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[11325] 菊地、なのは、イノベイターが他所様の庭で頑張る話 IS×劇場版ガンダムOO短編
Name: スペ◆52188bce ID:24c74a0a
Date: 2011/03/31 22:20
これはもう閉鎖してしまった某サイトで投稿させてもらっていたSSを手直ししたものです。
基本的に一話ぽっきりの短編集となっています。ネタとしてお楽しみいただけたら幸いです。

6/5 題名変更しました。菊地御大の作品にかぎらずいろいろと書こうかなと思い立ちましたので

7/5 チラシの裏より移動しました。

2011 3/21 チラ裏のイノベイターシリーズを操作を間違えて全削除してしまった為、こちらに移植。感想も消えてしまって、まことに申しわけありません。改めて精進いたします。



[11325] その1 魔界都市<新宿> × Fate
Name: スペ◆52188bce ID:12f016d9
Date: 2009/08/30 22:26
<新宿>流にキャラクターの性格・設定が大崩壊しています。その点にご注意を。

 『 Fate / the WickedCity <Shinjyuku> 』

『 遠坂 凛とアーチャーの場合 』

 これはIFのお話。
もし、もしも聖杯戦争が冬木の地ではなく、かの“魔界都市<新宿>”で行われていたなら? 
第四回聖杯戦争を前に新宿区を襲った“魔震”がもたらした変貌、すなわち“魔界都市<新宿>”の誕生が行われていたなら? 
遠坂の家は新宿の管理者であったなら、マキリが新宿に居を構えていたなら、アインツベルンが新宿で聖杯を造りだしたなら、■■士郎が<新宿>に住んでいたなら。
これはそんなIFのお話。
 
“英霊の座”。そう呼ばれる場所で、数多いる守護者と呼ばれる存在達の中のひとつが、唐突に召喚されている事に気づく。存在の強制的な移動。供給される魔力、提供される知識、授与される肉体、覚醒する意識。閉じたまぶたを開けばそこに写るのは―― 眼下に人造の光を煌びやかに灯す、暗闇の空。

「……」
 
 肌を痛いほどに叩く風。それは重力に従って真っ逆さまに堕ちる自分が切り裂く空気であった。一瞬の思考、結論は出た。自分は

「落下している」

 もし見る者がいれば、赤い布と黒い皮鎧らしきものを身につけた白髪に褐色に焼けた肌の、長身の青年が頭から落ちている様子を見ることが出来ただろう。そのまま成す術なく地面にダイブすれば、真っ赤な血の花が咲き、跡形もない肉片と、粉々に砕けた骨のかけらが辺り一帯にブチ撒かれるだろう。

 ああ、ゴッドよ。…………なんでさ?

 聞くに耐えぬ無残な崩壊音と共に、彼はそのまま一直線に落下して洋館の屋根へとぶち当たり、物理的な影響を受けぬはずの霊的存在なのに、屋根をぶち抜いて居間らしい部屋に落ちた。
 ガラガラと落ちてくる天上の破片と、一緒に邸内に雪崩れ込んだ瓦礫に埋もれた体を引き起こし、傾いた瀟洒なソファを見つけてそれに横になる。褐色の肌には傷一つない。
 おそらく間も無くこんな目にあわせてくれた張本人が来るだろう、とあたりをつけて、ソファの肘かけに肘を乗せて頬杖をつき、まるで寛いでいるかのような姿勢をとる。調度品や間取りからして落下したのは居間らしかった。いま腰かけているソファやテーブル壁に掛けられた時計に燭台、シャンデリア、キャビネット、いずれもよく吟味されたセンスの良さと庶民には手の出ない価格が伺える品ばかりだ。
 もっとも、今は天井の崩落によって渦巻く埃にまみれてその価値を百分の一程度にしか見えぬ汚れに塗れていたが。
 妙な事になったものだと我知らず嘆息した時、居間の入り口であるドアの向こうに気配が生じる。直ぐに入り込んでくるかと思ったが

(なかなか見事な気配の消し方だな)

 と、少なからず感心する。獲物を背後から狙う猫科の動物を、彼は連想した。彼の耳を持ってしても、足音一つ捉える事が出来なかったのだ。どうやら召喚者が、自分に気付き、警戒するか心の平静を整えているのだろう。さて、この身を召喚した者はどんな反応を見せてくれるのやら……
 ギイっと音を立ててドアが開いたが、そこに人の姿は無く、代わりに

「銃口?」

 ぽっかりと小さな黒い穴をのぞかせた拳銃の銃口が向けられていた。思わず驚きの声を発したと同時に、銃口から鉛の玉が盲目射ちでばら撒かれた。
ドアの隙間から見えた引き金を引く指の動きに合わせて跳躍し、ソファの後ろに隠れる。が、すぐに無駄と知れた。着弾と同時にソファにぽっかりと拳大の穴が次々と開いてゆくではないか。おそらくは対象内部でマッシュルーム状に膨れてエネルギーをぶちまける弾頭か、ハイドラショックでも使っているのだろう。護身用ではなく殺人の為の銃弾だ。

「ちい、戦争狂か殺人鬼か、イカれたガン・マニアにでも召喚されたか!?」

 拳銃=シグ・ザウエルP226から9ミリパラベラムが次々と吐き出され、驚くほど正確に彼を狙い続ける。だが、彼はこの世ならぬ人の高みに昇った超越者の端くれ。そうそう当たってやる道理も、またかわせぬ道理も無し。もっとも通常の弾頭は通じぬ身の上なのだが。
 銃弾を回避しつつ、部屋を並々ならぬ速度で駆け抜けて、縦横無尽の機動であっと言う間に居間のドアに駆け寄り、壁の向こう側の召喚者に向かって拳を見舞う。ドアをやすやすと突き破った彼の拳に驚いたのか、銃の持ち主がドアから姿を見せる。 
 まだ若い、十代後半頃の少女。艶やかに電子の光を跳ね返す黒髪を黒いリボンを使って二箇所で括ったツインテールの髪型。赤い上着と黒のミニスカートに同色のニーソックスを穿いている
 顔の輪郭の曲線のラインも美しく弧を描き、きりりと引き締まった唇と目を飾る眉は職人の一筆が描いたものか。少し呆然とした色を浮かべる瞳は本来なら見惚れるほどの輝きを放つのだろう。輝かされるのではなく自分から輝く。そんな少女だ。
 彼の記憶のどこかで、少女に見覚えがあると、囁く自分がいた。しかし思考に時間を割く余裕を目の前の少女は与えなかった。右手に握ったシグの狙いを付けるのと、左手に握っていたベレッタM92FSの狙いを彼に定めるのは同時だった。彼我の距離は一メートル。射殺の運命をいかにしてかわす?
 ドアを突き破った左手を強引にずらして、ドアを破砕しながら裏拳を放つ。少女は慌てて裏拳をしゃがみこんでかわし、シグを発砲。彼は避けるどころか逆に踏み込んで少女を見下ろす位置から右足で前蹴りを放つ。その傍らを銃弾は通過していった。
 少女は素晴らしい反射神経を発揮して、しゃがみこんだ位置からそのまま宙返りし、ベレッタを彼の眉間に突きつけた。ガンカタにでも覚えがあるのか、人魚の飛翔にも似た一連の動作の優美さに、彼は心中で惜しみない賞賛を送った。
 だが現実は厳しいものと相場が決まっている。下段からアッパーの要領で右手を振るい、ベレッタの遊底を少女の拳ごと握り締めて発砲を阻止、同時に前蹴りを放っていた右足をそのままのモーションで振り上げて右手に握られたシグを蹴り飛ばす。常人には出来ぬ速度と精密な「仕事」だ。
 このまま右手の逆を取って間接を抑え込み、話を聞かせてもらうか、と努めて冷静に彼が思考した時、カチリ、と小気味よくスイッチを押す音が聞こえた。わずかに、少女の左足の爪先が、廊下の一端を押し込んでいる。
 それを認識するのと同時に左足一本で彼はその場から後方へと跳躍した。回避行動をとった事が正解だった証拠に、天井からたっぷりと艶光る位に猛毒を塗りたくった鏃が雨あられと降り注ぎ、彼がコンマ01秒前まで立っていた床を貫いたからだ。バネ仕掛けのトラップらしく、鏃は時速300キロの速度を誇っていた。
 彼と距離が離れたのを認識し、少女は必殺のトラップがかわされた事を悔しがるそぶりも見せずに、ヒップホルスターからSWのM29・四四マグナムを抜く。  一・三五キロの拳銃を五百分の一秒の速さで抜き放ち、どうみても年頃の少女の華奢な腕としか見えないのに、微動だにせずに保持する様は、なんらかの筋力強化処置を受けているせいだろうか。
 そのまま少女はぴたりと狙いをつけたM29の引き金をなんの躊躇もなく引く。銃口の先端から毒々しい火が吹き出し、大口径の銃弾が獲物に追いすがるべく次々と放たれる。
 一発、二発、三発と撃ち続け、一発の着弾もない事に少女はかすかに眉を寄せる。美人画の巨匠が精魂を込めた一筆の様に美しい眉が歪む。左手に握っていたベレッタを脇のホルスターに戻し、五発目の発砲と同時に壁に隠してあるステアーSMGを引っ掴んで、三ミリ針弾全九十発が装填済みである事と安全装置が外れている事を一瞥して確認し、四四マグナムが空になるのと前後して引き金を引いた。
 先程からひっきりなしに鼓膜を叩く銃声と視界に常に映る銃火に、忙しく飛び回る彼はわずかに苛立たしげな素振りを見せた。このような状況になってしまったとあっては、言葉で解決する手段などあろうはずもない。
 生憎と彼は、言葉で相手の意思を奪う、視線を合わせる事で魅了する、などといった異能とは縁のないタイプだ。
 年代もののステンドグラスを使った美しいランプが、少女が張る弾幕によって微塵に砕け、白磁器の花瓶も見るも無残に砕ける。その度に少女の頬がかすかにぴくんと痙攣するのを見る余裕が、まだ彼にはあった。不意の侵入者を迎撃するためとはいえ、秒単位で増えて行く被害額に頭の痛い思いをしている。

(さて、どうしたものか)

 かなり広めの居間とはひっきりなしに銃弾を浴びせ掛けられ、忙しく駆け回り跳ね回るのも限度がある。いっそのこと、ただの銃弾ならどんな大口径の弾丸だろうと無効なのだろうから、弾幕の中を悠々と歩んで行き、召喚者であろう少女の鼻を明かしてやろうかと、悪戯っぽい考えがむくりと頭をもたげる。
 どこぞの名画の描いた朴訥な風景画の掛けられた壁を蹴り、さらにそのまま天井を蹴って、三次元的な機動で銃弾をかわし続けていた彼は、いつまでも受けに回っていても埒が明かぬかと、テーブルを蹴りあげて互いの視線を遮る。
 一秒とおかずに無数の弾丸がテーブルに叩きこまれマホガニー製の豪奢なテーブルは、瞬く間に無数の木屑と破片に砕けた。そのわずかな時間で、彼には十分な筈であった。しかし、たまたま彼の頬を掠めた弾丸が強行突破の選択肢を思いとどまらせた。
 偶然にも頬に一筋の傷を刻んだ弾丸は、<新宿>警察特製の対妖物妖魔用の呪殺弾であったからだ。徳の高い高僧の祈りに匹敵する霊的攻撃力を持つ。生半な悪霊なら、一発で消滅させられる。すでにこの屋敷事態が邸内に侵入した彼が、霊的存在である事を分析し、主である少女に告げ、情報に従って少女は戦法を変更している。
 ステアーを撃つ合間に右手のM29を放り捨てて、今度は天井のウェンポン・ラックをリモコン操作で引き下ろして、対霊的存在用の弾丸を叩きこんだM16Aライフルを右手に持つ。
 今度はステアーも投げ捨てて、ウェポン・ラックからレミントンM870を引っ掴む。スライド式の円筒弾倉に爪であるOOBの直径約八ミリの粒弾は、すべて少女が精魂を込めた魔力を帯びているし、職人に頼んで一ミクロンの狂いもなく刻んである魔術文字は十分に退魔の効力を発揮してくれるはずだ。
 右手のM16から間断なく吐きだされる弾丸の反動が伝わり、荘園がうっすらと靄状に立ちこみ始め、足元には散らばった無数の薬莢が小さな山を造り始めている。五十連発の特注弾倉の中身が残り十発になった時、不意に敵の姿が見えたのに気づく。
 それまで蜃気楼かなにかを相手に立ち回りを演じていたかの様な錯覚に襲われて、一瞬少女は忘我したが、すぐに背後に生じた新たな気配に反応する。生来の魔術師としての素養、魔界都市と謳われる背徳の都に生を受けた事、その都市に今日に至るまで生き抜いてきた経験が、少女に二つの銃口を左後方へと向けさせる。
 その二つの銃口が虚空に生じた二つの手に握り潰された。身を隠す羽衣を剥いだ様に唐突に姿を現した侵入者に、舌打つ間も惜しみ少女はそちらへと向き直りながらバックステップを踏む。
 硝煙たなびき、銃弾による無数の破壊と落下物による天井の崩落という舞台に相応しくない優雅さと、若い生命の躍動に満ちた動きであった。そう見せるまでにその少女は美しい。
 足が床を踏むよりも早く少女はミニスカートのポケットから小石ほどの大きさの宝石を掴みだしていた。左手の五指の間にトパーズ、ルビー、サファイア、エメラルドをそれぞれ一つずつ挟み込み、それを思い切りよく投じる。
 低い呟きが少女の整った造りの唇から零れると同時に、侵入者である赤い外套姿の男の間近で宝石が苛烈な閃光を放って内に秘めた魔力を開放させる。ロケット弾の直撃に耐える装甲を持った妖物も殺傷せずにはおかぬ破壊力だ。
 廊下の壁やら床やらが無残な体を晒している。引き下ろしたウェポン・ラックが誘爆しないように計算していた。銃器はもちろんのことカールグスタフや携帯用低反動ロケット砲やら、三〇ミリレーザーキャノンと物騒なものも収納していたから当然の処置ではある。
 続けてゴルフボールサイズの人体用手榴弾を取り出そうと伸びた右手を、ごつごつとした若い男の手が捉えた。
 そのまま右手の逆を取って少女の体を優しく廊下に叩きつけて、腕を捻る。折る寸前の力を加えておく。姿を消した時と同様、実体化していた体を霊体化させて、とっさに地下に潜ったのが功を奏した。さてこれで話が出来るだろう。

「いった~~」

「まったく、乱暴な召喚だけでなくこの仕打ち。私は狂人にでも召喚されたのかな?」

 おどけた口調に殺気を込めて彼は呟いた。頭を打って痛がる少女が動きを止めて彼の顔を見つめる。半信半疑、いや七割は信じているだろう曖昧な表情である。

「やっぱりアナタは私のサーヴァントなの?」

「残念ながら、状況から推察するとな。とても物騒な主のようだが。しかし君は正気か? 家の中であれほどの銃弾をばら撒き、爆発物を使うとは。銃声を聞きつけられて警察にでも通報されたらどうするのかね」

 それから捻っていた彼女の腕を解放し、立ち上がった少女と向かい合う。一応彼と少女との間には彼を現界させるために不可欠な『繋がり』と魔力を感じてはいる。少女は腕を組んで挑みかかる様にして彼と向き合う。
 そのおのずから輝きを放っている様な瞳に見つめられると、不満や不平といったものが、不思議と薄く消えて行く。

「人を狂人扱いなんて失礼なサーヴァントね。ああ、それと銃声のことだけど別にどうもしないわ。どうってことないのよ。この街じゃ」

「…………病院は近くにあるか? 入院をお勧めするが」

「元区役所に世界一の医師がいるわよ。さてと、漫才はもうこれくらいにしない? 大事なのはあなたが私のサーヴァントかどうかってことなんだけど? クラスは……セイバー?」

 “クラス”。聖杯と呼ばれる願いをかなえる願望器をめぐり行われる七組の魔術士とサーヴァントによる戦いで、輪廻から外れた高次空間である“英霊の座”からの被召喚者達に用意される或いは当てはめられる称号だ。
 剣のセイバー、弓のアーチャー、槍のランサー、騎乗兵たるライダー、魔術のキャスター、暗殺者たるアサシン、狂戦士バーサーカーの計七つ。イレギュラーと呼ばれるクラスもあることにはあるが、正規のクラスに当てはめての召喚の方が優先されるだろう。
 これはそれぞれのクラスに該当する英霊に絞って召喚することで人の手に余る“英霊”をサーヴァントという劣化存在として使役する聖杯戦争のメカニズムの一つだ。クラスの適正に外れた能力は制約を受けるか、使用不可となるが、そも英霊を使役するというこのシステムは、魔術の造形に深い者の観点からすれば非常識にもほどがある一種の奇跡に等しい行いだ。先人たちは称えるに十分な仕事をしたと言ってよい。

「はあ、……生憎と違う。期待を裏切るがセイバーでは無い」

「おわっちゃ~~やっちゃった。あんだけ宝石使ったのに。あ~あ、しょっぱなからミスかあ。……まあ良いわ、人生前向きにいかないとね。で、あなたどこの英霊、真名は?」

「クッ、言いたい放題言ってくれる。生憎とこの身はアーチャーとして召喚されている。確かにアーチャーでは派手さにかけるだろうよ。いいだろう、後でその暴言を後悔させてやろう」

「気に障ったの? ――案外子供っぽいのね――ええ、必ず私を後悔させてちょうだいアーチャー、そうしたら素直に謝らせてもらうわ」

「ああ、忘れるなよマスター。己が召還した者がどれほどの者かを知って、聖杯にでも感謝するがいい。もっとも、先ほど言った通りそう簡単には許しはしないがな。ああ、それと」

「何?」

「記憶のことだがさっぱり思い出せん。おそらくは先ほどの乱暴極まりない君の召喚の影響だろう。召喚の仕方を間違えたのかどうかは知らんが、場所まで間違えるとはどういう理由かね? ちなみに私が眼を開けたら何故だか空中にいたのだがね」

「……ふうん」

 少し言い過ぎたか、と思うと同時に少女の“ふうん”が聞えてくると、何故だか一斉に全神経が危険を訴えかけてきた。

(バカな、いかなる戦場においても不敗のこの身が恐怖を刻むだと!?)
 
拭いがたい恐怖感に思い出せぬ記憶が刺激を受けたのか、無意識の思考が徐々に目の前の少女に対するキーワードを拾ってきた。“学園のアイドル”、“女狐”、“貧乳”、“師匠”、“カレイドルビー”、“守銭奴”、“うっかり”。ああ、そして決定的な単語、すなわち“アカイアクマ”。

(な、なんだこの単語は?)

 おもわず後じさり、少女の反応を恐る恐るうかがう自分が情けない。うつむいた少女はブツブツ呟いていたが、すぐにぱっと顔を上げてこう聞いてきた。心無しか、頬が桜色だ。何故にWhy? 訝しげにアーチャーも少女の瞳を見つめる。

「とにかく、アナタが私のサーヴァントってのは間違いないんでしょう?」

「ん? ああ、君から私に魔力が供給されているからな。確認してみたらどうかね? 先程はああは言ったが、君から供給される魔力の量は一流だぞ。ケタ違いの魔術師らしいな君は」

「ありがとう、お世辞でもうれしいわ。ラインは繋がっているんだし……ねえアーチャー」

「何だ」

「ベッドに行くわよ」

「…………は?」

「は? じゃないわよ。何耳も遠いの?」

「いや、そんなことは無いが。君は自分が何を言っているのか分かっているのか? 若い身空でそんな、少しは慎みというものをだね」

 あたふたとアーチャーはまるで愛娘の思わぬ一言に狼狽する過保護な父親みたいに慌てだす。見ていて面白い位、ボディーランゲージも交えて少女に説教を始めようとする。

「ジジくさいわねえ。あのねえ男と女がベッドですることなんてひとつっきりでしょうが。過去も未来も今もおんなじだと思うけど。言っとくけど、ラインの補強も兼ねているし、ひょっとすればマスターとの肉体的・精神的接触で何か思い出すかもしれないでしょう?  そうじゃなくても魔力の補給になるんだから二利はあっても一害無しよ。第一って言っても貴方の生きた時代のことは分からないけど、魔術師にとって欲望を制御し、理性をいかなる場合においても保つようにする、なんてのは常識中の常識。性欲のコントロールを含めた性魔術なんて基礎中の基礎なのよ」

「……」

 アーチャーは何か違和感を覚えつつ愕然としている。顔には出さないが。思い出せぬ記憶の中で確かに拭えぬ違和感が疼く。しかしまあ、大胆なことを言う少女だ。そんなアーチャーに少女は矢継ぎ早にまくし立ててゆく。ふうん、と一つ漏らしてズイっと顔を近づけて甘く囁いた。

「それともなあに? アーチャーは女の扱いも知らないネンネなのかしら? ふふ」

「ッ、さすがにそれは無いな。マスター」

 悪戯っぽく微笑を湛えて囁く少女の様子は、まるで手管に長けた娼婦のように、魔性の魅力を秘めた妖婦のように危険な毒の花。一言紡ぐたび、吸い付きたくなるような色鮮やかな唇からは、脳髄に染み込んで侵す吐息が、ギリギリの駆け引きを楽しむ危険な遊戯のように零れて、アーチャーの鼻孔から忍び寄って肺を甘く侵してゆく。
 アーチャーは鉄のように固めた精神の下で疼くオスの本能を御していた。

「……まあ良いわ、あんまり乗り気じゃないみたいだし。……私もまだその……ほ、他に何か言いたい事ある? 今度は私が質問に答えてあげる」

「あ、ああそれなら……そうだな。では先程の銃撃について納得のいく説明を要求するマスター」

 ほっと心の中で胸を撫で下ろしたアーチャーがさっきの理不尽な戦闘についての説明を求めた。正直なところ、動揺を鎮めるための時間稼ぎも兼ねている。

「ん~あれの事? ひょっとしたら妖物がどこかから侵入したのかもしれないし、あるいは何かの憑依霊にあなたが憑かれていたかもしれないじゃない? あるいはカメレオンウェアを着込んで入ってきた強盗や犯罪者かもしれない、と判断したの。一応侵入者用の撃退用のトラップや警報システムは用意してあるけど、それを突破してきた可能性もあるしね。で、ああして射ちまくったってわけ」

「なんとも無茶な。それで私が君のサーヴァントで、傷の一つも負っていたらどうするつもりだったのかね? まあ結果からすれば私は君のサーヴァントで、こうして無事なわけだが。それにしても死人が出たら警察沙汰だぞ。いや出なくてもだ。確認の一つ位したらどうだね」

「まずサーヴァントだけど、いらないわ。そんな、人間に傷を与えられるような弱いサーヴァントなんて。私が欲しいのはこの聖杯戦争を勝ち抜ける力を持ったサーヴァントよ。次に警察云々だけど、別に射殺されたって犯罪者に人権なんかないわ。警察に状況を説明して、それが実証されたそれでおしまいよ。まあ、死なないように手当てをしてふん縛るくらいはするつもりだったけど」

「犯罪者に人権はない、か。随分と荒んだ言葉だな、マスター」

「何言ってるのよ。私なんかまだ優しい方よ。“凍らせ屋”なんか犯罪者は逮捕じゃなくて退治だって公言しているくらいだし。まあ、あなたはここ出身ってわけでもないだろうし、第一サーヴァントだものね。おかしいと思ってもおかしくないわ」

 よっ、と言って瓦礫に腰掛けて、少女はふうと息を抜いた。長い説明に少し疲れたのだ。アーチャーか“この街”という言い方に引っ掛るものを感じて訝しげに眉を寄せる。わけの分からないことが多すぎる。

「この街?」

「そ、この世の全ての悪徳と罪悪を集めた街。現代に蘇ったソドムとゴモラ。四番目に生まれた魔界都市。“魔界都市<新宿>”よ」

「……<新宿>?」

 その言葉は<世界>の眷属たる彼には禁忌として刻まれる言葉。無闇に手を触れたてならぬ巨悪の街、破滅の街。ばかな、と心のどこかで否定する声が聞えた。表情に出ていたのだろう、少女が心配そうに覗き込んできた。

「やっぱり知らない? それともどこか調子が悪いの?」

「いや……」

「ふうん、色々ありそうねえ? ま、コレくらいで良いかしら。ふう、なんか体がだるいのよね」

「サーヴァントを召喚したんだ。かなりの量の魔力を消耗したのだろう。無理をせずに休みたまえ」

「……そうね。じゃあアーチャー。マスターとして最初の命令を下すわ」

「ほう。この状況でどんな命令を与えてくれるのかな? マイマスター」

 にっこりと少女は微笑んだ。この笑みを見るために、なんでもする、そう言う男共がいてもなんら不思議ではない。それほどに美しく、水晶細工の様に可憐な笑み。ほうっとアーチャーでさえ見とれた。

「ここ、片付けておいてね?」

「は? ちょ、ちょっと待ちたまえ。君はサーヴァントを何だと思っているのかね」

「なあに? 令呪でも使って欲しいの? 私としてはこんなつまらないことで使いたくはないのよね。いざという時の切り札にもなるんでしょう、令呪は。賢いサーヴァントならそれ位理解してくれるわよね? それに私だってなにもしないわけじゃないのよ。
 貴方が多穴開けてくれた天井とこの屋敷の結界の修繕をしなきゃいけないんだから。放っておいたら、風喰らいや肉食の雀やら鴉やら何十単位で襲い掛かってくるわよ。対空機銃や高射砲やや火炎放射機で迎撃するのはいまいち効率悪いしね」

 なにやらやたらと物騒な単語が聞こえてくるが、つとめて聞こえないふりをして、別の重要な単語に意識を集中した。
 『令呪』。マスターが有するサーヴァントに対する絶対命令権。はるかに劣る人がサーヴァントを使役するための、『枷』だ。コレがあるからこそ高潔な英雄が多いであろうサーヴァントがマスターに従っている例も少なくあるまい。少女の場合は左手の甲に、幾何学的な模様に神秘的なニュアンスを混ぜたような模様として浮かび上がっている。
 令呪を盾にニコニコ、ニコニコと少女は微笑む。ああ、このアクマめ。

「クッ、了解した。地獄に落ちろマスター」

「何言ってるのよ。魔術師なんて地獄に落ちるのが当たり前の外道の人種どもなのよ? 言われなくても私は地獄に落ちるわ。ましてやここは」

―――<新宿>なのよ―――
 
 年齢にはそぐわぬ、微笑み一つで男の運命をいくらでも弄べる希代の妖女の如く艶然と少女は呟き、妖しい微笑みと共にアーチャーを置いて部屋を出て行った。アーチャーはそんな少女の背をただ見つめるきり。
 青年の姿をこそしているが、幾百年の生きて疲れ切った老人の様な眼をしていたが、今は、不意にコケティッシュな魅力を振りまいて行った己の主へのなんともいえぬ感情の色が浮かんでいた。きっとこれからいろいろと苦労させられるのだろうな、と確信していたのかもしれない。

「…………」 

 翌朝。

「う~~」

 いつもの低血圧と言うか朝に弱い自分に悩まされながら少女は目を覚ました。ベッドの傍らの目覚まし時計を見ると、鉛が変わったような溜息を吐き吐きしつつ、

「完璧遅刻ね。……決めた。今日は自主休学よ」

 よいしょっとベッドから降りて身支度を整えて昨日のあの居間に行く。

「へえ」

 零れる感嘆の吐息も仕方ないだろう。屋根に大穴が空き、漆喰は壊れて一部の構造材がむき出しになっていた居間は、完璧と言って良い位に修復されている。置時計やテーブル、椅子、インテリアの位置も記憶とさして違いはない。
別の意味で有能なサーヴァントを手に入れたらしい。いやサーヴァントを使い魔・奴隷と翻訳するなら、正にその通りの仕事ぶりか。

「ようやく起きたか。ひどい顔をしているぞ。ふむ、流石に本調子とはいかないようだな。紅茶でもどうだね? それなりに味は悪くないと思うぞ」

 暖めておいたカップに紅茶を注ぐ、赤い長身の男が出迎えてくれましたとさ。何か、何かが間違ってない? 聖杯戦争って、もっとこう……と思いつつ溜息をこらえて少女が椅子に優雅に座ってカップを受け取る。憂愁な雰囲気を纏った朝の一時。絵にはなるが当人の気分はさしてよろしく無い。

「美味しい」

 自然と頬から余分な力が抜けて、少女の表情がほころぶ。美味しいものは人の心を和ませる。アーチャーもほんの少し満足げな色を浮かべている。執事属性か家政夫属性でも持っているのだろうか? 勘ぐりすぎだろうか。

「ご馳走様、美味しかったわ。ああそれと遅くなったけど、おはよう」

「ん、おはよう」

 挨拶を欠かさないように躾は行き届いているらしい、と場違いな感想をアーチャーは抱いていた。

「そういえばマスター。この家の時計は一時間進んでいたが、何か特別な意味でもあるのかね? 勝手だが不便だろうから、直しておいたぞ。いやなかなかの労働だった」

 仕事を終えた後の良い顔をしたアーチャーがそう告げると、何故かがくっとうなだれるマスターの様子にんん? とアーチャーが眉を寄せる。してはいけない類の質問だったのだろうか。

「……自分が嫌になるわね、前から分かってはいたのに……はあ、一応ありがとう。それはそれとして、あのねアーチャー。わたしは貴方を茶坊主に雇った覚えは無いの。でもお茶は美味しかったわよ? また淹れてね。……で、わたしが求めているのは戦力としての使い魔よ」

「そうか。だがしてはいけないという事ではないのだろう? なに、ちゃんと己の本分は果たすさ」

なんだか自信ありげなアーチャーであった。不遜とも取れるその様子に、頼りになりそうねと少女は心中で評価する。

「それより貴方、自分の正体は思い出せた?」

「いや」

 そう、と答えて美貌に影を這わす様子に、アーチャーは心持ち申し訳なさそうにするが、うなだれた少女は、アーチャーの表情を見逃していた。

「あなたの記憶はおいおい対策を考えるとして(いざとなったらトンブさんに脳みそでもいじらせるしかないわね)、アーチャー。召喚されたばかりで勝手が分からないでしょ? 街を案内してあげるから、するような支度は何かある?」

「出かける支度? そうだな霊体化すればすぐ出られるが。霊体化について知識はあるかな?」

「ん~~確か、魔力の供給をマスターとサーヴァントのどちらかがカットして、サーヴァントを観測不能にすることよね。そのマスターとサーヴァント同士なら知覚出来るそうだけど。一応“遠坂”の家は聖杯御三家だからそれ位の知識ならあるわよ」

「なら結構」

「それじゃあ私は準備してくるから玄関で待っててちょうだい」

「ふむ。それは良いのだが……まだ気が付かないのかな? 私と君はまだ契約を終えてはいないぞ。契約において最も重要な交換をな」

 え、と不意を着かれた形で少女が動きを止めてアーチャーを振り返った。契約? まだ何かあったかしら? う~んと思い悩む様子にアーチャーはやれやれと肩をすくませる。

「……君は朝に弱いのだな、本当に」

「――あ。しまった、名前」

「ようやく目が覚めたか。それでマスター、君の名前は? これからはなんと呼べばいいのかな?」

 マスターとサーヴァントの関係は使い魔と主従、しかも期限限定だ。それでもマスターの名前を知っておきたいと、アーチャーは言っているのだ。少女は嬉しそうな顔をしたと思ったら急に仏頂面になり、ぶっきら棒に――照れ隠しだろう――こう言った。

「私、遠坂凛よ。貴方の好きなように呼んでいいわ」

 少女=凛の名前を聞くと、アーチャーは何か噛み締めるようにその名前を聞き、こうのたまった。

「それでは凛、と。……ああ、この響きは実に君に似合っている」

(て、天然なのかしら? だったらタチの悪いジゴロだわ)

 頬が熱くなるのを感じて凛は、本人には言えないような感想を抱く。で、その元凶は顔を赤くした凛を不思議そうに見て

「凛、どうした? 何やら顔が赤いが」

「な、なんでもないわよ。私は用意してくるから、それでも読んでから、玄関でおとなしく待ってなさい!」

「? 了解した」

 区発行の<新宿>ガイドマップを投げ渡し、それから地下の一室に篭るため、急ぎ足で居間を後にした。地下室でウェポン・ラックを壁から引き出して、数百丁の武装の中からいくつかをチョイスする。その作業の中、凛は

「何よ。サーヴァントってもっと威厳に満ちているって言うか、近寄りがたいものかと思ってたけど、ずいぶん違うのね。……まあ悪い奴じゃ無さそうだけど」

 と口調とは裏腹にうれしそうに重火器を弄繰り回していた。ファッション雑誌の表紙を飾ってもなんらおかしくない美少女が笑顔を浮かべながら、ガンオイルに輝く銃器を引っ張り出している様子は、シュールな絵づらだった。
 二十分後、凛の姿を見たアーチャーの感想はこうだった。

「君は戦争でもするつもりかね?」

 凛は昨日の赤いセーターとミニスカート、ニーソックスは変らないが、その上に血で染めた様な赤いコートを着ていた。防弾防刃は勿論、呪術よけのおまじないを施した特別な繊維で仕立ててもらった逸品だ。
 愛用のシグ・ザウエルP226とベレッタM92FSは脇につるしたホルスターに収め、腰には戦闘用のベルトを締めて後ろ側に箱状に降り畳める個人携帯機関銃PSMGをくくりつけ、両腰にはコルト・ガバメント四五口径と拳銃型の火炎放射器。
 腰の戦闘用ベルトに括った二つのパウチの片方には溶解粉入りのカプセル百錠入り二瓶、チューブ入りのプラスチック爆弾二百グラムと信管を十本、リモコンは二つ。もう片方には予備のマガジンと<新宿区民>なら誰でも持っている救急医療セット。
 コートの右内側には銃身を切り詰めたショットガンを万能テープで貼り付けて、反対側には9番ゲージの弾をパックに入れてはっつけてある。コートの袖には厚さ二センチの特殊鋼も切り裂く、長さ八センチ、幅一センチ、厚さ三ミリの柳葉状のナイフを十本ずつ仕込んである。
 手首をちょっとしたコツでひねればたちまち滑り落ち、凛の手腕があれば飛んでいる蠅も百メートルの彼方から狙い落とせる。
 所々でコートが膨らんでいるのは、小指サイズの人体用手榴弾や、米軍主力戦車のエイブラムスも一発で破壊する高性能炸薬満載の手榴弾でも入れているに違いない。
 また首には先日見つけた膨大な魔力が込められた宝石を使ったペンダントと、妖物除けのタリスマンをさげている。肩に提げている合成牛革のバッグにも<新宿>の魔虫用の殺虫スプレー(人間にも有効)、パルスレーザーガン、赤ん坊の二の腕位のハンドバズーカやら、物騒な代物でいっぱいだ。
 加えて凛自身が優れた魔術師である事を加味すればこれらの武装を全て失ったとしても、人間の百人や二百人虐殺する手管くらいは持っているに違いない。
 上記したコートもそうだがセーターの下には五〇口径弾の直撃もかるく弾き返す厚さ0.01ミリの金属装甲箔を張り付けたシャツを着こんでいるし――動きを阻害する事はない――、セーターの方も摂氏六〇〇〇度まで熱は一切通さないし、達人が振るった日本刀の刃も押し留める耐刃性・衝撃吸収能力もある。
 これでも完璧な防備とはいえないが、ま、単なる街の案内ならこの程度の装備でも大丈夫だろうと、凛は判断した様である。
 <新宿>の外で凛と出くわした生物は人間こそ世界最強の生命だと実感するだろう。命を引き換えにして。

「まあちょっと大仰な装備だけどね。命には代えられないでしょう? それに今日は最後にちょっと一仕事する予定だし。ホントのとこ、対戦車ライフルとかアンチマテリアルライフルでも持っていこうと思ったんだけどね」

「た、対戦車ライフル? しかしだね、そもそも人の目と言う奴があるだろう」

「平気よ。ちゃんと許可は取ってあるし」

 何でもないわよ、という凛の言い方に、アーチャーは頭を抱えた。このサーヴァントどうにも現代風に常識的というか理屈っぽいと言うか。<新宿>のことを知らないからでしょうね、と凛は結論付けた。ちなみに<新宿>では簡単な手続きで一般市民も拳銃を初めとする銃火器を所持できる。そうしなければ生きることさえ難しいからだ。
 198X年、9月13日午前3時に新宿区のみを襲った“魔震”が産み出した<新宿>には、崩壊した市ヶ谷の遺伝子研究所から脱走したサンプルたちから生まれたおぞましい遺伝子合成獣たちや、夥しい死霊に、世界中から集った悪鬼の如き犯罪者達、外道の魔術の徒たちがたむろし、そこにあるのは善か悪かではなく、敵か味方か、生か死かの論理なのだ。

「さ、行くわよ」

「……フルアーマー・リン」

「何か言った?」

「いや、なんでもない。少し電波を受信しただけだ。さあ街案内をよろしく頼むぞ、凛」

「はいはい。にしても意外と今風の常識を持ってるのね、アーチャー」

 凛の住んでいる洋館は、完全倒壊し、一大農耕地帯へと区が変えた喜久井町に、奇跡的に無事残った土地に建てられている。
 時は二月、<新宿>の冬だった。とりあえずはガイドマップを参考に、高田馬場魔法街や歌舞伎町、西新宿、河和田町、下落合、左門町などをはじめ、京王プラザホテル、旧区役所跡に建つメフィスト病院、風林会館や伝説の念法VS水鬼の戦いが行われたBIG・BOXに、新宿駅跡を巡る。
 特に凛が注意したのは、<最高危険地帯>――モースト・デンジャラス・ゾーン、通称MDZだ。新宿中央公園、旧フジテレビ跡、新宿御苑の三箇所である。いずれもが、近代装備に身を固めた軍隊の一個中隊程度では虚しく妖物と魔性の餌食になるしかない場所で、これまで何百、何千という人間とそれ以外の生命を食らってきた。

「凛。君がその格好を気にしなかった理由が今ならよくわかる」

「理解が早くて助かるわ」

 それもそうだろう。コレまでの道程でアーチャーが目撃した連中ときたら、肩からガトリング砲やミサイルポッドを生やしたサイボーグだの、蛇やトカゲとの混合人間だの、六本腕や八つ目の人間だの、とんでもない連中ばかりだからだ。一応まともな人間もいたが観光客らしいの以外は周りの異形連中を気にもせずに通りを歩いている始末だ。
 人妖混合。伝説の中の人と妖との交わりはこの街では、今行われている現実であり、サイボーグやブーステッドマンなどのSF染みたオーバーテクノロジーも、この街の今の現実だった。
 アーチャーの疲れたような雰囲気を感じていた凛が足を止めて、ある公園に注意を向けた。

「この公園が前回の聖杯戦争の終結の場所よ。そして十年前の大火災の中心地。分かる?」

「ああ、それでこれだけ怨念に満ちているという訳か。サーヴァントというのは霊体だ。その在り方は怨念、妄執に近い。故に同じ“怨念”には敏感でね。この街はどこもかしこも呪われたような土地だが、ここはそれでも尚怨念が強い。私見だが固有結界のそれに近いな」
 
“固有結界 リアリティ・ノーブル”
 
 通常の結界を元からある土地や建物に手を加え、外敵から身を守るモノとするなら、固有結界は魔術師の心象風景が現実そのものを侵食して結界を構成し、既存の世界を塗り潰し、陵辱し、侵食し、新たな世界を作り出すもの。
 魔法に近い魔術。ある種、魔術師の最秘奥にして禁忌の魔術。決して魔法ではないが、限りなく魔法に近い矛盾を孕む魔術。何故それを、弓兵たるアーチャーが知るのか?

(アーチャーとして召喚したわけだけど、それ以外のクラスに適性がないってわけじゃないものね。ひょっとしたら既に召喚された別のクラスだったかも知れないわけだし)

 と凛は感心して、

「アーチャー、あなた魔術にも心得があるのね。ちょっとは思い出したのかしら?」

「フッ、揚げ足を取られたかな。目端の利くことだ。ま、少しはな。だが君の期待に応えるほどではないよ」

「そう。……ここの公園ね、色々な宗派の高位の僧や神父や牧師が浄化しようとしたのだけど、<新宿>の妖気と混ざり合い、パワーアップした怨念の前に白骨にされてしまったの。それ以来ほっとかれているわ。今じゃここは<第二級危険地帯>、セカンド・デンジャラス・ゾーンよ」

 それだけ言うと、凛は背を向けてアーチャーを促した。何かの思い入れでもあるのか、振り切るような背の向け方だった。



「アーチャー。私考えたんだけれど、一度あなたの実力を確認しておくことが必要だと思うの。客観的に考えて、戦力を把握しておくことは大切だわ」

「一理あるな。その意見には賛成だ。ああ、だが凛」

「何?」

「この身は君に召喚されたサーヴァントだ。それが最強でないはずが無かろう? よって君と私が組む以上、いかなる相手だろうと我らに敗北の二文字を刻むことは出来ない」

「アーチャー……」

 信頼を込めた視線と、面映いような褒め言葉に、ちょっと凛が感動していた。何でこう、言われた方が恥ずかしくなるようなことを真顔で言うのだろう。この赤服は。
 まあ、そんな光景も凛が、廃墟の影から飛び出てきた体長1メートルを超える肉食の大ねずみ四匹を、見もせずに二十分の一秒で抜き放った、シグの銃弾十二発(一匹きっかり三発)で息の根を止めていては、やや感動も盛り下がると言うものだった。

「かっこいい事言うじゃない。ならそれを証明して見せてよね」

「で、そのための場所がここなのかね?」

「そ、<第三級危険地帯>。適当に妖物を片付けてちょうだい。出かけるときに一仕事、そう言ったでしょ? ココの事よ。区からここに住んでる妖物を駆除すれば報奨金が出るの。百五十万位だけどね。・・・・・・ちょっとうざいわね」

 ゴソッと凛がコートの内側に手をやって、キイキイと鳴いてこちらを見ていた妖物に、手榴弾を投げつけた。きっかり三秒待ってから投げた手榴弾はジャストのタイミングで爆発し、妖物を破壊する。
 手馴れた凛の様子に、実体化し、飛んで来る四散した妖物の肉片を片手で避けながら、アーチャーが軽く絶句していた。アーチャーの心凛知らず。

「じゃ、行きましょうか」

「……ああ」
 
 心なしか、寂しげなアーチャーを引き連れて、凛は余丁町の外れにある五階建てのビルの廃墟へと足を踏み入れた。

「ここは魔震の影響で発生した妖気の溜まり場の一つでね、すぐにここに入っていた会社とかは引き払ったの。ちょうと第二次復興計画とかと時期が重なったんだけど、区や区外の連中はここみたいな小規模なところより、中央公園みたいな大きな所を優先したから、今も放置されているってわけ」

 そう言いながら先頭に立つ凛は、両手に持ったシグとベレッタで、顔を出す妖物を容赦なく射殺していく。もう深夜の時刻だが、明かりのないこの暗がりの中を、まるで昼のように見渡しているのは、簡単な手術か訓練でもしているのだろう。魔術を使った様子は無い。

「なるほどな。ところで凛。私の株がさっきから君に奪われっぱなしなのだが?」

 マガジンウェルから、空っぽになったマガジンを新しいものと取り替えながら、凛は階段の先を顎で示した。アーチャーの出番はこの先らしい。ジャキン、とチェンバーに新たなマガジンから一発弾丸を叩き込む音が響いた。
 コツンと足音をひとつ立てて足を踏み入れると、ソコには赤い瞳を飢えに満たして輝かせる妖物達が待ち受けていた。数は二十かそこらだろう。唸り声には憎悪が物質化寸前の濃度で込められている。

「さあ、アーチャー。叩いたビッグマウスの責任を取ってちょうだい。相手は<新宿区民>よ。痛い目を見ないようにね」

「クッ、いいだろうマスター。君こそ、その口が開いて塞がらない、等という事の無いよう気を付けろ」
 
 とはいえ、こちらが勝手に向こうの縄張りに足を踏み入れ、しかも目的が金銭の為に、とあってはいささかアーチャーも気乗りはしない様子であった。すくなくとも、手前勝手な事情で無為に血を流す事を好むようなタイプではないということだろう。
 そんなアーチャーの心情を匂わせる背中を見ていた凛が、苦笑とも失笑とも取れる笑みを浮かべて、

「アーチャー、いい事を教えてあげるわ」

「なにかね?」

「この付近でね、大体二か月くらい前から失踪事件が相次いでいたの。もとから日常茶飯事で起きている様な街だけど、大体週に一、二度のペースで、一度に平均6、7人が行方不明になっていった。警察ももちろん動いたのだけれど、事件の犯人を暴いたのは奥さんが事件に巻き込まれたモグリの占い師だったわ。」

 凛の言わんとしている事に気づき、アーチャーの眦がかすかに痙攣するように動く。話の続きを求めたアーチャーの声音は岩の様に固く凛の耳に聞こえた。

「それで、その犯人がここを住み家にする妖物、という事かね?」

「その通りよ」

 凛の答えを保証する様に、闇の彼方から赤く汚れた白いものがアーチャーの足元に放られた。からからと音をたてて、転がりながらアーチャーの足にぶつかりようやく止まる。
 それは、あまりにも小さな人間の頭蓋骨であった。生まれたての赤ん坊のものよりも小さい頭蓋骨の脳天に丸い小さな穴がいくつも穿たれている。
 アーチャーは静かにその頭蓋骨のがらんどうの瞳を見下ろしていた。

「占い師の奥さん、妊娠していたそうよ。初めての子供だったらしいわ」

「……そうか」

 冷たい凛の声に、さらに冷たく硬いアーチャーの声が重なり廃墟の中に木霊する。凝、と闇の静寂が凍りついた。アーチャーの総身から吹き出し始めた目に見えざる気配の所業であった。アーチャーの瞳に残っていた躊躇いは、すでに消え去っている。
 ジャリ、という音だけを置き土産に、アーチャーの姿が白を交えた赤い旋風に変わり、妖物の真っ只中に突っ込む。その両手には、黒白の剣が一振りずつ、何時の間にか握られている。

(あれがアーチャーの宝具? てか、アーチャーなのに剣が武器なの?)

 アーチャーの剣は、中央に陰陽マークの入った黒白の違いこそあるものの、全く同じ様式の剣だ。強いて言えば中華風か? なだらかな曲線を描く刃は、まるで優雅な鳥の翼のように、見るものを魅了する美しさを持っていた。
 飛び込んだアーチャー目掛けて、暗がりから妖物たちが群がる。妖物の正体は双頭犬。<新宿>に住む悪鬼の一種だ。大型犬を上回る体躯に、高い知能、強靭な生命と、特殊鋼なみの爪と牙を併せ持つ。何よりも、その性情が獰猛・残虐だ。
 踊りかかった二頭の双頭犬の首、計四つを、白と黒の剣光が弧を描いて薙いだ。切られた側はそのことに気付いたかどうか。あまりにあっけない、しかし鋭い斬閃の仕業であった。
 あっという間に二頭を仕留めたアーチャーが、更に双頭犬たちへと駆け出す。一見無謀に見えてその実、アーチャーの位置は最も双頭犬からの攻撃が少なく、逆にこちらからは動きを把握しやすいポジションだ。
 最高のタイミングで、最適な動作で、最強の一撃を、最短の動きで。次々とアーチャーはそれらを行い、双頭犬たちを翻弄してゆく。黒と白の双剣が、常によどみなく動き、優雅なダンスのようにその刀身を、忍び込む月光に煌めかせる。それは命が最後に放つ輝きであったろうか。
 凛はアーチャーの剣技に見惚れていた。
 階段の脇で、アーチャーの戦闘を見惚れるように見ている凛に、足音を忍ばせた双頭犬三頭が近付く。二メートルの距離は彼らにとって無いに等しい。獲物の片方の味に、彼らは期待を募らせる。身になるのは男だが、味は女の方が上手い事を、彼らはこれまで体験から知り尽くしていた。ポタリ、と滴った涎が床を叩くと同時に跳躍!
 十二の瞳は、獲物が自分たちに背を向けたまま、腕だけ回し、狙いをつけている二つの銃口を認識した。気付かれていた!? 驚愕は遅きに失した。散らばる金の薬莢、発砲の音は連続して重なり双頭犬達の頭部を次々と粉砕してゆく。
双頭犬たちは、並みの弾丸なら数十発の直撃にも耐えるタフネスだが、生憎と凛のシグとベレッタには高性能火薬を詰め込んだエクスプローディングブリット=炸裂弾が装填されている。
 着弾と同時に、体表と体内で炸裂し、双頭犬たちの強靭な筋肉と神経を破砕しつくした。
 跳躍の余韻で、自分の傍らに落ちた双頭犬たちの死骸にはさしたる興味もくれず、凛は呼気を整えた。何時までもアーチャーに任せていたら、あの皮肉屋に調子に乗られる。

「……同じ<新宿区民>同士、血で血を洗って、死肉の山を築き合おうじゃないの。アーチャー、<新宿区民>の怖さを私も教えてあげるわ」

 宣誓。誰に聞かせるでもない、遠坂凛が、遠坂凛に刻む誓い。いや、そんなたいしたものじゃあない。意地。そう、意地だ。誓いなんて気取った言葉よりも、泥臭いこっちの方が合っている。
 前方で四方八方から襲い来る双頭犬と渡り合っているアーチャー目掛け突進し、突き出した二挺の拳銃から殺戮の弾丸をばら撒く。足に腹に頭に喰らった双頭犬たちは、新たな苦痛を糧に憎悪を滾らせて凛をねめつける。喉の奥から零れる恫喝の唸り声は、それだけで大の大人の心臓を止めるような凶悪さを含んでいる。

「ハッ、そんなんでいちいちビビりゃしないわよ! こっちも<新宿区民>よ」

「余所見をする余裕があるのかね?」

 いとも容易く双頭犬たちを切り裂く双剣と技とを併せ持ったアーチャーが余裕さえたたえて、新たな犠牲を強要した。迫る双頭犬の爪牙を風にたなびく柳のようにしなやかにいなし、振るわれる牙と爪とを反撃さえ加えて捌いてみせる。緩やかな風邪に潜む黒白の二刃。
 ボンっと音を立たせて双頭犬を一頭血祭りにあげ、走り寄った凛がアーチャーと背中を合わせる。

「何をしているのかな、凛? この場は私に任されたと思ったのだがね」

「あら、ごめんなさい。私もそうするつもりだったんだけど、どうやら私、見ているだけ、守られているだけの女じゃいられないみたいよ? 憶えておいてね」

「やれやれ、勇ましいマスターだ。それとも好戦的というべきか」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 それだけ言葉を交わし、互いの正面の敵に挑む。双頭犬の数はすでに十頭を切る。凛は左手のベレッタをホルスターに戻し、左腰のファイアースロワー、火炎放射器を手に取る。トリガーを引きっぱなしで三十秒間、三メートルの炎の舌が噴出する。飛び掛ってきた二頭に浴びせかけて火達磨にし、振るわれる他の双頭犬の前足をかいくぐって、右のシグを腰後ろのPSMGと取り替える。
 拳銃サイズのPSMGはグリップに叩き込んだ三十発入りのロング・ポール・マガジン、五・五六ミリ弾頭を毎分600発で射出する。きっかり二秒、二十発を掃射。双頭犬の逞しい肉体から無数の肉片と血の花が無数に咲き誇った。
次いで、空けた左手にコートの裾からナイフを取り出して、火達磨になっている双頭犬の四つの眉間に投擲する。ヒュっという音を立てて、九センチも突き刺さったナイフは、双頭犬を即死させた。魔術師の戦い方とはとても思えないが、遠坂凛は相当の戦闘能力の主らしかった。
 チラッと凛の様子を一瞥し、アーチャーは彼女に手助けは無用らしい、と判断。眼前の敵に集中する。右肘を基点にするようにして、夫婦剣干将・莫邪の陰剣・干将を一振り、いとも容易く双頭犬の首をふたつまとめて落とした。
 前後左から一斉に飛び掛ってきた牙と爪を右に飛んで回避する。尽きることのない負の感情に突き動かされた双頭犬たちの爪と牙は、一撃で人間なぞ血の詰まった肉塊に変えてしまう。中空にある姿勢から、夫婦剣の変わりに漆黒に塗りつぶされた弓を取り出し、魔の矢を番える。放たれる矢の速度は飛燕を落とし、彼方の的も児戯の如く落とすだろう。
 冬の夜気を切り裂いて走る矢は、紙くずのように双頭犬たちの命を散らしていった。今や獲物とは、双頭犬たちだった。
 最後の双頭犬の、首のちょうど真ん中の付け根に、翻したコ-トの中からショットガンを突きつけて、凛は別れの言葉を送った。その顔には艶めいた笑みさえ浮かんでいた。彼女は<新宿区民>なのだ。

「地獄があるならそこに行きなさい。<新宿>よりは暮らしやすいかもよ?」

 引き金を引く音、ドンッと言う音の後に、ドシャッという倒れる音が続く。

「なぜなら、まだ、私がいないからよ」

「・・・・・・絶殺少女☆ジェノサイド・リン」

 いかん、妙な電波に毒されている。アーチャーは冷や汗さえかきながら、こめかみをしきりに揉んだ。一方当の凛は、ショットガンを肩に担いで、一仕事終えた、といった感じだ。煙草でもくわえれば、さぞや男前の兵士が出来上がるだろう。

「・・・・・・凛、これでおしまいかね?」

「ええ、それにしてもあなたのおかげで手っ取り早くすんだわ。さすがね、叩いた大口は嘘じゃなかったわ」

「まあな。しかし何時もこんな事をしているのか?」

「別にいつもじゃないわよ。月に二、三回かしら。始めたのも二年くらい前からよ。小学生がレーザーガンや聖水を詰めた水鉄砲片手に、死霊狩りや霧魔狩りをするくらいだから、大したこっちゃないわ」

 むう、とアーチャーは唸る。実は記憶はほぼ思い出しているのだが、その記憶との相違点が多すぎる。アーチャーが関わった聖杯戦争は、そもそも舞台からして違う。予想外と予定外と想像外の出来事がいっぺんに襲って来ているようなものだ。

「さ、これで後は区役所に報告すれば百五十万よ。今日は豪華に行こうかしら」

 ふんふんと、凛は機嫌良さ気に鼻歌を歌い始めた。最後にアーチャーは心の中で溜息をついて、自分の知っている遠坂凛とは色々と違う、目の前にいる遠坂凛の後を追った。なんだかえらいことになりそうな予感がした。おまけに外れる気がまったくしない。どうなることやら、とアーチャーは珍しく思い悩んだ。

 そうして、<新宿>の夜はいつも通り、死と共に更けていった。


おわり。



[11325] その10 魔界都市<新宿> × Fate ②
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/03 08:59
 注意:原作キャラの性格改変、設定捏造、オリキャラ化そのほかもろもろを受け入れられる方のみお読み進め下さいましな。

『 Fate/ the WickedCity <Shinjyuku> 』

『 衛宮士郎の場合 』

 双頭犬の群れを血祭りにあげ、殺戮の高揚で火照った体には<新宿>の夜風が心地よく感じられる。
 その風の中に無数の死者達の怨嗟の顔が時折浮かび上がり、こちらを恨めしげに睨みつけていても、だ。
 お守りのタリスマンを身につけることを忘れた愚かな観光客なら、その場で昏倒して最悪衰弱死に至る魔界都市の夜風も、区民たる遠坂凛からすれば産まれたときから馴染みの風にすぎない。
 体温がちょうど0.5度ほど下がり平熱に近くなった。夜風に紛れた死霊が根本的な生命力を奪おうとするのを、体内を循環する魔力で調節し、凛にとって心地よく感じられる程度に抑え込んだのである。
 ちょっとした体温調節の技術みたいなものだ。
 魔界都市の妖気は地上666メートルにまで達し、大気中に外界の余計な雑物が混入するのを防いでいる。
 光化学スモッグ、排気ガス、塵、海を越えて吹きつけてくる黄砂。魔界に属さぬあらゆる俗世の老廃物を、この街の空気は拒絶する。
 ゆえに、魔界都市というおぞましき称号を冠せられながらも、この街の夜空にはこの世界中のどの都市よりも鮮明で眩い星空と月が輝いている。
 人類がまだ猿に近かった太古の昔から、神話の彼方にほうり捨てられていた魔界という異世界が現出した現在に至るまで、星と月とは変わらぬ美しい光をこの大地に降り注いでくれている。
 例えそれがこの世で最も汚らわしくおぞましく、呪われたこの街であっても。この街に住む六十万を超す区民と、はるかに数の多い数多の妖物達にさえ、だ。
 そういった意味では月光と星空は、生と死の関係同様にこの<新宿>に対して極めて公平な存在といえた。
 今日一晩だけでずいぶんと常識が瓦解したな、と凛の後ろに実体化して腕を組み、月を見上げていたアーチャーはらしくもない感慨に耽っていた。
陽に焼かれたわけでもないのに褐色の色を帯びた肌にも、後ろに撫でつけた白に近い銀の髪にも、やや黄金の色を帯びた今宵の月光は平等に降り注ぎ、幾千万の光の珠粒となって弾け散っている。
意識を散らした状態だというのに、アスファルトの道の上に転がる砂利を踏んでも足音一つ立てないのは、アーチャーと凛双方とも見事な消音の歩方というほかない。
余丁町外れの廃墟ビルを出て徒歩で屋敷に戻る途中、機嫌よく下手な鼻歌など歌っていた凛が、彼方の瓦礫の山の中にたたずむ人影を見て不意に足を止めて視線を固める。
遠坂が得意とする魔術の触媒である宝石にも似て美しい瞳に感情の波紋は立っていない。喜怒哀楽のどれでもない。ただ珍しい観察対象を見つけた学者のそれに近い。ほんの少しだけ感嘆の色を浮かべているだけで。
納得のゆかぬ所があるとはいえ主として認めるほかない凛の動作に、アーチャーもつられてそちらへ草臥れた視線を向ける。
一応、視覚からの突然の奇襲に対応するために全方向への警戒は怠らない。音速をちょっと超えた程度の奇襲ならば、片腕だけでも十分に対応できるとアーチャーは判断していた。
しかしその絶え間ない警戒の念も、凛が見るのと同じものを認めた瞬間、呆気なく崩れ落ちる。歴戦の猛者という言葉では足りぬ超人の域にあるアーチャーでさえ、いや、アーチャーであるからこそ視線を引き剥がせぬ理由があった。
凛は人影の名を口にし、アーチャーは食い縛った歯の奥でそれを呟いた。

――衛宮士郎――

 余丁町の境にある廃墟の上に、長さ90センチほどの木刀を構えた人影が一つ、月光を浴びて影絵のごとく立っている。
月光を浴びてもなお赤く燃えているような赤髪、周囲を見渡す瞳には波一つ立っていない湖面の静けさがある。
夜の闇に溶けるような黒いハーフジャケットに着古した感の強いブルージーンズ。尻のポケットには一枚三〇〇〇円の護符が皺だらけになりながら数枚押し込まれている。
近くの瓦礫に立てかけてある自転車が士郎の移動手段であった。バイト先からの帰り道、いつもの日課に従ってこの廃墟に護符数枚と木刀一本を頼りに足を踏み入れてから、十分ほどが経過している。
極限に近い精神集中によって、自分を見つめる凛とアーチャーの視線に気づかぬまま士郎は自分の周囲で渦を巻き始める妖気に、神経を研ぎ澄ましていた。
右手に握るは木刀『阿修羅』。ちょうど半日前に、師匠である青年手ずから渡された免許皆伝――とまではいかなくとも、とりあえずの成果を認められた祝いの品である。
日本中から吟味した霊木から師匠が削り出し、清廉な思念を込め、使い手である士郎の念を増幅してより純粋化させてその心身を守る武器であり防具でもある。
霊的な視力をもつものならば、士郎とその右手に握られた一振りの木刀からあふれ出る高次の思念に気付き、目を見張ることであろう。
量の問題ではない。この次元における力の質が根本的に異なるのだ。いかな大妖物といえども一撃を受ければ、それがこの世ならぬ異界の魔物であってさえもただでは済まぬほどに。
士郎の周囲で渦巻いていた妖気は徐々に白く、青く、赤く、黄色く、黒く、灰に、紫に、橙に、金に、銀にと絶え間なく色を変えながら人の形を為し、霧か陽炎が人間の姿をとったような状態に収まる。
魔震によって倒壊した建築物の下敷きとなって死亡し、魔界都市の妖気に囚われて死後も延々と怨嗟と憎悪に塗れた末に怨霊となった犠牲者たちの群れ、群れ、群れ。
犠牲者それぞれが月光の透ける半透明の体を折り重なるようにして並び立っていたが、不意に前後左右の同類達の喉に齧り付くようにして重なり合い、徐々にその数を減らしてゆく。
怨念と憎悪の融合による個としての怨霊の格が、段違いに跳ねあがってゆく。
魔震によって齎された死後も言えぬ苦しみに悶える彼らは、愚かにも姿を見せた少年を同胞に変えて、この世に地獄の領土を広げるための仲間とすべく力を合わせているのだ。
共食いにも似た融合の果てに、士郎の周囲を取り巻いた人型は合計七つ。一つ一つが無数の怨霊が集合することでその憎悪を倍増化させている。下手な高僧や司祭程度なら、逆に返り討ちにあい、皮も肉も骨も血も魂も貪られてこの世から消えるところだ。
士郎の右手が動いた。構えは右八双。
それまで自然体で垂れていた右腕がいつ動き、構えを整えたのか、凛には分からなかった。速い、とも、巧い、とも思った。年齢は自分と変わらぬ彼が、その年齢の倍以上の月日を武の道に捧げた達人のように思えた。
同時に凛の魔眼に映る士郎の総身から溢れる不可視のオーラが勢いを増し、地上百メートルまで火の柱のごとく立ち上る。
士郎の体内で高次元のエネルギーを捻出する七つの非物理的エネルギー機関である七つのチャクラが、順調にその回転の速度を増して、霊的な存在に対しても有効な一撃を放てるまでに力を純粋化させる。
それはついに物理法則を完全に無視する高次元のエネルギーへと昇華される。
それに気付いたのは凛やアーチャーばかりではなかった。士郎の魂までも貪り尽くさんとする周囲の怨霊たちも気づいていた。目の前の少年がただの餌などではないことを。
月光を切り裂き、風を割いて地上に生まれた孤月が<新宿>の夜に閃いた。
もっとも近い怨霊へと振り下ろされた士郎の一刀の軌跡は、美しいとさえいえる弧を描き、いかなる物理手段をもってしても打破不能の怨霊を確かに切り裂き、目に見えないほど小さな光の粒子へと還す。
 地上に輝いた孤月は一つきりではなかった。周囲の怨霊たちが直接生命力を奪う悪意の思念や、体内から焼き尽くす霊的な炎を発する中をするりするりと駆け抜けた士郎の腕は休むことを忘れて怨霊を斬り捨てた。
 いや、斬り捨てたという表現は不適切であったろう。為すすべなく阿修羅の一刀を受けた怨霊たちは一つの例外もなく、元の人間達の顔に変わるや、その顔に安らぎの笑みを浮かべて消えていったのである。
 消えゆく寸前に士郎へと向ける視線には感謝の念が輝かんばかりに込められていた。阿修羅に込められた師匠と士郎の念によって、魂を縛る魔界都市の妖気と怨念から解き放たれ、死者達はようやく安らかな眠りに就くことが許されたのだ。
 数十に及ぶ怨霊のすべてが月光の祝福と歓迎の抱擁を受けて安らかな眠りに着いた時、廃墟に満ち満ちていた怨霊たちの残留思念も、朝日に散る霧のように消えさり、この街にこんな場所があるのかと、唸ってしまいそうなほど清浄な空気に変わる。
 それは区外でも霊的な聖地でしか望めないような、細胞の隅々まで現れる始原の大気であった。ただその大気を吸うだけで活力が全身に満ち溢れて、若返ったような気分になるような、そんな空気。
 士郎は心からの穏やかな笑みを浮かべているようだった。その姿を注視する凛の視線の先で士郎の右手首がこねるような動作をした時、たしかに握られていた阿修羅が消失する。
 どこに消えたとも分からぬ神速の収納術。目に留まらぬ消失現象に魔術の気配が一切ない事に、かすかに目を見張った凛の先で、士郎は具合を確かめるように右腕をふるう。九十センチ近い木刀を収納したのならば、まず不可能な動きであった。
 支障なく腕が動くことに満足したのか、士郎は危なげない動きで廃墟の山を降り、止めていた自転車に跨ると自宅の方へと向けて漕ぎ始める。自転車がマッハを超える速度を出したのは、それからまもなくのこと。

「浄化の剣。初めて見たわ」

 この少女には珍しい感嘆の色を隠さぬ声に、アーチャーが思わず聞き返した。彼にしても初めて耳にする言葉であったし、目の前で見た光景に信じられぬ思いを、動揺と共に少なからず抱えてもいた。

「浄化の剣?」

「ええ。この街で死に、半永久的に消えない憎悪の鎖に縛られた死んだ人たちの霊魂を浄化して成仏させる鎮魂の剣のことよ。この街では対妖物対サイボーグ用の邪剣の流派が結構あるけど、衛宮くんと同じ真似ができる剣士は五人いるかどうかよ。
 純粋な剣技だけじゃなくて精神的な修養も必要になるからね。たぶん衛宮くん、相当なレベルの使い手だわ。十六夜念法に師事しているって噂、あながち間違いじゃないか」

 また知らない単語が出てきた事に、周囲の警戒を万分の一ほど緩めてしまったアーチャーが、凛の背中に質問の意味を込めた視線を向ける。
 その視線に気づいた凛は、ちらりと背後のアーチャーを振り返り、アーチャーの無言の質問に答えを返す。良い質問をした生徒に答える教師のような仕草だった。

「そ、十六夜念法。かつてパンドラの箱を召喚し、この世に災厄をまき散らそうとした魔導士レヴィ・ラー、バビロンの空中庭園とともに復活した仮面王ネブガドネザル、亀裂に核を投下し世界を混沌で満たそうとした思念体カダスを倒した英雄の技よ。
 使い手の名前は十六夜京也。区外の住人でありながら、<新宿>を訪れて三度も世界を救った正真正銘の英雄よ。もちろん実力も折り紙つきで、結構ハンサムらしいわよ。
 まあ、本人は英雄扱いされるのをすごく嫌がっているって風の噂で聞くし、いま何をしているのかなんてのも謎だけどね。念法の使い手は世界で見ても二十指に満たないって言うから、ひょっとしたら衛宮くんの師匠かもしれないわね」

 肩を竦めて茶目っけ交じりに告げる凛に対し、アーチャーは何も口にすることはなく、凛だけでなくこの世界の衛宮士郎も生い立ちが異なるのは当然の話だったろう。
 しかし、凛もそうだが士郎といいあまりにも変わり過ぎではなかろうか。冬木市に比べてこの街の環境が異常過ぎる事を考えれば、それもそうだと納得できない事もないが。
 この調子ではそのほかの人物も相当変わっているに違いない。それもまず間違いなくアーチャーの想像の及ばぬ魔的な変貌を遂げているに違いない。ひっそりと、アーチャーは信頼できる医者に胃潰瘍です、と告げられたような溜息を吐いた。



 <新宿>にも朝と夜は訪れる。
特に夜は流れる血の量と夜気をかき乱す悲鳴と断末魔の数が増す。
数千種を軽く超える妖物は比較的夜行性が多く、また犯罪者連中のなかにも夜の方が行動が活発になる手合いが多いし、区内のいたるところに存在する死霊・怨霊・妖魔の類も、億万年を超えて降り注ぐ陽光よりも静かに人を狂わせる白い月光をこそ好むものが多いためだ。
 とはいえ朝であろうと夜であろうと魔界都市という呪われた号を冠せられた都市と土地、そこに住まう者たちにひっそりと寄り添う掟に変わりはない。
善か悪か? ――否。生か死か。殺すか殺されるか。食うか食われるか。呪うか呪われるか。
それらこそがこの街の摂理、この背徳と悪徳の都市の真理。法を謳い人間の理性と倫理を説く区外の世界の光が照らしきれぬ無窮の闇の中に厳然と、妖しく蠢く<新宿>にはふさわしい。
 この街に住むものであるならば、それが人であろうとなかろうと、それが生ける者であろうと死せる者であろうと、肉の檻よりも深いところにあるものが、心よりもなお不確かなものが理解している。
 すなわち魂が。
この街での死とは肉体の生命活動の停止にとどまらない。魂の死につながると。ゆえにこの街では死者さえさらなる死を迎える。生ある者は死した者たちに呪われる。
 人が人を、妖物が人を、死霊が人を、そのまた逆も。呪い、憎み、殺し、殺され、そして流れた血と産まれた死と深い怨嗟がこの街にさらなる変化を促す。
 その一因となりたくないのなら、ただ生き抜くしかない。殺される前に殺し、食われる前に食え、呪われる前に呪え、憎まれる前に憎め、斬られる前に斬れ、撃たれる前に撃て。
 それを徹頭徹尾意識し続け、脊髄反射で殺し合いができるようになれば、一人前の<新宿>区民のできあがりだ。
たった一人存在する本当の<新宿>区民のお情けで住まわせてもらっている、かりそめの客にすぎない<新宿>区民の。
 そういった意味で遠坂凛の朝は<新宿>区民が迎える例としては、さほど奇抜なものではなかった。屋敷の地下にある射撃場で、三十メートル彼方の目標に向けて延々と引き金を引き続けているだけだ。
 右手にSWのM996、三.六ミリ・三十五連発が握られ、フルオートファイアリングに改造された成果を思う存分発揮し、先ほどから人型のターゲットを穴だらけにしている。
 両目、額、喉、心臓、横隔膜、股間、口……およそ人体の急所といえる個所が特に念入りに穴だらけにされている。
 左手に握られているのは象狩用に用いられるウェザビー・マグナム。大の大人でも五発も撃てば肩を痛める化け物銃だが、凛は火線を絶やさずマガジンが空になるまで撃っては手早くマガジンを交換し、異形のターゲットを撃ち抜いている。
 右手のM996は対人を想定してのチョイスだったようで、紙製のターゲットは人の形をしていたが、左手のウェザビー・マグナムは妖物用で、レーンの向こうから次々と姿を見せるターゲットのほとんどは人とは似ても似つかない異形のものばかり。
 ベンガルトラに匹敵する体躯の大蜘蛛、蠍の下半身に人の上半身と獅子の頭をもった混合獣、翼長が4メートルに達する殺人猛禽類、肩高が2メートルを超す三つ首犬、四五口径の弾丸など唾を吐かれた程度にしか感じない獣人。
 例を挙げればきりがないほどバラエティに富んだ異形のターゲット群はそれぞれの弱点とされる個所に百発百中の精度で、象を仕留める弾丸をぶち込まれている。
 ようやく銃声が絶えた地下射撃場で、凛は今朝の日課の成果を確かめ、一発のはずれもないことに気を良くしたようだった。
 普段人には見せない不敵さをたたえた魅力的な笑みを小さく淡い色彩の唇に浮かべ、朝の始まりから調子が上々であることを確認し、満足げな色を瞳に乗せる。

「まあまあ、ね」

 薔薇の香水の方が似合うような美少女であるのに、凛がたおやかな全身に纏っているのは濃厚なガンスモークであった。しかもそれがこの上なく似合うときている。
 この少女もまた幼少のみぎりから生と死のデッドラインの行き来を他者に強要し、強要される日々を送ったこの街の住人なのだ。
 銃器を射撃場のラックに戻し、凛は浴室に赴いた。運動着を脱ぎ去って洗濯機に放り込み、たっぷりと熱したシャワーと氷水のように冷たいシャワーを交互に浴びて、黒髪と肢体にいやらしく付きまとう硝煙の匂いを洗い流してゆく。
 は~、さっぱりさっぱり、と親衛隊まで存在するクラスメイトには到底聞かせられない親父臭いセリフと共に、凛は愛用している筋力強化スプレーを全身に塗布してゆく。
 名残惜しげに凛に裸身に留まっている湯と水の珠粒をバスタオルでぬぐい去り、男の指と舌を知らぬ処女の体に、無色の霧が幾層にも吹きかけられて浸透してゆく。
 流麗なラインを描く凛の美しい体に欲情した霧の精が、欲望を秘めたまま凛の体を内側から凌辱しようとしているかのよう。
 凛愛用の品は一日三回の塗布を維持すれば、女子供でもベンチプレスで二百キロは軽く持ち上げ、プロレスラーと真正面からがっぷり組み合っても負けない怪力を得られるスプレーだ。
 筋力増強効果のほかにも美肌効果や肌年齢を維持するおまけ的な効能があり、最近の<新宿>では、見た目がほっそりとしていても片手で人間をまとめて四、五人の大人をブン投げる主婦が多いのは、このスプレーの影響だという。
 全身への塗布を確認後、凛は身支度を進める。MBTの正面装甲を切り裂く特殊鋼のナイフの刃を通さない特殊繊維と、生地の裏側に耐火耐雷耐衝撃降下のある護符を縫い込んだ制服は、いつもと変わらぬ着心地で凛に一種の安心感を与えてくれる。
 丁寧に時間をかけて手入れしている自慢の髪を結えるリボンも、中にアラミド繊維に呪術的な加工を施したものを一本ずつ縫い込んでおり、凛が魔力を通して疾風の速さで振るえば、人間の首の三つくらいはまとめて斬り飛ばせる。
 リボンに留まらず髪の毛にも一本で日銀の金庫の扉もぶち抜く破壊力の、ニトロ・ストリングスを数本混ぜてあるから、武器を奪われた時はこれを相手の首にでも巻きつけて起爆させれば、人間の上半身くらいは吹き飛ばせる。
 脇の下に吊るしたホルスターには、コルトの自動拳銃・九ミリ“ブレイン”が納めてある。ガス圧による反動消去機構を備え、五十メートルからでも抜き打ち一・五秒平均のヘッド・ショットが可能という。ブレイン――脳とは、それゆえの名であった。
 この街でなら十六、七歳という花の年頃の少年少女が護身のために持ち歩いていも特に咎められるような品ではない。
 高さ二メートルほどの大きな姿見に制服姿の自分を映し、凛は、ん、と今日も完璧な優等生を演じている自分を再認識し、満足げにひとつ頷く。不世出の大女優が舞台に立つのが楽しくて仕方ない、と直前になって浮かれているのに似ている。
 聖杯戦争の勃発を間近に控え、凛はさらなる重武装を施そうかとも思ったけれど、まあ、アーチャーがいるし、と自分が召喚したサーヴァントへの信頼を考慮に入れて控えめにすることにした。
スカートのポケットに、半径三メートル以内に三万度の灼熱地獄を生む特製の単三電池サイズの燃焼手榴弾と、瞬時に摂氏マイナス二百度に強制冷却する液体窒素封入済み冷凍手榴弾と、五千万ボルトの雷を呼び込む呼雷器を放り込む。
 もちろん霊的処理を施してあるから、肉の体を持たない死霊やら異世界の妖物であろうが容赦なく焼き殺し、氷の彫像と変えて凍殺し、全身の細胞を感電死させる自慢の品である。
 月に一回開かれる殺人激安市で十本五万でまとめ買いした品だが、値段の割になかなかの殺傷力を誇り、凛は得をしたと思ってほくほく顔だ。
 左手首に巻いポルシェのチタニウム・ウォッチには小型原子炉が組み込んであり、直径二ミクロン、焦点温度三万度のレーザー発射機構が組み込んであるし、最長一メートルまで伸びる超振動ストリング・ソーや緊急時に最寄りの交番に救難信号を送る発信器、キルリアン感知機能を組み込んだ三次元多目的レーダーも内蔵と、充実した機能付きだ。
 白くしなやかで美しい造作の凛の指先を飾る薄い桃色の爪にも、仕込みはもちろんある。シロナガスクジラも一ミクロンで昏倒させる特製の麻痺薬が爪の裏側と指の間に塗布されていて、これで一掻きすれば第三安全地帯までの妖物でもその場で昏倒させることはできる。
 後は最大装填数三十発のミニ・マシンピストルと殴打用に鉛の板を仕込んだ学生鞄を片手に持てば、どこからどうみても<新宿>にはふさわしくない気品ある優雅な女学生の完成だ。
 数々の重武装であるがこれでも凛としてはアーチャーを信頼して多少は加減をしているし、また遠坂の魔術師として必需品の宝石も数個携帯している。
 遠坂の家は新宿区が<新宿>へと変貌するはるか以前からこの地に根を張った古参の由緒正しい魔術の名家である。
<新宿>への劇的な変化を強制した魔震後も魔術的な意味での管理者としてこの地に残り、さらには凛の代に至るまで断絶していない事を考えれば、その実力は高田馬場魔法街の魔法使い達と比較しても頂点に近いものがあるだろう。
 とはいえなにもいまの凛のように、代々の遠坂家当主達が近代武装で身を固め、魔術師としては異端ともいえる存在だったから家系を存続できたというわけではない。
 先代当主であった凛の父は区外の一般的な魔術師と同じタイプの、銃器など持った事もないような人であった。
 高田馬場魔法街に住まう数百名の魔法使い達も同じように骨身と魂に刻み込んだ魔道の業で生計を立て、外敵や内敵と戦っている事を考えれば、凛だけが突然生じた異端児なのである。
 むろん凛には魔道の大家の正当なる継承者として相応しい以上の優れた才能とたゆまない努力によって、魔術師としても一流以上の技量を誇っている。
 そんな彼女がかくも魔術に頼らぬ武装で身を固め、実際の戦闘でも頼りにしているのは、いくつかの理由があるがまずは、遠坂の得意とする宝石を触媒とする魔術は金がかかるからだ。
そして現代はたとえ魔術師といえども銭がなければ食っていけないご時世だ。世知辛い。実に世知辛い。おとぎ話の中の魔法使いのように杖をふるえばいくらでも金銀財宝が湧いて出てくるわけではないのだから仕方ないが。
 ましてやここは魔術の行使が特別咎めだてられるような場所ではないから(高田馬場魔法街に住む者たちには暗黙の掟があるが)、魔術を用いての犯罪行為に対する対抗手段や魔術封じの護符などが腐るほど存在している。
 凛ほどの実力者なら並大抵の魔術封じの護符で相手が身を守っていても、発動した魔術が効果を減衰こそしてしまうが、完全に無効化されることはない。
 しかし高価な宝石を使用してまで行使した魔術の効果が、さほどに発揮されないという現実を考えるとどうにも対費用効果がよろしくない。いや、はっきり言ってしまえばあまりにもコストに対してリターンが乏しい。
 そこらのチンピラや並大抵の妖物を相手にするならわざわざ宝石を用いずとも市販の銃器を使うか、ガンスミスに依頼して違法改造したもので十分に対応できる。
 そしてそういった妖物や犯罪者との遭遇率が、区外に比べてこの街ではどれほど高いことか。参考までに例をあげればこの<新宿>での警察官の死傷率は区外での三百倍に及ぶ。一般市民が遭遇する凶悪犯罪や霊的な事故の件数は、三百倍という数字をさらに上回るほどだ。
 日常茶飯事に勃発する荒事にいちいち効果で希少な宝石を用いたり、精神力や魔力を消耗する類の魔術を使っていては身が持たない。
ましてや凛はとある都合から十歳に満たぬ幼齢で当主の座を継いだものだから、当時は根本的に体と精神が出来上がってはおらず、魔術の頻繁な使用は心身に危険な影響を及ぼす恐れがあった。
 死霊やら怨霊やら呪殺を引き受ける祈祷師、魔術師に事欠かぬこの街で精神的な衰弱状態に陥れば、誰も見ていないところで生命力を根こそぎ奪われて木乃伊になっている可能性も決して馬鹿にはできない。
 ゆえに、凛は必然的に自分の生命を守るために魔術に依らずに身を守るすべを身につけねばならなかった。その答えが、現在の科学の産物である銃器類の過剰装備であった。
 魔術師として精神も十分に成熟したいまもなお、凛がその体に銃火器のドレスを纏うのは、幼いころからの習慣にすぎなかった。

「さ、今日も元気に学校に行きますか」

 そして凛はいつもと変わらぬ日常の朝に、いろいろと思う所ばかりで朝から頭が痛くて重たいアーチャーでさえ見惚れる爽快な笑みを浮かべるのだった。



 ひゅん、と刀の形に整えられた木が、自分の頭の上二センチの所をかすめた。根元から髪の毛が千切られる剣速に加えて、一撃で頭蓋骨を卵の殻のように割る威力を秘めている事を、かわした少年――衛宮士郎は自分の体でよく知っていた。
 場所は朝日が零れ入る清澄な雰囲気に満ちた道場の中。素足が冷たく磨き抜かれた床を
滑る感触は心地よいが、対峙する目の前の相手から放たれる気迫の針が全身を貫き、緊張を強いている。
 数年前に死去した養父衛宮切嗣が士郎に残した屋敷に併設されている道場で、士郎は日課となった剣術の訓練に勤しんでいるところであった。
 後方に飛びのいた士郎が動きやすい柄物のシャツとジーンズ姿なのに対し、目の前で青眼に木刀を構えているのは、短い茶の髪に綺麗とか可愛いというよりも愛嬌のある人懐っこさがまず前面に出ている妙齢の女性だ。
 幼いころからの士郎の知り合いで名前を藤村大河という。幼馴染であり、自称士郎の姉であり、通う高校の英語教諭であり、士郎にとっての剣の師匠の一人でもある。
 黄と黒の横縞模様のインナーの上にグリーン一色のワンピースを着た私服姿だ。たぶん、この上にジャンパーでも羽織って学校に出勤するだろう。
 士郎と大河の二人共が道着に着替えずに私服姿で対峙しているのは、あくまで実戦形式にこだわっているためだ。
理由なく命を奪う殺人鬼の数が区外の数十倍数百倍の割合で存在するこの街で、自分の命を狙ってきた相手に、動きやすい格好に着替えるのを待ってください、などとのたまう余裕などあるはずもない。
常在戦場、この意識が常に心の片隅になければ、この街で生を謳歌して平凡な死を迎える事は極めて難しい。
士郎は胸部のチャクラの回転とそこから生み出される念が四肢を満たす感覚を意識しつつ、目の前の小さいころから馴染みの女性の一挙手一投足のみならず呼吸、視線の配置、ミリ単位での重心の移動に至るまで気を配る。
首が痛くなるくらいに見上げなければいけない巨木を前にしたような圧迫感が、常に士郎の精神を消耗させている。
藤村大河――実年齢に比して精神年齢が低く、生徒から良くも悪くも親しまれているこの実姉の様な女性が、<新宿>中を見回してもトップクラスの剣士である事は紛れもない事実。
考えうる最高の速さで剣道五段の位を受け、あらゆる流派の剣術をスポンジが水を吸うように吸収していったまさに百年に一人の大天才。教職に就く事を惜しんだ武道界の重鎮が、武道の歴史に名を残していただろうに、と嘆いたのはその筋の人間の間では有名な話だ。
かつては路上に転がっていた鉄パイプで、パブリック・エネミー・ランク(民衆の敵)第一位の妖物ギガンテスの甲殻を切り裂いた剣の腕の冴えは、いまも衰えるどころか日々鋭さを増している。
ちなみに、この時大河に斬殺されたギガンテスは捕獲した<新宿>警察が核を使っても焼き殺せずに処分に困っていたもののうちの一匹が、逃走したものだった。藤村大河の目の前に現れた事が、逃げ伸びたギガンテスの不運であったろう。
純粋な剣士としてみれば、士郎の師匠である十六夜京也でさえも勝利は確実とはいえない。明らかに格上の相手との戦いに、士郎の体が覚える疲労は通常のものよりも重い。
だが士郎は果敢に打って出る事に決めた。このまま睨みあっていてもこちらの体力を一方的に削られて、士郎自身も気づかぬ間に生んだ隙を突かれて痛打を浴びせられて終わりになる。
士郎の口から放たれた呼気は薄紙を切り裂くような鋭さであった。
黒光りする道場の床を踏み抜くような踏み込みと共に、士郎の体が一陣の風となる。
士郎の握る木刀――阿修羅は大河の胴へと切りこんでゆく。念を込めれば核動力の五千馬力を誇る軍用重武装サイボーグを一撃で機能不全に陥らせる物理法則の外側に存在する太刀である。
大河は風に吹かれた蝶のように優雅な動きで横に退いてかわしざまに士郎の小手をしたたかに打ち、骨まで痺れる痛みに耐えた士郎が上段に構えた瞬間には、こちらの頭上へ刀をかざすようにして柄尻で突く。
真剣であったなら士郎の両腕が鋭利な切断面を晒して斬りおとされ、さらには喉仏を潰された凄惨な死体が出来上がっていたところだ。
大河が身に収めた流派の一つ、水歐流武術の技“風鐸<影之伝>”である。
水歐流の名は子連れ狼・拝一刀が振るった水歐流斬馬刀として知っている方も多いかもしれない。
流祖は羽州(今の山形県)十二社権現の神官・三間斎宮の子、三間与一左衛門景延。父の斎宮に卜伝流憲法を学び、桜井五郎左衛門直光から林崎流居合術を学ぶ。以後、十二社権現に参籠して神木に向かって抜刀修業を積み重ねる事二十年。
ある夜、神夢を見て極意を得、居合の法形二十八本、その影の形三十六本を定め、これに二代目与八郎景長の時代に陰陽十本、九代福原新左衛門景利が正木流分銅術に基づいて創案した鎖鎌術などの諸術を加えたものが水歐流である。
その後も鍔競り合いに入った瞬間に、刀の柄で相手の喉を叩きつぶす鹿島新当流剣術『大極意 十箇の太刀』その四でしこたま痛めつけられて、床の上で士郎がのたうちまわる結果に終わる。
喉を押さえて荒い息を吐く士郎を思い切り見下す大河が、わっはっはっは、と豪傑笑いを道場に響き渡らせる。

「京也くんの弟子ってわりに大した事ないわね、士郎。まだまだお姉ちゃんに勝てないようじゃあ、未熟よ」

 ちなみに京也と大河は高校の同級生である。ちょっと涙目になった士郎が悔しげに大河を見上げる。

「ぐぐ、この、ばがぢがら。……少しは加減て物をしろよ。一応、おれ、生徒だぞ?」

「他流派の剣士との試合に手加減など入る余地なし!!」

「へいへい」

 いや、あんた、いろんな流派のキメラだろ、というセリフは飲み込んだ。
 えっへんとばかりに腰に握り拳を当てて威張り散らかす大河に、士郎はもう反論する気力を奪われて、よっと一声出して立ち上がる。体内を循環する念の効果でダメージからの回復は人の十倍は早い。
 まだまだスタミナ満点といった様子の大河に、朝から元気だなあ、と士郎は感心するばかり。いまにももう一本と言い出しかねない大河を、二人の試合を見守っていた審判役の青年が押しとどめた。
 身長も体つきも人並みだが、全身から清涼としか言いようのない心地よい雰囲気が発せられており、顔立ちもハンサムというよりも男臭さのにおう顔立ちで、並大抵の美男に飽きた美女が見惚れそうだ。

「藤村、そこまでにしとけ。おれの弟子をあまり痛めつけてくれるなよ? それにそろそろさやかちゃんと桜ちゃんが朝飯を作り終えているころだ。二人とも今日は学校があるんだろ。ちゃんと腹に入れておけ」

 士郎の師匠であり大河の同級生でもある十六夜京也その人である。三度にわたって世界を救ったこの男も今は、二十代の半ばを過ぎて大人の男性としての落ち着きを纏っている。それでもどこかガキ大将の様な悪戯小僧っぽさが残っている。
 京也の提案に異論はまったくないらしく、大河はごはん、ごはん、と連呼しながら母屋へと向かって走り出しているし、そんな大河の様子にやれやれと苦笑しながら士郎も続く。

「喉、大丈夫か?」

 と京也。大河と士郎の試合もずいぶんと昔からやっているが、喉の様な急所に一撃が決まるのは最近では珍しい事だった。
 兄貴分兼師匠である京也に気遣われて照れたら、士郎はどこか誤魔化すように左手の人差し指で頬を掻いた。

「潰れてはいませんから、大丈夫です。でもまあ、カラオケは遠慮したいかな?」

「そんだけ言えりゃ大丈夫だな。さて、おれ達もさっさと飯を食いに行こう。藤村に全部食われちまう」

 あいつの胃袋が化けものだってのは、高校のころから有名だったからな、と悪戯っぽくいう京也に吊られて、士郎も苦笑を浮かべる。

「それにしても今日くらいはここに寄らなくてもよかったんじゃないですか? さやかさんと旅行に行くのは今日でしょう?」

「いいんだよ。危なっかしい弟子の様子を最後に見ておかないと安心して旅行にも行けやしない」

 国連の慈善病院に勤める京也の恋人・羅魔さやかと、婚前旅行に出発するのは今日のはずだ。そんな時くらいは自分に気を遣わなくてもよいのに、と士郎は思わずにはいられない。

「士郎、いいか、これはおれの勘だがな」

 十六夜京也の勘となれば、世界中のスーパーコンピューターを掻き集めて出た分析結果の千倍は信頼できる。なにしろ未熟な士郎と違って、世界最高の念法の使い手だ。日常生活における第六感の発露とその精度は神掛ったレベルにある。

「どうも最近、この街の雰囲気がちとざわついている感じがする。おれの留守中になにかあって、自分の手に負えないと思ったら、メフィストを頼れ。お前の名前はあらかじめ伝えてあるから、最高待遇は無理でもそこそこの待遇で迎えてくれるはずだ」

 魔界都市で決して敵にしてはならないとされる存在と、京也はかなり親しい間柄であると、この時初めて士郎は知った。旧新宿区役所跡地に建てられた病院の主ドクター・メフィスとは、この街で絶対不可侵の存在としてあらゆる存在から畏怖されている超絶の魔人のことだ。
 アカシックレコードを読み取り、限定的にではあるが死者をよみがえらせる医療技術を持ち、噂ではたったひとりでアメリカ合衆国を完全に壊滅させるほどの力を持つという。

「……頼るような真似にならないように善処します」

「まあな。それにお前はメフィストが気に入りそうだしな。会わない方がお前の身のためかな」

 メフィストは女嫌いを通りこして女性の存在を認めない性癖の持ち主で、男色家であるともっぱらの噂である。
 京也のセリフの真意が分からなかったようで、士郎は、はあ、と首をひねった。師匠である京也が自身の不在に間に起きる事に不安を抱いた事が、見事的中して士郎に災いとなって降りかかるのを実体験するのは、これからわずかに数時間後の事である。

――つづくのか?

なんか続いたこのお話。藤ねえはサーヴァントには勝てないけどかなり善戦できるレベルの超人です。魔界都市ものの長編の中ボスくらいの戦闘能力保持者です。エイブラムスの正面装甲を真っ二つに出来る程度の事しかできませんから。
ゼロの魔王伝もここかゼロ魔板に書き直して移すかなあ。あれも五十話くらいはいきそうだしなあ。
ともあれ、ご感想ご指摘ご助言ご忠告お待ちしております。ではでは。

追記
士郎の木刀を阿修羅としましたが、なにか別のよい名前はありますでしょうか?
ぱっと思いつく羅刹とか夜叉とかですが、名案あればご意見賜りたく思います。よろしくお願いします。



[11325] その2 D × Fate
Name: スペ◆52188bce ID:dca38090
Date: 2009/08/31 22:39
 その2 血の聖餐杯


 その日、吹雪吹き荒ぶ、白い嵐の世界に古い歴史と青い血を受け継いできたアインツベルンと呼ばれる魔術師の一族が、魔術的闘争に際し呼び出したモノによって、召喚主たる少女と、少女に使える二人の従者を残して滅びた。
 見る者はただ雪と氷と骸ばかりの世界がかつてアインツベルンの城が聳えていた場所だと、誰に分かるだろうか。氷嵐の中にかろうじて開いた瞼に移るのは、分子レベルまで破砕された古城の瓦礫。そして、折り重なる白い雪のカーテンが朱に染まっている大地。一歩踏み知ればぐじゅぐじゅと音をたてて、雪がたっぷりと吸った血が溢れてくるだろう。
 肌を突き破るような強さで叩きつけてくる雪の世界の中に、赤い雪地の上にぽつんと浮かぶ二つの光球よ。煌々と、あるいは凝と輝いている。血の色に。心臓から送り出され血管を巡っている最中の血の様に鮮やかな、赤い瞳。その瞳の主こそが滅びを齎したモノであった。



 その日、男装の麗人と呼ぶに相応しい、見目麗しい女性魔術師が蒸気機関で動く巨大な自動車に乗った、六メートルもの槍を構えた身の丈三メートルに届く巨人を呼び出した。魔術師が呆気に囚われて普段ならあり得ぬ硬直に心と意を縛られていた時、ひっきりなしにエンジン部から延びる筒から蒸気を噴き零していた自動車のドアが開いた。
 ぎいい、と何百、何千年、出してはならぬモノを封じて来た錆ついた鉄扉が開くのにこそ相応しかろう音。ぎいい、ぎいい、とあるいはそれは扉の上げる断末魔のうめき声であったか。
 ああ、何と言う事であろう。開かれた扉の奥から吹き付けてくる気の凄まじさよ、冷たさよ、おぞましさよ。見る間に周囲の気温は妖気の主に怯えるがごとく下がり、相対する魔術師の体温は数度下がり、意識するよりも早く戦闘態勢を取ろうとしている。
 しかし、心は、否、六十兆を越す全細胞は自動車の主と戦えばそこには命以上のものを失う結果が待っていると慄いていた。そして、途方もなく大きく見える影がその自動車から降りてくるのを、ただ待つ事しかできなかった。



 その日、魔術師協会から派遣された魔術師が、自らが呼び出した巨大な甲冑に、その咽喉元を食い破られ、命を――魂を失った。瘧に罹った様に震える体を無視し、召喚主としての自らの地位を頼みに傲岸な態度をとったその魔術師の男は、ぐいと伸びた銀甲冑に覆われた腕に喉を潰され、恐怖と痛みに震える声を上げる間もなく、自らの喉を食い破る牙の感触、自らの体から失われてゆく血と熱、そして人間としての魂を失う事実に絶望の淵へと叩き伏された。
 じゅるじゅる、じゅるじゅる、という吸血の音が絶え、ゴミを捨てる様にホテルの床に放り出された魔術師はごとりと音を立てて転がった。まるでミイラか枯れ木のようにかさかさに乾いた死体の喉には、二つ横に並んだ穴が穿たれている。失血死したその死体がむくりと青白く変わった肌と壮絶なまでの妖気を伴って立ち上がったのは、甲冑の主が唇に付着した血をもったいなさげに舐めている時であった。



 その日、闇の中に数百、数千の命が蠢く暗い一室で、一人の少女が、枯れ木のような老人と少年とに見守られながら、あるものを呼び出した。数千かあるいは数万か、無数に蠢くおぞましい命が群れなす事で、空間を埋め尽くす堪え難い臭気が満ちていた。そこに身を置くだけで体の芯まで汚されるに違いない、人の踏み入って良い場所ではなかった。
 しかし、ああ、しかしと言わずにはおれまい。それがそこに姿を見せた時、世界は一変した。罪深き罪人を責め立てる地獄でさえ、かくもおぞましかろうかと怖気をおぼえずにはおれぬ世界を輝かせるその、圧倒的な存在感、息をする事さえ忘れてしまう威厳、見る者の目に焼き付いて離れぬ美貌よ。
 古代の英雄たちをモチーフに彫琢された石像に命が吹き込まれ、神話に謳われる気高さをそのままに備えたならば、このように人の姿を持ちながら人とは思えぬ存在感を放つに違いない。
 純金を直接頭皮に植えたのではと見間違うほどに輝きながら、ゆるやかに波打って肩へ背中へと流れおちる金髪。見事な逆三角形を描き鋭いナイフの先さえ通りそうにないほど厚く纏った筋肉の鎧。
 驚くほど分厚い胸板と女の胴ほどもありそうな逞しい両足を繋ぐ腰は上下のプロポーションと比べれば驚くほど締まっていたが、頼りなさなど誰が見てもかけらほどもない。逞しすぎる上下の肉体を支える腰の筋肉の量が見事に黄金律に当てはまり、見るものの心を奪う美しさを放つのだ。
 その場に居合わせた金髪の青年を呼び出した三人の人間は自分が大海に降り注ぐ一滴の雨粒の様に、卑小な存在だと心の底から思った。スケールが違う。ただそれだけの事であった。自分と相対する三人にわずかの関心も見せなかった青年が、不意に右手に携えていた剣を無造作に振り上げ、同じように振り下ろした。
 ぶお、と斬りつけられた者の体から噴水の様に噴き出す血飛沫を連想せずにはおれぬ一振りであった。無造作な一振りでこれならば、殺す気でこの青年が刃を振るった時、空間さえも苦痛に悶えながら斬られるのではあるまいか。
 いや、正しく空間は斬られた。見るがいい、青年の斬弧の後を追う様にしてぱっくりと開いた空間を。極彩色の世界が広がるその異空間へと飲み込まれている無数の小さな虫達を。空間を斬る。荒唐無稽なこの所業をいとも容易くなした青年は、無感動に呟いた。

「妖剣グレンキャリバー、一度抜けば血を啜らずには鞘には収まらぬ」

 啜るべき血を湛えた獲物は、青年の前にみっつあった。


 
 その日、冬木市と呼ばれる市街の中にある、とある家屋で、とある少女が、とある事をしていた。その少女がしでかしたとある失敗を理由に、鼓膜を揺するような落下音と激突音が生まれた。市外に木霊する屋敷の断末魔は凄まじい崩壊の音の波と化けて、近隣一体を蹂躙する。

「だぁっもう!!」

 天井に大穴が空いた部屋のドアを、野蛮の一言に尽きる気合と共に見事な前蹴りが蹴破った。蹴破った主がノシノシと部屋の中へと歩み行く。中は惨状と呼ぶに値した。高価なソファも品のよい調度品も、時を経た置時計も余す事無く埃を被り、倒れたり傾いたり支えあったりしている。天井に目を向ければ夜空をいとも簡単に覗ける。
 屋敷の主兼この惨状の一端を握る少女が恐る恐る部屋の中にある、見覚えのない、しかし知識としては知っているモノを見つめた。

「……馬車?」

 確かにどう見ても馬車なので遠坂凛はそう呟いた。遠坂凛、この屋敷の若き主人である。まだ高校二年生とこの日本という国においては人生の内、若さと青春を謳歌するとされる年代だ。
 胸元に白い十字と点が二つあるタートルネックの真っ赤なセーターに、丈の短い黒のミニスカート、黒のニーソックス、それに黒く艶やかな長い髪をこれまた黒いリボンで左右にまとめて垂らしている。
 高すぎず低すぎない身長に、体のラインは流麗、なだらかな線を示し華麗なシルエットを生み出している。二―ソックルスに包まれた脚線美、上と下の体を繋ぐ腰のくびれの美しさ、いずれも感嘆の息をもらさずにはおられぬ青春の美の結像であった。ではその顔を見るとしよう。
 卵を逆さにし、余分な尖りと丸みを払ったかのように整った輪郭、今は呆然と開かれた唇は男なら自分だけのものにしたいと願わずにいられぬあどけない無垢な色気をもっていた。迷う事無く引かれたラインのような鼻梁の上には翡翠細工を象嵌したかのような、凛という名に相応しい意志の強さが、輝きとなって現れる双眸がある。ただし今は困惑の色が強い。
 凛が我知らず、部屋を出ようと数歩後ろに引いた。冷気だ。天井に空いた大穴から忍び寄る夜の呼気とも言うべき冬の冷気ではない。いかなる灼熱の地でも体感温度が下がるような、超自然的な冷気が凛の肉体を、精神を打っている。
 ギイっと、蝶番の悲鳴を上げて馬車の扉がゆっくりと開き始めた。その軋むような音に、凛の心臓が大きく跳ね上がった。恐怖、とは本人にも分らない。青い四頭立ての馬車は、車体全体に施された装飾や彫刻の加えるランプに到るまでが贅を凝らした瞠目に値する代物だ。王侯貴族の文化華やかな時代でも、目にすることは叶うまい。その馬車の扉が今開く。
 馬車の中からステップを降り立ったのは青い影、とでも呼ぶべき姿だった。深い海のような青い色のマントが、首から下を覆っているのだ。首から上にあるのは、一度目にすれば二度と忘れることがないであろう美貌。青白い肌は病的と見えるのに、いやだからこそ許されぬ背徳の官能に、見たものは襲われるに違いない。したたり落ちる金髪と目の覚めるような碧眼。人の精神の奥深いところを見通すかのような瞳に、凛は吸い込まれるかのような感覚に襲われた。
 降り立った影が凛を認め、青白い肌の中でそこだけ特別に赤い唇が嫌に凛の目を引いた。紅の赤さではない。唇の内側を流れる血が一際赤いのか、それとも色素の問題か。美貌の魔青年は何故か、凛のセーターの胸元にある白い十字に顔を顰めた。

「君が私のマスター、とやらか? サーヴァントというらしいな今の私は。しかし……一度は朽ちたとはいえ人に使われる身になるとは、な。私はバイロン・バラージュ男爵だ。君の名前は?」

 先に自分の名前を名乗ってから相手の名前を聞く辺り、自分と共通する礼儀は持っているらしい、と凛は判断した。

「と、遠坂凛よ」

「リンが名か? たしか滅び去った極東の国がそういう名のつけ方だったな」

 むしろ穏やかなバラージュ男爵の問い方だというのに、凛は襲い来る震えと心縛る冷気に耐えなければならなかった。これは、この恐怖は何? 凛は自分自身も知らぬ恐怖の正体をずっと考え続けている。DNAに刻まれたかのような、原始的な恐怖。人の精神奥深くから来る恐怖は何だ? 赤い唇、青白い肌、その美貌、凛の様子に困ったようにバラージュ男爵が苦笑し、唇から覗いた鋭い歯――いや牙に、凛はバラージュ男爵の正体と恐怖の理由を知った。

「あ、貴方吸血鬼!?」

「“貴族”と呼んでくれたまえ」

 静かなバラージュ男爵の物言いに思わず凛が唾を飲んだ。目の前の自称“貴族”は理性的で、いきなり咽喉に食いつかれる様な事はなさそうだが如何せん身に纏う冷気、魂のレベルから緊縛する鬼気、神秘的とすら言える美貌さえもどこか恐ろしいものと写る。

「“貴族”って死徒か真祖? そんな馬鹿な、サーヴァントはあくまで人かそれに類する半人じゃあ」

「さて、私にも分りかねるな。それと私は死徒や真祖とかいう吸血種とは違う。“神祖”を頂点に頂く吸血鬼“貴族”の末席に名を連ねている。“貴族”とは地球創世記に始祖を置く、人間よりもはるかに古い種族だ。また私が生まれ死んだのは今より遥かに未来だ。そこでは吸血種とはすなわち“貴族”のみを言った」

「……未来って、どれ位?」

 はあ? と顔に書きながら聞いてくる凛に、バラージュが薄く笑みを浮かべた。微苦笑に近い唇の動きであったが、気品漂うその仕草にそこはかとなく付きまとう恐怖に、凛はぎゅっと手を握った。

「今は西暦、だったか。何年かね?」

「200X年よ」

「ではざっと一万年ほど未来だ」

「…………マジで?」

「貴族の名に誓って」

 嘘、と顔で言う凛に、面白そうにしながらバラージュ男爵が釘を刺した。笑いを隠してはいるがいたって真面目である。恐怖を抜きにこれまでの様子を総合すれば、このバラージュ男爵と名乗る貴族は無闇に人に危害を加えるようなことは無さそうだ。バラージュ男爵が異例なのか貴族のすべてがそうなのかは、凛には分らない。
 凛もバラージュ男爵の話を総合して、理路整然と思考をまとめようと努力する。

・ バラージュ男爵は死徒や真祖とは違う吸血鬼、“貴族”である
・ バラージュ男爵の生きていたのは今から一万年は未来らしい
・ 未来では死徒や真祖は存在しないらしい
・ サーヴァントとして呼ばれた理由は謎である
・ クラスはアーチャー

「ん? ねえ男爵。一応あなたは私のサーヴァントなのよね。あっ令呪はあるわね。ラインは確認できる?」

「うん? 確かに君との間にライン……魔力かな? が繋がっているな。リン、君がマスターなのは確かだ」

「そう、だったら何の問題もないってもんよ。セイバーじゃ無いっていう以前にそもそも人間じゃなくて吸血鬼――あぁ貴族ね、だったりはしたけど聖杯戦争に参加するのに問題はないもの。だったら勝利に向かって突き進むのみよ」
 
 それまでの怯えはどこへやら、聖杯戦争に勝つ! この一点に向かって凛の思考は突き進んでいた。ほう、とバラージュ男爵が心中で軽く感嘆した。大なり小なり自棄くその成分を含んでいるのが聞き取れたが、ま、それもまた愉快としておこう。
 貴族を前にした者としては彼の生きた時代の人間ではまずありえない反応だったから多少贔屓目もあるかもしれない。それに、凛の反応は時代や世界が違うと言う事以前に、この少女の生来生まれ持った強さや心の気高さに依るもののようにおもえる。

「勇ましいことだ。だが、とりあえず」

「?」

「この部屋を片付けるとしよう」

「……そうね」

 凛は改めて部屋の惨状を確認し、溜息をついた。いかにも貴人といった風体に半端な貴族など田舎者にしか見えなくなる気品あふれる挙措の数々。バラージュは掃除の片付けなんか絶対にした事はないだろう。生まれた時から周囲の者が膝下にかしづき、どんな自分の命令にも従う事に慣れた貴い血筋の者特有の雰囲気と、傲岸さが見える。

「では、一つ手品をお見せしよう」

 バラージュが悪戯っぽく両手を打ち合わせるや青白い薄靄が部屋のあちこちに輝きはじめ、凛が魔術の気配が何もなかった事に驚く間もあらばこそ、あっというまに人間の形をとってゆく。
 凛とさして年の頃の変わらぬ青年や女性達に、筆頭格としてか立派な白いひげをもった壮年の執事の姿であった。頭のてっぺんから爪先に至るまで、誰が見ても文句の一つも出ぬ使用人が十名誕生した。その様に目を丸くしている凛に対して、バラージュが簡単な説明を始める。

「部屋に漂うイオンや分子、電子などで構成した使用人達だよ。貴族文明の持つ科学によるものだ。魔術ではない」

「貴方って良い性格しているのね」

 てきぱきと老齢の執事長の指示のもと、片付けを始める人造使用人たちを見ながら、凛はなんかこのサーヴァントとは相性悪いなあ、としみじみ溜息を零していた。
 翌日を、バラージュ男爵の事即ち貴族についての説明と、冬木市の地理についての探索に費やした。

「ニンニクがダメで十字がダメで日光が天敵。んで確実に止めを刺すには心臓を木の杭で突き刺す、金属の杭はほとんど無効か。まんまブラム・ストーカーの吸血鬼じゃないのよ」

「ブラム某のことは知らぬが、それが貴族という種の生態だよ。無論個々に差はあるし太陽の下を歩む貴族も極めて稀にだが存在する。私は比較的耐性の強い方だが、正直君の胸元の白い十字でさえ直視するのは辛い」

「それはちょっと厳しいわね。クロスをあしらったアクセサリーやファッションなんて馬鹿みたいに氾濫しているし、貴方の正体が吸血鬼だって勘付かれない事を念頭に置きながら戦わないとね。ていうか、まあ、男爵の容姿と雰囲気からすぐに吸血鬼を連想しそうだけど。ていうか、私もそうだったし」

「そうなるかな」

「また他人事みたいに言わないでよ、貴方と私の生命が掛かっているのよ」

 首を落とされても八つ裂きにされても復活する不死身性を持つが故か、どうにもバラージュの方に危機感が足りないように凛には感じられるようだ。さらに翌日、つまりバラージュ男爵召喚から二日後、学校に行くと言った凛を多少驚きながらもバラージュ男爵は止めなかった。代わりに霊体化して護衛に付きはしたが。
 本来日の光というのは、如何なる大貴族であろうとも如何ともしたがい天敵らしいのだが、霊体化していればその限りではないらしい。なお日の光が貴族にこの上ない苦痛をもたらすのはあくまで地球上のみに限った話であるらしい――らしいばかりだ、と凛は心中で愚痴を零した。
 バラージュ男爵曰く、貴族の科学力は地球の範囲にとどまらず、外宇宙にもその手を伸ばし太陽系の全ての星に基地を設け、外宇宙から侵略目的でやって来るエイリアンを迎え撃ち、時には他の天体に覇を唱えていたそうだ。この過程で貴族は、地球から出た場合太陽にその全身を晒そうともなんら害を受けなかったことが記録されているらしい。彼ら貴族自身にも解明不可能な、生命の不可思議とでも言おうか。
 更に言えば、バラージュ男爵は生まれて間もない頃に受けたとある処置の効果によって、日の光の中でもある程度は行動可能らしく(多少能力は落ちるが)凛が学校に行くのを止めなったのもこの力があるかららしい。余談だが、バラージュ男爵の馬車に搭載された超科学技術を使って、凛が大量の宝石及び貴金属を精製させた。
 その時の凛の顔を、他人には見せられないな、とバラージュ男爵は心底思ったものだ。
 一万年の歴史によって人間など到底及ばぬ優雅さを遺伝子レベルで備える貴族の中で、抜きんでた美貌の持ち主であるバラージュの目から見ても、凛は美しいと評するに値する美少女だ。人間嫌いの貴族も寝室の供にと望むだろう。
 その凛でさえも、あれでは嫁の貰い手も婿の来手もいはすまい。まさしく百年の恋も冷める顔だったのである。



(ふむ)

「何? 人間の学校がそんなに珍しいの?」

 教室の中で、おそらく後ろ辺りにいるような気がするバラージュ男爵の漏らした一言に、なにか引っかかるものを感じた凛が問うた。

(そうだな。私の生きた辺境ではこのように人間の子息らが生命の危機に何の不安もなく過ごせるような場所はまず有得なかった。ましてや彼らには“貴族”、吸血鬼に対する恐怖がない、憎しみもな)

「そりゃ、吸血鬼といっても普通の人間からすればブラム・ストーカーの小説か、映画や漫画の中の話だからね。実在しない絵空事なのよ。一応、死徒や真祖っていう吸血鬼はいるけど?」

(その彼らにも興味はあるがね。死徒というのはすべからく元は人であったのだろう。貴族風に言えば“成り上がり”だな。真祖とやらもこの星が生み出したという、意図的に作られた種族、最後の一人しかいないらしいが。やはりどちらとも貴族とは異なる種族といえるだろう。それよりは私はこの時代の人間たちのほうが興味深い)

「……ねぇ、男爵あなたひょっとして人間のこと」

(何かな?)

「ううん、何でも無い。気にしないで」

 人間のこと好きなの? 最後まで口にすることは、何故だか憚られた。男爵が今、どんな顔で、表情で、瞳で、人間達を見ているのかひどく気になった。けれど見てはいけないような気がした。きっと男爵の瞳には哀しみがあるだろうから。
 放課後、部活動もほとんど終わった時刻に凛と男爵は屋上にいた。赤く街を染め上げてゆく夕日に、ひどく物悲しいものを憶えていた。きっと二人とも。

「日の光、大丈夫?」

(ああ。しかし霊体化することで朝日も夕日も、何の苦痛もなく見ることが叶うとは、な。……貴族たちの中にも日の光に限りない憧れを抱く者達は少なくなかった。いやひょっとしたら誰も彼もが憧憬を抱いていたのかもしれない、憎悪の中に押し隠して。彼らが今の私の境遇を知ったら何と言うかな?)

「失くしたものも、失ったものは戻ってはこないわ。……いけないわね、感傷的過ぎるわ、私達。きっと夕日のせいね」

(かもしれん。いやきっとそうだろう)

 きびすを返し、屋上から去ろうとした時だった。一つの声と姿が二人を遮ったのは。

「人はどうか知らぬが、確かにこの夕日の美しさは貴族にとっては何物にも代えがたい至宝であり、知ってはならぬ猛毒よ」

「誰!?」

 凛の誰と問う声よりも早く、すかさず男爵が姿を現し、凛と共に給水塔の上に立つ巨大な甲冑を見据えた。全身を余すことなく装甲で埋め尽くした巨大な騎士。男爵と等しい冷気に凛がまさか、と呟く。

「男爵、あいつ」

「ああ、まさか私以外にも貴族が召喚されていたか」

「その通りよ。お主も同胞か、わしはゼノン公ローランド。知っておるかな?」

 相手が自分の名を知っていることに対し、ひどく期待めいたものを眼に輝かせている。子供のように無邪気な気持ちで、自尊心を満たしたいのだろう。

「その名は武勇ともども重々承知。名にしおう武闘派貴族ゼノン公ローランド。“G”の反乱ではかのギャスケル大将軍と相討った方。私は西部辺境統制官ヴラド・バラージュの息子、バイロン・バラージュ男爵」

「バラージュ? はて、たしか御神祖の覚えがめでたかった貴族の名であったか」

「左様で、今は貴殿共々サーヴァントなる存在ですが。私はアーチャーとお呼びいただきたい」

「よせよせ。仮にも貴族ともあろう者が人の用意した器の名で呼ばれるのを由とする等と、親族余すことなく、末代までお主を恥とするぞ」

「ご懸念なく。私は父殺しです。時になぜゼノン公は日光の中を無事に歩めるのですかな」

「何、わしが死ぬ前にとある貴族から日光を防ぐ防御スプレーを貰い受けておってな、そのスプレーも一応わしの宝具とやらの扱いなのよ。しかし親殺しか、ちと珍しい程度じゃな。まぁ良い聖杯とやらのため、主らには死んでもらわねばな」

「凛、下がっていたまえ。貴族の戦い、そうは目にかかれぬぞ」

「かもね。でも一つ訂正があるわ」

「何かな?」

「確かにあなたは貴族かもしれないけど、今は私のサーヴァントよ。私のサーヴァントが最強だって事を見せてちょうだい。あんな奴イチコロでしょ?」

 不敵な笑みすら浮かべて物言う凛を、男爵は一瞬信じがたいものを見る目で見つめたがすぐに

「ああ、その通りだ、リン。サーヴァントアーチャー、召喚した甲斐があったと存分に思わせて差し上げよう」
 
 男爵がマスターと等しい笑みを浮かべて、ゼノン公へと駆けた。手にはいつの間にか優美なカーブを描く黒塗りの長刀が一振り。対してゼノン公は、給水塔からその外見からは想像も付かない身軽さで屋上に降り立ち、どこからか三メートル近い長槍を取り出している。凛が二人の武器を認めた次の瞬間、その姿を捉えきれなくなった。あまりの速さに人の肉体ではついていけないのだ。時折火花が散り行くのをかすかに捕らえるのみ。
 まず、男爵が長刀で真っ向からゼノン公に切りつけ、長槍がコレを受け止めた。ゼノン公が男爵の加える力を横に流し、長刀を滑らせて男爵の左半身側に移動し石突で顔面を突いた。電光石火で奔る石突を、男爵の左手が受け止める。二千馬力を片手でいなすバラージュ男爵の片腕である。刹那の瞬間に、二人の貴族の目線が交差する。闘争を求め歓喜する貴族の血が、果てしなく冷たく、限りなく激しく滾っているのか。
 槍を捕らえられたと悟ったゼノン公がマッハの速度で右膝蹴りを放って男爵の左脇腹を打った。一メートル滑空したところで男爵が左手を屋上に当てて、勢いを殺す。ゼノン公は、男爵が咄嗟に放った一刀に、甲冑の左肩の部分をわずかに削がれ、青白い火花が飛んでいる。男爵が大きく青いマントを広げるや、煌めく何かがゼノン公へと殺到した。
 ゼノン公の甲冑に幾つかが命中し、甲冑をコントロールする制御コンピューターが展開した電磁バリアーとぶつかり合って青白い火花を散らしている。宇宙戦艦の主砲にも耐え、万分の一秒単位で再展開する電磁バリアーを大きく削る破壊力に、ゼノン公の瞳が隠しきれぬ驚愕に揺れた。

「ぬうう!? これがアーチャーの由来か」

「そのようで。公はその戦闘用甲冑からしてさしずめライダーか、あるいはランサーですか」

 横殴りに、バラージュ男爵のブルー・マントから走った何かが思い切りゼノン公を横に殴り飛ばし、フェンスに激突。ゼノン公が踏ん張らねばそのまま落下していただろう。もっとも生身で一千メートルの高さから落とされてもものの一分とかからずに再生する能力と耐久力を持つ貴族だ。落下したところで何の問題もない。
 大きく地響きと周囲をどよもす轟音、そして両足の着地点を大きく陥没させたゼノン公が何かに気付いたように頭上を見上げると、青いマントを月下の夜空を舞う巨大なコウモリの翼の如く広げた男爵が、まさに右手の長刀を振り下ろさんとしていた。

「ぬううん!!」

 ゼノン公の左手にもう一つ長槍が生じるや、二つの槍を斜めに交差させて、その交点で男爵の一刀を受けた。金属と金属とがぶつかり合う音が、強く波打って屋上の大気に木霊する。風に遊ぶ精霊も、身を打たれて地に落ちかねないような音だ。

「周囲の浮遊分子とイオンを凝縮した槍よ。デュープ鋼の五千倍の硬度だ。いかに貴公の腕前でも断てぬわ!」

 ゼノン公が気合と共に、槍を押し出して男爵の体を突っぱねる。ほとんど同時に両手の槍が、男爵の心臓目掛け二本とも投じられていた。まさに目にも留まらぬ早業。だがそれは男爵も同じ、勢い良く突き飛ばされながらも、マントを一打ちするや重力を無視して垂直に上昇し再び、そのマントの中から光の奔流がゼノン公へと殺到する。奔流はマッハ3で避けたはずのゼノン公に追いつき、甲冑姿を屋上のフェンスを越え、校舎の裏手の雑木林へと落とした。

「リンどうする、追いかけるか?」

「え、えぇ。あいつを逃す手はないわ。聖杯戦争、初戦から勝利と行きましょう」

 貴族、あるいはサーヴァントの超人的な戦闘に思わず見惚れていた凛が、男爵の問いに自失していた意識を取り戻し、追撃を命じる。バラージュ男爵が我が意を得たり、とばかりに満足そうに頷く。

「では失礼する。レディ」

「え?ああ、ちょっと」
 
「喋ると舌を噛むぞ」
 
 そう言って男爵が勢い良く屋上から跳躍した。凛をいわゆるお姫様抱っこの姿勢で抱えて。

「居た。我々を待っていたようだな」

 たったの一っ跳びで、数十メートルを跳躍しながら凛にも聞えるように囁く。

「思いっ切りかましてやんなさい、男爵」

「了解マスター、君はつくづく面白い女性だ」

 楽しそうに男爵がそう言ってから、音もなくゼノン公の眼前五メートル程の所に着陸する。着陸する一連の動きでさえ、貴族というヴァンパイアはその名に相応しく優雅であった。槍を地面に突き刺していたゼノン公がゆっくりと、如何なる装甲も貫けそうな槍の先端を、バラージュ男爵に向けた。

「リン、君はあくまで手を出さないように。貴族の用いるD・フィールドは銀河の流動エネルギーを用いたものだ。例えこの星を吹き飛ばせても破壊できない。ゼノン公の甲冑にそこまでの防御機構があるかは未知だが、いずれにせよ、一万年以上の時が培った防御メカニズムがある。対抗できるのは同じ貴族か、知勇兼ね備えたバンパイアハンターのみ。……私を信じて欲しい」

「もちろん、頭から貴方の事を信じているわ、バイロン・バラージュ男爵? さぁ、あの銀ピカの鎧をのしちゃってちょうだい。……それにしても銀河の流動エネルギーって、真祖にも突破出来ないんじゃないの?」

 凛に軽く笑って見せてから、男爵が長刀を引き絞り、刺突の構えを取って駆けた。蒼き疾風が銀の山の如き迫力を放つゼノン公へと吹き抜けた。両の手から力を抜いて槍を握っていたゼノン公が、疾風と化した男爵に合わせ裂帛の気合と共に、黒光りする槍を放った。

「ぐぅぅっ!!」

「くっ」

 ゼノン公の槍は男爵の左肩を、男爵の長刀はゼノン公の甲冑の左脇腹を貫いていた。血が男爵の青いマントを染め上げ、ゼノン公の甲冑は青白い電気と火花を派手に散らす。次なる一手は何か? その時パキッと枝木を踏み折る音が、意外に大きく響いた。

「誰だ!! ちっ、水入りか。バラージュ男爵よ。勝負は一時預けるぞ」

 止める間も無くゼノン公が、その巨体を翻して目撃者らしき人影を追いかけていった。一方凛は、慌てて男爵に駆け寄っている。深海の青に染めた男爵のマントが内側から溢れる血に黒く染まりつつある

「大丈夫!? 男爵」

「貴族にとっては大した傷ではないさ。それよりもリン、ゼノン公だがどうする? おそらく目撃者を殺すつもりだ」

「……追いかけましょう。行ける?」

 小さく頷き、バラージュ男爵と凛が急ぎ校舎へ向かって駆ける。すでに肩を貫いた刺し傷は塞がり、バラージュの動きに支障はない。ゼノン公に遅れる事数分、校舎に入ってすぐ血臭を嗅ぎ取った男爵がソレを見つけた。赤毛の、少年。今は制服の左胸を赤く血で汚し、染め上げている。瞳に力は……無い。

「リン? 知り合いか」

「……ちょっとね。男爵はあのライダー、ゼノン公を追ってちょうだい」

「……分った」

 常よりもわずかに異なる凛の声色に何かを察したのか、男爵がすぐさま踵を返してゼノン公の後を追うべく姿を消した。一度だけ、凛を振り返ったが、それきりだ。

「……よしてよね。何でアンタが」

 だから、凛が漏らした悲痛な声を、バラージュ男爵が聞く事は無かった。それが良かったのか悪かったのかは、きっと誰にも分らないことだったろう。
 その夜、戻った男爵がゼノン公を見失ったことを話し凛とあの少年の処置を話し合った。そこで男爵が、被害者の少年の記憶について処置をしたのか聞いたところで、バラージュ男爵は自分のマスターの重大な欠陥を知る。凛は記憶の操作を怠ったのだ。ここぞという所で大切な事を忘れる致命的な欠陥であった。
 そんなわけで深更の街中を、二人はその少年の家を目指して全力疾走中である。正確には男爵の馬車のサイボーグ馬に乗ってである。時速百五十キロを越すサイボーグ馬で、屋根を跳躍したりしながら最短距離を突っ走る。
 サイボーグ馬の鉄蹄が幾十枚目かの屋根瓦を砕き、月下に青く燃えるような騎馬の影を描いた時、日本の武家屋敷が見えてきた。その武家屋敷があの赤毛の少年の自宅であると凛が男爵に伝えてある。
 男爵の召喚一日目の夜の内に、偵察衛星を打ち上げ地理は完璧に把握してあるし、静止衛星軌道上に浮かぶ衛星からデータを受信しているサイボーグ馬が道に迷う事も、まずはない。

「あと少しよ!」

 息巻く凛と反対に男爵は落ち着き払っていた。しかしその口から出た言葉にはわずかに、焦燥に似た響きが含まれていた。

「半分は間に合わなかったな、ゼノン公の甲冑の駆動音だ。公は既にあの屋敷に入っているぞ」

 男爵がそう呟いた瞬間、まさに少年、衛宮士郎が屋敷から飛び出て、蔵の中へと銀色の甲冑――ゼノン公によって吹っ飛ばされた。おそらくゼノン公が蔵ごとだろう、士郎を粉砕すべく槍を投擲する姿勢を取った時、目を焼く光が士郎の叩きこまれた倉の内側から迸った。
 まるで貴族の憎悪と羨望を一身に集める太陽が昇るかの様な光が、刹那の瞬間、周囲を白々と照らし出す。そして、その光の中に見た。バイロン・バラージュ男爵は確かに眼にした。幾度生まれ変わろうとも、魂に刻まれた記憶は消えぬだろうと断言できる美しい人影を。

「嘘!? まさか七騎目のサーヴァント」

「! 彼は!?」

 凛の驚愕をはるかに凌いで、男爵の顔に驚愕が走った。氷の冷静さと鉄の理性を持つこの青年貴族がそのような顔をするなど、数えるほどもなかったろう。懐かしさと畏怖と親愛と、恐怖とに彩られて。サイボーグ馬に乗った二人が、衛宮邸の塀に着地した時、蔵の光の中から一つの暗黒が飛び出し、ゼノン公を襲った。
 見よ、月光を背に駆けるその姿を。黒き翼を凶鳥の如く広げ巨大な甲冑に迫る漆黒の魔王の闇から、一陣の銀光が走りゼノン公の右胸を縦一文字に切り裂いた。
 飛び退いたゼノン公と、サイボーグ馬に馬上したままのバラージュ男爵が共にその名を呼んだ。彼の名を。孤高の狩人の名を。辺境最強の美しきバンパイアハンターの名を。

「「  D ! 」」

 降り注ぐ月光は青いというのに、その男の周りだけは闇よりも深い暗黒の黒に押し潰されているかのようだった。鍔広の黒い旅人帽と黒いロングコート、胸元には深海の青よりも青いペンダント。鍔の広い帽子の下の顔を見た時、凛は眩暈に襲われた。あまりの美しさに、脳が対処し切れなかったのだ。それはこの世に存在しながらもこの世のものではなかった。
 いつか誰かに、Dという名の青年の美しさを聞かれても、凛は美しいとしか答えられないだろう。この世のありとあらゆる美辞麗句が無駄となる美貌の前では、人は美しいとしか記憶することが出来ないのだ。
 二人の貴族と一人のダンピールの出現によって急速に冷えて行く夜気が、痛いほどに張り詰める。風が触れるだけで頬が張り裂けそうなほどの緊張を、右胸から噴き出る血を左手で押さえた姿勢のゼノン公の慄きの声が破った。

「おお、おおお!! Dよ、よもや人なぞに使役される身になり下がってなお貴様に見え様とはっ。我が愛しき娘アンを誑かしくさった貴様への恨み、滅びて後も消え去ってはおらぬ。いいや、今なお脈打たぬ我が心臓の奥深くでごうごうと燃え盛っておるわ。ここで会ったが百年目、我が槍の錆となれい!」

 百年目が億年目になって変わらぬ憎悪の言葉を吐くだろう。数千年を生きた貴族の武勇がそのまま結晶化した見事な構えのゼノン公。しかし対峙するDは美しさと引き換えに言葉を失ったかのように、夜の祝福を受けた美神の彫像の如く不動。
 薄氷の上に立つかの様な緊張感を先に破ったのはゼノン公である。空高くを気ままに飛ぶ鳥が落ちる裂帛の気合いと共に、銀に鈍く光る戦闘甲冑が超音速で動く。月光を幾百の球に変えて弾く銀の風に、Dの右手から延びる白銀の弧月が迎え撃った。いずれも音は後からやってくる。

「えぁああああ!!」

 まっすぐDの心臓を狙った槍が、下方から跳ね上がったDの長剣に掬いあげられる。長剣の刀身は吸いついた様にそのまま槍を巻き込んで、槍の上を取って地面へと抑え込んだ。槍を絡め取られたと悟ったゼノン公はDが動くよりも早く槍から手を放し、両手に瞬時に二本目、三本目の槍を握っていた。およそ無限に等しくゼノン公は愛槍を補充できると言っていい。
 左右から新たに突き込んできた二つの穂先を、Dは水に沈むかの如く身を屈めてかわし、一本目の槍を抑えていた長剣でゼノン公の首を斜め下方から刈り取りに行った。ゼノン公自慢の甲冑の装甲も容易に切り裂く刃はしかし、虚しく空を切る。
 両手突きの手応えが無いと悟るや、ゼノン公は跳躍し、見事Dの一刀を回避したのである。Dの上を飛び、その黒髪の揺れる背中を見る姿勢にあったゼノン公の目が一瞬光芒を煌めかせる。甲冑に内蔵されているビームだ。だがほぼビームを撃つのと同時にゼノン公は首を横に振った。
 その視線の先に肩をまたいで、丁度背の鞘に再び納めるかの様に突きだされたDの長剣の腹が映っていた。ゼノン公の甲冑から放たれたビームを反射したのは、その長剣の刀身であり、ゼノン公が首を振ったのは跳ね返されたビームを躱す為。
 Dの後方三メートルの位置にゼノン公が着地するよりも早く、風を巻いて旋回しざまにDが白木の針を投じる。一瞬の停滞もない流れる動作の工程で投じられた白木の針は、あまりの高速故に摩擦で流星の如く燃えながらゼノン公へと襲いかかる。
 再び煌めくゼノン公の双眸。ビームがことごとく白木の針を撃ち落とし、その消し炭が風に攫われた時、ゼノン公の目の前には既にDの美貌があった!
 筋一つも動かぬDの魔貌に、戦いの中にあって心縛られたゼノン公が、我を取り戻して身をよじった時、天地を繋ぐ雷光さながらに振るわれたDの一刀がふたたび一度は斬ったゼノン公の右胸を切り裂き、黒血がばしゃばしゃと音をたてて溢れる。甲冑の着用者保護機能が、ゼノン公の生命保護を最優先にし、甲冑全体から白いガスが噴出し始めた。
 貴族には無害だが、人間にはきわめて有害な毒ガスであった。貴族の血を引くDにはさしたる効果の望めぬガスであったが、その召喚主たる少年、そして近隣の人間達には十分な気体の死神である。
 Dが足を止めたのは無関係な人間を巻き込まぬ為か、それともマスターである少年を守る為かは分からない。だが他人の生命にはこれっぽっちも関心を持っていなさそうなこの青年は、足を止めその左手の掌に筋の様なものが刻まれると、それは何かの口の如く開いて、広がろうとしていたガスを急速に吸い込み始めた。
 ものの数秒でガスを全て吸い込み終えると、Dは右手に握る優美なカーブを描く長刀の切っ先を、自然に垂らしたまま、逃げだしたゼノン公もバラージュ男爵も遠坂凛も無視して、自らの背後の倉の中にいるであろう少年、士郎に問うた。深く冷たく、錆と寂とを含んだ氷と鋼の声で。

「お前がおれのマスターか?」

 それが、Dが初めて自らの主、衛宮士郎にかけた言葉であった。


 後の魔術師が語るに曰く、第五回聖杯戦争は聖杯戦争に非ず。呼び出されしサーヴァント七騎の全てが未来の一つより呼ばれし吸血鬼、即ち“貴族”であったという。故に第五回聖杯戦争はかく呼ばれ忌避される。“貴族戦争”、と。

『 Fate / aristocrat war 』



[11325] その3 凍らせ屋 × こち亀
Name: スペ◆52188bce ID:ed06c775
Date: 2009/08/31 22:45
                 『こち屍』

 魔界都市<新宿>に悪名高き最高危険地帯の一つ、河田町と通り一つ挟んだ所にある余丁町にある五階建てのビルに突入を敢行した屍刑四郎を待ち構えていたのは、両手に鈍く光るAK47とM16Aライフルを構えた身長180センチオーバーの男だった。
 いや、いささかその数値は変えなければなるまい。なぜなら辛子色のジャケットを着たその男の首から上はなかったからだ。180センチ引く頭一つ。それが屍の前に立った男の正確な身長だ。
 ソ連製とアメリカ製のライフルを構えた首なし男を前に、屍は唇が吊り上がるのを感じた。不倶戴天の間柄であった国の銃器を仲良く揃えて構えている姿にユニークさを感じたらしい。
 銃口を前にして大した胆力といえた。もっとも、<新宿>警察署の警官なら銃撃戦に身を躍らせる位で縮こまる様な軟弱は一人もいない。むしろ一人でも多く犯罪者を地獄に叩きこんでやれと意気込むようなのばかりと言っていい。
 先発の警官隊が戦闘用ベストに身を包み、アサルトライフルから対戦車ライフル、ロケットランチャーを持ち出して、ビルに立てこもった密輸団を相手に昼間から銃撃戦を繰り広げる中に、連絡を受けて遅まきながら到着した屍は、遅れた分を取り返す様にして誰よりも先にビルの真正面から突入を敢行した。
 185センチの体格は大岩から削り出したように頑健な筋肉を備え、圧倒的な質量に躍動する野生動物の俊敏さを持っていた。油をこってりと使わなければ到底まとめられないドレッドヘアに、左目を覆う黒く焼かれた刀の鍔。
 身に纏っているのは外の警官達の様な戦闘用ベストやメカニカルスーツとは違うシルク地の、くるぶしまであるコートだ。おまけになんの意味があってかコートには無数の花が絢爛と咲き誇っていた。
 およそ一目見れば忘れようもない特徴的にもほどがある外見だ。踵に銀の滑車の着いた黒革のハーフブーツが、勢いよく、しかし音一つ立てずにアスファルトを蹴り出した。
 たちまち屍めがけて集中する無数の銃弾やミサイル、レーザーの中をやや前屈みになって走り抜ける。ミサイルの類は腕時計型の多機能モジュール内臓のECMがジャミングしてくれる。レーザーや実弾はひたすら走って回避あるのみだ。時折反撃の銃火が屍の右手の先で膨れ上がる。
 屍の右人指し指が引き金を引いた回数だけビルに陣取った屑どもの命が消え去り、一瞬だけ銃火が途切れるが、すぐさま補充の人員が顔を出してむちゃくちゃに火器を乱射してくる。そのなかを疾風さながらに駆け抜けた屍は、十トントラックが時速百キロで突撃しても耐える強化ガラスに、空いている左掌をぴたりと添える。
 屍を援護しようとパトカーを盾にした警官隊が負けじと、二十ミリモーターガンやら違法炸薬を詰め込んだエクスプロージョンブリットを、ビルに撃ち掛ける。勢いが衰えるどころか時間が経つにつれて互いを繋ぐ銃火をいよいよ激しさを増す。血と死と破壊に闘争本能が果てしなく燃え上がっているのだろう。
 付近の住民も、この規模の銃撃戦には慣れっこだから無事な所まで避難するなり、十分な防弾処置を施した自宅に引きこもって、血と硝煙の匂いが充満し始めた真昼の殺し合いを心躍らせながら見学している。
 ぐぅっと掌を押し付けていた屍が、思い切り左手を引いた。それに引かれる様にして強化ガラスに罅が入るやたちまちばりばりと耳に煩わしい音を立てて砕け散る。
 屍が左手に巻いた腕時計型多目的モジュール内臓の超振動装置の成果だ。砕け散る硝子片の中にすばやく屍が体を潜り込ませた所で、冒頭の首なし男が待ち受けていたのである。
 一階は歯科医院で手前に受付のカウンターと待合室があり、診療室につながる部屋から首なし男に続いて、これまた新しいのが姿を見せた。こんどは顔の左半分が無かった。十代後半、たぶん高校生だろう。
 二重瞼にすっきりとした目元、細い顎先と最近よく見かけるタイプの美男だ。もっとも顔の左半分がそっくり消失し、どろどろと脳漿やら血液やらを零していては屍姦嗜好者でなければ声をかけるまい。
 刺青だらけの上半身に黒のレザーパンツ姿だが、腰に巻いたベルトには戦車の装甲を簡単に切り裂く特殊合金の大振りのナイフが何本も差し込まれている。生命を失った虚ろな瞳は屍を見つめ、その右手には茶色いおもちゃみたいな拳銃が握られていた。
 たしか、矢来町の小学生の男の子が、夏休みの宿題として研究し提出したレーザーガンだろう。この街ではさして目を引くような武器ではないが、従来市場に出回っていたものに比べ格段に値段が安く、威力もそれなりとあって売れ行きは上々だ。
 コスト安の理由は、ボール紙製の銃身と虫眼鏡のレンズだけでレーザーガンが構成されている為だ。特別な塗料などを用いず、レーザーガンを形作るボール紙の無数の角度と構造に、ただのボール紙とレンズが七万度のレーザーを撃ちだす秘密がある。
 歯科医院、美容院、花嫁学校などを隠れ蓑にして区外に<新宿>特産の非合法麻薬や大量殺戮用の妖物を輸出していた犯罪組織兼邪神信仰集団は、まさしく風前の灯となり、死んだ構成員まで投入して生き残りを図ったのである。
 というのも大人しく武装解除し自首しようが、<新宿>警察に容赦、呵責の言葉は存在しない。彼らの冒してきた罪業が明らかになれば、区民達の口からも轟雷の如くどよもす死刑を求める言葉が出るだろう。
 また魔界の法の守護者たる<新宿>警察の猛者共は、凶悪な犯罪者相手を基本的に皆殺しにするし、署の取調室でも犯罪者など廃人にしてしまえ、という内容の苛烈極まる尋問が暗黙の了解になっている。
 それを犯罪者側も十二分に心得ているから、手入れを受ける側はまさしく命がけの猛反撃を行う。かくてこのような紛争地域も真っ青の戦闘が勃発するのである。
屍の目の前に現れた二人はすでに銃撃戦で死んだはずの連中を、組織の抱えている魔道士が死霊を憑依させて操っているのだろう。膝をついた姿勢の屍に三つの銃口が集中した。この街では銃器の口径の大小は大した問題ではない。レーザーガン然り、レールガン然り、炸裂弾やHEAT弾、ひいては銃弾サイズの核弾頭まで存在するからだ。もっとも、二丁のライフルとレーザーガンは一人の人間を死に至らしめるには十分すぎるだろう。
 新たな銃声が、元歯科医院の待合室に轟いた。一つに聞こえた銃声は、実際には六つあった。拳ほどの大きさの炎が、屍の手元で銃声の数と同じだけ咲き誇る。
世界万国の銃器が揃う<新宿>といえど、ただ一丁のみ存在する屍刑四郎愛用の銃。五十口径を越す、規格外輪胴拳銃ドラムの咆哮であった。銃身二十センチ以上、重量三キロオーバーのリボルバーは、きっかり六発の弾丸を吐きだし紫煙をくゆらせていた。
 ドラムの輪胴をスイングアウトし、気化したプラスチック薬莢の溶け残りを除去する。突入するまでと合わせて空になった輪胴に新たな銃弾を補充する。一発、二発、三発……一定のリズムで新たな弾丸が装填され、ついにはその数は十五発を数えた。
 先程の六発の発砲の前に、突入しながら九人射殺していたから数は合う。
 とはいえ、いかにドラムの巨大な輪胴といえども到底収まりきらぬ弾丸の数であった。しかし確かに全十五発の弾丸の補充を終えて、屍はドラムを構え直して上階につながる階段に目をやる。
 それから不意に床に目をやった。事前の調査では地下室の類はない筈であったが、屍の勘が地下に何かあると警鐘を鳴らしている。その場に立ち尽くす事は命取り以外の何物でもなかったが、しばし黙考する様に立っていた屍に大きな揺れが伝わってきた。
 米軍払い下げのアパッチをさらに重装備化した警察ヘリが猛攻を開始したのだろう。レーザーガトリングガンや小型巡航ミサイルで撃墜を試みる屑ども相手に、ヘルファイア対戦車ミサイルか、一〇〇ミリビームキャノンやTOWあたりでも散々っぱら撃ちこんでいるに違いない。
 この犯罪組織が区外に持ち込んだ禁制品が区外で実に四〇名に及ぶ死傷者を発生させ、<新宿>署はこの犯罪組織の完全壊滅を決定した。この街で、この場合に完全壊滅というとこれは、繰り返しになるが構成員皆殺しを意味する。
 それを咎める者は<新宿>にはいない。死には死をもって報わん。それがこの街のルールなのだと、区民全員が骨の髄まで知り尽くしている。例えそれが区外の外の死であれ、原因がこの街にあるのなら。
 屍の突入に警察官が続くよりも早く、屍は待合室の一角にドラムを向けて発砲する。五十センチほどの火花と共に射出された大口径弾丸が、床のタイルの一角を撃ち抜き、その下に隠されていた地下への梯子を晒した。
 上で抵抗している構成員は全員囮という事だろう。ぽっかりと直径一メートルの暗がりが広がる中に、屍は躊躇なく身を晒す。浮遊感が続いた時間から逆算するとざっと地下三十メートルほどだろう。
 <新宿>の地下には人類史には存在しない謎の原人やら五メートルの巨大モグラ、人食いの不定形地下生物やらが何千何万とひしめいている。その防御用にチタン合金でカバーした強化コンクリートで形成したトンネルであった。
 内面側にもびっしりと妖物除けの呪文が刻まれているし、足元に流れる清らかな水の流れも、古い歴史を持つ正統派の宗教の高位の誰ぞやに祝福を受けた聖水ときている。五百年クラスの年を経た怨霊でもなければ、このトンネルに落下と同時に消滅してもおかしくないだろう。
 柔軟な筋肉が着地の衝撃を完全に吸収しきるのを確認し、屍は即座に周囲に視線を巡らす。三百六十度の視界を一度に確認する四方目と、屍の超直感、長年の刑事としてのカン、それらが周囲五メートルに危険はないと告げている。もっとも五メートル一センチは範囲外というわけだ。安心などできはしない。
 ちょうど屍の前方にだけ道が開けていて、背後はコンクリが灰色の壁となって立ち塞がっている。天井に設えられた非常用の青い電燈が拭いきれぬ薄暗闇がそこここに蟠っていて、その中に数ミクロンの食肉虫や透明獣、センチ単位のプラモデルウェポンが潜んでいないとは限らない。
 ぱしゃ、と歩行に伴う水音は気に留めず、屍は一気に駆けだした。夜目が利くよう訓練は受けているし、非常燈も灯っているのでこの程度の暗がりは真昼間に等しい。

「一本道なら面倒はないんだがな」

 ほどなくして足元を流れる水の流れが赤く染まるであろうことを予感させる言葉を、屍は天気が良いな、と世間話をするような調子で呟いた。<新宿>区だからこそ許される犯罪者への慈悲なき仕打ち。犯罪者の命を路傍の石の如く扱う精神。この二つをなによりも体現し、一千以上の生命を撃ち殺した行い故に、この男は誰よりも犯罪者から恐れられる。
 その屍の一つきりの瞳が、行く先からゆらゆらと泳ぐ蛇の様に流れて来た幾筋かの赤いものに気づいて胡乱な光を放った。見竦められた者が、有機物無機物を問わず己の死を意識する、そんな瞳であった。この目に見つめられただけで体調を崩した者は数多い。
 太くごつい屍の指がドラムの引き金を押し上げる。ガチリ、と重々しい音が一つ。何百何千と行ってきた動作であり、慣れ親しんだ音であったが、屍にはそれらに対する感傷らしきものは感じられない。赤く染まっている水流の中を変わらぬ歩調で進み、およそ二分で、倒れ伏した二人の男を発見した。
 背広姿とポロシャツ姿の男である。<新宿>警察所属の刑事達だ。仰向けに倒れている二人の顔を確認し、それぞれの名を屍が口にした。

「阿武沢に矢田か」

 同僚の死に対する悲しみはかけらほどもなく、変わりに仲間を殺された事への怒りが、大地の奥深くで流れる溶岩流の如く血管の中を流れて、屍の闘争心を昂らせた。二人とも心臓を鋭利な刃物で一突きにされて事切れたようだ。屍より早くこの地下道を発見した理由も、屍には見当がついた。
 阿武沢は<新宿>に居る超能力者でも稀な透視能力者だ。おそらくはこの隠し通路の出入り口を見つけ、そこから侵入してここまで来たのだろう。屍に連絡が来ていないと言う事は、二人で手柄を、と考えでもしたのかもしれない。そういえば、矢田は三人目の子供が生まれるから、金がいるとしきりにぼやいていた事を、屍は思い出した。
 独断専行に走ったとはいえ、阿武沢は身体能力や射撃の腕、妖物や犯罪者に対する容赦のなさも、十分一流と屍をして太鼓判を押せるつわものだ。その相棒である矢田も同様である。
 強化細胞手術を受け、素手で戦車の一輌や二輌くらいは、カップめんが出来上がる前にバラバラに解体してのける怪力と、四四マグナムを至近距離でもらってもチタン鋼クラスの硬度を持つ筋肉繊維ががっちりと受け止める。この攻防能力に加えて最高で時速700キロで走行可能な異能力を持っているのだ。
 この二人が組めば、屍と互角とも言われる<新宿>警察有数の敏腕刑事だ。その二人を血の海に沈めるとは、相当のてだれが敵に回ったと見える。二人が握っているグロック17とコルト・ガバメント45口径の弾倉を確かめた屍がかすかに眉根を寄せた。どちらもフルに弾を込めてある。確かめるとチェンバーに送られている分も残っていた。

「こいつらに一発も撃たせずにずぶり、か。二人ともクイックドロウは千五百分の一秒のレコード持ち。音速人かそうとうの魔術師ってところだな」

 死後五分は経過している。追跡が間に合わぬ遠方まで犯人が逃亡するには十分な時間であった。見開いていた二人の瞼を閉じてやってから、屍は隻眼で闇の彼方まで見通そうとするかのような視線を薄暗がりの向こうへと向けた。



 それから、二日が経った。殺人課の刑事として忙殺されるような日々を送る屍は、大久保通りで武装ヘリや戦車、軍払い下げの重武装で暴れ回っていた暴走集団34名の内32名を、抵抗された為やむを得ず――誰も信じてはいないが――自己防衛のため皆殺しにした後、署に戻って自分の机に戻り楽しみにしていた昼食をぱくついていた。
 三合の白米に一キロの牛肉を乗せたギガ牛丼だ。紅ショウガもたっぷり、愛用の湯のみには淹れたて緑茶が湯気を立てている。いつもと変わらぬ険しい表情で割りばしを動かす様子からは、とうてい屍がこの昼食を楽しみにしていたとは窺い知れない。黙々と機械的に口と丼の間で割りばしを往復させている屍の横のデスクに、体格の良い若い刑事が腰かけた。
 <新宿>署でも五指に満たぬ、屍の相棒を務められる刑事の一人、鬼顔だ。レスラーかアメフトやラグビーのプレイヤーのような体を窮屈そうに背広に押し込めている。ここ最近逮捕術でも屍と互角近い力を見せはじめ、署内でも期待の星である。もとは区外の刑事であったが、死を恐れず犯罪者を人間扱いしないまるで殺人狂の様な性質から<新宿>警察へと左遷された若者だ。
 どんなに退屈で平和な地方からの異動でも、<新宿>への異動は左遷とされる。区外の倍以上の給料など<新宿>警察に属する警察署員の待遇それ自体は良い。しかし三百倍の死傷率を誇る<新宿>での業務を望む者など日本全国を探してもまずいない。この街で警察官として生きて行くには、正義感を持った殺人狂とでもいうべき性質が求められるせいもあるし、下手をすれば赴任初日で死んだ例が数多いせいもあるだろう。
 屍がじろりと一瞥するのを気に留めず、鬼顔が腕を組み眉間に深い皺を寄せた顔で勝手にしゃべり始めた。

「屍さんがこの前襲撃したビルの連中、あの屑ども覚えているでしょう? 苦縷々凶神団とかいうガイキチ連中っすよ。あそこの頭の魔術師、どうやら区外に逃げたみたいです」

「なに?」

 最後の一口を緑茶で胃に流した屍が一際胡乱な光を隻眼に宿し、鬼顔を睨みつけた。まるで鬼顔が親の仇か何かと信じ込んでいる様な瞳である。見つめた対象の命を奪う能力を持っていないのが不思議に思える眼力に、鬼顔がばつが悪そうに続きを口にしはじめた。わずかにたじろぐ程度で済むあたりが、屍の相棒足り得る証しだ。

「四谷ゲートの監視カメラに死んだ教団の信者の霊魂に書かせた似顔絵とおんなじ品の無い、根性曲りの顔が映ってたんすよ。記録から消去された映像を再生して分かったみたいです。今入ったばかりの情報です。例の、ぶう、から」

 ぶう、というのは<新宿>で一番とされる情報や外谷良子の口癖である。バスト・ウェスト・ヒップすべて一〇八センチとも、体重二百キロ以上とも言われる肥満の熟女であるが、外谷を敵にしたら一日と<新宿>では生きていけないと言われる情報網の主である。その外谷からの情報ならまず間違いない。

「奴の最後の足取りは昨日の昼に、敵対していた駆徒鵜愚阿炎教団の信者どもと新宿駅で魔術戦をやらかしたっきりからっきしでしたけど、まさか区外に逃がしちまうとは」

「奴の術の肝は分からんままだったな?」

「ええ。高田馬場魔法街のミス・トンブも詳しい事は知らないって話で。とりあえず地獄の魔物の召喚術とか信仰している邪神の力を借りるくらいしか、奴さんの手札は分かってないですね。それ位なら敵対する神性の力を借りるとか魔術封じのお守りを山ほど持っていけばなんとかなりますけど」

「それは殺された矢田と阿武沢も行っていた防御処置だ。ましてや敵対している炎教団の連中なら尚の事厳重に対抗処置をとっている筈だな」

「そこが謎なんですよね。目撃者の話じゃ炎教団の連中、抵抗らしい抵抗をしなかったっていうんですよねえ。催眠術ですかね? だとしたら魔術師の風上にも置けねえって所でしょう」

「そんなおしゃべりをしている暇があるのか、お前?」

 丼の蓋をした屍のセリフに、鬼顔は苦笑一つ浮かべて敬礼をした。ふざけていると取れる態度だが、同僚で同じような真似をする連中は十指にも満たない。屍の機嫌を損ねれば同僚といえども腕の骨の一本、肋骨の二、三本は折られるのを覚悟しなければならない。その気になれば痛みもなく相手が折られた事に気付かせずにおる事が出来る癖に、こう言う時、屍は思い切り痛みを感じる様に折るから、同僚からも畏怖されている。

「これから荒鬼組の手入れに行くところなんで。全員に地獄を見せてやりに行ってきます、じゃ」

 殺人課のオフィス全体に響く大声で怒鳴ってから、鬼顔は逃げ出すようにそそくさと走り去った。装備課で銃器を仕入れにでも行くのだろう。その背をつまらなさげに見てから、屍は緑茶の最後の一滴までぐいと飲みこんだ。
 殺人課の課長が屍に区外に逃亡した苦縷々凶神団の教祖ペグリー・Cの逮捕を命じたのは、それから五分後の事であった。



 四谷ゲートをタクシーで出た屍は件の教祖ペグリーが逃亡したと思しい地域の、派出所にいた。派出所の奥ある休憩室で座布団の上にどっかりと座り、腕を組んで無言の行に勤しんでいる。なおタクシーを使ったのは、普段<新宿>区内で乗り回している屍の愛車が、見る者によって様々な外見に見える特殊な処理を施した車両であったからだ。しかも大抵の人間には霊柩車として眼に映るのである。これでは到底区外には乗り出せない。
 屍は卓袱台を挟んで向こう側に座っている初老の警官の男性を一瞥した。いかにも昭和の日本人といった風体である。太く短い首に太い眉、鼻の下のきれいに整えられた髭。いかにも生真面目そうで頑固一徹、融通の利くタイプには見えない。しかし市民に対して誠実で、親切であろうことは一目で分かる。
 市民に慕われる良き警察官として何十年も生きて来た事が雰囲気として分かる人物で、なんだかんだで屍の心中での印象は良かった。しきりに汗を拭って、緊張を露わにしているのが少し気の毒だと、屍は思っていた。
 気まじめ一辺倒に生きていたこの初老の警官には、この世に生じた癌、悪徳の都市、魔界、と様々なおぞましい形容の言葉で呼ばれる<新宿>から同じ警官とはいえ、何者かが訪れてくるなど、奥に一つも考えなかった事態に違いない。
 それに区外の住人は、<新宿>からやってきた区民の存在を敏感に察知する。細胞のレベルにまで浸透した<新宿>の妖気は、目に見えぬが確かな異常として察知されるのだ。
 <新宿>区民が、区外の人間となるにはしあわせに暮らす事が必要とされる、一年、そうして生きられれば、雰囲気はだいぶ落ちる。もう一年、しあわせでいられたなら、<区外>生まれと変わらなくなる。だがそれは、極めて稀な例外であった。
 しかし、と屍は人知れず嘆息する。<新宿>署を除けば日本警察の中でもっとも異彩を放つ署の管轄内にペグリーが逃亡するとは。そんな事がなければ屍がこの派出所を訪ねる事もなかっただろう。
 今回、屍にはここの地理に明るい警官が一人相棒としてつけられる。事前にここの警察署の署員で屍が、自分の相棒に選ばれるのでは、と予想したのはニューヨーク市警に在籍、元傭兵でありグリーンベレーでもあったという署員や、世界最高クラスの超能力者(ただし四年に一日しか目覚めない)などの面子だ。
 その面々の内の三人がこの派出所にいる。さっき湯気の立つコーヒーを入れてきてくれた美人と若い警官の二人がそうだ。美女の方は最高級のフランス人形が、可愛らしさをそのまま残して大人の女性として、その美貌を大輪の花の様に艶やかに咲かせたようなとびきりの美人だった。
 超ミニ丈の、しかもピンク色の制服姿とその美貌、スーパーモデルの中でも数える位しかいない豊満な肢体の持ち主だった。だがそれだけなら、屍が相棒になると予想する面々に加えたりはしない。射撃の腕はオリンピックの金メダリスト級、逮捕術をはじめとする各種格闘技の腕も一流で、この派出所に在籍して長いから地理にも明るいし、国際A級ライセンスを持っていてドライビングテクニックも超一級だ。
 フランスと日本人のハーフであるその美女と一緒にいた若い警官も同様である。茶色の髪の下に実際に超一流のモデルとして現役活躍している美貌をもった青年で、黄色と黒のストライプ模様の、極めて特徴的な制服(三百万円相当らしい)を着ていた事と、腰に下げているのがニューナンブではなく、ダーティ・ハリー愛用のマグナムだったのが印象的だ。屍も噂には耳にした事のある、区外の警察で例外的に私服同然の制服の着用が認められている二人が、この美女と青年の事らしかった。
 二人とも世界有数の大財閥の令嬢・御曹司で、その資本と社会的影響力を使って私的な制服の着用を認めさせたのだろうと噂されている。それ以外にも様々な事にその力を使って、一般の警官には不可能な振る舞いを行っている。
 悪徳警官の事が犯罪者よりも憎く、上司や同僚の何人かを血祭りに上げた屍としては、それだけなら好感を持てる相手ではなかったが、これまでの行動を調べてみると犯罪と言える様な事が無く、純粋に他者の為という行為である事は明白で、どうこうしようという気にはならない。
 以前にSWATに続く警察特殊部隊が試験的に結成された時も、その隊員に美女と青年の二人は選抜されており、その能力の確かさは屍も認めている。ただし、区外の警察官としては、というセリフが着くが。
 屍が派出所に到着し、相棒と引きあわされる約束の時刻を既に三十分過ぎていた。出勤してきた相棒と初対面をする手はずになっていたのだが、どうにも問題のある相棒らしかった。斜向かいの家を訪ねるのに、時に半日費やす様な事態が頻発する<新宿>でもあるまいに。
 やれやれ、と屍が蚊の吐くような小さな溜息を吐いた時、ぎぎぎい、と耳をつんざくようなブレーキ音が派出所の前から聞こえてきた。自転車のブレーキの音だが、相当無理をさせた急ブレーキらしい。さっきの美女と青年が慌てだす気配がした。どうやらブレーキ音の主が、遅れていた相棒らしい。
 その内に、ひどいダミ声が聞こえてきた。品という言葉を知る人間なら絶対に出さないと断言できる声だ。はるか太古に猿から変わり始めたばかりの原人に、むりやり現代人の言葉を喋らせたら、こんな声になるのかもしれない。その声に紛れてからんころんという音も聞こえる。
 がら、と音を立てて障子を開いて顔を覗かせた男を、屍は頭のてっぺんからつま先までじろり見た。黒い針金を一本一本植えこんで刈り上げた七分刈りの頭。真っ黒く大きな毛虫が二匹止まっているみたいに繋がっている眉。碁盤か将棋の駒みたいに角ばって分厚い顎には手入れを行っている無精ひげがまばらに生えている。顔の中央には大きな鼻がどっかと胡坐を組んでいた。
 制服の袖を肘の所までまくり、足元は便所サンダルときた。からんころん、という音の源はこれらしい。サンダルを履いている足の方も脛のあたりまで裾がめくられていて、腕と脚、はだけられた胸元からも密集した林の様に一本一本が太い剛毛が、びっしりと生えている。
 屍の異様な姿に驚いた顔をしている三十代半ば頃の男は、がに股、寸胴の胴体、短い手足と数世代前の日本人らしい体格をしていた。背丈も170センチはあるまい。ほとんと絶滅しているんじゃないかと思える古い日本人日本人している、この中年が屍の相棒であった。
 屍の放つ<新宿>の住人特有の雰囲気に縮こまっていた初老の警官――大原巡査部長が、怒りよりも安堵を露わにして、障子を開けた姿勢で硬直していた中年警官の首根っこを掴み、その頭を屍に向けてなんども下げる。痛てててて、と中年警官が叫ぶのもまったく無視している。

「屍警部、たいへん遅くなりましたが、これが貴方の道案内をいたします、両津です!!」

 これが、<新宿>警察最凶最高の警察官“凍らせ屋”屍刑四郎と、<新宿>の警察官さえはるかに超越して、日本警察の頭上に燦然と輝く日本警察史上最大最凶の問題児、両津勘吉との、ファーストコンタクトであった。

『こちら葛飾区亀有交番前派出所、屍』 前編

――後編へ続く。





後書き
ヤカンさん、にゃーさん、ご指摘ありがとうございました。これで問題ないでしょうか。またご感想を下さった皆さんにも感謝を。ありがとうございます。



[11325] その4 魔界都市ブルース × 魔王伝 × 夜叉姫伝 × Fate
Name: スペ◆52188bce ID:3e1ef3fa
Date: 2009/09/02 21:03
その4 『 美しき聖杯戦争 』 


 衛宮士郎は、何が起きているのか理解できなかった。今、自分がいる場所が生まれ育った町である事は確かな事実の筈だった。だが、確実に、ここは彼の知る故郷ではなかった。
 歩き慣れた道の左右を囲む家屋も、じじ、と小さな音を立てている電灯も、スニーカー越しに硬い感触を伝えてくるアスファルトの地面も、何もかも見知ったものと変わらぬ形をし、色をし、変わらずにそこにある。けれども、そうであっても、断じてここは彼の知っている場所ではなかった。
 きっと、士郎の横で茫然と立ちすくんでいる遠坂凛も同じ心だったに違いない。ともすれば、自分達とは比較にならぬ濃密な生を生きた英雄たるセイバーや、アーチャーでさえ、そうであったかもしれない。銀盆の如く天空に座して輝く月の美しさは変わらない。黒いびろうどに散らした宝石の様な星の光の輝きも変わらぬ。
 しかし、肌を刺す冷気を運ぶ夜風は甘美な恋の夢に沈んだ乙女の吐息のように、甘い熱に浮かされて地面へと落ちて蟠り、降り注いできた月光、星の光はとある一点まで降りてくると、濃密な液体と見紛うほどにより一層輝きを増して滴り落ちている。まるで世界が光の滝に打たれているかのように。
 衛宮士郎が良く知っている筈の世界は、そこにある者達が出現した事によって外見のみを残して、その性質を明らかに変貌していた。路傍の石、冷たい電柱、羽虫の群がる電灯、それらすべてがおのずから輝きを放ち、自分達の領土に足を踏み入れた者達を祝福し、歓迎している。
 夜の闇の中で、この星の全てを照らし出す様な輝きに溢れていないのが不思議なほど、士郎の目の前にいる者達は―――――美しかった。そう、美しい。美しすぎるほどに。
 士郎たちを背後に庇う位置――庇うつもりがあるかどうかは甚だ怪しい所であったが――に立つ、頭のてっぺんからつま先に至るまで黒で揃えた青年が、普段なら年中縁側で日向ぼっこしているみたいにのんびりとしている顔に、珍しく緊張の色を浮かべていた。
 明日世界が終ると言われても、顔色を変えないと、知人から断言される性格のこの青年が緊張を隠さず、いや、隠せぬのは、世にも稀な事であった。比喩でも誇張でもなく世界の終焉に比する一大事が勃発しているのではあるまいか。
 青年――秋せつらは、恍惚と戦慄のカクテルに酔いしれている背後の四人の事は頭の片隅に留めて、この事態にどう収拾をつければよいのだろうと、心底困っていた。およそどんな時でもぬーぼーとした表情を浮かべているから、実は事態を切り抜ける切り札か方策を隠し持っていると、よく勘違いされるのだが、実際には何にも考えていなかったりする。
 そしてこの場合、せつらに特に打つ手はなかった。小細工もへったくれもなしに、実力でこの場を切り抜けるしかなさそうだった。
 どうしてこんな事になったのだろうと、せつらが思い返したかは分からない。たとえ昨日の事であっても、過去に思いを馳せるのとは最も縁遠い人間である。だから、この冬木市を訪れる事になった事情と、初日に起きた出来事に思いを馳せたとしよう。



 まず過去の舞台は東京都二十三区の一つ新宿区に一時映る。だが、そこは尋常な物理法則の庇護下にある常識の通じる世界ではない。真に今の新宿を語るならこう呼ばなければならない。

“魔界都市<新宿>”と。

 ぐるりと旧新宿区の境界線を囲む幅二百メートルに渡って広がる大地の裂け目。果てしない暗黒のカーテンが下りた奈落は、あらゆる可視光線を吸収し、底の映像を捉えた例は無い。そして“亀裂”から噴出すガスは超高々度以外の上空からの侵入を阻止し、“亀裂”の上に渡された三箇所のゲートと大橋以外の行き来を拒絶する。
 十数年前に起きた都市直下型地震によって壊滅した新宿区。だが、その時起きた地震はただの地震ではなかった。なぜなら、新宿区の一ミリ外では地震による揺れどころか、新宿区の建造物が崩壊する音すら伝わらなかったのだ。音も無く、余波も無く崩壊する新宿の様は、区外の人々に悪夢の如く心に焼きついたのだ。
 数千名の死者とそれに倍する行方不明者達は地震の規模からすれば、不謹慎ながらも少ないと言える数だった。だがそれは、地震の後の悪夢に捧げるための生け贄とする為に生存者を残したのだと、生き残った区民の間で、まことしやかに囁かれる事になった。
 崩壊した市ヶ谷の遺伝子研究所から流出したサンプルの数は数十万を超え、その数値を見た生き残りの所員は自ら命を絶った。崩壊した新宿区内の名所や平凡だったはずの跡地からはこの世ならざる異界の妖気が立ちこめ、遺伝子に変異を生じた数多の凶獣達が毎分ごとに誕生。また地震によって命を失った者達もその妖気の影響を受けて膨大な数の死霊となって生き残った人々に怨嗟の声を上げた。
 人々は新宿が最早、どれだけの年月をかけても元の新宿に戻らぬ事を知った。既にそこはこの星の上にありながらこの星のものではない、地獄の如き世界へと変っていたのである。故に、旧新宿区は“魔界都市<新宿>”と呼ばれ、<新宿>を生み出した地震を“魔震”と、畏怖を込めて呼ぶのだ。
 かつての面影などほんのわずかに留めるのみとなった、西新宿の一角に、三代続く由緒正しいせんべい屋がある。墨痕淋漓と書かれた看板には“秋せんべい”の文字。営業時間の筈であったが、店には耐ロケット弾処理の施された特殊合金製のシャッターが下ろされている。
 裏口から直ぐの六畳一間では、掘り炬燵に足を突っ込んだ青年が両手に持った湯飲みをズズズと口につけていた。黒いシャツに黒いタートルネックのセーター、黒いスラックス、ハンガーには黒いコートが掛けられている。髪も瞳も黒一色だから揃えているのだろう。右手の辺りにドラムバッグが置いてあった。これからしばらく留守にする所なのである。
 店の主人、秋せつらだ。眠たげに閉じていた瞳を開き、湯飲みをそっと置いた。指の離れた湯呑みが、未練を抱いているように見えたのは錯覚か。そっと離された指の輝くような肌。密やかに桜色を乗せた爪の美しさ。人の持つ手にあって良い美しさではなかった。
 ならば、手のみならず顔形も美しいのか? 疑問を抱くものあらば一目でその思いは、業火の前に配された氷塊の如く溶け行くだろう。そしてこう思う。あるいは人間らしい感情を浮かべたなら、私たちと同じところまで堕ちてきてくれるかもしれない、と。
 生涯に一筆だけ振るうことを許された天下無二の名人が全身全霊を込めて引いたかのような美眉。それが顰められる物憂げな表情。
見つめられるものがそのまま心の臓を止め、恍惚とした心持のまま昇天したいと、胸を掻き毟る程に暗く輝く瞳。そこに走る激情の色。
 触れる大気、吐き出される吐息のひとつひとつにすら心奪われるような唇とその奥にある白の色を這わす歯の並び。それが食い縛られる怒りの相。
 万に一つも秋せつらがそんな顔をすることはあるまいが、もしそうなっても、人々は絶望するだけだ。自分たちと同じ感情を抱いて尚この男は美しい、人間ではないのだと。
 せつらはうんしょとじじむさい声を上げて重い腰を上げ、ドラムバッグ片手に三和土に降りて、裏口から店を出た。

「おお、寒」

 と白い息と共に実にシンプルな感想を一言漏らす。せつらに降り注ぐ白い雪。地上に堕ちた天使を憂う天の想いが形にでもなったものか。
 季節は冬。一月と二月の境だった。これからせつらは副業である人捜しに出かけるのだ。十年前に行方不明になった弟を探して欲しい、生きているにしろ死んでいるにしろ、病に伏した母親の最後の頼みだと、依頼人は涙を拭いながら語った。
 場所はどちら? というせつらの声の後に続いたのは ○×県冬木市という地名。弟さんのお名前は? 依頼人の答えは■■■■。
 せつらはまたホウと息を吐いた。息が白いのを面白がる子供の風情があった。

「西日本か、遠いなあ」

 そうして<新宿>一のマン・サーチャーは数日の間<新宿>から姿を消したのだった。



 駅にせつらが降りると、周囲の人々は時が止まったかのように動きを止めた。真に神々しい存在を目撃してしまった無神論者か、芸術の真の意味を悟った不遇の芸術家の様でもあった。
 どちらにせよ、それを知る前と同じではいられないという点では同じだ。精神のどこかが変わらずにはいられぬ存在との遭遇という意味では。その、注目の的であるせつらは、手でつかみとれそうな位に密度の濃い周囲からの視線を、ちっとも気にせず腰に手を当ててポンポンと二度叩いた。

「お~痛。やっぱり夜行列車はつらいね」

 等とのたまった。旅費をケチったらしい。それから出口のほうに向かい、何十人も壁のように立つ人々のほうへと足を向ける。途端にモーゼを前に割れた海の様に人々が別れて出来たせつらの為の道を、ど~もと会釈しながら通り、外へと出た。
せつらが過ぎ去った後には、二度と戻らない宝を失ったかのように、あるいは良い夢に浸り続けるように眼を瞑り、恍惚とした表情を浮かべた人々だけが残された。その日一日、その駅を利用した人々は不思議な違和感を覚えた。
 ある人は、駅が輝いているような気がする、と言いまたある者は、雰囲気がなんていうか奇麗になっている、と言った。せつらが去ってから、それは終電が出た後も続いたのだった。
 せつらは依頼人のかつての住所の辺りをうろついた後、冬木市を構成する“新都”と“深山町”の内深山町へと足を向けた。戸籍謄本の類や写真は生憎と十年前の大火災で失ってしまったらしく、後は名前や十年前の顔立ちやら位しか情報は無かった。

「とりあえず同じ名前の子を探してみようか。さて、生きているのか死んでいるのか、はっきりさせないとか」

 依頼人が覚えている限りの特徴を、<新宿>の知り合いの再生画家に描かせた顔絵に向けて、せつらは話しかけた。描かれていたのは、6,7歳位の少年だった。
 大火災の死者・行方不明者に本当に含まれていなければ、とりあえず年齢が十代後半頃、両親ないし保護者が分からず、養子縁組が行われている少年や、孤児の子供を探せばその内行き当たるだろう。今までの経験からすれば難しい、どころか簡単な依頼だ。さしたる苦労も無く終わる、そんな風にせつらは思っていた。その日の晩までは。
 時刻が夜に変わり、せつらは今も似顔絵片手に市内を歩き回っていた。<新宿>で太った情報屋に聞いておいた冬木市の個人情報を検索した結果、該当する少年を手当たり次第に探し、尽くが外れている。とはいえ絞り込むキーワードは多く、特に“十年前の大火災で行方が分からなくなった”というのが効いているから、残すところあとわずかだ。
 せつらは深山町の一角に立つ立派な武家屋敷のチャイムを鳴らした。住人は衛宮士郎という少年一人。年齢や、養子縁組みがなされている事も該当する少年だ。養父である衛宮切嗣は既に他界している様だから本人に聞くしかあるまい。
 ピンポーンと鳴るチャイム。

「………………」

 またピンポーン。空しく響くチャイムの音は一際大きく聞こえる。

「………寝ちゃったのかな? 失礼」

 何が失礼なのか、せつらはそう言って押し黙ってしまった。月光に照らされるせつらの影がわずかに動いていた。指だ。右手の中指が、ほんのわずかな動きを示している。時折、キラっと光って月光を跳ね返す筋があった。
 糸である。秋せつらの使う千分の一ミクロンのチタン鋼の妖糸。特殊な電磁波とミクロ細胞処理および錬金加工が施された妖糸は光の速さで触れたものの情報をせつらの指に伝える。
 先程の“失礼”と合せて考えればおそらく衛宮邸の中に妖糸を忍ばせて住人の在宅を確かめているのだろう。結果はハズレと出た。

「こんな時間に学生が外出か、感心しないなあ。しかしどうやら物騒な事になっているらしいぞ」

 せつらは悩める若き天才哲学者の風情で呟き、そっと溜息を吐いた。どうも簡単には済まないと分かる何かを探り当ててしまったらしい。
 妖糸は屋敷の中に漂う血の匂いと残留する殺気を探り当てたのだ。せつらの妖糸は匂いや電子機器の中の情報までも読み取る馬鹿げた能力を持っている。
 さて衛宮士郎はどこへ行ったのやら、せつらは若干急ぐ調子で妖糸を電柱に飛ばし、振り子のように身を躍らせて冬木の夜を飛翔した。コートを翼のようにはためかせつつ、せつらは同時に妖糸を冬木中に流した。
 風に乗せて流せば、半径数キロメートルに渡るネットワークの完成である。まだ遠くへは行っていなかったようで妖糸はそれらしき反応を伝えてきた。ただし数は合わない。衛宮士郎一人ではなく、妖糸を震わせる反応は複数あった。
 急行するせつらの視線の先で、大きな火炎の手が天へと伸びた。頭に入れておいた地図と照らし合わせると、そこは墓地に当たる。

「あちゃあ」

 ちっともそうは思って無さそうだった。電柱の一つに立ち止まると、足元を二つの影が通っていった。少々遅れたらしい。周囲に他に人影は無く、おそらく人払いの結界でも張ってあるのだろう、とせつらは推測している。妖糸の伝えてきた情報の中には魔術的な反応も含まれていたからだ。
 加えてここら付近に近付こうとした時に、無意識的に避けようとする精神の働きを知覚していた。おそらくは“ここに近付くのを忌避する”という風に働きかけて人除けをしているのだろう。気付いてしまえばさしたる効果は上がらないようではあったが。
 ここで考えるべきは去っていった二つの人影を追うか、あるいは爆発のあった墓地へとこのまま向かうか。

「重要参考人に話を聞くか」

 追う事に決めたようである。そしてせつらは、妖糸を使って電柱から重力を感じさせない動きで舞い降り、影の後を追った。着かず離れず追いかけ、角を曲がった所で少し急ぎ足に変わる。妖糸を巻きつければ良いのだが、万が一気付かれて取り払われると厄介だ。自分の目というのも信頼できる事だし。
 ちょうど角を曲がろうとした所で、せつらは背筋に走る危険を告げる信号に従って背後に飛び退いた。眼前を、巨大な物質が通り過ぎアスファルトの道路を轟音と共に打ち砕く。尾行がばれていたらしく、待ち伏せされたのだ。
 すうっと道路を打ち砕いたモノが持ち上がり、せつら目掛けて再び上段へと振りかぶられてから、落とされた。そしてそれを振るう者もまたせつらの前へと姿を見せた。
 もし、そこを通りがかった者が居たなら、百人中百人が例え一万人になっても目を疑っただろう。何故なら、いつもと変らぬ平凡なはずの夜なのに、黒衣を来た天使と見紛うばかりの、美しい事この上ない青年と三メートルはあろうかと思える鉛色の半裸の巨人とが争っているのだから。
 幸か不幸か、その戦いの場を目撃した人間は戦いの当事者以外には居なかった。鉛色の巨人が、その筋肉の全てが鋼で構成されていると見えてもなんら不思議ではない巨体に相応しい武器を振るった。成人男性よりも巨大な岩塊が申し訳程度に剣の形に整えられ、丸太のように太く岩肌のように荒々しい巨人の右腕に握られている。
 方々に広がる黒い蓬髪、金と赤とに輝く凶光を放つ眼。知性が伴っていたなら世の諸人がその活躍を望み、万の軍勢と金色の鎧、天工の技量で拵えられた剣と盾とを持たせてからチャリオットに乗せ、戦いにのぞむその鬨の声に誰しもが酔いしれただろう。この男が居る限り我らに敵は無し、我らが行く道は唯勝利のみ、と。だが今この巨人を表すに相応しい言葉は例えるなら狂戦士、ベルセルクかバーサーカーか。 
 では巨人と対する青年はどうか。言葉に出来ぬと、誰もが言うに違いない。いくら美辞麗句を並べても虚しい空言と化してしまうその美貌。天の神々も地獄の悪鬼たちもこの美貌に酔いしれ、この青年が死した後は手に入れようと争うのではあるまいか。美しいという言葉を呟くしかその“美”を語れぬ男。せつらである。
せつらに巨人とは異なる、明らかに幼いと知れる少女の声が掛けられた。

「ごめんね、奇麗なお兄ちゃん。私達のことを見られちゃったからには生かしては置けないの、そういうルールだから。でもあの子がサーヴァントなんて庇うから、詰まんないと思っていたのに、お兄ちゃんみたいなきれいな人がそれを覗いてたなんて。お陰であなたと会えたのだから、リンとシロウに感謝しないといけないかしら?」

 どうも、今到着したせつらをずっと覗いていたと勘違いしているらしく、なにやら物騒な単語を含んだ台詞を吐いたのは、巨人を連れてせつらの前に現れた十歳を少し越えた位の外国の女の子だった。
 多く見積もっても十代前半を越えないであろうその容姿は赤い瞳と雪のように白い白銀の髪、白色の玉肌と相まって、例え詩人でなくても、まるで雪の妖精とでも言いたくなるようだ。紫色のコートと、メーテ○のかぶっているような帽子、マフラーをモコモコと着込んだ少女は楽しげに、嬉しげに言葉を続ける。

「大丈夫よ、バーサーカーなら苦しめずに殺してあげられるわ。首から下はしょうがないけど、その顔には傷ひとつつけないから安心して! そしたら家の家宝として大事にしてあげる」

「それはどーも」

 少女に殺人宣言をされたせつらの返事がコレである。一応褒められてはいるから悪い気はしていないらしい。ここらへんのネジの緩みっぷりは、彼の知り合いにも理解できない。更に言えば、この後した『返事』もこの若者くらいしかしそうに無かった。

「とりあえずこんばんは。お名前は?」

 声の口調はぽけっとしているが、ちゃんと少女の耳には届いたようだ。

「名前を聞くのなら聞いた方から名乗るものだけど、襲っているのは私達だし、まぁいいわ。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。長いからイリヤって呼んでね。そっちはバーサーカー、私の最強のサーヴァントよ。あなたは? サーヴァントじゃないわね、マスターの魔術士とも思えないけど?」

「ご丁寧に。秋せつらだよ、せんべい屋のオーナーをしてる。日本語上手だね」

 秋せつら、その名前を聞いたイリヤの顔が音を立てんばかりに強張り、緊張に満たされた。せつらの美貌に蕩け、その美貌の主を殺す背徳の快感に染まった名残は無い。その名が持つ意味をイリヤは知っていた。

「“秋せつら”……<新宿>の主。なんでそんな男がここに?」

 この世ならぬ魔性の都とされる土地は、世界にいくつか存在する。霧深き魔都“倫敦”、異大陸の魔界都市“コダイ村”。そして198X年九月十三日午前三時、新宿区を襲った“魔震”によって第三の魔界都市となった<新宿>において、秋せつらとは触れてはならぬ三魔人と畏怖される者達の一人であった。
 曰く、世界最高峰の暗殺集団“夏柳ファミリー”、世界で五指に入る、コダイ村の暗殺者達“血の五本指”を斃し、米軍の精鋭SAM、同じく米軍特殊戦略部隊を壊滅させ、フランケンシュタインの末裔にして不死であり、人造人間を操るフランケンシュタイン男爵に死をもたらしたと言う。
 そして最も恐れられるのは、この男が“ 姫 ”と呼ばれる伝説の吸血姫を滅ぼした――ないしは退けた男と言われている事だ。“ 姫 ”とは、古代中国の三王朝を滅ぼした悪鬼にして、何時の時代より生きているのかすら、定かではない最強クラスの女吸血鬼だ。
 聖バーソロミューの虐殺を最後に姿を消したこの吸血姫が<新宿>に姿を見せた時、世界中の主たる退魔機関ないし、それに類する組織は<新宿>の外に出てきた時の為に過剰ともいえる臨戦態勢で周囲を囲い込んだ。
 その戦闘能力は、月より舞い降りたある存在によってこの星が意図的に生み出した吸血鬼“真祖”の、最後の生き残りにして最強の真祖といわれるアルクェイド・ブリュンスタッドと同等、性格・過去の行動から見ればその危険性ははるかに上、とされていた為だ。
 そしてその“ 姫 ”を滅ぼした<新宿>そのものとされる男の名を、しかしイリヤは恐れなかった。なぜなら彼女には最強のサーヴァントが共に居るのだから。

「まぁいいわ。あなたがここにいる理由が何であれ、殺さなくちゃいけないことには変わりないもの。やりなさい、バーサーカー」

「■■■■■―――!!」

「近所迷惑だよ」

 言葉にもならぬ咆哮をバーサーカーが挙げて、五メートルはあった距離を一瞬で詰めた。右手の岩剣が唸りを上げて美貌の天使に落とされる。イリヤはせつらの死の瞬間を見逃さぬよう、暗い愉悦と共に食い入るようにして見ていた。だからバーサーカーの岩剣が、せつらまであと五十センチという所で停止した事が理解できなかった。

「バーサーカー!?」

 バーサーカーは自分に逆らってなどいない、瞬時にイリヤが悟り、何が起きているのかその元凶を理解した。ただし、如何なる方法かは分らずじまいだ。

「秋せつら……!!」

「死には死を持って報わん。<新宿>の流儀で、ここは区外だけど、僕も命を狙われた。ならそれ相応にお返ししなくちゃね」

 バーサーカーの剛剣と言うも愚かな一撃を食い止めているのが、岩剣に巻きついた百条に及ぶ妖糸とは、せつらにしか理解できてはいなかった。せつらの美影身が宙を舞った。電信柱に巻きつけたチタン鋼の糸をばねに飛び上がったのだ。
 イリヤは黒に染まった天使の飛翔を見た。バーサーカーが妖糸を千切り、せつらを追う。電光の速さで振り返ったバーサーカーが飛翔中のせつらに剣を上段から振り落とす。それより速く糸が巻きつき、剣の軌道を大きくずらしてアスファルトの道路を大きく穿つ。

「■■■……!?」

 おのれの一撃がどのようにして防がれているのか、“バーサーカー”というクラスの特性ゆえに理性を奪われたバーサーカーに理解できるはずも無く、音も無く千分の一ミクロンの糸がその首に巻きついた。後は引くだけで巨人の首は宙に舞う、はずだった。

「あれ?」

「何をしたかは分らないけど、その様子じゃ何か仕掛けたみたいね。でも無駄よ、サーヴァントには何かの神秘や概念、魔力が篭っていない限り例え核ミサイルを持ってきても傷ひとつつけられないわ。もっともあなたの攻撃に神秘があっても、私のバーサーカーの宝具の前には無意味でしょうけどね」

 自慢げにイリヤがせつらの疑問を解いた。<新宿>の妖物やサイボーグ連中の装甲を、張り詰められた和紙を切り裂く名刀の切れ味の如く切り裂いてきたせつらの糸は、バーサーカーに傷ひとつ付けられなかったのだ。
 では、せつらの糸が霊的存在であるサーヴァントに有効か、といえば十分に通じる。せつらの糸は代々秋一族が宿敵である浪蘭一族と遥か古代から続く死闘の中で、互いに振るってきた技であり、その中にはこの世ならぬ異形の力や妖術を用いたことも少なくない。
 つまり霊的存在との戦いも数多く経験されている。加えてせつらが生きる〈新宿〉には物理攻撃の効かない精神のみが存在する妖物や、不死身の化け物連中も多い。必然的にせつらもそういった連中を倒す斬り方を習得している。
 この場合、相手がサーヴァントであることより、相手がバーサーカーであることが問題といえよう。せつらはサーヴァントって何? という位部外者なのだが。

「もう一度」

 と、せつらが言って妖糸を振るう。通じればバーサーカーは五十以上の肉塊にバラける。妖糸がバーサーカーの肉体に届き、その表面を滑るに留まった。

「だめか」

「■■■■■―――!!!!」

 巨体からは想像できない速度でバーサーカーが迫りせつらに横殴りの一撃を見舞う。音は後からやってきた。この瞬間バーサーカーの剣撃は音速を超えた。上半身を吹き飛ばす勢いの一撃を、せつらは空中に渡した妖糸に飛び乗ってかわした。
 バーサーカーの一撃は音速を超え、確かに常人なら反応すら出来なかっただろう。ただしせつらは勿論常人ではないし、速度で言えば音速を超える高速人は〈新宿〉ならそう珍しくは無いし、戦闘経験もあった。
 加えて、理性が無いバーサーカーは殺気がむき出しだ。それでは機械の殺気すらも感知するせつらの勘に避けてくれと言っているようなものだ。もっとも、ただの一撃でもかすればそのままあの世とやらに行けそうなほどに強烈な一撃だ。せつらは避ける事しか出来ない、とも言える。
 四メートル上空に立つせつら目掛け、巨人が飛んだ。重力をものともせずにバーサーカーはせつらの眼前に躍り出た。ざっと三百キロ超の肉体を飛翔させるとは、常軌を逸した筋力の賜物だ。

「■■■――!!」

 今度こそ、そう念じるイリヤの期待は再び裏切られた。四方から妖糸が伸びてバーサーカーの四肢を縛ったのだ。いくらバーサーカーが力を込め、腕や足を伸ばそうとも糸がその分だけしなり、たわみ、如何なる剛力でも脱出できぬ束縛となっているのだ。かつて闘った“ 姫 ”も独力では脱出できなかった妖糸の緊縛術だ。
 妖糸の上に立ったまま、せつらがイリヤを見た。目が合い、イリヤは恐怖に心臓を握られたような錯覚に陥った。あの男は自分に決して容赦しない、相手が年端も行かぬ子供であろうと、足腰の立たぬ老人であろうと。
 一度敵と見なしたならば、いかなる情も見せずに殺す。せつらが“魔界都市<新宿>”の住人であると、イリヤはようやく理解した、
 せつらはなんでそんな顔してんの? といった表情でゆっくりとイリヤに向かって妖糸の上を歩いて近付き、妖糸から飛び降りた。
 白い妖精にそっと忍び寄る秋せつらの妖糸、それはイリヤの命運は暗い死出の旅路へと繋がれ様としているということだ。その時であった、バーサーカーを縛る糸が手ごたえを失ったのは。

「!」

「■■■■■■―――!!」

 せつらの背後にバーサーカー。巨人の巨体が、せつらから月光を遮った。間一髪、コートの裾を犠牲にせつらがバーサーカーから飛び退く。イリヤに向かい、緊縛の糸を送ろうとしたせつらに対し、バーサーカーが霊体化して糸をすり抜けてせつらの背後に立ったのだ。

「バーサーカー?」

 それがイリヤの意思でも指示でもなく、理性を奪われたはずのバーサーカー自身の意思によるものだと、せつらにもイリヤにも分らない。ただ

(あの人、狂わされているのじゃなくて……?)

 と、せつらが一瞬交わした狂戦士の瞳の中に、理性の輝きを認めた。殺戮の夜は、死闘の夜は、まだ始まったばかりだった。

「区外も物騒だなぁ」

 と、のほほんとしたせつらの言葉が夜に木霊した。
 相対した両者の距離は五メートル。バーサーカーならば一足、せつらならばコンマ一ミリ以下の指の動きで相手を殺傷せしめる距離だ。お互いに相手が秋せつらとバーサーカーでなければ。
 バーサーカーがせつら目掛け下手に攻撃を仕掛ければ、妖糸は容赦なくイリヤの幼い少女の柔肌に食い込み、そのチタンの糸の贄となる。
 せつらからしても、先程までのバーサーカーまでならともかく“今の”バーサーカーは違うと感じている。死闘という言葉が霞む戦歴と、あまりに生と死の境が曖昧な日常を生きる<新宿>区民の勘が出した結論であった。

「……」
 
 唐突に鋭い痛みがせつらを襲った。先程のバーサーカーの一撃の余波が、かわしたつもりだったせつらの背を剣風で切り裂いていたのだ。
 ざっくりと開いた切り口からせつらの白磁の肌へ血の赤のコントラストを刷いている。バーサーカーが動いた。その名に似つかわしくない理性あるものの動きで。

「■■ッ!」

「元気な事」

 バーサーカーが足元に走った妖糸を飛び越え、頭上から降り注ぐ雨の如き妖糸を岩剣の一振りで斬り千切る。見えているというのか、百万分の一ミリ、千分の一ミクロンの妖糸が!? バーサーカーの巨体が繰りだした疾風迅雷という言葉を体現したかのような一撃。それは大瀑布の重圧と必殺の運命を携えた“死”。
 せつらは一センチくらいの糸玉を放った。それは数千条に及ぶ妖糸の塊であった。バーサーカーの一刀を解けた三千の糸が九千の斬撃で相殺する。せつらは同時に背中の傷を妖糸で縫合し、痛み止めと血止めのツボを刺激。神経と血管に妖糸を流し絡ませて応急処置を終える。
 バーサーカーのアキレス腱であるイリヤに注意を向けると

「■■■■■■――!!」

 バーサーカーがさせじと裂帛の気合で迫り来る。

「おっかない保護者がいるもんだ」

 という余裕のありそうな台詞に反してせつらの表情は厳しかった。必殺の糸は通じず、突破口であるイリヤには手が届かない。これでは万に一つの勝機すらないではないか。如何にしてこの状況を打破するのだ、魔界に生まれし翼無き魔天使よ?

