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きょうの社説 2011年3月30日
◎原発危機の政府対応 不安残す菅首相の指導力
参院予算委員会で、野党側から菅直人首相が地震発生の翌日、福島第1原発を視察した
ために初動対応が遅れたとの指摘があった。これまでの報道によれば、原子力安全・保安院が発生当日夜、3時間以内に「炉心溶融」が起きると予測しながら、翌日の首相視察の影響を考慮し、蒸気排出の応急措置を取るまで半日を要した可能性があるという。事実とすれば、政府の危機管理に重大なミスがあったことになる。菅首相は、視察の理由について「現場の状況把握が極めて重要だと考えた」と述べ、視 察が遅延を招いたという指摘は「全く当たっていない」と強調した。だが、視察した日の午後、官邸で開かれた与野党党首会談で、首相は原発事故について「危機的な状況にはならない」と述べたとされる。1号機の建屋が爆発したのは、その会談のさなかであり、首相の判断は甘過ぎたと言わざるを得ない。 首相の指導力に不安を残す事例はほかにもある。地震発生4日後の早朝、東京電力に乗 り込み、「覚悟を決めてください。撤退したときには、東電は百パーセントつぶれます」と怒鳴り込んだことである。いかなる理由があろうと、時の首相が民間企業に乗り込んで、3時間も居座って、役員・社員を怒鳴りつけるなどあってならない。思いつきのような谷垣禎一自民党総裁への入閣打診も、首相としての適格性を疑わせた。 震災発生当初、積極的に会見を開いていた菅首相は、初動対応への批判に懲りたのか、 その後は引きこもり気味になった。国民向けの発言も少なく、原発からの避難指示や救援物資の輸送などの対応は後手に回った印象を受ける。共同通信社の世論調査で、首相のリーダーシップについて「あまり発揮していない」「全く発揮していない」が合わせて63・7%に達したのも当然だろう。 それでも、深刻な原発危機の最中に、首相を代えるわけにもいかない。政府が一丸とな ってトップを補佐し、野党の協力を得て、この未曾有の国難を乗り切らねばならない。首相の主戦場はあくまで官邸である。政治主導の演出にこだわって、現場を混乱させるようなまねだけは願い下げにしたい。
◎高峰博士の桜 こんなときこそ希望の光に
今年2月に大地震に見舞われたニュージーランド・クライストチャーチ市に、横浜の有
志が高峰譲吉博士ゆかりの桜を贈ることになった。横浜には高峰博士が寄贈に尽力した米国ワシントン・ポトマック河畔から里帰りした桜があり、そこから作った苗木1千本を、米国寄贈から100年となる2012年に被災地復興の祈りを込めて渡すという。大地震では語学学校が入居するビルなどが倒壊し、富山、石川県の15人を含む28人 が死亡、行方不明になった。異国の地に学びの場を求め、国際的な活動や海外で働く希望を膨らませていた人たちである。植樹が実現すれば、志半ばで亡くなった人たちをいつまでも忘れず、惨事の教訓を後世に語り継ぐ一つの象徴となろう。ニュージーランド地震、東日本大震災で緊急援助隊を互いに派遣した両国のきずなを深める意義もある。 2012年へ向けては、ポトマック桜から採取した穂木を、高峰博士ゆかりの石川、富 山県内に移植する「ワシントンの桜・里帰り事業」が動き出し、東京、横浜などへの分配も検討されている。 その桜に焦点を当てた映画「TAKAMINE〜アメリカに桜を咲かせた男〜」は4月 9日から石川、富山県で全国に先駆けて公開される。日米の懸け橋となった桜が1世紀の時を超え、人々の希望や願いを重ねて交流の新たな扉を開くのは感慨深い。 クライストチャーチへの桜寄贈は、高峰博士の映画でメガホンを取った市川徹監督や横 浜の商店街関係者ら有志が計画した。横浜に1991年に移植されたポトマック桜の接ぎ木で作った苗木を市内各地に植える計画を具体化するなかで、ニュージーランドへの寄贈が浮上した。クライストチャーチと友好提携する日本の都市にも協力を呼びかけるという。 桜の世界的な名所の一つになったポトマック河畔では、恒例の「全米桜祭り」が始まり 、東日本大震災の被災者を支援する募金活動などが行われている。被災地にも希望の光が届くよう、国を越えてつながる桜植樹のプロジェクトを大きく育てていきたい。
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