皇后美智子の妹は第二水俣病の昭和電工と結婚、息子は水俣病のチッソと結婚
安西恵美子 皇后の妹安西孝之 昭和エンジニアリング取締役相談役、元昭和電工専務、日本体育協会会長/妻は、皇后の妹安西正夫 昭和電工会長 安西邦夫 東京ガス会長/ 以前、貴乃花後援会会長 安西浩 東京ガス会長 安西直一 千葉県議会議長 佐藤信二 衆議院議員、運輸相・通産相/ 佐藤栄作元首相の次男、妻は安西浩の長女 安西 孝之(あんざい たかゆき、1933年12月25日 - )は東京都出身の実業家。
略歴
1956年:慶應義塾大学法学部を卒業し、昭和電工に入社。 1984年:昭電取締役に就任する。 1988年:昭電常務に就任。 1993年:昭電専務に就任。 1995年:昭電の子会社・昭和エンジニアリングの社長と日本体育協会の会長に就任。 2001年:昭和エンジニアリング相談役に退く。 2005年3月31日:定年により日本体育協会の会長を辞任。 安西孝之は安西正夫と満江夫妻の長男として生まれた。父の正夫は元昭和電工社長で、母の満江は森コンツェルンの創業者森矗昶の長女である。また正夫の兄の浩は元東京瓦斯社長であり、満江の兄妹には政治家の森曉や森清、三木武夫夫人の睦子らがいる。 孝之の弟の直之は16代目住友吉左衛門・住友友成の娘と結婚した。また孝之の妻の恵美子は元日清製粉代表取締役会長の正田英三郎の次女である。 恵美子の姉、すなわち英三郎の長女は皇后美智子なので、安西家は住友財閥の創業者一族・住友家や日清製粉グループ本社のオーナー正田家と姻戚関係にある。このため、安西孝之と恵美子の間に生まれた1男1女は皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王、黒田清子といとこの関係にある。
略歴
1904年 - 千葉県に父・安西直一、母・まつの次男として生まれる 1932年 - 日本沃度(昭和電工の前身)に入社 1953年 - 昭和電工取締役を兼ね、専務に就任 1959年 - 昭和電工社長、横浜化学会長に就任
家族 親族
長男 孝之 - 実業家正田英三郎の次女・恵美子と結婚した。英三郎の長女、すなわち恵美子の姉が皇后美智子なので、安西家は天皇家外戚となった。 第二水俣病第二水俣病(だいにみなまたびょう)は、1965年に確認された四大公害病のひとつ。熊本県の水俣病と同様の症状が確認されたためにこの名がある。新潟県阿賀野川下流域で患者が発生した事から「新潟水俣病」や「阿賀野川有機水銀中毒」とも呼ばれる。四大公害では最も発生は遅かったが、訴訟は最も早く提起された。その後、未認定患者による第二次訴訟、2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決を受けて2007年に提起された第三次訴訟と、主なものだけで3つの裁判が起こされている。
原因
昭和電工(→鹿瀬電工→新潟昭和)鹿瀬工場(新潟県東蒲原郡鹿瀬町、現・同郡阿賀町)でアセトアルデヒドを生産中に生成され、未処理のまま廃液として阿賀野川に排出されたメチル水銀が、川で獲れた魚介類の摂取を通じて人体に蓄積された事による有機水銀中毒。被害者の多くは阿賀野川下流の新潟市松浜(右岸)、津島屋(左岸)地域に多くみられた。
経過
患者が起こした損害賠償請求訴訟において昭和電工側は「原因は新潟地震によって川に流出した農薬」と主張していた。1964年に発生した新潟地震により、水銀農薬を保管していた新潟港埠頭倉庫が浸水する被害を受け、そのとき農薬が流出したのではないかと疑われた。しかし当時、新潟県当局は被災した農薬の全量を把握しており、いずれも安全に処理されていたことを確認している。また、農薬として使用されていた水銀はほとんどがフェニル水銀であり、水銀中毒の原因物質となったメチル水銀ではない。 また、農薬説は第一次訴訟までに被害を訴えていた患者が下流域にしかいなかったことを根拠としていたが、その後、より上流の地域にも患者が発生していたことが明らかになり、全くその主張の根拠を失った。 死亡患者の遺族の一人の法廷証言に「父は悶え、苦しみ……犬のように、猛獣のように狂い死にしました」とある。 第二水俣病は、熊本水俣病に対しての政府の責任回避ともいうべき対応によって引き起こされたといえる。政府は熊本水俣病が発生した時点で原因の究明を怠り、チッソ水俣工場と同様の生産を行っていた昭和電工鹿瀬工場の操業停止という措置をしなかったからである。熊本水俣病に対して的確な対応をしていたならば新潟水俣病は避けられたはずであるといわれる。