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[17006] ガンダールヴは夢を見る。/2
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2011/01/22 21:12
はじめに

話数が多くなって来たので、投稿スレッドを分割致しました。
こちらは五章からの内容となります。
以前のスレッドはこちら↓
[12870] ガンダールヴは夢を見る。/1
※アドレスが貼れません。
お手数ですが検索してクダサイ……

注意事項
□ 本SSはライトノベル等で掲載できる程度のグロテスクな表現があります。注意してください。
□ 又、本SS公開開始時において原作17巻時点までの設定でプロットを構成しておりますので
  一部原作とは乖離している設定となっております。(主にワルド関係)
  どうぞご留意願います。(10.01.24追加)

以下、prologue。



































prologue


シオメントはイーヴァルディに尋ねました。
「おお、イーヴァルディよ。そなたはなぜ竜の住処に赴くのだ?あの娘はあんなにもお前を苦しめたのだぞ?」

イーヴァルディは答えました。
「わからない。なぜなのかぼくにもわからない。ただ、ぼくのなかにいるなにかが、ぐんぐんとぼくをひっぱていくんだ。」



(スノーリ・ストゥルルソン著『イーヴァルディの勇者』より)



















[17006] 5-1:お休みが必要だと思うんです
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/03/04 21:11










ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、伝説の系統魔法 "虚無" の担い手だ。





"神の左手・ガンダールヴ" と謳われ、あらゆる武器を操り、更に不死の体を持ち未来を知る強力無比な使い魔を従えるメイジでもある。

自身も、侵攻してきたアルビオン空中艦隊をたった一発の魔法で撃退できる程の力を秘めているメイジであった。

家柄も王族の血筋に連なる公爵家であり、トリステイン貴族に限れば恐らく、学院一身分が高い人物だ。

更に容姿も申し分なく、可憐なその外見は下級生には絶大な人気を誇りつつある。

更に更に、彼女が住む王国の支配者である女王陛下とも固い? 友情と信頼で結ばれており、困難な極秘任務をこなすなどの実績も上げている。

表立っては魔法が使えない事になっているのだが、それを抜きにしても最近急に華麗になった彼女の生活は

他の生徒にとっては羨望の的であった。

そんな彼女が。

そんな、華麗で可憐で、実は伝説なメイジで、同じく伝説の使い魔でありしかも竜殺しの "イーヴァルディの勇者" を従えて

その上最近は恋人まで出来た、でも皆には内緒なのと行った具合で年頃の少女の妄想が現実になったかのような、幸せ一杯なはずの彼女が。

何かに怯えるような表情を浮かべて、夕日の差し込む自室の冷たい床にあろうことか正座をさせられていた。

彼女のすぐ隣ではメイジを圧倒し、古の竜を屠り、城一つ簡単に攻め滅ぼせるであろう凶悪な戦闘能力を持つ使い魔が

主人と同じように何かに怯えるような表情を浮かべて、肩を落としながら正座をさせられている。

恐らくはハルケギニア最強の一角と言っても差し支えないであろう二人は、共に同じ向きに正座をしながらせわしなく目を泳がせて

その恐怖の対象を必死に視界から外そうと試みていた。

決して上を向くことのないその視線の先に、先程から三組の綺麗な足が見えている。





「さぁて、じっくりと説明してもらおうかしら?」


「お仕置きは必要」


「そうですよ! サイトさん、わたし達に黙って一体いままで何処に行ってたんですか!」





足の主は、キュルケとタバサ、そしてシエスタであった。

小柴勇魚の奇襲のお陰だったのか、何度も "忘却" を使っていたルイズが連続して "世界扉" を唱えたにもかかわらず

今度は無事意識を保って光の門を維持することができ、魔法学院の寮に帰ってこれた二人であったのだが。

部屋に戻ってくるや、簡単に他の女に唇を許してしまった才人にルイズは激怒して、なによあれは! と早速才人に詰め寄った。

才人にしてみれば青天の霹靂ではあったが、まるで怒りに我を忘れ暴走するイノシシのようになったルイズには当然言い訳など通じず

直接的な制裁が行われていた所に、隣室にいたキュルケとタバサが騒ぎを聞きつけ部屋にやって来たのだ。

それからすぐに、 "ルイズが極秘任務? から学院に戻ったらしい" との噂が流れ、それを聞きつけたシエスタが

部屋に押しかけてきて説教の輪に加わったという訳である。

その間二人はずっと正座をさせられ、不在の間どれだけ心配したかキュルケにお説教をうけていたのだった。

一方、タバサはそれ程多くを口にしなかったが、一貫して「お仕置きは必要」と言っている所を見るとかなり怒っているようだ。

正座をしながら目を泳がせる二人は、決してタバサの顔を見ようとはしない。

無論、彼女が怖いからだ。

ある種、主人であるルイズにとってピンチであるらしく、才人の左目が先ほどからルイズと "繋がって" いる。





『なあ、ルイズ。タバサが超怖い』


『わたしもよ、サイト』


「ちょっとぉ、聞いてるの? ほんと、アンタたちが黙っていなくなるから焦ったのよ?
 タバサなんてガリアに情報が漏れたかもしれないって、必死に行方を探っていたんだから」


「お仕置きは必要」


「サイトさん! 大体、その荷物はなんですか?! もしかして二人で呑気に泊りがけで買い物にでも行ってたんですか?!」





ビシ! とシエスタが指さした先、テーブルの上には才人とルイズが地球からのおみやげとして持ち帰ったビニール袋の山があった。

中身はコンビニなどで買い求めた飲み物や食品に、量販店で買った洋服、果てはシャンプーやリンスまでと様々な物が詰め込まれている。

そのどれもがハルケギニアでは決して手にはいらないものであり、ビニールの袋でさえこちらでは物珍しさから高値で売れるであろう品だ。





「いや、実はな? 息抜きに、ちょっとルイズの魔法で俺の故郷に……」


「えー! ずるい! ずるいずるいずるい、ミス・ヴァリエール!
 ずるいです! わたしもサイトさんの故郷に行ってみたかった!」


「そうよ! どうしてあたし達に一声かけてくれなかったの?!」


「いいじゃない、別に! 大体、なんでアンタ達まで誘わないといけないのよ!
 サイトだってね、たまにはご主人様とゆっくりお休みが欲しい時もあるわよ!
 それに、すぐに帰ってくるつもりだったんだから」


「お仕置きは必要」


「すぐにって、泊まりがけのお出かけはすぐに帰ってくるとは言わないわよ?」


「そうですよ!」


「お、落ち着けって! それにはワケがあってだな……」


「正座は崩しちゃダメ」





キュルケとシエスタに詰め寄られるルイズを庇おうと、才人が代わりに説明しようとしたところで

立ち上がろうとした彼の痺れる足をタバサはちょいと杖でつついた。

長時間正座をしていた才人の足の先から背中までに、なんとも耐え難い痺れが襲いかかる。

ぬぐあ! と思わず悲鳴を上げ、才人が悶えた。

しかし、タバサの攻撃は止まない。

非情にも才人が正座の姿勢に戻るまで、その攻撃は続いたのだった。





『だ、大丈夫? サイト』


『なん、とか、な。だが、今のでわかった事があるぞ』


『なになに?』


『この姿勢で足が痺れたときはな、結局この姿勢を続けるのが一番しびれない』


『……不毛ね、それ』


「――で? ちょっとのお出かけがこんなに時間がかかったのはなんでよ?」


「あ、ああ。その、ルイズの精神力が原因だったんだ」


「原因? ミス・ヴァリエールの精神に何か異常でもあったんですか?」


「やめてよ、その言い方! それじゃ私、なんだか精神異常者みたいじゃない!」


「お仕置きは必要」


「まて! 待ってくれタバサ! 話を最後まで聞いてくれ!
 なぁ、キュルケ。魔法って精神力を溜め込んで使うものだろう?」


「ええ、そうね」


「ルイズの場合、その精神力を長期間に渡って蓄積しながら使うんだけど、それが無くなってさ。
  "世界扉" の虚無魔法が使えなくて、それで回復のために一泊したんだよ。」


「あら。私たちの場合は、ちょっと休めばすぐまた魔法が使えるのに?
 そりゃ、スクウェアスペルクラスになれば一ヶ月位期間をおかないとダメなものとかあるけど……」


「へぇ。メイジの魔法って何でも出来そうなのに、意外と制約があるんですね」


「ええ、そうよ。お料理だって、三日間煮込むものとかあるでしょう?」


「あ、なるほど。その例えはわかりやすいです」


「まあ、そんな所だ。ちょっと休んで回復する程度の精神力じゃ "世界扉" は維持出来そうになくてな。
 いや、まて! タバサ、お仕置きはまだだ!
 で、な? 俺たちも無断で何処かに外泊したのは悪かったと思ってるからこうやってお土産をだな……」





才人はそう言って、後ろにあるテーブルの方を顎でくいっと指し示した。

両手はきちんと正座をする膝の上に載せている。

これは別に深く反省しているわけではなく、少しでも大きな動きをするとあの地獄のような痺れが襲ってくるからだった。





「あら。そういう気が利く所は大好きよ、ダーリン。でもね? お土産よりもっと簡単な話があるわ」


「な、なんだ?」


「あたし達もダーリンの故郷に連れて行ってくれればいいのよ。ねぇ、ルイズ?」


「そうです! お願いします、ミス・ヴァリエール!」


「……無理よ。ちょ、ちょっとまってタバサ! お仕置きはまだ! まーだ!」


「どういう事よ? あ、まさか……ダーリンの故郷をあなた、独り占めするつもりじゃないでしょうね?!」


「ずるい! ミス・ヴァリエール、ずるいです!」


「そ、そんなことしないわよ!
 ……簡単な話。 "世界扉" を使ってサイトの故郷にはいつでも行けるわ。
 だけど、私の精神力を大きく使うような虚無魔法は無駄遣いできないし、しないと決めたのよ。
 少なくとも、タバサの件が片付くまではね」





そのルイズの言葉に、詰め寄っていたキュルケとシエスタは思わず口を噤んだ。

お仕置きをする為に杖を持っていたタバサも、その言葉を聞いて無言の怒気を和らげる。





「そういうことだ。俺も、どの虚無魔法が大きく精神力使うかまでは把握してなかったしな。
 せいぜい、 "エクスプロージョン(爆発)" がとんでもなく精神力が必要だって程度しか知らなかったし……
 心配させたのは悪かったけど、アレは不可抗力なんだよ」


「……どうする?」


「納得は行きませんけど、そういう事なら……」


「……そういう事ならいい」


「わかってくれてよかったよ! いちち、ルイズ、立てるか?」





三者三様にとりあえずは怒りを鎮めたように見てとった才人は、正座を崩して立ち上がった。

タバサももうそれを咎めようとはせず、キュルケとシエスタも不満げな表情を浮かべつつも何も言わない。

そんな才人の行動を横目に確認して、ルイズも体の重心を苦しげにゆっくりと前へずらす。

足首から上へ痺れが襲ってこないよう、全神経を集中させているので才人の呼び掛けは耳に届かないようだ。

おい、ルイズ、大丈夫か? と心配した才人が彼女の肩に手をかけた瞬間、彼女はぴぃ! と妙な声をあげる。

それからまるで、下手な操者に操られるマリオネットのような動きをルイズはして、目に涙を溜めながら才人を睨んだ。





「あ、あ、あ、う、うう、ちょっと、触らないで!」


「わ、わり。お前本当に大丈夫か?」


「大丈夫なワケないでしょ! いい?! 触ったら殺すからね!」


「わあったよ、だからそんなに怒らないでくれ」


「自業自得」


「ひゃぁあ! タ、タバサ! お願い! 杖でつつかないで!」


「お仕置きは必要」





思う所があるのか、才人よりも若干荒々しく杖でルイズの足をつつくタバサであった。

それを見たキュルケがルイズの足をつつこうと杖を取り出した所で、才人はあわてて主人を守るべく

場を取り持つように、話題を地球からのお土産に変えた。





「と、いう訳でさ。皆納得してくれた所で、お土産に俺の国の食い物買ってきたからみんなで食べないか?
 な? どれもハルケギニアじゃ手に入らないものばかりだし!」


「わぁ! いいんですか?」


「ふぅん? ダーリンの国の食べ物ねぇ。興味あるわ」





才人の言葉に、ルイズの足をつついていたタバサの杖の動きがピタと止まる。

"ハルケギニアじゃ手に入らないものばかり" というフレーズが彼女の琴線に触れたらしい。

光源が不明な反射光を眼鏡から発し、タバサはゆっくりと才人に向き直った。

その顔は無表情な上、眼鏡のレンズが白く光っているので美しい蒼い瞳も見えず一体何を考えているのか、流石の才人も読み取れない。

ただ、お仕置きを行う手が止まった所を見ると一定の興味を引いているのは確かな事のようだった。





『サイト! 早く助けて! 足が、足が!』


『あと少し! タバサが興味を示してるからあと少しの辛抱だぞルイズ!』


「……美味しい?」


「ああ、きっと美味いぞ! 特に菓子はこっちの物よりもずっと甘くて味が濃いはずだ!」





タバサは杖を振りかざした体制のまま、数瞬の思考に耽る。

一見茫洋とした彼女の脳内では思考が目まぐるしく行われている筈だ。

やがてタバサはおもむろに杖を降ろし、一言興味ある、とだけ呟いたのだった。

才人は思わずガツポーズを小さく取って、そそくさとまだ痺れる足をそのままにテーブルの上に載せているビニール袋から

食品を取り出して並べ始めた。





「よし、決まりだ! 今用意するから、その辺に座っててくれ。
 あ、シエスタ。悪いけど水とグラスを人数分用意してくれるか?」


「え? あ、はい、わかりました。すぐに用意しますね!」





才人の弾む声にシエスタは先程までの不機嫌な声を一転、明るく朗らかな返事をしてメイドらしく背筋を伸ばしニッコリと笑う。

先日のホットドッグの件もあり、才人のお土産にはかなり期待している様子で、足取りも軽くそそくさと部屋を後にしたのだった。

才人は食品以外の物が入ったビニール袋をとりあえずはベッドの奥の方に放り投げながら、手早く準備を進めていく。

袋からすべての食品を取り出して並べ終えた後は人数分の椅子が部屋に無いので、隣室のキュルケの部屋にある椅子を二脚借りて

ルイズの部屋に持ち込む事にした。

それからまるで執事のように甲斐甲斐しく、手馴れた様子でタバサとキュルケを椅子に座らせた所で才人は

ルイズが未だ肩をプルプルと震わせながら、正座を続けていることに気がついた。





「おーい、ルイズどうした? もうそんな格好しなくていいんだぞ?」


「なにも、好き好んで、続けてるわけじゃあ、ない、わよ!」


「じゃ、なんでだ?」


「……この格好を辞めようとしたら、すっごい痺れが全身を襲ってくるの!」


「……不毛だな。でもすっげぇわかるよ、その気持ち。だけどさ、受け入れなくちゃ何時までもその格好のままだぞ?」


「あんたに言われなくてもわかって、るうううっ、わ、よ! しゃ、喋るのもすこし辛くなってきたわ」



「手伝ってあげよっか?」





二人の会話に、キュルケが優雅に椅子から立ち上がり割り込んだ。

赤い朱がさす唇の端を少し持ち上げて、燃えるような瞳を輝かせゆっくりとルイズに歩み寄る。

妖艶な雰囲気すら漂わせるその姿を、ルイズはこの時地獄の底から自分を燃やそうとやって来た炎の悪魔に見えた。





「い、いいわ! 遠慮する!」


「遠慮なんて。あたしと貴女の仲じゃない。
 ヴァリエールとツェルプストーの確執すら乗り越えたあたし達の間に、そんなものは必要無いわよ?」





髪をかきあげながら、キュルケはうふん、と微笑む。

常日頃から多くの男達を虜にしているその仕草は、完成された色香を漂わせていたが才人の目にはどう見ても

獲物を前にした蛇にしか見えなかった。

当然同じことをルイズも感じているので、極力体を動かさないようにしながら彼女を睨みつけ、その言葉を強く否定するのだった。





「嘘おっしゃい! あんたはただ、私が苦しむのを見て楽しみたいだけでしょう?!」


「そんな……心外だわ? ねぇ、ダーリン、酷いと思わない? 女の友情ってどうしてこうも崩れやすいのかしら?」


「わっぷ、キュルケ、いきなり抱きつかないでくれよ!」


「ちょっと! 心外だわ? ってなんで疑問形なのよ! て、いうかサイトから離れなさいよ!」


「うふふ、あなたが私達を引き剥がせばいいじゃない。さあ、ダーリン。あんな起伏に乏しい体のヒス持ちなんて放っておいて
 こっちであたしとイイコトしよ?」





キュルケはルイズを挑発しながらも、才人をズルズルとベッドの方へ引き摺る。

才人は不覚にも、腕に感じる豊かな双丘の感触に思考を奪われ、抵抗をする事を忘却してしまった。

そんな彼に意外な救世主が現れる。

不意にベッドにもつれ込もうとした二人を、大量の氷の礫が襲いかかったのだ。





「きゃあ!」


「いででで!」


「盛るのはダメ」





タバサだ。

彼女もまた椅子から立ち上がり、杖をかざして二人に氷の礫を飛ばしていた。

若干キュルケにぶつける礫が多いのは先程の "起伏に乏しい体" 発言が原因なのだろう。

結局、しこたま氷の礫をぶつけられフレイムと共に礫が溶けてびしょびしょになったベッドを乾かす羽目になったキュルケであった。

そんな彼女を尻目に開放された才人がタバサと一緒にルイズの悲痛な訴えを退け、無理やりに立たせた所で

シエスタが水とグラスを部屋に運んできた。

こうして準備が整い、いよいよささやかな食事会が開かれるのだったが……





「……あんまり美味しくはないわね」


「わ、わたしは好きですよ? サイトさん」


「味は濃い。だけど、折角香辛料を使っているのに油が良くない」





マルトー親父の作る暖かな食事に慣れているキュルケやタバサには、コンビニ食品の食事は珍しくはあっても美味とは感じないらしい。

食事は誰かが作り、そして食べるといったサイクルが基本であるハルケギニアにおいて、保存食でもないものを長期に保存・輸送できる

コンビニ食品はただの冷めた料理でしかないのだ。

それは貴族でないシエスタですら「出来立て」を普段から食べているせいか、やはり美食のご馳走には成り得なかったのである。

もちろん、暖かな地球の食べ物を持ち帰れる事ができればよかったのだが、当の才人達にそんな余裕は無く行動そのものも

隠密行動であった為せいぜいコンビニで食べ物を買う程度が精一杯であった。

加えて、魔法学院で使われる様々な食料品にはメイジが関わっている事も多い。

例えば油などが良い例で、直接メイジが特定の味わいを醸し出せるよう魔法を使って精製した品や、代々受け継ぐ専用の魔具を用いて

地球の高級品にも負けないほどの品を生産し、税収を上げる貴族などがいて意外と高級品の種類が豊富であった。

事食品に関しては、直接税収に結びつく為各地の貴族主導による品種改良をも盛んで、特に高位の貴族や王族用の品目は

直接メイジが関わっている事が殆どだ。

そういった品々をここ魔法学院では日常的に取り扱っている為、やはりコンビニの、冷めた食品程度では

物珍しさ以上の評価を得ることは難しかった。





「うーん、やっぱちゃんと料理したものじゃないとビックリさせられないかぁ」


「ごめんねぇ、ダーリン。でも、このパンはとっても柔らかくてビックリしたわ」


「この包装してある紙もすごい」





苦笑いを浮かべる才人に、キュルケとタバサは思い思いに慰めの言葉をかけたのだった。

二人の言葉に続くようにシエスタは気まずい話題を才人の故郷についてのものに変えた。





「わたしには珍しい味だし、不味くはないんですがやっぱり温かい物がいいと思うんですよね。
 サイトさんの国では皆こういったものを食べてるんですか?」


「いんや。これはな、一人暮らしの平民……つっても貴族はいないんだけど、料理をする時間の取れない平民が買うような
 できあいの食い物なんだ。ちゃんとした料理だともっと美味いぞ。な、ルイズ?」


「ええ。向こうで食べた "ちぃずやきかれぇ" って奴は本当に美味しかったわ。
 あんな風にふんだんに香辛料が使われているお料理なんて、生まれて初めてだったもの」





予想外の才人の回答に、キュルケとシエスタは驚いた。

たしかに不味いとは思うものの、使われている香辛料や食材、パンの柔らかさからそれなりの身分の者が食べる料理だと思っていたからだ。

しかし、才人の話によれば、これは一般の平民が食べるようなものだと言う事になる。

少なくとも、ハルケギニアでは平民がこれほど柔らかいパンや大量の香辛料を口にすることは殆どない。





「へぇ。つまり、いま私たちが食べているものってこっちでいう平民用の食べ物なんだ?」


「うーん、まあ、そうかな? ルイズが向こうで食ったものも平民用というか、誰でも食べられるものではあったけどな」





才人の言葉に、ルイズが腕組みをしてふふん、と勝ち誇った方に笑う。

その鳶色の目は、才人の故郷のご馳走を食べたのは私だけなんだから! と声高に宣言していた。

ムカッ! としてキュルケとシエスタがルイズを半目で睨んでいると、タバサが一言杖を取り出して「反省していない?」とつぶやく。





「してる! 反省してるわよタバサ! だから、その杖しまってよ!
 ね? あ、そうそう! 問題が解決したらみんなで食べにいきましょう? ね? ね?」


「あら。中々素敵な提案ね、ルイズ。じゃ、美味しいお料理を食べるのは、ダーリンの故郷に行ってからって考えるとして。
 それはそうと。ねぇ、ダーリン」





勝ち誇った態度を一変させて必死に取り繕うルイズを見て微笑んでから、キュルケは才人に向き直り急に真顔になった。





「ん? なんだ?」


「もうすぐ夏期休暇でしょう? その間、何か大きな出来事って起こる?」


「んー、俺達の中で誰かが危険な目に合う、って事はなかったと思う」


「そう。なら、予定通りにしましょうか、タバサ」





キュルケの言葉にタバサは無言で頷いた。





「どういう事だ?」


「ダーリンたちがいない間にタバサと相談したんだけど、歴史の通りに事態を進めたいなら
  "前" と同じ行動をした方がいいんでしょう?」


「ん、まあそうだな」


「最初、タバサと一緒に夏期休暇の間も一緒に行動しようかと思ったのだけどね。
 それだとタバサの行動に、ガリア本国が不審に思う可能性があるんじゃないかって思うのよ」


「ああ、そういうことか。たしか "前" はお前もタバサも里帰りはしてたようだしな」


「だからね、留学組の私達は明後日ここを発って里帰りをする予定にしたのよ。
 そういうわけで、留守の間はルイズの事頼んだわよ?」





キュルケはそう言って、才人の手を取り浮気はしないでね、ダーリンと付け加えウインクをして見せた。

はは、と乾いた笑いを浮かべその手を引き抜いた才人だったが、今度は別の白い小さな手が微熱から取り戻したばかりの手を握る。

少し冷たいその手はタバサのものだ。

一同は意外なタバサの行動に、目を白黒させた。

そんな周囲の戸惑いも意に介さず、タバサは今日みたいな事にはならないよう、しっかり見張っててと才人に伝えさっと手を離したのだった。

キュルケが才人の手を握った瞬間から、怒りの咆哮を上げようと隙を伺っていたルイズの胸にタバサのその一言が刺さる。





「う、悪かったわね」


「当然よ。あんたはもう、落ちこぼれの "ゼロのルイズ" じゃいられないのよ?
 もうちょっと自覚してもいいと思うわ。あたしはともかく、タバサが可哀想じゃない」


「わかってるわよ。……ごめんね、タバサ」


「もう気にしていない。それよりも、しっかり護衛をお願い」


「おう、任せとけ。あ、そうそう。なあ、こっちは自信あるんだ。食ってみてくれないか?」





才人はそういうと、地球製のデザートの数々を勧めた。

コンビニのジャンクとはいえ、ハルケギニア製のものよりも遥かに甘く、濃厚な味わいの物ばかりだ。

特に年頃の女の子はこのような品に目がない。

それは地球でもハルケギニアでも、貴族でも平民でも変わりはしないことを、才人はこの日確認したのだった。



それから数日後。

タバサやキュルケは既に帰郷の為に学院を発った、夏期休暇に入る前日での事。

学院の広場でルイズとシエスタは険悪な雰囲気の中、才人を挟んで睨み合っていた。

広場の向こうに見える正門には帰郷する生徒達でごった返している。

迎えの馬車がひっきりなしにやってきては、それぞれの領地やトリスタニアに向けて出立していた。

才人はその様子を、まるで現実から逃避するように眺めていた。

"グリムニルの槍" の能力なのか、遠目にもやけにはっきりと生徒たちの浮かれた顔が見える。

無理もない。

トリステイン魔法学院の夏期休暇は二ヶ月半もあり、生徒たちにとっては一大イベントでもあるのだ。

笑顔、笑顔、笑顔。

まぶしい位の、爽やかな笑顔の海だ。

手には大きな旅行かばんを抱え、初々しいサマードレスに身を包んだあの一年生なんて、すごく幸せそうに笑っている。

……いい笑顔だなあ。

故郷にカレシとかいるんだろうか。

ほんと、無邪気で幸せそうな笑顔だ。

それに比べて……





「いいじゃないですか、ミス・ヴァリエール。お願いします、わたしも一緒に連れて行ってくださいな」


「ダメったらダメ! あんたは学院付きのメイドでしょうが! 大人しくタルブの村にひとりで帰りなさい!」





才人は思う。

何もこんなにクソ暑い中、喧嘩しなくてもいいじゃないか。

ああ、強い日差しが目に沁みる。





「でも……夏期休暇の間ずっとサイトさんがミス・ヴァリエールの身の回りのお世話をするんでしょう?」


「当たり前じゃない。こいつは私の使い魔なんだから」


「そんなの、その、可哀想です。 わたし、サイトさんにもお休みが必要だと思うんです」


「サイトは、私の護衛でもあるんだからしょうがないでしょ!」


「でも! ……でも、ですよ? いつもいつもサイトさん、ミス・ヴァリエールにこき使われていてなんだか可哀想で……
 わたしが一緒に居れば、身の回りのお世話をしてあげられますし……
 サイトさんもきっとミス・ヴァリエールの護衛に集中できると思うんですよ」





この日、元々は帰郷する予定だったシエスタはいつものメイド服ではなく草色のシャツにブラウンのスカートを身につけていた。

その手には大きなカバンがぶら下がっている。

そんなシエスタの一理ある説得に、ルイズは思わず出しかけた言葉を飲み込んだ。

確かにそのとおりではある。

しかし、しかしだ。

夏期休暇は二ヶ月半にも及ぶ。

その間、サイトと二人きりで一緒に過ごしたいと思うルイズは、その申し出をなんとしても断りたかったのだ。

それに、夏は乙女を大胆にする。

折しも、地球のホテルでみたあのポルノコンテンツの記憶が、ルイズの中で色々と、それはもう、色々と妄想を膨らませる結果となっていた。

つまり、ルイズ的に夏なのだから誰にも邪魔されず "大胆" になりたかったのだ。

その為にはシエスタに叩きつけられた言葉を、理論的に粉砕しなくてはならない。

ルイズは必死にその言葉の穴を探る。

僅かな隙を見逃すまいと、強い日差しの下頭をフル回転させるのだった。

その結果は……





「ふ、ふうん? 一体あんたは、私とサイトの、どっちの "身の回りのお世話" をするつもりなのかしら?」


「勿論サ、ミス・ヴァリエールですわ!」


「あんた! 今即答でサイトって言いかけたでしょ!」


「オホホ、そそんな事はございませんわ」


「嘘おっしゃい! そもそも、あんたはまだサイト専属メイドにもになってないんだから、妙な行動でもして目をつけられると困るの!
 この前そう話したでしょう?! どこにガリアの間諜が潜んでいるのかわからないんだから」





結果は、半ば子供の喧嘩じみた言い争いにしかならなかった。

少なくとも才人にはそう見えていた。

一方、ルイズはルイズでこれでうまくシエスタをやり込めたと得意げに、いつものように腕を組んでニヤリとする。

そんな彼女をシエスタは軽く睨んで、特に慌てもせずルイズに聞こえるよう独り言のようなものを口にした。





「それ、ホントかなあ。ホントにそう思っているのだけなのかなぁ……」


「な、なによ」


「べ、べーつーにー」


「言いたい事あるなら言ってご覧なさいよ!」


「最近、ミス・ヴァリエールがサイトさんを見る目がなんだかとっても怪しいなって思うんです。
 サイトさんの故郷に行った時、なんかありました?」





不意打ち、とはまさにこの事で、それまでどこか心の隅にあったあの一夜の事が鮮やかにルイズの中に蘇った。

主に、連れ込み宿でのことが。

さらに具体的に言うと、あの、才人には内緒で見た、裸の男女の睦み合いの映像が。

普通に「才人と連れ込み宿に入ったの!」と言える事が出来れば、シエスタに圧倒的な差がつけられるはずではあったが

今のルイズにはそう公言するには些か無理があった。

彼女の中で才人への気持ちははっきりとしてはいるものの、やはり世間体や身分の差などの問題は依然として解決してはいないのだ。

なにより、十六才の貴族の乙女が結婚もせず、ブリミルへの誓いの言葉も無く、両親の許しも得ないまま

「才人と連れ込み宿に入ったの!」などと公言する事は、はしたない事極まりない行為であった。

まして、他人の情事を事細かに見たなどとは口が避けても言えようはずもない。

ルイズは顔を真赤にしながらも、必死に視線をそらしながら取り繕う。





「別に、なにも、ないわよ!」





明らかに何かあったな、とシエスタはその態度から読み取り奥歯を少し噛んだ。

それからじっとりとルイズを観察した後、どう反応すべきか彼女は考える。

シエスタも、ルイズと同じように恋に必死なのだ。

ヤっちゃった、風でもない、かな?

リリーの話によれば、 "そういう関係" になった男女って変に隠そうとはしないらしいのよね。

すっごい余裕があるって言ってたし、ミス・ヴァリエールのこの態度は……たぶん違うとおもう。

ようし、こうなったら……





「ふう、しかし今日は暑いですわねぇ」





何を思ったか、シエスタは急に呆れて肩を落とす才人の方へ向き直り、着ていた草色のシャツの胸元をパタパタとさせた。

当然才人からシャツの中が見えるように。

こうなったら、サイトさんを味方に引き込んで意地でもついていってやる、と作戦を変えたのだ。

チラチラと見える深い谷間は、男の本能をくすぐる。

つまり、才人はその魅力にあらがえず、意志に反してついその峡谷を覗いてしまっていたのだ。

そんな才人を見たルイズはムっとして、思わず彼の脛を蹴り飛ばしそうなるが

愛されているという余裕がそれを許さなかった。

ふん!

才人は、私の事を誰よりも愛してるんだから!

つい、他の女に目を奪われることがあっても、同じことを私がすれば誰も敵うはずがないのよ!

息巻いてルイズは才人の側につい、と寄り添い……





「ええ、本当に」





と言いながら自身のブラウスのボタンをキュルケがするように幾つか外し、胸元をパタパタとさせたのだった。

才人からチラチラと見えるその中身は、まさに爽やかな風が駆け抜ける春の平原そのもので何処までも地平線がひろがるかのようだ。

ルイズのその仕草に愛らしいものを感じた才人は、先程まで見えていた峡谷の事を忘れ優しく微笑む。

しかし、その行為はただただ、ご主人様の矜持を傷つけるだけであった。

直後、才人の微笑を誤解して逆上したルイズは、 "加速" の詠唱と共に強烈な回し蹴りを才人の股間に放ち

くぐもった悲鳴を上げて崩れ落ちる愛しい使い魔を、容赦なく何度も踏みつける。

その攻撃の意味を、才人はシエスタの胸元に目が行ってしまったからだと誤解して必死に弁明を試みるも

当然その言葉はルイズの怒りの炎に油を注ぐ結果にしかならなかった。





「う、がああ、お、おちつけって! 男ならつい、目が行っちゃうもんなんだよ! 本能ってやつなんだよ!」


「うっさい! この、この、この!」


「み、ミス・ヴァリエール! やめてください!」


「邪魔しないで! こいつにはまだまだ躾けなきゃいけないことがあるんだから!
 この、この、このぉ! 私の気も! 知らない! で! この!」





シエスタがその鬼気迫るルイズの様子に怯えつつも、必死にすがりつきながらなだめる。

ルイズはそんな事もお構いなしに、強い初夏の日差しの下延々と才人を蹴り続けた。

彼女にとって、普段気にしている胸を見られふっと笑われた(実際には違うが)事はなにより許しがたい事であったのだ。





「ふー、ふー、ふー」


「お、落ち着いたか?」





やがて、体力の続く限り蹴りを放ったルイズが息を荒げながらも落ち着くと、ボコボコになった才人は恐る恐る声をかけた。

そんな才人にルイズは尚も足りないといった調子でギロリと睨む。





「そ、そんなに睨むなよ」


「そうですよ、こればかりは仕方ないんですから」






ルイズの怒りの原因を微妙に履き違えたシエスタが、勝ち誇ったかのように彼女を窘めた。

当然、鎮火しかかった火に油をくべる行為にしかならない。





「むきー!」


「ルイズ落ち着け! シエスタも、挑発するんじゃない!」


「ご、ごめんなさい……」





流石の才人もすこし強めにシエスタを窘め、迅速にルイズの胸を灼く怒りを鎮火させる為バタバタと暴れる主人を取り押さえたのだった。

ボコボコになっていた顔は、すっかり元に戻っている。

"グリムニルの槍" ってこんな時すっげえ便利だよな、などと考えつつも腕の中で暴れるルイズを抑えながら才人は木陰を探した。

日は随分と高くなりつつあり、日差しも一層強くなっていく初夏。

暑いからいけないんだ。

暑いから、みんな怒りっぽくなってるんだ。

才人は暴れるルイズを抱え上げ、シエスタとともに木陰に移動してゆっくりと、優しく彼女をなだめた。

しばしの時が流れ、ルイズの怒りも治まり、険悪な雰囲気ではあるものの広場には平穏が戻る。

才人は肩を落とし、シエスタが気を利かせて汲んできた水を受け取り、それを一気に煽った。

同じくシエスタから水を受け取ったルイズも水を一気に煽り、改めて落ち着いた声で今度は才人に険悪な声をかける。





「で?」


「ん? 何?」


「あんたの意見として、この子どうすんのよ?」


「んー、この国が "前と同じ" 未来に向かっているなら、シエスタは連れてはいけないかな」


「えー! そんな!」


「どういう事?」


「今日お前にさ、極秘任務の指令が姫さんから下るんだ」


「姫様から?」


「そ。たしか、密書を携えたフクロウが来るんだけど……
 もしその出来事が起こらなければ、シエスタと一緒にヴァリエール領に帰る事にしてもいいんじゃないかな」


「やった!」





喜びのあまり、思わず飛び上がるシエスタ。

対照的に、ルイズは歯を剥きながら才人に食って掛かる。

文字通り、喉笛を噛みちぎらんばかりの勢いだ。





「なんでよ!」


「そりゃ、お前、 "前" にヴァリエール領に帰る時一緒だったからだ。
 極秘任務の指令が下らない場合、結構未来が変わってしまっている恐れがあるって事だろ?
 だから、タバサの件に極力影響が出ないよう、俺たちはなるべく "前" と同じ行動を取らなきゃ」


「う、それは、そうだけど……」


「さ! そういう事で、早く行きましょうミス・ヴァリエール!」





弾む声をあげながら、シエスタは才人の手を引いた。

ルイズにはそれを咎める体力と気力はすでに残ってはいないらしい。

何も言わず肩を落としてこころの中で、自分が夢見ていた甘い夏期休暇に一人別れを告げていたのだった。

そんな対照的な二人を前に才人は空の一角をじっと睨む。

既に人ではないその目が、何かの姿をはっきりと捉えたらしい。





「いや。そうも行かないようだぞ? シエスタ」


「え?」


「ほら」





才人はそういうと、空を指差す。

丁度王都トリスタニアの方角であった。

ルイズとシエスタは才人が指差す先、初夏のどこまでも青い空を目を細めて睨んだ。

二人の視界の先にやがて黒っぽい点が青に浮かび上がり、徐々に点は鳥の形を取る。

鳥はまっすぐこちらに向かって飛んでいるようだ。

ルイズがその鳥がフクロウである事を確認した頃、才人は宣言するのだった。










「と、いう訳で帰郷は中止だな」


















[17006] 5-2:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄1
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/03/06 14:33










白い石造りの建物が夕日によって茜色に染められた王都、トリスタニア。





サン・レミ聖堂が夕方六時の鐘をうち、中央広場では人々が足早に家路へと着いていた。

そんな人の波に逆らい住宅が密集する地区から遠ざかるように歩く三人組の姿が、そんな人々の目をひいていたのだった。

一人は、儚げな印象を抱かせるようなうら若い娘で、三人の先頭を歩いている。

すこし短めのブルネットの髪はウェーブがかかり、夕日を浴びて赤毛のような色に見えた。

背は低めでそのメリハリの効いた体のラインは非常に蠱惑的であり、遠目に彼女を見た下品な傭兵達が口笛を吹いて茶化している。

若い娘は飛んでくる口笛や野次にはまるで意に介さず、平然として住宅街のある地区とは反対の方向にスタスタとその足を運んでいた。

そんな娘の背に更なる卑猥な野次が飛ぶ。

彼女が向かう先は、酒場や娼館のある歓楽街であったからだ。

傭兵たちは彼女がそこで働く酌婦だと思い、下品な笑いを吐きながら彼女を茶化し続けた。

投げられる野次にも止めなかったその歩みはふと、背後に剣呑な気配を感じて若い娘は足を止める。

それから後ろを振り返り、困ったような表情を浮かべて後ろをついてくる人物に穏やかな、鈴の音のような声をかけた。





「トマ、やめて。あの人達はちょっとわたしをからかっただけなんだからね?」


「でも、姉さん! あいつらは、姉さんを娼婦かなにかのように!」


「いいから。こんな往来で剣に手をかけるなんて、警邏の方に見つかりでもしたら大変よ?」





若い娘はゆっくりとした落ち着いた声で、後ろを歩いていたもう一人の人物、トマと呼ばれた少年に優しく諭すように微笑んだ。

トマと呼ばれた少年は娘よりも若干背が高く、背中まで伸ばした彼女と同じブルネットの髪を頭の後ろで縛っている。

娘も目を引く容姿でありその体つきも非常に女性的で魅力的だったが、この少年も又道行く人々の目を引いた。

主に、女性の視線を。

端正な顔立ちに、凛々しく釣り上がった眉毛。

白い肌はまるで大理石のようで、背筋も魔法衛士隊の一員のようにピンと伸びている。

細いがしなやかな身のこなしは、まるで貴族のように洗練されたものだった。

そして、その腰に一振りの剣。

少年は先程からその綺麗な顔に敵意を張り付かせ、剣に手をかけながら姉を茶化した傭兵達を睨みつけていたのだった。

傭兵たちは少年の事などまるで目に入っていないかのように、遠くで口笛を吹いたり嬌声を上げてみせたりしている。

トマは悔しそうに傭兵達を見ながらも、姉の言葉に従って剣の柄に置いていた手を退けた。





「さあ、あんな人達の事なんて放っておいて、お店に行きましょ」


「……はい、姉さん」


「頑張って働いて借金を返さないと、死んだ父様や母様に顔向けなんてできないわ。そうでしょう?」


「そうだね。ごめん、姉さん。僕も……」


「いいのよ、トマは。元はと言えば、わたしの婚約が原因だもの」





若い娘はそう言って優しく笑ったまま、トマの頭を撫でた。

頭を撫でられたトマは険が張り付いた顔を崩して、クスリと笑い返す。

いよいよ沈みつつある夕日が、王城の塔の間からそんな二人を照らし出していた。

この日最後の夕日を受けた美しい姉弟の佇まいはまるで絵画のようで、中央広場を行き交い家路に付く人々の目を引き足を止めさせる。

微笑みあう二人の様子は、まるでその空間だけが穏やかで柔らかな世界であるかように、見る者を和ませるのだった。

そんな、名画のような光景を裂くように。

いや、名画に染み付いた、スープの染みのように。

もう一人、二人について歩いていた人物が無粋にも口を開きその光景を台無しにしてしまう。





「大体なあ、お前弱い癖になんでそんなに喧嘩っ早いんだよ? 剣を抜いて挑むってのは殺されても文句は言えねぇんだぞ?」


「うるさい! 大体、どうしてお前なんかが付いてくるんだ!」


「うわ! 一昨日助けてやったのにそりゃねぇよ!
 俺だってなあ、仕事じゃなきゃこんな事しねえって。それもこれも、お前が弱っちぃからだろ?」


「うううう、うるさい! 姉さんは僕が守るんだ!」


「わぁった、わぁったから、そう怒鳴るなよ。
 ほれ、早く店に行こうぜ? 日が暮れて遅刻すると俺まで給金をスカロン店長に差っ引かれちまう」





名画を台無しにしたスープの染みのような男は、長身という程ではなかったが三人の中では一番背が高い。

顔立ちも前を歩く二人のせいか特にこれは、といった特徴を道行く人々に抱かせず

たまに女の子から黄色い声を上げられるトマの背に、男の嫉妬をまぜた視線を送りながら背を丸めて最後尾を歩いていたのだった。

ただ、違う意味ではこの男も人々の目を引いている。

トリステインでは珍しい漆黒の髪に奇妙な服装をしていて、その背には体格に不釣合な片刃の大剣を背負っていたからだ。

大剣を納める鞘は背負った状態でも抜きやすいよう、皮の留め具で保持するタイプであるらしく所々が抜き身の刃が見える為か

鞘の上から布をグルグルに巻かれていた。





「サイトさんの言う通りよ、トマ。助けてもらったのに、どうしてそんなにサイトさんを邪険にするの?」


「だって、姉さん! こいつは……」


「だから、何度も言ってるだろ? 俺は、ルイズ一筋なんだって」


「嘘つけ! お前、何かと姉さんの胸ばかり見てるじゃないか! あんなペタン子一筋なんて、到底信じられないね!」


「ちがう! ルイズは決してペタン子なんかじゃない! スレンダーって言うんだ、スレンダーって! はい、復唱!」


「だれが復唱なんかするか! いいか、僕は忘れないぞ!
 お前が姉さんの自己紹介を聞いていたとき、ずっとその胸を見ていた事をな!」


「そ、それはだなあ、お前も男ならわかるだろ?!」


「いーや、わからないね! どうせお前も姉さん目当てで護衛を引き受けたんだろ!
 姉さんは騙せても、僕は騙せないんだからな!」


「トマ! いい加減にしなさい! サイトさんも、トマに構ってないで早く行きましょう?
 このままだと本当に遅刻しちゃうわ」





娘は言い争いを始めかけた二人にピシャリと言い放って、再びスタスタと今度はすこし足早に歓楽街の方へと歩き始めた。

トマはギリ、と白いきれいな歯を剥いて男を一瞥し姉の後を追う。

男は、平賀才人は、はぁぁぁ、と深くため息をつきボリボリと忌々しそうに頭をかいて、二人の後を追うのだった。










魔法学院から王都トリスタニアまでは徒歩で二日。

ルイズと才人はとある任務を告げる書状を伝書フクロウから受け取り、身分を隠すために

馬車ではなく歩いてトリスタニアの街へ向かっていた。

結局シエスタは一人で里帰りをすることになり、才人と二人きりになれたルイズは上機嫌で手早く荷造りを行い

その日の内に学院を出立する運びとなったまでは良かったが、歩きの旅など殆どしたことのないルイズはすぐに疲れた、とか

お肌が日に焼けちゃう、などと愚痴を吐き始める。

才人はそんなルイズの気を紛らわせようと、いい機会だとばかりにある事を提案していた。

それは……





「なぁ、ルイズ。俺、すこし考えたんだ」


「何? 突然」





才人は大量の荷物を抱え、前を歩くルイズに声をかけた。

魔法学院を発って丁度一日が経過した、お昼すぎでのことである。

ルイズは才人に沢山ある自分の荷物を持たせている事に少し引け目を感じているのか、その手には小さな荷物がぶら下がっていた。





「これからやる任務はさ、特に危険は無いしお前にとっても色々と社会勉強になるから
 多少困難な状況になるかもしれないけど、俺は口を出さない事にしようと思うんだ」


「どういう事?」


「つまり、今回は何が起こるのかお前には言わないって事」


「ちょっと! なんでよ、それ!」


「言ったろ? 特に危険は無いし、お前にとっても色々と社会勉強になるからだよ。
 事前に何が起きるか教えとくと、お前のためにならんしさ、何より……」


「何より?」


「精神力が溜まる。任務をやってる時のお前は結構悩んだりしてたからな。
 アルビオンとの戦いを前に、それは悪いことじゃないだろ?」


「う、そりゃ、そうだけど……」


「な? いいだろ? こうやって、文句一つ言わずにご主人様の大量の荷物を抱えている、健気な使い魔のささやかなお願いなんだし」


「……わかったわ。確かに、ちょっとした事であんたの "知識" 使って困難を切り抜けるのも良くない事よね。
 いつの間にか頼りっきりになっちゃうかもしれないし、それは悪くないかも。
 一応確認するけど、危険な事にはならないのね?」


「ああ。 "前" と全く同じならな。もし危険な事が起きても俺がキッチリ守るよ」


「ならいいわ。考えてみれば、変に事情を知って未来に影響が出ても困るし。
 タバサの事が解決するまではなるべく "前" と同じようにする、って事でもあるんでしょ?」


「そ。悪いな。流石に "危ない" 事ならアドバイスするんだけど……
 お前の障害を前もって排除しすぎるのも、後々マズい事になりそうだってこの前の "世界扉" の件で気が付いたんだ」


「……気にらないけど、仕方ないわよね。まったく、何が伝説の系統よ。
 悩んだりして心を震わせないと精神力が貯まらないなんて! お陰でレビテーションを使うにも気を使うったらないわ!」





ガァ! とルイズは青く高い初夏の空に吠えた。

才人はそんな彼女の背を見ながら、やれやれとため息を付く。

それからその背にかかる眩いピンクブロンドをぼんやりと眺めながら、才人は考え込んだ。

ルイズは、 "前" よりもずっと……そう、ずっと成長している。

前と違って、アルビオン戦役の前である今の状況で既に虚無魔法を沢山使いこなしつつあるし

俺たちの信頼関係も以前の同じ時期に比べればずっと強固だ。

俺自身、更なる力も得たしこれからの戦いも最悪、歴史通りに進めれば少なくとも負けることはない。

……デルフを失うのはいやだけど。

そうだ。

今の所は順調だと言ってもいい。

なのに……

才人はそう考えながら、自身の内にある得体のしれない不安が湧いて来るのを感じた。

不安は彼に語りかける。

足りない。

何かが、足りないと。

なんだ? 何が足りないと俺は感じているんだ?

力か?

ルイズとの信頼関係?

違う、多分そんな事じゃない。

才人はなんだか居心地が悪いような気がして、気を取り直すキッカケにするようによっこいしょと荷物を持ち直した。





「大丈夫? 重くない?」





そんな才人の様子を見てルイズが気遣う。

才人が抱える山のようになった荷物の殆どは、ルイズの着替えなどが詰まったカバンだ。

いくら以前とは違い、虚無魔法を多く使えて自分の気持に素直になり、才人との絆が強いとはいっても彼女が未だ

世間知らずのお嬢様である事実は変わらない。

そんな彼女に届いた女王陛下直々の任務は、トリスタニアの街に潜む不穏分子の存在を調べる為の間諜であった。

トリステイン王国は未だ神聖アルビオンと戦争状態であり、国境では小競り合いの戦闘が続いているのだ。

そんな中アルビオンによる女王誘拐未遂事件が起こった。

これは、見方を変えると暗殺も可能であった状況とも言える。

この事態を重く見たアンリエッタと宰相マザリーニは、城下に潜む不穏分子やアルビオンとの内通者の炙り出しに

本腰を入れて取り組んでいたのだった。

その一環としてルイズに回ってきたこの任務は、アルビオンの密偵による治安撹乱を未然に防ぐためのものだ。

身分を隠し、トリスタニアの街で不穏分子の情報や街の噂を収集する役目を与えられている。

地味だが非常に重要な任務だ。

そんな極秘任務にルイズは山のような荷物を持って挑もうとしていたのだ。

中身は当然、彼女の綺羅びやかな衣服や装飾品の数々。

どれも平民が身につけるようなものでなく、とても目立つ。

才人は心配するご主人様の問い掛けに、深い溜息で返事をした。





「なによ! 心配しているってのに失礼しちゃうわね!」


「あのな? お前の任務は、なんだ?」


「何? 急に。間諜よ、間諜。昨日説明したでしょ? それにあんた、知っているじゃない」


「ああ、そうだ。で、このお前の荷物、どう思う?」


「……重い? 半分は無理だけど、もうちょっと持とうか?」





再び心配げに才人を気遣うルイズ。

やべ、超可愛い。

一瞬、才人の頬が緩みかけた。

それからすぐに、いやそうじゃなくて! と我を取り戻す。

お前な、間諜って仕事をなんだと思っているんだ、と言いかけて才人は口をつぐむ。

そうだ。

ここでうまく説明しても、ルイズの為にはきっとならない。

平民の生活に溶け込んで間諜を行う経験は、貴族であるルイズには貴重な体験だ。

俺は黙って見守ってやるべきなんだ。

こんな、身分を隠しての間諜として常識の欠片もない程荷物を持っていこうとしても。

たとえ、高級な貴族用宿に泊まろうとしても。

たとえたとえ、任務の為の金が足りない! と愚痴を吐いても。

たとえたとえたとえ、つい手を出したギャンブルでその金をすべてスって、スッカラカンになっても、だ。

……最後のは俺が最初に手をだしたんだけどな。

才人はなんだかお父さんみたいな考えだなこりゃと思いつつも、何でもないとルイズに笑いかけた。

ルイズは才人のその笑みの真意を理解できないまま、ホントに大丈夫? と呑気に心配をするのだった。










――と、いう訳で。

無事、トリスタニアに到着した二人は。

"前回" と同じようにまず財務庁を訪ね、任務を知らせる手紙と一緒に入っていた手形を金貨に換え。

口は出さないと決めたものの、前回と同じ行動ならと思いつつ貴族的思考から全く離れないルイズを見かねた才人が

仕立屋に連れて行き、粗末な平民の服を見立てて彼女に着せて。

その格好と資金不足に不満を漏らすルイズを、才人が懸命に宥めている内に言い争いとなり。

わかっちゃいるけども。

結果がわかっちゃいるけども、才人は自身の財布の中身をすべてルイズに使われてしまうと知りつつも、賭場に彼女を誘って。

やっぱり今回も目を獣のようにギラつかせて賭け事にハマったルイズに、活動費も自分の財布の中身も、すべての金貨をつぎ込まれ。

無一文になり中央広場で「あんた、こうなると知ってて黙ってたわね!」となじられ、惨めに座り込んでいる所で予定通り

宿兼酒場『魅惑の妖精亭』のオーナーである、スカロンにスカウトされる二人であった。

才人と同じ黒い髪にオイルをなでつけ、割れた顎とツンと尖った小意気なヒゲに厚ぼったい唇。

派手な紫のサテン地のシャツからはモジャモジャの胸毛をのぞかせ、クネクネとしなを作って気味の悪いお姉言葉を操るスカロンは

すこし特殊な酒場を営んでいる。

その酒場は愛らしい給仕の女の子を大量に雇い、色とりどりの派手な格好をさせて酌婦として客に奉仕させるのだ。

もちろん、如何わしい行為は行われない。

あくまで綺麗な女の子が、綺麗な格好をして、お客様にお酌やお話の相手をしながら楽しい一時を提供する、といったお店である。

そんなお店でルイズは働くこととなり、才人も又雑用としてルイズと一緒に雇われる事になるのだった。

そこまでは才人が知る未来と同じ出来事である。

店に案内される道すがら、才人はスカロンの容姿に懐かしさを感じながらもルイズとは兄妹で、親の(本当はルイズの)博打で

一文無しになった上に行く当てもなく困っていたとこれも又、以前と同じような話をでっちあげて事を進めた。

それからルイズは派手な格好をさせられ『魅惑の妖精亭』で働く妖精の一員として、順調に "前回" と同じように

トラブルを起こしつつも、労働やお金を稼ぐ事の大変さを学んでいく。

才人はその様子を厨房の奥でひたすら皿洗いを行いながら暖かく見守り、より絆を深めるべく彼女を影から支えてやるつもりだった。

その、つもりだったのだが……

『魅惑の妖精亭』で働き始めて二日目の夕方での事だ。





「やめて下さい! お願い! やめて!」





店で出すワインの在庫がすこし心許ないので、スカロンに言われ才人が発注書を手にワインを扱う商人の館まで才お使いに出ていた時。

サン・レミ聖堂が夕方六時の鐘をうち、白い壁を夕日で赤くそめた王城がみえる中央広場で才人は女の子の悲鳴と

野太い複数の男の怒号が聞こえてきて、急ぐその足を止めるのだった。

声がする方に目をやると、どこか見覚えのある女の子が屈強な男に手を引かれている。

その男の足元には剣が転がっており、刀身が夕日を反射してキラキラとその場にそぐわない美しい輝きを放っていた。

剣の光を目に受け、思わず手で遮りながらも才人は記憶を辿り、その女の子が誰であったかを思い出そうとした。

あの子はたしか、スカロン店長のお店で働いていた……

いや、そんなことより!

男と女の子の視線の先で、男の仲間らしきこちらもイカツイ男達が四人、倒れている誰かを囲んであろうことか集団で蹴り飛ばしていたのだ。





「おい、やめろよ。よってたかって何してんだよ」


「あぁ? なんだお前。スッコんでろ!」





思わず止めに入った才人に、男たちは地に倒れ伏している者を蹴るのを辞め一斉に才人を睨みつける。

ガラの悪そうなその風体は傭兵、ではなくゴロツキの類のようだ。

チラと倒れている者の方をみると、髪は長いがその服装からどうやら男らしいと判別がついた。





「喧嘩にしちゃ、ずいぶんとみっともないな?」


「なんだぁ? お前も俺達に喧嘩売ってんのか?」


「まさか。そんな面倒臭い事するかよ。お前らが乱暴をやめればこっちも退散するさ」


「うるせぇ! 邪魔するんじゃねえ!」





男達の一人が、問答無用で才人に殴りかかった。

男の風体が現す通り、随分と喧嘩早い性分のようだ。

才人は慣れたような動きで男の拳を難なく躱し、ちょんと足を引っ掛けてやった

男はバランスを崩してしまい、どたんと大きな音を立てて無様に地面に転がる。

その才人の行為に、他の男たちは気色ばんだ。





「でめぇ、やんのか?!」


「殴りかかって来たのはそっちだろ」


「絡んできたのはてめぇだ!」


「お前らが嫌がる女の子の手を引いて、その子の連れを集団で蹴たぐっていたからだろ」





しかし、才人の言い分は男たちに聞き入れられそうにもない。

じり、とゴロツキ共は蹴り飛ばしていた男から離れ、今にも襲いかからんと徐々に才人を取り囲む。

この時意外にも才人に躍りかかろうとするゴロツキ共を、女の子の手を引いていた一際屈強な男が制止した。

どうやら彼らの兄貴分らしい。

その男は抵抗する女の子の手を難なく拘束し続けながら、才人に小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。





「おいおい、俺たちは被害者なんだぜ?」


「うそコケ」


「俺たちはな、このお嬢さんに借金の返済の催促をしにきたんだ。
 そしたらおめぇ、いきなりそこのガキが剣を抜いて切りかかってくるじゃねえか。
 そんな危ねぇ真似しやがるもんだから、ちょっとばかり "社会勉強" をさせてやってたのさ」





そう言って、男は足元に転がっていた剣を倒れている男にむかって蹴り飛ばした。

剣はがらんと音を立てて倒れ伏している男の側に転がっていく。

倒れている男はうう、と呻いてわずかに顔を上げ剣を確認したがその手にとろうとはしなかった。

チラとみえたその顔と声から、倒れている男はまだ少年のようだ。





「だったら、もういいだろ? 十分傷めつけてるじゃないか」


「よかねえ。まだ商談が残ってら。こっちのお嬢さんに、借金を返してもらわねえとならねぇんだからな」


「お金は! 今月の分はキチンと返したじゃないですか!」


「あぁん? 利子だよ、り・し! 足りねえ分は体で稼いで貰うって約束だろう?」





男は話は終りだとばかりに、踵を返して強引に女の子のの手を引く。

恐らくは騙されてしまったのだろう女の子は、ガクンと体ごと引っ張られながらもさらに抗議の声を上げた。





「そんな話、聞いてない!」


「当たり前だ。言ってねぇからな。ひひ、ほら、行くぞおぐ!」





屈強そうな男は台詞も言い終わらぬ内に、手を引かれていた女の子の眼前でいきなり数メイル程吹き飛んだ。

その背中を才人が蹴飛ばしたからだ。

ちゃんと女の子の手を離してから吹き飛ぶよう、脇の下に一発ボディブロウを素早く入れてからの蹴りだったので

男は一人でくぐもった悲鳴を上げながら宙を舞う。

突然手を引いていた男が悶絶しながら吹き飛ぶ様をみて、ポカンとしていた娘がはっと我を取り戻し、慌てて振り向くと

さっきまで制止に入った男の子に凄んでいたいかついゴロツキ共が、目を離したその一瞬でボコボコにされ

まるでゴミ捨て場のゴミを山積みにするように、ひとまとめに折り重なっていたのだった。

ありえないその光景を目の当たりにして女の子がえ? と自失している傍らで、才人は何事もなかったかのように両手をパンパンと打ち

ありもしない埃を払ってから倒れている少年に手を差し伸べた。





「大丈夫か? ケガはないか?」


「う、ぐ……」


「ほれ、手をかしてやるから。まったく、ひでぇ連中だな」





少年はすこし呻きながら顔を上げて、才人が差し伸べた手を確認する。

そして。

パシン、と音が鳴った。

少年が、差し伸べていた才人の手を乱暴に払ったのだ。

あっけにとられる才人を、その少年は大きなブラウンの瞳で強く睨みつける。





「トマ!」


「余計な、お世話だ! 姉さんは僕が守るんだ!」





ヨロヨロと立ち上がりながら少年は、傍らに落ちていた剣を拾い上げて女の子と才人の間に立つ。

見た目、年の頃はルイズとそう変わらない。

屈辱と敵意に歪めたその顔は、それでもギーシュよりもずっと端整な顔立ちだ。

そう、少年はいわゆる美少年である。

それも、とびきりの。

彼の顔を改めて見た才人は理由もなく、先程までの義侠心を何処かに放り投げ、嫉妬の炎を燃やす。

へーへー、ようございますね、ハンサムってやつは。

剣を構えるその姿、すごく様になってるよ。

特に、お姉さんを背に剣を構えるなんて、なんだか禁断の愛って感じで胸に迫る物があるよね。

ああ、そうさ。どうせ俺は猿ですよ、猿。

ちくしょう、腕っ節ならまけないぞ?

才人は思わず卑屈な心境に陥り、剣先を向けられているにも関わらずブツブツと何やら呟きながら地面にのノ字を書き始めてしまった。





「な、なんだよお前! ふざけているのか?!」


「……うっせえ。ちょっとハンサムだからって、エばってるんじゃねーや」


「んな?! なんだと、この!」





何やら勝手にいじけている才人の言葉に少年は過剰に反応し、あまり腫れていない端正な顔を赤くして怒り始めてしまう。

そんな彼の怒りを鎮めたのは、意外にも女の子であった。

女の子が怒って才人を罵倒する少年の後頭部を突然乱暴にガツン! とその小さな拳骨をお見舞いしたのだ。

少年はアダ! と声を上げて、思わず剣を取り落とし両手で殴られた後頭部を押さえる。

それから恐る恐る後ろを振り返った少年の眼前で、女の子は両手を腰に当て眉を釣り上げて

すこしおっとりとした口調で少年にお説教を始めるのだった。





「バカ! 助けてくれた人になんて言い草なの!」


「で、でも、姉さん……」


「でももででおも無い! ごめんなさい! 本当にごめんなさい! この子、わたしの弟なんです!」





女の子は少年を押しのけながら才人の目の前までやってきて、今度は手を体の前で重ね丁寧に何度も何度も謝罪を重ねて

才人にペコペコとおじぎを始めた。

その仕草は謀らずも、非常に栄養が行き渡っている彼女の胸をとてもとても強調させ、才人の視線を釘付けにしてしまう。

女の子の後ろで殴られた頭をさすっていたトマは、思わず目を奪われている才人の様子を見て反射的に食ってかかった。





「お前! 姉さんをなんて目で!」


「トマ!!」


「あ、いや、ご、ゴメン! 俺、つい……」


「気にしないでください。仕事柄、男の方のそういった視線って慣れっこですし。
 あ、そういえばお礼もまだでしたね。助けていただいて、本当に……あれ?」


「あ、気がついた? 俺もスカロンさんの店で働いているんだよ。君の名前は知らないけど、顔は覚えててくれてたみたいだね。
 いや、偶然通りかかってよかった! あは、あはははは……」





気まずい。

というか、女の子の豊かな胸に目を奪われてしまったなどとルイズの耳に入れば、きっときついお仕置きを受けてしまう。

才人は後悔と共に冷や汗を流しつつも、未だにその胸から目が離せないでいる情けない自分を呪った。

女の子はそんな正直な才人の視線をさして気にしてなさそうにしてクスリと笑う。

その柔らかな雰囲気はどこか強い母性を才人に感じさせるのだった。





「たしか、ルイズさんのお兄さんで厨房で働いているんですよね?
 あ、ごめんなさい。お礼がまだでしたよね?
 本当にありがとうございました。 私、エメって言います。こっちは弟のトマ」





エメと名乗った女の子はニッコリと笑い、後ろで才人を睨むトマにも挨拶とお礼をするよう促した。

しかし、トマは露骨にイヤな顔をしてフン! とそっぽを向いてしまう。

余程才人の事が気に入らないらしい。

その憎らしい態度に才人はすこしだけムっとしながらも、改めて自己紹介を行う事にした。





「俺は平賀才人って言うんだ。よろしくな」


「ヒルガサイトさん? 変わった名前なんですね」


「……サイトって呼んでくれ。それより、大丈夫?」





もちろん、トマの傷のことではなく、エメの事である。

男たちの先程の様子から、一度目や二度目のトラブルではないと判断しての才人の問い掛けだ。

その意図は正しくエメに伝わり、彼女は弟と同じブラウンの瞳をすこし潤ませて消え入るような声で返事をした。





「はい……」


「なんか、事情があるみたいだね」


「ええ、ちょっと……」





言葉を濁す彼女に才人はそれ以上質問を投げかける事をしなかった。

『魅惑の妖精亭』で働く者の中には、他人には言えない事情を持つ者も少なくない。

あまり根掘り葉掘り聞くのも良くないことだと思ったからだ。

その代わり、彼女の心労をすこしでも和らげてやるべく才人はある提案をする事にした。





「物騒だし、妖精亭まで送ろうか?」


「ほんとうですか?! それはとてもありがたいです!」





エメはそう言って、朗らかに笑う。

その後ろでは、うーとまるで番犬のようにトマが敵意むき出しの視線を才人に向けていた。

トマの敵意にすこし肩を竦めてから、行こうぜと声をかけ二人を連れて元来た道を戻る才人だった。



以上のように、長く前置きを説明したわけではあるが、兎にも角にも陰ながらルイズの成長を優しく見守る心づもりであった才人は

二人を妖精亭へと送り届けた折、ワインの仕入れの発注を終えたと勘違いしたスカロン店長に事情を説明する事になり

それならば明日からサイトくんが送り迎えをしてあげてね、うちの大事な妖精さんになにかあっては困るから、と

新たな仕事を割り当てられ困惑するのだった。

ルイズの、怒りのこもった視線を浴びながら。










才人はこの時、ただ単に多少面倒な仕事が増えたのだという認識だったのだが、後にその認識を正す羽目になるのであった。

そして場面は、才人が二人と出会った時と同じサン・レミ聖堂の鐘が鳴り、茜色の夕日が沈む冒頭に戻る。


















[17006] 5-3:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄2
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/03/10 00:31










皿洗いは無の境地に通じるものがある。





きっと何を言っているのか理解出来ないだろうが、とにかくそうなのだ。

際どい衣装を来た女の子が、次々と汚れたお皿を持ってくる。

身を乗り出してお皿を置く女の子の胸元につい目が行く事に自己嫌悪しつつも、才人は素早くその皿を受け取り流し場の水桶の中に放り込んだ。

それから、軽く汚れを落として皿洗い用の布で皿を挟むようにゴシゴシと洗う。

これを何も考えられなくなるまで、繰り返し、繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し





「新入りさん、これもお願……うわ!」





新たに汚れたお皿を運んできた女の子の声で、才人は "無の境地" からはっと我に帰った。

ついさっきまで異常なほどの量が山積みされていた皿が綺麗に無くなっている。

かわりにピカピカに洗われて綺麗になった皿が山積みされていた。

思考を停止し、ひたすらに皿洗いを続ける内に "グリムニルの槍" がその行為を戦闘の一種だと判断したのか

体の疲労の再現を止め、力をずっと供給していたのだった。

才人はこの時、無限に手を動かし続けられるハルケギニア最強の皿洗いマシーンと化していたのだ。





「あいかわらず凄いわね! こんなに素早くお皿を洗える人が入ってきてくれて、本当に助かるわ」





汚れた皿を運んできた女の子が、感心しながら重ねた皿を才人に手渡した。

胸元が大きく開いた草色のワンピースに黒く長い髪、そして黒い瞳の可愛らしい女の子だ。

活発そうなイメージを与えるすこし太めの眉とその表情は、好奇心で彩られていた。

彼女の名はジェシカ。

信じがたいことに、オカマ筋肉で気持ち悪いあのスカロン店長の娘である。

レベルの高い女の子が多い『魅惑の妖精』亭においてナンバー・ワンの看板娘でもあり、ついでにシエスタとは母方の従姉妹だったりする。





「そりゃ、どうも。ほれ、こんな所で油売ってないでさっさと接客に戻れよ」


「いーの、あたしは」


「よくねぇって。いくらスカロン店長の娘だからって、お前ここの看板娘だろ?
 看板娘がフロアに出ないでどうするんだよ」


「休憩よ、休憩。……それより、人が話しかけてるんだからこっち向きなさいよ」





才人は話しかけてくるジェシカとは反対方向を向いて、器用に受け取った皿を洗っていた。

まるでジェシカの姿を一切視界に入れまいとするように。





「やだよ。お前の方向くと "痛い" 事になるし」


「は? なにそれ。いーから、こっち向きなって。お給金、差っ引いちゃうよ!」





お給金、という単語を聞いて才人は渋々ジェシカの方を向く。

そして目に入ってくるのは彼女の大きく開いた胸元と豊かな胸。

そこから視線を移動させることが、どうしてもできない。

あああ、くそ。

俺の馬鹿! エロ犬! 駄犬!

才人は歯を食いしばり、目を瞑った。

瞬間。

何処からかワイングラスが飛んできて、見事に才人のこめかみに直撃し、ぱん! と音を立てて割れた。

才人は特に倒れるわけでも、痛がるわけでも、騒ぐわけでもなく、むしろまたかといった調子ではぁ、とため息をつく。





「……なるほどね。ルイズがたまにグラスを投げている気がしてたんだけど、こういう事だったんだ。
 グラス代、お給金から引いとかなきゃ、って! 血! 血が出てる!」


「いや、気にしないでくれ。俺が悪いんだ。給金も俺の方から引いといてくれ」





ジェシカは慌てて近くにあった布を取って、頭からダラダラと血を流しながらまいったなあ、と呑気に笑う才人に駆け寄る。





「あー、大丈夫、大丈夫。俺、こう見えて相当頑丈なんだ」


「バカ! 血が出てるじゃない!」


「もう "直って" いるよ」


「嘘おっしゃい! 見せ……うそ、そんな」


「な? 俺すっげえ頑丈なんだぜ?」





才人はそう言って、呆然とするジェシカから布を受け取り血を拭きながらニヘヘと笑った。

血を拭うと、その下からは傷一つない肌が現れる。

傷は才人の言う通りすっかり消えていた。

才人はポカンとするジェシカを余所に手馴れた手つきで飛び散ったグラスの破片を集め、血のついた布を流しで手早く洗い

それから何事も無かったかのように再びジェシカとは反対方向を向きながら、皿洗いの作業に戻った。





「あなた、相当の変わり者みたいね?」


「なんだよ、それ」


「だって、普通ワイングラスを頭に投げつけられて怪我までしたらもっと痛がるか、騒ぐわよ。
 なのにあんたは怒りもしないでヘラヘラしてて。
 ねぇねぇ、あんたってさ、ルイズと兄妹って嘘でしょ?」


「そんな、事ないよ。親父が遊び人でな、俺は最初の奥さんの子供なの」


「あー、それで顔つきも髪の色も違うんだ? でも……やっぱり怪しいわね。
 お兄さんが他人の胸見ただけで、怒ってグラス投げつけてくる妹なんて変だもの」


「妹はブラコンなんだよ、ブラコン」


「ぶらこん?」


「異性の兄弟相手に異常に好意を抱くこと。ほら、接客に出てるエメの弟みたいなのを言うんだよ」


「へー、そういうのぶらこんって言うんだ? あなた、結構物知りなのねえ。
 でもエメの弟……トマって言ったっけ? いつも店の裏手で待ってるカッコイイ子。
 あの子はお姉さんにワイングラスを投げつけたりしないわよ?
 もしルイズもトマと一緒なら、あたしにグラスを投げつけてこないとおかしいし。
 ……そうねえ、ルイズの場合、どっちかっていうと嫉妬ってかんじ?
 あ! もしかして、道ならぬ関係になったもんだから駆け落ちしたとか?!」





ジェシカは好奇心が強い性格なのか、執拗に才人とルイズの関係について質問をした。

勿論、彼女やスカロンの事を覚えている才人は、本当のことを話しても大丈夫だと思ってはいる。

しかし下手に協力をしてもらえるようになると、平民の間に紛れ込んで頑張るルイズの為にならないと考えたので

やはりここは適当に誤魔化すのだった。





「だからー、ちがうって! ほら、もう行けよ。そろそろ客も増えてくる時間だろ?
 休憩はおしまい!
 看板娘は店に出るから看板娘なんだしさ」


「まーまー、そんな事言わずに。このお店で働く子はみんなワケ有りなんだし?
 過去を詮索するような野暮チンは居ないから安心していいんだって」


「ここに一名、その野暮チンがいるけどな」


「あたしは口固いもん。ねぇねぇ、だからさ、あたしにだけ、本当の所をコッソリ教えてくれない?」





ジェシカはつい、と才人の腕を優しく取り両手で抱きしめて甘えるようにそう言った。

才人はあさっての方向を向きながら、腕を包む柔らかで弾力のあるクッションを必死に感じまいと努力をする。

ねぇ、いいでしょう?

ジェシカの甘い吐息が耳にかかる。

他所を向いている事をいいことに、思いっきり顔を近づけてきているらしい。

『魅惑の妖精』亭ナンバー・ワンの称号は伊達ではなく、そのテクニックは男の心理を知り尽くしていた。

おい、やめろよ! と才人が思わず振り向くと、目に飛び込んでくるのは彼女の顔……ではなく、己の腕を飲み込んでいる胸元であった。

あ、と声を上げると同時にジェシカは才人から素早く離れる。

そして。

ごん!





「……ごめん」


「……気にすんな。目を奪われる俺が悪いんだ。しかし、流石にエールのジョッキはグラスよりも痛いな。
 割れないから片付けなくていいし、給金差っ引かれないのは助かるけど」





はは、と苦笑いを浮かべ才人は先程洗った布を直ったばかりのこめかみに当てる。

傷はすぐに跡形もなく消え、手早く布を洗った才人は何事も無かったかのようにエールのジョッキを拾い上げ慣れた手つきで洗った。

そんな才人にジェシカはますます好奇心を刺激されるのであった。



さて。

何やら面白そうな相手を見つけ目を輝かせるジェシカとは対象的に、面白くないのはルイズである。

先程から未発達な胸をからかってきた客と揉めて、助けに入ったスカロン店長に「ここで他の女の子のやり方を見学していなさい」と

店の隅に立たされていたのだ。

何よあいつ。

そんなに、大きな胸がいいっていうの?

私がこんなに苦労してるっていうのに鼻の下なんか伸ばしちゃって。

酔っ払った客にお尻や足を触られるし、店長には怒られるし、嫌な奴にもニコニコしろって言われるし。

私の、ご主人様の魅力を一番理解しているはずのあんたが、そんなチチだけ女の胸に目を五秒も奪われるなんて!

あ! また!

ビキ! という音を、ルイズは聞いた。

背中が大きく開いてスカートの丈が短い、可愛くも大胆なワンピースに身を包んだ彼女は

白いこめかみに青筋を立て、肩を怒らせながらプルプルと震えさせる。

乳か。そんなにデカい乳がいいのか! あんにゃろう。

まだ見てる! さっさと視線を外しなさいよ! 目を瞑るとかやりようがあんでしょうが!

――! なによあの女! サイトに色目使って!

ちょ、サイト! そこでなんでニヤけんのよ!

うぬれぇ、こ、今度はこのワインの空きビンを……

実際はルイズが思うほど才人はニヤケもしてはいないし、女の子も色目を送ってはいない。

しかし恋する乙女の目というものは、才人が他の女の子と関わるだけでどうしてもそう見えてしまうものなのだ。

鬼の形相でルイズは、同じく店の隅にあったテーブルの上に並べられていたワインのビンを投擲すべくがしと掴む。

そのテーブルに一人ついて、遠目に女の子を眺めながら静かにワインと食事を楽しんでいた老人が、慌ててその手を掴んだ。




「こ、こら! お嬢ちゃん! このビンは儂のじゃ! 投げちゃいかん! それにまだ半分も飲んどらんぞ!」


「は、離して! お仕置きが必要なの!」


「お仕置きが必要なのはお嬢ちゃんじゃ! さっきから儂のグラスやジョッキを投げおって!」


「いいから! は、離して! 手を、離しなさい!」


「いーや、離さん! こ、こりゃ! 暴れるんじゃない! また店長に怒られるぞい?」


「貴様! その手を離せ!」





ワインのビンを巡ってもみ合っていたルイズと老人は、その声にビクっと肩と震わせ動きを止める。

喧騒に包まれていた店内もその大声によって、一瞬で静寂に支配された。

そんなに怒らなくても、とつい思ってしまうほど怒りと憎しみが込められた声だったからだ。

果たして声は、ルイズと老人に向けられたものではなく別の席でのトラブルが原因だった。





「離して、ください。お願いします」





消え入るような声が静かになった店内に響く。

鈴のような声の主はエメだ。

店の中央の席で体格の良い男に腕を掴まれ、今にも泣き出しそうな表情でその手を離すよう懇願していた。

男は先日才人がのした借金取りの一人で、強引に少し腫らした顔をエメに近づけている。

そんな彼女と男の隣でトマが剣の柄に手をかけて借金取りを睨みつけていた。

先程の声はトマのものだった。





「お店には、来ないでってあれほど……」


「なんだよ、客として来る分には俺の勝手だろう?」


「貴様! 最初から姉さんが目的だったくせに!」


「なんだあ? この店はそれが売りなんだろうが。お目当ての子がいちゃ悪いってのかよ?
 おい、店長はどこだあ!? 店長を出せ!」


「ごぉぉぉめぇぇぇんなさぁぁぁい! お客様ぁん、いかがなさいましたぁあん?」





うぉえ! という声が店のあちこちで上がる。

トラブルを収拾すべく、店の奥から男の店長を出せ! という声に反応して筋肉達磨のオカマが気持ち悪いしなを作って現れたからだ。

その気持ち悪い容姿に借金取りの男は少したじろいだが、すぐに威勢を取り戻した。





「お、おうおう! この店は客にイチャモンと付ける給仕がいるのかよ?!」


「すぅぅぅいませぇん! この子、こちらのエメちゃんの弟なんですぅ。ほら、トマくん裏手でおとなしく待っていようね?」


「う、うるさい! 僕を子供扱いするな! それに、こいつは姉さんに付きまとっている借金取りのゴロツキだ!」


「おい、坊主。今は俺はこの店の客だぞ? なあ、店長さん?」


「そうよ、トマくん。ほら、お願いだから。お姉さんはミ・マドモワゼルにまかせて、ね?」





そう言ってスカロンはパチン、とウインクをしてみせた。

うぉえ! という声が店のあちこちで上がる。

エメの手を握る男もすこし気分が悪そうに、反対側の手で口元を抑えた。

トマは他の客の視線とお願いと言外に言うエメの表情に、唇を噛みながら剣の柄から手を離して

渋々と踵を返し、店の外へと向かう。





「さ、エメちゃんも向こうのお客さんをお願い。ここはこのミ・マドモワゼルにま・か・せ・て」


「おっと、店長。俺はこの子の酌がいいんだがな?」


「き、貴様!」





男がぐいとエメの手を引くと同時に、店の外に出ようとしてたトマが再び大声を上げて戻ってきた。

そして今度は剣を抜いて、男を睨みつける。

店のあちこちからきゃあ! と女の子が悲鳴が上り、店内の空気はより緊迫した物へとかわった。





「おいおい、この店の給仕は客にイチャモンを付けるばかりか、客に剣をむけるのかあ?」





男はさして動じず、わざと店内に響くような大声で叫ぶ。

どうやらエメへの嫌がらせの一環として、店の営業も妨害すつもりらしい。

周りを見渡しながら他の客を鋭く睨みつけ、視線が合うと何見てんだこらぁ! と凄んだ。

そんな男をスカロンが気持ち悪いしなを作りながらも、必死に男をなだめる。

しかし、借金取りの男はますます興奮して大声を張り上げた。

巧妙にも、街の警邏を呼ばれないよう男は決して暴れたり誰かに暴力をふるったりはせず、ただ声を上げて騒ぐ。

スカロンにしても荒事には慣れているものの、相手が手を出してこない以上こちらも乱暴な対応をするわけには行かない。

男の罵声はなおも続き、店の中はとてもではないが誰かと楽しくおしゃべりしたり、食事を楽しむような雰囲気ではなくなっていた。

楽しいひと時を期待して店にやってきていた他の客達が、居たたまれなくなって席を立ち始めそそくさに店をでようとしたその時。

この状況を打破できる、救いの主が現れる。





「なんだ、トマ、お前俺が店終わるまで待ってろって言ったのに我慢できなかったのか?」





店の奥から片刃の大剣を片手に、場違いなほどにこやかに剣を構えるトマの元へ才人がやってきたのだ。

随分と呑気でどこか間抜けにも思えるその声は、店にいた者の視線を一斉に集めた。





「な、なんの話だ!?」


「なんだよ、とぼけちゃって。約束したじゃないか。
 お前、顔はいいのに腕っ節はからきしだから、今度剣を教えてやるってさ。さ、行こうぜ!」





笑いながら才人はガッシリとトマの肩を抱いた。

トマは顔を真赤にして怒りながら、は、離せともがく。





「サイトさん?!」


「サイトくん?」


「あ、て、てめえは!」


「さ、行こうぜ! あ、エメ、今日はもう上がっていいんだってさ。な? スカロン店長!」


「え? ああ、ええ。ええ、そうね、エメちゃん、今日は用事があったのよね。お疲れ様。また、明日ね!
 お客さん、ごめぇんなさぁいねぇ! この子もう今日はおしまいなんですぅ! ミ・マドモワゼルがお相手するからゆ・る・し・て!」





そう言ってスカロンは両手で拳をつくり、それを両頬に添えてパチンとウインクをした。

うぉえ! という声が店のあちこちで上がる。





「さ、行こうぜ」


「は、はい!」


「待て! 俺はまだ、こいつに用が」





そう言ってエメの手を離そうとしない男の腕を、ゴツい大きな手がつかんだ。

スカロン店長の手である。

ミシリ、と音がするほどて腕を強く握られ、男は思わず握っていたエメの手を離してしまった。

才人はじゃ、あとは宜しく店長! と爽やかに笑い、もがくトマの肩を抱いてズルズルと引きずりながらエメと一緒に店を出ていくのだった。





「ま、待てよこの!」


「おきゃくさぁあん! 今日は、本当に、御免なさぁいねぇ! ルイズちゃぁん!」


「は、はい?」


「厨房にいって、『魅惑の妖精が作る素敵なステーキセット』を作ってもらってきて! このお客様に、私からのお・わ・びよぉん!」


「うっぷ、は、はい」


「それと、ジェシカちゃん!」


「はい! ミ・マドモワゼル!」


「他のお客様にワイン一本ずつサービスしてあげて! みなさぁん! イヤな事は忘れて、妖精さんと楽しく過ごしましょうねぇ!」





思いがけぬスカロンの大盤振る舞いの宣言に、店内の客達がわぁ! と一斉に湧き立つ。

それを合図として、店の女の子たちがいつもよりすこし大胆に相手をしていたお客にいやーん、怖かったぁとか

さぁ、飲んでくださいね! などと語りかけ悪くなった雰囲気を巧みに修復する。

こうしてそれ程間を置かず、店の雰囲気は無事元に戻った。

借金取りの男はというと、スカロンに万力のような力で抱きつかれ何か言おうと口を開くたびに

あぁぁあん、怒っちゃいやぁぁあん! と気持ち悪い声を上げる筋肉達磨に頬ずりやキスの "お詫び" をされていた。

ルイズが出来上がった『魅惑の妖精が作る素敵なステーキセット』を持ってくる頃には、すっかりスカロンの腕の中でグッタリとして

流石の彼女もつい同情をしてしまう程の有様となっていた。

男はこの後、店長が直々にステーキを……それも口移しで食べさせてもらえるサービスを受け、息も絶え絶えに退散しする事になる。

他の客達はそんな男の背に、同情に満ちた視線をなげかけるのだった。



一方、才人はというと。

無事エメとトマを自宅へ送り届け、店に戻ろうとした所でエメに引き止められていた。

借金取り達は昼間は人の目もありあまり無茶なことはしないのだが、夜となれば話は変わる。

その事もあって、エメは身入りも良い夜の仕事を選びトマと共に『魅惑の妖精』亭へ働きに出ていたのだと才人に説明したのだった。





「だから、今夜一晩だけでもお願いできませんか? サイトさんがいてくれるととても心強いんです」


「姉さん! こんな」


「トマ? 誰のせいでお店に戻れなくなったの?」


「う……」


「サイトさん、助けてもらった上に身勝手なお願いだとわかっています。だけど……」


「いや、いいよ。困ってる人を見過ごす程、俺も腐っちゃいないし」


「本当ですか!? よかった!」


「かわりに、明日ルイズに俺が店に戻らなかった理由を一緒に説明してくれよな?
 ボコボコにされるのはかまわんのだけど、わだかまりは残したくないんだ」





才人はそういって、大げさに何かに怯えるように震えてみせた。

その仕草にエメはまぁ、と言って朗らかに笑う。

対照的にトマは忌々しげに才人を睨みつけている。

エメはひとしきりに笑った後、じゃ、わたし着替えてきますねと言い残して寝室の方へ消えていった。

『魅惑の妖精』亭からそのまま才人と自宅へ戻ったので、淡いピンク色の胸元が大きく開いた店の衣装のままだったからだ。

才人はというと、先程からジェシカにしていたように明後日の方向を向いてエメと話していたのである。

別にエメの胸元を見てしまってもワイングラスは飛んではこないのだが、代わりにトマが才人に食って掛かる為の措置であった。

二人の家は貸家で、かなり狭くてボロい。

入り口の扉を開けるといきなり食事などをする食堂兼居間があり、才人はそこでエメに引き止められていたのだった。

この部屋からは台所と寝室へと行けて、寝室の入り口にはすこし腐りかけた木の扉が設えてある。

おそらくはトマもそこで寝泊まりしているのだろう、部屋はそれだけであった。





「……変な事考えるなよ? 姉さんには指一本触らせないからな」


「考えてねえよ。お前もあんまりエメに面倒かけるなよな」


「なに?! 貴様なんかに」


「ほら、すぐそうやって怒る。今日もそれで迷惑かけただろ?
 店に大きな被害が出たらどうするつもりだったんだ、お前。」


「……だって、姉さんを守る為には仕方ないじゃないか!」


「それが原因でエメが店を追い出されたら元も子もないだろうが。
 あの男、俺がこの前広場でのした借金取りだろ? たぶんそれが狙いだったと思うぜ」


「じゃあ、僕は……」


「男の思惑にまんまと乗って、エメに迷惑をかけただけ。
 いんや、エメだけじゃないな。スカロン店長やほかの女の子に客にもだ。」


「……」





トマは才人の言葉にうつむいて黙り込んでしまった。

敵意を向ける相手から自分の行いをたしなめられ、自覚して後悔するあたり悪い人間ではないのだろう。

単純なのだ。

素直、とも言ってもいいかもしれない。

こいつはこいつなりに、姉さんの事を考えているんだろう。

ただ、姉さんの事しか考えていないのがマズいんだよなぁ……

才人はうつむくトマの様子を見て、そう考えていた。





「借金あるんだろ? もうちょっとさ、考えて行動した方がいいぞ」


「そんなこと! お前なんかに言われなくても……わかってるさ」


「そっか、ならいいや。別に説教するつもりでもないしな」





トマは一瞬激昂しかけたが、その言葉尻は消え入るような小さなものであった。

気まずい空気が部屋に流れる。

やがてエメが寝室から戻ってくると、その空気を察して怪訝な表情を浮かべどうしたのとトマに尋ねた。

トマが才人になにか失礼なことを言ったのではないかと、勘違いをしたらしい。

何でもないよとトマが答えようとした所で、不意に入り口の扉が外から荒々しく叩かれた。

トマとエメは、はっとして入り口の扉を険しく睨む。

扉はとてもノックとは思えないような乱暴さで、何度も何度も外から叩かれている。

二人の様子からどうやら借金取りがここに来たようだな、と才人は判断してデルフに巻いていた布をほどき始めた。





「おーい、エメ! いるんだろう? 話があるから出てこいよ。
 店じゃ具合が悪いらしいからな、わざわざ来てやったぞ!」





扉の向こうから、野太い男の声。

夜分にも関わらずまったくの遠慮のないその大声は、知性をまるで感じさせない。

どうやら『魅惑の妖精』亭で嫌がらせをしていた男が、エメたちが家に帰ったと仲間に伝えたらしい。

トマは舌打ちして剣に手を伸ばす。

その手を才人は布を解いたデルフを担ぎつつ遮った。





「屋内でそんなもの振り回すつもりか? さっき考えて行動しろって言ったばかりじゃねえか」


「でも! だからってあいつらは話してわかる相手じゃ」


「話し合いでなんとかなる相手じゃないって事は俺でもわかってる。
 いいか? こういう時はな、エメ!」


「は、はい!」





借金取りの男の声に、体をすくませていたエメは突然才人に声をかけられ少しうわずった声で返事をした。

その表情は不安と動揺と、恐怖に染まっている。





「この家、裏口はある?」


「え?」


「裏口だよ、裏口。借金取りどもを家に入れるつもりはないんだろ?」


「あ、ええ、はい。台所から裏の路地に出ることができます」


「よし。そっからとりあえず逃げよう。外なら俺もデルフ……この段平振り回せるしな。
 トマ、テーブルのそっち側持て。扉にたてかけて破られないようにして時間を稼ぐんだ!」


「わかっ……僕に命令するな!」


「いいから早く!  "考えて行動しろ" っての! これで三回目!」


「う、うるさい! いくぞ? 持ち上げるぞ? せぇの!」


「よっ、とっと、お前力ねぇな!」


「ほっ、とぉ、け!」





才人とトマはぎゃーぎゃーと言い争いをしながらも、居間にあった大きなテーブルを罵声と激しいノックがする扉に立てかけた。

そうしている間に扉はノックから、何かが体当たりをしているかのような音を立て始める。





「こっちです、サイトさん!」


「わかった。トマ、行くぞ!」


「うるさい! 僕に命令を」





才人はトマの話を最後まで聞かず、脱兎の如く駆けた。

エメの脇を走り抜けざまに彼女の手を取り、台所に駆け込んで裏口であろうすこし狭い扉を乱暴に開ける。

外にだれか待ち伏せをしていないかを素早く確認して、エメの手を引いたまま裏路地を走った。

後ろからはトマが抗議の言葉をあげながらついてきていた。

トマの抗議を無視して、才人はエメの小さな手を引いたまま狭く曲がりくねった裏路地を走り続ける。

角を左に曲がり、十字路を右に。

行き止まりのすこし高い塀を乗り越えて他人の家の庭に侵入し、番犬の吠える声に驚きながら再び反対側の路地へ出る。

やがて、エメたちの住む下町と貴族たちが住む区画の境目に流れる大きな川に出た。

上流側には橋が見える。

才人は川の土手を降り、貴族達の住む区画へとかかるその橋へと走った。

握っていたエメの手は、橋の下に来てようやく開放されたのだった。





「はぁ、はぁ、はぁ、もう、ダメ、走れ、ない、わ」


「はっ、はっ、はっ、もう少し、姉さんを、気遣え、この、バカ!」


「そんな余裕あるか。あいつらに金を借りてるエメの立場上、あんま派手に暴れるわけにもいかねぇだろ」


「はっ、はっ、あんな奴ら、に、遠慮なんて、必要、ない!
 それに、なんで、お前は、息切れ、してないんだよ!」


「鍛え方が違うだよ、お前とはな」





才人はいまだ呼吸が落ち着かないトマの端正な顔に自分の顔を思いっきり近づけて、ニカっと笑う。

トマは汚い顔を近づけるな! とその顔をはたこうとしたが、ヒョイと才人に避けられてしまい

そのままバランスを崩して尻餅をついてしまった。





「それにしても、才人さんは、すごく、体力があるんです、ね!」


「ん? まあ、一応こう見えても本職は剣士だからな。
 そこらのメイジよりかは強い自信があるぜ?」


「うそつけ! どこをどう見たら、お前が『メイジ殺し』に、見えるんだよ」


「まったくだ。つまらん嘘など、つくものではないな少年」





背後で第三者の男の声。

才人は振り返りながら、反射的に背のデルフへ手を伸ばし鞘の留め具を外す。

同時に火球が視界に飛び込んできた。

"ファイヤー・ボール" の魔法か!

瞬時に判断をした才人は、背から抜きつつあったデルフをそのまま袈裟に "ファイヤー・ボール" へ斬りつける。

火球は二つに割れながら、あっけなくデルフの刀身に吸い込まれていった。

追撃が来ないことを確認し、素早くあたりを伺う。

人影は、一つだけ。

デルフを構えながら魔法が飛んできた方向を見ると、土手の上に黒いマントを羽織った男らしき人影が二つの月に照らされていた。

その手には一メイル程のシンプルな杖が握られている。





「ほう。魔法を吸収するとは、変わった剣を使う」


「ふん、不意打ちとは随分余裕の無ぇこった。何者だ?」





睨みつけた先の影は、二つの月の光を逆光に浴びてその表情は見えなかった。

背は才人よりもひと回り高く、声は低い。

才人の問い掛けに男は抑揚のない声で答えた。





「それは失礼した。大口を叩く平民につい、杖が出たのだ。
 しかし、メイジを前にしていまだその態度とは恐れ入った。どうやら先程の言葉はホラではないようだな」


「質問に答えろ」


「いいだろう、教えてやる。どうせお前はここで死ぬのだ。
 俺は「煤火」のドニ。そこの姉弟に金を貸している金貸しに雇われた、用心棒みたいなものだ」


「はっ、金で働くメイジかよ!」


「今の世はそう珍しい事ではなかろう。それよりも、仕事の続きをさせてもらうぞ? 死ね」





メイジの男はそう言って、杖を才人に向けた。

先程の "ファイヤー・ボール" よりも、更に数段小さな火が杖の先からほとばしり、才人に向かってゆっくりと飛んでくる。





「ふん、バカにしてんのか?! こんな種火、デルフで!」





デルフでその小さな火を払うべく、才人がそう叫びながら斬りつけた瞬間。

種火は突如大きく膨らみ、火球というよりも爆炎を上げて才人を包み吹き飛ばした。

その炎はすさまじく、炎の尾を引かせながら才人を空高く舞い上げたのだった。

才人の視界が炎の赤一色に染まる。





「サイトさん!!」





エメの悲鳴のような声が遠ざかりながら聞こえ、次いですべての音は水音に変わった。

川の中まで吹き飛ばされ、才人は水中に落ちたのだ。

幸い川は浅く、才人はすぐに起き上がりデルフを構えることができた。

追撃は……無い。

その行動は歴戦の勇士にふさわしく、攻撃を受けたにも関わらず動揺は一切見られない。

しかし、その心中は行動とは裏腹に激しく混乱していた。

ばかな!

デルフで吸収できない魔法?!

そんなもの、今までなかったぞ?!

土メイジが飛ばす岩石とかならまだわかる。

岩石をコントロールする魔力を吸い取れば、岩が元の勢いで飛んでくるだけだから。

だけど、炎は違う。

魔力を、魔法を吸い取れば炎は消える。

消えるはずなのに……あいつのあの魔法は消えるどころか、あそこから更に爆発しやがった!

才人は混乱しながらも、メイジを見た。

不可解な火の魔法を使うメイジは、才人の事など見向きもせずゆっくりと土手を下り

姉弟のいる橋の下を見ていたのだった。

どうやらあの魔法で才人を仕留めたと思っているらしい。

反撃のチャンスではあったが、才人の視線は別のモノに釘付けとなっていた。

駄目だ!

そいつに、剣を向けちゃだめだ!










急いで起き上がった才人が見たモノは、剣を抜いてメイジに斬りかかるトマの姿だった。


















[17006] 5-4:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄3
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:84697acd
Date: 2010/03/13 17:38










それは子供の頃誰もが見る、悪夢のような感覚だった。





体はまったく言う事を聞かず、小指一つ動かせない。

声も上げられず、誰かの叫びは遠い彼方から聞こえてくるようだ。

暗い人型の影はゆっくりとこちらにやってくる。

影は炎を操るようで、幾人もの大の男を一瞬で打ち倒す者を先程目の前で焼いてみせた。

それも、いとも簡単にだ。

精一杯の虚勢で構えた剣先は小刻みに震え、やけに重く感じる。

空には二つの月。

本来闇であるはずの夜のトリスタニアを、明るく照らしている。

しかし、己がいる場所にはその柔らかな光は届かない。

逃げ込んだ橋の下、同じようにいつも柔らかに笑う姉もその影に恐怖と絶望を感じているのが背中越しにもわかる。

それでも姉は、恐怖によって足を竦ませたまま自分の名を叫び逃げるように声をあげていた。





「姉の方を無傷で連れてくるようにと言われているんだが、弟は何も指示されていないしな。
 少年、今剣を引けば命だけは見逃してやる」





影はそう低くつぶやくように言った。

トマは震えながら剣を構え続ける。

姉を守るという強い意志の現れだけではない。

恐怖によって、それ以上動けないのだ。

カチカチと歯を鳴らし、同じリズムで「煤火」のドニと名乗ったメイジに向けた剣先が震える。





「……そうか。ならば仕方ないな。メイジに剣を向けると言う事の意味を教えてやろう」





一歩ドニは前に出て、だらんと下に向けていた杖をゆっくり持ち上げた。

杖の先に小さな火が集まり、やがて球状となる。

火の魔法 "ファイアー・ボール" だ。

火球が人の頭程の大きさとなった時、ドニは杖振る。

ボゥと炎は音をたててトマの体を焼かんと飛んだ。

その光景は恐怖で目も閉じることができないトマにとって、とてもゆっくりと感じられる。

影との距離は十メイルも離れてはいない。

炎はすぐに少年の体を焼くだろう。

目も閉じる事ができないトマはささやかな抵抗を行う為、カチカチと根が合わない歯をくいしばる。

そして。

火球は少年を焼くことはできなかった。

何かが空気を斬り裂きながら川の方から飛んできて、目の前を火球を飲み込みながら通過したのだ。

え? と混乱しながら何かが飛んでいった先を見ると、片刃の大剣が地に刺さっていた。

それが才人が持っていたデルフリンガーだと認識した瞬間、今度は川の方からどぉ、と大きな水音が上がる。

慌てて振り返ったトマが見たものは、斜めに傾いた巨大な水柱。

ざざと大量の水が落ちていく音と共に、今度は正面で何かが地を滑るような音がした。

めまぐるしく視線を移動させ、再び元の位置に戻したトマが見たものは「煤火」のドニが立っていた場所に

才人が一人、どこに隠し持っていたのか短槍を地面に突き刺している姿だった。

逆手に持っていた槍を地面から引き抜きながら才人は上空を睨む。

トマはその視線の先を追うため慌てて橋の下から才人の近くへと駆け出し、夜空を見上げると

赤い方の月を背にして「煤火」のドニが宙に浮いていたのだった。





「驚いたな。あれをまともに食らってそれ程動けるとは」


「俺も驚いたぜ。まさか、避けられるとは思わなかった。
 お前、戦闘メイジだろ? 当然ただの用心棒じゃねえよな?」





才人の問いに、ドニは沈黙で返す。

貴族=メイジである事が一般的であるハルケギニアにおいて、貴族籍でありながら領地を持たないメイジは多い。

そのようなメイジ達は主に家督を継ぐ事のない次男坊や三男坊だったり、領地経営に失敗して国替えを余儀なくさたり

又は何らかの問題を起こして領地を没収された者が多数を占めていた。

才ある者は各地の有力者が抱えている魔法が関係する産業への参画を求められたり、王宮へ出て役人になったりするのだが

中には才無く "落ちぶれて" 行く者も出てくる。

そういった者は傭兵どころか下っ端の警備隊にも入れず、街の裏稼業での用心棒をやったりするのだが、ドニの魔法はどう見ても

"落ちぶれた" 者のそれではなかった。

特に戦闘メイジならば尚更のことである。

国家にとって最も必要とされるのは直接的な軍事力である戦闘メイジであり、たとえ常備軍に就かなくともそれだけの実力者が

諸侯軍や大傭兵団へのスカウトも受けず、街の用心棒などに就くのは不自然な事なのだ。

更に、軍事費の削減を背景として近年常備軍から傭兵団の雇用を主とした非常備軍への切り替えが各国で進められており

戦闘メイジのスカウトは熾烈を極め、彼らが街で平民相手に力を振るう事などはまずない。

加えてトリスティン王国は現在、神聖アルビオン共和国と戦争中である。

そんな状況下、手練れの戦闘メイジが軍務に就くでもなく、街のゴロツキの用心棒をしている。

アルビオンの間諜として、疑われても仕方のない状況だ。

才人の問いは、その事を暗に示すものだった。

つまり、お前は "何処の国の者" だ? と。





「……ふん、答えられねぇよな。逃げるなら今夜中にしとかねえと、直ぐに衛士隊がお前ん所に行くぜ?」


「……その心配はいらん。試しに衛士隊にでも街の警備隊にでも駆け込んで見るがいい。
 そら、調度良い事にあちらからやってきたぞ?」





ドニが杖を持っていない方の手で川の反対側を指差した。

才人はその方向へ警戒しながら目を向ける。

川の対岸は貴族たちの居住区であり、その向こうには白い王宮が月光に照らし出されて見えた。

月の光を白く輝く王宮の城壁が見える夜空に、黒い点が幾つか浮かび上がっている。

王宮の衛士隊か、はたまた貴族街の警備隊が駆る幻獣の影だ。





「ふん、貴族街の近くでいささか派手に暴れすぎたか。運がいいな、貴様ら。今日は見逃してやろう」


「まて! こんにゃろう、降りてきやがれ!」


「少年、名は? お前のような平民の手練れは初めて会った。名を覚えておいてやる」


「ふん、だーれがバカ正直に話すか。 "イーヴァルディの勇者" とでも覚えとけ!」


「くく、平民のおとぎ話のあれか。なるほど、言い得て妙かもしれんな。
 さらばだ、槍と剣を持つ用心棒よ」





ドニはそう言って、下町の上空を飛び去りそのまま街の中へ消えていった。

その姿が見えなくなるのと同時に、ドサと音をたててトマは座り込んでしまう。

同様にエメも安堵の為かその場にへたり込む。

才人はそんな二人を一瞥し、投げたデルフを回収すべく地に突き立ったままのデルフのもとへ足を運んだ。





「ひでぇぜ相棒! もうちょっと優しく投げてくれよ!」


「すまん、デルフ。焦ってたもんだから、ついな。それに槍だと土手ごと吹き飛ばしちまうし……」


「うわ! 剣がしゃ、しゃべった!」


「なんだトマ。インテリジェンスソードは初めてみるのか?」


「あん? 坊主、剣が喋っちゃ悪いって言うのか?!」


「は、話には聞いた事があるけど……初めてみた」


「いいだろう? やんないぞ?」


「誰がそんなボロっちぃ剣をほしがるか!」


「おうおうおう、ボロとは言ってくれるじゃねえか! 一体誰がてめぇに迫る魔法を消してやったと思ってんだこのガキ!
 大体、弱い癖にイッチョ前に剣なんざ振り回しやがって!」


「な、なんだと!」


「いい争いは後だ。警邏か衛士の連中が来るぞ? エメ、立てるか?」


「そりゃねぇぜ相棒! もうちっと俺にもしゃべらせもが……





トマに文句をいい足りないとばかりにカタカタと震えるデルフを強引に鞘に収め、才人はエメに手を差し出しながら尋ねた。

しかしエメは地面にへたりこんだまま、申し訳なさそうに首を横に振る。





「ゴメンなさい……腰が、抜けちゃって……」


「そか。トマ、お前は一人で立てるよな? エメは俺が背負うから、お前は……」


「だっ、ダメ! ダメだ!」


「あんだよ。非常事態なんだし、背負うくらいいいだろ? 愚図愚図してると、役人に捕まっちまうぞ?」


「違うんだ! いや、違わなくもないけど……」


「なんだよ。はっきりしねぇな」


「その……実は僕も……


「あん?」


だから、僕も腰が抜けちゃって……


「んん? 聞こえないぞ? なんだって? 怪我でもしたのか?」


「だから! 僕も腰が抜けてしまったんだよ!」





夜目にもわかるほど顔を真赤にしてトマは叫んでいた。

才人は腰と額に手を当てて、はぁ、と大きく一つため息を吐く。

頭上では竜騎士隊が駆るドラゴンの翼の羽ばたきの音が聞こえていた。

どうやら貴族街の近くということで、王宮の周りを警備していた竜騎士隊の部隊が直接やってきたらしい。

仕方ない。

ここは大人しく捕まっておくか。

二人を抱えて無理に逃げても、騒動を起こしていた自宅をすぐに突き止められるだろう。

俺はともかく、エメやトマがあらぬ疑いをかけられてしまうかもしれない。

後が怖いけど、ルイズに口利きしてもらって釈放してもらうか。

あいつたしか、姫さんからなんか許可証みたいなものもらってたし、なんとかなるだろ。

それに……

地に降り立ち自分たちを包囲しつつある竜騎士隊など目もくれず、才人は「煤火」のドニが消えた下町の空を一睨みする。

あの用心棒もアルビオンの間諜かもしれねぇしな。

才人はそう考えながら、次々と降りてくる竜騎士を見て怯えるエメとトマに心配するなと声をかけた。

結局、この後竜騎士隊によって貴族街の警備部隊に引渡された三人はコッテリと絞られる事になる。

一応連絡と確認をするために『魅惑の妖精』亭にやってきた隊員によって、ルイズが迎えに来た頃には朝になっていたのだった。





















「なんでこうなるのよ!」





早朝。

『魅惑の妖精』亭のとある一室。

部屋、というよりも屋根裏の物置きと行った風情であるその一室で、ルイズは思わず叫んでいた。

つい一週間前までは才人の腕の中で眠りから覚め、彼の匂いを胸に吸い込みながら伸びをして柔らかな朝日を浴びるべく

窓のカーテンを開くといった爽やかで穏やかな朝を迎えていた彼女である。

しかし、その日の朝は最悪のものだった。

まず、寝ていない。

これは地味にイラついて、とても不快なのである。

それから朝方まできわどい衣装に身を包み、身を粉にして働き続けた挙句客とのトラブルを重ね続けて

お給金どころか壊した店の備品の請求書を渡され、ひどく落ち込んでいた。

肉体的にも精神的にも疲労困憊になり、部屋に戻ると今度は才人がいない。

無人の部屋に足を踏み入れた時のルイズの落胆は非常に大きかった。

次いで、もしかしたらあの助けた女の子と一緒にいるのかもしれない、と妬心が湧き上がる。

あんにゃろ!

せめて、今日は頑張ったね、俺はルイズが頑張るところをちゃんと見ていたよって優しく慰めてもらおうと思ったのに!

あいつ、どこをほっつき歩いてんのよ!

涙目になりながらも激高して、思わず壁を蹴り上げた所でルイズの名を呼ぶ声が下から聞こえてきた。

スカロンが、一階の店の方から彼女を呼んだのである。

怒りが収まらぬまま再び店の方へ降りて行くと、今度は街の警備隊の隊員らしい若者が立っていて

事の顛末に心当たりがあるか威けだかに尋ねられ、アンリエッタに貰った許可証を片手に詰所まで案内、というか連行されたのだった。

少し乱暴に詰所に案内されたルイズがそこで見たものは、才人と昨夜の二人が警備隊の隊長に取調べを受けている光景ではないか。

よっと呑気な笑顔で挨拶する才人を見て、怒りと疲労が一気に押し寄せてくるルイズ。

話を聞けば、どうやら貴族街の近くで派手に暴れたらしい。

なにやってんのよ、こいつは。

女の子送っていくだけなのに、どうしてそんな事になってるのよ!

ルイズはきー! となりそうなのを必死に我慢しつつ、慇懃に対応をしていた部隊長に許可証を見せ

自分の身分と任務を耳打ちして明かし、才人を引き取ったのだった。

人が変わったかのように恐縮する隊長以下貴族街警備隊の面々の丁重な見送りを受けながら、ルイズは才人への怒りが

押し寄せる疲労と眠気によって萎えていく事を実感する。

……もう、いいわ。

今はとにかく、サイトの腕の中で眠りたい。

抱っこしてもらって、ぐっすりとあの固いベッドで眠りたい。

タバサやあのメイドの邪魔は入らないし、キュルケもちょっかい出してこないし、そう考えればあそこは天国よ。

私の私たちの、秘密の楽園。

うふふ、そんな二人きりの場所で2ヶ月も一緒に居られるなんて、なんて素敵なのかしら。

それに……

今は私も "平民" なのよね。

貴族じゃないもの、 "間違い" があっても別に不名誉な事じゃないわ。

そうよ、サイトだって毎日 "その気" になっちゃって、寝てる時なんてベッドの中で私の背中に "当たって" いるもの。

私がちょっっっと強引に誘えば、きっと拒めないわ。

うふ、ふふふ、そして、そしてそして、――! そ、そんな事をしろっていうの?! サイト、いや、そんな……

いつの間にか妄想という名の現実逃避を始めたルイズは、頬に両手を当て顔を上気させながら

朝もやのかかる通りで独り言を不気味につぶやく。

疲労と眠気が彼女を正常でない状態に導いていたのだ。





「ルイズ? おーい、エメとトマを自宅に送るから寄り道するぞー? 聞いてるかー?」


「ルイズさん、あんなに怒って口もきいてくれなく……」


「気にすんな。アレは怒っているんじゃない。たまに "こう" なるんだよ」


「そう、なのか? しかし、すごいなルイズさんは。よくあの頑固そうな隊長を説得できたなぁ。
 きちんとお礼も言いたいんだけど……元に戻らないのか?」


「そうね、わたしもちゃんとお礼を言いたいわ」


「まあ、今夜の仕事までには元に戻るだろ。さ、いこうぜ。おーい、ルイズー、行くぞー」


ダメ、よ、サイト、そんな……こんな格好、恥ずかしいわ……これじゃまるで





まるで、熱にうなされているかのようにブツブツとつぶやき、才人達の後に続くルイズ。

疲労と眠気が正常な思考を阻害し、器用にも歩きながら夢を見ていた彼女が現実に引き戻されたのは

『魅惑の妖精』亭に帰ってきてからである。

自室の扉を閉める音にやっと我を取り戻した彼女が見たものは、エメとトマの落胆した表情であった。





「……へ? なんでアンタ達がいるの?」


「は? ルイズ、お前大丈夫か? 一緒に見てたじゃないか」


「何を? えっ?」


「まったく……。しっかりしてくれよ。エメとトマの家が借金取りどもに派手に荒らされてて、大家に追い出されたんじゃないか。
 行く宛もないし俺らの部屋に泊めてやろうぜって俺が言ったらお前、『いい! いいわよ!』って言ってたの憶えてないのか?」





覚えてない。

というか、詰所を出たあたりから眠気と疲労で茫として記憶が曖昧だ。

覚えているのは、才人が私の足をつかんで……あんな、あんな格好で……





「おーい、ルイズゥー? 起きろー。だめだ、こりゃ。今日はこいつも頑張ったんだろうな、半分寝てら」


「……やっぱり、ご迷惑でしたら」


「いいっていいって。あ、トマ、スカロン店長に借りた毛布はそっち置いとけ。そこはネズミの巣の入り口あるから」


「うわああ! ね、ネズミはダメ! ダメダメダメ!」


「なんだよ男のくせに。大丈夫、食い物持ち込まない限りは悪さしやしねえよ。
 あ、コウモリの位置にも気をつけろよ? フンが降ってくるから」


「ひぃ?! 気がつかなかったけど、天井にあんなに沢山!
 ね、ねねね姉さん! やっぱり他を探そう!」


「他って、どこにそんな当てがあんだよ。コウモリもネズミもすぐに慣れるって」


「うるさい! 姉さんをこ、こんな場所で寝かせるわけには」


「あら。わたしは平気よ? トマの方が怖いんじゃなくて?」


「ねぇええさぁぁああん」





ぎゃあぎゃあと騒ぐトマと才人の声で、船を漕ぎ始めていたルイズがハっと起きる。

甘美な妄想の続きを夢の中で見ていた彼女は、現実に引き戻され再び落胆したのだった。

さ、最悪な朝だわ。

つぶやきは、騒ぐ二人の声にかき消されていた。

辛い任務だが、唯一の安息の場であり才人と二人きりで過ごせるのがこの部屋だ。

それが……

一夜明けると住人が一気に二倍にふくれあがり、しかも一人は女の子で忌々しい事に胸が大きい。

きっと、あのメイドよりも大きい。

下手するとキュルケよりも、大きい。

当然、私よりも大きい。

こんちきしょう。

ていうか、最近の才人の周りには常に女の影が見え隠れしているような気がする。

こいつ、背も高くないし、顔も今ひとつだし、ヒゲも生えてないし、どこにモテる要素があるのかしら?

私は好き、だけど。

いや、そうじゃなくて。

そういう話じゃなくて!





「どうしてこうなるのよ!」


「なんだよ、ルイズ。まーた話聞いてなかったのか?」


「聞いてたわよ! そこの二人が行く場所が無いから、この部屋で面倒みるって事なんでしょ?!」


「知ってるじゃねぇか」


「そうじゃなくて! せっかく、しばらくは二人きりになれると思ってたのに!」


「んな事言ったってなあ……」


「やはり、ご迷惑なようですから……」


「う、ぐ……べ、別に出て行けって事じゃないわ! ただ、私は……」


「まぁまぁ。ルイズ、お前疲れてんだよ。最近頑張っていたもんな?」


「そ、そうよ! 私ここのところ、すっごく頑張っていたんだもん」


「だよな。なあ、エメ。今夜は店に出るんだろ? 今日はひとまず寝ないか?
 昼頃起きて、スカロン店長に言われた店の掃除をしながら続きを話そう。
 ルイズもかなりつかれてて、話聞ける状態じゃないみたいだし」


「え? ……ええ、そうみたいですね。ルイズさんさえそれでよければ……」


「それでいいよな、ルイズ?」


「……納得行かないけど、それでいいわ。今はまともな判断が出来そうにないし」





半分目を閉じ頭を前後に揺らしかけながら、ルイズは答えた。

『魅惑の妖精』亭での仕事は、つい最近まで貴族生活を行っていた彼女にとってかなりきつい。

疲労も眠気も限界であった。

才人の提案は緊張のし通しだったエメとトマにも有り難いものだったらしく、毛布に潜り込んだ二人はすぐに寝息を立て始めた。

ルイズもいつも使っている足が折れ傾いたベッドに潜り込み、才人の腕を枕にしてようやく幸せな眠りにありついたのだった。



それから。

日が高く昇り正午を過ぎて、気怠い午後となった頃。

いつもより多くの人数で掃除を行われたフロアの隅の席で、ルイズとエメ、トマそれに仕込みを手早く終わらせた才人が座り

昨夜何があったのかなどを話していた。





「つまり、借金取りのメイジの用心棒が出てきて、貴族街の近くで戦闘になったってわけね」


「そういうこと。結構強い戦闘メイジでさ、妙な魔法を使ってたんだ」


「戦闘メイジが用心棒してたの?! あんたが油断したわけじゃなくて?」


「いんや、あれは戦闘メイジだったよ。普通のメイジに俺の奇襲を避ける事ができるとはおもえないし」


「戦闘メイジ、ってなんですか?」


「文字通り、戦闘に特化したメイジの事よ。
 大概は軍属だったりするんだけど、流石にこんな下町の用心棒をやってるなんて聞いたこともないわ」


「戦争やってる今なら特に、な」


「退役したメイジかなんかのアルバイトじゃないのか?」


「いんや、それはない。退役までいったなら十分な年金も出るし、それにあいつの声は老人のそれじゃなかったろ?」


「それもそうか」


「……なんにせよ、報告をしとく必要があるわね」


「報告?」


「あ! いや、こっちの話。それよりも――エメ、だっけ?
 あんたなんでまたそんな借金背負って危ない連中に狙われてるのよ?」





ルイズの問いに、エメは下を向いて黙り込んでしまった。

そんな彼女をトマは悲しそうに眺めている。





「言いたくないならいいさ。な? ルイズ」


「ダメよ、サイト。こういう事はキッチリしとかないと。あんたも成り行きとはいえ、二人のために命をかけて戦ったんでしょう?
 私も自分の使い……兄が傷つけられてこのまま黙っているつもりはないわ。地獄を見せてやるんだから」


「お、おい、そんな大げさな」


「本気よ? あんたの服、濡れてたけどあちこち燃えて出来た穴が開いてたじゃない。
 あんた相手に戦って、ちょっとやそっとの火の魔法じゃああはならないわ」


「は、はは……いいじゃないか、あれ、お前の服と一緒に買った安物だったし?」


「良くない! 見てなさい、絶対ただじゃ置かないんだから!
 と、いうわけでエメ。それと、トマ。あんたでもいいわ。事情を話してもらうわよ?」


「やめとけって、ルイズ。大体、事情を聞いてどうすんだよ?」


「決まってるじゃない。そいつらの居場所を突き止めて、まるごと吹き飛ばしてやんのよ!
 みてなさい、私のサイトに手ぇだしたらどうなるか、トリスタニア中の女の子が見えるくらい派手に爆砕してやるわ」





黒い陽炎のようなものを背にして鬼気迫るルイズの様子に、才人は戦慄した。

超怖い。

本気で怒っている。

ていうか、最後は何か別の意味に聞こえたのは気のせいだろうか。





「わかりました。事情をお話、します」


「姉さん?!」


「いいのよ、トマ。わたしのせいで、ルイズさんの大切なお兄さんが傷ついたもの。
 サイトさんは大丈夫って言ってたけど、あんな爆発に巻き込まれて無事なはずないでしょ?
 同じお部屋に泊めてもらうわけだし、話さないのは不公平よ」


「いいのか? エメ」


「はい」





エメは尋常ではない様子のルイズにすこし怯みながらも、意を決したように顔を上げそう言った。

そんな彼女を心配そうにトマは見ていたが、姉の決意を察してか何も言わなかった。





「すべては、このアザから始まりました」





そう言ってエメは立ち上がり、干草のような色をした普段着のボタンを外して胸元をあらわにした。

豊かな胸ときめの細かい肌が露出し、その左の胸元に鳥のような形の小さな赤い痣が見える。





「このアザは、『ロワゾー・クイ・シャンテ・ド・シャルム・ブルー(魅了の青い鳥)』というものだと、我が家に代々伝わっています。」


「青い鳥? このアザは赤いけれど……」


「わたしの家は元々はメイジの家系でして、当時はちゃんと青かったって聞いています。
 メイジ以外の血が混じって、段々赤くなっていったのだろうという話です」


「へぇ。エメとトマって元貴族だったのか」


「何代も前の話ですよ。わたしもトマも、生まれた時から平民で当然杖も握ったことは無いんですよ」


「で? そのアザと借金、どんな関係があるワケ?」


「なんでも、当時の私たちのご先祖様はこのアザを持つ人間の精神力を使う、特殊な魔具を使っていたらしくて。
 その魔具を今も研究していらしたとある貴族様が、ある日家にやってきたのです。
 どうもその魔具はこのアザを持つ人間にしか扱えない代物だったらしく、どうしてもわたしの力が必要だとか話されていました。
 しかし、ご先祖様がメイジだったとはいえわたしは魔法も使えない平民でしょう?
 変なトラブルに巻き込まれたくないですし、それを理由にお断りしていましたら今度は結婚を申込まれまして……」


「はあ?!」


「へ? なんでそうなるんだよ?」


「わかりません……。本気だったのかもしれませんし、単にわたしの協力がどうしても欲しかっただけなのかもしれません。
 とにかく、結婚を申込まれ、同時に法外な結納金も持参されて……
 それに飛びついたのが父様でした。」


「父様、ねえ」


「ええ、腐っても元貴族といいましょうか、わたしそういった教育は一応厳しく受けてたんですよ?
 ねぇ、トマ?」


「僕は男だから姉さん程厳しくなかったけどね」





トマは面白くなさそうに、エメの言葉に注釈をつけた。

一般的に元貴族が娘だけに厳しい躾を行うにはわけがある。

嫁の来てのない貴族が、貴族の血筋を持つ平民を妻に迎える事がごくまれにあるからだ。

元貴族の平民にしても、血筋が一部でも再び貴族籍の中に復帰するのでこういった事自体は珍しいことではない。

無論それではお家再興となるわけでもなく、更にその中で実際に貴族と結婚ができる者は殆いないわけなのだが。





「それで? 親父さんが結婚に同意したって流れなんだろ? 大金も手に入るし、借金なんてこさえる風にもみえねぇが……」


「ええ。そこまでは良かったんです。
 わたしも、お貴族様に嫁ぐことができれば生活も楽になるし、トマだっていい奉公先が見つかるかもしれませんから。
 ところが、ある日父様が誰に吹き込まれたのか貴族籍を買い戻すなどと言い出しまして」


「貴族籍を買うって、ゲルマニアのか?」


「いいえ。トリステインのです」


「ちょっと! それ」


「ええ、犯罪……といいますか、絶対実現できないことです。
 いくら元メイジの家系だとは言え、トリステインで貴族籍をお金で買う事など不可能でしょう?」


「まあ、な。平民だ貴族だって意識がすっげえ強いお国だし」


「でも父様は…… "確かな筋だから大丈夫だ!" と言い張りまして」


「それで? 結局買えたの?」





ルイズの問いに、エメは自嘲気味に笑って首を振った。





「もちろん、ダメでした。それどころか、ある日王宮の衛士隊がやってきて父様を連行して行きました。
 一応未遂だった事と、例の貴族様の口利きもあってお金も没収されただけで済んだのですが、莫大な保釈金を要求されまして……」


「それで借金に手を出したってわけか」


「はい……。父様を無事保釈できたのは良かったのですが、この一件でわたしと貴族様の婚約も駄目になりまして」


「そりゃ、そうでしょうね。平民を娶るだけでも世間体が厳しくなるのに、その上犯罪者の娘となると」


「おい、別にエメは悪くねえぞ?」


「貴族社会ってのはそうは思わないのよ。私だってエメが悪いとは思ってないわよ」


「いいんですよ、サイトさん。ルイズさんの言うとおりで、同じことを言われました。
 父様はせめて婚約だけでも思い直してもらえるよう、その貴族様のお屋敷にお願いに行ったのですが」


「が?」


「……あまりにしつこく頼んだのか、無礼討ちとしてその場で……」


「ひでぇ話だな」


「……辛いこと聞いちゃったわね」





気まずい空気が流れる。

特に本当は貴族であるルイズにとって、どこか居心地の悪い話であった。

そんな暗い空気を払拭するようにエメは少し明るい口調に戻して、形の良い眉をあげながら

逆にルイズを慰めるように話を続けるのだった。





「いいんです。欲に目がくらんだ父様が悪いんですから。
 そんな訳で、わたしたちには借金だけが残ったんです」


「そっか……」


「でも、なんかおかしくない?」


「何がだよ?」


「だって。その貴族は始めは魔具の研究をするためにエメの所に来たんでしょう?」


「はい……」


「で、なぜか結婚の話になって。
 そこからエメのお父様が無礼討ちされるまで、あまりに不自然よ」


「どこらへんがだよ?」


「話聞いてると、結婚そのものが魔具の研究の為でしょう?
 なのに犯罪者の娘だからって婚約破棄するだけならともかく、婚約破棄を思い直すよう説得に来たお父様を無礼討ちするなんて。
 それも、保釈金こそ出してはくれなかったけど、口利きまでしたそうじゃない。
 いくら貴族でも、一度助けた相手を普通そんなに簡単に無礼討ちなんてしないわよ?
 妾としてなら、とか借金を立て替えてやる代わりに実験に協力しろ、とかの方が余程自然だわ」


「うーん、そう言われてみれば……なあ、トマ。お前から見て、その貴族はエメに惚れていたか?」





話題を振られたトマは、端から見てわかりやすいほど不快な顔をしながら答える。





「いや、あいつの姉さんを見る目つきは、そんなものじゃなかった。他のメイジと一緒で、動物でも見るかなような印象だったよ」


「ふぅん。エメ、よくそんな奴の所にお嫁に行こうだなんて決心がついたな?」


「そりゃ、どちらかと言えばイヤでしたが条件がとにかく破格だったんです。
 生活も楽じゃなかったし、母様も早くに亡くなっていまして父様もあまり体が丈夫ではありませんでしたし……
 父様やトマの今後の生活を考えると……」


「ってことは、相手は結構お金持ちの貴族だったのね?」


「ええ。会計検査院という所の役人だと聞きました」


「ちょっ、それすごいエリートじゃない!」


「そうなのか? ルイズ」


「すごいもなにも、トリステイン王国の国家予算の収入支出をすべて監督する機関よ、会計検査院って。
 アンリエッタ女王陛下ですら、おいそれと人事を行えないほどの独立性をもっているのよ?」


「へえ」


「一部の特権貴族や税務院の収入収支も厳しく監督するから、そこに務めている貴族ってのは余程のエリートか
 代々専属で務めている門閥貴族位ね」


「あの方、そんなにすごい貴族様だったんですか……」


「ただの嫌味なやつにしか見えなかったよ」


「まあ、会計検査院なんて余程の大貴族か税務院に関わりが無いと知らない人が殆どでしょうね。
 平民がその名を聞いてもピンとこないのは仕方ないと思うわ。
 でも、ますます怪しいわね、そいつ。
 あそこに務めている役人が、実験の為に平民と結婚までしようとするなんてどう考えてもありえないわ」


「へえ、そうなんだ。しかし、ルイズさんは物知りだね」


「え?」


「ほんと。それにすごく、頭がいいし。わたしなんかより、ずっと貴族様みたい」


「そ、そんな事ないわよ?! ほら、お兄ちゃんなんてこんな、バカっぽい猿みたいだし!」


「そ、そうそう! こいつ、たまに鋭いけどいつもはもっとバカなんだぜ?
 手先もおっそろしく不器用だし、たまに寝てる時歯軋りするし!」


「うそっ?! 私寝てるときそんな事してるの?!」


「た、たまにな? ストレス溜まってる時とかやってるぞ?」


「うわぁ……それ、すごく凹むわぁ……」





再び、気まずい空気。

もっとも、今回は先程よりもはるかに呑気な雰囲気ではあった。

女性としてルイズに少し同情しているのか、いつもよりも更に遠慮がちにエメが話題を元に戻すべく口を開く。





「あ、あの……」


「あ、ごめんごめん。と、とにかくね? その貴族にしても、お父様の件にしても
 それに戦闘メイジを雇っている借金取りの件も、アンタたちの周りには色々と不自然な事が多すぎるわ。
 私にちょっとした "ツテ" があるから調べてあげる」


「ほ、本当ですか?!」


「ええ。もしかしたら助けになるかもしれないし。
 それにこっちとしても、正直何時までも部屋に居座られちゃ困るしね」


「俺は別に困らないぞ?」


「私がヤなの! 折角二人きりで過ごせると思った矢先にまったく……


「良かったね、姉さん!」


「ええ! これもきっとブリミル様のお導きに違いないわ!」





手を合わせ、喜ぶ二人を見てルイズは拗ねた表情を崩し、一瞬柔らかに微笑んだ。

どんなに不本意ではあっても、やはり善行は心地よい。

いい事をして感謝されるのも悪くないわね。

そう思いなんだか心が軽くなったように感じたルイズは、ある事に気がついてしまう。





「ちょっと! あんたはいつまでエメの胸元を見てるのよ!」


「え? ――あ!」


「貴様!!」


「ま、まて! 誤解だルイズ! お、おちつけ!」





慌ててはだけた胸元を元に戻し、顔を赤らめるエメ。

気色ばみ、才人に殴りかからんと立ち上がるトマ。

ただならぬ殺気を感じてトマよりも一足早く立ち上がり、逃げる体制を取っていた才人。

そんな彼の裾を神速の速さで掴んだ、少々寝不足でイライラしていて、最近胸がらみの事では過敏になっているルイズ。















丁度その時店に顔を出したスカロン店長が聞いたのは、ルイズのお仕置きによって才人があげた断末魔の叫びであった。






















[17006] 5-5:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄4
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/03/27 20:32










平賀才人が貴族街の近くで「煤火」のドニと遭遇してから四日程過ぎた。





王都トリスタニア・チクトンネ街にある酒場兼宿『魅惑の妖精』亭では、女の子たちが客から貰うチップの額を競い合う

「チップレース」が始まり才人とルイズは其々に忙しい日々を送っていた。

才人はいつもよりも少し早めにベッドから起きだして、手早く仕込みと店の掃除を行い空いた僅かな時間を利用して店を後にする。

デルフを片手に日課となりつつある、トマの特訓の為だ。

日がそこそこに傾き、二人がいつも利用している路地裏の突き当たりは既にかなり暗くなっている時刻である。

なぜトマの特訓を行っているのかと言うと、少し複雑な状況となったが為だ。





「妙な事になったわ、サイト」





キッカケは才人がエメの胸元を凝視して、ルイズに手酷くお仕置きを受けた日の翌翌日。

王宮からの伝書フクロウから受け取った書状に目を通していた彼女は、美しい眉根を寄せながらそうつぶやいた。

時刻は夕方の六時。

サン・レミ聖堂の鐘が鳴る、中央広場である。

二人が居を構えている『魅惑の妖精』亭の二階は、現在エメとトマが一緒に住んでいる為

王宮との連絡のやり取りは、外で行うようになっていたルイズであった。





「妙なこと?」


「そうよ。一昨日あんたが言ってたメイジの事、王宮に報告したのよ。
 その顛末について、姫さま直々のお言葉でこれに書いてあるわ」


「へぇ。やっぱアイツ、アルビオンのスパイかなんかだったのか?」


「スパイ?」


「ああ、えっと、密偵の事。地球じゃそう呼ぶんだ」


「ふぅん。ま、それはどうでもいいわ。えっとね、これによるとどうもわからなかったみたい」


「わからない?」





ベンチに腰掛けるルイズの前に立っていた才人は、彼女の隣に腰掛けながら片眉を上げ首をかしげた。

ルイズは書状から目を離し、険しい表情のまま才人の方を向いて頷く。

ピンクブロンドの髪が夕日を浴びて赤毛のようになり、服装も平民が着る粗末なものであったが

変わらぬ彼女の美貌に才人は思わず見蕩れてしまい、胸が一瞬だけ高鳴った。

そんな才人の様子に気付かず、ルイズは話を続ける。





「ええ。私の報告を元に、早速あの二人にお金を貸していた商人の館に魔法衛士隊を派遣したようなのよ」


「うん」


「で、違法な営業実態の証拠とか出てきて、商権や資産の没収を行ったまでは良かったんだけど
 肝心の用心棒メイジが何処かに消えてしまっていて捕まらなかったそうなの」


「あちゃあ。逃げられたか?」





言葉に、ルイズは首をゆっくりと振った。





「ううん。それが少し変なのよ」


「変?」


「うん。そのメイジの行方を更に調査をしようとした衛士隊にね、横槍が入ったみたいなの」


「横槍?」


「そう。それも、高等法院からよ」





高等法院とはトリスティン王国の司法を司る機関である。

貴族たちの裁判なども取り扱うその性質上、表に裏に様々な権限を与えられている。

普段はあまり表立って警察権に介入する事は無いが、高等法院の介入自体は決して珍しいことではない。





「なんでそんな所から横槍が入るのさ」


「さあ? ただ、そのメイジは法院直属の組織で追うから手出し無用とだけ一方的に通達されたようね」


「ふうん……」


「姫さまからの書状には、あっちでもう少し詳しく背後関係を調べてくださるようだけど
 私にももう少し詳しく調査をするようにって書かれていたわ」


「詳しくって、あのドニとかいう用心棒は雲隠れしちまったんだろ?
 エメとトマに金貸してた商人もしょっ引かれたんだし、これ以上なにを調べろっていうんだ?」


「まだエメの元婚約者の貴族の件や二人のお父様の件が残っているわ。
 情報が少なすぎてこの二つの調査にはかかれないらしいの。せめて、貴族の名前だとかわからないと。
 それに、これは私の勘だけどエメ達はこれからもなんだかんだと理由を付けられて襲われると思うのよ」


「……だな。話聞く限りすっげえ胡散臭かったもんな」


「放っておくわけにもいかないし、何時までも私たちの部屋に居座られるのもヤだしね。
 私も何時までも外で文書のやり取りをするわけにもいかないし。
 だから、なんとしてももう少し詳しい話を聞き出さないと」


「そんなもん、お前が直接エメに聞けば済むじゃないか」


「だめよ。あんまり根掘り葉掘り聞いて、私の素性がバレちゃったら意味ないじゃない。それに」


「それに?」





返事は直ぐには返っては来なかった。

ルイズは険しい表情に少しだけ拗ねたような感情を追加して、唇を尖らせ僅かに下を向く。

それでいてどこか、サイトに甘えるような雰囲気を滲ませた。





「……あの子、チップレースのライバルだもん。昨日だって二位になってたし。
 変に親切にしておいて、もし私が勝ったら疑われちゃうじゃない」


「……一応、聞くが。お前今何位?」


「……最下位」


「する必要のない心配なんじゃないか、それ」


「そんな事無いわよ! 見てなさい、絶対に一位になってやるんだから!」


「わかった、わかった。じゃ、俺がどうにかして詳しい事を聞き出せばいいわけなんだな?」


「うん、そ。お願い出来る?」


「いいよ。俺がエメにでも直接聞いとくから」


「ダメよ!」


「何でだよ?」


「……あんた、あの子の胸ばかり見るじゃない。そんなの、嫌よ」





才人から視線を逸らし、バツが悪そうに足をプラプラさせながらルイズは言った。

超かわいい。

ナニコレ?

