ここから本文エリア 超高層マンション、エレベーター頼みに弱点 震災で露呈2011年3月30日
県内にも増え始めた超高層マンションにとって、東日本大震災は初めて経験する大地震となった。免震・制震機能が役立ち、室内で大きな被害はなかったものの、緊急停止したエレベーターの復旧で混乱が続くなど、電気頼みの生活によるもろさも浮き彫りになった。 JR市川駅南口にあるマンションなどの複合ビル、アイ・リンクタウン。山崎之典さん(69)は展望ロビーがある45階の事務室で机に向かっていて揺れを感じた。数分間に3回来た。2回目の揺れは大きく、思わず廊下の手すりにつかまった。客船が横波を受けてローリングするような感じだった。 一緒にいて事務室から出た市職員の賀田厚彰さん(55)は、無人になった事務室の四つあるスチール机の引き出しが、開閉を繰り返しながら飛び出すのを見た。だが、机同士がぶつかり合うような音はせず、ロビーに置かれた46インチ液晶テレビも倒れなかった。 超高層ビルのほとんどは免震システムを導入している。基礎に置いた積層ゴムなどで揺れを弱める仕組みだ。中層建築までに多い、柱や壁などの強さで揺れに耐えようという仕組みと違い、地震の力がそのまま建物に伝わらないため、安全性が高いとされる。 千葉市で最も高い43階建てマンション、千葉セントラルタワーも免震構造を取り入れている。32階に住む福井一郎さん(83)によると、ゆっくりとした揺れが10分ほど続いただけで、部屋で落下するものはなかった。「普段でも震度2程度なら気づかないことが多い」という。 ■エレベーター、すべて緊急停止 もろさをみせたのはエレベーターという「足」を奪われたことだ。震度5レベルの大きな地震で緊急停止した場合、故障していなくてもエレベーター会社が点検しないと再開できない。停電したら動かすこと自体不可能だ。 同タワーでは8基あるエレベーターがすべて緊急停止した。管理組合理事長の岡野正義さん(80)は「エレベーターがない生活がこんな大変なのか、と改めて考えさせられた」と、ため息をつく。 被災直後、マンションに戻ると、妻(74)もデイサービスから帰ってきたところだった。そのままにしておけないと、21階の自宅まで抱えるようにして階段を上った。数階上っては休む、の繰り返し。到着までどれぐらいかかったかは疲れて覚えていない。 市川市の37階建て共同住宅の26階に住む女性(51)は被災直後、偶然実家から訪問途中だった母親(75)に、ロビーから実家に戻ってもらった。「階段を上ってきたところで、退避勧告が出たら、高齢者が階段を急いで下りるのは無理」と判断した。エレベーターは間もなく動き出したが、2日後初めて階段で地上を往復してみた。「片道」7分。翌日筋肉痛になった。 柏市の柏の葉キャンパス駅前の高層マンションでは、5棟約970世帯の住人のうち、階段を下りて避難してきたり、外出先から戻ってきて上がれなくなったりした約100人が集会所などにいたという。17基のエレベーターすべてが動き出したのは、停止から4時間後だった。 高層階の高齢世帯では、避難をあきらめたケースも多かった。35階建て棟の25階に住む岩佐秀三郎さん(74)、喜久さん(71)夫妻も部屋から出なかった。1度下りたら上るのはしんどいし、中にいる方が安全だと思ったからだ。 同マンションは震災後、計画停電の対象地域に入り、停電がある。キッチンや床暖房はガスだが、電気が止まると作動しない。普段が快適なだけに、非常時の厳しさを痛感させられた。秀三郎さんは「体験して初めて、電気がないと何もできないとわかった」と話す。(吉井亨、重政紀元、若林幹生)
マイタウン千葉
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