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まず、久保さんのお仕事を簡単に教えてください。

久保>> テレビと映画のエグゼクティブ・プロデューサーをつとめています。アニメに関わることは僕の守備範囲といえるでしょう。さらに、『コロコロコミック』と『GOTTA』という2つの雑誌を見ています。『コロコロ』のほうはポケモンカードを含むさまざまなメディア展開をやってきました。
テレビアニメに関しては、具体的にどんなお仕事をしているんですか?

久保>> ゲームの進行や発売日に合わせて放映するエピソードを調整するなど、シリーズ構成全体をまとめていますね。映画のほうは、もうちょっと中身や映像などに関わっていますので、映画の仕事のほうがウエイトは大きいかもしれません。
ポケモンとのお付き合いはいつごろはじまったんでしょうか?

久保>> ポケモンとの出会いは95年の11月です。当時は『コロコロコミック』の副編集長だったんですよ。まず、クリーチャーズの石原さんにポケモンのゲームを見せられたんです。当初はイラストが中性的なので、読者の95%が男の子の『コロコロ』では押し出しが弱いかなあという印象がありました。でも、反対に、だれもが好きになれるイメージが強かった。それからケーブルを使ってモンスターを交換できるとか、モンスターを引き連れてチームを作れるとか、子どもにウケそうな要素がたくさんあったんですね。そこで、『コロコロ』でも積極的に取り上げることになり、96年の2月にゲーム発売とほぼ同時に『別冊コロコロコミック』にマンガを連載しはじめたんです。
すぐに反応はあったのでしょうか?

久保>> 雑誌で紹介記事を載せていても、自分たちの雑誌の読者とゲームを買った人がイコールかどうかは、すぐにはわからないんです。ウケていると思っていても、大きなズレがある場合もある。そのうち、石原さんから「実はミュウというポケモンがいる」という話をされたんです。そのころ、150匹のポケモンを全部誌面で紹介していたにも関わらず、読者から「雑誌の表に載ってないポケモンがいる」というハガキがたくさん来ていたんです。「そんなに人気ならプレゼントにしてみましょう」ということで、ミュウのプレゼントキャンペーンを行ないました。すると、20名のプレゼントに7万8千通もの応募があったんです。2回目は8万通。当時、ポケモンの実売数が『赤』『緑』あわせて30万〜40万本くらいだったと思うんです。その中の8万人くらいがウチの読者ということですよね。これは読者とユーザーがイコールと考えていいと思いました。それなら、いろいろな展開ができるかもしれない。そこで、マンガを月刊連載にし、さらにグッズの企画記事なども一緒にやっていくようになったんです。
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