「三十六計逃げるにしかず。三十七計目を決め込むか」

 戦う必要性を見出していなかった。

「■■■ッッ!!」

 はっと気付いた時には目の前にバーサーカーの岩剣。電灯に照らされる一角にしぶいたのはせつらの血であったか。やった、とイリヤが小さく心の中で喝采を挙げて、バーサーカーを見上げようとした。止まった、その動きが。バーサーカーの巨体から噴出す闘気は収まらず、より一層激しさを増していた。
 何故? バーサーカーに左肩を割られ、遠のいた黒衣を纏った美青年が変わったから。
 左肩から血を流しながら、せつらはすっくと立ち、バーサーカーとイリヤへと顔を向ける。やや俯き加減で、前髪で目が隠れていた。月もまた雲に隠れた。恐ろしいものから姿を隠すように。
 月が再び雲から姿を現す数秒の間に、イリヤはこうせつらの唇が紡いだ言葉を聞いた。

「出会ったな。“私”と」

 “僕”では無く“私”。秋せつらの自らを呼ぶ呼称が変わる時何が起きるのか。イリヤは動かなかった。バーサーカーが動いた。“私”のせつらもまた。
 凍てつく空気、心臓すら動く事を止めてしまいたいと血管を破って絶叫を挙げるかのように一変した、闘争の場。全てはあの美しい青年が起こした現象だ。“僕”が“私”に――秋せつらから秋せつらではないモノへと変わる儀式に伴う異界の空気の顕現。
 何なのこの男――!? 声無き悲鳴が、イリヤの魂から響き渡った。聞き取ったのは、従僕たる巨人。

「■■■■―――!!」

「妖糸では断てないのではない、“僕”が未熟なだけだ。私が斬る事ができなかったのは断じてお前では無いぞ」

 ああ、声も顔もそのままだ、だが違う、何かが、決定的に違う。この男は秋せつらではない、ならば何者だ? ある男はこう言った。“羅刹のせつら”と。
 月光に煌めく妖糸、びうんというかすかな音がした後、ばしゃばしゃという水音と水溜りに小さなものが落ちる音とが続く。イリヤがバーサーカーを見下ろした。見上げねばならぬほどの巨体は、いまイリヤの足元に落ちていた。
 イリヤの靴に赤いものが忍び寄り、靴の形に添って流れた。血だ、バーサーカーの。ああ何という事だろう。傷つく所など想像する事さえできないような、あの鉛色の巨体は無残にも形すら残してはいなかった。
 三百六十度あらゆる方向から襲い来る妖糸に、万の肉片に切り刻まれたバーサーカーの死体が、イリヤの見つめる先にあった。惨劇を通り越したその姿は不思議と吐き気やおぞましさを抱かせなかった。脳がその惨状の凄まじさを理解できないからかもしれない。
 バーサーカーの流した――いや、ぶちまけられた、というべきなのか――血から立ち上る白煙と匂いが、イリヤの触覚と嗅覚、視覚を嬲る。発狂してもおかしくはない惨劇。
 コツリ、夜陰に響く黒靴の音。イリヤが振り向いた。或いは振り向かされたか、錆びついた機械人形の動きであった。
 再び絡むせつらとイリヤの視線。せつらの瞳には何も浮かばない。ただ冷たく、静かで、恐ろしく何よりも美しかった。
 “魔人”その言葉の意味を、イリヤは風前の灯となった運命の果てに悟った。

「他者の命を狙う以上自らの命を失う覚悟はあるな。無くとも結果は同じ、お前は“私”と出会った。気の毒に“僕”ならばその命助かったかもしれん」

 動きともいえぬわずかな動きが、せつらの左薬指で行われた。寒々しい冬の清雅な空気に舞うのは、白銀の髪を翻すイリヤの幼く愛らしい顔を載せた首か。

「■■■■ッ!!!」

 許さぬとバーサーカーが吼えた。切り上げられた岩剣を、妖糸を使い、電柱に絡ませて飛んで回避し、空中に渡した妖糸の上に立つ。

「再生能力か複数の命でも持っていたか……死にながら尚主を守るか。見事、と言うべきかもしれんな」

「バーサーカー!!」

 自らの従僕によって救われたイリヤが、バーサーカーの名を呼ぶ、だが答える声はなかった。せつらの“死にながら尚”という言葉がその答えだった。
 岩剣を握る太いワイヤーを幾つもより合わせたような豪腕、狂気を宿しながらも威厳を失わない顔、鋼よりも頑健そうな分厚い胸板、だがバーサーカーの肉体はそこまでだった。
 胸から下と左腕は今だ血の海に蠢く肉片であり、バーサーカーはまだ蘇ってはいない死んだままなのだ。胸から上と右腕、顔、の上半身の一部だけの状態からイリヤを守るために一撃を振るい、大気の中を忍び寄っていた妖糸を斬って見せたのだ。

「……」

 せつらが動くか否か、緊張に満ちる時が流れ、唐突にせつらが背を向けた。

「邪魔が入ったか」

 彼だけに分かる何かが起きたのだろうか? イリヤとバーサーカーにはもう興味は無いとでもいう風にあっさりと背を向けてしまったではないか。だが、イリヤもバーサーカーも去り行く黒衣の背を見送るだけであった。バーサーカーはようやく下半身の再生が始まり、イリヤは息をする事さえ忘れていそうだ。
 せつらがわだかまる闇の奥に消えてから一分、二分と時が経ち、やがてイリヤがペタンと膝を突いた。目尻に、うっすらと光るものが滲んだ。
 怖かった。あの眼で見つめられるのが、あの声を聞くのが。美貌の魔人が、呼吸する音を聞くことでさえあの男の存在を意識してしまい恐ろしかった。
 あの瞳が語っていた。お前を殺すことに躊躇いは無い、と。手段は分からぬが、永劫に救われぬ様な殺され方をした自分の姿を思い描き、脳裏から消えなかった。
 それからイリヤはただ声を押し殺して涙を流した。過ぎ行く時が恐怖を消し去ってくれるとでもいう風に。今の彼女は強大なマスターでも目的を果たすためには手段を選ばぬ魔術士でも無かった。ただ怯えて涙を流す、触れれば壊れてしまいそうなほど華奢な少女だった。
 やがて、イリヤの肩に再生しきったバーサーカーの大きな手が置かれた。イリヤはバーサーカーを見つめた。バーサーカーの手は大きく、たくましくてゴツゴツとしていた。だが、イリヤが今一番求めていたもの、ぬくもりがあった。優しさがあった。
 イリヤは、バーサーカーの手を少し強く握って、最後の涙を一筋流した。月夜に一際美しく輝いたそれは、ポツリと道路に落ちて小さな染みになった。



 せつらはイリヤ達から離れ、やがて妖糸から降りて誰もいない路地裏の一角で声を上げた。

「ここならば邪魔者は入るまい」

 聞いた者の心臓を止めてしまうような凍てついた恐怖を呼び起こす声。彼は今だ“私”であった。

“良く分かったな。いや、当たり前か”

 せつらに妖糸を通して指から相手の声が起こす振動が伝わった。せつらの妖糸に絡まった魔糸の仕業だ。妖糸と等しく千分の一ミクロンの糸である。糸電話の様なものと思えばよい。

「またお前と戦わねばならんとはな」

“理由が無ければ戦うことは出来無いか? 憎くなければ僕を殺すことは出来ないのか、せつら?”

 苦笑と共に、妖糸を震わせて声が告げてきた。

「いいや、戦えるぞ。相手が幼馴染であろうともな。私はお前を殺したぞ、幻十よ」

“その通りだ。僕はお前に殺された”

 何という奇怪な会話か、せつらは語る相手もいない路地の一角で確かに会話を交わし、しかもその相手を殺したとは、そして幻十とは一体誰の名前であろうか。

「蘇ったか、再び選ばれる為に」

“聖杯を得る為さ。もっとも手段であって目的はお前の言うとおり選ばれることだがね”

「聖杯?」

“どうやら知らぬ様子だな。この街では聖杯を巡る魔術士どもの戦いが幾度か行われているのさ。お前がさっき戦っていたのもその参加者だ。巨人の方は魔術士が呼び出したサーヴァントと言う上等な使い魔だよ”

「お前も参加者か」

“その通り。僕もまたサーヴァントと言う身の上になってね。お荷物を抱えて戦っている。あのバーサーカーという巨人を厄介な相手と見定めて少々様子を見ていた所さ”

「走狗となってまでも、か。それほどまでに選ばれたいのか? 幻十」

 返事は無い。ただ微笑するような様子が、糸越しに伝わってきた。

“これは忠告だ。せつら。君が何をしにこの街に来たかは知らないが、聖杯に用がないのなら速くこの街を去りたまえ。君でも一筋縄ではいかぬ連中がゴロゴロしているぞ”

「……」

“では、な。話せて良かったよ。本当に良かったか悪かったかは分からないがね”

「立ち塞がるならば敵と見なす、か。お互い憎くなくとも殺しあえる仲か。一度殺し、殺されても因果なものだ」

 それはせつらの独り言だった。既にせつらがかつて争った幼馴染、幻十と彼の操る魔糸の気配は消えていた。せつらは、まるで疲れきった人のように、わずかに背中に暗い翳を這わせた。夜の闇の中でもはっきりと分かるような、誰も背負いたくは無いと思うに違いない翳であった。



 その日、洋風の広大な屋敷の地下室で、二人の女がこんな会話を交わしていた。

「先輩……ずっと、ずっと好きでした。私は貴方を……」

「ふふふ、それ程までにその男が恋しいのか、桜? じゃが男はお前の想いなど気付いてはおらぬようじゃな。それどころか……見よ」

 明かり一つ無い暗がりの中で、一体何が見せられたのか、片方の女が息を呑んだ。

「姉……さん」

「ほほほ、お前の姉がお前の愛しい男に近付いておるぞ。それだけではない、この男はお前の想いを放って自ら死地にも出向くぞ? そしてその傍には、ほれ何とも愛らしい騎士が一緒じゃ。姉だけではない、桜よ、お前の恋を妨げるものは多いようじゃ」

「い…や、いやあ、先輩はずっと私が、私が……」

 桜と呼ばれた女が苦しむ様子をさも楽しげに見ているであろう女が、やがて桜には聞えぬように小さくとある名を呼んだ。それは桜に耳には届かなかったが、確かに言葉であった。

「せつら、お前なのか」

 憎むような、慈しむような、引き裂かれんばかりの感情が胸で渦巻いているに違いない声だった。ただ誰もがある一つの事に気づくだろう。声の中に、愛情が込められていると。



 せつらは、誰かに名前を呼ばれたような気がして振り向き、気のせいか、と結論して、ふと月を仰いだ。鏡のごとく澄み切った水面に映える月、朧雲に見え隠れし月輪を仄かに光らせる月、満天の星空の中空にあってなお一際輝く月、そのすべてに見惚れた事が一度もない様な青年が、なぜ月を仰ぎ見たのか、本人にも分からないかもしれない。
 月が写す影さえも美しい魔人は、やがて冬木の闇に消えた。



――そして、今。
 せつらはビルとビルとの間に渡した千分の一ミクロンの糸の上に立つ男を見上げ、それから足元を流れる銀流の上を悠々と渡りながら姿を見せた古代中国船の住人を見た。共にかつてせつらと死闘を繰り広げた二人である。一度は着いた決着を再度つける様な事になるとは、さしものせつらも夢にも思わなかったに違いない。
 せつら自身、それにせつらと対峙する二人の敵が、士郎と凛達の心を奪う魔的な美貌の主たちであった。
 見よ。
 天にはアサシンとして召喚された浪蘭幻十。かつて兄弟の様に育った幼馴染秋せつらと、<新宿>の覇権、魔界の王の座を掛けて血で血を洗う死闘を繰り広げ、せつらの振るう妖糸と同じ魔糸を持って数千の死をまき散らした冷美なる魔人。
 天地の狭間に流れる琴の音色を奏でるのはライダー妖姫。かつて<新宿>を訪れた古代中国吸血鬼集団の長にして、秋せつらをも上回る美貌を持つ最強最悪の吸血姫。いかなる手段を持ってしても滅ぼすことあたわず、物理的に滅ぼす事は不可能と言われた女。
 そして、地に立つは魔界都市の申し子、秋せつら。聖杯戦争の重要な駒たるサーヴァントとして復活した幻十と妖姫を前に、せつらはまるで気負った風はなく、やれやれと言った感じでこう、呟いた。

「来なければよかったのに」

 それは、死してなお現行人類よりもさらに進化した存在となるべく執念を燃やす幼馴染にか。
 それとも、せつらを憎み、それと同じかそれ以上に愛したが故に首を落とされた、吸血姫に向けての言葉だったか。
 あるいは、気まぐれで受けた人捜しの依頼で、とんでもなく面倒な事態に巻き込まれてしまった自分の不運を嘆いたのかもしれなかった。
 せつらの嘆息に、船の上で朗々と吟じられる妖姫の歌が重なった。

渡(みづを) 水(わたり) 復(また) 渡(みづを) 水(わたり)

看(はな) 花(をみ) 還(また) 看(はなを) 花(みる)

春(しゅん) 風(ぷう) 江(こう) 上(じょうの) 路(みち)

不(おぼえ) 覚(ず) 到(きみが) 君(いえに) 家(いたる)

 琴の音が絶えた。妖姫が妖琴・静夜の弦を爪弾いていた指の動きを止めた。途端に世界を埋め尽くす尋常ならざる妖気の凄まじさよ。こうして、冬木市が地図から抹消されかねぬ――せつら、幻十、妖姫、そして士郎・セイバー、凛・アーチャーの四つ巴の戦いの開幕が静かに告げられたのであった。

おわり。


後書き

美しすぎる聖杯戦争だと、キャスター=ドクター・メフィスト、セイバー=D、バーサーカー=八千草飛鳥、アーチャー=秋せつら、で考えましたがランサーが思いつかなかったので、美しすぎる、ではなく美しき聖杯戦争というタイトルになりました。
ちなみに、バーサーカーはもう妖糸への耐性ができたので、せつらが勝つにはイリヤを狙うか第三人格の発動しかないだろうなあ、と個人的には思います。真っ当に戦う限りは勝ち目が無さそうだし、バーサーカーが天敵でしょうね。。
次回は、聖杯戦争イン<新宿>の士郎・セイバー編か、こち屍の後編を投稿する予定です。では、お邪魔しました。



[11325] その5 魔界都市ブルース × リリカルなのはsts
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/02 21:42
※残虐な暴力表現などあります。お読みになる方はご注意ください。


『リリカルおせんべい屋さん』


月の明るい晩に
ミッドチルダに行ってごらん
月が双子の姉妹と分かるから


月の明るい晩に
<新宿>に行ってごらん
美しい人に月が嫉妬しているから


198X年九月十三日午前三時ちょうど、マグニチュード8.5を超す直下型の大地震に新宿区は襲われた。死者四万五千名。区外にはわずかな微震も及ぼさなかったこの“魔震”以降、新宿は魔界都市<新宿>とその呼び名を改められる。
<新宿>で月の明るい晩ともなれば数多の妖物、死霊、異常性質犯罪者どもが血と殺戮と破壊を求めて狂いだす死の時間。
対処法が明確かつ容易に行える妖物くらいしか出現しない安全地帯であっても、まっとうな職業の区民なら夜間は外出を控えるのに、一人っきりで夜の小道を歩く人影があった。
ふらふらと頼りない足元に、機嫌よく口から零れる調子と音程の外れた歌、うっすらと赤らんだ頬と、これだけ見れば百人が百人とも酔っ払いだと言うだろう。
街灯の暗がりの下に潜む人肉好みの妖猫のきらきら光る瞳や、月光に照らされた時だけふっと浮かびあがる死霊も、調子っぱずれの歌を聴くとそろって歌手の方に目にやって、そろって時の流れを忘れたように動きを止める。
本来ならその首にかじりついて脛骨ごと肉を噛み裂き、あるいは精神を衰弱させて死者の仲間入りを誘う妖物達が、このとき、たしかにあらゆる欲望をすべて忘れ去っていたのである。
答えはたった一つ――美空ひばりを口ずさむ人影の顔を見たからだ。
人影の正体は二十代半ばほどの青年であった。身に付けた衣服と髪と目の色もすべて黒で統一されていて、まるで夜の闇が気まぐれに人の姿をとったよう。
そしてその顔だちは――およそ人の言葉で例えられるものではなかった。
一国の運命を左右するほどの美女を傾国の美女というが、この青年の前に出れば二度とその美貌を誇ることはせず、鏡を見ずに残りの生涯を過ごすことだろう。
あるいはもしその美女が少しばかり自尊心が高く、恥というものを知っていたならその日のうちに自らの命を絶つに違いない。
自分たちなどよりもはるかに、比較することさえおこがましいほどのあまりにも美しすぎる存在を知ってしまったから。
老いも若いも男も女も、誰も彼もが讃え、魅了されずにはいらなれなかった自分達があまりにも醜すぎると絶望してしまうほどの。
世界一の美男美女が平凡な男女に貶められてしまう美貌の持ち主は、しかし、その見た目にまるでそぐわぬ下手くそな調子で歌い続けている。
自分の美貌の価値をまるで知らぬ様子の青年は、一杯きり飲んだビールのアルコールに全身を侵されて、普段ならあり得ない調子で歌うばかり。
あらゆる毒物を無害化する“賢者の石”を、旧新宿区役所に建てられた病院の院長に、手ずから体内に入れてもらっているのだが、どういうわけでかアルコールには万能の無毒化作用が及ばないらしい。
この青年、名前を秋せつらという。
西新宿二丁目で代々続く秋せんべい店三代目の店長であり、同時に秋DSMセンターという人捜し屋の所長も兼業している。
もっともせんべい店はアルバイトばかりで、人捜し屋の方は助手を雇っていたのはずいぶん前の話になるし、収入はともかく正規の従業員はどちらともせつら一人きりという超零細企業ぶりだ。
自分がどうしもうない下戸であることをよく理解しているせつらは、まずアルコール飲料を摂取することはない。ごくごく例外的に口にするのは、パーティーなどで知己に無理やり飲まされる場合。
そして仕事の依頼主が気持ちの良い好人物で、仕事の成功のねぎらいに一席設けてくれた場合などである。
前者に関しては、以前にそれで記憶を失う魔法薬を飲まされた経験から、今では一切すすめられた飲み物を口にすることはなくなった。
今宵せつらが月の光に酔った猫みたいに機嫌がいいのは、一カ月かかった難仕事を終え、しかも珍しく捜し人が五体満足無事、依頼人は五年ぶりに再会した我が子と涙を流しながら抱擁して再会を喜ぶことができた。
詐欺、窃盗、傷害、誘拐、強姦、殺人とおよそ人間が起こしうる犯罪が毎分単位で発生し、人間以外の遺伝子異常生物、死霊、妖物と命を脅かす危機に事欠かないこの街では、まず奇跡的な確立の出来事だ。
仕事をこなしても依頼人に口封じとばかりに命を狙われること、なんとしても逃げ出そうと捜査対象に襲われることの多いせつらにとっては、極めて望ましい穏便な結末である。
やれやれ、と肩の荷が下りたと思ったせつらは、涙を浮かべたままの依頼人に心を尽くした祝いの席に招かれてこれに応じ、供されたビールで一口ばかり喉を潤したのである。
たった一口のビールでしこたま酔っぱらったせつらは、自分の足で店舗兼用の自宅へと帰る帰路の途中にあった。
人間ばかりか妖物に至るまでその気分を高揚させ犯罪に走らせる月光を浴びて、数十の小さな影が精いっぱいに羽ばたいて、夜空に投影された影のようにせつらの上空で旋回していた。
この<新宿>の外で見かける分には何ら害のない雀である。
しかし、魔界都市産の生物となるとたとえ雀であろうともまるで安心できるものではない。
事実、この雀達はじつに<新宿>の生物らしく、その嘴は稲穂の米粒を突くのではなく装甲車の天井も貫く貫通性を持ち、爪は鉄板を薄紙のように切り裂く妖刀の切れ味を帯びている。
性格は凶暴この上なく、翼長6メートルを超す殺人鷹や<新宿>警察の光学兵器や高火力ミサイルで武装したヘリでさえも臆することもなく襲いかかり、満たされることのない飢えを満たそうとする。
いまも白い月光に落とされた影さえも美しい人捜し屋を獲物と定め、その骨と髄まで食らいつくすために同胞たちと群れだって襲撃計画を練っているところだったのである。
せつらの姿を認めた食肉雀が三十羽ほどの群れで上空を旋回し、高度二百メートルで急降下に移ったが、せつらの後方四十メートルほどの位置でなにか月光にきらきらと光る細いものに切断され、六十個の肉の塊がぼとぼとと地面に落ちた。
一秒前まで厚さ三センチの鉄板も貫く嘴と爪を持っていた元食肉雀達は、十秒とかからずどこかの闇から姿を見せた小型の妖物達に群がられて、血の一滴も羽の一枚も残さず胃の腑に収められる。
背後から聞こえてくる骨をかじる音や血を啜る音が聞こえていないのか、せつらは変わらず調子っぱずれの歌を機嫌よく口ずさむばかり。
今のせつらでは、例え目の前で凄惨な殺し合いが勃発しても、お盛んですね、と的を大きく外した激励をしかねない。
生と死の境が無に等しい魔性の都に住む人間とは思えぬぼんやりとした雰囲気のせんべい屋店主の足が、不意に絶対にあるはずの大地が消失したように揺らいだ。

「おっおっおっ」

せつらの声を録音したテープを、かつてアラブの石油王が日本円に換算して数百億円を叩いて購入したという。一声で何百万の値が着くかわからぬ声は、しばらく、おっおっ、と間の抜けた調子で連続する。
この青年の恐ろしいところはこの春爛漫といった無害そうな調子のままで、十人でも百人でも必要とあれば首を刎ねる事だ。
揺れているのはいまやせつらの体ではなく世界そのものであった。
地震。
<新宿>に住む者なら魔界都市を生んだ“魔震”をまず第一に思い浮かべる自然現象は、この時まるで意思を持った生物のようにせつらの歩む西新宿二丁目の通りのみを襲っていた。
地面に化けて通りかかった通行人を捕食する擬態妖物を避けるために、ミクロンサイズの退魔の護符と高田馬場に住む魔法使い達の調合した魔法薬をブレンドしたアスファルトの地面に、蜘蛛の巣状の罅が瞬く間に広がってゆく。
<新宿>区内のあちこちに存在する深さ無限ともいわれる亀裂の奥に潜むナニカが起こしたものか、地震はわずか一秒でせつらの前後に広がる地面をすべて飲み込み、星と月の光では照らしきれぬ奈落を広げている。
足元に広がる無限の暗黒を気にも留めず、せつらはその上空に立っていた。月光に濡れたように艶光る黒髪とこの世ならぬものを見つめているような瞳と同じ色の靴は、虚空を踏みしめて主を地上三メートルに固定していた。
<新宿>の空は都市に漂う妖気の影響を受けて地上666メートルまで余計な雑物を大気から除外し、世界中のどこよりも美しい夜空を覗かせる。
その満天の星空とまんまるい黄金の盆の様な満月を背景に虚空に立つ黒衣の人。
もしこの一場面を切り取り絵画にすることができたなら、この星が滅びを迎えてもなお残すべし、と人類が手と手を取り合って決意するに違いない人類の至宝が出来上がることだろう。
秋せつら――悪鬼羅刹を名前とするこの世ならぬ美貌の青年であった。

「あら?」

不意にせつらの声が体と共に下方へと落下していった。確たる質量をもった地面が喪失してもなお揺らがなかったせつらは、いまや足元に広がる暗黒へとまっしぐらに落ちていた。
空中浮遊を可能とし、食肉雀達を一羽残さず皆殺しにして返り討ちにした秘密――太さ千分の一ミクロンの特殊なチタン鋼の糸が、落ちゆく体を支えるべく電信柱へと向けてせつらの美指から放たれて、黄金の月光をいくつもの光の粒に変えながら夜気を割いた。
微細繊細なせつらの指の動きによって夢幻にして無限の動きを見せる妖糸は、しかしこのとき使い手を裏切る動きをしていた。
足元に張ることで落下を防いでいた妖糸を断った得体のしれない何かが、いまいちどせつらの放ったチタン鋼の糸を切り裂いたのである。
たとえ焦点温度十万度のレーザーを一時間当てても断つことのできない特殊加工を施した秋家秘伝の妖糸を断ったものの正体を、せつらは最後に妖糸が伝えた感触から理解した。
切断面が異様に冷え切っている。
この現象は過去に覚えがあった。妖糸が存在する空間そのものを断たれた時に発生する現象だ。戦車の主砲の直撃にも耐える怪異な鱗や甲羅を持つ妖魔でさえも切り裂く妖糸といえども、空間ごと断たれては如何ともしがたい。
空間の断裂や空間そのものを振動させる類の魔法や攻撃であったなら、ドクター・メフィスト謹製の漆黒のコートがすべて無力化してくれるが、空間の異常が妖糸を対象としていては防御は不可能であった。
不意にせつらの髪とコートの裾が慌ただしくはためきだす。新しく生じた亀裂の底から嵐が吹き荒れる方向を限定したように強い力が、ぐんと黒影を飲み込もうとしはじめている。
亀裂の底に潜む謎の怪生物がせつらを食おうとしているのか、あるいはブラックホールが生じていたとしてもおかしくない。
ここは<新宿>。何が起きてもおかしくはない場所。人ならぬ命、死者さえも生きることが許される都市。ゆえに冠せられた魔界都市の号。
奈落の底から発生する猛烈な吸引力にせつらが抵抗を示すのが、常よりも数十分の一秒遅れたのは、やはりアルコールが原因というほかない。
普段なら断たれたのとは別の妖糸を飛ばして遠方の何かに巻きつけて、超音速で逃げだすところであるが、せつらの指が一ミリほど動くよりもはやく、急激に吸引力を増した奈落の暗黒へとせつらの姿は消えていった。

「あ」

と一声こぼしたせつらが暗黒に飲み込まれる寸前に思い描いていたのは、今週で備蓄のなくなるせんべい用の魚沼産コシヒカリの仕入れについてであった。
奈落の奥底へと闇よりもなお黒く暗く、しかし美しい影が飲み込まれた時、せつらは心臓の奥底からこみあげてくる嘔吐感に、意識を失った。



顔に当たる柔らかな感触と肺腑の中まで緑の色に苔むしてしまいそうな濃密な香りが、せつらの意識に覚醒を促した。
五体を投げ出してうつ伏せになっていた姿勢からせつらは両手をついて立ち上がる。うんしょ、と見た目の三倍も年を取っていたら似合う声を出す。
胸や膝の衣服に着いた草きれやほこりを手で払って落とし、せつらはアルコールの残りによって痛む頭に手を当てた。
万分の一秒まで狂いのない体内時計は、最後に意識を失った瞬間から一分と経過していないと告げている。
体内に仕込んでいる妖糸と賢者の石、メフィスト病院のX抗体で体調をセンシングすれば、結果は異常なしと出てくる。
試しに右手の小指を心持ち曲げてみれば、せつらの前方ではらはらと舞い散っていた木の葉がするりと二つに断たれる。
音もなく目に映すこともできないチタン鋼の糸による静寂なる一閃であった。
妖糸はせつらの指の動きによる操作を光の速さで反映させるが、そもそも動きを発生させるせつらの方に問題があれば、直接的に妖糸の精度は落ちて斬撃の鋭さも劣化する。
もはや人間の領域を超えた技術によって成り立つせつらの戦闘能力は、とくに指に傷を負うと一気に低下してしまうのが欠点といえる。
肉体に支障はなし。二日酔いめいた頭の痛みは、あと十分もすれば消えてくれるだろう。となれば後は周囲の状況把握に努めるべきだ。
せつらは年がら年中時間を選ばず、殺し合いの最中でもせんべいを焼いている時でも眠たそうな眼をし、ぽややんと春霞に覆われているような雰囲気の持ち主だが、今もそれは変わらない。
度胸があるとか肝が据わっている、というよりも単に頭のねじが何本も外れているというべきだろう。
ふむふむと何を納得しているのかわからない調子でせつらはぐるりと周囲を見渡す。
折り重なるようにして群生している木々は巨人の手のように大きく広く枝葉を広げ、折り重なった枝から零れる木漏れ日は、黄金の液体のように濃密であった。
手を差し入れればそのまま掌に蜂蜜に似た液体になって留まりそうだ。
呼吸しても体内の細胞と大気が化学反応を起こして毒になるわけでもなく、陽光を浴びても火膨れや癌細胞が発生する様子もない。
半径一キロを妖糸でくまなくチェックしてみるが、ガス状の食肉生物や人肉嗜好の樹木、自分が死んだことに気付かず暴走を続ける首なしのデュラハン・ライダーズの影もない。
少なくともせつらにとって有害となる生物や死霊の姿は付近には無い、と判断してもよさそうだ。

「ふむん」

一声挙げて顎先に右手の人差し指を添えてかすかに眉を寄せるせつらの姿は、およそ視覚を有する存在なら、例えそれが人間でなかろうとも魅了する超越的な美の結晶姿としか言いようがない。
惜しみなく降り注ぐ太陽の光、頬を優しく愛撫してゆく風、圧倒的な質感と共に確かに存在している大地、ざあっと枝葉という楽器で合唱を奏でる無数の木々。
何もかもがせつらの美貌に酔いしれて溶け狂う。人のみならず人ならぬ者さえも狂わずにはおられない。
ナルシズムの欠片でも有していれば、鏡に映った自分の美貌だけを見つめて生涯を終えるだろうが、小指の爪先ほども持ち合わせていないせつら、はとりあえずの身の安全は確かめられたが、行く宛てがないという新たな困難にぶち当たり、そのことに思考を割いていた。
以前、アトランティス大陸の秘宝をその身に宿した一派との戦いの折に、記憶を失った状態で異空間に放り込まれて難儀したことがあったが、その時に近い状況だ。
当面は食糧確保とこの世界の事情を知っている情報源との接触が急務であろう。あいにくと持ち合わせている食料はビスケットのかけら一つもない。
毒物に対して絶対的な効力を発揮する賢者の石とX抗体であったが、流石に餓える腹まではカバーしてくれない。
最悪木の実やら茸やら原生生物を狩猟して空腹を凌ぐことも覚悟しておかねばなるまい。ううむ、と唸っている所を見るにできるだけ文明から離れた食生活を送るのは遠慮したいらしい。
となると後者、情報収集の方を急がねばなるまい。この場合、人間の姿をしていない非人間であってもなんの問題もない。
できれば友好的である方が望ましいが、ま、命のやり取りを伴う接触というのは万近い回数を経験しているから慣れっこだ。後は野となれ山となれ、出たとこ勝負である。
全方位に向けて伸ばしていた妖糸が、せつらの待ち望んでいた情報を伝えてきたのは、その場に立ち尽くして妖糸を繰ることに集中して十分後のことであった。
明らかに人の手で造られたと思しい建造物と内部に息づく生命の反応である。周囲はそうとうに奥深い山の中のようで、深い森の中に隠れるようにして立つ建造物、となれば富裕層の別荘か、人目につきたくない職業の人間が持ち主か。

「南無南無」

わけのわからない文句を呟き呟き、せつらはさく、さく、と若草を踏みしめる音と共に妖糸が捉えた反応めがけて歩を進め始める。
ほどなくせつらの目が捉えたのは、いかにも金の有り余っていそうな人種が立てるのにふさわしい豪奢な別荘だった。少なくとも建築様式を見るに、地球人類と美的感覚がかけ離れている相手ではなさそうだ。
もっとも、せつらにしてみれば自分が今いるところがはたして地球かどうかさえ、不確かであった。
<新宿>で魔震に遭遇した挙句に亀裂に落下したあっては、過去か未来、あるいは地球上のどこか、はたま異世界に飛ばされていたとしてもおかしくはない。
あるいはせつらの目に映っている光景はすべて幻で、魔法使いや催眠術師の仕掛けた幻術に囚われている可能性だってある。いまだ解明されていない超古代のメカニズムが造り出した人造の空間という線も捨てがたい。
肉体や精神が異形の生物に変容していたわけでもないし、五体満足なだけましと納得するしかない。
別荘からは死角となる木の陰に隠れてから、扉や窓の隙間から妖糸を忍び込ませて別荘の中をくまなく調査する。
森の中に隠しカメラらしいものがいくつも設置されていたから、よほど後ろめたいことをしている可能性もある。
カメラらしい、というのは妖糸が捕捉した物体にどうも科学以外の、魔法系統の技術が使われている、と妖糸の感触が伝えてきたためだ。
<新宿>高田馬場魔法街に住まう数百名の魔法使い達と時に敵、時に味方としていろいろと関わり合いがあったが、記憶の中に魔法とはなにか異なるような、そんなあやふやな感触である。
魔法のようではあるがなんとなく高度に発達した科学のような気もする。高度に発達した科学は魔法と変わらない、というような言葉がせつらの脳裏をかすめた。
人がいなければ堂々と入りこんで食料品や地図の確保くらいは見込めそうだが。するりするりと別荘の中へと忍び込んでゆく妖糸が、また新たな反応を伝えてくる。
ほぼタイムラグなしに、光の速さで通達される情報を吟味していたせつらの眉が、八の字に歪む。
あまり良い情報が手に入らなかったらしい。

「ふむ」

と漏らした声には、面倒だなあ、という感情がほんの少しだけ混じっている。
妖糸が捉えた生体反応は別荘の居間にある隠し扉からつながっている地下にあった。
中に忍び込ませた妖糸で鍵を外して楽々と別荘の中に入り込んだせつらは、やれやれと言わんばかりにめんどくさそうな雰囲気を背中に纏いながら、居間の隠し扉を開き非常灯のともる地下への階段をゆっくりと下りはじめた。



地下の部屋に籠っているのは桃色に色づいていないのが不思議なほど濃厚な性臭であった。
まだ性の目覚めを迎えていない少年でも、この部屋の空気を吸えばその場で射精に陥ってしまいそうな淫靡さである。
天井全体が照明となっている部屋のあちこちに裸に剥かれた女達と、女体に群がる男ども影がいくつも床に這っている。
まっ白い壁に囲まれた室内には、真新しい血痕が真っ赤に染めている三角馬や、壁に埋め込まれた手枷足枷、水責めや火責め用の水槽に油の煮え滾る風呂桶、中にびっしりと針の生えた高さ二メートルほどの鉄の処女と物騒な品ばかり。
部屋のあちこちには紫がかった煙をもうもうとあげる香炉がいくつも置かれていた。
男と女の体から発せられる熱と汗、愛液や涙と香炉から立ち上る煙が反応して腐った果実よりも甘く噎せ返るほど濃い匂いが発生している。
特殊な調合を施した麻薬と気化した人間の体液が混ざり合うことによって、媚薬効果と中毒性、そして得られる快楽が数倍に高められ、中毒に陥らないように対抗薬を服用した男達以外はとっくに体の髄まで麻薬に毒されているだろう。
凌辱される女達の容姿は様々だった。小さい者はまだ十歳になるかどうか、上は四十歳ごろの熟女まで。おそらく親娘ごと拉致されるか人身売買で売られてきた者たち。
立ちこめる煙と男達の手練手管、数十時間に及ぶ終わりの見えない性宴の生贄にされた影響で理性は崩壊し、目の前で鞭で打ちすえられているのが自分の姉妹であることや、男に跨り蕩けた顔で腰を振っているのが幼い我が娘と気づく様子もない。
最初は自分達に降りかかった不幸と苦痛、恐怖、屈辱に泣き叫び、親子や姉妹、友人とかばい合いながら助けと許しを請い――中には男たちを罵った声もあったが――いまではかすれた声で喘ぎ、腰を振ることしかできない。
いずれ男達が飽きるまで犯され続け、人体実験好みの狂魔導士や人身売買組織に転売されるのが結末だろう。
ひとしきり人妻の雌脂の乗った尻を堪能した男が、体中からむんむんと熱気を発し汗を滴らせながら離れる。ちゅぽ、と生々しい水音がひとつし、精液と愛液のブレンドされた混濁液がどろどろと滴り落ち、床に生臭い匂いを放つ染みを作る。
男は床に適当に転がされている精力増強剤を含んだドリンクに手を伸ばす。
掌に隠れるくらいの小さな瓶の中には濃い緑色の粘度の高い液体がちゃぷ、と音をたてて揺れていた。
これ一本で十回でも二十回でも性戯に及べるという強烈な違法薬だ。効果に比例して副作用も強烈で処方を誤れば一生不能になるか後遺症を負うことになるが、一時の快楽のために男達は平気で何本も空にしている。
ドリンクのキャップを開き、どろりとした緑色の液体を口に含もうとしたとき、ピントのずれた声が耳朶を震わせた。

「あの~」

この場にいる組織の仲間の誰とも異なる声に、ドリンクを放り捨て首にかけていた丸い宝石のついたペンダントを握りしめ、男は声のした方向へと上半身を捩じった。
荒事に首までつかり人を殺したことも一度や二度ではない連中ばかりで、男の反応に続いて女体を貪っていた他の連中もたちまちそれぞれの獲物を手に、女達を放り捨てる。
どさ、と流れた様々な体液によって艶やかにぬめ光る床へ女性達がほうり捨てられる音が続き、ついで声の発生源を見つめた男連中の顔の筋肉が全面的に崩壊を始める。
痴呆に陥ったみたいに全員がだらしなく口を開いて閉じることを忘れ、目はまんまるく見開いて視線を釘づけにされている。
精力増強剤の副作用で体温は40度近いのに、青白く変わっていた顔色は一人の例外もなく初恋の熱に浮かされる少女のように桜色に染まっている。
何も纏わず隆々とした筋肉と男性器をむき出しにした男達の視線の先には、間違ってこの世に落ちたとしか思えない黒衣の天使がいた。天使を美しいものとするならば、であるが。

「お邪魔様。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」

一般的な倫理観や常識、正義感のある人間だったらまず憤慨するか、見なかったことにして逃げ出すか、司法組織への連絡を真っ先に行う光景を前に、せつらは茶飲み話でもしに来たみたいにのんきな様子だ。
というのもせつらの故郷では、複数の男性と性交を行うことを解脱と称し推奨する宗教団体や、麻酔なし止血剤なしで手足を切り落として切断面を利用して交合する、赤の他人に恋人を強姦させるくらいのことを平気でやらせるSMのカップルがしょっちゅういたからだ。
万が一にもこの地下部屋で行われている行為が双方合意のうえでの行為であったなら、せつらはとんだ出歯亀ということになる。
もっとも散々犯されつくして息も絶え絶えな女性達の様子と部屋のあちこちにある拷問器具を見るに、どう考えても男達に無理やり行為を強いられたのであろうことは明らかではあった。
せつらの美貌に脳味噌と精神を沸騰させられたままの男の一人が、右手に握ったペンダントに力を込めながら、震える声で返事をする。

「お、おう。……なん、なん、何のようだい?」

たったこれっぽっちのことを言うのにたっぷり一分かかった。
せつらに返事をした男にほかの連中からの視線が突き刺さる。成分は嫉妬と憎悪で出来ている。
突然目の前に現れた現実のものとは思えない美の化身と応答する権利をいち早く得た男へと向けられる仲間達の感情は、心の底からのものであった。

「どーも。ここはどこでしょう? <新宿>という地名に聞き覚えは?」

とりあえず言語と美的感覚が通じたのは僥倖といえた。とくにせつらの美貌が通用するのはおおきい。
人間妖魔死霊の区別なく斬殺する妖糸の魔技ではあったが、秋せつら最大の武器は、やはりその美貌というほかない。
その証拠に全身の細胞を麻薬の成分とケダモノの方がはるかに崇高な生き物のように感じられるほど下劣な欲望に満たされた男達が、一人の例外もなく心打たれ魂を奪われた顔をしてせつらを見つめているではないか。

「こ、ここはおれ達のアジト、だ。シンジュクってのは聞いた……ことがねえ」

笑ってくれ。そしたらおれは最高に幸せな気持ちで死ねる。
せつらの問いに答える男は声にならぬ声で痛切に願っていた。他の男どもも同じ気持であったろう。
一方でせつらは世界中にその悪名と伝説を知らしめる<新宿>を知らない、という男達の言葉に、あちゃ、と心の中で舌を出していた。失意の表現である。
現代と未来の線は少なくとも消えただろう。となると<新宿>が誕生する以前の地球か、あるいはまったく別の世界の可能性が濃厚になってきた。
むしろ術をかけられて幻に囚われている方がまだましだ。なにしろ術者を殺せば解放される目算が高い。
厄日だったかな? とせつらは小首を傾げ、その仕草に興奮の度が過ぎて数人の男たちが失神する。
突然目の前に現れた青年の正体を推移する思考を、いまだに誰も抱いていないことから、せつらの美貌の魔力の凄まじさを推して知るべし。
これは困ったぞ、と見た目にはまるで焦った様子もないせつらが、それまで視界には入っていたが、興味を示さなかった女性達を一通り見やる。
女に生まれた事の地獄を散々に味わされた被害者たちへ向ける瞳は、魂まで吸い込みそうな漆黒の虚無を宿していたが、同情すべき境遇の人間に向けるべき感情が宿ってはいなかった。

「それで、この人達はどうしたんですか?」

一瞬、男達の瞳に胡乱な光がよぎった。せつらの興味が床に倒れ伏す女達に映ったことへの嫉妬と、この場を見られたことに対する正常な思考がようやく息を吹き返しつつあった。
数人の男たちがセットアップ、と呟くとカードや宝玉、アクセサリーだった物体が杖や剣、斧などバラエティに富んだ物体に変わる。
物体を引き寄せる魔術――アポートかな? とせつらはほんの少し興味深そうに視線を送る。せつらの頬を熱を帯び潤んだ視線以外に、敵意を含んだ熱い風が打ち始めている。

「こいつらはみいんな、よそから掻っ攫ってきた雌豚どもだ。ここでセックス狂いにした後、頭の中を薬漬けにして女狂いの連中に転売するか、イカれた研究者どもが高値で引き取ってくれるのよ。
アソコが腐っちまって使い物にならねえような役立たずは知り合いの肉屋に卸すがよ。あんたの食ったハンバーグやウィンナーにも混じってたかもな?」

精力増強剤と大気に混じる媚薬と麻薬の成分によって、散々放出した後でもへそにめり込むほどいきり立っていた股間の物体が、より一層堅く強張り始めている。
せつらの全身を舐めあげている男たちの視線の中に、徐々に淫らな感情が混じり始めていた。利き手に武器を構え、空いた手で分身をしごき始める者もいた。
彼らの頭の中でせつらは衣服を剥がされて口淫、手淫、肛淫の生贄にされているのだろう。荒くなり始める男たちの呼吸と欲望の高まりの中心にいるせつらは、まるで興味がない、というよりも無関心の極みそのものといった様子で、淡々とつぶやいた。

「ふうん」

その呟きの中に野獣という言葉では足りぬほど野卑きわまる男どもへの恐怖や侮蔑や、不幸の渦に飲み込まれた女たちへの同情は欠片ほどもなかった。
そのせつらの様子をこれから自分が落とされる境遇への恐怖に気がふれたもの、と麻薬の成分と伴侶のように親しくなっていた男達の脳味噌は都合よく解釈し、それぞれの獲物をせつらへと向けた。
普段は常に殺傷設定にしているそれを、後後楽しむために非殺傷設定へと切り替えておかなければなるまい。
この時、男達は知らなかった。広大な次元世界の中には自分達の想像も及ばぬ魔物のごとき人間がいることを。
自分達の目の前に現れた人間が、秋せつらという名の、魔界都市の主と呼ばれる魔人であることを。
そして、秋せつらに悪意を持って武器を向けた時、いかなる報いが与えられるかを。
せつらの指が動き電子計測器でも持ち出さねば計測不可能な千分の一ミクロンの妖糸が、ゆるりと揺らめいた。



「やれやれ」

とせつらがちっともしんどうそうではない呟きを洩らし、右の肩に手を置いて揉み解していた時である。
隠し扉から続く階段からいくつかの影が敏捷な動きでせつらのいる地下の淫行部屋へと踊り込んできた。
まだ二十歳にもなっていない少女を先頭に、六名ほどの男女が険しい顔つきでそれぞれ武器らしいものを手に取り油断なく構えた姿で部屋の中を見渡して口を開く。

「時空管理局だ!! 武装を放棄して、投降……し……ろ」

勢いよく告げられるはずだった勧告は、しかし、部屋の真ん中でたたずみ、背後に現れた影を振り返っていたせつらを見た瞬間に急速に勢いをなくし、『時空管理局』と名乗った面々がことごとく戦意を喪失させてゆく。
いまなら小学生だって彼らをK.O.できるだろう。
どうも彼らがこの世界の警察にあたるのかな、と思ったせつらは体の向きを変えてやや猫背気味に会釈した。

「どうも」

美しいが、可愛がられて育った大店の若旦那みたいに気の抜けた人の良さそうな声と一緒に。



そんなわけで穏便に、とはいかないまでも異世界(おそらく)の人間と接触が持てた事はせつらにとっては好ましいことである。
時空管理局なる組織を名乗った一団は、この別荘が長年追いかけていた犯罪組織の使っているアジトの一つと判明し、よりにもよってせつらが訪れたのと同じ日に突入に踏み切ったらしかった。
とりあえずその場で両手をあげて抵抗の意思がないことを証明したせつらは、美貌による魅了から三分かけて正気の世界に帰還した局員たちに、周囲を囲まれながら同行することとなった。
犯罪組織のアジトに居合せたわけだから重要参考人という名の容疑者扱いといったところであるが、とりあえずせつらは気にしないことにした。手錠をかけられているわけでもないし、速く歩けと小突かれるわけでもない。
先ほどの男連中同様、管理局局員たちにもせつらの顔のインパクトが十二分に効果を発揮して、丁重すぎるくらいに扱われているのも、せつらがおとなしく従うことにした理由である。
通された一室も別に尋問室といったわけではないし、<新宿>警察に存在する収監された者が涙を流し、果てには命がけで自供を始めるという幻の独房の様な雰囲気もない。
壁やらソファやら天井やら目に着くすべての表面を妖糸で撫で挙げて、インテリアに偽装した生物ではなく、尋常な家具などの類であることを確認してから、せつらはどっこらせと椅子に腰かける。
そうして落ち着いたのが三十分前。せつらは出された緑茶を啜り、はふ、と気の抜けた息を吐く。
最初はコーヒーを出されたのだが、緑茶がいいなあ、と何の気は無しにせつらが呟くと、コーヒーを出してくれた女性局員が、なにやら思いつめた顔をした後、出し直してくれたのである。
食文化にも共通したところがあるみたい、とせつらは新たな情報と高級っぽい味のする緑茶にやや上機嫌である。この青年、食べ物を商ってはいるのだが、さほど味覚は鋭敏ではないので、緑茶の味も高級っぽい、とあやふやなものになる。
ちびちびと猫舌でもあるまいに少しずつ緑茶を啜るせつらの様子に、対面の椅子に腰かけた女性局員は、はあ、と何度目になるかわからない恍惚の溜息を吐く。

「熱かったですか? 猫舌ですか?」

「はあ」

肯定とも否定ともとれるせつらの返事に、女性局員はふたたび熱い吐息を吐くばかり。
コーヒーの黒い水面を見て、心もち眉根を曲げて失意を現した時の無垢な赤子さえ問題にならない愛くるしさ。
望み通りの品を供されて満足げに頬の筋肉を緩めてゆったりと緑茶の味を楽しんでいる満足そうな様子の微笑ましさ。
別荘の地下に設けられたアジトに踏み込んだ時空管理局の局員である目の前の女性は、捧げよと言われれば魂までも捧げる美の信奉者へと変わりつつあった。
この女性局員のみならず、せつらの美貌を目撃した人間は一人の例外もなく美しいとしか認識できないせつらの姿に心まで奪われて、普段ならやらない些細なミスを連発して事務作業に支障をきたしている。
せつらはご丁寧に用意された湯呑を置いた。中身は半分ほど残っている。

「ええと、ギンガ・ナカジマさん?」

「はい!」

大好きなご主人様に名前を呼ばれた子犬みたいな調子で女性局員――ギンガは、ぱっと顔を太陽のように輝かせ、せつらのほうへぐぐい、と体を乗り出した。
夕暮れに沈み橙の色へとゆっくり変わり始める空に似た紫とも青とも見える髪を長く伸ばし、楚々とした雰囲気の中に自ら輝きを発するような魅力を秘めた美少女である。
整形技術の発達によってグラビアクラスの美女や美男など、掃いて捨てるほどいる<新宿>でもそうはいないだろう。
せつらの方へと身を乗り出していたギンガだが、自分がしていることにはっと気づき、頬を羞恥のためにさらに赤く染め、視線を横にそらしながら居住まいを正す。
火照った頬に右手を当て恥じらいに憂うギンガの姿は、年齢にそぐわぬ成熟した体つきと相まって、濃い色香を自ずと発していた。
この場にいるのがせつらでなかったら、思わず生唾一つくらいは飲み込んでしまったことだろう。

「あ、す、すいません。ええと、せつ……秋さんの仰られた世界ですが、極めて類似した世界に第97管理外世界がありますが、他に該当する世界目下見つかっていません。
あ、で、でも気落ちしないでくださいね。まだデータベースのほんの一部を検索しただけですから、時間をかければきっと見つかりますから!」

名前を呼ぼうとしたけれどもなんだか気恥ずかしくて名字で言いなおしたギンガは、せつらが気落ちしないように猫をいくつも被って言葉を紡ぐ。
慌てふためくギンガに対して、せつらの反応はそうですか、どうも、と何とも味気ないどころか機会が返事したのではないかというくらいに感情が欠落している。
本当にもとの世界に帰る気があるのかしら、この人? とせつらに夢中になっているギンガでさえ訝しむほどである。
一方でせつらはまあそんな急いで帰らなくてもいいか、などと考えていた。
人さまの命がかかわるような仕事は今日終えたばかりだし、せんべい屋の方はアルバイトの娘やら仕入れ先に迷惑はかかるかもしれないが、ま、人死にが出るわけでもなし。
それに衣食住に関しても時空管理局の方でしばらく面倒を見てくれるらしい。となると当面生活に最低限必要なものは保障されるわけだ。
元の世界に帰還する気がまったくないのか、言われればそうでもないが、焦る必要はないな、とぼんやりした眼差しのまませつらは思う。
白い医師やひどく丸っこい情報屋に同じ体型の魔法使い、可憐な人形娘、眼帯を付けたドレッドヘアの刑事、戸山町吸血団の若き長や豹の霊が憑いた用心棒の姿が、はたしてこの一般的な人間とは異なる精神構造の青年の脳裏にちらとでも浮かんだかどうかは定かではない。
少なくとも過去を振り返る青年でないことは確かである。

「お世話になります」

「い、いいえ! な、なんなら私が一生秋さんのご面倒を……」

ちょこんと社交辞令まるだしで軽く会釈したせつらの言葉がギンガの脳内でどのように変化されたのか、耳まで真っ赤に染めたギンガは、あたふたと顔の前で両手を左右に振り、ごにょごにょと聞き取れないくらい小さな声で弁明した。
それからたっぷり五分ほど頬を両手で挟み、いやんいやん、子供は三人は欲しい、お父さんになんて挨拶しよう、などと身をくねらせながらあらぬ妄想に酔いしれた後、ギンガは無言で見守っていたせつらの視線に気づき、気まずげに咳払いを一つ。

「こほん。ええっと」

視線を彷徨わせ両手の人差し指を突っつき合わせながら、どうしようどうしよう、と妙な空気をどうやって取り繕うか頭をフル回転させたギンガは、あ、と一声挙げて顔面筋を引き締めて、あくまで真面目な顔を取りつくろう。
ただし視線はせつらの顔から外されている。どんなに強固に意思を固めたつもりでも、この世界規模の迷子になってしまった青年の顔を見つめると、たちまちのうちに精神の城壁が溶け崩れてしまうのだ。

「あの、本当に秋さんがあの場所に向かった時には、もうあんな惨状になっていたのですか?」

「ええ」

しれっとせつらは答える。ややギンガの顔色が青ざめているのは、地下部屋に突入した先に広がっていた酸鼻極まる光景を思い出したからだろう。
あの時せつらの美貌に目を奪われたからこそ、気付くのに遅れてしまったが、地下部屋に転がっていた男たちの多くは、凄惨な有り様の死体と変わっていたのである。
せつらの首を傾げるという仕草に失神した連中以外の、デバイスを手に取り害意を見せた者たちはすべて一人残らず死んでいたのである。
それも互いの武器を向け合い、仲間割れを起こしたとしか思えない状況で互い互いに殺し合っていたのだ。
首が飛び、臓物が零れ落ち、手足がちぎれ、目を見開き苦悶の表情をむざむざと刻んだまま息絶えた十を超す死体の群れ。
鼻を突く血の匂い、網膜に焼きついた死体の惨状がギンガの豊かな乳房の奥に猛烈な嘔吐感を込み上げさせる。

「怖いですねえ、麻薬」

「……そう、ですね」

まるで日向ぼっこをしているさなかのように緑茶の残りを啜るせつらの様子に、ギンガは信じがたいものを見る目で見つめていた。
あれだけの数の人間が――例え犯罪者であっても――惨たらしいというほかない死に様を曝していたというのに、なにも思うところがないのか、何も感じていないのか。
この時、はじめてギンガは目の前の青年がただ美しいだけの人間ではなく、なにか途方もなく恐ろしい人間の形をした別のナニカのように思えてならなかった。
それでものんびりと茶を啜るせつらが、まさか、あの犯罪者どもを殺戮した張本人とは考えてはいなかった。
武器を向けられた瞬間男達の手首に巻きついた妖糸が男達の肉体の自由を奪い、非殺生設定に変えるよりも早くお互いに向けて攻撃させたとは、いまやせつらしか知らぬことであった。
あの場にいた被害者の女性達は一人の例外もなく意識が混濁して昏倒していたし、例え意識が正常なものであったとしても千分の一ミクロンの妖糸を視認できるはずもない。
異世界に来てまでも自ら手を血濡れたものとする運命をなんとも感じていないのか、せつらは何を考えているのか全く分からない様子で、湯呑の底に溜まっていた一番渋いところを楽しんでいた。
もし、この時点でこれから何百、何千人もの血を妖糸に吸わせる事になると分かっていても、せつらはなにも変わらぬ調子で茶を啜るきりだったろう。

それから一週間後、とある銀行に開店資金貸してください、とせつらが直接出向き、その場で無利息無担保無期限で開店資金を手に入れて、無事秋せんべい店クラナガン本店を開設することに成功するのだが、それまた別のお話で。


つづく?
お久しぶりです。こんばんは。ええっとなんだか題名を裏切る内容で申し訳ありません。とりあえず現在も生きております。



[11325] その6 魔界都市ブルース × リリカルなのはsts ②
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/18 22:20
実験要素の強い内容です。今回は残酷な暴力表現がありません。読み進める場合はご注意ください。

リリカルおせんべい屋さん――②

『聖王さまとおせんべい屋さん』

昔々 あるところに

魔法使いの住む 魔法の国がありました

ミッドチルダと いいました

昔々 その街に

とっても きれいな おせんべい屋さんが

すこしのあいだだけ 住んでおりました

月さえも 恥じらうような ひと でした

その おせんべい屋さんの名前は――


 魔界都市の意思か、<新宿>を作りだした魔震の意思によるものか、異世界ミッドチルダの首都クラナガンに、秋せつらは居を構えることとなった。
 無限の暗黒をたたえた亀裂の中にのまれたと意識した瞬間には、このミッドチルダなる異世界というべきか、地球とは異なる惑星に漂着していた身である。
 この惑星や統治機構、生態系などに対する知識はもちろん文明社会で生きてゆくために必要な戸籍や貨幣といった諸々のものがまったくない。
 運よくこの世界の統治機構である<時空管理局>なる組織と偶然にも接触することができ、その庇護下に預かれることとなったのは望外の幸運といってよかった。
 幸い時空管理局というところは、せつらのような異世界からの漂流者を保護する姿勢を取っており、元の世界での職業は? という問いにせんべい屋、せんべいって? 米で造った焼き菓子、という簡明な質疑応答の果てに、せつらはクラナガンの超近代的な都市と廃棄都市群の境目よりやや首都側にある空き家を宛がわれていた。
 築年数が数十年単位で居住者の誰もが新築を考えるような古家であったが、せつらの希望によっていまやその外見は<新宿>にある本家秋せんべい店と瓜二つの外観を誇っている。
 三代続いた秋せんべい店は、せつらの趣味か代々そうなのか木材をふんだんに使った純和風建築で、せつらの敵対者の襲来を主な理由として何度か倒壊の危機に瀕したものの改築するような浮き目には合わずにいる。
 時空管理局の主要次元世界であるミッドチルダはどちらかといえば欧州系列の文化を持っており、せつらの希望するようないかにも“和”といったテイストの建築物を、たった一人の漂流者の為に用意するなど本来ならば言語道断である。
 三桁を超す次元世界に管理の手を広める時空管理局には、確たる収益がなく、基本的には管理している各次元世界をスポンサーとして活動しており、次元漂流者への支援とて最低限必要なレベルに留めて、支出を抑えている。
 それをたったひとりとはいえ例外的な措置が認められ、本来宛がわれるはずだった次元漂流者専用の宿舎ではなく、まがりなりにも一軒家、しかも改築済みが与えられたのはひとえにせつらのその身体的特徴による。
 具体的にその身体的特徴が何を指すのか、改めて言うまでもないだろう。
 ギンガ・ナカジマが所属していた陸士108部隊に保護された後、次元世界の迷子となってしまった不運な者たちの扱いを専門に担当する部署の局員と面会し、せつらが個人的希望を口にしたことがすべての始まりだった。
 出来れば家は故郷と同じのがいいなあ、台所はここにある方が使い勝手がいい、せんべいを置くスペースはこれくらい欲しい、家具はこういうのああいうのが、と際限なく出てくる要望は次々と通って行ったのである。
 誰か咎める者がいなかったのか、といえばむろんいた。一人や二人ではない。それこそ費やされる金額と資材、人材の数が記載された報告書を目にした人間のほとんどが問い詰めたと言っていい。
 資料を片手に怒りや疑惑の色を顔に浮かべた彼らは、しかし、あえて資料からは除外されていたせつらの顔を映した画像データを見た瞬間、すべての負の感情を忘れ去り陶然と見惚れるきりであった。
 これによって現場の人間のみならずその上役である上層部の人間まで次々とせつらの美貌の罠に嵌まってしまい、通常の勤務態度に復帰するまで数日を要してしまい、その間陸士108部隊およびその関係部署の局員達はまるで役に立たなくなってしまった。
 せつらかすればしめしめと言った所であろう。
 この若者、自分の美貌が及ぼす効果をよく理解しており、必要とあれば自分の美貌を利用して他者の血を吸うような真似をすることもしょっちゅうやっている。
 今回の秋せんべい店クラナガン本店が異常ともいえるスピードで開店となったのは、自分の顔が通じると知ったせつらが最大限にその効果を利用した結果なのだ。
 また、せつらがせんべい屋をクラナガン“本店”としたのには、一応彼なりの理由がある。
 このミッドチルダと言われる次元世界というべきか惑星と、地球とで時間の流れが同一であるかどうかは不明であるが、仮に同一であった場合、せつらが本来の世界に帰還するのは最短でも数カ月を要する、とギンガから説明を受けている。
 本来のせつらの住居である西新宿の秋せんべい店には、通常の妖糸と死霊を斬る霊的な加工を施した二種の妖糸が張り巡らされ、悪意ある侵入者を切り刻み侵入を阻むセキュリティがしかれている。
 最新の装備で固めた特殊部隊を複数投入しても、無残な斬殺死体の山が築かれるだけの実に攻撃的な警備網――警備糸ではあったが、区外の数十年先を行く超科学技術や失われた古代の呪術から神話の中の妖魔と、恐るべき脅威には事欠かぬ土地柄だ。
 主であるせつらの不在が一週間程度ならまだしも、数カ月単位で家を空けるとなればいかな妖糸の警備糸といえどもいずれ防ぎきれぬ敵が出現するのは目に見えている。
 また秋せんべい店は区が発行している公式ガイドブックに毎年掲載されている優良店舗であり、年収三千万を長年キープしている。
 <新宿>一と名高い人捜し屋であるせつらの人捜し屋としての収入は、尾ひれ背びれをいくつも付けて<新宿>中に流布されており、吝嗇の気があるせつらがどれだけ貯めているのか、せつらの同業者たちが三人集まると必ず話題に上るほど。
 せんべい屋としての確たる収入と時に法外な報酬を得る人捜し屋としての収入。せつらが長期不在という報復の危険も少ないこの機会を狙って、普段は抑えている欲望を噴出させる連中がダース単位で出てくるだろう。
 正直、せつらはアルバイトに雇っている女の子達も怪しいと睨んでいる。
 せつら不在によって迎えるであろう秋せんべい店の危機を考えて、せつらはミッドチルダにいる間にがっぽり儲けるのも手か、と判断し尚且つこちらの店を本店としておいた方がリピーターも見込めるかな、という結論の元クラナガン本店と看板に明記することに決めた。
 せつらの心の中ではクラナガン本店“(仮)”といったところだろうか。
 そして目出度く開店した秋せんべい店の主人は、青い匂いの香る緑鮮やかな六畳間にいた。
 六畳間の中央には四角形のテーブルがあるが、脚が短くミッドチルダで一般的なものとはまるで規格が違うし、どちらかというとちゃぶ台というべきだろう。
 これに布団でも被せておけば、ここクラナガンはもちろんミッドチルダの文明圏では珍しい家具――炬燵の出来上がりだ。
 さらに正確にいえば床に足を突っ込むスペースが設けられたそれは掘り炬燵というべきであろう。
 ホログラフ式の最新鋭のTVに映されている名も知らない芸人のコントに眼差しを向けていたせつらは、はは、はは、と本当に面白いと思っているのかまるで分らない声を上げる。
 対空間防御を施した特注コートを脱いだだけで、あとはいつもと変わらない黒一色の姿だ。故郷である魔界都市でも春夏秋冬と季節を問わず通し抜いたスタイルは、この別世界でも変わらず貫きとおしているようだ。
 猫背で掘り炬燵に足を突っ込み、両手で梅昆布茶を入れた湯呑を包み込むようにして持ち、時折持ち上げてはズズズ、と音を立てて啜っている。
 一年中雲を眺めて過ごすのも悪くないな、と思うこの青年は実にゆったりとした今の時間に満足しているように見えた。
 残りを一気に飲み込んだせつらが、はふん、と小さく息を吐いて新たな一杯を入れようとした時、せつらの後ろに小さな影が落ちた。
 敵と判断したなら骨がらみに拘束し発狂ものの痛みを与えて自由を奪うくらいは平気でするこの青年の反応は、というと、たとえ神に愛されていても人間では到底不可能としか思えない造形の眉を数ミリ歪めるのみ。
 いや、そもそもせつらの操る数千条に及ぶ千分の一ミクロンの妖糸はせつらの指からのみならず、全身に掛けられて常に見えざる斬殺の砦を構築し、悪意を持って近づく者に容赦ない死を与える。
 せつらがリラックスしきった状態を晒し、なおかつ自動防御である妖糸のガードも発動した様子がないことから見るに、好もしい相手ではないが直接的な武力行使を行う気はないらしい。
 この青年がこういう反応をする相手というのは珍しいが、それに気付く者はせつらと付き合いのある人間が今のところ絶無のミッドチルダではまずいまい。故郷の知人くらいにしか分からないことであろう。
 美とは時代と人種などによって相対的に変化するものだが、秋せつらという人間に限っては話が異なる。
 時代、国境、人種、性別、老若といった要素すべてがまるで存在しないかのごとく、見た者すべての魂に深く刻み込まれて摩耗することのない絶対の美貌を誇る。
人間ではあり得ぬその美貌をわずかでも変化させた事実は、ちょっとした奇跡に近い現象に等しい。
 そして、そのミニマムな奇跡を引き起こした当の本人はというと、自分を振り返ったせつらに向けてにっこりと笑みを浮かべてこう言った。

「パパ~、朝ご飯は?」

 せつらはこう答えた。

「パパじゃない」

 せつらをパパと呼び、そのパパにパパじゃないと否定されたのは、まだ五歳か六歳くらいの何とも可愛らしい女の子であった。
 天上界の美姫が純金から紡いだとしか思えない黄金の髪、最高の宝石職人が手ずから象眼したと見える美しいエメラルドの右目と赤々と燃えるルビーの左目。
 可憐な蕾がそこにあるように小さくふっくらとした唇、幼い子供らしい丸みを帯びた輪郭や目鼻の配置の妙ときたら、まさに天の与物というほかない。
 どんなに偏屈で頑迷な老人でも、この少女が無垢な笑みを浮かべて近寄ればたちまち相好を崩して、頬を緩ませながら抱き上げるだろう。
 このまま誰にも傷つけられず、幸せになってほしい、万人がそう思わずにはいられない魅力を持ち、おとぎ話の絵本の中から飛び出てきたように可愛らしい。
 眠い目をこすりこすりしている少女が身につけているピンクの生地に白の水玉を散らしたパジャマは、この少女を預かることになったせつらが渋々自ら買い求めた品である。
 どうしてぼくが、とせつらは何度か自分の人生と今日のせんべいの焼き加減について考えてはみたが、結局のところ答えは出ず、納得のゆかない思いを鉛のごとく胸中に重く抱えたまま今に至っていた。
 暗中じくじくたる思いを抱えたせつらの様子を気にも留めず、少女は再び同じことを聞いた。

「ごはん~」

 はあ、とせつらはいろいろな感情の込められた溜息を吐き、台所を指さす。

「シリアル」

 牛乳をかけて食べるアレだ。コーンフレークともいう。少女もそれは心得ているようで特に不満を言うでもなく、こっくんと頷く。

「ん。キャラメル味?」

「玄米フレーク」

「む~~」

 糖分控えめのシリアルの味は、この少女には不評のようだ。とてとて、という擬音が似合う歩き方で台所に向かう少女が、あ、と声をあげてせつらを振り返る。
 寝ぼけ眼はぱっちりと開かれて、左右で色の異なる瞳に絶世の美貌を誇るパパ(本人は否定)を映して――

「おはよう、パパ」

「パパじゃない」

 せつらはもう何度目になるのか数えるのも億劫なセリフで返事をした。



 自分自身の美貌を最大限に利用して、瞬く間にクラナガンに本業であるせんべい屋を開業することに成功したせつらであったが、先立つものが手元に乏しい状況には変わりない。
 店主の美貌の噂を聞きつけた好奇心の強い客は、すでにせんべい屋の前に列を並び始めてはいるが、<新宿>で年三千万を稼いでいた時と比べるとどうしても見劣りしてしまう。
 このままの勢いでいけば、高校生のころと同じ年収五百万程度に落ち着くだろうか。
 ただ暮らしてゆくだけならそれでもいいかもしれぬが、クラナガンどころかミッドチルダ全体でも珍しいせんべいを商うには、独自の仕入れルートを構築し宣伝にもなにがしか力を入れねばならない。
 まがりなりにもせんべい屋の経営者として十数年を経験しているせつらは、なるべく早く大きな収入を得ておくことが、今後の生活の役に立つと考えた。
 しかし基本的に次元漂流者の滞在を認めず、本来の居住次元世界が見つかれば強制的にでも帰国させるのが、ミッドチルダにおける法だ。
 いつ次元世界に帰還するとも知れず、当人の素性や経歴を保証するバックボーンのいない次元漂流者と積極的に商業的取引を持ちかける手合いはまずおるまい。
 次元世界で通用するような資格があるわけでもないし、一朝一夕の付け焼刃でどうにかなるほど甘い社会構造はしていないだろう。
 そして、せつらは結論した。高校生の時分に人捜し屋を志した時と同じ理由でもって、この異次元世界でも人捜し屋を、秋DSMセンターを営む決意を。


 どかっと儲けたいという理由で。


 せつらの保護観察を担当している時空管理局の局員に連絡を取り、人捜し屋の開業を行いたい旨を通達して――探偵とは違うのか? と聞かれた。せつら自身も違いはよくわからない――ミッドチルダおよび時空管理局の定めた法に抵触するところはないか、また次元漂流者が開業する際に必要とされる知識や資格、制約の有無のレクチャーを一週間かけて受けることで許可された。
 時空管理局の歴史を紐解く人間が将来現れた時、呆れた顔をするに違いない異例の措置の連続は、見事せつらの交渉術と美貌によって通されることとなったのである。
 ミッドチルダでもせんべい屋と人捜し屋の二足の草鞋をはく生活を始めてしばらくたった日、せつらはある人捜しの依頼をこなし、出張先から廃棄都市区画の近くを通りクラナガンにある事務所に帰る途中であった。
 次元世界でも稀にみる国力と技術水準を併せ持つ次元大国ミッドチルダの首都クラナガンのすぐそばに、うらぶれて廃れた廃棄ビル群が並びたち貧民街を形成している廃棄都市群が存在している光景は持つ者と持たざる者の越えざる彼岸が存在しているように見える。
 ある者は<新宿>と区外のようだ、と例えるかもしれないが、<新宿>には常に流動し変化する街の魔性に集った異様奇々怪々を極めた犯罪者や妖魔、魔法使いといった連中が集い、街に住まう者たちの欲望と悲哀、愛憎が入り混じった混沌の活力に満ち溢れている。
 鉛色のうっ屈とした雰囲気が常に漂い、不都合な社会の理不尽を押しつけられてしまった不運な人々が心を荒ませるきりの廃棄都市群とは、あらゆる意味で一線を画す。
 バス代節約のためにクラナガンの端っこで降車し、周囲に美貌の影響を及ぼさないためのサングラスをかけたせつらは、報酬だけは弾んでくれた依頼人の脂ぎった顔を脳裏から消す作業をしながら、今日の夕飯はどうするかと悩んでいた。
 ここミッドチルダで受ける依頼は、<新宿>で受けるそれに比べればはるかに危険度が少なく、命の危機に瀕する場面は極端に減っていたが、その反面勝手知ったる魔界都市とは異なり、情報屋を探すのも一からしなければならず、家出した富豪の一人娘を探し出すのにもそれなりの気苦労を強いられることとなった。
 気晴らしに今日は外食することに決める。といっても自分で炊事をすることはめったにないので基本的に外食ばかりではあるけれども。
 ジョグ=ニグラス亭のジンギスカン定食にするか、クトゥルー屋の海鮮丼にするか、それとも食事処クトゥグアの激辛マーボーセットにするか、人生最後の食事を決めるような気持ちで考えていたせつらの耳に、不意に小さな物音が届いた。
 周囲にはせつら以外に人影はない。無機物の殺気さえも知覚するせつらの直感は警戒の鐘の音を全く鳴らしておらず、何か危険が迫っているとは考えにくかったが、念には念を入れ妖糸で周囲の死角となっている個所などをセンシングする。
 妖糸を風に乗せて飛ばすのと新たな音が鼓膜を揺らすのはほぼ同時であった。
 手首には何かと繋がれていたと思しい鎖をずるずると引きずる幼い少女が、マンホールから姿を現したのである。地下水路を通ってきたのか、身につけている衣服ともいえぬ襤褸は薄汚れていてかすかな異臭がした。
 せつらの鼓膜に触れたのはこの少女の足音や鎖が引きずられる音だったようだ。出てきた場所を考慮すれば地下の水路を通ってきたということなのだろうが、これは尋常ならざる事情が絡んでいるのは明白であった。
 少女の瞳は虚ろに彷徨い意思がないかのように煙っていたが、ちょうど少女の前で足を止めていたせつらに気付き、ゆるゆると持ち上げられた瞳がせつらの美貌で焦点を結んだ。
 相当な距離を彷徨っていたのか傍目にも青白く変わり疲労の色が濃く、憔悴しきっている少女の頬に、一瞬で血の気が戻りほんのりと桜の色に染まる。
 泣きやまぬ赤子でさえ泣くことを忘れて見入るせつらの顔の、もはや凄まじいとしか言えぬ効果であった。
 放っておこうかな? という考えがせつらの心中のどこかをよぎったことは否定できなかったが、それでも一応、この青年にも良心というものがかろうじて存在していた。
 少女と目を合わせて小首を傾げながらせつらが一言。

「どうしたの?」

 春霞に包まれているようなのんびりとした声は、今にも倒れてしまいそうな窮状にある少女に掛けるにしては穏やかにすぎたが、せつらの声に正気に戻った少女は、くしゃくしゃと絵に描いたように可愛らしい顔を歪める。

「わかんない。ママがいないの」

 迷子か、と舌の上で言葉を転がしてせつらは懐から携帯端末を取りだして病院の番号をプッシュしはじめた。少女の健康状態が優れないのは一目で明らかだったし、体内を探らせた妖糸の反応からしても、一刻も早く安静にさせた方がよい。
 せつらの行動を後押しするように、それまでふらふらと揺れていた少女の体が、ストンと落ちて、地面にうずくまってしまう。
 突然目の前に現れたせつらの美貌と張りつめていた神経の糸が弛緩してしまうような穏やかな声音に安堵したのか、少女はせつらの目の前で気を失ってしまっていた。
 小さな体が倒れ込む寸前、見えない手に支えられるようにして少女の体が空中に固定される。せつらの振るった妖糸がかろうじて少女の体を受け止めたのだ。
 妖糸のチェックと直に触診した結果、素人判断ではあるが少女は若干衰弱しているようではあるが、体の内外に怪我を負っているわけではないようだ。
 住所を告げて救急車がくるまで間、せつらは仕方なく少女の傍にいなければならなかった。
 <新宿>と違って人体実験や売買目的の人攫い、追剥に妖物が跋扈しているわけではないが、無力としか見えない少女を一人置いてけぼりにしておくのはあまりに危険というもの。
 せつらが置いてけぼりにしたことでこの少女の身に不幸が起きるかもしれないとなれば、流石に後味の悪さを覚える。

「ここの空気に染まったかな?」

 面倒な目にあってしまったなあ、と思いながらせつらは不意にぼやいた。地球のものと変わらぬ白い車体に赤いランプを灯した救急車のサイレンが届くのには、十数分ほど待たなければならなかった。
 救急車が来ればもう自分の出る幕はない、と安堵したせつらの目論見は見事破れることになった。
 少女が病院に搬送される際に同行を求められ、はあ、と気のない返事をしたのが失敗だったのか、同行の同意と解釈されたせつらは救急車に押し込められて病院に同道した。
 せつらが少女を発見した状況などをのんびりと医師達に告げる間も時間は過ぎ、きづけばせつらは少女の保護者としてみなされていたではないか。
 一度は店があるから、と病院からの脱出に成功し、事務所に戻って売れ残りのせんべいをぼりぼりやってから風呂に入って一眠りすれば、せつらの頭の中に少女のことはきれいさっぱり忘れ去られていた。
 虐待か家出かは知らないが身元不明の少女の面倒をみるのは、せつらの役目ではなく警察機構を兼ねる時空管理局かミッドチルダの法の役目だ。
 所詮、他人である。
 だから、油断した。
 少しずつではあるが日々のせんべいの売れ行きが上昇し、やれやれと肩を叩いていた時、事務所に置いてある電話が鳴り響き、それを取って耳にあてたせつらは、は? と聞き返す。というよりも聞き返さざるを得なかった。
 普段から頭のねじが数本抜けているような青年ではあるが、今の一声はいつにもまして間が抜けている。せつらの気の緩んでいたところを見事に突かれたらしい。
しばらく目を開いてなんと答えるべきか悩むせつらに、電話の主はこう告げた。この主がメフィストでなくてよかったと、せつらはぼんやり思う。

『ですから、娘さんが目を覚まされまして……』

「娘?」

『はい。パパはどこ? と先ほどから泣いておりまして』

「パパ?」

 あの少女が言っていたのはママがいないの、ではなかったか。それがなぜパパになっている。いや、それは構わない。パパがいない、という発言がなぜ自分への連絡につながるというのか。
 オウム返しかつぽややんとしたせつらの返事に空っとぼけている、と医師は思ったのかもしれない。次の言葉にはやや強めに力がこめられていた。

『秋さんのことです。親御さんですよね?』

 せつらは絶句した。いつ自分が親になったというのか。以前に店先に赤子が置き去りにされて一時期世話を見た事はあったが、そもそもせつらがこのミッドチルダに来て一月と立っていない。
 こちらの世界の人間は一カ月で受精妊娠出産、さらに五、六年分の成長を済ませるというのか。
 それになによりせつらはまだこちらの女性とことを致していないのだ。この青年、石か木で出来ているのではないかというくらい、女性からの誘惑や性欲というものに対して絶対的な耐性を有している。
 といって別に不能であるとかそういうわけではなく、まったく女性に興味がないわけでもない。場合によっては仕事の必要に迫られてすることもあるわけだし。
ま、とにかくせつらにはまったく完全に完璧に濡れ衣であり、寝耳に水の事態である。
 医師はせつらに反論を許さず少女の病室を告げると、慌ただしく電話を切ったようで、せつらのちょっと、という声は虚しく虚空に吸い込まれて消える。
 無言の受話器にやや憮然とした視線を向けてせつらは、はあ、と不幸の女神に見染められたかと、重い溜息を吐く。
 やだなあ、面倒だなあ、と傍に誰かいたら女々しい奴と睨まれそうな文句をぶちぶち言いながら、せつらはコートに袖を通していかにも仕方なさげに三和台に降りた。本当に嫌そうったらなかった。
 そして外出用のサングラスをかけたせつらが病室に入室するや否や、ベッドの上で上半身を起こした少女が、それまでの泣き顔が嘘だったように笑みを浮かべる。
小さな太陽がそこに生まれたように周囲を明るく変える笑みに、周囲の看護師や医師達は暖かな笑みを浮かべる。

「パパ!」

 対してサングラスの奥の眉を顰めたせつらは

「パパじゃない」

 と一顧だにせず斬り捨てた。無垢つけき幼子に対しあまりといえばあまりなせつらの返答に、周囲の人間達が目を剥くがせつらは気にも留めずとことこと少女の傍らに歩み寄る。
 サングラスで隠してはいても闇夜の中自ずと光輝くかのようなせつらの美貌に息をのみ、看護師や医師達はぽかんと口を開いて、人生最大級の間抜け面を晒していた。
 せつら以外で唯一正気を維持していた少女が、ぷくっと頬を膨らましてせつらを睨む。虹彩異色の瞳には十分に気力が充実しているし、頬の血色も良いから健康のではなにも心配しなくてよいだろう。
 ただせつらが問題視しているのは精神面の方――なぜ自分をパパと呼ぶのかである。

「む~~」

 せつらがパパじゃないと否定したことがよほど納得ゆかないのか少女は唸り声さえ挙げている。歩くこともままならない子犬が精いっぱい唸り声をあげているくらいにしか見えないが。

「どうしてぼくをパパと呼ぶ? いないのはママじゃなかったかな?」

「……パパもいないの」

「ふうん。でもぼくがパパじゃなくてもいいよね」

「ほかに知っている男の人いない」

「先生も男の人だよ」

 せつらが横に逸らした視線の先には少女の担当医がいる。四十代の謹厳そうな男性で患者からの信望も篤いだろうことが、雰囲気だけでもわかる。
 少女は医師とせつらの顔を交互に見つめてこう言った。

「先生よりもお兄さんの方がいい」

 顔か、とせつらは自分の頬を撫でた。

「ぼくは君のパパじゃない。よって君を引き取る理由はない。お金持ちで優しい人にパパになってもらいたまえ。そうすれば経済的には幸せになれる」

 五歳児に告げる内容ではなかった。言葉の刃でヴィヴィオの心を無惨にも斬り捨てたに等しい。

「君じゃないよ。ヴィヴィオだよ」

 ヴィヴィオと名乗った少女は去ろうとするせつらを引きとめようと、拙いけれど精いっぱいの言葉を紡ぎ出す。
 悲しみと不安に揺れるヴィヴィオの言葉は、せつらの漆黒の背に当たって砕け散った。相手が悪いとしか言いようがない。

「じゃ」

 とヴィヴィオの主張を一切聞き入れないせつらはさっさと踵を返そうとしたが、そこでヴィヴィオがあまりに冷たいせつらの言動の連続に耐えかねて、しゃくりあげはじめた。
 碧と赤の瞳は見る見るうちに溢れだす涙に溺れてしまい、先ほどまで浮かび上がっていた太陽の輝きが瞬く間に沈み、暗い夜がヴィヴィオの心と体に訪れていた。
 ヴィヴィオの変化に周囲の看護師と医師もせつらに対して非難の眼差しを集中させる。サングラスを着用したことで減じたせつらの美貌の魔力を、義憤の方がはるかに勝ったようだ。

「お願い、連れて行って。わがまま、言わないから」

 ヴィヴィオの瞳からぽろぽろと零れ落ちた涙は真珠のように大粒であった。零れ落ちる涙の数が増すたびに、せつらに集中する眼差しは冷たくなり、非難の色は際限なく濃いものになってゆく。

「……」

 せつらは無言。

「……」

 せつらの瞳を見つめるヴィヴィオも無言。
 いまや漆黒の人捜し屋の周囲に味方はひとりはおらず、形勢は極めて不利であった。



 そしてせつらは、この青年にしては有り得べからざる事態であったが、ヴィヴィオを手元に置き続けていた。
 役所に赴いてヴィヴィオの里親探しをしようと思えば、捨てられると気付いたヴィヴィオがわんわんと泣き出して、パパ、パパと子供特有の大声を出して周囲の耳目の注意を惹き、病院の時をはるかに上回る非難の視線がせつらの全身に突き刺さった。
 子供探しをする親達の必死な態度を知っている担当部署の役員達や、子のない親たちが多い場所だけあり、並大抵の罵詈雑言など蛙の面に小便と気にしないせつらの精神を持ってしても耐えがたかった。
 まさに手詰まりである。ただでさえ次元漂流者として肩身が狭いというのに、なにか物騒な背後関係の関わっている得体のしれない子供を引き取らねばならぬとは、これはいかなる神か悪魔のいたずらによるものか。
 どこかに置き去りにしてしまおうか、どこかの組織がさらって行ったりしないものか、と<新宿>区民らしい物騒な考えが何度となく脳裏をよぎったのは、せつらの心の中にのみ秘せられるべきであったろう。
 物思いに耽るせつらの耳に、ことん、と堅いものがちゃぶ台の上に置かれる音が届く。
 目をやればヴィヴィオが冷蔵庫の中から牛乳と玄米フレーク、食器棚から皿とスプーンを運んできたところだ。
 パパじゃない、とせつらが事あるごとに言い、ヴィヴィオをなんとかして手元から引き離さなければ、と暗にあの手この手を尽くしていることを知っているヴィヴィオは、出来うる限り自分の面倒を自分でみようとしている。
 できるだけせつらに迷惑をかけず、自分を捨てられないようにと幼心に恐怖を覚えて努力しているのかもしれない。
 じゃらじゃらと音を立てて皿にフレークをぶちまけて牛乳をかけていたヴィヴィオが、にっこりと笑みを浮かべてせつらを見る。
視線で、なに? と問うせつらにヴィヴィオが答える。

「いただきます。パパ」

 懲りないヴィヴィオに、同じく諦めていないせつらも同じ答えを返す。 

「パパじゃない」

 おおむね、これがヴィヴィオとせつらの間で行われる主だった会話である。


――続きました。
まったく血の流れない内容の回でございました。ではでは。



[11325] その14 魔界都市ブルース × リリカルなのはsts ③
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/18 22:29
リリカルおせんべい屋さん③

※今回はすこししか暴力表現がありません。菊地テイストに慣れた方には物足りないでしょうから読み進める場合はご留意くだっせ。



【見るべからず】

 次元漂流者“秋せつら”に関する陸士108部隊部隊長ゲンヤ・ナガジマ三等陸佐の報告書文頭より抜粋。



 後に“聖魔王”として数多の次元世界にその名を轟かせることとなる秋ヴィヴィオ、三和土に降りて靴を履いている父に問いたもう

「おでかけするの、パパ? ヴィヴィオも一緒に行く」

 地に落とされた影さえも美しき魔界都市の主、顔をあげて答えて曰く

「駄目。留守番よろしく。あとパパじゃない」

 まさに必要最小限といった返事をした。いちいちパパじゃないと返事をするあたり、ヴィヴィオにパパ扱いされるのは本気で嫌らしいが、これはせつらのあきらめが悪いというべきか、ヴィヴィオの方のあきらめが悪いというべきか。
 ともあれこんな感じでいつも通りの会話を交わしてから、せつらは三和土のドアノブに手をかけた。そこに、パパじゃない、と否定されることにすっかり慣れ切ったヴィヴィオが声をかける。
 せつらが病院に呼び出されて再会した時に比べてかなり精神的なタフネスが向上しているようだった。

「お留守番しておくから冷蔵庫にあるプリン、食べていい?」

「スプーンは流しに入れておくように。容器は燃えないゴミ」

 もともとヴィヴィオが食べたいとごねたので、仕方なくせつらが購入したプリンである。せつらに未練はなかった。

「やったぁ! パパ、いってらっしゃい。おみやげは? ヴィヴィオはケーキがいいなぁ、イチゴの乗った白くて甘いの!!」

 ショートケーキのことか、あれは日本発祥なのになんでここにもあるのかな? とせつらはせんべい屋の怨敵の事を考えたが、表には出さずにヴィヴィオの要望をばっさりと切り捨てる。ここらへんのヴィヴィオに対する扱い方には変わりはないようだ。

「おみやげを買うつもりはない。ケーキはせんべい屋の大敵だ。二度と口にしないでくれ。お腹が空いたら棚のせんべいでも齧ってなさい。あとパパじゃない」

「気をつけてね。あ、お昼までには帰ってくる?」

「適当に食べて帰ってくる」

「じゃあデリバリー頼んでいい?」

「好きなものを頼みなさい。でもあんまり高いのは駄目」

「は~い。パパのケチ」

「ケチで結構。食べる口が二つあるせいで食費が嵩む。あとパパじゃない」

「じゃあ、気をつけていってらっしゃい!」

 せつらのパパじゃない発言は無視である。
しかし聞き様によっては親子の会話のようにもカップルの会話のようにも聞こえるのだから不思議だ。せつらなどどうやってヴィヴィオを手放してくれようかと日夜考えているような人間なのにである。
 ちなみにヴィヴィオは既に冷蔵庫に向かって、とてて、と走り出していた。なんだか釈然としない面持ちのまま、せつらは首をひねった。
 なんでこうなったのかと、運命とか神様とそういう人さまの都合を決める何かに問いかけたい気分だったのかもしれない。
 はあ、と疲れ切ったため息をひとつ零してからせつらは臨時休業の札を秋せんべい店の店頭に下げて、外出することとなった。ヴィヴィオは家でいい子にお留守番である。
 この第一管理世界ミッドチルダは、時空管理局発祥の地という歴史的な意味において極めて重要な惑星であるにもかかわらず、その首都クラナガンの検挙率は65パーセント以下という情けない数字を連年記録している。
 これでも地上本局に手腕は強引であるが市民を守るという信念は紛れもない本物である、レジアス・ゲイズ中将が辣腕をふるい始めてからは劇的に改善されたほどだ。
 毎日そこらで違法な質量兵器の密売に麻薬取引、恐喝や強盗から、強姦、殺人、誘拐といった事件が頻発しているこの街で、流石にヴィヴィオに対して一人での外出を許可しないだけの思慮がせつらにもあった。
 自分の全くあずかり知らぬところでヴィヴィオが奇禍に見舞われるのはともかく、自分が注意の一つもすれば防げたような事故、悲劇が起きるのは、人間の母の腹か生まれたとは信じられないくらいに美しい青年にしても、避けたいと思うようだった。
 せつらが育った<新宿>と比べたら、重要性に比して治安が悪い、地上部隊のレベルが低いから大規模な災害が発生し、高ランク犯罪魔導師が出てくると役に立たないだの悪口が並べ立てられるこの街も、可愛い赤ン坊みたいなものではあったが。
 最近では非魔導師適正保持者の一般人を狙った凶悪な連続強盗殺人が横行しているようで、地上部隊のみならず次元の海に浮かぶ本局――『陸』に対して『海』と呼称される――から、敏腕執務官が派遣されて捜査に当たっているという。
 怖い怖い、と朝のニュースの内容を思い出しながら、自分がそのような目にあったから強盗達をセンチ単位の肉片に切り刻むくらいの事は、眉ひとつ動かすに実行する青年は、猫背気味に歩き始めた。
 どこからどうみても、例える言葉が見つからないくらいに美しくはあるが、人畜無害のぼんやりとした青年としか見えなかった。
 もっともただ歩いているだけでその姿に見惚れた運転手や通行人があらぬ方に歩きだし、アクセルとブレーキを踏み間違えて、あちこちで交通事故が発生していては、これはもうただ外を歩くだけでも事故を招く一種の厄病神とさえいえた。
 せつら本人からすれば、ただ素顔を晒して外を歩いているだけなので、厄病神扱いされたら遺憾の意を表明するくらいのことはしたかもしれない。
 あちこちで道路標識やガードレールに突っ込む車のブレーキ音や衝突音が、連続し始めた時、ようやくせつらは、あ、とひとつ間の抜けた声を出してから、愛用のロングコートの懐に手を突っ込む。
 その指が筆を握れば史上最高の絵画が描かれ、ヴァイオリンを奏でれば天上世界の音楽が響き渡り、包丁を握ればこの世のものとは思えぬ珍味が舌を蕩かせ、ペンを握れば世界の真理をたった一言で表す至言が綴られると確信もなく断じてしまうほど美しい指先は、黒いサングラスをつまみだした。
 この世のものとは思えぬゆえにこの世ならぬものを生みだすに違いないと、見たものを錯覚させるせつらの繊指は、あくまで現実世界に属した物体を取りだすにとどまった。
 サングラスの着用は外出する際にむやみに被害を生みださないための措置である。サングラスをかけて目元を隠せば、せつらの美貌も大きく減衰されて少なくとも見惚れたタクシーのドライバーが反対車線に突っ込む確立が半減くらいはするはずだ。
 人捜し屋を開業した高校生のころからの習慣ではあったが、どうやらいまのいままで忘れていたらしい。この青年、時々こういうポカをやらかす。
 心地よい日差しを浴びながら、季節にそぐわぬ真黒いロングコート姿の青年はほどなくクラナガンの雑踏の中へと消えていった。



 最近仲間内で流行りの歌を口ずさみながら、彼は自分の部屋のベッドの上に抱えていた鞄を放り投げた。
 この間の定期試験で好成績を収めたおかげで両親の機嫌はよく、仲間たちと一緒に、ある一家に押し入って強盗を働いたと告白しても笑顔のまま許してくれそうでさえあった。
 魔導師適正を持つ仲間たちと一緒に半年前にグループを結成し、魔法を扱う事の出来ない非魔導師の一般人をターゲットにした強盗行為は、今日にいたるまで紙面やテレビを騒がせこそすれ、その実態を管理局に掴ませることはなく、彼を含めた犯行グループのメンバー達に管理局に対する嘲笑を浮かばせるきりだった。
 魔法社会であるこの世界で、魔法を扱うことすらできない人間が、社会的に高い地位に立ち、魔法使いである自分達よりも裕福な生活を送ることは間違いである、というリーダーの主張はもっともだと思う。
 魔法を使う事が出来ないというのに地上本局の実質上のトップとなりおおせたレジなんとかいう中年の事を、彼は顔だけは知っていたが、その演説を耳にした時は初級の簡単な魔法一つ扱えないやつが偉そうなことをぬかすなと、心の中では吐き捨てていた。
 魔法への高い適性が認められれば、それだけこの次元世界では厚遇される傾向があるのは紛れもない事実で、実際時空管理局では幼齢であっても高ランクの魔法資質を持っていれば積極的にスカウトして、最前線に投入する方法を長年採用しているではないか。
 その方法が継続されているという事はそれだけ正しいという事を示しており、必然的に魔法資質を持つ者は魔法資質を持たぬ者よりも正しい存在であるという証拠に違いない。
 だから魔法資質を持たぬ者たちは違法とされる質量兵器に手を染めて、より優れた存在である魔導師に牙をむいて逆らってくるのだ。
 そんなくだらない連中の同類である非魔法適正者が、社会的に成功することはこの世界を構築するシステムの重大な欠陥であり、自分と仲間達はその欠陥を影から正そうとしているのだ。
 マスコミはそこを理解せずに自分達を不当な暴力を振るう犯罪者であると騒ぎ立てているが、正義を掲げる管理局は自分達を捕まえるどころか、その影を踏むことさえできていないではないか。
 まるで、いや、きっと管理局の中にも自分たちと同じように魔法を使えない連中を駆逐して正しい世界の在り方を取り戻そうとしている者がいるに違いない。
 いつの日にか自分達に賛同し共感し理解を示す者たちはもっと増えて、あのひげ面のレジ、レジ、レジなんとかいう中年のおっさんをぶっ殺して時空管理局を変える日が来るかもしれない。いや、かならずそうするのだ。自分達こそが本当に正しい事をしている正義の魔法使いなのだから。
 彼は、身勝手で欠陥だらけの欲望に塗れた考えに浸りながら邪悪な笑みを浮かべていた。その笑みを見れば、人間の創造主は自分が生み出したものがどんなに邪悪で愚かしい存在であるかを悟り、即座に廃棄したことだろう。
 山分けした前回の成果を使って、次の休日には何を買いに行こうかと俗物的な考えに切り替えた彼に、人が良すぎて簡単に詐欺にあいそうなお坊ちゃんと言った感じの声が掛けられた。

「良い事を考えている所に失礼」

「誰だ!?」

 とっさにポケットに突っ込んである待機状態の短剣型ストレージデバイスを取りだして、刃渡り50センチの魔力刃を出現させる。彼はこの青い魔力刃で無様に震える被害者の頬や掌を切り裂くのを誰よりも好んだ。
 声の聞こえた窓の方を振り向き、彼は人間だけが持つ凶悪さをたたえた顔を一瞬で崩壊させる。
 音を立てずに開かれた窓から部屋へと侵入してきた存在は、彼の思考と肉体を硬直させるに足る美しさであった。ろくな語彙を知らない彼の脳裏に数多の賞賛の言葉が渦を巻き、そのすべてが瞬く間に消えてゆく。
 どんな美辞麗句も必要ない。この漆黒の人型を前にしたものはただ一言を永遠に呟き続ければよい。そうすれば一生を美しい幸福な夢の中で過ごす権利が得られるかもしれない。
 “美しい”と。ただ一言を呟き続ければ。
 天上世界から地上へと降り立った美の神の化身と見紛うものばかりの魔青年――秋せつらは外出用のサングラスを外し、その美貌の本来の魅力を輝かせながら忽然とそこに出現していた。

「だ、だれ、だ……」

 魂を打つ美の衝撃に唇を震わせながら、彼はかろうじて言葉らしいものを紡ぎ出すことに成功する。このような反応に慣れきっているせつらは、ポケットから一枚の写真を取りだして彼に見せた。

「このご老人に見覚えは?」

「……はあ?」

 せつらの指先に包まれた写真には禿頭の柔和なまなざしをした老人が映っている。その顔に全く見覚えのなかった彼は、かろうじて首を横に振る。美の衝撃は肉体のみならず魂にまだ残っていたが、せつらの質問に答えねばならないという使命感の方がかすかに勝っていた。

「ね、ねえ、よ。見たこともねえジジイ、だ」

「そ。この人はルベール・ズフィル氏、今年で六十九歳。奥さんは既に亡くなられていて現在は長男夫妻と同居中。六歳の孫娘と平和に暮らしていた人だよ」

「その爺さんが、おれとあ、あんたとなんのかかか、関係がある?」

「ルベール氏は二週間前、孫娘と自宅の留守番をしていたところ、強盗の被害にあった。強盗は複数犯。現在時空管理局が捜査中の例の強盗団と同一であると思しい。で、一向に成果の上がらない捜査に業を煮やしたご家族が犯人の捜索を依頼」

「あんた、探偵かよ?」

 恍惚の霧に惑わされていた彼の精神が、せつらの言葉の刃を受けて徐々に正気を取り戻しつつあった。構えたデバイスの切っ先をゆっくりとせつらの胸元へと向ける。この美しい人を自分の手で切り刻む妄想に囚われはじめていた。
 雪さえも黒ずんで見えるであろうあの白い肌を切り裂き、赤い血が流れ出る瞬間を見たい。見たい。見たい!!

「いいや、新米の人捜し屋さ」

「探偵と何が違う」

「まあ、いろいろと」

 誤魔化すようにせつらはとぼけた返事をした。

「で、その犯人がおれってわけ? なにか証拠でもあるのかよ」

「アルフレッド・ルタリア」

 それは彼と同じ強盗団に所属する同い年の仲間の名前だ。その名前が出てきたという事は、どうにかしてこの青年が自分の事を聞きだしたということだろう。
 アルフレッドとは幼馴染という事もあり、彼とは強盗団の中でも特に親しい仲だ。親友とさえいえる相手を傷つけられたと悟った彼の体中の血管に、怒りの成分が混入する。

「てめえ、アルフレッドに何しやがった?」

「お話を」

「ざけんな!」

 階下にいる両親の事を忘れ、彼は魔力刃を展開したままのストレージデバイスを思い切り突きだした。時空管理局の武装局員だってかわせやしない、と心中で喝采をあげた一突き。
 なあに、ぶっ殺しちまってもばらばらに解体して下水に流すか郊外の山にでも埋めちまえば誰にだってばれやしない。殺人に対する禁忌は、彼の心の中にほとんどなかった。そういう人生を送ってきたのであろう。
 ゆえにぼとり、という音とさらに全身を光の速さで駆け巡った痛みを理解できなかった。

「ぎ…………あ、ああああああ?!」

 音を立ててカーペットの上に転がって赤い水たまりを広げているのは彼自身の腕。魔力の供給を失った魔力刃がデバイスの切っ先から消失する。

「ご両親にうるさいと叱られるよ」

「………………!!!!!!」

 脳を支配するとてつもない痛み。その痛みは骨ごと切断された右腕の痛みを打ち消すほど。彼はあまりの激痛に声は出せず、あらん限り舌を伸ばし、目は反転して白眼を剥いていた。
せつらの指から零れた細さ千分の一ミクロンのチタン鋼の妖糸が、彼の毛穴や九穴から忍び入り骨格に直に絡みついてゆっくりとこすりあげたのだ。
 毛細血管や各神経系を一切切断せずに骨に絡みついて尋常ならざる痛みを与える、秋せつらのみが可能な半永久的に続く苦痛の海に突き落とす拷問である。
 脳天から足の爪先に至るまでくまなく襲いくる痛みに失神し、絶え間ない痛みによって再び覚醒する。失神と覚醒を十数度繰り返し、容赦なしに襲いくる痛みの牙に精神を穴だらけにされて、発狂という名の楽園に逃げこむ寸前、痛みは唐突に消える。
 骨を緊縛する妖糸がわずかに緩み痛みは消えたが、消えたはずの痛みの感触が全身に残り、彼は肺の中のすべての空気を絞り出し、新鮮な空気を取り込んでわずかでも気を紛らわせようとあがく。

「一応、確認のため。君ら強盗団は全十二名。これはあっている?」

 せつらの答えに彼は即座に首を縦に振るって答えた。もう一度あの地獄の痛みを与えられると考えたら、何も拒絶することはできなかった。親を殺せば見逃してあげると言われたなら、喜んで父と母の心臓に魔力刃を突き立て、首をはねたことだろう。

「じゃあ、君が最後だね」

 それは恐るべき告白であった。目の前の美青年はいま自分にしているような事を繰り返して、強盗団の仲間たち全員に苦痛地獄を与えて他のメンバーの事を聞き出したのだろう。
 誰もこの拷問の前には口を閉ざしたままではいられなかったことが心の底から理解できる。耐えられるわけがない。体の外ではなく内側。それも骨という体内の最奥と言ってもいい個所から襲いくる抗いようのない痛み。
 特殊な訓練を積んだプロだって、この拷問に架せられれば一秒で糞尿を洩らしながら泣き喚いて許しを請うにきまっている。
 天使だ。自分達の罪を暴き立て罰を与えるために天上世界から遣わされた翼のない無慈悲な天使が、目の前の魔性の青年の正体なのだと半ば発狂した思考で、彼は結論した。

「おれ、おれたちは、そりゃ、強盗はした。人も、きず、傷つけた。けけけけど、非殺傷設、設定だ。だれも、殺しちゃ、殺しちゃいねえよおおおお。殺さないで、殺さないでくれよ!!」

「その非殺傷設定で何十回も打ちすえられてルベール氏は脳内出血を起こして三日前に亡くなったよ。それに六歳の孫娘の肌は剃刀よりも鋭い魔力刃で切り刻まれていたそうだ。もう少し処置が遅ければ、大量による失血によってショック死していたよ。
 命乞いをする人達に君や強盗団の仲間達はどんな風に答えたのかな? それに被害者のご家族は君らの命乞いになんて答えるだろうね」

 せつらは言葉とは裏腹に日向ぼっこでもしているような口調であった。その様子こそが、彼には恐ろしかった。これから与えられるだろう苦痛の地獄よりも、それを淡々と実行に移すせつらの精神の方こそがあまりにも恐ろしすぎる。
 ああ、神様。これからは悪いことはしません。いままでの行いは全て反省します。心を入れ替えて良い事をします。だから、どうか、目の前の美しい悪魔をどこか遠いところへと追いやってください。
 お願いします。お願いします。お願いします。
 落とされた右腕の痛みも何もかもを忘れて、彼は一心に祈り、願い続けた。
 無論、彼らが被害者たちに与えた答えと同様のものが、彼に与えられた。



 息子のもとへお茶とケーキを運びに行った母親が、朱に染まった部屋の中に転がる息子の姿を発見し、半狂乱になりながら管理局に通報したことで、強盗団の一員であった彼はかろうじて命をつなぐ事が出来た。
 当初あまりに凄惨な現場に、どんな凶悪な精神を持ったものの犯行かと捜査陣を騒がせたが、事態は思わぬ方向へと転じる事になる。
 彼と同日の内に全身を切り刻まれた者たちがほかに十一名発見され、彼らの身辺を慎重に捜査した結果、次々と発見される凶悪事件の証拠の数々。被害者と思われた彼らが、実は最近巷を騒がせている凶悪極まる強盗団であると判明したのである。
 被害者全員が全身に非殺傷設定の魔法によって傷を負わされ、死者まで出した連続強盗事件は、その犯人である強盗団が何者かによって半死半生にされることによって一応の終結となったのである。
 その事件の報告書の隅から隅まで目を通した青紫の髪を持つ美少女、ギンガ・ナカジマは憂鬱な溜息をこぼした。凶悪強盗団が壊滅したことは実に喜ばしいことと言えよう。
 しかしその肝心の強盗団を壊滅させた犯人の行方が知れず見当も皆目つかず、強盗団の捜査からその犯人の捜査へとシフトしている。
 ギンガ自身は既に本局の部隊である機動六課への出向が決まっており、犯人捜索には関われないが、実に惨たらしい真似を平然とやってのけたであろう謎の犯人を追う同僚達の安否が気遣われてならない。

「大丈夫、ギンガ?」

 と、ギンガの向かいに座っていた悩ましいほどの美貌を持つ美女が声をかける。太陽の光よりもやや黄色いみがかった金の髪を長く伸ばして黒いリボンで纏め、鮮やかな赤い瞳に気遣う光を宿した美女である。
 ギンガよりもひとつかふたつほど年上だが、純粋無垢とさえ見えるほどあどけない表情をする美貌と、その幼ささえ感じられる雰囲気に反してギンガ以上に爛熟して大きなカーブを描く体つきが完成された極上の美女を作り上げている。
 この美女こそが管理局でも五パーセントに満たないSランクオーバーの高ランク魔導師であり、優秀な執務官であるフェイト・T・テスタロッサ。ギンガが出向する機動六課の重要人物である。
 一尉待遇で機動六課に出向しているフェイトが、まだギンガの残っている陸士108部隊のオフィスに顔を出したのは、件の連続強盗団が奪った物品の中に民間人の所持が禁止されている低レベルの危険指定を受けたロストロギア――古代文明の残した遺失技術ないしはその産物があったためで、執務官としての任も兼務しているフェイトが捜査に関わることになったからだ。
 もっとも強盗団が壊滅したことでロストロギアは回収されて、執務官としてのフェイトの出番は、幸福にもなくなったが。

「ええ、大丈夫です。ただ強盗団を壊滅させた犯人が見つかった時に、部隊のみんなが怪我をするようなことにならないかって不安なものですから」

「そうだね。強盗団は平均Cランクだけど中にはAランクオーバーの魔導師もいた。一対一で不意を突いたのかもしれないけれど、半死半生にまで追い込んだ上に一切の痕跡を残さずに逃亡した手際の良さは並みじゃない。確かに不安になっちゃうのも仕方ないよね」

「それにしても強盗団のメンバーの証言が意味のはっきりとしないものが多くて、捜査に役立たないのも問題ですよ。全員命だけは助かりましたけど、助かったのは命だけって言い換えることもできます」

「一人当たり五百ヶ所以上を切り刻まれて、全員が錯乱しているからね。どうやったらあんなに切り刻んでおいて死なせずにいる事が出来たのかって、治療を担当した医官がぼやいてたよ」

 五百か所超という切り傷の数が、強盗団の被害にあった人々に加えられた暴行の和数と一致することにフェイトが気付くのは、もう少し後のことである。

「凶器は、恐ろしく鋭利な金属製の何か。推定千分の一ミクロン単位の。そんなものを使う犯罪者の話なんて聞いたことありません。フェイトさんは何か心当たりは有りますか?」

 ギンガの問いに、フェイトはゆっくりと首を横に振る。純金にも勝る輝きを持つ髪が、首に合わせてさらさらと揺れる。

「別の管理世界から来た新手の犯罪者かもしれない。それにしても、どうして強盗団のメンバーだけを正確に追いかけて、全員に重傷を負わせたんだろう? 目的は一体?」

 そしてもう一つ、フェイトの心に暗く重い影を落としているのは、今回逮捕された強盗団の平均年齢が実に十歳であることだ。フェイト自身が時空管理局の嘱託魔導師として活躍を始めたころ、それにフェイトが保護責任者となっている愛すべき二人の子供たちと変わらない年齢であったことだ。
 就労年齢の低年齢化と同じように凶悪犯罪に手を染める者たちの著しい低年齢化は、ミッドチルダのみならず時空管理局の影響力が強い多くの次元世界で深刻化している社会問題であった。



「はい、はい。というわけでしてご依頼のあったおじいさんと娘さんに暴行を加えた犯人は時空管理局の方で逮捕したそうです。犯人達は生きるか死ぬかの重傷を負ったそうで。ええ、管理局の病院に入院することになると思います。
 いえ、ぼくが見つけたときにはもう管理局が踏み込んでいましたので、料金はお返しいたします。お役に立てず、どうもすみません。ええ、ええ、はい。口座の方に振り込んでおきますので。はい、では」

 やれやれと、せつらはため息をついた。今日何度目になるか分からないため息であった。
 せつらが依頼人に事の次第を報告したのは、強盗団全十二名が半死半生の状態に切り刻まれて、陸士108部隊の面々に発見されて身柄を確保された翌日のことである。
 ここがせつらの庭も同然の<新宿>であったら、幼いながらも凶暴であった強盗団のメンバー全員を発見し、その全身を切り刻んで報いを与えたのはせつらであるから堂々と依頼人に報告するところであるが、あいにくとせつらがいるのは異世界クラナガンの街中である。
 強盗団に対し行った処置を依頼人とはいえ、他者に知らせようものなら時空管理局に通報されてもおかしくはない。そうなればどのような面倒事がせつらの身に襲いかかることか。
 切り抜ける自信は――数多の死と大量の血を伴って――あるものの、それ以上に面倒くさいことになるのが嫌で、せつらは自分の手柄を棚に上げて隠すことを決めたのである。
 捜査にかかった諸経費が多少気にはなったが、これは仕方ないとあきらめる事にした。強盗団の犯人発見の方を依頼人に伝えるだけでよかった所を、全メンバーを半死半生にまで追い込んでしまったのは、つい、<新宿>でのやり方を実践してしまったせいだ。
 こちらに来てからそれなりに時間が経過してはいたが、やはり二十年以上の期間、体と精神に染みついた魔界都市の流儀はそうそう忘れられるものではない。
 ましてやせつらは魔界都市の主、真の<新宿>区民とまで称された人類の規格外、真正の魔人だ。心がけた所でそうそうやり方を変えられるものではない。
 働き損かあ、と少しさびしげにせつらは呟いた。そう呟いてからせつらはとぼとぼと歩き始める。こころなし背中に元気がない。一応せんべい屋の売り上げは上がっているし、人捜しの依頼も、口コミで少しずつ来るようになってはいるが、まだまだ生活は油断できないレベルであった。
 すっかり草臥れた中年管理職のサラリーマンめいた疲労感を漂わせるせつらの後ろで、一緒に買い物に出かけていたヴィヴィオは、古書を専門に扱う書店のウィンドウに飾られたある絵本に目を奪われて足を止めていた。
 せつらは足をとめたヴィヴィオに気付いているのか、このまま置いていってしまえと思っているのか、脚を動かすのをやめない。この青年の場合、前者であると言いきれないあたりが問題だろう。
 ウィンドウに貼りついて離れないヴィヴィオに、書店の主らしき美女が声をかけた。
 濃い紫色のスーツの胸元を大胆に開き、ヴィヴィオの頭くらいは有りそうな途方もない夢とロマンの詰まった乳房をこれでもかというくらい大胆に晒している。
 濡れた鴉の羽よりも黒々と陽光をはじく髪を結いあげ、妖艶という言葉がこれ以上ないほど似合う、いや、言葉が人の姿を取ったとしか見えない美女だ。
 目元を飾る眼鏡の奥の瞳を愉快気に押し上げて、美女はヴィヴィオににっこりと微笑みかける。意識すればその笑顔だけで相手を骨抜きにし、妖しい快楽の世界へと引きずりこむことができるような、淫靡で邪悪な笑みであった。

「こんにちは、お嬢ちゃん。ぼくはこの『千貌書房』の店主のナイア。この絵本が気に入ったのかい?」

「あ……はい」

 せつらに対する態度からは想像しがたいが、ヴィヴィオは人見知りをする傾向がある。突然声を掛けられて、緊張してしまうのも無理のないことであった。身構えてしまったヴィヴィオの様子に、ナイアと名乗った店主はおやおやとひとつ零す。
 不意に黒い手袋に包まれたナイアの手が腰の引けているヴィヴィオの前に差し出されると、先ほどまでヴィヴィオが見入っていた絵本が載せられている。その絵本にどういうわけでか心魅かれるものを感じて、ヴィヴィオの虹彩異色の双眼が吸い寄せられる。

「ははは、どうやらこの絵本を気に入ってくれたみたいだね。これはぼくの大のお気に入りの絵本でね。気に入ってくれたのなら嬉しいよ」

 そういうナイアの顔は確かに愛しいものを見つめているようでもあり、これ以上ないほど憎悪の念を募らせた相手を睨んでいるようでもあった。
 ヴィヴィオはナイアの愛憎入り混じる顔の変容に気づいてはいないようであったが、それはむしろこの場において幸運であった。
 ナイアの手の上に置かれた絵本の表紙には、廃墟の上に座る少女とその周囲を囲む燃えるような瞳の黒い影が巨大な六体の影の巨人を率い、憎むように、あるいは憧れるようにして天空から降り立つ光輝く巨人と対峙している様子が描かれていた。
 その光景に自分でもどうしてか分からないくらいの憧憬を覚えて、ヴィヴィオはこの絵本から瞳を外すことができずにいる。
 そのヴィヴィオの様子に、ナイアは苦笑したようだった。どこか非現実的な、その姿を視界の内に入れているだけで言い知れない不安と恐怖に襲われる美女だというのに、苦笑する姿だけは妙に人間臭かった。

「ようし、ナイアお姉さんの特別サービスだよ。この絵本は君にあげよう!」

「え!? いいの?」

「構わないよ。君のパパはぼくの上司みたいなものだし、君のパパが住んでいた街にはぼくの愛しい旦那さまと可愛い息子が住んでいる縁もあるからね。さあ、早く行かないと大切なパパに置いていかれるよ?」

「あ、もうあんな所に。ナイアさん、ありがとうございます」

「お礼はいいよ。上司の家族へのサービスは中間管理職のゴマすりの基本だしね」

 ナイアから手渡された絵本を宝物のように両手抱きしめながら、ヴィヴィオはちょこんと可愛らしい仕草でお礼を述べてから、遠くなる一方のせつらの背中めがけて小さな足で一生懸命に走りだした。
 走り去るヴィヴィオに向けて手を振っていたナイアであったが、せつらとせつらに追いついたヴィヴィオが角を曲がって視界から消えると、そそくさと店の中へと消えていった。
 さらにその十分後、左右で瞳の色が異なる青年と青年の腰くらいまでしかない小柄な美幼女の二人組が、千貌書房の前に立った時、店内にいるはずのナイアごと千貌書房が昇陽に消える朝霧のごとくその姿を消していた。



「パパ見てみて、さっきこの絵本もらったの」

 ヴィヴィオはいかにも大切な宝物ですと言わんばかりに小さな手で抱えた絵本をせつらに向けて掲げる。

「ふうん」

 しかし、いや、しかしというよりは当然というべきか、せつらの返事はなんともはや、素っ気ないったらありゃしない。

「後で読んで」

 と舌っ足らずの口調でお願いするヴィヴィオに顔を向ける事すらせず、せつらは答えた。

「やだ」

「なんで!? ヴィヴィオは四百字詰め原稿用紙一枚以内での説明をよーきゅーします!!」

 ぷんすかぷんすか、とでもいうような擬音が似合う調子で、ヴィヴィオは柔らかな頬をいっぱいに膨らませて、せつらのコートの裾を引っ張りながら抗議する。
 しかし原稿用紙云々という言い方は、五歳児前後のヴィヴィオの容姿には似合わないのだが、せつらとの何時捨てられるかわからない、どうやってパパと認めさせるかという暗闘の日々が、この少女の精神に強制的な成長を促したのだろう。

「めんどくさい」

「六文字!? パパの馬鹿あ~~!!」

 十文字にすら届かないせつらの理由に、ヴィヴィオはいまにも泣きださんばかりにもともと大きな瞳を見開いて、ぽこぽことへなちょこパンチでせつらの腰のあたりを叩きはじめる。
 流石に悪意のない幼女の抗議行動にまで目くじらを立てるほど、せつらは物騒な人間ではないので、全く痛くもなんともないヴィヴィオのへなちょこラッシュを黙って受け続ける。
 しかし、こう見えてヴィヴィオは片手に重い鎖をつながれた状態で、残る片手で50kg以上は有るマンホールの蓋を押し上げる怪力の持ち主である。にしてはせつらの腰に加えられる衝撃は見た目相応の非力さだ。
 ヴィヴィオが生来か後天的にか有している怪力は、なにがしかの条件下でだけ発揮されるのか、あるいはパパと慕うせつら相手であるから無意識に手加減しているのかもしれなかった。
 ぽこぽこぽこぽこ……と疲れというものを知らないのか飽きることなく続くヴィヴィオの殴打であったが、せつらが不意に足を止めたことで中断を余儀なくされる。
 足をとめたせつらの視線の先には、秋せんべい店の裏口、つまり秋DSMセンターの入口を前に店主であるせつらの帰りを待っているらしい麗しい三人の女性の姿があった。
 いずれも目元を大きめのサングラスで覆い隠して、すれ違う男が見惚れること間違いない美貌を隠している。そのうちの一人にかんしてせつらは見覚えがあった。
 こちらの世界に転移した時に保護された時に知り合ったギンガ・ナカジマである。秋せんべい店クラナガン本店を開設して以降も、時々せんべいを買いがてらせつらの様子を見に来るので記憶に留めてある。
 だが、ギンガの両隣りに立つ二人の女性に関しては、せつらに直接の面識はなかった。ただ、栗色の髪をサイドポニーにしている女性は、テレビや新聞でも何度か目にした覚えがあったし、金色の髪をリボンで纏めている女性にもなんとなく見覚えがある。
 なんだかまた面倒なことに巻き込まれそうだなあ、とせつらはこの時嫌な予感に襲われていたのだが、せつらを前にして、サングラス越しにも精神を緊縛する超絶の美を目にして硬直している三人の女性達に分かるはずもなかった。
 これが“エース・オブ・エース”高町なのはとフェイト・テスタロッサ・ハラオウンと美しい魔人・秋せつらとの初邂逅である。

――つづくのかつづかないのか?
今回ここまで。魔界都市クロス、ムゲフロリリなのクロス、Dクロスをそれぞれ並行して書き進めているので時間が掛かっています。なんとか、なんとか時間を作って・・・・・・。
ご感想ご指摘ご批判ご忠告お待ちしております。ではでは



[11325] その23 魔界都市ブルース × リリカルなのはsts ④
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/10/09 21:49
※暴力表現や残酷な描写がまったくありません。これまでのリリカルおせんべいやさんシリーズでもっとも穏便な話になってしまいました。読み進める場合はその点をご留意ください。

リリカルおせんべいやさん ④

『聖王さまときどうろっか』



重傷者12名 軽傷者34名

 新暦75年.×月▼日.PM2:04

秋せんべい店店先で勃発した大規模乱闘事件における負傷者の数。せんべい店の店主の顔を撮影しようとした客と、それを咎めた別の客との口論がきっかけで勃発したものと思われる。
 電子新聞で小さく取り上げられた当事件に対するせんべい店の店主秋せつら氏のコメントは以下の通り。

『そんなに美味いですかね、うちのせんべい』

 上記のコメントが発表された際に、負傷者らの家族が何ら店主に対して文句を言わなかったのは、事前に店主の顔写真を目にしていたためと思われる。



 秋DSMセンターの入口である秋せんべい店クラナガン本店(仮)の裏口の前で、自分の帰りを待っていた様に立ち呆けている三人の女性を、まとめて視界の中に入れながら、せつらは、はて、何の用かな? と内心で小首を傾げていた。
 せつらと面識のあるギンガの忠告によるものか、ギンガ以外の茶髪をサイドポニーにした少女と、屈んだら地面に着いてしまうほど長い金髪の少女達――どちらも“美”少女と形容するのに何の抵抗もないほど――は、その美貌の大部分をあまり似合っているとは言い難いサングラスで覆っている。
 対せつらの美貌用としてはもっとも手ごろでそれなりの効果を発揮する品だ。初遭遇以降もちょくちょくせんべい屋の方に顔を見せたギンガも、三度目くらいの砲門から学習し実践した対処法である。
 それでも、初見の人間に対しては、人間や怨霊、妖魔どころか異次元からこちら側に来訪してきた“神”さえも魅了した実歴を誇るせつらの、もはや美貌を超えた魔貌とでも言うべき美しさは十二分以上の破壊力を有していた。
 効果ではなく破壊力、と表すのがやはり適切であろう。せつらの顔を見た者は精神と魂に、その美貌の像が刻み込まれて例える言葉を思い浮かべる事も出来ずに、それまでの常識を破壊されてしまうのだから。
 見知らぬ三人の女性を前に、緊張した様子のヴィヴィオは、ナイアなる美女から譲り受けた絵本を片手で抱きしめながら、残る手でせつらのコートの裾を握りしめて、パパと慕う人捜し屋の後ろに隠れた。
 とはいえ半顔と青いリボンで括った短めのツインテールが、子犬の尻尾の様にぴょこぴょこと揺れていては、見る者に微笑ましさを誘うばかり。
 自分の背後に隠れたヴィヴィオを安堵させるセリフ一つを口にするよりも早く、せつらはやや猫背気味の姿勢のまま、とりあえず面識のあるギンガに事情を問う事にしたようで、もそもそと口を動かす。
 顔さえ見なければ面倒くさがりのものぐさかつ自己中心的と、到底人付き合いのできそうにない性格の青年であるが、持って生まれた顔がそれらの欠点すべてを補って余りあるのが、この青年の人生最大の幸運であるかもしれない。

「ナカジマさん、うちになにかご用で?」

 ギンガと呼んでください、と既に両手の指で足りないくらいに言われてはいたが、せつらにはギンガと親しくなる理由が特にないので、ナカジマさんと呼ぶばかりだ。
 ナカジマさんと呼ばれるたびに、ギンガは見る者の胸に切なさを呼び起こす儚い笑みを浮かべるが、精神構造が常人とは異なるせつらにとっては、そのギンガの笑みであっても何の感慨も呼び起こさないらしく、変わらずぽけっとした表情を浮かべるのみ。
 いまも、そうだった。

「あの、おひ、お久しぶりです、秋さん」

 たしか二日前に堅焼きとざらめと海苔巻きを百枚ずつ買っていったのにな、とせつらは思ったが、何も口にはしなかった。お得意様の足が遠のくは避けたいという商売人根性の為である。
 はあ、とせつらは返事をした。これほど相手の神経を逆なでする返事もそうはないが、この春霞に包まれて一年中生きているような青年が口にすると、こちらもつられて脱力するような気になってしまい、まあこの男なら仕方ないかとつい納得してしまう。

「実は、その、せつ……秋さんの後ろの女の子の事でお話があって伺わせていただいたんです」

 言葉を重ねるうちに歴戦の管理局局員としての顔と雰囲気に戻り、ギンガはせつらの後ろで少し怯えた様子のヴィヴィオに、つとめて優しい笑顔で微笑みかける。
 せつらが偶然出会い、その後なし崩し的に保護者にさせられてしまった異色双眼の少女の事、と言われたせつらの反応はと言えば――

「はあ」

 ――であった。もっとも内心ではようやくヴィヴィオを手放せるか、と喜んでいてもおかしくないあたり、この青年は少し人間的に問題がある。彼と付き合いの長い人間だったら、少しではなく、大いに、と訂正するところだろう。
 とりあえずせつらはこのまま三人に突っ立っていられても営業妨害だな、と思ったので仕方なしに六畳間の方へと招き入れた。本日はせんべい屋の方は臨時休業の札を下げているからそちらの心配は不要だ。
 ミッドチルダ最新の家電製品がずらりと並んでいる以外は、純和風の造りになっている人捜し屋のオフィスの内装に、地球の日本出身の高町なのはと実家のあるフェイト・テスタロッサ・ハラオウンなどは、少なからず驚いた表情を浮かべる。
 時空管理局の守護の手の及んでいない第97管理外世界である地球だが、それなりの交易か交流でもあるのか、地球の食品や風習などが一部ミッドチルダでも流通している。
 稀に魔導師適正保持者が、時空管理局に保護ないしは拉致されて移住するケースがあるが、その彼ら彼女らが広めたという可能性もあるだろう。
 それにしても秋DSMセンターの内装はミッドチルダでもなかなか見かけられないくらいに、和のテイストで整えられている。
 その内装に注意が行く程度にはなのは達の意識は、すでにせつらの顔から離れていた。
 流石に人生の半分以上を時空管理局へ奉職し、違法犯罪魔導師達との戦いに明け暮れた歴戦の猛者だけあり、せつらの美貌への酩酊状態からの復活も早い。
 サングラスの効果による軽減もあるだろうが、五秒以上せつらの顔を直視しない限りにおいては、多少慣れているギンガと共に正気を保てるようだ。
 ほかに従業員も居ないので、せつらは仕方なく自分で玉露の特によい茶葉に似た風味の緑茶モドキと、人捜しの客用にとってある壊れせんを菓子鉢にいれて出す。壊れせんは、端が欠けたり、焼き過ぎたせんべいのことだ。

「どうぞ」

 ありがとうございます、と三人の美少女達から異口同音の言葉が返ってくる。さきほどから人捜し屋のオフィスがどういうものかと興味深げに視線を彷徨わせていたギンガや、なのは、フェイト達がそろって会釈する。
 それには構わずせつらは自分用の湯呑に口を付け、やや背を曲げて姿勢悪く啜る。子供のいる親なら、まず子供にとって悪い見本と窘められるだろう姿勢の悪さである。せつらがの茶を啜るのに続いて、なのは達も出されたお茶に口を付け出す。
 ミッドチルダではなかなか口にする機会の少ない故郷の味に、こころもちではあるがなのはとフェイトの眉間から緊張の糸がかすかにほぐれる。
 目の前の存在それ自体が信じられないような美貌の青年も、自分たちと同じものを口にするのだという安堵が、本人達も知らないうちに胸の奥で広がったのだろう。
 ギンガ達が秋DSMセンターの方を訪れる理由となったヴィヴィオであるが、なのは達が自分をパパの所から連れて行ってしまう悪い人だ、と考えてしまったようで警戒心丸出しの不安げな表情で、なのは達をちらちらと見ている。
 せつらの隣に自分用のクッションを敷いて陣取り、ウサギのイラスト付きのマグカップに注いだオレンジジュースを飲んで押し黙っている。その間も空いている右手はしっかりとせつらのスラックスのベルトを握りしめている。 
 せつらはそんなヴィヴィオの健気な様子にも無視一徹を決め込んでいて、安心させるための言葉一つ口にしない。
 場にいる全員が喉を潤し、一区切りがついた所でギンガの左右に座った二人の美少女達が自己紹介を始めた。サングラス越しにではあるがそれぞれの瞳には、理性の光が灯り、せつらに対する前後不覚の状態から脱している事は明白であった。

「時空管理局機動六課、スターズ分隊隊長、高町なのは一等空尉です。はじめまして、秋さん」

「同じく時空管理局機動六課、ライトニング分隊隊長、フェイト・T・ハラオウンです。こんにちは、ヴィヴィオ」

 とそれぞれがせんべい屋の主とその庇護下に在る身元不明の少女に微笑みかけた。特にフェイトの方は泣いてばかりいる子供も思わず抱きついてきそうな、柔和な笑みだ。心底子供好きでないと、こういう笑顔は浮かべられない。
 流石にヴィヴィオもそのフェイトの笑みには警戒心を薄れさせたのか、せつらのベルトを握る手の力が弱まる。

「それで、うちになにか? 違法な商売をした覚えはないんですが」

 相手が権力機構の一員とあって、若干せつらの口調は硬めだ。それでも大概の人間からすれば寝ぼけ眼をこすりながら言っているように聞こえる、ぼけっとしたものだ。
 もっとも、せんべい屋稼業に関しては合法ではあっても、人捜し屋稼業の方では明らかに過剰防衛ないしは殺人未遂に該当する行為を、既に数十件重ねているのでこちらをつつかれると反論の一つも出せない。
 まあ、せつらにしてみれば半死半生の目に合わせるのが当たり前の連中ばかりだったので、罪の意識というものは欠片も抱いてはいない。警察機構でもある管理局に目をつけられて商売に支障をきたし、今後の生活と本来の世界への帰還に問題が生じたらやだなあ、くらいは思ってはいるが。
 せつらの疑問に答えたのはこの三人の中で、立場上法関係にもっとも詳しいフェイトだ。

「いえ、おせんべい屋さんの事でお話に伺ったわけではありません」

 それはそうだろう。高町なのはとフェイト・T・ハラオウンの両名は、数多の次元世界に食指を伸ばす時空管理局全体を見渡しても5パーセントに満たないオーバーSランクの極めて強力な魔導師だ。
 その二名が珍しいとは言え次元漂流者の営む一商店の経営問題に介入するわけがない。ギンガにしても、地上部隊では希少なオーバーAランクの強力な魔導師だ。その実力に比例して忙しさに追われる身のはず。
 その彼女がSランク越えの魔導師二名を伴っての訪問だ。尋常な類の要件ではないだろう。おそらくは相当大規模な事件に絡んだ事情があるとみて間違いはない。せつらにして見れば、迷惑なので好きと勝手に他所でやって欲しい、というのが本音になるだろうけれども。

「実は、秋さんが引き取られたヴィヴィオの事なんですが……」

 フェイトは、緩めたとはいえまだ自分達を警戒しているヴィヴィオを一瞥し、本人を前にしては言いにくい内容なのか、言葉尻を濁した。とはいえその短い言葉だけでも彼女らの用件の矛先が向いているのが、美貌のマン・サーチャーではなく幼い謎の少女である事は明らか。
 せつらは、むしろしめしめと思ったのかもしれない。おもむろに自分の隣に座るヴィヴィオの両脇に手を差し込んでひょいと持ち上げながら立ちあがって、どう切り出したものかと思案している様子だったフェイトに手渡すように差し出したのである。

「ふぇ?」

 とパパと呼ぶ相手の突然の奇行にヴィヴィオの反応が遅れている間に、せつらはこう言った。

「どうぞどうぞ」

「え?」

 どうぞ、と言われても、とばかりにフェイトは柳眉を寄せてギンガとなのはに助けを求めるように眼を向けたが、その二人もせつらの突然の行動に目をぱちくりさせている。
 せつらに抱えあげられたヴィヴィオが、せつらの行動の意味を即座に理解して、フェイト達がきょとんとしている間に、手足をじたばたと降ってせつらの手から離れようともがきだした。

「や~だ~~!! パパと一緒がいい!! 捨てちゃやだあーーーー!!!!」

 うわんうわんと堤防の壊れたダムの様に一気に大声で泣き出し、大粒の涙で瞳を潤ませて、抵抗と拒絶の意思を全身で表現するヴィヴィオに、ようやくフェイト達の理解も追い付く。
 つまり、目の前の黒衣の青年は、自分達がヴィヴィオに用があると切り出した段階で、ちょうどいいと言わんばかりに引き取ったはずの娘を差し出したのだと。
 それは、まさに外道と罵られても仕方のない非情な行いであるだろう。せつらの場合は望んで引き取ったのではなく、周囲からの圧力に珍しくも屈するような形で渋々ヴィヴィオを手元に置いていただけだが。

「あ、秋さん、そんな女の子を物みたいに扱わなくても」

 位置的に最も遠い所に座っていたなのはが思わず腰を浮かせて、せつらを嗜めるように言う。瞳に浮かんでいるのは、せつらへの注意というよりはヴィヴィオに対する心配の成分の方が多い。まだ二十歳にもなっていない少女であるが優しい性根なのか、母性に富む女性なのだろう。

「御所望はこの娘なのでしょう?」

「た、確かにお伺いしたのはヴィヴィオの件ですけれど、だからっていきなりそんな事をしなくても。ほら、ヴィヴィオだってこんなに泣いているじゃないですか。とりあえず降ろしてあげてください」

 なのはに続いたのはギンガである。ぶんぶんと音を立てる勢いで手足を振り回すヴィヴィオを、苦もなく抱えあげた姿勢を維持していたせつらであるが、どうにもこの泣き出した子供を宥めないと話が続きそうにない、と判断したようで、言われたとおりにヴィヴィオを元の位置に戻す。
 ようやく手放せる機会が巡り巡ってきたせいで、少々、直接的に行動しすぎてしまったようだ。元の位置に戻されたヴィヴィオは、今にも涙の粒をこぼし落ちそうな瞳で、無表情を維持しているせつらの顔を睨むように見上げている。

「う~~」

 妙になってしまった空気に戸惑いながら、フェイトがこほんとわざとらしい事極まりない咳払いをして区切り直す。ヴィヴィオはいまだに涙目、なのはとギンガはこんな事情聴取の場に立ち会うのは初めてで困惑しているし、フェイトだってこんな空気で話を切り出さなければならないのは妙な気分だ。
 そんな中せつらだけは、ヴィヴィオを引き取ってもらえずに少しばかりがっかりした様子で、周囲の空気の変化をまるで気に留めていない様子だ。こんな風に人の芽を気にせずに生きていけたら、それはそれで幸せなことだろう。

「機密事項に抵触しますので詳しい事はお伝えできないのですが、我々機動六課が専門に取り扱っているロストロギアと、ヴィヴィオとの間に不明瞭ながら何らかの繋がりがある可能性があるのです」

「ロストロギアですか。物騒ですね」

 いやだなあ、と心中でこぼしながらせつらは湯呑の残りをくいっと飲み干す。まあ世界の滅亡云々という出来事にはいい加減慣れているので、面倒くさいくらいの感慨しか覚えないのも大したものと言える。

「はい。扱い方を間違えれば大きな被害を齎すとても危険な品物です。先日、地下下水道でそのロストロギアが収納されたケースが確認されたました。そのケースの出所を探ったところ、別の場所で事故を起こしたトレーラーで運搬されていたことが判明しました」

 フェイトは口にしなかったが、トレーラーが運んでいたのはそのロストロギア――レリックという赤い宝石状の莫大なエネルギーを蓄えた物品のみならず、生体ポッドを一基運んでいたのである。
 そしてその生体ポッドの中身は事故に紛れて現場を逃走し、レリックを自動追跡する機械ガジェットを破壊した痕跡を残して、地下に潜って行方をくらましたと推測されていた。
 その生体ポッドの中に安置されていたのが、いま、秋せつらの手元に置かれているヴィヴィオである、と判断されて保護者となったせつらの下を、機動六課の隊長陣という豪華な顔ぶれが足を運んできたのだ。
 幼いヴィヴィオが人工的に生み出された生命である可能性を口にする事を憚ったのは、フェイト自身も人為的に生み出された出自という事もあるが、その事で精神的苦痛を負う事を慮ったからだろう。
 一方でせつらは、ヴィヴィオとのファーストコンタクト時に手首に鎖が繋がれていた事を思い出した。あの時は鎖の先の品は紛失した状態であったが地下を逃げ惑ううちになくしてしまったのだろう。
 その紛失物が金髪の執務官達が追い求めるロストロギアという事。

「生活費の圧迫に加えて厄介事まで、ねえ」

 と意味ありげにせつらは隣に座らせたヴィヴィオを見る。

「ヴィヴィオ、やくびょーがみじゃないよ! えっとえっと、むしろこ、こーふくの青い鳥だよ!?」

「鳥には見えないし、青い所もないね」

 せつらの言わんとしている事を悟ったヴィヴィオは、先ほどまでの泣き出す寸前の状態から、大慌てで弁明を始める。五歳児ほどの外見の割には随分と言動がしっかりとしているが、せつらは気にした様子はない。

「似たようなものさ。いやなら厄病神じゃなくて貧乏神にしておく?」

「ぱ、パパひどいよ! 絵本はめんどうだからって読んでくれないし、お土産は買ってきてくれないし! もうちょっとれでぃーには優しくしてよぅ」

「夜中トイレに連れて行ってあげたりしているよ。服も買ったし食事の面倒も見てる。あとパパじゃない」

「パパのひとでなし、きちく、げどう、ぼーはち!」

 忘八とは女郎屋の旦那の事を指す。七つの徳を捨てなければ到底できない仕事という意味であるが、これは完全に日本の言葉だ。ヴィヴィオはいったいどこでそんな言葉を仕入れてきたのか。
 まくしたててくるヴィヴィオに対してせつらは伝家の宝刀を抜いた。

「ぼくは君のパパじゃない」

 非情なせつらの一言は見事にヴィヴィオの反論を封じた。

「う~、う~、う~」

 口で何を言っても勝てないと分かったヴィヴィオは、なんとか目の前のパパにぎゃふんと言わせたいのだが、何をどうすればいいのか分からず唸ることしかできない。
 せっかくフェイトの咳払いで緊張感を取り戻したはずの場の空気はあっさりと瓦解してしまい、なのはやギンガ達が口をはさむ隙がきれいさっぱり消えてしまった。
 まずヴィヴィオを宥めないとどうしようもないと考えたのか、フェイトが持ち込んでいたカバンの中からなにやら丁寧にラッピングされた包みから、もこもことした三十センチくらいのウサギのぬいぐるみを取りだした。

「ほら、ヴィヴィオ、うさぎさんだよ?」

「ふぇ?」

 買収か、交渉の基本だな、とせつら。隣のヴィヴィオが瞳を輝かせてフェイトの持ちだした真っ白い兎のぬいぐるみを見つめているのと比較すれば、世間の荒波に揉まれ、汚れた大人の思考であるだろう。
 フェイトが両手に持ったぬいぐるみを左右に動かすと、目でぬいぐるみを負うヴィヴィオの頭とツインテールも左右に揺れて、すっかり注意がせつらからぬいぐるみに移っている事がわかる。
 秋せんべい店に引き取られたヴィヴィオがまだ五歳かそこらの小さな女の子であることから、事前に購入しておいたぬいぐるみが功を奏した形だ。
 ぬいぐるみに心奪われていた様子のヴィヴィオであったが、不意に勢いよく立ちあがって部屋から小走りに出て行ってしまう。

「あれ、ヴィヴィオ?」

 ぬいぐるみ作戦の失敗を悟ったフェイトは軽く腰を浮かせてヴィヴィオの名を呼ぶものの、ヴィヴィオはフェイトの声に耳を傾けるつもりはないらしく足を止める事はなかった。
 なにが気に障ったのか部屋か出て行ってしまったヴィヴィオにフェイトは困惑の色を白皙の美貌に乗せ、隣の同僚と親友にどうしよう、と視線で問いかける。しかしギンガとなのはにしても、こうすればいいと何か言えるわけでもない。
 せつらにヴィヴィオの機嫌を取り直してもらうのが一番手っ取り早いかな、とフェイトが考えた所で部屋か出て行ったはずのヴィヴィオが戻ってきた。ふっくらとした頬はやや赤みを帯びていて、何か瞳はきらきらと期待や喜びの光に輝いているようだ。

「ウサギさん!」

「ヴィヴィオも持ってたんだね」

 ヴィヴィオが手に持っていたのはフェイトが買ってきたぬいぐるみと色違いのウサギのいぬいぐるみである。せつらが、これ一つで昼食代が……とぶつぶつ愚痴をこぼしながらヴィヴィオに買い与えた品だ。
 買ってもらったウサギをぎゅっと抱きしめたヴィヴィオは、すでに心を許したのかフェイトのすぐそばに寄って、フェイトのウサギと自分のウサギを交互に見てはにぱっと純粋無垢な笑みを浮かべる。

「パパにもらったウサギさん? 可愛いね」

「うん!」

「あのね、なのはさん達はこれからパパとお話があるから、ヴィヴィオは私と違うお部屋で遊ぼうか。秋さん、よろしいでしょうか?」

 こちらを見るフェイトに、せつらは特に思う所はないようで、こくりと首を縦に動かす。別段家の中を探られて痛む腹ではないし、頓着する理由はなかった。

「じゃあ行こっか、ヴィヴィオ。ギンガ、なのは、お話の方は二人にお願いするね」

「フェイトさん、はやく!」

 普段誰かと遊ぶ機会に恵まれないヴィヴィオにとって、初対面の相手ながらフェイトと遊ぶことはかなり嬉しいようで、つい先ほどまでの警戒ぶりはどこへやら消え去ってしまっている。まことに現金な事だ。
 ヴィヴィオと手をつないでオフィスを出てゆくフェイトを見送るギンガとなのはが胸中で、うまく逃げたな、という思いがあったかどうかは定かではない。
 話の方向を戻したのは意外にもせつらであった。このままヴィヴィオに構っていたら話が進まないのは明白だ。世話になっているとはいえ国家権力の一員と関わる時間は短い方がいい。

「それで、ヴィヴィオをどうされたいので?」

「あ、はい。まだ確証は有りませんがヴィヴィオの身に危険が及ぶ可能性もありますから、数日私達機動六課でお預かりさせていただければ」

「それは願ってもない事で」

「……え?」

 なのはの口から出てきた言葉はまさしくせつらの望み通りの言葉である。現状、せつらのしがらみは元の世界への帰還方法と身分証明を握る時空管理局とヴィヴィオの二つだ。その片方を穏便な形で取り除く事が出来るのだからこれは当然だろう。
 次元世界に確たる基盤を築き、現状もっとも強力な武力と権力、財力、人力を兼ね備えた時空管理局の一部所が引き取り先だ。権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗するという言葉通りに、時空管理局の内部も実は腐臭の漂う魔窟と化しているかもしれないが、少なくともせつらの目の前にいる二人の少女達は善良であろう。
 彼女らの目が届くうちはヴィヴィオが不幸な目にあう事もない、と判断しても間違いはなさそうだ。

「血のつながりもない男手ひとつよりは育児施設に預ける方が健全かと」

 正直に心情を言葉にすると非難を浴びる事を学習していたせつらは、もっともらしい理由を口にして、なのはとギンガに説明する。治安のよろしくないこの街で二人きりの生活を送るよりは、専門の施設の方がそれなりに警備もされているだろうし、実際ヴィヴィオの今後に関してもよりよい選択肢と言えるだろう。
 いかんせん、せつらは次元世界に根を張っているわけではない根なし草の次元漂流者である。その美貌を持って異常なまでの厚遇を受けてはいるが、不穏な事態に陥れば国家権力などからの援助の手が伸びるとは言い難い立場に在る。
 こと戦闘という点に関して言えば、敵対者に対する容赦のなさと妖糸を操る絶技ゆえにほぼ無敵に近いものを持つが、管理局の誇る高位魔導師やレアスキルと呼べる固有能力保有者の中に、せつらを殺傷せしめる人材がいないなどということはあるまい。
 極端な話、次元航行艦から一方的な艦砲射撃でもすればいかにせつらとて対処のしようもない。場所が問題になるのならせつらを強制的に無人の管理世界や、被害の及ばない海上などに転移させたうえで攻撃を加えればそれで終わりだ。
 まあ、せつら自身に時空管理局につけ狙われるような派手なまねをするつもりは皆無なので、時空管理局とことを構えるような羽目には、滅多にはなるまいが。

「あの、ですが、先ほどはあんなに嫌がっていましたし、そう簡単にヴィヴィオを手放してしまってよいのですか?」

 あんまり簡単にせつらが要求を飲むものだから、預からせてくれと言いに来たはずのギンガ達の方が逆にそれで良いのかと聞く羽目に陥っている。良くも悪くも彼女らは秋せつらという青年の人間性に対する理解が及んでいない。

「友達ができればすぐにぼくの事は忘れますよ。一緒に暮らしているのもたまたまですし」

 さすがにいくらなんでもせつらの言動が、ヴィヴィオに対して冷たすぎるのではないかとギンガ達は考えだしてはいたが、素直にヴィヴィオを預けてもらえるのであればそれに越したことはないのは事実だ。
 預けますと言われているのにこちら側の心情を理由に拒むわけにはいくらなんでもいかない。彼女らとてつまるところは公僕であり正規の手続きを経て下された仕事は、きっちりとこなす義務が存在しているのだから。

「……分かりました。今日はご挨拶にだけ伺ったので、正式な書類などはまた後日お持ちします。あの、一度、ヴィヴィオと機動六課の方に顔を出してくださいませんか? 預かるにせよそうでないにせよ、ヴィヴィオの事は、もう一度きちんと検査した方があの子の為にもなるでしょうから」

「はあ」

 一応、ヴィヴィオを拾った時に病院に連絡し、特に異常はないとお墨付きをもらってはいるが、時空管理局の方が医療設備は整っているだろうし、見つからなかった問題が分かる可能性もある。
 せつらとしてはヴィヴィオを預ける気満々なので、事前に預け先の様子を見させて心構えを持たせていた方が後々スムーズに行くだろうという打算的な考えもあった。



 なのは達が去った居間で、せつらは昆布茶を淹れなおして啜っていた。ヴィヴィオは、といえばフェイトからあのウサギのぬいぐるみを譲られたようで、両手にぬいぐるみを抱えて終始ご機嫌な様子だ。
 せつらに呆気ないほど簡単に機動六課に預けられそうになった事は、忘れてしまっているようで、いかにも上機嫌といった様子である。
 テレビを付けてぼんやりニュースを見始めたせつらであったが、なのはに一度機動六課に来ては、と勧められた事について思い出して口にする。

「さっきの人達が、一度遊びにおいでと言っていたよ。行く?」

「フェイトさん達の所? パパと一緒にお出かけできるんなら行く!」

「じゃあ適当に時間のあいたときに。あとパパじゃない」

「遊びには行くけど絶対離れないからね、ヴィヴィオはまだ子供だからパパがひつようなの!」

「独立独歩という言葉を勉強しなさい。だれしもがいずれは親許を巣立ってゆくものさ。ついでに言うとパパじゃない。いい加減認めたまえ」

「パパの方こそ、いい加減パパだって認めてよぉ」

「ぼくよりも他の誰かさんに親になってもらった方が君の為だよ。あの高町さんとハラオウンさんなんか優しそうだし、ママになってもらったら?」

「じゃあ、パパがフェイトさんかなのはさんと結婚するのが一番いいね。パパとママがいっぺんに出来るもん!」

 これは名案だとばかりにヴィヴィオはとびっきりの笑顔を見せるが、言われた方のせつらとしては、筆舌に尽くしがたい美貌を渋柿を噛んだみたいに歪めるのだった。

続く。
ここまでヴィヴィオに冷たいクロスキャラも珍しいな、と我ながら思う今日この頃です。せつららしくないかもしれませんね。



[11325] その32 魔界都市ブルース × なのはsts ⑤ NEW
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/10/10 21:25
リリカルおせんべい屋さん
(魔界都市ブルース × 魔法少女リリカルなのはsts × 少しデモンベイン)

その5 聖王さまと七頭十角の獣と最古の魔導書と暴君とキ○ガイとロボ娘

注意:大導師殿一行はデモンベイン・アルEND後なので角の取れた丸い性格をしています。またせつらの出番が極端に少ないこととなのはさんが壊れていますのでご注意を。



「私は初めて神の存在を信じた。そして知った。途方もなく残酷な存在だという事を」

 十年連続ミス・ディメンションを受賞し、次元世界で最も美しいと賛辞の言葉を惜しまれなかったアナスタシア・エンヴァーリッヒが、突如引退を宣言し、未開発次元世界に邸宅を設けて隠居した際に、邸宅を訪れたインタビュアーへの告げた引退の理由である。
 引退する旨を告げ、所属事務所の社長をはじめとした重鎮から同僚先輩後輩、下積み時代から家族以上に深い絆を結んだマネージャーに至るまでが説得しても、頑として首を振らなかったその日、彼女は見てしまったのである。
 自他共に認める世界最高の美貌を誇る自分が、そこらに転がる石ころ同然の存在にしか映らぬほど、はるかに次元の違う美しさを誇るとあるせんべい屋の主人を。



 機動六課にお邪魔する、と約束こそしたが双方に都合というものが存在する以上は、そうそう約束通りに来ました、というわけにはゆかない。
 せつらにはせんべい屋と人捜し屋という二足の草鞋生活があるし、機動六課の方も次元世界各地に出現するガジェットと、ロストロギア『レリック』を巡ってのイタチごっこに明け暮れる業務がある。
 ましてや御役所仕事である機動六課は、部隊を構成する面々の特異な素性や将来を嘱望される素質と、オーバーないしはニアSランクという豪華な隊長陣が美貌を誇る事もあって、時空管理局の広告塔めいた仕事の御鉢も回されており、せつらよりもはるかに仕事に追われているからだ。
 三日がかりの人捜しを終えたせつらは、せんべい布団の中で目を覚ますと同時に今日は店の仕事を休もうと決意し、もそもそと芋虫みたいに動きながら布団の中から這い出る。
どこの世界でも子供の朝は早い様で、せつらが自室から出る頃にはもうヴィヴィオが洗面所で顔を洗っていた。
トースト、ベーコンエッグ、緑茶、ヨーグルト、サラダの簡単な食事を済ませると、養いたい気持など爪の垢ほどもないヴィヴィオを連れて散歩に出た。
 せつらが虎視眈々と――常時寝ぼけ眼なのだが――自分を捨てる機会を伺っている事を自覚しているヴィヴィオは、散歩に出かけるのも自分を放り捨てる口実かもしれないと警戒しつつも、次元世界で最も美しくすっとぼけた性格をしている父親と行動を共にできる事は素直に嬉しかったので、うん、と満面の笑顔と共に首を縦に振った。
 傍から見ればヴィヴィオのお尻にぶんぶんと音を立てて動く犬の尻尾や耳を幻視したかもしれないくらい、微笑ましい喜びようである。
 ただ不幸なことにその愛くるしいことこの上ないヴィヴィオの姿を見るのが、およそ尋常な精神構造を母の子宮の中に置き忘れて生まれてきた様な青年であったことだろう。
 散歩に同道する事を快諾するヴィヴィオに対して、せつらは、そ、と文字通り一言だけ返して、話題を打ち切ったのである。
 これほど会話をしていてつれない思いにさせられる相手というのも、次元世界広しといえどもそう数はいない事であろう。
 しばらく顔を見ていない白い医師に、想定しうる防御処置の数々を施してもらった黒いロングコートに腕を通し、せつらは、くぁあ、と猫の様な欠伸を一つ零しながら、せんべい屋の裏口から外に出た。
 靴を履くのに少し手間取ったヴィヴィオが

「パパ、ちょっと待ってぇ」

 と少し舌足らずな見た目相応の可愛らしい調子で懇願したが、黒く美しい背中を向けているきりのパパは、娘(自称)の縋る様な声に足を止めるでもなく、春の陽気に船を漕いでいる様な声で

「パパじゃない」

 と最早日常の一幕と化した返答を返して、血の繋がらぬ娘(自称)を待たずにさっさと歩き始めた。

「ん~~、パパの意地っ張り!」

 いい加減パパと認めてくれてもいいのに、ヴィヴィオの事がそんなに嫌いなのかなぁ、と幼い少女なりに真剣に悩んでいるのだが、秋せつらという青年がそんな心を察する様な繊細な神経を持っているわけもなかった。
 ただ、わずかではあるが、せつらの足はいつもより遅い歩みを刻んでいた。後から追ってくるヴィヴィオがすぐに追いつけるようにしているのだとしたら、<新宿>の知人達は、純金の髪に紫サテンのドレスを着た可憐な人形娘以外は、天変地異の前触れかと首を捻ったことだろう。



 せつらに追いついたヴィヴィオは、出来ればせつらの手を握りたがったが、当のせつらがコートのポケットに両手を突っ込んでいた為に、仕方なく諦めてゆらゆらと黒い一反木綿みたいに揺れるコートの裾を掴んで妥協した。
 コートを掴まれたせつらが、一度だけ首を下に向けてヴィヴィオを見たが、ヴィヴィオはそれに臆さず、これくらい良いでしょ? と宝石にも勝る輝きを宿す色違いの瞳で訴えた。
 幼くても女というものは強く出来ているようで、せつらの視線を真っ向から受けてもヴィヴィオは恍惚と蕩けるでもなく、まっすぐに見つめ返す。
 それに対してせつらはまず間違いなく面倒だからだろうが、視線を元の位置に戻してヴィヴィオの行動を黙認した。
 ここ最近、ヴィヴィオの行動を黙認する事が増えてきている事に対し、自覚のあるせつらは、これはまずいかな、と心の片隅で思わないでもなかった。
 その仲を怪しむ噂の絶えない白い医師と違って、せつらは別に老若を問わず女性に対してその存在そのものを否定する様な趣味嗜好の持ち主ではなく、ごく稀に小さな子供に対しては人間的な対応を取ることもある。
 二人連れ立っての御出掛であったが、とくに目的の無いままに外に出たせつらはぷらぷらとショッピングモールを歩き回って、ウィンドウショッピングという名の冷かしを繰り返して時間を潰した。
 外出用のサングラスをかけて目鼻の辺りを大きく隠していたが、せつらの歩いた後には半ば放心し、腰砕けになって失神している人々が複数発生していた。
 恐ろしいのは老若男女の区別なく、せつらの美貌を見た人々すべてに影響が及んでいた事であろう。
 ここまでくればもはや一種の天災と呼んでも過言ではないせつらの顔である。

「はあ」

 しんどい、と続きそうな重い溜息であった。せつらには珍しい類の溜息と言える。
 冷かしを続けるのにも飽きて、住宅街の中の空白地に建てられた公園のベンチに腰掛けて、自動販売機から購入したコークをちびちびと啜りながら、せつらは何を見るとも見ずに空を見上げていた。
 そのまま死ぬまでそのまま空を見上げ続けて、黒い瞳が青に変わるかもしれない。
せつらに見つめられ続けた空が、自分を見つめる瞳に恋をして、せつらの瞳を自分色に染め上げようとしているのだろう。
 缶の底に残っていた最後の一滴まで貧乏ったらしく啜ると、せつらは傍らに腰かけてソフトクリームを舐めていたヴィヴィオに声をかけた。
 冷たく甘い味に夢中になり、鼻の頭に白いものを付けたヴィヴィオが、ハンサムではあるが性格に難のある、というよりも難しかないパパの方へと顔を向ける。
 この仕草だけを見れば、どんなに子供嫌いの偏屈な人間でも相好を崩して笑顔を浮かべるだろうに、せつらは表情筋を一筋も動かしやしなかった。
 とことん愛想というか人間愛というか一般常識というか、対人コミュニケーション能力に関して、致命的な欠陥をこの青年が抱え込んでいるのは間違いない。

「コレやってくるから、ここで待っといて」

 コレ、と呟きながらせつらは右手で何かを掴んで捻る様な仕草をした。それだけでこの美しさと性格が反比例したパパの意図を理解し、ヴィヴィオは少し残念そうな表情を作ったが、すぐに光輝く笑みを浮かべる。
 自分の寂しさをぐっと飲み込んで、大好きなパパを優先するいじましいまでのヴィヴィオの優しさである。

「うん、良い子で待っているから早く帰ってきてね」

「うん」

 言うや否やせつらはさっさと背を向けて――それでもぬーぼーとした印象を受けるゆっくりとした動作であったが――そそくさと公園の外に向かってゆく。
 せつらの数少ない趣味の一つであるパチンコが目的であった。
 次元の壁に隔てられていても、人間の発想は似通うという事なのか、多次元世界の中心世界であるこのクラナガンにも、パチンコが存在していたのである。
 もっともせつらは好きな事は好きなのだが腕は今一つで、時折パチンコ台の中に千分の一ミクロンの妖糸を侵入させて、パチンコ玉の動きなどをこっそりと操作したりする邪道の打ち手ではあった。
 さらに性質の悪い事に、昔の商売の情熱が薄れたのかパチンコの景品のせんべいを店の棚に並べるという悪質な行為をするまでに至っている。

「ヴィヴィオと一緒に居る時はあんなに楽しそうにしたことないのに」

 やや猫背気味のよろしくない姿勢で離れてゆくせつらを見送りながら、ヴィヴィオは悲しみと不満の入り混じった声で呟き、拗ねているのを隠さずに頬を膨らませて眉根を寄せた。
 せつらの背中が見えなくなってから、ヴィヴィオは溶けかかっていたソフトクリームを大急ぎで食べ進め、いつも持ち歩いている絵本を読む作業に没頭して寂しさを紛らわそうとしはじめる。
 件のナイアなる古書店の女主人から譲り受けられた絵本である。
 赤と黄と黒と青と白と紫と緑と虹と金と銀と……およそ人間の言葉と色彩感覚とでは表現しえない色彩の暴力が最初の数ページを埋め、次いでそこに光輝く人型が舞い降りてくる。
 ただの絵本のはずなのに、ヴィヴィオは舞い降りる人型を見ていると胸のときめきが止まらなくなり、うきうきと気持ちが沸き立つのを止められなくなる。
 ヴィヴィオのページをめくる手が止まる事を忘れて次々とめくっていた時、ベンチに一人さびしく腰掛けて絵本を読んでいるヴィヴィオに、一人の青年と二人の少女が声を掛ける。
 少女の片方は明るい赤茶色のショートヘアの一部が猫の耳に様な形をした髪型に、悪戯好きな子猫を連想させる闊達な雰囲気で、沈鬱の海の底に沈んだ心も、この少女が傍らに居て笑いかけてくれたならば、たちまちのうちに昇陽のごとく輝きを取り戻しながら、活力を取り戻すことだろう。
 もう片方は星と月の光を全て取り払った夜空の闇が流れている様な長い黒髪は腰まで延ばし、黒を基調としたワンピースは降り積もった雪さえも黒ずんで見える様な白の肌が映え、そのまま魂を吸い取られてしまいそうなほど深い黒瞳と、黒で飾った少女。
 詩人が見れば少女を夜の闇のみが支配する国の幼い女王とでも言葉を弄するであろうか。これほどまでに冷たく暗い黒が似合うのならば、人間であるはずがないと万人が口にしよう。
 そして、金の髪に金の瞳に飾られた途方もない――どころではなく、人知を超越した完成された美貌は、ともすれば秋せつらにも匹敵するのではと思わせるほど、ありえざる美の配置によって構成されている。
 ただその場に存在しているだけで降り注ぐ太陽の光がたちまち闇の色に染まったように見え、代わりに陽光が凝縮して輝きを増しながら人型を為せば、この少年の様に美しくある事が出来るかもしれない。
 秋せんべい店のご近所に住む三人で、ヴィヴィオとも顔見知りである。人見知りの感のあるヴィヴィオだが、この三人に対してはどうやら懐いているようで、寂しさの色に染まりつつあったヴィヴィオの顔が、ぱあっと輝く。

「テリオンお兄ちゃん、エセルお姉ちゃん、エンネアお姉ちゃん」

 猫を思わせる少女がエンネア、黒の少女がエセルドレーダ、黄金の少年がマスターテリオン。
 後者二人が夫婦で、エンネアはマスターテリオン方の姑にあたる。ちなみにエセルドレーダはテリオンさんの奥さんと呼ばれると非常に喜ぶ。
 しかし、ヴィヴィオは知らない。
エンネアがかつて地球人類最強にして最凶の魔導師“暴君ネロ”と呼ばれ、畏怖された存在である事を。
 エセルドレーダが地球に生息していた古代種の残した世界最古の魔道書“ナコト写本”の化身であり、キダフ=アル・アジフにも匹敵する最強の魔道書であることを。
 マスターテリオンが人類最強の魔導師暴君ネロと外宇宙への門たる邪神ヨグ=ソトースとの間に産まれた、半神半人であることを。
 その気になればその日の内に地上本部のみならず、次元の海に浮かぶ時空管理局本局すら容易く陥落せしめる超常の魔人達なのだ。
 もっともそのような氏素性の持ち主だとは、買い物帰りらしくいエコバッグを片手に提げているマスターテリオンの姿を見ては信憑性は欠片もないだろう。
 小神格の旧支配者ならば造作もなく封滅せしめる超人魔人の組み合わせにしては、あまりに平凡な日常の姿である。
 マスターテリオンが片手に提げているエコバッグはぱんぱんに膨れ上がり、一部の食材の端っこがこぼれ出ていた。
 以前、せつらが不在の折にマスターテリオン宅に泊めて貰った折に、振る舞われたエンネアの手料理を思い出して、ヴィヴィオは非常に複雑な、言語を用いて表現する事が極めて難しい顔をした。
 エンネアの料理はとても美味しくはあったのだが、その外見がカラフルなスライム状の物体が蠢いたり触手を伸ばしたり眼玉がぎょろぎょろと動いたり……と、一目見ただけでも常人の神経をヤスリを掛けた様に削るしろものだった。
 テリオンお兄ちゃん達はよくあのご飯を食べていられるなあ、とヴィヴィオは若干違う方向で尊敬の念を抱いていたりする。
 実の姉に対するように甘えてくるヴィヴィオの事を、かなり気に入っているエセルドレーダが、まだ十代前半の外見であるのに驚くほど艶のあるの仕草で小首を傾げて疑問を口にした。

「ヴィヴィオ、パパはどうしたの?」

「ぱちんこ~」

「まあ」

 こんな可愛い子を置いてけぼりにして、と非難する『まあ』である。
 この次元世界に渡ってくる以前のエセルドレーダしか知らぬ者であったなら、主であるマスターテリオンに対する以外では、およそ感情の籠らぬ人形めいた彼女の印象からは考えられない心の籠った『まあ』に、驚きの声くらいは挙げただろう。
 左右を妻エセルドレーダと母エンネアに挟まれた外見年齢がもっとも高いマスターテリオンが、愛妻の言葉を首肯しながら、ヴィヴィオの周囲に金色の視線を巡らせると、ふむと一つ頷く。
 幼妻が秋せつらに対して義憤を抱いているのとは正反対に、感心している様子だった。

「だが警戒は怠らぬようだな。余達がいまこうしてヴィヴィオと話をしている事も把握しているのであろう」

 マスターテリオンの言葉の意味を理解できる者は、このクラナガンにほとんどいなかっただろう。
 少なくともヴィヴィオの周囲に漂う千分の一ミクロンの不可視の妖糸が見えていなければならない。
 ヴィヴィオの身体に絡みつく百近い妖糸は、たとえせつらがキロメートル単位の離れた場所に居ようとも、生体細胞処置を施した妖糸と指を介してせつらに光速で情報を伝達する。
 危険を伝えるばかりではない。人捜しの依頼主にも使用した事のあるこの妖糸の技は『不可視ガード』、『見えざる護衛』と呼称されるせつらならではの防御法なのだ。
 依頼主も気づかぬうちにその身体に掛けられた妖糸は、掛けられた相手に危険が及んだ時、妖糸を操るせつらの技によってその身体の主導権を奪って自在に肉体を操って危険を回避させる。
 また、護衛対象の身体を操らずとも数キロ程度なら問題なく妖糸の業を振るえるせつらが、遠隔操作して危害を加えんとする相手を一寸刻みに斬殺する事も出来る。
 またヴィヴィオの全身に掛けられている妖糸は、ヴィヴィオの動きに合わせて自在に伸縮し、輪の直径を大きくも小さくもして、どんなに急な動きにも対応して決してヴィヴィオの体に傷を付けることはない。
 常人の理解を越えたせつらの魔技と呼ぶほかない妖糸の技量であった。
 ヴィヴィオは気づいていないが、パチンコに耽るパパことせつらは、一応ヴィヴィオの身の安全に対してそれなりに配慮をしていたようだ。
 マスターテリオンが口にした通り、ヴィヴィオに掛けられた妖糸を震わせる振動や熱によって、せつらはこの場でどのような会話が交わされているのかを手に取る様に把握している。
 しかし、たとえ魔法で強化した所で平凡な魔術師では視認不可能なチタン鋼の妖糸を、容易く看破して確実に視認しているマスターテリオンは、到底常人とは言えない。
 さらにはマスターテリオンばかりでなく、エセルドレーダとエンネアも同じように妖糸を見る事が出来ているようで、良人と息子の発言を首肯している。

「パパ、いつもヴィヴィオの事構ってくれないの。ヴィヴィオのこと嫌いなのかな」

 心を許しているご近所さんが相手とあって、ヴィヴィオは普段は胸の奥の小箱に入れて蓋をしている弱音を、そっと零した。
 同じく“パパ”には苦労させられた身だからか、マスターテリオンは人外の美貌にうっすらと苦笑を浮かべた。その笑みを見る為に魂を奉げても構わないと、咽喉から血を吹きだしてもなお、狂気と共に叫ぶ者も数多くあるだろう。
 神の御手によってしか創造し得ぬマスターテリオンの美貌に、そして厳然たる宇宙の物理法則を嘲笑する外宇宙の邪なる神の血を引く魔人に魅了されて。
 ただ当のマスターテリオンはといえば、その魔性の妖しさ纏う美貌には相応しくない極人間的な感情を乗せた言葉で、ヴィヴィオを慰めた。

「嫌いであるのなら、わざわざ手元に置いて寝食の面倒を見はしまい。その服もソフトクリームも、父君が買い与えてくれた物であろう?」

 真正の魔人たるマスターテリオンの口からソフトクリームなどという平凡な単語が出た事を知ったら、かつて彼の部下であった魔術師達や敵対者達は開いた口を塞ぐ事が出来なくなるだろう。

「うん。パパが買ってくれたよ。他にもね、ウサギさんとかクマさんのぬいぐるみ買ってくれたの。すごく嫌そうな顔してたけど」

「ではヴィヴィオは父君のことが嫌いか?」

「ううん、大好きだよ。いつもヴィヴィオの事捨てようとしてるけど、ちゃんとご飯も食べさせてくれるし、服も買ってくれるもん。それにね、すごくすご~~くたまにだけど、優しくしてくれる時もあるんだよ」

 マスターテリオンの問いに、ヴィヴィオはぶんぶんと音を立てながら首を横に振り、あんなものぐさで精神構造に致命的な欠陥を抱えているパパであっても、好きだと声を大にして抗弁する。
 まるでヴィヴィオの答えが予め分かっていた様に、マスターテリオンは良く見なければわからないほどではあるが、小さな笑みを浮かべていた。
 目の前の小さな命に対する慈しみが、一目でわかる穏やかな表情は、無限に続くかと思われた果ての無い繰り返す地獄から解放された為だろうか。

「そうか。なら父君の事を好きで居続ける事だ。いずれ父君もヴィヴィオに応えてくれるかもしれぬ」

「そうかなあ」

 マスターテリオンの保証を受けてもいささか自信を持てないようで、ヴィヴィオは難しく考えるように絵本を両手に持ったまま顔を俯かせる。
 なにしろせつらの普段の態度が態度だから、ヴィヴィオが小さな胸の内に溜め込んでいる不安は、相当な量と質を誇っていた。
 親しい御近所さんが相手といえども、二言三言で簡単に取り除けるほど、ヴィヴィオのせつらに対する不安は小さくはない様だった。
 ヴィヴィオの様子にマスターテリオンとエセルドレーダは互いの顔を見合わせ、なんと慰めたものかと視線を交わし合う。
 息子夫婦がそんな状態であるのに業を煮やしたか、エンネアが俯くヴィヴィオに抱きついて真っ平らな胸にヴィヴィオの頭を抱きかかえた。

「きゃっ」

「もう、ヴィヴィオは可愛いんだから! こんな可愛い子をほったらかしにするなんてヴィヴィオのパパは罪な人だね」

「くすぐったいよ、エンネアお姉ちゃん」

「ほらほら、もっと良い声で啼かせてあげるよ~?」

 悪戯の大好きな猫が人間に変わったらきっとこんな表情だろう、と見る者に思わせる笑みを浮かべたエンネアは、白魚の様なという言葉が似合う細い指をわきわきとどこか淫猥に動かして、未成熟なヴィヴィオの肢体を堪能すべく伸ばす。
 それを、流石にマスターテリオンが止めた。
 この世の論理と法則から外れた外法の理をこそ真理とするのが、マスターテリオンをはじめとした魔導師であるが、実母が無垢つけき幼子に過剰な悪戯を施すさまは見るに耐えかねたらしい。

「母君、戯れはそこまでにされよ」

 あらゆる存在に対する嘲笑を浮かべる無貌の邪神によって、無限に繰り返される地獄に囚われていた頃は、マスターテリオンに母君と呼ばれれば、人間かくも抱けるのかと驚くほどの憎悪と嫌悪を露わにしたものだが、エンネアは

「え~、もっとヴィヴィオと遊びた~い~」

 と柔らかそうな頬を膨らませて拗ねて見せた。可憐な外見に良く似合う所作であった。
 マスターテリオンやエセルドレーダ達がそうであるように、エンネアもまた邪神の御手から解放されたことで、その心情に大きな変化が生じているようだった。
 普段から夫への愛情を振りまいて憚らないエセルドレーダが、夫の援護に回った。

「お義母さま、あまり我儘を言われては……」

 エセルドレーダの言葉の続きは、数百メートルほど遠方を根源に発生した途方もない轟音によってかき消された。
 百の雷が一点に集束して落ちたかのように、鼓膜を劈いて思考を麻痺させる暴力的な場音である。
 音は廃棄都市群の瓦礫や、耐久年数を越えて脆弱になっていた高層ビル群を巻き込みながら高速で辺り一帯に伝播し、ヴィヴィオ達のいる公園をも灰色の津波となって襲い掛かる。
 巻き込まれればまずまちがいなく重傷は確実の暴力を前に、ヴィヴィオは心臓がきゅっとしぼむ様な恐怖に反射的に目を瞑る。
 その傍らでエセルドレーダが黒い長手袋に覆われたしなやかな腕を掲げる。
 扱い方を取り間違えれば簡単に折る事が出来てしまいそうな細腕の前方に、光の速さで光輝く幾何学模様と、人間の感性では描き得ない異形の文字が描かれ、ミッドチルダ式ともベルカ式とも異なる異界の魔法陣を完成させた。
 人知の及ばぬ異種の解き明かした世界の真理と魔道の技法をその身に刻むエセルドレーダの守護魔法陣は、ヴィヴィオ達のいる公園のみならず、衝撃波の襲い掛かった地区を丸ごと守って見せた。
 エセルドレーダの結界に守れたままマスターテリオンが、まるで興味のない様子で優雅に空いている右手を振るうと、古の聖者を前にした海の様に土煙が割れ、朝陽に溶け消える霧のごとく消えてゆく。
 おそるおそる色違いの瞳を開いたヴィヴィオは、視界に飛び込んできた巨大な物体に気づき、いましがた命の危機に見舞われたとは知らぬ呑気な調子で呟いた。

「あ、ドクターだ」

 絵本を小脇に抱えて、ヴィヴィオの指さす先には、全高八十メートルに届こうかという常識外の巨大さを誇るドラム缶のような物体が突如として出現していた。
 先ほどの轟音と衝撃波はドラム缶が地下から出現した際の余波だったのだろう。
 ギュインギュインと旋回音を立てながら凶悪に回転するドリルが先端に付けられた多関節アーム二本と、冗談の様な大口径のライフルが接続されたアーム二本で合計四本の腕を持ち、機体の各所にはミサイルやビーム砲、ガトリング砲と無数の武器を内蔵した巨大な兵器が、このドラム缶の正体であった。
 ドラム缶の巨体のどこかにあるスピーカーを通じて、何の脈絡も感じられない情熱と狂気のままに掻き鳴らされるギターの音色と共に、品性や知性といった物と一生縁のないだろう声が響き渡る。

「平凡極まりない人生を送るクラナガンの市民の皆々様!! あ、愉快痛快豪快次元世界最高の頭脳、生まれてきてごめんなさいのドクタ~~~~~~・ウェスットでございま~~~~すんん!!!」

 野蛮や下品というよりは正気をまるごとどこかの異次元へと放り捨てた人間ならば、かろうじてこのウェストなる人物に万分の一くらいは似化よる事が出来るだろう。
 マスターテリオン一家と同じく秋せんべい店のご近所さんその二でもあった。

「ドクターか。今日も活力のある事だな」

 いい天気だ、と告げる様な調子のマスターテリオンである。
多次元世界でもドクターウェストくらいしか実用化に至っていないという、巨大な破壊ロボは誇らしげにドリルを回転させながら、機体の全身に内蔵した火器の発射口を開いて示威行為を示す。
 時折ドクター・ウェストはこうしてクラナガンの廃棄都市群を中心に、自作した破壊ロボや発明品を使って暴れまわり、自己の知性の証明行為とし、自己顕示欲や名誉欲を満たしている。
 よその次元世界にも出没しており、時空管理局から広域次元指名手配犯として危険視されている男だ。
 同じく広域次元指名手配犯であり希代の大天才であると同時に大犯罪者であるジェイル・スカリエッティには、起こした事件の凶悪性や被害の額では流石に及ばぬがその頭脳の閃きに関しては、勝るとも劣らぬとされる真正の天災にして天才だ。
 ヴィヴィオの身体に掛けられた護衛の妖糸が特に反応を示していない所を見るに、せつらはドクター・ウェストを特に危険視はしていない様である。
 ご近所さんという事もあるかもしれない。
 マスターテリオン達もそれは同じなのか、ドクター・ウェストと破壊ロボの出現に対してもさして身構えた様子はない。
 破壊ロボのスピーカーからドクター・ウェストのいつもながら長い口上がようやく終わりを見せ始め、いよいよ破壊ロボの破壊力が発揮されるという瞬間に、高空から鮮やかな桜色の魔力弾十数発が破壊ロボの関節に着弾した。
 次元航行艦並みの装甲厚を誇る破壊ロボに対して有効な狙いだ。とはいえ、それでも破壊ロボの四本腕の関節を破壊するには至らず、破壊ロボを揺らすに留まる。
 このクラナガンにはマスター・オブ・ネクロノミコンは存在しなかったが、代わりにドクター・ウェストの好敵手たる存在はいた。

「おぉぉのぉおおおおれいいい!!! 今日も今日とて吾輩のストーカーよろしく来たであるか、白い悪魔!!」

 胸元に赤いリボンを揺らす白いロングスカート状のバリアジャケットを纏った少女が一人、足元の魔力翼から余剰魔力による桜色の光の羽を散らしながら、破壊ロボの真正面でふわりと柔らかに滞空する。
 普段は柔和な微笑を浮かべる顔を、今は凛々しく引き締めた機動六課スターズ分隊隊長高町なのは一等空尉その人だ。
 右手に黄金の三日月と赤い宝玉が先端にあしらわれた愛機レイジングハートを握りしめ、毎度毎度大規模な破壊行為を行うドクター・ウェストへの義憤を、静かに胸の中で募らせているのだろう。
 ついこないだ知り合ったばかりの女性に気付いたヴィヴィオは、少し驚いた様だった。

「なのはさんだあ」

「ヴィヴィオの知り合いなの?」

 破壊ロボが出現しても変わらずヴィヴィオを抱きしめていたエンネアが、円らな異色の瞳を覗き込みながら聞くと

「うんと、この間遊びに来た人。こんど、パパと一緒に遭いに行く約束してるの」

「ふうん。じゃあドクターもあっちの魔導師もヴィヴィオの知り合いなんだね。ヴィヴィオはどっちを応援する? あの二人、これから戦うつもりみたいだよ」

 エンネアの少し意地悪な質問に、ヴィヴィオはぷりぷりと肉付きの良い唇に人差し指を添えながら首を捻る。人見知りはするが一度好きになった相手には心を許すこの幼女にとっては、即答するにはいささか難しい質問であるらしかった。

「……ん~~、どっちも応援する!」

「そっかぁ。まあいいんじゃないかな」

「うん。ドクターもなのはさんも頑張れー!!」

 可愛らしい応援は残念ながらどちらの耳にも届かなかったが、ドクター・ウェストとなのはの方は静かにヒートアップしつつあった。
 ドクター・ウェストと高町なのはは、なのはが教導隊から機動六課へ出向する以前からの因縁がある。
 クラナガンとは別の次元世界でリビドーとパッションの赴くままに自分の才能を知らしめるべく破壊活動を行っていたドクター・ウェストを撃退したのが、高町なのはだったのだ。
 その一件以来、ドクター・ウェストは高町なのはを自身の才覚を傾注して打倒すべき好敵手として――なのはにとっては不幸極まりない事に――認めてしまったのである。
 それ以来、ドクター・ウェストは機動六課に異動し、クラナガンに基本的に常駐するようになったなのはを追って、クラナガンを中心に活動するようになっていた。
 ある意味でドクター・ウェストの破壊活動がクラナガンに集中している原因はなのはにあると言えた。
 高速回転する金色のドリルの先端をなのはにピタリと据えて、ドクター・ウェストはなのはに視線を集中させている。

「くくく、どぅわーーーーーーはっはっはっはははあ!!! 高~町~なのぅはぁ、ここで会ったが百年目、いやさ千年目。吾輩一日千秋臥薪嘗胆の思いで過ごして焦がしたこの胸の情熱を今日こそ貴様のお股に余すことなくぶち当てて昇天絶頂させて御嫁にいけない体にしてやるのであ~~~るぅ!」

 ドクター・ウェストの口上をまともに浴びせられながら、なのはの方はまるで反応を見せなかった。
 高位魔導師の防御魔法をバリアジャケットごとぶち貫く各種の光線兵器やミサイルといった質量兵器の塊である破壊ロボを前にしても、怯んだ様子は欠片も見せていないのは流石は歴戦の高位魔導師といえよう。
 しかし、ドクター・ウェストへの無反応はこれまでのなのはの戦歴によって培われた胆力のためではなかった。
 幾度となく繰り返されるドクター・ウェストの奇行の対処を、地上本部、本局の両方からさんざん任されたことで、さまざまな神経群がすっかり摩耗しきっているのであろう。
 まだ二十歳にもなっていない身空で超天才と超奇人と超変態を掛けあわせてぐつぐつと煮込んでから、そこに一つまみの狂気を足して出来上がったドクター・ウェストの相手をさせられるとは、なんとも哀れな少女だ。

「ドクター・ウェスト、ただちに武装を解除し、投降しなさい。貴方には大量無差別破壊、質量兵器管理法違反、違法……」

「やっかましゃあああーーー!!! 全次元世界唯一無二空前絶後絶対至高究極超越天才ドクター・ウェストの行動を、時空管理局何ぞという古垢に塗れたあんぽんたん組織のルールで縛ることなど、宇宙の法則を鑑み、推測し、考察しても有り得ないのである。大人しく『スーパーウェスト無敵ロボ28號EXマジカルガールキラー~賞味期限切れの魔法少女~』の前に御約束的な服の破れ方をしたおハレンチ姿を晒して泣いて元の世界に還ってママのおっぱいにしゃぶりつくがY・O・I・W・A!!」

 レェッツ・ファイイイイイヤ!! の掛け声とともに破壊ロボの全身に仕込まれた火器を一斉になのはへと発射する。
 ミサイルの噴煙や網膜を焼く光線の圧倒的な光量、耳を劈く絶え間ない機関銃の連続銃声音が、凄まじい破壊を齎す事を連想させる。
 微動だにしないなのはに余すことなく着弾した破壊ロボの各種の武装は、巨大な爆発の花弁を空中に広げて、一人の人間を抹殺するには過剰すぎる火力の集中である。

「べひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。どうしたどうした『管理局の白い悪魔』の渾名で呼ばれる割には呆気なさすぎるであるな。吾輩の好敵手と認めた相手がこの程度とは吾輩の情熱の空炊きで吾輩のセクスィーボディが焦げちゃう❤」

「ドクター、キモイこと言ってないでちゃんとモニター見るロボ」

 ひどく呆れた調子でドクター・ウェストに注意を喚起しているのは、ドクター・ウェストと同じく破壊ロボに乗り込んでいる小柄な少女エルザだ。
 一見すれば柳葉の様に長い耳を持った小柄の美少女であるが、ドクター・ウェストの最高傑作である人造の少女にして美と闘争の化身である。
 人間となんら変わらぬ自我を持ち、自らを律し、自ら思考し、自ら行動するこの人造美少女は、その身にSランクの魔導師に匹敵ないしは上回る戦闘能力を保有するのみならず、破壊ロボの操縦を的確にサポートする万能の存在でもあった。

「マイ・ディア・ドーター、エルザ。愛しいお前の忠告に従って吾輩モニターを視姦しまくリング! むむっ!?」

「高町なのはの反応、いまだ健在ロボ。リンカーコアの活動が異常に活発化しているロボ。どうも自力でリミッターをぶち破っているっぽいけど、人間じゃないロボね」

 爆煙が晴れ渡ったその先には、時空管理局の広報紙の表紙を飾り、その美貌で幾人もの男を魅了した美貌と肢体から桜色の魔力光を業火のごとく迸らせるなのはの姿があった。
 さしものドクター・ウェストをしてこれは触れてはひっじょう~~~~にマズイと生存本能がまとめて百も二百も警鐘を鳴らしている。

「いつもいつも貴方が暴れるたびに私が呼ばれていつもいつもその馬鹿みたいに大きいドリル付きのドラム缶の相手をさせられて堅くて強いそのドラム缶と頭の中の大切な所のねじの締め方を間違えている貴方の相手をさせられる私の苦労を誰もわかってくれなくてバトルジャンキーっ気のあるフェイトちゃんやシグナムさんも貴方の相手だけはって断るんだなのにその相手をいつもいつもさせられる私の気持ち貴方に分かる分からないよね分からないからこんな馬鹿なことをなんどもなんどもなんどもなんどもなんども繰り返すんだよねそうなんでしょそうに決まっているよねでももういいんだいいんだよ私もいい加減貴方との決着は付けたいんだだからもう今日は手加減なんてしないんだいいよね答えは聞いてないよそれと先に手を出してくれてありがとう」

 ここで区切り、なのははひゅっと音を立てて一つ息を吸い、レイジングハートの先端を破壊ロボへと向けた。
 少女から大人へと変わる過渡期を終えつつあるなのはの少女でも大人でもない美貌の口元には、息を忘れるほど美しい笑みが浮かんでいる。
 しかしそれは、本来笑みという物が攻撃的なものである事を認識させる、見る者の背筋に氷の針を突き刺す凶悪な笑みであった。

「殺人未遂も追加。現行犯で――有罪(ギルティ)」

 後に『管理局の白い悪魔』『冥王』『白い魔王』という、錚々たる高町なのは二つ名に加えられることになる『凍らせ屋――スパイン・チラー』の片鱗の発露であった。

「ええい、吾輩をビビらすとは流石は吾輩の好敵手にして宿敵!! 敵なし容赦なし男っ気なしの三無し教導官の分際で小生意気な! だがしかし今日こそは吾輩の知性の前に敗れて二十四時間監視生活を送って色どりの無い家畜の餌の食事を与えられオナニーだって出来やしないと愚痴を零す様な生活に落としてくれるのであるぁあああああ!!!!」

 びきり、と青い血管の筋がなのはの両方の米神に浮かびあがり、なのはの溜め込んだ怒りのボルテージを数段高める。

「カマァ~~~~ンンン、アプサラ●Ⅲ、ビ●ザム、サイコ●ンダム、●トゥーリア、ザム●ザー、デストロ●ガンダム、ガデラ●ザ女!!!!!!!!」

「ドクター、高町なのはの魔力が六百万、七百万、八百万を超えたロボよ!!」

「ぬぬぬ、ええいこのなんちゃって魔法少女の分際で根性を出すではないか。しかし負けフラグ大量建立中の逆境の最中にあろうともそこで心折れるは平々凡々凡々人の発想。超絶的天才科学者であるこのドクター・ウェストにとってこのような状況は諦めるに値しな~いのである! かかってきやがれこの魔法少女(笑)!!!」

 破壊ロボとなのはの間で凄まじい火力の応酬が繰り広げられるのを眺めながら、ヴィヴィオは無邪気に応援を続けていた。

「頑張れ~、どっちも負けるな~~」

 今日もクラナガンは平和である。

つづく

ヴィヴィオの絵本『むくなるつばさでもんべいん』

著:ナ■アルラ■■テップ

編:マスターテリオン、エンネア、エセルドレーダ

召喚可能鬼械神
レガシー・オブ・ゴールド(十分の一レプリカ)
皇餓(十分の一レプリカ)
ロードビヤーキー(十分の一レプリカ)
クラーケン(十分の一レプリカ)
ベルゼビュート(十分の一レプリカ)
サイクラノーシュ(十分の一レプリカ)
アイオーン(十分の一レプリカ)
ネームレス・ワン(十分の一レプリカ)
リベル・レギス(十分の一レプリカ)
デモンベイン(十分の一レプリカ)
破壊ロボ(十分の一レプリカ)
デモンペイン(十分の一レプリカ)


西博士の言い回しはとても難しいです。私はなのはさんのことは嫌いじゃありません、好きですが、なぜかああなりました。ご不快になられた方には心よりお詫び申し上げます。申し訳ございません。
誤字脱字や文法のおかしいところがありましたら教えてください。よろしくお願い致します。



[11325] その7 水月豹馬 × Fate
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/05/22 21:48
一発完結型です。

その7 『ザ・パンサー』

 一流のバーテンというものは会話の達人だ。ただカウンターの向こうで仏頂面をして寡黙にシェイカーを振るう初老男などというものは、絵にはなってもバーテンとしては失格だ。
 真に優れたバーテンなら客の様子に応じて飽きさせない話術と話題を持っているものだ。客にうるさがれず、煩わしいと思われずに信じられないような話を静かに、さりげなく提供する。
 だというのなら目の前のバーテンは“超”を付けるに値する一流だ。白シャツに黒ズボン、粋に締めた渋い赤の蝶タイを結んだ姿は見ているだけでも飽きない魅力があるし、柳葉のような細い眼、小気味良いくらいに一直線に伸びた鼻梁、荒々しく無駄なく削ぎ落とされた頬、いずれも鋭利の一言に尽きる顔のパーツが、不思議と人懐っこいものを称えている。そして隠しても滲み出すような不敵な野生の猛獣のような匂い。
 日焼けした顔に浮かべる笑顔は苦笑でもアルカイック・スマイルでも、見たものに好意を抱かせるだろう。

 ブラッディマリー、ソルティードッグ、シャンディーガフと続いて客はブロンクスを注文した。

「少々お待ちを」

 日焼けした顔に薄く笑みが浮かび、白い歯がきらりと輝く。そのくせちっとも気障じゃない。人間を作った存在はやっぱり不公平なのだろう。バーテンの腕が一瞬ひらめき、三本の瓶が空中に踊った。バーテンが左腕を上げると三本の瓶は尽くその指の間に首を挟まれ、滑らかに台の上に降りてきた。音は無い。信じ難い手首のスピードとパワーだ。
 しなやかな指が瓶の口を掴み、親指は蓋を弾く。三つくるくると蓋が照明光を弾いた。バーテンは身をかがめた。次の瞬間、まな板の上にオレンジがひとつのっかっていた。冷蔵庫に仕舞われていた品なのだが、果たして何時バーテンが取り出したのか、客には分らなかった。
 まな板の上でこれまた何時握ったのか分らないペティ・ナイフがオレンジを二つにし、半分をレモン絞りで押しつぶしながら、バーテンは左手を伸ばした。開いた手の上に次々と落ちてきたのは先ほど弾いた瓶の蓋だった。
 オレンジの処理の時間を計算して蓋を弾いたのだろうか、そんな疑問を抱く前にバーテンはシェイカーへ瓶を傾けた。分量計測用のジガーグラスなど使わない。

 イタリアン・ベルモット4分の一。
 フレンチ・ベルモット4分の一。
 ロンドン・ドライジン4分の一。
 プラス、オレンジジュース4分の一個分。
 
 注ぎ終えて戻した瓶の口には一滴のしずくも無い。両手で胸の前に持ってきたシェイカーのそれからの動きは惚れ惚れするほどの決まりっぷりだった。光の8の字が、しゅん、と音を立ててかすみ、縁まで満たされたカクテル・グラスが目の前に置かれたとき、客はようやく感嘆の溜息を漏らした。

 華奢なグラスを傾けてブロンクスを流し込む。うまい、これが一番最初に出てきた。顔にも出たのか、バーテンがにっこり微笑んだ。憎たらしいくらいに暖かく男らしい微笑だ。やっぱり神様は不公平だ。眼の前のバーテンは格別愛されている。
それからどれ位時間がたったのか、バーテンが悪戯を仕掛ける子供みたいな、わくわくを胸に隠すように、こう語りだした。

「私の仲間に水月豹馬って男のバーテンがいましてね。こいつが名前の通り“豹憑き”、ワーパンサーなんです。殺しても死なないような奴なんですよ。滅法強くって<新宿>一のバンサーとか言われているくらいでね、奴さん今は歌舞伎町でバーテンをしているんですが、この前死ぬような目にあったって言うんですよ」

 バーテンが話し始めると、客の注文をとりに来た十歳くらいの、煌びやかな黄金の髪にサファイアの瞳をしたホステス役の少女が、まあ白々しいという顔をした。が、客は気付かない。
ちなみに少女は普段の格好よりもフリルやリボンがふんだんに使われたドレスに、ヘッドレスも着用している。趣味は良い。客はうんうんとバーテンの話にのめりこんでいた。チラッと少女にバーテンがウインクを送ったがつんとそっぽを向かれる。

「ええ、話の続きですね。それがなんでもギリシャの大英雄やクーフーリン、アーサー王なんかと戦ったっていうんですよ。え? 信じられない? そうかもしれません。でもね、これがホントの話なんですよ……」

 <新宿>でも難しそうなのに、区外で、と聞いて疑わしそうな客も、バーテンの話に耳を傾けて身を乗り出し始めた。いよいよ興が乗ったのか、バーテンの話し方にも熱が入りだした。

「事の始まりは……」


 事の始まりは雨だった。濃紺のピーコートも灰色に煙ぶるほどの雨の中では色さえ判別するのが難しい。ピーコート男、水月豹馬は傘も雨合羽も身につけてはいない。大自然の雨だ。“豹憑き”たる彼にとって慈母の降らす雨とも言えた。
北海道での超古代の遺跡を賭けての死闘を終え、“魔界都市”に身を置いてから、初めてのそして久しぶりの放浪だった。とはいってもそんなに長期間ぶらぶらするつもりは無い。
一週間くらい野原を駆け周り、吹き行く風の声を聞き、気まぐれな雨に打たれ、遠く鳴り響く雷鳴を見、大いなる大地に寝転がれれば良かった。<新宿>も良いが、やはり時折あるがままの自然に身を置きたくなる事もある。
ザー、ザー、と体に当る雨粒の音も騒々しい中で、豹馬の鼻がピクリと動いた。土砂降りの雨の中でも、確かに嗅ぎなれたあの匂い――血の匂い。
唇から白い歯のきらめきが零れた。その歯が異常に鋭く尖っていると、知る者はこの場に豹馬しかいない。

洗面用具と下着くらいしか入っていない小ぶりなリュックをよいしょっと背負い直してから、豹馬の体が消えた。あまりにも速すぎる身のこなしゆえに、豹馬に当たった雨粒が尽く霧の粒子のようにはじけ飛ぶ。
ほんの数秒後、豹馬は歴史を感じさせる古刹の寺の階段の下にいた。身を屈めて、何者かと会話を交わしている。彼の足元には紫に朱の混じった人影。横たわった人影の朱色は血の色だった。ドレスの上から黒を主体にしたローブを羽織っている。女だ。
豹馬の勘がうずいた。こりゃ厄介な事になるぞ、とこれは魔術系だな、だ。女からは『高田馬場魔法街』に共通するある種の匂いがした。だからといって怪我をした女を放って行く選択肢など、この男には生まれたときから無い。

「大丈夫か?」

 うつぶせに倒れた女がフードに隠れた顔を上げた。二十代半ばか後半くらいの美しいという言葉を使うのに何の抵抗も無い美女だ。多分地中海系だろうか? 白皙の凝肌に、理知的な眼差しをたたえる瞳、フードから零れた髪の色はくすんだ水色というべきか。手入れの行き届いた、細く長く、しっとりとした肌触りが触らなくても分かる。雨に濡れて、かえって色香を漂わせていた。ただし女自身は意識すら朦朧としているのか、玉の肌からは血の気が引き、瞳の光が濁っている。

 こりゃ急がないとヤバイ。区外の病院がどれだけ頼りになるか分らんが……と豹馬が女を体重が無いみたいに軽く抱き上げた。すると女が何事か豹馬に囁きかけた。ひどく小さなか細い声だったが、“憑き人”である彼には十分に可聴領域の声量だ。何い? と豹馬が呻いたが、すぐにさもありなんと納得した。女が口にした方法は、魔術なら当たり前とも言える内容だったからだ。特に性魔術では。

 十分で、豹馬は滞在先に使っている家屋に辿り着いた。深山町近郊の山の中にある小屋だ。雨風は十分に凌げるし、意外と生活用品も整っている。持ち主には一日一万ずつ払っている。八畳一間にキッチン、リビング、トイレ・バス共同。
畳の上に敷いた布団の中で、容態の回復した女の様子にとりあえず豹馬は安堵した。着ていた服は脱がせ、男物のパジャマを着せている。桜色に上気した肌からは、たっぷりと掻いた汗やその他の体液は綺麗さっぱり拭われている。んん、とこぼす声もどこと無く色っぽい。
 ストーブの上でやかんがシュンシュンと音を立てていた。二人の体には先ほどまでの行為の余韻が残っていた。何時の間にかウトウトし始め、豹馬は浅いまどろみに落ちていった。

