教科書:「1837年の地図帳に独島はない」

保坂教授、地域別に岩礁まで表記された『国郡全図』を公開

 日本は1905年に独島(日本名:竹島)を島根県隠岐島に強制的に編入したが、それ以前は独島を自国の領土と認識していなかったことを示す江戸時代の地図帳が30日、初めて公開された。

 この地図帳は、江戸時代末期の天保8年(1837年)に民間人の河内屋喜兵衛ら6人が制作した『国郡全図』で、日本全国を地域別に分けて詳細地図を作製し、一つにまとめたものだ。地図帳を入手して公開した保坂祐二・独島総合研究所所長(55)は「江戸時代の全国地図は公開されていたが、地方ごとの詳細地図を集めた地図帳が公開されるのは初めて」と語った。

 地図帳は上巻(110ページ)、下巻(78ページ)に分かれ、序文には「江戸幕府が統治していた66の国(封建制度下の地方の単位)と2つの島(九州の壱岐・対馬)を網羅した」と記されている。保坂教授は「1821年に江戸幕府の事業として完成した伊能忠敬の『大日本沿海地図』に、独島が記されていないこととも関連しているが、日本は1905年に独島を強制的に編入するまで、この島を自国の領土と認識していなかったことを示している」と説明した。

 『国郡全図』では、海は青色、陸地は緑色、主な都市名は黄色で示されるなど、細筆で精巧に作成され、岩礁まで表記されている。だが、独島に関する言及は全くない。日本政府は現在「独島は隠岐島の所管地域」と主張しているが、隠岐島の地図にも独島は描かれていない。

 保坂教授はこの地図帳を、日本の古地図を専門に扱う業者から入手したという。同教授は以前にも「独島のない日本の古地図」を韓国に紹介した。同教授は「日本が1905年まで独島を領土として認識していなかったことを示す、もう一つの事例。最近の日本政府は、歴史教科書などを通じ、独島が歴史的に固有の領土だったと主張しているが、この地図帳を見るだけでもそれが虚偽であることが分かる」と語った。

世宗大学独島総合研究所の保坂祐二所長が30日「国郡全図」を広げながら「独島に関する言及や表記はどこにもない」と説明している。/写真=全炳根(チョン・ギビョン)記者

全炳根(チョン・ビョングン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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