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奥底の一念

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2011年 3月30日(水)22時49分27秒 i219-167-138-83.s02.a015.ap.plala.or.jp
  電力会社は電力の供給不足を原発支持の理由にしていますが、私の考えでは、原発は企業の上層部が贅沢をするために必要な装置であって、電力の需要と供給の問題なんて原発には全く無関係だと思いますよ。
電力の需要と供給の状態の数値を出しているブログがありましたので参考までに。
http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/44831507.html
原発が事故にあった直後に計画停電なんて行えば、(原発が壊れたから電気の供給がうまく行かないために停電になるんだな。)なんて我々のお人好しな頭が勝手な憶測をしてくれるはずだ(そんな時の為に膨大な広告宣伝料を湯水のごとくつぎ込んで来ているのだから)その上、命がけの作業をしている社員への同情や尊敬の念も集まり、それらは結局、社員やその家族を通じて社長をはじめとする上層部の元へ集まって来るのである、と踏んだ電力会社が、あえて電力供給の実態を詳しく説明することをせずに、計画停電を行ったのだと思います。
しかし世の中にはきちんとデータを取り調べて下さる方もおられるので、本当に助かります!

主要動力源についてですが、牛馬人力とはいかがなものでしょう。。
ネガティブアジェンダは、私たちの一歩前に出る気持ややる気を損なわせるだけです。
国内には、自然で安全で経済的な生活エネルギーの研究をしている人がたくさんいます。
彼らはエネルギー利権に群がる企業や政治家や官僚たちの犠牲となり、表になかなか出て来れない状態になっています。
暮らしの中で一歩づつ、量的向上から質的向上を目指して、できることからはじめたいですね。

大切なのは、奥底の一念ですよ!
 

希望を捨てない!そのために!

 投稿者:がン  投稿日:2011年 3月30日(水)08時40分48秒 ntsitm180075.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
  “原発事故の一刻も早い終息”これは祈念の第一である。
ただ、“放射能汚染”これには永年の弛まぬ覚悟・注力が必要である。
(私は聖教新聞からは引用しない!)

「勝つ」言うは容易い。
だが、実際に被災・犠牲になられた方々を前に、
それを宣うことができますか!

“曖昧”には断じてできない!
頂点に於て凄まじい逆風を受け乍らの指針としては
“未来の世代のために道を開きゆく勇気”という抽象的な言句でしか発せられない、が、
それを“第一線”を自負する者(即ち“弟子”)としては、
より具体的に個別的に対応するのが弟子次第である。
(弟子あっての師匠。池田大作師もまた戸田師のもとで個別的対応の試練を受けられた)
(即ち“頂点”の言を、そのままの“受け売り”とすることは、既に逃避に相応しい)
……(ちょっと飛躍)
やはり、基本的には牛馬人力を生産力の主要動力源とすべきかと。
でもその“牛馬人力”で賄うためには、人口が多すぎる。
……
(私は電力関連業に従事しております)
(こういった情報通信には今のところ電力以外には及びもつきません)
(電力関連業に従事しながらも、このようなことを宣うのは)
(自らの首を絞めながらも人類の存続を主とする考えからであります)
 

決起

 投稿者:南里Guy  投稿日:2011年 3月30日(水)01時20分2秒 nttkyo458196.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
  今、私たちが要請されているのは(略)「未来の世代のために道を開きゆく勇気」であろう。(略)民衆の生存権を脅かす一切の魔性との大闘争こそ、広宣流布である。ゆえに、断じて勝たねばならない。(聖教新聞2011/03/29/3面・随筆より)

http://twitter.com/nanriguy

 

祈りの第一は‥

 投稿者:スカラベ39  投稿日:2011年 3月29日(火)23時28分30秒 124x33x195x132.ap124.ftth.ucom.ne.jp
  「原発事故の終息」を今は祈りの第一にすべきでしょう。
組織で打ち出すべきだとも思います。
祈りには力があります。
多くの人が祈れば宇宙が動きます
祈りは学会の専売特許ではありません。
全ての宗派がこういうときに大同団結して祈ろうじゃないかと、声がけをするくらいの太っ腹がほしいものです。
もう排他主義の時代ではありません。
 

やはり石原慎太郎とは一蓮托生

 投稿者:がン  投稿日:2011年 3月28日(月)17時55分15秒 ntsitm180075.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
  公明党の山口代表の春分の日の、北海道・札幌、公明党時局講演会、
でのスピーチを視聴しました。

……、……、……、ん……、
この!大惨事において!、公明党の実蹟を宣伝!
(コンクリ注入設備の採用とか云云)
大津波を天罰と宣った石原と同類であることを、
恥ずかし乍ら今、思い知りました。
 

原発

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2011年 3月27日(日)04時16分1秒 softbank220058091171.bbtec.net
  大地震と原発。真実は、必ず、明らかになる。

途方もない恐怖と緊張感。
世界は、一蓮托生。

日本国の使命。

http://www.youtube.com/watch?v=3UXtyqdGgmI

 

妙とは蘇生の義なり

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2011年 3月20日(日)22時52分43秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  皆様、今晩は。

今般の、東北関東大地震、並びに福島原発事故に遭遇され被災された多くの方々に、謹んで哀悼の唱題を捧げます。私も、題目の光を送り続けておりました。

失われた多くの人命は、人それぞれ、人生の彩に織られ百種百様の境遇と、人生のシーンがありました。命の輪は、繋がっております。一家族にはまた、無数の人の繋がりがあり、縦にも、子々孫々に至る命の流れがあります。途方もない苦しみと悲しみ、絶望の地獄絵図を背負い、生きていかなければなりません。マグニチュード9という未曾有の大地震は、津波とともに、何もかも奪い去りました。

3月10日の夜、私は、切羽詰った閉塞感と、言い様のない迫り来る感覚に、前代未聞の大地震がやって来ることを直感しました。「来る!」という臨場感は、今までにない規模の感覚でした。また、ついに来た!という感覚も同時にありました。動生執擬は、御仏が起こすものであり、妙法流布への機根の大きな調整が入ります。それは、いきずまったら必ず入るというのが、不肖私の絶対不動の確信です。

妙なる法の流れ、それ自体は、永遠に流布して参ります。仏勅の団体である、日本の柱である創価学会が、民衆救済という本来の使命が危ぶまれた時、天変地異は、起こります。帝釈天の働きは、確実に海底を動かし、津波を引き起こしました。地球も巨大な生命体です。意思があります。プレートの調整は、自在。
生命は、永遠です。震災から、一週間を経過しました。使命のある人は、赤ちゃんとなって、産声を上げています。また、新しい人生の物語が、はじまっていることでしょう。

震災から、立正安国論の冒頭を思った人も多くいることでしょう。
正嘉の大地震も、鎌倉沖10k程度の距離で起ったと吾妻鏡には記されております。その時、大聖人様は、御年30歳前後。鎌倉の町は、全壊の様相を呈しています。悪法が蔓延り、民衆が、何が善で何が悪か分からなくなってしまった、仏法(正法)に迷って、魔縁に蕩かされた状況の真っ只中、大音声とともに、地震で崩れ去っています。

当時の地震の規模は、マグニチュード7~7.4と推定されていますことから、今回の規模がどれほど、未曾有だったかということでしょう。何度も、申し上げますが、創価学会が、本来の使命を忘れないで、先生を求め、師弟の精神に溢れていたら、こんなことは起りません。「世間は影のごとし」です。先生を求め、正義の人間(民衆救済力)が、落とし込まれ、悪が蔓延ってしまった現状を打開するには、これしかありません。

覚醒とは、また、一心欲見仏の境地という次元になるには、戦後の焼け野原のように、何もかも失くし、今日、一日を全力で生き切る!全身全霊で、「わらおもすがる」ひたぶるな真剣さが、命ギリギリの状況が、必要なのです。
行き過ぎた文明への警鐘。バブルに酔いしれ、傲慢になり、人の心を失くし隣国を嘲笑した報いを受けるときでもあります。御仏の本格的な調整は、入りました。今後も、続きます。

南無妙法蓮華経は、全宇宙の諸仏が仏になった律動です。能生の根源です。
生きとし生けるものは、この律動で生かされております。先生は、生きておられます。
弟子が、新たなる真正(再生)の活動を展開する時に入りました。

54年の決着は、弟子が付けなければならないのです。震災の寄付金は、本来、真っ先に、創価学会がすべきです。私財をシコタマ溜め込んだ幹部クラスは、2000万ぐらいは、一人で出せ!と叫びます。本来の財務の目的は、民衆救済にしかありません。今、使わずしていつ使うのかと思います。調整は、民衆がきずくまで、行われます。

被災された方々を思うと、題目が止まりません。子供を亡くした親の心情・・親を失くした子供の心情。恋しい人と別れ・・希望が絶望へと突き落とされた人々。痛々しい限りです。
日蓮と同意なれば、眷属なれば、先生の弟子であるなれば、抱きかかえて、苦悩を背負い、民衆と共に、生き抜いて参りましょう!
 

巨大地震

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2011年 3月11日(金)21時20分22秒 i58-93-217-162.s02.a015.ap.plala.or.jp
  巨大地震がありました。
皆様、大丈夫でしたか?私は無事でしたが、地球が回っているのを強く感じました。
青空に向かってお題目をあげながら、「みんなどうもありがとう!」と叫んでいました。

ところで以下の高柳さんの指導。

>あまりにも病人や車イスの人が多いことに疑問を持ったほか

普通の神経でこういう事って公然と言えるものでしょうか。
まるで病人や車イスの人など、信心の組織にあってはならない、邪魔な人たち、とでも言いたそうです。
思いやりの欠片もない、冷酷な心から出た言葉です。
病人や障害者は信心の麗しい世界を汚しますか?病人や障害者を、自分たちがいい思いをするために利用してやろうと言う命が見えています。
創価学会の最も醜い所の一つですね。怒りで震えます。人を侮辱するのもいい加減にして頂きたい。
それを指導と呼ぶならば、創価学会はナチスですよ。
信心の世界と言うのは、そういう人達こそ、真っ先に幸せにならなくてはいけない世界です。
役に立つ力が今はまだないとおっしゃるなら、せめて弱い立場にある人たちを傷つけたり踏みにじったりしない事です。

>いずれも腐敗堕落しきった、宗門、末寺の坊主のあきれかえる実体が愛も変わらず。

相も変わらず、の間違えですよね。

それと、「フォーラム・ファン」「難波住人」「現役創価」のハンドルネームは、書き方からして同一の方の投稿のように思えます。
さしつかえなければハンドルネームを変更される意図を教えて下さい。
 

2002年 12月6日 総県長会議 高柳全国婦人部長指導

 投稿者:創価現役  投稿日:2011年 3月11日(金)12時27分55秒 .
  四国大支院長の安沢淳栄が住職をしていた愛媛県今治市の実正寺では、元総代と婦人部長のMさん夫妻が、このほど憤怒の脱講をした。

Mさんは、法華講四国連合会の理事で四国総務部長を務めてきた四国法華講のナンバー4の立場にあった人で、自分が総代をしている時に、法華講員が3人も死亡。一人は自殺未遂から病死。一人は寺から帰る途中で交通事故死。そして元総代の自殺。安沢の金の亡者ぶりもひどいものなら、20歳も年下の安沢に呼び捨てにされる差別意識。これらに疑問を抱きつづけてきたMさんは、地元メンバーの粘り強い祈りと戦いと執念の対話で、ついに脱講を決意した。

11月26日に行われた「第6回安沢糾弾大会」では、教宣部のメンバーの前で「安沢打倒の為、皆さんと一緒に戦ってまいります」と、元気いっぱい決意発表したと聞いた。



また、東京・品川の妙光寺では、長年、旧信徒として宗門に尽くしてきた大物が脱講。奉安堂の落慶登山に参加し、あまりにも病人や車イスの人が多いことに疑問を持ったほか、妙光寺住職・尾林の不遜な態度にほとほと嫌気がさして、祖父の時代から100年以上近く続いた法華講をきっぱりやめる決意した。



いずれも腐敗堕落しきった、宗門、末寺の坊主のあきれかえる実体が愛も変わらず。何より日顕の時代になってから、ろくでもないことばかりだ、と脱講に至っている。「道理証文よりも現証にはすぎず」とある通り、厳しい仏罰に、日顕宗の総崩れが始まっている。



先生の長編詩の中に、「これは僧籍の某高僧の言なり―― 日顕は嫉妬に狂いたり。浅学の日顕は深遠なる仏法に迷いたり。虚栄の日顕は広布を忘れ享楽に落ち入りたり。驕慢の日顕は宗祖を忘れ自身が本仏気取りをせり。日蓮仏法の真髄 広宣流布を断行しゆく学会を弾圧せり。学会を迫害せり。真実に燃え 正法流布に進む学会を魔性の牙で切り捨てたり。彼こそ三世の仏法史に残る 魂の虐殺者なり。提婆の如き 破和合の元弁護士も同類なり共犯なりと」とある。



いよいよ、戦いは終盤戦。心を合わせ、執念の祈りで、天魔・日顕、提婆・山友に決着をつけてこう。

明年、池田先生のもと、異体同心の団結で、勝利、勝利、勝利の歴史を築いていきたい。
 

清涼剤

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2011年 3月10日(木)21時49分0秒 i219-167-242-195.s02.a015.ap.plala.or.jp
  大爆笑しました(笑)ありがとうございました(笑)

しかし、先生は清涼剤を下さいますよねえ。。。
そういう所が大好きです。
 

関西最高会議

 投稿者:難波住人  投稿日:2011年 3月10日(木)12時23分9秒 .
  2004.8.20

Pよりご伝言
(関西が大事だよ)
今回の会合の大成功を祈ります。全関西が動けば全世界が動く。常勝関西がこれからも日本を、世界を引っ張って行ってもらいたい

スローガン及び人事(聖教一面 8/21付)

代表決意
◆熊谷関西男子部長
Pより 「関西は日本の中心。広宣流布の推進力だよ。」
◆森井関西青年部長

◆畑中奈良総県婦人部長
Pより 「知っているよ。うれしいね。よろしくね。朗らかにね。(5万世帯やります)
鹿によく似ているね。鹿の数も入れていいんだよ。」
◆野田大阪婦人部長
Pより 「ああ、いいね。羨ましがられる組織を作るんだ。あそこにはとても叶わないと言わせるんだ。勝てば爽快だ。負ければ暗くなる。戦わないと損だよ。

◆関西21世紀交響楽団のCD(20分)
最高会議の最後の日に聞かせて頂く。この演奏を聴けば勇気がでる。全国の方面長が感動。涙して聴いていた。職員の朝礼、各種会合で紹介していく。(分県2本)

◆藤原関西長
スピーチ学習のポイント
① 広宣流布は、人類最高の尊い作業である。それは我々にしかできない。その使命ある学会の前進に停滞は許されない。
② 今こそ原点に戻ろう。原点を深めよう。
③ 師弟の道を学び、愚直なまでに戦い抜こう。
④ 信心の戦いとは恩を忘れない。師匠を裏切らない。
⑤ 学会を守れ。学会の前途を守れ。一歩も引いてはならない。
⑥ 広布の大業とは魔との戦い。敵を忘れるな。たじろいではならない。
⑦ 議員は民衆の中で生き抜き民衆の中で死んでいく。幹部も同じ。会員奉仕の姿勢に徹する事が大事。一人の人を大切にしていく幹部である続ける。
⑧ 本物の人材を作っていこう。青年を育て、婦人部女子部を守っていこう。その為には自分が本物の人材になっていこう。
⑨ 広布の戦いは幹部が率先してやっていく。折伏戦でもまず自分が結果を出して自分の体験を語り、現場から波を起こしていく。
⑩ 2010年が新たな目標。史上最高の創価城を作ろう。その急所は関西である。自ら地域の目標を立てよう。

補足
 全国の最高会議のメンバーに大阪事件の事を何回も言われた。私なりに考えると、師匠を守る弟子になるということではないか。池田先生が戸田先生を守り、戸田先生が池田先生を守られた。師匠と弟子の命がけのドラマが大阪事件。その大阪大会の時、池田先生は検察を徹底的に糾弾する原稿を書いておられた。直前に戸田先生から「話は短めにな」といわれた。後の裁判のためにも、今、いってはならないとの戸田先生の慈愛であった。また、その時の判事が池田青年の凛々しいお姿に「素晴らしい人格の人だ。将来偉くなる人だ」といっていた。
 さあ、後半戦のスタート。どうか県長、婦人部長が颯爽と登場して下さい。「士は三日見ざれば刮目して見るべし」、県長、圏長の姿をみて、ああ爽やかだ、変わったなと言われるように頑張ろう。また、幹部が率先して聖教推進をやりましょう。先生も「この夏、私も2部啓蒙したよ」と言われた。私も(藤原)1部やりました。そして11月に関西総会を東京で開催し、池田先生のご出席を祈ろう。(3000人)

◆中尾関西婦人部長
 女子部に対して池田先生の温かいご指導が続いた研修でありました。ある大阪の女子部に対し、「知らない人だな。欲しいものある?」 (何もありません) (目に涙をためて… 先生に長生きして頂きたいのです) 「大丈夫だよ。長生きするよ。それより貴方が結婚をして幸せになっていくんだよ。名前は?」 (○○和恵です。先生につけて頂きました。) 「赤ちゃんの時のことを覚えているのかい。(頭をなでられた)」
 来年のNHK大河ドラマ「義経」。静御前の役・石原さとみ(創価学園)。 (P)「手紙が届いたんだ。修学旅行に行ってはお土産を贈ってくれるんだ。アカデミー新人賞の時も賞状を持ってきてくれたんだ。義経役・滝沢秀明(タッキー)のお母さんも神奈川の地区婦人部長。
 スピーチを学んで、未来部も含めて人材育成を婦人部からしていきましょう。先輩は後輩を自分以上に育てていこう。そのために、今まで以上に皆から好かれる人に、尊敬される人になっていくことが大事。
Pは「常勝関西は模範だよ。模範は一つだよ。関西は大事だよ。堂々たる日本の宝の中心だ。」と言って下さった。2010年と要ってもこの2~3年が大事。2007年は関西広布50周年。折伏、聖教、脱講、財務の4本柱で後半戦を戦っていきましょう。私自身が生まれ変わったつもりでお題目をあげ、率先垂範の戦いをしていきます。

◆西口総関西長
 中部の出発の会合に昨日行ってきました。今後、関西・中部の合同会議をしていく、交流をしていくことになった。9月から具体的に行う。先生から「中部も新たな時代に入った。幅を持たなくてはいけない。もっと関西と一体となってやる方がよい」と。(西口)中部と関西の交流なんて、関ヶ原以来…。先生から一言「薩長連合だな。わかるか?」 (はい)
 また、ご伝言で「中部と関西により強固な道を作るんだ」 秋谷会長からは「誤解のない様に言っておきますが、薩長連合の敵の幕府は、東京のことではありません」(爆笑)
(会館建設について)
Pより「大阪は大事な所だから他の地方と違うんだ。すぐやりなさい。一番大事なところだから。新しい陣列でやる気のある真剣な人、いい人で、次の50年へ進むのだ。新しい息吹でやるのだ。今まで通りでは派閥が出来てしまう。ナポレオンはそれが出来なかった。自分が中心で派閥にやられた。学会はそうなってはならない。新鮮な出発をしていこう。」

◆AK
①今は大事な節目である。75周年、80周年と続く。幹部が成長している所は組織が発展している。幹部が行き詰まっている所はそれがそのまま組織の暗さになっている。最高会議のご指導をしっかり命に刻んで共々に成長していこう。

②根本は、創価学会の命とは師弟の精神である。師は命を削って弟子を育てた。弟子も命がけで師匠にお応えした。だから学会は世界的に発展をした。この一点をおろそかにしてはならない。池田先生は毎日、戸田先生の話をされた。まるで戸田先生がそこにおられるように。私たちも毎日、池田先生のことを話していこう。自分のそばに池田先生がいらっしゃることを感じて戦おう。そうすれば広布の歩みに狂いがなくなる。師弟の道を歩める。いくら先生の指導を引いても、自分中心のわがままなら慢心であり師弟ではない。利用である。

③自分自身が創価学会そのものであるとの自覚を持とう。広布の要は団結である・。中核になる人は4~5名でよい。そこから団結していけばいくらでも発展できる。その中核が、呼吸が合わなかったり、批判しあったりバラバラになればその組織は崩壊する。何よりも仲良く、異体同心で水魚の思いでやること。広布とは魔との戦い。油断しない、スキを作らない。トップになればなるほど寂しい。頂上ほど風は強く吹く。県、圏のリーダーは真剣勝負の信心で一人一人が弟子の戦いをしていこう。裏は幹部の団結であり、中核のメンバーがバラバラになったり、ちぐはぐにならないこと。

◆西山大阪長
全国最高会議の検討議題
①今後の世帯増の考え方
(AK)学会は折伏の団体である。会員が増え、学会が強くなることが広布の推進である。そのバロメーターが学会世帯の増加と聖教の拡大である。しっかり取り組んでいこう。

2005年  5・3 (75周年)
2007年  第二の7つの鐘の、第一の7年の節目
2010年  学会創立80周年
        会長就任50周年
この時に最高世帯、最高部数を目指す。折伏は根本中の根本。2010年を目指し着実な折伏。世帯減を減らす努力。選挙の年間を差し引き、実質5年として考えると、地区比2.85、B比1を毎年やれば全体として世帯が増える。折伏のできるBを作る。入会三原則を守り、入会したら聖教を必ず推進。また、新入会の人を、折伏できる人材に育てていく。お守り御本尊も入会三原則を守り、幅を持ってみていく。(9月か10月に支部長研修で発表) 本年下半期は地区2をやっていく。(お形木、お守り) 来年からは史上最高の拡大に走っていこう。

②今後の聖教啓蒙
1)幹部率先 2)婦人部、壮年部、青年部みんなで進める。
下半期、11・18を目指し、10~11月を全国啓蒙推進期間。全国への啓蒙を評価していく。
P「本当によくがんばってくれた。上からやるしかないよ。戦いだからやるしかないよ。皆でやっていく思想が大事。
※ 内部購読率をあげていく工夫を各方面でしていく。
※ 読んでもらう事が大事。切り抜きをもって話題にするなど、取ってもらうから、更に読んでもらうようにしていく。

③未来部育成強化
少子化の時代、内の統監数も減ってきている。青年部のみでなく壮婦も加わって、一騎当千の後継者を育てていく。特に教育部との連携をしていく。進学等で悩んでいる家庭に教育部の人が家庭訪問していく。
P「大胆に先取りをして、土台づくりをしていこう。座談会の参加も含めて色々やっていきなさい。未来部は大事だから。」
未来部対象の衛星放映も今後検討していく。本幹、座談会に家庭で揃って参加しよう。未来部コーナーを座談会で設けるなど、検討をしていく。また、大学への進学率を高めていこう。40年代、男子部は全員大学への指導でみんなその決意になった。先手、先手で取り組もう。学園、創大への啓蒙。受けると決意することから師弟が深まる。我が地域から何人行かせられるか。また、創大卒業後、地域に帰って組織につかせることが大事。

④教学について
9/初 壮年の教学部長を任命する。年に1回の教学試験のリズムにしていく。毎月、教学研修会をとっていく。(9月発表)
P「うちには教学があったから、哲学があったから日顕宗に勝った。」 信行学の基本が大事。

⑤勤行について
SGIの方便自我偈勤行が定着してきた。9月にご観念文の見直し発表をする。
P「創価教団なんだから、みんなにわかりやすい方がいい。今後日本でもSGI方式でやっていく」 「5座3座の事は不思議にも大聖人は一言も触れられていない。戸田先生も格式にとられてはいけないと言われた。ただ題目、ただ南無妙法蓮華経だ。正行は題目。読経は助行。助行を大事に見せかけたのは坊主だ。」
※その上で5座3座をやるのは自由です。

⑥日顕宗との戦い
下半期、脱講が大事。支部1を目指す。
P「毎月、直接私に報告しなさい。一人一人脱講をさせる事だ。」
日顕がこたえている。上から脱講運動をやろう。いよいよC作戦から14年目の本年、決着をつけよう。9月は秋季彼岸勤行法要を中心に脱講デーをつくる。教宣部長会の衛星放映を10月実施。教宣のハンドブックも新たに作る。

⑦組織の再編成
東北で一町村、一支部を推進している。秋田のおおかた村39世帯で一支部。2001年234票。2004年479票。地域に定着すると強化される。都市でも校区と組織を徐々に重ねていく。地域とやり取りできる組織にしていく。支部で地域友好会議をしていく。

⑧財務
P「財務が大事。がっちりと打ち合わせをしていきなさい。幹部の祈りからだよ。最高幹部が頭を下げていくのだ。
※ ブロックブラス1の戦い
福運長会の開催。各種の懇談会をとっていく。
P「財務を進める人にも最高の福運がつくのだ」


 

「フォーラム21」ねぇ~

 投稿者:南里Guy  投稿日:2011年 3月 9日(水)22時47分57秒 nttkyo426206.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
  「フォーラム21」とは第三代会長に辞任を要求した21名の学会中枢の人数にマッチしていておもろい数ですなぁ~

