そか? 何か手伝えることはないかと思って、普段よりは早めに切り上げてきたんだが」
 所用を済ませた後は、土産を購入してすぐにリカリアは帰還した。最もその理由は、知らぬ間にアジトが放棄されている可能性を懸念したからであるが。
「………………」
 リカリアを正面から見据え、わずかな沈黙の後、チンクは意を決したように質問した。
「……本当にお前なのか?」
「ん? 主語を付けてくれ」
 意図することは理解していたが、リカリアはあえて聞いた。返答を待ちながら、彼は顔色一つ変えずに、前もって考えておいた複数の対処法を脳裏で反駁する。
「……一つ教えてくれ。アジトでのお前と、外でのお前。いったいどちらが、本当のお前なんだ?」
「何のことだ?」「さあな」と答えるのは簡単である。だが、それでは味がない。
 リカリアは相手の真摯な顔の下に、警戒と不安が混濁していることを見抜くと、対処法の一つを選択した。
 瞼を閉じ、小さく溜息をつく。そして、ほんの一瞬だけ、リカリアは泣き笑いの表情を見せた。
「……チンクだけは味方だと思いたかったなぁ」
 自身の耳にすら届かぬような呟き。だが、意識を集中している戦闘機人には届いたであろう言葉。
 チンクが虚を突かれたような驚きを見せ、それ以上の反応を返す前に、リカリアは気負いのない軽い笑みで問いかけた。
「……逆に聞くが、お前はどうなんだ?」
「私?」
「戦闘機人と呼ばれる存在。お前は人なのか? それとも機械か?」
「……そ、それは――」
 突然の質問に困惑し、あさっての方向へ視線を外したチンクに対し、リカリアは淡々とした口調で続ける。
「戦闘機人の自己判断能力は確かに人間いや、生命によるものだ。だが、機械に適合することを前提に造られた肉体に宿ったものが、はたして人間と呼べるのか?」
「……………………」
 神妙な表情で意味深げなことを言ってはいるものの、リカリア自身、深く考えて語っていない。それらしいことを思い付きで口にしているだけだ。ただチンクの思考を乱すことが目的である問いかけだ。
「人間か機械か。俺はそれも人だと思うが……答えは十人十色だ。結論なんか出りゃしない。善悪だってそうさ。誰かにとって善と呼べることでも、他者からは悪と断罪されることもある」
 はっ、とするチンクにリカリアは視線を合わせず、乾いた笑いで自嘲した。
「一面だけで判断できる事など、何も無いんだ。……まあ、親父に縛られた俺がいえる話じゃないがな」
 さりげなく父親の存在を匂わせながら、彼は表情と話題を変える。
「さっ、話はおしまいだ。チンク、せっかくだから食堂に行かないか? せっかく土産を買ってきたんだ、セインに平らげられる前に食べようぜ」
 歩み出し、手招きで追随を促すリカリアに、
「ん、ああ」とチンクは言った。
 食堂へと向かう二人。歩む速度は同じであるが、雰囲気は正反対である。鼻歌交じりに軽い足取りで進むリカリア。何かを考え込むように押し黙ったまま進むチンク。
 人は自身が信じたいと思うことを信じる。
 チンクには、数年来の幼馴染を信じたい感情が第一にあった。ゆえに、リカリアが投げ掛けた態度と断片的な情報は、希望とする事実を補完する都合の良いピースとして当てはめられた。正確な情報を掴む手段が乏しかったというのも原因の一つだ。
 チンクの脳裏に、臨まぬ殺戮を強いられ苦悩する友人の姿が思い浮かんだ。


 シュークリームに舌鼓を打ち、チンクと別れ、リカリアは自室に戻った。貸し与えられた当時はベッドと机しかなかったが、本棚が持ち込まれ、デバイス整備用の機材が持ち込まれ、今では雑然とした一室である。
 椅子に腰掛け、リカリアはカード状の『ザ・リッパー』を取り出した。
「こいつはそろそろ使えんし、何かしらの新しいのが必要か」
 犯行の凶器は早期に処分する必要があるが、代わりのデバイスに彼は頭を悩ませていた。愛着はあるが『ザ・リッパー』はいろいろと不満のあるデバイスであったため、次は優れたデバイスが欲しくてたまらない。
「できれば、インテリジェントデバイスが欲しいが……」
 指先でカードを弄びながら、リカリアは悩む。
 彼は最近、デバイスマイスターとしての自信が多少なりとついてきた。しかし、それほど自身の腕を過信しているわけではない。かといって、ジェイル博士に依頼するのは変態的な意味で不安が大きい。だが、市販のものでは味気ない。
 背もたれに身を預け、瞼を閉じて身を休めながらも、彼は精神を休めない。妥協か、ドクターに頼むか。選択肢は限られている。
 ゆっくりと時間が過ぎてゆき、やがて机に置かれた時計が電子音を鳴らし、ドクターとの交渉時間が迫っていることを告げた。
 ――そうだ、あれだ。あれならば申し分ないか。
 目を見開き、身を起こす。リカリアは続く言葉を口にした。
「インテリジェントデバイスで困難な部分は、中核部分だけだしな」


「散らかっているが、掛けるかね?」
「いや、立ったままで結構だ」
 ジェイル・スカリエッティの研究室は確かに散らかっており、汚かった。床や台の上には部品やコードが散らばっており、焦げたようなにおいやオイルの臭気が漂っている。ドクター自身もひどい有様だった。長期に渡る不衛生な生活の結果、髪はギトギトで、服は汗と油の混ざり合った悪臭を放っている。
 少なくとも長時間留まりたい場所ではなく、リカリアはさっさと話を切り出した。
「細かな駆け引きは面倒だ。本題に入ろう……アンリミテッドデザイア」
 アンリミテッドデザイア(無限の欲望)。最高評議会に造られた、ジェイル・スカリエッティの開発コードネーム。
 幾日もの徹夜で疲弊していたドクターに、関心という活力が注がれた。それを表すように彼はリカリアを興味深げに眺めている。
「断っておくが、親父から聞いたわけじゃない。ここ半年、俺がただ単に道楽で次元世界を飛び回っていたと思ってもらっては困るな」
 にやりと、リカリアは口元を歪めて、周囲を見渡した。
 リカリアの目に留まったのは、金属の外装部を取り外された多脚型の機械だ。計器にコードで繋がれた剥き出しの機械は、のちにガジェットドローンと呼ばれる代物である。やがては鉄屑とまで酷評されるようになるが、少なくとも今のドクターの関心を引くに十分なものだったらしい。どれだけ長続きするかは、本人すらもわかっていないだろぅが。
「なかなか面白そうな玩具を弄っているようだが、ゆりかごの現状はどうなんだ?」
 ゆりかご、という固有名詞が出たとき、ドクターは一瞬驚きを見せたが、すぐに笑みを取り戻した。
「どこまで知ってるのかね?」
「あの機械が『聖王のゆりかご』呼ばれるロストロギアの防衛兵器であること。ゆりかご自体はミッドチルダで発掘されたこと、位かな。そこまで全てを知ってるわけじゃない」
「いやはや、君には驚かされるね。それで? 何が目的なんだい?」
 ドクターの態度に警戒はなく、むしろどこか楽しげであった。
「我々は協力関係を結べる間柄だと思わないか? 管理局の者としてではなく、俺個人とだ。親父とも関係ない」
 リカリアも楽しげに返し、右手を差し出した。
「俺が望むのは施設と技術による援助。その見返りとして、あなたの目的……生命操作技術の完成に協力しよう」
「ふむ、目的まで理解しているのか。……確かに利害は一致するし、君の協力は有益でもあるが……」
 ドクターは顎に手を当てて考え込む。
 今、彼の脳裏では利益と危険の天秤がぐらぐらと揺れている。リカリアの父は管理局の上層部の一人。いずれ管理局に反旗を翻す予定のドクターにとって、情報漏えいの危険は出来うる限り避けたい事柄だ。
 リカリアは天秤を傾かせる札を切った。リスクよりも好奇を優先する相手に通じる札だ。芝居がかった仕草で、リカリアは囁く。
「ところでドクター。プロジェクトFを覚えておられるかな?」



[25792] 六話 アルトセイムのサウィン祭(前編)
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/22 22:24
 ミッドチルダ――アルトセイム地方。
 広大な原野。所々に森林地帯を形成する常緑樹。未だ開発の手の入らぬそこは、緑豊かな光景の広がる美しい自然の造形物であった。
「いやぁ、ここは空気がいい! 童心に返るな」
 周囲の草木のにおいを肺一杯に吸い込み、リカリアは言った。
「や、無理にテンション上げようとしなくていいから」
 返されたセインの呆れ顔に、彼は苦笑いで肩をすくめる。
「けどさー、月光に照らされるこういう場所も、なんというか趣がないか?」
「趣とかわかんないけど……確かにいいね、こういう場所」
 二人を照らすのは星々と二つの月。喧騒のない穏やかな静寂の中、晩秋の少々肌寒い夜風が吹き抜けてゆく。それは、普段セインが触れることのない光景だ。感慨に耽るようにセインは空を見上げる。
「…………」
「…………」
 無言だが、張り詰めたもののない空気が流れる中、リカリアは何かを思いついたかの様に、にやっと笑った。草を踏み締め、セインの傍へと向かうと、彼はダンスを所望するようにセインの手を取った。
「一曲、お付き合いいただけませんか? 美しいお嬢さん」
 引き締められた表情で、伊達男を気取りながら、気障な仕草で彼は呼びかける。
 突然のことにセインは「わひゃ」と奇声を上げて飛び引いた。その様子に愉快げに破顔するリカリア。
「ひゃひゃひゃ、冗談だ」
「……む~」
 胸の鼓動を抑えるように、胸元に手を当ててセインは頬を膨らませた。動揺は、リカリアの真に迫った雰囲気とセインにこの手のことに対する免疫がないためだ。
 ――これで、こいつの緊張を少しは解すことは出来たかな。
 リカリアの軽口は、緊張気味なセインを気遣ってのものであった。此度の任務は、セインにとっての初任務となる。
 任務の発案者はリカリアであり、ナンバーズへの協力要請を行ったのも彼である。未だ実戦経験のないセインの連れることにドクターが難色を示すと考えていたが、実際にはすんなりと了承された。
 彼は少しばかり拍子抜けしたが、冷静に考えたのちに納得した。
 なぜなら長期的な協力関係を望むのであれば、リカリアがナンバーズを無下に扱うことはできないのだ。アジトの主がジェイル・スカリエッティであり、彼の意向が重要視されるとはいえ、ジャック・ザ・リッパーの一件がある。この状況下でナンバーズを犠牲にしたともなれば、リカリアにとって不利益にしかならないであろう。
「…………お前達、何を無駄話してるんだ?」
 緊張感と無縁の二人に呆れの混ざった言葉が投げ掛けられた。リカリアは物音によって声よりも先に気付いていたが、あたかも今気付いたかのように振り返る。
 チンクとクアットロ。目的地に偵察へ向かっていた両名。突然の姉の登場に慌てるセインをよそに、リカリアは平然と笑ってみせた。
「なぁに、仲間とのふれあいって奴さ」
 仲間、という言葉に両名は異なった反応を見せた。チンクは顔に少しばかり暗い影を落とし、クアットロは発言を鼻で笑った。
 ジャック・ザ・リッパーの一件があっても、リカリアのナンバーズへの接し方は変わっていない。クアットロは元より、チンクに対しても、である。それは軋轢を生まぬようにする合理であったが、チンクに対しては悪意の色が強い。よそよそしい態度よりも、精神的な苦痛を与えられるだろうとの意図である。
「で、クアットロ。どうだった?」
「外周部には防犯装置が多種設置されていましたけど、どれも旧式ですわね。前の所有者の時からあまり手が加えられていないかと」
「それは喜ばしいことだな。だけど油断するなよ。内部まで杜撰とは限らんからな」
 リカリアは顔を目的地へと向けた。数キロもの距離が離れた先に、自然の物とは異なる人工の建造物が存在した。
 巨大な湖の湖畔に鎮座する巨大な遺跡。全体を苔と草木で覆われ、針ネズミを思わせるように全方位へ向けて多数の岩針が突き出している。そこは『時の庭園』と呼ばれる、年代物の移動庭園であった。
 内心で獲物に対して舌なめずりすると、リカリアは仲間に向けて任務の確認をした。
「最終確認だ。クアットロが時の庭園の管制システムを掌握し、チンクはその護衛。で、俺とセインが特殊催眠弾をもって、魔導士と使い魔を無力化する」
 言いながら、リカリアは変身魔法を行使。彼の外見が平凡な青年のものとなる。
「最悪の場合、システムさえ掌握できていれば、任務に支障は無い。相手にはこちらのようなバックボーンがない個人だからな」
 リカリアは電子戦を得意とする戦闘機人に視線を向ける。
「だから、クアットロ。お前の責任は重大だ。お前にこの任務の成否がかかっているといって過言ではない。魔導士相手ならば、俺が何とでもできるが、傀儡兵が山のように出られたら対処のしようがない。逃げはできるが、任務は達成できない。……抜かるなよ?」
「手は抜きませんわ」
 クアットロは馬鹿にするなと言いたげな不敵な笑みで答えた。リカリアにはその慢心が怖かったが、下手に機嫌を損ねる必要もないと考えた。
「ならいい。……何か質問はないか?」
 嗅覚の利くアルフの対策として体臭を誤魔化す香水をつけながら、リカリアは周囲を見渡した。
「……じゃあ、行くか」
 四人はうなずき、作戦は開始された。
 クアットロはセインを掴みながら軽々と空中へ飛んだ。自身と同程度の体躯を苦もなく運べる腕力は、後方支援型とはいえ彼女も戦闘機人である証だ。
 常人であるリカリアは、チンクの腰に手を回して抱えるように浮かび上がる。幼児体系のチンクとはいえ金属部品を多用された体躯は、成人のものに匹敵する。リカリアは腕に強化の魔法を掛けた。先行するクアットロたちを追う中、
「なあ、リカリア。その、話したいことがある」
 とチンクは気まずげな口調でリカリアに言った。
「なんだ、任務についてか?」
「いや、そういうわけではないんだが……」
「なら後にしてくれ。今はこの件に集中したい。セインにとって初任務だからな、色々目を配ってやらないといけない」
 素っ気無い口調のリカリアだが、その言動に偽りはない。理由はともかく、彼は預かったナンバーズの面々を無碍に扱うつもりはなかった。
「……わかった」
 チンクは口を閉ざす。不意に涙腺が緩み、彼女はそれを誤魔化すように顔を伏せ、瞼を閉じた。
 四名は月下の空を飛ぶ。
【リカリー、一つ質問】
 リカリアの頭にセインからの言葉が伝わった。ナンバーズは非魔導士であるため、通話チャンネルを合わせた念話機を用いている。
【何だ?】
【プレシア・テスタロッサっていうんだっけ、そのオバサンがどうしてプロジェクトFを引き継いだのか、ふと気になって】
 このような状況で行うような質問ではない。だが到着までしばしの間があったため、リカリアは問いに応じた。相手の反応が知りたかったのも理由の一つである。
【端的にいえば子供を失った親の妄執ってやつだ。再び子供との暖かい生活を夢見て、な】
【ん~、私にはわかんないや】
【俺だって同じだ。子供を思う親心、親を思う子供心。どっちもな】
【今は大人の姿だけどリカリー子供じゃん】
【言われてみればそうだなぁ。けど、どちらにせよ親との愛情なんざ俺にはわかんね】
 人によっては重い話題を、軽い口調で二人は語り合った。
 徐々に四名は目的地へと迫り――突如、その姿が消失した。
 リカリアの希少技能『空白の迷彩』と、クアットロの羽織るシルバーケープの力である。どちらも高レベルのステルス性能をもつが、どちらが上かと問われればリカリアのほうに軍配が上がる。しかし、これはある意味当然であった。シルバーケープは『空白の迷彩』の分析によって生まれた装備品だからだ。自身の存在がなければ、おそらくはゆりかごの防衛兵器から流用されたのだろう、とリカリアは推測する。
 彼の知らぬことであるが、リカリアの技能的な協力にてシルバーケープが短期で完成し、甘味的な協力によって戦闘機人ディエチの稼動が本来より数ヶ月早まっていた。

