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[26768] スターハンター(学園恋愛ファンタジー)
Name: りむる◆dfa7558d ID:511188d8
Date: 2011/03/28 12:14
 自分のサイトに載せてあるものです。





 ――ケータイを落としたクラスメイトを追いかけたその先は、マンガみたいな非現実的な場面でした。



スターハンター
~ボーイ・ミーツ・ファイティングガール 前編~



 目の前の光景に絶句した。
 これは……なんだ?
 何度も何度も瞬きを繰り返す。夢かと思って頬をつねり上げるが、ちゃんと痛みがある。目を手で擦って何度も見る。だがその光景に変化はない。目を閉じて深呼吸、心を落ち着かせてからもう一度見る。
 俺、芳岡(よしおか)祐一(ゆういち)十六歳、私立鳴星(めいせい)高等学校二年三組在籍の目の前には、学校から歩いて十分ほどかかる自然公園のその奥、殆ど林といっても差し支えない場所で、一五〇センチほどの犬のようなものと対峙する、追いかけていたクラスメイトの後姿があった。
 クラスメイト――確か名前は、高野(たかの)舞衣(まい)――は両手一本ずつ、刃渡り三十センチほどの刃物を持っている。二刀流ってやつだ。右手のナイフ――にしてはごっついので短剣か? ――短剣の(刀で言うところの)鍔に薄い黄色の丸く平たい宝石(?)が付いている。左手のも右と同じデザインの短剣、ただし宝石は薄い緑色だ。それらを逆手に持ち、構えている。
 犬のようなもの、とニュースキャスターみたいな曖昧な表現をした理由はいたって簡単だ。
 普通の犬じゃないからだ。たぶん、犬の化け物って言う言葉が一番しっくりくるだろう。
 その化け物はたくさんのことを無視すれば犬に見えるだろう。
 大きさは先ほど言った通り、一五〇センチほど。ただし尻尾は含まず。犬や猫の四足歩行の動物と同じように四本の足で大地に立っている。口から見える牙は長く、二十センチは優に越えていた。それに、その牙は木々の合間から零れる陽光を受け、銀色の光を放っていた。俺は知っている。その光は研ぎたての包丁が放つ光と何ら変わりないことを。ああ、そういえば四本の足に何の違和感なくついている爪も同じ光を放っているな。
 全身を覆う毛は猫が威嚇してるみたいに逆立っている。色は黒。ただし油を被ったみたいに触れれば糸を引きそうな独特の光沢を放っている。
 そして、俺がちょっと大きめな犬ではなく、化け物と判断したもの、――目。
 化け物は普通の生き物と違って眼球がなかった。代わりなのか、本来目のある箇所には、深緑の光がぼんやりと瞬いていた。そんな目だからどこを見ているか判らない……と思いきや、なんとなくだが、判る。真っ直ぐに、高野を睨みつけ、鳩尾に響く低い唸り声を上げている。
 高野は化け物を目の前にして特に慌てるわけもなく、落ち着いてゆっくりと短剣を構え、間合いを取っていた。
 改めて思う、……非現実的だ。
 化け物はもちろん、それを目の前にし、武器を持ち、冷静に対峙する高野も非現実的だ。もしかして俺はマンガの世界に迷い込んだんじゃないか? そう思ってまた頬をつねり上げるが、やはり痛い。どうやら現実のようだ。

 ――現実。

 生唾を飲み込んだ。
 夢でも幻でもない。現実。
 それを今更痛感する。
 そして今になって、化け物が高野から視線を外し、その視線を俺に向け、その牙を俺の身体に突き立てるかもしれない。そんな可能性に気付いてしまった。
 ようやく自覚した生命の危機に、俺の背筋に冷たい汗がつー、と流れ落ちた。
 ……落ち着け。
 背中だけではなく、額や首やら全身から汗が流れ落ちる。急接近した死の恐怖が全身に戦慄を走らせる。
 今は睨み合って(?)、膠着状態だ……。だから今のままこうやって何もしなければ襲われる事はない。動かない生物は周囲にある木々と何ら変わりない。……と思う。
 ゆっくりと息を殺す。そんなことをして気配を消す事が出来るとは思えない(なんせ、化け物の視界に俺はばっちり入っている)が、何もしないよりマシだと自分に言い聞かせ、心を落ち着かせた。
 ざざ。
 高野の足が動く。それに反応して化け物が一気に間合いを詰めた!
 刃物の光を放つ爪と牙が高野に襲い掛かる。高野はそれらを短剣で受け止める――と思いきや、化け物の力を殺すことなく、受け流した。
 よりにもよって、俺のいるところへ。
 真っ白になる寸前の頭で考える。
 そりゃあ、高野は見た目は普通の女子高生だ。筋肉の付いた立派な身体じゃない。一般的体型……よりちょいと細めか? そんな細い身体と腕じゃ、あの化け物を受け止めるなんて出来ないだろう。仮に受け止めたとしても潰されるのがオチだ。だから、避けるか受け流すしかない。それは理解できる。
 でもだからって一般人のいる方向へ持っていくのはいかがなものでしょうか?
「っ!!」
 こんな状況の中、妙に冷静な自分の頭に感心しつつ、慌ててしゃがみこむ。頭上に大きなものが掠めたような気がした。

 バキバキバキッ!! ドシーン!!

 と景気良く木が折れ、重いものが落ちる音が後ろからした。俺はゆっくりと後ろを見た。化け物は何本も木をへし折り、転倒。だが、すぐに体制を立て直すとすぐさま高野に向かって牙をむいた。ちなみに周りの木々の太さはざっと見た限りでは、平均十五センチ程の太さだ。
 高野を見た。
 少し驚いた表情で俺を見ている。今になって俺を認識したらしい。ずっと後ろにいたんだから気がつかなかったのか。きっとそうだろう。気付いていたのならば、後ろに受け流したりはしないはずだ。
 高野の表情がすぐに引き締まる。
「逃げて!!」
 鳩尾に響く重低音。音源をたどれば深緑色の光が高野ではなく俺を見ていた。
 先ほどの想像が、脳裏に過ぎった。
 それが何を意味するかを理解する前に、高野が俺の前に駆けてきた。それと同時に右手を振るう。化け物はすでに俺へ突進していた。もう、俺の一メートル前にいる。逃げられる距離じゃない。突進しているんだ、避けられるスピードのはずがない。それに俺は恐怖で動けないでいた。
 ――ざ!
 足元から何かが土を抉る音が聞こえた。
「まもって!!」
 高野がそう叫ぶと、足元が光り、俺たちを囲むように茶色の壁が地面から現れた! 下から急に土が盛り上がってきたのだ。
「へ?」
 どしんっ!!
 状況を理解する前に、現れた壁に大きく重いものがぶつかった。衝撃はなかったが、その役目を果たしたといわんばかりに壁は崩壊していった。
 壁がなくなったその先に、よろよろと立ち上がろうとしている化け物がいた。
 俺めがけ突進してきたが、急に現れた壁に避ける事も出来ずそのまま豪快にぶつかったんだろう。脳震盪でも起こしたんだろうか、ふらついている。……化け物に脳なんてあるのか? 変に冷静になって想像する。
 俺が半ばぼう、としている中、高野が動いた。左手の短剣は逆手のまま化け物に向けて下から切り上げる。化け物が体制を整えるよりも先に刃が化け物の額を切り裂いた。右手にあった短剣はない。落としたのだろうか?
「ぐあががががああああああああああ!!」
 血が吹き出る、と思いきや何も出ない。だが、痛みはあるらしく、叫ぶ。俺は慌てて立ち上がり、邪魔にならぬよう高野の後方へと下がった。
 化け物の深緑色の目が、俺ではなく高野を貫く。改めて敵を認識した、そんな意思を感じた。
 化け物の顔を見、ぞっとした。ぱっくりと割れた額が、じゅわじゅわと音と泡を立てて再生し始めたのだ。ゆっくりと時間をかけて傷は癒えてゆく。不自然な生命活動に不快感を覚えた。
「もっと舞衣さんから離れてくださいッス」
 不快感が吐き気に変わり、口元を押えいると、幼い男の子の声が聞こえた。慌てて左右を見回すが、誰もいない。前には高野、その奥には化け物。ここに他の人間も化け物もいない。
「下ッス」
 下? 視線を下げるとそこには小さな生物、白地に背中に灰色の縦線が数本のネズミ。小学五年生の頃、クラスで飼っていたジャンガリアンハムスターそっくりな生物がいた。いや、そっくりじゃなくて、そのものだろう。
「危ないッス、下がって欲しいッス。えっと、舞衣さんと星と直線距離にならないように、えっと、そッスね、あ、その大きな木の影が良いッス」
 全長十センチばかりのジャンガリアンハムスターが人の言葉を操っている。
「あの、驚く気持ちはよぉく判るッスけど、今は自分の身の安全を考えて言うことを聞いて欲しいッス」
 必死に、俺に訴えかけるジャンガリアン。

 ――キンッ!!

 刃物と刃物がぶつかり合う音。高野はいつの間にか化け物と激しいバトルを繰り広げていた。短剣と牙と爪が激しくぶつかり合い――

 ――ギンッ!! ザッ!!

 根元から折れた牙が、俺の耳のすぐ横を掠め、後ろの木に刺さった。牙を見ると、根元まで深々と刺さっていた。細い木だったせいもある。見事、その幹を貫いていた。
 こめかみから、いや、全身から冷や汗がだー、と流れた。
 俺はジャンガリアンの言葉に従い、四つんばい、だが大急ぎで大樹の木陰へと移動した。
 木陰に隠れて大きく息を吐いた。
「……し、死ぬ」
「ここなら大丈夫ッスよ」
 笑うジャンガリアン。ネズミ……ハムスターなのにどうして表情が判るんだろう。……非現実的空間だから問題ないのか。
 しばし考える。
「えーと、状況を判りやすく説明してくれないか?」
 今の俺には、これが夢でも幻でもなく、現実だと言うことしか判らない。
「その前に、あなたがどうしてここにいるかを教えて欲しいッス」
 すぐ近くで生命懸けバトルをしている横で、ジャンガリアンは冷静にたずねた。慣れってやつですかね。
 俺は頭をぽりぽりと掻いた。それもそうだなと思ったからだ。高野とジャンガリアンにとっては俺は、急に現れた、侵入者……とは違うが、呼んでもいない客だろう。
「そうだな」
 頷いて、何故ここに来たのかを思い出した。


 放課後特有のざわつきの中、俺はカバンに机の教科書やノートをつっこんでいた。
「あ、まいまい」
 背は高校二年生にはしては低い。一五〇センチあるのか……? 本当にちっさい。腰まで届く長い髪は二つに結ばれ――確かツインテールとか言うはずだ――ている。小さい顔に、小さい口、それとは反する大きな目。その目の前にはピンクのフレームの眼鏡。これがまた似合っている。思わず触りたくなるようなやわらかそうな頬は少々赤い。そんなパーツのせいか、とても幼い印象を受ける。同い年には見えない。
 そして上半身を見れば、これまた同い年とは思えないほど立派に育った二つのふくらみ。
 幼さと一部大人な成長を遂げた、アンバランスなクラスメイト、その名は笠木(かさき)希望(のぞみ)……だったと思う。まだ二年が始まって二週間しか経ってないからそこいら辺は勘弁してほしい――は、酷く慌てた様子の友人に声をかけた。
「ごめん!! バイト!!」

 ゴトンッ

 廊下側の一番後ろ、ドアに最も近い席で俺はのんびりと忙しないやり取りを見ていた。
 カバンを引っつかみ、高野は笠木を申し訳なさそうに片手を上げ、大慌てで教室から出て行った。ん? なんか落としたのか
「ああ……、数学のプリント……」
 右手に藁半紙、左手は虚空。笠木は呆然と高野を止められることなく見送る羽目になった。
「なになに、のんのんどしたの? あれ? 舞衣は?」
「皐月ちゃん……」
 ぽんぽんと笠木の頭を撫でるクラスメイトは西野(にしの)皐月(さつき)。こいつは一年のときも同じクラスだったので顔と名前が一致している。身長は先ほど出て行った高野と同じくらい……一六〇センチくらいか? 背中の真ん中辺りまで伸びている茶色(天然らしい)の髪は無造作に束ねられている。ポーニーテイルだ。こいつは眼鏡をかけてない。
「あのね、まいまいね、明日ね、これ出さなくちゃいけないの」
 笠木は西野に藁半紙を見せた。数式が何問か書かれていた。
「ああ、言ってたねそういえば」
 先ほどの数学の授業を思い出した西野は頷いた。
「それでね、希望とね、今日ね、これやる予定だったの」
「へー、でも今バイトって言ってなかった?」
 小さな子供みたいな舌足らずの笠木の口調にちょっとだけイライラする。でもそれは俺だけのようで、西野は平然としている。……友人とただのクラスメイトの違いだろう。
「うーん……仕方ないんだよねえ」
 困ったように笠木は眉間に皺を寄らせた。……ま、俺には関係ないことだ。カバンを持って立ち上がる。すぐに教室を出ようと笠木たちに背を向けた。

 カツン

 足に何か当たった。
「でもせめてこのプリントは渡さなくちゃと思うの」
「え、それ舞衣の?」
 西野が驚いた。しかし、高野が提出しなくてはいけないものを笠木が持っているんだ?
 考えつつ、足元を見た。
 ――ケータイだ。
 折りたたみ式の、シルバーのボディのケータイ。ストラップは、ずっと前に話題になった育成ゲームの猫だ。名前はまぐろだか刺身だかなんだか忘れた。それを拾い上げ、埃を払う。
「あ、それまいまいの!」
 俺の手にあるケータイを指差し、笠木は言った。
「落ちてた」
 笠木に手渡そうと腕を伸ばした。
「あ! 希望、これから掃除当番……」
 今思い出した、そんな顔をして笠木は呆然と言った。
「始まってるんじゃね?」
 副担任の担当している教室掃除は、簡単なものだからさっさと終わらせたい。そう思っている人間が多い。サボる人間はいない。少ないのではなく、いないのだ。何故なら掃除当番全員が集まらないと副担任が掃除を始めさせてくれないからだ。サボったら他の班員に迷惑がかかる連帯責任って奴だ。……全員でサボれば問題なさそうだ。それはどうするつもりなんだろう?
「ご、ごめん、これまいまいに渡しといて!!」
 笠木は顔色を変え、関係ないことを考えていた俺に藁半紙を押し付けて高野同様カバンを引っつかみ出て行ってしまった。
 不意打ちだったので思わず受け取ってしまった。突き返そうにもその本人はもういない。
 残されたのは、ぽかんとしている西野と俺。
「……さ、あたしも帰るかね」
「待て、西野」
 逃げられる前に西野の肩を掴んだ。
「残念、今日あたしは夕食当番のなの。買い物行かなくちゃ」
 さわやかな笑顔で俺を振り払った。こいつは理由は知らんが、実家を離れて歳の離れた姉と二人暮しをしているそうだ。だからこのように用事をスルリと回避することが多々あったりする。家庭の事情を出されたら、強くは言えない。
 が、些細なことなので、こんくらい友達である西野が持っていったほうが良いだろう。
「いや、そんくらいの時間はあるだろ」
「だめ」
 速攻で却下された。
「色々あんのあたしも。あんた、バイトも部活もしてない暇人でしょ? ついでに今日は宿題ないし」
 同じクラスだとこういうことは筒抜けなので用事をでっちあげるのも大変だ。
「まあ、確かに暇だけど……」
 用事を作るのも面倒なので思わず素直に言ってしまう。
「じゃあ、ほら行った行った。掃除の邪魔だしねー、はい脱出ー」
 議論が面倒になった西野は俺の後ろに回り背中を思い切り押して教室から追い出した。
「お、おいっ?」
「舞衣、足速いから早くしないと追いつけないわよー」
 もう向こうは俺と議論する気はないだろう。西野の笑顔は「もう話は終わり」と告げていた。
 ……仕方がない、行くか。
 西野が指摘したとおり暇だしな。それにいつもと違う事をやるのも悪くないだろう。


「そっから人に聞きまくってここまで来て、この有様だ」
 肩を竦め、ため息をついた。クラスメイトを追っかけてこんなことに巻き込まれるなんて、誰が想像出来るだろうか。
「なるほどッス。了解ッス。押しが弱いッスね~」
 うんうん、と腕を組んで(ハムスターにそんなことが出来るなんて知らなかった)ジャンガリアンは頷いた。
「駄目ッスよ、漢もDO MY BESTッス!!」
 ぐ、と親指を立て(てるように見える)、ジャンガリアンは器用にウインクした。言葉もここでやる意味もさっぱり判らない。つうかこんな状況で暢気に話している場合なんだろうか。木陰からそっと先ほどいた場所を覗くと、高野と化け物がまだ戦っていた。化け物の折れた牙は額の傷と同様に再生している。
「ほっといて良いの?」
 一応聞いてみた。
「こんな可愛いハムスターのボクに何が出来るッスか」
 ジャンガリアンは無駄に自信満々に言い放った。役立たずですってそんな胸張って言うことなんだろうか。自分の常識が揺らぐ。
「それに、舞衣さんなら大丈夫ッス。強いッス。バリバリのファイターッス」
 信頼していると言うことは伝わるが、胡散臭い。
「ファイターって高野は戦士なのか?」
「正確にはスターハンターッスよ」
 すたーはんたー? なんじゃそら?
「つうか、お前何?」
 根本的なことを忘れていた。
 今俺の目の前(というより膝の上、いつ上がった)にいる、人の言葉を操るジャンガリアンハムスターは一体何だ?
「ボクの名前はククッス。舞衣さんが付けてくれたッス」
 にこ、とようやく歩き始めた子供のように無邪気に笑った。
「あなたの名前を教えてくださいッス」
 RPGを始めて最初に聞かれそうなことをジャンガリアン――ククは言った。
「祐一、芳岡祐一」
「ゆーいちさんッスか。よろしくッス」
 短い腕を伸ばしてきた。……もしかして握手を求めている? 少し悩んでから親指と人差し指で差し出された手を軽く握った。あまりの無邪気さに毒気が抜かれた。どうでも良くなってくる。
 ――でも、
「高野は何なんだ?」
 俺が知る限りではいつも眠そうにしている笠木や西野と仲の良いクラスメイトだ。あと、今日判明したことだけど、数学が苦手ってことか。それ以外は知らない。化け物とバトルするような奴だなんて全然想像できないし、今でもちょっとだけまだ夢かとも思っている。
 んなことを思うくらい、俺の中では高野舞衣という人間は普通の女子高生だったんだ。……まあ、真面目に認識したのは数回なんだがね。
 木陰に身を隠しつつ、戦いに視線を移した。
 相変わらず戦っている。
 何故か一本になった短剣で応戦している。襲い掛かる化け物の爪を短剣で素早く切り払う。痛みを無視した化け物はすばやく牙で襲い掛かった。高野は避けられないと判断したのか、短剣で受け止めた!
 ギンッ! と重くて鋭い音が響く。
 化け物の足を見ると、先ほどと同じように再生が始まっていた。
 じゅわじゅわと泡立てて足の傷は再生していく。しかし、爪は傷が治る前にみるみる伸びていく。色も鋭そうな銀色ではなく、体毛の黒を混ぜたような鈍色になっていた。そのせいか、毒々しく見える。
 先ほどとは違う再生に寒気がした。先ほどからそうだが、生理的に受け入れられないことが、化け物に起こっていた。
 そんなことも気にせず、高野は強く強く押してくる化け物の力を受け流し、跳躍。化け物の頭を踏んでさらに跳躍。化け物は高野に向けていた力を地面に向けることになった。さらに急に頭を押され、顎から思い切り地面に叩きつけられた。結構な力が牙にかかったはずだが、折れずに何の問題もなく地面に突き刺さった。
 勢い良く叩きつけられたから正確なことは判らないが、牙は殆ど抵抗なく地面に刺さったようだ。所々に雑草が生えたこの地面、もしかしたら石も埋まっているかもしれない地面にだ。つまり、恐ろしく切れ味が鋭いってことだ。
 そんな凶器を持つ化け物と高野は至近距離で戦っているのか。
 身をよじり、空中で方向転換――高野は化け物の後ろ――というか上――を取った。左手の短剣を順手に持ち替えて振り下ろす。素人目で見ても間合いの外である。
「きりさいて!」
 叫ぶ高野。切り裂くも何も間合いの外で唯一の武器を振って何言ってんだ!? このままじゃ化け物の上に落ちて鋭い牙と爪の餌食になってしまう!!
 視界が一瞬、真っ赤になった。
 脳裏に高いところから、熟れた果実が叩きつけられた音が脳裏に蘇る。
 嫌な想像を断ち切るように俺は駆け出した。
「祐一さん!?」
 ククの声が聞こえたが、気にしない。そんな場合ではない。せめて高野を化け物から離さなくて――ってぇ!?
 高野の短剣は五十センチほどの小型の竜巻のように渦を巻いて掻き消えた。その空間がぐにゃりと歪み、――刹那、化け物の背中がぱっくりと裂けた。まるで鋭利な刃物で切られたように。
 切り裂いて。
 高野の声の意味をなんとなく悟る。
 カマイタチ、か?
「――っはあああああ!!」
 高野の動きは止まらない。
 歪んだ空間に先ほどと同じくらいの小型の渦――つむじ風がまた現れた。それが高野の伸ばされた両手に集まって――長い、棒状の、先端には鋭利な金属が――って槍?
「はあああああああああああああああああああ!!」
 落下しつつ、槍を頭上でくるくると回転、――ほら、ゲームでよくあるだろ? 槍使いの必殺技、頭の上で槍を両手で高速回転って、あれだ――切り裂かれた化け物の背中向けて、高野は渾身の力と自身の体重をかけて振り下ろした。
 直後、

 ――があああああああああああああああああああああああ!!

