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[26454] 【習作】PERSONA4 PORTABLE~If the world~
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/03/10 10:05
――――人は見たい現実だけを見て、それが真実だと思い込む。

          そうした方が生きていく上で楽だから……
 
        上辺だけの情報を鵜呑みにして、本質を知ろうともしない。

   そんな中、真実を知ろうとする者達もまた、確かに存在しているのだ……




 それは一本の電話から始まった。
 どこか閑散とした印象を与える室内に響く電話の呼び鈴。
 その音に気付いた小学生くらいの少女が、見ていたテレビから視線を外して立ち上がると、音の発生源である電話へと近づき受話器を取る。

「はい、堂島です……お父さん? ちょっと待って下さい」

「菜々子、俺にか?」

 少女の声から、自身への電話だと気付いたどこか疲れた雰囲気を纏った男性が少女へと声を掛ける。

「……うん。神楽って女の人から」

 男性に声を掛けられた少女、堂島菜々子( どうじま ななこ )が保留状態にした受話器を男性へと手渡す。

「はい、もしもし」

遼太郎( りょうたろう )? 久しぶり、突然ですまないね』

「……姉さん、突然どうしたんですか?」

 どうやら、電話の相手は男性の姉のようである。
 少女は父である遼太郎へと受話器を渡すと、テレビのリモコンを操作して邪魔にならないようにボリュームを下げる。

『実はアンタに折り入って頼みがあってね……』

「また、突拍子のない頼み事じゃ無いでしょうね?」

 昔から、姉の頼み事に苦労させられていた遼太郎は警戒心を込めて訊ねる。

『あぁ……突拍子もないと言えばそうかもね。ウチの鏡の事なんだけどさ』

「何か問題にでも巻き込まれたんですか?」

『あぁ、違う違う。アンタ、刑事だからってすぐにそっち方面に考える癖、直した方が良いよ?』

 遼太郎の言葉に、苦笑気味な声で女性が諭す。
 その言葉に、尊敬する先輩刑事からも同じ事を言われた事がある遼太郎は、苦い表情になる。

「それじゃ、どうしたんですか?」

『実は旦那と私、急に海外へ転勤になってね……1年ほどウチの鏡を預かって欲しいのよ』

「ッ!? 姉さん、それは流石に急すぎるでしょう」

『解ってるわよ。本当は鏡も連れて行きたかったんだけどね、場所が場所だけに、ね……』

「どこなんです?」

 女性が示した行き先を聞き、遼太郎の表情が曇る。
 その場所は、昨年末から諸外国との軋轢により緊張状態が続いており、また日本に対して良い感情を持っていない事でも有名な場所でもある。

「……確かに、そんな場所に連れて行くのは問題だが、姉さん達が出張る必要があるんですか?」

『それを刑事であるアンタが言う? 私達が問題解決に適任だと認められたから行くんだよ』

 遼太郎の言葉に女性が力強く答える。
 確かに、これまでも様々な問題を解決するために各地を忙しく飛び回っていたのを知っているが、今回は1年は掛かると予測しているのだ。
 心配をしない方がどうかしている。

『それに、千里の事でアンタ、菜々子ちゃんに寂しい思いをさせてないかい?』

 その言葉に遼太郎は言葉に詰まる。
 確かに刑事という職業柄、家を空けることが多く、まだ幼い一人娘である菜々子に寂しい思いをさせているのは事実だ。

『そりゃ、鏡は受験で、私達は仕事の都合で千里の葬式に出られなかったけどさ、食事とか弁当とかで済ませてないかい?』

 女性の指摘に遼太郎は反論が出来なくなる。
 確かにその指摘の通り、食べ物はインスタントや出来合いの弁当で済ませているため、偏った食生活を送っているのは事実だ。
 そんな遼太郎の考えを読んでいるかのように、女性が言葉巧みに遼太郎の逃げ道を塞いでいく。

「……解りました。それで、いつからこっちに来る事になるんです?」

『転入の手続きもあるから、4月の11日頃になると思う』

「約、一月後ですか……それまでに部屋の用意をしておけば良いんですね?」

『そうしてもらえると助かるよ。荷物もそれ程は無いから、宅配便で前もって届けさせるよ』

「解りました。それと姉さん、向こうじゃ何が起こるか解らないですから、くれくれも安全には気をつけてくださいよ?」

『解っているよ。それじゃすまないけど、よろしく頼むよ』

 そう言って電話を終えた遼太郎へと、菜々子が視線を向けている。

「……誰か来るの?」

「あぁ、来月に親戚の子を預かることになった。お父さんのお姉さんの子だ」

「どんな人?」

「そう言えば、赤ん坊の頃に会ったきりだな……」

 菜々子の質問に遼太郎は困った表情になる。

「知らないの?」

「あぁ、スマン。姉さんに写真でも送ってもらうか……これじゃ、迎えに行っても誰か解らないしな」

 突然の事だったので、遼太郎もその事をすっかり失念してしまっていたようだ。
 とはいえ、あの姉の事だから既に写真を郵送している可能性も否定できないのだが。
 この電話が切っ掛けで堂島家が賑やかになる事を、この時の遼太郎は思ってもいなかったのだ。




――あの電話から一ヶ月後

 菜々子はこの日が来るのを待ち侘びていた。
 あの後で届いた手紙に同封されていた写真に写っていた親戚の姿は、ちょっと恐い感じがしたが悪い人には見えなかった。
 会ったらどんな事を話そうか? 
 自分と仲良くしてくれるだろうか?
 そんな期待と不安に胸を膨らませ、菜々子はこの一ヶ月を過ごしてきた。

『演歌界の若きプリンセス“柊みすず”さん。その柊さんと昨年、入籍したばかりの稲羽市市議会議員秘書の“生天目太郎”氏に……』

 テレビのニュースを見ていた堂島親子は、そろそろ待ち合わせの時間が近付いてきたのに気が付く。

「……あっ、そろそろ出る?」

「あぁ、そうだな」

 菜々子の言葉に答える遼太郎はテレビのリモコンを操作してテレビの電源を切る。

「菜々子、ちゃんとシートベルトをしたか?」

「うん、大丈夫だよ」

 家の戸締まりを確認し車に乗り込むと、助手席に座る菜々子に確認を取る。
 菜々子からの返事聞いた遼太郎は車のエンジンを掛けると、ゆっくりと車を発車させる。
 稲羽市は田舎のために車道を走る車の数が少ないが、遼太郎は制限速度を守り八十稲羽駅へと向かう。
 遼太郎が駐車場へと車を止めるている間に、駅へと電車が到着したようだ。
 エンジンを切り、車から降りて菜々子を伴い遼太郎は駅の入り口へと向かう。

「おーい、こっちだ」

 丁度、駅から出てきた人物が待ち合わせの相手だろう。
 写真で見たとおりの容姿をしている。
 呼び声に気付いた人物は、遼太郎の姿を確認すると荷物を背負い直して近付いてくる。
 目の前に来た人物に遼太郎は手を差し伸べ、それに気付いた相手も手を差し出して握手を交わす。

「おう、写真より美人だな。ようこそ、稲羽市へ。お前を預かる事になっている、堂島遼太郎だ」

 手を離し、遼太郎が自己紹介をする。

「ええと、お前のお袋さんの、弟だ。一応、挨拶しておかなきゃな」

神楽鏡( かぐら あきら )です、初めまして」

「はは、オムツ替えた事もあるんだがな……っと、女の子の前で言う事じゃないか」

 自身の失言に気付いた遼太郎は鏡に詫びる。
 鏡は別に気にした風でなく、遼太郎の後ろに隠れるように立っている菜々子に気付くと、そちらへと視線を向ける。
 その視線に気付いた菜々子が、おずおずと遼太郎の後ろから出てくる。

「こっちは娘の菜々子だ。ほれ、挨拶しろ」

「……にちは」

 遼太郎に言われ、恥ずかしそうに菜々子が鏡に挨拶をする。

「よろしくね、菜々子ちゃん」

 鏡はしゃがんで菜々子に視線を合わせると、そう言って菜々子へと手を差し出す。
 菜々子は恥ずかしそうにするが、おずおずと手を差し出して鏡の手を握る。

(綺麗な人だなぁ……)

 切れ長の瞳は蒼く澄んでいて、腰まで伸ばした髪は一括りに結ばれている。
 何より目を引くのは、今まで見た事がないアッシュブロンドの綺麗な髪が、特に強く菜々子の印象に残った。
 菜々子のその視線に気付いた鏡は、自身の髪を指さして『気になる?』と、菜々子に優しく問い掛ける。

「えっ? ……えっと、その」

「私のお父さんは外国の人でね、この髪はお父さん譲り」

 鏡の質問に戸惑う菜々子に軟らかく微笑んでそう、自身の髪の色について説明する。

「ま、立ち話も何だしな。そろそろ行くか?」

 遼太郎の言葉に鏡は立ち上がると、菜々子へと手を差し伸べる。

「菜々子ちゃん、手を繋ごうか?」

「うん!」

 鏡の言葉に菜々子が嬉しそうに差し出された手を握る。
 その様子に遼太郎は表情を綻ばせると、先に車へと向かう。
 鏡の荷物をトランクへと入れると、鏡は後部座席へと乗り込む。
 普段なら、菜々子は助手席に乗るのだが鏡と一緒にいたいのか、菜々子も後部座席へと共に乗り込んだ。
 菜々子の機嫌が良いので遼太郎は特に何も言うことはせず、二人が乗り込んだのを確認してから自身も車に乗り込む。

「二人とも、シートベルトはつけたか?」

 遼太郎の確認に二人が返事を返すの待って、遼太郎は車のエンジンを掛ける。
 ゆっくりと走り出した車は、行きと同じく制限速度を守り走っていく。

「ん? そろそろガソリンを入れないと拙いか……すまん、ガソリンを入れにちょっと寄り道するぞ」

 そう断ってから、遼太郎は途中で車道変更してガソリンスタンドへと向かう。
 稲羽市にある唯一のガソリンスタンド"MOEL石油"
 遼太郎が敷地内に車を乗り入れ停車すると、店員と思わしき制服を着た女性が出迎える。

「いらっしゃーせー」

 遼太郎は後部座席へと視線を向けると菜々子に話しかける。

「トイレ、一人で行けるか?」

「うん」

 遼太郎の言葉に頷いた菜々子はシートベルトを外すと、車から降りる。

「奧を左だよ……左ってわかる? お箸持たない方ね」

「わかるってば……」

 どこかからかうような口調で菜々子に話しかける店員に、菜々子は僅かに気分を害して答えてからトイレへと向かう。

「どこか、お出かけで?」

 そう遼太郎へ質問する店員の視線は最後に車を降りた鏡へと向けられている。

「いや、こいつを迎えに来ただけだ。都会から、今日越してきてな」

「へえ、都会からですか……」

「ついでに、満タン頼む。あ、レギュラーでな」

「ハイ、ありがとうございまーす」

 一瞬、探るような視線を向けてきた店員だったが、遼太郎の言葉に表情を笑みへと変え、明るく返事を返す。

「一服してくるか……」

 そう呟いて遼太郎は喫煙所へと移動する。
 遼太郎が遠ざかるのを確認してから、店員は鏡へと近付いてきた。

「きみ、高校生? 都会から来ると、何もないのに驚いたでしょ?」

 にこやかに話しかけてきているのだが、どこか奇妙な違和感を覚える。

「実際、退屈するかもね。高校の頃だと、友達のとこに行くか、バイトくらいだしさ」

 訝しげな視線を向ける鏡を気にする事なく、店員は肩をすくめて戯けてみせる。

「でさ、ウチ今、バイト募集してるんだ。女の子でも大丈夫だから、是非考えといてよ」

 そう言って手を差し出す店員に釣られて、鏡も手の差し出し握手を交わす。

「……!?」

 握手を交わした瞬間、鏡の背筋をぞわりとした感触が走る。
 表情を変える鏡に気付かず、店員はそのまま仕事へと戻っていく。
 ほんの一瞬の事だったが、先ほどの悪寒にも似た感触に疑問を感じていた鏡を、トイレから戻ってきた菜々子が見つめていた。

「……だいじょうぶ? 車よい? ぐあい、わるいみたい」

「長旅で疲れたのかな? 少し目眩もするし……」

 菜々子の言葉に鏡は、自身でも感じていなかった疲れが出たのかと思う。

「わたし、あの人ヤダ……」

「そう? 悪い人には見えないけど」

 自身の手を握ってきてそう呟く菜々子に鏡は答える。

「……あの人、なんだかオバケみたい」

 繋がる手から伝わる菜々子の震えに、鏡が安心させるように優しく頭を撫でる。
 菜々子は一瞬、驚いた表情を見せるが、すぐに笑顔になり震えも収まったようだ。
 それに会わせて、先ほど感じた悪寒に似た感じも和らいだようで先ほどよりか楽になっていた。

「どうも、ありがとうございまーす」

 給油が終わり、店員に見送られて車はガソリンスタンドを後にする。
 移動途中に寄った惣菜屋で夕食を購入してそのまま堂島宅へ。

「遠慮せずに上がってくれ」

「お世話になります」

 玄関を開け、先に入った遼太郎が鏡へと振り返り声を掛ける。
 その言葉に鏡が答えて中にはいると、先に中へと入っていた菜々子が、裏庭で干してある洗濯物を取り込んでいる最中だった。

「先に荷物を置いてきたらいい、階段を上がってすぐ左手の部屋だ」

 遼太郎に促され、鏡は荷物を部屋へと運び込む。
 階段を上がり、言われた通りに左手の部屋への引き戸を開けると、先に送っていた見慣れた家具が目に入る。
 鏡は鞄を部屋に多くと、階段を下りて居間へと移動する。

「おう、晩飯にしよう。手、洗ってこい」

「洗面所、こっちだよ」

 遼太郎が下りてきた鏡に声を掛け、菜々子が鏡の手を引いて洗面所へと案内する。




「じゃ、歓迎の一杯といくか」

 そう言って、遼太郎が一緒に買ってきた缶ジュースを掲げる。
 鏡と菜々子もそれに合わせるように缶ジュースを掲げてから一口飲む。

「しっかし、兄さんも姉貴も相変わらず仕事一筋だな……海外勤めだったか?」

 缶ジュースをちゃぶ台に置いた遼太郎が鏡に話しかける。

「1年限りとは言え親に振り回されて、こんなとこ来ちまって……子供も大変だ」

「いつもの事ですし、流石に海外にまで着いていけませんから」

 遼太郎の言葉に、鏡は苦笑混じりに答える。

「ま、ウチは俺と菜々子の二人だし、お前みたいのが居てくれると、俺も助かる」

 含みのある遼太郎の言葉に鏡が違和感を覚え、ふと視線を菜々子へと向ける。
 菜々子は二人の会話を大人しく聞いているようだが、その表情に僅かな翳りが見える。

「これからしばらくは家族同士だ。自分んちと思って気楽にやってくれ。」

「よろしくお願いします」

 鏡の疑問に気付かず遼太郎が言葉を続け、鏡もその事には触れずに返事を返す。

「さて……じゃ、メシにするか」

 堅苦しいのはこれで終わりだと、遼太郎がそういって弁当に箸を付けようとした所で携帯電話の呼び鈴が鳴る。

「たく……誰だ、こんな時に」

 苦い表情を浮かべた遼太郎が携帯電話を取りだして通話状態にする。

「……堂島だ」

 電話に出た遼太郎は表情を変えると立ち上がり、二人から離れた場所で電話を続ける。
 何やら問題が起きたらしく、重苦しい雰囲気を纏っている。

「酒飲まなくてアタリかよ……」

 通話を終えた遼太郎がそう呟き、鏡達へと視線を向ける。

「仕事でちょっと出てくる。急で悪いが、飯は二人で食ってくれ」

 その言葉に立ち上がる菜々子へと遼太郎は視線を向ける。

「帰りは……ちょっと分からん。菜々子、後は頼むぞ」

「……うん」

 遼太郎の言葉に気落ちした様子で答える菜々子。
 事情が解らない鏡は、そんな二人を見比べる。
 
「菜々子、外、雨だ。洗濯物どうした!?」

「いれたー!」

「……そうか、じゃ、行ってくる」

 そんなやり取りの後、少しして遼太郎が運転する車が出ていく音がする。
 菜々子は座り直すとリモコンを操作してテレビの電源を入れる。 
 テレビは天気予報だったらしく、明日一日は雨らしい。

「……いただきまーす」

 テレビから視線を外した菜々子はそう言って箸を付ける。

「菜々子ちゃん、お父さんの仕事って?」

 寂しそうな菜々子の様子に、鏡は気になったことを聞いてみる。

「しごと……ジケンのソウサとか。お父さん、けいじだから」

 菜々子の答えに、鏡は僅かに驚いた表情を見せる。
 仕事が多忙な両親を持つ鏡自身も幼い頃に感じた思い。
 遼太郎と二人きりの菜々子は、鏡よりも寂しい思いをしているのだろう。
 鏡がそんな事を考えていると、テレビでは稲羽市議秘書の不倫問題が取り上げられている。

「……ニュースつまんないね」

 そう言って菜々子がチャンネルを変えると、大手チェーン店“ジュネス”のCMが流れていた。

「エヴリディ・ヤングライフ! ジュネス!」

 ジュネスのCMを見た途端、菜々子が楽しそうにサビの部分を物真似する。
 先ほどの様子が嘘かと思えるほど楽しそうだ。
 そんな事を考えていた鏡に、菜々子が不思議そうな視線を向ける。

「……たべないの?」

「食べるよ。菜々子ちゃん、ジュネスが好きなの?」

「うん! ジュネス、大好き!」

 鏡の質問に嬉しそうに答える菜々子は、先ほどとは打って変わってジュネスの楽しいことを鏡に話し始める。
 楽しそうに語る菜々子に鏡は時折、質問を混ぜたりして主に菜々子の話を聞く側に回っている。
 菜々子も普段、食卓で話すことが少ないのだろう。鏡に話すことが楽しくて仕方がない様子だ。

「ごちそうさまでした」

 食事を終え、遼太郎の分をラップにして冷蔵庫にしまった菜々子は、食べた後のゴミの片付けを始める。

「菜々子ちゃんは偉いね」

「えっ、どうして?」

 鏡の言葉にキョトンとした表情で菜々子が答える。
 その様子に微笑ましさを感じた鏡は、菜々子がそうやって片付けなどの家事を行っている事を褒める。
 普段、そう言った事を言われ慣れていないのか、菜々子は顔を赤くして照れている。
 そんな他愛ないやり取りをしつつ二人でテレビを見ていると、いつの間にか時計の針は21時に差し掛かっていた。

「あ、こんな時間。菜々子ちゃん、一緒にお風呂に入る?」

「……いいの?」

 鏡の言葉に、菜々子が戸惑った様子で答える。

「菜々子ちゃんが嫌じゃなかったらね」

「はいるっ!」

 菜々子は鏡に即答すると、嬉しそうに入浴の準備を始める。
 その様子に鏡は、菜々子が普段からコミュニケーションに餓えているのではないかと考える。
 自身も幼い頃は一人で居ることが多かったが、両親のどちらかが鏡に寂しい思いをさせないように配慮をしていた。
 刑事である遼太郎と二人だけの菜々子は、自身よりも寂しい思いをしているのだろう。
 どことなく遠慮がちな菜々子の態度に、鏡は胸を痛める。

「おふろ、準備が出来たよ」

 少しして、準備が出来た事を確認してきた菜々子が鏡に伝える。

「それじゃ、着替えを取ってくるから、菜々子ちゃんも着替えを用意してね」

「うんっ!」

 二人はそれぞれ着替えを取りに行く。
 鏡は着替えと歯磨き用具を荷物から取り出すと、階段を下りて浴室へと向かう。
 脱衣所には先に菜々子が来ていて、鏡が来るのを待っていたようだ。

「お待たせ」

「ううん。あ、これ、バスタオル」

 鏡に答えた菜々子が、鏡の分のバスタオルを手渡す。
 菜々子の気配りに鏡は「ありがとう」と答えてバスタオルを受け取る。
 着替えを棚に並べて置き、二人は衣類を脱ぐと、洗濯カゴへと脱いだ衣類を入れ浴室へと入る。
 菜々子は初め鏡に対して照れていたが、鏡が変わらない態度で接していたため、次第に硬さが取れていく。
 身体の芯まで温まった二人はお風呂から上がると、水分を補給して二人仲良く歯を磨く。

「菜々子ちゃん、今日は私と一緒に眠る?」

 就寝前になって、鏡は自室へと戻ろうとする菜々子へと声を掛ける。

「いいの?」

「出来れば菜々子ちゃんとまだ、お話がしたいからね」

「うんっ!」

 鏡からの申し出に、菜々子が嬉しそうに頷くと自室から枕を持ってくる。
 二人は鏡の自室へと移動すると、布団を敷き中へと入る。
 鏡は菜々子から学校での事、友達や先生達の事などを聞き、自身も菜々子にせがまれるまま自身の事を話していく。

「…………お母……さ、ん……」

 話疲れた菜々子はいつしか眠りに落ちていた。

(やっぱり、寂しい思いをしているんだろうな……)

 鏡に寄り添って寝間着を掴む菜々子の寝言に、菜々子の寂しさを思う。
 1年という限られた期間だが、鏡は菜々子と接する時間を多く持とうと決意する。
 長旅の疲れが出てきたのか、考え事をしている内に眠たくなってくる。
 鏡は、菜々子の暖かい体温を感じながら、そのまま睡魔に身を任せて眠りにつくのであった。




後書き
筆者が執筆している、別作品の続きを書いている最中に思いついて書きました。
P4がPSPに移植されたら、こんな風になるのかな?
といった思いつきでこの作品は出来ています。




[26454] 転校生
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/03/16 07:07
――――それぞれの思いをよそに、歯車は回り始める

          紡がれる糸はまだ形を見せず

         しかし、異変はひっそりと忍び寄ってくる

     望むと望まざるとに関わらず、周りを巻き込んで……




 時間は少し遡る。
 雨脚が強くなる中、遼太郎が運転する車が向かった先は地元でも有名な天城屋旅館( あまぎやりょかん )という老舗の温泉宿だ。
 駐車場に車を駐め、遼太郎は傘をさして天城屋旅館へと移動する。