IPアドレスを載せられない『「フォーラム」ファン 』さん。私が是非会いたい人。

読み流したかったけど、米イラク侵攻を容認した2003年の統一選だけに、思わずキーボードを叩いています。

「空き家」にとって得難い元会員の乙骨。「空き家」にとって得難い共産党。

マッチポンプのタコ壺日本島国社会記事を丁寧に載せて、ありがとうございます。

公明党私党の主語が違います。「空き家私党」が正確です。
当時の代表や冬芝枯れる氏がハッキリ認識しているでしょう。

え、何でそんなことが言えるのかって…

今回、統一選(戦)さなかの本幹で、詩人に過去の映像をつかってまで学会歌の指揮をとらさせているでしょう。高齢の詩人にですよ~。二重三重の意味で当時の空き家の舌の渇き具合がよくわかります。

http://twitter.com/nanriguy

 

魂の同志

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2011年 3月 9日(水)22時25分20秒 i58-93-216-152.s02.a015.ap.plala.or.jp
   池田氏の言う「世界広布の基盤完成」や「仏法の人聞主義を基調とした、民衆の大平和勢力」の構築とは、端的に言えば創価学会の勢力拡大、創価学会組織の基盤整備を行うことを意味する。なんのことはない創価学会の利益のために戦うことが、創価学会の政治闘争・選挙闘争の大義名分だというのである。ここには「国民のため」との概念はない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一念の置き所の違いで、そう言うことはおっしゃっていないのにこう読めてしまうんですね。。
悪しき学会の職業幹部たちも、同じ状態なのでしょう。

臆病な支配欲に振り回されている人でこういうタイプの人良く見かけます。
こういうことって現実に良くあります。
悪の芽は、いろいろな出方をする。
怒りに出す人、イヤミとして出す人、誹謗中傷に走る人、策略を計る人、、、しかしいずれにしても、自分自身の人生において、何をどうしたいのかが自分でもはっきりと分からずに、嫉妬や暗い欲望に振り回され、精神が倒錯しているようだと感じます。
私もそういう暗い情念を人から無思慮によくぶつけられます。
しっかりと受け止めて、飲み込んであげながらも動じない、と言う事以外、できることはありません。
彼らの精神は病んでおり、真実を受け入れる力を持たず、ねじ曲がっているのですから。

そんな人達の中にも、自分の内側にあるそういう部分に気付いていて、幸せになりたい、とか、良く成りたい、私の人生、もっと何か違うはずだ、等の、悶々とした思いを持っていたりする場合があると思います。
また自分では気付いていなくても、そういう素直な気持は人の心の奥底に眠っていて、目覚める時を待っているものです。

またそういうタイプのピュアな人たちは、社会から無理矢理押し付けられた、さまざまな概念の嘘を見破り、感情の整理が出来て来ると、自尊心が回復し、先生のおっしゃることや、社会の悪と戦っている人たちの言うことがとても良く理解できるようになります。
創価学会かどうかなんて、関係ないと私は思います。

儚く移ろう世間のものさしで計れば、自分など哀れでちっぽけで情けなく、生きる価値さえ疑って来た。
しかし本当は、社会の中で為すべき使命を持つ高潔な存在で、生まれて来た意味と目的が明確にあったのだという事を本当に知ることができれば、私たちの魂は歓喜と共に蘇生して、妙法の世界の中に躍動して行きます。

どんな人にも使命があります。
生まれて来た意味があります。
人間とは素晴らしい存在です。
自分自身の使命が何か、私にもまだ良く分からないし、時と共にそれは変化もして行くことでしょう。
それを、滴り落ちる浄化の涙を拭いながら、歓喜と共に成し遂げて参りましょう。
響き合う魂の同志と共に。

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創価学会における統一地方選挙の意味――総県長会議資料から

 投稿者:「フォーラム」ファン  投稿日:2011年 3月 9日(水)12時05分21秒 .
  乙骨 正生 ジャーナリスト

 統一地方選は「再建第二弾」の戦い

 今年は4年に一度の統一地方選挙が実施される。名古屋市の河村市長や鹿児島県阿久根市の竹原市長と議会との対立に象徴されるように、地方議会の混乱・紊乱(びんらん)は深刻だが、その一方で、本来、私たちの生活に多大な影響を与える地方公共団体の行政を監視すべき議会の多くが形骸化していることもまた事実である。私たち国民・市民は、自らの生活や居住地域を守り良くするためにも、地方公共団体の首長や地方議会の議員を選ぶ統一地方選挙にもっと強い関心を持たなくてはならない。
 しかし多くの国民・市民は、首長の言動や地方議会の実態に無関心であり、統一地方選への関心も薄い。そんな国民・市民の無関心を尻目に統一地方選に重大な関心を持ち、早くも組織あげての選挙闘争に突入しているのが創価学会・公明党だ。
 山口那津男公明党代表は、1月9日付「公明新聞」掲載のインタビューにおいて、4月に行われる統一地方選の重要性を次のように強調している。
「統一地方選は、昨年の参院選に続く公明党再建〝第二弾〟の重要な戦いです。完全勝利を果たし、地に足の着いたネットワーク政党・公明党の中核の基盤をさらに強固にしていきたい」
 平成19年参院選・21年衆院選で公明党は惨敗。昨平成22年参院選でも議席数・得票数とも改選時を下回る敗北を喫したにもかかわらず、山口代表は、昨夏の参院選を「再建」すなわち勝利の「第一弾」だったと位置づけている。
 創価学会もまた敗北だった昨夏の参院選を、激戦区の埼玉選挙区で公明党候補が当選し、選挙区候補3人が全員当選したことをもって、反転攻勢の勝利だったと詭弁を弄している。それだけに4月の統一地方選を反転攻勢の第二弾と位置づけ、今年に入るや機関紙「聖教新聞」でたびたび統一地方選に触れるなど、早くも「完全勝利」を目指して学会員の士気を煽り立てることに腐心している。
 例えば1月31日付「聖教新聞」掲載の一世界広布の勝利の並木道」と題する首脳幹部座談会では、原田稔会長が地方議会こそ「公明党の原点」であるとして、次のように統一地方選を重視する姿勢を見せている。
「原田 国民の声を聴き、国民が求めることを地道に実現してきたのが公明党である。地方議会こそ『大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく』との立党精神を持つ公明党の原点だ」
 2月中旬、統一地方選の全国遊説を開始するにあたって公明党は重点政策を発表。「住民のため」「地域のため」の「議会改革」などを掲げている。政務調査費の不正使用で目黒区の区議団全員が総辞職した公明党が、「住民のため」の議会改革」とは笑わせるが、創価学会もまた原田会長が前出の座談会記事で、以下のように「国民のための政治」の実現を強調している。
「原田 ゆえに地方選挙は、円本全体の政治をよりよくする。きわめて大きな意味を持つ。市町村議会から国会まで、公明党の全議員は全力で戦い、『国民のための政治』を断固、遂行してもらいたい」((1月31日付「聖教新聞」)
 あたかも「国民」や「住民」のための政治を実現することを目的に、政治活動・選挙活動に挺身するかのようにアピールする創価学会と公明党。しかしその実態はいかなるものなのか――。
 筆者の手許にはいまから8年前の平成15年統一地方選前後の創価学会の内部資料がある。そこには統一地方選に向けての闘争方針や選挙戦術、幹部の心構え、さらには選挙闘争に取り組む-大義名分」などが赤裸々に示されている。以下、同資料に基づき統、地方選に臨む創価学会と公明党の本音と実態を検証してみたい。
 まずは統一地方選の年である平成15年の年明け早々、1月9日開催の創価学会全国総県長会議における秋谷栄之助会長(当時)の発言から。
「地方統一選挙については、前半は告示まで85日、投票日まで94日。いよいよ、三カ月を切るところにきた。それぞれが重点区、超重点区を抱えながらの戦いを進めているところもある。(池田大作)先生のご指導に明快だが、昨日の本部幹部会でも『絶対の確信に勝る力はない』、そして『団結するものは強い』とあった。私どもはこの2点を根幹として、また『法華経に勝る兵法なし』という信心での戦いを根本にしながら、断固、完全勝利を勝ち取って参りたい」
 ここで秋谷会長は、池田名誉会長の指導を根幹に信心の戦いで「完全勝利」を目指すとして、お得意の「法華経に勝る兵法なし」との日蓮聖人の遺文を引用している。まさに宗教活動の一環として選挙活動を展開していることが分かる。
 以下、秋谷会長は、統一地方選の闘争における幹部の心構え、姿勢などに言及しているのだが、同月26日に東京都立川市の創価学会施設・立川文化会館で開催された第2総東京(三多摩地域)支部長会では、統一地方選における公明党の当面の敵である共産党を引き合いに出して、敵愾心・ライバル意識を煽りつつ、より露骨に選挙闘争への挺身を指示している。
「共産は昨年の西東京の公明の活躍で怖くなった。危機感をもっている.昨年暮れに分析した結果創価学会にやられた。3600票も負けたのかと。ヒモにしていた所(赤旗読者等)にねらい打ちして創価学会が入ってきた!共産は今3/7迄にやりきれと前倒ししている。しかし共産は、また、叩けばいいんだ。
 4月までの戦いについて、全体像を持っておくことが大事です。2つある。
 1、首都圏中心の完全勝利と
 2、第2総東京全市の大勝利です。
 4月27日まであるのではなく、神奈川、埼玉を考え、ると告示までは68日、4月上旬は、責任区等への全面協力体制で応援になることを考えると3月中(3月末まで)にやりきることが大事です。このことを地区部長等にも理解してもらうことが大事。皆を戦いに勝利させたい、と様々な手を打って下さっている、(池田大作)先生は皆が喜ぶ姿を楽しみにしている」
 ここで秋谷会長は、平成14年12月に実施された東京都・西東京市議選の結果、共産党が公明党に3600票の差をつけられたため、平成15年の統一地方選では共産党が巻き返しに全力を挙げているとして、末端組織にまで首都圏全体と三多摩全市で勝利するための活動に挺身することを徹底するよう促している。

 選挙闘争の目的は「広宣流布」

 この会合から2週間後の2月6日開催の総県長会議では、「折々の指導」と題する池田名誉会長の次のような指導が伝達された。その内容は選挙闘争を勝ち抜くための檄文そのものである。
「戦いはやると決めたら徹底してやるんだ。これが戦(いくさ)である。ただ、口先で『やっています』とかは戦いではない。徹底して戦い、攻撃精神を忘れたら、それは畜生にも等しい。弱気を侮り、強気を恐れる。正義の人間はその逆である。幹部は皆の起爆剤になってやるんだ。皆をその気にさせるのが幹部である。徹して戦おう」
「永遠の指導者」(創価学会会則)である池田氏の檄に続いて行われた指導で秋谷会長は、「いよいよこの2月3月、勝負を決する戦いだ」として、選挙闘争の基本姿勢に言及。「戦いは勢い」「先手必勝」「勝利への執念」「信心の団結」などを訴えたが、注目されるのは「何のための戦いか」と題してなされた選挙闘争の目的に関する指導である。そこでは池田名誉会長の「随筆 新・人間革命」を引用しつつこう選挙闘争の目的を強調した。
「いろいろ乱戦模様になってくる。私どもはその根底に、常に〝何のための戦いか〟という大義名分を掲げながら戦っていかなければならない。先生は『随筆 新・人間革命』や『長編詩』で、それぞれの方面・県に勇気と力を与えてくださっている。そして、戦いの明確な大義名分を掲げてくださっている。それを常に読みながら、そこからエネルギーを受けながら、勝利への前進をしてまいりたい。
 本年の初頭に『創価大勝の出発』と題して、『随筆 新・人間革命』を頂いた。その中で先生は、次のようにしたためておられる。
『私は、七十歳から書き始めたこの随筆の第一回に、わが人生を展望し、八十歳までの目標を、『世界広布の基盤完成なる哉』と記した。
 光陰矢の如しで、それから、はや五年が過ぎ、七十代の折り返し地点に立った。私は、自らの目標を果たすために、わが同志のために、力の限り、生命の限りと、決意している。(中略)
 この日本に、仏法の人間主義を基調とした、民衆の大平和勢力を、なんとしてもつくり上げねばならぬ。
 いかなる攻撃の嵐、また、嫉妬と中傷の波浪があろうとも、断固として築き上げねばならぬ。それが永遠に勝利しゆく不壊の道であるからだ。ゆえに私は、今年もまた、断固として厳然と戦い抜く決心である』
 私どもはこうした数々のご指導を頂き、決戦に臨むわけである。これからは、いろいろな形で戦い難い条件、あるいはさまざまな難問・悪条件が出てくることは当然である。しかし、それをすべて反転・攻勢に切り替え、攻めに攻めて攻め抜く――この精神、折伏精神をそれぞれが発揮し、断じて勝利を勝ち取ってまいりたい」
 池田氏の言う「世界広布の基盤完成」や「仏法の人聞主義を基調とした、民衆の大平和勢力」の構築とは、端的に言えば創価学会の勢力拡大、創価学会組織の基盤整備を行うことを意味する。なんのことはない創価学会の利益のために戦うことが、創価学会の政治闘争・選挙闘争の大義名分だというのである。ここには「国民のため」との概念はない。

 公明党は創価学会の下部組織

 選挙闘争の勝利=公明党の議席獲得が創価学会の利益拡大のためである以上、公明党の議員は創価学会の指示・命令に忠実な人物でなければならない。矢野絢也元公明党委員長は、創価学会の依頼で国税当局の創価学会に対する税務調査に政治的圧力をかけた事実を明らかにし、公明党が創価学会と池田氏を守るための番犬としての役割を果たしていると述べているが、平成15年4月の統一地方選をさかのぼること9ヵ月前の14年7月4日の総県長会議での秋谷発言もまた、そうした実態を端的に示すものといえる。
「統一選の支援については、今、各地で候補の選定が進んでいる。具体的には党が勝利のために進めるわけだが、県議、市議の候補は、ともかく寝ないで駆けずり回るぐらいでなければならない。全ての戦いはそこから始まる。したがって、『一日、どことどこを回ったか』、それを候補は地元の総県長に報告する。候補が先行して戦い、党が真剣にならなければいけない。学会員ばかり一生懸命やっているのでは、順番が逆になってしまう」  公明党候補は、日々の活動報告を創価学会の総県長に提出することが義務付けられているのである。公明党が創価学会の下部組織であることをこの発言は端的に裏付けている。 さらに告示まで残すところーカ月となった平成15年3月6日の総県長会議。同会議では次のような池田名誉会長の「ご伝言」が披露された。
「皆、ご苦労様。祈り、最高の名指揮で勝ちまくってくれ。皆、勝ちまくって集まろう。4月の末に勝って、愉快に会おう」
 総県長会に参加している全国47都道府県の創価学会組織の幹部らにとって、この「ご伝言」は「必勝」の厳命に他ならない。そこに秋谷会長がこう追い討ちをかける。
「咋日は、先生から本部幹部会におきまして、大事な勝利への魂の指導を頂きました。いよいよ残された日数、全力をあげてそれぞれの方面、県における指揮をとっていただくことになります」
 その上で、秋谷会長は選挙戦最終盤に向かって、これまでの戦いを総括し、次のように今後の留意点に言及する。「私も超重点区を廻らせて頂いております。その中で、若干、気づいた点、全体に共通する点について申し上げたい。本当なら全選挙区にお邪魔すればいいのですが、時間的にその余裕がありませんので」
 まず秋谷会長は、選挙は毎回、流動的であり様相が異なるとして、国政選挙や前回統一地方選での手法に拘泥するなと指示。また公明党が自公連立与党となったことで、単に地方の問題だけで投票行動に影響が出るのではなく、国際情勢や国政の課題が選挙の結果に影響を及ぼすと注意。その上で次のように強気の闘争を指示している。
「こういう中での戦いであると考える以上に、この3月という月は波乱万丈の中の戦いとなる。その中をどう嵐を乗り切っていくか、突っ切っていくか。その中でなおかつ〝攻めの戦い〟をする。これが大きな勝負の観点である」
「選挙区ごとにどこを攻めれば勝てるのか、どこを攻めれば票が取れるのか。そこを一つ一つ、地域の幹部が的確に指導をし、激励をしていく。それが今度の戦いの中では極めて大事なことである。漠然とお願いしただけでは、吹き飛ばされてしまう選挙だと思います」「これからの38日間というのは、有権者の心、気持ちが毎日のように変化する。今、決めていても、1週間先になると変わっている。告示になるとまた、変わる。どんどん人の心は動いていく。これがいろんな風が吹き荒れる様相である。したがって、いろんな競り合いもあるが、最後まで執念、粘り、食い下がる、攻め込む、それをやりきった所が勝つ。そういう戦いである」
 まるで候補の後援会における選挙活動の決起集会か勉強会という様相だが、これが公益法人として税制上の優遇措置を受けている宗教法人の会長が、固定資産税を免除されている宗教施設で行っている指導の中身である。

 「広布の1000万」の足がかり

 こうした組織あげての選挙闘争の結果、平成15年統一地方選では公明党候補2121名全員が当選。池田名誉会長の会長就任記念日である5月3日の翌5月4日開催の総県長会議には、公明党の神崎代表が出席。次のように謝辞を述べた。
「全国の皆様の支援に心から感謝申し上げる。このたびの統一地方選において、2121名全員が勝利を飾った。2121とはまさに、21世紀にふさわしい。完全勝利を達成し、晴れやかに『5・3』を迎えることができたのも、絶大なる支援のたまものである。なかんずく、今回の大勝利は、(池田大作)先生と奥様の激励にほかならない。今回、公明に最大のご支援を賜った先生、奥様に最大の感謝を申し上げたい。
 本日は、学会本部並びに全国のリーダーの皆さまに、真っ先に心からの御礼を申し上げるために馳せ参じた。浜四津、草川、太田、北側、白浜、井上、森本、木庭、藤井、以上です。冬柴はイラク中東歴訪のため欠席。全員で御礼申し上げる」
 投票に行ったかどうかも分からない池田氏とその夫人に最大限の感謝の意を表する神崎代表。公明党が「池田私党」といわれるのも当然だろう。この後神崎代表は、平成15年4月の統一地方選前半の県議選で18議席増、後半の市区町村選で議席定数が452議席減の中で22議席を増やしたことをもって大勝利と強調。その一方で共産党が新たに6県で空白になったとして「共産対決に決着がついた」と豪語。筆者の名前まで出して次のように共産党をくさしている。「共産党は、昨年、創立80周年を迎え、新本部を建てたものの、ボロボロである。志位が委員長になって、票が逃げる。のみならず、〝おっこつまっさお〟(乙骨正生)まで一緒。志位と私は、出身高校、大学も一緒。先輩、後輩の間柄。先輩として『科学の目で原因をよく見なさい。学会批判は止めなければ、創立90周年は迎えられない』と言いたい。悲しいことに、科学の目は節穴。公明党の大勝利にヤキもちを焼き、策謀を仕掛けてくる。そうした党略を打ち砕いていく」
 創価学会に批判的な、言論を行っている筆者と共産党を結びつけ、野卑な物言いで共産党を攻撃する神崎代表。「おっこつまっさお」とは、筆者が公明党の勝利で青くなっているとでもいいたかったのだろうか。とんだお笑い草だが、「ヤキもち」だの「策謀」だのと十年一日のような主張には呆れるばかりである。この後、神崎代表は、翌平成16年に行われる参院選で1000万票の獲得を目指す決意を披瀝し、挨拶を終えている。
 同様に秋谷会長も、平成16年参院選での1000万票の獲得に言及。創価学会が統一地方選と参院選を連動させて1000万票獲得の闘争スケジュールを策定していた事実を次のように明かしている。
「私たちは2004年7月を目標に、一千万を目指して種々の戦いの組立てを進めてきた。その上で、2002年の9月から2003年の4月末までを『第一期』として、この統一選の勝利、しっかりとした基盤をつくるという戦いを見事にやりきった。初期の目的を達することができた。続いてこの5月から12月末までを『第二期』とし、更なる完全勝利と一千万への連動の戦いをしてまいりたい。そして年明けて、1月から7月のなかで、一千万を達成していく。このように一歩一歩、磐石な体制をつくりながら前進していくわけである」
 平成16年7月実施の参院選で、公明党比例区1000万票の獲得を目標に平成14年9月から15年4月の統一地方選までを「第一期」、そして15年5月から12月までを「第二期」、そして16年1月から7月をいわば第三期として1000万票を獲得するとの闘争スケジュールを策定していた創価学会。この1000万票を創価学会では「目指せ広布の1000万」と呼称していた。
 もっとも平成16年7月に実施された参院選挙で、公明党は連立与党の自民党との間で強力な選挙協力を展開。選挙区の自民党候補が「比例は公明」と連呼する異常な事態が出現したが、結局、公明党は比例区で1000万票を大きく下回る862万票しか獲得できなかった。その後、創価学会・公明党は国政選挙に連敗。平成21年衆院選では小選挙区候補全員が落選し、自公政権は崩壊。咋年の参院選では比例区票も763万票会へと減少したことはご承知の通り。
 創価学会が、統一地方選を「広布の1000万」を達成する基盤を作るための闘争と位置づけていたことを示す、平成15年5月の総県長会議での発言を含む一連の秋谷発言は、創価学会が「国民のため」でも「住民のため」でもなく、自らの勢力拡大のための熾烈な選挙活動を、恒常的に行っていることを赤裸々に示している。
 現在、創価学会は、目前に迫った統一地方選に向けて組織あげての熾烈な選挙闘争を展開し、公明党が「国民のための政治」を実現するなどと喧伝し、得票の上積みを図っている。だが実際には、ここで紹介した平成15年統一地方選前後の創価学会内部資料が示すように、創価学会の選挙闘争は、創価学会を守り、創価学会の勢力を拡大するための闘争に他ならない。
 全国の国民・有権者は、そうした宗教団体に名を借りた政治集団としかいいようがない創価学会と公明党の詐術的な選挙闘争に厳しい審判をトす必要がある。

「フォーラム21」平成23年3月号

 

近況報告

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2011年 2月20日(日)07時03分55秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  皆さん、ご無沙汰しております!

この辺で、投稿者の方々の総括のレスをさせていただきます。

『ドプチェク』さん
ブログ拝見しました。頑張っておられる様子が伝わってきます。
共々に、頑張って参りましょう!

『???』さん
以前(過去)にもお伝えしていますが、HNがとても不誠実です。はっきり言って、とても不快です。この掲示板を、なめているとしか思えませんよ。次回、投稿される場合は、HNを変更されてください。レスしかねます。どうぞ、他に行かれてください。・・・エジプトに限らす、北アフリカ及び中東は、長期独裁政権への打倒の民衆の一斉蜂起が連鎖し留まることを知りません。

フェイスブックという、21世紀に誕生したネットツールの力が、世界を席巻し、一国も、世界世論も動かすことが出来るという新たなパラダイムです。
今世紀は、インターネットの時代です。情報戦だということです。民衆が主役だということです。そういった面では、民主化の動きは、歓迎すべきものだと思っています。力の時代は、終わりました。情報が、瞬時に、世界を駆け巡る。あと、星浩氏は、私は信用していません。単なる、薄っぺらな言葉遊びとしか、その人格からは伝わって来ません。先生の容態が悪いのは、誰の目にも明らかです。もう、ご高齢です。何の病名や病気が出ても、何の不思議ではないご年齢です。

『南里Guy』さん
>民衆根本の思想と行動が理解できない者に、「詩人」の存在とその思想と行動はいつまでたっても理解できない。・・・全くもって、仰る通りです。師弟です。信心です。
「空き家」こそ、A級戦犯です。蓮祖のご遺命たる、広宣流布の神聖なる聖業を、滅茶苦茶にしました。戸田先生に背を向け、池田先生を裏ぎった、師敵対の魔物ですね。日顕と同座です。その本質は、嫉妬です。何時の世も、狂わすのは、嫉妬の一念ですね。

『佐渡の朱鷺』さん
相変わらず、素晴らしい文章です。そのまま、永久保存したいくらいです。
全くもって、仰る通りです。不思議な人です。私が、お会いしなければならない人なのでしょう。

●近況報告です。

私の大事な大分の同志(同じ志)が、九州の最大拠点である九州文化に2月18日(金)に表敬訪問いたしました。正々堂々と、玄関先に現れたにもかかわらず、山○はおろか、誰一人として、対応しませんでした。所謂、シカトですね。(笑)

対応したものは、ビデオカメラだけでした。何ともまあ・・情けない限りです。
私が、逆の立場でしたら、お茶ぐらいは出しますよ。・・「元気か?」ぐらいは、人の世の情けでしょう。元、県男です。よっぽど、真実を知られたら困るのでしょう。
あらためて、情けない限りです。・・・人間以下。

次は、フェイスブックだあ~!
 

