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[22331] 文学少女日記
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/04 01:52
はじめまして。


すごく短いものから、ちょっぴり長いものまでSSを書きます。
みなさん、どうかお手柔らかに。



anでした。



[22331] ア、彼女
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2011/02/01 00:32
 歩道の隅に一輪の花が咲いていた。電柱の陰で細々と咲いていた。その花を見て彼女は言った。
「とっても綺麗ね」
 近づいていく彼女の陰で、その花に降り注ぐ太陽の光は遮られる。
「みて、とっても綺麗」
 笑いながらそれを踏み潰す彼女は、歩道の隅に細々と咲くその花より弱いものに見えた。

「みて」「うん、みてるよ」



[22331] イ、自殺の理由
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/04 02:02
 殺人やら自殺やら。あまりの事の重大さに気づいた時、人はこういった行動をとったりする。それは生死に関わる感じで表れる。決しておかしいなどと批判できない。それらは元々の形がそこにあったのならば、それらはいずれ消えてなくなってしまうものなのだから。

 自分で言うのもなんだが、僕は大した考えを持っていると思う。正論かは分からないが、僕の中ではちゃんと成立している。のにも関わらず、僕は死ねない。自殺未遂なんて名前の死にきれない渦の中にいる。
 なぜだと思う。知らないよ、そんなのこっちが聞きたいさ。僕は十分事の重大さに気づいている。親友を殺したのだ。重大じゃないわけがない。死ぬべきなのだ。死ななければいけない。僕にはそれを行動に移せるだけの理由があるのだから。よし、自殺をしよう。

 毎日磨いているピカピカのナイフを手にとって、それを手首の血管に押し付ける。食い込んだナイフの周りから血が滲み出す。もっとだ、もっと出ろ。ナイフを持つ手に力を加える。いけ、いけ、いけ。血が床に落ちる音が聞こえた時、僕の右手はナイフを捨てて準備してあったハンカチで止血を行う。
 やめて、そんなことするな。また僕の中にある自己防衛本能が働いたのだ。みるみるうちに出血は止まった。

 人の体というものは、必ずしも意思と平行してくれるとは限らないわけである。頭できちんと成立しているものたちのせいで、僕は今日も有限実行には至らないわけだ。

「ごめんよ」
 もうこの世にいない親友に向けたその一言は、幽霊を立証できない僕にとって成立することのないものだった。
それなのに目尻から流れる涙に乗せて、
「こんな僕でごめん」ともう一度謝った。乾燥した血でナイフがくすんで見えた。



[22331] ウ、子供と大人
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/04 23:54
 わたしが子供のとき、世界はどんなふうに見えていたんだっけ?

 ふとそんなことを思ったのは、遊びに来た甥っ子の一言だった。
「お空の雲を掴めないのは、神様がひとりじめしているせいなの?」
 せっかくよく晴れた日だったので、散歩と称して外に連れ出した帰り道の出来事だった。空を見上げながら、考え込んだような顔して甥っ子は訊ねてきた。
「なぜ、神様はそんなことをする必要があるの?」
 この子の望んでいる答えが、小指の先ほども分からなかったので、クエスチョンにクエスチョンで返してしまった。
「ひつよう?」
 その結果、先ほどよりももっと考え込む顔にしてしまった。あぁ、なんか難しい言葉使っちゃったかな。小1だもんな。もっと優しく答えなきゃだめだったのかも。例えば、神様は綿あめが好きなのかもねーあはは。なんて。でもなんかバカなやつみたいじゃない。
「そうじゃないんだよ。僕が気にしているのは、雲には自由に遊べる時間はあるのかってことなの」
 甥っ子は淡々とわたしのクエスチョンをクエスチョンで返してきた。やるな、と少々感心しているとそのまま言葉を続けた。

「太陽と月は僕と遊んでくれるけど、雲は違うんだ。いつもあそこでプカプカ浮いてるだけ。お空には神様が住んでるから、もしかしてって思っただけなんだ」
 雲を指さしながら健気に説明する甥っ子。ごめん。わたしにはあんたの言っていることがさっぱり分からない。一体この子には、世界はどんなふうに見えているのだろう。わたしと違うことは確かだな。
「ねぇ、いつも学校でみんなとそういうお話したりするの?」
 繋いだ手をくいっと引っ張って、こっちを向かせてから笑顔で聞いた。
「ううん。みんなとはしないよ。みんな1人1人考えてることは違うからね」
 さっきまでとはまた違う、妙に大人びて聞こえたその言い分は、大人を気取っていたわたしを足元からひっくり返した気がした。人と同じでなきゃいけないっていう、まさに大人の常識をこの子はくつがえしたのではないか。

「ねぇねぇ、どう思う?」
 無邪気に笑う甥っ子が、お気に入りの白い花の髪飾りをつけた小さい頃のわたしに見えて、一瞬アホ面を晒してしまった。でも甥っ子はそんなことを気にする素振りも見せず、繋いだ方の手を前後に揺らしてわたしに答えをせがんだ。その手は、とてもとても小さかった。



[22331] エ、救世主
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2011/02/07 15:41
「おい、怪獣だ。逃げろ」
 ってここで叫び狂って伝えたところで、街行く人にはあれは建ち並ぶ高層ビルの一つにすぎない。
「あなたずっと監視されてますよ」
 って耳元で囁いて教えても、誰も月の正体を見破れない。

 どうしたものか。人々は常識という名の感染病に犯されているではないか。私がちょっと仕事で地球を留守にしている間に、こんな厄介なウィルスが増殖し、はびこってしまっていたなんて。あぁ、感染していない人間はもう私だけなのだろうか。そう考えると寒気がして、同時に自分はとても貴重な存在であることを自覚した。そして、決して感染してはいけない。私はそう、強く心に決めた。

 食欲は宇宙から侵略を謀っている者たちに、勝手に植えつけられた欲で、本当は人間には必要のないものなのだ。これを使って、どう地球をのっとろうと考えているかは私にはわからない。でも、それを知っているからこそ、奴らの罠にまんまと引っかかってはやらない。不気味で気色の悪い食べ物を吐いた。

 家に帰ると、家族は見事に1人残らず感染していた。1週間分の荷物をまとめて家を出る。ごめん、みんな。必ず助けに戻るから。
 それから何日歩き続けたことだろう。いつウィルスに体をむしばまれるか心配で、夜もまともに眠れない。もしかしたらもう、感染しているかもしれない。そんな不安に常にかられている私は、身も心ももう限界に近かった。ふらふらになりながら、膝からアスファルトに崩れたその時だった。遠くのほうで白い陰と共に、大きなサイレンの音がした。それをきちんと確かめる前に、霞んでいた視界が完全に閉ざされてしまった。

 私は今、隔離されている。この常識という名のウィルスがはびこった地球上で、唯一感染していない貴重な人間として。地下の閉鎖病棟で、まだ完全には感染していないわずかな希望を持つ人たちと暮らしている。あの時、誰かが私を見つけてくれて救助を願い出たらしい。

「この人、まだウィルスに感染してません」
 そう叫んでくれた誰かも、もう常識で体を支配されてしまったのかもしれない。

 ここでは、毎日何通りもの検査をされる。なぜ、私は感染しなかったのか。そこから見出されるワクチン、治療法の開発。そもそもの原因など。苦痛を感じる時もある。でもそれは、地球上のすべての人間を助けることに繋がるのだ。もちろん、約束し別れを告げた家族にも。そのためであれば、私はどんな辛いことにも耐えられる。たとえ世間から、拒食、妄想癖などとさげすまれても決してくじけはしないのだ。

 この話を理解できずにいる、そこのあなた。待っててね。私が今、絶対助けてあげるから。



[22331] オ、探し物
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/05 23:35
 頭のつむじの辺りがこれでもかというくらい太陽の熱を受け、額や耳の裏にじっとりと汗が滲む。屈めばパンツが見えそうな短いスカートで、高いヒールの靴を履き、両手両足の爪を真っ赤に塗った今日の私は、どこから見てもオーラ全開の大人なお姉さんに見えるはずだった。
 靴擦れさえしなければ。靴のバックバンドが踵に当たって赤みがかっている。ヒールをコンクリートでコツコツいわせてはいるが、正直もう歩くのも限界だ。それに加えてこの暑さ。厚塗りしたファンデーションのお陰で毛穴からの汗は尋常じゃない。
 あぁ、私の計画は無惨にも儚く散ったのね。ため息と共に感嘆の声が漏れる。半歩後ろで圭介がのんきに呟く。
「夏だねー暑は夏いなー」
 高校生みたいな顔した二十三歳、立派な成人男性のはずのこの馬鹿は、馬鹿でもあり私の唯一の恋人でもある。あぁ、私はこんな馬鹿のためにこれほどの痛みを我慢してまで必死にヒールを鳴らしているのか。そう考えると一気に阿呆らしくなってきて、意味もなく圭介を睨んだ。そんな私の意味のない行動にも全く動じる気配すら見せず、眩しそうに空を見上げてしわくちゃにした顔で、相手を持たない独り言を言い続けた。今すぐにでも右足を振り上げて、この鋭く尖ったヒールでお前を串刺しにしてやろうか。と心の中で凄んでも、それについていける元気な足を私は持ち合わせていなかった。

 キンと冷えた電車に乗りこみ、靴擦れと暑さとそれらによった苛立ちで疲労困憊の体をしばし休ませる。衣類と肌の隙間にこもった熱気が蒸発していく。隣で鞄をガサゴソ漁っていた圭介が、私の耳に耳栓型のイヤフォンを押し入れながら言う。
「新曲できたから聴いて」
 なんとも楽しそうにipodをいじくりまわす圭介を見ながら、反対側の耳に自分でイヤフォンを入れる。このイヤフォン嫌いなんだよなぁ、と頭の奥で呟いてだらしなく背もたれにもたれ掛かっていた背中を伸ばす。
 かき鳴らされるアコースティックギターの音色が、弊害なく体に入ってくる。圭介の柔らかい歌声が後に続く。期待に目を輝かせてこちらを見つめてくるこの男は、本当に私より五つも上なのか未だに疑問でしょうがない。うっとおしい視線で曲に集中できないので、静かに目を閉じる。

