3月21日、地震のこと
3月11日
最初はいつもの地震程度と思っていたが、強烈に揺れ出し、箪笥が倒れ、立っていられない状態になった。
何か、揺れが畳み掛けてきたように感じた。
見ていたテレビが切れた。
いろいろなものが散乱していた。
揺れが収まって、箪笥を起こし、散乱しているものを拾い集めた。
万年布団なので、布団をたたみ、横に積んであるくずれた漫画を整理した。
もう一度布団を箪笥が倒れてもいいような位置に敷きなおした。
そこで寝るつもりだった。避難所が近くの中学校だと近所の人が教えてくれた。
そこで毛布と身の回りの物をバックにつめて避難所に行くことにした。
2階の6畳の部屋の一つは本で散乱していた。
すぐには整理できないので後回しにした。
隣のもう一部屋の仏間に行くと、上下に分かれる仏壇の上の方が壁に寄りかかって斜めになっていて、壁に仏壇の角が食い込んでいた。
ジュータンには香炉が落ちて灰が散らばり、しきみを飾っていた入れ物も倒れ、ジュータンを通り越して畳に水が浸みていたので雑巾で水分を拭き取った。
ローソク立ても倒れ、線香が散乱していた。
とにかく、上の仏壇をもとの位置に戻したが、下の仏壇の位置が少し前にずれていた。
仏壇そのものが前に動いたということだ。すごい地震の威力だ。
ジュータンを取り払い、灰をごみ袋に入れて四つ折りにした。
壁にかけてあった両親の遺影も落ちていたが下に置いたままにした。
毛布とバックを持って避難所に行った。
もうすでにかなりの人たちが来ていた。
体育館にはマットが敷かれ、みんな横になっていた。
僕も空いてるマットに横になった。
ダウンパーカーを着て、毛布を掛けて寝た。
長袖の下着、ももひきをはいていたので寒くはなかった。
夜中、何回も強い余震が来て、そのたびに飛び起きる人がいた。
みんな眠れなかったのではないだろうか、ぼくも停電で睡眠剤を飲める状態じゃなかったのであまり眠れなかった。
3月12日
ほとんど眠れず朝になった。
昨日持ってきたパン3個を朝食にした。持ってきてよかった。
朝食は出なかった。お昼頃だったろうか、クラッカーをもらった。
その後、毛布をもらえた。
水が出る水道にみんなで並んで水をくんだ。
自宅に帰ってみた。水は細く何とか出ている程度だった。
電気は復旧していた。
しかし商店やスーパーが閉まっていた。
開いてはいても商品がほとんどなかった。
夕食におにぎり1人2個づつ出た。
体育館の電気がついたおかげで、睡眠剤を飲んでぐっすり眠れた。
3月13日
朝ごはんが出た。
朝ごはんを食べ、家に行って掃除をした。
掃除機をかけ、手を付けていなかった本を整理した。
また避難所に戻ってみると、帰ったひとが出てきていた。
僕の隣のおばあさんも帰って行った。
缶詰をおいている店があるとの情報を得る。
夕食のおにぎりがあまったので4個もらう。
睡眠剤を飲んでぐっすり寝た。
3月14日
朝ごはんを食べ、缶詰を買いに行く。
さんまの缶詰、まぐろフレーク缶を買う。
生活の目途が立ったので、家に帰ることにする。
避難所はガラガラになっていた。
援助スタッフの方にお礼を言って帰る。
帰ってとにかくごはんを炊く。
まだ、スーパーが開いてないので缶詰をおかずにする。
勤行をして就寝。
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