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特集ワイド:危険を承知で、フォトジャーナリストは原発の町へ

福島県双葉町のようすを振り返る広河隆一さん。弁当箱のような右のボックスと金属製の棒がガイガーカウンター=東京都世田谷区で撮影
福島県双葉町のようすを振り返る広河隆一さん。弁当箱のような右のボックスと金属製の棒がガイガーカウンター=東京都世田谷区で撮影

 ◇情報の遅れと過小評価が怖い

 依然、予断を許さない東京電力福島第1原発。放射性物質という目に見えない「危険」から逃れるように、周辺市町村からの集団避難は続く。そうしたなか、まだ騒ぎが拡大する前に、現場近くに入ったのがフォトジャーナリストの広河隆一さん(67)。チェルノブイリ原発での取材経験のある広河さんは「情報伝達の面で課題を残した」と警鐘を鳴らす。【根本太一】

 ◇進入禁止の検問も看板もなく 住民は町へ「衣類取りに」「水やりに」

 月刊写真誌「DAYS JAPAN」の編集室。その片隅に大きなポリ袋が置かれていた。衣服や靴などが透けて見える。「福島県双葉町で着ていた物です」。同誌の発行人である広河さんは、疲れた表情で話した。硬派の報道写真家として知られ、土門拳賞などを受賞。86年に大惨事を引き起こした旧ソ連チェルノブイリ原発には、都合40回ほど訪れ取材を続けている。

 その広河さんが仲間のカメラマン4人と、福島第1原発のある双葉町を目指したのは、巨大地震が東日本を襲った翌日の12日のことだった。午後3時36分、1号機で水素爆発があり、「これは大変なことだ」と感じたという。危険を承知で(1)避難指示エリア周辺での取材(2)放射線量の測定--の二つに目的を据えた。東京を出て、双葉町に到着したのは13日の午前中だった。

 この間に、福島第1原発をめぐる状況は悪化の一途をたどっていた。大震災発生当日の11日夜、原発から半径3キロ圏内に居住する住民に避難指示が出されたのを皮切りに、12日朝には半径10キロに、同夕には同20キロに、そのエリアは拡大していた(政府は25日、半径20~30キロ圏内の住民にも自主避難を促した)。

 また、原発付近の放射線量のモニタリング値は13日午前6時に1時間当たり36・7マイクロシーベルトだったが、同8時33分には1204・2マイクロシーベルトに急上昇し、同9時半に70・3マイクロシーベルトに低下した。そう政府が発表したのは同11時過ぎ。けれども移動中の広河さんは、放射線量の数値を知らなかったという。

 13日朝、郡山市を出発した広河さんらは国道288号を進んで約50キロ離れた双葉町を目指した。この時点で、前述のように半径20キロ圏内は避難指示が出されていた。にもかかわらず、広河さんは奇妙な光景を何度となく目撃した。

 「政府は『避難指示』の区域と言っていますが、実態は、原発の被災を限定的にするための立ち入り禁止区域のこと。それなのに、進入を禁ずる検問所や、注意を喚起するような看板などは見かけませんでした。それどころか、私の車は自転車に乗ったお年寄りを追い越しました」

 広河さんが原発から4キロほど離れた双葉町役場に到着したのは午前10時20分だった。そこで取り出したのは、チェルノブイリでの取材で使っているガイガーカウンター(放射線測定装置)だった。

 「100マイクロシーベルトまで測れるタイプですが大きく振れました。同行者が持参した装置は1000マイクロシーベルトまで測定できるのですが、その数値を超えました。1000マイクロシーベルト、つまり1ミリシーベルトといえば、私たち一般人が1年間に浴びる量ですよ。驚きました」

 政府の発表では、同じ頃の放射線量は「50マイクロシーベルト前後で安定していた」といい、広河さんの測定値とは大きく異なる。けれども、その後上昇し、「午後1時52分に1557・5マイクロシーベルトに達した」ことになっている。その発表時間は、測定から1時間半以上が経過した午後3時半過ぎだった。「発表が遅すぎる」と広河さん。そう話すのも理由がある。

 「確かに町は静まり返っていました。病院のストレッチャーがそのまま放置されているなど、いかにも慌ただしく町を出たという感じがしました。1時間ほどの滞在で、私たちも町を離れたのですが、国道を引き返す途中で逆に、町に入って来る住民の車に出くわしたんです。車を片っ端から止め、必死に危険を知らせました。私だけで10台は止めたでしょうか。事情を理解してUターンした車があれば、制止を振り切った車もありました」

 小さな子どもを連れた親は「自宅に衣類を取りに戻りたい。取ったらすぐに出る」と話し、別の男性は「果樹園に水をやらなければ」と言って町に向かったという。

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 「恐らく放射性物質が付着しているでしょう」。広河さんは衣服の入ったポリ袋に目をやった。「上着に付いたほこりが口や鼻から人体内に入り込む。放射性の微粒子が体にとどまる危険があるんです」

 広河さんによると、事故から四半世紀が過ぎたというのに、チェルノブイリ周辺の線量はいまだに数十マイクロシーベルト前後という。一帯には、検問所で特別許可証を提示しないと近づけない。

 「午後2時の測定値を3時半になって公表する。しかも現在は低下したから大丈夫だと。浴びる必要などなかった放射線を浴びたと後で知った人の心は、どうなるか。それに避難指示を命じた段階で、双葉町への幹線道は立ち入り禁止を徹底すべきだったと思うんです」

 気がかりなのは、親に連れられ家に荷物を取りに戻った子どもだという。「子どもは抵抗力が弱いんです」。すぐ町から出てくれただろうか。水をやりに行ったあの男性は、上着を脱いでから避難所内に入っただろうか……。

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 放射性物質の漏えい事故では、内部で何が起こっているのか私たちは全く知るすべもない。立命館大特命教授(放射線防護学)の安斎育郎さん(70)も「1000マイクロシーベルトという異常値なら、10分以内に公表すべきだった。隠すな、うそをつくな、意図的に過小評価するな。これが原発事故における3原則なんです」と説く。

 「事が起こると原因を見極めてから報告しようとする。報告義務への緊張感がない。一方、大丈夫、収束に向かうといった希望的観測に基づき対処する。深刻な事態を想定せず、過去の経験の延長線上で判断する習性で、後手後手に回ってしまう」

 チェルノブイリでは、旧ソ連政府が事故の事実を隠蔽(いんぺい)したことで、数千人が犠牲になったとも言われる。

 原発事故による、汚染の影響は連鎖的に広がっている。大気、水道水、農作物……。明るみに出るたびに、担当官庁、専門家は「ただちに健康に影響を及ぼさない」と繰り返す。だが、これらを同時に複合して取り続けた場合はどうなのか--。懸念を消す情報は示されていない。

 「医療のために自ら受ける『CT(コンピューター断層撮影)より被ばく線量が少ない』という説明はおかしい。無用な放射線はデメリットでしかない。政府には情報開示でも最善を尽くす義務がある」

 安斎さんの憂いは深い。

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ファクス03・3212・0279

毎日新聞 2011年3月28日 東京夕刊

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