【こちらヤモメ1。システムの掌握は終わりましたわ。警備プログラムは無効化し、全扉のロック機構は解除済み】
【ヤモメ2、こちらは何事もない】
【こっちはヤモメ3。紫の……えと、プレシア・テスタロッサの無力化に成功。現在、拘束中】
【ヤモメ4だ。ヤモメ3、病人が相手だから、できるだけ加減はしろよ】
【ヤモメ3。了解~。そっちはどう?】
【問題はない。今終わる】
 言いながらヤモメ4――リカリアは、対象の寝室へ向けて三つの催眠弾を投げ込んだ。
「っ、な……フェイト!」
 床を転がる催眠弾の音と、噴出す煙の音に混ざって、若い女性の叫び声が響く。だが、それはすぐに沈黙した。
 十数秒後、徐々に煙が晴れゆく室内にリカリアは『空白の迷彩』を展開しつつ侵入する。バリアジャケットには耐ガス用処理が前もって施してある。
 部屋の照明を灯すと、眠りの世界に沈んでいる一人の少女と一匹の獣の姿が露となった。リカリアは周囲を見渡し、寝台の枕元の台に置かれた三角形のデバイスに視線を止める。デバイス――バルディッシュは沈黙しているが、おそらく、現在起こっている事態について現在進行形で記録しているはずである。
 リカリアは不可視と無言を保ったまま、懐から小さな機械を取り出した。一見すれば大き目の消しゴムのような形状をした機械だが、片側にはガラスブレーカーを思わせる小さな衝突角(ラム)が存在する。
 スイッチを押しながら、リカリアはその箇所でバルディッシュに触れた。
 バルディッシュは触れた瞬間、宝石部が一度点灯し、機械が引き起こす特殊な電磁パルスによって機能を一時停止。リカリアは機械を懐にしまい、『空白の迷彩』を解除。
【こちらヤモメ4、魔導士及びにその使い魔の無力化に成功した】
 ――できることなら、こいつが欲しいんだがな。
 単なる置物と化したバルディッシュに触れながらリカリアは苦笑する。
 魔導工学の面で天才的な研究者であるプレシア・テスタロッサ。その使い魔が採算度外視で作り上げた一品である。高機動戦闘を主とするリカリアにとって、持ち主であるフェイトと戦闘スタイルは共通点が多い。だからこそ、彼には欲しくてたまらない。
 ――まあ、設計図などがあれば事足りる。
 自身を納得されるように、リカリアは内心で反駁する。
 外装を変えれば形状の問題はない。初期化をすればAIの問題もない。だが今後のことを考えれば、バルディッシュを奪うのは支障があった。
 ――眠り姫には、これからがんばってもらわないといけないしな。
 リカリアはあどけない寝顔を見せている少女――フェイト・テスタロッサに笑いかける。絹糸のように細い髪。西洋人形のように秀麗な顔立ち。
 無意識にリカリアの手がその頬に触れる。薄手のグローブ越しにであるが、添えた手に柔らかさと子供独特の体温の高さが伝わってくる。
「………………」
 フェイトはふと口元に笑みを浮かべた。何かしら楽しげな夢でも見ているのか、不安を微塵も感じさせぬ寝顔であった。
 そのチャーミングさはリカリアの胸に暗い欲求をもたらした。リカリアは身を屈め、フェイトへと顔を寄せる。時間にして数秒。ほんの少し、唇が触れ合うような口づけが交わされる。
 美しいキャンバスを自身が汚したという実感が生まれると、彼の征服欲は加速する。任務の最中であるのは理解していたが、清らかな物を踏み躙りたくなる衝動がそれに勝った。
 ――さあて、セカンドちっすは俺のおにんにんだよ~。
 意気揚々とリカリアがベルトへと手を伸ばそうとしたとき、緊急の念話が入った。
【ヤモメ4、っていうかリカリー! 大変! 使い魔がこっち来た。現在、プレシアを人質に対峙中! どうしよー!】
 念話で伝わるセインの困惑に、リカリアは顔を歪めた。使い魔リニスは、恐らく主の異変を感じ取ったのだろう。
【あわてるな、プレシアの方の意識は?】
【すっかり気を失っているようだから大丈夫。けど、そばで戦闘とかがあったら目覚めるかも!】
【そちらの会話が聞けるように、こっちに繋げ。あと、これから先は俺の言ったことを復唱しろ。自信ありげに、いいな?】
【……わかった!】
 ――全てうまくはいかんもんだなぁ。
 興が削がれ、リカリアは眠れる少女にこれ以上悪戯する気を失った。彼はクアットロに念話を送る。
【ヤモメ1……言いたいことは山とあるが、ヤモメ3への道案内を頼む】
 『空白の迷彩』を展開し、部屋を後にしたリカリアは通路を飛行魔法で翔る。


「もう一度聞きます。あなたの目的は何ですか?」
 プレシア・テスタロッサの使い魔であるリニスは、主の寝室にて一人の少女と対峙していた。奇妙な青のスーツを纏った少女の名をセインと言うが、その事実をリニスは知らない。ただ、自分達に害意を持つ存在だということは理解していた。
「まあ、そう興奮しないで。もう少ししたら、リーダーが話し合いに来るからね」
 セインは不敵な笑みで言った。それが半ば虚勢であるとリニスは見抜いていたが、無謀な突撃は出来ないでいた。少女の傍の寝台に、彼女の主が横たわっていたからだ。
「あっ、強引に主様を助けるために攻撃してきてもいいけど、弟子を見捨てるつもりなのかな?」
 苛立たしい小娘だ、という罵りをリニスは刺すような視線で表現する。フェイトたちが既に相手の手に落ちているかは定かではないが、念話の通じないという事実がある。
 リニスは手詰まりであった。自身以外の全員が拘束された状況。時の庭園の機能が相手に掌握されている状況。仮に通信機能が無事であったとしても、外部からの救援を求めることの出来ない事実。
「それに、私たちが襲撃する理由をあなたは知っているでしょう? 可哀想なお人形さんのお話」
 発言者は内面で首を傾げたが、言葉の意味する所を理解したリニスは背筋を凍らせた。救援を求めることが出来ない理由。それは、この場で密かに行われていた違法研究であり、今回の襲撃者を呼び寄せた原因。プロジェクトFと呼ばれた、記憶転写を目的としたクローン技術の研究であった。
 どこから露見した。相手の目的は技術だけなのか。成功例としてフェイトの身柄もなのか。リニスの思考が目まぐるしく働き、
「あと、もう一つ言っておくことがあるの……」
 投げ掛けられた言葉に全ての意識がセインへと向く。
 しかし、続く言葉はリニスの背後から響いた。
「話なんてあるわけねえだろ。姿を見られた以上、生かしておくわけにはいかんのよ。わかるだろう?」
 振り返る暇も無い。リニスの胸に衝撃が走り、彼女の呼吸が一瞬止まった。呆然とした表情で見下ろすと、自身の胸より突き出ている、血に濡れた不可視の刃が目に止まる。
「あ……ぐっ! …………がっ!」
 急所をわずかに外れていたブレードは、ゆっくりと捻られる。未だ不可視の中にあるリカリアの口元がわずかに歪んだ。その事実は本人以外知る由もない。

 口元を血で染め、苦悶の呻きを上げるリニス。半回転した所で、ようやくブレードは引き抜かれ、支えを失った彼女の体が床に崩れ落ちた。そして、ゆっくりと加害者の姿が現れてゆく。現れたのは、つまらなそうな表情をした若い男。
「遺言があれば聞いてやろう」とリカリアは言った。
 その言葉が届いたかは定かではない。単に朦朧とした意識が漏らした、感情の断片だったかもしれない。
「……あ、プレシ……ア……フェ……イト…………ごめんな……い…………」
 今際の言葉は、謝罪だった。
 言葉に篭められた意味は深い。大切な者を守れなかったことに対するものなのか、プレシアとフェイトの二人に何もできなかった自身の無力さに対してか。原作を知るリカリアでも、全ての感情を窺い知ることはできなかった。
 生命活動を停止した使い魔の体が淡い光に包まれ、本来の姿、薄灰色の山猫へと還った。あとに残ったのは、血で汚れた動物の死骸だ。
「大丈夫か?」とリカリアは言った。
「……死んだの?」とセインは呟いた。
「それ以外の何に見える?」
 淡々と事実を告げ、猫の死骸を見下ろすリカリア。平然とした眼差しは、一つの生命を摘み取ったという重みは無かった。
「ごめん。人……じゃなくて使い魔だけど……死んでくのを見るのは初めてだったから驚いた」
 セインは未だに活動開始より半年と短い。アジト内での訓練が主で、外での活動は今回が始めてである。死というものに対して接する機会はなかったと言ってもよい。
「慣れろ、としか言いようがないな。今回はイレギュラーな事態だったが、お前たちがやってることは、基本こういうことだ」
「……リカリーは平気なの?」
「平気になったという所かな。でなきゃやってられない」
 諦観の色を帯びた低い笑い声を漏らしながら、リカリアは続けた。
「セイン、慣れなきゃ壊れるぞ。心の部分がな」
「……うん」
 意気消沈した様子でセインはため息をついた。
 リカリアは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。こんな楽しいことを、どうして落ち込む必要があるんだ、と。リニスを殺害したことは彼にとって予定外のことであったが、後悔するほどのことではなかった。
 内心をよそに、リカリアはクアットロへ向けて念話を送る。
【おい、何故知らせなかった?】
 彼の言わんとすることは、当然ながらリニスについてである。
【あら、魔導士と使い魔の無力化はお二人の役割では?】
 クアットロは悪びれた様子もなく言った。言葉には、苛立つのなら杜撰な計画を立てた自身を恨め、と暗に告げている。確かに、主と使い魔の精神リンクが途絶えていると予想していたリカリアに油断があったことは事実だ。
【落ち度は認める。だが、妹を危険に晒す行為はやめろ。セインに逃走用のISがあるとはいえ、な。少なくともナンバーズ内で諍いの種となることはするな】
 苛立たしげに、リカリアは妹分を叱った。精神面と外見が活動年数と合致しない戦闘機人であるとはいえ、彼にとっては活動開始の瞬間はおろか、生体ポッドで眠りについていた頃も知る相手である。
 リカリアはこの時、妹たちを案ずる兄の役割を演じていた。



[25792] 七話 アルトセイムのサウィン祭(後編)
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/22 22:26
 周囲の安全を確保した四人は、家捜しのために散っていった。
 クアットロはデジタルの情報だけでなくプレシアの研究室で書類などを回収し始めた。リカリアはリニスの自室で、バルディッシュの設計データと予備パーツなどを漁っていた。
 実質的な作業はこの二人だけである。
 手の空いたチンクはセインと会話を交わしていた。それは、死というものにセインが衝撃を受けていることをリカリアに告げられたからであり、初出動であった妹を気遣ってのことでもあった。セインにしてもチンクを姉として信頼しているようで、今回の襲撃についての思いをぽつりぽつりと告げていた。


