2010/12/13

沖浦流法門との戦い  
今日は沖浦氏の胸を借りるつもりで書かせていただく。

 お題目は力があるんです。
 御書に書いてあります。


氏は四信五品抄の一節を引用し、次のごとく言う。

 ここで注目すべきは、大聖人は曼荼羅に唱えよとは、全く書かれていない事実です。

本文は省略させてもらった。

次に日蓮正宗の主張を邪偽であると断じている。

 自分ところの曼荼羅に唱える題目にしか功徳が無い。

氏はこれを間違いであるとし、

 何宗の方であれ、題目は力があります。

と言うのだ。

 ただし条件が一つあって、怨嫉謗法があると功徳ではなく罰です。

沖浦氏のコメントには二つのポイントがあると思う。大聖人は曼荼羅に向かって題目を唱えろとはおっしゃっていない・・・これが事実かどうか、という問題。自分のところの曼荼羅以外は功徳がない・・・という主張の是非。

二つ目の問題から入ろう。これは大石寺に対する批判であるが、表現を変えれば大石寺に対する怨嫉謗法にも相当するかもしれない。だとすれば、沖浦氏の自家撞着である。

わたくしの個人的な考えではあるが、原理的には御本尊に差別はないと思う。どの御本尊であっても功徳は同じである。もちろん、ここでの御本尊の意味はさしあたって大聖人の御真筆御本尊のことである。その上で、大石寺にまします戒壇の大御本尊に特別の意義が存することは、「三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇」に安置すべき御本尊だからである。いわゆる一閻浮提総与の意味も当該御文に顕然である。

しかし、これについては各方面から種々の異論が発せられることだろうと想像する。残念ながら、わたくしにはこれ以上の議論を展開するだけの用意がないので、ここで終わりにしたいと思う。

さて、順番が逆になったが、一つ目の問題である。まずは再掲しよう。

 ここで注目すべきは、大聖人は曼荼羅に唱えよとは、全く書かれていない事実です。

沖浦氏は四信五品抄限定で書いているのか、それとも大聖人の仏法の全体的な意味で言っているのか、そこが重要である。前者であれば、確かにそれはそのとおりだろう。

仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る。

いわゆる戒定慧の三学は戒壇・本尊・題目に相当する。なぜそうなのかを考えると、余計にややこしくなるので深入りは避けるが、ともかくこれが共通認識であろう。すると沖浦氏の言うごとく、戒壇も本尊も不要との結論になりそうである。

では、教行証御書の次の一節はどうであろうか?

抑当世の人々何れの宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる。

全集では文永十二年を想定しているようだが、平成新編では建治三年なのである。驚くなかれ、教行証御書の次のページはなんと四信五品抄なのだ。

つまり、四信五品抄限定で言えば、沖浦氏の主張にも一理ある。しかし、上掲の教行証御書を拝するならば、そう単純には割り切れないことがわかるはずである。

 日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり。

本尊は礼拝の対象である。ゆえに御本尊に向かって唱題するのは至極当然の行為なのだろう。つまりは言わずもがなのことなのだ。

まさか沖浦氏は、日興上人の言っていることは間違いだ、などとは言わないだろうと思うが、いかがだろうか?

 お題目は力があるんです。
 御書に書いてあります。


再掲であるが、氏はこの後、四信五品抄を引用している。しかし、わたくしは四信五品抄よりも唱法華題目抄のほうがわかり易いのではと思う。

妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大なり。

実はこの直前の一段に注目すべき御文がある。

問うて云はく、法華経を信ぜん人は本尊並びに行儀並びに常の所行は何にてか候べき。

以下、答えて云はくはまさに言わずもがなのことであるが、せっかくなので必要な箇所を挙げておこう。

行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。

常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱ふべし。


この時期は御本尊をあらわされる遥か以前であるが、本尊のことや礼拝の仕方など、すでにその原型が出来上がっていたことがよくわかると思う。ゆえに後年、大聖人が御本尊をあらわされ、それを授与あそばすようになった段階で、まさか沖浦氏のような曲解をする人がそう多くいたとは思えないのだ。