心こそ大切なれ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2011年 2月18日(金)23時08分2秒 i58-93-216-101.s02.a015.ap.plala.or.jp
  正直言うと、除名になる方やその支援者の、いじめっこ体質は酷いなあと感じた事がありました。
大抵の学会員は、自分は正義の味方であると盲目的に信じているので、自分の中にあるいじめ体質を客観視することができず、組織にその体質を転嫁してしまうのかもしれないですね。
いじめっこはそんな風に弱い人たちであり、気の毒な人たちです。
無意識にも、自己保身の為の悪智慧を働かせてしまう人たちなのだなと私自身は考えています。
自分自身のそういう部分を厳しく見つめて直して行けば、除名と言う事態に遭遇した理由も、見えて来るのではないかなあ、と思ったり。
いじめぐらい、と思うのかもしれないけれど、いじめは人権侵害です。
違法行為です。
多くの人がいじめによって尊い人生を失っていると言う厳しい現実を直視しなくてはいけないです。
何よりも、「心こそ大切なれ」とおっしゃった大聖人様や、自分はいじめられっこですとおっしゃった池田先生を、口先では上手い事を言いながら、心の底で見下し、侮辱し、葬り去ろうとする心です。
人を傷つけることは、決してしてはいけないことなのだと言うことを、他人の振りを見て直して行く事が、声高かに正義を訴えたり、難しい教義を述べたり、訴訟に勝ったりすることよりも、仏法上、大切な事かもしれないなと思ったりします。

宗教的権威を嵩に着て、嵩の内側に縫い付けられた恐怖のあまりに気がふれて、他を傷つけては優越感に浸るような必要性のなくなった人たちは幸せです。
正々堂々、誰に対しても世界平和を訴えながら、素直に自他の幸せを願い、祈りの心を持つ人々と真実によって繋がって行ける。
平和のために何かが出来る人になれる。
使命を掴む事ができる。
二度と人権侵害を行わないと御本尊様の前に誓いを立て、世界平和の為に出来ることを自分なりに頑張りましょう。
 

会則

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2011年 2月10日(木)09時22分31秒 i219-167-54-162.s02.a015.ap.plala.or.jp
  会員が創価学会を除名になる際、それは会則に基づいた処遇であると思います。
会則=仏法と考えなければ、仏意仏勅の組織を除名になるなどと言うことはおかしな事であるわけですから、創価学会員と言うのは会則=仏法とお考えの人達なのだと思います。
そうでなければ会則に基づいた会員の除名行為等は、とてもおかしな話になるわけです。
ところがこの会則は一読すれば分かるように、中央集権色の強い、非民主的な内容になっています。
最高幹部等決定する際に、一般会員の意向が反映されるようなしくみはありませんよね。
あくまでもトップダウン方式で、権威が会を簡単に牛耳る事ができるしくみになっています。
かたや大聖人の仏法と言うのはそういった世俗的な権威主義とは全く次元の異なる法であり、むしろそれらの民衆蔑視の勢力と戦い、勝利することを使命として担う側面があります。
ですから同じ創価学会員とは言え、信心の深まりによって、会と敵対するかのように見える人たちも当然出て来るわけです。
彼らの行動の動機を信心で汲み取る事が出来ず、幹部に意見を言ったことが組織撹乱の罪と看做され除名になったり等、そうした仏弟子に対する反逆行為を行った幹部が、組織上、さらに役職の段階を上げて行き、発言権を得る等の事実が実際には常態化し、腐敗仕切っているのが今の創価学会と言う宗教界の汚物ではないだろうかと思います。
この事実を隠蔽するために、創価学会はあらゆる手を使って正しい人のいじめに取り組んで来ました。
最終的には、池田名誉会長を追い落としたい一心で動いて来た官僚や政治家、マスメディア等の人々と同じ傾向性で結託し、世間の多くの、差別意識の強い、臆病で愚かな民に、その存在の不正さを訴え、納得させたかったのだろうと私自身は考えています。
しかし御書には何百年も前からその事が書かれており、なので私たちの信心が微動だにすることがないのは言うまでもありません。

「日蓮を信ずるやうなりし者どもが、日蓮がか(斯)くなれば疑ひをお(起)こして法華経をす(捨)つるのみならず、かへりて日蓮を教訓して我賢(かしこ)しと思はん僻人(びゃくにん)等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、不便とも申す計りなし」

「バカだねえ。。。大事なのはそんなことじゃないんだよ」と呆れながら笑う先生の顔が目に浮かぶ。。。
 

ご苦労な「???」さん

 投稿者:南里Guy  投稿日:2011年 2月 9日(水)23時07分35秒 nttkyo296101.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  内閣官房機密費を度々もらっているマッチポンプ雑誌記事をご丁寧に…。

この雑誌に信濃町から様様な情報もリークされている。


既に官報になりはてた「朝日」の主筆・時期駐米大使任命の声も聞こえる船橋洋一の
元ではしゃぐ星浩。
米ジャパンハンドラーの元でコロコロころがる星浩。
日本の民衆が苦しんでも自身の地位を後生大事にする星浩。
彼の知人なんて知れたもの…

この新潮記事、朝日が「言論の自由」を自ら放棄しているなによりの証明になっている。
このことをこそ憂えなくてどうするの「???」さん。

「言論の自由」は、民衆根本の思想・行動と不可分です。

民衆根本の思考のない星浩に週刊新潮、星浩にリークする者。

民衆根本の思想と行動が理解できない者に、「詩人」の存在とその思想と行動はいつまでたっても理解できない。

その者がいくら詩人の安否にこだわっても、詩人との生命の地下茎(リゾーム)でつながる魂と魂の存在が、表層的な権力のマッチポンプシステム(米軍産・官僚・メディア)を錆つかせていくことでしょう…


現実に公明党を牛耳り、特に米軍事覇権に迎合する政策を押しつけてきたのは「詩人」ではなく「空き家」前会長(を中心とする怨嫉組)なのは信濃町では当然のこと…
(これは、自公蜜月時代の一般紙で報道される「空き家」の選挙前行動が何よりの裏付け)

詩人の健康を心配するのなら祈りましょう!

創価学会は、「民衆を操作するもの」へ挑み、それを打ち破るために存在する組織です。
庶民が強く賢明になるための組織です。それこそが「詩人」の渇望する組織です。

そのために具体的に行動しましょう。「詩人」が(裏切りにあっても)全てお手本を示し切っています。

あなたも私も、そのことを忘れ保身に走ったら未来世は牛頭・馬頭です。
エジプトの民に続きましょう。日本島国スタイルで…

それでは…

http://twitter.com/nanriguy

 

「池田大作」創価学会名誉会長は「脳梗塞で車椅子」と講演した「星浩」朝日新聞編集委員

 投稿者:???  投稿日:2011年 2月 9日(水)10時51分35秒 sparkle.sinzig.net
      その昔、知っていても書かないのが〝派閥記者〟の流儀だったというが、朝日新聞の星浩編集委員は書く前に懇談会で話してしまった。それにしても、長らく信者の前に姿を現さなかった創価学会の池田大作名誉会長が脳梗塞で車椅子というのは本当なのか、それとも――。

 創価学会の池田大作名誉会長(83)は重病なのか?――8カ月以上も、一般信者の前から姿を消している池田氏だが、その消息は今やどんなVIPよりも厚いベールに覆われているのだ。
「池田氏が、げっそり痩せた姿で皆の前に出てきたのは昨年の5月。中国の青華大学から名誉教授の称号を授与される様子が聖教新聞に掲載されたのを最後に、、4カ月も紙上でその姿を見ることがなかったのです。さらに本部幹部会にも現れなかったことから、重病ではないかという情報が走りました」(創価学会ウォッチャー)
 一方、創価学会側もそんな噂を打ち消すかのように昨年の11月、300番目の名誉学術称号を受ける池田氏の姿や、さらに今年1月27日には香峯子夫人と仲睦まじく並ぶ姿などを聖教新聞に掲載している。
「しかし、その1月27日の写真も恩師記念会館という一般信者の入りにくい場所で撮影され、池田氏の姿もとても小さく写っています。よく見るとさらに痩せており、手すりに体をもたせかけてやっと立っているかにも見えるのです」(同)
 池田名誉会長の健康状態に関しては、創価学会や公明党の内部はもとより、広く永田町で様々な憶測が取り沙汰されてきた。
 いわく、長年の糖尿病に心臓病も悪化してこん睡状態になった。あるいはガンが転移して多臓器不全になった。さらには老人特有の症状が出て話が意味不明で聞き取れないなどという惰、報も流れたが、本当の健康状態を知っているのは、学会でも10人にも満たない側近と最高幹部だけだという。
 だが、そんな池田氏の病状を、どこから聞きつけたのか、政府関係者の前で堂々と明かした人物がいる。朝日新聞編集委員の星浩氏だ。
 星氏といえば、テレビ朝日の『報道ステーション』や『サンデー・フロントライン』のコメンテーターとしてテレビにもよく登場するが、〝本職〟はベテランの政治記者。
「東大出身の星さんは首相官邸、自民党担当などが長く、また、ワシントン特派員や政治部デスクも経験した人です。政治部出身者が幅を利かせる朝日では典型的なエリートですね。また、テレビの解説者としても評判がよく、その穏やかでキレのある語り口は〝朝日の池上彰〟なんて言われているほどです」(朝日新聞の関係者)
 そんな星氏が池田氏の病状について明かしたのは、内閣の一組織『内閣情報調査室』(内調)の懇談会でのこと。内調は内閣官房に属する組織で、海外のテロ情報から国内の政局まで幅広く情報を集め、それを分析して政府に上げるのが役目だ。また、他にも北朝鮮などの情報を収集する〝スパイ衛星〟を運用するのも内調である。
 その内調が、情報収集の一環として行っているのが懇談会なのだ。
「懇談会は毎月1回のペースで、現役の政治部記者や政治評論家を招いて時局の講演をしてもらうというものです。主催するのは形式上、内調の外郭団体ですが、出席者はほぼ全員内調の職員です。招かれる記者にとっても、様々な情報が集まる内調とパイプを作れるいい機会でもあるんですよ」(政治部記者)

〝学会の知人から聞いた〟

 もちろん内調は政府機関だから、菅政権の一端を担っている。見ようによってはマスコミと権力の〝癒着〟なんて批判も浴びそうだが、その是非はさておき、実際の懇談会の様子について、かつて講演をしたことのある政治評論家が言うのだ。
「講演の時間は1時間ぐらい。あとは質疑応答です。私の時に集まったのは内調の主幹(部門長)を含めて30人ぐらいだったね。話す内容は政局だよ。ただ、あんまりサービスはしない。ファクト(事実)も話しません。政府の人間と言ったって誰が聞いているか分かんないからね。政局の流れの読み方とか、今後誰がキーマンになるのかといったことしか話さなかったね」
 星氏もその程度にしておけば良かったのだが、サービス精神が旺盛だったのだろう。懇談会で〝問題の話〟が出たのは1月28日のことだった。
 ある内調職員が言う。
「1月5日にメールが回ってきて、星さんの講演があるのを知りました。場所は東京都千代田区にある外郭団体が入るビルの会議室です。講演は午後4時から始まり、約1時間の話の後、30分ほどの質疑応答がありました。会議室は十数畳のせまいところなんですが、20人くらいは出席していましたね」
 この日、星氏が取り上げたのは「菅政権の行方」。テレビでよく見る歯切れのよい口調で、国会の攻防について切り出した。
「焦点は3月下旬の予算関連法案が成立するかどうか、という話でした。そして、公明党、社民党がどう動くかで成否が決まるとも言ってましたね」(同)
 さらに星氏は、公明党は統一地方選までは民主党と対立するが、その後は協力に転じるなどと大胆な予測も披露。次第に話は民主党と公明党との協力関係に及び、創価学会の八尋(頼雄)副会長が民主党の仙谷由人代表代行とは弁護士仲間で気脈を通じていることや、岡田幹事長とも接触していること。そして、福祉政策を実行する党として、予算案の内容次第では民主党と組むかも知れないとも。
 もちろん、この程度なら単なる政治記者の見立てと言える。だが、続けて飛び出した話に居合わせた内調職員たちは小さくどよめいたという。
「肝心の池田大作名誉会長の病状ですが、目下、脳梗塞を患い、車椅子に頼っている状態だと言うのです。現在の池田氏は何とか物事の判断こそできる状態だが、創価学会の原田稔会長らが中心となって(公明党に)指令を出していると言う。星さんによると、創価学会に知人がいて、この情報はそこから直接聞いたとのことでした」(同)
 実はこの話、古参の創価学会員によれば、幹部の間で話されている内容と近いのだとか。「似た話を昨年の12月ごろ聞いたことがあります。ある(創価学会の)婦人部の大幹部が〝名誉会長の本当の病状は脳腫瘍なの。切開手術をしないで治療しているけど、今は車椅子の生活よ〟と話しているのです。しかし、ガンの一種である脳腫瘍は学会の中で〝仏罰〟と見られており、池田先生がそうだとしたら絶対に公表できません。そんなことから、外には脳梗塞と伝わっているのかも知れません」
 また、ジャーナリストの山田直樹氏も言うのだ。
「池田氏が姿を消してから創価学会では昨年7月、公明党を指導するために原田会長を筆頭に〝最高協議会〟なるものが開かれたそうですが、同様の集まりがそれ以降も3回ぐらい開かれているとか。もっとも、そこで何かの結論に達しているわけではありませんが」 星氏はこの他にも、公明党の山口那津男代表が咋年末、中国の習近平副主席と面会し、その会談内容を菅首相に伝えようとしたところ、公明党の内紛が原因で果たせなかったなんて〝特ダネ〟も懇談会で披露しているのだ。

「何で知っているの?」

 さすが、朝日のエリート政治記者と言いたいところだが、日本の政局さえ左右しかねない話を内調に教えておいて、肝心の朝日新聞に1行も書いていないのはどうしたことか。 そこで星氏に聞いてみた。
――(1月28日に内調の懇談会で)池田名誉会長が脳梗塞で車椅子状態であると言ったそうですが。
星「いや、そんな話はしていませんよ」
 そう否定する星氏。だが、さらに質問を重ねると妙な返事が返ってくる。
――(池田氏の病状が)星さんの耳に入っているのではないですか?そういう発言をされたと聞いています。
星「何であなた、そんなことを知っているの?というか、何で話さなければならないの!」――懇談会に行かれたのは事実ですよね。
星「行ったかどうか、それは分かりません」
――これは大きな問題ですが。
星「我々は大事なことだと判断すれば、それは(新聞の)紙面で報告する(書く)わけですよ。報告する以前の段階でしょ、(池田氏の病状などの)色々な問題は。まだ〝生煮え〟の情報の話をする必要はないと思います」
 そう言って、懇談会に出たことさえ明らかにしようとしない。
 一方、星氏にトップシークレットの情報をバラされてしまった創価学会はさぞかし怒り心頭かと思ったら、
「以前より、この種の質問にはノーコメントとさせて頂いております」(創価学会広報室) という返事。だが、朝日新聞OBの本郷美則氏が言うのだ。
「星君は最近、よくテレビに出て何かと〝放談〟していますが、それと同じ調子で内調でも話してしまったんじゃないですか。しかし、そうした懇談会に出席したなら出席したと言えばいいし、話をしたのならそう言えばいい。それを誤魔化すようではジャーナリストとしてお粗末ですよ」
 果たして池田氏の病状が朝日の紙面に載るのはいつのことやら。

「週刊新潮」平成23年2月10日号
 

今日より明日へさん、及びサイトを閲覧しているみなさまへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2011年 2月 5日(土)22時18分10秒 i60-34-148-96.s02.a015.ap.plala.or.jp
  お久しぶりです。お元気でしょうか。
弱者の味方、福祉の党等と言って、お人好しの創価学会員を、患部と結託して上手く手玉に取り欺いては票を集め、上手い汁を啜って来た偽善者集団の公明党。
ですがその実態は、弱者からの突き上げから逃げ惑うばかりの毀誉褒貶たる情けない集団でした。
救済を求める人の声があっても、なんとか問題を隠蔽する為にとりあえず相手の話を聞いているふりをしながら、「難しい問題ですが考えて見ます」等と言って苦しみに喘ぐ人の前から脇目もふらずに逃げてしまう。
恥ずかしく無いのでしょうか?
私は怒っています。
待てど暮らせど二度と返信はありません。
少なくとも私が感じている公明党のして来たことは、本当に行政の救済を必要としている民と議会を分断し、問題を隠蔽することに他なりません。
イラク戦争は公明党が支持した事です。
過去の過ちを振り返ろうとしないものはふたたび同じ過ちを犯します。
平和は過去の過ちを振り返り続けなければ、決して構築できません。
イラク戦争の総括を、公明党はしなければいけません。
それなしで民主党の案配が悪くなったから今度は俺たちの出番だなんて、バカバカしいにも程があります。
薄汚いにも程があるのです。
イラク戦争と言う、アメリカ追従の政策によって、どこの国にどんな被害が齎され、現在それはどうなっているのか。
その責任を公明党はどう捉え、どう対処すべきだと考えているのか、いないのかどうか。
党の代表は国民の前で襟を正して明言するべきです。
それを支持する学会も、かつては不幸な民を救済せんとあの人この人の激励にひた走る、ハートのある仏法者の団体だったはずなのに、今やすっかりエリート気取り。
どこの都市にも私の住む島にも、立派な作りの会館が建てられ、ものものしい異様な感じを醸し出していますよね。
開かれた宗教等と言いながらどこの寺院よりも閉鎖的です。
一般人が、気軽に立ち寄れる雰囲気ではありません。
一体どういう感性をしているのか。
そのへんにある、貧しくともあたたかみのある、誰にでも門戸を開いている素朴な寺院と訳が違います。
これをおかしいと思えないのが、創価学会のおかしな所です。
日本の福祉はどうなっていますか?
北欧の国は税金は高いですが福祉は大変整っています。
かたや日本はどうですか。
権力を握った人やそれに追従する人たちだけが良い思いをする為の信仰でも、叶うのが信仰心です。
拝金主義でも金持ちにはなれる。
ただ金持ちだからと言ったって、経済と言う生き物を操る事は難しいわけで、アメリカはその辺りで苦しんでいるようですね。
金が全てを解決すると信じて疑いさえしなければ、それで誰もが救われるのだと言う信仰は世界を闇で覆っています。
ですが私たちは、それらの身勝手な人たちが決して顧みようとしない、世界の夥しい歪みのせいで、苦しみに喘いでいる多くの民と手を繋ぎ、一歩でも幸せの方向を目指して、歩みを進めたいと思っています。
たとえ行政が味方をしてくれなくても、生きて行くための可能性を探っています。
それは亀のような歩みかもしれませんが、我々が歩みを止めない限り、世界は大きく変化して行きます。
思い上がりも甚だしい、詐欺集団の公明党よ。今すぐイラク戦争の総括をするべきだ。

そんなことを考えている昨今ですが、本年も宜しくお願い致します。
ではふたたび見守り続けます。
 

創価学会HPの世界交友録  池田大作とエジプト・ムバラク大統領の会談のページを削除

 投稿者:???  投稿日:2011年 2月 3日(木)12時21分50秒 220.167.224.29
  創価学会HPの世界交友録  池田大作とエジプト・ムバラク大統領の会談のページを削除

アクセスしようとしたページが見つかりませんでした。
http://www.sokanet.jp/sokuseki/koyu/mubarak.html



以下グーグルキャッシュ
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:jSGuNUL1Wr4J:www.sokanet.jp/sokuseki/koyu/mubarak.html+%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BD%9C%E3%80%80%E3%83%A0%E3%83%90%E3%83%A9%E3%82%AF&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&source=www.google.co.jp


エジプト大統領 ムハンマド・ホスニ・ムバラク氏

アレクサンダー大王の造った歴史の古都で、現在の大エジプトを率いる大統領と語り合えることは、本当にうれしいことです」(池田名誉会長)。
1992年6月、ムバラク第4代エジプト大統領と池田名誉会長との会見が、悠久の歴史をとどめるアレクサンドリアで行われた。
「池田会長、バルコニーへ出て、話を続けませんか?」(ムバラク氏)。
眼下に広がる地中海。「素晴らしい海ですね」(名誉会長)??。和やかな潮風がバルコニーを包んだ。
地中海の碧き海原を望む語らいは、エジプト文明、歴史、そして中東情勢へと及んだ。

ムバラク氏の多忙を気づかう名誉会長に、氏は「池田会長と語り合うのは楽しい。
時間は気にしないでください」と。会見は予定していた時間の2倍にあたる約1時間にも及んだ。
今こそ、文明の衝突よりも、文明の対話を、文明の共生の道を??。
氏の理想は、そのまま、名誉会長が目指し、戦う信念でもあった。
「時代は変わりました」「世界の歴史が証明しているように、“力”による問題の解決は、もはや不可能な時代になっているのです」
 

本当にお久しぶりです

 投稿者:ドプチェク  投稿日:2011年 1月31日(月)05時11分51秒 db758c-205.dynamic.tiki.ne.jp
  今日より明日へさん、本当にお久しぶりです。

1月27日の今日より明日へさんの書き込みを読んで、改めて当日(1月27日)の聖教新聞の1面に掲載された池田SGI会長ご夫妻の写真を見てみましたが、確かにそういう感じもしますね。
池田会長の容態が芳しくないという噂は前々からネットで何度も目にしましたけど、とにかく、今は少しでもお元気でいられる事を願うばかりです。
今、池田会長がいなくなられたら、今後の学会の行く末は思いやられるばかりですね。
10年前から学会と大なり小なりの距離を置くようになり、基本的に独自路線を歩んで来た私ですが、昨年から心情的には徐々に学会の路線に回帰し始めています(と言っても、学会の中では相変わらず、我が道を行くというはみ出し者の部類なのですけど)。
私は池田信奉者の類ではありませんけど、ただ、今後の事を考えれば、今の学会には池田会長の存在が不可欠ではないか?という気がしています。

池田会長並びに各々の苦難と戦っている大勢の同士たちに、幸あれ!

大勢の我らが友よ・・・
共々に頑張って苦難を克服してやろうじゃないか!

今日より明日へさん、皆さん、これからも頑張って下さい!
頑張りましょう!
それでは、また!

http://white.ap.teacup.com/kibou/

 

先生のご容態

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2011年 1月27日(木)21時47分11秒 softbank220058091171.bbtec.net
  本日、池田先生の姿が、聖教新聞の1面で確認されました。

奥様に支えられて、右手の手すりに、やっと掴まえられ立っておられました。・・

写真に写っていない、すぐ周辺にはドクダー部が待機していることでしょう。

痛々しかったです。直ちに、御本尊様に向かい、先生の健康と長寿を深く祈りました。

涙が溢れ出る思いで、先生を見つめました。

先生の写真の、直ぐ下の写真に写る最高幹部一同の真剣さのなさ。惰性・堕落としか感じられません。保身の派閥に汲々として、純真なる信心の姿勢は、とっくに忘れ、無惨な敗残者の姿としか、映りません。先生の健康を、真剣に祈念しているものなど、一人もいないでしょう。これが、現実です。

この現状を、誰かが、何とかするだろうという時間は、とっくに過ぎています。

一人立つ、真正の弟子が、立つ意外にありません。

鹿児島で火山が噴火し、宮崎で鳥インフルエンザが蔓延し、各地にも飛び火しております。

私は、特に火山が噴火するという事態を、注視している人間です。暗示であり、メッセージです。地震、大地が震えるという、うねりには、そこに確かなる自然界の意図があります。

①永遠の生命を感得する。

②仏界の生命を実感する。

③一切衆生を救うという自覚。

この三つの条件に、ハッキリと言い切れる方こそ、先生の真正の弟子であると確信します。

54年の決着を、同志を尊敬し、御本尊様の御力と共に、つけなければなりません。
 

十二因縁

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2011年 1月16日(日)23時37分27秒 softbank220058091171.bbtec.net
  一庶民さん

お久しぶりですネ。
マイホームを購入され、そこの地区にとんでもない人がいて、人生を懸けた戦いが始まったという話しは、よくあることです。闘うしかありません。必ず、勝利されてください。応援しております。まずは、祈ることです。頑張って参りましょう!

