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福島第一でポンプ点検中に被災 仕事辞め一家で舞鶴に

2011年3月30日

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「双葉町へは30年は帰れない」と語る頓宮朋弥さん(左)と妻のミサさん=舞鶴市役所

 東日本大震災で被害を受けた東京電力の福島第一原発がある福島県双葉町の住民が、舞鶴市へ避難した。東電の協力会社の社員として同原発で働いていた頓宮朋弥(とんぐう・ともみつ)さん(37)ら家族5人。被曝(ひばく)から逃れたい一心で、ほとんど何も持たないまま町を出たという。29日に会見し、東電について「情報を信用していいのか分からない」と不信感を示した。

 発生時、朋弥さんは同原発1〜4号機から300メートルほど離れた建物内でポンプの点検作業中だった。揺れが収まると、倒れそうになったポンプを補強し、約1時間後に現場から車で離れた。

 自宅は原発から5キロほどにあり、朋弥さんは「放射性物質の被害が広がるかもしれない」と判断。妻のミサさん(38)や中学1年生までの子ども3人を連れて約40キロ離れた同県浪江町へ車で移った。さらに、インターネットで家を提供する自治体の情報を検索し、見つかった京都府に電話をかけて移転先を紹介してもらったという。

 「地震や津波にも配慮した原発と聞いていたので、安心していた」という頓宮さん夫婦は、テレビで原発事故の発生を知り、「『まさか』と思った。避難した翌日には家に帰れると思ったのに」。

 朋弥さんは、すでに会社を辞め、舞鶴市で職を探している。府や市、周りの住民の支援で、当面の生活には困らないという。子どもたちの転校手続きも済ませた。

 「双葉町にはまだ放射性物質があると思う。今後は舞鶴を拠点に生活したい」と話している。(伊藤誠)

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