ニヤけると確実に鉄拳制裁を受けそうな雰囲気の中、才人はルイズの言葉に感動を覚えた。

彼女が素直な物言いをする事など、あまり無いからだ。

ルイズにしてみても折角の二人きりの時間ということもあり、精一杯才人に甘えようと考えた結果でもあった。

夕刻の中央広場。

ベンチに座る男女の会話は秘密の任務についてから、いつの間にかありふれた恋人同士の会話に変わっていた。

少し間を置いて、才人ははっと我に返り慌ててルイズの言葉を否定する。





「そ、それはだな! 男として、仕方ないというか、本能だというか」


「――やっぱ、大きい方が好き?」





才人は更に戸惑う。

それまでのルイズならば、何が本能よ! と叫びつつ蹴りの一つでも飛んできていたからだ。

痛いことは痛いが、それで終わりなので才人にとっては楽なものだった。

しかし、今のルイズは。

逆上して "加速" 付きの蹴りを放ってくるどころか、なんと会話の変化球を投げてくるではないか。

やはり『魅惑の妖精』亭での労働はルイズにとって、 "色んな意味で" 得るものがあるらしい。

唇を尖らせながら少し上目遣いに才人を見つめ、不安げに答えを待つルイズを見て才人は内心ドキドキとしながらもそう考えた。

それから、彼女が求めているであろう解答をいかに嘘偽りを交えずに答えられるか思考を巡らせる。

例え本心からでも大きい方が好き? と聞かれてうん、大好き! などと答えるほど、才人も阿呆ではない。

なにより、居心地の良い甘い雰囲気が才人の思考をフル回転させた。





「そ、そんな事はないぞ!
 ああそうさ! 俺は、ルイズのが一番だ! 大きかろうが、小さかろうが、とにかくルイズのが一番!」


「ほんと?」


「ほんと!」


「えへへ、――ん!」





答えは正解であったらしい。

ルイズは嬉しそうな表情を浮かべ、遠慮がちに才人の手と自分の手をベンチの上で重ねながら微笑んだ。

そして、ご褒美とばかりに彼女は目を瞑り、口を僅かにすぼめて才人に突き出す。

耳まで赤く見えるのは夕日のせいか。

全く余裕の無いその表情はどこか滑稽に見えはしたが、彼女の美貌を損なう要素は何処にもない。

やがて中央広場のベンチに座る男女の長く伸びた影は、ゆっくりと僅かに重なるのであった。







と、いうわけで。

エメが駄目ならば同じく事情を知るトマに聞くしか無い才人は、広場から『魅惑の妖精』亭に帰った後

直ぐにトマを捕まえて剣の特訓を申し入れたのだった。

勿論、情報入手の為の口実である。

トマはその申し入れに怪訝な表情を浮かべはしたが、思う所があったらしくこれを了承しその日から二日経った現在に至る。

特訓は夕方と宵闇の間の時刻、人気のない狭い路地裏の突き当たりで行われていた。

日はまだ沈んではいなかったが、建物が密集した路地にはうっすらとしか光は届いていない。

その暗い路地裏の突き当たりで二人はその手に獲物を持ち、対峙する。

トマは抜き身の愛剣を手に。

才人はその辺に転がていた、折れた物干し竿か何かの棒切れを手にして。





「おい坊主! どうせ当たりゃしねぇんだから振り回す事じゃなくて突く事だけに集中するんだ!」


「わ、わかってるよ! 少し黙ってて、気が散るじゃないか!」





トマは才人から目を離さずにそう言って、強く柄を握り直した。

教師は才人……ではなく、デルフである。

才人が教えようとしても何かと反発するので、デルフが口を出し才人が練習相手になるという構図が出来ていたのだ。

二人の距離が緊迫した空気を纏ってジリと縮まる。

才人は半身で棒切れを構え、トマに向かって突き出している棒切れを僅かに上下に揺らしてみせた。

挑発するように、だ。

トマはそれを合図として、疾風のように両手に構えた剣を突き出す。

気合の篭もったその一撃は、果たしてやすやすと横へ回避されてしまった。





「ここだ!」





しかし。

トマもそれを予測していたようで、回避された突剣をピタリと止め、才人が回避した方向へ横に薙いだ。

剣は抜き身。

当たれば大怪我は免れない。

才人が持つ、棒切れ程度で防げる一撃でもない。

トマの顔に浮かぶ表情は勝利の確信か、気に入らない相手を負傷させる期待か。

直後にギィン! と狭い路地に響いた金属音が、そんな彼の表情を曇らせた。

剣が路地を構成する石造りの壁に当たったからだ。





「だから、振り回すなってデルフが言ってただろ? ただでさえ狭い場所だってのに」





ぽこん、と音がして才人の棒切れがトマの頭に振り下ろされた。

間抜けな音の割には痛かったようで、トマは痺れる手から剣を落としてしまい頭を両手で押さえながらその場にしゃがみ込んでしまう。





「おい坊主! アイデアは悪かなかったが、避けられる事が前提の突きなんて壁にしか当たんねえぞ!」


「ううう、くそ、殺ったとおもったのに……イテテ」


「……殺気だけは一人前だったな」


「いいか、坊主! 最初の突きだけに集中するんだ。他は考えんな」


「で、でも……」


「でももクソもねえや! 手前みたいな素人が考えて剣振ってもオーク鬼一匹にも勝てやしねえよ。
 いいか? 下手くそ程剣を振り回したがるがな、体力も力もねえ坊主が振ったところで相手をまともに斬れやしねえんだ」


「うぐ! そ、そこまで言わなくても……」


「なんだあ? 違うとでも言うのか? さっきの一撃がもし相棒だったらその壁ごと相手をたたっ斬っていたぜ?」


「そんな大げさな……」


「あぁん? ド素人の癖に口だけは一人前だな坊主! なんなら試すか?」


「その辺でやめとけ、デルフ。他人様の家の壁をぶった斬るワケにもいかねぇだろ。
 トマ、続きだ。今度はもっと腰を落として膝の位置に剣をかまえてみ?
 そこから相手の胸の辺りを狙って少し上向きに突くんだ。下からの突きってのは結構避けにくいもんなんだぜ?」





そう言って再び棒切れを構える才人。

トマは悔しそうにデルフへと視線を投げかけながらも、才人に言われたとおりに構えて隙を窺う。

気合と敵意を表情に込め眉根を寄せて口の端を固く結んでいても、端正なその顔立ちを損ないはしない。

日がいよいよ傾き、段々と暗くなりつつある路地裏が更に暗くなっていく。

緊張が二人の間に張り詰めて行き、沈黙が――





「きゃあ! トマ、がんばってぇ!」
「そんな猿、さっさとやっつけちゃえ!」
「そうよ! さっきからエラそうに威張っちゃって!」
「あぁん、こっち向いてぇ」


「……なあ、デルフ。俺、泣いていいよな?」


「気にすんな、相棒! 相棒の魅力は俺が一番わかっているからよ」


「慰めになってねえよ……」


「こ、こら! 訓練に集中してくれよ!」


「そうよそうよ! 真面目にやんなさいよ!」
「ちょっと強いからっていい気になってるのよ」
「やぁねえ」
「トマくぅん! こっち向いてえ! 今夜、アタシん所こない? お代はいいからさ!」
「あ、ずーるーい!」





一瞬の沈黙は、トマへの黄色い声援によってかき消されてしまった。

それ所か張り詰めた緊張までがふにゃりととけてしまう。

路地を構成する片方の建物が娼館でもあり、仕事前の娼婦達が二階の窓から才人達の様子を好奇の目で見物していたのだった。

特に、トマは紅顔の美少年である。

端正な顔立ち、ブラウンの大きな瞳に女性もうらやむようなキメの細かい肌とサラサラの髪を背に伸ばして後ろで縛り、剣を振るう。

輝く汗。

雄々しく叫ぶ気合の声。

その様は平民達の間で普遍的な英雄像である、イーヴァルディの勇者を思わせる凛々しい出で立ちだ。

もっとも、彼の相手を務めている人物こそイーヴァルディの勇者本人であるのだが。

まるで絵画のようなトマの姿は、直ぐに噂となり時を経るごとに見物人の女の子の姿が増えていた。

当然、彼への声援も増え続け、才人への罵声も増え続けている。

ちなみに才人の評価は「偉そうな猿」である。

才人はもう小一時間程も彼女たちの謂れなき罵倒に耐えながら、トマとの訓練を行っていたのだった。

あらゆる敵と対峙し、傷つくことも恐れず戦い抜いた強い心が遂にこの時折れてしまい、地面に座り込んでのの字を書き始める才人。

実に惨めな姿である。

伝説の勇者となった者の成れの果てだとは、誰も思いはしまい。





「いいんだ、俺にはルイズがいるんだもん……」


「お、おい! 立てよ! 剣の稽古付き合ってくれるんだろ?!」


「あ~、坊主、相棒がこうなっちまったらもうダメだ」


「そんな……」


「これでもよくもった方だぜ。今朝寝付いた時なんてコッソリ泣いてたもんな」


「ううう、ルイズ……」





トマは半泣きでしゃがみ込む才人を暫く見ていたが、不意に構えを解いてはぁ、と深くため息を付いた。

この日はこれでお開きだと理解したらしい。





「まったく、凄いんだか情けないんだかよくわからない奴だな、あんた」


「凄いに決まってんだろ坊主! 相棒をバカにすると承知しねえぞ!」





デルフがカタカタと鍔を鳴らしながら凄む。

肩を竦めながらトマは、うずくまり地にのの字を書く才人にもう一度視線を投げた。





「そりゃ、あのメイジと戦ってる姿は格好良かったし、凄いと思ってたけど……」


「ったりめぇだ坊主!」


「だけど今の姿見てると……」


「ふん! こう見えて相棒は繊細なんだ! おめえみたいなハンサムに、ブ男の気持ちがわかってたまるか!」


「デルフ……何気にお前も酷いぞ……」





ジロリと壁に立てかけた抜き身のデルフを睨む才人。

恨みがましい視線にデルフは先程と同じようにカタカタと鍔を鳴らして答えた。

才人は気を取り直して立ち上がり、デルフの柄を乱暴に掴んで手早く鞘に収める。

それから、トマに向き直り今日はここまでにしておこうと力なく口にしたのだった。





「なんでだよ? もうちょっとくらい、僕に付き合ってくれたっていいだろう?」


「大分暗くなったし、そろそろ戻らなきゃ。俺も仕事あるんでな」


「ううむ……」


「悪いな、また明日付き合うから勘弁してくれ」


「ちぇ。わかったよ、『魅惑の妖精』亭に戻ろう」


「……明日は、別の路地でいいか?」


「……うん。僕もここは、居辛い」


「あぁん、もう終わり?」
「トマ~、また明日も来てね!」
「まってるからね!」
「なんだったら店に泊まっていってもいいのよ!」





二人は勝手気ままに投げかけられる黄色い声によって追い立てられるかのように、そそくさと路地裏の突き当たりを後にした。

辺りはすっかり暗くなり、狭いを作り出している建物の窓からは柔らかな光が漏れ出している。

ゴミが散らばる小汚い道を、チラホラと酔っぱらいが千鳥足で歩く姿も見受けられた。





「っちゃあ。すっかり暗くなっちまったな」


「あんたが変にイジけているからだ」


「ンなこといったってさあ。」


「なんだよ、女の子の声援位で落ち込んだりして。これでも少しは見直してたのに、幻滅したぞ?」


「ウソこけ。お前、俺の事最初から認めてねぇし」





言葉に、才人の隣を歩いていたトマの歩みは止まった。

数歩歩いてから同じように歩みを止めた才人が何事かと振り返ると、意外にもトマは真剣な表情で才人に視線を合わせて来たのだった。





「んだ? どうした? 腹でも痛いのか?」


「……確かに、僕はあんたを認めていなかった。あの、夜までは」


「ん? ああ、あのドニとかいう用心棒とやりあった日か」


「うん。あの夜の出来事は今でも信じられないんだ……」


「あにがだよ?」


「平民が……魔法を使えない人間が、あんな強いメイジを追い払うことが出来るなんて……
 なあ、一体、どうやればあんなに強くなれるんだ? どうやったらあんたみたいに戦えるんだ?」


「どうやったらって……俺の場合は特殊だしなあ」





トマの突然の質問に困惑する才人。

そんな彼にトマは更に真剣な表情で詰め寄る。

近くで見るトマの顔はどこまでも整っていて、同じ男でもここまで違うのかと知らず才人を落ち込ませた。





「なあ、教えてくれよ。僕はもっと強くなりたいんだ。あんたはとても強いし恐れも知らない。
 どうやったら猿のようにすばしこく動いて、オーク鬼のような力が出せるようになれるんだ?」


「ははは、ホメられているのになぜか傷つくな!」


「僕は真面目に聞いているんだ。頼むよ」


「どうやったらって、言われてもなあ。俺の場合は……うん、そうだな。俺の場合はな、トマ。呪いをかけられているんだ」


「呪い?」


「そ。タチの悪い魔女にとっつかまってな。病気を治して貰う代わりに、妙なトラブルに巻き込まれる呪いをかけられたんだ」


「……僕をバカにしているのか?」





十人が聞けば十人がホラだと判断を下すであろう才人の話に、トマは少し気色ばんだ。

才人はそんなトマの様子になれた調子で、真面目な表情のまま続ける。





「いんや、本当の話さ。妹のルイズに聞いてみてもいいぜ? でな、呪いの副作用でとんでもない力を出せるようになったって訳だ。
 もっとも、剣自体はその前からある人から教えてもらっていたけどな」


「そうだったのか……にわかに信じられない話だけど、あの夜のあんたを見ているからなぁ。取りあえずは信じてやるよ」


「それよりも、あんたってのやめてくれよ。サイトって呼び捨てにされた方が余程マシだ」





才人の意外な申し出にトマは一瞬目を白黒させたが、直ぐに我を取り戻しニヤリと笑った。

本人は意地悪く笑っているつもりだったのかもしれないが、嫌味のないその笑みはどこまでも爽やかだ。

トマは才人に詰め寄ったまま、更に近くへと身を寄せ胸を張る勢いで才人の体を押した。

それから手を腰に当て、才人よりも頭一つ低い体を反らしながら虚勢を張るように顎を突き出す。

挑発するかのようなその態度は憎らしさよりも少年の悪ふざけといった感が強く、ブラウンの瞳に映り込む建物の灯火が

その印象をさらに引き立てた。





「じゃあ、サイト。ついでに聞きたいんだけど……あんたとルイズさんて一体何者なんだ?
 ルイズさんが "ツテ" とやらに連絡をとった途端、あの借金取りは来なくなるし、貸金の商人は捕まるし」


「……しがない平民の兄弟さ。ただ、ちょっとした "コネ" があるだけの、な」


「ふぅん? なんだかすごく、胡散臭いな。大体、兄妹なのに "俺はルイズ一筋だ" とか言っちゃうマヌケだけど手練の兄に
 数日で悪徳商人を潰せる人物にコネを持つ妹って、怪しさ満点じゃないか」


「マヌケは余計だバカ」


「うるさい、マヌケ」


「明日、覚えてろよ。こってりシゴいてやからな」


「ふん、余裕見せて僕に真剣を持たせた事を後悔させてやる」


「……お前、マジで刺しに来てるよな?」


「当たり前だ。サイトならそれくらいやっても問題ないんだろ? 僕にだって、それくらいわかってるさ」





いつの間にか互いの額を押し当てながら軽快に罵り合う二人。

互いに歯を剥き口の端を釣り上げながら威嚇しあうその様は、まるで仲の良い兄弟のようでもあった。

才人は弟が居ればもしかしたらこんな感じなのかもしれない、などと思いつつも頃合いかと判断して不意に一歩下がる。

急に支えを失って多々良を踏むトマに、才人は今まで切り出しかねていた交渉を行うことにしたのだった。





「……なあ、トマ。交換条件といかないか?」


「とと、何をだ?」


「お前達を助けてやる。そのかわり、お前達の事を詳しく教えてくれないか?」


「いきなりなんだよ? それに、なんでそんな事を知りたがるんだ? サイト、あんた本当に一体何者なんだ?」


「……言えない。ただ、悪いようにはならないと思うぜ? お前、俺に剣を習う気になったのはエメを守りたいからだろう?」


「それは……」


「この前の話し聞いてりゃ、金返せば丸く収まるような状況じゃないって俺にでもわかるさ。
 お前のさ、一人前の男として姉さんを守りたい気持ちってのはよくわかる。
 だけどな?
 何でもかんでも一人でなんとかなると思うのは間違いだ」


「でも、僕は――」


「この前の夜だってそうだ。あのメイジにお前が殺されてたら、誰が一番悲しむと思っているんだ?」





才人の話にトマは出しかけた言葉を飲み込んだ。

トマは視線こそ逸らさなかったが、口の端を結んで眉を寄せる。

後悔と悔しさを滲ませるその顔に、才人は柔らかく微笑みながらトマの頭に手を置いた。





「誰かを守りたくて、無茶しちまうのもよくわかるさ。俺もそうだし。
 だけどさ、やっぱ無理をして守りたい奴泣かせるのはすっげえ辛いんだ。
 それに今お前が、エメが抱えている "モノ" は多少剣を覚えてどうにかなるようなもんじゃないんだろ?」


「そうだけ、ど……でも……」


「トマ、俺が助けてやる。男の約束だ」


「男の、約束……か」


「ああ、そうだ。ダメか? 俺じゃ、頼りないか?」





言葉に、トマは視線を伏せて暫し考え込む。

腰に当てていた手もだらんと力なく垂れ、細い肩からは先程までの威勢が感じられない。

辺りはすっかり夜となり、狭い路地を酔っぱらいやこれから酔うであろう男達がけたたましく行き交い始めていた。

路地に多くある小さな酒場からは陽気な歌声や笑い声が聞こえてきて、トマの沈黙を一掃際立たせる。

やがて。

トマは意を決し、顔を上げた。





「わかった。あんたを……サイトを信じるよ。だから、頼む。僕らを……姉さんを助けて欲しい」


「ああ、勿論だ。詳しいことはルイズと一緒に聞かせてくれるか?」


「わかった。取りあえず『魅惑の妖精』亭に戻ろう。随分と仕事に遅れているみたいだし?」


「……ああ。みたいだな。なんせワザワザお迎えが来る位だから、余程忙しくなっちまってるみたいだ」





才人とトマはそう言って、顔を見合わせて笑った。

二人が戻した視線の先にはルイズがお店の衣装に身を包み、必死の形相で走り寄って来る姿が見えていた。





「せぇ、ぜぇ、サイト、遅い!」


「悪り。ちっとトマと話し込んじまった。だけど、収穫あったぜ? 後で話を」


「何、呑気な事言ってるの、よ! そんなの、あと! エメが、ゼェ、妙なメイジに」


「姉さんが?! どうしたんですか!?」





血相を変え、まだ呼吸も整わないルイズにトマは詰め寄った。

ルイズは無理繰りに呼吸を落ち着かせながら、乱暴に肩を掴むトマを押しのけ言い放つ。

トマにとって、最悪な事態を告げるために。

エメを救うために。










「エメがメイジにさらわれたわ!」


















[17006] 5-6:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄5
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/01 07:19









王都トリスタニアをぐるりと囲む城壁の北西に広がる森の中、その屋敷はひっそりと佇んでいた。





貴族街から行き来できる郊外の森は、貴族のみならず王家の人間も乗馬や狩りに利用する場所でもある。

広大な森の中にはトリスタニアに居を構え王宮で働く貴族の別荘も点在しており、平民の森野への立ち入りは許されてはいない。

貴族の間ではここに別荘を持つことが一種のステータスとなっていて、エヴラール・バルビエ副伯の別荘もまたこの森にあった。

彼の屋敷は王家の狩場から比較的離れた南の端にあり、館もそれ程大きくはない。

最も、この森に構える別荘の規模は階級によって王家から厳しく制限されており、副伯である彼の財力が乏しいわけでもない。

貴族間……特に大貴族達が豪華絢爛な別荘を建てそれが競争を呼び、著しく森の景観を損なってしまった時代があった名残である。

別荘をもつにあたり、より王家の狩場や避暑用の別荘に近い場所程高い身分を要求されるのも、王族が乗馬や狩り、避暑に訪れた際

自分の屋敷に立ち寄ってもらえる栄誉を得る機会が増えるためだ。

魔法の才を認められ、異例の出世を重ねて会計検査院に抜擢されたエヴラール・バルビエは、古い家柄と高い財力を有し遂にはこの森に

別荘を構えるなど貴族として申し分のない人生を送ってきた。

唯一副伯という古い系譜だが低い地位が為に、このような森の端に別荘を建てざるを得なかった事だけが彼の矜持を些か傷つけていたのだが

その夜バルビエ副伯は不本意な広さの別荘に在って、上機嫌でベッドに横たわる薄汚くも美しい平民の娘を眺めていたのだった。

部屋は狭くも豪華な装飾品に溢れ、黄金で出来た魔法の燭台により柔らかに灯りが薄暗く寝台に横たわる女の髪を照らし出している。

その傍らに立つ館の主は、ベッドで眠る彼女のウェーブがかかった短いブルネットの髪を愛しそうに一撫でした。





「エヴラール様。やはり、些か強引では無かったのでしょうか?」





声は狭い部屋の入口の方から。

豪華な室内にそぐわない黒いマントを羽織った男が、その部屋の入口の扉の前に立ち館の主に問いかけた。

女の髪を撫でるバルビエ副伯は手を止め、男に向き直る。

四十に近いその深緑の髪は白髪が混じり、体躯は太ってはいないものの入り口の男よりもずっと小さい。

副伯は細い目とよく手入れされた口ひげ、何かの薬品によって後ろに撫で付けられた髪が神経質な印象を見るものにあたえる容姿であった。

一方、バルビエ副伯に声をかけた男は深く黒いローブを羽織り、その顔おろかどのような格好をしているのか判別がつかない。





「構わん。どういった経緯かわからんが、王宮が色々と嗅ぎまわり始めたからな」


「やはり先日私が報告した者が、王家の間諜であったのでしょうな」


「うむ。あの日の翌日、早速例の商人の元にヒポグリフ隊が派遣されておったしな。
 平民の申し出程度で王宮直属の部隊が動く事はまず無い。間諜であったと見て間違いはなかろう」


「しかし、そうであれば何故殊更このような強引な手で? 僭越ながら、娘をこのタイミングで攫うのはかなり不味かったのでは」


「あの商人から私の名が表に出ることは無いが、この者からは私の名が表に出る恐れがある。
 それに、リュシモン殿から計画を急ぐようにと釘を刺されたばかりだしな」


「では……」


「そうだ。明日の夜、作戦を決行する。 "青い鳥" でないのが残念だが、どうせ使い捨てだ。問題はないだろう」





そう言ってバルビエ副伯はベッドに横たわるエメの胸元に手をかけ少し強引に引いた。

際どい『魅惑の妖精』亭の衣装に身を包んだ彼女の胸元はアッサリとあらわとなり、大きな乳房が二つ外にこぼれ出す。

男であれば誰もが鼻の下を伸ばし息を呑むであろうその光景に、バルビエ副伯は奥歯を噛み少し忌々しそうに彼女の胸元を見ていた。

そこには小さな、赤い鳥が翼をひろげている。





「 "魅了の赤い鳥" (ロワゾー・クイ・シャンテ・ド・シャルム・ルージュ)。シャルム・ブルーでないとは言えホンモノだ。
 不完全なまがい物ではあるが、 "血脈" を持つ事にはかわりあるまい」


「 "予備" の方は良かったのですか?」


「 "魅了の青い鳥" は甘くさえずる為、その多くは一族の女に宿るとある。
 それにどうせ一度きりの勝負だ、痣があるかどうかもハッキリしない弟にはそこまでの価値はない」


「わかりました。出過ぎた真似をしまして申し訳ございません」


「いい。お前はよくやってくれている。ドニ、それよりも気がかりは王家の間諜だ。
 お前が殺し損なったのだから、かなりの使い手なのだろう?」





窓の無い室内で、ゆらりと影が揺れた。

黒いローブの男は、その影よりも暗い色の感情を吐露するかのように間をおいて低い声で主の問いに答える。





「は。メイジ……かどうか判別がつきませぬが、私の炎では傷を負わせられませんでした」


「ほう……あれをどうやって防いだのだ?」


「いいえ。まともに受けた上で立ち上がって来たのです」


「ふむ……体の中に水の精霊を飼っているのか、もしくは先住魔法で治癒能力を高める魔具を埋め込んでいるのかもな」


「そうだとしたら厄介ですな。
 戦闘に特化したメイジの中には体内に先住魔法ゆかりの品を仕込み、杖を持たず任務にあたる者も珍しくありませぬ故」


「なに。お前の炎を最大でくれてやれば恐らくは殺せるであろう。やりようはあるのであろう?」





更に影が揺れる。

主を前にして、影の主は激しい殺意を此処にはいない誰かへと放った。

生暖かい室内の空気は湿り気を帯びたかのように、ほんの少しだけ息苦しさをましたかのような錯覚をバルビエ副伯は覚えていた。





「は。街中では騒ぎを大きくしてしまいますが、ご命令とあらばいくらでも」


「ならば次は確実に仕留めろ。何、騒ぎになった所で問題はない。
 いずれにせよ、作戦の決行は明日だ。街で多少暴れようと、次があるならばもはや些事であろうよ」


「は」





声の色は歓喜。

強敵と存分に戦えるという想い、血の匂いを欲する狂気、主の命を遂行せんとする忠義を交えて影は崩れ落ちるように跪く。

そんな影の圧力に息苦しくなたのか、ベッドに横たわり胸をはだけているエメが艶めかしくうめいた。





「ふむ。眠れる鳥が目を覚ますようだ。ドニ、私はこれより仕上げに入る。
 お前は屋敷の周りを固めよ。
 弟の方は私の名を知っているが、それを元に王宮が衛士隊を動かすには今暫くの時が必要となるはずだ。
 万一だれか邪魔者がここへやって来るとすれば、恐らくはその腕利きの密偵であろう」


「では……」


「もし来たら必ず殺せ。目的を王宮に悟られる可能性を残す訳には行かぬ。
 弟の方も居たら殺して構わん。部下のメイジにもそれは徹底させろ」


「かしこまりました。それでは、早速」





言葉を残しドニは音も立てず部屋から出て行った。

残されたバルビエ副伯はその場で体の向きだけを変え、ベッドの上で眠りから覚めつつある女の姿を凝視する。

やがてその大きなブラウンの瞳を覆う瞼がゆっくりと開かれた。





「う……ここ、は……」


「目が覚めたかね?」


「あなたは、エヴラール様……ここは……わたし、えっと……
 ――きゃあ!」





目覚め上体を起こしたエメは直ぐにはだけられた胸元に気がつき、両手で胸を隠しながらバルビエ副伯に背を向けた。

ベッドの上、急いでたわわな乳房の下に潜り込んでいる服を上にずり上げるエメに、副伯は何事もなかったかのように声をかける。





「終わったらついてくるがいい。見せたいものがある」


「エヴラール様、わたしは……」


「夜が空ける頃にはすべてが終わる。お前の知りたい事にもすべて答えてやろう。
 ただし、私がお前に見せたい物を見せた後でな。 "赤い鳥" よ、私が何を言いたいかわかるな?」





かつての婚約者に向けられているとはとても思えない冷たい声に、エメはそれ以上の言葉を紡ぐ事ができなかった。

有無を言わさぬ雰囲気の中、身なりと乱れた髪を整えた彼女はよろよろとベッドから立ち上がる。

足取りはおぼつかない。

ドニに攫われた時、強引に飲まされた秘薬の効果が残っているのだろう。

それでも彼女を素直にさせたのは、バルビエ副伯の冷たい雰囲気ではなく単純にその手に持つ杖の存在であった。

案の定、なんとか立ち上がりはしたものの強い眩暈がエメを襲い、思わずよろけて豪奢なベッドの天蓋を支える柱にすがりついてしまう。





「ついてこい、 "赤い鳥" 」





バルビエ副伯はまだ朦朧としている彼女の様子などお構いなしに、部屋の扉を開きながら早くついてくるよう促した。

エメは気丈にもおぼつかない足取りで、副伯に促されるまま部屋から廊下へと出て壁に寄りかかりながら必死に彼の背を追う。

メイジの血筋とは言え、生まれた時から平民として過ごしてきた彼女である。

理不尽な扱いにささやかな抗議をするよりも、貴族の機嫌を損ねることへの恐怖が勝っていたのだった。

彼女が寝かされていた部屋は二階であったらしく、広い階段を下り書斎の入り口の隣にあった扉から更に地下へと続く階段を降りて行く。

魔具によって淡く照らし出されるその階段は、先程の寝室よりも更に薄暗くかろうじて足元が確認出来る程度であった。

暗い階段を降りていくうちに、酩酊としていた意識は恐怖の為か少しずつはっきりとしてきて、副伯が階段を降りた

突き当たりの扉を開く頃には、足取りもしっかりと歩を進めることが出来るまでにエメは回復する事ができていた。

そんなエメの目の前でぎぃ、と重苦しい音を立てて開いた扉の向こう、何も見えぬ闇の中にバルビエ副伯は躊躇なく進む。

間を置かず魔法のランプでも使ったのだろう、開いた扉の向こうから突然光が溢れた。





「何をしている? 早く入ってこい」





階段の途中で少しだけ目を眩ませていたエメに、副伯の冷たい声が投げかけられる。

エメは我を取り戻し、残り十数段となった階段を慌てて降りて僅かに光が漏れる地下室の入り口へと進む。

この時、彼女の脳裏に過ぎったのは短絡だが端正な弟の顔であった。

不安や恐怖は確かに在る。

もしかしたら、この地下室に閉じ込められて陵辱の限りを尽くされるのかもしれない。

いや、ここで "飼われて" 夜な夜な誰かの相手をさせられるのかも知れない。

それとも、何かの研究の為に妙な薬を打たれるのかも。

次々とよからぬ想像が彼女を襲う。

しかし、その度に可愛い弟が無茶をしでかさないか、副伯を疑っておおきな騒ぎを起こさないかと心配してしまい

不安と恐怖を忘れるのであった。

そんなエメが様々な感情で思考を埋めながらもおずおずと地下室の中へ入るや、耳障りで大きな音を立てて入り口の扉は閉じられた。

音にエメは思わず肩を跳ね上げ、慌てて振り返るとそこにバルビエ副伯が幽鬼のように立っており彼女を更に慌てさせる。





「さて、目的を果たす前に。私も誇りあるトリステイン貴族だ。まずは約束を果たすとしようか。」


「約、束?」


「言ったであろう。お前の知りたい事にもすべて答えてやると」


「あの……わたしに見せたいものって……」


「うむ、これだ」





バルビエ副伯はそう言って、おもむろに懐から魔具のようなものを取り出し、エメに差し出して見せた。

その手に握られていたのは、短剣ほどの大きさで鈍く銀色に光る、先が尖ったシンプルな杖のような筒である。





「それ、は?」


「 "魅了の青い鳥" のくちばしだ。伝説では "剣" と伝えられているがな」


「……これをわたしに見せて、エヴラール様は一体どのようなおつもりで……」


「なに、少々お前に協力して欲しいのだ」


「協力?」


「この伝説の剣に、魔力を注ぎ込んで欲しいのだよ」


「魔力、ですか? でも私は……」


「メイジではないと言いたいのだろう? 大丈夫だ、メイジである必要はない」





副伯はここで初めて笑った。

エメにはその笑みはどこか、魔法のランプによって照らし出されている室内に落ちる影よりも暗く見えた。

笑みは二人の沈黙を加速させてゆく。

魔法をすでにかけられたと錯覚するほど、エメは息苦しさを覚えて言葉ではなく息を吐いた。

次いで新鮮な空気を胸に吸い込むが、地下室であるためかホコリっぽくて湿った、まるで墓地のようなにおいに思わず眉をひそめてしまう。

それから悪い予感と予想を膨らませながら、彼女は質問を続けることにした。

このまま沈黙が続けばきっと良くないことが起きると感じたからだ。





「では……わたしは一体、どうやって……」


「……少し面白い話をしてやろう。お前の先祖は中々高名な魔具職人のメイジでな。
 特に一族間でしか使えない、特殊で強力な魔具を使うことで有名だったのだよ」


「それが……」


「私はずっとそれを個人的に研究しておってな。ある日古い文献からお前の痣…… "魅了の青い鳥" の事を知ったのだ。
 その文献はたまたま骨董を扱う商人から手に入れた、この "くちばし" と対になっていたモノでな。
 商人はどう見ても剣には見えないコレを "伝説の剣" だと言って売り込んできたのだが……
 その由来にたまたま興味を抱いた私は、やがて "魅了の青い鳥" の真実へとたどり着いたというわけだ」


「真実、ですか?」


「うむ。知っておるかね? お前の先祖はこの "くちばし" を "剣" に変えて、たった一人で一軍を相手に戦い勝利したこともあるのだよ。
 最も、それが原因で当時の王家に危険視されて、長い年月をかけ表に裏に地位や財産を排除されていったようだが。
 当然記録もすべて消されてしまい、 "魅了の青い鳥" は忘れ去られてしまったのだがね」


「そんな話、わたしには関係」


「関係ある。最後まで聞きなさい。いいか? お前の一族の事を危険視した王家は、真っ先にこの伝説の剣を献上させたらしい。
 この "くちばし" の力は絶大だったようでな。
 更に稀代の天才と言われた当時のお前の先祖しか作れなかったようで、こいつを献上させた後すぐにお前の先祖は
 暗殺されてしまったようだ。
 くく、大方お前の父親のように公爵にでもとりたててやると唆され、愚かにも唯一の武器を手放したのであろう。
 結局 "くちばし" は一振りしかこの世に残らなかったのだが、使い手はちがったという訳だ」


「まさか……では、父様に貴族籍を売り込んでいたのは――」


「私の手の者だ」





あっさりと告白したバルビエ副伯の悪びれもしないその言葉に、エメは一瞬言葉に詰まる。

父を陥れたのは自分だと、これ程あっさり告白するとは思っても見なかったからだ。

いや。

彼女の言葉を詰まらせたものは意外な副伯の態度ではなく、激しい怒りなのかもしれない。

エメは相手が貴族であることを忘れ、思わず声を荒らげる。





「なぜ……なぜそんな!!」


「すべてはお前を手に入れるためだ」





告げられた真実に、エメは恐怖をも忘れ彼女には珍しく今度は激高した。

バルビエ副伯はそんなエメを変わらず薄く笑いながら見つめている。

そんな彼にエメは更に怒りと疑問をぶつけるのであった。





「どうして! 婚約までして、黙っていても私はいずれエヴラール様の」


「ふん、そんな話を本気にしていたのか? あれは方便だ。
 どこぞのバカ者がアンリエッタ女王誘拐に失敗して、城下での監視の目が厳しくなってしまってな。
 貴族とはいえ迂闊に平民をかどわかす訳にもいかなかったのだよ」


「そんな――」


「幸いお前の父親は野心も欲もあり御しやすかったのでな、利用させてもらった。
 もっとも、あのまま本当に結婚してしまえば私の経歴に後々汚点が残る。
 そこで "無理な買い物" に手をだしてもらって一度投獄し、詳しい事が明るみに出る前に釈放されるよう取り計らったのだよ。
 あとはこちらが用意した貸金商人にまんまと金を借りさせて、次に借金のかたにお前を身売りさせ哀れな元婚約者を私が "妾" として
 買受ける予定であったというわけだ」


「酷い! あんまりです!!」


「ふん、何を言うか。本来ならば、例え妾としてでも平民などに手を出す真似はしたくも無いというのに。
 それに元はと言えば、お前の父親の欲がすべての原因ではないか。
 まったく、これだから平民というものは救えん。
 あの男も真実に気付きのこのこと私の前に金の無心などをしに現れて、見当違いな脅迫をしなければ死なずに済んだものを」





副伯の告白に、エメは息を飲んだ。

すべては、目の前の男が仕組んだ事だった。

自分を手に入れる為に。

巷で噂になっている、アンリエッタ女王陛下の誘拐騒ぎさえ無ければきっと有無言わさずさらわれていたのだろう。

逆を言えば、だからこそこのような事になったのだ。

父が投獄され、死んだのも。

自分と弟が理不尽な借金取りに怯えて暮らしていたのも。

すべて、目の前の男のせいなのだ。

真実は、激高するエメの怒りを更に駆り立てた。





「それで……どうして! どうしてそんな、毛嫌いする平民相手にこんな酷い事をなさるのですか!」


「ふふん、その胸の痣だ。君の一族のだけが持ちえる、特別な力……というよりも血その物にこの剣は反応するのだよ。
 つまり、ロワゾー・クイ・シャンテ・ド・シャルム・ブルー…… "魅了の青い鳥" にな」





言葉にエメは息を飲む。

怒りで白濁する頭が、スーっと急激に晴れて行く。

かわりにじわりと再び恐怖と絶望が思考を染めていった。

聡明な彼女は悟る。

つまり、バルビエ副伯がエメに望む物とは。

副伯は暗く笑いながら続ける。





「案ずるな。文献によればシャルム・ブルーの持ち主は僅かな血液をくちばしに垂らすだけで力を発現できたという。
 お前の痣、シャルム・ルージュはその色が示す通り "混ざり物" ではあるがまったく効果が現れないわけではないはずだ」


「い、いや……」


「手に入れた文献には "混ざり物" の血の利用の仕方もきちんと載っておってな。
 なに、単純に量を増やせばいいらしい。そうだな、たしかワインの瓶一本分の血液があれば十分なのだそうだ」





暗い笑いは、残忍な冷たさを伴って目の光と歯の白さだけが暗い室内に映えた。

エメはたまらず逃げ場も無いであろう地下室の奥へと駆け出すべく、踵を返すも見えない壁に阻まれているかのように動きを止める。

薄暗い地下室にいつの間にか目が慣れ、僅かな光に照らし出されたそれらをこの時初めて見たからだ。





「ほう、意外だ。自ら苦痛を伴なう方法で私に協力してくれるというのか?」





バルビエ副伯の弾む声。

嬉しそうな明るい声をエメはこの時始めて聞き、そして始めて自分の考えは甘かったと後悔をした。

彼女が見た物とは

――いびつな形の台

――ピラミッド形の椅子

――大量の太い針が付いた鳥かご

――様々な拘束具に囚われたままの腐りかけの、白骨となってしまった、吊るされた腕のみとなった、哀れな犠牲者達の成れの果て。

凄惨な拷問の傷痕である。

室内にある道具のすべてに褐色の染みが張り付き、そこかしこには変わり果てた人間のカケラが転がっていた。

臭いは全くせず、その為かどこか現実味のない光景であったがエメはたまらずその場で嘔吐をしてしまう。





「む、床を汚すな。まったく、これだから平民は……」




バルビエ副伯はすこし困った声色でそう言いながら杖を振った。

地下室に立ち込めかけたすえた臭いと吐瀉物が渦を巻きながら立ちどころに消えていく。

恐らくは吐瀉物を様々な成分に分解し、別の成分へと錬金してみせたのだろう。





「エヴ、ラール様……貴方は……」


「気にするな。 "研究" には犠牲者はつきものだ。すべては "魅了の青い鳥" の為である」


「こんな……」


「なに、すぐに慣れる。臭いはしないだろう? 私はきれい好きでな、まめにこの部屋の空気を入れ替えたり
  "被験者" から臭いがでないよう薬品を振りまいているのだよ。
 ああ、そうだ。
 言い忘れていたが、 "青い鳥のくちばし" は生き血にしか反応せん。だから、いきなり死ぬようなことはない。
 なるべく、痛くしないから安心したまえ。――そう、なるべくな」





エメの背後の声が、いつの間にか耳元から聞こえて来ていた。

両肩に優しく添えられた手がやたらと暖かく感じる。

体が動かない。

声も、それ以上出せなかった。

それは悪夢のよう。

抵抗しなくては。

抵抗しなくては。

抵抗、平民のわたしが、メイジに抵抗?

いいえ、逃げなければ。

はやく、はやくはやくはやく。

どうやって?

どうやて逃げる?

誰か!

誰か、だれかだれかだれか!!

まとまらぬ言葉が、一瞬の中で大量に頭の中を満たす。

そしてその全てが絶望によって消えていく。

強い絶望とショックの為意識を失いかける彼女を現実へと引き戻したのは、副伯の変わらず弾む声であった。










「さあ、始めようか。大丈夫、 "殺しはしないから" 」


















[17006] 5-7:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄6
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/09 07:22










その夜は二つの月の内、赤い月がやけに大きく見えた。





血のような赤を帯びた月光は、まるで夕日のように白亜の王城を茜色に染め地を照らす。

弱い光とはいえ、巨大な白い城壁による反射によって城に近い場所にある貴族街もまた赤く染まっていた。

そんな赤い夜の街を疾駆する馬影が二つ。

才人とルイズ、そしてトマが乗る馬である。

二人に急を告げたルイズは、『魅惑の妖精』亭へと戻る道すがらトマからバルビエ副伯の名を聞き出すと

エメをさらったメイジの行き先に心当たりが浮かんだのか、すぐさま部屋に戻り隠していた杖と許可証を取り出してきたのだった。

流石に杖を手にした彼女を見てトマは目を白黒させていたが、せっぱ詰まった状況の中どういう事かと聞くような真似はせず

『魅惑の妖精』亭を飛び出し再び駆ける彼女の後を才人と共に無言で追った。

ルイズが白く背中が大きく開いた妖精の衣装のまま向かった先は、果たして貴族街の警備隊の詰め所であった。

血相を変え呼吸も乱れたまま詰所に駆け込んだ彼女は、優雅に部下とハーブ・ティーを飲んでいた隊長にアンリエッタの許可証を再び提示して

馬を二頭徴発し、愛想笑いを浮かべて何事かといぶかしげる隊長を尻目に馬に跨る。





「あの、ミス、今度は一体……」


「説明は後! いいこと? 今夜王家の森付近で騒ぎが起こるわ。
 あんたたちにはそこでの警察権なんてないんだから、大人しく馬をよこしせばいいの!」


「は、はい!」


「サイト! トマ!  "話" は付いたわ! そっちの馬で行くわよ!」


「行くって、どこにだよ?」


「森よ。理由は後で話してあげる。今は急がないと!」


「あの、ルイズさん。その、僕、馬には……」


「わかってるわよ! あんたはサイトの後ろに乗りなさい、早く!」





焦ったような、怒っているかのような剣幕で急かされて、サイトとトマは慌てて警備隊の隊員が引いていたもう一頭に跨った。

ルイズはその様子を確認するや、すぐに馬の尻に鞭を入れ走らせる。

続いて才人も馬の尻に鞭を入れ、彼女が駆る馬の後を追った。

先頭を走るルイズの馬は、トリスタニア北西の城門へと向かっている。

その城門の先には王家が狩りや避暑に使う森が広がっており、貴族達の別荘も多く建っている。

どうやらルイズはその森に向かっているらしいと、才人は馬を操りながら考えていた。

先導するルイズが操る馬は、彼女の特技であるだけにかなり速い。

後に続く才人とトマが乗る馬も決して遅くは無かったが、二人乗りという事もあって徐々に距離が開きつつあった。

やがてルイズは才人達よりも先に、森へと抜ける城門へたどり着いた。

門は夜分ということもあり、固く閉じられている。

彼女は馬から飛び降りると、肩をいからせながら門を守備している兵士に近寄った。

兵士はまるで商売女のような出で立ちのルイズを見て、一瞬ニヤけたがすぐに職務を思い出し手にしていた杖を構える。





「止まれ! こんな時間に何奴だ?!」


「門を! 門を開いて頂戴!」


「なんだ、お前。門は明日の朝まで開かぬ。それにそんな格好で……怪しいな、ちょっとこっちに来い!」


「いいから、今すぐ――もう! これ! 私は! 王宮の! 女官なの! いいからとっとと隊長呼んでこないとクビにするわよ!」





怒鳴りながらずい、と兵士の目の前にアンリエッタの許可証を突き出すルイズ。

兵士はその書状を暫く眺め、最後の王家……それも女王直々の署名を見るやみるみる内に顔色を青くした。

彼ら城門を守る兵士に限らす、トリステインで働く兵士や役人はまず最初に王家の署名の見分け方を叩き込まれる。

特に女王を始め王家の者直々のサインなどはある一定のルールを孕んでおり、緊急時には末端の者に提示しても

その効果を発揮できるようになっていた。

無論、偽造防止の為に階級によって開示されるサインの見分けなど色々と細かい決め事があるのだが、ルイズの持つ書状は本物である。

兵士は突然、バネ仕掛けの玩具のように直立不動で敬礼の体制を取り非礼を詫びた。





「申し訳ありません、ミス!」


「いいから! さっさと門を開いて!」


「ミス……それが、その……」


「あによ! クビになりたいっていうの?!」


「いえ、滅相もございません! 実は、門を開く為の "鍵" を隊長が持っていまして、その、我々では……」


「その隊長はどこ!?」


「それが……今日はもう自宅に戻られました……」


「はぁ?! いいわ、他に門を開ける者はいないの?!」


「副隊長ならば……しかし、副隊長殿も今日はその、私用で既に……」


「どうなっているのよ!! あんたたち、この城門の守備部隊でしょうが! まったく、隊長と副隊長揃いに揃って」


「申し訳ございません!」


「まったく、姫さまに報告しとかなきゃ。
 いいこと?! さっさと隊長か副隊長を呼んできなさい。十分待ってあげる。
 もし間に合わなかったら、あんたクビよ、クビ。その時はついでにこの門も実力行使で破るから、その責任もとってもらうからね!」





兵士は青ざめた顔を更に青くし、短く裏返った声で返事をするとドラゴンから逃げるかのようにその場から走り去った。

丁度その兵士と入れ違うように才人とトマが追いついて来て、馬から降り閉じた門の前でイラつくルイズの元へ駆け寄る。





「ルイズ、どうした?」


「どうしたもこうしたも、門を開くことが出来る奴がいないのよ」


「あちゃあ……」


「そんな! 姉さんはこうしている間にも――」


「わかってるわよ。今呼びに行かせてたわ。でも時間が惜しいのも事実だしね、サイト。
 あと十分程して門が開かなかったらこの門を例の槍で破壊しましょ」


「おいおい、流石にそれはまずくねえか?」


「いいのよ、守備部隊が機能していない門なんて必要ないでしょう? 責任は隊長が取るだろうし、あんたは心配しなくていいわ」





ルイズはそう言い捨てると、黙り込んでしまった。

トマはというと、実はメイジであるとわかったルイズには近寄りがたいのか、少し離れた場所で門を焦れたように睨んでいる。

実に気まずい、ピリピリとした雰囲気だ。

ルイズもトマも、焦りに焦っている。

勿論才人にも焦りはあったが、この二人のように我を見失いかけるほどではない。

才人は恐らくはこの先待ち受ける戦いに、その焦りが大きな落とし穴になりかねないと感じて

せめてルイズの気だけでも紛らわそうと彼女に努めて、少し明るく話しかける事にした。





「なあ、ルイズ。そう焦るなよ」


「……わかってるわよ。でも、仕方ないじゃない」


「何が?」


「あの子……私の目の前でさらわれたのよ?」


「仕方ないだろ。お前、その時は身分偽ってて杖も持ってなかったんだし」


「でも! 私は……貴族よ」


「だからなんだよ。殺されるってわかってて突っ込むのが貴族なのか?」


「敵に後ろを」


「見せてねえよ、お前は。ただその時、行動に移すワケにはいかなかっただけさ」


「……きっと、助け出して見せる」


「ああ。俺とお前……ついでにトマの力でな」





うつむくルイズに才人は優しくそう言うのだった。

彼女の焦りの正体は、エメを助けることができなかったという罪悪感から来ているらしい。

それはルイズのせいではないと言葉の上では多少納得したようであったが、やはり気持ちが整理できないのか

ルイズは唇を噛み俯いたままであった。

才人はそんな彼女の様子を見て、話題を変えることにした。





「そういやさ、俺たち何処に向かっているんだ? バルビエって奴の屋敷に乗り込むんだろ? 貴族街に無いのか?」


「違うわ。向かっているのは、そのバルビエの別荘よ」


「別荘? なんでまた……そもそも、なんでお前がバルビエの別荘なんて知っているんだよ」


「子供の頃、一度だけ……ワルドの別荘に招待されたことがあるのよ。婚約が決まって、その顔合わせの時にね。
 バルビエの別荘にはその時の帰りに立ち寄った記憶があるの。
 たしか、森の道に痛んでいた馬車の車軸が壊れて、修理させてる間に逗留したのがバルビエ副伯の別荘だったわ」


「よく覚えてるな、そんな昔のこと」


「そりゃ、王家の森でのしきたりを初めて教えてもらった日だし、それに――婚約者と始めて会った日だったしね。
 大公ともなると、こうやって下の身分の者の厄介になってあげることも大事なんだって父様が言ってたわ」


「へぇ。まあ、大公ともなると色々と大変そう "だった" しなあ」


「あら、そのあたりの記憶は残っているのね」





ルイズはそう言うと、悪戯っぽく笑った。

焦りは消え、花のような可憐な笑顔だ。

才人は彼女の微笑にニヤリと笑い返して、腰に片手をあてた。





「まぁな。虫食いになっちまったけど、まだまだ覚えてるぜ? たとえば」


「何コソコソ話しているんだよ才人! ルイズさん、門はまだ開かないんですか!」





波に乗ってきていた才人とルイズの会話は、開かない門に焦れたトマによって中断してしまう。

どうやら才人がルイズと会話しているのを機に会話に割り込んで、すこし話しかけづらかったルイズに門の事を聞きたいらしい。

焦り続けていたトマは、ずっと彼女にまだ門は開かないのかと問いたかったのだろう。

ルイズは再び険しい表情に戻り、トマの方へ美しい鳶色の瞳を向けた。

その表情からは焦りは大分消えている。





「門を開く鍵を持つ隊長がここには居ないのよ。今そいつを呼びに向かわせているから、もうすこしの辛抱よ」


「でも! こうしている間にも姉さんは! その隊長は今どこなんですか?!」


「自宅だそうよ。まったく、城門の守備部隊の隊長が詰めていないなんて怠慢もいい所だわ。
 報告してやるんだから」


「それよりも、ルイズ。本当にそのバルビエって貴族がエメと別荘に居るのか?」


「証拠はないけれど確信はあるわ。
 大体状況からいってエメを手に入れたがっている人物なんてそいつしか居ないじゃない」


「ルイズさん、別荘というのは? もしかしたら、貴族街にある自宅の可能性があると思うんですど?」


「あのね。貴族ってのは後ろめたい事を王都の、それも王家のお膝元である貴族街の自宅で堂々と行うと思う?
 そもそも貴族街の屋敷は大きいけれど割り当てられる土地は狭いわ。
 貴族街にある、かのヴァリエール大公の別宅のお屋敷に入ったことあるけれど、それでもせいぜい大きな宿程度の広さしかないのよ?
 そんな大貴族でさえ狭い屋敷を利用しているのに、副伯ごときがそれ以上大きな屋敷に住んでいると思う?
 手狭なのよ、貴族街って。
 妙な事をしていればすぐに噂になるわ」


「それで別荘、ってわけか」


「ええ。王家の狩場でもあるあの森の別荘ならば、街からも近い上副伯程度の地位で建てる別荘なら森の外れになるだろうし。
 なにより、人目も気にしなくていいしね」


「姉さん……」





トマはルイズの説明に納得しながらも、心ここにあらずといった様子で門を見つめた。

傍目にもかなり焦っているようである。

才人はそんな彼の肩を叩いてから、振り向いた所で絹糸のような髪をわざとくしゃくしゃとした。





「わ、な、何を!」


「落ち着けって。気持ちはわかるがな、焦ってもはじまらねえだろ」


「でも!」





才人は言葉をさえぎるように、背にしていたデルフを抜いてトマに差し出す。

ところどころ刃こぼれした厚い片刃の刀身が鈍く、赤い月光を反射して怪しく光る。





「ほれ、貸してやる」


「え?」


「おう、相棒! 折角出番かと思ったのにいきなりそれはねぇぜ!」


「頼むよデルフ。いいか、トマ。相手はメイジだ。
 あのドニとか言う奴は俺が引き受けるが、バルビエってのも貴族なんだろ?」


「ああ……」


「エメを取り戻すなら、お前も戦う事になるかもしれねえ。もっとけ。デルフが魔法からお前を守ってくれる」


「あ、ありがとう」





トマは礼を言いながら、おずおずとその体格で扱うにはかなり大きなデルフリンガーを才人から受け取った。

ずしりとしたその重みに、受け取った直後にすこし腕が下がる。





「仕方ねえな。ふん、不本意だが今回は守ってやる。感謝しろよ? 坊……」


「どうした? デルフ?」


「坊主、おめ……」


「?」


「……まあいいや。いいか? お前さんの体格と腕力じゃ俺様をとっさに鞘から引き抜くなんて無理だ。
 このまま俺様を持っといて、相棒の馬に乗り込みな」


「あ、ああ。わかった」


「ちょっと才人、そのボロ剣を他人に貸してあんたは大丈夫なの?」


「ああ、俺にはこれがあるからな」





才人はそう言って、地面から槍を一本、作り出して見せた。

細く2メイル程のシンプルな形の槍である。

トマは大地からいきなり出現した槍を見て、目を開いて驚いた。





「サイト、お前もメイジだったのか!」


「いや? メイジは "妹" のルイズの方さ。俺のは手品だ。あ、ルイズの事も含めてこの事は口外すんなよ?」


「お前たち兄妹は一体……」


「話はそこまでよ。どうやら隊長がやっと来たらしいわ。
 私は話をつけてくるから、あんたたちは馬に乗ってここで待ってて。
 いい? 門が開いたらすぐさま森の道なりに馬を走らせて。
 最初の分かれ道を左に進んで、まっすぐ行けば副伯の別荘へと出るわ。私もすぐに追いつくから先行して」





才人の刺した釘も何処へやら、一時焦りを忘れ呆然とするトマの台詞をルイズは遮り隊舎の方へ顎をしゃくった。

二人がそちらの方を振り向くと遠くに赤い月光に淡く照らされた人影が二つ、慌ただしくこちらに走り寄ってきている。

才人達がたむろする場所へやって来る時間も惜しいのか、その人影を見ていた二人を置いてルイズも彼らの方へ駆け出した。

恐らくは門の守備隊の隊長と彼を呼びに走った兵士の二人に合流したルイズは、ニ、三なにか言葉を交わした後

門からすこし離れた場所にある守備隊の詰め所の方へそのまま消えていった。




「トマ、俺たちも用意しとこう。ほら」





残された才人は馬に跨りながらトマに早く馬に乗るよう促す。

トマははっと我に返り、抜き身のデルフを片手に馬によじ登ろうとしたが、片手で体を引き上げることができず手間取ってしまう。

才人はそんなトマの手を取ってやり、強引に引っ張り上げた。

その少年の体は驚くほど軽く、背にした体はわずかに震えている。

無理も無い

これから初めてメイジと戦うというのだ。

姉の事があるとはいえ、平民である彼に恐怖が無いといえば嘘であろう





「心配すんな。俺やルイズがついている」


「あ、ああ」


「デルフ、トマを頼んだぜ?」


「任せとけ相棒! おい、か弱い子猫ちゃん! 俺様がしっかり守ってやるから大船に乗ったつもりで居ろよ!」


「だ、誰が子猫ちゃんだ!」


「なんだあ? れもんちゃんが良かったか?」


「何がれもんちゃんだ! 今時どんなにラブラブな恋人同士でもそんな恥ずかしすぎる呼び方はしないぞ!」


「おう、それでいいぜ子猫ちゃん! いい塩梅に震えがとまったな!」」





才人は二人のやり取りになぜか肩を落としながらも、それだけ悪態が付けるなら大丈夫そうだなと背に向かって声をかけた。

言葉にトマ一瞬口を開いて何か言おうとするも結局何も言わず、かわりに才人の腰に回した左手に少しだけ力を込める。

やがて、門は重苦しい音を立てながら開き始めた。





「いくぞ、トマ。振り落とされるなよ?」


「サイトこそ、道間違えるなよ!」





何気なく後ろを振り返った才人とトマの目が合う。

トマの大きなブラウンの瞳に赤の強い月光が入り込んで、キラキラと輝いていた。

その端正な顔を歪めさせていた恐怖と焦りもかなり薄くなっている。

何故か才人はこの時始めてトマの容姿に見とれてしまい、思わず顔に朱を差してしまった。





「なんだよ?」


「……うるせぇ。だから色男ってのはキライさ」


「わはは、相棒! 昔っから男色の英雄ってのも少なくねぇって言うし、そう照れるもんじゃねえぞ?
 あの嬢ちゃんも相手が男なら許して……いや、だめだな。それでもブッ殺されるか」


「な?! サイト、お前そんな目で僕を……」


「なわけねえだろうが! デルフ、茶化すなよ!」





歯を剥いてデルフに怒鳴った才人は、プィっと前を向いて再び開く門を見る。

高揚する心は強敵に挑む期待の為か、背後の美少年に不覚にも見とれてしまった為の自責か。

ゆっくりと大きな音を立て開く両開きの門は、馬一頭がやっと通れる程の隙間を作り出していた。

才人は頭を一度振って張り付いた耽美な意識を追い払い、馬に鞭を入れまだ完全に開いていない門の向こう

森の闇の中へと走らせるのであった。







赤い月の光も届かぬ闇の森を走る馬は一頭。

跨る者は二人。

才人は背に片手でしがみつくトマの事など気にも留めず、闇の中とにかく馬を走らせた。

道は豪華な貴族の馬車が往来するためか意外と広く、月光により照らされる森の道を進みルイズに言われた通り最初の分かれ道を左へと進む。

それからどの位馬を走らせただろうか。

やがて進む方向にわずかな、木々から漏れる赤い光ではない人の営みの光が点のように見えてきた。

恐らくはルイズが言っていたバルビエ副伯の屋敷の灯であろう。

才人がもうすこしだ、と後ろのトマに声をかけようとした時である。

いきなり眼前に赤い爆炎が広がった。

馬は突如出現した炎に慌てながらも、その勢いのまま炎と爆風の中に飛び込んでいく。

同時に闇の森に広がる炎と共に周囲の木々が均等に地に倒れて土へと変わり、炎を中心とした広く大きな円形の広場が出現した。

巨大な炎と広場はまるで巨人が起こした焚き火のようで、二つの月をも燃やさんと夜空を照らし出す。

その広場の中心で燃え盛る巨人の焚き火の中から、薪が弾けるように一筋の火線が弧を描いて道なりに落ちた。

トマを抱いた才人である。

才人は爆炎を見た瞬間、とっさに背後の自分より小柄なトマを抱き炎から庇いながら馬から飛び降りたのだった。

地に落ち転がる才人の体はそこかしこに酷い火傷を負い、衣服にはほんの少しだけ火が残っている。

対照的に咄嗟に庇われ抱きかかえられていたトマは、多少の火傷を負ったものの殆ど無傷で

うめきながら才人の体の下から這い出し自分を庇った彼の惨状をみるや、あわてて才人の服に残る火を手で払い消した。





「いちち、トマ、怪我無いか?」


「ば、馬鹿! 他人の心配をしている場合か! 酷い怪我してるじゃないか!」


「いいんだよ、俺は。それよりもお前はどうなんだ?」


「ああ、サイトが庇ってくれたから少し髪の端が焦げた程度で済んだ。そんなことより、じっとしてろって」


「そういうわけにはいかねーだろ。ほら」





心配するトマを押しのけながら立ち上がる才人が指差した先には、消えつつある炎に照らされて人影が三つ浮かんでいた。

あれほど大きかった先ほどの炎は見る影もなく、地面に所々小さく散らばり円形の広場となてしまった森の道にふたたび月光がふりそそぐ。

三つの影を確認したトマは、才人に抱きかかえられ地に落ちた時も手放さなかったデルフを構えながら生唾を飲み込んだ。

才人もまだ煙が立ち上る衣服もそのままに、トマを庇った時に放り出した槍の換えを作り出す。

炎は爆炎に突っ込み広場の中央で息絶え転がる馬を執拗に焼いていたが、やがてすべて消えてしまった。

それを見計らったように三つ並ぶ壁の真ん中の人物が一歩前に出て、人の言葉を発した。





「また会ったな、イーヴァルディよ」


「ドニか」


「今度は邪魔は入らぬ。お前たち、手出しはするな。横にいる者は任せる。確実に殺せ」





殺気が膨らみ、場に満ちる。

それに呼応した才人が槍を構え、続いて隣のトマがデルフを両手に持ち前に突き出した。

一瞬の静寂と緊張の後、まず動いたのはドニではなく彼の両脇にいた二つの影であった。

影はドニの命令に足音も立てずトマに向かって走り出し、杖を突き出す。

しかし、硬くデルフを構えるトマに向けて詠唱の言葉は紡がれる事は無かった。

一人が突然走っている途中で倒れこみ、その異変に足を止めたもう一人も糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちたからだ。





「な、なんだ?!」


「うぬ?」





困惑するトマとドニ。

唯一何が起きたかを知る才人は、その姿を確認して僅かに笑う。

はたして崩れ落ちる二つ目の影の後ろから、柔らかな月光に映える白い影が新たに現れた。

『魅惑の妖精』亭の白くきわどい衣装にその身を包んだルイズである。

杖を持っている方の反対の手には、その衣装と同じように白く輝く刀身の短剣。

"毒竜の牙" と呼ばれる麻痺の秘薬を仕込んだ暗殺用のものだ。





「悪いけど、あんたたちの相手をしている暇ないの。邪魔しないでくれる?」





ドニは "背後" からその声を聞き取るや、考えるよりも先に疾風のような速さで身をよじった。

彼の脇を白い短剣が後ろから通り過ぎる。

いつ、どうやって移動したのか。

つい先程まで地に倒れる部下の側にいたはずのルイズに、ドニはそのまま距離をすこし開けながらも

短剣を突き出し体勢を崩している彼女に杖を向けた。

杖の先から火球がほとばしり、ルイズに迫る。

決して避けられぬ最高のタイミングだ。

しかし、火球が焼いたのは白い影でなく5メイル程先の地面であった。





「才人、あいつは任せるわよ。不意打ちを避けるくらいだから、手こずりそうだし。
 それに私の魔法も温存しときたいし、エメも心配だからね」


「おう。トマも連れて行ってやってくれ。俺たちの馬はディナーにされちまった」


「わかったわ。トマ、ついてらっしゃい」





愛らしいその声にドニはあわてて再び才人たちの方へ振り向いた。

先程まで自身のすぐ側にあった姿をそこに確認し、暗いローブの中で目を開く。

まただ!

一体どうなっているのか!?

たしかに、たしかにさっきまで "そこ" に居たはずなのに……

ドニは内心、彼には珍しくも激しく混乱していた。

そんな彼の眼前では "魅了の青い鳥" の弟が遠目にもわかるほど困惑しながらも、あの妙なメイジと共に馬に乗り込んでいる。

先程焼いた馬とは別の、恐らくはあのメイジが乗ってきた馬であろう。

普段の彼であればこの機会を逃さず魔法を打ち込むのであるが、この時のドニは判断を誤り慎重になりすぎていた。

逆に一刻でも早くエメを助けたい才人達には願っても無い、僅かな時間でも在る。

やがて馬に乗り込んだ二人が才人の隣まで歩を進め、黒く焦げたもう一頭の馬を挟むようにしてドニと対峙した。

その馬上から前を見据えたまま、小さなメイジがその使い魔に声をかける。





「アイツの横を駆け抜けるわ。ちょっかい出してこないよう、けん制なさい」


「あいよ、ご主人様もくれぐれも油断しないようにな」


「ふふん、もちろんよ」


「お、おい、サイト」


「あんだよ、トマ」


「サイトやルイズさんが普通じゃないのはわかっているけどさ……死ぬなよ?」


「なんだ、らしくないなお前。心配すんな、どの道俺は当分 "死ねない" しな。お前こそ、デルフ無くすなよ?」





才人はそう言って、馬上の二人を見上げニカっと笑いかけた。

歯を見せ、人懐っこく笑うその笑顔にトマは釣られて笑い、ルイズは愛しそうに微笑んで返す。

次の瞬間。

神速の速さで才人は手にした槍をドニに投擲した。

槍は、 "グリムニルの槍" は甲高いうなりをあげてドニの足元へ吸い込まれ、轟音と共に派手に爆ぜた。

同時にルイズたちが乗る馬が、舞い上がった土煙とパラパラと落ちてくる土砂の中へ踊り込む。

一方ドニはというと、槍を回避する為に上空へと逃れていたが予想外のその威力に再び驚愕していた。

しかし。

彼も戦闘に特化したメイジである。

一拍間をおき、すぐに冷静さを取り戻した彼は屋敷の方を向いて土煙の中から出てくるであろう馬を狙い撃ちすべく杖を構える。

が、その思惑はあっさりと破られてしまうのだった。





「お前の相手は、俺がしてやるよ」


「な?!」





宙に浮く自分の目の前に、細身の槍を振りかぶった才人の姿。

慌てて体を下に移動させ、横薙ぎの一閃をドニは避けた。

そのまま土煙の中へと一時退避する。

才人は姿をくらましたドニなどお構いなしに、今度は上空から地に向けて手にしていた槍を投擲する。

再び雷鳴に似た爆音を立てて再び土砂が水柱のように空中へ舞った。

地へ落下しながら才人は、土煙の中を抜けバルビエ副伯の屋敷へと続く道を駆ける馬影を確認して胸をなでおろす。

それから着地と同時にもう一度槍を作り出し、副伯の屋敷へと続く道を塞ぐように移動して敵の気配を探った。

後方、屋敷の方向には気配はない。

前方の土煙の中からは人の気配こそ感じないものの、強い殺気のような物を才人は感じ取った。

しかし、相手は攻撃してこない。

こちらの位置は間違いなくバレている。

なぜだ?

なぜ、攻撃してこない?





「驚いたぞ、イーヴァルディ。まさか、これほど強力な攻撃をしてくるとは思っても見なかった」





掛けられた声は、何処か余裕を感じさせた。

才人は声のする方角を頼りにその槍を三度投擲しようとして、ある異変に気がつく。

声が壁に阻まれているかのように遠い。

更にうっすらと晴れゆく視界の先に、大きな土の壁が出現していた。

壁は才人を囲むようにぐるりと四方にまるく作られている。





「一つ、良い事を教えてやろう。俺の系統は "土" だ。
 ガリアの火竜山脈に近い地方で生まれでな、主筋の貴族が鉱山経営をしていてよくこういった "事故" が起きたものだ」





言葉に才人ははっとする。

夜なので良く見えないが、明らかに周囲の土煙の質が変わっている。

しかも晴れていくどころか更に濃密になっている事に気がついた。





「今度は空気の壁でなく、丈夫な土の壁で "閉じ込めた" から今までの比ではないぞ? 死ね、イーヴァルディ」





しまった!

ルイズ達を追わせまいとここに陣取って動かなかった事が仇になった!!

そう胸中で一人ごちて、才人はルーンを強く輝かせながらその場を跳び去ろうとする。

しかし、それもかなわない。

逃げようとする才人を阻むように、地面から触手のような土の手が足に絡みつく。

土系統の魔法、 "アース・ハンド" である。

慌てて才人が力任せに片足の "アース・ハンド" を引きちぎった時、何かが足元に投げ込まれた。

それは小さなガラス瓶で中には粉状の物が入っている。

投げ込まれた時の衝撃で小瓶はあちこちひび割れ、今にも砕け散ってしまいそうだ。

これから何が起きるのか理解している才人の目の前で、小瓶の中の粉状の物が激しく光を放ち始める。

やがて小さな激しい光がひび割れた小瓶を内部から破壊してしまった時。

ドニが作り出した閉じた空間の中でその火花が、蔓延する炭塵に錬金された土煙に燃え広がり、火花が火に。

火が炎に。

炎が爆発に変わる。

炭鉱などで起こる、炭塵爆発が再現されていく。

その威力は凄まじく、学院の塔ほどもある巨大な火柱が土の壁の内側、才人をすっかり包み込んだのだった。










ルイズとトマが振り返りその巨大な火柱を見たのは、バルビエ副伯の屋敷を目の前にした時であった。


















[17006] 5-8:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄7
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/17 23:19










爆炎の塔は王家の森の夜空を紅く染め上げ、月にまで届きそうな程高くそびえて消えた。





バルビエ副伯の屋敷にたどり着き、質素な門扉に伸ばした手を止めて天を焦がすその炎をルイズは見つめる。

唇を噛み眉根を寄せ美貌を曇らせたその表情はどこか、焦りと不安がにじみ出ていた。

彼女の隣で同様に出現した炎の塔を見ていたトマも、ルイズと同様にいやさらに焦りを色濃く顔に映して夜空を見上げる。





「ルイズさん! あれは……」


「……サイトは魔法が使えないわ。あれは恐らく、あのメイジの物でしょうね」


「助けにいかないと!」


「サイトなら――大丈夫よ。それに目的を見失っちゃだめよ? 私達はエメを助けにきたんでしょう」


「っ! で、でもあんな炎を受けたら、いくらサイトでも!」





トマの言葉をルイズは無視して再びバルビエ副伯の屋敷の門扉の方を向いて、ゆっくりと伸ばしていた手を扉に当てた。

静寂を取り戻した夜の森に、錆びた鉄の擦れる音が響き渡る。

門はあっさりと開いて、館までの小さな中庭が目の前に現れた。





「ルイズさん!」


「行くわよ、トマ。エメが待っているわ」


「でも! サイトさんの事が心配じゃないんですか?!
 姉さんだって、誰かを見捨ててまで助け出されてもきっと悲しみます!」


「……心配してるに決まっているじゃない。そんなの、当たり前よ」


「だったら!!」


「――だけど、それ以上に信頼してるの。そんなの、当たり前じゃない」





ルイズは小さくそう言って、自身の迷いを振り切るようにさっさと門の中へ入っていった。

トマは何かを言おうとして口を開いたがそれ以上言葉を紡げず、渋々彼女の後を追う。

しかしすぐに立ち止まってしまい、もう一度炎の柱があった夜空を見つめた。

その表情は心配と不服で彩られている。





「おう、坊主! 相棒なら心配いらねって。夕方に言ってたろ?
 タチの悪い魔女にかけられた呪いのおかげで、簡単には死ねない体になってんだ。相棒は無事さ。
 それに、嬢ちゃんの気持ちも察してやれよ」


「デルフ……うん、そうだな。今は、姉さんが先だ。僕がどうかしてたよ」


「わかりゃ、それでいい。ほれ、はやく行かないと嬢ちゃんに」


「トマ! はやく来なさい! いい加減切り替えないと、置いていっちゃうわよ!」





トマがデルフと話している間に門と館の間、中庭の中央まで進んだルイズが少し八つ当たり気味にがなった。

慌てて駆け寄ろうとしたトマだったが、またもその足を止める。

今度はバルビエ副伯の館の方を見て。





「驚いたな。ドニの魔法の音を聞いて見物に出てみれば、まさかネズミが二匹入り込んでいたとは」


「バルビエ! 姉さんを何処にやった?!」


「……薄汚い平民の分際で私に話しかけるな。口の利き方をしらんゴミめ」





ルイズがトマから屋敷へと視線を戻すと、いつの間に開いたのか先程まで閉じられていた屋敷の入り口が開け放たれていた。

開かれた扉の向こうは薄く明かりが灯っていて、その光を遮るように少し背の低い四十歳位の男が立っていた。

逆光となりその表情は見えないが "両手に" 杖を持っている事が伺える。

右手には普通の木製のような杖。

左手には美しい銀色の杖。

館の中から漏れる光が銀の杖をキラキラと鈍く光らせる。

ルイズはとっさに杖を持っていない方の手を横に差し出して、後ろのトマに手のひらを見せた。

高圧的にゴミ呼ばわりされ、何かを言い返そうとしているであろうトマに黙っているよう暗に示す為だ。

目の前の男の物腰から、平民であるトマが何を言おうとややこしくなるだけだという判断からの行為である。





「バルビエ副伯ね?」


「いかにも。失礼だがかような夜分、ミスのような如何わしい格好のレディの訪問を受けるような不徳はしていないつもりだが
 一体どのような要件かな?」


「私はアンリエッタ女王直属の女官よ。副伯、あなたにかどわかしの嫌疑がかけられているわ。
 アンリエッタ女王の名において、あなたとこの館に対し警察権を行使するから聞かれたことには嘘偽りなく答えなさい」


「ほう……また随分と妙な者が来たな。
 まあ、いいだろう。一体どのような了見で私にそのような嫌疑が?」


「とぼけても無駄よ。さっさとエメを返しなさい!
 彼女をさらったメイジがここへ来る道中邪魔した事からも、黒幕があんただって明白なのよ!」


「これはまた、随分と乱暴な言いがかりだな。道理も何もあったものではない。
 確かに今夜、私が雇っているメイジに屋敷に近づく者を排除するようにと命令してはいるが
 それ以外では彼が余所で何をしようが私が関知するところではないのだよ。
 そもそも、君が証拠として考えている事柄は、随分と根拠に弱いものだとは思わないかね?」


「……ええ、それは私も同感よ。無茶苦茶な内容で、言いがかり同然だってわかっているわ。だけどね?」





言葉を一旦区切って、ルイズはバルビエ副伯をその美しい鳶色の瞳で強く睨みつけた。

白く際どい衣装は赤みの強い月光をたたえて、彼女の薄いピンクブロンドと同様の色合いを醸し出しどこか幻想的ですらある。

肩は震え、食いしばられた真珠のように白い歯が口の端から見え、杖を握り締める左手はギリと音を立てた。

そして、トマを制する為に横へと突き出していた右手の平をぎゅっと握り締めながら、彼女は憤怒を言葉に紡ぐ。





「私の、サイトを、傷つけた奴を、許しておくはずがないでしょうが!!
 黒幕があんたなのはわかってんのよ! ガタガタ言わずにエメを出しなさい!」





沈黙。

静寂。

ルイズは溜め込んでいた怒りを言葉に乗せ、ここぞとばかりに外へと発露させている。

トマとバルビエ副伯は驚愕を顔に浮かべながらも、ルイズのあまりにあまりな言い分にあきれ返った。





「あの、ルイズさん?」


「うっさい! あんたは黙っていなさい!」


「……まさか、そのような理由で今夜ここへ来たのかね?」





冷たい、あきれ果てたような両者の視線を前後から感じて、ルイズは少しだけ冷静さを取り戻した。

それから今の己の姿を取り繕うように、腕を組んで目を細めながら口を尖らせる。





「ふん、状況から行ってアンタ以外に犯人なんて居るはずないじゃない。
 証拠なんて "これから" 集めればいいのよ。
 言ったでしょ? 手始めにこの屋敷から検めるってね。
 大体私はね! こんな茶番とっとと終わらせて、早くあのメイジの所に戻ってボコボコにしてやらないと気がすまないの!
 さっさと元の生活に、アイツと二人で水入らずの生活に戻りたいの!
 わかる?! あんたが私の邪魔をしてんのよ!!
 しらばっくれるなら、屋敷ごとあんたを灰にしてやるわよ!?」





苦々しく言い放ち、最後には再び語尾を荒げバルビエ副伯を睨みながらビシっと指をさすルイズ。

副伯はそんな彼女を暫く呆れ顔で眺めていたが、唐突に含み笑いを始めた。





「あによ!」


「ク、ククク、そんなつまらん理由で今夜邪魔が入ったのか。
 ちと困らせてやろうと思ったが、まさかこんな小娘の逆恨みからここを突き止められていたとは夢にも思わなかった!」


「うっさい!」


「まあ、いいだろう。
 どうせ屋敷を調べられたらバレてしまうし、口封じもせねばならん。時間も惜しい。」


「じゃあ、やっぱりここにエメが居るのね?」


「うむ、君の読み通りあの平民の娘はこの館の地下室にいるぞ?
 まだ生きてはいるが……早くいかないと手遅れになる。
 そら、はやく助けに行ってやれ」





副伯は意外にもあっさりと事実を認め、一歩下がり屋敷の中へ入るよう顎でシャクってみせた。

余裕たっぷりなその態度にルイズは訝しげ、何か罠があるのではと怒りで白濁させながらも思考を巡らせる。

対照的に副伯の言葉にいち早く反応したのはトマで、たまらず駆け出しルイズの脇を走り抜けて

無防備にも副伯のすぐ側を通って屋敷の中へ消えていった。

バルビエ副伯は口の端を上げながらも特にその場から動かず、両手に杖を持ったまま屋敷に入るトマの姿を見送る。





「……何を考えているの? かどわかしの罪をあっさりと認める程正直者には見えないけれど」


「なに、罪を認めても問題ないからな」


「私達をここで口封じするからって事なんでしょうけど、お生憎さま」


「その手もあるが…… "これ" が仕上がったのでな。
 別にお前達を殺す必要もないし、明日には女王陛下すら私の意のままとなるのでね」





副伯はそう言って、両手に持った杖の内銀色の杖を掲げてみせた。

僅かな光を反射していた杖が鈍く、青白く光り始める。

何かされる?!

とっさにそう判断したルイズは、白い麻痺の短剣を副伯へ突き立てるべく "加速" を短く詠唱した。

動けるのは一瞬。

しかし、その一瞬は副伯の背後に回り込み強力な麻痺の短剣をほんの少し背中に掠らせるには十分な時間である。

果たして "加速" が発動し、ルイズに一瞬の時とガンダールヴをも凌ぐ超高速移動の力が与えられた。

虚無の圧倒的な力を発現させたルイズは、腰の短剣へ手を伸ばそうとして異変に気がつく。

体が、動かない。

否、体が段々と動かなくなって行く。

なぜ?

疑問と共にルイズに与えられた一瞬は終わり、次の数瞬の内に彼女は意識もあっさりと手放した。

最後に覚えていたものは青白く輝く銀の杖であった。









「姉さん! 姉さん、どこ?!」





一方トマは屋敷の中を走り回り、姉の姿を探し続けていた。

副伯が地下室に居ると言っていたことは覚えているものの、勝手分からぬ貴族の屋敷である。

トマは厨房や食堂へ足を踏み入れ無駄に時間を浪費しながらも、それ程間を置かず書斎の隣にあった扉を開け地下室への入り口を見つけた。

薄暗い地下への階段からは少しカビ臭い臭いが吹き上がって来る。

僅かな躊躇を振り払いつつもトマは足元も確認しないまま、その階段を駆け下りた。

魔法のランプのようなものが等間隔で配置されたその階段は、深く薄暗く地下へと続いてまるで地下牢のようである。

やがて足を滑らせかけながらも階段を降りるトマの眼前に、薄汚れた頑丈そうな扉が出現した。

荒い息と転げるように階段から降り立った勢いもそのままに、トマはその扉を押す。

扉は少々重かったがあっさりと、不快な音を立てて開く。





「姉さん!」





叫びながら地下室の中へと身を滑り込ませたトマは、その光景に絶句し立ち尽くしてしまった。

心臓は暴れ馬のように跳ね上がり、重いデルフを思わず手放しそうになる。

部屋は大小のランプで照らし出され、降りて来た階段よりも明るかった。

そこにあったのは、様々な拷問道具とそれらに繋がれたままの人間の死体とその破片。

しかし、そのどれもはトマの視界に入ってはいない。

トマの視界にあったのは、部屋の中央に吊るされた姉だけであった。





「姉さん!」





少し間を置いて目の前の事実がやっと意識に届き、悲痛な叫びをあげながらもトマはデルフを放り出して姉の元へ駆け寄る。

エメは両手を地下室の天井に張り巡らせられた梁から鎖で吊るされており、所々鞭打たれたのか着衣が無残にも艶めかしく裂かれていた。

トマの呼びかけには反応はなく、短めのスカートから伸びる白い足には何か赤い蔦のようなものが絡み付いている。

蔦は吊るされたエメの足元にある奇妙な箱の中から生えており、箱の側面の蓋が開いてそこに彼女のものと思わしき血が滴っていた。

どうやら絡みついた者の血を抜き取る魔具か魔法生物らしい。

トマは姉の白いふくよかな足に絡みついた蔦を真っ先に外そうと試みたが、まるでエメの足の一部のようにびくともしなかった。




「姉さん! 姉さん! くそ、離れろ! こいつ、離れろよ!」


「う……」





トマの呼び掛けにエメは僅かに呻いて答える。

息も絶え絶えではあったが、それでもその声は生きているという事実をトマに認識させるには十分なものであった。

トマはその声に焦りを強め、更にに強く強引に蔦を引っ張ってみる。

蔦はメリメリと音を立ててゆっくりとエメの足から剥がれかけたが、同時にその痕から血が流れ始めた。

どうやら蔦から細い根のようなものが無数に生えていて、エメの足に深く食い込んでいるらしい。

トマは出血した姉の足を見て慌てて手を蔦から離し、次に姉を吊るしている鎖を外そうと試みた。

しかし、足に絡みつく蔦がエメをわずかにではあるが引っ張っている事と、高い位置で固定されている為に試みは上手くいかない。





「くそ、何か、方法が……そうだ! デルフ! デルフで蔦を斬って……」


「おいおい、やめとけ坊主! 相棒じゃあるまいし、足に絡みついた蔦だけ斬るなんて芸当がお前にできるか!
 それにその絡み付いている奴は恐らく魔法生物か魔具の類だ。迂闊に壊すと剥がれなくなるぞ?」


「じゃあ、せめて鎖だけでも!」


「バカ! 斬鉄の方がもっと難しいに決まってら! 余計なことせずに嬢ちゃん呼んでこい!」


「ルイズさんを?」


「おう、嬢ちゃんならその魔具だかなんだかの魔法を解除出来るはずだ。それに鎖も魔法で何とかなるだろうしな!」


「そ、そうか! じゃ、早く呼んで――」


「……マ……」





デルフの助言を聞き、放り出してしまていた大剣を拾い上げながら一目散に階段を駆け上がろうとしていたトマの背中に

かすかな、苦しげで消え入りそうな声が届いた。

声の主は朦朧と意識を取り戻したエメである。





「姉さん! まってて、今助けを」


「ト、マ、聞い、て。エヴラール様は、……副伯は」


「だめだ姉さん! 傷に触るからしゃべらないで!」


「彼が持つ、銀の "くちばし" は、 "青い鳥" の血で、覚醒、するの」


「姉さん?!」


「トマ、わた、しの事はいいから、逃げて。お父様が恐れていた、事に、な――」


「何を恐れていたのかね?」





聞き覚えのある声に、トマは後ろを振り返らず姉の元に駆け寄ってデルフを地下室の入り口へ向け構えた。

やがて扉が開いたままの入り口の向こう側、暗い階段からすこし背の低い影がゆっくりと現れる。

館の主、エヴラール・バルビエ副伯その人であった。





「バルビエ、よくも姉さんを! ルイズさんはどうした!」


「……エメ、君の父親は何を恐れていたのかね? もしかして、青い鳥についてあの男は何か知っていたのか?」


「エヴ、ラール様……もう、やめて、くだ、さい……」


「答えろ! バルビエ!」


「うるさいな。あの娘ならほら、この通り」





そう言ってバルビエ副伯がすこし体をずらすと、その背後の階段に茫としたルイズが立っていた。

目は虚ろで空の一点を見つめ続け、そこに意志は全く感じられない。





「ルイズさん?!」


「流石は "魅了の青い鳥" のくちばしだな。詠唱も無しに一瞬で魅了できたぞ、エメ。
 だがすこし "縮んで" しまった。どうやら使えば使うほど元のくちばしに戻っていくらしいな、これは。
 エメ、 "計画" は万全を期したいのでな、悪いがまた血をもらうぞ」





ルイズを見るトマの視線を塞ぐように、バルビエ副伯はずらした体を元の位置に戻して

手にしていた銀の杖をエメにむけて掲げてみせた。

トマは副伯の背後に立つルイズの様子を気にしながらも、姉を守るべくバルビエ副伯に向けてデルフを構え、歯をくいしばる。





「トマ……にげ、て……」


「そうはいかない。君の父親が恐れていた事とやらを是非知りたいし、 "青い鳥の生き血" もまだまだ必要だ。
 君の口ぶりからそこの小僧も痣を持っていると見てまちがいなかろうしな。
 ふふ、私は運がいい。これだけ血があれば、女王陛下どころかリシュモン殿も操れるだろう」


「な?! バルビエ! お前、この国の貴族じゃないか!」


「いかにも。しかし、何れあの大国アルビオンにのみ込まれる運命を持つ国でもある。
 陛下はお前達平民の為、領土の為と徹底抗戦をなさるつもりらしいが……
 ふん、愚かなことだ。気高い志だけで戦には勝てぬ。
 だからこそ、私のような有能な者が陛下の側で助言を行う必要がある」


「お前……」


「ふん、まあ平民のお前に言ったところで理解できまい。取りあえず私の人形となってもらおう」





バルビエ副伯はそう宣言すると、持っていた銀の杖を取り出してトマに向けた。

杖は青白く光り、その光に同調するようにトマの体もうっすらと青く光る。





「む?」


「……な、なんだなんだ?! バルビエ! 僕に何をした!」


「まさ、か……効かない?! そんなばかな!」


「おう、坊主、今がチャンスだ! とっととそいつをとっちめな!」





副伯はトマに "魅了の青い鳥" の効果が効かないと判断するや、慌ててもう片方の杖を振りかざした。

トマも一瞬の逡巡の後この機を逃さず、デルフを正面に構えたまま体制を低くして副伯へと駆ける。

先に行動が終わったのはバルビエ副伯であった。

氷の槍、 "ジャベリン" を三つ作り出した副伯が姿勢を低くし己に迫るトマへと槍を飛ばす。

狭い地下室、距離もそれ程離れてはいない。

しかも相手はひ弱な平民である。

氷の槍は決して避けられぬ速さで目の前の無礼な平民に殺到し、串刺しにするはずであった。

しかし。

槍はあっけなく、まるで砂に吸い込まれる水のようにトマが持つ魔剣に吸い込まれてしまった。





「な?!」


「こ、のおおお!」





トマは石畳の床につきそうな程低く、這うように副伯へと迫る。

姿勢は低く。

剣を下から突き上げるように!

二の次の剣は考えずに、突け!!

心の端でそう叫びながら、不意の事態に慌てる副伯の喉元に向けて渾身の力を込め、トマは重い片刃の大剣を突き上げた。

副伯は咄嗟に身を捩って躱そうとするも、鋭い切先は彼の肩に刺さり激痛が全身を走る。

地下室にがらん、と副伯が持っていた銀の杖が転がる音が響き、やがて荒い息遣いが二つその音を塗りつぶした。





「うが、あ、おのれ、平民!」


「や、やった!」


「――あ……え? え? ここは?!」





副伯が銀の杖を落とすと同時に、階段の方から間の抜けたルイズの声がトマの耳に届く。

どうやら杖を手放すと、杖の効果が切れてしまうらしい。

バルビエ副伯は凄まじい憎悪を視線に乗せトマを睨んでいたが、ルイズの声を聞くや己の不利を悟り舌打ちをした。





「お、おのれ! こんな、こんなガキに私の計画が……!!」


「観念しろ、この悪党め!」





トマの言葉に怒りが炎のように燃え広がる。

しかし状況は副伯に罵倒を投げる時間すらも与えていなかった。

魔法を封じられた上女王の密偵まで元に戻っては勝ち目はない。

ここは一旦引くべきだ。

なんとかリュシモン殿と連絡をとって匿ってもらわねば、私の立場どころか命すら危うくなる。

激痛と憎悪で表情を染め上げながらも、バルビエは冷静にそう判断して刺されたままの剣を自ら後ろへ移動して引き抜き

なんとか落とさずに握っていた自分の杖を振り上げて "レビテーション" を詠唱した。

呪文は直ぐに完成し、未だ状況を呑み込めていないルイズを突き飛ばしながら副伯は猛烈な勢いで階段を上に飛んで行く。




「あ!」


「きゃあ!」





トマはバルビエ副伯が落とした杖を拾い上げ、階段から転げて尻餅をついているルイズを助け起こした。

短いスカートはまくり上げられ、無様にも両脇をリボンで固定するタイプのパンツを露にしていたルイズは

いちち、と言いながらも差し出された手を掴んでよろよろと立ち上がる。

それからすぐに先程の自分の体勢を思い返し、顔を真赤にしてトマに食ってかかった。





「み、みみみた?! 見えた?!」


「ルイズさん! そんな事よりも姉さんを頼みます!」


「え? トマ? あ、ここって……え、エメ!! トマ、これは一体……」


「話は後で! 今は姉さんを! 足に絡み付いている魔法の道具がルイズさんじゃないとダメだってデルフが言っていました。
 僕は副伯を追います!」


「あ、ちょ、トマ! 待ちなさい! こら! せめて見たか見てないか位、こら!」





ルイズの制止も聞かずトマは再び走り始める。

階段を駆け上がり館の外へ出て逃げた副伯の姿を追うが、既にその姿は跡形もなく消え去っていた。

眼前に広がる森は闇を湛え、空には二つの月。

トマは悔しさに口を固く結んで何処か、副伯が逃げた痕跡を探して辺りを伺う。

もしや、逃げずに館の屋根にでも登って反撃の機会を探っているのかも、と屋敷を観察していた時である。

門の向こう、トマたちがやってきた道が伸びる夜の森の方角から、耳をつんざく様な爆音が轟いた。

突然の轟音にビクンと肩を跳ね上げてそちらを向くと、夜空に先程見た爆炎の塔が再び出現しその光と月の光を背景に

森の鳥達が夜空に逃げまどっているシルエットが浮かび上がる。

どうやらまだあのメイジと才人が戦って居るらしい。





「サイト……」


「わはは、相棒の方は派手に暴れているらしいな!」


「なあデルフ。サイトは……本当に大丈夫なのか?」


「ああ、多分な。しかし相棒も因果なもんだ。
 どうしてこう、でかいドラゴンやら亜人の軍勢やら厄介な敵ばかり抱え込むんだろうな?」


「僕がそんなこと、しるかよ!」


「ま、そうだがな。……おい坊主、取りあえず姉ちゃん取り戻したことだし相棒ん所いくか?」


「え?」


「あのメイジ追うって言っても、この暗さで飛んで逃げられちゃ追いようがないだろ。
 相棒ん所に行こうぜ!」


「で、でも……流石にあんな炎を撃ってくるメイジ相手に僕一人が行っても……」


「バカ、何も坊主が戦う必要はねえよ。俺様を相棒に渡してくれればいい。
 あの槍は威力こそあるが、人間のメイジ相手だと大味すぎて結構やりづれぇんだ。
 それに相棒は槍についてはもっぱら投げるばかりだからな、多分手こずってるのもそのせいだろうさ」


「そ、そうなのか?」


「ふん、最初から殺す気でやってりゃ相棒ならあの程度瞬殺よ、瞬殺。
 まったく、妙な体になっちまってからこっち、相棒はなにかと直ぐに槍ばっか使って面白くねえ!
 大体、あんなもんに頼るから見ろよあのザマを。昔の相棒の方が余程強かったぜ。
 しまいにゃ俺様をこんなヒョロっ子にレンタルする始末だし!」


「デルフ……お前、もしかして妬いているのか?」


「うるせえ! いっちょまえの口聞くんじゃねえこのヒョロっ子!
 お前なんかお人形遊びでもしてればいいんだ!」


「お、怒るなよ、僕が悪かったよ。
 ……そうだな、バルビエの手がかりが見つからない以上、サイトの方に行こう。
 あ、でも僕、馬は乗れない……」


「……なあ、坊主。その杖、お前なら使えるんじゃねえか?」


「え?」


「俺様は持ち主の事はある程度 "わかる" んだ。おめ、色々と秘密かかえてんだろ? 例えば、 "青い痣" もっているとかな!」


「――!」


「理由は聞かねえから安心しろや。言いふらして面白い話じゃねえしな。
 それよりもだ、もしその杖使えりゃ "レビテーション" も使えるようになるんじゃねえか?」


「僕が……メイジになれる?」


「わかんね。だから試してみようぜ。そうだな、あのエバったおっさんはどうやら杖に生き血をかけていたようだし
 ちっとだけ垂らして様子見るってのはどうだ?」


「わ、わかったよデルフ。ぼぼ、僕がメイジに……」





トマは突然の話に戸惑いながらも、デルフを地に突き立てて持っていた銀の杖を見つめた。

杖は月光を反射し、トマの手の中で鈍く光っている。

暫しの逡巡の後、トマは意を決して左手の平をデルフの刀身に押し当てた。

美しい少年の眉根が歪み、直ぐに刀身を握る手を離して銀の杖を血が流れ出したその手で握り直す。

直後。

杖を中心として風が巻き起こり、青白い光がトマの体を包み込んだ。





「わ、わ、これ、なんだなんだ?!」


「坊主?!」





デルフの声は強くなる杖からの風にかき消されていく。

風は強風となりまるで竜巻のようにトマを包み込んだ。

トマは慌てて杖を手放そうとしたが、なぜか杖から手を離すことが出来ない。

うっすらとたまらず瞑っていた目をあけると、なんと銀の杖がどろりと溶けて手にまとわりついているではないか。

溶けた銀の杖はトマの左手を伝って全身に這い上がって来る。





「うわー! うわー! で、デルフ! た、助け」





声は更に強くなる竜巻の凄まじい風切り音によってかき消されてしまう。

それからどれ程時間が経ったであろうか。

やがて風もおさまり、後に残るのは静寂と一つの影。

影は、銀光煌めく出で立ちの影は、無言で側に突き立っていた剣を握るや赤い月光が強く降り注ぐ夜空へと音もなく飛び立つ。

その姿はまるで美しい鳥のように優雅で、まるで絵画を切り取ったかのようであった。

そんな幻想的な光景を無粋な歓声で彩る魔剣の声。





「おでれーた! 流石の俺様もこれは予想できなかったぜ坊主!」





しかし夜空を行く銀の影は、手にした魔剣の言葉に反応しない。

かわりに口を開け、声を発する。

声は言葉では無く、信じられないほどの美しい調べであった。

調べは夜の森に透き通るように響きわたり、風が走るように木々がざわめき始める。





「な、なんだなんだ?! おい、坊主! どうなってんだ? おいって!」





デルフの言葉にトマは変わらず反応しなかった。

一心不乱に美しい調べを口にのせて唄うばかりである。

もしこの場にルイズやタバサが居れば、唄の正体に気がついたのかもしれない。









目覚めた "魅了の青い鳥" は、魔剣を手に狂おしく唄いながら夜空を飛び続ける。

















[17006] 5-9:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄8
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/27 19:23










「煤火」のドニは酷く戸惑っていた。





久々に出会えた手応えのある相手の存在に、である。

まだ少年とも見て取れる敵は、彼が得意とする炭塵爆発の魔法を三度放っても未だ殺せずにいた。

一度目は奇襲で。

二度目は念入りに。

三度目は混乱の最中。

敵はその度に何事も無かったかのように立ち上がり、奇妙な槍を振りかざして挑んでくる。

馬鹿な?!

これは何かの間違いだ!

何故あの炎を、爆発をまともに受けて立ち上がれるのだ?!

目の前に迫る敵が投げた槍を必死にかわし、空中へとドニは逃れた。

槍はドニが先程まで居た場所で爆ぜ、大きな土柱を上げる。

その威力に内心戦慄しながらも、次に来るであろう敵の攻撃と次の魔法の詠唱に備えた。

僅かな隙を見せればたちまち敵の攻撃の圧力に飲み込まれてしまう。

イーヴァルディと名乗った敵は恐ろしく素早く、タフネスで、その外見に似あわぬ殺気を纏っていた。

一体何者であるのだろうか?

どうすればあんな……

思考は続かない。

魔法でも使わない限り常人では到底跳べぬ高さまで跳躍してきた敵が、眼前に迫っていたからだ。





「ちぃ、しつこい!」


「この! ああ、クソ! 今のは惜しかった!」





どこか余裕のある敵の言葉に舌打ちしながらも、ドニは未だ土煙舞う大地へと移動する。

その土煙を利用しもう一度燃える石の粉、炭塵を錬金して敵に四度爆炎の魔法を使うために。

化け物め。

いいだろう、お前が死ぬまで何度でも燃やしてやる!

ドニは久しぶりに味わう憔悴と恐怖を増大する殺意で塗り潰して未だ舞い散る土煙の中、空から落ちてくる怪物の姿を睨みつける。

一方、才人の方もドニと同じように酷く戸惑っていた。

相手は手練の戦闘メイジであるとはいえ、かつて戦ったワルドや暴君といった強敵よりも遥かに格下の相手である。

その相手に苦戦を続ける己の胸中に、才人は問いかけ続けていた。

何故だ?

何故俺はこの程度に相手に苦戦しているんだ?

手加減して戦っている?

いや、違う。

デルフがいないから?

槍を扱う事に慣れていないから?

……いや、そうじゃない。

じゃあ、なんだ?!

答えは出ない。

……俺の戦い方が雑になっている、のか?

むー、地上戦ならすぐ終わるんだろうが、アイツもそれをわかっているのか直ぐ空中に逃げやがるし。

奇襲、かけづらいよなあ。

高く宙に跳んだ才人は地に落ちながら思案にふける。

そんな彼の隙を突くように土煙舞う地面から、鉄の矢がいくつも飛んできた。

恐らくはドニが錬金で作り出した物を飛ばして来たのだろう。

慌てて身を捩ってかわそうとする才人。

しかしドニのように空中を自由に飛べるわけではない彼は、捌ききれず脇腹に一本矢が刺さってしまう。





「ぐ、こ、こんなもの!」





脇腹に刺さった矢を苦悶の表情を浮かべながら引き抜き、捨てる。

傷口からは血が吹きがすぐに止まり、やがて傷そのものも消えるのだった。

その異常な自然治癒力は "グリムニルの槍" の力による物である。

いちち、くそ。また食らっちまった。

前と違ってこんな風にダメージ受けても直ぐ治るからいいけどさ。

……いいけど?

才人は胸中でつぶやいた言葉にはっとした。

知らず、負傷する事を肯定していた自分に気がついたからだ。

次いで己に巣食っていた不死身故の歪な余裕と慢心を見つける。

不死性は才人に "絶対に負けない" という意識をいつの間にか強く深く植え付けていた。

特にメイジにはそれが顕著で、才人にしてみれば相手の魔法を受け止め続け、精神力が切れるかひるんだところで

攻撃に転じても良しとどこか考えていた節さえもあった。

この時、才人に不死身の体を与え強大な槍を作り出すこの魔具は、逆に才人にとって枷となりつつあったのだ。

その証拠に心が震えていない。

ルイズを守ろうとする時ほど、ルイズが傍らに居る時ほど、虚無の唄を聞いている時ほど心が震えては居なかった。

その事実は才人の体に如実に現れる。

ルーンを通じて "グリムニルの槍" から力を取り出している為、そのルーンの力の源である心の震えが無ければ

取り出せる力も強いものではなくなってしまう。

土煙が立ち込める大地に着地した才人は、舌打ちをしながらすかさず横へと跳んだ。

同時に才人が着地した場所で爆発が起きる。

爆風は水平に近い角度で跳躍した才人の足を舐めたが、先程よりも規模は小さいものであるらしく炎が才人を襲うことは無かった。





「ふん、よく避けたイーヴァルディ! 褒めてやる!」


「ありがとうよ! そら、お釣りだ!」





悪態をつきながらも才人は手にしていた槍を声のする方角へ投擲する。

先程の爆音に似た轟音がして、今度は炎ではなく土柱が夜空に上がった。

才人は空中に逃れているドニを確認しながらその場を移動し、今度は奇襲を掛けること無く再び舞い上がった土煙の中にその身を潜ませる。

……俺は虚無の使い魔 "ガンダールヴ" だ。

力の源は魔剣・デルフリンガーでも、 "グリムニルの槍" でも無い。

"心の震え" なんだ。

心を震わせないと勝てる相手にも勝てなくなる程弱くなっちまう。

呟いて目を閉じる。

想うはルイズの美しい顔。

さらわれたエメの安否。

闘志と戦闘の高揚で心地よく昂ぶっていた心が不安や心配、愛しさなどといった不安定な気持ちで満ちていく。

果たしてルーンの白い輝きは徐々に強くなっていった。

しかし。

足りない。

これでは、この程度ではまだ足りない。

"ディスペル" の詠唱時間を稼ぐため、巨大な水の竜巻を押しとどめた時。

ルーの救出に向かっていた時。

アルビオンの時。

ルーガルーの時。

フーケのゴーレムの一撃を受け止めた時。

いずれの時の心の震えにも届かない。

エメが心配でないわけではない。

しかし、今は "虚無" に目覚めその強力な魔法をも習得したルイズがエメの救出に向かっている。

危なっかしい所がある彼女だったが、才人はそんな "虚無" の担い手であるルイズを信頼していた。

皮肉にもその信頼が安心となり、才人の力を削ぐ。

"ガンダールヴ" の強大な力は主を守る為に存在し、その虚無の詠唱を背にしない限り真価を発揮出来ない。

才人は唇を噛み、誰よりも理解していた筈のその事実を改めて実感した。

同時に、ただ一つの例外が閃光のようなひらめきとなり脳裏をつく。

そうだ!

アレならば、もしや……





「どうした、イーヴァルディ。もしかして諦めたのか?」





突如投げかけられたドニの言葉に、才人は思考を一時中断し夜空を見上げた。

土煙はいつの間にか殆どおさまっており、月を背にしたドニの姿がハッキリと見える。

同様に才人の姿も相手にハッキリと見えているのだろう。





「うるせえ! チョロチョロと逃げ回るお前をどう仕留めてやろうか考えていた所だ!」


「ふ、そうか。だがそれも無駄になったな」


「何?!」


「お前が考え事をしている間に少し細工をさせてもらってな。
 土煙が随分早く収まったと思わないか?」


「な、まさか」


「今度は規模がでかいぞ? ここら一帯まるごと吹き飛ばしてやる」





空中に浮くドニはそう口にしながら発火の為の薬品が入った小瓶を取り出し、無造作に地に向かって投げた。

才人は慌ててルーンを強く輝かせ、その場を離れるべく駆け出す。

いくら不死身だとはいえ、強大な爆炎を何度も受ければいつかの時のように意識を失ってしまう恐れがある。

これ以上強力な魔法を受けるのはまずい!

小瓶の落下地点から逃げるように才人は走った。

しかし無情にも小瓶は地に落ち、小さな火種が発生して炎を作り出し、炎は爆炎となって才人に迫る。

轟、という音を背に聞いて、才人はまるでスローモーションのような一瞬を振り返り見た。

爆炎がゆっくりと近寄ってくる。

自身の体もゆっくりと動いている。

実際はゆっくりではないが、才人の意識が現実と自身の体よりも遥かに速く動いていたが為に起こった現象であった。

ああ、くそ!

間に合わない!

そう感じた一瞬の最中。

すべての炎が突如、空中に向かって方向転換を始めた。





「いで! な、なんだなんだ?!」


「む、これは一体?!」





意識の速さが現実と同じものに戻った才人は、突然の出来事にたたらを踏み転びつつも、突然方向を変えた炎の行方を追う。

一方、ドニも完成した筈の自身の魔法が突如生き物のように爆風の向きを変え、移動を始めた事に驚愕してその行先を探っていた。

爆炎はまるで身を捩る大蛇のように空中の一点へと向かい、やがて丸く一纏まりになりぐるぐると回転しながら

僅か二メートルほどの球状になってゆく。

その様はまるで小さな太陽のようであり、傍らにはいつからそこにいたのか銀色の影が一つある。

影は、銀の影は、月と爆炎が凝縮された火球に赤く照らし出され、夜空に神秘的に光り輝いていた。

遠目にもわかるほど長くきめの細かいブルネットの髪。

細く白い肩が露出した、左手のみ袖のある奇妙な銀光瞬くビスチェドレス。

袖のない右手には無骨な片刃の大剣。

そして。

才人もドニも思わず見とれてしまう程の、美しいが意志の見えない顔。





「――トマ、か?」





返事はない。

銀の麗人は大きなブラウンの瞳を半ば塞ぎ、夜空に凛と浮かび続ける。





「わはは、相棒! えらい苦戦しているようだな!」


「デルフ! とするとやっぱりトマか!」


「おう! ちょいと様子がおかしくなっちまたがな!」





不意にするり、と空中に居るトマの手の中からデルフが滑り落ちた。

才人は慌てて落下するデルフの元に駆け寄り、器用にも地に落ちる前に柄をキャッチして受け止める。





「デルフ、どういう事だよ?!」


「わかんね。バルビエとかいうおっさんが持ってた妙な杖に坊主が血をかけたら、ああなっちまった」


「はぁ? なんだそれ?」





才人はデルフの全く要領を得ない説明に、すこしイラつきながらもう一度宙に浮くトマを見上げた。

トマは相も変わらず茫として夜空に火球と共に浮き続けている。

絵画のようなその光景に才人は一瞬見惚れてしまいそうになるが、今はそんな時ではないと頭を振りトマに声を掛けようとした。

その時である。

いくつもの鉄の矢がトマに向かって地上から天に飛翔していった。

何時の間にか地に降り立ったドニが、トマを敵であると判断し魔法を使ったのであろう。

矢は新たな敵を排除すべく、夜空に浮かぶ麗人に襲いかかる。





「トマ!」





思わず叫んだ才人だったが、すぐにその表情を驚愕で強ばらせた。

無数の矢がトマの体を貫く寸前、一斉に停止して元来た方角へ引き返して行ったからだ。

ドニは予想外な反撃に慌てて "レビテーション" を唱え、自身が放った矢の群れから宙へ逃れた。

トマはそんなドニの様子など気に止める風もなく、何事も無かったのように夜空に浮き続ける。





「あれは…… "カウンター" ! なんでトマが先住魔法を?!」


「しらね」


「しらね、じゃねえよ! どういう事だよデルフ?!」


「めんどくせえな、ほれ、青い鳥がどうだとか前に言ってたろ?
 バルビエってのがそれ絡みの、血を垂らして使う魔具を持っててな。坊主がそれに血を垂らしたら」


「ああなった、って事か? しかし、あの姿は……」


「わはは、おでれーたか? 相棒! 俺様もおでれーたぜ!」





言葉を飲み込みながら才人はすっかり変わってしまったトマを見上げた。

認めたくは無かったが、胸がルイズを想う時のように締め付けられドキドキと高鳴る。

ば、バカ!

あんな格好してるけど、あれは男だぞ?!

みろ! ルイズよりも、タバサよりも、ずっとずっと胸もないし。

女装したトマにときめいてどうすんだよ!

そもそも、俺にはルイズという大事な……

言い聞かせるようにそこまで思考を進めた時、ドキンと更に強く胸が跳ね上がる。

高鳴りはそのまま続き、息苦しさを覚えた才人は思わずトマから目を離そうと試みる。

しかし、それすらもできない。

混乱しながらも才人は頭をもう一度振って、自身に巣食った耽美で甘い感情を必死で追い出そうとした。

一方、特に女性関係については今ひとつ意志の弱い才人の他にもう一人、月夜の麗人に胸を高鳴らせている人物がこの場に存在した。

ドニである。

彼は己の魔法を跳ね返した新たな敵を同じ空中に在って、憎々しげに睨みつけながらも激しく動揺していた。

なんだ、この感情は!

ありえない!

何が起きたのだ?!

いや、 "俺は何をされたのだ" ?!

戦闘中にこのような感情が昂ぶるなど、ありえない!

それに、先程のアレは……以前一度だけみたことのある、先住魔法の "カウンター" ではないか!

あの敵は、あいつはエルフなのか?

ドニの見つめる先、銀のドレスに身を包んだトマは小さな太陽と共に夜空に浮かび、涼しげに目を半分伏せて茫洋としている。

銀のドレスが月光をキラキラと反射して輝いて見えるその姿は神々しく、魂を抜かれてしまうのではと錯覚を覚えるほど惹きつけられた。

焦がれるような強い恋慕の情が心の奥底から止めどなく湧き出し、そのすべてを否定するようにドニは一瞬強く目を瞑った。

そして次に目を開いた瞬間、何かを振り払うかのように杖を振って火球を作り出す。

"カウンター" で跳ね返される事は理解している。

しかし彼を蝕む甘い感情の正体を知るために、そうせずにはいられなかったのだった。

火球はすぐに完成し、銀の麗人へと猛スピードで飛んでゆく。

果たして火球はトマには当たらなかった。

だが "カウンター" によってドニへ向かって反射もしてはこない。

火球はトマに直撃する直前、先程の爆炎と同じように突如方向を変え、暫くトマの周りをぐるぐると回った後

小さな太陽に飲み込まれたのだった。





「一体……本当にどうなってんだ?」


「ありゃあ……相棒、坊主のアレはとんでもねえ事になってるかもしれねえな」


「どういう事だ、デルフ?」


「 "カウンター" ってのは先住魔法だろ?」


「ああ、だけどあれはその土地の精霊と契約しなきゃ使えねえ魔法だけどな」


「そこだよ、相棒。もしかして坊主はこの地の精霊と契約できてるんじゃねえか?」


「はあ? まさかあ。エルフ以外で精霊と契約できる人間なんて聞いたこともない。
 それにあいつメイジですらねぇんだぞ?」


「坊主が使ったもんがそういう魔具じゃねえのか? ってことだよ相棒。
 坊主が血を垂らした代物は、詠唱も無しに人を操れるようになる魔具だってバルビエとかいうおっさんが口を滑らせてたしな」


「おい、精霊は人じゃねえ」


「だぁから! 鈍いな相棒は。これだから天然スケコマシは……」


「だ、だれが天然スケコマシだよ!」


「んなことよりも。アレは人どころか、精霊すらも操れる代物じゃねえか、って事さ。
 それこそ魔法もロクにつかえないトマでさえっていう、とんでもねぇな」


「ううむ……」


「ま、坊主に直接聞けばわかるさ。見ろ、決着がつきそうだぜ?」





デルフの言葉に才人はやっとの思いで視線を外せていたトマの姿をもう一度見た。

トマは相変わらず空中で茫洋としていたが、不意に袖のある左手を掲げ小さな太陽となった火球をドニに向かって飛ばす。

巨大で凄まじい密度を持った火球はドニに向かってまっすぐ飛び、程なく何かにぶつかる事無く空中で爆ぜた。

同時に辺りが白一色に染めあげられる。

音が一瞬消え果て、その後から衝撃波と共に爆音が走った。

才人は思わず腕で頭を保護し、叩きつけられる爆風に吹き飛ばされないよう踏ん張った。

次にゆっくりと薄目を開けてその光景を目の当たりにし、戦慄する。

まるで世界樹のように空高くそびえる火柱がそこにあったからだ。

火柱はドニが今まで作り出していたそれなど足元にも及ばず、かつて戦った暴君の猛烈なブレスを才人に連想させた。

一方トマは相も変わらず意志の見えない表情のまま、その美しい貌を炎に照らし出されながら、かざした左手をほんの少しだけ下に移動させる。

手の先、才人の槍によって酷く地形が変わった森の道には、爆炎の直撃から間一髪で地に逃れたドニの姿があった。

ドニは熱風に半身を焼かれたのか、ローブの一部がボロボロになり荒く肩で息をしながらフラフラと立ち上がろうとしている。

トマは無表情で口を僅かに開き何かを呟くと、それに呼応するようにかざした左手の銀の袖が生き物のようにウネウネとうごめいた。

二の腕の辺りまであった袖は、艶めかしく動きながらも左手の平に集まって行き、やがて棒状にその形を変えて行く。

程なくトマの手の中には、見事な細工が施された刺突剣が現れた。

トマは剣をかざしたまま、半開きになっていた口を更に開いて何か囁き始める。

囁きは徐々に大きな透き通るような声となり、やがて才人の耳にも届く程の大きさとなり夜の森に染みこんだ。

――それは、唄であった。

思わず聞き入ってしまいそうになる美しい調べは、森をざわめかせる。

いや、ただ美しい調べである唄ならば異変は起きなかったであろう。

唄を聞いた才人は突如、その場に膝を折って座り込んだ。





「相棒?!」


「――あ、あ、あ」





呼吸もろくに出来ない様子の才人は、口を大きくあけ涎を垂らしながら体をブルブルと震わせる。

強烈な恋慕と極度の性的興奮。

繰り返し襲い来る、満たされた飢餓感と足りない幸福感。

欲しい!

あれが、あいつが、トマが欲しい欲しい欲しい欲しい!!

鼓動が早鐘のように飛び跳ね、頭の中が白一色となり、はち切れそうになった股間が生々しく尽きぬ性欲を駆り立てる。

僅かに、ほんの僅かに残った理性の隅で才人は理解する。

先程までトマを見て湧き出ていた感情の正体を。

声だ。

あの声は、 "魅了" の効果を持っているんだ!

それもとびきりの。

恐らくトマはずっとあの唄を歌っていたのだろう。

そして、この唄は精霊さえも虜にするほどの効果を――





「相棒! おい、しっかりしろ相棒!!」


「デ、ルフ……おま、え、平気なのか?」


「はぁ? よくわからね。どういう事だ?」


「あの、唄、だ。あれ、が、すべてを、 "魅了" して、いるんだ。せい、れい、さえも」


「坊主にメロメロになっちまった精霊が、力を貸しているってのか?」


「た、ぶん……」


「へっ、そりゃすげえ! それでか、あのメイジも唄を聞いた途端悶えだしてしまいにゃ倒れちまったぜ?」


「は、そりゃ、よかった……っ、デ、ルフ。悪いけ、ど、トマに、唄を辞めるよう、言ってくれないか?」


「うはは、相棒! イきそうなのか? 我慢だ相棒。あとで嬢ちゃんにこっぴどくお仕置きされるぞ!」


「ちゃ、かすなよ! たのむ、コレ、すっげえキツイんだ!」


「ち、根性のねえ。男ならこの場で堂々と自慰を始める位じゃねぇと」


「デルフ!! 洒落に、ならねぇんだって! 繋いでる理性が、消えそうで、そうなった、ら、ほんとにそうしちまいそうだ!」





才人の悲鳴のような声に、デルフは事態の深刻さを悟り夜空に在って "魅了" の唄を唄うトマに声をかけた。

しかし、その呼びかけにトマは反応しない。





「おい、デ、ルフ?」


「だーめだ相棒。ありゃ、呑み込まれちまってる」


「へ?」


「よくあるこった。素人が難しい魔具に手を出すと、力やら何やらに精神を呑み込まれるって話はな」


「は、ぁ?!」


「ほれ、相棒も趣は違うが "ダブル" の時に呑み込まれかけてたろ? アレとにたようなもんだ」


「ど、どどど、どうすん、だよこれ! 俺、イっちゃうぞ?!」


「知らね。イけばいいんじゃねぇの。気持ちいいんだろ?」


「そういう、問題じゃない! くそ、どうすりゃ、いいんだよ!」


「魔具の効果切れるのを待つか、一か八かあの魔具をブッ壊すかだな。精神取り込むようなもんは大概壊せば元にもどるし」


「あの、剣か?」


「いんや。銀色の部分。ドレスもだな。よかったな、相棒! 女の服脱がすのは得意なんだろう?」


「ん、なわけ、あるか! トマ!! 頼む! やめてくれ!!」





悲痛な叫びに、トマは初めて反応して唄う事を辞め才人の方を見た。

その顔は相も変わらず表情が無い。

才人はその顔に意思の疎通が上手くいったのかと顔を強ばらせ不安になったが、やがてゆっくりと地に降りてくるトマを見て

ほっと胸を撫で下ろした。

しかし、地に降り立ったトマを確認するや再びその顔を強ばらせる。

トマは変わらず茫洋とした体で、今度は才人に向かって左手の剣を向けて来たからだ。

そして、もう一度紡がれる魅了の唄。

青い鳥のさえずりは、今度は先程よりも更に強く甘く辺りに響き渡る。





「うあ! や、めろ!!」


「相棒!!」





才人は思わず地に頭をうずめ、その場に丸く蹲った。

肩は小刻みに震え、体中からは汗が噴き出てくる。

苦痛の為ではない。

凄まじい快楽の為である。

それらが渇望となり、意識がただ一点に集約して行く。

うずめていた頭を上げ、才人は地に立ち麗しき唄を歌うトマを恍惚と眺める。

口の端からは涎が垂れ、更に甘くなって行く唄をほしがるかのように震える手をさしのべた。





「相棒! おい、しっかりしろ!」


「あ……う、あ……」


「ええい、くそ! 俺様の声が耳に入ってねえ! こうなったら……」





デルフが愚痴を吐いた後、才人はもう一度頭を地に伏せた。

それを切っ掛けにしたのか、甘い魅了の唄が響き渡る中すくと足取りも確かに立ち上がる。

同時に銀のドレスに身を包み、一心不乱に唄うトマに向かって猛烈な勢いで駆けた。

まるでマスケット銃の弾丸のようなその動きは稲妻のごとく鋭い。

しかし。

次の瞬間、鈍く重い音と共にトマの少し手前で才人は派手に吹き飛ばされてしまうのだった。





「くそ!  "カウンター" か!」


「痛ぅ! な、なんだ?!」


「おう、相棒、目が醒めたか? まったく、唄の虜になるなんて情けねえ。神の盾が聞いて呆れるぜ」


「で、デルフ?! お前……」


「ふん、ちょいと体を借りたぜ」


「あ、そ、そっか。お前そんな事できたんだっけ」


「そんな話は後にしろよ相棒。ほれ、坊主が目の色変えたぜ?」





"カウンター" によって吹き飛ばされ、地に寝そべったままであった才人はデルフの言葉に始めてその異変に気が付いた。

唄が止んでいる。

慌てて体を起こした才人が見た物は、トマが左手の剣を空に掲げている所だった。

その行為に呼応するかのように周囲の木々がざわめき立ち、枝がボキリとひとりでに折れトマの周りに集まってくる。

枝の数はみるみるうちに増えてゆき、やがて空を埋め尽くす程になっていった。





「坊主はよほど相棒の事が嫌いらしいな」


「冗談言ってる場合か! くそ、さっさとあのドレスをひっぺがさないと!」


「おう、相棒! やっとその気になったか。うはは、坊主も案外喜ぶかもしれねえな!」


「茶化すなって! くるぞ!」





苛ついた言葉をその場に残して才人は横に走り始める。

その影を縫うかのように、無数の枝が地に刺さった。

トマの周りに浮く枝は、まるで生き物の様に才人目がけて飛んでゆく。

才人は一時も立ち止まらず、トマを中心に弧を描くように走りながらその距離を徐々に小さくしていった。

その間も絶え間なく枝が猛烈な勢いで飛びかい、才人を襲う。

二人の距離が五メートル程になった時であろうか。

才人はルーンを輝かせながら一気に円の中心にいるトマの方へと飛んだ。

相も変わらず茫洋としているトマは、才人を迎撃すべく枝を更に飛ばす。

枝は唸りを上げて飛び、顔をガードしていた才人の右手にいくつも刺さり、狙いが甘かった物は脚や肩に刺さった。

しかし、才人は止まらない。

体中に枝を刺されながらも、トマへとその勢いのまま突き進んだ。

狙うはトマの着る、銀の服。

目をやられないよう、ガードしていた右手をそのドレスへと伸ばす。

二人の距離はほんの一メートル程になっている。

才人がやった! と思った瞬間、しかしその目論見はあっさりと崩れ去っていた。

先程と同じように鈍い音を立てて、才人は一気に十メートル程も弾かれて吹き飛んだからだ。

強力な "カウンター" によって弧を描きながら宙を舞う才人を、トマは無表情に眺めつつも剣を向けた。

そこに一切の慈悲も、感情も、表情もなく。

ざざざ、と音を立てて地に落ちた才人に無数の枝が殺到する。















銀に輝く麗人はその様を無感動に眺め続け、ただその場に立ち全てを魅了し続けるのみであった。























[17006] 5-10:extra_episode/伝説の剣と麗人の唄9
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/04/27 19:23










いつ以来だろう。





これほど体が傷ついたのは。

薄れてゆく視界の中、才人は必死に意識をつなぎ止めながらもボンヤリとそう呟いた。

わけの分からない魔具に意志を飲み込まれたトマを元に戻す為に、なんとか奇襲を仕掛けたまではよかった。

しかし、そんな才人を先住魔法である "カウンター" が待ち構えていた。

あらゆる攻撃をはじき返す、強力な魔法である。

本来は何日もかけてその土地の精霊と契約を結んで始めて行使できる、かなり上位の魔法でもある。

そんな強力の魔法を、平民で魔法が使えないはずのトマがいとも簡単に使っていた。

全てはその身の纏う、 "青い鳥のくちばし" という魔具の効果らしい。

"青い鳥" はその美しい唄を聞く全てのモノを、人を、精霊をも魅了し、使役するのだ。

そして……





「くそ、魅了されないモノは、問答無用で、敵扱いってか!」


「きっと、あの魔具の防衛機能だろうさ! しかしおでれーたぜ! まさか相棒を "カウンター" ではじき飛ばすたぁよ!」





"カウンター" により吹き飛ばされ宙を舞いながらもごちる才人の後を、小魚の群れがついて行くように無数の木の枝が飛んで行く。

果たして、地に落ちた才人にその全ての枝が剣山のように突き立った。

その攻撃を境に、森に静寂が戻り今度は風が吹いてざぁと木々をざわめかせる。





「……相棒、生きてっか?」





デルフのおずおずとした声に反応はない。

仰向けに倒れている才人は両手を顔の前に交差させ、なんとか頭への直撃を防いではいたものの

その他の部分は隙間無く枝が刺さっており、誰がどう見ても即死間違いなしと思うであろう有様であった。





「……相棒? ウソだろ? おい……」





再びかけられた不安げなデルフの声に、顔を覆っていた両腕がずるりと動いた。

腕に刺さった枝が他の枝に当たり、カラカラと音が鳴る。





「で、ルフ。い、生きて、なんとか、いきている、ぜ。
 くそ、久しぶりに、意識が、飛びそう、だ」


「相棒! さすが、そうこなくちゃな!」


「で、も、もう限界、かも」


「諦めるな相棒! 追ってすぐ嬢ちゃんがここにくるからよ!」





嬢ちゃん、という言葉に才人はうっすらと開けていた目を大きく開いた。

それから何かを言おうと口を開けるも、出てくるのは血ばかりである。

ダメだ!

今のトマは見境なしだ。

もしここにルイズが来たら……

想像して、才人はまだ血反吐が出て来る口を閉じ歯を食いしばった。

左手のルーンの輝きが次第に強くなっていく。

立たなくては。

トマを止めなくては。

そうでないと、ルイズに類が及ぶ。

想いは心の震えとなり、才人に力を与える。

そして、僅かに力を取り戻した才人は、よろよろと力無く立ち上がるのであった。





「あ、相棒! 無茶すんな!」


「デ、ルフ、お前、あとどの位、俺の体を操れる?」


「何いってんだ、おめ、喋るのもやっとじゃねえか!」


「いいか、ら! 試したい事があるんだ」


「……ふん、最近はあのクソ忌々しい槍ばっか使ってたからな、ため込んだ魔法もそう無ぇ。精々あと数秒だ」


「それで、十、分だ。いいか、デルフ。今から説明する事、よく聞いてくれ、よ?」





息も絶え絶えに才人はデルフにある "作戦" を説明し始めた。

デルフはその内容を聞いて黙り込む。

その間、トマは立ち上がった才人を見て表情一つ変えず、再び左手の剣を空高く掲げ枝を集め始めていた。

森の木々はざわざわとうねるように揺れ、トマの周りにはみるみるうちに大量の木の枝が集まってくる。





「できるか? デルフ」


「そりゃ、簡単だが……相棒、ホントにそれやって大丈夫なのか?


「やらなきゃ、ルイズが危ない。合図したら頼むぞ?」


「まったく、相棒はいつもいつも無茶ばかりしやがる。なんの為に "戻って" きたんだか。
 ……心はちゃんと震わせてろよ?」





才人は答えず、苦悶に染め上げていた顔に僅かな笑みを浮かべさせトマを見た。

視線の先にいる麗人は、剣を高く掲げたまま表情もなく無言で才人を見つめていた。

その顔はどこまでも美しかったが、同時にどこか哀しげで才人の心を打つ。

大きすぎるダメージの為か、あの魅了の唄は聞き取れない。

体の再生速度もかなり遅くなってきている。





「……トマ、折角強くなれたのに悪いな。その服と剣、壊すぜ」





血泡混じりにかけた言葉に返事はない。

やけに赤い月の光が、銀の影を淡く照らし出している。

銀の剣を掲げ、同じく銀のビスチェドレスに身を包んだトマは赤く鈍く月光を反射し、まるで絵画のように美しくその場に立っていた。

……まるで、なにかの物語の一場面だな。

才人は半ばその姿に見惚れ直しながらそう呟いて、意を決し最後の攻撃に移った。

視界が外界と同じように赤く赤く染まってゆく。

同時に荒れ狂う力が心の内から湧き出て、体が軋んだ。

デルフを掴む左手のルーンの光は不吉なまでに激しく赤く輝き始める。

知らずうめき声が口から漏れ力が全身に満ちていくと同時に、体中に刺さっていた無数の枝が全て勢いよく抜けた。

やがて才人に起きた異変は彼自身に留まらず、足下の土や雑草に広がってゆく。

水に小石を投げ入れた時の波紋のように、才人を中心として数メートル程の大地が一瞬で砂に変化して行ったのだ。

ぎ、ぎ、と声を漏らしながら才人は赤くなった視界の中、下を向いていた頭を上げてトマを見据え叫ぶ。





「いくぞ、デルフ!」





絶叫と同時に、才人の姿が消えた。

突如消えた相手にトマは一度、瞬きをしてその姿を追おうとした瞬間。

ゴキン、という重苦しく凄まじい音がして、気が付くと目の前に居るはずのない才人の姿があった。

赤い月光やドニの火柱よりも遙かに禍々しく赤く輝く左手は、デルフを強く握ったままトマの細い腰に回され

右手はつい先程まで才人に向けていた刺突剣を握りしめ血を滴らせている。

その光景をもし見た者がいたならば、ダンスを踊る男女のシルエットの様であったと答えるだろう。

無論、そのような暢気な状況ではない。

ドレスを着るトマを抱き寄せる才人の顔は、無理矢理 "カウンター" を抜けた時に傷を負ったのか血まみれであった。

才人はトマの腰に回した左手のルーンの輝きを元の白い物へと変えながら、無表情で暴れるそぶりも見せないトマに

血まみれの顔をずいと近づけ、ニカっと歯を見せ笑い宣言をする。





「俺の勝ちだ」





同時にバキン、と言う音。

トマの持つ剣がまるで生き物の様に才人の手の中でうねっている。

そのうねりを無理矢理に鎮めるかのように、才人の手の中から幾重にも赤く光る筋が這い出して剣に絡みついた。

トマはたまらず剣から手を離したが、才人は右手の中の剣を今度はトマのドレスに押しつけ、挟むように光り輝く左手でトマを強く抱きかかえる。

麗人は抱きかかえられながら激しく暴れたが、やがてくたりと力無く才人の胸に倒れ込んだのだった。





「……相棒、終わったか?」


「ああ、終わった」





答えて才人は胸に抱き止めているトマの背中越しに、右手に握る品を見つめた。

そこには一筋の銀の槍が握られている。

"グリムニルの槍" の力で槍に変えられた、 "青い鳥のくちばし" である。

トマの "カウンター" を破り懐に潜り込む為に才人が取った行動は、 "ダブル" を使う事であった。

勿論 "グリムニルの槍" を制御するルーンを使う以上、その間は全意識を槍が暴走しないように向けねばならない。

過去に一度槍を暴走をさせた事のあった才人は、これまでも意識さえしっかり持つ事が出来れば

ルーンが無くてもある程度は暴走を押さえ込めるのではないか、と踏んでいた。

事実、過去にこの槍を扱っていた "ガンダールヴ" は結果はどうであれ、一定の期間は一つのルーンで扱っていたはずである。

しかし強い意志の力で暴走を押さえ込む行為は長くは続かないと体感的に知る才人にとって、 "ダブル" での戦闘行為は無理な話でもあった。

そこで "ダブル" を使っている間、デルフに体の操作を預け "カウンター" を無理矢理突破した後

すぐにルーンを制御に戻すという荒技を試したのである。





「まったく、相棒は本当に無茶ばかりしやがんな」


「は、こうやってお前と、無茶やるのも悪くないだろ?」


「わはは、言うじゃねえか相棒! 惚れ直したぜ!」


「うるせえ、剣に惚れられても嬉かないや」


「なんだ、坊主にはドキドキし通しだったくせによ」


「うっせ。ほら、トマ起きろ。おーい」





才人はそう言って胸の中のトマの頬をペチペチと叩いた。

しかし、トマはまるで人形のように眠り続けて居る。

その寝顔は相も変わらず美しく、才人は思わず妙な気分になりそうになり、デルフを握ったままトマを抱いていた左手の力を抜いた。

支えを失ったトマは、その場に崩れ落ちるように倒れ込む。

ほんの少しだけ頬が熱くなるのを感じながらも、才人は倒れ伏したトマを見下ろしふんと鼻息を一つ鳴らしたが

ある事に気がついてうげ! と声を上げ一歩後ろへたじろいだ。

地に横になり、尚意識の戻らぬ美少年が全裸であったが為だ。

否、それだけではない。

僅かに、ほんの僅かだが、胸がある。

ちがう!

あ、あれは横向きに倒れているからそう見えるだけだ!

必死に目の前の事実を否定しようと頭を振る才人の足下で、意識を取り戻しつつあるのかトマはうん、と呻いて仰向けに体を転がした。

その行動は混乱する才人を更に追い込む。

無い。

男に有るはずのアレが、ない。

ない?

うん、無いな。

――もしかして、こいつ……





「なんだ? 相棒、もう辛抱たまらねぇのか?
 襲うんなら嬢ちゃんが来ない内にしとけよ! とばっちりで俺様まで灰にされちゃかなわねえからな!」


「で、ででで、デルフ? こ、こいつ、と、トマは……」


「ああん? 坊主がどうかしたのか?」


「お、おん、お、おおお」


「女だな。それがどうかしたか?」


「でええええるふうう!! お前、知ってたのか?!」


「ああ。相棒がこいつに俺様を貸した時からな」


「言ってくれよ!!」


「あん? まさか相棒、気が付かなかったのか?」


「普通気がつかねえよ!」


「いや、普通気が付くだろ。
 相棒、坊主があんなナリになってまで相棒を助けに来たってのに、そりゃあねえぜ?」


「いやいやいや、そもそも、こいつ魔具に操られていたじゃねえか!」


「……はぁ、ちっとは気が利くかと思えばこれだ。嬢ちゃんも苦労するわな」





デルフはあきれ果てたようにそう言って、カタカタを鍔を鳴らした。

才人は暢気に笑うデルフに己の行為の不可抗力を訴えて、必死にしょうがないじゃないか! と食ってかかる。

やがて言い争いに発展してゆく二人の足下で、意識を取り戻しつつあったトマが艶めかしく呻いた。

その呻きに才人はデルフとの口論を止め、慌ててボロボロになった上着を脱いで "少女" の男と殆ど変わらない、青い痣のある

胸元にかけて注意深くその目覚めを見守った。

やがてトマは目を覚まし、ぼやける目をこすりながら上体を起こして辺りをキョロキョロと伺う。

才人がかけた上着は無情にも体を起こした際、何処にも引っかかる事もなく、はらりと下に落ちてしまっている。

まだ意識が混濁しているのか、トマはそんな事も気がつかずボンヤリとしたまま口を開いた。

形の良いその口から出て来たのは、あの唄ではなく人の、しかし凛とした美しい声であった。





「ここ、は?」


「おう、坊主! 目が醒めたか?」


「デルフ……僕は……、ん? サイト?」


「よ、よよよう!」


「なんだよ、そんな面白い顔して」


「わー! わー! 立つな! こっち来るな!」





才人は立ち上がるトマを全力で拒否するかのように両手を振って、慌てて回れ右を行う。

そんな才人にトマは段々とハッキリしてくる意識の中で怒りを覚え、いつものように気色ばみすこし乱暴に才人の肩を掴んだ。

少女はまだ、気が付かない。





「おい! 折角助けに来たって言うのに失礼な奴だな。こっち向けって」


「わはは、相棒! 坊主がこっち向けってよ! 向いてやんなよ!」


「五月蠅い! トマ! 服! 服だ!」


「ふくぅ? 服が一体何だって……」





美しい声でさえずる青い鳥は、突如沈黙する。

やがて、自身の体を見ていたトマはゆっくりと顔を上げて、掴んでいた才人の肩を更に強く握った。





「……見た?」


「みてないみてないみてないみてない!」


「うはは! 相棒、嘘はいけねえや! 『無い、トマにアレが無い~』 って大騒ぎしてたじゃねえか!」


「んな?!」


「し、ししししてねえ! 断じて見てねえ!」


「ひでぇ男だな、相棒! さっきまで坊主見て涎垂らして股間膨らませていた男の台詞とはとても思えねえぜ」


「な、ななななななな」


「馬鹿! そんな誤解を受けるような事……大体俺はな、ダメージ受けすぎて今にも意識がぁ!」





ごん、という鈍い音が辺りに響いた。

才人は台詞を最後まで口にすることなく、その場に倒れ伏してしまう。

崩れ落ちる才人の背後には、全裸のトマが拳大もある石を手に顔を真っ赤にして立っていた。

その日、散々魔法攻撃を受け続けていた才人は、トマの攻撃によって遂に意識を手放す事となったのであった。







後日。

開店前、『魅惑の妖精』亭にて。

才人とルイズは、店の片隅にあるテーブルを挟んでエメとトマの "姉妹" と数日ぶりに再会を果たしていた。





「よう、久しぶりだな。エメ、その後の傷の調子はどうだ?」


「はい、ルイズさんに塗っていただいた秘薬が良く効いたらしく、お医者様も痕も残らないだろうって」


「そりゃよかった! ルイズ、お前ほんと用意いいな」


「そりゃあ、すぐ怪我する "お兄ちゃん" 持ってればねぇ。
 もっとも、お兄ちゃんはそんな心配も余所にすっごくお盛んなようだけ、ど!」





ゲシ! とテーブルの下で強く足を踏まれ、才人はおぐ、と思わず呻く。

あの夜以来、ルイズはずっとこの調子なのである。

理由は勿論……





「る、ルイズさん。僕とサイトはあの夜、別に何も……」


「ふぅん? あんなに嫌っていたサイトを庇うんだ? ますます怪しいわね」


「いちち、だーかーら! ルイズ、信じてくれよう」


「し、信じられるワケないでしょうが! なんとかエメの応急処置を終わらせて、引き返してみればあんたは上半身裸!
  "エトマール" は全裸でそこにいたのよ?!」





エトマールとは、トマの本名である。

事件の後改めて問い正されたエメの説明によれば、 "青い鳥" の痣の伝説はエメ達姉妹の家に代々伝えられてはいたのだったが

その中でも青い痣を持つ女子が生まれた場合、決して世に出ないよう殺してしまう習わしがあったと言う。

これは痣と "くちばし" がもたらした一族の没落が原因で、これ以上王宮に目を付けられぬようそうしていたのだろうとエメは語った。

元々かなりメイジとしての血は薄まり、ここ数代は痣が出ても赤い物ばかりで特に問題は起き無かったが、とうとうトマの時に青い痣が現れ

殺すかどうか迷った両親はトマを "男" として育てる事にしたのだった。

以来、トマの秘密を知るエメは何かとトマの面倒を見、トマもまたその影響かエメによく懐いた。

そしてある日、バルビエ副伯が姉妹の元に現れる。

父親はトマの事を話すか悩み、その苦悩を察したエメは赤い痣を持つ自分ならば王宮に目を付けられる事もなく

何事もなく貴族に輿入れして、家族に良い生活を送らせる事ができると父親を説得した。

勿論トマは反対をしたのだが、そもそも青い痣の事がその貴族から王宮に漏れれば何をされるかわからない身分である。

結局エメの強い意志に折れ、バルビエ副伯にはエメの事だけを話す運びとなった事が姉妹の真実であった。





「大体、エメもエメよ。どうして最初から本当の事を話してくれなかったの?」


「その……ルイズさんは王宮の方と繋がりが有りそうだったので……」


「あー、言えないわな」


「うむむ」


「で、でも! そんな僕らの為に色々と世話を焼いてくれた事は凄く感謝しています!」





相も変わらず男装をしたトマが、慌ててルイズを庇う。

髪もいつものように背に纏め、トマの事を知らない者がみれば美少年であると認識するような出で立ちだ。





「……わかったわよ、信じてあげる」


「あ、ありがとうございます!」


「それより、トマ。隊舎の住み心地はどうだ? 二人じゃ狭くないか?」


「その辺りは大丈夫だ。むしろ、今まで住んでいた貸家の方が狭いくらいさ」


「そりゃよかった。……ここだけの話、アニエス隊長には昔、俺に剣を教えてくれた人だからな。お前もこってりしごかれとけよ?」


「本当か?!」


「ああ。だが、これは本人にも内緒だからな? 口外すんなよ?」


「わ、わかった! そうか、サイトは隊長に……」





トマは嬉しそうに何かを呟き、下を向いてしまった。

そんな彼女の様子を見て、エメは柔らかに微笑む。

それから、改めてルイズの方を向き直り礼を重ねて口にした。

二人は事件の後、ルイズの紹介で最近設立されたアンリエッタ女王の近衛隊である『銃士隊』に抜擢されていた。

『銃士隊』は先の誘拐事件により、メイジ不審に陥った女王が魔法衛士隊を再編して設立された隊で、隊員は全員平民出身の女性である。

その銃士隊にトマは銃士として、エメは隊の補給を司る輜重隊に配属されたのであった。

無論アンリエッタによる、二人の素性を知った上での采配である。

ルイズはあの夜の事件の事を、才人の力の事を除いてすべてありのままにアンリエッタに報告していた。

その上で報告書の最後に、二人を銃士隊へと推薦したのだ。

憐れな姉妹がこれ以上苦しまぬよう、そしてあの薄汚い安住の部屋にこれ以上姉妹が居座らせないようにする為に私情をちょっぴり含ませて。

二人の素性は王宮にとってあまり好ましくない物であるとは理解していたが、そんな事を気にするような

アンリエッタではないという信頼もある。

果たして、アンリエッタからの返事は二人を銃士隊へ配属させる旨の内容が書かれていた。

同時に手紙には二人へ王家を代表しての謝罪の意を添えられており、言伝を聞いた二人は目を丸くして驚き

エメなどはその場で卒倒してしまい、ちょっとした騒動となってしまう有様である。

結局事件自体は逃げたバルビエ副伯の行方は知れず、酷く荒れた森は魔具を使って女王陛下への反乱を企てた副伯によるものとして

一応の決着を見ていた。

ちなみに森で涎を垂らしたまま気絶していたドニは、目を醒ましよろよろと立ち上がった所で追ってやって来たルイズに発見され

半裸で寝転ぶ才人と全裸でおろおろするトマを見て、頭に血が上っている状態のルイズから八つ当たり同然に "加速" 付きの拳でボコボコにされ

なかば何をされたのかと同情される程の状態で、王宮の兵士に引き渡されていた。





「まあ、いくつか疑惑が残ってるけど、これで一見落着って事ね。
 バルビエを逃したのは痛いけれど、後は王宮の方で上手くやってくれるそうよ。
 ま、何はともあれあんた達がちゃんと王宮での生活に慣れてきてるようで良かったわ」


「はい、おかげさまで。ところでルイズさん、あの "青い鳥のくちばし" はその後どうなりましたか?」


「気になる?」


「ええ、まあ」


「安心なさい、そこの角を曲がった所にある鍛冶屋に持って行って、装飾品の材料にしてやったわ。
 只であんな銀の塊を手に入れられるとあって、すごく喜んでいたわよ。
 しかもお礼にあんたが今ぶら下げている刺突剣までこさえてくれたし、万事めでたしってワケ」


「よかった……」


「まあ、一応元はあんたの一族の宝だったし?
 その剣の装飾に例のくちばしの一部を使ったけれど余計な事だったかしら?」


「い、いえ! ほんと、お心遣いに感謝してもし足りません」


「いいのよ、エトマール。それよりも、ほんっっっとうにあの夜、サイトと何も無かったのよね?」


「だ、だから! 俺を睨むなよルイズ!」


「ぼ、僕を睨まないでください、ルイズさん! 本当に! サイトとは何も無かったんですってば!」





暫くは身を乗り出して、再び才人とトマを交互に睨み付けていたルイズであったが

やがてわかったわよ、信じてあげるともう一度先程の言葉を口にすると、腕を組んでドカと椅子に座り直した。

明らかに納得しては居ない様子である。

そのまま気まずい空気が場を支配しかけたが、エメが場を取り持つように再びルイズへ感謝の言葉を口にした。





「本当に……ありがとうございます、ルイズさん」


「ふん! 私もこれでチップレースに本腰を入れる事が出来るわ!」


「あ、たしかレースって今日まででしたね。ルイズさん、頑張ってくださいね」





エメの朗らかな言葉にルイズはプィっと明後日の方を向いて、唇を尖らせた。

白く背中の大きく開いたいつもの衣装を身につけてのその仕草は、子供っぽくもあり彼女特有の愛らしさもある。





「エメが居なくなったんだから余裕よ!」


「……ルイズ、嘘はいかんぞ、嘘は」


「今何位位なんですか? 姉さんが居なくなって余裕って事はもしかして、ダントツ一位?!」


「……まあ、ダントツってのは合ってるな。だがトマ、それ以上聞いてやるな」





なんとか場の空気を居心地の良い方向に持って行きたいと、ルイズの自慢話に過剰に食いついたトマは

才人の言葉にはっとして口を押さえた。

相も変わらず明後日の方向を向いて腕組みするルイズの美しい眉はピクピクと痙攣を始めている。





「最下位よ! 文句ある?! これから逆転するんだから何位でも一緒よ!!」


「あは、ははは、が、頑張って下さい……」


「ルイズ、俺はお前がナンバー・ワンになれると信じているからな!」


「うっさい! この、浮気者! わ、私ともまだなのに、こんな男女とだなんて!」


「ルイズさん、設定! 設定! お店でそんな大声で "浮気者" だなんてダメですよ!」


「いっ、してねえ! 浮気してねえし! お、俺だってこんな男っぽい奴よりも、ルイズみたいな可愛い子が良いに決まってるだろ!」


「……ホント?」





ピタリと激昂しかけていたルイズの動きが止まる。

その顔は怒りから、僅かに頬を桜色に染めた美少女のそれに変わっていた。

対照的にトマは才人が思わず口走った言葉が少々矜恃を傷つけたらしく、すこしムっとして才人を睨んだ。

才人はそんなトマの視線に気付く風でもなく、主の怒りを一刻でも早く静めるべく首を何度も縦に振り続ける。





「ああ、本当だとも! この中でルイズが一番可愛いし!」


「そんなこと、私が一番可愛いだなんて……」


「そんな事あるぞ! ここにいる、誰よりもルイズが可愛い! うん、間違いない!」





才人の言葉に、ルイズは怒りを忘れ両頬を手で押さえながらイヤン、としなを作り始めた。

その誰がどう見てもバカップルぶりに、エメはニコニコと不思議な圧力のある笑みを浮かべて才人を眺め

対照的にトマはジットリと才人を睨み続ける。

そんな二人の様子の事などお構いなしに、才人は必死にルイズの機嫌を取り続け、ルイズもルイズで手放しに褒める才人の言葉を聞く度に

イヤンとまるでスカロン店長のようにしなと作り、悶えた。

その様はだれがどう見ても完全無欠なバカップルである。

ワケありの兄妹にすら見えはしまい。

やがて、目の前のバカップルにあきれ果てたのか、エメとトマは申し合わせたかのようにすっくと立ち上がり、ではと口にした。





「さて、トマ。そろそろ戻らなくちゃ。わたし、隊のみんなの食事の準備があるもの」


「そうだね、姉さん。僕も今日は訓練を頼み込んで抜けてきたんだ。もう戻らないと」


「あ、そうなの?」


「ええ。ルイズさん、重ねてありがとうございました。このご恩は一生忘れません」


「サイトも。本当にありがとう」





トマはそう言って、才人に右手を差し出した。

才人は少し寂しげに笑い、その手を握るべく右手を伸ばす。

その手を横から掴む手がある。

エメだ。

エメは才人の握手をしようとする右手を取り、そのまま豊かな胸に抱え込んだ。





「んな?!」


「才人さん、トマを……いいえ、エトマールを守ってくれてありがとうございました。
 他にお礼は出来ませんが、その……」





顔を赤らめながら口ごもるエメから、才人の手を取り返す手がある。

トマだ。





「ダメだよ、姉さん。サイトはペタン子が好きなんだ。ほら、中央広場で僕が復唱させられてただろう?
 胸の大きな姉さんじゃ、サイトは見向きもしないさ」


「あら……残念ね」


「サイトはね、胸の無い子が好きなのさ。 "僕のような" 、ね」





トマは――いやエトマールはそう言ってウインクをし、エメと共に悪戯っぽく才人に笑いかけた。

才人は今度はエトマールに右手を抱きかかえられながらも、言葉一つ口にすることなく冷や汗をかいてその場に固まっている。

隣にいるであろう、何故か無言の主を直視できずに。

その後ささやかな復讐を遂げた姉妹は、どす黒く気炎を上げるルイズと恐怖に凝り固まっている才人にそれじゃと言葉を残して

軽やかに『魅惑の妖精』亭を後にした。

それから間を置かず、二人と入れ違いに店にやって来たスカロン店長が見たモノは、いつものようにボロ雑巾のようになった才人であった。

結局、その日のチップレースはルイズが奇跡の逆転を遂げ、才人は普段より強くルイズに "魅了" される事となる。

"以前" と同じように、薄汚い屋根裏部屋で行われたささやかな二人だけの晩餐にて、ルイズがチップレースの景品でもある

"魅了" の魔法が掛けられた、魅惑の妖精のビスチェを身に纏っていた為だ。

この時、ルイズを見て才人は "魅了" 状態であるにも関わらず、ほんの少しだけ不本意ながらも不貞を犯してしまう。

美しい衣装に身を包むルイズを前にして、つい月夜に浮かぶ銀の麗人の唄を思い返してしまっていたからだ。

あの時の自分はその姿に、その歌声に、目の前の愛しい少女を忘れ去ってしまう程の感情を覚え魅了されていた。

アレは、果たして不貞となるのだろうか?