「さぁて、こんなところか」
 リカリアは戦利品の入ったボストンバッグを肩に掛けた。重要とおぼしき物の過半は略奪され、その場に残されたのは、バルディッシュの維持に必要と思われる最低限のパーツやデータのみ。
 目的を終え、リカリアは本来の目的が達せられたかどうか確かめるべくクアットロに念話を送る。目的完遂にはしばしの時間が必要と告げられたのち、看破できない情報が彼の耳にもたらされた。『時の庭園』の最下層部に魔力反応が確認された、という事実である。
【カメラで様子はわからないのか?】
【以前の主から使用されていないようで、故障していました】
【…………】
【セインちゃんにお願いしようかと思いましたけど。場所が場所ですし、妹には無理させたくはないので】
 含み笑いを込めたクアットロの物言いにリカリアは眉を上げる。
【どういう場所だ?】
【地下廃棄所ですわ】
 リカリアは舌打ちし【わかった、俺が行く】と告げた。
【それにしても、サンプルは回収しなくてよろしいんですの?】
 サンプルとはプロジェクトFの成功例、即ちフェイト・テスタロッサのことを指している。
【データは十分にあるし、問題ないだろ。それにプレシア・テスタロッサは今も死者蘇生に取り憑かれている。彼女が何かしらの行動を起こすにせよ、使える手駒を残しておかないとな。優秀な科学者の妄執は、とんでもない結果を生む可能性があるからな】
 これはリカリアが任務の発案に際してドクターに語ったことである。
【彼女の使い魔も殺しちゃいましたしね】
【チッ、まあそういうことだ。目的地までの照明等の電力供給を頼むぞ】
 ファイトの身を案じるならば、この場より連れ出すか否かは判断の難しい問題だ。愛する母より引き離さずにいるのが正しいのか。母に人形として扱われて使い潰される前に、実験動物扱いとはいえ保護するのが正しいのか。答えは人それぞれである。
 どちらにせよ、リカリアとドクターはフェイトの身を案じてはいなかった。二人の男は今後への好奇心という理由で、少女の処遇を決定したのだった。
 クアットロとの念話を切り、荷物をひとまず置き、リカリアはデバイスの調子を確かめながら廊下を進む。金属製の階段を下る中、リカリアは違和感を覚えた。
「……寒い」
 夏場では地下の気温は涼しげなものとなるが、冬場では逆に暖かく感じるものだ。リカリアは、晩秋の気候よりも寒々しい空気を感じながら地下へと降りる。それは錯覚などではなく、老朽化の目立つ整備用の通行扉を前にしても同様であった。
 リカリアは深呼吸を何度か行う。
 地下廃棄所は、長期間の次元航行に際して用いられていたものであり、一箇所に停泊し続ける場合は無用の長物だ。次元航行に関する法律や利便性を考えるならば、時代錯誤の代物であるといえる。それが使用や維持を行わずに残されていることから察するに、先の所有者は改修費を惜しんだのかもしれない。
 そして、現在の所有者がどうしていたのかは、これより明らかとなる。
 リカリアは唾を飲み込み、整備用の通行扉を作動させる。
「……っ! バリア!」
 金属同士が擦れ合う稼動音にブォン、という不気味な音が重なったとき、リカリアは反射的に防御魔法を展開した。
 次の瞬間、リカリアのそばを黒い塊が通り過ぎた。
 音の正体は幾重にも重なり合った羽音。薄闇の中から光に殺到した大小の羽虫の生み出した不協和音だ。
 やる気を大いに削がれたリカリアであったが、今更引き返すことは出来ない。少々埃っぽいものの新鮮な空気を肺に溜め、彼は地下廃棄所に足を踏み入れる。
 扉が完全に開かれると、未だ機能を失っていなかった照明のいくつかが、その場の実態を明らかにした。
「っ……」
 そこは地獄であり、プロジェクトFの墓場だった。
 壊れた培養器、用途のわからぬ機械。そして何より、うず高く積み重なった死体の山。その大半は、高所のダストシュートより放り捨てられた落下の衝撃で酷い有様を晒している。上部の機械や死体は原型を留めたものも多かったが、クッションとなったであろう死体の肉片と返り血で独特の塗装が施されている。
 空気には腐臭が混ざり、金属の床には乾ききった血溜りの跡と死体。空中はハエの群れが我が物顔で飛び回り、床は鼠と油虫と蛆が蠢いている。まさに不衛生の極地であった。
 ――ひでえ場所だ。
 リカリアは口元を押さえて精神を強く保った。切り裂き魔として散々死体を製造してきた彼であったが、腐臭漂わせる死体はあまり目にしたことはなかったのだ。もちろん吐き気も覚えたが、彼は限界ギリギリで耐えた。
 ――本当に温度が低いな。
 死体や虫を踏まぬように、飛行魔法で床より二十センチほど離れた場所を滑るように進むリカリア。廃棄所の室温は5℃前後といったところ。腐敗の進行が遅く、未だ原型を留めたものも存在する理由はそれであった。
 リカリアは既に温度の理由も、発生の原因も理解していた。
 巨大な氷塊。廃棄所のあちこちに、二メートルほどの全高を持つ氷塊がいくつも転がっている。これらが外気を下げており――
「おい、死体のふりなんかしなくてもわかってるぞ」
 詰み重なった死体の一つ、正しくは死体のふりをしていた少女が発生源である。
 少女と数メートルの距離を開け、リカリアは確信をもって呼びかける。探知機がリンカーコアの反応を捉えているのだ、間違いはない。開けられた距離は、推定Sランクの相手に対する警戒の表れであった。
 リカリアは最大限の警戒を持って距離を詰め、靴先で少女の足を軽く蹴る。
「…………おじさん……だれ?」
 誤魔化しきれぬと悟ったのだろう。少女はゆっくりと瞼を開け、たどたどしい口調でリカリアに尋ねた。
 年齢を見誤ったのは暗さのためであるだろうし、今の外見は変身魔法なのでリカリアは気にしない。彼が気にしているのは、少女の手が握り締めている杖状のデバイスである。このデバイスが、これまで少女の生存を支えたであろうと推測された。
「なに、単なる強盗さんだ」
 軽い口調で答え、リカリアは相手の出方を見る。
「……ここの……人じゃないの?」
 少女の声に感情の起伏は伺えない。
「ここの人は、今は眠ってる」
「…………………………」
 そうリカリアが告げると、少女は黙り込んだ。
 ――状況次第では、一挙動でガキの腕を切り落とす。
 リカリアは現在、自らの姿は晒していたが自身のデバイスは不可視にしている。間違いなく先制を取れる自信があった。
「お前はここで生きてたのか?」
 聞くまでもないことである。だが、あえてリカリアは尋ねた。
「…………うん、そうだよ」
 何を食べて生き延びたかは語るまでもないだろう。
 少女の現状は、廃棄所と大差ない。極度のストレスのためか、毛髪の色素は失われている。服はなく、防寒のために何枚ものぼろきれを羽織っているだけ。髪の所々には乾ききった血が付着し、全身は垢と血潮で汚れていた。
「お前の名前は?」
「アリシア……母さんが付けてくれた……名前。けど、周りのみんなは? みんなもアリシア?」
 周りを見渡した後、答えを求めるようにリカリアを見つめる少女。
 誰の目にも情緒不安定と断言される相手。数秒を費やし、最適と思しき対応を決めてリカリアは言った。
「アリシア・テスタロッサはとっくの昔に事故で死んでいる」
 少女の目が大きく見開かれる。
「娘を失ったプレシア・テスタロッサはあるプロジェクトにすがった」
 動揺で身体をわなわなと震わせる少女を、リカリアは落ち着けるようなことはせず淡々と続ける。
「プロジェクトF.A.T.E。簡単に言えば、培養したクローン体に記憶を複写するプロジェクトだ。彼女は、娘とのかつての生活を求め、プロジェクトの完成に没頭した」
「や……いや、…………や……め、……う」
「……その過程で数多くのできそこないが生まれ、彼女はそれを失敗作として処分していった」
 これは状況からの推測であったがまず間違いのない事実であろう。
 リカリアは右腕を弓でも引くように引き絞りながら、少女の傍まで近づき――
「もうわかっただろう? そしてここが、そのゴミ捨て場だ」
「やぁぁあああああああああああ!」
 少女はデバイスをきつく握り締めた。何も聞きたくない。聞きたくないことを告げる目の前の男を、吹き飛ばすために。
「ああああああああぁあああぁあああああ――ギャッ!」
 少女の慟哭は、脇腹に叩き込まれた蹴りで中断させられた。魔力強化こそされなかったが、青年男性の加減のない蹴りだ。胃液と胃の中身を吐き出しながら、少女は幾度となく咳きこむ。
「あーくそ、このガキ。耳いてぇ……」
 リカリアは耳の痛みで顔を歪めていたが、それ以外に負傷はない。
 少女の攻撃魔法は発動しなかった。発動の直前に、リカリアがデバイスを真っ二つに切断したためである。直前で目標を変更したのは、単にデバイスがひび割れて半壊状態であったことに気付いたためだ。
「煩わせんじゃねえよガキが………………あ?」
 少女を踏み付けながら身体を起こしたリカリアは、周囲の異変に気付いた。
 ――何だ、コレ。
 リカリアは隠すことのない動揺を見せた。
 廃棄所に青白い魔力光と共に、多数の魔方陣が展開されている。ミッドチルダ式の真円形ではなく、ベルカの正三角形でもない。
 正四角形の魔方陣。頂点に五角形を有し、その四方をまるで歯車のように歪な多角形が回転している。描かれる紋様は混沌の一言であり、多角形の傍を無秩序な動きで常に形を変化させていた。リカリアの理解の範疇外のそれは、ニュクス式と呼ばれた術式。
 ゆっくりと回転する魔方陣より、得体の知れぬ生物の姿が浮上し始めたとき、
 ――召喚魔法!
 リカリアは飛行魔法で空中へ、同時に『空白の迷彩』を展開。ひとまずの安全を確保した上で、改めて状況把握に努める。飛行への跳躍の折に踏みつけた少女が「あぐっ」という奇声を発したが、彼は気に留めなかった。仮に耳に痛みがなくともそれは変わらなかっただろう。
 召喚陣より現れたのは異形の生物であった。
 薄青の肌を持つ二足歩行の生物。細い手足と子供のような短躯という脆弱な外見であるが、巨大な口には鋭い牙を持っている。
 フロストリング。姿を見せた原始的な生物はそう呼ばれていた。
 二十近くのフロストリングは、きょろきょろと周囲を見渡し、目を廃棄所に多数転がるナマモノに止めた。間を置かず大同小異の甲高い叫び声を上げて、周囲の死体へと飛び掛る。廃棄所は劣悪な環境であるが、この矮小な生物達にとっては重要なのは、生存に適した寒冷な気温だけだ。
 耳障りな鳴き声と咀嚼音、骨を噛み砕く音がたまに響く。幼女の肉体は、肉付きは悪くとも彼らにとっては恰好の食料であった。
 ふと、暴食の宴の渦中に、少女の咳き込む音が重なった。
 宴が止まる。フロストリングたちの関心――標的が少女へと向かう。一匹、また一匹と彼らは死体の山を背にする少女を包囲するように半円の陣を形成してゆく。
 低い鳴き声をあげ、口より血肉と涎を垂らす彼らに、友好的な様子はない。あるのは、新鮮な生肉への押さえ難い欲求のみであった。
 この様子にリカリアは不快感を見せた。彼の脳裏では前世での末路が、苛立ちと共に蘇っていた。
 今にも飛び掛ろうとするフロストリングたちの姿に、自身に迫る危機を悟った少女は怯えを見せる。
 そこに、他の同胞を押しのけて姿を見せるフロストリングが一匹。他より頭一つほど大きい体躯を持ち、魔導士のように杖を持ち、珍妙なる緑の仮面をつけた一匹。それはモッカと呼ばれる、類稀なる知性を持ったフロストリングであった。
 モッカは少女に向けて杖を高々と掲げる。展開される二つの異質な魔方陣。一つは行使者であるモッカ。もう一つは対象である少女。術はすぐに消えたが、少女に変化はない。ただ怯えた様子で身体を震わせているだけだ。このことから、少なくとも少女に益のある効果でなかったとリカリアは判断した。
 彼の判断は正しかった。少女に行使されたのは『鈍足』。対象の動きを鈍らせる補助魔法の一つである。
 モッカの杖が床を突き、同時にフロストリングたちはすぐさま飛びかかれるように身体を低く屈める。そして――モッカは鳴いた。
「ギャギャギャ!」
 それが合図であった。フロストリングたちが無力と化した少女に襲い掛かろうと一歩踏み出し――切断された。
 二匹が首を切断され、四匹が袈裟懸けに切り裂かれた。モッカだけが、迫り来る死の刃を杖で防いだ。彼らの動きが止まり、更に一匹。狼狽する中で三匹が絶命した。暗殺者の手によって、瞬く間にフロストリングの数は半減した。リカリアは不可視のまま空中へと上昇して方向転換。別方向より再度の襲撃を行う。
 ――忌々しい。
 前世での末路は、彼にトラウマを与えるほどではなかったが、捕食獣に対する嫌悪を抱かせるに十分なことであった。
 猛る感情を自制しながらリカリアはブレードを振るう。苦痛を与えるようにではなく、単に殺害を意図しての攻撃。相手の情報が不足しており、自身の安全が確保されていない以上、彼に遊び心はない。
 統率などと無縁の原始生物は狼狽の中で次々と数を減らし、残るはモッカ一匹のみとなる。
 最後の斬撃を繰り出すべく距離を詰めるリカリアと、杖を掲げるモッカ。
 モッカの傍――奇しくもリカリアの移動線上に魔方陣が展開され、彼は巨大な氷塊に前進を阻まれる。
 氷塊は、三メートル近い無骨な氷像であった。リカリアは速度をそのままに、わずかに進む方向を曲げ、氷像の表面を滑るようにブレードを走らせ、切り抜ける。デバイスの強度を懸念した行動であったが、ただそれだけの攻撃で氷像の胴に亀裂が走る。氷像は脆かった。しかし、それは意図された脆さだった。
 リカリアのブレードがモッカを捉えようとしたとき、一定以上のダメージを受けた氷像が爆発し、周囲に寒波を撒き散らす。
「……っ!」
 バリアジャケットがあるとはいえ、身を凍らせる冷気に体温を奪われ、リカリアの表情が強張る。だがモッカは、冬の醜き精霊と揶揄されるフロストリング。周囲との差異でリカリアの位置を理解すると、その隙を見逃すことなく反撃に転じる。
 強化魔法を用いているのかモッカの一撃は重い。
 杖とデバイスが強かに打ち合い――やがて脆いデバイスが屈した。二つは剃刀と金槌のような関係だ。リカリアのデバイスは鋭利であるが、強度は心許ないことこの上ない代物である。
 得物が一つ失われ、形勢不利を悟るも、リカリアは引くことはしなかった。リカリアとて無駄に戦闘機人相手に訓練を積み重ねてきたわけではない。振り下ろされる杖をブレードで受け流しながら、半ばで折れたデバイスをモッカの仮面の奥にある眼球目掛けて投擲。
 モッカは反射的に身を捩ることで対処し、デバイスは仮面に弾かれる。しかし急な動きによって、同時に放たれたリカリアの本命の一撃を回避することは叶わなかった。
 杖を持つ腕が切断され、ブレードは緩やかな軌跡を描き、首を切り落とす。
 戦闘は終わり、転がったモッカの首と廃棄された機械の衝突が廃棄所にくぐもった音を立てた。残されたのは疲弊したリカリアであった。
 『空白の迷彩』を解除し、肩で荒い息を繰り返しながら、彼は濁った空気に対して精神を保つ余力を失い、嘔吐する。ひとしきり胃の内容物を吐き出すと、口元を拭い、この状況を作り出した原因に悪意の瞳を向けた。
 死体を踏み締めながらゆっくりとリカリアは歩み、右手のデバイスを左手に持ちかえる。寒さと恐怖に震え上がる少女の傍で立ち止まり、しゃがみこむ。そして、クローブが汚れるのも意に介さずに強化した右手で少女の頭を掴み上げた。涙で汚れた顔を強引に自身に向けさせ、リカリアは正面から赤い瞳を見据える。
「お前、よくもまあ舐めた真似をしたな? いいか、よく聞け。お前に名前はない。存在価値もない。プロジェクトFによって生まれたアリシアの模造品。いわば、ただの生ゴミだ」
 力を込められた右手の物理的な苦痛に加え、言葉という名の鉄槌が、幾度となく少女に振り下ろされる。
「お前に製作者はいても母はいない。仮に母がいたとしても、実の娘をこんな場所に捨てるか? あ? ……そんなゴミが、俺に何をしようとしやがった? 答えろ!」
「う……あ…………ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめ――グッ!」
「もういい。喧しいだけだ」とリカリアは言い、少女を死体の山に突き放つ。
 リカリアはため息をつき、
「何故逃げようと思わなかった? あんな召喚魔法や、氷塊作れる力があるなら、扉を破ることもできただろうに。……言え」
「や……だ、外は怖……。……外、辛……よ」
 嘔吐きながら少女は答えた。おそらくは、母親と思い込んでいた、製作者プレシアに捨てられたことがトラウマとなっているのだろう。あのような思いを再びするようなら、ここに閉じ篭っていたほうがマシだと。そうリカリアは推測した。
「………………」
 少女の処遇についてリカリアは思案し、五秒ほどで結論を出す。彼は左のデバイスを待機状態へと戻し、ポケットに仕舞う。膝を付くと無言で手を伸ばし、少女の頭に触れる。
「ひ、……や…………」と悲鳴を漏らし、びくんと少女は身を縮こませた。
「安心しろ。といっても信じられないだろうが。そうとしか言えん。今までのは俺を殺そうとしやがった罰だ。だから、これ以上はどうこうする気はない」
 リカリアは相手を落ち着かせるように、少女の白髪を撫ぜる。声は先ほどまでとは打って変わった穏やかで優しげなもの。だが彼の内心は、フケでごわついた髪に触れる不快感で満ちていた。猫であればノミが付くのも構わずに撫ぜられたが、人間相手だと別であった。
 時間にして二十秒ほど。リカリアにとっては忌々しいだけの一時。
 やがて、震えながらも恐る恐る上目遣いで少女はリカリアを見上げた。その目は不安で染まった子犬の目。ちなみにリカリアは前世のこともあり、犬が大嫌いであった。
 リカリアは不快さに神経を痛めつつも、丁寧な動きで少女の腰に手を回して上半身を起こさせる。そして、優しげに抱擁した。
 冷え切った身体。バリアジャケットを纏っていたリカリアとは異なり、少女は先の寒波をまともに受けたためだ。
「なあ、ここで生ゴミとして生涯を終えたいか?」
 微笑みながらリカリアは少女の耳元に語りかける。そして続く言葉は、囁くように告げられた。
「お前に生きる価値をやろう。存在する理由をやろう。そして名前をやろう。だから、俺と来い。俺は、俺に従うものには慈悲深く寛大だ。……仮に来ないにしても、何も咎めはしないさ」
 顔を離し、少女に人懐っこい笑みを向けて虚言を締めくくるリカリア。彼が右手にほんの少し強化魔法を掛ければ、容易く少女の頭蓋を潰せる状況である。
 自らに対する殺人未遂をリカリアはさほど気にしていなかったが、プロジェクトFがフェイトに露見する可能性を放置する気はなかった。それは未来に起きるべき娯楽がご破算になる危険が高まるだけである。既にリニスを始末してしまった。これ以上の不確定要素は避けたいのが彼の本音であった。
 ゆえにリカリアは少女を確保するつもりでいる。生死は問わずに。謎の術式に関する関心はあったが、それはモッカが有していた杖があれば解析の糸口となるだろうという判断もある。
「どうする?」とリカリアは言った。
 少女は視線を逸らし、けれどもリカリアの手を振り解こうとしなかった。
 二つの相反する感情が、少女の中で渦を巻く。恐怖と安堵。前者は暴力に対するもの。後者は初めて感じる人の体温に対して。
「………………連れてって」
 少女はリカリアの胸にすがり付く。相手が決して物語に出てくる王子様ではないと知りながらも、再び訪れる孤独に怯えての結論。ごく僅かとはいえ安堵を覚えた時点で、少女に選択の余地はなかったのかもしれない。
「なら、始めに名前をやろう。お前の名は……そうだな…………フィアクラだ」
 それは鳥の名前。獲物を求め雪国を飛ぶ、獰猛なる大鷲の名前。
 リカリアの贈る皮肉の篭った名前であった。