「あ、堂島さん。お疲れ様です!」

 遼太郎に気付いた青年が声を掛けてくる。おそらく同僚の刑事なのだろう。
 しかし、寝癖の付いた髪に曲がったネクタイが彼を警察官らしく見せていない。
 どちらかというと、冴えないサラリーマンと言った風だ。

「遅くなった。足立( あだち )、状況はどうなっている?」

「それが、付近を隈無く捜査しているのですが、この雨で思ったほどの成果が出ていなくて……」

 遼太郎から足立と呼ばれた青年がそう答える。

「そうか。それで、最後に目撃した人物から話は聞いているのか?」

「いえ、それはまだ。と言うか、居なくなった山野真由美( やまの まゆみ )と揉めたらしく、今は寝込んでいるそうです」

 遼太郎の問い掛けに、気まずそうに足立が答える。
 何でも酷く罵倒された事が原因で倒れたらしく、今は話が聞ける状態では無いらしい。

「そうか……それじゃ、署に通報してきた人物は?」

「あ、はい。その人物でしたら、あちらに」

 そう言って、足立がラウンジの一角を指さすと、そこには緊張で固くなっている和服姿の女性が居た。
 遼太郎は足立を伴うと、女性の元へと移動する。

「稲羽警察署の堂島です。署へ通報したのはあなたで間違いありませんね?」

 遼太郎は警察手帳を取り出し、女性に身分を明かして質問する。

「あ、はい。仲居をしている葛西( かさい )です」

 葛西と名乗った女性は遼太郎へと説明を行う。
 倒れた女将に代わり、夕食の準備が出来た事を伝えに客室に向かったところ返事が無く、不審に思い確認したところ姿が消えていたそうだ。
 外出の連絡もなく、荷物もそのまま置かれた状態で従業員が旅館内を探してみても見つける事が出来ず、稲羽署に通報したとの事。

「倒れた女将と揉めてたそうですが、何か心当たりは?」

「……女将さんに落ち度は特になかったと思います。ただ、最近のニュースのせいか、ちょっとした事でも癇癪を起こしていたので……」

 葛西は良い辛そうに遼太郎に話す。

「山野さんの宿泊していた部屋を見せて貰っても良いですか?」

「こちらになります」

 遼太郎の言葉に、葛西が山野真由美の宿泊していた部屋へと遼太郎と足立を案内する。
 案内された部屋は一人で泊まるには広すぎる部屋で、荷物が荒らされた様子もなく手がかりらしいものは見あたらない。
 その事がかえって不自然さを際だたせている。

「足立、念のため稲羽から出る国道と駅の方にも人を回せ。万が一の可能性もあり得る」

「解りました!」

 遼太郎の指示に、足立が慌てて部屋を出て行く。
 改めて室内を見渡した遼太郎は僅かだが違和感を覚えていた。

(荷物の状況からして、本人が出て行ったとは考えにくい。誘拐にしても、こんな田舎町だと目立ってしまう……)

 引っかかりを感じるも、これ以上は何も手がかりが得られそうもない。
 遼太郎も雨の中、山野真由美の捜索に加わるが雨の中という事もあって捜索は進まない。
 夜も遅くなり、二次遭難の可能性も出たため、捜索は翌日へと持ち越される事となった……




 鏡は奇妙な夢を見ていた。
 辺り一面が霧で覆われ、伸ばした手の先がハッキリと見えない。
 足下は赤い煉瓦のような物で出来た道で、どこかへと続いているようだ。
 その場に居ても仕方がないので、鏡は足下に気をつけながら先へと進んでみる。

『真実が知りたいって……?』

 足場の悪い道を移動する中、どこからともなく声が聞こえる。
 声の主が気にはなるが、鏡はそのまま道を進み続ける。

『それなら……捕まえてごらんよ……』

 どうやら、道の先から声が聞こえてきているようだ。
 そのまま進み続けると、目の前に四角い扉らしき物が現れる。
 鏡がそれに触れようと手を伸ばすと、中央から捻れるように開いていき、先へと進めるようになる。

『追いかけてくるのか……君か……ふふふ……やってごらんよ……』

 濃い霧の向こうに誰かが居る。
 しかし、その姿は確認できず発する声も中性的で性別の判断が付かない。
 鏡の手にはいつの間にか、一降りの刀が握られている。
 違和感を覚えるも、鏡の身体は自然と刀を振りかぶり、目の前の人物へと斬りかかる。

『へぇ……この霧の中なのに、少しは見えるみたいだね……』

 聞こえる声に反応するのか、鏡の身体は鏡の意志とは関係なく攻撃を続けている。

『なるほど……確かに、面白い素養だ……』

 目の前から聞こえる声は、鏡の様子に興味を覚えたのか、感心した様子で話し続ける。

『でも、簡単には捕まえられないよ……求めているものが“真実”なら、尚更ね……』

 その言葉が聞こえた直後、更に霧は濃くなり視界が悪くなる。
 それでも鏡の身体は刀を振りかぶり、目の前の人物に斬りかかる。

『誰だって、見たいものだけど、見たいように見る……』

 先ほどまで当たっていた攻撃は当たることなく、剣線が空を斬る。
 すると、鏡は刀を左手に持つと、右手を天へと掲げて何かを掴み取り自身へと引き寄せる。

――天から降り注ぐ落雷

 目の前の人物には当たらなかったようだが、目の前の人物は感嘆の声を上げた。

『いつか、また会えるのかな……こことは別の場所で……フフ、楽しみにしてるよ……』

 その声を最後に霧は更に深まり、鏡の意識も遠くなっていく……

「……うん」

 目が覚めると、目の前に穏やかな寝顔で眠っている菜々子の姿があった。

(……夢? 奇妙な夢だったな)

「……ん」

 鏡が起きた事により、菜々子も目を覚ましたようだ。

「菜々子ちゃん、おはよう」

「う、ん……おはよう、お姉ちゃん」

 寝ぼけ眼で鏡に挨拶する菜々子は、嬉しそうな照れ笑いを浮かべている。

「そろそろ起きて、朝ご飯を作ろうか」

「うん、菜々子も着替えてくるね」

 鏡の言葉に、菜々子は布団から抜け出すと自室へと着替えに戻る。
 部屋から出て行く菜々子を見届けた鏡も、寝間着を脱いで制服へと着替える。
 転校初日から遅刻をする訳には行かないので、鏡は手早く着替えを済まし、布団をたたむ。
 癖の付きにくい髪質なので、軽くブラッシングをするだけで綺麗にまとまる。
 身支度を調えた鏡は鞄を持ち、部屋から出ると居間へと移動する。

「あ、お姉ちゃん。ちょっと待ってね、朝ご飯、今用意するから」

 居間へと降りてきた鏡に菜々子が話しかけてくる。
 鏡は鞄を置くと、菜々子を手伝うために台所へと向かう。
 菜々子は冷蔵庫から卵とバターを取り出している。

「菜々子ちゃん、チーズとかはあるかな?」

「うん、あるよ。食べる?」

「じゃ、それを使ってチーズオムレツを作ってあげるね」

「オムレツ、作れるの!?」

 鏡の言葉に菜々子が驚きながら訊ねてくる。

「凝ったのでは無いけれどね。菜々子ちゃんはパンを焼いてくれる? その間に作っちゃうから」

「うん!」

 菜々子は嬉しそうに返事をすると、トースター器にパンを入れてタイマーをセットする。
 その間に鏡は冷蔵庫からもう一つ卵を取り出し、ボウルに割り入れる。
 菜箸で卵を溶き、ほどよく混ざり合ったところでフライパンにバターを溶かし入れ、全体に馴染んだところで卵を入れる。

「わぁ……!」

 その様子を見ていた菜々子は感嘆の声を上げる。
 菜々子の見ている前で鏡は、半熟状態になった卵にチーズを入れてフライパンを返して卵でチーズをくるんでいく。
 綺麗にくるまったところでひっくり返し、両面を綺麗に焼き上げる。
 焼き上がったオムレツを皿へと移し、同じ手順でもう一つを焼き上げる。

「はい、出来上がり。チーズが溶けて熱いから、火傷には気をつけてね」

「お姉ちゃん、すごーい!」

 出来上がったチーズオムレツを前に、菜々子が嬉しそうにはしゃぐ。
 チーズオムレツが出来上がる頃にはトーストも焼けていて、二人はテーブルに座ると「いただきます」と言って朝食を摂る。

「チーズオムレツ、美味しいね!」

 バターとチーズの塩味が利いたオムレツは、そのまま何もかけずに食べても美味しいものだった。
 菜々子は火傷に気をつけながら、美味しそうにオムレツを食べている。
 そんな様子に鏡は微笑ましさを感じつつ、自身も朝食を摂る。
 朝食を摂り終え食器を流しに付けて、鏡と菜々子は学校へと出かけることにする。
 戸締まりを済まし、二人仲良く登校する。
 雨のため手を繋ぐことは出来ないが、それでもどことなく菜々子は楽しそうだ。

「あと、この道、まっすぐだから」

 鮫川河川敷沿いの道を指さして、菜々子が鏡に学校への道を示す。
 見ると、数人の通学生が歩いているのでついて行けば大丈夫だろう。

「菜々子ちゃん、ありがとう」

「わたし、こっち。じゃあね、お姉ちゃん」

「うん、菜々子ちゃんも気をつけてね」

 菜々子は鏡に軽く手を振って、元来た道の交差点まで戻る。
 それを見届けてから、鏡は八十神高校へと向かう。
 学校前交差点に差し掛かった所で、背後から金属の軋む音が近づいてくる。
 鏡が視線をそちらに向けると、片手で自転車を漕いで来る男子生徒がふらふらと蛇行しながら近寄ってくる。
 ぶつからないように鏡が半歩脇にそれ、自転車が通り過ぎるのを待つ。

「よっ……とっ……とっとぉ……」

 自転車漕いでいる男子生徒は、崩れそうになる体勢を整えようとハンドルに視線を向けている。
 前方をちゃんと見ていなかったのだろう、そのままふらふらと道をそれ、自転車は電柱へと激突する。

「う……おごごごごご……」

 男子生徒は股間を押さえて悶絶している。
 鏡は一瞬、声をかけようかとも思ったのだが、見知らぬ相手だし不憫に思えたので、そっとしておく事にした。

(ここが今日から通う八十神高校……)

 校門へと続く坂道を上り、鏡は今日から通う校舎を見上げる。
 道の両脇に植えられた桜の木は、満開に咲き乱れており雨の中でも色鮮やかさを誇っている。
 鏡は来客用の入り口へと向かうと、そこで靴を履き替え職員室へと向かった。




――2年2組・教室

「ついてねえよなぁ……このクラスって、担任、諸岡だろ?」

「モロキンな……1年間、えんっえん、あのくそ長い説教きかされんのかよ……」

「ところでさ、この組、都会から転校生来るって話だよね」

 二人の男子生徒の会話に、女生徒が割り込む。

「え、ほんと? 男子? 女子?」

 二人の男子生徒の内、席に着いている方の男子生徒が、その話題に反応を示す。

「都会から転校生……って、前の花村みたいじゃん? ……あれ? なに朝から死んでんの?」

 その話を聞いていた、緑色のジャージを着たショートカットの女生徒がそう呟き、机に突っ伏している男子生徒に話しかける。

「や、ちょっと……頼むから放っていたげて……」

 ショートカットの女生徒に話し掛けられた男子生徒は、鏡がみた自転車に乗っていた男子生徒だ。
 彼は先ほど電柱にぶつかった時の痛みが引いておらず、苦しそうに言葉を返す。

「花村のやつ、どしたの?」

 ショートカットの女生徒は不可解といった表情で、前の席に座っている赤いカーディガンを着た女生徒に話し掛ける。

「さあ……?」

 赤いカーディガンを着た女生徒は、小首をかしげてショートカットの女生徒に答える。
 二人がそんな会話を交わしていると、教室の扉が開く音が聞こえる。
 教室に入ってきたのはおかっぱ頭で前歯が大きい中年の教師だ。
 鏡はその教師の後について教室へと入る。

「静かにしろー!」

 教卓に着いた教師が騒がしいクラスの生徒達を一喝する。

「今日から貴様らの担任になる諸岡だ! いいか、春だからといって恋愛だ、異性交遊だと浮ついてんじゃないぞ」

 教室全体を見渡して、諸岡が言葉を続ける。

「ワシの目の黒いうちは、貴様らには特に清く正しい学生生活を送ってもらうからな!」

 諸岡の言葉に生徒達は辟易した表情となる。

「あー、それからね。不本意ながら転校生を紹介する」

 そういって、諸岡が鏡を一瞥する。

「ただれた都会から、へんぴな地方都市に飛ばされてきた哀れな奴だ。いわば落ち武者だ、分かるな?」

 諸岡の言葉の端々に鏡を見下す感情が伺える。

「男子は色目を使われても誘惑などされんように! では神楽鏡。簡単に自己紹介しなさい」

「自己紹介の前に……先生、今の発言は私に対する人権差別ですか?」

「なにぃ……!」

 流石に腹に据えかねた鏡は半眼になって諸岡へと抗議する。
 その鏡の態度に、クラス中が戦慄する。

「先生の担当は倫理とお聞きしましたが、率先して生徒を貶めるのが先生の倫理ですか?」

「き、貴様ぁ……」

「何でしたら、校長先生や教育委員会に直接抗議をしに行きますが?」

 鏡は一歩も引かず諸岡の目を見て抗議する。

「くっ! 分かった、ワシが言い過ぎた。済まなかったな」

 渋々といった感じで諸岡が折れる。
 今ここで鏡に対して処罰を与えようものなら、間違いなく差し違える覚悟で反撃してくるだろう。
 先ほどの発言を無かった事にしようにも、クラスの生徒全員が証人となるので不可能だ。
 見た目に反した気性の激しさに、内心舌打ちながらも鏡に謝罪する。

「ありがとうございます。私も少し言い過ぎて申し訳ありませんでした」

 諸岡の本音を見抜いているが、鏡は感情を悟らせずに自身にも非があったと謝罪する。

「これから1年間、ご指導のほど、よろしくお願いいたします」

 謝罪をした後、鏡は綺麗な笑みを浮かべて諸岡へと深々とお辞儀をする。

「あー、オホン。それでは、自己紹介をするように」

 先ほどまでとは豹変したかのような鏡の態度に、諸岡も毒気が抜かれた表情をして取り繕う。
 どことなく照れているようでもあり、その光景を見ていた生徒達は呆気に取られた表情をしている。

「神楽鏡です。家庭の事情で1年間ではありますが、よろしくお願いいたします」

 そんなクラスメイト達に鏡は簡単に自己紹介を済ませる。

「神楽の席だが……」

「センセー。転校生の席、ここでいいですかー?」

 ショートカットの女生徒が手を挙げて、開いている隣の席を指さす。

「あ? そうか。よし、お前の席はあそこだ」

 指示された席へと鏡は移動する。
 席に着くと、先ほどのショートカットの女生徒が鏡に小声で話し掛けてくる。

「君、怖いもの知らずだよねー、ビックリしたよ。大変だと思うけど、1年間、頑張ろ」

 そういって笑いかけてくれる女生徒に鏡はお礼を述べる。
 気がつくと、教室のあちこちでひそひそと話し声が聞こえてくる。

「かっわいそ、転校生。来ていきなり“モロ組”か……」

「目ェつけられると、停学とかリアルに食らうもんねぇ……」

「ま、私ら同じクラスだから一緒なんだけどね……」

「でも、さっきのやりとり、格好良くね?」

……お姉さま

 一部、不穏な発言が聞こえた気がしたが、周りの声から担任の諸岡が生徒達からどのように見られているのかが理解できた。

「静かにしろ、貴様ら! 出席を取るから折り目正しく返事しろ!」

 ざわつくクラスに諸岡が一喝する。
 幸先がよい出だしとは行かなかったが、新しい高校生活が始まった。




 今日は半日授業のため、午前中で授業も終わり、先ほど諸岡が授業終了を告げる。
 生徒達がそれぞれの予定に合わせて行動しようとしたところで、校内放送が入った。

『先生方にお知らせします。只今より、緊急職員会議を行いますので、至急、職員室までお戻りください』

 急な校内放送に生徒達がざわめき立つ。

『また全校生徒は各自教室に戻り、指示があるまで下校しないでください』

「うーむむ、いいか? 指示があるまで教室をでるなよ」

 校内放送が終了したところで、諸岡がクラス全体にそう言い置き職員室へと戻る。

「あいつ……マジしんどい」

 鏡の近くで辟易した女生徒の声がした。
 クラスメイト達が先ほどの校内放送は何だったのかと、それぞれが話し合っていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
 窓の近くにいた数名の男子生徒が窓に駆け寄る。

「なんか事件? すっげ近くね、サイレン?」

「クッソ、なんも見えね。なんだよ、この霧」

「最近、雨降った後とか、やけに出るよな」

 男子生徒が言うとおり、窓の外は濃い霧で覆われていて視界が塞がれている。

「そういや聞いた? 例の女子アナ。なんかパパラッチとかもいるって」

「ああ、山野真由美だろ? 商店街で見たやついるらしいぜ。てか、俺聞いたんだけどさ……」

 外が見えないため、サイレンへの関心を失った男子生徒達は別の噂話を始めたようだ。
 その内、驚きの声を上げた男子生徒が一人、鏡の右斜め前に座っている、赤いカーディガンを着た女生徒の元へとやってきた。

「あ、あのさ、天城。ちょっと訊きたい事あるんだけど……」

 話し掛ける男子生徒の表情は何かを期待しているようだ。

「天城んちの旅館にさ、山野アナが泊まってるって、マジ?」

「そういうの、答えられない」

 天城と呼ばれた女生徒は、男子生徒の方を見ようとはせずそう答える。

「あ、ああ、そりゃそっか」

 にべもなく断られた男子生徒は、気まずそうな表情で帰って行った。

「はーもう何コレ。いつまでかかんのかな」

 男子生徒が居なくなったかわりに、ショートカットの女生徒がやってきて呆れたように話し掛ける。

「さあね」

 先ほどとは打って変わって、和らいだ表情で天城が答える。

「放送鳴る前にソッコー帰ればよかった……」

 ショートカットの女生徒は心底悔しそうに話す。
 感情が顔に出やすいのか、表情がよく変わる。

「ね……そう言えばさ、前に話したやつ、やってみた?」

 その言葉に天城が小首をかしげて不可解そうな表情を見せる。

「ほら、雨の夜中に……ってやつ」

「あ、ごめん、やってない」

 言われた内容に合点がいったのか、天城はショートカットの女生徒に謝る。

「ハハ、いいって、当然だし」

 天城の謝罪に気にした風でなくショートカットの女生徒が答える。

「けど、隣の組の男子、“俺の運命の相手は山野アナだー!” とか叫んでたって」

 ショートカットの女生徒は、天城におかしそうに言葉を続ける。

『全校生徒にお知らせします。学区内で、事件が発生しました。通学路に警察官が動員されています』

 再び校内放送が入る。

『出来るだけ保護者の方と連絡を取り、落ち着いて、速やかに下校してください』

 その内容は突拍子もなく、現実味が薄い。

「事件!?」

 校内放送が終了すると、一人の男子生徒が興奮した様子で叫ぶ。
 にわかに騒がしくなる教室。
 見物しに行こうとする者、事件の内容を推理しだす者。
 反応は様々だが、共通していることは他人事で、イベントか何かだと思っていることか。

(菜々子ちゃん、大丈夫かな)

 菜々子への連絡手段が無い鏡は、菜々子の事が気になっていた。
 小学校だと、集団下校という形で他の保護者が守ってくれているとは思うのだが……

「あれ、帰り一人? よかったら、一緒に帰んない?」

 考え事をしている鏡に、ショートカットの女生徒が話し掛けてくる。

「そう言えば、自己紹介してなかったね。あたし、里中千枝ね。で、こっちは天城雪子ね」

 そう言って、千枝は赤いカーディガンを着た女生徒、天城雪子を紹介する。

「あ、初めまして……なんか、急でごめんね」

「のぁ、謝んないでよ。あたし失礼な人みたいじゃん。ちょっと話を聞きたいなーって、それだけだってば」

 二人は仲が良いのだろう。
 やりとりの中に、気さくな様子が伺える。

「HRで挨拶したけれど、改めて。神楽鏡です」

 互いに自己紹介を済ませ下校しようとしたところで、一人の男子生徒が近づいてくる。

「あ、えーと、里中……さん」

 そう話し掛けてくる男子生徒は、どことなく落ち着きが無い様子だ。

「これ、スゲー、面白かったです。技の繰り出しが流石の本場つーか……申し訳ない! 事故なんだ! バイト代入るまで待って!」

 そう言って、DVDのケースを突きつけるように千枝に渡した男子生徒は一目散に逃げ出すように去っていく。

「待てコラ! 貸したDVDに何した!」

 ドスの利いた声を上げ、男子生徒に追いついた千枝は容赦なく男子生徒を蹴り飛ばす。

「どわっ!」

 千枝に蹴り飛ばされた男子生徒は机にぶつかったのか、股間を押さえて悶絶している。

「なんで!? 信じられない! ヒビ入ってんじゃん……あたしの“成龍伝説”がぁぁぁ……」

 ケースの中身を確認した千枝は愕然とした表情になる。

「俺のも割れそう……つ、机のカドが、直に……」

「だ、大丈夫?」

 悶絶する男子生徒に気付いた雪子が声をかける。

「ああ、天城……心配してくれてんのか……」

 痛みを堪えながら男子生徒が弱々しく雪子に話し掛ける。

「いいよ、雪子。花村なんか、放っといて帰ろ」

 にべもなく千枝は雪子にそう言って、教室を出て行く。
 鏡はその光景に見覚えがあるなと思ったのだが、朝の人物と同一人物だとは気付かずそっとして千枝達の後について行った。