他人に強制された気持ちであっても、不貞であろうか?

――俺は、この先本当にルイズだけを見つめ続けて居られるのだろうか?

意志は、堅いはずの俺の意志は、本当に……

突如湧いた疑問は、目の前のルイズを見ると音もなく消え去っていく。

才人はその事実に、胸を撫で下ろして改めて自分が愛した少女のいつもと違うドレス姿と会話を堪能する。

僅かな不安を心に残したまま。














そんな才人の心を悟ってか、壁に立てかけられた伝説の剣は人知れずため息をつくのであった。





















[17006] Interval_episode/ガリアの蒼い星は暁に瞬く (IF短編・改訂1)
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/09 07:43
■はじめに

このお話は、まとめに使っているブログの10000HIT記念に書き下ろしたものです。
過去のIFものと同じように「ガンダールヴは夢を見る。」の設定を使った別作品の短編だと思って下さい。

設定は才人が死んだ世界でのアフター物で、IF設定です。
すこし説明が曖昧な部分があります。













 突然で悪いのですが、私(わたくし)は天才だと思うのです。



 名前はアンネロゼ・シモーヌ・オルレアン。
 ガリア王国の由緒ある公爵家の姫君。
 虚無の系譜と "剣の系譜" を併せ持つ由緒正しいメイジの家柄です。
 百年くらい前までは始祖の系統 "虚無" というのは伝説でしか無く、よく一族の恥みたいに言われていたらしいけれど今は違います。
 特に我が家のように虚無と剣の系譜を持つ家の場合、魔法が使えない子供が生まれると諸手を挙げて喜ばれ
 それはもう大切に大切に育てられるのです。
 かく言う私も虚無の使い手であり、いずれはガリアの女王となるのかもしれませんが、とりあえず今は
 只の一留学生という身分を楽しんでおります。
 留学、と先程口にしましたが、私は今トリステイン王国のトリステイン魔法学院に留学中です。
 ここは元々その名の通り、トリステイン王国のメイジ達を集めてちょうきょ……教育をする場であるのですが
 なぜ外国人の私がここにいるかといいますと、それは "虚無" であるからなのです。
 どういうことなのかと申しますと、ここでしか虚無の魔法は学べないからなのです。
 更に更にどういうことか、と申しますとここに居る虚無の講師は元アルビオン女王であり、 "剣" を王配にしていた虚無の使い手の一人
 ティファニア・テューダーその人が教鞭を振るって居るからなのです。
 元々アルビオンで女王として君臨いた彼女は、ハーフエルフと言う事もあり王位をその子供に譲るとここへ教師として赴任して来ました。
 今から大雑把に数えて六十年程前の事です。
 人間ならとっくにしわしわのミイラになっている筈なのですが、あんちくしょう、未だに若若の水水しいお肌のバインバインです。
 エルフの血を引く彼女の血のお陰で嘗ては一度滅んだ王家が復活し、なおかつ生まれてくる子供達は皆超美形のナイスバディな上
 長命が保証されて実に妬ましい限りです。
 正にちーとと言う奴です。
 一応同じ "剣" の血を引く親族として、すごく不公平な感じです。
 でも、アルビオンにいるいとこの美形兄弟を見ていると、なんだかすごく耽美な妄想をかき立てられ、思わずヨダレが出て来てしまいます。
 ともかく。
 "虚無" の系統を持つ者は、ここトリステイン魔法学院で "虚無" の魔法を習うのです。
 私以外は。
 私ことアンネロゼ・シモーヌ・オルレアンの場合は、ちょっと違います。
 なぜならば、私は天才なのです。
 かの始祖の再来と言われた "虚無のルイズ" が遺した書を極秘に入手し、入学前に全ての虚無魔法を会得していたからです。
 美しい金髪やでっかいおっぱいが取り柄のあんにゃろうとは、出来がちがうのです。
 私の家系は胸に栄養が行かない分、頭に栄養が行くのです。
 "ガリアの蒼" はあんな雑魚とは違うのです、雑魚とは。
 でもそこは王家、美姫というポイントは必ず押さえて生まれてくるシステムなので御安心下さい。
 ではなぜ、私のように美姫で天才な虚無の使い手が今更こんな辺鄙なエロマン学院長の居る学校に留学してきたのか。
 それは実家に半ば放り出されたわけでは決して無く、虚無の魔法の研究の為なのです。
 なんでも "虚無のルイズ" の代で虚無魔法が復活したのは良いのですが、彼女だけが突出した才能を持っており
 各国のパワーバランスが著しく崩れた時期があったとか。
 そこは彼女の伴侶であり使い魔であった "剣" を当時のトリステイン、アルビオン、そして我がガリアの女王の王配とする事により
 王家の繋がりを密接にして虚無魔法の共有をここ、トリステイン魔法学院で行う協定が出来たのだそうです。
 ……早い話、 "剣" のチ○コで全部つなげちゃったというワケなのです。
 全ての虚無を会得し、新たな虚無を生み出すべく学院に留学した私の使命は三つ。
 この学院で新たな虚無の研究に励む事。
 虚無と比べて今一進まない、かつて最強と謳われた "剣" の研究を行う事。
 卒業までに決して実家に寄りつかない事。
 以上三つの事柄のみが天才公爵息女アンネロゼ・シモーヌ・オルレアンを拘束できる枷なのです。

「……それが宝物庫に忍び込んだ――いや、宝物庫の扉を吹き飛ばした理由ですか? ミス・アンネロゼ」
 そうですミス・コルベール。
「ミス。貴女は先日もグラモン君に暴行を加えて問題になったばかりでしょう」
 あれはあの優男が私にキモい言葉で口説いてきたからなのです。
 あの手の輩には肉体言語で言い聞かせないとわからないのです。
「だからって、いきなり顔の形が変わるまで殴る事はないでしょう」
 チ○コには容赦など必要ないのです。
「チ○コはやめなさい、チ○コは。
……ともかく、貴女は研究者である前にここの生徒でもあるのだから、正規の手続きを行って中の物を取り出すようにしなさい」
 エロマン学院長が扉を開けたいならチキュウ製のエロ本が必要じゃ、などと妄言を口にするのが悪いのです。
「あのクソ……失礼。そう、そういう事だったのね、ミス。よろしい、今回の事は不問にしておきます。
それにいまからあたしが特別に宝物庫の中から必要な物を取ってきてあげましょう。そのかわり……」
 他言無用ですね? わかります。ガリア王家の者ならばこの位の駆け引きなど児戯にひとしいのです。
「よかった、話が早くて助かるわ。それで貴女は何が必要だったのかしら?」
 虚無の系譜と "剣の系譜" を合わせ持つ、私(わたくし)天才公爵息女アンネロゼ・シモーヌ・オルレアンが必要な物とは……







「おでれーた!」
 天才である私の手にかかれば造作もない事なのです。
「お嬢様、この喋る剣は一体……」
 何ですかアラン。剣の系譜であるあなたが "デルフリンガー" を知らないとは、なんとも嘆かわしいのです。
「デルフ……って、たしか "我らの剣" が暗殺者に狙われた時に砕けた魔剣じゃないですか。これどう見てもレイピアですよ?」
 黙らっしゃい、このネズ公。チン○のくせに生意気言うんじゃないのです。
「チン○はおやめ下さい! 大体、お嬢様が 『学院には執事を連れて行けないから』 などと言いつつ
僕を自作虚無魔法でネズミの姿に変えちゃったじゃないですか! コレ、本当に元に戻れるんでしょうね?!」
 私専属執事であるお前が一緒に来なくてどうするのです?
「執事って、こんな姿じゃ身の回りのお世話などできやしませんよ!」
 細かい事は気にしないのです。お前もコッソリ私の着替えを覗けて幸せそうではないですか。
 それともなんですか? ネズミではなくゴキブリがいいですか?
「……このままで結構でございます、お嬢様」
 お前は素直で本当に良くできた執事なのです。褒美に、この剣の事を教えてあげるのです。
 確かに、デルフリンガーは一度砕けました。
 しかし、私の研究の結果それによって "彼" の記憶や人格が消えたりはしていないとわかったのです。
 そこで、天才である私がその記憶を "リコード" をアレンジした魔法で吸い出し、実家からちょっぱって来たこの剣に焼き入れたのです。
 この学院に保管されていたかつてのガンダールヴの愛剣は、今ここに蘇ったというわけなのです。
「まったく、おでれーた! おう、嬢ちゃん、俺様が気を失ってからどれ位時間が経ってんだ?」
 ざっと百年位なのです。
「そうか……じゃあ、相棒は」
 相棒? 虚無のルイズの使い魔、ガンダールヴことヒラガ・サイトの事です?
「ああ。そうか……百年もか……。なあ、嬢ちゃん、相棒はその後どうなったんだ?」
 それを今から研究しに "戻る" のです。
「戻る? お嬢様……また妙な魔法を開発したんじゃ……」
 なんですか、アラン。妙な魔法とは心外なのです。乙女のグラスハートが傷つくのです。
 これだからデリカシーの無いチンコは嫌いなのです。
「○! お嬢様、せめて一文字位隠して下さい!!」
 お前も本当にお父様やお母様のように口うるさいのです。
「取り込み中に悪いが嬢ちゃん、相棒のその後を知る為に "戻る" ってどういうことだ?」
 良い質問なのです。さすがは伝説の魔剣。
 インテリジェンスソードの "インテリジェンス" は伊達ではないのです。
 特別に優しく説明してあげるのです。
 かの虚無のルイズが遺した魔法の内、禁呪とされた魔法がいくつかあるのです。
 中でも大魔法として厳重に封印されていたのが "時間移動" なのです。
 それが記された書物はいくつかの断章にわけられ、各国の王家が厳重に保管しているのです。
 いかに天才である私(わたくし)であっても、その魔法だけはまだ会得していないのです。
 更に、王家に見せてくれと頼み込んでみてもけんもほろろに門前払いなのです。
「そりゃあ、お嬢様の悪名はハルケギニア全土に知れ渡っておりますからねぇ……」
 うるさいのです。
 大体、その悪名も元はといえばお父様が、私のラブリーな悪戯の数々を記した書物を各国の王族に送って
 『娘がそちらに現れたら大変危険だから速やかにあらゆる手段を講じて領内から追い出して下さい』 などと注意するのが悪いのです。
「ノイマン様のお屋敷を全てお菓子に変えたり、モーガン夫人を裸でパレードさせたアレらの何処がラブリーなんですか!」
 モーガン夫人は私の胸の成長を鼻で笑ったのがいけないのです。
 ノイマン伯父様だって、一度で良いから甘い物をたっぷり食べたいと仰ったからこそ、望みを叶えてさしあげたのです。
「ノイマン様は糖尿病です! 知っているじゃないですか!
おかわいそうに、ご自慢の名画まで巨大なビスケットにされてしまい十日も寝込まれたのですよ?!」
 お陰でダイエットに成功したのです。
 ともかく、その時間魔法を書物で会得出来ないのならば自分で作ってしまえと思い立ち、つい先日遂に完成したのです。
「嬢ちゃん、おめ、そんな事ができんのか?」
 私は天才なのです。
  "世界扉" と "加速" 、 "瞬間移動" それと "サモン・サーヴァント" の原理を利用したら思ったより簡単に作れました。
 自分の才能が怖いのです。
「へぇ、そいつはすげえ!」
 もっとも、過去に戻る為には魔法だけではダメなのです。
 戻りたい地点にまつわる物が無いと、遡行時間座標が上手くわりだせないのです。
 因果と言う奴なのです。
「それでデルフリンガーを……」
 アラン、ねず公の割には鋭いのです。褒めてあげます。
「僕はネズミじゃないです! お嬢様が僕をネズミに変えたんじゃないですか!」
「へぇ。嬢ちゃん、色々できるんだな。これも虚無魔法かい?」
 そうです。私(わたくし)は天才なので、私にしか使えない究極の虚無魔法だって使えるのです。
「おでれーた! そんな担い手、見た事ねぇぜ!」
 照れるのです。
「よう、究極の虚無魔法ってどういうのだ?」
  "確率操作" です。
「確率?」
 先程の因果の対になっているような存在なのです。
 つまり、全ての事象をコントロール出来るようになるのです。
 我々人間には原因があって結果が起きるという、 "因果" を普段観測しています。
 しかし、実際はすべて "確率" によって起きたそれらの事象を観測しているに過ぎないのです。
 1+1は2である "確率" が限りなく百パーセントに近いというだけで、実は2と言う答えは
因果によって定められているわけではないのです。
  "確率操作" はこの確率に干渉し、1+1をゼロにも十にもしてしまうのです。
 どんな出来事もゼロパーセントを百パーセントにだってできます。
「そいつはすげえ! でも、そんな魔法があるならわざわざ俺様を復活させたり、新しい時間移動魔法を作る必要がないんじゃねえか?」
  "確率操作" はそれこそ、大魔法なのです。
 いくら私が天才だからといって、そうそう使えるものでは有りません。
 大体、週一回が限度なのです。
「……ちなみに先週はご自身の体重を六リーブル(約3k/g)程軽くするのにお使いになられました」
「……坊主、おめ、苦労してそうだな……」
「アランと申します、デルフリンガー様。ちなみに僕のこの姿もお嬢様の "確率操作" で変えられてしまいました」
 仲良くするのです。
 デルフ、アランも一応はヒラガ・サイトの血を引いているのです。
「そうなのか?」
「ええ。僕は彼が手を出したメイドの子孫なので、魔法は使えないんですけどね」
 本当にアランのご先祖は節操のない○ンコなのです。
「お、おお、お嬢様! ○で隠してさりげなく僕の "剣" でない方のご先祖様の悪口言わないで下さい!!」
 冗談なのです。
 ただ、その胸の大きさに嫉妬した私のご先祖さまのメモを思い出して、ちょっと悪態付いただけなのです。
 ともかく、今から当初の目的通り私(わたくし)の研究の為、過去へ遡行します。
「研究?」
 虚無と比べて今一進まない、かつて最強と謳われた "剣" ことヒラガ・サイトの研究が今の私の目的なのです。
「お嬢様、今から過去へ行かれるのですか?」
 そうなのです。
 王配となってからの "剣" の記録はある程度残っているのですが、それ以前……ド・オルニエールでの生活の記録が
何故か殆ど残って居ないのです。
「ティファニア殿下にお訊ねすれば十分なのでは?」
 まったく、これだからネズミは浅はかなのです。
「僕をネズミにしたのはお嬢様です!」
 小さな事をちゅうちゅうときにするななのです。
 いいですか? アラン。
  "剣" が没してすでに数十年が経っているのです。
 彼を直接知る王族も、もはやあのおっぱいのみ。
 世は再び貴族によるものとなり、彼に関する記録も徐々に消失し、酷い場合は改竄されたりもしているのです。
 特にもっとも彼にゆかりあるここ、トリステイン王国ではその傾向が強いのです。
 先代国王 "瀑布の恐王" ことアンリ王が崩御して、それまで苛烈だったトリステイン貴族達への支配は
今や百年前よりも酷く、緩くなってしまっているのです。
 それに伴い、平民出身であった "剣" の歴史改竄や隠蔽が横行し始めている昨今、正しい記録を権威ある者が纏める事は急務と言えるのです。
 そしてそれこそが虚無の系譜と "剣の系譜" を持つ我々王族の使命なのです。
 そんな重要な使命を、あのような胸にばかり栄養が行く者に任せたのでは心許ないのです。
 この大役は私のように天才でなくてはならないのです。
「権威ならテファニア殿下の方が……」
 だまらっしゃい。
 そもそも、あのおっぱいは甘すぎるのです。
 チキュウ製のチョコよりも甘すぎるのです。
 彼女が "剣" の歴史を編纂した所で、貴族達に良いように言われてしまうのがオチなのです。
 その点、私ならば安心なのです。
 なぜならば、私が書いた物に文句つけようものならば、その場で素粒子まで分解してやるからなのです。
「……お嬢様ならやりかねませんね」
 だからこそ、伝聞ではなく直接行って確かめる必要があるのです。
 誰にも文句の言わせない物を書くには、真実をこの目で確かめる必要があるのです。
「なるほど、そのようなお考えでいらっしゃったのですか。僕、お嬢様の事を誤解していました」
 もっと褒めるのです。
「僕はてっきり、過去に戻ってティファニア殿下の弱みでも握るおつもりなのかとばかり……」
 それも目的の一つなのです。
 あのおっぱいがどんな格好で "剣" と睦んでいたか、じっくりと観察して記録に残してやるのです。
「お、お、お嬢様!それはまずいです! ものすごくまずいです!」
 大丈夫なのです。
 百年もすれば立派な学術書なのです。
 その間も、話題性に引き寄せられた平民達がこれを買いあさり、識字率も上がり "剣" の真実もきちんと世に広まるのです。
「理論武装は完璧だと思うのですが、またいつかのように殿下を本気で怒らせるような羽目になりませんか?」
 ……その時はアランを私の姿に変えて逃げるのです。
「非道い! 僕が殿下に殺されちゃうじゃないですか!」
 心配するなです。その時はお前に "ガンダールヴ" のルーンも刻んでやるのです。
 それを使って、おっぱいが我を取り戻すまで凌ぐのです。
「やですよ! そんなの!」
 まったく、ぐだぐだと五月蠅いネズ公なのです。
 もういいです、ここでお前と議論してもらちがあかないのです。
 さっさと過去へと出発するのです。
 華の乙女に与えられた時間は有限なのです。
「あの……お嬢様が過去へとお出かけになられている間、僕のエサ……じゃない、ご飯は誰が?」
 何言っているのですか。お前も来るのです。
「えええ?! 僕もですか?!」
 お前は私の身の回りの世話をする執事なのです。
「だから! 今は無理です!」
 大丈夫なのです。もし猫にでも食べられちゃっても "確率操作" ですぐ生き返らせてあげるのです。
「いやだ! 絶対にいかないからなロゼ! 僕を共犯に仕立てて殿下のお仕置きの身代わりにする気満々じゃないか!」
 おおう。久々にアランの地が出たのです。
 懐かしくも甘酸っぱい思い出が蘇り、ちょっと照れてしまうのです。
「五月蠅い! 行くならお前だけで行けよ! 僕を巻き込むな!」
 私の執事がつとまるのはお前だけなのです。
 帰ったら何でも一つ "確率操作" で願いを叶えてやるから大人しくついてくるのです。
「……本当? あ、でも元の姿に戻してやるとかいうオチじゃないだろうな?」
 安心するのです。それはカウントしないのです。
 おっぱい対策も別の方法を考えるのです。
 お前に危害を加えられる事のないようにするのです。
「信じてもいい?」
 信じるのです。ガリア王国第五王位継承者である私、アンネロゼ・シモーヌ・オルレアンの名にかけて、約束は守るのです。
「……ロゼが権威に誓うなんて信じられない」
 では、秘蔵のチキュウ製ビーエル本にかけて誓うのです。約束を違えたのなら、二冊程火竜山脈の噴火口に投げ入れるのです。
 ううう、想像しただけでもおぞましい光景なのです。
「さあ行きましょうか、アンネロゼお嬢様」
 相変わらずアランは頭の切り替えがすばらしいのです。
 それでこそ私(わたくし)の執事なのです。
 それじゃ、さっそく "時間遡行" を使います。用意はいいですね?
「勿論です」
 それでは。
 じゅげむじゅげむごこうのすりきれ……
「なんだそれ? おいアランとやら、いったいお嬢ちゃんは何を口にしてるんだ?」
「これはお嬢様の呪文の詠唱です」
「なんだか妙な響きだな」
「なんでも最近のマイ・フェイバリットだとか。お嬢様の場合、詠唱の文言はあまり意味がないそうなんです」
「はぁ? どういうこった?」
「なんでも、魔法の詠唱とは精神の集中をもって "確率" と "因果" に働きかけるのが本義らしく
それらに直接アクセスできるお嬢様の場合、詠唱などしなくても "結果" が引き出せるのだとか」
「……よくわかんね。おめ、頭いいんだな」
「僕もよくわかりません。この説明も、お嬢様に丸暗記させられただけですので」
「おめ……苦労してんだな」
「慣れですよ、慣れ。考えようによってはデルフリンガー様の方が厳しい状況かもしれませんよ?」
「どうしてだい?」
「デルフリンガー様は剣ですから、お嬢様から物理的に逃げる事ができません」
「……意味がわからねぇが、絶望するような事だとは伝わったぜ」
「恐縮です」
「話題を戻そうや。寒気がして仕方ねえ。で、結局お嬢ちゃんは詠唱無しに呪文を使えるんだろう?
なんでまい・ふぇいばりっととかいう呪文を唱えてるんだ?」
「さあ、私はお嬢様の執事です。そのような理由など、検討もつきません」
「いや、でも……」
「デルフリンガー様。一つ、ご忠告を。お嬢様の行動に意味を見出そうとしてはいけません。すぐに精神を病みますよ?」
 ぽんぽこぴーのぽんぽこなーのちょうきゅうめいの……
「なあ、アランとやら。もしかして、俺様すごくヤバイ奴にとっつかまったのか?」
「さあ。私はお嬢様の執事ですのでお答えのしようがありませんね。
あ、でも安心して下さい。こう見えてもお嬢様は他者の命を奪うような非道を行ったりはあまりなさいません。根はお優しい方なのです」
「そうか、なら一安心だ」
「お嬢様は非道ではなく外道なのです。
命を奪って手打ち(おしまい)にするような事は、ガリア王家の伝統に反すると常々申しておられます」
「……なあ、アランとやら。なに遠慮はいらねえ、ちょいと俺様をブチ折ってくれねえか?」
「私はお嬢様の執事です。そのような真似はできません。ゴキブリにでも変えられてしまったら目も当てられませんからね」
 ――ちょうすけ! ふう、成功なのです。さあ、この光の鏡をくぐるのです。
「お嬢様、デルフリンガー様をお忘れ無く」
 おおう、よく気が付くのです。危うく忘れ物をしてしまう所でした。
 コレがないと時の狭間に落ちかねないのです。
「いっそ落ちた方がよかったかもな」
 ふふ、デルフリンガーは中々良い事を言うのです。
 それもなかなか楽しそうなのです。今度グラモンで試すのです。
「いけませんお嬢様。オルレアン様より、決して学院の生徒を実験材料にするなとあれほどきつく申し渡されたではないですか」
 ケチ。もういいです。そんな事より、早く鏡をくぐるのです。さあ、デルフリンガー。お前はこの鞘に収まっていなさい。
 アラン、お前は特別に私の肩に乗る事を許すのです。
「では失礼して」
「やれやれ。……お前さんに関わってからこっち、本当に退屈しねえな相棒。」





 と、言うわけで。
 私(わたくし)アンネロゼ・シモーヌ・オルレアンは過去へと旅立つのです。
  "剣" こと、ヒラガ・サイト事を知る為に。
 己のルーツを辿る為に。
 なによりも、この胸を震わせる好奇心を満たす為に。
「しかしお嬢様。出歯亀も趣味だったなんて、流石の僕も初めてしりましたよ?」
 アラン。向こうに着いたらゴキブリにかえてやるのです。













[17006] Interval_episode/ガリアの蒼い星は暁に瞬くII (IF短編)
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:93f1792e
Date: 2010/11/30 12:04
■はじめに
 このお話は過去のIFものと同じように「ガンダールヴは夢を見る。」の設定を使った別作品の短編だと
思って下さい。設定は才人が死んだ世界でのアフター物で、IF設定となります。
 また、すこし説明が曖昧な部分があります。





 突然で恐縮ですが、私(わたくし)はよく出来た従者だと思うのです。

 名前はアラン・シュヴァリエ・ド・ヒラガ。
 "剣の系譜" の祖にして、ハルケギニアの英雄ことサイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガの直
系でございます。
 ただし、彼が遺した王族とは違い、私(わたくし)の家系は魔法の使えない平民の家系であ
るのですが。しかしそれでも "剣の系譜" は並の貴族以上に価値があるらしく、今現在では再
興したガリア王国のオルレアン家の庇護の元、代々当家の執事として、また剣の血筋がむやみ
に拡散しないよう一定の政治の具として、その身分を保障されているのです。
 さて。
 私のどこが "よく出来た従者" かと申しあげれば、我がヒラガ家のしきたりを説明するとこ
ろから始めねばなりません。それはどのようなものかと申しますと、古のご先祖様、サイト・
シュヴァリエ・ド・ヒラガがかつて "虚無のルイズ" を守る使い魔だったように、オルレアン
家での虚無の顕現があった場合、その者に仕えるといったものがあるのです。
 勿論、ご先祖様のように特別な力のないヒラガ家ですので、仕えるとは言っても武門をくぐ
るのではなく、あくまでも従者として、執事として、メイドとして仕えるのですが。
 それでも、現在では各国の王位継承権の条件の一つである、ヒラガ家の血は他のどの貴族の
爵位よりも……言い過ぎました。並の貴族の爵位などよりも、ずっと価値と権威があり、それ
故平民ながらオルレアン家の庇護と監視の下、婚約と自由が制限され、貴族並の教育を受けて
その繁栄と虜囚のような一生が約束されるのです。
 ですので、虚無の顕現が無い場合、一般的にヒラガ家の者は何不自由無い、しかし不自由な
一生をオルレアン家に与えられた邸宅で過ごす事になります。勿論、来客は皆無。外出許可な
どは年に数度。結婚は、オルレアン家が用意したどこかの王族か、もしくは身寄りのない者が
相手。
 つまりは、ヒラガ家に生まれるという事は、虚無の顕現が無いかぎりはとてもまともな一生
は送れない運命にある、という事でもあります。
 ――もっとも、代々のオルレアン当主様は皆気さくな方で、家臣の方々の目を盗んでは我が
家の者を息抜きの名目で連れ出し、王都リュティスへと繰り出して派手な女遊びをなさってい
ますが。
 ともあれ、そういった背景からか、ヒラガ家では虚無の顕現が非常に喜ばれます。
 何せ虚無の担い手に仕えるという事は、その従者として色んな地域に足を運ぶチャンスがあ
るという事だからです。
 そしてどういった巡り合わせか、私、アラン・シュヴァリエ・ド・ヒラガが生まれたその日
オルレアン家でも魔法の使えない女の子が生まれ、それからたった3年後に新たな虚無が顕現
するのでございます。
 その女の子こそが稀代の天才、虚無のルイズの再来と呼ばれる程の才を持つ、アンネロゼ・
シモーヌ・オルレアンその人であり、私の主でございます。
 彼女は聡明で、快活で、見た目も麗しく、その上伝説の魔法使いの系譜を持ち、ガリア王国
の王位継承権まで持つお姫様で。

「おい、ネズ公。覚悟は良いですか?」
 自作虚無魔法で私をネズミの姿に変えた挙げ句、今、正に、そして当たり前のように私の命
を危険にさらそうとしている恐ろしい悪魔でもあるのです。
「出歯亀も趣味などと、よくもこの可憐な少女に言えたものなのです」
 誤解です、お嬢様。
「何処をどう受け止めれば誤解になるのです? 覚悟なさい、今 "確率操作" でアランがゴキ
ブリである確率を100%にして差し上げます」
 おや、おやめ下さい! それにその虚無魔法はお嬢様でさえ、週に一度しか仕えない大魔法
じゃないですか! そんな事の為に使うのはやめて下さい!
「この怒りを鎮めるには、幼なじみを守るために派手な死に様を見せる男の子の存在が必要な
のです」
 なんですかそれ! 私をゴキブリに変える事と全く関係無いじゃないですか!
「関係はあるのです。私とお前のご先祖様ことヒラガ・サイトの真実をこの目で見るため "時
間移動" でこの時代にやって来た今、私はキッカケを欲しているのです」
 ……キッカケ、ですか?
「そうなのです。よいですか? ここ、トリステインのクソ田舎のド・オルニエールには今の
時間軸では彼が領主になり色んな縁者と暮らしている筈なのです。したがって、私は彼の屋敷
にメイドとして潜入し、あのおっぱいがどんな格好で "剣" と睦んでいたか、じっくりと観察
してこのチキュウ製はんでぃかむで記録に残してやる必要があるのです」
 やっぱり出歯亀目的じゃないですか! そんな物まで用意して!
「心配するなです。ちゃんと闇の中でも撮影出来るよう、改造済みなのです」
 ちがう! そういう事じゃなくて!
「ああ、そうでしたね。つまりは、ヒラガ公の目の前で凶悪なゴキブリに襲われる美少女を演
出し、それをキッカケとして屋敷に潜り込む算段なのです。各地の王族をチンコで纏めたその
気性から、きっと私はかれの眼鏡にかなうはずなのです」
 それの何処が『幼なじみを守るために派手な死に様を見せる男の子』なんですか! あとチ
ンコはおやめ下さい、チンコは。
「美しい、しかし手が届かぬ幼なじみを好色エロ魔神な英雄から守らんとその身を差し出す…
…ああ、素晴らしいシチュエーションなのです」
 今この場で私を危険にさらしているのはお嬢様で、その身を差し出させようとしているのも
お嬢様で、あとついでにご先祖様を悪く言うのはおやめください。
「問答無用。二度も私の事を覗き魔扱いしたその不敬、決して許されぬ物と知れなのです」
「……何やってんだ? タバサ?」
 恐らくは、時間と空間の壁を越える光の壁をくぐり、ネズミの姿の私とお嬢様、そして刺突
剣にその意志を移されいまは鞘に収まっているデルフリンガー様が、在りし日のド・オルニエ
ールの地に降り立ち、いつもよりは少々、穏やかな口論をしていた所に。
 なんと我々の背後から、掛ける声がございました。
 そこに、ネズミの身で見あげるにはあまりにも巨大な馬影が二つ、穏やかな朝の逆光の向こ
うにあって、恐れ多くも……否、恐れ知らずもあのお嬢様を見下ろし、声をかけて来て居るで
はありませんか。
「あらタバサ。ジョゼットが新婚旅行にいきたいからって、女王代行しに帰ったんじゃなかっ
たの?」
「……人違いではないのです?」
「はは、何いってんだよタバサ。そんな、ジョゼットみたいに髪の毛を伸ばした変装までして
本人に成り切ってるのか? ……いや、でも結構似合ってるよなソレ。ルイズもそう思うだろ?」
「……くやしいけど、よく似合ってるわ。まったく、折角久しぶりに二人きりでサイトと朝の
散歩が出来ると思ったのに。あ、そういえば。タバサ、あんたなんで地面あるいてるの? シ
ルフィードはどうしたのよ?」
 ――ン、アラン――聞こえますか、アラン――
 うわ! お嬢様? いきなり念話なんてどうしたのですか? まさか! 私が意識せぬ間に
もうゴキブリに?! ひどいよロゼ!!
 ――違うのです。聞きなさい、アラン。どうやらこの馬に乗っている人物こそ、 "剣の系
譜" の祖にして、ハルケギニアの英雄ことサイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガのようです。
 へ?
 ――恐らくは、私の事を同時代に生きたご先祖様と見間違っているようなのです。これはチ
ャンスなのです。適当に理由をつけて屋敷に潜り込みますから、アランはさりげなくその辺に
寝転ぶのです。
 それは……構わないけど……やだなあ、僕、汚れるの好きじゃないし
 ――ネズ公の癖に何を言うかなのです。さりげなく踏みつぶしても良いのですよ?
「タバサ? どうした、急に後向いてしゃがみ込んだりして」
「……この子、怪我してる」
「え? なになに?」
「あ、ネズミか。へー、金毛のネズミって結構珍しいな」
「屋敷に連れ帰って治療してもいい?」
「そりゃいいけど、あんた水の系統も使えるんでしょ? ぱぱっと直して早くガリアに戻って
あげた方がいいんじゃない? ジョゼット待ってるわよ?」
「ジョゼットの旅行は一月程延期になったってさっき連絡があった、のです」
「うそ! じゃあ、フェルタン村の花妖精の祭りには間に合わないじゃない。ちぃ姉様、訪問
を結構楽しみにしていたらしいのに残念ね……」
「まあ、予定が変わったんなら仕方無いよ。それはそうとタバサ、いつも持ってる杖はどうした?」
「シルフィードがどこかに持って行った、のです。まったく、悪戯っこ。後で制裁、なのです」
「はは、そういやあいつ、最近ルーと遊び回ってるしな。妙な事を覚えたんだろう。ま、程々
にしといてやれよ?」
「躾は重要、なのです」
 ――ルー? アラン、聞き覚えがありますか?
 いいえお嬢様。我が家に伝わる年代記には、そのような名は……
 ――シルフィードというのはタバサこと、シャルロット・エレーヌ・オルレアンの使い魔で
す。という事は、だれか他の者の使い魔、でしょうか?
 お嬢様にわからぬものは私になどわかろう筈が。デルフリンガー様ならば何かわかるかと。
 ――む。しかし流石に彼の目の前でデル公を抜くわけにはいかないのです。
「そっか、じゃあ杖がないんじゃ仕方無いな。屋敷には今シエスタしかいないし」
「もぅ、折角久々にサイトと二人きりになれると思ったのに。タバサ、私達は先に帰ってその
子の治療具を用意してるから、押っつけ戻って来なさいよ!」
「あ、まってくれよルイズ! シエスタにリリーばぁちゃんの所で野菜買ってくるよう言われ
てたんだから!」
「じゃ、私が買っておくわ。あんた、いつも要らない物まで買うもの。タバサー! 早く戻っ
てその子に治療をしてあげるのよー!」
 ……行ってしまった。あれが……僕、じゃない、私のご先祖様で、ハルキゲニアの英雄かぁ
「ふふ、アラン。感動したのです?」
 ……お嬢様にネズミに変えられた上、怪我したフリまでさせられていましたからね。馬の顔
しか見えませんでした。
「おぉう、なんと不幸な。私にはちゃんと見えたのです、ハルキゲニアの英雄の顔が」
 それはようございました。して、感想はいかがでしょうか?
「猿です。いかにも女好きのしそうな、好色な面でした。先程も、私のまだ青い肢体を視線で
犯そうと、上から下までねめ回すように見られて、最早私はお嫁に行けない躰となってしまい
ました。美しさは時に不幸でもあるのですね」
 ……お嬢様がお美しいのは否定しませんが、その過剰に搭載された自信はいかがな物かと。
「だまらっしゃい、ネズ公。折角この私が傷心に沈み、そこに付け入ってどうせ汚れたのだか
らとこの瑞々しい身体をめちゃくちゃにできるワザと隙を見せてあげたのに。お前には男の甲
斐性という物はないのですか。すこしはあのエロご先祖を見習ってはどうですか」
 そのようなお言葉使いはおやめ下さい! それにネズミの格好でどうやってお嬢様を籠絡し
て男の甲斐性を発揮すれば良いんですか! て、いうかご先祖様を悪く言うのはヤメテ下さい!
いくらなんでも、片っ端からそんな目で見ているはずがないでしょう?!
「それは今夜になればわかります。ヒラガ公はどうやら、この私をシャルロット・エレーヌ・
オルレアンと勘違いしている様子。となれば今宵、さっき一緒にいた虚無のルイズと共に淫ら
で果てのない、めくるめく寝物語に参加させられるはず。ああ、アラン、残念です。お前が密
かに想いを寄せるご主人様の純潔は、今夜、他の男の腕の中で散るのです」
 それはありません、お嬢様。ヒラガ公があちこちに種を飛ばし始めるのは、虚無のルイズが
ロマリアで法王になってからです。二人ともまだド・オルニールにいて、ジョゼット女王の治
世である所から、この時代はお二人が結婚する前後のはず。
「……では、あの忌々しいおっぱいとエロご先祖の交尾はこのはんでぃかむに収められないの
です?」
 左様でございます。
「……ち。ネズ公の癖に賢しいのです。というか、躊躇無く否定されるとそれはそれで傷つく
のです」
 だってそうでしょう? それにお嬢様は私が守ります。そのような事には絶対なりません
「――え?」
 覚えていますか? 5つの頃、『イーヴァルディの勇者の冒険』に影響されたお嬢様が私と
冒険の真似事をした時の事を。
「……覚えています。お前はあの時、イーヴァルディの役をやらせてくれとせがんで、そのあ
げく父上の目の前で身分を弁えず 『僕はロゼを一生守ってみせる!』 と口にしたのです。
あの時の事は今でもよく覚えているのです」
 そうです。オルレアン様はそんな私の言葉に怒る所か、にこやかに、しかし涙目で娘をよろ
しく頼む。本当に、君がそう言ってくれて嬉しいよなどととても嬉しそうなお言葉をかけて頂
いて、以後私はお嬢様専属執事として生け贄――否、取り立てて頂きました。あの時の言葉は
いまでもこの胸にしまってございます」
「アラン……お前……」

 何より、お嬢様は何でも一度味を覚えると身体が壊れるまで食べ続けるタイプです。ですの
で、このような場所でそのような秘め事の味を覚えてしまえば、帰るに帰られなくなるじゃな
いですか。――あれ? お嬢様? 如何なさいました? そのような恐ろしい形相になられ―






[17006] Mischievous_episode/trick_2(オマケ)
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/23 17:16
以下気分転換に書きなぐった "オマケ" その二です。
悪ふざけになるのかもしれません。
読まなくても本編とはまったく関係ないので問題ないです。
むしろ、本編とまったく趣の違うおふざけを見て興ざめしてしまう方は見ない方がいいかと思われます。
エイプリルフール用でしたが、今更完成しちゃったのでつい公開。


下記のオマケSSの設定は前回のオマケを踏襲しています。
IF_after物で、ルイズのご都合虚無魔法によりチキュウとハルケギニアがネットで通じたりしているアレです。
ハルケギニア側はルイズ自身が展開する魔法により接続を維持しておりますので、彼女無しでは皆接続が途切れてしまいます。
PCはチキュウに行って、大道芸やエキュー金貨を "忘却" を使いながら現金(EN)に変え、サイトが買ってきました。
勿論、本編にも原作にも関係のない、この場限りのご都合設定です。
というか、粗だらけなので細かいことは気にしないでいただきたいです。
なんのゲームやってるかはいわずもがな。
PC版です。



















才人    >よーっす。
Louise   >おそい!
しえしえ  >あ、やっと来ましたね。
スノーリ  >こうですか
才人    >わり。なかなかこの部屋見つからなくてな。
Louise   >ラグ出てるの?
才人    >いんや。お前の "接続" 魔法は問題ないよ。求人区じゃなくて、新人区探してたんだよ
しえしえ  >わ! サイトさん、カッコいい!
才人    >へへ、やっぱデルフみたいなもん使いたいしな。シエスタはライトボウガンなのか?
しえしえ  >はい、メイドとしてはサポート色を出したいなあ、と思いまして。
Louise   >……ねぇ、サイト。
才人    >なんだ?
Louise   >あんた、私をダマしてない?
才人    >どういう事だよ?
Louise   >だって、私があんたに何使うんだ?って使う武器を聞かれたとき確かに「一番強そうなの」って言ったでしょう?
才人    >ああ。
Louise   >シエスタはまだわかるわ。ルーはとっても大きな、両手剣を背負っているわね。あんたはあのボロ剣みたいな剣だし。
才人    >ああ、そうだよ?
Louise   >なんで私だけこんな、不恰好でごついハンマーなのよ?
才人    >何言ってるんだよ! ハンマーすっげえ強いんだぞ!
しえしえ  >そうですよ! 大きなカニや大きなドラゴンを狩る時にいつも重宝されるらしいんですよ!
Louise   >……それ位、ここまで育てて来たからわかるわよ。でも、なーんか釈然としないのよね。まあ、いいわ。これからわかるものね。
スノーリ  >みんな ちゃっと はやいね
才人    >まあな。ルー以外はいろいろやってて慣れちゃってるし
Louise   >すぐに慣れるわよ。っていうか、ルー。あんた、まさか練習期間はずっとひとりで採集してたんじゃないでしょうね?
スノーリ  >さいくつも してた
才人    >……戦力になりそうにねぇな。
Louise   >……まあ、こういった機械を扱うのは最近からだし、しょうがないかもね。
スノーリ  >それよりも
才人    >ん? なんだ?
スノーリ  >どうして みんな べつべつのへやで ぱそこんを そうさするの?
才人    >ああ、キュルケやタバサ達用に実験してるんだよ。
スノーリ  >じっけん?
Louise   >私の "接続" で "もんはん" のネットワークに侵入する為の慣らしって事よ。距離が近いとそれだけ楽だしね
才人    >つくづく、お前何でもアリになってきたなあ……
Louise   >ふん、私に不可能は無いのよ! このくらいお茶の子サイサイなんだから!
しえしえ  >その割にはキャラクター作って、細かい事覚えるの面倒だからあと育てといて! ってわたしに丸投げしてましたけどねえ。
Louise   >こら! それは才人には内緒にしててって言ったじゃない!
才人    >ルイズ、お前……だから今更ハンマーがどうだとか言い出したのか……
しえしえ  >大変でしたよう? 三人のキャラをHR11になるまで一人で狩るのって。
才人    >三人?
スノーリ  >わたしも らんくあげ たのんだの えへ
しえしえ  >だって、ルーさんまったく敵と戦おうとしないんですもの……
才人    >ルイズだけじゃなくてルーも戦力にならないって事か……
Louise   >しょ、しょうがないでしょ! 最近話し相手の居ないアンリエッタ王妃に呼び出されてばかりだったんだから!
才人    >怒るなよ、別に責めちゃいないんだから。もとはと言えば、みんなHR11まで練習! って事にしたおれが悪いんだし
しえしえ  >ルイズさんの都合に合わせて、みんなで最初から遊んでればよかったですねえ
スノーリ  >みんなで とくさんきのこ とるのたのしそう
Louise   >終わったことをグチグチ言っても始まらないわよ。最近忙しかったのは事実だし、キュルケやタバサも待ちかねてるし。
才人    >特にタバサからの催促はすごいよなあ。毎日シルフィードが催促の書簡もってくるんだぜ? 急ぐ気持ちもわかるだろ?
しえしえ  >楽しみにしてますものね……
スノーリ  >いるくくぅ さいきん やつれてきた
Louise   >そりゃ、毎日ガリアとトリステインを往復してりゃ流石の韻竜でもねぇ……
才人    >とにかく、シルフィードの為にもさっさとテスト終わらせようぜ。あと三日もあれば大体のネットワークを把握できるんだろ?
Louise   >ええ。そこは任せて頂戴。あとは距離だけだから、三日も遊んでいれば慣れて長距離でも "接続" を実行できると思うわ。
才人    >じゃ、とりあえずクックでも狩って慣らしとこう。ルーは……戦った事ないよな?
スノーリ  >うん
才人    >ルイズは?
Louise   >大きなイノシシならなんとか勝てたわ! あれは大きかったわよ、サイト!
しえしえ  >クエスト張りました~
才人    >……頑張ろうな、シエスタ。
しえしえ  >はい! クック程度なら、わたし一人でも大丈夫ですし。
Louise   >私だって、大きな茶色のイノシシを何匹も倒したのよサイト!
才人    >そっちのイノシシかよ! ルイズ、お前さては一日どころか数回遊んで直ぐシエスタに丸投げしたな?!
Louise   >大丈夫、操作は一発で全部覚えたわ!
スノーリ  >わたしも ぜんぶ きのことれるとこ しってる
才人    >……頑張ろうなシエスタ。
しえしえ  >はい! 散弾も調合分合わせてたっぷり持ってきてるし、まず大丈夫ですよ!
才人    >――え?
しえしえ  >えっ?
Louise   >何?
才人    >散弾?
しえしえ  >ええ、散弾です。よく当たりますし、すっごい便利なんです!
才人    >シエスタ、もしかしてお前、パーティ組むの初めてか?
しえしえ  >え? ええ、だって初めての相手はサイトさんとって決めていますもの。
Louise   >ちょっと! 何どさくさに紛れてきわどい事言ってるのよ!
スノーリ  >わたしも ぱあてい はじめて きのこ たくさん とれるかな?
才人    >……もういいや。おーい、みんな、いくぞー。
Louise   >シエスタ、戻ったらちょっとこっちの部屋にいらっしゃい
しえしえ  >やだなー、冗談ですって、冗談! あ、今日のお茶受けはクックベリーパイですよ?
スノーリ  >ほしい! いまから たべましょう!
しえしえ  >だめ。ルーさん、ちゃんと時間はまもりましょうね? それにこの前みたいに食べると太っちゃいますよ?
才人    >おーい、行くぞってば。
スノーリ  >だいじょうぶ。 まほうで すがたを かえているだけだから みためは どんなにたべても かわらない
Louise   >むかっ
しえしえ  >むかっ
才人    >おーい、○ボタン押してくれよう
スノーリ  >押した
しえしえ  >押してます~
Louise   >えっと、これ?
才人    >わかんねえよ、部屋別々だし
Louise   >ちょっと、まって。

「ねえ、サイト、これ? このボタン?」
「……そうだ」
「ありがと。このゲームパッドっての? 結構記号がついたボタンが多くて苦手なのよね」
「わざわざ部屋を移動してまで聞きに来るようなことか?」
「いいじゃない、ここ、わたしの家なんだし」



しえしえ  >……ごめんなさい、散弾があんなに味方にとって邪魔になるなんて、初めて知りました。
才人    >まあ、予想通りだったけどな。
Louise   >なによあのでっかい鶏は! あんなのに勝てるわけないじゃない! 私ばかり狙って来るし!
スノーリ  >きのこ せっかく あつめたのに くえすと しっぱい しちゃった
才人    >……攻撃は的確に俺に当たっていたから、慣れれば余裕だよ、ルイズ。
Louise   >そう? でもおかしいのよね。あんたは空高く吹き飛ばせるのに、アイツは吹き飛ばせないもの。
しえしえ  >味方に攻撃を当てるのと、敵に当てるのでは動きが違うんですよ
Louise   >なるほど! それであんなに怒ってたのね!
才人    >……ルイズ、支給品の音爆弾をいきなり投げるのは辞めような?
Louise   >なんでよ? 私知ってるのよ? 支給品は持ち帰れないから、さっさと使わないと勿体ないじゃない!
才人    >そっすね
しえしえ  >あ! サイトさんがいじけた!
スノーリ  >さいとさん げんき だして きぶんてんかんに いっしょに きのこ とりにいこ?
Louise   >感じわるぅ。言いたいことあるなら、ちゃんと言ってよね!
才人    >ごめん、ちっと心が折れそうになったんだ。
しえしえ  >サイトさん……元気を出して! あとで、ゆっくり慰めてあげますから!
Louise   >こら! この、色ボケメイド! 何どさくさに紛れて言ってるのよ!
しえしえ  >いいじゃないですか! ルイズさんは昨夜サイトさんとたっぷり楽しんでるんだし!
Louise   >え?
才人    >え?
スノーリ  >え?
しえしえ  >ちょっとくらいわたしにも使わせて下さいよ!
スノーリ  >たのしむ? いま げえむ してるよ?
Louise   >な、の、覗いてたのあんた?!
しえしえ  >知ってます? このお屋敷、かなりあちこちガタきてて、すっごく壁薄いんです。
Louise   >ああああああああああああああああああああああ
スノーリ  >あ るいずさん あ きい から ゆびはなしたほうが いいよ?


才人    > 悪り。ギーシュに呼ばれたから俺ちょっと落ちるわ。










続かない。



[17006] intermedio4-1/復讐は夜風となり
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/09 07:42










エヴラール・バルビエ副伯は、夜の森を "レビテーション" で低く木々の間を縫うように飛翔していた。





右手で押さえた左肩からは血が滲んでいる。

食いしばった歯は白く、口はしかし苦痛ではなくどちらかというと、忌々しそうにその端が歪められていた。

彼の脳裏によぎるものは憤怒。

無理もない。

トリステイン王国と戦争中の敵国、神聖アルビオン共和国と通じてアンリエッタ女王を操る計画が台無しにされてしまったからだ。

しかも無力で浅ましく、愚か者だと日頃蔑んでいる平民に怪我まで負わされての事である。

今頃屋敷の地下に繋いでいた平民の女から、女王直属の女官が全てを聞き出して居る頃だろう。

忌々しい。

あの女、後でじっくりと "楽しもう" などと思わずさっさと殺しておけばよかった。

それにあの女の弟のガキ。

ああ、忌々しい。

まさかあのような魔法を無力化する魔剣を携えていようとは!

副伯の脳裏に平民の姉弟と女王の女官だと名乗った、妙な格好のピンクブロンドの小娘の笑顔が浮かんだ。

三つの笑顔は自身に向かい、声高に嘲笑を始める。

くそ! くそ! くそ!

何がおかしい!

俺はエリートだ!

お前達のようなゴミとはちがう!

忌々しい! 本当に忌々しい連中だ!

脳裏に浮かんだ幻影を罵倒する為に、とびきりの言葉を探して副伯は呻いた。

しかし、浮かんでくる汚い言葉はすべて足りない。

お前は娼婦だ、キチガイだ、屑だ、淫売だ、家畜だ、非人だ、オークだ。

思い付く限りの罵声を口にするも、どれも彼の怒りの度合いに相応しい物ではなかった。

腹の底が、まるで煮え立った大鍋のように熱い。

眼球が痙攣し、思考は白濁している。

程なく、行き場を失った怒りが臨界を超え絶叫となって副伯の口から飛び出た。

同時に轟音が遙か遠くから響く。

バルビエ副伯はぎょっとして、 "レビテーション" での移動を一旦辞め木の陰に隠れて辺りを伺った。

人の気配はない。

空を見上げると、巨大な火柱が夜空を焦がしている。

どうやら彼の部下が未だ、誰かと戦っているらしい。

その事実は副伯を更に苛立たせた。

ドニめ。

あの、無能め!

大口を叩いた割に苦戦しているではないか!

お前がさっさと仕事をこなし館に戻って来なかったから "こう" なったのだ!

左肩の痛みも忘れ力の限りに握った拳で、副伯は背にしていた木の幹を殴りつけた。

ぺし、と情けない音と共に肩の痛みがぶり返す。

副伯は思わず呻いて、杖を軽く振り治癒の魔法を紡いだ。

魔法の効果はすぐに現れ、左肩の痛みがみるみるうちに消え去ってゆく。

しかしそれに呼応するかのように痛みが占めていた部分へ、怒りが染みこんできた。

忌々しい! くそ! なぜどいつもこいつも俺の邪魔をする! 無能だ! 無能だらけだ!

ドニの奴も無能だ! 戦争を継続したがる女王も無能だ! 俺の邪魔をするあいつらも無能だ!

くそ! くそ!





「くそ! よくも! この恨み、決して忘れはせぬぞ!」


「同感だ」





怒りにまかせた独白に応じたのは男の声であった。

副伯は肩を跳ね上げながらも、声のした方角へ弾かれたように振り向いた。

いつからそこに居たのか、暗い夜の木々の合間に立つ長身の影が見える。

影は静寂を纏い、顔には銀の仮面。

背は高い。

刺突剣を握る右腕とは対照的に、だらんと垂れた左腕の袖が隻腕である事を示していた。

バルビエ副伯はそれが誰であるかと考えるよりも早く、 "レビテーション" を唱えながら影とは反対側に身を翻す。

しかし。

いつの間にか自分の背後に出来ていた "闇" を見て、 "レビテーション" の詠唱を途中で辞めてしまった。

闇は空高く、森の木々を超えてそびえ月光を遮っていたからだ。

それが巨大なゴーレムであると副伯が気が付いた時、背後から隻腕の影が再び声を掛けてきた。





「エヴラール・バルビエ副伯だな?」


「だ、だれだ!」


「 "風" 。理由あって、本名は名乗れぬのだ。それよりも……」





どん、と足に軽い衝撃を受けてバルビエ副伯は突然姿勢を崩し、その場に倒れ込んでしまった。

なんだ?

何が起きた?

くそ、無様にも木の根に足を引っかけたか?!

ええい、くそ! くそ! くそ!

なんと、なんと無様な!

内心で一人ごちてすぐさま立ち上がろうとするも、なぜか立ち上がることができない。

蔦でも絡まっているのかと思い己の足の方を見やると、其処に有るはずの物が無かった。

バルビエ副伯がその現実を受け入れる間も無く、背後の隻腕の影が抑揚の無い声で台詞を続ける。





「杖も。逃げられると私が大目玉なのでね」





今度は杖を持っている右手にどん、と軽い衝撃。

副伯は眼前で右手が消失する様を見て、目を開いた。

自身に加えられた危害にショックを受けたわけではない。

今までにこれほど鮮やかな "エア・カッター " を見た事など無かったからだ。

バルビエ副伯の僅かに残ったメイジとしての矜恃がそうさせたのか、この時真っ先に脳裏に浮かんだのは

屈辱でも、敗北感でもなく、メイジとして相手の技量に目を奪われるほどの驚嘆であった。

すこし離れた位置でぼとり、と音を聞き副伯はやっと我に返る。

そして悲惨な現実を直視する事となった。

遅れて両足から、次いで右手から痺れに似た鈍痛が這い上がってくる。

やがて間を置かず鈍痛は激痛に変わり、この時バルビエ副伯は自分が何をされたのか初めて理解した。

たまらず悲鳴を上げようと口を開けた瞬間、今度は口内に粘土のような土の塊が出現する。





「うご! おおおお!!」


「うるさいねぇ。大声出すんじゃないよ、みっともない。立派なお貴族さまなんだからさ」





今度は若い女の声である。

声は副伯の頭上、遙か高い位置から聞こえてきた。

それがゴーレムを作り出した本人の物であると気付く余裕すらなく、両足と右手を失った副伯は悶絶し悲鳴を上げる。

そのくぐもった悲鳴をかき消すように、先程とは比べものにならない程巨大な火柱が轟音と共に遠く夜空にそびえた。





「……相変わらず派手に暴れるな、あの使い魔は」


「うあああああ!」


「副伯、貴方は運が良い。恐らくはあの使い魔の主人を "泣かした" りしなかったからだろうが
 アレと敵対して五体満足で逃げおおせたのは、誇るべき事であると思うね」


「何言ってんだか。あんたの左腕は自業自得だとわたしは思うけどもね」


「そう言うな "土" 。あの使い魔を見てまさか、あのような力を秘めているとは誰が予想しえるのだ?
 お前だってそれで以前痛い目をみているではないか」


「そりゃまあ、そうだけどさ。
 ――ええい、ぴーぴーと五月蠅い! ちょっと "水" ! さっさと黙らせなさいよ!」





いつの間にかゴーレムから降りてきた女は、悪態をつきながら地に倒れて激痛の為に暴れているバルビエ副伯を軽く蹴飛ばした。

そんな彼女の脇にもう一つ暗く人影が現れて蹲り、暴れる副伯に手を伸ばす。

するとピタリとバルビエ副伯の動きが止まり、口に粘土を詰められたまま上げていた悲鳴も聞こえなくなってしまった。

蹲った影はそのまま仰向けに動きを止めた副伯の顔をのぞき込む。

濃い紫色のローブを纏いまるで森の闇そのもののような影は、隻腕の男と似たような銀の仮面を付けていた。





「旦那、聞こえるかね? 痛みはもう感じないはずだ。おっと、自己紹介がまだだったな。
 私は "水" 。まあ、水と言っても "毒水" なのだけどもね。
 旦那には恨みは無いのだがこれが "報酬" なんでね、勘弁願いたい」


「 "水" 、余計な事は喋るな。それに "報酬" はまだだ。私の用事が済んでいない」


「これは、失礼。薬は効いているから、じっくりとどうぞ。
 ただし、くれぐれも反応が無いからといってこれ以上傷つけないで下さいよ?
 前も似たような依頼をしてきた癖に、反応がないもんだから激昂して滅茶苦茶にした依頼人が居たのでね」


「わかっている。こんな状態になっても、きちんと耳は聞こえているし目も見えているのだろう?」


「ええ、そうです。血もちゃんと止めましたから、失血死の心配もないですよ」


「なんでもいいから、早く済ましておくれよ。
 あの使い魔の戦闘に巻き込まれでもしたら目も当てられないよ」





少し苛ついた声で "土" と呼ばれた女は "風" と名乗った男を急かした。

隻腕の男はそんな女の様子など無視して、蹲り副伯を覗き込んでいた "水" を押しのけ屈んで

バルビエ副伯にその顔を近づけ仮面を外した。

その間、副伯は只一言も口にすることも動くことも許されず、ただただ三人のやりとりを動かぬ眼球で観察するしかなかった。

唯一彼にとっての救いだったのは、つい先程まで全身を襲っていた激痛が綺麗に消えていたことである。





「お初にお目にかかる。私はジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドと申します。
 裏切り者の元魔法衛士グリフォン隊隊長と言えばピンとくるかな?」





返事はない。

辺りにはワルドの言葉だけが木々のざわめきに混じるばかりである。





「ふむ。薬がきちんと効いているならば、苦痛はもう無いはずだ。
 副伯、貴方は以前トリステイン王立魔法研究所に籍を置いていたことがありましたな?」


 腕が! 私の足が!! おのれ貴様! 何故お前がここに居る? アルビオンに寝返ったのではないのか?





遠くに出現していた火柱が消え、暗闇が戻った森の中。

人形の様になった副伯の瞳に宿る感情を読み取ったのか、ワルドは口の端を僅かに上げて深くゆっくりと鼻を鳴らした。





「ああ、そうでしたな。何故私がここに居るのか、それから説明して差し上げましょう。
 何、簡単な話なのです。
 卑怯な裏切り者の常と申しますか、今はレコン・キスタではなくトリステイン女王アンリエッタ陛下に肩入れをしている
 さるやんごとなきお方にお仕えしているのですよ」


 それがどうした! なんの事だ!?


「その方の命令でね、私はこの国に巣食うアルビオンへの内通者の "掃除" を行っているのです。
 なんせレコン・キスタの内部につい最近まで居たものでね、名簿の作成など実に簡単な物でした」


「そんな事、何も反応できないそいつに話してもしょうもないだろ、 "風" 。
 とっとといつもの恨み言を言って済ましておくれよ」


 なんの事だ?! 私には関係の無いことではないか! ああああ! おのれ! おのれおのれ! よくも、私の手足を!!


「直ぐ終わる。――失礼、連れは少し気が短くてね。
 そんなワケで、皮肉な巡り合わせか裏切り者の私がこの国で掃除屋をやっているのですが、実はこれにはもう一つ
 私の個人的な理由があるのですよ、副伯。
 つまり私はその理由の為に祖国を裏切り、レコン・キスタを裏切り、恥も無く再びこの国に舞い戻って薄汚い仕事に勤しんでいるのです。
 時に副伯。貴方は先程も言ったように、トリステイン王立魔法研究所に勤めていた時期がありましたね?」


 それがどうした! くそ、殺すならさっさと殺せ!





罵倒は目と口を開き、仰向けに倒れている体から外には出なかった。

手足を襲っていた激痛は既に感じては居ない。

無論、暴れることすらできない。

何をされたのか皆目見当がつかなかったが、意識と体を切り離されたのだとは理解していた。

この時バルビエ副伯は地に倒れ、己を見下ろす三つの影をただただ、見つめることしか出来なかった。

その内の一つ、もっとも近い位置にあるあごひげを湛えた若い男の瞳に暗い感情がゆらりと灯る。





「調べは付いている。貴方は、そこである暗殺計画に関わった筈だ。
 下らない、そしてつまらない嫉妬の為にとある発見をした女性研究員を暗殺するため、当時の貴方は暗殺者の手引きを行った。
 違いますか?」


 し、しらん! そのような昔のことは


「暗殺者の名はギョーム。貴方の同僚だ。これは本人に直接聞いた事です。
 ここまでお話すれば察しが付くでしょう?
 そうです。私はその女性研究員の息子なのですよ、エヴラール・バルビエ副伯。
 これは任務である前に、私の復讐なのです。
 直接母に毒を盛ったギョームの方は、この手で既に復讐を遂げてみせました。
 まだ幾人か、黒幕が残っては居ますがいずれ……」


「 "風" の旦那、私の報酬の話を忘れないで下さいよ?」


「分かっている、 "水" 。
 ――副伯。貴方も憎き母の仇の一人ではありますが、この者との契約もあります。
 直接手を下せないのが非常に残念ですが、精々この世で長く、地獄を味わっていただきたい」





ワルドはそう言い放ち、すくと立ち上がってその場を後にした。

その後を "土" と呼ばれた女性が追う。

そしてその場には物言えず手足を切り落とされたバルビエ副伯と、 "水" と呼ばれた濃い紫色のローブを纏った男だけが残された。

ざぁ、と森がまるで生き物のようにざわめく。

まるで残された二人を遠ざけようとするように。





「それじゃあ、旦那。始めましょうか?」


 な、何をする?!


「そんな不安そうな顔をしないで欲しいね。何、 "簡単には死にはしない" 。
 さっき旦那に注入した秘薬は意識と体を切り離す他に、生命活動をギリギリまで抑える効果があってね。
 切り落とされた手足の感覚ももう感じないだろう? ああ、心配しなくていい。血もちゃんと止まっているよ。
 生きたままのメイジの肉体は、凄く良く効く秘薬の材料になるんだよ。
 まずは生命活動にあまり影響のない部位から頂くとしようかね?」


 や、やめろ……やめてくれ!


「大丈夫、痛みは感じないはずさ。狂死されてはこちらが困るからね。
 出来る限りやさしくするから、すこしの間辛抱して欲しい、副伯の旦那。
 ……おっと、作業の前に私の顔につける秘薬を塗っておこうかな。
 そろそろ効果が切れる頃合いだ。
 ふふ、副伯。私は夢中になるとつい、時間を忘れてしまう性格でね。すこし不快だろうが、辛抱してくれたまえ」





"水" と呼ばれた男はそう独り言のように呟くと、おもむろに銀の仮面を外して見せた。

その素顔を見た副伯はたまらず声にならぬ悲鳴と絶叫を上げる。

しかしその音無き叫びは、魅了の唄が止んだ森のざわめきに掃き散らされてゆく。

副伯が見た "水" の素顔は、皮膚のない人の顔であった。

それはまるで、死に神と言うよりも残酷な悪魔のような顔であり、副伯にとってまさしく悪夢その物を形にしたかのような存在であった。

"水" は副伯の声にならぬ絶叫を感じ取ったのか、すこし不快な表情を浮かべながらもやがて任務の報酬を受け取るべく

作業に取りかかるのであった。







一方ワルドはそんな、凄惨な現場から半ば逃げるかのように距離を置き "水" と呼ばれた男の作業が終わるのを待っていた。

腕を組み、背を木の幹に預けて目を閉じてはいたがどこか落ち着かない様子である。

そんな彼が背を預けている木の幹を挟んで、 "土" と呼ばれた女―― "土くれ" のフーケも又、ワルドと同じように背を木の幹に預けていた。

こちらも腕を組んでいたが、その美しくもきつい印象を持たせるつり上がった目は、背後のワルドへと注意が向けられていた。





「……顔色が優れないね?」


「ふん、見もせずによくもそのような事が言えるな」


「見なくてもわかるさ、ワルド。
 まあ、復讐とは言えアレに悪趣味な方法で始末をさせる気持ちは、わからないでもないけどさ」


「ふん、当然の報いだ」


「しかし、よくあの鶏ガラの宰相が裏切り者のあんたを使う気になったもんだね?」


「他に汚れ仕事をこなせそうな者が居ないのだろう。
 皮肉な話、いまのトリステインの王宮には信用に足る強力なメイジが居ないのだ。
 それこそ、裏切り者を使った方がまだマシに思える程にな」


「ふぅん、其処まで腐っていたとはねぇ。麗しき女王陛下がメイジ不審に陥っている噂は、あながち間違いでないって事かね」





フーケの言葉にワルドはふん、と鼻を鳴らして嘲るような笑みを浮かべた。

そんなワルドの態度に応じるように、フーケも又ここには居ない誰かを嘲るように微笑む。





「我らの後ろ盾がウェールズ皇太子殿下だと言うこともあるさ。
 それにこういった仕事は外部の人間の方が使いやすい。
 今のトリステイン王国の内情では尚更だ。
 いざとなれば私をアルビオンの暗殺者として処分する事もできる。
 何より、私の場合は忠誠でなく "利" で動いていることをあの宰相も皇太子も承知しているからな。
 忠誠に燃える人間よりも扱いやすいと判断したのだろう。
 特に今回は内通者の名簿と引き替えに、マザリーニが独自に調べ上げた母の事件の容疑者のリストが出て来たから
 裏切る心配は無いと踏んでいるのだろうさ」


「は! なかなかどうして食えない宰相じゃないか。鶏ガラとは良く言ったもんだね」


「鳥の骨だ。……このリストを握りつぶしていたのはリッシュモン――高等法院の長だ」


「そいつが次のターゲットなのかい?」


「いや。こいつは女王陛下への生け贄にするらしい。見せしめという物が必要だと言うわけだ」


「へぇ。あのお姫様も結構やるじゃないか」


「ふん、大方我らの事は知りはしまいさ。其処までは "汚れて" はいまい」


「ワルド、あんたはそれでいいのかい?」


「何、あの世間知らずのお姫様の事だ。取り逃がす事もあるだろう」


「獲物を横からかっさらうってわけかい」


「そうだ」





ワルドの短いその返答を聞いたフーケは、暫く黙り込んでいたが不意に背にしていた木を回り込みワルドの正面に立った。

それからおもむろに身長の高いワルドを見上げながら、彼の残った右手を両手で握り大事そうに抱え込む。

普段の彼女からは想像もつかない、かなりらしくない行動ではあったが、ワルドは特に驚きもせずその行動を注意深く見守っていた。

果たして、次に紡がれたフーケの声はどこか苦しそうな物であった。





「ねぇ、ワルド。 "復讐者" の先輩から言わせて貰うけどさ」


「うむ?」


「思っている程、スッキリしないもんだよ」


「……知っているさ。だが、いかに後悔しても後戻りはできん。 "知っているだろう" ?」


「……ああ、知っているさ。痛い程に、ね」





フーケはそう呟いて、握った手を離した。

それから何かを振り払うかのように、乱暴にワルドの唇を己の唇で塞ぐ。

夜風が吹き抜け、森の木々が狂おしく何かを求めるかのようにざわめいた。









ワルドはそんな彼女の行動に、ほんの少しだけ背に回した右腕の力を込めてやるのであった。


















[17006] intermedio4-2/女王陛下の狐狩り
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/12 16:08









『魅惑の妖精』亭はその日も繁盛していた。





チップレースが終わり一区切りがついたものの、店にやってくる客にしてみればそんな区切りなど関係無いのは当然で

相も変わらず才人は皿洗いに、ルイズは接客に忙しい毎日だ。

そう、二人は"青い鳥" の姉妹が屋根裏部屋を出て行ってからこっち、事件らしい事件も起きず実に平和で穏やかな日常を

満喫する事ができたのである。

もっともルイズにしてみれば次々と起こる才人が "以前" 経験した事件を初体験し、それなりに刺激的な毎日でもあったが。

すなわち、店にたかりにやって来た徴税官の一言で、キレたルイズが魔法を使い店の者にバレバレであった身分が改めてばれてしまったり。

たまたま店に遊びにやって来たタバサとキュルケ、ギーシュと彼と仲直りしたモンモランシーがやって来て店で働くルイズが茶化されたり。

キュルケとタバサの友情の始まりの物語を皆で聞いたり。

そこへ久々の休暇でハイになった王軍の士官とその手下が店にやって来て、傲慢に振る舞いながらキュルケに絡み、決闘騒ぎになったり。

結局決闘はタバサが引き受け、王軍の士官を手下もろとも "エア・ハンマー" で吹き飛ばしアッサリと勝負がついたり。

しこたま飲み食いしたキュルケが眠いから泊まると言い残し、お代をルイズにツケてタバサと共に『魅惑の妖精』亭の二階へと消えたり。

そこへ先程の士官が決闘の仕返しの為、一個中隊を引き連れてやって来て大乱闘騒ぎになったりといった具合である。

もっとも最後の乱闘騒ぎでは、 "前回" はボコボコにされてしまった才人とルイズであったが、 "今回" はその圧倒的な力の差を

余す所無く発揮し、逆に一個中隊全員をボコボコにしてしまうのであった。

そんな、一見順調に "同じ未来" へと進みつつある日常の中で、才人はある悩みを抱え込んでしまっていた。

タバサの母親救出の為、未来をそれまではなるべく変えないようにすると決めた才人であったが

一つ引っかかる "事件" がこれから起こるからだ。





「なあ、ルイズ。いい加減、機嫌なおしてくれよぅ」


「うるさい!」





喧噪に包まれる店内、厨房の片隅で転がる才人をゲシ! と踏みつけるルイズ。

白いこめかみに青筋を立て、非常にご機嫌ナナメといった様子だ。

"青い鳥" の姉妹が才人にささやかな復讐をした日からずっとこの調子なのである。

無論、彼女達の真意をわかっているルイズではあったが、苛つきの原因はそれだけではなかった。

先日の王軍士官が連れてきた一個中隊との大立ち回りの一件で、店の女の子達の間で才人の株がうなぎ登りになっていたからだ。

徴税官をこっぴどく痛めつけて追い返した自分の評価もかなり良い物に変わってはいたが、才人は "特別" であった。

何せ魔法が使えない平民である才人が、メイジも混じっている王軍の一個中隊を素手で全員叩きのめしてしまったのだから。

平民であればその事実は誰が聞いても心躍るような出来事であろう。

ましてや年頃の女の子がその現場に居合わせたのである。

それも、複数人で。

案の定、才人の圧倒的な強さを目の当たりにした店の女の子達が、日頃の才人とのギャップも相まって

夢中になってしまったのも無理もない話である。

あれ以来店に出ている女の子達が何かと才人につきまとい、世話を焼きたがり、あまつさえルイズに彼、どんな女の子が好みだろうかなどと

いった相談がよりにもよってルイズの元へ、ひっきりなしに舞い込んできていたのだ。

それがルイズにとって非常に面白くない。

というか、常に噴火寸前の火山のように怒りのマグマが渦巻いている状態となっていた。

そしてそのルイズの状態こそが、才人の悩みの種となっていたのである。





「あ、あんた……最近妙にモテるからって、調子にのってない?!」


「滅相もございません」


「今日だって、私以外の女の子を五十三回も見たわ! それに、ジェシカやジャンヌの胸の谷間を二十六回も見たりして!」





声を震わせ台詞と共に、グリッと才人を踏みつけた足に力を込めるルイズ。

ミシリという音を才人は耳にしながらも、どうやってルイズの機嫌を直して貰おうかと途方に暮れていた。

なにせ、ルイズの言葉通り女の子(の胸)につい目が行ってしまっていたことは事実だったからだ。

事実は引け目となり、自己嫌悪として才人を苛む。

しかし、それ以上に男としての本能に打ち勝てない自身が情けなくなる才人であった。

だからこそ、ルイズの行き過ぎた嫉妬にも才人は特別不快に思うことは無い。

むしろ愛情表現の一種として捉え、他の女性に目をやってしまった自身への罰も兼ねて嬉々として受け入れている節もある。

なまじ "前" の人生の中でルイズと共に過ごした時間もあり、彼女の欠点すらも易々と受け入れてしまえる土壌もあった。

そんな才人の態度は、彼を注意深く観察する女の子達に大人びた、余裕ある物にみえてしまい、知らずますます株を上げてしまう。

その様子をルイズは間近で見聞きし、更に嫉妬の炎を燃え上がらせる。

そして才人に当たる。

耐える、というか余裕を持って受け入れる。

女の子達の株が上がる。

ルイズが更に苛つく。

悪循環であった。





「わたしの、気も、しらないで! このこのこのこの!」


「うげ! ル、ルイズ! 痛い! 落ち着け! 実は、大事な話がああ! いでぇ!」


「何が、大事な! 話よ! 私の、方が! 大事、でしょうが!」





取り付く島もないとはこの事である。

ぐりぐりぐりぐりぐりと踏みつけられながら才人は、これから起きる『魅惑の妖精』亭で起きる最後の事件についての説明を

この時とうとう諦める事にしてしまうのだった。

このような状態のルイズに、これからアンリエッタとキスをするような状況になるとは、口が裂けても言うわけにはいかない。

間違いなく逆上してしまい、 "爆発" を店の中で見境無く唱えだしてしまうだろう。

無論、キス自体はなんとか阻止するつもりではある。

しかし、今の才人がまったくルイズに信頼されていないのは明白であった。

なにせ、先日デートとしてトリスタニアの劇場へ足を運んだ際、ルイズは演劇などそっちのけで周りの女の子の視線を伺い

視線が合おう物ならばまるでエサを手に入れたばかりの餓狼の様に唸り、時にはしゃー! と威嚇をする始末であったからだ。





「お、おちつけって! パンツ、パンツみえてんぞ!」


「いいのよ! パンツでも! 私だけ見てればそれで!」


「サイトー、これ、おねが……うわ! なにやってんの?! そんなプレイ、お店でやっちゃだめよ!」


「ちがう! ジェシカ、断じてそれは違う!」


「うっさい! 取り込み中よ!」


「ルイズ?! ……まったく、仲がいいのは結構だけど今は仕事中よ。はやくフロアに戻んなさい」


「そんな事言って、あんた私が居ない間、サイトに言い寄るつもりでしょう!
 知ってるのよ、厨房に入る子はみんなシャツのボタンを一つ、外して入っているの!」


「う、ちゅ、厨房は暑いからよ!」


「元々胸元が大きく開いているじゃない! あ! もしかして私への当てつけ? 当てつけなの?! きー!」


「そんなつもりはないって、考えすぎよ? ……そりゃ、武器になる物は有効に使う主義だけどさ」


「やっぱり! うぬれぇ!」


「ちょ、落ち着いて! 杖こっちに向けないでよ! てか、どこにそんなもの隠し持ってたのよ!」


「る、ルイズ! 落ち着け! 流石にそれはマズイ!」


「あんたは黙ってなさい! 敷物は敷物らしくそこで大人しくしてればいいのよ!」





ぐりぐりぐり、と才人を踏んづける足に力が更に籠もる。

ぐえ、と潰れたカエルのようなうめき声を上げて、イーヴァルディの勇者は手足をバタつかせて苦しんだ。

ジェシカはそんな二人を見て、腰に手を当てはあと深くため息をつく。





「ねえ、ルイズ。あのね? みんな、必死なのよ」


「なにがよ!」


「だってさ、ルイズはいつもサイトと一緒に居られるじゃない。
 屋根裏部屋にさ、二人きりで過ごして彼と同じベッドで寝ているんでしょう?」


「そりゃ、まあ……」


「それ、すっごい有利よねぇ。店の女の子……ナンバーワンの私でさえも覆せない程有利な状況じゃない。
 ねぇ、ルイズ。みんな、そんな貴女が羨ましくて仕方ないの。貴女にすこしでも追いつきたいと必死なのよ」


「私が羨ましい? みんな、私に追いつこうと?」


「そうそう!」





すげぇ……

才人は厨房の床に倒れ伏せながらも、逆上したルイズをなだめつつあるジェシカの手腕に思わず感嘆の言葉を口にしかけた。

いつの間にか踏みつけられていた足は降ろされ、多分、本気ではないだろうがジェシカに向けていた杖もだらんと下げられている。

見上げるルイズの背からは、怒気がみるみるうちに萎んで行くのがよくわかった。

ルイズを持ち上げ、いかに才人に近しい位置にいるかその有利性を冷静に指摘しつつ、さりげなく自身や店の女の子達にも

才人を射止めるチャンスがある余地を作り出してゆく。

実に見事でしたたかな論調である。

才人はそろり音を立てないように立ち上がり、暫くはジェシカの説得に聞き入っていたが、ふと彼女がアイコンタクトを

送ってきている事に気がついた。

どうやら今のうちにどこかへ逃げるよう、合図を送ってきているらしい。

すげぇ……

ルイズを宥め、自身にもチャンスを作り出す一石二丁の説得が、俺を逃がす事によってポイントも稼げる一石三丁になった!

これが『魅惑の妖精』亭ナンバーワンの実力か!

思わず、ルイズの後ろでぐっと親指を立ててジェシカの手腕を褒め称える才人。

およそ、争いの元凶となっている人物とは思えない程暢気な感動である。

そんな才人にジェシカは器用にもルイズを褒め称えつつも、怒りの合図を送ってくる。

才人は彼女の合図を受けてやっと自分の置かれた状況を思い出し、慌てて音も立てず店の裏口から逃げ出したのであった。

ルイズに気取られぬようそっと裏口に扉を閉めて外に出ると、すっかり嗅ぎ慣れた裏通りの悪臭と共に気持ちの良い風が吹き抜け

才人の黒髪を撫でた。

ルイズの折檻から解放された才人はその風に一瞬、ほっとした表情を浮かべたが次の瞬間険しい表情を浮かべる。

空気がいつもと違う。

どこか張り詰めたかのような、剣呑な気配が街を覆っている。

才人は少しの間、警戒するように辺りを伺ったがだがしかし、すぐにその警戒を解いてしまった。

ある人影を確認し、これから何が起きるかを全て理解したからだ。

人影はすっぽりとフードを頭に被った女性で、暗い裏路地のむこうから才人の姿を確認するといそいそと駆け寄ってくる。





「あの、もし。この辺りに『魅惑の妖精』亭というお店がありますか?」


「ありますよ、 "姫さま" 。ここがそうです。」





才人の意外な返事に影はびくん、と体を震わせ動揺した。

それからすぐに踵を返して逃げるように去っていく。

才人は慌てて女性を引き留め、女性に自分の姿がよく見えるようフードに顔を近づけた。





「あ、ま、まって! 俺ですよ、俺! ルイズの使い魔の!」


「え? あ! 貴方は……」


「お久しぶりです、姫さま。ここでは何ですから、俺達が逗留している宿の部屋へあがりませんか?」


「え? え?、ええ。でも何故……あ! そうでしたわ、貴方は "未来を予知する剣" をお持ちになっていたのですわね」


「そういう事です」


「ふふ、わざわざ出迎えてくれていたなんて、ますます頼もしいですわ」


「恐縮です。さあ、こちらへ。ここに居ては兵士に見つかりますよ。用事があるのは、ルイズでなく俺でしょう?」


「まぁ。そこまで知っているのならば、話が早くて良いですわね。ええ、そうです。お願いします」





才人はまだジェシカとなにやら話し込んでいるルイズに見つからぬよう、こっそりと『魅惑の妖精』亭の二階にある屋根裏部屋に

女性……トリステイン王国女王アンリエッタを案内した。

アンリエッタは屋根裏部屋に通されると、粗末なベッドに腰掛けかぶったフードをめくりながらほう、とため息をつく。

そんな彼女のすこし疲労の色が見えるその美しい横顔に、水の入った木のカップが差し出された。





「どうぞ。ワインではありませんが、一息つきますよ?」


「あら、ありがとう。貴方は本当に良くできた使い魔さんね。ルイズがうらやましいわ」





アンリエッタは微笑みながら才人が差し出したカップを受け取り、一気に煽った。

ぷは、ともう一度今度は先程よりも大きく息を吐いてカップを才人に戻すと、彼女の顔に現れていた疲労がほんの少し和らいだ。

その様子を見た才人は頃合いだと判断し、早速アンリエッタがここへやって来た目的の話を始めるのであった。





「まったく。 "狐狩り" の護衛を俺に頼む為、こっそり視察の公務から抜け出すなんて無茶も良い所ですよ?」


「――本当に何でもお見通しなのですね?」


「何でも、と言うわけでは無いですけれどね」


「うふふ、流石に "未来から召喚された" だけはありますわね」





アンリエッタの言葉に才人はぎょっとした。

それから悪戯っぽく笑う彼女をしばし見つめた後、ある事に気がついてあちゃあと頭に手を置く。





「ウェールズ皇太子殿下から聞いたのですね?」


「うふふ、当たり。まったく、ルイズも貴方も人が悪いですわ。わたくしだけのけ者だなんて」


「すいません、騙すつもりはなかったんです。あの時は、ああでも言わないと信じてもらえないと思いまして」


「あら、そうかしら? わたくし、そんなに暗愚に見えまして?」


「普通、僕は未来からきました! なんて話、誰も信じませんよ。
 ルイズだって信じてもらえるまでかなり時間がかかりましたしね」


「そうかしら? なんとも、素敵な話ではありませんか」


「思っていらっしゃる程ロマンチックではありませんよ。
 さあ、姫さま。ここにお召し物がございますので、着替えて下さい。すこし、小さいかもしれませんが」





才人は苦笑いを浮かべつつも、ルイズがカモフラージュ用に買っておいた平民の服を取り出した。

本来ならば今日の為にアンリエッタの体型に合わせた物を用意したかったのだが、ルイズの機嫌を伺っている内にこの日がやって来たので

"前" と同じようにルイズの服を着て貰うほか無い。





「……本当、貴方のような部下がもっと居れば、トリステイン王国も今のようにならなかったでしょうね」


「俺のは気が利くんでなくて、 "知っている" から出来る行動ですよ」


「そうかしら? なんとなく、ルイズが夢中になる気持ちもわかりますわ」


「からかわないで下さい。ささ、お早く。俺、あっち向いていますから」





そう言って、アンリエッタに服を渡すと素早く後ろを向く才人。

人前で着替える事が当たり前の王族は、才人達が持つような羞恥心が無い。

目の前でいきなり着替えられると、いかに "見慣れた" 才人とて目のやり場に困るのだ。

程なく背中の方から、しゅるしゅると衣擦れの音が才人の耳に届き始める。

音はふと時の遡行者に "前" の記憶を呼び起こす。

王配として、最初に伽の相手をしたのがアンリエッタであった。

思い出されるのは甘く淫靡な快楽と、心を引き裂かんばかりの罪悪感。

目的を渋々ながら理解しつつも、いくなと無言で訴えるルイズの涙。

想い人と遂に結ばれた、アンリエッタの後悔混じりの涙。

かなり虫食いとなってしまったかつての記憶は、鮮明に才人の心の内に蘇り嫌悪・悦楽・後悔・愛情とあらゆる感情と感覚を呼び起こす。

才人はそれらを二度頭を振って追い出し、側にあったデルフリンガーを手に取りながら気を紛らわせようと

後ろのアンリエッタに声を掛けることにした。





「姫さま、ちょっと小さいかもしれませんがご勘弁を」


「かまいませんわ。少し、胸が、苦しい位であとは、大丈夫です」


「一応確認しますけれど。今夜の "狐狩り" は高等法院の古狐なんですよね?」


「……ええ、そうですわ」


「よかった。じゃあ、俺の知る未来と同じです」


「貴方が知る未来では、わたくしは無事狐を狩れまして?」


「結果を他人に話すと、未来が変わる恐れがあるのであまり言いたくは無いのですが……無事、狩れますよ。
 その内劇場での演目に成る程見事に」


「まあ! ……もうこっちを向いても大丈夫ですわ」





アンリエッタに促され、才人は再び彼女の方を向いた。

……やはり前回と同じように、胸のボタンがはち切れんばかりとなっている。

ごくり、とつい生唾を飲み込み才人はどうしても "そこ" から目が話せない自分に嫌悪を覚えた。

いかん!

こんなんだからルイズを苛立たせてしまうんだ!

しっかりしろ、俺!

ブンブンと今後は先程よりも頭を大きく降り、気を取り直して才人は言った。





「では移動しましょうか。ここに居てはルイズがその内やってくるでしょうし。
 姫さまのそのようなお姿は、見られたくはないんでしょう?」


「ええ、そうですわ。貴方は本当、よく気が付く使い魔さんなのね」


「言ったでしょう、 "前" に姫さまからそう聞いたんですよ」


「うふふ、それはそれでなんだか奇妙な感じですわ。ねぇ、使い魔さん。これからわたくしはどうなるのですか?」





質問に、才人はギクリとした。

このまま "前" と同じように事が進めば、恋人同士に偽装し、恋人同士のように肩を寄せ合い

果ては兵士の目を欺く為にキスまでする事を思い出したからだ。

なんて答えよう?

ありのまま話すか?

いや、でも……





「? 使い魔さん?」


「あ、し、失礼。姫さま、それがその……前回は皇太子殿下はお亡くなりになっていまして……」


「……ええ、あの方のお手紙で、本来ならばそうだったと書いておりましたわ」


「それが、今は喜ばしい事に生きておいででしょう? だからその……」


「? どういう事ですの?」


「その、殿下がいない前回では、恋人同士のフリをしまして……」


「まあ、名案ね!」


「肩を寄せ合い、兵士の目を欺く為に唇を重ねる羽目に……」


「目的の為には仕方ありませんわ」


「ひ、姫さま?! しかし、それでは……」


「お国の為ですもの、上辺のキスぐらい些事ですわ。
 それに皇太子殿下に貴方が遠慮する必要はありませんわよ?
 お優しいあの方ならば、きっとわかって下さいます。
 使い魔さんの事もかなり買っておいででしたし、だいじょうぶでしょう。さあ、そろそろ行きましょうか?」





どぎまぎする才人を余所に、アンリエッタは再びフードを深く被って屋根裏部屋の入り口の扉に手を掛けた。

その表情は明るく、希望に満ちている。

才人の知るウェールズを失い、政争に明け暮れ、未曾有の国難に当たっていた前回の彼女とは似ても似つかぬ表情であった。

年相応の生気と華やかさに満ちあふれ、瞳は夜にも関わらず輝いている。










才人はそんな彼女を見ながら、せめてキスだけはなんとか回避しようと胸に誓い屋根裏部屋を後にするのであった。

















[17006] intermedio4-3/奪った者、奪われた者、そして奪う者
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/12 16:22










やけに雨音が耳に五月蠅い夜であった。





その、雨が降り出すほんの少し前での事。

才人とアンリエッタは『魅惑の妖精』亭を抜け出した後、兵士達の目をかいくぐって木賃宿に身を隠し

粗末な部屋に二人、他愛も無い話を "前" と同じように交わしていた。

壁も屋根もあまり上等な宿ではないようで、外の様子がよく伝わってくる。

部屋は暗く薄汚れ、『魅惑の妖精』亭の屋根裏部屋よりも更に酷い有様であった。

そんな暗い部屋を仄かに灯すランプは、ベッドに腰掛けるアンリエッタと軋む椅子に腰掛ける才人を照らし出す。





「ねぇ、使い魔さん。ルイズは元気?」


「はい、すごく。貴族として育ったあいつにとって、平民に混じっての生活は中々刺激的であるようです」


「あら。それはなんとも、羨ましいですわね」


「姫さま程ではないですが、気苦労もそれなりにあるようですけどもね」


「うふふ。その様子ですと、貴方が知る "前のわたくし" は相当愚痴を貴方に聞かせたようですわね」





部屋と同じように粗末なランプの炎が、ゆらりと揺れる。

照らし出されていたアンリエッタの顔に影が妖しく動き、少し悪戯っぽく笑うその表情は美しくも妖艶に見えた。





「ええ、かなり。
 王宮では "狐" のような連中が跋扈し、姫さまの女王としての資質を問う声が満ち溢れ、頼れる者はごく僅か。
 信頼できる者に至っては、ルイズと銃士隊隊長のアニエスさんだけ、まったく女王になどなるのではなかったと
 よく愚痴を漏らしておいででした」


「アニエスの事まで……て、今更ですわね。貴方は未来から召喚されたもの。
 ねぇ、使い魔さん。お名前は?」


「才人と申します。ヒラガ・サイト。俺の国では姓が先に来るので、名はサイトです」


「サイト……変わった名前ですわね。
 ではサイトさん。こうして二人で居る時は貴方はわたくしの事をアンと呼んでください」


「わかりました。兵士達の前で "姫さま" だなんて、すぐにばれてしまいますからね」





才人はそう言って、ルイズにするように歯を見せて笑った。

屈託のないその笑顔にアンリエッタも微笑みを浮かべてまあ、と口に手を当てた。

ランプの炎が再びゆらりと揺れ、部屋の影を踊らせる。

芯の調節ネジが壊れているのか、どうにも炎が安定しないようだ。





「……本当、女王になどなるものではありませんわ」


「名君ほどそう思うものらしいですよ?」


「あら。お世辞でもうれしいわ。
 でも、ルイズが毎日送ってくれる報告書のお陰で、平民達の声や考えていることはよくわかるけれど
 その内容を見ているとわたくしが名君だなんてとても思えないですわ。
 遠征費の捻出にしても、貴族達は協力的ではありませんし、どうしても増税に頼らざるを得ませんし。
 そうなると平民達にも負担が……」


「遠征……やはり "今回も" アルビオン本土に攻め込むのですか?」





問いに、アンリエッタはじっと才人の顔を見つめた。

揺れるランプの炎は彼女の美しい瞳に光を照らし出す。





「……このまま本土防戦を続けては、いつか国力の差にトリステイン王国は押しつぶされますわ。
 幸いアルビオンの主力艦隊は先日壊滅したばかり。攻め込むならば今しかありませんもの」


「外交で解決、と言うわけには行かないのでしょうね」


「ええ。条約を破って我が国に不意打ち同然に攻め込み、一国の女王を誘拐しようなどと企む国を相手に
 今更外交など、誰が信じることが出来るでしょう?
 アルビオン政府は信頼どころか、一言の言葉すら信用出来ませんもの。
 最低限の約束すら守らぬ相手に外交など、妄言も甚だしいですわ。
 貴族は領内を荒らすオークには言葉が通じないからこそ、杖を持って当たるのです」


「……きっと、恨まれますよ。敵にも、味方にも」


「……それが女王の仕事です」





呻くような、アンリエッタの声。

年端もいかぬ女王は、苦しげに仕事だと答えた。

彼女以外にだれも代わってやれることのない、仕事。

トリステイン王国の王。

一度戦争を行えば幾千の兵士や貴族の命を机の上で散らせ、それを恐れれば今度は幾万の平民の命を机の上で失う仕事。

アンリエッタの頭の上に乗る冠は、それを強要する呪いの品であった。

才人も状況的に遠征は変えられぬと良く理解している。

しかし、 "前" と違う今どうしても知りたい事があった。

アンリエッタが遠征についてどう考えているか。

もしかしたら、ウェールズの領地を取り戻す為の戦いを仕掛けようとしているのではないか。

もしそうであるならば、それは間違いだと伝えたかった。

避けられぬ戦だとしても、一人の女が一人の男の為に幾千の命を捧げるなど才人には許せるものでは無いからだ。

それ故、才人の言葉は更に幼い女王の心をえぐるように続く。

つめの甘い、暢気な普段の彼からは想像も付かない程鋭く。





「…… "前" は、殿下を失った姫さまが、殿下の死体を使った誘拐事件をキッカケに復讐心に取り付かれての遠征でした」


「……貴方は、わたくしが殿下の為に遠征をしようとしていると?」


「俺が知るあなたの本質は、愛に生きる人でしたから。…… "前" はその事実が一生あなたを苦しめていましたよ」





ジリ、とランプの炎が揺れた。

陰影濃く浮かぶ才人の寂しげな、それで居て懐かしむような表情に一瞬侮辱されたのかと怒りがこみ上げかけたアンリエッタは

胸の奥底が熱くなるかのような錯覚を覚えた。

才人の言葉は侮辱ではない。

心の底から、自分を心配してくれての物なのだと理解したからだ。

アンリエッタはこみ上げてくる不思議な気持ちを余所に、胸の奥にある感情を一つ一つ整理していく。

ウェールズの為の戦。

その言葉を自問するために。

しかし。

彼女の口から出た言葉は、意外なものであった。





「ねぇ、サイトさん。貴方は剣をその手に戦うのでしょう?」


「え? ええ、そうです。俺は魔法が使えません」


「ではその剣で、人を殺めた事はありますか?」





アンリエッタの質問に、才人は口を堅く結んで目を閉じた。

"前" の人生の中で殺めた者達を思い起こす為に。

やがてその目はゆっくりと開かれ、揺れるランプを映し出す黒瞳は真っ直ぐにアンリエッタの姿を映し出す。





「あります。
 戦いの最中で、不意打ちの応撃で、こちらから不意打ちで、助からぬ者への慈悲で、色んな場所で幾人も」


「そう……もし、よろしかったら教えて下さいまし。
 その方々の大切な人々の恨みを、貴方はどう受け止めましたか?」





アンリエッタは才人を見据えて、真剣な面持ちで質問を重ねた。

才人は息苦しそうに息を一つ吐いて遙か昔、いつか答えを出した物を胸の内に探る。

その孔だらけになった記憶に在って、何一つ消えなかった苦々しい思い出と共に。





「俺が殺めた者を想う人々の恨みは、そのまま受け止めました。
 罵声をじっと浴び、殴られるままに殴られ、しかし命までは差し出してやらず卑怯にも幸せに愛する人と生きてゆきました」


「それが、奪った者の答えなのですか?
 わたくしは、机の上で散る幾千の命にそうやって報いを受ければよいのですか?」


「……いいえ。奪った者に答えなど、そもそも用意されてはいませんでした。
 答えは奪われた者にのみ用意され、奪った者には終わらぬ後悔と懺悔が待つのみです」





才人が口にした答えに、アンリエッタは目を伏せて膝の上にある己の手を見つめた。

奪った者に答えなど、用意されてはいない。

当たり前だ。

理由はどうあれ、大切な人を永遠に奪われた人々の怒りや悲しみを注ぐ手段などありはしないからだ。

そして自分が今下している決断は、そんな人々を大量に生み出して行くだろう。

しかし、決断を覆してもそういった人々は増えていくのは目に見えている。

タルブ地方で家を焼かれた人々、戦死した領主の家族。

自分はそういった人々の怒りや悲しみも、同時に背負っているからだ。

アンリエッタは無言の内、己の頭に乗る王冠の重みに改めて戦慄する。

王とは、そういった人々の想いを背負う者なのだ。

王とは、そういった人々を生み出していく者なのだ。

救いのない、暗黒の夜道のようなその運命にアンリエッタは更に想いを馳せた。

そんなわたくしにとって、唯一の光。

もしあの方を失いでもしたら、きっと……

そこまで考えた所で、アンリエッタは顔を上げて再び才人を真っ直ぐに見つめた。

先程の才人の問いに答える為に。

王として、奪う者として、一人の女として。





「…… "前" のわたくしは復讐に取り付かれ、遠征を行ったのかもしれません。
 今だって、あの方の事と遠征を切り離して考えているとも言い切れません。
 しかしたとえそうであっても、我が国は現実に先程申し上げた通りの状況です。
 私情は私情。遠征は国の事情を鑑みた、女王としてのわたくしの判断なのです。
 それに "今の" わたくしは、貴方が知るわたくしではありませんわ」


「……失礼しました」


「いいのですよ。 "今回" は『恋するアンリエッタのわがままで行われた遠征』だと言われるでしょう。
 うふふ、たとえ真実がどうであれ、わたくしは暗愚な王としてそしられる運命なのでしょうね」


「姫さま……」


「今はアン、でしょう? サイトさん。
 気にしないでください。わたくしは大丈夫。
 なんと言っても、 "今回" は大切な半身とも言える、ウェールズ様が生きておいでですもの。
 どんなに辛い事があろうと、耐えて見せますわ」





アンリエッタはそう言って、ニッコリと笑って見せた。

しかし。

気丈に笑う彼女の心を映すかのようにジリジリとランプの炎は大きく揺れた。

才人がそんな、どこか悲痛な笑顔を浮かべるアンリエッタに何かを伝えようとした時である。

ぽつ、ぽつ、と屋根の方から何かが落ちてくるような音がした。

どうやら雨が降り始めたらしい。





「……雨、降ってきたようですね」


「ええ。――ねぇ、サイトさん。ちょっと、こっちにいらして?」





先程の会話からどこかバツの悪さを覚えていた才人は、雨をキッカケに話題をかえたのであったが

アンリエッタの言葉に再び胸をざわめかせた。

彼女がこちらへ、と示した手は同じベッドの上だったからだ。





「あの、えっと……」


「どうかしまして? ふふ、大丈夫。襲ったりはいたしませんわ」


「い、いえ! そんなつもりは……」





才人は慌てて彼女の隣に移動する。

そんな才人の手をゆっくりとアンリエッタは取り、そのまま彼の手を見つめたのであった。





「……姫さま?」


「ごめんなさい」


「え?」


「先日の誘拐事件の事ですわ。操られていたとはいえ、サイトさんにわたくし酷いことを……」


「ああ、そんな事でしたか。大丈夫、俺、こう見えてもすごく丈夫ですから」


「……雨の音を聞いて、今思い出したのです」


「もの凄く忙しい毎日ですからね、仕方ないですよ」


「……仕方ない、ですか。誰かを傷つけて、仕方ない、で済ませていいのでしょうか?」





アンリエッタの呟くような台詞に才人はぎょっとする。

どうやら先程の話を引きずっているらしい。

才人は握られた手を握り返しながら、残る手をアンリエッタの肩に置き彼女の目を真っ直ぐに見つめた。





「そのお気持ちを忘れなければいいのです。
 誰かを傷つけてしまったのなら、出来ることをしてそして謝ればいいじゃないですか。
 過ちを犯さない人間なんていません。
 失政を一度も犯さなかった王だっていません。
 俺の場合は俺自身、姫さまを恨んだりもしていませんし何も問題ないですよ」


「しかし、死んだ衛士達は……」


「あれは姫さまではなく、アルビオンのメイジがやったことです」





アンリエッタは才人の言葉に暫く黙り込んでしまった。

やがてふっと自嘲的な笑みを浮かべて握っていた才人の手を離し、今度は肩に添えられている手にその手を当てた。





「……ごめんなさい。わたくし、卑怯な女ですわね。
 きっと誰かに慰めて――貴女は悪くないって言って欲しかったのですわ」


「いいんですよ」


「え?」


「俺やルイズ、アニエスさんが姫さまについています。
 それに "今回" はウェールズ皇太子もいらっしゃいます。皆、姫さまの支えとなりたいのです。
 愚痴ぐらい、俺達の前では気軽に吐き出せばいいじゃないですか」





才人はそう言いながら、先程のようにニカっと笑ってみせた。

そんな屈託無く笑う親友の使い魔に、アンリエッタは何かの糸が切れたのかふにゃりと顔を歪めて

才人の胸に王冠の乗っていない頭を投げ出してしまう。

才人はルイズにいつかしたように、そんな彼女の頭を優しく撫でてやった。

やがて狭く粗末な部屋に響くのは、誰か鼻をすする音。

先程から降り始めた雨は、まるで声にならぬ少女の泣き声を外へ漏れぬようするかのように強く激しく屋根を打ち付け始めている。

その夜はやけに雨音が耳に五月蠅い夜であった。







トリステイン王国の西部海岸には、ダングルテールという地方がある。

アルビオン訛りではアングル地方と呼ばれるこの辺境は、つい百年前まではアルビオンからの入植者による自治区であった地域だ。

しかし現在では見る影もなく、ぼろぼろに朽ちかけた漁師の村ばかりが点在しているにすぎない。

かつての繁栄を色濃く残しているものは、入植者を祖とする住人達の独立独歩の気風のみである。

土地は痩せており農作物の収穫は多くはない。

ここで暮らす者達の命を繋いでいるのは漁業であり、僅かばかりの魚を捕りながらなんとか餓死者を出さずに冬を越す有様だ。

通常このような土地では、領主が貴重な財産である "平民" 達が余所へと流れていかぬよう手を打つのが常である。

しかしこの地方の領主は暗愚なのか、それとも他に理由があるのか何も手を施さず領地が荒れるがままとなっていた。

トリステインに限らず貴族と平民の間には確たる身分の差があり、平民を蔑む貴族も少なくない。

しかし一方では両者が協力して産業に当たることも珍しくはない。

漁業も例外でなく、漁師達は通常ならばメイジによって作られた船や漁具を使って漁に出る。

夜海面を強く明るく照らす魔具や、自動的に風を捉える帆やマストなど備えた漁船。

魚を大量に引き寄せる秘薬入りの撒き餌や、魚群を探し出す魔法の地図。

どれも普通の平民には一生かけて稼いでも、買うことの出来ないような代物ばかりだ。

そんな高級品を領主は漁業に当たる領民に漁に出る許可証と共に貸し与え、不漁が続くなら対策に自ら奔走する。

嵐にあった船が戻らぬ場合は先頭を切って捜索に当たる領主も珍しくはない。

なぜならば、領地に住まう平民こそが税収を生み出し、ひいては領主の繁栄に直結しているからだ。

王宮に勤めるメイジは才覚一つでどこまでも昇って行ける為、平民を蔑む傾向が強くはあるが

逆に地方に領地を持つ貴族で平民を強く蔑む者は、実のところそれ程多くは無かったりする。

無論、比較の話であり身分差意識は大概の貴族には大なり小なりは抱いている。

とは言え、こういった領地を持つ貴族にとっては税の収支はそれだけ重要であり、平民を無闇に搾取するような統治は

むしろ己の無能をさらけ出し、恥であると考える事が一般的であった。

しかしここダングルテール地方はそのような一般的な領主による統治は行われず、荒れ放題であった。

漁師達はボロボロになった粗末な船を漕ぎ出し、孔だらけの網を海に投げ入れ、僅かばかりの収穫に一喜一憂する日々を送る。

時には海魔に怯え、時にはオークの襲撃で村一つ丸ごと略奪される場合もある。

酷い時には領主に頼るのではなく、有志を募って自分達でオーク退治を行う有様だ。

そんなダングルテール地方の住人達も、二十年前まではそれでも今よりかは "まし" な生活を送っていた。

"ダングルテールの虐殺" 。

公式には疫病による住民の全滅とされている事件の、別の呼び名である。

この事件によりこの地方の住人の殆どは秘密裏に、そして無差別に殺されてしまったのだ。

その理由はブリミル教総本山のあるロマリア連合皇国で起きた宗教改革、「実践教義」を信仰する新教徒にあった。

当時のトリステイン王国はロマリア連合皇国との密約により、この地方に多く住む新教徒達を虐殺し村々を燃やし尽くしたのだ。

無論如何に為政者である貴族達の権力が強大であるとはいえ、このような暴挙が許される筈はない。

表向きには疫病の蔓延による焼却処分として記録されている。

真実を知る者の多くは炎に焼かれ、生き残った僅かな者達も痩せた土地で目立たぬように暮らす他なかった。

余所の土地に移ろうにも、疫病の地の出身と言うことでそもそも受け入れて貰えない上に、普段から領主の目が光っているからだ。

そう、この地はまるで巨大な監獄であった。

真実を知る住人達は何処へも逃げる事もできず、領主の目に怯え、過去に憎悪し、明日をも見えぬ生活に絶望しながら生きてゆく地。

それが現在のダングルテール地方の姿である。

アンリエッタが最近設立した近衛隊『銃士隊』隊長であるアニエス・シュヴァリエ・ド・ミランは、そんなダングルテール地方の生まれだ。

どういった経緯で監獄を抜け出し近衛隊隊長になったのかは不明だが、『メイジ殺し』と呼ばれるその戦闘技量は確かな物であった。

今年で二十三才になる彼女は、短く切った金髪と薄いグリーンの瞳、そして何よりもその鋭い眼光と凛々しい佇まいが印象的である。

そんな元平民である彼女はアンリエッタの "狐狩り" の夜、その人生の中で一つの節目を迎えていた。

トリステインの地下に秘密裏に掘られた地下道にて、アニエスは一人自身の荒い息づかいを耳に苦悶する。

はあはあと細い呼吸音が暗い地下道内に反響し、辺りには血と何かが焼けたかのような臭い。

ガシャンと音を立てて膝を折ったアニエスの体には無数の傷が刻まれており、着込んだ鎖帷子が熱く焼け彼女の白い肢体を焼いていた。

息も荒く四つ這いになり、呻く彼女の傍らには男の死体。

トリステイン王国高等法院の長であり、 "ダングルテールの虐殺" の黒幕の一人であるリッシュモン卿の変わり果てた姿だ。

彼こそアンリエッタの "狐狩り" の獲物であり、アルビオンと通じ女王の誘拐事件を引き起こした張本人の一人である。

今宵、アンリエッタが張り巡らせた罠にかかったリッシュモンは本性を現し、隙を突いてこの地下道へ逃げ込んだ。

そしてアニエスは一人、地下道でリッシュモンを待ち構えて復讐を遂げてみせたのである。

憎い仇の血でその手を染めた彼女の胸に去来するのは、復讐の歓喜ではなく苦い罪悪感であった。

絶大な忠誠の下、アンリエッタの手足となり誘拐事件の内偵を進めていた彼女だったが、唯一主に不義を働いたのが

この地下道の存在であったからだ。

つまり彼女はここで復讐を遂げる為、あえて地下道の存在をアンリエッタに報告しなかったのだ。

全てはこの瞬間の為に。

そして、彼女は傷つきながらも本懐を遂げた。

アニエスは暗い地下道の中直ぐ側の死体に目をやると、ぺっと血混じりの唾を吐き捨て再び立ち上がる。

同時に激痛が体中を襲い、思わず声が漏れた。





「くそ、こんな所で死んでたまるか。まだだ。まだ、残っている。」





声は地下道に反響し、まるで彼女の心の闇に吸い込まれるようでもあった。

足がぶるぶると震え、体中が血まみれだ。

歩を進める足のかしゃん、と鳴る拍車の音が耳にうるさい。

息が遠く、遠くなってゆく。

前がよく見えないのは暗い地下道の為か、血が足りない為か。

死んでたまるか。

アニエスの脳裏に赤い光景がよぎった。

燃える家。

燃える畑。

燃える男。

燃える女。

燃える友人。

全てが燃えている。

村が、畑が、家が、人が、故郷が炎に沈んでいく。

脳裏に残る炎はそのまま復讐の炎となり、彼女を内側から焼いた。

かしゃん、と拍車が鳴る。

死んでたまるか。

死んで、たまるか!

まだ、残っている!

私のすべてを焼いた、あいつらが残っている!

かしゃん、と拍車が鳴る。

殺す。

必ず殺す!

憎悪は生へと渇望となり、彼女の足を進めさせた。

その度にかしゃん、と拍車が鳴る。

音はまるで、彼女を縛る枷が鳴るようでもあった。

しかし。

傷は深く激痛は彼女の憎悪をかき立てはしたものの、それ以上に意識を繋ぐ気力と体力を奪っていた。

やがてアニエスは力尽き、再びガシャンと鎧が鎖帷子と擦れる音をたてて膝を折らせる。

くそ、こんな所で……死んで……

意識が遠のく。

足は、腕が、まぶたさえ思うように動かせない。





「ふむ。どうやら私は先を越されたらしいな」





男の声。

敵か?

反射的に銃へ手を伸ばそうとしたが、忠実であるはずのその手はピクリとも動かなかった。

アニエスに出来ることと言えば、暗闇の向こうにいつの間にか現れた人影をうっすらと確認する事だけである。

男は長身。

銀の仮面。

……隻腕。

何、者、だ?

そう口にしようとして、彼女は意識を手放してしまった。







アニエスが次に目を開いたのは、隊舎の自室であった。

傷ついた体はすっかり治っておりベットの脇で看病をしていた、最近入隊したばかりの見習いに状況を聞くと

なんでもチクトンネ街の排水溝に血まみれで倒れていた所を、通りがかった市民に発見されたそうだ。

何故? と一瞬疑問に想ったが、意識を失う寸前の記憶を掘り起こし恐らくは最後に見た人物が助けてくれたのだろうとアニエスは考えた。

あの男は一体誰だったのだろう?

あの地下道の事は報告していなかった。

てっきり、リッシュモンの手の者だとばかり思ったが……

そういえば先を越されたと言っていたな。

もしかして私と同じ地の出身の者か?

いや、しかし……





「隊長? まだ、どこか傷の具合が悪いのですか? 医療メイジの方を呼んできましょうか?」


「ん? ああ、その必要はない。すこし、考え事をしていたのだ」


「そうでしたか」


「それよりエトマール。お前、訓練は良いのか?」


「ミシェル副隊長の命令で僕ら訓練兵が交代で隊長の看病をしているので大丈夫です。
 それに、もうすぐ交代がやって来ますし」


「そうか」


「僕、隊長が意識を取り戻したとミシェル副隊長に報告してきます」


「ああ、少し待て。水を一杯、飲ませてくれないか?」





アニエスはベッドから上体を起こし、看病をしていた見習い兵にテーブルの上にあった水差しを指さした。

エトマールと呼ばれた見習いは、ハイと返事をして水差しから木製のカップに水をなみなみと注ぎ、注意深くアニエスに手渡す。

病み上がりの人間が飲むには多すぎる水が入ったカップを見て、アニエスは少し苦笑いを浮かべたが何も言わず一気に煽った。

水は美味であり、彼女に人心地つかせ同時にやっと生の実感を覚えるのであった。

今度こそ副隊長の下に報告をするため、部屋を出て行く見習いの背を眺めながらアニエスは呟く。





「これで、一つ。だが、終わりではない。始まりなのだ」





つぶやきは、暗い炎となり胸を焼いた。

炎の中には闇の中で見つめた、男の無念の死相。

夢にまで見たその顔は、意外にも酷く後味の悪いワインのようであった。

ワインはアニエスの心の中、野焼きの炎の様に広がる。

なぜか胸が悪くなってしまった彼女は、再び水を飲もうと手にしていたカップを煽り、すぐに先程一気に飲んでしまったのだと思い出した。

アニエスは空になったカップを見つめながら、水でなく酒を次ぐように言えば良かったと後悔するのであった。

それから数日後。

主であるアンリエッタと共に、お忍びで『魅惑の妖精』亭に訪れた彼女は "狐狩り" の夜に知り合った少女と再会し

妙にソワソワする主君と何処か間の抜けた、ひ弱そうな少年が居心地の悪そうに頭をかく姿を目にする。

その出会いは彼女の人生にとって一つの区切りとなるのだが、当の本人がそうであると気が付くのは今回も遙か未来

いくつかの区切りをつけ続け、 "奪われた者" として答えを出した後となる。









果たしてそれまでは、ダングルテールの炎は彼女を焼き続けるのだ。

















[17006] 6-1:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで(改訂1)
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/20 06:07









王宮からトリステイン魔法学院にアルビオン侵攻作戦の発布がなされたのは、夏休みも終わり二ヶ月が過ぎた頃である。





同盟中の帝政ゲルマニアはこれに同調、ガリア王国は中立声明を宣言し世はいよいよ本格的な戦争へと動き始めていた。

間諜の任務を終え、『魅惑の妖精』亭から学院に戻り表面上は普段と変わらない生活を送っていたルイズと才人は

発布から一月も経ったある日、 "予定通り" やって来たルイズの姉であるエレオノールを出迎えていたのであった。

つまり、ルイズは侵攻作戦へ参加の旨を実家に手紙で報告し、それを知った父親であるヴァリエール公爵から

軍に参加するのはまかり成らぬと強く手紙で反対され、無視していたらルイズの姉が彼女を実家へと連れ戻すべく

魔法学院にやって来たというわけである。

勿論、この事は事前にキュルケやタバサを交えてどう対応するかを相談していたのだったが、いくつか悩ましい問題が残り

ルイズと才人は頭を抱えていた。

一つ、ルイズの虚無の事を家族に話しても良いか。

一つ、 "以前" よりも親密になっている、才人の事をどう報告するか。

前者はアンリエッタに口止めされている事もあり、又侵攻作戦前でもあるのでこれは満場一致で黙秘することとなったのだが

後者はルイズにとって、非常に重要な問題でありしかしキュルケやタバサには到底相談出来ることではなかったのだ。

無論、相変わらず "護衛" と称して広すぎるルイズのベッドに潜り込んでくるタバサの隙を突いて才人と二人で

どうすべきか相談したルイズだったが、結局時期も時期でありまた才人が武功も名声も得ていない今は恋人としての紹介は

辞めておこうということで決着がついた。

もちろん、ルイズはそのことについては不満しきりではあったが。

そして、その日がやってくる。

非常に気位の高いエレオノールは朝早く学院にやって来るや否や、ルイズを捕まえて従者用の馬車を用意させ

良くできた従者を演じる才人と身の回りの世話をさせるメイドとして、 "たまたま" その場にいたシエスタを

強引に馬車に押し込み、自身はルイズと共に乗ってきた二頭立ての豪華な馬車に乗り込んで、強い口調でお説教を始めたのであった。

エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。

ヴァリエール公爵家三姉妹の長女であり、ルイズが苦手とする人物の一人。

今年二十七才になる彼女は、モデルのような長身で父親譲りの金髪とルイズと同じ鳶色の瞳の持ち主だ。

ちなみに胸も、ルイズと同じくスッキリとしている。

美しい顔立ちは高貴な印象を抱かせるのだが、ルイズよりも更にきつくつり上がった目が彼女の気位の高さを物語っていた。

実際、そのきつい性格が仇となり先日婚約者から「もう無理」という言葉と共に、婚約解消を言い渡されてしまった程である。

馬車が向かう先は勿論、ルイズの実家があるヴァリエール領。

道中ヴァリエール公爵家三姉妹の次女であり、姉と妹とは似ても似つかぬ程穏やかな性格のカトレアと合流した一行は

彼女が所有する大きな馬車に乗り換えての移動となり、結局公爵家に到着したのは夜もふけてからであった。

トリスタニアの王城もかくやと思わせる程立派なヴァリエール城では、留守にしている公爵に代わり公爵夫人が姉妹を出迎え

才人とシエスタには "前" と同じように納屋のような部屋をあてがわれ、その夜これまた "前" と同じようにシエスタが酒を飲み

性格を豹変させ、従者として扱われている才人の様子を見に来たルイズと一悶着を起こしてしまう逗留となるのであった。

ここまでは才人にとっては "予定通り" である。

もっとも、シエスタとルイズの喧嘩などは予定通りに行わせたと言うよりも、そんな事があるとはすっかり忘れてしまっていて

何も対策を行わなかっただけであったが。

それから日付も変わり。

一見、才人の知る未来へ向かい順調に進んでいたルイズの里帰りは、意外な方向へと向かい始める。

早朝、アルビオン侵攻に際して軍団編成の指令を王都で受けたヴァリエール公爵が城へ帰ってきた。

公爵は非常にご機嫌ナナメと言った様子で、何ヶ月ぶりかの家族との朝食の席にて愚痴を口にしていた時だ。

侵攻作戦に反対する公爵がルイズに自宅謹慎を申しつけたのだが、これにルイズは "前" とは違い激しく反発したのである。

国力の差、兵力の差、なにより娘を戦場に送りたくはないという親心を理由としての公爵の言ではあったが

作戦の結果を知るルイズには、例えそれが正論であっても受け入れる事は到底出来るものではなかったのだ。

何より。

ワルドの一件で自棄になっていると思われ、婿をすぐに取るよう言われた事が彼女の矜恃を傷つけた。

激昂したルイズはテーブルを叩きながら立ち上がり、目を白黒させる家族の前で如何に自分の使い魔が有能であるかを口にする。

本当は自分は虚無であること、強力なメイジとなった事を言いたかった。

しかし、アンリエッタの言いつけもあり、それを口にする事はできない。

必然、才人と一緒ならば戦場に出ても問題ないといった論調となっていく。

曰く、才人の力は万軍に匹敵する。

曰く、才人にはスクウェアメイジが束になっても敵わない。

曰く、アレに敵う者は人おろかドラゴンでさえも、このハルケギニアには存在しないだろう。

ルイズはそれはもう、才人を褒めた。

褒めて褒めて、褒めちぎった。

恋人としての色眼鏡もあったし、実際に才人と過ごした冒険の思い出もある。

怒りで頭に血が上っていたこともある。

更に言うならば、演説する自分の言葉に酔ってしまい、燻っていた城に到着してからの才人の扱いへの不満も相まって

周囲が見えなくなってしまっていたこともある。

何よりも、恋人として紹介をしたいがそれが出来ない反動としての行動であった。

早い話が、 "やらかした" という奴である。

制止するエレオノール、片眉を上げて黙って話を聞いていた公爵夫人とカトレア、目を白黒させる公爵を余所に

ルイズの使い魔を讃える演説は更に続き、暫くして我を取り戻したルイズがその場の空気に気付いてハタと口をつぐんだ。

皆、奇異な目で自分を見ている。

家族の、使用人達の視線が痛い。

感じ取れる感情の色は、同情、驚愕、心配。

朝の穏やかで気持ちよい日差しが朝食をとっていたサロンに満ちて、静寂が場を支配していた。

が、ルイズにはその心地よい雰囲気がいたたまれないものへと変わってしまっていた。

時間にしてほんの少しの間を置いた後であろうか。

うぉほん、と公爵が取りなすように大げさに咳払いを一つし、それを合図にルイズはすごすごと自分の席に腰を降ろす。

同時にエレオノールが激しくルイズをなじり始めたが、意外にもそれを制止したのは公爵その人であった。

公爵は席を立ち、十メイル以上もあるテーブルの脇をゆっくりと歩いて娘の下へと向かう。

バツの悪そうに、それでいて不満げな表情を浮かべているルイズを公爵は優しく抱きしめてから、ニッコリと笑いかけた。

公爵の笑みにルイズは自分の想いが父に届いたと思わず感激して、花のような満面の笑みを浮かべる。

やった!

サイトの事が、父さまに伝わったんだわ!

この様子ならばいずれきっと、サイトとの交際……ううん、結婚だって許してくれる!

ニコニコと笑いかけてくる父親に、ルイズはとても嬉しくなりぎゅ、と父親を抱きしめ返してその胸に頭を埋めた。

公爵はそんなルイズの頭を優しく愛しそうに撫でながら、私の小さなルイズがそこまで言うならば、と口にして……





「で、俺は今からお義父……公爵の部下とこうして決闘する羽目になってるわけか」


「ご、ごめん……」


「まったく、なんの為にお前に未来の事話したと思ってるんだよ……」





才人はため息を一つついて、バツが悪そうに視線を逸らすルイズから公爵の前で跪いているメイジ "達" へと視線を移した。

一人ではない。

綺麗に四角の陣形を組んでいる、公爵子飼いの二個中隊である。

妄言としか思えない娘の言を真に受けて、本当に軍を相手に決闘させる公爵も大概だなと、才人はごちた。

中隊を構成するのは全てメイジであり、その数は百五十八名。

丁度、公爵家が擁する常備軍の直属士官の数でもある。

トリステイン王国の軍制はその身分によって一応の基本構成が決められており、諸侯はそれに沿った常備軍を編成する義務があった。

とは言っても、すべての諸侯が平時は金食い虫でしかない常備軍を維持できるわけではない。

必然、有事に兵となる傭兵や義勇兵、民兵を除いたトリステイン貴族による士官を中心とした構成となる。

特に公爵ともなると軍団クラスの維持・編成能力を求められる為、平時から擁するメイジの数も多くなるのであった。

無論、人口の違う他国とはその編成数はかなり違ってくるのであるが、王国の一般的な軍とは以下のようになる。

まず、魔法の使えない兵士の分隊が五名。

五名からなる分隊が四つ集まり、それをメイジの指揮官が一人ついて小隊となる。

二十一名からなる小隊が四つ集まると中隊となり、中隊長としてメイジが一人。

これに副官のメイジと衛生兵兼軍医として水メイジが一人。

更に八十七名の中隊が四つ集まると大隊となり、そこそこの家柄の貴族が隊を率いることとなる。

三百七十一名からなる大隊は、指揮官として最も家柄の良い貴族を筆頭に副官とこの貴族専従の麾下支援小隊が配属されるのだ。

トリステイン王国の貴族であるならば、軍属となった場合あるいは有事には殆どがこの組織のどこかに配置される。

そして、大隊より先は王族や一部の高級貴族によって編成されることとなる。

大隊が四つ集まると連隊となり、辺境泊や侯爵クラスがこれを率いる。

規定兵数は千八百五十八名。

メイジの数は最低でも百五十八名は必要となり、指揮官である貴族には副官、事務官、専従の麾下支援中隊が配属される。

更に王家の者や元帥、公爵ともなればこの連隊を五つ集めた軍団を編成する事が出来、副官が一名、事務官三名、参謀が五名配置されるのだ。

実際には兵科により配置されるメイジの数や系統、身分などはかなり変わるのだが、以上がトリステインの軍制の基本であった。

これはトリステイン王国正規軍の話であり、戦にもなれば同数の補給部隊である輜重隊が編成され数の上では二倍にふくれあがる。

又、傭兵や志願してきた義勇兵が正規軍に編入される為、あくまでも数字は基準でしかない。

さて。

才人の目の前の二個中隊は、果たして全てメイジからなる部隊であった。

彼らは別に一兵卒に甘んじているわけではない。

常備軍として魔法の使えない兵士や傭兵を常に雇うわけには行かない諸侯は、有事には指揮官となるメイジ達を

平時には城を守る兵として、あるいは己の子飼いの兵として編成し、オーク討伐や治安維持部隊として利用しているのだ。

軍団を編成する必要のある公爵ともなると、その数は八百にも上る。

無論、平時から全てのメイジを兵として扱うわけにはいかない。

大多数の常備軍のメイジ達は、普段は主の領内の各地に散らばり拝領した土地の統治を行っているのだ。

かといって彼らを兵として全く手元に置かないわけにはいかない。

有事にすぐに対応できる部隊を用意しておくのは当たり前の話でもあった。

必然、戦闘に特化した精鋭を手元に置くこととなる。

そういったメイジ達が、才人の目の前にいる二個中隊なのだ。

才人の視線の先では公爵の指示が終わったのだろう、やたら気合いの入った答礼する声が聞こえ、ザっと音を揃え

一糸乱れぬ動きで跪いていた者達が立ち上がり、遠目にもわかるほど血走った視線を向けてきた。

殺気が二十メイルも離れた才人とルイズの所にまでビリビリと伝わってくる。

どうすんだよ、あれ。

あの人たち、みんな俺を殺る気マンマンじゃねえか。

才人はじっとりとルイズを睨み、それから練兵場の脇に作られた閲兵用の櫓(やぐら)の方を見上げた。

櫓からは公爵夫人とルイズの二人の姉、そしてシエスタがこちらに視線を投げかけている。

何故シエスタがヴァリエール家の者と櫓に居るのかというと、朝、慣れぬ昨夜の飲酒で二日酔いになった彼女が

何度目かの洗顔をしようと邸内を歩いていた所、突然エレオノールに呼び止められ、近くで見学しては危ないから特別にと

練兵場の閲兵櫓に連れて行かれ、そのまま給仕をさせられていたからであった。

最初は才人やルイズを交えて、ここで何か素敵な催し物でもやるのかしら? と笑顔であった彼女だったがやがて物々しい雰囲気となり

兵士の殺気がこもった声に怯え始め、対峙する才人を見つけて今では涙をうかべている。

才人はそんなシエスタに同情しながらも、すべて自分に向けられっているメイジ達の敵意に肩を落としつつ

陣を組むあちらと比べてやけに寂しい自陣を見渡した。

何も、無い。

当然といえば当然だが、味方の兵士一人すらいない。

只一つ、才人の後方にいつも魔法の的にされている人形が一つ据えられて、この日ばかりはルイズの着物が着せられていた。

決闘のルールは単純明快。

この人形をルイズに見立て、眼前の二個中隊の攻撃から見事守って見せよとの事であった。

もっとも、相手は人形ではなく、主君の娘をたぶらかしたと思われている才人を殲滅対象として捉えているようだが。

才人は肩を落としたまま人形から隣にいるルイズに視線を移した。

何も語らなかったが、勘弁してくれよ、とその目で語りかける。

ルイズはそんな才人の目を見てたはは、と引きつった笑いを浮かべた。





「ご、ごめんね? でも……でも! 私、がまんできなかったのよ。わかって……ほしいな?」


「かわいい口調で甘えてもダーメ」


「う……でも! あんたなら、あのくらいの人数何でもないでしょ?」


「殺す訳にはいかねえだろ。オークの群れじゃないんだぞ? 怪我させないで打ち負かすってすっげえ難しいんだぞ?」


「う……」


「まったく。……あっちに水メイジもいるな。なあ、ルイズ。公爵の部下にスクウェアの水メイジは居ないよな?」


「え? えっと、スクウェアメイジなんて、王軍の精鋭にもそういないわよ。
 たしか……父さまの軍医もやってる水メイジはトライアングルのメイジで、他の衛生メイジはライン位だったと思う」


「そか。なら、あまり派手な怪我はさせらんねえな。そら、そろそろ離れて。あっちはしびれを切らしてるぜ?」


「……きをつけてね?」


「心配いらねえよ。いざとなったら "前" みたいにお前かっさらって逃げるから、杖とか身につけていてくれよ?」





才人の言葉に、ルイズは頬を染めた。

なんだか、自分が囚われのお姫様で才人がここから連れ出してくれる、といった類の妄想が頭によぎり

それもいいわねとつい考えてしまったからだ。





「ルイズ! そろそろ始めるぞ! そこから早く離れて早くこっちに来なさい」





いつの間に練兵場から移動したのか、公爵が夫人らと共に閲兵櫓からルイズに声をかけた。

遠目にもルイズが才人に随分執心している様子が公爵に伝わったようで、その声は苛ついた物であった。

急かされ慌てて、しかし名残惜しそうに才人を見ながら櫓の方へと走り去るルイズ。

……かわいい。

才人はそんな彼女には珍しい、しおらしいその様子に思わず頬が緩んだ。

だが、ルイズの後ろ姿を見送りながら閲兵櫓にいる公爵の顔を確認するや、緩んだ頬は引きつり笑いになってしまう。

激しい敵意に満ちた目。

苦虫を何十も噛みつぶしたような表情。

食いしばった歯が口の端から見えている。

それは、愛しい娘の心をたぶらかした、憎き馬野骨に対する父親の憎悪の表情であった。

才人の背中に怖気が走る。

あの顔は、本気で怒っている顔だ。

ううう、心証良くなるまで目立たないようにしたかったんだがなあ。

才人はルイズにプロポーズし、両親の元へ結婚の許可を貰いに行った日のことを思い出して暗澹とした気持ちになってしまった。

孔だらけの記憶に残る、辛い一夜。

三日三晩怒り狂った公爵に追い回され、その間にルイズやカトレア、エレオノールに説得された夫人の取りなしでやっと認めて貰えた日。

あの日も公爵はあんな顔していたな、と才人はぼんやり考えながら知らず落とした肩を更に落とし、ため息をつくのであった。





「双方用意はいいな? では、これより始めよ!」





肩を落とす才人の様子を遠くから確認したのか、公爵は今更後悔しても遅い、決して許さぬとばかりの口調で

娘の使い魔の "力試し" の合図を宣言した。

同時に、ザッ! と規則正しい軍靴の音を立て殺気立った二個中隊は閲兵櫓の公爵から才人の方へ向きを変え

杖を掲げて一斉に魔法の詠唱を始める。

次に後方で指揮をとる隊長の号令の下、長く横に伸びた陣から一歩、火球を作り出していたメイジ達が何十も陣の先頭に進み出た。

才人はと言うと、ゆっくりと背にしたデルフを抜いて左手に持ち、右足を半歩下げて半身に構え、困ったようにメイジ達と対峙している。

双方の距離は二十メイル程。

最初に攻撃を仕掛けたのは、メイジ達だった。

火球を作り出していたメイジ達が、隊長の号令で一斉に才人に向け "ファイアー・ボール" を放ったのだ。

何十もの火球は、その一つ一つが人一人焼き殺すには十分な威力が込められており、まるで吸い寄せられるかのように只一点

左手で片刃の大剣を持ち、情けない表情を浮かべて茫洋と立つ才人へと殺到してゆく。

炎達は次々と互いを押し合い、あるいは重なって膨れ、主君の愛娘をたぶらかした愚かな平民を焼き尽くす筈であった。

轟、と炎が燃え広がるかのような音と共に、才人が立っていた場所に大きな火炎が渦巻く。

閲兵櫓に居たシエスタが小さく悲鳴を上げ、釣られてエレオノールとカトレアは眉をひそめた。

公爵は最前列で冷たくその光景を眺め、ふん、と鼻を鳴らす。

隣に座る公爵夫人はちらと満足げな夫を見やって少しだけ眉根を寄せた。

次に夫人がその視線を動かした先は、憐れな平民ではなく娘のルイズであった。

一番下の、わがままで泣き虫である末娘がさぞ悲しんでいるのだろうと考えたからだ。

だが当のルイズは、意外にもあれほど入れ込んでいた使い魔が消し炭になったにも関わらず、無表情であった。

おや? と感じたその時。

夫人の脳裏に、ピリピリと何かが瞬く。

どういう、ことかしら?

あれほど声高に誇っていた己の使い魔が、あれほどの炎に包まれ死んでしまったというのに。

なのに、この子は……

そこまで考えて、脳裏に瞬く感触がいつか幾度も感じた物であると夫人は思い出した。

それは、戦いの記憶。

決して油断してはならぬと己にささやきかけてくる、一流の戦士だけが持ち得る予感。

まさか!

そう思わず口に出しかけ、かつて、そして今もトリステインで最も強いメイジは、初めて娘の使い魔の方を見た。

あれほど燃え広がっていた炎は、徐々に小さくなっている。

夫である公爵はまだ気が付いてはないが、アレは魔法が効力を失い消えて収束しているのでは……ない。

やがて渦巻いていた炎はそのうねりも早く、水が瓶に吸い込まれるかのように一点へと消えていく。

そこには、片刃の大剣を左手で持ち真っ直ぐに付きだしている黒髪の少年の姿。

ばかな!

公爵夫人は思わず身を乗り出し、信じられぬその光景を確認しようとした。

しかし、先に立ち上がり櫓から落ちんばかりに身を乗り出した公爵に阻まれ、視界がさえぎられてしまう。





「ばかな! そんな、たしかに!」





珍しくも激しく動揺して驚愕を口にする公爵を夫人は押しのけながら、ちらと見えた娘の使い魔をもう一度、よく確認する。

――使い魔は、メイジでもないあの平民の少年は、まったくの無傷であった。

そんな、ばかな。

もう一度、今度は夢に見るように呟く。

瞬間、背に重みを感じて夫人は我に返った。

普段から、いや子供の頃から決して乱暴にじゃれついたり、まして自分の背にのしかかるような粗相をしなかった長女と次女が

はしたなく自分と夫の背にのしかかり、あの少年の姿を確認しようとしていたのだ。

二人のその表情は、形は違えど浮かぶ感情は一つ。

夫や、自分が浮かべているであろうものと同じ驚愕である。

動揺は閲兵櫓の上だけでなく、訓練場に展開する多くの精鋭メイジにも見られた。

みな口々にそんな、ばかな! などとお互いの顔を見合わせている。

普段ならば激しく叱責すべき様相であるが、この時ばかりは公爵も夫人も彼らを見咎める余裕など持ち合わせていなかった。

否、この場に居る全ての者が目にした現実をそのまま受け止められる余裕など、持ち合わせてはいないであろう。

唯一人、大人しく公爵の隣に座り、少し不機嫌な顔で座るあの使い魔の主以外は。





「落ち着け! 馬鹿者ども! 次! 風!」





動揺が広がる隊へ怒号のような命令が飛ぶ。

どうやらいち早く驚愕から立ち直った隊長が、声を張り上げたらしい。

彼は有事には公爵の副官として軍団を指揮し、共に戦場に立つ優秀なメイジである。

主君の前に見苦しくも動揺した隊員と自身を恥じつつ、目の前の敵に激しい敵意を再び燃やす。

おのれ!

如何なる手品を使ったかはしらぬが、よくも公爵様の前で我らに恥を!

怒りは彼だけでなく、隊全体へと広がり一団は再び秩序と落ち着きを取り戻す。

だが、彼らはこの時大きな過ちを犯していた。

あれほどの火球を凌いだ相手が、この期に及んで力無き平民だと未だ認識していたのだ。

号令に素早く反応した風のメイジ達が前に出て、燃やし損なった相手を切り刻むべく "エア・カッター" を繰り出そうとした時である。

彼らの視界から、少年が消えた。

いや、正確には消えたわけでなく、真っ直ぐに中隊へと走っているだけなのだが、見る者の意識が視界に追いつかなかったのだ。

まるで矢が己に向かって飛んできているのを、眺めるかのように。

ただその左手を赤く赤く輝かせる光だけが、見る者の目に付いた。

赤い光の筋は、真っ直ぐに陣形を割り、一気に隊長の下へと伸びた後、白い輝きに変わる。





「ごめん、ちょっと、痛いかも」





少年は白く強く左手を輝かせ、右手で隊長の足を掴みながら上を向き、小さくそう口にしてバツが悪そうに笑う。

その言葉を隊長と閲兵櫓の夫人は聞き、一瞬呆気にとられた。

なんだ?

どうしてあいつが、ここに、いるんだ?

陣の間を、どうすり抜け……

足を掴まれた隊長は、まるで少年の動きのように意識の中、疑問だけが脳裏に飛び交う。

しかし、少年の言葉の意味する所は果たして夫人だけが理解する所となる。

次の瞬間、才人は隊長の足を持ち上げ無造作に振った。

近くに居た副官やら護衛兵やらが、まるで人形のように振り回される隊長によってなぎ払われる。

貴族用の軽鎧同士が鈍く大きな音を立ててぶつかり合い、木の葉のように次々と人が宙に舞う。

才人はそのまま二度三度と隊長を振り回し、魔法を使おうかと躊躇う一団へ目を回し気絶した彼を小石のように投擲した。

うわぁ! と悲鳴があがり、精神を集中していて逃げ遅れた数名を巻き込みながら才人に投げ飛ばされた隊長は練兵場の木壁を破って

よく手入れのされた植え込みの中へと消えて行ってしまった。

難を免れた者は、仲間と共に猛烈な勢いで投げられた隊長を見送り、ただ目を丸くして立ち尽くす。

そんな彼らの隙を逃さず、矢のような動きで一気に距離を詰め手当たり次第にメイジ達を殴り倒していた才人は

今度は手近にいたゴツい大男を蹴り倒して足を掴み、その足を引き抜いてしまわぬよう注意を払いながら再び振り回し始めた。

メイジ達は陣形を組んでいたことが災いしてか、同士討ちを恐れあらかじめ唱えていたスペルを発動させることが出来ずに

ただあり得ぬ光景を目の当たりにしながら、暴風のような才人の力に次々と呑まれていく。





「散れ! 散開して距離を置くのだ!」





誰かの叫びにメイジ達の反応は素早かった。

隊長を失い混乱の中にあっても、一斉に才人から四方へ距離を取り始める。

すばやいその動きは精鋭たる所以ではあったが、黒髪の使い魔は信じられぬ方法で距離を置くメイジ達に追撃を加え始めた。





「うわあ!」


「うそだろ?!」


「わ、わ、わ、あが!!」





才人の容赦ない常識外れの追撃に、メイジ達は避ける間もなく先程の隊長のように練兵所の外へ次々と木壁をぶち破りながら吹き飛んでゆく。

悲鳴が、絶叫が、何よりばかな! と信じられぬ物をみたかのような叫び声が練兵場に木霊した。

無理もない。

才人は追撃として、手当たり次第に気絶し地に倒れているメイジを投げつけていたのだ。

それも恐ろしく正確に。

間断無く。

人のそれとは違う "グリムニルの槍" が成せる技であったが、その場に居合わせた者にとってはただ、あり得ぬ光景にしか見えないだろう。

魔法の使えぬ少年が、鎧を着た兵士達を小石のように投げている。

逃げ惑う、ヴァリエールの精鋭。

閲兵櫓の上に在って、公爵は悪夢のようなその光景に唇を震わせ眺めていた。

ばかな。

そんな、ばかな。

驚く公爵の目の前を "レビテーション" で空中に逃れた者に向かって、副隊長が弾丸のように飛んで行く。

なんだこれは! これは一体、あの者は一体何なのだ?!

こんな、でたらめな戦い方など、ありえない!

拳を握りしめ、国内でも有数の練度を誇っていた自慢の隊がボロボロにされていく様を、公爵は夢の中にいるかのように眺めていた。

一方、夫人の方も公爵と同じ種類の驚愕を覚えてはいたが、少し違う感情を抱いて眼下の光景に驚愕していた。

才人は一見、只闇雲に暴れている風に見えていたが、その動きがメイジとの戦い方をよく熟知している事に気がついたのだ。

すなわち、魔法を唱えようとしている者への攻撃を優先して行い、武器の投擲が間に合わぬ場合は恐ろしいまでの素早さで

距離を詰めて相手を昏倒させ、更にその者を盾とし、他のメイジに魔法の発動を躊躇わせ隙を作り出す。

そこから盾にした、気絶しているメイジを相手に投げつけて再び文字通り目にも止まらぬ速さで縦横に練兵場を駆ける。

動きは疲れなど存在しないかのように、息継ぎの間すら無い程目まぐるしく緩急が繰り返され、ここから目で追うのがやっとですらあった。

夫人はそんな才人を見て戦慄する。

あの者は、ただ力が強く素早いだけではない。

どうやったのか、何度できるのかわからないが、魔法を無効化する術を持っているだけではない。

メイジ……それも多くのメイジを同時に相手にしての戦いに、慣れているのだ。

きっと、この場に居るだれよりも実戦を経験しくぐり抜けているのだろう。

信じられない。

あれがルイズの使い魔?

夫人はふと、 "メイジの実力を計るには使い魔を見ろ" という言葉を思い出す。

あんな、怪物のような強さを持つ者を使い魔として従えられるメイジが居るというの?