さて、私は一昨日から十二因縁のことについて、思念し題目を上げております。

①明 煩悩のこと。 人間が過去の世界で起こした一切の煩悩のこと。
②行 潜在的形成力 人間が過去の世界で起こした煩悩の為に様々な
 業をつくってきた身心のこと。善悪の行為。
③識 識別作用 過去世の煩悩と業によって、この世の母親の胎内で
 生を受ける最初の心。最初の一念。
④名色 肉体と精神 受胎してから四週間までの間。
 母体の中で心身が発育する過程。
⑤六処  〔六入〕 眼、耳、鼻、舌、
 身、意の感覚 受胎して五週間目、出産するまでの三十四週間の間。
 六根が発達して胎内で盛んに動きだすようになる姿。
⑥触 接触 生まれてから二、三歳までの間。
 苦楽を感じることなく物に触れる時期。
⑦受 意識や接触から
 生じる苦楽 四、五歳から十四、十五才までの間。
 苦楽を識別し、比較的外からの様々なことを受け入れる。

⑧愛 妄執 十五、十六歳から青年時代。
 物質的欲求が激しく、性欲もあり愛する心情が生まれる。

⑨取 執着 二十五、二十六歳から五十歳位までの時代。色欲、物欲
 名誉欲すべて旺盛で生涯の中で煩悩が一番強い。
⑩有 生存 生存によって欲望やそれに執着することから未来に再び
 生まれ出る結果が定まること。ここまで積み重ねてきた
 業の為に未来の果報を有すること。

⑪生 この世に生まれること 生は現在の業の結果として、未来に生まれることをいう。

⑫老死 老いて死ぬこと 老衰してやがて死んで行き、未来世に生まれる。

この、十二の因縁で過去世から現世に持ち込み、持ち越して、来世を決定ずけると初期の仏教から説いています。

業力により、引力のように、磁石のように、母体に宿る。自身に最も相応しい親を宇宙中から選択する。習宿として。
 

(無題)

 投稿者:一庶民  投稿日:2011年 1月14日(金)17時44分20秒 w32.jp-k.ne.jp
  お久しぶりです。
すっかりロムばかりとなりました。
マイホームを購入しました。
当然ながら地区、本部も変わりました。以前、聖教で卒業生として掲載された人のところによもや引っ越しするとは思いもよらなかったです。ですから今日まで、ある意味尊敬していました。
しかし、協議会では同志に対して、出ていない同志なんですが、悪口が多く、言っていることが、わけわからないことばかりで、安易に頷けば同意したと思われるのが嫌ですので黙り込んでいる次第です。何言っても自分が正義だと言わんばかりですので誰が言っても結局はその人が正しくなります。
意見を言おうとすれば間違いなく、辞めるかあちらが辞めるかの話になるでしょうから誰も黙るわけです。
幹部の間では、その人のことは信心強盛で悪口を言うのも有名だと聞いています。
自分が幹部になれないからかどうかわかりません。地区の本質的な問題をいいつづけても治らないから文句ばかりで地区の同志も嫌でもやらなければ幸せになれないから仕方なく付き合ってるみたいです。
果たしてどちらの思いが正解なのかわかりません。僕は頭が痛いだけです。一生そんな人と一緒では楽しくもなく苦痛ばかりだと思っています。師匠は、そんな指導はしてはないと思っています。
結果が出ないから会員ではないというのは言い過ぎではないか。
それならばアンタはやっているんか。人としての振る舞いが肝心ではないか。僕はそうおもって、その人が必ずしも正義ではないということを活動して行きます。必ず勝利して行きます。
 

純粋な信心

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2011年 1月11日(火)23時12分34秒 softbank220058091171.bbtec.net
  祥子さん

ありがとうございます。いえいえ、私の方こそ、貴女のファンです!感動しました。
仰るように、信心に対してピュアです。でも、そのことがお解かりになる祥子さんも、ピュアな心の方だと思います。よく、わかるんですねぇ。感心しました。本当に。

これからも、当掲示板を続けて参りますので、ご安心ください。
・・チャゲ飛鳥ですね。全く、気がつきませんでした。また投稿されてくださいネ。


Theimpossiblehashappened

メールは、返信したよ。寒いだろうから、風邪引くな!こっちも寒いよ。近年にない真冬。
雪が積もったりしている。
 

今日明日さんへ

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2011年 1月11日(火)00時39分0秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  送りました。  

貴方のファンです

 投稿者:祥子  投稿日:2011年 1月10日(月)23時03分43秒 p085.net059084237.tokai.or.jp
  「今日より明日へ」さん、数年前から「お気に入り」に入れて毎回拝見してます。信心に対してピュアな心で接しているところはいつも感心しています。これからも、管理人としていつまでも続けてくださいね!
PS チャゲ明日→チャゲ飛鳥・・・です。
 

流れ通う

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2011年 1月 9日(日)14時52分31秒 softbank220058091171.bbtec.net
  昨日は、会社の新年会で、チャゲ明日の「YAH‐YAH‐YAH」を熱唱しました。(笑)

本日は、休日なので、自宅にてゆっくりと御本尊様に向かいました。

題目は、数ではありません。感応道交です。しんしんと、ひたぶるに唱題していけば、体内の隅々に、妙なる法が流れ通ってきます。いきわたり、満たされて行く。生命力の爆発が起ります。大歓喜が全身に漲る。いと、おもしろや!不思議としか云い様がありませんね。
私の場合、感応している瞬間瞬間に、音が聞こえてきます。ぐーっと、御本尊様の世界に誘われ、魂にメッセージが来ます。それは、強烈なものです。仏の世界からの伝達は、魂の直交流です。直感智です。何の迷いも、不安も恐れも全くありません。
あるのは、導かれているという感覚だけです。

一人立つとは、最強の力です。この世の大歓喜です!
 

トイレの仏様

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2011年 1月 5日(水)01時25分41秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  実家から戻って来ました!

ここから、父母の学会活動の様子等を、つらつらと長文の文章を書いていましたが、一瞬の操作ミスで、パッと消えてしまいました。・・情熱が・・(苦笑)

マサまる子さん

あけまして、おめでとうございます。
ここは、書き込む勇気がいることでしょう。私も、そう思います(笑)
人材・躍進の年。共々に、頑張って参りましょう!私は、明日から仕事はじめです。

※紅白で初めて彼女の存在を知りました。魂が胸奥に伝わって来ました。
 ご紹介します。素晴らしいメッセージです。感動しました。若い人も、捨てたもんじゃあ ありませんネ。希薄な家族関係に、ジーンと来た人が多いことでしょう。人の世の原点です。


http://www.youtube.com/watch?v=yauc7_hbgEk

 

新年のごあいさつ

 投稿者:マサまる子  投稿日:2011年 1月 3日(月)23時05分39秒 wb09proxy06.ezweb.ne.jp
  祝【人材・躍進の年】あけましておめでとうございます祝日

今日より明日へ様
随分前になりますが、丁寧なレスをいただき、大変ありがとうございました。
あれからも書き込みする勇気がなかなか湧かなかったのですが、新年のごあいさつだけでも、と思い投稿いたしました。

皆様のご健康、ご多幸をお祈り申し上げますゴメン
 

2011年 謹賀新年

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2011年 1月 1日(土)00時50分2秒 softbank220058091171.bbtec.net
  皆様、明けましておめでとうございます!!

本年も、よろしくお願いいたします。☆

世の中の風潮(世間)は、人間性の回帰、人の世の原点に向っていると確信しております。
殺伐とした中にも、確かな光を感じています。孤独と貧乏と怨念の逆流に棹差して、大事なものは何かという根源的かつ普遍な歩みを、じわりじわりと感じています。

まだまだ、世の中、捨てたものではないー。今年は、創価学会にとって、並々ならぬものが起こるでしょう!全ては、仏意のままに。

 御書

「我が内証の寿量品を以て・・地湧千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五 字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」

所詮、御本仏であらされる日蓮大聖人様の大慈大悲から召し出され、娑婆世界に誓願した我々であります。地湧千界の大菩薩とは、妙なる法を唱え、一切衆生に末法の大良薬たる妙法蓮華経を伝え、教え、弘め、悟らしめる崇高なる使命の我々です。

地湧千界の使命を深く自覚した人は、梵天・帝釈等を肩に侍らせるものです。負けるはずがありません。生命の勝利者、人類の命運を背負って立つものは、創価学会以外にありません。極なる悪との決着力、獅子奮迅の力を内証深く刻み付けているものは、題目を唱え抜く我々以外にありません。大闘争の一年へ。決着の一年へ!

生命は、永遠に連続する。無没、「如来如実知見。三界之相。無有生死。若退若出」

しばし、実家の熊本へ里帰りして来ます!


                          2011年 元旦
 

純白の雪

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月27日(月)00時48分8秒 softbank220058091171.bbtec.net
  昨日は、除名になった同志と、1時間以上に亘り、思いっきり話し込みました。
そういった、渾身の時間ともいうべき、真剣なる会話には、物理的な時間の概念を越える、生命の時間とも表現できます。最高幹部の不正を暴き、追及した彼は、一人の人間としても立派だと思っています。私も、彼の立場だったならば、同じことをしたことでしょう。

いわゆる、土地転がしの仕組みの原型を作ったのは、静岡で暗躍した故・山崎正友です。
大石寺、墓苑建立は、儲かるという利権のうまみを、熟知したものです。土建屋等、多くの強欲者が、群がって結託するという談合の構図は、いかにも、日本人特有の気質から派生した事件です。目の前の札束に、目が眩んだ私利私欲のみの悪人ども。どこの世界にも、いるもんです。54年の一大事件も、全部、先生一人に押し付けた天魔の所業です。先生を利用し、翻弄させ、学会乗っ取りの計画を企てたものです。最高幹部が、満場一致で裏切った学会史実です。

人間共和の麗しい組織とは、会員一人ひとりが、仏法で説く師匠を純粋に求め、日々人間革命に精進して、同志を敬い、大切にするということです。この純度を高めるには、自立して御書を研鑽し、自分の頭で懸命に思考し判断することが求められます。現状は、組織に委ねられ、降りて来た日程を盲目に追従するという受動の姿勢です。この風潮が蔓延しております。「依法不依人」とは、法に拠って立てという能動の姿勢です。それは、御本尊様と師匠との一対一の心の対話であり、自覚であり、歓喜です。喜び勇んで、苦難を引き受けるものです。

安易に切って捨て、除名にすれば事が収まると、その浅知恵で、その程度の思考でカタがつくとでも思ったことでしょう。本当に愚かです。
更に強靭に、更に硬い信念の炎となり、伝播し、巻き返されるとは、夢にも思わなかったことでしょう。その危険性を少しも考慮していなかったであろうことに、まずは、あきれ果てます。除名にするという行為を、地湧の菩薩の刻印を、何だと思っているのでしょう。

全国には、そういう元会員さんがいます。不本意ながら、除名にされた人たちです。
そのエネルギーは、くすぶっています。何の解決にもなっていません。その子供が意思を継ぎ、子々孫々にまで受け継がれていきます。学会は、重い十字架を背負っています。
時間は係るでしょうが、元に戻し、再会員にすべきです。慈悲のある、人間性が通う、人間共和の世界にする為に、本日も唱題しました。


 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月25日(土)07時21分41秒 i220-108-41-123.s02.a015.ap.plala.or.jp
  了解致しました。しばらく静観する事に致します。  

佐渡の朱鷺さん

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月25日(土)00時12分50秒 softbank220058091171.bbtec.net
  どうも、佐渡の朱鷺さんとは、うまくかみ合わないようです。
しばらく、静観されていてください。

南里Guyさん、よろしくお願いします。
 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月24日(金)11時31分29秒 i220-108-41-123.s02.a015.ap.plala.or.jp
  車の運転中に電話を下さったんですか?
それはあまり感心しません。
一刻を争う状況等であるなら致し方ない場合もあるでしょう。しかし今回は私がご無理を言って、実名や、お住まいの場所や、顔写真等を拝見させて頂き、貴方様の実在を確認させて頂きたい、と言う事でした。
しかし貴方様が、「まずはお電話でご挨拶」とおっしゃるので、その意向に合わせた訳です。
時間のない中、無理に連絡をして欲しい等とは、私は一言も申し上げておりませんし、第一、それはとても危険な行為です。
今後は二度と、そのような事をしてはいけません。
 

混迷

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月24日(金)01時12分17秒 softbank220058091171.bbtec.net
  ここまで、師弟の何たるか、要するに、信心がわからなくなっているのです。
何が目的なのか。人間革命とは、どういう状態なのか。
究極まで、自身の手で、自分自身の心で、自立して、日蓮仏法を信仰している会員が少なくなっているということに、間違いありません。
来年の1月の大百蓮華が届きましたが、理事長の言には、失望しました。信心が、わかっていない証拠です。全くもって、先生の側近にいながら、何を毎日しているのでしょう。
学会本部幹部の毎日の日常風景は、広宣流布にかける情熱や歓喜、報恩の念は、ないのでしょう。この日本で、一体何人の人が、日蓮仏法の真髄である大歓喜の境涯を満喫していることでしょう。不肖、私は、この瞬間にも、自身に満足し切っております。何の後悔の念もありません。ただ、ただ、一人でも多くの人に、妙法を届けたい心境だけです。この障碍が、内部の決定権者どもにあるという疑いのないことだけです。

そもそも、教学部にも、本気になって探求心を燃やしている人は、皆無です。御書は、迫害と中傷の真っ只中でしか、身でわかりません。要するに、闘争の最中でないと、リアルにつかめません。自分のものに、出来ません。そういった意味では、除名に遭遇したり、組織から排除された人の方が、我が生命の対決が出来ます。徹底的な主観の世界である信心は、逆境にある人ほど、確立されるというのが、私の確信です。

益々、混迷を深めている日本の全体は、私の責任でもあります。もっと、自身が活用されるように、御本尊様に祈っています。いや、全然ダメです。もっともっと、真剣勝負の祈りが必要であるということは自覚しております。

佐渡の朱鷺さん

私の方は、車の移動中に、無理に時間をこじ開けてご連絡させていただきましたので、今ひとつ、会話に集中出来ませんでした。渋滞と混雑の交通事情の中、ハンドルさばきが大変でした。佐渡の朱鷺さんも、風邪を引かれていたとのことで、タイミングが悪かったですね。

事情がおありだと、直ぐに感じ取りましたが、私の方も時間がなく必死でした。本当は、ゆっくりとお話しをしたかったです。佐渡の朱鷺さんと比べれば、私は若輩者ですが、人は年齢ではないというのが、よくわかっております。いかに、いのちの時間を生きたかであると思っています。自己の生命への対決無くしては、畜生の生命時間と変わりません。
そういった意味では、例え20代で亡くなっても、その人の生きた時間は、神聖なる生命の時間であったといえるでしょう。また、次の生へと刻印されます。

『私自身は先生にお会いした事はありませんが、全て通じております。』

そう、言い切られるのは、艱難な事件をくぐりぬけられたからでしょう。素晴らしいことです。

【先生を誤解する俗衆増上慢は、先生を利用して暗躍する者にとって、実に都合が良いのです】

先生を利用し、会員を欺いています。組織の上層部に君臨し、支配しています。
盲目で臆病で、愚かな人間に成り下がっている会員も悪い。大衆心理に踊らされて、真実を見ようともしない。悪は、放置すれば増長するだけです。野放しのまま、ここまできてしまいました。目覚めた会員が、闘わなければ、純粋な組織は、保てません。それもまた、刻印であり、宿縁です。


 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月22日(水)21時25分32秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  先ほどは遠方からわざわざお電話を頂き感激致しました。ありがとうございました。
風邪を引いておりましたし近くに子どもがおりましたし、話の内容からも、少しひそひそ話になってしまいましたが、私の人となりは、大方、想像して頂けたかと思います。
今日より明日へさんは、とても明るく、楽しい感じのする、朗らかな方でした。
南里Guyさんにも、同じような性質の明るさ、素朴さ、真面目さを感じました。
ますます、安心して参加できるようになりました。
お心遣いを頂いた事に、心より感謝いたします。

お話の中で、いろいろあった事で、池田先生への怨嫉の気持は涌いて来なかったのでしょうか、と言う事がありました。
はっきりと申し上げておきます。
あり得ないのです。
先生どころか、幹部に対しても、誰に対しても、ないのです。

私はいろいろな事件の後、どちらかと言うと、何の力にもなれないちっぽけな自分を責めてしまい、心を病んでしまいました。
心療内科に通いましたが、薬の後遺症で、鬱症状にもなりました。
経済的にも、通院が無理でしたので、自力で治療するしかありませんでした。

その後数年間は、自分自身を知識して、回復へと導くための、研鑽の期間でした。
物理的な身体を貫く、生命の、具体的な法則や、実体について、身を以て探求しました。
魑魅魍魎とも、たくさん対話しました(笑)
さまざまな識者の見解に触れ、学術的な研究を進める事も出来、御書の読み方が変わって来ました。
結果的に、さらなる仏法の確信に立つ事となり、やがて思う様な結果があたりまえのように出るようになり、また周囲の人たちとも、それらの経験を共有することで、誤解の渦の中にあった池田先生の存在を、再確認させると言う事をして来ました。
先生を誤解する俗衆増上慢は、先生を利用して暗躍する者にとって、実に都合が良いのです。
誤解を放置することで、悪はのさばるだけです。
私は先生についての真実を話す事で、外護の役割を担っています。
私自身は先生にお会いした事はありませんが、全て通じております。

今思えば、私が創価学会から受けた一連のとんでもない出来事は、単なる酷い事件が起きたと言う事だけでなく、私自身の生命探求の学びの過程で必要な出来事だったのだと、今はそう解釈できます。
私は、これまで私に関わって下さった、全ての人達に感謝しなくてはいけません。

私は、御本尊様、お題目に、完璧に守られ、そのかわりに、支配されています。
そのために、私は、どんな存在からも、不当に支配を受ける事はないのです。
そういう意味で、私はマイノリティーである自分を、誇りに感じている面があります。
今日より明日へさんも、私と話しをしてみて、その事を感じて下さった事と思います。

私の人生は、私の意思だけではどうにもならないものでした。
あまりにも非力でした。
島国日本における差別の体質は、私には理解できず、受け入れられず、そのため、孤立しておりました。

全て御本尊様に、お任せの人生なのです。
そういう生き方をして来て、最終的にここ佐渡の地で、大聖人さまを常に慕いながら、真実は何なのかを問いかけつつ、この国の無明を破り、革命の金波銀波を起すために生きる事となったのです。
そんな中で、今日より明日へ様ともお知り合いになれました。
同志の絆は永遠ですね!
ありがとうございました。
 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月21日(火)08時13分51秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  了解です。では南里Guyさんから私の番号を聞いて電話を下さい。お待ちします。  

同志(同じこころざし)

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月21日(火)00時10分26秒 softbank220058091171.bbtec.net
  静岡の同志の方々です。

魂の絆で、結ばれています。昨年、ここ福岡でお会いしました。
わざわざ、お越しいただきました。

いつの日にか、必ず、静岡に行きます!共戦の為に、先生の為、全学会員(地湧の菩薩)の為、全民衆の為に。静岡の方々は、本当に善良な方々ばかりでした。
真面目な会員さんが、苛められ、組織から排除され、こんな理不尽なことはありません!
先生の敵は、内部の最高幹部のヤツ等です。54年の決着は、何もついておりません。

さあ!これからが、本門の戦いです。

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/oracion4

 

佐渡の朱鷺さん

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月20日(月)23時45分21秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  了解しました。

まずは、声でご挨拶しましょう!
近日中に、南里Guyさんに連絡いたします。
私の携帯番号を、お教えします。それか、佐渡の朱鷺さんの番号をお聞きします。
どちらでも、全くかまいません。

また、励ましなど、御礼はいいですし恐縮です。
ご自身の内省の葛藤が、よく伝わって来ます。
大変な思いをされて、生き抜いてこられたことは、よく存じ上げております。

南里Guyさんのご使命も、不思議なものです。つくずく、そう思います。
必ず、皆さんと、お会いする日が訪れるでしょう。必然なのです。

http://9200.teacup.com/seiginorentai/bbs

 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月20日(月)09時47分42秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へ様

お返事ありがとうございました。
今年はこの掲示板で、今日より明日へさんからどれほど励まされたか知れません。
思えば南里Guyさんとの出会いによって、南里Guyさんやこの掲示板の管理者様への疑いのような気持が消えたからだと思います。
文字はある程度その人個人を表現できますが、人間同士はやはり、直接お会いして話し合うと言うのが大切な事なのだと感じています。

私は以前、除名になった方達やその周辺の人達の言動に深く傷付いた事があります。
除名になった方達も人間です。
人として至らない点があるのは当然の事です。
私もまた同じことです。
自分の内側にある、信じたい人たちの信じられない発言であったり、行動であったり、それらの状況から抱えた人間不信であったり、被害者感情、怒りや悲しみ等の負の宿命。
それらを他者に投影しているうちは、自分自身の心の傷とは向き合えないものなのだ、と言う事も分かりました。
自分自身に立ち返り、自己内面の回復に向かうには、大切に思う気持はあってもなかなか理解し合えない他者と言うのは、あって良いのだと考えるようにもなりました。
また自身の内面が回復して来た時、「なぜその出来事に出くわしたのか」と言う疑問が湧いて来る様にもなりました。
一つのステップを乗り越えるたび、悪との戦いは洗練され、確信を持って、楽しい気持で立ち向かう事が出来るようになっても行きます。
楽しいから、前向きに頑張ろうとする。
多くの人が前向きだから、少々の臆病や卑屈な気持が借りにあったとしても、その面に勇気や学びを与えながら、善の連帯として、しっかりと手を繋ぐ事ができるようになる。
そしてまた一つ、確信に立つための課題と、自他を信頼するための偉大な結果をそれぞれの人生に生み出す事ができるようになるのだと思っています。

実は、今日より明日へさんにお願いがあります。
私は今日より明日へさんの事をこの掲示板上でやりとりした面でしか知りません。
なので、できれば自画像と、お名前と、お住まいの場所等を知りたいと思っています。
やり取りをして下さった方の素性を知って、その実在をしっかりと確認したい、と言う気持からです。
宜しくお願い致します。
 

立正安国

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月18日(土)16時18分33秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  12月に入り、仕事の多忙が続いております。本年も、残り僅かな期間になりました。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。来週は、年賀状も書かなければなりませんね!

南里さん

素晴らしい、実に、深遠な「島」の詩ですね。魂に、深く入り込んで来ましたよ。光景と共に。『それは創世の大昔そのままの根をかっちりと海底に張っている』・・この辺は、グッと来ます。いや~感動しました。素晴らしい限りです。

ツイッター上に、ついに、写真をアップされていますね!衝撃でした(笑)
自画像の公開に踏み切られた、南里さんの真剣さと情熱を感じました。
あの場所(空間)での会話、表情、全てを鮮明に記憶しています。昨日のことのようです。
隣のおじいさんが、南里さんだと思われた方もいるでしょう・・(笑)

あの時の、私の一念は、先生しか、ありませんでした。
何が何でも、先生に直談判するという覚悟でした。大分の事も、除名になった、全ての方々のことも、今後の創価学会の事も。直接、先生にご指南を仰ぐ覚悟でした。
金城会や、大馬鹿な勘違い患部からの激しい阻止を食らいましたが。
しかし、尋常ではない警備体制には、舌を巻きました。・・何十人も。

私など、次の日に、一人で学会本部に行った時など、信濃町には、アイツ等がこれでもかと、連携して尾行して来ました。飲食店に後輩と入ったら、威圧して、隣に座って来ました。もう、騒然とした空気に包まれました(笑)

JR山手線、電車内にも、渋谷の街中にも、ぴったりと、くっついて来ました。・・ここまで来たら、明確な犯罪です。さすがに、空港までは、ついてきませんでしたが。
もしも、福岡空港までも待ち構えていたら、私は、徹底的に争うつもりでいました。

私の姿勢は、「いまだ、こりず候」です。(笑)
何度でも、「立正安国」を、叩き付けてやります。

佐渡の朱鷺さん

大変な思いをされて、幼少期、青年期を過ごされたことでしょう。目に浮かびます。
人生の労苦は、必ず、糧となります。変毒為薬とは、言葉で言うのは簡単なことですが、実際には、当の本人にしか解らない、切実なる思いが、真剣なる願いが、うち鎮められています。人生の荒波を、自立して必死に漕いで、たどり着いた方でしか、法華経の深い思いは、わかりません。経典の一文字に込められた「詩」は、即、何とか救いたいという、何としても、救いきりたいー。という深秘の、生命究極の詩です。

法華経の一文・一句が生きています。その一文字に、私は、涙します。歓喜します。
鼓動の脈動が、体内に流れ通ってきます。嗚呼、法華経。恋焦がれ、苦楽をともにした人類の希望。その雄姿を、ひとたび聞いただけで、感無量の感情が込み上げてまいります。
もう、大好きです。体の一部のような存在です。

『地殻変動によって隆起した存在である「島」には、人間生命と似た波長があるのかもしれないですね。。
佐渡はその隆起したものの中に、金脈と銀脈が含まれていたと言う点で特殊な意味を持つ島かもしれない、と考えたりします。
越後は天然ガス等の、エネルギー問題に直結する物質が出ていますし、原発施設もあり、佐渡は金銀、と言う、経済に直結する物資が出ています。』

全くもって、仰っている通りです。島は、人間生命そのものです。地球自体が、生きています。鼓動を感じます。万物は、生きて脈動していますね。
佐渡は、何度も言いますが、不思議なところです。佐渡ヶ島を知らない日本人はいません。


Theimpossiblehashappened

流石、我が門下だ!約束は、絶対に守る。




http://twitter.com/nanriguy

 

Theimpossiblehashappenedさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月17日(金)13時46分38秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  V(○⌒∇⌒○) イエーイ  

(無題)

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年12月17日(金)00時11分37秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  佐渡の朱鷺さん

ありがとうございます。
 

音楽

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月15日(水)00時51分6秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  Theimpossiblehashappened

音楽は素晴らしいですよ。
あらゆる差異を越えて人間同士を繋ぐ力を持っていますからね。
NYでもブルーノート等さまざまなクラブへ行き一期一会の交流を楽しみました。
一番最初に聞いた洋楽はWINGSのJETと言う曲。
ボウイはデザイン学校の時良く聞きました。T-REX、SEX-PISTOLSも好きでしたねー。
MY WAYと言えば私の場合はシド=ビシャスになってしまいます。
その学校はおかしな人がよりすぐりで集まっている学校でしたのでこんな私でもなんとか馴染む事ができて幸運でした!(笑)
南里GUYさんも同じ学校でしたけど(笑)

-13℃!ひゃー内蔵までフリーズしそうですっ!暖かくしてお過ごし下さいね!
こちらはそこまで気温は下がりませんが毎年雪かきで汗だくですヨ!
 