[25792] 八話 任務の終わりに
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/12 20:55
 水音が狭い浴室に響いていた。蛇口から流れ落ちる湯が小さな浴槽を八分ほど満たし、水飛沫と暖かな湯気を立ち上げている。
 そんな水の音色を、フィアクラは風呂椅子に腰掛けて聞いていた。
「……………………」
 静かに座り込んだまま、小さな身体を震わせる。それは裸体を晒しているだけが原因ではなく、胸中にのしかかる不安も含まれている。不明瞭の今後を考えればフィアクラの不安は当然の話であった。
「おいおい。まだ浴槽に浸かるなとはいったが、湯を被るくらいしとけよ。寒いだろ」
 浴室の扉が開かれ、男の声――正しくは少年の声が響いた。
 聞き覚えのない声に、フィアクラは声の主へと顔を向けた。そして目を細めて相手の容姿を凝視する。長期間の暗所での生活は、彼女の視力を大きく奪っていた。
「…………えと、誰?」
 銀色の髪は判断できたが、顔立ちはぼんやりとしかフィアクラにはわからない。ただ、自身を連れ出した男とは年齢も外見も全く異なるということは理解できた。
「呆けたか? さっきまで一緒にいたというのに」
「ぇぇぇぇえええぇええ?」
 間延びした疑問の声が浴室内を反響する。
「何を変な声上げてるんだ」
「え、や、だって、リカリア?」
 フィアクラの指差す先、リカリアは自身を見直して、相手の反応に納得したように頷いた。
「ん、ああそうか。さっきまでのは変身魔法だ。こっちが本当の俺」
 そう告げて、リカリアは何の気負いもなく続けた。
「それより、さっさと身体洗ってくぞ。のんびりしてると風邪引いちまう」
 リカリアは湯加減を確かめ、蛇口を閉めると、手で水面をかき混ぜる。
「え?」
「え、じゃない。それ以外に、何でここで待ってろと言うんだよ」
「や、ちょっと、それ……」
 フィアクラは躊躇した。年齢差があれば気兼ねしなかっただろう事柄でも、同世代だと気にする事柄もある。
「嫌だといっても無理やりやるぜ。治癒に労力使わせた対価だ」
「…………う」
 入浴前に、フィアクラは全身の至る所にあった擦り傷を中心とした外傷を、リカリアに治癒してもらっていた。もっとも、彼に強か蹴られたためにできた痣もその中に含まれていたのだが。ともあれ拒否は却下だと告げるリカリアだが、そこには下卑た様子はない。ただ悪戯っぽい笑みが浮かんでいるだけだ。実際に彼は性行為を行うつもりはなかった。
「…………はぁ」
 フィアクラは拒否を諦めた。もともと拒絶するほどの抵抗があったわけでもない。彼女は未だ十にも満たず、性的な面で未熟であったからだ。
 洗面器に湯を満たすと、リカリアはゆっくりとフィアクラの肩に掛けてゆく。
 鉄錆びた血のにおいとは無縁の、暖かい液体にフィアクラは身体を震わせ、大きく息を吐く。
「熱かったか?」とリカリアが問い「ちょうどいい」とフィアクラは答えた。
 リカリアはタオルに石鹸をつけて十分に泡立てると、それでフィアクラの腕を擦る。
「っ、痛っ!」と、フィアクラは反射的な悲鳴を上げた。
「……あ、スマン。それほど力を込めたわけじゃないんだが」
 タオルが安物であるからか、一度たりとも身体を洗われたことのないゆえに脆弱な皮膚ゆえか。どちらにせよ、タオルの使用は望ましくなかった。
「……なら」
 リカリアは自身の爪が伸びていないことを確認し、手を泡で満たし、フィアクラの肌に触れる。
「わひゃ、ふぁ。……ちょ!」と驚き、振り返ろうとするフィアクラ。
「あまり動くな」と生真面目な口調でリカリアは言った。
 リカリアは二の腕に手を滑らせる。手を上から重ね、指を絡めて隅々まで触れてゆく。白い泡は見る間に黒く染まってゆき、それは洗面器に満たされたぬるめのお湯で流される。そして、リカリアは再び泡でフィアクラの肌を撫ぜる。
「……何か、風俗みたいな行為してるなぁ。実際はどんなだか知らんけど」
 そんなリカリアの呟きをよそに、フィアクラはくすぐったさと羞恥に、俯いたまま硬直していた。
「…………っ!」と突然、フィアクラが悲鳴にも似た声を漏らす。
 それはリカリアが背中を洗おうと膝近くまで伸びた髪に触れた時であった。
「どうした?」
「……なんでもない」
 小さく呟き、押し黙るフィアクラ。
「髪か?」
 薄汚れた白髪。眩い照明の下には、毛先や所々が赤黒く染まった細い髪が、露となっている。
「………………」
 僅かに身体をびくりと反応させるもフィアクラは無言。リカリアは口元を軽く歪め、問いかける。手は、扉の傍に置かれていたもう一枚のタオルに包まれた物に向かう。
「なあ、髪どうするんだ。長いままにしておくのか?」
「…………嫌」
「んじゃ、洗うのに邪魔だから切るぞ」
 リカリアが用意周到に用意していたのは鋏であった。整髪用ではなく、調理用の頑丈な鋏。髪が邪魔になることを見越して『時の庭園』より拝借してきた物の一つだ。リカリアは、伸びきった髪をひょいと掬い、刃をかみ合わせた。金属の擦れる音が響く。
「…………」
 フィアクラは大した反応は示さなかった。彼女はタイルの上をゆらゆら漂う白髪をぼんやりと眺めていただけだった。
 反応の薄さにリカリアは溜息を付き、不意の動きがあっても危険とならないよう慎重な動作で、肩辺りで揃えるようにして切り終えた。不要となった鋏を洗面台へと置くと、シャワーを取り、湯を手に当てながら温度を調整する。
「目を閉じて息止めろ」と告げて、リカリアはフィアクラの頭に弱水量でシャワーを浴びせ、シャンプーでわしゃわしゃと丁寧に洗っていった。最初こそ泡も立たなかった髪も、二度ほど洗い流すと次第に泡立ち始めた。
 髪が終わると、本格的に身体へと移る。脇やヘソなどの垢が溜まりやすい箇所や足などはタオルを用い、それ以外の箇所は、耳の後ろに至るまで、隅々まで触れていく。
「……んっ!」
 敏感な箇所に触れるたび、フィアクラは突然の刺激に対する反応を返したが、それだけだ。フィアクラの反応は鈍いものであったが、それはリカリアにとっては大した問題ではなく、むしろ好都合であった。彼は、この洗浄を繊細なガラス製品に対する清掃作業に類する行為であると考えていた。幼女の裸体とはいえ、薄汚れた身体に彼は欲情しない。
「顔とか股間とかは自分で洗えよ」
 リカリアはふぅと息を吐いた。さすがにそこまでする気は彼にはなかった。ひとしきりの洗浄を終えると、もう一枚のタオルを用いて自身の身体を洗い出す。
 フィアクラは石鹸を手に取り、においを嗅ぐ。嗅覚から伝わる感覚に、彼女は過去の記憶を思い返す。しかし、それは彼女にとって偽りだ。フィアクラは両手を合わせて泡立たせ、顔を洗う。髪より滴る水滴に揺れる洗面器の水面に写るのは、少女の悲しげな自虐の笑みだった。
 二人は黙々と身体を洗う。

「っはぁあ。生き返るぅ。疲れた身体に湯が染みるわ」
 湯を追い出すように溢れ出させ、程よい温度の浴槽にリカリアは身を沈めた。全身の疲労を入浴でほぐしながら、任務を終えた達成感に彼は大きく息を吐く。
「そう思わないか?」
 リカリアは向かい合う形で浴槽に浸かるフィアクラに同意を求めた。
「…………」
 フィアクラに返答はない。ただ俯き、水面をぼんやりと眺めているだけだ。
 ――のぼせたか? 窮屈なのか? それとも、髪を切ったことが原因か。
 頭に浮かんだ先の二つをリカリアは除外する。今浸かったばかりであるし、そう大きくはない浴槽とはいえ二人は子供。圧迫感を感じさせるほど浴槽は狭くはない。
「……髪に関して、プレシア・テスタロッサと何かあったのか?」
 フィアクラはほんの少しの驚きをリカリアに向けたのち、再び俯く。
「すごいね。何でもわかるんだ」
「まあ、お前にありそうなことはそれ位だしな」
 白髪の少女の今日までの間にありえた事柄など、それほど多くはない。遠い目のままフィアクラは感情を言葉にして漏らす。
「母さんが、綺麗な髪ね。って、褒めてくれた。髪を洗ってくれた。……けど、もうそんな風に言ってくれることはないんだね。そう思うと、なんだか悲しくなって」
「あれはお前に言ったんじゃない。死んだアリシアに対していったことだ」
 リカリアの物言いは、身体に触れる際の繊細さとは裏腹に、フィアクラを気遣う様子はない。
「……うん。そうだったね」
 そして二人は口を閉ざす。沈黙が続いたのは、ほんの十秒の間であっただろう。浴槽に響いたのはリカリアの嗤いだ。
「ハッ。……おいフィアクラ、お前に再び選択肢を与えようじゃないか」
 縁に手をかけ、リカリアは身を乗り出す。未だ俯いた相手に顔を寄せて、芝居がかった口調で続ける。
「お前は、人として生きたいのか? それとも人形として生涯を終えたいのか?」
「…………どういうこと?」とフィアクラは顔を上げて言った。
「お前はどちらかを選ぶことが出来る。前者なら、茨の道が待っている。まあ生きるってのは、お前に限った話じゃなくても、だいたいそういうもんだからな」
「……人形なら?」とフィアクラは言う。
「それなら、少なくとも生きるのは楽だな。何も考えずに、ただ周囲に従って生きればいい。俺も、お前が不幸にならないように計らってやる。そして、お前が傷つくようなことも一切言わない。だってなぁ……」
 そこで言葉を区切ると、続く言葉を望むように視線を向けてくる少女にリカリアは冷笑を返した。
「人形相手に本気で語る馬鹿はいないからな。少なくとも俺はそうだ」
「………………」
「どちらがお前のためになるかは俺にもわからん。ただ、人として生きたいのであれば、俺はお前の幸福のために助力してやろう」
「……どうして助けてくれるの?」
「お前が欲しい。人形ではなく人間としてのお前が欲しい。告白とかそういうことじゃない。そうだな、コレは悪魔の取引というやつだ」
 取り繕うことの無い本音をリカリアは語るが、何故欲しいのか、望む理由を彼は語らない。
「得られる物は、俺が与えられる全て。代償はお前の全て。……まあ、俺を裏切りさえしなきゃ、文句無いさ。そうしたら、俺もお前を裏切らない。お前の不利益となることをしない」
 リカリアは言葉を区切り、表情を正して再び二つの選択肢を提示した。
「……人か人形か、お前はどちらを選ぶ? こういう事を決めるには、お前がまだ幼いことは知っている。しかし、選択の機会はこの一回だけだ。どうする?」
 提案は、フィアクラの心を大きく攪乱させた。リカリアが信用できるわけではない。けれど、他の人間が彼よりも信用できるかどうか定かではない。母と呼んだ存在に彼女は捨てられたのだから。他人に温もりを求めたい。けれど、他人が怖い。
 フィアクラは悩み、やがて結論を出して、身体を脱力させた。
「一度も二度も一緒だよね。……私は人間として生きたい」
 リカリアを信じてこの場まで来た。ならば、毒を食らわば皿まで。そして何より、もはや失うものはない、と彼女は思っている。だが、少なくとも彼女は未だ貞操を失ってはいない。そして、不安定ながらも自身で決断を行える精神を保っていた。
「契約は成立した。この契約が永久に続き、反故されぬことを切に願おう」
 朗々と、詩を読み上げるように言って、リカリアはフィアクラの腰に手を回した。熱気で浮ついた精神状態、加えて人の温もりによる安堵で、フィアクラは抱擁を拒もうとはしなかった。
 ――さて、こいつがブルータスとなるか忠臣となるか、どっちかねぇ。


「ミント紅茶とレモングラス、お前はどっちがいい?」
 二つのコップにティーパックを放り込み、電気ケトルを片手にリカリアは言った。彼の恰好はズボンにシャツという軽装であるが、暖房の効いた部屋ではさして問題は無い。
「美味しいほう」
 傍で湯気を立てるコップを見ながら、フィアクラは答えた。彼女は膝までのプリーツスカートと黒シャツの姿の上に、ぶかぶかのバスローブを羽織っている厚着だ。前者は『時の庭園』より拝借したフェイトの私服であり、後者がぶかぶかなのは大人一人として宿を取ったからだ。
「好きな方を飲め」と言って、リカリアはベッドに仰向けになった。さして広くない中級ホテルの一人部屋だが、子供二人だけなら窮屈ではない。
 リカリアは睡魔に襲われていた。地下廃棄所での戦闘、長時間の変身魔法、そしてナンバーズ三名を含む転送魔法の行使は、彼のリンカーコアを疲弊させていた。チェックアウトの時間まで、少しでも睡眠を取りたいところであった。
 彼らの現在地は、アルトセイムより程近い地方都市のホテル。この場で朝まで宿を取り、高速列車で首都クラナガンまで。偽造パスポートを用いて次元航行船にてアジトの存在する次元世界へと帰還する、というのが当初のスケジュール。
 だがフィアクラがいる以上、スケジュールに変更が強いられることとなった。結果として、ナンバーズは当初の予定通りに次元航行船に乗り、残りの二名は長距離転送魔法によって帰還する。つまりはリカリアの、予定外の仕事が増えたわけだ。
「……俺は寝る。お前も飲み終わったら早く寝ろ。場所は……ベッドの右半分を使え」
 もぞもぞと動き、リカリアは毛布の中に身体をもぐりこませる。
 ――眼鏡や染髪剤も買わないと。そうなるとまた変身魔法を、
 思考の中でリカリアの意識は眠りの中へと沈んでいった。
 この時点で彼は、フィアクラの力を危険視していない。



[25792] 九話 ニュクスとカージナル
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/19 20:53
 第73次元世界『ニュクス』
 ニュクス式魔法の発祥地であり、大規模質量兵器対策部――カージナルの本部がある世界。かつては火山灰に覆われた荒廃した世界であったが、一世紀半ほど前に引き起こされたロストロギアの暴走事件に伴う地殻変動にて、環境は一変した。多種多様な天災が地表で猛り、それが過ぎ去った後には肥沃なる大地が残り、その恩恵は今日に至るまで続いている。
 次元航行船で四時間近く揺られ、ニュクスの地に降り立ったリカリアを歓迎したのは、亜熱帯の温暖な気候であった。温和な環境を甘受しつつ空港を出ると、目的地へと向かうべく彼は公営バスへと乗り込んだ。窓より流れる風景に、彼は思う。
 ――相変わらず面白みの無い街だ。
 首都バストラダム。規模では次元世界最大の都市であるクラナガンの三分の二程度ながらも、都市を建造物の集合体として見るならば、完成度はこちらに軍配が上がる。念密な都市計画によって作り出された町並みは、碁盤の目状に区画整備され、整然と呼ぶにふさわしい。しかし、それはどこか無機質に感じられる風景であることの裏返しでもあった。ちなみにリカリアの評は「シムシティ初心者が作りそうな街」である。
 ――しかし相変わらず迎えも何も無いとは、俺は全く重要視されてないのな。
 保護者がそれでいいのかと、複雑な胸中でリカリアは苦笑する。僅か八つの子供が一人で出歩けられるほどバストラダムの治安は良好だが、誘拐の心配が皆無である場所など無い。まして親が権力や資産を有しているのならばなおのこと危険だろう。
 ――まあ、気楽だし。俺の存在があまり公に知られてないのも理由か。
 ズボンのポケットに手を突っ込み、ポケット内で間に合わせ品のデバイスを弄びながらリカリアは考える。彼の父親を知る者は多く、彼の兄達もある程度の注目はされている。だが、何年も世間と隔離された生活を送るリカリアを知る者などそう多くはないだろう。彼の外見などは言わずもがな。
 しばしの間バスに揺られ、やがて彼は目的地へとたどり着く。
 カージナルの本部に到着したリカリアは、父親に貸し与えられていた通行書を提示して施設へと入る。
 バストラダム北西部の一区画を占める施設は壮大であった。地上本部のような天高く聳えるビルとは異なり、果て無き大規模建築物の巨壁が広大な敷地に鎮座し、中枢部は本局のものと遜色無い多重の物理および魔法障壁の庇護下にある。そして、多数の次元航行船が停泊する発着所とその保守点検を可能とする工場が、ある程度の緩衝地帯を開けて併設されている。
 カージナル本部は、中央集権的な軍事施設の様相を呈していた。
「子供がこんな所に来るんじゃない」という異語同音に通行書と困った顔で対応し、私服姿で本部内をリカリアは進む。カージナルの制服は、本局に所属しながらも、一般的な本局の局員とは異なっている。黒を中心としてワインレッドの肩口と、全体的な色彩は地味ながらも人目を引く姿。
 これは、彼らの存在が管理局内で異端であるという表れの一つだった。
 カージナル。かつて次元世界の平定に奔走した次元連合軍の末裔。彼らは質量兵器が禁止された今日、罪人に対して質量兵器を持って当たることを許された唯一の例外である。
 魔法万能主義者に対する抑止力であり、魔法万能主義者にとって忌むべき天敵であった。