夫人は思わずもう一度、末の娘を見やった。

使い魔の主は相も変わらず口を尖らせて不機嫌そうに、眼下に暴れる少年を見つめている。

とてもあんな怪物を従える強力なメイジには見えない。

メイジとして、「烈風」としての自分から見ても、そんな恐ろしいメイジには見えない。

公爵夫人は一度強く目を瞑り、動揺気味に揺さぶられてしまった心の内を鎮めた。

目の前の、非現実的な光景をありのままに受け入れる為に。

結果はもう出ている。

ルイズが戦争に行くにしろ、行かないにしろ、アレがルイズの使い魔であるという事実は覆らない。

なれば、これからも自分はあの者と関わりを持つことになるだろう。

ヴァリエールの者として、ルイズの母として、「烈風」としてあれ程の力を持つ者にどう接するべきか。

受け入れるのか。それとも、なんとかして排除すべきなのか。

今日の出来事によってすくなくともこの先、彼の存在を無視してルイズと接する事は出来なくなってしまった。

答えを夫人は胸の内に探し出す。

公爵夫人が次に目を開いた時、練兵場での決闘は既に終わりを迎えつつあった。

立っている者が数える程となってしまっており、その僅かに残った者達も魔法を詠唱する間もなく少年が持つ剣ではなく拳で

次々と昏倒させられていく姿が見えた。

もはや彼らの敗退は免れないだろう。

才人は一度も手にした大剣を振るってはおらず、現実離れした光景ではあったが誰の目にも、手を抜いている事は明らかだった。

しかし、彼らもトリステインにあって数少ない精鋭でもある。

鎧を着た人を投げつけられ、地に昏倒しながらも何とか意識を保っていた数名が、才人の後方、守るべきわら人形に向かって

"ファイアー・ボール" を詠唱したのだ。

アレを燃やせば、いや、傷の一つでもつけることが出来れば、我々の勝ちだ!

この "決闘" でのアイツの勝利は、我々に勝つ事ではない。

あの、ルイズお嬢様に見立てた、人形を守る事なのだ。

アレに毛筋ほどでも傷を負わせれば、それでよい。

"ファイアー・ボール" を唱えた兵士達はヨロヨロと立ち上がり、勝利を確信して口の端を上げる。

そこに名誉も矜恃も無く、しかし戦士としての執念だけが勝ちへとむかわせていた。

しかし。

いつ、その手にしたのか。

どこから取り出したのか。

使い魔の右手の中に、ハルケギニアでは珍しくなった長い馬上槍。

少年はあらぬ方向へ高く跳躍し、見る者が槍についての疑問をさて置き、才人が何処まで高く跳んだのか確認する頃には

その槍は既に投擲された後であった。

槍は速く恐ろしい唸りを上げて奔り、人形の五メイル手前で火球を阻むように地に落ち……爆ぜた。

その音はまるで、雷鳴。

水に大岩が落ちた時に上がる水柱のように舞い上がる土砂。

閲兵櫓の上で見守る者達。

練兵場の木壁の隙間から遠巻きにコッソリ見物していた使用人達。

練兵場で地に伏せる者達。

夫人とルイズを除き、その場に居合わせた者が思わず悲鳴を上げるほどの轟音と爆風が辺りに広がった。

土煙が練兵場に立ちこめ、すぐに計ったかのように風が舞い起こり綺麗に払う。

恐らくは夫人が起こしたであろう風により、視界がクリアになるとそこに現れたのはわら人形の前を深く大きく横たわる

谷のようにえぐれた地面が姿を表した。

丁度わら人形を横切るように裂かれた大地は、才人の投げた槍の威力を如実に物語る。

その光景に皆、息を飲む。

目の前の現実を否定していた公爵も、もはや言葉すら出せずにいた。

勝利を確信しヨロヨロと立ち上がっていたメイジ達は、あり得ぬ光景に我を忘れ、結局次の詠唱を行う前に

いつのまにか接近してきたのか、才人を視界に捉えることなく念入りに昏倒させられてしまう。

決闘が開始してから、僅か数十秒での幕切れであった。





「ね? 言った通りだったでしょう?」





言葉に、閲兵櫓にいた全ての者が練兵場に出来た谷から視線を外す。

夫人が、公爵が、エレオノールが、カトレアが、才人の事を知るシエスタまでも皆一様にルイズの声に振り向くと

腰に手を当て誇らしげに立ち上がった彼女の姿が見えた。










皆の視線を一身に集めたメイジは、使い魔がいつもするようにニカと笑ってみせたのである。


















[17006] 6-2:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/22 16:54










「なんでこんな事に……」





馬の手綱を引きながら、才人は知らず愚痴を口にした。

見上げると、二体の巨大なゴーレムが同じく巨大な跳ね橋を降ろすべく、極太の鉄の鎖をゆっくりと送り出している。

間近で聞く、重い鎖が擦れ合う音と跳ね橋と鎖を繋ぐホイールる音がガラガラと鳴り響いた。

時刻は昼過ぎ。

才人の "決闘" から数時間程経った頃であった。

跳ね橋はどぉんと大きな音を立てて、城内と堀の向こうを繋ぎ、才人は道が出現したことを確認して振り返る。

そこにはルイズの姉であるカトレアが微笑みを浮かべて立っており、その後方には心配げな表情のシエスタが見えた。

場にルイズの姿は無い。

彼女は今、城の自室で大人しく謹慎しているのだ。

今頃は父親である公爵と、色々と話をしているのであろう。

才人はその様子を想像して、今度は胸の内で今朝から何度も呟いた言葉を反芻した。

どうしてこうなったんだ?

無論、答えは返ってはこない。







「父さまの嘘つき!」





広いヴァリエール城の食堂に、ルイズの怒りに満ちた叫び声が響く。

時刻はようやく朝から昼の日差しに変わろうかという頃か。

非現実的な "決闘" の後、公爵と夫人、エレオノールとカトレアは一度食堂に集まり、お茶を用意させてそれぞれの心を落ちてかせていた。

ルイズはというとその席には着かずシエスタと共に才人を労う為、けが人を救護する軍医と公爵家常駐の水メイジを横目に練兵場に残り

才人やシエスタと他愛も無い話や痴話喧嘩に興じていた。

それは案外楽しい一時であったらしく、そのまま小一時間程三人は練兵場で話し込んだのだったが、使用人がやって来たのをキッカケに

歓談は中断され広い城の食堂へと移動することとなったのである。

広い城内を移動中ルイズは常に笑顔で、まるで羽根があるかのようにその足取りは軽い。

これで父さまが才人の事を認めて下さる。

思い出しても痛快だったわ!

あの父さまの、母さまの、姉さまの、ちぃ姉さまの顔!……ついでにシエスタも。

ルイズは才人の戦いぶりに痛く満足し、上機嫌で城内を歩く。

練兵場までやって来て公爵様がお呼びです、と口にした年若い女性の使用人は決闘の光景を見ていたのか、食堂へと案内する最中

しきりに才人の事をチラチラと盗み見をし、頬を染めついと才人にさりげなく近寄り色々と尋ねてきたのだったが

それを咎めたりしないほどこの時の彼女の機嫌はよかった。

かわりにシエスタが才人の腕を取り、必至にこのメイドから守ろうと激しい口論を繰り広げようとも一向に気にしない程に。

やがて食堂の入り口にたどり着き、案内するためなのか才人を口説くためなのかよく分からないが三人を呼びに来たメイドが

お連れしました、と扉に声を投げかけると、ぎぃと音を立てて両開きの大きな食堂の入り口はゆっくりと開く。

扉の向こうには十数メイルもある長い食卓が据えられており、上座の公爵を筆頭に夫人と姉達の姿が屋内にもかかわらず遠目に見えた。

壁沿いには何十人者使用人が傅き、三人を出迎える。

ルイズは一刻も早く才人を認める言葉を貰う為、才人とシエスタを置いて足早に公爵の元へと近寄り

父さま、私の使い魔は如何でしたか?! と声をかける。

公爵は愛しそうに娘を見つめながら立ち上がり、ルイズを抱きしめニッコリと笑った。





「ルイズ。私の可愛いルイズ。お前の使い魔が、すばらしい力を持っていることはよく分かった。
 疑ったりして悪いことをしたね、父を許しておくれ」


「いいのです、父さま! 普通、サイトを見てあんな力があると気付ける者は居ないでしょうし」


「ほう、サイトと言う名前なのかい? お前の頼もしい使い魔は」


「はい、父さま。何度も私の命と名誉を守ってくれた、かけがえのない名前ですわ」


「そうか。ならば、後で礼をいわねばな」


「うふふ、きっとサイトも喜びますわ。でも私、嬉しい! 父さまがサイトを認めて下さって、これで胸を張って戦場に征けます」


「その話なんだが、ルイズ。……やはり、お前を作戦に参加させる訳にはいかん」





言葉にルイズの表情は固まり、空気が凍る。

帰って来た返事は彼女の期待とは正反対のものであった。

沈黙。

だれも言葉を口にはしない。

いや喋らないのではなく、誰もが次の発言者の叫び声に備えていた。





「父さまの嘘つき!」


「ルイズ!」


「約束したじゃない! 決闘に勝てばサイトの力を認めてくれるって!」


「たしかに。お前の使い魔の力は認めるよ、ルイズ。
 何せ私の自慢の部隊を叩きのめし、死者こそ出なかったが重傷者が五十名以上も出して名実共にたった一人で壊滅させたのだからね。
 ふふ、お陰で私はこの後、責任を取って自害しようとした隊長と離隊届けを提出した六十名を説得せねばならぬ。
 ああ、隊長の事は心配しなくてもいいよ? 魔法で今眠らせているから大丈夫」





激昂し、父親に食ってかかるルイズをエレオノールはたしなめた。

が、力無く笑う公爵の様子にルイズと共に出しかけた言葉を思わず引っ込めてしまう。

よく見ると公爵は、自慢の部隊がああも無残に蹴散らされ、暗く濃いオーラを背負ってどよんと肩を落としている。

白くなりかかった金髪も、いつもよりもずっと白っぽく見えた。





「そ……そう。隊の方々には、ちょっと気の毒でしたわ、ね?」


「ふふ、ルイズは優しいな」


「さい……サイトはあれでも手加減してたのだけれど、もっとするよう、言っておくべきだったかもしれませんわ、ね?」


「わかってたよ、ルイズ。お前の使い魔は、あの大きな剣を一度も振るわなかったじゃないか」


「わ、わかってくれるなんて流石は父さま! サイトも父さまに認められたくて、つい張り切っちゃたの、よ?」


「そうかそうか。つい、張り切っちゃったのか。そんなノリで私の自慢の隊は壊滅しちゃったのか」


「げ、げ、元気だして父さま! ワルドなんて私を裏切った時サイトを怒らせて、虫の羽根をむしるように腕を千切られたのよ?
 それに比べれば今朝の事なんて、じゃれあいみたいなものなのよ、サイトには」


「ルイズ、それ、もしかしてフォロー? それともトドメを刺してるの?」


「も、もももももちろん、父さまをお慰めしているのですわ、エレ姉さま」


「ふふふ、本当にルイズは優しいな。そうか、お前の使い魔はあの不埒者にもきちんと罰とあたえてくれていたのか。
 なるほど、スクウェアメイジのあ奴でさえ、そのような扱いができる化けも……使い魔なのだな」


「そうよ! だからね? それ程強いサイトが側にいるもの、きっと戦場に出てもだいじょうぶよ! ね? いいでしょう、お父様?」


「だめだ」


「父さまの嘘つき!」


「ルイズ。そもそも私は従軍を認める約束はしていないぞ。勝てばその力を認めるとは言ったが、人となりはわからぬ。
 それにもしかしたら、子爵のように寝返るやもしれん。なにより、彼は貴族ではない。
 トリステインに忠誠を誓っていない彼が、金や地位でアルビオンに釣られないという保証はないではないか」


「サイトはそんな人間じゃない! あいつは、頼りがいもあるし、私に忠実だし、いつも命をかけて守ってくれるもの!」


「とにかく、駄目なものは駄目だ。行くならあの使い魔一人だけで行かせなさい。
 お前も随分あの使い魔の力に魅せられているようだが、婿でも取ればすべて丸くおさまるだろう。
 今朝の話した通り、謹慎をしてすぐに婿を取れ。これは命令だ」





公爵の強い口調に、ルイズは更なる抗議の言葉を思わず飲み込んで悔しそうな表情と涙を目に浮かべた。

その様子を才人は遠く、広い食堂の入り口に立ち黙って眺めながら、まぁ親ならそんなもんだよなあ、等と暢気にも呟く。

"結果" から言えばルイズは確かに従軍すべきだ。

しかし、親としての気持ちを考えれば公爵の言も理解できる才人であった。

こりゃ、説得は無理だな。

今夜にでも様子見てルイズを連れ出すしかねぇ、か。

才人がそうボンヤリと考えて居た時である。

目に涙を浮かべ、俯いて黙り込んでいたルイズが不意に才人の方へ僅かに向いた。

悔しそうなその表情のまま、キっと才人を睨む。

別に才人に八つ当たりしているわけではない。

美しい大きな鳶色の目は語る。

才人!

今すぐ、ここから私を連れ出して!

要求は、正確に才人に伝わった。

どうやら父親への当てつけに、目の前で城を立ち去りたいらしい。

それも力尽くで。

本気かお前? と困惑気味に目で返事をする才人に、ルイズの表情は更にきついものとなる。

彼女の要求はどうやら本気らしい。

やれやれと才人は頭をぽりぽりとかき、さりげなくシエスタを抱えて走り始められるよう一歩下がり、広い食堂内を見渡した。

……うん、ルイズの背後、あの窓を破って外に出ればいいか。

たしか馬小屋は……えっと……くそ、思い出せねぇ。

ま、いいや。ルイズに誘導してもらおう。

でも、本当にいいんだな? 本当に――わかったよ、そんな目で睨むなって。

鬼のような表情となりつつあるルイズに急かされ、才人は呼吸を整え主の無言の命令を実行に移す。

つま先に力を入れ、茫洋とした表情に意志を込めたその時である。

公爵夫人がついと優雅に、しかし一分の隙も無く才人の方を振り向いた。

完全に不意を突いたつもりであった才人は、思わずびくんと僅かに体を震わせてつま先に力を入れたまま、その場に立ち尽くす。

夫人は才人が僅かに発した闘志に似た強い意志に反応し、こちらに振り向いたらしい。

未来のルイズとよく似たその顔立ちは、一種凄みを感じるほど美しく険しい雰囲気を纏っている。

やばい!

読まれた!

才人は今、自分が何をしようとしたのか完全に読まれてしまったと理解し、このまま強引に事を進めるかどうか迷った。

シエスタとルイズを抱えて、あの公爵夫人の追撃を逃れられるか?!

……無理。

そこはかとなく、死の予感がする。

死なない体になってるけど、あの公爵夫人ならそこをどうにかしそう。

俺、死にたくない。

それにルイズを盾になんかしたくねぇし。

ごめん、無理。だからそんな目で急かさないでくれないか、ルイズ?

再び茫洋とした表情に戻りながら、才人は体の力を抜いてまだなの?! と急かすルイズに無理っす、と合図を送る。

そんな才人を確認して、夫人は何事も無かったかのように公爵の方へと視線を戻す。

それからほんの少しの間続いた食堂の沈黙を破るのであった。





「ちょっとお待ちになって下さいな、あなた。」


「なんだ? カリーヌ」


「それではルイズがあまりにも可哀相です」





意外な夫人の言に、食堂に居た全ての者の顔に驚愕が張り付いた。

ルイズもまさか母が庇ってくれるとは思ってもおらず、信じられないと行った調子で顔を上げる。





「お前まで……何を言い出すのだ?」


「そ、そうですわ母さま!」


「エレオノール、あなたは黙ってなさい」





弾かれた様に公爵の言に乗って会話に入って来たエレオノールに夫人は冷たい、鉄のような言葉でぴしゃりとたしなめた。

性格なのか、研究員を仕事としている彼女の職業柄なのか、なにかと首を突っ込みたがる彼女を早めに牽制する夫人。

強くたしなめられたエレオノールは、まるで叱られた子犬のようにしゅんと小さくなってしまう。

彼女の事を "よく知る" 才人はその様子を遠目に見て、いつもああなら義姉さんもすごくもてるだろうになどと

不埒な事を考えながらも苦笑いを浮かべる。





「あなた、確かに今のルイズの様子は貴族として、母親として、引っかかるものがあります。
 しかし、よく考えても見て下さい。
 今のこの子は "誰にも止められない" のですよ?
 もし、一時の気の迷いを起こしてあの使い魔に「ここから連れ出せ」と命令したら、誰がアレを止めることが出来るのですか?」


「それは……おま」


「まあ! 公爵様は引退したこの私をあてになさいますの?」


「い、いや、そんなことはないぞ? うむ。 その時は私が……」


「あなた、お年を考えてくださいな。現役の戦闘メイジの精鋭が束になってすらあの有様。
 まして、彼が最後に投げた槍の一撃をどう防ぐのですか」





夫人の言葉に公爵は黙り込んでしまう。

その言は確かに一理あったが、それよりもルイズに対して覚えていた引け目が公爵を沈黙させた。

きっと、あの使い魔が娘を連れて逃げ出せば手も足も出せないだろう。

先の決闘の件も、よもやあんな形でルイズの使い魔が勝利するとは思わなかったし、はっきりとはしてないが

"約束" を反故にしてしまったような形で娘を城に止めるのは心苦しいのも事実だ。

しかし。

目に入れても痛くないほど可愛い我が娘を、戦場に笑顔で送り出すような真似が出来る親など、何処にいよう。

恨まれても良い。

嘘つきとそしられてもいい。

嫌われても……いや、ルイズはそんな子ではない。

一年前、私の声が届くペーパーナイフをプレゼントした時あんなに喜んでいたではないか。うむ。

しかし、最近は急に声が届かなくなったようなのだが、おかしいな。

壊れたのだろうか?

いや、そうではなく。

兎に角、これは道理よりも感情が先に立って良い話なのだ。

公爵は考えを整理し、もう一度父親としてのエゴを取り戻し口を開く。





「しかしだな、親として娘を戦場になど……その為には命など惜しくはない。
 それにカリーヌ、ではどうすべきだとお前は言いたいのだ?
 よもや、お前までルイズを戦場に送れと言い出したいわけではあるまい」


「もちろん、私もこの子の母親です。出征には反対ですわ。
 しかし、この子の意にそぐわぬ形で作戦の不参加、城への謹慎、婿取りを同時に行ったとあらば、この子の性格ですもの
 きっとあの使い魔に命じて城から力尽くでも飛び出してしまうにちがいありません。
 その時、誰にも止められないと申し上げているのです」





夫人はそう口にしてチラリと才人を見た。

ギクリ、と才人とルイズは同時に肩を跳ね上げる。

そんな二人を小さくなっているエレオノールの隣で、カトレアは興味深げに眺めていた。

まあ、そうなの? といった調子で僅かに微笑んで。





「ふむ……」


「ですから、お互い納得の行くよう、きちんとお話しになるべきではと申し上げているのです」


「いや、しかしだな……」


「父さま、母さま、すこしよろしいでしょうか?」





公爵の困ったようにどもる言葉を遮る、小さい鈴のような声。

普段はおしとやかで、思慮深く、まして決して両親の議論に割って入らないカトレアが珍しく話に入って来たのだった。

彼女の人徳の成せる技か、エレオノールの様に夫人にたしなめられもしない。

カトレアは優しい顔でルイズと食堂の入り口に立つ才人を一別し、それから夫人と公爵を見て話を聞いて貰えないかと目で訴えた。





「なんだ、カトレア」


「父さま、仮にも命をかけて "決闘" をさせた者に対して、先の翻意は私も些かどうかと思いますわ」


「カトレア、お前まで!」


「先程からお話を伺っておりましたが、どうやらルイズは出征の許可よりも使い魔の彼を父さまに認めて欲しいのではないかと。
 父さまの先程の言ですと、要は力だけで無く彼の人となりも知りたいのでしょう?
 ルイズだって、父さまにお気に入りの使い魔の事を力だけでなく、人間性も認めて欲しいようですし。
 わたしは難しい事はわかりませんが、父さまが彼の全てを認めて差し上げれば、ルイズの心も大分落ち着くかと思います」


「うん? そういう話だったのか? ルイズ?」


「そう! そうな……ううん、出征に参加する許可が欲しいの、父さま」


「おお、おお、そういう事だったのか! うむ、お前の気持ちを察してやれぬ鈍い父を許しておくれ、愛しいルイズ。
 うむ、うむ、いや、幼き頃より魔法が使えなかったお前が、とうとうあのような力強い化け……使い魔を従えられたのだ。
 皆に認めて貰いたい気持ち、父はわかるぞ。うむ」


「違う! 出征の許可を……」


「うむ? 違うのか? しかし、許可は断じて出すわけには……」


「父さま、続けて良いでしょうか?」


「あ、ああ。うぉほん。続けなさい、カトレア」


「ですから、先程母さまがおっしゃったように、このままではルイズが暴発するのは目に見えております。
 その時、彼を止める術は恐らくは無いでしょう。
 そこで戦の事は私が口出しできませぬが、使い魔の人間性を確かめるのならば、一つ良い案がございますの」


「む? どういう事だ?」


「つまりです。父さまがあの使い魔を認めて差し上げれば、ルイズの心の重荷が一つ減ります。
 しかし、今ここで上辺だけ認めると言ってもこの子は信用しないでしょう。
 ですから、彼の人となりを確かめる試験のようなものを執り行い、その間戦についてはじっくりとお話になられてはいかがでしょうか?
 もし彼の人となりが証明され父さまがお認めになれば、ルイズの心は軽くなり父さまのお言葉も届きやすくなるかと」


「……ふむ。一理ある。ルイズ、それでどうだ?」





ルイズは公爵に尋ねられ、カトレアの言葉を反芻し、む……と考え込んだ。

そもそも "決闘" に勝ったんだから、こんな案は必要ないじゃない!

……でも、もしこれを呑めば、父さまやみんなにサイトの全てを認めて貰える、のよね。

……全てを認めて貰える。

みんな、サイトの事を?

認めて?

それってつまり?

――恋人として?! あ、いやいやいや。落ち着くのよ、ルイズ。

認めて欲しいのは出征の方!

……でも、 "前" は結局認めて貰えなかったようなのよね。

どうせ、強引にここを出て行くなら、サイトの事だけでも……

上手くいけばこ、こここ、恋人として公認してもらえるかも?!

皆の視線を集め、眉間に皺を作り出しながら考え込んでいたルイズは、しばし沈黙を続けた後不意にふへへ、と表情を崩してしまった。





「決まりのようね、あなた」





夫人がそんなルイズを見て、少し呆れたように家族一同共通の感想を口にした。

かくしてカトレアの提案は採用され、又一つ才人の知らぬ未来へと世界は進み始める。

才人はと言うと、ルイズが不気味に微笑んだ瞬間あちゃあ、と額に手を当て肩を落とすのであった。

そして、冒頭に戻る。







ラ・ヴァリエール公爵家の三姉妹の次女、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌは侯爵でもあった。

病弱な彼女を不憫に思った公爵がその領地の一部を分け与えたからだ。

よって、カトレアは厳密にはヴァリエール家の者ではなく、ラ・フォンティーヌ家の当主であり立派な領主でもある。

ラ・フォンティーヌ領の主である侯爵と言う肩書きはいかにも厳めしく聞こえるのだったが、実際の彼女はルイズと同じ桃色の髪に

儚げで可憐な容姿、そしてヴァリエールの女達の中にあって唯一良く栄養が行き渡った胸の持ち主だ。

幼い頃より病弱で、医者曰く "芯が良くない" らしく、その原因が分からぬまま今日に至る。

その為か幼い頃より一歩も領地を出たことが無い彼女は、母親や姉、妹とは違い非常に大人しい性格であった。

柔らかで不思議なその雰囲気はルイズにとって憧れであり、また動物などにもよく懐かれ彼女が連れ歩く生き物は日増しに増えていくのである。

そんな、彼女がルイズに出した "才人の人柄を見極める課題" とは、自身が普段常用している薬を用立てて来るという物であった。

ただの薬ではない。

妖精が作るという、魔法の薬である。

カトレアの説明によれば、ここ数ヶ月薬を手配している領内のとある村からパッタリと音信が途絶えてしまい

そろそろ手持ちの分が切れそうだったのだとか。

村はラ・フォンティーヌ領の外れにあり、そう危険な土地でもないのだが薬の入手自体は難しく、村の者もかなり気難しいので

村人達と交渉し無事薬を持って帰ることが出来れば、才人の人柄も信じてよいのではなかろうか、といった内容であった。

無論、才人が城に帰ってくるまでの間はルイズには外出禁止の措置がとられるのであるが。

この課題、実はそれ程難しくはない。

村はヴァリエール城から一日程馬を走らせれば辿りつける距離であるし、公爵とは違いカトレアは

対象を排除する事を前提とした試練を、他人に課すような事は決してしないと誰もが知しる所である。

しかし、公爵や夫人はその提案を一にも二にも賛意を示し、ルイズもカトレアの提案とあっては

無下にして強引に城を出て行くことも出来ず、渋々とながら従う事にしたのだった。

公爵としては才人を一時的にでも城から追い出すことが出来るし、戻ってくるまでの数日間じっくりとルイズを説得することが出来る。

夫人の言う通り、今の様子ならばもしかすると本当に使い魔に命じて、強引に城を出て行くかもしれない。

それならば、と言うことでとりあえずはカトレアの案を飲む事にしたのであった。

さて。

どうしてこうなるんだ? と頭を傾げる才人は蚊帳の外、とんとん拍子に "課題" の為の準備がなされ、あれよあれよという間に

才人は馬を引いて、巨大なゴーレムが操作するヴァリエール城の城門の前に立たされていた。

時刻は昼過ぎ。

ルイズは城の本館の外に出ての見送りは許されず、才人を城門まで見送りに出て来たのはカトレアとシエスタのみである。





「じゃ、行ってきます。フェルタン村の村長にこの書類を見せればいいのですね?」


「ええ。気難しい方が多い村だけど、みな善人です。
 話せばきっと分かって貰えると思うし、ルイズの為にも早く帰って来てあげてね。
 可哀相に、あの子あなたを見送れない事を酷く悲しんでいたわ」


「はは……まぁ、仕方ない事です。シエスタ、悪いけど俺が居ない間ルイズ……お嬢様の事頼むな?」


「はい、分かりました。サイトさんもお気をつけて」





シエスタの返事はいつもの彼女の物であったが、その表情は不満と心配で彩られていた。

朝の決闘騒ぎや先程の公爵とルイズのやり取りを見て、貴族への反感が高まり何故サイトさんが、という思いを抱いていたからだ。

才人はそんなシエスタの気持ちを察してか、俺の事は心配いらないと口にして馬に跨がろうと鐙(あぶみ)に足をかける。

しかし、そんな才人を呼び止める声。

カトレアである。





「あ、ちょっとまって。そういえば、名前もまだでしたわね。あなた、サイトって言う名なの?」


「ええ、ヒラガ・サイトと申します。俺の国では姓が先に来るので、サイトが名前です」


「サイト……珍しいけれど、良い名ですね。トリステインの人間ではないみたいね、あなた?」


「ええ。ここから、ずっとずっと遠くの国の出です」


「やっぱり。わたし、こう見えても結構するどいのよ?」





カトレアは鐙に足をかけたままの才人を見ながら、コロコロと笑った。

出発に際し、彼女の突然の雑談に才人は心中で首を傾げながらもその笑顔につられて微笑む。

この人は無意味に他人に語りかけるような人じゃない。

一体、なんだろう?

才人の疑問を余所に、カトレアはゆっくりと言葉を紡ぎ続けた。

細く、消え入るような声であったが、何故か良く通り優しげな声で。





「ねぇ、サイトさん。本当に早く、帰って来てあげてね?
 わたし、わかるの。あの子、今朝女王陛下に認めていただいて、直々の女官に任命されたり頼りにされているって言ってたけれど
 そうなったのもきっと、あなたの助力があったからだと思うの。
 ルイズにはあなたが必要なのよ」


「ルイズ、お嬢様は俺が居なくても立派な貴族ですよ。
 いつも "敵に後を見せない者を貴族と呼ぶ" とか言って、俺が居なくてもどんな相手に立ち向かうんです。
 俺はそんな彼女の後をついて歩いて、魔法避けの盾となるだけです」


「まあ! 素敵!」


「は?」





カトレアは突如、瞳を輝かせその豊かな胸の前で両手を合わせながら満面の笑みを浮かべた。

どの辺りが素敵だったのか、才人は計りかねて間抜けな声を上げ首を傾てしまう。





「あなたとルイズはまるで、お姫様とそれを守る騎士のよう!
 わたし、思うんですよ?
 貴族の条件とは、大事なお姫様を命がけで守れる人だって。
 知ってる? このお城やヴァリエールの領地は、かつて王様の娘であるお姫様を命がけで守ったご先祖さまが頂いたものなの」


「はぁ」


「あの子は凄く強情だし、自分で決めたことは頑として曲げないわ。
 だからきっと、父さまの説得には応じないでしょう。
 ずっとずっと、あなたが戻ってくるのを首を長くして待っていると思うの。
 ……あのね? 私はルイズが決めたことならば、戦に行くことを止めるべきではないと思う。
 勿論征って欲しくは無いけれど、それとこれとは別。
 もっと、姉さまもお父様も貴族としてのあの子の自立を見守ってあげるべきなのよ」





カトレアはそう言って、再びゆったりとした雰囲気へと戻り優しげに微笑む。

つまり、ルイズの為に早く戻って来いと言うことか、と才人は考えた。

どうやらカトレアは場を取りなす為、荒事を避ける為に自分が提案した事が、結果として二人を引き裂いてしまった事を

彼女なりに気にしているらしい。

才人はそんな彼女の心情をキチンと汲み取り、心配ないとばかりにニヤリと笑いながら軽やかに馬に跨がる。





「出来る限り、早く戻ってきます」


「そうしてあげて。もたもたしていると、婿までとらされてしまうわ。
 そんなの、お姫様を守る騎士としてはおいやでしょう?」





馬に跨がる才人を見上げ、カトレアは少し羨ましそうな表情でそう言った。

才人は歯を見せながら笑い、答える。

"前" は気が付かなかったが、いつも大人であったカトレアが案外お姫さまとそれを守る騎士といった構図に憧れる

少女のような一面を発見し、つい気取った口調で。

その言葉はカトレアの心に深く留まり続け、ルイズへの羨望と騎士への憧れを育てる結果になるとは知らずに。

カトレアは才人が残したその言葉を反芻し、いつか自分も誰かにそう言って欲しいな、などと考えながら小さくなっていく馬影を眺めた。

それから、城で謹慎しているルイズがまるで本当のお姫様のように思えてきて、嫉妬を覚える。

いやだわ。

わたし、何を感じているのかしら。

可哀相なのはルイズなのに。

……でも、ほんと、一度でいいからあんな風に言われてみたいな。

そう思いながらカトレアはこれが最後とばかりにもう一度、才人の去り際の言葉を思い返した。










「もちろん、俺のご主人様は誰にも渡しません。俺は、あいつを守るしか能の無い使い魔ですから」


















[17006] 6-3:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/05/30 09:00










「なんでこんな事に……」





パキン! と地に落ちた枝を踏み折りながら、才人は知らず愚痴を口にした。

ここ数日よく口にするようになった台詞。

そのせいか、既視感を覚えた才人は何となく辺りを見渡した。

夏の盛りが過ぎ秋も深まっているとは言え、周囲の木々は生命力に溢れうっそうとした葉を茂らせている。

視界と行く手を塞ぐ枝を才人は乱暴にかき分け、細く下へと伸びた僅かに轍のように筋が伸びる獣道に歩を再び進めた。

何かの鳥がギャアギャア! と警戒信号の鳴き声を上げ羽音も近くに飛んでく。

才人は飛び立つ鳥につられて上を見上げた。

空はやけに高く青く見え、雲の合間から南を目指す渡り鳥の群れが見えてなんとものどかだ。

それから改めて視線を進行方向に戻すと、どこまでも続く急な坂道……というよりも崖に近い傾斜がついた名ばかりの道が

蛇のようにうねって藪の中を伸びる。

才人はため息を一つついて、背中のデルフリンガーの鞘をあちこちに引っかけながら再び崖を降り始めるのであった。







フェルタン村に才人が到着したのは、ヴァリエール城を昼前に出立してから翌日の昼過ぎ程であろうか。

幾度か馬を休ませながらも夜を徹しての旅程である。

隣国ツェルプストー領から最も遠い位置にあるラ・フォンティーヌ領の中でも、更に外れに位置するフェルタン村は

風光明媚な丘陵地で畑と農家が点在する非常にのどかな場所だ。

カトレアが言っていたように気難しい者が多いらしく、道行く年老いた農婦に村長の家への道を尋ねると

ムスっとした表情のままある方角を指さして、わかったか? とばかりにジロリと睨まれ、才人は思わず先行きに不安を覚えた。

しかし一応道を教えてくれるあたり根は善良な者ばかりなのだろう、才人はその後何人もの村人に睨まれながらも

無事村長の家にたどり着くことができた。

村長の家は他の村人の家よりもほんの少しだけ大きく、それ以外は特に変わった所がない比較的質素な造りで

畑が直ぐ近くにあるらしく、丁度昼食を終えて畑仕事に戻ろうと家から村長が出て来た所であった。

村長と鉢合わせた才人は馬から降り、挨拶もそこそこに早速カトレアから預かった書類を渡し、薬について尋ねる。

村長はかくしゃくとした痩せた老人で、始めはほかの村人と同じく無愛想に才人の話を聞いていたのだが

書類を受け取りカトレアの名を聞くや否や、人が変わったかのようににこやかになり、半ば強引に才人を今出て来た家に招き入れたのだった。

村長の家の屋内は特に変わった所も無く、さして大きくも無いテーブルの席へと座るよう促された才人は、急にフレンドリーになりすぎた

村長に戸惑いながらも言われるがまま腰を降ろす。

それから気難しい村人がこれほど豹変するほどカトレアは領主として慕われているんだな、などと才人がボンヤリ考えていると

村長が対面に座りながらにこやかに、しかし少しぎこちなく薬の件でいらしたのですね? と切り出してきた。





「ええ、カトレア……様が使う、妖精が作る魔法の薬をいただきにきたのですが……」


「左様でしたか。いんや、遠い所わざわざ……お疲れになったでしょう?」


「はは、このくらい。しかし、安心しましたよ。
 音信不通になったと聞いていたものだから、オークにでも襲われたのではと心配していたんですよ?」


「いや、その……連絡入れなかったのは申し訳ないんですが、その……」





バツの悪そうに口ごもる村長に才人は首をかしげた。

丁度その時、村長の妻であろう老婆がお疲れになったでしょう、村特産のハーブ茶です、と言いながら木のトレイに

白い湯気の立つ木のカップを二つ載せて、家の奥から運んできて才人と村長の目の前に置いた。

村長は一口そのハーブ茶を口に含み、ほう、とため息をつく。

才人もつられてハーブ茶を一口すすると、なんとも言えない甘く華やかな香りが口中に広がり、本当にこれハーブ茶なのか?!

と内心驚いて二口、三口と続けてすすった。

そんな才人を見て村長はニヤリと笑い、ずい、とテーブルごしに顔を近づけて来る。





「ふふ、旨いでしょう? 」


「ええ、すごく。ハーブ茶というよりも、何か甘い飲み物のような香りと味ですね」


「この村特産の乾燥ハーブで入れたお茶でしてな。丁度昨日乾燥が終わったもんで、味も格別ですよ。
 ……もっとも、それが原因でカトレア様にご迷惑かけてしまっておるわけですが」


「? 薬と何か関係があるのですか?」


「ええ、実は……このハーブ茶に使う乾燥ハーブと、 "ラ・カンパネラ" という花を原料にカトレア様に献上する薬を作っておるのです。
 両方ともこの辺りでしか取れない材料なんですが、特にこの "ラ・カンパネラ" という花が厄介でしてな」


「厄介?」


「ええ、この花は昔から "妖精花" とも呼ばれておりましてな、この村から西に少し行くと深い谷があってそこでしか取れんのです。
 更にこの谷は村では "囚われ谷" と呼ばれておりまして。
 ドライアドっちゅう、これまた厄介な木の精霊の住処になっとるんですわ。
 人間には近づくことが出来ない場所なもんで、ほとほと困っておったんです」


「え? じゃ、今まではどうやってその、 "妖精花" を?」


「この乾燥ハーブと引き換えに、持って来ていたんです」


「誰が?」


「その、ドライアド本人が。毎年この時期にやって来て花と乾燥ハーブと交換して行くんですよ。
 ところが今年はどうしたもんか、いつもより早く先月にふらりとやって来て交換してくれと言われましてな。
 残念だがハーブは採りいれたばかりでまだ乾燥も終わってないからもう一月待ってくれと頼むと、それっきり音沙汰なくなってしもうて……」





村長はそう言うと、肩を落として申し訳なさそうに身を縮めた。

どうやら妖精花は木の精霊から入手する以外、他に術が無いらしい。

才人はラグドリアン湖の水の精霊を思い出し、腕を組んだ。

人と精霊とでは時間の概念自体が違う。

精霊が「今はダメなのか。じゃ、ちょっと待つか」と思っていても、そのちょっとが百年、二百年である事は十分考えられるのだ。

更にプライドも高く、モンモランシーの実家の例はともかく、ちょっとした事で怒って姿を消すことも珍しい事ではない。





「うぁ……先住は色々と難しいですからね。」


「いんや、ドライアドに限っては恐らくになりますが大丈夫ですよ。
 愛想がいいと言うか、精霊というよりも妖精に近いとか本人がゆーとりました。
 ただ縄張り意識が強くてですな、アレの住処である "囚われ谷" に人間が入り込むと生きては出てこれんっちゅう話です。
 そこが唯一の欠点といいますか、ドライアドの厄介な所でして」


「じゃ、なんで……ヘソを曲げたって話じゃないようだけど」


「恐らくはなんかあったんでしょうて。
 こんな年もたまにありましてな、そんな時は谷を少し降りた所まで乾燥ハーブを持っていくとドライアドが出てくるんです
 だけんど、ちと今は時期が悪くて……なにせ今年はヒュイルが大発生しとりましてな。
 作物を荒らされん内にと言うことで、ここの所ずっと村人総出で刈り入れを行っておるんですわ」


「ヒュイル?」


「これくらいの、砂粒ほどの大きさの害虫です。
 ほら、季節の花々の茎なんかによく何匹も張り付いている、あの緑色の」


「ああ、見たことあります。あれ、農作物にもつくんですね」


「ええ、アレはああ見えて中々の悪食でして、何でも食い荒らすんですわ。
 今年みたいに大発生した時にほっとくと、一晩で作物がダメにされる事もあるんですよ。
 いんや、村のもんが北の森でそれを早めに見つけることができてほんに良かった。
 お陰で虫の大群が村に来る前に、村総出で刈り入れをやっておる真っ最中でして。
 連中、羽は無いもんで移動はゆっくりですから、なんとか間に合いそうなんですよ」


「それで連絡も寄越さずに……」


「そういう事になります。いや、ほんに申し訳ない。
  "囚われ谷" までは中々道が険しくて、老人ばかりの村のもんに行かせると時間もかかりますし。
 カトレア様には本当に申し訳ないんですが、わしらも作物が食い荒らされれば税も納められないし、冬も越せなくなりますでな」





村長はそう言うと、一口ハーブ茶を啜ってもう一度今度は大きくため息をついた。

才人も同じようにもう一度ハーブ茶に口をつける。

芳醇な甘い香りが口いっぱいに広がり、どこか焦る気持ちが安らぐ。





「村長さん、薬は作るのに時間がかかるのですか?」


「え? いんや、材料さえあれば薬自体はすぐに出来ます。
 といいますかな、効用自体は "ラ・カンパネラ" の花の成分だけなんです。
 ただ、味というか臭いというか、とにかく不味くて。
 その為に乾燥ハーブを追加しとるようなもんで、その由来から "妖精が作る魔法の薬" という触れ込みになっとるんですわ」


「じゃ、その "ラ・カンパネラ" とかいう花があればいいんですね?」


「ええ、ええ。だけんど、先程申した通り人が近づけぬ谷にしか花は……」


「じゃあ、話は簡単ですよ。俺が行ってきます」


「そんな、カトレア様の使いの方を行かせるなど……後数日で刈り入れが終わるで、それまで村の宿でお待ち頂ければ……」


「悪いんですが、俺、急いでるんですよ」


「まさか! カトレア様のお体の具合が」


「ああ、いや。俺の都合です。どうしても早く薬を持って帰りたいんですよ。
 村長さん、俺に行かせてくれませんか? この通りです」





才人はそう言って、深々と頭を下げる。

村長は慌てて才人に頭を上げるよう言いながら、そこまで言うのならばと "囚われ谷" までの詳しい道筋と

木の精霊・ドライアドの呼び出し方を説明し始めるのであった。







"ラ・カンパネラ" は釣り鐘のような花を咲かせる釣鐘草の一種で、鮮やかな紫色をした小さな花であると村長は言った。

地球ではバラ科のピンクの花であるのだが、花の名に疎い才人が地球での花の名など覚えている筈もなく、すんなりと花の特徴を覚えて

フェルタン村の西、 "囚われ谷" へと足を踏み入れたのはそれから一時間程経った頃であった。

ヴァリエール城から乗ってきた馬は村長の家に預けて、徒歩での移動である。

背に大剣、手には乾燥ハーブが入った袋を持ち至って軽装で森を抜け谷の入り口までやって来た才人だったが

既にその道程の厳しさにげんなりとしていた。

何せ、森の道は荒れ放題で木々の枝が道をふさぎ、それらをやっとの思いで "避けながら" 進むと今度は細い獣道のような道が

谷底に向かって藪の中を伸びていたからだ。

ドライアドは木の精霊である。

それ故、道中は決して木の枝や植物を無闇に切り落としてはならないと才人は村長に何度も注意を受けていた。

道に生える草や落ちているちょっとした枝を踏む程度なら問題はないようだが、夏の間目一杯伸ばした木々の枝を避けながらの移動は

非常に骨が折れる作業である。





「なんでこんな事に……」





パキン! と地に落ちた枝を踏み折りながら、才人は知らず愚痴を口にした。

その辺から飛び立つ鳥につられて上を見上げると、空はやけに高く青く、雲の合間から南を目指す渡り鳥の群れが見える。

そこに厄介な障害物など何一つ無い。

折ってはいけない小枝も、切り倒してはいけない木も空には無い。

視線を進行方向に戻す。

折ってはいけない小枝や、切り倒してはいけない木が視界一杯に広がる。

なんの嫌がらせなのか、細く足場の悪い崖のような谷を降る道はそんな障害物の足下を縫うように伸びていた。

才人は幾度目かのため息をついて、慎重に歩を進め始めた。

"目的地" まであとすこし。

村長の話によれば、谷を少し降ると大きな木が生えた台地のような場所に出るらしい。

そこが精霊と人の世界の境界であるらしく、ドライアドの住処への入り口を示すのだそうだ。

そこから先は再び下へと降りる谷となるのだったが、人が立ち入ってはいけない領域なので決して足を踏み入れぬよう

重々才人に注意を促していた村長であった。

果たして、時には木によじ登り道を迂回し、時には這いつくばって枝を避けていた才人はその台地へなんとかたどり着く。

崖から張り出すように現れた小さな広場には、今まで行く手を塞いでいた木々の枝や藪が全くなく、ぽつんと一本だけ木が生えていた。





「ふぅ、どうやらここが終着駅らしいな。あとはこの木の根元で座ってまってればいいんだよな?」





誰に向かってでもなく、才人は手順を口にして広場の木の根元に腰を下ろし、乾燥ハーブは入った袋の口を開けた。

甘く爽やかな香りが広がり、これまでの道程の厳しさを忘れさせリラックスした気分になる。

背にした木の枝の合間から漏れる太陽の光がなんとも心地よい。

ほんと、良い匂いだなこれ。

ルイズにお土産として持って帰ってやろう。

これだけ良い匂いだもん、精霊もわざわざ村まで交換しにやって来るのもうなずけるな。

……匂い袋というか、芳香用の小瓶に入れて部屋に置いとくといいかも。

――だけど……

眠く、なるから、

柔らかな香りと木漏れ日は、徹夜で馬を駆って村まで来た才人をうとうととさせる。

辺りに人や動物の気配はない。

野鳥のさえずりと、冬が近い季節にも関わらず春風のような心地よい谷風。

思考はいつの間にか夢にかわり、才人はとうとう眠ってしまった。

"グリムニルの槍" で再現されている体には、本来睡眠や食事など必要ない。

しかし "人" としての才人を維持するためには、なるべく人間の生理現象を再現する必要があった。

つまり戦闘状態でないかぎり、才人は人と同じようにものを食べ、女性の裸に欲情し、年を取り、目を閉じて夢をみるのである。

その寝顔はルイズと同年代の青年になりかけた少年の面影を残し、とても安らかだ。

メイジを片手で一蹴し、巨大な韻竜を屠り、亜人の軍勢を蹴散らす伝説の使い魔だと、その主と一部の人間を除けば誰も信じはしないだろう。

才人が寝台とした木の上では小鳥がチチチと鳴き、枝がざわめく。

心地よいそれらの子守唄を、才人はどれほど長い間夢心地に聞いただろうか。

不意に、音が消える。

僅かな変化であったが、頬にヒリヒリとした空気を感じ取った才人は目を醒まし辺りをうかがった。

広場は相変わらずのどかな情景であったが、何かが違う。

なんだ?

寝ぼけてるのかな、俺。

太陽は……まだ高いな。

長いこと寝てたわけじゃなさそうだな。

……妙な夢でも見たかな?

才人がそう考えて、伸びをした時である。

広場から更に谷下に伸びる道の先、あるいは才人が背にした木の向こう、崖の下から女の悲鳴が木霊してきた。





「いやああああ!! だ、だれか!」





悲鳴は切実に、しかし誰も居ないとわかりきっている諦めも混じって何度も上げられる。

才人は慌てて崖からせり出した形で広がる広場の端から身を乗り出すと、眼下に谷底が見えてそこを女性が走って行く姿が確認できた。

多分、若い。

髪は長く、キュルケよりも青みが差した赤毛だ。

足に怪我でも負っているのか、すこしぎこちない動きで走っている。

その後をくさび形にオークの群れがゆっくりと追いかけていた。

恐らくは女性に悲鳴を上げさせている原因であろう。

オーク達は手に様々な武器を持ち、獲物を嬲るつもりなのかゆっくりと逃げる女の後を追っているようだ。

なぜここに人が?

なぜ、オークの群れが先住の住処に?!

先住の住処を荒らす亜人なんて、聞いた事もないぞ?!

俺、道を間違え――いや、それよりも!

まずい、あの子、このままじゃ……

寝ぼけた才人の頭に様々な疑問が瞬時に湧き、思考が混沌とする。

いくつもの問い掛けが目まぐるしく耳の奥に聞こえたが、次の瞬間には体が勝手に動く才人であった。

大地に右手を当てシンプルな投げ槍を作り出し、力を加減しながら谷底へと投擲する。

全力で投げて崖崩れでも起こしてはたまらないからだ。

槍は唸りを上げて逃げる女とそれを追うオークの群れの間に落ち、ズドンと大砲の様な音を立てる。

"グリムニルの槍" としてその威力は見る影もない物であったが、オーク達の足を止めるには十分であった。

才人はオーク達の足が止まったのを確認し、まだ谷底まで十メイル以上もある崖へその身を投げ出す。

耳に風切り音が響かせ落下しながらも、背のデルフリンガーを保持する鞘のボタンを外して一気に大剣を抜き放ちルーンを輝かせる。

大地が迫り来る中、才人はオークの数と女の位置を確認した。

女は槍が巻き起こした音と衝撃によって前のめりにこけてしまっているようだ。

あちゃ、もうちょっとオーク寄りに投げれば良かったかなどと暢気に考えながらも、着地した才人は落下のスピードを維持したまま

向きを水平に変えてオークの群れの中に飛び込んだ。

数は十五。

一匹、デカいのがいる。

多分、オーグル。

断片的な思考とは裏腹に、才人は稲妻のような動きで瞬く間にオーク達を斬り伏せていった。

堅い竜の鱗を、ゴーレムを、大地を槍の投擲で爆砕させるその膂力で振るう剣撃はすさまじく、才人がデルフリンガーを振るうたびに

オーク達はまるで紙細工のように両断され、宙に舞う。

身の丈もある大剣を軽やかに横に薙ぎ、縦に振り、袈裟に切りつけ、しかしその剣筋は見えず瞬く間に亜人を屠っていく。

切り上げられたいくつかのオークの半身や武器を持ったままの腕は、クルクルと空中を飛び文字通り血の雨を降らせた。

その雨の合間を才人は疾風の様に駆け抜ける。

オーク達はいまだ、何が起きたのか理解していない。

ナニカが降ってきて地に落ち弾けて、気が付けば前に居た仲間がバラバラになって飛び散っていた。

一体、なにが――

疑問と状況が脳裏に浮かんだ次の瞬間には、己が雑に両断される。

視界が激しく回転し、ふわりと体が浮く。

遠のく意識の中、最後の記憶に在るのは白い光と黒髪。

た、ぶ、ん、にん――げ……

才人に斬られたオークの認識はそのような物であった。

白痴なのではない。

意識が追いつかないのだ。

あまりの疾さに。

あまりに鮮やかな剣閃に。

人の領域を遙かに超えた、その力に。

痛みを、怒りを、恐怖を、闘志を、絶望を抱く前にただ疑問だけを抱いて絶命する。

オーク達にとって不幸だったのは、才人が "躊躇" するのは人間だけだということであろう。

それは身勝手な博愛であるし、才人もよく理解している。

しかし。

ここ、ハルケギニアでは人とオークは決して相容れぬ存在であった。

一方が略奪者。

一方が被害者。

互いにそのどちらかにしかなれぬ存在。

その認識を違えば、大事な人を骨も残さず略奪し尽くされることを才人は知っていた。

領地を得て経営した経験のある才人にとって、オークとは大事な領民を襲う災害以外の何者でもない。

昨日向けられていた笑顔が消える。

老若男女関係無く。

それも村ごと。

かつての悲しみが、怒りが、決意が才人の胸に蘇り激しく心を震わせていく。

更に疾く。

更に剣閃は鋭く。

左手は強く強く輝く。

血の雨は肉を伴って更に激しく大地に降りそそぎ、しかしただの一滴も剣士を濡らすことはなかった。

才人がデルフをどれほど振るった頃か。

時間にしてほんの数秒であったのかもしれない。

群れの後方にいたオーグルを縦に両断した所で、その後に居たオークの一匹が声を上げた。

恐怖ではなく、警戒の合図だ。

ナニカがいる、注意しろと。

しかしその合図に答える者はいない。

既に "彼" を除き、ある者は首を跳ねられ、ある者は血の雨と一緒に空から降ってきていたからだ。

割れるオーグルの向こう、凄惨な光景を目の当たりにしてそのオークは唯一、敵の姿を目にする。

それは小さな人間。

ハルケギニアでは珍しい黒髪で、左手に握られている大きな片刃の大剣。

その手の甲は白く輝いて、対照的にその背後では赤い血と肉がバタタと音を立てて降り注いでいる。

一体、お前――

思考は続かない。

視界にあるはずの少年の姿が消え、すぐに視界が激しく回転して、浮遊感の後大地に叩きつけられた。

そのオークは他の仲間と同じように、そのまま疑問だけを胸に絶命したのだった。





「こんなもんかな?」





ベっとデルフを振って付着したオークの血を払いながら、才人は辺りを見渡した。

敵意や気配は感じない。

他の群れの斥候がどこかに居た場合、なるべく派手に殲滅した方が牽制効果を生むので "雑" に戦った才人であったのだが

どうやらその気配りも無駄であったようだ。

才人はオークの死体からなるべく綺麗な布きれを千切り、デルフを拭いて鞘に納めて改めて未だ転けたままの女性の元へと歩み寄った。





「大丈夫? 足に怪我してるようだけど?」





先の戦いぶりから怖がられているかも知れないと考えながらも、恐る恐る手を伸ばす才人。

女性はまだ幼さの残る少女といった年の頃であった。

青みが混じった赤毛は紫に近く、長く伸びて上体を起こしていても地に着いている。

肌は白く、手足も細い。

顔立ちもどこか気品があり、平民の娘ではないようだ。

女の子はさしのべられた手には目もくれず、ただ呆然と才人とその向こうの光景を交互に眺めていた。

やべぇ。

もしかして、俺、化け物かなんかと思われてるか?

この後きゃああ! とか叫ばれちゃう?

十分すぎるほど発揮した自らの怪物性の事などすっかり忘れ、才人はさしのべた手もそのままに不安に駆られる。

沈黙は続く。

その間、不安はますます大きく膨らみ、いたたまれなくなってつい返事を急かしてしまうお人好しであった。





「ねぇ?」


「あ、え? ああ! ご、ごめんなさい! あなた、すごく強いのね!」


「ま、ね。立てる?」





女の子は慌てて才人の手を掴み、立ち上がろうとするが少し体を浮かした所で眉根を寄せ、つ! と呻いて手を引っ込めた。

引っ込められた手は足へと伸び、よく見ると薄く刃物がかすったかのような傷が、白いくるぶしに赤い筋を作り出している。





「いたた、ごめんなさい。くじいたわけじゃないから、すこし時間をおけば立てると思うわ」


「オークの剣か矢かなんかが掠った傷?」


「うん」


「まずい!」





才人は血相を変えて女の子の足をつかみ、くるぶしに顔を埋める。

きゃあ、と再び谷に女の悲鳴が上がった。

しかしそんな彼女の様子などお構いなしに才人は暴れる女の子を無理矢理押さえつけながら傷口に口を付け始めた。





「ちょ、何すんの! この、変態! ロリコン! ブサイク!」





容赦ない罵倒と反対側の足による蹴りが才人の頭に猛襲する。

血を吸い出す為に足に顔を近づける度に細い指でバリバリと引っ掻かれる。

端から見れば変態その物だ。

だが才人は、そんな事もお構いなしに変態行為を続ける。

傷口に口を付け、血を啜り吐き出す。

オークの武器には毒が仕込まれていることが多い。

僅かなかすり傷でも命取りとなる。

説明している時間は多分無い。

走っていたから体中に毒が回ってもおかしくないけど、こうやって元気があるって事は傷を受けて間も無いはずだ。

今ならまだ間に合うかもしれない。

才人は焦りつつも、女の子の罵声と抵抗に必死に耐えた。





「やめて! そりゃわたし、すっごく可愛いけれど、まだおっぱいも小さいし、経験もないし、こんな所でなんて絶対いや!
 まして人間とだなんて絶対に、いや!! 離して! この淫獣! ケダモノ! むしろゲテモノ! 臭いのよアンタ!」


「いでぇ! これ位でいいだあ! やめ、ほら辞めたから!」


「この! これだから人間は!」


「ちがう! 毒! オーいだだ! 引っ掻くなって! オークの武器には毒が塗ってるうううだああ! 蹴るな!」


「え?」





ピタリと止む、罵倒と暴力。

顔中に赤い筋を作り出しながらも、はぁと肩を落とす才人。

そうなの? とその瞬間全てを察していながら "あんたが悪い!" と目で訴える少女。

焦ったとは言え、説明しない自分も悪いのだけど、もうちょっと俺の行動を観察して欲しかったと目で訴える才人。

仕方ないじゃない! と目で更に訴える少女。

じっとりと目を細める才人。

沈黙。

暫くして、少女は才人の視線の圧力に負け遂にプイっとそっぽをむいて、小さくごめんなさいと口にした。





「ま、俺も悪かったしな。おあいこって事で」


「そ、そうね。でもありがとう。お陰で助かったわ。えっと……」


「才人。ヒラガ・サイトって言うんだ、俺」





そう自己紹介し、いつものように才人は笑った。

笑顔に女の子は安心したのか、ふにゃりと柔らかく花のように笑顔を浮かべた。

そして、才人と同じように自己紹介を始める。

しかし。

彼女の言葉は才人の笑顔を凍り付かせるのであった。










「あたしはドリアーヌ。ここらを支配しているドライアドの僕であるニンフ(妖精)よ。
 しかしあんた、度胸ある人間よね。もう二度と人間界には戻れないってのに、谷底に降りてくるなんて」

















[17006] 6-4:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/06/05 08:46










「なんでこんな事に……」





つぶやきは力無く、穏やかで暖かい谷風に掃き散らされていった。

前を歩く十才位の女の子の、ふくらはぎまで伸びた青みが差す鮮やかな赤髪が目にいたい。

木の先住、ドライアドの領域である "囚われ谷" の谷底はその道程からは予想だにしない程広く、花が一面に咲き誇り

小川が流れ、柔らかな光が差し込む非常に居心地の良い場所であった。





「こっちよ、お兄さん」


「ああ……」





快活な少女の声に、才人はこの世の終わりを迎えた者のような声で応じた。

声だけではない。

その表情も、雰囲気もどよんと暗い影を纏っている。

少女はそんな才人にぷぅと頬を膨らませて、腰に手をあてた。





「もう! いつまでしょげてんのよ! ヤっちゃったもんは仕方ないでしょ?」


「だって、さあ。
 なぁ、本当に、本当に、ほんっっっとぅに、あそこから上に登っても帰れなかったのか?
 今ならお前が "冗談でした☆" とか言い出しても、俺、怒らないぞ? むしろ大喜びしちゃうぞ?」


「本当よ」





少し不機嫌に即答した少女の言葉に、才人はガクっと肩を落とした。

そんな彼をドリアーヌと名乗った少女は、冷たく目を細めて一つ小さく鼻を鳴らす。

それから腰に当てていた手をひらひらと降り、トドメとばかりに口を開いた。





「信じられないって言うなら確かめてきたら?
 もっとも、この谷の上は世界の境界しかないからね。そこに足を踏み入れたら今度こそ帰れる保証なんてないわよ?」


「う……そんなつもりじゃ」


「じゃ、大人しくついてきなさいな。
 折角助けてくれたお礼に、このわたしがドライアドに掛け合ってあげるって言っているのに失礼しちゃうわ」


「なあ、ドライアドって木の精霊なんだろ? 世界間の移動とかできるのか?」


「……あんた、そんな事も知らずにドライアドの領域に進入してきたの?
 強くて勇気のある人間ねって思ってたのに、実はただのバカなのね。
 あーあ、幻滅しちゃった」


「うっせ。お前だってあそこで死ぬよりかは良かったろうが」





才人の言葉にドリアーヌはうぐっと出しかけた悪態を飲み込んだ。

そのままぐぬぬと唸り、少しの間必死に言葉を探していたが、やがてぷぃっと前を向いてスタスタと歩き始める。

慌ててその後を追う才人。

彼女の不機嫌さを物語るかのように長いその髪が左右に揺れる。

まずい。

怒らせてしまったか?

ちょっと、言い過ぎた、かな?





「わ、悪かったよ。この通り、あやまるから怒らないでくれよ」


「……ま、いいわ。バカでも根は良さそうだし。
 根が腐っていると、良い葉は生えてこないものね。
 どんなに小さくて頼りない種であっても、しっかり愛情をかけてあげるからこそ、強く育つもの」


「へ? なんの話だ?」


「お花の話よ。それで? 一応、ドライアドの事を説明しておいた方がよさそうね?」


「あ? ああ、頼む。ドライアドってさ、木の精霊なんだろ? 縄張り意識が強いとは聞いてたけど」


「うーん、まあ、そうなんだけど。
 ほら、 "外" だとどうしても他の先住や人間と干渉しあう事になるでしょ?
 ドライアドは極端にそういうの嫌うのよね。
 だから、こうやって住処を世界の狭間に作って引きこもっているの」


「あれ? フェルタン村で聞いた話じゃ、友好的で乾燥ハーブを自分で取りに来てたらしいけど?」


「ああ、あれね。それ、わたし。ドライアドの名代としてお使いに出てただけ。
 先住です! て言っとかないと、人間に何されたもんかわからないし。
 最近の人間界は幼女趣味の奴が増えたって噂だし、ほら、わたしって愛くるしい女の子でしょう?」


「……いや、えっと、それは」


「あ、そもそもあんた何しにここに来たのよ?」





次々と話題が変わるドリアーヌの話に、才人は少々困惑しながらも懐にしまっていた袋を取り出し掲げて見せた。

ドリアーヌは袋を見ると、あ、それはと口に出して驚きの表情を作る。





「乾燥ハーブを持ってきたんだ。俺、妖精花で作る薬がどうしても欲しくてさ」


「ふぅん? どっか具合悪いんだ? どこも悪く無さそうにはみえるけど。あ、もしかして頭が悪いとか?
 まいったわねえ、妖精花はバカにはきかないわよ?」


「ちがう! 俺の具合が悪いんじゃなくてさ、知り合いが必要なんだ」


「――! あんた、もしかして、それ、その知り合い、恋人だとかじゃないでしょうね?!」





返答に突然、ドリアーヌは才人に詰めより背伸びをして、その幼い顔を才人の鼻先にまで近づける。

才人は鼻先に彼女の吐息を感じながらも、その気勢に少し驚いて一歩後ずさった。

ドリアーヌはそんな才人を追い詰めるかのようにもう一歩足を踏み出し、どうなの!? と更に問い詰める。





「その、その人とはそんなんじゃないよ」


「その人 "とは" ぁ?!」


「こ、恋人の姉さんなんだ」





恋人という単語を耳にした瞬間、ドリアーヌはあっちゃあ! と声を上げて頭を抱え蹲った。

才人はその行為が何を意味するのかさっぱり理解出来ず、座り込むドリアーヌにどうした? と恐る恐る声をかける。

もしかしてこいつ、俺に気があったのか? とお気楽な考えが脳裏によぎったが、どうも様子がおかしい。

やがてドリアーヌはその長い髪が地にとぐろを巻いて触れてしまう事もお構いなしに、座り込んだまま才人をじっとりと見上げた。





「……あんた、やっぱ帰れないわよ」


「なんでだよ!」


「ドライアドはね、すっごく欲しがりで、嫉妬深くて、惚れっぽいの。
 特に恋人が居る人間の男を見かけると、 "領域" に引っ張り込んで死ぬまで囲ってしまう程なのよ?
 ……ま、大概のドライアドは引きこもってるから見かける事すらないんだけど」


「うげ!」


「あんた、大人しくしてればそこそこブサイクだし、引き合わせて助けて貰ったの~、だから出してあげて~って言えば
 ドライアドも許可してくれると思ったんだけど……」


「誰がブサイクだ! 誰が!」





思わずガウ! と噛みつく才人に、ドリアーヌはやれやれと肩をすくめ首を振った。

それからすくと立ち上がったが、その視線は相も変わらずじっとりと半目で才人を見つめており、小さな口の片端を上げて

呆れたような、バカにしたような声色でため息混じりに言葉を続けるのであった。





「……そんな細かい所気にする余裕、あんたにあるわけ?」


「……無いです」


「はぁ……最悪だわ。前回迷い込んで来た人間も恋人だか嫁だか居てね。
 案の定ドライアドが気に入っちゃって、そのまま情夫にされちゃって。
 たしか、三百年位囲われてたわね」


「へ? そいつ、人間なのに、か?」


「時間の流れが違うのよ。ドライアドの領域じゃある者は速く、ある者はゆっくりと時間が流れるの」


「うわ! じゃ、俺は……」


「外に出てみないことにはわからないわよ? 百年経ってるかもしれないし、一瞬しか経って無いかもしれないし」


「うう……で、その、囲われてた人、どうなったんだ?」


「死んだわ。二十年位前かな? ヤりすぎでね、衰弱死しちゃったの。
 ほんと、人間って儚いもんよね。
 そりゃ、毎日昼夜時間を問わず激しかったけども。まったく、ドライアドも困ったものよね。
 毎日毎日汗と欲望が染みついたベッドのシーツを替える、私達ニンフの身にもなって欲しかったわ。
 ……ま、最後の方はシーツの上で "いたす" 事は殆ど無かったから、ちょっとしたお掃除で済んだのだけども。 
 マンネリしてくるとすごいのよ?
 私達ニンフの中から年長者が何人か選抜されて一度に……」


「わかったわかった! ドライアドがどんな奴なのかわかったからさ、どうにかならんのか?
 俺、なんとしても帰らないといけないんだ」





ドリアーヌの肩を掴み、必死に訴える才人。

腕を組み、眉根を寄せて目を瞑りながらドリアーヌはうーん、と唸る。

花畑のような草原に佇む二人に暖かい風が吹いて、才人の黒髪と長いドリアーヌの青が差した赤髪を揺らした。

のどかで心地よい情景であったが、才人の心中は暗く澱んだ空気に満ちていった。

どれほどの時間そうしていただろうか。

不意に組んでいた腕を降ろして、難しい表情をニパっと笑顔に変えたドリアーヌが、何とかなるわよと言った。





「ほ、本当か?!」


「ええ。いい案が浮かんだわ!」


「た、助かったぁ。俺、どうすればいい?!」


「簡単よ。発想の転換、って奴ね。うん」


「おお! それで?!」


「あんた、諦めてドライアドの男(モノ)になっちゃいなさいよ。それで問題解決!」


「してない! 解決してないぞそれ!」





才人は思わず掴んでいた小さな肩をブンブンと前後に揺らし、それではダメだとばかりに訴える。

ドリアーヌは激しく体を揺さぶられつつも、めんどくさい男ねえ、と目で語りながらも再びうーんとそのまま考え込み始めた。

再びのどかな沈黙が続く。

暖かい谷風が吹き抜け、どこかで鳥が鳴いた。

静寂は焦る才人一人をじわり圧迫する。

そんな無音にたまりかねて、才人はドリアーヌを急かそうと言葉を探し始める。

しかし、その沈黙を破ったのは才人でもドリアーヌでもなく、第三者であった。

柔らかな谷風が吹き渡る花畑に二人、考え事をしている所へドリアーヌが先導していた方角から、女性の何か叫び声が聞こえてきたのだ。

才人とドリアーヌは同時に声の方へ振り向くと、遠く草原の向こうに誰かが手を振っている姿が確認できた。

人影は背は高かかったがドリアーヌと同じ髪の毛の持ち主で、顔立ちもよく似ており一目で彼女と同じニンフという妖精だと才人にもわかった。

恐らくは先程ドリアーヌがちらと言っていた "年長者" というやつであろう。

走り寄って来る彼女は良く張った胸と細い手足、才人よりすこし低いがドリアーヌよりも遙かに高い背の持ち主であり

それらを除けばドリアーヌとよく似た、というよりも同じ容姿である。

そんな大人になったドリアーヌと表現できよう女性が、必死の形相を浮かべながら才人達の目の前まで走り寄ると

強い調子でドリアーヌになにやらまくし立て始めるのであった。





「ドリアーヌ! こんな所に!」


「ドリアーヌ? どうしたの?」


「何を暢気な事を言ってるのよ! ……だれ? そいつ。人間? まあ、ドリアーヌ。まあまあまあ、小さなドリアーヌ。
 だめでしょ、そんなの拾って来ちゃ。ドライアドに見つかったら、また乱痴気騒ぎに駆り出されるじゃない。
 私、やぁよ、ソレとくんずほぐれつに睦み合うの。捨ててらっしゃい」


「もう、違うてば。コレね、わたしを助けてくれたの。なぜかドライアドの領域にオークの群れが紛れ込んでてね」





女性の名も少女と同じドリアーヌと言うらしい。

才人はまるで小さな子供に拾われてきた汚い生き物のような扱いに、少々憤りを感じて唇を尖らせたのだったが

とりあえずは二人のやり取りを黙って見守ることにした。

ドリアーヌの様子と話から察するに、ドライアドの領域と呼ばれる谷底は、地球は勿論ハルケギニアの常識が通用しないかもしれない。

下手に会話に介入して、予想だにしない理由で彼女達の機嫌を損ねてしまっては元も子もない。

そう判断しての事である。

ただし、じっとりと隣の小さなドリアーヌにはなんだよその言い草、と冷たい視線は送っての判断だったが。





「あんた、オークに襲われてたの?!
 て、そうそう! はやく戻ってらっしゃい!
 そのオークの大群が村に向かってやって来るって話になってるのよ!!」


「なんですって! それ本当なのドリアーヌ?!」


「ええ。村じゃみんな、その対応で蜂の巣をつついたような騒ぎになってるわ!
 わたしは乾燥ハーブをフェルタン村に取りに行ってくるから、あんたも早く村にもどんなさい!」


「えっと、あの、そのハーブなら俺が……」





ここで初めて才人は二人の会話に割って入った。

どうもかなり切羽詰まっているようで、用途はわからないがフェルタン村の乾燥ハーブが必要であるらしい。

才人が懐から乾燥ハーブが入った袋を取り出し掲げてみせると、大人のドリアーヌは目を丸く開いて才人をじっと見つめた。

しばらくまるで値踏みするかのように上から下まで眺めた後、はっと状況を思い出したのか口元に両手の先を当てて

驚いたように、それとすこし大げさに感謝の言葉を口にする。





「まあ! まあまあまあ! あんた、それをわざわざ? ありがたいわ! ありがとう!」


「えっと、俺、妖精花が欲しくて」





才人の言葉は最後まで紡げず、かわりに台詞を遮るように大人のドリアーヌはベっと素早く才人の手から袋を奪い取った。

え? と呆気にとられる才人の眼前で、大人のドリアーヌは袋の中身を確認すると、満面の笑みを浮かべて小さなドリアーヌに向かい

嬉しそうに語りかける。





「やった! このハーブがあればオークが村にやって来る前に "あれ" が作れるかも知れないわ!
 ほんと、ありがたいわ! これでわざわざ人間界に行かなくて済むわね!」


「あの、それと俺、人間界に帰りた」


「ドリアーヌ! さあ、帰るわよ! みんなコレを持って帰るのを首を長くして待っているんだから!」


「そうねドリアーヌ。でも、今までこんな事なかったのに……」


「あなたはまだ若いからそう思うんでしょうけど、たまにこんな事があるのよ? 原因はわかんないけどね」


「へー、そうなんだ?」


「あのぅ、俺……」


「あら。何コレ? 人間? もう、ドリアーヌ。もうもうもう、小さなドリアーヌ。
 だめでしょ、そんなの拾って来ちゃ。ドライアドに見つかったら、また乱痴気騒ぎに駆り出されるじゃない。
 私、やぁよ、ソレとがっぷりしっぽりに絡み合うの。捨ててらっしゃい」


「おい!」





才人は思わず声を荒げてしまった。

その剣幕に大人のドリアーヌはえ? 何この人? といった様子で首を傾げ、きょとんとする。

どうやら冗談ではなく、本気でこの短時間で才人の存在を一度忘れてしまったらしい。

才人は出しかけた罵倒の言葉を飲み込みながら、隣に居た小さなドリアーヌにどういうことだ? と言外に尋ねた。





「ドリアーヌはね、いつも "こう" なのよ。
 醜い物や好みじゃない物、イヤな事はすぐ忘れちゃうのよね。
 まあ、そんなんだからよくドライアドの "お楽しみ" に駆り出されるのだけれど。
 あ、誤解しないで、わたしはそうじゃないから」


「……しっかり、イヤだって言ってたドライアドの乱痴気騒ぎのことは覚えているようだけど?」


「本音はイヤじゃなかったんでしょ。ノリノリだったって話だし」


「……なあ、俺、そんなにブサイクなのか?」


「あら。意外と繊細なのね。人間のくせに」


「何々? どういうこと小さなドリアーヌ?」


「あ、こっちの話よ。えっと、この人オークに襲われていたわたしを助けてくれたの。
 外に出たいらしいから、お礼に村へ連れて行ってドライアドに外に出してあげてってお願いしに行く所だったのよ」


「ふうん? そうね、コレならドライアドも欲しがりはしないわよね。
 じゃ、特別にあんたも村に入れてあげるから、はやく来て! オークの群れも結構近い所まで来てるし!」





そう言って、大人のドリアーヌは踵を返して乾燥ハーブが入った袋を手に元来た方角へと走っていってしまうのであった。

後に残されたのは、小さなドリアーヌとイジけて蹲り、地面にノの字を書く才人である。

小さなドリアーヌはもう一度腰に手をあてて、すんと鼻を鳴らし惨めったらしく座り込む才人を見下ろして一言

いくわよ、と才人に声をかけるのであった。

暖かい風が言葉に合わせたかのように吹きわたる。

柔らかな日差しは花々が咲き乱れる谷底の草原をキラキラと光らせた。

しかし、才人の胸の内は暗くどんよりと曇っていたのであった。







"囚われ谷" に住むニンフ達の村へは、それから小一時間ほど歩いた場所にあった。

村は谷の両側の崖が特に狭まった場所に作られており、岩を積み重ねた城壁のような壁と厚い木の門が村の入り口を守っていた。

妖精の住処と呼ぶには中々物々しい外観で、高くそびえる城壁のような壁の上ではドリアーヌと同じような容姿をしたニンフ達が

弓を携えて慌ただしく行き来している。

村と言うよりもまるで要塞だな、という感想を才人が抱いているとゴゴン、と目の前の門が重苦しい音を立てて内側へ開き

門番をしていたニンフがさっさと入れとばかりにあごをしゃくって、二人を中へと招き入れた。

門の内側の村は特に変わった所もなく、木と石で出来たハルケギニアでよく見る平民の家が点在する光景が広がっていた。

あわただしくニンフ達が行き来する門から続く道の向こうには、貴族が住むような立派な屋敷が見える。

恐らくはドライアドの住処なのであろう。





「なあ、ドリアーヌ」


「なあに?」


「もしかしてドライアドってあの屋敷に住んでいるのか?」


「ええ、そうよ。あんた、そこまで説明しなくちゃダメなほどバカじゃないと思ってたけれど?」


「うっせ。いや、そうじゃなくてさ。木の精霊なんだろ? ドライアドって」


「え? やっぱりバカなの? 今まで何度もそう言ってるし、あんたもドライアドは木の精霊って知ってるんじゃないの?」


「だあ! だから! なんで! 木の精霊が! あんな屋敷に住んでるんだよ!
 普通はさ、こう、すっごいでかい大樹に住んでいたりして、ぽぅと光りながら出てくるとかするんじゃねぇのかよ!」


「はぁ? なんでそんな所に住まなきゃならないのよ?」


「木の精霊だろ!」


「わたしはそのしもべの妖精よ」


「お前じゃねえ! ドライアドの事だ!」


「まったく、人間ってほんと、無知ねえ。精霊や妖精だって、心地よいベッドに眠りたいに決まってるじゃない。
 木の精霊が大樹に住処を作らなきゃいけない理由でもあるわけ?
 あ、あのお屋敷は木造だし、見方を変えれば木の中にすんでるかもね」





とめどなく続いていくドリアーヌの台詞を余所に、才人は顔を引きつらせながら一人暗澹として思う。

うすうす気が付いていたのだけど。

こいつ……いや、こいつらとは微妙にコミュニケーションがとれない。

会話が噛み合わないことがしばしばある。

人間ではない、妖精だからか?

才人は思わず額に手をあてながら、隣で一方的に喋り始めたドリアーヌの言葉を聞き流しつつも、現在の状況を整理することにした。

彼女と会話をしていると、どうも頭が混乱してきて落ち着かないからだ。

えっと、まず。

俺は妖精花を貰いにここに来たんだよな。

で、オークに襲われてたこいつを助けて、ドライアドの領域に入ってしまって。

ドライアドの領域は一度入り込むと外には出られないらしくて。

助けたこいつは、ニンフとかいうドライアドのしもべの妖精であるらしい。

あと、ニンフは年齢の違いこそあれ皆同じ容姿と同じ名前を持っていて、ちょっと会話が成り立ちにくい。

それから、外に出してくれとドライアドに頼むためにこの村に来て。

で、今この村はオークに襲われようとしているらしくて。

そうそう、あの大人ドリアーヌが言ってたけれど、その対策に乾燥ハーブが必要らしい。

あ!

乾燥ハーブ……あの子に持って行かれてしまった!

うわぁ……俺、何やってるんだよ……

と、凹んでる場合じゃない!

才人は慌てて、隣で得意げにドライアドと木の関係について勝手に喋り始めていたドリアーヌに声を掛けた。





「なあ、ドリアーヌ!」


「でね、ドライアドはその体に……ん? 今度はなによ? 言っとくけど、ドライアドは人面大樹じゃないからね?」


「あ、そうなんだ? いやいや、そうじゃなくて。
 俺、外に出たいんだけど、元々は乾燥ハーブと妖精花を交換して貰いにきたんだよ」


「ふうん? そういえばそんな事言ってたわね」


「……さっきの子に乾燥ハーブ渡しちゃったんだけど、妖精花は誰に貰えばいいんだ?」


「妖精花はわたしがもってるわよ。わたし、こう見えてもニンフの中じゃ一番お花を育てるのが上手いの」


「そうなんだ? じゃあ、乾燥ハーブも渡したんだし、くれよ、妖精花」


「……いいけれど、今は無理よ?」


「――え?」


「はぁ、これだから人間は無知で困るのよね」





ドリアーヌは吐き捨てるようにそう言って、肩をすくめてゆっくりと首を振った。

仕草は非常に憎らしい物であったが、まだ幼さの残るその容姿のせいかどちらかと言えば才人を苛つかせるというよりも

不安にさせる仕草であった。

そして、その不安は的中する。

目の前の妖精は、既視感を添えてすんと鼻を鳴らしながら呆れた様子で才人の心に闇を落としたのだった。










「妖精花はね、妖精しか触れないから "妖精花" なのよ?」


















[17006] 6-5:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/06/19 02:05










「なんでこんな事に……」





無意識に口をついて出た言葉は、すっかり馴染みつつある愚痴であった。

時刻は夜。

才人は一人、豪奢な天蓋のついた巨大なベッドに腰掛け、薄暗く部屋を照らすランプを見つめる。

ランプはごく普通の仕組みで明かりを灯すものであったが、真鍮と金の装飾が施されなんとも見事なできばえである。

部屋は広く、ランプを始めとした調度品もそのどれもが、他では見ることは出来ないような品ばかりであった。

まるで象でも寝られそうな程広いベッドに一人腰掛ける才人は落ち着かないのか、何度も見渡したはずの部屋をもう一度見渡し

ベッドの脇にあるナイトテーブルにその視線を止め、腰を上げた。

ナイトテーブルには銀の水差しとカップが置いてあり、落ち着かない気持ちを静めるべく才人はカップに水を注ぎ一気に煽る。

同時に、ぶは! とカップに煽った水を戻してしまった。

水差しに入っていたのは、強い強壮用の酒であったからだ。

才人は激しく咳き込みながらヒリヒリとする喉をさすり、足早にバルコニーへの扉を開くべく窓の方へと移動する。

ランプに照らされ、あるいは自然に妖しく発光している薄絹のカーテンを押しのけながら扉を開けると

心地よい谷風がびゅおと音を立てて室内に入り込んできた。

部屋に充満していた香が新鮮な空気によって散らされ、あれ程強く香っていた甘い芳香が薄まっていくのを実感して才人は胸を撫で下ろす。

しかし、先程の酒の効果かすぐに喉と胸が熱くなるのを再確認して、才人は思わず眉をしかめた。





「まったく、ドライアドの奴……夜這いかける気満々じゃねえか」





愚痴と言うべきか、それともどこかで聞いている誰かに聞かせたいのか、才人の呟きは誰かと話しているかのような声であった。

それから眉をしかめたまま目を瞑り、左手のルーンを僅かに輝かせる。

たちまちルーンの輝きを察知した "グリムニルの槍" が、強壮酒の成分を分解し才人の体を万全な状態へと導いた。

才人は胸と喉の不快感が消えたことを確認すると、ルーンを鎮めて落ち着かない室内からバルコニーへと足を進める。

どうも部屋の中に居る気にはなれなかった。

これからされるかもしれないドライアドの誘惑や、香炉から染み出る官能的な芳香から逃れる為ではない。

深くえぐられた心が重く、窒息しそうな程暗い影を噴き出していたからだ。

バルコニーの手すりに手を掛け、才人はドライアドの屋敷から一望できる "囚われ谷" の村へと目を向ける。

眼下の村は所々にかがり火が焚かれ、昼間と同じようにニンフ達が慌ただしく行き来していた。

才人が視線をゆっくりと上げると岩で出来た高い塀の向こうに、草原を埋め尽くしている無数の明かりがみえた。

群れ、というよりも軍勢と言えるほどの数のオークである。

かがり火の数から判断するに、数千程の規模になろうか。

恐らくは夜の内に総攻撃を行う為であろう、オーク達は後続の群れが到着するのを待っているようであった。

一体、誰があんな軍勢を……しかもオーク達を統率しているんだ?

一体、どうしてこんな軍勢が? カトレアの領地に数千ものオークが居たとは考えられないし……

一体、どうやってドリアーヌ達はアレを追い払おうって言うんだ?

疑問がいくつも湧き、すぐに胸の闇に吸い込まれていく。

闇は "些細な疑問" など簡単に飲み込みながら激しく渦巻いて才人を苛む。

植え付けられた "闇" の種は見る間に生長し、今や宿主である才人を飲み込まんとするほど大きくなっていた。

才人はバルコニーの手すりに手を突いたまま俯いて小さく呟く。





「ルイズ、俺は……」





呟きに答える者はいない。

才人の脳裏に浮かんだ笑顔はこの時、なぜか手の届かない気がした。







「妖精花はね、この領域に満ちるドライアドの魔力を吸って花を咲かせるのよ。
 このドライアドの魔力というのは、変化を好んでね。
 わたし達ニンフなら問題ないんだけど、 "外" からやって来たあんたが触るとたちまち魔力があんたに流れ込んで
 花が枯れちゃうってわけ」





妖精花に自分は触れないと聞かされ、呆然とする才人にドリアーヌは更に言葉を続けて説明をした。

それからすん、と小さく鼻を鳴らしてもういいでしょ、行くわよ? と才人を促す。





「ちょ、まってくれよ!」


「なあに? さっさとドライアドに掛け合って外に出ないと、オークの襲撃に巻き込まれちゃうわよ?」


「そんなことより、なんで俺が妖精花に触れないんだよ!」


「は? あんたバカ? バカなの? もう一度説明しなきゃダメな程バカなの? ああそう、バカなのね」


「うっせ! そうじゃなくて、妖精花が妖精しか触れないなら、なんでフェルタン村の人間に渡せるんだよ!」


「そりゃ、渡す前……というか、領域の外へ出る時に花の魔力が固定されるからに決まってるじゃない。
 ここじゃ不安定な花の存在が領域外に出ることで……て、おバカなあんたに説明してもわからないでしょうね」





ドリアーヌはそう言うと、もう一度今度はバカにするように鼻を鳴らし才人をじっとりと睨んだ。

そんなのわかるか! と才人は叫びそうになったが、台詞を遮るようにドリアーヌは踵を返し再び屋敷の方へ

スタスタと歩き始めてしまったので、渋々出しかけた怒りを飲み込み後を追う。

険悪な感情と残った疑問を胸に抱いたまま、才人が屋敷の前に立ったのはそれから半刻も歩いた頃である。

屋敷は大きく、ハルケギニアの貴族のそれのような造りではあったが、他にこれといった特徴はみられなかった。





「さ、ここよ。いい? 余計な事口にしちゃだめよ?」


「ああ……」


「なによ、まだ怒ってるの?」


「まーな」


「やあねえ、心の狭い男って。だから人間って嫌いよ」


「うっせぇ。なあ、兎に角花は貰えないのか?」


「……あんたが外に出れたら、わたしが日を置いて持って行ってあげるわ」


「日を置いてって……どれ位なんだ?」


「うーん、今年の分はアレで十分だから来年って事になるわね。
 ドライアドは私達ニンフであっても、無闇に外に出ることは許可しないし。
 ああ、大丈夫。来年はあんたの分も余分に持って行ってあげるから」


「そんなに待てるか! どうしても今必要なんだ、頼むよ」


「……そんな事言ったって、ドライアドの許可がないとどうしようもないんだし」


「じゃあさ、ドライアドがいいって言えば良いんだな?」


「まぁ、そうなんだけど……辞めた方がいいわよ?」


「なんでだよ?」


「なんでって……んー、どう説明したらいいかなあ?」





ドリアーヌは屋敷の門の前でうーんと腕組みをしてなにやら考え込み始めてしまう。

どうやらまだ何かドライアドには問題があるらしい。

しかし、一刻でも早く妖精花を持って帰りたい才人はやってみなくちゃ分からないだろ、早く中に入ろうぜと声を掛けながら

考え込む彼女の前を通り生け垣で出来た門を潜った。

そんな才人を見てドリアーヌは、考え事を中止して大きなため息を一つつき、足早に門を潜って才人を追い越すのであった。

彼女はそのまま屋敷の扉まで歩くや大きな扉を叩き、中から出て来たメイド姿のニンフに何やら話しはじめる。

恐らくは才人に助けられたことなどを話しているのであろう。

会話は短く才人がドリアーヌに追いつく頃には終わり、メイドとドリアーヌは屋敷の扉を改めて開け放ちながら

才人について来てと声をかけ屋敷の中へと招き入れた。

彼女達に連れられて客間と思われる一室に通された才人は、僅かに緊張を覚えながらもソファに腰を下ろす。

……なんとかドライアドに頼み込んで、妖精花を貰い元の世界に帰る必要がある。

その為にはルイズの存在を悟られてはならない。

知らず体が強ばる。

ぎゅ、と拳を握りしめながら室内を見渡していると、程なくガチャリと音を立てて部屋の入り口の扉が開いた。





「まったく、この忙しい時に来客だなんて……あなた? ドリアーヌを助けてくれた人間というのは」


「は、はい! 俺、平賀才人と申します」


「名前なんてどうでもいいわ。あたしは外にいるオーク鬼共を何とかするのにいそがしいの。
 どーせ外に出たいって話なんでしょ? んー?」





現れたのは妙齢の女性であった。

目も醒めるような深緑の長い髪に、体のラインがくっきりと浮かび上がるビスチェドレス。

グリーンの瞳が印象的な顔立ちは大人の女性の色香に溢れ、垂れた目元は見る者にゆったりとした印象を与えられるものの

どこか圧迫感に似た息苦しさを感じさせる雰囲気を纏っていた。

恐らくは彼女が屋敷の主であり "木の精霊" であるドライアドなのであろう。

水の精霊とは全く違う、というよりもドリアーヌと同じようにどこからみても人間としか思えないようなその姿に

慌ててソファから立ち上がっていた才人は内心本物か? とついいぶかしげるのであった。

そんな才人を値踏みするように、ドライアドは柳のように細い腰に手を当てながら顔を近づけ上下にせわしく視線を動かす。

あきらかに香水ではない、新鮮なバラような花の香りが才人の鼻をつんとくすぐる。

それは彼女の体臭であろうか。





「あ、あの……」


「んー……いらない。好みじゃないわね、あんた。いいわ、出て行きなさい」


「本当ですか?! 俺、ここから出られるんですか?!」


「ええ、いいわよ。良かったわねえ、ブサイクで。体もそんなにたくましくないし。
 やっぱオトコは顔と体よねー」





ドライアドはそう言ってカラカラと笑った。

才人はあまりにあっけなく出た領域の外へ出る許可に喜ぶよりも、ブサイクと断じられたくましくないと評価されたことに

肩をガックリと落としてしまう。

しかしそれも僅かな間での事であり、すぐに気を取り直しもう一つの目的を遂げるべく顔を上げるのであった。





「あの! それとですね……」


「なあに? あたし忙しいって言わなかったっけ?」


「すいません、すぐにすみますから。
 えっと、俺、元々乾燥ハーブと妖精花を交換して貰いにここへ来たんです」


「あら、そうなの? でもハーブはさっき戻ったドリアーヌが持ってきたけれど……」


「それ、俺が持ってきた奴です。お願いです、どうか妖精花をくれませんか?」


「彼の言葉は本当ですわ、ドライアド」





必死に頼み込む才人の言葉に合わせて、ソファの後に立っていた小さなドリアーヌが言葉は真実であると助け船を出す。

ドライアドは二人の言葉にふむ、と口元に人差し指を曲げて当て甘噛みをした。

仕草は優雅で色香に満ちたものであったが、苛立ちも多少混じっていて才人の心中を粟立たせる。

沈黙。

じっと才人を見つめるドライアド。

じっとドライアドを見つめる才人。

そんな彼の表情を読み取ってか、ドライアドは突如ふふんと妖艶な笑みを浮かべ、少し待ってなさいと言い残し部屋を出て行ってしまった。

残された才人はソファから立ち上がったまま、後にいる小さなドリアーヌの方を向いて無言で花を貰えるのか? と尋ねた。

ドリアーヌは軽く肩をすくめながら、さあ? とジェスチャーを行って答える。

どうやら才人に渡す花を取りに行ったわけではないらしい。

そもそも、妖精花はその魔力を固定しなければ領域の外からやって来た才人には触ることができないとドリアーヌは言った。

花の魔力が固定されるのは領域の外へ出る時だとも。

つまり、ここで手渡されることはまず無いと判断できる。

じゃあ、何をしに部屋を出て行ったんだ?

ルイズの事、ばれた……とか?

それともやっぱり花を取りに行っていて、ドリアーヌに手渡しながら「外までついていってあげなさい」とでも言うのだろうか?

疑問は希望的観測と悪い予感を伴って次々と才人の胸の内に湧き出る。

しかし、それらの予想は全て当たりはしなかった。

戻って来たドライアドが手にしていたのは、花ではなく何か透明の液体が入った小瓶であったのだ。

ドライアドは部屋に戻って来るなり才人にまあ、お掛けなさいなと口にして座らせ、自身も才人と対面するようにソファに腰掛けて

足を大きく組んだ。

ビスチェドレスから白い足がにゅっと露わになり、才人からは太ももから臀部まで艶めかしく見えるような足の組み方である。

う、と思わず目を逸らす才人を見てふふんと口の端を上げながらドライアドは、手にしていた小瓶をソファーテーブルの上に置いて

満足げにソファの背もたれに上体を押し当てるのであった。





「飲んで?」


「え?」


「これはね、あたし特製の魔法のお薬。飲んで?」


「あの、俺、花……」


「ニブい子ねえ。
 さっきちょっとあと十年位囲えばマシになるかな? って思っちゃったけど、辞めといて正解だったようね。
 いいこと?
 いまあたしは忙しいの。外で集結しつつあるオーク鬼どもをさっさと追い払う必要があるの。
 妖精花をあげるのは良いけれど、あなたじゃ触れないのよ?」


「それは、聞きました。あの、厚かましい話なのですが、ドリアーヌ……ニンフの誰かに外まで送って貰えれば……」


「ええ、厚かましいわね。さっき忙しいって言ったでしょ?
 このあたしが忙しいんだから、ニンフも忙しいに決まってるじゃない。
 それにあなたを送った後、その子はどうやって帰るの?
 またオークに追われるかも知れないのに」


「あ……」


「だから、飲んで?」


「えっと、あの……これは?」


「あなたおバカ? おバカなの? もう一度説明しなきゃダメな程おバカなの? ああそう、おバカなのね。
 まったく、しょうがない子ねえ。これだから人間のブサイクはヤなのよ。
 良い? わかりやすくぅ、説明するとぉ、これはぁ、あたしがぁ、作ったぁ、魔法のぉ、お薬。
 さっき言ったでしょう?」


「おい! そうじゃな――そうじゃなくてですね、何の薬なんですか? これ」


「簡単に言えば、あなたがあたしの領域の一部となる薬ね。
 これを飲めば花に触れる事ができるようになるの。ただ……」


「ただ?」


「あたしやドリアーヌ達に、あなたの "全て" が伝わっちゃうけどね。
 領域の一部になるって事は、この世界を作り出したあたしやドリアーヌ達と一体になるって事だもの。
 まあ、他に害は無いから安心なさいな」





そう言って、ドライアドは悪戯っぽく微笑んだ。

対照的にうげ! と顔を引きつらせる才人。

背後では深く深くため息をつく小さなドリアーヌの気配。

再び沈黙。

いやその沈黙の中、才人と背後のドリアーヌは無言の内に顔も合わせず会話を行われていた。

すなわち、そら見た事かと唇を僅かに尖らせながら薄目で才人を睨むドリアーヌ。

仕方ないだろ! と引きつった表情の才人。

あらぁ? なあに、何か問題でもあるのぉ? と無言で会話に参加してくるドライアド。

静寂に支配された室内は、無言の罵倒と愚痴、好奇心に満たされる。

そんな中、才人はどうすべきか一人考えていた。

目の前の薬を飲めば、ドライアドにルイズの事がバレる。

ドリアーヌの話だと、ドライアドに惚れられて引き留められるかも知れない。

しかし、飲めば領域の外に出ることが出来る。

そうだ。

いざとなれば、力尽くで出ていけばいい。

妖精花は隙を見てドリアーヌに取ってきて貰い、それからコッソリとルーン全開であの崖まで走れば済む話ではないか。

うん、そうだ。

カトレア義姉さんには悪いけれど、花の調達がもし無理でも諦めて手ぶらで外に出てもいいんだ。

"前" はこんな事は無かった。

薬を持って帰らなくても、カトレア義姉さんの命に関わる物ではないだろう。

ルイズだって "前" と同じようにヴァリエール城から連れ出せばいい。

……それだとすっげえ情けない話になってしまうけれど、このままここで一生を過ごすよりかはずっとマシだ。

うん。

花が手に入るかはともかく、これを飲んでも本質的には事態の主導権は俺に在り続けるな。

うんうん、そうだよ。

飲んでも――問題ない。

才人はソファーテーブルに置かれた小瓶を眺め、ゴクリと一つ生唾を飲み込んだ。

決心は付いた。

ゆっくりと小瓶へ手を伸ばす。

そんな彼に前後からどうすんの? 飲むの? と好奇心混じりの視線が注がれ続ける。

テーブルへ伸ばした手は小瓶をつかみ取り、反対側の手は封として差し込まれている木製の栓を引き抜いていた。

ぽんと音が鳴り、何とも言えぬ甘く濃い香りが立ちこめる。

一拍おいてもう一度ゴクリと生唾を飲み込む才人。

次の瞬間、才人は一気に小瓶の中身を煽った。

鼻の奥から濃縮された花の香りのような芳香が立ち上り、視界が白く染まってゆく。

不快感は無い。

むしろ気持ちが安らぎ、心地よい香りが意識を見る間に薄めてゆく感覚であった。

うたた寝をしているような、又は疲れ果てて泥のように眠ろうとする時のような強烈な眠気と浮遊感。

おい。

まさか。

起きたら何年も経ってました、ってオチじゃ――

僅かな不信感を乗せ、変わらず妖艶に微笑むドライアドの美しい顔を睨んでる内に視界が白くなっていく。

いや、それだけではない。

部屋が、ドライアドの笑みが、視界が歪んでいく。

グネグネと曲がり、あるいは上と下が融合し、そして視界が一気に白から青へと変わった。





――あんた誰?――





忘れようもない、愛しい声。

視界を埋める青を遮るように現れたのはルイズの怪訝そうな表情。

覚えている。

これは俺が召喚された日の景色だ。

才人は気が付くと、広い草原と青空の下仰向けに寝そべっていた。

これは、夢か? やけにリアルだな、と考えながらまだボンヤリとする頭を振り上体を起こす。

同時にギン! と音を立てて剣が側に突き立った。





「君。これ以上続ける気があるのなら、その剣を取りたまえ」





声の主はギーシュ。

やれやれ、今度は……ギーシュと決闘をした時の記憶か。

才人は立ち上がり、剣を握る。

しかし握った筈の剣は "破壊の杖" へと変わり、同時にギーシュが風船のように膨らんで三十メイルもある巨大な土のゴーレムに変化した。

――フーケのゴーレム、か。

ルイズは……いた。

んだよ、その顔。

うーん……どうやら "これ" は "最初の" 記憶らしいな。

才人は一人納得しながら、いつの間にそうしたのか "破壊の杖" を肩に担いで狙いを定めた体勢のまま

フーケのゴーレムに向けてトリガーを押してみせる。

"破壊の杖" から白い煙を上げてロケット弾が飛び、爆音を響かせた。

爆風に思わず目を瞑っていた才人が次に目を開くと、そこはアルビオンであった。

今度は随分と飛んだな、と才人が考えている間にも目の前の景色が目まぐるしく変わっていく。

雨の中、ウェールズの生きた死体と共に魔法を唱えるアンリエッタ。

目の前に広がる七万の軍勢。

立ちふさがるエルフ。

巨大なゴーレム。

砕け散るデルフリンガー。

裸で噴水に腰掛ける、ルイズの美しい背中。

年老いたルイズの泣き顔。

風景はやがて消え、記憶にある人物の顔だけとなる。

ルイズの笑顔、泣き顔、怒り顔、様々な表情。

いや。

タバサのも、アンリエッタのも、ティファニアのも、キュルケのも、ギーシュやマリコルヌ

それからコルベールといった面々の様々な表情もあった。

そんな中見覚えのない顔がいくつかあり、その内の一つがついと進み出て才人の前に立つ。





「ねぇ、貴方は今満足してる? 幸せ?」





顔は才人と同年齢程で、どこかタバサに似ていた。

君は……

才人はそう尋ねようとして、ハッとする。

辺りはいつの間にかどっちが前でどこが下か分からないほどの闇に包まれており、才人は愛らしいドレスを着ている

タバサによく似た少女と二人きりになっていたのであった。





「ねぇ。黙ってないで、答えてくれない?」


「あ、ああ。ごめん。君は……」


「……貴方は今、幸せ?」


「え? えっと、うーん……わからないよ。幸せになろうともがいてる所だし」


「そう?  "私達" を否定するために戻った割に随分と楽しそうじゃない」


「え? ――君は」


「貴方と母さん……タバサの娘よ。名前は   。まさか忘れちゃう程薄情な父親だとは思いたくないけれど?」


「父さん!」





混乱する才人に突如、背後から少年の声がかけられた。

声に振り向くと、腰に小さな衝撃を受け才人は思わずよろけてしまう。

視線を下に移すと、そこにどこかアンリエッタの面影を残す少年が才人に抱きついてニヘヘと歯を剥き笑っていた。





「父さん! 父さんは僕のこと、覚えているよね!」


「あ、え、君は……」


「僕だよ!    だよ!
 ねえ、父さん! 父さんに貰った『瀑布の恐王』って二つ名、僕は凄く気に入っているんだ!
 国民や臣下のみんなは凄く怖がっていたけれど、それでも僕はこの二つ名が大好きだったんだよ?」


「ふーんだ! お父様に頂いたあたしの『    』の方がずっとかっこいいもん!」


「……パパ? わたし、      の事も忘れちゃったの?」





闇の向こう、才人に抱きつく少年の脇に金髪の少女と黒髪の少女の姿も現れる。

皆十歳程の少年少女であり、どの顔も見覚えのある面影を残していた。

俺は、知っている。

この子達の名を、顔を、知っている。

なにしろこの子達は俺の……子供達なのだから。

君の名前は……

しかし、才人はパクパクと口を開き少年の名を出そうとするも、何も出ては来ない。

記憶に残っていない名を、口にする事はできないからだ。

原因は果たして、以前精神が "若い才人" に取り込まれかけた時の後遺症か、それとも……






「無駄よ。その人は覚えてはいない。私達のことなど、何もね」


「えー! なんでだよ!」


「ちょっとぉ、何て事言うのよ!」


「パパ? そう、なの……?」





才人の背後で一番最初に現れた少女――タバサとの間にもうけた年長の娘の言葉に、少年達は一斉に声を荒げもしくは

不安げな言葉を才人にかける。

俺は……






「……ごめん、俺……」


「その人はね、私達の事、いらないって思ってるのよ」


「ちがう! 俺は――」


「違う?  "今度" はたった一人、ルイズおばさましか愛さないのでしょう?
 それはつまり、私達は "生まれてこなくてもいい" って事じゃない」


「えー! そうなの? 父さん?」


「お父様……それ、本当なのですか?」


「いやぁ、パパ、わたしの事嫌いにならないでぇ」





少女の言葉を強く否定した才人に、少年達は群がりすがるような目で才人を見上げた。

才人は少女に反論できぬまま、少年達の顔を見た。

その顔は、よく知っているはずの顔は、先程まであった顔は。

よく見えない。

なにも、ない。

ただ、ぼんやりとぼやけて見えるだけである。

俺は……





「ちがう、俺は……」


「違う? 何が違うの?」


「酷いよ父さん!」


「酷い! お父様!」


「パパ、ひどい!」


「俺は……俺は! ただもう一度、ルイズを泣かさないように……
 それに!
 未来で生きていたお前達が消えたりしないって!」


「理由になってないわ。
 ルイズおばさまが泣かないならば、私達はこの世界で生まれなくても良いって事?」


「それ、は……」





そこから先の言葉は出なかった。

才人にしがみついていた子供達はいつの間にか消え去り、暗闇の中タバサの娘が立っているだけである。

俺……





「俺は、別にお前達が生まれなきゃいいって思っているわけじゃない!」


「じゃあ、 "今度も" お母さん……タバサを愛してくれるのね?
 アンリエッタ姫を、ティファニアを、シエスタを抱くのね?
 ああ、そうそう、そうよね。
 貴方を愛する女の人全てを抱いてあげないと不公平よね。
 ふふ、 "今度" は兄弟姉妹が沢山増えそうで凄く楽しみだわ」


「いや、それ、は……」


「何? じゃやっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?」





青い髪の少女の言葉に、才人は全身の力が抜けていく気がした。

少女の顔は既に "わからなく" なっている。

いや、顔だけでなく姿その物がぼやけてみえた。

ちがう。

そうじゃない。

俺は只、ルイズを泣かせたくなかっただけだ。

泣かせ続けた人生をやり直すチャンスを与えられて、縋っただけだ。

ただ、それだけなんだ……

気が付くと才人は音もなく膝を折って、その場に座り込んでしまっていた。

少女の姿は既に闇の中へと消えている。

闇は才人を押し潰さんと重く背にのしかかり、鼻から、口から、あらゆる場所から才人の体内へ侵入してきた。

それは後悔、嫌悪、慚愧、憎悪と変わり、黒く汚らしく才人の心の中で荒ぶっていく。





「う、俺、俺、俺はただ……」


「くく、何を今更。
 あれ程派手に "過去" に干渉しておいて、未来をほんの少し変える程度で済むはずがなかろうに」





闇の中、痛み無き痛みについ漏れ出た声に答える者がいた。

蹲っていた才人が顔を上げると、暗闇の向こうからチリンと鈴のような音を立てながら黒い子猫が歩み寄ってくる。





「……ノルン?」


「どうした? 伝説の勇者。イーヴァルディの勇者。神の左手。神の盾。伝説の使い魔。我らの剣。ハルケギニアの英雄。
 うーむ、どれも捨てがたい呼び名じゃの。
 しかしそのどれもに相応しくない、随分と情けない顔しおって」


「なんで、お前が……」


「さて、何でじゃろうな。そんな事よりもほんに、情けないのう。
 お主、まさか『未来を変える』と言うことは『変えなかった未来』を捨てると言うことだと認識しておらなんだか?」


「これは……これは!! お前か! お前がこんな――」


「くく。わしに当たるでない、このバカタレ。
 そんなわけなかろう? わしはお前の記憶に棲む、"時の魔女" の残骸にすぎんよ。
 それよりも、じゃ。
 どうじゃ? お主やルイズの都合で "時をいじくる" とはどんなに罪深いか、よく理解出来たかの?」





闇色の子猫はそう言ってくつくつと笑った。

くぐもった女の笑い声は、小さく大きく才人の耳に残る。

うるさい!

お前に、お前なんかに俺の何が!

そう叫ぼうとして、才人は口を開いた。

しかしやはり、それ以上言葉が出てこない。

何よりも、言葉をぶつける為の相手は既に消えていた。

暗闇の中、才人は一人あぐらを組んでじっと下を見つめ続ける。

丸めた背が闇の中に溶けていってしまいそうな程小さく、惨めに思えた。

それからどれほどの時間そうしていただろうか。





「あなた、気に入ったわ。
 うふ、なかなかどうして、所々虫食いになってるけれど結構魅力的な人生歩んできてるじゃない」





突如かけられた声に才人はハッと頭を上げた。

視界が漆黒から目に痛いほどの白へと変わっており、思わず手をかざしてしまう。

しかし、光避けにかざした手を柔らかな誰かの手によって取り払われ、代わりに何かが才人に覆い被さってきたのだった。

何かはどうやら人のようで、自身の体に跨がっているらしく胴体に重みを感じる。

同時に頬に髪の毛と思われる感触と、甘いバラの花の香りのような匂いが鼻を付いた。

才人はその香りに、あぐらを組んで座っていたはずがいつの間にか仰向けに寝ている自分に気が付いた。

相変わらず眩しくて目が開けなかったが、次第に五感がハッキリとしてきて今まで見てきた物が夢か幻のような物であったと実感する。





「すべて……とは行かなかったけれど、あなたの事は十分理解出来たわ。
 ヒラガ・サイト。いいえ、私のサイト……
 うふふ、なんて面白い人間なの、あなたって」


「う…… ドライアド、か?」


「そう。あたしはドライアド。あなたの半身であり、あなた自身であり、この世界の主。
 同時に、あなたもこの世界の主なのよ?
 だって、あなたはあたしの一部をその体に宿したもの」


「おまえの……一部?」


「そう。大丈夫よ、サイト。
 ここで全てを忘れましょう。
 あなたの闇も、希望も、罪も、愛も、全てを忘れてここに居ましょう。
 ここにはあなたを苦しめる者はいないわ。
 あるのは永遠の安らぎと快楽。ねぇ、目を開いて? あたしの勇者様」





才人はドライアドの声に促されるまま、目をゆっくりと開いた。

驚いたことに、あれ程眩しかったにもかかわらず時刻は既に夜となっているようで、暗い室内をランプがボンヤリと照らし出している。

覆い被さって来ているドライアドの向こう側には、今才人が寝ている寝台の天蓋が見えた。

ここは、何処だ?

ハッキリしない頭で才人は辺りを見渡そうとしたが、才人に覆い被さっているドライアドの手によって強引に正面を向かされてしまう。





「あたしだけを見ていなくては、あなた自身の闇によってすぐに押し潰されるわよ?」





甘い花の香りが増す。

目の前には、木の精霊ドライアドの妖艶な笑み。

体に覆い被さる彼女は一糸纏わぬ姿で、まるで蛇のように艶めかしくうごめいている。

才人は状況を理解するや、慌てて覆い被さっているドライアドを押しのけた。





「きゃあ!」


「な、なな、なにすんだよ! いや、俺になにをした?!」





狐に追い立てられるウサギのように素早くベッドから飛び降りた才人は、ドライアドに向かって叫ぶ。

一方突き飛ばされたドライアドは、ベッドの隅で起き上がり裸のままぷぅと頬を膨らませじとりと才人を睨んだ。





「何って、飲んだでしょう? あの薬」


「お、俺を騙したのか?! あの夢は、お前が仕組んだのか?!」


「まさか。あれは正真正銘、この領域と一体になる為の魔法の薬よ?
 飲んだ者の全てがさらけ出されるから、潜在的に避けてた現実も見えてしまうけれど……
 それはあたしのせいじゃないわ」





ドライアドはそう言うと、裸のままベッドに腰掛け足を組み妖艶に笑った。

才人は珍しくも目の前の美女の裸には特に反応せず、もてあました負の感情を何処にぶつけるべきか迷い続ける。

そんな才人の鼻を甘い花の香りがくすぐった。

先程よりも強い。

ふと、側にあったテーブルの上に置いてある香炉が目に飛び込んできて、香りの元がそれであると理解した。

どうやらドライアドが発する香りと同じ匂いの香が焚かれているらしい。

匂いは甘く、部屋に満ちている。

一瞬、香炉をドライアドに見立ててどこかに投げつけ、負の感情をぶつけようかと考えたがすぐに何をバカな事をと我に返った。

ドライアドはやり場のない感情をもてあます才人の様子を余裕たっぷりに見つめながら、まるで全てを見透かしたかのようにクスクスと笑う。





「うふふ。大丈夫、あたしに全てを委ねて?
 領域と一体になったのだもの、普段押し込んでいる知られたくない、知りたくない事を無理に見せられて
 心が一時的に混乱してしまってるだけよ。
 大丈夫、その痛みはすべてあたしが取り除いてあげる。
 永遠に、ね。
 さあ、なにもかも忘れましょう。
 争いも、使命も、痛みもないこの世界にずっと居ましょう」


「うるさい! 兎に角、薬は飲んだ!
 俺はもうこの世界から出て行けるんだから、お前とはこれでお別れだ!」


「あら、残念ね。でも、今のあなたの状態で果たして戻って幸せになれるかしら?」


「何を」


「タバサ、だっけ? あの子との娘、お母さんにそっくりね。
 彼女、なんて言っていたっけ?」





激昂した感情が一気に冷める。

――やっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?

夢現に言われた言葉が、胸を深くえぐる。

怒気を萎ませ、下を向く才人にドライアドは変わらず微笑みながらすくと立ち上がり、意外にも部屋の出口へと裸のまま歩き始めた。





「今夜はそっとしておいてあげる。
 外にいるオークどもをなんとかしないといけないしね。
 一晩じっくりと考えなさいな」


「何を、だ?」


「あなたの子供達に問いかけられた事への答えを、よ。
 勿論、ここで全てを忘れるっていう選択もあるわよ? 今夜は "なにもしない" から安心なさい」


苦しげな才人の問いに、ドライアドは扉を開きながら愛しそうな眼差しを才人に送り答える。

それからパタンと扉が閉まる音と濃い花の香りを残して、ドライアドは部屋を出て行った。

才人は力無く、ヨロヨロとベッドに腰掛けて頭を抱え込む。

――やっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?

問いは時を経るにつれ、鮮明な声となって頭に響いていった。

才人は答えを見いだせずに、ただ頭を抱えて息を吐くばかりである。









部屋に満ちる甘い香りは、まるで才人を蝕む闇のように感じられた。

















[17006] 6-6:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/06/26 19:03










昔からそうだった。





母親や、友人。

ハルケギニアに召喚されてからはルイズやタバサに、何かとあなたはどこか抜けているわねと良く言われていた。

その言葉はいつも半ば諦め混じりに発せられ、自身もそんなもんか、しょうがないといった感じで受け入れてきた。

最初の人生を終え、二度目の人生を手に入れた後もそれは変わらず、しかし望んだ未来が手に入るのならばと

全く気にも止めないでここまで歩いて来た。

今夜。

そんな自分がこれほど情けなく、惨めで恨めしいと思うなど誰が予想できた事だろう?





――やっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?





夢、あるいは幻の中で娘に問いかけられた言葉。

自分がここにいるのは、ただルイズを泣かしたくない……ルイズが泣かない人生を共に歩みたかっただけだ。

娘や息子達を愛していなかったわけではない。

いや。

今だって、愛している。

ルイズもこちらに来た時の手紙で彼らが消えてしまうことは無いと……一度歩んだ未来とは別の未来が生まれるだけだと言っていた。

その言葉を信じて安心してさえ、いた。

しかし。





――やっぱり私達が生まれてくる必要はないって事?





問い掛けは深く才人の心をえぐる。

そんな事はない、と親であるならば誰もが答えるであろう。

生まれ変わっても、お前達の親として生きたいと人の親ならば誰しもが答えるであろう。





「じゃあ、 "今度も" お母さん……タバサを愛してくれるのね?
 アンリエッタ女王を、ティファニアを、シエスタを抱くのね?
 ああ、そうそう、そうよね。
 貴方を愛する女の人全てを抱いてあげないと不公平よね。
 ふふ、 "今度" は兄弟姉妹が沢山増えそうで凄く楽しみだわ」





鮮烈に蘇る、娘の言葉。

本人の物ではないが、今の才人には娘が本当にそう言ったのかどうかなどは問題ではない。

ルイズの為に生きれば "この世界での" 子供達の存在を否定してしまう。

子供達の親で在ろうとするならば、 "前" となんら変わりないルイズを泣かせる人生となってしまう。





――どうじゃ? お主やルイズの都合で "時をいじくる" とはどんなに罪深いか、よく理解出来たかの?





次いで記憶の残滓によって現れた幻であろう "時の魔女" ノルンの言葉が蘇る。

才人は一人、ドライアドの屋敷の二階にあるゲストルームのベランダで、夜風に当たりながら己を見失いつつあった。

眼下には村の内外で焚かれるかがり火が点在して見え、慌ただしくニンフが、オークが行き来している。

特に村の入り口を守る岩の壁の上では、弓を携えたニンフたちが集結しつつあり刻一刻と緊迫した状況になっているのが

ここからでも見て取れた。

普段の才人ならば、義に駆られ率先してデルフ片手に村の防衛に参加したであろう。

しかし。

心を闇に沈め、己の内に湧いた――いや、 "避けていた現実" を目の当たりにした才人はとてもそんな気にはなれなかった。

ドライアドやドリアーヌ達も、才人の力を "理解" している筈なのだが助力を求めてくる様子はない。

恐らくはあのオーク達の襲撃は自分達の力だけで十分対処できる事柄なのだろう。

その事に気付いて、己の闇とじっくり向かい合える事は今の才人にとって唯一の救いであった。





「ルイズ、俺は……」





呟きに答える者はいない。

びゅお、とかがり火のコゲ臭い香りを孕んだ暖かい谷風が吹き抜ける。

風は心地よい物であったが、才人にはそう感じるだけの余裕など与えられてはいなかった。





「あ! いたいた。おーい、あんた! こっち! こっちだってば!」





谷風に当たりながら血を流し沈む心を眺め、娘の幻の問い掛けに苦悶していると、下から脳天気な声が聞こえてきた。

才人は身を乗り出しベランダの下を覗き込むと、何かを抱えたあの小さなドリアーヌが立っているのが見える。

どうやら彼女も又、オーク対策に駆り出されたのか何やら道具の運搬を任されているようであった。

才人はすこし八つ当たり気味に不機嫌な声で、ドリアーヌの呼びかけに応じる。





「……なんだよ?  "知ってる" だろ? 俺は今一人になりたいんだよ」


「知ってるって言っても、感情までは共有したりしないんだからそんなこと分からないわよ。
 ねね、それよりも。
 あんた、もう領域の外に出られるようになってるんでしょ?
 花、持ってきてあげたわよ!
 もうすぐオークの攻撃が始まりそうだから、ちゃっちゃと脱出しちゃいなさいよ」





ドリアーヌは才人の不機嫌な態度など気に留める様子もなく、無邪気な仕草で懐から一輪の花を取り出し

ずいとベランダにいる才人の方へ差し出した。

夜の為か花の色までは分からなかったが、少女の手の中で釣り鐘のような形の花弁が見える。





「……明日でいいよ」


「は? なんでよ。あんなに帰りたがってだじゃない。ルイズって娘も待ってるんでしょ?」


「そう、だけどさ……今は、あいつの顔をまともに見る自信がねぇんだよ」


「どういうことよ?」


「……知ってんだろ? 俺が未来から "やり直しに" 来たこと」


「んー、まーね。私達ニンフも、この領域の一部だし」


「夢の中でさ、昔の……子供達に 『私達が生まれてくる必要はない?』 って聞かれちゃって。
 俺、答えられなくて」


「んー、よくわかんない。わたし、人間じゃないもの」





才人は苛つきながらも、ドリアーヌに悩みを打ち明けた。

なぜ、ドリアーヌに話したのかは分からない。

記憶を共有しているからか、それとも特に理由もなく誰かに吐露したかったのか。

理由はいくつも用意できたが、この時の才人にとってそれは些細なことであった。

愚痴に近い形でも闇を吐き出したからか、幾分か心が楽になった才人はほんの少し笑顔を取り戻して

先程までの態度をを恥じるかのように、バツが悪そうな表情を浮かべ、ベランダの下にいるドリアーヌに言葉を続ける。





「だよな。忘れてくれ。花、ありがとな。取りに降りようか?」


「いや、その辺を飛んでるフクロウにお願いするからいいわ。そのままそこにいて?
 あ、それとね?
 もし……もし良かったらオーク鬼を追い払うの、手伝って貰える?」


「! 攻撃が始まったのか?!」


「ううん。まだ。
 あの乾燥ハーブを元にオーク鬼を追い払う魔法の香をいつも作って焚くらしいんだけど、ほら。
 ドライアドがあんたに構ってたものだから、作るのに手間取っちゃって。
 もうちょっとで出来るんだけど、多分オーク鬼の集結の方が早く終わっちゃいそうなのよねえ」


「あのごつい門が突破されそうな程、オーク鬼どもが居るのか?」


「うーん、多分、大丈夫。
 だけどあっちはなんか妙なもん持ち込んでるのよ。見た事のない、へんな荷車みたいなの。
 年長のドリアーヌも見た事無いって言っててね。
 だから、こっちも一応、万一に備えてあんたに声かけてるわけ」


「……わかった。もう少し心が落ち着いたら俺も行くよ。
 でも今は勘弁してくれないか?」


「ええ、良いわよ。あんたの力は心の昂ぶりに依存するみたいだし?
 見えた記憶は最初から一度死ぬまでで、それ以降は何故か見えなかったけど……いまもそうなんでしょ?」


「俺がこっちにもう一度やって来てからの記憶が見えなかった?」





ドリアーヌの言葉に、才人は怪訝そうな表情を浮かべた。

虫食いとなった記憶以外に "見えなかった" 記憶があるって事か?

どういうことだ?





「ええ。正確には、あんたの体をなんとかするぅ~ってルイズって娘が泣いていて
  "時の魔女" とやらに会いに行くあたりまでだけど。
 まあ、たいした問題じゃないわよ、安心して?
 今のあんたは心配しなくても、ちゃんと領域の外に出ることができるわ。
 じゃ、わたしはこの辺で。もう、行かなくちゃ。フクロウはすぐに見つかると思うから、そのままソコにいてね?」





そう言い残して、ドリアーヌは慌ただしく走り去ってしまった。

どうやら、才人に万一にそなえての助力を頼むことが彼女の目的であったらしい。

小さいながらも、人間との交渉を任されているだけあってちゃっかりしてら、と才人は考えながらも

先程僅かに引っかかったドリアーヌの言葉を思い出す。

俺の記憶が……ノルンに会ってからの記憶が見れなかった?

体を "グリムニルの槍" に変えてからの記憶は見れないって事か?

どういう事だろ。

人、というか生物でな無くなったからと言うことだろうか。

……いや、いまはそんな事、どうでもいいか。

才人は少しの間心の闇を忘れかけていたものの、すぐにあの問いを思い出し再び深く気持ちが沈んでいくのを実感する。

そして、今夜幾度となく繰り返してきた自問が再び才人を埋め尽くす。

自分はどうすればいいのか。

どうすべきなのか。

親として、もう一度王配としての未来を歩むのか?

馬鹿な!

ここに来てそんな道選ぶのなら、そもそも過去に戻って来たりはしない!

でも……

自問は堂々巡りであった。





「くく、どうじゃ? お主やルイズの都合で "時をいじくる" とはどんなに罪深いか、よく理解出来たようじゃの?」





聞き覚えのある声と台詞に、才人は慌てて振り向く。

そこにはいつの間に降り立ったのか、一羽のフクロウがバルコニーの手すりの上にとまっていた。

くちばしには小瓶付きのヒモがくわえられている。

小瓶の中身は先程ドリアーヌが持っていたであろう、可憐な花がいくつか入っていた。

恐らくフクロウはドリアーヌが寄越した使いと見て間違いない。

しかし、先程の声は……





「まったく、なんてなさけない面をしとる?
 やけに "未来" が不安定になってしまったと思って調べて見れば……
 お主、何をこんな所で悠長な悩みを抱えこんどるのじゃ」


「ノルン! お前……」


「ふん、お人好しめ。お主を探し出し、連絡を取るのにこのわしが黒猫以外の生き物に頼ることになるなど……
 ほんに、世話の焼ける男じゃのう。
 くく、まぁいい。そこがまた、ソソられるのであろうな。
 しかし、伝説の使い魔よ。随分とつまらぬ事で悩んでおったようじゃが?」


「な?! 何がつま」


「あー、あー、反論はせんでよいぞ? 言い分など、とうの昔……いや、未来かの? ええい、どっちでもよいわ。
 頭の悪いお主の言い分など、既にお見通しじゃ。
 ほんに、英雄やら伝説の勇者やらは昔からおなごの奸計に弱いのう。
 まんまと木の精霊などの術中にはまりおって」





フクロウは器用にも小瓶がぶら下がったヒモをくわえたまま、これまた器用にも嫌みたっぷりな雰囲気でため息をつく。

その仕草は間違いなく "時の魔女" と呼ばれるノルン(……といっても猫の姿ではあるが)であると才人に示していた。





「……どういうことだ?」


「くく。お前を引き留めておく為の方便じゃよ、あの夢はな。
 心の闇を無理矢理引きずり出して、繰り返し見せ続け心が疲弊した所につけ込む。
 中々えげつない方法じゃが実に効果的じゃて。
 ひひひ、昔はわしもよく使うた手法じゃよ」


「でも……あの問い掛けは、娘の言葉は無視できない」


「なんじゃ? どのような問い掛けなのじゃ?」


「…… 『私達が生まれてくる必要はない?』 って奴さ。俺は……」


「ふん、くだらんのう。親であるべきか、恋人であるべきか、今頃悩んでおるのか。
 まったく、そんな理由で新たな未来の行き先をポコポコと作られてはこっちがたまらんわ。
 大方一穴主義を貫きたいが、かの子供達も生まれ出でるようにしたいなどと、都合の良い方法を模索しておるのじゃろ。
 大体じゃな、悩んで悪戯に時間を浪費するくらいならば、本能の赴くまま節操なくあちこちに種をまけば良いではないか。
 ひひ、その時はご相伴にあずかりたいものじゃて」


「そ、そんな事出来るわけないだろ!」


「ならば、答えは出ておろう?」


「……そんな簡単なもんじゃねえよ」


「そうかの」


「そうだ」


「……ふむ。ま、わしとしては何でも良いがの。ただ」





フクロウはそこで一旦言葉を句切り、バルコニーの手すりを伝って才人のすぐ側まで移動した。

それからくわえていた小瓶のヒモを才人へ渡しホウ、と咳払いするかのように鳴いてみせる。

仕草はノルンには珍しく、どこか照れを隠すかのようなわざとらしい物であった。





「お主、何の為にここに居る?
 ここで悩むのは良いが、足を止めておれば全て丸く納まるわけでもあるまいに。
 考えて結論が出るのならば、幾らでも考えるがよいぞ」





何の為ここに?

新たに加わった自問は、なぜか暖かかった。

俺は、ルイズの為に……いや、妖精花を手に入れる為にここへやって来たんだ。

少なくとも、こうやって悩む為じゃない。





「くく。そうじゃ、その意気じゃ。
 おお、おお、乱れておった "ここの未来" がまとまり始めたわ。
 まったく、あれほど多くの分岐を増やされる此方の身にもなって欲しいものじゃて」


「ノルン……」


「礼には及ばんよ、わしの愛しいお人好しよ。
 ひっひ、なにせそう遠くない未来にわしはお主の身を危険に晒す事になるからの。
 これはその "埋め合わせ" じゃ。ま、わしの都合もあったのじゃがな。
 くく、精々高く買っておけよ?」


「え? それは一体」





出しかけた才人の問いを遮るようにノルンはホウ! と一つ大きく鳴いて、翼を羽ばたかせ夜空へと消えて行ってしまう。

どうやらそれ以上は話す気が無いらしい。

残された才人はバルコニーで一人、ノルンが残した言葉を反芻する。

"時の魔女" はいくつか気になる言葉を残していったものの、才人はその中から希望を一つ手にしていたのだった。

そうだ。

ここで立ち止まっても、なんの解決にもならない。

どうしたらいいか、まだわからないけれど……

俺がここに、この時に戻った目的はルイズを泣かせない為だ。

それが子供達を "ここではいらない" と断じる行為なのかも知れない。

それでも……

このままここで悩んでも、何も解決はしない。

今は只、前にしか道は延びていないんだ。

……俺はいずれ、選択を迫られるだろう。

そしてその答えは……そう、あの日に戻った時から出ている。

今はそれを、あの子達を目の前にして押し通すだけの強さは俺にはない。

押し通そうとしてもきっと、心が自責の念で潰れてしまうだろう。

でも。

いつかはそれを、子供達を前にして口にしなければならない。

例えここにはいない、幻であっても俺は内に棲む子供達にハッキリと言わなくてはならない。

そう。

これはケジメだ。

俺がワガママを貫いたが為の。

生まれてくるはずのあの子達が居ない未来を選択しようとしている、人でなしである俺のケジメなんだ。

それができるのかどうかはわからない。

単なる自己満足でしかないのかもしれない。

しかし、それでも俺は前に進むしかないんだ。

そこから目を逸らしたまま、前に進んではいけなかったんだ。

醜い、己のエゴを直視して前に進まなくてはいけなかったんだ。

才人は胸に闇を灯したまま、いくつかの答えを導き出していた。

気が付くと、知らず握りしめていた左手の甲が輝き始めている。

光は心に巣食った闇を払えはしなかったが、不思議な暖かさを伴って次第に強くなっていった。

びゅおと音を立てて、かがり火のコゲ臭い香りを孕んだ暖かい幾度目かの谷風が吹き抜ける。

風を頬に感じながら才人は部屋の方へと踵を返して、ベッドの脇に立てかけてあったデルフリンガーを手に取り

妖精花の入った小瓶を大切に懐にしまった。

室内の甘い香は長時間バルコニーへの扉を開いていた為か、すっかり消え去っている。

その時であった。

遠く村の入り口の方から響く、怒号のような声。

どうやらドリアーヌが予想した通り、オーク鬼の攻撃が始まったらしい。

才人は左手を輝かせたまま再びバルコニーの方へと戻り、そのまま軽やかに大地へ飛び降りるのであった。







「うわわわわわ! きた! きたきたきたきた! ドリアーヌ、オーク鬼共が来たわ!」


「ダメよドリアーヌ! 落ち着いて! ほらほら、弓を射るのよドリアーヌ!」





多少の年の差による違いがあるとはいえ、同じ顔と言っても差し支えのないニンフ達がこれもまた同じような弓を一斉に構えた。

場所は村の入り口にある、岩を積み重ねた城壁のような壁と厚い木の門の上。

堅く閉ざされた門の外には、無数のオーク鬼が蠢き村の中へ侵入して略奪の限りを尽くさんと壁をよじ登ろうとしている。





「ほらほらほら! 射るのよ! 弓でよじ登ってくるオーク鬼を射るの!」


「怖い! 怖いわドリアーヌ!」


「もう少しの辛抱よ! ドライアドの香が完成するまで持ちこたえるの!」


「ふぇえええん、もうやだあ! 数が多すぎよぅ!」


「泣く暇あったら、弓を射るのよ!
 いい? あんたたち。魔法で直接攻撃しちゃだめよ? すぐにバテるから。
 魔法は、矢の補充や傷の手当てなんかに使った方が効果的なの。
 わかったら、バテてきているドリアーヌと交代してオーク鬼を射って!
 あ! そこのあなた!」


「は、はい!」





門の上で戦闘経験のない者を指揮していたニンフに、頭上から呼び止められた小さなドリアーヌは弾かれた様に空を見上げた。

その手には火矢を使われた時の為の水桶がぶら下がっている。





「水桶はもう良いから、矢をありったけ持ってきて! この勢いだと足りないわ!」


「わ、わかりました!!」





小さなドリアーヌが急いで、しかしよたよたと水の入った思い水桶を邪魔にならぬ位置に置き

矢束を取りに村の倉庫へと駆けようとした時である。

門の上が突如一層慌ただしくなった。

その様子は尋常ではなく、何事かとついドリアーヌは足を止めてしまう。





「みて! みてみてみて! あれ! 何あれ!」


「大きな荷車に、大きな丸太! 先があんなに尖って……まさか!」


「え? 何々? 分かっちゃったの、ドリアーヌ?」


「あれ、門にぶつける気よ! すごく、すごくすごくまずいわ! みんな、あれを攻撃して!」





誰かの叫びに、突如出現したオーク鬼の攻城兵器へ向かって一斉に矢が放たれる。

無数の矢は破城槌に集中したが、徐々に門へと迫る勢いを削ぐことは出来ずガコン! と恐ろしい音を立てて門にぶつかってしまった。

オーク鬼の破城槌は雨のように降り注ぐ矢などお構いなしに、一旦そのまま後方へと下がり再び城門目がけて前進を始める。

先住魔法である "反射" を門にかける事が出来るだけの術者はニンフの中にはいない。

彼女達は先住の精霊とは言え、妖精に近い下位の存在である。

従って、戦い方も人間に近い物であった。





「止めて! あれを止めて止めて止めて! みんな、射て! ほら、あそこ! アレを動かしてるオーク鬼を射るのよ!」





矢が破城槌を押すオーク鬼へと集中する。

しかし、オーク鬼達も事切れた仲間を盾にしながら破城槌を構わず押し続けた。

ガコン! と城門に破城槌がぶつかる音。

同時に、めきゃりと音を立てながら破城槌の先端が門の向こう側に頭を出していた。

恐らくは、次の一撃で城門は破られてしまうだろう。

ニンフ達も精霊の一種であり、魔法が使えはする。

だが、数では彼女達を遙かに凌ぐオーク鬼の侵攻の前では、魔法による優位性などあてには出来なかった。

それ故彼女達は高い岩の壁と門で村を防衛しながら、ドライアドの香でオーク鬼を追い払うと言う作戦を何百年も続けてきたのである。

今回も、その作戦で上手くいくはずであった。





「もう持たない! ドライアドの香はまだなの?!」


「さっきお手伝いしてるドリアーヌの報告じゃ、あと三十分くらいだって!」


「だめよ! だめだめだめ! そんなに待てない!」


「きた! 見て! アレが門に向かってきたわ!」


「いやあ、オーク鬼に捕まるのだけはいやあ!」


「泣かない! みんな! 攻撃! 直接魔法つかって攻撃してもいいから、とにかくアレを止めるの!」





号令の下、一斉に矢と魔法が飛び交う。

しかしどの攻撃も破城槌の前進を止めることができない。

そして遂に、バガン! と一際大きな音を立てて門が破られてしまった。

小さなドリアーヌはその瞬間を目の当たりにする事となる。

先程頼まれた矢束を取りに走り、戻って来たタイミングで門が破られたからだ。

眼前に巨大な門をなぎ倒しながら、オーク鬼達の破城槌が姿を現す。

立ちこめる埃の中、破城槌の足下からわらわらと無数のオーク鬼が駆けてきて、まず目に付いた小さなドリアーヌへと殺到する。

手には鈍器のような巨大な鉈やメイスが握られており、それらを振りかぶりながら向かってくる無数のオーク鬼は悪夢のようであった。

小さなドリアーヌは矢束を抱えたまま、恐怖のあまりに足を竦ませてその場で立ち尽くす。

十メイル、五メイル、三メイルと徐々にオーク鬼達が近寄ってくる。

そしてついに、振り上げたメイスが届く距離にまでオーク鬼が接近してしまう。

オーク鬼は憐れな最初の犠牲者の血を想像してか、ニタリと下衆な笑いを浮かべメイスを振り下ろすべく獲物を握る手に力を込めた。





「ドリアーヌ!」





誰かが叫んだ。

その叫びは、小さなドリアーヌの耳には届かない。

彼女の目には時間が止まったかのように全てがゆっくりと流れていた。

恐怖で足が竦んでいる。

そんな恐ろしい光景とは裏腹に、柔らかな谷風が砕かれた城門から吹き込む。

風はオーク鬼達を追い越し、小さなドリアーヌの頬を優しく撫でて後方へと吹いた後、猛烈な勢いで吹き戻って来た。

戻って来た谷風は冷たく、目の前の悪夢をいつか見たようにバラバラにしながら門から外へと吹いていく。

それは、まるで何か幻のような光景であった。

風は小さなドリアーヌの目の前で、嵐と変わっていったのだ。

嵐は門を打ち壊した大きな破城槌を、小枝のようにへし折りバラバラにしながら夜空高くまで吹き飛ばし。

まるで竜巻を横に寝かせたかのような嵐の暴風は、門から中へと殺到していたオーク鬼を残らずなぎ払った。

遅れて、耳をつんざく雷鳴。

小さなドリアーヌは思わず目を瞑り、両手で耳を塞いでしまった。

そんな彼女の肩にぽん、と優しく触れる手の平の感触。

うっすらと目を開ける彼女が見たものは、輝く左手と身の丈もある片刃の大剣を持ち、ゆっくりと門の方へ歩いて行く少年の背中であった。





「何? 一体、何がおきてるの?!」


「みて! あれ!」





小さなドリアーヌと同じように、突如巻き起こった暴風と雷鳴に思わず悲鳴を上げて目と耳を塞いでしまっていたニンフ達は

岩を積み重ねた城壁のような壁と厚い木の門の上で、村の外の異変に目を丸くしてその光景に見入ってしまう。

彼女達が見た物とは、門から一直線に大地ごと無数のオーク鬼達の群れをなぎ払った "痕" であった。

それは、まるでそこだけ道が出来たかのように。

ケーキを真っ二つにわったかのように。

ただ一筋、何かが全てをなぎ払いながら通過した "痕" がそこにあった。

その光景に驚いていたのは、ニンフ達だけではない。

オーク鬼達も又、何が起きたのか理解出来ず攻撃の手を休めて一時呆然とする。





「悪いな、ここは立ち入り禁止なんだ」





双方の驚愕によって起きた静寂の中、茫洋としたなんとも暢気な声が響く。

オーク鬼とニンフの視線が、声がした破られた門へと注がれる。

無数の視線の先、声の主は一人門の前に立ちはだかっていた。

片刃の大剣を握るその左手は闇を裂くように強く輝き。

その右手には銀色の槍。

闇色の髪が谷風に揺れる。

その姿は、小さな非力な少年であった。

その姿は、伝説の勇者そのものであった。

次の瞬間、わぁ! とニンフ達の歓声が沸き上がる。

ぐおお! と数千ものオーク鬼達の雄叫びがそれに続く。

そんな光景を夜空からフクロウが優雅に翼を広げながら、どこか楽しそうに眺めていた。

くつくつとくぐもった笑いを器用に発しながら。





「くく、これでよし。そうこなくてはの、お人好しのイーヴァルディ?」











その言葉はどこか、冷たくも愛しそうであった。


















[17006] 6-7:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/06/28 05:33









「なによ、これ……」





高くそびえる岩壁の上、誰かが呟く。

村を守る城壁のような壁は、よじ登ろうとし弓で射られたオーク鬼の血で所々赤い染みが雨垂れのように筋となっていた。

そんな壁の上でニンフ達は弓を構えたまま、矢を射かけることも忘れ眼下の光景に息を飲む。

そこに、圧倒的なまでの力が在ったからだ。

ヒラガ・サイト。

彼女達が一番最近に手にした "記憶" の持ち主である。

チキュウという別世界に生まれ、魔法によってここハルケギニアに召喚された者。

幾多の戦いを経て、八十四才で一度はその生涯を終えた男。

彼は一人の女にもう一度その人生を捧げる為、死の淵より時を超え再び剣を取った使い魔。

その生涯は、力は、伝説に相応しいものであった。

やり直しの人生を歩む彼の記憶を見ても、強力な力を持つ人間のメイジ以上の剣士であった。

いや、 "人間のメイジ以上の剣士" でしかなかった。

だが。

目の当たりにした彼の力は、そんな生やさしいものではない。

白い筋のような剣閃が幾重にも奔り、彼に肉薄していたオーク鬼が数体まとめて細切れになりながら剣圧に弾かれ吹き飛ぶ。

振るう剣筋が文字通り見えないどころか、彼の姿を視認するだけでもやっとだ。

いや、恐らくは "門より内側にオーク鬼を入れない" という目的が無ければ、その姿を確認する事すらできなくなるであろう。

オーク鬼達もそれがわかっているのか、数で攻め寄せ砕いた門の内へ彼ごと押してなだれ込もうと、先程から攻め手の密度を増してきている。

二メイル程のでっぷりとした巨大な亜人が歪な武器を手に、何十も束になって押し寄せる圧力は如何ほどのものか。

村を守る門はとうの昔に砕かれ、弓と魔法を多少使える女ばかりのニンフ達は醜い豚のようなオーク鬼に数で押し切られ

体を、命を、すべてを蹂躙されるのは時間の問題であるはずであった。

そんな、力の摂理を鼻で笑うかのように。

門を守る彼は、容易く "肉の壁" のように押し寄せるオーク鬼の群れを押し返す。

手にした槍の末端を握り、棒きれを振るように横に薙ぐとオーク鬼達は弧を描きながら、草刈りの草のようにアッサリと押し寄せていた

勢い以上の速さで後へ吹き飛んでいった。

まるで、夢であるかのようなありえない光景である。

彼は強い。

記憶を共有したのだから、そこは疑いようもない。

しかし、記憶に在る "彼" ではあの数のオーク鬼を押しとどめるなど不可能だ。

なぜならば。

如何に伝説のルーンをその手に刻んだとして。

如何に剣を極めたとして。

あんな、数で攻め寄せる獰猛なオーク鬼の群れを、たった一人で押しとどめる事は物理的にまず無理だからだ。

確かに七万の軍を足止めした経験が彼にはある。

しかし、 目の前の敵はその時とは違い司令官の存在もハッキリせず、ただ数に物言わせ押し寄せるばかりの存在だ。

彼が七万の軍を足止めできたのは、道理に適ったからだ。

そう。

力でどうにかなる事柄には限界がある。

それは川の流れを一滴残らず押しとどめようとするような行為。

それは空から落ちてくる雨粒をすべて受け止めるような行為。

如何なる力があるとは言え、如何なる疾さを持つとは言え、それらを行う事は何人であっても不可能なのだ。

目の前で無秩序に押し寄せんとする数千を超えるオーク鬼の群れを、たった一人で押しとどめる行為も又同様である。

同様で、あるはずなのだ。





「きゃあ!!」





雷鳴のような音に、高い壁の上で眼下の戦いに魅入っていたニンフ達が一斉に悲鳴を上げた。

音に一瞬目を閉じてしまったものの、すぐに何が起きたかと確認しようと瞬きを繰り返す。

どうやら砕けた門を守る彼が、一際厚くオーク鬼が押し寄せようとしていた一角にあの槍を投げたらしい。

初めて見た時のように、彼の攻撃は真っ直ぐに筋を引いてオーク鬼の群れごと大地を裂いていた。

――そう、槍だ。

"記憶" にはそんなもの、出ては来なかった。

最後に確認できるのは、ハルケギニアの月が輝く夜。

二度目の人生を歩む彼が、長年馴染んだ学院の外に足を踏み出した辺りまで。

その耳は音を失い、その目は視界を失いつつあった頃の記憶だ。

そこから先の記憶はポッカリと抜けてしまっている。

彼が "ああなった" のは、恐らくその抜けた記憶の中なのだろう。

その記憶は彼がここに来るまで、外の時間でおよそ数ヶ月前の事である。

たった数ヶ月。

それだけの時間で一体、どのようにすれば "ああ" なるのだろうか?

