オペラの夜

出かけたオペラやコンサートを聴きっ放しにせず、自分の中で理解を深めるためのブログです。

関学高等部グリークラブ第48回ファミリーコンサート

2011-01-30 | 高校合唱
2011年1月30日(日)14:00/川西みつなかホール

指揮/犬賀貴夫/安川佳秀
生徒指揮/木本貴士
関西学院高等部グリークラブ
関西学院グリークラブ

福永陽一郎編曲「Loch Lomond/Londonderry air/Ride the chariot」
ロバート・ショウ編曲「Haul away, Joe/Home,sweet home/
What shall we do with a drunken sailor?」
森山直太朗「さくら」
リチャード・カーペンター「Top of the world」
森友紀「島唄」
北川悠仁「栄光の架け橋」
藤巻亮太「3月9日」
林雄一郎編曲「Old Kwansei」
多田武彦「冬野」(尾崎喜八の詩から)
早野柳三郎「雪の記憶」(全4曲)


 本年度の高等部グリーの陣容は37名。冒頭に唱われる校歌の音程の悪いのは毎度の事で、まだエンジンの掛からないのだろうと、僕は聴かなかったフリする習慣を身に付けている。続いて三年生の指揮で英国民謡を五曲。だが、「ロッホ・ローモンド」や「ロンドンデリー・エア」まで辿り着いても、相変わらずピッチの悪さは修正されない。生徒指揮にピッチを正す経験に不足するのは当然だが、この子は単純で美しいメロディーの民謡から、シミジミとした味わいを引き出すセンスのあって評価出来る。但し、最後の酔っ払いのシー・シャンティまでシミジミ歌わせたのは問題で、この曲は羽目を外してヤンチャにやるのが正しい。どうやら指揮者の意図的な解釈のようなので、それは明白に間違っていると指摘して置く。

 次は二人いる顧問の内、若い方の先生の指揮でポピュラー・ソング集。今時の流行歌を二人の顧問が手分けしてアレンジしているが、カーペンターズ辺りまで無伴奏で歌うのは、やや無理がある。全曲ア・カペラのコンサートも悪くはないが、アップ・テンポのポップスにピアノ伴奏を付けないのは、薬味の無い蕎麦か甘いカレーライスを食わされる気分だ。それと若い方の先生の編曲で、生徒のソロの長過ぎるのも困る。下手糞な歌ばかり聴かされ、ハーモニーを聴かせて貰えないのでは退屈する。全てピアノ伴奏付きでソロの一切無い、淀工グリー編曲版の導入も一考に価すると思う。

 演奏そのものは、さすがに音楽教師の指揮だからか、或いは単純に喉の温まったからかは知らないが、ピッチの悪いのは心持ち改善する。島唄やレミオロメンは縦を合わせてハモるのに都合の良い曲で、結構盛り上がって楽しく聴ける。但し、サビは盛り上がっても静かに歌い収める曲ばかりで、完全にハジケるまでには至らない。それとバリトンやベースのパート・ソロは、内部の声のバラバラで、何だか一人ひとりの声を聴き分けられるような気のする程だった。

 横の合わないのは基本的な問題だが、縦はキチンと揃える端正な指揮で、でも折り目正しいだけでは、何故にポップスなのかは意図不明となり、四声でハモるだけでは工夫の足りないと感じる。今日のプログラムを改めて見渡すと、軽い曲の多過ぎて、聴き応えに乏しいのを不満に感じる。メンデルスゾーンかシューベルトでも歌ってくれれば、もっと聴衆も楽しめるし、高校生達がハーモニーの基本を見直す契機にもなると思う。

 休憩後は大学グリーとの合同演奏で三曲。校歌と黒人霊歌とタダタケだが、安川教諭はヘンに捏ねくり回さない、実直な音楽作りで聴かせてくれる。大学グリーのハーモニーには一段と増した安定感のあり、百名近い人数での男声合唱には圧倒的な迫力がある。ただ、尾崎喜八で冒頭のベース・パートソロが、僕は一瞬ビックリした程にユニゾンのピッタリと合っていて、その迫力は凄かったが、他の曲の演奏レヴェルと懸け離れて違和感がある。そこで大学グリーは、この曲を今年度のコンクール自由曲に取り上げていたと思い出す。