 耳にではなく、頭に直接化け物の絶叫が響いた。大ダメージってとこか?
 反射的に耳を塞いだが、鼓膜を震わせているわけではないので全く意味がない。手を離し、化け物を見た。
 切り裂かれた背中、いや、貫かれた背中を中心に深緑色の光の粒子が虚空に溶けていた。その粒子が化け物だと言いたげに、化け物の身体が徐々に粒子となって消えていく。
 あとに残ったのは地面に突き刺さった槍にもたれかかる高野。それと足元に直径三センチくらいの石炭みたいな真っ黒な石。
「舞衣さーん!!」
 木陰から出てきたククが高野に向かってダッシュ。ちっさいハムスターの身体じゃすぐにはたどり着けない。それを見越してか、高野は酷く緩慢な動きで石炭(?)を拾い上げた。
「舞衣さん舞衣さん!!」
 足元でククが跳ねる。高野はため息をつきつつ、左手でククを拾い上げた。いつの間にか槍は消えている。……あんな大きなものがどうして?
 そこでようやく高野と目が合った。
 口が勝手に動く。うわごとのように。
「お前、何者なんだ?」
 高野は数回瞬きしてから大きくため息をついた。

「あたしは、
 日本国スター対策本部・スター回収部隊隊員――通称、スターハンター・高野舞衣、よ」

 言語明瞭、意味不明。
 理解を超えた言葉を放つと、高野はぶっ倒れた。



[26768] スターハンター ~ボーイ・ミーツ・ファイティングガール 後編~
Name: りむる◆dfa7558d ID:511188d8
Date: 2011/03/28 12:19
『あたしは、
 日本国スター対策本部・スター回収部隊隊員――通称、スターハンター・高野舞衣、よ』

 不可解さと胡散臭さを程よくブレンドした言葉を発し、高野は倒れた。



スターハンター
~ボーイ・ミーツ・ファイティングガール 後編~




 突然のことに、ただでさえ動いていない頭が真っ白になる。高野は薄暗い林の中で充分に判るくらい、真っ青な顔をして苦しそうに横たわっていた。ジャンガリアンハムスターが、高野の顔まで急いで駆けてくると、必死になって声をかける。
「舞衣さんっ舞衣さん! 舞衣さん!!」
 涙すら混じるその声にようやく我に返った。
「お、おい大丈夫か!?」
 真っ青な顔で倒れたんだ、大丈夫なわけがない。そんなことを考える頭の中はどこか冷静である。
 駆け寄り、肩を掴んで小さく揺さぶった。すると高野は青い顔のまま薄っすらと目を開いた。
「…………」
 口を開くが、声は出ない。こんなとき、どうしたら良いんだ?
「えっと、なんだ? ……気持ち悪いのか? 病院に連れてったほうがいいのか? というか、ここで横になってるのは良くないよな?」
 医学的知識は皆無だ。だから本人にどうしたいかを聞くしかない。
「のんさん!?」
 ジャンガリアン、じゃなくてククは大きな瞳に溢れんばかりの涙を浮かべ、叫んだ。
 ……のん、さんて?
「でんわ、でんわ!!」
 ククは高野の制服のポケットに身を滑らせた。腹ばいなので胸ポケットは無理なので、横のだ。すぐに顔を出して絶望した表情で叫ぶ。
「ないッスーーーーーーー!!」
 自分よりもテンぱってる人間(じゃないが)を見ると、とても冷静になれる。
「……これ」
 シルバーボディのケータイを差し出した。
「ええ!? あ、そーか、祐一さんが拾ってくれたんッスね」
 十センチ程度の身体に、同じくらいのケータイを渡して大丈夫なのだろうか。潰されるんじゃないか? ハムスターって脆弱だった記憶しかない。
「祐一さん、僕の前に置いてほしいッス。あ、ちゃんと開けて」
 言われたとおりに置く。ククがケータイをいじる。誰を呼ぶんだか。
「高野、とりあえず……向きを変えよう」
 苦しそうに息をする姿に見かねて、仰向けにしてやった。決して大きくない胸が上下する。男がそこを注目するのは遺伝子レベルで当然の義務である。
「のんさんのんさん! 助けてください!! 具体的に場所は――」
 ククがケータイに向かって叫んでいる。……のんさんって誰だ?
「ここで横になってるのも……汚いし、移動するか?」
 一応公園である。林から出ればベンチくらいあるはずだ。俺の提案に高野は小さく首を横に振った。
「じゃ、飲み物買ってくるか?」
 また、首を横に振る。
「じゃあ――」
「舞衣さん、のんさん、来てくれるッス!」
 続けようとしたらククがひょこひょこと駆けてこちらに来た。
「……ん」
 また、小さく頷く。顔色はまだ悪いまま。ここで寝かしておく顔色じゃない。医者に診せたいが、本人が嫌がる以上無理だ。というか、……その、なんだ、魔法っぽいものを使って疲れたんだよな? てことは医者は無理……だよな。
 魔法。魔法だからそれっぽく考えて……えーと、一晩寝れば良いのか? それとも聖水とかで回復とか。……つかそんなんで回復するなら高野が持ってるはずだよな。でもこうやって助けを呼んだってことは持ってないということだ。
「ゆっくり休めば良くなる?」
 さきほどより多少落ち着いたとはいえ、苦しそうに呼吸をする高野には聞きにくい。俺はククに尋ねた。ククは俺など見ずに心配そうに高野の顔の横に立ち、頬をすりすりと擦り付けていた。それで何とかなるのか? 意味がまったく無いように見えるんだが。
「ん?」
 擦り付けるのをやめて俺を見た。
「ん、そーッスね、ご飯をちゃんと食べて、ゆっくり眠ればだいじょぶッス」
 そう言って、高野の頬に自身を預けた。高野の顔色は相変わらず青いままだ。
 さっきから思っていたんだが、……俺が高野の家に運べば早いんじゃなかろうか。別にその、のんさんて人に頼らなくて済むしな。あ、でも真っ先にそれは否定されたか。何でだ? 家に知らない男を連れて行くのが嫌とか。家族に何て言われるか、ってやつか? ……そんなこと言っている場合じゃないと思うがね。
「ん? んー……」
 ククが高野の頬から離れ、少し驚いた表情をした。ククの両手は高野の頬に添えられている。
「むー……」
 ポーズを維持したまま苦悩の声を上げるクク。しかしどうしてこんな小さな顔なのに表情が判るんだろうか。姿形はジャンガリアンハムスターだが、動作が人間じみているからだろうか。そもそも人間の言葉を話している時点で普通のハムスターじゃないんだが。
「祐一さん」
 ククはこちらを見上げ、片手を伸ばした。
「なんだ?」
 ピンと伸ばされた左手を見つめる。
「あくしゅ」
「あくしゅ?」
 言われた言葉をそのまま繰り返すのは何も考えていない証拠だ。そんなことを本で読んだ覚えがある。
「なんで?」
 頭を掻きつつ、当然の疑問をぶつけると、ククは不満そうに頬を膨らませた。
「なしてもっ!」
 意地を張る必要な場面でもない。釈然としないが、言われた通りに手を伸ばす。小さな小さなその手を、親指と人差し指で優しく摘む。
 ――!?
 すると、視界がぐわんと歪んだ。頭の芯がぼーっとして、軽い眩暈が起きる。が、すぐに治まった。
「な、なんだ?」
 先ほどと変わらぬ自分の声に少し安心する。聴覚は正常らしい。
 視覚は異常……というか、綺麗だ。いつもよりも視力が上がった感じがする。俺は視力が悪くていつもはコンタクトレンズを付けているのだ。
 綺麗と思ったのはそれだけのせいじゃない。辺りがきらきらと輝いているのだ。化け物から出ていた粒子に似たものが見える。いや、それそのものか? でも何となくだが、違う気がする。それは先ほどとは違って虚空に溶けることなく、ふわふわとそよ風に揺れる綿毛のように高野の周りを漂っている。幻想的で綺麗な風景だった。
『聞こえる?』
 頭に直接女の子の声が響いた。驚いてククから手を離し、思い切り身を引いた。すると視界が元に戻った。
「ああもう、なにしてるッスか!! ちゃんと手を繋いで欲しいッス!!」
 ククがイラつき、左手をぶんぶんと振り回した。おまけに地団駄まで踏んでるよ。……ガキか。
 深く考えるまでもないが、ククと手を繋いだからさっきの状態になったんだ。離したら元に戻る。……判りやすい。高野の隣りに胡座をかく。イラつくククを見、ため息をついてから再度手を繋ぐ。視界がまた幻想的風景に変わった。
『驚いたみたいね』
「それは、まあ」
 女の子、これも深く考えるまでもない。声の主は高野だろう。ククに触れているのは俺と高野なのだから当然だ。
『声、出さないほうがいいよ。危ない人に見えるから』
 声が笑っている。返事もしない横たわる人に向かって言葉を発していたら変な人だ。助けもしないで独り言だから、おまけに薄情もつくだろう。だが周りに人はいない。そんなことは気にしなくてもいいが……、目を瞑っている相手に一人で喋るのは電話でも持っていない限りちょっと落ち着かない。ここは忠告に従うことにしよう。でも、返事をするにはどうしたらいいんだ?
『声を出さずに話し掛ければいいのよ』
 俺の思考を読んだような返事が来る。どういう仕組みか判らないが、繋がっているんだ。あちらにはこちらの考えが丸判りなのかも知れない。しかし無茶難題だ。
『まあ、返事はいいの。今の状況を説明するね』
 首を縦に振った。が、高野は目を瞑っているので意味がない。
『了解』
 忠告通り、声に出さずに返事をした。喋ろうと思った言葉を口には出さずに頭の中で再生する。
『飲み込みが早い』
 正しい使い方だったようだ。ほっと胸を撫で下ろした。この会話に視覚は必要なさそうだ。集中するためにも目を閉じる。
 !
 また驚きに手を離すところだった。視界は真っ暗になるはずだった。しかし俺の視界には、暗闇の中にきらきらと輝く粒子がふわふわと浮いていた。暗闇に浮かぶ粒子は、まるで夜空に瞬く星のように綺麗だ。しかもこれは電気で照らされた都会の夜では見れない、真の夜にだけ見える純粋な星空だ。田舎のばーちゃんの家で見て、あまりの綺麗さに言葉を失った記憶が呼び起こされた。
 試しに目を開けると、先ほどと変わらぬ風景があった。粒子だけはどうやっても見えるらしい。これもククと手を繋いでいる影響なんだろうか。
『で、今の状況。
 あたしは本来一日二回しか使えない魔法……厳密には違うんだけど、を三回使って、疲労状態です。休む必要があります。
 でも、ここはあたしが魔法を使った場所で、少しだけど、あたしの力が残っています。だからこうやって動かずに力が戻ってくるのを待っています』
『なるほど』
 ここを動かなかった理由がそれか。で、この粒子が高野の力か。手を伸ばし、触れようとするが、触れた感触はまったくない。目を開けて同じことをしてみたが変わらず。普通の人間じゃ無理か。
『でも、戻るったって大したもんじゃないの。だからのんのんにヘルプを呼んでます』
『のんのん?』
『笠木希望』
 ……ああ、笠木のことか。仲良いもんな、お前ら。いや、そうじゃなくて、その前に、
『何で笠木を呼ぶんだ? 事情を知っているのか?』
『うん』
 あっさりした返事に驚く。この手の危ない事は隠密行動が原則と思っていたからだ。
『聞きたいことはたくさんあると思う、でも今は無理』
 言葉が終わると同時に視界が元に戻った。輝く粒子は綺麗に消滅している。いや、まだあるんだろうが、俺には知覚出来ない状態になった。手を見るとまた繋がっている。……向こうの意思で通信(念信?)を終わらせる事が出来るようだ。便利だな。
「詳しい話は後日ってか?」
 ククから手を離す。
「そーッスね」
「秘密を知ってしまった以上、生かしてはおけない! なんてことはないよな?」
 無論、冗談である。そうでなかったら笠木は真っ先に殺されてるはずだろう。
「…………」
 笑うと思ったククは予想に反して神妙な表情をして黙った。
 え? マジ? と少しは思ったが、こいつなりのジョークだろう。じゃないと困る。
「舞衣さんにとって、のんさんは特別ッスからね……」
 悲しみを押し殺したような思いつめた声に、嫌な予感が膨らんでいく。えっと、どういう意味だ? ククを見ると、まるで「せっかく知り合えたのに、もうお別れか。厳しい世の中ッス」みたいな表情をしていた。
「…………」
「…………」
 痛い沈黙に顔が引きつる。
「…………」
「冗談ッスよ?」
 ククが膝に乗り、首を傾げて笑った。からかわれたのか。ネズミなんかに。
「だいじょぶッス、そんなことしたら逆に大事になって困るッス」
 明るく、カラカラと笑うネズミが少しばかり憎らしい。人差し指でククの鼻を弾いてやった。
「にゅッス!?」
 あっさりと膝から落ちるクク。
「なんスか! 冗談も通じないッスか! 親の顔が見たいッス!!」
 冗談一つで何で親が出てくるのか。
「うるせい」
 ネズミなんかにしてやられたのと、うっとおしさに背を向けた。

 ぴぴぴぴぴぴ! ぴぴぴぴぴぴ! ぴぴぴぴぴぴ!

 甲高い音が響く。ケータイか? しかも初期設定のままとみた。いや、俺がそうだからなんだけど。そういや、俺のカバンはどこだ? 高野が戦っているのを見た瞬間からスコンと記憶が落ちている。呆気に取られて落としたか?
 立ち上がり、周りを見るが見当たらない。

 ぴぴぴぴぴぴ! ぴぴぴぴぴぴ! ぴぴぴぴぴぴ!

 初期設定のままの甲高い音が響き渡る。
「あ、のんさん」
 ひょこひょこと何故か二足歩行でケータイに向かうクク。身体の造りからして四本のほうが早いだろう。
 ぴ。
 音が止まる。ククが出たんだろう。それは良いとして、俺のカバンはどこだ? 歩き回って地面を見る。が、そんな小さなものじゃない。目立つはずだ。地面を凝らして探すものでもない。が、ない。どこだ?
 戦っている最中に邪魔だと蹴り飛ばされたか、それとも気付かずそのまま踏まれたとか。高野に踏まれたならともかく、あの化け物に踏まれたとなったら…… ただでは済んでいないだろう。重量もさることながら、あの鋭い刃物の光を持った爪がある。かたや、俺のカバンはそこらへんで売られている大量生産品だ。耐久性などたかが知れている。というより……こんな状況を想定して作っているわけがないのできっとズタボロになっているに違いない。
「はい、えっと、公園の奥ッス! んと――いやいや、お気遣いは無用ッス。のんさんの笑顔があればそれで良いッス。その笑顔だけでボクの心に春の日差しが差し込んで、綺麗な花が咲くッス。のんさんの笑顔は太陽ッス」
 ネズミのくせに、スラスラと臭い事を言ってんじゃねえ。呆れつつ、蹴り飛ばされた可能性に賭けて、改めて周りを見る。
 そう言えば……最初に俺が立ち尽くした場所って、あの化け物が突っ込んできたんだよな。正確にはもう少し後ろ。
 その後、土の壁が出てきて、化け物がぶつかって消えて、ククの指示に従って避難したんだ。そのときにはもうカバンを持っていなかった気がする。
 カバンの惨状を想像して落ち込む。が、まだそうと決まったわけじゃない。化け物が突っ込んでぶっ倒れて、木々をなぎ倒し、ズタボロになった場所へ歩み寄った。
 折れて尖った凶器と化した木が危ない。触れないように気をつけながら探す。
「あ」
 あった。化け物の下敷きになっていたようだ。見事にぺちゃんこである。尖った木に触れないよう気をつけてカバンを拾う。幸いな事にあの鋭い爪に触れなかったようだ。ただ潰されただけだ。
 ただ潰されただけ。少しばかり嫌な予感がする。
 中身を見る。教科書ノート、元々薄いものは特に問題なし。財布も同様。小銭は持たない主義とかじゃなくて、純粋に貧乏。ペンケース。中身は……ボロボロならず、ボキボキ。笑っちゃうくらいにボキボキに折れていた。百円ほどの安いシャープペン、赤ペンである。耐久性を期待するほど俺の頭も沸いていない。しゃーない、コンビニで買うか。つか、なんで消しゴムは無事なんだ。
 で、最後はケータイだな。……ケータイ? 精密機械の、ケータイ。昔よりは丈夫になったであろう、ケータイ。でも車に轢かれたとか、そんな衝撃には耐えられないケータイ。
 ぺちゃんこになったカバンから、ケータイを取り出した。
「…………」
 一筋の汗が額から落ちる。
 俺のケータイは高野と似たようなもので、折畳式である。タッチパネルとか、二つに分かれて操作とか、そんなおしゃれなものではない。通話とメールが出来ればそれでいいから、安いのを選んだ。ネットも出来た気がするが、パケ代が掛かるので使ったことはない。
 その、安いケータイ。ボディには細かい傷が無数にある。ヒビも入っているし、触れただけで細かい破片が零れてくる。少し前、学校で見たときにはそんなものはなかった。
 傷の意味を考えないように、開く。
「…………」
 ディスプレイが真っ黒だ。電池が切れた可能性はない。今朝満タンになるまで充電したんだ。気のせいか、ディスプレイにまるでヒビか亀裂のような細かい線が何本も走っていた。
 ボタンを見れば、ディスプレイと似たような状態だ。ヒビに亀裂、おまけにボタンの何個かは無残につぶれている。
 無事っぽい、電源ボタンを押す。反応なし。もう一度押す。反応なし。さらにもう一度。反応なし。最後に強く長く、押す。反応なし。
「…………」
 一旦、パタンとケータイを閉じ、また開ける。反応があると願いながら。

