そして学校は、採用を希望する教科書を教育委員会を通じて県教育委員会に報告。
県教委は、この結果を9月末日までに取りまとめて文科省に報告し、文科省はこれに基づいて各教科書出版社に発注。
教科書出版社は、その発注により印刷を開始して、文科省に納本し、文科省はこれを全国に配本して、新学期から使用する生徒に無料配布する、という流れになっています。
さて、その教科書の中で、つい先ごろまでの中学校歴史教科書に、どのようなことが書かれていたのかを、特に左傾化が著しい東京書籍、日本書籍、清水書院、教育出版の4社で、見てみたいと思います。
(このたび検定に合格した教科書ではなく、平成9年度採用の教科書からの抜粋です)
まず、韓国に関する記述です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【東京書籍 P220〜221】
1905年、韓国は外交権を奪われて日本の保護国とされ、伊東博文が韓国総監となった。
日本はさらに、1907年には皇帝を退位させて内政を握り、軍隊を解散させた。
日本の侵略に対して、韓国では民族抵抗運動が広がった。
1910年、韓国は日本に併合され、朝鮮総督府によって武力を背景とした植民地支配がおし進められた。
学校では朝鮮史を教えることが禁じられ、日本史や日本語を教えて、民族の誇りと自覚をうばい、日本人に同化させる教育が行われた。
また多くの農民が所有権が明確でないとして土地を奪われた。
土地を失った農民は、小作人になったり、日本や満州へ移住することを余儀なくされたうえ、さまざまな社会的、経済的差別を受けた。
日本の植民地支配は、その後36年間にわたって続いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これで「教科書」だというのだからお粗末極まりないです。
そもそもこのような内容で、よく検定に合格した(あるいは、させた)ということ自体が信じられないことだと思います。
そもそも、明治38(1905)年前後において「韓国」という国は存在しません。
「韓国」というのは、大韓民国の通称ですが、その大韓民国ができたのは、朝鮮戦争という意味ならば、韓国ができたのは大東亜戦争後の昭和23(1948)年のことです。
この頃に朝鮮半島にあったのは、李氏朝鮮であり、清国の属国(自治領)としての「朝鮮国」です。
教科書といいながら、国名の記載から間違っている。
加えて1907年に日本が皇帝を退位させたというけれど、当時の朝鮮国に「皇帝」はいません。
いたのは、朝鮮国王です。
清国の属国であった朝鮮国は、清国「皇帝」のもとにかしづく「国王」にすぎないわけで、朝鮮国王がいつから「皇帝」なったのか、デタラメな記述もいいとこです。
史実はむしろ逆で、日本が日露戦争に勝利したことで、明治維新後、急速に近代化をすすめ、世界の強国(一等国)となった日本のもとで、朝鮮の近代化を推し進めようという「朝鮮国内の内圧」によって、日本は併合にむしろ引っ張り込まれたというのが事実です。
しかも「武力を背景に植民地支配」とは、ほとんどへそが茶をわかす世界です。
武力どころか、法を整備し、行政機構を確立し、学校を建て、鉄道をひき、工業化を図るという、日本が行ったのは、まさに慈悲と慈愛による善政そのものです。
「多くの農民が所有権が明確でないとして土地を奪われた」という記述もデタラメです。
そもそも当時の朝鮮の平民には、土地の所有どころが名前を名乗ることさえも禁じられていた。
土地の所有者は、朝鮮貴族のヤンパンで、そのヤンパン自身が、どこからどこまでが自分の地所かすら、まったくわかっていなかった。
当日のご都合で、昨日までは、ここまでがウリの土地だったが、今日は向こうの畑もウリの土地だ!と勝手気ままにやっていた、というのが、当時の朝鮮の実態です。
日本は、こうした弊害をなくすため、土地の測量を行い、所有のあいまいな土地は、平民に格安で与えた。
そうすることで、平民が「ここは今日から俺の土地だ!」と胸をはって農作業できるようにしていったのです。
話があべこべです。
そもそもの話が、日本が望んだのは日韓併合ですらない。
日本が望んだのは、朝鮮の独立(朝鮮が清による柵法体制から自立して独立国となること)であり、そのために日本はあらゆる支援を朝鮮に対してしていたのです。
ところが一部の朝鮮貴族はこれにたいし、あるときは清国に近づき、またあるときは日本に近づき、またあるときはロシアに媚びると、まるで対応が一定しない。
その曖昧さが、結果として日清戦争、日露戦争を引き起こし、そのために日本は、多数の日本人の命を犠牲にすることになった。