 成程、この演奏なら全国一位も当然と納得する出来栄えで、この完成度に達するまでの学生達の努力の積み重ねに対し、敬意を払うに吝かではない。だが、その異様な雰囲気に対する違和感の拭えないのも、また事実である。実際に会場に赴き、コンクールの一出場団体として聴けば違った感想もあろうが、日常のコンサートの中に置かれると、この演奏は完全に浮き上がってしまう。そもそも多田武彦の演歌のような音楽に、このような完成度は全く求められてはいない。ここには何の必然性も無い、高度な技術の濫用のみがある。この完成度に至るまでの学生達の辛苦は、恐らくは兵庫芸文で雄叫びを挙げる事により、報われているのだろう。だが、そこに“音楽”の介在する余地はあるのか、疑問に感じる。

 高度な技術自体に意味はなく、それを求める音楽に対し供されて、初めて技術に意義は生ずる。大学グリーの尾崎喜八の演奏は、手段と目的を履き違えていると言わざるを得ない。関学や同志社のコンクール出場そのものに付いて、否定的な意見も多いようだが、その是非は僕の関知する処ではない。ただ、コンクール出場に技術的な意味はあっても、音楽的な意義の何も無い事は良く分かった。

 さて、今日のコンサートのメイン・プログラムは、早野柳三郎の「雪の記憶」。早野柳三郎と云っても、殆んどの方は名前もご存じないと思うが、僕も早野氏に付いては龍谷大学男声合唱団に、仏教聖歌を提供している一事で知るのみで、今し方検索を試みた。その結果、早野氏は大阪にある大谷女子大学幼児教育科に勤務したが、既に十年ほど前に鬼籍に入っておられる事の分かった。作詞の山崎樹朗に付いては更に分からないが、恐らくは西本願寺の僧籍にある方と思われる。「雪の記憶」は龍谷大学男声合唱団の委嘱により、82年の定期演奏会で初演されている。僕は年代的に、この初演を聴いている可能性のあるが、全ては忘却の彼方に沈んでいる。

 歌詞カードには「御堂の屋根に降り積もった」とか、「低く流れる読経の声」等とあって、この曲も仏教聖歌にジャンル分けされるのだろう。何を今更の感のある選曲だが、僕としては懐かしくもあり、実はこの曲に興味のあって、今日のコンサートを訪れたようなものだ。矢鱈にハモって、歌う側は実に気持ち良さそうな、男声合唱の倍音を効かせたハーモニーを楽しむだけの曲、と云う感想を抱く。でも、アンダンテ位のテンポの曲を四つ並べて変化の無いのに、何だか聴いていて楽しいのだ。

 そこには安川教諭の音楽性がストレートに出て、柔らかい情感を醸す音楽になっている。滋味深い演奏で、これを聴けて良かったと思う。ただ、高等部グリーに備わった、関学伝統の柔らかいハーモニーは良いが、その魅力を減殺する音程の悪さは、最後まで解消されなかった。その要因は専ら、トップ・テノールの喉声にあると思う。つまり最上声部の抜け切らないので、全体のハーモニーを押し下げてしまう。柔らかい発声は良いのだが、柔らか過ぎて抜け切らないのが問題。

 これは一パートのみの問題ではなく、全員の発声法を根本的に見直し、スカッと抜ける高音部を身に着けない限り、演奏レヴェルの向上は有り得ないと思う。今年度のコンクール全国大会は地元の西宮で開催されたが、高等部は予選落ちで出場を逃している。全国大会での兵庫県代表校の演奏は、これで代表とは十年前と比べても、関西の高校のレヴェルは随分と下がって終ったなぁ、とシミジミ実感させられる出来だった。

 こんな立派なホールで開催されるコンサートをタダで聴かせて頂き、しかも綺麗なプログラムまで貰って置いて、文句を言う筋合いの話ではないが、現状の高等部グリーは単なる音楽好きが男声合唱を楽しめるレヴェルにあるのか、これは微妙な処なのだ。僕は大学グリーの演奏を目的にコンサート訪れていて、率直に言って高等部だけなら来ない。ポテンシャルは充分にあるのだから、今後の高等部グリーの奮起に期待したい。
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