「きみを今日も探すぼく。見つかりっこないか」

 あぁ、またこれか。
 女みたいに透き通った彼の高音が、わたしの胸を電車とは反対方向に揺さぶった。目の前でコクリコクリ頭を上下させ、眠気をしょいこんだおばあちゃんを見て、「居眠り」なんかぴったりのタイトルだと思った。プツッ。前ぶれのない切断音の後に、すぐ先ほどの曲よりも少し小さい音で次の曲が始まる。右耳にはまっていたイヤフォンを抜いて、圭介の方を向く。
「いい曲だね」
 照れて鼻をこする彼を見たら、日々増幅する気持ちを後ろに流れてゆく景色に置いてくることは、またできないと思い知らされる。左耳では持続的に流れる歌声を聴き、右耳で彼の嬉しげな喋り声を拾って、暮れかけた夕陽の中を心地よく揺れながら家路に向かった。

 私の家の前まで手を繋いで歩く。きっちりいつも家の前まで。そういうところはしっかりしてるのだ。大人の風格でも見せたいのだろうか。それとも彼にとってはごく自然な常識で、それをこんな風に捻くれた目線で見る私がただ単に子供なのだろうか。いや、そんなことを考えるのはよそう。ちらっと圭介に目をやると、元々たれた目をさらにたらして幸せそうに微笑んだ。胸が痛かった。

 圭介と私は付き合っているが、恋仲ではない。正直言うと、私が一方的に圭介のことが好きなのだ。特に強引ではなかったと思うけれど、言い寄った私に言い寄られた彼は断れるだけの理由がなかったので、形式上の付き合いを認めた。直接彼からそう言われたわけではないけれど、きっとそう。彼にはれっきとした恋人がいるのだ。もう5年も前に天に昇った恋人が。

 名前は知らない。顔も性格も、どこの出身の人なのかも圭介とどうやって出会い、2人は恋におちたのかも。知っているのは、圭介よりも2つ上で、白血病だったってことだけだ。あとは本当に何も知らない。知ろうとも思わない。だって、それは2人のことで何よりも過去の話だから。過ぎ去ってしまった、もう取り戻せない記憶の話だから。そしてそう言い聞かせるのは私で、そんな期間はとっくに過ぎて見えないものにすがりつく圭介。地球上で最高にひとりぼっちの2人が、今ここで手を繋いでいる。おかしいでしょう。おかしいなら笑えって、昔お父さんがよく言ったっけ。

 太陽が完全に沈み、街灯がちらほら灯り始めた頃、私達も目的地に到着した。
「家、寄ってく?」
 離した唇に冷たい風が通る。
「明日も朝早いから、今日は帰る」
 圭介はとびきり優しい顔をして、私の頭を撫でた。「今日は」帰らなかったことなんて一度もないくせに。少しふくれる私の頭を、子供みたいにくしゃくしゃに撫で回す。もっとふくれた私を見て、あははって楽しそうに圭介は笑った。
「寒いから早く家に入りなよ」そう言って、唯一温かかい手のひらにまで冷たい空気が入り込んできそうだったのを、ギュッと握りしめて阻止した。驚いたように振り返る圭介の右手を、もっと強く握りしめながら私は言った。懇願した、のほうが近いかもしれないけれど。
「もう一回キスして」
 さっきの優しい笑顔のまま、いつものように割れ物にでも触れるみたいにゆっくりと唇を重ねた。一瞬、戸惑った彼を私は見逃さなかった。それはきっと潤んでしまった私の瞳と、冷たくなった圭介の唇に関係している。彼は探しているのだ。私に触れている間も、私に触れていない時も、いつでもどこでもずっと。突然いなくなってしまった恋人を。自分の愛しい恋人。その証拠に私は彼から温度をもらったことはない。今の触れるだけのキスからも、優しい笑顔も繋いだ手のひらからも。熱は全部、私が作り出しているものだから。孤独な関係。暖めあうことすら許されない。彼は見えない恋人を探し続け、私は感じることのない愛を探し続ける。目的地なんかない、ずっとずっと続く一本道。目なんかこらさなくたってすぐそこに見えている答えがあるのに、勝手に見えないものだと決めつけてしまった。
 自らひとりぼっちになる私達は、地球上で最高におかしいでしょう。笑えないのは靴擦れのせいなの。痛くて痛くてもう限界なの。本当よ、お父さん。



[22331] カ、地球
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/06 23:20
 空を見上げると、真っ暗な箱の中だった。その瞬間、地球を四角く感じた。

 自分が勝手に持っている箱に対するイメージのせいか、はたまたまだ見たことのない地球が丸いという事実を認めきれていないせいなのか。とにかく私は、真四角の箱の中にいた。 星も郵便局も電柱も全部、きれいに箱に納まっていた。思い浮かんだのは、昔沢山持っていた飛び出す絵本。開くと広がるお話の世界。それととてもよく似ている気がした。

 この箱にもどこかに、開くふたでもあるのだろうか。
 あまりに呑気に考えていたものだから、何もないコンクリートにつまずいた。やだやだ、恥ずかしい。足元を気にしつつも、ふたはどこかと探してみたがさっぱり見当もつかなかった。
 ゆっくりゆっくり箱の中を歩く私。このまま歩いていれば、いつかの絵本みたいに最後のページにたどり着けるのだろうか。少し遠回りして、そんな淡い期待をしてみたものの着くのは家で、寝ればいつものように朝が来るのだったと思い出しただけだった。

 そうか。やっぱり地球は丸かったのだ。



[22331] キ、幸せ
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/08 00:48
 女の子がいました。
 女の子は黒い色が大好きでした。なんでも黒ければ、大体好きでした。
 黒いワンピースを着て、黒い食べ物を食べて、黒いベッドの中で眠ります。
 黒い猫を飼い、黒いお家に住み、黒い花を育てます。
 女の子の周りは、いつも黒いものたちで溢れていました。
 それは、女の子にとってとてもとても幸せなことでした。

 けれど、それには限界がありました。
 いくら自分の周りを黒で埋め尽くしても、一歩外へ出ればそういうわけにはいかなかったからです。
 なので、女の子はみんなにこう言いました。
「今日から、使うものや食べるもの、育てるものや着るもの。全部、黒で統一しましょう」
「そんなことは無理だ」みんなは口々にそう呟きました。
 女の子は一生懸命訴え続けましたが、みんな誰1人として耳を貸す者はいませんでした。

 黒いお家に帰ってきた女の子は、泣き出してしまいました。
 一生懸命喋った分、一生懸命泣きました。

 次の日、女の子は悩みます。沢山考えます。毎日、頭を抱えました。
 そして何十回、何百回と考えて、悩んで、やっと良いアイデアを1つ思いつきました。

 女の子はすぐに家を飛び出して、みんなの元へ向かいました。
 黒い黒い夜の中、できるだけ急いで向かいました。

「ねぇ、みんな。聞いてほしいの」
 女の子は最大限の大きな声を張り上げました。
 みんなは何事かと思い、ぞろぞろ外へ出てきます。
 あくびをしながら、目をこすりながら、ぞろぞろ外へ出てきます。
 みんなの中に、まだ寝ていなかった人が1人いました。
 その人はぱっちり開いた目で、唯一女の子を女の子だと見ました。
「また、お前か」
 まるで汚いものを見るような目で見ます。
 でも、女の子はくじけません。今は、みんなの眠気を覚ますのです。

「わたし、決めました」
「黒なんか暗い色が好きなのは、お前だけなんだよ」
 奥から出てきた意地悪そうなおじいさんが、意地悪を言いました。
 それでも、女の子はくじけません。今は、このことを伝えるのです。

「そうね。だからこれからはみんな、好きな色を使ってください。使うものも食べるものも、育てるものも着るものも。全部、好きな色を使ってください」
「そんなのもうしているじゃないか」
「はい。そのままでいいの」
 みんなは、可笑しなななぞなぞを解いている気分でした。
 それでも、今度は否定する理由がなかったので、ただ「うん、うん」と頷きながら、それぞれの好きな色のベッドに戻っていきました。

 黒いお家に帰ってきた女の子は、とても満足していました。
 なので一晩中、とても満足そうに笑っていました。

 黒い夜が終わり、朝が来ます。
 みんなは何も変わらず過ごします。
 女の子はそれを黙って、幸せそうに見ています。

 女の子には分かったのです。
 たとえ、みんながみんな好きな色を使っても、使えが使うほどそれらは古ぼけて汚くなっていきます。
 だって好きなものは、最後の最後まで手放したくないでしょう。
 そして使い続けた最後、それらは色を失い黒になるのです。
 みんなが毎日、今のまま過ごすだけでいいのです。
 それが自分の幸せになるのです。

 今日も女の子は笑います。
 自分の幸せの秘訣を、もう知っているんですから。



[22331] ク、雪
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/08 23:22
 ある日、彼が言った。
「俺、雪嫌いなんだよね」
 一週間後、彼は大嫌いな雪の中で死んだ。その日から、私もなんとなく雪を嫌いになった。

 ある朝いつものように登校すると、親友と呼んでいた子がみんなから「無視」という名のいじめにあっていた。
 初めの二日ほど私は勇敢に戦ったが、三日目には集団の端に用意された椅子に座った。親友は水の溜まった目で、溢れだしそうな疑問をぶつけてきたが、気づくと上手く避けていた。
 私は、彼女との全てを一瞬で過去に変えた気がした。

 ある夜、親が離婚届に判を押した。
 大好きなお母さんは、まだ幼いという理由で弟を引き取ると決めた。前の日に何度も練習した言葉は、お父さんの目の下にできた黒いクマが奥へ閉じ込めた。一生出てくることはない、奥の奥のほうへと。
「ごめんね。ごめんね」
 そればかり繰り返すお母さんの横で笑うことしかできなかったのは、その日雪が降っていたからかなと、荷物がなくなり他人のもののようになった空っぽの部屋で考える。変わらずにいようと頑張る姿が、もう以前とは違っていることに気づいていないお父さんも、自分と何も変わらない人間なんだなぁ、と改めて感じた夜だった。
 それから、大人はもう大人として目に映らなくなった。