 パキ

 乾いた音がして、ケータイが二つになった。
「…………」
 右手を前に伸ばす。ケータイのディスプレイ部分が遠ざかった。もちろん、真っ黒のままだ。
 左手を上に上げる。ボタン部分が遠ざかった。
 本来の姿ならば、こんな事は出来ない。
「祐一さん、変身ポーズッスか?」
 戸惑いの声に、俺は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。膝を落とし、ケータイを放り投げ、開いた両手で地面に爪を立てる。
「ど、どうしたッスか!?」
 慌てた声。ククが高野から離れて俺の顔の真下に来る。
「どーしたんスか? まるで絶望の文字をその身で表現しているようッス」
 的確な洞察に顔が引きつった。目を閉じる。でないと涙が出てきそうだ。
「あの、本当に、どーしたんスか?」
 両手を地面から離し、空を見上げ、すーっと息を吸い込んで、尻から地べたに座り込む。
「お気の毒ですが、冒険の書1は消えてしまいました」
 全国のゲーマーのトラウマを刺激する言葉を発した。
「はい?」
 でも相手はハムスター、そんな言葉は通じない。
「ケータイが、壊れました」
 土が剥き出しになった地面に、無造作に転がっている元ケータイ二つを指差した。ククは小さな身体を捻り、後ろを見ようとするが、見えなかったらしく、大人しく身体ごと後ろに向いた。
「……真っ二つ、スか」
 呆然とした声に、また泣きそうになる。
「でもまた買えばいいじゃないスか」
 とたん明るい口調で振り返り、他人事全開な発言をネズ公はしやがった。
「買えったってな、今は昔みたいに安くないんだ。それに……それにデータが」
 失ったものの大きさに今更気付き、悔しさに奥歯を噛み締めた。
「データって着うたに写真とあとー、んー、友達のアドレスッスよね? 写真はしょうがないとして、あとは何とかなるもんじゃないッスか。それに新機種への交換だと思えば大したことは――」
「お前は判っていない!!」
 ククを遮り、強く強く拳を握り、地面に叩きつけた。
「俺のケータイにはなあ、大事な大事なアドレスがあったんだよ!!」
 そう、もう二度と手に入れられないアドレスが。
「それを失うなんて……心を蹂躙されたのと同等なんだぞ!!」
「…………」
 熱く語る俺を、酷く冷静に見つめるクク。視線を外して高野を見ると、まだ横たわっている。ぴくりとも動かないから、きっと眠っているんだろう。
「そんな大事なアドレスなら、ちゃんとバックアップを取っておくのがフツーッス」
 冷たい目、冷たい口調でこれ以上ない正論を吐いた。言葉に詰まるというより、むかついて言葉が出ない。
「ふん、そんな基本事項をやらないでおいて"大事なアドレス"ッスか。はっ、"大事"という言葉の意味を辞書で調べたいらいいッス」
 かちんときた。
「アドレスのバックアップは大事とかそうじゃなしに基本ッス。このご時世、何時事件に巻き込まれるか判らないッス。ケータイに限らずデータのバックアップは基本の基本ッス。そんなことも判らないだなんて……さすがゆとり世代ッス」
 ぷちんときた。
「誰がゆとりだ!!」
「祐一さんッス!!」
「出会って一時間も経たずにそんな扱いか!!」
「祐一さんがアホだからッス!!」
「うるせー、どうでもいい言葉ばっかスラスラ出てくるネズミよりマシだー!! 真面目なゆとり世代もいるんだ、ゆとり=馬鹿みたいな発言は撤回しろ!!」
「ネズミとはなんスか! こんな可愛いハムスターを捕まえてなんて発言ッスか!! 屋根裏で走りチーズを食らう事に生命を賭けてるだけのネズミと同等扱いなんて……こんな屈辱ないッス!!」
「てかな、お前自分で可愛い言うな!! ナスシストか!!」
「何を言うッスか!! このボクの姿は上から見ても下から見ても、左右のどちらから見ても、三百六十度どこから見ても、この世知辛い世の中を癒す愛らしい姿じゃないッスか!!」
「バージョンアップするなネズ公! ネズミはネズミらしく、頬袋にピーナッツでも蓄えて自分の住処に運んでろ!!」
「度重なる暴言にボクのガラスで出来た繊細なハートに傷がついたッス!! 酷いッス、そんな品のないハムスターみたいなことをボクに強いるだなんて!! ボクはハイカラなハムスターとしてご飯はちゃんと茶碗に入れて食べてるっス!! 箸も使っているッス!!」
「ネズミの分際でそんな手間、飼い主にさせるなよ!! せめてケージに入ってエサをねだれ!!」
「飼い主とはなんスか!! ボクは舞衣さんの公式なパートナーッスよ!! だから舞衣さんと同等の食事にありつけるのは当然の義務ッス!!」
「うるせーうるせー!! ネズ公が人間様と同じ食事してんじゃねーよ!! 生意気だ!!」
 ネズ公と火花を散らす。
「まいまーい! ククちゃーん!!」
 とても同い年とは思えない、幼い声が響いた。声のほうに顔を向けると、先ほどの姿のままの笠木がいた。走るたびに制服のスカートの裾が大きく揺れて太ももが見え隠れする。それに上半身の、十六歳とは思えないほど立派に成長している二つのふくらみも、下着に押さえつけられているにもかかわらず揺れている。いいぞ、もっと激しく走ってくれ。
 それはいい。同じクラスなので今後じっくり見よう。
「大体な、ネズミが人間と同じ食事したら身体に悪いだろ!」
「ボクは見た目はどう見ても愛らしさが溢れてもう、メロメロになるしかない可愛いハムスターッスけど、魔法生物なんで何ら問題ないッス。ふっ、こんなところで無知を曝け出すなんてやはり祐一さんはアホアホッス!!」
「だからナルのバージョンアップするな、人を馬鹿にするのもだ!! つうか魔法生物って何だよ!?」
 自分の発言に、はっと我に返った。
 ケータイのデータ消失とネズ公の暴言にとち狂っていた頭が落ち着きを取り戻していく。
 まほうせいぶつ? 魔法的な生物? 魔物? さっきの化け物と変わりない存在か!? でも襲ってくる気配も意思も感じられない。それに高野のパートナーとも言っていた。
 改めて思う、――こいつらはなんだ?
 ククを見、高野を見る。高野の横に心配そうな表情をし、しゃがみこんだ笠木がいる。
 ――笠木希望。
 笠木は事情を知っているらしい。だからククのヘルプに応じ、今のこの状況でも冷静でいる(というか、口喧嘩の真っ最中だったから声をかけなかっただけだろう)。……まあ、だからといって笠木まで高野のように戦ったりはしないだろう。戦うのならば、最初から呼ぶもんだ。……仮に戦えたとしても笠木なら足を引っ張りそうな気がする。失礼なことだが、なんとなくどんくさそう……。
「お前ら、何なんだ?」
 高野が倒れる前に言った言葉の複数形。
「芳岡くん」
 高野をゆっくりと抱きかかえ、起こしてから笠木は俺を見た。
「あのね、いきなりのことでびっくりしてると思う。希望もそうだったから。でも、まいまいすごく疲れてるの」
 それは……高野の顔色を見れば一目瞭然だった。まだ、青い。それに、さっき言われたのだ『今、説明は無理』と。
「だからね、希望、まいまいを休ませたいの。ここじゃなくて、ちゃんと休めるまいまいの部屋で」
「うん」
 それは同感だ。否定する要素はどこにもない。
「だからね、詳しいことは明日にしてほしいんだ」
 先ほどククは『ご飯をちゃんと食べて、ゆっくり眠れば大丈夫』と言っていた。明日には回復していることだろう。でも気になるな。
「判った」
 好奇心を押し殺し、頷いた。疲れた状態で話されたら色々省略されるかもしれない。正確なことを知りたいのならば向こうのコンディションも考慮すべきだろう。それに、ケータイ……。店に行けばなんとかなるかもしれない。ここまで壊れたらあまり期待も出来ないが……。
「うん、じゃ、希望まいまいおんぶするから、手伝って」
「え、笠木が背負うのか?」
「うん」
 身長一五〇センチに満たないその身体で、身長一六〇くらいの高野を背負うだと? そりゃ、ぱっと見、高野は細いけどさあ……。手足もそうだが、やっぱり胸が特に。
「いや、俺が背負ったほうが」
「希望、これでも力持ち!」
「いやでも体格を考えたら俺が――」
「希望、頑張る!」
 左手でガッツポーズ。唇を真一文字に結ぶ。気合の入った表情である。
「お、おう、頑張れ」
 気圧されて応援してしまう。
「うん!!」
 無駄に力強い返事に、どうしようもない頼もしさを感じた。


 無事に笠木に高野を背負わせ、公園の外に出た。ククは笠木の左肩に乗っていた。右肩には青い顔のまま眠る高野が乗っている。ククの症状は喧嘩していた時とうってかわって、心配顔だ。
「じゃあ、明日ね」
「ああ……、本当に俺、一緒にいかなくていいか? 途中で代わったほうが」
 高野の家がどこにあるのか知らないが、背負って歩くんだ、疲れるに決まっている。
「だいじょぶだって! 希望、体力にも自信あるんだから! 短距離は苦手だけど、長距離は得意なんだよ」
 もっともらしいことを言うが……。うぅん。
「だいじょぶ、何回か運んでるんだよ。近いしね。それにまいまい軽いから」
 笑顔で言ってから高野を見る。ぐっすりと眠る高野を見る目は酷く優しい。
 ――懐かしさと鈍い痛みが胸を突き刺す。
 気づかれないように拳をぎゅっと握り締め、誤魔化す。
「判った。じゃあ、俺はケータイ修理、頼んでくる」
「うん、明日ね、芳岡くん」
「うッス、またッス」
 ククがこちらを見て、手を振れない笠木の代わりに手を振った。
「ああ、じゃあ明日」
 手を振って、俺は二人と一匹に背を向けた。



[26768] スターハンター 02 ~宿題と舞衣の事情、それと自己責任~
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/03/30 10:40
 消毒液の匂いが鼻腔の臆にツンと刺激を与える。
 俺はこの匂いは嫌いじゃない。だからといって、特別好きという訳でもないが。
 だから、この匂いが充満している(病院ほどじゃない)この部屋にいるのはさほど苦痛は感じない。ただ、こんなところで、こんなことは普通しないよな、と思う。
 こんなところ。
 俺の通う私立鳴星高等学校で消毒液の匂いが充満している部屋――保健室。科学室ってのもありえそうだが。
 こんなこと。
 数学と英語の宿題。
 宿題とは普通家でやるものだ。無理してそれ以外ならば学校の図書室か、学校の図書室よりも広い図書館だろう。
 つまり、だ。
「何で俺はここにいるんだ?」




スターハンター 02
~宿題と舞衣の事情、それと自己責任~




 保健室の、保健の先生が使うデスクを陣取って、俺と笠木の二人で窮屈に使っている。
「別に、帰っていいよ」
 俺の疑問を断ち切り、冷たい事を言うのは高野舞衣。こいつは窓側のベッドを陣取り、こちらを向いて腹ばいになっている。昨日、化け物のと戦っていたクラスメイトと同一人物である。頬にかかる肩までの髪を払い、数式が三問書かれた藁半紙を睨みつけている。
 数学の宿題は、高野が睨みつけているそれで、英語の宿題は、教科書の英文の写しである。俺と笠木がやっているのは英語で、高野はいわずもがな。
 保健室にもかかわらず、何故か保健の先生という至極真っ当な人物はいない。
「昨日の説明をしてくれるまで俺は帰らんぞ!」
 強い意志を持って宣言する。高野は藁半紙を見つめ微笑んだ。
「そう、じゃあずぅっとここにいることになるのね」
 こんな酷いことを言う奴なのか、高野は。俺の高野の項目に"冷たい"を追加する。……いつも眠そう、って印象しかなかったけどね。
「水はあるから一週間は持つんじゃない? ま、最後は飢え死にね」
 冷静に俺の行く末をバッドエンドにしないでほしい。"冷たい"じゃなくて"冷血"にするぞ。
「お前、昨日は説明してくれるって言ったじゃないか」
「それどころじゃないの!!」
 高野はようやく藁半紙から顔を上げて、声を荒げた。
 高野の数学の宿題は俺たちとはちょいと違う。難易度の問題(それもあるか)ではない、純粋に量だ。俺と笠木(平たく言うと高野以外のクラスメイト)は藁半紙一枚の三問。高野は藁半紙三枚の九問。
 一人だけ多いのはちゃんと理由がある。
 我がクラスで、一人飛び抜けて数学が出来ない高野のために、数学担当の鈴木先生は少しでも高野の力になるようにと、俺たちよりも難易度が少しばかり低い問題を用意した。まずこれが一枚。次が俺と笠木がさっさと終わらせた、クラスメイト全員に出された宿題。これが二枚目。最後の一枚は、昨日、俺が渡し忘れたものだ。高野は鈴木先生に提出を求められたときに初めて気付いたのだ。で、持ってすらいなかったので、ため息と共に同じ物を渡された。昨日、俺がちゃんと渡していれば高野の宿題は二枚だったかもしれない。
 もちろん俺も、悪意があって渡さなかったわけじゃない。昨日ことを思い出して欲しい。あんな非現実で非日常な事が目の前で繰り広げられたら、常識と目的なんてころりと頭から抜け落ちてしまう。言い訳としては充分だ。
 そう言い訳すると高野は渋い顔で「仕方ない」とがっくりと肩を落とした。物分りはいいらしい。それとも今更怒ってもしょうがないと思ったのか。
 そもそも笠木が自分で手渡せばよかったものだ。強いて言えば、高野が少し待って受け取ればよかったものだ。俺が責められる謂れもないだろう。ぶすっとした表情を見る限りじゃ、それを理解しているのかしていないのかは判らない。
「まいまい、希望が手伝おうか?」
 ノートから顔を上げ、笠木が提案した。笠木は同い年と言われたら首を傾げる外見をしているが、数学は出来る。試験のたびに名前を見かけるほどだ(うちの学校は、試験が行われたすべての教科のトップ十を表にして、生徒に配布しているのだ)。本人曰く「数学しか出来ない」らしいが。
「お願いだから、これ以上混乱させないで」
 低いトーンでピシャリと高野は断った。自分で解くことに意義があるんだ!! という向上心溢れる理由からではなく、ただ単に笠木の説明じゃ判るものも判らなくなるからである。
 俺は一度だけ見たことがあるのだ。笠木が――相手は高野ではないが――他の人間に数学を教えているところを。何というか、肝心なところを省略して、どうでもいい(わけじゃないが)ところを懇切丁寧に説明するのだ。人並みに数学が出来る俺でも混乱するだろう。出来ない高野なら尚更だ。
「そう?」
 残念そうに笠木はシャープペンを指でくるくると回した。どんくさそうな見た目から想像出来ない器用さを披露する。
 どこにでもありそうな高校生の会話に、頭から昨日のことがするりと抜けかける。おっといかん、と背筋を伸ばす。
「暇ッス」
 そんな普通の高校生の会話の中、ジャンガリアンハムスターが、真っ白な腹を見せ、手足をだらしなく弛緩し、仰向けになっていた。声に反応して、笠木が指で白い腹をくすぐる。構ってやっているんだろう。
「いやんいやん、そこはだめッス~」
 気持ち悪く身体をくねらせ、吐き気のする声を上げた。
「高野、質問だ」
「手短に」
「こいつの性別って?」
「ご期待通り、オスよ」
 眉間に皺が寄った。ジャンガリアンハムスターは気にせず、身を捩らせる。
「喉はー? 喉はー?」
 笠木が言葉どおり、人差し指で優しく喉をさすった。
「そこはっ、そこはいや~ッスぅ、にゃんにゃんにゃんっ、のんさんってばテクニシャンッス~」
 高野は静かに藁半紙を置いた。ベッドから降りて、デスクの前に立つ。
 ベチン!
「んぎゅあ!」
 高速のデコピンが気持ち悪いジャンガリアンハムスターに炸裂した。自称"魔法生物"のククだ。このくらいの衝撃では死んだりはしないだろう。俺よりも付き合いの長い高野がやったんだ、そうに違いない。
「休憩しよう」
 でも、何事もなかったかのように微笑む高野はちょいと怖いです。



「何から聞きたい?」
 昨日の説明が果たして休憩になるのか。そんなことを思いつつ疑問をぶつけた。
「まず、なんで保健室でやるんだ? あと、保健の先生は?」
「三上先生、保健の先生ね、に留守番を頼まれたの。で、先生は今会議中」
 この学校に来て以来、保健室にお世話になったことがないので、三上先生がどんな人かは知らない。ただ、顔くらいは見たことがある。その程度の認識だ。というか、健康で怪我と無縁な帰宅部は大体こんな認識だろう。
「お前と三上先生の関係は?」
 職場の留守番を頼むくらいだ、そこそこ関係があるのだろう。
「あたしが一方的に三上先生が好き」
 語尾にハートマークが付いていたかも知れない。宝塚歌劇団の男役に憧れる女の子(もちろんファンとしてだ)の表情そのもので高野は言った。
「それと、怪我人がきてもちゃんと応急手当が出来るからかしら?」
 立派な理由のほうを疑問系で言うな。顔を引きつらせ、言葉が出ない俺に高野は微笑みかけた。
「なっとく?」
「まあ、納得」
 内科の場合はどうするんだと思いつつ、頷いた。聞いておいてなんだが、正直どうでもいいことだ。
 ごほん、と咳払いをして気持ちを落ち着ける。冷静に昨日の出来事をゆっくりと思い出し、ついでにケータイが壊れた事も思い出し、ちょいとへこむ。買った店で「ここまで壊れたら修理は難しい、データも同様。でも一応修理に出してみる」とのこと。期待しないほうがいいだろう。
 気を取り直して、高野と顔をさするジャンガリアンハムスターを見た。関係者しかいないからこやつは堂々と出ているんだろう。喋る喋らないじゃなくて、学校にハムスターがいること事態がおかしいからだ。
「あたしとククが何者かって?」
 俺が言うより早く、高野はベッドに腰をかけてから言った。いつもの眠そうな顔とはうって変わって余裕すら感じる。ただ、何に対する余裕かは……勿論俺か。何事も知識量は多いほうが有利だ。
 笠木を見る。
 事情を知っているはずなのに、不思議そうに高野とククを交互に見ていた。
「のんのんにも詳しい話はしてないよね」
「うん」
 なんじゃいそら。
 俺は呆れ顔をした。
 てことはなんだ、笠木は良く判ってないのに手伝いをしてたってか?
「希望が知ってるのは、まいまいが魔法使いで、何か集めてて、ククちゃんが喋って可愛いハムスターだってこと」
「いやん、そんな誉めても何も出ないッスよ、もっと誉めて誉めてッス~」
 殴りたい。
「みぎゃう!」
 俺の意思が伝わったかのように、高野がまた立って、ククを指で弾いて床に落とした。俺は高野に向けてグッジョブと親指を立てた。それを見た高野は小さく微笑んだ。
「えっと、言ったよね、あたしはスターハンターだって」
 表情を改め、高野は言った。
「うん、まずそれから説明して欲しい」
「ん」
 高野は腕を組み、床に落ちたククを見た。ククは「いやッス、酷いッス、暴力反対ッス、今日もお風呂を要求するッス」と身体についた埃を払っていた。
 こりゃだめだ、と言いたげに高野はため息をついて肩を竦めた。
「スターハンターってのは、その名の通り、『星』を狩る人のこと。実際は狩るんじゃなくて、回収なんだけどね」
「星って、あの夜になると見える星?」
 笠木が俺が抱いていた疑問を口にする。
「詳しい事は知らないけど、違う。あれは魔力があって」
「まりょく?」
 笠木は首を傾げる。漫画やゲームでは良く見る単語だが、それらに興味の人間にとっては縁遠い言葉だろう。
「ああ、FFやドラクエのあれだね」
 ものすっご判りやすい例えを笠木は出した。まさか、笠木からそんな単語が出るなんて想像もしなかった。思わず吹きかける。
「?」
 判っていないのは説明していた高野だ。
「すったら説明じゃ日が暮れるッス、ここは大天才のクク様がいっちょババンと説明してやるッス」
 何故か勝ち誇った声と表情でククは言った。埃はちゃんと払ったらしい。その不遜な態度に、高野は何の迷いもなく、ククを蹴り飛ばした。



