きりゅう正樹

1972年7月19日生まれ
名古屋出身

身長178cm 体重68kg B100 W75 H90 靴27.0




これが、きりゅう正樹だ!!



現在に至るまで十数年さかのぼる事となる。


いつか将来自分の家が欲しいと甘い考えから(株)コンドームのオカモトを蹴り、(株)パナホームへ就職を決めたのであった。

ところが入社1ヶ月前にダスティン=ホフマンの「卒業」と「トッツィー」を観て演劇・芝居の奥深さに心をやられる。

そこで名古屋大手の役者・タレント事務所(株)巣山プロダクションにプロフィールを送付してみることにした。

書類が通過し面接へと駒が進んだ。

面接での演技試験のお題はたしか

「扉を開けたら、そこは死体の山だった」というお題であった。

今と考えても高度なお題である。

何らく、その試験も通過し入所へと向かい就職を蹴った。

就職の内定が決まり、1ヶ月後には職に就く時であり、

学校の先生には呼び出されド叱られた。

そりゃそうであろう。「自分は就職はせず役者になりたい」と言ったのだから・・・。


20歳の秋だった。


車を買おうとバイトで貯めていた貯金が、

20万円の入所費と1年間の養成費ですべてが消えた。

養成期間の1年が終わった2年目、事務所からクビ宣告を受けた。

貯金も無く夢や希望が消えて行くのを感じた瞬間だった。

事務所の当時の社長・故巣山柳作氏に自分の熱い気持ちをぶつけた。

演技を学ぶ為、劇団入りも希望した。

当時の俺は熱かった。

すると事務所内の劇団「劇団創造」の入団と事務所存続を認められた。

貯金は無かったが多少の夢と希望が帰ってくるのを感じた。

しかし劇団の方は「鬼の劇団」であった・・・。

名前は忘れてしまったが名古屋の誇り高い賞を受賞した演出家の

宇佐美太十氏の鬼の演出を数年に渡り受ける事になる。

時には蹴られ、殴られ、灰皿が飛んでくる、まさに「トラの穴」であった。

俺はプロレスラーではなく役者になりたかった。

しかし彼の演技指導が今の自分の役者の基本を作ってくれたと今では感謝している。


TVでは歩くだけのエキストラが2年間続いた。

地球を2周はしたであろう!?

芝居には多少アクションも必要思い「名古屋アクションクラブ」へ通う事になる。

(のちに、そのアクションクラブのメンバー数人により、

劇団「FIRE☆WORKS ENTERTAINMENT」が結成される。)

デパートの屋上などで戦隊もののショウをしながらアクションを学ぶ。

そこでは役者扱いされた。

ある日、家の展示場ハウジングプラザでの戦隊ショウである。

そのハウジングプラザに就職を蹴ったパナホームの人と偶然出くわす羽目となる。

彼に「きりゅう君はヒーローになりたかったんだぁ」とイヤミを言われる。


忍者の映画を撮るとハリウッド映画がやって来た。

その映画「3NINJA〜KICK BACK〜」のオーディションを受けた、

3度のオーディションを通過しNINJA役に選ばれる。

エンディングロールの「MASAKI KIRYU」に涙する。


「劇団創造」を続けながら多くの劇団へ客演として舞台に出演する数年が過ぎる。

その間、エアコン取り付けなどの電気工事の仕事をしながら生き延びる。

ある日、モデルルームにエアコンを取り付けに行った時だ。

またアイツだ。

パナホームのアイツと再会してしまう。

その時のイヤミはこうだ!

「きりゅう君はヒーロー辞めて電気屋さんになりたかったの?」

彼とは二度と会う事はなかった・・・。


役者としてやって行くには裏の事も知らなくては”良い役者”になれないと思い、

某テレビ局のADとして、ドラマ2本入った。

ドラマスタッフとしては1番下であり、逆にドラマの裏側が1番よく分かると思ったからだ。

辛い世界だった。

一日中、走りっぱであり、撮影も深夜までおよび、睡眠時間は2時間ほどしか無い。

しかも、ド叱られっぱなしである。

ある時は、夜食としてマックのハンバーガーを1時間以内に100個買って来いと言われた。

近くにマックなど無く、1番近くのマックまでも往復で1時間ほどかかった。

しかもマックでは100個作るのに1時間ほど必要と言われた。

無理な要望である。

無理と言う言葉も耳をかしては貰えない・・・。

結局1時間ほど遅れて走って買って来た。

必要以上にド叱られるのである。

不合理な世界である。

あれは今でも反省しているが、ADという立場を越えて自分はキレてしまった・・・。

監督になだめられた。

キレてはいけない。

それで撮影が少し押してしまった。

ホント反省である。


しかし、それとは別にADである自分に優しい言葉をかけてくれたり、

逆に気を使ってくれたりする役者さんがいた。”細川茂樹”さんだ!