曲解と言えば、

或は曼荼羅なりと云ひて死人を覆ふて葬る輩も有り

という門徒存知事の記述は、あるいは寂日房御書の一節と関係があるのかもしれない。

此の御本尊は冥途のいしゃうなれ。

いしゃう・・・衣裳のことであるが、これが譬喩であることは論を俟たない。日女御前御返事の「はたじるし」にしても同様だろう。

最後に新尼御前御返事に注目したい。

大尼御前の御本尊の御事、おほせつかはされておもひわづらひて候。

すでにこの段階で新尼御前は御本尊を頂戴していた。大尼御前は、自分も欲しいので大聖人に頼んでおくれ、と新尼に言ったのだろう。二人は嫁姑の関係である。ゆえに嫁としては姑に逆らうわけにはいかないので、御本尊の件を大聖人に伝えたのだろう。大聖人は相手が重恩の人なのでひじょうに思い煩った。しかし、結果的には授与しなかったごとくである。

わたくしはなぜに大尼がそれほどまでに御本尊を欲しがったかを想像するに、そこには新尼が日夜、御本尊に向かって唱題祈念している姿が髣髴としてくるのだ。



2010/12/13  21:49

投稿者:沖浦克治
 出世の本懐は、旦さん

 御書、経文に明々白々です。
 
 民衆の救済ですよ。
 ですので、それに関する全てのことが出世の本懐です。

 大聖人の、仏法者としての人生そのものが、ご本懐です。

2010/12/13  19:12

投稿者:旦
それでは沖浦さんの考える聖人御難事の「出世の本懐」とは何ですか。

2010/12/13  19:06

投稿者:沖浦克治
 旦さん、今晩は

 あの御文は、戒壇本尊本懐の衣文としては、無理ですね。
 聖人御難事は、弘安2年10月1日の作。
 戒壇本尊は12日。
 1日に、既に本懐を遂げた。とおおせですので、本懐は、1日以前のことです。 
 この御文を持ってして、12日に御図顕とされる戒壇本尊を本懐という事は不可能です。
 そして、文章の解釈や、墨や紙の準備に12日間要したと言う愚か者もいますが、それはその人師の希望的観測に過ぎません。

 個人の都合や希望的な観測で、御本仏のご本懐を捻じ曲げる愚か者共など、相手にしない事です。

 更にですが、興師、目師共に戒壇本尊に言及しておりませんし、道師などは完全に否定する文章をのこしております。
 本当に、弘安2年10月12日に御図顕の御本尊があった。という証拠は何も無いのですよ。
 結論は、戒壇本尊本懐論は、寛師の邪義にすぎません。
 
 

2010/12/13  18:38

投稿者:旦
沖浦さんは聖人御難事の「出世の本懐」をどう拝しますか

2010/12/13  18:34

投稿者:沖浦克治
 打ち間違えました。

 戒壇本尊ほか異論を証明する人がいるなら
        
 戒壇本尊本懐論を証明する人がいるなら

2010/12/13  18:18

投稿者:沖浦克治
厳虎さん、今晩は

 曼荼羅にも唱えよとは仰せですよ。
 然しながら、曼荼羅にだけ唱えよとは言われません。
 貴方のご引用の御書の後には、曼荼羅が無いところでの唱題が書かれています。
 そして何よりも考えるべきは、大聖人自ら、曼荼羅なしで発迹顕本なされ事実です。

 曼荼羅はね、充分条件で絶対条件ではありません。

 熱原農民が、御本尊下付されていたと思いますか?

 続いて、戒壇本尊本懐論ですが、あれは寛師の捏造です。
 大聖人は一言も言われておられません。
 私は何年も以前から、

 御書を引用し、戒壇本尊ほか異論を証明する人がいるなら、即時創価学会を退会し、その方の宗派に入ります。
 
 このように宣言しておりますが、未だお一人もおられません。
 戒壇本尊本懐などは、戯言ですよ。

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