 涙目で話したククの説明を整理する。
 手始めにすごい事から。
 まず、

 ――高野舞衣はこの世界の人間じゃありません。

 おいおい待ってくれ。そうお思いの貴方、大丈夫です。俺も真っ先に思ったし、口にした。俺の反応に、高野はとても納得出来る返答をしてくれた。
「これが、ここの世界の生き物に見える?」
 ククの襟首を掴んで揺らす。人の言葉を操り、人と人との意思の橋渡し(と思われるもの)をやらかすハムスター。確かにこの世界の生き物ではなさそうだ。ただ、どっかの国では見つけて、隠しているという可能性もある。そんな可能性よりも、「違う世界からきました」って言われたほうが納得出来るかもしれない。
「そうッス、こんな可愛いハムスターはこの世界にはいないッス!」
 自分の容姿をここまで賛美出来るのは、ある意味羨ましい限りだ。
 高野はまた迷わずククを壁に投げつけた。
 だが、高野はどうだろうか?
 見た目はどう見てもどこにでもいる人間で、うちの学校の制服を着てるから、どう考えても女子高生にしか見えない。
 ただし、人の言葉を理解操るハムスターを飼って(クク曰く、公式のパートナーなのでこの表現は間違いかもしれない)いる。おまけに化け物と戦い、魔法としか思えない力を使っていた。
 ククと同様、隠していた存在、と言うより、「異世界の人間だ」と言われたほうが納得出来るかもしれない。
 いや、本人がそう言ってるんだからそうなんだろう。
 昨日のことがあったから信じるが、そうでなかったらこんな話信じなかっただろう。荒唐無稽にも限度と言うものがある。

 高野のいた世界について。
 簡単に言うと、「ここの世界に魔法が付いた感じ」だそうだ。そう言えば顔も名前も日本人だなと言ったところ、「そりゃ日本人だもの」と返答が。「パラレルワールド、ってのが一番近いんじゃないッスかね?」とククは言った。
 パラレルワールドってのは簡単に言うと『この現実とは別に、もう一つの現実がどこかに存在する』といった概念だ。辞書によると『多次元宇宙。我々の世界と併存すると考えられる異次元の世界』だ。俺は『自分のいる世界と、ちょっとだけ違う世界』と思っている。ちょっとだけってのは、俺の家のお向かいさんがいるかいないか、そんな些細な事だ。
 ただ、笠木が言った「FFやドラクエ」的名ファンタジー世界が舞台ではなく、現代日本が舞台なのだろう。
 高野の住んでいた星はやっぱり地球。国は日本で、埼玉に住んでいたそうだ。ここまで聞けば、先ほど高野が言った「ここの世界に魔法が付いた感じ」という言葉が納得出来る。

 次、『星』について。
 高野ははっきりと言った。

「よく判らない」

 と。何を暢気でいい加減な事を言ってやがる、と思ったが、それが高野の上司やそっちのトップの判断らしい。
 世界中で回収、分析したところ『正体不明の魔力を持っているが、とりあえず害はなさそう』と言う事だけ判ったそうだ。世界の優秀な頭脳を集めて出た結果がこれならば、どうしようもない。
『星』は今年の一月末(時間の流れは同じらしい。こっちが正月ならあっちも正月という感じだ)に、高野が元いた、魔法と機械が両立する世界に降り注いだらしい。日本だけじゃなく、世界中に。
 世界中だけじゃなく、他の世界にも。
 他の世界――それが俺たちが住んでいる世界だ。
 そこで俺は異議を唱えた。
「降り注いだ、って言うくらいなんだから、物凄い量だろ? だったら目立つし、ニュースになるはずだ。俺、そんなの見てないぜ? それに星が落ちてきたんなら地表にもなんかあるだろ」
 俺の疑問に笠木は「そうだね」と言って頷いた。高野は言った。
「あたしのとこでも地表に何もなかった。というかね、夜に、パーって空が昼みたいに光り輝いたかと思ったら、地面に何か落ちてるって状態だったの」
「目暗ましして、その何かをばら撒いたって可能性は?」
 半分冗談で言ってみた。
「世界中に?」
 その返答に俺は肩を竦めた。組織ぐるみでやったら出来そうだが、物凄いでかい組織がそんな下らないことをやるとは思えない。
「どうしてこっちにも降ってきたって判ったの?」
 笠木の質問に、今度は高野が肩を竦めた。
「あっちの世界にはね、こっちの世界へ移動するための門があってね、それに『正体不明の魔力が通った跡がある』っていう報告が出たのよ」
 高野の口ぶりじゃ、結構前からこちらの世界を認識していたようだ。それを聞くと高野は頷いた。
「うん、ずーっと前から知ってるし、交流もあるみたい。どんな交流だか知らないけど。基本は情報のやり取りだけらしいよ」
 世界のトップシークッレットがあっさり暴露される。でも、よくある話だと思った。
「でも、まいまいはここにいるよ?」
 それは説明されなくても判る。
「あたしらの世界の物が、のんのんたちの世界に落ちちゃったんだよ? あたしらが回収するのがスジってもんじゃない」
 予想通りの答えが出た。笠木も納得したように何度も頷いた。俺は手を上げた。
「『正体不明の魔力を持っているが、とりあえず害はなさそう』な『星』がこっちの世界では化け物になって暴れてる。これはどういうことだ?」
 高野は首をかしげた。
「さあ……?」
「なんだよそれ!」
 思わずつっこむ。
「最初に言ったじゃない、よく判らないって。そりゃあ、報告はしてるけど……」
「ねえねえ、どうして『星』なの?」
 笠木がまったく関係ないことを質問する。
「空から来たものだからよ」
「雨だって雪だってそうじゃない?」
「いいじゃない、便宜上なんだから」
 いい加減だった。
「まだ質問はある?」
 笠木によってはぐらかされてしまった感はある。が、見た感じじゃ高野も良く判っていないようだ。聞くだけ無駄だろう。
 小さく息を吐いてから、高野に頷き、気合だけでデスクに登ってきたジャンガリアンハムスター、ククを見た。
「魔法生物って?」
 笠木も高野もククを見た。視線が集まったご当人は、何故かふんぞり返った。
「魔法が使える生物」
 高野の指に弾かれたククは、仰向けになって倒れた。
「まんまじゃねーか」
「だってそうなんだもん」
 俺のつっこみに高野はぷくーと頬を膨らませた。
「じゃあみんなハムスターなの?」
 笠木は倒れたククの腹を撫でながら言う。
「ううん。鳥だったり犬だったり猫だったり、色んなのがいるよ。で、みんな喋るわね」
 魔法が使えて、人間の言語を操れる高等生物ってことか? というより、姿が他の動物なだけで、他は人間と一緒なんじゃないか?
「まいまいの世界って、モンスターが出るの? 出るなら街の外? 深い森にしかいないとか? あとは……、そうだな山奥とか。海特有のモンスターは?」
 好奇心剥き出しで笠木が話の流れと関係ないことを聞きだした。ゲームやってるなら気になることかもしれない。
「ん、まあ、基本はのんのんの言った通りね。たまに街中でも出るけど……、そこは警察の特殊部隊が片付けるわね」
 ふと思った。魔法生物とモンスターって何が違うんだろう? すぐにそれを高野にぶつけた。
「人間を襲うか、味方するか、あと知性の有無、じゃなかったかな? 見たことないけど、エルフとドワーフあたりは人間の味方じゃないけどモンスター扱いしてないし」
 エルフにドワーフ、なんてファンタジーな単語なんだ。返答よりも、そちらに心躍ってしまう。
「人間嫌いなのか? やっぱり」
「何がやっぱりなのかは判らないけど、嫌われてはいないと思う。好かれてもいないと思うけど。住む場所が遠いからあんまり交流もないし。人間はどこでもったら語弊があるけど、エルフは森、ドワーフは地底。会うの大変じゃない」
 ファンタジー漫画、小説である、人間とエルフ、ドワーフとの戦争がきっかけで~、と言うものはないようだ。ちょっと拍子抜けである。でも、中には好奇心旺盛なエルフにドワーフが人間の街にくるかもしれない。そういうのはどうなんだろう? 好奇心に身を任せ、口にする。だが高野は、
「知らない」
 まるで「興味がない」と言いたげにそっけなく言った。

「これで大体説明したよね」
 ふうと一息つき、ベッドに置いてあった自分のカバンからペットボトルを取り出した。俺のカバン? ああ、平たくなっていただけかと思ったら、大小さまざまな穴が何個か開いてたよ。今日はずっと前に使っていたカバンを引っ張り出したよ。小学生の頃に使っていたものだからボロ極まりないです。何よりデザインが致命的だ。
「最後に良い?」
「――ん、いいよ」
 お茶を飲んでから高野は頷いた。
「どうしてまいまいが来たの?」
 質問の意味が判らない。高野が来たのは『星』の回収のためだ。で、高野はその係、ああ言ってたな『日本国スター対策本部・スター回収部隊隊員、通称、スターハンター』だとかなんとか。
「のんのん、あたしじゃ、……不満なの?」
 しゅんと落ち込んむ高野。笠木は慌てて高野に抱きついた。
「そんなことないよ! ただね、希望はね! まいまいみたいな若い子がどうしてこんな危険なことをやってるのかなって思っただけの! そんな希望はまいまいに会えて嬉しいよ、幸せだよ!!」
 笠木はぎゅーと高野を抱きしめた。抱きしめられた高野は嬉しそうに微笑むと笠木にその身を預けた。
 微笑ましいを通り越して、百合の香りがするその光景に、外野は居心地の悪さを感じずにはいられない。
 二人から顔を背け、一応同性のククを見た。
「……目の保養ッス」
 いいぞ、もっとやれみたいな視線にがっくりとうなだれた。
「判ってないッスね、祐一さん」
 何故か勝ち誇った声で説教垂れる。
「種族を越えて男というものは、女が好きなんス。それが可愛いなら、美人さんなら尚更!」
「ハムスターの分際で人間の女好きってのは、どうなんだよ」
「よく考えるッス! そんな可愛い、美人さんが他の男とイチャついてたら!」
 華麗にスルーされた。
「自分以外の男といちゃつかれるくらいなら同性でにゃんにゃんされたほうがいいじゃなッスか! むしろそっちのほうがいいッス!! いいぞもっとやれッス!!」
 変態だ、変態がいる。でも心の片隅で同意している自分がいるのは内緒だ。
「あたしがきたのはね、そーゆー案件ばっか取り扱ってるとこで働いてたからなんだよ」
「でも、学校は?」
「一応行ってたけど、ま、仕事のほうが時間とってたかな。学校側も容認してくれてたし。それにね、あたし、親いないから」
 優しい笑顔で語るにはちょいと重い内容だった。笠木ははっと息を飲んだ。
「ごめん……」
「いいの、小さい頃からそうだったし。それに、この仕事のおかげでのんのんと出会えたんだから、悪くないよ。むしろ感謝してるくらい」
 今度は高野が笠木を抱きしめた。ハムスターが「いいぞもっとやれッス」と身体を弾ませた。
 俺は疎外感を感じつつ、二人に背を向けた。



「数学なんて将来、必要ないと思うの」
「そう言う奴は大体、数学に関係ない職業につくんだよな」
 俺の一般論に高野はむっとした。
 高野の事情説明という名の休憩を終え、俺たちは再び宿題に取り掛かった。といっても、俺と笠木は英文の写しなのですぐに終わってしまった。高野は予想通り数学に手間取っている。それが予想できたから高野はさっさと英文の写しだけは終わらせていた。
 で、今は俺が高野に数学を教えている。そのほうが早いと判断したからだろうか、それとも笠木に口を出させたくなかったのか。まあ、後者だろう。
「次の問題も、……うん、同じ公式を使うんだ」
「……うう」
 半泣きで取り掛かる高野を見る。学校よりも仕事に行っていた、と言う割りには高野はちゃんと出来ていた。説明すればちゃんと解ける。たぶん、数学が苦手という思い込みと、笠木の説明(と言う名のカオス)に混乱していただけだろう。
 藁半紙を覗くと丁寧に書かれた途中計算と回答があった。
「なんだ、出来るじゃないか」
「そりゃあ、教えてくれたからだよ」
 それもそうだ。
「教え方、上手なんだね」
「……比較対象があれなら誰でも」
 素直な賞賛に少し照れる。それを隠すためにちょいと眉間に皺を寄らせて、笠木をちらりと見た。
「それは、まあ……」
 比較対象にされた笠木は高野がいたベッドで横になってククと遊んでいた。無邪気なその様は微笑ましかった。本気で自分と同じ歳なのかと疑ってしまう光景だった。
「で、あと何問?」
「いちもん」
 じゃあすぐに終わるな。俺はもう放っておいて良いと判断し、ぼうと窓の外を眺めた。
 高野の話をじっくりと検討する。

 高野舞衣は、俺が今生きているこの地球と似た世界からやってきました。
 その世界には魔法というものが存在しています。人間だけでなく、エルフやドワーフと言う種族もいます。似たようなもので、魔法生物という、人間に友好的な生き物もいます。
 人間に害なす、モンスターもいます(どんなものかは不明、ただ聞けば答えてくれるだろう)。

 今年の一月の末、高野の世界に便宜上『星』が降りました。『星』の力は世界のトップの頭脳を持ってしても大したことは判っていません。『正体不明の魔力を持っているが、とりあえず害はなさそう』と言うことだけです。
『星』は高野の世界だけでなく、俺たちの世界にも降ってきたそうです。

 まずここで疑問だ。
 俺たちの世界にも降ってきた。
 高野の世界に降ってきたときは、『夜に、パーって空が昼みたいに光り輝いたかと思ったら、地面に何か落ちてるって状態だった』とのこと。
 俺たちの世界ではそんなことは起きていない。起きているならば大々的にニュースになっているはず。大してニュースを見ない俺でもさすがにそんなことが起きれば知ることになるだろう。
 てことは、この世界ではそんなことは起きていない。世界規模の自然現象(?)なので隠蔽は出来ないだろう。
 これはどういうことだろうか?
 高野に聞いたらたぶん「知らない」と答えそうだ。

 次の疑問。
『正体不明の魔力を持っているが、とりあえず害はなさそう』
 害はなさそう。そんな言葉を使っているくらいだ、『星』が降ったせいでモンスターの力が強くなった! ということはないんだろう。
 だが、昨日俺は見のだ。高野が犬の化け物と戦っているところを。
 これはどういうことか?
 高野の世界でも、俺が見た化け物は発生したが、問題なく排除出来るから『害はなさそう』なのか。それとも本当に何もなかったから『害はなさそう』なのか。
 それとも単純に、『星』は高野の世界では無害だが、俺たちの世界では有害という事だろうか?
 魔力のないこの世界で?
 似たようなものだと……電力か? でもそれは高野の世界にもあるだろう。
 どういうことなんだろう……?