「さて、今日ここに呼ばれた理由はわかってるな?」
 数ある応接室の一つにて、リカリアの父親は相も変らぬ健在さを体言していた。
「理由はわかるけど、何で職場に呼ぶかは理解できない」
 首都バストラダムにはヴァノン家の本宅も存在する。親子の会話を行うには、そちらの方が適切であろう。事実、ここ数年の間リカリアはガレスと年に三回ほどの頻度で会ってはいたが、対面は全て本宅で行われている。
「俺は家に帰る暇もないんだよ。遊び呆けているお前とは違ってな。……というのは冗談だ。実際のところは、お前にここを見学させようと思ってな」
「だったら、案内人でもつけて欲しかったね」
「それは気が利かなくて悪かったな。ああ言っておくが、決してお前が子ども扱いされて苦笑いする様を見たいとか考えたわけじゃないからな」
 わざわざ口に出す辺り確信犯であろう。もしかしたら、意図はそれだけでないかもしれない。どちらにせよ、ガレスの三男坊は父相手に苛立つ不毛さを理解していた。
「……そう信じよう。で、用件は?」とリカリアは鼻を鳴らした後、言った。
「分かるだろう? あちらでの滞在を延長したいと聞いたからな、その件だ」
「駄目なのか? 了承は得られたと聞いたのだけど」
「あと一年ほどは問題ない。だが、俺の問いたいことは別だ。……どうやってあいつらを抱き込んだ?」
 向かい合ってソファーに座る息子を、ガレスは悠然と見下ろした。
「さあ? 俺の人望のお陰じゃないかな。それか、俺というモルモットが長期的な観察を行いたいほどの対象だったのかもな」
 リカリアは前もって用意していた虚言を口にする。アルトセイムの一件は、黙することでジェイル一味と同意が交わされている。
「そうか、まあいい」と言い、ガレスはそれ以上の言及を行わなかった。
「なら俺も親父に聞きたいことがある」
「何だ?」
「ニュクス式魔法について教えて欲しい」
 ガレスが貧乏ゆすりを止めた。彼は驚きの表情を浮かべ、やがてそこに一つまみの愉快を混ぜて息子を眺める。
「どこでそれを知った?」
「本で知った。んで更に詳しく知りたいと思ったら、ドクター……スカリエッティ氏から親父が詳しいと教えられた」
 虚偽と事実をリカリアは真顔で語る。
「親父は稀代のニュクス式の使い手なんだろ?」
 ガレス・ヴァノンの武勇を、リカリアは何ら労せずに知ることができた。
 ほんの一握りであるSSSランク魔導士の一人であり、類稀な召喚術士。いわく付きのデバイス『霊魂の杖』を携えて次元世界を駆け回り、数多の犯罪者に恐怖と絶望を振り撒き続けたエース。
「……この術式が知りたいか? ならまず聞くが、お前はニュクス式をどれだけ知っている?」
「術式がミッドやベルカと根本的に違うこと位は」
 今日での魔法に対する認識は、大気中に存在する魔力素をプログラム化して用いることで様々な効果に変換させるものである。ゆえに魔法構成や制御は論理的、つまり理数系の学問である。
 一方、ニュクス式は根本から違う。ミッド式やベルカ式のように理路整然とした術式ではなく、その術式は術者に依存し、しかも術者のリンカーコアの状態によって常に変化する。理論的ではなく、有機的とされる術式である。
「お前は、魔法をどの程度使える?」
「ミッド式で治癒魔法、飛行魔法、転移魔法、その辺りは一通り使える」
「基礎的な補助魔法は習得済みか。怠惰に遊び呆けていたわけじゃないようだな」
 ガレスは関心げに頷いた。
「この辺りはあったほうが便利だからな。で、単刀直入に聞くけど……俺はニュクス式を使えるのかな?」
「ああ使える」とガレスは言い「何、唖然としてるんだ?」と続けた。
「……そう簡単に言われるとは思わなかった。資質があるのは少数だと本には書いてあったし、出来れば使えたら程度に考えてた」
 ニュクス式魔法が主流となりえなかったのは、生まれ持った資質が習得に必須となる点にある。リンカーコアを持つことを前提とし、更に資質を有する者ともなれば、行使者はごく僅かしかいない。
「お前の場合は、希少技能という分かりやすい形で発現したからな」
 ――そうなのか? いや、この男の言葉を鵜呑みにするのも……
 探るような視線を受け、ガレスはくっくっと含み笑いを漏らしながら、ソファーの隣に置かれていたアルミケースを手に取った。リカリアの関心がケースの中身に集中する。机とケースの擦れるゴトッという音が響く。
「まあニュクス式を理解しているなら話は早い。お前を今日呼んだ理由の一つはこれだ」
 留め具が外され、ゆっくりと開かれたケースに収められていたのは、歪な形状の宝石たち。どれも子供であるリカリアの拳程度の大きさで、紛失防止のためか一つ一つに鈍い光沢を放つ短い銀色のチェーンが付けられている。
 色も形状も異なる十八個の宝石は、室内灯の光を乱反射させて鮮やかな色彩を作り出している。ある宝石は、炎のように煌々とした輝きを放ち。ある宝石は、水のように青々と透き通った輝きを放ち。ある宝石は、初夏の陽日のように柔らかな輝きを放っている。
 多面体たちの放つ深遠の輝きは、普段は宝飾品にあまり関心っていない少年の視線を釘付けにした。
「これはロストロギア?」とリカリアが恐る恐る言った。
「馬鹿か。そんな物をここで出すわけが無いだろう。これは、魔力吸蔵鉱石の一種にニュクス式魔法を注ぎ込んだ代物だ」
 ガレスは失笑し、出来の悪い生徒を嘲りながら解説する教師のような饒舌な語りを続ける。
「ニュクス式は、人や書物によって習うものではない。魔法や魔道器と資質が共感し合うことによって自然と会得するものだ」
「……へぇ」
 それはリカリアにとって初耳であったが、彼は疑問を抱かず、驚きもしなかった。ガレスの言葉が誤りでないと、ある杖によってリカリアは既に体感していたからだ。
 ケースから薄紫の宝石をひょいと取り出し、指先で弄ぶガレス。
「この宝石は、ニュクス式魔法の会得を促す代物だ。これがほのかな光を放つように、デバイスなどを介さずに魔力素を変換させるように努めれば、鉱石に準じた魔法を遠からず会得できるだろう。ほれ、こんな風に……」
 言葉終わらぬ前に、宝石が煌びやかな光を放つ。光は輝きを拡散させ、次第に弱く収束してゆき、そしてまた輝きを主張してゆく。宝石はしばらく脈打つ心臓のような反復運動を続けたが、ガレスの掌から毀れ落ちたことで光を失った。宝石は定位置に戻り、ケースは閉じられた。ガレスはケースをリカリアの前へと軽く押す。
「こいつをお前にやろう。簡単な説明書も付けてやる。案内人をつけなかった詫びだ……とでも思うといい」
「気味が悪いくらいに気前がいいな。安い物じゃないだろうに」
「多少値は張るが、希少ではない代物だ。それに、コレは先行投資だ。今すぐという気はないが、いずれお前には管理局……正確にはカージナルに入ってもらうからな。まあ一年ほどしたら嘱託魔導師試験を受けろ」
「カージナルの嘱託か、縁故採用だな」
 ハッ、とリカリアは低い笑いを漏らした。
 名実ともにカージナルの頂に存在するのが、ガレス・ヴァノンという男である。
「否定はしない。面接や筆記はいくらでも誤魔化してやる。だが、実技は駄目だ。俺がお前に求めているのは、身内の部下ではなく、管理局員としての独善的な正義感でもなく、任務に従事できる力量だからな」
「もし、カージナルに入りたくないといったら?」
 リカリアはさりげない軽口で探りを入れた。
「管理局に入るか、もしくは全く別の道を選ぶか? どんな道を選ぼうと一向に構わん。定期的に報告さえするのなら、色々と便宜も図ってやる。……面白そうだからな」
 そこでいったん言葉を区切り、ガレスは歪んだ笑みを形作る。
「ロジェのように、家と縁を切っても別に構わんぞ?」
 親子愛など鼻で笑うような関係である。実際にリカリアがヴァノンの名を捨ててもガレスは気にも留めないだろう。ガレスにとって息子の人生とは、時折観察する程度の娯楽でしかない。
「そんな悲しいことを言わないで欲しいね。俺らは家族だろ」
 ――まあ、今現在はこいつの影響力を失うのは惜しいし、従うか。
 親が親ならば、子も子であった。
「しかし、いきなり受けて通るのか? あっちで多少なりと戦闘訓練とかをしてきたが、俺に魔導士との戦闘経験はないぞ?」
「なぁに、お前ならば大丈夫だ」と、ガレスは言った。
「随分と期待されてるんだな。なら期待に添えられるように頑張ろうかね」
「せいぜい頑張れ。今日の用件は以上だ」
 数ヶ月ぶりの親子のコミュニケーションはそうして終わった。
 ガレスは立ち上がり首を鳴らした。ケースの持ち手を握り、リカリアも立ち上がる。
「ニュクスの使い手としての助言だが、まずは肉体系の魔法を会得するように努めろ。『再生』の魔法はミッド系の『治癒』よりも効率的だ。だが、ニュクス式は他の術式と比べて融通が利かない。主要魔法はミッド式に頼ったほうが無難だろう」
「わかった。ありがとう」
 リカリアの感謝に偽りはない。今回の訪問は、彼にとって大きな収穫であったのだから。助言に対しても、気に留めておく価値はある、と彼は判断した。
 歩き出したガレスだが、扉の前で立ち止まると背中越しにリカリアに告げた。
「ああそうだ。気前がよくなったもう一つの理由を教えてやる」
「何?」とリカリアは言った。
「お前のしでかした事が回り回って俺の利となったからな。そのご褒美でもある。だがな、もうこれ以上幼稚な刃物遊びはするな。わかったな?」
 ガレスの口調は軽いものだったが、リカリアの顔を引き攣らせるに十分だった。
 ――どこで発覚したんだ。ジェイルの野郎からか、それとも単なる勘ぐりか?
 動揺を内面に押さえ込みながら、リカリアは虚勢を張る。出来うる限りの平然とした声質で彼は返答した。
「……何のことだか知らないが、もう幼稚なことをするほど幼くはないさ」
「そうか。まあ、暫くは穏やかに過ごせ。物事には限度があるからな」
 ガレスは淡々と告げて退室した。
 虚勢を見抜かれたか否かはリカリアには判断できなかった。しかし彼は、喉元を重く澱んだ不快感が通り過ぎ、腹に溜まったように感じた。



 何とも形容し難い不快感で腹を満たし、リカリアはカージナル本部を後にした。腹中を漂う忌々しい感情を軽い昼食で下腹部へと追いやり、ひとまず気分を落ち着けると、彼は街にある大型書店へと向かった。他の主要次元世界と同様にニュクスでも電子書籍が広く流通しているが、主流となっているのは昔ながらの紙媒体だ。
 リカリアは歴史や伝承に関する数冊の本を購入し、現金で会計を済ませ、さっさと空港へと向かった。本宅に向かうことも頭の隅に浮かんだが、見知らぬ使用人たちの好奇に晒されるのは煩わしく、フィアクラをアジトに放置するのも危惧されたからだ。ナンバーズに信頼を寄せられては、リカリアにとって色々と面倒である。
 アジトの存在する次元世界行きの次元航行船に乗り込むと、リカリアは購入した本の一冊を開き、頁を捲る。本の題名は『ニュクスの幻獣百科』。
「……フロストリング。モッカ、か」
 リカリアはある頁にて手を止め、一人呟く。ようやく彼は、自身が地下廃棄所で死闘を繰り広げた相手の名を知った。本に描かれた挿絵は想像で描かれたものらしく、リカリアと対峙したモッカとは多少の差異が見られたが、寒冷地の生物、脆弱な短躯、そして緑の仮面という特徴的な共通点から彼は結論付けた。
「モッカとは知性を有するフロストリングであり、唯一無二の存在。決して二匹と生まれず、老いたモッカは次代となるフロストリングを探し、その持ち物を受け継がせてゆく」
 リカリアは呟くような小声で音読する。
 ――俺の殺したのは老いて弱った相手か、未熟な若造だったのか。どちらにせよ運がよかったのかもな。
 解説には、モッカは高ランク魔導士に匹敵する危険生物と記されている。短くも苛烈な戦闘を経験したリカリアは、解説が偽りでないと理解していた。
「……しかしフロストリングという原始生物の存在自体が、ここ数世紀の間確認されておらず、現在では単なる伝承と考える者も少なくない」
 地下廃棄所で何故にフロストリングが召喚されたのかは、リカリアは知らない。当事者であるフィアクラですら、リカリアの詰問に明確な答えを出せずに終わった。真実は闇の中だった。
 しかし、少なくともモッカが伝承ではなく実在の生物であったのは事実である。ゆえに、リカリアは本に記された一文に注目する。
「モッカは、人々の今際の断末魔を集めた鞄と、投げ込まれた者を蘇らせる大釜を持っていたという」
 呟き、リカリアは本を閉じた。
 ――それが事実なら、あの二つがそうだろうな。
 リカリアがモッカとの戦いで得られたものは杖だけではない。不気味な仮面と、モッカの腰に吊り下げられた小袋に入っていた二つの魔道器も彼に回収された。
 その二つはジェイル一味から秘匿されながらも、用途の不明とロストロギアの可能性を危惧され、未だに解析の手を付けられていなかった。フィアクラや新たなデバイス製造、モッカの杖の分析などの優先事項があったのも、リカリアが魔道器をひとまず放置した理由の一つである。
 ――死者を蘇らせる、か。胡散臭い話だ。
 半信半疑ながらも、リカリアの心は好奇に躍っている。いかに怪しげな話でも、伝承として伝えられるほどならば、幾ばくかの事実が含まれているだろうと考えたからだ。
 ――不測の事態に対処できる実験場所と、新鮮な死体が必要だな。



[25792] 十話 地球へ
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/02/23 21:36
 長距離転送魔法を用い、二つの希少技能を同時使用してリカリアは『第97管理外世界』に降り立った。
 場所は、前世の故郷である日本。詳細にいうと、今後起こりえるであろう二つの事件『プレシア・テスタロッサ事件』『闇の書事件』の舞台である海鳴市である。
 飛行魔法で空を飛び、人気のない路地裏にて着地する。
「ヤエグス、周囲はどうか?」
 リカリアは胸元に揺れるデバイスに向けて呼びかけた。燻し銀の光沢を持つ一本の鍵が、彼の首から細くも頑丈な紐で吊り下げられている。単なるシリンダー錠の鍵と見紛うデバイスは、鍵先に付いた豆粒のような透明の発光部を一度点灯させた。
「生物反応、魔力反応、共になし。記録装置の反応もなし」
 抑揚の無い音声でデバイス――ヤエグスは主へと周囲の安全を告げた。
 リカリアは頷きながらも念を押すように周囲を見渡すと、希少技能を解除する。
 一つは『空白の迷彩』。高度なステルス能力。
 もう一つは『幻惑なる誤認』。
 術者のリンカーコアや魔力行使によって周囲に放出される魔力を、周辺に溶け込ませるように誤認させる能力である。簡潔にいえば、魔導士としての力を隠す能力だ。
 魔導士だけでなく探知機すら誤認させ、希少技能を発生させている間であれば、念話や飛行はおろか大魔法を用いても、リンカーコアのない一般人としか認識されない。計器やサーチャーは役に立たず、魔力波長の特定は不可能。探知には映像や目視をもって当たるしかない。
 この『幻惑なる誤認』と『空白の迷彩』を同時使用すれば、リカリアの存在を発見することなど至難の業である。これが彼の自信の一つであり、半年前の事件を最後にして消息を絶ったジャック・ザ・リッパーの正体が最後まで掴まれることのなかった理由であった。
「……っはぁぁ。しんど」
 少年の姿を見せたリカリアは、魔法行使による負担が消えたことで大きく息を吐く。二つの希少技能と転送魔法の同時使用は、当然ながら消耗が激しい。特に『幻惑なる誤認』状態での転移は魔力を喰う。今回、彼は初めて地球に訪れた。いや帰還したというべきか。ゆえに不測の事態を考慮して、転送の際に『幻惑なる誤認』を展開していた。
「魔力消費はどのくらいだ?」
 リカリアが問いかけ、ヤエグスが答えを返す。
「総魔力量における合計消費量、23%。内訳は三度の長距離転送において、9%。最終転送時における希少技能行使により、14%」
「リンカーコアが成長したからか、結構余裕があるな。分かった。魔力残量が30%を切ったら教えろ」
「了解」
 機械的な受け答えは非人格型を思わせるが、ヤエグスはインテリジェントデバイスであり、高度な人工知能を有している。単なる道具を装っているのは、数多くの仮面を持つ主の方針によるものだ。リカリアは外部への危機管理の多くをデバイスに任せているが、行動の助言を求めているわけではない。
 ――『幻惑なる誤認』は必要なかったかもしれないな。
 『プレシア・テスタロッサ事件』まであと一年。魔法という概念のない地球では転移を気付かれることはないだろう。
 リカリアは「まあ、用心するに越したことはない」と自身を納得させると、さっそく行動を開始した。
 ――初めは外見。
 変身魔法が発動し、淡い緑の光がリカリアを包む。銀色ではなくライトグリーンの魔力光である。彼のリンカーコアはこの時、ニュクス式魔法の行使に適応する形へと変質しつつあった。
 ――次は金が必要か。
 何をするにしても、先立つものが必要である。大学生風の日本人の容姿で、リカリアは路地裏を後にした。
 数時間後。彼は日本で三ヶ月は生活できる金銭を手にしていた。
 不可視状態にて何軒かの住宅で勇者的行為を行ったのだ。住宅は全て留守であり、彼は無駄な殺生を行わずに安堵した。今の海鳴市で目立った行動は出来るだけ避けたいからである。