「キミさ、雪子だよね。こ、これからどっか、遊びに行かない?」

 千枝達と話しながら校門を出ようとしたところで、見知らぬ男子が近づいてきて雪子に声をかけてきた。
 着ている制服からすると、他校の生徒のようだ。
 
「え……だ、誰?」

 知らない人物らしく、雪子は突然声をかけられて戸惑っている。
 その様子に気付いた他の生徒達が集まり始め、人垣が出来つつあった。

「なにアイツ。どこのガッコ?」

「よりによって、天城狙いかよ。てか、普通は一人ん時に誘うだろ……」

 野次馬の中からそんな話し声が聞こえてくる。

「張り倒されるにオレ、リボンシトロン1本な」

「賭にならないって。“天城越え”の難易度、知らねえのか?」

 当人達をよそに、無責任な会話が飛び交う。
 周りの会話に堪えきれなくなったのか、声をかけてきた男子生徒が苛立たしげに雪子に詰め寄る。

「あ、あのさ、行くの? 行かないの? どっち?」

「い、行かない……」

「……ならいい!」

 薄気味悪げに答える雪子に男子生徒はそう答えると、走って去っていった。

「あ、あの人……何のようだったんだろ……」

「何の用って……デートのお誘いでしょ、どう見たって」

「え、そうなの……?」

 状況が飲み込めていなかったらしい雪子が千枝に訊ねると、呆れるように千枝が説明する。
 確かに状況だけ見ればそうなのだが、脈絡がなかったせいか雪子には“デートの誘い”という認識が無かったようだ。

「そうなのって……あーあ……」

 普段からそうなのだろう。千枝は『またか』といった様子で溜息をつく。

「まぁけど、あれは無いよねー。いきなり“雪子”って、怖すぎ」

 鏡も千枝の言葉に同意見だった。少なくともお互いに知り合いという様子ではなかった。
 おそらくは、相手の方が一方的に雪子の事を知っていたのだろう。

「よう天城、また悩める男子をフッたのか? まったく罪作りだな……俺も去年、バッサリ斬られたもんなあ」

 背後から軋んだ音を立てる自転車を押してきた、千枝から花村と呼ばれた男子生徒が声をかけてくる。

「別に、そんな事してないよ?」

 身に覚えのない雪子が花村にそう答える。

「え、マジで? じゃあ今度、一緒にどっか出かける?」

「……それは嫌だけど」

 その言葉に気をよくした花村が遊びに誘うが、困ったように雪子が断る。 

「僅かでも期待したオレがバカだったよ……つーか、お前ら、あんま転校生イジメんなよー」

 気落ちした花村が千枝達にそう言って自転車に乗って去っていく。
 その姿を見て、鏡は今朝見た人物と花村が同一人物だったと気付いた。
 どうやら、千枝のDVDが壊れたのは朝の事故が原因のようだ。

「話聞くだけだってば!」

「あ、あの、ごめんね。いきなり……」

 去っていく花村に千枝が怒鳴り返し、その様子に雪子が鏡に謝罪してくる。

「天城さんが悪い訳じゃないでしょ?」

「うん……ありがとう」

 鏡の言葉に雪子が微笑んでお礼を言う。

「ほら、もう行こ。なんか注目されてるし」

 さっきよりも集まってきた野次馬に気付いた千枝が二人に声をかけてくる。

「行こうか」

「そうだね」

 そう言って、二人は先に行く千枝を追いかける。




――帰り道。

 鏡は千枝に訊かれるままに、自身が稲羽に来た理由を簡単に説明する。

「そっか、親の仕事の都合なんだ。もっとシンドい理由かと思っちゃった。はは」

「そんなドラマみたいな展開、そうそう無いよ」

 千枝の言葉に鏡がそう答える。
 鏡の言葉に苦笑を浮かべた千枝は足を止め、周りを見渡す。

「ここ、ほんっと、なーんも無いでしょ? そこがいいトコでもあるんだけど、余所のヒトに言えるようなモンは全然……」

 自嘲気味に鏡に説明する千枝はそこまで言って、何かを思い出したのか言葉が一瞬とまる。

「あ、八十神山から採れる……何だっけ、染め物とか焼き物とか、ちょっと有名かな」

 そこまで話して、千枝は雪子の方へと振り返る。

「ああ、あと、雪子んちの“天城屋旅館”は普通に自慢の名所!」

「え、別に……ただ古いだけだよ」

 嬉しそうに語る千枝とは反対に、雪子はあまり嬉しそうではない。
 千枝の説明によると、雪子の実家は老舗の温泉旅館で“隠れ家温泉”として雑誌に紹介されているらしい。
 稲葉市の財政は天城屋旅館で保っているようで、雪子はその天城屋旅館の次期女将だとか。
 自慢げに説明する千枝とは裏腹に、雪子は自身の事をそう話されるのは良く思ってないようだ。

「ね、ところでさ。雪子って美人だと思わない? 神楽さんもだけど」

「そうだね。天城さんの綺麗な黒髪とか素敵だと思うよ」

 唐突にそんな事を訊ねてくる千枝に、鏡は思ったことを正直に話す。

「でしょ!」

「ちょっと、千枝。またそういう事……それを言うなら、神楽さんの髪だって」

 鏡の評価に我が事のように喜ぶ千枝に雪子が反論する。

「だよねぇ……染めているんじゃ無いよね? だったらモロキンが黙っていないし」

「私はハーフだからね、この髪は生まれつき。父が北欧系だから」

「確かに、腰の位置とか高いよね……」

 雪子の指摘に千枝が鏡に確認を取り、その説明に千枝がしげしげと鏡を見つめる。

「なんで私の周りは美人ばっかり何だろう……」

「里中さんだって、可愛らしいと思うけど?」

「えっ!? 私が可愛い!? いや、そんなこと全っ然、無いから!」

 呟く千枝に鏡が可愛いと褒めると、顔を真っ赤にして慌てて否定する。

「そうだね。千枝は可愛いよ」

 慌てた様子の千枝に、雪子が普段の仕返しとばかりに鏡と一緒になって褒める。

「二人とも、その辺で勘弁して……あたし、恥ずかし過ぎて死んじゃいそう……」

 普段聞くことの無かった褒め言葉に千枝が二人に降参する。

「あれ、何だろ」

 そんな他愛ないやりとりをしつつ歩いていると、千枝が前方に人集りを見つける。
 進行方向なのでそのまま近づいてみると、人集りの向こうに数台のパトカーが停まっており、警察官が道を封鎖していた。
 手前にいる主婦達の話では、その道の先で死体が発見されたらしく、その状況が異様だった事。
 第一発見者はたまたま早退した高校生で発見した死体はアンテナに引っ掛かっていたそうだ。

「さっきの校内放送ってこれの事……?」

「アンテナに引っ掛かってたって……どういう事なんだろう……」

「おい、ここで何してる」

 主婦達の話に驚く千枝達に声がかけられる。その声の主は遼太郎だった。

「たまたま通りすがっただけです」

「ああ……まあ、そうだろうな。ったく、あの校長……ここは通すなって言ったろうが……」

 鏡の答えに遼太郎は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。

「……知り合い?」

「コイツの保護者の堂島だ。あー……まあその、仲良くしてやってくれ」

 鏡に訊ねる千枝に遼太郎が自己紹介をする。

「とにかく三人とも、ウロウロしてないでさっさと帰れ」

「叔父さん、菜々子ちゃんは?」

「ああ、小学校の方で集団下校して今は家にいる。すまないが、戻ったら菜々子の事を頼む」

 遼太郎の忠告に鏡は気になった事を訊ね、遼太郎がそう答える。
 その遼太郎の背後から、頼りなさそうな若い刑事が脇を走り抜け、田んぼの方へと向かい蹲って嘔吐する。

「足立! おめえはいつまで新米気分だ! 今すぐ本庁帰るか? あぁ!?」

「す……すいませ……うっぷ」

 遼太郎の叱責に、足立と呼ばれた若い刑事は返事を返そうとするが、顔色が悪く上手く返事が返せないようだ。

「たぁく……顔洗ってこい。すぐ地取り出るぞ!」

 そう言って仕事に戻る遼太郎の後を足立が追いかける。

「ねえ、雪子さ、ジュネスに寄って帰んの、またにしよっか……」

「うん……」

 事件に不安になった千枝が雪子にそう話し掛け、雪子もそれに同意する。

「じゃ、私達ここでね。明日から頑張ろ、神楽さん!」

「鏡」

「え?」

「私の事は名前の方で呼んで。そっちの方が慣れているから」

「うん、それじゃ、あたしの事も千枝って呼んで。雪子も名前で良いよね?」

「改めてよろしくね、鏡」

 鏡に別れを告げて帰ろうとする千枝に、鏡は名前で呼ぶように二人に頼む。
 二人も互いに名前で呼ぶことで合意して、千枝と雪子は帰って行った。
 帰って行く二人を見送った鏡は、先に帰っている菜々子の事が心配になり少し急いで帰宅する。

 転校初日に起こった奇怪な事件。

 この事件に深く関わる事になるとは、この時の鏡には想像もつかぬ事であった……



2011年03月14日 初投稿



[26454] マヨナカテレビ
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/03/16 15:52
――――その噂は、誰が言い始めたのかは解らない

         だけど、ほんの気まぐれで試した噂は本当で

       電源の入っていないテレビの中に人影を見た

   コレが夢でない事に気付いたのは、後になってからだったけど……




 その日も遼太郎は帰ってこなかった。
 不可解な事件なので、調査が難航しているのだろう。
 二人で見ていたテレビのニュースで、今日の事件の事が取り上げられていた。
 被害者は最近、稲羽市市議会議員秘書との不倫問題で知られるようになった山野真由美アナだ。
 心配する菜々子を鏡は慰めようとしたが、菜々子は刑事だから仕方がないと我慢している。
 その姿が逆に、菜々子の寂しさを思わせる。
 鏡は、そんな菜々子へ明日、ジュネスに買い物へ行かないかと提案する。

「ほんとっ! 一緒にジュネスに行く!!」

 冷蔵庫の中にある食材が心許なく、また菜々子への気晴らしになるかと思っての提案だったが思いの外、菜々子が喜ぶ。
 鏡は菜々子と携帯電話の番号とメールアドレスを交換し合うと明日、学校が終わったら一緒に買い物に行く事を約束する。

「それじゃ、菜々子ちゃん。明日、学校が終わったらメールで知らせてね。迎えに行くから」

「うんっ!」

 時間も遅くなったので、二人はお風呂に入り就寝する。
 鏡は明日の準備があって、まだ暫くは起きているので、今日の所は別々に眠る事になった。

「お休みなさい、お姉ちゃん」

「お休み、菜々子ちゃん」

 菜々子が部屋へと戻るのを見届けてから鏡も自室へと戻り、明日の準備をしてから就寝する。




――その日の深夜遅く

「足立、目撃者の事情聴取の調書が無いが、どこだ?」

「すいません! 今、持っていきます!!」

 稲羽警察署では、今日の事件に対する捜査に職員が慌ただしく追われていた。
 足立が遼太郎の言葉に、慌てた様子で調書を持っていく。

「うわっ!」

 余程と慌てていたのか机につまずき、足立が盛大に転ける。

「ったく、何やってんだおめえは……」

「……す、すいません」

 呆れた様子の遼太郎に足立は気まずそうに謝る。
 遼太郎は足立から調書を受け取ると内容を確認する。

小西早紀( こにし さき )稲羽高校の3年か……」

 被害者の第一発見者は、姪が通う高校の1学年上の先輩のようだ。
 体調が悪く、早退したところで被害者を発見。
 濃霧の中での事だったので、近くに人が居たかは解らないとの事。

「そう言えば、浮気相手の生天目太郎と妻の柊みすずのアリバイは取れたらしいですね」

 調書を読む遼太郎に足立が話し掛ける。

「鑑定結果から出た犯行時刻から逆算しても、二人には実行は不可能だからな……」

 足立の質問に遼太郎が答える。
 稲葉市は交通の便が良い土地でなく、移動するのに時間が掛かる。
 仮に被害者の山野真由美が消息を絶った理由が二人にあったとしても、アリバイのある時間までには戻ってこれないのだ。

「代理殺人の線はどうでしょうね?」

「それも考えられるが、不審者の目撃証言が無いからな」

 先日の通報で主要な交通機関は全て押さえてある。
 不振な人物が稲羽から出入りしたという事実が無く、犯人に繋がる情報が見つからないのが現状だ。
 その上、夜になってから情報提供と偽ったイタズラ電話が殺到しているのも捜査の妨げになっている。
 全部の電話がイタズラだと断言できないため、電話対応にも人が割かれて捜査への人手が足りない有様だ。

「またですか……」

 所内の電話が鳴り、足立が億劫そうに電話に出る。
 遼太郎はまだ目を通していない調書へと、再び目を通す作業に戻る。

「忙しいから切るよ。……じゃね」

 電話を切った足立が戻ってくる。

「またイタズラ電話でしたよ……変な番組に、殺された山野アナが出てたって」

 呆れたように足立がそう話す。

「その番組って、何だ?」

「堂島さん、どうせガセですよ。電源を入れていないテレビ画面に番組が映るって、あり得ないでしょ?」

 遼太郎の質問に足立がそう答える。
 確かに、電源が入っていないテレビで番組を見るのは不可能だ。
 だが、常識的に考えて当たり前な内容の話に、何故だか遼太郎は奇妙な引っかかりを覚えた。




――翌朝

「それじゃ、菜々子ちゃん。また後でね」

「うん。行ってきます、お姉ちゃん」

 通学路の分かれ道で菜々子と別れた鏡は、学校へと向かう。
 通学中、鏡の後ろから凄い速度で追い越していった自転車が、操作を誤りゴミ収集所へと盛大に突っ込む。
 その衝撃で、運転していた男子生徒が派手にゴミ箱に頭から嵌ってしまい、ゴロゴロと藻掻いている。

「だ、誰か……」

 流石に見かねたので、鏡は男子生徒を助け起こす。

「いやー、助かったわ。ありがとな! えっと……そうだ、転校生の神楽だったな。俺、花村陽介。よろしくな」

 鏡に助け起こされた陽介はそう言って鏡に礼を述べる。

「怪我は、無さそうね」

「あぁ、大丈夫だ。な、昨日の事件、知ってんだろ? “女子アナがアンテナに”ってやつ!」

 鏡の確認に陽介はそう答えると、先日の事件について鏡に訊ねてくる。

「知っているけど、取り敢えず学校へと向かわない?」

「っと、そうだったな。悪ぃ」

 鏡の指摘に陽介は謝ると、自転車を押して鏡と並んで通学する。

「あれ、なんかの見せしめとかかな? 事故な訳ないよな、あんなの。わざわざ屋根の上にぶら下げるとか、マトモじゃないよな」

「そうだとは思うけれど、警察に任せておく事じゃない?」

「まあ、そうなんだけどな。けど、気になるじゃないか?」

 興味深げに話す陽介に、鏡は正論で釘を刺す。
 確かに気にならないと言えば嘘になるが、敢えて自分から危険事に関わる必要はない。
 その事を陽介に説明すると、一応は納得したようだ。
 とはいえ、そう言った事に興味を示すのは男子特有の好奇心なのかも知れないと鏡は思った。




――放課後

 今日の授業も全て終わり、鏡は菜々子からメールが届いてないか確認する。
 どうやら菜々子も授業が終わったらしく、途中まで向かっているとの事だ。
 今から帰れば、丁度良いタイミングで菜々子と合流できそうなので、鏡は帰り支度を急いだ。

「どうよ、この町には、もう慣れた?」

 そんな鏡に陽介が声を掛けてくる。

「どうだろう。来たばかりで何とも言えないかな」

「たしかにそうか」

 鏡の返事に陽介が納得する。

「今朝助けてくれたお礼に、ここの名物の“ビフテキ”をおごるぜ。俺、安い店知ってるからさ」

「あたしには、お詫びとかそーゆーの、ないわけ? “成龍伝説”」

 二人の話を聞きつけた千枝が会話に混ざってくる。

「う……メシの話になると来るなお前……」

「雪子もどう? 一緒にオゴってもらお」

 陽介の話に聞く耳を持たず、千枝が雪子にも誘いの声を掛ける。

「いいよ、太っちゃうし。それに、家の手伝いあるから。それじゃ私、行くね」

 しかし、どことなく元気のない雪子はそう言って、千枝の誘いを断り下校する。

「仕方ないか。じゃ、あたし達も行こ」

「え、まじ二人分おごる流れ……?」

「ごめん。今から従妹の子とジュネスで買い物をする約束があるから、気持ちだけ受け取っておくよ」

 鏡がそう言って、陽介の誘いをやんわりと断る。

「ん? ジュネスに行くのか? それなら……」

 鏡の言葉に、陽介が何かを考える仕草を見せる。

「花村、どったの?」

 その様子に千枝が疑問顔で訊ねる。

「里中、二人分は流石に無理だから、ジュネスのフードコートで良いか?」

 陽介の言葉に千枝は話の意図を悟り『仕方がないなぁ』と陽介の申し出を受ける。
 二人のやりとりについて行けない鏡は不思議そうな表情を見せる。

「あ、悪ぃ。取り敢えず、従妹の子と合流しようぜ。理由は道すがら説明するから」

 そう言って、陽介も急いで帰り支度を始める。
 不思議がる鏡を余所に、二人は付いてくる気だ。
 ジュネスに向かうのなら断る理由もないので、鏡は二人の好きにさせる。
 菜々子との待合い場所に、鏡が知らない男女を連れてきた事に菜々子は驚いたが、鏡の説明を聞き、菜々子は嬉しそうになる。
 鏡と二人でジュネスに買い物に行くだけでも嬉しかったのだが、鏡の友達も増えた事で更に嬉しさに拍車を掛けたようだ。




「結構、買ったよな」

――ジュネス・フードコート

 菜々子と一緒に買い物を済ませた鏡達は、屋上にあるフードコートで陽介からおごって貰ったハンバーガーを食べていた。
 何でも、陽介の父親がジュネスの店長として半年前に稲羽に引っ越してきたそうだ。
 ここでなら多少のツケが利くらしく、陽介も内心安堵していた。
 もっとも、その分の費用は家の手伝いで支払う事になるのだが……

「ここってさ、出来てまだ半年くらいだけど、行かなくなったよねー、地元の商店街とか。店とか、どんどん潰れちゃって……あ」

「……別に、ここのせいだけって事ないだろ?」

 千枝の言葉に、多少不機嫌そうに陽介が答える。

「菜々子、ジュネス大好き!」

 そう言って、菜々子が満面の笑みを浮かべて陽介に話し掛ける。

「ありがとう、菜々子ちゃん」

 菜々子の無意識の気遣いに気付いた陽介がお礼を述べる。
 確かに、こんなに素直で良い子ならば、鏡が気に掛けるのも納得できる。
 それは陽介だけではなく、千枝も感じていた。

「あ……小西先輩じゃん。悪ぃ、ちょっと」

 そう言って、陽介が席を立ち、離れたテーブルに座る女性の方へと移動する。

「彼の恋人か何か?」

「はは、そうならいいんだけどね。小西早紀先輩。家は商店街の酒屋さん」

 鏡の質問に千枝が答える。

「お疲れッス。なんか元気ない?」

「おーす……今、やっと休憩。花ちゃんは? 友達連れて、自分ちの売り上げに貢献しているとこ? それとも両手に花でデート?」

「うわ、酷いなー。今朝助けて貰ったお礼を兼ねて、転校生の歓迎ッスよ」

 早紀の言葉に大げさに驚く素振りを見せて陽介が説明する。

「へえ、彼女がそうなんだ」

 そう言って早紀は席を立つと、鏡の方へとやってくる。

「キミが転校生? あ、私の事は聞いてる?」

「少しだけなら、先ほど千枝に聞いたところです」

 早紀の質問に鏡が正直に答える。

「そう言えば後輩の子から聞いたけど、モロキンをやり込めたんだって? 凄いよね」

「先輩、それくらいで勘弁してやってくださいよ」

 話し始めた早紀は鏡に対して色々と質問攻めにする。
 その様子に陽介が横から口を挟み、鏡はようやく質問攻めから解放される。

「ふうん、彼女が花ちゃんの好みのタイプ? 随分と気が利くじゃない」

「違いますって……ほら、先輩が変な事を言うから、菜々子ちゃんが睨んでいるじゃないですか」

 陽介の言葉に早紀が視線を向けると、鏡の隣に座っていた菜々子が二人に対して警戒するような視線を向けていた。

「あ……ごめんね。お姉ちゃんをいじめるつもりは無かったんだけど……」

「菜々子ちゃん、二人は私が皆と早く馴染めるように気を配ってくれたから、大丈夫だよ」

 早紀と鏡の言葉に、ようやく菜々子の態度が普段のそれに戻る。

「良い子だね。キミの妹?」

「従妹です」

「私の弟も、この子みたいに可愛げがあったらなぁ……」

 早紀がそうぼやいて菜々子を羨ましそうに見ている。

「あげませんよ?」

 菜々子の手を握って、鏡が早紀に宣言する。

「それは残念。さーて、こっちはもう休憩終わり。やれやれっと」

「……お姉ちゃん、大丈夫? なんだか、元気がないみたい」

 早紀の様子に何かを感じたのか、菜々子が心配そうな表情で問いかける。

「菜々子ちゃん、だっけ? ありがとう。ちょっと疲れただけ、お姉ちゃんは大丈夫だよ」

 菜々子の気遣いに早紀は表情を綻ばせると菜々子の頭を優しく撫でる。

「花ちゃん、友達少ないからさ、仲良くしてやってね。それじゃね」

 早紀はそう言い残すと仕事へと戻っていった。

「はは、人の事“気が利く”って、小西先輩の方がよっぽど気を遣ってるじゃんな?」

 苦笑気味な表情で、陽介が鏡達に話し掛ける。

「さっき言ってたけど。あの人、弟いるもんだから、俺の事も割とそんな扱いっていうか……」

「弟扱い、不満って事?……ふーん、分かった、やっぱそーいう事ネ」

 どことなく不満げに話す陽介に、千枝がにやりと人の悪い笑みを浮かべて話し掛ける。

「地元の老舗酒屋の娘と、デパート店長の息子。燃え上がる禁断の恋、的な」

「バッ! アホか、そんなんじゃねーよ。菜々子ちゃんの前でなに言ってだ」

「そんな悩める花村に、イイコト教えてあげる。“マヨナカテレビ”って知ってる?」

 陽介の抗議を右から左に聞き流し、千枝は話を続ける。
 千枝の説明によると、雨の日の午前0時に消えているテレビを一人で見ると、運命の相手が映るそうだ。

「なんだそりゃ? 何言い出すかと思えば……お前、よくそんな幼稚なネタで、いちいち盛り上がれんな」

「よ、幼稚って言った? 信じてないんでしょ!?」

「信じるわけねーだろが!」

「だったらさ、ちょうど今晩は雨だし、みんなでやってみようよ!」

「やってみようって……オメ、自分も見た事ねえのかよ! 久しぶりに、アホくさい話を聞いたぞ……」

 千枝の説明に、陽介は呆れ顔で反論する。
 菜々子にはその様子が楽しそうに見えたのか、ニコニコしている。

「とにかく、今晩ちゃんと試してみてよね」

 千枝が二人に念を押す。
 鏡も取り敢えず試してみるかと、マヨナカテレビの事を意識の片隅に留めておいた。




 陽介達と別れて菜々子と一緒に戻ってきた鏡は、買ってきた食材で晩ご飯の支度をする。
 菜々子も手伝うと言ってくれたので、鏡は菜々子と二人で晩ご飯を作る。
 遼太郎がいつ帰ってくるか分からないので、出来上がった晩ご飯を二人で食べていると、菜々子が気落ちした様子を見せていた。
 気になって連絡はあったのか聞いてみたところ、電話をすると言ってはいるが連絡は滅多に無いようだ。
 どういって慰めようかと鏡が考えていると、玄関が開く音が聞こえてきた。