「できたー」
 難問を片付けたと言いたげに疲労が滲んだ声だった。
「おつかれ」
「うん、ありがと。うぅうんっ!」
 シャープペンを置いて背筋を伸ばす高野。細い腕が蛍光灯に照らされた。
「まいまい、お疲れ様~。……三上先生、遅いね」
 ククを肩に乗せ、笠木が言った。
「そうね……もう、五時かあ。今日は駄目かな」
「何が?」
「ん、星回収」
 疲れていても仕事を忘れない高野に尊敬の念を覚えた。というか、本業なんだから当然か。学業が副業か。羨ましい。
「なあ、お前今後数学の宿題が出たらどうするんだ?」
 一つのひらめきと共に高野にとって嫌な質問をした。良い意味か悪い意味か、どちらかは受け取る側が決めるとして、高野は数学担当の鈴木先生に目を付けられている。たった二週間(実際に接する時間はもっと短いが)で力を入れて指導してもらえるなんて、ある意味幸せである。高野の事情を知った今では、ただの迷惑にしか映らないが。
「……嫌な事言うわね。……まあ、頑張るよ」
「一人で?」
「うーん、皐月に聞いても……駄目か、あたしと一緒で苦手だし。じゃあ美沙緒ちゃんは……ああ、バス通だもなー、すぐ帰っちゃう」
 皐月というのは高野、笠木と仲の良いクラスメイトである。で、美沙緒というのは皐月、西野皐月の幼馴染の真鍋(まなべ)美沙緒(みさお)。これまたクラスメイトである。真鍋とは少し話した事がある。奴は一言で表すなら"おっさん"である。見た目は普通の女子高生なんだが、言動がいちいちおっさんくさいのだ。笑い方も豪快だし、ペットボトルの飲み方も「プハー! この一杯がやめられない」と親父くさい。居眠りの仕方も、ドラマで見かける、居酒屋で潰れている親父そのものなのだ。……というか居眠りは堂々とするもんじゃないよな。豪胆な人物だ。
 西野にはもう一人幼馴染がいる。その名は佐久間(さくま)浩人(ひろと)。これまたクラスメイトである。話した事はないが、普通の高校生だ。ただ、西野とよく真鍋をどついているのを見かける。
「何とかするよ」
 力なく、引きつった笑顔で高野は言った。その笑顔に悲壮感が漂う。こっそりとガッツポーズを取った。
「なあ、これから俺が数学見てやるからさ、高野の仕事の手伝いさせてくれよ」
「はい?」
 俺の提案に、高野は固まった。意味が判らなかったのだろうか。
「え? なに?」
 聞きたくないことを聞いてしまったが、確認は取らざるを得ない、そんな表情にちょいと腹が立つ。だがそれをぐっと堪えてもう一度言う。
「これから俺が、お前の、数学を、見てやる。だから、お前の、仕事の手伝いを、させてくれ」
 判りやすく細かく文を区切る。言葉の意味を理解した高野の顔が引きつる。
「……っだめ」
 否定の前のためが、迷いだと思いたい。
「危険、危ない、物騒」
 全部同じ意味じゃないか。
「大丈夫、邪魔はしない。ちゃんと後ろで見ている」
 おいおい、お前昨日、化け物を見てビビっていたじゃないか。そうつっこまれても仕方ないと思う。でもあれは突然のことだった。ちゃんと知っていればたぶん、そうたぶん、冷静に対処出来たはずだ。
「そういう問題じゃない」
「判ってる。でも、クラスメイトがそんな危険な事をしているのに、放っておけというのは酷な事だ。
 それにな、自分と同い年の女の子が戦って、男の俺が戦わないなんて、情けないじゃないか」
 心にもないでまかせ、ではない。ちゃんと心配している。でも半分くらいは好奇心だったりする。
 高野が、ほんの一瞬、きょとんとした。だがすぐに表情を引き締める。
「だめ、責任取れない」
「こっちの日本には自己責任という便利な言葉がある」
 危険な国ですよ、と散々言われている地域に行って人質として捕まったユカイな三人組を思い出しつつ言う。
「それに、数学どうするんだ? 一人で出来るか? それとも笠木に頼むか?」
「それは嫌」
 即答だよ。笠木をちらりと見ると、少し悲しそうな表情をしていた。
「このままだと試験も困るな。で、一人で出来ないとなると補習も確実だな。知ってると思うけど、うちの学校は再試よりも補習のほうが多いぞ」
 参加したことがあるから知っているわけではない。友達から聞いたのだ。
 再試は数時間の拘束で済むが、補習は数日の拘束となる。高野にとっては厄介なものだ。
「な、俺、責任持ってみるから、手伝わせてくれよ。別に一緒に戦いたいなんて言わない、ほら、情報収集とか」
「そ、それくらい、自分で出来る……」
 俺に「数学が?」とつっこまれると思ったんだろう。勢いがなかった。
「いーんじゃないッスか?」
 ククが会話に割って入った。笠木はベッドから降り、デスクの前に立った。左肩からククをデスクの上に下ろした。
「舞衣さんの数学の出来なさっぷりを考えたら、悪くない条件じゃないッスか」
 間髪いれず、ぺちん! とククは弾かれた。
「にゃッス!」
 強く弾いたんだろう、折角デスクの上にいたのに、今では落ちる寸前だ。笠木が慌ててククを両手で救い上げる。
「うー……」
 悩んでる悩んでる。眉間に皺を寄せ、唇を歪ませて、腕を組む。足はいつ苛立ち気に貧乏ゆすりが始まってもおかしくないほど忙しなく動いている。
 待つ。ただひたすらに。
 時計の針が進む音だけが聞こえる。
「ちゃんと、教えてくれる?」
 お、良い兆し。見えないようにガッツポーズ。
「もちろん」
 大きく頷く。
「戦闘には関わらない? ちゃんと言う事聞いて、離れたとこにいてくれる?」
「もちろん」
 同じ動作を繰り返す。何故か笠木も同じ事をしていた。……まさか。
「もちろんっ、まいまいの邪魔はしないよ!!」
 左手をきゅっと握り締め、ガッツポーズ。勢い良く作ったせいで、二つに結ばれた長い髪が揺れている。
「え、のんのんも?」
 引きつる高野に笠木は微笑んだ。
「希望はまいまいの、保護者だから!!」
 それは初耳……。まさか、今まで倒れた高野を運んできたからとかという理由じゃないだろうな?
「これならすぐにまいまいを運べるよ!!」
 倒れる事を前提に話されてもな……。ま、友達思いなやっちゃな。高野もちょっと困ったように笑っていた。
「決まりッスね!」
 高野の前でククはぴょこぴょこ飛び跳ねた。普通のハムスターでは見られない光景に目を細める。まあ、規格外の生き物なんでハムスターと同一視していいのか悩むが。
「じゃあ早速、と言いたいところだけど、今日はもう遅いから解散ッスね」
 ククの言葉に俺と笠木はブーイング。
「今日は見たい番組があるッス、駄目っス。認めないッス。それに舞衣さんはこれから買い物行って晩御飯作るんス、だから駄目ッス!!」
 最初に後者を言え。素直に諦めるわ。
「じゃ、先生が帰ってきたら、帰ろう」
 高野は軽くククの頭を叩いてから、言った。

 程なくしてここの真の主が帰還。俺たち(正確には高野)の役目を終えた。俺たちは挨拶をしてから保健室を後にした。初めてじっくり見る三上先生は、美人だった。ただ、なんとなく冷たい印象を覚えた。顔立ちは整っているのでちゃんとした美人なんだが、目つきが少しばかり鋭いからかもしれない。そんな三上先生と話す高野は幸せそうだった。笠木は幸せそうな高野を見て、微笑んでいた。友達が笑っているだけで幸せらしい。
 校舎を出、夕闇迫る空の下、仲良く歩く女子二人の背中を眺めつつ思う。

 非日常よ、さらば! ってか?
 ただ学校に行って、時間を潰して帰ってくるだけの生活も嫌いじゃなかったけど、これはこれで楽しそうだ。
 それに――、良い機会だ。
 何より、すごく楽しそうだ。
 任務できている高野には悪いと思うがね。



[26768] スターハンター 03 ~本業の見学と危険な散歩~
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/03/30 17:05
 私立鳴星高等学校は、北の大地の、S市の外れの、山の上にある。正確には、中腹だけど。
 でも山ってことには変わりない。ちなみに隣りにはスキー場がある。冬の体育はおかげでそれだ。
 なので、うちの学校は木々に囲まれている。森といったら大げさなので林に囲まれている、が正しいかもしれない。
 自然環境は良い。良すぎるので、窓を開けるとたまに近所の農薬の匂いが漂ってくる。虫も大量に入ってくる。網戸なんて気が利いているものはないので夏は悲惨である。
 自然環境の良さはこれだけではない。近くのコンビニまで歩いて二十分かかる。一番近いバス停も同様だ。だから、校舎前まで運んでくれる学生専用バスがある。一番近くの地下鉄の駅からが一つ。これは学校まで約三十分かかる。一番近いJRの駅から一つ。これは約一時間かかる。
 平たく言えば、うちの学校はド田舎にあるってこった。





スターハンター 03
~本業の見学と危険な散歩~





 放課後、高野の宿題(当然数学だ)を見てから(「これで合ってる? 合ってるよね? 間違ってないよね?」と何度も確認させられた。間違えたら再提出があるからだ)、高野のバイト――ではなく、本業の『星』を探すお手伝いを始めた。ま、昨日約束した通り、後ろで見てるだけなんだけど……。
「なあ、いつもこんなことやってるのか……?」
 校舎裏の林に入って約三十分。口にすまいと思っていた愚痴の代わりに、当り障りのない疑問の声を上げた。
「うん、嫌なら帰ってもいいよ」
 高野はこちらを見ずに言った。頭の上に乗ったククが何故か馬鹿にした表情で俺を見ている。むかつくが、足元の泥が気になってすぐに視線を下に向けてしまう。
 昨日、日がとっぷりと暮れた頃、雨が降った。大雨だったが、朝には上がっていた。
 これを示す意味は何か?
 登校時間から現在の天気は晴れだ。雲はあるが、青空のほうが圧倒的に多い。
 だから、アスファルトの地面はすぐに乾いた。グラウンドはさすがにまだ濡れている。
 で、今俺たちがいるのは校舎裏の林だ。
 持ってまわした言い方ですまない。
 つまり、林の地面は濡れていると言う事だ。
 別にべちゃべちゃのドロドロという有様ではない。草があるおかげで足元自体はしっかりしている。だが、濡れているので滑る。それにここは獣道ですらない。草木を掻き分け、なんとか進んでいる状態だ。もちろん、道を作っているのは高野だ。俺と笠木はその後をついていっているだけ。
 で、ここはアスファルトの地面のように平坦ではなく(ここらへんは坂ばかりなので平坦な道そのものは少ないが)、ところどころ隆起、沈降している。まあ、デコボコということだ。
 だから、水溜りがある。当然、道を作るときにそれを避ける。それは、道以外のところにはあるということだ。足を滑らせ、転ばないように足を出したところが水溜り、ってのが何回かある。おかげで靴は勿論、制服のパンツの裾は泥だらけだ。
 高野は道を作っているものとしてそんなへまはしない。なら笠木はどうか? こいつはちゃっかり(?)高野と手を繋ぎ、さり気にフォローしてもらいながら進んでいる。なので足元は綺麗なもんだ。
「それよりも本当にここなの?」
 足元から視線を上げると、不満げな高野と目が合った。隣りの笠木は何が楽しいのか、にこにこしている。……いや、基本的ににこにこしてるやつなんだよな。
「ああ、信用できる筋からの情報だ。最近、校舎裏で不気味な唸り声が聞こえるってな。あと、変な鳥を見かけたってのもだ」
「何よその『信用出来る筋』って」
 カッコ良く、なんとなく情報通を気取ってみたが、あまり受けなかったようだ。隠しておくものでもないのでネタばらし。
「太一(たいち)だよ。宮元宮元(みやもと)太一。あいつ、友達多いから色んな噂知ってるし、ここいらの散歩が趣味だから聞いてみたんだよ」
 これだけの情報だと縁側でお茶を啜ってそうな好々爺っぽい。だが、太一は普通の男子高校生である。ただ顔がちょいとイケメンらしい(クラス女子判断)。……俺はどこにでもある顔だと思うんだが。
「うん! 希望もね、たっちくんにね、聞いたんだ。そしたらね、今、芳岡くんが言ったことを教えてくれたよ」
 たっちというのは太一のあだ名だ。野球の漫画じゃない。お笑い芸人でもいた気がしたが、それでもない。笠木以外に呼んでいる奴は見たことない。
 笑顔の笠木の援護射撃。高野は少し考えた後、笑顔を笠木に向けた。
「そっか」
「うん!」
 短い、だがなんとなく濃いやり取りに疎外感を感じた。視線をちょいと上げてククを見ると、いやんいやんと身体をくねらせていた。はっきり言って気持ち悪い。
 なので現実逃避のためにちょいと説明させてもらおう。
 宮元太一について。
 こいつは去年から、この学校に来てからの俺の友達だ。温和な性格で人当たりが良い。それに時々冗談を言って周りを適度に沸かせている。そのせいで、先ほど言ったように友達が多い。そのおかげで数々の噂話(学校の七不思議から先生のプライベートな情報までと幅広い)に詳しい。
 趣味は散歩と爺臭い。が、小さい頃からのその趣味のおかげで足腰が丈夫になったらしい。下半身だけ見れば陸上部だ(実際、太一は長距離が得意だ)。
 顔は、これも先ほど言ったが、そこそこイケメンらしい。けど、誰かと付き合ってる、というわけではない。言い寄ってくる女が多いのに彼女がいないってのはもしかして、なんて噂が立ったときもあったが、本人は明るく軽く否定。別に女が嫌いと言う話でもなく、男のほうが好きとかという話でもない。
 ただ単に、好きな人がいるからだ(もちろん女子)。しかもそれを公にしている。大っぴらにしたとたん、女子がその手の話を振ってこなくなった。まあ、一時しつこい女子がいたらしいが、どうにか上手く諦めさせたらしい。
 で、太一の好きな人ってのは……これはまあいいか。
「情報はありがたいんだけど……」
 我に返ると高野は周りを見てため息をついた。
「曖昧なのはね。なんとなく気配はあるんだけど……」
 確かに。校舎裏ったって範囲が広すぎる。それに方角によってはスキー場についてしまう。
「気配が判るならなんとかなるんじゃないのか?」
 シロートなりの意見。
「んー、なんていうのかな、ここら辺りに気配が広がってるっていうの? いるのは判るんだけど、その範囲が広すぎて、どこにいるか判らない感じ」
 ……とにかく、いるにはいるらしい。
 首をかしげながら高野は言う。何故かククも同じ動きをした。
「もっと具体的な情報はないの?」
 俺と笠木は無言で首を横に振った。それを見た高野は仕方ないと言いたげに軽くため息をついた。
「のんのん、ちょっと離れて」
「ん、何をするの?」
 言葉に従いつつ、当然の疑問を言う。
「このまま探し回るのは、効率が悪いから、違う方法をで探す」
 その言葉にピンときた。まさか、魔法ですか!?
「クク、少し精度を上げて」
「うッス、晩御飯はオムライスを要求するッス」
「いいからやって」
「……冷たいッス」
 コントみたいなやりとりをしてから、ククは眼を瞑った。高野も同じように眼を瞑る。
 風が木々を揺らし、葉と葉がこすれ合う。
 高野の肩までの髪が小さく揺る。それもすぐに治まり動きが完全に止まった。

 ――静寂。

 ククの毛が逆立ったと思ったその瞬間、身体を何かが通り抜けた。
 ……ような気がする。隣りまできた笠木を見ると「あれ?」と首をかしげていた。二人同時に違和感ってのは、偶然ではないだろう。気のせいではないらしい。
「っ!」
 ぴくん! とククの身体が震える。直後二人、じゃなくて、一人と一匹は目を開け、走り出した。
「ええ!?」
 突然の行動に笠木が面食らう。おかげて俺が冷静になった。
「見つかった、ってことじゃないか?」
「ああ、なるほど~」
 笠木は暢気にぽんと手を叩いた。
「追いかけるぞ!」
「え、ええ、うん!」
 戸惑ったのか躊躇ったのかどっちか判らないが、笠木は俺に遅れて走り出した。泥がはねるのは……諦めよう。



 泥がはねる事など全く気にせず高野は走る。俺もそれは気にしていない。けど、後ろの笠木は気になる! 走りながら悲鳴、一歩手前の声を上げ、濡れた草や泥に足を滑らせるんだからどうしてもフォローに回ってしまう。転んでいないのが奇跡の状態だ。おかげで高野とはどんどん距離が開いてしまう。そういえば前に西野が「足が速い」と言っていたな。それを実感する。本当に速い。こんな状態で判断するのもあれだが、きっと俺より速いだろう。ま、部活してない帰宅部の足なんてたかが知れているが。
「笠木、急げ! 見失う!」
 ここは林である。視界は決して良くはない。というか、悪い。枝が無秩序に伸びて視界を多彩に遮っている。
「あうあうあう~」
 間抜けな声を上げる暇があるならスピード上げろ! と言いたかったが、体力の無駄なので、笠木の手を引っ張って走ることにする。
「あうあうあうあう~!」
 抗議の声にも聞こえなくもなかったが、俺は構わず半ば笠木を引きずるように全速力で走った。

「うわああああああああああ!!」

 悲鳴が聞こえた。
 当然と言えば当然の、今俺たちが向かっている方角から。もっと言うならば高野が駆けて行った方角から。
 ……俺ら以外にもこんなとこを歩いている奴がいるのか!?
 前日雨の林なんて、歩きにくいにも限度ってもんがあるってえのに!!
「笠木、急ぐぞ!」
「あうあうあうあうあう~!」
 強く強く笠木の手を引いて、すでに見えなくなっている高野の背中に向けて、俺は全力で走った。



 高野の後ろ姿が見えた。
「わああああああああ!!」
 悲鳴が響くそこは開けた場所だった。木がないので雑草が緑の絨毯のように生えている。雨水が光って滑りそうだった。剥き出しの土の部分もあるが、大体は小さな水溜りかぬかるみになっていた。その中心で、一人の男、うちの制服を着ているから男子高校生が、腰を抜かしていた。
 あれ? なんか見覚えがあるよーな……。
 暢気に、戦闘をおっぱじめようとしている空間にいるものとしては暢気に考えていると、銀の塊が男子高校生へと襲い掛かってきた!!
「――っ!!」
 恐怖に目をぎゅっと瞑り、必死になって両手で頭を庇っている。幸いその腕に怪我はない。
「――っ」
 高野は止まることなく、銀の塊と男子生徒の間に割って入り、

 ギンッ!!

 刃物と刃物がぶつかり合う甲高い音を響かせた。武器は持っていなかったはずだが、きっと出したんだろう。でなきゃ血の海だ。
 がっちりと受け止めたおかげで銀の塊の正体が見えた。
 鳥、である。
 色は先ほどから言っている通り銀。綺麗な銀ではなく、手垢にまみれた百円玉みたいな色をしている。で、大きさは……五十センチくらいある。これは大きさからして、鷲とか鷹の猛禽類じゃなかろうか。小さい頃に動物園で見たことがある。あとはテレビで。いや、こんなに大きかったっけ? そういや、人の腕に乗っている映像を見たことがある。てことは普通は三十センチくらいじゃないか?
 深く考えるのはよそう。これは"鳥の化け物"で充分だ。
「――ちっ!」
 高野はいつの間にか取り出していた短剣二本で銀色の猛禽類を弾き飛ばした。が、猛禽類もただでは離れていってくれない。目(前回同様、深緑のぼんやりとした光だ)を強く光らせ、その身から、身体と同じ銀色の羽を飛ばしてきた!! 翼を開いたわけでもなく、身体を粘土か泥みたいに溶かして搾り出した。すごく気持ち悪い。
 なんとなく、危ないんじゃないかなと思う。
 とさ、と軽いものが落ちる音がした。
「――おわるまで、まもって!!」
 怒声に近い高野の声。
 それに応えたのか、高速で何かが俺たち、というか、男子高校生の眼の前を覆った。先日、俺の目の前に土の壁が出てきたのを思い出した。

 ずざあああああああああああああああ!

 高速で何かが俺たちを覆う。
「うわわわあわ!!」
 笠木が慌てて俺に身を寄せてきた。高速で動く何かは笠木のすぐそばを通り抜けたのだ。というよりも、俺たちの周り(上も含める)をぐるぐると回っている。それがどんどん狭まってきている。俺はまた笠木の手を引いて男子高校生の下へと急いだ。彼の目の前で展開されたからだ。後ろにいればたぶん、安全だろう。
 それに高野は言ったんだ。『まもって』と。だからこれは俺たちを守る魔法なんだろう。
「ふわああ……」
 笠木は気を抜かれたように地面に膝を突いた。高速で俺たちをぐるぐると回っていたもの、それは土だった。茶色の土が今ではゆっくりと俺たちの周りを回り、守るように壁を作る。銀色の羽はこの土に弾き飛ばされたと見ていいだろう。どんなに鋭い刃でも、高速移動しているものに突き立てるのは難しい。
 土の動きは完全に止まる。
 前回の土の壁と同じかと思いきや、今回は壁ではない。所々に穴が開いている。穴と言うか隙間か。籐の籠のように細長い隙間がたくさんある。指も入らない。爪ならようやく入るくらいだ。
 視界は意外と良い。きっちりと編みこまれている訳ではないので、視界を遮られる事もない。網戸越しに外を見ているのと変わりない。
 前回みたいに一度当ったら崩れると言うことはなく、現状を保っている。銀の羽を弾き飛ばしただろうから、硬いんだろう。
 これなら安全に高野の戦いを見ることが出来る。
 しかし、なんていうか、鳥籠にいるみたいだ。いや、そんな立派なものじゃないな。どちらかと言うとざるか? 俺たち三人を上からすっぽり巨大なざるでかぶせた感じだ。
「ひい~……、ん? あれ?」
 男子高校生はようやく顔を上げた。想像した衝撃と痛みがないことを不信に思ったようだ。
「あ」
 何か見覚えがあると思ったら、こいつ――
「あ!」
 俺と笠木が同時に声を上げ、男子高校生を指差した。
「太一!」
「たっちくん!」
 腰を抜かしている男子高校生は、クラスメイトである前に俺の友達である宮元太一だった。
「な、な、な、な、な、な」
 混乱しているのか怯えているのか、太一は口をパクパクさせた。

 ガグギン!