(無題)

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年12月14日(火)23時26分29秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  佐渡の朱鷺さん

音楽はいいものですね。

中学生の時音楽を始めて、最初に練習した曲がボウイの「NO NEW YORK」という曲でした。
高校生の体育祭ではNYのBroadwayで有名な「West Side Story」をやったのを覚えてます。
大学生の時は友人からフランク・シナトラのチケットを貰い観に行ってそれ以来「New York New York]と「My Way」が大好きです。(今ではBarに行くと必ずNY NYをリクエストします)

こちらは朝起きたら雪が薄くですが積もってました。今日の最高気温もマイナス13度。そちらのほうがもっと雪などすごいんでしょうが。。。寒いです。。。

風邪などに気をつけてください。
Stay warm
 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月14日(火)21時24分50秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『私の小学生の頃の最大の苦悩は、「人は死んだらどうなるのか。」でした。寝ても覚めても、そのことが頭から離れず、片時も心が休まらず、苦しくて苦しくて・・・
周りの大人全部が、一番大事なことに、逃げている。偽っているとしか思えませんでした。』

そうですね。私もそうでした。
私の場合は家族からの言葉による暴力、肉体的な暴力、ネグレクト等の虐待を受けていましたし、家族はそれを「愛」であり、「獅子は我が子を谷底に突き落とすものだ。」と私に教え、「あなたは優しい。その優しさを私たちは自分のエゴを満たす為に利用している。」と聞かされました。
近所の人や学校の先生が思いあまって私への対応を考えるように両親に説得したりもしていましたが、耳を貸す事はありませんでした。
学校ではいじめにあっていましたが、そういう両親に相談することなどありえませんでした。
私にはどこにも居場所がなく、生まれつきの自閉症や虐待の被害等で、自分の考えを言葉にして発する事が上手く出来ませんでしたから、他人に意思を伝えなくてはいけないような場面では対応がとても困難で、そのため不安や緊張が高く、心身の体調は芳しくなく、「私はいつ死ぬのだろう、そして死んだらどうなるのだろう、それにしてもこの儚く悲しく寂しい私の人生は、一体なんの為にあるのだろう。」と言うことばかりが頭を過っていたと思います。
私には、こんな私でも、この世に存在していたことを誰かに知っていてほしい、と言う切実な願いがありました。

ある日の雨上がりの時、図書館の帰り道、太陽の光がキラキラと水たまりに反射していました。
私はその光景が、私に何かを語りかけている様に感じました。
それから私は、心に浮かんだ言葉を、夢中になって書き留めるようになりました。
まるで見えない詩人が私だけに詩を創ってくれているような、そんな気持がしていました。
私はその詩をカレンダーの裏にマジックで書いて自分の部屋に張りました。
それはできるだけ高い場所が良いのではないかと考え、天井付近に貼付けました。
それを見た親戚の子が、「あの詩はすごくいいね。。。」と言いました。
私は、私の気持なんてわかるはずがない、と考えていたその子の中に、詩と言うものを通すことで、共感し合える世界があることをこの時初めて知りました。
私の中の、暗く寂しい陰鬱な世界が、この出来事を境に光りを捉え、希望に満ちたものへと変わりはじめました。
私はコツコツと筋トレや勉強に励む様になりました。
その鍛えにはど根性がもちろん必要でしたが、そこに至るきっかけは「詩」と言うものの存在でした。

今思えば、それらの経験も、この娑婆世界を生き抜く精神力を培うためには必要な経験だったのでしょうね。
どんなに苦しく思える人生でも、人生に無駄な事は一つもないと、法華経と言う詩を通じて仏法の存在を確信した自分には分かります。

『『島』には、独立(屹立)した、波長の融合とも表現出来る何かが、確かに存在しています。』

地殻変動によって隆起した存在である「島」には、人間生命と似た波長があるのかもしれないですね。。
佐渡はその隆起したものの中に、金脈と銀脈が含まれていたと言う点で特殊な意味を持つ島かもしれない、と考えたりします。
越後は天然ガス等の、エネルギー問題に直結する物質が出ていますし、原発施設もあり、佐渡は金銀、と言う、経済に直結する物資が出ています。
世界における重要課題を具体的に捉えつつ、地球に思いを馳せながら銀河に励まされて行動するのに、丁度良い場所かもしれません。
 

宇宙(シマ・島)

 投稿者:南里Guy  投稿日:2010年12月14日(火)09時34分25秒 p4058-ipbf3007marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
   島       泉芳朗


私は 島を愛する

黒潮に洗い流された南太平洋のこの一点の島を

一点だから淋しい

淋しいけれど 消え込んではならない

それは創世の大昔そのままの根をかっちりと海底に張っている

しぶきをかけられても 北風にふきさらされても 雨あられに打たれても

春夏秋冬一枚の緑衣をまとったまま

じっと荒海のただ中に突っ立っている


ある夜は かすかな燈台の波明りに沈み

ある日は 底知れぬ青空をその上に張りつめ

時に思い余ってまっかな花や実を野山にいろどる

そして人々は久しい愍(あわれ)みの歴史の頁々に

かなしく 美しい恋や苦悩のうたを捧げて来た

わたしはこの島を愛する


南太平洋の一点 北半球の一点

ああ そして世界史の この一点

わたしはこの一点を愛する

毅然と 己の力一ぱいで黒潮に挑んでいる この島を

それは二十万の私 私たちの島

わたしはここに生きつがなくてはならない人間の燈台を探ねて――


※泉芳朗(いずみ・ほうろう)非暴力闘争で奄美日本復帰運動を成し得たリーダー。詩人・教育者

http://twitter.com/nanriguy

 

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月14日(火)06時26分10秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん

貴殿の書かれる、一文・一句が生きています。

ビンビン伝わって参ります。素晴らしい限りです。貴女様の生き抜いて来られた試練の苦難は、不肖、私にはよ~~く解ります。
私も、不思議な体験の連続を味わって生きて来ました。とても、活字では表現出来ないことばかりです。雨の中、私のいる場所だけが晴れることがあります。

『誰かからの理解や共感を得にくい経験が私の人生には多すぎます。』

私も、実際、そうなんです。全部、お話しをしたら、本になります。しかし、比喩を用いるしか、手段がありません。それは、読み手の人に、疑念を抱かせないような細心の配慮が、どうしても必要になります。佐渡の朱鷺さんは、使命です。私も、そうです。世の中の、周りの人間全部がおかしいのか、自分だけがおかしいのか・・孤独な精神の反復葛藤は、己心に渦巻き、極限状態まで行きます。

私の小学生の頃の最大の苦悩は、「人は死んだらどうなるのか。」でした。寝ても覚めても、そのことが頭から離れず、片時も心が休まらず、苦しくて苦しくて・・・
周りの大人全部が、一番大事なことに、逃げている。偽っているとしか思えませんでした。
実際、大聖人様が御書でしたためられておられることも、不思議な話しばかりです。

究極の法門を、身で体得するには、自分自身が、全人類を背負う覚悟なくして、解りません。いいようのない孤独世界を、手探りで生きてきた人間でしか解りません。世界最高峰の哲学の頂は、チョモランマの峰峰は、吹きすさぶ嵐に足もとをさらわれない勇気と忍耐、生き抜くど根性がなければ、登攀出来ません。

私も、お住まいの佐渡の地で、縄文時代からの息ずかいを、確かに感じました。
そして、不思議な感覚と、磁場を感じ取りました。沖縄の島々にも、感じました。
余談ですが、ナポレオンが幽閉された処も、NYも島です。イギリスも島です。
『島』には、独立(屹立)した、波長の融合とも表現出来る何かが、確かに存在しています。

本当に、佐渡は、不思議なところです。
 

お返事

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月12日(日)21時24分0秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  Theimpossiblehashappened さんへ

お返事ありがとうございました。感激です!
ジョン=レノンの命日。1980年12月8日。
この日私は学校の教室でその訃報を知りました。
ロックの好きなクラスメートたちが大騒ぎをして授業になりませんでした。(いつも比較的そうでしたが)
この年は私にとっても、非常に解釈の難しい出来事が次々に起きた年でした。
常識では説明のつかない経験をいくつもしました。
今ようやく言葉にできるようになりましたが、宇宙人に拉致されたと言うのが一番適切な言い方かもしれません。
UFOのような物質に乗って宇宙旅行をするわけではありません。
一瞬のうちに時空間を越えて宇宙の彼方へテレポートする、と言うような事だったと思います。
そのことは私の心に傷を残しました。
大きなトラウマになりました。
誰かからの理解や共感を得にくい経験が私の人生には多すぎます。
そんな経験が一つ増えるたび、私は、茫漠とした虚無感の中に立っていられるだけの何かを私の中に確立する必要性が出て来ます。
もっともその経験が私をユダヤ教やキリスト教の過ちを確信させ、古からの神のメッセンジャーたちとの魂の交流を可能にさせ、また最終的には仏法へ、そして池田先生の人間主義へと導かれる契機になったとすれば、それもまた一つの必然的なプロセスだったと言えるでしょう。

翌年の初夏に、私は学校の体育祭で「ベルリンの壁」と言うミュージカルを演じました。
ストーリーは、当時まだ存在していた「ベルリンの壁」と言うものの意味と、その壁に引き裂かれた人間同士の連帯を取り戻すために民衆が立ち上がる、と言うものです。
主人公は一人の働き者の男性を愛する、どこにでもいるような一人の女性です。
国家によって奪われた愛する人を取り戻すために、彼女は悲しみの祈りを繰り返す。
その祈りが天に届けられるや否や、全てのうちひしがれた民衆の胸に立ち上がる気力がこみ上げて、みんなで勇気を出して壁を破壊し、やがて村に平和が戻って来たと言う、単純明快なものでした。
ジョン=レノンの「GIVE PEACE A CHANCE」、ザ・フーの「See me Feel me~Listen to you」やピンクフロイドの「THE WALL」等のBGMを使って制作されたミユージカルです。
主人公を演じたのは当時不登校気味で引きこもりがちになっていて、学校からは既に見放されていた私でした。
私はこの期間、このミュージカルを演じるためにだけわざわざ登校した記憶があります。
体育祭の前日の空を忘れる事が出来ません。
真っ黒な雲が立ちこめていてグラウンドは泥の状態でした。
ところが私が歌い出した時に、雲の合間から一筋の光が降り注いで来た。
私は、きっとあの雲の彼方から、誰かが自分を見ていてくれているのだな、と感じました。
2001年、北海道の旭川で、学会を除名になった方が主宰となって開催されたホロコーストパネル展では、ユダヤ人のお母さんが悲嘆にくれる幼い子どもに歌った当時のユダヤの詩をパネルに添えて展示しましたが、そんな内容の詩でした。

そう言えば、ジョン=レノンが住んでいたダコタ=ハウスには、宇宙人が遊びに来た事があったと言う事をいつだったかユリ=ゲラーが言っているのを読んだ事があります。
言葉に出して言ってしまえば、頭か精神の病気を疑われてしまいそうな経験をどう考えたら良いのかに真剣に向き合うようになったのは2002年くらいからです。
それまでは、学会が人を救って行くのだ、学会に入れば救われるのだと心のどこかで思っていた部分があったのですが、それこそが間違いなのだと分かってから発狂寸前まで悩みました。
イラク戦争の勃発を契機に、過ちの多い人類が正しい軌道を歩み出す為に、自分はどうあれば良いのか、何をすべきなのか、という問いかけに、私は自分也に納得の行く答えを出さなくてはいけなかった。

そんな時、孤独な自分の助けになってくれたのは音楽だけだったかもしれません。
ジョン=レノンの曲は、人類の連帯にとって最も大切な「愛」と言うものの性質をしっかりと伝えてくれています。
私たちの状態や時代の空気や環境が、それに対してどうレスポンスしているかで愛はその形を変えるかもしれないし、現代社会にあってそれは厳しさの側面が強いかもしれない。
メルヘンチックなものとは、あまり関係がないようにも思います。
しかしそれが唯一、人類にとって与えられた愛であるなら、受け入れてなお屹立していられるだけの精神の強さを持ちたいものだと願っています。

今日より明日へさん

佐渡が島は本当に不思議な所です。
島の人たちはよく、佐渡は日本じゃない、本土の人たちと比べたら私たちはフォリナーだ、佐渡はアパルトヘイトの島だった、と言います。
奈良時代に、越後の属国にさせられるまで、佐渡は佐州または渡州とも遠州とも呼ばれていました。
越後に吸収された後も、佐渡は越後には同化せず、縄文からの土着の文化をずっと維持し続けて来ていると思います。
それはある意味、人々の心の中に、本土に対して大変閉鎖的な面があることの証左でもあると言えますが、しかし一度心を開いた相手とは、ほとんど家族同然の親しさで抱擁し、接する向きが強いです。
困難な面はもちろんありますが、民主主義を大切に考えており、上下の関係よりも横の繋がりを尊重しようとする。
嘘を嫌い、見栄や体裁を嫌い、安易に世間の流行に流される事を何よりも嫌う気高さがあります。
悪い面と良い面を比較すれば、どちらかと言うと良い面が少しだけ勝っている。
私は佐渡については、そういう見方をしています。
その地に大聖人様が悪口の咎で流されて、意気消沈するどころか、数々の重大な御書を書きしたためられた。
私はその事を思うと、深淵な、厳粛な気持にならざるを得ません。
 

ジョン・レノン

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年12月12日(日)07時07分8秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  佐渡の朱鷺さん

ありがとうございます。
今、Happy Xmas (War Is Over) - John Lennonを聞きながら、この文章を書いています。

街はクリスマスの飾りで綺麗ですよ。というかメルヘンチックといった感じです。

木曜日(ジョン・レノンの命日の次の日)に、友人と会っていたんですが、別れた後、夜、一人でぶらっとダコタハウスと向かいのストロベリー・フィールズに行ってきました。たくさんの花が飾ってありました。確か、12月8日の夜10時50分頃、ダコタハウスの前で撃たれて11時過ぎに病院で亡くなった。その時にラジオか何かでかかっていた曲はビートルズのAll my lovingだったと何かで読んだことがあります。(南里Guyさんが詳しいとおもいますが!)
そういうことや、あと12月は年末というのもあるかもしれませんが、12月は自分にとっては少し寂しいイメージがあります。
話は戻りますが、先日こっちの新聞にあれから(ジョン・レノンが亡くなって)30年経ってジョン・レノンの理想にちかづいたとおもいますか?というインタビィーがNYであり、みんなの意見は「そのあと、テロがあってひどくなった。」や「州警察が地下鉄で大きい銃を持って立っている。」などでした。
一期一会、人種のるつぼ、リーマンショック、Sex And The City、テロ、テロ未遂、そして国連等等、狭いところですが、ここも本当にいろんなことがあります。



先日、こちらの日系新聞にあれから30年
 

来年のカレンダーを自室に掲げました

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月12日(日)02時53分48秒 ap5.teacup.com
  皆様には、急な掲示板のメンテナンスが入ったことをお詫びいたします。

ご不便をおかけしました。

12月7日投稿のTheimpossiblehashappenedから12月10日までの佐渡の朱鷺さんまで、管理人として総括のレスをさせていただきます。(遅くなりました)

ニューヨークは、人種のるつぼであり、出会いと別れは、さざ波のようだろう。世界中から目ざし、故郷の国々に散って行く。一期一会の出会いを噛み締めながら、音楽に取り入れ、一音を磨くように。氷点下以下の季節の町並みは、クリスマス一色に染まる。風邪を引くなよ!ガンバレ。そして、佐渡の朱鷺さんには、きちんと御礼のレスをするように!一言でもいい。伝わればいいんだよ。そして、約束を未だに果たせず、申し訳ない。これも、修行と思え。お前のことは、いつも思っている。

南里Guyさん

貴twitterのホームページに、当掲示板をリンクされ光栄に存じます。ありがとうございます。ここは、私のカラーがあまりにも強烈なのは、自覚しております(苦笑)
貴twitterに集まりの方々は、皆さん真剣な方々なんでしょう。インターネットの連携は、いのちの繋がりです。南里Guyさんとも、ネットで知り合いました。魔性(怪物)の敵陣営は、粉砕するしかありません。最近は、また性懲りもなく会館の建設ラッシュです。庶民は生活苦でギリギリというのに、この不況時に、大金が舞い込んだか!?
先生「学会本部は、しっそなものでいいんだ」

佐渡の朱鷺さん

ジョン=レノンの「Happy X'mas」・・映像に写る 両足がない男の子。女の子の遺体を抱く親等々。悲惨凄惨な地獄絵図です・・この世の地獄です。その場に、飛んで行きたい衝動にかられました。何とかしたい。抱き締めたい。題目を、南無妙法蓮華経と。遺体に、病室の中でも一緒に唱えたいー。魂が震えました。その光景(場所)丸ごと抱え、題目の光を届けたいー。そういう心境で真剣に念じました。戦争は、即地獄です。地湧の菩薩(私の確信)は、戦争に真っ先に反対するのを、使命としています。

佐渡は、大聖人様有縁の大地です。開目抄始め重書(秘伝書)は、ことごとく佐渡の地から送られています。思いますれば、不思議なところです。私は、鎌倉はじめ、大聖人様の足跡を追って佐渡に行きましたが、「我日本の大船にならむ・・」の金の文字を、ある寺院で見つけた時の光景が鮮明に焼きついております。佐渡の朱鷺さんとの出会いは、不思議なものを感じております。日夜の真剣なご投稿に頭が下がります。まさしく、地湧の菩薩様です。

黄金の兎さん

『全体の意味を汲み取らずに文章の一部分だけを取りあげて非難するような不真面目さに対し応えるつもりはありません』

私も全く同感ですよ。貴殿からは、不真面目さしか伝わって来ません。人として、です。
揚げ足を取るだけで、真剣さが伝わって来ません。皆さんも、そうでしょう。
対話のお相手がほしいのなら、他のサイトに行ってください。どうか、お願いいたします。
もう、ここは結構です。




 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月10日(金)20時25分1秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  失礼ですが、全体の意味を汲み取らずに文章の一部分だけを取りあげて非難するような不真面目さに対し応えるつもりはありません。  

佐渡の朱鷺さんへ

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月10日(金)18時46分6秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >悪は為されるものであり・・・、この部分はよく理解できません。何を言おうとされているのですか?。

>例えば原爆の投下も、神が直接原爆を落したわけではないが、兵士に主要な導きを行う形で神がやった、結果的には神がやったのだ、と言う風に言えてしまうわけです。

この部分はあまりにも短絡的且つ攻撃的です。仏は慈悲であり神は愛です。それらのことをわきまえておられるなら上記の言葉は私には非常に残念でなりません。
 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 9日(木)23時00分24秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  お返事、ありがとうございました。

「神が筆を直接取ったというのではなく書き手に主要な導きを行った」と同じように、「神が直接編纂した、というのではなく、編纂した人に主要な導きを行ったのであるから最終的には神が編纂したことになる。」とおっしゃるなら、もうなんでもかんでも「結果的には神がやった」と言うことが言えるわけです。

例えば原爆の投下も、神が直接原爆を落したわけではないが、兵士に主要な導きを行う形で神がやった、結果的には神がやったのだ、と言う風に言えてしまうわけです。
それは、原爆投下と言う行為を行う加害者にとってあまりにも都合が良いわけです。
人は、神の前において無力でちっぽけな、矮小な存在である、悪は為されるものであり、人はその悪の一部なのだ、と言うような、人類に置ける善の価値の抹殺が生じてしまうように思います。
神を信仰する事が悪い事だとは言いませんが、そこを考えないならその信仰は、過ちの過去を懺悔して良い価値を生み出す為の力にはなりません。

数年前に、我が家に初めてエホバの証人の方がお見えになられた時、主人はその方に、「ここに咲いている花も、草も、樹も、そしてあなたも私も実は神なんですよ。」と言ってました。
その方は、「そうだったのですね。ありがとうございます」と言って涙を流していたそうです。

一人一人の神様が力を合わせてこれまでの未熟な神が犯した過ちを払拭しつつ、平和な世界を作って行こうではありませんか。
そうしていつか、人格を備えた自立した人間、騙さず、騙されない、この世界に対して自分なりの責任を負える者になって行きたいと思うのです。
 

(無題)

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 9日(木)22時42分16秒 softbank126122224122.bbtec.net
編集済
  >佐渡の朱鷺さんへ
学会を辞めた理由についてはこのHPの方向性を考慮し差し控えさせて頂きます。私の立場は元々「21世紀 近未来志向の創価学会員よ集え!」のサイトにはふさわしくないものであることを十分承知しているつもりです。その上で私は聖書研究生であることを伝えています。

イエスキリストについては私たち人間を原罪から本来の状態に回復させるために原罪を負っていない自分の命を贖い代として神に差し出された方、   表現としては言葉が足りませんが私の考えです。
 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 8日(水)23時38分29秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『神が筆を直接取ったというのではなく書き手に主要な導きを行った、ということです。』
それはそれで良いと思いますし、間違いだとは思いません。
しかし、『最終的に聖書が現在の形になったという点では神が編纂されたといってもいい』
と言うのは何故ですか?
私はあなたに、『聖書は誰が編纂したと思いますか』と質問しました。
『神が編纂したと思います』と言うお答えであるなら、私は最初からその答えに疑問を感じる、と言っているしその理由も述べています。
それ以上のお答えがないのであるならもうこれについてのお返事は結構です。

エホバの神への信仰だけが人類を救うのだ、とお考えであるなら、私はそうは思わないのです。
私には仏法によって救われている自分の人生を疑う動機がありません。
それとリラックスうんぬんですが、私は時としてリラックスするとストレスが溜まるタイプなので心配は無用です。

ところで黄金の兎さんは、何故学会を辞めてエホバの証人の信仰をするようになったのですか?
また、イエス=キリストについては、どのようにお考えですか?
差し支えなければお聞かせくださいませ。
 

佐渡の朱鷺さんへ

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 8日(水)21時30分23秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >神が編纂しました。」とお答えになられたのです

何十人かの人の手によって書かれました、神が筆を直接取ったというのではなく書き手に主要な導きを行った、ということです。多分説明された方の言葉のあやですね。ただ、モーセの十戒の石版のように自ら書かれたという事例もあります。最終的に聖書が現在の形になったという点では神が編纂されたといってもいいと思います。

エホバが人格神でないというのも少し変です、その点に関して家に来た証人の方にもう一度確かめてください。

>大聖人の御書は、全て大聖人が自らの責任で書かれたものです。
多くの教団がそれらを編纂し、御書として出版しています。内容はそれぞれ違うかもしれません。
ですがどこの教団も、御本仏が編纂した、等とは言いません。

たしかに本を社会的に紹介するに当たっては人間の名前を出すでしょう、仕事上の付き合いもあるようですが話あった時と場所が重大なものでないなら御本仏や神が編纂したと言って何の差支えがあるでしょうか。対話を深める方向性を考えておられるなら表現に捕らわれずにもう少しリラックスして話し合うことをお勧めします。

 

不軽の精神

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 8日(水)07時19分55秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  南里Guyさん

『「異体同心」は「手段」ではなく「目的」』

すごい!何か目が開かれる思いがする言葉です!
私も、それが言いたくて、でもなんと言って良いか分からずにいたのですが、そういう事だったんだな!とこうして言って頂くとスッキリと腑に落ちます。
有り難うございます!