「うまうま」
 昼食を和風料理店で済ませ、リカリアは歩きながらコンビニで購入した昆布のおにぎりに齧りつく。
 懐かしき故郷の味に、彼は感慨を覚える。日本文化のいくらか伝わっているミッドチルダでも似た味のおにぎりは購入できるが、感動は故郷でしか買えないものだ。それが安っぽい大量生産品でも、リカリアにとっては忘れがたい過去の好物であった。
 時刻は昼過ぎ。海鳴市の簡単な地図を所持したリカリアは、街を散歩のような気楽な足取りで歩く。
 目指す先は私立聖祥大学付属小学校。目的の人物は高町なのは。次いでアリサ・バニングスと月村すずかの二人。彼女らを観察するのが目的である。
 およそ一時間後「……無計画は駄目だな」とリカリアは呆れぎみに呟いた。
 すぐ傍を、見知らぬ少女たちがすれ違う。談笑する女子児童たちは聖祥学園の制服を纏っている。白を基調とした黒とのモノトーンであるが、胸元を飾る赤のリボンと清楚さを醸し出す長いスカートが可愛らしい制服だ。
「…………」
 よくよく周囲を観察すれば、同様の制服を着た児童の姿がちらほらと。
 時刻はすでに下刻時間になっていた。懐かしさに浸って気分良く散策していたため、時間を考えていなかった結果であった。
 リカリアは立ち止まり、通行の邪魔にならぬように歩道の端へと寄った。ガードレールに腰掛けて、今後の行動方針に頭を向ける。
 ――しかたない、商店街にあるらしい翠屋に向かうか。けど、男が一人で長時間粘るってのもなぁ。
 故郷の懐かしい雰囲気に、リカリアは変身魔法の存在をすっかり失念していた。
 行動方針を思案しながら彼は手元の地図に目線を落とし、
【マスター、魔力反応接近中】
 ヤエグスが発した警戒によって、わずかに身体をこわばらせた。
【……どいつだ?】とリカリアは念話を送る。
【向かいの歩道を駆ける十前後の少年。こちらに気付いた形跡なし】
 リカリアはさりげなく、しかし間を置かずに視線を向ける。
 二車線道路を挟んだ向かいの歩道を駆け行く子供。聖祥学園の制服を着た少年であった。
 黒髪、黒目と一般的な日本男子の外見。目鼻立ちの整った顔立ちを有しているが、それは秀麗よりも精悍と呼ぶに相応しいもので、引き締められた表情には子供らしからぬ芯の強さが伺えた。
「………………」
 少年の駆ける速度は尋常ではない。トレーニングを欠かさぬ成人男性の疾走に迫るほどの速さは、年齢からは到底想像できないものだった。リカリアの決断は早かった。
 ――追うしかないな。
 隠密に優れた希少技能の後押しがあったとはいえ、その行動はいささか軽率である。だが好奇心と、それ以上のえもいわれぬ不安に駆られて彼は決断した。
 少年は魔法を使っていたのだ。ミッドでもベルカでもない、ニュクス式魔法の『快速』を、だ。
【ヤエグス、索敵を切れ】とのリカリアの命は、間を置かずに実行される。
 彼は常にデバイスに索敵を行わせている。魔力消費量と逆探知される可能性を考慮して範囲をごく至近に限定させていたが、索敵は危険に対する最低限の備えであった。
 しかし希少技能の展開時には、その備えは逆探知される不利益しかもたらさない。希少技能の効果範囲はそれほど広くは無いのだから。
 リカリアは二つの希少技能を同時に展開。飛行魔法で低空を飛び、対象を追う。『快速』の魔法で身体能力を強化することも検討されたが、不可視状態での通行人との衝突の危険を考えると、飛行魔法が安全と判断された。
 青年が消失する唯一の目撃者であった六歳の通りすがりの少女は呆然とし、目を擦ったのち青年が居ないことを再確認すると、単なる見間違いだと自身を納得させて日常へと帰っていった。
「………………」
 十メートルほどの距離を保ちながら、少年の後姿をリカリアは追う。
 ――おっかねぇな。
 先の魔力反応によって推測される少年の魔力資質は、最低でもSランク以上。正確な数値の特定は不可能ながら、尋常ではない資質を有していることは疑いようのない。
 ――いやそもそも、そんな奴がどうして海鳴にいる?
 少年の魔力資質は本来ならば希少な存在であるが、海鳴の少女たちの例がある。ニュクス式を行使できる点も、可能性がゼロなわけではない。
 問題は、少年の存在そのものにあった。本来、そんな少年は存在しないのだ。
 ――まさか、なぁ。
 リカリアはある予感を抱いた。
 彼の心中をよそに、少年は裏路地に入り込み、最終的にとある廃ビルへと突入した。少年の目的地が判明したことにより、ビルを前にして静止するリカリア。内部の音が、ほんの僅かばかり彼の耳に届く。怒声と悲鳴、そして時折銃声が響いた。
 湧き上がる予感を徐々に確信へと変えながら、一分ほどの間を置いて、極低空飛行でリカリアはビルの内部へと少年を追った。
 内部は生々しい闘争の跡があり、何人もの怪しげな黒服の男たちが無残な様相を呈していた。血だまりの中で呻き声を上げる者。首の骨をへし折られた者。死屍累々の有様だ。
 埃っぽく薄汚れた空気に眉を顰めつつ、死者と死者予備軍を一瞥しながらリカリアは上階へ進んでゆく。
 四階に少年はいた。片手にはビル内にあったであろう鉄パイプを握り締め、紫髪の少女――月村すずかを抱きしめて。
「とおる……く……ん。うぇ……えええ…………うう……」
「もう心配ないから。泣くなよな」
 子供をあやすように背中をポンポンと軽く叩く少年。
 抱き合う二人。さらわれたお嬢様を救う少年。本来ならば絵になるだろう光景は、少年のにやにやと締りがない表情で台無しだった。互いに顔が見えなかったことは、どちらにとっても幸いだったろう。
 ――いい髪のにおいだなぁ、とか。ハーレム要因を一人ゲットだぜ、とか考えてやがるんだろうな。
 リカリアの予感は確信に変わっていた。この少年は転生者だという確信である。
 歳相応の少年であれば、このような行動は起こせない。己にいかに自信があろうと、殺しに抵抗が薄く、死の恐怖が乏しいことは不可解である。
 リカリアが至った結論はこうだ。すずかを抱きしめる少年は、この誘拐事件について事前に知っており、ゲーム感覚で敵を叩き潰したということ。ゆえに平然としていられるのだと。
 その推測はおおむね正しかったが、リカリアは少しばかり視野狭窄であった。
 もしかしたら少年が平然としていられるのは、達成感と分泌されるアドレナリンによって未だ冷静な判断が出来ていないからかもしれない。銃器ならいざ知らず、直接相手を死傷させることはそう軽いことではないのだから。
 そもそも、殺しを経験してみたいから、という安易な理由で罪無き子供を惨殺し始めたリカリアの思考を基準に考えることが誤っている。
 ともあれ、少年がリカリアにとって不確定要素であることに変わりは無い。
【……出番だ、ヤエグス】
 デバイスが起動し、リカリアは二つの得物を握った。対となる二本のブレードという構成は前デバイスである『ザ・リッパー』と同様であるが、鋭利だが脆弱であった魔力刃に頼るブレード部という状態は改められている。
 リカリアがヤエグスに力を込めると、黒色の物理刃に高出力の魔力が纏う。『ザ・リッパー』と比べて重量こそ増したものの強度は飛躍的に向上し、何よりも残存魔力が心もとない状態でも物理刃で戦闘が行える利点がヤエグスにはある。
「…………」
 リカリアは少年を殺すことにした。未来を知る優位性を独占するためであるが、少年のニヘラ顔に忌々しさを感じたからでもある。
 緑の魔力刃のデバイスを構え、距離を詰め――だが直前で方向転換。そのままリカリアは割れた窓から外へと飛び去ってゆく。
 ――ここで殺した方が煩わしくない。だが……面白くないな。
 打算によって、葬儀屋に貢献する行為をリカリアは止めた。
 イレギュラーの存在が未来をどう変えるかを楽しむほうが、この場で殺すよりは娯楽になると彼は考えた。
 娯楽。それが現在におけるリカリアの判断基準の中心である。



 鮮やかな朱色に染まる街。
 海鳴市にリカリアが訪れて半日。転生者の存在を認識してから三時間ほどが経過した。
「あー予想はしてたが、こっちもか」
 呟き、リカリアは飛行魔法を解除。一般住宅の屋根に軽やかに降り立った。吐き出された言葉はぶっきらぼうなものであったが、彼に苛立ちはない。むしろ本日中に発見できたことに対する安堵の意味が大きい。
 『空白の迷彩』を発動しながらの長時間の探索。消耗を抑えるために、変身魔法やバリアジャケットの展開こそ行われなかったが、重労働であることには変わりは無い。広域サーチを行えば捜索は容易だろうが、リカリアの存在も感付かれる可能性が高い。
 八神はやてを監視しているであろうギル・グレアムの使い魔二匹に気づかれ警戒されるのは好ましくないし、先のような転生者の存在は、危険視するに足るものだ。
 ――顔が瓜二つ。本来存在することのない双子か。
 リカリアの見下ろす先には二人の子供がいる。
 電動車椅子に乗った栗色の髪の少女――八神はやて。そして、その傍を歩くのは背丈も容姿も似通った子供。子供と表現したのは、性別の判断が難しいからである。
 顔立ちは同じ。二次性徴も未だ始まっていないため身体的な差異はない。はやての服装は淡いクリーム色のワンピースとわかりやすい。だがもう一方は、ロゴの入ったTシャツとズボンというラフな格好で、服装から性別を見抜くのは難しい。
 夕食の買い物帰りなのだろう。重い食材が入った袋は車椅子に括り付けられ、軽い物は子供が手に持っている。仲睦まじく談笑しながら帰路につく二人。
 家族との幸福なひととき。それをリカリアは無性にぶち壊したくなる欲求に駆られる。笑顔が呆然に変わり、やがて砕け散るさまは、彼にとって愉悦の一時だ。
 今も欲望が鎌首をもたげたが、リカリアは自制した。ここで殺してしまうのは惜しい、と。
 ――しかし、あいつが少女なのか男の娘なのか気になるな。
 関わり合いになるつもりは今の所はない。しかし、一度生まれた好奇心はそう簡単に消えはしない。リカリアが行動を決めかねている中、ヤエグスより報告が入る。
【マスター。魔力残量が30%を切りました】
【…………わかった。25%になったら再度報告しろ】
 短い思案ののち、リカリアは『幻惑なる誤認』を展開し、飛行魔法を行使する。
 今回は八神家までの尾行で落ち着いた。自宅さえ把握しておけば、確かめる手段はいくらでもある、との結論である。
 鏡写しの二人の後をリカリアは追う。低空を飛ぶその表情には、疲労の色が浮かんでいる。数時間の捜索は、精神的な疲労は元より子供の肉体をずいぶんと消耗させていた。その上で、二つの希少技能を用いた尾行である。
 姿を変えて徒歩で追うという手もあったが、飛行と不可視の代わりに変身魔法を用いるのでは、消耗は大差ない。彼ができるのは、八神家は近いことを祈るのみ。
 リカリアにとって幸運なことに、五分ほどの尾行で二人の自宅は判明した。
 海鳴市中丘町の住宅街に存在する一戸建て。一家族が暮らすに十分な物件であり、子供二人が住むにはあまりに大きすぎる家だ。
 ――確かにこんな外観だった。ハッ、見てから思い出してりゃ意味ない。
 実物を目にしたことで断片的だった記憶が鮮明になり、あたかも過去に訪れたかのような既視感をリカリアは覚えた。
 ――猫姉妹の危険もある。疑問は魔力が回復してからでいいか。
 八神家にはある種の結界が入念な擬態の上に施されていた。
 種類は感覚阻害。外部の者が結界の範囲内に対して違和感を抱かぬように暗示を与えるものだ。精度も高く、傍まで近寄らぬことには魔導士のリカリアですら結界の存在を認識できないほどであった。
 ――本格的な接触は、事件が始まってからだな。……くそ、あいつさえ居なければ、事件前にはやてちゃんの純潔を踏み躙れたものを。
 八神はやてに次いでハヤテ(仮名)は扉を閉めようとして振り返り、
「…………あ」
 ――ゑ?
 玄関を眺めるリカリアにて視線を止めた。
 二つのぽかんと間の抜けた表情が重なった。
 リカリアは思わず自身を一瞥して、不可視が未だに展開されていることを確認すると、改めて相手を見直した。
 するとそこには、明らかな敵意を持ってリカリアを睨むハヤテの姿。
「………………」
 リカリアは動揺を極力抑え、社交辞令の微笑を浮かべてゆっくりと玄関先に降り立った。その姿をハヤテの視線は誤らずに追い、着地したリカリアに向けて歩み出す。不可視が見抜かれているのは明白であった。
「誰だ、お前は?」とハヤテは言った。
 逃げることは容易。しかし姿を知られた以上、後に支障が出るのは明白。変身魔法を用いていなかった事がリカリアの選択肢を狭めていた。
「ありゃあ、見えるのかぁ」
 一本取られたね、といわんばかりの苦笑を浮かべ、リカリアは緊張感もなく髪をポリポリと掻く。それは内心の歯軋りを微塵も感じさせぬ演技であった。