「ぎゃああああ!!」
 籠……じゃ悪いから、結界に銀色の羽が当って、地面に落ちた。
「たっちくん、だいじょぶ、だいじょぶだよ」
 笠木も怖いだろうに。少しばかり顔が青いし、引きつっている。それでも落ち着いて、頭を抱えてしゃがみ込む太一の背中をさする。
 俺は二度目なので二人よりは余裕がある。今、恐慌状態の太一に説明したところで、きっと理解してもらえないだろう。ならば落ち着くのを待ったほうがいい。
「太一、ここは大丈夫だ」
 試しに声をかけるが、聞いていない。笠木にしがみついて震えている。案の定の反応に、俺は肩を竦め笠木に太一を任せた。
 視線を高野に移す。

 高野は俺たちがいる結界の左前にいた。また左手にだけ短剣を持っていた。右手の剣はまたない。前回と一緒だ。
 化け物に視線を移す。
 鷲か鷹の猛禽類のような鳥の化け物。色は汚れた銀。大きさは五十センチほど。目は前の犬の化け物同様、深緑色のぼんやりとした光を放っていた。先ほど見たとおりだ。
 鳥らしく、ちゃんと空を舞い、上から高野をうかがっている。
 高野の武器は短剣一本。上からの相手には不利……かな? 素人にはその辺は良く判らない。ここは弓等の飛び道具がいいのではないだろうか。
「――……」
 高野は息を鋭く吸い込んで、吐く。視線は外していない。
 が、小さく笑っている。
 けど、こめかみに青筋が浮かんでいる。
 ……もしかして、怒っている?
「そりゃ、連続で守りながらの戦闘ッス、面倒ッス」
 下からの幼い少年の声。見下ろせば、いつの間にか、ククが足元にいた。
「愛らしいボクにドロドロな大地は似合わないッス、肩に乗せて欲しいッス。別に頭でも構わないッス」
 むかつく事を言いまくるククを鷲づかみ、目の高さまで持ち上げた。
「何だって?」
「あ、いや……ッス」
 半眼で低い声で尋ねると、ククは顔を引きつらせ、言葉を詰まらせた。
「まあ、いい。お前、どうやってここに入ったんだ?」
 ハムスターが入れるような隙間はない。結界外から穴を掘って、結果内に繋げれば行き来できそうだが、そんなものを掘る時間はない。それにそんな穴もない。
「剣と一緒に放られたッス。怖かったッス」
 短剣と一緒に落とされたのか。んでもってあの土の高速移動に巻き込まれないように逃げていたのか。
 ん? ここで疑問が沸いて出た。
「何で剣まで落とすんだ? 武器は多いほうが良いんじゃないか?」
「剣を落とさないと、この場所が作れないじゃないッスか」
 俺の手の中でククが小首を傾げる。言っている意味が判らない。
「舞衣さんの魔法って特殊で、武器経由でしか使えないんッスよ」
「それは初耳だぞ」
「聞かなかったじゃないッスか」
 ……そ、それもそうだが。別に教えてくれたって……そんな義理はないか。あっちには。
 また高野に視線を移した。
「土属性の剣には一度だけ土を操れる力があるの。操れる量と操作の質はあたしの魔力次第。あ、落としたのは、土に剣が触れていないと使えないから。ちなみに、こんな結界は初めてだから加減が判らない」
 ……右手に持っていた短剣は土属性だったから落として、武器を失う代わりに結界にしたってことか。前回も同じ理屈か。
「細かい事は後ね。今はあれをなんとかする」
 そう言うと、高野は一本だけになった短剣を右手に持ち替えた。
 倒すべき相手は空だ。ざっと十メートルほど離れている。素人判断だが、短剣じゃリーチが足りないんじゃないだろうか。前回の槍、先ほども思ったが弓、または銃などの飛び道具のほうが良いんじゃないのか?
 俺はすぐにその疑問をぶつける。すると高野はこめかみに青筋を浮かべた笑顔(笑顔なんだろうか)のまま、答えた。
「判ってるわよ。で、武器を出すような隙を向こうが黙ってみててくれると思う?」
 考えもしなかったことを言った。そうか、新たに武器を作ると言うことは相手から集中を外すことになる。どうしようもない隙が出来てしまう。
「でも、このまま睨み合ってるわけにもいかないのよね」
 高野が短剣を握り直したと同時に鳥の化け物も動いた。約十メートル保っていた高度を少し上げ、一時停止。落下する? と思った瞬間、先ほどやったように、自らの身体を泥か粘土のように溶かして羽を飛ばしてきた!
 その数は軽く十……、二十いや数え切れないほどの量だ。短剣で叩き落す数じゃない!
 高野もそう判断したらしく、すぐさまその場から離れた。だが、羽の数もさることながら、その範囲も馬鹿にならない。開けたこの空間に満遍なく羽は降り注いでいる。俺たちはいいとして、高野は無傷じゃ済まされない!
 高野は走りながら右手の短剣の宝石部分を左手で触れ、目を閉じた。この足元が平坦ではないこの場所で、走りながらである。器用なもんだ、と思いつつもそんなことしていいのかとハラハラする。
 羽は草をたやすく切り裂き、地面に突き刺さっていた。木に当たったのも同様だ。鋭い切れ味だ。こんなものを生身で食らったら血の海だ。
 当然、俺たちを守る結界にも羽は降り注いだが、カツンと高い音を立てて弾いていた。破られる気配はない。
 後ろをちらりと見れば、太一と笠木が、抱き合って状況を見守っていた。こちらは放っておいても大丈夫だろう。まあ、何も出来ないけど。
 視線を高野に戻す。
 俺の心配をよそに高野は足を止め、目を開けた。羽はまだ止まない。
「ふきとばして!」
 短剣が呼応するように一瞬強く輝くと、高野を中心に爆発した。
 爆発と言っても火のない爆発だ。正しく表現するならば、風の爆発だろう。だから高野には大した影響はない。髪や制服を強く靡かせる程度だ。
 高野を中心に炸裂した風が、羽を撒き散らす。高野の周囲が一瞬だけ安全になる。だが風は止まず、髪と制服を揺らし続ける。その風はこちらまでは届かない。高野の周辺で留まっているのだろうか。
 が、鳥の化け物もそれを予想していたんだろう。いや、立ち止まったのを見て判断したのかもしれない。鳥の化け物は高野目掛け急降下してきた。約十メートルの高さからの攻撃である。武器は鋭いくちばし。避けられれば終わりだが、当たれば確実に仕留められる攻撃だ。
 風に髪を靡かせながら高野はしゃがみ、濡れた大地に右手を置く。
 何をするつもりだ? しゃがむなんて動きを制限することなんて、鳥の化け物にとっては絶好の隙じゃないか!
 急降下。
 スピードを上げ、鳥の化け物が風を裂いて高野に襲い掛かる!!
「まいまい!!」
 後ろから、笠木の悲鳴が響く!
「――っ!!!!!」
 高野は立ち上がらず(そんな時間ないんだろう)、何か棒状のものを掴むように右手を握り、右腕を地面と平行させるように伸ばした。
 高野の手には何もない……いや! 水だ。しゃがんで濡れた草や土に触れたんだ。きっとそれが新たなる武器となる! と思う。
 俺の考えを肯定するように、高野の右手が青い光に包まれる。それに反応するように、強い風が巻き起こり、木々が揺れ、葉のこすれあう音が響き渡る。
 同時に鳥の化け物が高野のすぐそばまで急降下してくる! だが、まだ避けられる距離だ。しかし、高野にその気配はない。風にその身を靡かせ、鳥の化け物を睨み付けている。
「まいまい!!!!」
 再度の笠木の悲鳴。
 風が高野の髪と制服を靡かせる。あ、この風、もしかして……。
 考えがまとまるより先に、青い光に包まれた高野の右手から、ぎゅいんと音を立てて何かが現れた。天に地にへと棒状のものが伸びていく。しかししゃがんでいるもんだから、地へと伸びていたものはすぐに地面に到達してしまう。だがその代わりと言わんばかりに、棒状のそれは天へと力強く伸びていった。
 それは高速に形を作る。それは棒状の武器だった。先端には拳大の丸いものが見える。
 そして、急降下してきた鳥の化け物の真下にその武器が出現する。先端部分に拳大の青の宝石が見えた。雨のしずくが、陽光を受けてきらきらと輝いている。
 棒状の武器はまだ伸びる。先端部分をぐんぐんと、天へと伸ばしながら。
 そう、鳥の化け物の真下から、鳥の化け物の顎へとその身を伸ばしていく。
「――――!?」
 声も出せず、鳥の化け物は地面に転がった。本来高野に与えるはずだった衝撃が、自身のくちばしに注がれた。おかげで綺麗に折れている。――いや砕けている。薄汚れた銀色の欠片が、周辺に飛び散っている。でも、前回の犬同様、ゆっくりだが気持ちの悪い再生が始まっていた。
 生理的に受け付けない光景から目をそらす。
 完全に出現しきった武器は杖だった。長さは二メートル程。これは素人目で見ても武器と言うより魔法補助道具だ。リーチが長すぎて使いにくそうだし、何より短剣、槍と比べて美術品のように綺麗だからだ。全体的に細くすらりとして、小さな飾りがいくつもある。動かすたびに飾りと飾りが触れ合って、鈴のような音を奏でる。これは戦いの役に立つとは思えない。
 鳥の化け物は悶絶しながら地面に落ちた。それを見て高野はゆっくりと立ち上がる。風はもう止んでいる。
 高野がしたことは大したことではない。
 ただ杖を出しただけである。
 ちょうど鳥の化け物が辿るであろう、軌道のその真下から、先端部分が鳥の化け物に当たるよう、高速に。
 鳥の化け物からしたら、攻撃が成立する寸前に真下から衝撃を食らったことになる。完全に予想外の攻撃だったはず。その証拠がこの有様だ。
 さらに命中率を上げるため、高野は風を周囲に吹かせていた。あれはきっと羽の攻撃から身を守るときに出した風だろう。それを利用して鳥の化け物の軌道を読んだんだ。……たぶん。素人意見だ、本気にしないように。
 言葉にすると簡単だが、命中精度を上げているとはいえ高速移動しているものに上手く当てたもんだ。これが偶然というならばものすごい運だろう。
「ちょっと知恵がついている奴ならすぐに気づくんだけど、やっぱりね」
 高野は偶然ではないことの証明のように杖をくるくると回し、鳥の化け物の元へと歩み寄る。杖の美しさとが融合され、優雅すら感じるその動作からは余裕が見て取れた。鳥の化け物は体制を立て直そうとするが、再生が始まっているとはいえ衝撃はまだ消えない。小刻みに震えるだけで飛び立つはおろか、まともに動くことすら出来ていない。
 まさに絶好の隙、チャンスだった。
 高野はにやりと笑い、杖の先端を鳥の化け物の腹に向けた。チェックメイトである。
「ひっさつ――」
 杖の青い宝石が、高野の声に呼応するように光り輝く。
「――みずてっぽう!!」
 青い宝石がさらに強く光り輝く。
 水鉄砲。
 子供の頃、遊んだ簡素な銃を思い出した。威力など高が知れている。せいぜい紙を貫けるかどうか位だ。もともと人に向けて遊ぶものだ、高い威力があるわけがない。
 当然、高野が望むのはそんな水鉄砲じゃない。この、鳥の化け物を倒せるくらいの殺傷能力を持ったものだ。
 じゃあ水じゃ無理じゃないか?
 おもちゃの水鉄砲を思い出したからといって、水そのものを馬鹿にしてはいけない。
 圧縮、そして高速で打ち出された水は、尋常ではない破壊力を生み出す。
 俺の考えを肯定するように、杖の先端から高速で水の矢が放たれた!

 ズシャウ!!

 目にも止まらぬ速さで、水の矢が鳥の化け物を貫いた! と思う。いや、地面に横になって倒れているし、よく判らないんだ。でも、攻撃が決まったことは確かだ。鳥の化け物は前回の犬と同様、その身を深緑色の光の粒子に変えつつ虚空に溶かしていった。粒子が消えたあとには、直径三センチくらいの石炭みたいな真っ黒な石があった。……これが高野の回収している『星』なんだろう。
 やったみたいだ。
 ほーっと息を長く吐いていると、高野がふらふらと『星』を拾いに行った。
 すると音もなく、役目を終えた結界が土に還っていった。
 任務完了、ってとこかな。
「舞衣さん!」
 いつの間にか落としていたククが、高野の下へと駆けていく。焦りすら感じさせるその走りに、先日の記憶が呼び起こされた。
 本来一日二回しか使えない魔法。
 そして倒れた高野。
 今日は何回使った?
「高野!」
 ククに遅れること五秒。考えるのを止めて、石を拾い、蒼白な顔でなんとか立ってる高野の下へと駆けた。ハムスターと人間である。当然人間のほうが早い。俺が駆け寄ったのと同時に、高野は膝を落とした。何とか地面に触れる前に高野を抱きとめる。
「っ」
 驚いた。見た目からして細いと思っていた。実際に細い。驚くくらいに華奢だ。だから胸のほうもそうだと思っていた。でも、案外ありますよ、お客さん。あれだ、高野ってきっと着痩せするタイプなんだ。ちなみにこういう情報を真っ先に確認するのは男のサガである。
 でも、他は細いな……。もうちょっと肉が付いていたほうが抱き心地がいいのに。それに、重さがあったほうが攻撃力が上がるんじゃないかな……。シロート判断です。
「まいまい!」
 暢気に場違いなことを考えていると、笠木が駆け寄ってきた。高野の身を案じている表情そのもので、目には涙が薄っすらと浮かんでいる。何回かあったとはいえ、友達の具合が悪いところを見るのは嫌か。当たり前のことだが、それはとても大切なことだと思う。
 驚き、でも先ほどに比べたら格段に落ち着いた太一もこちらにやってきた。目が合った。疑問は当然として、好奇心の光も見える。さて、説明しなくちゃ駄目だろうが……。高野がこんなんじゃなあ。
 蒼白な顔色のまま、高野は俺の腕を弱々しく掴んでいる。こんな顔色で、こいつはまだ気を失っていないのか。それに、俺にほとんどの体重を預けているとはいえ、まだ立っている。なんという気力だろう。もしかしたら、意地かもしれないが。
 膝から崩れ落ちそうになった高野を抱き直す。意識はまだ途切れていない。薄っすらと開いた目が、俺を見ている。何かを訴えているのは判る。が、それが何かはさっぱり見当もつかない。
「色々聞きたいことはある」
 そんな俺たちを見ながら太一は口を開いた。その口調から何故か余裕が感じられた。
「けど、一番詳しい人がそんなんだし、明日かな?」
 目に強い好奇心を光らせ、太一は不遜な態度で言った。
 高野の右肩に乗っているククに視線を移す。どこか引きつった笑いを浮かべている。望ましくない状況なんだろう。そりゃそうだ。秘密にしているわけでもないが、大っぴらにしていいことじゃないからだ。関係者は少ないほうが良いに決まっている。
 その証拠に高野が俺を弱々しくだが、睨んでいる。大した気力だ。
 笠木はともかく、俺に話したのはたぶん、教えなかったらしつこく聞き続けるからだろう。そして、知った上で離れてほしかったはずだ。そのご期待に添えなかったのはちょいと申し訳ないと思うが、こちらも数学の宿題を手伝うと言う労力(大したことじゃないが)を提供しているからおあいこだろう。
 それに高野のこの『星』回収は遊びじゃない、仕事だ。しかもただの仕事じゃなくて、文字通りの戦いだ。戦う力を持たない人間は邪魔にしかならない。……笠木はどうも特別くさいが。
 再びククに視線を戻す。高野はしゃべれる状態ではない。よって"パートナー"であるククがこの場で太一をなんとかしなくてはならない。
 引きつり笑顔のクク。こんな複雑な表情がハムスターに出来るのかと感心しつつ、太一に視線を戻した。
 好奇心いっぱいの目で、ククと高野を見ている。もちろん、高野の身を案じているだろう。だから「後日に説明しろ」と言っている。薄情ではないが、好奇心に満ちた発言である。
「こいつの友人として忠告してやろう」
 太一を顎でさしてから言う。ククは困った顔で俺を見た。
「好奇心の強さは俺の比ではない」
 適当に誤魔化しても無駄だと言うことを暗に示した。
 それをすぐに理解したんだろう。ククはげんなりとした顔で肩を落とした。
「じゃ、まずここを離れよう!」
 短いやり取りで自分の望む展開がくると予想できた太一が明るく言った。



[26768] スターハンター 04 ~青大将同好会、発足~
Name: りむる◆dfa7558d ID:ff05f576
Date: 2011/03/31 20:10
「はいはーいもしもーし!」
『ねえ、あんたがカッコいいと思う部活ってなに?』
「久しぶりで挨拶も抜きでそれ? うーん、タランチュラ研究部とか?」
『危ないじゃない』
「そう? カッコいいじゃん」
『安全なのにして』
「そーだなあ……、んー、木琴愛好会」
『吹奏楽部と何が違うの?』
「何もかもだよ! ブラバン部と一緒にしないでしょ!! 大体――」
『それは以前、十二分に聞いたわ。他にない?』
「んー、そだ、青大将部!」
『何するのよ、それ』
「山に入って、青大将を探して、生態を探るの」
『あ、それいいわね。決定。ありがとう』
「本当? いやあ役に立って嬉しいなあ。ねね、今度の日曜空いたんだ、久しぶりに遊ばない? みんなも誘ってって、もう切ったー!!」
「姉さん、ご飯だよー」
「ああもう、何でああも自分勝手なんだよう!!」
「……姉さんが言う?」





スターハンター 04
~青大将同好会、発足~





「しかしさあ、あれだよねえ」
 平日の午後十二時三十八分。学生は大体昼休みである。もちろん俺たちもその例に漏れたりはしない。
「あ?」
 緑茶(ただしアイス)の入った湯のみ……ではなく水筒の蓋を両手で包み込んで、じじいのように飲む太一を俺は見た。
「意外だねえ」
「何が?」
 主語が抜けた太一の言葉に少しの疑問を覚えるが、気にせず弁当を食らう。中身は至って普通のものだ。ふりかけをかけるのも面倒になったのか、ただ黒ゴマを白米にかけただけのご飯と玉子焼き、ウインナー、プチトマト。それに冷凍食品等の弁当だ。毎日作ってもらっているものなので文句はない。大体俺は「不味くなければいい」と言うくらいのこだわりのなさだ。
「ん、祐一が高野に関わろうとしているってことだよ」
 俺の弁当からウインナーをひとつ掻っ攫いつつ、太一は言う。
「そうか?」
 復讐とばかりに太一の弁当から玉子焼きを一つ奪いつつ返事。
「そうだとも。無気力人間・芳岡祐一が他人に積極的に関わろうとするなんて信じられない」
 太一は俺ではなく取られた玉子焼きを恨めしそうに見ながら言った。
 無気力人間。
 太一だろうが、高野だろうが、笠木だろうが、誰に言われてもさほど腹を立てたりはしない。帰宅部だし、バイトもしていない。これといった趣味も無い。勉強にだって興味は無い。試験が近くなれば、一応はやるが、そんな気合を入れてやるもんでもないと思っている。
 将来の夢だって無い。世界的な不景気で未来に絶望しているから、そういう理由でないわけじゃない。本当にやりたいことが無いのだ。
 こう改めて自分を考えるとやる気の無い人間だ。

 無気力人間

 太一は正確に俺を表している。
 でも今は俺のことなんて重要なことでもないだろう。
「いや、あれは気になるだろ?」
 高野が使った魔法を思い出した。土の壁、風で出来た槍、水で出来た杖と矢。それに続くように化け物の姿も思い出された。最初は犬。次は鳥。果たしてその次は何だろう? 楽しみだ。
「そうかね、まあ、そうかもね」
 太一は肩を竦めて俺の言葉を受け流した。そこら辺は詳しくつっこむ気はないようだ。それより気になることがあるからだろう。
「でも僕が気がつかなかっただなんてちょっとショックかな。自然公園だって僕の散歩道の一つなのにさー。うーん、悔しい」
 行儀悪く箸の先端を噛みながら言う。
「でさ、終わったら説明してくれるんだろ?」
「それは俺の決めることじゃないよ」
「そうなんだけどさ」
 ふと沸いて出てきた疑問を太一にぶつけた。
「それはそうと、お前、昨日なんであんなところにいたんだ?」
 放課後、高校生が遊びに行く場所としては学校裏の林は相応しくないと思う。
「いやあ、噂の変な鳥ってのをこの目で見てみたくて」
 好奇心が旺盛な奴だ。
「危険だと思わなかったのか?」
「ぜんぜん」
 目を瞑り、腕を組んで頷く太一からどうでも良い貫禄が滲み出ていた。
「仮に危険と知っていても、僕は行ったね。好奇心の奴隷だから」
 カッコいいんだか悪いんだか、判断に困ることを力強く言い放つ。
「長生きしたいなら、奴隷を辞めることをお勧めするぜ」
 肩を竦め、聞かないであろう助言をしておく。案の定太一は大きく首を横に振った。
「祐一、好奇心とは人類が進化するために必要不可欠なものだよ。それを捨てるなんて、すべての可能性を無くしてしまうのと同義、人類進化のために、いや生きるために好奇心は無くしてはいけない。若いならばなおさらだ。好奇心のために危険に立ち向かい、日々を生きるべきだ」
「さいですか」
 話半分に聞きながら弁当を食らう。
「そもそもだね――」

 ププ!