「あっ、帰ってきた!」

 そう言って、嬉しそうな様子で菜々子が立ち上がると同時に、疲れた表情の遼太郎が居間にやってきた。

「やれやれ……ただいま。何か、変わり無かったか?」

「ない。帰ってくるの、おそい」

「悪い悪い……仕事が忙しいんだよ」

 菜々子の苦情に遼太郎は気まずそうに答える。

「お帰りなさい、叔父さん。晩ご飯はどうします?」

「ああ、食べてないからいただくよ……って、これ弁当じゃないな。わざわざ作ってくれたのか?」

 ちゃぶ台に並べられている晩ご飯を見て、遼太郎が鏡に訊ねる。

「ええ、出来合いの物では栄養が偏りますから」

「済まないな……菜々子、テレビ、ニュースにしてくれ」

 遼太郎に言われて、菜々子もまだ何か言いたそうな表情を見せるが、言われたとおりリモコンを操作してチャンネルを変える。
 チャンネルを変えるとニュースは丁度、先日起きた事件を取り上げていた。
 鏡は立ち上がると台所へと向かい、遼太郎の分の晩ご飯の準備をする。

『番組では、遺体発見者となった地元の学生に、独自にインタビューを行いました』

「ふぅ……第一発見者のインタビューだ? どこから掴んでんだ、まったく……」

 ニュースの内容に、遼太郎が辟易した様子でそう零す。

『最初に見た時、どう思いました? 死んでるって分かった? 顔は見た?』

 無遠慮なリポーターの質問に、取材されている女生徒は戸惑っている。
 その女生徒の声に聞き覚えがあった鏡は手を止め、テレビを見る。
 画面に映っているのは、今日ジュネスで会った早紀のようだ。

「お姉ちゃん、この人、今日ジュネスで会った人だよね?」

 菜々子も気付いたのか、鏡にそう話し掛けてくる。

「何だ、お前ら知り合いか?」

「顔見知りといった程度ですけれど……」

 遼太郎の質問に鏡が答え、支度の続きへと戻る。
 その間にインタビューは終わり、コメンテーターが話していた。

『全く、奇っ怪な事件ですね~、民家のアンテナに引っ掛けて、逆さに吊すってんだから……』

『犯行声明などは、出ていないようですが』

「イタズラ電話なら、殺到してるがな……」

 テレビのやりとりに遼太郎が突っ込みを入れる。
 捜査の進展が思わしくないのだろうか?
 その声には疲れが滲み出ていて、何だか眠そうだ。

『事件か事故かも分からないなんて、ったく、警察は血税で何遊んでるんだか……』

 コメンテーターは無責任な発言を繰り返している。
 このニュース番組はリポーターもそうだが、コメンテーターも報道する者としてどうかと言いたくなる。

「叔父さん、晩ご飯の支度が出来ましたから、手を洗ってきて……」

 鏡がそう言って遼太郎の方へと視線を向けると、遼太郎はソファで寝入っていた。

「菜々子ちゃん、毛布を取ってきてもらえる? 流石にそのままだと叔父さんが風邪を引いちゃうから」

「うんっ」

 菜々子はそう言って、寝室へと毛布を取りに行く。
 鏡は用意した遼太郎の晩ご飯にラップを掛け、起きた時にすぐに食べられるようにしておく。

「お姉ちゃん。毛布、持ってきたよ」

「ありがとう、菜々子ちゃん」

 菜々子から毛布を受け取った鏡は、それを遼太郎に掛ける。
 遼太郎は余程疲れているのか、少々の事では目を覚ます様子を見せないでいる。

「ご飯、冷めちゃわない内に食べようか?」

「うんっ」

 二人はせっかくの晩ご飯が冷めない内にと、ちゃぶ台について食べかけだった食事を再開する。
 鏡は食事中、菜々子から学校で今日あった事やジュネスでの事を聞き、自身も千枝や陽介達の事を話す。
 まだ菜々子とは会っていない雪子の事も話し、機会があったら紹介する事を約束する。
 食事を終え、二人で食器の後片付けを済ませると、一緒にお風呂へと入る。
 はしゃいで疲れたのか、お風呂の中でうつらうつらと船を漕ぐ菜々子が溺れないように気を配りながら自身も良く温まる。

「……おやすみなさぁい」

「お休みなさい」

 コシコシと瞼を擦りながら、眠たげに菜々子がそう言って自室へと戻る。
 遼太郎は今もソファで眠っており、起きる気配がない。
 鏡は先ほどラップした遼太郎の晩ご飯をちゃぶ台に置くと、メモ用紙に書き置きを残す。
 この様子だと、この食事は明日の朝食になりそうだ。
 書き置きを残した鏡も、千枝から言われた事を試すために自室へと戻る。
 外は天気予報通りの雨で、屋根に当たる雨音だけが聞こえてくる。
 静かな部屋で午前0時になるのを待つ。

(そんな訳ないか……)

 時計の針が午前0時を回るが、テレビの画面には自身の顔しか映らない。
 分かっていた事だけに、鏡は軽く笑うと自身も就寝しようとテレビから離れる。

――その瞬間

 テレビからノイズ音が聞こえだし、画面に何かが映る。
 怪現象に驚いた鏡は、引き寄せられるようにテレビの画面を見る。
 テレビに映っているのは稲羽高校の女生徒のようだ、

(これ、小西先輩……!?)

 確証は持てないが、テレビに映っているのはジュネスで会った早紀だと思われる人物。
 テレビに映るその人物は、何かから逃げるような仕草をしている。
 その様子に、鏡は咄嗟にテレビ画面に手を伸ばす。

「……ッ!?」

 テレビ画面に手が触れた瞬間、水の中に手を入れるように画面の中へと手が入っていく。
 鏡が驚いたのもつかの間、テレビの中の手が何かに引っ張られるように引き込まれていく。
 咄嗟にテレビ画面の縁を入れていない反対側の手で掴み、引きずり込まれないように抵抗する。
 抵抗の甲斐もあってか、引き込む力が消え、テレビ画面から手を抜く事が出来た。

(……今のは、何だったの?)

 あり得ない超常現象に答えが見いだせる訳もなく、鏡は不安を抱えて眠りについた。




――翌日

 クラスは先日の事件の噂話で持ちきりだった。
 昨日のニュース番組のせいで、第一発見者が早紀であったという噂も広がっているようだ。

「よ、よう。あのさ……や、その、大した事じゃないんだけど……実は俺、昨日、テレビで……」

 浮かない表情で、陽介が鏡に話し掛けてくる。
 ただならぬ様子に鏡が何かを言おうとしたが、それよりも早く陽介がその話題を打ち切ろうと言葉を濁す。

「花村ー、ウワサ聞いた?」

 そんな二人の声を掛けて千枝が傍へとやってくる。

「事件の第一発見者って、小西先輩らしいって」

「だから元気なかったのかな……今日、学校来てないっぽいし」

 そんな事を話す二人に、鏡は先日見たニュースで早紀が出ていた事を話す。

「何そのリポーター、最低……」

「……マジかよ」

 鏡の説明に、二人の表情が曇る。
 そんな三人のやりとりを余所に下校準備を済ませた雪子が席を立つ。

「あれ? 雪子、今日も家の手伝い?」

「今、ちょっと大変だから……ごめんね」

 疲れた様子で千枝に答えた雪子はそのまま下校する。

「なんか天城、今日とっくべつ、テンション低くね?」

「忙しそうだよね、最近……」

 陽介の言葉に千枝は小首をかしげて答える。

「ところでさ、昨日の夜……見た?」

「エッ……? や、まあその……お前はどうだったんだよ」

 おもむろに話題を変えてきた千枝に、陽介が若干動揺した様子で聞き返す。

「見た! 見えたんだって! 女の子! けど、運命の人が女って、どゆ事よ?」

 釈然としない表情で千枝が説明する。
 誰かまでは分からなかったらしいが、明らかに女の子で肩まで伸びたふわっとした髪に、八十神高校の制服を着ていたらしい。
 千枝の説明に陽介は驚いた表情を見せ、自分が見たのも同じ人物かも知れないと説明する。

「え、じゃ花村も結局見えたの!? しかも同じ子? 運命の相手が同じって事?」

「知るかよ……で、お前は見た?」

 呆れた表情で千枝に答えた陽介が鏡に聞いてくる。
 陽介の質問に、鏡は自分が見た人物は早紀で何かから逃げようとしていた事、その際にテレビの中に手が入った事を説明する。

「何かから逃げようとしている小西先輩ってのは気になるが、テレビに吸い込まれたってのはお前……」

 鏡の説明を聞いた陽介は、その状況で動揺したのか寝ぼけていたのかのどちらかだろうと、おどけた調子で話す。
 話の内容が内容だけに、事実でないと思いたいのだろう。

「けど夢にしても面白い話しだね、それ。テレビが小さくて助かった、なんて。もし大きかったら……」

 千枝も陽介と同じように鏡が寝ぼけていたのだろうと思ったが、そこでふと何かを思いついたのか、陽介へと視線を向ける。

「そう言えばウチ、テレビ大きいの買おうかって話してんだ」

「へぇ。今、地デジへの移行で買い換えすげー多いからな。なんなら、帰りに見てくか? ウチの店、品揃え強化月間だし」

「見てく、見てく! 親、家電疎いし、早く大画面でカンフー映画みたい!」

 陽介の言葉に、嬉しそうに千枝が荒ぶる鷹のポーズを取る。

「だいぶデカイのもまであるぜ。お前が楽に入れそうなのとかな、ははは」

 二人は鏡の話を全く信じていないようだ。
 鏡としても夢であると思うのだが、陽介の言う大きなテレビで、昨日の事が夢だったのかを試してみても良いかと考える。
 こうして、三人でジュネスへと寄り道する事となったのだが、菜々子も誘えば良かったと着いてから鏡は気が付いた。




――ジュネス・家電売り場

「でか! しかも高っ! こんなの、誰が買うの?」

「さあ……金持ちなんじゃん?」

 驚く千枝に呆れた様子で陽介が説明する。
 ジュネスでテレビを買う客は少ないらしく、この辺りには店員が配置されていないそうだ。
 その説明に千枝は呆れるが、ずっと見ていられるのは良い事かと思い直す。

「……やっぱ、入れるワケないよな」

「はは、寝オチ確定だね」

「大体、入るったって、今のテレビ薄型だから、裏に突き抜けちまうだろ……ってか、何の話してんだっつの!」

 二人は鏡の言葉を確かめようと大型テレビに触れてみるが当然、入れる訳もなく他愛ない会話を続けている。
 千枝からどんなテレビが欲しいのか聞いている陽介は、離れた場所の比較的値段の安いテレビを進める。
 だが、千枝からするとそれでも高いらしく、桁が一つ多くないかと騒いでいる。
 そんなやりとりをしている二人を余所に、鏡は目の前の大画面テレビに近づいてみる。
 確かに、これだけ大きければ中に入れるかも知れない。
 鏡は昨日の事が夢なのか確かめるべく、そっと画面に触れてみる。
 指先が画面に触れると、水面に触れたかのような波紋がテレビ画面に広がる。
 そのまま手を差し込んでみると、手首まで画面の中に入ってしまう。

「そういやさー、神楽。お前んちのテレビって……」

 そう言って鏡の方へ視線を向けた陽介の視界に、信じられない光景が映った。
 驚く陽介を不思議に思った千枝も鏡の方に視線を向け、同じように驚きで動きが固まる。

「あ、あいつの腕……刺さってない……?」

「うわ……えっとー、あれ……最新型? 新機能とか? ど、どんな機能?」

「ねーよッ!」

 二人はそう言うと、鏡の傍まで急いでやってくる。

「うそ……マジで刺さってんの!?」

「マジだ……ホントに刺さってる……すげーよ、どんなイリュージョンだよ!? で、どうなってんだ!? タネは!?」

 愕然とする二人を余所に、ひょっとすると全身も入るかも知れないと思った鏡は、頭も画面の中へと入れてみる。

「バ、バカよせって! 何してんだ、お前ー!!」

「す、すげぇー!!」

 テレビの中は空間が広がっていて相当に広そうだ。

「な、中って何!?」

「く、空間って何!?」

「ひ、広いって何!?」

「っていうか、何!?」

 鏡の説明にパニックになった二人が慌てふためく。

「客来る! 客、客!!」

 慌てる陽介の視界に、家電売り場に近づいてくる客の姿が映る。

「え!? ちょっ、ここに、半分テレビに刺さった人いんですけど!! ど、どうしよう!?」

 陽介の言葉で、更にパニックになった千枝がどうしたら良いのか分からず、陽介と共にあたふたと周りを意味もなく走り回る。
 そのまま走り回っていた陽介と千枝は、互いに衝突して結果的に鏡をテレビに押し込める格好となった。

「うわ、ちょ、まっ!!」

 陽介の叫びを最後に、鏡達はテレビの中へと落ちていったのだった……




2011年03月16日 初投稿



[26454] もう一人の自分
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/03/19 22:53
――――霧で覆われた世界はどこまでも広く

           どこに向かうべきかも分からない……

         それはまるで人生のようで

    先の見えない不安に押しつぶされそうになった




「何ここ……ジュネスのどっか……?」

「んな訳、ねえだろ。大体、俺達テレビから……つうか、コレ……何がどうなってんだ?」

 あまりの出来事に唖然とした様子で千枝が呟き、陽介が反論する。
 先ほどまでジュネスの家電売り場に居たはずの鏡達は、視界の悪い『どこか』に居た。
 周りは霧のようなモノで覆い隠されていて、数メートル先までしか見渡せない。

「皆、怪我は無い?」

「あたしは大丈夫」

「俺はケツに入れてた財布がダイレクトに……」

 鏡の確認に二人がそれぞれ答える。

「お、おいっ、お前ら、周りを見てみろ」

 陽介の言葉に改めて周りを見渡してみる。
 鉄柱に取り付けられた複数の照明が鏡達を照らしていて、まるでテレビのスタジオのような場所だ。

「これって……スタジオ? 凄い霧……じゃない、スモーク?」

 見た目の様子から、千枝が思った感想を呟く。

「こんな場所、ウチらの町にないよね……?」

「あるわけねーだろ……どうなってんだここ……やたら広そうだけど……」

 千枝の言うとおり、陽介達が知る限りこんな場所は稲葉市には存在しない。
 そもそも、テレビの中に世界があること自体が常識的に考えてあり得ない。

「どうすんの……?」

「周りを調べて、出口を探そう」

 千枝の言葉に鏡が答える。
 問題は、この場所に『落ちて』来た事だが……

「それは賛成なんだけど、あたしら……そう言や、どっから入ってきたの? 出れそうなトコ、無いんだけど!?」

「ちょ、そんなワケねーだろ! どどどーゆー事だよ!」

「知らんよ、あたしに聞かないでよ! やだ、もう帰る! 今すぐ帰るー!」

「だから、どっからだよ……!」

 周りを見渡してみても出口らしき場所がないため、千枝が動揺して癇癪を起こす。
 陽介も状況が分からず混乱しているのか、千枝に対して言葉が若干荒い。

「二人とも、落ち着いて! 入って来れたんだから、出口だってきっとあるはずよ」

「そ、そうだよな。入って来れたんだ、出口があるはずだよな。冷静に、冷静にな……」

 動揺する二人に鏡が冷静になるように話す。
 冷静さを失うことが、こういった場合には一番危険な事だからだ。
 鏡の言葉に、陽介も冷静になるように自分に言い聞かせる。

「とりあえず、出口を探すぞ」

「ここ、ホントに出口とかあんの……?」

 陽介の言葉に千枝が不安そうに訊ねる。

「空気が流れる音がしているから、どこかに繋がっているはずよ」

 千枝の言葉に鏡が答える。
 本音を言えば、鏡自身も自分たちが出られる場所が本当にあるのか自信がない。
 しかし、自分が弱音を吐いて二人をこれ以上不安がらせないためにも、大丈夫だという態度を取る必要があるのだ。
 諦める事が一番拙い事だというのを、身をもって知っているだけに。




 鏡達が手分けして出られそうな場所が無いか探してみたところ、空気が流れてくる場所を見つけ出すことが出来た。
 この場所にいても仕方がないので、三人で先へ進んでみる事にした。

「何だよ……こりゃ、どういう事だ……?」

「……うそ」

 目の前の光景に、陽介と千枝は唖然となる。
 鏡は初め、二人が唖然としている理由が分からなかったが、暫くしてその理由に気がついた。

「稲羽中央通り商店街……」

 稲葉市に初めて来た日、遼太郎が車のガソリンを給油する際に立ち寄った場所だ。
 鏡は移動する車内から見ただけだったが、陽介達の様子から間違いはないと思われる。

「あたし達、いつの間にか戻れてたって事?」

「だったら良かったんだけどな……ここがホントに商店街だったら、あんな空なワケないだろ」

 千枝の言葉を陽介が即座に否定する。
 周りは変わらず霧に覆われて視界が悪い上に、見上げた空は赤と黒の縞模様で構成されている。

「じゃあ、ここは一体どこなの?」

「そんなの、俺にも分からねぇよ」

「取り敢えず、この先も調べた方が良さそうね」

 戸惑う二人に鏡が話し掛ける。
 とはいえ、知っている場所に似た別の場所という異常な状況なので、周りの小さな異変にも気を配らなければならない。

「そう言や……ここが商店街だったら、この先は確か小西先輩の……」

 陽介はそう呟くと鏡達を置いて走り出す。

「ちょっと、花村! 勝手に行動しないでよっ!!」

 陽介の行動に慌てた千枝が、すぐさま後を追いかける。
 この霧の中ではぐれる事の危険を考え、鏡もすぐに二人の後を追いかける。
 幸い、前方を走る千枝の姿が見えるのと、途中の道を曲がること無く進んでいたので、はぐれずに追いつくことが出来た。

「やっぱり……ここ、先輩んちの酒屋だ」

 “コニシ酒店”と書かれた店の前で陽介がそう零す。

「花村……アンタ、勝手に行動しないでよ」

 陽介に追いついた千枝がそう言って、息を整える。
 少しして鏡も二人に追いつくと、目の前の店へと視線を向けた。

「ここは?」

「あぁ、ここは小西先輩の実家の酒屋なんだけど、何でこんな所に……」

 鏡の質問に陽介が答える。
 だが、先の実家がここにある理由は分からない。

『そんなこと無いっ!!』

 突然、店の中から叫び声が聞こえた。
 その声を聞いた瞬間、陽介が驚いた表情になる。

「この声、小西先輩だ!」

「嘘っ、何で!!」

 陽介の言葉に千枝も驚く。
 自分達と同じ境遇の者が存在していた事と、それが知っている人物である事の二重の驚き。

「今の声が小西先輩である場合とそうでない場合の可能性があるけれど、どうする?」

 驚いている二人に鏡が声を掛ける。
 実際に見て確認したわけではないので、両方の可能性を考えての質問だ。

「そうだな。二人はここで待っててくれ。俺が中の様子を見てくる」

「一人でなんて駄目だよ! あたし達も一緒に行くから」

「駄目だ。もし中にいるのが先輩でなくて、俺達に危害を加えるようなやつだったらどうすんだよ」

「その時は全員一緒に一目散に逃げる。小西先輩で何か問題があるなら全員で助ける。それならどう?」

 一人で様子を見に行くという陽介へ千枝がついて行くと主張するが、陽介は危険かも知れないからと断る。
 しかし、単独での行動が危険なのも確かなので、鏡が陽介に妥協案を出す。

「……解った。ったく、何でこう勇ましいお嬢さん達ばっかなのかねぇ」

 鏡の提案に陽介がおどけたようにそう言うが、内心では二人に感謝していた。

「それじゃ、中にいるヤツに気付かれないように慎重にな」

 陽介は二人に念を押すと足音を立てないように店内の様子を窺う。

「……っ!?」

 店内の様子を窺った陽介は、信じられない光景を目の当たりにする事となる。




――鏡達がこの世界に訪れるよりも更に前

(……ここは一体、どこなの?)