 雪は降り続けた。雨に流され、風に吹かれ、それでも降り止むことを知らないかのようだった。

 雪は私に似ている。いや、私は雪に似ている。今の自分は、名称だけを持った形のない何かのようだ。雪もそうだ。手に取れば、途端に消えてしまう。私は、手に取られたことがないからなんとも言えないけれど。そんな雪を最後まで、なんとなく好きにはなれなかった。

 冬が過ぎ、春が来て、鮮やかに桜が咲いた。色のあるものが宙を舞っているのを、久々に眺める。
「急がないと遅刻するよー」
 新しくできた友達が、遠くから私を手招く。
「今、行く」
 小走りで新しい学校の門をくぐる。桜の花びらが漫画みたいに壮大に舞った。その中で、ふと思い出す。いつもいつも、降り止むことを知らない、いつの間にどこかにいってしまった。なぜだかとっても、懐かしく感じる雪を。
「早く」
「わかった」
 私は春になっても、消えずにここにいたね。



[22331] ケ、進化
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/19 09:23
チク、タク。チク、タク。
閉めきったカーテンが透けて光るのが朝。色が判別できなくなるのが夜。
チク、タク。チク、タク。
お腹が空いて目が覚めると朝。満腹で眠りにおちると夜。
ただそれの繰り返し。何度も何度も繰り返して、それが人生になる。
僕は家から出ない。僕は誰とも会わない。僕は。
僕はひきこもりだ。

家から出なくなったんじゃない。
家から出られなくなったんだ。
人と会わなくなったんじゃない。
誰とも会えなくなったんだ。
人類の進化についていけなくなったんだ。

気づいたら僕は家にいた。
変わらず時を生きるこの家だけが、僕と似ていた。
みんな動かずじっとして時計の秒針の音に耳を傾ける。
僕もそうした。
タンスがそうするように、テレビがそうするように。
僕もそうした。
世界は不思議なもので、進化する者も留まる者も同じ時の中を過ごした。

春、夏、秋、冬と過ぎ、また春、夏、秋、冬と過ぎた。
薄っぺらなガラス戸一枚挟んで、進化は確実に進んでいった。
僕は廃れていくこともなく、進んでいくこともなく。
僕は未だに、ひきこもりだ。



[22331] コ、実感
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/19 22:57
仲の良かった友達が死んだ時、その子のことだけを思って泣いた。
いや違う。実際はその子を失い、悲しみを背負うことになった自分を思って泣いた。
泣いて、泣いて、泣き続ければみんな「大丈夫?」と寄ってきた。
「可哀想にね」みたいな目で私を見る近所の人たち。
学校の先生は、次々にもらい泣きを始めている。
涙は止まることを知らなくて、いくらでも流せた。


私は主役だった。
死んだ友達の遺影が例えカラーだったとしても、私の方が断然目立っていた。
鳥肌が立つくらい興奮していた。
私が主役のお葬式。
あの子のためのお葬式。
初めてこんなに注目された。
みんなが私を見て、私のことを考える。
私を哀れみ、私に同情の手を差しのべた。
誰でもない私だけに。


生まれて初めて、生きてるんだって実感した。
もっと注目されたくて、もっと生きたくて、次の日試しに死んでみた。



[22331] サ、人生
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/10/20 20:43
 生クリームの入れすぎか。それとも粉チーズだったのか。もしかして、隠し味で入れたコンソメスープが悪かったのか。
 終電に向かって早足で歩を進める私の胃は、完全にもたれていた。


 調子に乗って、今日のまかないは私が作ります。なんて言ったからには作るしかなかったのだ。立ちはだかるフライパンと、だらしなく半分だけゆだったパスタに、白旗を降るわけにはいかなかったのだ。だからと言って、作ったことのないカルボナーラに挑戦することもなかったのだが。


 よし、作ろう。私だってやればできるんだ。見てろ、店長。気合いを入れ、出発する方向がそもそも間違っていた気がする。あれやこれやとジュージュー炒めては足してと試行錯誤した上、出来た私の作品は意外にそれなりな色と匂いを放っていた。一般的なカルボナーラとは似て非なるものだったが、味もそれなりなものを舌に残した。
 だが、それがこの様だ。胃の中心から左の脇腹にかけて、何十キロの鉛がぶらさがっていることだろう。何を間違えて私はあんな凶暴なカルボナーラを、この世に生み出してしまったのだろう。そんな自問自答いや自問カルボナーラ答を繰り返す内に、いつの間にやら駅が見えてくる。


 まぁいいや。帰って早く寝よう。そしたら明日の朝には元通り。ん?
 車内アナウンスが流れ電車は、静かに電気が灯るホームへと入っていく。まさか。
 正面で爆睡するサラリーマンが、頷くように首を上下させた。
 最悪。終電を乗り間違えた。息を吐き出し開く扉が、私をホームへ引きずり降ろす。知らん顔で次の駅へ走り出す終電車。
 バカヤロー。私の叫びはどうせ心の中でしか響かない。イヤフォンから悲しくロックが漏れた。
 人のいなくなったホームは滑らないスケート場並みに冷たくて、もしこのコンクリートが氷に変わって滑れるスケート場に変わっても、スケート初心者の私は今より倍、虚しくなるだけだと思い、これ以上想像を膨らませるのをやめた。
 今日何回目の間違いだ。カルボナーラで終わりだろうと気を弛めたのが悪かった。こんな落とし穴があったなんて。元を辿れば、今日バイトになんか出たのが間違いだった。だってそうしなきゃ終電を乗り間違えることもなかったし、まず終電に乗ることもなかった。そうなると夕飯はきっと、昨日の残りのカレーだったろうし、私が料理する状況には陥らなくなり、調子に乗ることも、胃がもたれることもなかったのだ。バイトを休んで家に居れば良かったのか。いや、でもそれが正解だったのかな。
 多分家に居たら居たで、だらしなく過ごす自分に嫌気がさして、バイトを休んだ自分を、それは間違いだったと悔やんでいたかもしれない。
 人生が失敗や間違いの連続なら、それは一体どこまで続くのだろうか。一日というこんな短い時間で、これだけ失敗や間違いを繰り返すとなると、私にはこれから一生を終えるまでどのくらいの失敗や間違いが待っているのだろう。
 あぁ。そんなことばかり考えていたら、また失敗を繰り返す。大きく1回息を吸って改札に向かうと、左の脇腹がまたちくりと痛みだした。

 改札を出てそのまま、見たことのない景色の中を歩く。星一つ出てない真っ暗な空の下で、見えないカエルがゲコゲコ私を笑った。負けじとヒールをカツカツ鳴らしたのは、言うまでもない。あぁ、正解なんて果たしてこの世にあるのでしょうか。



[22331] シ、時の流れというもの
Name: an◆b8733745 ID:63bf86a8
Date: 2010/11/17 03:21
わたしが好きだったのは、あなたか、それともわたしの頭の中に住んでいたあなたなのか。
そんなことは今となってはもうよくわからないけれど、わたしはあなたが好きだった。
声も仕草も、飽きっぽくて面倒くさがり屋な性格も、ヘタレで年上のくせに甘えてくる所とかも。
すごく、すごく好きだった。
だから言えなかった。
あなたにそれは伝えられなかった。
理由は、絶対に良い方向性を見いだせないと決めつけていたからなのか、ただ自信と勇気が足りなかったからか。
今では何だったのか、よく思い出せない。
思い出せないことが増える。
あんなに好きだったのに。
笑い方や口癖も、思い出も時間も、遠く深く過去に消えていってしまうのだろうか。
とても、とても好きだったのなんか関係なく。
今となっては、それさえもゆらゆらぼやけ始めている。



[22331] ス、自由
Name: an◆ebdaa164 ID:0f265b02
Date: 2010/11/19 16:37
 僕の部屋には、生活するにあたり必要最低限の物しか置かれていない。
それはそれは、何もない部屋だ。とよく、ここを訪れた人は言う。何もない、それは言い過ぎだろうと僕はいつも思うだけで、特に何かを変えるつもりはなかった。 そんなある日、ここを訪れ、そして立ち去ってゆく人の一人になるであろう君が言った。
「味気ない部屋」
 僕の初めての納得だった。確かに、僕の部屋は味気ない。確かに、僕の部屋は味気なかった。


 そのことに気がついた僕は、鳥を一匹飼うことにした。
暖かい色のグラデーションをまとったその鳥は、味気ない部屋に意外とよくマッチした。一緒に買ってきた白い鳥かごにそっと放して、錠前をおろし、鳥の名前はその瞬間から「じゆう」とした。


 じゆうはよく鳴いた。よく食べ、よく動き、よく飛ぼうとした。
 だから僕はまず、じゆうの口ばしを輪ゴムで止めてみることにした。じゆうは羽をバタバタ動かし、こもった声で「取って」と叫んだ。それを僕は、ソファの上からじっと見つめた。


 三日経つと、じゆうはもう鳴かなくなった。出来ることと出来ないことの区別を
教えることに、僕は成功したのだった。
 その代わり、前よりもっと動くようになった。足の先がボロボロになるまで、かごを蹴ったりした。
 今度のは少しいい気はしなかったが、足を切り落としてみることにした。転がる二本の足を見て、横たわるじゆうは弱々しく右の羽を持ち上げた。傷だらけの自分の足に、じゆうはやっと気づいたのだった。