 太一の熱弁を遮るように、目覚まし時計のアラームのような音が教室内に響いた。これは連絡の放送という合図だ。

 ゴゾゴゾ、ブツブツ

 ノイズ。

『ん、二年三組の高野舞衣さん、二年三組の高野舞衣、至急保健室まで来なさい。以上』

 ブツン。

 一方的な呼び出し(もともとそう言うものだが)に教室内がシンとなる。二回目は呼び捨てなのは……どうなんだろう。
「は?」
 呼び出された本人はクラス中の注目を浴びながら、黒板の上にあるスピーカーを見ながら首をかしげた。
「舞衣、なんかしたの?」
「まいまい、なにかしたの!?」
 一緒に昼食をとっていた西野と笠木が高野に言うが、本人は困惑顔である。
「保健室でしょ? あ、もしかして舞衣ちゃん妊娠した?」
 太陽が昇っている今の時間にしては少し重たい冗談が飛んできた。発言源は見なくても判る、真鍋だ。だらしなく足を放り出して座り、能天気に笑い、さらにペットボトルを酒の入ったコップのようにかっくらうその様はとても親父くさい。むしろ三十四十生きたおっさんよりも親父の貫禄があった。口端からこぼれた酒……じゃなくてミネラルウォーターをぬぐうその様はまごうことなき酒豪である。確か同い年なんだよな……。留年しまくって実は年上ってこともないんだよなあ。なんだよ、このおっさんっぷりは。
 高野が反論しようとする前に西野と佐久間に高速で拳を振るわれてる(軽くだが)。
「美紗緒はほっといていいから、ほら、舞衣、いってらっさい」
「高野、ごめんな」
 西野と佐久間が申し訳なさそうに高野に頭を下げていた。原因の真鍋はけらけらと笑っている。……愉快なトリオだ。
「うん、ああ、うぅん、じゃあ、行ってくるわ……」
 若干引きつつ高野は食べかけの弁当を閉まってから教室を出た。
「つうかなに、あの放送」
 口調はげんなりしているのに、腕は真鍋の首を絞め、西野は言った。本気で絞めているわけじゃないんだろう、真鍋はけらけら楽しそうに笑っていた。
「必要最低限という言葉がしっくりくる。うん、何も変わらないねえ」
 佐久間は腕を組んで一人で、じゃなくて真鍋と一緒に頷き納得している。……知り合いなんだろうか?
「でもさあ、洋子ねえも仕事なんだからもっとそれっぽく言えばいいのに」
「うげっ」
 ぎゅっと本気で締めたんだろう、真鍋が気持ち悪い声を上げた。
「それやられたら俺引く。絶対引く」
「あー……あたしも引くわ」
 西野と佐久間は顔を見合わせると、同時に肩を落としてため息をついた。ため息ついでに力が抜けたんだろう、西野の腕を払い、真鍋が深く呼吸を繰り返した。
 話の内容から察するに、保健の先生、三上先生とあの三人は知り合いみたいだが……。
 そうだ、その手のことなら太一に聞けばいい。隣を見ると、いない。捜索範囲を広げ、教室を全体を見回した。
 ――いた。高野が座っていたイスに座って楽しそうに笠木と談笑していた。
 ちゃっかりしてる、で正しいかな。



 昼休みが終わる直前に高野は帰ってきた。その表情はどこか疲れている、というか、困っている、参っている、という感じだった。何があったんだろう。
 五時間目の授業が終わった後、俺は高野の席へと向かった。先に笠木と西野がいて、ちょいとためらったが、気になるのでそのまま突き進む。
「さっきはどうした?」
 女子三人の視線が集まった。笠木は高野に向けていた表情のままで、高野は詰まらなさそうに口を尖らせている。
「あんたこそどうしたの……?」
 まるで珍獣を見るかのような目で西野は俺をまじまじと見つめた。
「どうしたの? 熱でもある? 病気? あ、発作?」
 失礼なことをまくし立てられる。でも仕方ないんだ。去年(というか最近まで)の俺は積極的に人と関わろうとしていなかったからだ。太一はなんとなくウマが合ったという話。西野は……まあ、俺がちょいと厄介ごとに巻き込まれたときにアドバイスをしてくれたからそこそこ話す程度の関係だった。他の人間とは挨拶程度だ。
「うるせい、で、どうした?」
 相手にするのも面倒だ。適当にあしらい、高野を見た。
「嬉しいんだけど、厄介ごとが増えた」
 意味が判らない。笠木と西野を見てみると、二人とも怪訝な表情していた。
「放課後、また保健室に行くの。……そうね、宮元くんも。あんたもきなさい」
 疲れたように高野は次の授業、現代文の教科書をカバンから取り出した。
「太一もって、その、あれがらみか?」
 バイト、と言っても良かったが、そうするの何も知らない西野が口を出すかもしれない。適当な代名詞で尋ねた。
「うん……」
 俺と高野の会話の意味がさっぱり出来ない西野は首をかしげている。
「希望も行ったほうがいい?」
「それはもちろん」
 なんとなく事情を察した笠木の言葉に、高野は今までの気だるさを吹き飛ばさんばかりの笑顔で頷いた。……何なんだ、こいつ。
「さっぱり判んない」
 一人話についていけない西野が不満げに言うが、高野は聞いていない。笠木に嬉しそうに抱きついているからだ。笠木もまた嬉しそうに高野を抱きしめ返している。何度目だ、この疎外感は。
「まったく、舞衣ものんのんも」
 呆れ、ため息を吐き、やってられんとばかりに首を振る。
「可愛い子らの百合百合シーンでおじさんのハートはドッキドキぃ☆」
 眩暈のするようなヤジを飛ばすのは、五時間目の授業を豪快に居眠りで終わらせた真鍋だった。すぐさま佐久間からの無言の拳が振り下ろされるが、真鍋は黙らない。
「何よ、浩人照れちゃってさ、本当はキュンキュンしてたんじゃないの? ほらあ、のんちゃんてさ、スタイルいいしぃ、舞衣ちゃんは普通に可愛いしぃ~。青少年としては当然な――」
「普通の青少年は女同士の絡みて見ても嬉しくないんだよ! もっと具体的な――」
 自分が何を言おうとしたのか、気がついたんだろう。佐久間は顔を真っ赤にさせ黙った。
「もっと具体的な? なあに? でも制服ってのがまたおじさんに受けるのよね。ほら、若さの象徴みたいなものじゃない? いや、純粋に若さを感じるからかしら? 実際若いわよね。でさ、スカート短いほうが可愛いじゃない? 特に舞衣ちゃん、足が細いのもいいけど、あの白さ。もうぐっと来るものがあるわよね。あの足は世に晒すべきよ。女子の目から見ても保養だわ。昨日の体育の時間にさ、触らせてもらったの。いいわ~もう、すべすべ。毛穴ないし。ああもう、これって差別、とか思うんだけど、舞衣ちゃんだから許しちゃう。それで制服の話よね? 制服ってブレザー、セーラーと二種類でどうのこうの騒がれているけど、世の中にはジャンスカっていう立派な形態もあるのよ。でもあれはどうかな。見た目はね、やっぱりデザイン次第だからなんともいえないけど……、ほら、やっぱり服の構造上、脱がせにくいじゃない? あ、そのままスカートを捲り上げて――」
「馬鹿たれ!!」
 大声で恥ずかしげも無く親父トークを炸裂させる真鍋を、佐久間はさらに顔を真っ赤にさせて殴り飛ばした。一切の遠慮の無い拳で。女を殴るのはどうかと思うが、……思考はもう親父なのでいいと思う。しかし、佐久間、ウブだな。
「お前、大変だな」
「慣れたくないけど、慣れたから」
 苦労が滲み出た西野の口調が切ない。
 教室中の視線を集め、ぎゃーすかと騒ぎながら真鍋と佐久間が喧嘩というか、じゃれあっている。真鍋が佐久間をからかってそれで佐久間が怒って、それで真鍋がきゃーきゃー笑って佐久間をおちょくって……それの繰り返し。
 もう一人の幼馴染は彼らに無関係です、とばかりに背を向けた。
「それが大変だって言うんだ」
「言わないで、薄々感づいているんだから」
 頭を抱え、首を横に振る西野を見て、言葉を飲み込んだ。言うのはさすがに可哀想だった。
 本当に、真鍋の幼馴染って大変だな……。



 放課後の保健室。
 俺と高野と笠木、それに太一の生徒四人。先生はもちろん、保健室の主、三上先生ただ一人。
 高野と笠木は備え付けのイス――病院特有の背もたれの無い丸イスだ――に座っている。俺と太一はイスの数が足りなかったので女子二人の後ろに立っている。三上先生は右人差し指に片手ですっぽり隠せる程度の大きさの、長方形の物体をくるくると回しながら、ゆっくりと室内を歩いていた。
 無言で。
 この無言がキツイ。
 三上先生は高野が惚れる(?)くらいの美人だ。
 繰り返そう、美人だ。それは認める。俺だけじゃなくて太一も認めている。たぶん、うちの学校の全生徒に聞いても美人という答えが返ってくるだろう。そのくらい美人だ。
 顔立ちは整っている。色白の肌にショートボブの黒髪がよく似合っている。形のいい鼻、薄くもなく濃くも無い、でもどこか色気を感じさせる唇。口紅の色は普通に赤なのに、ゾクリとくるエロさがある。耳の形も大きさも普通なんだが、ワンポイントなのか、小さな赤いピアス。教師がそんなんつけていいのかと思う(うちの学校は当然ピアス禁止)が、似合っているのでつっこむ気になれない。
 ここまでなら"ちょっとエロい保健の先生"なんだが……。問題があるんだ。
 それは目。
 眼差し。目つき。
 本当に教職の人間か、と思うほど冷たい。それにきっと、今の機嫌も手伝って悪い。
 確かに少々目つきは鋭い。
 それを差し引いても、この冷たさは無いだろう。
「で」
 俺の考えを遮るように、三上先生は自身が使っているデスクに腰をかけ、足を組んだ。教師と呼ばれる人がそんなことをしていいのか……。タイトなスカートと白衣から覗かせる形のよい足は、黒ストッキングに包まれている。白と黒のコントラストがたまらないです。……俺だって健康な男子なんだ。この反応は当然だ。
「これに録音されてたことはどういうことかしら?」
 長方形の物体をパシ、と掴み、三上先生は冷たく高野を見下ろした。
「…………」
 顔を引きつらせ、固まる高野は何も発しようとはしない。
「あちゃあ~、はあ……」
 数秒の沈黙が抵抗だったようだ。しかし、観念したように深いため息を吐いた。
 唯一話の判らない太一は腕を組んで首を傾げている。笠木は後姿しか見えないの判らないが、さして動揺している様子は無い。
 三上先生は手早く手の中の物体を操作した。

『スターハンターってのは、その名の通り、『星』を狩る人のこと。実際は狩るんじゃなくて、回収なんだけどね』

 高野の声が再生された。これってもしかして、ボイスレコーダーなのか? いや、実際再生しているからそれそのものだろう。

『そうッス、こんな可愛いハムスターはこの世界にはいないッス!』

 言い逃れ出来ない声が再生された。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 一時停止。そのせいで保健室が沈黙に包まれた。
 どうして録音していたかはともかくとして。
 これは本格的に誤魔化しが効かない状況だ……。



