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ふんばる 3.11大震災/来季の酒 何としても

酒蔵再建に向けて健闘を誓い合う沢口さん(右)と平井さん=石巻市千石町の墨廼江酒造

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた石巻市。二つの老舗酒蔵会社が酒造りの再開に向けて動き始めた。
 同市千石町の墨廼江(すみのえ)酒造。再建は蔵に流れ込んだ泥のかき出しから始まった。
 「3日間、水が引かなかった。水道が使えるようになれば助かる」。帽子にマスク姿。社長の沢口康紀さん(47)が手を休めて苦笑いした。
 地震で醸造用タンクからもろみがこぼれ、酒米は水浸しになった。瓶詰め用の一升瓶はコンテナに入っていて無事だったが、「新たな仕込みは無理。商品にできないもろみもあり、出荷量は例年の半分あるかどうか」という。
 墨廼江酒造は1845年に創業し、旧北上川河口の中瀬地区で海産物問屋などを手広く営んだ。1933年の昭和三陸津波で大きな被害を受け、今の場所に移った。
 沢口さんは大学卒業後、サラリーマンを経て家業を継いだ。周囲の猛反発にもかかわらず、兼業していた卸売業をやめ、酒造業に専念した。
 「酒が被災前と同じように売れるかどうか分からない。一歩一歩動いているうちに見えてくる景色が変わってくるんじゃないか」
 22日、震災後初めて集まった社員を前に宣言した。「われわれには酒造りしかない。何としても来季の酒を造る」
 ◇
 「日高見」の銘柄で知られる同市清水町1丁目の平孝酒造。蔵は独特の香りに満ちていた。電気がようやく復旧し、24日に震災後初めてもろみを搾った。
 「発酵が進み、うちの味ではなくなった。でも、もろみを酒にするのがわれわれの務めだから」と社長の平井孝浩さん(48)。搾った酒は「震災酒」とでも名付け、義援金集めに活用しようかと思っている。
 浸水はそれほどでもなかったが、昭和初期に建てられた石蔵はあちこちで壊れた。大きな余震が来たら崩れるかもしれない。ピンチの時こそ反骨精神が湧き上がる。
 バブル期に大学を出た。当時、日本酒業界は薄利多売が主流で、地方の小さな酒蔵の廃業が相次いだ。
 「父親から帰って来なくていい、と言われなければ逆にこの世界に入らなかった」
 杜氏(とうじ)ら蔵人と思いを共有し、質を高めた。問屋や小売店を訪ね、「味で評価してほしい」と説いて回った。
 日高見が「宮城の純米」を代表する銘柄の一つに育ちつつある、と手応えを感じ始めた直後の震災。「震災に負けない。あきらめない」
 ◇
 25日、平井さんは沢口さんの蔵を訪ねた。家を流された人はいたが、両社の従業員が全員無事だったことを確認した。「われわれの酒を待っている人がいる」「市民が誇りに思える酒を造ろう」。互いの健闘を誓い合った。
 震災に沈む街で、静かに燃える酒造りへの思い。今年のコメで仕込んだ新酒の出荷が始まる暮れに、うまい酒と魚で乾杯したい。その時までに街が再興すると信じて。
(大友庸一)


2011年03月27日日曜日


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