 それからというもの、部屋は静かだった。
僕は普段からテレビも見なければ、音楽も聞かなかったので、部屋の中には僕とじゆうの生きてる音しかしなかった。


 じゆうが飛ぼうとしたのは、正直驚いた。
羽を動かす度に、自分の汚物やらなにやらで、汚れていく体もお構いなしに。抜けていった綺麗なグラデーションの羽は、底に散らばって絨毯みたいだった。
 疲れ果てて、横になり、やっと静かになったじゆうを僕はゆっくり慎重にかごから出した。そのまま、キッチンに向かう。まな板を消毒液から取り出し、その上にじゆうを置いた。下の引き出しからそれを手に取ると、暮れ始めた夕日が反射して、いっそう鋭く光った。僕はそれを思いきり振り下ろしてみる。
「ピュー」かん高い音とともに、口ばしの輪ゴムが弾け飛んだ。じゆうの最後の鳴き声だった。


 じゆうはもう何もしなくなった。ただ、息を吐いてその分吸った。
羽を失ったじゆうは、完全に自由を失ったのだ。それは自分の名前の意味を、心から理解することに繋がった。そうして、じゆうは僕の部屋からいなくなった。


 僕の部屋には真っ白な鳥かごだけが残り、多少の味気をかもし出していた。
その曖昧さといったら、洋服をまとったままぬるま湯に浸かるようなもので、いつも使っているソファさえ気持ちが悪く感じた。
 じゆうが死んでから、この奇妙な居心地の悪さがなくなることはなかった。
思い立った僕は、鳥かごだけを残し、他のありとあらゆるものをゴミ捨て場へと移動させてみることにした。ありとあらゆるといったって、たいした量ではなかったが。すると、部屋には生きてる僕と、じゆうの生きてた形跡だけが残った。そんな当然のことに、全てをやり終えた僕の目は少し涙ぐんだ。


 それから何日か経って、君が二度目の訪問にやってきた。きつめの香水の匂いが
、部屋の空気に色を塗ったのがわかった。
僕の部屋にはもう何もないから、そのまま地べたに座った君は言った。
「なんにもなくなっちゃったんだね。屋根までなくなっちゃったら、本当に自由
になれそう」
 そういうことだったんだ。この何十年かでやっと覚えた、愛想笑いで君を見る。
果たして効果はあっただろうか。


 僕はじゆうに自由を知って欲しかった。僕は知らなかったから。どこへ行ったっ
て、ガチガチ軋む偽物しか得られなかったから。
僕は不自由しか与えてやれなかったんだ。その中でしか、自由は生み出せない気がしてさ。ごめんよ、じゆう。
 自由はこんな近くにあったのにね。鳥かごを窓から放り投げたら、じゆうの生き
てた証が宙を舞った。それはそれは綺麗なグラデーションで、味気ない世界を暖
かい色に染めた。




[22331] セ、甘くない現実
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/01/05 16:34
「この世界をもう愛してはいけない」
「どうして?」
もう何本目かわからないスティックシュガーの封を開けた君が突然切りだした。

「もう無理なのよ」
甘ったるそうな紅茶に口をつけながら続けた。
「動き続けるものが好きだったのに、止まってしまったら意味がない」
大きなため息を吐いて、憂鬱そうに窓の外を見つめた。
僕はどうすることもできなくて、何一つ言葉が出てこなくて、君を振り向かせることができなかった。
次の日、家から彼女の荷物はきれいさっぱり消えていた。
小さな丸っこい字で机の上に書き残された置手紙には、「今まで、ありがとう」とだけ書いてあった。

会社を辞めた僕に壊れて動かなくなった時計が寄り添って、渡すはずだった結婚指輪は輝きを止めていた。
そうさ、僕はもう動かない。
動けないんだよ。
見捨てないでくれよ、ねぇ。
止まってしまった僕から静かに涙が流れる。
心臓の鼓動にゆれた。



[22331] ソ、ツクリモノ
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/01/05 16:55
俺のこと好き?
うん
愛してる?

なぜ?


あなたとの会話は、もう随分噛み合っていない。
ちぐはぐに交差して終わる。
きっともうすぐ会話とも呼べなくなってしまう日が来る。
そうなったらなったで私はそれを素直に受け入れるだけ。

昔私は、彼のことが好きで好きで死ぬほど好きで、一回本気で死のうと思ったことがあった。
「愛してる?」の問いかけにふたをしてばかりの右手を彼が握ってくる。
「俺のこと愛してるだろ?」
「どうして?」
同じような逃げ道で逃げる左手は、昔あなたを死ぬほど求めてた。

昔風邪だからって仕方なくやめにしたデートの約束があった。
せっかくのおめかしが勿体ないなと、寄り道した先にいた彼は知らない女と歩いてた。
次の日どれだけ問い詰めても「知らない」の一点張りだった。
別れると泣きながら叫んだって、何も言ってはくれなかった。
私のおめかしを返せ。
その日から度々、その時の女が夢に出た。
私よりも日に日におめかし上手になっていった。
本当のことはもう憶えていない。だって遠い昔のこと。

「俺のこと好きなのに、どうして愛してくれないんだよ」
「知らない」
「待ってよ」
もう十分待ったのよ。
あの時もっとも必要とされていた言葉は行くあてをなくして宙を泳ぐ。

「私のこと愛してる?」
執拗に迫っていた私は何を思ってそんなことを繰り返していたのだっけな。
全部、昔に置いてきた今となってはあなたの気持ちは到底理解できそうにない。
永久に交わらない。
私とあなた。あなたと私。
そうしたのは私。そう願ったのはあなた。



[22331] タ、親指ほどの彼女
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/01/05 17:16
電車は確かに揺れるけど、こういうものなんだよ。
って初めて彼女が電車に乗ったとき言った。

そしたら案の定、僕の太ももを思いきりつねって反撃してきた。
そもそも、僕のほうは攻撃したつもりはなかったのだが。
「こんな荒々しい運転で、お金をとってるなんて考えられない」
「これが最大限の安全運転なんだから、しょうがないだろう」
それが、確かな情報かはもちろん不明である。

「信じられない」目を真ん丸く見開いて僕を見上げた。
周りには電車に揺られる人がいて、下を向けば不機嫌な彼女がいて、目のやり場に困った僕はしょうがなく上を向くことにした。

届くはずもない床に足を伸ばして、懸命に降りようとする彼女。
それが太ももにかかる重圧でわかる。
「ごめんよ」
僕は仕方なく続ける。
「もうこれからは電車を使うのはやめにするから、お願いだから今日だけは我慢してくれ」
もちろんそれも確かな約束かは不明だが、今はいたしかたない。
小さく、彼女の場合多少大きくても小さいと判断されることが多いが、多分小さくため息をついて、僕の右の太ももに帰ってきた。
ムスッとした顔で腕を組んで、電車の揺れと共に2人して揺られた。

駅に着いた僕らは、人の波がおさまるのを待ってから改札を出た。
「電車、揺れても不快にならない方法を見つけたら、また一緒に乗ってもいいわよ」
僕の大きめの胸ポケットから、ちょこっと顔を出して小さい声で彼女が言うものだから、僕はもうニヤニヤが止まらない。
彼女が起こす行動は、多少大きくても小さいと判断されることが多い。
でも僕だけは知っていた。
君がこの世で、最上級のツンデレだっていうことは。
僕にとっては大きいも小さいも関係ないのだ。
胸ポケットに入れるか、入れないかの違いだけ。
僕にとってはただそれだけのこと。

「何笑ってるのよ」
「なんでもない」
真っ赤になってポケットの裏側に隠れるこの小動物を、誰が愛おしくないと感じるだろうか。
でもそんなこと言ったら、誰かさんはまたしばらく口をきいてくれそうにもないので、そっと胸の奥で消化することにした。



[22331] チ、あなたの天使
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/01/08 23:29
学校には、天使がいた。
クラスのまるで天使みたいに可愛い子、とかそんなのじゃなく。
それは本物の天使だった。
手のひらサイズのその天使が私にしか見えないと気づいたのは、見つけたその時からそんなに時間はかからなかった。


天使は毎日のように学校にいた。
そのほとんどはどこかに腰をかけ、私をただ見ているだけだった。
背中に上品についた小さな白い羽は、想像とは違い滅多に使うことはなかった。
天使は言った。
「もうすぐ、私はいなくなる」
まん丸の目の真ん中には、綺麗な流れ星が流れていた。
私は「行かないで」と3回唱えた。


それから天使をあまり見なくなった。
探しても、探しても見つけられない日は天使のことを想って眠った。
次の日、天使はいつものように学校にいた。
両方の目から、銀色の涙をぼろぼろ流していた。


天使が隣にいた日、私は天使に触った。
透き通るような消えそうな体はちゃんとそこにあった。
ふわりと抜けた白い羽を私にくれた。


とても蒼い、とても深い空の日天使は飛んだ。
やわらかに揺れる空気よりも静かに、さらさらと流れる小川より穏やかに。
手招く、天使は笑った。私に羽が生えた。
天使より一回り小さめだがしっかりと風を掴んだ。
舞い上がったカーテンにシルエットを残して、私と天使は手を繋いだ。
吸い込まれる雲の間から、落ちていく。


私は、天使になった。
ただそこであなたを見ている、天使。



[22331] ツ、侵食
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/01/09 00:02
片足ずつゆっくり入る。
つま先からじわーっと痛いような、心地よいような、しびれる何かが這い上がってくる。
体温が私にしがみつく為に浮き出した鳥肌を、ゆっくりゆっくりと数度高い液体へと沈めていく。
肩まで浸かると、あっという間に境界線が消える。
それに、ホッと息をひとつ吐く。
揺れる湯気は脳みその固まった部分を徐々に溶かし、鼻の頭がどこにあったかわからなくさせる。
気づくと侵食を広げようとゆらゆらアゴに触れる。
目を閉じて抵抗はしないと示せば、一度フワッと持ち上がった体は深く深くへ沈んでいく。
指が何本あったか。声はどうやって出したか。
言葉はどういう形か。私は、生きていたのか。
底の無くなった浴槽に手が触れるとき、いつも少し怖くなる。
大きな音をたて、重たくなった水の壁を突き破る。
乱れた呼吸が運ぶ冷たい空気が、表面の温度をさらう。
偽者だったと、体温は鳥肌ひとつ立てない。
まつげの先から、最後の偽りが輪っかを作りながら落ちていく。