 つい先日ここ、保健室で行われた会話が再生された。内容は後で触れるとして、自分の声が「これが自分の声だ!」と信じていたものと違って妙に恥ずかしかった。
「自分の声を聞くのってどうして恥ずかしいんだろうね?」
 笠木も同じらしく、頬を赤らめ俯いていた。それを見ていた太一が嬉しそうに顔の筋肉を弛緩させていた。
 高野はどうたというと、そんな恥よりも、再生された中身に絶望していた。引きつった笑いを浮かべ、デスクの上に取り出した(生物にこの表現を使うのは少々躊躇いがある)ククを指でペチペチと叩いていた。特に「お前が悪い!」という八つ当たりの感情は無い。なのでとても不気味である。
「整理すると、高野は自分のいた世界に降ってきた『星』を回収するために来たエージェントみたいなものってことかな。で、その喋るいい性格しているハムスターが相棒と」
 いい性格というのは文字通りの意味じゃないだろう。
「んで、高野は魔法が使えると、僕も実際見たしね、あれはすごいね」
 実際見た太一はその光景を思い出したんだろう。うんうんと何度も頷き、かみ締めるように言った。
「やだなあ、そんなこうとうむけいのへっぽこばなし、じょうだんにきまってるじゃない」
 思い切り棒読みで、高野は魂を口から吐き出さんばかりに生気を失った表情で言った。証拠品(クク)を取り出しておいてその発言はなんだんだ……。
「で、何か言いたいことは?」
 三上先生はデスクに座ったまま、ハムスターを見下した。みおろすじゃない、みくだす、だ。……何でこの人、態度がでかいんだろう。
「…………」
 ククは緊張かなんだが知らないが、口をパクパクさせ高野と三上先生を交互に見ていた。
「太一さんのおっしゃることでだいたい正解ッス」
「じゃあ、違うことを補足しなさい」
 威圧感たっぷりに三上先生は言った。いや、本人としては普通に言ってるんだろうが、態度がそれを裏切っている。めちゃくちゃびびってるよ、クク。少しだけ同情する。
「それはないッス」
「だったら曖昧なことを言わないで」
 ぴしゃりと言い放たれた言葉にククの身はぐらりと傾いた。
「山の中に入ってるのは知ってたけど、こんなことをやっていたのね」
 呆れたふうでもなく、淡々と三上先生は言う。そうか、保健室は玄関に近い。身を乗り出せば、窓から玄関も見える。山に入ろうとすれば見えるかもしれない。それに高野は三上先生と仲が良い……とまでは言わないが、顔見知りだ。知っている人間が山に入ろうとするのを見たらちょいと気になるかもしれない。
「あのう、先生の目的は何ですか?」
 控えめに、でもこれ以上ないほどストレートに高野は言った。
「一応、ここの学校の教師として、危険なことをしている貴女を見過ごすわけにはいきません」
 真っ当な言葉なんだが、態度がやはりそれを裏切っている。だから"一応"ってつけたんだろう。判っているなら態度を改めればいいのに。
「危ないのはあたしじゃなくて、好奇心で見学してる人です」
 不満そうに言う高野。しかし何故単数なんだ。笠木だったそうだろう。これが高野の「笠木は特別」補正か。
「一番危険なことをしているのは、貴女でしょう」
 ぴし、と人差し指で高野を指し、ぴしゃりと言い放った。
「でもっ」
 反論しようと高野は腰を浮かせた。
「あたしは仕事で来てて、この学校にいるのはカムフラージュだし、だから」
「でも、この学校にいる以上、こちらのルールに従わなくてはいけない。そうでしょう?」
 そう言うと、三上先生は初めて俺たち三人を見た。恐怖心からでなく、もっともな言葉だったので俺は素直に頷いた。
「今のところ、私にしか見つかってないみたいだけど、他の先生に知られたらアウトよ。停学まではいかないけど、なんらかのペナルティが課せられるでしょうね。
 それに、先生だけじゃないわ。近所の目もある。『お宅の生徒が山に出入りしてるんですけどなんなんですか』って連絡がきたら、貴女どうするの? 学校側もなんらかの処理をしなくてはいけない」
 近所の目、それはまったく考えてなかった。ここは田舎だ。ちょいと騒ぎを起こしたらすぐに目立つ。目立つのは高野の仕事上、あまりいい話じゃない。
「手っ取り早いのは貴女がこの学校を辞めてしまうこと。でもそれは出来ないんでしょう?」
 三上先生が今話しているのは、高野が仕事を続ける上での、学校にいるデメリットだ。言うとおり、辞めてしまえばそのデメリットは消滅する。でもそれは出来ない。理由は判らないが、毎日通ってきてるんだからそうなんだろう。カムフラージュなんて言っていたが、なんか違う気がする。これは俺の勘だ。あまり当てにしないように。
「確かに、上からはきちんと学校に通うように言われています」
 この年頃で学校に通わないのは不憫、なんて理由じゃないだろう。実際高野はあちらにいた頃は仕事ばかりで学校はほとんど行っていなかったという話しだし。じゃあなんでまたそんなことを高野の上司は言うんだろう。不思議だ。
 それに、学校に通うのは、それだけじゃないだろう……。
「でも」
「でも」
 高野と三上先生の声が重なった。
「でも、貴女はやらなくちゃいけない、でしょう?」
「そう、です」
 なにか含んだような物言いに、高野はもちろん、俺と太一も首を傾げた。
「それで提案がある」
 軽くため息をつき、三上先生はデスクから降りた。そして奥からカバンを持ってきた。なんだろう?
「危険でも部活や同好会にしてしまえば、文句は出なくなる。……たぶん」
 後半一言の声が小さい。不確定かい。
「部活って、うちの学校は六人からじゃないですか?」
 律儀に手を上げて太一は言う。
「そう、五人以下は同好会扱いされるわ」
 初耳だった。
「だから、同好会を作って、学校側の許可を得ればいい。まあ、それでも山なら許可は下りなさそうだけど……ないよりはいいわ」
「なるほど、言い訳を作るって事ですね。で、先生が顧問を?」
「そうなるわね」
 つまらなさそうに三上先生は言う。不本意そうだ。なら何故こんな提案をするんだろう?
「メンバーは、まいまい、希望に芳岡くんにたっちくん。同好会なら問題ないね。一応部長……会長かな? も決めなくちゃいけないのかな?」
 笠木が順々に顔を見て言う。
「一応、書類として出さなくちゃいけないから、そうね。誰がやる?」
 どんどん話が進んでいく。
 いや待てお前ら、なんかおかしいと思わないのか?
「ちょっと待ってくださいッス!!」
 ハムスターのククが、小さな身体で大きな声を上げ、話を止めた。
「待ってッス、待ってッス。先生はその中に入っていたことを本当に信じるッスか?」
「お前がそれを言うか」
「うるさいッス!」
 俺のつっこみは冷たくあしらわれた。
「ボクは……まあ、置いといて。舞衣さんが魔法を使ったとか、そんなのどうして信じられるんスか? 他の皆さんは見てるッス。でも先生は見てないッス。どうして?」
 俺が感じた違和感を、ククがもののずばりと言葉にした。
 そう、三上先生は頭っからボイスレコーダーの話を信じている。信じた上で協力しようとしている(だがどこか不満げである)。
 まず信じるのがおかしい。いい年した大人が、こんな高野が言ったとおりの"荒唐無稽のへっぽこ話"を信じるなんて思えない。さらに学校側への誤魔化し方まで進言している。しかもちゃんと同好会という形として提供までしようとしている。
 これはどういうことなのか?
「いいじゃん、ありがたい話じゃないか」
 重要なことなのに、太一は軽く流そうとした。
「あのな、今の状況って教師が生徒の危険な行動を止めないで促してるんだぞ? んなのやっていいのかよ」
 七割くらいの呆れを入れて、太一に言う。もし、止めずに高野が大怪我なんぞしたら責任問題というものが出てくる。知った以上、無視は出来ないだろう。そういうことをちくちく詮索する人間はどこの世界にもいるんだ。……もっとも、この人ならば知らぬ存ぜぬで誤魔化しそうだが。
「それは同好会を作っても変わりないと思うよ。というより、もっと管理責任とか問われることになるんじゃない?」
 ……それもそうだ。書類にして、形にして、顧問なんてものになったら言い逃れなんてもっと出来なくなる。
 なら尚更だ。何故協力する? 形だけでも止めたほうがいい。少なくとも、余計な責任を負うことはなくなる。
「信じるか信じないかは私の自由」
 俺たちの話を聞いていただろう、三上先生はどこか突き抜けた、だが力強い発言をした。これは最初の「信じるか?」という質問の答えだろう。
 確かに、自由なんだが……。なんか違うだろう……。
「理由は……はあ、まあいいでしょう」
 ため息をつき、続けた。
「私の祖母が占い師で、そういう力を持っているのよ。それに小さい頃に向こうの人間と話しているところも見たことがある」
 …………。
 …………。
 …………。
 へ?
 納得できるが、すごいことをさらりと言われた気がする。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
 ククと笠木と太一が同時に驚愕の声を上げた。うるさいとばかりに三上先生はそっぽを向く。俺は声を上げられなかった。ただひたすらに驚きに身体を硬直させ、目を見開くばかりである。
「こっちの人間にも魔力がある人がいるんだー!!」
 笠木、驚くところはそれか!? 正しいが、……なんか違うだろう。
「ええ、少ないけどいるわ。舞衣がいた世界でも、魔力がない人間がいるのと、同じように」
 こっちの世界にもいるんだ……。よく当たる占い師とか、超能力者とかそういうのだろうか。でもこれらの大半は嘘っぱちなんだが……中にいる本物の正体がこれなのか。すごい。
「それと、好奇心ね」
 先生は小さく微笑み、高野を真っ直ぐに見た。大好きな先生に微笑みかけられているのに、高野は無表情だ。というよりも何か考えている顔だ。数学の問題を解いている最中に見せた表情である。
 好奇心、か。俺もまったく同じ理由で高野に関わろうとしているので何も言えない。うん、だってゲームにマンガの世界がリアルで体験できそうなんだ、関わらなくちゃ、損だろう?
「そっかそっか、そういうの知ってたら、ククちゃんもおかしいとは思わないよね」
 合点いったとばかりに笠木は何度も頷いた。
「本当ですか?」
 落ち着いた、どこか冷たい声で高野は言う。場が一瞬でシンと静まった。
「なんか、都合がいい」
 高野の話も似たようなもんだが、俺たちはその現場を見ているので信憑性ならこちらのほうがはるかに上だ。でも、三上先生の話は……確かに、そう言われたらそうだ。決して俺の意思が薄弱とかそういう話じゃないぞ。
「嘘は言っていないけど、信じる信じないは貴女の自由」
 どこか挑発するように三上先生は笑う。先ほど見せた微笑とは違った、冷たい笑顔だ。ちなみにこちらのほうが似合っている。
「……まいまい」
 笠木と太一は困ったように二人を交互に見ている。しかし何でこう、混乱させるような言い方をするんだ三上先生も。
「どうする?」
 三上先生の物騒な笑顔は変わりない。
「信憑性はともかくとして、話自体はありがたいんですよね」
 無表情から一転、困ったように眉間にしわを寄せ腕を組む。
「言い訳が出来るってのも、魅力的ッス……」
 似たような格好で首を傾げるクク。その姿はどこか微笑ましい。少しだけ張り詰めた空気が和らいでいく。
「いいじゃんいいじゃん、作ろうぜ同好会!」
「作ろう作ろう、同好会!」
 乗り気の太一と笠木が明るく後押しする。二人のノリに困惑しつつ、高野は振り返り、俺を見た。何で?
「芳岡も?」
 小首を傾げ、迷いを浮かべて聞いてくる。
「へ、ああ、いいんじゃないか?」
 しどろもどろに返答してしまう。
「うん、そうね、そうしようか」
「ん、ッス」
 ククに向き直り、高野は頷いた。ククも頷き返す。
「で、なんて同好会にする?」
「案外さ、そのままでもいいんじゃない? えっと、天文研究部!」
「それなんか違うだろう」
「それに、それなら勘違いして他の人も来ちゃうよ」
 あ、そうか。あまり人が興味を覚えるような名前じゃだめなんだ。少数精鋭、それがいい。……精鋭って戦うのは高野一人なんだが。
「うーん」
 四人と一匹そろって頭を抱えている。
「あ、先生、そのカバン何なんです?」
 考えるのに飽きたのか、太一は再びデスクに座った三上先生を見た。三上先生は言われて気づいたのか、そのカバンに手を入れた。
 取り出したのは……ゴーグルだった。水泳用のではなく、スキー用の、目周辺を覆っているものだ。レンズの色は透明。フレームは黒、なんだが、細かい金色の線が何本も走っている。そのゴーグルに、全員の注目が集まった。
「そうね、貴方が良い」
 三上先生は太一にゴーグルを差し出した。
「僕?」
 怪訝に思いながらも、太一は受け取った。
「なんですか? これ」
 全員の疑問を口にしたのは笠木だった。
「顧問はやるけど、一応、ここにもいなくちゃいけない。なので代わりの『目』が必要」
 何が言いたいのか判らない。
「これは私のパソコンと繋がっているのよ。このゴーグルで見た映像がパソコンに送られる。まあ、カメラね」
 そんな便利なもの、出てたっけ? 首を傾げる。しかし太一はそんなことは気にならないらしく、早速装着し始めた。
「へー、面白いね。どれどれ、お、ぜんぜん軽い! はー」
「先生、先生、パソコン見せて」
 笠木の言葉に、三上先生はデスクのイスに座りなおし、ノートパソコンの蓋をあけた。すぐさま笠木が立ち上がってそばによる。俺もついていく。
 ものの数秒でパソコンが立ち上がる。三上先生はマウスでテレビ画面のアイコンをダブルクリックする。するとアプリケーションが起動した。動画サイトでみかけるサイズよりもちょいと大きいくらい。そこに鮮明な保健室の映像が流れた。
「どう? 映ってる?」
 首をぐるりを回して太一は言う。映像も太一の動きに合わせて回った。
「すごいすごい!!」
 はしゃぐ笠木。素直に感心する俺。三上先生はインカムを取り出し、ノートパソコンに接続した。
「もしもし」
「おおおう! すげー聞こえる!!」
「あまり大声を出さないで」
 どうやら通信機能もあるらしい。ははー、これなら離れていたところでもじっくり見ることが出来る。
「双方向か。すげー」
 声を抑え、太一は興奮する。
「これがあれば私が現場に行かなくてもいいでしょう。であとでレポート提出してもらえれば完璧ね」
 インカムを外しながら三上先生は言う。……レポートって?
 俺の表情を見て、三上先生は微笑んだ。冷たくはないが、暖かい笑顔でもない。
「ええ、活動日誌はつけておいたほうがいいでしょう?」
「そ、それはそうですが、そのまま書けって言うんですか? どんな同好会か決まってもいないのに」
「ああ、それなら大丈夫。考えておいたから」
 活動日誌を書くというのはいいと思うが、実際書くのは嫌だ。そう思って話をそらしたのに、あっさりと一蹴されそうだ。
「誰も興味を示さなさそうな、名前ですよ?」
 俺の言葉に三上先生は笑った。嘲笑の三歩くらい手前の笑顔だ。
「青大将同好会」
 思考が止まる。
「あおだいしょう?」
「青大将?」
 笠木と太一が言葉を繰り返す。たぶん、判っていない。
「蛇の青大将のことですか?」
 間違っているとは思えないが、一応確認しておこう。
「ええ、今更調べるまでもない青大将の生態を調べる同好会。これなら山に入る理由もあっていいわ」
 そう言われるとそうだが……。なんか嫌な名前だ。思わずげんなりしてしまう。
「そうだね、それいいかも」
 笑顔で笠木が頷く。ちょっとは嫌がれ、女子だろう。
「人が来なければいいんだから、いいんじゃない? つーか名前なんてどうでもいいし」
 ゴーグルに興味津々な太一は反応が薄い。お気楽な二人の神経が羨ましい。
 このままだと青大将同好会に決まってしまうが(別に俺は反対ではない)、一番関わりのある高野はどう思っているんだろう。というか、何で黙っているんだ? 高野が一番口を出さなくちゃいけないのに。
 俺は高野を見た。
「…………」
 無表情だった。けど、怒りが滲み出ている。怒りの矛先は三上先生、か?
 次にククを見た。こいつは凍りついたように固まっている。
 なんだこの反応は?
 青大将にショックを受けた、なんてことはないだろう。じゃあ……なんだろう?
 笠木と太一はゴーグルと映像に気を取られて高野の様子に気づいていない。
 がたん、とさして大きくない音を立て三上先生は立ち上がった。保健の先生の証の白衣を翻し、ドアへと歩く。
「先生?」
「お手洗い」
 声をあげた俺ではなく、高野を一瞥し、出て行った。すぐに高野も立ち上がって後を追う。ククはその拍子に床に投げ出された。
「うおおお!?」
 それで我に返ったんだろう、変な声を上げている。
「なんなんだ?」



 三上先生と高野が帰ってきた後、細々としたものを決めた。
 まず、名前。
 青大将同好会。
 活動内容は「山に入って青大将を探し、観察。そしてその生態を探る」。
 会員は高野舞衣、笠木希望、宮元太一、芳岡祐一の四人。
 顧問は三上洋子先生。
 で、部長ならぬ、会長なんだが……。

「部長はどうするの?」
 同好会を立ち上げるための書類を書いていた高野はシャープペンを置き、俺たちを見た。
 視線が高野に集まる。そして示し合わせたかのように三人と一匹は俺を見た。
「芳岡、と」
「ちょっと待て!!」
 無言の何かは伝わったが、だからって俺がやる理由にはなってないだろう!
「だめ、書いちゃった」
「消せ!」
 高野から書類を奪おうとするが、さすがはスターハンター。考えなしにつっこんできた俺をやすやすとかわし、ついでとばかりにすっころばらされた。どがん! と景気の良い音を立て、俺は身体測定で使う体重計を巻き込んで壁にぶつかった。ひでえ……。

 なんてことがあり、俺になった。
 かなり不本意だが、代わりにレポートは書かなくていいて良いといわれたので了承した。レポートは笠木と太一が書くことになった。高野は戦いで疲れるから初めから期待されていない。で、残りの二人が仲良く書くというわけだ。
 といっても真面目に『星』回収のことを書くわけじゃない。そこら辺は適当に誤魔化すらしい。
「これでいいですか?」
 書き上げた書類を三上先生に提出。
「ええ、大丈夫よ。明日にでも生徒会に出しときなさい」
「え? 先生が受理するじゃないんですか?」
「部活関係は、生徒会に通してから教師に行くのよ。ま、書くこと書いてあるんだから受理されない、なんてことはないわ」
「へー」
 高野と一緒に感心する。うちの学校はそんなシステムなのか。
「ところで、先生。どうしてボイスレコーダーなんて仕掛けておいたんですか?」
 笠木が話と関係ないことを口にした。関係ないが、気になることではある。
 三上先生はにっこり微笑んだ。冷笑の似合う美女の、温もりある笑顔に、なんとなくだが嫌な予感がした。
「前にいた学校でね、私が留守の間に子供を作った馬鹿共がいたのよ」

 ぶはっ!!!!

 男子二人とハムスターが噴出した。女子一名、高野は嫌悪感に顔をゆがめ、もう一人の女子、笠木は数秒きょとんとし、顔を赤らめた。
「それを私がちゃんと指導しないから、なんて言われてね。それ以来頭にきて置いておくことにしたのよ」
 判らなくもないが、でもそれ置く理由になるか? 疑問に首を傾げていると太一が手を上げた。
「ちなみにその二人はどうなったんですか?」
「男のほうは最初は怯えていたけど、女が産むって言ったからそれに付き合ったわ」
「それってつまり」
「卒業してから結婚したわ。女のほうはさすがに中退したけど」
 周囲の声は賛否両論……というよりも否の声だらけだろうが、ハッピーエンドか。
 なんて考えている俺をよそに、三上先生は淡々と言葉を続けた。
「けど、何年か前に離婚したみたいよ」
 ひでえオチ来ましたよ……。眉間に手を当ててうなだれる。
「でもでも、それって録音する理由になってないですよ?」
 笠木が俺が思ったことを言った。そうだと言いたげに高野とククが頷いた。
「たまに使えることが録音されているから、いいじゃない。今回だってそうだわ」
 涼しい顔でさらりと恐ろしいことを言った。何が恐ろしいのかは考えないようにしよう。



 高野の「今日の回収は時間的に無理」という発言が出たところでお開きとなった。
 生徒会に出す書類(といってもプリント一枚)は部長の俺が預かることになった。明日の昼休みにでも出せばいいだろう。
「寄り道してもいいけど、面倒なことをしないで帰りなさいよ」
 とよく判らない三上先生のお言葉を受け取り、俺たちは帰路につく。
 夕日を全身に浴びながら四人はのんびり歩いて校門をくぐった。
 俺の前方には太一と笠木。ついで笠木の肩にククが乗っている。……あまり人通りの多い道ではないがいいんだろうか。喋っているところを見られなければいいから大丈夫、ということなんだろうか。
 高野は俺の隣にいる。いつもだったらさっさと笠木の隣に行きそうなもんだが、今日はじっくりと何か考え事をしているのか、歩みが遅い。太一と笠木のテンション高いトークに巻き込まれたくない俺は、一人にするのもなんだし、高野の速度に合わせゆっくりと歩いた。
「なんかあったか?」
 沈黙が痛くて口を開く。
「ん? んー、別に大したことじゃないよ」
 あったってのは否定しないのか。
「先生がなんか言った?」
 ちょいとつっこんでみる。
「――……」
 何かを言おうとして、やめる。高野の唇が不機嫌を表すように尖ってくる。
「いや、言いたくないなら無理に言わなくていいんだぞ」
「じゃ、言わない」
 あっさりと高野は言うとそっぽを向いた。なんなんだよ……。
「でもさ、先生が味方についてくれるってのはいいことだろ?」
 明るいほうへと話を移してみる。
「それはね。どっかの誰かさんと違って、ちゃんと安全なところにいてくれるしね」
「嫌味かよ」
「嫌味よ」
 正直なやっちゃな。むかつくけど。
「ところで、どうしてお前は先生のこと好きなんだ? 確かに美人だけどさ」
「話をそらしたわね」
 高野を見習って開き直りたいところだが、都合が悪いのでスルー。
「いいけど……。普通に美人だし、何よりあの人を人と思わぬ冷たい態度が好き」
 語尾にハートマークがついてそうな口調だった。
 人の趣味にケチをつけるほど、脳みそは沸いてはいないが……高野の趣味はおかしいと思う。
「タイトスカートってのがまたそそると思わない? もう、きゅんきゅんする」
 語尾にハートマークがついてそうな口調は変わらない。嬉しさ余ってぴょんぴょんと飛び跳ねる高野の姿は無邪気だ。言っている内容はともかくとすれば。
「えーと、お前ってその、そっち系の人?」
 笠木への態度と相成って、そういう考えがどうしても出てきてしまう。ノーマルな女子高生として是非否定してもらいたい。だが、ほんのちょっぴりだけ、肯定してもらいたい気持ちもある。これは悲しい男のサガである。
「そっちって?」
「その、……同性愛のほう」
 恥ずかしいことを言わせないでほしい……。
「え、あ、ちょ、なな、ななななな、何言ってんの!? 馬鹿じゃないの!?」
 そんな言語中枢がおかしくなりかけるくらい動揺すんなよ。自覚ないのか? あんだけ笠木にべたべたくっついていたら勘違いする奴は出てくるだろうに。
「あたしノーマルです! 恋愛するなら男の人がいいです! 初恋だって……ああ、それはまだだぁ~」
 聞いてもいないことを言うな。なんて立派な自爆なんだ。けど、自称・ノーマルか。自称ってのがなんか空々しいというか、痛々しい、これは違う。寒々しい……違う。うそ臭い。うーん、違うな。
「だったら、そういう発言は控えとけ。あとあんま笠木にべたべたすんな」
 まあ、あのくらいべたべたくっついてじゃれあってる女子は結構いるけどな。でもノーマルだと言うんだからやめたほうがいいだろう。
「なんで!?」
 真面目な顔で高野は詰め寄ってきた。他の子もやってるじゃない、という気迫ではなく、何故それがいけないことなのか? という気迫に満ちている。そ、そんな重要なことなのか。
 驚き半分、呆れ半分で、俺は冷静に返す。
「その気があるように見えるから。実際真鍋はそんなふうに見ている」
 あれは半分くらい冗談だが、高野にはこのくらい言ってもいいだろう。
「え、そ、そうかな……」
 俺が言い切ったせいか、高野はもろに動揺した。俺は肯定を示すため、首を縦に振る。
「そう、なの?」
 また頷く。
「そうか……。そうなんだ」
 心ここにあらず、そんな高野にトドメとばかりにまた頷く。
「判った、手を繋ぐに留める」
「判ってねーじゃん!!」
 俺のつっこみが、響いてこだまする。前方の二人と一匹が振り返るが、気にしない。
 大声に高野は驚いているが、これも気にしない。しかし、当人の高野は何故つっこまれたか判っていない。きょとんとして俺を見ている。
「あのなあ……!」
 俺は帰り道の短い時間を、高野のアブノーマルな行動と、健全な女子高生について語らねばならなくなった。
 異世界の人間はどっか壊れているんだろうか。
 そんな邪推を思わずしてしまうのは、俺のせいではないだろう。


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