そしてさらに朝鮮は、あくまで日韓併合に「反対」の立場をとった伊藤博文を、暗殺しています。
暗殺したのが安重根であり、安重根の暗殺の動機は、伊藤博文を暗殺しさえすれば、日本が朝鮮を併合してくれるに違いない、というものです。
結局日本は、初代内閣総理大臣である伊藤博文を暗殺までされるという悲劇を起こされ、結果として日韓併合をせざるを得ない状況となった。
史実の記載が、まるでデタラメです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【大阪書籍 P253】
1941年には小学校を国民学校と改めて、軍国主義教育を行い、朝鮮では神社参拝や日本式の姓名を名乗る創氏改名を強制し、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【日本書籍 P259】
植民地統治下の朝鮮人・台湾人に対しては、日本式の姓を名乗ること(創氏改名)や神社への参拝が強制され、日本人に同化させようとする皇民家教育が進められた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本は、戦前も戦後も、国策として神社参拝を強制したことは一度もありません。
まるで事実無根です。
これは虚偽記載だ。
創氏改名にしても、そもそも当時の朝鮮の平民には、名前さえもなかった。
それでは住民基本台帳も作れないから、各々、名前をつけなさい、と指導したところ、多くの朝鮮人たちがこぞって日本式の名前を付けたがった、というのが事実です。
むしろ、その時点で日本式の名前を付けることを朝鮮総督府が拒否したら、朝鮮半島全域で大暴動騒ぎすら起きかねなかった。
それほどまでに、当時の日本という国が多くの朝鮮人たちにとって憧れの国家であった、ということです。
なんでこのようなデタラメな記述が、教科書検定にパスしたのか、ここまでくるt、不思議としかいいようがありません。
さらに思春期を迎えた中学生向けの歴史教科書でありながら、以下の記述も見受けられます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【東京書籍 P263)
従軍慰安婦として強制的に戦場に送りだされた若い女性も多数いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【教育出版 P216】
多くの朝鮮人女性なども従軍慰安婦として戦場に送りだされた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【日本書籍 P264】
また女性を慰安婦として従軍させ、ひどい扱いをした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本軍が外国人女性を拉致して慰安婦となることを強制したなどという事実は、まったくない。
やっていたのは、朝鮮人の女衒です。
日本人ではない。
日本軍は、むしろ性病による汚染を恐れて、彼女たち慰安婦に毎月の健康診断を軍費で義務付けし、さらに生理期間中の休業を義務付けるなど、彼女たちの健康管理に気を使ったにすぎない。
しかも軍の慰安婦に、ちゃんと金を払っていたというもの、世界広しといえども、日本軍の兵士たちくらいなものです。
おかげで、彼女たちの月収は、日本の軍人の給料が月15〜25円だった時代に、月収1000円、ちょっとがんばる女性なら、月2000円稼いだという。
それが「ひどい扱い」とは、どの口から出てくる言葉なのか、わけがわかりません。
多くの学校では、歴史の授業は、明治維新くらいまでで、それ以降は先生が教えない。
というより、教えれるような内容の教科書になっていなかった、ということです。
ボクなどが子供のころの教科書は、いかんせん、ここまでひどくはなかった。
戦後65年の間に、半日左翼やら日教組やらが暗躍し、多くの大人たちが日々の仕事に追われている間に、いつの間にか学校教育を壟断していたわけです。
こうしたあきらかな偏向に対し、はじめて異を唱えた文部大臣が、中山成彬氏でした。
そして教育三法の抜本改正に踏み切り、ようやくそれが実って、まともな歴史教科書が世の中に登場するようになってきた。
けれど、みなさん。
大事なのは、検定合格ではありません。
地域や学校が、結果として東京書籍や日本書籍、教育出版の歴史教科書、公民教科書を採用したら、結局は子供たちが犠牲になってしまうのです。
問題は、7月から9月です。
これからも監視の目を緩めずにいきましょう!
↓クリックを↓
【藤岡信勝】浜教組「指定教科書」使用拒否の暴挙