弓を射かけることも忘れ、眼下の暴風にような力の嵐にニンフ達はただ驚愕を胸に見とれるばかりである。





「くそ、なんだよこいつら!  "普通" じゃねえ!」





一方、思うがまま力を振るっていた様に見えた才人は、身の丈もあるデルフリンガーを羽根ペンのように軽やかに扱いながら

どこか焦ったかのような声色で愚痴を吐いていた。

オーク鬼が三匹、才人へと襲いかかる。

ぴゅお、と風を斬り大剣が数筋の光閃を放ち僅かな時間を置いて、三匹のオーク鬼は十程の肉片となった。

そんな仲間の破片を一欠片の躊躇もなく踏み潰しながら、今度は五匹固まって才人へ突貫してくる。

才人は忌々しそうに舌打ちを一つして、新たに作り出していた槍の端を持ちデルフを振るように横へ薙いだ。

鋼鉄の槍は三日月のようにしなり、骨を砕く音を立てながら三百リーブル(百五十キログラム)はゆうにあるオーク鬼を

五匹まとめて吹き飛ばす。

吹き飛んだオーク鬼は、後方へ押し寄せる仲間を巻き込みながら大砲の弾のように飛んで、寄せるオーク鬼の群れの勢いを

僅かに押し返すのであった。

しかし。

オーク鬼は何事も無かったかのように息絶えた仲間を、仲間の残骸を踏み越えてひたすら才人と門の奥を目指し

雄叫びを上げて殺到してくる。

目の前の死をかたどったかのような力のことなど、お構いなしに。

なぜだ?!

なぜ、こいつらは怯まないんだ?!

動きに淀みが全くない!

こいつらは目的以外、何もみえちゃいない!

操られている?

落ち葉を掃くようにオーク鬼を駆逐していく才人は、その戦いぶりとは裏腹に疑問で思考を染めていた。

困惑に近いのかも知れない。

オーク鬼も白痴ではない。

亜人、という呼称の通り人間と同じように感情があり、時には破城槌のような物も作れるほど知能もある。

決して人とは相容れぬ存在であり一般には害獣ようような扱いではあるが、二本足で立ち火や道具を使う歴とした知的生物である。

それなのに。

目の前のオーク鬼達は、才人の見せる力の暴威に全く怯んではいなかった。

一般的なオーク鬼であるならば、仲間がああも無残に斬られ派手に宙を舞えば怖じ気づくか、少なくとも怯んでも良いはずである。

その動きをみても、死を恐れぬ程練度が高いというわけではないようだ。

才人は魔法か何かで操られている可能性を疑ってはいたものの、それは違うとも肌で感じていた。

雄叫びを上げ、襲いかかってくるオーク鬼達からは、その精神を誰かに支配されている印象を受けなかったからだ。

彼らはどちらかというと、死や恐怖という概念がすっぽりと抜けてしまっている印象を才人に与えていた。

まさか!

そんな、一部の感情だけを消し去る魔法なんて……

戦意を高揚させる魔法や薬なら話はわかるんだけど……

剣閃を同時に何十も重ねながら、才人の困惑はますます深まっていく。

そんな才人の膨らみつつあった困惑を沈めたのは、一本の矢であった。

才人へと襲いかかってきた数匹のオーク鬼達が一瞬で細切れにされ、鮮血を撒き散らしながら崩れ落ちた後方から

再び数匹のオーク鬼が仲間の破片を乗り越えようとした時である。

ストン、とその胸に矢が飛んできて刺さり、それを呼び水に無数の矢がオーク鬼へ襲いかかった。

戸惑いを打ち払おうとすこしやけくそ気味に槍を投げようとしたその手が止まり、才人は思わず矢が飛んできた方向を見上げる。

矢はやっと自失から回復したニンフ達のものであった。





「ちょっと! もう! あんた! 援護するから、もうその槍投げるのはやめなさいよ!
 もうもうもう! 谷を荒れ地にするつもり?!」





村を守る壁の上、目があった一人のニンフが才人に向かって叫ぶ。

どこか見覚えのある顔(とは言っても皆同じ顔をしているのだが)と口調から、恐らくは才人が持ってきた乾燥ハーブを受け取った

あのニンフであろう。

才人はしばし呆然としてごめんと呟きかけたが、ふとある事を思い出し台詞と呟きを大声に変えた。





「援護はいい! それよりも、魔法を頼む!」


「はあ? もう! もうもう! ダメよ魔法は! 私達じゃ、すぐにバテてしまうわ!
 あんなに沢山、魔法だけで相手にしてたらわたし、壊れちゃう!」


「ちがう! 俺に魔法を撃ってくれ! デルフに魔力を貯めるんだ!」





グオオオ! とあがるオーク鬼達の雄叫びの中、才人は声を張り上げながらデルフを掲げて見せた。

それからすぐに振り返り、再び降り注ぎ始めた矢の嵐を抜けて殺到してくるオーク鬼を斬り伏せる。

才人と話したドリアーヌは、その意図を理解出来ぬまましかし周囲の者に声を掛け指示を伝え始めた。

指示を伝えられたニンフ達は、口々に本当に? 本当にあっちじゃなくてこっちに撃つの? とかしましく確認をしていたが

下から才人が早くしてくれと催促の怒鳴り声をうけて、おずおずと才人に向かって魔法を撃ち始めるのであった。

たちまち風の刃や木の枝の矢が才人へと飛ぶ。

才人は器用に風の刃をデルフに吸わせかけたが、次いで飛んでくる無数の木の枝を見て慌てて横に跳んで逃げてしまった。

先住魔法によって撃ち出された木の枝は、才人がつい先程まで居た場所へとなだれ込んできたオーク鬼達を無残にも貫いていく。

ニンフ達は最初に風の刃が吸収したのを確認して安心したのか、逃げた才人の事などお構いなしに次々と魔法を撃ち始めた。





「わ、わ、たいむ! ちょ、ちょっとやめろ! バカ! やめろって!」


「まぁ! まぁまぁまぁ! 言われた通りにやったのに、何よその言い草!」


「風の! っと、刃とかなら吸収できるけど、木の枝の矢……っこの! は吸収できねぇよ!」


「始めにいいなさいよ!」


「知って……! 行かせるか! この! お前ら、俺の記憶を "知って" いるんだろ?」


「もう! もうもう! そんなどうでもいい細かい所、知った事じゃないわよ!
 わたしの記憶じゃないんだし、他人の記憶を見て印象に残る所なんて精々、夜な夜なあんたがいろんな女の人と
 あーんな事やこーんな格好させて、たぁっっっぷり楽しんでいた記憶位よ!」


「わあああああ!! 領域と一体になるとか大層なこと言っといて、何俺のプライバシー覗いてんだよ!!」


「後! オーク鬼が来てる! 頑張ってれもんちゃん!」


「そうよ! 頑張ってれもんちゃん!」


「れもんちゃん、これ終わったられもんちゃんが好きな、犬のような体位で相手してあげるからね!
 しっかり頑張るのよ!」


「もう! もうもう! あなたたち!
 抜け駆けはずるいわ! わたしも混ぜてね、れもんちゃん!」


「うるせえ! お前ら後で覚えてろ!
 この! くそ、キリがねえ。 もういいから、風の刃とか物を飛ばさない奴をたのむ!」





才人は耳まで赤くなりながらも、更に剣速を上げて押し寄せるオーク鬼を切り裂き半ばやけくそ気味にがなった。

ニンフ達は先住魔法を操るのであるが、デルフが吸収できるのは "魔法によって作られた存在" だけである。

すなわち、 "ファイアー・ボール" や "アイス・ジャベリン" のような魔法ならば吸収できるのだが、小石や岩を魔法によって

動かし撃ち出すような攻撃は吸収できないのだ。

果たして、間を置かず才人へと無数の風の刃が飛んで行く。

今度はデルフリンガーについての記憶を確認してから魔法を撃っているらしく、ニンフ達は一斉に魔法を撃たず

吸収しやすいよう順番に魔法を発動していった。

才人は迫り来るオーク鬼を斬り伏せながらも器用に大剣を振りかざし、デルフリンガーに魔力を貯めていく。





「この位でいいか……。もういいぞ!」


「なに? なになになに? あなた、何をするつもり?
 ソレ、イザと言う時に持ち主を操る魔剣でしょう?
 今のあなたには必要無いとおもうのだけれど?」


「こう、すんだよ!」





ニンフ達の場をわきまえていない質問に、才人は律儀にも声を張り上げて答えた。

同時に強く輝いていた左手のルーンが赤く禍々しく変わる。

門とそれを守る才人を押し潰すべく、にじり寄っていたオーク鬼達も目の前の怪物の変化に警戒も露わに手にした武器を構え直した。

周囲にキィィ、と高い耳障りな音。

赤い光は音に同調するかのように徐々に強く濃くなっていき、壁の上、あるいは所々で燃えているかがり火よりも強く辺りを照らす。

浮かび上がる才人の表情は苦しげであり、デルフリンガーを握る両手はカタカタと小刻みに震えている。

なに?

何をしようとしている?

異様な才人の変化に、双方共ある者は目を奪われ、ある者は警戒の為動きを止める。





「――いくぞ、デルフ」





呟きは合図であった。

バガン! と何かが炸裂するような音を立て、才人の姿が文字通り消える。

かわりに矢のように速く動く赤い光の筋だけが、夜の大地に映えて見えた。

岩の壁の上、ニンフ達が目にした光の筋は爆音を響かせながら紙の上でペンを奔らせるかのような疾さで

縦横にオーク鬼の群れを引き裂いていく。





「なに、これ」





高くそびえる岩壁の上、誰かがもう一度呟く。

呟きはなぜかビリビリと轟音が頬を撫で辺りに木霊する中、二度目の自失に囚われた誰もが耳に出来た。

ニンフ達は赤い光の正体を "知って" いる。

アレは "ダブル" だ。

二つのルーンを共鳴させ、ガンダールヴの力を何倍にもする能力。

そう、平賀才人の記憶を得た彼女達は誰もが知っているはずの力だ。

しかし。

目の前の光景は。





「なによ、あれ」





砂塵のように、あるいは水しぶきのように、オーク鬼が、オーク鬼の欠片が滅茶苦茶に宙に上がっているのが夜目にも見える。

光は血のように赤く、残像のような尾を引いて凄まじい勢いで無軌道に地を奔っていた。

オーク鬼達はある者は混乱の中赤い何かに首を跳ねられ、ある者は門を抜けようとして群れの一番後方へと去った筈の赤い光に

八つ裂きにされながら宙を舞う。

光は逃れられぬ死その物であった。

屠った者の血を浴びたかのような赤を纏い、恐ろしい音を立てながら敵対する者をことごとく斬り伏せ、砕き、磨り潰し、引き裂いてゆく。

オーク鬼を、数の有利を、道理をすべて飲み込みながら、赤い光は―― "ダブル" を使っている才人はオーク鬼の群れを蹂躙した。

時間にして一分にも満たない間での出来事か。

デルフリンガーに貯めた魔力を使い切ったのか、才人は群れの一番奥から門へとまっすぐに戻り再びその姿を現す。

赤かった左手は先程と同じように白く輝いて、しかし苦しそうに肩で息をしている。

この時完全に自失してしまったニンフ達の目に映る光景は、数千もあったオーク鬼の群れは今や動く者は少なく

かがり火に無残な屍を累々と映し出す地獄のような光景であった。

所々でまだ動いているオーク鬼を数えても、数十ほどしか残ってはいないだろう。





「はっ、はっ、はっ、さすが、に、ルイズが、いないと、きつい!」


「ちょっと! ちょっとちょっとちょっとあんた! なに? なになに? 何をしたの?!」


「はっ、なに、って、しってるだろ、うが。 "ダブ、ル" だよ」


「しらないわよ! あんな事できるなんて、しらないわよ!」


「はっ、はっ、あと、に、しろよ! 残りをなんと、か、しないと!」





才人は息も荒く、ゆっくりとデルフリンガーを青眼に構えた。

切っ先の向こうから残ったオーク鬼達が半狂乱になり武器を掲げて迫り来るのが見える。

やはり、どこか変だ。

これだけの力の差を見せつけられた後であっても、あいつらは "怯まない" 。

やはり操られている?

どこか、他にオーク鬼を操っている奴がいるのか?

考えて、才人はぎゅっと目を瞑る。

再び湧いて出てくる疑問と荒くなってしまった偽りの呼吸を鎮める為に。

まぶたの裏に映し出されるのは、愛らしい主人の笑顔。

才人は想う。

ただ一つ、己が決して見失うべきでない目的を。

何の為にここに居るのか。

誰の為に剣を振るうのか。

左手の輝きは、誰を照らす光なのかを。





「情けねえ。これ位で息が上がるなんてな、ルイズ。
 俺、やっぱお前が側にいないとなにも出来ないよ」





呟いて目を開いた才人の呼吸は、既に落ち着いていた。

左手のルーンは再び強く輝き、体が羽根のように軽くなる。

迫るオーク鬼までの距離は百メイルほど。

帰ろう。

あれを蹴散らして、主の下へ帰ろう。

才人はデルフリンガーを強く握りしめ、大きく息を吸った。

瞬間、ん? と片眉を上げて辺りを見渡す。

オーク鬼の腐ったかのような臓物臭や血の臭いといった悪臭が胸に入ってくるはずであったが、鼻を突いたのは

覚えのある甘く濃い花の香りであったからだ。

この匂い……たしか……

思考は戦場に似つかわしくない匂いの正体にすぐにたどり着く。

香りはドライアドが発するあの匂いであった。

花の芳香はあれよという間に強くなっていき、辺り一帯に満ちていく。

これが、ドライアドの言ってた "オーク鬼を追い払う香" ってやつか? と才人が辺りを見渡しながら考えていると

ほんの十メイル程にまで迫ってきていたオーク鬼の残党が一斉に苦しみ始める姿が見え、そのままオーク鬼達は散り散りに踵を返して

どこぞへ走り去ってしまった。

同時に後方と頭の上でわっと歓声が上がる。





「やった! やったわ! オーク鬼を追い返した!」


「この匂い! ドライアドの香よ!」


「んー、でもでもでも? もう必要無かったんじゃない?」


「そう、そうそうそう! そうよねドリアーヌ。
 もう一度魔法をぱぱーっと撃っちゃって、あたしのサイトがずごごーって蹴散らしちゃえば終わってたもの!」


「まあ! まあまあまあ、ドリアーヌ! いつから彼、あなたのサイトになったのかしら?」


「だって、だってだってだって、だってそうじゃない? 彼、間違いなくドライアドのモノになるんだし。
 それに、あたし達ニンフはコノ世界の一部ですもの。
 だから、だからだからだから、ドライアドのモノはあたしのもの、あなたたちのモノもあたしのもの!」


「ちょっと! そんなの……ん? と、いうことは、あたしのモノでもあるわけ?」


「んー、ということは、彼、あたしのモノ?!」





つい先程まで修羅場であったのがウソのように、村を守る岩壁の上でかしましく黄色い声を上げるニンフ達に才人は苦笑いを浮かべた。

それから珍しく無口なデルフリンガーをザクリと地面に突き立て、それを背にずるずると腰を下ろしてしまう。

"グリムニルの槍" の体とは言え、 "ダブル" の強烈な反動か強い疲労感が体中を支配していた。





「おつかれさま。すごく驚いたわ、あなた、信じられないほど強かったのね」





地に突き立てたデルフリンガーを背もたれにして、目を閉じうつむいていた才人は顔を上げる。

いつの間にそこにやって来たのか、あの小さなドリアーヌが目の前に立っていた。

甘く濃い花の香りが混じった谷風が彼女の青みが所々に差した長い髪を揺らし、美しい顔に柔らかく微笑みを浮かべている。

夜空に散らばる星と相まって、その光景はハルケギニアの生活も長い才人が見ても幻想的な情景であった。

周囲に散らばるオーク鬼の残骸が無ければ、きっと夢か何かと疑ったろうな、などと才人は考えながらも

向けられた幼い妖精の微笑みにニカっと笑って答える。





「言ってなかったっけか? 俺、こう見えても結構強いんだぜ?」


「ふふん、その台詞、誰にでも言ってたわよね?  "知ってるわよ" 。
 まったく、とんだスケコマシよねえ、あんた」


「んだよ、その言い草」


「だって、そうじゃない? これだけの力を見せといて、その笑顔でその台詞。
 天然でやってたなら相当なもんよ、あんた」


「う……そんな、こと、ないよな?」


「そんな事あるわよ、現にわたしも結構ドキドキしちゃってるし」


「うへ、からかうなよ。でもまあ、ここでは俺、ブサイクらしいし大丈夫だろ」




才人はそういうと、気怠げに再びうつむいた。

小さなドリアーヌは何気なく胸の高鳴りを才人に伝えていたのであったが、疲労の為かはたまた全くの対象外であるのか

どうやら才人の方にまともに取り合う気が無いことを察すると一つ、おおきくスン! と鼻を鳴らし頬を膨らませるのであった。

そんな少女の気も知らず、才人はうつむいたまま傍らにいる妖精に少し改まった口調で言葉を続ける。





「……色々とありがとうな。俺、ドライアドに捕まらない内にさっさとここを出て行くよ」


「……わたしこそ、助けてくれてありがとう。
 さ、こんな所でヘバってないで行くならさっさと行きなさい。
 じき他のドリアーヌ達が壁から降りてきてここへやって来るわ。きっと、ドライアドも。
 絶対皆、あなたに夢中になってると思うから捕まったら大変よ? 多分ミイラになるまでに二日とかからないわね」


「はは、そりゃ困るな。俺は帰らないといけないんだ」


「そうそう。
 黙ってたけれど、ニンフもドライアドと同じように惚れっぽいの。
 わたしの気が変わらない内に、早くお行きなさいな」





少女の姿をした妖精は、そう口にしてすこし寂しそうに笑う。

才人は再び顔を上げそんな彼女に意外そうな表情を浮かべたが、小さなドリアーヌの背後に人影を確認して慌てて立ち上がり

地に突き立てたデルフリンガー鞘に納めた。





「花の入った小瓶、もった?」


「ああ、ここにある」


「小瓶もこの領域の一部だから、あんた以外の人間に触らせてはダメよ?
 外に出る時に人が触れるようになるのは花だけだから、誰かに渡す時はあんたが取り出しなさい」


「わかった。じゃあな」





別れの挨拶は短く、かわりに才人はドリアーヌの頭に手をあててくしゃりと撫でる。

それから悪戯っぽく笑い、もう一度じゃあなと声をかけ左手を白く輝かせながら走り去るのであった。

谷風は甘く花の香りを孕んで才人を追いかけるように吹きわたり、次いで壁から降りてきた他のニンフ達が息を切らせてやって来る。





「ぜぇ、ドリアーヌ! 小さなドリアーヌ! サイトは?! わたしのサイトは……あぁん、行っちゃったぁ」


「いいのよ、これで。あれは私達の手に余る人間よ?」


「そんなあ……ドライアドが怒るわよぉ?」


「怒らないわよ」


「なんでそんなこと、わかるのよ?!」


「だって……」





小さなドリアーヌはそこで言葉を句切り、まだ才人が去っていった方角を名残惜しそうに見つめる他のニンフ達に背を向けた。

しかし彼女も又、すこしだけ振り返て寂しそうに、哀しそうに呟くのであった。

先程、言葉を口にする不思議なフクロウから聞いた事実を。











「だって彼、 "大いなる意思を殺す槍" の持ち主なんですもの」

















[17006] 6-8:extra_episode/花の谷はトリコじかけに佇んで
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/07/01 22:58










人の心には闇が潜む。





それは特別なことではなく、誰しもがそうなのだ。

そして、大概の者はその闇を直視してはいない。

否、認識すらしてはいない。

故に、闇は "潜む" のである。

なぜか。

それは直視すべきでないからだ。

それは触れるべきではないモノだからだ。

それは、そっとしておいて欲しい心の一部であるからだ。

平賀才人が夢現に見たものは、そんな闇であった。

戦士として、誰かを護り続けた男として、誠実な性根を持って逃げてはならぬと彼は闇を直視してしまった。

勇者はその行為が傷口に塩を塗り込むような行為であると気が付かない。

いつか、乗り越えられる強さが身につくと信じて疑わない。

心に潜む闇とは、暴れるほどに絡め取られるクモの糸のようなものだ。

才人は甘く優しい夜の谷風を切り裂いて、主の下へ帰るべく花畑の中を風のように走っていた。

対峙し見てしまったが故、胸の奥心の深い場所で根を張りつつある闇に気が付かないままに。

闇はやがて心を砕き、その精神を蝕むであろう。

ただ、才人にとっての救いはその成長が非常にゆっくりとしたものであった事だ。

勇者は気が付かない。

眩しい程の主の光を、焦がれるように求め続けるばかりに。

使い魔は気が付かない。

その光が落とす濃い影が、己の闇であることに。

才人は走り続け遂にあの飛び降りた崖へとたどり着き、一息にフェルタン村で "境界" だと教えられたあの小さな広場へと跳んだ。

辺りは星一つ見えない闇である。

よし。

あとは森を抜け、村で薬を調合して貰うだけだ。

どれ位の時間が経過しているのか分からないけれど、考えても始まらない。

今は目の前の目的を……





「またそうやって私達から目を逸らすのね。酷い父親」





森を矢のように駆ける才人は、ザザと木々がざわめく音の中確かにその声を聞いた。

思わず足を止めてしまい辺りを見渡す。

視界は全くの闇である。

才人はここで初めて異変に気が付いた。

夜の闇とは言え、つい先程まで走っていたにも関わらずあまりに "濃すぎる" のだ。

視界が黒一色で埋まり、自分がいままでそんな闇の中をどうやって疾走していたか判断も付かない。

いや。

視界だけでなく、音も無い。

地を駆ける音、耳にする風切り音、木々のざわめきすらも消えてしまっている。

ただ一つ、甘い花の香りだけは鼻を突いて消えはしなかった。

まさか……

才人ははっとして、香りがドライアドのものだと思い出し思わず背にしたデルフrンガーに手を掛ける。





「ちがうわ。ドライアドは力尽くで引き留めるようなことはしない」


「だれだ? 何処に居る?!」


「目の前よ、お父様」





闇の中、返事と共にいつの間にそこにいたのか青髪の美しい少女が立っていた。

眼鏡はしていなかったが、その顔はタバサとうり二つである。

しかし背まで伸ばした髪が決して彼女ではないことを才人に示していた。





「お前……なんで……」


「まぁ。自分の娘に "お前" だなんて……
 お父様、ちゃんと名前で呼んでくれなくてはイヤですわ。さあ、私の名前を呼んでくださいまし。
 いつもの優しい声で    と。
 慈しむあの眼差しで、私を見てくださいまし」





少女はそう言ってクスリと笑う。

対照的に、才人はゆっくりと頭を振って呻くように答えた。





「ごめん。その……覚えていないんだ」


「そう。酷い父親ね」


「ああ。でも、後悔はしていない。俺はその為に戻って来たのだから」


「あら。今度は開き直るの?」


「……好きに罵ってくれて良いよ」


「まさか! 大好きなお父様をどうして罵れましょう。
 例え裏切られても、憎まれていようとも、必要とされなくても、私はお父様を愛していますわ」


「じゃあ! じゃあ何故出てくるんだ?!
 なんで俺を苦しめるような……くそ、ノルンの仕業か?! それともドライアドか?!」





才人は思わず声を荒げてしまい、自身のその声に内心驚いた。

俺は何故こんなに激昂しているんだ?

おかしい、感情が制御できていない……

こんな事、言うつもりは無いのに……

予想外の己の反応に困惑しながら、才人は心が軋む音を聞いた。

少女はそんな才人の剣幕にショックを受けた風に口元に両手を当てて、息を飲んでいる。





「あ……」


「そんな……ひどい……私はただ、お父様に会いたいだけだったのに……」


「ご、ごめん……」


「お父様、ひどい……ひどいですわ」





少女の顔は既にぼやけてしまっている。

才人が思わず手を伸ばすと、少女はゆらりと揺れて手応えもなくそのまま掃き消えてしまった。





「まって! まってくれ! 俺、俺は」


「ふふ、お父様、安心なさって。私は消えたりはしません。
 お父様にどんなに疎まれようと、哀しい想いをさせられようと、決してお父様のお側を離れたりはしませんわ。
 だって、私はお父様の……」





闇の奥から少女の声が才人の耳に届く。

その声は記憶の彼方で聞いた事があり、初めて聞くような声でもあった。

闇の中、再び一人で佇む才人。

視界を満たすのは黒、黒、黒。

漆黒の世界である。

外界のその色は己の心その物のような気がして、才人は思わずその場にへたり込んでしまった。

偽りの体に虚脱感が満ちていく。

目的を見失ってはいない。

早くルイズの顔が見たい。

しかし。

今だけは……

今だけ、少しだけ、休すませてくれ……

鼻をくすぐる甘い花の香りは、軋む心を静めて眠気を抱かせた。

才人は苦しい胸の内とは裏腹に、心地よい香りに身を委ねへたり込んだまま目を閉じる。

やがて睡魔が彼を支配するのに、それ程時間はかからなかった。

眠りに落ちていく感覚の中、闇の中で才人はもう一度今度は別の声を聞く。





「大丈夫。ソレは "領域" を出る時に見る、悪夢みたいなモノよ。
 ドライアドの領域で見聞きしたモノはすべてドライアドの物だから、それもじきに忘れるわ」


「ドリ、アーヌ?」





薄まる意識の中で才人はあえぐようにその名を呟いて、そのまま深く闇の中に落ちて行くのであった。

次に目を開けた時は、闇ではなく緑色の木陰の向こうに茜色の空が見えた。

鮮やかな朱色の空に渡り鳥の群れが見えて、なんとものどかな光景である。

一瞬朝であるのか夕暮れであるのか才人は判断に迷ったが、日の傾いている方角から夕方であると認識するのに

それ程時間がかかりはしなかった。

それから地に腰掛けた体勢のまま辺りを見渡すと、そこは "囚われ谷" とこちら側の世界の境界であるあの広場であるとわかる。

徐々に増す現実味を帯びた覚醒が、今までの出来事が夢であったかのように思え才人は急に不安に駆られわしわしと懐をまさぐり

出て来たヒモの付いた小瓶と中の可憐な花を確認するや胸を撫で下ろすのであった。





「よく分からないな。俺、何時寝ちまったんだ?」





随分と板に付いてきた気がする独り言を吐きながら、才人はもう一度座ったまま空を見上げた。

ええと、俺は……

何故ここで寝てしまって居たのか、どうやって妖精花を手に入れたのか、記憶をたぐる。

しかし、容易い筈のその作業は何故か上手くいかない。

あれ?

なんでだ?

詳しく思い出せない……

才人は茫と空を見上げたまま、まだ胸の奥に残るしこりを感じ取り強い脱力感を覚えてもう少しこうしていようなどと考えた。

すごく苦しい夢をみたような気がして、もう少しのどかな空を眺めていたかったからだ。

"妖精花" は手に入れた。

乾燥ハーブと引き替えに。

あ、そうそう。

オーク鬼に追われる女の子を助けようとして、 "囚われ谷" へと降りて。

そこから……そこから、なんだっけ?

才人は頭を振り、記憶にかかったモヤを振り払おうとする。

しかし、どうしても思い出せない。

何かすごく深刻で苦しい思いをしたような気がするんだがなあ、などと考えながら視線を地に落としていくと

どこかで嗅いだ事のある甘く濃い花の香りがふわりと漂っていることに気が付いた。

えっと……なんだっけ? この香り。

心地良いような、でも胸がざわめくような……

俺、まだ寝ぼけてるのかな?

どうも上手く記憶を取り出せないでいた才人は、気を取り直すべく立ち上がり大きく伸びをする。

谷の下へと降りた後はぽっかりと記憶に穴が空いてしまっていたが、喪失感は小さくそれ程気にはならなかった。

んー、と伸びをした才人は元来のお気楽な性格である為か、次の瞬間には定かではない記憶の事など忘れてしまい

早く花を持帰らねばと村への帰路につくべく体を翻す。

その時である。

視界の端に映り込んだ赤が、才人の目を引いて思わず立ち止まる。

不思議と気になり足を止めて赤の正体を確認すると、それは小さな可憐な花であった。

なぜ今まで気が付かなかったのか、所々に青が差した赤いその花は懐の小瓶の中にあるものと同じ妖精花だ。

甘い花の香りと共に柔らかな谷風が下から吹き上げて、釣り鐘のような花弁を揺らしている。

才人は不意に寂寥感に襲われ、暫くその場でじっと花に魅入ってしまった。

花はまるで恥じるように、あるいは別れを惜しむようにゆっくりと風の中花弁を揺らしている。





「……じゃあな。色々とありがとう。」





なぜその言葉が口を突いたのかわからない。

しかし、それが特に間違ったことではないと才人は確信する。

最後に見た花は言葉に応えるように優しく風に揺れ、 "囚われ谷" の妖精はひっそりとその姿を才人の記憶に止めたのであった。







才人がヴァリエール城に帰って来たのは、それから丸一日と半日程過ぎてからの事である。

公爵とその夫人、長女のエレオノールは朝の日差しが差し込むサロンでの朝食の席にて、悩ましい表情を浮かべながら

才人が持ち帰った土産のハーブ茶を口にしていた。

対照的に次女であるカトレアはニコニコとしてハーブ茶を楽しみながら、公爵の目の前に置かれた小瓶を見つめている。

公爵は目の前に置かれた小瓶の中身を知っているのか、苦虫をいくつもかみしめてううむと何度も唸り続けていた。

ちなみにルイズとはと言うと、公爵の昼も夜もない "説得" に癇癪を起こして暴れた為、自室謹慎中である。





「ルイズの代わりと言うわけでは無いのですけれどお父様。
 如何でしょうか? これでルイズの言い分をお認めになって下さいますの?」


「うう、む……」


「ねぇ、カトレア。そ、そのお薬、一粒私にくれない?」


「エレオノール。なんですか、貴女は。体の悪い妹の薬を何だと……」


「お、おおお母様、じょ、冗談ですわ!」





公爵夫人はきつく睨み付けられたエレオノールは、名残り惜しそう公爵の前に置かれた小瓶を見つめながら言葉を濁した。

そんな妻と娘の様子など目も入らないかのように、公爵はもう一度先程からそうしていたようにううむ、と唸る。





「しかし、まさか彼がフェルタン村で作るいつもの魔法の秘薬じゃなくて、 "花咲く妖精の妙薬" を持ち帰ってくるとはね。
 この秘薬中の秘薬を一体どうやって手に入れたのかしら?」


「姉さま、フェルタン村の近くには精霊の住処である "囚われ谷" という場所がありますわ。
 人間には立ち入りできる場所ではないのですが、恐らくはそこで手に入れたのでしょう」


「知ってるわ。
 でも、それが本当なら良く生きて帰って来れたわね……
 アカデミーも "囚われ谷" へ調査のために何度か人を送ってるけども、帰ってこれた人間なんて一人もいやしなかったもの」


「そのようですわね。
  "囚われ谷" の精霊はとても気難しくて、いくらかの交流のある村人達ですら滅多なことでは近寄ろうとしない場所だとか」


「ううむ……」





"花咲く妖精の妙薬" とは、ヴァリエール領となる遙か昔からこの地方伝わる幻の秘薬の名である。

その長い歴史の中、数百年に一度位の頻度でフェルタン村から時の領主へ献上される秘薬中の秘薬であった。

言い伝えではあらゆる病を治し、いかなる傷であってもたちどころに塞いでしまうとされ、古い文献では白痴をも治癒すると

書かれている伝説の薬である。

フェルタン村では年に一度やって来る精霊から入手する、ラ・カンパネラという酷い悪臭がする "妖精花" で魔法の薬を作るのであるが

ごく、極々希に非常に良い香りのする "妖精花" を精霊が持ってくる年がああり、それを材料に作る薬が "花咲く妖精の妙薬" と

呼ばれるようになると今に伝えられる。

伝承の通りに本来赤く仕上がる筈の小さな丸薬は、赤の中に青が差した模様を浮かび上がらせ薬を入れておく小瓶の中に所狭しと詰まっていた。





「お父様?」


「ううむ……」


「もう、先程からそればっかり」


「仕方ないではないか。この私とて本物は見た事はないのだからな。
 カトレア、これは本当に "花咲く妖精の妙薬" なのか?」


「さぁ。それが本物であるか、お父様でも見た事無いのですからわたしも確証を持ってはいませんわ。しかしなが」


「じゃあ、私がアカデミーに持ち帰っ」


「エレオノール?」


「なんでもないわ、カトレア。続けて?」


「ふふ、はいお姉さま。
 お父様、しかしながらそれを先程飲みましたが、まるで生まれ変わったかのように体の調子が良くなりましたの。
 少なくとも、いつものフェルタン村のお薬よりもずっと効用が良い物でした。
 村長が添えた書状にも、 "花咲く妖精の妙薬" である旨記載されておりましたし、わたくしは本物だと思います」


「おお、おお! カトレア、お前体の調子が良くなったのか?」


「ええ、お父様。こんなに体が軽いのは生まれて初めて。
 効能が伝承にある通りならば、体の芯まで治癒しているのかも知れませんわ。
 そうでなくとも、これほど良く効く薬がこれだけあれば、しばらくはお薬の心配は必要ないでしょうし。
 ふふ、今ならば社交界の会合にも顔を出せるような気すら致します。これも "彼が" 秘薬を持ち帰ったお陰ですわね」





珍しく強い生気に満ちたカトレアの笑顔と言葉に、公爵は目に涙を浮かべて幸せそうにうんうんと頷いていたのだったが

彼が、とカトレアが強調したことによって再び不機嫌な、悩ましそうな表情に戻りううむ、と口にするのであった。

そんな公爵の様子を夫人は呆れたような、それでいてすこし可笑しそうな表情を浮かべてただ黙って夫を見つめる。

エレオノールはと言うと、ハーブ茶が気に入ったのか何杯目かのカップを口に付けて物欲しそうに小瓶と公爵夫人の顔を交互に見ていた。





「それで、お父様。如何なさいますの?
 お父様のお気持ちは分かりますか、彼は……ルイズの使い魔はこちらの要求通りにフェルタン村から魔法の薬を持ち帰りました。
 それも、最高のお薬を。
 貴族として、ヴァリエール家の者として、今度は此方が約束を果たす番だと思うのですか……」


「……そうだな。確かに、 "花咲く妖精の妙薬" を持ち帰った事については評価してやらねばならん。
 私の部下として、貴族待遇で取り立ててやってもいい程だ。
 なにより、その薬でカトレア、お前の病が治っておるのかもしれんのだ。
 私情は持ち込むまい」





公爵はそう言ってカトレアに優しく微笑んだ。

同時にエレオノールはむせてしまい、口に付けていたカップを落としそうになる。

公爵夫人はそんな長女の様子に再教育の必要性を感じつつも、夫の真意を察してかほう、と優雅にため息をついて見せた。





「では……」


「だがな、カトレア。ルイズは私の大切な娘なのだ。
 ルイズだけではない、お前やエレオノールもだ。
 私はヴァリエール公爵として、約束を果たしルイズに出征の許可を与えなければならないだろう。
 カトレア、たとえそうであってもだ。
 私はヴァリエール公爵である前に、人の親なのだ。
 あの子を一人前の貴族として扱ってやりたいお前の気持ちもわかるが、私はきっと死を迎えるその時まであの子やお前達の父であるのだよ。
 これは公爵である私の体面や貴族の名誉などを気にする問題ではない。
 親としてルイズを出征させるわけにはいかん。たとえ、約束を破る事になってもだ」





公爵は優しい声できっぱりと言い放つ。

その言葉に強い意志をカトレアは感じてか、少し影を差しながらも諦めたような表情を浮かべてそれ以上言葉を発することはなかった。

エレオノールはと言うと、さもありなんと優雅にハーブ茶のカップを口に運ぶ。

夫人もそれに続き、同時にカップから口を離した所でエレオノール、あとで話があります。今日この席でのお前の態度の事でです。と宣言し

彼女を酷く動揺させた。





「そんな……ひどい……お父様……」





声にその場にいた者が一斉に振り向く。

いつからそこにいたのか、ルイズが自室から抜け出してサロンの入り口に立っていた。

先程の公爵の言葉を聞いたのであろう、その表情は落胆と怒りに彩られている。





「約束したのに……お父様! 酷い!
 結婚しろだの、危ない使い魔だからもう会うなだの、お父様は私をなんだと思ってるの?!」


「ルイズ! それは」


「親としてって言いたいんでしょう?! でも、私だって言い分はあるわ!
 征かないと、この国が滅びるかも知れない。そうなれば結局戦火が領地に及ぶのよ?!
 何より、私は、私は、私、は……」





虚無の使い手なのよ! と叫びたかった。

しかし、残った理性がそれを阻む。

果たして。

肩を振るわせ、ルイズが次に叫ぶように口にした言葉とは。





「サイトを愛しているのよ!」


「んな?!」


「ぶっ、ケホ、ケホ、る、るるるるるるルイズ?! 何を言い出すのこの子は?!」


「本気よ!」


「る、るる、ルイズ? 冗談だろう? パパに冗談だっていっておくれ、私の可愛いルイ」


「もういい!
 ――もう、あんたはあんたで何を今更! つべこべ言わずに、さっさとやんなさい!
 ――いいから! はやく!!」





同時にドゴン! と派手な音を立ててルイズが立っていた場所に近い壁が崩壊する。

ドラゴンか何かが外へ向かって壁を壊しながら移動したように、一直線に大きな穴が各部屋を貫いているのが見えた。

そんな大きな穴から左手にシエスタを抱えた才人が、申し訳なさそうにヒョッコリと顔を出す。





「る、ルイズ! 落ち着きなさい! パパが悪かったから、落ち着いて!」


「衛兵! すぐに門を閉じさせなさい! ヴァリエール烈風隊に伝令! 城門前に集結!」


「はっ、奥様」





公爵と夫人は外に向かって一直線に貫かれた穴を見て、ルイズの使い魔が何をしたのか、ルイズが何をしようとしているのか理解する。

ルイズはイッ! と歯を剥いて見せ、現れた才人の首に腕を回しあろう事か家族の前で使い魔と口づけを交わした。

その情熱的な様子はどう見ても、当てつけやおふざけには見えずエレオノールと公爵は息を飲みその場に固まってしまう。

静寂の中、ぴちゃりと小さく音を立てて才人の口を強引に吸っていたルイズは、やがてぷはぁと息を吐いてその口を離しキっと公爵を睨んだ。

あまりの出来事に、公爵夫人ですら目を丸くして沈黙の支配に身を委ねてしまっている。

いや、唯一カトレアだけは一切の動揺を見せずにコロコロと笑っていた。





「あ、あの……俺……」


「……って! ミス・ヴァリエール! ずるいです! わたしも、えい!」


「あ、ちょ、こら!!」





才人は複数の視線に段々と怒気が込められてくるのを感じて、弁明を試みようとしたのであったが

その口を今度はルイズを押しのけ左手で抱えていたシエスタにふさがれてしまう。

口づけは一瞬。

すぐにルイズがシエスタを引っぺがしたが、ちゃっかり舌まで入れられてしまった才人は己のふがいなさに肩を落とす。

しかし、状況はそんな才人を置き去りに険悪な方向へと加速していく。

シエスタとルイズが自分の体にまとわりつきながら口論を始める中、視線に込められている怒気が更に……否、急激に強くなる。

特に夫人からの物が、暴君を彷彿させるような圧力だ。





「き、きき、貴様! 成敗してくれる! ルイズをは、離せ!」


「え、あ、お、落ち着いてくだ」


「いいのよサイト。さ、早く行きましょ!」





怒気と殺気を体中から噴き出させながら、公爵は杖を抜いた。

対照的に公爵夫人は内側に怒気を押し込めていき、強烈な圧力と意志を込めて才人を睨み付けている。

そんな夫婦の末娘は、才人の右手側から首に腕を回したまま、恨みがましく父親を睨み。

彼女の両親の怒りを一身に背負う少年のような老人は、困惑しながらも左手にシエスタをまとわりつかせて

その怒りに油を注ぎ込んでいた。





「うう、なんでこんな事に……」


「ルイズ! そいつから離れなさい! おのれ、よくも私の娘をたぶらかしおったな!」


「ルイズ。そこをどきなさい」


「イヤよ! サイト、モタモタしてないではやく!!」





言葉に才人は我を取り戻し、ルイズとシエスタを抱え上げて矢のように外壁に開けた大穴に駆け込んだ。

ルイズの台詞に我を取り戻したわけではない。

夫人の、暴君と同等かそれ以上に膨らみ内側に押し込めていた圧力が、殺気に変わりつつあるのを感じ取ったからである。





「まて! おのれぇ、だれぞ! ボドワン! ボドワンを呼んでこい!」


「公爵様! ボドワン様は先日の決闘で未だその傷が癒えず……」


「ええい、くそ! そうであった! もうよい、この私自ら……」


「おお、お父様! いけませんわ、万一お怪我でもされたら如何なさるのです!
 もう!、ルイズ! おまちなさい!」





才人が飛び出した壁の穴から、公爵は歯を剥き怒りも露わに身を乗り出す。

そんな父親の身を案じてか、比較的冷静であったエレオノールが怪我でもされたら大変なことになると必死に制止していた。

外壁に開いた穴の先、まるで村娘をさらう山賊のように両手に女の子を抱えて馬のように走る才人が見える。

は、離せ! と無茶をせぬよう娘に拘束される公爵の後方で、公爵夫人は才人の背を見てため込んだ怒りを吐き出すように

一つ大きくため息をついた。

それからおもむろに踵を返して、座っていた席から立ち上がり一連の騒動をニコニコと眺めていたカトレアのもとに歩を進める。





「カトレア。あなた、こうなると分かっていましたね?」


「いいえ、お母様。
 ある程度の予感はしていましたが、まさかこんな事になるとは夢にも思いませんでしたわ」


「まったく、我が家の娘達には本当にこまったものね」


「うふふ、だってお母様とお父様の娘ですもの、私達」





カトレアはそう言いながら楽しそうにコロコロと笑う。

そんな娘に夫人はもう一度大きくため息をついた。

背後では公爵が娘をとうとう振り切り、ルイズの名を叫びながら穴から外へ飛び出してしまったようだ。

それを受けてか、夫人はやや呆れた口調でカトレア、と改めて娘の名を口にした。





「はい、お母様」


「今すぐにおまえの "馬車" でルイズを追いかけなさい。
 無理に連れ戻そうとせず、一度城に戻るよう説得をするのです。
 よいですか? あれの使い魔はとても凶暴です。
 決して無理矢理連れ戻そうとせず、 "説得" するのですよ?」


「お、お母様! 私も一緒に行き」


「お前はこの後、私の部屋でじっくりとお話をするのですよ? エレオノール。
 先程までの態度は、淑女としてすこし目に余るものがあります。
 バーガンディ伯爵との件もまだ詳しく聞いていませんしね?」





公爵夫人は優雅にエレオノールの方に視線を流しながら、そう口にした。

エレオノールは思わずひっと短く悲鳴を上げ、ヘビに睨まれたカエルのようにその場に硬直してしまう。

引きつった彼女の表情を確認した公爵夫人は、視線をカトレアに戻しわかりましたか? と確認した。





「はい、お母様。
 ふふ、いくらなんでもルイズを学院まで歩いて帰らせるわけにもいきませんものね」


「……急ぎなさい。公爵様は私の方で引き留めておきます。
 だれぞ! 烈風隊に伝令。公爵様に至急館に戻るよう伝えなさい。私の名を添えるのを忘れないように。
 ああ、それとカトレア」


「? はい、お母様」


「今回の一件、ルイズの肩を持つならちゃんと最後まで面倒を見なさい」


「どういう事でしょう? お母様」


「恐らくはあの使い魔は……」





言いかけて、その台詞を遮るように雷鳴が轟いた。

う、と頬を撫でる轟音にカトレアは眉をひそめるも、公爵夫人は微塵も動揺せずそれどころかため息を深くつくのであった。





「……と、いった感じで城門を破壊して出て行くでしょう。
 壁よりも門の方が修理が難しいと言うのに、まったく」


「……そのようですわね、お母様」


「ですから、カトレア。 "花咲く妖精の妙薬" を何粒か置いていきなさい。
 ヴァリエールは此度の戦には兵を出さぬ故、莫大な税を戦費として払う必要があるのです。
 城門の修理費など、出せようはずがありません。
 ですからそれを売って、修理費に充てます」


「分かりました。ついでに、ルイズにも何粒か渡しておきますわ、お母様」


「……貴女は説得に赴くのですよ? それを忘れないように」


「はい、お母様」





カトレアはコロコロと笑いながらも歯切れ良く返事をして、足取りも軽やかにルイズの後を追うべくサロンを後にした。

生まれた時から病弱で、いくら医者に診せても体の芯が良くないのか、治す手立てがなかったあの娘が……

夫人はそう思い、つい目に涙が浮かんでしまっていることに気が付いて慌てて小指で目尻をぬぐう。

それほどその時のカトレアは生命力に満ちて、華やかな雰囲気を醸し出していたのだった。





「では。私達もまいりましょうか、エレオノール?」


「ひ?! ひゃい!」





胸の内の感情とは真逆の、鉄の掟を口にする時の声色で公爵夫人はコッソリ部屋を出て行こうとした長女に声をかけ

優雅にサロンの入り口へと歩をすすめる。

しかし一度だけ才人が出て行った外壁の穴へ視線を流して、この日何度目かのため息を大きく深く、胸の外へ吐き出す夫人であった。

かつて、『烈風』と呼ばれた頃の声色を伴って。











「まったく。あの子は一体、誰に似たのかしら?」

















[17006] intermedio5-1/蝶の羽ばたきは嵐となりて
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/07/07 21:46










「姫さま、こんな時に一体何の用かしら?」





少し不安げなルイズの言葉は、才人にとっても同様に不可解な疑問でもあった。

ルイズと共にヴァリエール城から逃げ出し、カトレアに学院まで送って貰ってから丁度三日目の事である。

神聖アルビオン共和国との戦争は、総力戦となってゆく趣が出て来たトリステイン国内にあって

学院にも学徒出征の勅令が届いた頃。

同時にルイズと才人にも女王アンリエッタから王宮に出頭せよと、命令書が届いていた。

夏に行った間諜任務以来、アンリエッタの私生活での慰めを目的として幾度か出頭命令書を受領していたルイズであったが

今回ばかりはいつもの息抜き目的ではないと感じ取り、緊張した面持ちで女王の私室に案内をする女官の後を歩く。

一体、なんなのかしら?

今は侵攻作戦の準備で姫さま、私なんかと会ってる暇なんてないでしょうし……

サイトの記憶にある、 "アルビオン戦役" の内容はずっと前にお伝えしてるし……

て、いうか。





「ねぇ、サイト。あんた、ちゃんと前々回に姫さまに謁見した時、 "戦争" のことちゃんと全部話したのよね?」


「ん? ああ、後年の研究によってわかった事も含めて、あれで全部だったぞ?」


「んー、じゃあなんで姫さまは私だけじゃなくてあんたも呼んだのかしら?」


「さあ?」


「……あんた、やっぱなんか私に隠してない?」


「なんだよ、突然」


「夏の "狐狩り" で姫さまと一緒に居た一件、私アレがどーも怪しいって思えてならないのよねえ?」


「だ、だから! なんもなかったって! 説明したろ?
 姫さまを探す兵士の目を眩ます為に、 "前" は……なんかあったけど、今回はなんも無いようにしたんだって!」


「じゃあ、なんで姫さまがあんたと目を会わせる度にあんなにむず痒そうにするのよ?」


「そんなこと、知らねえよ! 大体だな、ウェールズ殿下が居る姫さまに俺がなんかできる筈がないだろ?!」


「それはまあ、そうなんだけど……なーんか引っかかるのよねぇ」





二人は前を歩く女官に聞こえぬようヒソヒソと言い争いを始めたのであったが、やがてそれも女王の私室の前に到着する事により

強制的に中断する事となった。

女官は二度大きな扉をノックをして、ミス・ヴァリエールをお連れしましたと室内に声を掛ける。

すぐに中から覚えのある細く可憐な声が返って来て、扉は厳かに開かれ果たしてルイズと才人はアンリエッタの私室の中へと

足を踏み入れたのであった。





「げ!」


「うげ!」





同時に上がる、二人の気まずい声。

儀礼に則り、室内に数歩足を踏み入れ会釈した二人は頭を上げるや顔を引きつらせ、その場に固まってしまう。

その後方ではパタン、と静かに両開きの扉は閉められ、アンリエッタが持つ唯一の私的な空間はたちまちのうちに

沈黙と気まずい空気に満ちるのであった。





「二人とも、よく来てくれましたね。
 さあ、そんな所に立ってないで此方にお座りになって?」


「姫さま! これは……」


「ふふ。それも含めて、説明してあげるわ、ルイズ。さあ、サイトさんこちらに。
 今日のお茶はサイトさんが先日持ち帰った品だと聞いておりますが、これは凄く良い香りですわね。
 たしか、ラ・フォンティーヌ女侯爵の領地にあるフェルタン村のものだとか。
 今度もっといただけるよう、お願いしてみようかしら。ねぇ、公爵?」


「陛下! このような者に、そのようなお言葉は!」


「良いのです。
 彼は私の命を、名誉を、そして今この国を護って下さる、かけがえのない友人なのですから」


「し、しかし……」





そう。

ルイズ達を絶句させ、その場に立ち尽くす事となった原因は予想外の先客の存在であった。

恐らくは、今現在二人が最も会いたくない人物であろうその先客とは。





「お、おおお、お父様! どうしてここに……」


「どうしても何も、ルイズ。
 家を飛び出したお前が戦に参加させぬよう、陛下に直訴する為こうして推参したのだ」


「本当は戦が終わってから改めてルイズのご両親とお話をする予定だったのだけど……
 丸一日も待たせてしまってごめんなさいね、ヴァリエール公爵。
 わたくし、どうせならルイズとサイトさんに同席して貰おうと思ったの。でも戦の準備で中々手配できなくて」


「いえ、陛下。そのお心遣い、誠に痛み入ります」


「姫さま! 一体どういうおつもりですか?!」


「ルイズ! 陛下の御前であるぞ!」


「よいのです、ヴァリエール公。
 ルイズ、悪いようにはしませんから、まずはそこにお座りになさい」





広い私室に設えられた、豪奢な応接の為の椅子に座っていたのはルイズの父親であるヴァリエール公爵であった。

アンリエッタはその正面にあたる己の隣の席に座るようルイズに促し、公爵が持参した豊かな香りのハーブ茶に口を付けた。

本来、女王の隣に座る事など家臣には決して許されぬことである。

しかしそれ程ルイズを信頼している、もしくはルイズを大切にしていると公爵に知らしめる意図がアンリエッタにはあり

その意図を汲み取った公爵も特に窘めも咎めもせず、ルイズも渋々ながらアンリエッタの隣の席に腰を下ろすのであった。

一方、才人はというと敵意丸出しの公爵の目を見ぬよう、必死に視線を泳がせながらルイズが座る席の後ろに直立不動の姿勢で控えて

だらだらと偽りの体に冷や汗を流していた。

何より空いている席はルイズの正面、公爵のとなりの席である。





「あら? サイトさんもお座りになって?」


「いっ、いいえ姫さ……陛下! 俺、自分はルイ……ご主人様の後でこうやって控えております」


「うふふ、いつも通りでよいのですよ? ほら、そちらに……」





アンリエッタは柔らかく笑いながら、空いた席に手を差し伸べる。

女王の私室にあって、応接に使われる椅子は四脚。

テーブルを挟んで二脚ずつ、片側にはアンリエッタとルイズが座り、もう片側にはヴァリエール公爵が鬼の形相で座っている。

公爵も憎き相手とすこしでも近くに居たいのか、才人が平民であることも忘れ、隣に身分違いの者が座る事に何も言わない。





『何してんのよ、話が進まないからさっさと座んなさいよ』


『いやだ! た、たすけてくれルイズ!』


『ムリ。お父様の前でこれ以上姫さまになれなれしくしている所、みせたくないもの』


『そんな……』


「サイトさん?」


『ほら! 姫さまにこれ以上お言葉を煩わせると、お父様が……うわぁ……あんな顔で怒ってるの、初めて見たわ』





心の昂ぶりが、ルイズとの意識の共有を可能にする。

才人は最後に縋るか細い糸のような繋がりに助けを求めるも、状況は刻一刻と悪くなるばかりだ。

娘をたぶらかし、大切な城を破壊し、子飼いの部隊を壊滅させ、目の前で主君に二度も言葉を煩わせた相手に対する怒りはどれほどの物か。

鬼の形相で睨み付けてくる公爵の隣に、才人は出来損ないのゴーレムのような動きで腰を下ろして決してその顔を見ぬよう

じっと正面に座るルイズの美しい顔を見つめる事に集中する事にした。

アンリエッタがその様子に少し可笑しそうに微笑んで、さてそれでは本題に入りましょうと宣言をするや公爵はいの一番に口を開く。





「陛下。先にお伝えした通り、娘の従軍をお認めにならぬよう、お願い致します。
 我がヴァリエール家は此度の戦に派兵しない代償として、きちんと税を納めております故。
 これをお認めになる義務は陛下にはあるはずです」


「お父様! 私の従軍は命令されたからじゃないわ! 私が自分の意志で従軍するの!」


「二人とも、落ち着いて。ヴァリエール公爵。あなたが娘を想うそのお気持ちは、よくわかりましたわ」


「陛下、では……」


「しかしながら、ルイズには是が非にでも参加して貰わなければなりません。
 ……いいえ、何が何でも参加させます。
 なぜならば、ルイズが居なくてはこの戦は必ず負けるからです」


「陛下! お気は確かですか?!
 戦はまずは数です。次に物資と地の利、それから策と兵の質が続きます。
 一騎当千の兵が百人いるだけでは、到底アルビオンとの戦を決定づける理由にはなりませぬ。
 ましてや、ルイズは最近やっと魔法が使えるようになった身。とても戦場でお役に立てようはずがございませぬ!
 陛下はルイズの使い魔の力を当て込んでおられているのかもしれませんがしかし、それならば尚更
 使い魔だけを戦場に送り込めばよいではないですか!」


「お父様! それはあまりにも」


「ルイズ、いいからここはわたくしに……。
 ヴァリエール公、違うのです。
 先程も申しました通り、この戦は "ルイズが居なくてはならない" のです。
 今からその理由を説明してさしあげましょう」





アンリエッタはそう言って一口フェルタン村のハーブ茶をすすり、おもむろにアルビオンでの手紙の一件やルイズの虚無の事

才人の正体に至るまで、彼女が知る全ての秘密を公爵に打ち明け始めた。

無論その中にはルイズを通じて、あるいは幾度か王宮に二人招き出来る限り詳細に聞き取ったアルビオンとの戦争の行方もある。

その内容に誰よりも驚いたのは、公爵ではなく才人であった。

否、驚いたというよりも焦ったとする方が正確なのかもしれない。

何せこのような出来事は彼の知る "未来" では起こらなかったからだ。

俺は間違えた、のか?

それとも、ほんの少しだけ歴史が変わっただけなのか?

もし、間違えたのだとしたら……

いや、しかし、流れとしては特に変わっていない、と思う。

言い知れぬ不安が才人の体に染みこんでくる。

一方、隣に座る公爵は公爵で最初こそ出来の悪い作り話であると決めつけ、それでも黙って主君の話を聞いていたのだったが

ルイズの虚無によるアルビオン艦隊の撃退や女王誘拐の詳細と才人の活躍、 "狐狩り" で得た情報に話が及ぶ頃には

目を開き絶句して、アンリエッタの言葉に聞き入るしか術を持たなかった。





「……と、いうわけなのですよ、ヴァリエール公爵。
 サイトさんが未来から召喚されたという事実は、既にわたくしやルイズの目の前で幾度も証明されておりますわ。
 彼がこれから起こる事柄を "知っている" という事実は、ルイズが "虚無の担い手" である事と同等かそれ以上の国家機密ですの」


「……にわかには信じられぬ話ですな、陛下」


「しかし事実なのです、公爵」





公爵は主君であるアンリエッタ女王、その隣に座るルイズ、そして才人と半ば虚ろになった目で順番に見つめ大きく息を吸った。

傍目にも明らかに混乱をきたしている。

しかし、その混乱は同時にアンリエッタの話を信じかけている現れでもあった。

才人の力を目の当たりにした事のある公爵にとっては、アンリエッタの話はむしろ得心のいく内容に思えたからだ。

ただ一つ。

話の中心人物が自分の末娘である事実を認めきれずにいるが故、公爵はどうしても話を真実として受け入れられずに視線をせわしなく動かす。

"メイジの実力を計るには使い魔を見ろ" という言葉が示す通り、もし、ルイズがあのアルビオン艦隊を吹き飛ばしたのだとすれば。

この使い魔の力は納得いくものであろう。

しかし……

理性と感情の狭間で公爵の混乱は続く。

そんな父親を見かねてか、あるいは分かって貰えるよう必死であるのか、ルイズが声をかけた。





「お父様、黙っててごめんなさい。姫さまに……陛下に決して口外せぬよう、かたく口止めされていたの」


「ルイズ……」


「公爵。よいですか?
 先程話した "歴史" では、ルイズの虚無魔法を用いなければ我々はあの浮遊大陸に上陸できず、恐らくは敗戦を喫するでしょう。
 裏を返せばルイズが居ればこそ、無傷で軍をあの浮遊大陸に上陸させることが出来るという事でもあります。
 ですから、ルイズには何が何でも戦に加わってもらう必要があるのです」


「……なるほど、お話はよく、わかりました。
 正直信じられるような話ではございませんが、こやつ……この使い魔が召喚されたその時から
 未来を言い当てていたという事実は信じましょう。
 しかし。しかしですぞ?
 仮にその "歴史" 通りに戦が動くとしてですな、我が軍は結局はロンディニウムを攻略出来ずに敗走しておるのでしょう?」


「ええ、最終的にはロンディニウムの南、サウスゴータの町で大規模な裏切りが発生して、我が軍は敗走しております。
 しかしながらその最中、突如現れたガリア艦隊によって敵主力は壊滅、それにより戦には勝利していますわ。
 ねぇ、サイトさん?」


「あ、え、ええ。そうです。
 敗走にあたり、いくらか問題は発生していましたが、ルイ……ご主人様は傷一つ負わずに戦は終わります」


「問題、だと?」





公爵は瞳から驚愕と動揺を一瞬で怒りに塗り替え、キっと才人をにらみつけた。

才人は思わず体をのけぞらしてひぃ、と情けなく声をあげてしまう。

才人の言う "問題" とは勿論……





「その事はわたしくしから。公爵、落ち着いて聞いて下さいね?」


「……御意、陛下」


「実は、サウスゴータからの退却時、七万に膨れあがったアルビオン軍の追撃を押しとどめ時を稼ぐ為
 司令部はルイズただ一人に殿を命じるのです」


「なっ――」


「もっとも、サイトさんの機転によりそれは回避され無事退却に成功するようなのですが……」


「おのれ! し、し、司令部……総司令官は確かド・ポワチエであったな?!」 


「お父様! 落ち着いて!」


「公爵」





アンリエッタの前置きの事など忘れ、公爵はみるみる内に激昂し顔を赤くする。

主君の御前であることもすっかり忘れてしまい、杖に手を掛けながら押っ取り刀で立ち上がろうとする公爵を

ルイズとアンリエッタは少し強めにたしなめた。

ルイズはともかく主君の強い口調は冷水のように冷たく、頭に血が上ってしまった公爵であっても我を取り戻させるには十分であった。





「はっ、も、申し訳ございません」


「もう。公爵、落ち着いてくださいまし。これから起こるであろう "歴史" での話です。
 それに、もしその通りに事が運ぼうとも、ルイズには先程サイトさんが申しました通り怪我はありませんわ」


「陛下、たとえそうであっても、 "今回" も無事で居られるとは私には……」


「ええ、わたくしも同感です。
 ですから、こうやって公爵と、ルイズと、サイトさんを交えてある提案をしようと考えたのです」


「提案?」


「はい。先程説明した通り、サイトさんが知る "歴史" ではわが軍はルイズの "虚無" を使い浮遊大陸へほぼ無傷で上陸を果たし
 その後王都攻略の足がかりとして、サウスゴータへ至った所で大規模な反乱が起き、敗走しています」


「そうでしたな。その後、今は中立宣言を出しているガリアが突如参戦、とのようですが」


「ええ。しかし、この参戦は当てになどできませぬ。
 なぜならばこの戦はそもそも、ガリア王ジョゼフの謀が原因であるからなのです。
 なぜ "前" は参戦してきたのか理由は分かりませぬが、黒幕が彼である以上結果だけを見て安堵はできないでしょう」


「なっ?!」


「無論、この件につきましては此方でも調査しましたわ。
 まだ確証は得られてはおりませんが、確かにいくつかそれと思わせる情報などが入手できましたの。
 それもまた、サイトさんから聞いた "歴史" の裏付けとなっておりますわ」


「ううむ……しかし、なぜジョゼフ王が……」


「ヴァリエール公爵。理由など、今は脇に置いておきましょう。
 ともかくです。ガリアの思惑がハッキリしない以上、たとえ歴史通りに事が運んだとて "今回も" 参戦してくるとはかぎりません。
 いいえ、もしかするとアルビオン軍への援軍として戦に加わる未来すら、我々に用意されているのかも知れないのです。
 ですからわたくしは速やかにロンディニウム攻略を行えるよう、サウスゴータでの敗走、ひいてはルイズを危険な目に会わせる原因となる
 反乱を押さえる計画を立てましたの」


「計画……でございますか?」


「ええ。わたくしは此度の戦に臨むにあたり、王室直属の秘密組織 "ゼロ機関" というものを設立致しました。
 これは我が国のどの組織にも属さず、わたくしの持つすべての権限を代行する組織です。
 たとえ司令官であるド・ポワチエ大将であってもこれに命令を下すことは出来ぬ故、ルイズとサイトさんを
 このゼロ機関のエージェントとして従軍していただくつもりではあったのですが……」


「が?」


「先程も申しました通り、軍部はルイズを "虚無" の兵器か何かとしてしか見なかった結果となるようでしょう?
 そんな中でサウスゴータでの反乱を押さえる特殊任務など、こなせよう筈がありません」


「ふむ……つまり陛下。そのゼロ機関という組織をもって、サウスゴータで起こるであろう反乱を未然に防ぐ御心でありますか?」


「はい。この反乱はラグドリアン湖の精霊の秘宝・アンドバリの指輪によって引き起こされたもののようなのです。
 そうですね? サイトさん」





予想外にも急に話を振られ、才人は思わず裏返った声で答える。

アンリエッタの話は才人にとっても突飛で、未来が本当に変わってしまったのではないだろうかと考え事をしていたからだ。

未来が変わる。

それは、勝利で終わる筈のアルビオン戦役の結果が変わりかねないと言うことを意味する。

先程アンリエッタ自身が言っていたように、今回はガリアが神聖アルビオン共和国側につく可能性だってある。

いや。

元々黒幕はあのジョゼフ王であるのだから、むしろその方が自然じゃないか。

何より、タバサの母親の事もある。

疑問は思案の中でグルグルと渦巻き、不安を煽ったが同時に今はそれどころではないと才人は気持ちを切り替えた。

胸に宿った不安は変わらず大きく膨らみ、裏腹に才人はそれを表に出さぬようにしてアンドバリの指輪について説明をはじめた。





「え、あ、はい。後年の調べによりますと、サウスゴータの水源にアンドバリの指輪を使われ
 これを飲んだ兵士達が操られてしまったとの事でした」


「ううむ……」


「と、言うことらしいのですよ、公爵。
 サウスゴータの水源から連なる井戸や河を利用しなければよいのですが、それですと此方の軍の補給もままなりません。
 さらにたとえこれを見破っていても、敵が他の手段で兵士を操るかもしれませぬ。
 そこで、です。
 ゼロ機関……いいえ、ルイズとサイトさんには、このアンドバリの指輪の奪還任務に就いて貰うことにしました」


「んな?!」


「奪還任務、ですか?」


「ええ、そうよルイズ。
 アンドバリの指輪は神聖アルビオン共和国の初代皇帝、オリヴァー・クロムウェルが所持しているとの情報を得ております。
 あなたとサイトさんにはこれを奪還する任務についてもらうわ」


「陛下! いくらなんでも無茶です! ルイズと、その使い魔だけでそんな……」


「公爵。勘違いなさらないで?
 アンドバリの指輪奪還作戦に、ゼロ機関のみであたるわけではありませんわ。
 ……いいえ。むしろ、奪還任務の応援のために加わる、と考えていただければよろしいかと」


「応援?」





怪訝そうな表情を浮かべ、身を乗り出していた公爵は自分と全く同じように身を乗り出し 「応援?」 と

呟いていた隣の席の少年に気が付いて思わず顔を見合わせた。

恐ろしい使い魔であるはずの少年は、何か見てはいけない物を見たかのように、あわててプィっと顔を逸らす。

胸の内に再び宿る、怒りの炎。

しかし、今はそれどころではないと冷静に主君の話の続きを待つ。

アンリエッタは言葉を切ったまま、そんな二人の様子を苦笑しながら眺めて、同じく身を乗り出し意外そうな表情を浮かべる

隣の席の親友に視線を移した。





「ええそうよ、ルイズ。
 此度の戦は一点、 "前回" とはまったく違う点があるの。
 貴女ならわかるでしょう?」


「……ウェールズ皇太子殿下、ですか?」


「そう。 "歴史" では本来皇太子殿下はニューカッスル城陥落時に死んでしまっている筈なのだけど、今回は存命しておられます。
 また、我が軍のアルビオン侵攻に際しては公式に "反乱軍の掃討" を依頼して頂き、大義名分の一助をお願いしております。
 そして我が方としてもこれに答え、皇太子殿下へ兵を送る義務があるのです」


「それで、殿下にゼロ機関をと言うわけですか?」


「ええ、そうです公爵。今現在、殿下には寡兵しかありません。
 しかし、大義名分と引き替えに増援をおくるべき我が方としても、殿下にそれ程多くの兵を預ける余裕はないのです。
 幸い、殿下も今この場で話した "秘密" をご存じなので、殿下にはアンドバリの指輪の奪還をお願いしたのです。
 いかが? 公爵。
 安全な任務とは決して言えないですが、何千もの軍と正面から戦う戦場に出るよりかはずっとましな任務ですわ。
 なにより、ルイズにはサイトさんがついております。
 たとえロンディニウムのお城の中で孤立したとて、サイトさんと一緒ならば逃げる事は容易いでしょう」


「それは確かに、そうですが……」





公爵は私情を必死で排除しながらアンリエッタの提案を吟味する。

真っ先に思い出されたのは、才人の力であった。

――確かに、あれだけの力があればルイズ一人を護りその場から逃走する事など容易いであろう。

事実、ヴァリエール城ではカリーヌの部隊を蹴散らし、門をアッサリと破壊してそのまま逃げられてしまった。

何より、主君直々の要請でありこれに応えるのは臣下として……いや。いやいや、そうではない。

そうではないのだ。

私は、娘をあの血生臭い戦場へ送りたくないのだ。

飛び交う必殺の魔法。

目の前で死ぬ戦友。

人を殺す感触。

あんなものが日常的に溢れる場所へ、どうして可愛い娘を置いておけると言うのだ?

恐らく陛下は戦場ではなく、城にでも忍び込む任務にルイズを送る心づもりであろう。

だが、しかしだ。

そこもまた、戦場であることには変わりない。

見つかれば命の保証などなく、捕まればどんな辱めを受けるかわからず、そこから逃げ出すには人を殺め、仲間を殺められねばならぬだろう。

公爵は考えて、チラリと才人へ視線を送る。

あれ程恐ろしい力を発揮していた使い魔は、目が会うと顔を引きつらせて再びプィっと視線を逸らしてしまう。

なんとも頼りないその姿に思わず体の力が抜けそうになる公爵であったが、そんな一面だけ見て人物の全てを評するほど、暗愚でもなかった。

果たして、公爵はしばしの思案の先に答えを見出す。

それは……





「分かりました、陛下。ルイズ、従軍をみとめよう」


「父様!」


「公爵……秘密をうちあけてよかったですわ。わかっていただけたのですね?」


「ただし! ただしですぞ、陛下。条件がございます」


「条件、ですか?」


「はい。ヴァリエール公爵としてのものでなく、ルイズの父親としての条件でございます」


「……して、その条件とは?」


「しばし、この者と二人きりで話をさせてください」


「へ?」


「げ!!」





公爵の提示した条件とは、実に意外なものであった。

何を考えたか、才人と二人きりで話したいと言い出したのである。

才人にとっては悪夢そのものであったが、アンリエッタとルイズにとっては容易い事この上ない条件を公爵は願い出たのだ。

当然、その願いは即座に聞き届けられ、アンリエッタとルイズは女王の私室から一旦退室する運びとなった。

女王自ら部屋を貸してやると言い退室するなど、前代未聞の出来事である。

公爵は一瞬、それを諫め自らが才人を伴って出て行くと言いかけたが、機先を制したアンリエッタがこれはお礼ですわ、と口にした為

そのまま頭を下げて主君と娘と縋るように主人に着いて行く使い魔を見送るのであった。

当然、使い魔は部屋の扉の所であきらめなさい! と怒鳴られ蹴飛ばされて尻餅をつきながら部屋に押し戻される。

かくして女王の私室には公爵とその娘の使い魔が残された。





「何をしておる。こっちにこい」





声は厳しく、冷たい。

当然ながら敵意も混じっていた。

才人はおずおずと立ち上がって、席を立ち女王を見送った姿勢のままである公爵の元へ歩を進める。

同時に公爵も才人へと足早に歩を進め、手が届く範囲まで才人に近寄るといきなり胸ぐらを掴んでぐいと顔前に引き寄せたのだった。

その表情は鬼そのものである。





「名は?」


「あ、ひ、平賀才人ともうし、ます」


「ヒリガル・サイト? 性を持っておるのか。貴族の出か?」


「い、いいえ。平民だけの国の生まれ、です」


「そうか、平民か。ふん、メイジ以上の力はあるようだからそこはどうでも良いわ。
 約束しろ。それが出来ねば、この場で殺してやる。
 そうすればルイズも戦場に出ようなどと思うまい」


「約、束ですか?」





情けない表情で質問に答える才人の顔に公爵は、鼻の先が接触するほど自分の顔を近づけて凄むように睨んだ。

掴まれた胸ぐらは万力のような力で固定され、才人は顔を近づけてくる公爵から身動き一つ出来ずにただ

その迫力に冷たい汗を背中に垂らす。





「二度は言わぬ」


「は、はい。約束します!」


「よいか。良く聞け」


「はひ!」


「決してルイズに杖を抜かせるな。」


「……はい?」


「決してルイズに命を殺めさせるな」


「え、あの……」


「立ちはだかる者は全てお前が殺せ。それが誰であろうとだ。
 知己の者であろうと、友であろうと、恋人であろうと、ルイズの敵として立ちはだかる者が居たならば残らずお前が殺せ。
 ルイズが敵をその視界に入れるよりも早く、すべてお前が殺せ。
 敵がルイズの姿を見る前にお前がこの全てを討ち殺せ。
 一切の慈悲も無く、ルイズの敵となった者をすべて瞬きする間も無くお前が殺すのだ」


「……はい」


「決してあの子を "汚すな" 。
 白い肌に傷を付けないだけでは赦さん。
 あの子の視界に汚らしいモノを入れてはならぬ。
 醜い、人の悪意がむき出しになる戦場をルイズに見せるな。
 血と臓物など、もっての他だ。
 あの子の行く手に戦場が在ったならば、お前が目に映る全てを壊し、殺し、更地にして道を拓け。
 よいか?
 その血に濡れた穢らわしい躰を盾にして、ルイズをあらゆる穢れから護れ。
 お前がルイズの代わりに全ての汚濁を飲み込むのだ」


「はい」





公爵の言わんとすることを察し、才人はいつの間にか強く短く返事を繰り返していた。

その目には先程までの感情は消え失せて、暗い闇と強い意志が宿る。

ルイズを守る。

それはただ怪我をさせない、と言うことではない。

人の死は、むき出しの悪意は、理不尽な暴力は大きな爪痕を見た者にも残す。

つらい経験は人を大きく成長させるものではあるが、なにも戦場に出てこの世の地獄を見ることもない。

そんな経験など、ルイズの笑顔に影を差させるだけでしかない。

公爵はそれらすべてをルイズの代わりに才人に背負えと言っていた。

貴族としてではなく、親として。

口にした言葉は身勝手で、人としても最低であろう。

しかし才人に言うように、公爵も又この時ルイズの事を想う家族の分まで "汚濁" をその身に浴びていた。

胸ぐらを掴み目に憤怒を宿して殺せと口にしている男は、ヴァリエール公爵でも、貴族でも、父親ですらなく

純粋な "護る者" として才人の目に映るのであった。

否。

父親としての愛情が成せる姿なのかもしれない。

親とは、この位身勝手で、子の事を想う者なのだろう。

これが当たり前なんだ。

なのに、俺は……

俺、は?





「ええい! 聞いておるのか!」





苛ついた公爵の声に才人ははっと我に返る。

反射的に聞いています! とは答えたものの、胸の奥からにじみ出かけたナニカに酷く心を乱していた。

何か、とんでもなく大切なものを思い出しかけた気がした才人であったが、今はそれどころではないと再び目に意志を宿す。

公爵は半ば呆れながらもそんな才人の胸ぐらから突き放すように手を離し、ふん! とルイズとよく似た仕草で鼻を一つ鳴らした。





「まったく、少しは良い貌になったかと思えばこれだ」


「す、すいません。でも、俺、ご主人様を守る為なら何でもするつもりです」


「当たり前だ。よいか? 決して惑うでないぞ?」


「はい」





力強い才人の返事を受けて、公爵はほんの少しだけ表情を和らげ今度は優しく才人の肩に手を置いた。

それからほんの僅かに口の端を上げて、先程とはうって変わって穏やかな声を才人にかける。





「……持ち帰った薬の件は礼を言うべきであるな。
 よくやった。父親として、心から礼を言おう。
 お前のお陰でカトレアは健康な体を手に入れることが出来たのだ。
 ……ありがとう」


「へ? あ、いえ、俺はその……」





公爵の意外な言葉に、才人は頭をポリポリと掻きながら照れてしまう。

先程までの様子とは真逆の優しい声であった為か、一層才人を安堵させ緊張をほぐして照れさせた。

瞬間。

頬に強い衝撃を受けて部屋の風景が視界を流れた。





「だ、だだだだが! アレは、アレだけは許さん! あ、あ、あのようなキスなど――絶対に許さん!
 カトレアの一件もある故、これで勘弁してやるがもし! ルイズに邪な感情を抱いてみよ!
 如何なる手段を用いてでも、地獄に送ってやる!!」





不意打ちに頬を思いっきり殴られ、才人は無様に床に転がりながらもひぃ! と声を上げる。

そんな才人に再び鬼の形相となった公爵は、才人を殴った拳を突き出しこの日一番の大声で怒鳴りつけていた。

流石にこの大声は部屋の外にまで響いたようで、扉の前で待機していたルイズとアンリエッタがバタン! と勢いよくドアを開けて

何事かと部屋に駆け込んでくる。





「公爵?!」


「父様?! サイト?! 一体……」


「おお、ルイズ! それに陛下も。今丁度話が終わり、お呼びする所でしたぞ」


「そ、そうですか。しかし先程の剣幕は……」





部屋を出る前からは想像もできないほどにこやかになった公爵は、未だ床に尻餅をついている才人を助け起こし肩を組んでみせる。

その様子を見てアンリエッタとルイズは絶句し、陸に上がった魚のように口をパクパクとさせた。





「こ、公爵?」


「お、父、様?」


「なあに、先程の怒声は気にしないでくだされ。
 これこの通り、娘を守ってくれと男同士で話しておった所です。のう、ヒリガルよ?」


「お、俺はひ、ひらガァ!!」





お前は喋るな。

笑え。

そう言うがごとく、肩に回された公爵の腕が首へと及びギリギリと音を立てて締め付けられた。

要求に才人は顔色をカラフルに変えながらも、器用に歯を剥き、笑ってみせる。

笑いはどうみても引きつった表情であったが、いち早く状況を察したルイズはそれ以上何も追求せず

才人と同じように引きつった笑みを浮かべる。

アンリエッタも同様にここは空気を読むべきだと判断し、左様ですかと言って口に手を当ておほほと乾いた笑いを浮かべた。

公爵も場を取り持つように、ワハハと豪快に笑う。

一見、非常に和やかな雰囲気となった女王の私室を確認してか、廊下に控えていた衛兵は静かに乱暴に開いていた扉を閉めた。

パタンと扉が閉じる音と共に、偽りの笑いが一斉に消え去る。

後に残るのは気まずい沈黙。

それから数時間。

公爵が知ったルイズの虚無や才人の秘密などの "国家機密" の取り扱いについてや、戦やアンドバリの指輪奪還任務についての

詰めた話が行われたのであったが、その間才人の首に回された公爵の腕はほどかれることはなかった。










締め付けるその力もまた、一瞬たりとも緩むことなく。


















[17006] intermedio5-2/狂王が邂逅するは時の支配者
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/07/11 18:02










世界は違えど愚かな争いを繰り返す人の営みを静かに見つめるごとく、二つの月は変わらず天に昇る。





ハルケギニアで最も力ある国、ガリア王国。

グラン・トロワと呼ばれ、王都リュティスの郊外にあるヴェルサルテイル宮殿にそびえるその城は月光に照らされて

薔薇色の大理石と青いレンガで出来たその体躯をその夜も誇らしげに誇示していた。

魔法についても先進国であるこの大国を治めるのは、ジョゼフ一世と呼ばれる男である。

彼は幼き頃より魔法が使えず、王位に就いた今でも「無能王」の二つ名が示す通り政治を顧みない暗愚な王として国内外に知られている。

もっとも、政争の絶えないこの大国において何故彼が王座に座り続けられているのか、その理由を知る者はごく僅かであるが。

年齢は四十代も半ばだが、若々しく端正な顔立ちとその引き締まった体躯は十も若く見え、青い髪と髭は見る者にある種の威厳を

感じさせる容姿の持ち主だ。

性格は気分屋かつ皮肉屋であり、恐らくはハルケギニアで最も美しい宮殿に在って、一人チェスや造園に勤しむ「無能王」としての姿こそ

彼の表向きの姿であろう。

しかしその裏側では狂気が渦巻き、絶望と空虚な愉悦だけが彼を維持していた。

同時にその事を知る者は、ごく僅かな人間だけである。

神算鬼謀をもってハルケギニアの国々を手玉に取り、「無能王」の評判を "上げること無く" 政敵となりそうな者を鮮やかに消し去り

果ては "虚無" の魔法を使いこなし、長いガリア王国の歴史の中で最も才能に恵まれた王の姿こそ、彼の本来の姿であった。

だがガリア王国にとっての不幸は、そんな偉大な王を支配しているのが狂気だという事実である。

切っ掛けは彼が父王に次期国王として指名された時。

それは長年、愛情と劣等感を抱いていた己よりも遙かに優秀な弟を、憎んだ瞬間でもある。

小さな狂気は弟の謀殺を糧として喰らい、大きく膨れて今や宿主ところか国を、ハルケギニアをも喰らい尽くそうとしていた。

そのような王であっても人には変わりない。

二つの月が夜空高く瞬く時刻、遊び疲れた狂王は仄かな疲労感を消し去る為、寝室にて一人ワインを煽り続けていた。

少し早い季節ではあったが広すぎる寝室を暖める為、暖炉には火が灯っている。

ゆらゆらと揺れる暖炉の明かりは、グラスを傾ける美貌の狂王の影をピエロのように揺らす。





「……何用か」





狂王の声は冷たく、抑揚が無い。

暖炉の中で燃える薪がパチンと音を立てて爆ぜた。





「ご報告に。
 トリステイン王宮の奇妙な動き、未だ詳細がつかめませぬ故」


「放っておけ。それにその程度の報告ならば既に受けておる」


「シャルロット殿下の動向も妙です」


「あれはイザベラに任せておる。
 ……まあ、寝首をかきに来るなら来るで楽しい事になるのかもしれんがな。
 それで? 余の就寝前の一時をそんな下らぬ報告で邪魔しに来たのか? シェフィールド」





いつからそこに居たのか。

入り口の扉の直ぐ側に、ローブを深く被った女の姿が在った。

彼女こそ、「神の頭脳・ミョズニトニルン」と呼ばれるジョゼフの虚無の使い魔である。

伝説にある虚無の使い魔は四人。

曰く、「神の左手」ガンダールヴ。

あらゆる武器・兵器を使いこなす。

曰く、「神の右手」ヴィンダールヴ。

あらゆる幻獣を操る

曰く、「神の頭脳」ミョズニトニルン。

あらゆる魔道具を扱える「神の本」

曰く、最後の1体。

記すことさえはばかられる者。

伝説に残る程強力な力を有するはずの使い魔は、ローブの中で僅かに動揺し形の良い唇を開いた。





「恐れながら。
  "直接お前の口から報告を聞きたい" と仰ったのはジョゼフさまでは……」


「知らん。シェフィールド、余を虚仮にするのか?」


「まさか! しかし、私は確かにジョゼフさまのお声を……」





暖炉の薪がパチンと爆ぜた。

狂王の寝室は沈黙と思案に彩られる。

己の使い魔の性格からして、嘘はついてはいないと判断する狂王。

主との "繋がり" を介しての会話は、確かな事実である筈なのに……と混乱する「神の頭脳」。

ジョゼフの性格からして任務中に突如呼び戻すことはあっても、帰って来た後に惚けるなどあり得ないことであった。

疑問が空気を一層重苦しく変えてゆく。





「くく、流石だの。もう少し互いを疑うかと思うたが、いやどうしてどうして。
 どこぞの色ボケカップルのようには行かぬか」





本来部屋の主以外は誰も居ないはずの、第三者の女の声であった。

瞬間、声のした方角とジョゼフの間にシェフィールドが割って入る。

その額のルーンは輝き、手には何やら魔具が在って声がした方角……暖炉の方に向けられていた。

暖炉の薪がパチンと爆ぜる。

しばしの静寂の後、再び暖炉の方からくぐもった笑い声が室内に転がった。





「くく、おお、怖い怖い。
 その手にあるのは……ふむ、猛毒の毒針を無数に撃ち出す魔具か。
 ひひひ、有効範囲は狭いが狙った相手に必ず当たるという、なかなかえげつない暗器じゃな」


「な――何者!」


「何者、か。ううむ、そこか問題じゃな。ジョゼフ王よ、わしはなんと名乗れば良いかの?」





声の主はそう言って、暖炉の脇に出来ていた闇の中からゆっくりと現れる。

その姿は二人の想像を超え、闇色をした小さな体の持ち主であった。





「……猫? 使い魔か?」


「ふむ、流石じゃの。白痴の真似事をしておっても、中身まではそう簡単に染まりはせんか。
 いかにも、お主らが言う使い魔とはちと違うが、確かにこの体は使い魔じゃ」


「何者ぞ!」


「これこれ、大声を出すでない。わしはお主らの為に面白い話を持ってきたのじゃぞ?
 心配せんでも、お主の大好きなご主人様を誘惑したりはせんわ。
 くく、なにせ、今のわしの心は別の殿方に向いておるからの」





黒猫はくぐもった笑い声を発しながら、向けられた魔具には気にも留めずスタスタと音もなく二人に近寄り始める。

シェフィールドは黒猫が自分達に近寄ってくるのを確認するや、躊躇無く手にしていた魔具を発動させた。

彼女の手の中にある筒状の魔具は、シュと短く音をたてて無数の針を撃ち出す。

針は銃の弾丸よりも速く飛び、又魔法によってすべて対象を追尾し、幻獣由来の毒が瞬きする間も無く命を奪う筈であった。

しかし。

黒猫から僅かに離れた空間で水上に起こる波紋のような物が発生し、それに触れた毒針は悉く消えさてしまう。





「無駄じゃよ。そんな物で殺される程度の者が、お主らに気付かれずここまで忍び込めるとでも思うてか?
 くく、相手の戦力を見違えると後々エライ目にあうぞ?」


「おのれ!」


「ああ、もう、鬱陶しいのう。そうヒスを起こすでない。ほれ、主を見習わぬか。
 杖に手をかけるでもなく、ワイン片手に成り行きをゆるりと見守っておる。
 王とはこうでなくてはの、くくく……よっと。
 この体故、テーブルの上にて失礼するぞ?」





黒猫はシェフィールドをからかいながらもその足下を悠然と歩いて、ジョゼフがつくテーブルの下に至りひょいとその上に飛び乗った。

その様子を黙って見ていたジョゼフは、更に強力な魔具を取り出そうとしていた使い魔を手で制して無言の内に奇妙な侵入者を観察する。

黒猫は豪奢で長い毛並みを有して、よく手入れをされているようであった。

他に特徴らしい特徴はなく、恐らくは貴族が飼うような種類であること以外は特に変わった所はない。

ジョゼフは無言のまま、久々に心が動く音を聞いた。

それは無くした恐怖であるか。

それとも、薄まってしまった好奇心であるか。

目の前の相手が暗殺者であるならば、もしかしたら殺されるかも知れない。

それだけの技量は音もなくこの場に忍び込んだ事から判断するに、確実にあるだろう。

だが。

そうでないとすれば?

狂王の虚無色の心は、得体の知れない興味と期待を宿し僅かに揺らいだ。

そんな彼の心情を見抜いたのか、黒猫は王を真っ直ぐに見つめ、器用に口の端を上げて微笑む。

その笑みはまるで悪魔のようであったが、ジョゼフは顔色一つ変えずワインを一口煽って口を開いた。





「名を名乗れ。何でも良い、大した意味は無いがこの場では不便であるからな」


「ふむ、確かにそうかもしれんの。では "時の魔女" と呼ぶがよい」


「ふん、猫の分際で大層な名だな。
 それで?  "面白い話" とやらを申してみよ。
 つまらぬ話であったならば、その場でくびり殺してやるから覚悟してから話せ」


「ひひ、怖いのう。か弱い女をそう脅すでないわ。
 そうじゃの、前置きから話すとするか。
 薄々わかっていようが、お主の使い魔をここへ呼んだのはわしじゃよ。
 くく、しかし随分と使い魔に慕われておるようだの。
 お主の声色で最後に優しい言葉をかけてやったら、人知れず飛び跳ねて喜んでおったわ」


「なっ?! き、貴様!」


「ひひひ、照れるなミョズニトニルン。
 ほれ、そんな所で茹で上がらずにこっちに来て一緒にわしの話をきかぬか?」





暖炉の薪がパチンと爆ぜ、くつくつと不愉快な女の笑い声が部屋に響く。

シェフィールドは動揺しながらも変わらずニタリと器用に笑う黒猫をローブの奥から睨んでいたが、ジョゼフが無言の内に指を立て

側に来いと二度三度と曲げて見せたので、不満を雰囲気に纏わり付かせ主の座る席の後ろへ移動するのであった。

黒猫はその一部始終相も変わらず嫌らしい笑みを浮かべて沈黙を続けていたが、シェフィールドがジョゼフ王の背後に控える姿を確認すると

おもむろに少し改まった口調で言葉を吐き出した。





「ジョゼフ王よ、単刀直入に言おう。
 お主に相応しい "遊び相手" の情報が欲しくないかえ?」


「遊び相手、だと?」


「そうじゃ。
 たとえばの、決して死なず、古き竜を、万を超える軍を滅ぼす力の持ち主であり、未来をも知っておる者など興味がわかぬか?」


「……何を言い出すかと思えば。興ざめだな」


「ひひ、真実じゃよ。ついでに言って置くが、その者はいずれお主を破滅へと導く者じゃて。
 そう、今のお主が焦がれるほどに求める、破滅にな」





闇はくつくつと笑う。

まるで他者の不幸を予言する、不吉な存在であるかのように。

ジョゼフはそんな黒猫をほろ酔い気分で眺めながら、フンと鼻を鳴らしワインを一口煽った。





「そのような世迷い言を信じろと言うのか?」


「信じなくても良いぞ? 放っておいても信じざるを得ない状況になるからの。
 わしが今その情報を携えてここに来たのは、わしの言をお主らでも信じられるようにするためじゃて」


「ほう? どういうつもりだ?」


「何。お主と交渉事をするためじゃよ。
 いや、交渉、は少し違うかの? ふうむ、たとえば、じゃ。
 狂王よ、お主チェスをやるじゃろ?」


「うむ?」


「での。他者がチェスをやっておるのを見物しておったとしてじゃ。
 一方は恐ろしく強く、もう一方は素人同然の実力であるとしよう。
 お主、素人の方に肩入れしたくはならぬか?」





くく、と黒い猫が笑った。

嘲るように。

己が提示した例えが、言い得て妙であるといわんとするように。

ジョゼフの寝室にくぐもった女の笑い声が満ちる。

一方「無能王」の二つ名を持つ王は、その様子をじっと見据えて思索にふけっていた。

どうやら、この奇妙な侵入者は暗殺者ではないらしい。

では一体何が目的だ?

この会話によって俺かあるいはこの者に、何の利益が生まれる?

言葉通りに受け止めれば、俺はこの先恐ろしい化け物のような相手と戦う事になる、のだろう。

馬鹿馬鹿しい話ではあるが、もし。

もし、それが本当であるならば。

パチン、と暖炉の薪が爆ぜる。

それは虚無に沈んだ狂王の心に、ほんのちいさな火が宿った音であったのかもしれない。





「く、くくく、貴様。
 そんな事をするために、ここに忍び込んだと言うのか?
 このガリアの無能王に助言をするために、態々寝室に忍び込んだと?」


「ひひ、事実じゃて。
 お主の真の実力に疑いはいないがの。
 相手は不死身の化け物な上に、これから起きる出来事の結果まで知っておるのじゃ。
 言うなれば、必ず相手に勝てる定石を知っている相手とチェスをするような物じゃな。
 勝てと言う方が酷じゃろ?」


「面白い! それ程の力を持つ者が余の前に立ちふさがると言うのならば、望む所ではないか!」


「ふむ? 話を聞いてなかったか? 勝負にすらならんのだぞ?
 勿論、お主の十八番である暗殺などなんの役には立たんような相手じゃ」


「わはは! 勝負にならない? すばらしいことではないか!
 この、ガリアの無能王が勝負にならない相手とは!
 いや、言うな! その者の名を言うなよ?
 毒殺も刺殺もできぬ、それどころか未来まで知っておる相手と戦うのか、余は!
 面白い。なんとも面白い!」


「左様。もっとも、おつむの出来は遙かにお主の方が分があるがの。
 くくく、どうじゃ?
 今のお主にとって、これほど素敵な遊び相手はおるまい?」





不愉快な女の含み笑いに、生気に満ちた男の笑い声が混じった。

先程までの不機嫌な雰囲気とは打って変わって、使い魔でも希にしか見ないような狂王の楽しげな笑いである。

唯一主の背後に控えていたシェフィールドはその真意を計り兼ねたまま、愛する者を自分を差し置いて楽しげに話す女の声に

嫉妬を覚えてじっと睨み続ける。

その胸に渦巻く炎は、哀しい女のサガでもあった。

そんな背後の様子などお構いなしに、美貌の無能王は心底楽しげに女の声で話す黒猫と会話を続ける。





「良いだろう! 気に入った。
 お前の話を買ってやろう。望みは何だ? 何でも言うがいい」


「くく、望みなど。
 わしもお主と一緒じゃよ。 "楽しみたい" だけじゃ。
 強いて言うならば、暫くここで厄介になりたいのじゃがな? わしはどうも寒い季節は苦手での」


「わはは、面白い奴だ。お前! チェスはできるか?」


「ジョゼフ様!」





シェフィールドはたまらず言葉を差し込んだ。

得体の知れない喋る猫に入れ込みかけている主を諫める為ではない。

主と楽しそうに話す "時の魔女" に、嫉妬を覚えていることも確かにあったが、なにより本能的に目の前の喋る猫に関わることは

"危険" だと察知していたからだ。

それは女の勘、という物に近い。

しかしそんな女の想いなど一顧だにせず、言外に狂王は無粋はよせと手をひらつけせ、使い魔に黙るよう指示したのであった。





「ひひ、チェスか。
 生憎だが狂王よ、未来を知るわしに敵うはずがなかろう?
 なにせ、 "自分がチェスに勝つ未来" を探し出しその通りに駒を進めればよいのじゃからの」


「おお! それはいい!
 つまり、余が勝てばお前の嘘が証明され、お前が勝ち続ければ話が真実であるという証明にもなるな!
 よし、明日よりここに居ろ。いいや、今夜からでもここに居るのだ。
 そして日に一度、余と勝負せよ。
 よいか? 余が勝ったらその時点でお前の首をねじ切ってやるから、覚悟せよ」


「くく、交渉成立かの。
 ほんに、物わかりが良い王でよかったわい。
 どれ、お近づきの印と言っては何だが、良い事を教えてやろうか?」


「何をだ?」


「将来、お主を殺す者の名じゃよ。ほれ、耳を貸せ」





黒猫はジョゼフの背後から強い敵意を叩きつけてくるシェフィールドの事など何処吹く風で、器用にも前足をひねり

ちょいちょいと曲げて見せて、あろう事かガリア王国の王に耳を貸すよう指示を出した。

ジョゼフはまるで子供の要求に応じる親のように、テーブルの上に座る黒猫の口元へ無防備にも己の耳を近づける。

その様は傍目には常軌を逸した行為であったが、当の本人達は心底楽しげに見えた。





「――、――。どうじゃ?」


「……実に、実に面白い結末ではないか!
 何故そんな……いやいや! 言うな! 興が削がれる!」


「ひひ、頼まれても言わぬよ。わしも興が削がれるでの?」


「わはは、気が合うではないか。気に入ったぞ。
 ううむ、しかし困ったな。お前、本当に何もいらぬのか?
 余は報酬を受け取らぬ者は信用できんのだが……」


「では、一つ望みを聞いて貰おうかの」


「うむ、なんでも言うが良いぞ。玉座か? それともこの宮殿か? どれも猫には過ぎた代物だぞ?
 くっく、ガリア王国の玉座に猫が居座る……想像しただけでも面白いではないか」


「阿呆、そんなものいらぬわ。
 わしが望む報酬はの、アルビオンに対しての今後の対応じゃな」


「うむ? 兵を挙げよとでも言うのか?」


「いいや。国家的な判断は好きにしておればよい。いつものように、サイコロでもふっとれ。
 ただの、わしも目的があってここにおる」


「うむ」


「アルビオンで起こる戦の中、お主らを破滅に導く者の戦いぶりを見せてやろう。
 だがの? 戦が終わるまでは手を出すな。それが望みじゃ」


「ううむ? 大人しく余の将来の宿敵を見ておれと申すのか?」


「うむ、そうじゃ。
 ひひ、美女をいきなり裸に剥いて押し倒すよりも、じっくりと眺めてから一枚づつ服を剥いていく方が興奮するであろう?」


「わはは! そうかもしれぬな。
 いいだろう、アルビオンの戦が終わるまでは、そいつに手を出さずにおいてやる」


「いけませぬ、ジョゼフ様! この者の言はまだ、何一つ証明されてはおりませぬ!
 それに、もし証明されたとして、そのような危険な者をわざわざ短い期間とは言え放置しておくなど……」





ジョセフが気前よく黒猫と報酬の話している所へ、シェフィールドはもう一度言葉を挟んだ。

当然であろう。

目の前の黒猫は、明らかにこちら側の事を知りすぎている。

どうせ未来が見える等と誤魔化すのだろうが、まともに考えればかなり近い所に密偵が入り込んでいる事を疑うべきだ。

正確な情報と偽りの情報を取捨選択する必要うだってある。

こんな、得体の知れない者を相手とマトモに話すななど……

いや、それどころかそれほど危険な相手がトリステインに居るのであれば、 "手を出すな" など断じて承伏するわけにはいかない。

そもそも何故?

何故、ジョセフさまはこうも簡単にこんな者を信じようとなさるの?

揺らぐ女の思考は、混沌として疑問符だけが脳裏に増えていった。

そんな美しい貌に眉根をよせる使い魔に、ジョゼフはさも詰まらないといった様子でため息混じりの言葉を転がす。





「ふふん、証明など明日チェスでも行えばわかろう。
 なにせ、ハルケギニア中を探しても余に敵う者など居はしないのだからな。
 のう、 "時の魔女" よ。 お前は未来を見て、選べるのであろう?
 なれば当然、圧倒的な強さでそんな余を打ち負かせるはずだ。なにせ余に勝つ未来を見ればよいだけなのだからな」


「当たり前じゃ。
 なんなら今からでも良いが……いや。
 お主の考える時間の事も考えると明日にしておけばよかろうな」


「ふん、明日にでもその鼻柱をへし折ってやる。覚悟せよ」


「ひひ、威勢がよいのう。
 ……では今夜の所はお暇しようかの。そこな小娘。悪いが扉を開けてくれぬか?」


「な、なぜ私が! いや、だれが小娘だ!」


「この体故、阿呆のように大きなそこの扉は開くことは出来ぬ。
 まさか、国王自ら扉を開けさせるさけにもいくまい?」


「開けてやれ、シェフィールド」





ジョゼフの言葉に、シェフィールドは渋々ながら国王の寝室の扉を僅かに開いた。

"時の魔女" と名乗った黒猫は、扉の隙間をするりと出でて闇に沈む廊下の奥へと消えていく。

その後ろ姿を不審な眼差しでじっと見つめる使い魔に、闇の向こうから声がもう一度かけられた。

あの、忌々しい女の声で。





「くく、そう嫌うでない。むしろ今夜は感謝すべきとは思うがのう……
 それにの、わしから見れば女は皆小娘じゃ」





恩着せがましく憎々しいその台詞に、シェフィールドは眉間に皺を寄せて応えた。

その目には殺意すら宿っている。

やがて気配は完全に消えたのを確認すると、彼女は静かに扉を閉めて暫くはそのまま思案に耽た。

神の頭脳に奔るのは如何にジョゼフを諫めようか、という悩みである。

あの "時の魔女" は危険だ。

使い魔を通して尚、得体の知れぬ魔法を行使し終始隙を見せなかった。

根拠はないが、関われば禄な事にならない気がしてならない。

ジョゼフの性格を熟知しているシェフィールドはギリ、と歯をかんで知らず形の良い唇を歪める。

一度ジョゼフさまが言い出した事を翻意させるのはまず、ムリだ。

なんとか、なんとかして主の気まぐれを諫め思いとどまらせる方法はないものか。





「シェフィールド」





唐突に耳元でする、主の声。

思索を急いで中断し慌てて振り返ると、いつの間に背後に立っていたのか、狂王の姿が間近に見えた。

驚いたことに、ジョゼフはいままで使い魔に見せたことの無いような柔らかな微笑みを浮かべている。

ジョゼフさま? とシェフィールドが口に出そうとした瞬間。

男の手が伸びて細い女の肩を乱暴に掴み、そのまま引きずられてあれよという間に絢爛な天蓋の着いた巨大な寝台に押し倒されてしまった。

いきなりの事にシェフィールドが混乱していると、今度は目の前が暗くなり体に重しがのしかかる。





「じょ、ジョゼフさま? 一、体……」


「くくく、今宵は久しぶりに……そう、本当に久しぶりに気分がよい。
 シェフィールド。先程 "時の魔女" から聞いた、俺の命を奪う者の名を聞きたいか?」





暖炉の薪がパチンと爆ぜる音。

シェフィールドはジョゼフに押し倒された体勢でいまだ混乱したまま、美しい赤黒の黒瞳に力強い意志を宿した。

被っていたローブは押し倒された時に脱げ、ベッドには彼女の豊かな黒髪が散らばっている。





「ジョゼフさま。そのような世迷い事は早くお忘れになってくださいませ。
 決して、決してジョゼフさまのお命を奪うような真似は、何人たれどさせませぬ。
 そう、如何なる者であろうと、決して。」


「くく、うははは! シェフィールド! そうか! お前は余を守ってくれるか!」


「当然です。なぜならば、私は身も心も主であるあなた様に捧げた使い魔でございます。
 ジョゼフさま。その名が気になるならば、言って下さいまし。
 この "神の頭脳" がその者をたちまちに討ち滅ぼして参りましょう!」


「いいぞ。シェフィールド。それでこそ、余の使い魔だ。
 よし、今宵は気分が良い。
 お前の言う通り、その名は信じぬ事にしよう」


「ジョゼフさま……ありがとうございま」


「だが、シェフィールド。代わりに一つ、余の命令を聞け」


「は。なんなりと」





ジョゼフは己の使い魔を押し倒した体勢のまま、いつもの冷酷な無能王の貌となった。

シェフィールドも又、頭の中に混乱を残したままジョゼフへの忠誠を太く芯に残して気を張り詰めさせる。

果たして、忠実なる虚無の使い魔に下す、狂王の命令とは。





「伽の相手をいたせ。今宵はすこぶる、気分がいい」


「え?」





意外なその命令に、シェフィールドは驚愕の声を出す間もなくその唇を塞がれてしまう。

口中に、舌に、鼻の奥にねとりとした唾液とワインの香りが広がってゆく。

更には、体に纏う衣服の中へ主の暖かい手が蛇のようにうねって入り込んでくる。

シェフィールドは混乱を一層深めながらも特に抗う事もせず、不意にあの不快な声を思い出した。





"くく、そう嫌うでない。むしろ今夜は感謝すべきとは思うがのう……"





"時の魔女" と名乗った黒猫が、去り際に放った台詞である。

あの者は……今夜、こうなると知って?

それも私の心の内までを見通して、ああ言ったのだろうか?

分からない。

何一つ、理解出来ない。

そもそもジョゼフさまはなぜ急にこんな……

神の頭脳の混乱は続く。

しかしそんな思案もやがて歓喜と悦楽に塗り込められてしまい、押し寄せる幸せに身を委ねてしまうのだ。










少なくとも女はこの夜、誰よりも幸せであった。

















[17006] Interval_episode/ASSAULT LOVERS
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/02/13 22:25
■はじめに
 このお話は、本作の100話到達記念に書いた物です。
 過去のIFものと同じように「ガンダールヴは夢を見る。」の設定を使った別作品の短編だと
思って下さい。
 一応、本編と整合性は取ってありますので本編の一部としてみても問題はありません。
 ただ、あくまでお遊びなので、不快に思われた方がいらしたらご一報を。





「被告人、ヒラガ・サイト」

 トリステイン魔法学院の女子寮の一室に、バンバン、と二度机を叩く音が響く。
 本来ならば、華やかなりし貴族の女子が住まうその部屋は、厳粛な裁判の場となっていた。
 裁判長兼、検事兼、被害者の会会長(会員1名)兼、原告は部屋の主であるルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールその人である。
 彼女は脇にずらしたテーブルを袖起きとして、左手に乗馬鞭を持ち、それを裁判などでハルケギニアでも使う木槌の代用としていた。
 その、幼さが残る秀麗な表情は冷たく暗く濁り、内に想像だにしたくはない怒りが渦巻いているのが見て取れる。
 一方、被告である才人はそんな主を下から見上げ、如何にしてこの場を切り抜けようかと必死に頭を働かせていた。
 なにせ部屋には二人きり、弁護士役を買って出る者はいない。
 正座させられた石畳みの床は冷たく、今の状況をより鮮明に才人に認識させる。
 キッカケは別にあったが、火種を炎にしたのは些細な事から。
 遡る事、約一時間前。
 ルイズと二人で偶々食堂に向かって廊下を歩いていると、これまた、偶々反対側から1年生のジゼール・エイムラントが2,3名の女友達を伴って歩いてきた。
 それだけならば別にどうと言う訳でもなかったが、ジゼルはスレ違いざま、才人にニッコリと微笑んでその後にきゃあきゃあと女友達に詮索される声がルイズの耳に入ってしまったのである。
 ジゼルにしてみれば以前世話になった才人とルイズに愛想良く会釈しただけだったのだが、ルイズからしてみれば才人に色目を使ったようにも見える行為であった。
 が、それだけならばまだいい。
 食堂に着くと、今度はシエスタが "才人を" 出迎えて、自分を差し置き料理長の新作を味見しろと言いながら厨房へ連れて行ってしまったのだ。
 ルイズはその行為を強く咎めたかったが、生憎他の者の目もあり、そこはぐっと堪えて何事も無かったかのように自分の席へと移動するのであった。
 既に学院では以前とは違い、才人もルイズもただ者ではない、といった認識が生徒達の間で広まっている。
 故に二人の行動は何かと注目を集め、貴族が平民の娘に嫉妬をする、などと思われたくはないが為にルイズは極めて平静を装ったのであった。
 が、それだけならばまだいい。
 不幸は重なる物で、本来才人が座るはずであったルイズの隣にキュルケが腰を下ろして、やや不機嫌なルイズに話しかけてきたのだ。
 話題は勿論、才人の事である。
 タバサが一時帰国をしている時期であった為か、話し相手が欲しかっただけなのかもしれない。
 が、それだけならばまだいい。
 この時キュルケはよりにもよって、夏休み、 "魅惑の妖精亭" での事を口にしたのだ。
 曰く、ダーリン、ほんとモテるわよねえ。みてくれは冴えないけど、なんていうか、大人びてるっていうか。
 ねぇ、ルイズ、見た?  "魅惑の妖精亭" の女の子達の熱っぽい視線。
 あんな情熱的な視線を向けられて平然と知らんぷりできるダーリンって、ほんと、なんていうか "慣れている" のねぇ。
 あたしがいくら誘惑しても簡単にはなびかないはずだわぁ。
 ねぇ、聞いてる? ルイズ。
 あら。
 もういらないの?
 そういえばダーリンは何処?
 うふ、また喧嘩したんじゃ――
 ――といった具合の会話である。
 結局、その会話が元々思う所があったルイズの火種を炎にしてしまった。
 厨房で食事をしていた才人を半ば強引に連れ戻し、苛つきながら自室に戻ると、ガンダールヴの主はその場で正座を命じて簡易裁判を始めてしまったのだ。

「罪状! 被告人は浮気の疑いが有り! 更には主人に恥をかかせている!」
「あの……ご主人様?」
「だまらっしゃい!」

 ばんばん、と静粛にするよう鞭を二度、机に叩き付けるルイズ。
 形の良いその口は三角に歪み、怒りの炎を背にして凄むその迫力はどこか見覚えのある物であった。
 フラッシュバックするのは、かつての結婚生活である。
 無論、本人にはまったく身に覚えがない所までうり二つだ。

「キュルケ。それにタバサ。あと、シエスタとかいうメイド」
「はい?」
「それにジゼル」
「え?」
「あの子、銀の髪で可愛いわよね。家は貧乏みたいだケド」
「ルイズ?」
「ルー。あの韻竜もすっごく、かわいい。真っ白な髪に真っ白な肌。男はみんな、あんな儚げな子が好きなのよね。結構大食いだったケド」
「ごっ、ご主人、様?」
「それと、えっと……あのチキュウに行った時に会った子。名前、何だっけ? たしかコシバって言ってたわよね」
「一体、何を……」
「だまらっしゃい!」

 再びばんばん、と静粛にするよう鞭を二度机に叩き付けるルイズ。
 口どころか目まで三角形にして、ルイズは才人に対する圧力を強めた。
 その威圧感はかの "暴君" を才人に思い出させ、これは下手に刺激しない方がいいと今更ながらに認識させる。

「で……そう、コシバ。あの子も中々綺麗だったわよね。髪なんてどんな秘薬を使ってるのかすっごく綺麗だったし? ま、今はアンタの事なんて覚えてはいないだろうケド」
「ルイズだって髪はきれ……」
「そうそう、 "魅惑の妖精亭" を忘れちゃいけないわね。ジェシカにエメにトマ。特に、女の子の格好したトマは可愛かったわよねぇ。私より胸がないケド!」

 バシン! と強く机を叩く鞭の音。
 その音の大きさは、ルイズの怒りの大きさでもあった。
 才人は思わず目を瞑ってしまったが、再び目を開いた時、主の背後にあった怒りの炎はゴゴゴと音を立て黒い竜巻のような火柱へと変わっている。
 幻影であろうが、その炎の迫力はまるで地獄の審判のようであった。

「そおおお言えば! ちぃ姉様もなぁああああんか、あんたには優しい目をしてたわ、ね!」

 バシン。
 音だけならそれだけの表現で済むだろう。
 しかし才人にとっては、世界の終わりを告げるラッパのような恐怖感がわき起こっており、勇者には似つかわしくない恐怖をかき立てるには十分であった。

「ねえ、ワザと? 冴えない外見してるのに、女の子を惹き付ける魔法でもかかってるんじゃないのあんた?」
「んなわけあるか!」
「判決! あんた、この部屋から一生外出禁止!!」

 審議らしい審議もなく、判決はあっさりと下った。
 勿論、被告による答弁や証拠の提示どころか罪状認否すら行われない。
 流石に被告はあまりに理不尽な判決に抗議の声を上げる。

「ま、待ってくれ! トイレはどうすんだよ?!」
「おまるを用意してあげる」
「やだよ! そんなの! だれが処理すんだよ?!」
「ここに性悪……未来の私が置いてあった、ルーン付きのゴーレムがあるわ。あのヒコーキを動かせるもの、あんたのシモの処理位できるでしょ」
「そんな! これからの事はどうすんだよ!?」
「し、しらないわよ! 何とかしてみせるわ!」
「タバサの母ちゃんの事とか、アルビオンとの戦争とか洒落にならねえんだぞ?!」

 才人の台詞に、ルイズは思わず口をつぐむ。
 流石にタバサの母親の事やアルビオンとの戦争の事を出されると、言葉が出てこないルイズであった。
 しかし納得はしていないようで、三角になった目尻に涙を浮かべつつも、おなじく三角にした口を食いしばり、うぬぬと不満の唸りを上げている。
 なまじ、才人にしてもルイズの言い分はわかる為それ以上は責める事は出来ず、しばし部屋には奇妙な緊張と沈黙が漂った。

「……じゃあ、私はどうなのよ?」

 絞り出されるように発した声は、先程までの迫力はない。
 本人もそれがワガママであるとわかってはいるものの、言わずにはいられないといった風情である。

「ルイズ……」
「物事には優先順位があるって位わかってるわよ……でも……」
「そうだけど、さ」
「でも……モンモランシーが何時も言うの。『愛する者同士が行うキスは、特別』だって」
「……ルイズ?」
「それで、自慢するの。昨日だって、ギーシュとどんな甘いキスをしたとかって。知ってる? 恋人同士、本当に愛し合っているなら甘酸っぱい味がするそうよ?」
「え、っと? そういや、昨日デザートに出た果実は結構酸っぱ」
「なのに才人とキスをしてもそんな事ないし! あんた、実は他の女の子に気があるんじゃないかって疑っても仕方無いじゃない?!」
「あの、ご主人様?」

 ルイズは再び、怒りの炎を背にして目と口を三角に変化させながら、鞭を両手でへし折らんとするようにグニャリと曲げ興奮し始めた。
 何の事はない。
 不満は確かにあれど、要はモンモランシーに惚気られ、対して(表面上は)一向に進展しない自分達の関係に業を煮やしただけなのだ。
 そりゃ、才人としてもヤれるものならばヤりたい。
 若い肉体を存分に貪りたい。
 しかし、それは地球に行った時、少なくともタバサの母親を助けるまでは辞めておこうと心に誓った事でもある。
 それはルイズ自身もわかっている。
 しかし才人は兎も角、年頃の夢見がちな少女にはそんな生殺しの状態は辛い。
 かくして、このように爆発するのであろう。
 今回の場合、大元のキッカケはモンモランシーが言ったキスの話が原因らしい。
 ならば、と才人は如何にルイズの自尊心を満たせるか一計を案じることにした。

「なあ、ルイズ」
「あによ! 兎に角、あんたは」
「 "大人のキス" って奴を試してみないか?」

 借りてきた猫、という比喩がある。
 ルイズは才人の言葉に、一瞬でその状態となった。
 怒りのあまりに三角となっていた目は興味に輝き、口は小動物のようにもごもごと言葉を探す。

「お、おお、大人の?」
「キス。俺、一回人生を最後まで送ってるの、知ってるだろ?」
「う、うん」
「そんだけ生きてりゃ、まあ、色々と "経験" してる」
「そ、そそそ、そうよね、うん」
「だけど、今はダメだろ? でもさ。キス位なら……な?」

 ボッと音が鳴るほどルイズは顔を赤らめて、才人の提案にコクコクと頷いた。
 そう、才人の策とは他の者に自慢出来るような "大人のキス" を教える事である。
 それは、唇を重ねるだけでなく、お互いの唇を甘噛みするようなものでも、軽く舌を差し込むようなものではなく。

「いいか? ルイズ。肝心なのは、羞恥心に負けない事だ」
「う、うん……」

 才人とルイズはベッドの上に腰掛け、互いに向かい合い顔を近付けた。
 キス程度ならば日頃隙あれば行って居た二人であったが、まるで結婚初夜のような雰囲気は甘くルイズをとろけさせて、耳まで赤く染めている。

「まず、口をあけて舌を思いっきり突きだして、お互いの舌の先端を触り合うんだ」

 説明に、ルイズは目を瞑ったまま、ほわぁと口を開けてその短い舌を突きだして見せた。
 きっと、はしたない表情を浮かべているのであろうと想像する程、羞恥が体に満ちてえもいわれぬ感覚に襲われる。
 やがて才人も同じようにして来たのか、ぬるりとした感触が舌先に伝わり、優しく這うようにルイズの舌を摩り回すように動き始めた。
 ルイズは思わずあふ、と吐息を漏らし、才人にその息がかかったのではないかと心配しながらも。
 才人の舌は徐々に舌の根の方へ近寄って、その感触に思考を焼かれ全身の力が抜けるかのような錯覚を覚えた。
 気が付けばルイズも又、強請るように才人の舌を舐め這わせ、そのヌルヌルとした感触に胸を高鳴らせる。
 必死で差し込んむ感覚はまるで、相手を求める心のようで。
 逆に自分の体内に差し込まれてくる舌は、自分の全てを奪い去るかのように蹂躙していき。
 しかしその感触は被虐心を煽り、ルイズに雌の本能のような女の部分を強く意識させ焼かれた思考が真っ白に染めあげていくかのような感覚を与えるのであった。
 気が付くと、ルイズは夢中で才人の口の中に舌を入れ動かし始めていたのだったが。

「あっ……」
「……ここまで」

 時間にして一分ほどであったか。
 突如、才人は舌を引き抜いて、引いた唾液の糸を切りながらもそう宣言したのである。
 ルイズの方も消え入りそうな声で応じながら、唇から垂れかけた唾液を取り出したハンカチで拭き取り、先程よりも更に赤く茹で上がりながら才人から目を離すのであった。

「ルイズ、ちょっと舌を動かすのは速かったぞ? もっと焦らすように、ゆっくりと動かさないと」
「う、うん……」
「本当はこの後、お互いの唇を着けて、唾液を交換しながら相手の歯の裏をか舐めたりするんだけど」
「そ、そそそそ、そう、なの?!」
「ん。だけど……すまん、俺の方がガマン出来なくなりそうだから」
「い、い、いいいわよ、そんなこと」

 気にするな、と言いたいのか、それとも続きを構わずやれ、といいたいのか。
 ルイズは理性も言葉も纏められぬまま、出来損ないのゴーレムのように不自然に身繕いを始める。
 しかし才人は「ちょっと "冷やしてくる" 」と言い残し、そんな風になってしまった主を置いて後を振り返りもせず足早に部屋を後にしてしまう。
 後にのこされたルイズは、舌先に残る感触を反芻しながらも "大人のキス" の味を思い出し蕩けながら、久しぶりに広がる胸一杯の幸福感に体を投げ出すのであった。
 そして後日。

 ルイズの話を聞いたモンモランシーが、ギーシュに "大人のキス" を強請り一騒動あったのは又別のお話。



[17006] Interval_episode/ガリアの蒼い星は暁に瞬くIII
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/03/15 23:37
■はじめに
 単に明るいお話が書きたかっただけな作者の自慰行為です。
 このお話は本編とは関係ありません。
 過去のIFものと同じように「ガンダールヴは夢を見る。」の設定を使った別作品の短編だと思って下さい。
 設定は才人が死んだ世界でのアフター物で、IF設定となります。
 また、すこし説明が曖昧な部分があります。







 唐突ですが、私(わたくし)は時々自分の才能が恐ろしくなる事があるのです。

 名前はアンネロゼ・シモーヌ・オルレアン。
 ガリア王国の由緒ある公爵家の姫君であり、虚無の系譜と "剣の系譜" を併せ持つ由緒正しいメイジの家柄です。
 有り余る魔法の才能と眩いばかりの美貌は『ガリアの蒼い星』と謳われております。
 そんな私が。
 そんな、超絶美少女で天才で、出会った全ての男の妄想の中で一度は陵辱されてしまうほど魅力的な私が。
 何故、こんなトリステインのド田舎の、更に奥地の森の中に居る理由とは?
「こっちです、タバサさん」
『お嬢様? ルーさんが呼んでますよ? 突然立ち止まってどうしたのですか?』
 五月蠅いのです、アラン。美少女には時に立ち止まり、黄昏れなくてはならぬ宿命があるのです。
 何が悲しくてこんな雌と一緒にオーク鬼退治に出かけなきゃならんのです?
『自業自得ですよ。なにせお嬢様のご先祖様である『タバサ』になりすまして、かの英雄、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ公のお屋敷に潜入してしまったのですから』
 仕方ないのです。
 本来、天才メイジである私(わたくし)には杖が必要無いのですが、タバサのフリをする為、わざわざ同じような棒っきれを手にし、メガネまで用意したのは全て使命の為。
 それは最近特に改竄されつつある "剣" の歴史を編纂する為、この時代まで遡りあのチン公の生態ならぬ性態を暴く事こそ、私の使命なのですから。
『チン公はおやめ下さい、チン公は! 仮にも私やお嬢様のご先祖様なのですよ?!』
 まったく、アランは小姑のように五月蠅いのです。
 シエスタとかいう貴方のご先祖から、命を救ってあげた恩をもう忘れたのですか?
『それ、潜り込んだヒラガ公のお屋敷で、お嬢様が私をゴキブリの姿に変えたからじゃないですか!』
 だから、ちょっとだけ悪いと思ってさりげなく箒の中に匿ってあげたではないですか。
 大体、お前は愛くるしい幼なじみの、ほほえましい悪戯に目くじらを立て過ぎなのです。
『どこがほほえましい悪戯なんですか!』
 半端なチャバネじゃなくて、大きく厚く、ヌラヌラとした黒いぼでぃにしてあげた当たりが?
 うふ、お前が憧れていた英雄サイトの髪と同じ色なのです。
『シャレになってませんよ! まったく、どういうおつもりですか?! こんな事で貴重な "確率操作" 使ってしまって……これじゃ何かあった時どうするんですか!』
 五月蠅いのです。黙らないとお前を格納している小瓶の蓋に開けた、空気穴を塞いでしまうのです?
『さあお嬢様、先を急ぎましょう』
 わかれば良いのです、アラン。
 何時もながらお前の変わり身の速さは感心させられるのです。
 お前が聞き分けの良い召使いでよかったのです。
 ああ、ちなみに、その小瓶から脱出したらただじゃ置かないのです?
『なぜですか?』
 流石の私もキモいから、です
『うう、泣けて来ました』
 元気を出すのです。懐に居る分、空気穴から私の乙女特有の甘い香りが入ってきて役得なのでしょう?
「あの、タバサ、さん?」
 きにしないで、です。 ちょっと考え事、なのです。
「そう。サイトさんが言ってたオーク鬼の群れが出る場所ってもうちょっと先だから、疲れたら言ってね」
 わかった、です。
 それより、ルー、さん?
「はい?」
 あのチン公とはどんな関係なのです?
『お嬢様! もうちょっとそれらしく取り繕る努力をして下さい!! 流石に偽物だとバレバレですよ!』
 面倒くさくなったのです。
 何、あとで "忘却" でもかけておけばいいのです。
「え……前に話してませんでしたっけ? それにチンコウって何ですか?」
 私がサイトにつけたニックネーム。古ハルケギニア語で "いきり立つ勇者" を意味する
『……なんでそういう事言う時だけは真面目になりきるかな』
「へぇ。 私も結構古くから生きてるけど、そんな言葉があったのね。東方の言葉かな?」
 そう、なのです
「ああ、ごめんなさい。私とサイトさんの事よね? うふ、気になる?」
 それはもう。
 あのチン公が貴女を夜な夜などのような格好をさせているのか、興味津々なお年頃、なのです
「あ、大丈夫よ。私とサイトさんはそういう関係じゃないから。ふふ、タバサさんってルイズさんと一緒で、結構サイトさんの女性関係が気になってるみたいね」
 ……むむむ。この女(アマ)、中々手強い気がするのです。
『そうですか? お嬢様のバレバレの演技に疑問すら持ってないようですし、ほわっとしててどっちかっていうと抜けているように見えますが』
 だまらっしゃい。
 お屋敷を出る前シルフィードを締め上げて聞いた所、こいつはこう見えても相当古い韻竜なのです。
 油断は大敵。
 あのチン公を独り占めせんと何時この愛くるしい私(わたくし)に牙を向けるか、わかったものではないのです。
『お嬢様。そろそろその、チン公っての、辞めません? 流石に下品ですよ、下品』
 む。アランは一見、純情可憐な私が下品な言葉を使う事に興奮しないのですか?
『いたしません。そもそも大元からして……じゃない、お嬢様、チキュウ産の薄い本の見過ぎですよ』
 今何を言おうとしたのか気になるのです?
『さあ、なんの事でしょう? うわ! お、お嬢様?! 突然なにを?!』
 ふふん。
 この愛くるしい私を "大元からして下品な上に胸が無い" などと考えた不埒な召使いに罰をあたえるのです。――こうやって、小瓶からその辺にポイっと。
『罰ならもう十二分に受けているじゃ無いですか! それに胸が無いは濡れ衣です! や、やめ……わああ!』
 ざまあ見ろなのです。
 精々、はぐれないように必死に付いてくるのです。
 だけどゴキブリは凄くキモいので、もしお前が視界に入ったら私、なにをするかわかりません。
 注意しなさい、なのです。
『非道!』
「あの、タバサ、さん?」
 気にしないで、なのです。ちょっとついでだから秘薬の失敗作を捨てただけなのです
「うう、その、秘薬の失敗作って……ゴキブリが、ですか?」
 見てたのです?
「そりゃ、突如黙りこくって徐に懐から生きたゴキブリが入った小瓶を出せば、目も逸らせなくなるもんですよ」
 ……気にしないで、なのです。
「……気になりますよ。私、ゴキブリって苦手で。ほらほら、見て。この鳥肌!」
 ……ビックリするほど白い肌なのです。
「え? ああ、私、ほら、生まれつきこうなの。サイトさんによると白子症(アルビノ)って言う病気? みたいなものなんだって」
 あ、知っているのです。
 私、天才ですし。
 生まれながらに色素を持たない個体、それが白子症(アルビノ)なのです。
 免疫機能が弱く良い事ばかりではないのですが……しかしその白さはやっぱり羨ましいのです。
  "元の姿" も白いのです?
「あれ? タバサさん、前に私の元の姿を見た事なかったでしたっけ?」
 うあ、えっと。
 その、あの時はアレがソレでその……うわっと! いきなりでっかい石が飛んできたのです!
「危ない! オーク鬼だわ!」
 うぬれ! 下等生物の分際でこの私に不意打ちとは。
 今私(わたくし)謹製オリジナル魔法 "エターナルフォースブリザード" でクォークも残さず分解してや……ルーさん? どうして服を脱ぐのです?
 もしかしてこのオーク鬼と "お楽しみ" になるつもりなのです?
 いや、いやいやいや。
 相手はちゅう、ちゅう、たこ、かいなって沢山いますです?
 その、私、流石にそういうハードな奴は遠慮したいというか、初めて位はその、きちんと手順を踏んで、心を繋げた相手がいいというか、えっと――!?
 ――ほええええ?!
 も、ものすごくでかい韻竜になったのです!!
「タバサさん! 少し離れてて! 焼き払います!」
 や、焼き払うって!
 はっ?!
 アラン!
 アランは何処です?!
 逃げないと巻き込まれ……いた!
 アラン! 早く逃げるのです。
 何です? お前、でっかい韻竜になったルーさんの脚にへばりついたりして。
 私に対する当てつけです?!
「タバサさん! 足下でなに……を? ……ひえええええ! ゴ、ゴキブリィ! ――ふぅ」
 あ!
 こら!
 その巨体でいきなり気絶するなです!
 ゴキブリ位で大げさなのです!
 わ、わ、倒れて……わあ!
 ……
 ……ケホ、ケホ。
 ビッ、ビックリしたぁ……なのです。
 まったく図体ばっかデカイくせに小心すぎるのです。
 さて……アランは……ああ、まだ脚にへばりついているのです。
 まったく、お前は何を考えているの……うぉっと!?
 またでっかい石が飛んできたのです?!
 ――なんだ、オーク鬼ですか。
 さっきまで怯えまくってた癖に何を息を吹き返してるのですか。
 倒れた韻竜にそんな石ころやほっそい槍なんて投げつけても、硬い鱗に傷一つ付けられないのです。
 これだから下等生物は。
 さて、ちゃっちゃと駆除するか、なのです。
 それからマヌケな韻竜起こして、色々と聞き出した後に "忘却" かけて帰るのです。
 ――っと、そんな投擲じゃこの私(わたくし)に石など当たりはしないのです。
 さ、アラン。
 今から派手な花火を上げるので、一旦その韻竜の影にでも隠れ――
 ――石が
 ――石が、アランに当たって――
 うそ……アラン……?
 そんな……そんな!