電球に照らされた白のタイルは、カビの侵食に必死に耐えている。
使い古されたリンスのボトルは、詰め替えられたシャンプーにいつの間にか吸収され、金色の文字が同情を引く。
友達は付き合っている彼の影響で、夢だった学校への進学を諦めた。
隣に住む九十を越えたおばあちゃんは、朝起きる度思うのだそうだ。
まだ、生きていると。
どこかの国で太陽が隠れたとニュースが流れた。
みんな、何かに侵食されつつある。
冷えた鼻の頭を、右手の指で温める。
鏡に映るのは、どこも欠けていない自分の顔。
張りついた長い髪をかきあげると、天井にぶら下がる小さな球体が小さく音を鳴らしながら光を失った。
同時にあたり前のように何も見えなくなった。

ドアを開き、手探りでスイッチを押す。
一度。二度。三度。チャポンと音だけが響く。
途端に、さっきまでのあたり前があたり前ではなくなる。
その瞬間、取り囲む暗闇は敵に変わる。
そして不思議なことに、軽いただの液体になったそれが唯一信用できる存在に変わった。
みんな、何かに侵食されつつある。
けれどそれは偽者でまやかしに過ぎない。
暗闇に順応した瞳は異常を通常に少しずつ変えていく。
もう始まっていることにみんなは気づいているのだろうか。
これは、偽者なのか。これは、まやかしなのか。
暗く染まった背景で、暗い何かが動き出す。
溶け出した体の一部を、それに残して浴槽を出る。
リンスのボトルからシャンプーを吐き出させる。
足の指の数がわからなくなりそうだ。それでも、ボトルのポンプを押す。
ヌルッとしたシャンプーが、私を通り抜けて床に流れる。
消えるように溶けていつかは同じになる。
出遅れた体温が、逃げようと必死に鳥肌になった。









*あとがき

説明をするっていうのは、自分の中のルールで反則な気がしてしかたがないのですがこれだけは。と思ったので、初めてあとがきというものを書きます。
「意味がわからない」
はい、その通りだと思います。
随分昔に書いたSSなんですけど、今読んでも、確か書いている時でもなんの話なのか作者本人がわからなくなるくらいです。
で、一言で言いますと。
侵食というものを極端に恐れている人の入浴タイムに何かしらの原因で停電が起こり、電気が消えてしまったというだけの話です。
はい、それだけなのです実は。
ここからの解釈は、読んでくださった方に任せますw
長ったらしい説明申し訳ありませんでした。
一体何が言いたいの?と苛立ってるそこのあなたの苛立ちを、少しでも解消できたらと祈ります。



[22331] テ、インチキ
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/01/25 23:52
ねぇ、死ぬ瞬間って想像したことある?

いいや。でも、あんまり想像したくないものだね。

どうして?わたしはよくするわよ。
きっとこう。それはゆっくりゆっくり時間が流れて、まるで海の中にいるみたいなの。
だんだんと重くなっていく体をね、上着みたいに脱ぎ捨ててまっしろい光に向かって。
あとは風に乗って、あったかい空気の中を泳ぐの。
そして、気づいたら溶けてなくなっちゃうのよ全部。

それがきみの死ぬ瞬間かい?

そうよ、だから死にたいの。

ぼくはきみが考えているほど綺麗なものではないと思うけれど。

じゃあ、どんなもの?

もっと暗くて、寂しくて、冷たい地下牢で眠るようなものだよ。

そんなのってないわ。いくら冗談でも言いすぎよ。

冗談じゃないさ。何もかもがなくなる瞬間っていうのは、孤独で悲しいものさ。

いいえ。何もかもがなくなる瞬間っていうのは、背負っていた汚くて苦しいものから解放されるっていうことよ。
つまりそれは、心地よくて爽快で美しい瞬間なの。

まぁ、きみの考えも一理あるね。だからって死んじゃうのかい?

そうよ。じゃあ聞くけど、あなたはどうして死なないの?

ぼくは死ぬのが怖いから。

怖いことなんてないわ。死ぬ瞬間はあんなに優しくて綺麗なものなのよ。

それは一瞬だけの話だろう。それが終わったら無になる。

無ほど美しいものはないじゃない。醜いこの世の中で生きていくほうがよっぽど恐ろしい。

無っていうのは孤独なんだぞ。一人きりでは優しさはどこからも生まれてこないじゃないか。どうしてそんなに死にたがるのさ。

世界が欲にまみれて汚れたものだからよ。わたしは一人きりでも美しい綺麗な世界を望む。どうしてあなたはそんなに生きたがるのよ。

孤独は寂しくて耐えられないものだからだよ。ぼくはきみがいなくなった冷たい世界は望まない。

そんなのって傲慢よ。

きみこそただの我が儘じゃないか。

あなたとは気が合いそうにないわ。

そうだね、でもひとつ言いたいことがある。

なに?

きみが死のうが生きようが、ぼくらは恋人同士だっていうこと。

この卑怯者。



[22331] ト、なくしたもの
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/02/01 16:33
飛行機が飛ぶのは真っ暗な夜だった。にわとりが鳴く朝だった。それからタンポポが揺れる昼だった。
遥か遠くに浮かぶ水平線にはもう少しで手が届きそうなのに。
数えきれないほどの星はもうポケットにしまえたのに。
ついさっきまで隣にいたきみのことは匂いさえ思い出せずにいる。
僕は一体いつまで飛び続けなければならないのだろう。

僕が毎晩見る夢に興味を示すのは、大谷ちか子ただ一人だった。
「で、飛行機は無事着陸したの?それともエンジン切れで墜落?」
「いや、昨日はその前に目が覚めた」
「そう」
眉間にしわを寄せて空を見上げた彼女は、難しそうにうーんと唸った。
「あまり進展はないわね。ただ気にかかるのはその、タンポポが生えてる川原を飛んだってことかしら」
「どうして?」
いきなり立ち上がるものだから、一時的に吹いた強い風でパンツが見えそうになった。
少し顔を赤らめて制服のスカートを整えながら、僕に向かってちか子は言う。
「なんだかありそうな風景じゃない、それ。今までは遠くの水平線とか、満天の星空とか見つけようとしなくてもすぐに見えてしまう景色ばかり登場してたけど、今回みたいに土手沿いの川原に咲くタンポポなんてどこにでもある景色ではないわ」
元々大きい目をさらに大きくして僕に近づく。ちか子は興奮すると目を大きくする癖がある。
「でも、僕はそんな景色見たこともないんだよ。まず、家の近くに川もないし」
残念そうにうつむいて立ったまま彼女はフェンスに寄りかかる。そしてため息。
いつもこの繰り返しだ。僕が夢を話して、なんとか解決への切れ端を掴んだちか子が僕のせいでため息をつく。
申し訳ないと思う。
でも、本当に何もわからないんだ。
僕が夢の中で必死に思い出そうとしているきみは誰なのか。僕はどれほど大事なことを忘れてしまっているのか。
屋上の冷たい風が、僕とちか子の間を裂くかのように吹き抜ける。
風に舞ったちか子の長い髪を見ると、妙に心臓がざわついた。
「教室、戻ろうか」
「うん」
「手伝ってくれてありがとう」
「いいの」
いつも先を歩く彼女はたまに凍えたように肩を震わす。



[22331] ナ、キャラメルポップコーン
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/01/31 23:10
キャラメルポップコーンは甘すぎる。
苦味がにじみ出た今のあたしには喉につかえるほど甘かった。
けれど、食べなきゃこの状況から抜け出すことはできなかったので、むせて涙目になっても平然を装って食べ続けた。
神様はとことん意地悪だと思う。わざわざ今日にしなくても良かったでしょう。浮気相手を招くのになぜ今日を選んだのよ。

そうでしょう、神様。


カズキが浮気していることなんて重々承知だった。あたしが知っているということは、勿論カズキは全く気づいていなかったけれど。
でもそれでカズキのあたしへの愛情が薄まることはなかったし、あたしにはばれたけど周りにはうまく隠しているみたいだったし、目に見える害はなかったので気づかないふりをすることに決めた。
あたし達は順調だった。浮気という2文字が現れる前と後では、びっくりするくらい違いは見られなかった。
だから今日も何も変わらず、カズキと彼の家でまったりとDVD鑑賞の予定だった。
彼の大好物であるキャラメルポップコーンを抱えたあたしを、いつも通り部屋にあげる。2人してすごく観たかった映画のDVDを最近買ったばかりの新品のプレーヤーにセットし、部屋を暗くして軽く準備すると、すぐに再生ボタンを押した。
長い予告が終わり、キャラメルポップコーンを美味しそうに頬張りながら「もうすぐだね」ってワクワクしているカズキ。つられて頬の筋肉が緩む。
その時、部屋の明かりが突然ついた。
何事かと後ろを振り向くと、スーパーの買い物袋を提げたカズキの浮気相手が青ざめた顔であたしを見ていた。

そして、今に至る。
あたしの横には動揺を隠しきれていないカズキが座り、目の前にはうつむいて今にも泣き出しそうな浮気相手。そんな不自然な2人を繋ぐちょうど九十度の直角の位置であたしはキャラメルポップコーンをつまんでは食べていた。
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ」
しぼり出したカズキの声は、かろうじて耳に届いた。
「そんなってどんなつもりよ」
ヒステリックな女まがいのセリフだと勘づいたので、ギリギリのところで言い留まった。代わりに、口とキャラメルポップコーンをもう何十回も往復している手を止めた。
「ごめんなさい。私、彼女がいるの知ってたのに。でも・・・ずっと前から好きで」
震える小動物みたいな声で、浮気相手が手も上げずに勝手な発言をした。
「前から好きだったからいいってもんじゃないでしょう。っていうか泣かないでよ」
この場でのこのセリフは性格の悪い女風だと100人中80人は思うと思ったので、多数決で負けたほうが喉の中間地点でせき止めた。
言い終わるか終わらないかですすり泣き始めた浮気相手に、おろおろするカズキを見ていたら、ここから逃げ出したくてたまらない気持ちになった。この2人の前から消えてしまいたかった。自分なんて初めからいなかったなら。唯一過ちを犯していない自分が、なんだか1番悪い気さえした。
それを押し殺して冷静な表情を保つために今のあたしには、キャラメルポップコーンが必要不可欠だった。1つずつを2つに変えて口に運んだ。