[25792] 十一話 無知なる幸福
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/03/02 08:26
 異星人との密かなる対話は、八神家の居間にて行われた。
 少女の好奇と少年の警戒を左右から受け、ミッド生まれの若き魔導士は言葉を発する。それは張り詰めた空気を打ち砕く発言であった。
「あー、疲れた身体にゃあ冷たい飲み物が染みる。生きてて良かった思える瞬間は、こういうのを言うのかね~」
 コップになみなみと注がれたオレンジジュースを一息に飲み干し、リカリアはしみじみと言った。物言いは少々大げさであるが、確かに労働の後の休息には多くの者が幸福を感じるだろう。リカリアは緑のソファーに身体を沈め、全身をくつろがせている。これでも本人は出来るだけ控えめにしているつもりだった。
 しかし、あまりに警戒や遠慮の見られない態度は、八神ヨウタ(陽太)の気に召さなかったらしい。口にこそ出さずも、わずかに上がった眉から不満の感情がにじみ出ていた。
「単刀直入に聞くが、お前は何者だ?」
 ヨウタは話を切り出した。警戒を怠らぬ非友好的な表情だが、基本がはやてと同じなので恐ろしさはない。声質の似た双子の差異は、髪留めの有無程度だ。
「む~、何者かと聞かれてもな……」
 リカリアは唸り、どう答えていいものか、と思案するように腕を組んだ。
 彼は返答を悩んではいない。ただ、一つの疑問が頭を過ぎっていた。
 ――何故、はやてを同席させたんだ? 転生者であるならば、二人きりで会話を行うべきだろう。
 どのような言い訳をするか嘲っているのか。それとも、はやてに面が割れていれば、迂闊な手出しはできないだろうとの打算ゆえか。話が一段落ついてから話題を切り出すのか。
 五秒ほどの沈黙の後、
「少なくとも幽霊じゃないぞ。足もある」
 気さくな物言いでリカリアは自身の膝を軽く叩く。
「……君も見えるだろ?」
 そして視線をヨウタと反対側――まじまじと好奇心を向けてくる車椅子の少女に向けると、友好的な笑みを浮かべた。
「たしかに幽霊とちゃうな。始めはヨウタの冗談かとおもうたけど……」
 玄関にて、どこからか「やぁ」という挨拶がされた時、はやては周囲を見渡した。誰もいない空間から徐々に銀髪の少年が姿を見せた時、はやては非現実的な光景に唖然とした。
「さっきはすまなかった。それとも、声をかけずに無言でスッっと背後に登場すべきだったかな、幽霊っぽく」
「そっちの方が驚くわ。……日本語上手やね」
 リカリアの容姿を地球の民族で判別するならば、スラヴ人が最も類似している。少なくとも、はやてたちと同郷人だと勘違いする者はいないだろう。口元に僅かばかりの自負を含ませた笑みを見せ、リカリアは話題を進める。
「まあね~。この管理外世界というか地球というか、日本びいきでな。たこ焼きとアカシヤキの違いもわかるぜ」
 リカリアはさらりと、しかし重大な情報を漏らした。もちろん、たこ焼きについてではない。
「おいちょっと待て。管理外世界って何だ! そもそも、ちゃんと答えろ!」
 苛立った声で二人の会話に割り込むヨウタ。この場では彼一人が警戒心でぴりぴりしている状態であった。
 リカリアは呆れたよう首をすくめる。
「怒りやすいな。話には順序ってものがあるだろ。カルシウム取ってるか? 毎朝小魚を食べるのが簡単だぞ」
「ヨウタは魚貝類が嫌いやから」と苦笑しながらはやては言った。
「奥さん。毎朝牛乳でも出してあげなさい。でないと二人とも将来後悔しますよ」
「誰が奥さんや。……んで、ヨウタは身長で私は胸かぁ?」
 はやては笑っていたが、目の奥には氷土の冷たさがあった。ヨウタは気圧されて少し身を引いたが、リカリアは臆する様子もなく陽気に笑う。
「HAHAHA、どちらも身長のことだよ。成長期も来てないのに、そんなこと気にするんじゃないさ。それに俺は、女の子を胸で判断しないぜ!」
 これは事実である。しかし内面で相手を判断するという意味ではない。単に彼の嗜好にロリ巨乳が含まれているということだ。
「……どう反応すればええのやら」
 はやては苦笑するも、気分を害した様子は見られなかった。
 リカリアの奔放さは多少無遠慮がありつつも、悪意や陰気とは縁遠いものであり、それが緊張しがちになる初交流の雰囲気を軽くさせていた。
 リカリアはけらけら笑い「まあ冗談はこれくらいにして」と言い、身を乗り出して握手のために右手を差し出す。
「自己紹介が遅れたな。俺はリカリア。リカリーと気さくに呼んでくれ」
「ははは、……私は八神はやて。よろしゅうな」
「はやてって呼んでいい?」とリカリアは尋ね「ええよ」とはやては答えた。
 握手を交わす二人をよそに、ヨウタは一人溜息を付いた。
「真面目なのは俺だけ…………馬鹿みたいだ」
「まあ、そう気を落とすな。人生色々ある」
 この状況を作り出した張本人が、いけしゃあしゃあといった。ヨウタの項垂れた様子に嗜虐心がきゅんときたことを、リカリアは胸に秘めたまま語らない。
「ええと、ヨウタだっけか。んで、話はなんだ? 何でも聞いてくれ。答えられる限りは応じるけど。あ、はやては後ね。これ以上、彼を苛立たせるのも悪いから」
 ソファーに再び腰を下ろして、リカリアはこほんと咳払い。表情を引き締めて質問を待った。
「……まず、お前は何者だ?」とヨウタは言った。
「答えよう。名前はリカリア。出身惑星はミッドチルダ。つまりは異星人だな。この星には観光旅行でやってきた」
「にわかには信じがたいが、透明だったし空を飛んでたな。あれはそういう装置の力なのか?」
「半分正解で、半分不正解だ。現地住人にばれないように姿を隠していたのは道具の力だが、飛行は魔法の力だ」
「「魔法!?」」
 八神家姉弟の驚きの声が重なった。はやてはともかくヨウタの反応に、リカリアは内心で疑問符を浮かべた。
 それより十数分。異文化コミュニケーションは、魔法文明に対する矢継ぎ早な質問という形で続いた。他にどのような魔法があるのか。日常生活や食文化はどのようなものなのか。魔法の悪用に関する疑問には、治安維持を行う時空管理局という組織について語られた。
「魔法って、もっと幻想的なものと思ったが……」
「超常現象というより、魔力素っていう物質をエネルギーにする技術だからな魔法は。つまり、あれだ。こっちの世界で言うところの……ええと、進みすぎた何とかは……はて? ……技術だったっけ」
「進みすぎた科学は魔法と区別が付かない。その逆バージョンか?」
「ああ、そう、それそれ。ヨウタは博識だな」
 指を鳴らして、同意するリカリア。彼は軽々と多くの情報を伝えていたが、不利益となる話題には注意を払っていた。彼自身の生活環境もそれに含まれる。次元犯罪者のアジトでの生活など、言えるわけがない。
「なぁなぁ、一回魔法使ってくれへん?」
「ああ、いいぜ」
 はやての知的好奇心に、待ってましたといわんばかりに即答するリカリア。
 魔法への使用許可が出たことで、精神を落ち着けるようにリカリアは息を吐き、術式を表に出さぬようにして小規模の索敵魔法を行使する。
 これは猫姉妹に対する警戒である。冬は日が落ちるのが早く、外は既に宵闇。このような時間帯に現れる可能性は薄いと考えられるが、可能性がないわけではない。
 ――反応なし、か。……にしても、やはりこいつは魔法を見抜いてやがるな。ヤエグスと念話を行わなくて正解だな。
 魔法の発動と同時に、ヨウタの表情が警戒を纏った事をリカリアは見逃さない。探索魔法を解除し、八神家姉弟に彼はにやりと奇術師めいた口上を告げた。
「さてさて、それではお二人様を未知の世界へとご案内いたしましょう」

 飛行魔法を用いて二人を浮遊させ、念話によって会話を行うなど、いくつかの魔法を披露すると、リカリアは一礼をして終わりを告げた。
「魔法の実演はこれ位で勘弁してくれ。魔力残量が乏しいんだよ」
 残量は未だ25%以上を保持していたが、リカリアに無理する理由はない。
「いやぁ面白かったわ。ありがとうな。あ、もうこんな時間かぁ」
 はやてにつられる形で、壁面のアナログ時計に視線を向ける二人。時刻は五時半を過ぎていた。
「リカリー、今日の夕食はどないするん? もし、決まってへんのなら家で食べてかんか?」
「おい、はやて………………いや……なんでもない」
 ヨウタは発しようとした言葉を飲み込んだ。彼の心情を推測するのは易い。
 見ず知らずの相手に対して、そこまでするなと言いたかったのだろう。言葉を止めたのは、ここまで矢継ぎ早に質問を行っておいて夕飯時だから帰れというのはあまりに非礼と考えたから。もしくは、言ってもはやてが聞かないと考えたからか。
 他人に対する懐の深さ。のちに現れることになる、得体の知れぬヴォルケンリッターの四名を、多少の困惑がありながらも受け入れられる度量。それがはやての魅力的の一つだろう。
 そんなことを考えながら、リカリアはニッと少年らしく笑って、親指を立てる。ちなみに彼にはニコポのスキルはない。
「特に決めてないし、遠慮なく甘えるぜ」
「よぅし、まかしとき。めったにないお客さんや。腕によりをかけるで」
 そう言ってはやては朗らかに微笑むと「ゆっくりしてってな」と告げて調理場へと向かった。
「手伝わなくていいのか?」
 リカリアは振り返り、冷蔵庫を開けるはやてを見ながら言う。八神家はリビングキッチンである。
「台所ははやてのテリトリーだからな。あいつ曰く、俺がいると逆に仕事が増えるらしい」
 自身のコップにジュースを注ぎながら、ヨウタは何気なく言葉を続ける。
「しかし、俺らに魔法のことを話していいのか?」
 探りを入れる発言だとリカリアは理解した。何にせよ、直前まで姿を隠していた相手が情報を軽々と開示することは不審に思われて当然である。
「というか、二人が今まで知らなかったことが俺には驚きだったな」
 コップに手を添えて差し出すリカリア。
「……? どういうことだ?」
「だって、二人の親は魔法関係者だろ? 結界も張ってあったし」
 ペットボトルを傾けるヨウタの手が止まった。コップに移る寸前の柑橘色の液体が、ゆらゆらと揺れた。ヨウタの視線がリカリアから外れ、台所で作業を行うはやてに向かう。彼の姉は、何ら気にした様子もなく夕食の準備を続けていた。リカリアの声量は大きいものではなかったため、発言が耳に届かなかった様子であった。
 その事実を、安堵の息を漏らすヨウタの姿から、発言者は理解する。
「えと、違ってたか? ……やばいな、本来なら禁止事項なんだけど」
 困惑を含ませてリカリアは呟く。ヨウタは視線を逸らし、小声で言った。
「……少し、場所を変えてもいいか?」
「ん? まあ別にいいけど、俺もヨウタに聞きたいことがあったから、今度はそっちが答えてくれよ」
「わかった」
 内密な対話を行うべく、二人は立ち上がる。
 ――さぁて、本番の始まりか。真実は如何に、ってか。



「じきに夕飯やから、そこにおったらええのに。……まあ、三十分くらいで降りてくるんやで」
 はやての指摘を受けながらも男二人が向かった先は、二階にある一室であった。
 六畳ほどの部屋には二つの木製机が置かれ、二つの大きな本棚が並ぶように設置されている。リカリアは興味津々と言った体で、勉強部屋を見回した。
「あんまりじろじろと見るなよ」
「そう言うなって。出身が違うとはいえ同世代の相手の部屋だ、気にもなるさ」
 リカリアの行動には意図がある。部屋は主の性格を写す鏡なのだ。
 ヨウタの机上はパソコンや辞書などが整然と置かれており、本棚に並ぶ漫画雑誌も同様であり、そこからは几帳面な性格が垣間見える。机の横に置かれた黒のランドセルからは、彼が少なくとも聖祥には通っていないことが見て取れた。
「まあ座れよ」と埃避けに被せられていた布を取り、ヨウタは椅子を押した。カラカラと床材とキャスターが乾いた音を立て、リカリアの身体に軽く当たる。
 部屋の端におざなりに置かれていた椅子は、はやての足が悪化する前に使用していた物であろう。彼女の机には、キャスターのない安定した椅子が置かれていた。
 ヨウタが自身の椅子に腰掛けるのを見て、リカリアも座る。
「お前の質問に答える前に言っとくけど、俺らに家族はいない。だから親が関係者だってことはない」
「あ……それは……知らなかったとはいえ…………スマン」
 リカリアは気まずげな表情を浮かべた後、悄然として謝罪する。
「誤らなくていい、俺らが言ってなかっただけなんだから。けどこれからは、はやての前で親の話題はしないでくれ」
「わかった、約束する」
 神妙に頷くリカリア。もし彼にお調子者という第一印象を抱いたのならば、その真摯な態度は際立って見えることだろう。軽いだけでは信頼を得られず、重いだけでは疑わしい。そのさじ加減がリカリアにとって悩みどころであった。
「……で、聞きたいことって何だ?」
 少々ばつが悪そうにヨウタは言った。その様子から、彼自身は両親との死別をそれほど引きずってはいないことが窺えた。
 ――これ以上の湿っぽい態度は無意味だな。
「それはだな……」
 膝の間で両手の指を絡めて引き締めた表情で視線を向ける異邦人を、緊張と真剣さをもってヨウタは見返す。
「何故、俺に気付いたんだ? 用いていた光学迷彩の機器は最新の物だったんだが。それが気になっていてな」
 不可視は道具によるものとリカリアは暗に念を押す。
「どう言っていいものか、俺は小さいときから何かが見えるんだよ」
「何かとは?」
「うすぼんやりとした光と、鮮明な光だ。前者は場所や物とかに見かけることがあって、この家の周りにもある」
「……続けてくれ」とリカリアは言った。
「後者は人間に見える。ほとんどの人にはないけど、極少数は、胸元にある何か核みたいなのが光を発している」
 ヨウタはリカリアの胸元を一瞥し、
「リカリアにも緑色の光が見える。……くそ、なんなんだよまったく」
 忌々しげな感情を含ませて言い捨てる。
「今はどんな感じに?」との問いかけに「胸の辺りが光ってる」とヨウタは返答。
「じゃあ、これは?」
 リカリアは『幻惑なる誤認』を展開した。彼のリンカーコアの反応はこれで消えたはずである。
「……胸のは変わらないけど、今は全身がなんか淡く発光してる」
 ――なるほど、そんな風に魔法を認識するわけか。
「そうか」と頷くと『幻惑なる誤認』を解除してリカリアは私見を述べた。
「今は全身にほんの少しばかり魔力を通してみたんだが……。間違いない、お前は極めて高い魔力探査能力を持っている。お前が見た核のようなものは魔導士に不可欠な機関、リンカーコアだ」
「やっぱりか。魔法なんてのが出てきたからな……」
 ヨウタは大きく息を吐きだした。
 相手の一挙一動を静かに観察しながら、リカリアは思案する。ヨウタの言動を真実と受け取るならば、彼は今日まで不可解な現象に苛まれていたということになる。となると、溜息は疑問が解決したことに対する安堵か。
「家の周囲に張り巡らされてるのは、結界なんだな?」
「ああ、認識阻害用の結界だ。外部の者が結界内の対象に違和感を抱かぬように暗示させるタイプのやつだ」
「…………そんな代物なのか」とヨウタは呟いた。
 先の考察が正しいのであれば、リカリアの発言が事実として受け止められていることも意味している。確かにリカリアは大部分で真実を告げている。魔法に対して実演もした。だが、初めて会った相手の言葉を鵜呑みにするのは軽率である。単にヨウタがお人よしなのか、リカリアの言葉ですら信じずにはいられないほど精神的に追い詰められていたのか。
「ヨウタ、周囲に不自然に思われそうなことが、この家にあるのか?」
「ここに住んでいるのは俺とはやての二人だけだ」
「……あー、理由は十分だな」
 住人の交流の薄いマンションならまだしも、住宅街の一軒家に子供が二人だけで生活。しかも片方は車椅子。誰の目にも不自然に映る光景だ。
「お前が始めピリピリしていた原因はそれか」
「まあそういうこ……ッ!」
 ヨウタは頷き、はっ、として表情を引き締めた。リカリアが突如として現れた、怪しげなる人物であることを思い出したのだろう。
「気を張るなって。ちなみに俺がお前らのことを見ていたのは、外見が瓜二つな姉弟が揃って高い資質のリンカーコアをもっていたことに対する好奇心だ。深い意味はないぜ。あ、家まで跡をつけたのは謝る」
 顔を綻ばせて手を振り、害意がない事をアピールするリカリアであった。偽りの理由を並べる中で、彼の考えは纏まりつつある。
 ――こいつ、もしかして物語を知らないんじゃないか?
 リカリアは目の間の少年が転生者であると既に結論付けている。本来いるはずがない存在。彼以外にも転生者らしき存在がいたという前例。どちらも納得するに足る事実だ。
 だがしかし、転生者が全てこの舞台の知識を有しているとは限らない。今の姿こそ男の娘だが、前世が巨躯の脳筋男かもしれず、老人や女の場合もある。サブカルチャーに関心が無かったのならば、物語を知らないのも頷ける。
「ストーカー行為を暴露すんな。言わなきゃ気にしないものを」
 一方通行の警戒に馬鹿らしさを覚えたのか、ほどなくヨウタは緊張の糸を緩ませて呆れたように言った。
「む……ゲフン、ゲフン、ゲフン!」
 明後日の方向を向き、大きくわざとらしい咳払いを行うリカリア。その姿に笑いをかみ殺すと、ヨウタは溜息を付いて警戒の理由を語り始めた。
「……たまに家の周りを魔力反応ってやつか、それがする猫が現れるんだ。その猫が、まるで監視するかのように俺らを見てるんだ。正直、お前が現れたとき、そいつらの仲間か何かかと思った」
 ――これが探るための演技であれば尊敬するぜ。
 物語を知るならば、八神家に対する監視がギル・グレアム個人による行為であると考えるだろう。だがその前提が崩れれば、仲間の存在を頭過ぎらせるのは当然である。
「んなわきゃねえだろ」と言って、リカリアは苦笑する。
「そうだな」と言って、ヨウタも苦笑する。
 ――お前みたいな抜けてる奴にそんな器用な真似が出来るわけがない。そう言いたいんだろう? 篭の鳥さんよ。
 ヨウタがどのような存在であれ、彼に取れる選択肢は極めて乏しい。管理局は頼れず、そもそも交流する手段が無い。監視から逃亡しようにも子供二人、内一人は車椅子である。加えて、逃げるだけでは闇の書がはやてを蝕み続ける状況に好転はない。
「監視者……いや、監視猫ねぇ。な~んか心辺りないのか?」
 首を掻きながらリカリアは問い、そろそろ時間かなと考えるような仕草として卓上の時計に視線を向けた。彼が故意に作った隙である。
 ヨウタの視線がほんの一瞬、はやての机の最下段の引き出しをかすめた。リカリアが視線を戻したとき、彼は考え込むように沈黙していた。
「……いや、無いな」
「そっか。けど犯罪のにおいがするな」とリカリアは言った。
 ――闇の書はおろか、ギル・グレアムのことも隠すか。
 八神はやての身体を現在進行形で蝕んでいる外患の存在を、魔力探査に秀でたヨウタが気付いていないはずがない。
 保護責任者であれば、最低でも一度は顔を合わせているだろう。魔導士であるギル・グレアムのリンカーコアもヨウタは見抜いていたはずだ。もっともこちらは、代理人を通じるなどして直接の対面を行われなかった可能性もあり、過去の出来事をヨウタが忘れている可能性もある。
 ――告げないのは、信用するに足らないと感じたためか? あるいは、巻き込みたくないと考えたからか? まあいい。時間はある。信用はゆっくりと築けばいい。