「うう……は?! こ、ここは?!」
 気が付いたのです?
「タバサさん? あ、私……足にゴキブリがいて……そうだ! オーク鬼は!?」
 オーク鬼はもういないのです。
「え? あれ、私、人間の姿に……わ! な、なんですかこれ! 森の奥が無くなってる?!」
 覚えてないです?
 ルーさんが混乱して気絶する前、特大の火球で大地をえぐったのです。
 その後最後の力を振り絞り人の姿に戻って、後の事を私に託したのです。
「そんな……これを私が? でも、私の火球はこんな威力なんて……いや、 "暴君" だってこんな……」
 火事場の馬鹿力ってやつなのです。
『本当は我を失ったお嬢様が手当たり次第に魔法を使った結果なんですけどね』
 う、うるさいのです。
『まったく、どうするんですか? これ。特大の "エクスプロージョン" を使ってもこんな大きな谷なんて出来やしないですよ? 底が見えないし』
 ……とりあえず "忘却" で凌いで、 "確率操作" で元に戻しておくから問題ないのです。
『はぁ……こりゃ、帰るのは当分先になりそうですね』
 元はと言えばお前が悪いのです。
『そんな! 私はただ、オーク鬼が現れた時点で巻き込まれないよう、近くの茂みに隠れていただけなのに!』
 なら一言あってしかるべきなのです。
『……あんな取り乱したロゼ、初めて見たな』
 う、うるさいのです。お前なんかこうしてやるのです
『あ! やめて! 空気穴塞がないで! こら! 振るな! やめろって!』
「タバサさん? 何を振ってるんですか?」
 無粋な召使いが入った小瓶なのです。
「え? それ……ふぅ」
『あ。また』
 よっぽどキライなのです。図体がデカい癖に気の弱い奴なのです。
『……』
 アラン? どうしたのです? いきなり黙り込んで。
『白子症(アルビノ)って本当に白いんですねぇ』
 うん? そりゃ、白子症(アルビノ)だから当たり前の話なのです。
 これこのように、唇や乳首など常人でも色素が濃い部分は流石に色素が少しあるようですが体毛はすべて、陰毛に至るまで白……

『……あ、ルーさんの服、あっちで見かけましたよ? ――あれ? お嬢様? 如何なさいました? そのような恐ろしい形相になられ――』






[17006] 7-1:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く (改訂)
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2011/03/09 23:09










才人とルイズがアンリエッタに新たな未来を提示されてから、およそ一月が過ぎた頃。





季節は秋から冬へと流れ、暦はギューフの月へと移っていた。

朝夜に吐く息は白くなるも年が明けるまでのつかの間に、秋が深まるのを感じさせる月である。





「ほぇえ、ここが港街シュトランドヤーデ……サイト! みてみて、あの町並み!
 話に聞いた通り、どの建物も赤い屋根ばかりですっごく綺麗よ!」


「待ってくれ、ルイズ! くそ、一個位荷物持ってくれたっていいじゃねえか」


「何よそれ位。情けない使い魔ねぇ。
 そもそもレディに荷物を持たせるなんて、紳士失格よ?」


「んな、こたぁ、分かってるって! だが、な。俺はこう、小さな荷物を一つでも持とうという優しさが、おっとと、欲しいんだよ」


「ダメよ、軍の規律では上官の荷物は副官が持たなくてはならないもの。
 それにこれからウェールズ様の使いの方と合流しなくちゃいけないでしょ?
 その辺キッチリしてお会いしなくちゃ、トリステインの代表としてしめしがつかないわ」


「へぇへぇ、わかりましたよ "ミス・ゼロ" どの」


「うむ、よろしい "盾(バックラー)" くん」





ルイズはそう言って山のような荷物を抱える才人の目の前に立ち、むふんと鼻息も荒く胸を張って仰々しくエバってみせた。

愛らしいその仕草に思わずニヤケてしまう才人だったが、狭い桟橋の上で他の乗客とすれ違いバランスを崩しそうになってしまう。

そんな才人の後方では二人が今し方乗ってきた、ハルケギニアならではの乗り物である空飛ぶ船こと "フネ" が停泊して

長旅を終えた乗客が次々と降りる姿が見えていた。

桟橋はラ・ロシェールの港町で見た世界樹桟橋とは違い、コの字に無骨な石造りの塔が並んで建てられ、内一つから木製の通路が

"フネ" に向けて張り出されて乗客はそこから乗降する仕組みだからか、非常に狭い物だ。

残る他の塔は係船用のロープを受け取り固定する為の物であり、係船索の固定作業を行う為の作業員がせわしなく動く姿が確認できる。

そのような塔が無数に立ち並ぶゲルマニアの港の景色は圧巻で、さらにその向こうには名物である赤い屋根の街並みが広がり

異国へ足を踏み入れたのだという感触を強く二人に印象づけた。

この日二人はトリステインを遠く離れ、ゲルマニアの西方に位置する港街シュトランドヤーデへとお忍びで足を運んでいたのであった。

丁度、 "歴史" ではトリステインとゲルマニアの連合軍がアルビオンへ艦隊を送り込む日の一月程前である、ギューフの月第一週

フレイヤの週、マンの曜日での事である。





「それで? 待ち合わせは何処なんだ?」


「この桟橋が取り付いている塔の上で待つようにって指示されてるわ」


「……他の乗客やその迎えの人らはもう全員塔を降りてしまって、ここには俺達しか居ないようだけど?」


「むー。でも、間違いなく姫様からいただいた指令書にはここでって書かれていたし……
 あ! 誰か上がってきたわサイト」





言葉に才人は抱えていた荷物の隙間から覗くように塔の頂上から下へと降りる階段の方を確認すると、確かに階段を上ってくる人影が見えた。

二人が乗ってきた旅客用フネは、補給物資の積み込みなどでまだ暫くは乗客が乗船出来ない。

従って、人物は恐らくは迎えの使者であろうとわかる。

やがて階段を全て登り切った人影は、その姿を現し才人の予想通りに真っ直ぐと二人のもとへ近寄って来た。

人物は陽光に明るい金の髪を煌めかせ、身なりも瀟洒(しょうしゃ)な服装であり何よりもその腰の刺突剣のような杖が

貴族である事を現している。

キラキラと光る髪の毛は首筋程で小綺麗に切りそろえられ、凛々しくつり上がった眉が整った顔立ちを一層引き立たせ

特に白く細い首筋と大きなブルーの瞳が印象的な女性であった。

年の頃は才人と同年代程か。





「もし、失礼ですがレディ。 "トリステインから槍をお持ちになっていますでしょうか?" 」


「ええ。 "剣と未来も一緒に持って来ましたわ" 」





ルイズと女性がお互いに符牒会わせの合い言葉を口にすると、女性は背筋を伸ばしかかとをカツンと揃え、敬礼の姿勢を取って

ようこそ、シュトランドヤーデへと大きな声を発した。





「遅れて申し訳ございません、 "ミス・ゼロ" 殿。何分、他の乗客の目も在りました故」


「気にしないでいいわ。えっと?」


「申し遅れました。自分はアルビオン王軍所属、ケイト・ブロウ准尉であります」


「ではミス・ブロウ。早速で悪いんだけど、私達を目的地まで案内してくれる?」


「はっ! では、こちらへ。下に馬車を用意してございます。





ミス・ブロウはハキハキと答えながら、ルイズを案内すべく階段の方へと誘導した。

その間才人の方には一切の関心を寄せず、当然の事ながら荷物は彼が全て持ったままである。

どうやら才人の事は荷物持ちあるいはミス・ゼロの小姓か何かと思われたらしい。

重い荷物を長時間持ち続ける苦痛とは無縁であったものの、積み上げるようにして持っている為バランスを取るのが難しく

高くそびえる塔を降りていくには非常に神経を使う才人であった。

そんな一番後でよっ、ほっ、おとと、と荷物のバランス取りに腐心する才人を余所に、前を行くルイズをミス・ブロウは

螺旋階段を降りながら他愛も無い世間話を繰り広げている。





「 "ミス・ゼロ" 殿。フネでの旅は如何でしたか? さぞお疲れになりましたでしょう」


「そうでも無かったわね。それよりも、この街の風景が凄く綺麗でビックリしちゃった」


「ははは、自分も初めて街を見た時はそうでした。
 この街は元々ビットナー西方伯がアルビオンとの交易の為、特に力を入れて開発した街なんですよ?」


「へぇ。それであんなに沢山の桟橋があるのね」


「はい。
 もっとも、トリステインやゲルマニアでは民間船まで戦に駆り出されてしまい、定期便の数が大幅に減ってしまっているようですが。
 本来ならば、もっとフネが空を埋め尽くす勢いで行き来していた筈なんですよ。
 ……あの、反乱さえ起きなければ……」


「……そうね」


「――それはそうと "ミス・ゼロ" 殿。伺った話では副官に "盾(バックラー)" 殿が随行すると聞いておりましたが……」





会話が暗くなりそうな所で、ミス・ブロウは少し強引に話題を変えた。

しかし、それは返ってルイズと才人の苦笑を誘ってしまう。

ミス・ブロウは首を傾げ何か? と少し心配そうな表情を浮かべた。

そんな彼女にルイズがピっと苦笑を浮かべたまま後方の才人へ親指を差し、才人が荷物の合間から引きつった笑い顔を覗かせると

ミス・ブロウは状況を正確に把握し、みるみる内に凛々しい顔を引きつらせて、大声を上げながら才人へと駆け寄るのであった。





「も、申し訳ありません "盾(バックラー)" 殿! わたし、いや自分、てっきりミス・ゼロ殿の従僕とばかり」


「や、や。気にしなくていいですよ、従僕でも間違いじゃないし」


「そ、そんなつもりでは! あ! お荷物、お持ち致します!」


「いや、足場悪いから、いいです。降りたらおね」


「ささ、お荷物を此方へ」


「うわわ、と、いいですよ。バランスが……」


「こ、この一番大きな物をお持ちしましょう!」


「ちょ、やめ、ソレ抜かれたらあ、あ、あ、ああああ!」


「きゃあ?!」


「ああああ! 私のお気に入りのカバンが!」





焦ったミス・ブロウが才人の制止も聞かず、強引に積み重ねた荷物を引き抜いた結果。

三者三様の悲鳴を背景に荷物の山は崩れ落ち、ルイズが特に気に入っていたカバンが音を小さくしながら下へと落ちていった。

一方バランスを崩した才人は、同じく大量の荷物が降りかかってきて体勢を崩したミス・ブロウと接触し、もみ合うようにして

螺旋階段を転げ落ちていく。

塔の中程からの転落で在った為、その勢いは徐々に増していき直ぐにルイズの視界から消えてしまう二人であった。

お気に入りのカバンの行方に気を取られていたルイズは、目の前を転げ落ちる二人を見て拾い上げていた荷物を放り出し

急いで階段を駆け下り始める。

石作りの階段を転げ落ちれば、普通の人間であれば只ではすまない。

才人はともかく、ミス・ブロウに怪我でもされたならば自分達の立場も悪くなるだろう。

更に打ち所が悪ければ、死んでもおかしくはない高さだ。





「サイト! ミス・ブロウ! 怪我は――」


「う、うう……」


「い、いちち……俺はだ、大丈夫だルイズ。ミス・ブロウ?」


「は、はい。何処も痛む所は……きゃあ!」





息を切らせながら階段の下まで降りてきたルイズが見た物は、才人とミス・ブロウが折り重なって倒れている姿であった。

才人がミス・ブロウの下敷きとなっており、彼女の背にその腕が回されている事から途中から才人が彼女を庇っていた事が伺える。

多少妬心を沸き立たせながらも、ルイズが声をかけると才人の返事と共にミス・ブロウの悲鳴が上がった。

それは怪我による呻きではなく、年頃の女の子特有の羞恥による声である。





「は、離せ下郎!」


「わ、ご、ごめん! でも」


「離せ! ええい穢らわしい! この身に触れて良いのはウェールズ様だけだ!」


「わかった! わかったから暴れ……うご!!」





メキリ、という音を聞いてルイズは思わず目を瞑ってしまった。

才人に抱きしめられ、混乱したミス・ブロウが暴れた拍子に……あるいは狙って繰り出したのか彼女の肘が才人の顔面にめり込んだ為だ。

くぐもった悲鳴を上げながら顔面に両手を当てる才人からミス・ブロウはしなやかな動きで離れ、直ぐに立ち上がり

今度は才人の股間目がけてその細い足で蹴りを繰り出して見せる。

もう一度、今度はメキョという音をルイズは耳にし、思わず肩を跳ね上げて目を瞑ってしまった。

再びその目を開くと、ミス・ブロウのつま先が才人の股間にめり込んでいるのが見える。

才人は声にならぬ悲鳴を上げ、プルプルと体を震わせてまるでサナギのようにうずくまり、そのまま動かなくなってしまった。

ふー、ふー、と興奮し息を荒くしたミス・ブロウは仁王立ちに才人を睨み付け、そんな彼女にルイズは背後から恐る恐る声をかける。





「……み、ミス・ブロウ?」


「どうだ! この破廉恥な痴漢め! わたしの……わた、し、あの?」


「……! ――!」


「ミス・ブロウ。えっと、その……怪我は無いようね?」


「え、あ、ミス・ゼロ殿? あの、わた……自分……うわあああああ! 盾(バックラー) 殿! 申し訳ございません!
 だ、だだ、大丈夫ですか?!」


「……! ――!」


「大丈夫、じゃないみたいね。まあ、こいつは怪我しないからその内復活するでしょうけども。
 でもサイト……盾(バックラー)がここまで苦しんでるのって久々に見たわ」


「ももも、申し訳ございません! 自分、男の人には免疫がなくて、その……」


「……みたいね。
 とりあえず、盾(バックラー)が復活するまでは荷物を拾って貰えるかしら?」


「は、はははい! 申し訳ございません、ミス・ゼロ!」





呆れ半分、才人に暴行を加えられた怒り半分のルイズの声色から逃げるように、ミス・ブロウは凄まじい勢いで

散らばってしまった荷物を回収すべく階段を駆け上って行き、すぐに姿が見えなくなってしまった。

後に残されたルイズはため息混じりに未だうずくまる才人を見下ろし、すこし不機嫌な表情を浮かべる。

先程目に飛び込んできたミス・ブロウを抱きしめる才人の姿を思い起こし、今更ながらに妬心が膨らんで来たからだ。

だがいつもなら罰と称してヤキモチをぶつけるルイズであるが、先程のミス・ブロウの姿を見てすっかり気を削がれてしまっていた。





「大丈夫? まったく、咄嗟に庇ったのは褒めてあげるけどやり過ぎよ?」


「だ、だ……って、さ」


「そりゃ、ルーンを女の子の前で無闇に使うなって言ったのは私だけど……
 もう。いいから、とっととルーンを発動させなさいよ」


「わ、わか……ふぅ。ああ、すっげえ痛かった!」


「んー、これ、良し悪しよねえ」


「なあ、気にしすぎじゃねえのか?」


「あにがよ」


「俺が女の子の前でルーンを使おうが使うまいが、別にそれだけで惚れたりするもんじゃねぇんじゃないのかな?」


「あんたねぇ。学院でギーシュと訓練みたいな事やって、それを目撃された時の事、もう忘れたの?!」





起き上がり服に付いた砂埃を払う才人を見上げて、ルイズは腕組みをしながら頬をプクっと膨らませた。

少し前の出来事であるが、任意での学徒出陣の勅令が学院に届いた後、才人はギーシュの戦闘訓練に付き合っていた折。

調子に乗って派手な戦闘を繰り広げた才人の姿を幾人かの生徒が目撃し、その噂を聞きつけた女子生徒のギャラリーが日増しに増え

更にその中から才人に興味を持った幾人かが、何かと才人の世話を焼きたがるようになってしまう出来事があった。

つまり、まるで絵本の中の勇者のような動きを見せる才人を見て、黄色い声援を送ったり、汗を拭くタオルや手作りの甘味の差し入れを

行う者が現れたのである。

当然それはルイズやシエスタにしてみれば面白くない。

かといって、授業や仕事がある二人が四六時中才人に張り付いて居るわけにもいかず、苦肉の策として才人に人前では――

――特に女の子の前ではルーンを使うなと堅く約束をさせていたルイズであった。





「うーん、でもさ。今更隠したってもう遅いんじゃねえか? どうせ戦闘になればばれるし」


「そうだけど! あんた見てると、どうもそのパターンで女の子惹き付けてる気がしてならないのよねぇ」


「うっ。でも、仕方無いだろ。それに、大概は能力使わないとヤバイ時ばっかだぞ?」


「それは分かってる、けど。不安になるじゃない」


「……悪ぃ。でもさ。俺、見過ごせないんだ。ごめんな?」


「それも、分かってるわよ。だから……」





こうやって落ち着かせて欲しい、とばかりにルイズは才人の腰に手を周しつま先立って軽く口づけを交わす。

しかし、才人が自分の腰に手を回すよりも早く、その身を翻して距離を空けるルイズであった。

少し物足りなさそうな才人にルイズはイ! と歯を見せて、頬を再び膨らませミス・ブロウが消えていった階段の方にプィっと向いてしまう。

そんな彼女に才人はつい苦笑いを浮かべ、ミス・ブロウがレビテーションを使い荷物を回収して来るまでの間

愛しげにその後ろ姿を眺めつづけた。







ウェールズ皇太子を人知れず支援するゲルマニアの貴族、ビットナー西方伯はアルビオンでのニューカッスル城陥落時に

娘婿といずれ自領の跡取りとなる孫を一度に喪ってしまった。

元々目に入れても痛くないほど可愛がっていた一人娘とアルビオン貴族の縁談には反対であったが、優先貿易の権利や男子が生まれた場合

ビットナー家の跡取りとする事を条件に渋々若い二人の結婚を認めたいきさつが西方伯にはあった。

やがて可愛い娘は二男一女を産み、その存在はあれ程厳しく利にどん欲であった西方伯を優しい祖父へと変貌させてしまう。

西方伯は特にビットナー家の跡取りともなる長男を可愛がり、その成長を非常に頼もしく、又楽しみにして

遂には彼自身の生き甲斐へと変わっていた。

しかし。

長男が一通り学を修め、各国の見聞を広める留学も終えいよいよ西方伯の元に "里帰り" をして、領地経営を学ぶ段になった時。

アルビオン王国で貴族派による反乱が発生する。

長男はその誇り高い志を胸に、父や弟と共に不忠者どもと杖を交えた。

そして、王党派が全滅するニューカッスル城の陥落。

戦死者の中に、娘婿と二人の孫の名を認めた西方伯の悲しみは如何ほどのものか。

やがて悲しみは憤怒へと変わり、憤怒は激しい憎悪となって空に浮かぶ大陸へと向かった。

程なく生き甲斐を奪われた老人の憎しみは、フネでニューカッスル城を脱出し、自分を頼ってやって来た娘や孫娘と共に居た

ウェールズ皇太子へと託される。

ビットナー西方伯は生き恥を晒す想いで脱出船に合流したと言う皇太子を匿い、密かに支援を施したのであった。

当時のゲルマニア国内はトリステインとの同盟を結んではいたものの、虚無に連なる王家を持たない事もあって

アルビオンの貴族派を容認する動きもあり、内乱が終息して尚大きな軍事力を有するアルビオン新政府と事を構えるのは

得策ではないという論調が蔓延していた。

そんな情勢の中でウェールズ皇太子を密かに匿い支援する事は、西方伯の立場を非常に危うくする行為である。

しかし、ビットナー西方伯は微塵の迷い無く、ありとあらゆる支援活動を秘密裏に行うのであった。

全ては、復讐の為に。





「とは言っても、西方伯の兵を借りて表立って動かすわけにもいかないしね」


「それで私略による補給路の攻撃ですか」


「うむ。
 なんとも、情けないはなしではあるがね。
 それに情勢がトリステイン王国との連携による神聖アルビオン共和国との決戦になると、今度は西方伯もそちらに軍を出す必要があるし
 必然、そうなれば私の役割は国土奪還の御輿位しかなくなるだろう」





迎えの馬車の中、才人とルイズはなんと自ら出迎えにやって来ていたウェールズ皇太子との再会を果たしていた。

驚く二人にウェールズはにこやかに馬車へ乗るよう促し、その車中にて彼が今まで何をしていたのか二人と話していたのである。





「しかし、殿下。そうならば、何故未だに公の場にそのお姿を現して御身の正統性を主張し、兵を募らないのですか?」


「ミス・ヴァリエール。事はそう簡単ではないのだよ。私がもしそうしたとして、損をする者がいるのだ」


「……ゲルマニアですか」


「うむ。流石だね、サイト君。ワルドが一目置くだけのことはあるよ」


「どういう事? サイト?」


「だってさ、戦争なんて勝つ為にやるもんだろ?」


「うん」


「アルビオンとの戦争に勝ったとして、姫さまはともかくゲルマニアは何を考えると思う?」


「……あ!」


「そういう事だよ、ミス・ヴァリエール。
 彼らは神聖アルビオン共和国を解体し、戦利品として少しでも多くの賠償金や領地を得たくもあるのさ。
 国家間の同盟なんて、所詮己の利益が発生して初めて機能するものだしね」


「だけど、ウェールズ皇太子殿下が公に出てしまうと……」


「……大義名分が "殿下の失地回復" になるから、領地分割が難しくなるって事ね」


「うん。まあ私の兵は軍と呼べるほども居ないから、それでも多少は領地を取られてしまうだろうが
 ゲルマニアにしてみれば私が "居ない" 方がもっと沢山領地を得られるのは間違いないだろう?
 ビットナー西方伯はそのようなお人ではないが、アルビオンの貴族派の仕業に見せかけて……と言うことも十分にありえるのだよ」





ウェールズはそう言って、苦笑いを浮かべた。

ガタン、と馬車は揺れ僅かな沈黙が馬車の中を支配する。

馬車の中は広く、ウェールズと対面するように才人とルイズ、そしてミス・ブロウが座席に着いていた。

カッポカッポと整備された石畳の上を馬がゆく音が唯一車内の静寂を打ち消している。





「まあ、でも幸い "結果" はわかっているし、私も今更領地に未練があるわけではないしね。
 それに公の場に出てもし暗殺されでもしたら、あのお転婆な従姉妹が今度はゲルマニア相手に戦争を始めるかも知れないだろう?」


「そ、その時は自分も参戦します!」


「ありがとう、ミス・ブロウ」


「……殿下、それ、洒落になりませんよ」


「ははは、サイト君にはそうだろうね」





快活な笑い声を発してウェールズは、二人にウインクをして見せた。

才人の "秘密" に暗に触れ、しかし深くは話題に出さない所を見るとミス・ブロウは "ゼロ機関" の秘密は知らないと判断できる。

故に、ウェールズの冗談は才人やルイズにとってはある種火遊びのようであった。

思えばウェールズ皇太子は随分と雰囲気が変わったのでは無かろうか。

無精髭にも似たあごひげを生やし、優美で線の細い王子様といった雰囲気は微塵もなく、茶目ッ気たっぷりに話すその姿は

どう見ても亡国の皇太子には見えない。





「しかし、アンリエッタ姫……失礼、女王にはいつも驚かされるよ。
 まさか切り札である君達をエージェントとして送り込んでくるとはね。
 私は精々、腕の立つメイジを数名送ってくれれば良いと考えていたんだ」


「俺も、驚きましたよ殿下。まさか、 "予想と違う" 結果になるとは……」


「ああ、その辺は気にしなくてもいいよ、サイト君。
 以前、君から聞いた "話" に沿うよう、取りはからっておくからね。
 必要なのは結果であり、多少の過程の差異は気にしなくても良いって、あの時一緒に居た猫が言っていただろう?」


「それは、そうですが……」


「? 殿下、 "盾(バックラー)" 殿とは以前もお会いになった事が?」


「ん? ああ、まあ、ね。ミス・ブロウ。
 此方のミス・ヴァリエールとサイトくんは私にとって個人的な付き合いもあるのだよ。
 ミス・ヴァリエールはアンリエッタ女王の信頼も厚く、親友であると聞く。
 ならば、私にとってもそうであると言える存在だ。
 サイト君に至っては、間接的ではあるが私にとって命の恩人同然だしね」





ミス・ブロウはウーエルズの言葉に目を開いて驚いた。

まさか、そのような大物だとは露程も思っても見なかったからだ。

無論、ウェールズの言う "付き合い" とは一般的な交際のことではなく、才人が女王誘拐事件の折にウェールズの元へ立ち寄り

色々と話した時の事を差しているのだが、ミス・ブロウにはそんな事など知る由もない。

ミス・ブロウは暫く驚いた表情のまま、しげしげと二人を見つめていたのだったがしかし。

そんな表情もつかの間、今度はじっとりと嫉妬混じりの視線をルイズへ送り始めた。

どうやらルイズを親友同然だと言ったウェールズの言葉に、妬心を刺激されたらしい。

先程からの態度を見ても、ミス・ブロウがウェールズへ想いを寄せているのはありありと感じ取っていた才人とルイズだったが

当のウェールズといえばアンリエッタ以外は目に入らないらしく、ミス・ブロウの様子などお構いなしである。

ルイズはこの方もどこか姫さまに似ていらっしゃる所があるのね、などと考えながらも、真横から向けられる痛い視線に耐えかねて

話題を多少強引に変えることにした。





「ところで、殿下。この馬車は何処に向かっているのですか?」


「ん? ああ、そういえば言ってなかったね、ミス・ヴァリエール。
 この馬車は私のフネに向かっているのだよ」


「フネ? イーグル号ですか?」


「いいや。ビットナー西方伯に建造していただいた、私の新しいフネだよ。
 つい先日ドックアウトしたばかりでね。
 君達とはそのフネに乗って、任務に就いて貰うことになっているんだ。
 もっとも、私も同行するのだけど」


「え? 殿下も一緒に行くんですか?」


「ああ。私の兵は少ないし、部下も本当に数える程しかいないしね。
 ワルドは……あの通り信用ならないから、いつも別行動させてるし」


「あいつ、ほっといていいんですか?」


「うむ。今のところお互いの利益が一致してるから、大丈夫だよ。
 ミス・ヴァリエールにはすこし、申し訳ないけどね」


「……いえ。でも、かえって居なくてほっとしましたわ」


「そう言って貰えると助かるよ。ミス・ヴァリエールにはそこだけが負い目でね。
 ともあれ、兵が居ない以上、私も一緒に行かねば示しが付かないだろう?
 それに、此度の戦は私が安全な場所にいて眺めているわけにはいかないのだよ」





そこまでウェールズが話した所で、馬車はガクンと揺れて停止した。

どうやら目的地に着いたらしい。

一同は御者が扉を開けるのを待ち、程なく開かれた扉から全員降りると、同時に才人とルイズから知らず歓声が漏れた。

馬車が止まった場所は街から随分と離れた海沿いの崖の上であり、そこからどこまでも伸びる水平線と空が見え

その風景は絶景の一言に尽きたからだ。

崖は高く入り江をぐるりと囲み、遙か向こうに水平線が見えてキラキラと宝石のように水面が光り輝く。

しかし、才人やルイズがあげた歓声はそんな美しい風景に対してではない。

一行の目の前には純白の帆と船体を持つ、とても美しいフネが浮かんでいたからであった。

その美しい姿に見とれる二人にウェールズは少年のような笑みを浮かべ、得意げに、そして愛しげに船名を告げる。










「どうだい? これが私の "麗しのアンリエッタ号" さ」


















[17006] 7-2:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/07/27 20:00










空を行く純白のフネ "麗しのアンリエッタ号" は、美姫のごとく凛然としてその帆に風をはらませる。





雲の合間をぬって優雅に空を奔る彼女の美しい姿とは対照的に、甲板の上ではせわしなくクルー達が各々の持ち場の作業を行っていた。

遠目に見える空に浮く帆船は小さくとも、間近で見ればかなり大きい。

"麗しのアンリエッタ号" は戦船の中では小さな方であり、前に一門、左右に上下二列で五門の砲が並び、数百門も大砲を積む戦列艦や

ガレオン級戦艦よりも遙かに少ない砲門を搭載するフリゲート級の中では最小クラスである。

純白の船体を貫く三本のメインマストは同じく白い縦帆帆装が施されており、舳先に陣取っている掌帆長(ボースン)と呼ばれる者が

見定めた進路へフネを進めるべくかけ声を駆ける度に、大勢の男達によってロープが右へ左へと引っ張られた。

才人とルイズはそんな水夫達のかけ声を遠く耳にしながら、船尾にあるウェールズ皇太子の私室……船長室にて難しい表情を浮かべる。

二人は同じ感情を抱いている訳でなく、才人は困惑を、ルイズは憤慨をそれぞれ体の外へ漏れ出させていた。





「どうしてですか? トリステインからの代表として、その扱いは承伏しかねます」


「しかしご理解頂きたい、ミス・ゼロ殿。只でさえ軍船に女性士官が乗り込む事は希有なことであるのです。
 その上その女性士官と異性の平民の従僕が同室で生活するなど、本船の規律が保てませぬ」


「サイトは私の副官です。
 それに平民だからって、何故サイトが士官じゃなくて "部員" 待遇になるのですか?!」





ルイズは怒りも露わに少し声を荒げて、その秀麗な眉をつり上げながらウェールズ皇太子の隣に立ついかつい副船長の老人に抗議を行う。

老人はかつて二人がアルビオンへアンリエッタの手紙を受け取る為に赴いた際、イーグル号船内で部屋を貸して貰ったトット・ハル卿である。

当時とは違い小綺麗な軍服を身に纏っているハル卿は、しかし左目の眼帯とじゃもじゃの髭だけは相変わらずであった。

ニューカッスル陥落時、ハル卿は脱出者をまとめフネを指揮して脱出する役を "押しつけられた" が為に、生き残っていたのである。

二人は当初意外な再会にその無事を喜んでいたのだったが、彼がサイトの待遇についての要請を口にした途端険悪な空気となってしまっていた。





「ハル卿。彼は、私にとっても大切な友人なのだ。なんとかならないのか?」


「殿下。特例を認めてしまうと他のクルーの士気に大いに影響が出ます。
 我々は寡兵であり、しかも長期に渡って空を征く必要があるのですぞ?」


「ううむ……それは、そうなのだが」


「あの、俺、その "部員" ってやつでもいいですから……」


「ダメよサイト。副船長、サイトが私と一緒に居ることを拒んでいるクルーはどなたでしょうか?
 私がトリステインの代表として、直接抗議と説得を行いましょう」


「ミス・ゼロ殿。このフネに乗り込んでいるクルーの殆どは平民です。
 しかし、彼ら無くしてはフネの運行は不可能であり、いわば我々は一蓮托生、大きな家族のようなものなのです。
 そんな、相手が萎縮するようなやり方は承伏できません」


「家族なら一緒にいたっていいではないですか!」


「ミス。男ばかり、長期に渡って航海を続ければその状況は必ずクルー達の不満に繋がります。
 それはこのフネの運行に必ず支障が来す事となり、戦闘にもなれば大きな不安要素となってしまうのです。
 それに貴族でもない彼が士官待遇で乗船し続けるには無理がある。どうか、ご理解頂きたい」


「承伏しかねます。サイトは立派なトリステインの代表の一人ですのよ?」


「えっと、俺」


「あんたは黙ってて! 殿下、お願い致します」


「殿下、いや船長。彼がいかなる重要人物であるとは言え、空の上ではクルー達の士気が最も重要です。
 たとえ王侯貴族とて、フネの上において身分など関係無しにクルー達と同じメニューを口にし、同じ苦楽を共に航海を行う事こそ
 ハルケギニア随一、アルビオン海軍の強さの秘訣なのです。
 そのことは船長が最も分かっておられるはず。どうか、お間違えなきよう」





ハル卿とルイズにそれぞれ威圧的な表情でずい、と迫られウェールズは思わず引きつった苦笑いを浮かべた。

そんな彼を才人はすこし気の毒そうに見ていたのであったが、ルイズの好意を無碍にも出来ず妥協の言葉で助け船を出したりはしない。

皇太子はううむ、とその場で少し考えた後ルイズに向き直り口を開いた。





「ミス・ヴァリエール。こうしようではないか。
 サイト君を一旦 "部員" として扱い、これからの戦闘時に彼が手柄を上げれば即座に士官待遇として君と同衾する事を認めよう。
 ハル卿が心配するのは、他のクルー達の目と感情だ。
 私はともかく、何も知らない彼らが君達を見るとどうしても納得出来ないだろうしね。
 私は船長としてそれを放置出来ないし、対処する義務も負う。
 それに、もしいきなりそれを認めてある日悶々とした欲求が爆発し、君の身に何かあってはアンリエッタ女王に申し訳も立たない。
 どうだろう? それで納得してくれないだろうか?」





ウエールズの提案はルイズとハル卿はううむ、と唸らせる。

双方共に納得が行かない内容ではあったようだが、譲歩した場合お互いに丸く収まる内容でもあった。

ハル卿はウェールズの提案に概ねは納得できるようだったが、他のクルー達が認めるほどの活躍とはどの程度か明らかにされてはいないので

多数のクルー達の同意があれば、と提案に付き足した。

ルイズとしても、才人の力を思い起こせば戦闘時に活躍するならば、という条件は悪くはない。

ここで一切の妥協を行わず、アンリエッタの想い人でもあるウェールズ皇太子をこれ以上困らせるのは気が引ける。

暫くは考え込んでいた彼女は、ウェールズを真っ直ぐ見つめ、僅かに不満を表情にのこしつつも小さく頷くのであった。





「ふむ、きまりだね。ではサイト君」


「あ、はい」


「君には悪いが、当面は "部員" 待遇で本船に乗船してもらうよ。
 本来ならば客人待遇で迎えたいのだが、生憎本船は戦列艦よりもずっと小さく、 "狭い" 。
 それにクルー達の大部分は私の兵というよりも、ビットナー西方伯が雇った水夫なのだ。
 彼らの感情に配慮しなくちゃ、航海は上手くいかないのも確かな事だしね」


「わかります。俺の事は気にしないで下さい」


「ありがとう。それでハル卿、彼の配置なのだが……」


「は。トリステインの方々に与えられる船内の地位としましては、ミス・ゼロ殿は事務員(パーサー)として士官待遇を。
  "盾(バックラー)" 殿には甲板員(マトゥロ)としての待遇を致します」


「まって下さい! サイトにフネの作業なんてできません! それに、私達はそんな事の為に」


「ミス・ゼロ殿。
 クルー達と一緒に過ごせば、それだけ手柄を立てた時に彼らからの士官待遇に対する同意も得やすくなるのですぞ?」


「うぐっ」


「女性であるミスならともかく、人手が足りない本船で彼がブラブラとするのはあまり良い結果にはなりますまい。
 何、甲板員(マトゥロ)は橾帆や操舵程難しい仕事は割り振られませぬ」


「あの、ハル卿。その、まとぅろ、ってのは何ですか?」


「空兵の事だよ、 "盾(バックラー)" 殿。
 砲戦においては砲に弾を込め、砲長(ガンナー)のかけ声と共に砲に火を入れたり、白兵戦になれば先陣を切って戦うのがマトゥロだ。
 フネは如何なる時もその運行に人手を取られるのでね、戦闘職と運行職に分けられているのだよ」


「へぇ、そうなんですか」


「うむ。もっとも、平時に雑用を行うのも甲板員(マトゥロ)だから戦闘行為以外何もしないと言うわけでもないぞ?」


「雑用って、俺ロープを結んだりとか出来ないですよ?」


「その辺は心配無用。
 直ぐに覚える事であるし、本当に専門的な仕事は専用の水夫が割り当てられている。
 作業内容も都度指示されるから迷う事も無いだろう。
 せいぜい、体力が要求される程度だ。」





ハル卿はそう言って才人に笑って見せた。

笑顔はそれまでの無愛想な彼からは想像が付かない程人なつっこく、才人はつられて笑い返してしまう。

その様子を見たルイズは、才人の身分について差別的に扱ったハル卿が才人に何かしら胸に一物を持って接していたのではなく

単に船内の秩序を維持する為、先程のような言動を行ったのであろうと理解して少しほっとしたのであった。





「わかりました。殿下、俺はそれでいいです」


「私も不満は残りますが、殿下のご提案に沿いたいと思います」


「ありがとう、二人とも。
 しかし、情けない話だね。アンリエッタ姫が託してくれた大切な友人二人を客人として持て成すどころか働かせてしまうなど」


「殿下。我々は戦をしているのですぞ?」


「分かってるよ、ハル卿。
 卿の説教はいつも長くて困る。あとでゆっくり聞くから、先に二人を案内してやってくれくれないか?」


「御意。ではミス・ゼロ殿。盾(バックラー)殿。こちらへ」


「ああ、ハル卿。ミス・ヴァリエールの部屋なんだが……」


「心得ております。ミス・ゼロ殿は女性であり、トリステインからの重要人物でも在ります故、個室としておきます」


「うむ、頼んだぞ」


「では殿下。我々はこれで」





船長と副船長、主君とその忠実な家臣の少々気安いやり取りとは対照的に、ハル卿は背を真っ直ぐに伸ばしてウェールズへ敬礼を行うと

そのまま才人とルイズを促して船長室を退出するのであった。

船長室を後にしたハル卿は二人を連れて士官用のサロンを通り、まずは未だ不満げにしているルイズを個室へ案内する。

部屋は学院のそれとは比べものにならないほど狭かったが、内部は小綺麗にしてあり、元々その予定であったのかルイズが持って来た

大量の荷物が運び込まれていた。

部屋の奥には明かり取りの丸窓が一つあり、そこから雲と空の青が均等に混じった光が差し込んでいる。





「ここがミス・ゼロ殿の部屋です。盾(バックラー)殿はこちらへ」


「ちょっとまってください、ハル卿。サイト、時間が空いたらちゃんとここへ戻って来てよ?」


「ああ、そうする」


「ミス・ゼロ殿。できればその、彼と会う時は当面士官用サロンを使用して頂きたい」


「どうしてですか?」


「先程も申しました通り、彼に甲板員(マトゥロ)をやって貰うのは他のクルーの感情に配慮しての事。
 本来ならば部員はこの居住区おろか士官サロンに立ち入る事すら禁じられているのです。
 無論、彼はトリステインの代表の一人であり、ミス・ゼロ殿の副官故立ち入りを許可されるわけですが……」


「……妙な噂が広まっても困る、って事ね?」


「はい、ミス」


「わかったわ。……サイト、早く手柄を立ててね?」


「おう。じゃ、あとでな」


「では盾(バックラー)殿、行きましょうか」





才人はハル卿に急かされ言葉を手短に交わしてルイズと別れて、やがて船尾にある士官用の居住区から甲板へと出るのであった。

甲板では幾人もの作業員が帆を張る巨大なマストから伸びるロープをかけ声を掛け合い操作したり、マストによじ登ったりしている。

ハル卿はそんな忙しそうに作業を行っている乗組員の中で、甲板を磨いていた一人を呼び止め、何やら指示を出した。

指示を出された作業員は敬礼を一つすると、どこぞへと去って行き、程なくもう一人矢鱈体つきの良いいかつい中年の男を連れて戻って来る。





「 "盾(バックラー)" 殿。いや、ここからは名前で呼ぼう。サイト殿、彼はこのフネの砲長(ガンナー)であるトマソン砲長だ。
 君が所属する甲板員(マトゥロ)をとりまとめる甲板長でもある。以後は彼の指示に従うように」


「はい、わかりました」


「トマソン、あとは頼むぞ?」


「アイ・サー! ……ところでチーフ、こい……彼はトリステインの客人じゃなかったのですかい?」


「うむ。船長の大事な客人だ。だが、それ以上にこのフネの規律も大事である。
 従って、彼も甲板員として働くことになったのだよ。元々兵士としての従軍であったしな」


「なるほど。しかし……失礼ですが使えるんですかい? こう、ヒョロくちゃなあ。
 いくら甲板員っつっても、船長の大事な友人を三日で使い潰しちゃこっちも面目が立ちませんや」


「あの、トマソンさん」


「砲長(ガンナー)だ、坊主。俺の事はそう呼べ」


「す、すいません。えと、砲長(ガンナー)。俺、こう見えても腕っ節と体力は自信があるんです」


「ふぅん? その背のデカイ剣振り回すからってか? 言っとくが、剣振り回す筋肉と大砲の弾詰めたりデッキ(甲板)を磨く体力は
 まったくの別もんだぞ?」


「大丈夫です」


「ふうむ」





トマソン砲長はまじまじと才人の体を眺めながら、腕組みをして考え込んだ。

組んだ腕は肩口からのシャツがパンパンに張り付き、筋肉が隆起してまるで岩のようである。





「よし、じゃあその根拠を見せてもらおうか」


「へ?」


「なあに、簡単なこった。船首に行って、船速計測の凧を引っ張るんだ」


「タコ?」


「ああ、凧だ。そいつをロープにくくって飛ばしてな、巻いたロープが全部出るまでの時間を計ってフネの速度を計測するんだが
 どういう計算をするのかって言うと……いや、それはどうでもいいな。
 で、そのロープの途中をお前さんが握って何秒持って居られるか試すんだ。
 気を付けろよ? 凧が送り出される時の力は凄くて風が強い時は牛位ならワケ無ぇ持って行くぞ。
 チーフ、かまいやせんね?」





トマソン砲長は難しい表情を浮かべたまま、ハル卿に同意を求めた。

一応同意を求めた当たり、それなりに危険な行為であるらしい。

ハル卿はすこし躊躇したのだったが、才人と目が合うと言外に大丈夫ですと言われ、よろしいと許可を出すのであった。

かくして才人は船首へと案内され、その目の前には巨大な凧とうずたかく積まれたロープが用意される。

ロープの端はこれも又巨大な巻き取り用のホイールへと取り付けられ、凧を送り出した後はそれで凧を回収する事が伺えた。

辺りには才人とトマソン砲長、ハル卿を遠巻きに眺めるように、いつの間にか多くの見物人達が現れ、此方を興味深そうに観察している。





「いいか? やり方を説明するぞ?
 ロープのここをしっかり握って凧を保持するんだ。で、ここから後のロープが送り出されない様にする。
 まあ、ずっと保持するのは無理だからきつくなったら手を離せ」


「わかりました」


「大体目安として、二秒位持ち堪えることが出来れば一人前だな。
 だが、凧が引っ張る力は坊主の想像以上だろうから気を付けろよ?
 舐めてかかるとロープに体を持って行かれて空中に放り出されるか、手の平の皮を一枚剥く事になるからな」


「あの、ちなみに今までの最高記録は?」


「ん? わはは、そうだな。イーグル号での記録だが、フリオって奴の八秒が俺の知る最長記録だ。
 ほら、あそこで見物している奴さ」





そう言ってトマソン砲長が遠巻きに才人達を見ているクルー達の一角を指さすと、やたら体格の良い大きな男がヒョッコリと顔を出し

ニヤリと笑いながら丸太のような腕を上へ突き出してみせた。





「まあヒョロいその体格じゃフリオみたいにはいかねえ所か、一瞬でロープにふりほどかれるだろうがな。
 おう、お前ぇら! 何人かこっち来て凧の用意をしな!」





トマソン砲長の指示に見物人の中から幾人かが前に出て、巨大な凧を数人がかりで持ち上げた。

才人は舳先に移動して行く重そうな凧を見ながらも、足下のロープを拾い上げる。

手にしたソレは指が回らないほど太く、ずしりとして思いの他重かった。





「準備はいいか?」


「はい、トマソン砲長」


「よぉし、良い返事だ。せいぜい、怪我だけはしないようにな。――計測開始!」


「アイ・サー!」





トマソン砲長の合図の下、凧を持ち上げ舳先で準備していた男達は一斉かけ声を上げて凧を宙に放り投げた。

凧は直ぐに空の上、絶えず風が動くフネの航路の風を捉えてみるみるうちにフネの前方へと上がっていく。

空へ吸い込まれていく凧に呼応して、才人の足下にうずたかく巻かれていたロープも唸りを上げて送り出されて行った。

才人はその様子を興味深く眺めて、しかしロープを片手に持ち上げたまま特に足を踏ん張る気配を見せない。

その様子にトマソン砲長は少し焦った口調で声を張り上げた。





「おい! なにしてやがる! もうすぐ持ってるロープが引っ張られるぞ!」


「大丈夫ですよ、俺、こう見えても腕っ節は結構自信あるんです」


「バカ野郎! 手前ぇ、舐めんじゃねえ! 死にてぇのか?!」


「大丈夫ですって」





焦燥が混じったトマソン砲長の怒鳴り声に、才人はなんとも暢気な返事を返して減り行く足下のロープを見ていた。

見物していたクルー達はそんな才人に野次を飛ばし、又はトマソン砲長と同じように才人を窘め罵倒し始める。

やがて才人の足下にあったロープは全て送り出され、遂には才人が手にしていたロープが引っ張られた。

トマソン砲長はああ、やった! と悲鳴に似た声をあげ、思わず体を強ばらせる。

猛烈な勢いで上がってゆく凧に引っ張られるロープは、才人をなぎ倒し暴れ、骨の一つでもへし折る筈であった。

あるいは、手の平の皮をごっそりとはぎ取りってしまう筈であった。

ロープ――特に送り出されているロープは、船乗りにとってそれ程危険な存在なのである。

故に、才人の無防備な行動はたとえ熟練した者であっても、いや熟練しているからこそ絶対にしない非常に危険な行為なのだ。

果たしてロープはバァンと大きな何かにぶつかったかのような音を立てて、見る者全員の目を閉じさせた。

そして。





「うそ、だろ?」


「おい、あれ……」


「なっ」





見物人達の口から漏れる、驚愕。

最も間近で見ていたトマソン砲長も口をあんぐりと開けて、瞬きすら忘れ一点を見つめる。

才人はそんな周囲の視線などお構いなしに、ロープを拾い上げた体勢のまま左手のルーンを輝かせて、握ったロープをまるで重さなど

感じさせない糸を引っ張るようにぐいぐいと二度三度、気安く引っ張って見せた。





「あの……トマソン砲長?」


「――! 坊主、おめえ、すげえ! すげえな、お前! 名は?!」


「え? あ、んと、平賀才人です。それより、トマソン砲長?」


「ヒルガリ・サイトンか! 長年船乗りやってるが、その凧をそんな風に扱う奴なんて見た事ねえ!
 わはは! 船長が平民を客人扱いしてるっていうからどんな奴かと思えば……こいつは最高だ!」


「いや、ヒラガ・サイ」


「おおおお! ガンナー! そいつ、甲板員になるんですかい?!」


「バカ! 凧のロープを引かせたって事は橾帆員(セイラー)に決まってるだろ!」


「んなこたぁあるかよ! それだったらガンナーじゃなくて、掌帆長(ボースン)があいつを試すだろうが」





歓声が才人の台詞をかき消す。

見物していたクルー達は口々に憶測を語り始め、その騒ぎを聞きつけた他のクルーも集まり数は次第に増えていった。

挙げ句の果てに橾帆作業を行うべき橾帆員(セイラー)までも加わって、船首甲板の上ではちょっとしたお祭り騒ぎとなってしまう。

遠巻きであった見物人の輪もかなり狭まり、才人が何を話そうとしても興奮した彼らの声にかき消されてしまった。





「静まれ! お前達、いい加減にせぬか!」





やけにドスの効いた大声が轟く。

事態を収拾したのは、他のクルー達と一緒に見物していたハル卿の落雷のような大声であった。





「橾帆員(セイラー)! 橾帆中の持ち場を離れるとはいい度胸だな。船規じゃ鞭打ち五回だぞ?
 さっさと持ち場に戻れ! 船規違反には目を瞑ってやる」


「ア、アイ・サー! チーフ!」


「トマソン。サイト殿は甲板員(マトゥロ)として扱う。特別扱いはしなくても良いが、一応客人だということも頭に入れて置いてくれ」


「アイ・サー! チーフ! ……しかし、お言葉ですがチーフ」


「む?」


「特別扱いするなっていいやすが、無理ですぜ。何せ、こいつは "特別" な事をやりとげやしたからね。
 おう! お前ら! 新しい家族だ! 貯め込んでる酒持って砲室に集合しろ!」





トマソン砲長は才人に一つウインクして見せ、残っていた見物人達に指示を飛ばす。

ハル卿に凄まれ、脱兎の勢いで持ち場に戻って行った橾帆員とは別に、残って居た見物人は恐らくは甲板員(マトゥロ)であろう。

彼らは再び歓声を上げ口々にトマソン砲長や才人に言葉を浴びせかけた。





「砲長! おいら、司厨員(コック)に掛け合って食いもん貰ってきやす!」


「バカ! チーフの目の前でお前」


「おう、坊主! お前、俺の班にこいよ!」


「何言ってるんだよ、お前。お前ん所にゃ欠員なんて出てねえじゃねえか」


「うるせえ! 非力なハリーの奴が一人で砲弾運べねぇんだからうちに決まってんだろ」


「いやっほぅ! 出航早々に酒たぁ、おいらついてら!」


「ウェイン。てめぇらは甲板の掃除が先だ。仕事はキッチリ片してから砲室に降りてこい」


「そんなぁ、トマソン砲長。そりゃないですぜ……」





再び収拾がつかなくなる船首甲板の上、ドっと笑い声が纏まった。

才人はその様子を眺めながらも、なぜか以前も感じたことのあるような居心地の良さを覚えていた。

それは、竜騎士隊第二中隊の少年達を思い返すような。

あるいは、遠い未来、多くの家族に囲まれていた時のような。

そんな暖かい居心地が、そこにあった。

やがてハル卿が後はたのんだぞ、と言い残しその場を立ち去ると甲板員(マトゥロ)の枷も本格的に外れ才人を少し遠巻きにして

陽気に歌を歌ったり踊ったりし始める。

未だロープを握る才人に不用意に近寄らない辺り、彼らもああ見えて船乗りとしてはしっかりしているらしい。

そんな彼らをトマソン砲長は苦笑いを一つ浮かべた後、ハル卿に負けず劣らずの怒声を発して制し、さっさと才人の持つ凧のロープを

巻き取るよう指示を出した。

甲板員達はまるで父親に怒られた子供のような表情を浮かべ、慌てて巻き上げ機の準備をして才人の持つロープへと数人が取り付こうとする。





「あ、もういいんですか?」


「ああ、十分だ。しかし坊主、よく片手で持って居られるな。
 だが、流石に凧を引っ張り込むのはキツいだろ?
 なんせ、何百年か前のフネなんかは何頭かの牛を並べて引き込んでたからな」


「おーい、巻き上げ機の準備が終わったぞ」


「アイ・サー! 坊主、疲れたろ? もう離していいぜ」


「あー、大丈夫ですよ、そんなもの使わなくても。俺一人で十分です」


「は?」





ロープの端を巻き上げ機に取り付ける間、才人の持つロープに取り付いていた甲板員は一瞬言葉を理解できず、呆気に摂られた。

そんな彼の目の前で、才人は思いっきりロープを引っ張って見せる。

その光景はトマソン砲長はじめ甲板員達にとっては凧を片手で保持する以上に衝撃的な光景であったらしい。

飛び交っていたかけ声やさめやらぬ興奮と酒宴への期待の会話は消え失せ、奇妙な静寂が船首甲板を支配した。

人一人軽く吹き飛ばす凧を、巻き上げ機でないと巻き取れない程の力がかかるロープを、目の前の少年は容易く、釣り糸を巻き取るかのように

ぐいぐいと甲板上に引っ張り込んでいる。

しまいには何度も強い驚愕に襲われ、目と口が大きく開かれてゆく彼らに対して、更に追い打ちをかけるかのように調子に乗った才人が

強くロープを引っ張った際、なんと凧の骨が音を立てて折れてしまった。





「あっ! ……たはは、す、すいません。こわしちゃいまし、た」





少し間延びした、申し訳なさそうな声に応える者は居なかった。

真っ二つに折れた凧は視界から消え、前方へと伸びていたロープはだらんとフネの下へと垂れ下がり、そんなロープを手にしたまま

才人は困ったように頭を掻いてトマソン砲長に苦笑いを浮かべて見せる。










その後間を置かずに発せられた歓声は、自室で頬を膨らませながら荷ほどきを行っていたルイズの耳にまで届いたのであった。


















[17006] 7-3:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:f3836230
Date: 2010/07/30 07:25










「おぅい、坊主、起きろ」





才人達が "麗しのアンリエッタ号" に乗り込んで二日目の事である。

個室や相部屋ではあるがしっかりとしたベッドを与えられる士官達とは違い、窓もない真っ暗な砲甲板でハンモックを吊しただけの

粗末な寝台で寝ていた才人を起こす者が居た。

才人が割り振られた甲板員(マトゥロ)の中で、同じ班に所属するベンである。

彼は元イーグル号のクルーであり、 "麗しのアンリエッタ号" に乗り込む数少ないアルビオン人であった。

戦闘や砲戦もこなす甲板員(マトゥロ)だけあって、他の者と同様に筋骨隆々とした肉体を持っていたのであるが

生来の性格は大人しくむしろ気弱でさえあり、その風貌は他の者と比べても今一逞しさを感じられない。





「うぅ? ぁ、ベン?」


「起きろって。頼むぜ坊主」


「なんだよぅ、もう俺達のワッチ(当直)なのか?」


「違う違う。坊主にお客さん。
 どういうわけか、こんな小汚い砲甲板に事務員(パーサー)の、しかも女の子がやって来てあっちで坊主を出せって怒鳴り散らしてるんだ。
 ……それに、その子、すっげぇおっかない顔でオイラや皆を睨むんだ、早く起きてくれよぅ」





少々間延びした野太いベンの説明に、才人はハっとして、慌ててハンモックから降りようとして転げ落ちてしまう。

どて、と音を立てて派手に砲甲板の上へ転げた才人だったが、そのような事は意にも介さずデルフを拾い上げながら砲室へと走り出した。

才人の脳裏に過ぎっていたのは前日での事。

骨組みをヘシ折ってしまった大凧を回収した後、才人は大砲が並ぶ砲甲板(ガンナーデッキ)と呼ばれる、帆船の中層に降りて

他の甲板員(マトゥロ)達とささやかな酒宴を楽しみ、そのままワッチ(当直)と呼ばれるフネでの仕事へ就いて様々な作業を行っていた。

そのどれもが力仕事であったり、または技術よりも身体能力が求められる物ばかりであったが、フネでの作業が初体験であった才人にとって

新鮮で楽しいものであった。

才人はそのまま約四時間程のワッチ(当直)をこなして、再び砲甲板に戻り、その奥にある薄暗く狭い一室に通されて

ハンモックを割り当てられ、それを揺らしながら体を横たえていると、いつの間にか寝てしまって居たのである。

背中に冷や汗を流しながら、才人はやっちまった! と焦り歩を急がせる。

窓とは言えない、拳ほどの小さな明かり取りから砲甲板に差し込む光は、恐らく朝の物だろう。

昨日、大凧を上げた時は夕方だった。

まる一晩、ルイズを放っておいた事になる。

才人は勢いよく砲室への扉を開く。

船倉兼砲兵室と同じく、薄暗い室内に所狭しと居るむさ苦しい男達が目に飛び込んで来た。

その隙間から覗く、小さな仁王立ちの憤怒と目があう。

思わず才人は勢いよく砲室の扉を閉めた。

あれは久々に見る、本気で怒っている顔だ。

超怖い。





「サイト! あんた、いままで何してたのよ!!」





怒声と共に、背にした扉がガゴン! と揺れた。

砲室の扉は大砲の発射に伴う振動や衝撃にも耐えられるよう、かなり厚い。

その扉を怒りにまかせて蹴飛ばし揺らすなど、余程の事である。





「ご、ごめん! わ、わわ、忘れてたわけじゃないんだ!」


「嘘おっしゃい! 私、あんたが戻ってくるのを一晩中まってたのよ?!
 一体今の今まで何やってたのよ?!」





もう一度、ガゴン! と分厚い砲室の扉が揺れる。

どうやらルイズは相当頭に血が上っているらしい。

才人はどうやって怒り狂うルイズを宥めようか、必死に寝起き間も無い思考を回転させた。

そんな彼を置いてけぼにするかのように、背にした扉の向こう側が一層騒がしくなる。





「は、離して! 離しなさい無礼者!!」


「勘弁してくだせぇ事務員(パーサー)! 砲甲板での魔法は自殺行為でさぁ!」


「う、五月蠅い! このドアを壊すだけよ!」


「ダメですって! この向こうにゃ、山盛り砲弾と火薬がしまってあるんですから!」


「大丈夫よ! ちゃんとドアだけ吹き飛ばす……ちょ、何処触ってるのよ!! あんたから灰にするよわ?!」


「ひ?! す、すいやせん!」


「バカ! 手を離すなあああ!? イダイ! ぱ、事務員(パーサー)! 噛みつかないで!」


「おねげぇします、どうか、どうか杖をしまってくだせえ!」





どうやら扉の向こうでは、ルイズが杖を取り出しそれを慌てて甲板員(マトゥロ)達が取り押さえているらしい。

恐らくは、このままだと騒ぎが大きくなってしまう。

才人は意を決し扉を再び開けて、大勢の男達に羽交い締めにされているルイズの前に立った。





「お、落ち付けって! お前も船内で騒ぎ起こすと色々マズいだろ? な?」


「何よ。あんたが……離しなさい! もういいでしょ! ……もう。
 あんたがコソコソ隠れるのが悪いんじゃない」


「だ、だってさぁ」


「だってもヘチマもないわよ! いいから、とっととついてくる!」


「へ? ついてこいって、何処に? 俺、もうすぐワッチ(当直)なんだあだだだだだ! 耳! 耳引っ張らないで!」





いまだ怒りが消えないルイズの表情に怯え、その言葉の意味も今ひとつ理解出来ないでいる才人の耳を、ルイズはぐいぐいと引っ張った。

才人はなんとも情けない姿を甲板員達に晒しながらも、そのままハシゴを登って暴露甲板(フリーデッキ)へと

消えていくのであった。

砲甲板に残された屈強な水夫達は、その様子をぽかんと見送り続ける。





「……なあ、だれかこの中にトリステイン人いたっけ?」


「アロワ、お前たしかトリステインの出だったよな?」


「ああ、そうだけど?」


「……トリステインの女は皆、ああなのか?」


「んなわけねぇだろ。貴族にしたって、もうちょっとおしとやかだぜ?」


「坊主、ちょっと可哀相だったな」


「そうかあ? おいらが家に帰った時のかみさんとそうかわらねぇぞ?」


「なんだ、じゃあ坊主の奴はもう尻にしかれちまってたのか。あんだけ力があるのにもったいねぇったらねえやな」





砲甲板にドっと笑いが起きて、空気が一気になごむ。

やがて、ワッチ(当直)の途中で騒ぎを聞きつけ降りてきていた甲板員達は元の配置に戻り、残った非番の甲板員達はというと

どの国の女性が一番おしとやかで良いか? という話題で盛り上がるのであった。

ちなみに、半ば冗談半分であったが、今回の一件でトリステインの女だけはやめておくと満場一致で決まったのは言うまでもなかった。







フネの組織は主に管理職である士官と作業員である部員に別れ、海を行く船と同じく厳格な階級が存在する。

"麗しのアンリエッタ号" の場合、船長であるウエールズ皇太子を頂点に、三人の筆頭士官がそれぞれの組織をとりまとめられた。

その一つは航海長(チーフオフィサー)であり副船長でもあるハル卿がとり仕切る航海部。

航海部は主にフネの運行や砲戦・海兵戦がその役割であり、ここが一番水夫を多く擁する組織である。

航海長(チーフオフィサー)と航海士(オフィサー)である部下二人が、四時間おきに一名ずつワッチ(当直)に就いて

水夫達の指揮を取りながら船の運航にあたるのだ。

水夫達もそれにあわせて三つのグループに別れ、こちらも交代しながらフネの運航作業を行う。

更にこの部員である水夫達も細かく役割分担され、その組織も士官と同じく三つに分類された。

まずはフネの運行その物を司る掌帆。

掌帆長(ボースン)と呼ばれる士官から直接指示を受ける橾帆作業長が三名配置され、彼らは橾帆員(セイラー)と呼ばれる部下を

それぞれ十名程統率し、三本ある "麗しのアンリエッタ号" のマストに各自配置されていた。

次いで指示を受けてフネの舵を切る操舵手(クォーターマスター)。

これも一日中誰かが作業を行う必要がある為、三名の熟練した橾帆員から選ばれた操舵手が、交代を行いながら持ち場に当たる。

最後は戦闘時に大砲を直接扱う砲兵を率いる甲板長(ガンナー)とその麾下の甲板員(マトゥトロ)。

彼らは水兵でもあるため、橾帆員(セイラー)や操舵手(クォーターマスター)らとは少し違って、通常航行時には決まった仕事を

割り振られたりはしない。

無論、戦闘時には十六門ある砲にそれぞれ三名づつ配置に付き、砲長(ガンナー)と名前を変えた甲板長の合図の元

一斉に大砲を発射する作業を行ったり、フネに乗り込んできた敵や、あるいは敵のフネに乗り込んで白兵戦に当たるのが彼らの役割だ。

しかし戦闘用のフネにおいて最も構成人数の多い彼らは、戦闘の発生しない通常運航時においても甲板の掃除、索具や砲の整備

高いマストの上での見張りに各種測量と、実は一番忙しい持ち場に割り振られていると言えよう。

そんな彼らとは対照的に、フネの運行に当たり決して持ち場を離れてはいけない専門の仕事もまた在った。

フネを空へ浮かべる風石を扱う、魔導機関部だ。

魔導機関部を取り仕切る機関長(チーフプロダクター)は、フネでは船長に次いで身分が高い筆頭士官の一人でもある。

非常時には船長に変わり指揮を取る副船長の方が身分が高そうに見えるのだが、フネを空へ浮かべるという大前提を司っている事から

時には船長ですら彼の言に従う必要があるほど機関長(チーフプロダクター)の発言力は強い。

航海長と同じく機関長にも二人の機関士(プロダクター)と呼ばれる士官が部下に付き、風石やフネに備えられた様々な魔具の

維持管理を行うのであった。

もっとも、民間船の場合通常はメイジの士官などフネには乗り込まない為、魔具の維持整備など殆ど無理な話である。

よって、平民で構成された士官が乗り込む民間のフネの場合、機関部の仕事はフネの浮き沈みを調整する風石の管理を魔具を通じて行う程度だ。

無論戦船である "麗しのアンリエッタ号" での士官は、全員メイジであるからして、航海部より伝令を受けて風石の出力を調節し

フネの浮き沈みをコントロールする以外にも、魔具の修理や砲戦で傷ついたフネの修理なども担当することとなる。

その為か彼ら機関部の人間はメイジの士官、平民の部員共に職人気質の者が多く、また民間のフネと比べても軍籍のフネには

多くの機関部員が乗り込むのであった。

機関長及び機関士からなる三名の士官も航海部と同じように、二十四時間浮き続けるフネに対応すべく四時間おきにワッチ(当直)を行い

機関部所属の部員である水夫を率いるのであるが、この水夫達は主に機関部士官の指示の元、フネの修理や風石の運搬を担当している。

そもそも、フネを浮かべる風石は船体を貫くマストの柱を巻くように取り付けられた魔具の中に格納され、 "麗しのアンリエッタ号" の場合

三本のメインマストを持ち上げる風石の出力を調整し、フネの傾きや浮き方を調整するのであるが、その調整の為に風石の交換や運搬

予備の風石や各種魔具の管理などは、繊細かつ肉体的にも厳しい作業であった。

したがって、メイジが乗り込む戦船であっても肉体的な作業は主に掌石員(マインワーカー)と呼ばれる魔導機関部員が士官の指揮の下に行い

メイジの機関士達はもっぱら風石の品質チェックや魔具の調整を主な仕事としていた。

一方、機関部の実務の大部分を担当する掌石員(マインワーカー)達は、三本のメインマストにそれぞれ三名づつ配置され

掌石長(ナンバン)と呼ばれる彼らを取り仕切る班長と共に、フネの運行を裏から支える要とも言えよう。

彼ら魔導機関部員はほぼ昼夜の区別なく暗いフネの船底で、敷き詰められたバラスト(フネを安定させる為の重しの為の石や鉄)の上を

重い風石や魔具、工具を持ち歩きその姿はよく "鉱山夫(マインワーカー)" と揶揄されていた。

しかしは当の本人達はそのような呼び名は気にもせず、一度酒が入れば陽気に歌ったり踊ったりして騒ぐその姿は、上で運行作業を行う

荒っぽい甲板員や橾帆員達とまったく変わらない歴とした船乗りである。

さて、残る組織は恐らくはフネの中では最も地味であり、船乗り達にとって最も切実な持ち場とも言える事務部であった。

船長に次ぐ筆頭士官である事務長(チーフパーサー)と二人の部下である事務員(パーサー)が士官を勤め、主に経理や補給計画

その他書類作成や雑事などを司っていた。

商船などはここに商人や会計士が所属し、また軍船などは参謀や通信兵などが所属する部署である。

その仕事は多岐に渡るが、フネに乗り込むクルーにとって、最も重要で逆らいがたいのが実はこの部署の士官でもない、部員であった。

司厨長(ステュアート)とその部下である司厨手……いわゆるコック達である。

フネに乗る者すべての胃袋を司る彼らは、その身分の低さからは想像も付かないほどの権力を手にしていた。

コック長である司厨長(ステュアート)が提出するメニューは補給計画の最重要項目になるし、司厨手と仲良くなっておけば

ワッチ中、司厨手達からの秘密の差し入れを貰えるようになる為、如何に彼らと懇意になるか、士官も部員も皆文字通り血眼になる為である。

何より、物資が限られるフネにおいて通常は士官も部員達も、食事のメニューは全て同じとする風習があった。

身分差のあるハルケギニアにおいて、フネの食卓は唯一 "平等" な場である。

無論例外は存在するのだが、海を行く船同様に長期に渡って空を行くフネも、ある程度の船員の身分を保障しておく必然性が存在し

その結果が厳格な船内での身分差と食事であった。

極端な話、フネの中では例えメイジであっても平民の船長には逆らうことが許されないのである。

尚、船医(ドクター)もここの所属となるのであったが、その特殊な職能故、基本的には水メイジであろうと平民であろうと

士官に準ずる身分が保障され、医療に関わる発言に限っては船長と同格の権限が保証されていた。

以上、 "麗しのアンリエッタ号" は一般的なハルケギニアの空飛ぶフネと同じく、そんな三つの組織から運行されるでのあるが

その様は正にウェールズ皇太子を元首とした一つの小さな国家なのである。

そんな、国家で言う所の政府高官とも呼べる士官達が一堂に会した士官用サロンにて。

才人は未だ不機嫌に事務部士官用の椅子に座るルイズの背後に立ち、これから何が始まるのか注意深く室内を見渡していた。

ルイズの隣にはケイト・ブロウ准尉も座っている。

どうやら彼女もルイズと同じく事務員(パーサー)待遇での乗船らしい。

上座の壁にはアルビオン王家の紋章が象られたフラッグが張られており、その前の船長席にはウェールズ皇太子の姿があった。

士官達は皆、船長であるウェールズの方を向いていたのだったが、場違いに唯一の部員である才人の存在も気になるのかチラチラと

才人の方へ視線も投げていた。





「船長。全員揃ったようです」


「わかった、ハル卿。では始めるとするか。
 諸君、本日集まって貰ったのは本船 "麗しのアンリエッタ号" のこれからの進路についてである。
 これまで、機密保持の為に一部高級士官にしか知らせていなかったが、無事出港できたので情報を開示する運びとなった。
 本船はこれより、進路をスニソート・ビーク空域へと向ける」


「スニソート・ビーク空域ですと! 船長、正気ですか!」





ウェールズが進路について言及した瞬間、ガタン、と椅子を倒して航海部の士官の一人が、なかば取り乱して立ち上がる。

表情には焦りと恐怖が浮かび上がっていた。





「オフィサー・ベンノ。君は今、重大な船規違反を犯している。分かっているのかね?」


「チーフ! スニソート・ビーク空域ですぞ?! あの、魔の空域ではないですか!!」


「オフィサー。これ以上船長の発言を遮るならば、私は船規に基づき君に鞭を五十回打ち、下船させねばならない。
 本船は特殊任務中故、この空の上からの下船となる。
 大人しく座ってはくれないかね? このような事で可愛い部下を失いたくはない」





ハル卿の言葉に、立ち上がり焦燥をみせていたオフィサー・ベンノは口をつぐんで、そのままゆっくりと座った。

しかし不安と不満は変わらずその表情に張り付けたまま、彼はじっと船長席に座るウェールズにその視線を送る。

ウェールズはそんな彼の様子に苦笑して、しかし特には咎めず言葉を続けるのであった。





「皆、オフィサー・ベンノと同じような感想を持っていることだろう。
 しかし、とりあえずは話を最後まで聞いて欲しい。
 その前に……ミス・ゼロ。君はスニソート・ビーク空域の事を知っているかね?」


「いいえ、殿下。……我々は存じてませんわ」


「わかった。ではスニソート・ビーク空域の説明も絡めて皆に説明するとしよう。
 先程も言ったが、本船はスニソート・ビーク空域……我々フネに乗る者なら誰もが知っている "魔の空域" へと進路を取る。
 我々の任務はアルビオン本土へ極秘に侵入し、彼の地で皇帝を僭称しているオリヴァー・クロムウェルから
 とあるマジックアイテムを奪取するためだ。
 しかし皆も知っての通り、ハルケギニアからアルビオン浮遊大陸への侵入は非常に困難である。
 なにせ、ただ浮いているのではなく、ハルケギニア各地の上空を移動し続けその影響でフネで進入できる空路がその時々で
 限定されてしまうからね。
 それは相手にとって、すこぶる侵入者の発見をしやすい状況と言えるだろう。
 だが何事にも例外という物がある。それがスニソート・ビーク空域だ」





ウェールズは言葉をそこで一旦切って、皆を見渡した。

士官達は変わらず猜疑が混じった視線を投げかけて来ている。

無理もない。

魔の空域とも呼ばれるスニソート・ビーク空域はそれ程危険であるからだ。

アルビオン大陸への進入空路は実はそれ程多くは無い。

ハルケギニア大陸上空を浮遊し、周回するアルビオン大陸へ上陸する為には各地の特定の場所からそれぞれに特殊な条件の下

限定された空路を使う必要があるからだ。

たとえば、トリステイン王国の場合はラ・ロシェールの港町より、二つの月が重なる夜を利用するように。

スニソート・ビーク空域もそんな空路の一つであった。

ただし、とびきり不吉な曰く付きの。

ウェールズは士官サロンを見渡していた双眸をルイズと才人に向けて固定し、その不吉な曰くの説明を始めることにした。

何も知らない彼女達を、そこへ連れて行くには説明をしておかねば公平でないと感じたからだ。

なにより、魔の空域を突破するためには彼女らの力が必要であった。





「……ミス・ゼロ殿。なぜスニソート・ビーク空域を皆が恐れるのか、分かりますか?」


「いいえ、殿下」


「あの空域には、恐ろしい空の魔物が住まうのです」


「魔物? そんなの、退治してしまえば……」





ルイズの台詞に、ウェールズは頭をゆっくりと振った。

それからその場に居る者全てが知るスニソート・ビーク空域の "魔の空域" たる所以を口にする。

とても苦しそうに。










「ミス・ゼロ殿。スニソート・ビーク空域に入って、生きて出てこれた者は未だ居ないのですよ。
 長い、何千年もあるアルビオン王国史の初期からその空域の名が記されているにも関わらず、今日までそう、誰一人として」



















[17006] 7-4:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:93f1792e
Date: 2010/08/08 08:36










"魔の空域" と呼ばれるスニソート・ビーク空域は、ゲルマニアからはるか北東の海にあった。




常に黒雲が立ちこめ、嵐のような風が上昇気流となり吹き上げている空域である。

高度三千メイル程もあるアルビオン大陸よりも、はるか上空へフネを押し上げるその空域にははるか古の頃から

アルビオンへ到達できる空路があると言われてきた。

事実、長年の研究の結果空路は確かにあると結論が出されすでに数千年が経過していたのだが、証明は未だされてはいない。

何せその空域に入ったフネは、悉くが行方知れずになるのだ。

空域の内部の様子を唯一窺い知る事ができる物と言えば、遠目に見える巨大な黒雲の固まりと、何百年か前にゲルマニアの海岸に漂着した

ある小瓶だけであった。

小瓶は "魔の空域" に入り込んだフネの乗組員が残した物であったらしく、中には一枚のメモが入っていてメモには一言

"巨大なサーペント(蛇)のような魔物がフネを襲った" とだけ書かれており、以後 "魔の空域" には恐ろしい魔物が棲むとされ

フネに乗る者ならば誰もが決して近づこうとはしない場所となったのである。





「しかし、空の上でそんな魔物を俺達だけで倒せるもんかな?」


「サイトが槍を投げれば一発じゃない?」


「どんな魔物ってのも分からないんだぜ?
 地上じゃともかく、空の上だし攻撃はともかく攻撃を避けたり出来ないってのはなあ」


「気にしすぎよ。それにもう軍議で大丈夫です任せて下さい! て言っちゃったし」


「……そりゃ、俺達はアルビオンになんとしても行かなきゃならんし、コッソリ行くにはそこしかないならな。
 殿下に "あの空域を突破する為にトリステインからミス・ゼロに御足労頂いた" なんて言われたら、そう言うしかないだろうさ」


「あによ、軽率だとでも言いたいわけ?」


「そうじゃないけど……ん?」





軍議は多少紛糾しながらも終わり、才人とルイズは甲板に出てこれから向かう "魔の空域" について語っていた時。

ルイズの後方で見覚えのある甲板員(マトゥロ)が、才人を手招いている姿が目に入った。

才人と同じ班でトリステイン出身のアロワである。





「ん? 何?」


「あ、いや。向こうで同じ班の甲板員が俺を呼んでる」


「ほっときなさいよ。ハル卿からは必要な時には私の用事を優先させて良いって許可は得てるでしょ」


「そうなんだけど、ゴメン。そこら辺はあの人らにまだ説明して無かったっけ」


「もう。じゃ、さっさと行って説明してきて。まったく、ここは見晴らしが良いけれど落ち着かないわね。
 私は士官用サロンで待ってるから、先に行ってるわね」


「はいよ」





貴重な才人との会話の時間に水を差されたルイズは少し不機嫌な様子で、そう言うと士官用サロンのある居住区へと戻っていった。

ルイズが才人に背を向けて立ち去ったのを確認してか、アロワは手招きをやめルイズを見送る才人の元へ走り寄って来る。

その表情は真剣その物であり、才人に何かイヤな予感を覚えさせた。





「おぅい、坊主。あ、いや。ヒルガリ、さん」


「サイト、でいいよ。て、いうかヒルガリじゃなくてヒラガ。……そんなに難しい発音かな?」


「悪ぃ、じゃない、すいません。あの、サイトさん?」


「……アロワ、お前確か前のワッチ(当直)で一緒だった時、敬語じゃなかったよな?」


「え? あはは、やだなあ、サイトさん。元からだよ、元から!」


「……俺、行くわ。士官用サロンに来るようルイズに言われてるし。なんかイヤな予感するし。
 急に敬語とかどう考えても変な事押しつけられる前ぶれだし」


「わー! まった! 待ってくれ坊主! わかった、わかったから俺の、いや俺達の話を聞いてくれ!」





甲板員(マトゥロ)の例に漏れず、筋骨隆々としたアロワは、その逞しい背中を丸め、もみ手をしていたごつい両手で

立ち去ろうとする才人の腕をがしとつかみ、馴れない敬語を早速放棄してブンブンと首を振り哀願した。

その表情はやはり必死である。





「はぁ、やっぱり厄介事か。やめてくれよ、急に敬語なんて。……て、俺達?」


「ああ、そうだ。俺達、甲板員全員の頼み事があるんだ」


「ぜ、全員?! 俺に? 頼み事?」


「そうだ。お前にしか頼めない事だし、お前にしか出来ない事なんだ……」


「一体なんだよ、その、頼み事って」





才人は驚きながらも頼み事の内容に興味を抱いた。

荒くれた甲板員であるアロワが急に敬語で頼み事をしてくるなど、ロクな内容では無いと薄々感じ取っていた才人だったが

甲板員全員が自分に望む内容とは一体何か、見当も付かなかったからである。

一方、アロワは岩のような体を不気味にくねらせ、モジモジとして中々頼み事の内容を切り出せずにいた。





「あの、な? 坊主……いや、サイト? でいいんだっけ?
 ……えっとな、サイト。さっきスニソート・ビーク空域へ進路を取るよう、船長命令が発令されただろ?」


「ああ、 "魔の空域" って呼ばれてるんだってな」


「そうだ、 "魔の空域" だ」


「なぁ、やっぱり船乗りとしては怖い空域なのか?」


「正直に言えば怖い。だけど、俺達は水兵だ。戦うのが本来の仕事だし、フネの上じゃ船長に逆らえない。
 ……そりゃ、ひでぇ船長の下とかだと反乱も起きたりするけれど、ウェールズ船長は違う。
 きっと、何か "魔の空域" を突破する策があるんだろうと俺は思ってるよ」


「そっか。……と、それで? 頼み事となんか関係あるのか?」


「お、大ありなんだよ!!」





本題を思い出してか、アロワは大声で怒鳴るように台詞を口にした後、再びモジモジとして唇をとがらせ視線を泳がせる。

その様は非常に不気味であったが、 "魔の空域" に臨むに当たっての、甲板員全員が自分に頼み事をしてくるならばと才人は思い

もう少しサロンでルイズを待たせることにしたのだった。

やがて、背を丸めいかつい甲板員のアロワは上目遣いに才人を見て、ぼそりと呟くように本題を口にした。





「……その、お前、あの事務員(パーサー)の娘っこと仲が良いだろ?」


「ルイズの事か? まあ、仲が良いというか、主従というか……」


「ああ、隠さなくてもいい。うん、お前らが付き合ってるのはあの娘っこの態度見てりゃ、なんとなくわかる。
 うん、お似合いの二人だと思うぞ? 皆もそう言ってる」


「そ、そうか? はは、なんか、照れるな」


「そう照れるなよ。本当の事言ったまでだしな。とっ、ところでさ、お、おお、お前ら、もうヤったのか?」





いきなりの質問に才人は思わずぶっ、とむせてしまった。

質問してきたアロワの表情は変わらず真剣そのものである。

長い航海 男だらけのフネ ガチムチな男達 溜まる性欲 迸る汗 唸る筋肉 溜まる性欲 一人細い体の俺 迸る性欲 男色 穴 男の世界

不吉な単語が流星群のように才人の脳裏によぎる。





「な、なんだよアロワ! 何いきなり?!」


「だ、大事な事なんだ! お、お前ら、ヤったのか?!」





アロワは必死の形相のままずい、と才人ににじり寄ってくる。

才人はそんな彼の表情に気圧され、貞操の危機を少し感じ取りながらも、いざとなったら力尽くで逃げればいいか、などとボンヤリと考えて

引きつった笑いを浮かべながらアロワの質問を否定してみせた。





「そ、そうか! 二人はまだ、そんな関係ではなかったか! ああ、よかった!!」


「え? よかった?」


「あ! いやいや、誤解しないでくれ。あんな、気の強くてすぐきーってなる娘は俺の好みじゃねぇし。
 俺はどっちかって言うと、アンリエッタ女王陛下みたいなおしとやかぁな女がいいんだ」


「……姫さん、外面はいいものなあ。と、それより。俺とルイズの関係が頼み事となんか関係あるのか?
 あと、あんまりルイズの事悪く言うとブン殴っちゃうぞ?」


「ちょ、まて! その拳をおろしてくれよ! 俺が悪かったって!
 関係なら大ありさ! ……なあ、サイト」





ぐい、と急に丸太のような腕が肩に回され、才人はアロワの胸の中へ引き込まれた。

アロワは周囲を二度三度と警戒するように見渡した後、才人の顔に己の顔を近づけて小声で話の続きを囁く。





「俺達甲板員からの、一生の頼みがあんだ」


「な、なな、なんだよ急に。お、俺、そんな趣味ねぇぞ?」


「あ? ああ、誤解すんな。俺は男なら逞しい奴しか興味無い。お前は力はあるが……ってそんな事は今はどうだっていい。
 なあ、サイト。お前、あの嬢ちゃんとヤりたくないか?」


「そっ、そりゃ……でも、時期ってもんがあるし、今はほら、任務中だろ?
 それにハル卿からも誤解を招くような事はしないよう、釘を刺されてるし」


「その件についちゃ、きにすんな。少なくとも、トマソン砲長含めた甲板員全員はお前の味方だ。
 俺達がお前を認めれば、あの嬢ちゃんと同じ部屋でお前が過ごせるようになる事も知ってる」


「え? そうなの?」


「ああ。そりゃ、いきなり女連れでフネに乗り込んできて、イチャつきながら戦場に行くような奴とは一緒に戦えないけどな。
 だけど、お前は特別さ。だから、協力してやる」


「協力?」


「何、チーフにバレなきゃいいんだろ? その、 "何か" あってもさ。
 俺達が黙ってりゃ、噂になることもねぇ。
 掌帆員(セイラー)どもにゃ、俺達がごまかしとくからよ、だから、サイト。
 お前、あの嬢ちゃんと一発ヤってこい」


「な、何を言い出すんだよ、アロワ!」





アロワの頼み事が、突然の展開を見せて才人は動揺してしまった。

万力のような力で肩を組まれたまま、慌てる才人にアロワは声が大きいとばかりに指を一本、口先にあててもう一度辺りを見渡す。

大きなアロワの背中の向こうでは、掌帆員(セイラー)が目まぐるしく帆をコントロールするためにロープを引っ張っていた。





「いいか、サイト。俺達はお前をあの嬢ちゃんと一緒に居れるよう、協力する。
 ま、手柄立てないと不自然だからな、いきなりは無理かもしれんが……」


「ちょ、どういう事だよ? 話がみえないぞ?」


「なに、その代わりにほんの少しだけ、俺達にも協力して欲しいんだ」


「ワケわかんねぇよ」


「えっと、な? その、つまりだ。お前があの嬢ちゃんとイたすだろ?」


「……うん」


「すると、まあ、その、一番擦れ合う部分の……た、体毛が抜け落ちる。
 そいつが必要なんだ。その、お前じゃなくて、嬢ちゃんの方の」


「体毛、って……え? えええ?! ヤだよ! なんで俺がお前らにそんな」


「しー! 声がでかいって! 説明すっから!」


「いや、いやいやいや、説明されようとも無理だって。うん、無理。無理無理無理!」


「頼む! 話だけでも聞いてくれサイト! やましい目的じゃないんだ!  "魔の空域" で、俺達にはどうしてもそれが必要なんだ!!」





アロワは才人を逃がすまいと一層肩に回した手に力を入れ、必死に哀願を続けた。

もし肩を組んでいなければ土下座をしていたであろう勢いである。

しかし、流石の才人もいかに懇願されようと恋人の陰毛をなんとか手配してやる程にはお人好しではない。

いや。

それを実行するのは、お人好しではなく、最早白痴の領域である。

よって、これ以上話を聞くまでも無い頼み事ではあったが、しかし才人は、アロワの必死な様子を受けて

話だけは聞いてやることにした。





「……聞くだけだかんな」


「あ、ありがてぇ! 話も聞いて貰えなかったなんてトマソン砲長に報告したら、俺ァぶっ殺されちまう。
 あ、あのな。フネ乗りには、魔除けのお守りってのがつきもんでな。伝統、ってやつだ。
 こう、これ位の袋に干したネズミのしっぽ、故郷で採れる薬草、そして女の体毛を入れておくんだ」


「へぇ。てか、トマソン砲長も一枚噛んでるのかよ!
 大体、それならルイズのじゃなくても、それもアソコの毛じゃなくてもいいじゃねえか!」


「まあ、聞いてくれ。
 ネズミのしっぽは食いもんに困らなくなる意味が、薬草は病気にならぬようにって願いがかけられてる。
 で、女の体毛は "命" を司っててな、航海の無事を意味するんだ。
 特に処女やメイジのそれは強い効果があるって言われててさ、その中でも命を生み出す場所に近いほど強い魔力を宿してるんだ」


「話は終わった?」


「まだ。ほんと、頼むぜ、坊主!」


「頼まないでくれよ! 大体、恋人や嫁さんので作るもんだろそれ!」


「スニソート・ビーク空域だぞ!?  "魔の空域" だ!
 そんな、普通のお守りなんかでどうにかなるもんじゃねえ! なにせ、何千年もの間あそこを抜けたフネが居ないんだからな!
 きっと、とんでもねぇ魔物が潜んでいるにちげぇねえんだ!」


「そんなもん、俺がなんとかしてやるよ!! 大体、魔除けなんて迷信にきまってるだろ!」


「うるせぇ! フネ乗りにゃ、迷信でも大事な真実なんだ! なぁ、頼むようサイト。甲板員、五十人全員の頼みなんだ!」


「絶、対いやだ! 大体、もしそんな事引き受けて、一緒の部屋に居られるようになったとしてもだぞ!?
 『なあ、ルイズ。君の陰毛、五十本程くれない?』 なんて言った日にゃ、俺が殺される!!」


「五十本もいらないって。あの嬢ちゃん、ちっこいからそんなに毟ったら無くなっちゃうだろうし。
 数本ありゃいいんだよ、それを細切れにして皆で均等にわけるから。
 も、勿論恋人であるお前の心情を考慮して、臭いを嗅いだり舐めたりする不届き物がいたら、俺達が責任持って袋叩きにしておく!」


「臭い言うな! ルイズのは匂いだ!! じゃねえ、そんなの、お断りだ!」





才人は肩に回された、岩のように筋肉が隆起しているアロワの腕をたやすく振り払い、話はここまでだとばかりにさっさと背を向けた。

瞬間、背後で取り残されたアロワがうおおおん、とごつい声を上げる。

驚いて振り返ると、うずくまり、両手を顔に当てたアロワが泣き崩れていた。

大の男が女の子のような格好で泣くその様は非常に不気味で、何とも見苦しい姿であったが、先程までの話がそれだけ切実な物であったのだと

才人はこの時はじめて理解する。

アロワの鳴き声は大きく、遠巻きに橾帆作業を行っていた掌帆員の視線を集め始めた。

それ程間も置かず掌帆員達が片手間に、おう、痴話ケンカか? 坊主も罪なやつだな! となどと茶化してくるようになり始めた頃。

才人は意を決してうずくまり、衆目を気にせずむせび泣くアロワの肩に手を置いた。

アロワはビクッ、と肩を震わせ、泣くのを一旦辞めて涙と鼻水にまみれた顔を上げる。

その様は一層不気味であった。





「わかったよ、俺の負けだ」


「ほ、本当か?!」


「だけど、アッチの毛は無理だぞ。だからさ、髪の毛でいいか? それなら頼んでやるよ」


「と、トリステイン人ってのは、生えてたらあまり手入れはしない奴多いし、腋とかでも」


「じゃ、おつかれ」


「わー! まて! サイト、髪でもいい! わかったよ、それで我慢する!」





交渉成立である。

いや、交渉というよりも泣き落としであったが。

才人ははぁ、とため息をついて肩を落とし、今更ながらに後悔を始めながらルイズの待つ居住区へと向かう事にした。

一方、アロワも才人への感謝を口にしつつ一緒に隣を歩き、士官用の居住区の入り口までついてきていた。

アロワはこの時間ワッチ(当直)であったが、砲甲板の入り口が居住区に近い為である。

何度も礼を伝えてくるアロワに別れの挨拶をし、軽快に雲海を進む "麗しのアンリエッタ号" とは対照的に、すっかり重苦しくなった心を

抱えたまま才人は居住区の入り口の扉に手をかけた。

果たして、ルイズになんと切り出そうか悩みながら歩く才人はすぐに士官用サロンへとたどり着き、設えられた大きな会議用テーブルの一角で

少々むくれた表情を浮かべるルイズと再び二人きりとなる。





「ずいぶん時間がかかったわね?」


「悪ぃ、ちょっと厄介な頼み事をされちゃってさ」


「もう、サイトもサイトよ。いくらお人好しだからって、ちょっとくらい断ることも覚えなさいよね」


「で、でもさ。その頼み事ってのは甲板員(マトゥロ)全員たっての頼みだったんだ。
 うまくいけば、俺とルイズが一緒の部屋にいられるよう協力してくれるって話だったし、さ」


「うそ! こうしてはいられないわ! すぐにその依頼を受けなさいよ!」





どこか気まずそうに話しながらルイズの隣の席に座る才人とは対照的に、不機嫌な表情を一瞬で輝かせ思わずルイズは立ち上がっていた。

そんな彼女を才人は顔をほんの少し引きつらせながら見上げて、まあ、座ってくれと促す。

ルイズは小首をかしげながらも何か、才人だけではどうにもならない問題があるのかもしれないと思い至って

言われるままに再び椅子に腰を下ろした。





「話はそう、簡単な事じゃないんだ」


「何? どういうこと?」


「えっとな、フネ乗りってのは信心深いそうなんだ」


「ふうん?」


「で、お守りとかすっごく重要らしくて。
 ほら、今俺たちはスニソートなんとか空域っていう、危ないところに向かってるだろ?」


「そうね。陸の人間である私たちにはピンとこないけれど」


「でさ、そのお守りに使う材料を調達してくれって頼まれて、さ」


「なぁんだ、そんなこと! そんなの、ちゃっちゃとそろえちゃいなさいよ。……あ、お金がたくさんいるとか?」


「うんにゃ。その、えっと、な?」


「……あによ、急に私の事、上から下までジロジロと見て」


「その……けが必要なんだ」


「ケ?」


「体毛っていうか、なんていうか……その、お前の毛がほしいから、貰ってくれないかって頼まれたんだよ」





才人の気まずそうな、語尾を消え入るような声はしっかりとルイズの耳に届いた。

せわしなく視線を移動し、しかし一度も自分とは目が合わないところをみると、どうやら必要な体毛はアノ部分の体毛らしい。

ルイズは少し顔を引きつらせて、そのあまりに下品な要求に絶句しながらも、もう一度才人にもしかして、下? と尋ねた。

才人はうつむき、明後日の方角に視線を固定させてルイズの問いかけにはうん、下。とだけ答える。

瞬間、イヤよ! とルイズが声を荒げ同時に才人がでも! と彼女の台詞を遮った。





「で、でもさ! 別にアッチの毛じゃなくてもいいって言われてるから! 髪の毛一本でいいんだ」


「当たり前よ! そもそも、なんで私の……そんなものが必要なのよ! そんなの、自分たちの奥さんや恋人からもらうもんでしょうが!」


「なんでも、処女やメイジのソレが特に効果があるんだそうだ」


「バッカじゃないの?! あんたもあんたよ。なんでそんな話を受けるのよ!」


「そりゃ、お前、一緒の部屋にいられるよう、協力してくれるって言うし。泣いて頼まれちゃうと、さあ。
 あ、でも流石に俺でもお前の、その、アッチの毛を渡すのなんてイヤだから、髪の毛ならって事で引き受けたんだ」





たはは、と頭を掻きながら申し訳なさそうに笑う才人をにらんで、ルイズは腕を組み口を不機嫌に結んだ。

基本、ふざけた話である。

今の自分たちの関係は恋人同士だから、サイトが必要ならば性毛位は……イヤだけどもやぶさかではない。

だからといって、流石に他人の為に用意する気にはなれない。

当たり前だ。

向こうは必死なのかもしれないが、自分にだって羞恥心位持ち合わせている。

髪の毛ならって事でサイトは引き受けたようだけれど、どうもこいつは私ならなんでもわかってくれると思っている節がある。

私だって、好きな人の為にできることは何でもしてあげたいけれど、デリカシーの無い話は嫌いだし。

そう。

よくよく考えてみれば、サイトは大事の前にはいつも私の事を脇に置いているような気がする。

今朝だって私の事なんて放っておいて、大砲のある甲板で寝てたし。

何かあるとすぐごめん、ルイズ。でもな? だし。

恋人同士よね? 私たち。

だったら、もう少し優先してくれても……ふざけんな! ルイズは毛一本まで、俺のものだ! 位は言ってくれてもいいじゃない?

ルイズの思考はいつのまにか才人が持ってきた話から、才人への不満の整理へと変わっていた。

年頃の女の子には珍しい事でもなく、特に恋愛中であるならばどうしても独占欲と相手への幻想が強くなるので無理からぬ話である。

腕を組んだまま何事かを考えるルイズの表情は、みるみるうちに険しくなり、才人は才人でやはり髪の毛であろうと提供するのを

ためらうのは女の子なんだからだろうな、などと暢気にずれた事を考えながら成り行きを見守る。

沈黙と静寂が士官用サロンを支配し、たまに外から薄く飛び込んでくるクルーのかけ声がそれに抵抗していた。

そんな空間にあってルイズの長考はやがて、寄り道しながらも収束していく。

思い浮かべるのは以前、才人の故郷へ行った時の事。

珍しい宿に宿泊した折、才人にやるべき事があるからまだお前を抱かないと宣言されてしまい、内心では凹んだあの時。

抱いてと口にしたのは逃げであったが、抱かれたいと思う気持ちは本物である。

その気持ちは今でも、あの時よりもさらに強く不安を伴って胸に渦巻き、彼女の慕情をかき立てていた。

つまり、できることなら……チャンスがあるならば、ルイズは "したい" と考えているのである。

いつもはあのメイドやタバサに邪魔をされているが、今ならば誰にも邪魔されない。

加えて、あてがわれた部屋のベッドはとても狭い。

揺れるフネの中で寝るには、とても狭いベッドに取り付けられたベルトで体を固定させる必要がある。

そんな、ベッドで才人と二人っきりで過ごせるならば。

…… "間違い" が起こりやすいのではないか?

なにせ、狭いあのベッドならばどうしてもお互いの体が密着してしまう。

広い学院のベッドでは、毎朝体の一部が堅くなってしまったサイトがさりげなく離れてしまうのだが、あのベッドならばそれも無理だ。

あ、あそこが堅くなってるってこ、ことは、 "そういう気持ち" になっているというわけで。

きっと、体を離さないと我慢できないから、サイトは毎朝そうしているんだと思う。

だったら、きっと、絶対、あのベッドならば、ま、まま、 "間違い" が起きてしまう!

それは自分が心から望む事態であるわけで。

その為ならば、髪の毛の一本位、気前よくあげてもいいんじゃない?





「……い! おーい! ルイズ?! 大丈夫か?」


「え?! あ、サイト?」


「なんか険しい表情になったり、急に悲しそうになったり、にやけたりしてたぞ? 話しかけても全然反応ないし」


「ごめん、ちょっと、考え事をね。えと、髪ね。髪の毛位なら協力するわ、サイト」


「本当か?! でも、イヤならいいんだぞ? 下は論外だけど、女の子にとっての髪の毛ってそんなに悩むほど大事だって俺もわかるし」


「ううん、大丈夫。どれくらい必要なの?」


「ルイズの髪は結構長いから二本もあれば十分だよ。それを切ってみんなで分けるんだってさ」


「そう、わかったわ。……っ、はい、大事にしてね?」


「あ、ナイフ位用意したのに……ありがとな、ルイズ」


「いいわよ、このくらい。ところで、ねえ、サイト?」


「ん?」


「あんたもその、お守りが必要? サイトになら、その、えっと……」


「い、いや! おれはいい! そういうの、お前好きじゃないだろ? 俺だってさ、好みじゃないし」


「そう。じゃあ、別のお守りをあんたにはあげる」





ルイズはそう言うや、不意打ちのように才人の唇を自分の唇でふさいだ。

先ほどまでの甘美な思考がそうさせたのか、それとも一緒のベッドで寝る時に才人をその気にさせる為の打算であったのか。

いつもよりも濃厚で激しい彼女の口づけに才人は戸惑ってしまう。

やがて息が続かなくなったルイズがぷは、と口を離し、驚いたような表情を浮かべる才人にエヘヘ、と笑った。

それからいぶかしげる才人に一言、がんばってね、待ってるから! と伝えさっさと背を向けて自室へと戻るルイズであった。

後に残された才人はコロコロと変わる恋人の態度に頭をかしげながらも、手にした二本の髪を見つめる。










ピンク色の少しウェーブがかかったその髪は、絹糸のような滑らかさで手の中にあり、先程のキスの味と彼女の甘い体臭を思い起こさせた。


















[17006] 7-5:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:93f1792e
Date: 2010/08/15 14:40










"麗しのアンリエッタ号" が港街シュトランドヤーデを出航してより幾日か過ぎ去ったある日。





"魔の空域" ことスニソート・ビーク空域に進路を取る彼女の航海は、天候にも恵まれ実に順調であった。

特にフネのあらゆる場所で雑事を行う甲板員(マトゥロ)達は陽気な歌を口ずさみ、暗い表情を浮かべる掌帆員(セイラー)達とは対照的に

キビキビと甲板を行き来していた。

才人も彼らに混じって色々な雑事に追われ、四時間ほどのワッチ(当直)が終わると見計らったかのようにルイズが迎えにやってきては

士官用サロンへ連れて行かれ "会議" を行う事がすっかり生活リズムとなりつつあった。

フネに乗り込む船員、それも下っ端とも言える甲板員の生活は決して楽ではない。

しかし、偽りの体を持ち人間離れした膂力を得た才人にとっては特に苦になることもなく、むしろ新鮮で楽しい毎日を送っていたのだった。

たとえば、朝。

日の出の少し前、寒さに震えながらハンモックから起き出して、厨房の近くにある質素な食堂へ同じ班の仲間と駆り出す。

食堂ではすでにささやかながら食事の用意ができており、朝食として大ぶりのビスケットと暖かいスープが用意されていた。

ビスケットとは言っても地球で食べるような菓子ではなく、どちらかと言えば乾パンのような趣で、これをかじり

カップに入ったスープで胃に流しこむのがフネ乗りの流儀らしい。

厨房では才人達の班と入れ替わりに、遅すぎる "夕食" を摂る深夜から朝にかけてワッチを行った班の為に、別のメニューが準備される。

その、何とも言えないいい香りにかき立てられた食欲を、堅いビスケットとスープを使ってなだめてから甲板員達は寒い甲板に出るのだ。

それからすぐに班長同士の引き継ぎを行い、才人達がまず行うのは暴露甲板(デッキ)の掃除である。

暴露甲板とはいわゆる外部に面した床の事であり、幾重にも魔法がかけられ、鉄板が張られた船殻(せんこく・船の外側の壁)と比べて

構造上非常に脆く、風雨にさらされ放っておくとすぐに痛んでしまう部分なのだ。

砲戦においてもこの甲板を狙うのはセオリーであり、相手より高い位置にフネをとり、この甲板を狙って当てることができれば

たとえ戦列艦であろうと案外アッサリと沈んでしまう。

無論、過去にはこの甲板を鉄板などで補強した戦船が出現したこともあるのだが、いかんせん雨でぬれると滑る為

運行に支障がきたしてしまい、結局ハルケギニアでは今の形で落ち着いていたのだった。

さて、この甲板の掃除を才人達がおこなうのであるが、デッキブラシなどといった物は支給されず

手渡されるのはもっぱらレンガのような石ころ一つ。

石は軽石のようであり、これをつかって甲板を隈無くゴシゴシと擦っていくのだ。

しかしいくら甲板が弱いとはいえ、雨ざらしになる甲板の床である。

当然、石で磨いた位ではビクともしない。

これが雨や雪の日にもなると最悪で、感覚の無くなった指先をしらず床に擦り続けて指先から骨が見えてしまった者がいるなどと言う

嘘か誠かハッキリしない逸話まで存在する程の重労働である。

果たして、甲板員達はハルケギニアの上空に吹きすさむ冷たい風に震えながらも、必死に甲板を磨くのであった。

そんな重労働が終わりを迎えるのは、日が昇り本格的な朝を迎える八時頃。

才人を除き、筋骨隆々とした男達も流石にヘトヘトとなり、班内で取り決めた順番で小休止を行って司厨部へと暖かいスープを摂りに向かう。

この "休憩" は本来食事の時間以外は飲食を禁ずるフネにおいて、当然船規違反となるのであったが、甲板員達の行う作業の過酷さを

考慮してか黙認されていたのであった。

これは "麗しのアンリエッタ号" に限らずどのフネにも言えることで、民間の商船だと船規に特例として認めるフネまで存在する程だ。

逆にその特例が船規として明記されず、黙認されている船の場合は彼らの待遇の鍵を握るのは司厨部員……コック達であろう。

つまり、高空朝早くから作業に取りかかる甲板員達を暖める飲料が、湯となるのかスープとなるのかのさじ加減は船規に無いが故に

すべてコック達が握っていたのである。

もし彼らに嫌われでもすると、スープでなくお湯となったり、ひどい場合にはぬるい水が出てくる時もあるのだ。

その為、甲板員とコック達は非常に仲がよい場合が多い。

しかし、その力関係は歴然としていて、中には王のように振る舞うコックが居るフネまでハルケギニアには存在する。

幸い "麗しのアンリエッタ号" の場合はそういったこともなく、疲労困憊で身体を震わせる甲板員達は常に暖かいスープに

ありつけることができるようで、才人も他のクルーに混じって "特別メニュー" に舌鼓を打つのであった。

さて、日課となっている朝の甲板磨きが終わり、小休止を取ると今度はいくつかのグループに分かれて本格的な雑事を割り振られる事になる。

才人の場合はその人間離れした力を買われているらしく、特に力が必要な作業を割り振られた。

その日は一際体格の良い者何人かと一緒に砲室へ降りていき、砲弾磨きや大砲の手入れを行った。

大砲は普段船内に格納され、戦闘時に窓を開けて砲身を船外に突き出すのだが、この窓を開閉する蝶番の手入れや大砲の分解調整など行うのだ。

特に分解調整などは釣り具を使い、大の男が数人がかりでパーツを持ち上げたりするのであったが、才人の場合は一人でこれを、しかも

道具など一切使用せず鉄塊とも言える大砲を持ち上げ、作業の手伝いを行えるので、同じグループに割り振られた者達は非常に喜んだ。

一方才人の方も "グリムニルの槍" の身体のおかげで力仕事や体力仕事等を行うにあたり特に苦痛もなく、長い人生の中で

まったく触れたことのない体験の数々に、どちらかと言えば心を踊らせることの方が多かった。

やがて、ワッチ(当直)交代の時刻を知らせる鐘が打ち鳴らされ、才人達の班はその日最初の休憩時間に入る。

時刻は十時程であり、それから四時間は各々が自由にして良い時間となるのであった。

しかし、才人にとっては真の意味での自由時間は与えられはしない。

この当直交代の鐘が鳴る頃、士官居住区から暇を持てあましたルイズが才人を迎えにやって来て、士官用サロンへ連れ出すからだ。

トリステイン王国所属ゼロ機関による "会議" を開くためである。

もちろん会議とは名ばかりであり、その内容は人恋しくなったルイズが才人に甘えるための場でしかなかった。

ただ、甘えるとは言っても他の士官の目もあるサロンである。

構造上士官用の居住区の通路にもなり、他の非当直の士官も利用するため大ぴらに抱きついたり、キスをしたりはできない。

船内では事務員(パーサー)としての地位を与えられていたルイズだったが、それは便宜上のものであり実際は仕事を割り振られせず

もっぱら才人が居ない間はアンリエッタへの報告書をしたためたり、日記をつけたり、編み物をしたりして時間をつぶしていた彼女であった。

その為か、才人にも分かるほどフラストレーションが溜まっていたようで、やたらと肩を寄せてきたり、手を握ったり

体に触ったりしてくるルイズに才人は何かとやきもきさせられた。

そうこうしている内に昼食の時刻となり、才人はルイズと連れ立って食堂へと向かう。

"麗しのアンリエッタ号" では食堂は士官も部員も同じ部屋で摂るのだが、流石に席は別々に分けられていた。

しかし、ここでもルイズは才人の側から離れようとせず、普段ならば嫌がるであろう、むさ苦しく薄汚れた男達に混じってちょこんと座り

茶化そうとしてくる同席した甲板員達に向け、なかば八つ当たり気味の怒気を込めた視線で睨みつけて牽制を行うのであった。

その日のメニューは芋のスープとパンに、フルーツの塩漬けでどれも少々塩気の濃い味付けだった。

これは作業を行う部員達にあわせた物であり、士官も同じメニューが供されるのだがあまりルイズの口には合わないらしく

少ない量にも関わらず彼女は残してしまい、才人に皿ごと差し出す。

才人はそれを受け、黙々とルイズの分まで平らげるのであったが、その間ルイズはいじましくも才人の服の端をずっと掴んでおり

同席していた甲板員(マトゥロ)達を大いに苛つかせるのであった。

欲求不満となったルイズの甘えるような、不満げな視線と同じ班の仲間達による刺すような視線に耐えながら、才人は食事を終えると

再び士官用のサロンへ引きこもり、ルイズととりとめもない話に付き合うこととなる。

それはルイズにとって(多少の不満があるが)貴重で、楽しい一時であったが、才人にとってはあまり変化のない話が延々と続くので

少々食傷気味となり、いささか退屈してしまう時間となるのであった。

なにより。

ここのところ急に見せるようになった、彼女の甘えるような仕草やボディタッチは知らず、才人をじわりと蠱惑して少々体にも毒となっていた。

やがてそんなルイズの憩いの一時を終わらせてしまう当直交代を告げる鐘が打ち鳴らされ、才人は主の拘束からやっと解放されることとなる。

時刻は夕方の六時。

才人が前のワッチ(当直)を行ってから、他の二つの班がワッチを終えた八時間後の事であった。

名残惜しそうにする主をなだめ、甲板へ上がるとそこには雲の合間から朝とは違う、美しい茜色が視界いっぱいに広がって才人の心をとらえる。

その美しい光景に一瞬目を奪われそうになりながらも、才人はトマソン砲長より作業の指示を受けて、その日二度目のワッチでは

船の中央、二番マストに上っての見張りを同じ班のアロワと共に行う事となったのだった。

マストは地上から見上げるよりも上に登って見下ろす方が遙かに恐怖をかき立てるほど高かったが、その分雲海の眺めは最高であった。

ただし、高空に在って風を受け航行するフネである。

季節も冬に差し掛かっており、遮蔽物無く吹きすさむ風は刺すように冷たく、二人は見張り台に備えられていた厚手のマントを羽織り

背中合わせにして震えながらも見張りを開始した。

視界に広がる美しい景色からは、ぴゅおと音をたてて北風をたたきつけられる。

アロワはその冷たさに思わず悲鳴を上げて、その身を縮めさせるのであった





「うぁあう! つ、冷てぇ!」


「寒いな、ここ。景色はいいんだけど……」


「サイト、お前、なんだか平気そうだな?」


「そうでもないぞ? すっげえ寒いけど、このマント暖かいし。これ、内側に毛布仕込んでていい感じだな。下でも使いたいくらいだ」


「はは、アーヴァンク(ビーバーの幻獣)の毛皮使ってるからな。高級品だぞ?」


「アーヴァンク?」


「アルビオンにいる、でっかいネズミみたいな奴さ。女好きで、可愛い子ちゃんの誘惑をエサに捕まえるんだよ」


「……なんか、マヌケな話だな、それ」


「わはは、たしかにな。
 乱獲はできないらしくてよぅ、年に一度狩猟を行う村では同時に美人コンテストを行うって話なんだ」


「へぇ。一度見てみたいな」


「俺もだ、相棒。
 でな、そのコンテストに出る女どもは皆、必死になっているらしくてな。
 なにせ、村の女達は全員強制参加らしいんだ」


「珍しいな、そういうの。普通は推薦とか、立候補してやるもんじゃねぇの?」


「そう思うだろ? だが、その村じゃ違うらしい。
 元々、昔の王様がアーヴァンクの狩りを行うために国中の美女を集めた村って伝承が在るくらいでな。
 そりゃあ、美人が多いらしいんだが……
 面白い事に女達はこぞって "落選" を狙うんだそうだ」


「へ? なんでまた?」


「なんでも、アーヴァンクの方もかなり目が肥えているらしくてな。
 そりゃ、何百年、もしかしたら千年以上も "美女釣り" で狩りをおこなっているんだ。
 だから、飽きているらしくてよぅ。で、たまにだがアーヴァンクに選ばれない娘っこが出るらしい」


「あー、そりゃ、ショックだろうな」


「そりゃ、ショックだろうよ! 美人好きのネズミの幻獣ごときに、『お前は美人じゃない』って烙印押されるんだぜ?
 だからかな、年々その村じゃ毛皮がとれなくなってて。
 そのマント、本来なら俺たち甲板員にゃもったいなくて着れない代物なんだぜ?」


「そうなのか。そんな高級品を用意してくれる殿下って、結構太っ腹なんだな」


「ああ、全くだ。
 もっとも、このフネにゃ他にも色々と太っ腹な所があるんだが、どっちかと言えば "魔の空域" へ向かうからなんだろうけどな」





アロワはそう言って、ぶるぶると震えた。

それは寒さのためか、はたまた恐怖のためか。





「ええい、畜生! 高級なネズ公の毛皮のマント羽織っても寒ぃぜくそ!」


「アロワ、お前もしかして寒がり?」


「うっせぇ。マトゥロは皆、寒がりなんだよ。筋肉ばかりが身について、脂肪がつかないからな。
 ……そういやサイト、お前あんだけ力あんのに体細っせえよなあ。胸の辺りなんてほとんど筋肉ついてねぇし」


「……俺、お前の前で服着替えたことないんだけど?」


「気にすんな相棒。それより、飲むか? ここでなら多少の飲酒は許されてるんだ。暖まるぞ?」





アロワは何やらマントの中をまさぐり、わずかに腕をふるわせながら才人に少し小さめの酒瓶を差し出した。

才人は酒に頼るほど寒くはなく、いざとなればルーンを発動して "グリムニルの槍" の体が感じる寒さを断ち切る事もできたのだったが

ここは彼の好意に甘えることにした。

ビンを受け取り、栓を抜いて傾けると喉にトロリとした液体が流れ込み、同時に胸が焼けるような熱が渦巻く。

熱は強い刺激を伴って、あまりに急激なその刺激に才人は思わずむせてしまい、酒瓶を落としそうになりながら咳き込んでしまった。





「わはは、すげえだろ? 水メイジが錬金魔法に使う触媒に水を混ぜただけだからな、それ」


「ケホ、よくそんなの、ゲホ、手に入ったな」


「フネに乗り込む船医は水メイジである事が結構あるしな。連中、お貴族様ではあるが、意外と話は通じるんだ。
 陸のメイジは平民の事なんざ、歯牙にもかけねえが職業柄船医やってるメイジは案外、頼み事を聞いてくれるのさ。
 まあ、多少金はかかるが」


「へぇ。このフネにも水メイジの船医が乗ってたりするのか?」


「なんだ、お前、しらねぇのか。ミス・ブロウ准尉がドクターやってんだよ」


「へ? そうなのか?」


「まったく、違うねえ。フネの上でいちゃつける相手が居る奴ってのは。
 ブロウ准尉は治癒の魔法は使えるが、船員の健康管理は知識が無くてできなくてな。
 もっぱら、俺たち部員の怪我の治療をまかされた、船医の一人だよ。
 当然士官様ってこったな。多少男嫌いの気があるが、綺麗だし皆に人気あんだぜ?
 ……もっとも、このフネに乗り込んでいる女なんて、彼女しかいねえが」


「おい、ルイズの事忘れてないか?」


「ばっか、あの嬢ちゃんは別だろ? 俺たちがお前さんの恋人をカウントしてもいいのかよ?」





アロワの正論に、才人は反論できず憮然として酒瓶を乱暴に差し出した。

対照的にしてやったり顔のアロワは酒瓶を軽やかに受け取って、ぐいと一口酒をのむ。

熊のような甲板員は豪快なその仕草が示すとおり、あれほど強い酒を大量に喉に流し込んでからぷはぁ! と息継ぎをした。





「くぅううう! やっぱ効くな、これ!」


「飲み過ぎじゃねえか? 降りる時に足踏み外してもしらねえぞ?」


「大丈夫だって。即死しなきゃ、天使のような准尉に診てもらえるんだ。願ったり叶ったりじゃねえか」





冗談とも本気ともとれる台詞を吐いて、アロハはガハハと笑う。

才人はそんな彼に半ば呆れながらも、分厚いマントに身を来るんで凍てつくが美しい景色に意識を向けた。

夕焼けの茜に染め上げられた雲海は何処までも美しく、そしてどこまでも広がっている。

アロワが見張っている方向では二つの月が太陽を追いかけるように昇ってきて、こちらは藍色の空を雲に写し込んでいた。

その光景は地上では決して見れるようなものではなく、不意に才人は下に降りてルイズと一緒にその光景を眺めていたい気持ちに襲われてしまう。

アーヴァンクのマントは実に暖かく、刺すほどに冷たい風を受ける顔が心地よいほど体を温めていた。

才人はしばしの間、これからのことやこれまでのことについて思いを巡らせる。

アンドバリの指輪の奪還作戦。

"魔の空域" に住まうとされる、魔物の正体。

ハルケギニアのこれからの "歴史" 。

学園に残してきた、友人達。

アンリエッタとウェールズの未来。

それぞれが、才人の感情をいろんな色でかき回し、薄くなりつつある才人の「一度目の人生」との差異を示していた。

そしてそのどれもが才人の過去の記憶を、まるで塗り重ねるように薄く、うっすらとぼやけさせていく。

自覚して才人はぶるりと一つ身震いをした。

なんだか、別の自分が今までの自分を浸食しているかのような錯覚を覚えていたからだ。

そこに不快感は無かったが、それでよしと思えぬ程には "前" に対して抱いていた拘りを捨てきれぬ才人であった。

そういえば、ここのところ夢を見ていないな。

昔の、妻であったルイズの、あの夢を。

ルイズを泣かさなくなったからだろうか。

はたまた、ルイズと無事恋人よ呼び合えるような仲になれたからだろうか。

ぼんやりと才人は考えながら、胸の内で一番おおきな、ルイズとのこれからについて想いを巡らし始めた。

辺りはすでに藍色の世界が広がりつつある。

そこで、才人ははっとする。

藍色の闇の向こう、太陽が未だ沈みきって居ないのに気がついたからだ。

否。

闇はうっすらと沈み行く太陽にかかり、その光をたしかに遮っている。

それは明らかな異変であった。

なにせ、闇の向こうにはいまだ茜色に輝く雲海が広がっていたからだ。





「アロワ!」


「サイト!」





アロワもその異変に気がついたのか、二人は同時に顔を見合わせた。

間を置かず、アロワは監視台の手すりから身を乗り出して、下に向けて大声を張り出す。

しかし、その声は口からは出なかった。

彼の視界に "ソレ" が出現した為である。

藍色の夜空というよりも、どす黒い雲のような闇がいつの間にか辺りに色濃く立ちこめるのと同時に、 "ソレ" はどこからともなく出現した。

"ソレ" は天高く、まるで城の塔のような太さで "麗しのアンリエッタ号" を取り囲んでいた。

頭は見えず、尾も見えない。

数は三。

上空側が尾なのか、雲の下側が頭なのか、はたまたその逆であるのかが全く分からないほど巨大な存在であった。

大きさだけで言えば、恐らくはかつて才人が戦った暴君よりも遙かに大きいだろう。

まるで天地を支える柱のような "ソレ" は一つ、また一つと増えてゆき、それと共に辺りを覆う闇も濃くなる。

いや、闇だけではない。

生臭い、アンモニアに近いような異臭もあたりに立ちこめ始めた。

"ソレ" は生き物のようにうねって、徐々にフネへと近寄ってくる。

相変わらず頭がどちらにあるのか判別がつかないまま、その圧倒的な大きさにアロワおろか才人すら言葉を失っていた。

そして。

ガクン! とフネが揺れた。

何かがフネの下に取り付いたらしい。

才人とアロワはマストから身を乗り出して下をみると、太い "ソレ" がフネの底を押している姿がみえた。

瞬間、アロワが正気に返って悲鳴を上げた。

その声は、恐怖に震えて闇の空に消えてゆく。

才人も緊張した面持ちでどこか見覚えのある "ソレ" を睨み、記憶の糸を必死でたぐっていた。

なぜか、 "ソレ" を知っているような気がしたからだ。

険しい顔で考え込む才人の隣で、アロワの叫びは続く。

今度は悲鳴ではなく、後悔と恐怖の入り交じった叫び声で。










「出た!!  "魔の空域" の魔物だ! 俺たちはスニソート・ビーク空域に到達したんだ!」


















[17006] 7-6:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く(改訂)
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:93f1792e
Date: 2010/09/12 06:24









「はぁ?! なによそれ?!」





ランプが灯された "麗しのアンリエッタ号" の士官用のサロン。

ルイズは才人の言葉に驚いて、士官が集まる会議の席にもかかわらずつい、大きな声を上げてしまった。

いや、ルイズだけではなく他の士官やウェールズですら、その言葉に目を丸くして驚いている。

ただ何名かの士官……主に事務員だけは才人の言葉にそういえば、などと呟いて、一定の納得はあったようだが

それでも才人のその言葉はにわかには信じがたいものであった。

才人がソレの正体に気がついたのは、黒雲が立ちこめるスニソート・ビーク空域にて謎の魔物に襲われてよりすぐのことだ。

そのあまりに巨大な柱のような姿に驚き、フネの底に取り付かれ、その正体に心当たりを思い浮かべながらも "グリムニルの槍" で迎撃すべく

マスト・トップから甲板に飛び降りて、手近なものを槍の材料にしようとした時。

突如フネがガクン、と傾いて悲痛な叫び声がどこからか、下から聞こえて来た。





「か、風石が! こいつ、風石の魔力を喰うぞ!」


「誰か! 甲板員、下に降りてきてくれ!! 化け物が船内に入り込んだ!」





悲鳴混じりの叫びに、才人は "グリムニルの槍" を作るのを一端諦めて、フネの下へと下る階段目がけて駆け出した。

砲甲板よりも更に下のエリアは、フネを空へ浮かべるための魔具と風石が置かれており、滅多に甲板には上がってこないが

魔導機関部に所属する乗組員達が働いている。

悲鳴はその魔導機関部の部員である、掌石員(マインワーカー)達のものだった。

才人が現場である、風石の備蓄庫にたどりつくと、あの柱のような魔物の "先端" らしきものがフネの外殻を破ってきて進入し

ぶよぶよしたその体をうねらせて器用に風石を取り込み、船外に運び出している姿が見えた。

更に魔物は一体だけでなく、入れ替わりに風石の備蓄庫に進入して風石を運び出す魔物とは別に、メインマストに取り付けられ

現在 "麗しのアンリエッタ号" を空に浮かべている「浮き」の役割を果たす魔具にもソレは巻き付くようにとりついて

内部の風石の魔力を吸い出していたのだ。

幸い魔導機関ルームは広く、背にしたデルフリンガーを振るうには十分な広さが確保できたので才人はその姿を見るや

背の大剣を抜き放ち、一刀のもとに魔具に巻き付くソレを切り伏せる。

バッサリと切断されたソレは、白い切り口から血を流すでもなくアッサリと斬れ、根本の方は慌てて船外に退散したたものの

巻き付いた部分は依然魔具に取り付いたまま離れなかったが、しばらくするとボトリと音を立てて下に落ちるのだった。

それを見て、掌石員達が一斉に魔具に近寄り無事を確認すべくあちこちを調べはじめ、すぐに悲鳴に近い声を上げた。





「くそ! 風石の魔力が殆ど喰われちまってる!」


「ダメだ! こっちもやられた!」


「不味いぞ! 備蓄庫の風石が……」





掌石員達の悲痛な会話を聞いた瞬間、才人は事態の深刻さを察し脱兎のごとく備蓄庫の方へ駆けた。

備蓄庫の入り口では士官である 機関士(プロダクター)が杖を振り、懸命に風石を守ろうと魔法を撃っていたのだったが

ソレは意にも介さず入れ替わり立ち替わりに開けた大きな穴からやって来ては、風石を器用に運び去っていた。





「どいて!」


「な、なんだお前は!」





才人はルーンを輝かせ、機関士を押しのけながら矢のような速さで備蓄庫の中に飛び込み、うねるソレを先程したように

バッサリと切断してみせる。

船外から進入して来ていたソレは、やはり血を流すでもなくうねりながら自らが開けた大穴から外へ這い逃げて

やがてその姿を見せなくなった。

未だ警戒し続け剣を構える才人の後方ではワっと士官と部員達の歓声があがり、掌石員達が急いで魔物が開けた大穴から落ちぬよう

近くに散らばっていた風石を拾い集め始める。

才人は一瞬、危ないから離れているようにと口に出しかけたが、大穴からは黒い風が吹き込んで来るばかりであり

ソレの気配もすっかり消えていたので言葉を呑み込み、デルフリンガーを鞘に収める事にした。

周囲では備蓄庫から残った風石を掌石員達がせっせと運び出していて、むこうでは彼らを取り仕切る掌石長(ナンバン)と機関士が

被害の全容を調査して、顔を青くしていた。

才人はというと、先程切り落とした魔物の一部を見ながらソレの正体に確信し、何故こんな所にいるのかと内心首をかしげる。





「サイト!」


「ルイズ?! バカ、なんで此処に来たんだよ」


「それは後! はやく上がってきて! あんたの槍が必要なのよ!」


「なんかあったのか?!」


「魔物の本体がフネの上に現れたの! ……恐ろしく大きな奴よ。このフネを丸呑みできる位に」





ルイズの言葉に才人は慌てて甲板に戻ろうとしたのだったが、あることに気がついて側にいた機関士を呼び止めた。

フネのあちこちからはあの魔物が取り付いているのか、ギシギシと船体が軋む不気味な音を立てている。

呼び止められた機関士は、今それどころではないといった表情を浮かべはしたものの、魔物を撃退した才人を無碍にもできず

投げられた問いかけに耳を渋々傾けた。





「すいません、あの! 風石、どれくらいやられました?!」


「……反対舷の備蓄庫はまだ無事だが、あっちは既に殆ど使っちまってるからな。正直、かなりやばい! 浮かせるだけでも危うい!」


「げ! じゃあ……」


「何やってるのよ、サイト! 早く!」


「あの! じゃあ、じゃあですよ?!」


「そこの風石はメインマストの "浮き" にもってけ! ……あぁ? なんだよ、まだあるのか? 今どんな状況かみりゃわかんだろ?!」


「これで最後ですから! 今、もしこのフネを捕まえてる奴を撃退したら、どうなりますか?」


「……しばらくは飛べるだろうが、多分ゆっくりと落ちる。
 下は海だが、フネは翼が付いてるから、直ぐに波で船体がイカレてそのまま海の藻屑……だろうな」


「ちょっと! それって……」


「くそ……とにかく、上に上がろう!」





才人とルイズは機関士の言葉に息を飲みつつも、踵を返して甲板に向かって走った。

機関士の話が本当であるならば、迂闊に "グリムニルの槍" は使えない。

かといって、このままでは "魔の空域" の魔物の餌食となってしまう。

どうすべきか判断は付かなかった二人であったが、とりあえずは甲板に出て事態の成り行きを確認することにしたのだった。

果たして甲板に出た才人とルイズが見た物とは。

辺りに一層濃く立ちこめる生臭い黒い霧のような雲の合間から、巨大な柱のような魔物の触手らしきモノが数本 "麗しのアンリエッタ号" に

絡みついており、その伸びてくる先には魔物の本体と思わしきソレが空一杯に広がっていたのだった。

ソレはまるで、下から間近に見上げるアルビオン浮遊大陸のようであり、おぞましい程ビッシリとイボのような突起物が生えて

黒い雲の合間からその姿を見たルイズは、思わず息を飲んで眉根を寄せた。

どうやらフネはその本体側に引き上げられて居るらしく、次の瞬間、空の中央に魔物の口らしき大きな黒い穴が出現して

乗組員達の悲鳴ごと、 "麗しのアンリエッタ号" は魔物に呑み込まれてしまう。

その間、才人はどうすればよいか答えが出せず、ただただ、成り行きを見守ることしか出来なかった。

"グリムニルの槍" を投げれば撃退出来たかもしれなかったが、それだとフネは海の藻屑となってしまう。

最悪、ルイズを抱えて下に飛び降りる事も考えたが、ウェールズやフネに乗る者達を置いて逃げ出すことも出来ず、結局は魔物の為すがまま

"麗しのアンリエッタ号" ごと丸呑みにされた才人であった。

幸い、魔物は牙を持たず獲物を丸呑みする習性を持っているようで、一層濃く立ちこめる闇の中 "麗しのアンリエッタ号" は

広い魔物の体内を明かりを灯しながらなんとか航行し、やがて胃袋と思わしき場所で航行用の風石の浮力が尽きて座礁してしまった。

一応はまだ幾ばくかの風石が残ってはいたものの、本格的に機関停止に陥ると翼があり、背の高いマストもあるフネは

その姿勢を維持できず倒れて二度と空に浮くことが出来なくなってしまう。

したがって、ウェールズは姿勢が制御出来る内に船底を地に付けて、わざと座礁させたのだ。

魔物の胃袋は広く、おびただしい程のフネの残骸が散らばっており、さながらフネの墓場のようであった。

が、その光景は同時に魔物の胃が呑み込んだ物を消化するために強い酸等を分泌しないことを意味して

それだけはフネに乗る乗組員達の胸をなで下ろさせた。

しばらくして、絶望的な状況を打破すべく船員達が落ち着いた頃に、士官用サロンに士官達と共に才人とルイズが招集され

対策会議が開かれていたのだが。

その場で "魔の空域" の魔物の正体についての話題となった折、才人は心当たりを口にして皆の奇異な視線を集めていた。





「多分、間違いないと思うぞ、ルイズ」


「嘘おっしゃい! こんな大きな "タコ" が、しかも空の上に居るなんて聞いたこともないわ!」


「確証はあるのかい? サイト君」


「はい、殿下。俺の生まれた国ではタコを食べる習慣がありまして。
 機関部で見た、風石をさらっていたあの触手は間違いなくタコのそれでした。」


「船長、自分もいいですか? 自分は "盾(バックラー)" 殿の所見には頷けます。
 以前乗り込んでた下を奔る船で、遭難してしまった時、食うものが無くなって釣り上げたタコを捌いた経験がありまして。
 言われてみればありゃ、確かにタコの足でした」





才人の発言に手を上げて、同調してみせたのは食料の調達等を担う事務員(パーサー)のジョンであった。

が、しかし。

一同は例え正体がそうであっても、タコが何故空の上、ああも巨大な姿でフネ……いや恐らくは風石を狙って襲うのか理解出来ず

ううむ、と考え込んでしまう。





「しかし。たとえ、魔物がタコであったとして、我々はこれからどうすべきかをまず考えねば。
 先に行った周辺の探索では、フネの残骸からは風石は見つかず脱出の目処も立ってはおりません」


「そうだな、ハル卿の言うとおりだ。魔物の正体はひとまず置いておこう。事務長(チーフ・パーサー)、残りの食料は何日もつ?」


「は。緊急配給体制に移行しておりますので、一月半はなんとか」


「そうか。機関長(チーフ・プロダクター)、フネの修理は?」


「現状では問題ありません。材料もそこらにいくらでも転がっていますし。
 船長、それよりも脱出策の提示を最優先してやってください。幸い、うちの船員にはそこらのフネを漁って
 金目の物を探すバカはいやしませんが、その分周囲のフネの残骸は不安を煽っていましてね」


「で、あろうな。しかし……」


「あのぅ」





ウェールズと士官達の会話に割り込んだのは、才人であった。

遠慮がちに手を上げて発言を求めるその顔に、一同の視線が集まる。





「ここから出るだけなら、多分大丈夫だと思います」


「なんですと!? それは本当ですか "盾(バックラー)" 殿?!」


「ええ。この下にフネが通れるだけの大穴を開ければ良いんでしょう? それくらいなら俺に出来ると思います」


「それく、らい、ですか?」


「ええ、ミス・ブロウ。サイトならこともなげにやると思うわ」





才人の大言に、ルイズの隣に座っていたミス・ブロウが驚いたような顔をしてヒソリと主であるルイズに確認してきた。

ルイズは半ば我が事のように得意げになって、ニッコリと微笑み才人の言葉を肯定してみせる。

室内は才人の脱出案にざわめき、しばし色んな言葉が飛び交った。

が、ただし! と才人が話しを続けると再び静寂は戻り、視線ももう一度才人へと集まる。






「ただし、です。このフネが再び航海出来るようになって居ることが条件だと思います。
 さっき機関士の人に聞いたんですが、使える風石が残り少なくて浮くのも危ういとか。
 下は海ですし、俺はよくわからないのですが、このフネだと波によって翼とか壊されて沈んじゃうんですよね?」


「ああ、そうだ。サイト君の言うとおり空を行くフネは海を行く船と似てはいるけれど、機構がそもそも違うからね」


「ですから、まず風石の確保をなんとかしてからでないと。
 穴を開けて出る、だけなら今すぐにでも出来ますが、海に落ちて沈んでは意味がないですから」


「ううむ……」


「船長。ではこうしましょう。海兵をいくつかの班に分けて、風石の探索に当たらせるのです。
 周囲にあれだけフネの残骸が残っていれば、一隻位はまだ風石を残している物があるかもしれません」


「失礼します!」





ハル卿の話を遮って、突如サロンの扉が開かれた。

そこに血相を変えた掌帆長(ボースン)が立っており、彼の背後からは何やら怒号が飛び交って聞こえて来ている。





「何事だマルタ掌帆長?!」


「敵襲です! それも、見たことも無いトカゲのような青い亜人がフネに這い上がってきてやす!」





言葉に一早く反応したのは才人であった。

才人はマルタ掌帆長の言葉を聞くや、ルーンを輝かせながら細い通路を走り室外へと飛び出て、デルフリンガーを抜き放ちながら辺りを伺った。

狭い甲板の上はかがり火に照らされて、その上を武装した甲板員と真っ青なトカゲの亜人が戦っている姿が見て取れる。

亜人は頭部がトカゲで、体も人のそれに近かったが体躯が熊のように大きく、全身に青い鱗がビッシリと覆われて

甲板員達が持つ短槍を掠めた位では、傷一つ負わせられないようだ。

手には武器は持っていなかったが、その爪はまるで短刀のように鋭く長く、それを武器に襲いかかってくる姿はなんとも不気味であった。

トカゲの亜人達の数は少なかったが手強いようで、甲板員達は数名一組で組織的に迎撃をしているにもかかわらず、劣勢に陥りつつある。





「あぐ!」


「アロワ!」





抜いたデルフリンガーで直ぐには参戦せず、敵を居住区に入れぬようまず位置関係を把握していた才人の目の前で

戦っていたアロワがトカゲの亜人の鋭い爪に槍を折られ、肩口からその厚い胸にかけて大きな傷を負って倒れた。

才人は直ぐに斬りかからなかった己の判断ミスに舌打ちをしつつも、一層ルーンを輝かせてアロワにとどめを刺そうとするトカゲの亜人へと

一気に距離を詰めて手にした魔剣を横一文字に振るった。

同時に、金属を叩くような音がして、青いトカゲの亜人は真っ二つになりその場で崩れ落ちる。

才人はその様子など見向きもせず、さらに速度を上げて他の甲板員達と交戦しているトカゲの亜人を瞬きをする間に斬り伏せて回り

やがておっとり刀でルイズや士官達が居住区から出てくる頃には戦闘は終焉を迎えて、実にアッサリと甲板は静寂を取り戻していた。





「サイト?!」


「俺は大丈夫だ。粗方敵も排除しといた。それよりも、けが人を頼む!」





べっとデルフリンガーに付いた血を払いつつ、才人は駆け寄るルイズに手を上げて無事をアピールした後

続いて居住区に通じる扉から出てきたミス・ブロウを見つけて、倒れたアロワを指さす。

ミス・ブロウはその意味を素早く理解し、懐から杖を出しながら倒れ込んだアロワに駆け寄って "治癒" の魔法をかけ始めた。

アロワの他に傷を負った甲板員達は居るようだったが、幸い死者は出てはいないようだ。

才人達から少しはなれた場所では、いまだ少し浮き足立っている甲板員達をトマソン砲長が的確に指示を飛ばし

いくつかの班を再編成して周囲の警戒に当たっている。

才人自身に声が掛からないのは、戦闘時はルイズの指揮下に入る旨ハル卿から伝えられているのだろう。





「こいつ……一体なんなのかしら。こんな亜人は見たこと無いわ」





才人の直ぐ側で、ルイズは真二つに斬られたトカゲの亜人の遺骸を見ながら呟く。

才人自身もこのような亜人は見たことも無く、なんで "魔の空域" の魔物の体内にこのような生物が居るのかと首をかしげた。





「おい、相棒」


「ん? なんだデルフ」


「こいつら、 "ブルーマン" だぜ」


「知ってんのか?!」


「ああ。以前どっかでやり合った記憶があんな。結構古い種でよう、最近じゃとんと見なくなった連中だな」


「なんでそんなのがこんな所にいんのよ?」


「さあ、知らね。ただ言えるのは、こいつらが居るって事は "連中" が居るかもしれねえってことだな」


「連中? どういう事だよ、ちゃんと説明してくれよデルフ」


「そう急かすなって相棒。別に勿体付けてるんじゃねぇだろ? 連中ってのはだな、このブルーマンを使役している……」





デルフがそう言いかけると突如ズン! と地が揺れた。

甲板の上で様々な作業を行っている乗組員達もその振動を感知したようで、皆一様に顔を上げて辺りを見渡している。

もう一度、今度は少し近い位置でズン! と船体が揺れた。

辺りを警戒する甲板員達は、皆手にしたたいまつを四方に掲げて、迫り来る "ナニカ" を探しだそうと躍起になる。

更に、もう一度。

今度はかなり近い位置で地が揺れた。

周囲はブルーマンと呼ばれたトカゲの亜人達の死骸が臭うのか、はたまた魔物の体内に充満する黒い雲のような霧が臭うのか

生臭い臭いが充満している。





「こっちだ! 3時の方向!!」





誰かが振動を起こしている主を発見したらしい。

甲板上にいた者達は皆、武器を、杖を構えて才人達が居る位置から外側を見やった。

奇遇にも "ソレ" は才人が居る右舷の中央部に向けて闇の奥底から近寄ってきていたらしい。

やがてそれは、地響きを更に上げてその輪郭を現した。

その、あまりに巨大な姿に皆一様に息を飲む。

そこに、 "麗しのアンリエッタ号" のメインマストの中程もある大きさの、一つ目の巨人が立っていた。

幻獣亜人が跋扈するハルケギニアにあってもその異様な姿に言葉を失うルイズと才人、そしてその場にいた全ての者は

等しく魔剣の言葉を耳にする事になる。










「やっぱ居たか。巨人族のゴグ・マゴグだ。相棒、連中は韻竜並に古い種族だから手強いぞ?」


















[17006] 7-7:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:93f1792e
Date: 2010/11/27 02:18



「ついてぇこい」

 ゴグ・マゴグという巨人は、そう言って "麗しのアンリエッタ号" を抱え上げ歩き始めた。
 向かう先は彼が居を構える、フネを呑み込んだ魔物の "二つ目の胃" だという。
  "麗しのアンリエッタ号" はまるで嵐をやり過ごす為のように、全ての帆を畳み大砲も砲室
内に引っ込めてワイヤーで固定されている。 甲板を忙しなく行き来していた乗組員たちも、
今は皆船室に引っ込み激しい揺れと恐怖に耐えていた。

「きゃあ! ちょっと! もうすこしゆっくりと歩きなさいよ!」
「無理言うなよ、ルイズ。折角フネごと運んでくれてるのに」
「ん~? 何か言ったかあ?」
「何でもねえ! 気にしないで前に進んでくれ!」
「はいよぉ」

 遠雷のような巨人の声に、ルイズとただ二人、甲板に出ていた才人は大声で応じながら振り
落とされそうになる恋人の腰を抱き留める。ルイズは巨人が歩を進める度に小さな身体を激し
く上下させながら、しかしその度に強く才人に抱きしめられ満更でもない様子であった。
 蒼い鱗を持つ、ブルーマンとデルフが呼んだトカゲの亜人達の襲撃後、彼らを使役して居る
であろう巨人が現れた後。
  "グリムニルの槍" を構えようとしていた才人に、巨人は意外にももう大丈夫だ、と恐ろし
く大きな声で語りかけてきたのである。
 ゴグ・マゴグはその後、元々使役していたブルーマン達が在る理由から支配を離れ、魔物が
呑み込んだフネを襲うようになってしまったと語り、次いで、お前達が外へ出られるよう手助
けをしてやると持ちかけてきたのだ。
 申し出は果たして、異形の怪物を信頼できるかどうかなどの問題を孕みつつも、他に選択肢
が見つからないウェールズはこれを承諾し、とりあえず一行は、ブルーマンが近付かないとい
う彼の住処へと移動し、話をする運びとなったのである。
 才人はその間、怯えに怯えている乗組員達に代わり、巨人に不審な点が無いか等を見張るた
めに甲板に出て。
 またルイズはそんな才人を心配して、彼に同行を申し出ていたのだった。

「いひゃい! ひゃいと、ひたひゃんひゃっひゃ」
「……こんなに揺れてるのに喋るから舌噛むんだよ。ほら、舌をみせてみ?」

 甲板上はゴグ・マゴグが一歩踏み出す度に激しく揺れる。
 遠目には(異様であろうが)巨人がフネをかかえ慎重に歩いているように見えるのだろうが、
実際はその巨体故歩幅も身体の上下幅も大きく、ゴグ・マゴグにとって僅かな距離であっても
才人達にとっては揺れ幅は非常に大きく感じられるのだ。
 幾度目かの苦情をゴグ・マゴグに出そうとしたルイズが、折悪く巨人がフネを抱え直した時
に口を開けてしまい舌をしこたま噛んでしまった。
 才人はメインマストと己の身体をくくりつけたロープを握り、同じように縄をくくりつけて
いるルイズの腰に回した腕に力を更に入れて、苦悶を浮かべるその小さな顔をのぞき込む。
 ルイズはそんな才人に目の端に涙を一粒ためながら無防備にも、ほわぁ、と口を開いて噛ん
でしまった舌を差し出してみせた。その柔らかでピンク色の舌は、端に赤く小さく血が滲んで、
才人は大丈夫、そんなに傷は深くない、と声を掛けようとする。
 が、その刹那。
 鼻先にルイズの吐息が掛かり、目を閉じ、舌を出して口を開ける彼女の姿がここの所色々と
"おあずけ" を喰らっていた使い魔には酷く艶めかしく見えて。
 ――何を想起させたのか、才人は思わず顔を背けてしまった。

「ひゃいと?」
「ご、ごめん。傷は小さかったから、後で塩水でゆすいどけば大丈夫だ、ルイズ」
「そう。ねえ、サイト」
「な、なに?」
「お願い。もうすこし、しっかり抱いてくれない? ゆれっ……て、また舌噛んじゃいそう」

 言葉は、使い魔を僅かに惑わせる。
 が、躊躇も一瞬、細い腰に回した腕を更に力を込め、才人は主の命令通りにしっかりとルイ
ズを抱き止めた。
 指示は謀ってのものであったか、ルイズはむふんと才人の胸に顔を埋めて、久しぶりに恋人
の匂いを堪能する。
 一方、才人の方もルイズの甘い体臭を間近にかぎながら、抱き止める柔らかな感触と先程の
表情も相まって、不謹慎な感情に苛まれた。
 考えてみれば、フネに乗り込んでからというものの、まともにルイズを抱きしめたりは出来
なかったのである。
 無論、肉体関係の有無の話ではなく、所謂ハグという奴なのであったが、ここの所お互いの
気持ちを確かめ合い、何時 "間違い" が起きてもおかしくはない状況下で、フネに乗り込む前
は頻繁に抱きしめ合ったり、キスをしていた二人であったのだ。
 当然、イチャつく隙も余裕も限られた状況下、このように堂々と密着出来る機会など久々で
あった為か。

「……サイト。当た、当たっててているわ」
「……ごめん」
「あ、あや、謝る事、ないと思う、わ?」
「バカ。私の方、が、はずかしい、わよ」

 続く会話は甘く気まずく、なんとも白々しい物で。
 この場にギーシュかマリコルヌが居れば、ファイヤーボールの一つでも飛んできそうな程、
二人は見る者にもどかしく不快な空気を醸し出していた。
 幸い、外の様子を見ていたのは限られた士官達だけであり、遠目には巨人に怯える主を庇う
使い魔にしか見えなかった為、火球が飛んでくるような事は無かったのだが。

「おぉい、おまえら、オイラの目の前でイチャつくのはやめろよぉ」

 抱えあげたフネの甲板上にいる、己の小指程の大きさの二人の様子を見ていた巨大な一つ目
の巨人に大声で窘められ、以降二人は言葉少なくもそのまま抱き合っていたのであった。



「そんな……あんな、あんな戦い方を……それも魔法も使えない平民が……」
「ふふん。ミス・ブロウ、勘違いしてはダメよ? サイトの力はあんな物じゃないわ」
「まさか! ミス・ゼロ殿! いくら彼が凄腕の剣士だとしても、あれ以上なんていくら何で
も!」
「そのまさかよ、ミス・ブロウ」

 ルイズはそう誇らしげに言って胸を張り、むふぅ、と鼻を鳴らして見せた。
 彼女の隣ではミス・ブロウが信じられぬといった表情を浮かべつつ、只一人で無数の青いト
カゲの亜人、ブルーマンの群れの進撃を押しとどめている少年の姿を必死に追う。
 彼女達と才人は現在、 "麗しのアンリエッタ号" を離れとある場所を目指していた。
 とある場所、というのは一つ目の巨人ゴグ・マゴの住処ではなく、その先にあるフネを呑み
込んだ魔物の "墨袋" だ。
 その、 "墨袋" の手前に至った三人は百に近い数のブルーマンの襲撃を受け、才人が一人で
撃退している所である。
 幸い四方を囲まれる前に襲撃を察知できた為か、才人は相手が左右に展開するよりも速く攻
撃を開始できて数の不利すら物ともせず、確実にその数を減らしていく才人であった。
 ただ、才人の攻撃は "グリムニルの槍" の投擲ではなく、デルフリンガーでの近接戦闘中心
であった為か、僅かな数ではあったが才人の背後に抜ける事に成功した者が出て、彼らの標的
であるルイズとミス・ブロウに襲いかからんと、幾人かのブルーマンが二人に殺到してしまう。

「ひゃっ!」
「ひゃう! ちょ、こら! サイト! ちょっとは考えなさいよ! 私達を呑み込んだ魔物ま
で殺すつもり?!」
「わりぃ! っとと、この!」
「もう! ……大丈夫? ミス・ブロウ」
「は……はい。いま、のは……?」
「ん、サイトの "槍" よ。本当ならもぉちょっと、派手に音が出るんだけどね、アレでも一応
手加減してるつもりみたいなんだけど、あいつ……」

 悲鳴は、才人が思わず投擲してしまった槍の爆風によってのものだ。
 "魔の空域" の魔物の体内に居る以上、迂闊に魔物を傷つける事は辞めておこうと決めてい
ただけに、その破壊の跡はいつもの才人にしてみればかなり小規模な物であった。
 ルイズは愚痴を吐きつつも、もう一度誇らしげに顔を綻ばせ、圧倒的な力を見せる己の使い
魔を見詰める。
 その表情は非常に自慢げであり、ミス・ブロウに才人の力を見せつける機会を得る事ができ
嬉しくてたまらないといった様子だ。
 故にか先程の才人への苦情や愚痴はどこかわざとらしく、常軌を逸している才人の力を前に
して彼に毒づく事により、いかに才人と自分が親しいかをミス・ブロウにアピールしたい思惑
の方がルイズには強くあった。
 一方、戦闘が始まってよりずっと驚きっぱなしのミス・ブロウの表情は、そんなルイズのプ
ライドを痛く満たし続け、今も目の前で示された "グリムニルの槍" の力の一端に更なる驚愕
を重ねる。
 何せ、つい先程まで二人に襲いかかろうとしていたブルーマンは、跡形もなく消し飛んでい
たのだから。
 オークであれリザード・マンであれ、魔法も使えない平民が数匹の亜人を跡形もなく消し飛
ばすなどまずあり得ない話であるのだ。
 ミス・ブロウの自失に近い驚愕は当然と言えば当然であろう。
 間もなく才人とルイズには当たり前の、ミス・ブロウにとってはあり得ない戦闘はあっけな
く終わり、三人は再び "墨袋" に向かって歩き始める。
 才人は驚き未だ呆然とするミス・ブロウと、才人のアラを見つけては何かとつっかかり、し
かし内情は甘えてくるルイズに少し苦笑いを浮かべつつも、周囲を警戒しつつ "目的" である
それが何処にいるか、思考を巡らせた。
 果たして思い出したのは一つ目の巨人の住居で語られた話である。
 ゴグ・マゴグの住まいは才人達の予想を遙かに超えたものであった。
 幾つかあるという魔物の胃をまるまる一つ住処としているためか、扉などは無かったものの
どうやって作ったのか巨大な調度品の数々が甲板に居た才人とルイズのみならず、フネの中で
怯えていたクルー達にさえ感嘆の声を上げさせていたのである。
 ちょっとした山ほどもありそうなテーブルに、小さな貴族の館一つがすっぽりと入りそうな
程広いベッド。
 どういった仕組みなのか、広い胃の中を燦々と照らす巨大なランプに誰がどうやって作った
のか、ページをめくる事すら出来そうにない大きな本。
 目に映るすべてのものが巨人の持ち物であったので当然と言えば当然であるが、それでも非
現実的な光景は才人達の目を奪っていた。
 なにより……

「チ、チーフ! あれだけ風石があれば……」
「うむ。フネを浮かべ航行するには必要十分な量だ。しかし、オフィサー・ベンノ。決めるの
は船長だ」

 とりあえず異形の巨人は害が無いと見た士官や乗組員達は、甲板に恐る恐る出てゴグ・マゴ
グが取り出していたソレに息を飲む。
 フネすら抱え上げるその大きな手のひらには、うずたかく風石が盛られていたからだ。

「して、ゴグ・マゴグ君。君が我々を助けてくれるかわりに頼みたい事とは一体なんだね?」
「かぁんたんな話だぁ。さっき話した、逃げ出した "ブルー・キング" を見つけて、退治して
くれればいいんだぁ」

 巨大なテーブルの上で、なんとか船内に残った風石で姿勢制御を行う "麗しのアンリエッタ
号" の舳先にて、ウェールズはううむと考え込む。
 彼の直ぐ背後では才人が同じく難しそうな表情を浮かべて、その横顔をルイズは心配そうに
見詰めるのであった。
 巨人は "麗しのアンリエッタ号" とその乗組員達を自宅へ招いた後、事の経緯を呆気なく、
多少舌足らずであったが饒舌に語っていた。
 彼の話によれば、元々アルビオンがまだ浮遊大陸となる以前からその地で暮らしていたらし
い。
 ある時、大陸が夥しい程の風石の魔力によって浮かび上がり始めた。
 それこそが現在のアルビオン浮遊大陸の始まりであたのだが、やはり浮かび上がったばかり
の当時は大陸も不安定で高空に上がりすぎたり、大陸そのものが傾いたりして幾度となく大き
な被害を出していた。
 ゴグ・マゴグは運悪くもそんな大陸と共に上空へ浮かび上がってしまった古の種族の生き残
りで、そういった災害から逃れる為偶々内海に入り込み、大陸と共に浮かび上がっていた "魔
物" の体内へと居を移したのだという。
 ――そう、 "魔の空域" の魔物とはゴグ・マゴグと同じく、古の世に生きていた、そして今
日のハルケギニアの海では割とポピュラーな海の魔物である、クラーケンだったのだ。

「おまえらは知らねぇかもしれねえがぁ、 "こいつ" は悪食でなあ。特に、プカプカと空に浮
いてるのが気に入ったのか、風石には目がねぇんだあ」
「それでフネを……」
「んだあ。おいらとしてもぉ、 "こいつ" の体内で暮らす前から既にニンゲン達とは折り合い
が悪くてなぁ。なにせ、浮き島は狭いのに、おいらこの図体だろぅ?」

 浮島、というのはゴグ・マゴグにとってのアルビオン大陸の呼び名らしい。
 巨人はそういって、一つしかない目をウインクするようにパチリと一度瞑って見せた。
 その不気味な様に交渉に当たっていたウェールズは思わず苦笑いを浮かべ、背後でマストの
影に隠れるように成り行きを見守っていた船員達からは思わず悲鳴が上る。

「まぁあ、その点、ここは年々広くなっていくしぃ、おいらを追い払おうとするニンゲンもい
ないだろぅ? だから、そういうわけでおいら、ここに住み着いたんだあ。ブルーマンどもと
一緒になあ」
「ブルーマン? そういえば、君は先程ブルー・キングを退治してくれって言っていたな?」
「ああ、そうだったぁ。ブルー・キングってのは、ブルーマンから希に、何百年かに一度ごく
希に生まれるブルーマンの王でなあ。あ、ブルーマンってのは、おいら達巨人族……といって
も、おいら以外に巨人族が生き残ってるのかはしらねぇけどなぁ。……とにかく、ブルーマン
ってのは巨人族の僕として品種改良したリザード・マン(トカゲの亜人)でなんだぁ。連中、
繁殖力も強くて労働力にも、おいらの "食いもん" にもなる優れものなんだぞぅ?」
「……して、なぜそのブルーマンが我々を?」
「だぁかぁらぁ、ブルー・キングだぁ。あれが生まれると、ブルーマンどもはおいらのいう事
を聞かなくなるんだぁ。だから、ブルー・キングが生まれたらすぐに食っちまうんだけど、何
百年か何千年か前に居眠りしてた隙に生まれた奴が逃げ出してなあ。そのせいで、ブルーマン
どもはみぃんな、いなくなっちまったんだあ。お陰でおいら、腹ぁ減って、腹ぁ減って……」

 台詞と同時に、ぐるる、と大きな音が辺りに響いた。
 ゴグ・マゴグが苦笑いを浮かべる様子から、どうやら彼の腹の虫の鳴き声のようだ。
 そのすこし気恥ずかしげで不気味な笑みはどこか愛嬌も見え隠れして、他に選択肢も無かっ
た事もあり、ウェールズはやがて彼の申し出を承諾してブルー・キング討伐に乗り出す事とな
る。

「で、俺が討伐する事になったのはまあ、わかるけど、なにもルイズやミス・ブロウまで来る
事は無かったんじゃないか?」
「バカ言わないでよ。あの巨人の話によれば、ブルー・キングって代替わりの為には人間の女
の子に子供を産ませないとダメって話じゃない。そんな変態が私達目当てにいつ襲って来るか
もわからないのに、サイトと離れるなんていやよ!」
「はぁ?! 俺今からそのブルー・キングが潜んでそうな所に潜り込むんだけど?!」

 的確な才人のツッコミにルイズはうぬ、と一瞬眉根を寄せかけたが、何故かミス・ブロウの
顔を一別してから才人の腕を取り歩いている方向へ引っ張りつつ、小声で語りかけてきた。

『だからこそよ。これはチャンスじゃない! ミス・ブロウにあんたの活躍を見せとけば、一
緒の部屋で過ごせる要件をクリアするための証言が得られるでしょ!?』
『なんでミス・ブロウなんだよ! 殿下は無理でも、他の士官でもよかったろ?!』
『私はともかく、ミス・ブロウがあのままフネに残ってたらブルー・キングがそっちを襲おう
としてサイトと行き違うかもしれないじゃない。あの巨人だってどこまで信用出来るかわから
ないわ。それにどうせあんたに敵う奴なんていやしないんだし、側に居た方がずっと安全でし
ょ?』

 才人はどこか納得が行かなかったものの、ルイズの言に一理あるような気がして思わず口を
つぐんだ。どちらかと言えばゴグ・マゴグからブルー・キングが逃げている以上、巨人の元に
居た方が安全であるのだが、確かにあの巨人を信用しルイズを残して行く事には気が引けたの
も事実だったからだ。
 何より、才人自身も男ばかりのムサい寝床で寝るよりも、手を出す訳にはいかないとはいえ
美少女に抱きつかれながら眠りに就いた方がずっと良いのは確かであった。

『大丈夫よサイト。私はイザとなったら "瞬間移動" で逃げる事が出来るわ。あんたはその分
ミス・ブロウを守る事に専念だって出来るでしょ? 心配する事なんてないのよ』
『んー。そりゃ、そうだけど……』
『お願い、ね?』

 いつもは強気で、時に優しい声を掛けてくる主人の、滅多に聞けない甘えた声。
 声は才人の判断能力を一瞬ではあったが根こそぎ奪う。
 その一瞬は特別な物ではなく、何気ない日常の中に幾度も才人に訪れる瞬間ではあったがこ
の時ばかりは決定的なミスとなった。

「きゃああ! ミス・ゼロ!  "盾(バックラー)" 殿!」

 悲鳴に弾かれたように振り向いた二人が見た物は、何処に潜んでいたのかブルーマンが一匹
こちらに背を向けて、ミス・ブロウを担いで走り去る姿であった。
 才人は先程背にしまったばかりのデルフリンガーを抜き放ち、左手を輝かせながら瞬時に距
離を詰めて、躊躇無くミス・ブロウを連れ去ろうとするブルーマンを両断してみせる。
 が、次の瞬間。
 突如才人とミス・ブロウの二人とルイズの間に四方から壁がせり上がり、双方を分断してし
まう。

「サイト! ミス・ブロウ!!」

 予想だにしなかった事態にルイズは焦った声を上げて、己と二人を別つ壁に駆け寄った。
 ルイズには知る由はなかったが、両者がいた場所は丁度幾つかあるクラーケンの胃と食道の
境目で、噴門部がせり上がり壁を作り出していたのだ。
 慌てて "瞬間移動" を唱えようとルイズは杖を構えたが、不意に背後からなにやら蠢く物の
気配を感じて、振り返る。
 そこにはどこから沸いて出たのか、7体程のブルーマンが居て器用にもニタリと笑い舌なめ
ずりをして見せながら、ルイズの方へとにじり寄ってくるところであった。
 ルイズは壁の向こうの二人に気を残しつつも、目の前の脅威を排除すべく久しぶりに "毒竜
の牙" を鞘から抜き放った。

 歯を噛み、チャンスを目の前にどこか浮かれていた先程までの自分を呪いながら。




[17006] 7-8:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:93f1792e
Date: 2010/12/19 02:48



 主と繋がる才人の左目に映し出されるのは、迫り来る無数のブルーマンの姿であった。

 彼らの目的は明らかに捕獲であるようで、その手には武器は無い。
 無論、見えている景色は才人が見る物でなく、突如現れた壁の向こうにいるルイズの物だ。
 視界の先で差し出されてくる腕をかいくぐり、白い短剣を突き立てようとして青い鱗に阻まれ、鋭いかぎ爪が生えた腕により捕まりそうになると、すんでの所で "瞬間移動" を使い回避する。

「くそ! まってろルイズ!」

 才人は己の迂闊さを呪いつつも、その辺の壁に手を当て "グリムニルの槍" を作り出そうとした。
 凶悪な破壊力を持つ槍とて、全力で投擲しなければ、魔物の胃に一つ穴をあける程度で済むはずである。
 今ルイズを襲っているトカゲの獣人の目的は、彼らの王が繁殖するためのメスを確保するためだ。
よって、ルイズの命が危ういわけではないが、それとは別に彼女の貞操が危うい事は間違いなく、当然、才人には想像すら許せる事ではない。
目に見えて強くなっていく焦りも、必然と言えた。

『ダメ! サイト!』

 突如脳内に響いた声が、才人の壁に押し当てようとしていた手をぴくりとさせ、動きを止めた。
声の主は使い魔と心を繋げている主のものである。

「ダメ、ってルイズ?!」
『私達の任務はブルー・キングの討伐よ。幸い、こいつらは私を無傷で捕らえようとしているみたいだし、もうすこし抵抗したらワザと捕まるわ』
「な?! 何バカな事言ってんだよお前?!」
『いい? サイト。あんたはそこでミス・ブロウと大人しくしてて。それから、しばらくしたら私を追って来てちょうだい。この壁は生物の器官だから、多分時が経てば開くはずよ。間に合わないときは仕方無いけど、出来るだけ魔物を傷つけないようにしなくちゃ』
「バカ! もしもの時はどうすんだよ!」

 ルイズのいきなりの提案に、大声で声を荒げる才人。
 ミス・ブロウはそんな彼をいぶかしげるように見詰め、しかし状況としては心細いのか僅かに距離を置くのだった。
傍目には主と使い魔との会話は、只の気の触れた者の独り言にしか見えず、更には使い魔との念話も珍しくないハルケギニアの魔法使いにとっても、人の主と人の使い魔の念話は流石に思い至らないらしい。
 故にか、ミス・ブロウは才人が錯乱したのではないかと疑ってしまったのである。
 そんな、傍らの彼女の様子などお構いなしに、才人は必死にルイズを説得しようと試み続けていた。
が、アンリエッタの、トリステインの代表として表向きは私情を挟む事を許さない主に対して、無茶しないよう説得する事はやはり叶わず、やがて "盾(バックラー)" は情けなく肩を落として項垂れた。

「あの、ばっ、 "盾(バックラー)" 殿?」

 何かをわめいていたかと思えば、突如静かに肩を落とした才人にミス・ブロウは恐る恐る話しかける。
 才人はギギギと音を立てて首を回し、濁った視線を彼女に向けて、少し引きつった笑いを浮かべた。

「……囮になるんだそうだ」
「ひ?! ――え? どういうことですか?」
「ルイズが囮になって、ブルー・キングの居場所を突き止めるつもりらしい」
「え? あの、どうして……」

 すこし噛み合わない会話と雰囲気に、才人はやっと我を完全に取り戻して、己とルイズの "関係" をミス・ブロウに改めて説明する事にした。
勿論、虚無に関わる事はボカすつもりである。。
なにせ、目の前の壁が再び開くまでにはそれなりの時間が必要かもしれないし、左目に見えていた、忙しなく動く不快な視界は既に落ち着いてゆっくりと景色が流れていたからだ。

「そんな……まさか、 "盾(バックラー)" 殿がミス・ゼロの使い魔だなんて……」
「まぁ、珍しい事らしいけどね。ルイズの系統は国家機密に属するから言えないけど」
「では……あれ程の力を持つ "盾(バックラー)" 殿を使役するミス・ゼロの力を持ってすれば、囮など買って出なくても」
「ミス・ブロウもそう思うだろ? まったく、アイツ何考えてんだよ……」

 才人はそう愚痴を吐き、もう一度深く大きくため息をつく。
 左目の視界は担ぎ上げられているのか、すこし高い場所を悠々と奥へ――恐らくは巨大なタコの魔物、クラーケンの "墨袋" の方へ向かって居るようだ。
 "墨袋" とは、読んで字の如く、タコやクラーケンが吐く墨を体内に溜めて置く器官である。
 ゴグ・マゴグの話によれば、タコの墨はイカのソレとは違い、粘度は低いのだとか。
特に今才人達を体内に収めている程の極めつけの大きさであるクラーケンにもなると、吐く墨は黒雲となり辺り一体をまるで黒い霧のような墨が立ち込めるのだ。
 それこそが、 "魔の空域" スニソート・ビーク空域の正体であり、この魔物を隠し続けていた存在なのである。
 そんな、墨を溜め込む "墨袋" は正に隠れるには最適で、身体の大きなゴグ・マゴグが魔物の体内で暮らすにあたり、唯一立ち入れない場所の為、恐らくはそこにブルー・キングが居るのだろうという話であった。
 つまりは、少なくとも今の段階ではルイズが無理に囮になる必要は無かったとも言える。
 無論、彼女がなぜそんな無茶をするのか、才人にはなんとなく解っているのだが。

「解っちゃいるけど、どうも落ち着かねぇ。ミス・ブロウ」
「はい?」
「ルイズの身に何か起きそうになったら、俺、この壁ぶち抜いて先に行くつもりなんだけど」
「はぁ……」
「その間、一人になると思うんだけど、自分の身は自分で守れそう?」
「い?!」

 才人の問いは、ミス・ブロウにとって意外なものであったらしい。
 貴族であると同時に軍人であるためか、日頃はツンとした雰囲気で比較的冷静な印象を抱かせる彼女ではあったのだが、この時ばかりは目に見えて取り乱していた。

「そ、それは……確かに、自分は軍人ではありますが、どちらかと言えばその、軍医志望といいますか、メイジとは言え、あんな数の亜人を一人で、その、えっと」
「うーむ、やっぱり無理、ですよねぇ。じゃ、悪いけどその時が来たらミス・ブロウの身体を抱えて移動しますけれど、かまわない?」
「な?! そ、そそそそれもダメ! わた……自分は、身も心も、ウェールズ様に捧げるつもりですし! 絶対、ダメ!」

 ミス・ブロウは、軍人らしからぬ態度をとり続けながら、時折地を交えて才人の提案を二つとも否定した。
 ……この様子だと、軍に入って間もないのだろう。
 まぁ、王党派の主立った軍人は "あの日" 殆ど討ち死にしていたみたいだし、生き残って "しまった" 者達で再組織した軍だから、王党派の正規アルビオン軍にこういった子が所属するのも無理ない事かもしれない。
 自分とルイズの事は棚に上げながら才人は、日頃の雰囲気とは裏腹に初々しくもウェールズへの想いをつい吐露するミス・ブロウに疲労感を覚え、もう一度深く更に大きくため息をつく。
 さて、どうしたものか。
 ルイズの身に少しでも異変を感じ取った時、問答無用で彼女を抱え上げ、ルーン全快でルイズの元に走るつもりではいる。
 が、ミス・ブロウをわざわざ伴わせてのブルー・キング討伐は、ルイズの意向でもあるのだし、できれば、双方納得する形でこの話をまとめたいと考える才人であった。

「でも、ミス・ブロウ。俺としては、どちらかを選んで貰わないと。他に方法があるなら話は別だけど……」
「う……」

 才人の言葉に、ミス・ブロウは言葉を詰まらせる。
 確かにこの場は彼女にとって、才人を先行させ単独行動を取るには危険すぎる場所だ。
 先程のブルーマンの襲撃を思い出すに、オーク鬼と遜色無い戦闘力を持っていそうな彼らは集団で襲いかかって来る。
 元々軍医志望であり、戦闘向きでないミス・ブロウ一人では間違いなく、ブルーマンの群れを退ける事は出来ないであろう。
 では、やはり才人に抱え上げられての移動を選ぶしかないのか?