 早紀は、自らが置かれた状況に戸惑っていた。
 深い霧で周りがほとんど見えない状況。
 遺体を発見してしまった時と同じ状況に気が滅入ってくる。

 何故、自分がこのような場所にいるのか?
 理由は分からないが、自宅を出た辺りからの記憶が覚束ない状況にある。
 気がつくと、霧に包まれたどこかで自分は倒れていたようで、何故ここにいるのか? どうして倒れていたのか?
 その辺りの記憶が全くないという異常な状況に置かれていた。

(帰らなきゃ……)

 そう思い、視界の悪い中を彷徨っていると、奇妙な物体に声を掛けられた。

「キミはそこで何をしているクマ? ここは危険だから、早く元の世界に帰るクマ」

 それはズングリした物体だった。
 短い足は歩くたびに可愛らしい音を立て、まん丸の目は愛嬌がある。

「アンタこそ何よ……?」

 早紀は見た目は可愛らしいが得体の知れない物体に警戒心を顕わにする。

「クマはクマだよ? ココにひとりで住んでるクマ」

 クマと名乗る物体が早紀にそう話す。

「ココは人間が住むには良い所じゃ無いクマ。早く帰るクマよ」

 早紀は心配そうに話し掛けてくるクマに、自身がどこから来たのかが解らない事。
 どうやって帰れば良いのかが解らない事を説明する。

「それは困ったクマね……どこから入ってきたのか解らなかったら、元の場所に帰してあげられないクマよ……」

 早紀の説明に心底困った様子でクマが話す。
 何分、着ぐるみのような姿をしているのと、深い霧で表情がよく解らない。
 クマの説明によると、霧が晴れると“シャドウ”という存在が暴れて危険なのだそうだ。
 それまでに早紀を元の場所に帰してあげたいそうなのだが、早紀自身がどこから来たのかが解らない有様。
 仕方がないのでクマが普段、隠れているという場所まで早紀を連れて行く事となった。

「あ、そうだ。サキちゃん、コレを掛けておくクマ」

 そう言ってクマが早紀に手渡したのは、縁のない眼鏡。
 何でも、この眼鏡を掛けると霧を見通す事が出来るらしい。
 試しに眼鏡を掛けてみたところ、霧の無い開けた視界が広がった。

「……すごい!?」

「その眼鏡は、クマお手製の自信作クマ!」

 感嘆の声を上げる早紀にクマが得意げに話す。
 その様子が小さな子供が自慢する姿に見えたので、早紀はついクマの頭を撫でてクマを褒める。

(菜々子ちゃんって、言ったっけ? あの子が見たら喜びそうだな)

 早紀に撫でられて喜んでいるクマを見て、先日知り合った少女の事を思い出す。
 先ほどまで感じていた不安はいつの間にか消え、随分と落ち着いている事に早紀は気が付いた。
 よく解らない存在だが、クマは早紀の不安を晴らすには必要な存在のようだ。

「アレは何だクマ?」

 クマの案内で視界が良好になったこの場所を移動していると、何かを見つけたクマがそう呟く。
 それは早紀にとっては見慣れた風景、稲羽中央通り商店街だった。

「何で、商店街がこんな所に……?」

「サキちゃんの知っている場所クマか?」

「この先に私の家があるのだけど……」

「本当はここから離れた方がいい気がするクマ。けど、サキちゃんは疲れているようだから、少し休んだ方が良いクマね……」

 早紀の説明に、クマはこの場所から立ち去った方が安全だと考えるが、早紀の様子を見て考えを変える。
 幸い、まだ霧が晴れる事はないので、疲れた早紀を休ませてからでも大丈夫だろうとクマは判断する。
 早紀を休憩させるため、クマは早紀の実家がある場所へと移動する。

「サキちゃん、大丈夫クマか?」

 早紀の実家へと到着し、屋内で一休みしている早紀にクマが話し掛ける。

「うん、ちょっと疲れたけど大丈夫。食べ物とかあって助かったよ……」

 どういう理屈かは不明だが、本当の実家と同じく食べ物が置いてあったので、それらを食べてひとごこちを付いたところだ。
 クマの説明によると、ココにあるのはこの世界の現実と言う事だが、早紀にはさっぱり理解できない。
 ただ、飲食料がある事によって空腹を満たせた事実が大事だった。
 後は何とかして元の世界に帰るだけなのだが、未だに明確な手段は見いだせない。

(でも、このままこの世界でクマと一緒に居るのも悪くはないかもね……)

 打算無く自分を気遣ってくれるクマの存在に、早紀は心の隅で安堵している自分に気付く。
 自分を捨てて遠くへ行ってしまった人、ジュネスという大手のチェーン店が進出した事による実家の影響。
 その影響で日々、自分や弟に当たり散らす父に何も言わない母。
 何もかもが嫌だった。 この町から出てきたくて、時給の良いジュネスでバイトを始めたが、父親にはそれすらも感に障ったらしい。
 顔を合わせるたびに小言を言ってくる父親にウンザリしていた早紀からすると、この世界はまだ居心地が良かったのだ。


 視界が悪い事は、クマのくれた眼鏡が解消してくれた。
 後は、クマの言う“シャドウ”という存在から身を守ることが出来れば、このままこの世界にいても良いのでは無いかと思えてくる。

『本当に、それで嫌な事から逃げられると思ったの?』

「誰っ!?」

 突然の声に早紀は驚き、声の主を捜して周りを見渡すと、そこには信じられない人物が居た。

「……私!?」

「サ、サキちゃんが……二人……クマ?」

 声の主は驚く事に早紀自身だった。
 ただ、その表情はどこか歪さを感じさせ、金色の瞳がその印象に拍車を掛ける。

『この町を去ったあの人は私との約束を違え、あれから連絡の一つも寄越さない』

 それは認めたくない毒の言葉。

『花ちゃんだって、店長の息子だから相手をしてただけなのに、勝手に勘違いして盛り上がって……ほんと、ウザい……』

「そんなこと無いっ!!」

 確かに、そう思っていたところもあったが、それだけでは無かった。

『ジュネスなんてどうだっていいし、潰れそうなウチの店も、怒鳴る親も、何もかも全部、無くなればいいと思っているくせに……』

 目の前の早紀の一言一言が心を抉っていく。
 自分自身から言われる言葉が、身体から力を奪っていくような錯覚さえ覚える。

「……違う、私……そんな事、思ってない……」

『まだ誤魔化すんだ? 頑張っていないと、自分が惨めだと認めるしかないから頑張っていたんでしょ? 私には解る』

 目の前の早紀は勝ち誇った表情を浮かべて、早紀の心を砕いていく。

『私はアンタ、アンタの影……アンタの事は全てお見通しなんだから!』

「違うっ! そんなはず無い!!」

「サキちゃん、駄目クマ! すぐにここから逃げるクマ!!」

 目の前の早紀に心を砕かれそうになっている早紀にクマが慌てて声を掛ける。
 このままだと良くない事が起こる。
 何故だかクマにはその事がハッキリと感じ取れた。
 しかし、早紀にはクマの言葉は届いておらず、このまま心が砕かれるのを待つばかりの状況は、突然の声によって遮られた。

「小西先輩!!」

 聞き覚えのある声に、早紀が驚いて背後を振り返る。

「花、ちゃん……?」

 早紀の視線の先には、居るはずのない陽介の姿があった。




 陽介の視界に、信じられない光景が映っていた。

(小西先輩が、二人!?)

 霧のためにハッキリとは見えないが、間違いなく早紀が二人いる。
 ここからでは話し声が聞こえないため、どのようなやりとりをしているかは解らないが、あまり良くないように見える。
 早紀が二人いることも不可解だが、それよりも早紀の隣にいるズングリした物体が何よりも不可解だ。

(何でこんな所に着ぐるみが居るんだよ?)

 訳が分からず戸惑う陽介に、千枝と鏡がどうしたのかと問いかけようとする。

「違うっ! そんなはず無い!!」

「サキちゃん、駄目クマ! すぐにここから逃げるクマ!!」

 二人が陽介に問いかけるよりも早く、早紀の悲鳴に似た声を聞いた陽介はその場から飛び出していた。

「小西先輩!!」

「花、ちゃん……?」

 早紀はどういう訳かフレームレスの眼鏡を掛けていて、信じられないような表情で陽介を見ている。

「花村! アンタは勝手に飛び出して!! って、小西先輩が二人!?」

 そう言って、咄嗟に陽介を追って後ろから出てきた千枝も早紀が二人いる事に驚く。
 こうなっては隠れていても仕方がないと判断して、鏡もその後に付いてくる。

「およよ、他にもまだ人が居たー!?」

 ズングリした物体が陽介達を見て驚きの声を上げる。

『へえ、花ちゃんも居たんだ……』

「オマエは一体誰だ? 何で先輩と同じ姿をして居るんだ!」

 もう一人の早紀が、誰何する陽介に意外そうな視線を向ける。

『私は見ての通り“小西早紀”よ、花ちゃん』

 もう一人の早紀はゾクリとする笑みを浮かべて陽介に話し掛ける。

『私は小西早紀の“影”。そこにいる小西早紀の“本性”よ』

「違う! 私はそんな事、思ってない!!」

『まだ綺麗事を言い続けるの? 本心では花ちゃんの事だって“ウザい”って思っているくせに』

 もう一人の早紀が、歪んだ笑みを浮かべてそう告げる。

「俺の事が……ウ、ウザい……?」

『かわいそうな花ちゃん、あんなにも気に掛けてくれていたのに、想いが通じないなんて……』

 動揺する陽介に哀れみの視線を向けて、もう一人の早紀が言葉を続ける。

『でもね、私なら花ちゃんの事を受け入れてあげられるよ』

「……せ、んぱい?」

『私の為だけに尽くしてくれるなら、花ちゃんの望む事を全部してあげる。花ちゃんが望むなら私……』

 スカーフを解き胸元を見せて、もう一人の早紀が潤んだ視線を向け艶っぽい声で陽介に話し掛けてくる。

「止めて! アンタは、私じゃ無い!!」

 陽介を誘惑しようとするもう一人の早紀を否定する。

『何? 今、何か言った?』

 早紀を小馬鹿にするような様子で、もう一人の早紀が問いかける。

「アンタは、私じゃない! アンタなんか、私であるもんかっ!!」

『ふふふ、そうよ……私は“私”。私はもうアンタじゃない!』

 早紀の言葉に、もう一人の早紀が嘲笑をあげる。
 もう一人の早紀から黒い風が巻き上がり、その姿を覆い隠す。

「何よ、アレ!」

 急激な状況の変化に千枝が叫ぶ。
 黒い風が収まると、そこには艶めかしく蠢く髪を逆立たせ裸身を晒した異形の姿があった。

「先輩!?」

 異形が現れるのと同時に糸が切れた人形のように早紀がその場に崩れ落ちる。
 陽介は倒れている早紀の元へと駆け寄り、抱きかかえて安否を確認する。
 どうやら意識を失っているだけで、無事なようだ。

『我は影……真なる我……』

 そんな陽介に異形は憎しみの籠もった視線を向けてくる。

『花ちゃんはそいつが良いのね……だったら、たぁっぷりと可愛がって……天国へと逝かせてあげるわっ!』

 異形は逆立つ髪の一房を一閃すると陽介達を打ち据える。

「ぐあっ!」

「花村っ!!」

「サキちゃん!」

 気を失っている早紀への攻撃を咄嗟に庇った陽介が、早紀と共に千枝の傍まで吹き飛ばされる。
 慌てた千枝とズングリした物体は陽介の元へと駆け寄り、二人を助け起こそうとする。

「花村、大丈夫!?」

「俺は平気だ……けど、小西先輩が……」

 痛みを堪えて陽介が千枝に答える。

「皆、早くここから逃げるクマっ!」

 ズングリした物体がそんな二人に慌てたように話すが、気を失った早紀が居るために、陽介達はすぐに行動を起こせない。
 再度、陽介達に攻撃を加えようとした異形の顔面に酒瓶が投げ付けられる。

『がっ!?』

「皆、今の内に小西先輩を連れて逃げてっ!!」

 酒瓶を投げ付けたのは鏡だった。
 近くにあるケースから手当たり次第に酒瓶を取り出しては、異形へと投げ付け続けている。

『このっ……小娘がッ!!』

 何度も酒瓶をぶつけてくる鏡に切れた異形が、攻撃目標を鏡へと変更する。
 鏡は陽介達が逃げられるように異形の攻撃を引きつけつつ、陽介達から引き離していく。
 その間も、手近な酒瓶を投げ続け陽介達に意識が向かないように異形の意識を誘導する。

「花村、鏡がアイツを引き付けている間にあたし達は逃げるよ」

「里中っ、神楽を置いて逃げるワケにはいかねえだろ!」

「解ってる! けど、あたしらがこうしてたって邪魔にしかなんないって解ってんでしょ!!」

 千枝の言う通りだった。
 気を失っている早紀が居る限り、陽介達の移動速度はどうしても遅くなる。
 誰かが注意を引き付けて逃げる時間を稼がないとならない。

「ちっくしょう……」

 その事が痛いほど理解できるだけに、陽介の感じる悔しさは尋常じゃなかった。
 最近になって転校してきた女子を囮にしてしまった自分の不甲斐なさ。
 男は自分一人だというのに、何て情けない有様なのだと……

「ちょっと、そこの妙なアンタ! 小西先輩の知り合いみたいだけど、アンタも小西先輩を連れ出すのを手伝って!」

 陽介が悔いている間にも千枝がズングリした着ぐるみに話し掛ける。

「クマはアンタじゃ無くてクマクマ! サキちゃんを助ける手伝いはするクマから、早くここから逃げてあの子も助けるクマ!」

 クマと名乗った着ぐるみも手伝って、早紀を連れて陽介達は店から脱出する。
 その間にも、異形の注意を引き続けている鏡は商店街へと異形をおびき寄せている。




 鏡は先ほどから続く頭痛を堪えながら、異形の注意を引き続けていた。
 目の前の異形が現れた途端に襲われた頭痛。
 意識が散漫になりそうなところを我慢して、目の前の異形に集中し続けている。

――我は汝、汝は我……

 不意にどこからともなく声が聞こえてくる。

――汝、扉を開く者よ……

 その声に気を取られた隙をついて、異形の髪が鏡へと伸びてくる。
 異形の攻撃に対して反応が遅れた鏡の首に髪が絡み付く。

「あぐっ!?」

 髪は幾重にも首に巻き付き、鏡を締め付けてくる。

『つ・か・ま・え・たぁ……』

 鏡を捕らえた異形は加虐的な笑みを浮かべている。

『小娘……このまま、じわじわと嬲り殺しにしてあげるわっ!』

 締め付けられる苦しみの中で、鏡には先ほど聞こえた声が鮮明に聞こえ続けている。

――双眸を見開きて汝……今こそ発せよ!

 右手に何かを握りしめている感触がある。
 鏡はそれが何であるのか確かめられないまま、力強くそれを握りしめる。
 遠くなる意識の中で、鏡は無意識こう呟いてた。

――ペルソナ

 握りしめた右手から青白い炎が吹き出し、そのまま鏡の全身を炎が包む。

「鏡!?」

 その様子を遠くから見た千枝が驚きの声を上げる。

『ぎゃっ!?』

 鏡を包んだ炎が、締め付けていた髪を焼き切る。
 炎の熱に怯んだ異形の目の前で、炎に包まれた鏡から何かが出現する。

 それは黒い人型だった。
 手には柄が長く長刀を思わせる巨大なナイフ。
 足元は一本爪の下駄を思わせるブーツ。
 身に纏うは裾の長い黒の学ランで、長ランと呼ばれるものだ。
 襷を巻き、頭部には白い鉢巻き。
 長さは踝まで届くかと思われるほど長い。
 その姿は、いわゆる応援団の団員を思わせるものだった。

 鏡から現れた人型は手にした巨大なナイフで目の前の異形を一閃する。
 異形は咄嗟に後退して攻撃を避けるも、切っ先からは完全に逃れられずに胸元に赤い一筋の傷が付く。

『小娘! 殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる!!』

 異形は我を忘れて鏡へと攻撃を仕掛けるが、迫り来る髪は全て黒い人型に切り裂かれ鏡には掠りもしない。
 逆に、黒い人型の手にする巨大なナイフは異形を切り裂き、着実にダメージを与えていく。

『うぅ……せっかく自由になれたのに、また私は閉じ込められるの……?』

 異形の顔には絶望の表情が浮かんでいた。
 自身の攻撃はことごとく阻まれ、相手の攻撃は確実に自身を弱らせていく。

『嫌だ……嫌……イヤァァァァァッ!!』

 絶叫をあげ、鏡へと突進する異形に向かって、黒い人型は何も持たない左手を向ける。
 瞬間、上空から異形へと落雷が落ち、異形を感電させる。

『……助けて……たすけて、花ちゃん……』

 それが異形の最後の言葉になった。
 異形は、砂が崩れるように身体が崩壊していく。
 後に残ったのは、白い灰のような塊だ。
 それも、吹かれた風に運ばれ痕跡を消し去っていく。
 黒い人型は異形が消えるのと同時に、どこかへと消え去っていた。

「鏡!」

 黒い人型が消えると同時に、鏡もその場に崩れ落ちる。
 千枝は陽介とクマに早紀を任せると、鏡の元に駆け寄って助け起こす。

「鏡、大丈夫? それに、さっきのは一体なんなの、何をしたの!?」

「うん、疲れたけど大丈夫。さっきのはごめん、私にもよく解らない……」

 千枝の質問に鏡は困った表情で答える。

「解らないって……」

 鏡の答えに千枝が唖然となる。
 とはいえ、それ以上は訊ねられるような状態でない鏡の様子に、千枝も口ごもる。

「立てる?」

「ちょっと無理かも」

 そう答える鏡に、千枝が肩を貸して立ち上がらせる。
 千枝の肩を借りて陽介達の元へと鏡は移動する。

「小西先輩の様子は?」

「まだ、気を失ったままだ。それよりも、お前の方こそ大丈夫なのか?」

 早紀の容態を聞いてくる鏡に、陽介が呆れたように答える。

「私の方は疲れているだけ。少し休んだら動けるよ」

「ところで、キミ達はどこからやってきたクマ?」

 陽介に答える鏡にズングリした物体、クマが話し掛けてくる。

「つか、お前はいったい何だ?」

「クマはクマクマ。ここに一人で住んでるクマよ」

 陽介の質問に、クマと早紀と同じ説明をする。

「ここに一人で住んでるって……じゃ、ここからの出口とか知ってんの?」

「入ってきた場所が解るならそこから帰してあげられるクマ。サキちゃんはどこから入ったか解らなくて困ってたクマよ」

 そう言って、クマは陽介達に早紀と出会った経緯を説明する。

「最近、誰かがココに人を放り込むから、クマ、迷惑してるクマよ」

「人を放り込む?」

 クマの言葉に鏡が首をかしげる。
 自分達は事故でこの世界へと入ってしまったが、どうやら早紀は自分達と違って誰かに入れられたようだ。
 鏡はクマへ自分達がこの世界に来た経緯を話し、出口を探していたことを伝える。

「クマ、センセイの凄さに感動したクマ! あんな凄い力を隠してたなんて……この世界に入って来れたのも納得クマ!」

「センセイ?」

「って、鏡のこと?」

 クマの言葉に鏡と千枝が顔を見合わせる。
 どうやら、先ほどの出来事でクマは鏡の事を尊敬しているようだ。

「ま、知りたい事とか色々あるけれど先輩の事もあるし、まずは元の場所まで戻ってクマにこの世界から出して貰わないとな」

「っと、そうだったクマ。サキちゃんの事が心配だから早くここから帰った方が良いクマ」

「じゃ、元の場所に戻らないとね」

 鏡達はクマと共に最初にいた場所へと戻る事にした。
 気を失ったままの早紀は、陽介が負ぶって行く事となった。
 鏡はクマと状況の確認をしあっている間に体力がある程度回復したのか、自分の足で立って歩けるほどに回復していた。




 クマを連れて、最初の場所へと鏡達が戻ってくると、クマはスタジオの真ん中辺りをつま先で軽く叩く。
 そうすると、その場所に建てに積み上げられた赤いテレビが現れた。

「んだこりゃ!?」

「テ、テレビ……!? どうなってんの!?」

 突然の出来事に、陽介と千枝が呆気にとられた表情で驚いている。

「さ、ここから元の世界に帰れるクマ。長くこの世界にいると危険だから、早く帰るクマ!」

 そう言って、クマは陽介達を現れたテレビの中に押し込める。

「い、いきなりなに!? わ、ちょっ……無理だって!」

「お、押すなって! 先輩が落ちるだろ!!」

 押し込められた陽介達を見て、鏡は押し込まれないように自分からテレビの中へと入る。
 テレビに入ると、目の前の風景が捻れて上下の感覚が解らなくなる。
 浮遊感が暫く続くと不意に目の前が明るくなり、目の前が真っ白になる。

「あれ、ここって……」

「戻って来た……のか?」

 気が付くとそこはジュネスの家電売り場だった。

『ただいまより、1階お総菜売り場にて、恒例のタイムサービスを行います』

 千枝と陽介が唖然とする中、タームサービスを行う店内放送が流れる。

「げっ、もうそんな時間かよ!」

「結構長く居たんだ……」

「それよりも、小西先輩の様子はどう?」

 驚く二人に鏡が早紀の様子を訊ねる。
 鏡の質問に陽介は慌てて早紀の様子を確かめる。

「駄目だ、まだ気を失ったままだ。どうしたら……」

「取り敢えず、ジュネスの外に連れて行って救急車を呼ぼう」

 早紀の意識が戻らない事に動揺する陽介に鏡がそう話す。
 ジュネスの中で倒れていたと説明するには、それまでの状況を説明しないとならない。
 しかし、テレビの中で襲われましたと説明したところで誰も信じてはくれないだろう。
 だったら、ジュネスの外で倒れていた事にして余計な説明を省いた方が良いと鏡が二人に説明する。

「確かに、俺だって自分の目で見てなかったら、テレビの中の世界なんて信じられないよな」

「そうだね。私もそれで良いと思う。それじゃ、小西先輩を連れて行こう」

 鏡の説明に納得した二人はそう言って、人目に付かないように三人で早紀をジュネスの外へと連れて行く。
 外はまだ雨が降り続いているため、ジュネスから少し離れた屋根のある場所へと移動して、鏡が電話から救急車を呼ぶ。
 千枝と陽介には、事情説明は自分一人でする方が都合が良いからと二人を帰らせた。
 一緒に居るという陽介には、ジュネスの事があるので拙いと説得したところ、不本意ながらも納得してくれた。


 救急車を待つ間に、鏡は遼太郎へと帰りが遅くなるので、夕飯を先に食べておいて欲しいと連絡を入れた。

『解った。それで、その先輩の様子は大丈夫なのか?』

「気を失っているので何とも。済みませんが、叔父さんの方から小西先輩の自宅へと連絡をお願いしても良いですか?」

『そうだな、解った。向こうへは俺から連絡を入れておく。すまんが病院まで付き添ってやっててくれ』

「はい、解りました。それでは、連絡の方はお願いします」

 そう言って鏡は携帯電話をしまい救急車の到着を待つ。
 ほどなくして到着した救急車で、早紀と共に稲羽市立病院へと移動する。
 遼太郎から連絡を受けて、鏡が到着した少し後になってから早紀の家族がやってきた。
 早紀の家族は受付で早紀の病室を聞き、鏡に気付く事なく病室へと向かう。

