排外主義というなら地下に潜れよ
私に挑戦状を叩き付けている人がいる。極右評論のブログ主である。短い反論?がきた。反論は「バカ」という2文字であった。笑っちゃう。あとは反論になっていない。
日本人のみならずとも人命は尊い。人命が尊いからこそそれを凶行によって安易且つ残虐非道に奪った者に対しては死刑制度が適用されるし、戦争・侵略という国民の生命を脅かす行為に対しては自衛手段として交戦権を行使するように私たちは国家として尊い人命を守るがゆえに他の人命を奪わざるを得ない非常な現実世界を生きている(人命が尊いなら死刑にも戦争にも反対してみろ-などと喚いているバカもいるようだが)。http://blog.livedoor.jp/samuraiari/
こんな反論?は赤子の手を捻るようなものだ。この人はまず、「人命は尊い」と言いながらも、「人命を残虐に奪った者の人命は尊くない」と言っている。そして、「侵略する国の国民の人命は尊くない」とも言っている。
さて、どういうことかと考えれば、「人命の尊さ」は、「善悪の価値観」によって決まるということなのだ。尊いのは「人命」より、道徳的価値の方だということだ。つまり、生命自体が尊いのではなく、「良く生きる」ことが価値なのであって、ことさら「人命の尊さ」を叫ぶことは無意味どころか害毒に等しい。このブログ主は自分で「人命は尊い」という命題を自分の言葉で否定してしまった。結局、私の言ったとおりであった。自爆である。
そして、次に、いつも思っていたことだが、このブログ主の文章は、文法がなく意味不明である。私は前に塾をやっていたのでよくわかるが、小学校3年生程度の文法も理解していないと思える。観念的な言葉のツギハギで、なんとかスローガンだけが伝わる程度である。「つまるところ」というのは「つまり」に値し、今まで述べたことの要約を述べるわけだが、そうなっていない。指示語が指し示す言葉も不明確である。文と文もつながっていない。意味不明な文章といえる。
こんな文章を有り難がって読む人は、頭の悪い人だろう。読者に、もともと読解力がないから、文章の意味などどうでもよく、言葉をツギハギしてスローガンに酔いしれているだけに違いない。そんな学力の人間がこの世に多いというこっちゃ。
オルテガの言葉から考えれば、歴史に学ばない思いつきの運動は、一時、大衆に似た指導者の元に、大衆が集まり、流行となるかもしれないが、それは必ずや歴史の荒波にのまれ消滅していく。しかし、私は消滅しない。歴史の荒波を乗り越え洗練された保守主義という思想に立脚しているからだ。保守主義は歴史の荒波をすでに乗り越えたものなのだ。…私は神と歴史と伝統に対してのみ「謙虚」であり続けるつもりだ。
長くなるが、「人格」までケナされているから、ついでに、前から思っていた、排外主義についても書き加えよう。
排外主義、差別主義は、悪党の住処である。排外主義、差別主義を唱える者は、自分は何ほどかの悪徳をしているという認識が必要である。バカは自分のバカさ加減を知ることによって、バカから逃れることができる。悪党についても同じ原理である。
在特会は「朝鮮人は出て行け」とは言わない。「日本が嫌いな」「反日の政治活動をする」朝鮮人に対して出て行けと言っているに過ぎない。しかし、排外主義は違う。人種という根拠によって出て行けと叫ぶものである。善をなすつもりで排外主義、差別主義をやるのなら、余程のバカかキチガイである。
言っておくが、私はなにも「ネオナチ」や「排外主義」を認めていないわけではない。自分は悪役を演じてみせるという「ネオナチ」や「排外主義」なら、一分の道理を認めても良いのだ。
あんたが本物の排外主義者なら、悪役に徹して、たまにはパチンコ屋にダンプカーで突っ込むとか、朝鮮人を誰彼かまわず殴るとかしてみたらどうや。そして、地下に潜って秘密結社でも作ってみろや。そうしたら、私だって一目おいてやる。
地下に潜った時点であんたたちは恐れられる。ブログ書いて言葉に酔いしれるなや。それをなんというか知ってるかい? センズリと言わずしてなんというのだ。
オマエのブログの目的はなんだ 観念的な言葉を使い、もっともらしく、思想らしく見せるための言葉の羅列。思いつきでは、届かないんだよ。なんにも見えてこない。
以上にて、斬り捨て御免とさせていただいた。
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