 これは夢か? 夢の中で夢と分かる理不尽も夢だからこそ、と使い古された表現を思い浮かべながら、豹馬は無理やり押し付けられるイメージを黙って見た。

 始まりは何時だったか、とある神と呼ばれる存在が一人の男を気に入った事だ。ただそれだけなら別になんていう事は無い。神に寵愛される人間なんて、世界の神話を見渡せば掃いて捨てるほどいる。ただ違ったのは神が男の為に、ある女性にその男に対する恋心を植え付けたことだ。
 顔も知らぬ男に対する与えられた愛情はもはや呪い。女性は男のために持てる能力と知恵をすべて捧げた。それは人としての論理、道徳、情すら含んでいた。

 弟を八つ裂きにした。
 罪なき娘とその父を毒殺した。
 裏切った男への復讐の為、男の新たな女を焼き殺した。
 男との間に生まれた二人の子供を殺した。
 父の復讐の為、実の兄を殺した。

 女性は与えられた愛情にそれまで培った家族との愛情、人間性、道徳を尽く排除され、ただ男のために尽くす操り人形となっていた。すべては愛する男のために。男を寵愛する女神のために。ただ男を愛していると、偽りの自分がそう信じているために。

 愛は彼女を無知にした。愛は彼女を罪人にした。愛は彼女を傷付けた。愛は彼女を盲目にした。愛は彼女を翻弄した。やがて愛は憎悪と同意義となった。
 望まぬ偽りの愛は彼女の人生を弄び、やがてその愛が無くなったとき、彼女は“魔女”と呼ばれた。望まぬ称号、望まぬ生涯。もはや喜劇とすら思えてしまう悲劇の連続。
 
 ギシリと何かひどく堅く鋭いものが擦れあう音がした。豹馬の歯だ。力一杯噛み締められた歯と歯とが擦れあっている。
 紋章学において「パンサーは、ライオンの胴体、グリュプスの鉤爪、牡牛の後肢、豹の尾をもつ怪獣であり、口と鼻孔から焔を吐き出している」という。これは悪党や化け物に対峙し、憤怒した水月豹馬そのものだ。即ち夢という形で、助けた女の過去を見た豹馬の今の顔だ。
 眼を外に向ければ清澄な朝の空気を透過して朝日が差し込むが、豹馬は何よりも夢の内容に怒っていた。
何が神だ、何が愛だ、何が裏切りの魔女だ。全て何もかが彼女の意思とは関係の無いところで決められ、行われた結果だった。一人の人間の運命を好き勝手に弄り回すのが神の特権だとでも言うのか!?
だがこの怒りを向けるべき『神』とやらはもう失われた時代の遺物だ。そして彼女の過去は既に伝説として伝えられているように確固たる過去のもの。今ここで豹馬がどれだけ義憤に駆られて怒ろうとも、結局何一つとて変る事はない。
だが、それでも、豹馬は怒った。ただ女のために、同情でも憐れみでもなく。それは人間の根本的な善性に支えられた当たり前の怒り。だから豹馬は怒っていた。人間としてその悲劇の理不尽な理由に、理不尽な結末に。

「うんん……」

 慎ましやかな声と共に女性が薄く眼を開けようとしていた。振り返った豹馬の顔に怒りの相はない。手にコップを持って枕元に近付く。足音はない。

「気が付いたか?」

「! あなたは?」

「あ~~、通りすがりのお節介だ」

 自分をどう紹介するか、などとは考えていなかったから、誤魔化すように鼻の頭を掻きながらそう言って、コップを置いた。口から出てきたのは案外ありきたりなセリフだった。

「あったまるぜ」

「……ただの人間では無さそうね。ライカンスロープ、かしら」

 ひゅう、という音は豹馬の口笛だ。正体を一発で見抜かれた。“豹憑き”とは微妙に異なるが、まあそんなところだ、と言ってから豹馬はどっかりと女性の前に座った。ちなみにライカンスロープとは病或いは呪いによって獣と化す人間の事だ。“憑き人”である豹馬とはちょっと違う。

「それで、君はどうしてあんな事になっていたんだ? 血まみれな上にこんな物騒なものを持ってるなんてな」

 ひょいっと豹馬が示したのは、刀身がいくつかのカーブを描く装飾過多ともいえる、しかし優美な芸術品のような短剣だ。その刀身に帯びた尋常ならざる魔力、荘厳な品格からただの装飾剣では無いと知れる。
倒れていた女性が持っていた代物だ。血脂肪に濡れた状態で、だ。それを見て女性がまだ青白い表情を歪めた。相当に大事なものか、曰くつきなのだろう。横を向く様子に豹馬はま、しゃあないわな、と心中で零して短剣をそっと畳みの上に置いた。
 こちらを振り返った女性に向かって少し唇の端と端とを吊り上げて、笑みを浮かべた。獣の獰猛さに同じ獣の優しさと、人のぬくもりとを持っている笑みだった。

「話したくなけりゃそれで良いさ。オレはもう暫らくこの街にいるつもりだから、ここを好きに使って構わないぜ」

 くるりと立ち上がってスタスタとたたきに降りてドアに手をかけた。どこに出かけるか、特に当てはない。ちょっと考えてから振り返ってこう言った。

「飲んどけよ、たまご酒。コップは流しに置いておけば良いからな」

「あ、……その、ありがとう」

「気にすんな」

 パタンと、ドアを閉じる音が二人を隔てた。

 それから二日があっという間に過ぎた。この間の収穫といえば女の名前がキャスター(偽名だろう)であるという事と、豹馬が自分の名前を教えた事、それとキャスターがこの街で起きている何かに関わっている事が分かった事だ。豹馬の嗅覚が冬木市がただの街でないことを鋭く警告している。普通の日々の中、微妙に異なる違和感や前兆みたいなものが徐々にその全貌を現すのを待っている、そんな感じだ。

 キャスターは終日家の中で過ごしたが変化は確かにあった。三日目。豹馬が適当に近郊の森や山の中を散策した帰り道、何者かが尾行してきている、と直感と経験が囁いた。おもしろい、腕がなまりかけてた所だ、と思い立って徐々にスピードを上げながら帰路に着く。
 滅多やたらに適当に走り回り、徐々にスピードを上げてゆく。実に六十キロに及ぶ距離を、平均時速百二十キロできっかり三十分走り続けた。

(ちゃんと尾いてきやがる。こりゃ腕が鳴るな)

 あの家までざっと三百メートルほどの林の中で豹馬が足を止め、尻のポケットから黒い皮手袋を取り出した。ただし指の先端は穴が開いており、指が覗いている。ゆっくり嵌めながら声を張り上げた。

「出てきなよ。それともつかず離れずでストーカーの真似事をするのが流行りなのか?」

「へ、そういうなよ。こちとらちょっとばかし事情があるんでな」

 声の主は豹馬の真正面から姿を見せた。良い度胸だ。年のころは豹馬と同じくらい、白いラインの入った青いボディースーツ、肩と首周りには蛇腹状の銀甲冑。それよりも手に持つ全長二メートルほどはある蔦が絡まったかのような赤い槍が目を引いた。ただそこに在るだけで空間を侵食するような威圧感、禍々しさすら漂わせる“死”の気配。キャスターのあの短剣と共通する不可侵の何か。
 持ち主たる男から伝わるのも、一流という言葉が虚しくなるような闘気、隙の一片も見つけられぬ、そのくせ飄々とした立ち姿。背後から何者かが襲いかかっても電光の速さで槍が赤い流星となるだろう。顔立ちは何処か豹馬と似ていた。共通するのは獣の如き鋭さと獰猛さ。

「で、オレに何のようだ」

「何、オレの探している連中の足取りを探してるんだが、どうもここら辺にいるらしくてな。心当たりは無いか?」

 答えは分かっているぜ、と槍騎士の顔が物語っている。全くその通りだと豹馬も同意した。姿を見せたときから、最初から答えも、結末はともかくその過程はわかっていた。即ち、闘争だ。

「力ずくで聞いたらどうだ? 」

「そのほうが手っ取り早そうだな」

 共に浮かべたのは強敵との邂逅に熱くなる血を持った戦士の笑み。まったく、コイツはオレと似てやがる。奇しくも二人とも同じことを考えていた。
 
「名前も知らぬでは不便だな。オレはランサーだ」

「水月豹馬と覚えておけ」

「ヒョウマか。じゃあ早速だがヒョウマ……あばよ!」

 ヒョウっとランサーの姿が掻き消える。高速で移動したランサーの巻き起こす突風に林の木々が揺れて落葉が砕けて宙に舞う。ランサーのその姿は豹馬の背後、赤い槍を引き絞り、その背から心臓目掛けて突きこむ。豹馬の背に届く寸前で、豹馬の黒いジャケットが旋回した。豹馬の回し蹴りはいかづちの如く素早く苛烈にランサーを襲った。

 ランサーがしゃがみ込んでかわし、再び立ち上がるまでの間に赤と黒の攻防が数十回交わされた。ランサーの槍に対してリーチで圧倒的な不利に立つ豹馬は両の手と足、小刻みな超高速ステップで距離を詰めるべく、神速のランサーと互角に近い速度で攻めていた。
 ランサーが突く。時に槍を握る手をずらしてリーチを変え、あらやる急所目掛けて正確に無慈悲に赤い彗星が、青い騎士の技量の下に放たれる。
それを豹馬はかわすかわすかわす。上半身を捻り、首を傾け、半身だけずらして紙一重の回避を続けながら黒い皮手袋に包まれた稲妻の如きパンチをランサー目掛け打ち込む。豹馬のパンチとランサーの槍撃が交差して二人が後ろに跳躍して離れる。空いた距離は十メートル。
 ズルリっとランサーの左頬の皮が一枚剥けた。豹馬の左肩に浅くはあるが槍の刺し傷が穿たれている。白いシャツを赤い領土が染め上げて行く。

「てめえ、何者だ? ただの人間じゃないってのは分かってたんだがな」

「さあな」

 冬の差し込む木漏れ日に、優雅な獣の影が映し出された。服を盛り上げる筋肉の筋は太すぎず、鋼の筋を束ねたかのよう。匂い立つのは大地が与えた野生の生命の匂い。豹馬が両手を地に着ける。それは自然の生み出した躍動する芸術、豹の姿だった。ランサーはこの男の正体を悟った。

「ホーンテッド(憑きもの)の“豹憑き”か。しかも並じゃねえな、いくら“豹憑き”でもおいそれとサーヴァントと戦えるようなレベルの存在じゃねえ。“憑き人”でも最強クラスだな?」

「褒めるなよ」 

 豹馬の姿が消える。ランサーの姿が消える。音速を超える速度での超高速の死の舞踏。豹馬が四つの手足で大地を駆け、野生のリズムを刻む。ランサーが俊足で駆け抜け、赤い槍で突き穿つ。林の中を黒と青とが、残像を残しつつ光の尾を引くように駆け抜けてゆく。上空から俯瞰すればそれは、黒い鱗と、赤の混じる青い鱗の蛇が争っているかのような軌跡を描いていた。時折交差すれば、刹那の攻防が二人の間に巻き起こる。
 点で攻撃を行う槍を、払う事によって面による攻撃も加え、ランサーがその名に恥じぬ槍術を繰り広げる。もはや単純な“突く”という動作でさえも、圧倒的な速度と正確さで面を制するほどの手数となる。
 ならばそれを捌く豹馬は? 音の壁を越える速度で動きながらランサーの槍を掻い潜って右フックを一閃、すかさず左のショートアッパーを最小限の動作で放つ。威力は大型肉食獣のそれに勝る。のけぞってかわしたランサーの顎の先の肉が削げた。ニイ、とランサーの唇は笑みを刻み、豹馬の口元にも等しいモノが浮かぶ。
のけぞった姿勢のままランサーが槍を閃光の如く振るう。咄嗟に飛び退いた豹馬の左肩の肉がいくらか持っていかれた。再び二人は離れた。愛し合う恋人との別離にも似て。

低く腰を落とし、豹馬は地に伏せて跳躍の時を待つ獣となった。人が獣の姿を真似る。本来ならそのような姿勢は人間にはそぐわない。とうの昔に失ったか捨てたかした姿だからだ。だがホーンテッドは違う。水月豹馬“ザ・パンサー”は違う。
顎スレスレまで地面に近付いたその姿勢はまさに“豹”。たわめられた四肢はたおやかな鋼の破壊力で跳躍のときを待つ。

ランサーが一切の表情を排し、己が愛槍を弓弦の如く引き絞り、最速最高の一撃の為に静かに呼吸を整え、筋肉に始動の時を待たせる。厳しい表情の下、ランサーはこの偶然の邂逅に感謝する。ランサーは聖杯に対する望みはこれと言ってない。この戦争に参加したのは“聖杯”で叶えたい願いがあるからではなく、その過程、生と死の境界ギリギリの死力を尽くした戦いをしたいからだ。
度し難い戦闘狂とも言えるこの性情は、戦闘こそを目的としてランサーを突き動かす。だが、皮肉にも“今”のランサーは全力を出すべき同種の敵、サーヴァントとは全力で戦う事ができない。そう命令されているからだ。クソッタレな命令に逆らう術が無いランサーは屈辱と鬱屈とした思いに身を焼きながら、命令に従っていた。
そんな時に、目の前の男を見つけた。最初は軽い興味だ。明らかに常人とは違う雰囲気と『匂い』。退屈紛れに後をつけてみれば、その疾風の如き身のこなしと野獣の如き気に惹かれていた。別にサーヴァントと関係が無くてもそれなりの鬱憤晴らしにはなるだろうとコナをかけてみたら……大当たりだ。
“憑き人”とはいえ、ほぼすべての連中はここまでランサーとは戦えない。人間プラス野獣の能力を発揮するのが精々だからだ。だが豹馬はそれを凌駕していた。人間はサーヴァントと戦う事すらできない、事実のそれをこの男は覆した。このうれしい誤算にランサーは感謝の念すら抱いていた。

“てめえはオレが必ず倒す”、かなり物騒な感謝の念ではあるが。

 豹馬もまた強敵に呼応する野生の血を感じていた。“憑き人”特有の状態だ。体のあちこちから赤黒い筋が垂れ、熱と体力を奪っていく。本来なら豹馬は四四マグナムだろうと頭か心臓を打ち抜かれなければ行動に支障はきたさない。銃創でも半日もすれば勝手に治る肉体だ。だがその治癒能力が機能していない。止まるべき血は止まらず、塞がるべき傷はそのままだ。ランサーの技か槍か。厄介な事だ。
 低く下げた豹馬の咽喉から唸り声が零れる。ランサーとかいうこの男は手強い。パワー、スピードならあの街<新宿>にはより勝る連中がいる。
 原子モーターから供給されるエネルギーが五千馬力を生み出すサイボーグ。
 マッハ十で機動する高速人。
 核爆発の直撃にも耐える装甲を有する妖獣。
 だがそのいずれよりもこの男は強い。パワーで劣る、スピードで劣る、だが戦えば勝つのはこの男だ。理屈以前に本能的、と言おうか豹馬は悟っていた。骨の折れる事だが、実に自分の性に合っている。

豹馬が笑みを浮かべた。ランサーが笑みを浮かべた。相手への“愛”に満ちている。ただし血を流し肉を削ぎ、骨を砕いて命を奪い合う“愛”だ。

 ググッとより深く四肢をたわめた豹馬の姿が宙に踊った。ランサー目掛け振るわれる右の腕! ランサーがリーチの長さを十二分に発揮しての最速最高の刺突を放つ! 豹馬の腕よりも早く赤い魔弾の如く迸った槍を、豹馬は弛緩させた筋肉を捻って串刺しを避ける。
ただし、右脇腹の肉が肋骨三本砕けるのと同時に抉られる。掠めただけでコレだ。引き締めた筋肉は刃物など容易く止めるが、この槍は話が別だ。なら最初から柔軟性を重視して脱力した状態にして回避を優先する。咄嗟の判断だった。

 空中で豹馬は筋肉のばねを利用して身を捻り、天地を逆に入れ替える。頭が地面を向いて、両足は天を向く。超常的な筋力を使った三次元的な機動だ。いかずちの脚と雷光の牙持つ豹が必殺の腕を振るった。バキンという音と共にランサーの右首筋の銀甲冑が砕け、血肉が宙にバラける。それだけでは終わらない。腕の一撃の勢いを利用してそのまま体をひと捻りし、天から大地へと豹馬の足が彗星の如く堕ちた。今度はランサーの左肩の銀甲冑が砕ける。だが本来の狙いは頭だった。
とんでもない反射神経と直感でわずかに首を傾けただけでランサーが致命傷を避けたのだ。万分の一秒反応と判断が遅れれば首が捥げ、左肩が粉砕していた一撃だった。宙空の豹馬に見舞うは槍を引き戻し振り返っての一撃か? だがその前に豹馬は地面に脚をつけ、間合いから離れるか超接近戦を挑んでくるに違いない。では彼が取る手段は? 閃光の槍術と疾風の脚持つ青騎士は、思い切り槍を引いて石突の部分を豹馬に叩きつけた。

「があ!?」

 右腕でガードした体勢のまま豹馬は二十メートルは軽く吹っ飛び、何度かバウンドしてから再びあの“豹”の姿勢で着地する。だがその右腕はブラリと垂れ、使い物になりそうにない。ガードした部分の骨が粉々に砕けているのだ。ランサーが悠々と槍を構え直す。首の出血が右半身を朱に染めつつあった。甲冑は砕けた。血肉も削られた。だが致命傷には程遠い。四肢には支障をきたすほどのダメージは無い。
 一方で豹馬は右肋骨三本と右腕の骨がオシャカになっている。ちょっぴり不利だ。この程度で戦意を喪失するようならどこぞのバーでバーテンダーとして一生を終えている。豹馬の咽喉からあの野生の唸り声がまた漏れ出す。さあ、まだ闘いはこれからだ。

 豹馬が駆け、ランサーもまた駆けようとした。そこに無数の光の弾が殺到し、ランサーを抹殺すべく乱舞する。邪魔が入ったのだ。豹馬とランサーの二人ともが苦々しい顔を浮かべた。
 遠目に、水色のタートルネックのセーターと白いスカートをはいたキャスターの姿を豹馬は認めた。先ほどからの闘いを察知して豹馬の危機と考え、駆けつけたのだ。豹馬の負傷を眼にしてから、険しい表情でランサーを睨み付ける。大切な人を傷付けた怨敵を前にすれば誰しもこうなるだろう。少なくとも豹馬は嫌われてはいないらしい。

「てめえが呼んだってわけじゃねえか。キャスターだな? ……余計な真似しやがって。ちっ、まあいい。ここで引けとするか、ヒョウマてめえはオレが倒す。誰にも殺られるんじゃねえぞ」

「こっちのセリフだ」

 少しだけ二人は視線を交差した。最高の敵は最高の友に等しい、そんな二人だった。身を翻したランサーが見る間にその姿を小さいものに変えて走り去った。キャスターが何かする間もないくらい潔い退きっぷりだ。
 キャスターが遠慮がちに聞いてきた。豹馬の表情を一瞬見たからだ。今は苦笑を浮かべている。クラスの女の子にかっこ悪いところを見られた男の子みたいな苦笑だ。

「余計なお世話だったかしら?」

「いいや、危ないトコだったぜ。助かった。しかし手強い相手だな。傷がちっとも塞がらん、君の知り合いか?」

「あの槍には治癒を妨げる呪いがかかっているのよ。それと……ごめんなさい」

「うん?」

「あいつが来たのは私がここにいるからよ。あなたに要らぬ怪我をさせたわ」

「よせやい。喧嘩を売ったのはオレで買ったのはアイツさ。そこに君が入る余地はないぜ。それよりも早く戻ろう。いつまでも血まみれで手当て無しってのも様にならん」

 そう言って照れくさそうに豹馬は微笑した。人の奥深いところまで染み入るような笑みだった。
 
小屋に戻ってキャスターが呪いを緩和し、さらしを巻いてから着替える。それから少しばかり休憩していると、キャスターが一大決心をした、という顔で豹馬に話があると切り出したのだ。なお、この二日間キャスターは豹馬が適当に買ってきた婦人服を着ている。

「……」

 豹馬は黙ってキャスターが話し出すのを待つ。こういう時は黙って話し出すのを待つのが男だ。逡巡していた様子だったキャスターがようやく口を開いた。

「まずは、あの時私を助けてくれてありがとう。感謝しています」

「当たり前の事さ」

「そういう人なのね、貴方は。……私が何なのか、これを聞いたらあなたは引き返せないし、危険な目にあうわ。今なら私がここを」

「おっと、そっから先は無しだぜ? あいにく君には悪いが君の過去らしい夢を見た。すまんな」

「いえ、仮とはいえパスを繋いだのだからかそういうこともあるわね。それにしても謝るなんて律儀な人ね、私の過去なんて見てもつまらないでしょう?」

 自虐的なキャスターの言葉に、豹馬は肩をすくめたきりだ。どこまでも陽性な若者なのだ。そんな豹馬の様子にむしろキャスターは救われたようだ。ほんの少し眼を瞑って心中を整理し、本題に入った。


「なるほど。サーヴァント、直訳すれば奴隷・使い魔って所だが、この街の場合は輪廻の輪から外れた英雄様達か。そいつらを使っての戦争、か。胸クソ悪いな、おっと失礼。で、キャスターは最初のマスターを殺害して、魔力が切れかかってあそこで倒れていたってわけか」

「ええ、言い訳はするつもりは無いけれど、言わせてもらえるなら、確かにキャスターのクラスは最弱と言われるけれど私には私なりの矜持と勝算があった。けれどあのマスターは私の言うことには何も耳を貸さなかった。ただ己の身を案じて閉じこもって私を罵倒するだけ。そんなこと私には許せなかったのよ」

「ま、分からなくはないな。で、君はどうするんだ。望みがあるから聖杯戦争の召喚に応えたんだろう」

「…………」

 実を言えば豹馬にはおおよその見当がついている。あの夢の中でキャスターは幾千回と問うた。なぜ私なの? 幾万回と祈った。あの頃に戻りたい、と。望んだのは小さな幸せだった。おそらくその願いは捨てられまい。

「さて、それとは別に問題がある」

「?」

「オレはランサーと決着がつけられなかった。そいつはオレの沽券に関わるんだ。で、聖杯戦争に参加すればまたあいつと戦う機会にも恵まれるな?」

「それはそうだけど。でも相手は英霊よ、下手なプライドは捨てなさい!!」

 この時キャスターは必要以上に豹馬の身を案じる、自分の心の動きに気付いてはいなかった。ましてやそれが偽りではない本心からの好意に支えられているとは。この二日間は、キャスターにとって豹馬という男を理解し、信頼させるには十分だった。

「男の子には意地を張らにゃならん時ってもんがあるのさ。それに、君というサーヴァントがこっちにもいるだろう」

「私と契約を結ぶつもり?」

「たまには誰かに背中を任せてみるのも良いかと思ってね」

「……嘘の下手な人ね。私の“願い”を叶えさせるつもりでしょう?」

「さて」

 獣は嘘をつかない。ましてや“豹憑き”の男は。儚げな笑みを浮かべてからキャスターはそっと安堵した。この男の傍に居られることへの安堵だと気づくのは今しばらく後の話だ。何時以来の気持ちだろうか。こんなに安心するのは。誰かを頼れる事の安らぎを感じるのは。

「分かりましたヒョウマ。私はアナタのサーヴァントとなり、この闘いを勝利して見せましょう」

「そうこなくっちゃな。よろしくキャスター」

 差し出された豹馬の手をキャスターは握った。大きく逞しく、暖かい大地のような掌だった。豹馬が握ったキャスターの手は折れてしまいそうな位に儚く細かった。けれど冷たくなんか無い、暖かい手だ。どこが“魔女”だ。昔の連中は余程見る目のない節穴ぞろいだったらしい。

「……メディア」

「?」

「私の本当の名前です。二人の時はそう呼んで下ださい」

「分かった。メディア」

 初めて豹馬はキャスター=メディアの本当の笑みを見た。やっぱり過去の連中の目玉は節穴だと思った。そんな笑みをメディアは浮かべたのだ。


 バーテンはそこで話を切った。客はもちろんその続きをせがんだが

「ダメダメ、話は少しずつ小出しにするから面白いんですよ。またのご来店の時にでもお話しますよ」

 そう言って柔らかく拒絶した。ふと客の視界に、紫とも水色とも見える長い髪の美女の姿が入った。特徴的なのはその西洋風の美貌と横に伸びた俗に言う“エルフ耳”だ。そういえばあの女性がこのバーに顔を見せてから、ホステスの少女の服装が毎度違うものになっているな、と客は思った。
 客は飲み干したブロンクスを置いて、フォールン・エンジェル(堕ちた天使)を注文した。

「少々、お待ちを」

 バーテンは微笑み白い歯並を見せた。槍穂の如く研ぎ澄まされた歯並はまるで豹のようだった。

おしまい

捜索掲示板で探されている方がいらしたので投稿いたしました。



[11325] その8 水月豹馬 × Fate ②
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/05/23 19:47
その8 『ザ・パンサー2』

 客はいつもどおり夜の歌舞伎町の一角に立つバー“ブラック・キャッスル”に入った。夜の歌舞伎町は、<新宿警察>の精鋭コマンド・ポリスですら十人一組で見回らねばならぬ危険性を孕んでいる。
 ブラック・キャッスルまでは比較的安全が確認されているルートだったが、二度ほど襲われた。
途中電磁加工した日本刀四本を振りかぶって襲ってきた四本腕の改造人間と、一ミクロンのタングステンの針を全身から放出するハリネズミモドキの妖物を、懐から抜き放ったハンドガンサイズのレーザーガンで追い払った。
 花園神社で定期的に開かれる殺人激安市で買ったセコハンだが、買って得した気分に良くしてくれる。照射部分を百万度に加熱するまで千分の一秒。エネルギーを満杯まで充電しておけばビルだって焼き切れる。
 キイという軋む音と、カラン、となる鈴の音を聞きながら、客はブラック・キャッスルに入った。ドアの軋みも、鈴の鳴る音も“黒い城”と名づけられた享楽の酒場には相応しい風情がある。

「いらっしゃい」

「いらっしゃいませ」

「ああ、まだ動いちゃ駄目よ」

 カウンターの向こうでグラスを磨いているバーテンと、銀の大皿を抱えたホステス役の少女、それに少女の髪をなにやらいじっている妙齢の美女である。
 バーテンはグラスを拭く仕草さえ小粋に決まった、“男の中の男”という言葉を使いたくなるような精悍な青年だ。客はバーテンの名前も知らないが、その日焼けした顔が浮かべる胸の奥に染み入るような笑顔と、笑顔から零れる槍穂のような鋭く白い歯並が妙に気に入っている。
 蝶ネクタイと白いシャツ、黒のベストを盛り上げているのは、肥大ではなく引き締まった鋼のような筋肉。そして秘められているのは、それらが躍動した時に解き放たれる、魔獣のパワーとスピード。
 店内でどれだけサイボーグや非合法エスパー、強化人間、モグリの魔道士が暴れようと風のように現場に駆けつけたちまち解決してみせる、凄腕の用心棒でもある。
 銀盆を抱えた少女は、まだ十歳くらいの容貌だが、この店の立派なホステスだ。抑えた照明に照らされる金の髪の輝き。大きな銀盆を抱えてテーブルとカウンターを行き来する肢体。注文に応える時に聞える、金鈴の鳴るかのような声。
 熟した時の色香を想起せずにはおれぬ鼻梁。幼い外見にそぐわぬ知性を称えたサファイアの瞳には、世界が青く濡れて見えているかもしれない。
 今までは紫サテンのドレスやワンピースが多かったのに、最近は見かける度に服装が違う事に、前回来店した時に客は気付いていた。
 本日は黒のゴシック・ロリータ調の退廃的な雰囲気と小悪魔的な耽美さを併せ持った、少女趣味でなくとも生唾を飲み込みかねない、背徳的な色香を滲ませるワンピースだ。黒い生地は絹の光沢を示し、ふんだんにあしらわれたフリルは愛らしさを罪の領域にまで増幅している。
 肘から美しい曲線を描いて指先までを覆う黒の長手袋の先に押さえられた銀盆すら、美少女の愛くるしさに酔っていてもおかしくは無いほどである。
 三人の内、唯一客に声をかけなかった美女だが、客は彼女の事だけは全く何も知らなかった。
水色とも薄い紫とも取れる不思議な色合いのロング・ヘアーに、横に伸びた特徴的な柳葉状の耳。整った造作の美貌には世界を動かす真理に触れた者の持つ特有の知性の光と、暗い奈落のような闇とが共存している。魔道に生きる者の特徴だ。
遺伝子操作や、区外とは比べ物にならない整形技術で超美男美女が氾濫しているこの<魔界都市>でも、滅多にお目にかかれぬ美貌の主であった。確かに目を引く美貌だが、それ以上に、後天的にはどうしても備えさせることの出来ない“気品”がある。
後は前から行きつけだったこの店から、しばらくバーテンが姿を消した時期があり、彼が戻ってきた時と同時にこの店に顔を出すようになった。それ位だ。
 ああ、そういえばもう一つあった。どうもホステスの美少女の服はこの美女が用意しているらしい。今も椅子に座らせた美少女の金の髪をせっせと三つ編みにしている。
ひどく楽しそうな美女の様子と、困ったような嬉しいような迷惑のような、なんとも言えない表情の美少女の様子とが、思わず笑みを誘うくらいに心を和ませる。
バーテンと客が揃って微笑を浮かべてから、客は早かったかな? と声を掛けた。柔らかく暖かくバーテンがそんな事はない、と否定した。包み込むような包容力は生来のものだろう。意識して身に付けられる様な安いモノではなさそうだ。
ジントニックを注文し、いつもの定位置になりつつあるカウンターの一席に腰を掛けた。

「ジントニック、お待ちどう様。え? 話の続き? ああ、アレですか。そんなに気に入りましたか?」

 からかう様にバーテンは客を焦らす。うっすらと唇が形作る笑みは、ガキ大将かイタズラ小僧めいた、子供っぽいものだった。客は、焦らされる事にこんちくしょう、と心の中で漏らした悪態も、苦笑になって顔に出ているのを自覚した。
 バーテンとしての技量だけではなく、生来の素養なのか人を話に引き込むのもうまいようだ。おまけに憎たらしいと思うよりも、騙されたかあ、と清々しく苦笑してしまうような、そんな爽快さがある。
 天に愛された匠が織った様な金糸の髪を編み編みされながら、ホステスの少女がチラっとバーテンを見た。今自分の髪をせっせと編み編みしている美女と、バーテンが出会ってから繰り広げた死闘は、秘すべき闇の世界の暗闘であると知っているからだ。
 バーテンは分かってるよ、とウインクひとつを投げてよこした。よこされたウインクはプイっと顔を背けた少女の、血色の良い頬の辺りに命中しただろう。
 それからバーテンは、カウンターに手を置き、客の瞳を覗き込むように前かがみになって、ニイっと笑みを一つ浮かべてから話の口火を切った。仕掛けたイタズラが、見事に成功した事に喜ぶ子供みたいな光が瞳に輝いている。

「水月豹馬とキャスターが出会った辺りでしたっけ? それでは」

 コホンとわざとらしく間を置いてから、バーテンは話を続けた。


ランサーと槍と拳を交えた翌日である。その日の朝、豹馬は黒い皮のジャケットとストレートのブルージーンズに身を包んで、山中の奥深く、とある岩の上で座禅を組んでいた。
ジャガイモみたいな形をした岩が、上半分を覗かせていて、地面から一メートル、最大直径三メートル程だ。周囲はまだ黒い闇に飲まれているが、直に太陽という名の光に払拭される。そんな時間帯だった。
冬の清雅な空気が、朝の清廉な気と混じり、山中に住まう数多の生命の息吹が溶け合って、常人には知覚出来ない、数多の生命が産み出す“気”の溜まり場が形成されている。今は豹馬もその生命の一部となっていた。
土中に眠る虫たちや、枯木と見間違う年老いた木。冬の木枯らしに身を晒された樹木。かさりと落ち葉を音を立てて歩いてゆく小動物。とうとうと流れる清水をたたえた小川。ひょうひょうと吹く風も、山自体を含んだ巨大な一つの生命の一部であった。
幾千、幾万、或いは人の概念で数える事の出来ぬ数の生命が、一つの生命の様に互いの存在を混ぜ合わせ、混沌としつつも確実にまとまりつつあった。
豹馬は木の中に眠る虫であり、木立に止まった一羽の小鳥であり、風に揺らされる名も無い花であり、わずかに表面を凍らせた水溜りであり、そしてこの山そのものだった。
やがて、陽の光が周囲を照らし出してから、豹馬はゆっくりと瞼を開いた。世界は金色に染め上げられていた。ただ美しく雄大で、人の世界も、この光景の前では小さなあぶく玉の様に儚い夢にすぎない。そう思ってしまうようだった。
ふうっと白い吐息を漏らして、豹馬は世界を染め上げる太陽のぬくもりを感じた。
小屋に戻って豹馬が以前、中国硬気功を真の武術として伝える最後の気功の使い手、と称される老人に習った気功法を行い、大地と大気より清廉な“気”を己が内に取り込み、体調を整えていると、ひょっこりキャスターが小屋から顔を出して豹馬を呼んだ。
はいよ、と片手を上げて返事をし、小屋に入る。もし、気功の道をそれなりに歩んだ者が、豹馬の様子を見ていたなら、その見事というほか無い“気”の扱いと、大地の“気”との調和の様子に目玉を引ん剥いただろう。
水月豹馬は“豹憑き”であるが故に、無意識に大地との調和を全身で行っているのだ。『気は体内より生じず、大地より生じる』、人も獣も大地の上で生きているが、文明と言う名の分厚いコンクリートで大地を隔離した“人間”では、長い時を掛けて学ばねば辿り着けぬ境地を、水月豹馬は全身で知っているのだ。
キャスターが現代文明の技術の精髄にして文明の利器、電子レンジやガスコンロ、圧力釜と、おっかなびっくりしながら凄絶な死闘を繰り広げた末に完成させた朝餉を取りつつ、今後の方針について話を進めた。
洋風? と思しき何かの肉を焼いたらしい物をかじりながら、豹馬はキャスターの話に耳を傾けた。
器用そうだから、調理器具の取扱説明書と料理の本を読めば、次からはまともな食事が取れるだろう。ま、外食でも構わないしと頭の片隅で考えていたりもした。

「取り敢えず、今はまだサーヴァントもまだ七騎揃ってはいないし、準備を進めるべきでしょう。手持ちの戦力の確認と増強、考えうる事態に対する備え、戦場であるこの街の地理の把握、それと既に召喚済みのサーヴァントとマスターの情報収集、ざっとこんな所ね」

 ずずずっとまともに淹れる事に成功したらしいインスタントコーヒーを、ふーふー冷ましてから啜る。猫科の悲しさか、豹馬は猫舌だ。ミルクを入れて冷ませば良かったと、呑んでから気づいた。

「正直、俺はこの戦いに関しての前知識はさっぱりだからな。戦闘以外はスマンが君頼りだ」

「それが私の本分ですもの。それに後方支援型の私からすれば、マスターがサーヴァントと互角に渡り合える戦闘能力の持ち主、というのは嬉しい誤算よ。マスターには戦場から離れていてもらうか、使い魔に戦わせるか、ある意味最悪の場合はマスター自身に前衛を務めてもらわなければならないのが、『キャスター』というクラスの特性だから。そういう意味では初見の敵にとってあなたという存在は意表を突かれる形になるでしょうね。まあ、それはそれで戦い方の組み立て方を考えなければならないけれど」

 キャスターも自分で淹れたインスタントコーヒーを、豹馬が百均で買ったカップに注いで一口飲む。現代文明の味はそれなりに受けが良かったらしく、ピコっと一度耳が上下した。正直見ていて面白い。思わず豹馬の口元がほころんだ。

「何? まあ良いわ。まずはサーヴァントが存在を維持する為に必要なもの、“魔力”の供給なんだけれど、貴方、魔術師じゃないのよね?」

「期待に添えなくてすまん」

「いえ、問題はこれからなんだけれど、さっきやってたアレは何かしら?」

「あれか? 『気功法』さ。陽羅猛(ようらもう)という人に昔教わったモノでな。先生の“気”は鉄板を貫いて背後の虎十頭もまとめて倒す、ってレベルだったが、俺は百年かけても駄目だそうだ。一,二発なら喰らっても何とか戦えない事も無いけどな。君に分かりやすく言うなら、さしずめ東洋の神秘、って所かな」

「キコウホウ……私の知識には無い代物ね。……ヒョウマ、その気候砲で生み出した力を、私に流すイメージをしてみてくれないかしら? 多分“豹憑き”である貴方なら、私との間に霊的な繋がりが出来ている事に気付いていると思うけど」

「ああ、なんとなく違和感みたいなものがあったけど、たぶん大丈夫だ。それと“気候砲”じゃなくて“気功法”な?」

「軌功鵬、紀校方、気功苞?」

「惜しい、気功法」

「気功法?」

「正解だ」

 にっと笑い、ウインクしてから、豹馬は胡坐をかいたまま、両腕を組み、自然体とは言い難いが、余分な力を抜く。意識をより自らの内側へ、見えざる力の流れへと向ける為だ。
 体内より生じず、大地より生じる。即ちそれこそ天地陰陽の産み出す“気”なり。今、常人には見えぬ糸のようなものが、自分とキャスターとの間に結ばれているのを豹馬は知覚する。
多分、一昨日今にも消えそうなキャスターと出会った時に、指示された方法を行った際にでも結ばれていたのだろう。今にも切れそうな、カンダタが希望を見出した蜘蛛の糸もかくの如く細く頼りなかったのかもしれない。
 “豹憑き”であるが故に、水月豹馬という人間であるが故に全身で知っている大地との調和を更に意識的に行い、相乗的に交わり産み出される“気”の力を徐々に意識してコントロールし、流れを作ってその先をキャスターへと向ける。
 他人に“気”を分け与える。悪意のある方法にしろそうでないにしろ、豹馬にしても初めての経験だ。キャスターとの間に結ばれた繋がり=ラインが無かったら、流石に失敗に終わっていただろう。

「……どうだ?」

「……やっぱり、大源(マナ)が小源(オド)と混じり合っている」

「何だいそりゃ?」

「そうね、貴方は魔術の門外漢なんだし分かりやすく言えば魔力の種類、と思ってちょうだい。大気中にあるのが大源、人間が産み出すのが小源。魔術はどちらかを用いるのが普通なのだけれど、小源を大源に変換したり、小源の代わりにする、何てことは出来ないのよ。なのに貴方の気功法はそれを完全とは行かないけれど、多少なりともそれを行っているわ。気功法を学んでいる連中って誰でも出来る芸当なの?」

 マナを使って魔術を行使するならともかく、と呆れたというか、ありえないというか、微妙な表情を浮かべるキャスターに一応フォローらしきものを言った。あんまり効果は無さそうだ、と思いつつ。

「二回スカウトされたよ。才能はある方らしい」

 才能はある所か、陽羅猛老人は、真の気功法を伝える次代の雄として熱望している位である。そんな事情は露知らず、いや知っていても同じ反応だったろう。
キャスターは、怒りに近いものを潜ませて溜息をついた。常識を覆された相手の呑気な様子が、魔術の徒としての矜持に少々触れたらしい。小さな火種だが、扱いを間違えれば殺意を孕んだ烈火に変わりかねない。魔術師にしろ魔道士にしろ、世界の法則を操り異界の現象を起こす連中というのは、自己の常識を破壊する者に対して大体物騒だ。
 こりゃ怒らせたな、と察した豹馬が話をずらした。

「つまりだ。不純物は混じっているものの、俺が供給する“気”はちゃんとろ過すれば使い物になるって事かい?」

「……はあ、そうね、そういう例えで構わないわ。後は不純物を取り除く私次第。多分、普通に戦闘する分には問題ないでしょう」

「それは良かった」

 豹馬の浮かべた心からの安堵と喜びの混じった笑顔にキャスターは毒気を抜かれて、清々しい疲れを感じたように、小さく笑った。
 浄水器みたいな真似は少々煩わしいが、最悪の手段は取らずに済んだのだから僥倖だろう。心中でひっそりと安堵の息を漏らしていたら、豹馬が鋭く聞いてきた。当人には純粋な疑問以外の他意はあるまい。

「俺から供給が無かったらどうするつもりだったんだ?」

「! ……そうですね。私が貴方とあった日に頼んだ事、あれでも魔力は供給されますから、そちらを繰り返す、という手段もあります」

「ふ~ん。本当にそれだけか?」

「何故そう思うのです?」

 名人の筆で描かれたような眦をきつくして、キャスターが自分のマスターに問う。あまり続けたい話ではなかった。この男の気性から考えればまず間違いなく、怒りの相を浮かべるに違いあるまい。
 キャスターの元マスター殺しについて特に何も言わないなど、かなり凄惨な人生を歩んでいるようだがその目は澄んでおり、良い人間としての雰囲気みたいなものを纏っているからだ。

「いや、強いて言うなら勘なんだが。俺は魔術に詳しくないが、魔術師なら誰でも魔力を持っているのだろう? じゃあ魔術師でない人間はどうなんだろうな、と思ってね。魔術の歴史は長いんだろう? それなら色々と普通の人間から魔力を搾取する方法の一つ二つ考えられていてもおかしくは無いし、神代っていうのかな、古代じゃ人身御供なんかが盛んだったわけだ。それなら古の英霊であるサーヴァント達が人間を捕食する事で魔力やら体力やらを補充する手段なんかもありそうだからな」

 少し考えれば思いつきそうなことではあるが、中々鋭い所をついてくる、それに嘘は通じそうに無い。直感が異様に鋭い事もあるが、この男を前にするとそれらの行為がひどく卑怯なものに思えてきてしまう。人徳、というものだろうか。

「……そうですね。貴方に知っておいてもらった方が良いでしょう。サーヴァントには先程挙げた方法以外にも外部から魔力を補充する手段があります。それが……他者の魂や精神を喰らう事」

 ぴくりと、小さく豹馬の眉が動く。表情はそのままだが、雰囲気はひどく胡乱気なモノになっていた。案の定、豹馬の嫌う行為であったようだ。

「もし、の話は好きじゃないが……俺からの供給が不可能だったらそうしたのか?」

「……正直に言いましょう。私は例え貴方に愛想を尽かされる事になっても準備不足の末に負けた、等という結末を迎えるつもりはありません。霊脈の優れた場所であるなら、大多数の人間の精神や魂から魔力を奪う大魔術を行う事も私には可能です。そして私は実行するでしょう。……聖杯を手に入れるために」

「聖杯で叶えたい願い、か」

 それを言われるとな、と零して豹馬はがりがりと、爪の立った指で頭を掻いた。問答無用でぶちのめすには十分な話であった。契約を切ってこのままキャスターを置いて出ていっても構わない。いや、その前にやはり一発ブン殴っているだろう。
 そうしないのはやはり、そうまでしてしまうキャスターの事情を知ってしまっているからだ。腕を組み、心中でかつて無いほど呻吟し、ようやく豹馬はある程度の妥協をする事に決めた。
妥協とは双方に取って何とか折り合いの着けられる条件だから、最大限の譲歩とも言える。要するにこれ以上は譲れない、という話だ。

「……人間の魂を捕食するって話だが、俺からの供給はあるんだろう? そこを考慮してだな、普段の生活に支障が無いくらいに抑えてくれないか? やはり関係の無い人達を巻き込むのは後味が悪すぎる」

 この男の人生で果たしてこれほど悩んだことがあったのか、そう思わせる位に、豹馬の表情は苦渋に見ていた。断腸の思いなのだろう。キャスターも我知らず暗い面持ちになりながらも、豹馬の妥協案について答えた。

「早合点しないで。貴方からの供給が無かったら、という話よ。魔力が確保できた以上、そんな真似はしないわ。私にとっても、決して好ましい手段ではないし。第一ここはそんな大魔術が可能な霊地ではないわ。あのお寺なら可能でしょうけれどね」

 曖昧な笑みが浮かんでいるのを、キャスターは自覚した。

「……済まない。とはいえ他のサーヴァントがそうしない、なんて保証は無いか。あそこの寺を利用しようとする連中も出てくるんだろうな。そうしたら」

「多少なりとも不利になるでしょうね。この土地で最も優れた霊脈が通っているのはあのお寺と、住宅街の一角ね。多分住宅街の方は先住の魔術師のものでしょう。それにお寺は住んでいる人々に対して暗示を掛けるにしろ、始末するにしろ、手間も掛かるし、そういう用途に適した宝具か道具でもないとあまり効率は良くないわ。それに『キャスター』のクラスである私がここにいる以上、余程の魔術師でもない限りは聖杯戦争の短期間で大魔術を行使するのは難しいわ」

「寺には下宿でもさせてもらうか?」

 冗談めかした口調の豹馬である。

「戦闘になったら巻き込んでしまうわよ? でもそうね、暗示を掛けて聖杯戦争が終わるまで何処か遠方にでも出かけさせれば……」

 とブツブツなにやら言い出したので豹馬もあれま、とちょっと驚いた。ただ、他の魔術師達が目をつけて利用しないとも限らないし、寺の人達を他所に移しておいた方が結果的に彼らの為になるかもしれんな、と豹馬は考えた。直ぐに屁理屈か、と自嘲したが。
 自分の思考の世界に潜ったキャスターは直ぐに戻ってきた。

「そうね。ヒョウマ、お寺の人達に暗示を掛けて聖杯戦争の期間中は出掛けさせるというのはどうかしら? 仏教、だったかしら? は良く分からないけれど宗教の一種なのだし、修行に出かけたりするものではなくて? ああ、勿論街の人々から魔力を吸収したりはしないわ。――でもまあ、少し疲れを感じるくらいなら構わないかしら?――あの土地自体の魔力で色々と仕込むのには十分だから」

 魔力収集に関しては広く浅~く、他人の迷惑にならない程度に、他のマスターに気取られない程度に、ということである。ちなみに色々と仕込む、の辺りが妙に力が入っていた。<新宿>のマッドドクターやマッドサイエンティストめいた笑みである。あ、ちょっとキテるな、と思ったのは豹馬だけの秘密だ。

「う~む。まあそれぐらいなら、な。俺も文句は言わないよ。しかしそんなパパっと出来る事なのか?」

「そうね魔力を収集する為の基点の設置や暗示込みでも一週間も地道にやればどうにかなるわよ? まだサーヴァントも揃ってないし。準備の大詰め、という状況ではあるけどね。取り敢えずさっき言った現状確認を済ませてからお寺に行きましょう」

「じゃあ、何から始める、自己紹介か?」

「クスッ、それも良いわね。じゃあ私、つまり『キャスター』というクラスについて説明するわ。その名のとおりマスターである魔術師と同じ魔術を良くする者が宛がわれるクラスね。無論英霊が宛がわれるわけだから、現代の魔術師とは桁が違うと思ってもらって構わないわ」

「現代の魔術師ねえ……」

 豹馬の脳内に浮かんだのは、金勘定をしている太った女悪魔だった。振り向いた顔は脂肪をたっぷりのせた異国の五十女で、真っ赤な口内を覗かせて笑っている。<高田馬場魔法街>にその名も高きトンブ・ヌーレンブルクである。
 世界第一の姉ガーレンが逝去して以来、現世界最高の魔道士である。品性の卑しい事この上ないが、その実力は決して世界最高に恥じぬものを持っている。ただし人格実力共に優れ、他の魔術師からも畏怖と敬意を抱かれていた姉と比べると、品位と人品のよさに百倍ほどの格差がある、と目下の評判である。
 キャスターの言を信じるなら、魔法使い候補の一人とされる事もある、あの怪女より上らしい。ちなみにあくまで候補止まりである。というよりもトンブを知る者は大抵口を揃えて『姉のガレーン・ヌーレンブルクはともかくあの河馬が魔法使いだというのは何かイヤダ』という非常にお子ちゃまな否定意見を口にする。なんとなく豹馬もその気持ちが分かる。

「う~む」

 豹馬もトンブや、その秘書とでも言うべき少女の魔道の実力を知っているから、キャスターの方が桁違いに上、とはにわかには信じ難い。とりあえずは実力を見てから判断する方が良かろう。キャスターだって現代の魔術師をろくに知ってやいないだろうし。

「あと、『キャスター』は最弱のクラスと言われているの。これは聖杯戦争のほぼ全てのサーヴァントが“対魔力”というスキルを有していて、高い魔術防御能力を持っている所為ね。その分、『キャスター』には自分に有利な場を作る“陣地作成”、マジックアイテムを作る“道具作成”のスキルがあてがわれているわ。理想論としてはあのお寺に陣地を設けて、貴方に対サーヴァント用の道具を持たせて置きたい所ね」

「焦らずゆっくりやれば良いさ。急ぎ仕事より腰を据えた方が良い結果を出せるからな。じゃあ俺の紹介と行くか」

 豹馬の唇が吊り上り、ミニマムサイズの白い槍と見まごう歯並が覗いた次の瞬間、ゴウっと風がキャスターの顔を嬲り、豹馬の姿が消えた。物体が高速で移動した際に起きる空気の動きだ。
 声はキャスターの背後から聞えた。

「ご存知の通りの“豹憑き”。足と腕っ節には自信があるぜ?」

 風に煽られて乱れた髪を整えつつ、キャスターは返事をした。

「ええ、ランサーと互角だったのには驚いたわ。頼りにしているわ、マスター?」

「任された」

 そう言って、豹馬はまた、ニッと陽性の笑みを浮かべるのだった。男児たる者かくあれかし、の一つみたいな笑顔であった。
 そして数日が経った。その間に豹馬はせっせと気功法に励んで魔力を不純物交じりで供給し、キャスターは使い魔をあちこちに飛ばしたり、お寺に足しげく通って地道に暗示を掛けたり、霊脈のおこぼれを何とか集められないか、と苦心したり(いざというときの保険として)、豹馬の持っていた黒い手袋を色々と改造したり、と大忙しだった。

 いくつかその過程をここに記す。

 お寺に日参する形になったキャスターと一緒に柳洞寺(という名前だった)に入り浸る内に、ある日、妙にキャスターがそわそわしている事に豹馬が気付いた。今までは柳洞寺の、古刹の醸し出す厳粛さと清廉さとが混じり合った雰囲気、芳醇な生命に満ちた“気”に惹かれていた為、直ぐには気づかなかったらしい。

「良い男でもいたのか?」

 と冗談めかして言ったら

「そそ、そんな事はないわよ?!」

 図星だったらしい。お、と面白そうなおもちゃを見つけた顔になって、豹馬が追及の手を伸ばした。別段、二人の間に確固たる恋愛感情があるわけでも無し。一度や二度寝た位で恋人を気取る程子供でもないし、第一そういった感情を挟まずに行った行為だったのだ。
豹馬は、聖杯戦争が終われば消え行く身であろうと、偽りであろうとも“生”を謳歌するのはやぶさかではあるまい、と思っているし、極論すれば一秒後に確かに生きている保証など無いわけだ。“命短し、人よ恋せよ”と謳った古人に習ったわけではないが、それに近い心情であった。

「で、誰なんだい? 君の目に止まったナイスガイは?」
 
 うりうり、と肘でキャスターを小突きながら、毛糸玉を前にした猫のように楽しそうに尋問を続ける。キャスターは真っ赤になりながら、あっと声を挙げて柳洞寺名物の長い石段を上がって来た男に眼をやった。
 長身痩躯の、三十代半ばか後半の男だった。削ぎ落としたかのような頬に、纏う雰囲気の希薄さが幽鬼の様な印象を与える。眼鏡を掛け、スーツをきっちりと着こなし、手に提げたカバンという身なりはサラリーマンとも取れる。
 最も豹馬は、んなわけないな、とゴチていた。アレだけ長い階段を昇りきって寸分も狂わぬ呼吸、呼吸自体のリズム、深さ、息を吸う時と吐く時の、理想とも言える間。重心の移動、連続する足取りの見事さ。
 そして何より、その男からは発せられるべき“気”が異様に少ない、というよりは希薄であった。枯れた古木、機械仕掛けの人形、そんな印象を抱かせる男だった。それだけで済めばまだ良かったかもしれない。染み付いた血の匂いが、かすかに匂わなければ。

(こりゃまた問題がありそうなのに惚れたな)

 一瞬、豹馬と男の目が合い、何事も無く離された。強い、徒手空拳を用いる暗殺者と対峙した時の感覚に近かった。つまり、気配の希薄さ。達人であってもこの男がその気になれば傍に立たれても直ぐには気づけまい。おそらく初見で戦うには厄介な相手だろう。豹馬も似たようなものだが。
 キャスターが控えめに笑みを浮かべて、おずおず男に近付き何事か話しかけた。男の方は鉄仮面のような無表情のままで受け答えをしているようだ。この間はどうも、とか何とか、差し障りの無い世間話の類であろう。
 戻ってきたキャスターに声を掛けた。

「どういう人なんだ?」

「……前に来た時に案内していただいたのよ。何というか、誠実な方ね。とても丁寧に案内してくださったの。真面目そうだし……まだお名前も存じ上げないのだけれど」

「ほほう。何なら彼だけここに残すか?」

「………………ウフフ………ハッ!? そ、そうも行かないでしょう。私たちがここを拠点としたら戦場になるわ。そうしたら関係の無いあの方に危害が及んでしまう」

 長い間の間に何やらよろしくない妄想に浸ったようだが、流石に自力で正気を取り戻したようだ。ふと、キャスターの二度目の生を願って、彼とうまくいくよう努力させてみるのも、この不幸な女の為になるかもしれない、と豹馬は思った。
 男と話しているキャスターの顔は、まさしく輝いていた。恋をしている女の顔だった。まだ豹馬では浮かばせる事はできない顔だ。それに豹馬の胸の中にも、まだある女性が生きている。

 概ね魔力収集および陣地作成の下準備は良好と言ってよかった。次に、豹馬の戦力強化に話を動かそう。

 水月豹馬、“豹憑き”、<新宿>一の用心棒、通称ザ・パンサー。瞬間的な移動速度は音速を易々と超え、通常の移動速度も時速百五十キロ位なら軽いジョギングみたいにこなす。 
豹のような姿勢や、ボクシングのセミ・クラウチの姿勢を取る事が多いが、特定の武術を用いる事は少ない。その身体能力を生かした三次元的な機動と、魔豹の威力を秘めた手足こそが最も強大な武器だろう。
並みの拳銃弾位なら、頭と心臓以外の箇所を撃たれたとしても放って置いても半日で肉が盛り上がり、傷を塞ぐ。ただし同類の“憑き人”との闘いの場合は普通人レベルにまで治癒能力は落ちる。どうもサーヴァントを相手にした時も似たようなダメージを負うのか、ランサーとの闘いの負傷は、ランサーの槍の呪いを考慮しても治癒が遅かった。

以上のことを踏まえて、おそらくはサーヴァントとも真正面から戦える極一部の超人・魔人の一人だ。
そういう意味ではキャスターは豹馬と契約を結べたのは幸運と言えたが、逆に常に前に出て戦うタイプの豹馬だと、サーヴァントと出会う度にマスターを失うリスクを余計に背負わなければならないのが問題だ。
勿論権謀術策を尽くす、というか尽くさざるを得ないタイプのキャスターとしては、可能な限りリスクを減らす手段を講じていた。
その一つが、豹馬に持たせた幾つかのマジックアイテムだった。まず、一小節程度の魔術と遠隔地からの精神干渉ならキャンセルするタリスマン。せっかく作ったら<新宿>製の護符を持っていて、効果がものの見事にダブったが、まあ気にするほどではない。今は紐を通してチョーカーみたいにしている。
次に、サーヴァントと戦う上で忘れてはならない宝具という存在だ。サーヴァントが多くても2~3しか有さない、抑止が英霊に死後も所持を許した幻想の具現。英霊を象徴する魔具共。
その全てが必ずしも殺傷能力を有した武器とは限らないが、身一つで戦わねばならぬ豹馬の場合、宝具を受け止める事のできる様な代物がないと、かなり戦いにくいだろう。
元々敵の攻撃を受けたりいなすよりは完璧に回避してみせるのが、豹馬のスタイルだが、咄嗟の瞬間に選べる選択肢は多い方がよいだろう。
そこで用いられたのが豹馬の持っていた、指先に穴が開いた黒い皮手袋だった。元々愛用の品だし、下手に新しく何かを作ってそれを使いこなすのに時間を割くよりは、という配慮だった。
豹馬から手袋を借り受けたキャスターは、その手袋がまとう妖気めいた力に、すこしばかり感心した。
バンサーという職業柄、豹馬が普段から妖物や、魔道士、<新宿>の妖気に侵された狂人達の血を吸わせ、それ以前に各地で倒した同類の“憑き人”達との死闘の成果か、すでに手袋にはある程度の霊的存在に対する干渉能力が備わっていたのだ。“豹憑き”という神秘プラスこれなら、サーヴァントにも十二分な殺傷能力を示したのも頷けた。
手袋の内側と表面にミリ単位で魔術文字を地道に刻みこみ、四次元ポケットじみたローブから取り出した秘薬を用いた特別な錬金加工、精魂込めて施した強化魔術と魔力付加の成果は、Cランク程度の宝具なら問題なく受けられる、という性能だ。
流石に真名解放し、その能力を全開にされると、Bランク宝具以上は一合交わすだけで壊れかねない。保って三合だろう。Cランクでも八合辺りが限界、とはキャスターの談だ。
これに関しては、強化と保護の魔力を膜の様に重ねてコーティングし、壊れた端からキャスターから魔力を自動で補充し再構成する、質より数という方法を取っている。
それだけ宝具とはとんでもない代物なのだ。まあ、単純な破壊力なら科学兵器の方が上の代物がゴロゴロしている昨今だが。
また、元々ランサーとタメを張るだけのスピードを有する豹馬が、魔法を知らないだけで能力は魔法使い級のキャスターによって強化された為、戦闘能力もかなりの向上が見えた。
こうして、陣地作成、道具作成、そしてキャスターというクラスの特性を活かしながら、二人の準備は着々整っていた。後は、敵と遭遇し、これを撃破するだけだ。
そして、暦は二月に入った。吹き荒ぶ寒風に身を晒し、起き抜けの顔を冷水で引き締めた豹馬の姿が、キャスターの暗示が功を奏しちゃっかり居座った柳洞寺の境内にあった。

「水月さん」

「お、一成くんか、おはよう」

「おはようございます。朝餉の用意ができましたので、どうぞ」

 豹馬に声を掛けて来たのは、この寺の子で、柳洞一成という少年だ。端麗な容姿に目元の眼鏡が涼やかな雰囲気と厳粛な性格を滲ませている。豹馬から見ればまだまだ青い少年だ。ビバ暗示、という位キャスターの暗示が効果を発揮し、今では豹馬とキャスターを下宿人として認識している。

(そろそろ避難させた方が良いか)

 そう思いながら、豹馬は朝飯を食べに足を進めた。

「宗一郎様。どうぞ」

「感謝する」

「ああ、そんな、もったいないお言葉ですわ」

「……」

 振り撒かれるピンクのハートを無視しつつ、豹馬は白米を口に運んだ。当初は外国の美女という存在に色めき立った柳洞寺の微妙に生臭な坊主連中も、流石に辟易したのか慣れたのか、黙々と食っていた。……いや、キャスターがあの幽鬼のような男の名前(葛木宗一郎というらしい)を呼ぶ時にどうやら自分の名前に変換して妄想しているようだ。一部の連中の口元が時々デレっとなる。
 生活や修行自体は厳格・厳粛・厳正なのに、妙に俗人なこの連中を豹馬は苦笑いしながら気に入っていた。キャスターは自分の膳に端をつけずに、黙々と箸を進める宗一郎の様子を、幸せそうに眺めていた。何が嬉しいのかと聞く人がいたら、愛する人の傍に居られる、これ以上の幸せがあって? と答えが返ってくるだろう。
 ちなみに二人は、キャスターが外国の資産家の娘で、二本の神社仏閣に興味を持ち、ボディーガードを努める豹馬を案内人に日本に来た、という事にしてある。
そして柳洞寺の佇まいを気に入ったお嬢様=キャスターが、多少無理を言って宿泊させてもらっている、というシチュである。ついでに言えば、旅先で出会った男に一目惚れした、というオマケつきで。

「行ってらっしゃいませ、宗一郎様。一成君も十分に気をつけるのよ」

「では行ってくる」

「それでは」

 と山門で二人をキャスターが見送った。一成は穂村群学園という高校の生徒で、宗一郎は其処の学園の教師であるらしい。誰にも等しい反応しか見せない葛木は、ある意味で最良の教師なのかもしれない。

「しっかり新妻だな」

「ななな、け、気配を消すのは悪趣味よ!?」

「消してないって」

 朗らかにに苦笑した豹馬がキャスターの背後にいた。慌てた表情を必死に引き締めてから、キャスターがサーヴァントの顔をして、目配せする。

「動きがあったか?」

「昨日六騎目の召喚を確認したわ。もうすぐ始まるのよ、聖杯戦争が」

「俺たちはどうする」

「数が減るまで動きを見る、というのが妥当なのだけれど……そんな性分じゃないでしょ?」

「良く分かってるじゃないか」

 にっと豹馬が笑う。ウキウキした様子に、キャスターが諦観と諦めの混じった溜息を突いた。ま、死んでも直りそうに無いから割り切って考える事にしたが。そろそろフラストレーションが溜まっている頃じゃないかな、と見当をつけてもいた。

「そろそろ腕が鈍りそうでどうしようかと思っていたんだ。ようやく思いっきり動けそうだな」

「まあね。大まかな動きは、この街程度の範囲なら私の遠隔視と使い魔達からの情報で把握しているわ。……討って出る?」

 止めても無駄な気がしたので、キャスターはむしろ誘う事にした。豹馬は眼を輝かせて

「ああ、俺たちのコンビの初陣だな」

 と言った。沸き立つ“憑き人”の血の所為か、咽喉から唸り声が漏れている。

「そういえばそうね。それじゃあ勝利で飾るとしましょうか」

 豹馬は頼もしく笑ってから一言。

「勿論だ」


 柳洞寺に下宿し出したのはつい数日前だから、まだ拠点にしている事はばれていないらしいが、念のため、と無数に張り巡らした攻性結界や、侵入阻害型結界などを再チェックしてから寺を後にした。どうも柳洞寺には元から霊的存在に対する非常に高度な結界が張られており、サーヴァントでも無理に侵入すれば、ステータスダウンか、行動不可能になりかねないほどだ。
 豹馬と連れ立って探索に出たキャスターは霊体化している。音も無く、豹馬は冬木市の娯楽や流行の先端を担当する新都の街中を歩いていた。

(で、位置の分かるマスターかサーヴァントは居るのかい?)

(…………捕捉したわ。直線距離で二百メートルと言った所かしら。黒髪を両脇で垂らした女の子よ、今イメージを送るわ。……後少しで其処の角から出てくるわよ。どこで仕掛けるの?)

(そうだな。この先の公園なんかどうだ。人払いをしておいてくれないか?)

(分かったわ)

 キャスターと別れた豹馬は、鼻歌を口ずさみながら、ジャケットに両手を突っ込んでまっすぐ歩いた。キャスターと念話の要領で共有した相手の姿を、改めて確認し邂逅するのを待つ。
 過ぎ行く人ごみの中を歩き、やがて直ぐ手前の角から姿を見せた。サーヴァントはキャスター同様に霊体化させて連れているのだろう。
 まだ若い。高校生と言ったところだろう。魔術師の場合は外見=年齢とは必ずしも行かないが、発する溌溂とした生に満ちた活力は、偽りではない本物だ。若さと言う名の特権の一つという奴だ。
 平均くらいの身長で、着た赤いコートに隠れて身体のラインは確認できないが、歩く動作、時折周囲を見回す仕草一つとっても絵になる美少女だった。親ならば娘の行く先を楽しみに、恋人ならば自慢にしたくなるようだ。
 つぶら、というよりは意志の強さを認められる少しキツ目の翡翠色の瞳。その上に楚々と茂る眉は控えめな自己主張で、瞳の色と輝きを鮮やかに際立たせている。顔の中心で見事なラインを一筋走らせている鼻梁。
瑞々しさと血色の良さに支えられて柔らかな弾力を味わえそうな白桃のような頬。首の上に座する顔の輪郭を形作る線は名人の筆が描いたものだろう。閉じられた唇は薄い貝殻を合わせたかのように儚く、紅色に染まっていた。
若干ウェーブしている黒髪は、陽光を燦然と煌めかせながら頭の両脇で黒いリボンで結わえられ、背中にも水に流した墨のように下ろされていた。
あの子か。と豹馬は心中で一つ確認し、ちょっとしたイタズラを思いついた。真正面から聖杯戦争のマスターだな、と聞くよりは面白そうだ。ニヤッと悪ガキの笑みを少しの間浮かべ、そしてその姿を消した。
突如吹いた風に、遠坂凛は、目を瞑り手を挙げてカバーした。周囲の人間も何の脈絡も無く吹いた強い風に驚いているようだった。もう、と軽く怒った様子で乱れた髪をかきあげ、ふと何か足りない事に気づいた。

「あれ、リボン?」

 左側の髪を纏めていたリボンが無いのだ。困惑する凛に、敢えて抑えたかのような、低い声が掛けられた。まだ若く三十にはなっていまい。ただし声に含まれる成分は鉄だ。凛のサーヴァント、アーチャーである。勿論念話なので、声に出してはいない。

(凛、敵だ。後ろの男がすれ違いざまに君のリボンを取って行った。大胆な事をする)

 アーチャーの指摘に、驚愕の顔つきを押さえ、凛が背後を振り返る。ざっと二メートルほど離れた所に凛のリボンを左手に持った水月豹馬が居た。

(く、こんな所で? アーチャー、あいつのサーヴァントは)

(近くに気配は無い。おそらく別の場所で待ち伏せているのだろう。どうするね? 今ならサーヴァントを呼ばれる前に片付けられるかもしれんぞ?)
 
(まさか、仮にも管理者が余所者一人排除するのに白昼堂々、街中で殺人事件を起こすわけにも行かないでしょう。それに丁度良いわ、貴方の実力、確かめさせてもらうわよ? 最強のサーヴァントさん)

(ふっ、勇敢なマスターだ。サーヴァントの手綱を操るのもなかなかどうして、上手いものだな)
 
 皮肉的と言うか、素直ではないと言うか。

(あら、英霊様に褒めていただいて光栄ですわ)

天晴れな返しの言葉に、アーチャーは我知らず苦笑を刻む。と言っても誰も見ることは適わないのだが。豹馬がリボンをヒラヒラさせながら凛に目配せをした。ついて来い、とその目が語っている。凛はためらわずその後を追った。

(気を付けろ、凛。あの男の身のこなし、サーヴァントでないというなら余程の武闘派の魔術師か、あるいは魔術師に雇われた闇の世界の住人だろう)

(聖杯戦争のマスターが雇った傭兵、って可能性ね。それだと三対二、或いはそれ以上に数の上で不利になるかもしれないわね。脱出路の確保にも気を配らないとか)

 やや早歩きの速度まで上げつつ、凛は一定の距離を保ったまま豹馬の後に続いた。到着したのは何の事は無い、新都にいくつかある公園の一つだった。公園の入り口に差し掛かった時に感じたささやかな違和感は、おそらく人払いの結界であろう。最低限のルールは心得たマスターらしい、と凛が分析する。
 そのまま少し歩いて、大体公園の中央らしい所で豹馬が歩みを止めた。砂場やシーソー、ベンチには人影は無く、人の気配や匂い、交わす声も無い。キャスターの人払いの結界はきちんと機能しているようだった。
 凛から掠め取ったリボンをベンチに置き、そこから三メートルほど離れた所で歩みを止める。豹馬に遅れる事数秒、凛が警戒も露に豹馬をねめつけながら、リボンの置いてあるベンチまで歩いて、罠の有無を確認してからまたリボンで髪を結わえた。無論、この間アーチャーが豹馬を警戒している。

「随分と大胆な真似してくれるじゃない? 良い度胸してるのか、それとも愚鈍なだけなのかしら」

 やや貧しい胸を反らして凛が小生意気に豹馬に挑発めいた言葉を掛けた。本人自身安い挑発と自覚しているが、様子見程度としてはこの位だろう。果たして豹馬は軽く肩を竦めただけだった。

「どうとでも取ってくれ。それより、君、マスターだよな? 一応俺もサーヴァントを預かる身でな。こうして顔を出した理由は、言うまでもないよな?」

「呆れた。正々堂々、ってわけ?」

「そういう性分なのさ」

「その割りにサーヴァントは隠しているようだけど?」

「口が達者だな」

 苦笑を一つ刻んで豹馬が、声なき声でキャスターを呼んだ。キャスターは多少渋ったが、まあ豹馬の性格なら仕方ないか、とその背後に姿を現した。豹馬と出会った時と同じローブに、深くフードを被っている。

「それが貴方のサーヴァントってワケね。見た感じだとキャスターかしら?」

(仕掛けるぞ、凛)

(OK。私はバックアップに回るわよ)

 ゆらりと、凛の前方の空間が一瞬だけ、真夏の日の陽炎のように揺らめき、白銀の髪と赤いコート、褐色の肌を持った男を産み出した。サーヴァント・アーチャー。弓騎士だ。
それなりの魔術防御のスキルを有しているからキャスターにとって相性のよろしい相手ではない。しかし弓兵でありながらアーチャーは無手で豹馬とキャスターに迫るではないか。
 キャスターと、マスターである凛さえも訝しげに眉を寄せていた。アーチャーの狙いはキャスターよりも近い位置に居る豹馬。マスターを狙うのは定石だ。ただし非力なはずのキャスターがわざわざマスターを危険に晒している以上、警戒を怠るわけに行くまい。勿論、豹馬がマスターではない可能性だってあるのだ。
 アーチャーのまとう、数十枚存在する聖骸布の内いずれかを加工したコートの赤が、午後の陽気に殺気を孕んで翻る。アーチャーが人外の速度で豹馬に迫り、一足一刀の距離まで来た所でその両手に確かな質量を産み出した。同時に、豹馬の姿が掻き消える。
 凛とキャスターの目には映らぬ高速の移動を、唯一アーチャーのみが捉える。指先に穴の開いた手袋を嵌めた豹馬の右手がフックの要領でアーチャーの顎先目掛けて閃き、更に踏み込んでかわしたアーチャーのこめかみをかする。
 パッと小さく赤い花が咲き、それが萎れるより早くアーチャーの両手から黒白の剣光が交差する蛇のように豹馬へと走る。双頭の蛇の如き斬撃に捉えられるより早く豹馬はスウェーバックで仰け反りながら避けて、不安定な姿勢から変形の横蹴りをアーチャーの土手っ腹目掛けて繰り出す。
 果たして魔豹の威力と稲妻の速さで走る一撃はアーチャーの左手に持った刀剣の腹と、立てた右肘で受けられた。
アーチャーの身体が勢い良く吹っ飛び、三メートルほど斜め上空に滑空した所で、身を捻って勢いを殺しアーチャーが着地する。足を下ろし、セミ・クラウチに構えた豹馬の右足のジーンズの生地が、切り口も鮮やかに切れてぷくりと血の玉を結ぶ。
 豹馬の表情が輝いた。強敵に対する愛に溢れていた。血が沸き立っていた。
 内心驚愕を秘め、アーチャーが目の前の強敵に対する分析を始める。予想外の強敵の出現を、アーチャーは冷ややかに受け止めていた。
 凛はキャスターに対する警戒の意識を一瞬逸らした。アーチャーと豹馬の闘いに目を奪われて。
 キャスターは、凛が余計な手を出さない用に注意を払いながら、静観を決め込んでいた。豹馬と事前に話し合った結論である。ただし手を出さないのは今回とランサーとの再戦だけ、と念を押している。

「アーチャーなのに剣を使うのかい?」

 好奇心を隠さぬ豹馬であった。アーチャーの両手に、白と黒の刀身を持った同じ造りの刀剣が握られていた。幅広で、両刃かつ反った刀身だ。柄と刃はまるで一体になったかのようなデザインだった。おそらくはアーチャーの宝具であろう。
『アーチャー』と言うクラスに相応しからぬ宝具だ。ひょっとしたら遠距離戦に適した使い方があるのか、或いは投擲の武具なのかもしれない。深読みはアーチャーの思う壺だろう。

「何、生前色々と試したのでね。君こそ尋常な人間では無さそうだな。その速度、まとう闘気、まるで獣だ。獣人か何かかね?」

「ま、そんなもんさ」

 アーチャーの弄する言葉は、数多に存在する可能性を更に絞るべく用いられている。闘いの中に放つ言葉一つとっても、この弓兵にとっては敵の情報を得て勝利を勝ち取るべく最大限に駆使すべき武器であった。時に挑発を持って怒りを誘い、時に愚昧な言葉で油断を誘い、時に無意味な話で時間を稼ぐ。
 豹馬が下肢をたわめ、鋼の硬度とバネの反発力を併せ持った筋力を解き放つ。約マッハ二・五で跳躍した豹馬の姿を、やはりアーチャーのみが捕捉する。化鳥のように飛翔し、豹の様に踊りかかる豹馬が左腕をアッパーの要領で振るい、アーチャーは交差した腕で受け、防ぐと同時に勢い良く左腕を押し返して空中の豹馬のバランスを崩す。
 姿勢を崩した豹馬が立て直すより速くアーチャーの左腕に持たれた夫婦剣“干将・莫耶”の刀身が翻った。斜め十時に交差する夫婦剣の光芒の先に、しかし豹馬の姿は無かった。アーチャーの背後の空中に、豹馬は居た。
 ランサー戦で見せた、三次元的な機動を可能にする筋肉のバネであった。魔豹人と弓兵の一撃が、殺気を交えて交差した。
 ベロッとアーチャーの右頬の皮が剥がれて、赤黒い筋肉を血に塗れさせて覗かせる。わずかに反応が遅れたなら、右頬を丸ごと持っていかれただろう。豹馬の右首筋、頚動脈からわずかにずれた場所に一筋の線が走り、シャツを朱に染めつつあった。後三ミリずれていたら頚動脈を掻っ捌かれていた所だ。
両手両足を地面に付けた姿勢で着地した豹馬を見て、凛とアーチャーが正体を看破した。

「獣人、違うわね。ホーンテッド?」

「なるほど、貴様も人の領域は超えているというわけか。それにしてもサーヴァントと渡り合うとは、いささか自信を失いそうだな」

「褒めるなって。にしても、遅いが速い、鈍いが鋭い、弱いが強い、か。厄介な相手だな、アンタ」

 アーチャーはおそらく基本的な能力自体はさして優れてはいまい。ランサーと比べたら見劣りする部分がいくらかあるというのが、豹馬が短い時間の間に感じ取った感想だ。だが、それを補って有り余る技量を有している。故に遅いが速い、鈍いが鋭い、弱いが強い、と評したのだ。

「口元が笑っているぞ」

「強敵の出現、男なら燃えるシチュエーションさ」

 呆れたような光をその瞳にアーチャーは浮かべたが、なんとなくさもありなんと納得して干将・莫耶を構えた。目の前の男が心底そう思っているのが、言葉を交わさずとも伝わってきたからだ。
 一度だけこちらを見守る凛に眼をやり、キャスターがどうやら静観を決め込んでいるらしい事を確認する。目の前の男なら余計な手出しはさせそうに無い。おかしな話だがアーチャーはある意味で豹馬を信用していた。拳という奴は時に言葉より何百倍も相手を理解する役に立つ。

「行くぜ」

「好きに来たまえ」

 静かに闘志を燃やす豹馬の声に、冷ややかな、しかし笑みを含んだアーチャーの返事がぶつかった。



「ま、今日はここら辺でお開きということで」

 そう締めくくろうとするバーテンに、客が少し不満を垂れた。

「まあまあ、話ってのは良い所で終わらせるのが次回の楽しみに繋がるんですよ」

 とウインク一つして誤魔化す。まああながち間違いではないが、楽しみにする方としてはたまったもんじゃない。客が続きをせがもうとした時、あの妙齢の美女が慌てた様子で置時計に眼をやって足早に店を後にした。その様子に、客は関心を移した。

「ああ、彼女の旦那を迎えに言ったんですよ。いじらしいもんでしょう? 毎日欠かさずですよ。ま、今日はちょっと遅刻かもしれないけど」

 肩を竦めるバーテンの様子に、客は肩の力を抜いてマティーニを注文した。ま、楽しみは後に取っておくかと考え直したのだ。バーテンは注文を復唱し、夏の日のそよ風の様に気持ちいい笑みを浮かべて、わずかな間を置いてマティーニを客の前に置いた。

おしまい



[11325] その9 退魔針 × Fate
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/05/23 19:48
その14 『退魔針』


「やれやれ、まだ働かせる気かね? 世界一の大国も人材不足と見える」

「そう言わないで下さいよ。僕としては貴方とご一緒できて嬉しい限りなのですが。あまりこういう事は言いたくありませんが、今貴方がそうしていられるのは、さて誰のお陰でしょう?」

「海辺の町での一件ではまだ足りないと言いたいのかな?」

「わお、そんな風に僕を見ても駄目ですよ。ああもう、心臓が止まるかと思いました。ご自分の顔の凄さを知らないんですか? ……いや、貴方なら分かっていて利用しますね。っと、少し話がずれましたね。僕に幾ら言っても駄目ですよ。そーいうのは偉い人達の決める事ですからね」

「ふむ。それもそうか、下っ端に話を通そうとしても無駄だな。では、いつかその偉い人達と膝詰め談判せねばなるまい」

「あー、何か企んだ顔をしていますよ。あまり手荒な事はしないで下さいよ。いくら貴方でも敵に回すにはちょっと厄介ですよ」

「“ちょっと”だけ、か。評価されているのかいないのか」

 不満を述べる男と、それを説得する者との会話の一部である。声の響きからして二人とも男。不満を垂れているのは、成人男性らしいが、まだ若く二十代をさして超えていないだろう。しかも飛び切り美しい青年に違いなかった。声を聞くだけでそれと分かるほどに。
 もう片方は、透き通った様に高い声の少年のようだ。ただし年齢に比した精神の主かは分からない。二人は親しみがある様な無いような、微妙な声音で会話をしている。
 最初に嘆息を漏らした青年は、どうやら少年の所属する組織か何かに借りがあるらしく、それの完済ないし、借りを返した状態について両者の間で解釈の違いがあるようだ。今回は青年が折れる形となったが、偉い人云々のくだりの語調からすればタダでは済まさないつもりの様である。
 それを聞いた少年が、一瞬冷や汗を掻くほどよからぬ言い方だ。相当に癖のある人物らしい。
だがそれも無理からんことではあった。目の前の青年は、軍事衛星を利用した中継回線の大統領専用の回線を扱う権限さえも持っている。
それとても底力の一端だけだ。おそらくは全世界規模のネットワークを持っていると、少年の所属する機関も、全容が把握できずに推測するに留まっている。
 二人のいる空間にスイッチを押す音とヴウンという音が重なり、二人の目の前に立体スクリーンによる映像が展開された。操作をしているのは少年の様だ。

「今回のお仕事は、西日本のとある街で行います」

「ふむ」

 次を促す「ふむ」である。それでさえも芸術の創造に悩む若き芸術家の憂愁の溜息を思わせた。美しいという事はやはり役得らしい。いや、一つ訂正しなければなるまい。飛び切り美しい、だ。

「多分、大摩さんも名称くらいは聞いた事があると思いますよ。○×県冬木市で二百年程昔から行われている大規模魔術儀式」

 浮かべた微笑を深くして言う様な、底意地の悪い相手を試すような口調であった。中々どうして、少年の方も癖のある性格のようだ。

「たしか、聖杯戦争だったか。妖流の縄張りでそのような事をするものだから、ひと悶着あったと家の記録で読んだ」

「ええ、妖流は仮にも夜狩省の末裔。その気になれば日本の大抵の退魔組織や、古来の宗教団体に呼びかけられますからね。当時、遠坂・マキリ・アインツベルンと霊的戦争に発展しかけたそうです。まあそうならなかったのが現実ですし、妖流の信条も争いにならなかった理由でしょうね。ちなみに魔術師側はどの一族も戦闘には向いていないそうですから、魔術協会三族対日本退魔組織連合、ガチンコでやったら、今回の僕達の手間は省けたかもしれませんね。それも相手に魔法使いのお爺さんさえいなければ、の話でしょうが」

「“楽して儲けよう”。妖流の悪い癖だ。利益にならない戦いはしないという事だろう、先祖伝来らしいな。そういう因縁アリ、か。では今回も彼と鉢合わせするかもしれん」

「どうでしょうね? まあ不思議と縁がありますし、世界に三人しかいない退魔針の使い手が勢ぞろいするかもしれませんね。では、仕事の内容に話を戻しますよ。今回僕らの役割は、聖杯戦争の要である聖杯の確保です」

「確か、“英霊”を使い魔として用いる代理戦争だったな。裏の世界では有名な話だ。聖杯を確保する事で、その英霊召喚のシステムを解析して自前の戦力にしたい、といった所かな? 1990年代に入ってから積極的に取り組み始めた超自然兵士の開発の一環か。この前は海の底に住まう古き魚人、その前は真性の鬼の王、今回は人類の歴史に名を残す英雄達。君もご苦労な事だ」

「はは。まっ、仕事ですからね。それと偉い人達の考えは、半分はそうです」

「半分?」

「ええ、残り半分は秘密です。今回も冬花家の時同様、情報は入手済みです」

 つらつらと饒舌な少年の話を、大摩と呼ばれた青年の、美しくも皮肉っぽい声が遮った。タイミングを狙ってやったのか偶然かは分からない。大摩を知る者に聞けば、前者と言うだろう。

「地上三万八千キロの偵察衛星や、地平の彼方のフライング・ソーサーから照射した千分の一ミクロンのレーザービームで開けた穴を、同じく偵察衛星の光学レンズと電子カメラで覗き見か。手段を選んだらどうだね」

「選ぶって、どうですか? 参考までに聞かせてください」

 ちょっと拗ねた様な、そのくせ好奇心を隠さぬ調子である。よほど大摩に対して好意を抱いているか、興味があるらしい。憧れにも似ている感情の動きである。

「人間誠意を持って話をすれば通じる。それと私は、覗きはしない」

「後半はともかく、前半についてはご自分でも絶対信じてないでしょう?」

「さてね」

 ぎゃふん、となりながらも、少年は気を取り直して話を続けようと試みた。まずは、こほんとわざとらしい咳をひとつ。

「では、今現在掴んだ情報に付いてですが、まず聖杯戦争を始めた三つの家系の一、アインツベルンは、このイリヤスフィールという少女をマスターとしてバーサーカーを召喚しました。正体はギリシャ神話のヒーロー、ヘラクレスです。アインツベルンは前回の時も、何とアーサー王伝説に出てくる聖剣エクスカリバーの鞘を発掘したそうですからね、気合が凄いです。ま、そのくせ一度も聖杯を手に入れられていないんですから、どこかネジが抜けているんでしょう」

 少年の操作に合わせて、画面に銀色の髪と赤い瞳が目を引く、純真無垢なおとぎの国の妖精のような十歳と少し位の少女と、その傍らの二メートル半はあろうかという鉛色の眼光凄まじい半裸の巨人が映し出される。
 少女がイリヤスフィール、巨人がバーサーカーことヘラクレスであろう。

「ヘラクレス、“ヘラの栄光”。生前は不遇の半神か。子供の頃見たきりだが、○○ズニーのヘラクレスは案外似ているな」

「そうですか? 服装は、まあ似ていなくもないと思いますが」

「まあ冗談は置いておいて、モニター越しにも神気が見えるほどのレベルか。流石、最高神の子というべきだな。これなら凡百の魔性は幾千集っても歯が立たん。どころかこの神気ひとつで滅びかねん」

「全くです。ところが生憎と戦闘はいまだし、なので能力は不明です。狼とひと悶着あったみたいですが、まあ人間が軽くミンチになる怪力と外見にそぐわぬ敏捷性程度しか分かっていません。後でその時の映像をお見せしますね」

「随分と控えめな戦闘能力だな。隠し玉に気を付けなければならんか」

 彼らの戦歴からすると、さして珍しくも無く気張るほどの相手でも無さそうだ。もっとも聞くのと実際に体験するのとでは、天地ほどもかけ離れているだろう。

「ですね。彼らは現在冬木市郊外の森にある城にいます。次にマキリ。ここは蟲がやたら多いですから、我が来須流のカモですね。現在は高校生の兄妹ふたりが住んでいるという事になっています。戸籍上は」

「黒幕か」

「はい。マキリゾウケンという老人が真の支配者です。驚くべき事に五百歳以上を生きているスーパーおじいちゃんです。六代前の魔術師だとか。聖杯戦争の創始期の一人らしいですから、色々と裏技を知っているかもしれません。気を付けて行きましょう」

 といった具合に、少年――来須の所属する組織が調べ上げた今回の聖杯戦争に関する情報が次々と大摩の眼に映されて行った。彼ら二人の他に気配の無い部屋に、黙々と作業をこなす来須と淡々と見つめる大摩の、時折交わす会話のみが響いた。

「さて、こんな所ですね。では後は現地で行動を起こすのみです」

 ブツン、と音を立ててスクリーンが閉じ、一瞬の暗がりの後に灯りが点けられた。退室しようとした時、ふと、大摩がこんな事を来須に問いただした。

「今回も、いざ失敗となったら空からボン! かね?」

 以前、二つの異次元との侵略と侵攻に関する争いで、来須は任務失敗の折に核爆弾の投下を連絡した前科がある。皮肉にも核爆発を防ぎ、大摩達を救ったのは最大の敵であった。今回も同じ後始末の方法をするのかと問う大摩に、

「どうでしょう?」

 と来須は天使のように愛らしい笑みを浮かべるのだった。ただしこの天使は天使でも堕天使らしかった。



 冬の風が吹き行く道路に、場面は移る。アスファルトで舗装された道路の上をコロコロと茶褐色の球体が転がっていた。靴の先で止まったそれを、伸びた手が拾い上げた。傷一つ汚れ一つ無い手が掴んだ球体はタマネギ。
 ビジネススーツをピシリと着こなし、赤いネクタイを締めた十代の少年が、指の主であった。
赤みを帯びた頬と、雪花石膏の様に木目細やかで白い肌、スッキリと整えられた鼻梁とその先の小鼻、ほんのり赤を刷いたような唇に湛えられるのは見惚れてしまうような微笑。世の女性が万遍なく陶然と見惚れる美少年である。
 自分の向かいに立つ少女の影に向かい、少年は手の中のタマネギを差し出した。極上の微笑みもセットだ。煌めく星が零れ落ちそうなほどに輝く瞳は人懐っこい印象を与える。

「落しましたよ」

「あ、ありがとうございます」

 ピンクのカーディガンに、艶やかな長髪をリボンで纏めた少女だった。年は少年と同じ位だろう。成熟した肢体と角の取れた美貌が、実年齢よりは大人びた印象を与えているかもしれない。
 礼の言葉は、少々控えめであった。少年を前にした様子は、人見知りしているか、男性に対する苦手意識のようなものを伺わせた。
 夕飯の買い物帰りなのか、買い物籠を左手に下げていて、先程のタマネギはちょっとした拍子に落してしまったらしい。少年は少女の様子を敏感に察し、あくまで柔らかい微笑のままタマネギを手渡した。
 夕飯の材料の帰りがけに起きたちょっとしたハプニングは、特にドラマチックな展開も、非常識的な進行にも至らず、平凡な日常の一場面として終りを迎えるかと思われた。
 恐縮した様子で頭を下げた少女の首筋に、一瞬夕日の光を煌めかせて何かが虹色に輝いたが、少年以外にそれを見咎めるものはいなかった。少年はそのまま特に何も言わず、少女のほうも、最後にもう一度だけ軽く頭を下げて家路に着いた。その背を見送ってから、やがて少年は呟いた。

「第三目標と接触。トレーサーと針も刺せたし、第一段階は良し、と」

 少年――来須流鍼灸術総帥、来須隼人は、大摩にも見せたあの笑みを浮かべ、天使の笑顔の下に、小悪魔の策略を巡らしている様だった。ふと、天使の笑顔と悪魔の微笑の両方を浮かべていた来須が、気にしたようにポツリと呟いた。

「大摩さん、上手くやってくれているかな。あの人天邪鬼だからなあ」



冬木市郊外には、鬱蒼と巨木が生い茂る広大な森がある。天に角突くが如く聳え立つ木々の群れは、どこかそれ自体が一個の巨大な群体の生物のように近づくものを圧倒している。
鼻孔に侵入してくる緑の香りは、冬の冷気を伴い肺の中に霜を下ろしながら染め上げるほどに濃厚だ。
ほんの少し、市街から入った所で、大摩は漠然と森の全体像を瞳に写していた。何となく値踏みしているような目つきだ。ただし、見つめられるものが年齢性別の隔てなく頬を染め上げる美男子となれば、その目つきさえも優雅と見える。
国を傾け、世を荒廃させる程の美女達を傾国の美女、世に並ぶものなき美貌の女性を絶世の美女というが、大摩を目にすれば、見たものは全てそれらの言葉から女を取り除き、男を使わなければならないと思ってしまうだろう。
黒のタートルネックのセーターと同色のスラックス、ロングコートが覆い隠す肢体はモデルの様にしなやかで逞しい。そして何よりも美しいのであろう。漆黒に押し包まれて尚その内の美に思いを馳せさせるその美しさよ。
見つめる一瞬に思考は奪われ、そこから自己を取り戻す事ができなかったら数日、早くても丸一日は、うっとりとした表情を浮かべる即席の廃人の誕生となる。
風にたなびく長髪を、黒い手袋を嵌めた右手で軽く撫でつけながら、大摩は不意に呟いた。

「よく育った木だな。これなら高く売れそうだ。土地は一坪当たり幾らかな?」

 本当に値踏みしていたらしい。大摩流はバブルが弾けた時に土地に手を出したそうだから、その時の痛手でも思い出したのだろうか? 右手で天高くそそり立つ木の幹を二、三度撫でてから、かさりとわずかな音を立てて漆黒の靴が歩を進めた。
 大摩の目的は、聖杯に関する知識を有しているに違いないアインツベルンへの潜入調査である。聖杯そのものの所在もあるが、来須が口を濁した偉い人たちの目的の為にもアインツベルンやマキリから情報を得る必要がある、と上の人たちが判断したらしい。
 ちなみに遠坂家に関しては、役に立たないと判を押されたようである。それも、先代の当主が十年前の聖杯戦争で死去し、幼い娘が跡を継いだ事と、先代ないし先祖が聖杯戦争に関するノウハウをろくすっぽ残さなかった事も大きい。
これには、一応今までの聖杯戦争が六十年周期であったことから、次回まで五十年余の猶予があるはずだったのだから、今の当主の子供か孫が参戦するはずであったろう事。その時に何か用意される様に仕掛けがしてあるのかも知れないし、今現在何も用意が出来ていなくても仕方ないと擁護できなくも無い。
 ま、それでは来須の上司達は重要視しなかったわけだが。とりあえず今も近代技術の粋である天空の眼が、光の筋で空けた不可視の穴を通して、仔細余さず監視くらいはしているであろう。
 大摩は、暖冬の昼の陽気に誘われた麗しき漆黒の貴公子の風情で森の散策に耽っていた。他所の十二月程度の気温だから、二月にしてはそこそこ暖かい。造詣の神に愛された天才の手からなる鼻孔や、薄桜色の唇から零れる吐息は、水晶を砂塵まで細かく砕き混ぜた様に輝いて見えた。
 今この瞬間を芸術の徒が見れば、己の人生の時間と才能を全て費やして一枚の絵画と成すか。身命と財産の全てを賭して世に一つきりの彫像を彫り上げるか。あるいは、おのれの才能の不足に絶望しながらも沸き起こる衝動に身を任せて、詩人は永遠不滅の詩を謳い上げるか。
 雄々しく育った木々は、悠久の時の中をこの姿で存在してきたかの如く、のしかかる重圧さえ備えて天を覆っていた。冬だというのに黒ずんで見えるほどに茂る青葉が幾重にも重なり合い、さし恵む陽光は幾刃もの光の刃となって地を照らしている。

「……流石に歴史ある魔術師の森か。監視の眼もそれなりにあるな」

 心底森林浴を楽しんでいる風情だが、微細な空気の流れや大地の躍動の違い、樹々やそこに住まう生命のわずかな違和感が、大摩の勘に異を唱えさせた。
 それなのに、気にした風もなく瓢々とさえ言える様子で歩き続けている。度胸があるというか肝が太いというか。まあ、良くも悪くもまともな精神は期待しない方が良さそうだ。さてこのまま無事に行けるかな、と大摩が表面にはおくびにも出さずに思い始めた頃に、彼らは現れた。
 黒を帯びた緑の雲海を裂いて降り注ぐ光のカーテンに、鉛色の巨体は削る事のできない絶対的な質量と存在感で照らされていた。
悠久の大地の奥深くに眠る鉄を鍛え上げ、古代の戦士の理想像の如く整えたならばこの姿となるであろう。そしてそれに神の息吹を吹き込み、その威容に相応しき精神を得たならば、いまここに立つ絶対の守護者となりうるであろう。
その傍らに、子供の絵本の中から飛び出てきたような、愛くるしい異国の少女を伴って。
 肌を痛いほどに突き刺す圧倒的な狂気と、思わず付し崇め奉らんとする荘厳な神気に、大摩はわずかに眉を顰めたきりだ。常人ならその場に膝を屈するか昏倒しかねない。
 傍らのイリヤスフィールは、ほうと心からの感嘆の溜息を、うっすらと桜色に染まった頬を緩めて吐き出した。おもわず大摩もにっこり微笑んでしまうような、少女の純粋な感動の様であった。
 
「こんにちは、お嬢さん。そちらは、君のお父さんかね」

「ううん。私の父さまじゃないわ。バーサーカーというの。とっても頼りになるのよ」

 と思わずイリヤスフィールは答えてしまった。不意を突かれた様な形だから、この少女の本音であったろう。なるほどと大摩は頷いた。何故そうしたかはよく分からない。
 ここでイリヤスフィールははっとした表情を浮かべ、取り繕うように胸を反らして詰問を始めた。つつましく鳴る金の鈴の如き声は、軽やかに宙を舞った。

「そういう貴方は何? 迷子?」

「その通り。うっかり奥深くまで入り込んでしまってね。出来れば帰り道を教えてくれないかな?」

 平然と大摩は嘘をのたまった。万人の賞賛を浴びるに何ら不足無い麗貌には、変化の兆しすらない。よほど熟練のペテン師でもこうは行きそうに無い。
 おもわず信じかけて、イリヤスフィールは口をつぐんだ。どうも調子が狂う相手だと、一発で見抜いたようだ。

「嘘! だって貴方、この森をまっすぐお城まで歩いてきたじゃない。普通の人間にそんな真似できるわけないわ。でも貴方はサーヴァントを連れているわけでもないようだし、参加者にでも雇われた傭兵かしら?」

「しがない鍼師だよ。奇麗なお嬢さん。どうだね、肩こりから関節痛まで大抵の症状には効くが?」

「ふうん。お医者様なんだ。初診のサービスはしてくれるのかしら?」

「格安にしておこう」

「タダじゃないの?」

「扶養家族が多くてね」

 余裕が出てきたのか、会話を楽しむようなイリヤスフィールとそれに応じる大摩だ。一触即発の状況なのだが、妙に和んだ空気が作り上げられている。イリヤスフィールの守護者たるバーサーカーが動きを見せないのも、大摩に今のところ害意が無いからだろう。
 ちなみに扶養家族云々の発言は、同業の妖流総帥に、報酬が大摩流の二倍だそうだが、と聞いた時の返答である。思い出して真似をしたのか、偶然か。実際に大摩の扶養家族が多いのかどうかは謎である。

「では、私は失礼しよう」

 くるりときっぷの良い背の向け方をし、スタスタと歩き始める大摩を思わず呆然と見つめてから数秒、あっと声を挙げてイリヤスフィールが制止の声をかけた。ちょっと慌てた風である。流れるような動作の優雅さに、思わず見惚れた訳だが、実際の行為は敵前逃亡に近い。美貌の鍼師は敵前逃亡を特に恥とは考えないらしい。

「あっこら待ちなさい! もう、バーサーカー、なるべく殺さないように生け捕りなさい!」

 これに反応したイリヤスフィールは、ぷう、と頬を膨らませながら、恐るべき指示を半神の使い魔に命じた。途端膨れ上がる殺気が、足元に茂る雑草を、枝に止まる鳥達を襲い昏倒させた。それは大摩も襲った。瞬間、わずかに大摩の体が痙攣し、その場に立ち尽くす。
好機と見て取る程度の知性はあるのか、あるいは残されているのか大瀑布の圧力で迫るバーサーカーの右手に成人男性ほどもある巨岩を荒々しく削り出したような巨剣が一振り。
 隙だらけの姿勢で振り上げ、暴風の勢いと疾風の速さで落とされる。軌道はわずかに大摩からそれており、おそらく衝撃波か、巨剣をかすめて気を失わせようとしたのだろう。
剣閃の延長上の物体をまとめて薙ぎ倒すかのごとき轟裂な一撃を、腰まである黒髪を繚乱と咲く妖しい花の花弁のように広げて、大摩は地を蹴って避けて見せた。
 空中でトンボをきり、片膝を突いた姿勢でバーサーカーと五メートルの距離を置いて対峙する。その首筋を十字に、全長三十センチに及ぶ鍼が貫いていた。鍼灸用のものであろうが、どこに携え、一体何時取り出し、如何なる早業で刺したのか。
 大摩流“守り針”。邪の気や瘴気を寄せ付けず、魔のものを退ける守護の針であり、刺し方である。バーサーカーの神気と狂気との呪縛を破った針の二刺しだった。
 バーサーカーの巨剣が抉りぬいた大地の跡と、巨剣を振るうその飛燕の速さに、大摩は薄い笑みを浮かべた。思わずイリヤスフィールが全てを忘却して見惚れたその凄艶なる美しさよ。

「やはり体験するのと聞くのとでは万倍も違うな。これは凄い。久々の大物だ」

 右手の人差し指と親指の間に、銀に光る針が一本。
退魔針三派が一つ大摩流。
千年の昔、京の都を守護すべく清和源氏天皇の誕生と共に創設されし対妖魔撲滅機関“夜狩省”。
その中枢を担い、世界を統べる力持つ三剣の一つ“我神”を振るう紫紺の剣士、対妖物柔拳法“如来活殺”の使い手風早狂里と共に、夜狩省三羽烏と湛えられた流派の総帥の実力。
そして古くは五千年の昔から、日ノ本の国の霊的な守護を担ってきた神秘の技の冴えよ、今この場に煌めくか。
魑魅魍魎、悪霊だけでなく異次元からの悪意ある侵略者からの侵攻を防ぐべく古代のあらゆる退魔の法、仙道の技術、あらゆる武道の粋を、あまたの妖魅との戦いの果てに練磨されたその力、果たして人類の域を超えし超越者“英霊”に通じるや否や。
 大摩目掛けバーサーカーが爆発するかのごとく疾走。踏み抜いた大地は砕け宙に舞った。一足でほぼ半ばまでを埋めたバーサーカーに、地から樹からほんの数ミリほどの銀の針が襲い掛かる。

「大摩流“蝗針”」

 それは、使い手の意図に従い地を駆ける敵の足音、空気の対流の変化に応じ四方から襲い掛かるのだ。まさしく大量の蝗の如く。
 無数の銀の煌めきに覆われた巨人が咆哮を挙げる。立ちはだかる全てをその一声で吹き飛ばすが如く。

「■■■■■■ーーー!!」

「む?」

 はらはらと落ちる蝗針に、大摩が不審の目を向け、横殴りに襲い掛かってきた巨剣をバーサーカーの脇を駆けて避ける。技は無い、だが強大な力はそれだけでもはや技そのものと化す。技は時に力を上回るが、強い力は何時とても技をねじ伏せる。
駆け抜け様に、電光の速度で大摩の右手が閃き、バーサーカーの左脇腹に退魔針が伸びる。

「む?」

 ともう一度同じ疑問の声が大摩の口から零れた。宝石になって落ちてしまいそうな麗しき声音だが、当人には生命に関わる事態であった。大摩の手からなった針の一刺しは、一ミリもバーサーカーに食い込む事無く跳ね返された。
 本来なら、特殊なツボを打つ事で、当人の意思を奪い肉体を支配する“傀儡針”でバーサーカーの制御を試みたのだが……

「針応えから言って、装甲の問題では無さそうだが……。さて困ったな、ツボを見つけても針がそこまで到達しないか」

「大人しく降参したら? 命は、まあ保証できないけど少なくとも、今ここでバーサーカーと闘うよりは長生きはできるわよ?」

 勝ち誇った様子のイリヤスフィールである。バーサーカーを誇る瞳には、当たり前だという自信と、無垢な残虐性が同居していた。
純粋だからと言ってそれが必ずしも人間の善性を現すとは限らない。良くも悪くも純粋な人間は、その純度が高まるほど、思わぬ事をしでかしてしまう。
 そして大摩は“純粋”という言葉を、到底使う事の出来ぬくわせものの表情でこう返事をした。その本性は、美しき面貌の前に隠れ、ネコを被られれば世の人々が気づく事は不可能だろう。

「生憎と遺産の分配をまだ決めていなくてね。遺書にしたためるまでは死ねんよ」

「……変な人」

 心の底からイリヤスフィールは呟いた。大摩の知り合いに聞かせたら、同意する者が続出しそうな台詞であった。あるいは、『変な人』が『とんでもない悪党』になるかもしれない。利己主義者というものは、例え世にも稀な美貌を持っていても、他人に嫌われるらしい。

「では」

 美顔を狂戦士へと向けた大摩が右手の手袋を外し、滴り落ちるが如き陽光の光流にその繊指を晒した。十字に首を貫いた針はそのままに、左手に持った指をくるりと優雅に旋回させ、素肌をのぞかせた右手が探るように空間を撫でる。いや、まるでそれは触診と呼ぶべき動きだった。

「そこ」

 という動きと、左手の針を投じる動作は全く同時に行われ、バーサーカーが迫るよりも数瞬遅れた。大摩の視界が漆黒の巨山に覆われたのは一瞬よりも早い時間の後だった。
振り下ろされる巨剣はその過程において音の壁を突破し、雷の轟きにも似た音と一個の人間を殺すにはあまりにも過大な威力と共に落ちた。
 冗談のように生じたクレーターの中心に佇む異形の狂戦士の上空に、大摩が居た。かろうじて、バーサーカーの一剣よりも速く体内に仕込んだ針が、瞬間的に運動応力を高めるツボを刺激し、大摩に音速を超える俊敏性とそれに耐え得る肉体を与えたのだ。
 空中で身をよじり、天地をさかさまにした状態で、大摩は何となく憮然とした様子で、右手の甲を貫いた針を見ながら呟いた。

「“硬気点”。体を鋼に変えるツボも、その鋼を容易く砕く相手には通じないか」

 針の射ち損が、気に食わないらしい。それから、空中に留まり、何かを刺し貫いたように停止している針と、大地の一点を貫く針を見た。大気が鳴動したのは丁度その時であった。 
まるで雲を突き抜けるような巨人が、大なべの中身をかき混ぜでもしたみたいにバーサーカーの周囲の大気が渦を巻き、木々をへし折り大地を捲り上げ、その全てがバーサーカーに襲い掛かった。
 暴風がその巨体を薙ぎ倒し、大樹が次々と巨体を押しつぶそうと群がり、大量の土砂がその姿を追いつくした。総重量は二十トン近いだろう。
 希代の舞手の如く、ふわりとしたやわらかい動作で大摩が捲りあがった大地の境界の辺りに着地する。イリヤスフィールは、大摩の投じた二本の針が起こした現象の外にいたのか、無事な様子で、少しぽかんとした顔をしていた。これはこれでなかなかに愛らしい表情である。
 大摩がした事は実にシンプルで、大地と大気のツボを探り当てそれを刺激したに過ぎない。もちろん如何なる効果を及ぼすかも同時に探り当てた上でだ。人の体に生命の流れや血流などがあるように、天地万物にもまた流れが存在する。大摩流で言う『脈』を探り当て、それを刺激するのは、大摩流総帥には容易い事であったろう。

「さてお嬢さん。君の頼りになるボディーガードは、この下だが、どうするね? いたずらの過ぎる子にはそれなりに厳しいお仕置きが必要かな」

 と実に楽しそうな美笑で、大摩は呟いた。やはり人が悪い。イリヤスフィールは、しかし大摩に対し、彼と等しい笑みを浮かべてこう切り替えした。

「ええ、私も同感よ。たっぷりお仕置きしてあげなきゃね。バーサーカー?」

「!」

 大地の母胎を突き破り、産み落とされる赤子の手の変わりに無骨な岩剣が大摩目掛け迫る。間一髪、わずかに胸から鮮血を滴らせるにとどめ、大摩は後退し、再び眼前に立ち塞がった偉大な英雄の狂いし姿を前にした。バーサーカーの咽喉からは飢えに犯された猛獣でさえも、怯え媚を振るう猛悪な狂気が滲んでいる。

「足止めも効かんか。さても困ったものだ」

「今更命乞い? この国には生まれ変わりの概念があるそうだけど、次の人生で活かしなさい」

「困った。……これでは最後の切り札を使うしかない」

 有頂天になった相手の肝を冷やすのが楽しくて仕方ないとでも言うように、大摩はやはり美しい笑顔を刻み、懐に手をやった。

「切り札?」

 険しい色に変わる紅玉色の瞳に、世の礼賛を浴びるべき指がつまみ出した一つの針が映った。大摩が用いる通常の退魔針よりも太く、一方の端には玉とそれを掴む龍の細工がしてある。実用品というよりも芸術品の趣を備えた針であった。
 だが、それは。

「…………」

「バーサーカー? ……そうね、アレは……危険だわ」

 バーサーカーは沈黙を守っていた。それは怯えの故でもない。恐怖に陥ったわけでもない。まるで討つべき異教の神を前にした戦神の如く。敵対しながらも畏怖を抱くに値する敵対者を前にした勇者の如く。バーサーカーの沈黙はそれらに等しかった。
では、世界最高峰の英雄の足を止めるその針とは?
 
「大摩流“崩御針”」

「ホウギョバリ?」

「左様、我が大摩流最強の退魔針。これに逆らいうる魔性は無く、如何なる魔物も倒しうる究極の退魔の針。……とはいえ、流石に世界規模の知名度は無いか、やはりこれからの時代、国際化に力を入れねばならんな」
 
ちょっぴり自尊心が傷ついたようなそうじゃないような表情で、ぽつりと呟いた。この状況でこういう台詞が出てくる辺り、どうも能力に比例して抜けている所があるらしい。多分、頭のネジとか。
だがその手に持つ“崩御針”の凄まじさは変わるまい。
曰く、大摩流総帥の手になる限り急所でなくともあらゆる魔性を滅ぼす。
曰く、いかなる大魔神をも封じる。
曰く、魔だけでなく聖人さえも刺殺し得る。
そして、二度使えば使用者の命が無い、故に“崩御”針という、とも。

「どうする? これが私の最後の手だが、その分効果は凄まじいぞ? 何の関係も無い一般人相手に、余計な労力はかけない方が懸命ではないかね?」

堂々とした嘘に、少なからずイリヤスフィールが迷ったらしい。今回の聖杯戦争で、自分たちが負ける要素は今現在欠片もないが、予想外の事態によって更に混迷な状況に陥る可能性は否定しきれない。最悪、今は勝利を得ても、後に思わぬジョーカーによって敗北する可能性さえもある。
 その迷いを突いたように、森の一方から鋼鉄の馬が飛び出た。真紅のその鉄馬の名はドゥカティ・スーパーバイク 999R Xerox。それに跨るライダーは、白のライダースーツに身を包んだ、豊満な肢体の主であった。
 空中でドゥカティに跨ったまま、ライダーは手の中にある高圧縮ガスを用いた麻酔銃の銃口をイリヤスフィールへと向ける。引かれる引き金、発射される大摩流特製対妖魔麻酔弾“スリーピング・ビューティー”。
カプセル状の弾丸に収められた麻酔液は、稲妻の如き身のこなしで主の前に立った狂戦士の肉体を、わずかに揺らしたに過ぎなかった。幼子が父親にじゃれ付くようなものだ。更に、同時に投ぜられたライダーの針も。

「げげ!? ノーダメージ?」

 大摩の目の前でドゥカティを止めたライダーが、バーサーカーの健在ぶりに目を剥いた。しかし台詞から察するに、バーサーカーが庇うと踏んでイリヤスフィールを狙ったらしい。
 ゴーグルの下で、白百合の如き可憐さと爛熟した牡丹の様に濃艶な魅力が溶け合った美少女が、驚きの表情を浮かべていた。大摩の助手である十月真紀(とげつ まき)だ。大摩の後をつけたのか連絡を受けたかしたに違いないタイミングでの登場であった。

「“げげ!?”か。人間の品位が疑われるぞ、十月君」

「もう、健気な助手相手に言う台詞がそれですかぁ! それよりも速く乗ってください。脱出ですか、それとも特攻?」

「三十七計目を決め込もう」

「うわあ、先生が撤退を進言するなんて、そんなに強敵ですか?」

「かなりの強敵だ」

「……せ、先生がそんな殊勝な事いうなんて。猿も木から落ちる、だわ」

 ことわざの使い方を間違えているが、それも内心の驚きの現われということにしておこう。そして、大摩が手に持っていた崩御針をみるや、たちまち顔色を青にならしめた。それがどういう意味か、悟ったのだ。
この会話の間に大摩は真紀の後ろに腰を下ろし、真紀のしなやかで肉感的な腰に手を回した。真紀の頬に朱の色が走るが、うっとりする余裕は無さそうだ。

「バーサーカー!」

「■■■■■■!!!」

 無邪気で冷酷な雪の妖精が従僕たる狂える巨人に追撃を命じたのだ。

「エンジン全開!!」

「明日への逃亡だな」

 と大摩が妙に冷め切った声で言った。冗談のつもりだったのか。真紀は聞えなかったのか聞えたのを無視したのか、ドゥカティにエグゾーストの咆哮を上げさせた。未舗装所か、むき出しの地面そのままの森の中を突っ切る真紀の度胸と、操縦の腕は瞠目に値した。

「十月君」

「何ですか!」

 怒鳴るような返事だが、別に怒っている訳ではない。悪路を行く愛馬の手綱を繊細に捌かねばならぬ事と、いつもの調子を崩さぬ大摩の調子に、少しカチンと来ただけである。
 先生、感謝という言葉を知らないんじゃないかしら? 真紀はそう思わずにはいられなかった。

「もう少し速くならないか? 鬼さんがこちらへ来ているのだが」

「鬼さんって、ええ!?」

 背後に木々をへし折り薙ぎ倒し踏みつけ、猛追してくるバーサーカー。思わず背後を振り返り、真紀が確認した。そうせずにはいられなかったと言うところだろう。

「メロスじゃあるまいし!」

「別にメロスは足が早いわけではあるまい。彼は根性があっただけだよ」

「突発的な衝動に身を任せて一国の王を殺そうとした殺人嗜好者ですよ。というか先生! そんな事言う暇があったらアレの足でも止めてください。大摩流総帥の名が泣きますよ!」

「そうかね、ではアドバイスを一つ」

「? 何です」

「天の助けがあるだろう」

「……」

 前からおかしい所のある人だと思っていたけど、ついに……。真紀の眼は、両手を合掌し、祈るようにしている大摩を冷ややかに見た。一秒後にはうっとり蕩けかけたが。
 それでも気を取り直し、目を向きなおして何とかあの暴力の塊のような巨人から逃げ切らねば、と決意した時である。真紀は大摩の言葉が正しかった事を知る事になった。
 徐々にドゥカティとの距離を詰めていたバーサーカーに、突如白い光の奔流が落ちたのだ。天高くから迸った白光はバーサーカーの巨体を飲み込み、光の中へと溶かしていった。 
あまりに苛烈な光に、思わずドゥカティを止めかけるが今が好機と考え直して、真紀は一気にアインツベルンの森を脱出すべく、頭の中に叩き込んだこの森の航空写真を引っ張り出して、アクセルを思い切り吹かした。
森を抜け、冬木市市街に入る境辺りで、ようやく二人は息を着いた。ゴーグルをずらしながら真紀が大摩に先ほどの光について聞いた。

「先生、天からの助けって、あれが何か知っているんですか?」

「答えは簡単だよ。来須君の上司達の力だな」

「……ひょっとして米軍の軍事衛星?」

「正解。おそらくレーザービームか粒子砲だろう」

 大摩の予測どおり、先程バーサーカーを撃ったのは地上三万六千キロに存在する公式には存在しないはずの軍事衛星に積まれた粒子砲のきらめきであった。追われる大摩と真紀を逃がすべく、バーサーカーを摂氏百万度の粒子流が襲ったのだ。
 事前に大摩が知っていたのは、あらかじめ来須に連絡手段でも渡されたかしていたのだろう。

「随分気前が良いんですね」

 真紀は感心したように言ってから、何を考えたか天を仰いでにっこり微笑みながら手を振った。お礼のつもりらしい。

「それなら、古代ギリシャの大英雄もおシャカなんじゃありません?」

「どうかな? 向こうは霊的だ、対して粒子砲はあくまで科学兵器。さして効果はあるまい」

「じゃあ、どうして追いかけてこなかったのかしら? ひょっとして、主を守る為に追撃を諦めた?」

「かもしれんな。さて来須君との合流地点に行くか」

「あら、アインツベルンへの潜入諦めるんですか?」

「センリャクテキテッタイという奴だよ」

「そういう事にしておきましょう。……先生」

「何かね?」

「もし、私が間に合わなかったら、“崩御針”を使いましたか?」

「……」

 痛切なものを滲ませる真紀の声に、大摩はただ美しく微笑んだ。いつもの様に。


おしまい

Fateものが続いているのは以前投稿させていただいていたサイトでシリーズものとして14個くらい投下していた文が残っているからです。



[11325] その11 魔法少女リリカルなのは × 無限のフロンティア EXCEED
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/20 14:59
『魔法少女リリカルなのは EF・EXCEED』

『修羅の若者と要請の姫君と来航の魔法少女と』

 極彩色の空間が粘土の高い液体のように満たされた世界。
 次元空間を旅するために作られた『時の庭園』は駆動炉の封印、内部での激しい戦闘、九つのジュエルシードが共鳴し暴走することで発生していた次元震により、崩落の速度を加速させている。
 私たちが立っている床も大きく砕け、虚数空間へと落下してゆく。一度落ちてしまえば重力の井戸の底まで、抵抗する事も出来ずに落ちてゆくほかない奈落の世界が、私たちが落ちてくるのをいまかいまかと待っているように見えた。
 目の前で崩壊した床と私のオリジナルであるアリシア・テスタロッサと共に落ちてゆく母さん。私には一度も向けてはくれなかった優しい瞳でアリシアを見つめ、どこか満足そうになにか語りかけている。
 私にとって、与えられた記憶の中でしか見る事の出来なかった母さんの表情。私がどれだけ望んでも得られなかった母さんの優しさ。最後の最後まで拒絶された私。最初からずっと私の事が大嫌いだと言った母さんの言葉の冷たさ。
 アリシアと母さんの姿を目の前にしていると今までのいろんな事が一瞬で蘇ってきて、悲しくて、つらくて、苦しくて、私は目の奥から溢れてくるものをこらえる事が出来なかった。
 私は本当に、母さんに必要とされてはいなかったのだと、理解したくないのに理解できてしまう。

「……っ!」

 胸の奥の方が引き裂かれるような痛みに、その場に蹲ってしまった私を大きな振動が襲う。母さんが立っていた場所を中心に広がり始めた崩壊の魔の手が、私の足場にまでも届き、私もまた母さんとアリシアと同じ所に落ちようとしている。
 とっさに上半身を起こした私の瞳に、一人の女の子の姿が映る。
 胸元の赤いリボンや袖口の凝った衣装が可愛らしいバリアジャケットを着て、深紅の宝玉のついた黄金の杖を持った女の子。足首に生えた小さな翼からは、はばたくたびに余剰魔力が桜色の小さな羽根となって舞い散って、とても幻想的な美しさだった。
 栗色の髪を左右で小さく括った髪型のこの子は、高町なのは。
 何度もぶつかって、何度も戦って、そのたびに少しずつお互いの事を知って、そして、私に、友達になりたいって言ってくれた女の子。まっすぐで、強くて、とても優しい子。
 なのはが私に向けて精いっぱい小さな手を伸ばしてくる。このままでは私も母さんやアリシアのように重力の牢獄の中へと囚われてしまう。
 私を助けようと、なのはは自分も危険だというのに頑張ってくれている。最初は敵だった私に、ここまでしてくれるなのはの優しさは、本当にすごい。
 そして私はなのはに精いっぱいの笑みを浮かべる。ありがとう、本当にありがとう、と心からの感謝の想いを込めて。
 一度はなのはへと伸ばした手を、私は引きもどした。

「ありがとう、なのは。……ごめんね」

 私の言葉が何を意味するのか理解したなのはの顔が、見る見るうちに驚愕に固まり、さっと血の気が引いていく。

「フェイトちゃん、だめぇぇえええ!!!」

 たん、と床を蹴って私は母さんとアリシアのもとへと飛んだ。
 なのはの悲鳴が見る見るうちに遠くなってゆく。
 ごめんね、なのは。本当にごめんね。
 何度も何度も心の中で謝りながら、それでも私の瞳は母さんとアリシアから外れる事はなかった。既に虚数空間の影響下にあるのだろう。少しでも早く母さんに追いつこうと行使しようとした飛行魔法は発動しなかった。
 私の瞳から涙がこぼれる。
 なのはへの申し訳なさから零れた涙だったろうか。
 どんなに拒絶されても捨てきれないこの想いが瞳から零れ落ちたのかもしれない。
 涙と共に落ちゆく私を、不意にとても力強いけれどよく知っている腕が抱きしめた。
 私は驚いてその腕の主を見つめる。

「アルフ!?」

「ばか、ばかばかばかばかばかばか! フェイトの大馬鹿!!」

 オレンジがかった髪に、イヌ科の耳としっぽを持った成熟した肢体を持った目つきの鋭い女の子。私の使い魔で、とても大切な家族であるアルフ。
 本来は狼の姿をしているこの子は、今は人間の姿に変わって私の体を抱きしめている。大粒の瞳は、私よりももっとたくさんの涙が溢れていて、そのすべてが私の事を心配しているから溢れた涙だ。

「だめだよアルフ! アルフまで落ちることなんてない、はやく戻って!!」

「いやだ! 私はいつだってフェイトと一緒だよ! 私の命はフェイトがくれたもんなんだ。フェイトがどこに行っても私はその傍にいる。フェイトを一人になんかしない!!」

「アルフ……」

「馬鹿だよ、フェイトは本当に馬鹿だ。なんであんな鬼婆の為にこんなことまでするのさ? あのおちびちゃんが伸ばしてくれた手を掴めばよかったのに」

「うん、本当はそうすればよかったのかもしれない。けど、それでも、私はプレシア・テスタロッサの娘だから」

 そうはっきりと告げた私の言葉に、アルフはもう何も言い返すつもりはないようだった。ただじっと私の顔を見つめると、鼻を一つ鳴らしてから口元に笑みを浮かべる。

「鬼婆の為ってのが気に食わないけど、うん、今の顔は本当にいい顔をしているよ、フェイト」

「そう、かな? ありがとう、アルフ。アルフが一緒なら寂しくないよ、アルフと一緒なら私は平気」

 アルフはただぎゅっと優しく私を抱きしめてくれた。このぬくもりが、ずっと私を支えてきてくれたのだと、いまさらながらに気付く。ありがとう、アルフ。どんなに感謝しても全然足りないくらいに、私はアルフに救われている。
 私とアルフが言葉を交わす間も時の庭園との距離は離れ続け、もう私達が戻ることはできないだろう。振り返ってみればかすかに桜色の光の羽がきらきらと輝いているのが見える。

「ごめんね、なのは。友達になりたいって言ってくれた事、ほんとうに嬉しかったよ」

 もう届かないと分かってはいたけれど、もう見えてはいないと分かってはいたけれど。
 私は、きっともう二度と会えなくなる初めての友達になれたかもしれない子に向けて、心からの感謝の言葉とを笑顔を、もう一度送った。
 私とアルフが見えない重力の鎖に縛られて、意識を失ったのはその直後だった。

――母さん。私が、守るから。

 きっと、この言葉も想いも、貴女には届かないのだろうけれど。



 目が覚めると知らない天井だった。清涼な空気に満ちたどこかの部屋。私は部屋の中でベッドに横たわっていたみたいだ。
 どうしてこんなところに私が寝かされているのだろう。私は、母さんとアリシアを追って落ちて行ったはずなのに。
 骨と筋肉が軋むように鈍重な感覚になっているから、少なくとも数日間は眠り続けているのだろう。全身の細胞に微細な鉛の粒子が混じっているようで、本当に自分の体なのかと思わず疑ってしまうほど。

「あ、バルディッシュ」

 枕元に置かれていた待機状態のバルディッシュに気付き、私は声をかけた。人工知能を搭載したインテリジェントデバイスであるバルディッシュは、私にとってアルフと同じようにずっと一緒にいた家族の様なもの。
 私の無茶に何度も付き合って、何度も傷ついて、それでも私の刃となり盾となってくれた大切なパートナー。
 時の庭園での戦いの前後でかなりの無茶をしてバルディッシュも相当破損したはずだけど、私が眠っている間に自己修復を終えたみたいで、金色のワッペンみたいな外見には傷一つない。

『おはようございます。サー』

「うん、おはよう、であっているのかな? バルディッシュ、調子はどう?」

『ステータス・オールグリーン。問題はありません』

「良かった。それにしても、ここはどこ? それにアルフは? 母さんは?」

 そうだ、アルフ。それに母さん。私がこうして無事なのだから、二人も無事だと思いたい。母さんの事を考えると私は自分の体のことなど何も考えられず、反応が鈍い体を引きずるようにしてベッドから這い出す。
 質素だけれど肌触りのよい衣服に着替えさせられていた事に、この時わたしは気付く余裕すらなかった。枕元のバルディッシュが、私を制止するように明滅するけれど、私は取り合わずにバルディッシュを掴み取り、鈍い痛みをこらえながら部屋のドアへと向かって歩き出す。
 素足に石造りの床の冷たさが染みるようだ。

「母さん、母さん、母さん……」

 私の口から出る母さんという言葉が数を重ねるたびに、胸の中の焦燥が領土を増してゆく。けれども私の感情に反するように私の足は歩みはのろのろとしたものだ。足枷をつけられているみたいに私の足は重い。
 ようやくドアノブに私の手が届く距離にまで歩いた時には、体中が悲鳴をあげていた。息は荒いし汗は体中を濡らしている。汗をたっぷりと吸った寝間着がじっとりと肌に張り付いて気持ちが悪い。
 その時だ。唐突にドアが開いて、私の目の前に人影が立ちふさがる。見慣れたその姿に、私は、あっとか細い声をあげた。
 私の目の前に立っていたのは、体のあちこちに包帯を巻いてはいるけれど元気そうな様子のアルフ。手には果物やパンみたいなもの、たぶん水か何かが入っている陶器などが入った籠を持っていた。
 アルフは私が起き上がっている事に気付き、ぱっと顔を輝かせて私を思い切り抱きしめた。私を抱きしめていても籠を落とすようなことはしなかったから、器用だね、となんとなく場違いな事を思う。

「フェイト~~~~~。よかった、もう目を覚まさないんじゃないかって心配したんだよ!」

「ご、ごめんね、アルフ」

「いっつも私に心配ばかりかけて! ああもう、ほらまだ寝てなきゃだめだよ。ベッドに戻った戻った!!」

 私の顔をまっすぐに覗き込んだアルフは、すこし涙目になりながら私の体をぐいぐい押して、十数分をかけて脱出したベッドへと押し戻してゆく。
 体のあちこちに包帯が巻かれた痛々しい姿ではあったけれど、アルフは私よりも傷が軽いのか、私の体を押す腕の力強さはいつもとそう変わらないように感じられる。

「ま、まって、アルフ。ここはどこなの? それに母さんは……」

「その事については、私が説明しましょう」

「え?」

 聞きなれない男の人の声に、私はアルフが開いたドアの向こうを振り返る。私の視線の先には、男の人が一人立っていた。白い丈の短いケープみたいなものをはおり、右腕と両足の脛と額に真っ赤な鎧の様なものを身につけている。
 赤い髪の毛は後頭部で束ねられていて、先端が爆発したみたいに広がっていた。私より七、八歳くらいは年上だろうか。大きな翡翠の塊を象眼したように綺麗な緑色の瞳がまっすぐに私を見つめていた。
 そのまま私はアルフによってベッドに寝かされて、その枕元にある椅子にアルフが座り、男の人はその横まで歩いてくると足をとめる。

「あの……」

「私はアレディ・ナアシュ。人は“剛練”のアレディと呼びます。フェイト・テスタロッサ殿ですね。アルフ殿から簡単な事情は聞いています。まずここは『覇龍の塔』。我が師、“影業”のシンディ、シンディ・バードが番人を務める場所です」

「アレディさん?」

「ええ」

 産まれたときからおんなじ表情しかした事が無いみたいに、アレディと名乗った男の人は、顔の形を変える事はなかったけれど、どことなく物静かで落ち着いた雰囲気とアルフがまるで警戒していない様子から、とりあえず私は彼の話を聞くことにした。

「まずここはエンドレス・フロンティアと呼ばれる世界です。フェイト殿とアルフ殿がおられた世界とは異なる世界。無限の開拓地と呼ぶものもいます。アルフ殿から聞いた話では、貴女方にとって異世界というのは別段珍しいものではないようですが」

 確かに多数の次元世界が観測され実際に行き来する手段が確立されている世界が私とアルフの出身地であるし、私たち二人とも次元を行き来する転移魔法は習得している。
 ここが別世界だと言われても、さしたる驚きがないのは本当の事だ。ただ、最後の記憶では私達は次元空間に落ちたはずだったから、こうして別の世界に転移している事自体は意外ではあったけれど。

「たぶん、次元震とジュエルシードの魔力の影響でここに飛ばされてきちゃったんだよ。アレディに聞いたけど、この世界でも最近まで空間が不安定だったって言うから、その残りの歪みか何かにあたし達が囚われちゃったんだ。
 まあ、こうして手当てまでしてくれるお人よしの所にこれたんだから、悪運みたいなものはあったんだろうね」

「そっか。アレディさん達が治療してくれたんですか? ありがとうございます」

 ぎこちなく頭を下げる私に、アレディさんは、いえ、お気になさらず、と相変わらず淡々とした調子で返事をする。
 アレディさんの話では、私達は三日ほど前にこのハリュウの塔の前に突如現れて、怪我だらけになっていたところを、アレディさんと先生であるシンディさん、それにお客さんとしてきていたネージュという女の人が助けてくれたらしい。
 私よりも先にアルフが目覚めてからは私達の事情とアレディさん達の事を話し合い、とりあえずは私達がここでお世話になる事が決まっていたようだった。
 見ず知らずの他人である私達に親切にしてくれるアレディさん達には、感謝の言葉しか出てこない。私は優しい人たちに縁があるのかもしれなかった。
友達いなりたいって言ってくれたなのは、管理局の人間だけれど私に気を使ってくれたそぶりの合ったクロノ執務官やリンディ提督。それにアルフとバルディッシュもそう。

「あの、それで、私達の他に女の人と私と同じ姿の女の子がいませんでしたか?」

 はやる気持ちを何とか抑えながら私は母さんと……アリシアの安否についてアレディさんに聞く。するとアレディさんとアルフが互いを見つめあってから、意を決するようにして頷き、私をまっすぐに見つめ返す。

「貴女の母君、プレシア・テスタロッサ殿なら別室で休まれています。ですが、アリシアという少女は既に事切れていましたし、“生体ぽっど”というものもここに転移した影響で破損していましたので、勝手ではありますが私達で弔わせていただきました」

「アリシア……」

 後で聞いた話になるけれど、アリシアの体はひどく傷ついていたらしく、そのままにしておくには余りに忍びなかったらしい。
 私の体感時間ではほんの数時間前にその存在を知ることになった私のオリジナルである、母さんの本当の娘。
 事故によって死んでしまった彼女を蘇らせるためだけに、母さんは二十年以上も足掻き続け、そして世界を破壊してもかまわないと豪語していた。そのアリシアが、もう本当に生き返らせるのが不可能だと分かったなら、母さんは私の事を見てくれるのではないか? 一瞬、私の心の中で黒い何かがそう囁いた。
 その囁きを心の中から振り払うように、私は左右に首を振る。

「フェイト?」

「なんでも、ないよ」

 少しだけ私と精神がリンクしているアルフは、私の心の中に広がったとても嫌な気持ちに気付いたのかもしれない。私は弱弱しいと自分でもわかる笑みを浮かべて、アルフを
安心させるための言葉を口にするしかなかった。

「それで、母さんの容体はどうなんですか? ここに来る前、母さん、血を吐いていてどこか悪いのかもしれないんです」

 魔力と体力こそ消耗していたが、大きな怪我などなかった私達でさえこの有り様。血を吐くほどに体が傷つき、大規模な魔法の行使とジュエルシードの制御で消耗した母さんはもっとひどいことになっているに違いない。
 そう思うと、私はまるで自分の体が引き裂かれるような痛みと苦しみを覚える。やはり、どんなことをされても、私は母さんの事が好きなのだと、いまさらながらに思う。
 アレディさんは、私でもわかるくらいに初めて表情を変えた。とても言いづらそうに、眉間に皺を刻む。それだけで母さんの容体がよくはないのだと、分かってしまう。私は覚悟を決めてアレディさんの言葉を待った。

「娘である貴女を前にしては申し上げにくいのですが、我々“修羅”の医療技術では手の施しようがありません。我らの“覇気”で痛みを緩和し生命力を分け与える事は出来ますが、プレシア殿の体を蝕む病魔はとても根が深い。
 今はネージュ姫殿が妖精族の魔力でどうにかできないかと施術してくださってはいますが、かろうじて小康状態を保っているというところです」

 思った通り、母さんの容体は決して良いものではなかった。母さんが病気だという事を、私はまるで知らなかったのだ。けれども、少なくともまだ生きていることは確かだ。
なら私は私が母さんにしてあげられることを何でもしてあげたい。例え母さんにさらに嫌われるようなことになったとしても。

「母さんに会いたいです。母さんの所に、連れて行ってください。お願いします」

 そう言ってベッドの上で頭を下げる私をアルフが制止した。

「だめだよ、フェイトだってまだ横になっていなきゃ。塞がったように見えるけど、動きまわったら傷がまた開いちゃうよ。あたしは頑丈だったからまだよかったけど、フェイトはそうもいかないんだから」

「それでも私は母さんの所に行かなくちゃ! 母さんは私の顔を見たくないかもしれないけど……」

「……分かりました。ご案内しましょう」

「アレディ!?」

 何を言うんだい、と牙を剥きかねない形相のアルフと、やったと顔を綻ばせる私を宥めるように、あるいは釘をさすようにアレディさんは言葉を続ける。

「ただし、フェイト殿がまともに歩ける状態でないことは確か。ですから私がお連れしましょう。それでよければ母君の所に案内します。とはいえ、母君はまだ目を覚まされてはいませんが、それでもよろしいですか?」

 出来れば直接母さんと言葉をかわしたいという気持ちはあったけれど、とにかく安否を確認するのが先だ。私は一もなく二もなく首を縦に振る。
アルフは一見元気そうに見えるけれど、包帯がまだとれていないことから本調子でないのだろうという事はわかるし、この場はおとなしくアレディさんに母さんの所まで連れて行ってもらうのが一番だと、私は思った。
すぐに、ちょっとだけど後悔してしまったけれど。



 私が寝かされていた部屋を出て少し歩いたところにある別の部屋に、私達は案内された。アレディさんがドアをノックして入室の是非を問う。

「ネージュ姫殿。フェイト殿をお連れしました」

 するとなにやら慌ただしい音がドアの向こうでしたと思うと、すぐにドアが開かれてとても綺麗な女の人が顔を見せた。
 たぶん、アレディと同い年くらいで、おへそと腋の下が覗き胸の形がはっきりとわかる小さな白いタンクトップとほとんど足の付け根まで露出しているふんわりと広がったスカート姿だ。
 空の青を映し取ったみたいにきれいな瞳の青。アレディさんや私、ミッドチルダのたいていの人間の耳とは異なる先端の尖った耳を持っている。
この人がネージュという女性なのだろう。それにしても、姫、とアレディさんが呼んでいるから、この世界の王族か何かの関係者なのかもしれない。
 そんな人と知り合いという事はアレディさんも、ええっとシュラ? という種族か集団の中でかなり偉い人なのかもしれなかった。
 ドアを開いて私を連れてきたアレディさんをしばらく見つめていたかと思うと、ネージュさんはため息を吐き、この修練馬鹿は、と呟いた。アレディさんはなんのことかわからずに眉を顰めている。
 原因はアレディさんが私を連れてきた方法だと思う。
 アレディさんは特に意識していないようだけれど、アレディさんは私をたくましいその両腕で抱きかかえて、此処まで連れてきたのだ。俗に言うお姫様だっこ、というものらしいと後で教えてもらった。
 初めて会った男の人にここまで近づいたことはいままで私の人生ではなかった事だから、正直とても恥ずかしかったけれど、アレディさんがまるで気にする素振りがなかったので、私だけ変に意識するのもおかしいと黙っていたのだ。
 ただネージュさんの反応からすれば、やはりこの運び方は普通ではないのかもしれない。ネージュさんがじとっと呆れた目で見てくるのに、アレディさんは自分に不手際があったのかと、困惑している様子だった。

「あの……母さんは」

 だからというわけではないけれど、私はアレディさんにとって助け舟となるように、母さんの容体について口にした。
 それまでアレディさんを睨んでいたネージュさんも、私が母さんの名を出すと表情を改めて少し、悲しそうにする。その表情だけでネージュさんの治療が失敗したという事がわかった。

「……まだ眠っているわ。様子を見る?」

 こくん、と私は頷き、アレディさんに横抱きにされたまま室内へと入る。私が寝かされていた部屋とまるきり同じ部屋だった。窓際に置かれた透き通った花瓶に白い花が一輪揺れている。
 母さんはベッドの上でまるで息をしていないかのように深い眠りについているようだった。その枕元の机に水差しのほか薬湯らしい緑色の液体が入ったコップや、薬草らしい葉っぱが置かれていた。
 アレディさんは母さんの枕元まで進むと置かれている椅子の上に私を下してくれた。体を乗り出して母さんの顔をのぞきこめば、げっそりとやつれ果てて血の気が引いて青白く変わった母さんがそこにいる。
 かろうじて呼吸の音が聞こえるくらいで、他に母さんが生きているという事を証明するものは何もないように思えてしまって、私は思い切り頭を横から殴りつけられたような不安感に襲われた。

「母さんの、体、容体はどうなっているんですか?」

 もつれそうになる舌を何とか動かして、私の後ろに立つネージュさんに聞く。私が望む言葉が返ってくるはずはないと分かってはいたけれど、母さんは大丈夫だと、私はどうしても言って欲しかった。
 必死な私の様子にネージュさんは口を開いては閉じる事を繰り返して、事実を告げることを躊躇った様だった。ああ、そういう事なんだと、心のどこかで私の諦めた声が聞こえる。
 ネージュさんは何も言わずに小さくその美しい造作の顔を左右に振る。

「ごめんなさい。出来るだけのことはしたけれど貴女のお母さまのご容体は思わしくないわ。意識を取り戻すかどうかも」

「……母さん」

「……お前は、私の娘じゃないわ」

「! 意識が」

 単なる偶然だろうけど、母さんは私の呟きと同時に意識を取り戻したようだった。顔色は悪く呼吸はか細い。病状が好転したわけではなさそうだけれど、もう一度母さんの声を聞く事が出来て、私は胸が熱くなるのを去られなかった。
 私の後ろでネージュさんが驚きの声をあげたけれど、私にはそんなことはどうでもよかった。母さんは忌々しげに私を睨みつける。やはり、私の事は……。

「……よくもよくも私が眠っている間に、アリシアを!!」

 どうしてか分からないけれど、母さんはアリシアが弔われた事を知っているようだった。生体ポッドの反応がないことを確認したのか、アレディさん達の会話を耳にしたのか、あるいは誰も知らないときに意識を取り戻し、アリシアが弔われるのを目撃したのかもしれなかった。
 怒りのままに言葉を吐く母さんの瞳にはどす黒い炎が燃えていた。体の調子がもう少し良かったなら、おそらく激情に駆られて攻撃魔法を行使し、この場にいた私達を殺そうとしただろう。
 視線だけで人を殺せる。そう確信させられる瞳で母さんは私やアルフ、ネージュさんにアレディさんを睨みつける。
 私達の事情を知らないアレディさん達はさぞや戸惑ったことだろうけれど、母さんの様子からただ事ではないと悟ったことだけは分かった。

「プレシア殿、残念ですがすでにアリシアという少女は亡くなっていました。しかしながら、どのような事情があるとも知らぬ間に良かれと荼毘に付した事に関しては、私にはこの通り謝罪することしかできません」

 アレディさんは沈痛な面持ちに変わって母さんに向けて深く腰を折る。けれど、それは母さんにとっては何の慰めにはならない。

「うるさい、うるさい!! 何も知らない小僧が!!! だから、私はアリシアを生き返らせようと、アルハザードを目指して、こんな人形を作って、こんなはずじゃなかった今を否定するために……ぐ、げほ、はあ、はあ、はあ……っく」

 意識が目覚めたばかりだというのに声を荒げたせいか、母さんはとたんに噎せ返り苦しげに咳を繰り返す。アレディさんが一方的に罵倒されていたことに不快そうにしていたネージュさんも、慌てて母さんの方へと近寄ってくる。
 私も、母さん、と叫びながら身を乗り出すけれど返ってきたのは拒絶だけだった。

「触らないで!! アリシアの姿をしているくせに、アリシアでないお前なんかに」

 その言葉に伸ばした私の指は硬直し冷たくなる。体が凍りつくか、石にでも変わってしまったかのような錯覚。分かっていた事なのに。母さんが私を嫌うどころか憎んでさえいる事は。
 何も言えずに固まってしまう私の肩に、そっとネージュさんの手が置かれた。そのまま促されて私は母さんの部屋を退室する。
 咳が止まったのか、母さんは暗い感情しかない瞳で再び私達を力強く睨みつけている。近づくことも、触れる事も、絶対に許さない。瞳がそう代弁していた。

「お母様が落ち着くまで、部屋に戻って休みましょう」

 優しいネージュさんの言葉に私は頷くしかなかった。
 やっぱり私はアリシアの代わりにすらなれないとか、いろんな言葉が頭の中で渦巻いていて、私は気がつくと寝かされていた部屋に戻っていて、アルフがいろいろと面倒を見てくれるのをぼんやり理解しながらその日、眠りに着いた。



 母さんの容体は幸いというべきかそれ以上悪化する兆候は見られなかった。
翌日の朝、私の体調に配慮したのか、淡白だけれど口当たりのいい食事を運んできてくれたアルフと一緒に取った後、ほとんど包帯の取れたアルフとアレディさんにあるお願いをした。

「私に、母さんの面倒をみさせてください」

「私は反対だよ。そんなのフェイトがつらい思いをするだけだよ。フェイトには悪いけどあの鬼婆は自業自得だ」

「アルフがそう思うのも仕方ないとは思うよ。けどね、こればかりは私も他の人には譲れないの。アレディさん達がくれた薬のおかげで傷もすごく治っているし、私の体の方はもう大丈夫」

 シュラという人達は日常的に命がけの戦いを繰り返してきた種族らしく、戦闘での傷を治す医療技術や薬品などは、そのほかの文化水準に比べると発展しているみたいだった。私に使われた薬はとても良く効いている。

「アレディからもなにか言っておくれよ!」

「…………」

 アルフの期待を裏切るように、アレディさんは両腕を組んで口を閉ざしていた。この時は知らなかったけれど、これも修練、と師匠であるシンディさんから私達親子の面倒を任されていて、真剣に私の言葉を吟味していていくれたのだと後で分かった。

「ああもう、このムッツリチョンマゲ! こんな時に黙りこくって」

「アルフ、アレディさんは恩人なんだから悪く言っちゃだめだよ」

 口では悪く言っているけど、アルフが本気でアレディさんを怒っているようには思えなかった。まだほんの数日の付き合いだけれど、アレディさんやネージュさん達はアルフや私に本当に親切にしてくれている。

「フェイト殿。私は、未熟者ゆえに人の心の機微を察することに長けておりませんが、貴女たち親子の間に言葉では語り尽くせない複雑な事情がある事だけはわかります。そして貴女が決してあきらめないという事も」

「はい」

「良い眼をしておられる。私から言う事はありません。気の済むようになさると良い」

「ちょっと、アレディ!?」

「ありがとうございます、アレデイさん」

 アルフはアレディさんが許可してくれた事が納得いかずに、胸ぐらを掴みかかりそうな勢いで食ってかかる。それだけ私の事を心配してくれているという事なのだろうけど、流石に恩人にそんな態度を取るのはよくない。
 私がアルフに注意しようと口を開いた時、なにかアレディさんがアルフに伝えると、とたんにアルフから勢いが失われた。耳としっぽも力なく項垂れたのだから、なにか重要な事を言われたに違いない。

「アルフ? どうしたの」

「な、なんでもないよ。……ほんとは、ほんとはすごく嫌だけど、フェイトがそうしたいって言うんなら私からは何も言えないよ。フェイトはいつだって決めた事は絶対にやりとおすからね」

「ごめんね、アルフ」

「そこは……ありがとうの方が私としては嬉しいね」

「うん、ありがとう、アルフ」

 アルフにお礼を伝え空になった食器をお盆に載せてから、私はベッドから降りた。食器を片づけがてら、ネージュさんの所に顔を出して母さんの面倒をみる事を伝えるためだ。
母さんは私に面倒を見られることを嫌がると分かってはいたけど、母さんのためにできる事があると考えると、私の足は止まる事を忘れるようだった。
そして私はアレディさんがアルフに告げた言葉の内容がなんだったのか、という疑問をすぐに忘れてしまった。
それが――

『プレシア殿はもう長くありません』

 という内容であった事を知らずに済んだ事が幸か不幸だったのか、後になって聞かされた時も、分からなかった。



 私が母さんの面倒をみる事になってから、薬と食事を運び、着替えを手伝い、動かせない母さんの体を清めて、ネージュさんやアレディさん、それにアレディさんの先生であるシンディさんがハキやこの世界の魔法で治療を試みるのを見守り続けた。
 もうほとんど体を動かすこともできない母さんは、私に世話をされることに声を荒げる体力もないのか、ひたすらに力の込められた瞳で私を睨み続けていた。
 私は、心の奥底まで刺し貫くような母さんの視線を毎日浴び続けながら、懸命にできる事をした。アルフは時折何か言いたそうにする素振りを見せたけれど、黙って私の望むままにさせてくれている。またお礼を言わなければならないだろう。
 母さんの容体は突然悪くなるようなことはなかったけれど徐々に悪化しているのは、誰が見てもわかる事だった。まるで穴のあいたバケツから、少しずつ水が流れ出るみたいに、日に日に母さんは死の旅路に向けて歩き始めている。
 母さんが死んでしまう。
 私の目の前から永遠にいなくなってしまうのだと考えると、たまらず目と鼻の奥がツンとしだして、ぽろぽろと涙が溢れてしまうけれど、私は母さんの前では頑張って笑顔であり続けた。
 何も言わない、いや、言う体力も残っていない母さんの面倒を見続けて一日を終える日々が一週間ほど続いた。
 どんな異世界であっても綺麗な青空の広がる朝というのは気持ちが良いのは変わらないようだった。部屋の換気のために窓を開き、冷たく心地よい風がカーテンと私の髪を揺らす。
 母さんの枕元に置かれている花瓶の花を、今日の朝一番で摘み取ってきた新しいものに帰る。シュラの人達が住んでいたハコクという国に自生していたとてもたくましい花だそうで、青い涙滴の形をした七枚の花弁が鮮やかに広がっている。

「今日もいい天気だね、母さん」

 いつもとおなじ、私だけが話しかけ、母さんは答えずに視線を背ける。そう、思っていた。

「…………本当に馬鹿な娘ね、お前は」

「え?」

 一週間ぶりに聞いた母さんの声に、私は言葉の接ぎ穂をなくして呆然と立ち尽くす。窓を開いた場所から動けず、顔を母さんの方に振り向けたまま私は固まる。
 私の視線の先で母さんはほとんど死人の顔色で、私の方を見ていた。
 穏やかな口元、険の取れた眼差しをした母さんを直接見たのは私にとって初めてのことだった。いつも何かに焦り、苛立っていた母さんしか私の記憶としては知らないのだ。

「母さん!」

 母さんが私を見てくれている、読んでくれているとようやく理解した私は、思わず母さんの枕元へと駆け寄って跪いた。
 そんな私を母さんは静かな瞳で見ていた。

「……っ」

 母さんは体に走った痛みにか表情を歪めた。やっぱり体調はよくない。私は反射的に立ち上がってアレディさん達を呼びに行こうとした。

「すぐにアレディさんかネージュさんを呼んできます!」

「……ここに、いなさい」

「でも!」

 私を制止する母さんの声に私は振り返り、掛け布団から零れた母さんの腕に気付いた。一度も私を撫でてくれた事のない手。鞭に変化したデバイスをふるい、私を何度も打った手。
 その手は今や骨と皮とばかりに痩せ細っている。私よりもずっと小さな子供でも簡単に折ってしまえそうな、まるで小枝の様な手だった。看病する日々の中であっという間に細く小さくなっていってしまった母さんの手。
 私は思わず涙ぐむ。
 震えながら母さんの手は私に向けて伸ばされた。
 私がその手を包み込むよりも早く、母さんの手が私の頬を触れる。冷たい指だった。それでも母さんが私を叱責する以外で初めて触れてくれた。

「あ……」

「本当に、馬鹿な娘。私の事なんて、さっさと見捨てて忘れてしまえばよかったのに……」

 頬に触れる母さんの指を私は宝物を扱うようにそっと包み込んだ。ずっと昔から母さん以上に大切なものは私には無かった。

「そんなのむりだよ。だって、私は、母さんの娘なんだから」

 私の声は震えていた。母さんの声が優しかったからだ。はじめて母さんが私にほんのわずかだけれども優しさを向けてくれた事が、何よりもうれしくて、どうしようもないくらい幸せな気持ちになって、涙がこぼれるのを止められない。
 母さんは私の言葉を聞くと、ふっと力を抜いて柔らかく微苦笑した。

「そう、ね。どうして、そういうところはアリシアじゃなくて……私に似たのかしらね、お前は」

「母さん」

 母さんは一つ息を吐いた。たった数言しゃべるだけでとても疲れているようだった。これ以上、母さんに喋らないように伝えるべきだったのだろう。けれど私は憎悪の込められていない母さんの言葉をもっと聞いていたくて何も言えずにいた。

「フェイト……貴女はもう、好きにしなさい。好きなように生きて、そして……」

「母さん?」

――幸せになりなさい。

 それだけ呟くと母さんはもう何も話してはくれなかった。二度と閉じた瞼を開く事もなかった。そうして母さんは眠るようにして息を引き取った。



 ハリュウの塔の北西にある名もなきシュラの人達が眠る墓所に、母さんとアリシアのお墓は作られた。母さんが亡くなってから毎日お墓を綺麗にして、花を添えるのが私の日課になったのは言うまでもない。
 アレディさん達は何もできなかったと私とアルフに詫びてくれたけど、私からすれば感謝の気持ち以外には何もなかった。ましてやアレディさん達はそのまま私達の面倒を見てくれるとまで申し出てくれたのだから。
 他に頼るすべもない私とアルフとバルディッシュは、申し訳なさを感じながらハリュウの塔でお世話になり続ける事となった。
 私とアルフは時々シュラの人達と一緒に狩りに出かけたり、広いハリュウの塔の掃除を手伝ったり、シンディさんが月に一度楽しみにしている甘味を買いにお使いに出かけたりと、大したことはできなかったけれど。
 そんな日々が続き、一か月が経過した頃、時々お買い物に行くマーカスタウンの代表である猫の獣人カッツェさんとフォルミッドヘイムという遠い国の軍人で有翼人のヘンネさんという、アレディさん達の知り合いの人達がハリュウの塔を訪れた。
 なんでもアレディさんやネージュさん達とは一緒に旅をした事のある仲間みたいで、シュラの代表であるシンディさんとアレディさん、それに妖精族のお姫様であるネージュさんとは国同士の重要な話がある時などに頻繁に連絡を取るためにお互いに行き来しているらしかった。
 カッツェさん達がハリュウの塔を訪れたのは、フォルミッドヘイムの特殊部隊であるオルケストルアーミーに新人が入り、かつての仲間たちに紹介して回っているところでアレディさん達にも紹介するためにハリュウの塔に立ち寄ったのだそうだ。
 そこで私は車椅子に乗ったある少女と出会った。
 私と同年代の女の子は柔らかだけど特徴的なイントネーションと優しい微笑と共に、私に自己紹介をする。

「オルケストルアーミー見習い炊事係の八神はやて・グラナーダと言います。はじめまして」

 これが、なのはに続く二人目の私の友人、八神はやて・グラナーダとの出会いだった。

「仲良くしてな、フェイトちゃん」



――つづくかもしれないしつづくかもしれない。

これは、本当にムゲフロとのクロスオーバーなのか? と正直首を捻ったのはここだけの話。
一人称は心理状態を説明するのにはよいですが面倒くさいですね。
書いていて思ったことは、ムゲフロの戦力じゃ闇の書の闇がどうしようもなくね?
主に空が飛べるかどうかとサイズ的な問題から。
ではでは、ご感想ご指摘ご助言お待ちしております。次はとなりのダイノガイストの更新じゃあーーーーー!

PS
士郎の木刀の銘についてご提案頂きありがとうございます。真剣に検討させていただいております。



[11325] その18 魔法少女リリカルなのは × 無限のフロンティア EXCEED②
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/21 21:17
 魔法少女リリカルなのは × 無限のフロンティア EXCEED ②

注意:文のはじめごろは鬱展開です。高瀬舟的な行為があります。ピンときた方はしばらくは飛ばして読んでもおおむね問題ありません。

 『悪魔の国に来るは夜天の王』

 物心ついた時、私にはお父さんとお母さんはいませんでした。思い出しても思い出しても、私の名前を呼ぶ優しい声や頭を撫でてくれる手のぬくもり、抱きしめられた時の安心感を、私は思い出すことができません。
 気づいたら一人きりで、一人で暮らすには広すぎる家にいて、一人で生きてゆくには寂しすぎて。
 それでもお父さんとお母さんの友人だというギル・グレアムという外国の人が、生活できるようにとお金だけは援助してくれて。
 そのグレアムおじさんに拙い文字で手紙を書くことだけが、私のささやかな楽しみで。
 預金通帳を見ると確認できる振り込まれるお金と私から出す手紙だけが、私が一人きりではないと分かる証拠で。
 お買い物もお料理もお掃除もお洗濯も、全部、誰かが教えてくれるわけもなくて、私はたくさん失敗しながら、たくさん情けない気持ちやら泣きたくなるのをこらえて、がんばってがんばって、我慢して我慢して生きてきました。
 洗剤を入れ過ぎて洗濯機から泡が吹きこぼれたり、アイロンをかけようと四苦八苦した揚句に火傷してしまったり、料理の本を買ったのは良かったけれど漢字が読めなくて絵と写真の解説を頼りに作った料理が、とてもじゃないけれど食べられるものではない味になったり、包丁で指を切ったりお皿を割ったりなんて日常茶飯事。
 お風呂の沸かし方が分からなくて水風呂に震える体を押さえながら入ったり、たった一人ぼっちで眠る夜のさみしさに、ぽろぽろと涙を流して泣き疲れてからようやく眠るなんてことがしょっちゅう。
 少しは慣れたかな、と思いはじめた最近でも不意に部屋の電気を消して暗闇に包まれると、そのままずうっと暗闇の中に閉じ込められて私は誰からも忘れられて、このままどこか遠いところに行ってしまうような、恐ろしい気持ちになってしまう。
 手をつないで買い物をしている親子、公園で大きな声で笑いながら遊んでいる兄弟、仲良く話をしながら学校帰りの道を歩いている友達、そんなごくごく当たり前の光景ひとつひとつが、私にはとてもまぶしく、とてもうらやましく感じられました。
 けど私にはお父さんもお母さんもいない。私には外を思いっきり走り回る足もない。足が動かないから学校も休学してて、友達を作ることもできなくて、話をする人もいなくて、家には私以外誰もいなくて、私は生まれてからずっとひとりぼっち。いつでもどこにいても私がひとりで無かったことなんかありませんでした。
 グレアムおじさん、私は一人ではないんですよね? 
 グレアムおじさんは私の事を心配してくれていますよね? 
 グレアムおじさんは仕事が忙しいから私に会いに来てはくれないけれど、私の事を考えていてくれますよね?
 グレアムおじさんと私は繋がっていますよね? 
 私にはそれしか誰かとの絆がないんです。私はグレアムおじさんの顔も声も知りません。けれど、でも、グレアムおじさんが援助してくれるから私は生きていけています。
 グレアムおじさんは、私に生きていて欲しいと、ううん、そこまで思ってくれていなくてもかまいません。 
 ただ知り合いの娘だからと憐れんでくれているだけでもいいです。どうか、私が一人きりではないのだと、この狭くて苦しくて辛いだけの世界で、一人ぼっちではないのだと信じさせてください。
 お願いしますお願いしますお願いします。
 グレアムおじさんの顔を見てみたいとか、たくさんお話したいとか、そんな我がままも言いませんし、寂しいのも泣きたくなるのも我慢します、
 だから、お願いです。私がひとりぼっちではないのだと、生きていていいのだと、信じさせてください。お願いします。

――ひとりぼっちは寂しいよ、さみしいよ、怖いよ、こわいよ、助けて、たすけて、誰かだれか、お父さん、お母さん、グレアムおじさん。助けてよ、助けて……。
 
 けれど、いつまでも我慢する事が私にできるわけもありません。
 必死になって料理を覚え、洗濯を覚え、車椅子の私でも買い物に不自由しないスーパーを見つけ、掃除の仕方を覚え、ふと自分の事を顧みる余裕ができると、理解したくなくても理解できてしまいます。
 ああ、私の傍には誰もいてくれないんだな、自分でするしかないから家の事を必死で覚えたんだなという事が、嫌というくらいに理解できてしまう。
 気づいていないふりをして、寂しくなんてない、私は一人じゃない、そう何度も何度も自分に言い聞かせるけれど、それが嘘だっていう事は誰よりも私自身が知っている。
 いつまでも自分を騙し続ける事が出来るわけもない。孤独という現実から目をそらすための言葉は、私の心の奥でうっすらと積もり始め、最初は膜のようだったそれもいつしか山のように大きく重く暗くなっていきました。

――私って、いったい何のために生まれてきたん?
 これから先、このまま誰も傍にいなくて友達も作れなくてお父さんもお母さんもいなくて、ひとりぼっちで生きてなんになるん?
 こんなん、こんなんは嫌や。もう生きていたくない。

 だから私は、ある日、手首を切りました。冷たい剃刀の刃がほとんど抵抗を感じる事もなく私の左手首に沈むようにして切り裂き、体の中を流れる赤い血が瞬く間に溢れだしてゆきます。
 少しの痛み。わずかずつ血と共に流出してゆく熱と気力と命。
 私は私の体から失われてゆくその感覚に身をゆだねるだけ。
 水で満たされた湯船が、ゆっくりと私の手首から流れ出る血で赤く染まるのを見ながら、私はぼんやりと溶けてゆく頭で、ずっと謝り続けました。

 ごめんなさい、石田先生。いつも一緒にがんばろうって励ましてくれて、患者の一人でしかない私にたくさん優しくしてくれたのに。
 ごめんなさい、グレアムおじさん。何年もたくさんのお金を援助してくれて、私が今日まで生きてこれたのはグレアムおじさんのおかげでした。
 けれどそれも今日でおしまいです。最後に一目でいいから、グレアムおじさんに会いたかったと言ったら、それは我がままでしょうか?
 ごめんなさい、お父さん、お母さん。せっかく産んでくれたのに、私はお父さんとお母さんがくれた命を自分で絶ってしまいました。
 けれど許してください。もうすぐお父さんとお母さんに会えるかもしれないと思うと、私はとてもうれしくて、幸せな気持ちでいっぱいになるんです。もうすぐ、会いに行くからね。
 たくさんたくさんお話がしたいです。ひとりぼっちでどれだけ寂しかったか。普通の人達みたいに家族でお出かけして、お買い物して、時々喧嘩なんかもして、そういう風にする事を、どれだけ私が望んでいたのか。
 私はお父さんとお母さんに会えたら、言いたい事、伝えたい事、して欲しい事がたくさんある。抱きしめてもらって、頭を撫でてもらって、一人じゃないって言って欲しくて、そして、なにより名前を呼んで欲しい。
 私の名前を呼んで。私を見て。私がここにいるってことに気付いて。私はここにいるよ。私にも名前があるんだよ、そう私はいつも心のどこかで思っていたから。

 そして私は重たくなってきた瞼を開こうとはせずに、ただただ、ああ、これでもうひとりぼっちの悲しみや苦しさとはお別れできるんだなと、不可思議な安堵を胸に抱きながら瞼を閉じました。
 だから、気付かなかったのです。部屋の机に置いてあるはずの鎖で閉じられた本が、光を放ちながら明滅し、意識を失った私の体を光で包みこみ、遠いどこかへと飛ばしたのだという事に。

 その日、海鳴市から、第97管理外世界から八神はやてという少女が消えたが、その事を気に病む人間は、片手の指ほどもいはしなかった。



 陽の光も届かないような深海の底に沈んだような重たい意識が、ゆっくりと浮上してゆくような感覚。
 ここは天国? それとも自殺するような悪い子は地獄に落ちちゃうのかな? そうしたらお父さんとお母さんに会えない。それだけは嫌だな、そうぼんやり考えながら目を開くとそこには……。

「む、目を覚ましたようだな」

「……………………きゅう」

 頭の横から太くねじくれた角生やした骸骨がいました。真黒な眼窩の奥に赤い光を灯しながら、真正面から私を見ていました。
 あ、これは地獄に落ちたんやな、と心のどこかで囁く自分の声を聞きながら、私は再び深くどこか心地よい眠りの中に落ちてゆくのでした。

「ちょっとエイゼル! この娘の容体を心配していたのは分かるけど、いきなりあんたの顔を見せるのは不味いだろ!!」

「むぅ」

「そーだよ、そーだよ!! キュオンとヘンネにせめて猫フェイスの副長ならともかく、エイゼルはいくらなんでも心臓に悪いってば!」

「すまぬ」

「謝罪はそこのチビジャリにしやがってください。そして反省しやがれ、このガイコツ野郎」

「面目ない」

「ちょっと見習い、いくらなんでもうちの国王に対して言い過ぎなんじゃないかい?」

「そーだそーだ! この毒舌ロボ、普段から先輩であるキュオン達に対しても口は悪いし、仕事はさぼろうとするし、仮にもフォルミッドヘイムの王様に対して態度悪すぎ!」

「こりゃすんませんこってすばい」

「それがふざけているって言うんだよ!」

「反省しないってんなら減俸しちゃうからね! キモキザにクレーム付けてやる」

「チャラキャプテンにならお好きなだけクレーマーになってくだせい」

 という元気のよいやり取りが聞こえたけれど、ふたたび眼を覚ました時には覚えてはいませんでした。
 私が骸骨さんの顔を見て気を失ってからどれくらい時間が経ったかは分らなかったけど、再び目を覚ました時に見たのは、あの恐ろしい骸骨さんではなく綺麗な金の髪をストレートに伸ばした女の人。
 やや吊り目がちの目は、意識を覚ました私に対する安堵の色が浮かんでいました。私はどうやらベッドの上に寝かされていたようで、開かれた窓からは潮の匂いを含む風が白い清潔なレースのカーテンを揺らしながら吹き込んできている。

「ああ、目を覚ましたかい。言葉はわかる? どこか体で痛いところは?」

「えっと、痛いとかそういうのはありません」

「そうかい」

 ほっと一息吐いて、女の人は安堵した様子。うっすらと霧のかかった頭のままで、女の人をよく見てみると、私の頭の中には驚きの波紋が広がった。赤を基調として金属らしいものも縫い込まれているジャケットや無骨な手甲もすごいけれど、女の人の背中には真黒な鳥の翼が生えていたから。
 針金でも背筋に入っているみたいにぴしりとした姿勢で椅子に座って私の顔を覗き込んでいる。

(なんや、コスプレ好きのお姉さんに助けてもろたんか?)

 掛けられた毛布の下で手首を触ってみれば、そこには丁寧に巻かれた包帯の感触。自殺し損ねたんかあ、とどこか他人事のように感じる。けれどよくよく考えてみれば少しおかしい。
 そもそも私の家に用のある人なんてほとんどというか全く居ないし、診察日を過ぎても連絡のつかない私の事を心配した石田先生が、家を訪ねて死んでいる私を見つける可能性はあったかもしれないけれど、まだ助かるうちに私が見つかる事なんてないはず。
 ゆっくりと体を起こそうとすると、無理するんじゃないよ、と言いながら羽の生えたお姉さんが私を介助してくれる。
 寝たっきりだった時間が長かったのか、関節や筋肉が錆びついたみたいに動きは鈍かったけれど、何とか体を起こすのに成功する。ふう、と一息。

「あの、ここはどこですか? 病院、じゃないですよね?」

「まあ、ね。あたしはヘンネ・ヴァルキュリア。ここはエンドレス・フロンティアの北東にあるフォルミッドヘイムって国さ。お嬢ちゃんには聞き覚えのある地名でも国名でもないんじゃないかい?」

 本の虫という言葉通りに私にとって読書は生活の一部で、同い年の子たちと比べて知識は有るつもりだけれど、ヘンネさんの言うとおりエンドレス・フロンティアという地名は知らないし、フォルミッドヘイムというのもピンとこない。北欧神話で似たような語感の地名は出てきたけれど。

「ええと私は八神はやていいます。八神が名字で、はやてが名前でえっとひらがなではやてです」

「なに、まだ起きたばかりなんだ。そう焦んなくたっていいさね。ゆっくり考えて知りたい事からひとつひとつ質問しな」

 水飲むかい? とヘンネさんは枕元の机の上に置かれていた水差しをとり、ガラス製のコップに一杯水を注ぐと手渡してきた。断ることもないので、私は一口それを飲む。
 ごくり、と飲む音が良く響いて聞こえる。知らないうちに私の喉はそうとう乾いていたらしく、一口では止まらず結局コップが空になるまで一気に飲んでしまった。
 ぷはぁ、と一声出してから、私はヘンネさんの視線に気づき、たぶん恥ずかしさで頬を赤くしながらコップをヘンネさんに返す。とりあえず一息は付けたと思う。

「あのなんで私がその、ふぉるみっどへいむ? いうところにおるんでしょうか? あとヘンネさんのその羽って?」

「この羽は自前さ。私は有翼種だからね。このフォルミッドヘイムじゃそう珍しくもないさ。あんたの国じゃあこういうのは珍しいのかい?」

 と言いながら、体の一部であることを証明するように鴉のように真黒い翼をかすかに広げて緩やかに羽ばたかせて見せるヘンネさん。いや珍しいというか有り得ないというかなんというか、私は返事に困ってしまう。

「いやーなんというか、ふつうはおらへんちゅうか、テレビとか小説の中だけの存在というか、とりあえず私は生まれてこの方、ほんまに翼の生えている人は見た事ないです」

 なんでこんな冷静に言葉を選んで返事できとるんかなあ、私、と自分でも思いのほか落ち着いているような自分にびっくり。
 たぶん、自殺したはずなのになんで生きとるんかな、とかなんでこないな知らない場所にいて、天使や天狗じゃあるまいに羽の生えた人と話をしているんかな、とかそういうごちゃごちゃが頭ん中でひしめき合って、ぐるっと一周してなんか落ち着いてしまったんかもしれない。
 んん? 天使? そうなら死んだ後でも会う可能性は無きにしも非ず、ちゅう奴かもしれへんけれど、どうなんやろ。まだ会って十分もたっとらんけどヘンネさんは申し訳ないけど天使ってイメージと違うしなあ。いや、ま、天使と実際にあったことなんてないけれどもやな。

「そうなのかい? レイジやアクセルにKOS-MOS達は別に驚かなかったから、よその世界でもたいして珍しかないと思っていたけど」

「……あのよその世界って?」

 ヘンネさんの言葉の中で気になる言い方に、私は思わず聞き返してしまう。

「ん、ああ。ちょっと信じられないかもしれないけど、いいかい? 良く聞くんだよ」

 はい、と私は返事をし、こくりと自分でも知らないうちに息をのむ。ごくり。ヘンネさんの表情は真剣そのもの。コスプレっぽいと思ったヘンネさんの恰好も、ヘンネさんからすれば至極まともな格好なのかもしれなかったし。

「ここエンドレス・フロンティアは十中八九、はやてがいた世界とは別の世界、次元の壁で隔たれた異世界ってやつだよ」

「……はい?」

「その反応からすると、どうやら異世界なんてのはあんまり信じられていない世界から来たみたいだね、はやては。あたしみたいな羽の生えた人間てのはいなかったんだろ? それが異世界の証拠ってのにはならないのかい?」

「ええっと、いやいやいや、すみません、なんというか頭ん中がわやくちゃんなってしもうて」

「別に構わないさ。最近知り合った連中はバイタリティがありすぎてね。はやてみたいな反応はかえって新鮮だよ。ま、わけのわからないうちに知らない所にいて、初対面の人間にここは異世界だ、なんて言われりゃはやての反応が普通なのかもしれないけどさ」

 ヘンネさんは気にしなくていいと言いながら肩を竦める。話からすると私以外にも、その、違う世界からやってきた人らがいるみたいやけど、私、ほんまに違う世界に来てしもたんかな? 頬を抓ってみると、うん、痛いわ。
 私がうんうん唸っていると、ヘンネさんは机の上に置いていたゴーグルと羽飾り付きの、ティアラのような額当ての様なものを着けて椅子から立ち上がる。

「すまないね。あたしはこれから仕事に出かけなきゃいけなくってね。食事は軽いものだけどすぐに持ってこさせるから、それを食べてもう少し眠っておきな。わけのわからない目にあって不安だろうけど、はやて一人分くらいの衣食住なら面倒見れるから、そこんとこだけは安心しな」

「は、はい、そのありがとうございます」

「いいさ。じゃあ、ね」

 ヘンネさんは片手をあげて私に返事をして、重厚な大理石の様な扉を開いて部屋を出て行った。なんや頭の中はまだ混乱しまくっとったけれども、とりあえず考えても答えは出そうにないから、私はぼんやりと窓の外を見る。
 青い海が延々と広がる中に金属製の橋というか道路というかに繋がれて、東京タワーよりも大きそうな尖塔がいくつも青空に向かって建っている。私がいるんもああいう尖塔の一つの中かな?
 すぐ後になってファンタジー小説に出てくるエルフみたいに耳の尖ったお姉さんが持ってきてくれた食事は、あっさりとした味付けの魚料理やった。見た事のない魚だったけど付け合わせのスープやパンもおいしそうな匂いだったし、くう、と鳴ったお腹の虫に負けて、私はそれをぺろりと平らげてしまった。
 めしうま。
 どうも私が目を覚ましたのは朝だったらしく、どうしたもんかなあ、とぼんやりベッドに横たわってうつらうつら高瀬舟を漕いでいる間にお昼になったみたいで、ぼんきゅっぼんのエルフお姉さん(後で魔族と知った)が、今度はお肉中心のずっしりとしたメニューを持ってきてくれた。
 これまためしうまやった。フォークとナイフが止められんかったのはここだけの話や。
 あかん、このままやったら豚さんか牛さんになってまうんではないやろか。と三時のおやつに出てきた『若くてもババロア』というふんわりとろ~りなババロアを三個も食べてからそんな事を考えているとノックの音が聞こえてきた。
 は~い、と答えると仕事が終わったのか時間を見つけてきたのか、ヘンネさんと赤いとんがり帽子を被り、耳が柳の葉っぱみたいに尖っている女の子が一緒に入室してくる。
 女の子の方はヘンネさんのと良く似た袖なしのジャケットを着ていて、二人の仕事先が同じ所なのかもしれない。まあ、流行のファッションという可能性もあるけど。私があれを着ても似合わんやろなあ、と私はのんびりとした事を考えていたりする。

「お邪魔するよ、はやて」

「はやて、元気にしてた~?」

 女の子の方はなんとも親しげな調子でにこにこと笑みを浮かべて私に声をかけてくる。なんや初めて会うタイプやね。というかそもそも私の人付き合いの範囲は凄まじく狭いし、知り合いと呼べる人もほとんどおらんかったけどな。
 食べきった若くてもババロアのお皿を枕元の机の上に置いて、私はベッドの上で二人に向き直り、ちょこんと頭を下げて挨拶。

「こんにちは。ヘンネさん、もうお仕事はいいんですか? そっちの子は初めましてやろか?」

「とりあえずひと段落さ。はやての事も心配だったしね。それとこっちはあたしの同僚。ほら、挨拶しな」

「言われなくてもするってば! キュオン・フーリオンだよ。ヘンネとは同じオルケストル・アーミーの仕事仲間。キュオンの事はキュオンでいいよ。キュオンもはやてって呼ぶから。
 あとね、はやてとは一応初めてじゃないんだよ? はやてはエイゼルの顔を見てすぐ気絶しちゃったけど、最初に目を覚ました時にキュオンも居たからね」

「エイゼル……さん? 私が最初に目を覚ました時っていうと、ひょっとしてあの骸骨さんの事?」

「骸骨さん、ね。まあ、エイゼルの顔はその通りだから否定はできないね。その骸骨さんがあたしらのリーダー、エイゼル・グラナータさ。覚えておいて損はないよ」

「はやては一目見てすぐ気絶しちゃったけどね~。けどその分忘れようがないんじゃない? 怪我のコーミョーだね」

「確かに忘れられへんと思います。インパクトあり過ぎや」

 いやあ、あれは我ながら気絶しちゃったのも無理ないと思うで。目を覚ましたらいきなりしゃれこうべやもんなあ。オレ、ガシャドクロ、コンゴトモヨロシクってなもんやもん。
体には不自由な所あるけど、平凡に生きてきた私にはちょい刺激が強すぎたっちゅうもんやで。
 ヘンネさんとキュオンちゃんの上司ってことは、私の面倒を見てくれている人っちゅうことになるんかな? グレアムおじさんと言い、どん底の状態にならずに済むように誰かが助けてくれるんは、神様のせめてものお情けなんやろか。
 にしてもエイゼルさんには悪いことしてしもうたな。今度会った時には謝らんと。いや、その前に今度こそ顔を見ても気絶せんように気を張っておく事が大切かな。

「正直だね、はやては。気にしなくていいさ。エイゼルはそんな事を気にするような小さな男じゃないしね」

「そーそー、なんたってキュオン達オルケストル・アーミーのリーダーだもんね!」

 そういうキュオンちゃんの顔はいかにも自慢げ。エイゼルさんの事をずいぶん信頼しているみたい。そういう人がいるんはなんか羨ましいなあ。私にとっての石田先生みたいなもんかな?

「ところで調子の方はどうだい? 出された食事はきちんと食べたみたいだけど、無理して食べたんじゃないだろうね」

「残すなんて思わないくらい美味しかったです。何から何まですいません。私何にもできへんのに」

「前にも言ったろ。はやて一人くらいなんてことないさ。それよりいくつか聞きたい事があるんだけど、いいかい?」

「はい、私に答えられる事なら」

「ちょっと聞きにくいんだけど、はやての足はこっちに来る前から動かないのかい? それともこっちに来てから?」

 少しだけ強く心臓がどくん、と音を立てたような気がした。自殺したと思ってここで目覚めて、ひょっとしたらと思った私の足は、相変わらず動かず感覚もなく、抓ったり叩いたりしてもほんの少しの痛みも感じないまま。
 私は毛布越しに動かぬままの足を撫でて、ヘンネさんに答える。

「こっちに来る前からです。原因は不明で病院にも通っていました」

 そういう私の顔はきっと諦めきっていたと思う。お父さんもお母さんも居ない。足もある日突然動かなくなって、それからどれだけ病院に通っても良くなる兆しさえない。
 そんな日々は、私に最初から何も期待せず、諦める事で心を守る術を無理矢理にでも覚えさせた。
 足が良くなることなんてない。お父さんとお母さんが生き返る事もない。誰かが私の友達になってくれる事もない。そう考えれば、期待を抱かなくて済む分、心が傷つく事もないから。
 そんな私の表情の変化をヘンネさんは見逃さなかったみたいだったけど、黙って隣のキュオンちゃんになにか指示を出したみたいだった。

「ちょっと気になったんだけど、はやてはこの本に見覚えはある?」

 キュオンちゃんが腰の後ろに回した手に乗せられていたのは、いつのころからか私の家にあったあの鎖付きの本。どうしてこれが? と私は疑問に思ったけれど答えなんて分かるはずもない。

「は、はい。この本は気づいた時にはもう家にあった本や。けどなんでこの本がここにあるん? 私、この本を持ってきてなんかなかったのに」

「う~ん、キュオンもまだ詳しい事は分んないんだけど、たぶんこの本がはやてに良くない影響を与えているっぽいんだよね」

「え?」

「目には見えないんだけどなんかこの本とはやてに魔力のライン見たいのが繋がれててね。そのラインがはやてから強制的に魔力を取っているみたいでさ、まだ体の出来上がっていないはやてにはその負担が大きすぎるとキュオンは思うの」

 うんうん、と頷くキュオンちゃんだけれど、私はもう何が何だか、という感じ。うまうまとご飯を食べておやつを味わって落ち着いたとおもっとったのに、今度は昔っから持っとった本のせいで私の足が悪うなってたって言われるなんて。
 いや、もうなにを言えばいいのか、どんなリアクションをしたらいいのか分からへん。コーラを飲んでどうやってげっぷをこらえればいいのか分からないのと同じくらいや。
 頭の中で今日何度目になるのか、またちんぷんかんぷんの嵐がぐるぐる渦を巻いとるというのに、私の口はいつの間にか動いとった。何か喋るなりなんなりしていないと耐えられないからかもしれへん。

「あの、“魔力”って?」

「魔法を使うための力だよ。精神力とはちょっと違うかな? そんではやてはその魔力の量がすごいんだけど、そのせいでこの本に目を付けられたのかもしれないんだよね。フォルミッドヘイムはエンドレス・フロンティアじゃ一番魔法と機械文明の発展している所だから、調べればもう少し詳しいこともわかるかも知んないよ。それにキュオンも魔法に関してはエキスパートだからね!」

「……」

「て言ってもいきなりの話じゃはやてには分かんないだろ。余計に混乱させちまっただけかもしれないね」

 沈黙する私を見て、ヘンネさんはぽりぽりと頭を掻く。足が悪くなった原因らしいものが分かり、ひょっとしたら良くなるかもしれないという希望が唐突に与えられて、私はきっとヘンネさんが思う以上に混乱していた。

「とりあえずこの本は預かっとくけど、何か分かったらはやてに報告するからね」

「ごめんね、急にこんな事言っちゃって。でもでもキュオンもヘンネもエイゼルもはやてのこと心配しているから、出来る事はなんでもしてあげるからね!」

「うん、ヘンネさん、キュオンさん、ありがとうございます」

 そういう私の心の中は整理できない混乱の嵐と、キュオンちゃんの言葉を聞けた喜びの二つがあった。私を心配してくれる誰か、私をはやてと呼んでくれる誰かを、私はずっと求め続けてきたのだから。



 といわけでびっくりどっきりな告白をキュオンちゃんにされてから数日が経ちました。まあ、その間特に進展もなかったちゅう話やね。
 キュオンちゃんとヘンネさんはいろいろと忙しいみたいだったけど、暇を見つけてはちょくちょく私のお見舞いに来てくれて、このエンドレス・フロンティアという世界の話を聞かせてくれる。
 もともとこのエンドレス・フロンティアいう世界は別々の世界がクロス・ゲートという門みたいなもので繋がれていたそうな。
 それが数ヶ月前に起きた事件がもとで一つの世界に融合したらしくって、その影響でいろんな所が変化していて、いまでも詳しい事は分かっていないから、自分の国の事でも分からない事が多くって、いろいろと調べないといけないから忙しくて仕方ないみたい。
 そんな中でも様子を見に来てくれるんやからなんともありがたい話しや。ほんまに衣食住の面倒までみてもろて、どんだけ頭を下げても下げたりひんったらありゃせんわ。
 それにしてもここが天国でも地獄でもなくって別の世界なら、グレアムおじさんや石田先生には悪いことしたなあ。ある日突然行方不明やもんな。
 自殺するんも迷惑極まりないやろけど、行方不明じゃ生きているかもしれないって変な期待を持たせちゃうかもしれへんし。
 そういえばこの数日、キュオンちゃんやヘンネさんが私の手首の傷について聞いてくる事はなかった。明らかに自分で手首を切った痕だと分かっているだろうけど、その事情について聞いてこないのはヘンネさんたちなりの優しさだとおもう。
 ええ人たちやなぁ、ほんま。
 時々血を取ったり全身を検査用の機械やキュオンちゃんの言うところの魔法らしいピカピカする光で調べられたりしたくらいで、基本的に私はベッドの上の住人やった。体調は完ぺきやったけども、この世界に来た時に車椅子は無かったから特別に誂て貰っている所やし、私ひとりじゃで歩く事もままならんしね。
 窓の外に目をやれば、あれまあ、なんや獣の顔をした人間らしい人影が波乗りやっとる。他にも下半身がお魚さんになっとる女の人の姿もあった。あれって人魚? ああいうのを見るとほんとに異世界に来たんやなあとしみじみ思うわ。
 そんでまたコンコン、とノックの音。この音はヘンネさんやね。ノックの仕方で相手が判別できるようになったんやけど、これは特技と言えるやろか?
 は~いと私が返事をすれば、予想どおりヘンネさんが入ってくる。なんとなく疲れた感じ。お仕事が忙しいんやな。

「調子はどうだい、はやて?」

「ぼちぼちです。あんまり運動してへんからお腹が膨れそうでちょっと怖いくらいです」

「それなら問題はなさそうだね」

 そう言いながらヘンネさんはベッドの脇に置いてある椅子に座る。いつものきびきびとした感じがくたっとしとるように見える。ありゃ、ほんまに疲れた感じがしとる。相当仕事が大変になってきたんかな?

「いまさらなんだけどはやてに言っておかないといけない事があってね。今度もまた言いにくいんだけど」

「なんです? 私、たいていの悪い事なら言われても大丈夫です。慣れてますから」

 そういう私に、ヘンネさんはため息を吐く。なんだろ? 私なんか悪い事言うてしもたんかな?

「慣れてる、ね。……はやては、元いた世界に帰りたいと思うかい?」

「それは……」

 元の世界と言われて、私の頭の中に浮かんでくるのはお父さんとお母さんのお墓の世話や、グレアムおじさん、石田先生の事。
 私が居らんとお墓の世話をしてくれる人はいないし、グレアムおじさんや石田先生にも私が無事な事を――ああ、でも失敗したけど自殺しようとしたんやし無事を伝えるっていうのもおかしな話や――というかまあ、元気にやっとりますくらいは伝えたいなあ。

「少し、そう思います。お父さんとお母さんのお墓は向こうにありますし、お世話になってた人もいるから」

「そうかい。そうなら申し訳ないけど、はやてを帰してやれるか正直保障できないんだよ」

「保障できない、ってことは危険だけれど帰れるかもしれない手段は有るってことですか?」

「まあ入口があるんなら出口もあるって話さ。はやてを最初に見つけたのはこのフォルミッドヘイムに一つだけ残っているクロスゲートの前でね。たまたま哨戒中だったうちの兵士があんたを見つけて保護したのさ。
 おそらくだけどそのクロスゲートからはやてのいた世界に戻れるはずだよ。ただ確証があるってわけじゃないし、イレギュラーな転移だったのかクロスゲートの調子が悪くってね、数カ月は動かせそうにないんだよ」

「そうなんですか」

「あんまり気にした様子はないんだね?」

「あの、私はお父さんもお母さんもいませんし、病院の先生と援助してくれたおじさんくらいですから。私の心配をしてくれるのは」

 また、ヘンネさんは私の言葉に難しい顔をする。

「このクロスゲート以外にも二か所ゲートを開ける所は有るけど、片方は正確な座標とエネルギー出力の調整が必要だし、もう一つもしばらく放置していたから扱いが難しくってね。すぐにはやてを帰してあげる事はできそうにないんだ。しばらくはここで面倒をみるからさ」

 今日までお世話になっていたのに、また暫くお世話になるのは流石に気が引ける。なにより私には与えられた好意に対してお返しできるものが何一つとして無いのだから。

「あのヘンネさん、私こんな体ですけど、一人暮らしでしたから家事はできます。お料理にお洗濯、お掃除ができます。雑用でも何でもしますから、何かお手伝いさせてくれませんか? なんにもせんままでずっとお世話になるなんて申し訳ないです」

「そりゃまあ、人出は足りていないけどうちの仕事は荒事ばっかりだしねえ。はやての体と年齢じゃ危険なことばっかりだよ。それともはやては見た目だとまあ、九歳かそこら。実際はその二、三倍くらいって話なら別になるけれどね」

「いやいや、見た目通り十歳にもなっていない車椅子美幼女ですから!」

「ふうん、悪くないツッコミだねえ。でも自分で美幼女とか言うかい? しかし、見た目通りってんなら尚更ねえ。どうする、エイゼル?」

 とヘンネさんが扉の方を振り返ると扉越しにお腹の底まで響くような重低音の声が返ってきた。エイゼルさんちゅうとあの骸骨さんの事かな? 私が気絶した事を気にして隠れているんかも。そうなら悪い事してしまったなあ。

「後方での兵站任務なら問題は有るまい。それに今は戦乱の兆しもないし、後は身を守れる程度に基礎の訓練と座学を受けさせればよい。ただし訓練は厳しく行う。
無論受けずともよい。世界の融合による混乱は有るとはいえ、我がフォルミッドヘイムははやて一人の面倒を見れぬほど貧困に喘いでいるわけではないのでな」

 相変わらずエイゼルさんの姿は扉の向こうで見えへんかったけど、私の言い分を認めてくれる答えに、私はうんうんと首を縦に振る。何も役に立たないままではいつか見捨てられるのでは、という恐怖が私の心の中になかったかといえば、嘘になる。

「うちのリーダーがそういうならまあ文句は言わないけどねえ。じゃあとりあえずはやてはオルケストル・アーミー見習いかい? アシェンと立場はおんなじで構わないのかい、エイゼル?」

「構うまい。後ではやて用のジャケットと車椅子を用意させるが、ヘンネ。教育はお前が行え」

「そりゃ別に構わないけど、仕事の方はどうするのさ? 仕事の片手間にはやての面倒をみるなんて中途半端な事は嫌だよ」

「はやての教育に専念せよ。新兵達も育ってきている。そろそろ彼奴等にも前線の任務をこなせるようになってもらわねばな」

「そりゃあねえ、後進が育てばいまの人手不足も何とかなるけど、オルケストルクラスにまで育つ奴はまだまだ時間がかかるよ?」

「時間はある。では、我はもう行く。はやてよ、不安ではあろうが悪いようにはせぬ。いましばし堪えてくれるか?」

「は、はい。私こそよろしくお願いします!」

 と反射的にぺこりと頭を下げた。やれやれ、とヘンネさんが肩をすくめているのがやけに印象的だった。



「ふっふっふっふ、覚悟するがいいわ。私の手で氷漬けのシャリッシャリにしてくれるわい!!」

 と笑う私の目の前には滅魏みかんの山。目出度くオルケストル・アーミー見習い炊事係というポジションに落ち着いた私は、私用に作ってもらった袖なしのオルケストル・アーミー・ジャケットの上に、エプロンを付けて、シャーベット作りに勤しんでいた。
 私がヘンネさんの生徒みたいな感じになっていて、この世界の事やフォルミッドヘイムの国家制度とか、軍規やらを学び、時折キュオンちゃんに魔法を習っている。
 流石にヘンネさんのように羽をレーザーみたいに射出するんは無理やけど、キュオンちゃんの戦術砲機ブロンテ・クラフトとおんなじ感じに私の車椅子も作られていて、ホバークラフトみたいな感じに浮いて高速移動できるし、雷や炎も出せるようになった。
 私の魔力を消耗しているらしく、あんまり使い過ぎると疲れるけど、キュオンちゃんとヘンネさんのお陰で魔力言うんもちょう扱えるようになってきたから、自分の限界っちゅうのは分かってる。
 フォルミッドヘイムの研究機関にあの鎖付きの本は預けっぱなしだけど、あんまり解析の方は進んでいない。
 なにやら見た事もない術式の複雑奇怪極まりない内容らしいけんども、まあ、私の足が急に悪くなるような事もなかった。よくもならんかったけどな!
 お台所で全身骨骨の人やら人魚の人、なんかメタルチックな竜さん、サーファーさん、蝙蝠の羽の生えた怪しげな紳士風のおじいさんと、まともな格好の人が一人もいない人らからの注文をさばいていると、エイゼルさんに呼び出された。
 とりあえず作り終えたみかんシャーベットを大型の冷蔵庫に入れてから、私専用戦術車椅子の車輪を回してヘンネさんのところへとレッツらゴー。
な んか人の手や足をごちゃごちゃにくっつけて球体にしたなんともおどろおどろしい石像や、でっかい虫みたいな石像が左右を固める道を進み、いくつかのワープポイントを経由して、私はエイゼルさんの待っている部屋に到着。

「エイゼルさん、ヘンネさん、はやてです。お呼びですか?」

「ああ、鍵は開いているから入ってきな」

「ほんなら失礼します」

 部屋の中で書類仕事をしていたエイゼルさんは、すぐに来客用のソファを勧め、私の車椅子の邪魔にならないようにソファの一つの位置をずらす。
 話を切り出してきたのはヘンネさん。

「そろそろはやてもこっちの暮らしに慣れてきただろ? クロスゲートの調整はまだ時間がかかりそうだし、どうせだから今のうちにはやてをいろんな連中に紹介しておこうって話になったのさ」

「フォルミッドヘイムのお外に行くんですか?」

「うむ。魔力の扱いにも慣れたようであるし、外を出歩く程度はできよう。それに昨今の騒乱の影響で、各国との連絡を密にとる事の重要性が浮き彫りになっていてな。その兼ね合いもあってはやての顔をと名前を覚えてもらって損はない」

「私がなにかお役にたてるんならがんばらさせていただきます」

 もちろん、私に断るという選択肢はない。石田先生とグレアムおじさんには申し訳ないけれど、エンドレス・フロンティアに来てからまだ短いけれども、私が孤独の辛苦を噛み締める事はめっきり減っていて、それは間違いなくヘンネさんにキュオンちゃん、エイゼルさんのお陰やったから、なにか役にたつっちゅうんなら何でもするつもりやった。

「それでだが、なんの後ろ盾もないお前を見習いとはいえオルケストル・アーミーに加える事に良からぬ反応を示す者もおるやもしれぬ」

「まあ、ルボールくらいだろうけどね」

 ルボール、というのは確か十年戦争というフォルミッドヘイムが起こした戦争で武勲をあげて、一国の王になった狼の獣人さんの名前やね。かなり好戦的な人で、隙あれば領土を広げようと画策しとるらしい。のわりには普通に交易とか支援とかもしてくれとるみたいやし、あれか、ツンデレオオカミなんかね?

