|
きょうのコラム「時鐘」 2011年3月29日
富山市呉羽山に全国でも珍しい大正天皇の漢詩碑が立っている。皇太子時代にこの地から見た光景を詠んでいる
先週「大正天皇実録」が開示され、過去の公開分と合わせて全巻そろった。今回の特徴は、比較的自由に育った青年期の姿が見えることで、全国巡啓の記述がポイントとされる。1909(明治42)年の北陸巡啓も含まれている 金沢では医学博士と会談した。詳報な記録が当時の北國新聞記事にある。「群衆の中には眼病の者が多いようじゃの」。トラホームが流行していると答える医師に「流行病のほか何か風土病でもないか」と問うている さらに「足が強いか」と博士に声をかけ、強くないと答えると「医師が足の弱いでは尻が重くていけぬ」など率直な会話が続く。現在からは考えられないほど明治期の新聞は一言一句、皇族の言葉を記録し、政府もそれを認めている 宮内庁の正式記録である「実録」は公開までに時間が掛かり過ぎ、非公開部分もあって完全ではない。報道の役割が重いことをあらためて思い、現在の国民と皇室の距離はどの程度が妥当なのかを考える機会にもなった。 |