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東日本大震災:被災者の心身守る 岩手・山田、大槌で巡回診療

 「調子はいかがですか?」。避難所などいつもと違う環境で暮らす被災者の健康を守ろうと、各地から医師らが駆け付け、巡回診療を続けている。岩手県山田町と大槌町で診療チームに同行した。【曽根田和久、藤田剛、村上正】

 ◇中核病院が壊滅「周辺部まで無医村状態」

 ◇孤立高齢者の体調管理、課題

 山田町の中心部から約6キロ北に離れた町立豊間根中学校の避難所。大きなゆっくりとした声が臨時診察室になった相談室に響いた。和歌山県立医科大付属病院(和歌山市)の森畠康策(もりばたこうさく)医師(36)は病院スタッフとともに3月29日から3日間、町中心部からの避難者を多く抱える豊間根地区で、避難者らの巡回診療に当たった。医師歴は10年。災害時の出動は今回が初めてだ。

 スタッフらが声をかけたのは高齢の女性。「血圧が上がって目がぐるぐる回るんです」。女性は体調不良を訴えていた。中山美代子看護師長(49)が測ると、最高血圧は200近い。薬剤師に指示して薬を処方し、すぐ飲むように伝えた。「避難生活が長くなり、被災者の体調悪化を実感します」。被災者に笑顔で対応していた森畠医師の顔が厳しくなった。

 山田町では計5カ所ある医療機関のうち県立山田病院を含む4カ所が被災。カルテなど多くの医療記録も消えた。持病のある被災者も身一つで避難したため、常用している薬を失った人も多い。避難者の佐野芳高さん(60)は「4年ほど飲んでいた胃潰瘍の薬が流されてしまって。診ていただいて本当によかった」。ほっとした表情で話した。

 約1時間の診療後、森畠医師らは別の避難所や介護が必要な避難者を抱えるグループホームを巡回。合間には疲労で風邪を引いた避難所スタッフの診察もこなし、豊間根中へ戻ると既に十数人が列を作っていた。森畠医師は「地域の中核病院が被災すると、直接被災していない周辺部まで影響がでて『無医村』のような状況だ」と話す。

 森畠医師らが普段勤務する和歌山県は東海・東南海・南海地震の津波で大きな被害が想定される。「被災地で何が起こり、医師としてどう貢献できるのか考えさせられた。(東日本大震災は)私たちにとっても決して人ごとではない」と森畠医師は話す。

   ■

 国際医療救援団体「AMDA」(本部・岡山市)の医療チームを乗せた車が、がれきが積み上がる海沿いの道を抜け、坂道を上った。大槌町安渡の「古学校」地区。かつて小学校があった場所に約30世帯の民家が密集。津波の被害が少ないため、沿岸部で家を失った人が親族らを頼って身を寄せる。「在宅避難者」だ。

 そろいの青いジャンパーを着たAMDAの3人が、机と椅子を置き、即席の「青空診療所」を作ると、住民が列を作った。「先生、風邪薬だけじゃなくて眠り薬もないですか。不安で寝付けなくて」。里舘園子さん(72)が訴えると、高橋徳(とく)医師(60)は手際よく睡眠導入剤を段ボール箱から出した。「1日1回、寝る前に飲んでな」

 親類宅に身を寄せる小国健司さん(61)の血圧を、看護師の高野直弥(なおみ)さん(37)が測っていた。「前よりも良くなりましたね」。小国さんの表情が緩む。

 土沢兼次郎さん(62)の家には、長女、次女、長男の3家族が避難し、7人で暮らす。「診療所のある避難所に薬をもらいに行こうにもガソリンがなくてね。先生が来てくれて助かります」

 町内にあった県立病院と五つの診療所は壊滅。現在、県立大槌高校など大規模な避難所に医師が常駐しているが、自宅や小規模避難所で暮らす被災者をどう診療するのかが課題になっている。高橋医師は「1人暮らしの老人が孤立し、電気も水道もない中で健康を害するケースが出ている。2次被害を防ぐためにも、私たちが定期的に訪問することで安心してもらえれば」と話す。

 診療が終わると、AMDAの理学療法士で大槌町出身の元持幸子さん(36)がハンドクリームを配った。「うわあ、うれしい。寒くて手がかさかさしてたから」。被災者らの顔がパッと明るくなった。

毎日新聞 2011年4月2日 東京夕刊

 

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