「はやてよ、お前は八神はやて・グラナータと名乗るがよい」

「それってエイゼルさんのファミリーネームですよね?」

「不満は分かるが仮にもこのフォルミッドヘイムの王たる我と同じ姓名を名乗れば、迂闊に手を出す輩は減るであろう」

 いや別に不満はないけど急な話しやから驚いただけですよ。まあ、ほんとに私がエイゼルさんの養子になるとかそういう話ではないみたい。
 そうそう、なんとエイゼルさんは特殊部隊オルケストル・アーミーのリーダーというだけではなく、このフォルミッドヘイムという魔族の国の王様やったんや。指導者が長い事おらん状況が続いていたのを、収めるためにエイゼルさんが王位に就いたそうなんや。
 エイゼルさんは周囲からの人望も厚いし本人もそのムキムキマッチョのドクロフェイスというお化け屋敷では決してで会いたくない外見やけども、実に誠実で紳士なお人やから、王様としては適任やと思う。
 それにしても、よもや一目見たときに気絶した相手と同じ名字を名乗る事になるとは、さすがのはやてちゃんも予想だにしなかったで。……ん? 私、エイゼルさんとおんなじ名字を名乗るには抵抗ないみたいや。これは私自身意外や。

「衣食住ばっかりやのうてそんな所にまで気を使っていただいて、ほんまありがとうございます」

「構わぬ。明日には出立する予定となっている。今日は部屋に戻り支度を整えよ。ヘンネにはまだ我の方から話がある。はやてよ、その目でしかとこの無限の開拓地を見てくるがよい」

「はい!」

 ちょこんと頭を下げて私は部屋を後にする。それにしてもフォルミッドヘイムの外の世界かあ。なんや旅行みたいで楽しみやなあ。フォルミッドヘイムの国内を出歩いた事は有るけど、外国にまで足を伸ばした事はないから、うわ、なんかドキドキしてきた。
 これがあれか、遠足の前の夜は眠れない、ちゅうやつとちがうん? うわあ、これ私の憧れのシチュエーションのひとつやん。意外なところで夢が叶うとはなあ。
 キュオンちゃんにはどんなお土産買ったげようかなあ? と私はすっかり旅行気分で少ない着替えや携帯非常食、医薬品なんかを鞄に詰め込む作業に熱中した。



 飛行機に新幹線やバス、車に乗らんで自分の足――私の場合は車椅子やけども――で旅行というのはえらい疲れるもんやった。
 ヘンネさんは軍人という事もあって慣れた調子やったけど、基本的に野宿だから寝袋が欠かせへんし、お天道様に嫌われれば、突然の雨にぬれたり逆にカンカン照りで咽喉がからっからになることもあったしな。
 なんでも各国の首都をつなぐ簡易ゲートの敷設なんかも提案されているらしい。フォルミッドヘイムではごく普通に使われているワープポイントの巨大版でもあり、クロスゲートの簡易量産仕様でもあると説明を受けたけど、出来たら便利やね、くらいにしかこの時の私は考えていなかった。
 それでも図書館と病院とスーパーくらいしか外の世界を知らなかった私には、土地ごとにがらりとその姿を変えるこのエンドレス・フロンティアいう世界は、好奇心を大いにそそるまさに未知の無限の開拓地やった。
 私はフォルミッドヘイムを出た後エスメラルダ城塞言う所の近くを通り、元は水中国家やったというヴァルナカナイにあったヴァルナ・ストリートを通った。途中で野盗やらモンスターやらが出てきたけど、流石はヘンネさん。
 フォルミッドヘイムのエリート中のエリートであるオルケストル・アーミーのメンバーは伊達ではないようで、ほとんど私の援護なんて必要なしに千切っては投げ千切っては投げの大活躍。見ていて惚れ惚れする暴れっぷり。
 ううむ、少しはキュオンちゃんとの特訓のお陰でこの世界の魔法みたいなこともできるようになったけど、こりゃ私の出番はないわ。楽ができるっちゃできるけど、なんや申し訳ない。
 そのあと、見上げるほど巨大な不死桜という桜の木が特徴の神楽天原という所に寄った。この神楽天原を治める南舞讃岐という皇様にお目通り願って、私はもうカチンコチンに緊張するほかなかった。そりゃエイゼルさんも王様やったけど、親切にしてくれていたし何度も顔を合わせていたから慣れていた。
 私の紹介はついででフォルミッドヘイム王であるエイゼルさんからの親書を届けるという名目ではあったけれども、立派なおひげを蓄えた讃岐皇さんに声を掛けられた時は心臓が口が出るかと思ったで。
 それ以上に衝撃的やったのはお姫様だという神夜さんと顔を合わせた時やったけどね。いや、もう、あれはね、なんちゅうかね。おっぱいや。おっぱいとしかいえん。むしろおっぱい以外に何があるん? 
 あの格好で平然と外を歩きまわっとるちゅうんやから、神楽天原って大丈夫なんかと心配してしまったわ。あれは歩く猥褻物といっても過言やない。ほんまにや。私もあれくらいになれるかなあ?
 讃岐皇さんとのお話が終わったあと、一泊してからさらに西に向かって私とヘンネさんの足を向かった。以前のエンドレス・フロンティアには存在しなかった“修羅”という人達が住んでいる波国が今度の目的地や。
 途中、砂漠地帯を縦横無尽に走る巨大猫型戦車を目撃した時は正直、目が点になったわ。爆走するそれが停車する時を見計らって乗り込む事、戦車の背中にマーカスタウンという一つの都市があった。
 なんで猫型戦車の上に都市を作ったのかは正直意味分からんかったけど、砂風呂は堪能できたしまあよしとしとこか。
 そこのマーカスタウンの代表はオネエ言葉の猫の獣人でカッツェさん言うお人やったけど、この人が十三年前、十年戦争が終結するまでの間オルケストル・アーミーのサブリーダーを務めていた豪傑なんやって。
 そのカッツェさんが水先案内人を買ってでてくれたんで、私達はそのまま修羅の人達の住む“覇龍の塔”へと向かった。幸いエスピナ城の妖精族を束ねるネージュ・ハウゼンというお姫様もいるらしいので、これは都合がよかった。
そして私は出会った。後に友達と呼べるくらい仲良くなる女の子、フェイトちゃんと。
 修羅の人達の民族衣装(?)らしい丈の短いケープとおへそがくっきり浮かび上がるくらいぴっちりとしたインナーを着込んだちょう露出過剰な格好をした、お人形さんみたいにびっくりするくらい綺麗なフェイトちゃんに、私はにっこり笑みを浮かべて挨拶を。

「オルケストル・アーミー見習い炊事係の八神はやて・グラナータと言います。はじめまして」

 フェイトちゃんは同い年くらいの相手と話した事がそんなにないのか、ちょっと戸惑っている風だった。それは私も同じだったので、実は心の中で期待と不安がぐちゃぐちゃになってドキドキしていた。

「仲良くしてな、フェイトちゃん」

 この子とはきっととても仲の良い友達になれると、私は根拠もなくそう信じていた。

つづく
次回ヴォルケンズ登場予定。フェイトの格好はシンディ師匠のインナーの上にアレディあの白いケープ?みたいなのを羽織っている感じです。
神夜と遭遇した事でシグナムの身体的特徴に対する衝撃は大分和らぐ事でしょう。
知り合いに関西弁の人とかおりませんので、はやての口調に違和感を覚えられる方もいらっしゃいますでしょうが、なにとぞご容赦くださいませ。

あと感想板の方で感想があるならまだしも、ただただあのクロスが読みたい書いて欲しいと仰られましても、私はただリクエストに答えてSSを書く機械ではありませんのでまったくモチベーションは上がりません。その点はご寛恕くださいますようお願い申し上げます。



[11325] その12 カオスウォーズ(ガングレイヴOD)
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/10 20:58
――SRPG【カオスウォーズ】より

 リアライズ。本来持つ力を呼び出す、或いは引き出す事。異世界エンディアに召喚されたが故に行わねばならぬ行為。
 両腕に絡みつく鎖とその先に吊るされた棺桶の質量がズシリと感じられた。骸骨の姿を晒す死神が掻き抱いたかのごとき異形の柩の側面が上部に向かい二つに割れ、その内部に収められた二丁の巨銃を、己の手の内に納める。
 魔銃ケルベロスシリーズのファーストとセカンドバージョン。子供の二の腕ほどもある、異常に巨大な漆黒の銃身に銀と紅の十字を嵌め込んだ、冥府の番犬の左右の首。
 『デス・ホーラー』、『ライトヘッド』、『レフトヘッド』。己が力の象徴を手に、グレイヴは眼前の旧敵を睨む。銃弾と銃火によって負った傷を隠す左目にだけはめ込まれた漆黒のレンズの奥、言葉無き死人は、視線で語っていた。

「グレェェェーーイヴッ!!」

 冥界の奥底から死者が限りない怨念を持って、仇敵の名を叫べばかくあらんか。鍔広の帽子の下、かつてグレイヴに砕かれた顎を支える金属の頤の奥、奈落にも似た口腔から、ファンゴラムは叫ぶ。
 求め続けた怨敵の名を。憎み続けた仇敵の名を。今目の前に立つ裏切り者の名を。
 二メートルを越す漆黒の十字が、その先端をグレイヴに向ける。ケルベロスシリーズラストバージョン『センターヘッド』。グレイヴの持つ魔犬の、左右の首を凌駕する中央の首。
 ミレニオンの狂いし科学者達が嬉々として造り上げた異形の銃。ファンゴラムを死人最強の攻撃力の主と言わしめる鋼。青白い死人そのままの肌に纏う、暗黒色のコートは悪魔の翼のように風にはためく。
 対峙するグレイヴは、紅の鉄片を打ちつけた黒のジャケットを叩く砂塵を気に求めず立つ。周囲ではオーグマンを相手にウルが、カーマインが、ヒョウマが、モニカが、この世界で出会った仲間達が闘っている。
 砂塵逆巻き、岩山が聳え立つ砂漠。異形と化した生者を率いて、死人は死人の前に立ち塞がった。
 両手で保持したパピーファングを立て続けに撃ちながら、ミカが叫ぶ。

「グレイヴ!!」

 風が、吹いた。そして、風が孕んだ砂を、銃声と銃弾が撃ち抜いた。最初の魔銃の咆哮は、グレイヴの持つ左右の首から放たれた。常人では、例え鍛え上げた屈強な人間でさえ扱いきれぬ超規格外の銃が、その反動を持ってグレイヴの両腕の拘束から放たれんと暴れ狂う。
 しかし、グレイヴの腕は揺らがない。石像と化したかの如く不動。凶暴な唸りを上げる魔銃共を屈服させ、眼前の死人へとその咆哮を上げさせ続ける。両者の間に存在する空間を、ライト、レフトの両方から迸る火線が埋め尽くしていた。
 だらりと提げていた巨銃の、死を吐き出す銃口を向けた速度はさながら閃光。引き金を引く指の速さは言語に絶し、フルオートファイアリングの機関銃に迫る速度を叩きだしていた。
 “メトセラの種”により超絶の再生機能を有するオーグマンさえ屠る魔弾が、一続きの災厄と化してファンゴラムの全身を着弾の炎で彩った。銃口から雄々しく吐き出される銃火は照りつける太陽に勝り、砂の大地にグレイヴの影絵を刻々と刻む。
 金色の帯のように空中に流れ出る薬莢が、ようやく地に落ちた時、ファンゴラムの魔銃が動いた。ファンゴラムの全身は、着弾の衝撃と淀むことない超速の連射に晒されてコートのあちこちから火を噴いていた。
 ああ、そしてその全身を包む炎の奥に燃え滾る憎悪の炎の苛烈さよ。咎人を焼く終末の炎を思わせる、その輝きの凄まじさよ。
 耳を劈く魔犬の左右の首の咆哮を、耳障りだと言わんばかりに中央の首が吼えた。まさしくそれは魔銃の咆哮。
 冥界の道を行く死者が聞いた冥府の門を守る番犬も、これに等しき咆哮を揚げて、神の子を迎え撃ったのだろう。
 ただ一度の銃声が、それまで無数に放たれていた銃声をかき消すとは。大気は鳴動し、それが過ぎ去った後には暴虐の嵐が吹き荒れたかのごとき爪跡を残すのみ。
 魔銃ケルベロスシリーズ最凶最後の首“センターヘッド”。その威力の凄まじさよ。ケルベロスシリーズは死人の使用を前提に開発された銃器だ。生者ではなくなった彼らは、生者が、自然に備える神経の設けたリミッターがなく、筋力の抑制を受けない。
 自らの肉体を壊しかねない人体の潜在能力を完全に発揮し、更にネクロライズによって与えられる超人的な身体能力と再生能力とが、従来の、『生きた人間の使用』という枠に留まらない兵器の開発を可能としたのだ。
 グレイヴの棺桶は、ネクロライズ計画の主要メンバーだったDr.Tの手になるものを、更にスパイクという新たな仲間が改良したものだが、ライトヘッドとレフトヘッドは元のままだ。
 片手で扱うにはあまりにも重い重量、人が扱うにはあまりにも巨大な反動、そして人以外の何者かを相手にすることを前提としているとしか思えない大口径。
 これら異形ともいえる銃を扱いうるのは、最強の死人兵士と称されたグレイヴならではだ。
 だが、殊攻撃力と言う一点に関しては、グレイヴを上回る死人兵士が存在した、それがファンゴラム。
 グレイヴでさえ扱えないセンターヘッドを使いこなす死人。かつてグレイヴに顎を砕かれ、同胞たる死人を同じ死人であるグレイヴに奪われた男。
 今、ファンゴラムは絶大なる歓喜の元、憎悪の弾丸を、魔犬の中央の首より吐き出さんとしていた。
 トリガーを引く指、落ちる撃鉄、銃口より放たれる巨弾。それに込められる生ける死人の怨念、憎悪、妄執。
 それとほぼ同時に、周囲で戦っていたヒョウマやミュウ、リィンが雷に打たれたかのように体を震わせた。
 グレイヴの魔銃は、耳を劈き腹に響く銃声だが、ファンゴラムのセンターヘッドは聞く者の全身を衝撃波となって打つ巨音なのだ。
 己に歯向かう、同胞が吐き出した銃弾をすべて蹂躙し、跳ね飛ばし、屈服させ、センターヘッドの巨弾は走った。実に大人の頭ほどもある常軌を逸した、それこそ戦車の複合装甲さえ紙の様に貫く常軌を逸した弾丸であった。
 グレイヴが一瞬前まで居た空間を穿ち、通り過ぎ、その背後にあった岩山の基部に直撃し、あろうことかそれを崩壊せしめた。
 例えグレイヴが、ネクロライズ化による超常の再生能力を有していようとただ一発の弾丸で戦闘不能となる、それがセンターヘッドであり、ファンゴラムという敵なのだ。
 グレイヴは恐れもなく怯えもなく、気負いもなく、ただ静かにファンゴラムを見つめた。静謐さだけをたたえる隻眼に、戦意の炎を灯して。
 十字の様に左右の腕を交差させ、誓いを立てるようにライトヘッドの銃身を立てる。新たな死者に対し、冥福を祈る冥界の使いのように。その使いを何と呼ぶか。
 ファンゴラムは、センターヘッドの余波によって炎が吹き飛んだコートの裾を翻して、再びグレイヴへと魔犬の首を向ける。
 翻ったコートの裾が、まるで何か忌まわしい生き物の翼のようだ。その生き物を何と呼ぶか。
 死神 対 悪魔 。この世ならざる者達の魔戦は、静かに、狂おしく、始らんとしていた。 銀の十字が煌めく、紅の十字が閃く。魔銃を交差させ、全長60センチに及ぶ超規格外の銃身から人外さえ屠る弾丸が奔る。引き金に掛かった指は電光の速さで動いた。
 銃口から迸る長大な銃火は続く衝撃に揺れる。ファンゴラムの分厚く、死体を思わせる青白い胸板に新たにボッとくぐもった音を立てて空いた穴が6つ。
 いまだ全身から打ち込まれた弾丸が、新たに生まれる肉に押し戻されて砂に落ちている所だ。たちまち青白い光と共に修復してゆく傷を、新たな傷が埋め尽くすべく、穴を穿つ。肉を裂く。神経を千切る。
 途切れる事ない銃声が、金色の流れがライトヘッドとレフトヘッドから吐き出され続ける。眉一筋動かず引き金を引き続けるグレイヴ。さながら殺戮の機械と化したかのように動きがない。
 巨銃の反動に揺れる以外に動くのは、引き金を引く指のみ。
 憎悪を吐き出し、瘴気を滲ませる以外に動かなかったファンゴラムが動いた。異形の大十字を振り上げ、左手をその下に支えるように添えて、狙いはグレイヴ。二射目のセンターヘッド。
 膝から下を、センターヘッドの反動を支えるスパイクに変えた右足が、直角に回転し、三本のスパイクを砂地に突き立てて射撃体勢へ。この間、コンマ一秒。
 グレイヴの銃撃が止まり、すかさずセンターヘッドの巨弾を避けるべく跳躍へと移る。
 左右の首を嘲笑うかのごとき苛烈、熾烈、強大な魔犬の咆哮。巨弾が過ぎ去った後に発生した衝撃波がグレイヴの巨体をあおり、跳躍に加えて長く、砂地を滑った。
 そしてグレイヴは砂地に墜落するまでの間に、左右の首は16発の弾丸をファンゴラムに叩き込んでいた。
 心臓の真上10センチ以内に着弾した衝撃に、ファンゴラムの左半身が大きく反る。バランスを崩されたファンゴラムがセンターヘッドの三射目の照準を狂わせて、彼方の方向に魔犬の咆哮が上がった。
 跳躍している間の一秒以下の時間に16発の連射を見せたグレイヴも全く同じ時間で、二メートルを越すセンターヘッドを手足の延長のように振るい、照準を定めて引き金を引いたファンゴラムも、共にヒトではない。人の姿をした魔物だ。
 それも当然だろう。彼らは絶対なる“死”さえ超えて墓場から蘇ってきた者達なのだ。
 それが生者の論理に収まる道理があろうか? 否、ゆえに彼らの闘いはこの世で行われながらも、この世のものではない闘いなのだ。
 横っ飛びの体勢で砂に体を投げ打ったグレイヴが、それとほとんど同時に片膝を突いた姿勢になり、
 両腕に鎖で吊るした棺桶――デス・ホーラー――を肩に担ぐ。その棺桶が縦に割れ、その中に収めた死を生む鉄を送り出す。
 死者を導くのではなく、死者さえ葬り、新たな死を与える死神へ。
 ランチャー用のトリガーグリップを握り締め、左手で抑えつけながら、砂のヴェールを射抜く鋭い眼光はファンゴラムへ。
 ファンゴラムもまた気付く。闘気も殺気も、そもそも気配そのものがない死人兵士の殺気を感知したのは、同じ死人兵士ゆえか。それとも怨敵を求める復讐鬼ゆえか。
 センターヘッドの超重量と自身の巨体からは、信じられない身のこなしでファンゴラムはその場を回避し、近くにあった岩山の背後へと回る。
 直後、数瞬前までファンゴラムが占めていた空間を爆炎と爆風が吹き飛ばし陵辱する。
 乾いた大気を舐め尽す炎の舌と、熱を孕んだ風に視界が閉ざされ、両者共に互いの姿を見失う。そう、姿は。

「グゥゥゥレェェイイイイヴゥ! おぉ前ぁあえはぁぁぁ、絶対にぃぃ許ざないいー!!」
 憎悪と妄執と怨念とが化学反応を起こしたかのごとくファンゴラムを突き動かす情念。
 姿は見えなくとも怨敵を見逃すはずなどなく、岩山に向けてセンターヘッドの銃口を向ける。
 吼えよや、魔犬の頭。冥界で死者の聞く咆哮の如く。黄泉の国を振るわせる遠吠えを今ここに木霊せよ。
 岩盤を突き崩し、突き抜ける咆哮。鋼の死弾はファンゴラムの憎悪の引き金と狂気の照準に従って直線を描く。
 そして崩れる岩山を、弧を描いて避け迫り来る8つの死の使い。 
 崩れる岩山の向こう、肩にデス・ホーラーを担いだグレイヴ。ただしファンゴラムに向けていたのはランチャーではなく、 側面部に内蔵されていたマイクロミサイルランチャー。
 ファンゴラムがグレイヴの位置を看破したように、グレイヴもまたファンゴラムの位置を感じ取っていたのだ。

「ゴアアアァァーー。死ぃぃぃねええええ!!」

 爆炎と砂塵が両者を包み込んだ。
 吹き荒れる。吸い込めば、その肺を焼き尽くす灼熱を孕んだ風が。炎の蹂躙を広げる爆風が。急速に広がる砂塵を、幾重にも重なる重低音と、鋼が突き破り奔る。
 センターヘッドの一弾を如何にやり過ごしたか、無傷のグレイヴが、右脇に抱えたデス・ホーラーの照準をファンゴラム目掛けて、勘に頼った盲目撃ちで合わせていた。
 棺桶の下部に設置された重機関銃が、長く太い薬莢をばら撒きながら次々と唸りをあげ続けている。
 グレイヴは、頬を焼く熱にも叩き付けるように吹き荒ぶ砂塵にも、眉一筋も動かさない。
 巨躯を揺らす重機関銃の反動を押さえつけながら、姿見えぬ旧敵を粉砕、否、滅殺、否否、消滅させる為に。
 不意に、グレイヴが眉間に寄せる皺をわずかに深くし、視線と銃口を上空に向ける。
 その先に、センターヘッドを構えたファンゴラム。あの巨体と超重量の装備で、まさか五メートル近く跳躍していたとは。
 空中でコートの裾が棚引く。宗教画に描かれるあの忌まわしき存在の、翼の様に。鍔広の帽子の下で、ファンゴラムの双眸が狂気と殺意の濃度を濃くする。
 引き金はそれを世に知らしめるための、ささやかなきっかけに過ぎない。

「グオオォォオァアアーー!!」

 幾度目か、世界を振るわせる魔犬の咆哮よ。怨敵を穿つまでは砕くまでは消し去るまでは飽く事無く、無限の妄執を持ってこの咆哮は轟くに違いあるまい。
 空中で身動きの取れぬファンゴラムに次々と着弾する重機関銃の巨弾。たいしてグレイヴは、後方に跳躍し、間一髪でかわした筈のセンターヘッドの一弾の余波に煽られ、
 大きく胸から下腹部にかけて真っ赤な血を奔騰した。ファンゴラムの邪念が宿った弾丸が、物理現象さえ捻じ曲げているのではあるまいか。
 たちまち、ネクロライズ計画による恩恵、再生能力が、グレイヴの傷を癒し始める。再生能力と肉体の維持には共に大量の血液が必要なのだが、
 このエンディアにおいてその欠陥は、なぜか無くなっていた。本来死人兵士の数少ない弱点であるはずの、血液の補充を必要としなくなったことで、グレイヴの不死性は格段に増していた。
 だが、それはファンゴラムもまた同じ事なのだ。センターヘッドの反動と、重機関銃の着弾の衝撃によって、背後の岩山の岩壁に叩きつけられたファンゴラムの傷は既に青白い光に覆われ、塞がっていた。
 グレイヴの両手に、電光の速さで紅の十字と白銀の十字が表れる。ライトとレフト、魔犬の残る二つの首は、同胞を携える死人へと向けられている。引き金を引きながら、
 グレイブが気付いた。ファンゴラムは、岩壁に激突したのではなく、センターヘッド発射の土台にする為に、わざと銃弾に身を任せ、不安定な空中でセンターヘッドを放った。
 そしてその勢いを利用して、岩壁と言う足場に『着地』したのだ、と。次のセンターヘッドの一弾を、確実に放つ為に。
 重なる銃声。ライト・レフトの放った無数の咆哮はファンゴラムの顔面に集弾し、センターヘッドの魔弾は、グレイヴ目掛けて外れえぬ軌道を描いていた。
 自らの頭部目掛けて放たれた弾丸に強かに打たれ、ファンゴラムの巨木の根のように太い首が仰け反った。
 焼ける鉄のように熱い風が、鍔広の帽子を彼方へとさらい、荒々しい縫い目が目立つ、毛髪のない頭部を曝け出す。
 足場代わりにした岩壁から、重々しい音を立てて砂漠に着地し、仰け反ったままだった首を、グレイヴのいた方向へと勢い良く振り向けた。
 ああ、その顔の醜悪さ、おぞましさよ! かつてグレイヴによって砕かれた顎は再生せず、赤黒い筋肉を曝け出し、上顎と下顎が開いたままだ。
 剥き出しの歯の周囲の筋肉と、本来なら皮膚に隠されるべき頬の筋肉が、むざむざと曝け出されている。
 なまじ、死体のように血の気がなく、青く黒ずんだ皮膚をしているだけに、その赤黒い肉とのコントラストは、グロテスク極まりなかった。
 ファンゴラムのたどたどしい喋り方も、これが一つの要因だったろう。
 吹き荒れる風にさらわれた帽子や、銃弾に破壊された顎を押さえていた金属製のカバーを気に留めることもなく、ファンゴラムは幾度目か砂塵に遮られた怨敵を求めて、怨念と憎悪と狂おしいまでの執着を瞳に宿して視界を巡らす。
 復讐は何も生み出しはしないと、時に人は言う。だが復讐は、己が復讐者であるという負の自己陶酔と狂気と熱意と力を生む。
 その過程には時に、悲しみと新たな憎悪の連鎖を作り出し、その果てに死と破壊と滅びをも。
 まるで汲めども尽きぬ泉の様に。それがある限り、人間から復讐と言う行為が無くなることはない。
 人間という存在が復讐という感情を捨て去るには、感情そのものを捨て去る他に術はないのではないか。そして感情を捨て去ったそれはおそらくもう、人間ではないだろう。
 そういった意味においては、死人兵士もまた、まだ“人間”であるのかもしれなかった。

「おおぉぉぉああああーーー!! グゥゥレエエェイヴ!! お前だげはあああ、俺がゴロジでやるウウウウ!!??」

 そして、グレイヴは。
 電光の速さで抜き放ったライト・レフトの両銃から放った弾丸の雨の大半を、ただ一発の、センターヘッドの巨弾に弾かれるのを確かに認めながら、回避運動には移れていなかった。
 それだけ正確なタイミングと精密な射撃を行うだけの技量を、ファンゴラムは有していた。
 かつてガリーノの配下についたファンゴラムと初めて相対した時のように、センターヘッドの一弾を受ける。受けざるを得なかった。かつてはただその一発で戦闘不能となったのだ。
 かつての様にライト・レフトのケルベロスの首で巨弾を挟み受け、盛大な火花が銀十字と紅十字に挟まれた、
 銃弾と呼ぶにはあまりに巨大な銃弾との間に生まれる。刹那の時を重ね続けて一瞬と成し、グレイヴはその巨弾を受けた。
 肉にめり込む鋼の熱く硬く鋭い感触。着弾の衝撃で骨が砕け血管を突き破り、
体内に納められた臓器を傷つけ、更に止まらぬ巨弾が己の肉を穿ち、尚も足りぬと、魔性の獣が獲物を貪るように進み続ける。
 肺を満たし、食道を逆流した血液が口腔から溢れて、口内を鉄の味と暖かい液体が満たした。
 砂地を零れた血液が赤黒く彩色し、砂地と言うキャンパスに色彩を彩る。
 そして、鋼の弾丸は朱に染まり、こびりつく肉片や粉末と化した骨を撒き散らしながら、グレイヴの背を抜けて背後の岩山に着弾して、崩落させた。

「グォガアアアアアーーー!!」

 ファンゴラムの狂乱は止まらない。次々とセンターヘッドを片手で振り回し、魔犬に制御なき咆哮を上げさせ続けている。
 四方八方の空間に轟く冥府の番犬の遠吠えが、時に味方のオーグマンさえ微塵に粉砕していた。
 その狂気と怨念と憎悪と世界全てを覆い尽くしても足りぬ狂念が、その瞳に怨敵の消滅する様を映すまでは、 決してファンゴラムの魂に安息を訪れさせはしないのだ。

「あ、あいつ無茶苦茶だよーー!?」

「やれやれ、手が付けられんな。どうするミカ。グレイヴは手を出すな、と言って……という雰囲気だったが?」

 ファンゴラムの物質と化すかのごとき、超濃密な怨念と狂乱に、カーマインの肩でティピが恐怖の色を浮かべていた。
 狂気に陥った敵に慣れているのか達観しているのか、ゲート・オブ・ヘヴンを肩に担いだヒロが、言っていたと言おうとして、グレイヴが喋れない事を思い出して言い直してから傍らのミカに問うた。
 ヒロ自身は魔剣を携えた狂剣士とか、冥界に囚われた罪人とか、無限の魔力と永遠の命と引き換えに心を失ったかつての仲間とかあたりで、 狂気に対する耐性ができたのかもしれない。
 他の仲間たちも、武器を握る手を休めていた。皮肉にも、ファンゴラムが辺り構わず打ち放ったセンターヘッドの魔弾が、最後のオーグマンを滅殺したのだ。

「大丈夫よ。グレイヴは絶対に負けたりしない。絶対に、裏切ったりはしないわ。私達の信頼を」

 ミカは、ゆるぎない信頼と確信とを伴って、そう返事をした。
 ファンゴラムの、センターヘッドを振り回す腕が止まった。自らに迫る静かな敵意に気付いたか。
 砂塵の作るヴェールが破けた。砂の母胎を破る血まみれの赤子の変わりに、漲る闘いの意志を熱く、熱く滾らせたグレイヴが表れた。クールな奴ほど、熱いものを秘めている。  
 ブランドン・ヒートと呼ばれていた時、彼をそう評したのは誰だったか。

「グウレエエェェイヴ!!!」

 それまでの狂乱が嘘のように、ピタリとグレイヴに合わされるセンターヘッドの銃口。グレイヴは決してセンターヘッドの一弾を無傷でやり過ごしたわけではなかった。
 見よ、右脇腹、腰の上から右肺下部までがごっそりと抉られていた。まさしくケルベロスの牙に食い千切られたのかのように。
 ほとんど脊椎の間近から、肺の一部、臓器をぶち抜かれ夥しい量の血を失いながら、グレイヴは駆ける。駆ける、駆ける!
 轟ッ、センターヘッドの奈落を思わせる銃口から吐き出される鋼の咆哮。
 有象無象震わせ砕く一撃は、グレイヴ目掛け容赦なき無慈悲の死の形として迫る。グレイヴはそれを回避した。死を超え、墓場から蘇ったものが死を恐れる道理があろうか? 
 グレイヴはセンターヘッドの弾丸目掛けてそのまま駆け続け、半身にずらした左肩を抉られながらもファンゴラムに肉薄した。
 左肩の肉が丸々、半球状に抉られ、サングラスのフレームが壊れて彼方に舞った。かつて親友の銃によって失った左目が、ファンゴラムの狂貌を捕らえていた。
 鎖を軋らせて、デス・ホーラーがファンゴラムの胴を打った。重々しい重量の高速の衝突に、ファンゴラムの巨体がくの字に折れ曲がる。
 デス・ホーラーの側部にある鋭い鋼の棘が、ファンゴラムの肉を貫いていた。ガチッという音に、ファンゴラムの眼が見開かれた。
 グレイヴの指が握るトリガーグリップ。その引き金が引かれた先に迸るのは?
 広がるオレンジの炎、空中に踊る薬莢、重く響く銃声。重機関銃から迸った銃弾が、ファンゴラムの右手首を粉砕した。
 粉々に砕け、赤い血と白い骨の破片と肉片とにばらけたファンゴラムの右手首から先が落ちた。そしてセンターヘッドも。

「貴ィイィィ様ァァァアア?!?!」

 ファンゴラムの左の巨腕が唸りを上げてグレイヴの右頬に叩き込まれ、その体を後方に吹き飛ばす。
 地に落ちたセンターヘッドを拾い、グレイヴを殺す。殺す殺すコろす殺スコろス、殺ジでやる!

「オォォデエェの腕があっ。グレイヴ、グレイヴ、グレイヴゥウ!!!」

 旋風のようにコートの裾を翻し、センターヘッドが今またグレイヴを捉えた。そしてそれは、あまりにも遅かった。
 ファンゴラムにわざと吹き飛ばされたグレイヴは、必要な距離を得た事を確認し、右肩にデス・ホーラーをかかえていた。表れる砲身。立て続けに引かれるトリガー。
 シュッという音と共に、ロケットの炎を噴きだして空中を走る鋼の流星、三基。ランチャーの三連射だ。
 感情はもはや人の持ちうる狂気の限界まで膨れ上がったファンゴラムも、戦闘に関する判断力は冷酷なまでに冴えたままだった。
 ただ荒れ狂う狂獣ではないのだ。この男は。
 センターヘッドでロケット弾を撃ち落す。落とすのは一基だけでいい。爆炎が残る二基を誘爆させるだろう。
 後は今度こそグレイヴを跡形もなく消滅させてくれる!! 
 グレイヴと己との間に直線の軌道を描くロケット弾目掛けて引き金を落とそうとした時、ファンゴラムは失策を悟った。
 ファンゴラムが狙いを定めたロケット目掛けて衝突する残り二基のロケット弾。意図的にロケット弾同士を衝突させ、爆発を狙い通りの場所に発生させる。
 グレイヴの狙いはそれだった。
 都合三基分の爆炎と爆風がファンゴラムを包み込み、炎の牙と風の爪が肉体を襲い狂った。立ち上る煙を裂いて、センターヘッドが、 くるくると喜劇の様に舞いながら、彼方の砂地に突き刺さった。
 いまだ爆炎の燃え盛る中、翼を広げた悪魔のような影が浮き上がる。両腕が崩れ落ち、傷の無い部分を探し出すのが不可能な程に傷ついてなお、憎悪の止まらぬファンゴラムであった。
 顔面の肉を焼かれてなお、ファンゴラムは叫んだ。怨敵の名を。
 
「グレェェェェイィィィブ………」

 炎と天上の太陽とに照らされ、砂漠に落ちるグレイヴの影、今それは巨大な二丁拳銃を構えていた。
 鎖で両腕に吊るしたデス・ホーラーが変形し、グレイヴの両腕に巨大な砲身を与えていた。
 それにライトヘッド、レフトヘッドの両銃を差込み、デス・ホーラーに施されていた骸骨の腕がはずれ、その奥のファンが回転し、唸りを最大に高める。
 銃口、いや砲口の奥に宿る荒ぶる凶暴な光。グレイヴの与える最大の死。最凶の破壊。最後の手向け。
            
             ――ケルベロス・OverDoes――

 落ちる引き金。放たれる光。引き裂かれる大気。轟く最後の音。今一つの終りが、確かに訪れるのだと、それらは告げていた。

「――――――――」

 ファンゴラムの断末魔は、光の中に飲み込まれた。終ったのだ。死人に訪れた二度目の死。跡形も残さぬ消滅という死。
それは果たして安らかなものであったか、それとも新たな苦痛をもたらすものだったか。
いずれにせよ、それはファンゴラムにしか分からぬものであったろう。

 傷の癒えたグレイヴが立ち上がった。目の前にミカ。自分の腹か胸位までしかないミカを、静かにグレイヴが見下ろした。
 “守ると言う事は裏切らないと言う事”
 かつて、ブランドン・ヒートだった頃に教えられたそれを、確かにグレイヴは守り続けていた。彼は裏切らなかったのだ。ミカの信頼を。

「……」

「うん。分かってる、まだ終りじゃないって事は。ガリーノも、他の敵もまだ残っているんだから。……行きましょう」

「……」

 グレイヴは静かに頷いた。仲間達が待っている。最後の戦いを迎えるまで、元の世界に戻るまでの間だが、
 それでも仲間である事には変わらない。グレイヴは闘う。守る為に。仲間を、ファミリーを守る為に。

おしまい
某エロパロ板にて数年前に投稿したものでした。



[11325] その13 にせの使い魔(バンパイアハンターD 双影の騎士 × ゼロの使い魔 オリ主)
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/10 21:14
   「にせな使い魔」(双影の騎士×ゼロの使い魔 オリキャラあり)



「……出来……不出来は……仕様が……ねえ」

 左右の肋骨のど真ん中から脊椎までを切断され、更には脳天から顎までを新たな一刀に割られ、おれの視界が朱に染まる。
 ああ、“おれ”が“おれ”を見下ろしている。畜生、やっぱりとんでもねえ色男だぜ。おれは血に濡れた唇を振るわせながら、口を開いた。
 おれと違って、どこまでも無愛想で無表情で愛想のねえ“おれ”に、餞別とはいかねえが、一言いってやりたかった。何たって“おれ”だものな。

「だがよ……やっぱり……愛は平等を……モットーにしたかった……ぜ……やっぱ……愛されてたのは……おまえ……か。
……なあ……せめて……おれと同じ目には……遭うな……よ。おれの分……ま……で……」

 世界が暗くなってゆく、冷たくなってゆく。ああ、もう何も見えやしねえ。世界は色を失い、温度を失くしてゆく。なるほど、これが“死”か。
 そんな感慨を抱きながら、おれは意識を手放した。ミアのねーちゃんの事が気になったが、まあ、死に行くおれにはどうしようもねえ。せめて人並みに幸せになれると良いが。


(……)

(…………)

(…………長いな)
 
(………………おいおい、死んでもおれに行く場所はないってか?)

 手放したはずの意識が残り続けている事に、首を傾げる思い出、真っ暗闇に覆われた視界を、それでも左右に動かそうと試みる。暗いままだった。死を意識したは良いが、意識をそのまま維持しつつけ、この真っ暗闇に囚われたままだった。これも『あいつ』の思惑通りってか。冗談じゃねえ。産みの親だからって死んでまで好き勝手されてたまるか!

(……天国におれが行くことは有り得ねえ、ならこか地獄か? いや、そうでもなさそうだ。……おんや、光か?)

 『あいつ』に対して憤っていたら、はるか遠くから眩しい、しかしどこか優しい光が差し込んできた。おれは、自分でもはっきりと分かる不敵な笑みを浮かべて、その光に手を差し伸べた。

*

 『サモン・サーヴァント』で、なぜか平民の男の子を呼び出してしまったルイズが、ミスタ・コルベールにやり直しを求めて、食いついている。私は、それをただ見るだけ。一応、ルイズの後に私の『サモン・サーヴァント』を行う番だから、できれば早くして欲しい。欲しいけれど、ルイズがどれだけ色んなことを我慢して、努力して、頑張っているか知っているから、私はそれを黙って見守る。ううん、見ているだけ。そんな自分が少し情けない。
 ルイズは、トリステイン王国の名門ヴァリエール家の三女で、王家とも遠縁の血筋に当たる。ロングの桃色の髪は緩やかに波打っていて、風にたなびく様子は、同姓の私でも見惚れてしまう。良く動く、猫を思わせる大きく意志の強い瞳は、今の失敗を取り戻すべくわずかに焦燥を交えて、ミスタ・コルベールに向けられている。手を入れるまでもなく整えられた柳眉や、つんと上を向いたすっきりとした小鼻。今は抗弁を紡ぐ唇も、あわやかな桜色が息づく可憐さだ。何気ない仕草にさえ古い歴史を経た貴族の気品が漂っている。田舎貴族の私とは段違いだ。
 ルイズとミスタ・コルベールのやりとりを、肝心の使い魔の少年は、ボ~っと眺めている。多分、状況が把握できていないのだろう。それにしても変わった格好だ。私は貴族の子息が通う、このトリステイン魔法学校の生徒の中でも、かなり平民に近い下級貴族だ。だから、普通の貴族よりは平民の暮らしをよく知っているし、つぶさに見てきた。それでも私の見知っている人々の服装には当てはまらない。まあ、単なる私の思い上がりかもしれないのだけれど。
 ガリアやアルビオン、ゲルマニア、私の知識の中の諸国の風土とも違う。顔立ちは、まあ人並みかしら? 黒い髪に黒い瞳。年は私達とそんなに変わらないと思う。16歳前後かな。きりっとしたら、もう少しかっこよくなるかもしれない。

 あ、ルイズが使い魔の少年に近づいた。多分、ミスタ・コルベールに言い含められて不承不承、『コントラクト・サーヴァント』を行う事にしたのだろう。傍から見ても、ものすごく不満そうである。少年なんか、突然の展開にしどろもどろしている。わあ、やっぱり幻獣や動物とちがってキスするのは、見ていても恥ずかしいなあ。
 そう、『コントラクト・サーヴァント』は、召喚した相手と口付けをかわす事で成立する。まあ、普通は人間以外の相手だから、カウントしないというか、そういう行為であるとは数えないのが普通だ。
 周りの生徒達は、平民だから『契約』できた、とか高位の幻獣だったら『契約』はできなかったとか、揶揄する声が続く。ルイズが凄い視線で彼らをにらみつけ、止めにモンモランシーと口論を始めた。本当にルイズは凄いと思う。私だったら、俯いて黙りこくってしまうに違いない。突然、少年が苦悶の声を挙げて苦しみ始める。多分『使い魔のルーン』が刻まれているのだろう。かなり痛そうだ。焼きゴテを当てられているかのような苦しみようだ。大丈夫かな?
 珍しそうにミスタ・コルベールがそれを覗き込み、少年は自分の体に起きた異変に混乱して声を挙げている。ん~確かに突然こんなことになったら仕方がないかな。ああ、先生、そろそろ私の事に気づいてください。

「おおそうだ。ミス・ヴォルクルス。君の『サモン・サーヴァント』がまだだったね。ミス・ヴァリエール、それに君、少し下がってくれたまえ」

 ほっ、忘れてはいなかったらしい。ルイズがごねる少年の耳を引っ張って連れて行く。痛そうだ。ルイズが、私の隣に来た時に、優しい声で

「頑張ってね」

 と言ってくれた。普段は張り詰めた雰囲気でどこか近寄りがたいルイズだが、優しい声や表情をするととても柔らかくなる。私は、こういう時のルイズが一番好きだ。ルイズの纏った鎧から覗く本当のルイズ。そういえば良いのだろうか、普段の頑固で意志の強いルイズよりもずっと愛らしく、透き通るような魅力に溢れている。
 よし、ひとつふたつ深呼吸をして、背をぴしゃりと伸ばしてずんずんと歩いてゆく。ルイズも『コントラクト・サーヴァント』を成功させたのだ。私だって!

*


 いよいよ光の眩しさが増してきた。ぐんと引っ張られる感覚。熱がおれの体内で滾っている。何だ? 肉体が再構成されているのか? “おれ”に断たれたはずの脊椎や顔に痛みはなく、流血もない。変わりに電流が流れるような痛みが体中に走ってはいるが。闇はいまやほぼ全てが眩い白い光へと変わっている。はっ、面白え! 鬼が出ようが蛇が出ようが、果ては竜だろうが悪魔だろうがぶった切ってくれる。
 おれはそう決意して、意識を光のど真ん中へと向けた。運よく拾えた命らしい。なら、好きなように使わせてもらおうか。そして、光はやがて収束した。
 唐突に、視界が広がった。いや広がったと言うよりは世界が変わったと言うべきなのか。おれの前には豊かな草原が広がっていた。遠くには石造りの城、というよりは城壁に囲まれた塔が見える。貴族のものなら見た目はアナクロでも、大陸の一つ二つは焼き払える超科学兵器が満載してあるだろう。頼んでもいないのに降り注ぐ、中天に座した太陽の日差しがおれのバイオリズムに悲鳴を上げさせるが、こればかりは仕方ねえ。血の業という奴だ。これでも他の同類からすればはるかにマシな症状だしな。
 他にも人間の連中。ほとんどは十代の少年少女だ。全員が黒いマントを羽織っていて、その下に着ているのも大抵白いブラウスや、女ならグレーのプリーツスカート、男はグレーか黒のスラックス。そろいも揃って大体同じ格好だ。こか学校か収容所か何かか? にしても誰一人として剣や槍、銃火器で武装していない。よほどの安全地帯か、辺境の、いまだ権威振るう“貴族”の奴隷か? 
 いや、そもそも死んだはずのおれがこうして肉体を得て息をしている以上、おれの常識に当てはまらない場所かも知れねえな。いつでも背の長刀に手を伸ばせるよう、意識を戦闘モードに変えておく。おれの抜き打ちはレーザーだろうが切って落とす。例え戦車砲の直撃に耐える重装甲だろうが同じ事だ。
 とりあえずもう一度目の前の人間共を見直すと、一人だけ背の高いお嬢ちゃんがおれの近くに立っている。頭部が寂しい眼鏡を掛けた中年のおっさんもいるが、ぽけ~っとした顔を浮かべてやがる。いや、おっさんだけじゃなくこの場の、おれ以外の全員がだ。ははあん、おれに見惚れていやがるな。まあ、その気持ちも分からなくはない。おれが“おれ”を見ても妖しい気持ちになるくらいだ。この世の範囲に収まる美貌の連中じゃあ、一たまりもないだろうさ。ふむ、美醜感覚は同じか。
 とりあえずこのままじゃラチが明かねえ。おれの目の前に突っ立ていたお嬢ちゃんに声をかけた。一番近いからだ。うなじを隠す長さの深い紫色の髪に、同じ紫の瞳。自信なさ気に垂れた目尻、なかなかに整った鼻筋と今は半開きの唇は、まあそこそこ人に見せられるレベルだ。背と胸はあるな。うむ、腰もくびれてやがるな。
 
 私は自分が呼び出したモノに目を奪われていた。いいや違う魂までも。それまでの皆同様に、『サモン・サーヴァント』の輝く光が収まった時、そこには背の高い男の姿があった。あったと認識したのも今ようやくだ。それは、言葉に表すことができると同時に、決してこの世の言葉で表す事のできぬ存在だった。あえて、私の知るこの世界の言葉を借りるなら、177サントある私よりも10サントは高い背丈で、体つきは逞しく、身にまとう黒衣はその下の鍛えられた肉体のラインを精密になぞっている。黒いロングのコートと波打つ長い黒髪。身に纏う全てを黒で多い尽くしたその姿。死の使いとして枕元に立っても、誰しもが恍惚と死を受け入れるだろう。この青年ならば。
 鍔広の帽子の下のその顔立ちは、ああ、古代の吟遊詩人が今ここにいたらどんな詩を吟ずるのだろう。私には言葉に出来ない。いかなる芸術の徒が彼の姿を、その美しさを形にする事ができるだろう。音楽も詩も絵画も彫像も、いいや、この世の何もかもが彼を表す事はできない。許されるのはただ一語“美しい”のみ。誰かが美しいと言う言葉以上に美しさを表す言葉を生み出しはしないかと、私は心から願った。そうすれば、死の淵までその言葉を囁き続けるのに。

「お嬢ちゃん、おれは誰かに呼ばれたらしいんだがよ。誰が呼び出したか知らないか?」

 ……アレ、ワタシッテコエヲカケラレタノカシラ? 目の前の青年が唇を動かし、どこか錆びを含んだ声を、からかう調子で言葉にした。後ろの方で誰かが倒れる音がした。あまりの美しさに感動のあまり気を失ったのだろう。ああ、くらくらとする頭をどうにかこうにかまとめる事に成功し――したと思いたい――、なんとか返事をしようと努力する。私の意識は、今間違いなくこの青年の為に何かをしなければならないと叫んでいる。

「ああああ、あのわわ私だと、おおお思います。ははは、はい」

 背後から凄まじい濃度の嫉妬の視線が突き刺さる。掴み取ろうとすれば手の中に残るほどに濃厚な。私の心臓がきゅんと音を立てて、縮こまる。うむむむ、ここでそのままでは困る。

「ほう。で、何の用事で呼び出したんだ? ろくでもない用事じゃねえだろうな」

 ! 青年の言葉に恐ろしいものが混じった。ほんのわずか、ささやかな量だ。一掬いの砂のようにわずかな。だが、それが私だけでなく背後の皆の背筋に電流を流させた。氷水の様に冷たく、電流の様に苛烈、燃え滾る炎の様に熱く、そして恐ろしい。青年以外の誰もが言葉を潜め、恐怖に怯え震えた。人間だけではない。それまでに呼び出された使い魔達のすべてが。
 私が、何とかしなければ。絶望に近い感情を抱きながら、私はささやかな反抗を試みた。うむ、我ながら意外に肝が据わっている。ははは、死を前にした自暴自棄か。

「……ここは、トリステイン魔法学校です。春の進級式に際し、二年生は『サモン・サーヴァント』の儀式を執り行い、ハルケギニアの幻獣や動物を召喚し、『コントラクト・サーヴァント』によって主従の契約を結ぶのです。今、私はその『サモン・サーヴァント』の儀式で」

「おれを呼び出した、か」

 青年はまじまじと私を見つめる。恍惚に支配される意識を、私はかろうじて繋ぎとめた。左手を顎に沿え、値踏みするような眼差し。私を舐めるように見ている。体が火照っているのがまじまじと分かった。体の奥深くから羞恥と興奮と欲情の熱が私を支配してゆく。ああ、始祖ブリミルよ、この罪深き女めに、眼前の美に抗うささやかな力をお与えくださいませ!

「……まあ、良かろう」

「え?」

 私を目を見つめなおし、青年はそう言った。私はそれがどういう意味か分からず、馬鹿みたいに聞き返す。青年は、ん? と眉根を寄せて言い直した。

「“良かろう”。つまりだ、お嬢ちゃんの使い魔とやらになってやるって言う意味だぜ。で。契約とやらはもう済んでいるのか?」

「えと、えと、えと、ままままだです。まだ『サモン・サーヴァント』を終えたばかりで」

「じゃあ、さっさと済ませな」

「……」

 それきり、おれの目の前のお嬢ちゃんは黙りこくった。人が催促してるってのに仕方ねえ。まあ、契約をOKしたのも目下、情報がないからだが。少なくともおれに与えられた知識にも、自分で得た知識にも、このお嬢ちゃん、――ミス・ヴォルクルスとか呼ばれてたか――の言った単語が完全に一致する場所も人名も単語もありゃしねえ。あれか、神隠しか? と思わないでもなかったが――。とりあえず、貴族の世界を造るなんちゅーのは中止だ。最悪おれのいた世界じゃあないって可能性もありやがる。どこぞの、かつて貴族が支配した植民惑星とかならまだ何とかなる可能性はある。少なからず貴族の超科学の名残くらいはあるだろう。
 何よりも大事なのは、確実に死んだはずのおれが、今こうして呼吸をしているってことだ。仮にそれがこのお嬢ちゃんに召喚されたおかげだってんなら、ま、多少の恩義は感じておいてやろう。衣食住と、情報が入るまでは偽りの主従関係くらいは結んでやるか。

「……」

 だってのに、お嬢ちゃんは指をモジモジさせて黙りこくってやがる。何躊躇ってんだ?

「あああ、あの、ココココ『コントラクト・サーヴァント』は、キキキキキキ、キスしないとなんですけど」

 はあん、照れてやがる。まあ仕方がねえ、おれの顔じゃあ、キスした瞬簡に心臓麻痺でいっちまう連中が続出しても仕方ねえ。

「頬にか? 手にか? 額にか?」

「くくくくくくく、口でしゅ」

「くっくっく、噛んでるぜ」

「……ででで、では。いただきます」

「はいよ」

 覚悟を決めたのだろう。お嬢ちゃんは、ごくっと息を呑み、確かな意思の光を、灰色の瞳に光らせる。ほお、思ったより可愛げのある顔だな。手に持っていた小ぶりな杖を一振りし、

「我が名はエウリード・ラ・デュラクシール・ド・ヴォルクルス。五つの力を司るペンタゴン。かの者に祝福を与え、我が使い魔となせ」

 あんま女らしくねえ名前だな、と思った時にはお嬢ちゃんの唇がおれのそれに重なる。若さだけに許される瑞々しさと芳しい乙女の香り。ひどく、おれの中の夜の一族の血を滾らせる。凶暴なまでにせり出す乱杭歯を思い切り、目の前の餌の肌につきたて、溢れる血潮で存分に咽喉を潤したい衝動に駆られる。それに身を任せても良かったが、まるで『あいつ』の血に負けたようで業腹なので、耐える。その超人的な自制力もおれならではだろう。
 うっとりとした眼差しで重ねた唇を離すお嬢ちゃんが、じっとおれの目を見つめている。辺境の連中なら恍惚とする意識の中に拭いがたい恐怖を覚える。おれの美貌の中に貴族を見るからだ。生者の血を啜り、眷属へとかえる呪われた生ける死者を。かつての支配者を。冷酷で優雅な、鮮血の魔物を。
 お嬢ちゃんの頭越しに、何人かの少女が性的な絶頂に似た声を挙げてぶっ倒れる。おれとお嬢ちゃんのラヴシーンにイッちまったのだろう。ま、仕方ねえ。

「あの、貴方の名前は?」

「おれか、おれは」

 それから、彼はにっと口角を吊り上げ、私にこう言った。その笑顔を、まるで美しい悪魔のようだと、私は幸福な夢に浸っているかのような心のままで思った。

「Dと呼びな」

 と、にせDは言った。

――つづく
風牙亭様にて投稿させていただいていたもので、オリキャラの設定をミスって一度挫折してしまった中編予定だったお話ですばい。
無精者な者でいただいたご感想やご指摘に返信をなかなかしておりませんがすべてのご意見に目を通させていただいております。木刀の名前のアイディアだしやゼロの魔王伝に関してもご期待いただけているようで感謝の極み。
頑張らせていただきます。これからもよろしくお願いします。



[11325] その15 ラビリンスドール × Fate
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/16 21:37
『河馬と人形と鴉と魔女と』


 雨だ。雨が降っている。雨を天の涙、と比喩することがある。ならば今降っている雨は悲しみ故に降る涙だったろう。森閑とした山中、四方を高い木々に囲まれ地面はぬるみ、道行く者がいたなら例え獣でも足を取られそうだ。そんな中、紫の塊が伏している。よくよく見ればそれが人型をしており、更に注意深くみれば紫の服には血が滲み、線の細さから女性であると分ったかもしれない。
 ズシン、と地面が揺れたかのようだった。のっしのっしと草木を掻き分け、いや押し除けて、というべきか巨大な影が女性に近付いた。影はどうやら人間と呼べる生物らしかった、相撲取りでも居なさそうな太い四肢、拳銃の弾や刃物すら防ぎそうな分厚い脂肪の塊を載せた腹。大玉のスイカと同じかそれ以上ありそうな顔。
 ソレが女性まで後数歩というところで、邪悪に笑ってこう言った。ただし、こすいというかしょぼいというか、あまり凄いことはしなさそうな邪悪さだが。

「ぐっふっふっふ、こいつはめっけもんだわさ。召喚する手間が省けたねぇ」

 雨の中、傘も差さずにいた巨影がゆっくりと野球のミットのような片手を女性に近づけていった。紫の衣服を纏った女性の運命を誰もが明るくは無い、と思うに違いない。
 夢、というものを彼女は見るはずが無かった。かつては確かに見ることはできたが、反英霊となったこの身にはそれはもはや訪れるはずが無い。けれど今見ているものが何か、と問われたなら、困惑しながらも夢だと答えるしかなかった。悪夢だと。
 ある女神の思惑のために顔も知らぬ男を愛する自分、その男のために竜の炎で焼けつく事の無い魔法の香油を渡し、それだけでなく男の為に金羊毛皮を守る竜の住処で魔術で竜を眠らせ金羊毛皮を手に入れる自分、国を去り追いかける父から逃げるため、父の目の前で幼い弟を八つ裂きにして海に撒く自分、男の復讐の為、罪無き娘らに若返りの薬と称して毒を飲ませ、その父にもこの毒を飲ませ殺害する自分、男に裏切られ男と結婚する女を焼き殺し、男と自分との間に生まれた二人の子供を殺す自分、父の復讐の為に父を殺した兄を殺す自分。
 全てが悪夢だ。女神達の勝手な思惑の為に、自らの意思を歪められ犯した罪の数々。その全てが心を抉る。引き裂いた弟の顔、手に掛けた二人の子供達、父殺しの罪故に殺した兄の顔、愛することを強制され自分を裏切った男の顔、そして顔も知らぬ神々。

 やめて、思い出させないで、私にそんなものを見せないで!!

 声なき声を女性は挙げた。叫ぶように、慟哭するように、涙するように、……許しを請うように。

「……!!」

 ゆっくりと瞼を開いた。意識の覚醒は速く、周囲の状況の認識も早かった。ゆっくりと身を起こした女性は、美しいという言葉に値する外見をしている。
 青みがかった紫色の髪は長く、耳の後ろの辺りで三つ編みにされており、金の管のようなアクセサリーでまとめられている。一本一本の髪が細く艶やかで、それ自体が輝きを放つように美しい。
 肌の色は白皙、白いという事が必ずしも“美”につながるわけではないが、彼女の場合はその美貌を引き立てる要因になっていた。
 染みひとつ無い肌は、水仕事などの一般的な雑事と無縁であることを伝え、彼女自身が纏う生来の気品と相まって、その生まれが尊いものであることを雰囲気となって周囲に伝えている。
 瞳には計り知れぬ知性の輝きと、大宇宙の神秘に思いをはせる碩学の面影が覗き、一筋のラインを描く鼻梁、笑みを浮かばせたいと思うような淡い唇の赤と相まって彼女が美人で無いなら、どれだけの女性が美人のカテゴリーから外れるのか、と思わせる程だ。
 その秀麗な美貌に警戒の色を浮かべて、女性が周囲を見回した。悪夢の余韻は尾を引いているが、考えないことにした。どうやら自分はベッドの上に寝かされていたらしい。濡れた服は着替えさせられ、真新しいモスグリーンにデフォルメされた河馬の顔がプリントされたパジャマを着せられていた。ちょっと可愛いわね、と思いつつ、ぐるりと部屋を見回す。
 フローリング張りの十二畳ほどの部屋だ。机が小さいものがひとつと、窓際に置かれた大きめのスチール製の黒い机の二つ、部屋の中央にはガラスのテーブルと座布団が4つ並べられている。クローゼットの他には、薄いプラズマテレビにDVDレコーダー、電気ヒーター、エアコン、コードレステレフォンなど。
 一通り見回してから、ベッドから起き上がり、電気ヒーターの前に椅子に引っ掛けられて干されていた目的の物を手に取る。雨の中しとどに濡れた紫のローブである。彼女が元から着ていた衣服も一緒に乾かされていた。ほっと一息ついてからパジャマを脱ぎ捨ててローブを身に着ける。どうやらローブは損傷や機能不全は起こしていないようだ。
 考えることはいくつかあった。なぜ自分は現界していられるのか、ここに運び込んだのは誰か、あのマスターはどうなったのか。先ず間違いなく言えるのは、彼女のかつてのマスターは間違いなく死んでいるはずだ、ということだ。現界していられる理由もすぐに分った。
 魔力、彼女が世界に存在するためには魔力が必要となる。彼女と同じカテゴリーに分類される存在は、召喚した人間―マスター―との間に契約を結び繋いだ眼には見えぬラインで魔力をマスターから供給されなければならない(色々裏技はあるが)。
 彼女を召喚したマスターは彼女自身が既に殺害し、それゆえにラインは失われ、魔力は切れかけていたはずだ。それが今は新たなラインが形成され、かつてのマスターとは比べ物にならない量・質の魔力が供給されている。おそらく山中で倒れていた自分を発見した魔術師がここに運び込んだのだろう。
 だがそこで不可解なことがある。ラインについてだ。既に召喚された彼女と、彼女の同意なく契約を結ぶなど容易く行える行為ではない。事実こうやって契約されている以上あれこれ考えても現実は変わらないが、心構えは作れる。もっとも自分を助けたことから少なくとも、自分を利用しようという魂胆を相手は抱いているだろう。いざとなったら隙を見て……
 そこまで考えて、はっと気付いたかのようにドアを見た。ドシンドシンと、何か重ーい物体が近付いてくるのだ。ガチャッとドアを開けた物体を見て、彼女は呆気に捕らわれてしまった。
 かくも人は球体に近づけるのかと、神に訴えかけたくなるような巨体。桜島大根を組み合わせたような四肢、そして金髪碧眼の五十代の顔に付いた脂肪のたるみ。この女が日本人でないことに、この国の人間はほっと胸を撫で下ろすだろう。同じ国の人間と思われずに済むからだ。そのある意味芸術的な肉体を白いバスローブに覆ってその怪女は姿を現した。

「……河馬か豚の精かしら?」

 河馬か豚の精らしき女は異議があるらしかった。

「礼儀を知らないサーヴァントだわね。マスターにむかってなんて口の聞き方だい」

 と、現在世界最高の偉大な魔術師であるチェコ生まれの女性、チェコ第二の魔術師トンブ・ヌーレンブルクは憤然と鼻を鳴らして抗議した。
 サーヴァントと呼ばれた女性は眩暈を堪えなければならなかった。前のマスターは人間的にも魔術の力量も、彼女からすれば敬意を払うに値しなかったが、この怪女は……
 実力は申し分ない、供給される魔力量に限って言えば、文句なしに賞賛に値するほどのレベルだ。彼女の知己にもこれほどの使い手は数えるほどしいかいない、神代の時代でも一流で通る。ではなにが不満か? ……外見、そして滲み出す人間としての品性、これに限る。実力こそ認められるものの、なぜかこの女をマスターと呼ばなければならないのが辛い。強いて言うなら美意識か。

「貴女が私と契約を結んだのね?」

「他に誰が居るってんだい? わざわざ雨の中を運んで、今にも消えちまいそうなあんたの為に契約を結んだのだわさ。さて、あんたはキャスターだね、ビンビン魔力が伝わってくるよ。英霊やサーヴァントは初めて見たけど、こりゃ大したもんだわさ」

「……」

 少なくとも現代の魔術師に対する認識を改めなければならなさそうだ、とキャスターは考えた。トンブの言葉は正鵠を射ていたのだ。

「さぁ、あんたの真名を白状おし、これからあんたとあたしで聖杯戦争を戦うんだからね」

「……嫌よ」

「はん?」

 河馬がキョトンとすればこうなりそうな表情を、トンブはした。非常にユーモラスではある。それからキャスターの言葉を理解してこう叫んだ。

「なな、何だってぇ!? あんた、あたしに逆らうってのかい!」

「そうよ。貴方の様な下品で、でぶな女をマスターと呼ぶ精神を持ち合わせてはいないわ」

「なんて奴だい! ふん、でも何か忘れちゃいやし無いかい。あたしには令呪があるんだよ」

「えぇ、ただし不完全な。私の同意無く契約を結んだのは見事、と褒めてあげるけど詰めが甘いわ。所詮不完全な契約、ラインは繋がっても令呪が不完全ではね。だから私に真名を言わせようとしたのでしょう? 言葉には力があるわ、ましてや自らの名前として認識しているものなら尚更。それを相手に問われて答えたのなら、よほど力の差が無い限りは名前を相手に縛られてしまいますものね」

 トンブを嘲笑うように、言葉を紡ぐキャスターだが、口調とは裏腹に言葉に覇気は無い。自分は疲れているのだ、心の中でそういう自分の声がした。多分、それはきっと現界してまでも裏切りを重ねる自分の運命に、そして先ほどの悪夢に。
 ただし怒り心頭のトンブにはソレが分らない。普段なら世界第二の魔術師に相応しく、その手の出来事に関してはこの女のどこに、と思わせるような知識と頭の冴えを発揮するのだが、いかんせんプライドの高さと頭に血が上る速さが並みではない。ボキボキと指を鳴らし戦闘体制をとる。

「言うじゃないのさ、骨董品の亡霊が。ご主人様の力ってものを嫌っていうほど分らせてやるわさ。覚悟おし、肛門からエーテルがはみ出ても知らないよ!!」

「下品な。ついでに頭も足りないのかしら、人が英霊に敵うと思って?」

 わずかに残る自尊心が目の前の巨女に従うことを拒絶させた。魔術師としても、女としても。特に女として。

「デュララララ!!」

 トンブの口から奇声が連続して放たれ、見えない衝撃が数条キャスターへ迸った。即座に魔力を練りこみキャスターも反撃を行う、加減はしない。例えトンブが死んで自分が現界できなくなっても、ソレで構わなかった。

「Μαρδοξ! Гёфлцыфюллц!」

 キャスターが紡いだ呪文は梵語かギリシャ語に近いが、聞く者によっては気付いただろう。古代と呼ばれる時代の今は絶えた言語であると。歯を軋らせ、それに複雑な韻律を乗せる発音は現代人には不可能な発音方法だ。

高速神言 

 キャスターにとって魔術とは魔術回路を通して発現させずとも、単に世界にソレを命じるものであるらしかった。現代の魔術師が数人がかりで出来るかどうかの大魔術―Aランクと定義される―を、キャスターは一工程で大地のマナを汲み上げることで、魔術として発現させる事が可能なのだ。
 先に唱えた呪文が、光の盾となって不可視の衝撃を防ぎ、次いで唱えた高速神言が光の球となって大規模な破壊をもたらすべく奔る。一抱えもある光球がトンブに届くまでコンマ一秒もかかるまい。とはいえ光の速さではない、発動した魔術を術者がある程度軌道を誘引するタイプだから、光の速さだと術者も認識できない。
 それを自らの詠唱と共に後退していたトンブが、右に二メートルも跳躍してかわし空中で印を結ぶ。実に秒間二十組。キャスターの目にはトンブの両手がいくつも存在するかのように映った。トンブがかわした光の球はド派手な音を立てて、部屋の壁に直径二メートルはある大穴を穿つ。

「ジュワッチ!!」

 どこかで聞いたことのあるような、Mなんたら星雲の銀色の巨人の上げそうな気合と共にトンブが両手の五指を組み、知る限り最上級の破邪の魔力を撃ち込む。

 魔術の発動を感知したキャスターが重力を感じさせない動きで、トンブの魔術を回避する。魔力で編まれたローブの端が破邪の魔力で消滅するが、意にも止めずに指先に集中させた魔力を開放する。現代の魔術師が見たら絶望しそうなほど莫大な魔力を、いとも容易く行使することがキャスターには出来た。ことによれば、魔術士である聖杯戦争のマスターにとってキャスターこそ、最大の天敵やもしれぬ。
 ただし相手は現代の魔術師であっても、並ではないどころか更にその上の実力者だ。魔術大国チェコにその名も高き妖家ヌーレンブルクの当主がキャスターの敵なのだ。キャスターの放つ二十近い魔力弾を

「チェストォォォ!!」

 と、呪文とはとても思えない、どこかの悪を断つ剣のような気合でかき消す。キャスターは先ほど改めた認識を、今一度改めなければならないことを認めた。現代の魔術師も侮れない、からこのでぶは侮れない、にだ。
 先ほど指先に集めた魔術の十倍近い魔力弾を続け様三連射、さながら近代の戦車砲並みの凶悪さを誇る破壊力だ。それがトンブに着弾する寸前、見えない何かに遮られた。魔術障壁ではない。もっと違う、何か。

「それは!?」

「ふっふっふ。流石に高速神言を操る神代の魔術士も、度肝を抜かれたかい?」

 トンブの目の前、一メートル程に何か見えない障害が立ちはだかり、キャスターの魔術を遮ったのだ。キャスターの魔術師としての視覚がソレを認識する。

「なっ」

 幾千、幾万の人々の顔。ソレが集合し壁となってキャスターの前に立ちはだかっている。部屋の中の限りある空間を無限に伸びる、人の顔で出来た人面壁。

「通称“プラハの壁”今はもう無くなっちまったでっかい国が、ある小さな国に攻めこんで来た時の憤りを込めた名前だよ。誰にも超えさせない壁って意味さ。プラハの全人口の精神エネルギーに匹敵する壁さね。物理的にも霊的にも突破するのは容易じゃないよ。……まぁ、他人への想いってやつでこの壁に許された男が、たった一人いたけどね」

 あぁ見よ、そして聞け、壁を成す老若男女が浮かべる苦悶の顔を、枯れた咽喉から叫ぶ声を

“侵略者よ、去れ―――立ち去れ”

 トンブの言う通りであった。いかに英霊とはいえ、もとは一個の人だ。“座”に昇り、人の域を超えたとはいえ、数万、数十万に及ぶ人々の人間としての根本原理――自由を奪われ、虐殺された嘆き、怒り、悲しみ、憎悪、それをいかなる英霊が打ち破れるのか。少なくとも自分には出来ぬと、キャスターは自答した。

「破れないなら、破れないなりにやり方はあるのよ? マスター」

 たっぷりとマスターの所に嫌味を込めた言い放ち、新たな魔術を駆動し、発動。秒の間も置かずにキャスターの周囲の風景が歪みだす。

「Τροψα」

「空間転移かい!?」

「ご名答。さようなら、二人目のマスター」

 トンブの背後に出現したキャスターが右手を振り上げ、その先にあったトンブの頭がキレイに消失する。呆気無いものを胸中に感じながら、自身の命運にキャスターが思いを馳せた時だった。あの声がしたのは

「このトンブ様をおナメじゃないよ!!」

「なっ」

 ポンッとビールの栓を抜いた時みたいな、間の抜ける音と共にトンブの頭がニョキッ、と生えて、あろう事か百八十度回転してキャスターにニヒッと笑いかけた。

「……」

 そんじょそこらの悪夢を凌駕する光景に、思わずキャスターが茫然自失した瞬間、トンブの両腕が逆向きに折れ曲がってキャスターの華奢な体を羽交い絞めにして、トンブの背中に押し付けた。

「むぐっうんんん」

「がっはっはっは、サーヴァントが窒息するか試してみようかねぇ」

 冗談ではない、といつの間にか、キャスターのほうを向いたトンブの腹に埋もれながらキャスターが叫んだが、肉に邪魔されてモゴモゴ言っただけだ。トンブの抱擁は何がしかの魔術か妖術でもかかっているのか、キャスターが魔術を行使、ないし魔力を開放しようとすると妨害されてしまうのだ。

(それなら…!!)

 宝具。サーヴァントが有する“貴き幻想――ノーブル・ファンタズム”。キャスターのそれならトンブの拘束の魔術も打ち破れるはずであった。まさにキャスターが宝具を繰り出さんとした時であった。ぎゃっとトンブが一声挙げて、キャスターの束縛が解かれたのは

「なな、何するんだい、この娘は!?」

「お止めくださいませ。傷つき倒れていたこの方に、そのようなご無体な真似をなさるのは」

 部屋の入り口から金と紫の輝きが覗いた。肩に黒い塊、大きな鴉を乗せている。金は長く大気にたなびく髪であり、紫は見に纏った紫サテンの、滑らかな光沢を放つドレスだ。
 それを纏ったのは十歳に届くかどうか位の美しい少女だ。この国ではない、異国の御伽噺に出てくるかのような美幼女。トンブを止めた声、あるいはその顔を見れば分る、このあどけない少女の持つ知性と、気品、そして優しさが。
 キャスターが思わず眼を見張った。少女の姿と、トンブの尻に刺さった、金の光を放つ一筋の線を。少女が、両手に提げた自分より重そうなコンビニの袋を床に置き、威風堂々とトンブに近寄る。少女の名は〈人形娘〉、トンブの実姉ガレーンの創造した人形だ。

「はん、喧嘩を売ってきたのはそっちさ、売られた喧嘩は買わなきゃ女が廃って腐るってもんさ」

 トンブの台詞を無視して、尻に刺さっている金の筋をえいっと引っこ抜いた。金の筋は人形娘の髪であった。

「トンブ様が売らせるような真似をなさることが大変、多ございます。それを抜きにしてもこれから共に聖杯戦争を戦おうという方と、かような事をなさるのはいかがでしょうか?」

「まったく、口が減らない子だよ」

 人形娘がトコトコ、キャスターに近付き、ドレスの端を抓み淑女の礼を取る。

「お初にお目にかかります。聖杯のよるべにより現界されたお方。私の名を名乗る栄誉をいただけますでしょうか?」

「……えぇ」

「私は人形娘とお呼びください。トンブ様にお仕えしております」

「とてもご主人に仕えているとは思えないわねぇ。ホントにご主人? アレ」

 人形娘とキャスターがチラッとアレを見てから

「トンブ様のお姉さまである、今は亡きガレーン・ヌーレンブルク様が私に命をお与えくださいました」

 なるほど、とキャスターは納得した。主人と従者とで出来が違いすぎる。よほどガレーンなる人物は人格・実力ともに優秀だったのだろう(トンブも実力は超一級ではある)。今はとりあえず戦う気は失せている。

「まぁいいわ。そこのトンブさんとやらの実力は認めます、マスターとも呼びましょう。それであなた達なぜ聖杯戦争に参加しているのか、聞いてもいいかしら。聖杯に何を願うのか、ね」

 はん、とトンブが腹立たしそうに鼻を鳴らしたが、すかさず人形娘が

「お金です」

「ちょちょ、こら」

「……分かりやすいわね」

 キャスターはやや呆れ気味である。聖杯に金を願うのか、シンプルと言えば言える。

「トンブ様は魔術協会やヴァチカンに対し、多額の借金がございます。此度の聖杯戦争において派遣された魔術師の方のサポートと引き換えに、借金の免除が条件として提示されました。ですがその魔術師の方は既にお亡くなりになりました、そこでその方が召喚したサーヴァントを捜索し、あなた様をトンブ様が発見なさったのです」

「……」

 借金、かくも情けない理由でこの女は聖杯戦争に参加するのか。そしてその女が自分の窮地を救ったのか、なんだかキャスターは情けなくなった。同時に馬鹿らしくもなった。

「……まぁ、人それぞれ、よね。契約したからには全力を尽くすわ、よろしく、マスター。人形娘さん」

「ようやくサーヴァントらしくなったねぇ。サーヴァント最弱のクラスだなんだ言われるけど、それはおつむの硬い二流どころの考えさ。少なくともあんたは神代の秘儀を駆使するマジもんさ。あたしとくみゃ怖いものなんかないよ」

「主人ともども不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

 胸をそり返して大笑いするトンブと慎ましやかに一礼する人形娘に、キャスターはかすかに流麗な頤を頷かせた。人形娘の肩の大鴉が一声

 またとなけめ――ネヴァーモア


おしまい。



[11325] その16 ブルーマン × Fate R-15
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/18 22:24
本文には残酷な暴力表現や猟奇的な表現を含みます。本文を読み進め不快な気分になられたとしても当方は責任を負いかねます。読み進める場合はその旨ご留意ください。

その16 『神を食った男』

 冬のある日、○×県冬木市を、奇妙な出来事が襲った。失笑に伏せられるとも言えるし、都市伝説の類として記憶に留めるにも値する不可解な出来事であった。
 家庭、料亭、レストラン、金物屋の区別無く、止め具に収められているはずの包丁が一斉にガチガチと刃を鳴らし、一人手に空中に浮いて切り結びだしたのだ。そして遂には、誰彼の区別無く人を襲い始め、多数のけが人を出すに至った。
 この冬の怪事は、数十名に及ぶ被害者の切り傷が確固たる証拠として残るのだった。
 或る者は気づいたかもしれない、この奇奇怪怪な出来事が、とある青年が冬木にやって来たのと時を同じくして起きたと言う事に。天使を美しい存在というなら、まさしく天使のごとき美貌の青年が冬木を訪れたのだ。
 青年は冬木市を二分する“新都”と“深山町”の内、新都にあるレストランへと、なぜかその足を進めた。いや、何故とは言ったが、レストランでする事と言えば無論食事に決まっている。だのに、この青年にはひどく不似合いな行為のような気がするのだ。その美しさゆえに。こんな美しい存在が、食事などという俗な生き物と同じ事をするはずが無い、と脳が判断してしまうのだ。
 あんな美しい人が私たちと同じ行為をするはずが無い、私たちよりももっと高尚な、生き物なのだ、あんなに美しいのだから、こんな具合である。
 新たな客に向かって営業用の笑顔と挨拶で出迎えようとした女子高生のバイトのウェイトレスは、一瞬でそれなりに可愛らしい顔を強張らせた。青年が席に着くまでに同様の現象が店内の客や、ウェイトレス、ボーイたちに襲い掛かり、誰もが恍惚と瞳を潤ませて全身を弛緩させる。青年のあまりの“美”に。
 一目で良い、鏡に映ったその姿だけでも良い。かの人の顔を見よ、さすれば誰もが理解できる。事によったら盲目の人でさえ。
 麗しく震える眉毛をたたえた瞳とその上を飾る秀麗きわまるラインを描く柳眉よ、いずれも人ならざる巧みの生み出した芸術の如し。薄く切り取られた桜色の花びらの様な唇、その奥に秘宝のごとく隠された純白に輝く歯の並び、濡れそぼった舌の赤。いずれもがほのかに燐光を放つような白磁の肌と相まって、背徳ささえ匂わす妖幻な色香を放つ。
 たくましさとたおやかさとしなやかさが、理想の合意の下に生み出した肢体を椅子に沈ませて、青年はろくにメニューを見もせずに、注文を始めた。
 誰が彼の注文を取るかで、ひと悶着が起きたが、最も正気を保っていた壮年のマネージャーが、熱病に浮かされたような周囲を一喝して、気骨の入った足取りで青年のテーブルに赴き、恭しく注文を取った。少しすると、マネージャーの顔をやや訝しげに変わった。注文を厨房のシェフに伝えると、シェフもそれに倣った。理由は二つ並べた青年のテーブルの上で明らかとなった。
 テーブルの上にはレアに焼いた五〇〇グラムのサーロインとリブステーキがそれぞれ十人前ずつ、シーザーサラダやトースト、オニオン・グラタン・スープにライスも十人前、デザートのマスクメロンも例に漏れない。
 手に持ったナイフとフォークを、ジュウジュウと音を立てている肉に突き立て、切り分けもせずにそのまま口に放り込んだ。ぐっちゃぐっちゃと音を立てて咀嚼する音が、静謐と化したレストランに響く。しかしその咀嚼音も二,三度だけで、あっさりと青年は五〇〇グラムの肉を飲み込んだ。グウッと白い、吸血鬼でなくても齧り付きたくなるような咽喉が膨らむ。
 それからは機械的な作業のように、青年の“食事”は続いた。肉と野菜とスープと、次々に青年の口に放り込まれ、碌に噛みもせずに食道を通って青年の胃の腑を満たしてゆく。
 店員たちは、生唾を飲み込むようにしてその様子を見守っていた。或る者は頬を高潮させ、或る者は食い入る様に、魅入られるように凝視して。誰もに共通するのは、こんな思いだった。『食事とはかくも淫らな行為だったのか』、コレである。
 運ばれた料理を口に運ぶまでのその仕草、滴る肉の油で店内の照明の明かりをヌラヌラと照り返す唇、肉片を張り付かせた白い歯、咀嚼の度に大きく膨らむ咽喉と頬、それらを淡々とこなす青年の無表情の美貌。ああ、見つめる誰もがえもいわれぬ官能の電流に背筋を襲われていた。
 神よ、何故このような天使を我らが前に御遣わしになられたのか、神を崇める徒がいたならば、その場でひざまずいて問うような、異形の光景だった。
 青年の頬に伝わる血と滋養分とが混じりあった液体の一滴を求めて、人々は狂乱するだろう。ぐちゃぐちゃと聞え無いはずの音を聞き、固形物があの歯で千切られ、相愛不明のどろどろの液体へと変わり、青年の血肉に変る。事によれば、その食されたモノと変りたいとすら思いかねない、青年の魔性の“美”。
 レストランの中で繰り広げられるこの光景は生命に必要な、あるいは嗜好を満たすための食事という行為ではなく、神に奉げる一種宗教的な儀式めいた行為であった。おそらくは、神の食欲と性欲を満たすかのごとき儀式。その神は慈悲深き神か、荒ぶる闘争の神か、災いなす邪神か……。
 最後にメロンを舐め尽くすように食べつくしてから、ケプッとやや下世話な音を立てて、青年は食事を終えた。端に涙さえ浮かべた目じりを拭って、あ~あ、とのんびりした欠伸をひとつ。膨れて当然、というか明らかに入るはずの無い量を収めた腹は、ちっとも膨れず、更にはこんなことを青年は言ってのけた。

「ちっとも膨れない。やっぱり人間の食べ物じゃダメか」

 知悉していたことを再確認するような、つまらなそうな声であった。この、レストランを静かな狂乱に陥れた青年の名を八千草(やちぐさ)飛鳥(あすか)、十八歳にして五十七名以上を解体した希代の殺人鬼、そして、“神を喰った男。”

* 

 夜の闇に、月が出ていた。明るく、人がその歴史の中称え、憧憬を込めて見上げてきた清浄な光であった。太陽の光を反射して輝いているなど、嘘としか思えないような、綺麗な輝き。その光が照らし出すのも、やはり美しいものであったろうか。
 一人、アスファルトで作り出された人造の道を行く少女の姿があった。月光に負けず劣らず金に煌く細やかな髪、苛烈とも強固とも言える意思の光を輝かせる聖緑の瞳、華奢な外見を形作る体の流麗なライン、美少女という言葉をコレほど体現している女性も珍しかろう。今からすぐに世界一の美少女にけんかを売ってもいい勝負ができそうだ。
 白いブラウスと青いスカートをはためかせながら、編み上げのブーツでしっかと地面を蹴って、驚くべき速度で市街を駆け抜けていた。実際それは、比喩でも何でも無く文字通り、風のごとき身のこなしの速さだった。冬木市で極少数、世界規模で問えば、魔術に関する造詣の深いものなら、この地を関連付けてこの少女の正体を看破したかもしれない。
 “サーヴァント”。奴隷・使い魔の意味ではない。未来・現在・過去と時間軸に捕らわれず、人々の信仰を集めるほどに偉業を成した超人・英雄・偉人・悪鬼たち。それらが登録された“英霊の座”より、世界に七百以上確認されている聖杯の内、冬木に存在する“願望機”としての機能を持つ聖杯と魔術師によって召喚されるゴーストライナーの事だ。
 今、少女=セイバーはマスターの意思を無視した独断で行動していた。召喚に応えてまだほんの数日だが、自分のマスターの行動を振り返ると、共に戦場に立つことがマスターにとって非常に危険であると判断したためである。
 マスター自身の人間性には好感を持てるものの、既に人ではない英霊たるこの身を、女の子扱いし非戦闘員と考えて強敵の前から下げようとする、代わりに自分から戦おうとする、セイバーを庇って重傷を負う、サーヴァントを連れずに一人で出歩いて危険な眼に遭う、等など。
 自身の命に無頓着というか楽観的に過ぎるというか、聖杯戦争を甘く見ているというか、いずれも本人自身は大して反省はしていない上に、おそらくは同じ事を繰り返しかねない性格だ。無論それは、行過ぎなければ尊ぶべき自己犠牲の精神、人間の善性と言えるのだが、セイバーのマスターはその行過ぎる例外であった。
 ゆえにセイバーはマスターには独断で、敵と思しきサーヴァントがいる柳洞寺を目指し、夜の人の街を疾風の速さでもって駆けていた。セイバーはセイバーなりに己がマスターの安否を気遣っての行動であった。
 それは互いに、セイバーもマスターも独りよがりな、思いやりという概念で包み、優しさという言葉で押し付けるエゴであった。まあ、客観的に二人の言動を見るものがいたら、百人中大多数がセイバーの言を支持するだろうが。

 月の這わせる影さえ軽やかに見えて、セイバーは寺の近くまであっという間に駆け抜けていた。もうまもなく見えるであろう敵との邂逅に備え、四肢に“意”を巡らせ、思考を戦闘へと切り替える用意をする。今宵一人、敵が減る。そのはずだった。目の前に一人の男が立塞がるまでは。
 月光と電子の光に揺れるのはコートの裾が投じた影であろう。ややうつむき加減な顔立ちは、セイバーからは影になって見えない。どいて通ろうとするまでも無く、目の前の男が自分の邪魔をしていると、セイバーは直感的に理解した。いうなれば悪意のようなものと、名状し難い不吉な気配とでも言うべきものが、目の前の青年から零れ出している。

「邪魔をしないでもらおう、私は急ぎの身だ」

「ああ、それはごめんなさい。でも僕の用もすぐ、とはいかないけどそんなに時間は掛かりません。僕は、あなたを殺したいだけなんです」

 右手をコートに入れると、青年――八千草飛鳥は布に包まれた凶悪な刃物、渡り四十センチ以上の肉切り包丁を取り出し、鋼を月光に煌かせた。セイバーの瞳が細まる。可憐な少女に見えてその実、セイバーの戦闘能力はかるく人の域を超えている。英霊とは人の域を超えた超越存在の別称であった。
 通りすがりの殺人鬼と出会うとは、なんとも不運なことだ、皮肉めいたことを考えていたセイバーの耳に、飛鳥の独白が届いた。

「ああ、あなた人間じゃありませんね。アイツはまだ寝ぼけているけど、それ位なら僕にも解ります。久しぶりに僕の意思で殺りたくなって丁度人が来たと思ったら人間じゃないなんて……。でもあなたなら楽しめそうだ。アイツが目覚めると人を殺したくなくなる。早く済ませてしまいしょう」

 ただの殺人鬼ではない? と、ほんの少し疑問に思うものの、この男は今この場で処断した方が世のためだろう、と結論づけるのにさしたる時間は要らなかった。飛鳥は包丁を振り上げ、まっすぐセイバーに切りかかった。決して速いとも力強いとも言えぬ素人丸出しの一撃であった。
 なのに、背筋に悪寒が走った。

「っ!」

「避けないで下さい。狙いが狂ってしまう」

 セイバーのかわした、真っ向から振り下ろされた一撃は、勢い余って深々とアスファルトを貫いていた。えい、と気合の抜ける掛け声と共に包丁を引っこ抜いて、今度は横殴りに銀の弧が描かれた。月夜に煌く鋼の光、再びセイバーはそれをかわす。速度も無い、力強さも無い、技巧も無い、ただがむしゃらに人を殺す、そんな一撃だ。脅威足りえないはずなのだが……
 ブン、と音だけは一丁前に凶悪な唸りを立てて迫る肉切り包丁を避けようとした時、ついにセイバーは見た。希代の殺人鬼八千草飛鳥の、世界一の美男美女も田舎のとっぽい男女に変えてしまう美貌を。美しいものを天使というなら天使の顔を、美しいものを悪魔というなら悪魔の顔を!
 ギンと刃と刃とが噛合う危険な音を立てて、飛鳥の包丁は見えない何かに止められていた。一瞬恍惚とした意識に支配されたセイバーが、美貌の魔力から脱出するまでの間に包丁はかわせぬ距離まで迫り、咄嗟にセイバーは自身の持つ唯一無二の武器を取り出さざるを得なかったのだ。

「見えない剣、ですか? やっぱり人間じゃない、どこに持っていたんですか。卑怯ですよ?」

「な、何を言うか!」
 
 間近に迫った飛鳥の性質の悪い美貌に、我知らず頬を赤らめたセイバーが怒号と共に飛鳥を容易く押し返し、尻餅を着かせた。うわわ、と飛鳥は情けない声をあげながら、とっとっとと危なげな足取りで立ち上がる。
 セイバーは魔力で編み上げた鎧は纏わずに、見えざる剣、―仮に”“風(ふう)王(おう)結界(けっかい)”としておく―を右下段に下げ、睨み付ける眼光すら刃のごとく飛鳥を見据える。

「貴様、ただの殺人鬼ではないな? 何の目的があってこの街にいる、それとも元よりこの地で悪行を成していたか!」

 尋常ならざるセイバーの気迫と威厳を伴った一喝に、飛鳥はひい、となんとも情けない、これがとんでもない殺人鬼の挙げる声か、と思いたくなるような悲鳴を零した。

「ご、誤解があります。僕はこの街生まれじゃありません。ここに来たのは初めてです。ここに来たのは、アイツを殺せる何かがある、と勘が働いたからです」

「アイツ?」

「そう、アイツです。病院から逃げ出した僕の前に現れて、僕に喰われたアイツ。味は無くて、血はひどく水っぽかったかな。で、そいつは今も僕の腹の中で生きているんです。アイツが現れてからの僕は僕じゃ無くなって来ているのです。怖い目やひどい目にもたくさん会いました」

 どうも、この美青年はアイツとやらに操られているらしく、情状酌量の余地ありか、とセイバーが思案し出した所で、飛鳥はとんでもないことを言い出した。

「僕はただ人を殺せれば其れで良いんです。世界がどうなろうと興味は無いし、アイツを喰ったのだってもっと楽しくたくさん殺せるからと思ったからなのに。なのに、アイツを喰ってから僕はいつもなら殺しているはずの獲物をたくさん見逃してきました。人の匂いを嗅ぐ、姿を見る、息遣いを感じる、それだけであんなにも僕の胸を焦がしたあつい衝動は、ずっと僕の胸から消えてしまったままなのです。そりゃ、アイツの差し金以外にも何十人かは殺してきましたけど、それでもアイツの意思に外れることはできない。僕は僕の意思で殺すからこそ楽しいのに」

「……」

 どうも“アイツ”とやらに操られている方が世間のためのような気がする。あまりの発言に呆然としていたセイバーも、嫌悪と侮蔑をはっきりと浮かび上げ、目の前の青年を生かしておくべきではない、と思うほどだ。

「それで僕は、僕の意思で人が殺せない位なら、死んでしまおうと思って、いろいろ試しました。それこそ<新宿>なんて恐い所にも行きました。けれど結局ダメだった。アイツが僕を死なせてはくれないのです。そう落胆していたんですが、不意に、アイツのせいで妙に鋭くなった勘が、何かあると囁いたのです。それに従ったらこの街に来ました」

 聖杯、この青年はそのアイツとやらの影響で常人の範疇から外れているのだろう。不死を得た者が死を望む。不老不死を人類の夢というなら、なんとも皮肉な話だ。風王結界を構えなおし、セイバーが無慈悲な光を瞳に称えてこう、飛鳥に尋ねた。

「死を望むか殺人鬼、ならば我が剣で一刀のもとにその首落としてくれよう」

 凄むセイバーにあわわ、と真っ青になって飛鳥はあわてて弁明しだした。自分の獲物に苦痛と恐怖を与えて、じわじわと嬲り、絶望に表情を染め上げるのはもはや生き甲斐なのだが、自分の痛みに関しては髪の毛が一本引っこ抜かれるのすらごめんなのである。
 他人の苦痛で快感を感じ、自らの痛みには過敏でとても許容できない、サディストの典型的な例だ。

「い、痛いのはいやなんです。痛くないようにすっぱりとじゃないとごめんです」

 情けない。十代半ばか後半ごろの少女を前にして、この様である。セイバーが実情はとんでもない超人とはいえ、この一言に尽きるというか、何というか。まあ、こういう性格なのだからどうしようもない。飛鳥が喰った神も、この青年の捻くれた性格を変える気は無いらしい。

「それに貴女から強い力を感じますが、それでもダメです。……アイツの方が強い」

 ざら、と飛鳥の口調にこもった凶悪な気配に気づき、セイバーが一足飛びで後退する。その胸元が、横一文字に切り裂かれていた。不意を突いた飛鳥の肉切り包丁の一閃である。セイバーの持つ未来予知じみた直感技能を無効とならしめたのは、“神を喰った男”八千草飛鳥という、ある意味現人神と呼べる存在が有する異能力が原因か。
 ヒュッ、というわずかな風きり音は、相変わらず速いとは言えない飛鳥の、しかし目にも留まらぬ高速移動のもたらした音だった。ギチリ、鍔迫り合いの状態から、飛鳥の尋常ならざる、まさに神がかった膂力が風王結界を通してセイバーに襲い掛かる。
 セイバーの首に食い込む肉切り包丁を想像して、飛鳥は久しぶりにいきりたつような興奮に身を浸した。この時点で飛鳥は、セイバーがいかなる存在か理解していなかった。青く何かが光った、そう見えた次の瞬間、飛鳥の体は二十メートルも吹き飛ばされていた。
 ドシャッとアスファルトに叩き付けられ、ゴロゴロと転がってからようやく止まり、ヒイヒイ言いながら何とか立ち上がる。恐る恐るセイバーを振り返れば、そこには暴力的という言葉でも足りぬ圧倒的な闘気と魔力とを纏う鬼神の如き剣騎士が居た。魔力放出を行っているセイバーの姿である。
 コツリと音を立てたセイバーのブーツの音にさえ、ひえ、と飛鳥は脅える。脅えた相手を嬲り殺すのは大得意だが、その獲物に抵抗される、ましてやこれほどの馬鹿げた存在相手など考えることすらできなかったのだ。飛鳥はようやく最初から規格違いの化け物と相対した事に気づいたのだった。

「腕の一つも覚悟するが良い。我が剣で貴様のその腐りきった性根を切り刻んでくれる」

「い、嫌ですよ! この、殺人狂」
 
 お前が言うな。もはやかける言葉さえ無い、とばかりにセイバーは、アイツを喰った事で尋常ならざる力を与えられた飛鳥ですら視認できない神速で踏み込み、肉切り包丁を持つ飛鳥の右手を切り落とすべく風王結界を振り上げた。切り下ろし、世にも稀な美貌の殺人鬼が隻腕に変るまで千分の一秒の時しか残されていない。
 その刹那の交叉で、飛鳥の左手から銀の流星がセイバーの首へと繋がる。思考すら間に合わぬ逡巡の攻防でセイバーが受け止めたのは、何のことは無い平凡極まりないステンレスの包丁であった。セイバーはマッハ前後なら容易く反応してのけるだけの眼と反射神経を有している。ただしその包丁を投じたのは、古の時代、この国を暗黒の支配下に置いた五月蠅成す荒ぶる神を、食った男なのだ。
 ステンレスの包丁にいかなる神秘が働いたのか、風王結界で受け止めたセイバーの体は、いくら小柄とはいえアスファルトを踏みしめた姿勢のまま、三十メートルも後方へと弾かれていた。
 ふんばるセイバーとステンレスのパワーの衝突によって削り取られ、砂塵のように舞うアスファルトの煙の向こうから、セイバーは邪悪に根ざした純粋無垢な殺人鬼を睨み付けた。飛鳥は、先ほどまでの心底怯えていた状態とはうって変わって饒舌になっている。

「ああ、アイツが少し眼を覚まし始めました。早くしないと……知っていますか? 鋼が肉に食い込み骨を絶つ感触、トクトクと流れる血液の鼓動が鋼を通して伝わり徐々に弱まってゆく感触、首の腱がぶつぶつと切れていく音と刃応え……貴女もたくさんその、見えない武器で殺したのでしょう? 理解できると思いますが」

「戯言を!」

 だが、大義と正義とを掲げて生前、セイバーが無数の命を殺めたのは事実ではあった。

「それらの感触を味わう事が僕の人生の全てでした。老若男女、醜美を問わずばらばらにされる相手が最後に浮かべる恐怖に狂った顔は、いかなる名匠の絵画も及ばぬ最高の名画でした。誰も助けに来ない暗がりに木霊する絶望の悲鳴は、まさに天上の音楽、甘美極まりない交響曲だったのです。恍惚と陶酔に満たされるあの瞬間。この世界の全ては僕のためにあると、確信できました。――アイツを食べてしまうまでは。僕の胸からは魂まで焼き焦がしてしまうような衝動は薄れ、アイツの興味のある無しに全て左右されてしまう奴隷に成り下がってしまった。分かりますか? 僕を僕たらしめていたもの、暗く禍々しい歓喜に満ちた殺戮の喜びは失われたのです。今の僕は死を求めて死ねず、存在意義を見失い、さまよう哀れなピエロなのです」

 飛鳥の独白は、まさに殺人の手段と過程、その結果を心の底から楽しむ悪魔の如き所業を吐露したものであった。そして善悪を別にすれば――まぎれもないこの若者の心情が、真摯に語られてもいた。自らの存在意義を失った青年の、悲哀と諦め、そして憎悪で彩った一人舞台。
 みずからを掻き抱く仕草さえしてみせた、飛鳥のその姿はどこかこの世ならぬ舞台で魅せられる悲劇の主人公のようであった。
 幸いセイバーはそれに惑わされないだけの精神力を持っていたが。この殺人鬼の内部の奴ごとこの世から葬る、それを腹の中で括る。しかし、セイバーは気付いただろうか、普段よりも凶暴になっている自分の思考に、理由は無くとも何となく目の前の青年を憎んでいる事に。それは五月蠅成す荒ぶる神の影響か。
 セイバーの様子に気付かず、というよりは眼中に入っていないのか、自己陶酔しているかのように再び語りだす。

「ああ、それでも今はあの衝動がほんの少し戻ってきています。貴女のその白い肌を血の赤に染めて、エメラルドのように美しい瞳を恐怖と絶望に染めて、百以上の肉片に解体できたら、ああ股間が熱くなってきました。切り開いた相手の傷口を抉る感触は射精に最適ですよ? ああ、失礼女性でしたね」

 実のところセイバーは生前異母姉との間に子供を作っており、男性の性的快楽を知っていたりする。全くの余談だが。
 優雅に肉切り包丁をゆっくりと上段に持ち上げて、飛鳥がセイバー目掛けて駆け寄ろうとし、駆け抜けた青い風に、袈裟斬りにされた。右肩から左肋骨までを斜めに切り下げられ、血が月光を反射して噴出した。あれ? と飛鳥は何が起きたのか分からない、という顔をする。
 駆け抜けた青い風はセイバー、すれ違いざまに風王結界で斬りつけた。ただそれだけだった。飛鳥の後ろに回ったセイバーが振り向き、吹雪の吹いているかのような氷雪の温度で飛鳥を見る。本人も知らぬ、押さえ難い憎悪が滾っている。荒ぶる神の影響であろう。

「痛い痛い痛い、ああ、何でこんなひどい事をするんです? どうして僕がこんな目に、痛い、痛いよう」

 ヒックヒックとしゃくりあげ、鼻さえ垂らしてうずくまり、胸の傷を押さえて痛みにのた打ち回る。動くたびに血が溢れ、飛鳥の全身とアスファルトとを朱に染め上げてゆく。この時セイバーは、眼前で苦しむ若者の、より苦痛に染まる顔と傷つき苦しむ姿が見たいという、本来の性格ならばあり得ない衝動に駆られていた。
 最強の幻想種“竜”の因子を持ち、数多の英霊の中でもトップクラスの能力と信仰を併せ持つセイバーでさえ、日本という国に召喚された以上は、国津神である飛鳥の腹の中のアイツの影響を完全には遮断できないのか。
 飛鳥が食った神は、かつて天津神に放逐された国津神の中でも、記録に残す事さえ恐れられた最凶の暴神だ。それは、目覚めれば世界中の邪神が覚醒すると『古事記』にも記されている荒神スサノオノミコトすらをも上回ると言われる神。飛鳥曰く『人間くさい』らしく、おだてに弱いが。
 いずれにせよ、セイバーは心中で沸き起こるドス黒い衝動に気付き、内心持て余していた。動揺を隠せないセイバーの耳に、痛い痛い、と泣いて苦しむ飛鳥の声が届く。ゴウと燃えたける不可解な憎悪の炎。
 それを何とか押さえつけ、多少考えてから死なせるわけにもいかないだろうか? とイマイチ判断しかねたがとりあえず止血か何かしようと近寄る。この事が発覚したらマスターとも一悶着起こさねばなるまい。うずくまり、グスグスとすすり泣く音を零していた飛鳥の肩に手をかけた。気が進まないのが見て取れる仕草だった。帰ってきたのは飛鳥のこんな声だった。

「ああ、今のでアイツが起きてしまった」

 諦めの混じった声に、八千草飛鳥ではないものの、圧倒的な気配が忍ぶ。途方も無い危機感に晒され、一気に飛び離れて、セイバーが風王結界を正眼に構えた。何時の間にか、青いロングドレスの上に、鈍色に月光をさんざめいて反射する、銀の甲冑を纏っていた。手甲と、首と胴体上部を覆う装甲に、腰の側面をカバーする蛇腹上の装甲は動きやすさを考慮したものであろう。
 こめかみにツッと伝わったのは冷や汗だった。セイバーの目の前に立つ八千草飛鳥はもはやただの美しい殺人鬼ではなかった。彼の中で目覚めたのだ。名も知られぬ、残してはならぬと抹消されたこの国のかつての支配者。世に災い成す凶津神が、五月蠅成す荒ぶる神が!

「良かった。どうやらアイツはあなたに興味を持ったようです。どうも目の前に立ち塞がる相手は打ち倒さないときが済まないらしくて、野蛮な事です。でも本当に良かった、これなら僕も少しは楽しめそうだ。ああ、それに……貴女は、美味しそうだ」

 ユラリと立ち上がる飛鳥の姿は幽明境に立つ幽鬼のように危うく、黄泉比良坂を越えてやってきた古代の荒神の如く、荘厳にして凶悪。周囲を歪めるかのごとく立ち上る妖気は、いや神気は、その腹の中にいる神のものか。
 セイバーが一度強く風王結界を握りなおす。挑むのか剣の英霊よ。神に、神殺しの所業に!?

 月は、その光景を恐れるかのように、雲に隠れた。

つづく



[11325] その17 ブルーマン × Fate ② R-15
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/18 22:28
本文には残酷な暴力表現や猟奇的な表現、食人の表現を含みます。本文を読み進め不快な気分になられたとしても当方は責任を負いかねます。読み進める場合はその旨ご留意ください。

その17『神を食った男・Ⅱ』

 晴れ渡った夜空に、煌々と照る月の美しい一夜だった。詩心の無いものも、詩のひとつも諳んじてみたくなる様な、そんな夜。万人の目を疑うような光景が、極東のとある街の一角で繰り広げられていた。
 金砂の如く月光の光で珠を結ぶ髪、荘厳ささえ伺える聖緑の瞳、白皙の肌が眩しく映る美貌。クレオパトラのそれに例えられそうな鼻梁のラインの主は、青いドレスの上に首周りから腰の両脇、それに腕先を覆う銀色の鋼を纏っていた。華奢な体躯からは鎧の重さにも耐えられそうにない印象を受けるが、今は雄々しく、その手に何か眼に見えぬものをもって、眼前の敵と相対していた。
 英雄譚に謳われるべく生まれたような、可憐にして希代の英傑である少女は、仮初の名をセイバーと言った。
 何かに怯えるように雲に隠れた月も、今一度姿を見せていたのだった。耐え難い好奇心に心動かされたように。あるいは、その美しい人を見る為に。
 彼は、右手に肉厚で、幅の広い肉切り包丁を持っていた。無造作な持ち方は、専業主婦にも劣る構えに見えた。もっとも彼の専門は戦闘でも料理でもなく、人体の解体であったが。
 身にまとった黒いコートは、右肩から左肋骨までがすっぱりと切断されて血に汚れていた。先程まで地面を転がりまわっていたので埃や汚れも目立っていた。冬の空気に血は湯気を立てんばかりに次々と溢れていておかしくは無いはずなのだが、既に流血は止まっているようだった。セイバーによって与えられたはずの斬痕も、今は跡形も無かった。血の赤を散らした眩い雪肌が、衣服の切れ目より時折覗く。
 160センチにも届かないセイバーよりは頭一つ近く高く、180センチ前後はあるだろう。街灯の落とす影さえもしなやかで、たくましく、それは美しくさえあった。手を入れていない髪を無造作にかき上げ、彼はゆっくりとセイバー目掛けて歩き始めた。セイバーを天与の美貌とするならば、この男は天にも与えることのできぬ美貌であった。天の神も地の底の悪魔も虜にしてしまいそうな、妖しい、この世のものならぬ美貌。
 彼は八千草飛鳥と言う名前で呼ばれていた。18歳までに、57人の老若男女を解体した希代の、美貌の殺人鬼。そして今はこう呼ばれているのだ。“神を食った男”と。その周囲の景色が揺らいでいるように、セイバーの瞳には映った。
 八千草飛鳥はその胃に収めた神が目を覚ましたのだと言った。神代においてこの日ノ本の国を支配した暴神。五月蝿成す荒ぶる神。奈良の大仏が配された地下より現われた古代の神。揺らぐ景色は、神の顕現を示すものか。
 剣の英雄と現人神とでも呼ぶべき殺人鬼は、静謐な対峙を続けていた。不思議と宗教的な神性さと荘厳さとが入り混じった闘争の場が生まれ出ていた。次々と神秘が失われゆく現代に再現された神代の闘いなのだ。

「ああ、奴が急かしています。あなたを殺せと、食えと。……本当に、貴方は美味しそうですね」

 飛鳥の、誰もがうっとりと見惚れるに違いない紅の唇は、卑しく涎に照り光っている。欲情と飢えと興奮とが、飛鳥を支配しているのだろう。セイバーは激しい嫌悪と憎悪でもって、手の中の不可視の剣を握り直した。己の中に湧いた下賎な欲情の火を消し去るように、力強く。
 心からセイバーを求めている飛鳥の様子は、内容こそ忌まわしいが、愛の告白であったなら誰もが喜んで受け入れるに違いない熱意を持っていた。男も女も関係なくだ。セイバーは、飛鳥の求めに敵意で応えた。具体的にはその剣でもって。

「はあああ!!」

 気合の咆哮は裂帛の勢いで飛鳥を撃った。希代の殺人鬼ながら、その本性は臆病な飛鳥はそれだけで軽く怖気づいた。腹の中の神も、この性格は特に矯正する気はないらしい。小細工なし、これを外せば次は無いと言うほどの覚悟でセイバーは掲げ持った剣を飛鳥目掛け振り上げた。セイバーの一足で六メートルほどの距離が、剣を振るに最も適した距離にまで縮まるのは、瞬きをするよりも短い時間の間であった。飛鳥はそれに反応する素振りさえない。
 放出する膨大な魔力が、青白い光となって発光しセイバーを輝かせていた。真正面から飛鳥を両断する一撃は、雷光の速度と言ってもおかしくは無かった。飛鳥の美貌が正しく縦に両断され、切り口も鮮やかにゆっくりと横倒れになる。当たっていれば、そうなっただろう。だが現実は……。
 セイバーの足元に偶然転がっていた石を、セイバーが偶然踏みつけてバランスを崩し、偶然吹いた強風が舞わせた木の葉が、偶然セイバーの視界を塞いだ。全ては偶然だ。偶然が重なり合い、セイバーの一撃から飛鳥を救ったのだ。それはこの国の神と戦うということを表してもいた。この国に属するものはすべて神の味方と言っても過言ではないのだ。
 バランスを崩したセイバーの一撃は、わずかに飛鳥からずれて、剣風がアスファルトをいとも容易く切り裂くに終った。まるで偶然が飛鳥に味方したような現象の連続に、セイバーは内心驚きを覚えたがそれを表に出す愚は犯さず、即座に思考を切り替えて振り下ろした剣を、飛鳥の首を狙った切り上げに変える。
 ようやく気付いた飛鳥の視線が、セイバーを確かに捕らえていた。そして飛鳥が気付くよりも早く肉切り包丁を振り上げている右腕。背筋を駆ける、いや違う、汚穢な怪虫に体内を貪られるような感触がセイバーを襲った。飛鳥の意思よりも速く振り上げられていた肉切り包丁の刃が、月光に白々と輝いていた。飛鳥の意思でない一撃は、すなわち神の一撃ではないだろうか。

「速いですね。見えませんでした」

 眼を見開いて驚いた飛鳥である。本心らしい。振り下ろされる肉切り包丁、狙いはセイバーの首。迎え撃つようにセイバーが全霊を用いて剣を振るう。青白い魔力と不可視の神の気とが歪みとなって空間を陵辱していた。発生してるのは両者の刃と刃との交差点。体勢から言えば上から被せる様に肉切り包丁を押す飛鳥が有利だ。

「えい」

 気の抜ける気合を一つ漏らして、飛鳥はぐぐいと力を込め、体重を乗せる。セイバーは砕けんばかりに歯を食い縛り、天を支えたアトラスの様に飛鳥の一撃を堪える。

「ふっ」

 両手で握っていた剣の柄から、左手を離して飛鳥の、あるいは神の振るう肉切り包丁に見えぬ剣の刃の上を滑らせる。あわわ、と飛鳥はなす術なく体勢を崩し、無防備な体勢をセイバーに晒した。いちいち情けないのも、この美貌の殺人鬼の特徴だ。むろんセイバーがその好機を見逃すわけも無く、自分の傍らでこけるのを踏ん張るような体勢の飛鳥の胴を、握りなおした剣を振るって薙いだ。
 腰の半ばまでを切られた飛鳥が、噛み締めた純白の歯の隙間から低く悲鳴を零した。出血は驚くほどに少ない。いや、切られたはずの胴は既に半分ほど繋がっているではないか。神がこの殺人鬼から死を奪い去ってるのだと、直感的にセイバーは理解する。ならば微塵に切り裂くか、跡形も無く滅ぼすか。とりあえず首を落とし四肢を切り離す辺りが妥当であろう。残酷な行為だが、必要とあらば辞すつもりはセイバーには無かった。本来高潔なる魂の主であるセイバーにとっては好まざる所業だが、この場合躊躇を覚えるような相手ではなかった。
 剣を振りぬいた体勢から大海を泳ぐ魚のように淀みない動きでセイバーは振り返る。飛鳥はいまだ苦痛に苛まれ、痛みを堪えるのに精一杯だ。非情な一刃は断頭台さながらに飛鳥の首を薙ぎ、水を切るように抵抗もなく切り落とした。あっ、という表情で飛鳥の首はその胴から呆気なく落ち、倒れ付した飛鳥の右手が持っていた包丁の切っ先が、アスファルトに刺さった。

「なっ!?」

 セイバーの唇から零れる驚きの声。それもむべなるかな。包丁の突き刺さった先から始ったアスファルトの亀裂は、すぐ傍のセイバーの足元では人一人を飲み込む亀裂へと変わっていたのだ。その深淵はすべての光を飲み込むような暗黒の奈落だった。通されているはずのガス管や水道管は何処へ行ったのか、見る影もない。落ちるよりも早くセイバーは地を蹴って後退し、意思ある生物の様に迫る亀裂を更に避けるべく跳躍を重ねる。
 飛鳥の包丁が作り出した亀裂は延び続け、まるでアスファルトが巨大な生物の口と化したようにセイバーを飲み込むべく広がり続ける。

「埒が明かないかっ」

 忌々しげに吐き捨てたセイバーが、家屋の塀を蹴って飛び上がり、落下の勢いでもって,埒をあけるべく逆手に構えなおした剣を亀裂の先に向かって突き刺した。亀裂の長さは既に百メートルに及んでいた。ほとんど直感的な行動だったのだが、あながち的外れと言うわけでもなかったらしく亀裂はセイバーの剣の突き刺さった箇所で止まっていた。神の神通力に、セイバーと剣の霊格がかろうじて勝ったようだ。
 一か八かの賭けに勝ったことに少なからず安堵し、セイバーはついではっと顔を上げて、飛鳥を見た。飛鳥は、落ちた首を元通りの位置に押し付けながら立ち上がるところであった。斬痕は白っぽい線に変わったかと思うと、見る間に消えていった。

「痛い、と思ったのですがそれほどでもありませんでした。それにしてもひどい事をする女性だ。訴えますよ」

 それほどではないという割りに、眼の端には涙が溜まっている。彼にとって快楽に変わる痛みとは他者の苦痛であり、己に対する痛みは髪の毛一本引っこ抜かれるのさえ嫌なほど敏感なのである。典型的なサディストの性癖である。
 飛鳥がすっくと立ち上がると同時に、両者の間に生まれた亀裂は元通りにぴたりとくっつき、つい数秒前まで底の見えぬ亀裂があったなどは、直接目にしていないものは信じられまい。さらには、周囲の民家の住人には何の異常も感じられ無かったのか、騒ぎ一つどころか猫の鳴く声さえしないのだ。おそらくは冬木の誰もが何の異常も感じなかったのだろう。

「化け物め! ……流石は異教の神と言うべきか」

「僕にとっては疫病神ですね」

 あっけらかんと飛鳥は言う。本心から腹の中の神がうっとうしいのである。彼を彼たら占めている“殺人衝動”を、体内の神は意図してかせずにか抑制している為だ。

「ああ、本来なら貴方のような人なら匂いを嗅ぐだけで殺意が湧いたでしょう。なのに今僕のこの胸を焦がすのは腹の中のアイツの衝動なのです。僕が僕の意思で殺すからこそ僕は生き甲斐を感じられたと言うのに。ああ、そうだ、そうだとも。出会う人々を片っ端から殺し尽くす方が僕らしいのに。男も女も関係なく、老いも若いも関係なく、目に付いた端から、匂いを嗅いだ端から、足音を聞いた端から、体の奥底から湧き出す衝動に身を任せるべきなのに」

「貴様が生まれたのは、世界の過ちだな」

 自らに酔いしれるように、しかし心の底から告白する飛鳥の様子に、セイバーはますます嫌悪を募らせた。まさしく台詞どおりコイツは生れ落ちてくるべき存在ではなかったのだと、思い知る。

「そうですか? 昔外の世界を知る為に病院で読んだ本では、全ての命には意味があると書いてありましたよ?」

 首をかしげて、飛鳥は無垢な子供のようにセイバーに問うた。精神病院での生活は好ましからざる記憶だが、飛鳥の常識の一部を担っているのは、収容されている間に呼んだ数々の書籍なのだ。ちなみに『小学生の道徳』なども含む。

「ならば貴様の生命は、今この場で断たれる為にあったとしれ」

「ひどい人だ。怒りますよ?」

 むっと柳眉を寄せて、飛鳥はセイバー目掛けて歩き始めた。優雅と見える歩行は、疾走に等しい速度でセイバーへと迫っていた。あくまでも歩いていると見えるのにその実速度は飛燕。幻惑に等しい効果がセイバーに襲い掛かったものの、セイバーも歴戦と言う言葉が霞むほどの戦闘者。狙いをあやまたず飛鳥を捉えて頭部を割る一刀を放つ。ゆったりとした動作で飛鳥の肉切り包丁がそれを捉え、こらきれずに大きく後方に吹き飛ばされた。無様と言える姿勢で飛鳥はアスファルトに叩きつけられ、何度も転がってからようやく止まる。
 飛鳥は鼻水さえ垂らしながら何度もむせ返り涙を流していた。今度は痛かったらしい。頬や掌に幾つも擦過傷を拵え、雪肌の白と埃の茶色と血の赤が鮮明なコントラストを描いていた。
 ひいひい言いながら、うつぶせに倒れ付した身体を肘を突いて身体を起こして、恐る恐る強敵たる剣の英霊を探す。

「あれ?」
 
 居ないのだ。見渡す限りの視界の中にセイバーの姿はなく飛鳥は無防備にも、動きを止めていた。そして、腹の中のアイツが飛鳥に警告を与えた。はっと大きく背を逸らして上を見上げる飛鳥。その瞳には、月を背に風を切って自分目掛けて剣を向ける剣騎士が。月光に輝き、魔力放出の蒼を纏うセイバーの姿は、飛鳥をしてさえ思わず見入るほどの美しさだった。
 ほう、と零れる感嘆の溜息に遅れて僅か一瞬、セイバーの剣が飛鳥の心臓を貫いた。真上から串刺しにされた飛鳥は、アスファルトにうつぶせに倒れ付した状態から背を逸らした状態で縫い止められていた。

「ああ、があっぐ」

 明らかな苦鳴の声と共に、飛鳥の口からゴボゴボと音を立てて鮮血があふれ出し、咽喉元とアスファルトを赤く赤く濡らしてゆく。びくんびくんと幾度か痙攣し、不意にその体から力が抜けてゆく。その様子を確認してから、止めていた息をゆっくりとセイバーは吐き出した。まさか神殺し、生前……にも覚えがない所業を果たす羽目になるとは。
 削られた神経と張り詰めた精神がゆっくりと戦時から平時へと戻るのを感じながら、セイバーは飛鳥の体の上から降りて心臓を貫いた剣を引き抜いた。ズズっという音と共に肉と擦れる感触がセイバーの指に伝わる。不快さと、この美しい男を殺したのは自分であるという恍惚、そして罪悪感が猛烈に襲い掛かってきた。

「……」

 痛切な表情を浮かべるも一瞬、セイバーは振り切るように背後を、目指す柳洞寺を睨みつけた。
 一歩、グリーブがかつんと音を立てる、二歩、疲れたような歩みにはこのまま戦いを挑むことの愚を考えて迷っているようだった。三歩、愕然と、それは振り返る動きとなった。振り返るセイバーの動きと共に、それはセイバーの左首筋へと立てられた。
 白々と輝く歯の列は、真っ赤に染まりながらセイバーの肉を食い千切るべく思い切り深く突き立てられていた。確かに死んだはずの八千草飛鳥であった。ぞぶりぞぶりと、飛鳥の歯は深くセイバーの肉を抉ってゆく。

「ぐうっ貴様!?」

「……」

 ぶつんと言う音がしたのと同時に、飛鳥はセイバーの左肘の一撃で身体をくの字に折りながら、吹き飛ばされる。しかし今度は地面を転がると言う無様な真似はせずに、優雅に降り立った。コートがはためき悪魔の翼のようにふわりと広がっていた。そして今、くちゃくちゃと口元を動かし続けていた。唇の間からはセイバーの容易く千切れそうなほど繊細で細い金の髪とドレスの青い生地が、時折覗く。
 セイバーは右手一本で剣を構えなおし、確認するように左手を首筋に当てた。無い、確かにそこにあった肉が齧りとられていた。不思議な事に痛みはなく、血も出てはいなかった。これが、神に食われるという事なのだろうか?
 ゆっくりとセイバーの血肉を咀嚼していた飛鳥が、ゴクンと音を立てて飲み込んだ。じっとセイバーを見つめる眼は、まだ物足りないと語っている。首筋に当てていた左手を柄に戻して、セイバーは剣を正眼に構える。

「ああ、お腹が温まります。……竜? ですか、この味は。なるほど本当に人間ではないのですね。アイツも昔食べた事があるそうですよ。時々海の外からやってくる竜を相手に闘い、食べていたようですね。一番美味しく食べるには肛門から手を突っ込んで直接内臓を引っ張り出し、それを塩漬けにしてから三日間水に漬けててふやかすそうです。頭は竜が生きている間にそのまま丸ごと食べるのがお気に入りのようですよ。口の中で徐々に力を失ってゆく感触がたまらないそうで。後は鱗を一枚一枚剥いで、四肢は陽に干してから、その他の肉は血の滴るのを頂くのが流儀ですか。爪や牙、鱗はおつまみにするのが良いそうです。滋養はたっぷりあるようですね。アイツは本来の神の食事を長い事とっていませんからハラペコなのですが、いくらか足しにはなったようです。あなたもそうして頂きましょう……なんて野蛮な。
そういえばもう一つ分かりましたよ。アイツは怒っているのです。自分の国に余所者が入り込んでいる事に。貴方は他所の神ではないようですが、この街のどこかからはそいつらの匂いがします、それと気配も。僕の腹の中のアイツは他所の連中が本当に気に入らないようです。何しろこの国の神でも毛嫌いしているくらいですからね。全くいい迷惑ですよ。
 ねえ、本当に僕は、貴方を食べるつもりなんてないのですよ。美しく気高い貴方が怯えて無様に命乞いをし、恐怖にその美貌を歪めながら僕に殺されてくれればそれでよいのです。なのに、今の僕は貴方が食べたくて仕方ない。何てことだ」

 心から嘆きながら、飛鳥はゆっくりとセイバーに迫る。自らの芸術の未完に懊悩する青年風ではあるが、飛鳥の唇からはだらだらと涎が零れ落ち、コートやアスファルトにぽつぽつと染みを作っている。スラックスの股間は張り詰めていた。性的興奮と食欲の極みに達しつつあるのだ。

「外道めっ。邪神に魅入られるのも仕方あるまい。貴様のその邪悪さではな!」

 セイバーは、自らの清廉な精神が訴える嫌悪感と眼前の美青年を必ずや討たねばならぬという使命感に突き動かされた。世に放たれたこの男を放置すれば、未曾有の災厄が世界を襲うと、正しくセイバーは理解していた。
 同時に、目の前の青年の不死ぶりについても、打破すべく思考を巡らす。首を落としても即座に回復してみせる再生能力。いや、再生とも厳密に言えば異なる印象を受けるが、とりあえず神の力さえなければ眼前の青年はセイバーの敵たり得ない。しかしもはや神は目覚めている。

(先程奴が作り出した亀裂を止める事はできた。神秘はより強い神秘に破れる、か。聖剣ならば、あるいは。いやこれしかないか)

 聖杯戦争における現状を鑑みれば聖剣をサーヴァントでもない相手に使用するのはもっての外だが、相手が相手だ。ひょっとしたら自分達以上にとてつもない魔性と剣を交えてしまったのだから。

(聖杯。我が誓い、我が願い。この場をやり過ごしても魔力の不足は夥しいか。だが、それでも望みは繋がる)

「……一人の騎士として、貴様のような存在を見過ごすわけには行かぬ。貴様はいずれ無辜の民に際限なき災厄となって降りかかろう。今ここで、我が剣を持って禍根を断つ」

「……そう、でしょうね。しかし禍根を断つ、ですか。そうしてもらえるなら僕としてもありがたいのですが。できますか? 貴方に」

 どこか虚無的なものを漂わせて飛鳥はセイバーに問うた。声には真摯さが込められていた。唐突にセイバーは理解していた。八千草飛鳥は疲れているのだと。死を求めても死ねぬ不死者。己を己以外の何かに支配される事の恐怖。初めてセイバーは、目の前の美貌の殺人鬼に、ほんのささやかな、一抹の憐憫を感じた。

「跡形も残さぬ」

「それなら痛くなさそうですね」

 それなら、とほっと一安心した飛鳥の声だった。少なくとも死を望んでいるのは事実なのだ。ただ痛みを感じるようなのは嫌なだけだ。奇妙な和やかさみたいなものが両者を繋いだ。ほんの一瞬だけ。
 腹の中の神は異を唱えたようであった。飛鳥に襲い来る猛烈な飢餓感と本来の殺人衝動は瞬く間に彼の思考を鮮血に彩った。唇の端から涎を零しつつセイバー目掛けて跳躍する飛鳥。聖剣の解放が先か振り上げた肉切り包丁が振り下ろされるのが先か。
 そして、夜の街の一角を白い炎が照らし挙げた。ちょうどセイバーと飛鳥がそれまで立っていた場所の中間まで飛鳥が飛翔した所で白炎が飛鳥を飲み込んだのだ。何!? と誰何の声を挙げたセイバーの耳に、低く何か呪文のようなものを唱える声が聞えた。炎に蹂躙された飛鳥はそのまま地面に落ちたかと思うと、脱兎の勢いで地面を蹴り、二十メートルも跳躍して見せた。そこに、びらびらと真白な、蜘蛛の糸に似たものが何百本と襲い掛かった。
 たちまち糸の触れた民家の屋根や電信柱、炎の中の飛鳥から白い煙が上がる。糸は強烈な溶解能力を持っているらしかった。炎と新たな糸の来襲を、銀色の弧が引き裂いた。飛鳥の手に持つ肉切り包丁が、神の意思と力で振るわれたのだろう。身に纏っていた衣服が全て焼け落ち、体のあちこちを炭化した飛鳥がそこに居た。唯一顔だけは無傷であった。
 そしてセイバーの背後の闇を睨み付け、低く唸る様に言った。どこか呆れてもいる。

「貴方達はこんな所まで」

 つられて振り返ったセイバーの瞳に、一人の尼僧の姿が映った。月光さえも吸い込んでしまうような妖しい、爛熟した妖花のような美貌に、僧衣を押し上げる豊満かつ淫靡な肢体。匂い立つような色香と、神聖な雰囲気とが混在した若き美貌の尼僧。おもむろにセイバーに向かって頭を下げて、こう言った。

「秋光尼(しゅうこうに)と申します」

 高徳の聖人のみが有する清浄な雰囲気と、どこか娼婦顔負けの色香を持った助っ人に、セイバーは戸惑った様だった。

「あの方とは多少の縁持つ者でございます。人ならぬ御方。何をしようとなさっているのか未熟なこの身には分かりかねますが、お命の危険に及ぶ事である事だけは分かります。どうかお考え直しくださいませ。代わりと言っては何ですが、この場は私共めがお引き受けいたします」

 震える睫毛の元、憂いを湛えた瞳に炯炯と宿った猛寧な光をセイバーは見逃さなかった。

「まずは、感謝を。しかし、彼は」

「ご懸念無く。私共も、彼の神を討ち果たさんとする者でございます」

「私共?」

「あちらでございます」

 信心が厚いかどうかはともかく異教の徒であるセイバーに対し、あくまでも恭しい態度を崩さぬ秋光尼が指し示す方をセイバーもまた見た。素直に従ったのも、秋光尼に敵意の欠片も無い事が理由だった。
 月夜に輝く裸体を晒す八千草飛鳥の前に、平凡なサラリーマン姿が立ちはだかっていた。古代ギリシアの彫像さえも恥らうと見える裸身を前に、情欲と殺意を万と湛えて、サラリーマンは銀縁眼鏡の下で眼光を鋭くした。姿そのものは確かにただのサラリーマンであろう。ただし、何も無い空中から、何かに掴まっているかのように逆さまでなければ。

「また会ったな。色男」

 かつて奈良の大仏が見守る中、米軍の超能力を持った軍人の通訳を果たした江口という名の男は、憑いた土蜘蛛の意のままに喋った。

「僕の尻の味が忘れられませんでしたか?」

 飛鳥は史上最悪と呼ばれた美女達でさえ届かぬ妖しい淫笑を浮かべた。かつて土蜘蛛に尻穴を掘られた時の事を言っているのだ。その際、土蜘蛛は掘っていた男を、牙の生えた飛鳥の尻穴に食い千切られている。さっと土蜘蛛の顔に朱が走る。憤怒の朱であった。顎の稼動域の限界を超えて土蜘蛛の口が横に開き、そこからあの糸が風に逆らって飛鳥へと降り注ぐ。
 それを逆らわれた風が土蜘蛛へと押し返した。人間とは思えぬ、まさしく蜘蛛の如き動きで土蜘蛛は跳ねた。着地したのは電信柱の頂上だった。

「ここへは僕の方が先に来ました。どうやらこの街には神が居ないようですね。人々を見捨てたか神の方が見捨てられたか、あるいは別の何かに敗北したのかもしれませんね。とにかく、ここは僕の味方です。五月蝿なす荒ぶる神といえども神は神。仮にも国津神と言うことでしょう」

「ちっ、これだから大陸の妖術師どもは好かんのだ。この国の理を理解せん」

「貴方が行動を共にしているのは何ですか? でも、腹の中のアイツもそれには同意見な様ですが」

 アスファルトの上、妖しい微笑みはそのままに飛鳥は土蜘蛛をねめつけている。両者の間を繋ぐのは神代に根ざす怨恨であった。かつて飛鳥が喰らいし神は、土蜘蛛の一族を生きたまま貪り喰らったのだ。ふっと飛鳥が力を抜いて、清々しいとさえいえる笑みを浮かべた。土蜘蛛は警戒を緩めぬままに怪しいな、と目を寄せる。

「貴方達と戦うの疲れます。僕は僕のやりたいようにしたいのです。といってもアイツがそれを許さないのですが。でも一つ分かりましたよ、ここ来たのは僕の意思であり、アイツの意思でもあった。アイツは気に食わなかったのですよ。他所の神の匂いをさせる連中がのさばるこの地がね。どういうことか分かりますか?」

「貴様の腹の中の奴は、この地に呼ばれた異国の神を皆殺しにするつもりか」

「純粋な神ではない混じり物のようですが、気に入らない事には変わりないようです。一柱も残さずに喰らい殺すつもりですよ。こいつは」

 そして手に持っていた肉切り包丁を飛鳥は手放し、重力に任されるまま包丁はアスファルトに突き刺さった。セイバーが、警告を出すよりも早く。
 その晩、八千草飛鳥が落とした肉切り包丁を中心に、半径百メートルという極小の地域を地震が襲い家屋は尽く倒壊。重軽傷者十四名を出す惨事が起きたのだった。

――続かないと思う。
風牙亭さまで投稿した時は投稿してよいものかと悩んだものです。しかしまあ腹の中の神様は<新宿>に行ったらなんともまあさらに強大な力の持ち主になってましたね。宇宙が破滅するだの<新宿>の妖気でも押さえ込むのがやっとだの、ドンダケー、と思ったものです。ではではおやすみなさい。



[11325] その19 凍らせ屋 × Fate
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/21 21:18
リクエストがありましたので投稿。こち亀の方でなくて申し訳ありません。

 その18 『 凍らせ屋 』

 数十万に及ぶ人口のうち、半数かそれ以上が犯罪者とされる現代最凶にして奇怪・妖異極まる最悪の悪都で、それでも日々無辜の市民、平凡な人々を犯罪の魔の手から守護すべく命と誇りを賭けて戦う人種がいた。〈警察官〉である。
 何時の日からか、凶悪無比・残忍極まる悪鬼の如き犯罪者達の間でとある通り名が、絶対の恐怖と畏怖を伴って語られるようになった。それはとある刑事の名であった。
 人の命が空気よりも軽く時に一枚の札、一枚の硬貨で殺人が行われる街で、その通り名は耳にした悪党共の背筋を尽く凍てつかせるのだ。なぜならその刑事は犯罪者を人間として扱いはしない。鬼畜に等しい犯罪者達が人でなし、悪魔、と恐れるほどの苛烈な捜査は、犯罪者を逮捕ではなく退治しているのだと、まことしやかに語られる。
 その刑事の出動は犯罪者達にとって死刑宣告と同義であり、これを免れるには刑事の命を絶つしかない。そうして刑事の命を狙い、今日に至るまで千に及ぶ犯罪者達が、その刑事によって処断されてきた。その犠牲者の数が増える度、無辜の市民が守られる度にその所業の凄まじさから、犯罪者達はその背筋を戦慄に凍らせるのだ。故にその刑事を指してこう呼ぶ。曰く

“凍らせ屋〈SPINCHILLER〉”、と。

 “魔界都市〈新宿〉”の治安の一端を担う戦士達の基地、〈新宿警察署〉のフロアを丸まる占拠したかのような二百畳近いスペースを占める捜査課の職場の奥に、馬鹿でかいロッカーとスチール・デスクに挟まれたスペースがある。
 常に逮捕した犯罪者と刑事との悪罵、罵詈雑言、銃声や奇声、尋問や拷問が奏でる苦鳴、分単位でやって来る容疑者、流血しながらも興奮冷めやらぬ連中に、昼飯のラーメンを啜っている刑事と静謐や倦怠などといった言葉とは無縁の職場で、同僚さえも滅多に近付かない一種の聖域である。
 今その聖域に捜査課のボス、緒方課長が近付きつつあった。美髯を蓄えたいかにも切れ者といった風体の緒方課長は、その聖域の住人にとあることを告げるのであった。どことなく憮然としている声音で。

「捜査一課<特務班>屍刑四郎(かばね けいしろう)。君に三週間の有給休暇を命ずる」

「……」

 吉田家の超特大牛丼“ジャイアント(つゆだく)、豚汁・漬物・生卵付き”を堪能していた“凍らせ屋”こと屍は一瞬、緒方課長の正気を疑ったものの、口には出さずその当人の不服そうなわずかな表情の変化から本当らしいと悟った。とりあえず口の中の牛丼は飲み込んだ。
 緒方課長の話を要約すると、どうやら福利厚生の一環から普段特に貢献著しい公務員を対象に特別休暇を与える事がつい先日決定され、ヌル・コンピューターによって無作為に選出される候補者の中から“魔界都市〈新宿〉”では“スパイン・チラー”に白羽の矢が立ったらしい。
 本来なら本人が申請したわけでもないのに、刑事を休ませなければならない余裕も論理も、ソレを許す現実すら<新宿>には存在しないのだが、この判断を下したのが人間ではなくヌル・コンピューターであるという点が、新宿警察署長と区長に承諾を決意させた。
 ヌル・コンピューターとは何か? ヌル=非、すなわちコンピューターでありながらコンピューターではないソレは、アメリカ国防総省の地下奥深くに存在するという超コンピューター“シグマ”と同様に、ありえない事態を推測する超現実的な機能と、神の思考とでも言うべき超推理と判断を下す、一種の人造の神なのだ。
 ゆえに異例とでも言うべき“凍らせ屋”の強制有給休暇という空前絶後の事態とあいなったのである。とはいえ屍は不服に染まっているといっていい。この、犯罪に対する憎悪が視認できたら、<新宿>どころか地球を覆い尽くしてもおかしくない刑事は、自分がいない間にさぞや犯罪者どもや悪徳警官達が喜ぶのに、ハラワタが煮えくり返る思いなのだ。

「君の気持ちも分る。だが決定は覆らん。それから、今回の特別休暇に際して唯一君だけヌル・コンピューターが休暇中の行き先を指定した」

「どこです?」

「冬木市という街だ」

 屍の眼に猛禽に似た、しかし遥かにそれよりも強力な力と光が、湖底にたゆたう日差しのように静かに宿る。冬木市、つい最近観光で訪れた〈新宿〉区民が行方不明になった街の名だった。なるほど休暇だからといって刑事を辞めるわけではない。休暇を捜査に当てるのも個人裁量の範囲と、〈新宿〉ならではの解釈も可能だ。

「正直な所、君が〈新宿〉に不在となると犯罪者共が調子をこく。とはいえ君も公務員、人間だ。時には休暇も入用だろう。ゆっくり骨休みしたまえ」

 と、緒方課長は屍がそんな骨休めなどするわけが無いと、初めから信じていないのを顔に映して言った。すると屍は実に頼もしく、――思わず緒方課長の背筋が凍る位に――こう返事をした。

「ヌル・コンピューターの判断に甘えるとしますよ。俺なりに、ね」

 手に持った牛丼のドンブリと箸さえも恐るべき凶器のように見える、“凍らせ屋”の迫力であった。



 そんな情けない理由で屍は冬木市を訪れることになった。暦は2月にもう間も無く変わるが、肌を刺す冷気は12月くらいだ。土地柄だろうか? 駅に降り立った屍は周囲の人々の奇異と好奇の視線を一挙に集めつつ、市内へと足を進めた。
 185センチをクリアする長身に鋼もかくやと思わせる強固さと野生の獣のようにしなやかな俊敏性、途方も無い威力の爆発にも似た爆発力を宿した肉体を、シルク地らしいが擦り切れたコートが踝までをすっぽりと覆っている。愛嬌とでも考えているのか表面には絢爛・艶やかな花模様が散りばめられている。ただしプリントでも刺繍でもない、本物の花である。
 捲り上げた裾からは黒光りするレザーの上下、足元は銀の滑車が付いたゴツイ黒革のハーフブーツ。髪型は途中で放り出さなかったのが不思議なくらいに見事なドレッドヘアだ。このスタイル向きの毛質はまず日本人にはありえないから、さぞや苦労したに違いない。
 日焼けした精悍重厚な顔には、想像もできないような人間離れしたエネルギーが、この刑事の奥深くで常に燃え滾り爆発する時を待ち構え、機械の冷徹さと猛獣の猛りとが同居しているのが見える。一つっきりの瞳は二十代後半かそこらでは到底身に付かないであろう、知性と理性を滲ませている。残された左目は黒い日本刀の鍔で覆われていた。隻眼なのだ。
 それから屍は〈新宿警察署〉で脳細胞に刻み込んだ情報を引き出し、今後の行動の幕を切った。
 屍は、とある洋館のインターフォンを鳴らした。駅を出たのが夕刻過ぎで、冬のご時勢ゆえに日が落ちるのは早く、夜の訪れも間も無くと知れている。洋館は豪邸といっても構わないくらいで、使ってはいない様だがプールも備え付けてある。日本では珍しいと言っていいだろう。
 カチャリ、とドアノブが回る音がすると屋敷の主が顔を覗かせた。俗に言うツインテールの髪形ただし後ろも伸ばしているからトリプルテールとも言える。なだらかな曲線を描く流麗なボディのシルエット、そこらのアイドル顔負けの美貌の主、遠坂凛。
 冬木市のレイ・ライン(龍脈・霊脈とも言い、いわば地球の血管のようなもので、莫大な霊的エネルギーの通り道のこと)の管理を、魔術協会から任されたセカンド・オーナー遠坂家の現当主だ。怪異風貌な屍に、思いっきり胡散くさい、という心の声とただならぬ屍の気配に緊張しているのが見て取れる。浮かべた笑顔も硬く、屍の素性を聞いた。

「どちら様でしょうか?」

 懐からIDカードを取り出しながら、屍は民間人へのサービスとして公僕の鑑といえる笑みを浮かべてこう切り出した。口調もいたって丁寧だ。

「“新宿警察署”捜査一課〈特務班〉屍形四郎です。遠坂凛さんですね、お聞きしたいことがあってお邪魔しました」

 屍が遠坂家を訪れたのは無論、冬木で行方不明になった区民の失踪について魔術的な線から洗うためである。十年前に先代当主が死亡してからわずか6歳か7歳で跡目を継いだ少女は、智勇兼ね備えているのが会話の端々から察せるものの区民の行方については有力な情報は持っていなかった。
 時刻は夜八時を回っている。出された紅茶を一息に、それでも堪能して飲み干し屍は席を立った。凛に見送られながら玄関まで来た屍が、ふと正門を通る際に振り返り、こう囁いた。
 低く重い声。それは世に4つ存在する“魔界都市”の中でも最凶とされる、〈新宿〉の法の番人〈魔界刑事〉の声であった。ソレは冥府の洞から届く魔風の如く凛の耳朶を凍てつかせる。いや、魂を。

「十年前の聖杯戦争、さぞや凄まじかったんだろうな。なにしろ民間人の被害が数百人を超えている。だが、もし今回もそんな事態になるようなら、……管轄外だろうが容赦はせん」

 背筋も身も凍らせる凛に、屍は髪型と服装が反乱を起こしそうな礼儀正しさで一礼した。
 聖杯戦争については〈高田馬場魔法街〉の太った魔術師と人形の少女から知識を教授してもらってある。最後に、チラッと凛の何も無い背後に、誰かいるみたいな目線を送ってから歩み去っていく。

「…………」

 言葉も無く凛は、屍の姿が見えなくなっても尚、精神の奥底からぬぐえぬ何かに、立ち尽くすことを強制された。

「何なのよ、あの刑事ッッ! ジャマイカン気取りの髪型に花まみれの格好、おまけに刀の鍔を眼帯代わりにするなんてセンスおかしいんじゃないの!!??」

 居間に戻った凛が、遠坂火山を大爆発させる。凛の罵詈雑言を〈新宿警察〉の面々が聞いたらその場で心不全を起こすか自殺するか、現実逃避しかねぬ屍に対する非難である。   
 まぁ、その通りと言えないわけでもない屍の格好ではあった。ウガーッと絶叫しだすんじゃないかと思うくらい遠坂火山は噴火を続ける。

「第一! 何で! よりにもよってあの! 〈新宿〉の刑事が冬木に、聖杯戦争を嗅ぎまわりに来るの!? 協会と教会は何やってんのよ」

 凛が名を挙げた組織を含め、世界中の非合法的な犯罪組織や、霊的を扱う組織・集団にとって〈新宿〉はまさに鬼門中の鬼門である。東京都二十三区の一つに過ぎなかった新宿区が“魔界都市〈新宿〉”に変貌してから十余年。その存在がもたらした影響は言語に絶するものがあったのだ。
 “魔震”によって壊滅させられた〈新宿〉のあちこちや、外界から隔離する“亀裂”の中から発見された超古代の遺跡・未知の文明の遺産がもたらしたオーバーテクノロジー、発生した妖気がもたらす人間の変容、すなわち超能力者・獣人化・妖物との混合人達、破壊された市谷遺伝子研究所から漏れ出したサンプル達から次々と生まれる数十万種に及ぶ妖物達、惹かれるように集まる世界中の魑魅魍魎・悪鬼羅刹・犯罪者の類。
 迷信と御伽噺の中の存在を世界中の人々に現実のものと知らしめ、それまで神秘を秘匿してきた魔術師達の努力と歴史を無駄とした街。
魔術の徒たちが神秘、魔道や奇跡の類を秘匿してきたのは、大雑把に言えば神秘というものは其れを知る者が少ないほどその純度、神秘性が維持される性質があり、科学と化学を世界の中心にすえる世界への発展を由とし、魔術の隠匿と隠蔽を行ってきたのである。(これには『魔術回路』や『魔術刻印』と呼ばれる血縁的なものが必要とされる魔術が、魔術協会で主流であることも起因する)
 それゆえに〈新宿〉で、同業者からつまはじきにあった魔術師や〈新宿〉の価値に気付いた者達が公然と魔術の存在を世に知らしめた時、協会側は彼らの抹殺を企てたほどだ。だが神秘性が薄れたり、その弱体化、という事態は杞憂に終わった。
 それどころか〈新宿〉から次々と発見される超古代の秘術や失われた魔道の秘儀にマジックアイテムやその製造法、聖遺物の数々。加えて〈新宿〉の誕生に影響されたかのごとく各地で励起される霊脈・霊的ポイント、と逆に神秘の濃度が増して行く結果になったためである。
 今では区外のデパートを覗けば、簡単な黒魔術セットが一般家庭にもお手頃な値段で販売されて、うらみ持つ相手に腹痛やめまい・頭痛とささやかな不幸を与えられる。小人程度のサイズから人間大のホムンクルスが愛玩用のペットやお手伝いの一種として殺人や人間に傷害を加えるような用途以外で有力な労働力となっている。
と にもかくにも魔道に生きる者達にとって〈新宿〉とは無闇に触れてはならぬ禁忌の街なのだ。

「落ち着きたまえ凛。“常に優雅たれ”、君の家の家訓だろう」

 低いがあえてそうしているような若い男の声である。ソファに座る凛の真向かいからやや右にずれたところに。声の主が立っていた。それにしても何時姿を現したのか。最初からいなかった男が突然出現したような登場の仕方である。
 180センチをいくらか越えたくらいの背丈で、褐色の肌に白髪。黒い革か柔軟な金属らしき光沢のある上半身を覆う鎧に、その上から赤い布を纏っている。両手と顔くらいしか見えないが、衣服の中に鍛えぬいた肉体と、それを振るうに相応しい精神とを併せ持っているような男だ。
 鷹のようなするどい瞳を、今は皮肉気にして凛を見つめていた。言葉にするならやれやれ、だろうか。二十代の半ばくらいの顔立ちはそこそこハンサムだから、絵になる皮肉屋、といったところか。

「アンタに言われなくても私は落ち着いてるわよ、アーチャー。ただ今のはちょっとした心の贅肉よ」

「まぁ、君の言い分も最もだ。〈新宿〉の連中は尽く常軌を逸しているからな。最も若く最も凶悪な“魔界都市”の住人では、な」

「何? アナタ知ってるの、ひょっとして何か思い出した?」

 いや、と首を横にアーチャーが振る。一応済まなそうだ。実はこのアーチャーは聖杯戦争に際し、魔術師によって召喚されるサーヴァントというこの地のみの特別な存在の一人である。
 サーヴァントは、時間軸に捕らわれず人の身に余る偉業をなした者が、“英霊”或いは“守護者”として“座”という特別な場所に登録され、ある程度の制約を施されて召喚された場合にサーヴァントと呼ぶ。色々と細かい定義はあるが概ねこんな感じだ。
 そして凛の何か思い出した? と言う問いは、彼女がアーチャーを召喚する際に乱暴な術式で召喚したため、アーチャーが生前の自分の記憶を忘れてしまったためである。戦闘やその他諸々に問題は無いのだが、記憶の中には“宝具”というサーヴァントの切り札も含まれるため、死活問題に繋がっている。

「ところで凛。あの刑事はどうする? 何故この地にいるのかは知らんが厄介な事になりかねんぞ」

「とは言ってもね。どうしたものかしら、そりゃいくら〈新宿〉の刑事って言ってもあなた達サーヴァントには敵わないでしょうけど。大人しくしているわけ無いわよね」

「ふむ。そうだろうな、かといって下手に手を出せば国家権力が介入してくるだろうな。なかなか愉快なことになるのではないかな?」

「ハハ、そんな事なったら協会を追放されるわね」

 乾いた笑いが凛の唇から零れた。彼女の憂いを取り除くためなら火の中水の中、といった連中も少なからず学校にはいるだろう。それだけ十分に魅力的な美貌の凛は、大きな疲労と共に溜息をついた。
 理由は当人も薄々気付いているだろうが屍と会話した為である。あくまで紳士的な態度を崩さずに屍は凛に質問をしていったが、確実に凛の精神を磨耗させていた。
 その理由は無論屍が多くを占めている。すなわち“殺されるのではないか”。屍の隣にいると常にこう思わされるのだ。事実、わずかな例外を除けば屍と長く談笑した者達は皆胃をやられている。
 何がうれしくて十代の若さで胃潰瘍にならなければいけないのか、ある意味かわいそうな凛を見つめるアーチャーの瞳に胡乱気な光が宿った。
 それから二日、ガス漏れや長い刃物を用いたとされる一家殺人事件が発生し、屍の憎悪を、終末に約束されたメキドの火の如く燃え盛らせていた。ホテルから外出し、夜の帳の中を突き進んでいた屍は、小さな川の土手で足を止めた。周囲に人影も見当たらない。月明かりを頼りに、屍の瞳は昼の如く周囲を写している。ふと、足を止めて声を出す。聞いた者が体の内側から冷え冷えとするような、屍ならではの恐るべきものを秘めた声。

「出て来い。警告は一度だ」

「……やれやれ、それほど拙い気配の消し方だったかな。しかしそう四六時中殺気を纏っていては戦わなくても良い相手も敵になってしまうぞ」

 屍の背後に、ボウと霞みのように現れた男の名がアーチャーとは、流石に屍も分らない。ただし真後ろにいるというのに、屍は自らの視界に収めている。『広角法』及び『四方目』、前方を向きながら前後左右を視認する技術である。

「聖杯戦争の関係者だな。両手を頭の後ろで組め」

 返ってきた屍の言葉の中に含まれる真意を、アーチャーは正確に聞き取った。この男は、敵を作らないことに腐心するようなことはない。敵となったものを”退治”することをこそ、望んでいる。
 だからこそアーチャーに不必要なまでに殺気をたたきつけ、交戦の口火を切るように誘導している、と。
 懐から強化ビニールの手錠を取り出そうとした瞬間、屍の体を殺気が撫ぜた。前方に跳躍した屍が、つい一瞬前までいた空間を、アーチャーの握った黒白の刀剣が斜め十字に薙いでいる。
 幅広の刀身が反り返った刀剣だ。柄には陰陽のマークがある。『干将・莫邪』古代中国の刀鍛冶が、自分と妻の頭髪、爪などを炉に捧げて打った銘剣中の銘剣に酷似していると、古き中華の歴史を知るものは看破しただろう。

「ほう、たいした反応速度だ。安心したまえ、命までは奪わんよ。ただ少し記憶をなくしてもらうだけだ」

 皮肉っぽく歪んだアーチャーの唇が固まった。気付いたのだ、目の前の刑事が人の範疇を越えた超人だと。その精神の凄惨苛烈さを。

「良く抵抗してくれた。……公務執行妨害及び殺人未遂、ギルティ――有罪だ」

 刀の鍔に覆われた方の左目をアーチャーに向けて宣告する“凍らせ屋”の審判。屍の体が閃光の速さで翻ると同時にアーチャーの体を六〇口径の猛弾が掠めて、大きく後ろへ吹き飛ばす。夜の闇を引き裂いて轟いたのは屍の愛銃、通称“魔銃ドラム”のハウリング。  
 ちっとも膨らんでいない腋の下から、いつの間にか抜き放ったドラムだ。どこにその銃身20センチ、重量3キロ以上の化け物リボルバーを仕舞っているのか。新宿警察七不思議の一つである。
 そしてそのドラムを抜き放つ屍のクイック・ドロウのタイムは実に二千分の一秒。人体の限界と世の常識を覆す、光の速さと例えられるのも無理は無い神速だ。さしものアーチャーが反応できなくても誰が責められようか。
 今度こそ手錠を掛けようと、近付こうとしていた屍が眉を寄せた。何事も無かったようにアーチャーが立ち上がったからだ。

「ホルスターを纏っていない様だから、拳銃を持ち歩いていないのかと思えば、これか。なるほど早射ちの速さといい、常人ではないな」

「霊的か」

 アーチャーに向かい放たれたドラムの弾はエクスプローダー・破壊弾だ。尋常の物体なら、厚さ三十ミリの特殊合金だろうが大穴を開けるが、幽霊には芳しい成果は挙げられない。どうやらアーチャーは慣性の法則や重力には従うらしいが、肉体を破壊するには霊的、あるいは魔術的な処置を取らねばならぬらしい。
 両者の距離は四メートル、アーチャーは一歩飛び込まねば剣閃を届けられない。一方屍は、ドラムの弾丸を再装填し直さないとアーチャーに痛打を浴びせることは叶わない。
 如何にアフリカ象をも一撃で仕留める弾丸も、相手が霊的では宝の持ち腐れだ。それでもドラムはアーチャーの右肩をポイントしている。
 川のせせらぎをオーケストラに、星の瞬きをスポットライトに、月を観客に、アーチャーが右手側に駆けながら莫邪を屍目掛け投じる。旋回しながら迫る刀剣を、しゃがみながらかわして、アーチャーに放たれるドラムの五度に及ぶ咆哮。三発が土手のコンクリートを粉砕し、二発がアーチャーを吹き飛ばす。ただしダメージはゼロだ。
 かわした莫邪が、弧を描いて自らの首筋に迫るのを、屍はその場で一回転して旋回する刀身を蹴り飛ばし、川の中に水没させる。全く同時に、気化したプラスチック薬莢を廃棄してシリンダーに対妖物用の弾丸を込める。これら一連の動きに一秒もかかっていない。
 屍の右目がアーチャーの姿を見失い、勘が上空を指した。振り下ろされるアーチャーの黒白の両剣。何時の間にか、どこからか先ほどの剣と全く同じものを、アーチャーは握っていた。カッと火花を咲かせてドラムが干将の刀身を受け止め、肘で莫邪を握ったアーチャーの腕をブロックする。巌の如く固く縛られた表情のアーチャーの刀剣が新たな屍山血河の贄とすべく、“凍らせ屋”目掛け膂力をみなぎらせる。
 アーチャーの目が屍の顔を捕らえた。恐るべき実戦経験に培われた心眼と洞察力、そして直感が危険を伝える。屍の左手は自由なのだ!!
 咄嗟に後方へ跳躍するアーチャーの右脇腹に屍の左手が掌握の形で炸裂する。かつてパキスタン人の師に学んだ世界最古の古代武道“ジルガ”の一技“停止心掌(ていししんしょう)”。
 如何なる装甲も無視して、対象の肉体に達し心肺機能を一時的に奪う。そしてこの一撃には物理的破壊効果プラス霊的パワーを加えてある。百年、二百年を生きた程度の吸血鬼ならもんどりうって苦しみのた打ち回るほどの、だ。
 
「ちぃ!!」

 そこは流石にサーヴァントと褒め称えるべきか。アーチャーは間一髪屍の一撃を回避してみせ、伸びきった屍の左腕を横薙ぎに払う。キンッと金属同士がぶつかる音が響いた。不可思議な音色の正体を屍が暴露する。

「ジルガのひとつ“鉄皮”……おれのつけた名だがな」

 それは鋼鉄の硬さを皮膚にもたらす技という意味だろうか。
 しかし、恐るべきは体皮を鋼鉄と変えた屍の技よりも、その鋼鉄の腕を骨近くまで切り裂いたアーチャーの一撃であったろう。切断こそ免れたものの、骨近辺まで切り込まれた腕からは、夥しい出血が噴出し始めている。
 それを血流の操作と筋肉の萎縮で止血を施して屍は反撃に移る。
 六〇口径の奈落を思わせる銃口をアーチャーへポイントし、目も眩む炎を吐いて妖物用の霊的弾丸が殺到する。四発の弾丸がアーチャーの両手両足目掛けて。
 次の瞬間に行われたアーチャーの行動にさしもの屍が目を見張る。左右でも上に跳ぶでもなくアーチャーは屍目掛けて突っ込んできたのだ。だが自暴自棄に陥った果ての行為であるはずも無く、わずかな瞬簡にドラムの銃口と屍の筋肉の動きから弾道を予測した上での前進であった。
 驚愕に値する一瞬の判断力と決断力だ。
 しかし屍も常人と言う言葉が虚しくなるレベルの超人。構わず残り2発の弾丸を叩き込むべくドラムを再度構え、突如電光の速さで右腕だけ九十度横にずらして、川から飛び出し濡れた刀身を跳ね散す最初の莫邪を撃ち落とした。
 まるで、干将の下へと戻るべく旋回する夫婦剣の片翼を目もやらずに気配と音だけで射落とした屍の技量も凄まじいが、おそらくは川に莫邪を落とされてからここまでの展開を予測し、利用する状況に持っていったアーチャーの戦闘技能こそ恐るべし。
 夫婦剣を左右に引き、交差させて振るわんとしたアーチャーの眼前に、可憐な赤い花が投じられた。緩やかに宙を落ちる花。屍が左手で毟った上衣の花だ。脳の片隅で訝しむ思考と、危険のシグナルを発する直感に気づき、アーチャーは直感を選択した。
 直後、三千度に達する紅蓮の舌が土手を半径五メートルに渡って嘗め尽くした。屍の上衣に飾られた花はその一弁ずつが威力の異なる、超高性能小型爆弾なのだ。
 冬木の夜、川辺に咲き誇る炎の花を、数千度の火炎に耐える耐熱耐火耐電耐寒耐水防御が施された上衣で屍は凌ぐ。加えて44マグナムも易々と防ぐ〈新宿警察〉装備課開発の装甲塗料も塗ってある。
 思わず、尋常な方法で死に至る生前のクセに従い、本来無効なはずの三千度の炎をかわしてしまったアーチャーがほんの一瞬自嘲めいた笑みを浮かべた。
 生前のあまりの戦闘経験ゆえに染み付いた戦闘の中での危機に対する直感や心眼、洞察力の思わぬ弊害であった。たちまち浮かべた笑みを消し去って、今だ燃え盛る炎の向こうの魔界刑事を睨んだ。

「……殺気のレベルが一段上がったな。奴さん退く気は無し、か。上等だ」

 無限の闘争心と地獄の底の業火のように燃え滾る敵意を、ダイレクトに力に変えてドラムの銃口を、炎の向こうのサーヴァントに向ける。屍は敵の名すら知らないことに気付いたが、精神の深いところに追いやって忘れた。とっ捕まえればいくらでも口を割らせられる。〈新宿警察〉最恐にして最凶の尋問官兼拷問官はこの男なのだ。装填の終わったドラムが三度、数多の妖物と犯罪者の血と生命を死神にぶちまけた咆哮を放つ。
 屍の耳が、炎の花の向こうから迫る風切る音を捉えたのだ。紅蓮の魔炎を切り裂いて飛来する黒に塗りつぶされた四本の矢を、ドラムの巨大な弾丸2発で射落とす。
マッハを軽々越えるソニックストームの威力ならではだ。矢の飛来した方向、及びわずかに漏れる殺気からアーチャーの位置を推測し、立て続け様にドラムが吼えた。“魔銃”と恐れられるのもむべなるかな、耳にした者の魂まで震わせるかのごとき轟音。

「外したか」

 と、零した屍に対して真向かいのアーチャーは彼のみの言葉を紡ぐ。

「我が骨子は捻れ狂う( Y am the born of my sword――)」

構えた黒弓に、虚空の空間から何かつがわれる。荘厳さすら漂う装飾と迫力を兼ね備えた剣。ただし刀身は捻れ狂い、到底刀剣としての役目は果たせそうに無い。弓弦を引き絞り、眼に見えぬ屍刑四郎目掛け、アーチャーが自らの秘儀を完成させる。

「偽・螺旋剣――カラド・ボルグ」

 大気すら歪める尋常ならざる莫大な魔力の流れ、気付いたとして如何に“凍らせ屋”屍刑四郎といえど成す術があろうか。いまだ渦巻く業火を貫いて自らに迫る捻れ狂った剣の矢を、冷たく屍は見据える。百戦錬磨、区外の同業者とは比べ物にならぬ悪漢どもの背筋を凍てつかせるスパイン・チラーの瞳だ。千分の一秒の世界で、“魔銃ドラム”は新たに込められた弾丸五発を全て偽・螺旋剣に殺到させた。 そして

「壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」

 最後のトリガーを引いたアーチャーの声が夜陰の空に響いた。屍の投じた花をはるかに上回る爆発が光と音の本流となって荒れ狂う。炸裂した偽・螺旋剣の所業だ。だがアーチャーが不審な色をその、風雨に晒され感情を乗せぬ顔に浮かべた。

「タイミングがズレた?……まさかな」

「二度目の警告はなしだと言ったぞ」

「っ」

 驚愕するアーチャーに、ドラムが牙を剥く。新たな爆発が生んだ煙を裂いて、アーチャーの左肘を吹き飛ばしこの弓兵を隻腕に変える。晴れ行く煙の先には全身から流血を滴らせながらも、毛筋ほども欠けぬ闘気と精気を滾らせ、ドラムをアーチャーの眉間にポイントする屍の姿があった。
 失った左腕は魔力さえあれば再生できるとはいえ、少なくないダメージにアーチャーが表情を苦悶に彩る。だがこの状況においてもアーチャーは限りなくゼロに近い可能性までをも把握すべく、思考を割く。

「月並みな質問をしても構わんかね?」

 黙って屍が頷いた。如何なる心境か、アーチャーが何をしようとも無駄、と言う事か。だが屍とて満身創痍、見ようによってはアーチャーよりも重傷だ。

「何故五体満足でいられる? それほど安い攻撃手段は選んでいないはずだがね」

 衣服のそここそから血を流しながら、微動だにすらしない屍が答えた。超人的というより化け物じみた精神力と耐久力だ。左手で目の前の地面に転がる一片10センチくらいの板切れを指差した。

「“メフィストの壁”。見た目は小さいが、いざと言うときに広がって背後の連中を守る防御壁だ。魔界医師が手ずから作った代物でな、キロトン級の核爆発にも無傷で耐える。本来ならメフィスト病院の装甲保安係の配給品だが。それと、あのネジもどきの矢に、特製の弾丸を五発ぶちこんだ。何とか損傷を与えられたぞ、流石は世界第二の魔術士が作った弾丸」

 メフィストの壁を浸透して屍を襲った偽・螺旋剣の神秘の破壊力も凄まじいが、その捻れ狂った剣を傷付けた弾丸もまた並みではない。世界第二の魔術士、即ち魔術大国チェコの現ナンバーワンの使い手トンブ・ヌーレンブルクの手からなる魔弾であったらしい。
 屍が用いたのは、トンブが宇宙力つまり大宇宙の神秘の一端を解き明かした者のみが知る、宇宙の未知のエネルギーを込めた最強クラスの破魔の弾丸だったのだ。 この弾丸の前では、如何なる強大な魔物も無傷では済まないと言う代物である。何しろ一端とはいえ大宇宙のパワーだ。例外は複数で一つの命を共有している場合や、単体で複数の命を共有しているタイプだろう。それも色々と定義もあるだろうが。
 屍はその弾丸五発で爆発寸前のカラド・ボルグに傷をつけ、本来の爆発のタイミングに干渉して、殺傷力を減衰させたのだ。実は“メフィストの壁”の展開は寸での差で遅れていた為、ダメージは大きい。
 ドラムのシリンダーには一発も入っていないはずだが、必ずしも最大装填数が六発とは限らないのが、七不思議のひとつを担っている。ある事件で屍が撃ち合いを演じたとき、彼は一度も弾丸を補充せずに二十人以上を射殺してのけたのだ。

「質問は終りか? ならさっさと右手を挙げろ。断っておくがまだドラムの中身は空じゃあないぞ」

「了解、と言いたい所だが生憎マスターが口煩いのでね、お縄に付くわけにはいかんな」

 無言の屍が、アーチャーの両膝を吹き飛ばすべくドラムを閃かせた時、アーチャーの姿が透き通り、その姿をかき消した。霊体化。サーヴァントの待機状態のようなもので、こうなると一流の魔術士にも姿は見えず、サーヴァント同士でしか知覚できない。
 油断なくドラムを構えた屍が警戒を解いたのはそれから5分後である。流石の大ダメージに屍が腰を下ろした。ドラムはいつの間にか右手から消えている。ジルガの呼吸法で止血と痛み止めを施しながら、ポケットから消解毒止血帯を取り出して貼り付ける。40センチくらいの湿布みたいなコレは、クラゲの細胞を参考にしたゲル状の部分が、対象の遺伝情報に合わせて傷を塞ぐ高級品だ。
 あっという間に応急手当を終えた屍がスックと立ち上がる。常人なら10回死んでもお釣りが来る負傷も大して行動に支障をきたさない。ふと屍が天を仰いだ。

「いい月夜だな……」

 屍と対峙した者達が挙げる、この“凍らせ屋”のもっとも恐ろしいところはコレであった。
魔界刑事の捜査はコレからが本番なのだった。

②につづく
正直パワーバランスが取りづらかったです。アーチャーが適度に手を抜いているといった感じです。いま読み返して思うに、アーチャーを過小評価しすぎてはいませんでしょうか?
ちなみに屍を撃ち殺したヤのつく家業の人は一万五千分の一秒のクイック・ドロウの使い手だったりする件。

それと感想板で云々と前回もうしあげましたが、いささか言葉が過ぎたかもしれません。あまりお気になさらず、拙い文章では在りますが、皆様には楽しんでいただければ幸いです。



[11325] その20 凍らせ屋 × Fate ②
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/21 21:44
その20 『 凍らせ屋Ⅱ 』

 “魔界都市〈新宿〉”の法を守護する魔界刑事たちは、その土地の特異性ゆえに区外の警察官達とは一線を画する存在とならざるを得ない。
 〈新宿〉の警察官の出動回数は区外の十数倍、殉職率に至っては三百倍だ。また、その不倶戴天の敵である犯罪者にも三百倍のリスクを背負わせるところが〈新宿〉流である。
 そしてその激務をこなす人間達が通常の人間の規格に収まるわけも無い。第一まともな人間では〈新宿〉で警察官などなれやしないし、なったところで運が悪ければ一日生き残ることさえ出来ない。
 一種の超人にならざるを得ない状況を支えるのは、皮肉にもその原因たる〈新宿〉だった。〈新宿〉には世界を見渡しても存在しない鉱物・植物・微生物・細菌・大気中の成分、そして何より妖気が存在する。
 民間、国家の研究機関が徹底的に―それでも全てを調べ尽くす事はどれほどの年月を掛けても不可能とされている―分析を進める過程で、人体に望ましい効果を与える成分を発見した。その中に“超人製造薬”即ち“新陳代謝昂進液”が含まれていたのである。
こ の成分を含む薬の投薬によって、〈新宿〉の刑事たちは現代のスーパーマンと化した。彼らは十日間連続の激務を続けても眠い眼をこすり、欠伸をするだけで次の任務につき、走れば百メートル十一秒を誰もが容易くきり、平均時速四十キロで十キロを完走した。潜水時間は優に七分を超え、軽々と五メートルをジャンプした。
 しかしなによりも〈新宿〉において望ましく、また〈新宿〉らしい効能は戦闘能力の増加であった。彼らは素手で猛牛を殴り殺し、アナコンダを逆に絞め殺した。猛虎の爪で引き裂かれた皮膚と筋肉は三日以内に再生し、更には獅子すらも噛み殺してのけた。
 彼らのタフネスの証明としては、脳と脊髄、心臓だけを残して生体解剖された刑事が三ヶ月のリハビリで現場復帰したことが例として挙げられる。
 彼らは夕暮れ時に二キロ先の鳥影を視認し、〇・一秒ジャストの早撃ちで三百メートル前方の風船大の標的へ、五〇口径マグナム弾を叩き込む。数ミリの凹凸さえあれば指を引っ掛けてビルさえよじ登り、零下三十度の極寒を素肌で歩き回ったかと思えば、そのまま摂氏六十度の炎天下を五〇キロ走行が可能なのだ。
 四五口径までの弾丸なら脳を直撃しなければ自分で弾を抜き出して消毒まで済ませて戦闘に加わるし、ナイフの刃などは筋肉を引き締めれば一ミリも進入できない。自律神経を調節すれば、毒ガスを吸引しても心臓を止めてまた再稼動させられる。
 またこれらの変化は肉体に留まらず、精神にも及ぶ。彼らはいかなる姿形の妖物をも恐れず、精神奇生体などは寄生されたその場で、逆に焼き殺してしまう。
 かくて〈新宿〉の警察官達は、その個々の戦闘能力と精神の異様さ、軍隊顔負けの重武装を持って、わずか十余年で世界でも最強クラスの“〈人外生命体〉用戦闘部隊”として世界中の軍隊や、退魔組織、宗教団体にその名を轟かせている。
 そして〈新宿警察〉最強・最恐・最凶・最狂と四つの“きょう”を誰もが認める恐るべき超人にして最高の魔界刑事“屍刑四郎(かばね けいしろう)”は、二〇〇×年一月末日から二月の半ば頃に掛けて、〈新宿〉には居なかった。 
 〈新宿〉から遠く離れた冬木市の、二つに区分される市街のうち“新都”にあるビジネスホテルに宿泊している屍は、〈新宿警察〉装備課所属・平平助(たいら へいすけ)から届けられた装備を満足そうに確認していた。
 ベッドの上に置いた特大のジュラルミンケースの中身をしげしげと見つめる屍の姿は余人が見たらさぞや理解に苦しむ光景であろう。
 身長一八五センチ以上のドレッドヘアの大男が、下を向いて薄く笑っているのだ。誰が見ても真っ当な人間には見えないし、おまけに着ているものと来たら本物の花をあちこちにはりつけた絢爛たるシルク地の擦り切れたコート、黒光りするレザーの上下に銀の滑車が付いた黒革のハーフブーツ。左目には刀の鍔が当てられ、この男が隻眼なのだと教えている。
 しかし今顔を上げた屍の相貌から滲み出す圧倒的な凶暴性とそれを押さえつける鋼の精神力と理性の不思議な混在。途方も無いパワーを体の奥底に隠しても、霞のように滲み出ているかのような気迫に満ちた肉体。それらを視界に認めた時、この男が、破壊に身をゆだねたらどれだけの死と破壊が世界に撒き散らされるか、そんな危うい考えに囚われてしまうような言語に絶する男であった。
 ジュラルミンケースからいくつかの装備をチョイスした屍がおもむろに部屋の入り口に向かって歩き出した。これから魔界刑事の仕事の時間なのだ。犯罪者を逮捕ではなく退治する魔界刑事の。
 懐に超規格外巨大リボルバー、通称“魔銃ドラム”を。そのコートには超高性能爆弾である花々を。その鋼鉄の肉体には世界最古の古代武道“ジルガ”の超絶の秘技を。その精神には、もはや人の範疇に収まらぬ苛烈な正義感と犯罪に対する憎悪を抱いて、屍はホテルの従業員の好奇の視線を引き剥がしながら、冬木市の朝の光の中へと歩き出した。
 屍がこの冬木市に来たのは、政府の新政策である、普段貢献著しい公務員に、三週間の有給休暇を与えるという屍にとってはありがた迷惑な話の対象に選ばれたのが切欠だ。この際、屍だけがこの冬木市に行くよう指定され、またこの街で〈新宿〉区民が過去に行方不明になった事件が起きているので屍も了承する次第になったのである。
 この街に来る前に〈新宿警察〉のデータを洗い、〈高田馬場魔法街〉で話を聞くと、この街は普通の街ではなかった。およそ二百年前から、魔術士たちが血で血を洗う戦いを繰り広げていたのである。これはおよそ六十年ごとに行われ、七人の魔術士がそれぞれサーヴァントという通常の使い魔とは大きく異なる超常の存在をこの地で召喚し、最後の一組になるまで殺しあう、血生臭いものであった。
 これの勝者に与えられるのは何百番目だかに“教会”に認められた“聖杯”。あらゆる願いをかなえる“聖杯”だという。過去四回の戦いにおいて誰もが望み、誰もが得られなかった願望機“聖杯”。コレを求めて戦いが行われるがゆえ、この戦いをこう呼ぶ“聖杯戦争”と。
 たった七人の魔術士の争いだというのに『戦争』と呼ばれるのは、魔術士である参加者が召喚し使役するサーヴァントの、その凄まじい戦闘能力が原因だ。彼らサーヴァントは人類の歴史の中偉業を成し遂げ、人々から信仰・崇拝される英雄達が死後、“英霊の座”と呼ばれる高次元に登録された者達だ。
 “聖杯戦争”では“聖杯”の力を借りることによってその英霊本体から情報を転送しコピーを召喚し、彼らと共に召喚した魔術士=マスターが争うのである。
 過去・現在・未来の英雄である彼らは、“英霊の座”本体のデッドコピーにも関わらず、そのシンボルたる“貴き幻想―ノーブル・ファンタズム―”宝具を持ち、その英霊たる超絶の戦闘技能と知恵と機転、経験を持って戦う。
 その戦闘能力は世界の“闇”側に置いても一固体としては最強ランクに位置し、現代の魔術や装備では到底太刀打ちできない存在として認識されている。
 だが何事にも例外があるように、生きた生身の人間でありながら彼らと戦いうる超人魔人もまた世界には存在する。その一人が、屍刑四郎。あらゆる犯罪者妖魔の背筋を凍らせる“凍らせ屋スパイン・チラー”であった。
 朝の清々しい光と空気の中を、屍は冬木市の警察署目指して歩いていた。過去の不自然な行方不明や殺人事件を頭に叩き込むためである。昨夜に、サーヴァントと思しき男と戦ってから、屍の中では凄まじい戦闘本能と一般人に対して危害を加えているかもしれない魔術士どもに対する苛烈な敵愾心と正義感とが、太陽の中心部よりも熱く激しく燃え滾っているのだ。
 署員から不気味がられる視線を平然と跳ね除けながら、屍は小一時間ほど書類やパソコン画面と睨めっこしていた。さながら猛獣がパソコンをポチョポチョやっているようなものだ。何気に見ていて微笑ましかったりする。
 屍が注目したのは、十年前に起きた数百人の死傷者を出した大火災と、定期的に発生し、間隔が短くなっている行方不明の事件。それと最近起きているガス漏れ事故と槍か長い刃物を用いた一家惨殺事件だ。論理的な思考と同時に、屍の犯罪に対する異常極まる鋭い直感が働いていた。
 書類を元に戻し、パソコン画面から眼を離し、出された緑茶を一息に飲み干してから、

「お邪魔した」

 と低く渋く、男臭い声で礼を告げて屍は警察署を後にした。屍が辞した警察署では、署員や一般人、抑留中の連中に至るまで一人の例外も無く安堵の溜息を漏らした。屍の姿を見ていないものでさえ、〈新宿〉の魔性や凶悪極まる犯罪者どもを震え上がらせる屍の存在感に、すくみあがっていたのだ。
 署長から、二度と〈新宿〉の刑事を中に入れるな、と厳命が下ったのも仕方あるまい。



 昼を近くのマックのトリプルハンバーガー五個で済ませ、一・五リットルのペットボトルのコーラを軽く一気飲みしてから屍は冬木市全体を歩き回った。
まずはガス漏れ事故が起きた建物を皮切りに、一家惨殺事件の現場に足を向け、犯人の遺留品や物的証拠を屍流に探した。結果から言えば、物的証拠は無い、無いが屍の勘に触れるものがあった。
 いわば霊的な、超常現象に属する何かの残り香のようなものが。一家惨殺事件の現場で一人居間に立ち尽くしながら、屍は呟いた。

「昨日の晩の奴か、その同類の仕業か?」

 この戦いにおいて、不運な目撃者の運命は魔術士が握っている。即ち、目撃者は殺すか記憶だけを消して命は取らずに置くか。どちらにしろ、屍の魔銃“ドラム”の咆哮が、犯人に放たれるのには変わりない。
 屍の右目に、立てかけられた写真立てが映った。写真の中で、父親と母親と、二人の子供が笑っていた。これからも続く、たくさんの喜びと少しの悲しみと、幸せとが約束された在りし日の一家の輝かしい姿。だが、それはもはや永遠に失われている。この一家の与り知らぬ事情で、理不尽に、無残に、唐突に。
 屍の隻眼に灯った光を、人はなんと呼ぶか。少なくとも犯人は、この眼を、死んでも悪夢として永遠に見続けるだろう。この刑事に出会った運命を永劫に呪い、自らの行いを、地獄の業火の中で悔やみながら。

「仇は討つ。それしかオレにはできん」

 屍の精一杯のたむけの言葉か、それだけ言って“凍らせ屋”は平凡な、けれど確かに人の幸せを得られた一家の日常が営まれていた家を後にした。もう二度とかつての日常が戻らない家を。その背中は魔界刑事ではなく、己の無力を嘆きながらも決して絶望しない、自らの使命を知る男の背中だった。
 屍が現場を後にしてから、深山町の辺りをウロウロしていた。何の根拠も無いわけではなく、行方不明事件の最後の目撃談が比較的集中している地域を回っているのだ。
 とある公園に足を踏み入れた時、ぞわっと肌を冷たいものが撫でていった。十年前の大火災の跡地に立てられた公園だった。

「十年間ほったらかしか」

 無論、壊滅した跡地には立派な公園が建てられ、整理されている。屍が言ったのは霊的な措置についてだ。一般人には見えないだろうが、〈新宿〉の刑事である屍には、ここで死んだ人々の怨念、悲哀、憎悪、絶望が薄い霧のように漂って、訪れる人々の臓腑に染み入ろうとしているのが見える。
 時折屍にまとわりつく白いモヤのような怨念を手で振り払いながら、公園の出口に向かった。モヤのいくつかは明らかに人の顔と分るものもあり、いずれもが赤い血の涙を流している。その中にはまだ、ほんの五歳位の子供の顔もあった。
 一種の異界と化した公園を後に、屍は低く唸った。唸り声は言葉であった。

「あのガキ、十年間何してやがった」

 “あのガキ”とはこの地の管理者、遠坂凛のことである。“あのガキ”呼ばわりは、この地の管理者として、土地の“浄化”を怠っているとしか思えなかったからだ。当主になったのが6,7歳の子供の頃としても、十年経った今の彼女は一級線の魔術士なのだから“浄化”の方法くらいは心得ているだろうに。
 それとも来たる聖杯戦争に向けての準備の方が余程重要だったのか。後で詰問し、答え次第では骨の一つもへし折ってやる、と屍は決めた。それとは別に高徳の僧か高田馬場のでぶの魔術士でも呼ぶか、とも考えていた。

 そんなわけで、虫の居所が悪くなった屍と、彼らが出会ったのは、彼らにとって大きな不幸だった。加えて、屍が何故“凍らせ屋”と恐れられているか、そもそも屍刑四郎という名を持つ男がどんな人間か知らなかったことも。

 人気の無い路地を歩いていた屍は、女の子が二十歳前後の男三人に絡まれているのを見つけたのだ。どこでも良くある光景と言えなくも無いが、男共の悪意が強い。いずれも流行の服装で、似たり寄ったりのために逆に個性がない。劣悪な工業製品みたいに同規格の格好である。
 女の子はまだ学生らしく、制服から見て穂群原学園の生徒だろう。ぽにゃっというかぽやっというかほくほくっというか、とにかく柔らかい擬音語が似合う娘だ。下校時刻には早いが、通り魔事件や一家惨殺事件、行方不明など物騒な事件が相次いでいるから学園の方で早引けさせているのだろう。
 気弱気だが、なかなか可愛らしい顔立ちだ。けれども今は困惑と不安を交えた表情を浮かべている。苛立ったのだろう、男の一人が強引に女の子の腕を取った。

「っゃあ、い、痛いです!」

「いいからいいから、俺達とあそぼーよ? 気持ち良いこと教えてあげるからさぁ」

 男の肩に、優しく屍の右手が置かれた。四人の耳に、鋼の芯を通した穏やかな声が届いた。

「女性に対する礼儀が成っちゃいねえな。クソ餓鬼共」

 また優しく、屍がこう言った。

「放してやりな」

「あ……あぁ…」

 ゆっくり、引き剥がすように男の手が女の子の肩から離れた。めり込んだ屍の指が、言葉にも出来ない激痛で男の脳髄を苛んでいるとは、屍と当人にしか分らない。突如現われた屍の格好と、理解しがたい威圧感に、その場の全員が怯えた。
 懐からIDカードを示して屍が言った。

「警察だ。婦女暴行の容疑でしょっぴくぞ」

「けっ警察!?」

「はっそんな格好の刑事がいるかよ!」

 ギロリ、と屍が一瞥すると口にチャックがついているかのように黙りこくった。屍の登場に呆然となっている女の子に、打って変わって優しい声音で屍が立ち去るよう、促す。

「早く行きなさい。今日のことは、そうだな外れクジでも引いたと思って忘れると良い」

 先ほどまでとのギャップの為か、女の子が屍の言葉を理解するのに、しばし時間がかかった。ハッとしてから、この怪しい風体の救い主に、困惑と不安の混じった表情を向けた。

「で、でも」

「いいから、行きなさい」

 戸惑う女の子に、屍が右目で軽くウィンクし、苦笑交じりで諭すように言った。いざとなれば、猛獣や殺人狂でも命乞いをしだす表情を浮かべる顔が、苦笑を浮かべると妙に人懐っこいように変わった。貞操を守り抜くオールド・ミスでも口説けそうだ。女の子に決意させたのは、ソレかもしれなかった。

「あ、あのすぐお巡りさん呼んできますから!」

 背を向けて走り出した女の子に向かって、また苦笑を浮かべた。同僚が見たら奇跡だ! と言うだろう。

「オレも警察の一員なんだがな」

 さて、と呟いて屍は残った男共を見た。屍の瞳に冷たい光が宿るのと同時に、彼らの背筋にも、泣きたくなる位冷たいものが走った。それを恐怖と呼ぶか戦慄と呼ぶか。どちらも出会わずに済むなら、だれもが泣いて哀願するだろう。そして屍の瞳が語っていた。

“オレがお前らを人間扱いするなんて思うなよ”

“お前らは人間じゃあない。犯罪者という名の別の生き物だ”

「抵抗は無駄だ。……いいや、抵抗(・・)しろ(・・)」

 男の一人のポケットには飛び出し式のナイフは入っていた。他の二人もそれぞれスタンガンとメリケンサックを持っている。ゴタゴタ手間を掛けさせる獲物を黙らせてきた凶器だ。
 そして彼らの最大の過ちは、彼らの人生で初めて浴びせられる殺気に、彼ら自身気付かぬうちに、それらの品々に触れていた事だ。凶器に触れてしまったのだ、屍の前で。
 ニヤリ、と屍の唇の両端が吊り上り、表情が歪む。今三人の男達は、逮捕ではなく退治される犯罪者と見なされたのだ。

 三十分後、偶然巡回中だった警官を見つけた先刻の女の子が戻ってきた時、既に屍の姿は無く、両手両足の骨と顎を粉砕されて失禁しながら気を失っている男三人だけが残されていた。

 女の子が戻ってくる前に、その場を後にした屍は、遠坂家以外にこの地に住まう魔術士の血統であるマキリの一族の家を訪ねた。もっとも誰もおらず、家の中にも気配がしないので、また別の機会を待つしかない。
 くるりと背を向けた屍が、ふと背筋の辺りがむず痒いような感覚を覚えて、直感に従ってマキリの屋敷の、その地下の辺りを見やった。

「…………気のせい、か?」

 納得していないような口調で呟いた屍が、マキリの屋敷を後にしてから、その屋敷の中から安堵するような気配が生じた。屍の勘は外れていなかったのだ。キチキチ、キチキチ、と数千、数万の虫達の啼く声と、こすれる無数の体が立てる音は、それが行われる光景を見るだけで人間の精神を狂わせるには十分だろう。
 数多の蟲の中、炯炯と輝く光点が二つ。それは人の瞳と見えなくも無かった。欲望と狂気とに蝕まれた人間だけが浮かべられる瞳の光。

「おお、おお、蟲達がざわめいておるわ。かくいうわしも怖気が振るいよる。これは慎二にきつく言い置いておかねば厄介なことになろうて」

 蟲の支配する屋敷のどこかで、しわがれ枯れきっているようなのに、生々しく精気に満ちた老人の声が陰々と響いた。



 今のところ、屍が得られた手がかりや情報は少ない。一体のサーヴァントと交戦するも取り逃がしたし、今日は第五回聖杯戦争に影響であろう事件を調べて、直感的な手応えはあるが具体的な情報が無いのだ。後は“高田馬場魔法街”一の魔術士トンブからの情報くらいだ。
 となると

「夜か」

 トンブ曰く、聖杯戦争では一応人目を避ける最低限のルール位はあるらしく、参加者達は夜になってから行動するだろう、と教えられている。現状では夜に動き出すマスターとサーヴァントをとっ捕まえるのが一番有効だろう。ちなみに遠坂邸に行ったところ、既に凛の姿は無く、事前に用意した隠れ家か何かに姿を眩ましたのだろう、と推測している。
 一度ホテルまで戻り装備の再確認を済ませて、屍は日が落ちるのを待ってから再び街に繰り出した。“ドラム”の咆哮は果たして狩るべき獲物を捉えるか否か。
 足音一つ立てず街頭に照らされる夜道を歩く屍の姿は、死に対する餞の花を纏った死神のように、鬼気すらまとって冬木の街を探った。

「さて、オレの勘はどこまで当たるかな?」

 捜索を始めて二時間ほど経ってから屍は血臭を嗅ぎつけた。手遅れか? 考える前に体が反応して駆け出す。凄まじい破砕音と、ぶつかりあう強大な気配がどんどん近付いてくる。何者かが交戦しているのだ。そしてその正体は問うまでもない。ニヤリ、と屍の唇が獲物を見つけた狩人の笑みに変わる。
 角をいくつか曲がり、五百メートルほど走るとその現場に到着という所まで来た。その手前で屍は足を止めて、余計な人間がこの付近に近付かないようにスト退散用の異臭を放つカプセルと人間の意識を逸らし、近付かないようにする“迷路”の護符をその辺の地面や電柱に貼りつけた。これで朝までは無関係な人間が来るようなことはあるまい。
 ジャリッと意識してか、わざと音を立てて屍は姿を見せた。その足音に気付いてその場の視線が屍に突き刺さった。
 対峙していたのは三組。片や鉛色の巨人と十歳かそこらの少女。かたや銀の甲冑を纏った金髪緑眼の少女剣士と、赤毛の少年。それに冬木の管理者遠坂凛。どうやら少年と凛は手を組んでいるのか、共闘している様子だ。困惑で彩られた目線で見つめてくる全員を無視して、屍は職務を全うすることにした。

「警察だ。全員その場を動くな。ただしそこのでかいのと君は携帯している武器を手放せ」

 何時の間にか右手に握っていた“ドラム”の銃口を上に向けながら、屍が巨人と鎧を纏った少女に警告する。凛は明からさまにゲッという顔をしている。屍がギロリとそっちを睨んで意味ありげな笑みを浮かべた。“後で嫌というほど詰問してやる”と言った所か。凛の顔が青褪めた。屍と出会ってから、目下胃潰瘍まっしぐらだ。

「な、あんた危険なんだ。早く逃げてくれ!」

 これは赤毛の少年だ。切迫した表情で屍に訴えかけてくる。その声を、巨人を連れた銀髪に赤い瞳が印象的な妖精のように儚い少女が遮った。外国の人間のようだが日本語の発音は及第点を付けられる。この少女もまた魔術士か。

「なによ、折角良いところだったのに。つまらない。バーサーカー、アイツから潰しちゃえ!」

 ブーブーと頬を膨らませて文句を言った後で、少女が傍らの巨人、“バーサーカー”に命じた。途端に膨れ上がるバーサーカーの気配。対峙するものに圧倒的な“死”の匂いを振り撒く絶望を体現したようなその姿。士郎や凛が、思わず体を竦ませた。

「イリヤ、止せ!! くそっセイバー!」

「はい!!」

 『イリヤ』。少女の名だろう。赤毛の少年がイリヤを制止しようとするが、聞く耳は持たれず、少年を守るように立つ甲冑の少女の名前を呼んだ。
セイバーと呼ばれた少女は、心得たとばかりに、手に剣を持っているかのような仕草で、跳躍せんと姿勢を取る。しかし彼らの耳に届いたのは屍の、どこか笑みを含んだ声だった。

「良く抵抗してくれた」

 屍の右手がバーサーカーに向けられた瞬間を、果たして誰が認められたかどうか。“ドラム”の銃口からは五十センチもオレンジ色の炎が噴出し、巨象も一撃で射殺する猛弾がバーサーカー目掛けて殺到した。バーサーカーと屍以外の全員が腹を抑えて、苦しそうな顔をする。“ドラム”の銃声は鼓膜ではなく腹の奥底に響くからだ。バーサーカーの体の表面に、火花が六つ生じるのを見て屍が少し眉を寄せた。弾丸は全て対妖物弾頭だったのだ。

「■■■■――!!」

 二メートル半はありそうな巨体が、右手に握った岩の塊から削りだしたような巨大な剣を打ち振るう。大の大人が5,6人でかからねば持ち上げることも出来そうにない剣が、烈風の速度で屍の頭目掛け振り下ろされる。
 刃風にドレッドヘアを煽られながら屍がステップバックし、“ドラム”が再び火を噴いてバーサーカーの体表に火花が散る。何がしかの防御手段の持ち主であることは間違いない。
 コンクリートに長さ五メートル、深さ数十センチの穴を穿った巨大な剣を引き抜いて、バーサーカーが横殴りに屍を襲った。ジャケットの前の部分が刃風に荒々しく引き千切られ、その下の屍の鋼の筋肉を傷付けた。血が噴出すが、筋肉が早くも止血と再生を始め、被害の拡大を防ぐ。
 横に飛び退いた屍が、右足の踵で塀を引っ掛けるように蹴ってその上に飛び上がる事で回避し、神速の連射で“ドラム”がバーサーカーを射った。両目、口腔、手足の指、咽喉、心臓、睾丸、人体の急所に尽く群がった六〇口径の巨弾はバーサーカーに尻餅こそ着かせたものの、ダメージは一切無い。
 当面の敵はこの巨人、と屍が見定めた。凛とセイバーは、屍が戦っているうちに撤退しようとしているのだが、それを赤毛の少年がゴネているらしい。
“ドラム”に弾丸を再装填しながら、聞えてきた会話を分析すると、屍を置いていくのが、利用し見捨ててゆくようで気が咎めているようだ。お優しいことだ。
 トンと屍が塀を蹴って、トンボを切って飛び退く。さっきまで屍が立っていた所に電光石火の速度で巨剣が唐竹割りに落とされて、コンクリートを粉砕する。太刀筋こそ膂力にまかせた技も考えもない駄剣だが、その破壊力と速度は屍から見ても瞠目に値する。
 空中で迸る屍の超高速クイックドロウ、バーサーカーの頭部にアフリカゾウの突進を止める“ドラム”の魔弾が五発。ダメージは無くてもその衝撃までは殺せないのか、物理法則に従ってバーサーカーが片膝を着いた。夜目にも鮮やかな銃口の花火。
 屍が着地しながら射った魔弾がバーサーカーの足元に炸裂した。途端に広がる大輪の炎の花。〈新宿〉の超科学が実現した拳銃弾サイズの対戦車装甲弾頭HEAT弾だ。
 凹凸のライナー部分から対象内部に炸裂する二万度の超高温が、バーサーカーの足元のコンクリートを溶解させ、バーサーカー自身に挑む。実際霊的存在であるサーヴァントにHEAT弾は効果がないのだが、地面の上に立っている以上足元を崩せば隙を造るくらいはできる。
 屍がコートに貼り付けた花を無造作にいくつか毟ってアンダースローで放った。それぞれに最高位の大僧の祈りと、祝福儀礼、魔術処理を施した対霊的存在用の一品だ。今朝届けられた装備品の目玉の一つである。
 バーサーカーの周囲の民家に被害がギリギリ及ばない程度の威力の花を選んで投げつける。カチッとスイッチの入る音が花からした。
 ドカン!! という轟音と共に広がった紅蓮の火花に、青や紫の光が混じるのは霊的処置の影響だろう。民家の一軒くらい吹き飛ばす高性能火薬の炸裂は果たしてバーサーカーに通じるや否や。
 この隙に撤退を考えていた凛達も、屍の所業に眼を丸くしてポカンとしている。戦争映画の中のような馬鹿げた破壊の光景に、多少脳の処理が追い付かないらしい。マスター二人を尻目に、セイバーは屍を値踏みするように警戒を込めて見つめていた。
 ゆっくりと炎の中の人影が動くのを見て、屍が舌打ちと共に“ドラム”のシリンダーをスイングアウトして弾丸を込めていった。一発二発三発、やがて六発を越えて十発、十二発、十四発まで込められた。
 いくら“ドラム”が巨大な銃とはいえ六〇口径の弾丸は精々六発までが限界だというのに、あっさりそれを覆した光景だ。
 炎の中から姿を見せたバーサーカーは流石に効果があったのか、体表が焼け焦げて体内の構造をあらわにしている。だがそれが見る見るうちに塞がって再生し、無傷のバーサーカーがそこにいた。

「……あっ、よくやったと褒めてあげるわ。バーサーカーをにダメージを与えるなんてね。けど次からは無駄よ。一度乗り越えた試練はバーサーカーの前では無駄なんだから」

 呆気に捕らわれていたイリヤが、ようやく自分を取り戻して、自慢げにバーサーカーを称えた。イリヤのセリフに、凛が何か引っかかるものを感じたのか考え込むような仕草をしてからまさか、といった風に呟いた。

「まさか蘇生魔術の重ね掛け!?」

「あらまだいたのね。そうよリン。これがバーサーカーの宝具“十二の試練(ゴッド・ハンド)”、十二回異なる試練でこいつを殺すか、一度に殺しきらない限りあなた達に勝ちは無いわ」

チラリと屍がイリヤを見た。

「わざわざ敵に知らせるか。マスターは足手まとい、とはよく言ったもんだな」

「なんですって!?」

 イリヤが屍の言葉に冷たく、押し殺した声と瞳で反応する。彼女の矜持を傷付けるには十分な言葉だった。

「そうカッカしなさんな。ところで後十二回で良いんだな?」

 軽く屍が言う様子に、他の面々は驚いたようだ。十二回の異なる手段での殺害。おまけに相手はあの鉛色の天災のような巨人だ。屍がどういう神経をしているのか、この場の誰もが理解に窮している。
 他人の反応は一切考慮せず、屍が十五発目の弾丸をポケットから取り出した。特殊プラスチックの薬莢には赤い丸と、その周囲に扇のようなマークが三つ囲んでいる。
 このマークの意味は、この国の人間は知っていなければなるまい。ちょっと考えてから、またポケットに戻した。カチリと、緩やかな動作でシリンダーを戻して屍が最初っから燃えっぱなしの闘志を更に燃やす。

「何よ、強がり言って、そんな事言っても無駄よ。あなた達はここでバーサーカーに殺されるの」

 イリヤの声を無視して、屍が絢爛な風の如く駆けた。荒れ狂う台風のように吹き付けてくるバーサーカーの狂気は、むしろ屍の闘志を燃やすようだった。
屍を叩き潰すために振るわれた巨剣を大きく横に跳んで回避し、身を捻りながら射った三発の粘着溜弾がその巨剣目掛けて襲い掛かり巨剣の表面に弾頭が粘着して、剣内部に衝撃をぶちまける。大きく揺さぶられる巨剣がほんの少しバーサーカーの動きを止めた。
“ドラム”がアーチャーに痛手を負わせたトンブ特製の大宇宙のエネルギーを内包した退魔弾をバーサーカーの頭部目掛け発砲。“ドラム”の咆哮は大気を震わせ、風に乗る妖精たちも昏倒させているかもしれない。
 着弾と同時に大宇宙の神秘的超エネルギーは、最高峰の英霊の一体たるバーサーカーに、余すことなくその力を殺戮のパワーとして叩き込んだ。柘榴のように内部から弾けるバーサーカーの頭部、だがこれでもう二度とこの弾は彼には効かないのだ。
 再生するよりも前に、と屍が獣のような俊敏性でバーサーカーの懐まで近付いて“停止心掌”を叩き込む。いかなる装甲も通過し、内臓を破砕する“ジルガ”の技は、しかしその威力を発揮しはしなかった。

「ちっ、装甲の問題じゃないって事か」

 舌打ち一つで無駄にした時間の代償は、バーサーカーの左腕の豪拳だった。懐に飛び込んできた屍目掛けて振り下ろされる。間一髪でかわした屍だったが掠めた左肩が粉砕骨折していることに、苦笑いを漏らして、五メートルも後ろに跳躍してバーサーカーを睨んだ。 
その間に屍の左腕は再生を終えていた。事前に使った注射の効果が現われているのだ。ドクター・メフィストが開発した再生細胞は十ccの注射で三十回の再生能力を与える。もちろん再生不可能な場所もあるので、頼り切るのは危険だ。
 バーサーカーが人の高み、“英霊の座”に昇った者の力で戦うならば、屍はこの世に出現した魔界、〈新宿〉の魔性が培った異形の技術と超人の戦闘能力、この世ならぬ戦闘経験で立ち向かう。
 月の光が地に這わせる影すらも威圧に満ち、バーサーカーは再び立ち上がった。荒々しい唇からは、猛獣の類が二本足になって逃げ出しそうな唸り声が漏れ出し、屍を睨みつける。

「来な、クレイジー・ジャイアント。〈新宿〉の刑事が今の世界のルールって奴を教えてやるよ」

 やはり屍はどこへ行こうとも屍刑四郎だった。今日何度目かの笑みを、屍は浮かべた。実に頼もしく恐ろしい“凍らせ屋”の笑みを。
 一方、屍がバーサーカーと互角に渡り合う様子を、信じられない思いで見ていた凛たちにも動きがあった。凛にアーチャーから念話が繋がったのだ。現在アーチャーはセイバーから数時間前、出会い頭に与えられた負傷を癒す為霊体化していたのだ。

(凛、あの刑事とバーサーカーが戦っている間に退避しろ。そこの愚か者の言うことなど気にするな。一発首をへし折るつもりで延髄を叩け。いいか、くれぐれもへし折るつもりでだぞ?)