そこで感じた事は、たとえADであった自分にさえ、そのように接してくれる役者さんは、

やはり尊敬でき、また売れる、人に好かれる役者なんだと感じた。

自分もそんな役者になりたいと思った。


27歳の時、自分の演技には自分の甘えて生きて来た「人生」が表れてしまう事にようやく気づく。

気づきながら数本の舞台に参戦した。


7年が経過していた。


2000年、友達もいなく言葉も違い、何もかも違う異国での生活をし

自分を磨く旅に1年間カナダへと向かう。


自分としては大きな1歩だった。


カナダのヴァンクーバーは第二のハリウッドと言われる町である。

映画やドラマを街中で撮影しているのを何度か出くわした。

アーノルド・シュワルツェネッガーと町ですれ違った。

ただのデッカイおっさんであった。

いろんなところへ役者である自分を使って欲しいと門を叩いたが、

英語が流暢に話せない、しかも日本人は必要ないと追い返された。


初めの3ヶ月間はホームステイしながら英会話の学校へ行く生活であった。

当初無謀な旅だと思っていたが、カナダ生活3日目で偉大な無謀さに頭を抱える。

多少は英語を話せるであろうと思っていたが3ヶ月間、日本語を話さない生活が続く。

日本語は自分の心の中で話すのみとなる。

学校ではコミカルなパントマイムを交えながら他の生徒と話す毎日が続いた。

それがラテン系に見えたのか南米人達に受け、しかも忍者の映画も出た経歴からか、

いつしかあだ名が「NINJA MASAKI」と呼ばれ友達はブラジル人だらけになっていた。

初めて役者をやっていて良かったと実感した。


4ヶ月目、ある国の友人に騙され金銭的に底をつき、クリスチャンのオッサンの家に潜り込み、

1部屋にてそのオッサンと隣同士で寝る恐怖の1ヶ月間を味わうことになる。

夜もオチオチ眠れない日々が続く。

お金が無い為、伝説の「1ヶ月間シリアル生活」を体験する。

カルシウムは必要だろうと、ミルクとシリアルのみヴァンクーバーの綺麗な夜景を背に食べ続けた。

人はシリアルのみで生きて行ける事を実証した。

食べ物を感謝して食べる心を習得した。

5ヶ月目からようやく一人暮らしが出来る様になった。

英語が分からず部屋で泣いた事もあったが、

電気・水道・電話線などの契約を電話で出来る様になっていた。


カナダでは10日間の電車でのカナダ横断の旅、ナイアガラ、オーロラ遭遇と

日本では体験出来ない経験をたくさんする事に成功した。


自然を、地球を、宇宙を感じた。

俺は何てチッポケな存在なんだろうと思った1年だった。


自分の何年も前にオーストラリアに1年間、女でありながら生還して帰って来た妹を尊敬した。


帰国した。


素直に、直接頭に言葉(日本語)が飛び込んで来るのに大きな驚きを感じた。

言葉(日本語)は素晴らしい。大切にしなくてはいけないと初めて思った。

今まで舞台上でも言葉を大事に使っていなかった様に思えた。


よく舞台でも台詞を噛んでいた。

実際、親知らずが4本外側に生えており口の中を噛みながら喋っていた。

これではイケナイと思い切って親知らずを4本抜いた。

尊敬する「松田優作」も抜いた事実が後押しした。

前より話しやすくなった。

成功であった。


TVCM・ラジオCMなどのナレーションの仕事が入る様になっていた。

TVのドラマも呼ばれる様になって行った。


31歳になっていた。


年齢に後押しされ上京を決意した。


名古屋の事務所では名古屋に残れと反対された。

1度は「クビ」宣告された自分としては、そんな(現在)の社長の言葉が嬉しかった。

多くの反対をされながら東京に1歩を踏み出した。

それは20歳の時の事務所入所会場への上る階段の1歩に似ていた。

あの時の1歩が、この1歩を作ったのだった。

これからも、いろんな1歩があるだろうが自分を信じて踏み出して行こうと思うのであった。



                        
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KIRYU MASAKI

この世界に飛び込んだ         20歳当時

0歳 すべての過ちは
ここから始まった・・・

よく女の子と
間違われたらしい

妹と・・・。

かけっこはいつも
ビリだった。

人生で一番
モテナカッタ高校時代。
こりゃもてんわなぁ。
最悪

EddieVanHalenぶるっ!

歌劇・椿姫
ボーとしてますな。

歌舞伎
厳しい世界でした。

18歳
バイクを買ったが
すぐ廃車・・・。

カナダなのに
何故か、いつもブラジル人と飲んでた(笑)

ナイアガラにて。誰だ!?こりゃ。

親友
ブラジル人のアルフレッド
すぐにシャツを脱ぐんだなぁ。

18歳若い!!!

台風の次の日
山道にて
3回こけて廃車

FIRE☆WORKS舞台公演模様

カナダでの学生証

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