「鏡」

 早紀の家族が到着したので、病院を後にしようと思っていた矢先に鏡に声が掛けられる。

「叔父さん?」

 鏡に声を掛けてきたのは遼太郎だった。

「大変だったな。先輩の家族はもう到着しているのか?」

「はい、先ほどそれらしい家族がやってきました」

「そうか。お前も大変だったな」

 遼太郎はそう言って、鏡に労いの言葉を掛ける。

「菜々子ちゃんは?」

「あぁ、菜々子もお前を迎えに行くと言っていたが、時間も遅いからな、休ませてきた」

「済みません、菜々子ちゃんにまで心配を掛けましたね」

「まぁ、事が事だけに仕方が無いだろう。それよりもお前、メシは済ませたか?」

 菜々子に心配を掛けた事を気にする鏡に、遼太郎がそう訊ねる。

「まだですけれど……クシュン!」

「風邪か? いかんな新しい環境で疲れがたまってるんだろう。帰ったら薬を飲んで早く休んだ方が良いな」

 鏡の様子に遼太郎が心配げな表情でそう話す。
 車で迎えに来たそうなので、鏡は遼太郎と一緒に駐車場へと移動して車に乗り込む。

「なぁ、鏡。実はな、お前が見つけた小西早紀なんだが……」

 車を出して暫くして、遼太郎が言いにくそうに鏡に話し掛ける。

「実は行方が分からないと連絡があってな、うちの連中が探していたんだ」

 その言葉に鏡が驚く。

「すまんが、見つけたときの状況を教えてくれんか? 覚えているだけで良い」

 鏡は遼太郎にクラスメイトと共にジュネスの家電売り場にテレビを見に行った事、その帰りに早紀を見つけたと説明する。
 ただし、テレビの中の世界や早紀がその中で襲われていた事を省いてだ。

「そうか……偶然見つけただけか。すまんな困らせるような事を聞いて」

 説明を聞いた遼太郎が鏡にそう話す。
 鏡の説明を聞く限りだと、小西早紀は何かの事件に巻き込まれた可能性がある。
 しかし、今聞いた話だけでは確証が持てないので、早紀の意識が戻ったら事情聴取をしないとならないなと、遼太郎は考える。
 降りしきる雨のように、何ともスッキリしない事だと遼太郎は憂鬱な思いになるのだった。




2011年03月19日 初投稿



[26454] ベルベットルーム
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/03/23 03:45
――――少女はペルソナという力に目覚めた

     しかし、その使い方を少女は未だ知らず

       自身の力に戸惑いを隠せない

   それでも、運命の糸は静かにただ紡がれていく




 鏡達が霧の世界で早紀を救い出した翌日。
 帰宅してから軽く食事を摂り、薬を飲んで早く休んだので翌朝には鏡の体調は元に戻っていた。
 いつも通りに目を覚まし、身支度を調えて居間に降りると遼太郎が出掛けるところだった。

「起きたか、身体の方は大丈夫か?」

「おはようございます。薬のおかげで大丈夫です」

「そうか。お前が昨日見つけた小西早紀だが……今朝方、目が覚めたそうだ」

 その事で連絡があり、今から事情聴取に向かうと遼太郎は話す。
 明日には面会も可能だから、良かったら顔を出してやれと言って遼太郎は出掛けていった。

「お姉ちゃん、この間ジュネスであったお姉ちゃん、入院したの?」

 菜々子が心配そうに鏡に訊ねる。
 本当の事が言えない鏡は『大丈夫だよ』と、菜々子に安心するように言うしかなかった。
 それでも、鏡の言葉を信じた菜々子は安心した表情を鏡に見せる。

「菜々子ちゃん、明日は土曜日だから、学校が終わってから皆でお見舞いに行こうか?」

「うんっ」

 そんな菜々子に鏡は早紀のお見舞いに一緒に行こうと誘い、菜々子は嬉しそうに頷く。
 朝食は昨晩に調理が出来なかったので、冷蔵庫に残っている食材を使いトーストとスクランブルエッグを作った。
 二人で朝食を摂り、食器を片付けてから分かれ道まで一緒に登校する。

「それじゃ、行ってらっしゃい、菜々子ちゃん」

「行ってきます、お姉ちゃん!」

 いつもの分かれ道で菜々子と別れた鏡は学校へと向かう。
 途中、前方を見覚えのある姿が歩いていたので、鏡は歩く速度を速めて声を掛ける。

「おはよう、千枝。雪子と一緒じゃないの?」

「あ、おはよう鏡。雪子は家の手伝いで昼から登校するって」

 鏡の質問に答える千枝はどことなく元気が無さそうに見える。

「千枝、疲れているようだけど、昨日の事が原因?」

「ま、ね。小西先輩の事も気になってたし……ていうか、鏡は何とも無さそうね」

「実はちょっと風邪気味で、薬でマシになっているだけだから」

 普段と変わらない様子の鏡に千枝が感心した表情を見せるが、鏡は正直に体調が思わしくなかった事を話す。
 千枝が感心したのは、先日の異常な体験にもかかわらず普段通りの様子である事だったのだが、鏡は微妙に勘違いをしている。
 鏡があの時、たった一人だけ異形に反応して行動を起こせたのは、こんな所に理由があるのかも知れないと千枝は思った。

「おはよう、神楽。あれから先輩はどうなった?」

 鏡と千枝が教室に到着すると、陽介が先に来ていて鏡を待っていた。
 当然というか、早紀の事が心配だったのだろう。
 鏡は陽介に遼太郎から今朝方になって目を覚ました事、今日は事情聴取があるので明日、皆で見舞いに行かないかと誘う。
 陽介は鏡と一緒に行く事を約束し、千枝は早紀とそれほど付き合いがある訳ではないからと遠慮する。

「先輩が目を覚ましたのは良いが、昨日の事を先輩が話していると思うか?」

「小西先輩には悪いけれど、話しても信じてもらえないと思う」

 陽介の質問に鏡はそう答える。鏡達が同じ事を証言すれば状況は変わるかも知れないが、鏡個人としては話す気は無い。
 意識を失っていた状態で搬送された為、早紀がテレビの中での出来事を話しても、信じてもらえない可能性の方が高いのだ。

「それに、テレビの中で自分自身に襲われましたって話せないんじゃないかな?」

「確かに、正気を疑われるのがオチか……」

 鏡の説明に陽介が納得する。
 テレビの中の世界には、鏡が居れば入る事が出来るだろうが、もう一人の早紀は先日の一件で存在しないのだ。
 事実を証明する手段が無いので、説明のしようがない。
 鏡自身、その事を理解しているのだろう。陽介も自身が鏡の立場だったら、自身も同じような行動を取るだろうと思った。

「お前ら! 早く席に着け! HRはもう始まっているんだぞ!!」

 そんな遣り取りをしていると、諸岡が教室に入ってきてクラスメイト達に怒鳴り散らす。
 内容が内容だけに、話の続きは放課後に持ち越される事となる。
 HRで諸岡から雪子が家の事情で欠席するとの連絡があった。
 千枝は昼から出てくると聞いていたそうだが、事件があったせいで実家の方が忙しいのだろう。
 最近、疲れ気味な様子を見せていただけに、千枝は雪子の事を心配していた。




「なあ、神楽。悪いんだが、もう一度あの世界に連れて行ってくれないか?」

「ちょっ、花村!」

――放課後

 陽介の言葉に千枝が驚く。
 千枝が驚くのも無理はない。あの世界は命に関わるような危険な場所なのだ。
 そんな場所にまた行こうなど、正気の沙汰とは思えない。

「あんな危険な場所、もう行かない方が良いって!」

「里中、お前の言う事も分かるけど、どうしても確かめたい事があるんだ」

「それはクマと名乗った着ぐるみが話していた事?」

 反対する千枝へそう話す陽介に、鏡は自身も思う事があったので訊ねてみる。
 鏡の問いに陽介は、自身と同じ疑問を鏡も持っている事に気付く。

「神楽も気付いてたのか? あのクマってヤツ“誰かがココに人を放り込む”って言ったんだ」

 鏡も感じていた疑問。
 それは陽介が言うように、早紀意外にも誰かがあの世界に迷い込んだ事があるという事だ。
 自分達は事故であの世界に迷い込んだが、早紀はクマの言う放り込まれた側だろう。
 しかし、早紀だけならあのような言い方はしない。
 早紀以外にも放り込まれた人物が居るから、クマは“迷惑している”と言ったのだ。

「神楽、マヨナカテレビに映っていたのは小西先輩だと、お前は言ったよな? だとすると、思い当たる事があるんだ」

「遺体で発見された山野アナ?」

「えっ! それ、どういう事?」

 陽介と鏡の遣り取りについて行けない千枝が二人に訊ねる。
 混乱している千枝に、陽介はマヨナカテレビで山野アナを見たという生徒が居た事。
 その後になって遺体が発見された事をあげ、早紀と同じようにあの世界に山野アナが入っていたかも知れない可能性を示す。

「そんな、偶然じゃないの?」

「あんな世界がある以上、偶然で片付ける訳にはいかないと思う」

 千枝の言葉を鏡が否定する。
 陽介も鏡に同意し、もしもマヨナカテレビに映った人物があの世界に居るとしたら、それは凄く危険な事である。
 実際、鏡達もクマが元の世界に帰してくれなかったら、一体どうなっていたのか見当も付かない。

「だったら、余計にあの世界に行く事なんて無いじゃん!」

 二人の説明に千枝が反論する。
 わざわざ危険な場所に好きこのんで行く必要なんてどこにもないのだ。
 だが、千枝の言葉は鏡の『クマは小西先輩の事を心配している』という言葉で強く反対が出来なくなった。
 確かに、怪しい存在ではあるが早紀の事を心配していたのは紛れもない事実だ。
 
「それに、クマの言い方からすると、入り口と出口は同じ場所で繋がっているはずだ」

 そうでなければ、クマが“入ってきた場所が解るならそこから帰してあげられる”とは言わないだろう。
 その上、クマは鏡の事を“センセイ”といって尊敬しているようなので、自分達に悪いようにはしないと思われる。

「解った。あんた達二人だと心配だから、あたしも行く」

「悪いけど千枝には他に頼みたい事があるの」

 千枝の提案に鏡が待ったを掛ける。

「あたしに頼みって、何?」

「今日、雪子が学校を休んだでしょ? 様子を見に行って欲しいのよ」

 千枝の質問に鏡が答える。

「確かに、ここん所の天城の様子、ただごとじゃ無さそうだったしな」

 陽介も鏡に同意する。
 ここの所、雪子は家の手伝いでかなり疲れているようだった。
 親友である千枝が顔を見せてあげれば、少しは元気になるのではないか。
 鏡はそう千枝に説明する。

「……解った。確かに、最近の雪子シンドそうだったし、これからちょっと行ってくる」

「雪子によろしく言っておいて」

 鏡の説明に千枝は頷くと鏡達と別れて天城屋旅館へと向かう。
 千枝を見送った鏡と陽介はそのままジュネスへと向かい、テレビの中の世界へと再び移動する。




 テレビの中に入ると、先日と同じ場所に出る事が出来た。
 どうやら、場所と場所が繋がっているのは正しかったようだ。

「センセイ!?」

 近くに居たのか、二人に気付いたクマがやってくる。

「何でまた来たクマ。ココは本当に危険なんだクマよ!」

 鏡達を心配してクマがそう、まくし立てる。

「小西先輩の事、心配していたでしょ? だからその事を教えに来たのよ」

「まぁ、その他にお前に聞きたい事もあるんだかな」

「サキちゃん、無事クマか!?」

 やはり早紀の事を心配していたのだろう。鏡の言葉にクマは食いつかんばかりに早紀の事を聞いてきた。
 鏡はクマに意識が回復した事と明日、皆でお見舞いに行く事を話した。

「そっか。サキちゃん、意識が戻ったクマね、本当に良かった……」

 早紀の無事を知らされたクマは嬉しさに涙ぐんでいた。
 こうして見てみると、クマは優しい心の持ち主なのだろう。

「安心しているトコ悪いんだが、小西先輩より先に、この世界に誰かが来なかったか教えて欲しいんだ」

 そう言って、陽介は先日のクマの発言から思い至った事を説明する。

「確かに、サキちゃんより先に誰かが来ていた気配は感じていたクマ。けど、霧が晴れたところでその気配は消えたクマよ」

 陽介の言葉にクマはそう答える。

「霧が晴れたら消えた?」

「霧が晴れると、シャドウはひどく暴れるクマ。センセイのように力を持っているなら別だけど、力のない人間はシャドウに勝てないクマ」

「って、事は何か? この世界に霧が晴れるまで居たらヤバイって事か?」

「だから、この前クマは早く帰れって言ったクマ」

 陽介の質問にクマがそう答える。

「それじゃ、霧が出る日に死体が見つかったのって、まさか……」

「霧が出る日に死体? そっちで霧が出る日は、こっちだと、霧が晴れるクマよ」

 鏡の言葉にクマがそう答える。
 やはり、山野アナはこちらの世界に来ていたのかも知れない。

「だったら、その気配はどこから感じたのかは解る?」

「それなら解るクマよ」

「その場所へ俺達を案内してくれないか? 確かめたい事があるんだ」

 鏡に答えたクマへ陽介が頼み込む。
 クマは少し考える素振りを見せると、鏡へと視線を向けた。

「案内しても良いけど、センセイ達にクマも一つお願いしたいクマ」

「お願い?」

 クマが言うには、誰かがこの世界に人を放り込む事によって、この世界はめちゃくちゃになるそうだ。
 放り込まれた人も危険だし、静かに暮らしたいクマも迷惑なので、犯人を見つけ出して止めさせて欲しいという。
 その依頼に陽介は困惑する。鏡は少し考えると、クマの依頼を受ける事にした。

「そうか……小西先輩をこの世界に放り込んだ犯人は、俺達でないと見つけられないんだよな」

 自分達の世界の誰かが犯人なのは間違いない。
 クマのような目立つ存在が自分達の世界で犯人捜しをした所で、不審者と見なされて警察のお世話になるのが関の山だ。
 その上、テレビの中の世界など、誰も信じてはくれないだろう。
 そうなると、自分達で犯人を見つけ出すしか方法はない。互いの利益が一致した所で互いに自己紹介を済ませる。

「センセイ達を案内する前に、二人とも、これを掛けるクマ」

 そう言ってクマが二人に渡してきたのは眼鏡だった。

「それを付けていれば、この世界でも霧に視界を邪魔される事が無いクマよ」

 クマに言われて、半信半疑で眼鏡を掛けた二人は視界が良好になった事に驚く。

「うお、すげえ……この間と視界が全然違う。そうか、小西先輩が掛けていた眼鏡も、コレと同じ物なんだな」

「そうクマよ。クマの自信作クマ!」

「って、お前の手作りかよ!」

 自慢げに話すクマに、陽介は反射的に突っ込みを入れる。
 鏡も口には出さなかったが、あの手で作ったのかと意外そうな表情でクマを見ていた。

「それがあれば、霧の中を進むのに役に立つクマ。これから案内するから、付いてくるクマ」

 そう言って、クマは二人を先より前にこの世界に来た人物が居たところへと案内する。




 クマに案内されてたどり着いた場所は、見ているだけで気が滅入るような部屋だった。
 部屋の壁一面には、顔を切り抜かれたポスターが貼られており、恨みの深さが窺い知れる。

「なんだ、この部屋……何で貼ってあるポスター全部、顔が切り抜かれているんだ」

 あまりの薄気味悪さに、陽介が身震いする。

「このポスター、家電売り場に貼られていた柊みすずのポスターじゃない?」

「そう言われてみれば……確かに、柊みすずのポスターだな」

 鏡の指摘に、陽介もジュネスの家電売り場に貼られているポスターと同じ物だと気付く。

「それに、この椅子とロープ……あからさまに拙い配置だよな……」

 陽介が言うとおり、部屋の梁に掛けられたロープの先はスカーフで輪っかが作られており、その下には椅子が置かれている。
 どう見ても、首つり自殺をするために用意した物にしか見えない。

『憎い……』

「何だ、クマ!?」

 どこからともなく女性の声が聞こえてくる。

『あんなにも尽くしてくれていたあの人を、売れたら捨てたくせに……取られそうになった途端、局に圧力を掛けて来るなんて……』

「お、おい、これって」

 恨みの籠もった声に陽介が動揺する。
 その声は、柊みすずに対する山野真由美の呪詛だった。
 人気が出た事をきっかけに、夫を顧みなくなった事。
 温和しいが、誠実で思いやりのある生天目太郎との関係を知り、マスコミを使い彼を追いつめた事。
 さらには自分が勤める局にまで圧力を掛け、全ての番組から降板させられた事。
 諸々の恨み辛みが込められたその声は、聞いているだけで寒気がしてくる。

「よっぽど、柊みすずに対する恨みが強かったんだな……」

「けど、生天目太郎って人に対する想いは本物だったのね」

 陽介の言葉に鏡がそう答える。
 恨みに綴られた言葉だったが、最後に聞こえた『あの人に会いたい』という言葉だけは恋い焦がれる少女のようだった。
 少なくても柊みすずの仕打ちに対して、生天目太郎の事を恨む事なく逆に全てを無くした彼を気遣ってさえいた。

「ただ、これでハッキリしたな。山野真由美も、この世界に来ていたんだ」

 どういう理屈かは解らないが、マヨナカテレビに映った人間はこの世界に来ているようだ。
 しかし、そうなると誰がマヨナカテレビに二人を映したのかが解らない。
 クマの説明だと、この世界にはクマとシャドウしか居ないという。
 先日のもう一人の早紀がシャドウという物らしい。
 ただ、人の形をしたシャドウはクマも初めて見たそうだ。

『まったく……こんな世界にまで来て“探偵ごっこ”か?』

「誰だっ!?」

 背後から聞こえた声に驚いた陽介が振り返って誰何すると、そこには金色の瞳をした陽介が立っていた。

「お、俺が……もう一人!?」

『ま、何もないウザい日常を変えてくれるかもって、ワクワクしてんだから、しょうがねえか?』

 もう一人の陽介は、歪んだ笑みを浮かべて話し続ける。

『小西先輩をこの世界に放り込んだ“犯人を捕まえる”って、らしい口実も出来たしな』

「違うっ! 俺はそんな事を思ってない!」

『今さら何を言ってやがる。あわよくば、その女のように特別な力に目覚めて、ヒーローになれるかもって期待してんだよなぁ?』

 否定する陽介を、もう一人の陽介が追いつめていく。
 見たくなかった自分の姿を突きつけられて、陽介は正常な判断が出来なくなっている。

「お前なんか知らない……お前なんか……お前なんか……」

「ペルソナ!」

 もう一人の自分を否定しようとした陽介よりも早く、鏡がペルソナを召還する。
 鏡の意志に従い現れた黒い人型が放つ、電撃系攻撃スキル【ジオ】がもう一人の陽介に命中する。

『ぐあっ!?』

 ジオの直撃を受け、もう一人の陽介は一時的に身体の自由が利かなくなる。
 崩れ落ちるもう一人の陽介に鏡が近づいてくる。

「黙って聞いていれば、好き勝手言って……」

『この、あまぁ……!』

 憎々しげに鏡を見上げるもう一人の陽介に、鏡は冷たい視線を向ける。

「彼があなたの言う思いを抱いて、何が悪いの?」

『な……ん、だとぉ……!?』

「それでも、小西先輩の事を想って行動を起こした彼を、あなたが否定できるの?」

「っ!?」

 鏡の言葉にもう一人の陽介ばかりか、陽介も驚く。
 見たくない自分を否定しようとした陽介と違って、鏡はもう一人の陽介をも肯定しようとする。
 そんな鏡の姿を見て、陽介は先ほどまで感じていた焦燥が無くなっている事に気付いた。

「確かに、俺の中にお前の言うような思いがあった。けど……小西先輩の事は紛れもない俺の本心だ!」

『う……あ……』

「みっともねーから、認めたくなかった……けど、全部ひっくるめて、俺だって事だな。ちくしょう……自分と向き合うってムズいな」

 陽介は、もう一人の自分を真っ直ぐ見ると、噛み締めるように宣言する。

「認めてやるよ。お前は俺で、俺はお前だ」

『…………』

 陽介の言葉に、もう一人の陽介が穏やかな表情になると、青い粒子となってその姿が変化する。
 その姿は赤いマフラーをなびかせ、手には手裏剣のような物を持った人型だった。
 姿が変化した人型は、再び青い粒子を発するとカードへと姿を変え、陽介の身体に吸い込まれるように消えていく。

「これが俺の“ペルソナ”……」

 陽介はそう呟くと、その場に座り込んでしまう。

「ヨースケ、大丈夫クマか?」

「ああ、なんか急に疲れが押し寄せてきたが、大丈夫だ。神楽、ありがとうな、こんな俺を肯定してくれて」

 クマに答えた陽介が、鏡に視線を向けて礼を述べる。 

「にしても、神楽ってモロキンに噛みついた時から思ってたけど、容赦ねーのな」

「そうかもね」

 呆れたように話す陽介に、鏡は綺麗な笑みを浮かべて答える。
 その答えに『さらっと肯定したよ、この人は』と陽介は若干、引きつった笑みを浮かべる。
 知りたい事も解り陽介も疲れているようなので、今日の所は引き上げる事にした。
 クマの案内で元の場所に戻ってきた鏡達は、またクマに会いに来る事を約束して元の世界へと戻る。
 情報の整理は陽介がかなり疲れているようなので、後日改めて行うことを約束し、それぞれ帰宅する事にした。


 雨が降り続ける帰り道の河川敷で、鏡は和服姿の雪子と出会った。
 珍しそうに和服を見る鏡に、雪子は家のお使いで今は少し休憩をしてるのだと説明する。

「鏡は買い物の帰り?」

 鏡の持つ買い物袋見て雪子が訊ねる。

「うん、今日の晩ご飯の食材」

 鏡が料理を作れると知って、雪子は羨望のまなざしを向ける。
 何でも手伝いで失敗して以来、厨房に立たせてもらえないのだそうだ。
 
「そう言えば、千枝に私の様子を見てきて欲しいって頼んでくれたんだよね。ごめんね、心配掛けて」

「大変だとは思うけれど、無理はしない方が良いよ?」

 鏡の気遣いに雪子がお礼を述べるが、やはり無理をしているように鏡には見える。
 雪子も自覚はしているのだろうが、今は自分が頑張らないと駄目だからと鏡に話す。

「あ……そろそろ戻らなきゃ。板長と明日の打ち合わせしないと。ウチの旅館、私がいないと全然ダメだから」

 そう言って雪子は小さく笑う。
 その様子はどこか自嘲的にも見え、雪子の多忙ぶりを窺わせる。

「……えと、また学校でね」

 心配そうな鏡の様子に気付いた雪子が、そう言って逃げるように帰って行く。
 その様子に、このまま体調を崩さなければ良いのだがと鏡は思う。

「おかえりなさい」

「ただいま、菜々子ちゃん。今日はハンバーグで良いかな?」

「うんっ!」

 帰宅すると、遼太郎はまだ戻ってきてないようで、菜々子が一人でテレビを見ていた。
 鏡は買って来た食材を取り出すと手を洗い、菜々子と一緒に晩ご飯の準備をする。
 一緒に食事の準備をするのが楽しいのか、ここの所は菜々子も積極的に鏡の手伝いをしてくれる。
 出来合いの物ではなくて、一から作るハンバーグに菜々子は楽しそうだ。
 今日のメニューは、煮込みハンバーグとコーンスープだ。