(……アンタ、ホント衛宮くんのこと嫌いなのね。まぁ言う通りにはするけど)

 チラっとセイバーに目配せするとこの愛らしくも恐るべき戦闘能力を誇る剣の騎士は、渋々といった感じで頷いた。彼女自身、マスターである衛宮士郎の行動に困っていたからだ。よしやるか、と凛が気合を入れる。

「衛宮くん」

「え、ああ何だ遠さかっ……!?」

 音を表すならズドッだろうか。凛の放った手刀が士郎の首筋に決まり、失神して倒れこんだ士郎をセイバーがお姫様抱っこの形で抱えた。

「見事ですリン」

 短く、しかし賞賛のまなざしでセイバーが凛を褒めた。それくらい見事な一撃だったのだ。まあね、と満更でも無さそうに凛が答えて少しだけ後ろめたそうに屍の姿を見てから駆け出した。セイバーもそれに続く。かくて彼らは士郎の頚椎を痛めただけで撤退することが出来た。

「……あっ」

「? どうしましたリン」

「ナンデモナイワヨ。ウン、ナンデモナイ」

「??? はぁ」

 この時凛は、屍が生き残ったら自分の事を、さぞや彼流のやり方で詰問してくるであろうことに気付いた。ただでさえ胃潰瘍になるんじゃないかと心配しているのに。そして凛は屍があのバーサーカー相手でも生き残ることを、根拠はなしにほぼ確信していた。
 そして屍は左半身を朱に染め、右のこめかみからも赤い筋を一つ流していた。骨折も少なくない。再生細胞の効果が切れだしたのだ。
 “ドラム”の姿が霞み、眼にも止まらぬスピードでバーサーカーの口内、全く同じポイントへ巨弾が四発着弾する。同じ箇所への連続射撃だ。だが、それすらもバーサーカーに効果は無いのか、口の中の弾丸を吐き出してからバーサーカーが屍目掛け巨剣を振り下ろした。

「ちぃ、下手なサイボーグ共よりも馬力がありやがる!!」

 バックステップで回避し、飛び散ったコンクリートの破片をコートの裾で打ち落とし、ポケットからドングリのような形の手裏剣を取り出して、強く握り締めてからバーサーカー目掛け投げつけた。
 霊的攻撃思念を込めた、“ジルガ”の飛び道具だ。銃弾に負けず劣らずの速度で投擲されたドングリは、バーサーカーの体表に火花を散らし、その上からドリルのように回転して肉を破ろうとするがそれ以上進むことが出来ず、わずらわしいとばかりに振るったバーサーカーの左腕で砕かれる。
 その間に屍は、バーサーカーを中心に、半径六メートル以内に、円周上になるよう“ドラム”の弾を射ち込んだ。結界魔術を施した空間隔離用の特殊弾だ。これでバーサーカーから半径六メートルから外には、中でどんなことが起きても(限度はある)、ある程度は影響がないはずだ。
 一瞬バーサーカーの視界が屍からそれて、次の瞬間跳躍した屍がバーサーカーの上半身に飛びつく。左手で蓬髪を掴み、右手の“ドラム”をバーサーカーの口の中に突っ込んだ。

「やれやれ、あまり使うわけにはいかない弾なんだがな。まぁ、たっぷり堪能してくれ」

 ガチンと“ドラム”の撃鉄が鳴った。同時に屍は膝でバーサーカーの顎をかちあげて閉ざし、大きくバーサーカーの体を蹴って離れる。その顔にはまたもや凶悪な、背筋を凍らせるあの笑みが。
 次の瞬間、バーサーカーの体内から、太陽の爆発にも似たとてつもないエネルギーが炸裂した。屍が射ったのはポケットに戻したあの弾だったのだ。すなわち拳銃弾サイズの『核弾頭』。
 この星を死の星に変えられるといわれる核兵器には何らかの概念が込められていたのか、バーサーカーにもその人の作り出したメキドの炎は思う存分荒れ狂い、その業火を味あわせている。ひょっとしたら通用したのは屍が射ったからかもしれない。〈新宿〉という地球に生まれた魔界で、人からも妖魔からも恐怖される“凍らせ屋”屍刑四郎だからこそ。
 〈新宿警察〉装備課・平平助が作り出した屋内用核弾頭は、きっかり半径五メートルを核の炎の地獄に閉じ込め、五メートルから先には少しの余熱も漏らさない。加えて先ほどの人形娘謹製の結界弾が、核の影響を防いでいてくれている。
 手早く屍が懐からカプセルを取り出して周囲に撒いた。放射能除去剤である。カプセルの中から粉末が零れて、たちまち青く光る放射能を吸収・中和して無害にしてゆく。念のためとりあえず一か月くらいは封鎖して、処理班を呼んだほうが良さそうだ。

「さて後何回殺せばよいかな? お嬢ちゃん」

「!?」

 イリヤが驚愕に顔を染めて、炎の中を見た。ユラリ、バーサーカーが立ち上がる。やはり霊的攻撃手段ではない核弾頭ではバーサーカーを殺しきれなかったらしい。既に再生を終えたのかバーサーカーが一歩踏み出す。
 やれやれと屍が首を振って、再び“ドラム”に弾を込めた。まだ諦めてなどいないのだ、この男は。なにか、これ以上の戦いを恐れるように、イリヤが自分でも理解しがたい衝動に駆られてバーサーカーを止めた。

「止まりなさい、バーサーカー」

「どういうつもりだ?」

「……今日はここまでにしない刑事さん? まさか人間相手にバーサーカーが殺されるなんて思わなかったわ。そのご褒美に見逃してあげる」

「ほう。見逃す、か」

 ビクリと震える体を押さえつけてイリヤが交渉を続けた。

「タダとはいわないわ。えぇっと何だっけ、シホウトリヒキってやつよ」

「司法取引か。バーターだな。で、どんな味のバターだ?」

 司法取引はようするに、犯罪者が情報と引き換えに自分の罪を見逃してもらう、という手段だ。アメリカ辺りではしょっちゅうやっている手法だ。よく考えなくても卑怯な手段である。

「そうね、柳洞寺に行きなさい。何かの事件の犯人に会えるわよ」

「……」

「ソレで良いでしょう。それじゃあね、バイバイ」

「待ちな」

「何よ、まだ戦うつもりなの!」

「お前さんの名前は? フルネームで頼むぜ。オレは屍刑四郎だ」

「カバネ? 変な名前、まあいいけど。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」

「聖杯御三家の一家か。イリヤスフィール、次は逮捕するぞ。オレなりのルールで裁かれるのがいやなら自首するんだな」

「知らない」

 プイっと顔を背けてイリヤがバーサーカーを伴って屍に背を向けた。バーサーカーが一度だけ屍に目を向けた。大した男だと、認めているように見えなくも無かった。屍は一度もイリヤに銃口を向けなかったのだ。そうすればあっさりと決着がついたというのに。



 翌日、屍としてはそのまま柳洞寺に殴りこんでも良かったのだが、消費した装備の補充と、情報の確保、また使用した核弾頭の後始末で多くの時間を割かなければならなかった。 
 それらからようやく開放された屍はとりあえずエネルギーの補充はしっかりしておかなければなるまい、と考えて喫茶店の一つに入り、注文を済ませてから目の前の獲物をゆっくりと堪能すべく、口を動かした。
 黒茶色の液体を、帯のように纏わりつかせ、白くねっとりと蕩けたその姿は、銀色のスプーンの上で甘く蟲惑的な香りを清楚に立ち昇らせている。そしてそのふたつが屍の口の中に飲み込まれた時、口一杯に甘く、味覚の全てを甘く犯す毒のように広がった。
 赤く色づくサクランボが、山のように盛られたバニラアイスの上に鎮座し、カットされたバナナが花びらのようにアイスを飾る。アイスの下では程良い量のフレークが器の中で、口に運ばれるのを待っている。

 屍の獲物、その名を“チョコレートパフェ”と言った。

 注文を聞いてぎょっとしたウェイトレスが、屍が食べだすのを見て信じられない、といい顔をするが店内の客も全員同じ気持ちだろう。というか顔に出ている。
 当の屍は周囲の反応などどこ吹く風といった顔で黙々とスプーンを動かしている。表情はそのままだから、美味いと思っているのかは分らない。まぁ不機嫌ではなさそうだ。
 喫茶店の入り口のドアに付けられた鐘がカランと音を立てて、新たな客人を三人招いた。穂群原学園の女生徒三人だ。褐色の肌に黒髪をショートカットにした元気の有り余っていそうな子に、切りそろえたロングストレートの髪に、落ち着いた光の滲む瞳とメガネが特徴の色白の子、それにぷにっというような柔らかい擬音語が似合う小柄な子、昨日屍が助けた女の子だ。昨日不運な目にあった女の子を、友人達が元気付けようと誘ったのだろう。三人ともそろって違った魅力のある美少女だ。 
 一度目線だけ動かして、入り口の三人娘を屍は視界に収めた。手はフレークをザクザクとかき混ぜて、溶けたアイスといい感じに混ざり合っている。
 運命の女神とやらは意地が悪いのか、悪戯好きなのか、戻そうとした屍の目線と、小柄な女の子の目線が交差した。あっと女の子が声を上げたのにつられて、連れの二人も屍を発見し、うおっという顔になる。まぁそりゃそうだ。明らかにまともじゃない格好の精悍無比な大男が大盛りのパフェ相手に格闘中なのだ。仕方あるまい。
 昨日の女の子が、友人二人が止めるのも聞かずに屍の方によって来た。良い度胸だ。

「あ、あの昨日はありがとうございました」

「無事なら何よりだ。それに一般人を守るのは警察官の義務さ」

 とセリフは素っ気ないが、優しい声音で屍は答えた。犯罪者に対する地獄の悪鬼と化すこの男は、そうでないもの、弱いものや善良なものに対して無上の守護者となる。それは〈新宿〉でも区外でも決して変わることは無い。
 
「本当にあんな刑事いるんだなー」

「うむ。話を聞いたときは信じられなかったが、私もまだまだ世の中を知らんのだな」

 と言って他の二人も寄ってきた。上から褐色の肌の女の子とメガネの子になる。へー、ふーん、ほー、といった感じでものめずらしそうに褐色の肌の子は屍を凝視し、メガネの子の方は幾分かマシだが、それでも興味深そうにしている。

「なんならIDカードを見せようか?」

 屍なりのサービスだ。

「マジで!? 見せて見せて」

「マ、マキちゃん。刑事さんに悪いよ」

「不躾だぞ。マキジ」

「構わんさ。所で学校はもう良いのか?」

「は、はい。最近良くないことが多いから早く終るんです。あ、あの私は三枝由紀香って言います」
 
 小柄な女の子が今気付いたらしく、慌てて頭を下げて屍に自己紹介した。他の二人もそれに倣って自分の名前を屍に教える。褐色の肌の子が

「あたしは蒔寺楓。よろしく刑事さん」

「わたしは氷室鐘と言う」

 氷室はメガネの子だ。

「ああ」

 と簡単に返事をしてから屍が懐からIDカードを出して三人に見せた。三人とも好奇心に程度の差はあっても、本物の刑事のIDカードなど見たことは無いから、見ようとする。

「シカバネ ケイヨンロウ? 芸名?」

「かばね けいしろう、だ」

 蒔寺の読み方を屍が訂正した。確かに一回で正確な読みができる漢字ではない。特に名字。

「〈新宿警察〉?……あの〈新宿〉なのか屍さん」

「〈新宿〉はひとつだな」

 氷室が言った言葉と、屍の答えに三人娘が硬直する。〈新宿〉は往々にして区外の人間からは、日常とかけ離れた危険と悪徳、そして快楽と興奮を味わえると期待される。実際には区外の人間が想像する危険性の万倍以上の奇々怪々にして人間の悪徳の全てが存在しているというのに。
 三人の反応はそれらの甘い〈新宿〉への認識よりも切実な畏怖と恐怖と嫌悪が滲む。こちらの方が本来あるべき反応なのだろう、この世に生じた魔界に対しては。普通なら。そして彼女らは思ったより普通ではなかった。

「うお~~すげー、本物の魔界刑事だ。サインちょうだい、サイン」

「ふむ。〈新宿〉というと良く魔界だの、異世界だの言われるがコスプレの様な格好をしているだけで人間そう違うものではないな」

「カネちゃんマキちゃん、屍さんに悪いよ~」

 と、ナプキンを差し出してサインを求める蒔寺と、冷静に感想を述べる氷室を、ほんわかした声で制止している。彼女には悪いが効果は期待できそうに無いな、と屍が思ったのは内緒の話だ。
 屍の咽喉の奥で猛獣の唸り声みたいな音がしたが、三人は気付かなかったようだ。屍は吹き出すのを堪えたのだ。IDカードを仕舞って、席を立つ。

「さて、と。盛り上がっているところ悪いがオレも仕事があってな。失礼させてもらおう。物騒なのは確かだからな、遅くなるんじゃないぞ」

 苦笑めいたものを唇の端に這わせて、レシートを手に屍が喫茶店の入り口に歩き出した。

「え~~もう言っちゃうのかよ~」

「ご忠告感謝する。屍刑事」

「えっと、本当に昨日はありがとうございました。お仕事頑張ってください」

「ああ、君たちも学生の仕事をちゃんとやるんだぞ」

 それだけ言うと屍はもう振り返らずに店を出て行った。ただその背中から伝わる闘志が、燃え立つようにより激しくなっているのは確かだった。三人娘は、まさしく屍が守るべき人間達だった。

③につづく
核弾頭の使用は私の若気の至りというほかありませんね。もう4、5年前に書いたものになるでしょうかね。時間が経つのは早いものです。



[11325] その21 凍らせ屋 × Fate ③
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/25 19:54
その21 『凍らせ屋Ⅲ』


 時を告げる天使に問うたなら、人の暦で時刻は午後五時過ぎ。冬の時節ゆえに早くも冬木の街並みは夕暮れに染まりつつあった。いつもの光景、そう呼べたならあるいはそれは幸せな事だったかも知れない。
 夕暮れの新都、街路樹の並ぶ道路の一角に絢爛と夜目にも鮮やかに咲いた花の柱があった。いや、柱ではない百九十センチ近い高さの柱の正体は一人の人間だった。
 髪型は仕上げるのにどれだけ時間がかかるのか眩暈がしそうな、見事なドレッドヘア。日焼けした顔は、正面きって見つめる事すら恐ろしくなるような野獣じみた獰猛さと、それを完全に押さえつける理性とが同居した精悍無比さをたたえている。
 左目には、黒く焼かれた刀の鍔をアイパッチ代わりに嵌めていた。その鍔の向こうから今にも苛烈な全てを焼き尽くす炎が吹き出してもおかしくない瞳の光を、残る右目は持っている。
 花と見えたのはコートに貼り付けられた冬の花々だった。花自体は本物だったのだ。踝まで覆うシルク地らしいコートには布生地の面積を余す事無く花が飾り付けられている。愛嬌とでも考えたのか独特のセンスなのかは分からない。
 黒いレザーのジャケットとズボンを押し上げる筋肉の筋はまるで鋼のよう。全開にすれば三回り大きいサイズの数百馬力、あるいは一千馬力のサイボーグさえも素手で叩きのめす、凶器と言い換えられる肉体だ。
 通り行く誰もが畏怖と奇怪なものを見る視線を送るこの男の名を屍刑四郎(かばねけいしろう)という。
 屍が昨日助けた女の子とその友人たちと別れてから多少時間が経っている。愛用の霊柩車(特殊なコーティングで見る者によって様々な車種に変る)は<新宿>に置いてきてあるから目下移動手段は徒歩だ。
 音も立てずに、一度荒事となればしなやかな大型猛獣を上回るパワーを秘めて歩く屍には懸案事項がいくつかあった。
 まず昨夜イリヤスフィールの語った柳洞寺にいるというサーヴァント、遠坂の当主と彼女と一緒に居た学生らしき少年の行方、それに昨日訪れてからどうも気になるマキリの屋敷、アインツベルンの投入したマスターであるイリヤスフィールの所在、監督役を務めていると言う言峰教会にも顔を出さねばならないし、今回の聖杯戦争以前から不自然に勃発している行方不明の事件にも引っかかるものがある。まだ遭遇していないサーヴァントやマスターたちの動向も気になる。
 ただし屍が冬木に来た第一の目的は『冬木市で行方不明になった<新宿>区民の捜索』である。聖杯戦争云々は本来二の次だ。以前から起きている行方不明事件が最も怪しい。 
 あるいは、サーヴァントとの戦闘に遭遇し口封じに殺されてしまったのか……。単に蒸発したという線もあるが、場所が場所だし時期的にも考えてやはり聖杯戦争と関連付けて考えるのが妥当だろうか?
 論理的に頭を働かせる一方で、屍は自分の勘が打ち鳴らす鐘の音を聞いていた。<新宿>の刑事として最も持つべき資質は、『直感』である。
 一目で人間に化けた妖物を見抜いて、あるいは見もせずに射殺し、赤ん坊に変装したプロの暗殺者達に先制攻撃を食らわせてやれ無ければ一人前には程遠い。
 ドアノブに塗られた猛毒、乗り物に仕掛けられたマイクロ・ボム、小さな虫に仕込まれた催眠薬や誘導波に惑わされぬよう一発で看破できなければならないし、昼飯のつもりで買ってきたのり弁の醤油かのりが妖物の化けた姿ということだって有り得る。
 そして<新宿警察>最強の猛者、屍刑四郎の『直感』はというと、警察署内に並ぶものが無いほどに秀でている。屍が犯罪者の尽くを“逮捕”ではなく“退治”し、その手段があまりにも凄惨苛烈だと言うのに、市民から畏怖と歓呼の声援で迎えられるのも、決して一度も、一人も罪無き一般市民に被害を出差ないことに由来する。
 そしてそれを支えるのがこの異常窮まる鋭敏な『直感』だ。(全くの余談だが、欲望に基づいた直感ならばオレよりもすごいのが居る、と屍がかつて同僚に語った事があり、署内を騒然とさせたことがある。なんでも葛飾の辺りの警官らしい)
 <新宿>ではなお磨きのかかる直感も、幸い区外に出ても決して鈍る事は無く機能している。その直感が囁くのはマキリの屋敷だ。あそこが一番危険だ、あそこに犯罪のにおいがする、退治すべき屑が居る、と囁くのだ。
 
「……さてどうしたものかな」

 市内をぐるりと一回りし、とりあえず人気の無い公園のベンチで、缶のカフェオレ片手に屍がゴチた。ブラックのコーヒーはあまり好きでは無い様だ。
 あの遠坂凛と少年の素性自体はある程度分かっている。遠坂凛の通う穂群原学園の生徒名簿に載っていたからだ。冬木市のあらゆるデータは既に屍の脳細胞に刻み込んであった。
 少年の名前は衛宮士郎。十年前の火災で、それ以前の記憶と戸籍などの個人情報を失い養父である衛宮切嗣(えみやきりつぐ)に引き取られて育つ。
 現在、衛宮切嗣は既に鬼籍に入っている。残された立派な武家屋敷と遺産、それに『コペンハーゲン』という酒屋でバイトしながら生計を立てているらしい。
 だが問題があるとするなら衛宮士郎ではなくその養父衛宮切嗣の方だ。衛宮切嗣、通称“魔術士殺し”、フリーランスの殺し屋で、対魔術士戦におけるジョーカーの一つとして、<新宿警察>のデータバンクに要注意人物として名前と素性が載っていた。
 <高田馬場魔法街>とは違う『魔術回路』や『魔術刻印』などを重視する倫敦の魔術協会系の特殊な魔術を使い、ありとあらゆる感情を排したかのような殺戮機械のように次々と魔術士を殺していたらしい。やや気になるのは、殺された魔術士がまず外道と呼ぶに相応しいクズどもであることか。もっともその殺害の手段と過程を考えれば衛宮切嗣も同類に近い。
 そういえば高田馬場を訪ねたときトンブが、前回の聖杯戦争で、アインツベルンに雇われたらしいよ、と言っていた。前回の参加者である切嗣の養子たる衛宮士郎と遠坂凛が手を組んだ、という事だろうか。
 仮にも冬木市の管理者である遠坂家の当主だ。まさか自分の管理する土地に知らない魔術士が居て、たまたま素性を知って手を組んだ、などというマヌケなオチはあるまい。
 とはいえ、すぐさま浄化してしかるべき程に怨念渦巻く、十年前の大火災の跡地にある公園を放ったらかしにしているあたり、有り得なくも無い、か。
 一息にカフェオレを飲み、握りつぶしてからゴミ箱に捨てた。咽喉からは猛獣が泡を食って逃げ出しそうな低い唸り声が零れている。屍なりに若干思案しているのだ。
 柳洞寺のサーヴァントが新都で頻発しているガス漏れ事故の犯人なら、機を見誤れば大量の人死にが出かねない。ただ、搾取の仕方から察するに生かさず殺さずを実践しているようだから、時間的な余裕があるとも取れる。
 遠坂や衛宮のコンビは、昨夜の言動から考えてどうもまだ、『こちら側』には完全に足を踏み入れてはいないようだし、今はまだ放置しても良かろう。案外衛宮邸でのほほんと食事でもしていそうだ。
 言峰教会には後々顔を出せばよいだろう。聖杯戦争の監督役は、聖堂教会から異端狩りの任に着く代行者が派遣されているらしい。今の言峰教会の神父は、言峰綺礼という男で、先代遠坂家当主の弟子であるらしい。
 もっとも、聖杯戦争と全く関係の無い<新宿>の刑事たる屍に協力的とは思えない。まあ協力的かどうかは、屍にはあまり関係が無いかもしれないが。
 ここはやはり勘に従ってマキリの屋敷に行くか……取り敢えずの結論を出して、屍はゆっくりと腰を上げ、そしてキイとか細く鳴く蝙蝠の声を聞いた。

「……」

 後ろを振り返ると、枝の一つに蝙蝠がぶら下がっている。また、キイ。どうやら着いて来いと言ってるらしい、と蝙蝠の主に見当をつけながら、屍は飛び立った蝙蝠の後を追った。珍しい事に、何でだ? というような訝しげな色が浮かんでいるではないか。どうも蝙蝠の飼い主が冬木市に居る事が納得いかないらしい。
 屍が招かれたのは、倒壊する金も惜しまれたと見えるうらぶれた廃ビルだった。冬木市にこういう場所は少ないが無いわけではない。不景気という奴はこの街にも重くのしかかっているのだ。屍が、点灯する事のない電灯をぶら下げた、一階の奥まで足を踏み入れてそこで立ち止まる。一瞬時刻を意識した。十分に陽は落ち、闇が世界の帳となっている。
 屍は、暗闇も昼の如く見通せる瞳でじっと闇をにらみつけながらこう言った。

「何でおまえさんがいるんだ? 夜香」

「お久しぶりです。屍さん」

 屍の覗く夜の闇から返ってきたのは、気品という言葉と歴史の重みとを理解できるような、そんな声であった。闇の暗黒を裂いて、白い肌と赤い唇が目を引く若者が屍の前に姿を見せた。着こなす黒服は三つ揃いのスーツ、東洋風の美男子だが匂い立つような貴公子ぶりだ。
 ただ其処に立っているだけでも、長い年月を重ねた古い血の歴史をその背後に見ることができるかのよう。音も無く数歩屍に歩み寄って、薄く笑みを浮かべた。まるで血のように生々しい鮮烈な赤い唇。病的なほどに白く負の甘美さを際立たせる肌、そして笑みを形作った唇からこぼれた鋭く尖った二本の牙。ああ、夜の香りと名づけられたこの青年は……

「戸山住宅の方はほったらかしか」

「私が居なくても今しばらくは秩序が保たれるでしょう」

 ご懸念なく、と夜香が一つ断る。屍はさして気にした風もない。夜香の言うとおりだと思っているからだろうか。屍と夜香、互いに<新宿>での顔見知りである。
戸山住宅街。<新宿>でもある意味最も恐るべき場所といわれる地区である。観光客や、止むに止まれぬ事情でその一帯を人が歩くとき、ある一定の境界を越えた途端徐々に体温は下がり、骨までも蝕む超自然的な冷気に犯されてしまう。
 膝を突き、気温こそほかの場所と変らないと言うのに見る見る頬から血の気は引き、唇は紫へと変わり果ててしまう。そして遂に膝をついた時、境界からずっとその動向を見守っていた黒い影のごとき人型が救い出す。
 その時、その黒い影たちは倒れ伏した人々の首筋に熱いまなざしを注ぎ、ぐっと何かを堪える様にしながら、彼らを安全な場所まで運び出すのだ。
 境界から外に運び出され、見る見る内に常温と暖かい血の流れが体内に戻るのを感じた不幸にして無知なその人は、その土地の名と住人の伝説について思いを馳せざるを得ない。そう、戸山住宅街に住まう者達のある呼び名“戸山吸血団”を。
 戸山住宅街、其処に住む人々は余す事無く吸血鬼、またはその血を引く者達なのだ。世界各地の伝説に名を轟かせる吸血鬼、人の手ではブラム・ストーカーが産み出した小説が世に広く認められているだろう。
 だが戸山住宅街に住まう住人達は正真正銘、世界の闇に潜みその命脈を保ってきた夜の住人、月夜の覇王達なのだ。そしてこの夜香という青年吸血鬼こそは先代首領だった祖父の死より後、若輩ながらも誰も異議を唱える事無く首領の座に着いた、戸山住宅街の長なのだ。
 しかし何故その夜香が、掟そのものと等しい父なる首領としての役目を果たさずにこの冬木市に居るのか、流石に屍の灰色の脳細胞でも回答は“不明”の迷宮に入ったままだ。塵ほども表情を変えていない屍の思考をどう読み取ったのか、薄く色を刷いた貴人の絵のような笑みを浮かべて夜香はこう説明した。

「ブリューベック一族が<新宿>に現れた時、私が幻の霊山アムネチマンで第六感を磨いていたのは以前お話したかと思います」

「ああ」

 返事をする屍の表情は忌々しげだ。ブリューベック一族。ヨーロッパ系の吸血鬼としては最古・最強の一角を大きく担う一族だ。
 かつてドクトル・ファウストとドクター・メフィストの“魔法使い師弟”(と呼ぶものも居る。実際は不明だが、本当にそうでもおかしくは無い、というのが一般的な見方だ)によって月に封じられたブリューベック当代当主の家族が、<新宿>を支配すべく暴虐を振るったこの事件で屍はあまり良い所が無かった。

「元より夜の一族は貴方方“人間”とは異なる勘を持っています。屍さんは人間と一括りにするには少々抵抗がありますね……失礼。同族に対する察知能力や獲物の所在を突き止める探索能力、自らの同族の危機に対する共感能力など等。それらがアムネチマンや世界各地の霊山、秘奥の地で以前よりもはるかに優れたものへと磨かれました。そして今度の倫敦からの遊説の帰り、丁度この冬木の地の近くを通りかかった時に、私は見たのです」

 近く、とは言っているが、数百キロほど離れた上空でだ。

「何をだ」

「世界を覆い尽す悪意と憎悪、ありとあらゆる悪の詰められた泥の幻影です。この冬木市には多少縁がありましてね。この地で行われる聖杯戦争なる魔術儀式は、大陸に居る頃から我が一族の耳にも入っていました――私は倫敦育ちですが――。その噂が確かなら世界を危機に陥れる事態が起きてもおかしくはありません。この街の“聖杯”ならば。星もそう告げています」

「“願望機”。ありとあらゆる願いを叶える聖なる器、か。トンブが物欲しそうに涎を垂らしていたぞ。それにしてもとうとう未来予知まで身につけたか夜香」

「可能性の一つを見るに過ぎません。それにまさか屍さんがいらっしゃるとは夢にも思いませんでした。何故こちらにおいでになったかお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「……警察の秘事という奴だ」

 有給休暇を無理やり取らされて、とは言いにくい。夜香は微妙な間をどう受け取ったのか、それ以上は聞かず相変わらずアルカイックスマイルを浮かべたまま話を続けた。

「ではそれ以上は聞けませんね。それならば私の話を続けましょう。それから私が供の者達を<新宿>に帰らせた後、この冬木市でサーヴァントと出会いました」

 瞳を危険な色に光らせた屍に、静かに夜香は話を始めた。この青年が物語を語るとき、そこは悠久の黒を立てる闇と、わずかに地に影を這わす月明かりこそがもっとも似合う舞台となる。中国五千年の歴史を経た夜の一族の長が纏う気品であろうか。



 夜のカーテンが世界を覆い、この星の大気が淡く月の光を輝かせる時刻。少女の首筋に牙を立てんとした吸血種のサーヴァントを制止し、夜香と名乗ってから上空で夜香とサーヴァントは対峙した。場所は隣に小さな公園を望む事のできるビルの屋上だった。
 灰色の暖かさを感じないコンクリートに囲まれていた。月の光もこのような人の手からなる無粋な所には差し込みたくも無いのか、わずかに照らすのは人造の明かりだけ。
 夜も深まるばかりで日の光もいまだ遠い時刻に、このような場所に来るのはひょっとしたら人でない者達なのかもしれない。人は未知に、見通せぬ暗闇に恐怖するが故に。
 ダブルのブラックのスーツを欧州の大貴族のようにピタリと着込んだ夜香の前に対峙したサーヴァントは女だった。そしてその手の内に憐れな犠牲になろうとしていた少女を抱えている。
 厳密に測れば174センチある女性にしては長身の体は、しかし女性にとっての理想的な体型の一つのシルエットを艶めかしく描いていた。鐘の如く突き出た大きな乳房に、思い切り良くくびれた腰、描く円やかな線が生唾を飲み込むほどに色香に満ちていた。
 何よりも目を引くのは、月の光を珠の様にはじく地に届かんばかりの長髪であった。そう、例えるならば紫水晶をそのままささやかな失敗も無く、細く細く天工の技術で細工したかのように美しかった。まさに女神も羨まんばかりの美しい髪。
 背から生やした巨大な蝙蝠のような翼でホバリングする夜香を前に女は、手に持った鎖と棘の付いた杭二つを握りなおした。女から迸る圧倒的な霊格と魔力、そして夜香の、夜の魔王が醸し出す強大な妖気とが喰らいあい、常人なら昏倒し、その場で息絶えかねない異界を造りだしている。
 奇怪なことに長身の女性は両の眼を完全に隠すように、眼帯のような品をつけている。まるでその眼を忌むべきもののように、外界には晒せぬ神聖なもののように。
 少女の手は長身の女の片手で押さえ込まれていたが、少女には抵抗のそぶりも意思も見えない。襟元をはだけられ、覗いた少女の首筋に女が唇を寄せる。赤にしろピンクにしろ口紅など、塗るだけ無粋としか思えぬ艶やかな唇であった。
 それがわずかに徐々に開いてゆく。あぁ、見るものが居たなら思わず己の体を抱きすくめるのではないか。電灯に照らされて白々と輝いたのは、犬歯などよりも鋭く長い牙。これか、これが少女が何の抵抗も見せぬ理由のひとつか。
 首筋に二つの鋭い先端が突き刺さらんとしたときであった。冬の冷風よりも冷ややかな声で夜香が女を制止したのは。

「そこまでになさい」

 数十分の一秒のタイム・ラグを置いて長身の女性は背後――その上空をねめつけた。

「同胞かと思ったが、どうやら違うようだ。かといって人でも妖でもなし。確か聖杯戦争とやらがこの地では行われていると聞く。それに呼び出される英霊、サーヴァントか?」

 二十代を大きくは超えていないだろう、東洋風の顔立ちは貴公子と呼んでも誰も文句を言わぬほどの優雅さと典雅さをたたえ、青白い肌は病的というよりもいっそ背徳的ともいえる。そしてそこだけ血のように赤い唇を、女は注視した。
 ダブルのブラックスーツがこれほど似合う青年というのも珍しかろう、悠然と羽ばたくその背の巨大な翼を除けば。ホバリングしている蝙蝠のそれによく似た黒い翼、その赤い唇、この青年の正体を女は理解した。

「吸血鬼、ですか」

「ご明察の通り。貴女は吸血鬼というよりも吸血種、というべきか」

「何用です。この少女はあなたの下僕というわけでもないでしょう。それともあなたの獲物でしたか?」

 夜香は笑みを深くした。怒りか憎しみか侮蔑か、感情など無縁と写る玲瓏な笑み。

「さて貴女の所業を見過ごせなかった、と言ったら?」

「何を言うかと思えば。吸血鬼のセリフとは思えませんね。今すぐ姿を消しなさい、最も聖杯戦争の参加者であるなら見過ごせませんが」

 とはいうものの、胸中で女はこの吸血鬼が去ることをかなり期待していた。冬木の地で行われる聖杯戦争のサーヴァントというものは基本的に呼び出した魔術師、マスターから供給される魔力次第で基本能力に差が出る。
 そしてこの女は、といえばはっきり言って最悪に近い。現在のマスターからの魔力供給など無いに等しいし、それを補うための吸血行為であるがこれもマスターの命令だ。こんなことを繰り返せば他の参加者にかぎつけられて、戦闘になりかねない。無論おさおさ引けを取るつもりは無いが勝算が低いのも事実である。
 ましてや聖杯戦争の参加者でもない相手に無駄に力を削がれるわけにも行かない。それに今、目の前にする吸血鬼が並々ならぬ相手であるということは一目で分った。たとえこの身がサーヴァントであっても油断ならぬ敵。
 再び夜香の口元に浮かんだアルカイック・スマイル。女は戦いを避けられぬと知り、そして先手を取った。
 その瞬発力を活かし、周囲のコンクリートの壁を蹴り上がりながら十メートル上空へ、隣に隣接する小さな公園が一望できる。三メートルほどの位置でホバリングしていた青年に、いつの間にか握っていた鎖付の杭二つのうち左手のそれを投じる。月と人造と、二種の光を浴びつつ杭が電灯石火の速度で青年に迫る。
 夜目にも飛び散る火花は杭が迎撃されたのを如実に語っていた。人造の明かりを裂いて三つの物体が、風切る音も苛烈に女に迫る。
 反応は思考というよりも直感だった。鎖を一打ちしてそれを弾き、そのまま建物の屋上へ着地する。打ち落としたのは「鏢」、音速を超えて投擲された鋼は赤熱している。
 風が女の髪を嬲った。吸血鬼が同じ目線まで浮上してきたのだ。

「今宵出会い、殺しあうも一つの縁。お名前をお聞かせ願いたい」

「……あなたから名乗るのが礼儀、と思いますが?」

 これは失礼、と青年吸血鬼は惚れ惚れするような優雅さで一礼した。その仕草のどこにも気障っぽさや野卑なところなど無い。そうする仕草がなんとも似合う貴公子であった。

「では名乗らせてもらおう。夜香と」

 <魔界都市“新宿”>戸山住宅街に住まう二百名余の夜の一族の若き長は、中国五千年の歴史に相応しく気品と礼とに満ちていた。
 <新宿>最強の吸血鬼と対するは冬木の聖杯に呼び出されし、人の身に余る偉業をなした英霊。
 典雅な美貌に、夜香は数千年の時の中で人々を震撼させた、悪鬼の笑みを浮かべる。

「さて、私は名を名乗りましたが、貴方の名はお聞かせ願えないのでしょうか?」

「…………」

 返答に女は答えかねた。女の本来の名は言う事など出来やしないし、サーヴァントとしての名も重要なものである。聖杯戦争に関わりがあるかどうか目の前の吸血鬼は不明だが、やはり言うわけにも行くまい。
 女は自分でも驚いた事に答えられない事に後ろめたさを感じていた。どこの世界の神も、属性として『虚言』を持たぬかぎり、基本的に嘘はつかず約束は守るからか。もっとも、とっくの昔に女は神性を失ったに等しいのだが。

「約束を反故にするようで申し訳ありませんが、名乗る事はできません。その代わり私を敗北させたなら名乗りましょう」

「そうですか。私が一方的に口にした事です。お気になさらず……さて、それでは……行きます」

「ッ!!」

 少しだけ残念そうな素振りをしてから夜香は、そっと右腕を動かし、次の瞬間には右腕は消失していた。いや、あまりの高速の動きでそう見えただけだ。そして女はその動きを見ることができる能力を有していた。
 眼帯こそしているものの視界は確保されているらしく、女は自分目掛け飛来する棒手裏剣三本を、杭に付属している鎖の一打ちで弾き落とした。音速を軽々と超えて投擲された棒手裏剣は、灼熱した刃をコンクリートへその身を丸々沈めた。吸血鬼特有の膂力の賜物か。
 夜香の姿は消えている。先ほどまでの強大な妖気も気配も、まるでうたかたの悪夢のように消えている。両手に持った杭の質感を確かに感じながら女はその場に立ち尽くした。下手に動けばそれは死に繋がる。

「……」

 動いた。風がわずかにその流れをくゆらせる。場所は女から見て右手側七メートル。女の右手から獲物を求める大蛇の牙の如く迸る杭。ボヒュッという大気を焼いて裂く音さえも苛烈に。
 夜香は迫り来る死の使いと化した杭を、上空に飛翔してかわし、翼を一度強く打ってから女目掛けて急降下する。途中で翼を折りたたみ空気抵抗を減らして弾丸の如く、流星の如く。
 棒手裏剣にも勝る速度で迫り来る夜香を、刹那のタイミングで跳躍して女は大きくかわし、ビルの屋上と衝突する寸前で急上昇に移った夜香目掛け左の杭を投じた。弓なりの機動で夜香の後を追う杭は、あとわずかという所で夜香に振り切られ虚しく女の手に戻った。
 空中にある姿勢のままの女に夜香の追撃が迫る。夜の一族の長の証である翼を器用に羽ばたかせ、夜のしっとりと濡れた様な空気を飛び女の背後を取る。女もただでは背後を取らせない。
 夜香が背後に回るのと同時にタイミングを合わせて美駆を捻り、夜香と真正面から相対する。夜の空、月を背後にして咲く紫の花弁持つ大輪の花と、黒い漆黒の花。向かい合う二人は互いに必殺を期して一撃を繰り出した。
 女はしなやかな肉の鞭と化した右足で凄まじい回し蹴りを、夜香のガードした左腕に叩き込み、夜香は右手をそっと女の左脇腹に添えた。夜香の手との間に生まれた十センチほどの間隙になにが生じたのか、女は体を横に「く」の字に曲げて吹っ飛び、夜香は数メートルスライドしてから、翼の一打ちでバランスを取り戻した。
 女は落下しながらも身を捻り、両手を差し出すようにして公園の地面に着地した。倒立の姿勢から大きく御御足を左右に広げてから下ろす。まるで地を這う獣のような姿勢、だが女からは獣とは違う、別の生き物が連想された。そう、鎌首をもたげて獲物を見つめる蛇が。
 悠然と空に佇みながら夜香は、感情の色を浮かべぬ赤い瞳で女を見下ろしていた。そっと打たれた左手に右手をあてがい一言。

「骨が折れてしまいました」

 夜香の顔と声は女の目の前にあった。

「クッ!?」

 後ろに跳躍しながら右手の杭を投じようとした時、夜香の何かの技によってダメージを負わされた左の脇腹が灼熱の痛みを発した。それは尋常な痛みではなかった。まるで悪意を持った『痛み』という寄生生物のように女の魂を嘲笑いながら苦しめ、冷たく精神を蝕む痛み。
 女が作ってしまった千分の一秒の停滞を夜香が見逃すわけも無し。折れた骨はもう治ったのか、右手と左手を突き出し、再びあの見えない何かを女目掛けて撃ちだす。犯した一瞬のミスに舌打ちを一つしてから両の手の杭を夜香と自分との直線状に投じた。不可視の何かと杭とが衝突し、宙に舞い飛ぶ杭を鎖を引いて手元に戻す。
 少なくとも杭なら相殺できる何か、という事は分かった。物理的な攻撃手段にしろ、霊的な攻撃手段にしろ、女自身を含め杭もまた濃密な『神秘』を秘めた高位の霊的武装だ。対応できない方が問題アリだろう。
 夜香は公園に散在する木立の中へと姿を消した。女も後を追い、木々の中へとその身を投じる。
 ザアッと拭いた風が木々を揺らして、影を動かし音を立てた。静寂。ただそれだけが今この公園を支配した。冬の清雅なそよ風が吹くこの公園で見るものとて無い死闘が静かに行われていた。そう、夜の支配者吸血鬼と吸血種の闘いに相応しく。
 夜の声を聞き、そよぐ風に乗せられた虫たちの囁きを耳にし、月の語る物語を聞く事ができたなら、二人のかわす会話を聞く資格がある。そして資格を持つものはこう、耳にしただろう。

『大陸に棲む我が一族の伝えるところによれば、サーヴァントとは魔力に依ってこの世に在る者。人の血と精気を求めるのはそれゆえですか? それとも貴女の嗜好ゆえか……主に命じられたか己の意思か、どちらにせよ見過ごすわけには行かぬ事情もあります』

『不可解な事を。吸血鬼たる貴女が人の血を吸う事を禁忌と捉えるのですか?』

 この女の返し言葉に、苦笑のような、困ったような意識の動きが夜香から伝わった。だが女に告げた言葉には敢然たる意思が秘められていた。

『諸般の事情、と口を濁すわけにも行きませんか。一族の長としての責務です。我が一族が住まいとする土地では、夜の一族も人間も妖物もまた等しく其処に生きる住人です。そうあるためには厳しく自らを戒める掟が必要なのです。それに従い我が一族の者達は、理想郷たるあの街の住人として自らの根源的な欲求を耐え忍びながら生きています。
 ですが世に吸血鬼のはびこる悪評など立てばいらぬ諍いも生じましょう。人の世では悪評は風よりも速く伝わるもの。自ら鎖に繋がれた飼い犬とお思いになりますか? そう思われても仕方のないことかもしれません。ですが、あの街では<新宿>では、死せる生の道を永劫に歩まねばならない我らも“生きる事”ができるのですよ』

『“生きる事”、ですか』

『そうです』

 木の葉を舞い散らせ、森の暗闇で静かな死闘を演じた二人が月の光にその姿を再び晒した。清流に跳ねる若鮎のように身をくねらせて飛び出した女は、宝石細工のように月光を燦然と跳ね返す長髪を翻しながら、夜香目掛け幾度目か、杭をまた投じた。対して夜香は自分目掛け飛来する杭を掲げた左手の掌数センチ手前で受け止めて見せた。
 夜香の駆使するこの技の名を『魔気功』。負に向かう生体エネルギーを生み出す吸血鬼が行使する気功術の中でも、夜香の行うそれは桁違いの威力を有する。夜香の右手から女に向かい放たれる“三連気”。不可視の気が視認できたなら、それは直径五十センチほどの球体に見えただろう。
 迫る三連気を、女は軽やかなステップで紙一重でかわしながら、ジャラッと立てる音も凶悪な鎖付きの杭を左右から弧を描く機動で投げた。右から迫る杭を前進してかわした夜香の目の前に、投げた杭を掴んだ女が迫った。まさか投げた杭に走って追いつき、手にとって見せるとは。
 振りかぶった女の杭が夜香の左肩にズブリと差し込まれる。同時に、女は失策に気付いた。浮かぶ夜香の笑み。ああ、貴き血を引く一族の血潮のみを凝固したかのような赤い瞳。背徳的な官能で精神を揺さぶる白の肌。密やかに、獲物の肌を穿つためにあるするどく長い牙。それらが形作る笑みの妖しさよ。
 これが夜に生き、日に生きる人間たちを恐怖に陥れた魔性“吸血鬼”か。そして、夜香とは、<新宿>最強の吸血鬼の名であった。

「捕まえました」

 なんて優しい囁き。

「グウッ!?」

 真正面から放たれた夜香の魔気功。陽の性質を持ち、正のエネルギーである『気』が、吸血鬼によってマイナスのエネルギーとして放たれた時果たしていかなる効果を発揮するのか、女は受けた左手からあらゆるエネルギーが失われてゆく事に焦燥した。これか、これが夜の一族の振るう『気』の力か。
 だが女とてサーヴァントの端くれ、ただダメージを負わされるだけではない。夜香がかわした杭の鎖が、獲物を付けねらう蛇のようにくねって夜香の右脇腹を打った。女の保有する<怪力>のスキルは存分に活かされ、夜香の体を、公園を照らす電灯に叩きつけた。
 魔気功によって吹き飛ばされた女と電灯に叩きつけられた夜香とに十メートルほどの距離が開く。不調の左手に若干の不安を残しつつも、七騎のサーヴァントの中でも一、二を争う機動力を活かすべく女は駆け出した。
 そびえる木立を蹴って、空中に身を翻して、杭を投擲。跳躍する前に投げておいた杭と合せて正面と上空から夜香目掛けて、二つの杭が襲い掛かる。体勢を立て直した夜香のたおやかとも言える左手から、四本の棒手裏剣がそれぞれ二本ずつ杭を迎え撃った。
 木霊するキイイン、という音さえも触れれば切れるように鋭い。二つの影は一瞬だけ停滞した。大きな翼を広げた薄い影が手を掲げ、其処から迸った影を写さぬ魔気功が上下左右から、影の形作るシルエットでさえも美しい女へと殺到する。
 女の手練によって生を得たかのごとく鎖が唸り、女を中心に渦をまくように動いて魔気功を相殺する。鎖を通じて流出し、力が喪失する感覚。防いでも完璧には防ぎきれず、避けるしかないとは、かくも気功とは厄介な攻撃手段だったのか。
 よもや魔力の補充に出た先で、それ以上に魔力を消費する羽目になるとは! しかも相手はサーヴァントでは無いとまで来ている。聖杯戦争と関係のあるかどうかさえ分からない相手に、不本意な闘いをせねばならぬとは。このまま戦闘を続けてもメリットは無い。かといって手持ちの宝具の使用は厳しい。決断は困難だが、迷う時間は無い。
 出した結論はこうだった。事ここに至ればもはやもてる手段は全て尽くさねば勝機は見えない。後のことは、考えない。そうしなければ“今”が危ういのだ。女は決意した。ギャアギャアと小うるさいあの男の顔が一瞬だけ頭に浮ぶ。無知無能無茶無謀の分際でいちいち、いちいち!
 女は自らを戒める眼帯に手をかけた。

――自己封印・暗黒神殿(ブレーカー・ゴルゴーン)――

 その眼帯に隠されていた女の瞳が現れた。四角い形をした、灰色の瞳。それは束縛と石化の効果を有する魔眼キュベレイ。
 虹の魔眼に次ぐ宝石の魔眼にランクされる高位の魔眼だ。本来ならマスターの無能ぶりのおかげで使用できないが、いままで溜め込んだ精気と、とある場所に伏してある宝具を一時的に破棄、維持に回していた魔力の回収を行う。
 それでも足りない。これ以上魔力を削れば存在の維持が危ぶまれるが、跡形もなく消失する敗北よりはマシだ。
 必要最小限、わずか一、二秒の使用で決着をつけなければなるまい。幸いこの魔眼は相手に見せるのではなく自分が見ることで効果を表す。それがせめてもの救いだろうか。
 女目掛け極大の魔気功を繰り出そうとしていた夜香の動きが止まった。軋む音を立てるような止まり方であった。わずかな動揺が、その貴公子的な美貌にさざ波のように波紋を立てた。

「これは……? 魔眼ですか」

「説明している余裕はありません。……さらばです」

 決着はあっけ無く着いた。女の振りかぶった杭が、夜香の心臓、左胸を貫いたのだ。伝説に相応しく、吸血鬼たる夜香は見る間に灰となって滅びた。吸血鬼には“殺す”ではなく“滅ぼす”とあてる。KILLではなくDESTROY。それこそ不死の生命を持つこの魔性に相応しく。
 再び眼帯を当て、女は魔眼を封じる。途端、喪失した魔力を感じた。大丈夫、存在の維持は十分可能だ。とはいえ何でも良い、魔力の補充を行っておきたいのも本音だった。
 先ほどの娘は、無理か。気配は無く、夜香と争っているうちに姿を消したのだろう。となればマスターの元へ戻り、何がしかの手段を講じなければなるまい。マスターは頼りないが、それを影で支配するあの妖怪モドキの翁は役に立つだろう。
 空を仰ぎ、戻るべき場所の位置を確かめるようにしていた女が、ふと夜香だった灰を見下ろした。逡巡し、その唇を開いた。牙さえなければ、いや牙があっても魅力に満ちた桜色の唇だった。

「せめてものたむけです。私の名はライダー。吸血鬼にあの世があるのならそこで聞いていて下さい」
 
 くるりと踵を返し、ライダーは見る見る内にその姿を小さいものへと変え、姿を消した。



 ライダーが姿を消してから五分。灰が月に照らされていた。風が吹いても、まるで意思ある生命のようにその場にわだかまる夜香の灰である。そこに公園の入り口からふらふらと、危うい、夢を見ているかのような足取りで近付く影が一つ。先ほど夜香が、ライダーから救った少女である。青春の輝きを収めてしかるべき瞳はわずかに濁り、意思の喪失が見て取れた。
 月が薄い羽衣を纏った天女のように雲に隠れた時、少女は夜香の灰の上で、そっと左手首に、右手の人差し指の爪をあてがった。プツリと食い込んだ爪あとからは、見る見る内に血の珠が小さく生まれてくる。ああ、それを、赤い血の雫を夜香の灰に目掛けて一滴ずつ垂らしだしたではないか。
 そして雲が晴れ、女神のおわす月が覗いた時、少女の傍らには黒のスーツを着た東洋の貴公子が佇んでいた。灰から復活した夜香は、そっと少女の左手首に唇をあてがう。少女の体がふるりと、一度かすかに痙攣した。吸血鬼に牙を立てられた時、被害者はえもいわれぬ快感に犯されるという。それだろうか。
 夜香の唇が離れると、手首に刻まれた一筋のラインは消え去っていた。吸血はしていないようだ。虚ろ気な少女の瞳を覗き、夜香は静かに礼を述べた。

「助けるつもりが助けられてしまいましたね。ご安心を。貴女を一族に加えるつもりはありません。ただ、今日の事はお忘れになったほうが貴女のためです。といっても彼女、ライダーの術にかかっておいでのようだから憶えては居ないでしょうが」



「という顛末です。もちろんその少女は無事病院に届けました。今もこの街の何処かで何時も通りの生活を送っているでしょう。余程の不幸に出会わなければ」

「……で、わざとやられて打った手は何だ?」

 流石に分かっていらっしゃる、という様な表情を夜香は浮かべた。何故か嬉しそうである。この二人の関係も、お互いをどう思っているのか良く分からない。

「屍さんを案内した彼女に後を尾行してもらいました」

 キイっと闇のどこかから二度聞いた蝙蝠の鳴き声が響く。屍は口元を緩めた。犯罪者と妖物以外には優しい男なのだ。

「ご苦労さん」

 そういう声には慈愛を認めることができた。そして夜香を振り返った顔には、魔界刑事の表情を浮かべていた。宿るのは容赦が一片とて無い苛烈な正義と限りない、犯罪に対する憎悪。屍にとっては犯罪者とは即ち逮捕すべき存在では無く退治すべき屑であった。
 そして夜香。一応人間社会と共に生きているから社会的な範を心得え、従ってはいるが、そこはそれ、吸血鬼。人外の魔性である。人間の社会や言動、道徳をどう思っているのかは謎だ。まさしく“人権”などという言葉が通じない相手である。

「それでその成果はどう何だ? 戸山の首領殿」

「ライダーという名を私への冥土の土産にして言った女はやがてある屋敷に辿り着きました。私との戦いで消耗し、周囲の気配を完全に察しきれなかったのが彼女の過ちです」

 その屋敷の住所と名札に書かれていた姓名を静かな声音で夜香は伝えた。清涼な冬の夜に相応しい、冷たさと清々しさが共存している声である。対してソレを聞く屍もまた静謐な雰囲気だった。ただし、その静かに見えてその奥に秘められているもの。それは屍刑四郎に“凍らせ屋”の異名を持たせる事になった要因。
 残虐に、無情に獲物を殺戮する殺人狂の性と、屍刑四郎を最も強く律し核をなす絶対の正義感。あるいは警察官に最も望ましく、それ以上に絶大な職業論理と言っても良い。
 やがて屍は、決意を語るように呟いた。

「なら、ここでくっちゃべっているわけにもいかんな」

「そうですね」

 夜香も同意らしい。屍は、くるりと背を向けて歩き出し、廃ビルの入り口まで来てから、おい、と夜香に声をかけた。夜の一族の若き総帥は、何故か屍の後を追ってきた。

「何で着いてくる? 尾行云々には感謝しているがこれからは警察の仕事だ。言っとくが私闘は明治時代に禁止されているぞ。まあ、お前さんの方が数百年は古いんだろうが。それともう一つ言っておく。ここは区外だ。“緊急警察官システム”は使えんぞ」

 “緊急警察官システム”というのは<新宿警察>独特の制度で、市民を一時的に警察官として任命し、権限と義務を与えるものである。効果は二十四時間。市民の承諾と新宿署刑事の承認が必要となる。緊急警察官に対しては、パートナーやあくまで一時的なサポートと考える者、と刑事によって扱いはまちまちだ。
 過去に夜香は屍の同意を得る前に一方的に緊急警察官を自称した前科がある。

「屍さん。私は一度灰にされてしまいました。古き血を伝える夜の一族はこの程度か、とナメられては沽券と面子に関わるのです」

「灰にされたのは油断を誘う為にわざとやったんだろうが。しかし、面子やらなんやらは五千年の昔からやってきた伝統か?」

「いえ、倫敦仕込です。私は生まれて直ぐあの霧深き魔都に預けられて育ちましたので」

「つまり、血と鉄の歴史を持つヨーロッパの流儀を叩き込まれた東洋の大吸血鬼か。洋中折衷、国際的だな」

 どう文句をつけても、いや、いくら説得してもこりゃついて来るな、と屍は心中で半ば嘆息した。とはいえ言わねばならぬ事は言っておかねばなるまい。

「民間人の善意の協力は警察にとって非常にありがたい。だがな、いくら民間人の方から進んで協力を申し出てきたからと言って、その身を危険に晒させるわけにはいかん。警察官は一般市民を守るのが使命だ」

 希望と情熱に溢れた一昔前の若い警察官が口にしそうな言葉には、紛れも無い真摯さと信念が刻み込まれている。例え目の前の一般市民が中国五千年、いやこの星の歴史と等しい齢を重ねた夜の一族の長であっても、世界有数の大吸血鬼であっても、夜香は<新宿>に籍を持つ<新宿>区民であり、屍は区民を守る魔界刑事なのだ。
 あくまで魔界都市の住人として扱ってくる屍に、夜香は太陽の下でも通じる晴れやかな微笑を刻むのだった。

「たまたま私と屍さんの行く先が重なった、そういう偶然です。一度だけでは済みそうにありませんね。それと屍さん」

「ん?」

「もし私が、いえ私でなくても、貴方と同道したものが傷ついた時、貴方を最も苛むのはその誰かの家族でも恋人でも友人でもありません。貴方自身です。あまり長いといえるお付き合いではありませんが、私は、貴方はそういう方だと思っていますよ」

 しばし屍は口を閉ざし、やがて告げたのは一言であった。

「好きにしろ」

 夜香の浮かべた表情は闇に切り取られて読み取ることはできなかった。

 そして、冬木市の取るに足らない廃ビルに今夜、今正に“凍らせ屋”屍刑四郎と“戸山吸血団首領”夜香の、“魔界都市<新宿>”でも白い医師と黒衣のせんべい屋のコンビに次ぐ、第二の最強、いや最凶コンビが結成されたのだった。

 魔銃ドラムの咆哮は、ジルガの秘技は、凍らせ屋の存在はこの街に何をもたらす?
 
 魔気功の秘術は、吸血鬼の魔性の力は、夜の一族の長の存在は、この街にいかなる色の血の雨を降らす?

 冬木の夜に、怯えたように凍えた風が吹いた。

続く
ライダー弱すぎるかな? 魔眼使えたっけ? 戦闘能力の比較を間違えていないかな? などいろいろと頭を悩ましてかいた記憶があります。



[11325] その22 凍らせ屋 × Fate ④
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/06/25 20:01
その22 『凍らせ屋Ⅳ』

 夜だ。月のさやけき晩。落日を迎えた、闇の帳が下りた世界。人は昼も夜も生きる。けれど世界に生きているのは人だけではない。夜にのみ生きる生命もまた、今静かにその息吹をゆっくりと刻み始めていた。人の知らぬ暗闇の奥で。
ふと天上を見上げれば、輝く光が目に痛いほど美しい月を認める事が出来る。そして何の気は無しに月を見上げた人々は、金細工の様に輝く月を背にする、いくつかの小さな影を従えた漆黒に塗り潰された人影を目撃しただろう。
 更にはその人影の背から生えた、優雅に羽ばたく巨大な翼を。その人影が浮かべた、不思議と澄んだ笑みも。地を這う人間を、憐れんでいるような、慈しんでいる様な。ひょっとしたら、神様はこんな顔で人間を見ているのかもしれない。

 鬼哭――鬼の哭く声。その夜、秋の晩に響く恐怖に満ちた声は、果たして如何なる魑魅魍魎のモノであったか。

 ひどく足取りの軽い、上機嫌そうな少年がいた。波打つ髪と、少し垂れた目を持つ整った顔立ちは、話術と性格に問題さえなければ女遊びには困ることはないと思える。高校生か、大きく見積もっても二十歳に届いているとは思えない。誰かとつるむでもなく、一人きりで通りを歩いている。
 月の輝く晩、人の心は浮き立つ。熱に浮かされるかのように月光に踊らされる。紗を通したかのように透き通った光の中には、魔性の成分が秘められているのかもしれない。
 少年は軽やかな足取りのままで通りを外れて、狭苦しい路地の一つに入った。居酒屋やカラオケボックス等が入った建物の間の、幅二メートル弱、奥行きは二十メートルほどの路地だ。据えた臭いが立ち込めている。上を見上げれば岩の塊とは信じられない、月の美しさを楽しめる。星明りは人の灯した電飾の明かりに飲まれて見ることは叶わない。
 人が排泄した文明の垢を溜め込んだ場所と言えるかもしれない。背後を振り返れば通りを行き交う人々を見ることが出来るし、呼び込みの声も聞える。酒に任せた無責任な罵詈雑言や諍いの喧騒も。それがひどく遠い。たった数歩入り込んだだけで、そこはもう別の世界だった。それも冷たい世界。
 目に見えて違うのに、見ることの出来ない境界線を引かれた二つの世界。どちらも人が作り出した夜が孕んだ矛盾の世界。
 少年―――間桐慎二は、不意に、足を止めて周囲を見回した。どうして自分がここにいるのか分からない、と表情が物語っている。夢遊病者が、寝床に戻る前に目を覚ましたら同じ様な顔をするだろうか。若干の困惑を拭う暇は、慎二には与えられなかった。
 キィっというか細い鳴き声が幾つも聞えてきたのだ。バサバサという羽ばたく音と共に。薄暗い奥の闇の一角に、小さな影たちは溶け込んでいった。

「蝙蝠? 何でこんな場所に……」

 そういぶかしむ事が出来たのはわずかな間だけだった。何かが、夜が産み落とした闇の塊から、吹き付けてくる。暖冬の空気を裂いて、慎二の心も体も侵略する何かが、ゆっくりと。まるで意思ある生物の様に。
 見る見る体温が低下し、思考は鈍り、精神は磨耗する。それが今の慎二だった。闇の奥から、慎二に吹き付ける何かの主が姿を見せた。青白い陶器のような肌と、血を刷いたかの様な唇がひどく鮮やかなのに、夜の闇に溶け込んで仕舞いそうな、そんな青年だった。
 口元に浮かぶのはアルカイックスマイルだろう。菩薩像の浮かべるそれに遜色劣らない、あるか無きかの微笑である。それがひどく恐ろしい。おぞましかった。この時の慎二の心境は、陵辱を待つ処女のそれに等しいかったかも知れない。
 東洋風の顔立ちに、貴公子の品格を漂わせる青年が、あくまで穏やかに口を開いた。紡がれる言葉は静けさに満ちていた。夜の静寂を言葉にすることが出来たら、こうなるのではないか。

「あまり、サーヴァントの信望は得られていないようだ。マスターいじめはそこまでにされては?」

「……弱いものいじめをしているつもりはありませんが。元凶は貴方ですし」

 慎二をいじめる事は、弱いものいじめと認識されているらしい。

「その節は、お手間をお掛けしました。ライダー」

 最上礼を取った青年は夜香だ。慇懃無礼と皮肉を含んだ言葉だが、そのくせ不快さを抱かせぬ気品に満ちている。五千年の歴史、いや、この星と等しい年月を重ねた一族に、連綿と紡がれた血と品のなせる技だろうか。人などと言う生き物ではこの境地に辿り着くのに、どれだけ時間がかかる事か。ま、人間には人間の良い所がある。
 ライダー。過日、夜香を灰にしたサーヴァントの女が、慎二の前に立っていた。長身とたなびく芸術品の如き髪、女性の理想像の一つと言えるプロポーションは変わらずだ。手に携えた鎖付きの杭の威力もだろう。

「灰から蘇る吸血鬼、ですか。少々打つ手に困りますね」

「素直な方だ。では一つだけ」

 アルカイックスマイルがわずかに深まり、ささやかな微笑に変わる。いたずらっぽく右の人差し指を立てている。ロンドン仕込みの遊び心か? 目を覆い隠す眼帯の奥で、ライダーは不可解な色を瞳に浮かべていただろう。

「?」

「吸血鬼の心の臓を打つならば、木の杭でされた方がよろしい。白木か、トネリコ辺りがよく効きます。洋の東西を問わずに。中には灰を川に流した上で燃やさなければ、滅ぼす事の出来ない者もいますが」

 吸血鬼が吸血鬼の弱点を語るという珍事だが、夜香が述べたのは一般にも知れ渡っている事だ。普通の人でも、書籍かネットで調べれば容易く知りえる情報に過ぎない。とはいえ、やはり吸血鬼自身が、自らを滅ぼす方法を語ると言うのは奇異な事ではある。

「あいにく用意はしていませんよ」

「では次回に活かして下さい」

「その次を与える気は無さそうですが?」

「ご明察」

 夜香は翼を広げずに、閉まったまま笑みを浮かべていた。夜の覇王たる吸血鬼の長であるこの青年は、静かにライダーの挙動を見守っている。
 ここでようやく、ライダーの背に庇われていた慎二が正気を取り戻した。どっと噴出す冷や汗は、目の前の青年の正体の危険性を理性が認識した証拠だろう。一歩後じさり、ライダーに怒涛の如く言葉を投げかけ出した。

「なな、何なんだよライダー、コイツは!? 気が付いたら理由のわからない場所に居るし、お前、何してたんだよ!?」

「自分の意志で歩いているように見えたものですから。それと、彼は弥甲。先日お話しましたが?」

 機械的な、感情を含まぬライダーの声だった。淡々とした物言いは、慎二に対する好悪の感情を測るのは難しい。あまり好意的では無さそうだけれど。
ビクリと、慎二の肩が跳ねた。

「きゅ、吸血鬼?! お、お前倒したって言ってたじゃないか」

「お初にお目にかかります。マキリのマスター殿。聖杯戦争は、古きより大陸に居る一族の耳に届いておりました。此度の聖杯戦争、多少の縁の不思議により、私も関わらせていただきます」

 激しい動揺を露わにする慎二の精神が、氷水を浴びせられたかのように萎縮した、夜香の挨拶だった。夜香の目に感情の色は見えない。もとより人間とは異なる倫理・道徳体系を持つ生物の親玉だ。人間とは付き合いが深いから、人間の思考形態や社会の構成には多少の理解を示すが、理解しきれない部分も互いにあるだろう。
 夜香の目は、慎二が、少なくとも現時点では感情を抱く価値が無い、と言っていた。

「野講。もうひとつ質問です。シンジは、ここまで自分の意志で歩いてきたように見えましたが、何か術でも仕掛けましたか? 私の目を欺くとは」

「月が一際美しい晩には、“誘い道”が敷かれます。夜の一族は、貴方や人間よりもその道に詳しいという事です。後は、そこの彼が“誘い道”に来るよう、私の下僕たちに協力してもらいました」

 キイ、と一斉に辺りから蝙蝠の鳴き声が聞えてきた。その声に、また慎二はビクリと震え、おっかなびっくり周囲を見回した。蝙蝠の姿は漆黒の闇に溶けて、見る事は出来なかった。
 夜香の下僕である吸血蝙蝠たちの発した、人間には可聴できない超音波で、“誘い道”に誘導したのだ。流石に、ライダーといえども気付くのは困難だったことが、今の状況を作り出している。
 慎二を振り返るような気配を一つ零してから、ライダーが背後の主に声をかけた。冷淡とも言える響きだ。

「シンジ。今すぐに逃げ出してください。屋敷に戻ればゾウケンが保護してくれるでしょう」

「な、何言ってんだよお前!?」

「的確な状況判断と言って欲しいですね」

 わずかに重心をずらし、杭を持つ手に力を込めて、ライダーが腰を落とした。夜香が一歩、前に出る。魔気功にしろ棒手裏剣にしろ、避けがたい場所だ。

「ご随意に。ただ、その前に、私は“夜香”です。野講でも弥甲でもありません」

「これは失礼……ヤコウ?」

 ちょっと口をモゴモゴさせてから喋ったライダーの発音に、一応の及第点を夜行は着けた様だ。

「よろしい。それと、今夜は戦う必要は無いかと思いますよ」

「どういう意味です? トラップ? それとも挑発ですか?」

「いえ。そうではありませんよ。貴方が一人きりではないように、私も一人きりではないと言う事です。私は吸血鬼、血を吸えば同胞を増やすことが出来ます。……ならば?」

「ッシンジ!」 

「あ……?」

 路地の入り口に、一つの影があった。慎二の背後に立ち、通せんぼをしている。じっと俯き、生きているとは思えぬような、暗く冷たい印象を与える。夜香に血を吸われた下僕だろう。

「何でお前がここに居るんだよ……?」

「……」

 俯いたまま、人影が慎二に近付き始める。長い黒髪を、左側で纏めたリボンの他は、ピンクのカーディガンに、薄いクリーム色のロングスカートと、十代半ば頃にしては地味なものを選んでいた。
 垂れた前髪と薄暗い明かりに隠された顔立ちはよく見えぬが、豊かな胸や、悩ましいからだの肉付きと相まって、青々しい魅力よりも、年頃の男なら放っては置けぬ色香がある。
 慎二は、驚きに目を見張ったまま立ち尽くしている。ライダーもまた。

「おい、何でここにいるって聞いてるんだよ! 答えろよ、桜ぁ!?」

 ひたと、桜と呼ばれた少女の影が止まった。何気ない、音さえも無い仕草だった。よく見れば、地に落ちた影はひどく薄い。俯いたまま立ち止まった桜は、まるで四方から押し潰され、縮小しているような印象を与える娘だった。
 ゆっくりと、桜が天上の女神が降らせる月の光に、その白く儚い容貌を露にした。心からの、晴れやかな笑みを浮かべて。そして一言、

「兄さん」

 と言った。零れたと息が氷に変わるような、冷たい息吹で、優しく。そして、慎二の首に桜の両手が回された。慈しみに満ちた、優しい仕草だった。慎二は動けない。ライダーは動かない。夜香は、あるか無きかの笑みをそのままに。

「兄さん」

 桜がもう一度、悶えている様な、震える声で囁いた。
 ああ、慎二は知っている。この少女の肌の柔らかさを、シャンプーの香りのはずなのに、ひどく甘い髪の香りを。与えられる刺激に喘ぐ声と表情の悩ましさと、意図せずに雄を刺激する、瞳に浮かぶ嗜虐の色。触れる手をしっとりと跳ね返す肉の弾力とぬくもりを。
 でも、それが、今は。水の様に透き通った肌の冷たさ。耳に吹き掛けられる吐息の冷気。赤く変色し、爛々と輝いているその瞳。ああ、そして、桜色から血の色に変わった唇から零れる二本の牙。そして、墓土に塗れた死人のような、“死”の、腐臭。
 ぷつりと音を立て、首筋に食い込む二つの刺激を感じながら、抗う術を持たぬ慎二は、静かに意識を手放した。
 表す言葉が思いつかない快楽と激痛の渦の中で、慎二は幾つかの事を悟った。桜に、世界から孤立しているような、責め続けられているような少女に降りかかってきた絶望と悲しみが、少しばかり自分にも降りかかってきたのだと。桜が、少しばかり心を自由にしたのだと。

“僕に妹が出来るんだ!”

 無邪気に喜べたあの頃に、少しだけ、こうされる事で戻れるかもしれないと、ぼんやりと思った。
 動けぬのか動かぬか、ライダーは呆然と二人の行為を見続け、夜香は、やはり静かに笑みを浮かべているままであった。



 同刻か、あるいはその前後。やはり夜の時、屍刑四郎は、そこにいた。豪奢と言える洋館の前である。白く月に輝く洋館を見つめるか屍の眼は、しかし穏やかとはいえぬ光を秘めていた。シルク地のコートに貼り付けられた花が、風に花弁を揺らすことさえも躊躇うような、凶悪な何かを押さえつけている。
 そのくせ、屍の体からは常以上の殺気も威圧感も、尋常ではない存在感も無い。だから、コレが変わった時が、どれほど恐ろしい事に成るか。それこそを恐れねばなるまい。
 「間桐」の姓を持つ一族が住まう洋館に、屍は足を踏み入れる為に、今ここにいるのだ。常識的にチャイムを鳴らし、屍が応対を待った。ここら辺の行動は案外普通だ。
 奇襲するつもりなら、光学迷彩を施したカメレオンスーツや、監視装置を無効化するボールペン型の妨害装置、世界中の呪術や魔道の知識を凝らした護符もあるが、屍はこういう類のモノはあまり使わない。魔銃ドラム一丁あれば、いや、その身一つ、四肢がもげていても戦いの場にこの男は赴くだろう。警察官の使命を果たす、ただそれだけの為に。
 やがて、返事は来た。

「どなたかな?」

 枯れ切った古木、磨り減った巨石、砂塵しか見えぬ砂漠、底をさらす湖。もはや終わった何かを思わせる異様な声だった。なのに、精気に満ちている。妄執、怨念の領域に達した人間の願望を備えた声。人間の心から始まり、人間の心では無くなった外道の声だ。<新宿>では馴染み深い声だ。

「<新宿警察>殺人課の屍刑四郎です。二,三、お話をお聞かせ願えないでしょうか? 間桐臓硯さん?」

「かっかっか、これはこれは。闇男爵と倫敦の魔道士たちとの戦いは、隠居したこの身も聞き及んでおりますぞ。ミスター・スパイン・チラー」

「お恥ずかしい限りです。それで?」

「ふむ。生憎と孫二人がおらぬで、禄に茶も淹れられぬ爺しかおらぬが、よろしいかな?」

「十分です」

 かくて、間桐の老爺と、凍らせ屋は対面した。戸籍上は既に鬼籍に入ったはずの老人と、魔界都市の法の番人とが。扉を開いた屍を迎えたのは、腰の曲がった老爺だ。
 声が抱かせるイメージ通りの枯れきった肌に、一本の頭髪も無く、顔中に皺のよった姿。着物の重さにも耐え切れないのでは、そう思ってしまうほどに、覗く手足や首も細い。そして屍の鼻をくすぐる臭い。
 だが、聞えてきた声の通りに、その目には禍々しさと、純粋な目的に対する決意の光がある。道を踏み外してでも願いを叶える。たとえ願いを忘れ果てても。屍の腹くらいまでしかない臓硯老は、屍を先導し居間に通した。

「さて、茶葉はどこにあったかの?」

「お構いなく。それよりもお話をお聞かせ願えますか?」

 好々爺然と、台所に向かおうとする臓硯老人を、屍の声が止めた。既に胡乱気な響きを秘めた、鋼の拘束力に等しい声だ。屍の声に含むモノを理解した臓硯は、ふむ、と一つ頷いて、手に杖を持ったまま席に戻った。

「腹を割って話をさせて頂きます。“聖杯戦争”、この地で二百年程昔から行われている魔術的な儀式だそうで。今回で五回目。その聖杯戦争の創始者の一人が、臓硯さんだそうですね?」

「カカカ、よくお調べなすった。そういえばヌーレンブルクの妹御は、姉と違って金で融通が利くそうな。そこら辺が情報源ですかな? とはいえワシも年でしてな。昔の事はトンと思い出せぬ不始末。あまりお話できる事はありませぬぞ?」

「いえ、聖杯戦争の成り立ちにも多少の興味はありますが、私の担当は今起きている事件ですので。不躾ですが、臓硯さんは既に齢数百年を超えるそうですね。長生きの秘訣をお教え願えませんかね」

「まだお若いと言うのに、長生きを願っていらっしゃるのかな。ならばまずは<新宿>を出なされ。例え紛争地域にしろ、今のこの街にしろ、あの街に比べれば万倍も安全に満ちておりますぞ。かの魔都よりも」

「お答え願えませんか。では私の方で勝手ながら調べさせていただいた事を、話させていただきましょう。まず、“間桐”、マキリの語意を隠すものだそうですね。元は渡来の魔術師だとか。属性は“略奪”と“蟲”。ほかにも持っていらっしゃるかもしれませんが詳しいことは流石に魔道士としてのモラルからか、情報源も教えてはくれませんでしたが。
 さて、ここからは多少推論が混じりますが……魔術士の考え方にはこういったものがあるそうですね。“手元に無いならば他所からもって来れば良い”。肉体が朽ち始めたならば、健康で若い他人の肉体で欠損を埋めればそれで済む。蟲を用いた人体改造、略奪を応用すれば十分に可能だと、知り合いの吸血鬼が教えてくれましたよ。六代前の魔術師であるマキリゾウケンは、もはや人ではないとも」

「……ふむ。なかなかに面白い話じゃが、残念ながら身に覚えはありませんな。証拠がおありかな?」

 ここで屍は一つ苦笑を漏らした。臓硯の指摘通りだからだ。証拠は無い。それでも屍は続けた。

「これから証人に話を聞く所でして」

 失礼、と一つ断ってから、屍が左手首に巻いた時計に耳を寄せた。時計に扮した多機能モジュールだ。超小型のレーザー発信機や、ナノワイヤーを用いたノコにもなるし、三次元レーダーやキルリアン感知器、他にもジャミング機能、生体オーラ感知器も搭載している。今は携帯電話代わりだ。
 耳を寄せたまま、屍がじろりと臓硯を見た。相手の話が肝を捕らえたようだ。耳から左手を離して、屍は再び臓硯老と相対した。

「唐突ですが、地下室を拝見できますかな。臓硯さん」

「ほう、これはまた唐突なお願いじゃな」

「ええ、先ほど善意の協力者から、興味深い話が届いたばかりでして。……間桐臓硯、ギルティ(有罪)だ」

 凍てつく。空気が。何故? 屍から噴出すソレに。椅子に座ったまま周囲の景色が歪むほどの重圧を滲ませる屍に、臓硯は威圧された風もなく、変わらぬ声で答えた。声はともかく、喋り方は好々爺そのものだ。

「カカカ、せっかちな方じゃ」

「どっちがだ」

 椅子に座したままの、屍の腹から火が噴いた。ボンと臓硯は破裂する。右手に何時の間にか抜き放った超規格外リボルバー“ドラム”を構えたまま、屍は舌打ちを零した。破裂した臓硯は、人体のピンク色の臓物ではなく、奇怪な蟲を撒き散らしていた。蟲を用いての身代わりか。
 屍は立ち上がって、足元に撒き散らされた蟲を一匹踏み潰した。既に彼は、一般人には優しい刑事ではなく、犯罪者を退治する魔界刑事であった。その屍の周囲を幾つも気配が包囲し始めていた。いや、始めたと言うのは適切な言い方ではない。ソレらは屍が来る前からそこに居たのだから。

「毒虫横丁よろしくだな」

 屍の残る右目が、巨大な氷山のように冷たく圧倒的な威圧感を滲ませ出していた。カチリと右手のドラムが、音を立てる。先程の咆哮は今だこの洋館を震わせている。消音をする気はないらしい。
 次の瞬間洋風に揃えられた調度品の陰から、見えぬ床の下から、天井の奥から、黒い雨が降り注ぎ屍の足元までを埋め尽くさんと迫る。黒い雨から黒い津波へ、それは蟲の群れであった。数百、数千それ以上の蟲が、種類を問わず屍目掛けて迫っている。
 一つの意思に統制されたそれは、個々に意思を備えた生物から、群体へと変わり屍の血と肉を求めて、感情の写らぬ瞳を輝かせガチガチと顎を鳴らしていた。
 対して屍は、ニィッと凄絶な笑みを浮かべるのだった。



 ずずんっと重い響きが天井を揺らした。四方を全て暗闇で押し固めた場所である。先は見通せない。穴が無数に開いた壁があり、おそらくは蟲の巣くう場所であろうと推測できる。屍の言った地下室だろう。
 わだかまる闇、塞ぐ暗黒。いずれも人が安らぎを感じる類ではなかった。身を浸せば細胞の一つ一つから腐り出すような、悪意を重ねた不快なモノが澱を重ねて空間を侵している。それがマキリの歴史か、あるいは臓硯の願いに対する執念が作り出したのか。
 銃声だけで人が殺せそうなドラムの咆哮が、幾つも重なるのを臓硯は認めた。地下室の、更に闇の濃い一角であった。常人ではそこに足を踏み入れるだけで精神を病みそうだ。だが、臓硯はむしろ活き活きとしていると見えなくもない。周囲には屍が嗅いだ腐敗した死臭が漂っている。

「大人しく、可愛い虫たちの餌にはなってくれぬようじゃな。老骨には応えるわ。カカカカ」

 哄笑を零す臓硯の口内は、底の見えない奈落を思わせた。その奈落の底には、臓硯の妄執に、贄として供された人々の恐怖と救いを求める声が、幾重にも重なって反響しているのではないか。
 それから、不意に、いや意図した仕草で地下室への入り口を見上げた。臓硯の背筋をスパインさせるべく、魔界都市の魔人が現れようとしている所だった。前触れも無く、洋館へと繋がる階段から、灼熱の奔流が流れ込んできた。たちまち階段と周囲の空気が焼け、オレンジ色の炎が数瞬辺りを照らす。
 ドラムでぶち込んだHEAT弾だろう。凹凸上のライナー部から六千~二万度まで、ジェットスクリームが対称に襲い掛かる。温度は弾頭によって調節できる。階段が蒸発していない事から、一万度には届いていないだろう。
 寸前に装甲スプレーでも吹き付けたのか、HEAT弾の名残である灼熱の空気をものともせず屍が悠々と階段を一歩一歩、踏みしめて下りてくる。三千度まで耐える耐熱処理を始め、その他もろもろの処理が施されたコートはともかく、屍の肺や内臓は焼け爛れていてもおかしくはないというのに。
 右手にドラムを下げた屍は、あれだけの蟲を相手にどう立ち回ったのか、あちこちに浅い噛み傷を拵えただけで臓硯の前に立った。銀の滑車が付けられた黒革のハーフブーツが、こつりと音を立てた。それ以外は静寂であった。周囲の暗闇に、目を向けることさえもしない。

「なかなか骨が折れたぞ」

 屍の声音からは、もはや“凍らせ屋”以外の成分を抽出することは出来そうにない。撃鉄を上げたドラムの、黒い銃口を臓硯に向ける。屍の人差し指が振り子運動をすれば、装弾数不明――最低でも十五発以上――の弾が、一秒以内に全て臓硯に叩き込まれる。

「ひどい事をなさる刑事さんじゃ。丹精込めて育てたワシの蟲達が随分と死んでしまった」

「てめえが殺した人達からすれば、まだ殺しても恨みは晴らしきれないだろうさ」

「お前さんもその被害者に加わってもらおうかの」

 闇が姿を変えた。成人男性の性器を模したような、吐き気のする醜悪な蟲共だ。数は分からない。ただ屍の視界全てを埋め尽くし、おそらくは背後も上も覆い尽くしているだろう。蟲の群れが屍の全身を覆い、臓硯の視界からさえぎった瞬簡に、光が溢れた。小型の太陽を思わせる、強烈な光だった。

「おお!?」

 驚きの声を挙げる臓硯に向かい、光の中から強靭な男の影が飛び出す。屍だ。装甲スプレーとコートで防ぎきれる威力の花を投じ、自分ごと蟲を焼き払ったのだろう。消し炭に変わる蟲達の中を突っ切り、ドラムから雄々しくフレアが吹く。臓硯の前に、床から盛り上がった蟲の壁が屹立し、ドラムの巨弾に容易く散らされる。
 吹き飛ばした壁の先に臓硯の姿は無く、屍がすかさず周囲の気配を捜索し、

「ちっ」

 と舌打ちを漏らした。蟲ばかりの気配が、臓硯の気配を隠している。木を隠すなら森の中か。おそらく臓硯自身肉体を少なからず蟲で構成しているのかもしれない。足を止め、周囲に目を光らす屍の足元が、膨れ上がった。床さえも蟲で形作られていたか。
 ぐにゃりと生生しい感触を靴底に感じつつ、屍は垂直に二メートル飛んだ。下と真上、上下に襲い来る蟲達にドラムを叩き込む。屍の腕が二本に増えたかのような、神速のクイックシュートだ。シリンダーは火を噴いて回転している。あまりにも早い連射に、火薬の燃焼速度が追いつかないのだ。
 膨れ上がる火球を眼下に納め、屍が左手で毟り取った花をサイドスローで次々に投げた。とりあえず手当たり次第に破壊するつもりらしい。洋館が崩れぬようには心を配ってはいる。
 幾重にも折り重なる火炎の花は、大輪に咲き誇って暗い蟲の倉を無慈悲に焼きつくさんと猛る。暗黒を裂いて溢れ返るオレンジ色のフレアが、屍の目をもってしても見通すことが難しかった地下室を照らし出した。しかし臓硯の姿は見えない。
 逃げたか――? 否、知性を持った生物特有の、無駄のある殺意が、色濃く地下室に残留している。蟲達に紛れて、屍の一挙手一投足を見守っているのだろう。あちこちが超高温で焼き尽くされ、溶解し、クレーター状に抉れているが、それでもまだ蟲の数は、百、千の単位を維持している。
 丁度、地下室の中央辺りに着地し、焦りの色を浮かべもせずに、屍はこう、ごちた。

「ラチがあかんな」

 そう言うと、空いている左手をコートの内側にもぞもぞとやり、一センチくらいのカプセルを取り出した。念のために持ってきたが、役に立つとは、そんな感慨がわずかに浮かぶ。それも、全方位から迫り来る蟲達の、体がこすれあう粘着性のある音がかき消す。本の一瞬聞いただけで身の毛がよだつような、気色の悪さに溢れかえった音だ。
 屍は振り返りもせず、――といっても振り返った所で全方位を囲まれているのだが――左手のカプセルを爪で引っかいてから四方に撒いた。たちまちカプセル内部に収められた液体が気体へと変わり、無色無臭の牙を剥く。
 途端に、屍目掛けて群がりつつあった蟲共が、あっという間に消失してゆく。いや、正確には、目に写らぬ微細な菌によって食べられているのだ。<新宿警察>装備課の、対生物兵器開発班自慢の一品“食肉菌”が、猛悪な飢えを満たすべく目下咀嚼中なのだ。
 たちまち消しゴムでもかけたかのように、蟲達の群れに空隙が生まれて、その領土を広げてゆく。食肉菌の寿命は五分ほどだが、三分もあれば蟲を全滅させるのには十分だろう。

「呆気ないもんだな」

 バイオかケミカルか、最新技術の効果に、屍はやれやれと嘆息した。最初からコレを使えばドラムで無駄弾を撃たずに済んだわけだ。ほとんどの蟲が食い尽くされ、汚醜な生命の息吹が、途絶えた時、地上へと繋がる階段の端に、一つの塊が伏していた。臓硯だ。
 食肉菌の猛威に曝されて、ただでさえ骨と皮ばかりと見えた姿は、あちこちから白い骨が覗いている。右の眼窩は食い尽くされたのか、黒々とした空洞が覗いていた。息も荒く、時折、食い破られた着物からボトリボトリと蟲達が滴り落ちる。醜悪かつ無惨なその姿を、屍は憐れみの一片とて伺えぬ瞳で見ていた。
 もし、万に一つもありえぬが、臓硯を庇う者がいても、そいつを無視して臓硯の息の根を止めるだろう。あるいは逆に問うだろうか? そいつを生かす理由があるのか、と。いや、やはりそのような言葉遊びに興じる精神は持ち合わせてはいまい。この男は。
 撃鉄を上げ、ドラムを臓硯の眉間にピタリとあわせる。引き金を引かぬ道理も理由も無い。何を言うでもなく、抗命の姿勢も、命乞いの言葉も無い。屍の直感が、何か違和感めいたものを伝えた。こいつ、死を恐れていない? いた、死ぬとは思っていない、か?
 疑惑が核心に近付いた時、階段を下りてくる二つの気配を、屍が知覚した。コツコツと音を立てて、少女と少年が姿を見せた。丁度、臓硯と屍を見下ろす形で。

「間桐慎二に、間桐桜か」

 脳細胞から掘り起こした記憶に照らし合わせ、義理みたいな言い方で屍が二人の人影の正体を当てた。それから背後を振り返り、

「ご苦労だな。夜香」

「全くで」

 からかうような返事が、背後の暗闇から帰ってきた。ほとんど死んだも同然の臓硯さえも驚く様子を示した。何時の間に? この一言に尽きる。
 慎二と桜は、二人そろってゆっくりと臓硯に歩み寄っていた。

「おい」
 
 と屍が夜香に問いただすようにきつい声音で問いかけた。何を問いかけたのかは――

「あの二人の好きな様に。共に被害者です。復讐も許すも彼らにありです。もっとも慎二は加害者でもありますが」

 みずからに歩み寄る孫二人の姿に気付いた臓硯が、その欠損した怪異な風貌に理解の波を浮かべ、瞬く間にそれを恐怖へと変える。慎二と桜から漂ってくる墓土に塗れた死人の臭い。

「お爺様」

 桜が口を開いた。不思議と優しい、心安らぐような声音だった。

「お爺様」

 慎二が口を開いた。声に満ちる慈愛は、まなざしにも暖かい光となって宿っている。

「……寄るな。来るでない」 

 何をそんなに恐れているのか、そんな顔を、一瞬だけ桜と慎二は浮かべた。後ずさりしようとした臓硯の右腕が崩れた。ボタボタと蟲が溢れ、ビチビチと跳ねる。

「桜……お前!?」

「ああ、お爺様。私の中の蟲ですか? あの子達なら夜香様が全て取り払ってくれました。この体って素敵ですね。肉を裂いて血が零れても、あっという間に治ってしまうんですから。痛みでさえも快楽に変わってしまうんですよ? 零れた血のぬくもりを感じながら、肉が新たに生まれて神経と神経が繋がるあの感触……。それにしても私の中にあんなに蟲がいたなんて。少し驚いちゃいました」

 うふふ、とささやかな笑い声を零して、桜がそっと臓硯の左側に寄り添った。祖父を気遣う孫娘以外の何者でもない姿だ。あくまでも優しく桜は臓硯に手を添える。慎二は意思の無い人形のように桜につき従っていた。

「でも心臓にいる蟲だけは取り除けなかったそうです。私みたいななり立てじゃあ、心臓を抉られたら一日も持たないからって。でも、蟲を眠らせることは出来ました。きっとお爺様はいざとなったら私を乗っ取るつもりでいらしたのね。でも今は無理、この体なら、心臓の蟲も血肉の一部として同化することも出来ます。血は繋がっていないけど、孫にするにはあんまりじゃありませんか?」

「よせよ、桜。お爺様だって必死だったのさ。僕の代でマキリは魔術師としては終わってしまったんだし」

「まあ、兄さんがそんなことを言うんですか? 私にあんなことをして置いて」

「いや、そりゃあ、その……」

 以前とは違い、被虐的ではあるが明るい調子で、慎二と桜は言葉を交わしていた。なのに、そこにあるのは人には理解しえぬ暗黒の感情であり、桜と慎二が言葉を交わすたびに色濃く渦巻いてゆく。事実、彼は今や人ではなかった。

「でも良いんです。今はもう。お爺様、今の私は年も取りませんし、大抵の傷も直ぐに治っちゃいます。そんな体なんです。だから、ようやく分かりました。お爺様は死なない事、老いないことを求めた理由が。こうなる為なら、他所の子供を養子にして、あんな事だって出来ちゃいますよね?」

 桜の手がそっと臓硯の胸に当てられた。慎二の手が臓硯の首に添えられた。あくまで優しく。

「お爺様」

「お爺様」

 桜が囁く。慎二がつぶやく。

「よせ、止めろ。ワシは!?」

「「お爺様」」

 桜と慎二が唱和した。



 ボーン、ボーンと、壁にかけられた古時計が時を告げた。屍は、臓硯に通された居間で、夜香と対峙していた。ライダーも同席している。桜と慎二は、夜香の命で眠りに付き、今はソファと椅子でうとうとと眠っている。少なくともその寝顔からは年相応の、可憐さしか伺えない。慎二もぐっすりと寝入っている。
 それをチラッと見てから、屍は夜香の、貴公子然とした顔を睨み付けた。

「トンブが手違いで死人を蘇らせた時と同じ手だな」

「個性を活かそうかと思いまして」 

 慎二と桜を吸血鬼にした事についてである。臓硯と見えた時は姿を隠していた(単に上にいただけだが)ライダーが、重く口を開いた。

「サクラをあの蟲怪から救ってくれた事には感謝します。ですが、ほかに方法は無かったのですか?」

 屍は口を挟まず、ライダーを一瞥してから夜香に目を移した。

「心配には及びません。明日にでも元に戻れるよう噛みました。慎二も同じです。私が桜さんにそう命じておきました。とはいえ蟲を強引に取り除いたわけですから、後遺症がないか確認できるまでは、あの体のほうが都合がよろしいかと」

「そう、ですか」

 ほっと、ライダーが豊かな胸を撫で下ろした。どうも、ライダーのマスターは慎二ではなく桜であったらしい。桜の令呪を、本の形に変えて慎二に譲渡することで、慎二はマスター足りえていたらしい。その本は、今は夜香の手の中だ。一応、ライダーの仮マスターと言うことになる。

「こういう時は、やはりあの方に頼るのがよろしいかと思いますが? 夜の一族の治療方法もご存知ですし、あの病院には我が一族のものも勤めております。患者であれば差別をなさるような方でもありません」

「だな。もう連絡しておいた。<新宿>から三十分もあれば来るか」

「ジェットヘリよりも早いですが、あの方はどうでしょう?」

「?」

 ライダーだけが仲間はずれな屍と夜香の会話であった。それから二人とも押し黙った。そうそう軽々と口に出来るような相手ではないらしい。この二人にそんな反応をさせる相手に、ライダーはひどく興味を覚えた。まあ、出会わないほうがライダーの為だろう。

「さて、と。夜香」

 ギロリと射殺すような目を夜香に向けた屍の声だった。聞くものが尽く背筋に氷水を流されたような悪寒に襲われる声。

「承知の上です。思い切りどうぞ」

 どうぞ、の『ぞ』を言い切る前に、夜香の顔面に屍の鉄拳が炸裂した。夜香はそのまま吹っ飛び、壁にたたき付けられて、盛大にひびが入り、漆喰がパラパラと剥がれ落ちる。ライダーは状況についていけないのか、無言だった。

「今までの社会的貢献を鑑み、これでチャラだ」

「……遠慮のない方だ。効きましたよ。鏡は見れませんね」

「鏡には写らんだろうが」

「そう、揚げ足をお取りにならずに」

 苦笑しながら夜香は立ち上がった。通常なら、即座に治癒する頬の傷も、屍の一撃はむざむざと跡を留めていた。分かりやすく言えば、夜香の左頬が陥没しているのだ。
 屍の鉄拳が炸裂した理由は、言うまでもあるまい。これまでの彼の行動を考えれば、夜香の打った手の何が、彼の逆鱗に触れたかは、容易に想像がつく。ライダーはおろおろと二人の顔を見回していた。なんとなく貧乏くじを引く人生の主かもしれない。

「うん?」

 と屍が玄関の方を向いた。

「十分。予想よりも大分早いですね」

「仕事熱心なことだ」

 しみじみとした感慨を、二人とも抱いているような声でだった。まさしく屍がうん? と言ったと同時に、間桐邸の前に、一台のリムジンが停まったのだ。その中に、内燃機関などという無粋なものを利用するとは、信じられないほど美しい白い医師を乗せて。

続かない。
ストックが尽きました。以前はここで打ち止めでしたね。あれか、改めてみると最低系二次SS臭い内容ですね。もっと上手く書けんもんかなあ。
当時臓硯の力量がようわからんという事で不安に苛まれながら書きましたが、あとで実は生存に手一杯でかなり弱いと耳にした時は、まじで!? と驚いたのも良い思い出です。



[11325] その24 からくり師蘭剣 × Fate
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/07/16 22:06
その24 からくり師蘭剣 × Fate

※ Fate/Zeroの小説発売以前に書いたもので、登場するキャラクタに一部矛盾があります。その事を踏まえたうえで読み進め下さい。

*お


「ちょっと良いですかい?」

「え? はい」

 赤い髪に平均的な日本人高校生の身長、2月になろうかという時節にしては高校の制服だけで防寒具を着ていない少年、衛宮士郎が声を掛けられたのはうららかな午後の日差しが指す、深山町商店街の通りの外れであった。振り向くと茶色のハンチングとコートを着た人影がある。低い鼻とひどく薄いつくりの口元だけが、深く被られたハンチングから覗いている。背中に深い紺色のデイパックを背負っていた。

「あの、何か?」

「ええ、ここら辺に柳洞寺ってお寺があると思うんですがね、道を教えてはもらえませんか?」

「ああ、それなら俺が案内しましょうか?」

 ちら、と腕時計を見て時間を確認する。今から案内して夕食の材料を買うとなると、少し遅くなるが、まぁ虎が吼えるだけで済む。ひどく怪しい風体の人物だが道を尋ねる態度は真摯なものだし。

「いやいや、そこまで煩わせるわけにゃ行きません。道だけ教えてもらえれば結構ですよ」

「俺のことなら気にしないでください。少し歩きますよ?」

 そう言って士郎が歩き出してから、男がヤレヤレというような仕草と共に

「今時珍しい親切な若者って奴かな?……それじゃお世話になりやす」

 と、前半の部分を聞えないように呟いて士郎の後に続いた。

 それからしばし、士郎の先導で柳洞寺のやたら長い石段の麓まで二人の道行きは続いた。男は特に口を開いたりすることは無かったが、士郎もそこは同じでひどく寡言な道行であった。もっとも不思議と沈黙のもたらす気まずさや、間の悪い雰囲気が無かったのが救いといえば救いであった。

「この石段の先が柳洞寺です。まぁこの石段が最後の難関だけど」

「ははっ仰る通りで。ここまで案内していただいて、ありがとうごぜえやす。学生さん、お名前はなんて仰るんで? あっしはランケンと申しやす。しがないからくり師でして」

「ランケンさん、ですか? 俺は衛宮士郎です。からくりってあのお茶を運ぶ人形とかの事ですか?」

「似たようなモンですね、あっしの一族の場合はもちっと古い技術を使ったからくりですが、機会があれば今度ご覧にいれやしょう。それじゃあ、あっしはこの先に用がありやすんで、士郎さんはお気をつけてお帰りになってくだせえ」

「ええ、それじゃあ俺は失礼します。ランケンさんもお気をつけて。ここの階段は辛いですよ」

 士郎がランケンに背を向けて歩き出してから、その背中が見えなくなるまで立ち尽くしていたランケンがポツリ、呟いた。

「衛宮士郎さん、か。体ん中に何やら厄介なもん、いやありゃもっと凄いものを入れているようだが……聖杯戦争の関係者か? おっといけねえ、あっしはあっしの仕事をしねえとな」

 ランケンがデイパックを背負いなおしてから、柳洞寺の長い石段をゆっくりと歩き出した。見るものが居たら、その挙動が人間というより人間に限りなく近い人形のようだと、看破したかもしれない。

 ランケンが柳洞寺の誰にも気付かれずに境内に消え入ってから、数日がたった。

 深更、草木も眠る丑三つ時と、古きこの国の人が称した時刻に士郎は冬木市を歩き回っていた。ただし一人ではない、傍らに思わず立ち止まって振り返るような美少女が共に居た。小柄な体を白いブラウスとロングスカート、黒のストッキングに編み上げのブーツで隠している。
 夜目にも燦然と輝くような金の髪は、本物の黄金を精錬し縒ったかのように繊細で可憐であった。ほの白く夜の闇に浮かび上がる肌は降りしきる雪のように、木目細やかでまるで傷付けてはならぬ掌中の玉の様。
 十半ばの顔立ちを輝かせる淡い桜の色を刷いた唇、芸術家が技の髄をこらして整えた鼻梁、双眸の瞳は翡翠色に輝き彼女の精神が常人では図る事の出来ない強さと、凛然とした気品を写している。
 とはいえ、如何にその瞳が清冽なものを輝かせていても、このような時刻に若い男女の二人連れともなれば、世の大人の九割がたは男女の関係を疑うだろう。有体に言えば不純異性交遊という奴だ。この二人の顔に浮かぶものを見なければ、だが。
 この平和なご時勢に似合わぬ、戦時に生きた人間の戦場の表情を少なくとも少女は浮かべているのだ。恋人と共に歩く喜びや羞恥、そういったものとは一切無縁の表情、もっとも士郎とそういう関係かどうかは分らないが。

「シロウ、気を付けてください。先程から何者かの気配が私達の後をつけてきています」

 その可憐ながらも威厳と気迫を纏う姿に相応しく、華の年頃の声に王者の気風を載せた、人の心の深い所を打つかのような声だ。ただし“シロウ”の発音は外国人らしく、若干訛がある。

「! サーヴァントか、セイバー」

「いえ、何と言えば良いのか……確かに人のようなのですが、人間であると確信が持てない。人に似た人で無い者、そんな感じです」

「分った。とりあえず、この先の工事現場まで誘ってみよう。途中で仕掛けてきても、今なら人気も無いから、誰かを巻き込んだりしないで済む」

「了解した。おそらく相手も私達が気付いたことに気付いているでしょう。シロウ、神経を集中して、まずは敵の一撃を避けることを念頭に置いてください。二撃目を放つ暇は私が与えはしない」

「ああ、できれば話し合いで済ませたいが……」

 そのまま二人が工事現場に入るまで、姿無き追跡者は何も仕掛けてくることは無かった。幸いというべきか否かは、目下判断するには早いだろう。工事現場の真ん中ほどで二人が同時に振り向き、セイバーと士郎が背中合わせになる。後ろからつけてきたとは限らない。

「出て来い。俺達がアンタに気付いているのは分っているんだろう!」

 士郎の声に応じたかどうかはともかく、工事現場の入り口からヒョッコリと電灯に照らされて姿を見せた。茶色のハンチングにコート、背に負ったデイパック。

「あっランケンさん?」

「知り合いですか?シロウ」

「こんばんは士郎さん。可愛いお嬢さんと一緒なモンで、つい老婆心を働かせちまいやした。若いってのは時々暴走しちまいやすからね、初めましてお嬢さん。あっしはランケン、からくり師でさぁ」

 ハンチングの端を抓んで挨拶代わりにするランケンに士郎は、何だ、というような安堵を示したが、セイバーの表情は険しい。そして放つ言葉にも苛烈な棘が含まれている。

「おためごかしは止めてもらおうか、からくり師。貴様からは人とは違う気配がする。それもひとつふたつではない。何者だ、聖杯戦争の関係者か? それともこの国の言葉で言う狐狸か魑魅魍魎の類か?」

「なっセイバー!?」

「セイバー? なるほど、聖杯戦争最優のサーヴァントを引き当てるたぁ、士郎さん運がいい」

 ランケンの言葉に士郎が一瞬驚くが、それもすぐにねじ伏せて若干の敵意と共にランケンを睨みつける。一方のランケンはハンチングで顔が隠れてどんな表情をしているのかは、窺い知れない。

「何が目的ですランケンさん。あんたもマスターなのか?」

「へぇ、実はこの地の聖杯に用がありやして。あ、それとあっしはマスターじゃありやせん。どこまでいってもからくり師、てのが一族の誇りと決まりってやつでして」

「愚かな。サーヴァント無しに、聖杯戦争に挑むなど」

「確かにセイバーさんの仰る通りなんですがね、あっしにも心強い味方がいるんですよ。ま、それは置いといてとりあえず士郎さん、あっしの話を聞いてはもらえませんか?」

 かすかに逡巡してから士郎が傍らのセイバーに視線で問う。セイバーは色々言いたそうだが、マスターの性格と行動の傾向を多少なりとも理解しているので、渋々顔には出さずに頷いて肯定する。

「どうもすいやせん。あっしの目的ってのはですね、聖杯の破壊なんですよ」

「「!!!」」

「実はここの聖杯を作るときにうちの一族がちょこっと手を貸しましてね、ちなみに御三家のどこにも記録は残っちゃいないでしょう。奥ゆかしいのが一族の特徴なもんで。別に聖杯を作るのに協力したのは構わなかったんですよ、十年前にあんなことにならなけりゃね」

「……あの、大災害のことか?」

 士郎がはやる動機を抑え、苦痛を堪えるように声を絞り出す。■■■士郎が衛宮士郎になるきっかけになったあの日。命以外の全てを奪ったあの紅蓮の、さながら煉獄の如き炎。

「その通りで。本来聖杯なんてもんはこの世にあっちゃならねえんですが、そこはからくり師の性ってやつで、腕を振るいたくなったんでしょうな、うちのご先祖は。“宝石の翁”の口添えもありやしたし、命を賭けるのも、あくまで魔術師とサーヴァントだけってんでよそ様に迷惑が掛からない筈でしたからね。まぁ実際ふたを開けてみりゃあ、手段を選ばずに戦う連中の多い事多い事。一般人の被害も馬鹿にならない上に聖杯の御三家の内、アインツベルンやマキリは回を重ねるごとに目的と手段が入れ替わっていく始末。遠坂家はうっかりのせいか、聖杯戦争のノウハウをいくらか失ってましたがね。で、止めに十年前の大災害ですよ、これ以上被害を広げる理由にゃいかねえってんで、はるばるあっしが冬木に来たってわけです」

「何故そのような話を我らにする、ランケン?」

「実はあの後暫らく聖杯戦争の様子を探ってたんですが、どうも士郎さんと遠坂の御当主は一般人に被害が広がるのを防いでるようじゃねえですかい。それでひょっとしたら協力してもらえるんじゃないかと思いましてね、こうやって声を掛けさせていただいたんですよ。士郎さん、聖杯の破壊協力してはもらえませんか? あっしのできる範囲で聖杯のかわりに願いをかなえる協力はさせていただきやす」

 ランケンは聖杯戦争を探っていたというから、士郎のサーヴァントがセイバーだというのも、本当は知っていたかもしれない。あるいは全てのサーヴァントの事も。士郎がセイバーと視線を交わしながら苦悩する。ランケンが言った通り士郎は聖杯戦争に巻き込まれる一般人が出ないよう、或いはすでに巻き込まれた人々を救うために聖杯戦争を戦っている。
 ならば元凶ともいえる聖杯の破壊を目的とするランケンとは、折り合いをつけることが出来る筈であった。ただ、セイバーのことが心にわだかまって残る。セイバーが切実に、おそらくはその身を捧げてでも聖杯を求めている事は既に知っている。ましてやそんなセイバーに何度命を救われた事か。無鉄砲な自分に付き合ってくれるこの剣騎士に、感謝の念を幾度抱いたことか。果たしてその信頼を、恩義を裏切ってよいのか。
 どこまでも苦悩の炎は深く熱く、士郎の心中を焼いてゆく。正義の味方を目指すものなら、セイバーの願いを犠牲にしてでも聖杯を破壊し、もうこれ以上聖杯戦争の犠牲者が出ないようにすべきではないのか? だが、その為にセイバーの積年の想いを犠牲にしてよいのか? そんな資格があるのか?

「シロウ……」

「士郎さん、別に答えは急いじゃいません。ですがあまり時間はありやせん、どうも今回はいやな予感がするんですよ。なるべく早く聖杯は破壊させてもらいやす。じゃ、あっしはこれで」

「待てランケン!」

「何ですセイバーさん?」

 背を向けかけたランケンが横向きにセイバーをハンチング越しに見た。果たして感情が写っているのかどうかすら怪しい双眸に違いあるまい。

「どうあっても聖杯は破壊するというのか?」

「はい、アレはこの世にあっちゃいけません。関わった一族として責任を持って壊させていただきやす」

「ならば、今ここで私を倒してもらおう」

「な、何言ってるんだ。よせ、セイバー!?」

「シロウは黙っていてください!……あなたの苦悩は私なりに理解しているつもりです。あなたの夢と私の願いの狭間で思い悩んでいるのでしょう? ならば、せめて私なりのやり方で聖杯に対して決着を付けたいのです。それがあなたにしてあげられる私の唯一のこと。……ランケン私が負けたのなら、シロウが聖杯を破壊すると言っても大人しく従おう。ただし、私が勝ったなら、聖杯戦争についてお前の知っているすべてを話してもらい、なおかつ聖杯が真に破壊せねばならぬものかどうか、見極めるまで大人しくしてもらおう」

「……そうですね、良いでしょう。あっしが勝ったら聖杯、キッチリ壊させてもらいやす。一応言っときますが、戦うのはあっしじゃなくて、あっしの作ったからくりです。よござんすか?」

 ハンチングに隠されたランケンの瞳を見通すかのように、セイバーが苛烈な光で瞳を輝かせた。そしてヴンッというような音と共に、セイバーの衣服がクラス名に相応しいモノへと変わる。胴前面と、両の手を覆う手甲、腰周りに配された蛇腹上の装甲、いずれも鈍く銀に輝く鎧であった。それらをおそらくは青いロングドレスと思しき衣装の上に着込み、両手で、剣を構えるかのような姿勢を取る。しかしその手には何も握られておらず、高度なパントマイムのようだ。

「構わぬ。いつでも来るがいい」

「それじゃお言葉に甘えさせていただきます。出てきな」

 ランケンの言葉に招かれたかのように、その背のデイパックから黒に覆われた腕が這い出し、見る間にその全体像をランケンの背負ったデイパックから表した。全身を黒いヨーロッパ式の全身鎧と兜に身を包み、その全長は二メートル近く、全身から吹き出す凶気に、思わず士郎が数歩後ずさった。

「ずうっと昔にご先祖がこさえたからくりでさぁ。戦国時代にとあるキレイな生ける死人に壊されちまったのを参考に複製したもんです。数段パワーアップ済みです。もっとも敵も味方も区別できないって欠点はギリギリ克服しただけですが。おや? セイバーさん顔色が悪いですが、お知り合いですか? まるで亡霊に会ったみたいですよ。サーヴァントもそうでしょうに」

「セイバーどうしたんだ?」

「馬鹿な……貴公は」

「さぁ行きな、サー・ランスロット!!」
 
 かつてブリテンにその名を馳せたアーサー王に仕えし、円卓の騎士の一人、ランスロット卿。ランケンのからくりとして蘇った伝説の騎士がその手に携えた剣を掲げてセイバーに挑む。

(あの剣は……?)

「くっ、その剣は!?」

 鍔迫り合いになった時、士郎とセイバーが全く同時にランスロットの持つ剣に気付き、その存在を問う。答えたのはランケンであった。

「聖剣エクスカリバー、もちろん湖の貴婦人に返された本物じゃありませんが、その切れ味は本物と同等。ついでにあっしの一族の技術で強化してありやす、宝具に匹敵する剣でさぁ。ところでセイバーさんの武器は眼に見えない剣のようですな。こりゃ厄介だ」

 ちっともそう思ってなさそうなランケンの言葉をきっかけに、セイバーが魔力を爆発させてランスロットを押し返す。巨体が宙に浮いた瞬間、セイバーが猛進して大上段から不可視の剣を振りかぶる。

「まさか貴公とかような形で出会うとは、何たる運命か……!」

 セイバーが慟哭とも取れる呟きと共に振り下ろした一刀を、宙にある姿勢のまま、ランスロットがエクスカリバーで打ち落とす。どれほどの剛力か、鎧と合わせて60~70キロはあるであろうセイバーの体が六メートルも吹き飛ぶ。
 片足一つで着地したランスロットがエクスカリバーを腰だめにして、必殺の勢いで駆けた。黒い巨大な山が迫るかのような気迫の刺突を、セイバーがこともあろうにランスロットのエクスカリバーを踏みつけ、跳躍してかわす。ランケンが思わずおおっ! と漏らした体捌きだ。
跳躍しながら、セイバーがランスロットの右肩目掛けて斬撃を放つ。ランスロットはかわす姿勢にも防御する姿勢でもなかった。しかしまさか、セイバーの一撃を後ろに目掛けて跳躍し、セイバーに体当たりすることで回避するとは。

「ぐっ!」

 ランスロットの渾身の体当たりを食らう羽目になったセイバーが空中で一回転しながら、二メートル程の所で着地して、その回転の勢いを殺さずに左下から右上へ、鋭い直線の一撃を目前に迫るランスロットの膝へ放った。常人には目にも写せぬセイバーの一撃を、咄嗟に逆手にかざしたランスロットのエクスカリバーが受け止め、すかさず甲冑で覆われた左足のつま先でセイバーの頭部へ、回し蹴りが放たれる。
 それより早く、セイバーが直感に従って自らの不可視の剣とランスロットのエクスカリバーをそのままに、魔力を再び爆発させ推進力として利用し、強引にランスロットの巨体を吹っ飛ばした。建築用の資材に頭からランスロットが突っ込み、あたり一面に砕けた資材がばら撒かれた。荒く息をつくセイバーの姿が、この死闘の凄まじさを物語っている。

「ハッ、ハッ、ハァ」

「なんて御仁だ。サー・ランスロットは生前より強力になってるってのに。サーヴァントを甘く見すぎたのか、セイバーさんが強いのか。でも、まだまだこれからですよ、セイバーさん」

「くぅ」

 積み重なる資材を払いのけ、ランスロットがその姿を現した。黒い大兜が二つに割れ、隠された顔を露わにする。零れる金髪に彩られた顔立ちは若く、伝説の騎士譚に語られるに相応しい貴公子であった。ただその両眼から零れる凶光を除けば。
 ランスロットがエクスカリバーを地ずりにさげ、セイバー目掛けて駆ける。迎え撃つセイバーは不可視の剣を右下段に構える。その眼の輝き、体から迸る闘気、不可視の剣から放たれる剣気、いずれもがセイバーの全身全霊を物語る。

「来い! サー・ランスロット、いま貴公を安らかなん所へと、我が剣で導く!!」

「オオオオォォォーー!!」

 ランスロットとセイバーが同時に駆け、エクスカリバーと不可視の剣が交差する。月の光の中、刹那の時の中で

(■よ、感謝いたします)

 確かにセイバーは、首を断たれたサー・ランスロットの安らぎに満ちた声を聞いた。

「ランスロット、何時かはこの身も汝らと同じ所へと逝けるだろうか……?」

 セイバーの言葉は、勝利者が語るにはあまりにせつなく、哀しい響きだった。

つづかない



[11325] その25 魔法少女リリカルなのは × SRW
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/07/18 22:45
魔法少女リリカルなのは × スーパーロボット大戦 

注 スパロボキャラは基本的にビアン・ゾルダーク博士のみの出演です。
  なのは世界出身に設定を改変してあります。
シリアスものではありません。
  以上三点を踏まえた上でお読みくださいますよう、お願い申しあげます。


第一話 魔法少女……? なの

 それは海鳴市に正体不明の巨大植物が何の前触れもなく出現し、現れたとき同様に唐突にその姿を消した日の事。
 巨大植物によって壊された家屋、ひび割れたアスファルトが延々と続き、暮れなずむ夕陽がまるで血化粧を街に施しているかのような時刻。
 美しく、そして暖かく街を照らし出す夕陽を浴びても、今日ばかりはこの海鳴市の人々は心安らぐことはないだろう。
 何の理由もなく住む家を壊され、職を奪われ、怪我を負わされた人々が何十、何百といることだろう。明日の生活の目途さえ立たなくなった人もいよう。大切な家族が怪我をし涙にくれている人もいよう。
 そんな海鳴の街中を、肩にフェレットを乗せた小さな女の子がとぼとぼと歩いている。小柄な体に悲しみの薄霧を纏い、左右でまとめられた栗色の細い髪も心なしか元気がなく萎れているように見える。
 肩に乗せられたフェレットが、飼い主であろう少女を慰めるように、小さな舌を伸ばして少女の頬をぺろり、と一舐めするが、それでも少女はありがとう、とか細い声で返事をするきりで、元気が出たようには見えない。
 うつむき加減で歩く少女が不意に足を止めたのは、目の前に大柄の男性が立ちふさがっている事に気付いたからだ。
 口元を髭で覆い、髪を後ろに撫で上げ、真紅のコートを押し上げるがっしりとした体躯の四十代半ばほどの男性だ。見る者の背筋に緊張という名の針金を通すような威圧感と雰囲気を併せ持っていて、視線が交差した少女は思わずびくっと体を震わせてしまう。

「えっと、なにか私に用ですか?」

「ジュエルシードの封印を行っているのは、君だね?」

「!」

 開口一番、男性から飛び出てきた言葉に、少女――高町なのはは驚きに目を見開いて、暗に男性の質問を肯定してしまう。その素直な年相応の反応に、男性は微笑を浮かべる。
 素直すぎるなのはの反応から、男性が確信を抱いた事を察したなのはの肩のフェレットことユーノ・スクライアは、可愛らしい外見なりに警戒の様子を露わにして、毛を逆立させながら緑の瞳で男性を睨みつけている。
 なのはは首から下げている赤い宝玉の形をしたインテリジェントデバイス“レイジングハート”を、無意識のうちに握りしめていた。人工知能を搭載したレイジングハートに一声をかけるだけで、なのはは普通の人間が及びもつかない力を行使する存在“魔法少女”へと変わる事が出来る。
 男性が悪意ある存在であっても、レイジングハートと肩に乗っているユーノの協力があればこの場を凌ぐことくらいはできるだろう。
 一人と一匹の簡単に心情を態度に表してしまう青い反応に、男性は大人の余裕とでも言うべきか、ふふ、と小さく笑い声を零してなのは達の警戒を解くように柔らかな物言いを重ねてきた。

「そう警戒しなくてもいい。私も君の肩に乗っているフェレットくん同様、管理世界に関わりのある男でね。特に君が収集しているジュエルシードの様なロストロギアの事を一時期研究していた事もある」

 ロストロギアとは、既に滅んだ数多の世界が残した用途不明解析不可能な古代遺産や遺失技術の事を指す。いま、この海鳴市には二十一個の青い宝石の形をしたジュエルシードと呼ばれるロストロギアが事故によって散逸している。
 異次元世界で発掘されたジュエルシードはその危険性から、信用のおける管理組織に輸送する最中、突然起きた原因不明の事故によって輸送船がトラブルに巻き込まれて、輸送していたジュエルシードを海鳴市近域にばらまかれることとなってしまった。
 そのジュエルシードを発掘した責任者であるユーノが、この地球に転移してきてジュエルシードを回収しようとしていたのだが、運悪く負傷してしまい、助けを求めた所に高い魔法の素質を持っていたなのはが答えて、ジュエルシード回収を始めている。
 ジュエルシードはすさまじいエネルギーを内包しており、例え一つでもそのエネルギーを暴走させれば惑星一つの命運を左右するほどのものがある。
危険なのはその膨大なエネルギー量のみならず、ジュエルシードに触れたものの願いをその莫大なエネルギーで叶えようとする性質を持つ。
 単に願いを叶えるだけならともかく、その願いを歪な形で叶えようと暴走してしまうために、今日の樹木の出現のように多大な被害をもたらしてしまうし、場合によっては近隣の異次元をも崩壊させかねない事態にまで及ぶこともある。

「あの、それで私になにか」

「ああ、すまない。なにジュエルシートの回収を私にも手伝わせて欲しくてね。今日の様な事が続くようでは、のうのうと暮らしてばかりもいられなくなる。それは私としても困る。この海鳴はとても良いところだから、自分の力で何かできるというのならせずにはいられんよ。君もそうだろう?」

 確かに、今日までは怪我をしたユーノのジュエルシードを回収するという手伝いをする為になのはは行動してきた。けれど今日の様なたくさんの人に迷惑がかかる事が起きてしまったことで、なのはの気持ちはユーノの手伝いをする、という事から、自分にできる事をする、という覚悟を固めていた。
 それを男性の言葉は的確に突いている。なのはがなんと答えようかと戸惑っていると、それまでフェレットのふりをして黙っていたユーノが口を開いた。男性が確かに魔法に関わりのある人物なのだろうと踏んだ上での判断だった。

「貴方はいったい何者なんですか? 時空管理局の人ならともかくジュエルシードはとても危険なものです。そう簡単に手伝ってもらうわけにはいきません」

 ジュエルシードは確かに取り扱いの難しいものではあるが、度を越した蒐集家という人種や、発掘した古代遺物を狙う犯罪者などと荒事を交えた経験のあるユーノは、見も知らぬ人間の示す好意を、素直には受け取らなかった。
 もっとも、簡単に手伝ってもらうわけにはゆかない、という言葉に関しては、その危険なジュエルシードの回収をなのはに手伝ってもらっている以上、自分の言い分に説得力がない事をユーノ自身自覚はしていた。
 ふむ、と男性は呟いて自分の髭を撫でる。ユーノの言い分をもっともだ、と考えたのだろう。

「私は元時空管理局地上本部特殊技術開発局局長ビアン・ゾルダークだ。ビアン博士と呼んでくれたまえ。ちなみに生まれはこの第97管理外世界地球だ。理由あっていまはこの海鳴市でしがない発明博士をしているよ」



(ねえユーノくん。本当にこの人についていって大丈夫なの?)

(少なくともこの人があのビアン・ゾルダーク博士だっていうのは本当だと思うよ。前に写真で見た顔と同じだし。時空管理局の地上本部付きのすごく有名な技術士官の人でね、画期的な技術開発をいくつも行って時空管理局に多大な貢献をしているんだ)

 数多の次元世界に枝葉を伸ばす時空管理局の恩恵の外にある管理外世界の住人であるなのはからすれば、ユーノの説明は実感を伴わない話ではあったが、なんとなくすごい人なんだなとは思う。

(う~ん、エジソンみたいな人ってことなのかな?)

(地球のすごい科学者の人? まあそういう風に思って間違いはないかな。でも、ビアン博士は何年か前に地上本部を去ったって聞いたけど、故郷に帰ってきていたんだね)

 魔力保持者同士で声を出さずに会話できる思念通話を行いながら、ユーノとなのははビアンに案内されて、海鳴市郊外にあるゾルダーク邸に足を運んでいた。なお帰りが遅くなる事をなのはの両親には報告済みである。
 海と山に囲まれて自然の豊富な立地になる海鳴市の郊外に建てられたゾルダーク邸はいかにもブルジョワジーといった感じの、一般庶民が呆れるか嫉妬するしかない広大な邸宅であった。

「すずかちゃんとアリサちゃんの家とおんなじくらい広~い」

 中流家庭に生まれたなのはは、生来の性格もあってか素直に感心している。まあ道場のある中流家庭はそこそこ珍しい方ではあるだろうが。

「なのはくん、ユーノくん、こちらだ」

 一人と一匹を呼ぶビアンの声に、なのはは素直に従った。ちなみに自己紹介は道中で終えている。
 感心しているなのはと相変わらずなのはの肩の上でお世話になっているユーノを邸内に招き入れたビアンは、ロビーの中央まで歩いてゆくと左手首に巻いている腕時計をなにやらいじり始めた。

「?」

「お茶も出さずに済まないな。もう少し待っていてもらえるかね?」

「は、はい」

 ジュエルシード封印作業に加えてここまでタクシーを拾ったとはいえ連れまわした事に対する申し訳なさが伺えるビアンの気遣う言葉に、なのはは気にしないでくださいと答える。
 ビアンがなにか腕時計をいじっているのを見守っていると不意にロビー全体が振動に襲われ始める。地震? と慌てるなのはに対してビアンはあくまで落ち着いた様子だ。

「このロビー全体がエレベーターになっていてね。このまま地下のラボに直結しているのだよ。地震というわけではないから安心しなさい」

 そのままかすかな振動と浮遊感に身を委ねていると、さほど時間をおかずしてロビーの降下が止まり、ビアンが奥の扉の方へ歩いてなのは達を先導する。ぎい、とかすかに蝶番の軋む音と共に開かれた扉の向こうに広がっている光景に、なのはとその肩の上のユーノが息を飲む。
 いかにも未来を描いたSF映画や漫画に出てくる研究所といった感じの、用途の検討も着かない機器や計器がずらりと並ぶ一室であった。
 金属質の壁が四方を囲い込み、正面には巨大なモニターが広がり、まるで戦艦の艦橋のようにいくつものデスクが階段状に並んでいる。
 戦隊ものやロボットアニメの司令室と言った方が適切であったかもしれない。

「ようこそ、我がゾルダーク・ラボへ」

「うわぁ、なんだかアニメの中に来たみたい」

「まあ、とりあえずはそこの椅子に座りなさい。そろそろ飲み物くらいは出さんと申し訳ないからな」

 ひと際大きく豪奢なのデスクの奥の方に、休憩スペースらしいドリンクサーバーと観葉植物、ソファや本棚が備え付けられた一角があり、なのはとユーノはそろってそちらに移動してビアンが飲みモノを持ってくるのを待った。
 なのはもユーノも好奇心を隠さぬ様子でゾルダーク邸地下に設けられていた謎の司令室をきょろきょろと見回し、ここでいったい何がされていたのかと空想を巡らしている様子だった。

「お待たせしたな」

「あ、いただきます」

「うむ、難しいかも知れんが、くつろいでくれたまえ」

 強面というには十分すぎ、威圧感のある外見と重低音の迫力ある声音と相まって、年齢の割には精神的大人びているなのはといえども流石にビアンと対峙するのは、必要以上に強調を強いられるようで、青いガラスのコップに手を伸ばしてオレンジジュースで咽喉を潤す。
 ビアン自身に緊張を強いるつもりはないのだろうが、がっしりとした体格や鋭い光を放つ瞳に口元を覆う口髭など外見的なものが原因となって、初対面の少年少女には厳しいものがあるようだ。

「さて、君達に協力を申し出たわけだが、具体的に私がなにをもって君達に協力するか、話をさせてもらって構わないかね?」

 ビアンがなのは達に協力を申し出た理由が、今住んでいる海鳴市を守りたい、で間違いないという前提で話が進んでいるが、ユーノにしてみればその真偽を問うタイミングを外されたというべきであろう。
 やや緊張を解いた様子のなのはと違い、ユーノはジュエルシードが悪用されるかもしれない可能性を考慮して、次元世界でもそれなりに名の知られたビアンが相手であってもまだ完全に警戒を解いてはいない。

「まず、申し訳ないが残りのジュエルシードの位置については私も正確な場所は把握しておらん。すまんな。その代わりといっては何だが、なのは君には私が制作したデバイスを提供しよう」

「え、でも、私にはレイジングハートがあります」

 まだ出会ってから過ごした時間は少ないが、とても濃厚な密度の時間を過ごしたパートナーの名前をなのはは呟いて、胸元に揺れる赤い宝石状の待機状態のレイジングハートを握りしめる。

「それは大丈夫だ。そのレイジングハートというインテリジェンスデバイスと同時に使用しても何も問題はない代物だ。使う使わないは君の判断に委ねるが、せめて受け取ってはくれないか?」

 そういってビアンが両者の間に置かれている机の上に置いたのは、レイジングハートと同じように赤い光を放つ菱形の水晶があしらわれたブレスレットだった。デバイスと知らされずに見ていたなら、アンティークの美術品かと勘違いしそうなほど、精緻な細工が金鎖に施されている。

「このデバイスは私が地上本部にいた頃に研究していたアーマードデバイスの発展型だ。試作型だが擬似リンカーコアを搭載し、デバイス単体である程度魔力を生産することもできる」

 擬似リンカーコアの実現、という時空管理局のみならず魔法を文明の主軸とする管理世界のいずれもが、涎を垂らしながら欲するだろう品の登場に、ユーノはフェレットなりに目を丸くして驚き、まだ管理世界に対する理解の乏しいなのははよく分かってはいないが、神妙な顔でビアンの説明に耳を傾けている。

「あの、アーマードデバイスってなんですか?」

「通常のデバイスは魔力を編み込んでバリアジャケットを形成するが、アーマードデバイスは機械的な補助に頼った装着型の外部装甲を纏うタイプになる。そうだな、2,3メートル程度のロボットを着込むといえば分かりやすいかな?」

 なのはに実物を見せて説明するために、ビアンが空間に投影されたホロパネルの上で指を滑らせて操作すると、なのはとユーノの目の前に一辺一メートルほどのスクリーンが展開されて、現在地上本部を中心に運用されているアーマードデバイスの姿が映し出される。
 頭部はバイザー上のカメラカバーがあり、その奥で二つの瞳が鈍く輝きを放ち、両側頭部には後方斜め上に向かって伸びるウサギの耳の様なパーツがある。
 肩の装甲は緩やかな弧を描いて湾曲し、肘や膝はふっくらと膨らみ上がり左手には三本の棒状のパーツが伸びている。一見するとロボットとしか見えないデバイスは、銃や機関銃、剣を持って戦うらしく、全体像の傍らには使用する武装が図解入りで浮かび上がっている。

「アーマードデバイス“ゲシュペンスト”。組み込んだプラズマ・ジェネレーターによって稼働し、極力魔力を用いぬことで低ランク魔導師でも十分な戦闘能力を発揮できるように仕上げた機体だ。
 魔力を持たない人間でも乗りこなせばおおよそBランク前後の魔導師に相当する力が発揮できるが、予算や諸般の事情もあって地上の陸士部隊の一部で運用されるに留まったものだ。いまでも一応、カスタム機の開発計画やバージョンアップも論じられてはいるようだが、あまり良い評判は聞かんな」

「えっと、この子もゲシュペンストなんですか?」

 無機物であるデバイスを、この子、と評するなのはの感性が気に入ったのか、ビアンは髭に覆われた口元をうっすらと笑みの形に吊りあげた。最初に手にしたデバイスがAI搭載型のレイジングハートであった影響だろうか、なのははデバイスを道具というよりもパートナーとして捉えているようだ。

「いや、このデバイスは私の持てる技術の粋をつぎ込んで作り上げた特製のデバイスだ。こう言っては何だが、量産を前提としたゲシュペンストとは物が違う。ジュエルシードとの暴走体との戦いには必ず役に立つだろう」

「……」

 必ず役に立つ、と満腔の自信と共に言い切るビアンの言葉をすべて信じたわけではないだろうが、なのははどこか迷うような視線を机の上のデバイスに向ける。
レイジングハートと共に使用できる、というのはパートナーとの二者択一を避けられてありがたかったが、今日会ったばかりの人間の言う事を鵜呑みにしてよいものかどうか、迷っていないと言えばうそになる。

「ちょっと待ってください。そんなに強力なデバイスならビアン博士がご自身で使われればいい話なんじゃないですか? わざわざなのはにそのデバイスを貸さないといけない事情があるとは思えません。博士もかなりの高ランク魔導師だったはずです」

「ユーノくんの疑問ももっともだな。では、その理由も説明しよう。質問に質問で返してすまないが、たとえばこの海鳴に落ちたジュエルシードが一度に五つ、あるいは十個同時に暴走したとしたなら、君たちはどうする?」

 これまでなのはとユーノが封印してきたジュエルシードは、一つの例外もなくすべてが単独で発動し、内包する魔力を暴走させてきた代物ばかりで、同時刻に複数のジュエルシードが発動した場面に遭遇した事は幸いにもない。

「え、えっと。ジュエルシードを封印できるのは私だけだから、一番近いジュエルシードから順番に封印してゆくしかない、のかな?」

「これまで多くのジュエルシードの暴走がそうだったように、無関係な人間をほとんど巻き込まないような形での発動なら、あるいはなのは君の方法でも構わないかもしれん。しかし、今日のように多くの人々や市街そのものにまで深刻な被害を及ぼすような形で発動するかもしれないとしたら? その方法ではどれだけの人が犠牲になるか……」

 自分が見過ごしたせいでジュエルシードの暴走を未然に防ぐ事が出来なかった事を気に病んでいるなのはに、そのビアンの言葉はいささか辛辣に響いた。ビアン自信にはなのはを責めるつもりはなかったろうが、これはいささかタイミングが悪かったと言うしかあるまい。
 顔色を曇らせるなのはの様子に、ビアンは訝しんだようだが、今日のジュエルシードの暴走で顔見知りの人間が怪我でもしたのかもしれんな、と深くは追求しない事にした。

「確率的には低い事ではあるだろうが、ジュエルシードの同時暴走という最悪の事態を想定した場合、私となのは君だけでは圧倒的に手が足りん。そこでだ、私は別の手を打った」

「別の手?」

 なのはは可愛らしく小首を傾げながらビアンの言葉の続きを促す。

「本来はこういった事態を想定して用意したものではないのだが、沖合と山中に次元震の発生を抑制する次元アンカーを設置しておいたのだよ。最悪、残りのジュエルシードがすべて暴走しても24時間は暴走を抑制できる。ただ稼働に在る程度の魔力供給が必要で定期的に調整もしなければならん。もともとは管理世界や次元の海で次元震抑制用に開発したもので、目下、海鳴市でこれを扱えるのは私だけだ。そういうわけで、私自身は設備のある此処から安易には動けんのだよ」

「……えっと、とってもまずいことになっちゃっても、ビアン博士がそれを抑える役をしているってことでいいですか?」

「そうだな、例えるならダムの堤防みたいな役を私がしていると思ってくれていい。納得はしてくれたかな?」

 なのはは、もともとあまりビアンを疑っていなかったので特には気にしなかったが、ユーノはまだ少し難しい顔をしている。なのはに比べれば管理世界で生き、既に一人前の大人として社会の荒波に揉まれた経験があるだけに、決断に慎重を期しているのだろう。
 そんなユーノの様子を、ビアンはむしろ好もしげに見ていた。

「なに、すぐに答えを出さなくてもかまわんよ。今日は、このデバイスを受け取ってくれるだけで十分だ。これには私との通信回線もつながっているから、なにか質問などがあったらいつでも連絡をくれたまえ」

 そういうビアンの言葉でこの場はとりあえずお開き、という事になった。



 そうしてビアンとの会合を終えてデバイスを託されてから数日の後、なのはは苦境へと追い込まれていた。ただしジュエルシード暴走体との戦いによって、ではなかった。通っている聖祥学園の制服を元にイメージしたバリアジャケットには、まだ大きな損傷こそないものの、明らかに戦況を現す天秤はなのはの不利に傾いている。
 足首に輝く桜色の小さな羽根が羽ばたき、余剰魔力を小さな光の羽毛に変えて舞散らしながら、なのはは視線の彼方から襲い来る稲妻の矢を立て続けにかわす。
 なのはの身の丈以上の長さの先端に赤い宝玉と黄金の三日月をあしらった様な魔法の杖と変わったレイジングハートが、探知した射撃魔法の全弾回避を主に告げ、レイジングハートの報告に、かすかになのはは安堵の吐息を細く吐きだす。
 柔和な光を浮かべている事の多いなのはの瞳には、戸惑いの感情が嵐の海のように荒れている。自分の目の前に立ちふさがる存在を、まるで予想にしていなかったということだろう。
 なのはの前に立ちふさがり吹きゆく風に黒いリボンで二つに結いあげた金色の髪をたなびかせているのは、なのはとほぼ同年齢と思しい少女だった。
 流麗なラインを描く幼い体にぴったりとフィットする黒いラバー状の袖なしのバリアジャケットは、まだわずかなふくらみしかない乳房を強調するように赤いベルトが上下に挟み込み、簡単に折ってしまえそうな細腰には、ひどく危なげに風にふわりふわりと揺れている薄いピンクのスカート。あまりに丈が短くて、ちょっとした風の悪戯にもひやりとさせられてしまいそう。
 太陽の光を宝石の海の様に弾く長い金髪と共に黒いマントがはためく中、金髪に赤い瞳がひどく印象的な少女の手には、少女の体格に合わせてやや小ぶりな漆黒の戦斧と思しいものが握られていた。
 刃と柄の付け根には、おとぎ話の中の魔物の瞳の様な金色の宝玉状のパーツがあった。おそらく少女のデバイスのコアに当たるパーツであろう。
 自覚はないが、なのは自身も同年代の少女たちの中で頭一つ抜けた美少女であるが、なのはの前に立つ少女はまた違った魅力に満ちた美少女だ。
 親に甘えて当たり前の年齢ながら、どこか憂いをたたえ、真紅の瞳の奥に時折よぎる寂しさの影を見た者は、例外なく瞳を吸い寄せられる錯覚に襲われるのではあるまいか。
 目、鼻、唇、眉、耳、手、脚、指、髪、およそ人体を構成する部位のすべてを天上の職人が厳正に吟味して作り上げたに違いない。それほどに、人形めいた工芸品の様な趣さえ感じられる端正さ。
 なのはを射抜く赤い色に濡れた瞳は、その美貌に相応しく無感情な冷たい光に満ちていて、けれど確かにそこに寂しさの影を見つけてしまって、なのはの心は千切に迷い、意思は一つに固まる事を忘れて散ってしまう。
 金髪の少女は無言のまま、再びしいて言えば戦斧の形態をした杖の先端をなのはへと。なのはもまた応じるようにしてレイジングハートを両手で構えなおし、少女へと。二人の魔法少女の間を、目に見えぬ戦意の糸がつなぎ始める。
 それとは別になのはは二つの事を頭の片隅に考えていた。
 一つは、目の前の少女のバリアジャケットが、ちょっと、ううん、かなりえっちなの、というはっきり言ってどうでもよい事。
 もう一つは、どうしてこうなってしまったのだろうか、という現状への疑問。
 親友である月村すずかの邸宅で開かれたお茶会に誘われた矢先、幸か不幸かその邸宅の敷地内に在ったジェルシードが発動してしまい、月村邸で飼われている子猫の、大きくなりたいという願いが叶えられ、子猫の造作そのままに巨大化した子猫と対峙したまではこれまで通りだった。
 けれど。
 いざ子猫に取り込まれているジュエルシードをどうにかして回収しよう――できるだけ子猫にひどい事をしないで済むように――とした矢先に、さきほどなのはが回避したのと同じ金色の光の矢が子猫に突き刺さり、金髪の少女が姿を現したのだ。
 少女がジュエルシードを集める目的を問うなのはの質問や、制止の声は一切無視されて、少女の猛攻を前になのははレイジングハートのサポートを得てもなお防戦一方に追い込まれていた。

「どうしよう、このままじゃ……」

 魔法の力を得たとはいえつい先日まではごく普通の小学生であったなのはは、人間と、しかも自分とそう年の変わらない女の子と戦う事に対する困惑、躊躇がぬぐいきれないために集中力に欠け、さらに魔力の消耗以上に体力を失っていた。
 対人戦を考慮した戦闘訓練を受けたと見えて、なのはを倒すことにも躊躇を見せない少女に対して、経験的にも精神的にもなのはが不利となる要素はあまりに多かった。
 ジュエルシードの暴走体を相手にしていた時、これ以上ないほど頼れる存在だったレイジングハートも、現状を打破する妙案や助言がないのか集中を欠くなのはの代わりに、金髪の少女が放つ魔法に対する警告の声を発するばかり。
 なのはの窮状を待っていたかのようなタイミングで、なのはの左手首に巻かれていた、あのビアンから預けられたアーマードデバイスがなのはに声をかけた。人格搭載型で、ビアンの人格を基本にしたものであるらしい。
 私版のマシンファーザーだな、とビアンは言っていたが、なのはには何の事だかわからなかった。

『マスター、いまこそ私を使って欲しい』

「で、でも」

『何を迷う事があるのだ? ジュエルシードを集めると決めたのだろう。一度決めたのならば如何なる障害が立ち塞がろうともその誓いを貫くべきだ』

「でも、まずは話をして、どうしてジュエルシードを集めているのか聞かなきゃ。そうすれば戦わないで済むかもしれないんだよ!」

 過激な物言いのデバイスに反論する間も、襲い来る黄金の雷槍をかわし、なのはは左手首のデバイスに抗議するが、デバイスはそれに臆す事はせずになのはを諭すように言葉を選ぶ。ビアンの人格がベースになっているせいか、人工知能というには多分に人間臭さが目立つ。

『だが、相手に話を聞く気が無い以上ある程度の武力行使は必要だ。ましてや、あの少女に、マスターを撃つことへの躊躇いは見られない。であれば、こちらもそれ相応に応戦する他あるまい? どうしても話を死体というのであれば、向こうが話を聞かねばならぬ状況に追い込めば、否応にもマスターの話を聞くだろう』

「それって、結局暴力を振るうってことじゃないの?」

『そうとも取れるが、だが幾ら言葉を投げかけてもあの少女はそうそう容易くは聞き入れてはくれるまいよ』

 迷うなのはを後押ししたのは、それまで金髪の少女からの攻撃を防ぐことに専念していたレイジングハートだった。

『Master、I agree his opinion(マスター、私も彼の意見に賛同します)』

「レイジングハート!?」

『To our regret, your today word doesn't reach her(残念ですが、今のあなたの言葉は彼女に届きません)』

「……わかったよ、私の言葉をちゃんと届ける為に、いまは戦う。そのための力を、私に貸して!」

『その言葉を待っていた! 唱えよ、マスター、我が名を!!』

 デバイスを起動させる為のつかの間の時間を稼ぐために、一際強固にプロテクションの光の防壁がなのはの周囲に展開されて、なのははさっと細い左手首を天に掲げ、新たな力の名前を高らかに叫んだ。

「“ヴァルシオン”、セット・アッーープ!!」

『承知!!』

 ようやく使われることに対する道具ならではの歓喜を滲ませるヴァルシオンから、なのはの全身を包み込む赤光が溢れ出し、降り注ぐ陽光と周囲を包囲する結界を艶やかな血の色に染め上げる。
 対峙している敵対者に対する目くらましの効果も含む鮮血色の猛烈な光に、なのはを襲っていた襲撃者の魔法少女――フェイト・テスタロッサは反射的に両手で目を庇う。
 愛機であるインテリジェントデバイス“バルディッシュ”が、主人の網膜保護のために減光処置をすかさず施してくれたはずだが、それでも目の奥がちかちかとするほど強烈な光だった。
 数秒間視界が殺された致命的な時間であったにもかかわらず、相手がなにもアクションを起こさなかった事を訝しみながら、ようやく治まった目の痛みにうっすらと涙を浮かべながら、フェイトはふたたび対峙していた少女を見て……ぽかんと口を開いた。
 それまでの出来すぎた人形めいた印象とはかけ離れた、血の通う人間ならではの反応だ。

『The problem is not in the tune with Valsion(ヴァルシオンとの同調に問題はありません)』

『私の方もレイジングハートとの同期に問題はないな。マスターはどうだね?』

 二基のデバイスの声に、おそるおそるなのはは自分の姿を改めて確認してみた。その寸前、ぽかんと口を開いたフェイトの姿に、そこはかとなく嫌な予感が鎌首をもたげた。

「…………にゃ、にゃあああ~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 およそ九歳児になら許されるだろう可愛らしいが珍妙な叫び声を挙げて、なのはがアーマードデバイスの発展型UR(Ultimate Robot)デバイス“ヴァルシオン”の姿で戦慄した。
 全高5.7メートル、重量550キログラム。使用者を覆う機体装甲は素粒子レベルで強化措置を施した超抗力チタニウム。その異様な外見によって知的生命体に対する心理的な威圧感を与える事をコンセプトの一つした、現時点におけるビアン・ゾルダークの最高傑作デバイス。
 その姿は、心臓から送り出されたばかりの新鮮な血の色を基調とし、胸部から肩に掛けての前面装甲が大きくせり出して、両腕の稼動域は極端に狭い。上半身と下半身を繋ぐ腰は、その巨躯に比べれば頼りないほど細い。
 左肩にはアームガードであろう装甲と同色の盾があり、右手には小枝のように小さく見えるレイジングハートが握られていた。
 背からはまるで竜の爪のようなパーツが伸びていて、内部には重力質量と慣性質量を別個に変化させる事のできる高効率反動推進装置テスラ・ドライヴが内蔵され、飛行魔法を持たない魔道師にも空中での戦闘を可能とさせている。
 鮮血色のチタニウムにおおわれた両手を見つめ、なのはぷるぷるとそのごつい装甲に覆われた肩を震わせる。その震えにおうじて、ヴァルシオンの両側頭部殻伸びているなのはの細く短い栗色の髪も一緒に揺れた。レイジングハートとこのツインテールだけが、ヴァルシオンの中身がなのはであると判断できる数少ない材料である。

『気に入っていただけたようでなによりだ。私としてはメガ・グラビトンウェーブで地面に叩き落した後、アーマーブレイカーで魔力シールドとバリアジャケットを削り、ディバインシューターで打ちのめしたところでエナジードレインを叩き込んですべての魔力を奪い取り、バインドで四肢を拘束して回避と防御を封じて、クロスマッシャーとディバインバスターで止めを刺すことを提案するが?』

『It is Perfect(完璧ですね)』

「か、完璧じゃないよ~~~~~~!!!」

 なのはの抗議の叫びは二基のデバイスにはまるっきり無視された。
 尚、ヴァルシオンが提唱したコンボに、後年スターライトブレイカーが追加され、その破壊力は凶悪さを増すのだが、それはまだ先のことである。

つづくかもしれない
私の中でビアン博士はスパロボ世界のデウス・エクス・マキナみたいな人という認識です。とりあえず困った事があったらビアン博士が作ったロボとか計画ということにしてしてしまえ、見たいな感じで。



[11325] その26 魔法少女リリカルなのは × SRW②
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/11/29 23:15
魔法少女リリカルなのは × スーパーロボット大戦

『魔法冥王リリカルナノシオン』

第二話 お話するためには時にぶつかりあう事も必要なの

 海鳴市月村邸上空。差し込む陽光の豊かさに木々や草花が大きくを葉を広げて風に緑の匂いを流す世界で、自然とはかけ離れた異物とでも言うべき物体が二つ対峙していた。
 一つはその手に漆黒の戦斧を携えた金髪の魔法少女フェイト・テスタロッサ。手で触れようとしても霧霞のように消えてしまうような、十歳に届くかどうかという幼い外見に相応しくない儚い雰囲気を纏っている。
 人間にはあり得ない赤い色に染まっている瞳は、自分の目の前に立つ存在を認識した瞬間から続く困惑に、いまだ囚われたままで不理解と困惑を混合した感情の一滴に、瞳は揺れているまま。
 一方でフェイトから困惑の眼差しを向けられている側も、フェイトとそう大差のない混乱した精神状態に陥っていた。
 おそよ二十メートルの距離を置いてフェイトと対峙しているのは、白いロングスカートと胸元を飾る赤いリボンが印象的なジャケット姿の、フェイトと同年代の栗色の髪をした少女であった。
 ほんの、数瞬前までは。
 フェイトの視線の先に居るのがその少女のままであったなら、フェイトはこのような隙だらけの反応はせずに、無言のまま――確かな罪悪感を伴って――少女との戦闘を再開し、自身の求める古代遺失物ジュエル・シードの奪取に邁進していただろう。
 だが、いま、フェイトの目の前に浮かぶ存在はなんだ?
 フェイトが少なからず混乱している自分自身を自覚しながら、反射的に知識の棚を引っかき回して答えを探すと、完璧な答えとはいかないまでも類似した存在がある事を突き止める事に成功する。

「たしか、アーマードデバイス?」

 時空管理局の認定する多次元世界の内、第一管理世界ミッドチルダで活躍する時空管理局地上本部の、一部の陸士部隊が使用する不完全ではあるが非魔力依存型の特殊デバイスの事である。
 コストパフォーマンスや時空管理局の提唱する質量兵器禁止の理念に抵触する恐れがあるなどとして、本格的な配備は見送られた社会事情に封殺された異端のデバイスと同種のそれではないだろうかと、フェイトは推察したようだった。
 フェイト自身はアーマードデバイス(フェイトが知っているのはゲシュペンストだけだ)と杖を交えた事がなかったので、一体どれだけの戦闘能力を持っているかは想像することも難しかったが、着用前よりも弱くなるなどという事はないだろう。
 白い魔導師の女の子は、セットアップした直後になにかデバイスとやり取りをしていたようだが、ひょっとしたら彼女も使用するのは初めてなのかもしれない。
 だったら、まだその機能を十全に発揮させることはできないだろう。相手の少女はどうも戦闘慣れしていない様子だったし、感知できる魔力量は自分と比較しても遜色のない素晴らしいものを持っていたが、まがりなりにも戦闘訓練を受けた自分の方が魔法の扱いには長けているはずだ。それならばこちらにも勝利の目は十分にある。
 フェイトはそう自分に言い聞かせて、愛機であるインテリジェントデバイス“バルディッシュ”を構えなおし、いつでもミドルレンジでの魔法発動およびクロスレンジでの格闘戦に移行できるよう神経に緊張の針金を巡らす。
 完全に落ち着きを取り戻し、にわかに戦意を高めて魔力の胎動を強めるフェイトに対し、、白いバリアジャケット姿だった魔法少女高町なのはは、というといまだに自分が手に入れた新たなデバイスのデザインに対し、不服があるというか納得がいっていないらしかった。
 機械仕掛けの魔王とでも評すべき禍々しい鮮血色の、実に全高が5.7メートルにも達するロボット。それが、いま高町なのはが纏うURデバイス“ヴァルシオン”である。
 超抗力チタニウム製の頭部の左右から、なのはの短く細いツインテールがぴょこんと伸びて揺れているのは、はたから見るとシュールの一言に尽きる。
 見る者に心理的圧力をかけ、恐怖心を植え付けるデザインのヴァルシオンに、幼女といってもいい年齢の女の子の髪の毛が生えているのだ。かような異常物体を初めて目撃したというのにフェイトは、よく思考の混乱から短時間で立ち直ったというべきだろう。
 紅色の鋼鉄の仮面に覆われてなのはの表情を窺う事はできないが、右手に携えた愛杖レイジングハートと、全身を覆う巨大な機動装甲と化したヴァルシオンには、主たるなのはの不機嫌具合がよくわかっているらしかった。

『Master?』

『どうしたね、マスター? 既に私の機能は君とレイジングハートにダウンロードしているだろう? なにか疑問点でもあったかな』

「疑問も何も、こんなす、すごい格好になるなんてビアン博士からは聞いてないよぅ」

『だがアーマードデバイスだとは聞かされていただろう。一般的なデバイスと違って着用者が任意にデザインを変えることはできんのだよ、それに私の外見は対峙者に対する心理的な効果を期待したものでもある。
 それよりも今は現状の打破に気を割くべきだ。幸い、彼女はこちらの様子を窺う腹づもりのようだが、こちらからアクションを起こしてはどうだね? 話をしたいのだろう。繰り返し言うが、話を聞かざるを得ない状況に追い込むのがマスターの望みをかなえるのにはもっとも手っ取り早いぞ』

「う~、後でビアン博士にはお話聞かせて貰うんだから!」

 なのはが子供が癇癪を起したように右手のレイジングハートを振るうと、ぶお、という音と共にレイジングハートの先に人間がいたら、その頬を打つほどの強風が巻き起こる。
 魔法によって強化されたなのはの身体能力に加えて、ヴァルシオン自身の膂力の相乗効果だ。
 全霊を込めたとはいえない何気ない一振りであったが、これだけで下手な魔導師は防御シールドごと粉砕され、中途半端な機械兵器なら容易く鉄屑に変わる。
 なのはにはいろいろと思う所はあるが、とにかく今は目の前の黒衣の魔導師をどうにかする事が先決だ、と決めてまっすぐにフェイトを見つめる。
 ビアンはヴァルシオンの着用者がアーマードデバイスの使用経験がなくても、使用に問題がないよう配慮していたようで、ヴァルシオンのセットアップと同時になのはの脳にはヴァルシオンのスペックと効果的な使用方法が反映されていた。
 “念話”と呼ばれる魔力保有者間で行われる思考を伝達しあう通信手段を応用したもので、これによってなのはは既に何年もヴァルシオンを使いこなしてきたかのように、どう扱えよいかを理解している。

「行っくよー!」

『DivineShooter(ディバイン・シューター)』

フェイトに向けたレイジングハートの先端に在る赤い宝玉を過去生むようにして、なのはの桜色の魔力光が四つの弾丸となり、目にも止まらぬ速さで空を走り、フェイトへと襲いかかる。
 目にも鮮やかな桜色の軌跡を幾重にも絡ませながら迫りくるディバイン・シューターを、フェイトは自分の大きな武器の一つであると理解している“速さ”で回避に移る。
 生まれたときから空を飛ぶための翼を持った生き物でさえ不可能では、と思われる自由自在の三次元機動は、慣性の法則をも制御する魔法あればこその賜物だ。
 なのはないしはレイジングハートによる制御でディバイン・シューターが残像を残すフェイトを追いかけるも、戦闘慣れしていないなのはの目では到底追い切れず、遂にはディバイン・シューター自身を構成する魔力が尽きて、儚い桜色の光の霧となって自壊してしまう。

「フォトンランサーっ!」

『Fire』

 自分を追い回すディバイン・シューターの消失を確認するのと同時に、フェイトは反撃の一手を打つ。
選んだ反撃の手段は、なのはがヴァルシオンを着装するまで放っていた雷光の槍フォトン・ランサー。
 フォトン・ランサーは直線機動のみを描くために回避されやすい傾向があるものの、速射性、連射性、魔力消費、威力、速度共に及第点を十分に満たす魔法で、バルディッシュの判断でも使用できる使い勝手の良い魔法だ。
 戦斧形態のバルディッシュの先端の周囲に、金色の球体が瞬く間に生じ、数を増やした雷珠はすぐさま槍というよりは、矢に近い大きさと形状に変わってなのはへとほとんど視認できない速度で降り注ぐ。
 網膜を切り裂くような雷の軌跡は、とうていなのはには見切れぬものでこれまで回避ないしは防御できていたのは、事前にレイジングハートがフェイトの魔力の変動を感知して対処していたおかげだ。
 ヴァルシオンの巨躯から受ける印象では運動性や機動性に富んだ機体とは思えない。巨大すぎる機体には力強さや重厚さが嫌というほど溢れているが、その巨躯ゆえに小回りはきっと利かないだろうし、関節部分の稼働領域も少なそうだ。
 フェイトの推測を肯定するように、ヴァルシオン形態のなのはに、フォトン・ランサーはフェイトの狙い通りに着弾コースをとり、回避不可能な距離まで迫る。

『ぬるいな』

 なのはと同じかわずかに上回る魔力量と経験からくる制御能力を有するフェイトのフォトン・ランサーとはいえ、レイジングハートとなのはの二人ならば十分にプロテクション一枚で防げる。
 フォトン・ランサーの威力が低いというよりもなのはの防御が相当に堅いためだが、ヴァルシオンを纏ったなのはの防御能力は、纏う以前をはるかに超えたものとなった。
 ヴァルシオンの胸部に在る黄金の球形状のパーツ付近に直撃するはずだったフォトン・ランサーは、ヴァルシオンの前面に展開された半球状の力場に触れた瞬間、その表面をなぞるように軌道を歪められて無効化されてしまう。

「プロテクションでもラウンドシールドでもない? バルディッシュ、わかる?」

 主人に問われるよりも早く鮮血色の鉄巨人が展開したシールドの分析を行っていたバルディッシュは、迅速に主人の望む答えを伝えた。

『The misinterpretation of the space is confirmed to the surrounding.The analysis is continued.(周辺に空間の歪曲を確認。分析を続行します)』

「歪曲フィールド……空間操作技術による防御力場、あのデバイスのサイズで展開できるほど小型のものが実現されていたなんて……。無詠唱魔法で打ち抜くのは難しそうだね」

『However, when moving to the attack, it is released. It is not because there is no scheme. (ですが攻撃に移る際は解除されます。打つ手がないわけではありません)』

「うん。私とバルディッシュなら大丈夫」

 フォトン・ランサーの無効化にもまるで戦意を萎えさせることはなく、なのはの右側に大きく弧を描きながら、フェイトは新たな攻撃の隙を見つけるべく、大粒の瞳を肉食獣が獲物を狙うように細め、視線を鋭くとがらせる。
 フェイト達主従が強敵の出現に新たな緊張にかすかに神経をとがらせる中、なのははなのはでヴァルシオンの外見とはともかくとして、その性能の高さを窺わせる一端を目の当たりにして感嘆していた。
 なのはの貼るプロテクションを上回る防御性能を誇る歪曲フィールドは、なのはの魔力をほんの僅かに消費するだけで、発動も自動で行われて不意の一撃にも対処してくれる。

『返礼だ受け取りたまえ』

「え、え、わわ、勝手に体が動いている!?」

『クロスマッシャー!!』

 どうやらなのはの意思を無視してヴァルシオンが勝手に自分で自分を動かした上に、攻撃まで行っていたようだ。ある程度の自己判断と裁量をインテリジェントデバイスに与える魔導師は少なからずいるが、主人の意思を無視して行動する人工知能というのは問題があるだろう。
 機械ゆえの精密さでフェイトを追い、ヴァルシオン=なのはの左手が突き出されて左腕の外側の装甲の一部が左右に展開されて、収納されていた砲身が露わとなり、ヴァルシオンの巨躯さえも飲み込む巨大な光が放たれる。
 白い破壊光の周囲を赤と青の螺旋が取り囲む膨大な魔力エネルギーの砲撃だ。自分の視界そのものを埋め尽くし、まるで壁の様に迫りくるクロスマッシャーに、フェイトは一瞬魂を吸いこまれるように見入られたが、バルディッシュの鋭い一声に気を取りなおして即座に回避行動に移る。

「っ、ブリッツアクション!」

短距離での高速魔法によってさらに加速したフェイトのすぐそばを、クロスマッシャーの光が過ぎ去り、その余波だけでもフェイトの薄いバリアジャケットの装甲を恐ろしい勢いで削っている。
 フェイトの白皙の幼い美貌を、漆黒のバリアジャケットを、美しい金色の髪を、青と赤、そして白の三原色が、人など簡単に消滅させるほどのエネルギーを孕みながら煌々と照らす。

「くっ、なんて威力!」

『Sir!』

 バルディッシュの警告に意識を振り向ければ、そこにはクロスマッシャーの発射を終えて、レイジングハートを振り上げて襲いかかるヴァルシオンの巨体が目の前に迫っていた。
 天空に王のごとく座する太陽の光をさえぎり、逆光の中に禍々しい影を描いて、なのははレイジングハートを振り下ろす。
 びょう、と鳴ったのはレイジングハートに抉り裂かれた風の悲鳴に違いない。
 何時の間にその姿を変えたのか、黄金の三日月を先端に象ったような魔法の杖であったはずのレイジングハートは、長巻に近い形状の長大な刃物と変わっていた。優に三メートルを超す分厚く長い刀身は、薄紙を切り裂くようにフェイトの体を真っ二つにするだろう。
 風を切り裂く速さで振り下ろされた白銀の刀身に対するフェイトの反応は、素晴らしいという一言に尽きた。高速魔法の使用による加速が終わらぬ段階で急制動をかけて、小さな体の挙げる軋むような悲鳴に耐えながら、フェイトは進行方向を真逆のものにかえて無理矢理レイジングハートをかわし、白銀の死から遠ざかって距離をとる。
 少しでも危険から遠ざかりたいという本能的な恐怖が、フェイトになのはから距離を取らせるという選択肢を取らせていた。

『ほう、よい動きをするな。目も反応も魔法の扱いも申し分ない。これはマスターだけでは危うい相手だ』

『I quite agree with you(同意します)』

「うう、それは分かるけど、ヴァルシオンは何で私の事を無視して勝手に動いちゃうの! それにレイジングハートは私の知らない形になっているし、もう分けわからないよ! ていうかいまのってあの子が真っ二つになっちゃったらどうするつもりだったの!!」

『This is Divine Arm mode.Master(ディバイン・アームモードです。マスター)』

『本来は私の手持ち武装の一つだ。レイジングハートにデータをインストールしておいたからこれで接近戦にも対応できるぞ。安心したまえ、非殺傷設定にしてあるから精々骨の五、六本が折れる程度で済む』

 なのはの抗議にまるで堪えた様子もなく、ヴァルシオンは淡々と説明に興じるきりだ。良くも悪くもマスターに対して自分のペースを維持しているのだが、デバイスというにはいささか問題があるように感じられる人格設定だ。

『扱い方もマスターにダウンロードしておいたから、使い方は把握しているだろう? 私の装甲と歪曲フィールド、マスター自身のバリアジャケットにプロテクションがあれば、SSランクの砲撃にも余裕で耐えうるだろう。防御に専念すればあの黒衣の少女の魔法はおおむね通じるまいよ』

「それは頼もしいけど……、うう、なんだかなあ」

 ヴァルシオンを起動させてから納得のゆく展開になっていない現状に、なのははあからさまな不満を見せている。ヴァルシオンは、マスターから買われている不興の理由の一つを推察し、あえて述べてみる事にした。

『まあ、いまのマスターを見て誰も魔法少女だとは思うまいな。諦めたまえ』

「ひ、人が気にしている事をそんなにはっきり言うのはよくないとなのはは思います!」

 図星だったらしい。ふっくらほっぺに朱の色を浮かべて可愛らしく怒って見せるなのはをからかうように、ヴァルシオンは答えた。

『ははは、六メートル近いロボットに変身しておいていまさら何を言うのかね? どこの世界に人型機動兵器に変身する魔法少女がいるものか。いやいや、ここに居たな。これは失礼』

「う~う~う~、ヴァルシオンは意地悪だよう」

『マスターへの愛ゆえと思ってくれたまえ。さて、このまま攻勢に転じるべきだな。後はマスターの指示に従うので、好きなようにして構わんよ』

「本当に私ってヴァルシオンのマスターなのかな、レイジングハート?」

『Cheer Up, Master(元気を出してください、マスター)』

「うう、私の味方はレイジングハートとユーノ君だけだよ」

 よよよ、となのはは涙を流す真似をするものの、頭頂高5.7メートルの巨大ロボットと化したなのはがそのような真似をした所で、可愛らしさなど欠片ほどもなく、むしろその異様な外見とのギャップの激しさに、気色悪さを覚えるだけだろう。
 とにかく、気を取り直すことには成功したなのはは、本当にヴァルシオンのコントロールが自分に戻ったのを確認し、改めて自分の意思でフェイトと対峙する。
 ヴァルシオンの中身の少女が本人としてはいろいろと複雑な思いを抱えつつも、こうして対峙しているとは知らぬフェイトは、悪寒と共に背筋を流れる冷や汗を拭いたい衝動をこらえて、気負されぬよう力を込めて見つめ返した。

「なんだかいろいろとあったけど、今度こそちゃんと私の意思で戦うから!」

 いろいろとあったのはなのはとヴァルシオンの間だけである。

『Divine Shooter』

 ディバイン・アーム形態を維持しているレイジングハートの刀身を囲むように、再びディバイン・シューターが四つ形成され、螺旋の軌道を描きながらフェイトへと餓えた狼のごとく襲いかかる。
 抜きつ抜かれつ、速度を変え、曲線の軌道を幾重にも描いて予測を困難なものに変えて迫るディバイン・シューターは、ヴァルシオンの演算能力がレイジングハートに加味されたことでその誘導性の高さをはるかに向上させていた。
 高速移動魔法であるソニックムーブも織り交ぜながら、フェイトは全方位から絶えず襲い来るディバイン・シューターの迎撃と回避に、尖らせた神経があっという間に削られてゆくのを自覚した。
 フェイトは、明らかに戦い慣れておらずまた他の魔導師との遭遇と戦闘に大きな動揺に襲われていた少女と同一人物とは思えない誘導性魔力弾の精密さに、舌を巻く思いをしながら、正面と左手上方から流星のように降り注いできたディバイン・シューターに、右手のバルディッシュと左手に発生させたラウンドシールドを叩きつけて相殺する。
 両腕から伝わる魔力弾崩壊の衝撃に、整った造作の目元を顰めながら、残る二発のディバイン・シューターと鮮血色の巨体を探す。

「ディバイーーン……」

『Buster』

 聞こえてきた可憐な声と収束する巨大な魔力に気付いて背後を振り返れば、ディバイン・アームの刀身を消し、デバイスコアである赤い宝玉状のパーツを、両端の長さが異なる音叉で囲んだシューリングモードに戻ったレイジングハートの先端に、何重にも環状の魔法陣が展開されて勢い激しく回転を始めていた。
 ヴァルシオンに搭載された擬似リンカーコアが周囲の魔力素を吸収・変換して、主であるなのはとレイジングハートに供給し、なのは単独でのディバインバスターの倍近い莫大な魔力がレイジングハートの先端に球形の魔力塊となる。
 なのは単独での砲撃がAAAランク相当の砲撃だが、なのはとヴァルシオン共同でのディバインバスターは、Sランクを容易に超える威力を持っているのは間違いない。
 フェイトが捜していた残る二発のディバイン・シューターは、既に自壊させて魔力に還元し、それをヴァルシオンの擬似リンカーコアでもって吸収し、ディバインバスターの威力向上に回していた。
 金属の弦を鋸で引くかのような異様な高音と共に練りに練り上げられた莫大ななのはの魔力が、ついに桜色の奔流となってフェイトへと解き放たれる。その瞬間、間違いなくフェイトの表情は恐怖と驚愕の二つに支配されていた。

「っ!!!!」

 太陽の光を押しのけ、眼下に広がる森の木々をすべて桜色に染め上げるディバインバスターは、もはや砲撃と呼べるレベルを超えた砲撃であった。
 美しい輝きを放ちながらなのはからフェイトへと一直線に伸びるディバインバスターは、フェイトの目には死という結末が、破壊という現象が、絶望という感情が、美しい光となって自分に襲いかかってきたのかと錯覚に陥る。
 それほどまでになのはとヴァルシオンの産出する圧倒的な魔力が込められたディバインバスターに『死』を意識させられ、『破壊』させられると思い知らされ、『絶望』に打ちのめされた。
 それでもなおフェイトの肉体は生存への欲求に突き動かされて、ディバインバスターの射線軸から逃れる事に成功する。回避した後の事などまるで考える余裕のない、とっさの回避行動であったことを、蝋人形の様に顔色を蒼白に変えたフェイトの顔が物語っている。
 戦闘中であるにもかかわらず、つい、安堵の吐息を零してしまいそうになったフェイトの心臓を、聞こえてきた恐怖の言葉が握りしめ、震えあがらせた。

『Divine……』

「バスター!!」

「う、そ」

『チャージなどさせるか、と言われるかといささか期待したのだがね』

 既にチャージを終え、先ほどと同じ、いやさらに輝きを増したディバインバスターの引き金に指を添えたなのはの姿と、もはや災害というほかないレベルの桜色の砲撃が、フェイトの脳裏に恐怖の二文字を無理矢理に刻み込む。
 もはや言葉もなく必死の思いで――真実、フェイトはあの桜色の砲撃飲まれたら最後、自分には灰も残さず消滅させられると恐怖していた――回避行動に全霊を注ぐ。
 桜色の砲撃はフェイトのバリアジャケットの一部であるマントの端を飲み込むも、はるか地平線の彼方へとその矛先を伸ばし、フェイトの幼い肢体に触れる事はなかった。
 生物的本能に突き動かされ、フェイトの持てる全スキルを動員した回避の選択肢は、見事その正しさを証明するように、ディバインバスターの回避に成功する。
 しかし、ああ、しかし、フェイトの絶望は終わらない。恐怖は終わる事を許さなかった。

「ディバイーーン……」

 フェイトの赤の瞳が映し出すは、三度、レイジングハートの先端に生まれ、瞬く間に巨大化してゆく桜色の破壊の化身。
 なのは自身が保有するフェイトと遜色のない莫大な魔力に、ヴァルシオン自身が産出する魔力に加味されたことでディバインバスターの発射に必要なチャージタイムと、砲撃それ自体の出力が凄まじく向上しているゆえに可能な、ほとんど間を置かぬ連続射撃だ。
 威力もまた連射速度に比例するように強化されており、なのは単独でもAAAランクに相当する威力を誇るが、ヴァルシオンから供給される魔力によって強化されたディバインバスターは、いまや完全にSランクを超す破壊の域に達している。
 フェイトが全力で防御に徹したとしてもおそらくは完全に防ぎきることはできないだろう。ゆえにフェイトに許された選択肢は、あるいは取らざるを得ない選択肢は回避以外にありえなかった。

「バスターーー!!!」

「くっううう……!」

『Buster』

「あ、く、ま、まだまだぁ!」

『バスター!!』

「私、私……はぁ!」

 なのは、レイジングハート、ヴァルシオンによる三連の砲撃に、バリアジャケットの一部であるマントの端を消し飛ばされつつも、フェイトは恐怖に青白く染められた顔を桜色に照らされながらも、かろうじて回避に成功し続ける。
 瞬時に無数の選択肢の中から正解を掴み取らねば絶望と恐怖と苦痛が蠢く奈落の底へと叩き落とされる砲撃の雨を前に、フェイトはいまにも波を被った砂の城の様に崩れ落ちようとする精神をなんとか支え、バルディッシュと共に飛翔し続ける。
 しかし、なおもフェイトに迫るは無情なる桜色の砲撃。

「ディバインバスター! ディバインバスター! ディバインバスター! ディバインバスター! ディバインバスター! ディバインバスター! ディバインバスター! ディバインバスター! ディバインバスター! ディバインバスター! ディバインバスター! ディバイーーーーンン…………バスタァアアーーーーーーーー!!!!」

「い、いやぁああああ!?」

 フェイトにとっての不幸は次元世界を見渡しても屈指の天才であるビアン・ゾルダークが、趣味と技術と資金を費やして作り上げた最高傑作であるヴァルシオンの内蔵する魔力コンデンサーの容量が、実になのはのディバインバスター二十二発分に相当したことと、ヴァルシオンに搭載された画期的な機能に依る。
 ヴァルシオンには一分ごとに着用者の最大魔力量の三割を回復させるという驚異的な機能が内蔵されているのだ。戦闘の幕が切って落とされたら、後は魔力を消費する一方であるはずの魔導師の戦闘において、これほど画期的かつ反則的な機能も珍しい。
 このヴァルシオンの回復機能によって、なのははヴァルシオンセットアップ後の戦闘で消費した魔力を、ディバインバスター連射前に回復しきった状態にあったのだ。
 なのは自身の魔力保有量とヴァルシオンがあらかじめ内蔵していたコンデンサー内の魔力、さらには着用者の魔力を自動で回復させる機能によって、暴風雨の如きディバインバスターが、フェイトの全身を飲み込み、戦闘能力を奪うべく襲いかかることとなったのである。
 世界のすべてを消滅させんとする魔王の暴虐のごとく放たれた桜色の砲撃は、フェイトにとって生肌にがりがりと深く爪を立てられるかの如く精神的苦痛を強いる恐るべき恐怖そのものであった。
 しかし、いかになのはとヴァルシオンの魔力量が呆れるほど膨大なものであったとしても、決して無限ではありえない以上、いつかはこの砲撃の雨も止むことは必定であった。
 砲撃と共に世界に響き渡る魔獣の方向の如き砲撃音が絶え、静寂の帳が世界に降りた事を、フェイトは張り裂けんばかりに鳴り響く心臓の音と、荒々しく狂った呼吸の音で気づいた。

「終わった……の……?」

 ディバインバスターを放つ魔力が遂に尽きたのか、ヴァルシオンを纏うなのはは、シーリングモードのレイジングハートを構えた姿のまま、動く様子を見せず、フェイトの動向を注視するように動きを止めている。
 自身の持てる技術のすべてと機転を用いて回避に専念したフェイトの疲労は決して小さいものではなく、陽光がそのまま神の手で紡がれたように美しい金の髪には大粒の汗の球が滴って、フェイトの小さな額や荒い吐息によって朱が昇った頬に数本張り付いている。
 なだらかなラインを描く胸やお腹、背中からブーツに包まれた爪先に至るまで恐怖によって全身から生じた汗がぐっしょりと濡らしていて、それを拭いたい衝動をフェイトは必死に抑えていた。
 目を離したその瞬間に、ディバインバスターかクロスマッシャーを放たれて、回避し損ねようものならば、フェイトの意識は瞬く間に暗黒の底へと叩きこまれることは間違いない。

(いける? それともフェイク?)

『――Sir?』

「大丈夫だよ、バルディッシュ」

 無理をする必要はない、と暗に気遣うバルディッシュの心遣いに感謝の念を覚えながら、フェイトは儚い微笑を返す。
 フェイトは萎えかけている自分の中の戦う意思を再び立て直すために、自身の戦う理由に思いを馳せた。たとえ魔力が尽きていると分かっても、目の前に立つ巨大な鮮血色の鉄巨人に挑むと考えただけでも足が竦み、腕が震える。
 再び勝利を目指して戦いを挑むためには、どうしても自分を叱咤する必要性がある事を、フェイトはよく理解していた。

――私が、ジュエルシードを求める理由。私が戦う理由。私は、あの人に、もう一度!!

 なのはへの警戒をバルディッシュに託した一瞬の間目を瞑り、再び開いた時、フェイトの赤の瞳の中には静かに、しかし激しく燃え盛る闘争の炎が灯っていた。

「バルディッシュ!」

『Yes,Sir.Scythform』

 戦斧形態であったバルディッシュが、ブレードの位置をずらし幾度かの可変を行う事でその先端の変形を終えるや、フェイトの魔力によって死神の携える鎌の如き黄金の刃がバルディッシュから伸びた。
 到底近接戦には向いていない大鎌という形態ではあるが、全身のバネを活かして振るう事が叶えば、まとめて人間の首など何人も刈り飛ばす事の出来る武器だ。
 当然というべきか、フェイトはヴァルシオンと化したなのはとのロングレンジでの撃ち合いを、選択肢の中から真っ先に捨てている。
 フェイトはクロスレンジでの戦闘も得意とするが、保有する攻撃魔法の大部分は射撃・砲撃魔法だ。火力を優先するならミドルからロングレンジでの撃ち合いとなるが、この分野においては、到底目の前の魔導師には及ばない事を、先ほどまでの一方的な砲撃戦で骨身に思い知らされた。
 サイズフォームになったバルディッシュの魔力刃でも、はたしてアーマードデバイスの装甲に通じるかどうかはまるで自信がなかったが、距離を置いて射撃魔法や砲撃魔法を撃ち合うよりも百倍も万倍も勝利の目があるだろうと、フェイトには思えてならなかった。

「ソニックムーブ!」

 必死の覚悟が滲むかのようなフェイトの短い呟きに、バルディッシュは忠実に答えた。

『Yes,Sir』

 疾風の速度を得て、急速に加速する世界の中で、フェイトは右に左に、上に下に多角的な直線軌道を描き、少しでもなのはの目を誤魔化すべく動きを複雑なものへと変えながらバルディッシュの刃を届かせるべく、なのはとの距離を縮めてゆく。
 その懸命な努力さえ、ヴァルシオンにとっては想定の範囲内であった事は、彼女にとって不幸なことであっただろう。ビアン・ゾルダーク本人の音声を使ったヴァルシオンの低く威圧的な声は、こう呟いた。

『プロペラントタンク、ロード』

 その響きが虚空に散るのと同時に、ヴァルシオンの巨躯のどこかから筒の様なものが排出されたのを、フェイトの瞳が映すのに前後して、ヴァルシオンから失われたはずの圧倒的な魔力が溢れだす。

(――どう、して!?)

 大鎌へと姿を変えたバルディッシュを振り上げた姿勢で吶喊した自分を止める事はもはや不可能。そんな距離で、ヴァルシオンは自分自身となのはに消耗した魔力をすべて余すことなく補給し終え、背中に負ったパーツから伸びる細い触角の様なスタビライザーを展開する。

「受けてみて、メガ・グラビトン・ウェエエッッブ!!!」

 なのはの小さな女の子らしいソプラノボイスがその武装の名を叫んだ瞬間、ヴァルシオンの周囲に漆黒の風が吹き荒れ始め、それは瞬く間にフェイトの全身にぬるりと絡みついてその自由を奪い去る。

「体が、動か、ない!?」

 いまやフェイトの全身を余すことなく束縛する漆黒の重力風は嵐と変わり、周囲の木々や地面を巻き込みながら、ヴァルシオンと化したなのはの周囲を餓えた龍が狂乱するかのごとく破壊し始める。
 フェイトは残る魔力をバリアジャケットの強度と純魔力盾であるラウンドシールドの形成に回すも、常時全身に襲い来る偏重重力が負荷を齎し、連続して移動魔法を行使して消費したフェイトの残存魔力を貪欲に貪ってゆく。

「重、い。潰され、ちゃう……」

 完全にフェイトが超重力の嵐に飲み込まれて、脱出する事も反撃をする事も出来なくなった頃を見計らって、重力操作の為に機体を固定していたなのはは、メガ・グラビトンウェーブの最後の仕上げとばかりに、ヴァルシオンの全身から重力衝撃波を放ち、重力の嵐の中に飲み込んだ全てを更なる破壊へと追い込んだ。

「!!!」

 自分のすべてを飲み込む光の前に、フェイトは今度こそ意識のすべてを奈落の底へと沈めた。地盤がむき出しになり巻き上げられた土砂と木々とともに落ち行くフェイトへと、返り血に染まった魔王のごとき巨影の手がゆっくりと伸ばされていった。


続く

パラメータはSRWOGsを参考にしたものです。おおざっぱな数字なのであまり深くは気になさらず。
ユニットステータスはオリジナルヴァルシオン、武装は隠しユニットのヴァルシオン改を基にしております。HPを45000→10500に変更しました。

ユニット名:ナノシオン

HP10500 EN:450 運動性:95 装甲:2200
移動力:7 強化パーツスロット数:2 プロペラントタンク
                   リペアキット
特殊能力
 歪曲フィールド         すべての兵器によるダメージを半分に減少
 バリアジャケット(ナノシオン) すべての兵器によるダメージを2000まで軽減
 EN回復(大)         フェイズ開始時にENを最大値の30%回復

武器名 属性 種別 攻撃力  射程   命中 CT  弾  EN  気力
射 エナジードレイン    
    S ―   1900 1~6 +70 ±0   2   ―   ―
射 アーマーブレイカー
    S ―   2200 1~6  +70 ±0   2   ―   ―
射 ウェポンブレイカー
    S ―   2200 1~6  +70 ±0   2   ―   ―
射 ディバイン・シューター
    P ―   3000 1~5  +30 +20  ―  10  ―
格 ディバイン・アーム
    P 接近  3200 1~2  +35 +30  ―   ―   ―
射 ディバインバスター
    ― MAP 3700 2~10 +10 ±0   ―  70 110
射 ディバインバスター
    ― ―   4000 1~8  +25 +10  ―  20  ― 
射 クロスマッシャー
    ― ―   4300 2~9  +35 ±0   ―  20  ―
射 スターライトブレイカー
    ― MAP 4600 3~12 ±0  ±0  ― 100 130
射 メガ・グラビトンウェーブ
    ― ALL 4900 1~10 +40 ±0  ―  30  ― 
      バリア貫通
射 スターライトブレイカー
    ― ―   5400 3~10 -10 ±0   ―  80 120
      バリア貫通
射 全力全開※
    ― ―   6300 2~7  +20 +20  ― 120 140
      バリア貫通

※メガ・グラビトンウェーブ → バインド → アーマーブレイカー → ディバイン・シューター → エナジードレイン → ディバインバスター → クロスマッシャー → スターライトブレイカー の一連のコンボ。

パイロット名:高町なのは 性格:普通
精神コマンド:不屈、必中、信頼、直撃、熱血、覚醒
特殊技能: ガンファイト、アタッカー、気力限界突破、底力、気力+(命中)、闘争心

 なのはは若干サド仕様の精神コマンドと特殊技能持ちです。
 ところで皆さんはリリなのキャラとバンプレオリユニットならどう組み合わせますか?
 私は中のヒト的にシグナムとアンジュルグ、ヴァイサーガ、グルンガスト零式と参式、ダイゼンガーとか。
 スバルあたりはソウルゲイン、雷鳳、アルトアイゼンあたり。
 ティアナはアウセンザイターやアシュセイバーとあか射撃メイン。
 なのはなヴァルシオンもそうですがラーズアングリフとか砲撃ユニットというイメージです。
 はやては、BJ姿を考えるとアストラナガンあたりになるんでしょうかね?