『映像を観るにつけ、戦争は「させられている」とつくづく感じました。
そう「させられている」のです!』

私もそう思います。
戦争をしている人たちは、何故自分が人を殺したりしているのか、分からない状態にさせられていると思います。

昔、中国で捕虜になった日本人兵士の多くが、周恩来政権下で処刑を免れ、人として更正して行く際に、毎日の日課として日記を付けることを奨励されたそうで、その日記が大量に中国にあると言う話を聞いた事があります。
彼らは、兵士は全て国家の被害者であり、人権を尊重されるべきだと言う周恩来の思想によって救われ、その人間性を回復させることができたようです。
日本が、そうした近隣諸国の、本当の恩に報いる事ができる日が来るのは、いつの日の事でしょうか。。。

いや、まず自分から、ですね!
不軽の精神、と言う事を最近、良く考えます。

 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 8日(水)00時55分49秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『聖書は神の霊感に導かれて書かれた、というのが社会では通用しない、と言いたいのですね。』

違います。
聖書を書いたのは、誰ですかと聞いたら、「多くの人が書いています」とお答えになられたので、「ではそれらを編纂したのは誰ですか。」と尋ねたら、「神が編纂しました。」とお答えになられたのです。
私はその事について、おかしいな、と思うのです。
なぜなら、エホバの神は人格神ではない、とその話の前に聞いていましたから、人格を持たない存在が一冊の書物を編纂した、と言う事になり、そんなことを言うのは無責任な話だな、と思ったわけです。
そのような無責任な話を社会の中で通用させてはいけない、と言う気持から、先の発言になりました。
「みんなでいろいろやってたら何となく出来ちゃったんです」とか、そういう答えなら分かります。

例えば大聖人の御書は、全て大聖人が自らの責任で書かれたものです。
多くの教団がそれらを編纂し、御書として出版しています。内容はそれぞれ違うかもしれません。
ですがどこの教団も、御本仏が編纂した、等とは言いません。
どこの御書がおかしいだとか間違いだとか偽物だとか本物だとかのいざこざはありますが、それぞれの教団が自ら責任を持って編纂しています。

『釈尊が億劫の間転生を繰り返して修行を行い法華経を説いた際、信じる事が非常に困難であると言ったのは何故ですか。』

この惑星上の物理次元に存在する、と言う事を前提とした生命の経験値だけでは、理解しがたい事だからではないだろうかと考えています。
ただそれについての確信を得たものなら、誰の生命にも備わっている仏界を引き出し、同じ経験値へ導くためのアプローチは可能だと言う事も、同時に言っていると思います。

『まして現代にあってはあなたが言った事と同じではないですか?。』

聖書を神が編纂した、と言うことについてですが、私の質問は、神を信じる信じないと言う信仰の次元での問いではなく、教団の社会面における意識の内容を把握するための事だったと思います。
エホバの証人はナチスドイツに反旗を翻し闘った歴史があります。多くの信者が投獄され拷問等を受けています。
選挙に参加しないのは、その事が背景にある、とも伺いました。
良いとか悪いとかではなく、何度も自宅にお話にきて下さるので対話を深める方向性を私なりに考えているのだと言う事です。
仕事上の付き合いもあります。

『私の家族にも学会員がいますが私はその点を厳しく注意しています。』

ご家族がどういった風なのかは存じ上げませんが、私は、どこかの教団に所属していて、その教団が唯一の正義だと言う独善的な気持から他人の信仰を土足で踏みにじる人を人として信用しません。
学会員は平気でそういう事をする人が多いです。

もしもご家族にそうした方がいらっしゃるなら、その慢心を戒めるのは当然の事でしょう。
大変だと思いますが頑張って下さい。
 

佐渡の朱鷺さんへ

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 7日(火)22時46分56秒 softbank126122224122.bbtec.net
  聖書は神の霊感に導かれて書かれた、というのが社会では通用しない、と言いたいのですね。なるほど、そうかも知れませんが釈尊が億劫の間転生を繰り返して修行を行い法華経を説いた際、信じる事が非常に困難であると言ったのは何故ですか。まして現代にあってはあなたが言った事と同じではないですか?。
私の家族にも学会員がいますが私はその点を厳しく注意しています。
 

商人?

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 7日(火)21時52分35秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >今日より明日へさんへ
昔は売っていたそうです。現在ではお金は取っていません。信仰の主旨と向こう(アメリカ)の法人に対する優遇上そうする方が良いようです。
ちなみに私は相当数の書籍の進呈を受けましたが「いくらです。」と言われたことはありません。
 

ジョン・レノンの冥福を祈る!

 投稿者:南里Guy  投稿日:2010年12月 7日(火)21時09分29秒 nttkyo903032.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
  ご無沙汰っ!朱鷺さん。

動画拝見させていただきました。子供が泣く姿には胸が掻きむしられてたまりません。
子供の泣く姿…。私たち、なかんずく私の責任は重大です。

こんな映像が出なくなる日を目指して、ちっぽけな自分ですが確実に挑戦していかなければなりません。でなければ、私はこの世に生を受けた意味がありません!

私は、たくさんの子供の笑顔を大判の紙にプリントアウトし、ぐるりとそれが職場の部屋中を取り囲んでいます…


心身に傷を負わす「もの」とは、生涯戦います。

映像を観るにつけ、戦争は「させられている」とつくづく感じました。

そう「させられている」のです!

「異体同心」は「手段」ではなく「目的」

この実現に、自身との格闘を更に続けてまいります。

http://twitter.com/nanriguy

 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 7日(火)15時59分20秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  自殺者の数ですが、自殺と警察が断定するのは、遺書等の、自殺を証明できる証拠があった場合だけだそうで、自殺を疑われるが、断定できない「変死者」を合わせると10万人を越える数になるそうです。
ですからこの十年で、おそらく100万人を越える数の自殺者が、実際には出ているのではないでしょうか。。

数が問題なのではない、とは思いますが、なんとも酷い状態です。
人生の哲学を失った、弱肉強食の、競争国家の、成れの果ての凄まじさです。
他人を見下しバカにして、いい気になりたがる不誠実な臆病者が多いです。

まずは、今ある暮らしをかけがえのないものとして大切にしようと言う人間らしい心を取り戻さなくてはいけないでしょうね。
 

Happy Xmas

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 7日(火)15時39分10秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  NY!
この季節はクリスマスの飾りで奇麗でしょうね!
我が家もツリーを出しています。
毎年クリスマスパーティーを家族で催しています。

クリスマスは世界中の子どもたちが大好きな行事。
ですが国家同士の争いのために、楽しいはずのクリスマスを迎えることのできない子どもたちが、この地球上にたくさんいるのも現実です。

何年か前に、クリスマスの日に、子どもたちを膝の上に乗せて、ジョン=レノンの「Happy X'mas」と言う曲に合わせて制作された、戦争に関する動画を見てもらった事がありました。

娘は、「お母さんは何が言いたいの?こんなに貧しい、悲惨な子どもたちが世界には沢山いると言うのに、あなたたちは贅沢だ、と言う事が言いたい訳じゃないんだよね?」と少しいぶかしそうにしながら、全て見てくれました。
無言で見終わった後、「お母さんが何が言いたいのか、なんとなく分かった気がするよ」と言ってました。
彼女たちの大切な問いかけに対する最も誠実な答えと言うのは、本人以外の誰かではなく、自らの人生が用意するものだと考えるからです。

いじめで苦しんだ娘は、その経験が無ければ、自分は救われなかったと良く言います。
人を赦す、と言うことの大切さは、どんな宝にも変えがたい、復讐を願うのはその人の心が盲目の証拠だ、とマハトマ=ガンディーの言葉を引用して、私に言った事があります。
私は、子どもたちが受け入れたそのドラマに、イエス=キリストと言う人が全人類に確信を持って残した精神的遺産、愛の存在を感じます。

人類の文明の進化の歴史は、問題を解決する為の方法論の進化と共に為されて来ました。
文明は便利で有難いものである反面、必ず反作用があります。
それに目を瞑る事は、戦争を肯定する事に繋がります。

文明に慣れてしまった現代人が、アマゾンの原住民のような暮らしを送る事は、身体能力的に難しい事に違いありませんが、数多くの「先進諸国」が国民に為して来た近代教育の放射能を浴びた一人一人が、出来得る限り大地に近い暮らしを目指し、外側の世界よりも内側の世界に目を向けるようになる事は、いつからでも出来る事だし、長い時間を掛けて成し遂げようとするならばそれは困難な事ではありません。
これまで、都市機能の最新化の為に負担を押し付けられて来た地域が、インターネットと言う発信機能を使って声を上げ始めた昨今、文明の進化はより緩やかに、そして賢明さを持って、数々の過ちを振り返りながら為されるようになってきたのではないだろうか、と感じています。

インビクタスの中には、ネルソン=マンデラが変えたと言われている南アフリカが、世界の最先端である理由がはっきりと描かれています。
かつて池田先生も、世界の最先端はアフリカですとおっしゃっていた記憶があります。
問題の多いアフリカがなぜ最先端なのか、その理由を理解できる人が一人でも多く増える事を私は願っています。
残念ながら日本政府に、その先見の明を持つ政治家はなかなか現れません。

私の中には、先生の「誰人も誰かの不幸の上に幸福を築く事はできない」と言う言葉が何度も何度も浮かび上がって来ます。
たしかこれは「離婚をするのは謗法か否か」と言う、会員の質問に対してのお答えでした。
この先生の深い慈愛、人類の未来を見つめるまなざしの暖かさに、私は、涙が溢れた事がありました。

Happy Xmas (War Is Over) - John Lennon
http://www.youtube.com/watch?v=s8jw-ifqwkM
 

出会いは別れの始めかな

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年12月 7日(火)12時56分18秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  NYはめっきり寒くなりました。今週の週間天気予報では、体感温度が最高でも氷点下以下です。寒いですが、クリスマス一色で街もきれいです。

ところで、NYは世界の交差点、人種の坩堝なんて言われますが、先日、3年前に友達になり、それからたまにランチなどしていた友人が仕事の関係で日本に帰国しました。で、別の1年前に友達になった友人は来年1月からロンドンに行ってしまいます。こちらでは、友達になっても数年で、お別れということがよくあります。ちょっと寂しいですね。
でも、それと同じようにたくさんの人がやってきます。そういう意味ではいつでも新鮮ですね。
 

やってはいけない、在家が本尊作成

 投稿者:葬禍脱会  投稿日:2010年12月 7日(火)07時26分21秒 FL1-118-111-192-103.osk.mesh.ad.jp
  「日顕宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には、『仏と自分』との関係の信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」
                                 聖教新聞・平成5年5月5日

「成仏は自分自身の『信心』で決まるのであって、『聖職者』の介在によって決まるのではない。
 『直接』こそ仏教本来の在り方である。
 『日蓮大聖人直結』の創価学会の信仰こそが正義なのである。」
                                 聖教新聞 平成6年6月5日


指導内容が180度 逆です。



「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることは
 いうまでもない。しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。そして宗祖日蓮大聖人より 第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人猊下が法水瀉瓶・血脈相承され、

 現在は、第六十七世日顕上人猊下に、いっさい受け継がれているである。
 ゆえに私どもは、日顕上人猊下の御指南を拝しつつ、正宗の伝統と法義をふまえながら、
 勇んでそれぞれの国で、それぞれの地域で、信心向上のための教学を研鑽し、
 おおいに広宣流布に邁進していただきたい。
                                (広布と人生を語る1-131頁)

「いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の「遣使還告」であらせられる血脈付法の御法主日顕上人
 猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。
 批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」
                              (広布と人生を語る1-230頁)

「その信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである。総本山を中心とすることが根本であり、
 御法主上人猊下御一人が仏法の師でいらっしゃるのだ」広布と人生を語る 第3巻98頁


正信会檀徒会が、御法主上人の血脈相丞を否定したことに対しての発言。

「これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。
 血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」
                         『広布と人生を語る』第三巻P294

いう事が時と共に変わる、、変わったほうがおかしいのです。

「血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」(池田指導)

このとおりです。

まして在家が(新興宗教 創価宗)『形木御本尊』を印刷作成 授与など  言語道断です。
 

犯罪狂団上層部「信濃」にとって禁句です。(笑)

 投稿者:葬禍脱会  投稿日:2010年12月 7日(火)06時30分32秒 FL1-118-111-192-103.osk.mesh.ad.jp
  「御法主猊下だけが、御本尊をしたためることのできる仏様なのです」
                             『戸田城聖先生質問会集』

「御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。

 日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしょうもない。だから、 仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。
 ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。
 魔性の力が入っている。」 『大白蓮華』昭和三十四年七月号

「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている」戸田城聖全集・3-490頁

各家庭の御本尊は大御本尊の血肉をわけた分身であり、功徳には変わりがありません。
総本山の大御本尊にお会いするのは、親もとへ帰りたいといった気持ちで、
なつかしがってくるようでなければなりません。『 戸田城聖全集 第二巻』

「創価学会というものは、日蓮正宗のなかの一部の会があり、
 日蓮正宗には、法華講とか何々講とかあるうちの一つに、創価学会がある」

                           『戸田城聖全集・4-425』



己心本尊論  破折

「本尊とはまったく他所に求むべきではなくて、自分自身が本尊であり、(中略)
 地涌の菩薩であって、日蓮大聖人とも変わりがないと考えることは、
 重大な増上慢のきわみであり、大謗法である」『戸田城聖全集』



「御法主上人猊下をとおして大御本尊を拝しますれば、かならず功徳がでてくる 」『戸田城聖全集』第4巻399頁

「先代牧口先生当時から、学会は猊座のことは、いっさい感知せぬ大精神で通してきたし、 今後も、この精神で一貫する。

 これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。

 信者の精神はそうでなければならない。昔、関西に猊座のことに意見をふりまわして
 没落した罰当たり者があったそうだが、
 仏法の尊厳をそこなう者は当然そうなる。

 どなたが新しく猊座に登られよう、学会会長として、
 私は水谷猊下に お仕えして来たのといささかも変りはない。

 新猊下を大聖人様としてお仕え申し上げ、
 広布への大折伏にまっすぐ進んで行くだけである。」昭和31年1月29日付聖教新聞・
                          『戸田城聖全集 第3巻235』

「法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、 どなたが法主様でも一貫不変、

 これ信者の大精神。信薄き者には判らん事」昭和31年1月29日付聖教新聞・寸鉄欄

「どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えしてきた のと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申し上げ、
 広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである。」
                    昭和31.1.29『戸田城聖全集』第3巻236頁

「法水瀉瓶というのは、ここに二つの茶碗が、どんな形に変わっても
 このなかの水に瀉せば中の水は変わりないのであります。ですから、

 代々の御法主上人は、お人によって、いろいろとお姿は違うのでありますが、
 日蓮大聖人の法水が、そのまま 変わりなく移されているのであります」
                       『戸田城聖全集』 第5巻439

「御法主上人を悩ましたてまつった罪は、ただ全国大折伏をもって懺悔滅罪、
 もっておわび申しあげる決心でおります」戸田城聖全集第三巻500ページ

「御法主上人は唯授一人、六四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる」戸田城聖全集4-P399

 

今年も、自殺者3万人越え・・

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 6日(月)23時49分22秒 softbank220058091171.bbtec.net
  警視庁の発表では、今年も自殺者が3万人越えるのは確実との報道です。
「自殺」は、自ら命を絶つ、この世の最たる罪です。仏法の眼からみれば、大罪です。

生きて、孤独地獄、死んで間断なき無間地獄です。死んだ後も、心色不二の生命体は、手足の感覚があります。壮絶な責苦の阿鼻叫喚です。その人が、知ろうと知らまいと、仏法律は、徹底的に厳しい。とことん厳しいです。

法が貫いている限り、宇宙の何処にも逃げ場はありません。一人で流離い、死ぬ場所を探したその人の心中を思いはかったら、苦しくなります。誰か、手を差し伸べる人はいなかったのか・・可哀想で無念の思いが込み上げて来ます。深い慟哭とため息が、忍び寄って参ります。あまりにも、無慈悲な世の中に成り下がっています。残された遺族も、生き地獄でしょう。自分を責め、後悔の念が押し寄せて来る。うつ病になるのが、道理かも知れません。自殺に至る人は、うつ病の精神状態だったという人もいますが、そこまでいった精神も、人間の赤裸々な葛藤があったはずです。

平成10年から、ずっと3万人越え・・異常です。本当に、尋常ではない社会だということです。自分の身近な人を、出来うる限りに励ます。私も、職場の人やお客さんには、励ましています。いつも、希望を送る態度では接しております。今年も、やっぱり3万人越えでした・・。自殺者志願のサイトで、踏みとどまるように投稿したりメールもして来ました。私なりに。この一通の投稿で、一人の尊い人が救われたらという真剣な思いからです。きりがありません。陸続と、志願者がやって来ます。・・創価学会は、何をやっているのか!と怒り狂ったときもありましたが、今は、静かな怒りとなって「時」を待っています。

しかし、単純計算でも10年間に30万人強の人が自殺していることになります。驚くべき数です。日本共産党が言っているように、戦争をやっているようなものです。もはや「有事」です。コンペイ党は、相変わらず、お話しになりません。憲法9条を変えなければならないと、のたまわく創価大卒の国会議員もいますし・・何のために信心をしているのでしょう。国を憂い、民を思う。「日蓮と同意ならば」でしょう。

佐渡の朱鷺さん

よ~く、わかりました。世界平和の題目を真剣に上げないなんて、ウソです。

『私は泣き虫なのです。』

実は、私も直ぐに感動して目頭が熱くなる人間なんです。
感動する話しに弱いんです。

了解しました!インビクタス、必ず観ますよ!


 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 6日(月)23時02分55秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  ずっと「商人」だと思い込んでいました。訂正して頂きありがとうございました。了解です。  

(無題)

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 6日(月)22時49分20秒 softbank220058091171.bbtec.net
  黄金の兎さん

そうですね。私の投稿の最後から四行目上に、確かに「商人」と誤字を使用していました。
エホバの証人が正しいです。失礼しました。ただ、エホバの「商人」でもいいのではないでしょうか。高額な書物等を買わされるようですし、商売と変わりません。私の祖父が熱心に通っていました(もう、何年も前に亡くなりましたが)いつも、お金を工面していたようです。高額な教材ばかりが家にありました。
 

訂正を

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 6日(月)22時20分5秒 softbank126122224122.bbtec.net
  今日より明日へさん、佐渡の朱鷺さん、商人ではなく「証人」です。  

引き合う糸

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 6日(月)10時16分20秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさん

『その出会いは、偶然ではありません。共鳴する、引き合う糸が織られていると思います。』

そうですね。
私も、この出会いは御本尊様の計らいであると思っています。

私が中学生の頃、隣の中学の一級上の先輩が行方不明になった、と言うことを、全校朝会の時に聞きました。
当時は、誰も北朝鮮の事など考えも及ばず、家出か誘拐か、いずれにせよ、悪い大人がいるから気をつけなくてはいけない、と言う話だったと思います。
私は、「家出するなんて、ヤンキーなのかな?」と考えていました。
それから何十年も経てから、その時の少女が、北朝鮮に連れ去られたのだと知り、また、その現場が私の自宅とそう遠く無い場所であったと言う事に衝撃を受けました。
先日、お会いした被害者の方も、行方不明になった当時、近隣の人たちは、母子でアル中の父親から逃げ出したのだと言う話になっていた、と聞きました。
しかし、実際は全く違っていました。

私は、こんなに近くで酷い出来事が起きていたことを、知らなかった、と言う事に対し責任を感じて、題目をあげたことがあります。
拉致被害者の方々は、私に、世界平和の為の題目をあげるきっかけを作って下さったのです。

彼女は、たくさんの花束と、ご夫婦で召し上がるのでしょうか、やわらかい米粉のシフォンケーキを、二つ買って行かれました。
「とてもやわらかいので注意して下さいね」と言って、そっとそっと、ケーキを手渡しすると、「わかりました」と笑顔で掌を重ねて、ケーキを受け取って下さいました。
泣きそうになりました。私は泣き虫なのです。

インビクタス、ぜひ見てみて下さいね!
最後に流れる、ジュピターと言う曲ですが、中越大震災の時、長岡の音楽祭で平原綾香さんが唱って下さいました。
私はその曲が大好きなんですが、この映画の最後に流れるジュピターを聞いて、私の中で、何かが繋がったと言う魂の歓喜を感じて、涙が溢れましたよ!
 

エホバの商人

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 6日(月)09時21分3秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  黄金の兎さん

一ヶ月程前、エホバの商人の幹部の方が自宅に布教活動に訪れました。エホバの商人の方たちは布教活動に大変熱心です。
対話の姿勢は礼儀正しく、受け答えも常識を弁えてきちんとしており、分からない事は分からないと言いますし、正直な人たちだなと言う印象を持っています。
こちらの考えを頭ごなしに、無闇に否定することもせず、聞きたく無い事に耳を塞ぎながら、自分の言いたい事だけは大声で喚き散らすような病的な態度もなく、少なくとも創価学会の職業幹部よりは人として好感を持ちました。

私は、彼らが「エホバ」と表現する「神」の部分を「生命」と言う言葉に置き換えてしまえば、考え方は、仏法と同じ事だと思いました。
ただ、今日より明日へさんがおっしゃったように、聖書に対する考え方、本尊についての意識が曖昧な点が問題だと感じます。

エホバの商人の方に、「聖書は、誰が編纂したのですか」とお伺いした所、「神が編纂しました」と言っていましたが、そんな言い方は、社会では通用しません。
聖書は、教会権威が編纂したもので、それを「神がやった」と神の責任にしてしまう所に、エホバの商人や、それを信仰している方たちの他者依存的性質であったり、宗教を権威として捉える向きの強さを感じました。

選挙に対しても、世界を変革するのは神であるため、政治では世界は変わらない、そのため、無投票と言う風にお考えのようですが、その点も、政治や司法が、国民にとって良くも悪くも、重大な働きをすると言う視点が抜けています。
もっとも、私も、議員として信頼に値する適切な人物がいない場合は白紙投票をする、と思いますが、国政選挙には最高裁裁判官の国民審査もあり、それに不信任を突きつける義務もありますから、投票は必ず行って、行わねばならないわけです。

社会問題に対して無思慮であることの無責任さを、神への忠誠心とすり替えて解釈させるやり方に、教団権威の信仰者への抑圧の体質とずる賢さを感じますよ。
騙されないで下さい。
 

「南無妙法蓮華経の力は大歓喜」

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 6日(月)00時33分52秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  佐渡の朱鷺さん

働かれているお店に「拉致被害者」の方がいらっしゃったのですね。いかにも佐渡らしい、また佐渡の朱鷺さんらしい出会いだと思いました。光景が目に浮かびます。拉致被害者の方々の心情を察すると、胸がかきむしられる思いになるのは、皆さんそうでしょう。
北朝鮮のやったことは、あまりにも非道です。その家族の方・・察するにあまりあります。

『自身の弱さとの対峙と言う、精神的労苦と言うものを、上手い事を言いながらずる賢くすり抜けて来た者には、決して分からない事だと思います。
表面的には、どんな善き人に見える人でも、奥底にある違いと言うのは、いざと言う時明らかになります。』

ここの部分は、人間観察眼の、機微に精通した方でしか言えないことです。私には、スッキリと理解出来ます。その通りです。窮地の時、土壇場の時に、良くわかるものです。・・
余談ですが、私には、不思議な感覚というものがありまして、男女問わず、初対面で奥底の一念が観えます。直感でわかります。真っ直ぐに瞳を見つめて、思いを馳せていくと感じて来ます。その人のきしかたや、生命のクセ等々がわかって来ます。慈しむ、慈愛の力とでも言いましょうか・・何とかしたいという一念だけです。その拉致被害者の方も、佐渡の朱鷺さんの心音に触れ、光を感じられたことでしょう。その出会いは、偶然ではありません。共鳴する、引き合う糸が織られていると思います。

インビクタスという映画は、私も観たいと思っております。アフリカには、雄大な自然と共に、真の人間賛歌を感じています。奴隷船とキリマンジャロの朝焼けは、人間の額ずきの祈りと大空を翔る人の思いを感じる希望の舞台です。アフリカの魂を世界へ。

黄金の兎さん

自らの意思で、脱会されたとのこと。非常に残念と共に、自分の無念さと苛立ちも同時に感じました。私にとっては、非常に無念です。周りの組織の人に、親身になってくれる学会員さんや確信のある人がいなかったのでしょう。・・本当に衝撃と残念さが舞い込んできました。私と直接、会っていたら必ず、魂を揺り動かす何かを、引き止める大確信の炎を与えられたことでしょう。

如何なる宗教も、「南無妙法蓮華経」に勝るものはありません。
それは、自分自身が御本尊様に向かい「境地冥合」出来るかどうかが、全てです。人ではありません。自分自身が法を体得できるかどうかです。
実は、私は高校三年生のころ、エホバの証人に入会しようとしていた時期がありました。
熱心な同級生に誘われて、会館やらにも行っていました。聖書も読みました。しかし、その直後に、大病を患い、入院しました。その病室で学会員さんに折伏されました(厳密には、私から経典が気になって仕方なく、声を掛けたことから始まりました)その後、わかったことですが、大病になったのも導かれていたとハッキリと自覚しました。

エホバの証人は、インチキです。宗教は、本尊に力があるかどうかです。聖書は、魔力があります。否、宗教の本尊には、魔力があります。以前、投稿していますが、イエス・キリストは、仏教徒だったと私は思っています。彼が本当に慕っていたのは、釈迦だったと私は、思っております。今と違い、あの当時は、インド地方との交流が活発でした。・・

大聖人の仏法は、死んだ後に天国のようなところに行くのではなく、生きたまま、そのままで、即身成仏(仏の境涯に至る・仏界の生命の湧現)です。この現実、この瞬間、に焦点があります。自分自身が、迷いから覚め法性の感覚(大歓喜)を味わうのが真髄です。
エホバの商人の本尊は何かというところを、よく見極めてください。妥協しては絶対にダメです。徹底的に、追求されてください。人ではなく、自分自身で確かめられてください。

私は、何万人、何十万人の人がいても、私の大確信は微動だにしません。それほど言い切れる体験を、連続的に味わいし尽くして生きてきました。宗教体験があるかないか。です。
 

返事

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 5日(日)19時24分11秒 softbank126122224122.bbtec.net
  今日より明日へさんへ>あの頃は、確か・・キリスト教と仏教に迷われていたと記憶しています。その後、お変わりありませんか?お元気そうで何よりです。当掲示板は、あれから幾度となく、嘲笑の荒しに遭遇して、一度、閉鎖している経緯を辿っています。なので、荒し行為及び誘発するような投稿に関しては、特に敏感になっております。