 遼太郎は今日も遅いようなので、菜々子と二人で晩ご飯を摂り、遼太郎の分は暖めるとすぐに食べられるように用意しておく。
 食べ終えた食器を洗って、菜々子とテレビを見ているとテレビのニュースで山野アナの事件の続報が流れていた。
 ニュースによると、未だに犯人の目撃情報は無く、捜査は難航していると報じられる。
 遼太郎を心配する菜々子を慰めていると、ニュースは雪子の実家である“天城屋旅館”の事を報道していた。

『えー、事件後、女将が一線を退き、今はこちら、一人娘の雪子さんが代わりを務めています』

 テレビには、帰りしなに出会った和服姿の雪子が映っていた。
 鏡は菜々子に、テレビに映っているのが以前に話した雪子であることを教える。
 その間にも、雪子は無遠慮なリポーターからのセクハラ紛いのインタビューを受けて困惑していた。

「……雪子お姉ちゃん、かわいそう」

 インタビューに困る雪子を見て、菜々子がそう零す。
 鏡も菜々子に同意見で、本当にこの番組のスタッフは大丈夫なのかと不安になる。
 時間も遅くなったので、鏡は菜々子とお風呂に、入り上がった後で菜々子の髪を乾かしてあげる。
 髪を乾かす間、菜々子は眠そうにしていたので、乾かし終えてすぐに菜々子を休ませた。


 菜々子が眠った事を確認して、鏡も自室へと戻り0時になるのを待つ。
 今日も雨なので、マヨナカテレビに何かが映るかも知れないからだ。
 本当なら、何も映らない方が良いのだが念の為に確認する事は必要だ。

――時計の針が午前0時を過ぎる

 電源の入ってないテレビに、またしても映像が映る。
 どうやら、条件さえ揃えば何度でも見られるようだ。
 画面に映っている人物は女性のようで、和服を着ているように見える。
 どことなく、和服を着た雪子のようにも見えるが、画像がハッキリしておらず確証が持てない。


 鏡はふと、マヨナカテレビの映像に手を入れたらどうなるのか疑問に思った。
 ひょっとすると、映っている人物に触れる事が出来るかも知れない。
 疑問を確かめるべく、鏡はテレビに触れてみる。

「っ!?」

 しかし、画面に手を入れた瞬間、映像は消えてしまい触れる事は出来なかった。
 期待はしていなかったが、そう簡単には行かない事に僅かな失望を感じる。
 取り敢えず、明日になったら今見た事を陽介と話した方が良さそうだ。
 そう思い、鏡は今日の所は眠る事にして布団に入り就寝する。




 不思議な夢を見た。
 そこは青で統一された車の中のような場所で、目の前には鷲鼻の老紳士がソファに座りテーブルに肘をついている。
 その隣には、ウェーブがかったプラチナブロンドの髪を青いカチューシャで留めた理知的な美女が座っていた。
 驚く鏡に、目の前の老紳士“イゴール”が夢の中にてお呼び立てしたのだと説明する。

「ようこそ、ベルベットルームへ。また、お会いできましたな」

「ここは、何かの形で“契約”を果たされた方のみが訪れる部屋……」

 イゴールの言葉を継いで、鏡に説明する美女は確か“マーガレット”と名乗っていたか。
 鏡は、稲葉市に向かう電車の中で見た夢を思い出す。
 夢の中で鏡はイゴールに、近く契約を果たし再び“ベルベットルーム”に訪れる事になるだろうと言われた。
 その言葉通り、鏡は今こうしてベルベットルームへと訪れている。

「これをお持ちなさい」

 そう言って、イゴールが鏡に青い鍵を手渡す。
 それは“契約者の鍵”と呼ばれる物で、ベルベットルームの客人である証だとイゴールが説明する。
 以後、鏡はベルベットルームの客人として、イゴール達の手助けを受ける事が出来るという。
 その事に対する対価はただ一つ。“契約”に従い、自身の選択に相応の責任を持つことのみ。
 イゴールからの説明に鏡が頷くと、満足そうに頷いたイゴールが鏡に説明を続ける。

 ペルソナとは、様々な困難と相対するため自らを鎧う“覚悟の仮面”であること。
 そして鏡のペルソナ能力は“ワイルド”と呼ばれる特別なもので、空っぽに過ぎないが無限の可能性を秘めている。
 言わば、数字のゼロのようなもの。何ものでもないが、何にでもなれる可能性を秘めた力……

「ペルソナ能力は“心”を御する力……“心”とは“絆”によって満ちるもの」

「絆……?」

 他者と関わる事で“コミュニティ”を築き、絆を深める事によってペルソナ能力が伸びる。
 イゴールはそう説明し、鏡だけのコミュニティを築くように勧める。

「それだけでなく、コミュニティはお客様を真実の光で照らす、輝かしい道標ともなってゆくでしょう」

「貴女に覚醒した“ワイルド”の力は何処へ向かう事になるのか……ご一緒に、旅をして参りましょう……フフ」

 マーガレットが説明を補足し、イゴールは鏡の力の行く末を見届けるため、共にゆく事を申し出る。

「では、再び見えます時まで……ごきげんよう」

 イゴールのその言葉を最後に鏡の意識は遠のき、今度こそ本当に眠りにつくのだった。




2011年03月23日 初投稿



[26454] 雪子姫の城
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/04/02 00:12
――――再びマヨナカテレビに映った彼女の姿

   その姿は普段の彼女とはあまりにもかけ離れている

       普段の彼女とテレビの中の彼女

     どちらが本当の彼女なのだろうか……?




 事件の捜査が難航しているのか、翌朝になっても遼太郎は帰ってこなかった。
 鏡が心配する菜々子を気遣うも逆に、刑事だから仕方がないと返されて胸を痛める。
 二人で朝食を摂り、いつものように分かれ道で別れてから暫く歩いていると後ろから陽介に呼び止められた。

「よっ、おはよーさん。昨日の夜中の、見たろ?」

 自転車から降りた陽介が声を潜めて鏡に問いかける。
 陽介にも誰が映ったのかまでは分からなかったらしく、早紀の見舞いに行った後で様子を見に行かないかと誘われた。

「そうしたいけど、菜々子ちゃんを連れて行くのは拙いと思う」

「そっか、菜々子ちゃんも来るんだったな。よし、クマからは俺が話を聞いておくから、姉御は菜々子ちゃんと買い物をしておいてくれ」

「姉御?」

 鏡は陽介の“姉御”という言葉に呆気にとられた表情になる。
 その様子に陽介は笑って、お嬢というより姉御ってイメージだからと昨日の件を引き合いに出して説明する。
 些か釈然としないモノを感じるが、陽介がそう呼びたいのならそれで良いかと、鏡は好きに呼ばせる事にした。

「また誰かが放り込まれたんだとしたら、やっぱ、マジでいるのかもな、“犯人”……」

 憤りを感じた様子で陽介が話す。
 被害者が死ぬ直接の原因はテレビの中での出来事だが、あの世界を凶器として使っている人物を許せないと陽介は言う。
 それは鏡も同じ気持ちで、陽介は鏡に自分達で犯人を絶対見つけようと意気込む。
 警察では“人をテレビに入れてる殺人犯”を捕まえる事は不可能だ。
 あの後、ペルソナを得た陽介も鏡のようにテレビに入れないか試したところ、入れるようになったと言う。

「けど、テレビに入るのも、ペルソナも、姉御が最初にやってのけたんだよな……」

 警察に頼れない以上、テレビに入れる自分達が犯人を見つけ出すしか無い。
 陽介は、鏡とならこの事件を解決出来そうな気がすると晴れ晴れとした表情で話す。
 その瞬間、鏡の脳裏に声が響き渡る。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


 汝、“魔術師”のペルソナを生み出せし時

  我ら、更なる力の祝福を与えん……

 陽介との絆に呼応するように、“心”の力が高まるのを感じる。
 おそらく、コレがイゴールの言っていた“コミュニティ”なのだろう。

「おっと、このままだと遅刻しちまうな、行こうぜ姉御」

 陽介に言われて鏡達は学校へと急ぐ。
 教室に着いて、陽介とマヨナカテレビとテレビの中の世界について考察していると千枝が登校してきた。
 ただ、心なしか思い詰めたような表情をしており、様子がおかしい。
 千枝は教室を見渡し鏡達を見つけた途端、駆け寄ってくる。

「里中、慌ててどうした?」

「ねぇ、雪子、まだ来てない?」

「今日はまだ見てないけど?」

 不審に思った陽介が千枝に話し掛ける。
 千枝は雪子が来ていないか訊ねるが、今日はまだ陽介も鏡も雪子の姿は見ていない。
 鏡の答えに千枝の表情が青ざめてくる。

「ウソ……どうしよう……ねえ、あれってやっぱホントなの?」

「何のこと?」

「その……マヨナカテレビに映った人は“向こう側”と関係してるってヤツ」

「ああ、今ちょうどその話をしててさ、小西先輩の見舞いの帰りに確かめに行こうかって」

「昨日、映ってたの……雪子だと思う」

 その言葉に陽介と鏡は驚く。
 千枝の説明によると、あの和服は旅館でよく着ているのと似ていて、先日のインタビューでも着ていたという。
 言われてみて、鏡もマヨナカテレビに映っていた女性の着ていた和服が、雪子の着ていた物に似ている事に気付く。

「心配だったから夜中にメールしたんだけど、返事こなくて……でも、夕方頃にかけた時は、今日は学校来るって言ってたから……」

「分かったから、落ち着けって。で、メールの返事はまだ無いのか?」

 陽介の質問に千枝は頷く。
 鏡は向こうの世界で得た情報をかいつまんで千枝に伝える。
 その説明で千枝は、雪子が向こうの世界に入れられたのかと不安になる。

「分かんねーけど、そう言う事なら、とにかく天城の無事を確かめんのが先だろ。里中、天城に電話!」

 陽介の言葉に千枝が雪子の携帯に電話をするが、留守電になっていて繋がらないという。

「旅館が忙しくて、その手伝いをしている可能性は?」

「そっか、それなら携帯に出られないかも……旅館の方にかけてみる」

 鏡に言われて千枝が天城屋旅館へと電話をかける。
 電話が繋がった瞬間、千枝の表情が明るくなった。どうやら雪子が出たらしい。
 少し話をして、後でメールを入れるからと言って千枝は携帯を切る。

「急に団体さんが入って、手伝わなきゃいけなくなったって。それで、明日もずっと旅館の方にいるって」

 二人にそう説明する千枝は、心底ほっとした表情だ。

「……って、二人が変な事言うから要らない心配しちゃったじゃん!」

「わ、悪かったって……けど俺らも、そう思いたくなる訳があんだよ」

「……どんな?」

 千枝の疑問に、マヨナカテレビに映った人物は“向こうの世界に居るのではないか”と推測していた事を話す。
 推測の理由は“テレビの中に居るからテレビに映るのではないか”というものだ。
 しかし、雪子は未だ現実にいる事によって、推測に見落としがないか検討の余地があるとも説明する。

「ともかく、先輩の見舞いが終わったらジュネスに集合な」

「それじゃ、お見舞いが済んだらメールして。あ、鏡はあたしの携帯の番号知らなかったか」

「そういや、俺も姉御の番号知らないな。何かあった時に困るから今の内に交換しておくか」

 そう言って、鏡達はお互いの携帯番号とメールアドレスを交換する。
 これで緊急時にも連絡を取る事が可能だ。
 そうしている内に諸岡がやってきてHRが始まった。




 放課後。
 菜々子と待ち合わせをしていた鏡と陽介は、稲羽市立病院へと向かう。
 途中、お見舞いの品にお菓子の詰め合わせを購入して早紀の病室前までやってきた。
 病室の扉をノックすると、妙齢の女性が病室から現れた。

「はい、どちら様?」

「小西先輩の後輩で神楽と申します。先輩のお見舞いに来たのですが宜しいですか?」

「ああ……貴女が早紀を見つけてくれた子ね! どうぞ、入ってちょうだい。ただ……」

 鏡が早紀の恩人である事を知った女性が鏡達を招き入れるが、何故か言葉の最後は良いよどんんだ。
 その様子に引っかかりを覚えたが、取り敢えずは病室へと入る。

「早紀、あなたを見つけてくれた後輩の神楽さんよ」

 鏡達が病室に入ると、ベッドから身を起こした早紀が鏡達を見ていた。
 ただ、その表情はどこか戸惑っているようにも見える。

「先輩、身体の調子はどうッスか?」

 軽く手を挙げて陽介が早紀へと話し掛けるが、早紀は訝しげな表情で陽介を見ている。
 普段と違う早紀の姿に戸惑う陽介へ、申し訳なさそうな表情で早紀が謝る。

「ごめんね。キミが誰か、今の私には分からないの」

 その言葉に陽介達は驚く。その姿を見て、女性が陽介達に説明をする。
 稲羽市立病院に輸送された早紀が意識を取り戻して診察を受けたところ、過去1年位の記憶が失われている事が分かった。
 そのため、その間に知り合った相手の事を含めて記憶と現実との齟齬を確認するため暫くの間は入院の必要があるとの事だ。

「そんな……」

 早紀が記憶を失っていた事実に陽介は愕然とする。
 鏡と菜々子は知り合ってまだ日も浅いので、それほどの問題は無かったが、菜々子は悲しそうな表情をしていた。

「そっちのあなたもごめんね。恩人なのに覚えていなくて」

「いいえ、気にしないでください。それよりも先輩、記憶の方は回復の見込みはあるのですか?」

「診断では何かのきっかけで思い出すかもって言われたけど、微妙だね。でも、全部を忘れた訳じゃないから、まだ大丈夫だよ」

 そう言って早紀は平気だというが、どことなく無理をしているようにも見える。
 その事に鏡は気付かないふりをして、改めて自分達の自己紹介を行う。
 早紀は菜々子が気に入ったのか、何かと菜々子を気にかけており、菜々子から色々と話を聞いている。
 菜々子も早紀を気遣ってか、早紀に負担をかけないよう、早紀の傍で学校での事や鏡とご飯の準備をした時の事などを話す。


 陽介が自己紹介した時に付き添いの女性が僅かに驚いた表情になる。それを見て、陽介は当然の反応かと思った。
 付き添いの女性は早紀の母親で、陽介がジュネスの店長の息子だと知っている様子を見せたからだ。
 ただ、陽介が思っていたような拒絶の様子は見せていない。
 恩人である鏡の手前なのか、気にしていないのかは解らないが、それが陽介には有り難かった。

「それでは、長居をするのも申し訳ないですから、私達はそろそろお暇しますね」

 お見舞いの品を渡し暫く話をしたところで、鏡はそう言って病室を後にしようとする。

「ちょっと待って。良かったら、また来てくださいね。花村君も、お家の事は気にせず来て頂戴」

 帰ろうとする鏡達を呼び止め、早紀の母親がそう話し掛けてくる。
 その言葉に陽介は驚いた表情を見せるが、すぐに表情を綻ばせてその申し出に嬉しそうに頷いた。
 とはいえ、独りだと気まずいので皆と一緒に来ると照れ隠し気味に話していたが。




 帰り道。
 ジュネスへと向かう中、鏡と陽介は複雑な気分だった。
 二人は早紀からあの世界にいた経緯を聞いて犯人へと繋がる情報が得られるのではないかと考えていた。
 しかし、早紀の記憶が失われるという予想外の事態でそれも叶わなくなった。
 こうなると予定通りにクマから話を聞いて、向こうの世界の状況を知る必要がますます高まった。

「ジュネスに付く頃にはタイムセールに入っているな。今日はカボチャと鰆がお勧めで狙い目だぜ」

 菜々子と買い物に行く鏡に陽介が今日のお勧めを教える。
 鏡が買い物に行っている間に陽介と千枝がクマに話を聞きに行く手筈となっており、千枝に連絡済みだ。
 ジュネスに到着して陽介と別れた鏡は、菜々子と一緒に買い物へと向かう。

「お姉ちゃん、今日は何を作るの?」

「そうだね。お勧めは鰆とカボチャって話だったから、鰆ときのこでホイル焼きを作って、カボチャの煮付けとおみそ汁かな」

 献立を聞いてくる菜々子に、鏡が陽介から聞いたお勧め食材を使ったレシピを挙げる。
 みそ汁の具はオーソドックスに豆腐とワカメにしようかとレシピを頭の中で煮詰めていく。
 デザートにはカボチャのプリンでも作ろうかと、レシピを決めた鏡は菜々子と一緒に必要な食材を取りに行く。

「菜々子ちゃん、おーっす!」

 買い物を済ませて待ち合わせ場所のフードコートに行くと、千枝が鏡達を出迎える。
 離れた場所でテーブルに着いている陽介は、どうしたのか表情をしかめて右手を押さえている。

「あ、千枝お姉ちゃん!」

 千枝に気付いた菜々子の表情が明るくなる。
 鏡達と合流した千枝は、鏡の手にする買い物袋を見て献立は何かを訊ねてくる。
 千枝の質問に今日の献立とデザートにカボチャのプリンを作ろうと思っている事を話すと、千枝と菜々子は驚いた表情になった。

「鏡、デザートとかも作れんの!?」

「お姉ちゃん、すごーい!」

 二人の尊敬のまなざしに鏡は苦笑を浮かべ、覚えたら簡単に作れるよと話す。
 陽介の待つテーブルに着いた鏡達は買い物袋をテーブルに置く。

「菜々子ちゃん、一緒に皆の分のジュースを買いに行こうか?」

「うんっ」

 千枝がそう言って菜々子と一緒にジュースを買いに行く。

「クマから何か話は聞けた? というか、右手、どうかしたの?」

「ああ、これな。クマのヤツに思いっきり噛まれた」

 鏡の問いかけに、陽介がさすっていた右手を鏡に見せる。見ると見事な歯形が付いており、かなり痛そうだ。
 痛む手をさすりながら陽介は、鏡達が買い物に行っていた間に聞いたクマからの情報を伝える。
 今の時点で向こうの世界には誰も入ってきてはいないらしい。
 それでも千枝は雪子の事が気になるのでこの後で気をつけるように言いに行くらしい。
 土日は旅館が忙しく、一人で出歩く事は無いとは思うが、気をつけるに超した事は無い。

「ただいま、コーラで良かったよね?」

 暫くして、買い出しに行っていた千枝達が戻ってくる。
 小腹が空いていたのか、千枝はコーラだけでなくハンバーガーも購入しているようだ。

「菜々子ちゃんにも何か奢ってあげようかと思ったけど、鏡達は帰ったらご飯なんだよね?」

「そういや、前から気になってたんだが、神楽が飯を作っているのか?」

 千枝の言葉を聞いて、陽介が気になっていた事を鏡に訊ねる。

「菜々子ちゃんにも手伝って貰っているから、私だけって訳じゃないよ」

 菜々子から手渡されたコーラを一口飲んで鏡が答える。
 鏡が堂島家に来てからは、作れるときは鏡が台所に立ってご飯を作るようになった。
 出来合いの物はどうしても栄養が偏る上、野菜とかも不足がちになるので、菜々子の成長も考えての事だ。
 遼太郎も、初めて鏡が作った料理を見て『そこまでしなくても良い』と言ってくれたが、先の説明で納得させている。
 菜々子の成長に関しては言っていないが、遼太郎も気付いていたのか『済まんな』と一言だけ鏡にお礼を述べていた。

「お姉ちゃんのご飯、美味しいから菜々子大好き!」

 そう言って、菜々子は満面の笑みを浮かべて鏡の腕にしがみつく。
 本当の姉妹のような様子に、千枝と陽介は表情を綻ばせる。
 鏡も菜々子に慕われるのが嬉しいのか、空いている方の手で菜々子の頭を撫でる。

「そっちも準備があるだろうから、そろそろ帰らないと拙いな」

 時計を確認した陽介がそう話す。
 千枝も天城屋旅館に向かう時間を考えると、そろそろ出ないと拙そうだ。

「今日も雨だから、念のため今夜も確認な」

 菜々子の手前、マヨナカテレビの事を話せないので曖昧な言い方で二人に説明する。
 鏡と千枝もその事は解っているので、陽介の言葉に頷くだけにとどめた。
 バス停まで千枝を見送りに行き、自転車で来ている陽介も先に自宅へと帰る。




 菜々子と仲良く戻った鏡は帰宅すると手を洗い、買い物袋から使わない食材を冷蔵のに入れると晩ご飯の支度を始める。
 カボチャはあらかじめレンジで温める事によって柔らかくして切りやすい状態にする。
 鰆は切り身で買ってきたので、アルミホイルに他の具材と一緒に入れて身がパサパサにならないように少量の料理酒を入れる。

「お姉ちゃん、カボチャの種を綺麗にしているけれど、どうして?」

 途中、鏡が取り除いたカボチャの種を洗っているのを見て菜々子が不思議そうに訊ねる。

「カボチャの種にはね、栄養が沢山入っていて料理にも使えるんだよ」

 カボチャの種は栄養価かが高く、南瓜仁という生薬にもなっている。
 とはいえ、殻を剥くまで中身がどれだけ詰まっているのか解らないので、磨り潰してソースにしようかと鏡は考える。
 鏡の説明に目を丸くした菜々子の様子に、母親からこの話を聞いた時の自分も、きっとこんな表情をしていたんだろうなと思う。