 7/22 タイトルを一部変更しました。



[11325] その27 スペクトラルフォース オリキャラ
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/07/27 23:04
マイナーSLG スペクトラルフォースの原作開始より十五、六年ほど前を舞台としています。以前、その他板で投稿させていただき、思うところあって削除したものです。

スペクトラルフォース 古えからの呼び声(オリキャラあり)

第一話 死者の王国へ

 ここではないどこか。
 今ではないいつか。
 その世界はネバーランドと呼ばれていた。
 人間、神、魔族、エルフ、ドワーフ、ドラコニアン、バードマン、人魚、カエル、ネコ、数多の種族達が生きる自然豊かな原生の大地。
 しかし、ネバーランドの歴史は同時に常に戦と共にあった。神と魔、人と魔の対立をはじめ、異種族間のみならず勢力を増した人間同士の、同種族による戦争。
 有史以来ネバーランドの大地には、常に血と死と嘆きと憎しみが、投げ落とされた影の様に存在していた。
 そして、神々の住まう天界より、軍神ジャネスが眷属を従えてネバーランド大陸へ降臨し、大魔王となって人類への支配宣言を下してから九〇〇年余りがたった、 魔導世紀九八×年。
 決して歴史の表舞台には立たぬ、生と死の物語が始まろうとしていた。


 ソレは数千年間に及ぶ時の中、存在と同時に与えられた命令を愚直に守り続けていた。ソレが経験した時の流れの長さを知ったならば、誰もが疲れを感じてしまうほどに長い間、ずっと、ずっと。
 朝と昼と夜、日に三度、二つの場所へ向けて連絡する事を存在の意義とするソレは、また新たな一日を迎え、いつもと変わらぬ一日を終える筈であった。これまでの数千年はそうやって過ごしてきたのだ。
 だが、その日はどうやら違うようであった。大陸の西部を襲った小規模な地殻変動が、ソレが存在する施設に、数千年ぶりに太陽の光というものを教え、同時に時の流れの果てまでも封じ続けねばならぬモノ達に目覚めを齎してしまったからだ。
 鈍い銀色に輝くソレは、魔法と科学技術の融合によって半永久的に朽ちる事の無いボディから、レーザー通信と亜空間跳躍信号を、遥か数千キロ彼方と別次元に存在する空間の二か所へ向けてはなった。
 ソレが監視する施設の異変に応じて、異常事態を告げる信号を送る。ただそれだけがソレの存在意義であった。もはや役目を終えたソレは、ゆっくりと機能を停止しつつあった。
 疲れ果てた老人が、ベッドの上で安らかな眠りに落ちて行くように静かに、誰に看取られることなく。



 ネバーランド大陸北西部ネウガード。ジャネスがその眷属達と共に降り立った大地であり、その本拠地として人間勢力に恐れられ、一時期は見せしめの為に戦いに敗れた人間達の死体が磔にされていた事もあり、時に魔界と呼ばれる場所である。
 ネウガードをさらに北西に進んでゆくと、氷の塊が浮かぶ黒い海を背後に、切り立った崖の上に立つ巨大な城塞が姿を露わにする。
 ジャネス降臨から幾度となく人間達との戦いの場となりながらも、難攻不落、不敗を誇るジャネスの居城であった。
 天界の技術を持って建造された城塞は、見る者を圧倒する巨大なスケールだ。年に数日しか晴れる事が無いと言うネウガードの分厚い灰色の雲を天に配し、黒い山の様に聳えるその光景は、見る者を圧倒する威圧感さえ伴っていた。
 外見のスケールに比例し、内部もまた巨大で、かつて神であったものが、その叡智と技術で作り上げたに相応しい質実剛健な造りである。
 はるか頭上の天井には薄暗闇が天蓋の様に蟠り、床や壁に至るまでがすべて天界の技術による産物で、通常の方法では傷一つ付ける事さえもできない。
 軍神であったジャネスの意向によるものか、華美さや豪奢な調度品よりも、城としての機能を優先されているのだろう。
 魔法の力によって半永久的に光を放つ燭台がずらりと並ぶ城塞の廊下を、歩く影があった。長々と廊下に這う影は、女のものだ。
 金糸の刺繍があしらわれ、胸元や大胆なスリットの入った紫のドレスを纏った妙齢の女であった。周囲が真正の闇であっても、仄かに光輝くような美女であった。
 かすかに紫の色を刷いた白銀の髪は腰に届くまで長く、艶やかに流れている。機織の神に愛されたものが、魂を込めて紡いだ様に美しい。
 どんな美女と比べても劣る事はないとはっきりと分かる眼鼻の絶妙な配置。流れ星の軌跡の様にすっきりと通った鼻梁。小さな造りの唇は、今は固く閉ざされている。
 処女の血を凝固させて象眼したかのように妖しいまでの輝きを持った赤い瞳。褐色の肌には染みも傷も見受けられず、絹の手触りに勝る肌理細やかさが見て取れた。
 白銀の髪からは笹の葉の様な横に細長い耳が突き出ている。赤い瞳、そして尖った耳の形。褐色の肌とあいまってネバーランド大陸南東にあるトライアイランドに住むダークエルフと見間違うかもしれないが、この女性は魔族であった。
 知力、体力、魔力、寿命。あらゆる点において人間を凌駕し、かつては天界に在り至上の存在として人間達から崇拝の念を集めていた、元・神――魔族。
 足元のブーツがかつんかつんと、硬質の音をたてながらある部屋で止り、一際重厚な造りの扉を、女の繊手がそっと押した。
 幾人もの人間の賢者や勇者たちを向かい入れ、その数だけ新たな冥界の住人達を送り出してきた扉は、数十トンはありそうな重厚さながら、一切音を立てずに左右に開かれ、女に通行を許可した。
 大魔王ジャネスの居城に置いてもっとも神聖不可侵とされた空間に、女は慣れた様子で足を踏み入れた。扉から一直線に伸びる鮮やかな赤色の絨毯の上を、女は歩いた。
 その視線の先に、巨大な影があった。まるでこの城塞そのものを前にしたような、いやそれを上回る重厚な気配。荘厳さにさえ通ずる威圧感。並みの人間なら、並みならずとも、思わず膝を屈して、考える事を放棄してしまいたくなる別次元の存在感。
 ネバーランド三柱神の一にして、全魔族の頂点に君臨する大魔王ジャネスその人であった。二メートルを優に超す巨躯が、ゆうゆうと玉座に腰かけて女を待っていたのであろう。
 龍の頭蓋を模した肩当てと、いかな名人の振るう刃も通さぬと見える鎧をまとった姿だ。白銀の髪を後ろに流し、両の側頭部からは太く鋭い角が生えている。
 五十代頃と見える顔立ちには大魔王の肩書に相応しい威厳と、巌の様な厳しさが浮かんでいる。
 女はジャネスの前で足を止めて、膝を屈する事も首を垂れる事もなく、唇を開いた。
 魔族の王を前にして通常では考えられぬ無礼だ。その場で処断されても文句は言えまい。
 金鈴を鳴らすよう声には、どこまで落ち着き払った理性の響きがあった。少なくとも王の不興を買う事を楽しむ性根の持ち主とは思えない。

「お呼びとあってまかりこしました。どのような御用なのです?」
「お前を呼んだのはほかでもない。また、ある場所へ赴き、災厄の芽を摘み取ってもらいたいのだ」

 答えるジャネスの声は、それ自体が途方もない質量を伴っているかのようだった。何と堂々とした気迫である事か。この声に打たれただけで、振り上げた刃を硬直させた歴戦の猛者は少なくない。
 分かるのだ。ただそこに居るだけでも感じていたそれが、ジャネスの声を聞き、力を感じ取る事ではっきりと。格が違う。次元が違うと。
 しかし、女はジャネスが自然と伴う威圧感もどこ吹く風と言った様子で、かすかに細い首をかしげて問いを重ねた。ジャネスが、また、と言ったように何度か同じような頼まれ事をしているらしい。

「昨夜、シグロードにあると地下遺跡の監視装置から異常事態を告げる報告があった。施設は古代ストーンカ帝国文明の秘匿施設だ」

 古代ストーンカ帝国とは、およそ有史以前にネバーランド大陸を統一し支配していた伝説の帝国だ。極めて高度に発達した科学と魔法が融合した文化を持ち、一説にはほかの大陸をも支配していたと言う。
 しかし、およそ二千年前に、他国との戦争ないしは内紛によって滅んだとされている。ネバーランド大陸には、今も古代ストーンカ帝国の残した文明の名残や遺跡の数々が眠っている。
 とはいえ、いくら現行のネバーランド大陸の技術水準を超越した古代ストーンカ帝国の施設といえども、大魔王が気に掛けるほどのモノがそうそうあるとは思えない。だが、現実に大魔王は女を招聘し、こうして施設への派遣を命じている。
 それ相応に危険な代物が眠っていると言う事だろう。女の視線にジャネスは一度厳かに頷いてから答えた。

「その遺跡には……」

 揺らぐ魔法の光に落とされた女の影が、首を縦に動かして了承の意を告げた。ジャネスの告げた内容に、確かに下手なモノを派遣するわけには行かないと納得したのだ。何を告げられたものか、神々しいまでの美貌に険しいモノを浮かべている。

「分かりました。早速、支度を整えて向かいます」

「お前にはいつも苦労をかける。すまんな」

 冷酷無情な魔族の王として人間達から恐れられる存在とは思えぬジャネスの言葉であった。ましてや、言葉には心が籠っているではないか。本当に、女の身を案じているらしかった。
 女は、くすりと小さな笑みを浮かべた。泣いている子供もつられて笑ってしまいそうな笑みだ。女は、大魔王と恐れられる目の前の人物が、人並みの親ほどには優しい事を知っていた。

「いつもの事ですわ、お父様」

 そう言って、女――正義の基準を司る神ジャネスと、慈愛の女神ヒュリナスとの間に生まれた女神プラーナは、玉座の間を後にした。



 緑の連なりが、大きく広げられた巨人の手の様に見えるほど深い森の中を、プラーナは歩いていた。父ジャネスの命を受け、すぐに支度を整えて城の地下にある転位魔法陣と飛行魔法を併用して、目標の遺跡まであっという間に到着している。
 両の手に余るほど豊かな乳房と、むしゃぶりつきたくなる位に円やかなラインを描く尻、それらを繋ぐ腰の絶妙なくびれ。
 それらを併せ持った奇跡の産物の様に豊かな体のラインを、はっきりと浮かび上がらせる黒いインナーの上に、魔力を込めて編みあげた深いスリットの入った上衣を纏っていた。
 あとは魔法銀――ミスリルを加工した肩当てや、腰に回したベルトにいくつかのポーチを括っている程度の軽装姿であった。
 魔族としての最高血統を受け継ぎ、ジャネスのネバーランド降臨時から側近として共に戦い続けたプラーナは、名実ともに魔族のナンバー2であり、魔王軍五将軍、通称五魔将と呼ばれる最上級魔族の筆頭を兼ねている。
 そのプラーナの保有する莫大な魔力が、無意識のレベルでプラーナの肉体を防護する魔力障壁を常時展開しているから、下手な防具などはかえって邪魔にしかならない。
 ましてや戦闘ともなれば一流程度の戦士では肌に傷一つ付けられないレベルにまで障壁の防御能力が向上する。それ故の軽装姿であった。
 獣道さえも碌にない森林の中を分け入って一時間ほど歩いたが、プラーナはその美貌に汗一つ浮かべてはいなかった。
 世代を重ね、力が衰えた魔族はともかく、上位魔族ともなればその強靭な肉体と魔力を糧に、食事や睡眠といったものをほとんど必要としなくなる。
 プラーナが疲労の影や汗の粒一つ浮かべずにいるのも魔族ならではの超人的身体能力に支えられているからだ。
 液体となって滴り落ちてきそうなほど明るい太陽の光に白銀の髪は、滝の様に輝き、在るか無きかの風に触れてはきらきらと光の粒を纏っている。
 見かけたものがその場に呆けてしまいそうなほどに幻想的で美しい姿は、まさしく女神のものであった。
 脛まで覆う火竜の皮製ブーツが、落ち葉を踏みしめて止まった。プラーナは左手首に巻いた金鎖の腕時計に目を落とした。側面にある突起物を捻り、かちりかちりと短針が動いていた画面が切り替わる。
 真黒い画面の中央に浮かび上がった点がプラーナを表し、北の方角を示す方向にある白い点が、目標の施設であった。
 それから突起物を何度か操作して、施設の入り口を確認していたプラーナが、不意に眉を顰めた。

「私よりも先に、お客さんが来ているようね」

 そう呟いたプラーナの目には、山崩れによって露わになった地下遺跡への入り口を固める集団がうつっていた。一キロほど離れた丘の上である。小さな点としか見えないその集団の姿が、プラーナには克明に観察できた。

「あの姿は、ドウム? また厄介な国が動いている事」

 ネバーランド大陸ではほとんど見かけられない特徴的な姿に、プラーナは遺跡の中で戦う事になるであろう集団の姿を看破した。
 頭部をすっぽりと覆うヘルメットは通信装置、ガスマスクや暗視装置、赤外線ゴーグルの機能を併せ持ち、全身に纏ったボディアーマーはチタン合金やケプラー繊維などを用いたものだ。
 肩からベルトで吊ったマシンガンや腰のベルトの自動拳銃といった装備は、大陸南部に存在するドウム国でのみ正式採用されている。
 大陸全土に浸透している魔法を、不要と論じ代わりに錬金術を発展させた科学を用いる大陸で唯一の国だ。
 そのドウムも、大陸東方のムロマチ国同様に鎖国政策をとり、他国との交流を断絶してから久しい。そのドウムのおそらくは特殊部隊らしい一団が、国境を幾つも越えてまで果たそうと言う任務。

「どこで知ったかは知らないけれど、遺跡に眠る者の価値を彼らも知っていると言う事ね」

 プラーナはどこか楽しげに呟いてから丘を離れた。
ジャネスから渡された腕時計型のマルチモジュールに映る画面の指示に従って、ドウムの者達が見つけたのとは別の出入り口に辿り着いた。周囲に気配はない。
 数十メートルを超す巨木の根の下にある大岩をどけて、錆一つない黒光りする扉を前にしていた。
 どうみても華奢な女の細腕で、直径五メートルはある大岩をいとも容易く動かすのを見ている者がいたら、信じられずに目を擦っていた事だろう。
 身をかがめ、そっと扉の表面に触れてみる。冷たい。数千年の時の流れの経過など知らぬと告げる様に、傷一つなかった。扉の右方にあった小指の先ほどのレンズに、左手の腕時計を向ける。
 まだ遺跡の動力は生きているようで、ほどなくして扉は音一つ立てずに左右にスライドし、内部へと導く階段を覗かせた。異臭やなにがしかの物体が飛び出てくる様子はない。
 内部の循環システムも生きているのだろう。数千年ぶりに降り注ぐ太陽に晒された地下への階段は、扉同様に傷一つなく黒光りする表面をプラーナの目に映していた。
 プラーナの目的は、この遺跡の最下層にある、いや、居る筈だ。古代ストーンカ帝国の兵器開発研究所である遺跡の最下層に封じ込められた生物兵器。数千年を経てなお生きているとジャネスが断じ、その処分をプラーナに委ねた存在が。
 奈落へ通じる道の様に、地下へと続く階段を、プラーナはゆっくりと下り始めた。
 上下左右すべてが同じ材質で出来ている。天井や壁に埋め込まれた明かりが淡く廊下を照らし出していた。停止していた動力が復活したのか、はたまた元から生きていたのか。

「遺跡の防衛システムも生きていると見ていいわね」

 時折ドアが開いたままになっている部屋に足を踏み入れてみると、備え付けのベッドやデスク、床の上に書類の束やファイルが散乱している。
 この施設が破棄されたのが、敵対する勢力の襲撃にあったためと、ジャネスに教えられた事を、プラーナは思い出していた。襲撃は迅速に行われ、研究者達の避難はさぞや慌ただしかった事だろう。
 およそ半数と最重要機密のデータが持ち出された時点で、ストーンカ帝国は施設の破棄を決定し、施設をまるごと地面の下に埋没させたのだと言う。施設の中に残っていた生き残りも、襲撃部隊もまとめてだ。
 数千人規模の死者を抱えたまま長い眠りについていた施設の闇に木霊する怨嗟の声を、プラーナは聞いた気がした。
 床に散らばっていた資料や走り書きのメモに目ぼしいモノが無い事を確認してから、プラーナは部屋を後にした。
 ドウムの連中がいつからこの施設の存在を知り、調査を始めているのかは知らないが、防衛システムやおそらくは死霊化しているであろう施設の元研究員達の妨害があって、そう簡単に事は進んでいない筈だ。
 うまく立ち回れば、目的を達成するのはそれほどには難しくはないだろう。問題は、ストーンカ帝国が生み出した生物兵器の処遇であった。
 制御できるようであれば持ち帰り、対人間国家との戦闘に用いるもよし、不可能であればこの場で抹殺するようにと言われている。
 はたして生物兵器がどれほどの戦闘能力を備えているのか、ジャネスに次ぐ魔力と戦闘能力を誇るプラーナでさえ手に負えぬようであれば、確実にネバーランド大陸を炎の海に飲み込むほどの力を持っているのは確実だ。
 これまでもネバーランド大陸に害をなす可能性のある存在の排除を、プラーナは別の大陸でも行ってきたが、いつも簡単に終わった事はない。その経験が、今回の任務は一筋縄では行かないと、盛大に告げている。
 そのまま歩き続けるとエントランスホールに出た。かつては潤いをと配慮されて配置されていた観葉植物が、枯れ果てて砕けている以外は時の流れを感じさせぬ空間であった。
 二十メートルほどの高さの天井で輝く照明は、エントランスを人が賑沸かしていた頃と変わらぬ光量を維持していたし、戦闘の名残もなかった。中央にあるエレベーターに向かい、真ん中の一つの扉をこじ開けた。
 うっすらと縦に走る閉じ目に指を差し込み、いとも簡単に左右に開く。目の前には断たれたワイヤーがぶら下がっていた。
 下方と上方に向けて気配探知の魔法を放ちセンシングするが、反応はなし。

「鬼が出るか、蛇がでるか、と言った所かしら?」

 気楽に呟いて、プラーナは真っ黒い四角形の穴へと身を躍らせた。たなびく白銀の髪と上衣の裾を抑えながら、五百メートルほど落下した所で、エレベーターの底が見えた。同時に、骨の髄まで冒そうとする妖気も漂い始める。
 羽毛がふわりと地面に落ちるようにやわらかく、音もなく着地し、プラーナは立ち上がった。
 浮遊の魔法を使って着地しても良かったが、わずかな魔力も節約しようと言う意識が働いた。それに五百メートル程度の落下なら純粋な体術で着地の衝撃をほぼゼロに殺せる。
 膝をついた姿勢から立ち上がる姿もまた優雅に、プラーナは頬を叩く妖気に目を細めた。おそらく、生き埋めにされた者達の大半はこの付近のフロアで息絶えたのだろう。
 魔法や科学兵器を用いた戦闘の傷跡があちらこちらに残ったホールに出たプラーナは、四方を囲む死霊の群れを見回した。
 薄靄が塊となり、かろうじて人と判別できる程度の体裁を整えている。物理的攻撃を受け着けぬ白い霊体の中で、唯一その瞳だけが白以外の光を放っていた。
 苦しみもがいて息絶えたものが、生ある者に対して抱く無限の憎悪と殺意、破壊衝動に支えられた暗黒であった。
 天界から降臨した魔族は、ネバーランド大陸最大勢力であった人間達に比べ、絶対的に劣る“数”という問題を補うために、死霊を操り兵士とした。
 その死霊兵士やスケルトンを造り出す魔法はプラーナも習得していたが、今プラーナを囲む死霊達はその魔法を持ってしても支配下に置く事は難しいものだと一目でわかった。
 通常、魔法によって生み出された死霊やスケルトンは創造者の意のままに従う従順な下僕だが、地下で息絶え千年以上も恨み続けたこの施設の死霊達の憎悪は、魔法の支配を跳ねのけてしまうほどに強く、暗い。

<憎い冷たい暗い怖い痛い死にたくない殺せ助けて死ね死ね生きたい怖い怖い怖い冷たい暗いここは何処だ痛いのはいやだ怖いのはいやだ憎い憎い生きたい生ある者達が憎い>

 白い靄の様な死霊達の口に相当する部分が流動し、一斉に生ある者への憎悪と死への恐怖の合唱を歌いはじめる。
 ホールそのものを揺るがすほどの魂の合唱は、精神の弱い者ならその場で絶命する精神攻撃となってホールに木霊する。
 プラーナは、自分達が死んだ事さえ理解していない死霊達に憐れみの視線を向け、おもむろに呟いた。

「悪いけれど、私は貴方達の仲間にはなれないわ」

 ふ、とプラーナの体がかき消えた。風にさらわれたかのように消失した姿は、正面の死霊の一団に向けて疾走していた。天井の影が落とす自らの影に指を触れ、影の中から一振りの大鎌の柄を掴みだす。
 自らの影を収納空間とし、そこにしまっていた武具をプラーナは一閃した。赤い弧月を描いた鎌の刃に、物理的な攻撃に対して無敵である筈の死霊達は、瞬く間にその輪郭を歪めて霧散する。
 仲間の消滅に周囲の死霊達は動揺を露わにし、冷たい死者の合唱を中断していた。死霊達の動揺と怒りを束ねた視線を受け、プラーナは右手に握る大鎌の刃をかざし、死霊を屠れたその理由を告げる。

「ゲート・オブ・ヘブン。魂を直接刈り取る死の鎌よ。たとえ貴方達死霊といえどもこの刃に斬られれば、冥界へと送られる」

 超重金属で作られた鎌を軽々と振るいながら、プラーナは憎悪に揺らぐ死霊達を見た。あるいは、彼らはこの鎌に刈られる事を望んでいるのかもしれない。そうすれば、この無限の怨嗟の鎖から解き放たれるのだから。

「来なさい。天国と地獄のどちらに行くかは知らないけれど、ここではない所へなら送ってあげるから」

 五十を越す死霊の群れがプラーナへと襲いかかり、その全てが冥界へと送られるのに、さして時間は要らなかった。



[11325] その28 スペクトラルフォース オリキャラ②
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/07/27 21:15
第二話 こんにちは

 最後の死霊が消え去るのを見届けてから、プラーナは改めてホールの光景を見回した。都合五本の廊下と繋がっている。頭に入れたこの施設の構造が、地殻変動によって破壊されていたりしなければ、迷うことなく行けるはずだが。

「上のドウムの部隊がどこまで来ているのかも、気になるけれど」

 おそらくはジャネスの下にこの施設の監視装置からの通信が届くよりも早く、部隊を展開させていたに違いない。
 また、この施設に封印された生物兵器をはじめとした、超先史文明の遺産の価値を正しく理解していると言うのなら、派遣されたのは最精鋭の部隊と見ていい。
 ドウムはその歴史上、過去の大戦にも参加した事は滅多になく、国内の政治情勢や社会システムが他国にほとんど漏えいしていない。
 戦場の主役が刀剣や槍、弓矢であるのに、すでに銃器や自走砲といった兵器を配備している事くらいは知られている。
 最新鋭の装備と苛烈な訓練を施された殺戮と戦闘のプロたちが同じ施設に居る事実に、プラーナはさしたる脅威こそ感じてはいなかったが、たわわな胸の中で奇妙な予感めいたものを感じていた。
 面倒な事になる――と、長年付き合ってきた勘が告げていた。どうやら施設のいくつかの動力も無事らしく、照明のお陰で視界は明るい。同時に防衛機構や監視システムも生きている事を意味する。
 左手首に巻いた腕時計が、大概の電子装置は無効化し、高レベルのセキュリティも無効にする筈だ。
 かつてジャネスが持っていた権限が、今も生きているなら、この施設はむしろプラーナの味方に近い。そううまくいくとは、露ほどにも思ってはいなかったが。
さらに十分ほど、蟻の巣の様に規則性を持ちながら入り組んだ施設を下へ下へと向かって歩き続ける。
 照明が照らしきれぬ蟠った闇の中には比ゆでも何でもなく、この地下施設で死んだ者たちの無念と、凄惨な実験に供された者達の憎悪が凝り固まっている。精神の弱い者なら、暗闇に手をかざしただけでも失神しかねない。
 腐敗した培養液に満たされたカプセルや、何百種もの生物の標本が飾られた部屋など、見るだけで不快感を催す代物も多く、かつてこの大地の下で生命の尊厳を踏みにじる実験の数々が行われていた事を証明していた。
 腐食して、赤く濁った培養液の中に、まだへその緒が繋がった胎児が浮かんでいるのを見て、苦いモノが喉の奥から込み上げてくるのを感じながら、プラーナはがらんとした広大なスペースに出た。
 星の灯りが一つあれば、闇夜も真昼の如く見通す目に、床に固定された無数の机や、椅子、調理スペースが映る。
 およそ五百㎡の食堂だろう。無数の銃弾や、巨大な獣の爪痕、魔法によって穿たれた破壊跡からして、ここも戦場になったのだろう。
 白骨死体の一つもないのは、死霊が取りついてゾンビとなっているのか、あるいは食われたのか。乾燥した血痕が盛大にぶちまけられ、赤色以外の足の踏み場を探すのは困難だった。
 この施設で研究されていたのは人間の人為的な超人化といった外科手術などによる身体強化の他、大陸に生息する無数の生物との融合・交配実験なども含む。
 檻から解き放たれた人造の魔獣達が造物主達に対して牙を振るったのかもしれない。過ぎ去った惨禍の後を眺めていたプラーナの長耳が、ぴくんと動いた。
遠 方で轟く無数の銃声を、エルフのモノとよく似た耳が聞き取ったのだ。銃声の他にも肉をぶつ切りにする音や、骨を断つ音、尾を引く断末魔も混ざっている。
 ここまで降りてきたドウムの部隊が、地下施設で生き延びていたモンスターの類と交戦しているのだろう。
 遭遇したならば絶対に倒さねばならぬほどの敵性勢力ではないが、ジャネスから危険視されているドウムの者達を助ける義理もないし、今回の任務の目的を考えればまず間違いなく敵対する連中だ。さて、どうするかと、プラーナは思考の海に潜った。
 タタタ、と軽快な音を立てて毎分900発の弾丸のシャワーが降り注いでいた。食堂の先に在る廊下だ。
 幅八十メートル、高さ五十メートルはある。内部で運搬する物体が、相応のサイズを要求した結果だろう。
 かつて大陸最強種であったドラゴンや巨人達も飽くなき実験に供した施設の中で、ドウム国の兵士の一団が、過去の亡霊からの攻撃にさらされてまた一人、また一人と血の海に沈んでいた。
 ぶつん、と耳の奥にこびり付くような音がした。前方十五メートルの位置には黒光りする装甲を纏った十本足の巨大な甲虫がいた。
 左右に深紅に輝く瞳を八対備え、両前足に備えた爪は二メートルもある。大陸中央部に生息する甲虫バジアルドの遺伝子を操作して生み出したモンスターであろう。
 弧を描いて尻部から延びた尾の先端には、特殊合金をサンドしたボディアーマーを容易く貫き、一マイクロリットルで人間を即死させる毒液が滴っている。
 残りのドウム兵が闇の彼方から襲いかかってきた甲殻類を改造したらしいモンスターに向けて、ライフルの銃身下部に在るグレネードを放つ。
 ぽう、とどこか気の抜けた音と共に飛翔したグレネードは、見事に目標に命中して大爆発を起こす。7.76ミリ弾頭は全て甲虫の甲殻に弾かれたが、グレネードならば。
 そう希望に縋る最後のドウム兵の目の前で、煙を割いてキシキシと甲殻を軋ませながら甲虫が姿を見せた。
 すでに三名の仲間は死に、残るのは自分一人きりであった。手持ちの武器でグレネード以上の火力はない。
 それでも、ドウム兵は自分の胴を甲虫の尾が貫くまで死にたくないと願った。瞬く間に体内に浸透する毒液に痙攣しながら、絶命する兵士の姿に甲虫は喜びを覚えているようだった。
 死体を貪り食らうべく口元へは持って行かず、しばらく尾で貫いたまま空中で揺すったのである。やがて、何の反応もない事を確かめるや、ゆっくりと尾をたわめて眼の下に口元へと運ぶ。
 その途中で縦に走った真紅の一文字に、尾は呆気なく両断される。緑がかった青い体液と毒液を零す両断面を晒しながら、死体を突き刺したままの尾がぼとりと音を立てて落ちた。
 かなり高い知性も持ち合わせていたのだろう。甲虫は明らかに動揺した素振りを見せ、しかし次の瞬間には縦に両断されていた。

「もう少し早く決断するべきだったわね」

 ゲート・オブ・ヘブンを一振りし、毒液や体液を払ったプラーナだ。甲虫に襲われていなかったら、自分が始末していたかもしれない連中だったが、無残な死に様にはそれなりに胸が痛んだ。
 既に九百年以上戦場で死を振りまきながら、死者を前にした時胸の奥で生まれる痛みは、一向に消えようとしない。慈愛の女神であったと言う母の血の所為かも知れない。廊下の上で既に息絶えた者達を巡り、順番に開いていた眼を閉ざしていった。
 尾に貫かれた最後の一人の顔立ちは、まだ少年と呼ばれるものだった。幼い頃から家族と引き離され、苛烈な訓練に耐えて来たのだろう。苦痛に歪んだその顔に、痛ましげな色を浮かべ、プラーナは他の者達にしたのと同様に、手を伸ばして瞼を閉ざした。
 時間があれば墓くらいは作ってやりたい所だが、そんな場所でもないし、彼らからのっ連絡が絶えた事をいぶかしんだ本隊が動きを見せるかもしれない。
 プラーナはふと、最近生まれたばかりの異母妹の顔がむしょうに見たくなった。単独での潜入・破壊任務を、以前よりも辛いものと感じるようになったのは、新しい家族のぬくもりを知り、それから離れる事に寂しさを覚えているからかもしれない。
 死神とまで呼ばれ恐れられる魔族も、時にはごく平凡な美女の心に戻るらしい。
 プラーナは血だまりに沈んだ死者達に背を向けて再び歩き出した。ドウム兵達を振り返る事はなく、その姿は闇の彼方へと消えていった。



 古代ストーンカ帝国の兵器開発施設探索の任務を受けたドウム戦闘国家の、特殊部隊司令マカリスターは、探索の為に散らした兵士達から上がってくる情報にも眉一つ動かさなかった。
 国家の利益の為には個人の犠牲を厭わぬ社会構造および政治体制をドウムは有し、国民にもそう言った教育が行きわたっているが、この男は特にそれが顕著なようだった。
 未知のモンスター達によって既に二十名近い兵士達が死に、その半数の程のサンプルが手に入った。
 地上で待機させている部隊に受け渡し、他国の者達が毒水と呼ぶガソリンによって稼動する運搬車両で本国に運ばれるまで四日ほどか。
 三十代初めごろと見える金髪碧眼の司令官は、氷の仮面の奥で今回の作戦で国家にもたらされる利益だけを追求していた。
 どれだけ犠牲が出ようとも、それ以上の利益が得られるのならば何の問題もない。もちろんその犠牲の中に自分自身の命も含めた上でだ。
 現在、施設の地下六〇〇メートルの位置にあったコンピュータールームの一つに司令部を仮設し、コンピューターの復旧を最優先に作業をさせている。
 古代ストーンカ帝国と敵性勢力との戦闘で放棄されたために、無事な機材は数えるほどしかないが、そこに眠る古代の知識は黄金をはるかに上回る価値がある。
 おそらく、現行の国家群で、その知識を正しく理解できるのはドウムか、魔法都市ガレーナ、魔族の聖地であるネウガードくらいのものだろう。
 慌ただしく行き交う兵士達と、施設の構造や設備について推測や得られたデータを交わし合う技術者達の意見が飛び交う中、マカリスターは、よもやこの施設に魔族の中でもジャネスに次ぐ実力者が侵入しているとは知らず、自分が国家に貢献できる事実にかすかな喜びを抱いていた。
 傍目には誰にも分からぬ司令官の喜びの時間は、三分後、緊急事態を告げに来た副官の言葉によって水を差される形になる。
 目の前で敬礼する自分よりも一回り年上の副官に、路傍の石を見る目を向けてマカリスターは耳を傾けた。

「ハウンド1より、C-42ポイントにてモンスターと交戦、また魔族一名を発見との報告が」
「魔族? 施設に囚われていたものか?」
「いえ、確証は取れておりませんが、報告によれば外見的特徴から五魔将筆頭“死神”プラーナではないかと」

 そう告げる副官の顔色はやや青ざめていた。ドウム国での演習戦闘で、降り注ぐ砲弾や銃弾の雨の下を、装備なしの状態で仮想敵陣営に潜入し司令官役の首を刎ねた猛者だった。
 素手で熊や虎といった猛獣もくびり殺すとまことしやかに囁かれる男の顔色が、神の様に変わるのを見て、マカリスターは剃刀で裂いた様な鋭い眼を細めた。
 上級魔族ともなれば一人で百単位の兵士にも匹敵する戦闘能力と魔力を持つ。ましてやジャネス降臨時から共に居た真性の神四柱が名を連ねる五魔将ともなれば、単独で一国の軍事力に匹敵する。
 聖神コリーアの加護や技術の発展によって人間勢力も強化され、多少はパワーバランスが変わったとはいえ、五魔将格の魔族の存在は戦略級の脅威と言える。
 わずかに眉をしかめ、マカリスターは

「プラーナは放っておけ。それよりも目標の回収を急ぐのだ。いずれにせよ五魔将ほどの魔族が動くと言う事は、この施設に眠る存在にそれだけの価値があると言う事だ」

 手持ちの戦力すべてを投入したとしても果たして五魔将に通じるかどうか、マカリスターは心中の不安を表には出さなかったが、それを心の中から消す事は出来なかった。
 そんなマカリスターの様子を、先程の副官とは別の、三十代にさしかかった程度の青年将校が見つめていた。
 訓練の成果によって感情を押し殺して無表情を浮かべていると言うよりは、元から感情というものとは無縁の様に思われた。後にドウム戦闘国家を掌握する事となるガイザンの、若き日の姿であった。



 ボディアーマーごと四散する人体の雨の中を、プラーナは疾風の速さで駆け抜けていた。後方にドウム兵が五人、前方には施設の防衛システムらしい機械がいる。
 アーモンドの先端を前に倒した様なボディから、ずんぐりとした手足が伸びている。高さは三メートルほど。自重はかるく5トンを超すだろう。
銃弾のことごとくを重装甲で弾き、上下に開いたボディから覗いた銃口から放つビームが、正確無比の狙いでドウム兵を貫いて消し炭に変える。新たに迸ったビームは、プラーナの残像を貫いていた。
 ガーディアンのロックオン速度を上回る神速の身のこなしである。壁と天井を蹴り、音の壁を超えて飛んだプラーナが、GOHを振り上げる。
 ガーディアンの重装甲を容易く切り裂く威力を備えた斬撃が振り下ろされるより早く、ガーディアンの右腕がプラーナへと向けられる。花弁の様に開いたその腕の奥に六本の銃身を束ねたモーターガン。
 低いうなりと共に銃弾が吐き出されるよりも早く、GOHの一閃が走った。回避行動に移るよりもそのまま攻撃を続行した方が早いと判断したのだ。果せるかな、ガーディアンの胴体に深紅の筋が描かれ、内部の小型動力炉ごとずるりとすべって落ちる。
 ふわっと広がったスカートの裾が落ちるよりも早く、プラーナは優美なラインを持った足で、思い切りガーディアンを蹴り飛ばした。
 蹴り飛ばされたガーディアンの後方十メートルの位置に、同型機の影があった。人と変わらぬ見た目の足にどれだけのパワーが込められていたのか、時速五百キロの速度を与えられたガーディアンの上半身が同朋に激突するのと同時に、その足もとにプラーナの姿が。

「“爆雷”」

 数百人規模の軍勢を屠る雷撃系統の魔法が、優しくガーディアンの装甲に触れたプラーナの指を通じて放たれ、ガーディアンに施された耐電処理を越えた電撃に、内部の電子機器をすべて破壊される。
 黒煙を噴き上げながら沈黙するガーディアンを見下ろし、プラーナがかすかに息を吐く。先ほどバジアルドに殺されたドウム兵達との遭遇以来、ほとんど間を置かず戦闘が続いている。
 実験のサンプルとされ、施設の放棄と共に脱出したらしきモンスター達に、再起動した防衛システム、死霊と化した元研究員や兵士達。
 せめてもの救いは潜入していたドウム兵の多くが戦闘によって無力化している事だろう。この施設に潜ったドウム兵の数はそう多くはないはずだ。
 百人前後そこらだろう。真正面から戦っても負けるつもりはないが、閉鎖的な空間での戦闘はいささか面倒だ。広域攻撃用の魔法や技の使用に規制があり、戦う手間がずいぶんと掛かる。
 これは敵の殲滅よりも目標の確保を急いだ方がよさそうだ。プラーナは一気に駆けだした。奥に進めば進むほど、吹き付ける妖気のレベルが上がってくる。同時に防衛システムや死霊の戦闘能力も同様に上がっている。
 それは守るべきもの価値故ではない。解放してはならぬものの危険性故にだ。死力を尽くしてでも外には出してならない存在。それが、この施設の地下に眠る者共の正体なのだ。
 父ジャネスの危惧が、今になってようやく分かった。この施設で死霊となった者達、出会ったモンスターは一体の例外もなく生ある者たちへの憎悪に満ちていた。
これらが外の世界に解き放たれたならどうなるか。数千年の怨念は留まる事を知らずに世界に広まり、やがて死と嘆きの暗雲が世界を覆い尽くして、生ある者の息吹は絶えるであろう。

「施設の破壊も行わないとならないわね」

 どうしてこう、面倒事ばかり任されてしまうのかしらと、プラーナは愚痴を零したい衝動に駆られたが、かろうじて飲み込んだ。一応、愚痴を零す程度の余裕はまだあるらしい。
 ポーチの中から、透明な液体の入った小瓶を選び、栓を外して口に運んだ。妖花の花びらのように艶やかな唇と喉を通って冷たいモノが流れ、わずかに火照った体を冷やして行く。
 治癒効果のある成分を含んだ元気水と呼ばれる液体だ。もっとも安価で大量に出回っているものだが、渇いたのどを潤す為に選んだので、治癒効果は二の次だ。他にもグレードの高いグレート元気水や超元気水も持ってきておいた。
 再び栓を占めてポーチに戻してから、今自分の居る場所をぐるりと見回した。妖気のレベルのアップと同時に周囲に転がる数千年前の残骸の惨状も増して行く。鉄の箱状のものは古代の戦車に相当するものだろう。
 その表面を、こんこんと叩いてみた。数千年の時の流れにも耐えた装甲は、搭乗者ごと抉られ、斬り裂かれ、数十個のパーツに分断されている。襲撃側の勢力が、外で分解してから内部に運び込み、組み立てた品だろう。
 周囲に人骨はない。風化しきったか食われたか。いずれにせよ戦車は襲ってきた敵を倒す事は叶わなかったらしい。返り討ちにしたモンスターの死骸が無い事がその証拠だ。
 今よりもはるかに進んでいた古代文明の技術の粋でも倒しきれなかったモンスターの類が跋扈しているのだろう。地下の牢獄の中で呪いと死と共に育まれた生態系が、どんなキメラを生みだしたのか。
 プラーナはそれに想いを馳せる余裕を与えられなかった。照明が払拭しきれぬ闇の奥から、途方もない質量を伴った気配が沸き起こったのだ。今はがらんと広がった倉庫らしいスペースにいる。
 闇の中に破壊された車両や防衛システムの残骸が散らばる中、プラーナは静かに息を飲んだ。この距離まで自分に気配を探知させなかった相手に、警戒を怠ってはならなかった。
 魔族は身体能力のみならず第六感といった知覚能力も、人間を凌駕する。その魔族の最高存在としての能力と、千年近い戦闘経験が培った戦士としての感覚の探知を誤魔化すとは。
 そんな芸当ができたのは、歴戦の記憶の中でも勇者と呼ばれた人類最強クラスの戦士達や最高峰の暗殺技能者にしかいなかったはずだ。
瑞々しさと熟した女の魅力が混在する肢体の隅々にまで戦闘の意識を巡らし、手の中のGOHを構え直す。
 二メートルを超す真紅の大鎌を構えるプラーナの目の前に、三メートル超の巨躯を持った竜頭の亜人が姿を見せた。ネバーランド大陸南方の亜大陸オーグルに生息するドラコニアンだ。
 一説には自然の意思が具象化した存在である“自然神”の眷属とされ、ネバーランドで最も優れた種族の一つだ。
だが、世界の調和を尊ぶ温和な種族であった目の前のドラニアンは、太古に囚われて様々な実験の贄とされてから幾星霜の時を経て、地殻変動によって解き放たれた悪鬼羅刹だ。
 黒い鱗の連なりのあちこちに紫の血管が浮かぶ瘤や、剥きだしになった筋肉が点在するのは、かつて受けた実験の名残であろう。
 開いた口の端からだらだらと黄色がかった涎を垂らし、白目に反転した瞳は、その心が破壊尽くされて、狂気に蝕まれている事を示していた。しかし、その狂気に侵されたドラコニアンは足音一つ立てていない。
 口は常に苦しげに開いて閉まり、膨らんでは萎む肺は同時に全身から血の流れを滴らせている。血の跡を引きずる足や尾はいかにも重々しげだ。
 静寂ばかりが満ちる死の世界だと言うのに、ドラコニアンは呼吸も足音も何一つ響かせてはいない。暗殺用に造り替えられたのか、あるいは単なる副作用か。
 五指に備えた鉤爪の鋭さはミスリルの鎧で固めた戦士の心臓を一撃抉り出すだろうし、尾のひと振りは巨木の幹を容易く薙ぎ倒すだろう。吐き出されるブレスは水属性の加護を受けた人間も容易く消し炭に変える熱量を誇るに違いない。
 ドラコニアンは元々身体能力に置いてネバーランドに存在する亜人や人間の中で最高の能力水準を誇る。それが、ここでの実験でどれほど強化されたのか。
 ぐるりと白目が黒い瞳に戻る。狂気に満ちた瞳の中にこれまで戦ってきた死霊やモンスター達同様の生ある者への憎悪と破壊衝動が、大地の底に眠るマグマの様に沸騰していた。
 皆無だった気配が、唐突に噴出した。物理的な圧力さえ伴う黒一色の感情。
ただただ憎悪のみを精神に抱き続け、何度も何度も濾過し続けて結晶化させるほどに凝縮された憎悪。プラーナの長い長い人生経験を振り返ってみても、数えるほどもない静謐でいながら燃え盛るほどの激烈な感情。
 振り上げられたドラコニアンの腕を避けたプラーナの頬が、風に打たれる。そのまま髪の毛が千切られてしまいそうなほどの圧力。音は後から追従してきた。音速を超える腕の一振りであった。
 だが音速の壁を超える攻撃、というのはさほど大したものではない。兵士クラスの剣術者でも、銃撃を回避する程度の事は出来る。武名を持って将軍格になった者ならば、機関銃の掃射も迎撃する位はやってみせる。
 勇者、英雄とまで呼ばれる者ならばさらにその上を行くのはプラーナ自身体験済みだ。彼らの一撃に比べれば、十分に眼で追えたドラコニアンの腕の一振りを見送り、わずかに遅れて視界を埋めた尾を睨む。
 しなる尾の一撃は同じドラコニアンや、鋼鉄製のゴーレムでも粉砕されるだろう。風を抉って襲い来る尾を、GOHで受ける。ぐんと体が持って行かれそうになるのを堪え、真っ向から力で抑え込む。
 類稀な美女としか見えぬ細腕には到底外見からは信じられぬ膂力がみなぎっていた。
 くん、と沈みこんだプラーナの頭上をドラコニアンの後ろ回し蹴りが薙いだ。戦斧の重量と刀剣の鋭さに巨人の振るう棍棒の打撃力を兼ね備えた一撃だ。人間の十人や二十人まとめて吹き飛ばす。
 残るドラコニアンの足をGOHの柄尻で叩いた。棒きれで思い切り鉄の塊を叩いた感触に等しい。腕にじんと痺れが広がるよりも早くプラーナの細腕に込められた力がワンランク上がる。
 自重三百キロを超すドラコニアンの体が独楽の様に回る。ぶんと音を立てて旋回するドラコアンの首めがけて横殴りに振るわれるGOH。
 多くの勇者たちの首を斬り飛ばしてきた刃が受け止められる感触に、プラーナの目がわずかに見開かれた。旋回するドラコニアンの首を狙った一撃は、そのドラコニアンの牙によって噛み止められていた。
 にい、と吊り上がったドラコニアンの顔をプラーナは認めていた。紅色の刃を噛み止めた黄色く濁った牙の並びの奥から、紅蓮の炎が噴き出す。
 筋繊維に新たに魔力を注ぎこんで爆発的に増大したプラーナの腕力が、噛み止められた刃を捩じって開放し、吐きだされた火炎の吐息をかわす。噴き上がった火炎のブレスが、斜めに天井に直撃し、広がった炎の花が瞬く間に大穴を穿った。
 尋常なドラコニアンのブレスではなかった。数倍に相当する熱量だ。しかし、その隙は致命のものだった。かっと骨を断つ軽快な音と共に、ドラコニアンの首が宙を舞った。
 本来赤い筈の血液はどぶ泥の様に黒くどろどろとしたものに変わっていた。受けた実験の副作用であろう。どん、と音を立ててドラコニアンの胴と首が落ちた。
 強靭な生命力を誇る筈のドラコニアンは首を落とされてもしばし動くくらいはするが、その気配が無い。プラーナの手に握る刃の持つ異能の所為であろう。
 天界で鍛造された魂を刈り取る鎌は神剣と呼んでも過言ではない代物だ。プラーナ自身の戦闘能力もあるが、この魔鎌もまた、プラーナの戦闘能力を支えている一因だ。
 膝をついて朽ち果てたドラコニアンの胴体を調べ、プラーナは納得したように一つ頷いた。ぷんと鼻の粘膜を溶かしてしまいそうなドラコニアンの異臭に、美貌をかすかに歪めて立ち上がる。

「手負いでこれね」

 ドラコニアンの胴体には成人男性の握り拳の跡がくっきりと残っていた。この一撃で既にドラコニアンは多大なダメージを負っていたのだ。手負いの状態でもプラーナを手古摺らせたドラコニアンに一撃を加えたのは、はたして誰か。
 ドウムの部隊だろうか。人体に機械化処理を施したサイボーグや、外科手術や催眠暗示によって生み出された生体強化兵士といった後の『戦闘兵』の存在は、密偵達から報告を受けている。。それらならあるいは?

「それとも、ここに収監されていた誰か?」

 この地下の実験に供された生命の中には人間もいた。この施設を襲った悲劇を生き延びて、憎悪に魂を染めきった誰かが、牢獄から解き放たれて彷徨っているのだろうか。
 もし、このドラコニアンに一撃を加えたものがプラーナの目標であったならば、一戦交えぬわけにもゆくまい。やはり、簡単には済まないようだ。
 鉛でも飲んだような溜息を吐き、プラーナは歩き出した。前に進み地下に潜り、それに終わりがあるのかと、ふとプラーナは考え、すぐに頭を振って追い払った。その考えに囚われて、二度とこの地下から戻れなくなりそうな気がしたからだ。
 ドラコニアンとの戦闘後、同様に改造された大陸の亜人達との戦闘を繰り返し、さしものプラーナも疲労を覚える中、足をすすめて、厚さ三メートルの特殊鋼の三重の扉がすべて内側から破壊されている場所に着いた。
 横幅二十メートル、高さ十メートルを越し扉の表面にはびっしりと霊的存在に対する封印の魔術文字が刻まれている。内部に封じ込めた存在に対して完璧な封印となる筈の扉が、内側から破られている。

「まさか、成長しているの?」

 これが、施設の覚醒によって扉が誤作動を起こして開いていたならまだいい。だが、封印の役目を維持し続けていたこの扉を内側から破ったとなれば、それは内部に封じた筈の存在が、封印時よりもさらに強大になっている事を意味している。
 強力すぎる上に制御ができずに凍結処理を施されたモノもの多いはずだ。それがさらに力を増しているとなれば、嬉しくない誤算だ。
 まだ内部に残っているものも居る筈だが、とりあえずは付近に扉を破った者がいるかどうかを探るべきだろうか。
 プラーナは腰のベルトのポーチから粉末や鉱物、液体を入れた小瓶を取り出し、自分の血を混ぜながら破られた扉の前方に精緻な魔法陣を描いてゆく。
 大魔王の娘の血を用いた封印の魔術式だ。内部のモノ達が束にでもならなければ破る事は出来まい。応急処置としてはこれで十分な筈だ。
 この施設の機能を完全に破壊する為には、メイン動力炉の位置を突き止めて自壊する様に操作しなければならないだろう。

「とりあえずは、脱出した誰かを探すべき、ね」

 果たしてこの扉を破った者は何を求めて、何に付き動かされてこの施設の内部を徘徊しているのか。見当もつかぬが、それでも捜さなければならない。その果てに、抹殺しなければならないのか、それ以外の道があるのか。
 戦い、そして倒す以外の選択肢が思い浮かばず、プラーナは体にたまった疲労がまだ無視できるレベルである事を確認し、踵を返した。
 破壊の痕跡はいくつもあった。扉を破った誰かは、飽く事の無い破壊衝動に突き動かされているのか、通った道筋にある扉や壁は紙で出来るかの様に無造作に千切られ、握り潰され、吹き飛ばされている。
 どんなものでも破壊できるほどの天賦の怪力を与えられた子供が、止める者もなく癇癪を起しているかのようなむちゃくちゃぶりだ。その中にはこの施設で生み出されたモンスター達の死骸もある。
 いずれも四肢を千切られ、頭を叩き潰され、なかには八つ裂きにされているものも多い。床や壁に飛んでいる血は全て斃されたモンスター達のものだ。
 この施設の地下に救うモンスター達を一蹴してのける戦闘能力。モンスター達の血潮の中にある足跡や、甲殻を穿つ拳、抉った指の跡からして成人男性のものだ。
 おそらく確たる目的もないままに施設の中を徘徊しているのだろう。左右にコールドスリープ用のシリンダーが立ち並ぶ廊下に足を踏み入れたプラーナは、十メートル前方を行く男の背を見つけた。
 横幅は五メートルほど。シリンダーの中に人影はない。現在の医療技術では治せない病気に侵された者達が、未来の技術に望みを託すものとして開発されたコールドスリープの恩恵に預かる者達は、全て死に絶えて久しい。
 プラーナが声をかけるよりも早く、男が足を止めてプラーナを振り返った。まだ若い、青年と呼んでいい年齢と見えた。
 腰に白衣らしい布を巻きつけただけで、一部の甘えもなく鍛え抜かれた剥き出しの上半身は、これ以上鍛える余地のないほれぼれするような肉体だった。プラーナより頭一つ近く背が高い。190センチ近いだろう。
 艶やかな黒髪と同じ色の瞳には、これまでプラーナが遭遇してきたモンスター達とは異なる理性の光があった。数千年を過ごした暗黒の世界の中でも、この男は精神の均衡を守り続けていたのか、あるいは喪失してしまっているのだろう。
 だが、意識そのものはまだ明確ではないのか、瞳は霞がかかった様に濁っている。だらんと下げた十指はすべて血に染まっていた。
 中には強い酸を含んだものもあり、じゅうじゅうと白煙を噴いているが、一向に気にしている素振りはない。酸をも耐え抜く皮膚か、再生能力を細胞そのものが有しているのだろう。
 プラーナの気を引いたのは見た目は尋常な人間である青年が、何の気配も纏っていない事だ。意識が朦朧としている所為なのか、殺気や警戒の意識、闘気といったものが欠如している。
 それどころか喜怒哀楽といった人間なら誰でも持っているであろう感情も感じられない。白痴のままに地下を彷徨う怪物――それが目の前の青年の正体か。
 プラーナの姿にぼんやりと青年の焦点が結ばれた。GOHを後ろ手に回し、いたずらに刺激しないようつとめて穏やかに話しかけた。

「こんにちは。私の言っている事は分かるかしら?」
「……女、か」

 言語そのものはこの施設が地上にあった頃から微妙に変化しているが、会話そのものには問題ないようだ。
 もともとネバーランドは“倫界”と呼ばれる全ての思念が集まる場所を介して、言語そのものや種族が違っても会話が可能だ。これは、倫界で言葉に込められた理念が相手の意識に到達するためとされている。
 言葉それ自体を操るだけの知性と理性が残っている目の前の相手を、はたして口先三寸で騙す事が出来るかプラーナには名案が無かった。
 これまで東方にあるデュークランドという異大陸や三百年前に介入したラファーム界国との戦闘でも、すべて武力が物を言う事変であったため、口先で済ませた経験があまりない。
 最も相手が狂人である見込みの方が強いのだから、さっさと力づくでどうにかしてしまった方が手っ取り早いとどうしても考えてしまう。

「ダーク、エルフか? …………君も実験体か」
「君“も”、ね。やっぱりダークエルフに見えるかしら? 残念だけど違う種族よ。それに実験体でもないの」
「外から、来たのか? なら、ストーンカの軍部の屑どもか? それとも、狂った妄想を現実にしよう、とする技術者どもか? いや、あいつらはもうずっと見ていない。なぜだ? なぜやつらは消えた? ああ、そうだ。あの日、研究員共が、慌て出して……襲撃だと……迎撃と、データの破棄や持ち出しに、騒がしか……った」

 霞んでいた青年の瞳が徐々に奥底に秘められた記憶とそれに伴う感情を取り戻し始めた。それまで透明な気配を纏っていた青年の体からどす黒い負の感情が、ゆっくりと吹き出し始めた。
 青年の目がこの地下施設に来てから見慣れたものに変わり出していた。すなわち生者への憎悪に。自分と同じ地獄を見ていないもの全てに対する破壊への衝動。

「この方が手っ取り早いのは確かなのだけれど」

 苦笑と同時にプラーナの手が動いた。背後に回したGOHを正面へ。並みの力自慢では持ち上げる事も出来ない、慣れ親しんだ超重量の鎌の重さが頼もしい。肌を刺す殺気は名工が鍛え上げた名剣に等しい鋭さだ。
 目の前の青年が人間の形をした怪物なのだと認識を改める。死者を前にして胸が痛むのが母の血の所為ならば、強敵を前にして血が沸き立つような感覚を覚えるのは、軍神たる父ジャネスの血の所為であろう。
 これが、千年もの間父の傍らで戦場に立ち続けられた要因の一つなのかもしれない。周囲の空気が鉛の様に重たくなった。液状にした鉛のプールに落とされたようだ。
 青年の体から決壊した堤の様に溢れだした魔力と獰猛なまでの気配の所為だ。なかば物質化した気配が、世界を埋めつつある。
 プラーナは確信した。この青年こそジャネスから確保ないしは抹殺を命じられた生物兵器であると。

「お前も……人間でありながら、神になろうと言う愚か者か……」

 青年の目が数千年前の憎悪の光景を今に重ねて、プラーナを見た。
 かつて、古代ストーンカ帝国の歴史の最終期、人口の95%が失われた戦いを制したとある一派は、自分達を人間を超越した存在へ進化させようと計画した。
 そして、超人の試作品と開発データがこの施設には眠っている。反抗勢力の最後の生き残りの攻撃を受けて急遽破棄されたために、確実に存在を抹消されたかどうかさえ謎だったこの施設に眠り続けていたのだ。
 はるか古代、ネバーランド大陸を制覇し、自らを神という存在へと変えた者の名前はコリーアといった。
 現在ネバーランド大陸の主流宗教であるコリーア教の頂点に位置する万物の創造主コリーア。人間のみならず異種族からも信仰を集める聖なる神は、元は人間だったのだ。
 目の前の青年を含め数多の犠牲の果てに確立した技術を用い、莫大な魔力と長寿とその魔力によって変異した肉体を得た。
 超技術の全てを地上から奪い去り、異空間に作り上げた世界に昇ったコリーアは、しばらくの時を置いて荒れ果てた地上の人々に力を示し、自らを頂点とする一大宗教を造り上げて大陸を支配したのだ。
 実際、天界に昇ったコリーアとその眷属達の力は神と称するに値する絶大なものだった。コリーアの側近だったジャネスが、地上に降りて後数多の勇者を屠り、かつて大陸に降臨した冥界の王を退けるほどの力を得たように。
 天界に座す偉大なる聖神コリーア、地上を支配する大魔王ジャネス。彼らの眷属たる天使達も魔族も、本質的に生物学的にも人間なのだ。
 その人間を神と呼ばれるまでに進化させた超技術の生きた見本が、プラーナの目の前にいる。おそらく上のドウム戦闘国家の部隊の狙いも、彼の肉体とこの施設のデータから得られる進化の為の技術だろう。
 その技術を用いて指導者層がなかば不死の肉体を得るのか、それとも一部の技術の応用によって兵士達を超人化するのか。どちらにせよ、現実のものとなったなら微妙な均衡の上に成り立っている大陸のパワーバランスは、大いに狂うだろう。
 それこそ大陸全土、大陸の全種族を巻き込んだ過去に類を見ない最大最悪の大戦争の引き金となってもおかしくはない。
 青年の気配が揺らいだ。プラーナの殺気もまたGOHの刃先にまで充溢した。

「貴方にはなんの罪もないのにね」

 悲しげに、プラーナは呟いた。



続く?
あんまり需要ないかな、つまらないからか、と嘆いて以前削除したものです。大体ヒロが生まれて1,2年くらいの頃。私が大魔王一家の中でも特にプラーナが好きだったので彼女を主人公格に据えた話を書いてみよう、と書いたものです。
イメージとしては貴族の遺跡の中をゆくDとエイリアンシリーズの大ちゃんとか源氏の財宝関連で山の中に潜った工藤明彦とかを考えており、菊地御大風になるよう心がけていた、と記憶しています。

続きに関しては、一応、このオリキャラが誰かさんと結婚して子供つくってどこぞの勢力に肩入れして大陸統一して降臨してきた神々と決戦してその後日談くらいまでは考えていたのですが、モチベーションが維持できず、二話で停止してしまいました。

あと感想板で一覧が見づらいとのことでしたので、目次の方は続きものは続きもので纏めました。とりあえずこれで少しは見やすくなったかと思うのですがいかがでしょうか。



[11325] その29 コードギアス ロストカラーズ (ライ × コーネリア)
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/09/04 21:28
 さみしんぼう


トウキョウ租界にその権威と威容を誇るブリタニア政庁のとある一室の窓際に、一人の女性が立ち外の風景を見るともなく見つめている。
 憂いの霧を纏っているかの様なその雰囲気、目の前の光景ではなく別の何かを見つめているアメジストの眼差し。
 その心を己れの掌の内に収めたいと男共が欲する美女の心が、ここに無い事を誰が見ても分かるだろう。
 その女性――コーネリア・リ・ブリタニアは、はあ、と彼女を知る者からすれば到底信じられない物憂げな吐息を、薔薇の花弁の様な唇から零す。
 コーネリアがこの世で最も愛する者のひとりである実の妹ユーフェミアでさえ、この姉の姿を見たら、まあ、と彼女の騎士である枢木スザクが、桜の花びらの様だと例えた唇を開くだろう、
 吐息の中には寂しさと不安と心細さと混ざり合い、普段のコーネリアの勇ましく凛々しい姿の内に秘めている女性の部分を露わにしていた。
 そしてその吐息は、コーネリアの気持ちを、こう代弁していた――最近、二人の時間が無い、と。
  神聖ブリタニア帝国の歴史上例を見ない新しい試みである行政特区日本の成立による余波は、このエリア11と呼ばれる旧日本国のありとあらゆる場所に波及している。
  それは、もちろん、このトウキョウ租界に頑として聳えるブリタニア政庁にも言えることである。
 行政特区日本成立によって、エリア11に赴任していたブリタニア帝国関係者の仕事量は大幅に増加していたが、殊にエリア11総督コーネリアに押し寄せてきたしわ寄せの量は生半なものではない。
  ましてやコーネリアは『命を賭けるからこそ統治する資格がある』という考えの持ち主である。
 行政特区構想に反対するブリタニア内部の人間や旧日本国の残党やテロリストが各地で行動を起こせば、自らナイトメアフレームを駆って親衛隊の先陣を切り戦う武断の烈女だ。
 それでも武にのみ傾倒している人物であったなら、最大のブリタニア反対勢力である黒の騎士団が行政特区に組み込まれたことで、現在エリア11全体の治安は改善されているからむしろ暇という退屈な休息を得られもしただろう。
 だがしかし、コーネリアは内政に関しても優秀といえるだけの能力を持ち、また志し高く他者に対する以上に自身に厳しい高潔の人である。
 そのため、ナイトメアフレームに騎乗する機会は減っても、いっかな仕事量は減る事はなく、一昨日も昨日も今日も東に西に北に南に、と政庁の外でも中でも駆け回らなければならなかった。
 それを考えればコーネリアが恋人と二人だけの甘い時間を作る余裕がなかったことも、仕方のないことに分類されるべきだろう。
 たとえ当人同士がどれだけ二人だけの時間を作り、傍に在りたいと願っていたとしても、二人には立場がありそれに伴う義務と責任があり、そして二人ともその義務と責任に対して全力で全うしようという意識の持ち主であった。
 コーネリアとその恋人であり同時にコーネリア親衛隊の隊員であるライの二人が、ようやく二人で会う機会に恵まれたのは、最後に二人きりになってから実に2週間ぶりのこと。
 それまではコーネリアの専任騎士であるギルバート・G・P・ギルフォード卿や腹心中の腹心であるアンドレアス・ダールトン将軍ほか、親衛隊の同僚や侍従たちが同席していて三人以上でしか会うことができなかったのである。
 すでに政庁での各部署の業務時間は終わりを迎えており、コーネリアの執務室に余計な雑音が届くことはなかった。
 とっぷりと夜闇の帳が舞い降りたトウキョウ租界は、夜になってもなお眠らぬ人々の営みによって、宝石箱をひっくり返したような輝きに包まれており、見慣れた今もふとしたときに感嘆の念をおぼえる。
 珍しくコーネリア手ずから淹れた紅茶のカップからは芳しい湯気が立ち上り、久しぶりに邪魔の入らない時間を過ごすことができると、ひそかに豊かな胸のうちを高ぶらせていた。
 用意した紅茶や薄紅色の絹を纏っているようにほんのりと赤らんだ頬と、コーネリアなりにこの一時を楽しみにしていたことの表れなのだが、ライは気に入らなかったようだ。



 でなければ、この状況の説明がつかない。
 いや、それでもこの状況の説明がつくとは思えないが、しかしそれ以外の理由が思い当たらない。
 どん、とコーネリアの背が音を立てる。壁だ。もう下がれない所まで下がった結果である。ではなぜコーネリアが後ろに下がったのか? 答えはいたってシンプルであった。
 押されたからだ。誰に? ライに。コーネリアの恋人である筈のライに、だ。押されたと言っても直接肩や胸を押されて突き飛ばされたわけではない。
 ただにこにこと笑みを浮かべながら近づいてくるライに気圧されて、自然と後ろに下がってしまっただけだ。
 普段なら脆弱者の一言と共に頬を張る位はするコーネリアであるが、いつもとあまりに様子の違うライを前に言葉が出なかった。
 様子が違うとは言っても、寝ても覚めてもライを想う様になったコーネリアでなかったなら気付かないだろう、ささやかな違いである。
 ライは入室するや否やコーネリアに向かってまっすぐに歩いて来て、コーネリアが何か口にするよりも早く詰め寄り、有無を言わさず笑みを押し付けてこうして壁まで追い詰められてしまった。
 ライは傍目にはこれまで幾人もの女性を虜にしてきた微笑を浮かべている。
 ライ自身に異性に対して何か訴えかけようという意思はないにも関わらず、微笑を向けられた者の胸に高鳴りを与える笑みだ。
 コーネリア自身、向けられたこの微笑みに何度胸を高鳴らせてきたことか。この胸の高鳴りが恋であると認めるのには随分と時間がかかったものだが。
し かし、恋を実らせた女の勘が告げている。この微笑はいつものライの微笑ではない、と。
 表面上に浮かび上がっている微笑は見慣れた形を模っているが、その薄皮一枚を剥いだ下には、何かの感情を隠している。
 その感情は、少なからず自分にとって歓迎せざるものであることもわかる。
 ただし、危険を告げるのは女としての勘ではなく、ブリタニアに反抗するいくつものエリアを制圧したブリタニアの魔女としての勘であった。
 やや遅い初恋を迎えた乙女ではなく、荒々しく凛々しく気高い戦士としての直感が訴えている――それほどに危険な感情だというのだろうか? 
 自分に対してライが抱いている感情は?

「ライ?」
「はい、殿下」

 思わず――おそるおそるとは思いたくはなかった――愛しい目の前の男の名前を呟けば、何の躊躇もなく返事が返ってきた。
 にっこり、という言葉がふさわしいなんと愛らしい笑顔である事か。
 しかし、だからこそ悩まずにはいられない。はたして自分はライにこのような仮面の笑顔の下に感情を隠させるような、初めて目にする行為をさせる事をしただろうか。
 こと戦争に関してはブリタニアでも屈指の回転の速さを発揮するコーネリアの頭脳だが、このような男女の二人っきりの場面ではまるで働いてくれない。
 戦争は百点、恋愛は零点、それがコーネリアという女性の人間成績表であった。
コーネリアは息が掛かるほど近い所にあるライの微笑に対して何を言うべきか、どのような行動をとるべきかの判断がつかない。

「殿下」
「なんだ」
「すでに業務の時刻は過ぎおります。ゆえにこれから僕が口にする事は、殿下を愛するライという男の言葉とお考えください」
「あ、う、うむ。よかろう」

 氷の海の青を写し取った瞳にまっすぐ見つめられると、体の奥の方まで掴み取られたような、それこそ本当に心まで射抜かれたような気持ちになり、コーネリアは わずかに体が火照るのを感じる。
 ましてや、面と向かって、“愛する”と囁かれるとは。
 コーネリア自身恋愛経験値0のレベル1の乙女であるが、ライ自身もアッシュフォード学園に保護されて以降は、コーネリアに対する慕情が初の恋心とあって、恋愛の経験ではコーネリアとさほど変わらない。
 当事者たちの性格もあるだろうが、愛を囁き、恋を語る事に慣れていない二人の間で、互いに愛しているだとか、大好きだとか、異性に向ける好意を示す言葉が出てくるのはきわめて珍しい。
 将来はともかく、まだ互いの気持ちを伝えあったばかりの二人は、自分達の意思を言葉にするのにも躊躇いを覚えるような段階だった。
 火が着いたように熱い頬を意識しながら、コーネリアはついと目を伏せてライの視線から逃れた。
 そうでもしなければまっすぐに見つめてくるライの視線に囚われて、何も言い返せなくなりそうだったからだ。
 愛する者に身も心も委ねてしまいたい衝動と、他者――恋仲であろうと――に寄り縋る事を是としない苛烈で厳格なコーネリアの武人としての部分との妥協の結果である。
 コーネリアという人間を構成する大きな要素である武人としての部分が、更なる動揺に襲われたのは、熱く耳朶を打つライの吐息と共に囁かれた新たな言葉が、鼓膜を妖しく震わせたとき。

「寂しかった」
「!」
「脆弱、惰弱とお怒りになられるかもしれませんが、これが僕の偽らざる本心です。殿下とお会いできず寂しかったです。許しは請いません。ですが、口にすることをお許しください」

 ライもまた、自分と二人きりで会えない事を思い悩んでいた――その事が分かって、コーネリアの心の内に喜びという名の感情の花が一輪、新たに咲き誇る。
思う相手と同じ感情を共有するというのは嬉しいものだ。
 飛び抜けたその能力のわりに子供っぽい事を言うライの事が微笑ましく、また愛おしく、コーネリアは逸らした視線を戻して、あやすように、からかう様に答えた。
ライの心情を吐露されたことで、コーネリアに少しばかり余裕が戻ってきたらしい。

「大げさだな。余人を交えた状況でなら、なんども会ったではないか」
「殿下とふたりだけで。これが大切なんです」

 嬉しい事を言ってくれる。自分は今どうしようもなく頬を緩めている事だろう、とコーネリアは思う。ユフィには、今の自分の顔は見せられないな、とも。
 自分とは異なり、エリア11の副総督として赴任するまでの間、愛妹ユーフェミアは皇族としては比較的年頃の少女らしい生活を送ってきた。
 その為に、生まれた時から今に至るまで皇族としてみても、年頃の少女らしい感性を養う生活を送ってこなかったコーネリアに対して、なにくれとなく意見を口にして来る。
 コーネリアの威圧的な雰囲気や軍服、皇族としての服装以外にはまるで必要性を感じていない事に対し、華美に着飾ったドレスや二十代後半にさしかかった女性が着るにはどうも、と躊躇する可愛らしい衣服や装飾品を勧めてきて、あわよくば着せ替え人形にしようとしたりする。
 とくにユーフェミアは最近では――スザクを専任騎士にしたころから――恋愛の事に着いて、時に遠まわしに、時に直接的にコーネリアに尋ねるようになってきている。
 そのユーフェミアに、熱せられたチョコレートか飴のように甘い感情にとろけた自分の顔を見られたら、それこそ夜の間中、ライとの馴れ染めからなにから問い詰められるに違いない。
 多忙な昨今、あまり睡眠が取れずかすかに疲労の澱が溜まっている今、ユーフェミアの止まらぬ口撃に晒されては溜まったものではない。

(とはいえ、いつかはきちんと話をせねばな)

 ユーフェミアに、ライを夫にするつもりだ、と。その事を想像するだけで、コーネリアの頬はさらに赤みを増し、心臓が全身に送り出す血液は新たに熱を帯びて行く。
 そんなコーネリアの様子が気になったのか、ライが小首を傾げる少女の仕草で問いかける。

「殿下?」

 美貌という言葉を遣うのに全く躊躇を覚えぬライの顔立ちは、紛れもなく男のものであるが、ふとした時に見せる柔らかな仕草には、思わず同性でもドキリとさせられる。
 いわんや、それを見た異性に対する効果たるや絶大である。

「……まったく、お前という奴は、大した男だよ。私に、このような態度を取らせるのだから」
「いつも殿下の事を想っていますから」

 狙っているのではないだろうが、ライの言葉はコーネリアの心の琴線に触れて喜びの音色を奏でる事が多い。
 無自覚な言葉と分かるからこそ、まっすぐで他意の無いライの言葉は耳に心地よい。
 ふふ、と我知らず零れる鈴を鳴らしたような笑い声が、自分の耳に届いた時、不意に柔らかで湿った感触が左の頬に触れた。
 ちゅ、と音ともいえぬ小さな音も聞こえた。

「……え?」
「ん」

 今度は軽く啄ばまれるようなこそばゆい感触が左の耳にひとつ、ふたつ、と続く。

「な――ら、ライ!?」
「ご不快でしたら、拒んで下さい。それまで、止まりそうにありません」

 思わず一オクターブ上がったコーネリアの声にもライは動揺を示さずに、休むことなく唇を動かして行く。
 かすかに濡れたライの唇は飽きることなくコーネリアの肌を、硝子細工を扱う繊細さで触れては離れて行く。
 繰り返される優しい感触に、数瞬の間コーネリアの思考は完全に熱に浮かされて働くことを止める。
 年齢に比して初心もいいところの二人にとって、言葉で愛情を示すのに恥じらいを覚えるのと同様に、体と体を触れ合せて親愛の情を伝えあう事は非常に難しい。
 互いを恋人であると認識している以上は、二人とも肉体的接触――手を繋ぐなり、ハグするなり、キスするなり、さらにはそれ以上の行為も――を意識しないではなかったが、実行に移せていたかというと、これはノーだ。
 唇と唇を触れ合せる程度の、ともすれば挨拶程度に過ぎないのでは、というキスでさえ二人の間では未実行である。
 それが、いきなり、頬とはいえライは躊躇いなく唇を寄せ、行為を認識したコーネリアが対応に戸惑う間に、キスの雨を降らして行く。
 頬に、軍服の襟から除く白い首筋に、そのまま唇を離さずに咽喉や、美しい顎のライン、右の頬、額、とライの唇はコーネリアの体の場所を問わない。

「・・・・・・・・・・・・っ!!!」

 声にならない声を上げるコーネリアは、身を捩ろうとして自分の体がライの腕の中に抱きとめられていることにようやく気づく。
 いつのまに動いていたものか、ライの右腕がコーネリアの左腕を巻き込んで悩ましいくびれを描くコーネリアの蜂腰に回されて、ぐいと力強くライの体へと押し付けている。
 残る右腕は、というとこちらはライの左腕に手首をつかまれ、痛みに変わる寸前の力で抑え込まれている。
 コーネリアの腕力なら十分に振り払える程度の力である。コーネリアの事を慮ったライの力加減であろう。
 例え朝には消えるとしても、コーネリアの美しいに違いない(ライはまだコーネリアの裸身を目にしていない)肢体に、痣の一つもつけてはならないとライは心底思っていた。
 そしてライの腕を振り払わないのは、コーネリアの体と心が動揺するその奥でライの唇をもっと、もっと、と欲しているからに違いない。
 コーネリアの抵抗が無い事を確認し、ライは一定のリズムで唇の雨を降り注がせ続けた。
 この世で最も愛する女の目元に。
 流れ星の軌跡の様な弧を描く典雅な鼻梁に。
 ゆるやかなウェーブを描く絹糸の手触りを伝える髪のひと房に。
 熱い脈動を赤く染まった肌の下で打つ首筋に。
ラ イは肺の中をコーネリアの香りで満たした。女性としては大輪の花を咲かせてその魅力を熟成させる年頃に差しかかったコーネリアの、飾らずとも自然と身に纏っている色香。
 コーネリアもまたライの匂いを意識し始めていた。自分を腕の中に抱いている華奢な少年が、たしかに男なのだと意識させられる匂い。
 自分が女で、ライが男なのだと、互いの体と心が欲しあっていると、はっきりと突きつけられた様な気がする。
 だが、それでも、コーネリアの心のどこかはこのままこの心地良さに全てを委ねる事を拒んでいた。

「は、離せ、ライ。これ、以上は」

 一語一語を区切る様にして、かろうじてコーネリアは言葉を紡ぎ出す事に成功する。コーネリアの体を疼かせる熱に比例して、唇から溢れた言葉も熱い。

「殿下は、嘘をついていらっしゃいます」
「な、に?」
「僕はもう殿下を離していますよ」
「――え?」

 唇の動きを止め、穏やかな笑みを浮かべながらのライの言葉に、コーネリアは一瞬我を忘れ、ライの言葉が正しい事を理解する。
 コーネリアの腰を抱いたライの腕は離れ、姫将軍の手首を拘束していた手も既に離れている。
 それだけではなかった。コーネリアの心を動揺させたのは、自由を取り戻した自分の両腕がライを拒むどころか、求める様に、縋る様に薄い肉付きの胸板に添えられている事実だった。
 恋い慕う男との久方ぶりの再会に喜び、離れることを恐れる一途な女にこそ似合う仕草であり、それは今のコーネリアにとって到底認めがたく、しかし間違いなくコーネリアに相応しい行動であった。
 自分は堕落した――コーネリアはそれを強く意識する。かつてブリタニアと敵する国々に、その異名を誇ったコーネリア・リ・ブリタニアの面影は、いまの自分にはほんの一欠片もないだろう。
そう、自分は変わってしまったのだ。恋する女に。たった一人の男の為に。
それが堕落でなくてなんだろうか。かつての自分しか知らぬ者達には信じられないだろう。自分自身信じる事が出来ないのだから。
 ああ、でも、この堕落は、なんと心地よく、甘い魅惑である事か。
 コーネリアは自分自身の心を改めて認める。そうすれば、目の前の男にされるがままというのはいささか口惜しくなってきた。
そ れなりに反撃を試みねばなるまい。

「ライ、一度しか言わぬ、心して聞け」
「はい」

 打てば響くように返ってくるライの言葉。この男も自分に恋をしているのだろうか。しているとは思う。しかし自分ほどに思いを募らせているのだろうか?
 それを確かめる事への恐怖、望む答えが返ってくる事への期待、様々な感情が溶け合うなか、コーネリアの唇はかすかに震えながら動く。

「私は、お前に……恋を、している。お前が恋しく、愛おしい」
「……」
「だから、お前が私に会えず寂しいと言った時、私は嬉しかった。私も同じ事を考えていたからだ」
「殿下」

 恥じらいに目を背けることもなく、自分の心をまっすぐに伝える為に、コーネリアはライの瞳を見つめていた。
 コーネリアの言葉に感極まったライは、コーネリアの体を優しく包み込み、抱きしめる。
 震える雛鳥を守ろうとする親鳥の様な、命に変えても守ると決めた姫君を守る御伽噺の騎士の様な。そんな抱擁であった。

「コーネリア」
「ん」

 殿下、とも総督、とも呼ばなかったライの言葉をコーネリアは噛み締める様に瞼を閉じて続きを待つ。名前で呼ばれたのは、これが初めての事だった。

「愛している」

 深い深い愛情の伝わる言葉に、コーネリアは子猫の用に甘えた吐息を零し、答えた。

「ふふ、私の方がお前を愛しているに決まっている。私を誰だと思っている? コーネリア・リ・ブリタニアだぞ? この私が愛を告げるなど、世界で最も愛する相手にだけだ。私にそうさせた自分を誇りに思え」

 ライは心の中に開いていた寂しさという名の空隙が、愛しさによって埋め尽くされるのを感じた。そして、答えはひとつしかなかった。

おしまい。
ロストカラーズSSスレにて投下させていただいたものです。ノネットさんもいい女でした。



[11325] その30 コードギアス ロストカラーズ (ライ × コーネリア)②
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/09/04 21:35
『あまいあじ』


 完璧な人間というものはこの世にいないものだ。これまでの人生でとっくに分かってはいた事だが、今日は改めてそれを思い知らされた。別に自分が完璧な人間であるなどと自負していたつもりはない。
 武力ならばそれなりに誇れるものを持っているとは思うが、EUの領地を狡猾に奪い続けている兄シュナイゼルの様な知力は無いし、数多いる弟妹たちが唯一敵意を向けない長兄オデュッセウスほどの人徳(?)も持ち合わせていない。
 過去には誰よりも敬愛していた義母マリアンヌ皇后をみすみす死なせ、異母弟妹であるルルーシュやナナリーをむざむざ死地に送るのを見過ごした事もある。
 過去の失態と現在の自分の能力を把握しているからこそ、自分が完璧な人間だなどと驕ったつもりはなかった。完璧な人間などいないと分かっているからこそ少しでも完璧に近づこうと努力してきたのだ。
 だから少なくとも――

「体調管理のできる人間程度にはなったつもりだったのだが……」

 くしゅん、となんとも可愛らしいくしゃみをして、エリア11総督にして神聖ブリタニア帝国第二皇女コーネリア・リ・ブリタニアは、何枚も寝間着を着こんだ姿でベッドにうずもれたままぼんやりと天井を見上げて独白した。
 弟クロヴィス殺害とナリタ連山での戦果を機に台頭した黒の騎士団、フクオカエリアに進出した日本の名を騙る中華連邦との戦い、さらには愛妹ユーフェミアが知らぬところで画策し実現させた行政特区日本。
 言ってしまえば武力のみを持って鎮圧すればよかったこれまでのエリアに比べ、潜在する反抗勢力がこれまでのエリアで最大規模を持ち、なおかつ身内からも予想だにしなかった波乱を起こされて、流石のコーネリアも参ってしまったようで。
 茹だる様に熱く湿り気を帯びたこの国特有の夏のある日、こちらを渇殺しているのではと思うほど日差しが強い朝、コーネリアは体がけだるく節々が妙に痛く、思考の回転が恐ろしく鈍化して喋るのも億劫な自分に気づいた。
 ようするに人類永遠の病敵“風邪”に罹ってしまったのである。
 たかが風邪と侮るなかれ、人類誕生より果たしてこの病によってどれだけの人命が奪われてきた事か。
 人類の医学の歴史においていくつもの病に対する特効薬や効果的な治療法が発見されてきたが、万病のもとたる風邪ばかりはいまだブリタニアの先端医療技術を持ってしても特効薬は存在しないのだから。

「こほ、こほ。しかし、何もしなくてもいいというのも、けほ、存外辛いものだな」

 正確には風邪を引いた程度なにほどのものか、といつも通り総督としての業務を行おうとしたコーネリアを、ギルフォードやダールトンが諌めて何もさせないようにしているのだが。
 困った顔で休む様に告げる専任騎士といつも通り豪快に笑いながらお休みくだされと、起き上がった自分をベッドに押し込んだ元教育係の顔を思い出し、コーネリアはずきずきと疼く痛みを忘れて、かすかに微笑む。
 二人には常日頃厳しくあり続ける自分を支えてもらっている自覚はあり、心許す関係である彼らが自分を案じてくれる事が嬉しくて、自然と気持ちが優しいものになる。
 ほとんど最低限の化粧しか施さないコーネリアの石花石膏の様に滑らかで美しい肌は、自身の熱によってうっすらと赤く染まり、薄く苦しげに開かれた唇から洩れる吐息とあいまって、背徳的な艶美さを醸し出している。
 しかしながら童女のようにあどけなく微笑むコーネリアの姿を見れば、どんな人間であっても劣情よりも心温まるものを覚えるだろう。
 敵する者に圧倒的な恐怖を与え、ブリタニアの旗の下に集う者達にも、統治者たる姿を体現するその姿から絶対的な畏怖と畏敬を集めるコーネリアの、世に知られざる柔らかな一面である。
 ただそれは今のコーネリアの姿を観察する第三者がいればの話であって、風邪の熱と気だるさに悩まされる当人にとっては、一刻も早く治れと弱った自分の体に叱咤を打つのみである。
 ベッドの中でぐったりと脱力した四肢にはまるで力が入らず、コーネリアの思考と肉体の距離は途方もなく離れているようで、こんな状態ではせいぜい玉城の乗った無頼を一蹴するのが限度だろう。
 まあ風邪の熱に浮かされた状態でそのような芸当ができる辺り、流石はブリタニアの魔女の異名をとる烈女といったところか。
 コーネリアの世話をする侍女たちはすでに自室から下がっていて、すぐ近くにある控え室でコーネリアからお呼びがかかるのを静かに待っている。
 世界の三分の一を支配するブリタニアに相応しい豪奢さは、コーネリアの気質にはそぐわず、コーネリアの自室は質実剛健という言葉をよくもここまで、という位体現した調度品で揃えられている。
 例えば、月夜にのみ蕾を開く繊細で可憐な花よりも、大嵐に晒されても折れず崩れず聳える大木を由とし、長い時の中でも変わらずその存在を誇示する頑健で強固な存在をより良きとする傾向がある。
 だからといってコーネリアが一般的な美的感覚を理解しないというわけではない。あくまで好みの傾向レベルの問題だ。
 このブリタニア政庁の屋上に再現されたアリエスの離宮を模した庭園などは、可憐で艶やかな花々と白い石畳や石柱で形作られた美しさだが、コーネリアは特にこの庭園を気に入っていて、良く足を運んでいる。
 余人の気配や息遣いが無く彩りも抑えられた部屋の中で一人する事もなく、ぼんやりと思考をあやふやにして天井を見ているきりだと、恐ろしく時間が長く感じられる。
 戦場での一秒と風邪をひいて体を休めている時の一秒はまるで違うもののようだ。退屈だな、とコーネリアは心底困り果てる。
 早くユフィが見舞いに来てくれないかな、そうすればこの陰鬱な気持ちはあっという間に晴れ上がるのに。
 皇位継承権を返上して、騎士であるスザクと共に、行政特区日本の成功に多くの時間を割くようになった妹と会う機会と時間は最近めっきりと減っている。
 小鳥が囀る様に可愛らしく喋るユーフェミアと過ごす一時は、コーネリアにとって何ものにも代えがたい癒しと安らぎの時間であり、このままでは退屈に殺されそうなコーネリアとしては早く妹の顔が見たかった。
 コーネリアが、はふぅ、とうららかな日差しに気を緩めて眠りに落ちる寸前の女豹めいた吐息を零すと、室外の侍女の声が聞こえてきた。

「コーネリア総督、ライ卿がお見えになられましたが、お通ししてもよろしいでしょうか?」

 風邪のお見舞いとはいえ人と話す事は病人には堪える。ギルフォードやダールトンといったエリア11管理に重要な人物や、ユーフェミアの様な親族以外は面会を侍女の方で断っている。
 そのような事情を考えると親衛隊の一人とはいえ、一介の騎士でしかないライが直接コーネリアと対面して病身を見舞う許可は、コーネリアに問う前に拒否されてしかるべき所だ。
 しかしコーネリアとこの特派所属であった少年との関係は、政庁内部のブリタニア関係者の間では専らの噂であり(桃色髪のお姫様が出所らしい)、この侍女もそれをほぼ事実と知るからこそコーネリアに許可を取っている。
 侍女がコーネリアの答えを待つ一方で、問われたコーネリアはといえば、ライの名前が出た途端に、ぱあ、とそこに小さな太陽でも生まれたように明るい笑みを浮かべてから、自分の表情に気づいて慌ててそれを引っ込める。
 いけないいけない、最近どうにも自分はライの名前を聞くだけで女の部分が前に出過ぎる。これでは到底エリア11を統治してブリタニアへの反抗の芽を摘むことなどできはしない。
 コーネリアは己の気持ちを整理してからベッドから上半身を起して、十秒ほどかけてブリタニアの魔女の顔を造り上げる事に成功する。
 二、三度ほど高くなった体温によって薄く紅色の羽衣を羽織っているように色を変えた肌の色は戻らぬが、潤んでいた瞳は研ぎ澄まされた氷の刃の鋭さと冷たさを取り戻し、室内の空気が凝と凍てつく。
 室内に一歩踏み込めば、背筋に鉄の串を刺し込まれたように体が強制的に居住まいを正す硬い空気によって満たされる。
 目の前にすれば思わず膝を屈する事を意識する――それほどの威圧感と統治者としての気迫、矜持を誇る凛々しきコーネリアがそこに蘇っていた。
 普段なら特に意識せずともコーネリアがただその空間に居るだけでこうなるのだが、流石に風邪をひいて不調とあってはそうも行かぬようだ。
 数回咳払いをして喉の調子を確かめてから、コーネリアはライに入室の許可を与える。ほとんど間をおかず、失礼いたします、の一言と共に扉が開かれて、見慣れた愛しい男の姿が視界の中に飛び込む。
 親衛隊として行動している時と同じ、戦場に身を置く厳しさに引き締められた美しくもどこか幼さを残す少年の顔を見て、コーネリアは自分の唇と目元から不意に力が抜けるのに気づき、慌ててこれに喝を入れ直す。
 恋仲に――言葉にするのが恥ずかしいのは相変わらずだ――なったとはいえ、部下と上司、騎士と主人として守るべき一線と一分は確実に存在する。それを自分から崩す様な言動をとるわけにはいかないのだ。
 ま、まあ言葉遣い位はある程度許してやらない事もない事もない事もなくはないぞ、と考えている辺り、コーネリアの覚悟はすでに半分ほど崩壊しているが、本人はまるで気付いていない。
 心の仲はともかく表面上はいつものコーネリアを取り戻した顔で、

「御苦労、私が休んだことで何か差し障りはないか?」

 と、コーネリアがあくまで生真面目に言うとライは少しばかり目元から力を抜いて表情を柔らかなモノにする。どんなに人見知りをする子供でも、安心して近づくに違いないだろう人好きのする表情だ。
 この表情と面倒見のよさ、大概の厄介事を解決して見せる能力の高さが交友関係を広くし、深い親密性を構築する原動力となっている。

「殿下の騎士達はみな優秀でありますから、ご安心ください」
「ふ、自分も含めて、と言いたいのか?」
「そのようなつもりは。ですが殿下の親衛隊の人間として恥ずかしくないよう努力しているつもりです」
「ならばよい。いまの自分に満足し安寧の泥に囚われず向上し続ける事を心がけよ」
「イエス・ユアハイネス」
「良い返事だ。……こほっ」
「殿下、あまり無理は成されず、さ、横になってください」
「う、うむ」

 心の底から心配そうに形の良い眉根を寄せて、ライはコーネリアの肩を支える様にして、烈皇女の熱い美躯をベッドに横たえる手伝いをする。
 ライに下心の類の他意が無い事は分かっているけれども、コーネリアの心臓がドキリと初恋に戸惑う少女のように跳ねた事は否めない。
 先日、腕を抑えられ腰に手を回された事はあったが、いま体を案じてとはいえ大胆に体に触られる事には、どうしてもまだ恥ずかしさとそれ以上の喜びが残っていて、コーネリアはそっと視線を逸らす。
 このように時折現れるコーネリアの幼い少女の感性がさせる仕草に、ライが気付かないのはコーネリアにとって果たして幸運であったか不幸であったか。
 ライの左腕はコーネリアの右腕側から左腕側まで回されてその体を支え、右手は捲れたシーツを掴んで、横たわるコーネリアの首元に優しく掛ける。
 もし、誰かがこの場に居たとしても休息を必要とする主を気遣う騎士というよりは、誰が見ても、病に伏した恋人を案ずる一人の男性としか見えない事だろう。
 風邪で気が弱っているという事もあるが、それ以上に相手がライであるという点によって、コーネリアは大人しくライにされるがままベッドに横になる。
 枕に降りかけられた気分を落ち着かせるハーブの香りと、あるいはユーフェミア以上に傍に居て欲しいと願っていた男が傍らにいるという事実に、コーネリアの心は自分でも驚くほど穏やかなモノに包まれていた。
 極自然に心のままに穏やかな表情を浮かべるコーネリアの様子に、ライは思っていた以上に体調が悪いわけではないようだ、と安堵する。
 自分が傍にいるから、という考えに辿り着かないあたりが、この少年が朴念仁呼ばわりされる由縁だろう。
 コーネリアに断ってから椅子に腰かけて、ライは微笑みかけた相手を安心させる優しい笑みを浮かべる。
 ライが誰にでも向ける暖かいが少しだけ罪深い笑みに、コーネリアにだけ向けられる親愛の情がほんの少しブレンドされている。その事に気づけるのはほんの極一部の人間だけだろう。
 誰が持ってきたものかベッド脇の机の上に盛られたフルーツの山と果物ナイフ、皿を見つけてライがひとつ林檎を取る。

「おひとついかがですか? 最近ウサギカットというのを覚えたんです。可愛いし美味しいですよ」
「いや、風邪の所為か味がいまひとつ分からんのだ。何か……けほ、食べたいものがあったら、持っていっていいぞ」
「苦いとか、甘いとか、辛いとか分からないのですか?」
「そうだ。……お前は、風邪に罹った事はないのか?」
「幸い丈夫に生まれついていまして」

 少なくともミレイ会長とルルーシュに拾われてからは、風邪を引いた事はない。

「良いことだ。丈夫に産んでくれた親に感謝する事だ」
「……はい。ところで殿下、本当に何も食べなくて大丈夫ですか? なにかお腹の中に入れないと栄養が取れませんよ。栄養を取らないと治るものも治りません」
「言われるまでもない。くしゅ! ……すまん、分かってはいるが味が感じられないというのはいま一つ、な。食べる気になれない」

 やや意識が朦朧としているのか、コーネリアがいくらライが相手とはいえ愚痴めいた事まで零すではないか。ユーフェミアやノネットがこの場にいたら、目を大きく開いて口をOの形にしたかもしれない。
 う~ん、と果物ナイフ片手に腕を組んで悩む素振りを見せたライは、いい事思いついた、とばかりに顔を輝かせる。古い表現なら頭の上に豆電球のひとつでも灯った事だろう。
 試すのは初めてだが、たぶん、コーネリアも喜んでくれるだろう、と判断する。狙いを定めるまでは紆余曲折を経るも経て迷走するが、一度狙いを定めたらそのまま突っ走るタイプらしい。

「殿下、風邪をひいていてもひとつだけはっきりと分かる味がありますよ!」
「なんだ、なにかの謎々か? ……くしっ」
「いえ、ただ学園の友人に教えてもらいました。きっと気に入ってくださるかと」
「まあ、お前が言うのなら試しても構わんが。料理か?」
「いえ、すぐに用意できますから、すこし目を瞑っていただけますか?」
「うん? 分かった」

 普段のコーネリアであったならこうまでライの言うがままに従いはしないのだが、風邪のせいもあってコーネリアは、素直に眼を閉じる。ライは、よし、と覚悟を決めて優しくコーネリアの体に覆い被さる。
 ライの体が落とす影がコーネリアの体に重なって、少しの間だけ時間が流れる事を忘れた様な静謐が、二人を包み込んだ。
 少し力を入れて閉ざされたコーネリアの唇は、いつもの紫色の口紅が刷かれておらず、生まれついての赤色をしていた。艶やかに花を咲かせた薔薇の花弁を、ライは連想した。
 その薔薇の唇にライは迷わず自分の唇を重ねた。ただ重ね合わせるだけの幼く拙く、けれどどこまでも優しく暖かく、愛おしさを込めたキスであった。
 五秒にも満たない唇と唇を重ねる初めての口づけに、ライは我を忘れそうになるが、かろうじて理性が鳴らす警鐘の音に本能が負けて、名残惜しさを万と胸に秘めて唇を離す。
 不意に唇に訪れた感触に、閉ざされていたコーネリアの瞼がぱっと開かれて、目の前で悪戯を成功させた顔で笑っているライの瞳と視線を交差させる。

「いかがです、殿下。キスは甘いものと友人に聞いたのですが」
「…………」
「あの、殿下?」
「……の…………こ、この、ぜぜ、ぜ脆弱者が!!」

 それまで風邪で弱っていた姿はどこへやら、コーネリアはライに頭突きを噛ます勢いで上半身を跳ね上げて、腫れた喉の痛みを忘れて思い切り叫んだ。


「お姉様が風邪を召されるなんて一体いつ以来の事かしら」

 水晶の鈴を鳴らしたように美しく澄んだ声の少女が、ブリタニア政庁の廊下をコーネリアの私室を目指して歩いていた。手にはお見舞いの品か、心を落ち着かせる効用のあるハーブティーや、手製の焼き菓子の入った籠がある。
 腰まで届く桃色に染めた絹のように美しい光沢の髪、すべての人間に惜しみなく与えられる慈愛の輝きを秘めた大粒の瞳、間違って地上に生まれた天使のように愛らしい顔立ち。
 エリア11副総督にしてコーネリアの愛妹ユーフェミア・リ・ブリタニア皇女その人だ。その隣にはユーフェミアの専任騎士である名誉ブリタニア人の枢木スザク少佐の姿もある。
 異例の大出世を遂げこのエリア11でも有名な人物の一人となったこの少年は、麗美な騎士服に身を包み、ユーフェミアと言葉を交わしながら周囲に気を配っている。
 この政庁の中で万に一つもユ-フェミアの身に危機が及ぶ事はないだろうけれども、慎重すぎるほどに慎重を期する事が必要とされるのを、スザクは理解していた。
 病に弱った姉を見舞うという、普段の守られる立場とは真逆の状況を、楽しみにしている様子のユーフェミアと、にこやかに会話を交わしながら全方位への警戒を怠らずにいたスザクが、見知った顔に気付いて視線を向ける。
 ユーフェミアもつられてコーネリアの私室のある方向から姿を見せたライに気付く。ライもスザクたちに気付いた様で、なぜか鼻を押さえながら片手を挙げて挨拶してくる。
 身分と立場を越えて親しい関係にある三人は、余人の影が無い状況だと自然と友達の態度に変わる。

「ごきげんよう、ライ」
「やあ、君もコーネリア殿下のお見舞いかい?」
「こんにちは、ユフィ、スザク。ついさっき行ってきた所だ。だけど殿下を怒らせてしまったみたいで、出て行けと言われてしまったよ」
「へえ、君が殿下を怒らせるなんて珍し――くはないか。殿下は君に特に厳しいからね」
「うん。この間も殿下の容姿や凛々しい所をぼくなりに素晴らしいと言ったつもりだったんだけど、なぜだが顔を真っ赤にしてお怒りになられてね。本当、ぼくはまだまだ未熟だよ」
「はは、それだけ君に期待しているって事だよ。ぼくもユフィの専任騎士として恥ずかしくないように気をつけないといけない立場だからね、君のその気持ちは良く分かるよ」
「ああ、こんなぼくを親衛隊に選んで下さった殿下のご期待にこたえないと男じゃないからな」

 とどこまでも生真面目に話す二人の朴念仁達を見て、ユーフェミアはまあ、と呆れの溜息を零す。本当にこの人達は、とその溜息が何よりも雄弁に語っている。
 ナイトメアフレームに乗り戦場に降り立てば、ブリタニア最強の十二騎士ナイトオブラウンズにも匹敵すると言われるほどの活躍を見せるこの二人も、ジャンルが恋となるとまるで役に立たない。
 錆びた刀、底の抜けた鍋、サイズの合っていない蓋、破れた服――いろいろと例える言葉が出てきたが、とりあえずユーフェミアはそれらを自分の心の中の棚にしまい込んだ。そうするだけの聡明さは持ち合わせていたようだ。

「その様子だとこれから先が思いやられますね、ライお義兄さま?」

 悪戯っぽく笑いかけながら、お義兄さま、の部分を強調するユーフェミアに、ライは頬をうっすら赤く染めて、恥ずかしそうに顔を背ける。

「まだ気が早いよ、ユフィ」
「うふふ、まだ、ということはライの中ではきちんと予定があるのですね? よかった、私、ライがお兄さんになるのがとても楽しみにしているのですよ」
「ユフィには叶わないな。ああ、そうだ、スザク、ちょっと」
「なんだい」

 鼻を押さえたまま、ライはスザクを呼び寄せてそっとその耳元で囁く。

「君を義弟と呼べる日はいつごろになりそうだい?」
「! ライ、それこそ気が早いよ」
「照れなくたっていいじゃないか、ぼくと君と、どちらが先か結構気にしているんだけどね」
「ははは」

 わざとらしい笑い声を零して誤魔化すスザクを開放して、ライは二人に手を振りつつ自分の部屋へと戻って行く。
 その後、コーネリアの部屋を訪れたユーフェミアとスザクは、妙なものを目にする事になった。いや、特に妙というわけではないのだが、ここがコーネリアの部屋であるという事を考えると妙なのである。

「お姉さま? 何をしていらっしゃるのですか? かくれんぼですか」
「……ユフィか?」
「はい。お見舞いにきました。スザクも一緒ですよ。お姉さまの好きなハーブティーと、寂しくないようにクマさんのぬいぐるみを持って来たんですよ」

 と会話しつつも、ユーフェミアはこんなお姉さまは初めて、と隣に立つスザクとアイコンタクトを交わす。ここら辺の信頼具合と通じ具合はライとコーネリアを上回る二人である。
 さて、愛する妹とその騎士が視線で会話をしているとは知らぬコーネリアは、どうしていたかというと、二人が入室する前からずっと頭からシーツにくるまっていた。
 誰にも顔を見られたくないのか、シーツを掴む指は現在出しうる最大の力が込められている。
 これが妙なものの正体であった。

「お姉さま、本当にどうしたのです? ほっぺや喉が腫れてしまったのですか? 笑いませんからお顔を見せてください」
「いいいいいや、だだ、ダメだ。ユフィでも今は顔を合わせられない。こほこほ、み、見舞いに来てくれた事には礼を言うが、きょ、今日は、もう引き取ってくれ――くしゅ!」

 ふとユーフェミアは、敬愛する姉のシーツを掴む指やかろうじて見えた耳が真っ赤になっている事に気付いた。お姉さまがタコさんになってしまった――ではなくて、この反応は。

「ライとなにかありました?」
「!」

 びくびく、と大きくシーツ越しにベッドを震わせるほどコーネリアが反応を見せた。こんなに分かりやすい反応は珍しい。質問をしたユーフェミアの方が逆に驚くコーネリアの様子だ。
 いつも勇壮で凛々しく頼もしい姉の、自分よりも幼い少女と見える反応に、ユーフェミアは申し訳ないと思いつつも浮かび上がる笑みを堪える事が出来なかった。

「ふふ、本当に、ライはすごい人ですね。最近は、私の知らなかったお姉さまをたくさん見かけます」
「あいつの事はもう言うな」

 お姉さまはきっと、むす、と栗鼠みたいにほっぺを膨らましていらっしゃるのかしら、と考えて、ユーフェミアはころころと可愛らしく笑う。
 その笑みを聞きながらコーネリアはますます面白くなくて、機嫌のグラフを不機嫌方向に下方修正させる。それでも唇に触れた感触を思い出して――

「確かに、甘かった、かな」

 と思わず本音が零れた。



 まだ痛いな、とコーネリアの右のイイのが決まった鼻を押さえながら、ライはすこし調子に乗り過ぎたみたいだ、と反省していた。思い返せばコーネリア殿下を相手になんて大胆な事をしたのかと、自分でも呆れてしまうほどだ。
 本当に、自分でもどうしてあんなことをしてしまったのか。答えは分かっている。自分が、コーネリア殿下に恐れ多くも立場を弁えずに愚かにも恋をし、そして実らせた所為だ。
 恋の花を咲かせてからライはこれまでの自分からは、とうてい信じられない事を、コーネリアを相手にしている。過去の自分が見たらどうかしてしまったのではないかと疑うかもしれない。
 ああ、けれど、仕方ないじゃないか。胸が熱いんだ。胸の奥の奥の奥にある感情が、とてもじゃないけれど抑えきれないんだ。
 いわれるがままに素直に目を瞑り、何をされるかも分からずに待っていたコーネリア殿下の顔。風邪の熱にうなされて火照った肌から香るなんとも魅惑的であまりに無防備なその姿。
 この女性に自分は恋をしている。この女性が自分に恋してくれている。
 その事実を改めて認識し、ライのカラダと心はこれ以上無い幸福感に包まれて、思わず抱きしめたい衝動を堪えるのに必死になった。もっとも唇を重ねることは躊躇しなかったけれど。
 これが恋か。これが恋なんだ。
 ミレイさんがあれだけこだわるのもいまなら分かる。

「恋ってすごいな」

おしまい



[11325] その31 スーパーロボット大戦OG(現実→原作キャラ憑依もの)
Name: スペ◆52188bce ID:e0398f80
Date: 2010/09/04 21:33
 アードラー・コッホ氏の憂鬱


 
 世の中には、いわゆる憑依モノという二次創作SSのジャンルがある。マンガや小説の世界の中に、現実の人間が乗り移るジャンルの事だ。肉体だけを乗っ取ったり、記憶と知識もセットで手に入ったり、あるいは元々のキャラの人格と共存したりとパターンは色々だ。
こういうのは大抵、こうだったらよかったのに、とか原作の時系列において未来の事を知っている事を利用して、様々な手を打って優位な状況を作り、それから変化してゆく未来に翻弄されるのがパターンだ。
 これも、その憑依モノひとつだったりする。




 お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、弟よ、どうやらおれは皆さんとお別れを告げなければならないようです。
 何故かって? 
 ある日目を覚ましたら突然、自分の顔も声も何もかも変っていたからですが、なにか? あっはっはっはっはっはっは。

 新西暦186年くらい。地球連邦の秘密機関EOTI機関の本部アイドネウス島の一室で、七十近い老人が爽やかな朝日の中で涙を流しながら笑っていた。
その高笑いと容貌を見れば、誰もが近づきたくないと思うに違いない怪しい老人である。
何しろ、額から鼻にかけてY字の金属板が埋め込んである。何かの補助具か矯正だろうか。だが、当の老人からすれば面白くない事この上ない。

「なんだよこれ!? このY字鉄板!! 意味分んねえ! 何より何でおれがアードラー・コッホ!!?? おれはアードラーで、アードラーはおれ、見たいな!? アホか!!」

 わなわなと皺と老人斑にまみれた両手を震わせ、おれはこの現実を否定したい気持ちで一杯だった。あれか、ネットとかでよく呼んだ憑依だか現実来訪モノとかそういう類か!? とひとしきり叫び、熱の昇った脳みそをクールダウンさせる。
 だが、やはり、何度考えてもおかしい。確か会社の同僚と一緒に飲みに行って、程よく酔っ払って家賃四万七千円、駐車場別のアパートに戻り、スーツのまま泥のように眠ったはずではなかったか。

「ええい! 考えてもしょうがない。いや、考えなきゃ何もできないけど、状況を確認するしかないな、こりゃ」

 とりあえず高級品ぽいベッドからはね起きたままの格好を着替えようと思い立って自分の姿を見、アードラー(仮)は凍り付く。

「デフォルメ猫のパジャマかよ。……いい趣味してるじゃないか、アードラー・コッホ」

 二度と着るものかと心に誓い、GBAやテレビの画面で見慣れたオレンジ色のコートだか白衣っぽい(オレンジだが)ものに着替える。

「う~む。身体の動きは鈍いし、視界もまるで違う。これが老人の世界か。何が嬉しゅうて二十代から七十間近のじいさんの体にならにゃあかんのじゃ。……じいちゃんやばあちゃんの大変さが身に染みるなあ」

 ぐちぐちと文句を言いつつ、それも結局は独り言に過ぎない虚しさを噛み締め、はあ、と地面に落ちそうな位重たい溜息を着いて椅子に腰かけた。
見回してみるとなかなか豪勢な部屋である。仮にも後のDC副総帥。EOTI機関の時からかなり優遇はされていたようだ。
 部屋の入り口にあったテレビフォンで部下に体調不良を理由に仕事を休む事を告げ、一人部屋の中で状況の整理に努める事にする。

「幸い、アードラーの知識とか記憶はあるのか。……おええ、人体実験かよ、やっぱりマッドサイエンティストの典型だなこのくそじじい!! 
くそ、どうせならビアン総帥とかリリーとあんな事やこんな事できそうなマイヤー総司令とかウェンドロの方が良かったな。
……まあ、いいや。えっと、確かDCの宣戦布告が新西暦186年の11月3日。実際にはそれ以前に極東支部やラングレー基地で戦闘とかあったわけだし、というか現在の時点でとっくにその為の用意はしているわけで。DC戦争は避けられるわけがないか」

 という事は原作通りに行くとジュネーブでヒリュウ・ハガネ隊にさくっと殺られてしまうわけである。
アニメ準拠ならヴァルシオン改、原作ならグレイストークで一人取り残された所を撃沈と言うわけだ。
いや、アースクレイドルに逃げ込んだ時にそのまま連邦に投降、いやいやビアン総帥が死んだ時にそのまま降服すれば助かるか? 
でもこれからの行動次第では、むしろDC側が勝利する可能性の方がでかい。
 実際、ヴァルシオンとハガネ隊の初戦では、その気だったらヴァルシオンの勝利だったらしいし。
まあ、ヒリュウ改に関してはジーベルのアホがいるし、マイヤーが原作通りにやられる可能性もあるんだよなあ。

「う~む。連邦がビアンの主張を受け入れてくれればα世界みたいにDCが味方陣営――というのも変だけど――になるわけだし、その場合はオリジナルのヴァルシオンやビアンも無くさずに済むわけだ。
ああでも後一年もない状況じゃ、もう無理か。あのゼゼーナンとの交渉はもう何年も前からやってるっぽいし……DCの反乱も防げないか。
 このままビアンがDCを創設して連邦に戦争を吹っ掛ける場合は、何が何でも勝ってもらった方がおれの助かる可能性は高いか? 
しかし、仮にジュネーブ制圧作戦とかが成功してもその後すぐにホワイトスターが転移してきてレビと戦わにゃならんのよな。
彼我戦力六対一って、やっぱ絶望的だよな。アニメじゃDisったSRXがなきゃセプたんを倒せなかっただろうし。
 正直特機級がヴァルシオンだけじゃ勝てねえよな。となるとヴァルシオン改をがんがん作って、ユーリアやレオナ、テンペストにテンザン、リョウトとトーマス辺りを乗っけて、そんでもってゼンガーとエルザムにはダイゼンガーとアウセンザイターを任せて……。シュウがグランゾンに乗ったまんま協力してくれればかなりイケるか?」

 ぶつぶつと、今までにも、というかスパロボOGをプレイした事のあるユーザーなら一度は考えた事があるだろう、もしDCが勝っていたら? 的な妄想をアードラー(仮)は口に出し、整理整頓用のメモ用紙に書き込んで行く。

「DGGシリーズの三号機は雷鳳用にミナキの親父がパクるらしいけど、それを防げばもう一機DGGシリーズを用意できるな。
トウマを乗せるのがやっぱり筋だろうけど、そもそもこれから一、二年くらい先の話だよな? OG外伝でも、サルファで言っていたダイゼンガーに助けられたっぽいイベントが終わったばかりだし。
それにトウマが戦士っぽくなるのにはバラン・ドバンとかのイベントがないとだろ? 予定としてはゼンガーにそのままDCに所属してもらってダイゼンガーを使ってもらいたいし、雷鳳はやっぱなしかなあ……。
いや、機体は採用してT-LINKシステムでも積んで、リョウト辺りを乗せればかなりいけるんじゃないか? ヒュッケMk-Ⅲのボクサー代わりに使えそうだな。うまくDCが生き残ればホワイトスター戦までにDGGを投入……できるか?
四号機は、行方不明? それともキサブローに譲ったんだっけ。それならコンパチカイザーが出来上がるわけだから、これは他所に流れてもオッケー。後で大きな見返りになるし……それまで地球が生き残っていたらだけど」

 そもそも目先の勝利だけを考えていては生き残れないのがこのスパロボ世界だ。ホワイトスターを制圧した次は、シャドウミラーにアインストとインスペクター。
次いでデュミナスに修羅にダークブレインとネオグランゾンを倒さなければならないのだ。
OG3がどうなるかはまだ分からないが、下手したらゲストにAI1、クストースにイルイ、OG3オリジナルの敵も出てくるだろうし、ゼ・バルマリィ帝国の本隊か『それも私だ』も出るかもしれない。
 ケイサル・エフェスは全並行世界に唯一の存在らしいから、出てくるにしてもゲベル・ガンエデンどまりだろう。勘弁してください。地球は後何年戦えばいいんですか?
ここまで考えて、思い切り頭を抱えて冷や汗をだらだらと流し始めた。

「き、きついなあ。これでルイーナとかフューリーとか、ザ・データベースとかまで出てこないだろうな!? どいつもこいつも設定がやべえって。
本体でてくりゃ破滅確定のラスボスに、時間操作能力の敵。惑星破壊レベルの攻撃持ちで、ゾンダーとかラダムとかイバリューダーとかと対等のメンツとか、版権キャラなしじゃキツイって。いや、マジで。
 これも見据えた上で今後行動しなければならないんだろう? あーマジでヤバいって。ビアンはキサブローからダークブレインの存在を聞いてたっぽいけど、流石にアインストやら修羅やらは想像の範囲を超えているよな。
てかバラン=シュナイルとか演出がどんだけ派手かつとんでもな機体になるんだよ」

 銀河破壊規模のネオグランゾンの最強攻撃の演出を思い出しながら、アードラー(仮)は胃が痛くなるのを感じた。
エクスティムくらいで演出抑えとこうよ。拳一つで山いくつもぶち抜いてさ、修羅王とかマジ凄いってかんじがしたじゃん。あんな感じで押さえた方が良いと思うよ、などと不毛な祈りを捧げていたりする。

「ああもう、考える事多すぎ! まずは、DC戦争を勝ち残って、ホワイトスター戦を生き残る事を考えよう。シャドウミラーが転移してきてインスペクターが軍事介入を始めるまで半年くらいはあったらしいし」

 パンク寸前にまで考えが煮詰まってしまったので、やはり手の届く所からという結論に至った。優秀な科学者の肉体に憑依したとはいえ、基本的に凡人の意志で考える以上できる事には限度と言うものがあるのだ。
 とりあえず今後の活動方針としては

①何が何でも生き残る。例え本来の自分と比べて五十年くらい寿命が短くても!
②その為にはDCに勝ってもらった方が良いので、ビアンが微妙に手を抜く所を突いて、こちらで色々と手を打つ(まだなにも思いついていないが)。
③対ホワイトスターを想定し、SRXを始めとしてヒリュウ・ハガネ隊は確保しておきたい。

「まずは欲張らずこれ位から始めるか。たしかSRX計画がスタートするのが新西暦185年。Rシリーズのロールアウトが大体一年後。イングラムはとっくにジュデッカの枷に嵌っているんだよな。
無駄とは思うけど、一応スパヒロ作戦時代の思い出に掛けて手は打っておこう。リュウセイとかのスカウトもイングラムにさせた方がいいか? やっぱりスパヒロ時代からの因縁て言うバックアップもあるだろうし……。
 となるとサイコドライバーというかα主人公sの確保か。クスハ、ブリット、タスク、リオは連邦側。レオナ、ユウキはこちら側っと。リョウトはともかくとしてカーラはどうやってこちら側に引き込むよ? 
 サンディエゴがエアロゲイターの襲撃受けて、そこを防備していたユウに助けられたのが切欠なんだよなあ。
折角弟とか家族も生きてんだし、無理にこちらに引き込むのもなあ。そんな事言っていられないのかもしれないけど、非情になりきれないのはやっぱまだ実感がないからか?」

 純粋に生き残る事に執着するならば、戦力となり得るものは貪欲なまでに収拾すべきである。それに踏み切れないのは、やはり自分がこの状況をどこかゲーム感覚で楽しんでいるからだろうか。

「後はやっぱスクール関連だよな。ラトゥーニはもうどうしようもないとして、ジャーダとガーネットに任せるか。となるとオウカ、アラド、ゼオラは何が何でも確保しておいた方がいいな。
アギラとかもDCに参加していたわけだし、あのババアを適当な理由で監禁でもしてクエルボを言い包めるしかないか。エルザムかテンペストに預けるのがベストかベターだろう。他にいい人材見つからないし。でも、二人とも今はコロニー統合軍か? 
 シャイン王女はどうすっかなあ、やっぱり放置プレイか? あの予知能力が特別役に立った事無いし。後ソッフィーにはなんとしてもマシンセルを作ってもらわないとな。そうすりゃベルゲルミルとかスレードゲルミルがこっちで使えるぜ。ぐふふふふ」

 他にもLTR機構に手を回して最強虎と無敵龍を原作よりも早く発掘しておく、テスラ研にも手を回してこちら側の人物を用意する、極東支部伊豆基地のハンス・ヴィーパーを有効利用する、ホワイトスターを倒した後のセプタギン起動を考え、DCの本部かそれに準ずる基地をアイドネウス島以外にも用意しておく、ユルゲン博士のAMNシステムを邪魔せず、ODEシステムを作る前の段階で接収するなり潰すなりする――ざっとこの位だろうか。

「ビアンとマイヤーの真意はより強力な、地球圏防衛に足る力を育てる事。DCを打ち破るほどの力が育つにしろ、DCが地球連邦を下すにしろ、強大な力が生まれるのには変わらないからあいつらの真意は果たせるんだろうけど、地球防衛を真摯に願ってるタイプのDC参加の兵士や、軍人からすれば捨て駒扱いされているような気分になっても仕方ないよな。踏み台扱い的な面もあるし。
 かといって連邦の行為を見過ごせば地球はゲスト――ひいてはゾヴォーグの隷属化になるだろうし、多分スパロボ世界でまだ出ていない宇宙人との戦争に駆り出されるだろう。近い所だと転移してくるホワイトスター辺りとで戦わされるだろうしなあ。やっぱ地球は地球で独立を守んないといかんな。
 やっぱり、地位も権力も確保されているDCに勝ってもらった方がよさそうだな。てか、ビアンが手心加えてなかったら勝ってたっぽいし。
よし! ひょっとしたらこぶ平がゴキトラナガンで元の世界に帰してくれないかあ? と淡い期待を抱きつつ、生き残ってやる! そんで安楽椅子に座りながらぺルシャ猫を膝に乗っけて日向ぼっこをして過ごす余世を確保してやるーーー!!」

 この日、なんの因果かアードラー・コッホの肉体に憑依した不幸な青年は、何が何でも生き残る事を自分に誓い、萎えそうな意志を鼓舞するように絶叫したのであったが。

「うえ、げほっ、げほ!? うう、喉も弱い……」

 いきなり老人になったのはやはりきつかった。

おしまい
余命十年か二十年? 憑依する先がアードラーでは生き残っても先が短そうですよね。



[11325] デカルト・シャーマン編01
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/21 21:49
『機動兵器ガデラーザ』


 これは正規の軍服をもらい食事を改善してもらうや否や、いい女だ、とカティ・マネキン准将への評価を改めたり、オナニーだってできやしない、といいながら陰でこっそりと女性士官と愛について語り合ったりしている、ヴェーダが認定した人類初のイノベイターのお話です。
 一応シリアス。

デカルト・シャーマン編

 最初に認識したのは口の中に充満する鉄の匂い。
 血だ。
 自分自身が吐きだした血が、口の中に溢れている。
 言葉にならない呻きを零しながら、彼――デカルト・シャーマン地球連邦軍大尉は散逸していた意識を繋ぎ合せる。
かすむ瞳の向こうにはモニター越しに輝く満天の星空があった。
 息苦しい。
 そう感じた。当然だ。口の中のみならず鼻孔や目からも血の滴が流れ出て、狭隘なヘルメットの中を赤いものがいくつも漂っている。
デカルトの米神の横の部分だけ長く伸ばした銀髪にも、いくつか赤い珠粒が付着して赤く濡らしていた。
 デカルトは震える手でヘルメットの吸引装置のスイッチを押しこむ。
 かすかに耳障りな音を立てて吸引装置が作動し、ヘルメットの中に浮かんでいたデカルト自身の血を吸いこんでゆく。
 鼓膜をゆする音が、次第に頭の奥の方に残っていた鈍痛を呼びさまし、デカルトは苛立たしげに眉根を寄せて、顔を顰める。
 ようやく思考が正常に働き始めて、デカルトは自分と周囲の状況を把握しようと努めた。

「ぐぅ。おれは、やつらはどこだ? あの物の怪ども!!」

 デカルトの最後の記憶は木星の大赤斑より出現した金属異星体エルスとの戦闘を境に、ぷっつりと途切れていた。
 先行していた火星駐屯艦隊は指揮官であったキム中将もろとも、あの銀色のナイフやクラゲに似た姿をしたエルスどもに乗艦共々取りこまれ、出撃していたジンクスⅣからなる友軍部隊も壊滅。
 デカルトは孤軍となり、千単位にも届こうかというエルスを相手に、乗機である最新鋭のモビルアーマー・ガデラーザで奮戦したが、圧倒的な物量差によって遂にエルスに捕捉され、そして……

「あれから、どうなった? おれとガデラーザは、エルスは……」

 デカルトはガデラーザのコックピットの中を見渡し、そこになんら異常が見られないことを確認する。
 脳量子波同調システムや合計七基の疑似太陽炉も問題なく稼働している。
更にはエルスとの交戦によって損失した筈のいくつかの武装やミサイルの類に至るまでがすべてが補填されている。
 明らかに常識から外れた現象である。デカルトの理解はまるで及ばない。
だが、自分が生きている、という単純明快な事実は混乱の海に叩き落とされて足掻くデカルトの精神を、少なからず安堵させた。
 私設武装組織ソレスタルビーイングと地球連邦を操っていたイノベイターを詐称するものたちとの戦いを切っ掛けに、進化した人類イノベイターへと変革したデカルトは、二年間、ただただモルモットとして扱われ続けた。
 カティ・マネキンという女将官が来てからはようやく人間らしい扱いをされる様になったが、それもわずかな間の事。
 地球連邦の上層部は木星から出現した異星体へのあて馬も同然に、デカルトに人身御供を強要してきた。
人類救済という大義の下に、モルモット扱いに飽き足らず犠牲になれという地球連邦の上層部にも、出現して以来デカルトの脳を苛む叫びを放つエルスも、何もかもがデカルトにとっては嫌悪の対象でしかない。
 その挙句にエルス達に取り込まれての戦死では、一体自分は何のために生まれて、何のためにイノベイターへと進化したというのか?
 くそ、と悪態をつきながら、デカルトはヘルメットを脱いだ。
パイロットスーツに包まれた手の甲で乱暴に口と目と鼻から零れる血を拭う。
 素手に流血は治まっているが焼けつくような痛みが脳を中心にデカルトの体内の至る所に残って、鈍く疼きを発している。
 徐々に平静を取り戻しつつあったデカルトが、とりあえず自分とガデラーザのいる位置を確認しなければならない、と友軍と連絡が取れないか、あるいは自分の脳量子波がなにか知覚しないかと確認しようとした矢先に、デカルトの脳に無数の人間の思惟を乗せた脳量子波が突き刺さる。
 脳量子波を遮断するパイロットスーツのヘルメットを脱いだ影響か、ようやく落ち着きを取り戻そうとしていたデカルトの意識は、直接脳味噌を抉りまわされているかのような苦痛に襲われた。

「ぐあああああああっ!?」

 獣の唸り声にも似た苦痛の声を上げて、デカルトは赤い瞳を見開いて無遠慮に自分の意識に流入してくる無数の人間の思惟を聞かされた。
 それは悲鳴であった。死に際の断末魔であった。
何百、何千、いや何万という人々の、老若男女を問わぬ死を前にした恐怖と苦痛と憎悪に塗れた黒々とした負の思惟の波。

<痛い痛いたすけて助けて熱いよ苦しいよ誰か誰か誰か誰か痛い熱い苦しい死にたくない死にたくない死にたくない痛い熱い苦しい誰か誰か助けて助けて助けて助けて助けてえええええええええ>

 数多の情報の奔流と折り重なる悲鳴の波にデカルトの意識はあっという間に飲み込まれて、終わりの見えない苦痛がデカルトの精神を八つ裂きにしてゆく。
 両手で頭を抱えて、苦悶に悶えるデカルトは、息を荒げながらガデラーザのコックピットで吠えた。

「うるさいんだよ、人の頭にずけずけと土足で踏み込んでええ!」

 今も嵐の様にデカルトの精神を打つ死を目前にした人々の意識に、途方もない苦痛を与えられながら、デカルトは操縦桿を握りしめてガデラーザの機首を脳量子波の放たれる方向へと向ける。

「ガデラーザ、デカルト・シャーマン、出撃をする!!」


 ラグランジュ4。そこはいま、戦場と化していた。
 いわゆるナチュラルと呼ばれる自然のままに生まれた人類と、受精卵の段階で遺伝子操作を受けたコーディネイターが、戦争状態に勃発して既に久しい。
 コーディネイターの国家であるプラントの、義勇兵から成る防衛組織ザフトは、MSと呼ばれる人型の巨大な兵器を戦場に投入することで、数十倍~数百倍の国力を有する地球連合を相手に優勢を保っている。
 地球圏における三大国家大西洋連邦、東アジア共和国、ユーラシア連邦を中核とする地球連合の主力兵器は、MS登場以前に活躍したMAと呼ばれるもので、ミストラルという旧世代機とザフトのMSに対抗するために開発された最新鋭のメビウスというMAだ。
 国力の差を表す様に、L4宙域やそれ以前の戦闘では地球連合側がザフトをはるかに上回る物量を投入している。
 しかしながら個体間での程度の差こそあれ遺伝子操作の恩恵によって、高い身体能力の素地を与えられて生まれるコーディネイターは、兵器のパイロットとしてナチュラルよりも高い適性を持つ。
 またMSという新兵器と核分裂効果と副作用として旧来の電波誘導などを阻害するニュートロン・ジャマー(NJ)の投入によって、現代の戦闘は20世紀に起きた第二次世界大戦並みの有視界戦闘が主流となり、圧倒的にMS有利のものになっている。
 元々は東アジア共和国の保有する資源衛星“新星”をめぐる戦いであったが、ひと月余りに及ぶ硬直状態に陥り、戦闘宙域の拡大や脱走兵の出没なども相まって、いまやL4宙域に存在する民間人の住まうコロニー群に至るまでが被害を受けるようになっていた。
 ここも、地球連合とザフトの戦闘に巻き込まれたコロニー群の一つであった。
 地球連合は保有する130m級駆逐艦や250m級戦艦といった艦艇を中心に、メビウスやミストラルといったMAを展開しているが、キルレシオ比1:5という戦力差は如何ともしがたく、次々とMAはオレンジ色の火球に変わっている。
 この時期ザフトの保有するMSは、ジンと呼ばれる機体である。
 黒灰色のボディ、単眼を持った頭部の頂点には鶏冠状のセンサーがあり背中にはウィング形のバーニアが備わっている。
 遠方から見れば、砂漠の魔人の名を冠するMSは、目撃者に神話の中から飛び出て来たサイクロプスを連想させたかもしれない。
 ジンは76mm重機関銃や500mm無反動砲を、的確にMAに命中させている。中には曲芸のように回避運動を取るメビウスの背に乗って、砲撃を見舞うものまでいた。
 対空砲火を張り巡らす艦隊に相手にしても、四方八方にばらまかれる銃弾やミサイル、ビームの雨あられを掻い潜り、ジンの群れは驚くほど艦隊に肉薄して一つ一つの砲塔やミサイル発射口、艦橋を叩き潰している。
 開戦初期は熟練の精兵達が揃い、巧みな指揮や操艦技術、MAと艦艇の連携によって、MSにも出血を強いていた連合軍であったが、いまやにわか仕込みの将兵が増えた事によって練度は著しく低下し、効果的な対空砲火を張り巡らすには至らない。
 飛び交う砲火は近隣のコロニーにも着弾し、シリンダー状のコロニーのあちらこちらで爆発の煙が上がり、採光用の巨大なミラーも見るも無惨に砕けている。
 コロニーの住人の多くはナチュラルではあったが、少なからずコーディネイターも存在している。
 ならばザフトがL4のコロニー群を巻きこんでまで戦うのは、そこに住まう同胞たちはナチュラルの理不尽な圧政から解放し、この宇宙に自分達の新天地を築くためか、と言えばそうではなかった。
壊れゆくコロニーやそこから脱出しようとするシャトルに対して、ザフトはこれまでの戦闘で救助の手を差し出すでもなく、コロニーに流れ弾が命中し様となんら構わずに戦闘を続行している。
 幾枚もの分厚い壁を隔てた向こうには人体にきわめて有害な放射線と真空の広がる宇宙では、人造の大地たるコロニーの存在は、そこに住まう人々にとっては地球に住まう人々にとっての地球以上に神聖なものであるだろう。
 重力も空気も水もありとあらゆるものを自分達の手で作り出さねばならず、些細な事故があっという間に命を脅かす
 ましてやプラントの市民でもあるザフトの軍人たちは、彼らの同胞24万人超が住まう人造の大地を破壊された怒りと悲しみを知る筈だ。
 それでもからは地球連合との戦火にL4のコロニー群を巻きこむ事を厭わずに戦いを繰り広げている。
 無論、ザフトの諸兵全員がすべからくコロニーに被害が及ぶ事を看過しているわけではない。
中には軍人として上層部からの命令に逆らえず、歯を食いしばって止むなく従う者もいるだろう。
しかしながら結果を見ればザフトがコロニーに及ぶ被害を考慮する事はなかった、という他ない――無論、これは地球連合にも言える事ではあったが。
一ヶ月近くに及ぶ地球連合との交戦で、既にL4に存在するコロニー群は壊滅状態といっても過言ではないのだから。
地球連合の艦隊が軍事的な意味ではなく文字通りの全滅となった頃、湾口のみならずコロニーの中央を貫くシャフトに至るまで被害が及び、遂にはあるコロニーの一つが完全に崩壊した。
いまだその中に必死に逃げ惑う数万の人々を抱えたまま。
あるザフト兵は、その光景に核ミサイルで破壊されたユニウス7とそこに住んでいた知人の姿を思い浮かべた。
またあるザフト兵は、コロニーに住んでいたナチュラルが無様に死んでゆく様に、歪んだ笑みを浮かべていた。
あるザフト兵は、同胞たるコーディネイターが住まうコロニーを自分達が破壊した事に対する果てのない自責と疑念に囚われていた。
またあるザフト兵は、ナチュラルがプラントの主張を受け入れてさえいれば、このような事態にはならずに済んだのだと責任を転嫁していた。
そして瞬く間にコロニーと艦艇とMAと数機のMSの残骸によって、デブリの海となったL4宙域に、それは姿を現した。
最初に気づいたのは、後方に控えていたMS部隊の母艦群である。この時期、ザフト軍の有する宇宙用の戦闘艦艇は、180mほどのローラシア級と呼ばれる艦一種だ。後に船体を大型化させ、船速を劇的に速めたナスカ級が建造されるが、いますこし未来の話である。
NJ影響下であるため、MSだけでなく艦艇に至るまで各種レーダーやセンサーの類は余すことなくお粗末なものだ。
艦橋に詰めていた女性オペレーターが、黒いザフトの軍服を纏う艦長に大型熱源の接近を告げようとした、その瞬間、はるか星空の彼方から圧縮された高濃度の粒子ビーム砲が、そのローラシア級の船体をぶち抜いて、艦橋スタッフを一人残らず蒸発させた。
ローラシア級がひと際巨大な宇宙の花火と化した時、戦艦の主砲でさえ可愛く見える粒子ビームを放った存在が、オレンジ色の粒子を星空の様に輝かせながら戦闘の終息したL4宙域の一角に、流星のごとく斬り込んだ。
自らを苛む脳量子波の悲鳴の源を絶つべく破壊衝動に任せて、機体を動かしたデカルト・シャーマンと、その乗機ガデラーザである。
友軍の突然の悲劇に、精神を弛緩させていたザフトの諸兵達は、一瞬で命を散らした仲間への驚きと悲哀の念を、すぐさまそれを行ったモノへの怒りに変えた。
生きて帰れる事の喜びと一時の勝利の余韻を共有する筈であった仲間に、理不尽な死を齎した存在を見つけるのに、そう時間はかからなかった。
GNMA-Y0002V“ガデラーザ”。
本体の後部左右に三基の疑似太陽炉を直列に繋いだ直列型太陽炉を二基搭載、更に胴体部に予備となる太陽炉を一基搭載している。
赤と赤紫の二色で染められた機体は、異様に砲身と車体が巨大化した戦車を思わせるものだ。
その巨体、実に300m超。
地球連合軍の保有する最大の艦艇アガメムノン級戦闘空母に匹敵するほどである。
まずザフト部隊は太陽炉の発するGN粒子の特性である電波通信妨害によって、ただでさえNJ影響下で著しく性能を劣化させていたレーダー関係や、通信機能に追い打ちを受けて部隊間での通信網をほとんど寸断された。
拡大した映像の中で眩く輝く粒子を撒き散らして、空母並みの巨体でありながら信じられない速度で迫るガデラーザの姿に、言い知れぬ威圧感を覚えて少なからぬザフトの兵達が息を呑む。
戦艦というには余りにも速く、MAというには余りにも巨大であり、寡兵を持って数多の地球連合の軍勢を屠ったザフトの勇兵達をして、目を見張らずにはおれぬ特異極まりない存在であった。
デカルトは、ヘルメットを脱いだまま、先ほどまで聞こえていた脳量子波が尽く絶えた事を悟っていた。
 イノベイターに変革し、感知能力を劇的に高めたデカルトに暴力的に押し寄せてきた悲鳴の消失。それは、悲鳴を発する存在の死を意味していた。
 蝋燭の火が風に吹き消されてゆくように、あまりにも呆気なく、あっという間に命の火が、消えてゆく!
 デカルトはイノベイターとしての規格外の知覚能力と直感力、そして眼前に広がる破壊と死の光景から、ここで何が行われていたのかを理屈よりも早く直感で理解する。
 真ん中から折れて今も爆発の手を広げているコロニー、船体のあちこちが千切れ融解して墓標と化した戦艦群、原形を留めぬ無数の残骸達。
 言語にしがたき凄まじき苦痛の余韻と、男も女も幼いも老いも問わずに、一方的な死を与えられた人々が血涙を流しながら挙げる悲鳴が鼓膜の奥でいまも響いている。
 理解しがたき現象に前兆も無しに放り込まれた事への混乱と、その混乱が静まる前に次々と押し寄せてきた無数の人々の死の瞬間の思惟。
 いかにイノベイターとはいえ、平素の精神状態でいられるわけもない。デカルトは感情の水面が荒れ狂うがままに吠え猛り、視界に映る見慣れぬMSらしき兵器に、破壊衝動を一切抑制することなく叩きつける。

「貴様らぁ、武装もしていない民間人に何を!!」

 二年間実験動物の様に扱われ、自らを大尉待遇のモルモットと自嘲するデカルトであったが、その根底にはいまだ市民を守る軍人としての良識がたしかに残っていた。
 自らが盾となり剣となり、市民を守るというのは、軍人としてのいわば原始的な本能といっていい。
 まっとうな精神状態でないからこそ、デカルトは二年間の鬱屈とした日々で覚えた冷笑と皮肉屋の仮面を剥ぎ取り、無抵抗の民間人に砲火を浴びせた目の前の連中に容赦をするつもりはなかった。
 途絶えた数千、数万の民間人の脳量子波に変わり、先ほどから届くザフト軍人達の脳量子波から、おおよその思惟を感じ取り、デカルトは脳を疼かせる痛みを紛らわせるようにして叫ぶ。

「ナチュラルだの、コーディネイターだのわけのわからぬ事でこんな真似をするのか、貴様らは! 脳量子波同調――GNファング、射出をする!」

 脳量子波による無線操縦兵器であるファングが、ガデラーザの機体下部に存在するファングコンテナからまず十四基が射出される。
 この十基は親ファングと呼ばれる大型のもので、一基ずつに疑似太陽炉を搭載していて、下手なMSよりも大きいほど。
 更にこの親ファングから子ファングと呼ばれる小型のファングが十基ずつ射出される。
左右のコンテナに六基ずつ大型ファングが、カタパルト内に一基、左右合わせて十四基の親ファングに、更にそれから十基の子ファングと、合計百五十四基にも及ぶ大量のファングがガデラーザの周囲を、城塞を守護する騎士のごとく布陣する。
これほど大量のファングを脳量子波と専用システムを介してとはいえ、正確無比に操るのは、元地球連邦の精鋭アロウズのパイロットしての素地に加えて、進化した人類たるイノベイターの能力を併せ持つデカルトならではの神業といっていい。
忠実なる僕たる無数のファングと共にザフトの部隊へと襲い掛かるガデラーザは、あるいは巨大な流星が星の海の中を飛翔するかのようにも見えた。
だがそれは、星空を飾る美しい光景では到底済まない破壊の権化とでも称すべき存在である。

「貴様らを破壊すれば、消えるか!? この痛みは!」

 集中するようにして閉じた瞼を開いた時、デカルトの虹彩は美しい金色に輝いていた。叫びと共に脳量子波で放った号令に従い、親ファング、子ファング合わせて百五十四基が一斉にジンとローラシア級に襲い掛かる。
 餓えたピラニアの大群が哀れな獲物を貪るのに似た光景が、見る間にL4宙域に広がってゆく。
 それは先ほどまでMA部隊がジンを相手に強いられていた狩猟にも似た一方的な戦いの再現であった。
 ガデラーザが保有する親ファングはメビウスと同じかそれ以上の大きさを誇るが、質量軽減、慣性制御機能のほか、推進機関としても機能するGN粒子を発する疑似太陽炉の搭載によって、有人機にはあり得ぬ鋭角な軌道を見せる。
 親ファング、子ファングともにビーム刃を展開して縦横無尽に宇宙を駆け抜けて、オレンジの輝線を幾重にも描いてさながら光の格子を漆黒の宇宙に描き上げる。
 おおよそナチュラルと呼ばれる人種と比較した場合、身体能力に置いてあらゆる点で上回るコーディネイターといえども、初見となる無線操作兵器を相手に、しかも自分達よりもはるか数倍する数を前にしては、烏合の衆へとなり下がった。
 視界に映る高速物体に向けて、必死に照準を当てんと瞳を動かしセンサーを見つめ、あるいは互いの死角をカバーし合って連携によって対応しようとする。

「劣等種が。行け、ファング!!」

 想定し得ぬ突然の襲撃を受けても即座に対応せんとするザフト兵を嘲笑うデカルトの脳量子波を受けて、ファングがついに牙を向いた。
 突出している機体は四方から子ファングが襲い掛かって四肢を切り落とし、首を落とし、胴を二つにし、機体を寄せ合って互いの死角をカバーし合う者達には、親ファング子ファングが一斉に放ったビームに装甲を貫かれて、炎の花束を咲かせる。
 軌跡を目で追うのが精いっぱいのファングの迎撃を諦めた何機かのジンが、ファングに比べればはるかに巨大で的としやすいガデラーザへと銃口を向ける。
 しかし、七基もの疑似太陽炉を搭載するガデラーザはその巨体である事を補って余りある機動性と速度を備え、ロックオンを次々と振りはらって行く。
 デカルトは百五十四基のファングの操作と合わせて、ガデラーザの本体に収納してある四本のアームを展開し、その先端に供えられたバズーカ並みの砲口を有する砲弾を周囲を取り巻くものたくさとしたジンへとばらまいてゆく。
 さらに300m超――正確には302mという戦艦並みの巨体に収納されていた合計二百五十六発のGNミサイルも一斉に発射する。
 後の補給のことなどまるで思慮にない、ガデラーザの保有する武装の大盤振る舞いである。
 ガデラーザの本体後部から放出されているのと同じ色のGN粒子を噴出させながら、GNミサイルとGNバルカンのいずれもが、まるで吸い寄せられているかのようにジンへと命中してゆく。
 目に見えぬ糸で繋がれているのか、それともジンのパイロット達が当りに向かっているのではないか、そんな錯覚に囚われても仕方のない光景であった。
 砂の城を白波が浚って行く様にして、デカルトの敵意に晒されたザフトの兵士達は戦闘開始からものの数分と経たずに、命を散華させてゆく。
 自分達の死を意識する間もなく死の淵へ落ち行くザフト兵達の姿を見て、デカルトは胸の中に蟠っていた鬱積と嚇怒の雲が、わずかに晴れるのを感じる。
 だが、まだだ。まだ足りない。
 まだ脳裏にまとわりつく不愉快な感覚と痛みは消えていない。
 ファングに切り裂かれ、GNバルカンに吹き飛ばされ、GNミサイルに爆砕され、もはや数えるまでに数を減らしたジンを無視して、デカルトは後方に布陣している複数のローラシア級へと敵意の牙を向ける。
 最高速度を維持したまま鋭角にガデラーザの機首を旋回させ、デカルトは機体前面にローラシア級を捕捉する。
 和らぎはしたもののいまだ脳髄の奥深くで疼く痛みに眉間に深い皺を刻みながら、デカルトは指を動かして操縦桿に在るキーを操作し、ファングコンテナの間にスライドしていたGNキャノンの、ガデラーザの三分の二近い長大な砲身が上下に展開して、底なしの奈落の様な砲口を覗かせる。
 固定武装ゆえに機体前面にしか射界を得られぬが、直列型太陽炉二基と太陽炉一基が齎す莫大なエネルギーは、戦艦でさえも容易く破壊する大出力を誇る。
 自分達をはるかに上回る巨躯を誇るガデラーザが、特徴的な長大な砲身を展開させている事の脅威を感じ取ってか、複数のローラシア級の船体から放たれる対空砲火の焦点がガデラーザに合わせられる。
 しかし、デカルトの唇には嘲りの弦月がはっきりと浮かび上がっていた。

「GNキャノン、発射をする。沈め!」

 デカルトの指が発射スイッチを押しこみ、圧縮され蓄えられたGN粒子が、鎖から解き放たれた餓えた野獣の獰猛さでガデラーザの砲口からローラシア級へと襲い掛かる。
 光の槍というには余りにも巨大な光柱がローラシア級の船体を斜めに貫き、船体を横断してもなおその勢いは衰えることなく、二隻目のローラシア級もGN粒子の餌食となる。
 デカルトは残酷な光を赤い瞳に宿し、ぺろりと唇を舐めた。確実に捉えられる獲物を前にした肉食獣の凶暴な笑みであった。
 MSを殲滅し終えたファングと二射目の準備に入ったGNキャノンを前に、残るローラシア級達は自分達を守る騎士を失い、城門を開いた砦の様に無力な存在でしかなかった。
 戦闘開始から五分を待たずしてザフトの艦隊とMS部隊を尽く星間物質に還元してから、ようやくデカルトは体に満たしていた緊張をほぐして、シートに体を預ける。
 ハンマーで鉄板を乱打しているかのような痛みは、まだデカルトの精神と神経を苛んでいるが、いささかなりとも鬱積は晴らす事が出来た。
 無遠慮に影響を及ぼしてくる脳量子波が一切合切消失したことで、ようやくデカルトは精神に弛緩することを許せた。
 エルスの出現以来、常に数千匹の蚊や羽虫に纏わりつかれている様に、デカルトを苛んでいた不愉快で常軌を逸した痛みからも解放されて、デカルトの精神は張り詰めていた緊張の糸を一本残らず緩めてしまう。
 疲弊しきっていた精神は、デカルトが気づかぬうちに暗黒の淵へと落ちて行き、抗う間もなく睡魔の手でデカルトの意識を絡め取った。
 だから、デカルトは気づく事はなかった。
 デカルトが生まれ育った地球では、24世紀初頭時点で人口が六十億ほどであるため、宇宙移民の為のコロニー開発がさほど進んでおらず、周囲の破壊される前のコロニー群ほどの完成された物はほとんど存在していなかった事を。
 交戦した非太陽炉搭載機が、地球連邦の全身であった地球の三大国家群のいずこにも属さぬ陣営のものであった事を。
 味方を失い孤立無援となった状態で、エルスを相手に奮戦していた自分がいるこの世界が、そもそも自分の属していた世界とは根本的に違うものであった事を。
 そして、いまだはるか遠方ではあったが、このL4宙域を目指して地球連合の艦隊が向かっている事を。
 後にザフトのMSと地球連合の太陽炉搭載機との死闘が繰り広げられる原因となる男と機体は、いまはただようやく許された安らぎに身を委ねていた。



[11325] デカルト・シャーマン編02
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/21 21:52
※調子に乗りました。ごめんなさい。ザフト好きな方は読まないでください。
それでもなお読み進めて、ご気分を害されても責任は負いかねます。
その旨をご了承ください。
以上の事を了承したうえでお読みくださると考えて、以下の文を書いています。

その2 デカちんと盟主王

 デカルト・シャーマンとその愛機ガデラーザがコズミック・イラ世界における地球圏に出現する、その数時間前。
 西暦2317年、火星圏。そこはいま猛烈なる戦火の飛び交う戦場となっていた。
 満天の星々と無窮の暗黒が広がる宇宙空間に、数多の星光を反射して鈍く銀に輝く不可思議な物体が乱舞している。
 百を越え、千にも届かんばかりの大群である。
 大群?
 その銀に輝く金属らしきそれらは、生命と呼びうる存在だったのである。
 小さなものは十メートル前後程の両刃ナイフ状のものや、馬上の騎士が携える突撃槍の様な形状をしたもの、更には数百メートル単位の巨体を持ったものまで、種々様々なそれは、地球に住まう人々から金属異星体≪エルス≫と呼ばれていた。
 木星に存在する大赤斑から、イオやガニメデと言った衛星を食らい潰しながら出現したエルス達は、なんの目的があってか地球への進行コースを取り、エルスの真意を確認すべく、地球圏を統べる地球連邦政府は火星圏への調査部隊の派遣を決定していた。
 火星圏に駐屯していた航宙巡洋艦三隻と、主力モビルスーツであるジンクスⅣ七機、さらに進化した人類イノベイターの専用機として開発された巨大モビルアーマー・ガデラーザ一機を含む少数の艦隊による接触が試みられたのである。
 公的に認められた人類初の進化個体である二十代半ばほどのイノベイター、デカルト・シャーマンの能力によって、エルスの真意を図らんとする連邦の試みは成功したとも、失敗したとも言えるだろう。
 少なくともエルスは派遣された火星駐屯艦隊と、先行したガデラーザに対して反応を示したのである。
 エルスは強い脳量子波を発する人間に引きつけられる、という連邦の科学者たちの推測通りに、派遣された艦隊の中で最も強く脳量子波を発するデカルトの元へと進路を変更したのだ。
 それに対しデカルトが攻撃行動に出た後、エルスとの戦闘状況に突入し、ガデラーザの驚異的な戦闘能力によって三桁を超すエルス達を、戦闘後間もなく撃破することに成功した。
 しかしながら接触した物体を有機物、無機物を問わず同化するエルスの特性によって、ガデラーザの支援を行う七機のジンクスⅣも、三隻の航宙巡洋艦も犠牲となり、ガデラーザは孤立無援の状況でエルスとの戦いを強要される事となった。
 いかに百五十四機のGNファングと七基の疑似太陽炉によって絶大な出力と機動性を有するガデラーザといえど、こちらの動きを学習して動きを予測し、圧倒的な物量を誇るエルスを前にしては、生き残る事が叶わなかったのである。
 エルスが脳量子波に引きつけられる様に、エルスらもまた極めて強力な脳量子波を発しており、GNファングと同化したエルス達はGNファングとデカルトの間に結ばれている脳量子波による接続に干渉し、閃光とめまいと激痛をデカルトに与える。
 この干渉によって一瞬、ガデラーザの操縦から意識を逸らしたデカルトの隙を的確に突き、302mのガデラーザを更に上回る巨大なクラゲに似た形状のエルスがガデラーザに襲い掛かってきた。
 四本の隠し腕から絶え間ないGNバルカンを浴びせながらも、飛翔の勢い衰えぬ大型エルスは、先頭部に備える四本の触手とも足とも見える部位を開き、ガデラーザの巨体をがっちりと咥え込む。
 そしてガデラーザが捕らわれた瞬間から、デカルトにはエルス達の発する人間の理解を超越した叫びが強制的に叩きつけられ、人間一人では到底受け止めきれない情報の奔流に飲み込まれていた。
 理解の及ばぬ未知なる存在への恐怖、人間一人など雨粒にも等しい莫大という言葉も霞む情報の大海、デカルトはこの時、ほとんど正気を失う寸前だと言っていい。
 ガデラーザを捕らえた大型エルスの侵食は恐ろしい速さで進み、既に餌食となったGNファング同様にガデラーザの巨躯は、エルスに取り込まれかけていて、かろうじて主砲の先端部分がのぞいているきりという有り様だ。
 エルスの侵食が進むにつれてガデラーザの各種の機能は狂い始め、GNファングとの同調も、脳量子波同調による操縦システムも、機体に搭載された疑似太陽炉も次々と、その機能を狂わせてゆく。
 そして遂にコックピットにまでエルスの侵食が及び、デカルトの脳細胞に致命的なダメージが及ぶ寸前、デカルトは断末魔のごとく強力な脳量子波を発した。
 そして、そうもう一度、そしてと言おう。デカルトの脳量子波がなんらかの作用を及ぼしたのか、あるいは単なる偶然によるものであったのか。
 正常な機能を失った疑似太陽炉七基の内の二基が、それこそ砂漠の中に落とした一粒の真珠を見つけ出す以下の奇跡的な可能性で同調し、暴走し、00の光輪を描きだしていた。
 大型エルスとガデラーザを中心に虚空に描かれる00の光輪が広がった一瞬後、大型エルスをその場に残して、ガデラーザは火星圏からその姿を消していた。
 はたしてガデラーザが発生させた現象を、私設武装組織ソレスタルビーイングが開発したイノベイター専用MSダブルオークアンタが有する、恒星間規模の量子ジャンプと同じものと言えるかどうかは分からない。
 ただ確実なのは、恐ろしく低い奇跡的な確率で、あるいは運命の糸を操る何ものかの意図によって、ガデラーザとデカルトがエルスによる侵食同化の危機から逃れられた事だった。
 その先に待つ運命がこの場での死よりもましなものであったかどうかは、まだ分からぬ事ではあったが。


「ぐうう、ああああ!?」

 モニターの向こうを埋め尽くす金属質の岩塊状の物体が、ガデラーザを、そして自分自身を蝕み侵食してゆく光景が、脳を掻き回されるような痛みと閃光と共に襲い掛かってくる。
 自分のものとは思えぬ獣の叫びを上げながら、デカルト・シャーマンは横たえていた体をバネの勢いで跳ねあげた。
 粘っこい嫌な汗が全身に浮かび上がり、簡素だが肌触りのよい病院着を濡らしている。
息を荒げ、汗で顔を濡らし、赤い瞳をあらん限りに開きながら、デカルトは背を折って頭を抱えて、先ほど見た悪夢の残滓を振り払う事に努めた。
ようやく頭痛が治まり始めて、平静をわずかずつ取り戻したデカルトが、そろそろと顔を上げて周囲の様子を伺えば、そこはガデラーザのコックピットなどではなかった。
どこか見覚えのある清潔な印象の白い部屋。独特の消毒液の匂いが漂う空気。
病室、だろうか? 自分の体を見ればパイロットスーツを脱がされて、病院着に着替えさせられていることから、友軍に拾われたのかもしれない。
頭痛の名残に眉を顰めながら、デカルトは情報収集に努める為に病室を観察するが人影はない。
誰かを呼ぶか、と考えた時ドアがスライドし若い女性の看護師が姿を見せた。相応に慌てた様子と、目を覚まさなかった患者の容体の好転を喜ぶ感情とがない交ぜになった顔。
ナースコールが鳴らされたわけでもないのに、デカルトの目覚めを待っていたかのようなタイミングでの登場で会った。
薄く淹れた紅茶色のゆるく波打つ髪をバレッタで纏めた看護師のルックスは、デカルトの好みだった。
 青春期のガキか、とデカルトは我ながら自分の素直な欲望に苦笑を禁じ得ない。

「目が覚めたんですね。よかった。貴方はここに運ばれてから五日も眠っていたんですよ」

「五日? それは、また」

 火星駐屯艦隊全滅後にどこの部隊が救出してくれたのかは知らないが、とりあえずは感謝しなければなるまい。
あのまま生きた金属に取り込まれて一部となり果てる運命など、デカルトでなくとも誰もが拒絶するだろう。
それにしてもデカルトの見慣れた看護兵の服装と、目の前の看護士の制服は違うようだが、この時はまだ気にならなかった。
 五日。火星駐屯艦隊の全滅により地球連邦政府もエルスが、敵性ないしは攻性を有する存在として危険視し、対策を練っているだろう。
 体調が整えば、またすぐさま自分を使い潰そうとするに違いない。デカルトは不愉快な念に襲われて、思わず舌打ちを一つ打った。
 デカルトの態度に、自分に落ち度があったのかと気にしたのか、看護士は取り繕う様に笑みを浮かべた。

「ドクターを呼んできますから、まだ安静にしていてください」

「その方が良いようだ。大人しくしていますよ」

 軽く腕の屈伸運動を行ってみると、運動神経が錆びついているかのように動きが鈍い。清潔なベッドの上で惰眠を貪っていた代償とはいえ、本調子にはいまだ遠い事は認めざるを得ない。
 去ってゆく看護士の背中を見送ってから再びベッドに背を預け、枕に後頭部を沈めながらデカルトは、唇を開いてかすかに息を吐いた。
地球連邦政府に使い捨てにされた事への憤りも、エルスへの怒りも一時忘れ、自分が生きているという実感が胸の内に広がっている。

「しかし、ここはどこだ? ソレスタルビーイング号の中か? それともどこかの軍艦かステーション、か?」

 最も可能性が高いのは全長十五kmを地球圏最大規模の外宇宙航行艦ソレスタルビーイング号の医務室だろうか。
エルスの出現以前からガデラーザとデカルトの研究が行われていたのが、ソレスタルビーイング号に設けられた研究施設だった事を考えれば、可能性としてはかなり高い。
 今回のエルスとの接触と戦闘によるデータを、あのデカルトを研究対象としてしか見なかった技術士官なら、喉から手が出るほど欲しがるだろう。

「マネキン准将なら、多少はましに扱ってくれるかも知れんが」

 正規の大尉待遇と軍服の支給、食事の改善と初対面時の言葉通りに待遇を改善したマネキンの事は、デカルトなりに評価しているらしい。
その後、看護士が年配の医師を連れてきて、簡単にデカルトの診察を行った後、デカルトは情報端末を渡された。診察が簡易的なものだったのは、デカルトの意識が失われている間に、詳細な診断を終えていたからだろう。
これは状況の把握を望んでいたデカルト自身にとっても願ってもない事であったが、てっきり上官らの方からなんらかの通達があると思っていたデカルトには、いささか訝しいことであった。
なにより脳量子波によって読み取った彼らの表層意識には、デカルトの事を患者というよりも観察対象として捉えれている様な思考が読み取れた。
表層意識を読み取る、といっても具体的に言語化された思考を知覚出来ると言うわけではなく、漠然とした感情や単語といったものが分かる程度である。
そのイノベイターとしての力を駆使して感じ取れた医師らの思考は、どうにもあのクリーム色に近い金の長髪を束ねていた技術士官を想起させるもので、デカルトはどうやら地運が歓迎せざる状況に陥ったのだと否応にも理解するほかなかった。
デカルトは二年間のモルモット生活の間で憶えた諦観が胸の内に湧きおこるの感じたが、とりあえずはまともな傷病人扱いはされているわけだから、そう悲観しきるものではないと自身を慰めた。
少なくともこのような扱いをされる以上は、デカルトになんらかの利用価値を見出しているからだろうし、こちらの出方次第で待遇も変わるだろう。

「だからといって、これ以上捨て駒にされるのは御免こうむる」

 盗聴器くらいは仕掛けて在るのだろうな、とデカルトは頭の片隅で考えながら手渡された情報端末の電源を入れて、今、置かれている自分の立場と世界の情勢を把握しようと努めた。


 軍事工廠ないしはそれなりの規模の軍事基地らしい空間に、いくつかのまばらな人影があった。艦艇用のドッグとして用いられている施設の格納庫の一つである。
 天井や壁、床に内蔵された照明に照らし出されて、空間の中央に固定用のクレーンなどで固定されて鎮座しているのは、デカルトの愛機ガデラーザである。
 アガメムノン級戦闘空母にも匹敵する巨体のあちらこちらでは、ガリバーの目撃した小人かと見間違えるほど小さな人間達が、忙しなく動きまわっている。
 無論、実際に小人というわけではない。ガデラーザとの対比からそう見えてしまうだけで、十分以上の知識と技術と経験を兼ね備えた優秀な研究者や整備士たちが、ガデラーザの内包する未知の技術という宝箱の鍵を開けようと、連日連夜努力しているのだ。
 ガデラーザの解析を担当している四十がらみの黄色人種らしい技術士官が、相手の機嫌を損ねまいと取り繕った笑みを浮かべて、現状で判明している情報をつらつらと述べている。
 その説明に興味を隠さぬ表情を浮かべて耳を傾けているのは、冬の太陽の様に冷たい印象を受ける金の髪と、どこか皮肉気で自分以外の人間を全て小馬鹿にしている様な笑みを浮かべている三十前後の男だ。
 周りは皆、地球連合の軍人であるのに、その男だけは仕立ての良い薄い水色のスーツに袖を通し、纏う雰囲気も軍人のそれとは随分と異なっている。
 男――反コーディネイターの急先鋒たる思想団体ブルーコスモスの盟主にして、地球連合に極めて強い影響力を有するムルタ・アズラエルは、視線をガデラーザに固定したまま口を動かす。

「報告は受けていましたが、このデカブツを一人で操縦しているんですか? 戦艦じゃなくてモビルアーマーっていうのも、いまいち信じ難いですけど」

「は。まだ調査の途中でありまして、判明していない点も多々ありますが、少なくともこれを回収した際に、搭乗していたのは一名だけでした。システム回りが如何せん既存のものとは全く異なるもので、正直に申し上げまして調査は難航しています」

「ふうん。それでも実に興味深い。無線制御と思しい兵器に全く未知の動力機関。ハードもソフトも何もかもが、既存の技術では再現不可能か極めて困難な代物ばかり。この正体不明のモビルアーマーは、とんでもないオーバーテクノロジーの塊という事ですね?」

 問いかけというよりは確認の響きが強いアズラエルの言葉に、こればかりは絶対の自信を持って技術士官は首肯する。
解析と調査を進めれば進めるほど、L4宙域で拿捕されたこの巨大MAは、在りえない、信じ難いと言う言葉を重ねなければならなかったのである。

「はい。特筆すべきなのが搭載されていた二十一基の動力機関です。これは疑似太陽炉あるいはGNドライヴ[T(タウ)]というらしいのですが、少なくとも半世紀、ないしは一世紀は未来の技術といっても過言ではありません。始動には電力を必要としますが、その後発生する未知の粒子の齎す効果は絶大です」

「高出力のニュートロン・ジャマー並みの電波妨害、質量増減、慣性制御、光学兵器への転用、推進機関、装甲強度の増強、出力もいまあるバッテリーなんて目じゃないと来ている。まったく、なんでもありじゃないですか、コレ。SF小説を成り立たせるための、都合のよい架空の産物みたいですね」

「盟主の仰られる事ももっともですが、確かに現実として我々の目の前に存在しております。ご許可を頂ければ本体に搭載されている七基以外の疑似太陽炉を解体し、解析に当てたいのですが」

「まあ、一つ二つくらいは問題ないでしょう。メビウス並みに大きい無線兵器は十四個もあるようですし。ぼくとしてはこの機体もそうですが、こんな化け物を操るパイロットにも、興味がありますね。ああ、そういえば、コレ、なんて名前でしたっけ?」

「は、GNMA-0002Vガデラーザと判明しています」

「ガデラーザね。これが量産できれば宇宙の化け物も簡単に駆逐できそうですが」

 デカルト・シャーマンという名前の判明したパイロットの事もまた、アズラエルの中では大きな興味を誘う存在であった。
 デカルトの肉体を調べた医師は、おそらく当惑とかつてない興奮に襲われたことだろう。
イノベイターとして覚醒した人間は、細胞自体が変容して肉体機能が強化され、状況把握力、空間認識力、脳量子波の増大、寿命の倍化といった途方もない恩恵を得る事が出来る。
外見上の差異こそ変革せざる旧人類と変わる事はないが、その実、細胞単位で最早旧人類とは異なる存在と化し、進化した人類という定義に恥じぬ能力を有する。
故にそのイノベイターたるデカルトは、ナチュラルではなく、そしてまたコーディネイターでもないという報告が、アズラエルの元へと届いていたのである。
人間とは異なる構造と機能を有する細胞が、デカルトをこの世界の自然のままに生まれたナチュラルではない事を証明し、例え最高級の遺伝子操作を行った所でその様な変異を起こさない事が、コーディネイターでもない事を証明した。
まさしくデカルトは地球人類にとって未知の存在なのだ。
それでも地球人類と相似する点がほとんどを占めており、また目を覚ました後の対応や反応も人間としか思えないものだというし、コミュニケーションも問題なく取れているという報告も挙げられている。
場合によっては交配実験かクローンの作製を行ってみるのも面白いかもしれない、と非人間的な発想がアズラエルの脳裏に浮かんでいたかどうか。
ただ少なくともアズラエルの心中に、デカルトと直接対面してみたいと言う欲求が鎌首をもたげ始めていたのは、紛れもない事実であった。
 アズラエルの口元に浮かび上がる、三日月のごとき冷たい笑みよ。それが意味しているもは、果たして何であった。それを知るのは、アズラエル本人とおそらくは神のみだろう。


 ベッドの上に情報端末を放り投げ、片膝を立てた姿勢で、デカルトは厳めしく眉を寄せていた。
目を覚ましてから更に数日が経過し、定期的に検診を受けながら、情報端末でこの世界の情報を調べる単調な日々が続いた。
 輪郭に沿って短く生やしていた顎髭を剃り、さっぱりとした顎を右手の指先で撫でながら、苦みの強い溜息を吐く。
 再構築戦争、ナチュラル、コーディネイター、地球連合、プラント、ザフト、血のバレンタイン、エイプリルフールクライシス、ニュートロン・ジャマー、ブルーコスモス、ジョージ・グレン……デカルトの知識にない歴史的事件や人名の数々。
 これらすべてがモルモット扱いにされていた二年間の間に起きた出来事であるはずもなく、また、地球連邦や連邦成立以前の三大国、ソレスタルビーイングやブレイク・ピラーと言ったデカルトの世界でなら世界中のだれもが知っている様な事柄が、わずかな情報の欠片も存在していない。
 その癖、ここ一世紀以上を遡るとそこまで辿った歴史はデカルトの知識の範囲内に限ってではあるが、ほとんど合致すると来ている。
 誰かの仕組んだ周到な悪戯、というには余りに手が込み過ぎているし、そうする事のメリットなど尚更ないだろう。
 いや例え悪戯であろうがなんだろうが、その方がいい、とデカルトには思えた。

「なんだこれは。まさか違う世界に飛ばされたか、宇宙の果てにでも来たと言うのか? それともエルスの見せる幻覚か?」

 イノベイターとソレスタルビーイングとの決戦後に、突如有無を言わさず研究施設に収監された時と同じような動揺が、いまのデカルトの心中を占めていた。
 はるか数世紀を経てもなお頻繁にSF映画や小説などで使用される、異世界や未知の宇宙への転移という現象を、我が身で味わうなどと現象を、いかに神懸った状況把握力を有する純粋種のイノベイターといえども、容易く受け入れられるはずもない。
 肉体的な変容を遂げたイノベイターといえども、変革の前は至極まっとうな人間であり、その精神までもが進化に相応しい変革を迎え入れているとは限らないのだ。
 デカルトが受け入れようと受け入れまいと世界の真実と事実は厳然と変わることなく存在しているのだが、だからといって容易に受け入れるにはあまりにもデカルトを取り巻く状況は劇的に変化しすぎている。
 そこではたと脳裏に閃くものがあった。あの看護士や医師達の脳量子波から感じ取れた、観察対象を前にした様な漠然とした思考。そう言う事か、とデカルトは口中で言葉を転がす。

――なるほど、おれはまさしく実験室の中のフラスコ、ケースの中のモルモットだという事か。

 認めがたいが仮にここが異世界だとして、それでも変わらぬ自分の境遇にデカルトは途方に暮れた苦笑を浮かべた。
他にどんな表情を浮かべればいいのか、デカルトにはまるで分からなかった。イノベイターといっても、所詮は一人の人間に過ぎないか、とデカルトの心の一部が囁く。
進化した人類となった事への矜持によって、人間として扱われぬ環境によって腐り行く心を支えていたデカルトにとって、それはこれまでの自分を否定しかねぬ囁きであったが、それは同時に途方もなく甘美でもあった。
ここが本当に異世界だというのなら、あの看護士や医師達の中身も本当に人間かどうか怪しいものだ。
外見と発している脳量子波はデカルトの知る地球の人間達と変わらぬが、そこも疑ってかからねばなるまい。
ガデラーザは人間に見える彼らによって接収され、すでに解析が進められているだろう。
渡された情報端末自体やそこから得られた情報から判断すれば、宇宙開発や一部の分野ではデカルトの元いた世界よりも進んでいる技術も存在している。
しかしこと機動兵器となれば、ガデラーザは誇張でも何でもなくオーバーテクノロジーの塊であると、この世界の人間達には見えることだろう。
このコズミック・イラで本格的にMSが軍事運用され戦闘を経験してからまだ日は浅いが、西暦の方の世界ではこちら以上の年月の間、MSが兵器として確立され実際の戦場で用いられている。
その技術の積み重ねと、更にそこから百年先の技術と称された太陽炉搭載機が存在している。
太陽炉搭載機がソレスタルビーイングの独占する機体から、地球連邦のものとなってからの年月とそこにイノベイド達の有していた技術を掛けあわせ、最新の技術の集大成としてガデラーザは開発されている。
イノベイター専用機という枷は存在しているが、ガデラーザの戦闘能力は現状、このコズミック・イラでは鬼神か悪魔のごとき異様なものであるだろう。
ならばそれを操るデカルトにも相応の利用価値を認めているのは想像に難くない。
もっともこちらの世界の機動兵器に関する技術の進歩に関しては、デカルトも思わず唸るものがある。
太陽炉搭載機の出現までは、西暦世界のMSで飛行可能な機体は確かに存在していたが、それとて出撃前に戦闘機形態とMS形態のどちらかを選択しなければならない不完全な変形機構を有するものであったし、飛行可能なMSが登場するまでそれなりの時間を必要とした。
であるのに、こちらでは元々地球侵攻を想定していたのだろうが、ディンという人型で空を舞うMSが既に戦場に投入され、またバクゥという獣の姿を模した四肢のMSが陸戦の王者として名を馳せている。
ディンにしろバクゥにしろ、デカルトの軍人としての部分を大いに刺激する機体だ。ましてやMSに十分な稼働時間と出力を与えるほど優れたバッテリーや、極めて高い効率を有する太陽発電技術など、目を向けるべき技術がごろごろしている。
この世界でなら案外、ガデラーザの全容もそう遠くない未来に解明されるかもしれない。そうなった時、ガデラーザの運用に長け、なおかつ真価を完全に引き出す事の出来る目下唯一の存在であるデカルトがどのように扱われるのか。
デカルトは異世界という到底信じ難い事実を前に、停止して現実から逃避しようとする思考を必死に働かせて、これからどうする事がもっとも最善の道となるかを考え続けた。
そこでデカルトは、はっと気付く者があった。
最善、この場合デカルトにとっての最善とは何であろうか。
元いた世界への帰還。エルスの襲来し、地球人類滅亡の危機に瀕し、またそれを乗り切ったとしても再びモルモットにされるだろう世界に?
では、この世界で生きて行くか? 知人も縁故も情報も知識も何もない自分が、この世界で。生きる術は軍人として軍の歯車として機能をすることしか、少なくとも今は思いつかない。
ガデラーザとイノベイターがどこまで有用視されるか、確証を判断する事は出来ないが、監視くらいは付くだろうがしばらくはまともに暮らせるだろう。
ましてや今はコーディネイターとナチュラル間で全地球規模の大戦争中と来ている。
三大国時代、そしてアロウズのパイロット時代から対MS戦の経験を積んだデカルトの経験も、この世界ではそれなりの価値あるものとして扱われる……だろう。おそらくは。
おそらくは、としか言えないのがイノベイターの限界であった。
ずいぶんと久しぶりに運命の濁流によってではなく、多少なりとて自分の意思でこれからの人生を決める選択肢を、目の前にしデカルトは深い懊悩に襲われる。
限りなく少ない、いや、選びようなどほとんどない選択肢だが、それでも覚悟くらいはくくっておかねばなるまい。
そうして、デカルトはわずかばかりではあったが自分の中で現状の整理と、これから自分が取るべき行動について割り切った時、不意に見知らぬ脳量子波と気配をデカルトは感知した。
運命というものはいつも不意に、予期せぬ形で訪れる。イノベイターへの覚醒、モルモットとしての二年間、エルスの出現、火星宙域での戦闘の末の異世界への転移。
そして、今度訪れたデカルトの運命は。
しゅ、と小さな音を立ててドアがスライドして、護衛らしい黒服に前後を挟まれた男がデカルトの病室に足を踏み入れた。
酷薄な印象の強い笑み、天上の照明を浴びて冷たく輝く金色の髪、そして情報端末で調べた情報の中で、幾度か目にしたその顔にデカルトは少なからず驚きを覚えて赤い目を見張る。
不意の来訪がそれなりの成果を上げた事が嬉しかったのか、ムルタ・アズラエルは笑みをいくらか深いものにした。

「はじめまして、デカルト・シャーマン大尉。ぼくの事は、その顔から察するに話す必要はなさそうですね?」

「ええ。名前と顔は知っていますよ。国防産業連合理事、アズラエル財閥総帥、ムルタ・アズラエル氏」

 そして、ブルーコスモスの盟主でもある。デカルトは自分の目の前に早くも運命の選択肢が訪れた事を悟った。


ブルコス的にイノベイターはありかな、とは思いましたがコーディネイター的にはなしだろうなあ、と思ったのでデカルトは連合側です。



[11325] デカルト・シャーマン編03
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/31 08:50
その3 イノベイターの実力、知りたいんじゃないですか?

 ベッドの上で居住まいを正すデカルトをよそに、アズラエルはベッド脇の椅子に腰掛けて、遠慮の無い不躾な視線をデカルトの全身に這わす。
 隠れるように盗み見られるよりはマシだが、モルモット時代にさんざかこの手の視線を浴びせられたこともあって、デカルトの胸中には不愉快の小波が立っている。
 しかしながら目の前の金髪の青年実業家然とした風貌の男の判断ひとつで、自分の処遇が如何様にも変わることを、デカルトは忌々しく思いつつも理解していた。
 デカルトがどのような行動に出ても対処できるように、さりげなくアズラエルを庇える位置とデカルトに飛びかかれる位置に、護衛の黒服共が動いている。スーツを押し上げる脇の膨らみは、拳銃の類であろう。

――この世界の戦争の片棒の担ぎ主か。

 デカルトはブルーコスモス思想の蔓延している地球連合軍にとっては、VIP中のVIPといえるアズラエルに対して、必要以上に警戒することも怯えることもない様子であった。
 決して表には出していないが、デカルトの心中は穏やかなものではない。
 どうせデカルトの面倒を見ていた医師や看護師らにしてみても、アズラエルの息のかかった軍人か、汚れ仕事や濡れ仕事を専門的に扱う類の人間なのだろう。
 仮にこの世界の標準的な人間の体構造が、デカルトの生まれ育った世界における地球人のものと同一であるのなら、イノベイターへと革新を果たし、細胞が変容したデカルトのことを異様な存在として認識はしているだろうことは簡単に想像がつく。
 渡された情報端末によって得られた情報も、彼らによって彼らの都合の良いように編集・改竄されていた可能性も否めないが、少なくとも目の前のアズラエルから脳量子波を感知することは出来る。
 それを頼りにこの交渉、あるいはデカルトに対する観察実験に望まなければなるまい。
 いまでもこの数日の出来事がエルスの見せる幻覚であるかもしれない、という可能性を否定しきる材料はいまだに揃ってはいなかったが、あまりにもリアリティのあるこの世界とそれを感じる自分の感覚を軽んじることも出来ない。
 デカルトはイノベイターの力の発露に呼応して煌く虹彩を気づかれぬように、視線をそらしてまぶたを閉じ、一瞬だけアズラエルの脳量子波から、表層意識を読み取る。
 漠然とした感情や切れ切れになった単語程度ではあるが、前後の状況や前もって得られた情報とイノベイターの超常的な直観力、洞察力が組み合わされば、ほぼ正確に相手の思考を推理することも出来る。
 無論、それとても限度はある。つまるところ、イノベイターとはSF映画の中に出てくるようなテレパシストではないのだから。
 デカルトに対する興味、期待、不遜、ざっと感じ取れたアズラエルの感情を類別ならそんなところだろうか。それなりに興味を抱かせる程度には、イノベイターという存在はこちらの世界にとって希少なものではあるようだ。

「自分の顔に何かついていますか? それと、貴方のことはなんとお呼びすればよろしいので?」

 挑戦的とも取れるデカルトの言葉に、アズラエルは口元の笑みを手で覆い隠しながら肩をすくめた。自分の立場を理解しているのかいないのか、どちらとも取れるデカルトの態度は、なかなか愉快なものとアズラエルの瞳には映っていた。

「君の好きなように、デカルト君」

「ではアズラエル理事、と」

「結構。さてこうしてぼくが出向いたのは君の話を聞くためです。君の素性を、そしてあのガデラーザという機体のことをね」

「ずいぶんと素直に仰る。ビジネス界の麒麟児である理事なら、もっと迂遠な物言いで取引を迫ってくるかと思いましたが」

 まるでカティ・マネキン准将とその夫であるパトリック・マネキンらと初めて顔を合わせたときのように、斜に構えた皮肉気な態度で、デカルトはアズラエルと言葉を交し合っていた。

「簡単ですよ。これは取引というほどのものではないということです」

 命令、あるいは脅し、と言うことだろう。デカルトを殺害するだけなら、何のことは無い。この部屋から出られないようにして閉じ込めるだけでいい。そうすれば飢え死にしたイノベイターの死体が出来上がる。
 なるほど、アズラエルは親切にもデカルトの立場を分かりやすく教えてくれたわけだ。デカルトは屈辱に臍を噛む思いであったが、それを心中の中に留めることにかろうじて成功する。
 二年間のモルモット生活の間で腐った心でも、その程度の自制心は残っていた。

「いいでしょう。それしか取れる選択も無いようですし。自分に出来ることはしましょう」

「それが賢明な判断というものですよ、デカルトくん。ぼくらだって出来るなら手荒な真似は避けたいですから」

――どうだか。

 アズラエルが自分を見つめる瞳は、決して同じ人間を見る目ではないことを、デカルトは理解していた。
 既にガデラーザの調査結果からある程度の想像と予測はついていたのだろう。デカルトが淡々と話す事柄について、アズラエルは初めて真摯な顔を拵えて、一語一句漏らさぬ様にと耳を澄ましはじめる。
 軌道エレベーターの建造とそれに伴う世界各国の統合によって誕生した、三つの超巨大国家。太陽光発電の普及によって石油輸出規制が世界規模で行われ、それに反発する中東諸国家との間で紛争が頻発したこと。
 また軌道エレベーターが半世紀もの時をかけて完成し、稼動し始めた後もユニオン、AEU、人類革新連盟の三国家間でも冷戦関係が長期間にわたって継続されて、ゼロサムゲームを繰り返していたこと。
 そして西暦2307年。AEUの新型MSイナクトの披露式典のさなか、天使の名前を関するガンダムが現れたことを。

「ソレスタルビーイング、ですか?」

「ええ。機動兵器ガンダムを所有する私設武装組織。目的は地球上からの紛争根絶。方法は保有する四機のMSによる武力介入」

「たった四機のMSで? 正気じゃない。第一、どうしたって世界が完全に平和になることなんてありはしませんよ。世界の九割が平和でも小規模の紛争や、テロなんてのは世界のどこかで起きているものです」

「私の世界でも皆がそう言いましたよ。紛争を根絶するために武力を用いることの矛盾や、世界から紛争を根絶するなどというのは、夢物語だと。ガンダムの性能を目の当たりにするまではね」

 言葉以外には空調の音だけが響く静かな病室で、淡々とデカルトの話は続く。世界の各地で行われるガンダムによる武力介入と、それがもたらす世界の変化。
 モラリア国に対して百五十機のMSを相手に四機のガンダムが勝利したこと。三大国それぞれが単独でガンダムとその動力源を入手しようと策謀を巡らせるも、いずれも百年は先を行く技術によって作られたガンダムの圧倒的性能によって失敗に終わったこと。
 人革連の非人道的な超兵研究の暴露や、中東のアザディスタン王国内部の動乱に対するソレスタルビーイングの介入、そして遂に三国が手を取り合って対ガンダムに乗り出した、タクラマカン――生きては帰れないという意味の砂漠で行われた、実に八百機超のMSを用いた史上最大規模の作戦のこと。
 そして、新たに出現した三機のガンダムによって、その作戦が失敗に終わったことも。
 にわかに信じられない異世界の話に、アズラエルは心からのものなのか、それとも演技なのか判断のつかない大仰な反応を見せて、デカルトに話の続きを急かすように催促している。
 やがてソレスタルビーイング内部から裏切り者が出て、三国側にもガンダムの性能の根源である太陽炉の模造品である擬似太陽炉がもたらされたことで、それまで一方的であったパワーバランスが是正され、遂にはソレスタルビーイングをほぼ壊滅にまで追い込んだこと。
 その後地球連邦が発足され、地球上の九割の国家が加盟したことで、事実上世界がひとつになったこと。組織された連邦直轄の治安維持組織アロウズと反地球連邦ネットワークカタロンとの戦いや、四年のときを経て復活したソレスタルビーイングとの激闘、三基存在する軌道エレベーターのひとつアフリカタワーの破壊やアロウズを、ひいては地球連邦を操っていたイノベイターを名乗る者たちとソレスタルビーイングの戦いのこと。
 そして、デカルトが、そのイノベイター達とソレスタルビーイング、カタロン、地球連邦のクーデター派らの最終決戦においてイノベイターへと革新を果たしたこと。
 それまで質問を控えてデカルトの話に耳を傾けていたアズラエルが、片手を挙げてデカルトを制した。

「なにか、不明な点でも?」

 と、問うデカルトに、アズラエルは自分の疑問を提示する。

「失礼、話の中に出てきた擬似太陽炉なども興味深いのですが、そのイノベイドやイノベイターというのは、具体的にどういった存在なんです?」

 アズラエルの語調や脳量子波から感じ取れるのは、純粋な興味だ。それに期待と興奮がわずかにブレンドしている。
 ナチュラルでもコーディネイターでもないデカルトの正体を明かす事は、今後のデカルト自身の処遇を左右する最も大きな要素のひとつと言える。
 ましてやコーディネイター排斥の急先鋒たる団体の盟主が相手とあっては、まさに一世一代の大博打。

「イノベイドというのは量子演算処理コンピュータ、ヴェーダの生体端末ですよ。私も詳しいことを知っているわけではありませんが、イオリアの予見したイノベイターを模倣し、培養槽の中で合成細胞によって肉体を形成した人工の生命だとか。イノベイターへと人類が革新するのを補佐するための存在、といったところですか」

 ファーストコーディネイター、ジョージ・グレンの提唱したいずれ現れるであろう新人類と、旧人類の仲を取り持つものとして定義した、本来のコーディネイター(調整者)と同じ役割を持った存在といえるだろう。
 もっとも人類よりも高い能力を持たせた弊害によって、一部のイノベイドは自らをイノベイターであると称して人類支配に乗り出す始末であったが。

「そして、イノベイターというのは――――」

 デカルトは両の瞳の虹彩を金色に輝かせて、アズラエルを見つめた。アズラエルと護衛の黒服、そしてこの部屋を監視しているだろう外の者達が、息を呑み驚くのをデカルトは理屈を抜きに感知した。
 してやったり、とデカルトは唇を吊り上げる。コズミック・イラで言うところのナチュラルであったデカルトが、進化したことによってイノベイターになっという事実。
 それが新人類を謳うプラントのコーディネイターに対する憎悪で凝り固まった目の前の男に、どれだけ意義のある言葉か、それにデカルトは賭けた。
 そして・・・・・・。


 デカルトは知らぬことであったが、現在デカルトとガデラーザはアズラエル財閥の息のかかったファクトリーへと移送している最中であった。
 その途中でデカルトが目を覚まし、更にその途中でおっつけアズラエルが合流したのである。
月面の地球連合軍基地に収容されたガデラーザはそのサイズの問題から、現在はコーネリアス級輸送艦に曳航されている。
 アズラエルもコーネリアス級に乗艦しており、ネルソン級戦艦一隻とドレイク級駆逐艦三隻、護衛のMAメビウスが同道している。
ザフトの探知網に触れることを危惧し、艦隊は一路、すでに戦闘の終わったL4宙域に航路を取っている。
 東アジア共和国の資源衛星を地球連合が放棄したことによって、ザフトがこれを接収してプラント本国の防衛線を描く為の軍事要塞に転ずるために護衛の部隊と共に輸送中で、L4宙域から既に離脱している。
 地球連合側も衛星を奪取されたままでは沽券に関わるとして、すでに奪還の為の艦隊の編成を進めてはいるが、いかんせんMSの威力を考えれば、生半な戦力では悪戯に被害を増やすだけとあって、あくまで奪還を諦めてはいないという体裁を整える程度の作戦規模と戦力に留められるだろう、というのが大方の見識である。
 崩壊したスペースコロニーや艦艇の残骸が数え切れぬほど漂い、かつての激戦のすさまじさを物語る暗黒の宇宙の中を五隻の連合艦隊が息を潜めて余人に見つからぬよう慎重に慎重を重ねて進む。
 しかし、その五つの船影を人造の巨人の瞳が見つめていたことに、彼らは未だ気づいてはいなかった。
 長距離偵察用に各種電子装備を強化され、複座式にカスタマイズの施されたジンが、その瞳の持ち主であった。すでに母船にL4のデブリ海を進む艦隊の姿を、リアルタイムで届けている。
 本来奪取した資源衛星を本国近海にまで輸送する任務に戦力が割かれているはずであるのに、ローラシア級一隻とはいえザフトの艦が存在していたのは、L4宙域で行われた不可解な戦闘の調査を特別に命じられたためである。
 調査を命じられたのは、資源衛星をめぐる戦いも終盤にさしかかり、いよいよ地球連合が放棄するまで秒読みとなった段階で、七隻のローラシア級と定数一杯に搭載されていた四十二機ものジンを損失した戦闘だ。
 当時その部隊が戦闘を行っていた地球連合艦隊の戦力を考えれば、これはありえぬ結果というほか無い。
いまでこそキルレシオ比はジン一機に対しメビウス五機とされているが、一時期には1:10という数字が記録されていたこともあるのだ。あくまで極短期間の間だけではあったが。
 部隊の生き残りも皆無で最後に送られてきたのも戦闘開始を告げる通信であったことから、ザフトの軍上層部では部隊の文字通りの全滅(軍事的には三割の損失を被った状態を全滅と呼称するのが一般的)の真偽を確かめるために、現宙域の調査という秘匿任務についていた。
 この時期、いざ戦争の渦中に身を投じるや精神が耐え切れずにMSごと部隊を脱走する兵も少なからず存在しており、軍事組織としての歴史的背景が薄く、また人員の乏しいザフトには頭の痛い事態となっている。
 七隻ものローラシア級が総て脱走兵となったか、あるいは脱走兵とそれを止めようとした側との戦闘で互いに相打ちに陥ったという可能性もないわけではないし、可能性を列挙してゆくとザフト側の想定する最悪のケースは二つに分かれる。
 部隊がまるごと地球連合側に寝返った場合と、地球連合軍がなんらかの手段を講じたことによって、部隊が全滅させられた場合である。
どちらが発覚して露見するにせよ、それが諸兵に知れ渡れば前者であれば士気が下がるのは目に見えているし、後者であるのならば恐るべき脅威となるのは目に見えている。
 艦が損傷し連絡がつかなくなっているだけなら、まだましだが、と思いながらローラシア級の艦長兼部隊長を務めるアラン・ヘイボックは任務に当たっていた。
 アランは今年で二十七歳になる第二世代コーディネイターである。第一世代のコーディネイター同士が婚姻することによって誕生する第二世代は、遺伝子操作をするまでも無く両親からコーディネイターとしての能力を受け継いでいる。
 プラントで生まれ育ったアランは地球のプラント理事国からの不当なノルマや要求を幼少期に目の当たりにし、また同時に周囲がコーディネイターばかりという環境であった為に、ナチュラルと比較した場合の自身の能力の高さをいまひとつ実感できずにいた世代である。
 余談になるが自身の能力の高さを実感できない、というのはプラントの若年層に多く見られていたが、昨今の戦争での華々しい戦果を挙げたこととプラント全体に広がっているコーディネイター優位思想・主義とでも呼ぶものによって、過剰にナチュラルの能力を見下して軽侮する傾向にある。
 元を辿れば、それこそ父母や祖父母がナチュラルであるにも関わらず、ナチュラルと一括りにして嘲りの言葉を吐く者は少なくないし、アカデミーを卒業したてで戦場を経験していない新兵には特に顕著に見られる。
 アランはといえば生憎と彼の母方父方両組の祖父母らはブルーコスモスのテロなり、自己なりでアランがまだ幼い時分に亡くなっており、ナチュラルと親しく接した経験というものを持っていない。
 プラントからすればこちらの要求を聞き入れずに一方的に搾取してゆくプラント理事国への不満を幼少期から聞かされて、祖国の独立の為の今回の戦争には意気揚々と参加している。
 開戦後は若輩ながらローラシア級デュケロの艦長としてヘイボック隊隊長として部隊を預かり、そつの無い部隊運用と堅実な戦術眼から着実に成果を上げており、軍司令部から人格・能力共に信頼の一念を置かれている。
 正面モニターに広がる旧式コロニーの巨大な墓標やむざむざと残る戦火の後に、アランは心中でユニウスセブンの悲劇を思い出し、痛ましげに青色の眉根を寄せていた。
 青い髪と赤い瞳、今にもちょっとしたファッション雑誌の表紙くらいなら飾れそうなほどに整った顔立ち。それがアランである。
アランは艦長席のシートに深く腰を落として、先行させて近宙の様子を探らせている長距離強行偵察複座型ジンからの報告を受けていた。
 アランから見て正面に座っている女性オペレーターのリラ・ウェンターが、やや低めのハスキーな声で受け取った情報を口にあげている。
緑色のザフトの軍服を押し上げる豊満な体つきは、リラが戦前はプラントのアダルト雑誌の表紙を賑わせていたグラビアモデルであったことを物語っている。
 今度休暇をもらえたら、食事に誘ってみようか、などとアランは燃えるようなブルネットの髪を結い上げているリラの後姿を見つめながら、頭の片隅で考えていた。
 アランの気持ちなど知らず、リラは送られて来た報告に表情を硬くしてから耳心地の良い声でアランに告げた。

「艦長、ホークアイよりインディゴ12、マーク53、距離15000に地球連合軍の艦隊を確認、ネルソン級1、ドレイク級3、コーネリアス級1、なおコーネリアス級はライブラリに無い艦船を曳航しているとのことです」

「この宙域を五隻、いや六隻だけでか。資源衛星奪取の為の伏兵というわけでもあるまい。輸送艦が曳航している荷が気になるな。よし、コンディション・レッド発令、MS隊は出撃準備。両舷全速、機関最大。ニュートロン・ジャマー出力上げ。目標は輸送艦の荷だ。やりすぎて沈めるなよ」

 ヘイボック隊に配備されているMSは長距離強行偵察複座型ジン1、ノーマルのジン4、そして希少なジンハイマニューバ1となっており、ローラシア級の定数を満たす編成である。
 ジンハイマニューバは一号機にザフトのトップエースであるラウ・ル・クルーゼが搭乗し、その性能の高さを戦果と共に証明して見せた機体である。
 信頼性の高い既存の技術のみで完成されたこの機体は、その性能を十全に引き出す為に熟練のパイロットを要求するものの、生産性、可動率、機体性能、整備性といずれも高い水準でまとまっており、正史では後にビーム兵器を標準装備したMSゲイツが搭乗した後もこのハイマニューバを要求するパイロットが複数存在した事実が証明してる。
 L4戦役直後のこの時期ではまだ数の少ないジンハイマニューバーを受領している事から、ヘイボック隊のMS部隊の水準の高さが伺える。
 デュケロのリニアカタパルトから次々と五機のMS部隊が出撃して、推進剤の噴射による光の尾を長く引きながら、ホークアイこと長距離強行偵察複座ジンの指定した宙域へと向かって行く。

「さあて、鬼が出るか蛇が出るか」

 このご時世に極東の島国の諺を知っているのは、なかなか珍しいと言えた。アランは頬杖を突きながら、自分の打った手がどういう結果を引きだすのか、楽しそうに笑みを浮かべていた。


 コーネリアス級の病室に一人残されたデカルトは、仰向けに寝転がって瞑想するように瞳を閉じていたが、不意に開かれた瞳の虹彩からは煌びやかな金色の輝きが溢れていた。
 デカルトの視線は病室の壁を透過し、虚空のはるか彼方へと向けられている。それは、確かに目に見えぬ彼方より迫る五機のMSを正確に認識していた。
 理屈ではない。イノベイター故の直感力と空間把握力が齎す未来予知じみた超知覚の琴線に、無粋な思惟の塊が触れたのである。
 ニヤリ、とデカルトの口元が笑みを浮かべる。
 わざわざ向こうからやってきたのだ。
 今だ懐疑的なアズラエルに、イノベイターの有用性を証明する為の哀れな生贄どもが。


 デカルトが艦隊のレーダーもまだ接近する熱源の存在に気付いていないにもかかわらず、迫るザフトの脅威を認識していた頃、アズラエルはコーネリアス級の中に割り当てられた個室で、一人椅子に腰かけて口元を手で隠す様にして思案に耽っていた。
 イノベイター。
進化した人類。
自然のままに生まれた人類の備える可能性を開花させた存在。
忌まわしい遺伝子操作などによって人為的に能力を底上げしたコーディネイターとは異なる、細胞レベルで変容を示し、身体能力、空間把握力、脳量子波増大による意識共有に、常人の倍に等しい寿命を有する人類。
 まさに、まさに次の段階へと進んだ、進化した人類と呼ぶにふさわしい。
イノベイターに比べれば、生命を悪戯に歪めて能力を強化しただけのコーディネイターなど、進化した人類を詐称する化け物だ。
 虚飾だ。
 偽物だ。
 自分達を新人類と錯覚した哀れな誇大妄想狂だ。
 あのデカルトの瞳に宿っていた金色の輝き。それをデカルトはイノベイターである事の証の一つと言った。
 ああ、もし、もしもデカルトの言うとおりであるのなら、ナチュラルから進化すると言うイノベイターは、何たる素晴らしき存在である事か。
 いや、まだだ。まだだ。本当にデカルトの言うとおりにイノベイターと言う存在が優れたものであるのか、進化したというに相応しいほどの力を持っているのか、アズラエルは確信できるほどの証拠を目にしていない。
 それでも、コーディネイターという存在と彼らの主張を根底から覆すイノベイターはなんと甘美な存在である事か。

――ああ、デカルト君、お願いですからぼくに確信させて下さいよ。イノベイターと比べればコーディネイターなんて、所詮ただの紛い者だと、心の底から思わせてください。

 アズラエルが口元を隠す様にしているのはついつい溢れてしまいそうになる笑いを、必死に抑え込む為でもあった。まだだ。まだこの胸の内に荒れ狂う感情を露わにするには、まだ早い。
 イノベイターという存在の真の価値を見出すまでは。
 そして、その機会は与えられた。
 部屋に備え付けられた情報端末のコールに気付いたアズラエルが、回線を繋げてから告げられた内容に、最初は怒りもあらわに顔を赤くし、そして次にはなにか陰謀を巡らしているかのような暗い笑みを浮かべていた。
 アズラエルもまた気付いたのである。デカルト同様に生贄が来たのだと言う事を。

「すぐにデカルト君と繋いでください。……ええ、彼の実力を試します。ちょうどいい機会だ。そうは思いませんか? イノベイター、どれほどのものなか、ね」

 ニィ、とアズラエルの唇が歪む。それはデカルトと同じ種類の笑みであった。
 この艦隊の最重要VIPであるアズラエルの命令は、多少の憤慨を艦長をはじめとした連合の軍人達の胸に抱かせたが、同時に熱烈なブルーコスモス派である彼らは、盟主の命令に唯々諾々と従った。
 デカルトの病室の通信端末に、アズラエルのにやけた顔が映し出されたのは、それからすぐの事である。
 連絡が来るのを待ち構えていたデカルトは、余裕のある笑みを浮かべたままアズラエルとモニター越しに向きあう。

『デカルト君……』

 その先に続くアズラエルの言葉を、デカルトが遮った。

「行きますよ」

 モニターの向こうのアズラエルの顔が、わずかに強張り、そして喜びを堪えるような顔つきに変わる。

『どうして分かった、と聞くべきですかね?』

 アズラエルを見つめるデカルトの両眼の虹彩は、あの、アズラエルの魅入った金色の輝きを放っている。

「理屈なんかありはしません。あるんですよ、そうだという確信がね。数は五機ですか」

 いよいよ笑みを堪え切れなくなってきたのか、アズラエルは右手を顔面に押し当ててくっく、と熱を帯びた笑みを零しながらデカルトに告げる。

『ええ。ぜひお願いします。期待に答えて下さいよ、デカルト君。ぼくは君とガデラーザがぼくの想像以上である事を願っているんですよ』

「行きますよ。イノベイターの実力、知りたいんじゃないですか?」

『ええ、知りたい、知りたいんですよ。君が、あの、空に浮かぶ砂時計に住んでいる遺伝子の化け物どもなんかよりよほど優れた存在であると、ナチュラルに秘められた可能性を!!』

 興奮が抑えきれなくなったか、ついには叫ぶように告げてくるアズラエルにデカルトは淡々と答えた。

「希望に沿って見せますよ。なにせ、イノベイターですから」

 病室を出たデカルトを待ち受けていたのは、あのデカルト好みのルックスの看護師だった。純白のナース姿が、今は地球連合軍の女性士官服に変わっている。
襟元の階級章に、ちらりとデカルトは視線を向けたが、ここが異世界である事を思い出して階級の判別はできないか、と視線を看護師の方に向け直す。

「はぁい、ミスター・アンノウン」

 片手を上げて陽気な声をかけてくる看護師に毒気を抜かれて、デカルトは嫌味のない小さな笑みを零した。こちらの世界で目覚めて以来、初めてとなる陽性の笑みであった。

「ブルーコスモス?」

 肩を竦めて問うデカルトに、看護師は悪戯の見つかった少女のように、赤い唇から舌を覗かせた。

「ええ。コーディネイター憎しのね。貴方を機体の所まで案内するように盟主から仰せつかったのよ。パイロットスーツに着替えたらすぐに出撃してもらう事になるわ」

「構いませんよ。敵、ザフトでしたっけ? それが来ているのは“教えられる前から”知っていましたから」

「ふうん? ね、ところでその喋り方が地なの? もっと砕けた喋りでいいわよ」

 くるりと踵を返して歩き始めた元看護師現ブルーコスモス派の女軍人の背を負って、デカルトは床を蹴った。
 馴れ馴れしくも感じられる彼女の態度を、デカルトは嫌いではなかった。

「ならそうさせていただく。ところで一つ聞きたい」

 肩越しにデカルトを振り返り、元看護師は興味深そうな色を浮かべてデカルトに問い返す。

「なあに、スリーサイズでも知りたい? それとも好みのタイプでも? 貴方はけっこうイケてるわね」

「君の名前は?」

 デカルトの問いに、元看護師はきょとんとした表情を浮かべ、子供のようにあどけなく笑ってから、快活に答えた。

「レベッカ・タランドーラ少尉よ。レヴィでいいわ。その代わり私もデカルトって呼ぶわよ」

「ご自由に」

 デカルトに支給されたのは、元々来ていたものではなく地球連合軍で使用されているパイロットスーツだった。着慣れないパイロットスーツの具合を確かめる為に体を数度動かしてから、デカルトはガデラーザのコックピットへと移った。
 思えば地球連邦政府下では、軍の施設に収容されてからはこのガデラーザに乗っている間だけが自由でいられた時間だった。
それとてもガデラーザと言う動かせる檻の中にデカルトが移っただけともいえるだろう。
 いや、とそこまでかんがえてからデカルトは首を横に振るう。ガデラーザはデカルトと共に唯一こちらの世界に来た相棒なのだ。そう邪険に捉える事もないだろう。
デカルトはひどく懐かしいものを覚えながらコックピットのシートに腰を落ち着ける。
シートに座った状態から目に映るコックピットのレイアウトもシートの感触も何もかもが懐かしく感じられた。
そしてデカルトは、自分の左後方に窮屈そうに収まっているレベッカを振り返った。

「どうして君が居る?」

「貴方がおかしな真似をしそうになったら、ってことよ」

 レベッカは手に持った拳銃をひらひらと動かす。なんの枷もつけずにデカルトをガデラーザに乗せるほど、人の良い連中ではないということだ。ガデラーザにも爆薬の一つ二つくらいは仕掛けてあるかもしれない。
デカルトは不愉快さに眉根を寄せたが、それ位は当然だろうと敢えて気に留めなかった。
疑似太陽炉に火が灯り、デカルトを中心にホロモニターが展開されて、ガデラーザの機体情報がデカルトの瞳に映しだされる。
背後のレベッカが興味深げに覗きこんでいたが、デカルトは意図的に無視する。

「ファングの太陽炉をいくつか外したのか。GNミサイル残弾二百十五、GNブラスター、GNバルカン、機体コンディショングリーン……」

 流石にガデラーザの内部までは手を入れていなかったのか、先の戦闘で消費した分だけ弾薬が減り、親ファングに搭載されている擬似太陽炉がいくつか無くなっていたがそれ以外に問題は見受けられない。
 ガデラーザの直列型太陽炉二基と機体中央部の太陽炉一基に火が灯り、ガデラーザの巨躯をオレンジ色のGN粒子が満たしてゆく。
 ひょいと顔を伸ばしたレベッカが、不意にデカルトの横顔を覗きながら口を開いた。デカルトの監視役と言う割には妙に気安く、デカルトもいまひとつ調子を崩されるものがある。

「ねえ、このモビルアーマーって強いのよね? コーディどものガラクタなんて簡単に壊してくれるんでしょ?」

 幼い子供の様に無邪気に問いかけてくるレベッカの瞳に、色濃い狂気が浮かんでいる事にデカルトは気づいた。どろりとヘドロのように粘っこく、そのくせ触れる事が出来たら氷のように冷たいのだと、見るだけで分かる。
それだけの憎悪を抱く経験を、この陽気な女軍人は味わったのだろう。
 だがなにも現状の地球圏ではレベッカが特別だと言うわけではない。飢えと寒さの地獄が広がり続けている地球に降りれば、いくらでも同じ瞳をした人間を見つける事が出来る。それこそ数億単位、あるいはそれ以上に。
 レベッカの脳量子波がどす黒く変色しているように感じられて、デカルトはレベッカの顔を見返すことはしなかった。
 デカルトの中に蠢く負の感情は、レベッカほどどす黒くもなければおぞましくもなかった。良くも悪くもデカルトは根底的には健全な精神と良識を残している。

「あのジンとやらならいくらでも破壊して見せるが、ガデラーザを動かすまでもない」

 レベッカの狂気を飲み干して、デカルトの口元に浮かぶは嘲笑。
 デカルトの言う所の意図が把握できないレベッカの目の前で、デカルトは静かに呟いた。
さあ、見せてやろうじゃないか、イノベイターの実力を。

「脳量子波同調――GNファング、射出をする!」

 あの程度のガラクタを片づけるのに、わざわざガデラーザを使うまでもない。GNファングだけで、十分に過ぎると言うもの!
 コーネリアス級から切り離されたガデラーザの機体下方のファングコンテナが開かれて、デカルトの脳量子波の意を受けた親ファングが一基射出される。
 残っている親ファングの全てではなくただ一基だけが、艦隊に迫るデュケロMS部隊へと飛翔する。
 迎撃ではなく待機を命じられていたメビウス部隊の間隙を縫い、オレンジ色のGN粒子を零しながら親ファングは飛翔して、散開したジン四機とジンハイマニューバ(HM)と相対する。
 脳量子波とモニター越しに敵部隊の動きを把握したデカルトは、GNファングに命じた。
 行け、と一言。
 地球連合艦隊の迎撃をするでもなく逃げるでもない奇妙な動きに、訝しみこそすれする事は変わらないと、戦意を高めていたデュケロMS部隊の隊長ジュード・グランは、こちらに向かって高速で接近してくる物体に警戒の念を高めた。
 今年二十三になるジュードは肉体的にも精神的にも盛りを迎えて、これからのザフトを支える有望なエースパイロットとして期待の目が掛けられている。
 これまでに三隻のドレイク級駆逐艦を沈め、二十機のメビウスと十八機のミストラルを撃破したエースの勘が、後方で待機しているメビウスよりも目の前の物体を警戒しろと告げている。
 ジンHMの右手の試作27mm機甲突撃銃の照準を、オレンジ色の光を纏う物体に向けながら、他の部隊員にも警戒を促した時にそれは起きた。
 迫る物体――親ファングから更に十四基の子ファングが射出された。この瞬間、一対五の戦いは一つの意思に統率された十五とばらばらの意思を持った五との、十五対五の戦いへと変わったのである。

「新型のガンバレルか!?」

 かつてザフトのMS部隊を相手に互角に戦いぬいた地球連合の最精鋭MA部隊との交戦経験を思い出し、ジュードは背筋をぞっと震わせた。
 メビウス・ゼロというメビウスの前身となったMAは、高い空間認識能力を有する人間をパイロットとして迎えた時、有線式操作兵器ガンバレルを展開して、MSを相手に互角以上に戦って見せたのである。
 ジュードの驚愕は更に続いた。オレンジ色の光の粒子が乱舞してジュードらに迫るにつれて、ニュートロン・ジャマーの影響でお粗末なものになっていたレーダー類にノイズが走り、更にその精度を劣悪なものにする。
 ナチュラルがどのようにして一度に十五基もの無線兵器を操作する技術を、この短期間で開発し実用化にまでこじつけたのかは、パイロット一本のジュードには想像もつかなかったが、脅威である事だけは確かに理解できた。
 撃ちおとせ、とジュードが命じようとした瞬間、左右に開いていた二機のジンをオレンジの光が貫き、一瞬の間を置いた後に爆発へと変わった。

「なっ!?」

 コーディネイターの水準を超える動体視力を有するジュードは、その瞬間、確かに瞳の中に捉えていた。光の刃を形成し、ジンの胴体に真正面から斬り込んで真っ二つにした小物体すなわちGNファングを。

「ガンバレルなんてもんじゃない、なんだこれは!!」

 GNファング自体がビーム刃を展開して高速で襲い掛かってくるのみならず、ビームを発射してこちらを囲い込む動きを見せている事に、ジュードは気づいた。
 メビウスよりも小さく、敏捷で、ビーム兵器を備えた事によって火力も上回り、尚且つ遠近両方をこなす。
 ガンバレルから派生したと言うには、あまりにも過程を飛ばしすぎている。
 ジュードが驚愕に襲われながらも機体を必死に駆使して、二機ジンが撃墜された事によって五倍の数となったファングの猛攻を必死に凌ぎ続ける。
 つい先ほど星屑と変わった二人の仲間の部下の事を偲ぶ余裕さえない。
 重突撃銃の銃弾が雨あられと漆黒の宇宙を高速で飛翔するファングに降り注ぐも、彼らが普段的にしているメビウスよりも小さく、その他の点でも上回るファングを相手では、ましてや事前に一切の情報を持たず心理的混乱に陥った現状では、照準を合わせる事さえ難事だ。
 ジンHMの正面モニターの視界の片隅で、粒子ビームがいくつも十字に交差して光の牢獄を作り上げるや、ぱっと巨大な光の玉が生まれる。
 また一機落とされたのだと、ジュードは諦観と共に認めた。
 あっという間に三機のジンが落とされたデュケロMS部隊の放つ銃火よりも、虚空を切り裂く様に飛ぶGNファングから零れるGN粒子の方がはるかに多い。
視界を常に動かし続けて三百六十度全方位を把握し続けるジュードを、不意に大きな振動が襲う。
くそったれ。
ジュードは心中で悪態を吐いた。機体コンディションを確認するまでもない。ジンHMの左足と右腕に子ファングが突き刺さり、機体が虚空に縫いつけられている。

「会敵してからまだ三分も経っていないんだぞ。どうしておれ達がこうも簡単にやられる!? なんなんだよ、お前は!!!」

 あらん限りに瞳を見開いて答える者のない叫びを上げるジュードを、ビーム刃を展開した親ファングが真正面から切り裂き、哀れな生贄を細胞の一片に至るまでこの世界から蒸発させた。
 ジンHMと同時にもう一機のジンを撃墜したデカルトは、最後に放ったジュードの叫びを脳量子波によって聞き届け、レベッカにも聞こえない声で呟く。

「イノベイター」

 破壊を望むな、とデカルトは心中で付け加えた。

「それと、もう一匹、鼠がいたか」

 デカルトはジンHMを切り裂いた親ファングをある一点へと動かした。デュケロに先行し、デブリの一帯に身を潜めて戦闘の状況を見守っていた偵察型ジン。
 それがデカルトの狙いであった。味方が抵抗と呼べる抵抗もできぬままに撃墜される現状を前に、宙域からの離脱よりも母艦の撃墜を狙って、スナイパーライフルの照準をコーネリアス級の艦橋へと定めていたのである。
 スコープの目前に飛翔してきた親ファングを前にして、どうしてこちらの位置が!? と驚愕し、死を前に怯えるパイロットの脳量子波を感知しながら、デカルトは容赦なく親ファングで偵察型ジンを破壊した。

「お呼びじゃないんだよ、劣等種クン。貴様らもな」

 子ファングを収容した親ファングをガデラーザに戻してから、デカルトはガデラーザをわずかに動かして機首の砲口を転じる。
 瞬く間にジンが――憎んでも憎んでも飽き足りないコーディネイター共が死ぬ様に、性的興奮を覚え、頬を紅潮させていたレベッカが、熱に浮かされた声でデカルトに問う。
 レベッカは興奮する体を慰める為に、無意識のうちに胸を揉みしだいていた。

「すごい、すごいわ、デカルト。隠れていた奴まで殺しちゃうなんて。ねえ、それよりもどうしたのよ。いまさらこの子を動かして? もう敵は全部やっつけたでしょ?」

「いや、まだ一つ残っている」

 デカルトの指が操縦桿にあるキーをタッチし、ガデラーザの機首に内蔵されたGNブラスターの長砲身が展開される。
 いまだ戦艦のレーダー類も捉えられぬ彼方にいる存在を、この場でデカルトただ一人だけが知覚していた。
 さあ、破壊してやる。
 こんな世界に放り込まれて、くだらない男のご機嫌取りをする羽目になった鬱憤を、わずかなりとも晴らさせてもらおう。

「GNブラスター、発射をする!」

 ガデラーザから放たれた戦艦の主砲さえも霞んで見える超高濃度の圧縮粒子の光の槍が、レベッカの瞳にはデブリしか映らない無窮の闇を貫き、やがて彼方にひと際巨大な光の玉を生み出す。
 それが何を意味するのか、徐々に理解したレベッカは、驚きを通り越して呆然と呟いた。

「う……そ……。まさか、あいつらの、コーディどもの船を沈めたの? 戦艦のレーダーだって、まだ捉えてない筈よ。それを? あなたは……」

 今日で何度目になるか、とデカルトは思いながら優越感を噛み締めて答える。

「イノベイターさ。モルモット扱いのな」

 そして、アズラエルはコーネリアス級の艦橋に設けられたオブザーバーシートに座し、GNファングのみをもってザフトのMS部隊を蹂躙し、レーダー有効範囲外に陣取っていたザフトの艦さえもただ一射で轟沈せしめたデカルトとガデラーザの能力を、その目に焼き付けていた。

「………はは…………ははははは、……………あっはははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!」

 目の前で起きた現象が信じられずに呆然とする艦橋のクルーらを他所に、アズラエルの咽喉から人のものとは思えぬ笑いが溢れ出る。
 カカと大笑しながら、アズラエルは目尻に涙さえ浮かべて笑い続けた。咽喉が破れて血を噴いても、アズラエルは笑い続けただろう。
アズラエルの期待は叶えられた。望みは叶えられた。願った以上の形で、思い描いた以上の結果と共に。
 最高だ、ほんっとうに最高だ。
 デカルトくん、君は、イノベイターである君は、なんという存在なのだ。こんなに嬉しいのは、楽しいのは、はははは、ひょっとしたら初めてかもしれない。

「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははっはは!!!!」

 アズラエルは笑い続ける。悪魔と契約したものが笑えば、きっとこんな笑い声を上げたことだろう。



[11325] デカルト・シャーマン編04
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/31 08:53
『機動兵器ガデラーザ』

その4 劣等種が

 デカルト・シャーマン地球連邦軍大尉が、ムルタ・アズラエルに進化人類イノベイターとしての力を見せつけて、その優位性と特異性を認められて以降、デカルトは地球連合軍大西洋連邦所属の軍人としての待遇を受ける事となった。
 生憎と愛機であり元の世界との繋がりを示す最大の証拠であるガデラーザは、アズラエルの息の掛った軍事企業と軍部が保有する秘匿工廠施設に運び込まれ、西暦2314年時点の最新鋭の技術の解析が行われている。
 アズラエルのみならず技術者ならば、脳量子波同調による操縦システムや、コズミック・イラの宇宙では革新的な動力機関である擬似太陽炉――GNドライブ[T]、機体を動かすOSなど挙げればきりがないほどの宝が詰め込まれているのだから、一刻も早く解析を終えて実用化にこじつけたい思いであるだろう。
 また二度に渡り絶大な力を発揮してザフトのMS部隊および艦隊を撃滅したガデラーザであったが、純正太陽炉と違って永久機関ではない擬似太陽炉を動力とする為に、二度目の戦闘を終えた時点で機体の粒子残量が、これ以上長時間の戦闘を行うには心もとない数値を示していた。
 いまだこの世界では擬似太陽炉に粒子生産の為の電力を供給するコネクターにしても、規格の合うものがなくあと数度戦闘を行えば、ガデラーザは三百メートルにもなる巨大なEカーボンの塊となってしまう。
 長期的にガデラーザを運用する為にも、今は早急にガデラーザの全容解明が優先されたのは当然の帰結といえよう。そしてパイロットであるデカルトはと言えば、地球連合軍大尉としての軍務に就いていた。
 デカルトがこちらの宇宙に転移した時点で、地球連合軍とザフトとの新星を巡る戦闘は一応の決着を見ている。
 新星の所有権はザフトに移っており、目下地球連合軍は新星奪還を目的とした軍事行動を行ってはいるのだが、それも散発的なもので対面を繕うためという意味合いが大きい。
 デカルトはアズラエルの提案もあってこの新星奪還の一翼を担っていた。
 地球連邦時代と同じ大尉の地位を示す階級章を襟元に飾ったパイロットスーツに身を包んだデカルトは、アガメムノン級戦闘空母ヨークタウンのMA格納庫の中に居た。
 ヨークタウンMA部隊の新人パイロットとしてデカルトは配属され、地球連合軍軍人としての初陣の時が目前に迫っていたが、デカルトには気負った様子も不安を感じている様子も見られない。
 ガデラーザを使えない以上、デカルトに対して地球連合軍が用意できるのは、MSならば鹵獲機やジャンク屋から購入したジンやプロトジン、MAなら旧式のミストラル、メビウスといったラインナップになる。
 イノベイターとして細胞が変容して身体能力が強化されたデカルトは、最上級の遺伝子操作を受けたコーディネイターを凌駕する反応速度や神経伝達速度、空間認識及び把握能力を兼ね備えているから、ザフト仕様のOSを積んだMSであっても問題なく操縦する事は出来る。
 ただしデカルトに用意された機体はMSではなくMAだ。
 MAとはいえどこうも用意万端整えられて簡単に戦場に出る事になったのは、イノベイターへと革新を果たす以前から精強な軍人として第一線で戦ってきたデカルトの経歴と、デカルト自身の強い要望があったからだ。
 アズラエルの横槍で急遽連合軍に組み込まれたデカルトには、ガデラーザのカラーリングを模したパイロットスーツが供与されており、また与えられた機体も同様のカラーリングが施されている。
 紫と赤の二色といささか毒々しさを感じられる機体色のメビウス・ゼロが、ガデラーザの代わりにデカルトの乗機を務める機体である。
 メビウス・ゼロは三次元における空間認識能力に長けた極一部のパイロットだけが、装備された有線式遠隔操作兵器ガンバレルを扱う事が可能で、ザフトのMS部隊とも互角以上に戦えたMAだ。
 新星での攻防やエンデュミオン・クレーターなどの月面での戦闘によって、櫛の歯が抜ける様にしてメビウス・ゼロ部隊が損耗して行ったため、現在の地球連合でこれを扱う事のできる人間は極めて少ない。
 連合の主力MAメビウスがジンに対してキルレシオ比1:5であるのに、メビウス・ゼロならばそれを限りなく1:1に近づける事が出来る為、友軍から寄せられる期待も自然と大きなものになる。
 メビウス・ゼロのコックピットハッチに取り付いたデカルトに、整備用のハッチを開いて調整を行っていたメカニックが声をかけてきた。
 壮年のアングロサクソン系の男性で、ヨークタウンに配備されたメビウス・ゼロの整備を仕切っている人物だ。戦場で命を預ける機体の整備をする相手であるから、デカルトも無碍な態度を取る事は無い。

「大尉、機体の調子は万全だ。いつでも出せますぜ」

「それはなによりだ。初陣なのでね、いささか緊張しているんですよ。せめて機体が万全だと知っておかねば、戦場に出るのに二の足を踏んでしまいそうになる」

 コックピットハッチに手をかけてメカニックを振り返って答えるデカルトに、メカニックは愉快気に笑う。

「はは、そりゃいいや。専用機持ちで配属された大尉には色々と期待している奴が多いですからね。まあ、なによりも生きて帰ってきてくださいよ。それがおれらにとっては戦果以上の吉報なんですよ」

 アズラエルの手によって配属された所為か、どうにも周りをブルーコスモス思想に傾倒した人間で固められていたが、このメカニックは比較的温厚な思考の持ち主であったので、デカルトとしては傍に居ても、精神が徒に疲労しないだけましな相手だった。
 如何せんエイプリルフールクライシスの齎した災害が大き過ぎた為か、地球上の人間でコーディネイターを、より正確に言うのならばザフトのコーディネイターを大なり小なり憎まぬ者はまずいないのが現実だ。
 つまりはブルーコスモスの思想に染まらずむしろ嫌悪を示す者であったとしても、コーディネイターへの悪感情を持たぬ者はほとんどいない、という事になる。

「なら生還と戦果の両方を持ってきますよ。それなら何の問題もないでしょう?」

 楽しげに告げるデカルトの顔と台詞にメカニックはしばし、呆気に取られた様にぽかんと口を開いていたが、ほどなくして大口を開けて笑い始める。
 初陣目前で、しかもコーディネイターを相手に大口をたたく者は、これまで何人も見て来たメカニックであったが、デカルトほど自信たっぷりに告げる者は初めてだったし、目の前の青年士官にはそれが出来ると信じさせるものがあった。
 ヘルメットを被りコックピットに滑り込んだデカルトは、素早く機体ステータスが表示されたモニターに視線を滑らせる。
 モニターの向こうでメカニックが厳つい顔に笑みを浮かべて手を振っているのが見えて、デカルトは小さく笑った。
 ガデラーザに比べると格段に狭いメビウス・ゼロのコックピットは、いまもデカルトには慣れず狭さを感じられる。推進剤も弾薬も満タン、メカニックの言うとおりに機体の調子も万全だ。
 シミュレーションやテスト飛行ではどうしてもガデラーザやジンクスタイプに操縦性その他もろもろで見劣りしてしまう為、乗り込む度に少なくない不満を抱いてしまうのだが、久しぶりの戦場を前に高揚した心はその不満を忘れる。
 戦場から離れた場所ではアズラエルの監視と観察の目がどこもかしこにもある事と、それに気付けてしまうが為にデカルトの気が休まる時はほとんどない。
 その為にこれから赴くのが命懸けの戦場であっても、自分が自由でいられる貴重な時間であることは確かだ。それにガデラーザとの比較をせずに考えればメビウス・ゼロは悪い機体ではない。
 正面モニターの端に移っていた発信灯がGOサインを発し、艦橋の管制オペレーターが発進のタイミングとコントロールをデカルトに委譲する事を通達してきた。
 ガデラーザ以外の機体に乗っての初めての戦闘。わずかな緊張はあったが不安は無い。コーディネイターといっても要するに元いた世界に存在したデザインベイビーと同義であろう。
 ましてやこれから戦うコーディネイター達は、別に戦闘用として調整されて生みだされた存在というわけでもない。
 ソレスタルビーイングが世間に暴露して、一時期話題になった人革連の超兵ならば戦闘に特化した存在である為に、デカルトをしても脅威足り得るだろうが元は別の職に就いていた兼業軍人どもばかりなのだ。
 パン屋や塗装屋、歌手、ジュニアスクールの教師などが軍事組織としてのバックボーンがうすっぺらなザフトの軍事教練を受けて、MSを操っているにすぎない。
 自らがイノベイターであるという自覚と軍人として戦い抜いてきたという自負が、デカルトの心にコーディネイターに対する敵愾心と負けるわけにはゆかないと言う意地を抱かせる。
 さあ、行こう、戦場の海へ。破壊する為に、自由に飛ぶ為に!

