カズの諦めない心、奇跡生むプロ魂

2011.04.01


慈善試合とはいえ相手は日本代表。Jリーグ最年長カズのゴールはプロ魂の賜物だった【拡大】

 瞬く間にミックスゾーンの入り口付近に人が吸い寄せられ、輪が三重にも四重にも膨れ上がった。輪に入り損なった記者たちは、外で苦笑いするしかなかった。

 「がんばろうニッポン、サッカーファミリーのちからをひとつに!」と銘打って開催されたチャリティーマッチで、完全に話題を独占したのは、44歳のカズ(三浦知良)だった。ミックスゾーンとは、報道陣が選手と交わり取材をする場所だが、さすがにこの日ばかりはカズを会見場のマイクの前に連れてくるべきだった。

 チャリティーマッチといえば、一般的にはリラックスして両チームともに多くのゴールを奪い合うものだ。しかしこの夜は日本代表の数少ない強化の意味合いも含まれていたから、どちらも真剣勝負に徹していた。もちろん日本代表には26人も招集され、ザッケローニ監督は体調の整った選手全員を使ったから「後半が見劣りした」(同監督)ことは否めない。だがそれでも相手は現役の日本代表である。いくらJリーグ選抜のストイコビッチ監督が期待しても、現実的には44歳がゴールを奪えるとは考えにくかった。

 思えばカズのサッカー人生そのものが奇跡への挑戦に端を発している。カズがプロを夢見てブラジルへ渡ったのは、高校1年生、まだ15歳の時である。当時カズが在籍する静岡学園高校の井田勝通監督は真っ向から反対したそうだ。

 「私は実際にブラジルでプロの水準を見て来ていた。それにカズは身体能力的にも特別優れていたわけではなかったから」

 しかし同じように大志を抱いてブラジルへ渡った少年たちの中で、たった1人カズだけが成功を掴んで凱旋した。なぜ? と問うと、カズは「どうしてですかねえ…」と遠い目でしばし考え、いくつかの要因を探し出した。

 「リフティングやドリブル。チーム戦術より、そういうことばかりやっていましたね」

 「とにかく練習中から、先頭を切ってアピールするようにしていました。そうじゃないと、自分というものが消えて失くなっちゃいそうだから」

 簡単にいえば、技術とプロ魂が高度に養われたということだろうか。それらが彼の諦めない精神と相まって、プレーヤーとして非常識的な長寿を可能にしている。そして実はこうした要素こそが、誰にもわかりやすい身体的資質など以上に、重要な才能なのかもしれない。

 ドーハの悲劇でワールドカップの切符を逃すと、日本人として初めて当時世界最高水準を誇るセリエAに挑み、ジェノバダービーで得点した。1998年W杯フランス大会の代表メンバーから漏れると、クロアチアで再チャレンジを試みた。さらにこれだけ栄光に包まれた選手が、J2でも自分を追い込み必死に戦っている。すべてが凡人にはとても成しえない奇跡と言っていい。

 本来プロフェッショナルというのは、小さな奇跡を実現して見せて、その対価として報酬を得るものだ。そういう意味で、カズは正真正銘のプロフェッショナルの価値を見せた。そしてそれは震災に沈みおののく日本が最も欲していた希望の灯だったと思う

 ■加部 究(かべ・きわむ)スポーツライター。1958年11月24日生まれ。6度のワールドカップ、8度の各大陸選手権などを取材。著書にはデットマール・クラマーを題材にした「大和魂のモダンサッカー」、「忠成」、「サッカー移民」、「祝祭」、キックの鬼と呼ばれた沢村忠を追った「真空飛び膝蹴りの真実」などがある。現在「週刊サッカーダイジェスト」、「サッカー批評」、WEB「Jマガ」他でコラムなどを連載中。

 

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