 カボチャの煮付けが一番時間が掛かるので、それに合わせて他の分の調理を進めながらプリンの準備もする。
 煮付け用とは別に取っておいたカボチャで下拵えを済まし、菜々子と一緒に作業を進める。
 デザート作りが初めてだった菜々子は楽しそうにカボチャの裏ごしを行っていた。


 料理が出来る頃にはプリンも冷蔵庫に入れ、後は1時間ほど冷やせば完成だ。
 遼太郎は今日も遅くなると連絡があったので、菜々子と二人で晩ご飯を食べる。
 ご飯を食べ終えた鏡達は、食器を洗い終わるとクイズ番組を二人で見る。
 菜々子と一緒に番組で出題されたクイズに答えていく。

「菜々子ちゃん、そろそろお風呂に入って眠らないと駄目だよ」

 明日が日曜日とはいえ、菜々子くらいの年の子が夜更かしするのはあまり良くない。
 菜々子は鏡の言葉に頷くと、テレビの電源を切って自室へ着替えを取りに行く。
 鏡も用事がない時は菜々子と一緒にお風呂にはいるので、自室へと着替えを取りに行く。
 二人でお風呂に入り上がった後、菜々子を寝かし付けた鏡はマヨナカテレビを確認するために自室へと戻る。




――同じ頃

 雨の降りしきる中、山野真由美の遺体発見現場では、遼太郎達が更なる手掛かりを見つけるべく捜査を続けていた。
 しかし、ここ数日の雨のせいもあり、捜査は難航しているのが現状だ。

「やっぱこれ以上は出なそうスね。犯人に直接つながる物証は無しか……」

 透明なビニール傘を差した足立が現場で指揮を執る遼太郎に話し掛ける。

「まだ殺しと決まった訳じゃない」

「殺しですよ絶対! あんな遺体、事故死な訳ないですって!」

「……まあな」

 事件か事故かすら判断が付いていない状況ではあるが、足立が言うとおり事件と見る方が筋が通る。
 遼太郎自身も事件であると見ているが、それすら特定する証拠が掴めない事が捜査を更に難航させている。
 事件当初、三角関係のもつれによるものと見られたが、海外公演中の柊みすずのアリバイは固く通話記録も残っている。
 そもそも、愛人問題がメディアに出たのは柊みすず本人が会見で暴露したからだ。
 柊みすず本人が犯人だとして、自身に疑いが向くような発表はしないだろう。


 生天目太郎にしても、揺さぶりをかけてみたが何も不審な点は見られなかった。
 スキャンダルで最近町に戻ってきてはいるが、事件当時は市外の議員事務所に詰めていた事は裏が取れている。
 山野真由美が死んだ日も泊まり込みで作業していたという証言も取れている。

「おまけに山野の方にも、失踪前後に生天目と接触した形跡は全く無いときてる……」

「この事件で騒がれたせいで、生天目のヤツ、秘書をクビになってますからねぇ」

 おそらく、関係者の中で一番の被害者は生天目太郎本人だろう。

「それにしても、小西早紀から証言が得られなかったのは予想外でしたね」

「まさか、ここ1年の記憶を無くしているとはな……」

 遺体発見者である小西早紀が行方不明になったと連絡があって、山野真由美の死が事件である可能性が高くなった。
 口封じのために攫われたのでないかと思われたからだ。

「小西早紀を発見したのって、堂島さんの姪御さんなんですよね?」

「あぁ、家の都合で預かる事になってな。あいつの証言で一つおかしな点があるんだ」

「おかしな点?」

 鏡からの証言で、小西早紀は傘を持っておらず雨にも濡れていない事が解った。
 たまたま雨が止んでいた時に移動した可能性も否定は出来ないが、雨の中で傘を持たずに出歩くのはあり得ない。

「えっ!? それって……」

「あぁ、小西早紀はその場に放置された可能性があるという事だ」

 そうなると、消去法で事故では無く事件絡みと見た方が良いだろう。
 犯人の動機や目的は不明だが、何かしらの意図があって小西早紀を攫ったと見るべきだろう。

「それじゃ、小西早紀を攫った犯人は用済みになったから解放した、という事ですか?」

「まぁ、その辺も含めて、今はガイ者まわりをしつこく洗うしかねえか……犯人……町の人間だな」

「おっ、出ましたね、刑事の勘!」

 遼太郎の呟きに、足立が楽しそうに話す。
 危機感の無いその様子に、遼太郎が足立を睨み付ける。
 睨まれた足立は自身の失言に気付き、慌てて居住まいを正す。

「ったく、戻ったらもう一度ガイ者まわりを洗い直すぞ!」

「はいっ!」

 そう言って捜査に戻る遼太郎はふと、菜々子の事を思った。
 仕事の関係で家を空ける事が多く、随分と寂しい思いをさせて来たが、今は鏡が傍にいる。
 それだけでも随分と助けられているのだが、食事の用意や家事までしてくれている。
 実の親の自分より、鏡の方が余程と親らしい。ひょっとすると、その辺りも含めて、姉は鏡をこちらの預けたのかも知れない。
 この年にもなっても姉に気遣われている自身を不甲斐なく思う。
 一刻も早く事件を解決して、家族でゆっくり過ごせるよう努力するほか無いと遼太郎は気持ちを引き締めた。




――午前0時

 マヨナカテレビにまたしても映像が映る。

「こ~んばんわ~♪」

 しかし、テレビに映ったその内容に、鏡は自身が見ているものが何かを理解するまで、一瞬の間があった。

「えっ~と、今日は私“天城雪子”がナンパ、“逆ナン”に挑戦してみたいと思いま~す」

 ドレスを着た雪子がマイクを持ってリポーターのように振る舞っている。
 よく見ると、画面の右下には『女子高生女将 突撃逆ナン大作戦!!』とご丁寧にタイトルまで書かれている。
 どこかのバラエティ番組のような構成に、性格が豹変したかのような雪子の立ち居振る舞い。
 画面に映る雪子が、楽しそうに古城の中へと去って行った姿を最後に映像が終了する。
 少しして、鏡の携帯電話から着信音が鳴る。画面を見ると千枝からだ。

『ねぇ、今の何!? 逆ナンとかって雪子、性格が全然違うし……変な古城に入って行っちゃうし……あたし、どうしたら……』

「千枝、落ち着いて。まずは雪子に連絡して安否の確認」

『そ、そうだね! 雪子に連絡しないと……花村の方には』

「彼には私から連絡するから、明日、朝一でジュネスに集合。良いわね?」

『わ、解った。それじゃ明日ね!』

 慌てる千枝を宥めて、雪子の安否を確認するように伝えて電話を切った鏡はすぐさま陽介へと連絡を入れる。
 ワンコールで出た陽介に、鏡は先ほど千枝から電話があった事、雪子の安否の確認を頼んだ事を伝える。

『解った、ともかく明日の朝一でジュネスに集合して、里中から話を聞かないとな』

「うん、それじゃ、また明日ジュネスで」

 陽介との電話を終えた鏡は、明日に備えて早めに眠る事にする。
 本当ならば今すぐにでも出向きたいところだが、今はジュネスの営業時間ではない。
 はやる気持ちを抑えて鏡は就寝することにした。




 翌朝になり、早くに目が覚めた鏡は身支度を調えると居間へと降りる。

「あ、おはよ、お姉ちゃん」

「おはよう。菜々子ちゃん、早起きだね」

「お父さん、早おきだったから、いっしょにおきた。かえり、おそいって」

 居間には菜々子が一人でジュースを飲んでおり、遼太郎は今日も早くから捜査に出掛けたようだ。
 これで鏡まで出掛けると、菜々子が一人で留守番をする事になる。
 とはいえ、菜々子をジュネスに連れて行く訳にもいかないので、鏡はどうしたものかと考える。

「出掛けるの? るすばん、できるから」

 菜々子がそう言って、鏡に大丈夫だと伝える。
 リモコンを操作してテレビの電源を入れると、ちょうど天気予報が流れており、今日の稲葉市は快晴だそうだ。

「晴れだって。せんたくもの、ほそうっと」

「ごめんね、菜々子ちゃん。お昼はこの間のハンバーグを冷凍してあるから、レンジで温めてね」

「うん、行ってらっしゃい、お姉ちゃん」

 後ろ髪を引かれる思いで菜々子を残し、鏡はジュネスへと向かう。
 ジュネスへと到着した鏡はフードコートで陽介と千枝がやってくるのを待つ。
 暫くして陽介が後ろ手に何かを隠し持ってやってきた。

「わり、お待たせ。バックヤードから、いーもの見っけてきたから。見てみ、どーすかコレ!」

 そう言って、陽介が後ろに隠していた物を鏡に見せる。
 それは模造刀と鉈だった。

「いくら“ペルソナ”があるからって、武器も無しじゃ心許ないからな」

 そう言って、陽介はそれらを構えてポーズを決めてみせる。

「挙動不審の少年を発見。刃物を複数所持し、近くにいる少女の前で振り回しており、至急応援求む」

 その様子を巡回中だった警察官が発見し、無線で応援を呼ぶ。
 その声が聞こえた陽介は、ギクリとして慌てて背後に模造刀を隠すも警察官に見つかっているため、意味がない。
 警察官は急ぎ足で鏡達の傍までやってくると、鏡を背に庇うように陽介の前に立ちはだかる。

「は……? あ、や、ちょっ……いや、いやいやいや、何でもないッスよ。コレ別に、万引きとかじゃなくて……」

 慌てた陽介が支離滅裂な言葉を発して、警察官に言い訳をする。
 警察官に庇われた鏡は溜息を一つ付くと陽介の傍に近寄り、頭を軽く叩く。

「って!?」

「お騒がせして申し訳ありません。彼、演劇の役作りに夢中になってしまって、ついこんな事を……」

 陽介を叩いた鏡は神妙そうな表情を作ると、警察官に向かって深々と頭を下げる。
 その様子に呆気にとられた警察官に、鏡の説明は続く。

「私、稲羽警察署勤務の堂島遼太郎の姪で、神楽鏡と申します」

「えっ? 堂島刑事の姪御さん?」

 鏡の自己紹介に驚く警察官へ、遼太郎から常々危険な事はするなと言われていたにも関わらず、騒ぎを起こしてしまった事。
 その上、クラスメイトのこのような行動を止める事が出来なかった自身の不備を謝罪する。

「最近の事件でお忙しいところ、軽挙妄動な騒ぎを起こして本当に申し訳ありません。ほら、あなたもちゃんと謝る!」

 そう言って、陽介の頭を掴み警察官に自身共々、頭を下げる。
 呆気にとられた陽介は鏡のなすがままに頭を下げて謝罪する。

「あぁ、解ったから二人とも顔を上げて。堂島刑事に君のような姪御さんが居たとはね」

 警察官は鏡の態度に毒気が抜かれたのか、先ほどとは違って態度が軟化している。

「反省しているようだし、今回は不問にするけど、役作りに夢中になるのも程々にしなさい。良いね?」

「はい、ありがとうございます。お仕事の邪魔をして本当に申し訳ありませんでした」

「すんませんでした!」

 呆れたように二人に注意する警察官に鏡達は再び謝罪する。
 不問にするとは言われたが、流石に凶器を携帯するのは問題があるとの事で押収されてしまった。

「全く、気持ちは分かるけれど、軽挙妄動は控えてね?」

「面目ない……」

 警察官が立ち去ったのを確認してから、鏡が陽介に抗議する。
 鏡の抗議に様子は項垂れて、テーブルに突っ伏したままだ。

「あ、居た! って、どうかしたの?」

 遅れてやってきた千枝が、様子のおかしい陽介を指さして鏡に訊ねる。

「それは後で説明するから。それより、雪子は?」

「それなんだけど。携帯に何度かけても繋がらなくて……家行ってみたら、雪子、ホントに居なくなっちゃってて……!」

「そうか……やはり向こうに行くしかないようね」

 千枝の説明に思案顔になった鏡はそう言うも、装備も無しにあの世界に行くのは危険すぎる。
 鏡は千枝に先ほどの出来事を話し、せめて防具だけでもどこかで手に入らないか二人に訊ねる。

「武器……? あたし、知ってるよ!」

 千枝の言葉に鏡と陽介は驚く。
 驚く二人に「一緒に来て」と言って千枝が向かった場所は、稲羽中央通り商店街にある“だいだら.”という店だ。

「ほら、ココ!」

「な……何屋?」

 陽介が唖然とした表情で千枝に訊ねる。
 そうなるのも無理はない。店内の至る所に、武器や防具が所狭しと並べられているのだ。
 千枝の説明によると、金属製品を扱っている工房との事だが、銃刀法違反でよく訴えられないものだと鏡は思った。
 しかし、この店ならあの世界で身を守る装備を調達する事が可能なのは間違いがない。
 二人に付いて行く気の千枝に、陽介が思い留めるように説得する。
 陽介の説得に千枝は雪子の命に関わるので絶対に行くと癇癪を起こす。

「里中、真面目に言ってんだ。“向こう”の事、色々分かんないだろ! 忠告聞けないなら、来ないで待ってろ!」

「どうしても行く気なら、せめて身体を守れる防具だけここで用意して」

 陽介の言葉を継いで鏡も千枝を説得する。
 二人の真剣な様子に、千枝も渋々とながら頷き防具を選ぶ。

「なあ、姉御。俺の分も見立ててくれないか? 今のところ戦力的に切り札はそっちだし姉御の戦いやすい方が良いと思う」

 そう言って、陽介は鏡に5千円を手渡す。鏡は自分の手持ちと合わせて何が購入できるか商品を見る。
 千枝は早々に会計を済ませてしまい、鏡が買い終わるのを待っている。
 商品を見てみると、値段的に武器か防具どちらか一つしか購入できない事が分かった。
 鏡は少し考えてからまずは身を守る事を優先するべく鎖帷子を2つ購入する。

「後はどうやってジュネスに持ち込むかだな……」

「制服着ちゃえば良くない? 上から。結構分かんないと思うよ」

「それしかないか……んじゃさ、一旦解散して準備しようぜ。セールが始まる前に入れれば見つかる事はないだろうから」

 陽介の提案で一度着替えてから後でフードコートに集合となった鏡達はだいらだ.を後にする。
 今回は制服で何とか誤魔化せれば良いが、本格的に持ち込む方法を考えないと拙そうだ。
 陽介達と別れ着替えに戻ろうと歩き出した鏡のすぐ傍に、突如として青く光る扉が現れる。
 鏡以外には見えていないのか、誰もその不可思議な扉に意識が向かないようだ。

『ついに始まりますな……では、しばしお時間を拝借すると致しましょうか……』

 脳裏に響く声に呼応するかのように“契約者の鍵”が光を放ち始める。
 その光が鏡の視界を覆い尽くすと、どこかで扉が開く音が聞こえた。

「お待ちしておりました」

 気が付くと、ベルベットルームに鏡は招待されていた。

「貴女に訪れる災難……それは既に、人の命を奪い取りながら迫りつつある……ですが、貴女は既に、抗うための“力”をお持ちだ」

 そう言って、イゴールは“ペルソナ”を使いこなす時が訪れた事を鏡に告げる。
 鏡のペルソナ能力は“ワイルド”。正しく心を育めば、どんな試練とも戦い得る“切り札”となる力らしい。
 イゴール達の役割は、一人で複数のペルソナを使い分ける事が出来る鏡の“新たなペルソナ”を生み出す事。
 複数のペルソナを合体させる事により、新たなペルソナを誕生させる事が出来るらしい。

「敵を倒した時、貴女には見える筈だ……自分の得た“可能性の芽”が、手札としてね」

 イゴールが説明を終えると、次はマーガレットが自身の持つ書物を鏡に見せる。

「右手に見えますのは“ペルソナ全書”でございます」

 ペルソナ全書とは、鏡が所持しているペルソナを登録する事によって、登録した状態のペルソナをいつでも引き出せる書物だ。
 引き出すためには相応の金銭が必要となるので利用は考えて行わなくてはならなさそうだ。

「次にお目にかかります時は、貴女は、自らここを訪れる事になるでしょう。では、その時まで。ごきげんよう」

 イゴールの言葉を最後に、鏡の意識が遠くなる。気が付くと、鏡は先ほど現れた扉の前に立っていた。
 長い時間ベルベットルームに居たと思ったが、時計を確認したところ時間は経過していないようだ。
 鏡は急いで帰宅すると、制服に着替える。
 鎖帷子を装備しようとしたが、流石に上に制服は着る事が出来ないので、大きめの鞄に入れてジュネスへと持っていく事にする。
 制服に着替えた鏡を菜々子が不思議そうに見ていたが、流石に今は気にしている余裕はない。
 菜々子にはまだ用事があるので、お腹が空いたら先にご飯を食べていても良いからと言ってジュネスへと向かう。
 出来る事なら、夕飯までには帰宅して菜々子を安心させたいと鏡は思う。



 フードコートに到着すると、陽介と千枝が先に来ていて鏡の到着を待っていた。

「制服、日曜だから、ちょっと目立つな。タイムセールはまだだから、今なら気付かれずに向こうに行けるぜ」

「千枝、止めても無駄だと思うから、連れて行くけれど、無理だけは絶対しない事。約束できる?」

「……分かった」

 向こうの世界の危険性を理解していない千枝に、鏡が念を押して忠告する。
 千枝は二人と違いペルソナ能力を宿していない。そのため、千枝が一番危険なのだ。
 向こうの世界では、千枝は自分達の後ろでクマと共に居る方が良いかも知れない。
 一抹の不安を抱いたまま鏡達は向こう側の世界に移動する。

「わ、ホントにあん時のクマ……」

「センセイ? なんで、その子まで連れてきたクマ? こっちの世界は危険だってクマは言ったはずクマ」

 クマに驚く千枝の姿を見たクマが鏡に訊ねる。

「ウッサイ! そんな事より昨日ここに誰か来たでしょ?」

「なんと! クマより鼻が利く子がいるクマ!? お名前、何クマ?」

「お、お名前? ……千枝だけど。それはいいから、その“誰か”の事を教えてよ!」

 クマの説明によると、陽介達と話した少し後で誰かの気配を感じるようになったそうだ。
 誰かまではクマは見ていないので解らないが、気配の感じる方向は解るらしい。

「あっちね……皆、準備はいい?」

 千枝の確認に、鏡と陽介が共に頷く。
 二人が頷くのを確認した千枝は、クマが示した方角へと一人飛び出していく。
 鏡と陽介は慌てて千枝の後を追い、更にその後をクマが追いかける。
 暫く移動すると眼前に聳え立つ古城の姿が見えてきた。

「何ここ……お城!? もしかして、昨日の番組に映ってたの、ここなのかな?」

「あの真夜中の不思議な番組はホントに誰かが撮ってんじゃないんだな?」

「バングミ……? 知らないクマよ。何かの原因で、この世界が見えちゃってるかも知れないクマ」

 千枝の言葉に訝しむ陽介へクマが説明する。
 この世界にはクマとシャドウしか居ないので、“誰かが撮ってる”と言うのはあり得ない。
 初めから、この世界はこういう世界だとクマが説明するも、陽介達にはそれが良く理解できていない。
 しかし、考えようによっては鏡達も自分達の世界について正しく説明出来ない事と同じなのかも知れない。
 それに、マヨナカテレビをクマは見た事がないので知っている事なのかすら解らないだろう。

「て言うか、ホントにただこの世界が見えてるだけなの? 最初に例のテレビに映ったの、雪子が居なくなる前だよ?」

「確かに、普段の天城が“逆ナン”なんて絶対言わないよな……」

「あれ、雪子のシャドウじゃないかな?」

 鏡の一言に陽介が驚く。確かに以前の自分や早紀に起こった事が雪子にも起こったのだとしたら辻褄があう。
 そうすると、あの番組は雪子自身に原因があるのかも知れない。

「ワケ分かんないけど、雪子、このお城の中に居るの?」

「聞いてる限り、間違いないクマね」

「ここに雪子が……あたし、先に行くから!」

 クマの言葉を聞くや否や、千枝はそう言って一人飛び出して城の中へと入って行ってしまう。
 突然の千枝の行動に陽介は慌てて呼び止めるも、既に千枝の姿は無い。

「あ……! お城の中はシャドウがいっぱいクマ……オンナノコひとりは危ないカモ……」

「な、マジかよ! それ先に言えよ! くそ、里中を追うぞ!」

 城の中からシャドウの気配を察知したクマの言葉に、陽介が慌ててそう言って鏡の方へと視線を向ける。
 鏡へと視線を向けた瞬間、陽介の背筋に冷や汗が流れた。今まで見た事がない鏡の冷たい表情。
 なまじ、整った顔立ちをしているだけに感情を消した鏡の表情は冷たく鬼気迫るものがある。

「あ、姉御?」

「千枝……あの馬鹿」

 鏡達の忠告と約束を無視して勝手な行動を取った千枝に、鏡が本気で怒ったようだ。
 陽介は、激昂しない怒りがこれほどまでに居心地が悪いものかと思い知らされた。
 これならまだ当たり散らされる方が遙かにマシだと、この時の陽介は思った。

「千枝を追いかけましょう……」

「あ、ああ。了解だ。そうだ、何もないよりはマシだからコイツを持っていってくれ」

 鏡の雰囲気に飲まれた陽介はそう言うとゴルフクラブを鏡に手渡した。
 見ると、陽介自身もモンキーレンチを二つ持っている。
 陽介からゴルフクラブを受け取った鏡はクラブのヘッドを右下になるように構える。

「あ、センセイに言っておく事があるクマ。クマ、戦う事が出来ないから少し離れた所からセンセイ達をバックアップするクマよ」

「ま、確かにお前はどう見ても戦いに向いて無さそうな見た目だもんな」

 クマの言葉に陽介が呆れように話す。戦う力があるのなら、シャドウ達から逃げ隠れるような事は無いのだから、当然とも言える。

「それじゃ、サポートの方はお願いするわ」

「任せるクマ! それからこれを持って行くと良いクマ!」

 クマはそう言うと鏡に“地返しの玉”、“白桃の実”、“ソウルドロップ”という名のアイテムを渡す。
 それぞれの見た目は琥珀色の玉に桃、そして薄水色の飴である。
 これらは回復用の道具らしく、千枝を追いかける道すがらそれぞれに付いて説明するとクマは言う。
 確かに、先に古城へと入って行った千枝を追いかけねばならないので、このままここに居る訳にはいかない。
 鏡達は持ち込んだ装備を確認すると、千枝を追いかけて古城へと入って行くのであった。




2011年04月02日 初投稿


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