「メビウス・ゼロ、デカルト・シャーマン、出撃をする」

 リニアカタパルトによって瞬時に加速されてヨークタウンのMA発進口から、高速でデカルトのメビウス・ゼロが射出される。全身を圧する加速のGをデカルトは心地良く感じていた。
 ベテランのMA乗りでも歯を食い縛って耐えるGであったが、デカルトには子供向けのジェットコースター程度の負荷程度にしか感じられない。
 狭隘なコックピットの中である事は変わらなかったが、正面モニターに映し出されるのが閉塞感を強いられる格納庫の内部から満天の星空に変われば、気分も少しはマシになる。
 数え切れぬほどの星々の絨毯に、時折オレンジの火球が彩るが、それがMAや戦艦のなれの果てであると考えれば星々の灯りに比べてなんと禍々しいものである事か。
 醜い人間の感情が脳量子波と共にこの辺り一帯の宙域に乱れ飛んでおり、わずかに心が晴れていたデカルトも、鈍痛を脳髄の奥に植えつけられてすぐさま眉間に皺を寄せて表情を歪める。

「生の感情を剥き出しにしてえ! デカルト機、先行させていただく!!」

 一刻も早くこの不愉快な感情を発する原因を排除する為に、デカルトは後続の数十機のメビウス達を置き去りにして自分の機体に一層の加速を命じる。ぐん、と推進剤が一層消耗されてメビウス・ゼロの加速と共にデカルトの身体にかかるGが増す。
 既にニュートロンジャマーの影響下にある為、レーダー類は申し訳程度の機能しか発揮できずにいるが、デカルトは機械の目と耳よりも自分の感覚を信じた。
 彼方に流星のごとく動く光点が瞬く。ヨークタウン艦隊をめがけて展開していたザフトのMS部隊だ。ひしひしとデカルトの精神を嘲りと傲慢と油断の混じる脳量子波が打つ。

――鈍間で愚図のナチュラルどもが。わざわざ落とされに来やがった。

 分かりやすく言葉にするならば、こんな脳量子波の思惟であった。
 地球連合側のナチュラル達がコーディネイターに憎悪の念を抱く様に、コーディネイターもまた自分達の能力の高さから、ナチュラルに対する差別意識を根深く抱いている。
 少なくともこの戦場ではコーディネイターとナチュラルの双方が向け会う意識は、憎悪と差別意識だけしかデカルトに感じる事が出来なかった。
 敵とするコーディネイターからも、味方であるはずのナチュラルからも、両方から感じられる脳量子波はデカルトにとって精神をじくじくと蝕んでゆく悪意の波動だ。
 管制からの制止の声を振り切り、まだジンがレーダーの範囲外にある距離から、デカルトはメビウス・ゼロの機首下部に装備されているリニアガンのトリガーを連続して引き絞る。
 かすかな反動がコックピットを揺らし、オレンジの加速砲弾が超音速で虚空の闇を貫いて走り、望遠映像の彼方で流星の尾を引いていたジンへとデカルトの敵意を乗せて襲い掛かる。
 三度トリガーを引き切ってから数秒、デカルトは放った銃弾の命中を理解した。視認でもセンサー類による探知とも異なる直感としか言いようのない感覚がデカルトにそうだ、と教える。
 しかし驚愕の気配こそ伝わって来たが敵機の撃墜は感じられない。地球連合の主要機動兵器であるMAがMSに抗しえないのは、圧倒的な運動性の差やパイロットの身体能力の差もあるが、単純にMAの火力では簡単にはMSを撃墜出来ない事にも一因がある。
 デカルトが放った三発のリニアガンの銃弾は確かにジンの胸部に命中したのだが、厚い装甲を前に貫通にまでは至らず、装甲を大きく陥没させて後方へと大きく弾き飛ばすに留まっている。
 だが脳量子波の源であるコックピットを狙って集弾させた三発だ。今頃パイロットは脳味噌を散々に揺さぶられて意識朦朧としているだろう。
 後続のメビウス隊にはルーキーが初陣にビビって無駄にリニアガンを連射したとしか認識されていないだろうが、ザフト側にとってはあり得ない距離からのあり得ない命中弾の連続だ。
 種族として自分達よりも格下であるナチュラルが狙って行ったと言うには、余りに人間離れした所業に、目を見張ったとしても無理は無い。
 ばらばらに散開してランダムな回避運動を取るジンへ目がけて、デカルトはメビウス・ゼロに最大加速を命じながらリニアガンの照準内に、次なる獲物を捉えた。
 加速性や戦闘速度はともかく運動性能で大きくMSに劣るMAを相手に、これまでザフトが優位を保ってきた人型をしたMSならではの、急速な旋回運動や細かな姿勢制御を織り交ぜた動きは、パイロットがMAとの戦闘経験を積み重ねた熟練者である事を示している。
 最大速度を維持したまま急速にジンへと迫るメビウス・ゼロとの距離は、ようやくリニアガンの有効射程距離の限界とされる所まで接近した。
 正面モニターに拡大されたジンの姿が映し出され、メビウス・ゼロへ向けて当たらぬと分かっていたろうが、おそらく牽制と思しい76mm重突撃銃の銃弾が霧雨のごとくばらまかれる。
 はっ、とデカルトは口から嘲り混じりの吐息を吐き捨てて、リニアガンのトリガーを再び四度引き絞る。メビウス・ゼロ機首とジンの76mm重突撃銃と胴体へとそれぞれ二本ずつ、オレンジ色の光線が結ばれる。
 洩光弾混じりのリニアガンの銃弾が再び百発百中の精度でジンの右腕に握られていた76mm重突撃銃を吹き飛ばし、胴体を強かに打った二発の銃弾がジンの体勢を大きく崩し、メビウス・ゼロの側に背を向けた瞬間を狙って、さらにリニアガンの銃弾が突き刺さる。
 ジンの背に在るウィング状のメインバーニアは、機体胴体部分などに比べて構造上、また機器としての役割上脆く、リニアガンの直撃に耐え切れずに破片と爆煙を撒き散らす。
 主だった推進機関に損失を被ったジンは姿勢を立て直す事が出来ずに、独楽の様に止まることなく回転し続けて、周囲を漂っていた巨大な隕石に正面から激突して毒々しいオレンジの爆炎花を咲かせた。
 バッテリーによって駆動している現行のMSは、携行している武器弾薬や推進剤に引火しない限りは、盛大に爆発を起こす事は無いが正面から高速で隕石に激突すれば関係の話だろう。
 隕石に激突する寸前、ジンのパイロットの挙げる恐怖の叫びがデカルトの脳を叩いたが、それに動揺を誘発される事もなく、デカルトは自機の背後から放たれた500mmキャットゥス無反動砲の砲弾を、機体を上方にループさせて回避する。
 わずかに速度を緩めただけでの急激な旋回運動は、機体のメインフレームにも人体にも過剰な負荷を強いるが、機体の限界ぎりぎりを見極めたデカルトの判断とイノベイターの身体能力が組み合わされた回避行動は、見事背後からの攻撃を回避すると言う成果を得る。
 Gの掛る方向の急激な変化は血の流れにも多大な影響を及ぼして、悪くすれば失神かブラックアウトを引き起こすが、デカルトは嘲笑を刻んだ口元を動かす事もなく、先ほどまで自分の後ろに居たジンの頭部を真上から見下ろす位置に捉えた。

「ガンバレル、射出をする!」

 メビウス・ゼロの機体後方に接続されていた四機のドラム状の物体が、有線でゼロ本体と繋がれたまま四方へと広がる。
 メビウス・ゼロがMSと互角以上に戦えた最大の理由たる有線式遠隔操作兵器ガンバレルが、デカルトの意思と技量に従ってその脅威を最大限に発揮せんと虚空を舞台に舞い踊る。
 十本の指と左右のパネルに設けられたキー、足元のペダルを忙しなく動かして秒単位で複数のコマンドを打ち込み、デカルトはキャットゥスを構えたジンの前後左右と上方向から一斉に砲弾を浴びせかけた。
 キャットゥスの発射態勢から即座に回避運動に移行した判断力は評価に値するが、群れを成して獲物を駆りたてる海洋生物の様に躍動した動きを見せるガンバレルの包囲の中から逃れる事は叶わない。
 一切の慈悲もなく容赦もなく放たれたリニアガンとガンバレルの計五つの射線に晒されたジンは、糸の切れた傀儡人形のように無様なダンスの果てに、機体内部から生じた爆発の中に飲み込まれる。

「ガデラーザでなくとも、貴様ら何ぞに!」

 仲間の死に怒りを滾らせる他のジンのパイロットの脳量子波の荒波を受けながら、デカルトはそれら全てを真っ向から受け止めて気炎を吐き、四基のガンバレルを従えたメビウス・ゼロは赤い流星となってジンとジンの間を縫う機動を見せる。
 散開したジン達がそれぞれ別個に放つ76mmやキャットゥスの砲弾の合間を、視覚のみならず直感と合わせて感知し、デカルトは全方向に視界があるのかとジンのパイロット達が錯覚する機動を見せて、メビウス・ゼロに一発の被弾も許さない。
 過酷な訓練と天余の頑強な肉体の持ち主であっても、到底耐えられない機動の連続は細胞レベルで人間の枠を超えたイノベイターであるからこそ可能な芸当だ。
 もっとも、このような機体の限界に挑む機動を連続して行い続けていては、デカルトの肉体は耐える事が出来ても、メビウス・ゼロの機体の方が保たないだろう。
 メビウス・ゼロの機体が挙げる軋みの音が聞こえてくるような急旋回と共に、デカルトはガンバレルを機体周囲に集中させ、メビウス・ゼロの全火力を前面に集中して正面に捉えたジンに火砲を纏めて浴びせかける。
 メビウス・ゼロに背後を取られた形になったジンは、人型をした利点である広範囲に及ぶ射界と四肢の重心移動による、極狭小での旋回半径を描いてメビウス・ゼロへと重突撃銃の銃口を合わせる。
 機体の移動と攻撃行動の呼び動作を連結させたジンの動きは、アカデミーを卒業したての新米パイロットには出来ないものだ。先だってのデュケロMS部隊といい、どうにもデカルトはザフトのベテランパイロット達と縁が深いらしい。
 重突撃銃の銃口から76mmの弾丸が放たれるより早く、デカルトがトリガーを引き切って放ったリニアガンの銃弾が重突撃銃を握るジンの指を吹き飛ばし、姿勢を崩すジンのコックピットにガンバレル四基の射線が集中して大穴を開ける。
 コックピットをガンバレルの弾丸が貫通する寸前に、ジンのパイロットが挙げる断末魔の悲鳴と脳裏に思い浮かんだプラント本国で待っている家族のビジョンが、脳量子波に乗ってデカルトの精神に触れる。
 戦場を満たす悪意の海の中で、唯一暖かな思いを伴う思惟にデカルトは、嘲りの念を含まない苦しみの表情を顔に刻んだ。
 帰りを待つ家族の居る人間を手に掛けたという事実を、はっきりと理解する。デカルトとてコズミック・イラに転移する以前から、既に軍人として戦場に出て何人もの命を奪ってきた男だ。
 ましてや相手が人間である事を視覚的に認識し難いMSを撃墜した所で、後悔の念や躊躇を覚えるほど青臭くはない。
 だがイノベイターへの覚醒以降デカルトを取り巻いていた非人間的環境での日々の中で忘れて行った人間の暖かみや、こちら側に来てから日常的に浴びせかけられる悪意に摩耗していた精神に、脳量子波によって嘘偽りなく伝えられたビジョンはデカルトにとって精神的な不意打ちになっていた。
 帰りを待つ家族も自分のルーツとなる故郷も思い出の場所も何もかも失った事実を、改めて突きつけられて、デカルトの心は大きく揺らがざるをえない。
 コックピットに大穴を開けて虚脱して宇宙を漂うデブリとなったジンの傍らを、メビウス・ゼロが飛び去る中デカルトは食い縛った歯の奥から、猛獣のごとき唸り声を上げて叫ぶ。

「だが、これは戦争だ。容赦をする事は無い!!」

 ヘルメットの奥に爛々と瞳を金色に輝かせて、デカルトは鬼神の形相と変わって残るジン部隊に襲い掛かる。
 唯一MSと対等に戦い得るメビウス・ゼロといえども、これまでの戦闘記録と照合してみても異常な戦闘能力に残るジン部隊が浮足立つ一方で、デカルトにようやく追いついた後続のメビウス部隊の士気は、天井を知らぬとばかりに高まっていた。
 これまで散々地球連合側に出血を強いて来た忌々しきザフトのMS部隊を相手に、自分達と同じナチュラルがMAを操って赤子の手を捻る様に撃墜してゆく光景を目の当たりにしたのだ。
 
――見たか、コーディネイター共。ナチュラルにもお前達と互角以上に戦える奴が居るんだ!!

 デカルトの戦果をまるで自分達が上げた戦果であるかのように錯覚し、士気を高めたパイロット達の操る十数機に及ぶメビウスの編隊が、デカルトのメビウス・ゼロを中心に飛びまわるジン部隊へとリニアガンや有線誘導式の小型ミサイルの照準を向ける。
 メビウス部隊の中にはあのレベッカ・タランドーラの姿もあった。ブルーコスモス思想に傾倒した陽気で人懐っこい女性軍人は、これまでそれなりの戦果を挙げて来たMA乗りだったのである。

「デカルトォ、私達にも獲物を残してくれているでんしょうねぇ!」

「レベッカか。そんなにコーディネイターを殺せるのが楽しみかっ」

 デカルトとて有人木星探査船エウロパ(に偽装したエルス)破壊の際には、溜め込んでいた鬱憤を晴らす為の破壊を楽しんだし、それ以降も破壊を持って精神的ストレスの解消を計ったが、アロウズ時代もいまも例え戦争であれ殺人それ自体を楽しむ嗜好を持ち合わせてはいない。
 それゆえにレベッカをはじめ、コーディネイターを圧倒するデカルトの戦闘能力を前に興奮の極みに達しているメビウス・パイロット達の剥き出しの殺意と狂気は、昂っていたデカルトの精神に、氷雪を吹雪かせる結果に繋がる。
 青い感傷に激情を滾らせたデカルトではあったが、レベッカの狂気孕む叫びと友軍の動きに気付いてしばし逡巡を置いてから、友軍部隊との連携を取るべく冷めた視線と意識で戦場の動きを把握する。

「各機、敵の陣形は乱れている。自分が敵を引きつける。必ず三機以上の編成で一機を相手にしろ。味方の艦砲射撃に追い込めば向こうから勝手に落ちてくれる。……無理はするな、生きて帰る事を第一に考えろ」

 わずかな間を置いて呟かれた最後の言葉が、感傷的になったデカルトの本音であったろう。
 デカルトの言葉を聞いて一様に了解の返事を返してきた友軍パイロット達とは、出撃前に数言言葉を交わし、ブリーフィングで顔を合わせた程度だが、これから死線を共に潜る戦友達だ。
 ここが戦場である以上は無理な事ではあったが、可能であれば誰ひとりとて死なせたくは無いと、少なくともこの瞬間、デカルトは嘘偽りなくそう思っていた。
 そして、それを実現するには自分が持てる力を最大に発揮して敵を屠る事こそが最良の手段である事は間違いない。
 ならばそれを実行するだけだ。そうするだけの力が自分にはあるとデカルトは事故に確認する。そう、自分はイノベイターなのだから!

「蹂躙させて頂く!!」

 デカルトの叫びは正しく実行され、出撃と補給の為に母艦への帰還を数度繰り返したこの戦いで、デカルトは単独でMS六機撃墜ローラシア級一隻撃沈という華々しい戦果を残した。
 加えてチームでの共同撃破数も重ねて、ヨークタウンMA部隊は数機のメビウスが撃破された者の幸い重傷者を数名出すに留まり、デカルト・シャーマンの名前は一躍地球連合軍にその名を知られるエースパイロットへとたった一戦で名を挙げる事となる。
 だがデカルトの心がその戦果に相応しく晴れ晴れとしたものであったかどうかは定かではない。敵と定めた者も味方と定めた者も、互いに向ける際限のない憎悪と差別意識に満ち満ちており、デカルトの精神に常に負荷を強いてくる者ばかりだ。
 四度目の出撃を終えたデカルトはヨークタウンの艦内に用意された個室のベットの上に仰向けに転がり、険しい視線を長い事無機質な天井にぶつけていたが、不意に寝返りを打って瞳を閉ざす。

「劣等種が」

 いまだデカルトに本当の意味での安息は訪れてはいなかった。




[11325] リボンズ・アルマーク編01
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/21 21:55
リボンズ・アルマーク編 

その1 人類を導く者

 巨大な岩塊の上で、神代の戦物語に語られるような巨人たちが、必殺の意を乗せた剣を構えて対峙している。
 双方鋼の巨躯から目には見えぬども肌で感じ取れるほど熱い気迫と、どこまでも冷たい殺意とが陽炎のごとく立ち昇らせている。
この戦いを目撃している者に、息をすることさえ許さぬ硬質で張りつめた緊張が、周囲の虚空を軋ませているかのようだ。
 一方は、人類の新たな段階へと進み革新を果たした純粋種のイノベイター、刹那・F・セイエイの駆るガンダムエクシアリペアⅡ。
右手に携えるグリーンカラーのクリスタル素材で刀身を形成したGNソード改の切っ先を、もう一方の鋼の巨人――オーガンダムの心臓を刺し貫かんと向けている。
 オーガンダムもまたこちらに切先を向けるGNソード改に、なんら怯む様子を見せずにGNビームサーベルを両手で握り、右腰溜めに構えて腰を落として重心を低く取り、刃圏に入り込んできたエクシアRⅡに、一刀を浴びせんと虎視眈々と構える。
 地球連邦を裏から支配するものと、武力介入を行ってでも世界に変革を齎さんとするソレスタルビーイングとの戦いは、この両機の勝敗によって決着がつく。
エクシアRⅡの背に在るコーン型スラスターからは、リミッターが解除されて緑色のGN粒子が津波のごとく後方へと放出されている。
 既に一撃を加えあって、互いのコックピットハッチに一条の斬痕が刻み込まれており、エクシアRⅡのパイロットである刹那と、オーガンダムのパイロットはヘルメットのバイザー越にお互いを睨みあい、わずかな隙も逃さぬようにと神経を尖らせ、脳量子波の変化を逃さぬべく集中をより深めている。
 いつまでも対峙が続くわけもなく、剣を構える両者にしか分からぬなにかを切欠として、エクシアRⅡとオーガンダムの双方が動く。GNソード改を、GNビームサーベルを、目の前の敵よりも早く、深く、鋭く、叩き込むために!
 足元の岩塊を踏み砕きながら走り、その途中からバーニアとスラスターの稼働によって一気に加速し、モニターを介さぬ直接視認の視界の中でめまぐるしく変化する世界で、クリスタル素材の刃と圧縮形成されたGN粒子の刃とが貫いたのは、奇しくもお互いの胸部とそこに納められていたガンダムの心臓たるGNドライヴであった。
 お互いの背中から刃の切っ先を覗かせて、二機のガンダムは生ある者が死の手に包まれた様に沈黙する。
 エクシアRⅡのコックピットで刹那が意識を朦朧とし、現と幻の境を彷徨う中、一方のオーガンダムのパイロットは肉体が生命活動を行えぬほど甚大な損傷を受けた事を認めるのと同時に、どうにかして自身の存在を保つべく残りわずかな時間であらゆる可能性と選択肢を選別していた。
 パイロット――リボンズ・アルマークという名の青年にとって、肉体は単なる器に過ぎず、人工培養したボディに意識を転写する事や、リボンズと同じイノベイドと呼ばれる存在の人格を上書きする形で乗っ取ることもできる。
 しかし、それはヴェーダと呼ばれる量子コンピューターを掌握している状態である事が、前提として存在している。
 そのヴェーダがリボンズと敵対しているティエリア・アーデによって掌握されている以上はそれも叶わない。
 このままでは今あるリボンズの意識は消え去り、ヴェーダのデータ領域内に記録されているリボンズの基幹意識データは、ティエリアによって抑え込まれて二度と表に出る事はできなくなるだろう。
 それは許されない事だ、とリボンズは死にゆく肉体に留まる意識で思う。
 自分こそは人類を新たな段階へと導く者。
 人類に恒久和平を齎し、私設武装組織ソレスタルビーイングの創設者イオリア・シュヘンベルグの理念を実現する者。
 争う事を繰り返すばかりで対話を成すことなく、いつまでたってもイオリアの予見した来るべき対話に相応しき存在とはならぬ人類を、正しく在るべき姿に導く、そう神であるのに。

――ぼくが、こんな所で。ぼくは純粋種のイノベイターをも超える存在となったはずなのに。これでは、これでは、ぼくの存在する理由がない!

 歯を軋ませる力もなく、いよいよ肉体の生命活動が完全に停止する寸前、リボンズは見つけた。一縷の希望を。

――これだ。

 宇宙空間を漂っていた『ソレ』に、リボンズはいまある自分の全人格データと持ちうるあらゆる知識を転写する。
 もう肉体が生命活動を停止するまでほんのわずかな時間しかない。いや、それよりも互いに機体を貫かれたエクシアRⅡと、オーガンダムがいつ爆発を起こしてもおかしくはない。

――速く、早く、はやく、ハヤク!!

 ソレへのフルインストールが完了するのと、リボンズの肉体の死と、オーガンダムの機体が爆発を起こすのと、はたしてどれが早かったのか。それはリボンズ自身にも分からぬ事であった。
 ましてやリボンズが希望と可能性を託したそれが、オーガンダムの爆発と時を同じくしてこの宇宙から消え去るなどと。


 地球から宇宙へと新たな領土を広げた人々が、世界の暦をコズミック・イラと呼称するようになってから幾年月かが経った時。
 ラグランジュ・ポイントのひとつで宇宙用の植民地であるスペースコロニーの建造現場で働いていた、ある世界的規模の大財団の社員が、あるものを拾った。
 脇に抱えられる程度のサイズの、球体を下それはツリ目に見えるLEDを備えたペットロボかと思われた。
 その中に、あるひとつの意識と計り知れない価値を持った情報を秘めている事に、この時その社員は気付かなかった。
 社員は拾ったペットロボらしき物体を持ちかえり、やがてそのペットロボは財団の上層部の目に止まり、秘めていた情報と意識が解き放たれた事によって、本来この世界が辿る筈であった歴史の流れを変えることになるのだが、その社員はそれを知ることなく生涯を終えた。
 HAROと呼ばれるペットロボを拾った社員は、アズラエル財団傘下のとある会社の社員であり、やがてHAROの真の価値に気付き、その内部情報の独占をはかったのもまた、アズラエル財団であった。
 世界がまだ、ナチュラルとコーディネイターという異なる人類の、果てしのない憎しみの連鎖を知る前の話である。


 虚空を漂っていたHAROがまだ機能していた事に気付き、その小さな情報端末にフルインストールを行ったリボンズ・アルマークが、再び鮮明に意識を取り戻し、状況を把握すべく情報ネットワークにアクセスした時に襲われたのは偽りのない驚愕であった。
 全世界のコンピューターを同時にかつ瞬時にハッキング出来るほどの性能を持つヴェーダが、ティエリアに掌握された為に、不用意な行動が自身の存在の発覚に繋がることを懸念し、リボンズの行動は極めて慎重なものだった。
 何重にも探知を防ぐためのダミーを用意し、ルートを設定した果てに得られた情報が、リボンズが本来あるべき世界から外れてしまったことを証明するものだったのである。
 驚きは決して小さなものではなかったが、リボンズには肉体的な枷が喪失した事もあって、時間は有り余るほど存在していた。
 時を経れば否応にも精神は均衡を持ち直そうと働き――意識データとなったリボンズに精神という表現を用いる事が適切かどうかは分からぬが――、この世界で取るべき行動を検討するようになったのは、必然ともいえる。
 かつてコールドスリープ状態に在った造物主イオリア・シュヘンベルグを救う事も出来た筈であるのに、わざと見殺しにしたリボンズであるが、それでもなお彼がイノベイドとして造り出された事実は確かなものである。
 自らの意思と介入によってイオリアの計画を改竄したリボンズであっても、人間で言う所の本能とでも言うべきものを有している。
 そしてイノベイドにとっての本能とは、武力介入による紛争根絶や、来るべき対話に向けての人類統一といったイオリア計画における重要課題のよりよい形での実現だ。
自らを神と定義し、人類を支配して導く事こそ自身の存在意義とする傲慢なエゴイズムを抱えながらも、リボンズはイノベイドとしての本能に自分自身でも知らぬ内に行動に制約を課している。
故にイノベイドの本能と肥大したエゴイズムによって、リボンズがある決断に至るのにさしたる時間はなかった。

――そうさ、あの世界と同じように人類だけでは争うことしかできない愚かなこの世界を、このぼくが導く。イノベイドから進化し、イノベイターをも超えた上位種であるぼくが、イオリアの理想を今度こそ体現して見せる!

 イオリア・シュヘンベルグを見殺しにしながらも、唱えるのはイオリアの理想の実現。
どこか歪な矛盾を孕みながら、リボンズはただそれを成す事だけを考え、異なるこの世界でもそのエゴを変えることなく行動を決意する。
それこそが自分の存在意義、存在する理由と信じ、それ以外の道を求める事も知ろうとする事もなく、自身の可能性の幅を自らが狭めている事に気付く事もなく。


 リボンズが明確な目的を抱き、HAROの内部に存在を隠匿しながら電子と情報の海に潜り、コズミック・イラと呼ばれる世界のあらゆる情報を取得し始めた頃、世界は前述したナチュラル、コーディネイターと呼ばれる人種間で悪感情を大きく膨らませていた。
 明らかになる両人種間での個体能力差は、社会に徐々に互いを違う生き物だと感じる意識を広げ、受精卵の段階で行われる遺伝子操作によって誕生するコーディネイターへの、倫理的、宗教観的観念から来る嫌悪、嫉妬、憎悪が目に見えるかのごとく高まってゆく。
 世界が負の感情による黒雲に包まれるさなかも、リボンズは大胆に、そして緻密に、静謐にこの世界で自らの意思を体現するための行動に出ていた。
 HAROの中に映していた情報を選択的に小出しにして、アズラエル財団に提供する一方で、自身の意識を転写する為の肉体の作成と自由に扱う事の出来る戦力や組織の創設。
 なんの後ろ盾もありはしなかったが、リボンズには上位種である自負するだけの能力と、肉体を有さぬデータ生命体とでも呼ぶべき状態であるからこその優位性、この世界の住人達にとって未知の技術、というカードがあった。
 HAROの価値に気付き、手元に置いたのが世界に強い影響力を持つアズラエル財団であった事は、リボンズにとって好都合であったし、なによりアズラエル財団は反コーディネイター思想の母体であるブルーコスモスという団体の中で、重要な地位を占めている。
 その財団所有の施設に隠匿されたHAROを通じて本来なら到底触れられぬ様な、機密情報へのアクセスも比較的容易であったし、世界の表と裏の動向についても情報を得やすい。
 もっとも、リボンズが覚醒して行動をはじめた当初は、コーディネイターに対する反対活動と言っても、過激にすぎるというほどのものではなく既に存在するコーディネイターについては黙認し、これ以上のコーディネイターの誕生を危惧してデモ活動や、報道活動を行うと言ったものが主であった。
 リボンズは世界の情勢を冷めた瞳と意識で見続けながら、着実に用意を整える。在りもしない人間をデータ上に創造し、企業を起こし、人を集め、金を集め、情報を集め、縁故を作り、世界のあらゆる場所に種を飛ばして根を伸ばしてゆく。
 その過程で、名前と顔を変えていまだHAROを秘匿していたアズラエル財団に接触し、ブルーコスモスの新たな一員となり、更にその背後に存在していた軍事企業の連合体であるロゴスとの繋がりを得ることにも、数年の時を要したが成功する。
 時が流れ世界の憎悪が高まる中、リボンズは大願の一つを果たすべく、大きな行動に出た。
ファースト・コーディネイターであるジョージ・グレン以来、訪う者が絶えて久しい木星への、歴史に名を残してはならぬ有人探査船の派遣である。
 リボンズが最も求めたモノの一つ、オリジナルGNドライヴを製造する為に。
 既にこの時、リボンズはGNドライヴ[T]の開発を、極秘の内に終えており、疑似太陽炉とも呼ばれるそれを搭載した艦船によって、短期で木星圏へとたどり着く事に成功する。
 五基存在したGNドライヴは製造に数十年を有したが、リボンズが新たに製造させたそれは、リボンズがヴェーダを掌握して以来知り得たあらゆる情報と技術の粋と、C.E.の宇宙に置いて洗練を経たモノであった。
 いかなる運命の皮肉か、リボンズの計画によるオリジナルGNドライヴは、リボンズ亡きあとの世界で、ダブルオークアンタに搭載される新型GNドライヴ同様に小型高性能化、さらに開発期間の短縮を果たしたものであった。
 次は疑似太陽炉と太陽炉を搭載するに相応しい機体の開発である。リボンズがこちらの宇宙に来た当初、世界にはまだモビルスーツという兵器は存在しておらず、リボンズはこの世界に持ち込んだ知識の中から太陽炉搭載機を選択して機体の開発を決定した。
 かつてソレスタルビーイングを裏切り世界を牛耳らんとしたアレハンドロ・コーナーが、疑似太陽炉搭載MSジンクスのパーツを、世界各所でワークローダーのものと偽って製造したのと同じように、一つ一つは単なる工業製品の部品に過ぎない様に偽装し、ゆっくりと時間を掛けて、リボンズは己の計画を推し進める。
 イオリア計画。それをこの世界で実現するために。それはリボンズの多大な介入によってイオリア・シュヘンベルグの意思と理念から大きく乖離した、リボンズ計画とでも呼ぶべき代物であったが、それを知る者はリボンズを含めて誰もいはしなかった。


どこの世界でも人類は愚かだ、と嘲りと共にほくそ笑むリボンズをして看過できぬ事態が勃発したのは、コーディネイターの誕生から既に半世紀を過ぎて、L3に建造された新型コロニー群“プラント”を根拠地に、コーディネイター達が地球のプラント理事国に独立戦争を起こしたことを切欠とする。
 プラントの保有する軍事組織ザフトが、軌道上からの全地球規模でのニュートロン・ジャマーを投下して巻き起こした空前絶後の大規模災害である。
 公的にはプラント側に所属するコロニー“ユニウスセブン”が、地球連合軍宇宙艦隊の発射した一発の核ミサイルによって破壊され、当時、ユニウスセブンに居た24万人を越すコーディネイターが一方的に虐殺された事への報復とされる。
 核分裂を抑制し、三基で地球をカバーするとされるこのニュートロン・ジャマーが、実に一万基、最大出力で地球に投下され、中立国も親プラント国家も巻き込む形で、地球のエネルギー事情を一気に劣悪なものに激変させたのである。
 インフラが完全に破壊された地球上の国家は、事態の把握と鎮静化に至るまでに多大な犠牲を強いられる事となり、地球上に住むナチュラルもコーディネイターにも平等に襲いかかったエネルギー不足という過酷な問題は、地球人口の一割というとてつもない数の人命を奪うに至る。
 ニュートロン・ジャマーの齎した被害を知った時、人間を劣等種、自分に支配されるべき下位存在と見下すリボンズをして、冷笑を忘れるほどの驚愕に襲われた。
 それはあえて言葉とするのならば、繊細な美意識の下に整えた庭園を無頼漢に在らされた庭師の様な感情であったかもしれない。
 世界の情勢に大きく関与するブルーコスモスとロゴスと関わりを持ち、情報統制などによって徐々に世界への影響力を増していた矢先に起きた、予想だにしなかった愚行である。
 個体の身体能力こそ確かにナチュラルを超えるが、第三世代以降の出生率が著しく低下すると言う種としての致命的欠陥を抱え、また遺伝子の多様性を捨てた事によって未知の病原菌に対して極めて脆弱という、欠陥品としかリボンズには思えないコーディネイターの有象無象どもに、折角整えつつあった世界の様相を覆されたのである。
 世界各所で断絶される情報の海の中で、リボンズは意識のみの存在となり果てながらも、確かな怒りを感じていた。
 その怒りには自身の思い描く理想の世界像に泥を付けられた事への屈辱もあるが、NJによって齎された途方もない人的損失に対する憤りも確かに存在していたのである。
 かつては自由電子レーザー射出装置『メメントモリ』によって、中東の大国首都への砲撃による数百万単位の大量虐殺や、軌道エレベーターの破壊によって世界規模の災害の誘引と、数々の非人道的行為を繰り返してきたリボンズである。
 NJ投下によって自分の計画に狂いを生じられた事に対する怒りはあっても、人の死に対する憤りなど抱かぬのが、当たり前ではないだろうか。
 ただ前述したイノベイドの本能とでも呼ぶべきもの。それが、リボンズに憤りを覚えさせている。
 仮に世界の統一を促す為の行為であっても、あまりにも人類に出血を強いて遺伝子的多様性を損なうものであったのなら、ヴェーダはそれを許容せず、実行しようとしたものをあらゆる手段を持って止めようとする。
 ヴェーダの生体端末であるイノベイドの場合は強制的に機能を停止されて、別人格がインストールされるだろう。
リボンズもその事を無意識に理解しており、元いた世界で更にメメントモリを使用した場合に、機能を凍結されるであろうことを察して、在る程度は行動を自制していたのである。
そして、このC.E.世界でリボンズの目の前で起きた人類史上空前絶後の大量虐殺が、リボンズの中に眠るイノベイドの本能、あるいは禁忌に大きく触れるものだったのである。
イオリアの計画を実現する前に、人類が滅びるような事があっては、自分の存在する意味が消失してしまう。
コーディネイターの手によって地球上の人類が絶滅ないしは、種族的衰退を引き起こすほど数を減らされるのではないか。その危惧がリボンズの中に無かったとは言えない。
故に、リボンズはナチュラルとコーディネイターとの戦争に、積極的な介入を行う事を、コズミック・イラ歴70年4月1日に引き起こされた大惨劇エイプリルフールクライシスの日に、誓ったのである。


 本格的に戦端が開かれてから、地球連合軍はザフトのMSを中核とした電撃作戦の前に次々と敗北を重ね、宇宙における人類の活動圏のほとんどと地球上に点在する大型マスドライバーを有する地域のほとんどを制圧されている。
 わずか人口二千万のザフトは現状の戦線維持が困難でこれ以上の拡大は見込めないとは言え、宇宙と地球の多くを掌握して戦況を優位なものとしていた。
 一方で地球連合は徐々にNJの被害から各国が復興を行いつつあったとはいえ、エネルギー不足は解決の糸口も見つけられず、世界各地で時を追うごとに凍死者や餓死者の数が増え続けている。
 さらに開戦初期に錬度の高い将兵や経験豊かな兵士を失い、将官クラスや佐官クラスが大量に戦死したために、軍の編成がいびつなものになり、また実戦経験のない新兵を戦場に投入しなければならない苦境に在る。
 現在の戦況が硬直して戦争が長期化すれば、いかにエネルギー不足に襲われているとはいえ、国力で圧倒的な開きのある地球連合側が勝利を収めるであろうが、そこに至るまでに積み重ねられる屍の山脈と血の大海は尋常なものではないだろう。
 そしてなにより地球上に住まう人間達の、地獄を造り上げたプラントのコーディネイター達に対する怨嗟と憎悪が、一矢を報いることなく終える事を許しはしなかった。

「そう、だからこのぼくが世界の意思の代弁者となって、コーディネイターに裁きを下す。これはまさに神判だよ」

 リボンズは、薄い緑色の髪と同じ色彩のパイロットスーツに身を包み、愛機のコックピットの中で誰に言うでもなく、どこまでも傲然と、どこまもで不遜に、どこまでも揺ぎ無い自信と共に囁く。
 場所はリボンズが起業した軍事企業が所有する秘匿ファクトリーの中である。
 戦争が刻一刻と地球連合不利なモノへと変わりつつある中、リボンズは木星に派遣した有人探査船からあらかじめ指定していたポイントに射出されたオリジナルGNドライヴを回収し、それを収めるに相応しい機体が、遂に完成したのである。
 ソレスタルビーイングの意匠を模した頭部には二つの瞳が輝いて、人間を連想させ、全体的にグラマラスなラインを描いている。
 機体各所に脳量子波操作による遠隔操作兵器大型GNファング四基と、小型GNファング八基を備え、他にも両肘に搭載したGNドライヴと連結して高い威力を誇るGNバスターライフルを右手に、左手には小型GNファングを備えるGNシールドを携えている。
 機体前面は白を主色に、背面は赤を基調としている。機体全体の意匠は、地球連合軍のデュエイン・ハルバートン准将が進めたG計画で開発されたMSと共通する所のあるものだ。
 遂に完成したオリジナルGNドライヴ二基を搭載し、粒子生産量を二乗化するツインドライヴシステムを備えるリボンズの為の機体。
 全身を包む万能感。自分にできないことなど何もないという、自身の有能性を再認識する瞬間。打ち震える体と心のままに、リボンズは口を開く。
 自分を止められるものはいない。自分の理想を阻める者はいない。自分こそが世界の指針となるべき存在であるという、強烈な自負と共に恍惚と。

「この機体こそ人類を導くガンダムだ」

 CB-0000G/Cリボーンズガンダム。
砲撃機であるリボーンズキャノンへの変形機構を備え、単機であらゆる戦局に対応し、リボンズの能力と相まって効率よく戦果を上げる機体である。
イノベイターをも越える存在となったリボンズと、オリジナルGNドライヴとツインドライヴシステムを備えたリボーンズガンダムを筆頭に、疑似太陽炉を搭載した機体がザフトに災いとなって襲い掛かるのだが、それはまだ未来の事である。



[11325] リボンズ・アルマーク編02
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/21 21:56
原作と少しは関わった方がいいかな、と思ったので。

リボンズ・アルマーク編02 ヒトに造られし者ども

『ハルバートン提督が進めていたG計画の機体が、どうやらザフトに奪取されたらしいんですよ』

「君には都合が良いんじゃないのかい、ムルタ? けれど被害者や遺族の前ではそんな風に微笑まないようにね」

『おっと、これは失礼』

 リボンズは漆黒の宇宙を愛機たるリボーンズガンダムの試運転を兼ねて、虚空を飛翔していた。
以前から使用していたソレスタルビーイングのパイロットスーツを着用し、リボーンズガンダムをリボーンズキャノン形態にしてある。
 コックピットの側面モニターに映し出される金髪の男を相手に、リボンズは常に浮かべているあるか無きかの微笑を向けて、暇つぶしがてらに会話を重ねている。
 ムルタ・アズラエル。現在リボンズの主人格が記録されているペットロボHAROを所有し、リボンズともっとも深く利害関係を結んでいる相手でもある。
 そしてなによりもブルーコスモスの盟主という立場にあるアズラエルは、ブルーコスモス思想の蔓延る地球連合軍上層部に対して強い影響力を持つ。
 その気になれば戦略レベルで地球連合軍の動きに対して介入を行える、大人物であった。

――もっとも、途中からはそうなるようにぼくが手を貸したのだけれどね。

 ムルタ・アズラエルが産まれる以前からアズラエル財団に拾われていたリボンズである。
モニターの向こうで普段の冷笑とは異なる知己へのみ向ける笑みを浮かべているアズラエルの事を赤ん坊の頃から知っているから、彼の考える事は手に取るように分かる。
 それこそ脳量子波の揺らぎを読み取るまでもなく、表情や仕草、声の響きだけで十分に正確な判断ができるほどだ。
 逆Uの字を描き、急速な旋回運動を交えてリボーンズキャノンを操り、リボンズは視線をモニターの向こうのアズラエルに向けたまま、言葉の続きを催促した。

『ハルバートン提督のGが奪われたとは言え、パナマやアラスカでも機体の開発と生産は済んでいますしね。実戦データは欲しい所ですが、連合全体からみればさしたる損害というわけではありません。第一、既に連合内では君とウチで開発を進めているGNシリーズの採用が決定しています』

「それはなによりだね。ところでその奪取されたGだけれど、放置しておくのかい? ハルバートン提督の失態は大きい方が反ブルーコスモス派の動きを牽制できるけど?」

 答えは分かっているよ、とリボンズは笑みを深めてアズラエルに問いかけた。リボンズがかねてより根回しをし、周到な用意を重ねてきた疑似太陽炉の搭載を前提としたモビルスーツの生産体制も既に整っている。
 リボンズだけがその存在を知っている無人ファクトリーや、アズラエル財団の所有する軍事工場や、連合軍の各地の軍事工廠で既に相当数の疑似太陽炉搭載機が完成している。
 パイロットの選抜、習熟訓練も直に終わりを迎えて、地球連合軍の溜まりに溜まった鬱憤を晴らす機会に恵まれる。
 地球全土を覆い尽くしてなお有り余る怨念と憎悪が、プラントへ向けて一挙に解き放たれれば、その後に残るのは無残に破壊し尽くされて蹂躙されたプラントのコロニー群と、残骸となり果てて守る者を失ったザフトの軍勢だけだろう。

『ハルバートン提督の第八艦隊が直々に動くそうで。ああ、そうそう、Gは五機製造されましたが、ストライクという機体だけはアークエンジェルと共にヘリオポリスを脱出したとか。ユーラシアのアルテミスに寄港した後、月を目指していたみたいですけど、今はハルバートン提督との合流を目指しているそうです』

「へえ、確かエンデュミオンの鷹が居た筈だ。彼の働きもあったのかな? どうやら彼らは悪運の女神に好かれているらしい」

 地球連合のストライク、バスター、イージス、デュエル、ブリッツの五機のMSは、中立国オーブ首長国連邦の所有するスペース・コロニー“ヘリオポリス”で開発が進められていた。
 そこにはテストパイロットのほかにも、月のエンデュミオン・クレーターにおける戦闘で、ジン五機撃墜という華々しい戦果をあげたムウ・ラ・フラガ大尉が、護衛のMA部隊の隊長のひとりとして出向している筈だ。
 このフラガ家に対して、リボンズは過去に興味を抱いて調査をした事があった。元々フラガ家は商才に富んだ名家として世間に知られており、フラガ家はまるで未来を知っているかのように投資などを成功させて、財を増やしていたという。
 予知と言っても過言ではないフラガ家の直感力や洞察力から、イノベイターへと変化する因子の持ち主かと考えが及んだためだ。
 それなりの年月をかけてフラガ家の遺伝子や当主の動向などを観察したが、リボンズの望む――あるいは危惧する結果は出てこず、稀に存在する先天的に脳量子波の感受能力の高い者である、という調査結果に終わっている。

『ま、せっかく作ったGを四機も奪われていては、こちらの機密もなにもあったものじゃありませんよ。考えようによってはハルバートン提督のGの派生系の機体が、こちらの主力MSになると勘違いさせられるかもしれまんけどね』

「ダガータイプも、悪い機体ではないよ。生産性、整備性、操縦性、どれもジンよりは上さ。OSだって、ぼくが提供した物を提督側に流していれば、もっと早く完成していただろうに」

『確かに。リボンズ、君と関わらなければぼくもダガーシリーズの開発と生産に力を注ぎましたけど、疑似太陽炉搭載機のスペックを知ってしまえばそうも言ってられませんよ』

「そうかい。それならぼくも技術を提供した甲斐があったというものさ。ところでアズラエル」

『なんです?』

「そのアークエンジェルとストライクだけど、興味があるな。ぼくの好きにさせて貰うよ」

『は? それはどういう……』

 リボンズはアズラエルとの通信を切り、正面モニターに映し出されている光学映像へと視線を向ける。
 宇宙に設けた兵器工廠でロールアウトしたリボーンズガンダムを、ユニウスセブンの崩壊によって、無数のスペースデブリが発生した宙域でテストしていたのだが、奇しくもアークエンジェルの進路が重なっていたようだ。
そこにはリボンズには事情の知れぬ事ではあるが、強奪された筈のGAT-Xシリーズの一機イージスと、連合側に残った唯一の機体ストライクとが、銃火を交わすでもなく対峙する光景が映し出されていた。
ストライクからそう遠くない位置に、前方に突きでた馬蹄状のシルエットが特徴的な白亜の戦艦アークエンジェルが戦闘態勢を整え、イージスの後方にもザフトのナスカ級が控えている。
リボンズの瞳の先でザフト側が動きを見せた。ナスカ級へ後退するイージスとすれ違いに、四機のジンとシグーがストライクとアークエンジェル級へと向けて動き出したのである。
 イージスとストライクが対峙していた理由は定かではないが、どうやら両者の間で維持されていた不可侵条約が、リボンズの見ている先で破られたようだ。
 自身の能力に対する絶対の自信とツインドライヴ搭載機である自機の能力を合わせて考えれば、五倍の数の敵を相手にしても負けるつもりのないリボンズからすれば、物足りないというのが正直な気持ちであったが、肩慣らしにはなるかなと小さく笑う。

「リボーンズキャノン、リボンズ・アルマーク、行く」

――戦いにもならない戦力差だから、精々遊ばせてもらおうか、ザフトの諸君。

 リボンズは右の人差し指をかけていた操縦桿のトリガーを引き絞り、既に照準内に捉えたジンへと、リボーンズキャノン機体前面に備え付けられた大型フィンファングを兼用するGNキャノンの砲撃を、一切の慈悲なく放った。


 リボンズが目撃したのはストライクガンダムのパイロットであるコーディネイターの少年キラ・ヤマトが、幼いころの親友であるアスラン・ザラの乗るイージスガンダムに、奇縁によってアークエンジェルで保護していたプラントの歌姫ラクス・クラインを引き渡す場面であった。
 ラクス・クラインを人質という形で扱い、ザフトの追撃を振り払おうと考えるアークエンジェルのクルーらに反発を覚えたキラが、崩壊したヘリオポリスから共に脱出した友人達の協力を得る形で、独断でラクスを引き渡したのである。
 ラクスを受け取ったイージスが母艦ナスカ級ヴェサリウスへ戻ろうとした時に、部隊の隊長であるラウ・ル・クルーゼが部隊を動かして、アークエンジェルへ攻撃を仕掛けようとしたのだ。
 アスランにとってはこれは知らされていない不意の行動であったが、アークエンジェル側のムウ・ラ・フラガをはじめに、ザフト側の攻撃を予期して迎撃の用意を整えている。
 正当な歴史ではここでラクス・クラインがクルーゼを制止する事によって、この場での戦闘は回避される筈であった。
 しかし、降り注ぐGN粒子が新たな電波妨害を引き起こした事によってイージスから放たれるラクスの声は、耳障りな砂嵐の音の中に飲み込まれて、虚しくイージスのコックピットの中に木霊し、ラクスを膝の上に乗せるアスランの鼓膜を震わせるだけ。
ニュートロン・ジャマーの電波妨害を更に塗りつぶす様に、GN粒子の各種妨害効果が発生して、戦場に新たな情報上の混乱を巻き起こす。
さらにアークエンジェルへとキャットゥス500mm無反動砲を向けていたジンが、直上から放たれた粒子ビームの直撃を受けて、星間物質へと還元される。
 MAメビウスのリニアガンの直撃に耐えるジンの装甲が、粒子ビームの熱量に耐えられたのは一瞬の事であった。
 鶏冠の形状をしたセンサーから股間部までを一直線に貫いた粒子ビームは、そのまま虚空の果てへと飛び去り、ジンは機体内部の推進剤に引火して、機体内部からの爆圧によって四散する。
 爆煙が完全に広がりきるよりもはやく、その場にいた全ての人間の耳目が粒子ビームの放出源へと向けられる。
 漆黒の宇宙(そら)に橙色の流星の軌跡を描き、バイザーの奥のメインカメラを輝かせて、リボーンズキャノンが戦場へと舞い降りる。
 胸部から前方に突きでたフィンの形状をした砲塔を四門備え、前傾した機体の指先は細長い鉄板が三本伸び、右手にはGNシールド、左手にはGNバスターライフルが接続されている。
 ザフト系列とも連合のGATシリーズとも異なるシルエットに、リボーンズキャノンを目視した者達は一瞬困惑したが、IFF(敵味方識別信号)が地球連合軍に設定されている事と、ジンを撃墜したことからどちらの陣営に与するものかはすぐに判断がつく。
 ラクスの戦いを止めんとする叫びはGN粒子によって阻まれて、プラント最高評議会議長の一人娘というVIPの身の安全を優先して、アスランはイージスをヴェサリウスへと向けて戦場を離れる。
 イージスの後退を確認し、クルーゼはストライクとアークエンジェルから発進したMAメビウス・ゼロへ、自身のシグーとジンの二機で当たり、未確認機へは残る二機のジンを向かわせる。
 共に76mm重機関銃を手にリボーンズキャノンへと銃火を放つジンを、リボンズは変わらぬ笑みのままに見つめる。わざわざ精神を苛立たせるほどの相手ではないということだろうか。
 手を伸ばせば簡単に握りつぶす事が出来る様な羽虫を相手に、怒りをあらわにする者は、そうはいまい。つまりはリボンズにとって目の前のザフト兵はその程度の存在であるという事だ。

「君達がぼくの相手をしてくれるのかい? 見せて貰おうか、新人類の力とやらを」

 誰に言うでもなく呟くリボンズの言葉には、嘲笑の響きが濃く、コーディネイターに対する侮蔑に満たされていた。
 放たれる76mmの銃弾を、装甲にかすらせる事もなくリボーンズキャノンは柔らかな円運動による回避行動を取り、二機のジンが浴びせかける銃弾の中を舞い踊る。
 バーニアやスラスターからの推進剤噴射の反作用による機動ではなく、GN粒子の慣性制御能力を用いた機動は、既存のMSの機動の常識から外れて、はるかに滑らかで柔らかなものになる。
 GN粒子の供給量に大きく左右されるものの、パイロットに掛る負荷を大きく軽減する効果もあって、太陽炉搭載機は既存の推進剤依存機に比べてはるかに柔軟かつ大胆な動きが可能で、リボンズはそれを十二分以上に行えるパイロットであった。
 個人能力主義の強いザフトでは部隊内でも連携を取る者は少ないが、なかなかどうして、リボーンズキャノンに向かってきたジンは常にリボーンズキャノンを前後左右上下に挟み込み、射線を交錯させてくる。
 メビウスが相手であったならとっくに撃墜できたであろう銃弾の雨だが、百発以上の弾丸を浴びせかけられても、リボンズの顔から余裕の仮面が剥がれることはない。

「機体の動作に特に反応の遅れはない。粒子生産量も想定通り。駆動系にも問題はないか。ではそろそろぼくの番だ」

 リボンズは左方から76mmを浴びせかけてくるジンに照準を合わせ、機体の左指先に仕込まれているGNバルカンの銃弾を連射する。
 当てる為に撃ったというよりも照準の誤差などを試す為の射撃であった。圧縮されたGN粒子の銃弾であるから、バルカンの様な小口径でも連続して命中させればMSも十分に撃墜できる。
 GNバルカンを回避したジンの回避方向に、リボーンズキャノンの左手首から先が高速で射出された。
 ワイヤーに高圧電流を流して、絡め取った機体とパイロットを行動不能にするエグナーウィップという武装だ。
 リボーンズキャノンから流れる高圧電流に襲われて、ジン内部の繊細な電子機器が次々とダメージを負い、パイロットも全身の細胞を苛む苦痛に操縦桿から思わず手を放してしまう。
 僚機の危機にもう一方のジンがリアアーマーにマウントしていた重斬刀を左手で抜き放ち、エグナーウィップを使用中の為に大きな回避行動をとれないリボーンズキャノンへと斬りかかる。
 怒号と共に斬りかかってくるジンの動きを完全に読み切り、リボンズは大型フィンファング上部に収納してあるGNビームサーベルを抜き放って、ジンの重斬刀を悠々と受け止める。

「君達には雑多な感情が多すぎる。それでよくも新人類と言えたものだ」

 ジンのパイロットがコックピットで挙げる咆哮と共に放たれる脳量子波の雑念の多さに、リボンズは苦笑と共にこちらへ斬りかかってくるジンを冷ややかに見つめる。
 その瞳には、人類というものはこれだから、という呆れの色が濃い。だからこそぼくが人類を導くのだと言う自負もまた。
 リボンズは、機体の右肘に搭載されている疑似太陽炉のGNビームサーベルへの粒子供給量を増加する。
 瞬く間に増量したGN粒子によって交差していた重斬刀の刃部分が灼熱して焼き切られ、勢いそのままに迸るサーベル状のGN粒子によってジンの巨躯が、右肩から左腰までを斜めに両断される。
 二つに切断されたジンを蹴り飛ばし、大きく離れた機体が爆発するのを見届けてから、リボンズはエグナーウィップで捉えているジンへとメインカメラの焦点を向け直す。
 既に高圧電流によってパイロットは瀕死の有り様を呈している。ジンも流される高圧電流によって機体の操作系統に異常をきたし、まともに動く事も覚束ない。
流石にリボンズも憐みを抱いたのか、笑みはそのままに小さく呟いた。

「すぐに楽にしてあげるよ」

 それは人間が人間に向ける憐憫の情というよりは、足元で蠢く地虫に対して投げかける残酷な愉悦による所が大きい。
 エグナーウィップを巻き戻し、左腕のGNバスターライフルの砲口の奥から橙色の光の槍が放たれて、ジンのコックピットを狙い過たずに撃ち抜いてパイロットを苦痛から解放するとともに、細胞の一片も残さず消滅させる。
 その気になればここまで時間をかけずにジン二機を撃破できたものを、弄ぶようにしたのは、ひとえに優位存在、新人類を謳うコーディネイターの実力を一端なりとも肌で感じる為であったし、リボンズ自身との能力差を計る為でもあった。
 機体の動作に問題がないのは歓迎すべき結果ではあったが、あまりにも呆気なさすぎて、これでは遊びにもならない。

「まあ、たったこれだけの戦闘でコーディネイターの実力を計ったつもりになるのは尚早というものだね」

 リボンズは葬り去ったばかりの二機のジンの事を忘却の彼方に放り投げ、眼下で戦闘を続けているストライクやシグーへと意識を向ける。
 エールストライカーと呼ばれる換装パックを装備したストライクの動きは、荒削りな所が多く、これまで生き延びてきたのは機体の性能に大きく依存していた様に見える。
 電流を流して相転移を起こし、強度を劇的に高めるフェイズ・シフト装甲の事を、リボンズは記憶の中から引き出す。
 なるほど、PS装甲を採用しているのなら、実弾兵器が主武装であるザフトのMSを相手にしても、そうは撃墜されないで済むだろう。
フェイズ・シフト装甲は電力消費量の関係からその装甲としての強度は認めても、疑似太陽炉搭載機では稼働時間が著しく削られてしまうために、リボンズ自身は疑似太陽炉機への採用を見送った装備だ。
 元々電力を必要とする疑似太陽炉搭載機は、継戦能力に難があり元いた西暦の世界でも、長時間の稼働を必要とされる運用では、ティエレンやフラッグ、イナクトといった旧世代機が用いられていた経緯がある。
 現在メビウス・ゼロとストライクが相手取っているのは、主にエースや指揮官に配備されているシグーが一機と、ジンが二機。
三体二という状況下ではあるが、ストライクの性能とエンデュミオンの鷹の異名を取るムウの駆るメビウス・ゼロの奮闘もあって、互角に渡り合えている。
 メビウス・ゼロの動きもそうだが、シグーの動きが特に秀逸と言えた。敵の機動の先の先まで読む洞察力、徹底して無駄の省かれた機動、機体の性能を完全に把握し引き出す操縦。
 おそらくは相当に高級なコーディネイトを受けて優れた身体能力を与えられ、それをたゆまぬ努力と戦場での経験によって引き出したベテランが乗っているのだろう。
 ザフトの中でもおそらくは指折りのパイロットが搭乗している事は想像に難くない。ナチュラルの中にも稀にトップクラスのコーディネイターに匹敵するものが産まれるが、MSの操縦が可能なものはほとんど存在しない。

「若き日のアル・ダ・フラガなら可能かもしれないけれどね」

 今は没落したフラガ家の最後の当主アル・ダ・フラガはナチュラルであるとは信じがたいほどに――傲慢な人格は別として――頭脳、身体能力、フラガ家特有の鋭敏な直感力に富んだ傑物中の傑物だった。
 身体能力の衰える晩年期はともかく、最盛期であった青年時ならばコーディネイター仕様のMSも操縦してのけるだろう。
 挨拶代わりに放ったGNキャノンの四条の光を、シグーは背後からの攻撃であったにもかかわらず、鋭敏に察知して、これを危なげなく回避して見せる。
 一分とかけずにジン二機を葬ったリボンズの手錬を手強いと見て、シグーに乗るラウ・ル・クルーゼは、ストライクとメビウス・ゼロの相手を残る二機のジンに乗る部下に任せて、自らリボーンズキャノンへと機首を巡らせる。
 宇宙空間での戦闘にもかかわらず、自身の技量への圧倒的自負か、あるいは死を望む願望でもあるのかクルーゼはザフトの隊長クラスのみが着用を許される白服を着たきりで、コックピットに乗り込んでいた。
 一見鈍重そうな砲撃機と見えるリボーンズキャノンの異様な外見を、こちらもまた一度見たら忘れられそうにない独創的なマスクで隠した瞳に映し、クルーゼは余裕ある笑みと共に囁く。

「GATシリーズの別の機体か? 私自らその性能、確かめさせて貰おう」

「隊長格か。先ほどの二機よりはましだと思うけれど、ぼくとリボーンズキャノンを相手にどこまで戦えるかな?」

 ジンと同じ76mmとシールドに内蔵したバルカンから無数の銃弾をばら撒きながら、各所スラスターから炎を噴き出しながら迫りくるシグーを、リボンズは面白いものを見つけた、と顔に書いて黄金の輝きを灯す瞳に映す。
 星々の瞬きよりもはるかに荒々しい輝きを放つ光の流星雨の中を、リボーンズキャノンは外見から受ける鈍重そうな印象を裏切る軽やかな動きで回避し続ける。
 GN粒子の恩恵に加えて卓越したリボンズの操縦技術と、イノベイドとしての人間を超えた身体能力が組み合わさった当然の結果と言えよう。
 もっとも命中した所でジンやシグーの装備では、GN粒子によって装甲強度を増している太陽炉搭載機にまっとうなダメージを加える事は出来ない。
 西暦の世界でも太陽炉搭載機が非太陽炉搭載機に対して圧倒的アドバンテージを得たのは、GN粒子の恩恵による次元の違う運動性能と、重装甲のMSも一撃で撃破できる粒子ビーム兵器の装備に加えて、実弾兵器に対する圧倒的な防御性能による。
 かつてユニオン、人類革新連盟、AEUが合同で行ったタクラマカン砂漠における作戦において、実に十五時間もの間絶え間ない砲火の雨の中に晒されても、GNフィールドの恩恵こそあれ機体に甚大なダメージを被らなかった事から分かる。
 右に左にと不規則な回避行動を取りながら、正確にこちらの動きに追従してくるシグーのパイロットの射撃センスに、リボンズはへえ、と唇を動かした。
 ヴェーダにガンダムマイスターと推奨してもいいかな、とリボンズからすれば最大級に近い賞賛を送ってもいいほどだ。
 脳量子波による通常の反射速度を超えて機体の操縦が可能なリボンズに、クルーゼは機体性能差を考慮すれば、リボンズの賞賛の思い同様によく着いてきたと言っていい。

「さあ、返礼だ」

 シグーがマガジンが空になるまで着弾させてもリボーンズキャノンを撃墜出来ないのに対し、一撃でシグーを落とせる破壊力のGNキャノンを、リボンズはモニターの向こうで鋭角的な動きを見せるシグーに連続して放つ。
 大型フィンファングの四本の砲身から、一射ずつサイクルを持って放ち、艦隊戦でもっとも威力を発揮するだろう圧縮GN粒子の巨大な光の矢が、シグーの白い装甲を赤々と照らしてかすめて行く。

「ちぃ、やはりビーム兵器を装備しているか。だが当たらなければどうという事もあるまい!」

 クルーゼ用にカスタマイズが施されたシグーの機動性と運動性を最大限に引き出して、クルーゼは間断なく放たれるGNキャノンを次々と回避する。
 リボンズの目に、今度こそ心からの感嘆の色が浮かび上がりつつあった。並みのコーディネイターでは到底耐えきれない様な機体の限界に挑む機動を繰り返し、砲撃の隙間を縫っては反撃の銃火を放ってくる。

「コーディネイターへの認識を改める必要があるかもしれないな。しかし、フィンファングを使うまでもないよ」

 機体の至近を通過する粒子が装甲をかすめて、シグーのセンサーを反応させている。集束から零れ落ちた微量のGN粒子程度では、機体に重大な損害を与えるには至らない。
 互いに射撃戦を繰り返してはいるのだが、明らかにアドバンテージは相手側にある、とクルーゼは認めざるを得ない。
 機体性能が互角なら、と頭の片隅で囁く自分の声をクルーゼは無視した。ストライクを相手にした時は性能差を自らの技量で埋めて戦い得たが、目の前のアンノウンからはそうも行かない現実が突きつけられている。
 機体性能の差に不満を抱く余裕があるのなら、機体の操作に意識を傾注して勝機を見出すことに専念する方が優先される。
 クルーゼは苦々しく言葉を吐いた。

「くっ、ストライクと言いイージスと言い、地球連合はこれほどのMSを完成させていたのか。それにこのOSの完成度、ヘリオポリスのOSは欺瞞だったというわけか」

 比べるもおこがましい機体の性能差こそあれ、それでもクルーゼは敗北の泥濘に塗れるつもりはなかった。
機体前面に備えた砲身と左手に装備している大型のライフル以外に、目の前のアンノウンに武装は見られない。
 両手が空いている事から、なにがしかの装備を手にする事はあるかもしれないが、砲撃機である以上は懐まで飛び込めば、現状よりはこちらに勝ちの目が見えるだろう。
 GNキャノンの次射発射のわずかな空白の時間を狙い、クルーゼは夜空を切り裂く流星のごとく華麗な動きで、リボーンズキャノンとの距離を詰め、時にはデブリを盾にしながら一気呵成に突撃する。
 クルーゼの狙いがこちらの特性を把握したうえでの接近戦と分かり、リボンズは微笑をそのままにシグーを正面から迎え撃った。
 シグーと相対したままGNキャノンとGNバスターライフルを連射しながら、リボーンズキャノンを前進させる。

「こちらの動きに合わせるつもりか。甘く見られたものだな、私も!」

「ふふっ、砲撃機に接近戦を仕掛けるのは常套手段だけれど、敵の情報を正確に把握する前に動くのは軽率だよ」

 いよいよ両機の距離が近くなり、シグーが左手に重斬刀を抜き放った瞬間に、リボーンズキャノンの両手が射出される。先ほどジンの一機を拘束したエグナーウィップである。
 初見相手ではいかにクルーゼクラスのエースをしても近距離では回避が難しいのだが、クルーゼは素晴らしい反応を見せて、三連銃身バルカン砲塔を内蔵した左腕の盾でひとつを弾き、残るもう一方を重斬刀で斬りおとす。
 重斬刀の刃がエグナーウィップの電磁ケーブルに触れる寸前、GNバルカンを内蔵する手首側に備え付けられたバーニアが新たな動きを見せて、生きた蛇の様に重斬刀に絡みついた。

「捉えたよ」

 エグナーウィップを通して高圧電流がシグーとクルーゼを焼く為に迸る、まさにその瞬間、リボーンズキャノンの左方向から降り注いだビーム連射が、クルーゼを救った。
 脳量子波とEセンサーの警告サインから不意を突かれることはなかったが、リボンズはエグナーウィップを回収しながら、GNキャノンを正面のシグーに、そして機体左腕のGNバスターライフルを、左方向から窮迫してきたイージスへと連射する。
 リボーンズキャノン形態では精密射撃には向いていないが、その分高出力のライフルは、牽制の役目を果たすには十分だろう。
 急ぎラクスをヴェサリウスへと届けたアスランが、思わぬ伏兵の登場に苦境に立たされている味方を助けるために、推力を全開にしてこの場に乱入したのである。

「クルーゼ隊長、退いてください! これ以上の消耗は」

 GNバスターライフルの舐める様な射線を大仰に回避しながら、アスランは上官に対して怯む様子もなく怒鳴る様に進言した。
 アンチビームコーティングを施したシールドが一撃で破壊されそうな高出力の粒子ビームを躱すアスランに襲い掛かる重圧は、決して軽くはない。
 一方のクルーゼも再び距離を取られて猛烈なGNキャノンの光の槍衾に晒されている現状では、並みならぬプレッシャーに晒されている。
 アスランの声を煩わしく感じながらも、既にストライクとメビウス・ゼロに当たっていたジンも一機が撃墜されている。未知のファクターの出現によって、クルーゼの思い描いた戦場図は大きく覆されたという他ない。
 青い髪の少年がモニター越しに緊張で顔を引き締めながら繰り返す進言に、クルーゼは苦々しさを感じながらも受け入れた。受け入れるしかなかったと言い換えてもいいかもしれない。

「各機、現宙域から撤退する」

 シグーとイージスが途端に狙いを雑にしながらも、ビームと銃弾を雨あられとばらまいて後方の母艦へと後退する動きを見せるのを、リボンズは冷ややかに見ていた。
 リボーンズキャノンの性能をトランザムシステムで三倍化させれば、この位置からでもヴェサリウスを一撃の下に轟沈せしめることもできる。
 トリガーに添えた指を押すかどうか、しばし考えてからリボンズは口元から力を抜き、指を外した。
 武力介入はまだ始まったばかりだ。そう焦る事もないさ。
 どこまでも余裕に満ちて、リボンズは背を向けるシグーやイージスを見送ってから、アークエンジェルへと通信を繋げた。
 ザフトの魔の手から逃れたストライクとアークエンジェル。それらを駆るクルーやパイロットがどんな人間なのか、それを知りたいと言う気まぐれな好奇心を満たすために。

「アークエンジェル、こちら私設武装組織ソレスタルビーイングのガンダムマイスター、リボンズ・アルマーク。着艦の許可を」

 さあ、どんな人間が乗っているのだろうね、とリボンズは純粋な好奇心から口元を笑みの形に変えた。
 ザフトの中にもそれなりに歯応えのあるパイロットが居る事は分かったが、こちらはどうだろうか。

「楽しみだね」



[11325] リボンズ・アルマーク編03
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/21 21:57
その3 黒の誘惑


 リボンズがアークエンジェルへの着艦が許可されるまでには、しばらくの間があった。
まずアークエンジェルが偶然にも保護し、その後人質としたプラント最高評議会議長令嬢ラクス・クラインを、ストライクのパイロットキラ・ヤマトが無断で返還した事への簡易軍事裁判を行わなければならなかった。
加えて退けたとはいえ相手はこれまでヘリオポリスから執拗に追撃をかけてきたクルーゼ隊であり、早急に現宙域から離脱しなければならない事。
さらにはまるで想定していなかったリボンズ・アルマークとその愛機リボーンズキャノンというイレギュラーの救援。
 アークエンジェルの首脳陣が事態の整理を行い優先事項を正確に定めるのに時間を要したとしても、弁護の余地はあるだろう。
 地球連合軍の最新鋭艦アークエンジェル級の艦橋で、波打つ亜麻色の髪を長く伸ばし、起伏に富んだ魅力的な美躯を、地球連合軍の女性用士官服に包んだマリュー・ラミアスが、CICから艦橋へ移ってきた副官ナタル・バジルールに問いかけた。
 元が技術士官で、艦の指揮にたびたび情を挟んでしまうマリューと、軍人の家計に生まれ育ち、厳格な所のあるナタルとではいささかならずとも馬の合わない所があるが、この副官が頼りになる事は、マリュー自身が一番理解している。
 とりあえずはキラに対する簡易軍事裁判は後回しだ。
軍法に照らし合わせれば見逃しがたい行為だが、キラをはじめとしたヘリオポリスの学生達は便宜上軍籍に名を連ねているに過ぎず、彼らの助力なしではここまで生き残れなかった事を自覚するマリューとしては、罰を与えるつもりはなかったからだ。
 その点では、リボンズというイレギュラーの存在はナタルの意識を逸らす意味もあって、戦力的にもありがたいものと言える。
 ただ、そう簡単に受け入れられる相手か、と言えばそうも言えない事情がマリューらにもあった。
 マリューがナタルに問いかけようとしたように、ナタルの方もマリューの意見を確認したかったようで、マリューとナタルの瞳はすぐに交錯して意思を確かめ合った。

「確か、ソレスタルビーイングって……」

「はい。ブルーコスモスの息のかかった軍事企業が保有する私設武装組織と言われています。国防産業連合理事ムルタ・アズラエル氏の私兵とも言われてはいますが、確かなのは創設者がイオリア・シュヘンベルグという人物であることくらいでしょうか。
どれほどの規模を有した組織であるかという事などは一切不明で、流布しているのは根も葉もない噂ばかりです。ただ創設者の名前以外にも事実だと言われているのが……」

「ハルバートン提督の推進していたGとは別のMS開発計画に大きく関与していることね。これも噂になるけれど、ヘリオポリスと同程度かそれ以上に開発が進んでいるとは私も耳にしていたわ。実物は噂以上であったけれどね」

 マリュー個人としては派閥争いに拘って出さずに済む筈の犠牲を出してしまう事を、愚かしくは感じているが、地球連合の軍人にしてはさほどコーディネイターに対する差別意識の強くない事もあって、過激なブルーコスモス思想は受け入れがたいものがある。
 良くも悪くも軍人である前に人間としての部分を出すことの多いマリューは、ブルーコスモスとの繋がりを囁かれるソレスタルビーイングとの接触に、軽く眉根を寄せて美貌に不安の色を浮かべる。
 ナタルはそんな上官の横顔をチラと一瞥し、淡々と告げた。

「先ほどの機体がその成果なのでしょう。あのラウ・ル・クルーゼの駆るシグーを退け、ジンを瞬く間に撃墜した戦果は、並みならない物としか言いようがありません」

 ナタルの言葉に、マリューはアークエンジェルの艦長と副長という立場になってから、おそらく初めて心から同意する。
 マリューは艦長席のコンソールを操作し、アークエンジェルの前方に突き出た馬蹄型のカタパルトに着艦し、格納庫で機体を固定する作業に入ったリボーンズキャノンを瞳に映した。
 長方形の板状の砲身が四本前方に突き出て、やや前屈みになっている特異なシルエットは、マリュー自身も開発に携わったストライクをはじめとした五機のGとはまるで別物で、待った濃く異なる開発の系統樹に属するものだと分かる。
 艦橋から確認できた限りでも、戦艦並みの高出力を有しているであろう粒子ビーム砲や、電磁ムチと思しい装備、また両肘に装備された光の粒子を放出する円錐状の謎のパーツ、電子機器を撹乱する機能、とGとはまるで別系統の装備の数々。
 そしてもう一つ、マリューは気がかりになっていた事を、自分自身とナタルに問う様に口にした。

「あの機体のパイロット、リボンズ・アルマークと言ったわね」

「ええ。すでに機体から降りて艦内に居る筈です」

「彼は、ナチュラルなのかしら、それともコーディネイター?」

 マリューの疑問に、ナタルはかすかに目を細める。ブルーコスモスと関わりが深いとされる組織の、それも次世代の主力兵器となるであろうMSのパイロットにコーディネイターを関わらせるだろうか?
 地球連合でもMSの開発に、能力的に優れて経歴に問題のないコーディネイターを協力させている例がないわけではないが、あのラウ・ル・クルーゼが操るMSを、ナチュラルが機体の性能だけで圧倒できるものだろうか。

「それは、身体検査をするわけにもいきませんし、本人に聞くしかないのでは?」

 ナタルは上手い答えを見つけられずに、逃げるようにマリューに返答した。

「そうね。助けられたのは事実だし、下手に探りを入れてブルーコスモスに目をつけられるのも上手くないわ。ハルバートン提督の第八艦隊との合流もまもなくだし、少し虫がいいけれどこのまま力を貸してくれたら、それに越した事はないわね」

「では協力を要請されますか?」

「ええ。第八艦隊との合流も間近だからこれ以上ザフトの追撃はないとは思うけど、念のため警戒は怠らない様に。私はリボンズ・アルマークと会ってきます」

「了解しました。お一人で行かれるような事はお控えください」

「そう釘を差さなくても分かっているわ。そうねフラガ大尉に同行してもらいましょう。モビルアーマー乗りの目には、彼がどんな風に見ているか参考にして見たいし」

 互いに敬礼をしてから、マリューは艦長席から腰を浮かして床を蹴って艦橋を後にした。
 ナタルとマリューらがリボンズという存在について論議を交わしている間、話題の的となったリボンズはと言うと、アークエンジェルの整備班長コジロー・マードックに整備は不用と言い伝えてから、アークエンジェルを物見遊山でもしているような雰囲気で見物していた。
 ソレスタルビーイング仕様の薄緑色のパイロットスーツ姿のままである。人工の合成細胞によって肉体を構築し、細胞の劣化を防ぐ生体ナノマシンを体内に投入して、新陳代謝を代行させているリボンズの肉体は先ほど程度の戦闘であったらさしたる疲労を感じる事もない。
 リボンズがコズミック・イラにHAROと共に来訪してから齎した異世界の技術は、何も太陽炉やMS関係の軍事技術のみではない。
 例を挙げるなら前述したイノベイドの肉体を構築する合成細胞や生体ナノマシンの技術、また欠損した四肢さえも取り戻す事が出来る再生医療など、コズミック・イラの世界には存在していなかった医療系の技術などが挙げられる。
 特に細胞の劣化を行わずに新陳代謝を行う生体ナノマシンは極めて大きな利益をリボンズに与えている。
 細胞の劣化がないと言う事は、つまりは老いる事がないと言う事だ。事実生体ナノマシンを体内に持つイノベイドは半永久的に不老の存在と言える。
 そして不死でこそないが不老という人類の追い求める夢を実現するナノマシンを求める者は、世界中にいくらでもいた。
 一般の市場に流通している生体ナノマシンは、保有者に不老を約束するほど高性能ではなく、機能に制限を設けた劣化品であり、健康の補助となる程度のものでしかない。
 しかしながら世界の中でも極一部の富裕層には、イノベイドの様に不老を約束するほどではないが十年単位での延命を齎すものをリボンズは与えている。
 いつの時代も富と権力を手にした人間の求める者は、究極的には不老不死への願望へとたどり着く。それをリボンズは提供した。
 無論、世界有数クラスの資産家から申し出があったとしてもリボンズはナノマシンを与える相手を厳選し、資産以外の面で判断している。
 リボンズが積極的にコズミック・イラの世界に介入し、管理する為に有用となる者のみを選びぬき――ブルーコスモスのスポンサーであるロゴスと呼ばれる軍需企業の集合体など――希少な生体ナノマシンを与えた。
 そうしてリボンズはこの世界で恐るべき速度で人脈と資産を獲得し、アズラエルも知らぬ所でロゴスを後ろ盾にし、独自にソレスタルビーイングを結成し、自分だけの手駒と戦力を手に入れたのである。
 見物にも飽きを覚えて、格納庫に隣接されているガンルームでアークエンジェルの艦長らが来るのを、椅子に腰かけて待っていたリボンズは、近づいてくる気配と脳量子波に気付くと閉じていた瞼を開き、ガンルームのドアがスライドして、数人の軍人が入室してくるのを待つ。
 マリュー・ラミアスを筆頭に金髪の伊達男風のムウ・ラ・フラガ大尉の他に、更に二名ほど従えている。一応名乗りは受けているが素性を保証する者のいないリボンズを警戒してのことだろうが、形式的なものだとリボンズは気に留めなかった。
座ったままでは悪いかな、とリボンズは立ちあがってマリューらから向けられる好奇と不安と警戒から成る視線と脳量子波を受け止める。

「アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアス大尉です」

「ムウ・ラ・フラガだ。よろしく」

 敬礼と共に告げてきたマリューに、リボンズは微笑み返す。ただし敬礼は無しだ。リボンズの所属はあくまで民間組織であるソレスタルビーイングであって、軍属ではない。

「リボンズ・アルマークです。多少の事は軍属ではない民間人ということで見逃して欲しい。その代わりと言っては何だけれど、リボンズと呼んでもらって構わないよ」

 リボンズは流石にアズラエルの様な知人に対する砕けた口調ではないが、どこか慇懃無礼で目の前の人間を決して対等の相手とは考えていない響きが、かすかに混入している。
 マリュー・ラミアス。リボンズの記憶では第五特務師団に所属していた技術士官の筈であったが、その彼女が臨時ではあろうが艦長を務めているのは、ヘリオポリスでの混乱の際になにやら一悶着があったと言う事なのだろう。

「まずは先ほどの戦闘での助力に感謝します。貴方のお陰で被害を受けることなく戦闘を終える事が出来ました」

 マリューの口調に固さがあるのは、やはりリボンズの背後関係を警戒しているからだろう。
リボンズとしてはブルーコスモスやロゴスは所詮利用価値の大きい手駒に過ぎない以上、ブルーコスモス思想主義者などと同列に扱われるのは、正直なところ心外であるのだが、この場でそれを言っても仕方がないし口にするべき場でもない。

「ぼくが居あわせたのは偶然だ。戦闘への介入許可も下りたから介入しただけの事。ところで不躾ながらお願いがある」

「なにかしら? 私達に出来る事なら出来る限りの事をするけれど」

 とは言うもののストライクのパイロットや機体、戦闘データの引き渡しなどは決して首を縦に振る事は出来ないし、それ以外にリボンズが要求してくるような事はマリューには思いつかない。
 リボンズは表面上は友好的に、内心では警戒を忘れないマリューの姿が面白いのか、口元の笑みをいくばくか深いものにする。

「貴女が危惧している様な事は言いませんよ。アークエンジェルが第八艦隊と合流するまで、ぼくも同行させてほしい。もちろん機体も一緒にね。
貴方達には悪い話ではないだろうし、リボーンズキャノンはまた調整が済んだばかりで、実戦でのデータも欲しいと思っていた所なので、ザフトの追撃があればぼくにとってもちょうどいい機会になる。貴方達にとってはこれ以上の戦闘はないに越した事はないだろうけれどね」

 歯に衣着せぬ、いっそ清々しいほど自分の目論見を吐露するリボンズに、マリューとムウは共に眉を潜めるが確かにリボンズとリボーンズキャノンが同行すると言うのなら、第八艦隊との合流間近とはいえ、戦力的にも心情的にも頼りになる。
 キラが独断で行った人質返還の際の戦闘で二機のジンをあっさりと撃破し、あのクルーゼが乗るシグーを相手に圧倒的優位を持って戦って見せた戦闘能力は、是が非でも手元に置いておきたいのは、紛れもないマリューとムウの本音であった。

「それは、確かに貴方とあの機体を戦力として考えていいのなら、私達にとってはありがたい申し出ね」

 マリューの言葉の続きは厳めしく顔を引き締めたムウが繋いだ。

「でもタダでっていうわけじゃないんだろう? 君の要求はなんなんだ」

「そう警戒しないでほしいな。ぼくは何も貴方達に危害を加えようとしているわけではないのだから。組織の方からも許可を得ているし、ぼくも軍人ではないけれど地球連合側の人間だと言うのに。
まあ、強いて言うなら個人的な興味かな。ザフトの追撃を振り切ってここまでたどり着いたアークエンジェルと、ストライクのパイロットに対する興味」

 ある意味でマリューがもっとも危惧していた事の一つが、コーディネイターでありながらナチュラルの勢力である地球連合に軍籍を置く形になっているキラを追及される事だった。
 元々はヘリオポリスの一市民に過ぎなかったキラを、コーディネイターであり未完成のOSを積んだストライクを動かせるからと、非常事態であるからと、そうしなければ友人達が死ぬからと、戦わせてきたのはマリュー達軍人であり大人だ。
 しかし、報告を受けた軍上層部や目の前のブルーコスモスとの深い繋がりがあると疑わしい青年が、その事を理解したうえでキラ・ヤマトという一人の人間を見るだろうか。
 コーディネイターという一つの事実だけでキラを判断し、心ない言葉を浴びせはしないか――いや、それだけで済めばいいほうだ。
 地球圏におけるコーディネイターに対する感情は開戦以来悪化の一途をたどり、現在も常に“最悪”を更新し続けている。
 単にコーディネイターというだけで銃口を向けかねない。実際、初めてアークエンジェルにストライクを着艦させた時、私服姿で民間人然とした姿のキラが、コーディネイターであると分かった途端、周囲に居た兵士はその銃口をキラに向けたのだから。
 今日に至るまでの戦いでキラの奮闘を見て来た現在のアークエンジェルのクルーならともかく、はたしてリボンズがキラを前にした時どのようなアクションを取るのかが、マリューの豊かな胸の内に危惧を抱かせていた。
 そのマリューの内心を見透かしてリボンズは内心で苦笑を禁じ得なかった。目の前の女性士官は軍人というにはいささか優しすぎるらしい。

「ストライクのパイロット、コーディネイターか」

 問いかけるのではなく確認を取る口調のリボンズに、マリューの体が一瞬強張るのを見逃さなかった。嘘もつけないらしい。

「なるほど。それでぼくがそのパイロットと会うのを回避したいわけだ。だがそれも余計な心配というもの。ぼくは別にコーディネイターであるからといって銃口を向けたりはしない。
ソレスタルビーイングに色々と着いて回っている噂はぼくも耳にしているけれど、少なくともぼく自身にブルーコスモスに傾倒する趣味も興味もないな」

「そう言われてもな。はいそうですか、とこっちも簡単に信用は出来ないんだよ。おれ達が情けない所為で坊主には色々と無理をさせてきているんでね。これ以上あいつに無理や無茶はさせられない」

「そんなに心配なら貴方達の目の届いていない場所ではそのパイロットとは会わないと約束しよう。ああ、勘違いしないでほしいけれど、会う事を許可されなくともアークエンジェルには同行するつもりなので、そこの所は心配はしないでほしい」

 あくまでこちら側の都合を優先するリボンズの申し込みに、ムウとマリューは互いの顔を見つめ合わせて、なんと答えたものかと悩みを共有した。

「答える前に一つだけ聞かせてほしいの。貴方はコーディネイターなのかしら。それともナチュラルなの?」

 そんな事を気にしていたのかと、リボンズはまた一つ苦笑を零す。
自らを人類の上に立つ優越種と考えるリボンズからすれば、ナチュラルやコーディネイターという括りに囚われているマリューの言葉は、ひどく滑稽に感じられる。
ナチュラルであろうとコーディネイターであろうと、どちらも同じ劣等種に過ぎないという結論に行き着くからだ。
 もっとも事あるごとに自身を優越種、上位種、人類を導く者、救世主と口にするリボンズ自身もまたイノベイターである事、あるいはイノベイターを超えた存在である事に囚われた同類に過ぎない事を、リボンズ自身は今に至るまで気づかずにいる。
 真に人類を超越した存在であるのなら、わざわざ口に出して自分に言い聞かせるまでもなく、ただそのような存在である事を意識するまでもなく理解しているものなのだから。

「貴方達にとっては残念なことかもしれないけれど、ぼくはコーディネイターではないよ」

 ナチュラルでもないけれどね、と続く言葉をリボンズは笑みの中に隠した。


 無重力状態の艦内の移動をスムーズに行うために、廊下の横壁に設置されているエスカレーター式のハンドルを握って移動していたリボンズは、複数の人間の気配と話し声が感じられた場所へと、その向きを変えた。
 後にはムウが続いている。結局、マリュー達はムウの同行を条件にリボンズがキラと会う事を許可した。
 アークエンジェル建造計画の時に入手したアークエンジェルの艦内の見取り図を思い出して場所を照合すれば、そこが食堂である事はすぐに分かった。
 本体である意識データが、0と1で構成される情報の海を自在に行き来できるリボンズからすれば、例えそれが軍事機密であったとしてもネットワークで接続されていれば、好きな時に好きなように閲覧するのも大した労力ではない。
 ヘリオポリスで開発されていた五機のGや五機のオーブ製MSのカタログスペックも、リボンズの頭の中には網羅されている。
 食堂の方に足を踏み入れれば、地球連合の青とピンクの軍服を着た十代半ばをわずかに過ぎた程度の年頃の少年少女達がたむろしていた。
 来ているのが軍服でなかったら、ここは軍艦の食堂ではなくハイスクールのカフェテリアか何かだと勘違いしてもおかしくはない光景である。
 少年らの纏う雰囲気から、彼らが例のヘリオポリスで徴発したオーブの民間人か、とリボンズは胸中で零す。
 奪われた四機のG。追撃を掛けるのはザフト屈指のエースにして有能な指揮官でもあるクルーゼが率いる精鋭。正規のクルーらが戦死してしまった為に、艦を操るのは生き残った若兵と所属違いであったの技術士官。
 よくもまあここまで生き延びる事が出来たモノだと、リボンズは半ば呆れ、半ば感心してしまう。
 リボンズが直面したのは、なにやら赤い髪が印象的な少女が、穏やかな顔つきの少年に謝罪をしていた場面であるらしい。
地球連合の軍服姿や、ヘリオポリスの避難民とも異なるパイロットスーツ姿のリボンズは、自然と食堂に居た者達の耳目を惹き寄せた。
 リボンズはあるかなきかの笑みを浮かべる。初めて出会った者でも、つい笑みを返してしまうような天使を思わせる笑みであった。

「どうやら込み入った所に来てしまったようだね」

 ヘリオポリス崩壊から二週間近くが経過しているが、これまで一度もアークエンジェルの艦内で見かけた事のないリボンズについて、そのリボンズの隣に居るムウに黄色い髪にメガネを掛けた少年が話しかけた。
 サイ・アーガイルというヘリオポリスの学生組の一人である。

「あの、その人は?」

「さっき戦闘に介入してきた赤いMSのパイロットだ」

「ぼくはリボンズ・アルマーク。フラガ大尉の言うとおり、リボーンズキャノンというMSのパイロットをしているよ」

 リボンズの告白を受けてその場に居た全員の顔に大きさは異なるが驚きの波が起きるが、それは当然の事であったろう。
 先にアークエンジェルの救援に来た第八艦隊の先遣艦隊はザフトの手によって敢え無く壊滅し、ラクスを人質にしてなんとか窮状を脱する事が出来るかどうか、というような状況を打破した機体のパイロットとなれば、否応にも注目が集まる。
 もっとも少し考えればこれまでアークエンジェルの中では見られなかった人物で、しかも新型の機体が着艦した直後に姿を見せたとなれば、すぐにリボーンズキャノンのパイロットであると分かっただろう。
 目の前の少年達かそれとも別の連合兵がストライクのパイロットなのか、と自分を見つめる者達の顔を見渡していたリボンズは、不意に赤い髪の少女が記憶の中にある事に気付いて、声を掛けた。
 第八艦隊の先遣艦隊に同道して乗艦と共に宇宙の塵へと変わった大西洋連邦事務次官ジョージ・アルスターの一人娘、フレイ・アルスター。
 ブルーコスモス思想に傾倒していたジョージは、資産家でもあった為に姿を偽ったリボンズと直接的にも間接的にも面識があり、その時に子煩悩なジョージに娘の話を聞かされたのだった。

「君はフレイ・アルスター? ジョージ・アルスター氏令嬢の?」

 会った事のない男に自分の名前を、そしてつい先日目の前で死んでしまった最愛の父の名を出されて、フレイは困惑の色を浮かべてリボンズに答える。

「そうですけれど、あの、失礼ですがどこかでお会いした事がありますか?」

「直接顔を合わすのは初めてだよ。君のお父上とは何度か会った事があってね。その時に君の事を耳にしたのさ。お父上の訃報はぼくも耳にしたよ。まさか君の目の前で、とはね。惜しい人を亡くした」

 父の知人だと告げるリボンズの言葉に、フレイは心に刻まれたばかりの傷が疼いて、顔を俯かせて泣き出しそうになるのを堪えた声で、一言だけ答えた。

「……はい」

 傍に居るだけでもフレイの悲しみが伝わるかのような雰囲気にも、リボンズは口元に浮かべた微笑を変えなかった。
肉親の死を悲しむ少女を前に微笑を浮かべているのだから、不謹慎といえば不謹慎なのだが、誰かがそれを咎めるか眉を寄せて不愉快そうにする前に、リボンズは本来の用向きを済ませることにした。

「辛い事を聞いてしまったね。悪い事をしてしまった。その代わりと言っては何だけれど、ぼくはこのまま君達が第八艦隊と合流するまでは同行するよ。一機だけとはいえ戦力が増えれば、少しは楽になるだろう? まあもうまもなくハルバートン提督と合流するから、あまり意味はないかもしれないけどね」

「ほ、本当ですか!?」

 大仰な位に驚いたのは、やや陰鬱な空気を纏っていた学生組の一人だった。声を上げたその少年カズイ以外にも、リボンズの言葉を聞いた者はそれぞれに喜色を浮かべる。
 これまでアークエンジェルは大西洋連邦所属という事もあり、同じ地球連合参加国のユーラシア連邦が保有する軍事要塞アルテミスによれば、MSとアークエンジェルを拿捕されかけ、ようやく救援が来たと思った矢先にその救援である先遣艦隊は壊滅。
 と、死神に手招きされているのか、捻くれ者の悪運の女神にでも好かれているのではないかと嘆きたくなるほどの苦境に立たされながら、ここまで辿りついている。
 もうすぐ第八艦隊と合流できると言う希望が見えた先に、はっきりと味方をすると宣言してくれる相手が現れ、尚且つ保有する力が十分に頼れるものであると証明された後で、となればこれは喜ぶのも当たり前だろう。

「喜んでもらえたのならぼくも来たかいがあったというものだよ。ところで、ここにキラ・ヤマト君はいるのかい? もし何かあった時には同じ戦場に出る者として、顔を合わせておきたいのだけれど」

 リボンズの言葉にその場に居た皆の視線が、フレイと話をしていた少年に集中して、彼がキラ・ヤマトであることを保証する。
 全員の視線を浴びたキラは少したじろいだ様子を見せたが、リボンズの微笑と視線を受けておずおずと一歩前に出る。

「あの、ぼくがキラ・ヤマトです」

 生命のやり取りを既に数度経験しているだろうに、どこか気弱な印象の強い茶髪の少年にリボンズは何を考えているのかまるで読み取れない光を宿した瞳を向ける。
 キラという名前とヤマトという名字は、ある可能性をリボンズの中に芽生えさせていたが、イノベイドや元いた世界でのデザインベビーを生み出すノウハウを持つリボンズには、さしたる価値がなかった為、例え目の前の少年がその可能性であったとしても些事にすぎないと切り捨てた。

「君がキラ君か。ヘリオポリスからここまで随分と大変だったようだね。なに、それももうすぐ終わるさ。短い付き合いになるだろうけれど、よろしくお願いするよ」

「あ、はい。その、リボンズさん。ぼくの事は聞いてるんですか?」

 恐る恐ると言った調子で告げるキラに、サイやムウなどはおい、と止めるように口を動かすが、キラにとってはどうしても聞かずにはいられない事だったのだろう。

「聞いてはいるよ。けれどまあ、気にする様な事ではないさ、すくなくともぼくにとってはね。それに仕事場の同僚にもコーディネイターはいるしね。といっても軍ではないよ。ぼくは私設のちょっとした武装組織の人間でね」

「軍の人ではないんですか? でもMSを扱えるってことは、あなたもコーディネイター?」

 マリューに聞かれたばかりの質問が繰り返された事に、リボンズは小さく息を吐いてから、ゆるゆると首を横に振る。

「いいや、コーディネイターではないさ。MSを扱えるのはぼくの所で開発したOSの出来が良いからさ。そう遠くない内にナチュラルでもMSを扱えるようになるだろうね。さて話しかけておいて何だけれど、そろそろぼくは戻るよ。
母艦が着く頃だ。ぼくの機体は企業秘密という奴でね。アークエンジェルで整備するわけにはいかないのさ。それではお邪魔したね」

 リボンズの言葉通りリボーンズキャノンはツインドライヴシステムを含め、擬似太陽炉も使用しているOSも、他者に漏らすわけにはゆかぬ秘事だ。
 軽く手を上げて挨拶代わりにして、踵を変えるリボンズをキラ達は見送ったが、食堂を出て格納庫へと向かう途中で、あの赤い髪の少女フレイが後を追ってきた。

「あの、ちょっと、待ってください」

 おや、と振り返ってリボンズはフレイの顔に浮かんでいる不安とそれ以外の暗い感情のわずかな色を読み取っていた。
脳量子波で他者の思考を読む事は出来ないが、大まかな感情の動き程度なら把握する事は出来る。先ほどのリボンズとの会話の中でフレイを不安にさせる何かがあったということだろう。
リボンズはムウの方を振り返る。

「なにか話がある様だし、席を外してはもらえないかな、フラガ大尉。彼女相手にぼくがなにかするとは、いくらなんでも思わないだろう?」

「大尉、私からもお願いします。私、どうしてもこの人と話をしたくて」

 直接の面識はなくともフレイの事は見知っていたようであるし、リボンズの雰囲気も先ほどまでと変わらぬ静かなものだ。
懇願の視線を向けてくるフレイに押し負けて、ムウは仕方がないとばかりに肩を竦める。

「その先の角に居るからはやめに話を終わらせてくれよ」

「あ、ありがとうございます」

 ひらひらと手を振って曲がり角の向こうにムウが姿を消すのを見送ってから、リボンズはフレイと真正面から向かい合う。
フレイの望みがなんであるのか、多少興味を惹かれたからこそ、足を止めたのだ。

「それでぼくに何の用があるのかな」

「あの、貴方がアークエンジェルに同行するっていうから。それでキラはどうなるのかなって思って」

 フレイの様子からは、学友のキラがこれ以上戦わなくて済む事を喜んでいるというわけではない。むしろその逆だろうとリボンズは思う。目の前の赤毛の少女はキラが戦わずに済む事を恐れているのだ。
 なるほど、目の前で父親をコーディネイターに殺されたことがそんなに悔しいのかい。父を殺したコーディネイターが憎いのかい。フレイ・アルスター?

「キラ君がMSを降りるのなら、それは幸いなことではないのかい? 元は学生だった君たちだ。これ以上戦争に関わるのなんて嫌だろう。それとも君に限っては、また君の父親の様に目の前で誰かが死ぬのを見たいのかい?」

「――――ッ!!」

 敢えてフレイの逆鱗に触れる事を口にしたリボンズは、思った通りに悲しみよりもどす黒い憎悪を露わにするフレイに、嘲りと憐みを混ぜた笑みを向ける。

「父を殺したコーディネイターが憎い。けれど自分にはコーディネイターを殺す力はない。だから同じコーディネイターであるキラ・ヤマトに同族殺しをさせてやろう。まあそんなところか」

「なん、で」

 誰にも告げずにいた秘密を言い当てられ、キラ達を前にした時の友好的な雰囲気をがらりと変えて、背筋に冷たいものを流す雰囲気を纏うリボンズを、フレイは理解できないものを見る瞳で見つめ、先ほどの憎悪を忘れて恐怖に後ずさる。

「君達人間の考えることなんて、ぼくには手に取るように分かるんだよ。だけどフレイ、君がぼくの所に来た事は正解だよ。君は本当にそれでいいのかい? 父親の仇を他人の手に委ねて、自分はただそれを見ているだけでいいのかい?」

 君達人間の、と告げるリボンズが、暗に自分は人間などという低俗な存在とは違うと告げている事に気付かず、フレイは怯えを糊塗するように舌鋒激しく言い返す。

「パパを、パパを殺した奴らは憎いわ。私だって自分の手で殺してやりたい。だけど、仕方ないじゃない。私はMSを操縦する事なんてできないし、銃一つだっていままで撃った事さえないんだもの。そんな私がどうやってコーディネイターを殺せるって言うのよ!?」

 リボンズの唇が冷たい三日月を描いた。

「ぼくなら出来る。君に自分の手で父親の仇を討つ力を与える事がね。君が力を求めるのならばぼくが与えてあげよう」

――そう、かつてのルイス・ハレヴィの様にね。

 リボンズの浮かべる笑みは冷たく美しく、囁く言葉は甘く優しく、フレイの心を揺さぶった。



[11325] リボンズ・アルマーク編04
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/24 08:29
リボンズ・アルマーク編04

その4  再誕

 フレイ・アルスターとのささやかな会話を終えた後、リボンズはリボーンズキャノンと共に母艦であるコーネリアス級輸送艦ゲヴェルへと帰投し、自身が姿を偽って集めた艦のクルーに機体を預けて艦内の個室に移っていた。
 専用のパイロットスーツを脱ぎ、備え付けのシャワーを浴びて体を洗う。無重力空間での使用を前提としたシャワー室の床にある固定用のベルトに足を引っ掛けて、リボンズは頭からシャワーを浴びて、お気に入りのシャボンを手に取った。銘柄はヘレン・ヘレン。
合成細胞で肉体が構成されるイノベイドは、新陳代謝を体内のナノマシンに委ねている。
その為ナノマシンに施すプログラム次第では、発汗や排泄行為など新陳代謝そのものや自律神経系に至るまでもある程度はコントロール可能だった。
 また宇宙空間での活動も考慮に入れたパイロットスーツを着用していた為、外気温の高低に関わらずスーツ内部は調整さえ間違えなければ、人の体温以外に体感温度を左右することは無い。
 ましてや先ほどの戦闘で何の精神的ストレスを感じる事もなかったリボンズだ。発汗が促進される事も、呼吸を乱して心肺機能を酷使したわけでもないのだから、ほとんど汗すらもかいていない。
 それでもシャワーを浴びるのは低劣な人間種を相手にした事への気疲れを癒す為だったのかもしれない。
シャワーを終えた後は、かつてコロニー型外宇宙航行艦ソレスタルビーイング艦内で着用していた胸元の開いている民族衣装風の白い衣服に着替える。
そうしてからリボンズは、備え付けのデスクの上に設置されている情報端末を立ち上げて、ムルタ・アズラエルへの直通回線を繋げた。
彼との会話中にアークエンジェルの戦闘に介入して以来、連絡を取らずにいたからアズラエルは相当やきもきしていることだろう。
 はたしてアズラエルは呼び出しのコールが三度鳴る前に情報端末の画面上に姿を見せた。通信を着る前と変わらない水色のスーツ姿である。戦闘時間を含めてもざっと三、四時間ぶりの再会になるだろうか。
 常に他者に対する冷笑をうっすらと浮かべているアズラエルには珍しく、頬を引き攣らせて色々とリボンズに言いたそうな表情を浮かべている。
 自分のペースに他者を巻きこんで望んだ方向に誘導するのを得意とするアズラエルではあったが、自分が物心ついた時からの顔見知りであり、自分以上に人を食った態度とそうできるだけの能力を持ったリボンズ相手では勝手が違うようだ。

『リボンズ、君ねぇ、人の話が終わる前に勝手に通信を切るのは止めてくれませんか?』

「緊急事態だから仕方なかったのさ」

 まるでアズラエルの言葉を聞く様子のないリボンズに、アズラエルはこれは何を言っても無駄だなと、長い付き合いの中で何度も思った事を頭の中で繰り返した。
 アズラエルは右手を額に当てて緩やかに首を左右に振る。

『まあ、君相手に今さらな事ですかね。それで、どうでした。ハルバートン提督のGは?』

 それまで知人相手の顔と声音をしていたアズラエルが、途端に一大軍事企業の総帥に相応しい顔をする。戦場での人の生死を自分と会社の利益に換算する、非人間的な計算を必要とされる人種の顔だった。

「カタログスペックなら君も知っているだろう。それにぼくが交戦したのはイージスだけだよ。それだってほんの少し撃ち合った程度だったからね。それで相手の機体の性能を全て把握する事はなかなかできないさ。それよりもシグーのパイロットの方が印象的だったかな」

『敵相手に感心してどうするんですか。それじゃあストライクやアークエンジェルの出来はどうです』

「ストライクもまだ評価を下しにくいかな。アークエンジェルはそうだね、船底部分に数基のイーゲルシュテルンしかないのは宇宙での戦闘には不向きじゃないかな? 装甲が厚いからって限度があるよ。
 艦橋のすぐ後ろにミサイル発射管があるのもどうかと思うし、高速艦という割にはナスカ級の追撃を振り切れなかったりはするけれど、でも正規クルーなしでここまで生き残ったんだから、やはり優秀さ。感想はそれくらいだけれど、そうだね、良い艦なんじゃないかな」

『はあ、素直なご意見をどうも。君は本当に人の質問をはぐらかすのが好きな人ですね。でもまあそういってあげないでくださいよ。アークエンジェルは分類としては強襲機動特装艦ですよ? 足が速いのは確かですが、高速艦であるナスカ級を振り切れないのも無理はありません』

「そうだったかい? では少々辛らつな評価を下してしまったと訂正するよ」

 肩を竦めて失望をあらわにするアズラエルに、リボンズは含むもののある笑みを返す。三十歳という若さでビジネス界に名を馳せ、大軍事企業の長としてブルーコスモスの盟主として地球連合軍に多大な影響力を持つこの青年も、リボンズからすれば色々と都合の良い相手でしかない。
 まあアズラエルが赤子の頃から知っている長い付き合いであるし、アズラエルには地位に見合う能力もあるからそれなりに気に入ってはいるのだ。

「君は商売人だ。人からの報告よりも自分の目で見たモノを信じる事をお勧めするよ」

 だからリボンズとしてはこれも知人としての素直な助言のつもりである。

『信頼する知人の評価を当てにしようかと思ったぼくの立場がありませんよ、その台詞』

「まさかアズラエル財団の総帥がそんな事を言うなんてね。知人を頼りにするだけならまだいいけれど、そのうち人の死を悼むようになったら、戦争屋を廃業しなくてはいけないな。君の後釜に座りたい人間なんて掃いて捨てるほどいるだろう?」

『分かりました、この話はここまでにしておきますよ。それで、君自身はどうするんですか? このままアークエンジェルをハルバートン提督の所に届けるまでお守をするんですか? 君がそれほどお人好しとは思いませんがね』

 アズラエルほどリボンズとの付き合いが長くないとしても、こちら側の世界では己を偽らぬリボンズに接していれば、リボンズがアークエンジェルをわざわざ守るなどという口約束を遵守するなどとは、誰も思わないだろう。
 いかにも疑わしいというアズラエルに、今度はリボンズが肩を竦めておどけた調子で返した。疑われた事に心底傷ついたと言う振りをしている。

「心外だね。ぼくはいつも人類のより良い未来について考えていると言うのに」

 そう、リボンズ自身が導く人類の未来を。
 アズラエルはと言えばリボンズの言葉を聞いていかにも胡散臭そうに眉根を寄せて、懐疑的な視線をリボンズの端正な顔立ちに向けている。

『ぼくとしては君が“青き清浄なる世界”と言ってくれるのを両手を広げて待っているんですけどね。どうです? いまからでも幹部待遇で歓迎しますよ』

「それは何度も断った筈だよ。ぼくはあくまでソレスタルビーイングのガンダムマイスターなのさ」

 たとえイオリアの死を目の前で見逃そうとも、計画に介入してリボンズの描くものに変えようとも、異なる世界に来ようとも、リボンズにとってソレスタルビーイングの一員であることは譲れぬ一線であるらしかった。

『君の所のイオリアも協力はしてくれても、君を譲る事だけは頑として首を縦に振ってくれませんからねぇ。MSやGN粒子関連の技術を提供してくれるだけありがたいですけどね』

 ソレスタルビーイング創設者イオリア・シュヘンベルグだが、これはリボンズが姿と経歴を偽った架空の人物である。改めて記述するまでもないかもしれないが、リボンズが元いた世界の本物のイオリアの事ではない。

「欲が深いと色々と失うことになる。今ある物で満足する事を覚えておいた方がいい」

 器量の小ささを自覚しないとあのアレハンドロのようになるからね、とリボンズは口の中で言葉を転がす。

『商売人に無理を言う人ですね、君』

 口には出さないが、リボンズはアズラエルの事をあの金色とイオリア計画に拘りのあったアレハンドロ・コーナーよりは評価していた。


 キラ・ヤマトが独断でプラント最高評議会議長令嬢ラクス・クラインを、ザフト軍に引き渡してから三日後の事である。
 地球連合軍が中立国オーブ首長国連邦の保有する資源衛星・ヘリオポリスで建造されていた強襲機動特捜艦アークエンジェルを追撃する、ザフト所属のローラシア級ガモフのブリーフィングルームでは、三人の少年達が互いの意見を交わし合っていた。
 ザフトの中でも精鋭揃いで知られるクルーゼ隊に所属する少年たちであるが、隊長であるラウ・ル・クルーゼが不在である為、三人の話し合いによって現状の方針を決めようとしている所だ。
 少年達はそれぞれ白みがかった銀色の毛先を切り揃え鋭い目つきが特徴のイザーク・ジュール、褐色の肌に緩くウェーブした金髪を後ろに撫でつけているディアッカ・エルスマン、薄い緑の髪に色白の肌が目立つ細面の少年がニコル・アマルフィという。
 いずれもアカデミー卒業時に成績上位十名にだけ着用が許される赤い軍服を纏った、若き才人達である。
 気が荒く好戦的な所のあるイザークと、そのイザークと気の合う所のある皮肉屋なディアッカが第八艦隊と合流する直前のアークエンジェルへの攻撃を計画し、慎重な性格のニコルがそれに苦言を挟む、といった構図が先ほどから続いている。
 クルーゼとアスランの不在によって、現状ガモフの有するMSはヘリオポリスで強奪したデュエル、バスター、ブリッツの三機。
 更に先だってリボンズと交戦したクルーゼの申請により、急遽大洋州連合とプラント本国の通商ラインの警護を担当していたローラシア級サマリルが合流しており、サマリルのジン五機を合わせればMSの総数は八機になる。
 クルーゼからの連絡により、アークエンジェル級にコーネリアス級輸送艦が合流して、GAT-Xシリーズとは異なる未知のMSが一機加わった事は、イザークらも知っていたがこちら側の戦力の増大を考えれば、二の足を踏むほどの脅威とは考え難い。
 第八艦隊との合流までおよそ十分ほどという制限時間こそ厳然とあるが、アークエンジェル側の戦力は謎のMSにストライク、メビウス・ゼロと機動戦力は三機のみだ。
 PS装甲を持つストライクやエンデュミオンの鷹が操るメビウス・ゼロはイザークやディアッカが抑え、残る謎のMSはニコルのブリッツが担当して、残る五機のジンと二隻のローラシア級の戦力を集中すればアークエンジェル級を沈める事も難しくは無いだろう。
 それでも同僚達の乗っていたジンを瞬く間に撃破したと言う謎のMSの戦力が未知数である事から、最後までニコルは難色を示してイザークの尊敬するクルーゼが通信の最後に伝えてきた言葉を出す事で、イザークらを止めようとした。
 まだ声変わりを迎えていないようなソプラノボイスでニコルは言う。

「クルーゼ隊長は自分の合流前に決してアークエンジェルには仕掛けるな、と言っていましたよ。アークエンジェルに合流した新型の砲戦機は間違っても手を出すなと」

 ニコルの最後の抵抗もディアッカがせせら笑う様にして反論を述べた。

「だから隊長に部下が成長している所を見せようってんだろう? おれ達だっていつまでも隊長の頼りっぱなしってわけにはいかないんだしさ。ストライクと同じGはこっちに三機、ジンだって五機あるんだ。これだけの戦力なら十分あれば結果を出せるさ。そうだろ、イザーク」

「ふん、ディアッカの言うとおりだ。別におれは構わんぞ、ニコル。お前だけ隊長の言う事に従ってガモフで待っていたってな。出撃だけしてガモフの直衛に着いているだけでもいい。それにこれまでラスティや多くの仲間が、あのアークエンジェルに殺されているんだぞ。おれ達の手で仇を取らずにどうする?」

 臆病もの扱いはともかく、仲間の仇討ちを口に出されるとニコルも反論する事が難しくなる。
 プラントの中でも社会的地位と財力に恵まれた親を持つイザークやディアッカ、ニコルらはコーディネイターの中でも、生まれ持った能力はトップクラスのものを持っている。
 つまるところコーディネイターが産まれる際に持つ能力はどれだけ高額のコーディネイトを受けたかによる。
 まだコーディネイターの存在が一般的ではなかった頃に、富裕層らが内密にコーディネイターにした世代が、ちょうどイザークらの父母にあたる。
 非合法であったコーディネイターを産む事が出来るのであるから、当然財力も権力も非常に優れているわけで、イザークらの親はコーディネイターの中でも高い能力を有し、その証拠に三人の親は父母のどちらかがプラント最高評議会の評議員を務めている。
 であるからして、コーディネイターとしての能力を引き継ぐ第二世代コーディネイターの特徴から、その父母の子であるイザークらも高いポテンシャルを有している。
 昨年9月にクルーゼ隊に配属されて以降も、地球連合を相手にした実戦で着実に戦果を挙げ続けた事から、自己の能力に対する自意識も高くとりわけイザークとディアッカはナチュラルに対して見下した差別意識が顕著だ。
 彼らにとっては地球連合との戦争は、プラント本国の独立と自治権獲得という大義よりも、自らの能力の誇示や戦後の社会的地位獲得のための、多少スリルのある危険なゲーム程度の認識だったのだろう。
 それがG強奪の際の白兵戦から始まって今日に至るまで、クルーゼ隊に所属していた仲間達は少なからず戦死して、見知った顔が減った事の寂寥感や無念の思いがイザークらの胸に去来して、同胞への意識を高まらせて仇討ちという言葉を吐かせるに至ったのだろうことは、想像に難くない。
 戦場に出るのが間違いの様な穏やかな気性である事や、この三人の中では最年少という事もあって、ニコルはイザークとディアッカの小馬鹿にした言動にも怒る様子を見せず、どうしようもないとばかりに溜息を吐いてから、アークエンジェル攻撃に賛同するしかなかった。
 そして彼らはアークエンジェルとコーネリアス級に対する攻撃行動を決定する。ガモフやサマリルの艦長やMS隊からも反対の意見は出なかった。
 むしろたった十分の時間制限など気にも留めず、同胞たちの命を奪った白亜の大天使を必ずや自分達の手で落としてやろうと、戦意を燃えたぎらせたほどである。
 そんな彼らがアークエンジェルに合流した真紅の砲戦機の正確な正体を知ることもなく、ましてやその事がいかなる結果に繋がるかなど分かるはずもなく、彼らは無自覚のままに自分達の意思で自らを苦境へと追い落とすのだった。


 地球連合軍第八艦隊との合流を目前に控えていたアークエンジェルの艦内に与えられた部屋の中で、赤い髪と年不相応に豊かな肢体を併せ持った少女フレイ・アルスターは、リボンズ・アルマークに別れ際に与えられた携帯情報端末が表示するリアルタイム画像を、食い入るように見つめていた。
 現在アークエンジェルは、ガモフ、サマリルから出撃したGAT-X三機とジン五機の猛攻を受けて、忙しなく対空砲火を張り巡らして接近してくるMSを迎撃し、主砲やミサイルを休むことなく発射して二対一の対艦戦への対応も余儀なくされている。
 至近弾の爆発によってアークエンジェルは荒波に揉まれる木の葉のように、先ほどから絶え間ない振動に襲われている。
 アークエンジェルに身を寄せているヘリオポリスの避難民に過ぎないフレイには、戦闘中に出来ることなど何もありはしなかった事もあって、端末に集中していても誰かに咎められることもなかった。
 既にストライクとメビウス・ゼロが迎撃の為に出撃してデュエルやバスターを相手に射激戦を展開していたが、リボーンズキャノンは母艦であるコーネリアス級が安全な距離まで後退するのを待っていた為、ようやく戦闘に参加する所がフレイの瞳に映しだされる。
 自分に力を与えてくれると言った男が乗ったMSを、フレイは瞬きすることさえ忘れて食い入るように見続ける。
 力。
 目の前で愛する父を殺したザフトのコーディネイター共に復讐する事が出来る力。
 優しかったパパ、何時でも自分の願いを聞いてくれたパパ、ママが居ない事で私が悲しまないようにとたくさんの愛情を注いでくれたパパ。
 そのパパを、私の事が心配だからと軍艦に乗って迎えに来てくれたパパを、私の目の前で殺したザフト。もう二度とパパと話す事も、一緒に食卓を囲む事も、なにも出来なくなってしまった。
 これからもずっとパパが私を守ってくれると、愛してくれると思っていたのに。ああ、こんな事になると分かっていたなら、パパと離れてヘリオポリスになど行くんじゃなかった。
 ずっとパパの所に居ればよかった。そうすればこんな苦しい思いをしないで済んだのに。こんなに悲しい思いをしないで済んだのに。
パパに私を育ててくれてありがとうって、愛してくれてありがとうって、私も愛してるって伝えたかったのに。

「死んじゃえばいいんだ。あんた達なんか、みんな、みんな死ねばいいのよ。だから殺してよ、リボンズ。殺して見せて、そしてその力を私にちょうだい。そうすれば私がみんな殺してやれるのに!!」

 怨念籠るフレイの呪詛は誰聞く事もなく、フレイの唇から延々と呟かれ続けた。


 最低限の武装のみが施されたコーネリアス級輸送艦ゲヴェルの後退を待ってから、リボンズはアークエンジェル側から打診された迎撃命令に、ようやく応じる動きを見せた。
 先だっての戦闘でリボンズを感心させたシグーの姿は見られない。機体を変えて出撃しているかもしれないが、ナスカ級の船影がない事から別の部隊なのかもしれないな、とリボンズはさして気に留めなかった。
 ムウやマリューとの会話からあのシグーを駆っていたのが、ザフトのトップエースであるラウ・ル・クルーゼであると聞かされていたが、確かにあの技量ならばトップエースの座に君臨していてもおかしくは無いだろう。
 あの能力なら自分の手駒にしたいというのはリボンズの素直な評価である。リボンズをして人間を超越しているといわしめたあの赤毛の粗野な傭兵――アリー・アル・サーシェスの様にだ。

「ふ、アズラエルに欲をかくなと言ったぼくがあまり物をねだってはいけないか」

 リニアカタパルトにリボーンズキャノンを移動して発艦の用意を整えたリボンズは、氷から彫刻した天使を思わせる冷たく美しい微笑を浮かべて、機体を星の海に飛び立たせる。

「リボーンズキャノン、リボンズ・アルマーク、行く」

 かすかなGがリボンズの体を圧し、擬似太陽炉の産み出すオレンジ色のGN粒子を推進方向とは反対に噴出し、リボーンズキャノンは爆発的に加速してアークエンジェルと離れていた距離を瞬く間に縮める。

「第八艦隊との合流までざっと十分。この短時間でよく決断したと褒めるべきなのかな、この場合。それとも蛮勇だったと教えてあげるべきかもしれないな。命を代価にね」

 口に乗せるのが人の命であるのに、リボンズの語調から人間の生命に対する尊厳はまるで感じられない。
 擬似的にではあるが不老不死を体現した存在であるリボンズにとっては、肥大化したエゴと生命のあり方の根本的な相違、劣等種として見下す人類への差別意識から人類を、対等な命を持った存在として見る事が出来ないのであろう。
 出撃しているジンの中にはビームに対して高い防御性能を有するラミネート装甲を持つアークエンジェル攻撃の為に、バルルス改・特火重粒子砲を装備した機体はおらず、76mm重突撃銃や500mmキャットゥス無反動砲を装備したタイプが五機、アークエンジェルの周囲を蝿の様に集っている。
 リボーンズキャノンの熱源反応や出撃からわずかに遅れて戦闘宙域に起こる新たな電波障害に、サマリルMS部隊はリボーンズキャノンの存在に気付いてアークエンジェルを攻撃していた五機の内、三機が矛先を変えて向かってくる。
 わざわざ神罰を受ける祭壇上の贄になりにきたジンを見て、リボンズはほくそ笑む。無力で取るに足らないが、敬虔な信者からの捧げものを前にした邪神の類ならば、同じように笑むだろうか。

「生憎だけれどぼくは目の前の贄にすぐ手を出すほど浅ましくは無くてね。大物から頂く事にするよ」

 ジンの保有する火器の射程外でリボーンズキャノンを停止させて、リボンズは四本の大型GNフィンファングの砲身をすべてある一点へと向ける。
 両肘の擬似太陽炉が生産量を二乗化するツインドライヴシステムによって、大量に生産されるGN粒子が大型フィンファングへと流入経路を通じて集中し、鎖に牙を立てる猛獣のごとく唸りを挙げる。

「君達程度では物足りないけれど第八艦隊にこの機体の力を見せつけるのも、アズラエルには一興かもしれないからね。少し派手に行かせてもらおうか」

 合流まで十分というこの距離ならばハルバートン提督が指揮する第八艦隊も、遠望映像でこの戦闘状況を見ていることだろう。
 リボンズのMSの操縦桿を握るよりも軽やかに鍵盤の上で踊るのが似合う細く長い指が、操縦桿のトリガーを一息に引き絞る。
 その感触にリボンズの口元に笑みが浮かぶ。人間の命を自分の掌で弄ぶことで感じられる自身の優位性が浮かばせる歪んだ笑みであった。
 リボーンズキャノンから放たれたさながら光の洪水かと見紛う高濃度圧縮GN粒子は、漆黒の宇宙を一時オレンジの色彩に染め上げる。
 リボーンズキャノンに迫るジン三機とは見当違いの方向に放たれた――MSクラスで考えれば恐るべきエネルギー量ではあったが――砲撃に、ジン達のパイロットらは照準が狂っているのかと嘲笑い、数秒を置いて後方で生じた巨大な爆発に嘲笑を凍りつかせた。
 アークエンジェルとザフト部隊の交戦宙域のぎりぎりに位置して、レールガンやエネルギー集束砲の火線を無数に引いていたローラシア級の一隻サマリルが、その爆発の元であった。
 あまりの出来ごとに戦闘中でありながらジン達はリボーンズキャノンの動きに注意を払うよりも、自分達が出撃したばかりの母艦が轟沈した事実に意識を奪われたのである。
 MSよりはるかに高精度高出力の観測機器を持つ戦艦でさえ、交戦開始から今に至るまでろくに至近弾もないと言うのに、初弾をもって命中させ尚且つ轟沈の憂き目にあわせる。
 ローラシア級が180m級と艦艇としては比較的小さなものである事を考慮しても、一撃で鎮めて見せたのは、ランチャーストライクのアグニやイージスのスキュラといった武装と同等に近い攻撃力だ。

「さあ、君達の母艦は沈んだ。次はどうする?」

 母艦の轟沈という事実を受け止めて理解したサマリルのジン部隊の動きは、リボンズの予想を裏切らないものだった。
こちらに向かってきていた三機のジンに加えて更にアークエンジェルに貼り付いていた二機のジンも、怒りに任せてリボーンズキャノンへと餓狼の勢いで襲い掛かる。

「コーディネイターは分かりやすいね、相変わらず」

 リボーンズキャノンめがけて放たれる76mmやキャットゥスの砲弾を右に左に、と軽やかに回避しながら、反撃の一射を撃とうとした所でストライクやメビウス・ゼロからの通信が繋がり、コックピットの片隅にキラとムウの映像が映し出される。

「やあ、キラくん、フラガ大尉。遅くなったけれどぼくも手伝うよ」

 気軽に掃除の手伝いに来たとでもいうリボンズに、キラとムウはそれぞれデュエルとバスターとの戦闘中に関わらず、呆気に取られた表情を浮かべる。
 リボンズの度胸というか神経の余りの太さに、毒気を抜かれてしまったのである。キラやムウ達の背後に飛び交うビームや散弾から、戦闘中ということは分かったのでリボンズは危ない事をするな、とどこか感性のずれた心配をする。
 人間などはナチュラルとコーディネイターを問わず自分の管理下にあるべきと考えるリボンズであるが、やはり直接対面して会話をした相手となれば顔も名前も知らぬ有象無象などよりも多少は親密感を抱く。

「そうぼうっとしていては危ないな。ちゃんと戦闘に集中したほうがいい」

『お前なあ』

 とムウが歴戦のMA乗りらしく、バスターの砲撃を回避しながらも戦闘中とは思えない苦笑いを浮かべれば

『はは。!! くうっ、す、すみません、お願いします!』

 ムウにつられて乾いた笑い声を零していたキラは、デュエルの撃ち掛けて来たビームを慌ててアンチビームコーティングを施したシールドで受け止めて、リボンズとの通信を切る。

「だから忠告したのに」

 溜息と共に呟くリボンズに、ムウがキラを擁護する言葉を向けた。

『ルーキーなんだからそりゃあ仕方ないさ。とはいえあんたにはおれも期待してる。さっそくローラシアを一隻沈めてくれたしな。バスターとデュエルはこっちで抑え込む。頼んだぜ!!』

「期待に応えられる様に努力させてもらうよ」

 自身を客観的に見れず無能な人間はリボンズにとって唾棄すべきものだが、少なくともMA乗りとしては有能な事間違いのないムウの言であるから、リボンズも気を荒でるでもなく承諾の返事をする。
 まずはこちらに向かってくる五機のジンから片づける事をはじめるべきだろう。
リボーンズキャノンの右腕に装備されているGNシールドで斬り掛って来たジンの重斬刀をいなし、コックピットの当たりを狙って蹴り飛ばしながら、リボンズは周囲のジンの動きを冷静に、そして余裕を持って把握する。
 こちらの地球に来てから有り余る時間を持って製造したEカーボンをGN粒子で強化した装甲ならば、MSの装備する実体兵器が何十発と直撃しようとも罅割れ一つ起こさないが、それでも劣等種ごときに機体に触れられる事は、リボンズの上位種としての矜持が許さない。
 右のエグナーウィップを射出し、直進するエグナーウィップを下方向に機体を移動させて回避したジンの背後に、先端分に装備されているバーニアを噴かしたエグナーウィップが背後から襲い掛かる。
 背後から急速に迫るエグナーウィップの存在に気取られたジンは、背後を振り返るのと同時にエグナーウィップに頭部を掴まれ、高圧電流が瞬時に機体とパイロットに襲い掛かる。
 機体をエグナーウィップを操作する間も他の四機のジンが放つ火線の合間を縫って、リボーンズキャノンは鈍重な外見を裏切る俊敏さを見せる。
 接触通信から漏れ聞こえるジンのパイロットの悲鳴に、わずかばかり憐憫の情を催したリボンズは、すぐに楽にしてやるべくエグナーウィップの餌食になっているジンを別のジンに叩きつける。
 さながら鎖付きの鉄球を巧みに操る様にして、ジンとジンとが激突して大きく機体バランスを崩し数瞬の間動きを止める。
 その隙を逃さずリボーンズキャノンのGNバスターライフルがジンの胴体を二機もろともに貫いて、原形をとどめない無数の破片に爆散させた。
 リニアガンの直撃にも数発は耐えるジンの重装甲をまるでボール紙かなにかのように、呆気なく感じられるほど簡単に圧縮粒子の槍は貫いたのである。
 砲戦を主眼に置くリボーンズキャノンではあるが、GN粒子の恩恵を受けて現行のC.E.製MSをはるかに凌駕する運動性を誇り、また初見でなくとも回避の難しいエグナーウィップを装備している事から、ジンの機体性能では本来近づく事もままならない。
 ましてやパイロットは、ガンダムマイスターとして激戦を戦い抜き、純粋種のイノベイターとして覚醒した刹那・F・セイエイとほぼ同等の力量を誇るリボンズである。
 長らく実戦の場に出ていなかった事もあって、刹那との決戦では結果として敗北してしまったが元いた西暦2311年時点に置いて、最高峰のMSパイロットである事は否定しようのない事実。
 造られた時代が違うと言って良いほど性能の隔絶したリボーンズキャノンと、人造生命であるが故の身体能力の高さに加えてMSに関わった年月でもはるか上を行くリボンズの組み合わせである。その戦闘能力たるや何をかいわんや。
 事前にクルーゼから送られていたリボーンズキャノンの武装や性能といった情報を、実際に目の当たりにして母艦轟沈に頭に血の気を昇らせていたザフトのパイロット達は、冷や水を浴びせられたように頭から血の気を引き、目の前の強敵との戦い方を模索していた。
 GNキャノンの射角には制限がある事は一目で見てとれることから、左腕のGNバスターライフルの射線に入らぬよう機体の相対位置に注意して、右腕のエグナーウィップは厄介な装備であるが射程それ自体は射撃兵器には到底及ばないことがすぐさま察せられた。
 リボーンズキャノンの正面方向に入らないことを念頭に置いて、遠距離から三機の数的優位を活かしながら三方向から重突撃銃や無反動砲で狙い続けること。
 個人の判断能力や知的レベルの高さから階級を持たないザフトに属する彼らは、瞬時に同じ結論に至って短時間の通信で戦闘方法を共有して即座に戦闘に反映させる。
 フィンファングの先端方向に入らぬよう三方に散ったジンが、リボーンズキャノンを囲い込む機動を見せるのを、リボンズは慌てるでもなく落ち着いた様子で観察していた。
 リボンズは操縦桿とそこにある複数のキーやフットペダルを、細やかに操作して氷上に舞い踊るアイススケーターを思わせる流麗な動きをリボーンズキャノンに取らせて回避行動を行う。
 ジンのパイロット達はこちらの機体形状からGNキャノンの射角を大まかに推測して即座に対応しているのだから、リボンズとしては及第点と言った所だ。
 供給量にもよるのだがGN粒子の慣性制御機能を活かし、リボンズは現行のMSにはほぼ不可能な急角度による旋回、急停止、急上昇および急下降などの機体性能を見せつけて放たれる銃弾の数々に虚空を貫かせる。
 あまり時間をかけてはアークエンジェルやキラの救援に遅れてしまう、そうなっては期待に応えると言った以上は悪いかなと考えたリボンズは、多少煩わしさを感じたものの誘いをかける事に決めた。
 右方向のジンにはエグナーウィップ先端部に内蔵されているGNバルカンの弾丸をばら撒き、左方向にはGNバスターライフルで大まかな狙いの牽制射撃を行う。
常にGN粒子を放出して移動しながらの射撃であったが、敢えて量子供給量を抑えてリボーンズキャノンの機動それ自体の速度も、ジンが追い縋る事の出来る程度に抑える。
 モニターの片隅に映しだされたストライクやメビウス・ゼロ、アークエンジェルの奮闘の様子からはあと三、四分ほどはリボンズの介入がなくとも、無事であるだろうと推測できた。

「掛ったね」

 リボーンズキャノンの背後を取ったジンが、キャットゥス無反動砲を撃ち掛けながら、リボーンズキャノンへとバーニアを全開にして迫りくるのをモニターで確認し、そしてまた感情のままに吠えるザフトパイロットの脳量子波から知覚して、リボンズはほくそ笑む。

「君達はそうやってぼくの掌の上で踊っていればいいのさ。そうする事が人類全体の幸福に繋がるのだからね」

 無反動砲の砲弾が尽きた背後のジンが腰裏にマウントしていた重斬刀を抜き放ち、ウィング型のバーニアから推進剤を豪勢に消費して、一気呵成の勢いを借りてリボーンズキャノンの背中目がけて重斬刀を振り上げる。
 ジンが斬りかかれるように速度を落としてリボンズは、即座にリボーンズキャノンの右腕を動かして、フィンファングの根本にあるGNビームサーベルを抜き放ち、後ろ向きのままジンの重斬刀を受ける。
 背後を向いたまま重斬刀を受けるリボーンズキャノンに、ジンのパイロットが背後に目があるのかと驚くの感じながら、リボンズは口元の嘲笑をそのままにジンの胸部を蹴り飛ばして距離を開き、ジンが体勢を整える間にある手順を踏んだ。
 他の二機のジンが味方のフォローに入り、リボーンズキャノンに銃器を向ける中で、リボーンズキャノンの姿そのものが変わる。
 平らに伸びていた足が蕾が閉じるように稼働して、踵部分がハイヒールのように高くなった足へと変わり、滑らかな曲線を描いていた肩アーマーが上向きに稼働し、肘から先の腕部がくるりと回転してエグナーウィップを腕部内に収納して鋭い指先を備えた五指を持った手が出てくる。
 リボーンズキャノンの頭部が収納されて胴体部分の装甲が上下に開いてメインバーニアを覗かせて、頭部の後ろに隠れていた新たな二つ目の頭部がその外見を露わにする。
 額部分の装甲と一体になった鋭いブレードアンテナを備え、人間の目を連想させるツインアイに光が灯り、遂にリボーンズキャノンは変形を終える。
 リボーンズ――“再誕”を意味する言葉を機体名称に戴く機体は、無骨な真紅のサイクロプスから白亜に輝く巨人へとその姿を変えたのだ。

「世代を超えて連綿と続く偏見と憎悪、一時の感情に縛られる狭隘な視野とそれを自覚する事のないエゴイズム、相互不理解と絶えない闘争本能を持つ愚かしい旧人類を、来るべき対話に相応しい新人類へと“再誕”させる為のガンダム。
 感謝して欲しいな。この世界で初めてこの機体を目の当たりにする機会を与えられた事を。そう、この機体こそ人類を導くガンダムだ。リボーンズガンダム、リボンズ・アルマーク、行く!!」

 機体が変形して先ほどまで背部だった箇所が正面に変わるという奇妙奇天烈な事態を前に、ジン三機は少なからず同様に襲われたが、リボーンズガンダムが先ほどまで右腕だった左腕のGNビームサーベルを振り上げて斬り掛ってくるのに合わせて、再び三方に広がる。

「先ほどとは違う事を教えてあげよう。一つ!」

 誘い込む為に速度を抑えていた先ほどとは、機体も粒子の使用量も異なり、重斬刀を手にしていたジンは距離を取る間もなくリボーンズガンダムに懐に潜り込まれて、鶏冠の形状をしたセンサーから股間部に至るまでを、GNビームサーベルによって両断される。
 刃状に形成された圧縮GN粒子による切断面を覗かせたジンは、すぐさま推進剤が爆発を起こして数百単位の破片へと爆散する。
 両肘の擬似太陽炉からオレンジ色のGN粒子を一層激しく噴出させて、リボーンズガンダムはジンを上回る巨躯には信じ難い敏捷性でもって爆花咲き誇る宇宙を飛翔する。
 一機のジンがこちらに76mmの銃口を向けるよりも更に早く、リボーンズガンダムを頭上に回り込んでGNバスターライフルを一辺の容赦なく撃ちこみ、GN粒子の光の矢を持ってジンを串刺しにする。

「二つ!」

 怯えた様にこちらに重突撃銃を向ける三機目のジンを、リボンズは冷徹な瞳に映す。
 光学迷彩機能ミラージュ・コロイドを持つGAT-Xナンバーブリッツを駆るニコルは、こちらの機体特性を把握しているアークエンジェルの迎撃網に苦戦しつつも、着実に命中弾を重ねて大天使の白い肌にいくつもの傷を刻みこんでいた。
 アークエンジェル相手にミラージュコロイドは効果が薄いと見てとったニコルは、コロイドの使用を早々に諦めてPS装甲を展開し、十分の時間制限の中で奮闘していた。
 ようやく艦橋付近にまで接近し、これでヘリオポリスからの因縁も終わり、ラスティやミゲル達の仇が討てると、ニコルがブリッツのレーザーライフルの引き金を引こうとしたその瞬間に、遠方から撃ちこまれた数条のビームがブリッツに回避行動を強いて、アークエンジェルから遠ざける。
 無論アークエンジェルには被弾しないように狙いが取られている事をも併せて考えれば、ザフト側からの粒子ビームである筈がない。
 接近していたブリッツにアークエンジェルが慌てて浴びせかけるイーゲルシュテルンの銃弾を躱しながら、見慣れないオレンジ色の粒子ビームの撃たれた方向にニコルは眼をやり、絶句する。

「そんな、サマリルのMS部隊が、もう!? それにあの赤い大砲付きじゃない? あの姿は、まさか六機めのGだったのか!?」

「三つ。次はGAT-Xナンバーか、それも悪くない」

 百舌鳥のはやにえのごとくGNビームサーベルにコックピットを貫かれて、四肢をだらりと下げるジンを高々と掲げて、リボンズはわずかに愉悦を交えて呟く。
 リボーンズガンダムはコックピットを貫いたままのジンをブリッツめがけて、途中でGN粒子の光刃を消して、高速で投げつける。
 投げつけられたジンはちょうどブリッツとリボーンズガンダムの中間地点で爆発を起こし、薄いピンクがかった煙を広げて両方の機体の視界を遮る。
 ニコルは画面を埋め尽くす友軍機のなれの果てたる煙を前に、哀悼の意を抱く一方でこれをチャンスと捉えた。
あれほど強力なビーム兵器相手ではPS装甲はほぼ無意味。であればブリッツが持つミラージュコロイドによるステルス性能を活かして、敵機の不意を突くべきだ。
 多少卑怯な気がしないでもないが、これは戦争だ。ならば不意打ちの何を恥じる事があるだろうか。そのように考えられる程度には、ニコル・アマルフィは実戦を経験した軍人だった。
 ニコルは若干の恥を感じながら、手早く操縦桿のキーをタッチしてブリッツの機体表面にガス状のミラージュコロイドの粒子を纏わせて、ブリッツの姿を光学的に隠蔽する。
 ただこの状態でもバーニアやスラスターなどの排熱までは隠しきれない為、探知されないようにするには可能な限りバーニアなどを用いずに動く事が望ましい。
 周囲に足場にできる様な浮遊物がなかった為、ニコルは必要最低限の回数だけバーニアを噴かして、リボーンズガンダムへと接近するべくブリッツを動かす。

「この視界なら向こうの機体もブリッツを見つけられないはず」

 煙を上方向に弧を描く形で迂回し、ニコルはセンサー類と機体各所のカメラが映し出す映像に視線を巡らして、リボーンズガンダムの姿を見逃さない様に神経を張り巡らす。
 流石に敵機もその場に留まると言う事はしないだろう、と警戒するニコルであったが、あろうことから煙の中から放たれた粒子ビームが襲いかかって来たのには、驚きを隠せない。
 煙の中から、ということは視界の利かない煙の中を突っ切って一直線にブリッツに襲い掛かっていたと言う事か。いや、違うそれよりもどうして視界を塞がれる煙の中で、既に直前の位置から動き、ミラージュコロイドを展開しているブリッツを正確に狙う事が出来た!?
 偶然の可能性を思い浮かべたニコルであったが、続いて放たれる粒子ビームがその可能性を冷酷に否定する。

「くう、理屈は分からないけど、こちらの動きが見える敵なのか!? けどビームの元を辿ればこちらの攻撃も当たる筈!」

 ニコルはすぐさまブリッツの右腕に装備されているレーザーライフルと三本の推進式の実体槍ランサーダートを連射する。ミラージュコロイドが意味を成さない以上、すぐさまPS装甲を再展開し、ランダムな回避運動を取りながら煙の中へと猛攻をかける。
 命中弾があれば爆発の一つもあるかあるいは熱反応に変化が見られる、と注視するニコルの視界に銀色に光る細長いものが、高速でブリッツめがけて迫りくるのが映った。
 咄嗟にブリッツの右腕の複合兵装盾であるトリケロスで弾くが、それが先ほど発射したばかりのランサーダートである事に気付いたニコルは、まだ幼さの残る瞳に驚きの光を輝かせる。
 まさかあの煙の中、こちらが発射したランサーダートを掴み止めて、なおかつこちらへ正確に投げ返したと言うのか、あの敵は!?

「遅いよ!」

「しまっ!?」

 ランサーダートを弾いた直後、煙の中からリボーンズガンダムがGN粒子を乱舞させながらブリッツへと襲い掛かり、ニコルが機体の操作に意識を戻した時には、発射されたGNバスターライフルの一射がブリッツの左肘から先を撃ち抜いていた。

「うわああ」

「他愛もない。ハルバートンのGもこの程度か」

 鋼の四肢の一つを撃ち抜かれて大きくバランスを崩すブリッツに、止めの一撃を加えるべく動くリボーンズガンダムの鼻先を、遠方から放たれた散弾と高エネルギーの矢束が遮って、白い装甲を煌々と照らす。
 サマリルMS部隊の壊滅とニコルの窮地を察し、メビウス・ゼロの追撃を受けながら、ディアッカがバスターの火器をリボーンズガンダムに集中させたのである。

「ニコル! この、ナチュラルなんかの分際で調子に乗ってぇえ!!」

「君から先に落とされたいのかい?」

 邪魔をされた事に対する苛立ちはリボンズの中には無かった。そもそも邪魔とさえ認識していなかったかもしれない。
 リボンズは相変わらずのあるかなきかの笑みを浮かべたまま、この戦闘の状況を見ているであろうフレイに、聞こえぬと分かった上で問いかけた。

――見ているかい、フレイ・アルスター。これがぼくが君に与えてあげる力の一端だよ。君の望みを大いに果たす事の出来る絶対的な力だ。この戦いの結末を見て、君はどんな答えを出すのだろうね。

 答えは分かっているよ、とリボンズはさらに笑みを深くした。彼にとって、所詮人間など自分の掌の上で踊る哀れでちっぽけな自覚なきマリオネットなのだから。


<続>
再投稿分です。感想板での指摘箇所を修正。ムウがアークエンジェルが足が速い云々ということを言っていたことから、高速艦のようなくくりに入るのだろうと思い込んでいました。ご指摘ありがとうございます。



[11325] アーミア・リー×リリカルなのは編01
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/21 21:59
細かい事は気にしないのが読み進めるコツです。時間軸は劇場版での空白の五十年。
今回は他所に行くのではなく、他所からお客さんが来る形式です。
外伝漫画00I2014にて全裸を披露したメタル女子高生が主人公。もう片方の作品の主人公も後で出る予定です。


メタル女子高生魔法少女メタリカル☆アーミア

西暦2315年。
 一年前に人類初の地球外知的生命体――あるいは地球外変異型生命体、金属異星体――エルスとの接触、侵攻、そして対話の成立による緩やかな共存が始まっておおよそ一年。
 地球人類とはあまりにも異なる生態系とコミュニケーション手段を用いるエルスらとの意思の疎通は、今だ困難なものはあったが少なくとも地球人類とエルス間での戦闘は、昨年の戦闘終結以来一度も勃発してはいなかった。
 木星より姿を現した直径三千キロメートルにもなる超大型エルスと、数万キロメートル単位で宇宙に銀の紗幕を広げた数百万とも数千万とも、あるいはそれ以上とも言われるエルス達は、今、地球圏近海の宇宙で中東に自生する黄色い花を模したものへと姿を変えていた。
 花弁の端から端までが数千キロメートル単位にもなるエルスの花は、地球上からもはっきりと視認でき、エルス達が花に姿を変えたことで人類に対し、敵意がない事を示した事によって、地球人類存亡の危機と何の誇張もなく謳われた昨年の戦いは終わりを迎えたのである。
 そして、今もエルスに対する対応の意見の相違によって地球連邦のみならず市井の人々の間で多くの意見の対立が起きる中、地球人類はエルスに続く新たな地球外知的生命体と遭遇する事を余儀なくされた。
 これは、エルスと人類の橋渡しとなるある一人の少女が遭遇した、新たな運命の荒波の物語。


夜空に煌々と輝く満月と黄色い花弁を広げる可憐な花弁が見守る中、人影が一つ帰りが遅くなってしまった事に慌てているのか、小走りに暗闇の路地を歩いている。
 左右に家々の続く道を歩いているのは、青いミニスカートに黒いオーバーニーソックス、通学している学校のブレザーに首元は青いタイ、肩から掛けている鞄といった格好に、少し癖のある茶色の髪と右目の泣き黒子と快活そうな雰囲気が印象的な女子学生だ。
 アジア系の血が濃い顔立ちはなかなか愛らしいもので、美人と言うよりは美少女と呼ぶべきだろう。通学している学校でもそれなりに男子生徒から人気を集めている。
 名前をアーミア・リーと言った。
 人類史上初の地球外生命体との接触を果たした昨年、アーミアはある事情によって数ヶ月間地球連邦軍のある施設に収容されていた為、学校を休学して敢え無く留年する羽目になってしまった。
 その為、同級生は先輩となり、後輩は同級生となってしまい、アーミアは遅れている分の勉強を補うためにも補修を受けた為に、帰りが遅くなってしまっていた。
 左腕に巻いた腕時計に目を落とし、遅くなっちゃったなあ、と一つ零す。早く帰らないと、と足の歩みを少し速めた時、不意にアーミアの脳裏にごく小さな声が響く。
 鼓膜を揺らしてではなく、直接頭の中に語りかけられてくるような不可思議な聞こえ方だったが、まだ幼い子供の声であった事が、アーミアに警戒心を抱かせなかった。

『……の声が…………ますか…………どうか…………』

「え、これ、誰かの声? 脳量子波じゃない。これって一体……」

 脳量子波とは一定以上の知性を有する生命体が発する思惟、思考の波の事だ。脳量子波の扱いに長けた生命体であれば、地球~木星間で送受信を行う事も出来る。
 普通の人類では知覚できない脳量子波をアーミアは感知する事が出来る希少な人間の一人だった。
 ただ分かるのはおおよその声のする方角と声の主がひどく切羽詰まった状況に追い込まれていると言う事だ。
 アーミアはしばらく逡巡し、自分の周囲を一度見回してから意を決して頷き、声(というのは正確ではないが)の届いてきた方向へと走り始める。
 普通に生きている人間だったら自分の耳がおかしくなったのかと疑って、さっさと家に帰ろうとする所だろうが、学校を休学することになったさる事情によって、普通ではない事に対する理解力と受容力の鍛えられたアーミアは、声を幻聴とは考えなかった。
 それに、アーミアは自分が一人ではないと言う事をよく知っていた。昏睡状態から目を覚まして以来、アーミアの周りには視界に映らない所で常に複数の人間が隠れている事を、アーミアは聞かされていたからだ。
 いまも急に走り出したアーミアの行動に慌てつつも、きっと万全の体勢でアーミアの後に着いてきているに違いない。いや、そうである事を、アーミアは彼らの発する脳量子波で把握していた。
 そしてもうひとつ。例えアーミアの周囲に人影一つなくなろうとも、それでもアーミアは決して孤独はならないとある理由があった。その理由は、遠からず語られる故、その時に語る事としよう。
 しばらく路地を走り続けてローファーがアスファルトを叩いた瞬間、アーミアは世界が変わるのを全身で知覚する。
 星と月と電子灯で照らし出されていた夜の街並みが色を変えて、それは白い光を幾万も散らした夜空にまでおよび、世界を構成する複数の因子が醸す雰囲気もまた明らかにその性質を変える。
 さきほどの声に続いて自分の身の回りに起きた異常事態に、流石に胆力の鍛えられたアーミアをして驚きに顔を見張り、思わず足を止める。
 なにが起きているのだろう、と驚きが思考の大半を埋め尽くすアーミアの瞳に、少し先の曲がり角から姿を現した小さな生き物の姿が映る。
細長い胴体と短い手足、長く伸びたふんわりとした尻尾、くりくりとした円らな瞳となかなか愛らしい生き物だ。アーミアはその生き物の姿にイタチやフェレットを連想した。
アーミアが暮らしているこの街は自然公園をあちらこちらに配し、自然を多く残すように整理されているから、野生の動物がそれなりに姿を見せる事もある。
今、目の前に現れた小動物もその類か、あるいは誰かのペットが逃げ出したか捨てられたものが野生化したのだろう。
そのフェレットもどきの首に小さな赤い宝石の着いた紐が巻きつけられている事に気付き、アーミアはきっとペットが逃げ出したのだろう、と考えて肩の力を抜いてフェレットもどきを怖がらせない様に、ゆっくりと歩み寄る。

「君、どうしたの? どこから来たの?」

 フェレットもどきはアーミアの言葉を理解しているかのように足を止めて、近づいてくるアーミアの顔をじっと見つめている。
 頭のいい子だな、とアーミアが思った時、不意にアーミアは気づく。猫や犬などからは感知できない脳量子波が、目の前のフェレットもどきから感じられるのだ。
 それはフェレットもどきが人間並みの知性を有している事を証明している。

「君は普通の動物じゃあ……」

 アーミアの言葉を遮る様にフェレットもどきは俊敏な動作で背後を振り返り、アーミアがそのフェレットもどきの視線を追いかけた時、曲がり角の向こうから夜よりもなお暗い闇色の塊が、フェレットもどきめがけて猛烈な勢いで襲い掛かってきた。
 目の前で小さな命が奪われようとする光景に、アーミアが咄嗟に両手で顔を覆い尽くそうとした時、フェレットもどきの目の前に眩く翡翠色に輝く幾何学模様の光の壁が浮かび上がり、闇色の塊を弾き飛ばして、路地脇の家屋に頭から突っ込ませた。
 フェレットもどきの目の前に浮かび上がった光の壁を、アーミアはまるでファンタジーに出てくる魔法陣みたいだと、そして綺麗だと思った。
 アーミアが驚きに足を止める中、フェレットもどきは、闇の毛玉に向けて毛を逆立たせて威嚇している。
 闇の毛玉生物は家屋に頭から突っ込んだ様で、外壁を破壊して家屋の中に体の半分以上を埋めており、体の一部がどこかに引っかかったようで上手く出られずに、じたばたともがいている。
 かような異常事態を前にしても、諸事情によって普通の少女ではなくなったアーミア・リーは、全く理解の及ばぬ事態の渦中に放り込まれて驚きこそすれ、しかしパニックには陥っていなかった。
 なぜならばずっと続くと思っていた日常が突然崩壊する事態に見舞われるのは、これで二度目だったからだ。
 一年前、有人木星探査船エウロパに擬態したエルス達が地球圏で破壊された際、密かに地球各地へと飛散し、アーミアは地球に散ったエルス達と接触して、エルスに左半身を同化されて意識不明に陥った事がある。
 アーミアの意識が戻ったのは、エルスがある一人の青年との対話によって人類に敵意がない事を示す為に、巨大な黄色い花へと姿を変えた時と時を同じくする。
 エルスに取り込まれた左半身と内臓や筋肉までもが金属化しながらも、アーミアはエルスと体内で共存する形で目を覚ましたのである。
 それ以来、エルスと融合を果たした地球人類となり、またイノベイターと呼ばれる進化した人類としても覚醒したアーミアは、今だ意思疎通計りがたきエルスとの通訳として、またエルスと融合した世界でも数少ない人物として注目と期待を寄せられて、地球連邦政府から第一級の重要人物として認識されている。
 幸いにして穏和な政策を主とする現地球連邦政権の意向もあって、アーミアは監視付きではあるが、エルス襲来以前と同じような生活を送る事が出来ている。
ただ、以前は一女子学生に過ぎなかったが、現在はそれこそ場合によっては小国の国家元首さえ上回る重要人物として扱われてしまっているが。。
 であるからして、アーミアには常に政府の派遣した監視を兼ねる護衛が目に見えぬ所で姿を伏せている。
 その筈だ。
なのにアーミアがこうして危機を前にしても助けが入る気配は一向になく、それどころか先ほどからあの謎の毛玉生物が住宅街で暴れ回っていたと言うのに、住人が誰ひとりとして目を覚ます様子さえない。

「なんなの、これ? 携帯が通じないし、脳量子波も感じられないなんて!」

 恐怖や不安こそ薄いものの、理解の及ばぬ事態に陥っているのは確かで、アーミアの心には焦燥の念が領土を広げている。
 アーミアは自分の左半身を構成しているエルス達に問いかけてみるが、彼らにとっても初めて遭遇する事態の様で、解答不可という答えが返ってくる。
 エルスは全体で一つの意識を共有し、小型のものでは反射的な行動しか取れない為に、より大型で高度な知性を有するエルスに行動を委ねている。
 しかしながら人間と共生したエルスは、人間との共生の影響によるものかある程度の自律的な行動を可能としていた。
 本来であれば成人男性ほどのサイズがエルスにとっては活動できる限界の最小単位なのだが、アーミアと共生しているエルスは、アーミアの体の半分に過ぎない程度にもかかわらず、知性を維持している事からも人類との共生がエルスにも人類にも新たな可能性を示している事例といえるだろう。
 エルス達は発生以来広大になったネットワークの維持に脳量子波を用いており、高い脳量子波を有する進化した人類であるイノベイターと、脳量子波を用いて交信する事が出来る。
 エルスと一つの身体に共生しているのと同時に、イノベイターでもあるアーミアは脳量子波を用いてエルスと瞬時に情報の送受信を行う事が出来た。
 今回に限っては、エルスから望ましい答えを得られぬ結果に終わってしまったが。

≪わからない≫

 脳量子波で伝えられたエルスらの意識を人間の言語にすれば、こんなところだろう。
 圏外の表記が浮かんでいる携帯をブレザーのポケットに戻しながら、アーミアはどこへ逃げるべきか、と視線を巡らせていると、いつのまにかアーミアの足元まで走ってきたフェレットもどきが、驚くべき事に人間の言葉を発し始めたではないか。

「ごめんなさい、貴女を巻きこんでしまって」

 まだまだ子供だと分かる、女の子みたいに高い声だった。このフェレットもどきの言う事を信じるなら、彼がアーミアをこの様な事態に巻きこんだ張本人であるらしい。
 アーミアは咄嗟に、自分のミニスカートの中を覗き放題の位置に居たそのフェレットもどきを持ち上げて、自分の目の前に持ってくる。

「君、言葉が話せるの?」

 確かにこのフェレットもどきから人間と変わらない脳量子波を感じていたが、それでもファンタジー小説や童話よろしく人間の言葉を話すのを目の当たりにすると、なかなか新鮮な驚きがある。
 鼻先がくっつきそうな近さでこちらを見つめてくるアーミアに、多少どぎまぎしながらフェレットもどきは答えた。
照れている様だ。
フェレットもどきのくせに美醜感覚は人間に近いらしい。

「は、はい。すいません、本当ならぼくがあのジュエルシードの暴走体を止めなくちゃいけなかったんですけれど」

「ジュエルシード?」

「はい、いまは詳しい事を話す余裕はないのですけれど、あれはジュエルシードというエネルギー結晶体が暴走したものなんです。ジュエルシードを封印しない限り、あのまま暴れ続けます」

 アーミアが話の続きを催促しようとした時、それまで家屋に体を埋もれさせていた闇色の毛玉生物ならぬジュエルシードの暴走体がようやく脱出に成功し、アーミアに惹かれたかフェレットもどきに惹かれたか、こちらに向きを変えて突進を始めてくる。
 これは逃げるしかない、と思うのと同時にアーミアは駆けだした。
体の半分がエルスと同化したことで、女の子にとって最大の脅威である体重の激増という悲劇に見舞われていたが、イノベイターへと進化したことで細胞が変容して身体能力全般が強化されている事と、エルスのサポートでアーミアは風に押されている様に速く駆ける。

「それで、どうすればあのジュ、ジュエルシードは止める事が出来るの? あ、私はアーミア・リー、アーミアって呼んでね!」

 足を休ませずに風を切って走りながら、アーミアは後ろを振り返ってジュエルシードの暴走体との距離を確認しながら、フェレットもどきにとりあえず自己紹介をした。
 正体不明の化け物に追いかけ回されていると言うのに自己紹介をするなどというのは、エルスとの同化経験を経たせいか、度胸がすっかりと鍛えられたアーミアならではであろう。 
 アーミアに両手で抱きかかえられ、それなりに豊かな膨らみを描いているアーミアの胸に押し付けられているフェレットもどきは、どうやら照れているらしく薄茶色の毛並みに覆われた顔を赤くしながら、アーミアに答えた。
 あったかく柔らかくっていい匂いがする、と思ったのはフェレットもどきだけの秘密の話である。

「ぼくはユーノ・スクライア、スクライアが部族名でユーノが名前です。ユーノと呼んでください」

 アーミアは一瞬このイタチやフェレットに良く似た生き物がたくさん集まって生活をしている場面を想像して、ほんわかとした気持ちになったが和んでいる場合ではない事を思い出して、慌てて首を振って雑念を頭から追い出す。
 夜空を見上げれば確かに満天の星空の中で美しく咲くエルスの宇宙花が見えるのに、アーミアの体内のエルス以外のエルスからの脳量子波を感知する事が出来ずにいる。
 一年前に木星圏に直径3000kmの超大型エルスを中心としたエルス達が出現した際には、地球圏にまで届くほど強力な脳量子波を有しているエルスの脳量子波が届かないとなると、これは尋常ならざる事態だ。
これでは人間どころかエルスからの救援も期待できそうにない、とアーミアは助けが来るのを諦めた。

「じゃあ、ユーノくん。あのジュエルシードの暴走体は生き物なの?」

 アーミアはジュエルシードの暴走体から脳量子波を感じる事は出来なかったが、あまりに生物的な動きをする事から、生物なのかどうか今一つ判断しかねていた。

「ジュエルシードは高純度のエネルギーの塊で、本来の見た目は青い菱形の宝石です。暴走体はジュエルシードが外部からなにかの意思を受けて暴走した場合がほとんどですから、元は小動物だったものがジュエルシードの力を受けてあんな姿になる事が多いんです」

「ということはいま私達を追いかけてきているのも、元は猫とか犬だったりするの?」

「確証はないのですけれど、多分そうだと思います」

 アーミアはもう一度背後を振り返った。アーミアの走る速さと暴走体の走る速さとでは暴走体の方が早かったが、暴走体の巨躯では路地のあちらこちらにひっかかり、ぶつかっている為にちょくちょく減速している為、なんとかアーミアとの距離は詰められずにいる。
 真っ黒い化け物としか見えない姿に闇夜にぼんやりと浮かび上がる赤い瞳。どうみても地球上に存在する生き物には見えない。
エルスとの共生を果たしたアーミアをしても、アレはないと思ってしまう。絶対にアレはまともな生き物ではないし、対話もできないのだと、アーミアは直感的に確信する。まあ、その通りであるし、厳密には生命体ではないのだ。

「あれでじゃれ付いているつもりだったとしても洒落にならないなあ」

 犬猫が飼い主にじゃれつく調子で来ても、あの暴走体の巨体では一撫ででこちらの首がぽっきりと折れてしまうだろう。アーミアはなんでこんな目に遭うかなあ、と走りながら溜息を吐くという器用な真似をする。

「あの、アーミアさん、なんだか随分と落ち着いていますね。もっと混乱するかなとぼくは思っていたんですけど」

「まあ、去年色々あったからね。こういう事に耐性ができたのかな。それに、ユーノくんが居る事もそうだけど、私は一人じゃないから」

 アーミアの言う色々とは、学校帰りに家のドアノブを握ったら急に金属の結晶が生えてきて、それが自分の左手を貫いて同化しようとし、慌てて手を放して尻餅を突いたら、金属の柱まみれになった家の中からひどく旧式の宇宙服を着た男の人が姿を見せて、アーミアの左半身を同化した事。
左半身を金属に変えられてアーミアが気を失っている間に、家が飛行機に変形して飛び立って跡形もなくなったり、意識不明の状態から覚醒したら覚醒したで、自分同様にエルスに取り込まれた人々に呼び掛けてエルスとの共生に導き、アーミア自身も六十億超の地球人類の中でも希少な純粋種のイノベイター兼金属異星体エルスとの共生体になったり、である。
 それだけの経験を積めば、そりゃあ、今までどおりの普通の女子高生ではいられないのも仕方のない事だ。
 とはいえそんなアーミアの事情を知らないユーノは、アーミアの言い分を聞いて不思議そうに首を傾げている。
フェレットに酷似した可愛らしい姿でその様な仕草をするものだから、思わずアーミアは現状を忘れて抱きしめたい衝動に駆られる。

「え? 色々って……」

「なんでもないよ、気にしないで。それでユーノくん、誰かが助けに来てくれそうもないし、なにか手段はあるの?」

「あ、はい。それにはアーミアさんの協力が必要なんです」

 本来関係のないアーミアを巻きこむ事への申し訳なさと、それでも頼らなければならない状況を理解していることから、ユーノはフェレットそっくりの顔に後悔の色をありありと浮かべながら、首元を飾っていた赤い宝石をアーミアに手渡す。

「これは魔法を補助してくれるデバイスという魔法の道具です。アーミアさんにこのデバイス『レイジングハート』を使って、ジュエルシードを封印して欲しいんです」

 左手だけでユーノを抱え直し、右手でレイジングハートを受け取ったアーミアは丸い宝石としか見えない外見と、魔法という単語にまだあどけなさの残る瞳を瞬いた。
 理不尽に等しい事態に唐突に巻き込まれる事には慣れたが、魔法と言う言葉は流石にアーミアの予想の斜め上を行っている。確かに先ほどユーノが掲げた光の壁を、魔法陣みたいだとは思ったけれど。

「ま、まほう? ユーノくんがさっき使ったのも魔法だったの?」

「はい。この世界には魔法が文明に関わっていませんから驚かれるのも仕方ありません。けれど信じて下さい。アーミアさんには魔法を使う才能があります。ぼくの声を聞き、この結界の中に入って来られた事がその証拠です」

 目に見えない境界を超えた時に世界の雰囲気が一変したのは、どうやらユーノの仕業であったらしい。
ユーノの脳量子波から感じ取った偽りのない想いと感情、それに人の気配がない現状から考慮すれば、おそらくは人に被害が及ばない様に配慮したのだろう事は、容易に想像できる。
アーミアは右手の中のレイジングハートを握りしめて、決意を秘めた瞳でユーノを見つめ返す。
 この場をどうにかできるのが自分しかいないのなら、自分がやるしかない。
 実にシンプルな答えが、アーミアの胸の中に在った。
イノベイターへと革新を果たしたからか、異星体エルスとの共生体になったから、それとも単に度胸があるからなのか、その決意を固めたアーミアの可愛らしい顔には恐怖の色はない。

「分かったわ。ユーノくん、私が何とかしてみる。どうすればいいのか、教えてくれる?」

 アーミアは足を止めて背後を振り返り、こちらへと迫りくるジュエルシードの暴走体と対峙する。
やや腰を落とし、決意の色を浮かべるアーミアをユーノはなんて頼りになる人なんだろうと、思わずその横顔の凛々しさと可憐さに見惚れていた。

「まずはレイジングハートを起動します。パスワードを唱えますからぼくに続いてください。我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て」

 なんだか小さい頃に観た魔法少女のアニメみたいな事になってきたなあ、と思いながらもアーミアは決意を固いものにしたまま、ユーノの言葉を復唱してゆく。

「我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て」

「風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を」

「風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を」

 厳粛な宗教的儀式を前にしているかのような荘厳さと共に、ユーノとそれに続くアーミアの詠唱は朗々と紡がれて夜の空に吸い込まれてゆく。

「レイジングハート、セットアップ」

「レイジングハート、セットアップ!」

 同時に掌に小さな太陽が生まれたのかと錯覚するほど眩く輝き始めるレイジングハート。そこから溢れ出る力に、アーミアの中の何かが反応して、ドクン、と力強い脈動を打つ。
 体のどこかが、と言うよりは心や魂と言った眼には見えない何かが覚醒して、産声を上げているような感覚。アーミアはふつふつと体の奥の奥の、ずっと深淵から力が溢れ出て全身を満たすのを感じる。

「ユーノくん、次はどうすればいいの」

「アーミアさんを守る魔法の服をイメージしてください。まずは身を守るバリアジャケットの構築を!

「魔法の服? バリアジャケット!?」

『Stand by、Ready。Set Up』

 女性の声を模した無機質な合成音声がレイジングハートから発せられた時、眩い閃光がアーミアの体を包み込んだ。
 魔法の服、という単語にアーミアは脳裏に昔見た、ジャパニメーションの魔法少女モノを想起した。そのイメージをレイジングハートは実に正確に読み取って、現実に反映する。良くも悪くも正確に。
 一瞬の閃光と共にアーミアの衣服は光の粒となって弾けて、アーミアが覚醒させた魔力機関リンカーコアから放出される魔力を紡ぎ出し、少女の幼さからようやく脱皮を始めた体を守る魔法の服を編み上げる。
 カーディガンやブレザーは、可愛らしい淡い色彩の桜色の生地にふんだんにフリルやレースをあしらって、まるで綿飴みたいにふわふわとしたミニのドレスに変わる。ちょうどアーミアの柳腰の後ろから蝶々結びになったリボンが動物の尻尾のように長々と伸びている。
 華奢な手首にはもこもことしたファーで飾られたリストバンド、すらりと長くしなやかに伸びる美脚はそれまでと雰囲気の異なる黒いストッキングに包まれて、足元は赤いリボンがアクセントの白いブーツ。
 毛先が緩くカールする茶色の髪は赤いリボンでツーサイドアップに結いあげられて、アーミアの少女性をことさらに強調する。
 アーミアの右手に握られていたレイジングハートは、赤い宝石の外見から先端に音叉様の黄金のパーツを備えた白い金属質の杖と変わる。音叉の中心には大きくはなったが赤い宝石のままのレイジングハートが浮かんでいた。
 アーミアは無意識のうちにレイジングハートを新体操の選手がバトンを流麗に操る様に動かしていた。
 レイジングハートがアーミアの脳裏に思い描かれたイメージを精密に読み取り、デザインに反映させたバリアジャケットの完成である。
 我に返ったアーミアが自分の格好の変わり様に気付き、え、と小さく呟いてから凝然と固まる。
まじまじと足先から腕、体を見渡せば正確すぎるほどに、アーミアが小さい頃に見た魔法少女のアニメの主人公そのままの格好だった。
細部のデザインはさすがに違う所もあるが、これで魔法少女でなかったらなんなのかという位に、魔法少女以外の何ものでもない格好だ。
可愛らしいのは認めるし、アーミアの好みにも合わないわけでもない。しかしながら、アーミアとてもう1×歳。華の女子高生である。
魔法少女に憧れて、大きくなったら魔法少女になると夢見ていた年頃とはすでに数年越しのさよならを告げている。

「こ、これはちょっと……」

 膝上二十センチと言った所のスカートの裾を恥ずかしそうにアーミアは空いている左手で抑え、乳液の様に艶のある肌は羞恥の余りに赤く染まっている。一応ストッキングを履いてはいるけれども、流石にこれは……恥ずかしい、それが正直なアーミアの感想だった。
レイジングハートがバリアジャケットを構築するのに合わせて、アーミアの手から離れて地面に降り立っていたユーノは、こちらもまた頬を赤く染めて、アーミアを正面から見つめられずにいた。

「あの、アーミアさん、すごく綺麗です」

「あ、ありがとう。って、ユーノくん、そんな場合じゃないでしょう!?」

「え、ああ、す、すいません。つい見とれてしまって」

 レイジングハートの起動とバリアジャケットの構築によって、暴走体との間に稼いでいた距離は詰められていて、いまにも暴走体は飛びかかってきそうな所にまで迫ってきている。
 暴走体から伸びる先端の鋭い触手が、アーミアの体に触れる寸前、レイジングハートの

『Protection』

 の声と共にアーミアを中心に紫色の半円形の魔力による壁が発生して暴走体の触手を鉄壁の強度で防ぎきる。
 触手との接触面から激しいスパークを散らして、触手は力押しで魔力の壁を突破しようとしてくる。

「アーミアさん、ぼく達の魔法は発動体に組み込んだプログラムと呼ばれる方式です。その方式を発動させるのに必要なのは、術者の精神エネルギー、つまり魔力なんです。そしてあの暴走体は忌まわしい力の元に生み出されてしまった思念体。あれを停止させるにはそのレイジングハートで封印して元の姿に戻さないといけないんです」

 ユーノの話を聞くとどうやらおとぎ話の中に出てくる、たとえばかぼちゃを馬車にしたり、鼠を馬に変えてしまうような魔法とはまた異なるようだ。アーミアは少しばかりがっかりしたが、それを表には出さなかった。

「それで具体的に封印を実行するにはどうすればいいの?」

「攻撃や防御みたいな基本魔法は心に願うだけで発動しますが、より大きな力を必要する魔法の発動には、呪文が必要なんです!」

 攻撃や防御が基本……ユーノの所属していた魔法文明はずいぶんと戦闘的であるらしい。

「呪文? 何を唱えればいいの」

「心を澄まして……心の中にあなたの呪文が浮かぶ筈です」

 バリアと触手とが拮抗している間、アーミアはユーノの言うとおりに心を澄ます為に、ほんの数秒だけ瞼を閉じる。
 暴走体の呻き声やバリアと職種との接触点から激しく奏でられる耳障りな音も、すべてアーミアの五感から排除される。
 レイジングハートの起動と同時にアーミアの全身の細胞に、砂に水を零したように沁み込んでいった力の感覚。それをアーミアはより繊細に感じ取り、レイジングハートへと流してゆく。
 アーミアの体に宿るエルス達も彼らの高い学習能力を活かして、アーミアの感覚をサポートしてくれる。
 アーミアが閉ざしていた瞼を開いた時、そこにはイノベイターの証である金色の色彩が煌めく瞳があった。

「リリカル、マジカル、メタリカル! 封印すべきは忌まわしき器、ジュエルシード!」

 リンカーコアと魔力を学習しつつあるエルスとレイジングハートのサポートによって、アーミアの魔力を媒介に瞬時に組み上げられた魔力の糸が、レイジングハートの音叉様の部分から幾本も伸びて暴走体の体を絡め取る。
 蜘蛛の巣に掛った哀れな蝶、というにはいささか醜悪な外見ではあったが、暴走体はみじろぎこそするものの、魔力糸による拘束からは逃れられない。

『Sealing Mode。Set Up』

 暴走体の額らしき部分にXXIの数字が浮かび上がる。

『Stand by ready』

「リリカル、マジカル、メタリカル。ジュエルシードシリアルXXI封印!!」

 新たにレイジングハートの先端から伸びた魔力糸が光のごとく空間を疾走し、空中に拘束されていた暴走体を槍衾のごとく差し貫く。

『Sealing』

 苦悶に大きく身を捩じらせるが、暴走体はそれ以上自身を維持する事も出来ずに、瞬き一つをする間にユーノの言っていたとおりの菱形の宝石へと姿を変える。

「これがジュエルシードの本当の姿なの?」

 おっかなびっくりジュエルシードを見つめるアーミアが、自分の右肩にまで昇りあがってきたユーノに問いかける。

「はい。とりあえずこれで封印はできています。レイジングハートで触れてください。レイジングハートの中に収納しておけば安全です」

「うん」

 ユーノの指示通りにアーミアがレイジングハートの先端でジュエルシードに触れると、赤い宝石状の部分にジュエルシードが吸い込まれる。

『Receipt。NoXXI』

「ふう、これで終わりかな? けどXXIってことは最低二十個あるってことだよね」

 流石にイノベイターといえ精神的にも肉体的にも疲弊しきったアーミアは、げんなりとした様子である。あとこれを二十回もくりかえすのかと思うと、元気を出すのも難しい。

「はい、ジュエルシードは全部で二十一個がこの付近に散乱しています。それと、ごめんなさい、アーミアさん。それにありがとうございます。このお礼は必ずしますから」

 申し訳なさそうな様子のユーノの健気な態度に、アーミアは小さく笑う。こんな小さな体のユーノが頑張ろうとしているのだから、自分も頑張らないと、とそう思ったのである。

「いいよ、そんなのは。それにしてもあと二十個かあ。学校との両立は結構大変そうだけど、なんとかするしかないよね」

 悪戯っぽくウィンクするアーミアに、ユーノは元気づけられたのか、フェレット顔でも明らかな笑みを浮かべて、明るい雰囲気を浮かべる。

「アーミアさん。本当にありがとうございます」

 一人と一匹が和やかな雰囲気に包まれていた時、それまでアーミアを包み込んでいた違和感が消失する。暴走体の封印が済んだことで、ユーノが結界を解除したのだ。
 アーミアは自分の監視兼護衛を兼ねている連邦政府の人間になんと言い訳しようかと、頭を捻る。すると見知った脳量子波がすぐ傍に居る事に気付き、アーミアは背後を振り返る。
 振り返ってみればそこにはアーミアが連邦政府からの紹介で会った事のある、三つ編みにした薄菫色の髪と赤い瞳に、ミルクの様に白い肌の取り合わせが美しいスーツ姿の女性が、黒服を引き連れてアーミアを驚きと共に見つめている。

「アーミアちゃん! やっと見つかった。だいじょう……ぶ?」

 なぜか呆気に取られた様子で自分を見る美女――ライブ・リンカネートに、アーミアはどうしたのかな? と小動物の様に愛らしく小首を傾げる。が、すぐにその理由に思い至り、咄嗟に自分の体を両腕で抱き締めてライブ達の視線から隠す。
 ジュエルシードの封印が終わってもなお、アーミアの格好はバリアジャケットのままであり、アーミア本人が流石にこれは、と羞恥の念を覚えて魔法少女姿をばっちりと目撃されてしまっている。

「あああ、あの、ここ、これはその」

「い、いいのよ。アーミアちゃん。そうよね、誰だって趣味は人それぞれだものね。ただちょっとお姉さんは驚いただけよ。うん、可愛いわよ」

 むしろ何をしているの? と聞いて欲しかった。ライブの優しさが、却ってアーミアにはつらい。穴があったら入りたいとはまさにこの事だ。
 バリアジャケットから覗いている肌という肌を真っ赤に染めて、アーミアは恥ずかしさのあまりに泣き出しそうになるのを必死に堪えた。

(ああああああ、なななな、なんなのこのしゅ、羞恥プレイ!?)

 ジュエルシード暴走体や魔法との遭遇でさえも決してパニックには陥らなかったアーミアも、人間としての尊厳を失いかけている現在の状況には、流石に冷静ではいられなくなり思考は混沌の海と化す。
 そんなアーミアに、体内のエルス達が元気よく追い打ちをかけた。

≪羞恥プレイ? エルス、憶えた!!≫

(余計な事は憶えなくていいの!!)