「 "盾(バックラー)" 殿、その、移動速度を自分にあわせて貰う訳には……」
「ダメ。もし間に合わなかったらどうすんだよ?」
「それはそうですが……そこをなんとかなりませんか?」

 なんとも、才人にとっては無茶な注文である。
 そんなに俺に身体を触られるのが嫌か。
 いくら貴族とは言え、軍人だろ?!
 身体に触られる位、何だって言うんだよ! 状況を考えてくれよ!
 心中でそう一人ごちながら、才人はしばしううむと何か妙案が浮かばないか考え込んだ。
 勿論、左目の視界の先でブルーマンにわざと連れ去られているルイズにも、先程とは違い今度は才人の方も念話を使って相談はしていたのだが。
主はミス・ブロウの不興を買い、折角の使い魔の力に対する好印象をフイにしたくないためか、なるべく彼女の要望に応えるようにと、無茶な返答を返して来ていたのだった。

「あ!」

 声はミス・ブロウの物。
 それは何か妙案が浮かんだのではなく、彼女と才人が立つ魔物の胃と食道の境目が振動を始めたからであり、やがて二人が結論を出す間も無く、せり上がっていた噴門部が再び開いて道が開けたのだ。
 ミス・ブロウはもこれはいよいよ答えを出さねばと眉根を寄せ、開いていく噴門部を忌々しげに睨んでいたのだが、壁の向こうの景色を見るや、みるみる内にブルーの瞳に恐怖を宿らせ、
一歩後ずさる。
 また、才人もげんなりとした表情で開く噴門部を見ていたが、ミス・ブロウと同じ景色をその視界にいれた途端、デルフリンガーを抜き放ち、視線も鋭く手短にミス・ブロウに指示を出した。

「ミス・ブロウ! 俺が道を開く!  "フライ(飛行)" は使えるな?!」
「は、はい!」
「よし、じゃあ "フライ(飛行)" で俺の後をついてきてくれ! 後は振り返るな!」

 才人は手短に緊迫した声色でそう言うや、未だ開ききれていない噴門部の向こうへ勢いよく飛び込んだ。同時に、ミス・ブロウも慌てて "フライ(飛行)" の詠唱を始める。
 果たして、噴門部の向こうには無数のブルーマンが待ち構えていたのだった。
 それも、十や二十ではなく、数えるのもばからしくなる程大量に。
 恐らくは、ブルー・キングの "繁殖" の効率を上げるため、残るミス・ブロウを狙ってやって来ていたのだろう。
 魔物を傷つけぬようにする為にあまり派手に立ち回る訳にはいかないとはいえ、才人は抜き放った長大なデルフリンガーを振るい、竜巻のような勢いでトカゲの亜人をなぎ払い、ひたすら前を目指す。
 ルイズと繋がった視界は未だ移動中で、危害を加えられそうな雰囲気ではないものの、ここで勢いに任せて合流するにはすこし早いと感じられた。
 また、ミス・ブロウとどうやって移動するのか、という問題もあり、才人はとっさに目の前の敵を蹴散らしながら、一定の速度でルイズの後を追う事にしたのだった。

「ま、まって!」
「ミス! 捕まりそうになったり、追いつかれそうになったら声を上げてくれ!」
「わ、わ、わかりまし……おいてかないで!」

 何処にこれ程のブルーマンがいたのかと思う程、才人の行く手には次から次へと亜人が現れて、ミス・ブロウを奪わんと襲いかかって来るそれらを、まるで紙細工を薙ぐようにミス・ゼロの使い魔は剣を振るい、次々と敵を屠りながら駆けていく。
 ただし、先程の戦闘とは違い剣は行く手を塞ぐ者のみを両断していたので、 "フライ(飛行)" で必死に才人の後をついて行くミス・ブロウの後や横からは剣嵐から免れたブルーマン達が追いすがって来ていた。
 "フライ(飛行)" 自体は本来もっと速度が出るのだが、先導する才人の速度に合わせざるを得ず、また、咄嗟の小回りも利かない。
 故に、才人はルーンを全開にしての移動時にはついてはこれないと考え、先程は提案すらしなかったのだが、敵の集団に飛び込み、血路を開く程の速さで移動する分には問題は無いと言えよう。
又、宙を舞うので足を取られ転ぶ事も無い。

「わあああ! ばっ、 "盾(バックラー)" 殿! 早く! お、追いつかれてしまいます!」

 徐々に己に向けて伸びる青い手が多くなるのを感じたミス・ブロウは、たまらず才人にもっと早く進むよう声を上げる。
 才人は舌打ちを一つして、 "グリムニルの槍" で一掃できないもどかしさを感じつつも、手近にいたブルーマンに右手を当てて短槍を作り出し、背後に迫るブルーマンの内最も近い者へと投擲した。
 短槍は目一杯加減をしての投擲である為か、爆裂する程の勢いや轟音は無かったものの、軌道上のブルーマン全てを巻き込みながら飛び続け、ミス・ブロウに僅かながら、恐怖以外の感情をかき立てさせる。

「ミス! 次、曲がるぞ!」
「ええ?! 右ですか?! 左ですか!?」
「右! あそこ!」

 才人はほんの少し前進する速度を弱めながら、ミス・ブロウに指示を飛ばした。
 その先にルイズの視線を辿った折に確認した、唯一の分かれ道があり、 "フライ(飛行)" で自分の後を追う彼女が確実にそちらへ曲がれるよう、気を利かせたのだ。
 ミス・ブロウはそんな才人の心遣いに気がつく余裕もないまま、進行方向の先、右手に今までとは違い少し狭く天井も低い道を認めて、はい、と声をあげる。
 あの胃の入り口からその分岐点まではかなりの距離があった為か、その時には流石に前方にはブル-マンの姿は無く、替わりに背後からは夥しい数の亜人が迫り来ていた。

「曲がったら "ウォーター・シールド" で通路に蓋をしてくれ!」
「わ、わかりました!」

 二人は短く会話を交わし、背後に迫る亜人から逃れるように進行方向から右にそれた枝道へと飛び込む。
 背後に迫る亜人との距離はそれ程開いてもなかったが、ミス・ブロウが "ウォーター・シールド " を詠唱するには十分で、程なくすこし狭めの通路全体に水の塊が出現し、蓋をするように通路を塞いだ。

「……ふぅ。まさか、こんなに居るとはな」
「は、い……あの、 "盾(バックラー)" 殿」
「ん?」
「少し、休んでも、いいで、しょうか?  "フライ(飛行)" に、これだけ大きな "ウォーター・シールド" と、立て続け、だったので……」

 肩で息をしながら、すっかり弱気な調子で休憩を訴えるミス・ブロウに、才人は苦笑いを浮かべた。
 冷静になって考えてみれば、今の状況は熟練の魔法使いであってもかなり危険な状況である。
 才人自身としては切り抜けられたのは "当たり前" であるのだが、ミス・ブロウにしてみれば薄氷の上を歩く心地での突破であったのだ。
 加えて、実戦経験が乏しい分、精神的負担は想像以上に大きかったのだろう。
 故に、本来の彼女の実力であればこれくらいの魔法ではへばったりはしないのであろうが、状況が必要以上に彼女を疲労させていたのだった。

「ああ、いいよ。ルイズの方もまだ特に動きは無いようだし。俺が見張ってるから、その辺で休んでなよ」
「すいま、せん。 "ウォーター・シールド" は外に居るブルーマンが居なくなったら、解除します」

 ミス・ブロウはそう言うや、へたりと腰を砕けさせて、その場に座り込んでしまった。
 一方、才人は息一つ切らせもせず、デルフリンガーを鞘に収めつつも、未だ透明な水の壁の向こうでなんとか突破しようとする亜人達を睨む。
 が、流石に魔法の壁を突破する事ができないと判断したのか、ブルーマンは次第にその姿を減らし、やがては全て居なくなってしまった。

「もういいかな。ミス・ブロウ。 "ウォーター・シールド" を解除してもいいと思う。もし、またやって来たら俺が食い止めるから、その時はもう一度 "ウォーター・シールド" を張ってくれ」
「は、はい」
「で、このまま少し休んだら奥に向かおう。ルイズの方は……どうやらあいつを担いでるブルーマンは歩いて移動してるみたいだ。これなら直ぐにでも追いつけ……」

 言葉は最後まで続かない。
 ミス・ブロウが "ウォーター・シールド" を解除し、ばしゃ! と大量の水が地に落ちる音がすると同時に、才人は声を荒げた。

「ルイズ!」

 突然の大声に、ミス・ブロウは地面にへたり込んだまま、肩を跳ね上げて驚く。
 見上げた才人の表情は厳しく、焦りさえ色濃く伺える。

「どうしたんですか? もしや、ミス・ゼロの身に何か?!」
「……わからない。突然、 "繋がっていた" 視界が真っ暗に……」

 才人はそう言葉を返して、今度は念話で恋人の名をもう一度呼ぶ。

『ルイズ! どうした!? 何があった?!』
『――大丈夫よ、サイト。どうやら "墨袋" の中に入ったみたい』
『直ぐ行く。流石にそんな闇の中じゃブルーキング所じゃねえだろ?』

 焦る程真っ暗なルイズの視界とは裏腹に、しっかりとした調子で返事が返ってきて才人は胸をなで下ろしつつ、やんわりとルイズに囮を辞めるよう声を掛けた。
使い魔の提案にルイズはしばし感情と道理をせめぎ合わせ、声に出してか、それとも、思考の中だけなのか、うーと唸る。
 間を置いて出た答えは、彼女にしてはよく我慢でいたものであった。

『うう……それもそうね。合流するにもできないだろうし……でも、急がなくてもいいわ。入り口はわかる?』
『ああ。そこの少し手前まで移動してる。今、ミス・ブロウがへばってるから休憩中だけど』
『じゃあ、そこでまってて。頃合いを見てそっちに移動するわ』
『どうやって? そんな闇の中……』
『今なら、 "墨袋" の入り口からそう離れてないだろうし、 "瞬間移動" で一気に外に出られるわよ。こっちもあんたの視界からミス・ブロウの様子が見えてるけど、もう少し休ませてあげた方が良いと思うから、私の方からそっちに向かうわ』
『大丈夫か?』
『ん。そこから "墨袋" まではブルーマンはいなかったし。外に出たらそこまで歩くわ。精神力を温存しときたいしね』
『気を付けろよ?』
『――うん』

 最後の返事は、才人にとってとびきり甘い声に聞こえた。
 そこに、日頃彼女が見せまいとしている不安や、あからさまな甘えといった感情が感じ取れたからだ。
 会話の終わりに聞こえた、只一言の返事ではあったが、脳裏に響いた甘えるような声は才人の心を落ち着かせる。

「ごめん、ミス・ブロウ。とりあえず、ルイズは無事だったよ。俺の――」

 程なく、刹那の夢想から我に帰った才人は、座り込むミス・ブロウに何があったかを説明しようとすこしバツが悪そうに声をかけた。
 しかし、伝説の使い魔は言葉を詰まらせ、替わりにすん、とルイズがたまにするように、鼻から軽いため息を一つ抜く。
 ミス・ブロウが座り込んだ格好のまま、極度の緊張と疲労からか眠ってしまっていたからだ。

「やれやれ。どうしてこう、女の子に振り回されるのかな、俺。情けねぇ」

 才人はそうごちて、少し迷った後、彼女の隣に腰を下ろしそのまま主人が戻って来るのを待つ事にしたのだった。





[17006] 7-9:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:93f1792e
Date: 2011/01/02 02:20



 ケイト・ブロウはニューカッスル城陥落の様を、脱出するフネの甲板で見ていた。

 ルイズと才人がアンリエッタの手紙をウェールズ皇太子から受け取る為、白の国アルビオンに赴いた時の事である。
 軍人であった彼女の父と母は、忠誠と誇りを胸に最後まで戦って城と運命を共にした。
 遠く砲撃の音と立ち登る黒煙は、ケイトの胸に敗北の屈辱と両親の死を強く刻む。
 彼女はその宝石のようなブルーの瞳から幾筋も涙を溢れさせ、強く黒煙を上げる城を無言の内に睨み、やがて誓いと共に自慢であった長い明るい金の髪へ短剣を押し当て、バッサリと切り取ってしまった。
その手からするりと落ちる髪の房は、甲板上に落ちながらも風に散らされ、キラキラと煌めきつつ雲海に飛び去っていく。
 決意は復讐と憎悪に彩られ、何より力無き己の不甲斐なさにか弱いレディーであった彼女を変える。
 そんなケイトを乗せたフネはその後、幾つかの港を経由してゲルマニアの港街シュトランドヤーデに碇を降ろし、脱出した者達はそこで散り散りとなった。
ある者はトリステインやゲルマニアの親族を頼り、またある者はいつかニューカッスル城を取り戻さんと、城を脱出し恥を忍びフネに合流したウェールズ皇太子の麾下に集う。
 ケイトは後者の方で、しかし、ウェールズがゲルマニア西方伯の支援の下、レコン・キスタ相手にゲリラ的な私掠を行う事には当初否定的であった。
 いや、むしろウェールズ皇太子本人に否定的であったと言った方が正確なのだろう。
 両親や仲の良かった同年代の友人達は、いや病に冒された老齢の国王でさえ、城で最後まで立派に戦い、誇りと忠誠を貫いて散っていった。
 なのに、何故、このお方はのうのうと生きて居られるのか。
 想いは彼女に限らず、誇りを重んじる貴族としては至極当然であろう。
 ぶつけるべき相手がある怒りはやがて、手の届かぬ敵の替わりに恥辱の皇太子へと向かっていく。
それはケイトに限った話ではなく、同じように不本意ながら命を拾った者達も同様であった。
 ある時、ワインや食料を運んでいた神聖アルビオン共和国の補給艦を私掠し、久々に宴が催された折。
何かのキッカケでケイトは身分を忘れ、ウェールズに食ってかかった事があった。
酒の席とはいえ、天地程も身分違いである彼女の行為は、仮にも主君に対して行って良い物ではない。
同時に、ケイトが口にした呪詛のような非難は、その場にいた生き残りの者達にとっては皆胸のどこかにある物でもあり、だれも彼女を止める事は無かった。
 そんな彼女の不敬に、ウェールズは怒りも宥めもせず、ただじっと聞き続けて。
 やがて、堰を切ったかのように泣きながら想いを叩き付け終えた彼女に、皇太子は胸の内を吐露した。

「ブロウ准尉。君の言は最もだ。私は貴族の、アルビオン王家の誇りを踏みにじり、のうのうと生き存えている卑怯者だ。――だが、これだけは知って欲しい。私は命が惜しいんじゃない。
無能とそしりを受け、後指を差され、無様に生きているのは、ニューカッスル城で、数多の戦場で王党派の貴族として散っていった者達の無念を晴らす為だ。
あの、恥知らずで不忠な貴族派の者達を打倒するためならば、命だけでなく、名誉も、誇りも全て差し出そう。
ブロウ准尉。
もし、君が少しでも私の言を信じられぬと思うならば、遠慮は要らない。君の杖を私に向け、この命を絶ちニューカッスルで散った君のご両親に捧げたまえ。君にその権利を与えよう」

 静かに語った皇太子の言葉は、ケイトだけでなく、その場に居る全ての者に語りかけるかのように響いた。
 ウェールズの落ち着いた言葉に、激高したケイトは勢いに任せて腰の杖を抜いて、先を震えさせながら主君へと向ける。
同時に、側に居たハル卿が血相を変えて杖を抜きかけたが、それをウェールズ自身が制してじっとケイトの青い瞳を見つめ、柔和に笑ってみせる。
 痛い程の沈黙が沈む場に、ケイトの、鼻を啜りながらの荒い呼吸だけが響き、やがて。
 からん、と乾いた音と共に彼女は杖を取り落としその場に崩れ落ちて、まるで幼子のように声をあげて泣いたのである。
 それが、才人達と会う少し前、彼女の転機となった出来事。

「――で、結局その次の日から罰として1月程、私掠に使っていたフネの便所掃除をさせられました。勿論、士官用のみならず、部員のトイレも」
「うへぇ……よく殿下が女性にそんなきったねえ事させたもんだね」
「いや。ウェールズ様ではなく、チーフの発案でした」
「あー、ハル卿かぁ。あの爺さん、堅物だもんな」

 僅かな微睡みの後、ミス・ブロウはすぐに目を覚ましていた。
 が、やはりそれまでの出来事はかなり精神的に負担が大きかったのか、直ぐには動ける状態までには回復せず、才人の判断でそのままルイズの到着を待つ事にして、なんとなく他愛ない会話に興じていたのである。
 通路を塞いでいた彼女の "ウォーター・シールド" は既に無く、今ブルーマンの襲撃に遭えば少々困った事になるであろうが、幸い亜人が姿を表す気配は無い。

「所で "盾(バックラー)" 殿。貴殿の出自は一体どこなのでしょうか?」
「ん? 出自って……なんで?」
「その……貴殿の剣技、体術は正直な感想として、並のメイジでは太刀打ち出来ない程の物かと。とてもそこらにいる平民になせる業ではありますまい」
「いやぁ、それ程でも……はは、そう正面から言われると照れるな」
「ご謙遜を。 "盾(バックラー)" 殿、貴殿はミス・ゼロに召喚される前はさぞ、名の通った "メイジ殺し" だとお見受けしているのですが、どこの国の出なのですか?」

 打ち解けて来たからか、ミス・ブロウは己の過去の、ほんの一部を話したのだから次は貴方が、とばかりに彼女には少し珍しく才人へ質問を投げかけてきた。
 問いかけは才人を一瞬悩ませる。
 刹那の後、結局彼は地球ではなく、東方の出身だと答える事にした。
 一応、ルイズと共に詳しい素性は国家機密扱いであったからだ。

「東方、ですか」
「ああ。こっちの言葉でロバ・アル・カリイエって所」
「そんな遠くから!」
「うん、まぁ。だからさ、こっちじゃ俺の名は別に通ってないよ」

 そう言って才人はすこし気恥ずかしそうに頭を掻いて、照れたように笑った。
 その雰囲気は落ち着いていて柔和で、頼りなくはあったが見る者をどこか落ち着かせるような物であり、ミス・ブロウも釣られてまあ、と頬を緩ませる。
しかし、才人の解答自体は納得出来なかったのか、続けてそんな事はないと否定し、きちんと名を聞かせて貰えないだろうかともう一つ質問を重ねるのであった。
 勿論、ミス・ブロウはウェールズやルイズ、フネのクルー達がエージェント "盾(バックラー)" の事を "サイト" と呼んでいる事は知っている。
この場合、彼女が聞かせて欲しいと言っている名とは、才人のフルネームないし、通り名の事だ。
 彼女は才人の実力を見て、きっと有名な傭兵かメイジ殺しに間違いない、と心中で断じているのであろう。
青い瞳の奥を好奇心で輝かせ、才人の口から己が知る幾人かの有名な「メイジ殺し」の名が出てくるのを期待して返答を待った。

「まぁ、名前位ならいいか。今更だけどさ、俺、平賀才人って言うんだ。俺の国じゃ姓が先に来るから、家名がヒラガで、名前がサイトね」
「ヒリ」
「ヒラガ! ヒ・ラ・ガ!」
「――失礼しました。ヒラガ・サイト、ですか」

 ハルケギニアの人間には何故か間違って発音される名字に、才人は素早く反応して恐らくはそれまでの自己紹介の中では最も速く訂正させる事に成功する。
 そんな才人のすこし必死な剣幕にミス・ブロウは面食らいつつも、その名に心当たりは無く、いよいよ目の前の強力な平民使い魔に好奇心を募らせた。
 だがそんな好奇心も、先程までの才人の戦いぶりを反芻していくにつれて徐々に小さくなっていく。
 "麗しのアンリエッタ号" に乗り込んできたトリステインの援軍は、ただ二人。
 数の上では援軍と呼ぶにはあまりにも少なく、頼りなさげな若い二人で、内心ではトリステインはアルビオン王家の正統を見捨て、形の上だけでの援助だと思っていた。
 それがどうだ。
 "盾(バックラー)" というエージェントネームを持つ、ヒラガ・サイトと名乗りもした少年の方は、魔法も使わず――練金のような事をしていたが――剣術のみで夥しい数の亜人をいとも容易く屠って見せた。
 更には彼の上官であり、主である "ミス・ゼロ" は、自分よりも年下であるにもかかわらず、あっさりと己を囮にする大胆な作戦を決行し、しかしそれが完遂出来そうにないとわかるや、単独で敵地を引き返してくる程の胆力と力量を持っている。
 ――恐らくは、あれ程の力を持つヒラガ・サイトという少年を使い魔として従える彼女なのだから、本来は自分の想像を遙かに超えたメイジなのであろう。
 よくよく考えてみれば、このような状況下、あれ程の、それも得体の知れない相手によくそんな事が出来たものだ。
 しかも、敵の目的は……女の身体であるというのに。
 自分だったらとてもあんな真似は……
 いや。
 例え手練れの戦闘メイジであっても、 "こう" は上手くはいかない。
 そうだ。軍人になり立ての自分と彼らとでは、潜ってきた修羅場がそもそも違うのだと思う。
 だから、だから、気にする事は無いというのは理解出来る、の、だけども。

「どうした? ミス・ブロウ。急にうずくまって……もしかしてどっか怪我してたとか?!」

 才人はそれまで見せていた僅かな笑顔を急に消して、己の肩を抱きかかえるように小さく蹲ったミス・ブロウに慌てた調子で声を掛けた。
 ハルケギニアの亜人は程度に差があれど、毒を使用する事がよくある。
ブルーマンのように、獣の割合が大きな種になるとその爪や牙から毒を分泌することは珍しくはない。
 もしや、先程の乱戦の中、僅かに引っかかれでもしたのだろうか?
 才人の心配は当然であった。
 しかし、真実は。

「いえ。その、自分が情けなくなってしまって……」

 消え入るようにミス・ブロウは答えて、顔をスッポリと腕の中に隠し、それから間もなく鼻を啜り始めた。
 悔しかったのだ。
 力無き己が。
 恥ずかしかったのだ。
 恐怖を覚えた心が。
 あの時、ウェールズ殿下の笑顔に心奪われ、忠誠を誓い、命を投げ出しても惜しくはないと誓ったのに。
 二人に万一の事があってはと、水メイジの自分が指名され、主君について行くように言われたのだと思っていたのに。
 真実は、多分違う。
 自分は "守られていた" のだ。
 巨人の言葉はどこまで信じられるかわからない。
 ただ、ハッキリしているのはあのおぞましい亜人は女の身である自分やミス・ゼロを狙っているという事。
 故に、皇太子殿下はこの二人についていく事を命じた。
 なぜならば、この二人の側に居る事こそが、今の状況下で一番安全だからだ。
 そう。
 二人に万一の事があっては、というのは嘘だ。
 甘い、あの方らしい優しい嘘なのだ。
 この二人に "万一" などあり得ない。
 彼らの実力ならば、その気になれば何時でもこの魔物の体を破って外へ出て行けるのだろう。
 それに引き替え、自分は。
 迫り来る敵の数に動揺し、伸びてくるあの腕に恐怖し、僅かな時間 "フライ" と "ウォーター・シールド" を唱えただけで、立てぬ程へばってしまうとは。
 ――なんて、惨めなんだろう。
 比べる事は無意味であるとはわかっていても、ミス・ブロウはそうせずには居られず、結果悔し涙を流す。
 傍らに座る才人はそんな彼女の心の機微が解るはずもなく、途方にくれながらも言葉を探した。

「俺、さ。初めて戦った時、ドットメイジの奴に腕の骨を折られるわ、アバラ折られるわでさ」

 才人は随分昔の事を思い出しながら、隣で泣くミス・ブロウでなく天井を見上げた。
 台詞に彼女は何の反応も見せず、ただ、ぐず、と鼻をすする音だけがする。

「すっげぇ怖くて。でも、意地張ってさ。まあ、ルイズに貰った力でなんとか勝てたんだけど、その後も調子に乗ったり、ズタボロにされたりの連続で。自分が情けないって気持ちは、よくわかるつもりなんだけどさ。その、なんて言うか」

 そこで才人は一端台詞を切って、上手く言葉に出来そうにない思考を整理した。
 何となくではあるが、自分が言っている事はミス・ブロウの自分が情けないと思う心に沿っているような気がして、ちゃんと伝えたかったからだ。

「参考になるかわかんねぇけどさ。自分が情けないって思う時は、いっこ、成長したって事なんだと思うぜ?」
「成長、ですか?」

 ミス・ブロウは顔を埋めたまま、少し鼻声でそう聞き返して来た。
 声は小さかった物の、凛としたいつもの彼女の雰囲気を払拭してしまう程には振るえてはいない。

「ああ。情けない、って思う事は今までの自分じゃダメだっていう現実を知ったって事だろ? そうじゃねぇと、そうは思わないだろうし。だからさ、そういうの、チャンスなんだと思うよ」
「チャンス……」
「そ。死んだワケじゃないんだ、次から少しずつ頑張ればいいじゃないか。誇りとか自信とかはその後についてくるもんだと俺は思う。殿下だって、恥を忍び誇りを投げ捨ててまで戦ってるんだしさ。その部下のミス・ブロウが意地見せないでどうするんだよ。な?」

 ウェールズを例に出され、ミス・ブロウは思わず顔を上げ才人をみつめた。
 そうだ。
 殿下も、今の自分とは比較にならぬ程屈辱を心に秘めて、それでいて圧倒的な戦力の差が在りながらも諦めず、戦っておられるではないか。
 そう考えると、尚己が矮小で情けなく感じられ、ミス・ブロウは才人を見詰めたまま、表情を崩しその青い瞳から再び大粒の涙を流し始めてしまった。
 軍人とは言え、すこし前までは年頃の貴族の娘として生活していたのだ。
 言葉や生活は軍人然として鍛えられているのかもしれないが、やはり根の所は未だ娘の部分が大半を埋めているのであろう。
 才人はそんな涙でくしゃくしゃとなった彼女に、涙を流すルイズにいつもやるように歯を剥いてニカと屈託無く笑って見せた。
 笑みは照れ隠しであったが、ミス・ブロウは釣られて同じように笑ってしまい、それでも涙は止まらず。

「もう少しだけ、こうさせて下さい」

 そう言って、ミス・ブロウは両膝を立てて地に座り込んだ姿勢のまま、再び顔を伏せてしまったのだった。
 その隣で困ったように頬を掻く才人であったが、ミス・ブロウは先程の才人の言葉に気持ちを落ち着かせることが出来たのであろう。
 彼女なりの照れ隠しなのか、年頃の男子がじゃれるように腕を伸ばして、すこし離れた位置に座る才人の脇腹をちょいと突いて見せた。
彼女の行為の意味する所を感じ取った才人は、なんだよ、とすこし嬉しそうに応じて、同じようにちょい、とミス・ブロウの脇腹を突っつく。
 ミス・ブロウはすかさず才人の脇腹に反撃を返して、応酬はやがて速度を上げ、二人は脇腹に刺さる相手の手刀のこそばゆさに声を上げて笑い出してしまった。

「くぁ! ちょ、今2回突いたな?!」
「今のでおあいこですよ、 "盾(バックラー)" 殿」
「うそつけ! ミス・ブロウから突いてきたんだから……」
「こういう時は、レディーに勝ちを譲るものです」
「きったねぇ……。ま、いいか。なぁ、ミス・ブロウ」
「はい?」
「俺の事、サイトでいいよ。フネで "盾(バックラー)" って呼ぶ人、殆ど居ないしさ」
「しかし、トリステインのエージェントの方にそれは……」
「いいって。仲間には名前で呼んで欲しいしな。それに」
「それに?」
「人前では最後まで俺の事 "盾(バックラー)" 殿って呼びそうなハル卿より先にミス・ブロウに名前呼ばれなかったら、いよいよ俺、冴えない男だなって甲板員(マトゥロ)の皆に笑われちまう」

 才人のおどけた物言いに、ミス・ブロウは想像して顔に涙の跡を残しながらも思わず吹き出してしまった。
 ハル卿としてはある程度才人の素性を知る為、乗組員の前でなければ既に才人の事をエージェントネームでは呼んでいなかったのだが。
 そんな事は知る由も無いミス・ブロウは、確かにいかにもお堅い軍人であるハル卿よりも後に打ち解けるのは、嫌っているか、それとも自分が彼以上に硬い人間であると見られるであろうと想像し、すこしだけ今までの態度を変える事にした。

「……では、自分の事もケイトと」
「わかった、ミス・ケイト」
「あ、呼び捨てでも大丈夫です、サイト殿」
「そっか。じゃ、俺の方も呼び捨てでいいよ。ま、改めてよろしくな」
「はい、こちらこそ。――そろそろ、行きましょうか。私の方は大分回復してきました」

 ケイトはそう言って、すくと立ち上がって見せる。
 その仕草に疲労は見えず、いつもの彼女らしいキビキビとした動きであった。
 どうやら、彼女なりになにか一つ吹っ切れたらしい。
 そう考えながら才人は立ち上がろうとして、脇腹に軽く鋭く何かが刺さり身体をくねらせた。
 ――どうやらケイトがまだ、ふざけて手刀を作り才人の脇腹を突いたらしい。
 交差する視線の先、彼女の青い瞳が悪戯っぽく照れを隠して輝いている。

「ケイト! この!」

 才人は、しかし今度は彼女に勝ちを譲らず。
 甲板員の仲間にするように、肩に腕を回して一方の手で拳を作り、至近距離で脇をぐりぐりと押すのだった。
 無論下心はなく、一連のやり取りから錯覚したのか、男友達や戦友にするような感覚で。

「ひゃあ! ちょ、ダメです! サイト、やめ! ま、参りました! 参りましたから!」
「うっせ! くのくの!」
「随分と楽しそうね、あんた達」

 背後から聞こえた、第三者の声にそれまで無邪気にじゃれ合っていた男女は、まるで彫刻のように固まってしまった。
 ちがうんだ。
 そもそも、ミス・ブロウのじゃれ方って、なんか男っぽいというか、その。
 すいませんでした。
 いや普通、男女間でボディ・タッチをするようなじゃれ方ってしないだろ?
 つい、男友達とするようにしちゃったというか。
 すいませんでした。
 幾千の言葉が脳裏によぎり、そのどれもを口にする事ができず。
 才人は出来損ないのゴーレムのような動きで、ミス・ブロウの頭を強く抱いたまま、背後へ振り向いた。

 そこに、天使の様に愛らしい恋人が鬼の様な表情をして立っていたのである。





[17006] 7-10:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:93f1792e
Date: 2011/01/02 02:20



 ケイトは以前誰かが、トリステイン人の女性は怒りっぽく、嫉妬深いと話していた事を思い出していた。

 記憶を呼び起こさせたのは、彼女の前で肩を怒らせて歩くトリステインのエージェント、 "ミス・ゼロ" ことルイズ嬢その人――の更に前を歩いている、ボロ布のようになった才人である。
 才人とケイトの "ちょっとしたふざけあい" により、誤解を(あるいは当然の反応を)したルイズは、愛情の裏返しなのかはたまた強い嫉妬を燃やしたのか。
その激しい怒りと暴力に "盾(バックラー)" は曝され、先程の超然とした逞しさは見る影もなく、今では痩せこけた惨めな野良犬のように、いまだ怒り醒めやらぬ主の命令を背にして先導していたのだった。
 そんな才人を後から、遠巻きにぼんやりと眺めながらケイト・ブロウ准尉は、噂話は正しかったのかと苦笑を浮かべそうになりながらも、先程までの修羅場を思い起こす。
 始まりは嵐の前の静けさのような、優しい声。
 ただし、同性のケイトから見ても幼さが残るが愛らしい彼女の表情には、鬼気迫るものが混じっていた。
 当然、才人は必死に弁解を試みる。
 まず、違うんだこれは! と何度も何度も主張し、声だけは天使のような優しさで何が違うの? と、返して寄こしたルイズはその美しい鳶色の瞳を鈍く光らせた。
 次いで、僅かな活路を見たかのように、才人はただのじゃれ合いである事を事細かに説明して。
 結局、全ての説明を聞き終えたエージェント "ミス・ゼロ" は、ゆっくりと杖を取り出してケイトの目の前で才人をボコボコにして見せたのである。
 驚いた事に、彼女が振るった暴力は痴話喧嘩というレベルの物ではなく、目で追えない程の
――それも先程才人が見せた動きよりも遙かに速い速度と正確さで、蹴りや打撃を何十も加えたのだった。

「な、なあ、ルイズ。あと、どの位で "墨袋" に着くんだ?」
「ワン、は?」
「……あと、あとどの位で "墨袋" に辿り着けそうですかワン?」
「ご主人様、も抜けてるわよ?」
「うぅ、あとどの位で "墨袋" に辿り着けそうですかワン? ご主人様」

 先を歩く才人の質問に答えるルイズの声は、朗らかでいてしかし不機嫌な物だ。
 なにせ恋人とすこしでも一緒に過ごしたいと思い、(勝手にではあるが)危険な囮役を途中まで引き受け
やっとの思いで才人と合流を果たした時に見た物が、他の女とイチャつく恋人の姿であったのだから。
 肉体はまだとはいえ、心を繋げた恋人のその姿はどれ程彼女を落胆させ、激怒させたか。
 良い思い出ばかりでは無かったが、ルイズと一度、人生を共にした才人にはそんな彼女の心の動きが痛い程わかっていた。
 よって、才人は少々きついお仕置きや言動には何一つ不満を抱かず、ただただ黙って従い続け、しかしそんな才人の真摯さがルイズを更に苛立たせてしまう。

「……所々魔法で移動したからもうちょっとかかるわ」
「そうですかワン、ご主人様」
「……何よ? なんか言いたげね?」
「ブルー・キングが居る場所に近付いている割に、敵の気配が無いですワン、ご主人様」
「あ、確かに。 "ミス・ゼロ" 、これは何か、ワナである可能性があるかもしれません」
「そんな事わかってるわよ!」

 ルイズはケイトの遠慮がちな台詞に忌々しそうにして振り返り、声を荒げてギロと彼女を睨んだ。
 勿論、彼女にも怒りの矛先は向けられ続けている。
 ケイトは激しい敵意の込められた視線にうっ、と怯んで一歩後ずさってしまい、そんな彼女を見たルイズはプィッと再び前を向いて、肩を怒らせながらスタスタと再び歩き始めた。
 なによ。
 なによなによなによ!
 サイトもミス・ブロウも取り繕ったかのように私に気をつかって!
  "あれ" がただのふざけ合いだってくらい、私だってわかってるわよ!
 ――そりゃ、過剰なスキンシップだったし?
 見た瞬間は頭に血が上りもしたわよ?
 でも、だからって。
 だからって、そんな態度とられたら、引っ込みがつかないじゃない!
 サイトもサイトよ。
 そんなに従順に出てるんじゃないわよ。
 キリの良い所で「俺が悪かった、もういい加減許してくれよ、な?」とか優しく囁いて、無理矢理にでも抱きしめる位の度量は無いの?!
 いくら私だって、そんな事されたらきっと、……許してしまうに決まってるじゃない。
 前を歩く使い魔の逞しいが小さくした背を睨みながら、ルイズは苛立ちを募らせ愚痴を小さな身体に溜め込む。
 思考を占めるのは思うような反応をしてくれない、恋人への不満。
 勿論、意識的にその思考が使い魔へと流れ込まないよう、心の奥深くにしまい込んでいた。
 ――そうよ。
 今からでも遅くないわ。
 才人に今すぐ振り返って、「悪かった」っていいながら私を強引に抱きしめてもらおう。
 そして、私は僅かに抵抗して見せるの。
 それでも、あっという間に力が抜けてしまうのだけど、でも、抵抗するの。
 サイトはそんな私の耳元で優しく囁くわ。
 ルイズ、いい加減機嫌を直せよ、な? って、甘く小声で。
 吐息が耳の中に入り込む程、直ぐ側で囁くの。
 耳から入った吐息はきっと、背筋を通って体中へと流れ込んで、私の意識を縛ると思う。
 それから、反論しようとする私の唇を無理矢理にでも塞いで、残った全ての力を奪うの。
 それも、ミス・ブロウに見せつけるように。

「ご主人様?」
「どうしました?  "ミス・ゼロ" 。突然立ち止まったりして?」

 知らず甘い想像に没頭してしまっていたらしい。
 ルイズを呼び戻したのは、想像の世界での平賀才人ではなく、怯えたような瞳でのぞき込んで来た使い魔の、どこかマヌケな顔であった。
理想の才人とは違い、茫としたその表情を見てルイズは直ぐに黙っていては己の内なる希望は叶いはしないと悟り、落胆して肩を落とす。
 次いで、ならばこっそりとそうするよう命令して、それで許してあげるわ、と持ちかけようかと考えたのだが。

「何か気になる事でもあるのか? 、ワン、ご主人様? 随分と虚ろな目をしていたけど」
「――う、うるさい! 何でもないわよ!」
「休憩しますか?  "ミス・ゼロ" 。すこし疲れていらっしゃるようですし」
「何でもないったら! ほら、さっさと行くわよ!」

 なぜか、どうもこの時ばかりは素直になれず、照れ隠しにすこし優しく才人の尻を蹴り上げて、再び歩き始めるルイズであった。



「ここか」

 才人達が進んでいた巨大なクラーケンの体内の道、その行き止まりには小さな孔がぽっかりと開いていた。
 ルイズは才人の独り言のような、機嫌を伺うかのようなつぶやきに、変わらずむくれたまま小さく頷く。
 そこにたどり着くまで小一時間もかからなかったが、その間ルイズはとうとう機嫌を直す事もなく無言で、気まずい道のりであった。
 才人はそんなルイズにはぁ、とため息をついて一瞬ケイトと視線を交わした後、再び目の前に開いた孔を見る。
 孔の中は巨大な "墨袋" であるらしく、うっすらと光るクラーケンの体内であっても漆黒の闇が広がって見えた。
恐らくは、スニソート・ビーク空域を覆う黒雲を作り出している器官であるため、中はかなり広いのであろう。
人一人がやっと潜れる程の孔からは、黒いもやのようなものが漏れ出てたり吸い込んだりしながら、まるで洞窟に開いた通風口のように、中からはビュオ、と空気が流れ込む音が聞こえる。

「ここから先は俺一人で行く。ケイト、元来た道とこの孔に "ウォーター・シールド" で蓋をするとしたら、どの位持ちそうだ?」
「そうですね。もって十分くらいでしょうか」
「十分か……」

 才人は十分が長いのか、それとも短いのかと考えながらううむと腕を組んだ。
 一方、ルイズは才人がミス・ブロウの事を『ケイト』と呼び捨てにしたことを聞き逃さず、うぬ、と気色ばむ。
が、状況的に才人に食ってかかるわけにもいかず、何も言わずにただ不機嫌な雰囲気を更に色濃くしたに止めていた。

「じゃ、とりあえず中に入ってブルー・キングを探してみるから、その間ブルーマンに襲撃されたら "ウォーター・シールド" でここと通路に蓋をして凌いでくれ」
「……私も行くわ」
「駄目だ」
「なんでよ!」
「中は真っ暗だろ? そんな状況じゃお前やケイトを守れねぇよ。それにブルーマンの襲撃にあったら、お前が知らせてくれなきゃ俺戻れないし」

 主に対して気が引ける所があるものの、才人は私情を交えずぴしゃりと言い放った。
 ルイズは才人の判断に反論できず、私的な不満と事実そうであるという現実の狭間に言葉を紡げず、ぐむむと唸り睨む。

「そんな顔してもこればっかりはダメだって。な? 戻ったら埋め合わせするからさ。ルイズはここで待っててくれ」

 少し困ったような、苦笑するような笑顔で才人はそう言い残し、やっと人間一人が入れそうな漆黒の孔へと身を投げ入れた。
 背後では、ルイズが何かを言おうと声を出しかけたが、闇の中へと消えていく才人の背に口を強く結ぶ。
  "墨袋" の中からちらと振り返り見たその顔は、やり場のない苛立ちと不安が混じって、才人の後ろ髪を引いた。
 が、未練に似た想いを二度強く頭を振って振り切った才人は、自身が入ってきた入り口から差し込む僅かな光を頼りに、奥へと歩を進めるのであった。
  "墨袋" の中は生臭く、視界は奥に進むにつれて失っていく。
 才人はデルフリンガーを抜き放ち、周囲の状況を探らんと全神経を研ぎ澄まして、この場では役に立ちそうにない目を閉じた。
 静寂が耳に痛い。
 嗅覚は……だめだ、この臭いの中じゃ役に立たないだろう。
 頼れるのは――
 瞬間。
 空気が動く感覚が右側で感じられ、才人は咄嗟にデルフリンガーをそちらに差し出す。
 同時に、強い衝撃と共に火花が散って、虚空へと身体が舞った。
 火花により一瞬見えたのは、巨大な鉄の板である。

「が!」

 ワケが解らぬ状況のまま、才人は再び闇となった "墨袋" の中でしこたま背を打ち付け、次いで体の前面に硬い何かがぶつかった。
どうやら何物かの一撃によって才人は吹き飛び、 "墨袋" の壁にぶつかりその後床へと落下してしまったらしい。
  "グリムニルの槍" の身体であるとはいえ、その衝撃は凄まじく、ボキリとどこかの骨が折れる音を聞きながらの激痛に、才人は思わず呻いた。

「相棒! 大丈夫か?!」
「ぐ、う、ああ、大丈――」

 デルフリンガーの声に応じようとしたその時。
 槍による身体の再生を終えて起き上がろうとした才人は、頭上の空間から一瞬だけ風切り音を聞いた気がして、思い切り横へと飛んだ。
 轟、と音が追随し、ついさっきまで才人が居た空間に何か重量物が叩き付けられる音がする。
 ――何かいる。
 それも、ブルーマンじゃない!

『サイト! こっちに戻ってこれる?! ブルーマンに襲撃されたわ!』
『ルイズ?!』
『言われた通りミス・ブロウが水の壁を作ってるけど、ちょっとまずいわ! 凄い数!』
「くそ!」

 やっぱり罠だったか?!
 思わず声に出して毒づきながら、才人は歯を噛んだ。
 予感はしていたが、ブルーマン達は才人と女達が離れるのを持っていたらしい。
 才人は慌てて元来た方向へと戻ろうとするが、すぐに愕然としてしまった。
 先程の一撃により "墨袋" の奥へと吹き飛ばされたのか、僅かに遺された入り口からの光による視界が完全に失われていたのだ。
 いや、それだけでなく、これがブルーマン達の罠であるならば、あの胃の時と同じように入り口そのものが閉じられてしまっているのかもしれない。
 しまった! 知能の低い亜人だと見くびっていたか?!
 もっと他に方法があったかもしれな……
 そこまで考えると同時に、才人は胸に強烈な衝撃を受けて、視界のとれない闇の奥へと吹き飛んだ。
 今度はまともに受けてしまい、デルフリンガーではなく、目から火花が出たような錯覚を覚えて。
才人は二度、三度と恐らくはボールのように体中を打ち付けて、最後には地に叩き付けられた。

『サイト?!』

 あまりに強い衝撃により一瞬飛んでしまった意識を素早く引き戻したのは、ルイズからの念話であった。
 先程の一撃によって、使い魔の危機が彼女へと伝わったらしい。

『大丈夫?! サイト!』
『なんとか、な。そっちはどうだ?!』
『ミス・ブロウの "ウォーター・シールド" ならもう少し持ちそう。』

 才人はその身を起こしながら、状況を素早く整理して、思考を束ねる事にした。
 無論、意識を聴覚へと集めて何物からかの攻撃に備えながらである。
 兎に角、ルイズとケイトの身の安全が最優先で確保しな……
 思考はそこで途切れた。
 同時にゴキン、と重い金属音がして、火花がもう一度飛ぶ。
 才人が暗闇からの一撃を今度は正確に察知して、デルフリンガーで受け止めたのだ。
 攻撃をしてきている何者かは、どうやら鉄製の板のようなものを使用しているらしい。
 一瞬の火花によって見えたソレは、少なくとも刃物ではなかった。
 そもそも、刃物であったならば先程の一撃により勝負は決していたであろう。

「相棒! ルーンだ!」
「デルフ?!」
「相手は相棒のルーンを目印にしてやがる!」

 デルフリンガーの台詞に、才人は初めて光る左手のルーンへと視線を落とした。
 その先には強く白くルイズとの絆とも言えるそれが、光輝いて闇を照らしている。
 ……なるほど、よく目立つ。
 才人は慌てて袖を破り、左手に布を巻き付けた。
 しかし、その行為は決定的な隙となり、もう一度、先程よりも遙かに強烈な一撃が横薙ぎに才人へと叩き付けられる。
 今度は複数の骨が砕ける音がして、耐え難い激痛と共に浮遊感が才人を包んだ。

「あ――がっ――」
「相棒!! しっかりしろ!」

 返事はない。
 流石の才人も声すら出せず、呻く事しかできずに地に倒れていた。
 視界を奪われ、常人であれば即死するような攻撃を意識の外から受けたのだ。
 むしろ、生きて居る事が奇跡であると言えよう。
 否。
 持ち主の死すら認めぬ魔槍によって、再び立ち上がる事を強要すべく、才人の身体はこの時むしろ急速に元に戻りつつあった。
 だが、そんな才人の様子は光るルーンを隠しているにも関わらず、相手に筒抜けであるらしい。
 やっとの事で状態を起こせそうな程に回復した才人に向かって、闇の向こうからもう一度、おぞましい程の風切り音と共に重量物が振り下ろされる気配が襲いかかる。
 そして、三度目の火花と共に、重苦しい金属音が闇の中に響いた。

「ぐ、こ、の……」

 才人は仰向けに寝たまま、その一撃をデルフリンガーで受け止めていたのである。
 以前 "土くれ" のフーケのゴーレムを持ち上げた事があったが、その一撃の重さはそれ以上であるらしく、才人は徐々に押し返されて、地にその体をめり込ませていった。

『サイト?!』
『こいつ! 強い!』
『ちょ、ちょっと大丈夫?!』
『俺の心配はいい! それより、ルイズ! ケイトを連れてなんとか逃げてくれ!』
『何言ってるのよ! 何処の誰が相手かはしらないけど、そんな奴さっさとやっつけてこっちに来なさいよ!』
『無茶言うなって! 流石に視界を奪われたままじゃ無理だ。それに、そっちに帰ろうにも、 "墨袋" の奥に吹き飛ばされたのか、方向が全然わかんねえ!』

 才人との念話にルイズはこの日幾度目か、口の端を引いた。
 目の前ではケイトが必死に "ウォーター・シールド" を維持すべく、目を閉じて杖を掲げている。
 その向こうには無数のブルーマンが居て、彼女の精神力が尽きるのをまっているのかじっとこちらの様子を伺っていたのだった。
 このままではまずい。
 使い魔と繋がった左目からは漆黒の闇だけが見えて、しかしその危機が手に取るように伝わってくる。
 なんとか……私がなんとかしなくては。
 ルイズは目の前の通路と同じように、 "ウォーター・シールド" で蓋をされた "墨袋" の中へと続く孔を睨み付けて、意を決した。
 最悪、自分一人だけでも逃げられるし、そうなれば才人も手当たり次第に暴れる事ができよう。
 だが、その時は目の前にいるケイトや、ゴグ・マゴグの所に残してきたウェールズ皇太子達の身の安全が何一つ保証されない。
 よって、そのような選択肢は誇り高いルイズにとり、無きに等しいものであり、果たして彼女の採った選択とは。

「ミス・ブロウ! あとどの位もちそう?!」
「 "ミス・ゼロ" 、あと、二、三分が限度、かと」
「五分持たせて! お願い!」
「わかり、ました」

 ルイズは杖を取り出しながら、無理を承知でケイトへの要求を口にした。
  "ウォーター・シールド" の維持の為、ケイトは必死に精神力を魔法に注ぎ込みながらも無茶な要求を肯定する。
 彼女にも又、何か思う所があるらしい。
 ケイトはルイズの方へ振り返り、その瞳に強い意志を宿して一度だけ頷く。
 ――任せて下さい。
 意志は炎となり、確かにルイズの瞳へと燃え移って。
 そして、虚無の担い手は己の杖に意識を集中する。
 紡ぐ唄は初歩の初歩の初歩。
 心を研ぎ澄まし、爆散させる対象を明確なイメージへと変えていく。
 それは広範囲に渡って存在する敵意。
 己と、己の愛する者を蝕むかのような意思は、不思議と手に取るように隅々まで探り当てる事ができた。
 ――だめだ。
 才人の話ではこの後、特大の "イリュージョン" を使う必要がある。
 この規模だと、今持ってる私の精神力すべてを使い果たすかもしれない。
 ルイズは精神を己の内側へ潜らせながら、一際強い敵意を放つ存在と暖かな存在を感じ取り刹那に惑う。
 ――ならば。
 その小さな唇は遂に開かれ、虚無の唄は静かに "魔の空域の魔物" の体内に満ちていった。
 それはまるで吟遊詩人の唄のようで。
 大きく、小さく、さざ波のように場に満ちて。
 ケイトは聞いた事もない詠唱に思わず振り返り、それから直ぐに注意を "ウォーター・シールド" の維持に戻した。
 その表情には焦りはない。
 なぜか彼女は振り返った時、確信を得ていたからだ。
 きっと、自分は限界を超えて "ウォーター・シールド" を張り続けられるだろう。
 きっと、 "ミス・ゼロ" はものすごい魔法でこの状況を打破してくれるだろう。
 根拠はない。
 しかし、背後に聞こえるルイズの詠唱は、なぜかそんな事を考えさせるものであった。
 そうだ。
 もし、それらがうまく行かなくても。
 きっと、あの逞しい友人が自分と主である少女を助けてくれるのだろう。
 そう思った時、ケイトは心が震えるのを感じた。
 ウェールズを想う時のようなその高揚は、勇気であったかもしれないし、友情のようなものであったのかもしれない。
 震えは彼女の確信を喰らい、強い精神力となって目の前の水壁へと注ぎ込まれる。
 ケイトはこの時、知らず笑みをこぼしていた。
 彼女は悟る。
 そうか。
 きっと、サイトや "ミス・ゼロ" はこんな感じで心を繋げながら戦場に立っていたのか、と。
 なんて、なんて素敵な――
 そこまで考えた時、背後で何かが弾けていた。

 そして、虚無の魔法 "エクスプロージョン(爆発) " は 二人の乙女の意志を乗せて完成する。





[17006] 7-11:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/01/08 00:45



 ブルー・キングは漆黒の霧が充満した "墨袋" の中、勝利を確信していた。

 姿はブルーマンと大差なかったが、体躯は遙かに大きく5メイル程もある。
 もし明るい場所で見たならば、全身は青い鱗で覆われ、裂けた口からはゾロリと尖った歯が並びみえたであろう。
 しかし、その深い青の鱗は "墨袋" の中では保護色のような機能を果たし、黒い霧の中で潜むブルー・キングを視認できる者はいない。
 故に、 "魔の空域" を満たす黒い雲を溜め込む "墨袋" の中は新月の夜のような闇が広がっていたのだった。
 更には、生物が作り出す為か、漆黒の霧は生臭く、そこに居る者の感覚を狂わせる。
 唯一頼りになるのは音だけであるが、音だけを頼りに戦える人間など、どこにいようか。
  "彼" は闇の中で笑っていた。
 その足の裏からは骨が砕ける感触が、心地よく伝わってくる。
 ブルー・キングは笑いながら、一層力を足に込めて、人の耳には聞こえない周波数で部下であるブルーマンに指示を出した。
 間を置かず、墨袋の外で女達を捕らえんとしていた彼らから返事が戻ってくる。
 ――追い詰めてはいルが、水の壁に阻まレていルのか。ふん、小賢シい。
 いや。
 放っておけ。
 ソレは人間が使う、魔法というものだ。
 精神力が尽きレば直に水の壁も消えル。
 ソうなれば、抵抗スル力も失せルだロうシ "種付け" もシやスくなルかラな。
 そう部下達に指示を出し、ブルー・キングは鋭く並んだ歯を剥いて笑った。
 もし "彼" が人であったならば、その表情は醜く好色な笑みを浮かべていただろう。
 無論、指示も笑い声も人の耳に届くような音ではなく、ただ暗い "墨袋" の中でシュウとだけ空気が漏れるような音だけが響いていた。
 不意に。
 ブルー・キングは足裏から何かが蠢く感触が残っている事に気がつく。
 どうやらあのすばしっこい人間の戦士は、まだ生きているらしい。
 シぶとい奴め。
 亜人の王は毒づきながらも嗜虐心を昂ぶらせ、ブルーマンと同じ地球の古代爬虫類の足を想像させるその巨大な足に力を込め直して、虫を踏みにじるように左右に捻る。
 足のつま先が左右に振れる度、盛大に骨の砕ける音が響いて、今度こそ煩わしい敵の絶命をブルー・キングは確信した。
 そして亜人の王は闇の中、生まれて初めて行う繁殖への期待を膨らませていく。
 ググ……もうスこシだ。
 もうスこシで我が一族はソの数を増やシ、あの忌々シい巨人に対抗スルことができル。
 我ラの長き時に渡ル、 "食料" とシてノ歴史に終止符を打つ事が出来ル!
 歓喜はブルー・キングの全身を強く包み、確信が用心深い "彼" を鈍らせた。
 ――そう。
 ゴグ・マゴグに決して見つからぬよう、視界のとれぬ "墨袋" の奥深くへと身を隠し続け。
 気の遠くなる程長い年月をかけて、時折 "魔の空域" の魔物に呑み込まれた人間を襲い、ひたすらに、ただただひたすらに繁殖の機会をうかがい続け。
 僅かな可能性の果てに、今、目の前にその機会を得んとしていた哀れな亜人の王は、気が付く事ができずにいた。
 そう、 "彼" は気が付かない。
 追い詰めた二匹の雌達の内、水の壁を作り出していない方が何かを詠唱している事に。
 その詠唱が、人間が使う魔法にしてはやけに長い事に。
 何よりも、足の裏で僅かに残る蠢きが小さな脈動に変わりつつある事に。
 脈動はやがて亜人の王にとって、破滅の種が息吹く感触となる。
 が、勝利を確信したブルー・キングにはもやは注意深くそれらを観察する余裕はない。
 一方、どのような思惑があるのか、大きな足で好き放題にされている才人の方はというと。
 その声が聞こえてきた一瞬、全てを忘れてしまっていた。
 戦う事も、抗う事も、護る事すらも。
 全身の骨という骨が砕かれ、再生し、そしてまた砕かれているにもかかわらず、ただ為すがまま、何もかもを忘れ身をゆだねてしまっていた。
 激痛が絶えず襲いかかり、親友とも呼べる知性ある愛剣が何か叫んでいるにもかかわらず、才人は茫としてその声に聞き入り続けてしまう。
 それは、力の濁流に意識が流されるかのような感覚。
 声は遠く細く、聞こえるはずのない場所からしかし耳元で聞こえて。
 それは唄であった。
 それは呪いであった。
 それは理であった。
 それは、才人が生涯を賭して守り抜いた声であった。
 それは才人がすべてを投げ出して護るべき声であった。
  "グリムニルの槍" の体となってより、その唄を聞くのは二度目の事である。
 否、それ以前にも幾度も死線の中で聞いた唄でもあった。
 しかし。
 才人はしばし、全てを忘れ虚無の唄に聴き入ってしまう。
 まるで、儀式のように。
 戦う理由を再確認するかのように。
 ――心が、震える。
 自覚は力となり、力は嵐の大海の如く才人の体内で荒れ狂いはじめた。
 力の渦とも呼べるそれがあまりに大きく強く、今までに無い程体の中で暴れていた為に、才人はブルー・キングに為すがままとなってまで、力を従えようとしていたのだ。
 やがて荒れ狂う力の中、才人はなんとかバラバラになりかけた己をつなぎ止める事に成功して、唄に込められた想いに応える。

「わかったよ、ルイズ。まかせとけ」

 声に出した独り言は、果たして主に届いたのか。
 独白の後、才人は己の体を押し潰さんとしているブルー・キングの足裏に手をかけて無造作に押した。
 刹那。
 ブルー・キングの巨体が上方に吹き飛び、轟、と天井に当たり次いで地に落ちる轟音が響いた。
 亜人の王の巨大な足による拘束から解放された才人は、左手でデルフリンガーを拾いあげゆっくりと体を起こす。
 立ち上がりながら、左手を覆っていた袖が内側からの圧力に押されるようにして解けて、強いルーンの光が漏れだし辺りを照らし出した。
 光は白く才人を中心に渦を巻いて、周囲の漆黒の霧を吹き飛ばして行く。

「おおお! 相棒、すげえな! わはは、こんなに心震わせるなんざ、最近なかったのに一体全体、突然どうした?」
「……俺にもよくわかんねぇよ、デルフ」
「うーむ、嬢ちゃんの詠唱を聴いているからか?」
「それもあるけど……」

 才人はそこで言葉を切り、右手を真横につきだした。
 同時に恐ろしい風斬り音と共に巨大な鋼鉄の板がその手の中に納まり、ガオン、と重い金属音が "墨袋" の中に響く。
 鋼鉄の板は "魔の空域" の魔物が呑み込んだフネの巨大な舵の一部であるらしく、その端部は才人の前方、暗闇の向こうにのびていた。
 どうやらブルー・キングが体勢を立て直し、攻撃を繰り出してきたらしい。
 闇に紛れての攻撃は得意であるらしく、ルーンの光が届かぬ間合いからの攻撃は小さな人間を砕いて木の葉のように吹き飛ばす筈ではあったのだが。
 ――ばかな! なんだ、この人間は!
 ブルー・キングは戦慄する。
 つい先程まで思うように蹂躙していた小さな人間が、叩き付けた鉄を小さな掌で受け止めたばかりでなく、鉄塊の端を掴むやそのまま手の内に固定してしまったのだ。
 この小さな身体のどこにこのような力が、と混乱しつつもブルー・キングは、必死に武器に使っている鉄の舵の端を力一杯押したり引いたりする。
 が、鱗の下で音が出るのではないかと思える程盛り上げた筋肉も、相手の数倍もある体格も役には立たず、舵はまるで岩にでもめり込んだかのようにびくともしなかった。

「そろそろか」

 呟くと才人は不意に右手の拘束を解き、丁度舵を引き抜こうとしていたブルー・キングは勢い余って後方へと飛んでいく。
 亜人の王は無様に転がり、しかし直ぐに起き上がって猛獣のような咆哮を上げた。
 雄叫びには矜持を傷つけられた怒りと憎悪が込められて、ビリビリと空気を揺らす。
 才人は変わらずその場に立ったまま、ブルー・キングの雄叫びを涼しい顔で受け流しながらデルフリンガーを構えるでもなく、その場に佇んで。
 そして名残惜しむかのように、完成しつつあるその唄に今一度、心を傾ける。
 敵を前に目を瞑り、震える心に刻み込むのは果たして――
 そんな才人の隙を亜人の王は身逃さず、地を揺らしもう一度、今度は脳天に分厚い鉄塊をたたき込まんと突進を始める。
 漆黒の霧によって作り出される闇を利用し、才人の周囲に渦巻く光の外から鉄塊をたたき込む為に。
 ――何ノつもリだかわかラんが、今度は!
 まるで短剣のような歯を食いしばりながら、ブルー・キングはその巨体を支える筋肉すべてに力を込め、力を溜めて大きく舵を振りかぶる。
 しかし、その渾身の一撃は才人に届く事は無かった。
 突如として才人のルーンの光よりもはるかに膨大な光が辺りを、世界を支配したからだ。
 それはルイズの "エクスプロージョン(爆発) " が完成した瞬間であった。
 ただ、虚無の魔法は激しく輝きながら "墨袋" 内に満ち、全てを呑み込んだかに見えたのだが。
 才人とブルー・キングの視界が戻った時、果たして魔法によって消し去られたのはただ一つ、漆黒の霧だけであった。
 虚無の使い魔がゆっくりと目を開くと、その視界の先にはうっすらと巨大な人影が残されたルーンの強い光に照らし出されている。
 一方、ブルー・キングは度重なる非現実的な出来事に、この時はじめて事態の深刻さを理解しつつあった。
 地の利を生かしあらゆる攻撃を加え、骨まで粉微塵にしたはずの敵は未だ立ち続けて。
 かと思えば渾身の攻撃を受け止められ、数倍はある体格差にもかかわらず、膂力は及ばず。
 そして今、地の利すら失ったのだ。
 ――なんだ! 何なノだ、お前は! 何故、何故、どうシて! 何が! あノ光は一体?!
 答えは見つからない。
 その縦に長い瞳孔が捕らえられるのは、目の前の現実のみ。
 巨大な亜人の瞳に映り込むのは、 "神の左手" と謳われた伝説の使い魔の輝きである。

「いくぞ、デルフ。ルイズとケイトが待っている」

 台詞は黒い霧の無くなった空間に冷たく響く。
 呼応してブルー・キングは威嚇するように、また恐怖を打ち消そうとするように凄まじい咆哮を上げた。
 その音圧は才人の耳にビリビリと破れた音を叩き付けたが、勇者は意に介す風でもなく、瞬きひとつせず敵を睨んで。
 そして亜人の王が振るう、巨大な鋼鉄の舵が唸りを上げてその場に振り下ろされると同時にふっとその場から消え失せる。
 響き渡るは重い金属が何かにぶつかるような大きな音。
  "墨袋" の地面にめり込む鉄塊を確認したブルー・キングが、流石に今度は受け止められなかったようだと誤認し、ほくそ笑んだ。
 瞬間、何かが肩の辺りに居ると思った後、突如として視界が前のめりに移動していき、そのままぐるりと何度か世界が回りはじめた。
 次いで漆黒の霧が立ちこめる中でもよく見えていた視界が急速に暗くなりはじめ、意識までもが遠のいていく。
 回り続ける視界の中、一瞬見えたのは首の無い、巨大なブルーマンのような体とそれを照らし出すあの忌々しい光。
 やがてブルー・キングは声を出す事も体を動かす事もすでに叶わず、ただ、何が起きたか理解出来ぬまま絶命に至るのであった。
 それから僅かな時を置いて、首のない亜人の王の体が倒れる音が "墨袋" 内に響き、才人は亜人の王の最期を確認する間も無く、出口目指して疾駆する。
 恐らくは立つ力も残されて居ない程疲弊してしまっていよう、主の元へ帰る為に、だ。



 日誌

 0725
  "体の大きな男" の協力もあり、本船は風石を補給し無事出港した。
 進路は私達が通った道とは別ルートで "墨袋" へ侵入。そのまま "魔の空域" の黒雲を送り出す漏斗から脱出予定であった。
 速度・スロー。
 風・無し。
 操船要員は各自持ち場にて待機した。

 0755
 本船を呑み込んでいた巨大な魔物の体内を脱出に成功した。
  "体の大きな男" の助言により、進路11時高度上げで微速前進。
 言葉通り、魔物は襲っては来なかった。
 船規によりコメントを記す事は禁止されているが、あえて記したい。
 ――久しぶりに見る朝日は素敵だった。

 0830
 士官会議に出席。参加者は船長以下全士官、及び部長3名。
 内容:トリステインからの客人である、 "ミス・ゼロ" と "盾(バックラー)" の待遇について。
 結果、 "魔の空域" での "盾(バックラー)" の功績を讃え、士官待遇とする事が満場一致で決まった。
尚、船内は比較的会話が筒抜けとなる程防音が良くないので、公的良俗に反する行いは禁止との条件付きであった。
同時に罰則を課す場合は本船のトイレ掃除とする旨、チーフ・オフィサーより伝達された。

 0915
 進路アルビオンに向け10時に修正した。
 操帆、舵、魔導機関いずれも問題なかった。
 風力3
 雲海高く視界不良
 速度・ハーフ

 0930
 密航者(ブルーマン等)入り込んでいないか、サイトと共に船内検査を行った。
 船内、異常なし。
 ただし、巡回時に負傷者1
 痴話喧嘩であったが、船長権限により船内でのかれらの行動にはほぼ干渉できず。
 尚、負傷者の治療は必要無いと判断した為、チーフへの報告のみの対応とした。
 風力4
 速度・フル

 1030
 船長は操船指揮権をセカンド・オフィサーへ委任した。
 進路12時に修正。
 すでに "魔の空域" の魔物の姿は見えない。
 第一種警戒体制から第二種警戒体制へ移行した。

 1125
 スニソート・ビーク空域からの離脱を確認。
 戦闘配置を解除。
 船長の指示により特別休息命令が発令された。
 操船員以外にはフルーツと菓子が支給され、夜からのワッチの者のみ飲酒が許可された。
 本時刻をもってワッチをオフィサー・ベンノと交代する。
 ――罰を受ける事を覚悟でもう一度、コメントを記す。
 我々は何千年もの間、誰も突破できなかった "魔の空域" をついに突破した。
 これは皆の力あってのものだろう。
 だが、特記すべきはトリステインからの客人の活躍が大きかったという事であった。
 私は忘れない。
  "ミス・ゼロ" の勇気を。
  "盾(バックラー)" の光る左手を。
 アルビオンの貴族の末裔として、 "麗しのアンリエッタ号" のクルーとして、そして友人として。
 彼らには深く、感謝を捧げる。
 記録者・ケイト・ブロウ

 ケイトは最後にそう署名し、それからしばしログ・ブックを見つめてから杖を取り出した。
 唱えた魔法は "コンデンセイション" を応用したもので、書き込んだばかりのインクを集めるものである。
 その範囲は極小で、やがて彼女は消した "盾(バックラー)" という文字の跡、白くなっている部分に「サイト」と書き込んだのだった。

 程なく航海日誌は無事次のワッチの者へと引き継がれ、その後に彼女が船規違反で罰せられる事は無かった。





[17006] 7-12:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/01/17 02:37



  "魔の空域" と呼ばれるスニソートビーク空域を抜けてより一週間。

  "麗しのアンリエッタ号" は順調に航海を続けて、遂にアルビオン大陸の北端、スノーウォール諸島の小島の一つにたどり着いていた。
 スノーウォール諸島は元々浮遊大陸の一部で、脆い地盤が分離しそのまま浮遊島となってアルビオン大陸と共にハルケギニア上空を周回する小島群である。
 小島は浮遊大陸とは違い非常に不安定で、島同士がぶつかり合い砕けて散って、周辺は航路がはっきりとしない非常に危険な場所であった。
又、唯一の大陸からの進入路も、スニソートビーク空域からのものしかなく、その為か浮遊大陸側にある防衛拠点の規模も、非常に小さな地域でもある。
 その為、スニソートビーク空域の突破に比べれば、アルビオン大陸の領空内への侵入自体は難しい物とはならなかった。

「もっとも、わざわざここに住む人間も居ないけれどね。浮島となった小島は大陸とは違って何時落下を始めるかわからないんだ。だから、補給するにも一苦労さ」

 ウェールズはそう言って、船尾に設えたナビゲート甲板の手すりに手を置き、雪がちらつく中、隣に立つ才人とルイズにニヤリとして見せた。
 眼下にあるナビゲート甲板の下、様々な道具が置かれている暴露甲板では、甲板員達が係留索具を慌ただしく運び、上陸の準備を進めている。
 才人はつい先日までは彼らと一緒に働いていた為か、どことなく居心地の悪さを覚えて、誤魔化すかのようにウェールズへ質問を投げかけた。

「ここは大丈夫なんですか?」
「ある程度の大きさの浮島なら比較的安定してるしね。それに、ここはこの辺の空域を根城としている、ネルソン一家の拠点の一つなんだ。簡単に浮力が無くなったりはしないさ」
「殿下、空賊なんて本当に信用できるのでしょうか?」

 才人の隣にぴたりと陣取っていたルイズが、二人の会話に割り込んで来た。
 長いピンクブロンドの髪は冷たい風に激しくなびき、その頬は赤くなっている。
 スノーウォール諸島の空域はかなり寒い為、暖かそうなコートを羽織ってはいたものの、女性には非常に辛い気温には間違いない。
 しかしルイズは歯の根が合わなくなる程の寒さの中、甲板上で係留作業の指揮を採っていたウェールズに用がある言い出した才人と共に、何故か外へと出ていたのである。
 ウェールズはそんなルイズの様子に苦笑いを浮かべかけながらも、一度、才人に同情の視線を送りながらゆっくりと頷いた。

「 "片目" のネルソンは私のおじい様の代に私掠に使っていた空賊でね。先の戦では王党派、貴族派どちらとも付かなかったけれど、信用できる老人さ」
「信用できるって……そのネルソンって人は何故王党派として参戦しなかったのですか?」
「そこはほら、空賊だからだよ。私掠許可を与えていたとはいえ、空賊であることには変わりない。王家や貴族のいざこざに肩入れする義理までは無かったのだろう」
「……殿下、そいつ本当に大丈夫ですか? 金を掴まされて貴族派に通じているっていう保証は無いんでしょう?」
「そうですよ、殿下! なにも空賊なんかに頼らなくたって――」
「大丈夫だよ、サイト君。ミス・ヴァリエール。まあ、見ていてくれたまえ」

 そう言ってウェールズは意味深に笑い、係留作業の報告にやってきたオフィサーの対応を始めてしまい、会話はそこで途切れてしまった。
 船長という役職は普段でん、と構えていてヒマそうに見える物であるが、実のところ中々に忙しい。
 特に必要最小限の人員しか乗せていない "麗しのアンリエッタ号" はそれでなくとも人手不足なのだ。
 それは士官であっても変わりなく、ウェールズも又、指揮を採るワッチ(当直)のシフトの中に組み込まれているのである。
 結局、それ以上ウェールズの仕事を邪魔する訳にも行かず、才人とルイズは疑問府を共有したまま、その場は大人しく部屋に帰るのであった。

「あああ、さささ寒い! すすすすごく、寒いわね、ここ! 毛布! 毛布毛布毛布!」
「だったら、無理について来なきゃよかったのに……」
「う、ううう、うるさいい! あああんた、ちちちょっと目を離したらすすすぐどっからか女の子を連れてきそうだもんんんん」

 ルイズは部屋に戻るや否や、コートを着たまま狭い寝台に飛び込んで分厚い毛布の下へと潜り込み、くるまりながら顔だけを外に出して少し不機嫌にぷくりと頬を膨らませた。
 体の芯まで凍えてしまったのか、台詞に歯の根が合っていない。
 才人はルイズの台詞に何かを言い返しかけたが、言葉を呑み込み、ルーンのある左手でわしわしと頭をかきむしって、室内に設えられた木製のロッカーの扉を開きコートを仕舞った。
  "魔の空域" でのミス・ブロウとの一件から日が経ってはいたが、未だルイズの気はそれ程晴れてはいなかったのだ。
 と、いうのも、晴れて同じ部屋で過ごせるようになった二人ではあったのだが、空間が限られているフネの船室は士官待遇であっても非常に狭い。
 更に航行中は揺れる為、部員達よりかはマシなものの、ベットはまるで棺桶の様に狭苦しい造りとなっているのである。
 そんな非常に狭いベッドで、曲がりなりにも恋人同士であるという認識の男女が共に使用したらどうなるか。

「女の子ってお前、こんな空の上で一体どうやって連れてくるんだよ」
「ミス・ブロウがいるもん」
「だから、ケイトとは何でもないって!  "あの時" だってじゃれただけだし、あれ以来だって気を使ってあんま近寄らないようにしてるだろ? 大体あの子、ウェールズ皇太子一筋っぽいし」
「その、ケイトって呼び捨てるのが気に入らないもん」
「んな事いったってさあ。学院でも、キュルケやタバサ、シエスタにモンモンとか呼び捨てにしてんだろ?」
「それはそうだけど……あんた、気が付けばいつも他の娘の影がちらつくもん。あの白い韻竜の子はともかく、チキュウに言った時だっていきなりキスされてるし、妖精亭のあの姉妹の時だって」
「あれは不可抗力だ!」
「あれ、ってどれの事? いっぱいあってわからないわ。……ああ、そういえば、ちぃ姉様とも急に親しくなってたわね、あんた」

 まるで針のムシロである。
 毛布にくるまった顔からじっとりとした視線と共に浴びせかけられる言葉は、嫉妬の炎となって才人に襲いかかった。
 これではまるで、古女房に浮気を疑われる夫のようだな。
 ……いや。
 ちゃんとした夫婦ならば、そんな事ないよと抱きしめたり、キスをしたり、夜を共にしたりしてそれなりの絆が強めやすい分、まだマシなのかもしれない。
 才人はそう考えながらも、未だに浴びせられ続けるルイズの疑いの言葉を否定し始めた。
 少々行きすぎたルイズの態度ではあったが、きちんと相手をして言葉を否定しなければ更に機嫌が悪くなる事が目に見えていたからだ。
 と、いうのも、才人もルイズも惹かれ合い心を強く結びつけているとは言え、肉体関係は未だ結んでは居ない。
 これは才人がタバサの母親を無事救出できたという歴史を変えぬよう、それまではなるべく以前と同じ行動をしようと決めたが故であった。
 もし性交を行いルイズが妊娠でもしようものならば、大きく歴史の流れが変わってしまう事もありえるのだ。
 又、才人がこの時代に送られるにあたり、妻であったルイズからの手紙の中に歴史を大きく変えようとするとその時空から拒絶される恐れがある為、大きな流れは変えようとしてはいけないという記述されていた事もある。
 よって、その気がありながら毎夜、お互いに強固な理性を要求される状況となり、その反動によるストレスがルイズをより嫉妬深く、より独占欲を強く、より不安にさせていたのであった。
 それは才人も同じではあったが、幾分ルイズよりかは人生経験が豊富な為、早々にやはりここは男の方が我慢するべきである、という結論に達して。

「頼む、勘弁してくれよ。ほら、コート。ロッカーにちゃんと仕舞わないと、皺になるぞ?」
「……またそうやって誤魔化す」
「誤魔化してねえって。俺はお前一筋だからさ、その、他の女の子にはその分ぞんざいになっちまって、逆に親しげにしてるように見えてしまうんだよ」
「……ほんと?」

 お前一筋、という言葉が何かの琴線に触れたらしい。
 ルイズはそれまでに険悪な雰囲気を一転、どこか甘えた声で再度尋ねながらくるまった毛布を全身に被って、毛布の中でゴソゴソとコートを脱ぎ始めた。
 それから間を置かずにゅっとコートを掴んだ彼女の白く細い腕が、毛布の中から才人の方へ伸びる。
 ルイズに気取られないよう、才人はため息を一つついてからコートを受け取り、再びロッカーの扉を開いて自分のコートの隣にルイズのコートを掛けた。

「ホント。大体、そうじゃなきゃ "もう一回やり直す" 為に戻ったりはしねぇよ」
「……ほんとに、ほんと?」

 毛布の塊の中から聞こえる声は甘く、棘はもう無い。
 もう一息、かな。
 才人はどこか、聞き分けのない娘をあやす親の心地になりながら、両手を腰に当てもう一度ホント、と短く答えた。
 しばしの沈黙。
 既に毛布の塊から威圧感のような物は感じられないあたり、才人の返答は一定の効果を上げ続けているらしい。
 やがて再びにゅっと毛布の中から手が伸びて、無言のままこっちゃこい、とルイズは手招きをした。
 どうやら機嫌を直し、毛布の中で共に暖まりたいようだ。
 その行為は互いの全てを求め合う心を昂ぶらせ、自らの首を絞めるだけであるとわかりきってはいたが、才人は忠実にも主の命令に従い、狭いベッドの中ルイズと肩を寄せ合って毛布を頭から被る。
 同時に胴に腕が回され、才人はあわてて動いてしまった毛布の位置を直し、熱が逃げないよう隙間を潰す。
 毛布の中はルイズの甘い体臭で満たされており、彼女の吐く息のお陰か中々暖かかった。

「サイト、ちべたい」
「もう一つ、俺の分の毛布を出して来ようか?」
「ううん、このままでいい」

 形式上はルイズが寝台を使い、サイトは床、もしくはハンモックを吊して寝る事になっていた為、毛布は2枚支給されていた。
 が、当然というか、同じベッドで眠りたいルイズの希望により、才人に支給されていた毛布は早々に小さなベッドの下に設えられた物置に放り込まれていたのである。
 ルイズはいつもそうするように才人の胸に顔を埋め、むふぅ、と大きく息を吐いてしばしの安心感を得ながら脱力した。
 一方、才人もやっとルイズの機嫌が直った事に安堵を覚えて、その頭を優しく撫でてやりながら、わき起こりつつある劣情を忘れようとこれからの事に思いを馳せた。
 ――事はここまで一応は歴史の通りに進んでいる。
 前の人生の中で経験した事のない事件に巻き込まれて来たが、大きな歴史の流れは変わってはないようだ。
 ただ一つ、本来ならば死んでいるはずのウェールズの存在だけが才人にとって気がかりであった。
 勿論、彼が存在しているが為にタバサの母親救出が失敗すると考えているわけではない。
 が、ウェールズの生存が才人とルイズのアルビオン戦役を大きく変えてしまっている事は事実である。
 アンリエッタはアルビオン戦役の要となる、ルイズの虚無 "イリュージョン" による陽動そのものは遂行させるつもりではあるようだったが、言い知れない不安が日増しに大きくなるのを才人は感じていたのだ。
 無論この先もウェールズを死なせるつもりは毛頭無い。
 しかし、その事がどう歴史に関わってくるか。
 改めて今考えてみると、彼の生存は後世に大きな影響があるような気がして、どうにも落ち着かないのである。
 歴史の大きな流れを変えてはならない。
 それだと、ウェールズを生かしておく事はどうなのか?
 タバサやアンリエッタに未来の記憶を話す事は?
 今までに経験した、数々の "巻き込まれないはず" の事件は?
 才人はルイズの頭を撫でながら、数々の疑問に答えを見つける事ができず悶々としてしまう。
 
「サイト?」
「……なんだ?」
「何を考えてるの?」

 才人の様子を察したルイズが、胴に抱きついたままそう尋ねてきた。
 考え事に没頭するあまり、ルイズの頭を撫でていた手がいつのまにか止まり、そこから敏感になにかを感じ取ったらしい。
 一瞬、才人はギクリとしてまた機嫌が悪くなるのかと思ったが、その声色に棘は無い事に気が付いて、安堵しながらもなんでもない、と簡単に返答した。

「……あんまり一人で悩んじゃ、いやよ」
「ん。わかってるよ」
「……偶にね」
「ん?」

 声色は変わりなかったが、胴に回された腕の力が強くなるのを才人は感じた。

「私、あんたの事、わからなくなる事があるの」
「わからないって……」
「なんていうか、言葉じゃ言い表しにくいんだけど、私の使い魔なのにそうじゃないっていうか」
「なんだ、それ。俺はお前の使い魔だし、今だって視覚とか共有できるだろ」
「ううん、そういうんじゃなくてね。なんか、ふといきなり居なくなりそうな、そんな不安があってね。……嫉妬とかそういうんじゃなくて、時々なんだけど」

 そこで一度言葉を切ったルイズはまるで自身をそれで満たそうとするように、腕に力を込め直し、才人の胸に押しつけていた顔を更に押しつけた。
 服は才人と地球に行った際、大量に買い溜めていた内の一着で、柔らかなフリース生地が心地よい体温を伝えてくる。

「なんだか、サイト、時々すごく遠い目をして考えてる時あって。きっと、これからの事とか考えて居るんだろうな、ってその時は思うんだけど」
「うん」
「後になってふと、思い出すの。そして、なんとなく、不安になるのよ」
「考えすぎだよ。俺、お前の側しか居場所無いし」
「ううん。あんたなら、きっと誰もが居場所を用意すると思うわ」
「そんな事ねぇよ。考えすぎだって。戦争に参加してて、その中で重要な任務与えられて、少し参ってるんだよ」
「……そうかな?」
「そうさ」

 それきり二人は黙り込んでしまった。
 何となくであったが、なぜか交わす言葉が見つからなかったからだ。
 共に潜り込んだ毛布の内側は二人の吐く息により暖められ、互いの体温も心地よい。
 しかし、言い知れない不安も又、毛布の内側に留まって二人を包むのであった。

「ねぇ」
「ん? なんだ、ルイズ」

 果たして、小一時間程の沈黙を破ったのはルイズである。
 声はやはり甘えたような物であり、少し、遠慮がちで。

「何処にも行っちゃ、嫌だからね?」
「何処にもいかねって」
「約束だからね?」
「あいよ、約束な」

 会話は短く、何気ないものではあったが。
 ルイズは才人の胴にまわしていた腕を解き、寒さを忘れ毛布がズリ落ちるのも構わず、恋人の顔を見るべく上体を起こした。
 それから自身の内に巣食う不安を追い払うかのように、いつもよりも少し長い口づけを交わす。

 この時の締めくくりに交わした幾度目かのキスは、何故かルイズの心に強く残り続けて行くのであった。





[17006] 7-13:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/01/24 00:16



  "片目" のネルソンは才人の予想に反して、やせ細った老人であった。

  "麗しのアンリエッタ号" を無事係留し終えたウェールズは、かねてより予定していたネルソンとの会談を行う為、アジトの中へと案内されていた。
 ウェールズに同行したのは、ルイズと才人の2名だけである。
 これは相手を刺激せぬ為に最小の人数でと言う訳ではなく、単に才人が何があっても守れそうな最大の人数であるという事で決まった数字だ。
 無論、当初はウェールズと才人の二人きりの予定ではあったが、ルイズがごねた為、3名で "片目" のネルソンと会談に臨む運びとなってしまっていた。
 だがしかし、空賊達はそのような事情は知る由もない。
 それにウェールズ達が "魔の空域" を抜けて来たという噂も相まって、その勇気には相応の敬意が払われ、丁重に扱われてもいた。

「――よく、きたな。皇太子よ」
「ご無沙汰しております、ネルソン提督。約束通り、 "魔の空域" を抜け参上しました」
「ククク、まさかお前さんのようなひよっこが、あの空域を抜けるとはの、ゲフ! ゴフ、ゴォフ!」

 空賊の頭領の寝室に通されたウェールズは、天蓋付きの、やけに豪華なベッドに横たわる老人とそのような挨拶を交わした。
 直後、老人は激しく咳き込みはじめて苦しそうにしたまま、枕元の水差しからカップに水を入れて飲もうとする。
 ウェールズは思わず前へ出て手を出しかけたが、当のネルソンはそれを制止し、自分でカップに水を入れ一気に飲み干した。

「――お体の具合が思わしくないようですね」
「ああ。君の父上が亡くなってからこっち、特にな。……ハルは元気にしているか?」
「ええ。私もまだまだ教えを請う事も多く、引退もできぬと常々小言を言われております」
「ふん、あの青二才が偉そうに」
「ははは、先々代のアルビオン国王の治世から活躍しておられる空の男にかかれば、何人も青二才でありましょう?」

 ネルソン老人はウェールズの言葉にふん、とつまらなそうに鼻を鳴らし、もう一度カップに水を注いで一口、口を濡らす。
 部屋は暗く、昼間であるにも関わらずカーテンは締め切られているためか、才人はこの時始めて目の前の老人が片目であることに気が付いた。
 つまりその左目には黒い眼帯が覆われ、そこに描かれている髑髏の紋章が見えたのである。
  "片目" のネルソンという二つ名から予想できようものではあったが、空賊の二つ名は大概、相手に脅威をあたえる事が多い。
 従って、才人のように "抵抗した相手の片目をえぐる" から "片目" のネルソンと呼ばれる、と勘違いする者はハルケギニアでは珍しくはなかった。

「……まあ、俺も空の男だ。二度と王家の飼い犬になるつもりはなかったが、約束は守るとしよう」
「では……」
「ラックスフォードへの侵入の手助けと、お前のフネの留守を請け負ってやる」
「ありがとうございます。作戦の成功の暁には、相応の礼を……」
「まて。俺の話はまだ終わっちゃいねぇ」

 声は低く厳しく、交渉の成立に胸をなで下ろしかけていたウェールズは心中に冷や水が浴びせられた。
 また、ルイズと才人にも、皇太子と空賊の首領の会話の全貌が見えなかったものの、どうも雲行きが妖しくなりそうだという緊張が走る。
 そんな3人の事など気にも留めず、ネルソン老人は話を始めるでもなく、ベッドに横たわったまま、水差しの隣に置いてあったハンド・ベルを鳴らした。
 しばし間を置いて、才人達が入ってきた入り口とは別の部屋の奥にあった扉がゆっくりと開く。
 それから、一人の人物が入室して来てネルソン老人の枕元まで歩み寄って来た。
 人物はルイズよりかは身長は高かったが小柄で、男物の服装にカットラスと小銃を腰に下げてはいたがウェーブがかかった金髪を首元で束ねており、女性であるとわかる。

「……紹介しよう。俺の右腕で孫娘のメアリだ。今は俺の代理をして手下をまとめている。なにせ、俺はこのザマなんでな」

 ネルソン老人の言葉の真意がつかめず、才人達は少し会釈を送ってそのまま説明を待つ。
 しかし、老人の紹介に続いたのは説明などではなく――

「覚悟!」

 突如、メアリはカットラスと小銃を抜きながら、ウェールズに突進したのだ。
 カットラスとは空賊や海賊がよく使う片手用の曲刀で、狭いフネの甲板上でも振り回せるよう、取り回しが重視された武器である。
 特に狭い室内などで振り回す分には、かなり有利になる武器の一つだ。
 これには流石のウェールズも虚を突かれ、腰の杖を抜く事すら忘れて反射的にその腕を上げ、既に振り上げられたカットラスを受け止めようとしてしまう。
 しかし、振り下ろされたカットラスは肉を断つことはなく、代わりにギィン! と鋼と鋼がぶつかる音がした。

「いきなり何をするんだ?!」
「殿下!」
「ネルソン提督?!」

 まず何時の間に移動したのか、ウェールズとメアリの間に身を滑り込ませた才人が、デルフリンガーで振り下ろされたカットラスを受け止めながら叫び、その後にルイズとウェールズの言葉が続く。
 一方、メアリは少し驚いた表情を浮かべはしたものの、振り下ろしたカットラスから力を抜こうともせず、あろう事か更に攻撃を加えるべく後に飛びながら銃を構えた。
 銃は単発式で威力はそれ程でもなかったが、それでも至近距離から発砲されれば致命傷は免れない。
 その銃口は正確にウェールズの眉間に狙いが定められて――
 刹那の後、部屋に轟くは、火薬の炸裂する音と同時に先程と同じような金属がぶつかる音。

「……嘘……そんな……」

 この時、何が起きたのか理解していたのは二人だけ。
 才人とメアリである。
 メアリは今度は信じられないといった驚愕を表情にありありと浮かべながら、見かけよりもずっと若い声の独白を口にする。
 無理もない。
 引き金を引くと同時に、彼女が定めていた必殺の射線上には白い剣閃が煌めき、火花が散ったのだ。
 その一瞬、タイミング、距離、狙いともに、いかなるメイジを屠るにも万全の状況であった。
 にもかかわらず、まさかその弾丸を剣で打ち落とされるとは誰が想像できよう。

「――い! 聞いてるのか? 武器を捨てろ」

 その一瞬、メアリは呆けてしまっていたらしい。
 気が付くと喉元にはあの剣士が使う大剣の切っ先が突きつけられ、武器を捨てろという声が耳に届いていた。

「メアリ、武器を捨てろ。お前の負けだ」

 緊張感が急速に膨らみ、対峙する二人にネルソン老人はやっと声をかけた。
 同時に、ボトリと音を立ててメアリの手から武器が床に落ちる。
 しかし、才人はデルフリンガーを降ろさず、警戒を解かずに神経を研ぎ澄ます。
 武器を降ろした瞬間、隠し扉が開いて空賊の手下がなだれ込んで来ないとはかぎらないからだ。

「皇太子、すまねぇな。この子の親は貴族にとっつかまって、縛り首にされちまったもんで、こうしねぇと気がすまねぇって聞かねぇんだ」
「ちょっと! 殿下は危うく死ぬ所だったのよ?! そんなの納得――」

 ネルソン老人の言葉に噛みついたのはルイズであった。
 しかし、その言葉を遮ったのは命を狙われた当のウェールズ本人である。
 彼は隣で怒鳴ろうとするルイズを制止ながら、一歩前に出てじっとデルフリンガーを突きつけられたメアリを見つめた。
 メアリは未だ信じられないといった表情をしていたものの、剣を突きつけられているにもかかわらず恐怖は感じていないようで、向けた視線に強い意志を込めた眼差しを返して来る。

「私が憎いのかね?」
「……いや。あたいのオヤジやオフクロが縛り首にされたのは、他人の命だって奪ったりもした空賊だったからだ。アンタを憎むのはお門違いさ」
「じゃあ、なぜ?」
「一つは八つ当たり。ジジィも言ってたろ? 一回、貴族のぼっちゃんに死ぬ思いさせねえと気が済まなかったんだ。残りはあの "魔の空域" を抜けた、空の男の腕試しさ」
「……気はすんだかね?」
「……ああ。後はこの化け物みたいな剣士の気が済むのを待つだけさ」

 言って、メアリは口の端をつり上げながら大仰に肩をすくめた。
 ウェールズはもう一歩前に出て、長大な剣を突きだしたまま、微動たりともしない才人の腕に手をやって、もういいとばかりに頷く。
 才人はその合図を受けて警戒を解かずにゆっくりとデルフリンガーを降ろし、背にした鞘に納めた所で緊張は一気にしぼんだのであった。

「ネルソン提督。説明きちんとしていただけるのでしょうね? 先程、約束は守ると確かにおっしゃっておりましたが?」
「……ああ。それは、ゴフ! ゴホ、……失礼」
「いい、ジジィ。あたいが説明する。大人しく水でも飲んでろ」
「君が?」
「ああ」

 そう言って、メアリはニヤリとした。
 彼女の背後では、ネルソン老人が再び水差しからカップに水を注いでいる。
 また、手にしたカップの水を飲み干しても何も言わない所を見ると、どうやら後の説明をメアリに任せるつもりのようだ。

「最初にジジィが言ったとおり、ネルソン一家はあんた達との約束は守る。まぁ、さっきのはあたいのワガママだったんだが、これからの本題にも関係があんだ」
「是非、その本題を聞きたいものだね」
「ああ、今説明してやんよ。なに、話は簡単だ。ジジィは見ての通りこのザマだろ? で、その跡目があたいみたいな小娘と来てる。って、わけで、今ネルソン一家は大変なんだ」
「大変って、どういうことだ?」
「なに、王子様のお家と一緒さ。昔かたぎのジジィやあたいが気にいらねぇ、って大勢の手下連れて出て行ったクソったれが居るんだよ。でな? そいつらがいなきゃ、守れる約束も守れねぇんだわ」
「な、なんですって! そんな言い訳、通るとでも思ってるの?!」

 その、あまりに無礼な物言いと先程の仕打ちにルイズが思わず、暴発してしまった。
 ウェールズは今度は制止せず、ただ困ったような視線を才人に送り、才人の方もあっちゃあ、と頭をかきむしる。
 しかし、怒りに瞳を曇らせたルイズにはそんな二人の様子など目に入らない。

「そっちにどんな事情があるかはわからないけど、約束は約束でしょう?! 大体何よ! 偉そうにふんぞり返ってるくせに、不意打ちをしてくるなんて! 恥を知りなさい恥を!!」
「へっ、お貴族様は言う事が違うねぇ。お前、立場わかってんのか?」
「何がよ!」
「俺達は確かに恥知らずかもしれねぇ。だから別に約束だって守らなくても困りゃしねえんだぞ?」

 メアリはそう言って、ニヤリと口の端をつり上げた。
 対して、怒りに身を焼くルイズは思わず口を結び、罵倒の言葉を呑み込む。
 幾ら頭が白く焼けているとはいえ、メアリの言葉の意味を理解出来る程度には思考が働いているらしい。

「やめねぇか、メアリ。天秤にお前のワガママと一緒に俺の約束を乗せるんじゃねぇ。……皇太子、すまねぇな。約束は守る。そっちの嬢ちゃんの言葉も水に流すから、どうか孫の無礼を許してくんな」
「それは、まあ……けが人も居ない事ですし」
「殿下! こんモゴモガ」

 八つ当たりで命を狙われた事と、自分の無礼が釣り合うはずがない。
 ルイズはそう訴えようとして、才人に取り押さえられ口を塞がれてしまった。
 バタバタと暴れるルイズに耳元で囁くようにして必死に大人しくするよう、説得を試みる才人。
 先程のやり取りを見て、力関係が決して対等ではないと感じ取っていたからこその行動である。

『バカ! やめろ! 殿下の立場を悪くしてどうすんだよ!』
『でも!』
『冷静になれ! ここで相手の体面をへし折って誰が得するんだ?!』
「……元気のいい部下だな。羨ましいこった」
「いえ、彼女達は私の友人です、ネルソン提督」

 ウェールズの言葉にネルソン老人は一つしかない目で才人とルイズを順番に見つめた。
 視線は鋭かったが、どこか羨望が混じり、小声で言い争っていた二人は居心地の悪さを覚えて、思わず動きを止めてしまう。
 やがて何を感じたのか、ネルソン老人はくくと喉の奥で笑い、視線をウェールズへ戻した。

「そうか。――そこの若い剣士といい、皇太子、あんた中々いい友人を持っているようだな」
「自慢の友人ですよ。それで……メアリ殿。続きの説明をお願いしても?」
「……ああ、いいぜ。どこまで話したっけか?」
「手下が大勢居なくなったと話しておいででしたが」
「ああ、そうだった。少し前までは若頭にドレイクって野郎を使ってたんだが、じじぃがこの有様になった途端、好き勝手始めやがったんだ。で、頭領代理のあたいと衝突した後、唾つけてた部下をごっそり引き抜いて出て行きやがったんだよ」
「では私との約束は……」
「果たしたいが、数が足りねぇ。そこで、だ。あんた達に頼みがある」

 そう言いながら、メアリは落とした銃とカットラスを拾いあげ、鮮やかな手つきで納刀と納銃を行い、何故か才人の方を見てニヤリと笑う。
 才人とルイズはなんとなくイヤな予感を覚えつつも、メアリの頼みとは何か、もみ合う姿勢のままじっとして、次の言葉を待った。
 果たして、メアリの頼みとは……



「野郎共! 聞け!」

 時がほんの少し流れた、 "片目" のネルソンのアジトである浮島。
 島の一部をくりぬいて作られた館の外には、数十人からなるネルソン一家の手下達が集められていた。
 そんな手下達の視線の先には、彼らを纏めるメアリと、才人にルイズ、ウェールズと特殊な椅子に座るネルソン老人が在った。
 ネルソン老人は既に自力では歩けないらしく、大の男が二人で担げるよう、取っ手が付いている椅子に座り、膝に毛布が掛けられている。

「ここにいる3人は、お頭との賭けに勝ってあの "魔の空域" を抜けて来た英雄だ!」

 メアリの言葉にどよめきが走る。
 空賊に限らず、空の男達にとって "魔の空域" とは絶対不可侵の空域であるからだ。
 なにせ、そこを通り抜けてくると言う事は数千年の間、だれも成し遂げては居なかったのだから。

「お頭は約束した! もし、ここにいる連中が "魔の空域" を抜ける事が出来たなら、ラックスフォードへの侵入の手助けをしてやると!」

 再び、手下達の間にどよめきが走る。
 しかし今度は驚愕ではなく、不安の色が濃かった。

「お嬢! ラックスフォードっていや、この辺りを取り締まる空軍基地がある街ですぜ!」
「おう、それがどうした?!」
「無茶だ! あそこは警備は厳重だし、高速哨戒艇が3隻もいるんですぜ?! それに、こっちの手の内だってドレイクの野郎があそこに居る限り、近寄る事すら難しい!」
「へっ、この "北風" メアリが "人喰い" ドレイクを恐れるかってんだ!」
「しかし!」
「まあ、話を最後まで聞け! あたいが今まで、お前達の意見一つ聞かずに物事を決めた事があるか?」

 メアリの言葉に、手下達のどよめきがしぼんでいった。
 彼女は手下達の信頼をそれなりには得ているらしい。
 やがて無言となった手下達をメアリは見渡して、少し声の音量を落としながら演説を再開する。

「いいか? ネルソン一家は約束は絶対に守る。それに、この仕事がうまくいきゃ、この辺りの通商権をまるごとあたい達が手に入れられるんだ。そうすりゃ、こんな危ねぇ浮島ともおさらばさ」
「お嬢! そ、そりゃ本当ですかい?!」
「本当だ。それに、諸君らにかけられた賞金と今日までの罪状をすべて、撤回しよう。このウェールズ・テューダーの名において、約束する」

 答えたのはメアリではなく、ウェールズであった。
 手下達は再びざわめき、口々にあのプリンス・オブ・ウェールズが、と近くの者と話し始め、ある者は色めき立ち、ある者は疑いも露わに皇太子を見つめる。

「どうだお前達! この仕事の見返りはでかい! 危険を冒す価値はあるだろう?」
「――しかしお嬢!  "人喰い" ドレイクはどうするんですかい?! あいつ、大勢の仲間を引き連れてまんまとラックスフォードの総督に取り入って、今じゃ空賊を取り締まる空軍気取りだ!」
「そうですよ、お嬢! あいつが居る限り、空戦は無理だ! あいつ程空賊の戦い方を熟知している奴はいねえ! 当然、こっちのやり口は全部しってやがる!」
「心配すんなっつってんだろうが! 今、手前らのフニャチンを蹴り上げるようなもん、みせてやるからまってろ!」

 メアリはそう啖呵を切るや、くるりと回れ右をして、才人とウェールズの方を向いた。
 それからニヤリと笑いながら、さあ、と手を差し出し、前に行くよう促す。
 才人はウェールズと思わず顔を見合わせてから、その真意を測りかねてメアリを問い詰める事にした。

「……どういうつもりだ?」
「なに。頼みってのは、こいつらの説得さ」
「はぁ?! なんで俺達が?!」
「話聞いてたろ? あたい達は今、とてもじゃないがラックスフォードに近寄れる状況じゃねえんだ」
「でも約束したんだろ?」
「ああ、約束は守りたい。が、その力がねぇっつってんだよ。今のままじゃ手下を無理に働かせても、どうせ誰かが裏切る」
「じゃあ、どうしようもねぇじゃねえか!」
「そうだ。――そこで、だ。あんた達に "魔の空域" を抜けて来た力を見せて欲しいんだ」
「……はぁ?」
「空賊っつっても迷信深い連中ばっかだからな。なんでもいい、こいつはすげぇ! って思えるようなもん、見せてやってくれ。そうすりゃ、根は単純な連中だ。皆、死力を出して働いてくれる」

 つまり、こういうことか。
 こいつは、約束を守ろうにも守れない状況になったから、俺達に部下を説得しろとけしかけてるのか?
 ……きったねえ。そんなもん、無理に決まってるじゃねぇか。
 いや、それをネタにして諦めさせようというわけか。
 才人はさあ、早くと急かすメアリを見ながら、心中でそう毒づいてウェールズにどうするのかアイコンタクトを取った。
 視線が合ったウェールズもまた、メアリの真意に気が付いているようで、しかしその表情には迷いがありありと浮かんでいる。
 ウェールズにしてみれば、なんとしてもアルビオン大陸への上陸を果たしたいはずだ。
 それに、この旅の目的はアンドバリの指輪の奪還にある。
 そう考える才人にとっても、アルビオン大陸への上陸はかならず成し遂げる必要があった。

「サイト?」
「サイト君?」
「おお、やっぱお前か。ただ者じゃねえって感じてたんだ。よし、なんでもいい、一発派手な芸でも見せてやってくれ!」

 そうだ、迷う事は無い。
 才人は一歩前に出て、メアリに導かれるまま、集まった手下達の前に立った。 
 メアリと手下達の会話から察するに、問題は "人喰い" ドレイクという人物と、空戦の戦力にあるらしい。
 ならば――

「なあ、ミス・メアリ?」
「呼び捨てでいいぜ。あたいは強い奴は好きだしな」
「そっか。じゃあ、メアリ。あの浮島ってさ、使ってるか?」

 才人はそう言って、アジトのある浮島の少し上方に浮かぶ他の浮島を指差した。

「ん? いや。ありゃ、使いもんになんねぇし」
「誰か住んでたりとかは?」
「んなわけあるか。誰もいねぇよ」
「そっか。じゃあ、みんなにあの浮島を見るよう、言ってくれないか?」
「わかった。――お前ら! あの島を見ろ! 今から "魔の空域" を抜けた勇士が、その不安が吹き飛ぶようなもんみせてくれるそうだ!

 台詞とは裏腹に、メアリは不審そうな表情で一度才人を見て、上を向いた。
 また、ウェールズも不安な表情のまま、才人の言うとおり上方に浮かぶ島へと視線を向ける。
 ただ一人、ルイズだけは自慢げな表情を浮かべて、才人が地面から槍を作り出すのを確認し最後に上を向いた。
 そして。
 寒いが抜けるような青い空に一筋、銀光煌めく槍が飛び、周囲に幾つも雲のリングを作りながら多くの視線が集まる島へと吸い込まれ――次の瞬間。
 まるで何百もの落雷が同時に起きたかのような轟音と共に、島は派手に爆散したのだった。
 その、久しぶりに行った "グリムニルの槍" の全力投擲の威力は凄まじく、爆音に遅れて爆風がその場に居た者達を襲い、次いで静寂が辺りを包んだ。
 勿論、さっきまで見上げていた浮島は跡形もなくなっている。

「これでどうだ?」

 あまりの出来事に自失して、いつまでも空を見上げていたメアリに掛ける声があった。
 慌てて視線を戻すと、そこには才人の茫とした顔があって。
 思考がやっと現実に追いついた時、何を思ったか。
 気が付くとメアリは目の前の黒髪の男に抱きつき、激しいキスをしていた。
 その行動はその場に居た誰もが予想だにしていなかったらしい。
 ただ一人、ルイズだけが怒りの声を上げてはいたものの、メアリはお構いなしに才人の唇を、舌を貪り、他ならぬ才人自身の手によって引き剥がされた時、その瞳はすっかり、恋する乙女の物となっていた。
 その行動の一部始終は衆人環視の元で行われ、才人の体を奪い返し、歯を剥き威嚇するルイズの事など目に入らないかのように、人目を憚らず "北風" メアリは言い放つ。

「お前、あたいの婿になれ! お前こそ、ネルソン一家の跡取りに相応しい男だよ!」






[17006] 7-14:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/01/29 14:13



 そこにあったのは、恋心だとか、運命だとか、そういった物では無かった。

 物心がついた頃より甘い夢を見る事を諦め、代わりにカットラスと小銃を与えられ。
 同年代の友人も無く、恋をする事もなく、乙女はひたすらにロープワークと剣技を仕込まれる毎日を過ごしてきた。
 両親どころか周りはすべて空賊という環境下で育ったメアリは、両親の死と頭目の腹心の裏切りにより、この時追い込まれていたのである。
 唯一の肉親は余命幾ばくもなく、己に期待されるのは頭領としての役割。
 しかし現実は袋小路のように行き先も出口も見えぬ毎日で、そんなある日、突如差し込んだ強い光こそ才人であった。
 ――この男を手に入れる事ができれば、ネルソン一家は必ずや安寧の時を得られる!
 あり得ない光景にこみ上げて来た物は、強者への憧れや怪物への恐怖でなく、打算であったのだ。

「お前、あたいの婿になれ! お前こそ、ネルソン一家の跡取りに相応しい男だよ!」

 そう言い放ち、メアリはもう一度強く熱く才人の唇を吸おうと――いや、更に深く舌を絡めようと唇を開いて、目を瞑り顔を近付けた。
 が、今度は強い力で突き飛ばされてしまい、同時にボム! と音がして小さな爆発が起こる。

「こぉの、浮気ものぉ!」

 突き飛ばされ、尻餅をつきながら小さな混乱を来しているメアリの目の前に躍り込んできた者は、皇太子に付き従い会談の場にいた、あの生意気な貴族の娘であった。
 小柄な自分より更に小柄な娘は、よく手入れされたピンクブロンドの髪を振り乱し、杖を手に衆人環視の元、まず罵倒の言葉を発して。
それから謎の小爆発によって倒れていた少年に馬乗りとなり、その胸ぐらを掴み上げ、空賊も思わず引く程の剣幕で暴行を加え始めたのである。

「おい! やめろよ! そいつはあたいの婿にするんだぞ?! 傷物にするんじゃねえ!」
「な?! なにを言ってるのよ!  "コレ" は私の! 私の物よ?! あんたなんかに渡すものですか!」

 メアリの制止にピンクブロンドの娘は更に逆上し、既にボロ布のようになった少年を今度は大事そうに抱き上げ、餓狼のように歯を剥き威嚇する。
 どうやら少年と娘は "そういう" 関係らしい。
 ――しかし、それがなんだというのか。
 あたいは空賊。
 奪う事を生業として生きてきたんだ。
 欲しい物は力尽くで奪う。
 それが、ネルソン一家の掟。

「うるせえ! そいつはあたいのもんにするんだよ! こっちによこせ!」
「嫌よ! なんでアンタみたいなのにサイトを渡さないといけないのよ! サイトは私の使い魔なのよ?!」
「知るかそんな事。おい、あんちゃん、聞こえるか? そんな嫉妬深い奴、さっさと捨てちまってあたいに乗り換えな!」
「なんですってぇ?! あなた――」
「あたいなら、浮気も好きなだけさせてやるし、いきなりはたいたりしねえぞ? 見てくれだって、小綺麗にすりゃちょっとしたもんになるしな。なにより、こう見えて尽くすタイプなんだぜ?」
「ちょっと! 何言ってるの?! ちゃんと聞きなさいよ! サイトは、私の物だっていってるでしょ!」
「お前こそあたいの言葉をちゃんと聞いてるのか? 知るかっつってんだよ」
「――このぉ!」
「やるかあ?!」

 激情のあまり、貴族の娘――ルイズは美しい顔を歪め、ぺっと抱き上げていた才人を地に捨てて杖を左手に持ち、右手で腰に差していた短剣 "毒竜の牙" を抜いた。
 同時にメアリもカットラスと小銃を引き抜いて、女豹のようにしなやかな動きで腰を落とし戦闘態勢に入る。
 餓狼と女豹の殺気がぶつかり始めた場は一気に緊迫した物へと代わり、その場に居たネルソン一家の手下と "麗しのアンリエッタ号" のクルー達は固唾を呑んだ。
 そして、流石に放置すべきでないと判断したウェールズとネルソン老人が制止の声を掛けようとしたその瞬間。
 突如、二人の頭に青白い雲が発生してまとわりつき、程なく二人は仲良く地に倒れ込んでしまうのであった。

「……やれやれ。ネルソン殿、お孫さんへの無礼、どうかご容赦を」
「お前さんがやったのかい? 皇太子、この娘は……」
「部下のミス・ブロウです。先程の会見の時は同行させておりませんでしたが、私のフネで船医見習いを。ご心配なく、あの魔法は彼女が唱えた "スリープ・クラウド" です」
「そうかい。いや、気にしないでくんな。どのみちブン殴ってでも止めねえと収まりゃしねえようだったしな」
「恐縮です」
「……だが、ちっとばかし、あの坊主を婿に迎え入れ損なったのはいたいかもしれんな」

 ネルソン老人はそう言ってがはは、と豪快に笑い、ウェールズも釣られて苦笑いをうかべる。
 一方、ケイトはというと "麗しのアンリエッタ号" のクルー達に運ばれるルイズと才人を見ながら、ばか、と小さく呟きため息を深く吐くのであった。
 その罵倒は誰の耳にも入らず、本人でさえ誰に向けたのものかは定かではない。
 ただ、得体の知れぬ脱力感だけは、彼女に実感できる確かな物であった。



 ルイズが目覚めたのは、それから小一時間程経った "麗しのアンリエッタ号" の自室である。
 小さな寝台の傍らには才人が座っており、鞘から抜いたデルフリンガーと何やら話し込んでいた。
 それ故にか、才人はルイズが目を覚ました事には気が付かない。
 ルイズはそんな才人に何となく気が引けて、声を掛けずそのままじっと聞き耳を立てる事にした。
 いつもの事ながら、頭に血が上り手を上げてしまった事が恥ずかしかったからだ。

「――って、いつも言ってるだろう? 相棒。そんなんじゃ、嬢ちゃんが可哀想だぜ」
「う……だってさ。殺気とか敵意込められてりゃ、咄嗟に反応出来るけど」
「ったく。そんなんだから、チキュウに行った時の帰りみたいにキスされちまうんだ。二度目となりゃそりゃ、嬢ちゃんも怒るわな」

 デルフリンガーの言葉にルイズは寝台の中、寝たふりをしながらうんうんと頷いた。
 いつも思うのだが、才人は兎に角、脇が甘い。
 あれ程の体術と剣技を持ち合わせながら、どうして女の子のキスを避けられないのか。
 もしや、ワザとなのでは? とさえルイズは思っていたのだ。

「お、俺は別にそうしたくて……」
「相棒にそのつもりがなくても、嬢ちゃんはそうは思わねぇんじゃねえか?」
「う……」
「大体、相棒。お前さんはソッチ方面は隙だらけなんだよ」

 そうよ! ボロ剣、中々良い事言うじゃない!
 もっとよ! もっと言ってやりなさい
 寝たフリをしながら、ルイズはデルフリンガーにエールを送る。
 どうやら才人とデルフリンガーは、先程の件の事を話しているようだ。
 ――いや。
 先程の件だけでなく、サイトの周りの女性についての話をしているかもしれないわね。
 ここはもう少し寝たフリをすれば、そこら辺、サイトがどう思っているか本心が聞けるかもしれないわ。
 そう考えて、ルイズは耳に神経を研ぎ澄ます。

「何を言うんだよデルフ! 俺はルイズ一筋だぞ?!」
「相棒、そこ。そこだよ」
「どこだよ、そこって」
「嬢ちゃん一筋のつもりでそこしか見てねえから、かえって他の娘を引き寄せてんじゃねえか?」
「そんなこと……」

 才人はデルフリンガーの言葉を否定しつつも、言葉尻を窄めた。
 どうやら、多少は思い当たる節があるらしい。
 ルイズはそんな才人の様子に、以前キュルケから聞いた話を思い出していた。
 『微熱』いわく、女という生き物は他人の物を欲しがる一面があるらしい。
 それは猛獣の狩りに似て、手の届きそうにないモノ程美味に思え、結果他人の恋人や夫がひどく欲しくなる事があるのだとか。
 勿論、そういった感情は道徳や美意識によっていくらでも駆逐できる。
 しかし、根の部分ではそういった感情が燻り続けて、ひょんな事から燃え広がるのだそうだ。
 それを "魔が差す" と言うらしいのだが、もしかしたら才人に言い寄る女の子は、そう言った "女の部分" を刺激されたのかもしれない。
 ルイズはそう思い至って、一人納得をした。

「でもさデルフ。じゃあ、俺、どうすりゃいいんだよ?」
「んー、そうだな。会う女すべてに『俺はルイズ一筋だから惚れないように!』って言うとか?」「やだよそんなの! 初対面でそんな事言い出す奴が居たら俺でもドン引きだぞ?!」
「じゃ、逆に他人が近寄れ無い程、常に嬢ちゃんとイチャつくとか」
「……デルフ、真面目に考えてくれよう」
「わはは、悪ぃな相棒。だが、何処まで行っても俺様には他人事だぜ?」

 ちょっと!
 他人事とか言ってないであんたもどうすればいいか考えなさいよ!
 役に立たないボロ剣ね、まったく。
 寝たフリをしているルイズがそう叫ぶわけにもいかず、呑み込んだ言葉である。
 ルイズは感情が顔に出る事が恐れ、ん、と少しわざとらしく呻いて才人とは反対側に寝返りを打った。
 その動きに才人は反応して立ち上がり、ベッドにのぞき込みながらルイズ? と呼びかけてくる。
 しかしルイズはつい、その首に手を回し抱き寄せたくなる衝動を覚えつつも寝たフリを続けて、やがて遠ざかる気配に後ろ髪を引かれるのであった。

「どうした、相棒? 嬢ちゃん起きたんじゃないのか?」
「いや。眠りは浅くなってるからもう少しだと思う」
「ふぅん。もう起きても良い頃だとおもうんだがな」
「ケイトが言うには、 "スリープ・クラウド" はそんな長続きしない筈だって話だしな」
「案外、目覚めのキスでも待っているかもしれねぇぜ?」

 言葉に、トクン、と一つ、ルイズの心臓が大きく跳ねた。
 キスはことある事にしていたのだが、そのようなロマンチックなキスはまだされた事がない。
 いや、過去にもして欲しい、とは思った事はあったが、強請るようなはしたない真似を貴族の誇りが許さなかったのだ。

「……やめとく」
「なんでまた?」
「ルイズ、多分起きたらすっげえ勢いで怒り始めると思うし」
「わはは、多分そうだろうな!」
「そんなごまかし方はしたくねえもん」
「おお! 男だね、相棒」
「デルフ、お前……気楽でいいな」

 才人の台詞は落胆となってルイズの耳に届いた。
 それからふと、ルイズはある事に気がつく。
 今、才人に足りないモノ。
 それは、他者をぞんざいに扱える、鈍感さではなかろうか。
 どうも、才人は自分の事を思いやるあまり、気を回しすぎて裏目に出ている気がしたのだ。
 自分としては、多少、もっと、強引であってほしくもある。

「おう。他人事だしな。だからこそ、ちょっといい案が浮かんだぜ?」
「本当か?!」
「ああ。なぇ、相棒。嬢ちゃんと一発、 "ヤって" みちゃどうだい?」
「……はあ?! お前、真面目に」

 ――どうも、話は奇妙な方向に向かい始めたらしい。
 ルイズは耳まで赤くなるのを感じながら、必死に漏れ出そうになる言葉を呑み込み続けた。
 い、いきなり、何を!
 と、叫びたくもあったのだが、それよりも話の流れで、もしや才人が自分に襲いかかってくれるのかもしれない、という甘美な期待が大きく膨らんだのである。

「まあ聞けよ、相棒。そもそも、キスされたりや言い寄られて、嬢ちゃんがなんで相棒に辛く当たると思う?」
「そりゃ、俺がシッカリ断らないからで……」
「いいや、違うね。嬢ちゃんは不安なんだよ」
「不安?」
「相棒が盗られちまうんじゃないかってさ」
「まさか」
「かぁー! これだから女心のわからねえ奴は。一回死んでもまだわからねえとか、相棒も筋金入りだな!」
「う……」
「いいか? 相棒。女ってのはな、相手だけ見てりゃいいってもんじゃねえ」
「それはないだろ。ちょっと他の子に目が行くだけで、すっげえ怒るし、俺もそれが当たり前だと思うぜ?」
「ふん。それが違うんだな。つまりだ? 相棒は早い話、嬢ちゃんが不安にならねぇようにすりゃいいんだよ」
「すりゃいいんだよって、お前……」
「考えて見ろ。抱きついたり、キスしたりは隙あらばだれでも出来る。相棒にその気がなくてもな。だが……」
「だが?」

 デルフリンガーは勿体ぶったように、そこで意味深に言葉を切った。
 才人もルイズもその言葉の先は予想できていたが、何故、そうなるかが理解が及ばず聞き耳を立てる。

「だが、 "アレ" は違う。なにせ、服脱いで、じっくりたっぷりと "もつれ合う" ひつようがあるからな。相棒がその気にならねえかぎり、そんな事にはならんだろ?」
「……まあ、そうだけど。でも、それの何処が良い案なんだよ?」
「まったく、まだわからねえのか? 嬢ちゃんとアレをヤっとけば、他の女がいきなり抱きついてきたりキスしてきたりしても不安にならねえだろうが」
「なんでそうなるんだよ!?」
「つまりだ、相棒。逆に考えて見ろ。嬢ちゃんに惚れてる男が沢山居るとしよう。相棒はそんな嬢ちゃんの体を好き勝手にできる。相棒だけだぞ? 当然、優越感が沸く」
「う、うん」
「その事実がありゃ、嬢ちゃんが多少他の男に色目使われても、気にならないだろ?」

 お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。
 呑み込んだ言葉は、感嘆の雄叫び。
 ここで寝たフリがばれては、元も子もないルイズである。
 なにせ、口の悪いボロ剣と思っていたデルフリンガーが、今、とても良い事を言っているのだから。
 冷静に考えれば穴だらけであるが、茹で上がったルイズの頭では光り輝く完璧な魔法としてその言葉は既定事項のように受け入れられていた。
 つまりは、このまま寝たフリをしていればサイトが――
 考えて、ルイズは先程の怒りなどどこへやら、気持ちが昂ぶっているのを実感した。
 ああ、何処まで寝たフリをしていよう!
 布団を剥ぎ取られた時?
 それとも、ルイズって囁かれた時?
 ――ううん、だめ。
 せめて、服をゆっくりと、慎重に脱がせられる位までは寝たフリをしていよう。
 うう、でも服を着たまま、下着だけ脱がされたらどうしよう?
 流石に初めては、体温を確かめ合いたいし、服を着たままはイヤ……
 ああ、あと、キュルケが言っていた男の人の悦ばせ方!
 じ、自信ががないけれど、ど、どどど、やっぱり、り、リードされるだけじゃ、ご主人さまとしては失格、よね?
 ああ、でも、口でそんな……舌を突き出すようにするだけでも恥ずかしいのに……
 何時の間にかルイズの思考は幼くも淫靡な物へと変わり、期待だけが小さな身体にひろがりつつあった。
 しかし。

「……デルフ、だめだそれ」
「なんでだよ? 相棒?」
「だって、 "前" のルイズの時、嫉妬が激しくなったのって結婚してからなんだぜ?」
「うへっ! 本当か?」
「ああ、ホント。記憶が結構抜けちまってるけど、そこだけは間違いない」
「わはは、じゃあ、今のままで我慢するしかねえかもな!」
「ここまで引っ張っといて、何だよそれ!」
「そこまで引っ張っといて、何よそれ!!」

 重なった言葉は、しかし込められた物が違って。
 結局、寝たフリがばれたルイズはそのまま才人に八つ当たりをしてしまい、才人も又、反省しきりにご主人様の照れ隠しのような折檻に甘んじるのであった。

 才人達が "麗しのアンリエッタ号" をネルソン一家に預け、 "北風" メアリと共にラックスフォードへ向かうほんの、一時間前の話である。






[17006] 7-15:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/02/04 00:11



  "シューティングスター・サーペント号" は空賊、ネルソン一家の旗艦である。

 とはいっても、つい最近腹心の部下が多くの手下を連れスノーウォール諸島方面を統括する貴族に寝返った為、たったの2隻しかない空賊艦隊の旗艦となっていた。
 就航当時はアルビオンには珍しいジーベック級の戦船で、貧乏貴族からたたき上げで北方特別艦隊提督まで登り詰めたネルソン卿が翔るフネとして、空の男達を震え上がらせた歴史がある。
 その船体はフリゲート級では最小の "麗しのアンリエッタ号" よりかは一回り大きく、船腹は狭い。
 4本のマストは全て縦帆で、砲門の数こそ2列40門と少ないが快速を誇るフネであった。

「なにより、操帆作業や風石作業はほとんど、ジジィが作ったゴーレムがやってんだ。お陰で、あたいらの仕事は少なくて済むって寸法さ」

 メアリは操船甲板の上、才人の腕をぶら下がるようにして抱えながら、自慢げにそう説明した。
 上目遣いに向けられるその好意はしかし、才人に引きつった笑いを浮かばせる。
 なにせ反対側の腕には彼の恋人が、メアリと同じようにしてぶら下がっているからだ。

「……そんな事よりサイト。私、寒いわ。中に入りましょ?」
「はっ、一人で部屋に引っ込めよ。サイトはあたいの説明をもっと聞きたいにきまってら!」
「なっ?! ……いきましょ、サイト」
「あっちにいこうぜ、サイト。このフネ自慢の快速の秘密、見せてやるからよ!」

 お互い良く自制しているといえる……のだろうか。
 餓狼と女豹は "獲物" を巡って衝突しないよう、お互いに努めて意識せぬようにしながらも、綱引きのように獲物を引っ張り合った。
 これが肉の塊や金貨の山であれば半分に分ける事が出来たのだろうが、生憎獲物は生きた人間である。

「お、おい! やめろって! 服が破れちまう!」
「だってよ! チビ助、離してやれよ!」
「誰がチビ助よ! あんたが離せばいいでしょ?!」

 やり取りはまるでオモチャを奪い合う子供のそれであったが、傍目には滑稽な物として映っているらしい。
 いつの間にやらガラの悪そうな手下達が周囲に集まって来て、誰と無く下品な野次が飛び交い始めた。
 才人としてはルイズの肩を持ちたくはあったのだが、なるべく穏便に収めたい事情があった為メアリを強く拒否する訳にもいかず――

「もが?! ムゴ!!」
「ぼぉ?! ブボ!」

 結局、見かねたケイトが二人の口中や鼻に魔法で水塊を飛ばして、一瞬ではあるが呼吸を阻害して引き離す事のであった。
 ちなみに彼女が魔法を使うタイミングがやけに手慣れているのは、数十分おきに似たような事が起きる為である。

「ゲホ! ゲホ、ゲホ! くそ! 気管に水が入っちまった!」
「ケホ! ケホ、ケホ! うう、ミス・ブロウ、なんで私まで……」
「ウェールズ様の命令ですので……喧嘩した場合は私が仲裁を行い、その際には両成敗、ときつく申し渡されていますから……その、ごめんなさい」

 ケイトの言い分はもっともではあるが、その声色は呆れが混じり、どこか他意さえルイズには感じられ、反省をするどころかムっとした表情を浮かべた。
 メアリにしてもそれは同様に受け取っているらしく、こちらは怒りも露わにキっとケイトを睨み付け、今にも飛びかからんばかりとなって罵倒の言葉を探し始める。
 そんな二人を窘めたのは、たまりかねた才人だ。

「もう、いい加減にしてくれ! メアリ、任務が終わるまでは殿下に迷惑かけるなってネルソンさんから強く言われてただろ?」
「そりゃ、そうだけど王子様は関係無ぇし」
「あるよ。お前が俺にちょっかい出して、ルイズの気が散り魔法が上手く行かなかったら、全部台無しになるかもしれないじゃないか」
「む……」
「そうよ! だから」
「ルイズも煽るなって。この任務にはメアリの協力が必要不可欠だろ?」
「う……でも! サイトは私の――」
「わかってる。……だけど、今は時と場合を考えるべきじゃないか?」

 サイトは私の恋人なのよ、と言いかけていたルイズは、間髪いれずピシャリと言い放った才人によって、台詞を途中で切ってしまった。
 かわりに強く唇を結び、才人を睨みつけながらもその瞳にはじわりと涙が浮かび上がらせる。
 才人にしてみればルイズを特別扱いし、キッパリと言い寄ってくるメアリに迷惑だ、と宣言したくはあった。
 しかし、彼女の気性からそんな事をしようものならば、臍を曲げウェールズへの協力も拒否しかねないとも見ていたのだ。
 それは数時間前、ネルソン提督とウェールズ皇太子の会談での席でみせた彼女の態度を見れば容易に想像が付く。
 あの時、メアリはネルソンの "約束" を己の天秤にかけて、ワガママを通しかねない所があると見て取れたからだ。
 恐らくは、縮小したとは言えネルソン一家の実権を跡継ぎとして、多くの部分を握っているからであろう。
 だからこそ、この場では――少なくとも、アルビオン大陸に無事上陸を果たすまでは、ルイズとメアリを平等に扱う必要があったのだ。
 いや、下手をすればメアリの機嫌を損ねぬよう、ルイズでなくメアリの肩を持つ必要があるのかもしれない。
 無論、譲れぬ一線は厳然と存在する。
 しかし現状、才人の目に自分達はその一線からは遙か遠い位置に居るように映っていたのであった。
 何より、戦の準備が進むトリステインを離れ、アンリエッタの名代としてウェールズと共にアルビオン大陸へ隠密裏に上陸し、 "アンドバリの指輪" の奪還する任務こそ、才人とルイズが今ここにいる理由でもあるのだ。

「――そんなこと、あんたに言われなくても、わかっているわよ」
「はっ、どうだか!」
「メアリ、あまり俺のご主人様を煽らないでくれ。――俺、どうやら二人の任務への集中を邪魔してるみたいだから、ちょっと一人になってくるよ」
「あ!」
「サイト!」

 才人はそう言い残し、ケイトとメアリの声を背にしながらルーンを輝かせ、フォア・マストまで移動し、その一番上まであっという間に登ってしまった。
 フォア・マストは最も高いメインマストよりも少し背が低く、見張り櫓が取り付けられているものの、そこに乗組員が陣取り見張りを行う事はない。
 大概の見張りは最も背が高いメインマストで二人一組で行われ、何らかの理由で此処が使えなくなった時に、他のマストの見張り櫓が予備として使用されるのだ。
 つまりは、そこには常時人がいない。
 もし、メアリが才人を追いかけてこようものならば、才人はマストから飛び降りてフォアの反対、アフト・マストに直ぐに移動する心づもりだ。
 なぜならば、幾らメアリが空賊家業の傍らマスト登りに手慣れていようが、数往復もすれば諦める程マスト登りは難儀する行為であるからだ。
 それに彼女は船長でもある。
 いくらなんでも、四六時中才人を追いかける程ヒマではないはずだ。
 又、メインマストよりも背が低いとは言え、フォア・マストは魔法が使えないルイズが登ってこれるような高さではない。
 つまり、二人とも才人には近寄れない事になる。
 ルイズが側に寄り添って居なければ、メアリも妙な焦りを覚える事はないだろう、という考えが才人にはあった。