カズキが説明して、勝手に口を挟んだ浮気相手が泣き出す。その繰り返し。あたしは絶えず食べ続ける。
説明される内容は特に頭に入ってこなかった。
ただ崖っぷちに立たされている2人の表情と驚いたまま止まっている映画の主人公の顔がミスマッチすぎて、どうにか同じ視界に入れないようにと四苦八苦していた。
「謝ってほしいなら謝るし、別れて欲しいなら別れる。だから、お願いだから何か言ってくれよ」
挙句の果てにはあたしに助けを求めてきたカズキ。それでいてしっかり浮気相手へのフォローも忘れない。この人は元々、そういうところが強い人だった。
みんなに優しい。それが長所でもあり、欠点だった。
こんな状況でみんなに優しいなんて嫌気がした。
キャラメルポップコーンもすっかり空になったことだし、あたしは最後にこの甘ったるい口を言葉に貸してやることにした。
「全部、知ってたから」
そう告げて、2人がポカンと顔をそらした隙に早足でその場から逃げ出した。

勢いよく飛び出してきたら、外はもうすっかり暗く街灯が灯っていた。街灯が灯って、街灯が歪んだ。
あれ、なんであたし泣いているんだろう。なんで泣くのよ。悲しくない。ちっとも悲しいことなんてない。
カズキが浮気していることなんて承知の上だった。
自分への愛が変わらないのだったら、彼がどこで誰を愛そうがかまわない。そう思って、今の今までやってきたんじゃないの。なによそれ。それじゃあまるで、あたしが今まで我慢してきたみたいじゃない。彼を手放さないために頑張ってきたみたいじゃない。そんなのちがう。そんなことない。そんな格好悪い女、あたしじゃない。あたしじゃない。
いいえ、あたしだ。全部、全部、今までのこと全部あたし。
彼を失いたくなくて、カズキを自分のものにしたくて、全部わかったふりをしてあなたの恋人という唯一の居場所をこれからも塞いでいくつもりだった。
それなのに逃げ出した。あの部屋から、浮気相手から、カズキから。だからこれでもう終わり。壊滅終焉閉幕仕舞いフィニッシュ。
もうすぐカズキとあたしの短いエピローグがあって、それで何もかもが本当に終わる。
涙が冗談じゃなくて滝みたいに頬を流れる。これでいい。
自然に沿っていれば、これが普通の流れだったのだから。
こんなことなら、発見したときに「信じられない」なんて泣き叫んでひどい言葉で罵ってふってやればよかった。そうすれば、今より幾分かはましだったのだろうか。そんなこと想像もつかない。
あの時からあたしにわかっていたことは、もう元には戻れない。表面上にいくら変わりがないからといって、彼の愛してるや好きの囁きはもう今までのものとは違うふうに聞こえる。
彼よりも誰よりも、傷つき考え気にしていたのは格好悪くて惨めなこのあたしなのだから。
そのうちきっと、大好物だよってあの子もあたしみたいにキャラメルポップコーンを買ってカズキの家に行ったりするのだろうか。
でも今は2人が出会った頃の思い出や、幸せで息苦しくなった日々のことを考えて、彼の大好物で満たされたこの体を揺らして家に帰ろう。
あたしには甘すぎるこのキャラメルポップコーンが消化されて吸収される頃には、ちゃんと言えるといいんだけど。
ありがとう、そしてさようなら。
でもそんな都合のいいこと神様は起こしてくれないだろう。
苦い苦い人間は食べても美味しくないときっと知っているから。



[22331] ニ、偽ツインズ
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/02/07 23:59
なにもすることがない。

そう言って垂れた長い黒髪のあいだからこっちを睨んだ。
反論しようとした口はいつの間にかあっちに塞がれ、仕方なく口をつぐんだ。
なにか言い返したところでそれはきっとたいした意見じゃないことが目に見えているので、つぐんどいて正解だったとは思う。
すると今度はあっちが頭を叩いて私に攻撃をしてきたので、仕方なく私は頬をつねってやる。
彼女の頭には引き下がるという選択がないのを知っている。
思ったとおり、私がすればするほどやり返してきた。
でもそのうち、暴力でのケンカは意味のないことだと気づく。
あっちがやればこっちが痛い。こっちがやればあっちも痛い。
結局、どっちも同じだけ傷ついて終わるだけなのだから。

小学校、中学校、高校と順調な学生生活を2人して歩んできて、高校を卒業して1年目の今年私はニートになった。
社会人を3ヶ月で辞めた私に、彼女はとても腹を立てていた。
それだけならまだしも、それから職を探そうともせず実家で親のすねにかじりついて、半ひきこもりのような生活を送る私に毎日罵声を浴びせた。でも、彼女はきっと好きでやっているわけではないと思えた。
それくらいしかやることがないのだろう。
実際私も、彼女の罵詈雑言を受け流すことぐらいしかやれることがなかった。

今日はそんな罵声も浴びせつくし底をついてしまったようで、ただうなだれてこっちを睨み続けた。
視線というものは意外にも言葉より受け流すのが大変だということを、ちょうど5分程前に5時間彼女に睨み続けられてようやく気づいた。張りつめられた空気のせいなのか、カラカラに渇いた喉を潤そうと机の上のお茶に手を伸ばす。
「私、のど渇いてない」
「私は渇いてる」
少しぬるくなったお茶を勢いよく体内に流し込み、空になったペットボトルにふたをした。
「そうやって人生にもふたをしちゃえばいいのに」
私は無言のまま口を拭う。
「くやしくないの?私はもう死ねって言ってんのよ。あんたなんか生きてる価値もないって」
こっちに乗り出してきても、どうせなにもできないと知っているから私はうつむいたまま動かずにいた。
「なにか言いなさいよ、そのままずっと黙ってずっとずっとここにいるつもり?」
つむじに痛いほど感じる視線にも気づかないふりをして、ただ動かずにじっと。
「そう、そうやって動かずにいればいいじゃない。そうやって人と関わらなければ、なにも起こらないし他人のことで無駄に悩むこともなくなるもんね。もうあんたには付き合いきれないわ」
あっちが切れたのかこっちが切れたのか、その瞬間脳みその中の小さな糸がぷつんと限界を超えた音が聞こえた。
「じゃあ、さっさといなくなればいいじゃない。こんな所にいないでどこかに行ったら?あなただって私と同じなくせに、全部私が悪いみたいな言い方はもうやめてよ」
それは予想より遥かに小さな声だった。そして、久々に聞いた自分の声だった。
「私だってわかってるわよ、今の自分が馬鹿で駄目な人間だってことくらい。でもどうしようもない。外が怖いの。人が怖いの。こうやってただ生きてるだけで精一杯なの」
言葉と一緒に信じられないくらい涙がこぼれた。
声を震わせながら言葉に詰まる自分があまりにも情けなく思えて、そんな姿を彼女に見せないために右手で涙を覆った。
指の隙間から見えた彼女も同じように左手で顔を覆い、静かにか細い声で泣いていた。
左手をそっとあっちに差し出す。右手がゆっくりこっちに差し出される。
繋がれた2つの手は触れたところから、不思議なほどに温度を持った。

彼女の絶えない罵詈雑言は私に向けてのものであり、彼女自身に対する本音だった。
私のとめどない涙はふがいない自分からのものであり、彼女への同情によるものだった。
私が駄目なら彼女も駄目になる。私が生きるなら彼女も生き続ける。
この地獄がまだ終わらないのなら、それは2人で耐え忍ばなければならない。
たとえ一生罵り合うことになったとしても。
この地獄がいつか終わりを向かえるならば、2人で踏み出していかなければならない。
たとえ冷たい手のひらを合わせることしかできないとしても。
私と彼女はこれからも、なにがあっても一緒だからだ。
この薄っぺらい鏡を挟んで、私たちはいつも同じところにいる。
なにもすることがないときだって、精一杯ただ生きるしかないときだって。