 それよりしばしの間、二人の間で言葉のキャッチボールが交わされた。リカリアはヨウタに対する自身の認識が誤っていないという確証を強め、ヨウタの肉親への深い親愛を感じ取った。
 夕食の時間が迫り、リカリアは監視者に対する結論を告げる。
「今の所は現状維持しかないなぁ。相手の正体がわからない以上、話にならない。時空管理局に頼もうにも、ここが管理外世界である以上そうそう動いてはくれないだろうし。……本当にはやてに言わなくていいのか?」
「ああ。結界も監視者も今のところ実害は無いし、はやてを無闇に心配をさせたくないからな」
 ヨウタははっきりとした声で断言した。昂然とした表情には、現状の不安を全て一人で背負い込むことへの覚悟が窺えた。
 それをリカリアは、表面上は神妙に、内心では冷めた感情で眺めていた。
 ――そりゃ、はやてのようなのが家族なら、やる気も出るだろうな。
「俺も出来るだけの協力はしよう。犯罪を見過ごすのは、何とも気分悪いし」
「…………すまない」
 姉思いの少年は、小さく感謝の言葉を呟いた。
 八神家の平穏は薄氷の上に成り立っている。彼のリカリアへの心情がどうであれ、孤立無援の中、外部協力者を選ぶ余裕はない。
「次に来た時、魔法を行使するためのアイテムをお前に貸そう」
 ヨウタは他者のリンカーコアを探知できる。当然ながら、彼は自身の魔導の力を理解していた。魔法という未知の力を使える能力がある。そんな事実を知ったヨウタが、魔法の伝授を願ったのは、驚くことではない。
 願いに対するリカリアの答えが、デバイスの貸与だった。
「どれくらい先になる?」
「今日の明日で地球に来れないから……二十日ほどはかかるな」
 貸し与える予定なのは、ある程度の魔法知識が組み込まれた市販品のインテリジェントデバイスだ。市販とはいえ高価な代物になるだろうが、リカリアにとって見合った価値がある。
 八神家の正確な状況の把握や、ギル・グレアムの犯罪の証拠集めにも役立つだろう、との計算が一つ。ヨウタに恩を売るのも理由だが、敵対された場合の対策でもある。内密に、上位マスター権限をリカリアは持つつもりなのだ。デバイスの権限がリカリアにある以上、敵対された場合の無力化は易い。もしも権限に気付かれた場合の理由は、悪用を防ぐための万一の備えで十分だった。
「……どうして、そこまでしてくれるんだ?」
 ヨウタの当然の疑問は、満面の笑みで答えられた。
「そりゃあ、はやてが可愛かったから」
 簡潔明瞭な下心に、ヨウタは顔を引き攣らせたのち深々と嘆息した。

 この後リカリアは夕食を馳走になり、一晩の宿を借りた。
 翌朝、はやてに別れの挨拶を行い、彼は八神家を後にする。長居をしていては監視猫が現れかねない。ちなみにヨウタは、リカリアが階下で朝食を済ませていた時も熟睡していた。
 ――物語を知らぬ転生者、か。俺もそう装うかねぇ。
 リカリアはいずれ、ヨウタとは別にいる海鳴の転生者と顔を合わせることになる。八神家と交流を持ち始めた時点で、それは避け難い出来事だ。
 未来への期待と不安に思いを馳せ、数多くの有益な情報を携えてリカリアは颯爽と地球を去った。



[25792] 十二話 とある次元犯罪者の日常(前編)
Name: 虚弱な雄牛◆a75dbb9c ID:32d02a9b
Date: 2011/03/09 00:26
 新暦74年7月。
 地球が夏の訪れを感じ始めていたころ、リカリアは季節や天候と無縁である地の底にて日々を過ごしており、その地上は冬景色が広がっていた。
 第3管理世界の某所にある閉鎖された金鉱山。そこが現在のジェイル一味の拠点であった。炭鉱とは異なり崩落の危険性が低い石英の頑強な地盤と、ミッドチルダに隣接する先進世界という機器や資材の融通が利く場所である。
 雪雲の遥か下、アジトの数百メートル上。そこには冬季迷彩の戦闘服に似たバリアジャケットを纏うリカリアと、白の薄いマントを羽織ったディエチの姿があった。
「リカリー、それ正直言って使えないと思う」
 雪の薄く積もった山中で、白い息とともにディエチは言った。空中に表示されたキーボードを淡々と叩く彼女の表情は、感情の起伏が窺えない無表情。これはリカリアに隔意があるわけでも、寒さで顔の筋肉が強張っているからでもない。単に彼女が感情をあまり表に出さない性質であるからだ。
「ディエチ、逆に考えるんだ。奇襲の一発が撃てればいいやと考えるんだ」
 少女の足元でうつ伏せに銃を構えるリカリアは、スコープに映し出される映像を見ながら軽口で反論した。
 リカリアの腕と銃身部の二脚で支えられる銃型のデバイスは、無骨で歪で何より長大だった。銃口から銃床までの長さは優に百八十センチを超えており、彼の子供の身体と対比するとその長さは際立って見えた。
「で、四発目の誤差はどのくらい?」とリカリアは言った。
「下方に七度。機関部の魔力残滓を加味した誤差修正はもう終わる。……それじゃ、外れた枝へともう一度」
 ディエチは指を止め、視線を五百メートルほど離れた一本の枯れ木に向けた。各種センサーを内蔵した瞳で目標を視認しつつ、彼女は発射の瞬間を待つ。
 リカリアは喉を鳴らして息を止め、枝の根元へと照準が定まっていることを再確認すると、引き金を引いた。
 魔力蓄積装置から供給され、機関部に配された円状の発振部より充填した魔力が、小規模な爆発を引き起こす。爆圧の後押しで更なる弾速を得た魔力弾が、長い銃身を抜けて放たれた。発砲には音と衝撃が伴っていたが、搭載されている消音機と反動緩和装置がその二つを著しく軽減させた。
 若菜色の矢は、狙い誤らず目標に命中。
 リカリアは吹き飛ぶ細枝と舞い散る木片をスコープ越しに視認し、ほくそ笑む。次いで緊張を吐き出すように息を吐く。その息に重なるように、機関部側面の排気口より透明な魔力粉の混ざった蒸気が排出された。
「どうだ。威力は申し分ないだろ」と言ってリカリアは次弾の準備。
 今回の試験射撃の目的は、連続狙撃によって発生する機関部の影響の調査である。外で試験を行うなど迂闊に思われるが、この地は転送装置の使用が必須とされるほどの辺境であり、試験中は念を入れて長距離探査機とジャミングを作動させている。
「威力は認めるけど、リカリーが使う意味あるの?」
 疑問を投げ掛けながら、ディエチは発砲の誤差修正を行う。
「……製作者が言うのもあれだが、その点は俺も否定しない」
 正しくは、リカリアは改良者である。元はディエチの固定武装としてドクターが試作した武器の一つで、威力や運用面の問題より候補から外されたのを、彼がデバイス用に魔改造して今日に至る。
 長銃型デバイス『十五夜草』。命名の理由は、爆圧機構が備わっただけの本来の姿にリカリアが物干し竿を連想したことによる。当然ながら使用に対価は必要ない。
 如何に魔力消費を抑えて、正確かつ強力な射撃魔法を放つか、を命題にして生まれたデバイスである。
「そもそも低ランク魔導士ならともかく、俺だったら射撃用にカスタマイズしたデバイスを持てば済む話だしな」
 ごく少量の魔力消費で高ランク魔導士に匹敵する精密射撃魔法の行使を実現させる。閉所での使用も考慮して全長を百二十センチまで短縮可能で、重量軽減の魔法が自動発動するため取り回しも軽い。発砲音や衝撃に対しては先の通り。加えて機関部からの魔力逆流の危険に対する備えも行われているという徹底さ。
 しかし魔力消費の軽減を可能とする点を除けば、リカリアにとって十五夜草は射撃精度こそ優れているものの巨大で小回りが利かないデバイスに過ぎない。
 そしてこのデバイスは、長所を打ち消すほどの短所も有している。
 最大発砲可能数がたった六発で、一発ごとに十秒のチャージが必要。これは魔力蓄積装置の容量と機関部の強度の問題である。なお、この発砲可能数はセットアップ直後の時点での状態であり、重量軽減などに蓄積魔力が消費された場合、減少する数値だ。そして長所である精度すらも、一発の発砲で大きく低下する有様。
 使用者の負担を軽減すべく様々な機器を取り付けたことにより、重量がかさむ。重量軽減魔法に魔力が浪費される。稼働時間向上のために魔力蓄積装置を追加し、また重量がかさむ。
 もはや細長い物干し竿の面影は、伸縮する銃身の一部にしか残っていなかった。
「いっそのこと割り切って、一発きりの最高出力モードも加えるか」
「はぁ……。随分と高価な単発式になるね。……準備できたよ」
 ディエチの表情は相変わらずであったが、溜息に乗せられた言葉には少しの呆れが混ざっていた。デバイスに関しては、リカリアも大概マッドである。
 余談であるが、十五夜草は最高品質の資材と電子機器の集合体であり、スコープ部にはナンバーズの瞳と同機能の光学レンズが用いられている。一撃用の前座とするにはあまりに高価な代物だ。自身の武装となる可能性があったディエチには複雑な胸中だろう。
「目標は、逆側の枝の付け根」とリカリアは言った。
 スコープに映る光景は画面と連動しているため宣言は無意味だが、彼は必中の意を込めて口にする。引き金が引かれ、次弾は僅かな誤差を出しつつも命中した。枝は折れ曲がり、地面の傍まで頭垂れる。誤差予測はまずまずの精度を保ち始めている。
 これにて十五夜草は弾切れだ。重量軽減は未だに機能しているが、次弾を放つ魔力はデバイスには残っていない。
「それじゃ、帰ろうか」
 ディエチは栗色の髪に付着した雪の粒を払いながら言った。周囲にはひらひらと雪が舞い始めている。戦闘機人であるディエチ、防寒能力を付加したバリアジャケットを纏うリカリア。二人にとって気候はたいしたことではないが、用もなく長居する理由はない。
「あ……、ちょっと待ってくれ。最後に動くものを狙う」
 リカリアは二つのものを見つけた。この場に留まる理由と標的である。彼は長銃の二脚を中心点として、もぞもぞと身体を横に動かしてゆく。
「動くものって?」とディエチは言って、画面を消そうとした指を止めた。
 先にアジトに戻ることも出来たが、彼女にそのつもりはなかった。急ぐ理由はなく、リカリアの転送魔法がなければ帰還が手間だという事情もある。
「ほら、これだ」とリカリアは言った。
 スコープと連動して画面もまた動き、ディエチの目に標的が明らかとなる。そして、ほんの少し彼女の表情が曇った。
 画面に捉えられたのは、大鹿と小鹿の二頭。雄々しい角を持つ大鹿が先導するように進み、時折振り返ると、小鹿を待つように立ち止まる。その行動から親子であろうことが窺えた。
「うまくいけば、晩飯の一品に加えられる」
「……けど、魔力はもうないんじゃ」
「俺の魔力を使うさ」
 そう言って、リカリアは魔力を十五夜草へ送る。主より供給される魔力を受け、デバイスはチャージを開始した。
 照準の倍率がゆっくりと増し、大鹿の姿は徐々に画面の多数を占めてゆく。黒い毛皮で覆われた下の新鮮な生肉に喉を鳴らしながら、リカリアは目標が立ち止まる瞬間を待つ。
 距離はおよそ五百メートル。鋭い弾速と、高性能スコープで行われている自動誤差修正によって、気温や風など外界の影響は考慮しなくてもよい。ただ標的を中心部に捉えてさえいれば命中する。しかし、彼は万全を期した。
「待って。…………それで撃ったら大穴が――」
 制止の声は淡々としていたが、ディエチの表情には明らかな困惑が見られた。しかし、標的に視線と意識を向けているリカリアがその様子に気付くことはなかった。
「大丈夫だ。非殺傷設定にしてる」とリカリアは答え「ほんと、魔法は人道的だな」と皮肉めいた呟きを続けた。
 二者の内心をよそに大鹿はその足を止め――同時に、狩人の指が動いた。
 短い発砲音。打ち出されたのは、弾速はそのままに低衝撃に調整された魔力弾。
「………………よし」
「…………」
 雪中に崩れ落ちる大鹿。狙撃の成果が各々の画面に表示される中、デバイスから蒸気と緑の魔力粉が吐き出される。それは勝者の咆哮を思わせた。
 リカリアは十五夜草を鉛筆に似た円錐状の待機状態へと戻し、地面に手を付いて立ち上がる。
 ――ディエチを抱えての飛行魔法はだるいな。気分転換を兼ねて徒歩で向かうか。
「それじゃ、行こうぜ。回収場所でアジトへ飛ぶから」
 射撃体勢の維持でこり固まった身体をほぐすように肩を叩きながら、リカリアは歩き出そうとして、
「……ねえ、リカリー」
 ディエチに呼び止められた。
「何だ?」と、振り返ってリカリアは言った。
「親がいなくなったら、小鹿はどうなるんだろ」
 デバイスの停止によって、空中の画面は消えている。ディエチは目視で狙撃対象の様子を眺めていた。力なく横たわり身体を小刻みに痙攣させる大鹿を、小鹿が不安げに鼻先でつついている光景。その様子を鮮明に、彼女の瞳は捕らえている。
 一方、リカリアの目では仔細を知ることは叶わなかった。だが、憂いを帯びたディエチの様子から、彼は言葉の意図を理解する。
 ――なら小鹿も食卓に並べるか……と言うと、クアットロと同類になるな。
「わかったよ。鹿鍋は諦めよう」とリカリアは言った。
「……ありがとう」
 やれやれと言いたげなリカリアの溜息と、安堵のこもったディエチの息。薄い感情の中に同情という感情を滲ませる少女を眺め、リカリアは思う。
 ――こいつも人間らしくなったなぁ。
 無闇な殺傷への嫌悪。他者への憐憫。ごく一般的な人間では当然とされる論理だが、ジェイル一味という小さなコミュニティは普通ではない。それでもなお、ディエチが人間らしい感情を抱くようになった理由を、リカリアは思い至るところがある。
 ――多分、俺とセインの影響か。
 現在、リカリアは保護した少女の教育を行っており、その中には情操教育も含まれている。彼の説く倫理観は社会生活にそぐう一般的なものであり、それを若いナンバーズであるディエチやセインの二人は、好奇心から耳を寄せることも多かった。猟奇殺人、暴行、人身売買、強盗等を嬉々として行うリカリアは明らかに社会不適合者であったが、狡猾にも人々に溶け込む社会通念は心得ていた。
 もう一方の理由、これは稼動開始の近い姉であるセインの悩みに感化されつつあること。セインにとっての初任務――時の庭園への襲撃。この出来事は死というものに漠然としたものしか持っていなかった彼女に、大きな影響を与えた。自分達の行動がどのようなものか、そしてそれがどれほど他者を不幸たらしめるか。目の前で殺された使い魔の今際の際が、時折、頭を過ぎる。そうリカリアは相談されたこともあった。
 ディエチには、未だ深刻な悩みはない。しかし何れは、彼女も自己同一性に心煩わせるときが来るだろう。
 ――悩め、苦しめ、若人よ。良心の呵責、変わらぬ現実、ままならぬ閉塞感に苦悩し、葛藤の先に答えを見い出せ! 手を汚す、姉妹と袂を分かつ、選べる選択肢はどれも極端で、大団円の答えなんて一つもないがな~。
 セインやディエチに生まれつつある倫理観は、戦闘機人としては大きな問題であるが、現状ではナンバーズ内に軋轢を生み出すには程遠い。見知らぬ他人と毎日顔を合わせる姉妹たち。どちらを優先するかは語るまでもない。
 ゆえにリカリアやドクターは、彼女らの個性について警戒ではなく好奇の目を向けていた。
「んじゃ、行くか」とリカリアは言い「戻ったら、熱いハーブティーを飲もうかね」とひとりごちる。
 転送対象となる二人を中心として、雪上にミッド式の魔方陣が展開される。魔方陣が緑の魔力光に包まれて消えると、後に残されたのは、風に吹き散らされる魔力の残滓のみ。
 雪は次第に強さを増してゆき、世界を白く染めてゆく。木々に積もり、露出した一部の土の地肌を埋め、失神した大鹿の上にも平等に舞い降りていった。


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