『……ごめんな、ルイズ。メアリに臍曲げられて困るのは、殿下だし。今は我慢してくれ、な?』

 才人は宙を舞うように大きく跳躍し、魔法のような身軽さでマストを登りながら、使い魔の念話でルイズに謝罪と理解を求める言葉を送った。
 しかし、主からの返答は無い。
 どうやらふて腐れているらしい。
 やれやれ、と才人は大きくため息をつくのであったが、一方、ルイズはルイズで思うところがあった。
 それは彼女にとって、この時何より大事な事であったのかもしれない。
 何せ、才人は生まれて初めての真の理解者であり、使い魔であり、恋人である。
 それは "前回" もそうであったのだが、 "今回" はそこから更に心の底から誇れる半身で、彼女の矜持を隅々まで満たせる者として才人は心に在ったのだ。
 ルイズにしてみれば、そんな才人の隣に立つのに相応しいメイジとなるべく、日々彼女なりに努力はしてはいる。
 が、ここの所恋人としての認識が強まるにつれ、どうしても甘えてしまう部分が生まれていた。
 だからこそ。
 だからこそ、このような時、彼女は才人に自分を優先してほしかった。
 勿論、頭では才人の意図は理解している。
 しかし。
 彼女の中で日増しに大きくなる恋人への甘えは、それを許さない。
 ルイズは才人に、衆目の前でハッキリと他の女の子を拒否して見せて欲しかった。
 才人に堂々と自分の肩を持って欲しかったのだ。
 確かに今は任務中である。
 何より私情を挟むべきでなく、必要となれば互いに距離を置き、多少の "トラブル" 位、大目に見るべきだろう。
 それはウェールズの為でもあるし、アンリエッタへの忠誠の証にもなる事だ。
 だが、誰よりもそれがうまくできると確信していたルイズであったが、この時初めて、それは才人あっての物であると確認させられたのであった。
 つまり、ルイズはこの時初めて任務と才人を天秤にかけ、才人の方を優先してしまっている己に気が付いたのである。
 その事実は彼女の態度をより意固地にしてしまい、結果更に屈辱感と自己嫌悪が彼女の小さな体を苛む事とになった。
 才人の使い魔の念話に答えなかったのも、そんな感情が邪魔をしたからだ。

「なによ」

 ちがう。
 言いたい言葉はこんなものではない。
 ルイズは才人とは逆の方向、足早に宛がわれた自室に戻りながらそうつぶやき、思考はそれを否定した。
 本当は才人に念話で、しょうがないわね、多少の事は大目に見るけれど唇だけは護りなさい、と余裕を見せたかったのだ。
 しかし、彼女自身御し得ぬ激しい嫉妬が、そんな生ぬるい余裕を赦しはしない。
 やがて自室にたどり着いたルイズは、硬く狭い寝台の中で蹲りながら毛布を頭から被り、ぐちゃぐちゃの思考を纏めるべく目を閉じた。
 毛布は空賊のものなど使えるかと "麗しのアンリエッタ号" から持ち込んだ物であった為、才人の匂いがして。
 それ故か、ルイズは安心した心地と共に涙がこみ上げてきて、一つ、鼻をすする。
 それでも涙をこぼさなかったのは、せめてもの彼女なりの維持であった。



 それからどれ程の時が経ったか。
 視界はすっかり暗くなり、ただでさえ寒いスノーウォール諸島の空では風か強くなっていた。
 フォア・マストへと陣取った才人はその後、メアリにもルイズにも会う事はなく、しかし毛布も何も持たずにそこへ陣取った事を後悔しきりに体を凍えさせていたのである。

「ううう、隙を見て毛布をもももも、貰おうかな……ささ流石にこれは……つつつ、つらい!」

 日が高い内は風を避けるようにして座り込めば我慢できたのだが、流石に限界なのか、才人は歯の根が合わぬ独り言をつぶやき辺りを伺った。
 後方に見えるメインマストの見張り櫓には人影がみえるものの、下方の暴露甲板までは視界が届かぬ程闇は濃い。
 又、その暴露甲板からは帆を操る為のロープワークの音こそ聞こえて来た物の、かけ声は一切無く、作業を行っているのはゴーレム達であることがわかる。
 どうやら今人間で外に居るのは自分と、メインマストで見張りをしている者達だけらしい。
 いや、それと操船を行う為の当直(ワッチ)に出ている者がもう一人いるはずか。
 無論、才人以外の彼らは防寒バッチリな装備をしているはずだ。

「……サイト?」

 ルイズやメアリに見つからず、どうやって確実に毛布をどうやって貰おうかと思案に暮れていた才人に話しかける者がいた。
 才人はぎょっとして声のする方をふりむくと、そこに分厚いマントを羽織ったケイトがふわふわと浮いていた。
 刺突剣のような杖を片手に握っている所から、恐らくは "レビテーション" を使っているのであろう。
 アルビオン大陸へ秘密裏に上陸するにあたり、 "シューティングスター・サーペント号" に乗り込んでいたのは4名。
  "ミス・ゼロ" ことルイズと才人、それにウェールズとケイトである。
 ハル卿以下他の士官達は合図を待って作戦行動に移る必要がある "麗しのアンリエッタ号" の指揮を執る為、その殆どのクルーが残る事と決まっていた。
 ただ、メイジの存在はフネの運行上なにかと都合が良い上、空賊のフネには船医など乗りあわせてなどいないので、本人の希望もあってケイトが同行する事になっていたのだ。
 杖を持つケイトの反対側の手には、何やら沢山の荷物が抱えられてその中には毛布も見えた。

「ケイト?」
「ウェールズ様の命で、食事をお届けに。あと、 "ミス・ゼロ" 殿から伝言が。『ごめんね』と伝えてくれ、と仰せつかって来ました」
「……あいつ、素直じゃねえなあ。直接言えば済むことなのに」
「ふふ、彼女らしい話ではありますね。あ、さあ、これを」

 ケイトはそう微笑みながら、見張り櫓に降り立ち、才人に毛布を手渡した。
 毛布は冷たかったが重く風を遮り、非常に心地よい肌触りで才人は冷え切った顔を押し当てて深く息を吐き一心地つく思いに更ける。
 次いで、ケイトが差しだしてきた物はスープが入った金属製の筒だ。
 これは人員が足りぬフネで見張りを行う際、マストの上でも暖かい食事が出来るように作られた魔法瓶のような物である。
 無論、地球製の魔法瓶の性能には遠く及ばず、どちらかと言えば保存よりも温かいスープを入れて直ぐに野外へ持って行き、その場で飲む為の用途であった。

「おおお! 助かるよ!」
「パンもあります。空賊のフネで供されたものですから、質は……」
「いいって! 俺、前にもっとひでぇ飯くってた時期があったし」
「まあ。 サイトは貧民の出なのですか?」
「いんや。初めてルイズに在った時、他のトカゲやカエルの使い魔と同じ扱いでね。塩の味しかしないスープを食わされたんだよ」

 才人はそうおどけるように言って、ぐい、と筒を傾けた。
 同時に、予想以上に熱いスープが喉を流れ込み、思わずぐお! と悶えてしまう。
 そんな才人にケイトは声を上げて笑ってしまい、極寒とも言えるフォア・マストの見張り櫓に和やかな空気が流れるのであった。

「しかし意外ですね。あの "ミス・ゼロ" 殿がサイトをそんな風に扱うなんて」
「いや、最初はほんと、大変だったよ。俺、平民だろ? で、あいつは――貴族でも身分の高い方だったしな」
「あ……なるほど」
「それにトリステインって保守的だし。それこそ、人間扱いして貰えるまで結構時間掛かったんだぜ?」
「はは……なんとなく、わかります」

 ケイトはそう言いながら、才人の隣に少し距離を開けて座った。
 どうやら少し才人と話をするつもりらしい。
 だが、僅かな沈黙の後に再開した会話は、才人にとって意外な方向へと向かう事となる。

「――私ならどう扱ったのでしょう」
「ん?」

 唐突に語ったケイトの言葉の意味を、才人は理解出来なかった。
 ケイトはしばし無言でほぅ、と白い息を口元まで覆ったマントの内側に吐いて、首筋へと暖かい空気を流し込み一息いれる。
 まるで、何かを躊躇するように。

「私が……サイトを喚び出したのがもし私なら、私はサイトをどんな風に扱ったのでしょう?」
「んー、どうかな。平民の、なんの取り柄もない男を喚び出したんだから、やっぱ小姓や使用人みたいに扱ってたんじゃないか? ルイズもそうだったし」
「そう、かな」

 声色は、いつもの彼女と比べほんの少し幼い物であった。
 流石の才人も彼女の雰囲気に一瞬、 "妙な告白" でもされるのでは無かろうかと警戒をしたのだったが、そこに甘い雰囲気は感じられず、少なくともこれは違うと受け取れた。
 なにより座り込みうつむくケイトの整った横顔は、年相応の女の子の雰囲気が見えていた物の、恥じらいや慕情は浮かんではいない。

「……あの日」
「ん」
「もし、あのニューカッスル城が落城した日、サイトが私の使い魔であったなら――私はみんなを、両親を守る事ができたのでしょうか」
「ケイト……」
「……ごめんなさい。サイト程の力があれば、と考えずには居られぬ時があるんです」

 ケイトはそう言って、少し悲しそうな笑顔を浮かべた。
 才人はこの時、今更ながらに彼女の身の上とこの任務の意味を再確認する。
 任務はケイトにしてみれば、両親を殺した仇敵から祖国を取り返し、屈辱を晴らす為の旅でもあるのだ。
 そんな中、自分はルイズといかにじゃれ合っていたか。
 勿論、ケイトやウェールズはそんな自分達を見て悪く受け取ったりはしていないだろう。
 しかし、今更ながらにそこに考えが及んだ才人にはなんとも苦く、それまでの自分に恥じ入るような心地であった。

「ごめん、ケイト。俺……」
「えっ? あ、ううん。違うんです。そういうつもりじゃないの。ただ……」

 言葉を切り、ケイトは一度自分が何をサイトに伝えたいのか考えを整理した。
 彼女の思考によぎるのは、ブルー・キングと戦う才人の姿と、浮島一つを消し去った圧倒的な力の発現である。
 それはまるで――

「ただ、サイトがもし、私の使い魔であったなら、私は "ミス・ゼロ" のようにサイトを心から信頼し、恋に落ちて、そしてあそこで貴族派の軍勢を退けられたかな、って思って」
「む、ムリムリ! 殿下に聞いてない? 俺、実はニューカッスル城陥落の時あそこにいたんだぜ?」

 才人はケイトの "恋に落ちて" というフレーズを極力意識しないよう、少しわざとらしく、大げさに明るく答えて首をぶんぶんと左右に振った。
 一方、ケイトも才人がニューカッスル城陥落時にそこに居た事実を初めて知ったのか、ブルーの瞳を大きく見開いて驚きの表情を浮かべ、思わずずい、と才人の方へ顔を寄せる。

「本当ですか?!」
「うん。いろいろあって、スクウェアメイジとやり合ってて、半殺しにされてたし」
「……意外。 "あの力" を使えば絶対、スクウェアメイジだろうと一瞬でやっつけられると思ったのに」
「その時は今程力が無かったし、それに力がどんなに強くとも案外使いどころが無いんだぜ?」
「そうなんですか?」
「ああ。特に俺の力は強すぎて、仲間を巻き込んだり、殺すつもりのない相手を殺す事になりかねないし」
「ふうん」

 会話はそこで途切れてしまう。
 才人にしてみれば、先程のケイトの悲しげな笑顔にそれまでの浮ついた己が恥ずかしくなってしまっていて、かける言葉が出せずにいて。
 又、ケイトの方はというとこちらも、自分が才人に何を言いたいのかやはりまとまらず、いたずらに沈黙を積み重ねてしまう。
 実は元々、彼女としては己の中で急速に膨れつつある感情を確かめる為、ここへとやって来ていた。
 異性について敬愛や憧憬、恋慕は今もウェールズへと向いている。
 最近ではそこに友情が加わり、こちらは "盾(バックラー)" こと才人へと向いていたのだが。
 が、ふとした切っ掛けで才人に因んだ羨望や嫉妬が "ミス・ゼロ" にも向いている事に気がついたケイトは、ここの所ある種混乱を覚えていたのである。
 勿論、原因はメアリの出現であった。
 いや、才人の力を目の当たりにし、過去の屈辱と重ねて彼に全てを捧げてでも、復讐を成したかったのかもしれない。
 ともかく、ケイトは軍人としてではなく、年相応の女性として心を惑わせながらもこの場にやってきて、他愛のない会話の中、己を取り戻ろうと試みていたのであった。
 そしてその試みは。

「……そろそろ行きます」
「あ、うん。スープとパン、ありがとうな」
「いえ。こちらこそ、長居しちゃって。 "ミス・ゼロ" にきっと嫌われてしまうでしょうね」
「そんな事無いよ。あいつはああ見えて、意外と物わかりがいいんだぜ?」
「ふふ、信頼しているのね。……ごちそうさま。じゃあ、サイト。お休みなさい」
「ん、おやすみ」

 得るものがあったのか、それともただ混乱が深まっただけなのか。
 ケイトはすくと立ち上がり、就寝の挨拶を才人と交わすや、あっさりと "レビテーション" を唱えて闇の中、暴露甲板の方へ消えて行ってしまった。
 残された才人は一人、先程までの会話を反芻しながらケイトが持って来てくれたスープが入った筒の蓋を開け、火傷しないよう慎重に啜る。
 果たしてスープはかなり冷めてしまっており、僅かに暖かいだけであった。
 その温もりは人肌に近く、才人は不意にルイズの体温を思い浮かべてしまう。
 それから、思い出したかのようにもう一度、念話を送る事にしたのだった。

『なぁ、ルイズ。機嫌、直してくれたか?』
『……まだ、ちょっと悪い』
『そ、か。さっき、ケイトがメシを持って来てくれたんだ』
『うん。私が殿下にお願いしたの』
『そうなのか? ありがとうな』
『ううん。ねぇ、サイト』
『なんだ?』

 才人の返答に、ルイズの言葉は続かなかった。
 念話による会話であったが、なんとなく言い出しにくそうな雰囲気が才人に伝わって来る。

『あのね。私、上手く言えないけど……本当はわかってるの。サイトが私だけを見ていられる状況じゃないって』
『ルイズ……』
『でも、ダメなの。わかってるけど、直ぐに頭が真っ白になって……その、ゴメン』
『……気にするな。俺が情けないのもあるんだしさ』

 約半日ぶりの仲直りの会話は、才人とルイズに安心感をもたらす物であった。
 この時、双方共に思った事は、今夜は暖かい寝台で眠れそうだということで。
 しかし、そんな淡い期待はけたたましい鐘の音によって儚くも打ち砕かれてしまう。
 鐘は見張りをしていたメインマストの見張り櫓に取り付けられた物で、規則正しく打ち鳴らされた後、状況を知らせる大声が極寒の夜空に吸い込まれて行った。

「敵影! 3時の方向、雲海の中! 哨戒艇に見つかっちまった!!」


 



[17006] 7-16:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/02/12 23:02



 海を行く船とは違い、空を行くフネ同士での砲撃戦は高所の方が有利だ。

 というのもフネが搭載する大砲はかつて地球で使われていた物と大差なく、飛ばす砲弾の種類に差異があれど、弧を描いて敵艦に飛んで行く所は同じである。
 そしてフネも又、帆走する戦船と同じくその外壁は鉄板などで装甲されるのだが人々が歩く甲板はそうはいかず、そこに砲弾を着弾させる事が砲戦の目的となり得た。
 更に海上とは違い、フネは空を縦横に奔る乗り物だ。
 よって、その殆どが船体の横に取り付けられる大砲の砲角に限界がある以上、相手より高い位置を取った方が一方的に砲撃を加えることが出来るのである。
 もっとも、各国の正規軍が採用している主力級である戦列艦ともなると、すこし話が変わる。
 戦列艦は砲戦は元より、対フネも考慮されて竜騎士を多く配備される。
 これはフネよりも更に小回りと速度が出る飛竜をメイジが操り、近接戦闘を相手のフネにしかけて帆や舵、あるいは直接船上に乗り付けて制圧する戦法も採る為だ。
 とはいっても、戦列艦はその巨大さや動員兵力の関係からもっぱら、国同士の衝突や主要な港や空域の守備哨戒に使用される為、辺境の警備部隊に配備される事は稀である。
 ましてや、トリステインが総力戦を仕掛けてくる情報が飛び交う神聖アルビオン共和国において、いくつかの空賊が跋扈する程度のスノーウォール諸島空域にそのようなフネがあろう筈がない。
  "シューティングスター・サーペント号" を発見した哨戒艇は、竜騎士も乗っていないであろう小さなフリゲート級であった。
 船長であるメアリは報告に、とりあえずは白兵戦を強要させる事が無い事に胸をなで下ろし、砲戦の準備に入るよう慌ただしく部下に檄を飛ばすのであったのだが……

「なんでだよ! サイトの力を使えばあんなのいちころだろ?!」

 いかつい男達が慌ただしくゴーレムと共に砲甲板で砲弾の準備をしている最中、指揮とフネの舵取りを行うブリッジ甲板にあって "北風" メアリは声を荒げた。
 相手はアルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーその人である。
 ウェールズの隣にはケイト・ブロウ准尉が無表情で立っており、メアリの剣幕に冷たい視線を浴びせていた。
 才人とルイズはそんな二人とメアリを仲裁するように、その間に立って厳しい表情を浮かべ立ち尽くしている。

「ミス・メアリ。我々の目的は、アルビオン大陸本土への極秘潜入だ」
「んなもん、あのフネを沈めちまう事となんの関係があんだよ!」
「大いにある。サイト君の力は我々にとって切り札の一つだ。それをたかが哨戒艇一隻を沈める為に使い、情報が相手に漏れる事は看過出来ない」
「墜としちまえばわかりゃしねえよ、そんな事!」
「ミス・メアリ。力の正体がわからなければよい、と言うわけではないのだよ。いいかい? 我々は戦争をやっているんだ」

 諭すようなウェールズの台詞は、強固な意志を聞く物に感じさせてメアリは思わず口をつぐんだ。
 考えてみれば、ここに至って才人の力を使えば "麗しのアンリエッタ号" に乗っていても強引にアルビオン大陸に上陸を果たす事ができるだろう。
 しかし、それでは敵の過剰な警戒を誘い脱出するルートを得る事が難しくなってしまう。
 更に、 "今後の予定" を知るウェールズにとって、なんとしてもトリステインとゲルマニアによるアルビオン侵攻作戦までに任務を終え、作戦に参加する必要があった。
 詳細はルイズおろか才人にもまだ話してなかったが、それを阻害する可能性は彼の愛する女王を困らせる事になる為、何があろうと引く訳にはいかない事情があるのだ。

「お頭! 砲戦準備、ととのいやした!」
「砲兵待機ぃ! 後続の "ラ・コンコルド号" に伝令コマドリを放て! 指示はE! レイス! 敵の位置は?!」
「敵艦4時の方向! 距離1000! 高度プラス300!」
「くそ、先越されたか――舵! 2時の方向! 砲弾をケツにブチ込まれたくなかったら同じ上昇気流に乗るんじゃねえぞ?!」
「アイ・サー!」
「……なぁ、王子様。見ての通りの状況だ」
「私も船乗りの端くれだ。状況はわかってるよ」
「ありがたいねぇ。どうもウチの連中は軍人様とちがって愚図でねぇ。で、どうしてもだめかい?」
「ダメだ。ネルソン一家との約束は "我々を極秘裏にアルビオン大陸へ上陸させ、その一週間後にこれを回収する" と言う物だ。過度の戦闘行為は約束していない」
「そうかい。じゃあ、こんな所で空の藻屑になってもいいんだな?」
「君たちならばそうはならないのだろう? なにせ、泣く子も黙るネルソン一家だ」

 戦闘準備に入り怒号があちこちで飛び交う中、二人の沈黙と苦悩は奇妙にもよく才人にはわかった。
 が、それも一瞬の事でメアリは舌打ちをして踵を返し、じゃあ大人しく船室にひっこんでろと言い残して、報告にやってきていた手下と共に暴露甲板の方へ降りて行ってしまう。
 残されたウェールズは、じゃあ我々も、とケイトやルイズに声をかけて戦闘の邪魔にならぬよう、船室へ移動を始めた。
 しかし才人だけはその場から動こうとせず、それに気が付いたウェールズはやっぱり、といった表情を浮かべて脚を止め、苦しそうに口を開く。

「殿下、俺……」
「サイト君。……理由は先程言ったよ?」
「はい。でも、メアリの言うとおり、このフネが沈められては元も子も無いですから」
「しかしだね」
「そうよ、サイト」
「すいません、殿下、ルイズ。俺、この場に残ります」

 才人はそう言って、背にしたデルフリンガーを納める鞘の釣り具を外した。
 それから、なにか言おうとしたウェールズとルイズを制止しながら、かわりにルイズの胸にデルフリンガーを押し込むようにして手渡して、ウェールズをじっと見つめる。
 その黒瞳は強い意志と決意が渦巻き、見る物に何かを伝えた。

「サイト君。何か考えがあるのかね?」
「ええ。とは言っても、単に派手な事はしないって話ですけど。メアリの手下のフリをして戦闘に参加するだけですよ」
「じゃあ、私も――」
「ダメだルイズ。空賊のフネにメイジが乗ってるとこ見られちゃ、後々面倒な事になるかもしれない。それに……」
「それに?」
「最悪もし、このフネが沈められそうな時は俺の力で敵を撃退する事になるでしょう? そんなギリギリな時に部屋にいちゃ、間に合わなくなるかもしれないですから」

 ウェールズに向けた台詞は最後まで聞こえない。
 言い終わると同時に恐ろしい風切り音が轟かせ、才人達の頭上を大砲の砲弾が黒煙を上げ通過したからだ。
 黒煙は相手との距離を計る為の物で、下手をすると次の砲撃で着弾する可能性を示している。
 この砲弾が激しい音も発するように作られているのは、警告と威圧を兼ねている為であろう。
 つまり、砲撃は測距を行うと共に "次は無い" という最後通告でもあった。

「……仕方無いね。君は意外と頑固なようだ」
「すいません。ルイズ、デルフを頼むな。デカイ剣を背負ってると目立つだろうし」
「ちょ、ボロ剣無しで何ができるって言うのよ?! あの槍だって使う訳にはいかないんでしょ?!」
「白兵戦になりそうになったら部屋まで一度戻るさ。それまでは状況の把握と砲弾運びでも手伝うから心配すんな」
「……ほんと、あんたってこういう時頑固になるわよね」
「さあ、行きましょう "ミス・ゼロ" 。此処にいては危険です。殿下も……」
「わかった、ブロウ准尉。……サイト君。私が言うのもなんだが、あとはよろしく頼むよ。また君に頼る事になるのは少々心苦しいがね」
「いえ、お気になさらず。見返りに "例の件" をお願いしているんで、これくらい安いもんですよ」

 例の件?
 なに、それ――
 ルイズは思わず才人に問い正そうとしたがそれより早く才人が砲甲板の方へ走り去った為、結局その時は聞きそびれてしまった。
 主人と使い魔の念話で問いただせば良いだけの話でもあるのだが、この時、戦闘に臨む才人の気を逸らさぬよう気を利かせたのも不味かったのかもしれない。
 そう。
 この時、念話が使えるかどうかをルイズは確かめておくべきだった。
 原因は無意識に燻るメアリの一件であるのか、焦がれる想いがあらぬ疑いを呼び込んでいるのかはわからない。
 才人の女性関係において、現状では自分を愛してくれている事、信頼に足る事は頭ではわかっていた。
 だが未だその結びつきを確かめられずにいたルイズに "手を出して貰えていない" 事実は、強い愛情の裏返しとして強い不安を抱かせる。
 勿論、その理由も頭では解っていた。
 が、これは理性ではなく感情の話なのだ。
 故に、ルイズも才人も気が付かない。
 どちらかの心にほんの少し、暗い感情が染みこんで揺れるだけで念話が使えなくなってしまう事に。
 そしてこの時、ルイズは才人に対して心の底からの信頼よりも疑いが強くなっており、正に念話が使えなくなってしまっていたのだ。
 そうとも知らずルイズは才人が消えた砲甲板への入り口を一瞬眺めた後、ケイトに導かれるままデルフリンガーを抱えて自室へと消えていく。
 その背はどこか不安そうで、砲戦準備の怒号が閉じる扉を後押しするのであった。



「黒煙弾! 牽制射撃用意! 久しぶりの砲戦だ、測距を忘れるなよ?!」
「お頭ぁ! 本当に軍の連中とやりあうんですかい?!」
「バカ! 相手の上手に回ってそのまま雲海に突っ込むんだ! その為には距離を開けてもらわにゃならねえだろうが!」
「敵艦砲撃を確認! 第二射きやす! ……やべえ! 鎖弾だ!」
「くそ! マストをブチ折って拿捕するつもりか?!」

 メアリは砲甲板で指示を出した後、再びブリッジ甲板に戻り操舵手の後で指揮を執っていた。
 敵艦の位置は未だ "シューティングスター・サーペント号" の上方であり、砲戦では圧倒的に有利となる位置に就けている。
 更には敵艦の測距砲撃の後ということもあり、第二射の報に流石の彼女も顔を青ざめさせた。
 測距手の報告にある鎖弾は、砲弾と砲弾の間に鎖を張り巡らせた特殊な弾である。
 これは点よりも線や面の攻撃力を高め、相手のフネのマストや帆を破壊する目的があるのだ。
 つまり、敵艦は "シューティングスター・サーペント号" の機動力を奪い空賊を纏めて捕らえるつもりなのだろう。
 砲弾は遠目にその間隔を広げながら正確に "シューティングスター・サーペント号" へと迫る。
 その数は二十程か。
 本来ならばどんなに熟練した砲手であっても第二射で命中する事は殆どないのだが、運悪く幾つかの鎖弾は正確にマスト目がけて飛んできていた。
 そしてあわや命中するかとおもわれたその時。
 数筋の銀光が上空から迫る砲弾へと奔って、その鎖を断ち雲の合間に消えたのだった。
 鎖を失った砲弾は互いを繋ぐ物を失い、そのまま外側に大きく逸れて地上に向け落下していく。

「っぶねぇ……。あ、敵砲撃・第二射、回避成功!」
「何が回避成功だバカ! 進路二時っつったろーが! そっちは十一時! 敵の砲射線にモロ入ってるじゃねえか!」
「す、すいやせん! ここんところ舵がどうも重くて……」
「整備しとけっつったろ?! てめぇは後でメシ抜きだ!」

 メアリはそうがなり、銃を取り出しその銃底でゲシ! と操舵手の頭を殴った。
 哀れにも操舵手は舵輪を離す訳にも行かず、激痛にたえながらも進路を必死に修正する。
 同時にフネが傾いてギギギ、とロープが張る音がそこかしこから響き操帆手のかけ声が上がった。

「メアリ!」
「サイト?! さっきのはお前か?!」
「ああ。そう何度もやるわけにはいかないけど、一回くらいならバレないだろうし」
「はは! いや、助かったぜ! 二射目で喰らっちゃ、恥さらしも良い所だしな! おう、おめぇの事だよ、このバカ!」

 思わぬ助力にメアリは年相応の笑顔を満面に浮かべ才人の手を握りつつも、操舵手の尻に蹴りを入れ罵りの言葉を吐く。
 彼女の口ぶりからどうやら測距砲撃後、すぐ命中させられる事は非常に不名誉な事らしい。
 その証拠に、あまりにあまりな扱いを受ける操舵手に、周囲からはそうだこのグズ! などと罵倒が飛び交っている。
 才人も一時はフネの組織の中にいたから知っていたのだが、操舵手というのはかなり腕っこきの水夫が就く持ち場だ。
 空賊だからといって、皆から無碍に扱われるような者が任される場所ではない。
 恐らくは、第二射を受けるような進路を取っていた彼の権威が今、一時的に失墜してしまっているのだろう。
 その扱いに少々目を丸くする才人であったが、すぐに目的を思い出し手を握るメアリにある頼み事をするのであった。

「メアリ。俺、殿下にはお前の部下っぽく振る舞うかわりに戦闘参加の許可を貰ったんだ」
「おお! じゃあ、やっとあたいのもんになる気になったのかい?」
「ンなわけあるか。あと槍はもう当てにしないでくれ。変わりに、砲弾運びや白兵戦になった時手伝うよ」
「ちっ。ケチくせぇ王子様だよな。見てくれはいいってのにとんだ見かけ倒しかよ」
「そう言うなよ……。だからさ、目立つ訳にはいかねぇんだ。でかい剣背負うのもアレだし、剣を貸してくれないか?」
「そりゃあ、かまわねえがカットラスなんて使えんのか? ――オラ、おめえのを貸しやがれ!」

 メアリはそういぶかしげながら、操舵手の腰にぶら下がっていたカットラスを強引に取り上げて、才人に手渡した。
 受け取ったカットラスを才人が鞘から引き抜くと、その刀身はお世辞にも手入れが行き届いているとは言えず、錆と刃こぼれがそこかしこに見える。
 唯一、少し厚い刃は折れにくそうで、これならばなんとか使用に耐えるだろうと才人は判断し鞘に戻すのであった。

「まあ、俺、武器はなんでもちょっとしたもんだぜ?」
「ふうん? ま、そうだろうな。砲弾運びは……人手の足りねぇ班はねえし、いいよ」
「あ、ちがう。俺一人で砲弾を運ぶんだ」
「はぁ?! ――ぷ、ははは! ああ、そうだろうな! 考えてみりゃ、あんな風に槍を投げられるんだ。砲弾くらいワケねぇか。おい! サイトを砲甲板の……4番に案内しな! 4番砲の砲長様をしてもらうんだよ?!」

 へい、と命令を受けた手下の一人に案内され、才人は再び砲甲板へと足を踏み入れた。
 先程はメアリが砲甲板にいるものとばかりに考え、ここへ真っ先に来ていたが姿が見えず、外に出た所で鎖弾を確認し "グリムニルの槍" で迎撃したのである。

「測距・牽制砲撃準備! 各位黒煙弾装填!」

 砲甲板に砲長の伝令が飛んだ。
 同時に、砲手達がそれぞれの持ち場に就き、ある者は黒煙砲弾を、またある者は砲角を調整し始める。
 その動きは統一感があったが、4番砲に就いた者達だけは違っていた。

「あのぅ……」
「ん。おじさん、砲角34度でお願いできる?」
「え? あ、ああ。そりゃ、できるが……」

 4番砲を担当する空賊の男達は、突如、あの浮島を消し飛ばした少年を特別砲長として連れてこられ、その指示に戸惑っていたのである。
 才人は砲窓から敵艦の位置を確認し、砲身に左手を添えて輝かせながらその角度を指示したのだ。
 通常、第一射目の測距・牽制射撃は文字取り相手との距離と威嚇射撃が目的である。
 今回のように砲角の指示がない場合、各々が勝手に砲角を設定し、その弾道を観測した砲長が一番良い弾道を船長に報告し、それを基準に修正した複数の砲角を使用して第二射を行うのである。
 特に今は敵艦に頭上を取られている為、一層砲角を導くのは難しい状況であった。
 故に砲撃は測距よりも威嚇・牽制に重点を置いた物でだと皆判断していたのである。
 にもかかわらず。
 才人の指示はあまりに具体的で、しかも彼が一人で抱え上げてきた砲弾は……

「?! く、鎖弾ですかい?! 黒煙弾でなくて?」
「ああ。いきなり当てちゃいけないってワケじゃないんだろ?」
「そうでやすが、いきなりってそりゃ、無理な話でさ! 測距も無しに第一射で命中させる砲手なんて聞いた事もねえですぜ?!」
「いいからいいから。砲長様に逆らうと、メアリに頭をブン殴られるぞ?」

 砲手達は一人で鎖弾を抱えて持って来た才人に目を丸くしながらも、そこから更に黒煙弾でなくいきなり実弾を持ってきた事に驚いていた。
 勿論、砲弾は人間一人で持ち上げられるような物ではない。
 しかしなにより彼らを驚かせていたのは、才人が本気で第一射を当てようとしている事に驚いたのである。
 それ程測距も無しに相手のフネに当てる事は至難の業であるのだ。

「……坊主、お頭の命令だから拒否はしねえが、そりゃ無理だぜ」
「いいから、いいから」
「いいからじゃねえ! 砲戦は初めてだろ?! おいら達を空賊だからってバカにしてるのか?! そんなんで当たる訳が」
「いいから。これ一回だけ付き合ってくれよ、な?」

 才人はそう言って、かけ声を上げ苦労しながら砲口に黒煙弾を詰める周囲を尻目に、バスケットにパンを放り込むような気軽さで重い鎖玉の塊を4番砲に放り込んだ。
 砲手達はといえば空賊に身をやつしているとはいえ、空の男としての誇りはある。
 あまりに砲戦を簡単に考えていそうな才人の言動に、なかば呆れ、ムっとしながらも言われた通りに砲角を設定し、砲撃の合図を待った。

「……おじさん、ゴメン。角度33度に変えてくれる? 船体が浮いてきてる」
「ああ、上昇気流に乗ったようだな。いいぜ! だが坊主、俺は絶対当たらないと思うぞ?」
「そうだ。いくら坊主がバケモンみたいな事出来るとは言え、砲撃はそんな甘えもんじゃねえ」
「そもそも、なんであの力つかって敵を墜としてくれねえんだよ?」
「う……それは、アレ、内緒にしておかないといけない力なんだよ……あ、撃つ時は一番最後に頼むよ。黒煙弾の砲が弾速速いし」
「かぁ~、お貴族様ってのは勿体ぶるもんなんだな! 空賊ごとき、砲戦で何人死んでもかまわねえってか?!」
「そ、そんなことないぞ! だからこうして手伝ってるんだし、それに俺、平民だし!」
「へっ、どうだか」

 砲手の男達は口々に愚痴を垂らしながらも、才人の言うとおりに砲角度を調節し、4番良し! と声を上げた。
 続いて、1番良し! 5番良し! といった風に次々と割り当てられた砲手達が声を上げ、やがて全ての大砲の砲撃準備が整う。

「お頭ぁ! 準備ができやしたぁ!」

 砲長のだみ声が、砲甲板を抜けブリッジ甲板へと届いた。
 メアリは自船の位置と敵船の位置を見比べ、刹那の後。

「砲撃開始! てぇ!」

 と少女にしては大きな声で叫ぶ。
 砲甲板では同時に爆音が連続して轟き、砲窓からは黒煙が入り込んで砲手達は一斉にむせ始めるのであった。
 そんな煙で視界の悪くなった中、才人は砲甲板を後にして暴露甲板へと登り、自分が指示した砲弾の行方を確認すべく敵艦の方を見上げる。
 果たして、その結果は。

「うそ、だろ……」
「め、命中! 第一射、鎖弾が敵艦メインマストに命中してやす!」
「す、すげえ! 誰だ?! 第一射から鎖弾撃ったバカは!」
「4番砲だ! あのバケモンみたいな坊主の砲だ!」
「やった! これで逃げられるぞ!」

 才人は砲甲板とブリッジ甲板から歓声を聞きながら、己の撃った砲弾にほっと胸をなで下ろす。
 相手のマストを破壊してしまえば、少なくとも逃げる分には苦労はしない。
 白兵戦になる事もないし、何より双方共に死者は出ない事が強い安堵を覚えさせるのであった。
"グリムニルの槍" の力も、あれ位ならばバレはしないだろう。
 つまり、最小限の被害で窮地を脱出できたと言う訳だ。

「サイト!」
「わっぷ、メアリ?!」
「すげえ! お前、すげえよ! 第一射でマスト叩き折るなんざ、神業も良い所だ!」

 何時の間に暴露甲板に降りてきたのか、メアリは才人に飛びつくように抱きついてきて、そのままぴょんぴょんと跳ね始めていた。
 いや、メアリだけでなく他の手下達も集まって来て、二人を囲み口々に賞賛の声を上げている。
 そのままだといつまた唇を奪われかねないと感じた才人は、少し強引にメアリを引っぺがしたものの、今度はヒゲもじゃで臭い男達にもみくちゃにされて祝福をされるのであった。
 一同は一時、奇跡のような砲撃に状況を忘れ誰しもが興奮に打ち震える。
 ――それが仇となった。
 才人おろか、見張りさえも気が付かない。

 敵の哨戒艇から一騎の竜騎士が飛び立っていた事に。






[17006] 7-17:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/02/19 15:05



 一般的に、空を行くフネに乗り込む船乗りにとってメイジとは大変貴重な存在である。

 無論メイジの船乗りが、と言う意味であるがこれは正規軍に所属する貴族をさしているわけではない。
 フネという乗り物は風石を扱う性質上、たとえ乗組員が全員平民であっても必ずメイジが絡んでくる。
 国から国へ、港から港へと移動した時に利用するバース(フネが乗り付ける施設)には税関を扱う貴族やメイジの衛士がいるし、魔導機関に風石を設置する時も専権を持ったメイジ立ち会いの下で補給する事が殆どだ。
 更には、港を取り仕切り交易を行う貴族は例外なく大貴族であるため、所属する商船団にはメイジが多く乗り込むのが常である。
 そういったわけで、フネに乗り込むメイジというものは軍関係に因らず意外と普遍的なのだ。
 彼らの背景も様々で、貴族の次男坊であったり、商船団の陣頭指揮を取る為に代々船乗りの家系であったり、脛に傷を持つ者であったりした。
  "人喰い" ドレイクの場合は果たしてどうであるか。
 歳は三十七。
 妻も子も無く、背は高い。
 濃いブルネットの髪と目が少し痩せた印象を抱かせる外見は、どこか鋭利な刃物のようである。
 元々メイジの傭兵であった彼は、ひょんな事からゲルマニアで罪を犯し逃げるようにして船乗りとなった。
 勿論、最初は罪を犯したゲルマニアの港に入港しない航路を行くフネに雇われて働いていたのだが。
 生来の気性の激しさからすぐに他の船員とトラブルを起こし、そんな事を繰り返す内に気が付くと空賊に身をやつしていた。
 ドレイクは空賊となった後もプライドの高さ故か、次々ともめ事を起こしその度に所属を変え、やがてたどり着いたのがネルソン一家である。
 そこでドレイクは元々メイジであったネルソンの目に止まり、その右腕として一時は若頭にまで上り詰めた。
 が、それも長くは続かない。
 折しもアルビオン王国が王党派と貴族派に分かれ、内乱が勃発した頃。
 アルビオン大陸北部、スノーウォール諸島一帯ではそれまで乗り気でなかった地方空軍が突如、空賊狩りを激化させたのだ。
 これはスノーウォール諸島を治める貴族が貴族派であった為、かつて先代アルビオン王に仕えていた大空賊・ネルソンと王党派の合流を警戒した為である。
 実際の所、たたき上げであったネルソンはかつての主君への忠誠が未だ胸に燻ってはいたが、当時肩を並べた身分の高い貴族達との確執もあり合流するつもりは毛頭無かった。
 勿論齢を重ね体が思うように動かぬ事情もあったし、空賊である手下達を名誉という実体の無い報酬では、死地に向かわせる事が出来ないと判断した事もある。
 にもかかわらず、スノーウォール諸島方面軍基地のあるラックスフォード港に流れた噂は、それらとは正反対の物であった。
 同時に一人のメイジがネルソンの情報を携えて、秘密裏にラックスフォード空軍基地に出入りするようになる。
 その人物こそドレイクであった。
 彼はその野心を満たす為、情報と引き替えに空軍での地位を得んとして、恩を忘れネルソン一家を売り渡していたのだ。
 王党派と貴族派の戦いは既に収束に向かっていたとはいえ、その後の事を考えると戦力は少しでも欲しい。
 そんな思惑がスノーウォール諸島方面軍司令官に働いた背景もあった。
 ドレイクにしてみればこのまま空賊として一生を終えるつもりは更々なく、最も己を高く売り込める時期に良い買い手を見つけたに過ぎなかったが、義理を重んじるネルソンとメアリにしてみれば恩を仇で返された格好となる。
 しかしドレイクの思惑に気が付いた時には、何もかもが手遅れであった。
 とある日。
 スノーウォール諸島から南に3日程の場所にある空路をゆく、貴族派の密貿易船団の情報を仕入れたネルソンは杖を突きながらも、いつものようにこれを襲撃し。
 そこで待っていたのは商船団に偽装したスノーウォール諸島方面艦隊と、部下の裏切りであったのだ。
 ネルソンは周囲に浮かぶ、文字通り反旗を翻した元仲間のフネを歯がみし睨みつつも、その人生の大半を費やして培った操船技術や砲撃戦闘技術を駆使し、命からがら脱出に成功したのだが。
 ドレイクにも知られていない隠れ家に逃げ込んだ時には、あれ程多くいた手下は50に満たず、フネも二隻しか残らなかったのである。
 以後、流石に精神的なショックからかネルソンの体はみるみる内に衰弱していき、ネルソン一家はかつての力を失って、弱小空賊にまで落ちぶれてしまう。
 こうしてドレイクは功績と共にラックスフォード空軍基地所属の大尉として、神聖アルビオン軍所属となったのだが――

「くそ、ついてねえ」

 愚痴は風に乗り、騎乗している飛竜の後方へと流れた。
 ドレイク大尉こと "人喰い" ドレイクは、偶々乗り合わせていた哨戒艇がかつての恩人であるネルソン一家の旗艦 "シューティングスター・サーペント号" を発見したが為、不本意な空戦を挑む羽目に陥っていたからだ。
 発見当初は砲戦を行うにあたり、哨戒艇は有利な位置にあって勝利はほぼ確実と思えた。
 砲性能もこちらの方が高性能であったし、彼が知る限りネルソン一家の砲兵は熟達してはいるが一射目から無茶はしないはずである。
 故に、艦長から相手の情報を請われた時も、過不足無く的確にその情報を提示して楽勝ムードで成り行きを見守っていたはずだったのだが。
 信じられない事に哨戒艇は、相手の最初の反撃でマストを折られ、何とこちらが航行不能となってしまったではないか。
 驚愕は計り知れない物であったが、同時に感じたのは艦長の白い視線である。
 その視線は雄弁に「貴様の提示した情報とは違う」と語られ、元空賊で裏切り者への蔑みが込められていた。
 ドレイクに言わせれば被害と提示した情報とは無関係で、八つ当たりも良い所であり事実八つ当たりであろう。
 そもそも、第一射目で測距も行わず砲撃を命中させてくるとは誰が予想できようか。
 しかし、艦長の方にも彼なりに理由がある。
 只でさえ空の軍人にとって接敵から短時間で被弾する事は不名誉な事だ。
 その上長いアルビオン空軍史の中で不意打ちを除けば、第一射目に命中させられた "事故" の事例など、数える程しかない。
 更に、相手は空賊。
 しかも明確に第一射目からマストに "当てる" 意図を持った、鎖弾による砲撃だ。
 そんな話は聞いた事がない。
 測距を行おうとして "当ててしまう" 事はあっても、当てるつもりで当てるなど――
 そしてその砲撃は成功し、空軍史に残るであろう砲撃の被弾船として、自分の名が永劫残る事は間違いない。
 その事実は如何に艦長のプライドを刺激したか想像するに余りあろう。
 いや、誇りを著しく傷つけられたのは艦長だけではない。
 哨戒艇に乗り込む軍人すべてに言えた事であった。
 よってドレイクへ降り注ぐ複数の無言の罵倒は、必然であったとも言えるのかもしれない。
 兎も角。
 救援要請を託した軍用伝書鳥を放った後、ドレイクは艦長に出撃の許可を申し出る事にした。
 空賊上がりの彼は、軍内でも評判がすこぶる悪い。
 気にはしていなかったものの、後々の出世にその状態を放置する事は不利だ。
 だからこそ、こうやって哨戒任務にもマメに同行し、自分の価値を知らしめる必要があった。
 つまりはその価値を……辺境にあって飛竜を駆る事が出来る竜騎士の価値をこの時、証明する必要が生じたのである。
 そもそもは竜騎士自体、辺境の地に配備される事はあまりない。
 飛竜の調教やそれを駆る魔法衛士の育成には莫大な労力が掛かる為だ。
 故に竜騎士は都や要所でない限り見る事が無いエリートと言えた。
 しかし、ドレイクの場合は違う。
 如何なる方法を用いたのか彼は軍への恭順後、どこぞの森から野生の飛竜を捕獲し、しかも調教も無しに乗りこなしてしまったのである。
 空賊からいきなり大尉待遇となったのも、その辺りの事情が強かった。

「腐ってもネルソンって事かよ。畜生、まさか一発目で当てて来やがるとは……」

 ドレイクは誰に聞かせるでもなく呟いた。
 それから専用の鞍を着けた飛竜の上にあって、傭兵時代から愛用している刺突剣のような杖を抜きながら、迫る見慣れたフネを見据える。
 フネは空賊ネルソン一家の旗艦 "シューティングスター・サーペント号" 。
 彼が唯一、一時的ではあったが尊敬した男が駆るフネであった。
 距離は未だ数百メイルは離れていたが、甲板の様子を見る限りどうやらいまだ発見はされていないようだ。

「――お頭。最後まで油断するなっつって、口酸っぱく言ってたのはあんただぜ?」

 呟きは僅かに寂寥がまじり、しかしドレイクの口の端は凶暴につり上がって。
 その凶暴な意志を受けてか、飛竜は雲を千切りながら速度を更に上げるのだった。



「竜騎士だ! 連中のフネに竜騎士が乗っていやがった!」

  "シューティングスター・サーペント号" に近付いて来る影に、最初に気が付いたのはメインマストにいた見張りの者である。
 叫びは甲板の上で浮かれる空賊達に冷や水を浴びせ、それぞれが慌てて思い思いに空を見上げさせた。
 同時に大きな影がザっと横切って、同時に甲板上に巨大な空気の塊が横薙ぎに叩き付けられ操船作業を行っていた幾体かのゴーレムが船外にはじき飛ばされた。
 空気を固めて不可視の槌とする "エア・ハンマー" である。

「各員持ち場に戻れ! 迎撃砲撃準備! 各自判断でぶどう弾を撃って良し! 砲長!」
「へい!」
「五人、腕の落ちる者を甲板に残せ! 白兵戦に備える」
「し、しかし……相手はメイジですぜ?!」
「大丈夫だ。あたいの他にサイトも居る。あの槍はケチくさい王子様に禁止されちゃあいるが、剣の腕の方も折り紙付きの化け物さ。オラ! もたもたすんじゃねえレイス!」
「ひい! す、すいやせん!」

 メアリは抱きついていた才人を解放しつつも、砲長に指示を飛ばし、オロオロと遠くを旋回する飛竜を見上げていた手下の一人にケリを入れた。
 レイスと呼ばれたヒゲもじゃの男は、その厳つい風体とは想像もできぬほど情けない悲鳴を上げ、詫びを入れ始める。
 しかし視線は飛竜から離れないようで、その行為にメアリの苛立ちは一層募るのであった。

「てめえ! あたいはもたもたすんじゃねえって言ったんだぞ?!」
「で、でもお頭! あれ、あの飛竜! 乗っているの、ドレイクの野郎でしたぜ?!」
「なに?!」

 レイスの台詞に、メアリは怒りもそのままに表情をガラリと変えて再び迫る飛竜へと向けられた。
 その瞳に宿るのは、憤怒の炎。
 無理もない。
 今、目の前に憎っくき裏切り者が再び姿を表したのだから。

「ドレイクぅ!!!」

 気が付けばその名を叫びメアリは迫る飛竜の前に躍り出て、銃の引き金を引いていた。
 銃弾は正確に飛竜の足へと命中したが、個人で携帯できる小銃ではドラゴンの鱗を貫く事が出来ようはずが無く。
 チュン、と軽い音と共に火花が一瞬あがっただけで、飛竜は何事も無かったかのように "シューティングスター・サーペント号" の上空をよぎる。
 同時に "エア・ハンマー" が再び甲板上で発生し、今度はゴーレム達と一緒にメアリも巻き込まれ船外へと吹き飛んでいく。

「メアリ!」

 彼女を救ったのは、丁度飛竜の前に躍り出たメアリを制止しようとしていた才人であった。
 目の前で吹き飛ばされた空賊の少女の手を、才人はその辺のロープを拾いあげながらフネの外にまで身を投げ出し掴みとる。
 二人は遙か下方の地上へむけて落下を始めたが、幸いにも才人が拾いあげたロープの端は帆と繋がっていたらしく、十五メイル程送り出した所でビンと張り詰めた。
 瞬間、ロープを握る才人の腕に二人分の体重と落下の勢いが掛かる。
 常人ならばロープを握る握力がその衝撃に耐えきれず、手を離してしまったであろう。
 だが才人は違った。

「あ、が!!」

 上げる苦悶はメリメリと肩から音がするほどの衝撃を受け止めた証である。
 激痛の中、才人はもうしばらくすれば痛みは肩や肘に受けたダメージと共に消え、直ぐに上へと戻れると言い聞かせ耐えた。

「サ、サイト……」
「す、すこし待っててくれ。もう少し休めば上に引っ張り上げられるから、さ」
「バカ! そんな体勢でお前……」

 流石に落下の恐怖からか、メアリの声にいつもの威勢はない。
 だが彼女の言葉を遮ったのは恐怖ではなく、才人の向こうに迫るソレであった。

「サイト! あたいを離せ!」
「はぁ? 大丈夫だって。心配すんな。ほれ、こうやってちょっとくらいなら持ち上げられるまでには回復してるんだし」
「う、わ! バ、バカ、バカバカバカ! 危ねえ!! じゃ、ない! 違う! 後! ドレイク――竜騎士がこっちに向かって来てるんだよ!」
「え? くそ、フネじゃなくて俺達を狙うのか!? 性格悪いなアイツ!!」

 メアリの言葉に振り返った才人が見た物は、迫り来る飛竜とその上に乗るメイジが杖を掲げる姿。
 メイジ――ドレイクは既に何かしらの魔法を詠唱を終えているようで、丁度才人が振り返った瞬間に杖を才人達に向け掲げている所であった。
 その一瞬、才人は迷う。
 今この瞬間にメアリの手を離せば、魔法の回避もできようしフネの上まで一息に戻れる。
 だがそうしてしまえばメアリは間違いなく助からない。
 下は海なのか陸なのかは雲で分からなかったが、落下の間恐怖をたっぷりと味わいながら死ぬ事となるだろう。
 かといって、このままでは魔法を受けては即死はしないまでも結局二人とも落下してしまう。
 勿論確証はないがそれでも "グリムニルの槍" を持つ自分は死なない、とは思う。
 しかしその場合任務は、ウェールズは、ルイズは果たしてどうなるか。
 ……いや、迷う事など無い。
 極限状態で才人が選ぶ物など分かりきっていたし、なにより今こそ、その極限状態だ。
 既に放たれたと思われる魔法は不可視。
 それが "エア・ハンマー" なのか "エア・カッター " なのかはわからない。
 ――刹那の逡巡の後、才人は選択をする。
 それはメアリを掴む手を離すのではなく……
 歯を食いしばり、強くメアリの手を握ってやがて訪れる衝撃か斬撃に備えたのだ。
 そして、魔法は才人達の元へ。

「え? ……うわ!」
「きゃあ!」

 果たして二人を襲ったのは、風の鎚でも刃でもなく浮遊感。
 ドレイクが放っていたものは "エア・カッター " で、風の刃が切断した物は才人ではなく、ロープであった。
 浮遊感はすぐに下方への物と変わり、才人は悲鳴を上げるメアリを空中で自分の胸の中へと引き寄せて、思考を巡らせた。
 無理かも知れないけれど、自分がクッションになれば――
 いや、落下先が地上であるならば、途中どこかに手を引っかける事ができるかも――
 思い浮かぶ可能性はどれも成功するとは思えず、しかしそれでも才人は諦める事が出来ない。
 胸の中ではメアリが恐怖と無念と絶望に彩られた悲鳴を上げ続けている。
 せめてその恐怖を紛らわせてやろうと抱きしめたのだったが、さほど効果は無いようだ。
 くそ!
 こんな所で……
 この期に及んでもメアリに愚痴を聞かせぬ余裕を見せる才人であったが、流石に高所からの落下には打つ手が在ろう筈もなく心中で毒づく。
 それからルイズへの申し訳ない気持ちが吹き出してきて、激しい自責の念が彼の心を苛んだ。
 が、それでもメアリの手を離さなかった事については後悔の念は湧かぬ所は、才人らしいと言えよう。

「ぐ!」
「あぅ!」
「痛……な、なんだ?」

 突如。
 二人の浮遊感は横薙ぎの衝撃によって打ち消され、程なく下方への浮遊感は上昇へと変わる。
 才人は抱きしめるメアリごと強く拘束されている事に混乱しながらも、何が起きたのか確認すべく首を捻り、予想外の事実に目を開いた。
 なんとメアリを抱きしめる形で落下していた才人を、飛竜がその巨大な足で掴み取っていたのである。

 つまり、才人とメアリを助けたのは意外にもドレイクであったのだ。






[17006] 7-18:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/02/22 00:18



「どういうつもりなのか説明して貰おうか」

 アルビオン大陸の北方、港街ラックスフォードにある空軍基地にて。
 空軍司令官の執務室に呼び出されたドレイクは司令官にそう問われ、肩をすくめた。
 勿論、哨戒任務に就いた折、空賊ネルソン一家の残党と交戦し捕虜を二名連れ帰った事についてである。

「司令官、おっしゃっておられる言葉の意味が。どういうつもり、とは?」
「とぼけるな。たかが空賊に哨戒艇のマストをヘシ折られ、竜騎士であるお前までも出撃しておきながら相手のフネを沈める事すらできんとはどういう事だ?」
「お言葉ですが司令官。当基地所属の艦艇が空軍史に残るような砲戦の敗者となったのは、私のせいではございません」
「話を逸らすな。私は何故、相手のフネを沈めなかったと聞いている」

 重苦しい基地司令官の言葉は、ドレイクの少し斜に構えさせた姿勢を正すには至らない。
 本来ならば一介の軍人が司令官の前でそのような態度を取っていれば、即刻懲罰房行きである。
 しかし「竜騎士」という貴重な戦力である為か、ドレイクがその態度の為に咎められる事はない。
 ――くそ、忌々しい空賊め。
 少しは使えるかと思って使って見れば、こちらの足下を見るようになりおった。
 日増しに調子に乗りおって……
 既に老人の域にある歳経た司令官は怒りを隠そうともせず、そんなドレイクを忌々しく見上げ内心ではそう毒づいた。

「沈めなかったではなく、沈められなかったのですよ、閣下。記録ではネルソン一家が残すフネは二隻。あのまま戦闘を続ければ沈められたでしょうが、その間別のフネに母艦が攻撃でもされてはたまりませんからね」

 ドレイクは司令官の強い視線を真っ向から受け止めつつ、そう説明してもう一度肩をすくめる。
 それから最後に、何せ最初の砲撃でメインマストをヘシ折られるほど頼りないフネが母艦でしたので、と付け加えた。
 彼のその態度は、温厚で知られる司令官に火を点けてしまう。
 司令官はたまりかねた様子でバンと巨大な執務机を叩いて立ち上がり、ドレイクを指差しながら声を荒げ始めた。

「それが何故! 捕虜を二名連れ帰る理由になる?! ネルソンなら兎も角、報告によれば小僧と小娘ではないか! 貴様、今どんな時期か分かっておるのか?!」
「司令官、落ち着いて」
「落ち着いていられるかバカ者! ロンデニウムからはトリステインからの侵攻に備え、艦船派遣の要請が来ておるのだぞ?! 今は空賊の相手をしている場合ではないと言うのに、派遣できるフネを減らしおって!」
「ですから、マストを折られたのは」
「うるさい! そもそも貴様が同行せねば、艦長は無理な戦闘など仕掛けはしなかったわ!」

 荒げた声は、遂に怒号のような物となる。
 司令官にしてみれば、中央から要請されている艦船の破壊自体はそれほど重要ではない。
 問題はその経緯だ。
 トリステイン・ゲルマニア同盟軍のアルビオン大陸侵攻作戦の存在が噂される昨今、その迎撃任務に備え南方の基地へと所属艦を送る命令書が各地の司令官の下に届けられていた。
 つまり集結地には各地の基地に所属する軍艦が集まる事となる。
 そんな中、たかが空賊に沈められかけたなどという不名誉な話は格好の噂の種となる事は、容易に予想できる事だ。
 当然、その話はその場に居合わせるはずであろう元帥や提督に知れ渡る運びとなり、間違いなく自分の出世に関わってくるだろう
 哨戒艇の艦長も高級軍人故、その辺の事情はよく分かっているはずであった。
 故に、ドレイクが居なければネルソン一家などという危ない空賊には、迂闊に手を出さぬはずだと司令官は理解していたのである。
 事実、哨戒艇の艦長は "シューティングスター・サーペント号" の発見当初、砲戦を行うに辺り有利な位置に就けていたにもかかわらずドレイクに情報の提示を要求した。
 これは、僅かな "事故" の可能性と、ネルソン一家の旗艦を撃墜する栄誉を天秤に掛ける為なのだ。
 勿論艦長としても基地を離れるに当たり、できれば華々しい武勲が欲しい。
 空賊の中でも得に有名なネルソン一家の旗艦を沈めたとなれば、各地のフネが集結する場で自慢出来るだろうし、中央の高官の目にとまる事もあり得る。
 そんな思惑が働いてか、ドレイクの情報を吟味し、己の名誉と司令官の体面が秤に乗せられて結果――

「司令官殿。艦長が下した判断の責任を私に求められましても……。結局決断したのは彼ですし」
「ふん。知っておるかね? 基地内では君は実はまだネルソン一家と繋がっているのだという噂が立っておる事を」
「濡れ衣も良い所ですな」
「儂もそうでないかと疑い始めておるよ」
「これは心外な。先日のネルソン一家を追い詰めた折での功績で、クロムウェル皇帝陛下直々に勲章を授与していただいたのは、閣下ではございませぬか。その為の下ごしらえをしたのは誰か、よもや忘れた訳ではございますまい」
「だからどうした! 恩を売ったから今回は大目に見ろとでも言うのか?!」

 激高と共にもう一度、今度は強く机に拳は叩き付けられた。
 余程興奮しているのか、司令官は耳まで赤くして憤怒の表情を浮かべている。
 しかしドレイクは上官の不興も何処吹く風、涼しい表情のままある提案を行うのであった。

「閣下。こうしては如何でしょう? あの砲撃は大空賊ネルソンの神業であったと認め、哨戒艇の艦長を更迭するのです」
「な?!」
「次に、ネルソン一家の力はいまだ衰えてはおらぬ、と噂を流し内外にその強大さを広めます。なに、多少誇張してもよいでしょう」
「貴様! 何を――」
「まあまあ。そんなに怒るとお体に触りますよ? で、次にです。ここからが重要なのですが、あの捕らえた捕虜をエサにネルソンをおびき寄せ、今度こそ一網打尽にするのです」
「……ふん。たかが手下の一人や二人にあのネルソンがおびき寄せられるものか」
「閣下。そこがあの二人を捕虜とした理由です。捕虜の内の一人、女の方は次期頭目であり、ネルソンの孫でもあるのですよ」
「なに?!」

 立ったまま憤怒から驚きの表情へと変えた司令官に、ドレイクはそこで言葉を切ってゆっくりと頷く。
 ――これだから欲に目がくらむ馬鹿は御しやすい。
 ドレイクは内心でそうほくそ笑みつつも、表面上は先程までの不敬な態度を改め、恭しく司令官に座るよう促した。

「だからきっとネルソンは我々の誘いに乗ります。そこを今度は閣下直々に誅するのです」
「ふ、む……」
「幸い、先のネルソン一家討伐作戦も閣下の作戦による功績として、皇帝陛下からお褒めの言葉を賜っております。そこを利用すれば今回も閣下が乗り出した途端、見事ネルソンを撃退したという印象を世間に与える事ができるでしょう」
「……つまりは、ネルソン一家を持ち上げれば持ち上げるだけ、それを撃破した儂の名声も上がるという事か」
「は。少なくとも、砲戦に入るなりいきなり航行不能とされたのは、閣下ではなく艦長が無能であったと印象付けることができましょう」

 ドレイクの説明が終わる頃には、司令官の怒りは完全に消え去っていた。
 彼の脳内には既に出世の為の打算が渦巻き、己が得る利を賢しくはじき出している。
 その様子をドレイクは眺めながら、己の野心を人知れず滾らせ目を細めた。
 表情は相変わらずどこか軽薄であったが、瞳だけはギラついて、しかし司令官がそこに気が付く事は無い。

 やがて司令官はいくつかの指示をドレイクに出して退室を許可した後、後日行う予定であった査問対象をドレイク大尉ではなく、哨戒艇の艦長とする指令書を作成し始めるのであった。



 才人とメアリはドレイクによって捕らえられた後、手を縛られて基地まで護送され牢へと放り込まれていた。
 時刻は深夜であろうか。
 砲撃によりマストを折られた哨戒艇は才人とメアリを捕らえたまま、まる一日ほど漂流した後救援に駆けつけた他の軍艦に曳航され、ラックスフォードの基地まで無事たどり着いていたのであった。
 牢は地下に作られ、石が敷き詰められた床や壁はじめじめとしており、入り口近くの見張りが使うかがり火以外には明かりはなく、日中も光は殆ど差し込まない作りとなっている。
 その明かりも僅かに才人達がいる牢に届くばかりで、視界は外より悪い。
 通常の牢ならば男と女は分けて入れられるのだが、何故か才人とメアリは一緒に閉じ込められていた。

「……あいつ、どういうつもりなんだ?」
「ドレイクとか言う奴か?」
「ああ。あたいらを助けただけでもおかしいってのに、こんな風に雑に閉じ込めるなんて……」
「雑?」
「考えてみろよ。普通、男と女を一緒の牢に入れたりはしねえぜ? 捕まえたのが若い女なら尚更な」

 言ってメアリは床に腰を下ろし、縛られたままの手首を眺めながら少し眉根を寄せた。
 才人はその意図をくみ取って、それ以上質問を返さず確かにおかしいな、とだけ言葉を返す。
 ドレイクの真意は測りかねたが、メアリは囚われの身になったと理解した瞬間からある覚悟を決めていた。
  "それ" は護送中のフネの中で始まるのか、それとも陸に移送され "専用" の牢に入れられてから始まるのかはわからない。
 が、少なくとも若い娘の空賊が軍に捕らえられればどうなるか、想像に難くはなかった。
 なぜならば、空賊に若い娘が捕らわれた場合どうなるかを考えると、それはある意味当然の話であるのだから。
 しかし実際はメアリの体を求める者などおらず、ここまで至って何事も無く護送されていたのである。

「くそ、気味悪ぃな。素直に服の一つでも引き裂いてくれりゃ、サイトも気兼ねなく暴れられるってのによ」
「……悪いな、メアリ。出来るだけ騒ぎを大きくしたくないんだ」
「いいって。むしろ、お前が助けに来てくれて嬉しかったぜ? 何、お前がいりゃ何処にいたって怖かねぇさ」

 メアリは努めて明るくそう言いながら、隣に腰を下ろす才人に元気よくすり寄り肩をぶつける。
 しかしその肩は僅かに震え、才人に心の内を晒してしまう結果となった。
 怖くない、というのはウソだ。
 空賊は海賊と同じく、取り締まる軍と交戦すれば基本的にはその場でフネごと墜とされる。
 また、運良く捕縛されたとしても地上に降りてすぐに吊し首にされるのが常だ。
 だからこそ、空軍基地の牢は狭く数も少ない。
 ――これに加え、希有な存在ではあるが若い女性である場合、兵士達が飽きるまで慰み者にされ続けるという話もある。
 つまりは、理不尽な事に女空賊の場合は過酷な運命が待ち構えているのだ。
 それを年若いメアリが怖れていない筈は無い。
 才人はそんなメアリに僅かだが申し訳なさを感じつつも、気を紛らわせるべくそれまで少し気になっていた事を尋ねる事にした。

「そりゃ、俺だって空賊が捕まればどうなるか位少しは知ってるけどさ。確かに妙な話だよな」
「だよな。ドレイクの奴、何考えてるんだか」
「なあ、メアリ。お前らってさ、もしかして義賊だったりするのか?」
「ああん? どういう意味だ?」
「だから、その。お前らってさ。女の子捕まえても乱暴だけはしなかったとか」
「ああ、そういう事か。はは、まあ、ネルソン一家は普通の空賊じゃねえしな。確かに襲うフネは貴族の抜け荷や危ねぇもん積んだフネが主だし、殺しや犯しはしねえ。巷じゃ義賊って言い方する奴も確かに居るらしいな」
「だからじゃないか?」
「……いや、軍の連中にそんな分別はねぇよ。空賊は空賊。義賊もクソもねぇ。特に下っ端ほどお貴族様特有のプライドなんてねぇし。義賊だろうが空賊だろうが、若い女捕まえりゃ精々 "ボーナス" が出た位にしか思いやしねぇよ」
「う……そうなのか……」
「まったく、義賊ってのも割にあわねぇんだぜ? 手下が女に飢えないよう、定期的に陸に揚げて上等の娼館連れて行って腹一杯女抱かせたりよ。なのに捕まれば他の空賊とおなじ扱いと来たもんだ」
「そ、そうなんだ?」
「ああ。そもそも、ネルソン一家の強みは陸に上がれる事でな。だからこそ、王子様の依頼を受けた位だし。その為にも義賊って評判を落としちゃならねえんだ。貴族様の事を良く思ってねえ平民の協力者がいなくなっちまうからな」
「へぇ」
「他にも色々と "らしくねえ" 事をしたもんさ」

 そう説明をしてメアリは青くため息をついた。
 犯罪者の荒くれた空賊の男達を纏める苦労を思い出したのだろう。
 だが寄せられた肩の震えは収まったようで、才人の目論見は達成出来たようだ。
 ――さて。
 これからどうしようか。
 考えて才人は幾度も試していた念話をルイズに送る。
 しかし、返答はない。
 理由はわからなかったが、何時の間にか主であるルイズと念話が出来なくなっていたのだ。
 基地へ護送される間、メアリに聞いた話では "シューティングスター・サーペント号" は港街ラックスフォード近郊の村を目指していたらしい。
 そこで秘密裏に皇太子一行を下船させ、任務が終わるまで近くで潜伏する予定だったのだとか。
 メアリによればもし、今回のような想定外の事が起きた場合でも、軍の追跡を振り切れているであろうあの場合はそのまま目的地へと向かっているはずとの事。
 たからか、才人はウェールズが上陸を果たすであろう日時までは大人しく捕まったままでいることにしていたのであった。
 勿論その間、目の前でメアリの身に何かが起こりそうならばその限りではなかったが。
 なんだかんだと言っても、女の子には弱い才人である。
 と、いうわけで。
 才人にとって当面の問題は、ルイズと念話が出来なくなってしまった事であろう。
 一応、 "シューティングスター・サーペント号" が目指していた場所へは、あの日から2日もあれば到着する予定だったらしい。
 しかしウェールズ達が直ぐに上陸出来るかどうかは定かでなく、更にはそこからアルビオン大陸を秘密裏に移動する必要がある。
 それらの理由から才人が迂闊に脱獄すると、道中やラックスフォード近隣の警備体制が厳しくなってしまう事が予想できた。
 だからこそ、情報の入手先としてもルイズとの念話が必要であったのだが……

「……ルイズ、どうしてるかなあ」
「あん? 忘れちまえよ、あんなヒス女のことなんざ」
「んだよ、そんなこと言うなよ」
「だって本当の事だろ? あたいだったら浮気位4人までなら許してやるし、見てくれも――着飾ればそこそこだし、脱いだらアイツよりずっとスゴいし、それに、なんてたってま、まだしょ、し……処女、なんだぜ?」

 最後に何を想像したのか、言葉尻に彼女には珍しく頬を染めそう宣言しながら才人を見上げるメアリであった。
 そのギャップの威力は計り知れないもので、不覚にも才人は一瞬、心を惑わせてしまう。
 元々彼の嗜好として、芯が初心な女が好みである所も大きかったのであろう。

「なぁ。本当にあたいじゃイヤなのか?」
「い、イヤとかじゃなくて、な? 俺、ルイズの事が……」
「比べなくてもいいんだぜ?。どうせ、王子様の作戦がうまくいきゃ、あたい達は真っ当な職業にありつけるんだ。空賊がイヤだってんならそれからでもいいし、なんだったら愛人でも良いんだ」
「そ、そんな、愛人だなんて……はは、冗談きついぜ」
「冗談なんかじゃ、ないぜ? あたいとしちゃサイトの子供を授かって、たま~に愛してくれりゃそいれでいい。なにせ、年中フネの上にいるからな。知ってるか? 空の女はそうだからこそ、浮気には寛容なんだぜ?」

 何時の間に近付いたのか、メアリの唇は才人の耳の直ぐ近くに移動して甘く囁く。
 攻撃はそれまでの強引な物とは打って変わり、狡猾に才人の心へと忍び寄っていった。
 才人は思わずメアリから体を離しつつも、引きつった笑いを浮かべて防御を計る。
 しかし、メアリの積極さの前ではそのような消極的な防衛は意味を成さず、それどころかずいと顔を近付けてくる彼女に、何時の間にか押し倒されるような格好となってしまった。
 流石にその状態に至ってまずいと感じ、拒否の意志を見せようとした才人であったのだが、ハッキリと態度を示す前に二人を引き離す者が現れる。

「やっぱり!! ちょっとあんた! なにやってんのよ!! は、な、れ、な、さ、い、よ!!」

 薄暗い牢には似つかわしくないほど、生気に満ちたその声は。
 いきなり牢の中に現れ、才人を押し倒すメアリを引きはがしたのは果たして、ルイズであった。

 つまり彼女は、いかなる手段を用いてか才人とメアリの後を追って来ていたのである。






[17006] 7-19:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/02/28 00:33



 才人とメアリが連れ去られる姿を見たのは、偶然である。

 デルフリンガーと不満を胸に抱えつつ自室に戻っていたルイズは、直ぐに他の場所へ移動をしていた。
 部屋に戻る途中、砲戦が始まるならば外板側にある自室よりも装甲の厚い船倉に降りた方がいい、とウェールズに誘われたからだ。
 しかし砲戦は長くはすぐに終わったようで、ルイズは安堵して自室が被弾した時の為に持ち出していた手荷物を一旦置きに戻った時。
 ふと視線を投げた小さい丸窓の中に、それを確認してしまったのだ。

「な?! サイト?!」

 思わず声に出した名の使い魔は、気に入らないあの海賊の娘と共に飛竜の厳つい足によって掴まれて飛び去って行く姿を晒していた。
 ルイズは直ぐに念話を送ろうとしたが、そこで初めて才人とは "繋がらなくなっている" 事に気がつき、混乱を深めながらも慌てて甲板の方へ駆け上がる。
 甲板では突然の事で右往左往している空賊がそこかしこに居て、その内の一人を捕まえ、なかば脅すように何があったのか説明させて初めて事の顛末を知ったルイズであった。
 無論、すぐさま後を追うべく "瞬間移動(テレポート)" を使おうとしたが、僅かに残った理性が彼女を引き留める。
 と、いうのも "瞬間移動(テレポート)" での移動距離は精々数百メイルだ。
 連続して唱えれば敵のフネまで移動はできようが、その後はどうするべきであるか?
 才人とともに敵船を制圧をする?
 それとも、なんとか逃げ出す? 空の上から?
 自問に対する答えはいずれも否、であった。
 先程もメアリを言い含めたように、そもそもは極秘任務の為にここまで来たのだ。
 敵のフネに乗り込んで制圧をするような派手な暴れ方が出来るなら、最初から才人があの槍を使い相手のフネへ攻撃を仕掛けていたであろう。
 幸い、捕らえられた二人は捕虜として扱われていると判断できる。
 どんなつもりなのかはわからなかったが、もし捕らえるつもりが無いならばあの竜騎士はその場で二人を投げ落としていた筈だ。
 ――ならば、どうするか?

「――それからが大変だったの。あの後、フネが目的地に着くまでずっとガマンして、でも殿下より先に上陸してね? 勿論、殿下に反対されたけれど、一生懸命説得して」
「ル、ルイズ? 今はそれどころじゃ……」
「なんだ騒がし――誰だお前?! 一体どこから?!」
「やべぇ! 見つかったぞサイト!」

 ラックスフォードにある空軍基地にある、その牢内にて。
 状況を忘れ、才人を押し倒さんばかりに迫っていたメアリを強引に引きはがしたのは、突如現れた "ミス・ゼロ" ことルイズであった。
 彼女は杖とデルフリンガーを手にしたまま、己の恋人を押し倒すメアリをぎゃあぎゃあと騒ぎながら引きはがした後。
 息が整うのを待ってから、突如誰に話しかけるでもなく、落ち着き払った声となりそれまでの道程を説明しはじめたのである。
 勿論メアリを引き離す際に少々騒いだ為、様子を見に来た衛兵に見つかっていたのだが。

「でね? 結局なんとか殿下を説得して別行動をとらせて貰う事になってね? 私、フネがバースに陸着けされるのも待てずに魔法使って上陸しちゃって」
「ルイズ? えっと」
「お、おいサイト。コイツ突然どうしたんだ? 様子がおかしいぜ?」
「おい! 応援呼んでこい! 侵入者だ! くそ、一体どこから……おい貴様!」
「――で、目的地まで "瞬間移動(テレポート)" や "加速" とか、ここの基地に入る時なんか "イリュージョン " で気を逸らしたりしてとても苦労――うるさい!!」

 語尾はそれまでの静かな物とは違い、憎悪が込められた怒声であった。
 ルイズは台詞を邪魔する衛兵に向かって罵声を一言言い放ち、杖をピッと向け短く詠唱を口にする。
 瞬間、ボンという音と共に小規模な爆発が起きて、煙が牢内に充満した。
 程なく煙が晴れると、綺麗な真円状の穴が鉄格子に開いていて、その向こう、通路では爆発の衝撃により衛兵が伸びている姿が見える。

「ええっと。どこまで説明したかしら? ……そう、とにかく、すっごく苦労してここまで来たのよ、サイト?」

 声は静かなものへと戻っていた。
 が、その圧力はいかほどの物か。
 才人はルイズが放った "エクスプロージョン" の威力に目を見張りながらも、その見覚えのある迫力に戦慄して言葉を失う。
 その声、その迫力、その魔法に凝縮された破壊は、見事なまでにかつての妻と同じものであったからだ。
 そもそも、ここの所いつも才人により守られているイメージの強いルイズではあったが、彼女は彼女なりに修羅場を潜り抜けている。
  "前" とは違い虚無の魔法を一通り扱えているし、タバサと戦闘訓練を何度も行い、実戦経験をも重ねているのだ。
 よくよく考えてみれば、今のルイズにとって辺境の軍事基地に侵入する事など容易い事なのであろう。

「――さっきだって、見つかってしまってね? もう、ダメね、私ったら。あ、発見されたけれど "加速" を使って騒がれる前にこの "毒竜の牙" で気絶させたから安心して?」
「あの、ルイズ? 今はそれどころじゃ……な?」
「大丈夫よ。ちゃんと "忘却" だってかけといたんだから」
「いや、そうじゃなくてだな……」
「ん? ああ、どうしてここが分かったかって? うふ、前もってサイト達を連れてった軍艦が何処に入港するか、空賊の手下に聞いておいたのよ」

 少し乾いたような微笑みは、才人の本能に呼びかける。
 決してこれ以上彼女を刺激してはならない、と。
 その天使のような笑みは、過去何十年もの間幾度となく恐怖と共にすり込まれたあの笑みであったからだ。
 記憶が薄れているとはいえ、それだけは決して忘れられない。
 忘れようも、ない。
 気が付けば口中の水分が全て失われ、喉が渇くような緊張が才人の全身を包んでいた。
 隣で呆然とするメアリもその鬼気迫る静かなルイズに圧倒され、何時もの威勢は消え去っている。
 更に緊迫した牢の出口からは、先程応援を呼びに出た衛兵が戻って来たのか、多数の兵士がやって来る気配。
 才人はその気配を察し、どうこの場を切り抜けようか必死に思考を巡らせた。
 かつては自身の身の安全の為。
 そして今この時は、隣に居るメアリと近付いて来る兵士達の安全の為にどうルイズを宥めようかと考えていたのである。
 ――正直。
 元々盲目的な所があったルイズであるが、ここまで "キている" 状態は "今回は" 初めてだ。
 その恐怖を知るが故、足りない時間がなにより才人を焦らせていく。

「ルイ、ルイズ? 落ち着け、な? とりあえず、ここを出よう」
「? おかしな事を言うわね、サイト。私は落ち着いているわ。そう、とっても」

 屈託の無い笑顔は花のよう。
 傾げた首は可憐で、肩に散らばるフワフワのピンクブロンドはここの所手入れを怠っているとは思えない程きめ細かい。
 どこからどう見ても美少女である。
 ただ一つ。
 欠点があるならば、その優しげな声色の裏に渦巻く憤怒がそれらすべてを恐怖の対象に変えてしまっている事であろう。

「そ、そう、なのか? ルイズ。はは、いや、それなら、いいんだけ……ど」
「だって、そうでしょう? 貴女がそこの女に押し倒されていたけれど、今はもう、ほら。怒鳴ったり、叩いたりしないじゃない」

 声はやはり冷たく、ゆったりとしたもの。
 ただ圧迫感は増すばかりで、『そこの女』というフレーズにメアリはビクリと肩を跳ね上げた。
 相手がだれであろうと、痴話喧嘩になろうが取っ組み合いになろうがメアリは一歩も引かない、負けん気の強い性格である。
 しかし今回ばかりは勝手が違うらしい。
 理由はわからなかったが、今のルイズを見ていると背筋に激しい怖気が走り、動悸も早くなってしまうのだ。
 それはまるで、猛獣の檻の中に閉じ込められたような感覚と言えるのか。
 止まらぬ冷や汗は、彼女もまた、それなりの修羅場を潜ってきたからかもしれない。
 ――まずい。
 いま、コイツを刺激するとまずい。
 知らず、ゴクリと生唾を飲みながらメアリもまたそう判断していた。
 その思いは先程の "エクスプロージョン" を見て強固になる。
 捕らえられた時に当然ではあるが武器を取り上げられていた事もあるが、例え武器が手元にあったとしてもなぜか、今のルイズに敵う気がしないメアリであった。
 一方、才人はと言うと焦りを更に募らせ、言葉を必死に探している。
 牢の外から迫り来る大勢の人の気配はかなり近くなっていたからだ。
 早く。
 早く何とかせねば。

「ルイズ! き、聞いてくれ! 敵がもうすぐそこに――」

 言いかけて、言葉を呑む才人。
 ルイズが突如才人とメアリに背を向け、牢の外へ向かい歩き出したからだ。
 程なくゆっくりと丸く穴の開いた鉄格子から頭だけを通路へ出し、その先、恐らくは地下牢の出入り口を確認して。
 手にした杖を才人の故郷・地球で言う所、まるでTVの電源をリモコンで消すかのように出入り口に向け、ボソリと何かを呟いたのだった。
 次の瞬間。
 もう一度今度はボムと先程よりも大きめの音が響き、次いでガラガラと地を揺らしながら出入り口が土砂で埋まる音がする。

「これで少しの間落ち着けるわ、サイト」

 呆気にとられる才人とメアリに振り返ったルイズの笑顔は、やはり闇の花のよう。
 その花言葉はきっと『原始的な恐怖』。
 ルイズはすくむ二人のことなど気にも留めず今度はゆっくりと才人の方へ近寄り、手にしていたデルフリンガーを手渡しながら、その首に腕を回し小さな唇から恐怖を漏らした。

「ねぇ? サイト」
「は、はひぃ?!」
「私ね。才人が居ない間、ずっと考えたの」
「何、を――ですか?」
「あんた、いつも、いつもいつも……いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいっっっっつも、女の子を惹き付けてばかりよね?」
「俺はっ、別に」

 否定したかった声は、裏返ってしまう。
 鼻をルイズの甘い乙女の香りがくすぐったが、やはり今の才人には恐怖をかき立てる香りでしかなかった。
 そんな才人にルイズは相変わらず怒りを表すでも無くクスリと微笑んで、ゆっくりとその可愛らしい唇を才人の耳の側に持って行く。

「ううん、いいの。その度に私怒ったりしてたけれど、今はもう、いいの」
「……ルイ、ズ?」
「いいのよ、サイト。考えてみれば、あんたって私が夢中になってしまう位の男だもの。ヒゲも生えてない、見てくれが冴えない位じゃ、あんたの魅力は隠しきれないのよ。だからね?」

 尋常ならぬルイズの様子に恐怖し硬直する才人の耳元で、ルイズは優しく息を吹きかけながらそう囁き、キっとこの時初めて瞳に敵意を宿しメアリを睨む。
 メアリはそれまでの雰囲気に完全に呑まれていた為か、思わずひっと声を上げ手を前に差し出した。
 差し出した手は、鳶色の瞳に宿る憎悪と怒りの業火を直視しないようにした為か。

「だから……言い寄ってくる女の子が居なくならないのは、きっと、私が悪いのよ」
「ルイズ?!」
「うふ。だってそうでしょう? サイト。きっと私が相手なら奪えるかもって思われちゃうから、みんなあんたに手を出すんだわ。だから、ね?」

 杖がゆっくりと上がり、メアリへと突きつけられる。
 その瞳には強い敵意が滾るものの、表情そのものはゾっとするほど白く無表情だ。

「だから……私が近寄って来る子を片っ端から排除すれば、きっと、みんなあんたの事諦めるとおもムグ?!」

 台詞は最後まで続かない。
 極まった才人がいきなり己の口でルイズの唇を塞いだからである。
 最早、言葉では止められぬと判断した才人が精一杯頭を回転させ、思いついた方法が暴力でも言葉でもない、いきなりのキス、だった。
 ルイズは突然の事に最初は抵抗するそぶりを見せたものの、最近の才人には珍しく、差し込まれた舌が情熱的に動くにつれ、メアリに向けた杖がゆっくりと垂れて下がる。
 その様子をメアリは呆然として眺めつつも、才人が手の届かぬ場所に居る事をまざまざと見せつけられた事よりも、生命の危機を脱した事に安堵を覚え肩の力が抜けていく。
 これが普段の彼女ならば負けてなるものかと二人を引きはがしにかかったであろうが、先程までのルイズの鬼気迫る様子を見ては、とてもそんな気にはなれなかった。
 やがて。

「ぷぁっ、は、ふ……サイ、ト……」
「ルイズ、落ち着いたか?」

 長らく呼吸を封じられていたからか、それとも羞恥のあまり才人の顔をまともにみれなくなったからか。
 ルイズはそれ以上言葉を紡ぐことなく、トロンとした雰囲気のままうつむき、才人の問いかけに小さくコクンと頷く。
 そこに先程までの恐ろしい雰囲気はすでに無く、いつものどこか才人に甘えたような空気を纏う彼女の姿があった。
 しかし予断は許さない状態であると才人は知ってか、間髪入れず現在最も重要な現実についての話題を振る。

「よし、ルイズも落ち着いた事だし、とりあえず脱出するか」
「え?」
「ルイズ。殿下から何か言付かってる事、あるんだろう? 計画が変わったし」
「あ……うん。えっと、ね? 殿下が『サイト君の事だから、どうせ脱出する時ある程度派手になるだろうし、それを利用して我々はロンディニウムへと先に潜入させて貰うよ』って」
「と、言う事は俺達は一旦北に逃げた方が良さそうだな。ロンディニウムはここから南だし」
「そうね。今の時期騒ぎが起きれば間違いなく、トリステインかゲルマニアの密偵かと疑われるもの。北に逃げた方が巡視隊の目をそちらに向けられるわ」
「サイト、なら北西にあるクルーナスの町に向かうのはどうだ?」
「クルーナス? なんでだメアリ」

 場の緊張感が薄れた為か、メアリが取り繕うように会話に割り込んでくる。
 そんな彼女にルイズは少し不機嫌な視線を浮かべはしたものの、先程の余韻がある為かそれ以上の敵意は向けはしない。
 どうやら完全にいつもの分別ある彼女へと戻っているらしい。
 メアリはまだ少し視線に怯えつつも、その後に続く自分の言葉に自信があるのか極力ルイズの方を見ないようにして説明を続ける。

「い、いやな? お前、らも後でロンディニウムに向かう予定なんだろ?」
「ああ。とりあえず、殿下達が見つからないよう北に逃げて、そっちに非常線を張らせたいんだ」
「ラックスフォードからクルーナスへの街道はロンディニウムへの街道と正反対なんだが、クルーナスからロンディニウムにも古い街道があるんだ」
「あ、そうか! 一旦派手に暴れてクルーナスに向かった後、殿下がロンディニウムに潜入出来た頃合いに俺達もロンディニウムに向かえるって事か」
「そういう事。な? あんたもそれがいいと思うだろ?」

 プライドよりも実益を選ぶあたり、彼女らしいと言えるのかもしれない。
 メアリは先日までの険悪さはどこへやら、やけにフレンドリーにルイズへ同意を求め、顔を引きつらせながらも笑顔を作った。
 才人を諦めたかどうかまでは判断がつかなかったが、この場では争う事が色んな意味で自殺行為であると理解してはいるらしい。

「……そうね。わたしもそれが良いと思うわ」
「よし、決まった! じゃあ、さっさとここを出るとするか!」

 とにかく今はトントン拍子に事を進めねば。
 才人は手を縛られていた縄をあっさりと引きちぎり、受け取ったデルフリンガーを抜きメアリの手を縛っていた縄を斬って、二人に牢の奥に移動するよう指示を出す。
 それから、軽口を叩き愚痴を訴えようとするデルフを宥めながら鞘に押し込め、先程ルイズが鉄格子に開けた穴から通路に出て、壁に手を当てた。
 同時にボゴと音を立てて石の壁がえぐれ、その手の中には一振りのシンプルな投げ槍が出現する。

「ルイズ。メアリ。耳を塞いどけ。塞がった出入り口の風通しを良くするぞ」

 台詞は力強く、先程までの情けない空気は既に無い。
 メアリは一瞬そんな才人に見惚れながらも、これから彼が何をするのか理解して、その場に蹲り耳を塞いだ。
 一方、ルイズはというと耳だけを押さえ、立ったまま才人を見続けている。
 そんなルイズの姿を見上げ、メアリははっとして唇を噛む。
 何となくであるが、今の自分と彼女の差が、才人への想いの強さを現しているような気がしたからだ。
 つまり、才人は耳を塞げとは言ったが危ないとは言っておらず。
 ルイズはその言葉を無条件で信じられるからこそ、あの槍がこんな近くで炸裂しても小石一つ飛んでこない事を確信しているのだと理解したが為である。
 その小さな敗北感は、メアリの瞳に意志を宿らせ再び立ち上らせる事となり。
 才人やルイズの思惑を余所に、本人さえ知らぬ乙女の心は勇気を取り戻す。

 しかし勇気はなぜか甘く胸を締め付け、今までとは別の場所を焦がすのであった。






[17006] 7-20:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/03/13 16:41



 時節は少し遡り、才人とルイズがウェールズと再会し "麗しのアンリエッタ号" に乗り込んだ頃か。

 暦をケンの月からギューフの月へと移した、神聖アルビオン共和国首都・ロンディニウム。
 その南側に建つハヴィランド宮殿に、かつては貴族派であり今は浮遊大陸を支配する将軍や閣僚達が招集されていた。
 彼らは荘厳な白一色のホールに会し、巨大な一枚岩で作られた円卓について、皆一様に不機嫌な表情を張り付かせ落ち着かない様子で腰掛けている。
 もうかなりの間自分達を招集した人物を待ち続けている為か、中には苛つきを隠せず腕を組んで脚を揺する者までいた。
 果たして名だたる貴族である彼らを呼びつけ、待たせる人物とは如何なる者か。
 その者はつい二年前までは地方の一司教に過ぎなかった男である。
 メイジの血筋では無かったが、ある日伝説の系統に目覚めた人物でもある。
 何より待ち人は、彼ら貴族派の盟主として王党派との戦いを勝利に導いた人物であった。
 突如。
 ホールに幾つもある扉の内、かつて王族専用であったものを衛士が開いて、呼び出しの声を上げる。

「神聖アルビオン共和国政府貴族議会議長、サー・オリヴァー……」

 名の呼び上げは最後まで行われない。
 当の本人が衛士に翳し、にこやかに遮ったからだ。

「サ、サー?」
「無駄な慣習は省こうではないか。ここに集まった諸君で、余の事を知らぬ者は居ないはずなのだから」

 貴族連合レコン・キスタの総司令官,、オリヴァー・クロムウェルは衛士にそう言いながら円卓を見渡した。
 高い鷲鼻と理知的な碧眼は慈愛に満ち、カールした金髪はよく手入れがされていたものの痩せた体躯からは威厳は感じられない。
 しかし彼こそは間違いなく神聖アルビオン共和国の初代皇帝である。
 その証として、クロムウェルはかつて国王が座していた一際豪奢な作りの椅子に座すと、起立して彼を迎えていた閣僚や将軍に座るよう促し会議の開催を宣言した。
 議長席の背後には秘書であるシェフィールドが控えており、会議が真の主の意に添うよう目を光らせる。
 そこまでは才人が過ごした "前" と同じであったが、ただ一つ、場にワルド子爵と土くれのフーケの姿は見当たらず、かわりにシェフィールドの隣にもう一人。
 漆黒のローブを纏った女性らしき人物が幽鬼のように立っていた。
 特別な許可があるのか神聖政府の会議の場にあっても深く被ったフードは脱いでおらず、内部に闇その者を湛えているかのように顔おろか口元すら見えない。
 そのせいであろう。
 彼女の周りはどこか異質な空気が漂っていると見る者に錯覚させ、得体の知れない不安を煽るのだった。

「閣下にお尋ねしたい」

 会議の開催と同時に挙手をしながら声を挙げたのは、白髪と白髭が見事なホーキンス将軍である。
 歴戦の将軍は少しきつい目を皇帝に向け、発言の継続許可を待つ。

「続けたまえ」
「は。我が軍はタルブの地で一敗地に塗れた後、艦隊再編の必要に迫られました」
「うむ」
「その時間稼ぎの為秘密裏に行われた、トリステイン女王の誘拐作戦も失敗に終わっております」
「そうだ」
「……閣下。それらが招いた結果を閣下のお耳に入れても?」
「もちろんだ。余はすべての出来事を耳に入れなくてはならぬ」
「では……。敵軍は、ああ、トリステインとゲルマニアの連合軍は突貫作業で艦隊を整備し終え、二国合わせて六十隻もの戦列艦を進空させました」
「ふむ……」
「これは我が軍が保有する戦列艦に匹敵する数です。しかも再編にもたつく我が軍と比べ敵は艦齢も新しく士気も上がっております」
「ハリボテの艦隊だ。奴らの練度は我々に劣る」

 ホーキンス将軍の言葉を遮るように反論したのは、クロムウェルではなく他の将軍であった。
 将軍は指摘にゆっくりとかぶりを振り、重苦しい口調のまま不快な報告を続ける。

「それは昔の話です。練度で言えば我らも褒められたものではございませぬ」
「何故だね? ホーキンス将軍」
「我々は革命時に優秀な将官士官を多数処刑した上、残ったベテランもタルブで殆ど失ったからです、閣下」

 説明にクロムウェルは黙り込んでしまった。
 難しく顔をしかめてはいたが、不興を覚えている様子は無い。

「彼らは現在、船の徴収を盛んに行い諸侯の軍にも招集をかけ、尚も戦力を増強しております」
「ふむ……まるでハリネズミだ。これでは攻め手が見つからない」
「攻める?! これだけの情報がありながら、貴殿は敵の企図する所を読めぬというのか?!」

 ホーキンス将軍は悠長な物言いで発言した太った将軍を睨み付け、声を荒げながら円卓を叩いた。
 怒声は雷のように響き、場の緊張感が冷たく増すのがわかる。

「よろしいか?! 彼らはこのアルビオンに攻めて来るつもりですぞ?! ――閣下」
「続けよ」
「は。以上を前置いて閣下に質問致します。閣下の有効な防衛計画をお聞かせ下さい。本日我らを招集したのはその為だとか」
「いかにも」
「では是非。小官が愚考するに、艦隊決戦で敗北したならば我らは丸裸となります。更に敵軍を上陸させれば泥沼の戦となりましょう。革命戦争で疲弊した我が軍が持ちこたえられるかわかりませぬ」
「それは敗北主義者の思想だ!」

 声を荒げホーキンス将軍の言葉に噛みついたのは若い将官である。
 クロムウェルは手を翳して怒りも露わに立ち上がった彼をにこやかに制し座らせ、ホーキンス将軍に向き直った。

「彼らがこのアルビオンを攻める為には全軍を動員する必要がある」
「おっしゃるとおりです。しかし、彼らには国に軍を残す必要はありませぬ」
「なぜかな?」
「彼らには我が国以外に敵はございませぬ故」
「将軍は彼らが背中を疎かにするつもりであると?」
「は。既にガリアは中立声明を発表しております。それを見越しての侵攻なのでしょう」

 将軍の言葉に場はざわめき立つ。
 中にはこの場に及んで動揺を隠しきれぬ者までいたが、クロムウェルは焦るでもなく悠然と背後に控える秘書に目配せを送った。
 秘書――シェフィールドは合図にコクンと小さく頷いて返し、傍らに居た黒いローブの女に何やら囁く。

「その中立が偽りだとすればどうかな?」
「……まことですか? 閣下。ガリアが我が方の味方として参戦するなど……」
「そこまでは申しておらぬ。なに、ことは高度な外交機密であるのだ」

 場のざわめきはクロムウェルの意外な言葉に一層増した。
 ホーキンス将軍もまた、顔色を変えてクロムウェルを見つめている。
 その表情は信じられぬといったものだ。
 周囲では閣僚や将軍達が思い思いに話し始め、もっぱらクロムウェルがどうやってその協力を取り付けたか、ガリアの意図する所が話題となっていた。
 外務大臣すら慌てふためいている様子から、事はクロムウェルの言うとおりかなり高度な外交機密であるらしい。
 将軍はそう判断しながらも、同時に彼の思考は戦略について回転を始める。
 参戦するまでいかなくとも、もし、ガリアが味方であったなら?
 艦隊戦に入る前、いやもし敗れた場合でもいい。
 ガリアが軍をトリステインやゲルマニアの国境に動かすだけで、彼らの前線は動揺し戦況はあっという間にこちら側に傾くであろう。
 彼らにしてみれば少なくとも撤兵は免れない。
 ――本当にガリアがハルケギニアの王政に弓引く自分達の味方に付くのなら、であるが。

「閣下。疑うわけではございませぬが、それがまこととするならばこの上ない朗報ですな」
「だから高度な外交機密であると申しておる」
「しかし、その話、如何様にして? 見たところ外務大臣も知らぬ話のようですが――」
「なに。ガリア国王は今の腐りきった王家よりも伝説の "虚無" 、ブリミル様の直系を選ばれただけの話じゃて」

 答えたのはクロムウェルでなく、シェフィールドの隣に控えていたローブの女。
 その声はよく通り、広い白のホールにべっとりと張り付くような凄艶さであった。

「――貴殿は?」
「彼女はガリアからの "客人" だよ、ホーキンス将軍」
「なんと!」
「くく、密使故名も顔もこの場では明かせぬがの。皇帝陛下の言葉に華をもたせようと、証人としてこの場に同行した次第じゃ」

 女のくぐもった笑いは場に居た者達に不吉な印象を抱かせたが、クロムウェルだけは悠然と構え満足げに胸を張っていた。
 彼の様子から女の素性が信用できるだけのものを、何かしら提示されているらしい。

「諸君、そういうことであるから案ずる事無く職務に励みたまえ。攻めようが守ろうが我らの勝利は揺るがない。私はこれから "客人" と高度な外交を行う必要があるのでね、失礼するよ」
「は!」
「あと、今後の対トリステイン・ゲルマニアの作戦立案は君達に任せる。ガリアは動かない事を前提に話を進めてくれたまえ」
「御意」

 クロムウェルはそう言って立ち上がり、秘書と密使を伴ってホールを後にした。
 ホーキンス将軍は敬礼をして彼らを見送ったが、その折にガリアの密使が深く被ったフードからちらりと口元が見え、年甲斐も無く生唾を飲んでしまう。
 一瞬見えた女の唇があまりに艶めかしく、雄の本能に訴えかけてくるように笑みを浮かべ――

 たまらなく恐ろしいものに見えたからだ。



 そして現在。
 ギューフの月も半ばにさしかかった、ハヴィランド宮殿の執務室にて。
 時刻は昼頃であるがカーテンが閉じられた室内は暗く、クロムウェルはかつて国王が使っていた執務机に向かっていた。
 机の真向かいには秘書のシェフィールドが立ち、冷たく神聖アルビオン共和国の初代皇帝を見下ろしている。

「ミス・シェフィールド。これで……本当にこれで良かったのですか?」

 男の声に余裕は無く、不安と恐怖がありありと見えた。
 シェフィールドはクロムウェルを見下ろしながら、口元に笑みを浮かべゆっくりと頷く。

「ええ、なんの問題もないわ司教殿」
「しかしワルド子爵とフーケが消えたのは……」
「こちらの情報では、離反した彼らがトリステインやゲルマニアに与した形跡はないわ。情報が漏れたとしても大した事ではないし、裏切り者の言を信じる者はいないでしょう」
「なるほど……」
「それに雇ったうでっこきの傭兵に魔法学園を襲撃させた後、二人を始末させるよう手配もしてあるから大丈夫よ」
「ですが……ワルド子爵が居ない今、どうやって暗殺者をトリステインに? 諜報員の報告によれば、彼の国の "協力者" はどういったわけか皆あぶり出され、粛正されてしまったと……」
「くく、案ずるな。儂が手引きしてやろうて」

 粘り着くようなくぐもった女の笑いが、執務室に転がった。
 笑いはシェフィールドのものではない。
 秘書と皇帝の視線が向けられる部屋の隅、もっとも闇が濃い場所にあの黒いローブの女が立ち、そう口にしたからだ。

「本当でございますか?!」
「本当も何も、 "我が主" がそう望まれるならば是非も無い。ひひ、そうであろう? 秘書殿」
「……そうよ」

 不快な笑い声を上げ協力を請け負った女に、シェフィールドは恐ろしく冷たい声で答えた。
 クロムウェルはそこに侮蔑と不審を多分にくみ取り、戸惑いを覚えたが触らぬ神にたたりなしとばかりに愛想笑いを浮かべ、うわずった声で女に礼を述べる。
 そんな彼にシェフィールドは内心舌打ちをしながらも、それ以上女に構う事無く皇帝の秘書として仕事の話に戻る事にした。
 彼女の主であるガリア王に最近取り入った得体の知れない女ではあるが、その実力は確かであると知っていたからだ。
 いや、正確にはその力がどのような物であるかは全く検討も付いていないのだが、彼女が「やる」といった事は必ず成し遂げられる事だけは確かであると知るシェフィールドであった。

「じゃあ話を元にもどしましょうか、 "閣下" ?」
「あ、は、はい」
「北部のラックスフォード方面空軍の件だけど、やはりトリステインかゲルマニアの艦隊がスニソートビーク空域を越えて来た形跡はなかったわ」
「と、言う事はラックスフォードの艦船が何隻か破壊されたのは……」
「基地司令官の報告通り、大空賊 "片目" のネルソン一家の報復のようね」
「ううむ……たかが空賊にラックスフォードの司令官は一体何を」
「さあ? あの白髭の将軍が言っていたように、練度の問題では無くて?」
「……ミス・シェフィールド。本当に大丈夫なのでしょうか?」
「あら。 "あの方" の案が信じられないと?」

 声は急に氷のように冷たくなった。
 クロムウェルは秘書が纏う空気が変わったのを敏感に察知し、飼い主に怒られる事を怖れる犬のように執務机から立ち上がり、彼女の足下に跪く。

「め、めめ、滅相も無い! 私がこのような地位に就けたのも、すべてあの方の言う通りにしたお陰でございます!」

 情けない台詞の音色は媚びと諂いと恐怖。
 古き王政を見事打倒してみせた皇帝の真実は、臆病な犬そのものであった。
 シェフィールドはそれからしばらくの間、冷め切った視線を蹲り必死に美辞麗句を並べ立てる憐れな男に向けていたのだったが。
 ふとクロムウェルの言葉が途切れても尚、蹲り続ける事に疑問に感じて片眉を上げる。

「……司教殿?」
「くく、気にするな。ちとそこの五月蠅い阿呆の時を止めただけじゃ」

 返答はまたもや部屋の隅にある闇から。
 黒いローブの女の言葉を受け、シェフィールドは足下の男を軽く蹴飛ばしてみる。
 感触はなるほど、まるで岩のように硬くなっておりどういった魔法を使ったのかは不明であるが確かにクロムウェルの時間は止まっているように思えた。

「……何のつもり?」
「何。あの狂王ではなく、お主と直接取引をしたい事があっての」
「貴様!」
「怒るな。ひひ、あの一夜は夢のようであったろ?」

 愛する主を狂人呼ばわりされ、シェフィールドは瞬時に怒りも露わにして黒衣の女を睨んだ。 が、いつぞやの一夜のことを持ち出され怒りで朱に染まりかけた頬を羞恥で更に色濃く染める。
 その様子に女はいたく満足してか、再びくつくつと笑い出した。

「くく、中々良い表情をするの」
「――っ!」
「だから怒るなと言うとろう? 前も言ったが、儂はお主の味方じゃ」
「……信じられるわけないでしょう?」
「そうか? ではこれならどうかの」

 黒いローブを羽織りフードを深く被った女――『時の魔女』ノルンは、くぐもった笑いを発しながら言葉を続ける。
 その様はまるで、部屋の隅に湧き出る闇から取引を持ちかける悪魔のようだ。
 唯一いつから見えるようになったのか、フードから覗く唇は常に柔らかな笑みを湛えて、同性のシェフィールドでさえ淫靡な妖艶さを感じる程赤く美しく。

 そして "神の頭脳" と謳われる伝説の使い魔は、主と同じように悪魔との取引に応じるのであった。






[17006] 7-21:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/03/21 18:44



 ギューフの月第四週であるティワズの週はエオーの曜日。

 以前はアルビオン王国、今では神聖アルビオン共和国の首府であるロンディニウムの下町、イースト・ロンディニウムでの事。
 数ある平民の居住区画の中でも、特に治安の悪いこの下町に "赤竜の鱗亭" はあった。
 店は勇ましい名前とは裏腹に、チンピラや柄の悪い傭兵のたまり場となっており、宿となっている2階も大半の部屋は昼間から客の相手をする娼婦が陣取っている有様だ。
 そんな "赤竜の鱗亭" の2階、もっとも奥まった部屋にて。

「――これは……む、なかなかクるね」
「む、無理です殿下。こんな、大きいな……口に入れるなど、自分にはとても……」
「うっぷ……ドロっとして気持ち悪ぃ」
「うわ! 俺の方を向いて吐き出すんじゃねぇ! メアリ、お前最初の勢いはどうしたんだよ?」
「サイト……私も、もう……!」
「な、なんだよルイズまで……あんなにメアリと張り合ってたのに」

 妖しげな会話は、先んじてロンディニウムに潜入したウェールズ皇太子とケイト・ブロウ准尉、そして彼らと無事合流できた才人とルイズ、 "北風" メアリらによるものである。
 室内は日中であるにも関わらず雨戸を閉め切っており、闇に近い。
 唯一の光源は雨戸の隙間、あまりに乱暴な建付の為に大きくそこから漏れ入る太陽の光だけだ。
 果たして一行はそんな部屋の中で何をしているのか?

「噂には聞いていたけれど、アルビオンの平民の食事って本当に "すごい" のね――あ! も、申し訳ございません、殿下」
「いや……謝る必要はないよ、 "ミス・ゼロ" 殿。これも我々アルビオン貴族の政が行き届いていないせいなのだから」
「しかし、ここまでとは……これでは航海終盤にフネの上で供される、腐りかけの肉の方がまだマシですね」
「うぇ、ぺっ! ぺっ! ……同感。こんなもん、空賊のフネで出してみろ。その日の内に反乱が起きるぜ?」

 メアリはそう言いながらまだ残っていた口の中の物を、部屋の隅に向け文字通り吐き捨てた。
 はしたないその行為を咎める物はいない。
 テーブル一つない部屋の中、一同は床に直接車座に座りこんで中央に鎮座した大きな鍋の中に、まるで腫れ物を見るかのような視線を注ぎ込んでいる。
 鍋からは大きな魚の尾が無造作にはみ出しており、それだけでもかなり雑な料理である事が伺えた。
 いや。
 ただ雑なだけであるならばどんなに良かったであろう。
 この場に居る全ての者が抱いている感想だ。
 問題は鍋の中、即ち具材であった。
 才人達が食していたものは、アルビオンでは――下町、特に貧民街ではありふれた料理である。
 材料はたった一つで済む簡単な料理で、下ごしらえの後、塩や香草で味を調えてひたすら煮込み冷やしたものだ。
 料理の名は "ウォーターリーパーのにこごり" 。
 ウォーターリーパーとは、アルビオン大陸全域で見られる生き物で、主に淡水の沼地に生息する両生類である。
 その外見はお世辞にも良い物とは言えず――いや、かなりの部分をオブラートに包んだ言葉で言い表しても、グロテスクな外見をした生き物であった。
 なにせ、手足の無い巨大な白いヒキガエルに魚の尾が生えており、本来備わっているはずである前足の位置には、2枚の発達した羽状のヒレが生えている外見なのだ。
 いくら農地面積に限りあるアルビオン大陸とは言え、先人は何故にこれを食そうと思ったのか。
 100歩程譲っても、何故白いヒキガエルを茹でた後冷やして、豊富なゼラチン質故にゼリー状になったソレを完成としたのか。
 少なくとも、アルビオン人ではないルイズや才人には理解出来よう筈がない。
 否、このような食物を絶対に口にする事が無い王族であるウェールズ皇太子も理解出来る事はないだろう。

「んだよ、ケイト、メアリ。お前らだってアルビオン人だろ?」
「私はその、一応は貴族でしたし……」
「あたいは物心ついた時からじじぃのフネに乗ってたからな。陸の食いもんにゃあんま縁がなかったんだ。それに陸に上がる時は大概どんちゃん騒ぎで御馳走ばっかだったし?」
「……サイト君はその……平気なのかね?」
「俺ですか? 見た目は……まあ、良くは無いですけど我慢できない程でも無いです。――食感を意識しなければ」

 才人は先程から顔を引きつらせたままのウェールズにそう答えて、取り皿に乗せられているゼリー状の物体にコーティングされた白い肉片を、あむ、と口に運んだ。
 そこに注がれる4つの視線の色は、全て嫌悪。
 ともすれば悲鳴が上がりそうな空気ではあったが、「どうせなら名物を食べてみたいな」と言い出した手前怯むわけにはいかない。
 味の方は意外にも淡泊で不味くは無かったが、如何せん肉よりもその周囲に付着したゼラチンがえもいわれぬ食感を醸し出して嫌悪感となり、背筋を凍らせる。
 が、過去に様々な経験をした上、『時の魔女』ノルンによって過去に送られた折に似たような "ひどい食事" を経験していた才人にとっては食べられない程では無かった。

「すげぇ……サイト、お前よくそんな生ゴミみたいなもん食えるな。きっと今までロクなもん食ってこなかったんだな」
「ちょっと! 私はちゃんと才人に美味しい物食べさせてきてたわよ?!」

 顔をしかめながらもモクモクと咀嚼する才人を見て、メアリは思わず呟いた。
 ルイズは彼女の台詞に一瞬だけ、才人を召喚したての頃の食事を思い出し、罪悪感からか少し焦ったかのように食ってかかる。
 才人はそんなルイズをフォローしようかと考えるも、召喚された後、最初にルイズから与えられたあの薄い塩味がするお湯の事に思い至り、余計な事は言うまいと苦笑した。
 それから、何時ものように顔を付き合わせてにらみ合うルイズとメアリにため息を一つついて、口中の肉片を飲み込んだ。
 二人はラックスフォードの空軍基地を脱出した後、ロンディニウムへの道程の中で相も変わらず衝突を繰り返してはいたものの、その関係は少々変化していた。
 あれ程才人に対して積極的であったメアリが、アプローチは行うものの直接的な誘惑はしなくなったのである。
 恐らくは牢での一件がメアリにある種のリミッターとなっていたのだろう。
 その為ルイズの方も幾分か心に余裕を取り戻し、かつてのキュルケとの関係のような微妙なぬるい緊張感と妙な馴れ馴れしさが、二人の間に横たわるようになったのだ。
 とはいっても、ラックスフォードからクルーナスを経由するロンディニウムへの道中は、才人にとって追っ手を躱す事よりも遥かに困難な旅路であった。
 ウェールズとケイトはそんな才人の苦労を感じ取ってか、共に苦笑しながらも助け船を出すのである。

「そうよメアリ。 "ミス・ゼロ" は貴族なのよ? その直属の部下にマズイ物を食べさせるわけ無いじゃ無い。しかも恋人、だし? まさかそんな、変な物を食べさせようとするはずが無いわよ」
「そ、そうよ! バカにしないでよね!」
「へぇへぇ、流石お貴族様でやんすね。じゃあなんでサイトだけこんなもん、平気で食ってんだ?」
「流石だね、サイト君。一流の剣士ともなればこれくらいの食事にも動じない、と言う事か。私も見習う必要があるね」
「えっと……まあ、なんていうか。一時期、ロクに飯を食えない時期があって。それ……で……」

 取って付けたかのようなウェールズとケイトのフォローに才人は頭を掻きながら応じかけた時。
  "赤竜の鱗亭" の薄い壁の向こうから、悩ましい声が聞こえてきて才人の言葉を遮った。
 声はやけに艶っぽく、しかしどこかわざとらしくも有り、非常に気まずい空気を場に作り出す。
 一同はそれがなんの声であるかはわかる程には大人であったし、無視出来る程大雑把な性格でも無かった。
 つまりは、 "赤竜の鱗亭" の2階を利用している娼婦達の一人が、 "仕事" を始めたのである。

「――また、始まりましたね」
「ま、ままままた? さっき終わったばっ、ばかりなのに?!」
「あー、こりゃ二つ隣の部屋だわ。さっきより声が高いし」
「ちょ、ちょっとメアリ! あんた何壁に耳を押し付けて聞いてるのよ!」
「いいだろ? お前はどうかは知らねえけど、あたいはこう見えて "おぼこ" なんだ。いつかサイトの相手する時の為に参考になる事があるかも知れねえだろ?」
「そんな時は来ないわよ! それに私だってマダだし!」
「 "ミス・ゼロ" 、メアリさん、お二人ともはしたな――?!」
「……おおう、すっげえ叫び声だな。『すごいすごい』って声の方がすげえよ」
「……なな、なにが『すごい』のかかかしら?」
「そりゃ、お前」
「だあ! やめろメアリ! ルイズ! ケイト! 殿下の御前だぞ?!」

 女三人寄れば姦しいとはよく言った物ではあるが、その会話の内容にたまりかねた才人が三人を止めに入った。
 普段は反目し合い、或いはそれ程仲の良いとは思えぬ三人であったが、そこはやはり年頃の娘である。
 やはり、こういう事には興味が津々であるらしい。
 茹で蛸のように腕まで赤くしたルイズはメアリに食ってかかりつつも意識を壁の向こうに向けている。
 ケイトも頬を染め、二人を窘めてはいるもののやはり壁の向こうが気になるのかモジモジとして。
 更にあばずれた態度をとるメアリも、言動とは裏腹に顔を真っ赤にして聞き耳を立て続けていた。

「……なんというか……サイト君。すまないね、落ち着かない部屋で」
「いっ、いえ……」
「我慢してくれよ。じじぃの息がかかった、信頼できる宿手配しろって言ってきたのは王子様だぜ? ……うぉ? なんだ? 尻でも叩いてんのかな、あの音」
「し、ししし、尻?! ――お尻を、叩く?! どういう事?!」
「――どんな事をしているんでしょう、か」
「知るか。俺だって手下共の猥談聞いた範囲でしか知らねぇし。ブロウ准尉様は知ってるんじゃねえか?」
「なっ?! なんで私が!」
「だって、どっかカマトトぶってそうだし?」
「しっ、失礼ですね! 私だって侍女がしていた話位でしか――その、まだ経験は……あの……」
「そうよ! あんた急に何を言いだすのよ!」
「そういうお前はどうなんだよ?」
「わ、私ぃ?! そりゃ私だってマダよ! 声や音じゃなくて実際見た事ならあるけれど――あ!」
「み、見ただぁ?! お前、両親のアレでもコッソリのぞいてたのか?」
「のぞきなんてするわけないでしょ!」
「では……では、 "ミス・ゼロ" はどのような状況で?」
「……たまたま、そういった行為を記録してる魔具を見ちゃったのよ。たっ、たまたまだからね?!」
「あー、はいはい。ガッツリみたからこれくらい、なんでもないってか」
「違うったら!」
「……なんというか……サイト君。すまないね、落ち着かない部屋で」
「いっ、いえ……」

 居心地が非常に悪いのか。
 何時の間にかウェールズは才人の隣に移動して、女性陣の会話をただ黙って聞いていた。
 その表情は非常に困ったといった体であったが、ここで本格的に彼女達を窘め会話を控えさせると、ひたすら喘ぎ声を聞き続ける羽目に陥ってしまう。
 だからであろう。
 ウェールズは才人と "男同士" の会話を交わす為、隣にやってきたらしい。

「む、むこうは放っておいて殿下。これからの事なんですけど」
「ああ、そうだね。とりあえず……コホン。その話をしようか」
「 "アンドバリの指輪" を奪還するに当たって、具体的になにか作戦があるのですか?」
「うむ。実はハヴィランド宮殿で働く者の内、幾人かはこちらに内通している者がいるのだよ」
「へぇ。その辺は抜かりないんですね」
「まあね。で、数日以内に内通者と渡りをつけ、レコン・キスタの指導者クロムウェルから "アンドバリの指輪" を奪還すべくハヴィランド宮殿に潜入する予定なのだが……」
「……何か気になることが?」

 才人の問いかけに、ウェールズは眉をしかめほんの僅かな時間ではあったが何かを考え込んだ。

「サイト君。君たちがここに来るまでの間、道中はどんな感じだったかい?」
「道中、ですか? 追手はかけられていましたが……そういえば検問所みたいな物は無かったですね」
「ううむ……やはり……」
「どういうことですか?」
「先行してロンディニウムに入った我々もそうだったのだが、他国と戦争状態にもかかわらず街の警備は穴だらけで、間諜に対して警戒をしているようには見えないのだよ」
「……罠、ってことですか」
「わからない。私が直接ロンディニウムに潜入しているという情報は漏れては居ないと思うが……」

 ウェールズはそう言って、再び黙り込んだ。
 確かにおかしな話である。
 ロンディニウムは戦時中であるアルビオンの首府で、当然敵対国からの間諜に備えて警備は厳重であるのが自然だ。
 更に、ラックスフォードで派手に暴れた才人達についても、敵国の工作員である可能性を疑われ広範囲に渡って非常線を張られていてもおかしくは無い。
 しかし、その両方ともがどこか不自然に見えるほど警備が手薄く見えて、ウェールズにはどうにも腑に落ちなかった。

「殿下。その内通者ってのは……信頼できるんですか?」
「一応はね。あまり知られてなかったけれど、父上が生前目を掛けていた侍女がいてね。その娘の奉公先を内密に父上が世話をした事があったんだ」
「へぇ! それは凄いですね」
「うん。一国の国王が平民の為に便宜を図るなどと知れたらそれこそ大騒ぎだったのに……まったく、父上も困った物だね。いくら愛人だからって……私がまだ幼い時分の話さ」
「あ、愛人?!」
「む?」
「あ、いや。国王陛下でも、平民の女性を側室にする事があるんですね」
「はは、すこし違うよ、サイト君。側室にしてしまうと身分まで保障する必要が在るだろう? 父上の場合は単に肉体関係の見返りに "多少の" ボーナスを払ってただけさ」
「……で、愛人、ですか」
「そう。身分が高くなると正は勿論、側室の数も多くなるしね。それこそ、夜を共にする順番所か交わした会話の数、果てはどのような格好でまぐわるかまでキチンと管理されてしまうんだ」

 ウェールズの説明に、才人は "以前" の記憶を掘り起こして顔を引きつらせた。
 それは薄い記憶の彼方、王配として過ごした日々。
 才人の場合は王 "達" の相手は自分只一人であったものの、彼女達は皆独占欲が強く、よく "前" の時はどのような事をしたのかと根掘り聞かれていた事を思い出したのだ。
 形や身分は全く違うとはいえ、複数の女性を相手にする立場ともなれば悩みは大体似たような物となるらしい。

「その……高貴な方ってのは大変ですね」
「まぁ、ね」
「……そういえば、殿下はアンリエッタ女王陛下と結婚した場合、側室とかどうするんですか?」
「む? サイト君、何を突然?!」
「いや。ほら。殿下ってアンリエッタ女王陛下一筋って感じじゃ無いですか」
「サイト君だって、ミス・ヴァリエール一筋のように見受けられるが?」
「そうですよ。でも俺の場合殿下と違って世継ぎとかそういうの、気にしなくて良いし。側室っていうのは、血が途絶えないようにする意味もあるじゃないですか」
「ううむ、たしかにそうなのだが……うん。もしそうなれたとして、その時は国を取り戻した時だしね。やはり側室所じゃないと思う」
「ああ、そうでしょうね。確かにそれどころじゃ無い状況になるでしょう」
「そうだろう? だから私は精々、アンリエッタとの間に沢山の子供を……」

 そこまで話した所で、ウェールズは三つの視線に気が付いた。
 何時の間に興味をこちらに変えたのか、ルイズとケイト、そしてメアリが興味を露わにこちらをじっと見つめていたのだ。
 あの娼婦の声も何時の間にか消え失せている。
 ウェールズは気まずさを覚え、言葉を途切らせたまま、コホンと咳払いをして一言。

「失礼。レディの前でする話では無かったね」
「そんなこと! 殿下、やはり国家安泰の為、側室は多い方が……」
「だ、ダメよ! そんなことしたらきっと殿下は後悔する事になるわ! ね、サイト!?」
「俺にふるなよ、ルイズ」
「妾かあ。……うーん、それもアリっちゃあありなんだろうが……」
「ダメ! 妾もダメ!」
「あんだあ? お前、随分と食いつくな。あれか、本当、トリステイン人ってのは嫉妬深いな」
「そんなの関係ないでしょ!」
「おちついて、 "ミス・ゼロ" 殿。今は殿下の側室のお話です。私はその、愛人でも構わないというか……」
「ほ! お貴族様のブロウ准尉の言葉にしちゃ過激だな」
「な?! み、ミミ、ミス。ブロウ?! 貴女やっぱりサイトの――」
「え?! ち、違います! 殿下の話です、殿下の! ――あ、いやその、殿下、これは私の、その、なんだったらっていうか、例えばのはなしでして……サイトさんまでそんな目で!」

 ――女三人寄れば姦しいとはよく言った物である。
 才人とウェールズは眼前で膨らみ行くかつて自分達が所有していた話題を眺めながら、顔を見合わせてはぁ、とため息を深くつく。
 なんとなく彼女達がこれから未来に関わってくる女性の象徴に思え、目の前の困難な任務よりもそちらの方が遥かに気が滅入るような気がした二人であった。
 それからしばらくの間女性3名による会話が続いたが、隣室の娼婦が新たな客を取るに至り会話は終わりを迎えて。

 結局 "ウォーターリーパーのにこごり" はそれ以上食べられる事は無かったのである。






[17006] 7-22:extra_episode/美姫は空を征き、英雄は地を逝く
Name: 痴れ者◆2356d78b ID:c84aebd0
Date: 2011/03/31 01:17



 ギューフの月・第四週、マンの曜日。

 その日は丁度、トリステインとゲルマニアの大艦隊がアルビオンに向けて出撃する一週間前である。
  "史実" ではウェールズは既にこの世の人ではなく、ルイズと才人も魔法学院で縮みそうで縮まない互いの距離にやきもきしたり、コルベールにゼロ戦の燃料を作って貰ったりしているはずであった。
  "今回" はどうか。
 場所は神聖アルビオン共和国・ロンディニウム。
 平民の中でも多くの貧民が居を構えるイースト・ロンディニウムにある、 "赤竜の鱗亭" の2階の一番奥の部屋の前にフードを深く被った女と男の姿があった。
 女は "赤竜の鱗亭" で働く給仕と同じように胸元が大きく開いた服を着て、一目で娼婦であるとわかる。
 一方、男の方はというとこちらは未だ幼さを残す顔立ちで、アルビオンでは少し珍しい黒髪を除けば、何処にでもいそうな田舎者といった風情だ。
 男の腕を強く胸に抱く女の様子から、恐らくはこれから二人は目の前の部屋で "お楽しみ" なのであろう。
  "赤竜の鱗亭" は "そういう" サービスもしていたし、昼間から酔っ払いがくだを巻くような店である。
 その光景はとくに珍しい物ではないし、彼らが2階の一番奥の部屋に幾度か出入りしている事を疑う者はいなかった。
 いや、幾人かはあるいはフードの女が特殊なノックをしている事や、彼女が "赤竜の鱗亭" の給仕でないと気が付く者が居たのかも知れない。
 が、生憎店の2階は奥の部屋ほど "危ない" 部屋である事をそこに通う誰もが知っていた。
 不思議な事に各地の都市部にある、最下層の娼館や酒場には大概こういった特殊な部屋がある。
 部屋はヤクザの大物やお忍びで貴族が使うような目的で供され、当然中の様子を伺おうとした酔っ払いは対価として命を請求されてしまうのだ。
 したがってたとえフードの女の不自然さに気が付いた者が居ても、大方どこぞの貴族のドラ息子が屋敷のメイドやお気に入りの娼婦を連れ込んでいる、と勝手に決めつけ見なかった事にするであろう。
 貧民街で暮らす者達であっても、あえて危険に首を突っ込むような愚か者はいないのだ。

「戻りました」

 部屋に入るなり女はそう言って、被っていたフードを脱ぎ捨てた。
 娼婦の衣装を身に纏ったケイトである。
 大きく空いた胸元を恥ずかしそうに隠すその仕草は、貴族らしい気品が滲んで妙な色気を醸し出していた。

「お疲れ様、ブロウ准尉。報告は後でいいからとりあえずそちらで着替えてくれたまえ」

 彼女の心情を察してか、それともただ落ち着かないのか。
 ウェールズは逸る気持ちをおさえつつも、ケイトに部屋の奥に設えた脱衣室に視線を投げそのまま目の前にいる部下を直視しないよう視線を泳がせた。
 脱衣室は単に部屋の一角をベッドのシーツで間仕切りしただけの部屋ではあったが、女性陣にとっては唯一のプライベートな空間であり、着替えなどに使用されていた。
 ケイトはウェールズの心遣いに胸を打たれながらも、軍人らしく背筋を伸ばして敬礼を行う。
 すると胸元が大きく空いている、着用者の胸を殊更強調する矯正具が仕込まれている娼婦の服を着用している為か、ぶるん、と双丘が派手に揺れた。
 思わず隣にいた、ケイトの護衛兼相手役として街に出ていた才人はその動きに目をとられてしまい――
 只でさえ、他の女の相手役として才人を送り出していたルイズである。
 才人の視線の先が己に向いて無い事を身逃すはずが無い。
 敬礼の後、不穏な空気を感じ取ったケイトは不動の姿勢のままその原因にすぐ思い至り、短く声を上げ再びその胸元を隠すのであった。

「あ!」
「すげぇ……。なあ、ブロウ准尉。それ使い終わったらあたいにくれないかい?」
「……サイト。ちょっと、こっちにいらっしゃい?」
「……ゴメン」
「コ、コホン。ミス・ブロウ。その、次からはその服を着ている時は敬礼しなくて良い、ぞ?」
「はっ! も、申し訳……」

 軍人として男も女も関係無くたたき込まれた、条件反射としての敬礼。
 ぶるん。
 ケイトは決して――そう、決して胸が豊かな方では無い。
 にもかかわらず、この動き、この揺れ、この重量感は。
  "赤竜の鱗亭" の娼婦の服はある意味『魅惑の妖精』亭でルイズが着た、魅惑のビスチェのように魔法が掛けられているのかも知れない。
 と、白いこめかみに青筋を立てたルイズに部屋の隅へと引っ張られながら、才人はぼんやりと考えた。
 それから、これから起こる事から逃げるようにぼんやりと、お説教よりも殴られた方がいいなあ、とか、最近怒り方が妻であったルイズに似てきているなあ、などと考えてどう申し開きをしようかと悩み始める。
 勿論 "今" も昔も、魔法が掛けられているんだ、とは言い訳として通用する相手ではない。

「わわ、も、申し訳――きゃあ?!」
「ほんと、すっげぇなこの服。ブロウ准尉ってさ、胸は普通位なのにどうやりゃこんなにでっかく見せられるんだ?」

 メアリはケイトが来ている服の胸元をつまみ、しげしげと中をのぞき込もうとした。
 当然、ケイトはメアリの行為に抵抗するそぶりを見せるのだが、体術自体は圧倒的に優れているメアリが相手である。
 ふりほどこうとするケイトの腕を器用にかいくぐりながらメアリは、更に服の構造を見極めようとつまんだ服を引っ張った。
 その為、ケイトの胸は今にも服の中からこぼれ落ちそうになる。――ウェールズの目の前で、だ。

「ミス・メアリ。その、ここは他人の目があるからして、その、着替えの手伝いならあちらで……」
「おっと、そうだったな。ほれ、ここは王子さまの目の毒だってよ。さ、行こうぜブロウ准尉。あたいがその服を脱ぐの、手伝ってやるよ!」
「あ、あ、あの、ちょっと!?」
「きにすんなって! 脱ぐの手伝ってやるって言ってんだよ。どういった仕組みで胸が "そう" なってんのか知りたいしさ」
「あ、え? いえ、その、結構で……」
「いいっていいて。お貴族様ってのはこういうのが当たり前なんだろ?」
「サイト。私、じっくり貴方と話し合いたい事、あるの」
「わ、わかった! わかったから、とりあえず、杖をしまえ! な?!」

 二人の様子は才人も見ていたらしい。
 只一人、部屋の中央で取り残されたウェールズは知らず、はぁ、と小さなため息を吐く。
 彼の両の耳には、左右からそれぞれの修羅場らしき会話が飛び込んできている。
 それらはとても重大な任務を前にした、緊張感溢れる会話には聞こえない。
 むしろ何処にでもいそうな少年少女達のはしゃぐ会話のようだ。
 ウェールズは祖国の奪回が成功するかどうかの瀬戸際にあって、少しだけ疲れたようにもう一度ため息を小さく吐いた。
 才人から "本来の歴史" を聞かされていた彼ではあったが、例えそうだとしても今回も必ず同じように事が運ぶと盲信するような愚かな皇太子では無い。
 ここまで上に立つ者として悠然と構えて居る事が多かったウェールズだが、やはり不安と重圧は誰よりも強く感じているのである。
 しかしながら今の弛緩しきった空気は――不思議と居心地が良く、作戦の失敗を皇太子に予感させたりはしない。
 それはウェールズが才人の力の一端を知る為であろうか?
 だとすれば、これこそが慢心と言う物では無かろうか?
 どこか、見落としてしまっている材料があるのではないか?
 聡明な皇太子はそう自問するに至り、その内に気が付くとケイトの着替えは完了していたのであった。
 やがて才人もまたルイズとの "お話" を終え、外に出た二人の報告が始まる。
 果たして、二人が敵地の街で危険を冒して外にでた理由とは。

「――そうか。ではクロムウェルの予定はちゃんと掴めているのだな?」
「はっ。先程連絡を付けました "ザ・ウィッチ" からの使者によれば、クロムウェルは明日一日、宮殿に篭もりきりとなるそうです」

  "ザ・ウィッチ" とは、ハヴィランド宮殿に潜伏しているという密通者の暗号名である。
 ケイトと才人はその密通者と連絡を取る為、娼婦とその客に扮して "赤竜の鱗亭" から外に出ていたのであった。

「丁度一週間後はスヴェルの月ですから、予定通りなら……」
「あんだ? サイト。何が予定通りなんだ?」
「邪魔しないで。あんたは黙ってなさいよ」
「ちぇ、なんだよ。ここでも平民はのけ者か?」
「ミス。すまないね」
「へぇへぇ。じゃ、お邪魔虫は下で酒でも飲むかな。揚げ物は塩を振りかけりゃなんとか食えるから、それを肴にでもすっか」
「メアリ?」
「わぁってるよ、サイト。目立たねえように、だろ? ここの親父とは一応は顔見知りだしな、厨房で飲むから心配すんなって」

 メアリはそうごちて、さっさと部屋を出て行ってしまった。
 話の内容が重大な物となる事を察して、彼女なりに気を利かせてくれたらしい。
 己の立ち位置を弁え、必要以上に首を突っ込もうとしない彼女の意外な一面は少なからず才人を驚かせた。
 同時に、そうであるにもかかわらず才人の事に関してはルイズの存在も構わずアプローチを書けてくる辺り、それなりに本気であるという証となって。

「――続けよう。ブロウ准尉。 "アンドバリの指輪" については何か言伝は?」
「指輪については、クロムウェルは週に一度ラーグの曜日に篭もりきりとなった時、秘書にそれらしき指輪を渡して何かしら作業をさせているそうです」
「ふむ?」
「秘書が指輪をどのように扱うかまではわかりませぬが、作業自体は一夜かかる事なのは確かなようです。それと、指輪がどのような物であるか絵に書かれた物を頂いて参りました」

 そう言ってケイトは、ウェールズに恭しく小さなハンカチ程の布きれを差し出した。
 ウェールズが受け取った布きれには指輪の形の絵が描かれており、隅には色などがしたためられている。
 絵と文字は中々美しく、内通者は平民でありながらそれなりの教育を受けている事を伺わせた。
 ……もしかして、内通者の侍女は前アルビオン国王とその愛人の間に出来た子供だろうか?
 それとも、前国王が娘を宮殿に奉公させるに辺り、それなりの仕事を任せられるよう教育まで手を打ったのだろうか?
 才人は湧いた興味に僅かに思考を乱されながら、ウェールズが差し出してきた布きれを受け取ってしげしげと書かれた絵と文字を見つめた。

「して、その秘書の部屋は?」
「はっ。クロムウェルの秘書はかつて……その、陛下の執務室の隣である書斎を使用しているとの事でした」
「父上の書斎、か」
「……は」
「殿下……心中、お察し致しますわ」
「ああ、気にしないでくれたまえ、 "ミス・ゼロ" 。今、正にそれらを取り返す戦いを挑んでいるのだから」

 ウェールズは柔らかく微笑みながらルイズに言った。
 穏やかな表情には暗い影は無く、しかしその瞳には闘志と決意が炎をなり渦巻いている。
 今の皇太子には慰めの言葉など、かえって邪魔な存在でしかないのかもしれない。
 ルイズはウェールズの目を見てそんな印象を受けて、無言で頭を垂れて会釈を返した。

「では殿下。作戦の決行は明日、ラーグの曜日の夜と言う事で?」
「うむ。予定通り明日の夜、 "アンドバリの指輪" の奪還を行う」
「腕が鳴るわね!」
「おい、ルイズ。言っとくけど、お前の出番はまだ後だぞ?」
「なんでよ? 宮殿に忍び込むなら私が一番適任じゃない」
「いや、 "ミス・ゼロ" 。ここはサイト君にお願いする予定なのだよ。今はまだ君の魔法は温存しておきたい」
「殿下まで!」
「まあ、聞けよルイズ」

 少しだけ興奮しかけたルイズを才人はぐい、と少し強引に肩を抱き寄せて、そのふわふわのピンクブロンドに隠れた小さな耳に何やらゴニョゴニョと耳打ちを始めた。
 耳打ちは全てを知る訳では無いケイトの手前、ルイズの役割を伝える目的であった。
 実際の所は、簡単には納得しそうに無いルイズを一瞬で大人しくさせる目的の方が大きい。
 そんな才人の機転は確かに効果はあったのだが。
 それを見たケイトはほんの少しだけ、胸が苦しくなるような錯覚を覚えるのであった。
 錯覚は嫉妬とは思えなかったが、羨望や憧憬のような感触でウェールズに心を寄せる乙女を惑わす。
 一方、いきなり才人に抱き寄せられたルイズは一瞬だけ取り乱したが、才人の耳打ちの内容を聞き進める内に表情は羞恥から喜びのような物へと変化していった。

「――と、いうわけなんだよ。だから、お前の力を温存するのは仕方無いだろ?」
「そ、それもそうね! それならそうと、早く言ってよ!」
「仕方無いだろ。俺も作戦の詳細を殿下からコッソリ教えて貰ったのは最近だったし」
「すまない、 "ミス・ゼロ" 。サイト君の "経歴" を思えば、ギリギリまで秘すべきであるとアンリエッタ女王と決めて居た事なんだ」
「姫さまと?」
「うむ。元はといえばこの作戦、サイト君の話を元に彼女と二人で立てた作戦なのだよ」

 言葉尻はすこし恥ずかしげで、皇太子ははにかむように笑い、後頭を掻く。
 その表情は優しく幸せそうな物だ。
 アンリエッタとの関係を誰よりも知る才人とルイズは、ウェールズの笑みに釣られて微笑むのであったが、ケイトは違った。
 この時彼女の胸の中では、先程感じた錯覚が明確な痛みとなり心の一番柔らかい場所を刃が貫いていたのである。

 痛みの名は失恋ではなく、『孤独』であった。



 『人喰い』ドレイクが思いがけず、北の果てラックスフォードの基地からロンディニウムへと呼び出されていた。

 最初は基地から逃げた空賊を捕まえられなかった責任を追及する為だと思われた。
 しかし指定した場所が軍部の施設では無くハヴィランド宮殿であった事から、それは違うとすぐにわかった。
 彼が通されたのは、神聖アルビオン共和国の初代皇帝・クロムウェルの秘書の部屋。
 そこでドレイクを待ち受けていたのは二人の女である。
 一人は長い黒髪が印象的な美女で、皇帝の秘書であるシェフィールドと名乗った。
 もう一人は黒いフード付きのローブを羽織り、頭まですっぽりとフードを被っている。
 黒いローブの女の顔はわからなかったが、やけに癇に障る不快な笑い声から少なくとも若い女であると判断できた。

「ラックスフォード基地所属の竜騎士、か。アルビオン出身ではないようね?」
「はっ! 仕官前は傭兵をしておりました!」
「……経歴はどうでもいいわ。時間も無いし、単刀直入に行きましょうか」

 シェフィールドはそう言って、手にしていたドレイクの経歴書を机の上に放り投げた。
 ――どうやら、面白い事になりそうだ。
 ドレイクは内心ではほくそ笑みながら、直立不動の敬礼を解いて僅かに体を弛緩させた。

「あなた。普通の "竜騎士" じゃないわね?」
「……は? それは」
「言ったでしょう? 時間が無いの。陛下直属の魔法衛士になって任務に当たる気が無いのなら部屋を出て行きなさい」
「な?!」

 何か後ろめたいような任務を言い渡されると予想して居たドレイクも、シェフィールドの言葉には流石に絶句した。
 大貴族の後ろ盾も無い辺境の、しかも傭兵上がりの自分がいきなり皇帝直属の魔法衛士に抜擢されると言うのである。
 申し出は身分の低いドレイクにとってチャンスどころか、夢物語に近い物であった。
 勿論、その裏には死の危険と隣り合わせの任務が待っているだろう。
 しかし傭兵上がりのメイジにとって、それは間違いなく断る理由の無い申し出だ。

「……部屋を出て行かない、と言う事はやる気はあるわね?」
「いや、まだだ。甘い話に釣られて捨て駒にされるのはゴメンなんでね」
「ふふん。急に態度が変わったわね?」
「それだけヤバい任務なんだろう? 何せエサが皇帝直属の魔法衛士ときているからな。普通ではあり得ん」

 それまでの態度を一変させ、ドレイクは不敵に笑った。
 目の前の秘書の不興を買えば魔法衛士どころか軍籍すら危うい。
 しかし彼の嗅覚が告げる。
 わざわざ、アルビオンに数多居るメイジの中から自分を選ぶには理由がある、と。
 家柄ならもっとマシな者がごまんといる。
 捨て石にするには、もっと阿保なメイジも多く居る。
 何故、ロンディニウムから遠く離れた最果ての基地に居る自分を選んだのか。
 どうして、自分に声を掛けたのか。
 何か、自分で無くてはならない理由がこの女にはある、と。
 だからこそ、下手に出るのでは無く対等に振る舞わなければ。

「くく、なかなか鋭いの。いや、そうでなくては。お主が察しておるとおり、 "お主でなくてはならぬ" 任務があるのよ」

 まるでドレイクの心を見透かしたかのように突如語りかけてきたのは、黒いローブの女であった。
 僅かに見える口元は妖艶な笑みを浮かべており、くつくつと不快な笑い声を発している。
 ドレイクは思わずぎょっとして、ローブの女を睨んだ。

「貴殿は?」
「さて、の。お主の才を見つけ、皇帝陛下に推挙した恩人、とでも思って貰おうか。ひひ、何感謝の言葉はいらぬぞ? どうせ感謝などするタマではなかろうしの」
「……どこかで会ったか?」
「いや? それより……秘書殿の話を聞かぬか」
「そう。いまは任務の話をしないと、ね。なにより」
「時間が無い、だったな」
「そう。安心して? べつに捨て石にしたりはしないから。ただ、ちょっとだけ貴方の力を貸して欲しいのよ。野生の飛竜を直ぐに飼い慣らした、 "貴方だけの力" を、ね」

 シェフィールドは微笑みながらそう言うと、ドレイクの眼前に小さな指輪を差し出した。
 同時に彼女の額が光り始める。
 なんだ?! とドレイクは一瞬だけ腰に差していた杖に手を伸ばしかけたが、直ぐに必要無いとわかった。
 否。
 長年の経験から反射的に抵抗を試みようとした本能が、一瞬にして変わってしまったと言うべきか。
 やがてシェフィールドが "アンドバリの指輪" を降ろした時、そこに立っていたのは『人喰い』ドレイクであって『人喰い』ドレイクでない魔法衛士であった。

「それじゃあ、内容を説明するわ」

 シェフィールドの言葉にドレイクはコクリと無言の内に頷く。
 その表情には相も変わらず不敵な笑みが浮かんでいたが、瞳の奥だけは暗い水の底のように濁り澱んでいる。

 そんなドレイクの背にくく、と女のくぐもった笑いが纏わり付いたが最早気にならなかった。





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