笑おう。

彼女が涙を拭いたら、私も涙を拭く。
声も言葉もいらない分、2人は底の底の部分で繋がっている再確認の合図。

笑おう。

どっちが本物かなんて今さらそんなことになんの意味がある。
彼女の吐いた息が、鏡に映る私を曇らせた。



[22331] ヌ、愛男
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/03/28 16:40
今日も始まった。僕らの終わらない抗争は部屋の中心に灯された、彼女のお気に入りのアロマキャンドルを挟んで静かに始まる。
「わたしのこと死ぬほど愛してるんでしょ」
小さなその声はしっかりと意思を持って、キャンドルの灯を揺らした。
「うん、そうだよ」
僕のは少し弱々しい。最初はいつもそうだ、だからキャンドルの灯も動じない。
「じゃあ殺して」
笑うとえくぼができる。彼女の好きなところの一つだ。
「嫌だよ、そしたら僕は何を想って死ねばいい」
今のはいい言い返しだった。本日は順調な出だしだ。
「わたしを想って死ねばいいわ。ロミオはジュリエットの死を悲しみ毒を飲んだでしょう」
さすがは文学少女。ひるぎもしなければ攻めに徹するときたか。だが、そのくらいじゃ僕は負かせない。
「ジュリエットは自殺したんだ。それに正確に言えば、ジュリエットがロミオの死を追ったんだよ。やはり僕が先に死ななきゃならない」
わかりきったことを言われ癇に障ったようで、視線を下へ一瞬外した。さぁどうくる、珍しく僕が優位に立っている。
「世の中にはレディーファーストという言葉があるわ。あなたが紳士ならわたしを先に逝かしてくれるはず」
そうくるか。
「確かに僕は紳士だけれど、ならば人殺しは論外だ。命を懸けてきみを守るならいざ知らず」
今のは少し苦しかったか、でも筋は通っているだろう。
「そう、あなたは正真正銘の紳士なのね。では紳士さん、レディーの頼みは断れないんじゃなくって」
勝ち誇ったように僕に近づく。
「そうだね、愛する人の頼みならなおさら」
僕は変なところで抜けている。
「お願いよ、わたしを殺して」
唖然とする僕に挑発的な視線を送り続ける彼女。灯はまっすぐに燃え続ける。返す言葉がなかった。
「わたしの勝ちね」
また負けた。
「惜しいとこまでいったと思ったんだけどなぁ、だめか」
「まだまだね」
軽快な足取りで部屋の電気をつけに行く彼女が、なんとも嬉しそうに言う。
「あと二回ね、ちゃんと何使うか考えといてよね。なるべく痛くない方法で」
鼻歌を歌いながらキッチンに向かう彼女に、僕は情けない声で「あぁ」と答える。
あと二回負けたら、僕は彼女を殺さなければならない。
それが僕と彼女の宿命だ。そして僕は一生死ねないことになるのだろう。
愛されすぎて殺されたい彼女の願望と、愛しすぎて死にたい僕の思いはパズルピースの破片みたいに隙間なくぴったりくっつくことができたけれど、そのために見えすぎている終わりを回避することはできないと知った。
僕たちがもっと大人になってから出会っていれば、もっと別の方法があったのだろうかとも考えるが、それでもきっと、彼女に出会ってしまったら僕のこの欲求は抑えられなくなるし、彼女のほうだって今みたいに喜んで僕に命を差し出してしまうのだろうという結果に陥る。
結局僕たちは、出会うべくして出会い、出会ってはいけない存在同士だったってことだ。
それでもこうして出会ってしまったのだから、どちらかが折れるまでこうして抗争を続けることになる。

愛してる?、愛してる。
この終わりの見えない愛の囁きが終焉を迎える唯一の方法が僕らにも訪れたら、それはそれで運命に抗うことになる。
でもそれは決してないような気がするから、僕はこの終わらない抗争が本当に終わらなければいいのにと抗う。
自分の欲求と矛盾した考え、この二つが脳をぐるぐる回る度に僕の心はむなしさでいっぱいになる。
これではいつまでたっても彼女には勝てないのだ。
それでも、愛は矛盾したものだと僕が彼女を殺す前に伝えられたらいいと思う。
ほら、僕は彼女を前にすると少し弱々しい。
まるで今にも消えてしまいそうなこのキャンドルみたいだ。



[22331] ネ、ゆらゆら、ふわふわ
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/03/31 16:18
呼吸が無意識でできてしまうのが、そもそもすべての原因なのだ。
意識しないと吸い込めないし、気づかないと吐くことも忘れてしまうようになれば、一日中、酸素と二酸化炭素のことを考えなければいけなくなって、これ以上、むづかしいことを考えずにすむのだ。
そうすれば、呼吸の度に二酸化炭素を吐き出す人間と違って、呼吸の度に酸素を作る植物を、しこたま大事にするであろうし、たいした価値もないくせに、ただ偉そうに建ち並ぶ高層ビルをぶっ潰したそこには、目に優しくて、しこたま酸素を吐き出してくれる植物が、伸びやかに育ち、やがてそれらは増殖し、巨大化し、緑でおおいしげる森林に姿を変え、居場所を失い、さまよい生きていた動物が帰ってくる可能性だってある。
人間は有り余るほどの酸素を手に入れ、地球は元の姿を取り戻し、動物と人間は、平等の立場を獲得する。
呼吸が無意識でできなくなるということは、こんなに良いことばかりに繋がるのだ。
なのに、なぜ誰もこの理論に気がつかない。
呼吸が無意識で行われていることさえ、気づいていない馬鹿者もいるぐらいだろうし、この夢のような理論が認められる瞬間を、生きて目にするのはさぞむづかしいことなのであろう。





え? 今誰といんの? 仲間? えー、おんなでしょ。嘘だー、あははは。で実際誰といんの? へぇ、本当は? おんなじゃないでしょ、うふふちがうよー信じてるもん。そうだよ、ハルカ信じてるからーうんうん、ってかさむーい、外さむいからねーまじさむすぎ、死ぬかもーうん、あははは。

信じてると寒い。どちらもたいした意味のないように、無表情のまま喋るあんたが、私は信じられないよ。電話を切ったハルカに、白い煙を浴びせた。
「やめてよー」しかめっ面で両手をバタバタさせながら、それを振り払う。
「タバコやめなー。嫌われるよー苦いチューは」
反抗するように、二本目を取り出す。増税のポスターが偶然目にとまる。
ニコチンは足りていたので、少し考えて、やっぱりと箱に押し戻した。
その行動に気付いたハルカは、携帯を瞬時に折りたたんで、あたしの手から残り少なくなったホープメンソールを奪いとった。
「これを機にタバコをやめましょー。ほら、レナ宣言して、私は増税を機にもう吸いません。肺にも申し訳ないと思ってます。みなさんも、今がチャンスですよー」
と、両手を大きく広げて、満面の笑みのつもりで私に言う。
無言で盗られた所有物を奪い返すと、その顔はおかしな方向に歪んだ。
先ほど折りたたんだばかりのハルカの携帯が、また音をたてて主人を呼び出した。
「もしもしー、あぁーりょうくーん」
まったく、このこには何人の王子様がいるのか。
自販機のほうへ歩きながら、きゃっきゃっと騒ぐ。
多分、いや絶対さっきとは違う男だろう。ひがみ? いいや違う。
ひがんでもないし、非難してもいないし、いやらしいとも思わないし、最低なんてもってのほか。このこは病気なのだ。直接、医者にかかってるわけでもないし、薬で治療しているわけでもないけれど、立派に病気にかかっているのだ。
何が原因かはわからない。
私は別に、このこの家族でもなければ親友でもないし、過去に何かあったのか、最近あった出来事なのか、そんなことはまったく知らないし、知るよしもない。そんな私でも知っていることといえば、彼女が病気で、何人もの男と付き合っていて、普通なら自然ににじみ出てくるはずの表情が、少し欠落しているということだけだ。
ハルカが昔、こんなことを言っていた。
「たとえるならば、浮いてるの。どこにいても、何をしてもゆらゆらふわふわ、浮遊しながら、地球を斜め下から見ているの。変でしょ。浮いているのに、みんなより下にいるの。寂しいとか悲しいとか、そういう気持ちはなくて、あぁハルカどこまでいくのかな、どこに着地するのかな、一体この溢れかえった人の中で、ハルカの足首を掴むのはどの人なのかなって。ゆらゆらふわふわ、ゆらゆらふわふわ」
そんな、突然の意味不明な告白に対して、私は何も返せなかった。
たとえそこで、考え抜いた最良の答えを見出したとしても、それを言葉にした瞬間、このこはそれさえも自分の浮遊の渦に巻き込んで、ゆらゆらふわふわどこかへ飛んでいってしまうのではないか。
そんなふうに考えたりしていた。それはそれで、それでもいいのかとも思ったけど、やっぱり後々、不本意な責任をかぶるのは気持ちのいいことではないな、なんて考え、結局、彼女の着信音が鳴るまで無音の中を過ごした。

どんな男が彼女の足首にヒットする基準なのか、それは彼女にしかわからないと思うけれど、今、電話をしている男も、さっきまで喋っていた男も、彼女の理想の王子様ではない気がした。きっと昨日初めて会ったとかいう男も、おとといまで寝泊りしていた家の男も違う。
その前まで彼女の家に転がり込んでいた男も、毎日かかさず朝から晩までメールのやり取りをしていた男も、全くノーヒットだろう。
「ばかー、一人だよ。今、電車待ってんのーえ? あははは、ハルカも愛してるーほんとほんとー、てかさむいよー」
一本の棒線状につながった言葉たちが、冷たい線路の上をただただ連なって歩いている。
タバコも吸っていないのに、息を吐くたび白い息が上へ上へ浮かんでいく、ゆらゆらふわふわ、ゆらゆらふわふわ、と。


ハルカの結婚が決まったことに一番驚いたのは、家族でもなく、親友でもないこの私だったと思う。
気づけば、月日はあれから三年も流れており、春夏秋冬を三回繰り返す間に、彼女の足首を手にした理想の王子様は見つかったらしい。
彼女とはあれ以来会っていなく、何度か電話やメールのやりとりはあったが、それも内容のないものばかりで、結婚式の招待状がほぼ何年かぶりの、彼女からの便りとなった。行くかどうか悩んだ末、わずかな好奇心には勝てず、結局すんなり行くことに決めた。

式で、純白のウェディングドレスを身にまとい、父親への手紙で涙ぐむ彼女は、まるで普通の人間のようだと思った。
その後も、新郎の友人数名のくだらない茶番劇を見て笑い、お色直しを済ませ、再度、披露宴会場に入場してきた姿は、恥らっているようにまで見えた。
それでも、半信半疑なまなざしで彼女を観察し続けた。あれは本当の笑顔なのか、あれは本当の涙なのか。
そのうやむやな疑念が確信に変わるのも、そう時間を要さなかった。
披露宴を終え、二次会にはどうも行く気が起きなかった私は、とにかく人の流れがなくなるのを待っていた。
広い会場の隅っこで、ハルカへのプレゼントと沢山の疑問と謎を抱えながら、目の前にある黒いソファに腰を下ろした。
すると、向こうから小走りで、頭にど派手な花をつけたハルカがやってくるのが見えた。
「久しぶりー、レナ」
そこからのことは思った通り、ハルカが普通で、健全な女だということの証明しか待っていなかった。
まず、彼女は笑った。めいいっぱい笑った。
久々に言葉を交わす友人との再会を、目尻にしわを作って喜んだ。
そして後ろから彼女の新郎、つまり彼女の足首を射止めた足首王子が現れ、私に挨拶をした。
彼女は私のことを紹介し、次に足首王子を私に紹介した。
優しい口調で、頬をほんのり赤らめたりなんかして。
「まさか、私が結婚なんてねー」
彼のほうを見ながら彼女の発した言葉には、とても深い感謝の意がこめられているようだった。
去り際に、この後用があるから二次会は参加できないと告げると、ハルカは残念そうに微笑みながら手を振った。
残念そうに微笑むなんて高度なまね、足首王子が教えたのだろうか。
「じゃあまた、今度会おうねー」
手を振り返した時、ハルカがもう自分のことを、ハルカと言わなくなっていたことに気づく。
相変わらず語尾はのばしっぱなしだけれど、この数年で彼女は、ずっとずっと成長していた。
何が彼女を病魔の手から解放させたのか、やはり私には知るよしもなかった。