INが復活してからこのHPにアクセスしたときにあなたがした質問でしたね。あれから暫く経っていたので申し訳なく思っています。このHPの特殊性を考慮し私の結論を投稿すべきかどうか正直苦慮しておりました。色々な立場の方がこのサイトを閲覧されていると考え
ていたからです。中にはまだ詳しいことは情報としてまた、実際の実践として信仰を自分のなかに確立できていない方も多くいるのではないか、と私は考えていました。私にしろカナズチさんにしろ人間としてそれぞれの考えと悩みがあります。また人間として、の定義も同じ人間が決めることができるものではない、というのが私の信条であり、また聖書の心でもあります。
私はあなたの学会組織での経過でどの様なことがあったのか詳しくはわかりませんが、私にあっては自ら組織からの退会を申し出ました。現在私はエホバの証人の研究生です。
 

インビクタス

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 4日(土)22時03分45秒 i60-34-91-196.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさま

お忙しい所、お返事ありがとうございました。
全面的な共感を持って、拝見させて頂きました。

今日は、私が働く店に、北朝鮮の拉致被害者の方が、お客さんとして訪れました。
彼女を接客している間、私は、彼女が、自分自身をとても大切にしていることを感じ、その事がとても嬉しかったです。
まるで、自分まで労られ、報われているかのような、安心の気持になりました。
自分を大切にする、と言うのは、そういう事なのだと思います。
自分を大切にしているようで、それはそのまま、他人を守ることでもあります。
彼女の存在や、これまでの苦労に、心からの労いと、感謝の気持を捧げたく思いました。

地域には、彼らを良く言わない人も多いです。
どうしてだろう、とずっと不思議に思っていましたが、「拉致被害者」と言う、ある意味特殊な立場にある人たちと、同じ人間として心を通わせることのできない、臆病さと言うものが、彼らを無意識に悪く言わせているのだな、と感じざるを得ませんでした。

困難を乗り越えて地に立つ人と言うのは、どんなに素朴に見える人でも、不可侵のオーラを身に纏っています。
内側にある暗闇を怖れる臆病の心は、その本当の強さに負けてしまう。
自身の弱さとの対峙と言う、精神的労苦と言うものを、上手い事を言いながらずる賢くすり抜けて来た者には、決して分からない事だと思います。
表面的には、どんな善き人に見える人でも、奥底にある違いと言うのは、いざと言う時明らかになります。

昨日、主人と「インビクタス」と言う、マンデラさんと、南アフリカのラグビー選手たちの交流を描きながら、真の愛国心とは、と言うテーマを感じさせる素晴らしい映画を見ました。
私はこの映画を見ながら、自分の中に、殺意のような気持がこみ上げて来るのを観察していました。
マンデラさんが、黒人たちに言った、「赦しなさい」と言う言葉を聞く度に、その殺意はこみ上げました。
私もまた、虐げられて生きて来たと言う、被害者の感覚を持っています。
普段はコントロールしていますが、何かの拍子に、「許せない」「許してなるものか」と言うどうしようもない感情が心に沸き上がる事があります。
それらの殺意の積み重ねは、長い間私の中でとぐろを巻いてい来たようにも思います。

その、うちなる魔物を征服するのは、自分しかいない、と言う事を頭では理解しておりますが、それはそう容易くはないのです。
例えば、マンデラさんのような人生を、あるいは、拉致被害者の方々の人生を、尊いものとして感じるたびに、消え去って行くものであることを、私たちは魂で学ぶべきなのです。

真の愛国心は、どこの国の国民であろうと、みな同じものなのだと感動を持って浸透させた翌日に、ある独裁国家の愚かな策略に巻き込まれ、人生の大半を拉致被害者と言う牢獄の中で過ごして来た方がお客さんとして来店して下さり、言葉を交わし合った事と言うのが、私には、何か非常に大切な、実のある良き前兆として、愉快に思えてなりませんでした。

インビクタス-負けざる者たち-
ウィリアム・アーネスト・ヘンリー

私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
私はあらゆる神に感謝する
我が魂が征服されぬことを

無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流しても
決して屈服はしない

激しい怒りと涙の彼方に
恐ろしい死が浮かび上がる
だが、長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない

門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官なのだ
 

マサまる子さん、佐渡の朱鷺さん、皆様

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 4日(土)14時39分31秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  仕事が、落ち着いて来ました。やっと、時間が出来ました!

本日は、こちらは晴天(快晴)です。
一分、一秒を争うがごとき、多忙を極めておりました。私は、サラリーマンです。この不況下に、何とか弊社の業績は、前年並みです。失職されている方、求職の方には、衷心よりお祈りいたします。

マサまる子さん

『私の書き込みは貴掲示板において、掲示板の趣旨にそぐわない書き込みだったのでしょうか?』について、ご返答いたします。遅くなったことについては、お詫びします。

確かに、貴HNさんも眼中には入っておりました。しかし、どちらかというとHNカナズチさんの方に、「お遊び」という思いがありました。部員さんに、何を語られているのでしょうか。信心に確信がなくて、人に何を伝えれるのでしょうか。マサまる子さんは、こうやって、再投稿されました。人として、立派です。誠実さが伝わって来ます。

しかし、カナズチさんは、アレっきり、何のご返事もありません。それは、黄金の兎さんにも云えるとは思いますが、まずは、返事に対してどうだったのか。信心云々の前に、人としての振る舞いでしょう。わからないならわからない。わかるならわかる。わからないなら、何処の部分がわからないのか。という風に・・私は、不誠実な人は、人として『人間』が成り立っていない、自立、出来ていないと思っております。私は、19歳で入信しました。任用試験、懐かしいです。勉強(研鑽)お疲れ様でした。どういう経緯で、任用試験を受けられたかは存知あげませんが、試験の為の勉強では何にもなりません。大聖人様が、1222年に生誕されて云云。。。

大事なのは、大聖人様が、無名の門下の方の一言でも逃すまい、法華経の疑念には、明確に応えるという姿勢であり、その御心に触れることです。その、凄まじい精神闘争です。伝えたい、何とか救いきりたいー。という慈愛に、自身の心が感動で突き動かされるかどうかです。【大聖人様のお心に打たれ、何度、涙を流したか】が一番大事であり、御書の世界は、何処までいっても、自分自身と大聖人様との心の対話なのです。一対一の態度なのです。これを、仏道修行とも求道とも言います。私など、門下の人と大聖人様の命のやりとりに、何度、男泣きしかたわかりません。・・

鎌倉の世に、大聖人様に帰依するということは、即、命の危険に及ぶということを意味していました。ギリギリのお手紙であり、命をつぐ希望の光だったのです。一言でも、漏らすまい。一言の文字にも、全魂を込めれられ激励されているのです。その、振る舞いの中に、心が動かされなかったら御書を学ぶ意味は、ありません。マサまる子さんからは、人としての心音が伝わってまいりました。立派です。
貴殿の人生をお祈りいたします。不明なことは、いつでも、聞いてください。時間がある時に、必ず、返答いたします(遠慮されずに)

佐渡の朱鷺さん

『自分を大切にできない人が他人を大切にすることはできない。』

この、真の意味を理解出来ない人は、自立出来ていませんね。まずは、自分自身を救うことが先です。ここが、混同され曖昧になって意味不明な方向に行ってしまっている世の中です。自分を大切に。ということが、一切の出発起点です。自身がどう生きるかという根本命題は、そのまま、他者や社会に責任を持つということです。

大聖人様の仏法は、生命を対象とした生き抜く、生きる哲学です。
法華経二十八品であるがゆえに、28歳。確かに、私は、壮絶な精神格闘の末に、悟達しました。その不思議な体験を通して、その一瞬に覚悟した境地は、即、私の使命として、この法門を伝えきらなければ死ねないということを意味していました。また、それは苦難の連続であるということも意味していました。私は、その時、その世界に包まれている時、このまま死にたいー。と心の底から求めました。でも、それは許されませんでした。大聖人様の御心は、法を伝え、人に教える広めること意外にありません。

内証の境地(境涯)というのは、他者からはわかりません。見えません。平凡な庶民として生き、泣き笑いする中でしか、法は弘められません。仏といったところで、人間以外にありません。しかし、その人間が、尊極な存在だったということです。この秘密を知っているのが仏、知らないでいるのが衆生ということです。即身成仏。その身、そのままで仏の境涯に至るという未聞の法ですね。

 

皆様

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 3日(金)04時50分47秒 softbank220058091171.bbtec.net
  月末、月初と仕事が多忙なゆえに、レス出来ませんでした。
ご返事遅くなりました。申し訳ありません。
マサまる子さん、佐渡の朱鷺さん、また時間があるときに正式に返答いたします。
今後とも、よろしくお願いします。
 

マサまる子さん及び管理人さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 1日(水)13時42分26秒 i210-161-191-129.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  「私にしか絶対に分からない」との確信、ですが、私にもそういう確信があります。
どうすればそうなれるのか。
そうなりたい、と言う気持を強く持てば、誰もがそうなれると思います。
最初は、そういう人を見て、何となく、自分もそうなりたい、と願う。
それだけでも良いと思います。
でも、(なぜ自分はそういう確信を持ちたい、と願ったのだろう?)と言う部分を自問自答して行く中に、自分の弱さに目を瞑り、自分を祖末に扱って来た過去の経歴を見いだすことができるのではないだろうか、と思います。
自分を大切にできない人が他人を大切にすることはできない。
人の為に何かが出来る自分になりたい、と願うなら、自分を卑下する弱い心を一歩づつ乗り越えながら、過去の過ちを塗り替えつつ、豊かな人格を育んで行かなければなりません。
それは、常人には考えられない様な高い境涯にある人だけが為せるわざではありません。
人としてあたりまえの、人の道ではないだろうかと私自身は考えています。
もしもそのあたりまえの事が自分のこれからの人生に想像することができないのであるならそれは人としてどうなのでしょうか。

堕落を目指して頑張る人があまりにも多い世の中です。
権力主義者はそれを喜びます。
真実は何かと言うことを、真剣に模索されることをおすすめ致します。
そのためにはこの掲示板はとても有難い存在です。

なにより管理人様の真摯な人格がこれほどまでに伝わって来る掲示板はかつてありませんでした。
これまでのご苦労に心より感謝致しております。
今後も宜しくお願い致します。
 

>信念

 投稿者:マサまる子  投稿日:2010年12月 1日(水)01時32分53秒 wb09proxy11.ezweb.ne.jp
  管理人さま
「信念」でのお書き込みの最後の2行より推察いたしますと、私の書き込みは貴掲示板において、掲示板の趣旨にそぐわない書き込みだったのでしょうか?
私の無知な頭では掲示板のタイトルやサブタイトル等から掲示板の趣旨を読み取ることが出来ておりませんでした。
もし、貴掲示板における趣旨にそぐわない書き込みであったのであれば、心よりお詫び申し上げます土下座
ただ、私の書き込みはお遊びのつもりではなかった・掲示板の趣旨を理解出来ていなかったと、ご理解いただければ幸いです。
向学のためのロム専に戻りますが、また書き込みをさせていただく事もあるかと思います。今後ともよろしくお願いいたします。


佐渡の朱鷺さま
「悟り」のお書き込みで親切・丁寧にご回答していただき、誠にありがとうございます。
この数日、任用試験の追い込みのため掲示板を見ておりませんでしたので、返答が遅くなってしまい大変申し訳ありません土下座
ご回答いただいた内容は概ね了解です。
私の書き込みが舌足らずで分かりにくかったのだと反省しておりますが、私の感じた疑問とは
今日より明日へさまの「私にしか絶対に分からない」との確信を語れる境涯になるためには、どうすれば良いのか?
「自分には想像できない境涯だな」という部分でした。
ともあれ、ご回答いただいた事に心より御礼申し上げます土下座
 

信念

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月28日(日)05時21分39秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん、そして皆様

私を擁護して下さり、感謝しております。そして、なぜに、そこまで人の真意を的確に汲み取られるのか、心情機微に熟達されるまでの人生のご苦労(使命)を、拝察してもいます。
自らの人生を、自ら能動で生き切って来られた方ならではの、懸命に生き抜いて来られた魂が、文脈に注がれ伝わって参ります。文字は、魂です。信仰の世界は、確信です。
誰かれから聞いた、受け売りの浮いた言葉ではなく、自分の生涯を懸けた、全生命を懸けた不動の確信があるかないかです。

誰かれから何か言われたら迷い込むような、堕落脆弱な精神世界には住していない。
何処の誰に会おうが、真っ直ぐに眼球を見つめ、堂々と主張しぶれないー。そういう人こそ、真に自立した一個の人格であり、真の人間性ですね。
そもそも、仏法は、真の人間を育てる、人格陶冶の完成を目指しているものです。毅然と、自立し、大地に立つ。一個の小宇宙であり、果ては三千大千世界も収まるという究極の法理です。絶対不動という境地を確立する。日蓮仏法は、悟りの法門です。最終的には、仰るように、「です」「ます」という断定的な末尾になります。また、そうならないと確たる信ではありませんね。

『創価学会は、会員を牛じることにのみ腐心してどんどん狂って来ています。
しまいにどうなってしまうのかが恐ろしいです。』

ここに、危機感を持っていない会員は、間違いなく狂信であり、盲信です。
といいますか、日蓮仏法の淵底が解っていない証拠です。先生の心からも、疎い。

逆転の発想は、日蓮仏法の真骨頂です。時代の闇が深ければ深いほど、混迷の度が増すほど、機は熟す。若者も壮年も職を失くし、家庭は崩壊。自殺者や天災、人災も、相次ぎ、列強の狭間で、右往左往し、東シナ海の脅威も、弾道ミサイルの配備も、9条改定の叫びも山河にこだまし始めた昨今。人の世は、国法が裁くのではなく、仏法律が裁く。宇宙を揺り動かしている法の力は、あまりにも神秘。そして、あまりにも正確であり厳粛です。

700年の時を待ち、悲劇の原爆投下と共に、現代に蘇りし蓮祖の魂。末法尽未来際までも流るべし。御本仏の大功徳は、地球文明を浴し、完璧に慈悲に包まれています。恐れるものも、悲観するものも何もありません。本門の弟子は、機を待ち、陸続と出ずる。
苦悩渦巻く、この娑婆世界こそ、仏の本国土です。娑婆即寂光土です。
さあ!胸を張って、安心立命の境地へ、衆生救済の真っ只中を、奔走しょうではありませんか!
無明の闇が深ければ深いほど、地湧の菩薩は乱舞し。勢いを増す。悪戦苦闘、一人ぼっちでも、歯牙にもかけず。悠久の綺羅星は、見つめています。三世十方の仏菩薩は、瞳を凝らして見つめています。何が正義かを!誰が正義かを!

※私は、当該掲示板の管理人として、約9ヶ月ほど一度閉鎖しました。そして、私の意志で再開した直後、一通のメールをいただきました。それは、一人の女子部の方からでした。

「私は文章力もなく、伝える術も持っていません。再開されて感謝しています。どうか閉じないでください」という内容でした。私は感動し、直ぐに返信いたしました。登場されていませんが、そういう方がロムされている限り、私は真剣なのです。生半可な人の投稿は、お断りいたします。ここは、命を懸けて、最高幹部の不正に戦いを挑み、除名になられた方々もロムされています。お遊びの場ではないということも、付け加えさせていただきます。実動部隊の、法華経の行者のサイトです。
 

犬死にしない為に

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月26日(金)20時28分4秒 i60-34-90-140.s02.a015.ap.plala.or.jp
  末端の、真面目な会員がなぜ、一番苦しまなくてはいけないのでしょうか。
私は、たまたま、ご主人の反対で会合に出る事ができずに困っていた部員さんの頼みで、家庭訪問をした時に、そのご主人から、「学会はこんな事をしている悪い団体なのだ」とインターネットの、ある除名になった方のサイトを紹介されました。
無下に出来ず、真剣にそれを読み、「これはおかしい。幹部が、信心を利用して会員を強迫し、自分たちの私利私欲を満たす為に、都合の悪い人物を、組織上の立場をフルに使って、亡きものにしようとしている。」と思い、自分の安易な思い込みではいけないと感じ、その方に会いに行き、裁判も傍聴し、「おかしいぞ」と確信し、地区の同志みんなと、県幹部クラス、あるいは、日蓮正宗を相手に裁判を起していた青年僧侶改革同盟の方にも、お会いし、とにかく知って欲しい、と思い、お話して行ったわけですが、真面目な会員さんであったとしても、「知る」と言う段階から拒絶反応が酷く、「読まなくても分かる」、とか、「あなたは騙されている」等、酷いバッシングを受け、「なぜそう思うのか」と聞いても、泣いたり、嘲笑したり、睨みつけられたり、まともな反応は返って来ず、どんなに真面目に活動している人たちでも、盲目の状態にされている人間社会の現状である、と認識するしかなかったです。

例えば、最近、地元の民主党議員と話をしていた時に、南京大虐殺は捏造だった、従軍慰安婦もなかった、日本の軍隊は素晴らしかった、軍人こそ尊敬に値する、平和憲法は過ちであり、日本は再び軍隊を持たねばならない、戦争なしで世界平和などはありえないのだ、と言っていました。
彼は靖国の熱心な信者です。
現政権は、この議員に象徴される思想の持ち主が中心となって運営されている政権です。
これらの右翼的な人々の活動のエネルギーをわざわざ創ってやっているのが、今の創価学会ではないでしょうか。
エゴを撥ね付け、不正を下す、不動の心の姿勢を、保つ事が出来ない。
創価学会にも、同じ様な、精神の惰弱性が見て取れます。

こうも思います。
なぜ日本はドイツのように、アウシュビッツと言う過ちを振り返り、二度とそのような過ちを犯さない様に、子どもたちにも加害者の子孫として、過去を振り返りながら、何がいけなかったのかを考えさせる教育を行う事ができないのか。
ある方は「子どもが可哀想だから」と言っていました。
ですがそれは、その人自身が、自分の感傷に浸っているだけなのだと思います。
未来を担う子どもたちへの愛よりも、自分のささやかな心の傷を庇う事の方が、より重要なのだと言うことです。
人の為に痛みを引き受けることなど、まっぴらごめんなのです。
私は、そこに、自らの過ちを過ちとして認識し、前向きに改善する力のない、深く汚染された一念の狂い、愛の不足を感じます。

第一次、第二次世界大戦、高度経済成長期を経て、人間の、本当の幸せとはなんだろう、本当の豊かさとは何なのだろう、と言う問いかけに対する思慮深い答えが、かつてこれほどまでに求められた時代はありません。
それに対し、確たる答えを提出する事のできない宗教を、宗教等とは呼べません。
信心をしていながら、困っている人と手を繋ぐ事が出来ない事を、恥ずかしい、と思えないなら、それは人間性の敗北の姿です。

池田先生は「人間主義」と言いました。
これは、「人間は、人としてどうかなのだ」と言う意味である、と私自身は捉えています。
ひたむきに、真っ直ぐに、人間主義を貫いて来たら、創価学会にいられなくなり、いまここに、こうしております。
それは、私が、創価学会の幹部に言われた様に、「広宣流布に必要のない人間だから」、ではないとしたら、一体、どういう事になるのでしょうか。
その事について、学会員さんたちは、真剣に考えてなくてはいけない、と思います。

全人類の救済を、祈って参りましょう。
過ちだらけの人生を生きて来た、自分自身を、犬死にさせないためにもです。
 

組織の問題

 投稿者:黄金のウサギ  投稿日:2010年11月25日(木)21時59分23秒 softbank126122224122.bbtec.net
  組織の問題は人間の限界に因るものではないでしょうか。学会の組織の場合は特にひどい様にも見受けられます。魔が競うのではなく自らが魔の姿を露呈しているのではないか、と思う時さえあります。よく学会は良くないけど信心(仏法)は正しいと言う人がいますが、正しいのなら学会には仏法はないと思います、ただし個人ではなく組織としてですが・・・。
末端には地域で真面目に頑張っている会員さんもいるのに、です。正直これは酷な話です。
 

勤行

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月24日(水)12時02分38秒 i58-93-208-182.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  創価学会には、活動は熱心に行うのに、勤行をしない、と言う人はとても多いですよね。
特に幹部で勤行をしないくせに、新規会員には勤行をしろと言う偽信者の宝庫です。

問題は、どういう勤行をするかの形式にあるのではない、と私は思います。
逆説的ですが、形式をきちんと整えることで、内容を精査して行く必要性のために、自行の行いをするのだと言う風にまず考えるべきだと私は思います。
ですから、いくら勤行の形式をあれこれ変えてみた所で、内容に目を向ける、と言う意識、内道の意識を持つ事ができなければ、何の意味もないと私は思います。

そもそも学会員なら全ての人が「内外相対」を学んでいるはずなのに、知識だけ頭に植え付けて中身を疎かにするので、仏法用語は記憶していてもそれが何を意味しているのかを自分の言葉で語る事が出来ない。
つまり、外道を折伏することができない、と言う状態になっているような気がします。
信心している人はしていない人より偉いのだ、と言うような、他人に大きな顔をする為だけの仏法の知識ならそんな知識は邪念です。
勤行・唱題をしなくたって、優れた意識を持つ人は世の中にたくさんいるのです。

何のための勤行なのか。
そのままのあなたではダメなんだ、と言うことです。
長行を省いたくらいでは、組織改革は出来ません。
というか、考え方がおかしいです。
創価学会は、「あなたの明日を新しく」等と言うテレビCM等を流していた時期もありました。
コマーシャルで人集め。笑いました。
これが広布の団体なのか?あまりにも人をバカにしています。

創価学会は、会員を牛じることにのみ腐心してどんどん狂って来ています。
しまいにどうなってしまうのかが恐ろしいです。
自分たちが言う通り、一刻も早く、古い価値観を脱皮して新しくなって頂きたいです。
宗教法人としての外側だけ体裁を整えればそれで良いと思っているふしがあります。
創価学会には、宗教法人税の優遇措置に甘んじることなく、社会に堂々と胸を張れる団体となって行く為にきちんと納税することをおすすめします。

個々人が、どこがどうダメなのかを真剣に、真面目に考え、適切に対応することができるようになれば、組織は必ず、良くなって行くのです。
良くならないはずがない。
良くなって行ったら、腐敗の幹部がすっ飛んで来て、邪魔しに来たりするでしょうね。
正しい事を言う人に対して、「あの人には問題がある」とさもさも分かったような、もったいぶった口ぶりで言いふらし、孤立させようとする。
真面目な思いの欠片もない相手に一々対応していたら、自分の暮らしがままならなくなって行く。

「何故ですか?」と問いただす事もなく、幹部に追従し、正しい人を弾圧する人も多い。
あることないこと、いいふらす。
彼らは、自らを誤魔化し、正しい事から逃げ続けて来たツケで、前頭葉がやられている。
他人の気持を思いやるだけの、人間らしい心を失ってしまっている。
腐り切った水の流れに、まともな生命は住めません。
その必要性もありませんが。

ですが、そういう人も、お題目によって、いずれは全うな人間へと生まれ変わって行くのです。
今世では無理でも、何度も、何度も、生まれ変わりながら、この世の果てまで、生命はみな、連鎖する。
一緒なのです。
闇があるから光がある。
光の数だけ、闇は深いのです。

いずれにせよ、仏法は素晴らしいです。
永遠に続く学びの軌道です。
このチャンスを逃さないで、一生成仏、如説修行に、勇猛精進して参りましょう。
 

悟り

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月24日(水)09時26分22秒 i58-93-208-182.s02.a015.ap.plala.or.jp
  黄金のウサギさん

言葉の表層面での解釈に固執して議論することは、「悟り」における多次元に渡る生命の本質的内容を誤解させる怖れもあることから、それらを慎みながら思う所を述べてみます。
「です」「ます」断定調が多いですが、中途半端に言及する性質ではない内容にさしかかるとそうなってしまいます。
聞きづらい場合はお許しください。

「一個人的な悟り」を否定する必要性はないと思います。
一個人として悟った人間が、社会の中でそれらの叡智を必要としている場面に出向き、他者の意識に働きかけて行く事で世の中を変革して行く中で、人は自他の関係性を、修復させ、あるいは、成熟させながら、世の中を良くすることができると思います。
それは、「人間として、あるいは人類としての、本来の姿を取り戻す」実践、そのものだと私は感じています。
仏法は、それらの展開の中の、確たる座標軸のようなものであると思います。
個人の悟りと言うものは、その縦横無尽に展開する現実の中に、自らの一念を位置づける現場を正確に把握し、事象に対して的確に対応するために必要です。
「私はここにいる」と言う意識は、それらの行為の土台になります。
そういった方々が大勢いる、と言うことは、素晴らしい事ではないでしょうか。
自分が存在する地球と言う惑星に対して責任感が生まれ、我々人類が為して来た行いを精査し、過ちを正そうとする意識が芽生えると、そういう風になると思います。
その事の中には、「全ての過ちを了解している」、と言う前提があります。

文明の進化の歴史、と言うのは、私たちが、困難を乗り越えるために頼った手段のことです。
この手段には、例えば、核兵器や、原子力発電等、一歩間違えば取り替えしの付かない危険性を伴うものがあります。
これらの手段が生まれた背景には、現実に対し物理的な不足を感じる人々の欲望があります。
無明を深くした原因を生命の中に見いだそうとするなら、それは一般的に、「エゴイズム」である、と言う風に言えるでしょう。