また昭和電工は証拠隠滅のため都合の悪い資料をすべて破棄したと見られ、事件の全容解明はほぼ不可能とみられる。(発病の詳細なメカニズムは水俣病を参照の事) 国は、熊本の水俣病と同様、患者の認定基準に厳格さを貫き続けている。 新潟県は国の基準では認定されない患者も救済する方向で条例制定を目指している。 諸問題 コンプライアンス違反・企業犯罪 昭和電工事件(昭電疑獄とも言う) 1948年に発覚した贈収賄事件。 昭和電工の新潟県東蒲原郡鹿瀬町(現同郡阿賀町)の鹿瀬工場が、阿賀野川にメチル水銀を含んだ工場廃液を未処理のまま排出し、阿賀野川流域住民に健康被害を与えた(新潟水俣病)。 2007年3月に6年ぶりに開かれた公害健康被害認定審査会では水俣病として新たに2名が認定され、2009年5月1日にも3名が認定されたことで新潟水俣病の認定患者は696名になった。なお、内部資料は昭和電工が証拠隠滅のために破棄し、全容解明は不可能とされる。 転載元: 土壌・底質汚染と健康被害ラーニング |
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コメント(6)
閨閥をたどってそれが何?確かに同類なのかもしれないが、こんな人たちで成り立っているって事?問題の怒りの本筋が見えなくなってしまうのではないのかな。
2010/1/10(日) 午後 4:31 [ myt*2*hid* ]
美智子皇后に遠慮してマスコミ等が、患者救済の報道を怠った感じはありましたからね。
患者や御家族の気持ちの遣る瀬無い代弁なのでしょう。
水俣病で大問題となっていながら、垂れ流しを続けたこの企業は 企業倫理にチッソ以上にかけると思います。
又、ある意味昭和電工は悪質な感じも拭えない。
証拠隠滅を意図した内部資料の破棄とか。
患者の方々やその御家族に日々の安寧が訪れますようと心から願ってます。
2010/4/15(木) 午前 11:39 [ フミ ]
このすばらしい海を汚し、深刻な健康被害をもたらし、そして、差別・偏見・不和など地域全体のきずなを破壊してしまったことについて、思いを深く感ぜずにはいられません。
熊本、鹿児島にとどまらず、さらに後年、新潟で第二の水俣病が引き起こされたことは、誠に痛恨の極みであります。こうして各地で、長きにわたる大変な苦しみの中でお亡くなりになられた方々、ご遺族の方々、地域に生じたあつれきに苦しまれた方々、また、今なお苦しみの中にある方々に対し、誠に申し訳ないという気持ちでいっぱいでございます。
ここに、政府を代表して、かつて公害防止の責任を十分に果たすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかった責任を認め、改めて衷心よりおわび申し上げます。国として、責任を持って被害者の方々への償いを全うしなければならないと、再度認識をいたしました。
2010/5/2(日) 午後 0:32 [ 竹島は日本領土よ教科書で勉強して ]
うざい小市民どもが!
天皇陛下もまた、自らブルーギルを日本に持ち込んで生態系を狂わせてしまった、と認めているよ
それぞれに罪はあろうが、当事者に悪意は全く無かったし、誰にも責められる筋合いなど無い
2010/5/24(月) 午前 3:57 [ IB ]
チッソ水俣工場はその時代の社会的な流れの中で操業し、日本国民に対し肥料や化学製品の提供などで、食料増産などの日本国の繁栄と国民の幸せに貢献してきました。
天皇陛下もチッソ水俣工場に来たぐらい日本国のためになっていました。
水俣の環境修復はチッソ一企業だけにたよる事無く、国家プロジェクトとして推進すべきではないでしょうか?
重化学工業は日本を支えてきました。水俣の環境汚染問題は国の責任と名において治めるべきではないでしょうか?
昭和天皇は水俣湾のハゼもご研究あそばされたいたのでしょうか?
2010/6/7(月) 午後 9:39 [ 竹島の韓国軍を追出し清冽な日本を ]
水俣のチッソは国策企業です。昭和天皇陛下も視察に行っていますし、雅子皇太子妃はチッソ社長・会長の孫娘です。
チッソは肥料等を作り食料増産に貢献し、多くの便益を国民に与えました。
水俣には膨大量の水銀やダイオキシン類等の有害物質を含む廃棄物膨大な量で残されています。日本という国の美しい情を持って、国家プロジェクトとして水俣の環境修復プロジェクトを早急に進めるべきと思います。
2010/6/13(日) 午前 7:36 [ 竹島は日本領土よ教科書で勉強して ]