息を吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く。煙を吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く。

結婚式から帰ってきて、ずっとこの調子だ。
意味のないことというのは、元々あまり好きではなかったけれど、ハルカに会ってからは、ますます嫌いになった。私には意味のないこと、必要のないこと、関係のないこと、そのすべてを、生活から取り除いてやりたくなる衝動に駆られた。
いつかこんな日がくるのではないかと、脳みそのどこかは言っていたが、まさかこんなにも急に訪れるとは。
とにかく考えに考えた末、私は今ここでこうして息を吸って吐いている。
意識的に酸素と窒素を取り入れ、意識的に二酸化炭素と窒素を吐き出している。
でもそんなことを続けられるように、人間の体は組まれていないらしかった。
数時間続けると、自然と気が狂いだしてしまうのだ。ほら、まただ。
腰から、例えようのないむずがゆさが這い上がってくると、動かないでいるのが困難になる。
体内で暴れだしたそれは、全身の神経に向かうのだろう。
椅子から転がり落ち、手足をバタバタと乱暴に動かし始める。
やがて、奇声が上がる。髪の毛を無造作にかき乱し、あちこちに体をぶつける。
痛さで、数ミリの正気が舞い戻ってきた時、その瞬間のチャンスを見逃さなかった場合、タバコに火をつけニコチンを吸う。そして吐く。
タバコを吸っている間は、何も考えなくていい。
タバコを吸うという行為だけは、無意識を許しているからだ。
それは気が狂いかけた私には、意味のあることで、必要のあることだ。
そして唯一、呼吸に似ていると思うからだ。
煙が灰に溜まって、私を犯していたむずがゆさの正体が、ずるずる脳天から吸い取られていけば、私はだんだん、正気を取り戻していく。
あぁ、どうやら足首をひねったようだ。
神経が自分に塗り替えられたところから、ところどころ感覚を呼び覚まし、同時に新たにできた、皮膚の変色部分の痛みを素直に伝えてくる。
それは自分に戻った証でもあり、別人になっていた時の証でもある。
だいぶ落ち着き始めたら、意識的な呼吸を再開する。
そんなことになんの意味があるのか、自分を見失ってまで続ける、価値のある行為なのか。
最初に言ったと思うけれど、私は無意識の呼吸をやめ、意識的な呼吸をすることによって、世界を善くしようとしているのだ。
そりゃあ、私一人の行動だけでは、きっと何も変わらないでしょう。
でも、私がこの意識的呼吸を実現することによって、絶対に賛同してくれる人間はいるはずだ。
そうでしょう。それだけで世界が善くなるのなら、きっとみんな協力するはずだ。
ハルカみたいに、年中浮遊している人間なんて特に。
意味があるのか、その質問に問おう。
その質問には果たして、どれだけの意味があるのか、必要があるのか。私は意味のないことは嫌いだ。

ハルカは、意味のあることをしていた。
病気を治すために、自分なりの方法で治療をしていた。
そこいらの平凡な、ハッピーエンドな結婚とはわけが違う。
彼女は足首王子と結婚して、普通の人間になったのだ。
表情を身につけ、感情を手にし、病気に打ち勝ったのだ。
それなのに私は、私ときたら、呼吸さえもまともにできていない。
肉体であるただの魂の器に邪魔され、第一段階も達成できずにいる。
情けない、あぁ、なんて惨め。新しいタバコの封を開ける。
でも、こういった考え方もある。
私はなんて勇敢で、挑戦を恐れない人生の勝ち組なのだろうと。
世の中には現実から逃げ、意味のないことばかりにうつつを抜かしている連中が腐るほどいる。
無意識に身を任せ、辛い時も悲しい時もただ笑おうだなんて、そんなのは無責任すぎて無意味すぎる。
笑ったから何が変わる。胸の中の湿った部分は、確かに多少、晴れやかにはなるだろうが、何も変わらない。
嘆かれていた内容は、少しも改善しないではないか。
そう、確かに人生はむづかしい。
一人じゃ抱えきれないことも、一人では乗り越えられない壁も、それこそ腐るほどある。
ハルカのように、順調に軽快に、呆気なく幸せを掴んでしまう者は多くはないだろう。
それどころかほとんどの人が、己の欠けた部分を補うべく、手を伸ばしあい、沢山のものを掴もうとする。
もしくは、手さえ伸ばせずに、暗い闇の中をさまよう者もいるだろう。
そんな人たちから見れば、私は天使のような存在なのだ。
この意識的呼吸理論を発見し、しかもそれを、まさに自分を実験台として、みなさんにお見せしようというのだから。
息を吸い吐き、それだけに意識を集中させ、息を吸い吐く。
そんな姿を見て、一人でも生きる希望を手にすることを祈る。
人生はむづかしい。故に、損傷も激しいだろう。けれど、生は何もむづかしいことではない。
私はまさに思うよ。呼吸を意識的に行うことで、生のあまりの簡単さを。

吸う吐く。吸う吐く。吸って吐くことによって、私たちは今ここにいる。
吸って吐くことによって、世界がある。それ以上に意味のあることなんて、きっとそうそう見つからないと思う。
ひねった足首が、誰かに掴まれているように痛い。
彼女の順調に軽快に、呆気なくというのは取り消そう。
彼女にも彼女なりの、苦悩や痛みがあったのだろうから。
右手に挟んだタバコに火をつけて、息をゆっくりゆっくり吐く。
煙は、上へ上へ昇っていく。
携帯を耳に押し付け、無表情で笑うハルカを思い出した。
その残像かただの幻覚か、椅子の上で、あははは、と私を見てハルカが笑った。無表情だった。
私はゆっくり煙を吐きながら、彼女の結婚の贈り物をセットではなく、シングルのマグカップにしてしまったことを悔やんだ。
吸って、吐いて、体が浮いていかないように、また吸った。



[22331] ノ、トラウライダー
Name: an◆ebdaa164 ID:674a33a2
Date: 2011/03/31 16:23
ママー、ママー、どこ行くの?
ママー、ママー、パパが手をふってるよ。
ママー、ママー、パパがお空をとんだよ。




俺、別れるなら、ここから飛び降りて死ぬ」
二十歳の若造は、言うことだけは大胆だ。どうせ、そんな勇気もないくせに。
「ねぇ、聞いてる? 俺本気だよ、本気で死ぬから」
なにが本気だよ、本気と書いてマジってか。
くるっと後ろを向いて、重たいスーツケースを転がそうとすると、直樹が叫んだ。
「飛び降りるから」
光並みの速さで脳によぎった光景が、私の足を止めた。
振り向いて、ぼろいアパートの二階を見上げると、直樹は天使みたいに微笑んで部屋に戻った。
私には、若造の悪魔にしか見えなかった。
とりあえず、ため息をアスファルトに落としながら、もと来た道を引き返すことにした。



直樹は一回りも年の違う、私の恋人だ。付き合って、もう二年になる。
ということは、彼が十八歳のときに手を出したことになるが、勘違いしないでほしいのは、あくまで言い寄ってきたのは直樹だった。
そして、そんな健気な若造と付き合ってあげたのが私だった。
こんな悪魔とよく二年も一緒にいれたのか、正直、疑問でならない。
何度、喧嘩をして、何度、別れを切り出したことか。
今日だって、別れる寸前までいったのに、結局いつもと同じで戻ってきてしまった。
原因は私にもある。もちろん彼にもあるが、最近自分の中でやっと出した結論は、やっぱり直樹を私の恋人にするのには若すぎたってこと。
それはどっちが悪いって問題でもないし、話し合いで解決する問題でもない。
今回、別れを切り出した要因はほとんどがそれである。
一言で言ってしまえば、しょうがない問題。
それなのにあの若造は、努力する、の一点張りときた。
話すら、まともに聞けない直樹に腹が立って、勢いで家を出てきたら、さっきみたいなことになった。
「飛び降りるから」まだその言葉が、胸の中でこだまする。

玄関のドアを開けると、ご主人様を待つ犬みたいに直樹が立っていた。
「おかえり」
「ただいま」
しっぽを振りながら、こたつにもぐる彼を見て、またしても深いため息がこぼれた。



パパが死んだのは、ママが離婚届に判を押した三十秒後だった。
当時四歳だった私は、ベランダから飛び降りたパパを見て、手を振って笑った。
そのときのパパはまるで、天使の羽が生えたみたいにふわふわ浮かんでいるかのように見えた。
私の笑い声と、ママの悲鳴と、パパの潰れる音が交差して、それからの記憶はない。
憶えていないのか、意図的に抹消しているのかはわからない。
これが私の頭の中で、嫌な記憶として、楽しい記憶として、どういうものとして処理されているのかもわからない。
ただ時々ふいに出てきて、そのときの私の判断を鈍らす。
パパは私を良い方向に導くつもりなのか、悪い方向に向かわすつもりなのか、それとも何も考えずに飛び降りたのか、見当もつかない。
でも私はなんらかのきっかけで、またこの記憶を呼び覚まし、四年間しか一緒に過ごさなかったパパに人生を左右されてしまうのであろう。


「ねぇ、さっきのあれ本気で言ってたの?」
「あたり前じゃん、三十秒前までは本気で死ぬつもりだった」
「今度そんなこと本気で言ったら、私が死んでやるから」
そんなことを、言いたくもなる。


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