 アーミアは全力の脳量子波でエルスに叫んだ。まったくこの金属異星体、順応性が良くも悪くも高すぎである。



[11325] アーミア・リー×リリカルなのは編02
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/21 22:01
その2 これが若さか

 ユーノ・スクライアは、責任感が強く自分が苦境に立たされていても他者を思いやる事を忘れない心根の優しいフェレット(?)である。
 満九歳という地球連邦政府統治下では到底考えられない若年で、遺跡発掘チームの責任者に任じられ、見事にその任を果たすだけの考古学者としての知識と発掘者としての技術、チームを率いる統率力を兼ね備えている事も考えれば、スクライアの一族から今もそして将来にも期待を寄せられる有望株だと言える。
 しかし、温和な気性と年不相応の聡明さを併せ持ったユーノであったが、よもや自分が弧の様な状況に出くわすとは考えが及ばなかったと、本人に問えばそう答えが返ってくるだろう。
 ユーノは今、強化スチール製のデスクの上にちょこんと立って、四方を懐に拳銃を忍ばせた屈強な男達に囲まれて、目の前には薄菫色の髪を三つ網にして垂らし、大粒のルビーを思わせる瞳が印象的な美女と対面していた。
 その美女の隣にはユーノが助力を乞うた地球人アーミア・リーが腰を落としている。なお既にバリアジャケットを解除して、ブレザー姿に戻り、ユーノから借り受けたレイジングハートは赤い宝石の姿に戻り、ハンカチの上に乗せられて机の上に置かれている。
 アーミアとユーノがジュエルシードの暴走体の封印を終えたそのまま、ライブらに連れ込まれた最寄りの地球連邦政府管理下の研究施設の一室である。
 イノベイターであるアーミアの監視と保護を兼ねる特務部隊の拠点兼身体検査を行うための施設であり、MSこそないが歩兵用の重火器や戦車、戦闘ヘリ、軍事用オートマトンなどが配備されている。
 部屋の中でティラノレックスが暴れ狂っても脱出できないと太鼓判の押されている部屋の中で、検疫検査を済ませてからユーノとアーミアは薄菫色の髪の美女ライブ・リンカネートに状況説明を求められていた。
 科学と魔法が高度に融合し、魔法の比率が高い異次元の文明社会に育ったユーノとしては、魔法を持たない文明への干渉が基本的に禁則事項とされている事もあって、地球の政府には事態を察知されない様に気をつけるつもりだった。
 次元世界と次元世界の狭間に存在する次元の海から地球に次元転移を行う際には、地球で被害が出る前に自分の力でなんとかしようと考えていたし、力及ばずジュエルシード封印の為にアーミアに助力を願ったのも、ユーノとしては非常に大きな罪悪感を伴う行為であった。
 しかるに現状を振り返ってみればどうであろうか。
 アーミアが地球連邦政府が非常に重要視している存在であった事を知らなかったとはいえ、アーミアに力を貸してもらった事が巡り巡って、連邦政府の人間に事情聴取を求められて、こうして周りを固められる結果に繋がっている。
 ことここまで至れば、ユーノとしても自分の属する魔法文明やジュエルシードの危険性を隠し通すことを諦める他ない。
 アーミアと遭遇する前に、ユーノとの交戦によって多少力の弱っていたジュエルシード・シリアルNoXXIの暴走体でも、まるでテロでも起きたのかというくらいに市街に被害を及ぼしてしまっている。
 魔法を文明と社会基盤の主軸に置く次元世界の法に抵触してしまうが、こうなれば現地政府と協力してもらってでも、ジュエルシードを早期に回収する事が被害を最小限に納める方法である事は間違いない。
 強すぎるほどに責任感の強いユーノからして見れば、その決断は次元世界の住人としてのタブーに触れる行為であったし、またアーミア以外にの人々に迷惑を掛けてしまう事から決して軽くはない葛藤があった。
 良くも悪くもユーノは九歳という幼い少年でありながら大人でありすぎ、それでいて少年故の潔癖性を併せ持っている為に、その苦悩は他人には推し量りがたいものであるだろう。
 しかしながらイノベイターであるアーミアは脳量子波からユーノの心を押しつぶしそうになっている重圧を感じ取り、自分の目の前で明らかに元気のない様子のユーノに、ひどく同情した。
 なにしろユーノは外見がフェレットかイタチらしき可愛らしい生き物であるし、声変わりをする前の男の子と分かる声に、基本的に丁寧で礼儀正しい態度を取っている。
 そんな可愛らしい生物がはっきりと落ち込んでいると分かる様子で目の前に居て、尚且つイノベイターであるアーミアにはユーノの偽りなく心が伝わるのだから、同情するのも無理のない事である。
 さて、ユーノにとってジュエルシード回収の初っ端から現地住人を巻きこみ、現地政府と関わりを持ってしまった事が想像のはるか斜め上を行ってしまった様に、この場における連邦政府側の人間としては最上位の権限を有するライブとしても、この事態は想定外である。
 唐突にアーミアが視界から消えて市街を必死に捜索した末にようやく発見してみれば、いつものブレザー姿からフリルとレースと白とピンクと少女性の限界に挑んだ様な格好のアーミアに加えて、エルス襲来からわずか一年をして新たな地球外知的生命体との遭遇。
それもエルスと半ば同化し共生体となったイノベイター、アーミア・リーと接触してコミュニケーションを取り、意思疎通を終えた後という状況である。
 ただ幸いだったのは、エルスとの初接触以降の混乱と戦傷がまだ軍には色濃く残っていると言うのに早くも遭遇した二例目の地球外生命体が、コミュニケーション可能でこちらに対して友好的な態度である上に、そもそも組織単位や種族単位での接触ではなく、一個人との接触であるからエルスの時の様に人類存亡の事態にまでは発達しないで済むかもしれないと言う事であった。
 それはコミュニケーション手段の相違から、悪意がないにもかかわらず地球人類を滅亡の淵に立たせてしまったエルスとの接触を経験したばかりの地球側からすれば、まず最初に懸念しなければならない事態を既にクリアしている、と判断してもいいだろう。
 意思疎通が可能であれば相手の目的やこちらの意図を伝えることもできるし、交渉も可能であろう。
相手が一方的な侵略の意図を持っていればともかくとして、ユーノの場合は――まだ結論を下すには情報が少なすぎるが――温和な接触で済みそうだ
 それにしても、とライブは目の前の地球連邦二例目の地球外知的生命体を見る。薄茶色の体毛に覆われた細長い胴体に短い手足。ふんわりと長く伸びた尻尾にくりくりとした翡翠色の瞳、頭頂でだけぴょこんと跳ねている体毛。
 なんともはや可愛らしいと言う他ない外見である。
 ユーノの外見に心が和む物はあるがやはり、どういう因果の巡り合わせで大の男を引き連れてフェレットを囲い込んで尋問しなければならないのか、と思わずにはいられない。
周囲の黒服連中とて、表面上はいつもと変わらない厳めしい表情を取り繕ってはいるが、内心では動物虐待をしている様な気まずさを覚えているだろう。
ライブはつい口から零れそうになる溜息を堪えて、さて、可愛いエトランゼに話を聞かないとね、とライブは気持ちを切り替える。
しかし、とライブは改めてユーノの姿を見て思う。可愛いなあ、と。

「それで、ユーノ・スクライアくん。貴方が地球外からやってきた別次元の生命であるとして、貴方が地球に来た目的はなんなのかしら?」

 アーミアは既にユーノから聞かされてはいたが、暴走体を目の前にした状況で聞いただけであったので、より詳しい話を聞こうとユーノの言葉を待った。

「はい。アーミアさんにもきちんとお話しないといけませんね。ぼくがこの世界に来たのは、この第九十七管理外世界“地球”に散逸したジュエルシードを回収する為です。レイジングハート」

 ユーノの声に答えたレイジングハートが明滅すると、淡い光を放つ菱形の宝石の外見をしたジュエルシードが二つ放出されて、なんの支えも無しに空中に浮かんで留まる。
 虚空から唐突に出現したかのような現象に、ライブや周囲の護衛らがかすかに息を呑む。

「あれ、ユーノくん、ジェルシードをもう一つ持ってたの?」

 昨日封印したジュエルシードは一つだけであったのに、とアーミアが不思議そうに聞けば、ユーノは背後のアーミアを振り返り、円らな瞳で首を傾げているアーミアを見上げて、申し訳なさそうに答える。

「その、伝え忘れていた事には気づいたんですけど、話す暇がなかったものですから。アーミアさんと会う前に、なんとか一つだけ確保できていたんです」

「そっか。別に怒っているわけじゃないから、気にしないで。邪魔しちゃってごめんね。話を続けて」

 はい、と呟いてからユーノは事のあらましをアーミアとライブ達に説明し始めた。
 要約するとこうなる。
 ユーノの生まれ育ったスクライアの一族は代々多くの次元世界を渡り歩いて、失われた文明の遺跡を調査し、時の流れに埋もれた歴史の痕跡を発掘し、保護し、修復して来たいわば一族丸ごとが歴史学者であるらしい。
 余談だが、この話を聞いている時ライブは頬を緩めた。アーミアが先の暴走体との遭遇の最中に想像したように、多くのフェレットがヘルメットを被ってツルハシを振るったりしながら、ちょこちょこと動き回っている姿を想像したのである。
 そんな想像を働かれているとは知らず、ユーノは話を進めて行った。
ジュエルシードはユーノが責任者を務める発掘チームがとある遺失文明の遺跡――現行世界には無い技術で造られた過去の文明の遺産などをロストロギアと呼ぶらしい――で、発見した物で合計二十一個があった。
 発掘に成功したことそれ自体はユーノを含め発掘チームの優秀さを物語るが、問題はその発掘物であるジュエルシードの特性にあった。
 ジュエルシードは生物の意思を受けてその願いを叶えるというロストロギア。それだけで済むのならば、これはまさにおとぎ話の中に出てくる魔法の道具そのものにほかならない。
だが問題はジュエルシードが願いを叶える時、内包する莫大な魔力を持って歪んだ形で願いを叶えてしまう点にあった。
 それはいわば悪魔の契約に近いものであり、たとえば体が大きくなりたいと願えば、願い以上に体を巨大化させてしまい、十代や二十代の頃に若返りたいと願えば若返り過ぎて赤ん坊や胎児の段階にまで若返ってしまう、といったものだ。
 願いを叶えるという特性を持ちながら決して正確には願いを叶えないのは、あるいはジュエルシードそれ自体が不完全であるのか、使用するのに特定の手順ないしは施設が必要なのではないか、という説をはじめ次元世界の学士らの間で論議されているが正解とされる結論にはいまだ至っていない。
 ただ次元世界の歴史を紐解いて過去のジュエルシードの使用例を見れば、一つ残らず願望者の願いを望む形で叶えた事例が存在せず、また一個人が扱うには莫大過ぎる魔力から次元世界規模での災害に繋がるケースも記録されている。
 発掘チームどころかスクライア一族で保管するにしても手に負えないと判断したユーノは、発掘したジュエルシードに封印処置を施した上で、数多の次元世界の秩序を守り平和の防人たる“時空管理局.”に委ねることを決めた。
 時空管理局とはユーノの説明を聞く限りにおいてはいくつもの次元に跨る規模での、警察機構の様なものであるらしい。
 かつて既知次元世界ほぼ全域を巻き込んだ大戦争の終結後、混乱期を収めるのに大きな働きを示し、秩序と平和を多くの次元世界に齎した大組織で、現在では次元犯罪者の取り締まりや核次元世界間での秩序維持に奔走し、また取り扱いの極めて難しい危険なロストロギアの多くを保管して次元災害を未然に防ぐ事に尽力し、多くの次元世界で支持を得ている組織との事だ。
 封印したジュエルシードを輸送船に積み込み、時空管理局の迎えの船との合流地点を目指すまでは何の問題もなかったのだが、如何なる不運の巡り合わせによるものか次元の海を航行中に輸送船にトラブルが生じて、厳重に保管していた筈のジュエルシードがこの地球にばらまかれてしまったと言うのだ。

「幸い輸送船の乗組員の方々はみんな無事に脱出できました。それでぼくはジュエルシードを追ってこの地球に来たんです。封印処置を施していたので発動前のジュエルシードを回収するだけなら、時間はかかりますけどぼく一人で出来る事でしたし。でも実際にこの地球に来てみると、万が一と思っていた事が現実のものになっていたんです」

 ユーノの危惧した万が一の可能性とは、次元転移の影響によるものかジュエルシードの封印が弱まり、内部の魔力が励起された思念体やつい先ほどアーミアが遭遇した暴走体が出現する事や、ジュエルシードが誰かの願いを歪めて叶えてしまい、大規模な災害を齎してしまう事である。

「ジュエルシードがその力をもっとも強く発現させるのは、生命体の願いを受けてそれを叶えようとする時です。特に人間の様に知性の高い生命体であるほどジュエルシードが暴走させる魔力は大きくなります」

 そこまでユーノの説明を黙って聞いていたライブは手元に置いていた資料に視線を落とす。棒状の情報端末から虚空に投影された画像には暴走体によって破壊された街並みが映し出されている。
大規模な無差別テロやMSを使った破壊活動ほどではないにせよ、一生命体が行った破壊活動として考えれば、地球上のあらゆる生き物であっても不可能な破壊だ。
ましてや魔法によるものとなれば地球の歴史を辿ってみても、対処のマニュアルなどまるで存在していない対象となる。
地球連邦だけで対処するのは極めて困難という他ない厳しい現実が、ライブの白皙の美貌にかすかに暗い影を落とす。
地球側はジュエルシードを対処するためには、なんとしてもユーノと魔法の素質があるというアーミアの協力を得なければならないわけだ。
 ライブが難しい表情を造る一方で、アーミアはちょんちょんと小さなユーノの肩を右の人差し指で突いて、気になっていた事を聞いた。

「ねえ、ユーノ君。その時空管理局の人達にジュエルシードの回収をお願いできないのかな? 地球で起きている事件だけど、こういう事を専門にしている人たちなんでしょう。だったら専門家に任せた方がいいと思うんだけど」

 既に地球連邦政府にジュエルシードや魔法の存在が発覚した状態で時空管理局が来れば、地球全土規模での高度な政治的な判断を要する事態に発展しかねないが、アーミアは敢えてジュエルシードの回収のみを考えてユーノに尋ねた。

「一応、この世界に転移する前に輸送船の事故の事は連絡しておきましたが、時空管理局がこの世界に人員を派遣するまでにはどうしても時間が掛ってしまうと思います。
時空管理局はその機構があまりに巨大すぎて、初動に至るまでにどうしても時間が掛ってしまうんです。ましてやここは時空管理局の管轄外にある世界ですから。
おそらく既にこの次元世界に派遣する人員の選定は行われているとは思うのですが、実際にこちらに来るまでどれだけ時間がかかるのか、正確な所はぼくにも分かりません。それが明日なのか数週間先か一ヶ月先の事なのか」

いかにも心苦しそうにユーノは答える。ユーノの小さな胸の中にはジュエルシードを発掘した者としての責任感から、自分を苛む罪悪感が渦巻いているのだろう。
輸送船の事故とジュエルシードの散逸は防げなかったとしても、その封印さえ解けていなければ、例え時間はかかるにせよユーノ一人でもジュエルシードを回収する事に問題はなかったのだが、封印が解けてしまっている以上事は急を要する。
封印さえ解けていなかったらアーミアが魔法少女になってその姿をライブに目撃されて心に傷を負う事もなく、時空管理局の存在が地球連邦に知られる事もなかっただろうし、ジュエルシードの回収も時間がかかるお使い程度で済んだだろうに。
ユーノの言葉に、ライブとアーミアは話を聞く限りにおいてではあるが時空管理局の動きが遅いと言うのも、仕方のない事ではあると思っていた。
ようやく地球圏統一が夢物語ではなくなった地球でも軍や警察が初動の遅さを責め立てられる例には事欠かないのだ。数多の次元世界に枝葉を伸ばす時空管理局ともなれば何をかいわんや。
ましてやユーノの来訪までは魔法の存在はおとぎ話や映画、小説と架空の世界の話であった管理外の地球なのだ。時空管理局にとって交流のない管理外世界の優先順位は限りなく低いものだろうし、組織の体質というものを考えればそれも無理のない事という他ない。
ただこの時点でユーノとアーミアら地球人類側との認識には非常に大きな相違が存在していた。
ユーノにとっては当たり前すぎて説明をしなかったのだが、“次元世界”。この単語が曲者であった。
ユーノのような魔法と次元世界の存在がごく当たり前な世界で育った者にとって、次元世界とは人類が魔法文明を築いた惑星やその周囲の衛星を含む程度で、おおむね単一の惑星か大きくても星系を示すに留まる。
しかして別次元に知的生命体が存在するという事実を、具体的な証拠と共に初めて知らされた形になったアーミア達からすれば、次元世界と言われるとそれは宇宙全域を含めて次元世界というのだろうと解釈していたのである。
つまり四百六十五億光年とも四千二百万光年とも言われ、今現在も超光速で膨張し続けている宇宙全体をさして一つの次元世界と数えるのだと勘違いしたのだ。
銀河一つをとっても恒星を二千億から三千億からの集まりであると言うのに、その銀河すら超えて宇宙を、しかもそれをいくつも管理していると言う時空管理局の事を、アーミアとライブは想像を絶する空前絶後の超弩級巨大組織と思っていたのである。
時空管理局の活動規模を考慮すれば地球連邦をゆうに上回る巨大組織であるのは確かなのだが、この時点に置いてアーミア達はささやかなすれ違いから時空管理局を十倍や百倍どころではすまないほど過大に評価していた。
地球一つをとっても六十億からの人間がひしめいていると言うのに複数の宇宙に股を掛ける時空管理局には一体何兆人、いや京人、いやいやそれ以上の単位の知的生命体(この時点ではまだアーミア達は、次元世界の住人をユーノの様なフェレットに酷似した外見なのだろうと勘違いしていた)が所属しているに違いない、といった具合にである。
互いの認識の差異についてはともかくとして、魔法およびロストロギアの扱いに関して専門的知識と技術を兼ね備えた時空管理局の到着が遅れる以上は、ユーノとアーミアの協力を仰ぎながらこれから起こるだろう事態に対処するしかない。
しかしよもや未曽有の事態に遭遇し、なおかつ現状ではその事態の解決に不可欠な人物が、地球上でも数えるほどしかいないエルスとの共生体であるアーミア・リーであった事は、はたして幸か不幸なことだったか。
ユーノを介してではあるが未知の巨大勢力との遭遇。それがせめてエルスとの不幸な接触によって負った地球人類の傷が癒えてからであったなら、というのは虫のいい考えだろう。

「私とユーノ君が二つ回収して残りのジュエルシードは十九個。ユーノ君、残りのジュエルシードが落下した場所は分かるの?」

「正確な位置までは分からないんです。でもこの街の近くにジュエルシードは全て散乱している筈です。ジュエルシードが発動すればその時の魔力ですぐに分かります。
ぼくに出来るのは位置の把握と人的被害を出さない為の結界の展開です。いまは魔力が枯渇してしまってぼくでは封印までは行えないから、ジュエルシードの封印にはどうしてもアーミアさんの協力が必要になります」

「となるとアーミアちゃんは今の段階ではどうしてもジュエルシードの探索と封印に関わらざるを得ないというわけね」

「本当にすみません。ぼくがジュエルシードを発掘したばかりに地球の皆さんとアーミアさんをこんな事に巻きこんでしまって」

 頭の上でぴょこんと跳ねている毛もしょんぼりと項垂れるユーノに、アーミアはそんな事はないよとその背中を優しく撫でて慰める。

「ユーノ君、ジュエルシードを見つけたのがユーノ君である事は変わらないけれど、だからって地球にジュエルシードが落ちてきた事はユーノ君の所為じゃないだろうし、輸送船でたまたま事故が起きちゃったからだし、それはユーノ君の責任じゃないでしょう」

「それは、でもぼくはやっぱり発掘の責任者ですから」

 どうにもこのフェレットは責任を自分で抱え込んでしまう悪癖を持っているようだ。子供と思しい声音の時分からこれでは、大人になった時には胃潰瘍が持病になっていてもおかしくはないだろう。
 多少無粋な気はしたが、地球連邦政府の人間として連邦加盟国の市民の安全を第一に考えなければならない立場のライブは、ユーノへの質問を重ねる。

「それでユーノ君。アーミアちゃん以外に魔力を持っていて魔法を扱える人間は居ないのかしら? できれば軍の人間の中出に居ると理想的なんだけれど……。民間人であるアーミアちゃんを危険にさらす真似は避けたいのよ」

「それは暴走体と戦っている時にこの街の人たちに念話で呼びかけたので、念話が聞こえた人なら魔力の素養はあります。魔法を使うにはリンカーコアという魔力を生み出し、大気中の魔力を取り込んで扱えるようにする魔法的な臓器というか器官が必要なのですが、地球の方達はほとんどこのリンカーコアを持っていないんです。ですから魔法を扱える人は極稀でしょう。ただアーミアさんは素晴らしい才能を持っています。魔法世界でも珍しいといっていい位に」

「そう、とりあえず軍の人間の方で誰かユーノ君の声を聞いたものが居るかどうか確認してみないといけないわね。残念ながら私はユーノ君の声が聞こえなかったわ。それにしても、こんな言い方は不謹慎かもしれないけれどアーミアちゃんは本当に多才ねえ」

 イノベイターであり、エルスとの共生体であり、そして止めに魔法少女ときた。この三つを兼ね備えるのは現状、地球では、いやおそらくは他の次元世界をひっくるめてもアーミア・リーただ一人だけだろう。
 アーミアは喜んでいいやら謙遜すればいいのか分からず、とりえあず誤魔化し笑いを浮かべながら空いている左手で頭を掻いた。

「ともかく魔法を扱える人材の発見は難しそうね。となるとユーノ君にはなるべく早く魔力を回復してもらって、アーミアちゃんを助けてもらわないといけないか。ね、ユーノ君、君のその魔力が回復するのは何時頃になりそうかしら?」

 ユーノは器用に前肢を組んで悩む素振りを見せてから、ライブに答えた。

「このまま回復に専念すれば一週間遅くても十日くらいでなんとか回復できると思います。ぼくはこの世界とはあまり肌が馴染まないみたいで、この姿でいる事が一番速く魔力を回復させる方法なんです」

 この姿、というユーノの言い方にアーミアとライブがあら? と首を傾げてユーノに視線を集中させて、アーミアが抱いた疑問を口にする。

「あれ、ユーノ君は魔法の使えるフェレットじゃなかったの?」

「え?」

「え?」

 お互いに小首を傾げてアーミアとユーノは視線を交わし合うが、暫くするとああ、とユーノが何かに気付いたらしい。

「すみません。この事もお話しするのを忘れていました。ぼくのこの姿は魔力を回復させる為に変身したものなんです。本来のぼくは地球の人達と同じ姿をしています」

「動物に変身……。ますます魔法らしいけど、じゃあ本当にユーノ君はまだ子供なんだ。九歳なんだよね? それなのに発掘チームの責任者を任されたり一人でジュエルシードを回収しようとするなんて。なんていうか、地球じゃ考えられないよ」

「確かにぼくはまだ子供ではありますけど、スクライアは部族全体で一つの家族みたいなものですから、小さな子供でもなにかしらの仕事を任されますし、多くの次元世界では九歳にもなれば就労している事はたしかに少し珍しいですね。でも時空管理局にも全体の比率でみれば少ないですけれどぼくと同い年か少し下の子供も所属していますよ」

 たった九歳の子供になんて事をさせるのだろうかと憤りを覚えたアーミアだったが、想像の上を行くユーノの発言に、膨らませていた頬を萎ませて、ええっと思わず言いそうになるのを堪えてぐっと喉の奥に飲み込む。
 まさかユーノ位の年齢でまともに就労し、社会の一員になるのが次元世界では常識であると言われるとは思わなかったのである。
 たった九歳の子供で成人扱いをされるだけの能力と倫理観を得る高度な教育システムが実地されているのか、あるいはイノベイターと旧人類の様に、地球人類と次元世界の人々とでは外見は同じに見えても細胞レベルでは異なる生命体であるのかもしれない。

「そうなんだ。地球じゃ九歳でユーノ君みたいに働いている子なんていないよ。そっかあ、でもユーノ君はずいぶん大人びていると思ったけどそういう理由があったんだね。ユーノ君は凄いんだね」

「え、あ、そのそんな事はないです。ぼくは攻撃魔法をほとんど使えませんし。少しはまともに使える魔法といっても防御魔法や結界魔法くらいですから、戦闘の役には余り立てないでしょうし」

「もう。少しは自分に自信を持たないとだめだぞ、男の子」

 アーミアはちょん、とユーノの黒い鼻先を突いた。ユーノは年上の女性にそんな風に扱われた経験がなかったのか、しきりに照れた様子で顔を俯かせて尻尾をくねくねと動かしている。

「はいはい。二人で和むのはそこまでにしてくれる? とりあえず上にはこの事を伝えて指示を仰ぐ事にします。ジュエルシードがユーノ君の言う通りの危険物であるのなら、軍を動員してでも捜索する必要がある事はきちんと進言しておきます。
それと悪いけどユーノ君はこの施設に留まってもらいます。といってもちゃんとお客さん扱いするから、独房になんか入れないわ。安心して。それとアーミアちゃんも今日はもう遅いからここに泊って行きなさい。ご両親への連絡は私達の方からしておきます」

「分かりました。そうだ、ユーノ君とおなじ部屋にしてもらえませんか? 魔法の事をもっと聞いておきたいんです」

 はやく魔法を習得してジュエルシードの封印をスムーズに行えるようにならなければ、と思う一方で、できればバリアジャケットのデザインを変えたい、とアーミアは切実に考えていた。
アーミアが公私混同した想いを抱く中、ユーノはというと、ええ!? と驚いた様子であるがライブはアーミアに早く魔法を覚えて貰った方が、結局はアーミアの安全にも繋がるだろうと考えて、アーミアの申し出に首を縦に振った。
部屋に監視カメラを忍ばせる事は止めたが、情報収集型イノベイドであるという自覚のあるライブならば、もしユーノがなにかアーミアに悪事を働いたとしても、脳量子波からすぐに異変を察知できる。
 アーミアに用意された士官用の個室のベッドの脇に置かれているデスクの上に、今夜のユーノの寝床であるバスケットが用意された。
 二人きりの部屋ではあるがアーミアの重要性から部屋の入口は屈強な黒服二名が固めているし、この部屋のある区画は銃火器を携えた連邦軍兵が固めるという物々しさである。
 ユーノの寝床は新品のタオルをバスケットの底に敷いた間に合わせの品であるが、フェレットの姿になると習慣や諸感覚がフェレット寄りになるらしく、ユーノ自身には特に気にした様子はない。
 とはいえ寝床に文句はないようなのだが、アーミアと同衾する事に関してはひどく緊張しているらしく、バスケットの中でしきりに体を動かしながら、アーミアに魔法の事やジュエルシードについての簡単な講義をする事になった。
 その最中、アーミアは自分ばかりがユーノの事を尋ねるのを悪く思い、自分の運命を一変させた一年前の出来事について話すことを決めた。
ジュエルシードの探索と封印は命がけのものになるだろうという予感があり、それを乗り越える為にはユーノとより深い信頼関係を築く事が大切なのだと、アーミアは直感で理解していた。
 ライブが用意してくれたパジャマに着替えて、ベッドに上半身を起こした姿勢で、アーミアはバスケットの中のユーノに静かに語り始める。

「ねえ、ユーノ君。どうして私がこんなに連邦の人から重要視されているか、ずっと気になっていたんじゃないかな?」

 ユーノはやや躊躇う素振りを見せたが、自分をまっすぐに見つめてくるアーミアの瞳には逆らえず、正直な気持ちを告げる事にした。そうすることが一番の正解だろうと思ったからだ。

「それは……はい。アーミアさんが連邦政府の要人の血縁なのかなとも思ったんですけど、アーミアさんの様子からは違う様に感じられました。でも、ぼくは無理に聞こうとは思っていませんから。アーミアさんにはジュエルシードの封印だけでもとてもご迷惑をおかけしていますし、これ以上負担になる様な事は」

「だから、私に気を遣いすぎだよ、ユーノ君はさ。正直に言えばどうして私が、ていう気持ちはあったよ。でもそれも最初だけ。ユーノ君の助けを求める声が聞こえてきた時に、私、こうピーンと来たんだ。ああ、なにか私の運命を変える何かがこの先にあるんだなあって」

 悪戯っぽく額に人差し指を突きつけて、ピーンと来た、と表現するアーミアにユーノは不思議そうな視線を向ける。
 それまで実在するとは思われていなかった魔法を目の前にし、ジュエルシードという外部から持ち込まれた災いに関わらなければならないという、理不尽な目に遭っていると言うのに、アーミアは底抜けに明るいばかりかユーノの心を気遣う余裕さえもある。

「ユーノ君、一年前にね、この世界がエルスっていう違う星で生まれた命と出会ったっていう話は、ライブさんから聞かされたでしょう?」

「はい。意思疎通を図る事が出来なくて、とても大きな被害が出てしまったけれど、今は何とか戦いを終わらせる事が出来て、エルスはあの宇宙に浮かんでいる花になったって言っていましたよね」

 ユーノは窓の向こうで煌々と輝く月と、月光を浴びて神秘的な輝きに包まれている黄色い宇宙花を見つめる。
流浪のスクライア一族の民であるユーノは、これまで多くの次元世界を渡り歩き、独自の生態系や地形、自然現象を体験してきたが、宇宙に数千キロメートル規模の花が、しかもそれが金属生命体が姿を変えたモノが浮かんでいるのは初めて目にする光景である。
 ユーノの目を通しても綺麗だな、と素直に感嘆できる花が、宇宙空間の環境下でも平気で活動でき、自在に姿を変える金属生命体であるとは、言葉で言われても容易には信じ難い。

「私はね、一年前に地球に飛来したエルスの一部と接触して、体を同化された人間なの。だからいきなり信じられないような事が起きるのにも、なんていうか耐性が出来てるんだ」

「……え、同化? で、でもアーミアさんはその、えっとどういう事なんですか」

 慌てふためくフェレットの姿が面白くて、ついアーミアは唇が笑みの形に変わるのを抑えきれなかった。そのまま鈴を転がす様にくすくすと笑いながら、アーミアはユーノへ同化されたと言う言葉の意味を教える為に左手を動かす。
 アーミアが左手をユーノに向けて差し伸ばすと、染み一つなかったアーミアの肌が見る間に銀色に変色して行き、それがアーミアの顔のほぼ左半分にまで及ぶのを見て、ユーノは絶句して呆然とバスケットの中で立ち尽くす。
 そしてアーミアは語る。
エルス達の住んでいた星の恒星が白色矮星となり、エルス達のエネルギー源だった太陽の光が失われてしまい、死の恐怖を感じたエルス達は新天地を求めて外宇宙へと飛び立ち、その先遣隊の一つが一年前に地球に訪れた事。

「全体で一つの意識を共有するエルス達は巨大化しすぎたネットワークを脳量子波で繋いでいるの。木星にあったワームホールから太陽系にやってきたエルス達は、脳量子波を発している知性体の存在に気付いて、接触を試みた。う~ん、そうだね。『私達は母星が住めなくなってしまったので、新しく住む場所を探しているんですけど、皆さんと一緒にここに住んでもいいですか?』って聞きに来たってところかな」

「その知性体が地球の人達だったんですね」

 次元世界の住人達は歴史を遡れば同じコミュニティーなどに属していた人類型の生命体である為、多くの住人は基本的に人間である。
 ただたとえばスクライア一族特有のフェレットへの変身魔法など民族単位での独自性を有している場合もあり、また外見的にも純粋な人間とは異なる者達も居るし、明らかに人間とは異なる姿をした生命体も当然ながら存在している。
 その様な具合で次元世界は多種多民族が混成し、独自の文化と文明を築き上げているから、様々な価値観がある事をごく当たり前に受け入れる素地が出来上がっている(無論、例外はある)。
 そんな次元世界の住人のユーノだから、地球人類が異星生命体であるエルスと接触したという二年前の地球人類だったら誰もが鼻で笑うような荒唐無稽な話も、特に疑う事もなく受けれいている。
 良く出来た生徒を前にした女教師の笑みを浮かべて、アーミアはユーノの答えを首肯する。

「その通り。ちゃんと話を聞いてたみたいだね。えらいえらい。それで地球に降りたエルス達は地球人の中でも、特に脳量子波を強く発しているイノベイターの因子を持つ人たちと接触しようとしたの。この人達なら自分達の話を聞いてくれるだろうってね。その中の一人が私。
それでイノベイターって言うのはね、私達の地球で考えられている次の段階に進んだ人類の事だよ。脳量子波の扱いが上手で、寿命も普通の人の倍くらいあって、色々な能力が強化されているの」

「あの、でも脳量子波でコミュニケーションが取れるのなら、どうしてアーミアさんは、その、体の左半分を同化されてしまったんですか?」

「いい質問だよ、ワトソン君」

「?」

 現役女子高生であるアーミアが何百年も前の名探偵とその助手の事を良くも知っていたものだが、異次元世界出身のユーノに通じる筈もない。

「って分からないか。話を戻すとね、エルスにとってのコミュニケーション手段は相手を同化して融合する事だったの。それにエルス達の放つ脳量子波は情報量がとても多かったから、地球の人間にはとても受け止められるものではなかった。だから地球の人達はエルスが地球に来たら何もかも同化されてしまって、滅ぼされてしまうと考えてしまったわ」

「でもアーミアさんがこうしてぼくと話せているんですから、エルスとは意思疎通する事が出来たんですよね?」

「うん。エルス達は戦いの中で人類を理解し、共に生きる事を選んでくれた。だから私もこうしてエルスと共生する形で生きていられる。地球中を見回しても私みたいにエルスと同化している人は凄く少ないから、連邦の人達も凄く私の事を大事にしてくれているんだよ」

 次元世界側の住人への重要な情報の漏えいとも考えられるアーミアの告白であったが、ライブからの脳量子波による制止が掛けられない事から、アーミアの話した内容に関してはまだ許容範囲であるということだろう。
 地球に対して第九十七管理外世界と番号が振られている事から分かる様に、次元世界ひいては時空管理局側は地球の存在を把握しているのだ。
現地滞在派遣員か情報提供者くらいは設けているだろうから、ここ数年の地球圏の動乱の情勢くらいは時空管理局側が把握していてもおかしくはないし、ある程度は調査の手も政府機関にまで入り込んでいると見てしかるべきであろう。
もっとも魔法技術も次元航行技術も有さない地球での事など、さしたる価値も見出されてはいないかもしれない。

「いまもエルス達は私と共にこの体の中で生きているの。それに私はイノベイターとしても覚醒したから、色々な意味で貴重ってわけ。どうかな、これで納得できた?」

「えっと、いろんな事を一度に聞かされて、少し混乱していますけど、なんとか」

「自分の事を客観的に見れるっていうのはいい事だよ」

 うんうん、と頷くアーミアにユーノはおそるおそる問いかけた。どうして目の前の女性はこうも明るく振る舞う事が出来るのだろう。

「あの、アーミアさんはどうしてぼくにそんな大切な話をしてくれたんですか? そんなに軽々と話して言い事とは思えないですけれど」

「何言っているの。ユーノ君はこれから私と一緒にジュエルシードを探して封印する大切なパートナーなんでしょう。だったらお互いの事を良く知っておかないとね。ユーノ君一人だけに無理をさせないから、ユーノ君も私にいろいろと教えてね。期待しているんだよ、ユーノ先生」

 先生、とユーノを呼んだのは魔法の先生であるからだろう。ユーノはきょとんとした顔をしていたが、ほどなくしてアーミアの言葉が心に沁み込んでくると、嬉しそうに何度も首を縦に振った。
 ジュエルシードの輸送事故から今日に至るまでずっと自分が発掘者だからと、ジュエルシードの封印の責任を自分の肩に負ってきたが、それを目の前の少女は共に背負ってくれると言う。
 自分の所為でジュエルシードの封印という危険な事に巻きこんでしまったと言うのに。ユーノは鼻の奥がツンとして、目がしらが熱くなるのを堪え切れそうもなかった。

「ね、ユーノ君、今度はユーノ君の一族の話とか聞かせてよ。次元世界ってどんな所なの。話しても大丈夫な範囲で言いから聞かせて欲しいな?」

 敢えてユーノが涙を堪えている事は聞く事はなく微笑みかけてくるアーミアに、ユーノは元気良く頷き返した。


 ライブの意見はその緊急性と具体的な証拠の提出などもあって、連邦政府に迅速な決断を促すに至った。
 その証拠にユーノの証言に基づいて地球圏にジュエルシードが飛来した際に、アーミアが住む都市で観測された自然にはあり得ない二十一の流星が、この都市の近辺に飛来したジュエルシードであると推測された。
 魔法による封印が施されていないジュエルシードに触れる事は極めて危険と判断された事もあり、発見までは軍の人員を動員して行われるものの、封印作業は必ずアーミアが行う事に決まった。
 具体的には、直接触れなければ大丈夫、というユーノの助言もあって爆弾処理の応領でロボットアームや作業用オートマトンを用いてジュエルシードを確保して軍施設に隔離し、しかる後にアーミアが封印という流れになる。
 既にアーミアとユーノが確保していたジュエルシードの封印を一時的に解除し、アーミア抜きでも確保できるかどうか実験を行って安全性を確かめた為、多少時間はかかったがアーミアとユーノが同衾した翌日から、市街には水道業者などに偽装した連邦兵らが慌ただしく働く姿が見られた。
 おとぎ話の世界から飛び出て来た魔法、ジュエルシードの願いを叶えると言う特性とそれが齎す災害、更に複数のジュエルシードの同時励起が及ぼす次元世界単位での被害を考慮して、一般市民らには情報統制が敷かれている。
 エルス襲来という人類存亡の事態を経験して一年。
再び地球外からやってきた災害を前にした時、市民が冷静に事態を受け止められるかどうか危惧された事もあったし、またジュエルシードの及ぼす被害が最大規模ともなれば地球上のどこに避難しようとも避けえないとなれば、事態の推移を包み隠さず市民に伝える事はかえって悪影響を及ぼすものと推察された為でもある。
ただ連邦上層部が正確に事態を把握するよりも早く現場の方が半ば独断に近い形で動き出した、と見る向きもあるかもしれないが。
 ライブをはじめ現場サイドの人間が迅速に決断したのは、ユーノが単体でのジュエルシードの暴走であれば、察知と同時に隔離結界を展開して人的被害を防ぎうると保証した事やライブがヴェーダから早急に対処するよう指示を受けた事、またイノベイターとしての直感からアーミアが積極的に動こうとしていた事も大きいだろう。
 魔力保持者同士で音声を介さずに会話可能な念話で、ユーノとアーミアが離れていても連絡が取れると言う事もあって、アーミアは普段通りの生活を送る一方で、ユーノは軍関係者らと共に行動している。
 ユーノはおおまかに探知したジュエルシードの位置情報と、連邦がヴェーダや住民からの目撃証言などから得た情報を整合して、より正確なジュエルシードの位置を割り出す作業と合間を見つけてアーミアに魔法の講義を行う事を並行していた。
 流石に現地政府の綿密な協力とユーノに精神的な余裕が戻った事もあって、ジュエルシードの探索は順調に進んだと言っていい結果を早々に出すことに成功する。
 アーミアとユーノが確保した二つに続き、更に翌日中に一つを回収・封印することに成功したのである。
予想した被害が出るよりも早く回収できたことは幸先の良さを全員に感じさせたが、やはりというべきなのか、何事にも予想し得なかった事態というものは折悪しくも起きるものであった。
 四つ目のジュエルシードは野生の動物か何かに触れたのか、暴走という形でアーミア達にその存在を知らしめる形になったのである。
 学校帰りに友人らとお気に入りの喫茶店でカロリー摂取に励んでいたアーミアは、お喋りを若干無理矢理に切りあげて、急ぎジュエルシード発動の現場へと駆けつけた。
 アーミアの近くで待機していたライブのバイクに跨り、ユーノが既に結界を展開して隔離していた区画に足を踏み入れるのと同時に、アーミアは若干の羞恥心を感じながら例の魔法少女です、と自己主張の激しいバリアジャケットを纏い、手には魔法使いの杖たるレイジングハートを取り、結界内部のユーノと合流した。
 それが今から五分前の事である。
 暴走したジュエルシードは元は鼠か何かの小動物だったようで、今は乗用車ほどの大きさに肥大化して、鮫の歯の様に二重に並んだ牙をがちがちと打ち鳴らし、三つに増えた真紅の瞳でユーノと並ぶアーミアを凶光と共に睨み据えている。
 巨体でありながらその移動速度や俊敏性は鼠であった時のはるか数倍にまで高められ、瞬発的な速度では時速四、五百キロメートルにも達しているだろう。
 物体の高速移動に伴う空気の対流にジュエルシードの暴走体が放つ魔力が加わり、鼠の暴走体が動きまわる度にアスファルトが砕け、ビルの壁に亀裂が走るのだ。
 アーミア一人では苦戦を免れなかったであろう出会うのが早すぎた強敵であったが、多少なりとも魔力の回復したユーノが共にいたことで、暴走体との戦いは割と呆気なく決着を見ることになった。
ユーノがバインドと呼ばれる高速魔法で暴走体の動きを牽制・拘束しつつ、ディバインシューターという誘導型魔力弾を習得したアーミアが、レイジングハートとエルスの演算能力の補助を受け、アーミアの魔力光である紫色の光を発しながらアーミアの魔力は球形に形を変えてディバインスフィアという発射台を構築する。

「リリカル、マジカル、メタリカル 福音たる輝き、この手に来たれ。導きのもと、鳴り響け。ディバインシューター、シューット!!」

バリアジャケットを纏うアーミアを魔力光が照らしだし、神秘的な雰囲気を増す中で、アーミアの号令一下、ディバインスフィアから連続して発射されたディバインシューターをほんの百五十四発ほど全方位から暴走体に一発残らずぶち込んで弱らせて、

「リリカル、マジカル、メタリカル! ジュエルシード、封印!!」

 シーリングモードに形を変えたレイジングハートで先日行った様にジュエルシードを封印したのである。例え魔法の素養に恵まれた人間であっても、アーミアの特異な事情が彼女に魔導師の常識を凌駕する実力を与える結果に繋がったのだ。
かつて純粋種のイノベイターとして覚醒したデカルト・シャーマンという男が、ファングという遠隔操作式の無線兵器を脳量子波を介して同時に百五十四機操って見せたが、エルスと同化しレイジングハートの補助を受けるアーミアならばそれ以上の数のシューターを操る事も出来たろう。
元の姿に戻った鼠が蜘蛛の巣状の罅が盛大に走っているアスファルトの上で気絶し、その上にふわりと浮かんでいるジュエルシードを、ユーノに教わった通りにレイジングハートに封印してから、アーミアはほっと息を吐いた。

「これで四つめ。良いペースなんじゃないかな。ね、ユーノ君」

「はい。こういうと現金な言い方になるかもしれませんが、やっぱり現地政府の方々に協力していただけると回収も早く済みますね。ちょっと被害は出ていますけど、思ったよりひどい事にはなっていませんし」

 ジュエルシードの封印を確認してからアーミアはバリアジャケットを解除して元のブレザー姿に戻る。前回、バリアジャケットを解かないままに結界を解いてしまった事で、ライブに恥ずかしい姿を目撃されてしまった事から学習した為だ。

「レイジングハートもありがとうね」

『You are Welcome』

 ジュエルシードの封印、バリアジャケットの解除と結界魔法を解く前に済ますべき事が終わったのを確認し、ユーノが人払いを行っていた結界を行おうとした時に、予想し得なかった事態は起きた。
 ユーノがまさに結界を解くその寸前に、魔力を学習したエルスとレイジングハート、次いでユーノとアーミアが唐突に吹き荒れる膨大な魔力に気付いて、皆が同じ方向に意識を集中させる。
 並び立つビル群の隙間から、小さな太陽がそこに生まれたかのように光の奔流が溢れている。

「まさか、結界の中にもう一つジェルシードが!?」

「さっきの戦闘で影響を受けたんだわ。レイジングハート!」

 レイジングハートがアーミアの魔力を抽出してバリアジャケットを展開する寸前に、先ほどの鼠の暴走体を一回り小さくした代わりに、更にすばしっこさを増した影が、アーミアに踊り掛って来た。
 黒い影としか見えないそれを、イノベイターの反射速度で咄嗟にアーミアは身体を投げ出すことで躱す事に成功したが、その代償は極めて大きなものになった。アーミアの左手からレイジングハートが零れ落ち、左手側に遭ったビルの方へと転がり落ちてしまったのである。
 いまだ魔法と魔力の学習を終えていないエルスと魔法少女になって一週間と経っていないアーミアとでは、レイジングハート抜きでは純魔力の放出位しかできない。
 まずい、とユーノが動こうとした瞬間、暴走体がくるりと頭の向きを変えた。その視線の先に在るのはレイジングハート。

「まさかレイジグンハートから? そんな知性が」

 まずは武器から奪う事を考えたのだろうか、とユーノが疑問に囚われそうになるのを、アーミアの絹を裂くような叫びがとどめた。

「違う、ユーノ君! ジュエルシードの狙いは、レイジングハートじゃなくて、そっちの女の子!!」

 アーミアの叫びに応じてユーノが視線を巡らせれば、ビルの入口に隠れるようにして一人の女の子が顔を覗かせている事に気付く。
 栗色の髪を左右で細くまとめた可愛らしい女の子だ。年齢はユーノとそう変わらないだろう。どうしてと思いながら、ユーノは理解した。ユーノの展開した結界は魔力を持たないこの地球の人々が入ってこない様に、魔力を持たない者と持つ者とを分ける結界だ。
 そうユーノとアーミアだけがこの結界の中に入れるようにと。その事から分かる事は目の前の怯えて震えている少女が、極稀に存在する魔力を持った地球人だと言う事だ。
 大顎を開いて白い牙を覗かせる暴走体と少女の間に、かろうじてユーノが展開した防御用の魔法陣が輝いて少女を悪意の牙が貫くのを妨げることに成功する。
 だが結界と防御魔法の同時展開を、残り少ない魔力を用いて行う以上は、ユーノの防御魔法はそう長くは保たないのは明白。

「こんのぉ、アナタの相手はこっちでしょう!!」

 アーミアは足元のガレキを拾い上げて、エルスが構成している左腕で思い切りそれをぶん投げる。細胞自体が変容強化されたイノベイターの身体能力プラスエルスの助力によって、アーミアの投石は実に時速二百キロ超で暴走体の側頭部に命中する。
 純粋にジュエルシードの魔力で構成された思念体であればさしたる効果も見込めなかったろうが、小動物を元に姿を成した暴走体であればある程度の物理干渉も効果を見込める事は、事前にユーノから確認を取っている。
 ぐるるるるぅうう、と餓えに餓えた肉食獣の唸り声を上げて暴走体は、アーミアが立て続けに放つ投石を素早い身のこなしで躱しながら、アーミアをどう食らってやろうかと残酷な光を瞳に宿す。
 アーミアが暴走体の注意を引いている間にユーノは偶然居合わせてしまった不運な少女の元へと駆けつける。少女は腰が抜けてしまった様で、ぺたりと尻もちを着いてアーミアと暴走体を震える瞳に映している。
 少女の足元に転がっていたレイジングハートを咥えて、アーミアの元へ届けようとした時、ユーノは気づいた。あるいは気づいてしまったと表現するべきなのだろうか。
 少女がアーミアをも上回る莫大な魔力を持っている事に。

「きゃあ!?」

 アーミアの悲鳴に振りむけば、投げつけるガレキも尽きて飛びかかってきた暴走体から必死に逃げ回るアーミアの姿が映る。既にユーノの魔力は結界の維持で限界ぎりぎりだ。例え防御魔法やバインドを使用したとて瞬く間に暴走体に破られてしまうだろう。
 ユーノは一瞬だけ、しかしとてつもなく深く悩み、だが決断した。口に咥えていたレイジングハートを足元に置き直し、少女に向かって話しかけたのである。

「ぼくの話を聞いてください」

 フェレットが口を聞いた事に目を丸く開く少女に、ユーノは内心の焦燥を確かに感じながら、懺悔と共に願いを告げる。
 右手に抱えていたガレキがなくなり、エルスのサポートを受けながら暴走体の襲撃を回避し続けるアーミアだったが、イノベイター兼エルス共生体とはいえ、計り知れない魔力の暴走によって暴れる暴走体とでは埋めがたい体力の差もあり、徐々に暴走体の爪や牙が危うい所をかすめる場面が増えて行った。
 同時にアーミアは気づいた。目の前の知性を感じられない暴走体が、それでも弱った獲物を甚振る事を楽しむ残虐性を備えている事を。
あるいはそれは油断が死に直結する野生動物の慎重さに過ぎなかったかもしれないが、アーミアは目の前の鼠型暴走体が、自分を痛めつける事を楽しんでいるのだと理解していた。

「流石に、これは、まずいかな」

 ビルの壁面に背中を押しつけながら、アーミアは左右が崩れたビルの一部や破損した乗用車で阻まれている事に気付く。みすみす逃げ場のない場所に追い込まれたというわけだ。
 こうなればエルス達に周囲の物体を同化してもらって、なんとかこの場を凌いで再びレイジングハートを手に取らなければと思った矢先、暴走体の向こう側から美しい桜色の光の嵐が吹き荒れるのを目にする。
 同時に大気を振動させる強大な魔力の波動が、アーミアのリンカーコアとエルス達をびりびりと揺るがせる。疑問を挟む余地もなくアーミアは理解する。先ほど目にした少女がレイジングハートを起動させた事を。
 理屈ではない。未来予知じみたイノベイターであるが故の超直感というべきだろう。
 そしてアーミアは目撃する。
 清廉な心を表す様に真っ白いブレザーとロングスカートで幼い体を包み、胸元には赤いリボンがアクセントの、何とも可愛らしい女の子が黄金の音叉を備えた杖形態に変わったレイジングハートを構える姿を。
 そしてアーミアは思う。
 ああ、これが魔法少女だ、と。そうだ、やっぱり魔法少女はああいう女の子の事を言うのだと。
そうだよね、魔法少女はどう頑張っても中学生くらいまでだよね。高校生にもなって魔法少女になんてなっちゃだめだよね。賞味期限切れだよね…………。

「ああ、あれが若さか」

 どこまでも自嘲の螺旋を胸に抱くアーミアであったが、止めはエルスが刺した。

≪アーミア、年増?≫

「ち、違うよ、私、年増じゃないもん!! 私、まだ高校生だよ!! 年増じゃないもん、まだ若いもん!!!」

 アーミアは顔を真っ赤にして自分の左手を目の前に持ってきて声を荒げて抗議する。

≪エルス、アーミアに怒られた≫




[11325] アーミア・リー×リリカルなのは編03
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/23 22:52
メタル女子高生魔法少女メタリカル☆アーミア

その三 二人目の魔法少女(ただし武闘派)

 天を貫かんばかりに眩く輝きながら屹立する魔力光の柱を瞳に映した時、アーミアは一瞬自分がジュエルシード暴走体を前にしている事も、命を掛けなければならない危険な場所に立っている事も忘れて見惚れた。
 魔法に関わってしまった時、どうして自分が、とアーミアは思った事を誰かに問われたなら否定はしなかったが、今目の前に神秘的な輝きと共に溢れる魔力の光は、その思いを吹き飛ばすほどに美しい。
 アーミアを狙って襲い掛かってきていたジュエルシード暴走体も、強大な魔力の反応に惹かれて、後方の魔力の発生源へと自然界の動物にはあり得ぬ形状の頭部を巡らしている。
 桜色の魔力光の主を、アーミアをも上回る魔力の主であると暴走体が感知し、惹かれたかあるいは脅威と見做したのかもしれない。
 その魔力光の中に浮かび上がる白い魔法衣を纏う可憐な少女の姿を改めて認めて、アーミアはふとデジャ・ヴュに襲われた。
 この隔離結界の中で遭遇するよりも前にどこかで見た事のある少女だと、記憶の棚のどこかがカタリと音を鳴らしたのである。
 アーミアはどこかひっかかりのある記憶を思い出そうと、ようやく光の柱が収束して仔細に観察できるようになった少女の顔を注視したが、すぐにアスファルトの上に降り立った少女の足元にフェレットに酷似した姿に変身しているユーノの姿に気付いた。
 一体目の暴走体を封印したことで待機状態に戻したレイジングハートが、アーミアの手から弾き飛ばされたのを少女が拾い上げ、更にユーノが咄嗟の――そして苦渋の――判断を下し、少女に魔法の力を教えたのであろうことは想像に難くない。
 責任感の強いユーノくんの事だから、また自分の事を責めてしまうんだろうな、とアーミアは少し悲しくなった。
連邦政府と軍のバックアップを受けているとはいえ、現状アーミアでなければジュエルシードの封印が行えない事態は、極めて由々しきものであり可能であれば封印可能な人材を増やしたいのは、政府上層部も現場で事に当たっている人間も共通の見解であるだろう。
 アーミアとてただでさえイノベイターへの覚醒や左半身を構成しているエルスとの共生体という素性の為に、普段から連邦政府の人間に監視兼護衛をされている息苦しさや、研究機関への出頭を理解はしてもそれなりにストレスを感じてはいたのだ。
 そこに今回の未知の魔法を文明の主軸に置く地球外、というか異次元知的生命体との遭遇における中核人物にまでなってしまった事で、アーミアの日常はさらに非日常への変貌を遂げて、精神的な負荷を増している。
 だからこそ、アーミアがユーノやレイジングハート、体内のエルスらと共にジュエルシード封印に全力を注ぎはしても、心のどこかで一緒にジュエルシードの封印をしてくれる仲間が増えないかな、と半ば冗談めき、また半ば諦めた気持ちを抱いたとしても、それは無理のないことだろう。
 しかし、だからといってアーミアの半分(!)くらいしか生きていない様な、小さな女の子にこんな危険な事をさせてしまうのは、決してアーミアの本意ではなかった。
 ユーノとてまだ九歳という幼い子供ではあるが、彼はそもそも人類史の発端からして異なる別次元で隆盛した異次元文明圏の出身者である。
 本人が成人として扱われている旨を明確に告げている以上は、地球の常識と物差しを一方的に押し付けるのは、傲慢という他ないだろう。
 無論、地球圏の人間の倫理観や道徳観からすれば、ユーノの様な子供を危険な現場に立たせることに対する忌避の念や、罪悪感はあるし、アーミアだけでなくライブや他の軍関係者だって抱いている。
 見た目がフェレットそのもので非常に愛苦しい上に、礼儀正しく聡明なユーノは、身柄を預けられている施設の職員達から結構人気がある事だし。

「あんな小さな子にこんな事をさせた責任は、私にもあるよね」

 アーミアの言う小さな子というのは少女とそしてユーノの双方を指している。
 少女の魔法の力を目覚めさせたユーノを責める者もいるだろうし、あるいはジュエルシードの危険性を考慮すれば力のある者は例え子供でも協力を強制するしかない、と苦い物を呑んで理解を示す者もいるかもしれない。
 アーミアはそのどちらでもなく、ユーノと同じ立場で同じように責任を負う事を、極自然と選んでいた。
 それは年上のお姉さんとしての意地から出た言葉だったかもしれないし、そうではなかったもしれない。その本当の所は、アーミア自身にも分からない事だった。

≪アーミアより強い魔力≫

 エルスのメンタリティは地球人類とまるでかけ離れているから、淡々と告げるエルスが某かの感情を感じているのかどうかは、アーミアにも分からない。
 反射的に、つい言語化して脳量子波に乗せただけだったのかもしれない。

「うん、そうだね」

 そしてアーミアが一つ懸念したのは、ユーノにレイジングハートを託された少女の魔法使いとしての力が、エルスが言う様にアーミアをも上回るものであったことだろうか。
 あるいは少女の力がアーミアと比べてごく弱いものであったなら、良心の呵責や倫理観に押されて連邦の関係者達が、少女にジュエルシード関連の事件で協力を強制する事を、安堵と共に諦めたかもしれない。

――確かにこの少女に魔法の才能はあるが、今回の様な危険な事態に協力させるには力が足りない。だから今回の事を忘れる事、決して口外しない事を条件に元の生活を送らせよう。

 そんな風に、幼い子供を戦場と呼んでも差し支えのない所に送り出さずに済んだ事に、安堵して思うかもしれない。
 無論、政治を知らぬ平凡な学生程度の知識しかないアーミアの想像であるから、実際にそのように連邦政府の人間達が考えるとは限らないし、その事はアーミアも理解はしている。
 しかしながらこれまでの人生で培われた倫理観は、幼い子供を危険な場に晒す事への拒絶と、大人達の良識を信じたいという淡い希望の光を、アーミアの胸中に灯していた。
 だが少女の力は強大だ。ユーノをして魔法世界でも珍しい方だ、と言わせるほど強力なアーミアの魔力を、さらに上回るほどに。
 ジュエルシードがその内包する魔力と知的生命体の願いを歪んだ形で叶えてしまうと言う特性を、暴走させた時の最大規模での被害は地球は愚か次元世界単位での途方もない災厄となる。
 全地球人類六十億の生命が危険にさらされる可能性が無きにしも非ずとなれば、たとえ十歳に満たない子供であろうが、犠牲を強要するのはそれがいかなる主義思想に基づく形態の政府であれ、当然の帰結となるだろう。
 たった一人の為に他の全ての人々が危険にさらされるリスクを背負うのは、映画やテレビの中の正義のヒーローくらいのものだ。
 一人の生命と六十億人の生命。数で言えば比べるまでもない圧倒的な差がある。
 既に自分はイノベイターであり、また世界でも数えられるほどしか存在していないエルスとの共生体だ。
 今更魔法の一つや二つ、関わった所で今後の人生が大きく変わるわけじゃない。けれど、今日まで普通に生きていた女の子だったら、話は違うとアーミアは思う。
 どうか、あの女の子がこんな危険な事に今後は関わらずに済みますようにと、アーミアはさしてその存在を篤く信じているわけでもない神様に、祈らずにはいられなかった。
 アーミアの体内のエルス達は、そんなアーミアの心の動きを完全に理解してはいなかったが、いまここで自分達が口を開くのはよくないと、沈黙している。
 アーミアが複雑な思いを胸に抱いて、悲しげに顔を歪めている一方で、そんな人間の思いなど理解する筈もないジュエルシードの暴走体は少女の方へ目がけて、身を屈めて一気に襲い掛かる動きを見せた。
 あまりにスムーズな生物的な動きと事態の変遷に理解が及んでいない様子の少女は、自分の方を向いている暴走体の異様な姿に萎縮して、びくりと小さな体を震わせる。
 本当に小さな体だ。アーミアとて未成年の女子学生なのだから華奢な方だが、二次性徴も迎えていない様な少女は、なまじ暴走体の巨体が視界に映り込む所為で、余計に小さく見える。
 イノベイターの超直感と動体視力、そしてこれまでの戦闘から暴走体の動作が時速数百キロ単位の高速跳躍の事前動作であると看破したアーミアは、咄嗟に少女とその手に握られたレイジングハート、そしてユーノめがけて声を張り上げた。

「飛び掛かってくる! 防御して!!」

 既に隔離の為の結界の維持で手いっぱいのユーノでは、防御魔法を展開するのは困難、また少女の恐怖と緊張と困惑で強張っている体では回避も不可能、と千分の一秒単位で判断を下したアーミアは、レイジングハートにオートでプロテクションを行う様、強い語気で命じた。
 アーミアの手を離れて少女の手の中に移ったとはいえ、人工の知性を有するレイジングハートなら、アーミアに言われるまでもなく自分を握る少女を守る為に行動に移っただろう。
 はたしてアーミアの警告が言い終わる方が早かったか、暴走体の跳躍の方が早かったか。
 少女は自分の視界の中であっという間に大きくなって飛び掛かって来た暴走体の姿に、何も出来ず、ただ目を見張るだけだった。

『Protection』

 少女とその足元のユーノを守ったのは、人工知性であるが故に感情の揺らぎという物を持たないレイジングハートであった。
 新たに使用者となった少女の魔力を吸い上げて、アーミアとは色彩の事なる桜色の半球形のプロテクションで少女を覆い、暴走体の巨躯を弾き返す。
 少女の左方向へと大きく十メートルも弾き飛ばされた暴走体は、空中で身を捻って四本の足と横腹から新たに生やした昆虫の様な節足で軽やかに着地する。
 新たに出現した魔導師を効率よく殺傷する為か、あるいは捕食する為にジュエルシードが形態の変化を促しているのだろう。
 ジュエルシードを発動させたのか、暴走したジュエルシードに取り込まれたのかは分からぬが、核となったおそらくは鼠か何かの小動物が持っていた捕食への欲求をジュエルシードが叶えているのかもしれない。
 おそろく地上に生息するあらゆる生物を捕食できるだろう身体能力とそれを最大限に活かす異様な姿を得た事を考えれば、あるいは正しく願いが叶えられた例と捉える事が出来なくもないが、アーミアや少女にとっては少なくとも現状をどうにかするまでは、その真偽のほどはどうでもいいことだ。
 突然自分へと襲い掛かって来た暴走体の間に展開された光の壁や、音声を発した手の中の杖などに対する驚きに、狼狽の様子を露わにしていた少女だったが、足元にいたユーノが肩まで少女の体を駆けあがり、声をかけたことで表面上は落ち着きを取り戻す。
 このような突然の事態や自分の命を脅かす未知のナニカを前にした状況で、ユーノに声を掛けられただけでとりあえずの平静を持ち直すだけでも、並みならぬ胆力の持ち主と言える。

「気を付けてください。あのジュエルシードの暴走体を封印しなくては、いつまでも向こうが襲い掛かってくるでしょう。あちらに体力の限界は無いでしょうから、貴女が疲れを感じるよりも早く決着をつけた方がいい」

 ユーノとしては訳の分からぬままの今の様な状況よりも、出来うるなら十全に事態の説明をして、一応の得心をさせて落ち着いた状態でより安全に暴走体と対峙させたい所だったが、到底状況がそれを許さない。
 心苦しげに告げるユーノの言葉から、肩の上に昇ってきた言葉をしゃべるフェレットのような生き物が、自分の事を心配しているのだと敏感に感じ取り、少女は幼い顔立ちに決意の色を浮かび上げて、手の中のレイジングハートの先端を暴走体へと向ける。

「うん。良くは分からないけれど、私がどうにかしないといけないってことは分かったよ。それで、一つ聞いてもいいかな」

「ぼくに答えられる事ならなんでも。でもあまり長く説明はできない状況です」

「私、高町なのは。なのはって呼んで。貴方のお名前は?」

 警戒を最大に引き上げた視線を暴走体に向けていたユーノは、可憐という言葉で形容するのがなによりも似合う笑みを浮かべて名前を問いかけて来た少女――高町なのはの方を振り返り、その愛らしいことこの上ない笑顔にどぎまぎしながら答えた。

「ユーノ・スクライアです。ユーノが名前です、なのはさん」

 照れ臭そうに、そして恥かしげに告げられた名前を、なのはは何度か口の中で小さく呟いて、大きな向日葵の花がそこに咲いたように明るい笑顔を浮かべる。

「うん、ユーノ君だね。私の事はなのはでいいよ。あともっと普通に喋っていいよ。それで私はどうすればいいの?」

「ありがとう。少し早口で言うけどしっかり聞いて」

 アーミアさんもそうだったけど、地球の人は理解が早いな、とか凄く落ち着いているんだな、とユーノはなのはの落ち着いた言動に少し面食らったが、いつ暴走体が襲い掛かってくるか分からない状況から、すぐさま必要最低限の説明を口にしはじめた。
 アーミアと同衾した時に、丁寧に説明をするのはいいけど状況に合わせてもっと砕けた言い方をした方がいいよ、とアドバイスを受けていた事もあって、なのはに対して行った説明は、以前アーミアに行ったものとくらべてユーノなりに簡略化したものだった。

「レイジングハートはなのはの魔力を使っていろんな魔法を発動させるんだ。さっきのプロテクションや簡単な攻撃魔法は、意識するだけで発動する。あと呪文が必要な場合も心を澄ませれば自然と思い浮かんでくるから、さっきのパスワードみたいに詠唱しなくていいし、いまから呪文を覚える必要も無いから安心して」

「暗記しなくっていいのは便利だね」

 表面上は落ち着いているなのはだが、このような自分の身の危険を感じる場面に直面したうえで、文章を暗記する自信は流石に無かったので、緊迫した状況ながらほっと安堵の吐息を小さく一つ。

「さっきはぼくがジュエルシードの暴走体の動きを止めて、そこをアーミアさんが封印していたんだけど、いまのぼくだと結界の維持で精一杯だから、なんとかなのはに頑張ってもらわないといけない。無理を言っている事は分かっているけれど、なんとかしよう。ぼくも出来るだけの事をするよ」

「うん。分かった、力を貸してね、ユーノ君。それに、えっと、レイジングハート……さん?」

 愛玩用の小動物みたいに小首を傾げながら、なのはは構えたレイジングハートに声を掛ける。
 レイジングハートはと言えば黄金の音叉様の部位の中心に在る赤い宝石状の部分を点滅させて、なのはに答えた。

≪Call me Raising Heart(レイジングハートと呼んでください)≫

「よろしくね、レイジングハート」

≪Please leave it to me(私に任せてください)≫

 レイジングハートは言うが早いかアーミアが習得して登録していた攻撃魔法や防御魔法のリストアップおよびなのはの魔力に適合した形に既に書き換えと微調整を行い、目の前の強力なジュエルシード暴走体との戦いを少しでもなのはにとって有利にすべく己の存在意義を忠実に実行していた。
 アーミア以上の莫大な魔力を有するなのはを強敵と感じるだけの知性ないしは野生の本能が残っているのか、ジュエルシードの暴走体はなのはとユーノ達がひとしきり話を終えた今も、慎重に過ぎるほど静かになのは達の様子を伺っている。
 ユーノとなのはとレイジングハートと、三者三様に暴走体の外見上の動きや体内魔力の変動に至るまでに細心の注意を払い、双方の対峙は張り詰めた糸の様な緊迫感に満ちている。
 その時、先の暴走体とアーミアとの攻防でくの字に曲がっていた電子灯がひと際大きな音を立てて、爆ぜた。
 事態を動かすには十分な切っ掛けであった。暴走体が再び罅割れの目立つアスファルトの地面を蹴って跳躍! 
 ただし一直線になのはを狙うのではなく、周囲のビル群の壁面や折れ曲がった電柱、横倒しになった乗用車を足場に周囲を飛び回って、なのはに狙いを絞らせない多角的な三次元機動を見せる。
 慣性制御と質量増減機能を併せ持ったGNドライヴを搭載した既存MSでも再現しえない様な、昆虫と肉食動物の特性を合わせて持った不自然な生命ならではの直線かつ鋭角機動である。
 暴走体は一時も休むことなくなのはの周囲をとび跳ねまわって、暴走体の機動はまるでなのはを囲い込む格子の様に折り重なってゆく。
 最初は眼で追おうとしていたなのはだったが、とてもではないが自分の眼では影さえ追う事も出来ない暴走体の素早さに、むしろ眼のまわる思いで忙しなく周囲に視線を巡らせる。
 しかし暴走体の高速移動に伴う荒れ狂う大気に、破壊的な暴走体の魔力が混入していることで、なのはの体が嵐の中の木の葉の様に舞うのを抑える為にほとんど常体的にプロテクションを展開し続けなければならず、魔法を手にして一分かそこらのなのはの魔力は加速度的に消耗していた。

「きゃっ」

「く、バインドが使えたら……!」

 これほど速く動きまわる暴走体相手ではユーノがバインドで拘束するのも途方もない難事だったろうが、一体目の暴走体の時は、そこは空間把握能力や反応速度が人間の枠を超えているアーミアがパートナーであったから、アーミアがうまく誘導してユーノにバインドのタイミングを告げる事で補う事が出来た。
 しかしそのアーミアの手にレイジングハートは無く、いかにエルス共生体であるアーミアとはいえ、魔法の力なしに暴走体と対峙する事は無謀という他ない。
 新たな段階に進んだ人類イノベイターでもあるアーミアではあったが、技量・技術という観点からみた戦闘能力で言えば、訓練を積んだプロの兵士や格闘家には到底敵うものではないし、つまるところそのスキルは平凡な学生の範囲にとどまる。
 自分がなんとかしなくてはと焦るユーノだったが、なのは共々その背後七メートルの位置に着地した暴走体が、いよいよこちらへ向けて襲い掛かってくるのに対して、残酷なほど反応は遅れていた。
 まだ網膜に直前の暴走体の動きが残っているうちに、背後の死角から襲い来る暴走体に反応することはおろか気付くこともできず、レイジングハートがかろうじてプロテクションの再展開を間に合わせるかどうか、という所でなのはとユーノの脳裏に、アーミアの声が鳴り響いた。

“右に思い切りジャンプ!”

 有無を言わさぬ強いアーミアの言葉になのはは反射的に従って、肩のユーノが落ちない様に左手で抑えながら、全力で右手の方向にジャンプする。
 スキルは平凡な学生ではあってもその身体能力は地球人類の規格外に達したアーミアが、確実に暴走体の動きに視線を追従させ、見切っていたからこそ発する事の出来た念話による警告であった。
 まだ攻撃魔法や防御魔法の展開は出来なくとも、随時魔法に対する学習を深めていたエルスのサポートもあれば、念話程度ならかろうじて送受信を行う事が出来るように、たったいま成ったのだ。
 間一髪のタイミングでその場から跳躍したなのは達は、ほんの数十分の一秒前まで自分達が居た空間に踊り掛った暴走体の起こした暴風に煽られて、六メートルも身を投げ出す羽目になった。
 固いアスファルトに激突しそうになって、思わず眼を瞑ったなのはだったが、咄嗟にプロテクションの発動をキャンセルしてレイジングハートが発生させた浮遊式の光の膜――フローターのクッションのように柔らかな感触に包まれて、尻餅を着いた姿勢で優しくアスファルトに降ろされる。
 フローターが消失して尻餅を着いた姿勢から飛び上がるように立ちあがったなのはは、手の中のレイジングハートに感謝の言葉を述べた。
 例え相手が誰であれ、自分がしてもらった事に対する感謝の念を忘れない、そういう躾が行き届き、なおかつ根の優しい女の子だった。この場合は『誰』ではなく、『何』と表すべきではあったが。

「ありがとう、レイジングハート」

『You are welcome』

「そうだ、暴走体は!?」

 なのはの肩に乗った状態を維持していたユーノが、暴走体がこの瞬間の隙を逃すはずがないと焦りと共に声を出し、なのはもユーノの声で現状を思い出して、若干顔を青褪めて辺りを見れば、すぐに暴走体の姿は見つけられた。
 ただし四本の肥大化した足や横腹から伸びる昆虫の足はおろか、その小型乗用車ほどもある巨体を、地面から生えた鈍い銀色に輝く金属の結晶に囚われている姿である。
 魔法の発動や金属の結晶からまるで魔力を感じない事にユーノは驚きを示したが、すぐにアーミアから聞かされたある事を思い出して、アーミアの方を振り返る。
 ユーノの視線に気付きはしたようだが、アーミアはとりあえず状況を収めることを優先して、なのはに向けて声を張った。

「はやくジュエルシードの封印を! そんなに長く保たないから!!」

 アーミアはミニスカートの裾から、黒のニーハイソックスを履いた太ももを大胆に晒しながら片膝を着いて、自分の左手をアスファルトに触れさせていた。
 その瞳の虹彩はイノベイターの証である黄金の煌めきに揺らぎ、左前髪の一部と目元や頬のあたりまでを構成しているエルス本来の銀色に色彩を変化させている。
 他の物体に浸食して融合・同化することで自己を増殖させるエルスの特性を利用し、アーミアがアスファルトの一部をエルスに同化してもらい、暴走体の足を止めたのである。
 これまでアーミアがじっと黙ったまま行動を起こさずにいたのは、なのはを狙う暴走体をこうして確実に捉える為だったのだ。
 暴走体の狙いがなのはに向いた以上は、必ずや暴走体はなのはに襲い掛かる。その事を利用してアスファルトの表面だけは残して、その基礎部分から同化していったエルスに、忍んでいてもらったのである。
 アーミアの掌からアスファルトを同化して自己増殖したエルスに、ジュエルシードごと暴走体を取り込んでもらう事を、アーミアは考えないではなかったが、まるで未知の物体であるジュエルシードを、それも単独でもとんでもない被害を撒き散らすような訳の分からない異世界の物体を同化する事への不安とリスクから、あくまで暴走体を拘束するに留めている。
 なにしろアーミアがきつく戒めなければ、好奇心旺盛なエルスの事、後先考えずに出たとこ勝負でジュエルシードを取り込みかねない。
 アーミアの叱咤がたしかに届き、なのははユーノに教えられたように意識して心を落ち着かせて、水面に泡がはじけるように自然と心に浮かんでくる力ある言葉を紡いで行く。
 レイジングハートもまた現状の主であるなのはの魔力の胎動と思惟を敏感に感じ取り、オートで自らの形態を変化させる。
 黄金の音叉状のパーツが更に長くまっすぐに伸び、なのはの魔力色である桜色の羽が大小合わせて四枚広がる。
 アーミアを上回るなのはの膨大な量の魔力の余剰分が、まるで空に羽ばたく鳥の羽根の様に周囲の空間に舞い散る。
 それはおとぎ話の中にだけ存在していた筈の魔法が、確かにこの世界に存在しているのだという証であり、そしてごくごく単純に美しい光景でもあった。
 舞い散る桜色の羽の中で、なのはは金鈴の様に耳に心地よい声で高らかに唱える。奇しくもジュエルシード封印に際して、アーミアが唱えた文言に酷似していた。

「リリカル、マジカル! 封印すべきは忌まわしき器、ジュエルシード!!」

 なんとかエルスによる拘束から逃れようとしていた暴走体であったが、高まるなのはの魔力の波動に気付き、更に一層抵抗の激しさを増す。
 しかしアーミアのお願いを聞いたエルスの頑張りようも並みではなく、たとえMSだろうと脱出不可能なほどにエルスによる拘束は戒めを強くする。

「お願い、エルス。もう少しだけもたせて」

≪エルス、アーミアのお願い、叶える!≫

 ギシリ、と軋む音を立てて更にアスファルトから伸びる金属の結晶がより巨大化して暴走体を抑え込んだ。
 あまりエルスが張り切りすぎてジュエルシードを取り込んでしまうのではないかと、それはそれでアーミアが冷や汗を流したのは、ここだけの内緒話である。
 なのはにはそんなに長く保たないとは言ったものの、エルス達の様子から察するにいくらでもこのまま暴走体を拘束できそうだったので、アーミアは変に急がせちゃって悪かったかな、とこっそり思った。

『Stund by Ready』

 アーミアが予想以上のエルス達の頑張りに少しばかり困る一方で、レイジングハートとなのはの準備は終わり、レイジングハートの先端になのはの強靭かつ強力なリンカーコアが生産する魔力が集中している事が、離れた位置に居るアーミアにもひしひしと感じられた。

「リリカル、マジカル、ジェルシード……封っ印!!」

 アーミアの詠唱の場合さらにメタリカルの一語が加わるのだが、なのはの詠唱から省略されているのは両者の資質を比較した場合になのはの方が、魔導師としての適性が上回る事や、体内にエルスが居るかいないかの違いによるものであろう。
 いまだ地球連邦が実現できていない歩兵携行サイズのビームキャノンを連想させる勢いで、レイジングハートの先端からなのはの魔力が奔流となって放たれるや、瞬き一つをする間もなくエルスの変化した金属結晶に囚われている暴走体を飲み込む。
 強力なエネルギーである魔力流に晒されたエルスの金属結晶は跡型もなく吹き飛ばされたが、自己増殖能力を有するエルスからすれば、精々長く伸びた爪をちょっと切った、という感覚にも満つまい。
 なにしろまだ天空に咲き誇る最大横幅数千キロメートルの花という本体が残っているのだから。
 レイジングハートによってなのはの魔力はジュエルシードの封印を行う術式に変換され、一見、MSの装備する小口径のビーム兵器かと見間違えるような桜色の奔流は封印魔法としての本懐を果たして、光の消え去った後には気を失った鼠と空中に浮かぶジュエルシードが残されていた。
 先にアーミアが封印したジュエルシードの元となった鼠より二回りほど小さい鼠は、ひょっとしたら子鼠であったのかもしれない。
 傷つけられた親の仇を討とうとしたのだろうか、と考えるとアーミアは悪い事をしたな、とかすかに心が痛んだ。

(ありがとう、エルス)

 アスファルトから手を離して、変色していた髪や頬、虹彩の輝きを元に戻しながら、アーミアは体内のエルスに感謝の言葉を述べた。
 長い事――おそらくは数億年単位でコミュニケートできるほどはっきりとした意識のある存在が、“自分”しか存在していなかったエルスにとって、異なる自我を持った存在から向けられる意識、あるいは感情というものはこの上ない刺激と言っていい。
 ましてやそれが好意から発せられた感謝の意識であるのならば、これはエルスにとってこの上ない彼らなりの喜びに等しい。
 無論、人類とのメンタリティがかけ離れているエルスの思考や感性を、人間のレベルに当て嵌めては正確性を損ねるが、敢えてアーミアの感じたエルスの思考を擬人化して表現すれば

≪エルス、アーミアの役に立った?≫

 というものだ。いまだ意思疎通の図れない者が全人口の九割九分九厘以上を占める地球人類の中で、明確に意思のやり取りを行えるアーミアは、エルスにとって一種のアイドルめいた存在なのであった。

(うん、とっても助かったよ)

≪エルス、アーミアの役に立てた!≫

 人間に当て嵌めればきゃっきゃと弾むような笑い声を挙げて喜ぶエルスに、アーミアはまるでキンダーガーデンに実習にでも来た様な微笑ましい気分になって、自分に数奇な運命を齎した異星体に暖かな笑みを浮かべる。
 アーミアがエルスとやり取りしている間に、なのははユーノからジュエルシードの封印および収納方法をレクチャーされていた様で、既に空中に浮かんでいたジュエルシードは宝石状態に戻ったレイジングハートの中の様だ。
 当面の危機が収まった事に安堵の吐息と小さな唇から零したアーミアは、すぐ近くから戸惑いの成分を大きく含んだ脳量子波を感じ、何を言っていいか分からない様子のなのはににっこりと微笑んだ。
 野生動物の世界では笑む行為は牙を見せる事に繋がり、敵対行動と捉えられてしまうが、人間の構築した文明社会においてはまずどこに行っても通じる友好の意を伝える行為である。

「お疲れ様。とても怖かっただろうによく頑張ったね。ありがとう、貴女のお陰で助かったよ。本当にありがとう。私はアーミア・リー」

 柔らかな笑みを浮かべてアーミアは、なのはと同じ目線になるように膝を曲げて手を差し出した。
 なのはは少しの間差し出されたアーミアの手と笑顔を見つめていたが、やがて同じように、それでも少しはにかんだ笑みを浮かべて差し出されたアーミアの手を握り返した。

「私、高町なのはです。アーミアさん」

「なのはちゃんね。うん、可愛い名前だね。可愛いなのはちゃんに良く似合ってる」

 からかうようにウィンクをしながら言うアーミアに、可愛いと言われることに慣れていないなのはひどくあたふたしだして、顔を赤くする。

「そ、そんな、私、全然可愛くなんてないです。同じクラスのアリサちゃんやすずかちゃんの方が、そのずっと可愛くて美人で!」

 あんまり必死に言うなのはの様子がおかしいものだから、アーミアはくすくすと忍び笑いを漏らし、その笑い声を耳にしたなのはは自分がどれだけ滑稽だったかに思い至って、しゅんと小さくしょげてしまう。
 あうう、と言葉になっていない呻き声を漏らしていたなのはだったが、先ほどからずっとアーミアの手を握っていた事に気付いて、掌越しに感じられるアーミアの体温に、乱れていた心を落ち着かせた。
 小さな子供は大人の体温を感じて安堵を覚えると言うが、それに似たような心理がなのはに働いたのかもしれない。
 柔らかくて暖かい手だなとなのはは思い、こんなに小さな手、守ってあげなきゃとアーミアは思った。
 そう思ってからなのははアーミアに返さないといけないものがあった事を思い出して、アーミアの掌のぬくもりに名残惜しさを感じながら、握った手を離してもう片方の手の中に固く握りしめていたレイジングハートをアーミアの目の前に差し出す。

「あの、この子をお返しします。レイジングハート、助けてくれてありがとう」

 レイジングハートを単なる道具扱いせずにこの子というなのはの感性は、アーミアには好ましく感じられた。
 レイジングハートの方も、短い付き合いではあったがなのはの事が気に入ったのか、答える合成音声の響きはいつもと違う様に感じられる。

≪Please do not worry(気にしないでください)≫

 なのはの椛の葉みたいに小さな手のひらからレイジングハートを受け取り、アーミアはなのはを守りきってくれた事の感謝を述べた。

「ありがとう、レイジングハート。なのはちゃんを守ってくれて。ユーノ君も、お疲れ様」

「あ、はい。でもなのはを巻きこんでしまいました。あの状況では仕方がなかった、なんて言わないでくださいね」

 少なくともユーノは責任を感じる素振りを見せて、そんな事は無いと周りの人間に言って欲しがっているわけではない。少年らしい潔癖さが、ユーノにそうさせるのだろう。
 そんなユーノの性格には色々と気遣わしさを抱かないではなかったが、とりあえずは危険な状況を脱して余裕が出来た今、考えるべきはなのはの処遇だ。
 流石にアーミアと違い、まだ十歳にもなっていないと思しいなのはをいかに強力な魔力を有するとはいえ、ジュエルシード封印に駆りだす事はアーミアにもユーノにも選びがたい選択肢である。
 もし仮になのはに全ての事情を説明したうえでなお、なのはが自発的に協力を宣言したとしてもまだ十歳にもなっていない子供の判断が正しいと言えるだろうか? ましてやなのはに協力を求める場所は、命を落としかねない危険に満ちたジュエルシード封印の現場なのである。
 アーミアはなのはの魔法使いとしての優秀な才能を知ったとしても、地球連邦の大人達がそれをこの事態解決に利用しようとはしない事を、心のどこかで信じたかった。
 すでに一年前にアーミアはもう戻れない所まで運命の坂道を昇っているから、唐突で理不尽な運命の変遷というものに対する覚悟は括っている。
 しかしだからこそ自分以外の誰かの運命が、それも踏み出せば引き返せなくなるような運命の一歩を踏むことで決まる場面を、見たいとは思わなかった。

「すみません、アーミアさん。そろそろ結界の展開が限界です。解除します」

「あ、うん、分かったよ。なのはちゃん、今日は他に誰かいる?」

「いいえ、あの私一人です。ちょっと探し物をしていて」

「そっか」

 なのはと何気ない言葉を交わしているうちに、いよいよ魔力が枯渇寸前になったユーノは隔離結界を解除し、世界の色彩が元に戻るのに合わせて街を歩いていた人々の姿が戻る。
 以前、アーミアとユーノのファーストコンタクト時に展開していた結界よりもさらに高度な代物である。
 以前の結界は人間こそ排除するものの結界内部の建築部などが破壊された場合、結界解除後そのまま破壊された状態で残るいうものだった。
 しかるに今回はジュエルシードが町中に存在していると言うことから、周囲に及ぼす物的被害の危険性を考慮し、ユーノにより多くの魔力の消費を強いる事を合意の上で、結界内部の構造物が壊れても現実には反映されないと言うより高度で悪燃費の結界を展開していた。
 実際、もし結界内部の破壊の様相が現実に反映されていたら、こうしてなのはやアーミアの周りを歩いていた人間のほとんどが物言わぬ血と肉の塊に変わっていたことだろう。
 より大きな疲労を背負わなければならないユーノには気の毒な事であったが、被害者が一人でも少なくなる事を本心から望むユーノからすれば、どんな些細なことでも自分に出来る事をするつもりであった。
 アーミアはそのユーノの誠実さが偽りのない本物であると知るからこそ、出会ってから間もないユーノの事を既に信頼していた。
 結界の解除と同時に近くに待機していたライブが、こちらに近づいてきてアーミアの傍らのなのはに不思議そうな視線を向けるのを見て、アーミアはどうしたものかと頭を悩ませて、不意にどうしてなのはの顔にデジャ・ヴュを感じたのかに思い至る。

「なのはちゃんて、ひょっとして翠屋の店長さんのお子さん?」

「え、どうして知っているんですか?」

「ああ、やっぱり。どこかで見た事あるなあ、と思ってたんだ。私、翠屋の常連なんだよ。だから何度かなのはちゃんを見た事があったんだね。多分、店長さんやウェイターさんの事を御父さんかお兄ちゃんって呼んでたのを、頭のどこかで覚えてたんじゃないかな。だから、なんとなく店長さんの子供なのかなってね」

「ああ、そうだったんですか。あの、いつもご贔屓にして頂いてありがとうございます」

 そう言ってちょこんと頭を下げるなのはに苦笑を浮かべながら、アーミアはユーノ君といい、最近の子供はしっかりしているんだなぁ、としみじみ思う。
 自分がなのはやユーノ位の年齢だった時はもっとこう、子供らしい子供だったと言うか、ここまでしっかりと大人びてはいなかったのだけれど。
 アーミアは根拠は無かったが、なのはとの出会いが決して悪い様にはならないと、なんとなくそう感じていた。
 イノベイターの直感か、それとも乙女の勘か、はたまた両方か。アーミアの考えが正しかったかどうか分かるのは、もうしばらく先の話である。

<続>

なのは世界の結界では展開中に壊れた物体は解除後もそのままという描写が本編でありましたが、流石に人死がでるなあ、という展開になったので結界によっては展開中に壊れたものは解除後に反映されない物もあると言う事にしました。
アーミアは高河ゆん先生ではなく千葉さんが作画されたとか。しかも注文は萌えキャラ書いて。脚本の黒田さんも少しムチムチしているところが好きだそうです。声は幼少期の刹那とソルブレイブスのネフェルとおんなじ。


3/22 12:40 誤字脱字修正



[11325] アーミア・リー×リリカルなのは編04
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/26 21:32
メタル女子高生魔法少女メタリカル☆アーミア

その4 逃れられない運命――魔法――

 一台のエレカ(電気自動車)に乗った三人の地球人類とフェレットに変身した異次元人類、更に異星金属体が、休日の賑わいに包まれた街中を法定速度に従って短いドライブの最中にあった。
 地球全土を見合わせても数えるほどしかいない金属異性体エルスとの共生体アーミアと、地球連邦情報部所属の情報収集型イノベイドであるライブ・リンカネート、次元軸そのものが異なる異世界からの来訪者であるユーノ・スクライア、そしてつい先ほど未知なる魔法に触れた現地の少女高町なのはの組合せである。
 おそらくは世界でもっとも混沌とした顔ぶれが揃った軍用の偽装エレカの中には、しばし沈黙の帳が下りていた。
 装甲車両並みの防弾処理を施した特性エレカは外側からの衝撃や高熱に対する耐性は飛びぬけているが、座乗した人間達に快適なお喋りの場を提供する事には、お世辞にも向いているとは言い難い。
 ユーノを膝の上に乗せたなのはが困った様子で口を閉ざしている一方で、アーミアとライブは脳量子波を使って、余人には聞こえ得ぬ内緒話に耽っていた。
 もちろん可及的速やかに決断を下さなければならないなのはの処遇についてである。
 目下地球圏は異次元から飛来したロストロギア・ジュエルシードの脅威にさらされており、しかもこれに対処できる地球連邦側の人間がアーミア一人という危機に晒されている。
 ジュエルシード封印に置いて必要とされる魔法の素養たるリンカーコアを地球人類は基本的に保有していない、というユーノの言の例外として、なのはが魔法を扱うことに対して極めて高い素養を有している事が、つい先ほど図らずも発覚することとなった。
 ジュエルシードの危険性を考慮すれば九歳だと言うなのはであっても、命がけのジュエルシード封印の現場に駆りだす事が、リスクとリターンを考慮すれば当然の判断ではあるだろう。
 その事を危惧はするが、地球連邦の良識を信じたいアーミアは――ジュエルシードの危険性も無論考慮しているが――なのはを魔法に関わらせないためにはどうすればよいか、とライブに方法を相談している最中なのである。
 ライブが政府上層部になのはの魔法の素養について報告する事はあるかもしれないが、アーミアは自身がイノベイター兼エルス共生体でありながら、モルモット扱いをされていない事もあって連邦政府の良識、あるいは倫理性に対する信頼というものがあった。
 またそれとは別になのはに対してユーノは、あくまでジュエルシードと魔法文明の事について語ったに留まり、連邦政府の協力を得ている事まではなのはに伝えていない。
 となればわざわざアーミアやライブが連邦政府との関わりのある人間である事まで、馬鹿正直に暴露することもあるまい。

『ライブさん、どうにかなのはちゃんを魔法に関わらせないように出来ませんか?』

 脳量子波というものは基本的に一定以上の知性を有する生命ならば誰もが、あるいは何であれ持っている思惟のようなもの。
 人工生命であるイノベイドはこの脳量子波操作能力を人間よりも強化されて誕生し、また人間から進化した純粋種のイノベイターはイノベイドをも上回る強い脳量子波を操る事が出来る。
 イノベイドであるライブとイノベイターであるアーミアは、互いの脳量子波を感じ取ることでSF映画の中の住人の様に、擬似的に言葉を用いない思考の中でのみの会話を行う事が出来た。

『まあ、確かに小学生の力を借りなければならないほど、情けない政府ではないと思いたいし、なによりもまず心が痛むわね』

『私は、その……イノベイターだしエルスが体の中に居るし、いまさら魔法しょ…………魔法の一つ二つと関わる事になったって別に気にしませんけど、なのはちゃんはまだ小さいですし、こんなことに巻きこみたくありません』

 魔法少女と自称する事には凄まじい抵抗を感じて言い直してから口にされたアーミアの言葉に、ライブは大いに共感する。
 量子演算処理システムヴェーダによって成熟した姿で創造された不自然ない生命であるライブだが、数年間は人間として人間社会の中で生きた経験と、インストールされた意識データが良識のある常識人である事も相まって、アーミア同様になのはを関わらせる事に、一個人としては大きな罪悪感と抵抗を感じている。

『私も賛成ね、個人的には。ただこの事はどうしたって報告しないといけないし』

 連邦政府の一員としての職務に加えて、情報収集型イノベイドであるライブは、望まずとも定期的にヴェーダに情報をアップしている為、ヴェーダひいては連邦政府になのはの魔法の素養の事は知られることになるだろう。

『どうしたって、なのはちゃんの事はバレちゃうんですか?』

『そうなるわね』

 所在なさ気にユーノの毛並みを撫でているなのはの姿を、バックミラー越しに赤い瞳に映して、ライブは造形の女神に愛された様に整った柳眉を寄せて白い肌に皺を罪深く刻む。
 繰り返すがジュエルシード封印のリスクを考慮すれば小学生だろうが、九歳の少女だろうが、一般人だろうが、そんな事は関係なく協力を強制するべきではあるだろう。
 ライブは適当に走らせていたエレカを路肩に寄せて、シート越しになのはを振り返り、その柔らかな膝の上で横になっていたユーノを呼びよせる。

「なのはちゃん、ちょっとユーノ君を借りてもいい?」

「は、はい。どうぞ」

 とユーノの両前肢の付け根に手を通して持ち上げたユーノを、なのははライブに手渡す。席順は運転席にライブ、助手席にアーミア、後部座席になのはとユーノとなっていた。
 なおなのはが街中で探していたモノとは何を隠そうユーノその人であった。
なんでもアーミアがユーノと出会う以前に、ジュエルシードとの交戦で負傷したユーノを見つけて、動物病院に運び込んだのがなのはとその友達二人であったらしい。
 その後動物病院で療養していたユーノの様子を時折見に来ていたなのは達だったが、あのアーミアとの出会いの夜に動物病院に謎の事故(ジュエルシードの仕業である)が起きて、ユーノが行方不明になってしまったことで、心配して時間を見つけては街中を探し回っていたそうだ。
 図らずも探しモノであったユーノを見つける事の出来たなのはであったが、おまけとして魔法少女となってジュエルシードの封印まで付いてきたわけだ。
 ライブとアーミアと顔を突きわせる形で――美女と美少女の顔が間近にあって、ユーノは内心ドキドキしていた――ユーノは、なのはに対する説明の口裏を合わせる事を求められた。
 これにはユーノも反対の意見を出さない。ユーノ自身、元々この第九十七管理外世界“地球”に飛散してしまったジュエルシードの回収は単独で行うつもりであったし、現状の現地政府に協力を求めている状況とて、多少なりとも不本意なものである。
 この上、魔法とまったく無関係であった女の子を巻きこむなどというのは、ユーノにとって自身の心を罪悪感と責任感の剣で斬り刻む以外の何ものでもない。
 まだ十歳にもならないと言うのに、ユーノ・スクライアという少年は早熟という言葉では足りないほどに聡明で、また同時に責任感が強く少年らしい潔癖さを併せ持っていた。
 ユーノを加えた為、脳量子波ではなくなのはに聞こえない程度に声量を抑えたひそひそ話で、アーミア達はああでもない、こうでもない、と意見を交わしあう。
 顔を寄せ合ってなにやら話し合っている様子のアーミア達を、なのはが不審に思うよりも早くとりあえずの結論を下さなければならず、いささか性急に三人の話し合いは結論を出さざる得ない。
 イノベイターとイノベイド、更にデバイスの補助なしで高度な演算処理能力を要する魔法を行使する秀英たるユーノらであったが、地球人類の規格に入れていいのか疑わしい三人が知恵を寄せ合っても、あまり良いと思えるような結論は下せず、三人寄れば文殊の知恵とはいうが、なかなかどうして上手くいかない事もあるようだった。
 せめてもの救いはこういうことの前例が、ノンフィクションではあるが無数に存在していることだったろうか。
 そう、魔法少女。
 数世紀ほど遡る昔から幼い少女を対象にメディアが生み出した娯楽のジャンルのひとつ。華の女子高生(留年)のアーミアを恥辱の極みに立たせ、エルスに羞恥プレイという単語と概念を学習させた存在である。
 なのはに対してジュエルシード暴走体や言葉を話すフェレットとしか見えないユーノの事を説明するのに、架空の存在であった筈の『魔法少女』という概念を用いるのは、非常に便利なことであった。
 口火を切ったのはユーノである。
 お世辞にも嘘を突くのが上手いとは言えない根が素直なユーノなので、頭から尻尾まで嘘の話を言うのには向いていないだろうことは容易に察しがつく。
 なのでアーミア達も無理にユーノに嘘を言わせるつもりはなかった。

「なのは、さっきのジュエルシードやぼくの事を説明するから、しっかり聞いてくれるかな?」

 アーミア達が内緒話を終えた事で、なのはも大切なお話が終わったのかなと気にしていたから、ライブの手の上から運転席のシートの上に移ったユーノが、真摯な調子で口を開くのを耳にして、背筋を伸ばす。

「う、うん!」

 小さな体が緊張に固まっているのを見て、つい、アーミアとライブは浮かび上がりそうになる微笑を抑え込まなければならなかった。
 これからなのはにする話は半分は真実だが、半分は嘘を織り交ぜたモノだ。それもこれもなのはを、少なくともなのはの方から魔法に関わろうとするのを予防する為の欺瞞であり、またユーノの性格を考慮したうえでの作り話になる。
 連邦側がなのはに協力を強制するようになったら、アーミアとユーノ達はなのはにとっては大嘘吐きになるだろう。
 基本的にユーノがなのはに対して行った説明は、アーミアに連れられて訪れた地球連邦の研究施設で、ライブ達連邦関係者に行った説明と同じである。
 元々ユーノが地球連邦側に行った説明は、そっくりそのままなのはに話したとしても問題の無い内容――なのはをこれ以上魔法に関わらない様にする為の作り話には――であったので、これはほぼそのままなのはに伝える。
 差異は、全二十一個のジュエルシードの数を減らした事と脅威の度合いを低く見積もった事、なのはの協力によって先ほど回収したジュエルシードが最後であったと言った事だ。
 既にジュエルシードを回収する必要はなく、もうこれ以上なのはの協力もまた必要ではないと、そうなのはに言い含めたのである。

「なのはに手伝ってもらえなかったら最後のジュエルシードを回収する事も出来なかった。本当にありがとう。でももうジュエルシードの危険はないから、安心して」

「……うん。あの、ユーノ君が魔法の世界の人だって言うのは分かったんだけど、アーミアさんとライブさんは?」

 なのはからすれば当然の疑問だろう。アーミアとライブは揃ってなのはを振り返って、脳量子波でリアルタイムで相談しながら口を開く。

「まず私が最初にユーノ君と出会って、ジュエルシードの封印を手伝ってたの。なのはちゃんも、その……私がジュエルシードの暴走体と戦っていたのは見たでしょう?」

 こくん、となのははアーミアの言葉に頷いて見せる。アーミアは魔法少女姿を目撃された事に対して、大いに恥ずかしがっているのだが、魔法少女と名乗っても違和感のない年齢であるなのはは特に気にした様子はない。
 こればかりはなのはが気にしなくてもアーミアが気にする以上はどうしようもない問題だ。

「ライブさんは私の前からの知り合いでね。ジュエルシードを探すのを手伝ってもらっていたの。それで今日で最後のジュエルシードが見つかったって、頑張っていたんだけど、かっこ悪い所を見られちゃったね」

「私も仕事の合間を縫ってアーミアちゃんとユーノ君の手伝いをしていたの。最後の最後でアーミアちゃんがちょっと失敗しちゃったけど」

「う、すみません」

 ちら、とライブに一瞥されて、アーミアがしょぼんと肩を落とす。これは演技のみならずアーミア自身の本心でもあった。もっと上手く自分がジュエルシードの封印を行えていたなら、と思っているのは本当だ。
 あんまりいじめすぎるのもよくないわね、とライブは悪戯心と口元に浮かんでいた微笑を消す。外見はいかにも落ち着き払った知的な大人の美女といたライブであるが、

「まあとにかく、なのはちゃんがもう危険な事をしなくていいっていうのは確かよ」

 後は留めの一押しだ。なのはにこれ以上魔法と関わらない様に、魔法少女や変身ヒーローものにはお約束の、ある事を伝えてとりあえずは口止めとしておこう。流石に九歳の女の子にあまり凄んだ脅しをしても仕方ないだろう。
 脅し役には向いていない事夥しいが、損な役回りが回ってきたのはユーノである。ここはやはり異世界の住人から口止めをした方が、信憑性もあるだろう。
 ユーノはフェレット顔なりに真剣な顔をして、なのはの顔を真っ正面から見つめる。

「なのは、本当はお礼をしなくちゃいけない立場なんだけど、言っておかないといけない事があるんだ」

「なに、ユーノ君?」

 ユーノのどこまでも真剣な様子に、なのはも一体何を言われるのかとひどく緊張した様子。
 傍から見ている分には真面目な顔をしてフェレットと少女がお互いを見つめあっているのだから、少しばかりシュールである。

「実は魔法の世界の決まりで、魔法の事を知らない別の世界の人達に魔法の事を教えてはいけないんだ。今回はどうしても力を借りなければいけないから、アーミアさんやなのはに力を借りたけれど、この事をなのはが他の人、たとえば家族や友達に言ってしまうと」

「しまうと?」

 ごくり、となのはの咽喉の奥で音が鳴る。大方、魔法の事をばらしてしまった時、どうなるかなのはなりに想像を逞しくしているのだろう。
 この極東地域では数百年の時を経ても特撮ヒーローや魔法少女といったテレビのジャンルは、長い事続いている。なのはもそういったアニメを見ていてもおかしくは無い年齢であるから、なんとなく約束を破った時のペナルティの想像がつくらしい。

「……ごめん、ぼくの口からは言えないよ」

「ええ!? ゆ、ユーノ君、なに、私どうなっちゃうの!」

 実はユーノもアーミアもいいペナルティが思いつかなかっただけだったりする。ユーノと同じようにフェレットになってしまう、という意見もあったが、それはそれでユーノに対して失礼であり、ひいてはフェレットに変身するスクライア一族にも申し訳がない。

「うん、まあ、そのとてもじゃないけど口にはできない様な事が……」

 よって、ユーノは口にできない様なひどい事をされる、と口を濁す形にしたのだが、下手に具体的なペナルティを言わない事でかえって想像力をかきたてられる事で、なのははひどく狼狽した様子を見せる。

「そ、そんなに怖い所なの、魔法の世界って!?」

 純真素直ななのはに、魔法世界に対するあらぬ誤解を抱かせつつあるものの、一応脅し文句としての効果はあるようだ。

「まあ、そういうわけでなのはちゃん、魔法の事は誰にも内緒よ。なにしろ私達もこの事を誰かに話したら、ユーノ君がとても口にはできない魔法の国の罰を受けなくちゃいけないんだから」

 あんまりなのはが動揺するものだから噴き出しそうになるのを、頬に力を込めて抑え込み、ライブはあくまで真剣な声と顔つきでなのはに念を押す。
 ライブやアーミアもユーノの言っている事が本当の事だと信じている、そうなのはに思わせなければ、ユーノが貧乏くじを引いて慣れない芝居までした甲斐もない。
 なのはは、嘘を着いたらその場で死んでしまうと思いこんでいるのではないか、という位に思い詰めた表情で、こくこくと何度も頷いた。
 少々脅しが効き過ぎたらしい。



 とりあえず口止めをしたなのはを実家の近くで降ろした後、連邦の研究所に戻り休憩室で軽く咽喉を潤していたアーミアとユーノ達だったが、携帯情報端末を操作してヴェーダにアクセスしていたライブの顔色が、あまりよくない事に気付いて二人揃ってライブの方を向く。
 フェレット用のペットフードを齧っていたユーノは口を動かすの止めて、小さな手にブロック状のペットフードを持ったままライブの横顔に翡翠色の視線を向け、アーミアはカロリーを気にして選んだノンシュガーのストレートティーを手に持ったままである。

「ライブさん、どうかしたんですか?」

 アーミアの声に、ライブははっとした様子で二人の方を振り返る。情報端末に表示されている情報に、よほど意識を集中していたらしい。

「ええ、ちょっとなのはちゃんの事を調べていたんだけど、色々とね」

「色々ですか?」

 気にした素振りを見せるユーノに、ライブは曖昧に答えた。

「そ。まあプライベートな事だから口外出来ないんだけどね」

 既に情報収集型イノベイドとして、ヴェーダに定期リンクを強制されたライブは、なのはが魔導師として恵まれた才能の持ち主である事をアップしている。
 連邦政府はエルスの一件があった事もあって未知の知的生命体に対して過敏になっている。
 ユーノ自身は友好的存在と認めるのに吝かではないが、齎されたジュエルシードは脅威以外の何ものでもないし、対処できる人材も限られていると来ている。
 だから連邦政府は迅速に動いていた。まだ情報を上げてからたいして時間は経過していないが、すでになのはに対する監視命令が情報部に通達されていた。
 ライブ自身は変わらずアーミアとユーノのサポート及び監視命令が下されている。若干気になるのは、なのはの家族の経歴だった。
 なのは自身はどこにでもいる様な普通の可愛らしい女の子であったが、その父親の方はどうにも血の匂いが薫る経歴の持ち主だったのだ。
 なのはに対する監視に気付くかもしれないが、まあ数キロ単位ほど離れた距離からの監視となれば、そうそう気づけるものでもあるまい。
 そちらは担当のチームに任せるとして、こちらはこちらで早急にジュエルシード封印の方策を練らなければならない実情がある。
 ライブは気になっていた事をユーノに問いただした。

「ねえユーノ君。ジュエルシードの暴走体がなのはちゃんに襲い掛かる、なんてことはないのかしら?」

「そうですね。ジュエルシードの暴走体に関しては詳細な記録が残っているわけではないのですが、基本的に知的生命体の願望を元に暴走するものですから、その場に居合わせなければ大丈夫とは思います。ただ、なのはは高い魔力を持っていますからそれに惹かれる可能性が無いとは言い切れません。すいません、はっきりしたことはぼくにも」

 となるとなのはに監視が着いた事はかえってなのはの身の安全を考慮すれば、都合が良かったかもしれない。もちろん、新たに命令がくだされてなのはをジュエルシード封印に駆りだす可能性とて、残ってはいるのだが。

「なのはちゃんにジュエルシードが残っている事を教えて、関わらせた方が良かったんでしょうか?」

 アーミアがひどく心配した様子で言うが、無理もない。時に理屈を超えた預言じみた状況認識能力を見せるイノベイターといえども、万能の預言者ではない。未来に一体何が起こるのか、それを知る事は到底叶わない。
 なのはの魔力にジュエルシードが惹かれるような事になったなら、レイジングハート無しのなのはでは抵抗する事も出来ないだろう。そうなってしまえば、かえってなのはを魔法から遠ざけた事が裏目に出てしまいかねない。
 すべての可能性に対処する事は到底不可能であり、その中から最善と思える選択肢を選ぶしかないのだが、たった九歳の少女の事とあって人道的な感情から、アーミアもユーノもライブとて虚心では居られない。

「アーミアちゃん、そればっかりは後にならないと分からない事だわ。私達は神様じゃないんだから、未来に何が起こるのかなんて、本当に分かりはしないのよ。ヴェーダが常にこの街の状況を監視しているから、なにかあったらすぐにこっちに情報が伝わるし、気を張り過ぎちゃだめよ。
 アーミアちゃんはよく自分がイノベイターだからとか、エルスと一緒だからって言うけれど、貴女だってまだ未成年なんだから。とはいっても私達が貴女に頼り過ぎているのも事実だから、あんまり格好の言い事は言えないんだけどね」

「ライブさん」

 情けないと言わんばかりに肩を竦めて言うライブに、アーミアは小さく笑って返す。確かにライブの言うとおり、アーミアとて特異な能力を持っているとはいえ二十歳にもならない女子高生に過ぎない。
 進化した人類といえども社会的な地位や権力があるわけではないし、確実に未来を予測できるような力があるわけでもない。
 幸か不幸か魔法の素養を持っていたが為に、今回のジュエルシード探索および封印の役目を細い肩に背負ってしまったが、人類の命運を担わせるにはまだあまりにも若く、華奢な肩だ。
 ライブはそれを案じ、そしてまた同時に頼らざるを得ない自分達を恥じていたからこそ、アーミアを案じる言葉を口にしたのだ。
 自分の事を案じるライブの気持ちが嬉しくて、アーミアは心の中を暖かなモノが満たしてゆくのを感じた。



 なのはに心苦しい虚偽を告げてさらに数日が経過したある日の事。
 学生生活と研究施設通いとジュエルシード探索の、三足の草鞋を履いて生活していたアーミアは今日も今日とてユーノが発動を感知したジュエルシード暴走体との激戦を繰り広げていた。
 腰から伸びる蝶の羽の様なリボンをはためかせ、アーミアはフライヤー・フィンという飛行魔法で踝の辺りに生えた紫色の小さな翼の羽ばたきをもって、空中を自在に飛翔していた。
 既になのはから返却されたレイジングハートの助力と共にバリアジャケットを展開し、右手には起動したレイジングハートを握っている。
 先日の暴走体との連続戦闘で回復していた魔力を大幅に消耗してしまったユーノは、防御魔法やバインドの発動さえ困難という事から、アーミアから離れて眼下の木々の陰に隠れて戦闘の様子を見守っている。
 アーミアは自分をはるか上回る巨大な鳥が自在に羽ばたく姿を前に、追従こそできてはいるが慣れない空中戦ということもあって、苦戦を強いられていた。
 イノベイターとして覚醒した肉体は常人では耐えられない様な無茶な機動を可能とし、また暴走体の動きを捉えて離さずにいるが、それ以上は上手くいっていない。
 元は鴉、だろうか。艶やかな漆黒の羽毛に包まれた体のあちこちにジュエルシードの影響による変貌を覗かせ、翼長に至っては実に十メートルにまで達している。
 甲高い鳴き声と共に幾度もアーミアを捉えようと、一メートルはある首狩り鎌を思わせる六本の足の爪を開いては、急接近を重ねてくる。
 真正面から奇声と共に襲い掛かって来た鴉型の暴走体を、ひらりと風に遊ぶ蝶の様に軽やかな動きで回避する。
 さきほどから一方的に繰り返される鴉型暴走体の攻撃を回避し続けて、流石に空中での動きにも多少慣れてきたアーミアは、ここぞとばかりにリンカーコアから発せられる魔力を自身の周囲に展開、攻撃魔法へと変換する。

「脳量子波同調――――! ファングシューターいっけえ!!」

『Fire』

 かつてエルスが火星近宙域で同化したMAガデラーザに搭載されていたGNファング。それをアーミアが知っていたわけではないが、無意識下でのエルスとの情報共有から有効と思える武装を、意識するまでもなく魔法として再現したのであろう。
 アーミアの魔力をたっぷりと籠めた全十基のファングスフィアから、更に十四基の小型ファングシューターが射出され、射撃のみならず魔力を刃状に形成し直接斬撃も可能とする、全百五十四基という膨大な誘導魔法が虚空を踊る。
 アーミアの空間把握能力、反応速度、エルスによって強化される各種身体能力、レイジングハートによる演算処理補助が百五十四基のファングシューターをひとつの群体生物のごとく躍動させる。
 アーミア自身にたとえばMSを用いた戦闘経験などはまるでないが、一年前の地球連邦軍との戦闘でMS戦を学習したエルスがそれを補い、いくつかの小グループに分かれたファングシューターは、魔力刃と魔力砲の二つを使い分けて鴉型暴走体を瞬く間に追いつめてゆく。
 鴉型暴走体の軌道予測と思惟の知覚をアーミアが行うことで、手にとる様にして動きが把握でき、それまで空に生きる生物であるが故に見せていた動きが通じなくなった鴉型暴走体に、面白い様にファングシューターが命中してゆく。
 とはいえいささか数を優先しすぎたせいか、ファングシューターひとつひとつの魔力的な攻撃力というものは、そう大したものではなくジュエルシードの魔力を核とする暴走体に与えるダメージは小さなものだ。
 怒涛の本流と化すファングシューターの中に飲み込まれて、連続する魔力ダメージに巨体を構成するジュエルシードの魔力を減衰させる暴走体が、ひと際大きく嘶くと、膨大な魔力を発して、纏わりついていたファングシューターが尽く弾き飛ばされる。
 アーミアもまた糸の切れた凧のように後方に弾き飛ばされて、咄嗟に乱れているスカートの裾を抑えながら、アーミアはファングシューターの制御を取り戻して自分の周囲に呼びもどす。
 鴉型暴走体の追撃を警戒し、純魔力による防御魔法の展開の準備を行っていたアーミアは、鴉型暴走体が追撃ではなく逃亡を選択している事に気付く。

「ああ、逃げちゃう!?」

 アーミアの叫びなど無視して鴉型暴走体は、力強く両方の翼をはばたかせて急速にアーミアから距離を取る。
 ファングシューター、ディバインシューターどちらも距離を開けられ、狙いが定めにくい様にアットランダムな動きで逃げる鴉型暴走体に当てるのはいささか難しい。
 となればアーミアが取りうる手段は、遠距離砲撃。それも極めて精度と出力ともに高い砲撃だ。事前にレイジングハートに登録されていた魔法や、現在アーミアの使用できる攻撃魔法の中には、相性が悪いのか生憎とこの状況に適した攻撃魔法がない。
 結界の外に逃げられでもしたら、それこそ軍を出動させる様な事態にもなりかねない。咄嗟に思考を巡らせるアーミアは、エルスが学習した情報も併せて具体的な打開策を模索し、そして幸いにもそれを見つけることに成功する。

「エルス、レイジングハート、お願い!」

≪エルス、分かった!≫

『OK』

 アーミアの脳量子波を感知したエルスとレイジングハートは、それぞれシェイプシフトとバリアジャケットの構成変更によってアーミアの願いをかなえるべく迅速に行動を開始する。
 ここで少し話がそれるが擬似太陽炉搭載型MSが主流となった昨今、旧世代型と称される様になったMSの中の、イナクトという機体について少しばかり述べる。
 西暦2307年、AEU初のマイクロウェーブ受信型MSとしてロールアウトし、次期主力MSとして世界の耳目を集めた機体であるが、不幸にもソレスタルビーイングのガンダムエクシアによってデモンストレーションの会場で撃墜され、世界で一番最初にガンダムに撃墜されたMSとして、その時のパイロット共々知られることになる。
 またAEUの威信をかけて開発されたMSながら、当時のMSの百年先を行くとされたガンダムを相手にしては、終始抗しえず主力MSとして開発されながらもAEUに広く配備される事もなかったと言う不遇の名機である。
 先に述べた様に、このイナクトは他勢力のMSに先行して導入してされていたマイクロウェーブを受信して動力とする機能を有する機体である。
 軌道エレベーターから供給される莫大な太陽光発電によるエネルギーを受信することで、マイクロウェーブ受信域内であれば、活動時間に制限がないという特徴がある(部品の損耗や推進剤の枯渇などはまた別の問題として)。
 そしてイナクトやイナクト同様にマイクロウェーブ受信機能を有するMSを、かつてエルスは一年前の戦闘の最中に同化して学習し理解している。
 そう、エルスはその気になれば軌道エレベーターのマイクロウェーブを受信して、活動の為のエネルギー源とする事が出来るのである。
 そして、エルスにできる事は左半身をエルスで構成するアーミアにも、やろうと思えば出来ない事ではないのだ。
 アーミアは足元で隔離結界を展開中のユーノに念話で呼びかける。

(ユーノ君、私の周囲だけ結界を解除できる? 軌道リングが見えるだけでも良いんだけど)

(結界の局所解除ですか? わかりました。難しいですけど、やってみせます!)

(ありがとう。出来ないって言わない所がかっこいいよ、ユーノ君!!)

(え!? あ、ありがとうございます)

 照れているらしい。
 くすり、と笑みを零してアーミアはレイジングハートを両手で構え直す。
 レイジングハートとエルスが協力して、より効率良くマイクロウェーブを受信できるように、バリアジャケットの外装を一部変化させた。
 アーミアの腰から伸びていた長いリボンは二枚の細長い板状の物体に変わり、また背中からも同じように二枚の板状物体が伸びる。
 アーミアの左手を構成していたエルスがレイジングハートの同意を得た上で、彼女の全身を水銀の様に包み込んで、シーリングモードへと姿を変えていたレイジングハートを更に細長い砲身がカバーする。
 そうやってアーミアとエルスとレイジングハートが、長距離精密大火力砲撃の用意を整え終えるのを待っていた様に、ユーノが結界の局所解除という難事を見事完遂させた事を、アーミアはその全身で感じ取る。
 見る者が見ればアーミアの背に銀色に輝くX字を認める事が出来ただろう。隔離結界自体は維持しつつ、アーミアの頭上部分のみを円柱形に解除したユーノの技量は賞賛に値する。
 そして解除された結界部分からアーミアは軌道エレべーターから発せられるマイクウェーブを背中のX字のパーツで受信し、同時に百単位のMSに作戦行動を可能とさせる莫大な電力を体内に蓄える。

「エルス!」

≪らーじゃ!≫

 さらにその電力をすぐさまエルスが魔力へと変換する。
魔法と接して数日が経過し、エルスはアーミアと同化している事に加えて、知性を有するインテリジェント・デバイスであるレイジングハートと情報の共有を行って、相互理解を果たしており魔力、リンカーコア、インテリジェント・デバイスの三つを理解していた。
 アーミアの体内の魔力と融合し、レイジングハートとエルスによって調節されたマイクロウェーブの変換魔力がエルスと部分融合を果たして長出力に耐えられるよう変形したレイジングハートを伝って、解放の時を今か今かと待つ、凶悪な魔力の獣と化す。
 アーミアの虹彩が金色の煌めきに揺れて、イノベイターの能力の発露を証明する。拡張された近く領域の中で、まるですぐ目の前、眼と鼻の先に居るかのように鴉型暴走体の存在がアーミアには感じ取れる。
 あるイノベイターは千キロメートル先に存在する目標を、0.003秒で知覚して撃ち抜いた事もあるが、エルスと共生しレイジングハートの補助を受けるアーミアも勝るとも劣らぬ知覚領域と精度を誇る。
 先ほどまではその知覚能力を十全に発揮できるだけの魔法がなかったが、いままさにその超絶の知覚能力に相応しい規格外砲撃魔法が、イノベイター、エルス、インテリジェント・デバイスの三位一体によって完成する!
 軌道エレベーターから発せられるマイクロウェーブを受信して放つこの砲撃魔法は、さしずめオービタルキャノンとでも命名するべきだったろう。
 しかし、敢えて言おう――

「サテライトキャノン!!」

 ――であると!!
 エルスによる耐久補正が加わったレイジングハートの砲口の奥にアーミアの魔力色である紫の光が瞬き、その次の瞬間電力から変換された莫大というも愚かな魔力が、まさに奔流となって解き放たれた。
 実に直径十メートルになんなんとする巨大な光の柱が溢れだし、アーミアの四、五倍以上の巨大な光は一直線に鴉型暴走体へと疾走し、翼長十メートルを誇った魔性の巨鳥の全身を丸ごと飲み込み、一瞬でジュエルシードの発していた魔力を消散させる。
 地上から天空へとさかしまに飛翔する流星のごとき軌跡を描いて、サテライトキャノンの圧倒的な光は延々と照射され続け、それはまるで神の起こした奇跡のごとき神々しささえ備えていた。
 こうしてアーミアはまた一つ、新たなジュエルシードの封印に成功したのである。



 言葉を喋るフェレットのユーノとお店の常連だというアーミア、それにテレビで良く似た女性を見た事のあるライブ達との不思議な出会いと、魔法というおとぎ話の中の産物と関わった日から、なのはの頭の中には常に彼女達の事があった。
 ユーノを探していた友達のアリサとすずかには無事にユーノが見つかって、飼い主の所へ帰ったと告げておいたが、魔法の事に関してはユーノに言い含められた通りに家族にも話していない。
 これまで普通に生きていたなのはの人生に訪れた普通ではない事。それにもう二度と関わる事は無いと告げられて、頭でも理解していても、それでもなぜか心が告げているのだ。
 まだこのままでは終わらないのではないか、自分にもできる事があるのではないか、きっとなにかが起きると言う事を。
 学校が終わって家に帰り、制服から私服に着替えたなのはは、心の中にずうっと残っている疑問や不安、あるいはなにか言葉にし難いもやもやとした感情に突き動かされる様に、生まれ育った街中を宛てもなく歩き続けていた。
自 然を多く残すこの街には街中にもちょっとした広さの公園があり、また少し郊外を行けば緑の深い山に足を踏み入れる事も出来る。
 どこへ行くと決めたわけでもなく歩いていたなのはは、知らぬうちに郊外の山の麓近くにまで歩いてきてしまっていたらしい。随分な時間歩きまわっていたようで、そろそろ家に引き返さないといけないだろう。
 そう思ってきた道を振り返るなのはの耳になにか爆発音の様な連続する轟音が届き、心臓が強く脈動するような感覚が襲ってくる。
 この感覚は、レイジングハートを手に魔法を発動させた時と同じ感覚! 音と感覚の源が同じであると察したなのはは、それが山の奥深くである事に気付き、一瞬だけ迷う様子をその幼い顔に浮かべたが、すぐに決意の色が新たに浮かび上がって、感覚の強くなる方向めがけて走りだす。
 運動能力は魔法の天賦の才に比べると非常に残念ななのはは、若干見ていてたどたどしい様子で山の中の舗装された道を走り昇って行き、近づくにつれてなにか轟音に紛れて人の声を聞き取る。

「……ぬう、面妖な。妖の類か!」

「師匠!」

「慌てるでない。この気配の禍々しさ、悪行を成す妖魔魔性であろう。この場でわしらが成敗してくれる! よいな!」

「はい!」

「行くぞぉおおおおおお!!!」

「はいぃいいいい、師匠ぉおおおおお!!!!」

 聞いているこちらの鼓膜が破れてしまいそうな大声量と気合いと共に、更に凄まじい爆発音が発生し、思わずなのはは

「ひゃっ!?」

 と悲鳴を零して咄嗟に耳を塞ぐ。なのはの大粒の宝石みたいにきらきらとした瞳の先には、もうもうと立ち込める土煙と、根元から吹き飛ばされて天高く舞いあがる木々が映っている。

「……う不敗が最終奥義ぃいいい…………」

「……驚拳ェエエエエエーーーーーーーンンンン!!!!!」

 瞬間、万の雷がそこに落ちたかのような、あるいは小さな太陽が生まれたかのような黄金の輝きがなのはの視線の先に発生し、その光の余りの強さになのはは、眼が見えなくなってしまうのではないかと心配してしまうほどだった。
 凄まじい力によって発生した衝撃波が大気を振動させ、なのはの小さな体を震わせる。なのはは知らなかったがこの街には東西南北を一文字ずつ冠する武術の流派が存在し、四年に一度東西南北中央不敗スーパーアジアの称号を掛けて激闘を繰り広げていたりする。
 振動と光が収まってから、おそるおそる瞼を開いて走るのを再開させたなのはは、十分ほどして山の裾野に突然出来た直径二十メートルのクレーターの縁に到着する。
 テレビの向こうくらいでしか見た事のなかった非日常の人の手から成る破壊の光景を前に、なのはは言葉もなく絶句している。

「ど、どうしちゃったの、これ……」

 呆然と呟くなのはだったが、太陽の光を反射してきらきらと輝く何かが足元のかろうじて残っていた雑草に隠れる様にして、なにか宝石の様なものがある事に気付いて、そっとそれを拾い上げる。

「これって、ジュエルシード? ユーノ君はもう無いって言っていたのに」

 なのはの小さなの手の中に在るのは、紛れもなく菱形の宝石の形をしたジュエルシードに他ならない。
 ユーノがもうないと言った筈のジュエルシードがなぜこんな所に在るのかは、なのはにはさっぱり分からない事だったが、ある筈の無いものがある事になのはの心は驚きに見舞われる。
 このジュエルシード、暴走こそしていないが、封印されてはいないのだ! このままではいつ暴走を始めるか分からない。あるいはどうにかしなくちゃと思うなのはの思考に感応して、暴走を始めてしまうかもしれない。
 どうすればいいのか、どうしようもないのか、手の中のジュエルシードを持て余すなのはの背後から、なのはと同年代くらいの女の子の声がなのはに掛けられた。

「その宝石を渡してください」

「ふぇ?」

 振り向くなのはの瞳に、金色の滝の様に美しい髪を左右に結い、雪輝の様な肌がことさら映える黒い服を着たひどく美しい人形の様な女の子が立っていた。
 なのはは魔法という名の運命から逃れられない様だった。

<続>

23歳であのソニックフォームになれるフェイトさんは凄いと思います。尊敬はできないけれど。
ところでサテライトキャノンやGガンダムネタを書いていて気になったのですが、サテライトキャノンが四発で地球を破壊できる、マスターアジア師匠はルールだから仕方なくガンダムに乗っているのであって、生身が一番強いと小耳に挟んだのですが、真偽のほどはどうなのでしょうか。よろしければお教えいただ蹴れば幸いと存じます。
誤字脱字、ご感想などお待ちしております。筆者は感想乞食なので馬鹿みたいに喜びます。では今後ともよろしくお願いいたします。



[11325] 刹那・F・セイエイ×色々編 おまけまとめ①、②、③追加
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/03/24 12:35
おまけ 刹那の外宇宙ぶらり漫遊記①

 エルスとの対話の為、ティエリア・アーデと共にダブルオークアンタによる量子ジャンプを行った刹那は、死に瀕した母星に留まっていたエルスの最上位意思決定者との対話を終え、地球人類との橋渡しの役目を無事に終えることに成功した。
 地球圏に接近していた超大型エルスとの対話を試みた際にパージしたクアンタの外装は、融合したエルスが代わりを務め、ダブルオークアンタはクアンタエルスへと姿を変えている。
 刹那もまたその身にエルスを受け入れて、肉体を大きく変質させて、イノベイターのさらに先を行く者へと、革新者から先駆者へと変わっていた。
 エルス母星から飛び立ち、やがて良き友となったエルスと共に地球人類が外宇宙に進出した時に、別種の地球外知的生命体と接触した際に不幸なすれ違いが起きないよう、対話を行う為に刹那は未知なる宇宙へと旅立った。
 エルスをその身に受けれいたことで太陽光やGN粒子を糧とすることで食事や睡眠といった行為を必要としなくなった刹那は、不眠不休で無窮の闇の上に数え切れない星の輝きを散らす宇宙を半身と呼ぶべきクアンタエルス、頼もしき仲間ティエリア、そして友たるエルスと共に飛翔し続けている。
 既にエルス以外の人類種とは異なる異形の異星生命体との接触を果たし、脳量子波を介した対話と交流を行って地球人類への理解を得ることにも成功していた。
 その過程でエルスが学習吸収した技術によって、クアンタエルスの外見は変化し、機能拡張が計られて、地球から量子ジャンプによって旅だった時とは比較にならぬほど性能が上昇している。
 星の海と形容するほかない無数の星々の光に心を穏やかなものしながら、果てのない宇宙の旅路に就いていた刹那だったが、天文単位の有効範囲を有するに至ったEセンサーが空間の異常を探知して、ティエリアが刹那に注意を喚起した。

「刹那、前方五キロの地点になにか質量をもった物体が出現する。この距離までセンサーが感知できないかったとは。刹那、君はなにか感じるか?」

 コックピットシートに座る刹那の正面にあるコンソールに、身長三十センチほどに縮小されたティエリアの立体映像が、自分を振り返って問うてきた質問に刹那は緩く首を横に振ってこたえる。

「いや脳量子波は感知できない。エルスも好奇心を抱いてはいるが特に何か分かっているわけではないようだ」

「そうか、しかしエルスは相変わらずだな。だからこそ彼らは外の世界に興味を示し低軌道リングを造り軌道エレベーターを造り、必要に迫られてとはいえ外宇宙に進出してぼく達と出会ったわけだが」

「ああ。……空間の歪曲が縮小している。まもなくこちら側の宇宙に出現するぞ」

「計算では、後五秒、四秒、三秒…………」

 ティエリアのカウントがゼロを数えた時、静止したクアンタエルスの前方に広がる空間がまるで癇癪を起した子供が紙を丸める様にして歪曲し始め、それが限界まで縮小された時、空間そのものが爆発を起こして何かを放出する。
 おりしも物体の射出方向はクアンタエルスの居る方向であった。十メートルに満たない物体の光学映像が、コックピットの中に映しだされて刹那とティエリアが揃ってソレを瞳に映す。
 緩やかに回転しながらこちらへと接近してくるソレを見て、ティエリアがかすかに瞳を見開いた。刹那は口を閉ざしたまま視線を固定している。

「これは人工の物体か。MSというわけではないが、おそらくは人型ロボットの類だな」

「回収してアクセスを試みる。エルス達に同化してもらえばなにかしらの情報は得られるはずだ」

 刹那はこちら側に向かってくるソレに合わせてクアンタエルスを動かし、母が幼子を抱き締める様にクアンタエルスの腕で、世界から拒絶される様にして姿を現したソレを抱きとめる。
 ソレが青みがかった白に輝く肌を持っていた。ティエリアが判断したように元は人型をしていたのだろうと判断が着くのは、腰から下を失ってはいるがソレの外見が人間の上半身に酷似している為だろう。
 明らかに金属質の肌――装甲であるのに、精巧なギリシャ彫刻を思わせる流麗かつ逞しい男性の上半身を連想させる造作であったが、首から上は決して人間とは思えない形をしている。さながら狗を連想させる尖った鼻先と二つの耳を備えているのだ。
 ソレを抱きとめたクアンタエルスの腕からエルスが水銀の様に溶けだして、傷つき果てたソレにゆっくりと沁み込んでゆく。
 共に人ならざる巨人でありながら、ソレを抱くクアンタエルスの姿は戦場に赴き傷だらけになって帰って来た夫を介護する妻を思わせるほどどこか生物的なぬくもりに満ちていた。
 ソレの内部に浸透していったエルスからの声を聞いた刹那が、ティエリアとリンクして搭載している量子演算処理システムヴェーダのターミナルユニットに情報として記録してゆく。

「どうやら機体とは別にAIが搭載されているようだな。機体の全てが動力となる特殊な鉱石で造られている様だな。かろうじてAIの方はまだ生きているらしい」

「接触を試みる。ティエリア、サポートを頼む」

「了解した」

 刹那はエルスを介してソレに搭載された独立戦闘支援ユニットのデータ領域へと、自らの意識を潜航させる。
 はたしてどれだけの激戦の果てに刹那たちの前に姿を現したのか、ソレの機体はよくも原形を保っていられると言うほど限界を間近に迎えていたが、独立戦闘支援ユニットはまだ機能を維持していた。
 そして刹那は声を聞いた。合成音声故の無機質で感情の温度が存在しない声を。けれど、美しい女の声を。

――私はすべてを破壊する為に造られた。

 造られた存在であるが故に与えられた命令こそが至上。生物にとっての本能のごとく、自分の造られた目的は同時に存在意義であり命題でもあるのだと、その女の声は暗に告げている。
 刹那は問うた。

「それがお前の望みなのか」

 女の声は答えた。自分に問いかける者がいる筈のない可能性に気付くほど、まだ機能を回復していなかった女は素直に答える。いや、そもそもコンピュータである女に嘘を吐く機能など元から存在してはいなかったが。

――それが私の命題。私の存在意義。

「お前自身も含めて全てを破壊する事がか?」

――それが私。それがア■■ス。その為の私。それが故の■ヌ■ス。

 ただただ己の真実を伝える女の声に、刹那は一度問う言葉をしまう。だがそれは女に掛けるべき言葉を見失ったからでも探しているからでもない。女の言葉にまだ続きがある事を悟ったからだ。

――けれど私は目的を果たせなかった。私は命題に背いた。私は命題を果たせなかった。

「なら、どうする。お前は何を望む。まだ破壊を望むか? それ以外の事を知ろうとは思わないのか。全てを破壊する事以外にもお前に出来る事はある」

――…………。

「命題を果たせなかったというのなら、お前は変われ。全てを破壊する為に造られたというお前でも、それ以外の何かを出来る存在に変われるはずだ。おれがそうだったように。破壊者であるおれが変われたように」

 女の声は答えない。データ領域に入り込み対話を行う刹那に対する懐疑の念を抱かず、自身の存在の根幹を成す命題の未達成と存在意義の消失に、正常な機能を発揮できずにいた。
 刹那は語り、問い、答え、説き、そして待った。
 かつて純粋に独立戦闘支援ユニットとしての機能だけを求められた女の声の主にとって、刹那との接触と会話は、あまりに未知の領域でありすぎたのである。
 はたしてどれだけの時間が経過した時であったか。刹那とティエリアとエルスらが見守る中で、女の声は答えを出した。
 
そして――時は流れる。

 また新たな知的生命体と遭遇し数年の歳月をかけて対話と互いの理解をゆっくりと、しかし穏和にそして着実に果たし、刹那はクアンタエルスとティエリア、エルスらと共に異星体が宇宙に造り上げたステーションから飛び立とうとしていた。
 そしてクアンタエルスの傍らには巨大な影があった。かつて刹那たちが出会い対話を試みたソレと呼んだモノである。著しく損傷して上半身のみになっていた痛々しい姿も、エルスが同化し、エネルギーを供給して正常な機能を取り戻させた事によって、人型を取り戻している。
 刹那はクアンタエルスの傍らに佇むソレに声をかけた。

「行こう、デルフィ」

『了解しました。刹那』

 アヌビスE(ELS)に搭載された独立戦闘支援ユニット“デルフィ”は変わらぬ美しい女の声で、しかしこの数年間で人間らしい温かみと感情の響きを得た声で答えたのであった。

アヌビスEが仲間になりました。
デルフィが仲間になりました。
エルスはメタトロンを学習しました。
クアンタエルスは全サブウェポンを取得しました。

八針来夏さんのSSを読んで興味がわいてANUBISを買ってクリアした勢いでおまけを書きました。私は全てを~~云々のモノローグが出た時にアヌビスの上半身が浮かんでいたので、デルフィは股間の方に搭載されていそうだけど、まあいいや、ということで上半身の方に基幹データがあるということにしました。エイダはレオの嫁だと思うので、エクシアという嫁はいますが刹那の頼もしい仲間という事で登場。アヌビス、続編でないかなあ。



おまけ 刹那の外宇宙ぶらり漫遊記②

 かつて私設武装組織ソレスタルビーイングの創設者イオリア・シュヘンベルグは、人類が知性を誤って使ったまま外宇宙に進出し、未知なる異星生命体との接触で争いの火種を振りまく事を危惧し、忌避し、そして悲しんだ。
 イオリアの夢想的な理想と理念は、やがて三世紀近い時の流れの果てに実を結ぶ事となるが、しかしそれはあくまで地球人類に限っての話である。
 宇宙は広い。例えエルスの力を借りたとしても人類が広大無限なる宇宙を余すことなく知るのは途方もない年月の果ての事であるだろう。
 そんな宇宙の中には、逆にイオリアの危惧した形で外宇宙に進出した生命体が存在していないなどと、はたして誰に断言できようか。
 人類が知性を正しく使う段階にいたり外宇宙に進出したとて、来るべき対話において相対した相手もまた、知性を正しく使う存在であるとは限らないのだから。
 そう、たとえば種の繁栄と生存域の拡大を高度に発達させた本能として有するだけの、知性と呼べるだけの知性を持たない生命体が、存在していたなら?
 そんな存在と接触した時、はたして人類の辿る運命は? 
 その運命が最悪のものとならぬように、今、ある一人の革新者から先駆者へと至った若者が命を掛けて戦っていた。
 太陽系をはるか光年単位で遠方にのぞむ外宇宙の一角が、翡翠を微粒子にまで砕いて撒いた様に美しい光の渦に包まれていた。
 地球圏の人々がそれを目撃していたならば、それをオリジナルGNドライヴのみが生成しうる高純度のGN粒子の、それも途方もない圧倒的な量の放出である事に気付いただろう。
 GN粒子の生産量を二乗化するツインドライヴシステムと、純粋種のイノベイターが放つ脳量子波をキーに発動する高濃度GN粒子散布によって、意識共有を計るクアンタムバーストと呼ばれる、異種との意思疎通の為の特殊領域が光の渦の正体であった。
 地球型惑星一つを丸々覆い尽くせるほどの超広範囲強化クアンタムバーストの中心点には、狗の様な頭部をもった巨人に守られる、あたかも古代の人々が見た天使の様な姿の巨人がいる。
 “先駆者”刹那・F・セイエイの半身とも呼べる、MSとエルスの融合体クアンタエルスである。
 エルスとの融合によってより出力を強化されたツインドライブシステムが生産する莫大なGN粒子を、一部装甲を展開した機体の全身から放出し、刹那はこの宙域で接触した未知の存在との対話を試みていた。
 クアンタエルスと、数年前に刹那らと出会い今は行動を共にしている独立戦闘支援ユニットデルフィが制御しているオービタルフレーム“アヌビスE”の周囲は、体高四~五メートルほどの昆虫めいた宇宙生物と、中世の騎士鎧をより有機的なフォルムにした外見の巨人たち(クアンタエルスなどと比べれば三分の一か四分の一ほどだが)が取り囲んでいた。
 出会い頭、交流を持とうと武装を放棄して接近を試みたクアンタエルスとアヌビスEに、謎の宇宙生物と巨人たちは一切の容赦なく襲い掛かり、溶解液やビームを放ってきたのである。
 これがエルスと人類の初期接触の様な互いのコミュニケーション手段の相違によるものでない事は、刹那の脳量子波が明確な敵意を相手側から感じ取った事から既にデルフィと刹那共々理解している。
 クアンタムバースト中は無防備となるクアンタエルスを、超高出力のシールドで守っていたデルフィは、GN粒子の放出が収縮して展開されていた装甲が元通りになったクアンタエルスに通信を繋げて、刹那に対話の答えを問うた。
 しかし今も変わらず豪雨のごとくアヌビスEとクアンタエルスに降り注ぐビームや生体ミサイルの事を考えれば、対話の結果は失敗に終わったということだろう。

『刹那、彼らはなんと告げて来たのですか?』

 合成音声による無機質だが美しいデルフィの声に、刹那はしばしの間を置いてから答えた。

「……確かに脳量子波も知性も彼らにはあった。だが、彼らの意識の根底にあったのは繁殖への欲求だ。他の生命体を駆逐してでも自分達の生存域を拡大すると言う知性を捻じ曲げるほどの強い本能」

 刹那の正面に設置された量子演算処理システムヴェーダのターミナルユニットから、全長三十センチメートルほどの電子立像が浮かび上がり、地球を旅立ってからの長い間、刹那の良き相棒であり続けたティエリア・アーデが姿を現す。
 初めて出会った時からまるで変わらぬ容姿のティエリアは器用にホログラフの指でホログラフの眼鏡を押し上げて、意識共有によって得られた情報を口にする。
 損傷していたアヌビスをエルスを移植することで本来の自己修復機能と合わせる形で復元したアヌビスEのデルフィにも、エルスを通じて刹那が得た情報が伝えられている筈だが、敢えて口にする事をティエリアは選んだ。
 脳量子波レベルで意思の疎通が可能となった彼らだが、人間という生き物は思考を口にする過程で論理飛躍を発生させて、脳の思考とは異なる思わぬ結論や推論を口にする事がある。
 またその肉体を先駆者へと進化させた刹那であったが、その精神の根底は変わらぬ人間の物であるから、こういった元のままの行為を行うことにも精神的なストレスを緩和する意味合いがある。

「まるで本来の彼らの意思とは別になにものかの意思が介入しているかのような、いや意思ではなく本能というべきか」

「ラダム……」

 ティエリアの独白を遮る様に刹那が呟いた言葉に、ティエリアがいぶかしげに刹那の顔を見る。

「刹那?」

 刹那も自分が何かを口にした事に気付いていなかったのか、聞き返すティエリアにどこか浮ついた調子で答えるが、言葉を重ねるにつれて徐々に明瞭なモノへと変わる。

「ラダム、その言葉が聞こえた」

『ラダム。現在我々を取り囲んでいるアンノウンの種族名か組織名でしょうか?』

「分からない、だが彼らにとって極めて重要な意味を持っている事は間違いない」

「だが、どうする。デルフィ、刹那、クアンタムバーストをもってしても対話が出来ないとなると、ここは一度別の宙域へ撤退するか?」

 ティエリアの提案はごく妥当なもので、デルフィも発言こそしなかったそれに賛同していたが、刹那がすぐさまそれに異を唱えた。

「いやこの場に留まって彼らとの対話を試みる」

『ですが虫型の脅威は極めて低いものとはいえ、人型の戦闘能力は侮れません』

「分かっている。武装を立ち上げる。ただし迎撃行動はあの虫型にだけ行う」

 クアンタエルスひいては原型機であるダブルオークアンタは、当時に置いて最強のMSと言っても過言ではなかったが、その存在意義はあくまでも対話を成す為の物だ。
 だが同時に武装も有しており、対話によって争いの終結を目指す一方で、対話を成す間も人が死ぬのを止める為に武器を取る事を、そして武力介入をもって紛争を根絶すると言うソレスタルビーイングの理念を刹那が忘れたというわけではない。
 武器を持たずに対話を行う事も、そして対話を成す為に一時は武力を必要とする事もどちらもが正しくどちらも間違っている。
 その矛盾を抱えたまま、刹那は外宇宙を巡っていた。
 その矛盾こそが人間なのだと、今だ出逢わぬ未知の隣人たちに理解してもらう為に。
 エルス達は即座に刹那の意識に同調して、クアンタエルスの右腕にかつてエルス母星への旅路に赴く際に捨てたGNソードⅤに、そしてクアンタエルスの背に生えていた十二枚の翼状の触手は十二基に増えたGNソードビットA、B、Cへと変わる。

「巨人たちに手を出してはいけない。だが、あの虫達。おれにも正体は分からないがあれは……」

 これまで外宇宙を巡る旅の中で何度か武力を行使しなければならない事態に遭遇した事はあったが、その時も対話と相互理解に尽力した刹那が、言葉を濁したとはいえこうも敵意を明確にする事に、ティエリアは少なからず驚きを見せた。

「刹那……。いや、君の感性を信じよう。デルフィ、君も迎撃行動を取ってくれ」

『了解しました、ティエリア。オール・ウェポンズ・フリー。迎撃行動を開始します』

 クアンタエルスが戦闘態勢を整えるのに合わせて、超電磁銛GNウヌスロッドを収納空間ベクタートラップから取り出して構え、機体の表面に幾筋も流れる赤からGN粒子の緑と変わったエネルギーラインを輝かせる。
 元より星間航行を可能とし、衛星兵器メメントモリもかくやというほどの圧倒的な攻撃力を保有するアヌビスであったが、エルスとの融合とGN粒子技術をはじめ刹那たちがこれまで出会った異星のテクノロジーを吸収・学習し、元から備わっていた自己進化機能によって機体を更に進化させており、その戦闘能力はもはや筆舌に尽くしがたい。
 刹那たちを取り囲む巨人たちはまるで中世の鎧が生命を宿したような外見をしたものが複数種おり、手にはさまざまな形状の金属質の武器を握っている。
 一方、巨人たちの数百倍はいるかという虫達――より正確にはラダム“虫”ではなくラダム“獣”――は緑色の甲殻と真紅の瞳を複数持ち、茶色の筋繊維で甲殻を繋いでいる。
 更に後方にはひと際巨大な虫がおり、キャリアかあるいは虫を産むプラントの役割を持っているかもしれない。仮にラダムマザーとここでは呼称する。
 これらの虫型は知性こそほとんどあってないようなものだが、宇宙空間でも自在に活動可能なように適応した強力な生命体ではある。
 巨人の方が虫達の指揮を取っている様であるから、こちらから叩けば手気の動きを乱す事も出来たろうが、刹那によって巨人たちへの手出しは禁じられているから、デルフィはまずはもっとも数の多いラダム獣から数を減らしに掛った。
 すぐさま目標を自動追尾するホーミングレーザー“ハウンドスピア”の同時多重ロックオンによって、最大65535の目標を同時攻撃可能……かどうかまでは分からぬが、一挙に複数のラダム獣を捉える。
 ラダム獣が牙の生え並ぶ口から吐き出す汚らしい溶解液は、宇宙空間でも凍結することなくアヌビスEめがけて放たれるが、最強のOFとして名を馳せたアヌビスが原型機であるアヌビスEは、正式なパイロットであるランナーなしでも、恐るべき敏捷性を見せて汚液を一滴たりとも装甲に付着させない。
 そうして漆黒の宇宙を彩る汚らしい液体の合間を縫い、デルフィはハウンドスピアのエネルギーを解き放つ。
 鋭角に幾度も折れ曲がりながら目標へ猟犬の群れのごとく襲い掛かるハウンドスピアは、一発も外れることなく数発ずつラダム獣の堅固な甲殻を貫き、瞬く間にラダム獣を絶命させる。
 ランナーなしとはいえ刹那との数年来の宇宙旅行で学習を重ねてきたデルフィは、自己機能の拡張と積み重ねた戦闘経験から、独立戦闘支援ユニットの機能限界と枠を超えた存在となり、既に一級のランナーに匹敵する操縦技術を備えている。
 ヴェーダ同様に一種の機械生命体と呼べるほど複雑な存在へと進化しているのだ。
 同時に多数の攻撃目標を相手取るにはサブウェポンのファランクスが有効だが、いささか射程が短いのと、敵機を選別できる武装ではない事からデルフィはハウンドスピアとサブウェポン“ホーミングミサイル”を攻撃の主軸に置いていた。
 メタトロンの超エネルギーが支える圧倒的な攻撃力、防御力、機動性、更にGN粒子の特性とエイリアンテクノロジーが合わさったアヌビスEは、物理法則をほとんど無視しているのではないかという超機動と超火力を見せてラダム獣の合間を縫って、次々と知性なき侵略者たちを星間物質へと還元してゆく。
 一方で刹那も、サブウェポン“デコイ”による多重残像によって敵ラダム獣を幻惑しながら、右手のGNソードⅤのライフルモードとソードモードを巧みに使い分け、ソードビットとホーミングレーザーの併用を持ってデルフィに劣らぬ成果を瞬く間に生みだしてゆく。

「刹那、12時方向、巨人型だ」

 刹那から見て右手側に移動したティエリアの警告に、超人の反応速度で刹那は答えて見せた。

「ちぃっ!」

 直感的にラダム獣を分かり合えない敵であると認識した刹那だったが、ラダムの巨人型に対してはかつてエルスに抱いた思い同様に、戦いたくないと心底から感じていた。
 真白い装甲に緑色のクリスタルバイザーの奥に二つの瞳をもった巨人は、グレートソード風の武器を両手で振り上げて、クアンタエルスに叩きつけてくるのをソードモードに切り替えたGNソードⅤで受け止める。
 クアンタエルスの半分にも満たない体躯ながら、巨人のパワーは侮れぬものでしばし、クアンタエルスとの間に拮抗状態が生み出される。

「くっ、おれの声が聞こえないのか。おれは戦いを望んでいるわけでは!!」

『――――!!』

 刹那には理解できない言語で叫びを放ち、巨人は更にグレートソードを押しこんでくる。
 刹那は苦い物を口中で噛みつぶし、熟練の剣技で半身と化したクアンタエルスに押しこんでくる巨人の刃を受け流させ、こちらの巨体と質量の利を活かした蹴りを巨人の腹に叩きこんで吹き飛ばす。
 手が何本もの鞭のように分かれている者や、そのままボウガンの形状をしている者などさまざまな巨人たちが、連携行動を取ってクアンタエルスとアヌビスEへと波状攻撃を仕掛けだすのに、さしたる時間はかからなかった。
 防御を考慮しない超攻撃特化の巨人達の連携攻撃は、刹那とデルフィが巨人型には決して致命となるような攻撃を加えていない事を、すぐさま看破したためだろう。
 ソードビットが円環状に並ぶ事で発生する強固なGNフィールドで機体を守りながら、刹那はライフルモードのGNソードⅤと左肩に再構築したGNシールドに備え付けのGNビームガン、サブウェポン“ホーミングミサイル”を併用してラダム獣ばかりを減らしてゆく。
 ラダム獣にのみ攻撃を加える刹那とデルフィに対し、巨人達が前面に立って積極的な攻勢を仕掛けてくる。
 ガンダムマイスターの仲間達の連携を彷彿とさせる見事な連携攻撃を前に、刹那はやはりこの巨人達は明確な知性を有している事を確信する。

「もう一度、クアンタムバーストを」

 エルスとの融合や異星技術の導入によって、GN粒子の供給量はもはや次元が違うレベルになっているクアンタエルスは、既に再びフルパワーのクアンタムバーストを行うだけのGN粒子を全身に蓄えている。
 さらにアヌビスから手に入れた技術によって、機体各所のGNコンデンサー以外にベクタートラップ内にも莫大な量のGN粒子を随時貯蓄しているから、現状のクアンタエルスに粒子切れという事態はほぼあり得ない。

「だが刹那、先ほどのクアンタムバーストはフルパワーによるものだった。もう一度行っても芳しい成果が得られるとは限らないぞ」

「このまま戦っていても埒が明かない。おれは、彼らとの対話を諦めはしない!」

 表面上は相変わらず感情を見せない刹那であったが、心の奥に秘めた熱意は年月を経ても衰える事は無く、刹那の瞳に諦めの影はほんの欠片ほどもない。
 四方八方から放たれるビームや超高速の弾丸を神業としか形容のしようがない機動で全弾回避し、刹那は再びクアンタムバーストを実行する機会を探し続ける。
 そうしているとクアンタエルスと同じかそれ以上の凄まじい戦闘能力でラダム獣やラダムマザーを塵芥に変えていたアヌビスEが、デルフィの操縦に従ってクアンタエルスと背中合わせになる。
 デルフィの意図を確かめる為に、刹那は通信でデルフィに問いかけた。

「デルフィ?」

 デルフィは美しい女性の声のまま、刹那に告げる。

『刹那、合体を提案します』

 ある種衝撃的なデルフィの提案に、刹那が思わずオウム返しに呟く。いや、デルフィの意図を理解はしていたがこれまで試みた事のなかった事である為、少々意外だったのである。

「なに?」

『アヌビスEとクアンタエルスが合体することによって、計算では機体の総出力は二倍以上になり、そうすればより強力なクアンタムバーストが使用可能になります。クアンタムバースト中は私が機体を操作することで無防備な状態の懸念もなくなります』

「……なるほど、試す価値はあるな。分かった。合体するぞ、デルフィ」

『了解しました。クアンタエルスとの合体を実行します』

 周囲の敵機を払う為に出力を抑えて連射性能を向上させたサブウェポン“ファランクス”を、毎分五十万発の発射速度で全方位にばら撒きながら、クアンタエルスとアヌビスEは背中合わせの姿勢のまま一気に機体速度を挙げて、ファランクスの光弾に阻まれる巨人やラダム獣たちを置き去りにして距離を稼ぐ。
 核兵器の直撃にも無傷の巨人達の装甲に次々とファランクスの光弾が着弾するが、威力を抑えていることもあって明確なダメージはない。
 それでも豪雨のごとく降り注ぐファランクスを浴びる巨人達の速度は見る間に鈍る。

「頃合いか。デルフィ!」

『はい、刹那』

 あくまで従順に、あるいは甲斐がいしくデルフィは答える。
 背中合わせの体勢からお互いを正面に置くよう振り返ったクアンタエルスとアヌビスEが、お互いの手を突きだして握り合わせるや、双方の外部装甲に変貌していたエルス達を媒介に、異なる世界で生みだされた破壊と対話の為の巨人達のシルエットは、一つに溶け合う。
 全十二基のソードビットは、それぞれ二基ずつがアヌビスEの背部非接続浮遊ユニットであるウィスプに接続され、クアンタエルスの膝から下の脚部をアヌビスEの逆関節の脚部がブースターの様に包み込む。
 クアンタエルスの機体の全身にアヌビスEのエネルギーラインが走り、人間でいえば尾骶骨に当たる箇所には、アヌビスEのコード状の尻尾が伸びて、クアンタエルスの頭部には元から兎の耳の様に後部に伸びていた側頭部のパーツの上からアヌビスの狗状頭部の耳が生えた。
 コックピットのディテールにも変化が見られ、刹那の正面に設置されたターミナルユニットの左側が変形して、デルフィの状態を示すコンソールパネルが追加されて、ホログラフのティエリアは刹那の右側に移動している。
 右手には変わらずGNソードⅤを持ち、左手にはGNウヌスロッドを構えて、クアンタエルスとアヌビスEの合体機クアンタアヌビスEが姿を露わにする。
 アヌビスEに搭載された超高出力動力機関である反陽子生成炉アンチプロトンリアクターから供給される莫大なエネルギーと、進化したツインドライヴシステムが大量生産するGN粒子に満たされたクアンタアヌビスEは、一つの超新星のごとく宇宙に眩く君臨していた。
 エルスを通じてクアンタエルスとリンクしている刹那には、この新たな機体の発する絶大な力が明確に感じられた。だが恐れを感じることは無い。
 かつてアヌビスとデルフィは破壊の為に造られた。だがアヌビスもデルフィも変わった。もうすでに彼女達はただ全てを破壊する為だけに存在してはいない。
 そう、この力は破壊のための力ではない。対話を成す為の、互いの手を取り合うための力なのだから。

「デルフィ、機体の制御を頼む。ティエリア、サポートを。クアンタムバーストを行う!」

『了解しました』

「今度こそ対話を成せ、刹那!」

 分離したソードビット十二基がクアンタアヌビスEの足元に集まって円形上のフィールドを造り出す。装甲それ自体が変形してGN粒子放出口へと変わり、クアンタアヌビスEの胸部に在るクリスタルパーツがせり出して、クラビカルアンテナをX字状に広げる。

「クアンタムバーストッ!!!」

 刹那の叫びに呼応し、超高濃度のもはや物理的な圧力さえ備えたGN粒子が、人間の視覚限界をはるかに超えた圧倒的な光の奔流となって、辺り一帯の宙域のみならずこの恒星系そのものを包み込む。

『本機の防衛行動に移ります。刹那、ご武運を』

 GNソードⅤとGNウヌスロッドを構え、クアンタムバーストによるかつてない超高濃度超高圧縮GN粒子の放出をクアンタアヌビスEに続行させながら、デルフィは動きを止めた巨人達と違い、粒子の中を泳いで襲い掛かってくるラダム獣を屠る作業に移行する。
 ティエリアとヴェーダのターミナルユニットとリンクした刹那の意識は、白い光に満たされた世界の中を、巨人達の本質と真意に辿り着くべく深く深く潜ってゆく。
 人類とは全く異なるメンタリティや記憶のあり方を持つエルスやその他の異星生命体と対話を成してきた経験から、刹那の意識共有速度はかつてない速さと正確さで行われる。

「刹那、彼らの真実はまだ見えないのか?」

「まだだ。もう少し、あと、わずかで……そこか? 届いてみせる!」

 物理的には存在しない腕を伸ばし、刹那は知覚した巨人達とラダムの真実へと触れる。と同時に、この恒星系に存在する全ての巨人達の記憶が情報の本流が刹那に流れ込んでくる。
 すでに肉体にエルスを受け入れて、ティエリアともリンクしたいまの刹那ならば人間の限界をはるか超越した情報量を真っ向から受け止める事が出来る。
 現実の時間に換算してナノセコンドにも満たない時間に流しこまれた巨人達の記憶を認識し終えた時、刹那は巨人達の、そしてラダムの真実と悲劇を理解する。

「そう言う事か!」

 一秒に満たない時間の間に百以上のラダム獣を屠り、機体に傷一つ負わない戦いぶりを披露していたデルフィは、クアンタムバーストが予想よりもはるかに早く停止し、刹那の意識が現実世界に戻ってくるのを感知して、すぐさま刹那に声を掛ける。
 クアンタムバーストを終えた直後の刹那の意識が、エルスを通じて怒りと悲しみに昂っている事に気付いたからだ。

『刹那』

「分かった。彼らは、あの巨人達は全てラダムに寄生されて操られた異星人だ。ラダムの侵略によって意思を奪われ、ラダムの繁殖のために利用されているにすぎない!」

 刹那やヴェーダとのリンクによって、すぐさまデルフィもまた刹那がクアンタムバーストによって知った情報を共有し、刹那の言っていた事の意味を理解する。
 ラダムとは本能のみを高度に発達させてきた知的生命体であり、昆虫状の姿をしていて脳髄だけを高度に発達させてきたせいで肉体は脆弱で、外的要因に極めて弱いと言う欠点を持ってしまった。
 しかしながら繁殖に関して旺盛な本能を持つラダム達は他の知的生命体を捉えて、その肉体を改造して脳髄に寄生することで他の惑星や知的生命体を侵略するシステムを本能レベルで開発したのである。
 そうしてラダムに侵略されて、寄生された異星文明の住人達があの巨人達――テッカマンの正体だったのだ。
 感じられた脳量子波や知性は異星人達が元々持ち合わせていたものであり、彼らを支配するラダムの物ではなかったのだ。
 ラダムの異星支配の本能をコピーされた彼らは、例え意識共有した所で、本来の意思を発露する事は出来ないのである。
 刹那がラダム獣を敵視する一方で、テッカマンを攻撃してはならないと感じた理由。脳量子波と知性を確かに感じながらも、意識共有が出来なかった理由。
 種の繁栄。それは生物が等しく持ち合わせている本能であり、生存にたいするもっとも大きな理由であると言える。
 だが互いの意思や文明を尊重し合い、対話による相互理解を行ってきた刹那にとって、ラダムという存在はこれまで出会ってきた全ての異星生命体に対する否定であり、あってはならぬ存在であると感じられた。
 知性もなく相互理解もなくただただ一方的に侵略し、知的生命体に寄生してその肉体を造り変えて支配するラダムを、刹那は武力介入の対象と認識した。

「だがどうやって彼らをラダムの支配から解放する? 物理的に寄生している以上、意識共有では彼らを救う事は出来ない」

 あくまで現実的な意見を述べるティエリアに、刹那は具体的なプランをもって答えた。

「エルスの力を借りる。エルスに彼らと同化してもらい、体内のラダムだけを排除する」

「なるほど、その手があったか。だがそうなると直にテッカマンと接触する必要があるな」

 刹那の精神とリンクしたデルフィが、刹那の闘志を感じ取って独立戦闘支援ユニットとしての本分に従って行動する。

『ゼロシフト、ウィスプ、ゲイザーの使用を提案します。私たちなら作戦目的を高確率で達成可能です』

「了解した。刹那・F・セイエイ」

「ティエリア・アーデ」

『独立戦闘支援ユニットデルフィ』

「これよりラダムに武力介入を行う!!」

 ゼロシフトによる亜光速移動によってロックオンしたテッカマンへと、擬似瞬間移動によって接近して、麻痺拘束効果のある光の牢獄ゲイザーによって連続してテッカマン達の動きを止める
 ある程度の数を拘束した所で、さらにウィスプを用いて一気にクアンタアヌビスEへと拘束したテッカマンたちを引き寄せて、武装を収納して空いたクアンタアヌビスEの手が次々とテッカマン達に触れて行く。
 本来エルスは成人男性サイズが活動の最小サイズであったが、彼ら自身、自己修復、自己増殖、自己進化の三大理論を兼ね備えた超生物であり、刹那との宇宙旅行の中で自らを更に進化させて、より極小サイズでの行動を可能にしている。
 瞬き一つほどの間に接触したクアンタアヌビスEの手から、水銀の様に解けたエルスが瞬時にテッカマンの表面装甲の一部と同化して装甲素材を解析し取り込んで、テッカマン達の脳髄に寄生しているラダムだけを排除にかかる。
 そうして次々とテッカマンにエルス達を同化させてゆくと、やがて早期に接触したテッカマン達が苦悶に身悶えて、エルスが同化した部分から醜い昆虫に似た姿のラダム本体が宇宙空間に放出されて、すぐさま絶命してゆく。
 ラダムが排除されたテッカマン達はしばらくの間、脱力した様子で宇宙空間を漂っていたが、やがて眼を覚まして本来の人格を取り戻すと、周囲の状況と意識共有域で何度も自分達に呼び掛けていた刹那が、自分達を解放する為に戦っている事を認識して、いまだラダムの支配下にある同胞たちの動きを止める為に動きだす。
 もともとゼロシフトによる亜光速移動と短距離量子ジャンプの組み合わせによって、テッカマンをして認識できない超異次元機動を可能とするクアンタアヌビスEを援護するために、意識を奪われているテッカマン達を解放されたテッカマン達が拘束し始める。
 ラダムから解放されたテッカマン達の行動に気付いた刹那は

「デルフィ!」

『了解、デコイを使用します』

 瞬間的に装甲に負荷をかけて質量をもった残像を造るデコイであるが、エルスとの融合によって超高速の再生・増殖機能を備えたクアンタアヌビスEの装甲は、剥離した分を媒介にエルスが増殖し、視覚的には複数のクアンタアヌビスEが拘束されたテッカマン達へと次々と触れて行く。
 そうして全てのテッカマン達をラダムから解放し終えれば、残るラダム獣の殲滅はさしたる難事ではなかった。
 最後に残ったラダムの母艦に対して、刹那はサブウェポン最強の威力を誇るベクターキャノンをゼロシフトによって零距離に近づいてからの至近距離砲撃を放ち、巨大なラダム母艦をこの宇宙から消滅させた。

――数年後。

 解放したテッカマン達の母星の一つに反ラダムの、星々を超えた勢力の拠点を築き、エルスの協力によって、次々とラダムの支配下にあったテッカマン達を解放し、更にこれまで出会った異星文明の協力を得ることに成功した刹那は、分離したアヌビスEとデルフィと共に、再び新たな出会いと地球人類の脅威となる存在を知るべく、旅立つのだった。


エルスはテックシステムを理解しました。
クアンタエルスとアヌビスEは合体できるようになりました。
クアンタアヌビスE(犬耳クアンタ)が使用可能になりました。
クアンタエルスとアヌビスEは、テックランサー、クラッシュイントルード、ボルテッカ他を使用可能になりました。


アクエリオンのCMと感想にあった融合するのかと思ったと言うご意見から作中の合体発言が出ました。アヌビスとデルフィがお嫁にいけない体に……ゲフンゲフン。
BETAとかラダム本体とかは対話できないかなと個人的には思います。あとバイドとか。マクロスFのバジュラはなんとなく穏便に対話が終りそうなイメージ。
もうおまけの文量じゃなくなってきたなあ……。次は短くします。誤字脱字のご指摘やご感想お待ちしております。


刹那の外宇宙ぶらり漫遊記③

他称ミスター・ブシドーによる簡単あらすじ解説。

 人と人とが分かり合う道を模索し続け、見事エルスとの相互理解を果たし、人類の未来を斬り開いた事、まずは見事と言わせてもらおう、少年。それでこそ私も水先案内人を務めた甲斐があったというもの。
 エルスの母星に赴き見事対話を成した少年はその後、更に後に続く人類の水先案内人となるべく、外宇宙を巡り多くの異星知的生命体との対話を成してゆく。
 汎用性が高すぎるぞ、少年!
 だが少年もたったひとりの軍隊、ワンマンアーミーではなかった。
 半壊していた異星文明の機動兵器オービタルフレーム“アヌビス”と搭載されていた独立戦闘支援ユニット“デルフィ“と出会った少年は、全てを破壊する為に作りだされた存在であるデルフィとも対話を成して見事変革を促す事に成功する。
 まさか金属異星体のみならず非生命体とも対話を成すとは……生きていれば、こういうこともある。
 デルフィと共に外宇宙での対話を続けた少年は、その後も本能のみを高度に発達させた寄生侵略生命体ラダムと接触し、ラダムに支配されていたテッカマン達を解放する為、ラダムへの武力介入を行う。
 争いを無くす為に武力介入を行う。存在自体が矛盾しているぞ、少年。だが、それでいい。
 生きる為に戦え、そう言ったのはきみのはずだ。たとえ矛盾を孕んでも存在し続ける、それが生きる事だと!
 生き続ける事、存在し続けることで、変革は起きる。起こす意思が生まれる。ならばきみは生き続けろ、少年。そして人類の未来を斬り開け!

簡単あらすじ解説~終~

 ラダムと異星人テッカマン達との戦いに極めて重大な変化を齎してしばらくの時が流れて、刹那はいまもクアンタエルス、ティエリア・アーデ、アヌビスE、デルフィを旅のお供に行けども行けども延々と広大な世界が続く宇宙を旅している。

「ピタ(中東の円形のパン)」

 藪から棒に、幼いころ母が作ってくれた主食の名前を呟いたのは、クアンタエルスのコックピットに腰を落ち着けていた刹那である。
 刹那から見て右側のコンソールパネルの上に投影された三十センチメートルほどの電子のチャム・ファウであるティエリアは、ふむ、とひとつ頷いてから至極真面目な顔で呟いた。
 世界の真理の一端を解き明かした俊英の学徒を思わせる、知性溢れた顔立ちとたたずまいである。

「タピオカ」

 口にしたのはそんな姿からはまるで想像もできない食べ物の名前であったが。

『カカオ』

 間髪いれずティエリアに続いたのは、クアンタエルスの右四メートルの位置を飛んでいるアヌビスEを操るデルフィだ。
 声を聞くだけでも氷の彫刻かと見間違う美女をいとも簡単に思い描く事が出来るほど、美しい声である。
 刹那たちと行動を共にするにつれて徐々に機械らしからぬ情感めいたものを身につけるようになったデルフィだが、その声の合成機械音声であるが故の美しさばかりは変わらない。

「おにぎり」

「リキュール」

『ルッコラ』

耳にすっかりと馴染み、心地良ささえを覚えるデルフィの声音に文句は無かったが、その発言に対して刹那が異議を唱える。

「待て。ルッコラは二万千五百四十六回前に言わなかったか?」

 刹那の疑問に答えるべくこれまでの発言ログを遡って検索したティエリアが、刹那の意見を首肯する。

「ああ。確かに二万千五百四十六回前に発現済みの単語だ」

『ですが二万千五百四十一回前に前回のしりとりは終了しています。ルッコラは今回のしりとりでは有効な単語です』

 長い事デルフィと付き合いのある刹那とティエリアには、いつもと変わらぬ響きに聞こえるデルフィの発言の中に、心外です、という響きを確かに聞き取っていた。
 はたしてデルフィの変化を感情に目覚める事への兆しと考えて良いかどうかは、刹那やティエリアにも分からない事ではあったが、もし仮に感情や情緒というものをデルフィが獲得しつつあるとする。
 その過程の元に考えるとデルフィが感情を萌芽させたのはほんのここ数年の事であるから、人間に換算すればデルフィは五歳にもならない。
 無論、本来存在すべき世界では世界最高峰の性能を誇る超規格外高性能コンピューターでもあるデルフィの事、人間をはるかに超絶する知識と演算処理能力や記憶容量を有し、単純な能力では比較にならない以上、過ごした年月をそのまま人間的な年齢に換算する事は必ずしも正確とは言い難い。
 ほんの少しむっとした調子のデルフィにこれ以上臍を曲げられてはたまらないし、そもそもデルフィの言う事は正しくもあった為、刹那とティエリアは幼い弟妹の成長を見守る父兄の様な気持ちで、口元に微笑を浮かべた。

「確かにデルフィの言うとおりだったな。おれの記憶違いだった。すまない」

『いえ、認めてくださるのなら私からは何も言う事はありません』

 発言を肯定した途端にデルフィの声音の調子が変化した事に気付き、刹那はまた新たな笑みを一つ浮かべる。
 そういえばユニオンの経済特区である日本に潜伏していた時、マンションの部屋の隣に住んでいた沙慈・クロスロードが筑前炊きをはじめ、なにくれとなくおすそ分けをしてくれた事を、刹那は何となく思い出す。
 その場で断ることも多かったが、当時の刹那はそう人付き合いの悪い方でもなかったので、時折受け取った事もある。故郷には無い味がほとんどであった為、刹那にとってはなかなか新鮮な体験だった。もちろん食器は綺麗に洗って返した。
 懐かしい記憶に目尻を細める刹那を他所に、刹那の精神的ストレスを考慮したティエリアが、暇を持て余したイノベイターの遊びを切り上げてこんな提案をした。

「しかし流石にこれだけ続けるとしりとりにも飽きてくるな。それにかれこれ九〇〇時間近く生命の存在する星も見つけられず、飛び続けている」

 エルスとの融合、アヌビスに用いられていたメタトロン・テクノロジー、先だってラダムとテッカマンの戦いへの介入によって得たテックシステムをはじめとする新技術によって、クアンタエルスとアヌビスEの各種センサーは天文単位に至っているが、そのセンサー類や先駆者へと至った刹那の知覚は、長らく生命の息吹を感じ取れずにいた。

「非有人惑星でも構わないから、今度新しい星を見つけたら気分転換に立ち寄ってみるのもいいだろう。ぼくやデルフィはともかく、刹那、きみの精神的な疲弊は常に考慮しなければならないからな」

 イノベイターへの覚醒による細胞変容によって大幅に強化された肉体に加え、エルスを受けれいたことで最早刹那の肉体は半永久的に活動可能な、擬似不老不死を体現したものである。
 だがあくまでもその肉体を動かす刹那の精神は、永劫の時を休むことなく活動し続ける事に適したものではない。人の枠を超えつつもあくまで心は人間のままなのである。
 肉体的には睡眠や食事と言った物を必要としない刹那ではあったが、生まれた時から肉体や精神が成熟するまでの間行い続けていた日常的行動を継続する事は、精神を安定させるには極めて重要なファクターだ。
 例え肉体が必要としていなくても、食事や睡眠、入浴や先ほどのしりとりをはじめ何らかの娯楽による刺激を受ける事は、精神の摩耗を遠ざけてストレスを緩和する上では必要なのだ。

『私もティエリアの意見を推奨します。刹那のコンディションに不調の兆しは見られませんが、メンタルには常に注意を払うべきです』

 最初の頃はこちらから話しかけない限り、戦闘に関する提案くらいしかまともに話す事もしなかったデルフィが、こうも意見するようになった事に刹那はまるで我が子の成長を実感した父親の様な気分にならざるをえない。
 デルフィがティエリアと一緒にしりとりまでするようになったのだから、月日の流れと子供の成長というものの速さを、刹那はしみじみと噛み締めた。

「そうだな。二人の提案も悪くない。どこかの星で……Eセンサーに反応?」

「間が悪い、というべきか? この場合」

『ラダムの反応ではありません。空間の歪曲現象ですが、ライブラリに該当するデータなし。未知の空間転移現象です』

 正確に美しくも冷たい氷の声で情報を伝えるデルフィに、刹那が小さく首を横に振って否と告げる。

「いや、この反応に酷似した物を一度だけ目の当たりにしている」

『私のメモリには該当するデータがありません』

「デルフィのメモリに無くても仕方がない。この反応は我々が君とアヌビスと初めて出会った時に観測したデータと、極めて酷似しているものだ」

『私とアヌビスが? では私のように何かが出現する前兆でしょうか?』

「すぐに分かる」

 虹彩を眩い金色に輝かせながら、刹那は自身の肉体の延長上の感覚で操作できるクアンタエルスが観測しているデータの変動に、意識を傾ける。
 それまでしりとりを続けて次の休息について意見を交わしていた弛緩していた雰囲気は変わり、いかなる事態にも対処できるように刹那とティエリアとデルフィの間に張りつめた緊張感が満ちる。
 アヌビスが出現した時と同じように、億千万を超える星々の光を彼方に臨んでいた宇宙空間がぐにゃりと硝子が高熱で融ける様に歪み、ごく小さな漆黒の色が覗く無限の奈落の穴を中心部に穿つ。
 局所的な重力場――ブラックホールにも似た異常現象が眼の前に起きても、刹那やデルフィに慌てる様子はなく、落ち着き払った様子で事態の推移を静かに見守る。
 既にロールアウト直後のスペックと比して次元を別にする性能を有するに至ったクアンタエルスや、アヌビスEならば仮にブラックホールの超重力圏に捕まったとしても、脱出は決して不可能なことではないということもある。
 事態の推移を刹那たちが見守る先で、やがて空間異常現象は何事もなかったかのように終息し始めて、その中心点に一メートルにも満たない小さな物体を残していった。
 あるいはそれは別宇宙からの追放者であったろうか。その物体の光学映像をコックピット内に投影し、目にした刹那は初めてアヌビスと出会った時の事を思い出す。
 出現の仕方もそうだが、なによりそのよくも原形を留めている、といったあまりにも傷尽き果てた痛たましい姿が、まだ瞼を閉じれば鮮明に思い出せる記憶を甦らさせたのである。
 刹那はクアンタエルスを操作して、冷たい宇宙に佇む物体を優しく両手で包みこむ。

『生命反応、熱源反応共にありません。人間を模した人造物、アンドロイドと思われます』

 デルフィがアンドロイド、と評したように刹那たちの前に姿を見せたのは十代後半の少女を模したと思しき鋼鉄の美少女だった。
 どのような激しい戦いを繰り広げていたものか、右腕は根元から失われ、両足も膝から下が失われている。瞳は固く閉ざされて、処女雪も黒ずんで見えそうな肌には無数の小さな傷や焦跡が出来ている。
 豊かな乳房の下半分や足の付け根が大胆に覗くセクシャルな白い衣装を纏い、蒼穹の空と同じ色の髪を虚空に漂わせている。

「…………」

「刹那、どうした」

 言葉にし難い何かを感じ取ろうとしているかのように、固く口を閉ざしているままの刹那に、ティエリアが声をかける。
 こういった様子を見せている時の刹那は、確実に何かを感じている時だと、これまでの経験から学んでいるから、不必要に刹那の意識を乱さない様に声量は抑えられていた。
 両足を膝から下、また右腕を根元から失った人型をしているアンドロイドを解析し続けているデルフィも、ティエリアよりは短いとは言え刹那と共に対話の場に同席していた事もあり、刹那の反応を待つ。

「意思を、感じる。……エルスを介して接触し機能の回復を試みるのと同時に、クアンタムバーストを行って意思共有を計る」

 無機物であり生命は無い筈のアンドロイドを相手に意識共有を計ると言う刹那の提案に、ティエリアやデルフィが異議を唱える事もない。
 そもそも刹那の提案とてアヌビスとデルフィを相手に行ったのと同じような行為であるし、これまでの体験の数々を顧みれば刹那の判断に対する信頼は揺るがぬものだ。

「このアンドロイドは今の我々から見ても極めて高度な技術で作られているが、きみがそう感じたと言う事はそれだけではないなにかがあるということか」

『アヌビスEと刹那、クアンタエルス、ヴェーダ、エルスとのリンク接続を確認。情報共有及び記録の為の拡張領域を構築。クアンタムバーストによる意識共有、いつでもサポートできます』

「相変わらず仕事が早いな、デルフィ。いつも助かる」

『いいえ、貴方を助ける事。それが私の役目ですから』

 刹那はデルフィに礼を言い、脳量子波操作によってクアンタエルスの背から伸びる十二枚の触手翼をGNソードビットへと変えて、クアンタエルスの足元へと展開する事によって円形のフィールドを構築する。
 クアンタエルスの両手を通してエルス達がアンドロイドの損傷個所を埋めて、停止していた機能の解析と修復を、瞬時に行って行く。
 クアンタエルスは変わらず優しくアンドロイドを包みこんだまま、穏やかにGN粒子を放出し始めた。
 これまでのクアンタムバーストによる対話と比べて、こちらから接触を求める今回の意識共有は、向こう側からの情報がほとんど流れてこないと言う点でも、デルフィに対して行った時と共通していた。
 刹那が慣れ親しんだ意識が肉体から剥離して意識を共有する感覚に身を委ねてまもなく、刹那は驚きに目を見張った。
 何時、と気付く間もなく、刹那は大地の上に立っていた。正確には刹那の意識は、というべきだろうか。
 寄せは返し、返っては寄せてくる波の音。頬を撫でて行く悪戯な風の感触。鼻孔をくすぐる濃厚な緑の匂い。瞳に映る色彩に満ちた世界。
 かつてエルスとクアンタムバーストによる意識共有を行った時、刹那はエルス達の記憶を全方形スクリーンに映る映像を眺める様にして知覚したが、今回は違う。
 まさにその記憶の中に刹那自身が登場人物として存在している。刹那自身が記憶の中に組み込まれている、といえば良いだろうか。
 気付いたら映画を鑑賞していた筈が自分が映画の中の住人になっていた、そんな感覚である。
 ひどく懐かしい物を覚えて、刹那はいま五感で感じている感覚が、地球のそれに近い、いや、そのものである事に気付く。
 地球の風の感触、地球の土の匂い、地球の植物の緑、地球に降り注ぐ太陽。すでに離れて久しい刹那とティエリアの母星。
 刹那の生まれ育った中東地域の環境とは大いに異なるが、それでも地球に発足した生物のDNAが、母星に酷似した雰囲気を感じ取って懐かしさを覚えているのだろうか。
 刹那はこれまでの意識共有とは異なる現象に戸惑いを覚えながら、胸の奥に湧きおこる郷愁の念と共に足を踏み出した。
 ティエリアの姿やデルフィの声は無い。無いが、クアンタエルスやデルフィ達とのリンクはまだ保たれている。通常、ティエリアも共に意識共有域に姿を見せるのだが、今回は例外尽くめであるらしい。
 足を進める中で刹那は、見渡す限りの草原の中で、長い黒髪を風に遊ばせている一人の女性の姿を見つけた。
 心地よさげに風の歌に耳を委ねていた女性の横顔を見て、不意に刹那はある名前を呟いた。

「マリナ・イスマイール?」

 武力をもって争いを根絶する事を選んだ刹那とは間逆の、対話を重ねることで平和を手にしようとしていた女性。選んだ道は違っても共に目指す道の果ては、同じだった女性。刹那にとって運命の人とも呼べる女性の名であった。
 マリナと同じ長い黒髪が、刹那にその名前を呟かせたのか、あるいはその傷ついた心を癒してくれるその微笑みが、刹那に懐かしい名前を呟かせたのか。
 刹那の呟きが聞こえたのか、瞳を閉じていた女性が風に靡く黒髪を片手で押えながら、刹那の方を振り返り、青く美しい瞳を開いて。
 マリナと同じ色の瞳だ――刹那は、そう思った。
 そして女性は、空と同じ色の瞳に刹那を映して、どこまでも柔和に、優しく微笑む。
 どんなに罪を重ねた人間であっても慈しみ、愛する。そんな笑みであった。聖母が浮かべる笑みは、きっとこんな笑みなのだろう。

「お前は」

 問いかける刹那に、女性は唇を動かした。女性が何を口にしたのか、刹那が聞き逃すまいと更に一歩を踏み出した時、クアンタムバーストによる意識共有域が終息した。
 クアンタエルスのコックピットの中で閉ざしていた瞼を開き、刹那は現実世界へと意識を帰還させる。
 刹那とのリンクが保持されていたことで、ティエリアやデルフィにも意識共有域の中で刹那が体験した事は伝わっている。
 これまでのクアンタムバーストで起きたどの意識共有とも異なる現象に、ティエリアはわずかに困惑した様子を見せていた。
 刹那はデルフィに問いかけた。全てを理解している様な、落ち着き払った声が刹那の唇から出る。

「デルフィ、彼女の修復状況は?」

『既に九十五パーセントを完了。ですが解析出来ないブラックボックス状の箇所も確認しています』

 刹那がクアンタエルスの両手の中のアンドロイドの外見が、確かにデルフィの言うとおり失われていた両足や右腕が修復され、人造の美貌を損なっていた無数の疵も修復されている事を確認する。
 クアンタエルスのメインカメラ越しの刹那の視線に気付いたわけでもないだろうが、それまで固く閉ざされていたアンドロイドの瞼が、ゆっくりと太陽が水平線の彼方から昇る様に開かれて、大粒のルビーを思わせる赤い瞳が刹那の視線と交差する。
 意識共有域の中で出会った女性と同じ顔に、違う色の髪と違う色の瞳をもったアンドロイドは、表情を変える事もなく淡々と呟いた。

「私はヴェクター・インダストリー製対グノーシス用人型掃討兵器KOS-MOS、Ver.4です」


KOS-MOSが仲間になりました。
エルスはゼノサーガ世界の技術を学習しました。
クアンタエルスとアヌビスEはヒルベルトエフェクト、相転移砲他KOS-MOSVer.4の装備を使用可能になりました。

女っ気がないというご意見が出たので女性追加でございます
感想板でのリボンズ編04のご指摘ですが、明日にでも修正いたします。ご指摘ありがとうございます。
次はラダム編もう一回やるかよそ様と対話するかする予定です。おまけはそれぞれ短いのでまとめました。



[11325] IS×劇場版ガンダムOO ELSさまがISを見てる編 New
Name: スペ◆52188bce ID:97590545
Date: 2011/04/01 12:59
流行に乗ってみました。短いです。劇場版ガンダムOOの人物はほぼ出てきません。


むかしむかし あるお星さまに 金属のいきものたちが住んでおりました。
みんながひとつになることで なかよくくらしていた彼らは おひさまのひかりをあびて
すくすくと育ってゆきました。
でも そんなある日 おひさまが爆発してひかりを出さなくなってしまいました。
いきものたちはこまりました。
彼らはうちゅうでもいきてゆけるとてもじょうぶないきものでしたが おひさまのひかりは
かれらにとってたいせつなごはんだったのです。
ながいあいだ悩んだかれらは じぶんたちの一部を 外の世界にたびだたせることにしました。
外の世界になら きっとじぶんたちがあたらしく暮せるおほしさまや 助けてくれるだれかがいるのではないかと思ったからです。

そして――

インフィニット・ストラトス × 劇場版ガンダムOO

『ELSさまがISを見てる』

 西暦20XX年。
 地球と呼ばれる星にある時、銀色に輝く金属の物体が誰に知られる事もなく降り立っていた。
 人類の誰ひとりとして知る事のないままに、未知の異星生命体の来訪を受けていたのである。
 先遣隊である彼ないし彼女は、時折地球上に建造された現地の知的生命体の建造物などを同化し、取り込みながら活動の為の糧として、この星が自分達の住むのに適した場所かどうか、そして自分達の声を聞く者がいるかどうか、探し続けていた。
 煌々と夜空に輝く満月の光を浴びた銀色の体は眩く輝き、川の流れの様に流動しながら彼(?)はアスファルトに舗装された道路の上を滑り、声を求めて彷徨う。
 人の営みが昼と夜を問わず続く街から離れた郊外にひっそりと建つ広壮な屋敷を目指して、彼はゆっくりと、静かに、そして確かに彼は近づいてゆく。
 声は悲哀に満ちていた。憤りに満ちていた。いまの世界に対する失望に満ちていた。
 そこは屋敷の主の書斎兼研究室兼プライベートルームであり、いくつものモニターが壁の様に無数に並ぶ一方で、デスクの傍らには読み終えた本がいくつもの山を造り、デスクの上にはフルートが立て懸けられ、またイーゼルの上には書きかけの油絵が立てかけられている。
 屋敷の主は天才と称される科学者であった。誰もが惜しみなく天才と称するだけの才覚を有する有能な科学者である。ただし、世界最高ではない。
 現在世界最高の頭脳と誉れ高きは篠ノ之束という若き女性だと、誰もが言うことだろう。
 世紀の、あるいは人類史上最大の発明とも称されるインフィニット・ストラトス――IS。既存の兵器全てをおもちゃ扱いできる世界最強比肩する者の無い絶対の戦闘兵器である。
 本来は宇宙開発用に開発されたものであるが、現在ではその本来の存在意義など誰もかれも忘れ果てて、たった467機しか存在しない数量限定の最強の戦闘兵器として世界各国が保有および開発解析に熱意を上げている。
 数量に限りがある事や既存の兵器と余りに隔絶した性能から、現在では世界の紛争は沈静化し、かつてのような大規模な戦争や武力衝突にまで至るケースは稀なものとなっている。
 真の平和と呼べる時間が五百年にも満たないと言う愚かしき人類の歴史を振り返れば、ISの存在が齎した現在の平和は希少価値のある物と言えるかもしれない。
 だが同時に世界の様相を一変させるほどの代物であったISは、同じようにして恩恵と同様に世界規模の弊害も齎した。
 日本に向けて世界各国の保有するミサイル二千発が発射されたことに端を発する『白騎士事件』の後、ISが各国の軍備の中心核として厳然たる地位を築くのと引き換えに、既存兵器に関わっていた者たち――特に男性は不遇という他ない運命に陥ることになった。
 ISは女性にしか扱えない。
 兵器として見た場合欠陥としか言いようのないその特性ゆえに、ISがその地位を高めるのと引き換えに、かつてその座にいた既存兵器は追いおとされ、それらに関わっていた男性のみならず、世の中の男性という生き物それ自体の社会的地位もまた低迷してしまった。
 それでもIS普及直後は、世界の潮流が男女平等を謳っていた名残もあってそう酷いものではなかったが、時を経るにつれてISを扱う適性の無い大多数の女性達までもが男性という生き物に対して自身が優越した存在であるという意識を抱く様になる。
 極端な言い方をすれば、女の方が男よりも優れた生き物だと極自然に教えられて育った世代までいるほどだ。
 同じ人類でありながら、男と女とが優劣の存在する生き物であると定義されつつある世界。それを、科学者は憂いていた。悲しんでいた。
 知性を間違って使い、思い込みや先入観にとらわれ、真実を見失う人々。それが誤解を呼び、不和を呼び、争いを生む。
 人類はいまだ知性を正しく使う事は出来ずにいた。
 このままでは例えISが本来の目的の通りに運用されて、地球人類が無窮の闇が広がる大宇宙に進出したとしても、やがて出会うであろう異種の知生体との間に誤解を呼び、不和を呼び、そして争いの火種を生むことだろう。
 科学者は、天才と呼ばれる者達の中でもさらに図抜けた知性を有するが故に、まるで神に預言を授けられた者のごとく未来が見通せるのだろう。
 我知らず、科学者は呟く。

「人類は正しく知性を使い、進化しなければならない」

 もしこの場にチェスを共通の趣味とする科学者の友である薄緑色の髪をした青年がいたなら、科学者の言葉に共感して寂しげな笑みを浮かべて科学者の名前を呟いたかもしれない。
 だがこの場にE・A・レイという名前の青年はおらず、その代わりに科学者が背を向けるドアの下から、液体の様に姿を変えた彼がゆっくりと近づきつつあった。
 彼は、彼らがコミュニケーションに用いる脳量子波を、強く発する科学者に惹かれ、相互理解を計る為に同化し、融合し、一つになろうとしていたのである。
 今まさに科学者が気づかぬうちにその足元まで忍び寄った彼が、いよいよ科学者を取り込もうと銀の被膜を近づけた時、不意に彼は、母星に残っていた彼の最上位意思決定者からの声を聞いた。
 この地球とは異なる『地球』を訪れた彼の仲間達が出会い対話したある一人の青年が、彼の母星を訪れ最上位意思決定者とも対話を果たし――Extraterrestial Living-mrtal Shapeshifter=ELSと別の『地球』で呼ばれた存在は、科学者へと伸ばしていた銀の触手をゆっくりと戻す。
 母星を訪れた青年との対話によって、人類という種族を理解した彼は、自分が行おうとする同化というコミュニケーションが、人類にとっては個の喪失、すなわち生物的な死に繋がる事を理解したのだ。
 彼は、ELSは決して他の生命を死に追いやりたいのではない。星を滅ぼそうと思っているのではない。
 ただ生きたいのだ。共に生きる事を許して欲しい。自分達も生きたいのだと、それを伝えたいのだ。
 ELSはしばしその場に留まったが、この星に近づきつつあった本隊が出会うのはまだ早すぎると考えて、接触しないことを決めた事に気付く。
 自分達はまだ人類というものを完全に理解したわけではない。別の『地球』を訪れた同胞は図らずも地球人類を絶滅させかねない事をしてしまった。
 自分達もまた同じ間違いを間違いと知らずに犯してしまうかもしれない。その事を恐れた為だ。
 科学者の屋敷からのみならずこの星からも離れることを決めたELSは、別『地球』の青年――刹那・F・セイエイとの相互理解によって、わずかなりとも人類の感情というものを理解した事から、科学者の脳量子波の感情をおぼろげに理解する。
 悲しみ、哀れみ、憤り。新たな姿に変わりつつある世界に産まれる犠牲者たちへの哀れみ。いまも増え続けている犠牲者たちへの悲しみ。世界が様相を変貌させながらもいまだ変わらぬ愚かしさを残している人類への憤り。
 ELSはまだ出会うのが早かったとはいえ、時を置いて再び出会う時に友となれるかもしれない人類に、なにもしないで去る事に負い目の様なものを感じたのかもしれない。
 ELSは科学者の役に立ちそうな知識を、彼らの言葉である脳量子波で科学者へ伝えようと試みたのである。ELSに届く程度には強い脳量子波を持つ科学者の事、ELSが意識して放った脳量子波を受信する事は出来た。
 ただ問題があったとすれば、ELSが今一つ、人間に伝えて良い情報量の限界というものを理解していなかったことだろう。
 さらにELSはサービス精神旺盛な生き物であったのか、ELSの放った脳量子波を受けてあまりの情報量に脳髄を直接掻き回されるかのような苦痛に、頭を抑えてのた打ち回る科学者を他所に室内に置かれていた量子演算処理システムの雛型の一部を同化して、科学者に伝えたこと以上の情報を残しておいた。
 もしELSがより人間的な感情表現が出来る様なメンタリティと肉体構造を有していたら、良い事をしたなぁ、とにっこりと笑顔を浮かべていたことだろう。
 伝えるべき情報を伝え終えたELSは、科学者の屋敷を離れるやその姿を変えて、地球の重力の鎖を引きちぎり、地球からはるか彼方に佇む木星へとめがけて飛翔する。
 地球の誰もが気付かぬうちに訪れたELSは、同じように地球の誰にも気づかれることなく地球を去ったのである。
 科学者の屋敷を訪れたELSは、彼らの母星の環境に良く似た木星の影に隠れている本隊へと進路を目指して宇宙を飛翔する。
 いまはまだ出会うのがお互いに早いと考えた、この地球の人類がやがて宇宙へと進出して、木星に自力で辿りつく時が来たならば、その時こそELS達は新たな友との友誼を結ぶべく姿を見せるだろう。
 いつか訪れるだろうその時を夢見て、やがて木星に辿り着いたELSは本隊と合流し、別の『地球』を訪れた同胞たちが行った様に、自分達という個を見せる為に、そして人類に敵意がない事を伝える為に、中東に自生する黄色い花へと姿を変えて待ち続ける。
 そしてELSが去った後の部屋には、あまりの苦痛に耐えきれず気絶した科学者だけが残されていた。
 翌朝、いまだ頭蓋の奥に残る鈍痛に悩まされながら体を起こした科学者は、唐突に自分の頭の中に産まれた無数の革新的技術や機動兵器の設計思想、それらに用いられている未知の理論の数々に驚きを隠せない。
 謎の知識の多くは科学者が現在構築中の理論に基づくものが多く含まれており、科学者の非凡さを証明していたが、それでも現行の技術では実現不可能な筈の膨大な知識は科学者を驚愕させるには十分すぎた。
 いまだ基礎理論構築に留まっていた意識を伝達する新たな原初粒子を用いた半永久機関を更に洗練させた完成形、現在雛型が完成している量子演算処理システムの発展形、軌道エレベーター建造による太陽光発電システムの構築とそれに伴う世界情勢の変化などなど。
 科学者がいまだ理論上でのみ描いていた、人類をより豊かに発達させる数々の技術の完成系が、科学者の脳の中にあった。

「これはいったい……」

 過去幾多の革新的な“ひらめき”を起こした科学者の頭脳をしても、これだけのひらめきはあり得ないと言っていいだろう。これはもはやひらめきなどというものではなく、天啓と言うべきものであろう。
 もしこの知識の中の人型機動兵器を現実の物とすれば、確実にISと対抗できる。
 それも女性にしか扱えず開発者である束がコアの製造を止めたことで、数量に限りのあるISと違い、十分な訓練さえ積めば誰でも扱う事が出来て、大量生産が可能かつ安定した性能を誇る兵器だ。
 だがISの登場によって表面上は大規模紛争などが徐々に無くなりつつあるこの世界に、ISと互角に対抗しうる兵器を発表する事は、新たな火種を生むことになる可能性が高い。
 地に堕ちた男という生き物の尊厳を取り戻すだけでは済むまい。手に入れた力が強大であれば、その力が屈辱の泥濘に塗れた誇りを取り戻せるほど強大であるのなら、それだけ人間はその力に溺れ、知性を誤った方向に使うだろう。
 多くの女性達がISという存在によって男性を見下す女尊男卑の社会が形作られた様に、今度はその反動による男尊女卑の社会にならぬとは、誰が保証できようか。
 しかし、この知識を使えば確実に今の世界を変える事は出来る。それがより良い未来へと続く変革であるか、それともベクトルが変わっただけの前進せざるただの変化であるか、それは科学者をしても分からない。
 本当に人ならぬものの啓示を受けたかのごとく、突然に自分の頭の中に生じた数多の知識の正しい使い方は、はたしてなんなのか。科学者は長く、そして深く悩み続けて、ある一つの結論に至る。
 これが後にISとの対立構造を生む事となるある機動兵器が世界に産声を上げる数年前のある日の一幕であった。

<終>

A フラッグ
B イナクト
C ティエレン
D ジンクス

お好きなルートを選んでください。
ルートによって
セルゲイ・ソーマ・ラウラ親娘姉妹熊。
ブルームことミス・ブシドー。
などが登場します。国の違いはあまり気にしないでくださいませ。
デカルト、リボンズ、アーミア、刹那の順で更新できるよう努力いたします。
ジンクスクラスを持ってこないとISに対抗するのは難しいかな? と個人的には思うのですが、皆様はどう思われますか。サイズの関係上ISの火力はMSからするとそう脅威ではないかもしれませんが、ISに使われている技術はOO世界を凌駕するものがちらほら見られますし、機動性や運動性、ワンオフアビリティにいたってはいわずもがななトンデモがありますし。
一番の問題は、MSがそのままの大きさだとぱっと見、イジメにしかみえないことかもしれませんね。ご意見ご感想お待ちしております。


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