しかし、生命の本質はエゴイズムではありません。
エゴは本質に刻み付けられた、汚れのようなものです。
この汚れがあると、生命力が弱くなり、不安や恐怖に囚われやすくなり、本来、特別な問題ではないことが、問題に思えるようになります。
例えば、必要以上にお金を貯蓄しているお金持ちが、それよりお金を持っていない人たちよりも優れた存在に思えたり、一流企業に勤めている人が、中小企業で頑張っている人よりも高い能力を持つ存在に思えたり、都会で暮らす人達の方が、田舎で暮らすじいちゃんばあちゃんよりも優れた存在に思えたり、木造の、田畑が付いた手入れの大変で味のある家屋よりも、高層ビルの暮らしを選んだ人の方が聡明で立派だ、と考える。
物事の価値観が、全く転倒してしまうのです。

価値観が転倒している人たちの物事に対する反応は、正しい価値観を持っている人たちと正反対になります。
私はその事を良く感じます。
例えば、私が住む島には、古くて味のある、木造の家屋が、何千件も空き家になっています。
それらの家は、生命を使って作られた、生きている家です。
かつてそこに住み、自然と調和して美しい暮らしを送っていた人たちは、生きている家を放置し、田畑を放置して、高層ビルの建ち並ぶ都市へ行き、死んだコンクリートのマンション等に住んでいる。
原点に帰って来れない、いわば、悟りと共に日々を送る境涯から転落し、それらを失った状態になっています。

これらの逆転した世相の現実を踏まえて、「自分はどこからきて、どこへ向かっているのか」と思索するのは大切な事だと思います。
私なら、「私は無明から生まれ、一光に向かっている」と答えます。
一念が定まったら、「私は何の為に生まれ、何を為すべき人なのか」と問いかけます。
第二代会長は、「確信のある人が一番偉い」とおっしゃっていました。
確信を持って、為すべき事を為して行く。
一人では何も出来ないのが人間です。
できれば仲間と共に。御互いを守り合って。
人生はそれだけです。

他人がどのように言おうとも、本当の意味で偉い人にならなくてはいけないです。
それが、全人類を救済する仏法守護を宣言した者の義務であると私は思います。

マサまる子さん、はじめまして。

「どなたか特定の方にしか分からない一事を教えられている」のではなくて、みんなのためにと考えて教えた内容が、特定の方にしか伝わらなかったのだ、と解釈すれば、仏法を学ぶ心得と申しますか、その厳しさを想像できるかもしれません。
その特定の方には、その他多くの修行者の為に、法を広める使命と自覚を持っています。
それだけ、多くの方が苦しみに喘いでいる悲惨な現実がある、と言うことです。
その現実を踏まえつつ、自分はどうあれば良いのか、どのように対応すれば良いのかを真剣に考えて行きたいですね。
 

恥めまして、創価初心者若葉マークより

 投稿者:マサまる子  投稿日:2010年11月24日(水)04時53分5秒 wb09proxy11.ezweb.ne.jp
  管理人様、皆様はじめまして。
様々な勉強のため、ロムさせていただいております事、感謝申し上げます。


〉私にしか絶対にわからないー。という不動の確信の表明です。

大聖人さまは、どなたか特定の方にしか分からないー事を教えられているのでしょうか?
現在、間近に控えた任用試験に向けて学んでいる中、少々疑問に感じたため初めて投稿させていただきました。

初投稿でありながら大変失礼な投稿とは思いましたが、どうかお許し下さいませ。
 

道標

 投稿者:黄金のウサギ  投稿日:2010年11月23日(火)23時48分36秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >「私はここにいる」。
それが、答えではないでしょうか。

いま、ここ、が大事なのだと思います。
いま、ここから、全てが始まるのです。

佐渡の朱鷺さんへ。
以前は私もそう考えておりました。しかしこれは現実的(瞬間的な)結果論であって未来的な指向性を含んでいるでしょうか・・・私はここにいる。と意識できる、また思喩する人は大勢います。また仏法でもこの一瞬の中にすべてが包含されるとも聞きました。しかし、私が言いたかったことは一個人的な悟りではなくてどうすれば人間として本来の姿を取り戻せるか、ということなのです。
>科学信仰が、無明を深くしたのでしょうね。
この点も真逆です、無明を深くした原因は生命の本質的な部分で科学信仰という近代に発生した観念は単に無明の増大を加速した、と言うに過ぎません。
 

本因妙の仏法

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月23日(火)23時12分46秒 softbank220058091171.bbtec.net
  カナズチさん、
投稿ありがとうございました。私の呼びかけに、誠実に投稿してくださり、人として、同志としても、感動いたしました。仰る通り、われ等が先生は、お元気に(心配ですが)出席されていました。皆を、励まされたく無理にもお姿を見せられたことでしょう。お互いに、弟子として、先生のご健康と報恩感謝の行動を示さなければなりませんね。後継者としての使命の自覚。共々に、精進しましょう!

まず、私が過去世のことを述べました真意は、随自意というタイトルにも思いを込めましたが、以下に述べることは、私にしか絶対にわからないー。という不動の確信の表明です。
私には、寸毫の迷いもありません。そして、当然ですが、その胸中にある内証の内容は、私にしかわかりません。

何も、過去世のことを伝えたいのではなく、我々の命が永遠に続いているし、今後も、果てしなく連続して行くということを伝えたかったのが本旨です。大聖人の仏法は、言うまでも無く本因妙です。過去の世で、いかに罪業をつくり上げたにしろ、南無妙法蓮華経の偉大なるお力で、良い行いをしたかのように、完全に書き変えれます。現当二世です。今、この瞬間から永遠に未来に向って、黄金の希望の軌跡です。

病気や経済苦等が、無くなるのではなく、迷いと絶望の衆生を救う為に、信仰の確信度が深まるにつれ、大難が押し寄せて来ます。法華経の行者とは、大難に遭う人の異名です。
自らが、猛烈な激闘を背負い、人の苦しみを分かち、苦楽を共に人生の劇を演じる。全ては、救済する為です。その本地は、仏であり、如来です。決して、見捨てない。金持ちで、不自由がないのは、菩薩ではありません。御本仏、大聖人自らが、処を追われ、命に及ぶ大難の連続でした。牧口先生は、獄死です。戸田先生も経済苦のど真ん中で、妙法を広められました。池田先生も、牢獄に入られています。

大聖人が、佐渡流罪という当時では、極刑である死の判決が決定した時、門下のほとんどが「末法の本仏が、なぜ佐渡に流罪になるのか!インチキではないのか!」という疑念が渦巻き、ほとんどの人間が法華経を捨て去ってしまいました。佐渡では、雪を食べ飢えを忍ばれました。食べるものがない。全身に極寒地獄を味わうとも仰せになっています。牧口先生が、牢に入られるやいなや、「牧口の野郎!」に豹変した門下生もほとんどでした。要は、自身の胸中に、絶対不動の揺ぎ無き信がなった為です。状況がどうあろうと、敢然に信心で乗り越える!その心を失くしたときが、その人の本性が、問われるときです。私は、自身の胸中に、確立しているものを持っています。一人で十分です。私が創価学会にいる限り、21世紀の学会は磐石です。

さて、疑念にお応えいたします。

法蓮抄の対告衆は、曾谷教信です。彼は、非常に仏教の研鑽に明け暮れた求道心の篤い信徒でした。折に触れ、経文上における自身の判らないことを大聖人に、赤裸々に質問しています。法蓮抄は、大聖人さまが、54歳の御時に、身延から与えられたお手紙です。未だ、出世の本懐である三大秘法の大御本尊を建立(御図現)されていないときです。建立は、弘安二年の十月(御年、58歳)ですから、さかのぼること4年程度前です。当時の勤行(仏を賛嘆する詩・偈)は、法華経の全文を暗誦したり、自我偈をやっていたり、寿量品の全文を読んだりと定かではなかったようです。

未だ、信仰の対象となる根本の本尊が確立していなかったわけですから。その中で、曾谷教信さんは、お父さんが亡くなった追善供養として自我偈を読み、それに対して大聖人様は、最大にお誉めになっているわけです。その思いを、賛嘆されているところに焦点があるわけです。往々にして、大聖人様は、その人の思いや気持ちを大事にされ、最大に宣揚されます。文筆には、そういう傾向があります。大聖人様の深い、深い慈愛です。

御書の中で、極説(随自意)で、述べられている抄は、御義口伝・百六箇抄・本因妙抄です。百六箇抄の中で・・
【下種の法華経教主の本迹】『自受用身は本・上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり』
この御文で仰せの文底の本因妙とは、長行の我本行菩薩道の御文です。

【御義口伝巻下】『第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事』「此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり」

大聖人様は、釈迦の法華経である『妙法蓮華経如来寿量品第十六』に南無をお付けになり
『南無妙法蓮華経如来寿量品第十六』とされました。その真髄は、寿量品全体を、御本仏であらされる大聖人様の悟りの境界で読む観心の拝し方となり、釈迦仏法の立場からの教相ではなくなったという意義です。天台の読み方とは天地雲泥の差となります。ですので、寿量品全体を、大聖人様の立場で、読まなくてはならないということになります。
寿量品は、日蓮仏法の魂なのです。

御書の文を引用するのは、まだまだ出来ますが、長くなりますので、本日は、このへんで止めます。

私が、言いたいことは、戸田先生も講義の中で、寿量品の講義に大変な心血を注がれ解説されています。池田先生も、その全体の重要性を講釈されています。
それを、自我偈だけで問題がないと、きり文句だけで、ろくに説明もせずに切って捨てた、ときの学会総務会(教義改訂の決定機関)に対して、義憤の念を感じています。それは、全学会員さんの為です。

私、個人的には題目だけで十分です。直ちに、境地冥合いたします。
勤行の際の、長行の読了は必要なのです。した方がいいのです。

※この投稿は、全学会員さん及び、日蓮仏法を学ばれている方々の全ての人に捧げる思いで 書きました。学会の教学部の方でも、疑義や不明なことがあれば、いつでも投稿されて下 さい。必ず、ご返答いたします。一人でも多くの方が、元品の無明を打ち破られ、仏界の 生命を、胸中に確立されることを希求いたしております。
 

今回こそは「投稿」です

 投稿者:カナズチ  投稿日:2010年11月23日(火)02時36分47秒 softbank220058066029.bbtec.net
  先日は、「メール」と打ち込んでしまい、失礼しました。
メールばかりで、「投稿」したことなど無い初心者なもので、ご無礼お許しください。

日付が変わりましたが、先生の300の称号のご受章、本当におめでとうございます!
82歳の先生。80歳を過ぎれば、人間誰でも、多少は体にガタが来るものです。
ほかの82歳の老人たちに較べれば、先生は本当にお元気だと思いました。
そうでなければ、わざわざ直接ご出席はされませんよね。
師匠のご健康とご長寿を、弟子として、ただただ祈る日々です。

さて、佐渡の朱鷺さんのお言葉に救われました。
本当にありがとうございます。
まったくもって他意は無いのですが、
最初から「荒らし目的」ととらえられてしまい、残念でなりませんでした。
今回、投稿するかどうかも、相当迷いました。

過去に荒らしがあったとのことですが、最初からそのように疑われてしまうと、
自分をはじめ、ほかの見ている方々が、もっと投稿できなくなってしまいます。
わりと特定の方しか、投稿されていないようにも見受けられますが、
それこそ、仲間内の掲示板になってはしまわないでしょうか。

今日より明日へさん、
過去世から、輪廻転生を繰り返し、
ずっと法華経を弘めてこられたんですね。
すばらしいことです。

御書の一節に、
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ
未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」とありますが、
この御文に照らせば、過去世にこれだけの因を積まれているわけですから、
今世は学会のなかではもとより、社会的立場におかれましても、
間違いなく、病気や経済苦など無縁の、
所願満足の人生を歩まれていることとご推察いたします。

自分は以前、部員さんから、
「自分は過去世の記憶を持っている」と告白されたことがあります。
自分の過去世って、確かに興味はあります。
それでつい、過去世の記憶に関する投稿について、
つい反応してしまったわけです。

「法華経の行者」でしたら最高ですが、虫けらだった可能性だってあるわけです。
果たして、過去世の記憶を受け継いでいるからといって、
それが幸せだとは、必ずしも限らないのかなあと、考えてしまったりします。

でも、黄金の兎さん、佐渡の朱鷺さんの投稿を見て、
あらためて、現当二世ですし、大事なのは今であり、
これからなんだなあと気付かされました。
本当にありがとうございます。

あと、長行を読まなくなって、久しくなりました。
昔は御葬式でも、御焼香の間、長行を2回読んでいたりしましたね。
大聖人御在世から、少しずつ勤行の形は変化していったと聞いたことがありますが、
実際はどうなんでしょうか。

法蓮抄にこんな御文を見つけました。

今の施主・十三年の間・毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏・乃能究尽なるべし、
夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、
三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、
自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、
此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には
小千・大千・三千世界の微塵の数をこそ・あげて候へ、
其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり

長行も寿量品の命であることに、異論はありませんが、
自我偈って、すごいんですね。
 

一光

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月22日(月)23時00分11秒 i58-93-208-182.s02.a015.ap.plala.or.jp
  ”人はどこから来てどこへ行くのか”・・・・

なつかしいなと思いました。
子どもの頃、良くそういう事を考えました。

しかし、今の私には、そういう問いはありません。
「私はここにいる」。
それが、答えではないでしょうか。

いま、ここ、が大事なのだと思います。
いま、ここから、全てが始まるのです。

科学信仰が、無明を深くしたのでしょうね。
文明を、後戻りさせることはできません。
ならばそれを正しく使う為の智慧を、偉大なる叡智を私たちは持たねばならない。
それが無明の暗黒を照らす、一光なのではないでしょうか。

『佐渡の朱鷺さんも、除名になった方々も、再び創価学会員になられるのが、先生の願いです。諸仏の願いであり、諸天の渇仰です。除名になった崇高な使命の方々の再入会が、三代会長の創価学会の勝利です。』

これを読んで、どうしようもなく泣けてしまいました。
やさしい心配りをして頂き、本当に感謝しています。
みなさんの幸せを、祈っています。
 

信仰

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年11月22日(月)19時49分4秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >大事なのは、過去ではなく、いまです。
正にその通りだと思います、佐渡の朱鷺さん。今を生きている生命が未来を新しくし過去にあった事の意味を変えていけるのだ、と私は考えています。ただ原点は知っていなければなりません。仏法で説く人間の生命が何故宇宙的長大な時間を経るごとに無明を増していったのか・・・この根本的な原因については私は近年に至迄考えたことがありませんでした。本来、仏法の器である人間自身にいったい何が起ったのか、という疑問です。一般的に言われる”人はどこから来てどこへ行くのか”・・・・この問いこそ過去や未来、生死も含めて宗教が提示しなければならない重要課題だと確信しています。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月22日(月)07時51分17秒 i60-34-90-73.s02.a015.ap.plala.or.jp
  一般的に、人が自分の過去世を知りたい、と思う時は、考えうるあらゆる手段を講じても状況の改善がうまく行かず、あるいは却って悪くなる、と言うような事があり、現状打破に行き詰まった時ではないでしょうか。
そういう場合には、過去の宿業が原因となっている場合が多いのではないかと思います。
それは必ずしも「悪い行い」と言うよりも、深い契り、であったりだとか、使命の自覚のようなものへと目を向け指せようとする流れである場合が多く、仏法者であれば、その使命の自覚が人生の一大事です。

カナヅチさんの投稿を読んで、私は、何かとてつもなく困難な状況に遭遇してしまっているのだろうか、しかし、初めて参加する為にこの掲示板の流れが見えず、参加する姿勢を決定するための、アタリを付けているのかな、とも感じました。
いずれにせよ、カナヅチさんに、何か真剣な思いがあるのであれば、「なぜ今日より明日へさんに対してそのような質問を行ったか」の理由を明らかにされるだろう、と思いました。

世の中には、過去世を知って、いたずらに霊的高慢に取り憑かれたりする人がたくさんいます。
大事なのは、過去ではなく、いまです。
いまの自分がどうであるかです。
そういった事情にも深く配慮して、今日より明日へさんはカナヅチさんに対応されておられると思います。

カナヅチさんへ

はじめまして。佐渡の朱鷺と申します。
ぶしつけな質問かもしれませんが、よろしければ、何故過去世を知りたいと思ったのかの理由をお聞かせ願えますでしょうか。
 

中有の道

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月21日(日)23時47分48秒 softbank220058091171.bbtec.net
  黄金の兎さん、

いや~お久しぶりです。そうですね、三年の月日が流れましたか。・・
再びの投稿に、懐かしい感情が沸き起こりました!
あの頃は、確か・・キリスト教と仏教に迷われていたと記憶しています。その後、お変わりありませんか?お元気そうで何よりです。当掲示板は、あれから幾度となく、嘲笑の荒しに遭遇して、一度、閉鎖している経緯を辿っています。なので、荒し行為及び誘発するような投稿に関しては、特に敏感になっております。

カナズチさんの真意は、推し量れませんが、一般論として、投稿とメールを間違うものでしょうか!?・・冒頭から、理解に苦しみます。・・
荒し目的と思われても、仕方ないと鑑みます。もしも、そうではなかった場合には、申し訳ないと謝罪したします。再投稿していただければ助かります。
 

過去世

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年11月21日(日)20時33分0秒 softbank126122224122.bbtec.net
  3年ぶりにこのブログを拝見しました。かなずちさんのコメントは特に今日より明日へさんのコメントに対して皮肉で言っている訳でもなさそうに感じますが・・・・。(今、来たところなので今迄の経過は解りませんが)
この過去世の記憶は人によって様々です、自分も億劫の過去と未来を超えて現在にいる、という感覚を何度も覚えています。その人にしか解らない、その人の内面に強く働きかける何か・・・ということは確かです。
人の生死より以前の記憶はそれを語る者がいないので(死者が語ることはない、という意味で)推測の域を出ないのです。
 

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月20日(土)04時31分1秒 softbank220058091171.bbtec.net
  あの日、あの時、あの瞬間。

あの光景、あの声、あの表情。・・54年、背後から、正面から、取り囲み切り付けた。
前も、後ろも敵。断じて、絶対に、永遠に忘れてはならない。

創立日には、実名の公表は掲載されませんでした。誰なのか。裏切りの首謀者の連名は、先送りされました。先生は、いかにも病み上がりのご様子で、激痩せされていました。従来の勢いというか、精気が感じられませんでした。魔物の勢力は、いや増しているようです。

私は、この、今のタイミング(今年)を逃しての発表は、考えられません。
次回は、もう直ぐおとずれる宗門から破門された日。あるいは、元旦。
これは、最も一大事の、永久に学会の歴史に留め於かなければ成らない刻印です。
師弟の呼吸の、一大因縁です。
これこそ、54年来、先生ただお一人、文底秘沈されている本門の戦いです。

もしも、先生が、この儀式をされずに逝去されるような事態になれば、師弟の敗北です。
私には、それは考えられません。時を忍ばれ、時を待たれた先生の展望は、必ず、儀式を踏まえられるのが必然です。先生のご寿命は、その日は、日蓮大聖人様が決められます。炯々には、決して推し量れない摩訶不思議な世界です。

佐渡の朱鷺さん、おしゃる通りです。信じる心がどうかですね。微量の疑いがあっても、それは不信です。王仏冥合の理念は、仏法の仏法たるゆえんです。国の法ではなく、仏の法の統治です。衆愚政治とは、民が愚かということであり、民を真に賢くするには、各自を人間革命させて、境涯を引き上げるしかありません。六道は、迷いの生命です。愚かという境涯です。ホイットマンの民主主義の展望という本に、余すことなく書いてありますね。生命の浄化には、題目しかありませんね。

『過去世からの宿業によって汚染の極まった自分自身を改め、清浄な意識を注がれた正しい存在に立ち返る』・・・答えですね。

佐渡の朱鷺さんも、除名になった方々も、再び創価学会員になられるのが、先生の願いです。諸仏の願いであり、諸天の渇仰です。除名になった崇高な使命の方々の再入会が、三代会長の創価学会の勝利です。本来、除名にならなければならない人間(魔物)が、除名権を持っている。本末転倒です。正義が、見事にひっくり返っています。この、日本ほど、正義がひっくり返るところも、宇宙では稀でしょう。仏と魔の主戦場は、日本です。平安末期から鎌倉初期は、おどろおどろしい妖怪(坊主)が、次々と現れて来ました。銀河団から送り込まれました。大闘争の舞台は、日本です。しかし、魔は、仏には絶対に勝てません。なぜならば、魔を活かしているのが、仏だからです。仏とは、人間のことです。「人間」とは、本当は、途方もない潜在能力を持っています。佐渡の朱鷺さんこそ、女性信徒の鏡のような方です。信心根本、美しい言葉です。

こちらこそ、いつも長文のお言葉に、敬意を表しております。
烏合の衆では、何にも大善は、生まれませんね。

カナズチさん、はじめまして。
メールではなく、投稿ですね。
残念ですが、真剣な姿勢が感じられませんので、恐縮ですがお応え出来ません。

Theimpossiblehashappenedからは、日本時間の深夜に電話がありました。緊急の問題は、解決いたしました。皆さん、ご安心ください。
 

緊急

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年11月19日(金)13時46分4秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  今日より明日へさんへ

送りました。
 

過去世の記憶

 投稿者:カナズチ  投稿日:2010年11月17日(水)01時13分22秒 softbank220058066029.bbtec.net
  初めてメール致します。
今日より明日へさんは、未だに勤行で長行をされたり、とても熱心な方なんですね。
しかも過去世から修行僧として、仏道修行に励まれていたなんて、御書に説かれる、「三世を知るを聖人という」そのものですね。
自分はまだまだ未熟者なので、過去世の記憶なんて、思い出すことなどできませんが、どのようにしたら、今日より明日へさんのように、過去世を思い起こすことができるのですか?
 

信心根本

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月16日(火)10時39分23秒 i58-93-220-52.s02.a015.ap.plala.or.jp
  「こんなに大勢の人がお題目をあげているのに世の中が良くならないのはどうしてなのだろう」と言う意識の中には、「一人より大勢の方がすごい」と言う意識が微量であっても含まれている、と思います。
それは、「ひとりを大切に」と言う学会指導とは相容れないものだと思います。

私は学会員だったころ、公明党の支援を、盲目的に一生懸命やりました。
お題目を上げて一心に行動することで現象が現れます。
あまり喜ばしく無い現象がほとんどでしたが、日本の、民主主義の美名を借りた衆愚政治の浄化であると捉えていました。
政局等について勉強する必要性は感じなかった。
マスメディアによって表現されている政治の表面的な部分には、あまりにも嘘や捏造が多いわけです。
信用に足る文献も少ない。
私はそれらの事情を踏まえて創価学会に入信し、内なる世界の浄化の為に選挙活動をしていたわけです。
それを盲目的な支援活動と見るかどうかは、他人の自由な判断です。

そもそも政治が政治になっていない人間社会の現状なのですから、信心を根本にして政治の世界を改革しようと言う事であったわけです。
創価学会という宗教団体が公明党を作った背景にはそういう経緯があったと思います。
公明党にしてみたら、言葉の、上辺だけの事だったのかもしれませんが、私はその事に賛同したのです。
実際に、選挙の支援活動によって何かが起こり、それが自分や周囲を良くしていると実感するので選挙戦を闘うわけです。
それを通して、過去世からの宿業によって汚染の極まった自分自身を改め、清浄な意識を注がれた正しい存在に立ち返る、それを繰り返す、継続される人間革命を主体的に行ってゆく、と言う意識を持たない人たちの中には、支援活動に対してあまり意欲を持つことができず、あれこれ屁理屈が出てきて、バカだの愚かだのと活動そのものを批判的にしか見ない人もたくさんいるのだと思います。
しかし私はそういう部員さんとは、どうにかして実感を分かち合うと言う事を通して、浄化の波に組み込む工夫をするようにしていました。
全ては部員さんや、ひいては私自身の真の幸せのためです。
創価学会はそのためのフィールドを、全ての会員に解放してくれているのだと私は考えていました。

私自身の浄化が進むと、そのフィールドがどういうフィールドかがだんだん見えて来ます。
それが、組織の上層部の都合で、自在に問題を捏造しては罪なき個人にそれをなすり付け、除名にする、と言うことを平気で行うような人たちのフィールドだと言うことが分かって来た時、その悪しき有り様に異を唱えるのは当然のことだと思います。
私たちは過去からの自分の宿命を目の当たりにし、それによって深淵な自己知識を得て、使命の地と結ばれるようです。

いくら大勢がお題目をあげたとしても、それが烏合の衆のようであっては壊れたテープレコーダーにお題目を唱えさすのと一体どこが違うでしょうか。
心の底に疑いを抱えながら口先でお題目を唱えれば、その祈りが叶う、とは御書には書いていなかったと思います。

私は自分が学会婦人部として活動していたことが間違っていたとは思っていません。
連綿として今に続く正しいプロセスとしてその経験は必要でした。
なので今、盲目的に公明党の支援活動をしている人たちも、やがては正しい軌道へと導かれるのだ信じています。
その時、自分がかつて創価学会で出会った幹部たちのような、人を利用して上から見下し、汚い手を差し伸べることで上手い汁を啜るだけの不潔な存在ではなく、人の誠意と繋がることのできる正しい受け皿となれるように、力を付けて参りたいと願っています。

今日より明日へさん

深い心情を書いて下さり、読ませて頂き、何か誉れのように感じました。ありがとうございました。
頑張りますね!
 

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