東日本大震災の津波で岩手県宮古市崎山の海辺にある通称「女遊戸(おなつぺ)」地区は、6割の住宅が流されるなどの被害を受けた。しかし当時集落にいた高齢者を中心に約70人の住民全員が助かった。町内会長でもある元学校用務員、前川正幸さん(66)が軽トラックを走らせ、声をかけて回った成果だった。
前川さんは地震発生時、海岸から約400メートルの自宅に妻といた。激しい揺れに必死で耐えた。前夜に地域の津波対策会議を開いていたこともあり、「津波が来る」と直感した。外へ飛び出し、約200メートル海岸寄りの所に車椅子で暮らす7歳下の弟の家に軽トラックを走らせた。弟の車椅子を押して自宅に避難させた。その際、近所にも「津波が来るぞ。逃げろ」と声をかけて回った。
前川さんは自宅からさらに引き返した。異変に気付いて海から約250メートルの市営アパートから避難しようとしていた高齢女性を、軽トラックに乗せて高台に運んだ。さらにこの女性の妹がつえを突いて避難してきたため、この女性も軽トラックに乗せて同様に運んだ。この時、津波の第1波が背後に迫るのが分かったという。
住民が裏山に避難し終えた午後3時20分ごろ、最も大きな第2波が集落を襲った。前川さん宅は無事だったが、34戸のうち20戸が流されたり全半壊した。
住民の男性は「町内会長が声かけしたお陰でみんなが助かった」と感謝した。前川さんは「住民全員が無事でほっとした」と、がれきで埋まった集落を見回した。【鬼山親芳】
毎日新聞 2011年3月28日 10時28分(最終更新 3月28日 10時34分)